- 1 -平成18年6月7日判決言渡平成12年(ワ)第14712号損害賠償請求事件(第1事件)平成13年(ワ)第14001号損害賠償請求事件(第2事件)平成13年(ワ)第16507号損害賠償請求事件(第3事件)判決主文 原告らの請求をいずれも棄却する。 訴訟費用は原告らの負担とする。 事実及び理由 第1編事案の概要第1章請求の趣旨被告は,別紙請求額一覧表1及び2(略)記載の各原告に対し,同一覧表の「一部請求額」欄記載の各金員を支払え。 第2章事案の要旨原告らは,昭和31年7月から昭和34年9月にかけてドミニカ共和国(以下「ドミニカ」という)へ移住し,その国営入植地に入植した者であり(ただし,。 原告1,同2,同3,同4及び同5は,移住後ドミニカにおいて出生した者である,その一部の者は,移住後死亡した者の承継人でもある。このうち,第1事。)件及び第2事件の原告ら(別紙請求額一覧表1(略)記載の原告ら)は,被告が昭和36年から昭和37年にかけて実施した集団帰国措置によって帰国することなくドミニカに残留した者(以下「残留原告」という)である。また,第3事件の原。 告ら(別紙請求額一覧表2(略)記載の原告ら)は,上記集団帰国措置によって帰国した者(以下「帰国原告」という)である。 。 本件は,原告らが,被告が国策として実施したドミニカへの移住に応募し,ドミニカ各地の国営入植地に入植したが,募集の際に示された移住条件が実現されずに多大な損害を被ったなどと主張して,被告に対し「移住者送出契約」の債務不履,- 2 -行又は国家賠償法1条1項に基づいて,損害賠償を求める事案である。 なお,ドミニカの国営入植地への日本人の移住は,後記認定のとおり,昭和29年8月にドミニカから我が国に対し招致の申出がされたことを契機と 又は国家賠償法1条1項に基づいて,損害賠償を求める事案である。 なお,ドミニカの国営入植地への日本人の移住は,後記認定のとおり,昭和29年8月にドミニカから我が国に対し招致の申出がされたことを契機として検討が始められ,昭和31年5月に両国間で交換公文を取り交わすことにより実行されることになったものであり,同年7月から昭和34年9月までの間に十数回にわたり合計249家族,1319人が移住した。 第3章当事者の主張の要旨第1請求原因の要旨 債務不履行に基づく損害賠償請求関係(1)「移住者送出契約」の不履行ドミニカに移住した各原告と,国策として同人らを送り出した被告との間には「移住者送出契約」が成立している。この契約は,移住者送出者であ,る被告が,被送出者である各原告に対し,あらかじめ移民受入国であるドミニカとの間で合意された移住条件を提示し,かつ,その移住条件の実現を保証して移住地まで移送することを約し,被送出者はその条件に従って移住することを約する無償の無名契約である。 被告は,上記「移住者送出契約」に基づいて,原告らに対し,①移住予定地が農業適性を備えていること等を調査すべき義務,②上記調査に基づいて,移住に適した入植地を選定し,確保すべき義務,③移住予定地等に関する説明を十分に行うべき義務,④募集要項に表示された農業適地の所有権を無償で取得させるべき義務,⑤その他募集要項に表示された諸条件をドミニカ政府に履行させるべき義務を負担した。 しかし,被告は,これらの義務を履行しなかった。 (2)安全配慮義務の不履行仮に,各原告と被告との間に上記「移住者送出契約」が成立していないとしても,被告とドミニカ政府との間の合意及びこれに基づく被告のあっせん- 3 -という法律関係並びに被告の各原告に対する支配関係等に照せば 原告と被告との間に上記「移住者送出契約」が成立していないとしても,被告とドミニカ政府との間の合意及びこれに基づく被告のあっせん- 3 -という法律関係並びに被告の各原告に対する支配関係等に照せば,各原告と被告との間には「移住者送出契約」に準じた法律関係が存在するというべ,きである。そして,原告らは,この法律関係に基づいて,被告の情報だけを信じて日本国内の財産をすべて処分し,被告が定めた募集要項に従って携行資金等を用意し,全く見ず知らずのドミニカで営農に従事するという特別な社会的接触関係に入ったのである。したがって,被告は,原告らの生命,身体,精神,財産等について,信義則上の安全配慮義務を負っていると解すべきである。 その義務の具体的内容は,上記(1)の「移住者送出契約」が存在した場合と同様のものが考えられるが,被告は,これらの義務を履行しなかった。 (3)以上の点に関する原告らの具体的な主張は,別添1の原告らの主張の「第1章債務不履行に基づく損害賠償請求」に記載のとおりである。 国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求関係(1)ドミニカ移住事業は,外務省が中心となり,農林省(昭和53年法律第87号により「農林水産省」に名称を変更。以下「農林省」という)と。 共同して行ったものである。したがって,その企画,立案及び実施の各過程における個々の行為,処分の総体が国家賠償法1条1項の「公権力の行使」に該当し,外務省を統括する外務大臣,農林省を統括する農林大臣(昭和53年法律第87号により「農林水産大臣」に名称を変更。以下「農林大臣」という)が同項の「公務員」に該当する。 。 (2)上記(1)の立場にある外務大臣及び農林大臣は,海外移住が移住者の人生に莫大な影響を与えるものであることに照らすと,条理上,調査義務,説明義務及び保護義 )が同項の「公務員」に該当する。 。 (2)上記(1)の立場にある外務大臣及び農林大臣は,海外移住が移住者の人生に莫大な影響を与えるものであることに照らすと,条理上,調査義務,説明義務及び保護義務を負っていたというべきであるが,これらの義務に違反した。 すなわち,本件移住事業を推進するに当たっては,現地調査を十分にする必要があったが,入植地の面積,農業適性及びドミニカの制度等について調- 4 -査を尽くさなかった。 