【DRY-RUN】○ 主文 被告名古屋法務局豊橋支局登記官が昭和四四年九月二四日別紙第一物件目録記載の 各土地についてなした各滅失登記処分を取消す。 被告名古屋法務局田原出張所登記官が、昭和四四年九月二四日別紙第二物件
○ 主文被告名古屋法務局豊橋支局登記官が昭和四四年九月二四日別紙第一物件目録記載の各土地についてなした各滅失登記処分を取消す。 被告名古屋法務局田原出張所登記官が、昭和四四年九月二四日別紙第二物件目録記載の各土地について、および同月二五日別紙第三物件目録記載の各土地についてそれぞれなした各滅失登記処分を取消す。 訴訟費用は被告らの負担とする。 ○ 事実第一当事者の求めた裁判(原告ら)主文同旨の判決。 (被告ら)原告らの各請求をいずれも棄却する。 訴訟費用は原告らの負担とする。 との判決。 第二当事者の主張(請求の原因)一原告らは別紙第一ないし第三物件目録記載の各土地(以下、本件土地という)を共有(持分は右物件目録記載のとおり)し、その所有権持分取得登記を有している。 二被告名古屋法務局田原出張所登記官(以下、単に被告という)は、昭和四四年九月二四日別紙第一、第二物件目録記載の各土地の滅失登記処分を、同月二五日別紙第三物件目録記載の各土地の滅失登記処分(以下、本件処分という)をそれぞれなした。 なお、別紙第一物件目録記載の土地については、昭和四五年四月二〇日法務省令第一三号「法務局及び地方法務局の支局及び出張所設置規則等の一部を改正する省令」により、同日、右土地の登記管轄は名古屋法務局田原出張所から同法務局豊橋支局に変更された。 三しかし、本件処分は、その登記原因および日付を「年月日不詳海没」としてなされたものであるところ、本件土地はいずれも海没により滅失した事実が存在しないのにかかわらず、被告がこれを滅失したと認めてなした違法六処分であるから、取消されるべきである。 四また、本件処分は、専ら政治的配慮にもとづいてなされた著しく不当なものであるから取消されるべきである。すなわち、1 愛知県に昭和三六年頃から本件土地を含 処分であるから、取消されるべきである。 四また、本件処分は、専ら政治的配慮にもとづいてなされた著しく不当なものであるから取消されるべきである。すなわち、1 愛知県に昭和三六年頃から本件土地を含む田原湾一帯の沿岸の埋立事業を企画するに至つたが、右沿岸一帯は私人の所有に属していたために、買収には莫大な費用を要することが自明であつた。そこで愛知県は、右買収費用の軽減を計るため、一方では田原湾地区の漁業権者らに対しては莫大な漁業補償金を支出しながら、他方では、本件土地を不当に廉価で取得すべく、本件土地の共有者ら全員に対し、坪当り二五〇円の協力感謝金を支給するから滅失登記申請をなすよう、これに応じないときは協力感謝金を支払わない旨書面で申し向けるという強迫的態度で臨んだ。 2 このため、原告らを除く本件土地の共有者の一部の者は、滅失登記処分を受けて何らの代価も取得できなくなるのをおそれて、右協力感謝金を受取つて本件土地の滅失登記処分申請をしたものである。 3 被告は、本件土地の滅失登記申請が右の如き愛知県当局の著しく不当な弾圧にたえかねてなされたものであることを十分に知りながら、しかも、本件土地が海面下土地として明治の初期から私人の所有に属してきた特別の事情ある事実について、明治以来の地租台帳、登記簿謄本、公図等について十分な調査をなすことなく、単に秋分の日である昭和四四年九月二三日の満潮時に実地調査をなし、満潮時に本件土地が海面下に没したとの一事のみをもつて漫然本件処分をなした。 4 従つて、本件処分は、前記愛知県の不当な政治的策略に協力するためになされた著しく不当な処分であるから、取消されるべきである。 (請求原因に対する被告らの認否)一請求原因一の事実のうち、原告らが本件土地について登記簿上共有持分を有していたことは認めるが、その余は争 れた著しく不当な処分であるから、取消されるべきである。 (請求原因に対する被告らの認否)一請求原因一の事実のうち、原告らが本件土地について登記簿上共有持分を有していたことは認めるが、その余は争う。 二間二の事実は認める。 三同三の事実のうち、本件処分がその登記原因および日付を「年月日不詳海没」とし、本件土地が海没により滅失したと認めてなしたものであることは認めるが、その余は争う。 四同四の事実のうち、本件土地の共有者の一部の者から滅失登記申請がなされたこと、右申請にもとづいて被告が秋分の日である昭和四四年九月二三日の満潮時に実地調査をなした結果、本件土地が海面下に没したことが確認されたので本件処分をなしたことは認め、その余は争う。 (被告らの主張)一本件滅失登記処分は、本件各土地の共有者の一部の者からいずれも「登記原因及びその日付」を「年月日不詳海没」とした滅失登記申請がなされたので、被告において秋分の日である昭和四四年九月二三日の満潮時に実地調査をなした結果、本件土地が海面下に没したことが確認されたので、同月二四日および二五日にいずれも申請のとおり海没による滅失登記処分をなしたものである。 二本件土地は、公有水面下の地盤であつて、私人の土地所得権が成立しないものである。 そもそも土地とは、日本領土全域の陸地を人為的に区分した一定の範囲の地面を指称し、法令の制限内においてその土地の上下を包含する。そして土地は、所有権の客体たる物として取扱われるから私権の対象となりうるものでなければならない。 しかし、公有水面は、公衆の使用に供されるもので、個人の独占を許さない公共用物であつて、公有水面埋立法一条、二四条の規定に照らし、私人の所有権の目的となり得ないものと解される。従つて、公有水面下にある地盤についても、公有水面の公共性の故に ので、個人の独占を許さない公共用物であつて、公有水面埋立法一条、二四条の規定に照らし、私人の所有権の目的となり得ないものと解される。従つて、公有水面下にある地盤についても、公有水面の公共性の故に公有水面と同一体として公共物を構成し、私権の成立を許さないものとしなければならない。土地が公有水面下に没して公有水面下土地となつたときは、海面下の地盤そのものは物理的には土地であろうが、法的には公有水面と一体化し、その地盤は私権の対象物件たる土地の性質を失い、消滅したものと解すべきである。 現在、海面下の地盤については、これを直接規律する法令がないので、公共用物として類似の河川についての現行法規を検討すると、現行河川法(昭和三九年法律第一六七号)二条は、一項において河川が公共用物であることを宣言し、二項において河川の流水は私権の目的とすることかできない旨を規定している。従つて、流水が常時流れている流水敷は私権の客体となる土地としての支配を許さないものとして、法律上その土地が滅失しているものとみているのである。従つて、河川敷の一部に流水が常時流れるようになつてその部分が流水敷になつたときにおいては、不動産登記法は、河川管理者に対して地積の変更登記ないし土地滅失の登通を嘱託すべきことを義務づけているのである(不動産登記法八一条四項、八一条の八第二項)。私権の対象となる土地か否かについては「具体的な支配可能性」の有無を基準とすべきであるとする見解もあるが、支配可能性のあるものであつても、その物の性質によつては私人の独占的支配を許すべきでないものがある。そして、私人の支配を許すべきか否かは立法政策によつて決定されるものである。しかるところ、河川法は、右にみたとおり、流水が常時流れている流水敷は、技術的物理的には支配可能であつても、私人の支配を許さない 、私人の支配を許すべきか否かは立法政策によつて決定されるものである。しかるところ、河川法は、右にみたとおり、流水が常時流れている流水敷は、技術的物理的には支配可能であつても、私人の支配を許さない公共的性格を有するものとして、所有権の目的たる土地とは認めていないのである。従つて、公有水面(水面下の地盤を含む)と河川との公共性を対比してみると、その間に差異はなく、公有水面(水面下の地盤を含む)は、河川と同様強い公共的性格の故に、私人の独占的支配が許されず、私権の成立を認めることかできないものと解すべきである。 三陸地と公有水面との境界線については、直接これを規定した法令の定めが存しないので、その境界線を定めるに当つては最も合理的かつ社会的妥当性のある考え方によつて一定の線を画す必要がある。従来の判例・行政実例においては、潮の干満の差のある水面については春分および秋分における満潮時の潮位を、その他の流水面については高水位を標準として定めるべきものとされている。右のように画一的に境界線を画するという方法は最も合理的であつて社会的妥当性を有するものである。もつとも、右の境界線は、年間を通じて潮位が最も高くなる時点をとらえているが、それ以外の線に境線を画するとすれば、公有水面は私人が独占することを許さない公共物であつてこれが何らの障害もなく利用されることが必要であるにもかかわらず、公共の用に供される海面と、供されない海面とが生ずることによつて、その時点における海面の実体に合わないことになり、非常に不合理な結果が生ずることになるからである。 四本件処分は、「登記原因及びその日付」を「年月日不詳海没」としている。本件土地は既に登記の時点において海面下にあつたことが明らかであるから、本件土地の登記は本来無効な登記であつて、この登記を抹消閉鎖するには は、「登記原因及びその日付」を「年月日不詳海没」としている。本件土地は既に登記の時点において海面下にあつたことが明らかであるから、本件土地の登記は本来無効な登記であつて、この登記を抹消閉鎖するには登記原因を「不存在」または「錯誤」とすべきであつたかもしれない。上かし、登記原因及び日付がたとえ誤りであつたとしても、本件土地は既に公有水面下に没していたのであるから、その客観的事実をそのまま登記簿に公示し、閉鎖したもので、当該登記に誤りがあるということはできない。また、仮に本件処分に手続上の瑕疵があつたとしても、本件土地は公有水面下にあつて不動産登記法上の土地ではないのであるから、その登記の回復を期して処分の取消を求める本件訴は訴の利益がないというべきである。 (被告らの主張に対する原告らの認否と反論)一被告らの主張一の事実は認め、その余はすべて争う。 二本件海面下の土地は、古来土地所有権の対象として取扱われてきたものであつて、原告らはその土地所有権の承継取得者である。すなわち、1 本件土地は、いずれも田原湾沿岸を形成する干潟の一部である。この干潟を形成する田原湾を海とは別個の価値ある土地として干拓せんとする企ては、遥か遠く寛文一三年当時からあつた。寛文一三年の干拓は田原湾の住人Aが汐止川々口に築堤して新開地を作つた。その後天保年間に至り尾張家の筆頭家老三万石犬山城主Bが干拓谷熊新田を完成した。また天保五年甲午二月には尾張国名古屋鉄砲町の住人専一外三名の者が徳川幕府に対して田原湾の開発を願い出て許可されたが、完成せず廃絶したまま二四年を経過した。 2 ところが、安政五年戊午年になつて、専一等の後を引継ぎ、尾張国名古屋桑名町の住人Cが田原湾沿岸ぞいの大崎村<以下略>反別八八六町九反歩を幕府に土地代金として金三一両一分と永(楽銭)一四〇文を 。 2 ところが、安政五年戊午年になつて、専一等の後を引継ぎ、尾張国名古屋桑名町の住人Cが田原湾沿岸ぞいの大崎村<以下略>反別八八六町九反歩を幕府に土地代金として金三一両一分と永(楽銭)一四〇文を支払つてその所有権を取得したのである。もつとも、江戸時代は寛永二〇年より田畑永代売買は禁止され、これが明治初年頃まで続いたのであるが、永代売買の禁止は高請ある田畑すなわち検地帳に記載された正租を納める田畑のみにつき適用されるのであつて、高請のない新開発田畑や町地屋敷地などについては永代売買構いなしであつた。