また,移住に関する情報については真実かつ正確なものを提供すべきであったが,被告とドミニカ政府との間で取り決めた移住条件とは異なる内容の説明が行われており,現地の実情などに関し移住者にとって不利益な事情は説明されなかった。 さらに,本件移住事業を国策として推進するために,外交交渉,調査,説明などの先行行為を行った以上,募集要項の内容を実現することが不可能となった場合には,原告らの生活を保全する措置を講ずるなどして原告らに移住に伴う損害を被らせないようにすべきであったが,そうした措置を講じなかった。 (3)以上の点に関する原告らの具体的な主張は,別添1の原告らの主張の「第2章国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求」に記載のとおりである。 原告らの被った損害(1)経済的損害原告らは,被告に対し,債務不履行又は国家賠償法1条1項に基づいて損害賠償を求めているが,前者の請求は,被告による「移住者送出契約」がその本旨に従い適切に履行されていたなら原告らがドミニカにおいて得たであろう経済的利益の賠償を求めるものである。そして,その利益は本来なら原状回復利益を超える金額に達するが,主張・立証が困難であるため,原状回復利益を限度として請求するにとどめている。また,後者の請求は,原告らが被告によって棄民されなかったなら当然得 の利益は本来なら原状回復利益を超える金額に達するが,主張・立証が困難であるため,原状回復利益を限度として請求するにとどめている。また,後者の請求は,原告らが被告によって棄民されなかったなら当然得てしかるべきであった経済的利益の賠償を求めるものである。 そして,上記経済的損害は,原告らがドミニカに移住せず日本にとどまった場合に稼動することで獲得し得た利益の総体である。具体的には,別紙請求額一覧表1及び2(略)の「経済的損害額」欄記載の金額になる。 - 5 -(2)精神的損害原告らは,本件移住により,筆舌に尽くし難い苦労をし,精神的苦痛を被った。このような原告らの精神的苦痛を慰謝するための金額は2000万円を下らない。 (3)以上の点に関する原告らの具体的な主張は,別添1の原告らの主張の「第3章原告らの被った損害」に記載のとおりである。 結語よって,原告らは,被告に対し,上記1の債務不履行又は上記2の国家賠償法1条1項に基づいて,原告らが被った上記3の損害のうち,別紙請求額一覧表1及び2(略)の「一部請求額」欄記載の金額の損害賠償を求める。 第2請求原因の要旨に対する答弁(被告) 債務不履行に基づく損害賠償請求関係について(1)「移住者送出契約」について原告らが主張する「移住者送出契約」については,被告と原告らとの間に意思表示の合致がなく,原告らが主張する各義務を負担するとの被告の意思表示も存在せず,さらに,原告ら自身も同契約を締結したとの認識がなかったのであるから,被告と原告らとの間にそのような契約は成立していない。 また,原告らがそのような契約成立の根拠として主張している被告の関与は,同契約の成立を認める法的根拠とはならない。 (2)安全配慮義務について安全配慮義務が成立するためには,当事者間に雇用契約ないしそれ 原告らがそのような契約成立の根拠として主張している被告の関与は,同契約の成立を認める法的根拠とはならない。 (2)安全配慮義務について安全配慮義務が成立するためには,当事者間に雇用契約ないしそれに準ずる法律関係が介在することが必要であるが,原告らと被告との間にはそのような関係は存在しない。また,原告らは,安全配慮義務の具体的内容として,その主張に係る「移住者送出契約」関係が存在した場合と同様の義務を主張するが,安全配慮義務からそのような義務を導くことには論理の飛躍がある。 (3)以上の点に関する被告の具体的な主張は,別添2の被告の主張の「第- 6 -1章債務不履行に基づく損害賠償請求について」に記載のとおりである。 国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求関係について(1)外務大臣及び農林大臣が,原告らが主張する調査義務,説明義務及び保護義務を職務上の法的義務として負うことはない。 (2)外務大臣及び農林大臣は,ドミニカ政府と外交交渉を行い,より有利な移住条件の獲得に努力するとともに,情報を収集し,現地調査も行うなどして十分な情報を収集するように努めた。 また,外務大臣及び農林大臣は,募集要領を作成し,それを財団法人日本海外協会連合会に通知した当時,通常尽くすべき職務上の注意義務を尽くすことなく,漫然と誤った情報を提供したということはない。各募集要領には,相手国政府という信頼できる相手方からの情報に加え,必要な調査を行った上で,その結果が正確に記載され,消極的事実も記載されており,その記載に虚偽,誇張にわたる部分は存在しない。 さらに,外務大臣及び農林大臣は,原告らが主張するような先行行為に基づく保護義務を負担していない。また,被告は,原告らに対し,その保護,生活の安定を図るために,各種支援を行っている。 (3)以上の点に に,外務大臣及び農林大臣は,原告らが主張するような先行行為に基づく保護義務を負担していない。また,被告は,原告らに対し,その保護,生活の安定を図るために,各種支援を行っている。 (3)以上の点に関する被告の具体的な主張は,別添2の被告の主張の「第2章国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求関係について」に記載のとおりである。 原告らの被った損害について(1)経済的損害について農業経営は,農業に関する専門的な知識が要求される上,気象条件,市場動向等の多様なリスクを伴うものであり,仮に,原告らが無償で農業適地を配分されたとしても,だれもが農業者として成功するとは限らないから,原告らが主張するような経済的利益を想定することはできない。 また,原告らは,ドミニカに移住したことによって種々の利益を得ている- 7 -のであるから,そうした利益について損益相殺すべきである。 (2)因果関係の不存在残留原告らは,集団帰国が実施された際に帰国が可能であったにもかかわらず自らの意思でドミニカに残留したのであるから,集団帰国が実施された後の損害については,被告の債務不履行又は外務大臣及び農林大臣の注意義務違反との間に因果関係がない。 (3)以上の点に関する被告の具体的な主張は,別添2の被告の主張の「第3章原告らの被った損害について」に記載のとおりである。 第3消滅時効及び除斥期間に関する主張の要旨(被告) 債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効の援用原告らは,移住地に入植した時点において,被告に対し「移住者送出契,約」に基づく履行請求ないしその不履行に基づく損害賠償請求権を行使することが可能であった。したがって,その主張に係る債務不履行に基づく損害賠償請求権は,入植時から10年の経過によって,時効により消滅した。 仮に,上記時点に しその不履行に基づく損害賠償請求権を行使することが可能であった。したがって,その主張に係る債務不履行に基づく損害賠償請求権は,入植時から10年の経過によって,時効により消滅した。 仮に,上記時点において権利行使ができなかったとしても,帰国原告らは,遅くとも同原告らが帰国した時点においては損害賠償請求権を行使することが可能であった。また,残留原告らについても,遅くとも帰国・転住措置が終了した昭和38年3月8日の時点においては,損害賠償請求権を行使することが可能であった。したがって,同請求権はそれぞれの時点から10年の経過によって,時効により消滅した。 被告は,原告らに対し,平成14年5月20日の本件口頭弁論期日において,上記消滅時効を援用する旨の意思表示をした。 国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求権の消滅時効の援用,除斥期間の経過(1)消滅時効の援用原告らの主張によれば,原告らは,各入植地に入植した時点で「損害及び- 8 -加害者」を知ったということができる。保護義務違反については,その違反により「募集要項から一般に看取することができる移住条件」が実現され,ない状況が生じ,原告らがそのことを権利行使可能な程度に認識した時から起算されることになる。したがって,その時点から3年の経過により,原告らの国家賠償法に基づく損害賠償請求権は時効により消滅した。 仮に,上記時点では損害賠償請求権の行使が事実上不可能な状況にあったとしても,遅くとも帰国・転住措置が終了した昭和38年3月8日の時点では,それが可能な状況にあったというべきである。したがって,この時点から3年の経過により,原告らの損害賠償請求権は時効により消滅した。 被告は,原告らに対し,平成14年11月11日の本件口頭弁論期日において,上記消滅時効を援用する旨の意思表示をした がって,この時点から3年の経過により,原告らの損害賠償請求権は時効により消滅した。 被告は,原告らに対し,平成14年11月11日の本件口頭弁論期日において,上記消滅時効を援用する旨の意思表示をした。 (2)除斥期間の経過国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求権について適用される民法724条後段の規定は,除斥期間を定めたものである。したがって,原告らの主張する違法行為の時点から20年が経過したことによって,原告らの損害賠償請求権は除斥期間の経過により消滅した。 以上の点に関する被告の具体的な主張は,別添2の被告の主張の「第4章消滅時効及び除斥期間に関する被告の主張」に記載のとおりである。 第4消滅時効及び除斥期間に関する被告の主張に対する反論(原告ら) 債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効について(1)消滅時効の起算点について残留原告らに関しては,被告が募集要項をもって約束した面積の耕作に適した土地の所有権を取得させるべき義務や募集要項記載のその他の諸条件を履行すべき義務について,被告がその履行を遅滞している状態が現在に至るまで継続している以上,債務不履行責任に基づく損害賠償請求権の消滅時効は進行していない。 - 9 -また,帰国原告らについても,債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効は進行していない。 (2)時効利益の放棄又は時効援用権の喪失被告は,平成9年から平成10年にかけて,ドミニカ政府と外交交渉を行い,ドミニカ政府をして残留原告らに対しラ・ルイサの土地を無償配分することとしたが,これは時効完成後の債務の承認として,時効利益の放棄又は時効援用権の喪失を来す場合に該当する。 (3)消滅時効の援用権の行使について被告の責任を認めても時効の制度趣旨には反しないこと,被告の強度の違法性等の事情を総合考慮すれ して,時効利益の放棄又は時効援用権の喪失を来す場合に該当する。 (3)消滅時効の援用権の行使について被告の責任を認めても時効の制度趣旨には反しないこと,被告の強度の違法性等の事情を総合考慮すれば,被告が消滅時効を援用することは,信義則違反又は権利の濫用であり,許されない。 国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求権の消滅時効の援用,除斥期間の経過について(1)消滅時効についてア被告には,虚偽の説明をして原告らを移住させた先行行為に基づく保護義務違反があり,その違反状態は現在に至るまで継続しているので,国家賠償法上の損害賠償請求権の消滅時効は進行していない。 イ被告は,上記1(2)のとおり,時効完成後の債務の承認として,時効利益の放棄又は時効援用権の喪失を来す行為をした。 ウ上記1(3)のとおり,被告が消滅時効を援用することは,信義則違反又は権利の濫用であり,許されない。 (2)除斥期間の経過について国家賠償法4条が準用する民法724条後段の規定は,時効期間を定めたものである。 仮に,同条後段が除斥期間を定めたものであるとしても,本件の特殊事情を総合的に考慮すれば,その適用は制限されるべきである。 - 10 - 以上の点に関する原告らの具体的な主張は,別添1の原告らの主張の「第4章消滅時効及び除斥期間に関する被告の主張に対する反論等」に記載のとおりである。 第2編当裁判所の判断第1章基礎的事実関係第1海外移住に関する基本的事項証拠(甲19,20,28,甲66,甲106,143,144,1の1,246,147,甲199,甲226,甲227,乙1,10,11,の1の1,216,17,20,334,335,337ないし340,342,345,381ないし383,385,証人6)によれば,以下の事実を認 ,甲226,甲227,乙1,10,11,の1の1,216,17,20,334,335,337ないし340,342,345,381ないし383,385,証人6)によれば,以下の事実を認めることができる(なお,枝番の付された書証については,枝番を小文字で表記する。基本的な書証については,以下の認定中において()内に摘示する。以下同じ。 。) 外務省の所掌事務(1)昭和26年12月に公布された外務省設置法(昭和26年法律第283号)において,3条8号で「海外における邦人の保護並びに海外渡航及び移住のあつ旋」が外務省の任務とされた。また,4条18号で「日本人の海外渡航及び移住に関しあつ旋,保護その他必要な措置をとること」が外務省の権限とされた。 昭和28年9月の外務省組織令の改正(昭和28年政令第265号)により,外務省欧米局に移民課が置かれた。 (2)昭和30年7月の外務省設置法の改正(昭和30年法律第58号)により,外務省の内部部局として新たに「移住局(5条)が設置され,その」所掌事務について,13条の2で,海外移住に関する事務処理のための企画立案に関すること(1号,海外移住に関しあっせん,保護,促進その他必)要な措置をとること(2号,海外移住に関する関係行政機関の事務の連絡)調整に関すること(3号,旅券の発給その他海外渡航に関し必要な措置を)- 11 -とること(4号,査証に関すること(5号)と定められた。 )そして,同月の外務省組織令の改正(昭和30年政令第113号)により,移住局内の各課の事務が定められ,外国による移民の受入れ及び国外への移民送出に関する企画立案及び実施に関すること,そのために必要な現地の諸条件の調査に関すること等が同局第二課の所掌事務とされた。 農林省の所掌事務昭和27年当 外国による移民の受入れ及び国外への移民送出に関する企画立案及び実施に関すること,そのために必要な現地の諸条件の調査に関すること等が同局第二課の所掌事務とされた。 農林省の所掌事務昭和27年当時の農林省設置法(昭和24年法律第153号)9条1項6号で「入植並びにこれに伴う開墾作業及び営農の指導助成を行うこと」が農地局の事務とされていた。そして,同年8月30日に公布された農林省組織令(昭和27年政令第389号)により,農地局管理部に入植課が置かれ(31条2項4号「海外への入植者の選定及び送出に関すること」も同課の担当事務),とされた(36条2号。 )そして,昭和30年10月の農林省組織令の改正(昭和30年政令第271号)により,入植課が「拓植課」と改められ「農業移民の募集,選考及び教,育並びに移住地の調査に関すること」が同課の担当事務とされた(36条3号。 )さらに,昭和31年6月の農林省設置法の改正(昭和31年法律第159号)により「農業改良局」が「振興局」に改められ「農業者の海外移住に,,関し,その募集,選考及び教育並びに移住地の調査を行うこと」が同局の事務とされ(同法10条1項5号の4,同月の農林省組織令の改正(昭和31年)政令第198号)により,その事務を同局の拓植課が担当することとされた(同令51条1号。 ) 財団法人日本海外協会連合会等(1)第二次世界大戦前,日本人の海外進出に伴い,在外日本人との連絡,移住のあっせん等を目的とする海外協会が,各県に次々と設立されていた。 そして,第二次世界大戦後,海外移住を目的とする団体が漸次生まれ,昭和- 12 -27年6月,それらの類似団体が統合されて社団法人海外移住中央協会が発足した。また,移住の再開と共に,戦前に存在した地方の海外協会が次第に復活した。 外 的とする団体が漸次生まれ,昭和- 12 -27年6月,それらの類似団体が統合されて社団法人海外移住中央協会が発足した。また,移住の再開と共に,戦前に存在した地方の海外協会が次第に復活した。 外務省は,昭和28年9月,外務大臣の諮問機関として海外移住懇談会を設置し,同年10月,同懇談会に対する諮問の結果,各都道府県の海外協会の中央機関として財団法人日本海外協会連合会(以下「海協連」という)。 を設立し,これに移住事務を一元的に行わせるべき旨の答申を得た。これを受けて,上記海外移住中央協会が中心となり,当時存在した地方の海外協会の団体の代表その他民間有志によって,同年11月,海協連の創立総会が開かれ,昭和29年1月5日,外務大臣により財団法人として設立が許可された。 海協連は,海外移住のあっせん及び援助を行い,かつ,海外移住の推進を図ることを目的とし,海外移住に関する啓蒙宣伝,移住者の募集・選考,教養講習・訓練,送出・輸送,渡航費等の貸付け,入植地での定着指導及び調査研究等の事業を行った。昭和31年4月には,ドミニカに支部を設置した。 また,地方の海外協会は,昭和33年までの間に全国46都道府県に設置されるに至った。そのうち,財団法人が27,社団法人が1で,他は任意団体であった。名称は,ほとんどが「海外協会」と称したが「海外移住協,会」等と称するものもあった(以下,これらの組織を「地方海外協会」という。 。)(2)なお,昭和30年7月,米国の3銀行からの借款を活用して我が国の海外移住を促進するために,日本海外移住振興株式会社法が制定され,同法に基づいて,特殊法人である日本海外移住振興株式会社(以下「移住振興会社」という)が設立された。同社は,渡航費の貸付け,移住者及びその団。 体に対する融資,入植地の購入,造成,分譲等の業務を ,同法に基づいて,特殊法人である日本海外移住振興株式会社(以下「移住振興会社」という)が設立された。