従つて、Cは幕府から田原湾の干潟につき、新開発試作地として、処分権をも有する完全な所有権を取得した訳である。そしてCは干拓を開始したが、僅かに干潟の両端に築堤し湾内に少しばかりの畑地を開墾しただけで完成することができなかつた。 3 明治維新となつて、明治政府は地租制度の改正に着手し、明治五年二月二四日大蔵省達第二五号「地所売買譲渡二付地券渡方規則」をもつて地券制度を採用し、土地の売買譲渡の都度地券を発行することにした。そして同年七月四日大蔵省達第八三号をもつて、売買譲渡の場合だけでなく、全国一般に土地所有者に地券を交付することにした。そこで、Cは幕府から田原湾の干潟の所有権を取得したものとして、明治七年七月二日に渥美郡<以下略>反別一、三七八町歩余のうち用覆水堤塘敷道溝代敷地等四九〇町九反歩を差引いた新開反別八八七町九反歩(本件干潟)につき、当時の愛知県令Dに地券の下附を願い出で、冥加金を上納して、同年同月四日に新開試作地として地券の下附を受け、もつて明確に国からその所有権の確認を受けたものである。 4 地券は、土地の所在、地種、価格、持主を記載した地方長官の署名のある証券であつて、地券の附与は納税義務の裏付けとして「地主タルノ確証」(前記大 て明確に国からその所有権の確認を受けたものである。 4 地券は、土地の所在、地種、価格、持主を記載した地方長官の署名のある証券であつて、地券の附与は納税義務の裏付けとして「地主タルノ確証」(前記大蔵省達二五号六条参照)を地券名義人に与え、その所有を確定したものである。なお、地券の附与手続は、各村ごとに土地の所有者から所在、反別、地価を申告させ、検地帳、名寄帳と突合せ、地引絵図を作成、進達させたものであるから、土地所有者の確認は正確なものであつたと思料される。 また、右新開試作地について、明治一一年一二月老津村総代理人E外四名の者から当時の愛知県令安場保和に対し「新開地取扱方御伺」が提出されたことがあり、Cが本件新開試作地を干拓、開墾しなかつたにもかかわらず、これを官に取り上げるという処置はとられなかつたものである。それは、国が明治八年七月八日地租改正事務局議定の「地所処分仮規則」第二章四条で「旧藩県ニテ開墾願済未夕地代ヲ納メスシテ現今未着手ノモノハ其所有トナスヘカラス。尤モ地代金ヲ納メストモ旧藩県ヨリ授与セラレタル確証アルモノハ其所有ト定ムヘキ事」と定めて、幕府や藩に地代金すなわち土地代金を上納して開墾願済みの土地については開墾未着手のものといえどもその地主の所有であること、および土地代金を上納していなくても幕府や藩から土地を貰い受けたとの確証のあるものはその地主の所有であると認めていたものであるところ、Cの場合は前者に該当するものであつたからである。すなわち、国は右「地所処分仮規則」第二章四条にもとづいて、Cの所有権を認め、前記「新開地取扱方御伺」を取り上げなかつたものである。 5 Cは明治七年七月四日に田原湾一帯の土地(新開試作地)につき地券の下附を受けて以来、明治一一年七月にその一部をFに割譲し、明治一二年八月に他の一部(四四町 方御伺」を取り上げなかつたものである。 5 Cは明治七年七月四日に田原湾一帯の土地(新開試作地)につき地券の下附を受けて以来、明治一一年七月にその一部をFに割譲し、明治一二年八月に他の一部(四四町歩)をG、Hの両名に代金七五〇円で譲渡し、右G、Hの両名はその買受けた新開試作地のうち五町五反四畝一八歩(一五石九斗〕を干拓開墾した。その後更に他の一部(五〇町歩)をIに譲渡し、同人は右譲渡受地を明治一三年一月二六日にEに代金七〇〇円で譲渡した。Cは更に明治一四年一月にJ、E、Kにその一部を譲渡した。Fは明治一一年七月にCから譲り受けた土地(三二〇町歩)をEおよびJの両名に売却し、明治一四年八月二二日E死亡により同人の土地所有権はLが相続した。明治一五年七月J、Lから一部の土地を老津村が買受け、更に同年九月一日にJから一部の土地をM、N、O、P、Qの五名が買受け、これらの者から更に明治一七年五月二五日に大崎村、植田村、野依村が買受けたものである。その後も転々と譲渡され、所有者が変更した状況は、地租台帳写(甲第四ないし第八号証、同第三九ないし第四三号証、同第五〇ないし第五五号証)および閉鎖登記簿謄本(甲第九ないし第一三号証、同第四四ないし第四八号証、同第五六ないし六一号証)にそれぞれ記載されているとおりである。 6 そして、国はCの明治一二年一一月の新開場鍬下年季願(鍬下年季とは地租免除期間の意)をはじめとして数度の鍬下年季を許可してきた。鍬下年季庵止後、国已本件田原湾の干潟の地目を池沼として地租の徴収を開始し、その後昭和三六年に豊橋市が、また同三八年に田原町がそれぞれ何ら正当の理由もなく固定資産税の徴収を停止するまで、古くは明治一八年以降、新しいものでも大正一五年以降実に七八年ないし三六年間の長きにわたつて本件土地の租税を徴収してきたものである 田原町がそれぞれ何ら正当の理由もなく固定資産税の徴収を停止するまで、古くは明治一八年以降、新しいものでも大正一五年以降実に七八年ないし三六年間の長きにわたつて本件土地の租税を徴収してきたものである。 三本件土地を含む田原湾の干潟について、海とは別個の価値あるものとして私人の所有権が成立存続してきたことは以上述べたとおりであるが、さらにこのことは次の諸事実からも明白である。すなわち、 1 Cが所有権を取得した本件干潟は、前述のとおり転々譲渡されてきたこと。特に、昭和一四年ころ海軍省がその一部(水面下の土地)を当時の所有者から買上げた事実もあること。 2 明治九年以降本件土地は地租台帳、土地台帳上に「池沼」または「汐溜」として登載され、地価、譲渡等の事実が記載されてきたこと。 3 明治三二年に不動産登記法が施行されてから、本件土地の地目は「池沼」として登載され、所有権移転の事実が記入されてきたこと。 4 鍬下年季廃止後は地租または固定資産税が賦課され、また売買については不動産取得税が賦課されてきたこと。 5 本件干潟の一部につき、大正一五年一月二六日に大蔵省が、昭和六年一一月一三日に愛知県が、昭和二九年八月二五日に田原町がいずれも当時の土地所有者に対しその共有持分の差押えをなしており、その頃公売処分がなされていること。 6 本件土地等の水面につき漁業協同組合が漁業権の免許を受けるに当り、土地所有者等(大崎地区についてに大崎海面土地管理申合組合)の同意を要したのであり、また漁業権存続期間特例法(昭和三六年法律第一〇一号)一条にもとづく土地所有者の同意もなされていること。 7 また本件土地については、かつて地券が官に還付されたり官に取り上げられたことがないこと。 以上のとおり、本件土地については明治七年の地券下附以降約九〇年の長期間にわたつて所有権 されていること。 7 また本件土地については、かつて地券が官に還付されたり官に取り上げられたことがないこと。 以上のとおり、本件土地については明治七年の地券下附以降約九〇年の長期間にわたつて所有権の成立、存続の歴史的事実はあまた存在し、もはや確乎不動の所有権として公に確定しているものである。 四本件土地の区画は明確である。 本件土地を含む田原湾一帯の土地は、明治七年にCが国からその所有権を確認されて後、逐次分筆売買されてきたところ、分筆登記には必ず実測図面の作成添付が要求されているから、本件土地は分筆時にそれぞれ実測にもとづいて公図に分筆の記入がなされたものであつて、各土地の区画は公に明瞭になつているわけである。このことは昭和一一年一月一二日帝国市町村地図刊行会によつて、各分筆された土地はそれぞれ区画され明確に登載され、一般に販売されていることからも明らかである。 また、田原湾には、一般公共の用に供するため、そこに出入りする船舶の進路として私有地とは別に澪筋(ミオスジ、官有の川敷)が設けられ、また村と村との境界には境界杭が設置されていて、各共有者は現実に自己の共有地を確認しうるようになつているのである。愛知県もかつて田原湾一帯の土地について私有地と国有地に分けて実測したこともあるのである。 右のとおり、本件土地は、区画され、人の排他的総括支配に服する土地として取扱われてきたことが明らかである。 五本件土地は、海面下の土地ではあるが、私有水面下地盤であつて、所有権が成立しうるものである。 1 民法八五条は「本法ニ於テ物トハ有体物ヲ謂フ」と定めており、ここに「有体物」とは「法律上の排他的支配が可能なもの」をいうのである。権利の客体たる物の一種である「土地」も当然に人が排他的に支配することが可能なものであることを要し、地所は、連綿と続いてい り、ここに「有体物」とは「法律上の排他的支配が可能なもの」をいうのである。権利の客体たる物の一種である「土地」も当然に人が排他的に支配することが可能なものであることを要し、地所は、連綿と続いているのであるから、人為的に区画されることによつてはじめて権利の客体たる「土地」になる。 海面下の土地といえども一定の範囲を区画すれば、その土地は排他的に支配することができるのであるから、権利の客体になりうるのである。海面下の土地のうちでも本件土地のように干潟を形成するものは、干潟部分を他から区画することは極めて容易なことであり、本件干潟が排他的総括支配可能な土地として私権の客体となつてきたことは、先に詳述したとおりである。 2 ところで、権利の客体たる土地であつても、その土地にいかなる私権の成立を認めるかは、その当時における法律制度によつて決定されるところである。例えば、旧河川法三条施行当時においては河川敷に所有権の客体たり得なかつたが、現行河川法では河川敷について所有権の成立を認めているのである。旧河川法のような法的規制が存しない限り、人による排他的総括支配の可能な地表の特定の一部であれば「土地」というに妨げない。海水が常時侵入する海面下にある地表の一部であつても、これを殊更に土地の概念から排斥し、土地の概念を被告ら主張のように「陸地」と同義に解すべき合理的理由は全くない。 3 公有水面埋立法一条一項によれば、「公共の用に供し且つ国の所有に属する河、潟、湖、沼等の水流又は水面」が公有水面(公法上の権利の客体)なのであり、右以外の支配可能な河、海、湖、沼等の水流又は水面は、民法二〇七条によつて底地所有者の支配に服する私有水面(私法上の権利の客体)なのである。すなわち、海面には公物と私物とがあるのである。被告らは、「陸地と公有水面との境界は春分秋分 の水流又は水面は、民法二〇七条によつて底地所有者の支配に服する私有水面(私法上の権利の客体)なのである。すなわち、海面には公物と私物とがあるのである。被告らは、「陸地と公有水面との境界は春分秋分の日の満潮位をもつて標準」とし、公有水面下の土地に私人の所有権は成立しない旨主張する。しかし、陸地は必ず公有水面と接していなければならぬとする必然性もまた合理性も存しない。本件干潟上の海面は私有水面であつて公有水面ではないから、右の標準を適用すべき場合ではない。すなわち、「春分秋分の日の満潮位」をもつて境界線を画しうるのは、「陸地」と「公有水面」とが直接接している場合なのであつて、「陸地」と「私有水面」とが接している場合のものではない。けだし、私有水面の境界は底地の境界に従うことは当然であるからである。 従つて、本件干潟が秋分の日の満潮位に海面下に没する土地であるからといつて、本件干潟が原告らの共有土地である以上、満潮時の本件干潟上の海面は私有水面であつて、共有者たる原告らの排他的支配権に服しているものであり、公有水面として公共の用に供される公共用物となるものではない。 4 土地が「海没により滅失」したと判断されるのは、その土地が法律上の価値すなわち「権利の客体」たりうる価値を喪失した場合である。「物理的意味の海没」(被告らのいう「海没」とはこの意味である)はかならずしも「法律上の海没」を意味するものではない。