同社は,渡航費の貸付け,移住者及びその団。 体に対する融資,入植地の購入,造成,分譲等の業務を行った。 そして,昭和38年7月15日,海外移住事業団法に基づき,海外移住事- 13 -業団が設立され,海協連及び移住振興会社の権利及び義務が,海外移住事業団に承継された。さらに,昭和49年には,海外移住事業団の事業が,国際協力事業団の移住事業として統合され,海外移住事業団の一切の権利及び義務が国際協力事業団に承継された。 外務省,農林省,海協連の関係(1)内閣は,昭和29年7月20日「海外移住に関する事務調整につい,ての閣議決定(乙1)をした。その内容は,次のとおりである。 」「一海外移住に関する主務官庁は外務省とする。但し農業移民の募集,選考,訓練及び現地技術調査は外務,農林両省の所管とする。 二外務省内に移住関係官庁の連絡会を設け各省事務の連絡統一を図るものとする。 三農業移民の募集,選考,訓練及び現地技術調査は農林省がこれを担当する。但し,右について農林省は主務官庁たる外務省との協議を必要とし,且つ,連絡会の決定に従うものとする。 四海外移住に関する事務の実施は民間団体たる日本海外協会連合会及びその組織団体たる地方海外協会をして国内国外を通じて一元的に行わしめるものとする。 五農業移民選考の最終決定は日本海外協会連合会が外務,農林両省の指示を受けてこれを決定する。 六日本海外協会連合会及び地方海外協会の法制化についてはすみやかにこれが実現を期する」。 なお,この閣議決定の請議に当たっては,次の内容の説明書が付された。 すなわち「昭和27年に始つた戦後の対中南米計画移民は,その送出数に,おいて逐年増加の状況にあり, かにこれが実現を期する」。 なお,この閣議決定の請議に当たっては,次の内容の説明書が付された。 すなわち「昭和27年に始つた戦後の対中南米計画移民は,その送出数に,おいて逐年増加の状況にあり,今後移民事業の本格的発展を図るためには,この際新たなる構想をもつて強力にこれを推進する必要があると考えられるに至つたゝめ,移民事業の現業部門は一元的にこれを本年1月5日設立を許- 14 -可された日本海外協会連合会(及びその会員たる地方海外協会)をして行わしむることゝするとゝもに,移民行政についても,主務官庁たる外務省とその他の関係各省,特に,現在,対中南米移民の大部分が農業移民たる点に鑑み,農林省との緊密なる協力関係を期する必要上,本件閣議決定を請議する次第である」とされた。 。 そして,同日「海外移住に関する閣議決定に伴う外務,大蔵,農林三次,官申合せ事項(乙10)が定められた。その内容は,次のとおりである。 」「一海外協会連合会の人件費,事務費,その他組織及び基本の経費は外務省で一括して計上する。 二農業移民の募集,選考の訓練の事業費及び農林省より派遣する現地技術調査員に必要な経費は農林省で計上し募集,選考,訓練の事業費で団体に交付するものは連合会に一括して交付する。 三現地技術調査は調査団を組織し団長は外務省がこれに当り調査の結果を連絡会に報告し意見の統一を図る。 四農業移民の募集,選考及び訓練について都道府県及び連合会に発する重要なる指令,通ちようは両省連名でする。 五予算の大綱は連絡会議で協議し大蔵省に要求する。 六連絡会議には連合会もメンバーとして参加する」。 (2)内閣は,昭和30年5月20日,同年7月に外務省に移住局が設置されるのに先立って「外務省に移住局を設置することに伴う閣議了解」をし,た。そして「海外 は連合会もメンバーとして参加する」。 (2)内閣は,昭和30年5月20日,同年7月に外務省に移住局が設置されるのに先立って「外務省に移住局を設置することに伴う閣議了解」をし,た。そして「海外移住に関する事務の調整については,昭和29年7月2,0日閣議決定によるのほか,なお下記によるものとする」とし,その4と。 して「日本海外協会連合会(地方海外協会を含む)の主務官庁は外務省と,する。農林,労働その他の関係各省はそれぞれの所掌事務に応じ日本海外協会連合会(地方海外協会を含む)を指揮監督し得るよう共管する」こととした。 - 15 -また,上記閣議了解を受けて「外務省に移住局を設置することに伴う,『閣議了解事項』に伴う農林漁業移民に関する外務,農林両省事務次官覚書」が取り交わされた。その内容は,次のとおりである。 「農林漁業移民に関する両省共管の国内事務につき,その簡素明確化するとともに,両省間の事務連絡の円滑化を図るため,下記のとおり協定する。 記 外務農林両省は,農林漁業移民に関する諸情報を適時相互に連絡すること。 外務省は,個別的具体的受入条件をなるべく速かに農林省に通報すること。農林省は,右通報に基いて募集,選考及び実務講習に関する要領を作成し,外務省と協議の上,これを決定すること。 右の決定に基き農林漁業移民が移住あつ旋所に入所するまでの間の募集,選考(最終決定を除く,実務講習及びこれらに伴い必要な国内広報の事)務は農林省が責任をもつて担当すること。従つて,都道府県及び海外協会連合会に対する右の事務についての指示,通ちようは農林省が行うこと。 但し,基本的重要事項については外務,農林両省の連名で行うこと。 広報宣伝及び国際教養講習の事務は外務省が責任をもつて担当すること。 農林漁業移民選考の最終決定に ,通ちようは農林省が行うこと。 但し,基本的重要事項については外務,農林両省の連名で行うこと。 広報宣伝及び国際教養講習の事務は外務省が責任をもつて担当すること。 農林漁業移民選考の最終決定については外務,農林両省が共同して担当すること」。 被告の移住政策(1)外務省欧米局移民課が作成した昭和29年10月18日付けの「海外移民に関する当面の諸施策(案」は,移民の我が国に及ぼす経済的影響を)強調し「移住政策の基調は将来外貨を通じて日本経済を支持する拠点をな,るべく広く,なるべく大きく海外各方面に作り上げることにあり,これがためには今日能うかぎり優秀な移民を1人でも多く海外に送り出すことが必要である」とした。 - 16 -昭和30年3月21日付けで,外務省移住参事官名で発表された「移民国策の確立と当面の重要施策(甲144)では「移民を国策として確立し」,なければならない」として,次のとおり提唱した。すなわち「移民は大,『して人口問題の解決にならないし,儲かる仕事でもないが,多少の失業救済にはなるし又国民に明るい希望を与える』というのが移民についての一般の考え方である。これは数千人の食いつめ者が南米へ行く,といつた戦前の南米移民の概念であつて,現在外務省が立案している10年間に約43万人の資本と技術をもつた優秀な日本人を送り出すという新移民政策の移民の概念とは甚しくかけ離れたものである。この大規模の移民政策が実現するためにはまず速かに移民が国策として確立され内閣の重要政策の一つとならなければならない。国策としての新移民政策の根拠は(イ)明るい心理的効果,の外,移民そのものが長期的には極めて有利であり(ロ)かつての武断,的な大陸進出に代るべき平和的海外発展としての新なる重要性を有し,(ハ)又国際環境の著し の根拠は(イ)明るい心理的効果,の外,移民そのものが長期的には極めて有利であり(ロ)かつての武断,的な大陸進出に代るべき平和的海外発展としての新なる重要性を有し,(ハ)又国際環境の著しい好転はこの大なる構想の実現を可能とし,(ニ)しかも現在の好機は永続しないから急がなければならないとの4点に要約される。移民国策実現の基礎的施策として(イ)移住局の設置,(ロ)移住会社の設立(ハ)海外協会連合会の強化及び(ニ)移民,船腹の拡充を直ちに実施することが肝要である。そして,上記の「新移。」民政策の根拠」の(ハ)に関して「国際状勢の好転と移民外交の推進によ,り10年間40万人の送出は可能である」とし,また,上記の「新移民政策の根拠」の(ニ)に関して「中南米への大量移民の門戸は今後20年を経,ずして閉じられるであろう。中南米の天地は沃土広大にして今なお人口稀薄であるが,その人口増加率は世界平均の1.2に対し2.5であり,戦後の機械化工業化の進展も著しいので,外国移民の大量導入の必要は今後20年を出ずして減退し,早晩1923年の米国移民法の如く少数割当制を厳重に実施するだろうことは想像に難くなく,又政権の交替に伴う日本移民に対す- 17 -る政策変更の可能性を考慮に入れれば,現在の好機を逸せず,出来るだけ早く,大量送出の移民政策を軌道に乗せなくてはならない。特に独伊は現在企業移民を大量に進出せしめており,この速度に遅れない着意が肝腎である。 移民が緊急を要する所以である」とし,移民政策の基本は,一人でも多く。 優秀な人をなるべく速やかに相手国の必要と要望に適合するように送出することに尽きるとして,上記基礎的施策(イ)ないし(ニ)の4点を当面の重要施策として提唱した。 (2)内閣は,昭和30年4月,海外移住の振興に関 べく速やかに相手国の必要と要望に適合するように送出することに尽きるとして,上記基礎的施策(イ)ないし(ニ)の4点を当面の重要施策として提唱した。 (2)内閣は,昭和30年4月,海外移住の振興に関し「最近の日本移民,に対する国際情勢の有利なる進展に即応するため,この際速かに移民の大量送出を可能ならしめる諸施策を実施するものとする」旨の閣議了解をした。 そして,このころから,国会における外務大臣の外交演説でも,しばしば移住問題が強調され,それらのことから,移住推進,移住者の大量送出は政府の方針であり,国策であるといわれるようになった。 (3)こうした状況の下で,農林省は,昭和32年9月2日付けで決定発表した農林水産政策要綱の中で,農業経営基盤の強化の一方策として「海外移住の促進」を掲げ,積極的に海外移住を促進し,必要な援護措置を講じることとした。 さらに,農林省の発議で,昭和33年8月,外務,農林,大蔵三省了解「農業移住振興対策」が策定された。その方針として,中南米諸国の要望に応えて知識技能の優れた日本農民を送出することにより受入国の経済発展に寄与するとともに,我が国の増大する農村次男三男及び経営規模狭小な農家に海外移住の機会を与えて農業経営の安定を期するものとし,そのため,総合的な農業移住振興対策を実施して,移住者送出の円滑化と移住地における定着安定を期し,農民の海外移住の飛躍的拡大振興を図るものとした。 また,外務省移住局は,同年9月,昭和34年度からの5年間に移住者10万1000人を送出することを内容とする「移住に関する長期計画」を発- 18 -表した。そして,移住局は,この計画書の中で,海外移住の意義について,「新規労働力をできる限り吸収するほか,年々増大する農村次三男に移住の機会を与え,同時に農家の経営規模を適性化するため 18 -表した。そして,移住局は,この計画書の中で,海外移住の意義について,「新規労働力をできる限り吸収するほか,年々増大する農村次三男に移住の機会を与え,同時に農家の経営規模を適性化するためには海外移住を国策として強力に遂行する必要がある」とした。 (4)外務省は,そのころ,移住及び移住業務を円滑ならしめるため,関係各国と移住協定の締結に努め,次のとおり,協定の成立に至った(調印日及び発効日はいずれも昭和の年月日である。 。)調印日発効日内容ボリビア31. 8.即日5年間に1000家族又は6000人の入国を認めるものパラグアイ34. 7.2234.10.2630年間に8万5000人ブラジル35.11.1438.10.29計画移住は両国の合意によって実施アルゼンチン36.12.2038. 5.17同上 移民の募集から送出までの手続昭和30年代当時,移民の募集,選考,講習,送出等は次のように行われていた。 (1)移民の募集,選考,講習,送出等の事務は,海協連が,国の補助を受けて行っていた。募集,選考の事務については地方海外協会も担当していたが,地方海外協会は市町村段階の末端組織を持たないため,地方における移住業務は,都道府県及びその出先機関並びに市町村が実施している実情にあった。 (2)募集移住先の受入れ態勢が整い入植条件等が確定すると,農林省は,それをもとに外務省と協議して募集要領を定め,海協連に対して募集を行うように指示する。 