例えば、貯水場、養魚場等にする目的で陸地を取崩して海面下の土地とした場合でも、それは依然として権利の客体たる価値を喪失するものではなく、法律上の海没とはいえない。従つて、海面下の土地は海没した原因にかかわらず所有権が消滅するとの考え方は全くの誤りである。 5 また、土地の「滅失」と土地に対する「私権の制限」とは全くその意味を異にするものであ 没とはいえない。従つて、海面下の土地は海没した原因にかかわらず所有権が消滅するとの考え方は全くの誤りである。 5 また、土地の「滅失」と土地に対する「私権の制限」とは全くその意味を異にするものであつて、両者を混同してはならない。すなわち、「土地の滅失」は当該土地が人の排他的総括的支配可能性を喪失したことをいうのであるから、従前そこに存した一切の私法上の権利も公法上の権利もすべて客体そのものを失つたために消滅するのである。これに反して「土地に対する私権の制限」は、土地は依然として人の排他的総括的支配可能性を有するのであるが、公共的配慮のために当該土地につき私権を制限するものである。そして、私権を制限するには法律上の個別的規定(鉱業法二条、七条、八条、温泉法三条、九条一一条、旧河川法三条、河川法二条二項等の制限がその例である)もしくは土地収用法等の規定による土地収用(この場合、正当な補償をなすことを要する)等の法律上の定めを要するのである。 「土地の滅失」は、事実上の問題であるから、別段法律上の定めを要するものではなく、正当な補償の問題も生じない。 被告らは「現行法律は、海面下の土地については私人の支配を許さないとの立法政策をとつている」と主張するが、法律上私人の支配を許さないと定めることは、私権の制限の問題であつて、権利の客体の滅失の問題ではない。被告らの主張には右混同があるが、その点はおくとしても、河川法二条二項についての被告らの解釈は、旧河川法三条と対比すれば明瞭なとおり、明文に反する誤つた見解であり、むしろ、河川法は河川敷については私権の成立を認めているものである。 六以上述べたところで明らかなとおり、本件土地は排他的総括的支配可能性の存する区画された海面下の土地であつて、これを権利の客体である土地でないとする被告らの主張は誤りであ を認めているものである。 六以上述べたところで明らかなとおり、本件土地は排他的総括的支配可能性の存する区画された海面下の土地であつて、これを権利の客体である土地でないとする被告らの主張は誤りである。従つて、原告らを除く一部他の共有者のなした滅失登記申請は実体上の登記原因を欠き無効であるから、被告らにこれを却下すべきものであるのにこれを受理して本件滅失登記処分をなしたことに違法であつて、取消されるべきである。 (原告らの反論に対する被告らの認否)原告ら主張の本件係争物件の取得原因については不知。 Cが本件土地について取得したという権利は、土地所有権ないし土地の排他的総括支配権でになく、むしろ公有水面埋立法上の埋立権に類似した一種の海面埋立権であつたにすぎないものである。 第三証拠(省略)○ 理由一原告らが本件土地について登記簿上別紙第一なしい第三物件目録記載のとおり共有持分を有していたこと、本件土地の共有者中原告らを除く一部の者から「登記原因及びその日付」を「年月日不詳海没」とした滅失登記申請がなされたので、被告らにおいて秋分の日である昭和四四年九月二三日の満潮時に実施調査をなした結果、本件土地が海面下の土地となることが確認されたので本件滅失登記処分がなされたことは、当事者間に争いがない。 二秋分の日の満潮時において海面下となる土地が被告らの主張するように私権の対象となりえず、従つて滅失登記をなすべきであるか否かについての判断に先立ち、本件土地の現状および沿革について検討すると、いずれも成立に争いのない甲第二号証、第四ないし第一三号証、第二三ないし第二五号証、第二六号証の一、二、第三九ないし第四八号証、第五〇ないし第六一号証、第七四ないし第七六号証、第七八号証の一ないし三、第八〇ないし第八二号証、第八四号証、第九九ないし第一〇 第二三ないし第二五号証、第二六号証の一、二、第三九ないし第四八号証、第五〇ないし第六一号証、第七四ないし第七六号証、第七八号証の一ないし三、第八〇ないし第八二号証、第八四号証、第九九ないし第一〇三号証、乙第六号証の一、二、第七、八号証、第一〇号証の一ないし一二、第一一号証の一ないし一〇、証人Rの証言(第一回)により真正に成立したものと認められる甲第三号証、第二一、二二号証、第二八号証、第三六、三七号証、第三八号証の一ないし三、同証人の証言(第二回)により真正に成立したものと認められる甲第六七号証、同証人の証言(第四回)により真正に成立したものと認められる甲第二七号証の一、二、第九一号証の一、二、原告S本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第三一ないし第三四号証、証人Tの証言により真正に成立したものと認められる甲第八五号証、第八七号証、第九二号証、第九五号証、証人R(第一ないし第五回)、同U、同T、同Vの各証言および原告S本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。 1 本件土地はいずれも田原湾沿岸を形成するいわゆる海面下土地の一部であるが、田原湾内の<地名略>、<地名略>、<地名略>、<地名略>の各地区の海面下土地の総面積は約一、三七九万平方メートル(但し、土地台帳上の総面積は約六四一万平方メートル)であること。右のうち本件土地は、<地名略>地区と<地名略>地区の二ヶ所に分かれており、その登記簿上の面積は三六万八九〇平方メートルと一八万二、六七九平方メートルであること。 2 本件土地は、満潮時においては海面下の土地となるが、日に二回の干潮時においては砂泥質の地表を露出するいわゆる干潟(汐川干潟ともいう)の一部であること。そして、右田原湾の潮の千滅の差は最大約三メートルに達するものであり、秋分の日である昭和四四年 が、日に二回の干潮時においては砂泥質の地表を露出するいわゆる干潟(汐川干潟ともいう)の一部であること。そして、右田原湾の潮の千滅の差は最大約三メートルに達するものであり、秋分の日である昭和四四年九月二三日のほぼ満潮時において、本件土地の水深は〇・六九メートルないし二・〇メートルであつたこと。この潮の干満の程度は現在も昔もあまり変りのないものであること。 もつとも、干潮時において、右干潟のすべての部分が水面より現われる訳ではなく、澪筋(ミオスジ)と呼ばれる細い川状の部分は依然として水面下に残ること。 3 この干潟を形成する田原湾沿岸一帯を外海とは別個の土地として干拓せんとの企ては古く江戸時代初期から存したことがうかがわれるが、これまで度々築堤、埋立工事が一部分でなされてきたものの、その大部分は往時のまゝで現在に及んでいること、従つて、本件土地は古来、海面下の土地として、主として海藻、貝類の採取場として利用されてきたものであること。 4 明治七年七月四日、Cが当時の愛知県令Dから本件土地を含む右田原湾一帯の土地(渥美郡<以下略>反別一、三七八町歩余のうち用悪水堤塘敷道溝代敷地等四九〇町九反歩を差引いた新開反別八八七町九反歩。なお、当時の面積の表示は実際の五割位であつたという)について新開試作地として地券の下附を受けたものであること。そして、以来右地券が官に還付されたり、国より右土地の返還を求められたりしたことはないこと。5 右以前の幕府時代のことについては、原告らの主張する如き各事実につきそれに添う記録、文書等の資料が存在しない訳ではないが、Cが当初幕府から取得したという権利が原告ら主張の如き土地所有権ないし土地に対する排他的総括支配権であつたか否かは確定することができないものである。しかし、地券制度の趣旨、その手続等に鑑み、土地について地 初幕府から取得したという権利が原告ら主張の如き土地所有権ないし土地に対する排他的総括支配権であつたか否かは確定することができないものである。しかし、地券制度の趣旨、その手続等に鑑み、土地について地券の下附を受けた者は、特段の事情のない限り当該土地の所有権(民法施行後は民法施行法三六条により現在の土地所有権に移行)者と推認すべきものである。従つて、右Cおよびこれより後に譲渡を受けて所有権取得登記をなした者は右土地の所有権者(もつとも、海面下の土地についても所有権が成立することを前提としてであるが、この点は後述する)であるということができる。そして、本件土地は、原告ら主張のとおり転々譲渡されて原告らの共有となつたものであること。 6 本件土地を含む田原湾一帯の土地は、明治七年にCが所有権を取得して以来、売買等により転々譲渡されてきたこと。特に昭和一四年頃、海軍省が右土地の一部を飛行場とするため、土地代金一反当り七〇円、漁業補償金一反当り七二円の割合でこれを買上げた事実があること。 7 本件土地は、地租台帳・土地台帳に池沼・汐溜として登記され、地価・譲渡等の事実が記載されてきたこと。また、不動産登記法施行後は、登記簿上、本件土地の地目は池沼として登記され、分筆登記され、所有権移転の事実が記入されてきたこと。 8 本件土地について、当初鍬下年季が許可されてきたが、大正一五年頃鍬下年季廃止後、国は地租の徴収を開始し、その後昭和三六年に豊橋市が、また昭和三八年に田原町がそれぞれ固定資産税の徴収を停止するまで租税が賦課されてきたこと。 また、本件干潟の一部の土地につき、大正一五年一月二六日に大蔵省が、昭和六年一一月一三日に愛知県が、昭和二九年八月二五日に田原町がいずれも当時の土地所有者に対しその共有持分の差押をなし、後二者についてその頃公売処分がなされ 地につき、大正一五年一月二六日に大蔵省が、昭和六年一一月一三日に愛知県が、昭和二九年八月二五日に田原町がいずれも当時の土地所有者に対しその共有持分の差押をなし、後二者についてその頃公売処分がなされていること。 9 本件土地等の水面につき漁業協同組合が漁業権の免許を受けるに当り、土地所有者等(大崎地区については大崎海面土地管理中合組合)の同意を要したのであり、また漁業権存続期間特例法(昭和三六年法律第一〇一号)一条にもとづく土地所有者の同意もなされていること。 10 明治初年頃、Cと当時の大崎村七ヶ村との間の協議において、本件干潟の海面境界が絵図面で協定されており、以後現地においては境界杭が設置されてきたこと。その後分筆登記がなされてきたことは前述のとおりであるが、昭和一一年頃の帝国市町村地図刊行会発行の図面にも各土地の区画がなされており、本件干潟の区画は明確にされていること。 11 本件土地を含む田原湾一帯の干潟について、昭和三九年頃愛知県は埋立を計画し、海面下土地の登記簿上の共有持分権者に対して任意に滅失登記申請をなすよう勧告し、任意に滅失登記した者に対し協力感謝金の名目で一坪当り二五〇円の金員が支払われていること。 以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。 右認定事実によれば、本件土地は、時に海水によつて覆われる海面下の土地ではあるが、干潮時にはその地表を現わす干潟の一部を形成し、明治初年頃より、区画された排他的総括支配の可能な土地として、転々譲渡され、あるいは固定資産税を支払うなど私人の所有権の対象たる土地として長年月の間取扱われてきたものであつて、原告らはいずれもその土地所有権の承継取得者であることが認められる。 三ところで、被告らは、本件土地は秋分の日の満潮時に海面下に没したものであり、海面下の土地には私人の所有 われてきたものであつて、原告らはいずれもその土地所有権の承継取得者であることが認められる。 三ところで、被告らは、本件土地は秋分の日の満潮時に海面下に没したものであり、海面下の土地には私人の所有権は認められないから本件滅失登記処分をなした旨主張する。