海協連は,この指示に基づいて募集要項(募集要領」と表記されること「- 19 -もあった)を作成し,これを各都道府県及び地方海外協会へ送付し,募集。 を依頼する。 各県の地方海外協会は,新聞,ラジオ等を通じて募集内容を一般県民に発表する。また,県庁を通じ と「- 19 -もあった)を作成し,これを各都道府県及び地方海外協会へ送付し,募集。 を依頼する。 各県の地方海外協会は,新聞,ラジオ等を通じて募集内容を一般県民に発表する。また,県庁を通じて町村役場へ,農協系統を通じて町村農協へ文書を送付し,協力を依頼することも行われていた。 移住希望者は,地方海外協会から移住申込書を受け取り,それに必要事項を記入するとともに,必要書類(戸籍謄本,農業従事証明書,健康診断書,市町村長の推薦書等)を所定の期日までに地方海外協会へ提出する。 (3)選考地方海外協会は,上記申込書の提出を受けて,書類,面接による選考を行い,募集要項に定める資格を満たすか否かを判定し,適格者と認めた者については,推薦書を添えて海協連に対しその書類を送付する。 海協連は,移住者選考会議を開催し,農林,外務両省の係官の立会いの下に書類選考を行い,仮合格者を決定する(この段階で,合格者として決定されることもあった。 。)仮合格者に対しては,海協連から各県の地方海外協会を通じて通知が行われる。 (4)講習等海協連は,仮合格者に対して,移住者として必要な国際教養,農業の知識,技能等を付与する講習を実施し,この講習の実施後,不適格者と認められる者を除き合格者と決定する。 また,合格者は,県庁において旅券等の申請を行う。 そして,合格者は,原則として,家族の場合は乗船の1週間前,単身の場合は10日前に,外務省の施設である神戸又は横浜の移住あっせん所に入所し,渡航の手続をして乗船を待つことになる。 (5)輸送,渡航費の貸付け等- 20 -移住者の輸送については,海協連の職員が担当し,移住船には海協連の輸送引率員が乗船した。外務省の職員も,移民監督として乗船した(海協連の職員が助監督となっていた。 。)移住のための渡航費( -移住者の輸送については,海協連の職員が担当し,移住船には海協連の輸送引率員が乗船した。外務省の職員も,移民監督として乗船した(海協連の職員が助監督となっていた。 。)移住のための渡航費(船賃)は,海協連から移住者らに対し貸付けが行われた。 第2ドミニカへの移住決定までの間のドミニカ政府との交渉経緯,証拠(甲2,甲29,甲35,41,甲226,甲292の182,254の3甲294,甲300,乙23,26ないし36,43,45ないし47,4の29ないし51,53ないし58,60ないし62,76,159,216,証人7)によれば,以下の事実を認めることができる。 ドミニカ側からの申出等(1)在ドミニカ日本国公使館(以下「現地公使館」という)の臨時代理。 公使は,昭和29年8月27日,同国のトルヒーヨ元帥から,①ドミニカ政府は国内に散在する農耕適地(ハイチ国境のコーヒーの可耕地を例示された)に合計2万家族くらいの日本人移民を招致したいと考えている,②。 土地及び住居提供等の援助をする用意がある,③移民送出について日本政府の意向を承知したいとの申出を受けた。これに対し,外務省は,現地一般及び入植地の特殊事情,入植条件,入植後の移民の生活条件,経営の見通し,受入れの取扱方針等を明らかに承知したいが,事情が許せば年度末までに若干名の試験送出を行い,少なくとも30年度には相当程度の送出計画を立てたい考えである旨の対応をした。 また,在京ドミニカ公使は,同年9月1日,外務大臣と会談し,ドミニカへの日本人移民導入について,移民の予定地は,ハイチ国境の広大な健康地で,交通の便も良く,首都まで12時間以内の地点にあるなどと述べた。 (2)昭和29年11月1日,ドミニカを訪問した衆議院外務委員長Kは,トルヒーヨ元帥と会見し の予定地は,ハイチ国境の広大な健康地で,交通の便も良く,首都まで12時間以内の地点にあるなどと述べた。 (2)昭和29年11月1日,ドミニカを訪問した衆議院外務委員長Kは,トルヒーヨ元帥と会見した。その際,同元帥は,日本人移民について,自国- 21 -民と同等の地位を有する自由農業移民を招致しようとするものであり,土地家屋を無償提供するほか,学校,医療,道路等の施設を供与するつもりである旨述べ,差し当たり四,五千家族の送出が可能か質問した。これに対し,K委員長は,一時には無理であるが,日本としては,農業技術に関する知識,経験を備えた優秀な農家を選択して送出し,十分協力する用意がある旨答えた。 (3)昭和29年11月22日,ドミニカを訪問した外務省欧米局の参事官は,ドミニカの農務大臣と会談した。同大臣は,①両国間の移民協定で大綱を決める,②誘導時期は1,2月から始まる春がよい,③場所は,国境地帯で,ハイチ人が引き揚げたところで労力をかけずに農耕可能である旨述べた。また,ドミニカ移民局長は,同月25日に参事官と会談し,①日本移民については目下政府で検討中で,実現は移民協定を結んでからのことと思う,②栽培する作物の種類は,コーヒー,バナナ,カカオ,米などであり,③ドミニカは移民の受入れを自国の工業に対するマーケットを増大する見地からも考慮している旨述べた。 (4)昭和30年1月4日,臨時代理公使は,農務大臣と日本人移民について会談した。その際,同大臣は,トルヒーヨ元帥から口頭指示があったとして,次の説明をした。①日本人移民の入植予定地は北方のダハボンから南方のロスアロヨスに至る国境地帯にある国有地である。②入植可能数は,数年を通じ約1000家族である。最初の入植は,慎重を期して100家族ぐらいに限る。③土地は,3 植予定地は北方のダハボンから南方のロスアロヨスに至る国境地帯にある国有地である。②入植可能数は,数年を通じ約1000家族である。最初の入植は,慎重を期して100家族ぐらいに限る。③土地は,30ないし500タレア(1タレアは約600㎡に相当する)を基準として与える。