そして、陸地と公有水面との境界線は、潮の干満のある水面については春分および秋分の日における満潮時の潮位を標準として定めるべきであるとし、右標準によつて海面下となる土地は、公有水面埋立法一条、二四条、河川法二条、不動産登記法八一条四項、八一条の八第二項の規定によれば、現行法上、これに私権の成立を認めない趣旨であるから、滅失登記をなすべきものであるという。 そして、成立に争いのない乙第一ないし第四号証によれば、海面下の土地の登記に関する法務省民事局の通達・回答として、(一) 昭和三一年一一月一〇日民事甲二六一二号法務省民事局長事務代理回答(昭和三一・八・二二熊本地方法務局長照会)(二) 昭和三三年四月一一日民事三発二〇三号法務省民事局第三課長事務代理通知(昭和三三・三・一八千葉港建設事務局長照会)(三) 昭和三四年六月二六日民事甲一二八七号法務省民事局長通達(昭和三四・二・二六福島県知事照会)(四) 昭和三六年一一月九日民事甲二八〇一号法務省民事局長回答(昭和三六・一〇・四蔵管二二六一号大蔵省管財局長照会)が出されていることが認められ、これらの通達・回答によれば、陸地と公有水面との境界は春分秋分の日の満潮位をもつて標準とし、海面下の土地は、海没した原因にかかわらず所有権は消滅するから、登記は抹消しなければならなかとしている。 従つて、被告のなした本件滅失登記処分も従来の右行政先例の見解に従つてなされたものであることが認められる。 四しかしながら、被告らの右見解は当裁判所の採用し難いところで なければならなかとしている。 従つて、被告のなした本件滅失登記処分も従来の右行政先例の見解に従つてなされたものであることが認められる。 四しかしながら、被告らの右見解は当裁判所の採用し難いところである。 民法上「土地」とは、一定の範囲の地面に、正当な範囲においてその上下を包含させたものである。そして、土地が所有権の客体たるには、それに対する人の支配可能性がなければならず、また支配価値(財産的価値)のあるものでなければならない。従つて、人の支配しえない大洋(海底地面を含む)などはこの意味で物(土地)ではないとされる。しかし、海洋であつても、一定の範囲を区画すれば人の支配しうるものとなるから、そこに財産上の価値を認めるかぎり、その海面は物とみることができ、その地盤についても同様に土地として所有権の成立を認めうるものと解すべきである。すなわち、外形的物理的に海面下に没した土地であつても、財産上の利益を支配しうるかぎりにおいて、そこに所有権の成立を容認すべきであり、これを法律上の「土地」というに妨げないものである。 もつとも、「土地」について私権の成立を認めるか否かは立法政策の問題であつて、時の法制度いかんによる訳であるから、満潮時において海面下となる地盤について私人の所有権を認めるか否かは現行法がいかなる規律をしているかによつて決まることといつてよい。その場合、右海面下の地盤も民法上の「土地」であることは前述のとおりであるから、現行法律制度が明確に私権の成立を否定していると解せられないかぎり、これを肯定的に解するのが相当である。海面下の土地について、陸地との境界の基準ならびにその所有権の帰属関係等につき明確に定めた法律は、現在のところ存在しない。被告らは、公有水面は、個人の独占を許さない公共用物であつて、公有水面埋立法一条、二四条の規定に照ら 陸地との境界の基準ならびにその所有権の帰属関係等につき明確に定めた法律は、現在のところ存在しない。被告らは、公有水面は、個人の独占を許さない公共用物であつて、公有水面埋立法一条、二四条の規定に照らし私人の所有権の目的となり得ないものであるから、その地盤についても公有水面の公共性の故に公有水面と同一体として公共物を構成し、私権の成立を許すべきではないと主張する。しかし、先ず、公有水面埋立法にいう公有水面とは、(イ)公共の用に供すること、(ロ)国の所有に属すること、の二つの要件を具備した水流または水面を指称する概念であることは同法一条一項の法文上明らかであつて、右以外の水流または水面は公有水面に含まれないものである。すなわち、私人の土地上の水面や公共の用に供されていない水面は同法にいう公有水面とはいえない。それで、公有水面埋立地の所有権取得について定めた同法二四条の規定も、右のような国の所有に属する公有水面についてのみ適用され、意味があるのであつて、私有地を埋立てた場合に同条の適用のないことは当然である。従つて、公有水面埋立法一条、二四条の規定を援用する被告らの右主張は、海面下の土地が既に国の所有に属するものでありかつ海面が公共の用に供されることを前提とするものであつて、本件に適切でなく、採ることができない。もつとも、被告らのいわんとする趣旨は、一般に海面は公共の用に供されるものであるから、その地盤についても当然制約を受け、私権の成立についても制限を受けるべきであるというのであろうが、海面が公共の用に供されることと、その地盤の所有権の有無とは切り離して考えられるのであり、私人の土地の上に公共用物が存するからといつて、地盤である土地の私所有権を否定すべき理論的必然性があるとは、到底考えられない。 地上の公共用物が将来消滅したり公用廃止になる 離して考えられるのであり、私人の土地の上に公共用物が存するからといつて、地盤である土地の私所有権を否定すべき理論的必然性があるとは、到底考えられない。 地上の公共用物が将来消滅したり公用廃止になることも十分考えられるからである。そこで、海面下の私人所有地は、一般に、自然公物たる海水が存することによつて一種の公用負担を負つている土地と考えることができるのであり、海面下の土地の所有者は、その海面が公共の用に供される範囲においてその海面を独占できないだけである。あるいは、海岸法により海岸管理上の規制を受ける場合があるというにすぎない。もし、私人が貯木場、養殖場等にする目的のために所有地を取崩して人工海面下土地としたときは、その海面は公共の用に供されない場合が多いであろうから、私有水面として公用負担のない完全な土地所有権を認めるべきである。 公有水面以外の海面(私有水面)の存在しうることは港湾法四条二項、海岸法三条、漁業法三条、一三条四項、公有水面埋立法一条等の諸規定の解釈からもこれを認めることができるのである。 次に、旧河川法(明治二九年四月八日法律第七一号)三条は「河川並其ノ敷地若ハ流水ハ私権ノ目的トナルコトヲ得ス」として河川の敷地について私権排除の規定をおいていた。従つて、河川敷との均衡上、海面下の地盤についても私権の成立を否定することは一理あつたといつてよい(被告ら援用の前記先例はいずれも旧河川法当時のものである)。しかし、右旧河川法三条の適用されたのは河川法上の適用河川についてであつて、準用河川・普通河川については適用がなかつたと解されるのであり、また、河川と海面とは種々の点で異なり同一視できないものである(なお、前認定の本件土地のように、古くから私所有権の対象と認められてきた土地について私権制限立法をなすときは、憲法二九条三項の正当 あり、また、河川と海面とは種々の点で異なり同一視できないものである(なお、前認定の本件土地のように、古くから私所有権の対象と認められてきた土地について私権制限立法をなすときは、憲法二九条三項の正当補償の問題も生じよう。 ちなみに、旧河川法においては、河川敷の従前の所有者であつた者に対して、河川敷地占用許可ないし補償金の下附、廃川敷地の下附などの補償規定がもうけられていた)。さらに、旧河川法は昭和三九年に改正され、改正河川法二条二項は「河川の流水は私権の目的となることができない」とのみ規定し、むしろ河川の敷地について私権の成立を認めていることが明らかである。河川法は、河川の敷地に私権を認めることと河川の管理とは両立しえないものではなく、私権の行使が公共用物である河川の管理に必要な限度で制限されることで足りるとして、私権排除の規定を設けなかつたものと解される。従つて、現行河川法は河川の敷地につき私所有権その他の財産権の目的となりうることを認めるものであり、その理は海面下の地盤についても同様に私所有権の成立を認めさせるものであるといえるのである。そこで、右の見解に従うときは、不動産登記法八一条四項および同法八一条の八第二項に「河川区域内の土地が滅失したとき」とは、単に河川区域の一部分が流水敷になつた場合ではなく、流水が常時流れることになり人による支配可能性、財産的価値を喪失したと認めるべき場合をいうと解すべきことになる。いずれにしろ、海面が常に公共用物であり、海水が私権の目的となりえない旨の規定の存在しない現行法律制度のもとでは、被告ら主張の如く河川法の規定を海面下の土地にたやすく準用することは妥当性を欠くものであるといわなければならない。 民法上「土地」は陸地と同義でなければならないものではなく、また陸地は常に公有水面と接続していなければな 法の規定を海面下の土地にたやすく準用することは妥当性を欠くものであるといわなければならない。 民法上「土地」は陸地と同義でなければならないものではなく、また陸地は常に公有水面と接続していなければならない必然性は認められない。これを形式的画一的に陸地と海面とに分け、海面下の地盤をすべて法律上の土地と認めない考え方は現行法上採用することができないものである。 五以上述べたところで明らかなとおり、海面下の土地も私所有権の対象となりうるものであり、それが海没により法律上滅失したとみるべきか否かは、単に春分秋分の日の満潮時に海面下の土地となるか否かによつて決すべきではなく、当該土地が海面下となつた経緯、現状、所有者等の意図、科学的技術水準などを総合考慮して、その支配可能性、財産的価値の有無を判断したうえで「滅失」と評価できるか否かによつて決定しなければならないと解すべきである。 これを本件についてみるに、前記認定のとおり、本件土地は干潮時にはその地表を海面上に現わすいわゆる田原湾干潟の一部であり、右干潟は、他の海面とは明確に区画区別されて、明治七年七月四日Cが当時の愛知県令Dから地券の下附を受けて以来約五〇年の間、地租台帳・土地台帳に池沼または汐溜として登載され、登記簿上には組目を池沼として登記され、それが分筆登記されて転々売買譲渡され、差押公売処分に付され、多数の人が実測をなし、絵図面、地図を作成し、地租・固定資産税を支払うなど種々私人の所有権の存する土地として取扱われてきたものであり、さらに本件処分のなされたころ本件土地の埋立を企図した愛知県より滅失登記の申請書に対し一坪当り一五〇円の割合の金員が支払われているのであつて、右事実関係から明らかな如く、本件土地は排他的支配可能性、財産的価値のある土地であることが十分に認定できるのである。右のよ 登記の申請書に対し一坪当り一五〇円の割合の金員が支払われているのであつて、右事実関係から明らかな如く、本件土地は排他的支配可能性、財産的価値のある土地であることが十分に認定できるのである。右のような支配可能性、財産的価値が存し、私権の対象となるべき土地を、海没により滅失したとした被告らの見解判断は誤りであつて、これを原因とする滅失登記は無効であるといわなければならない。 従つて、原告らを除く一部共有者からの滅失登記申請は実体上の登記原因を欠く無効なものであり、これを却下しないでなした被告らの本件滅失登記処分は違法であつて、いずれも取消をまぬがれないものである。原告らの主張は理由があるというべきである。 六よつて、原告らの本訴請求はいずれも理由があるので正当としてこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。 (裁判官山田麟光窪田季夫小熊桂)別紙(省略)
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