④ドミニカ政府は,日本人移民に。 対し,営農に十分な面積の土地,適当な住宅,最初の耕作に必要な種子,耕作開始に必要な農具,教育・衛生のための施設といった便宜を供与する。⑤日本人移民の入植地の視察に関し希望があれば,いつでも係官による案内を取り計らう用意がある。 - 22 -農務大臣は,同月19日,臨時代理公使あてに覚書(乙31)を送り,上記会談で日本人移民の入植に対するドミニカ政府側の便宜供与として同大臣が口頭で説明した上記内容を重ねて確認するとともに,本計画開始に当たっては,少なくとも100家族を25家族ずつ4グループに分けて4地域に入植させることが望ましいとの考えを示した。 入植予定地に関する事前調査臨時代理公使は,昭和30年2月15日から18日まで,農務次官の案内で,日本人の入植予定地の一部を視察したが,その結果は次のとおりであった(乙32,33。 )農務省が予定している入植地はおおむね,ダハボン方面,エリアスピニア方面,バラオナ方面の3つであった。そして,①ダハボン方面では4地区あり,そのうちのラヴィヒア地区は,農務省派遣員の調査によれば1等可耕地(ハイチ国境)が約3万タレア,2等可耕地が三,四万タレアあるとのことであった。 マサクレ川を挟んで帯状に延びる部分が最も肥沃であり,ハイチ側の作物は,バナナ,ユカ,豆などであり,米,その他に適する土地もあると観察された。 同方面では,ロスアロヨス地区,コラル・グランデ地区,カリサル地区も入植予定地とされていた が最も肥沃であり,ハイチ側の作物は,バナナ,ユカ,豆などであり,米,その他に適する土地もあると観察された。 同方面では,ロスアロヨス地区,コラル・グランデ地区,カリサル地区も入植予定地とされていた。また,②エリアスピニア方面は,おおむね最高海抜6000ft(フィート)の高さを有する山岳から1500ftくらいの谷間であって,主としてコーヒーの適地であるといわれていた。そして,③バラオナ方面は視察できなかったが,高さ7000ftに及ぶ場所もある山岳地帯であって,その間に主としてコーヒーの適地が散在するということであった。なお,その視察で可耕地まで踏査できたのは①のダハボン方面のラヴィヒア地区及びロスアロヨス地区並びにサンラファエル県南部のオンドヴァイエ部落のみであった。 臨時代理公使は,外務大臣に対し,この視察について,①北方のダハボン付近を除きほとんど山岳地帯で,地味水利の状況などが所により異なるが,おおむね1万ないし3万タレアくらいのコーヒーその他の適地が散在している,- 23 -②二,三十家族ずつの集団入植が可能であり,③1つの調査団が全地域を調査する場合には,1月ぐらいを見込む必要がある旨報告した。さらに,同公使は,視察の印象として「山岳を縫って所々に肥沃な可耕地が散在するのが,実際である。従って大規模な集団入植の希望は持てないが,数十家族ずつの分散入植は充分可能性があらう「山岳に挟まれた可耕地であるから比較的近」,距離にあっても夫々の状況に相当の差異のある場合もあり,かたがた個々の入植候補地の状況は夫々について充分の調査を遂げる必要があると思われる」。 旨同外務大臣に報告した。 Y調査団による現地調査等昭和30年9月1日から同月28日まで,Y外務省移住局第二課長を団長とするドミニカ移住適地調査団(以下「Y調 を遂げる必要があると思われる」。 旨同外務大臣に報告した。 Y調査団による現地調査等昭和30年9月1日から同月28日まで,Y外務省移住局第二課長を団長とするドミニカ移住適地調査団(以下「Y調査団」という)が,ドミニカにお。 いて現地調査を実施するとともに,日本人の移住条件についてドミニカ政府と交渉を行った。なお,Y調査団は,Y団長のほか,農林技官及び在メキシコ大使館官補により構成されていた。 その概要は,以下のとおりである(乙23,34,36。 )(1)Y調査団は,同年9月2日から13日にかけて,調査の準備として,現地公使館との打合せのほか,スペイン人既入植地や市場の視察を行った。 14日にラ・ゴラ地区,15日にダハボン地区(ラヴィヒア,カニョンゴ,ロスアロヨスの3地区,16日にラス・ラグナス地区,18日にロス・ボ)ロス地区,19日にパドレ・ラス・カサス地区をそれぞれ調査した。そして,20日から27日にかけて,調査結果を取りまとめるとともに,ドミニカ農務省と事務打合せ,気象調査等を行った。 (2)Y調査団は,ドミニカ政府との折衝において,日本人移民がスペイン人移民並みの待遇を受け得るのかという点に重点を置いたが,農務次官,農務大臣との事前折衝の後,トルヒーヨ元帥との第1次会談において,日本人移民がスペイン人移民と均等な条件を与えられることが確約された。また,- 24 -同調査団は,スペイン人移民に対しては1世帯につき最高200タレアの土地が支給されているのに対し,日本人移民に対しては1世帯につき300タレアの支給を要求していたが,この要求についても,トルヒーヨ元帥との最終会談でそのまま受け入れられることとなった。 また,以上の条件のほかにも,100家族につき1人の日本人医師,50家族につき1人の通訳をドミニカ政府の負担で雇 この要求についても,トルヒーヨ元帥との最終会談でそのまま受け入れられることとなった。 また,以上の条件のほかにも,100家族につき1人の日本人医師,50家族につき1人の通訳をドミニカ政府の負担で雇用すること,日本人農業技術者を国立農事試験場又は大学等にドミニカ政府負担で雇用すること,土地の準備,配分及び住宅の建設に当たっては,その配置等について現地公使館と相談すること等の条件を提示し,ドミニカ農務当局と折衝したところ,いずれも好意的考慮を払う旨の約束を得た。 そこで,Y団長は,昭和30年9月27日付けで,農業鉱山大臣あてに,以上の点を確認する趣旨で次の内容の書簡(甲292,乙35)を送った。 しかし,これに対する返信は得られなかった。 ア調査団として,日本人移住者500家族の第1回定着実施計画にとって最も適当な地域は,ラヴィヒア,カニョンゴ及びロスアロヨスを含むダハボン地区であると考えている。 イ調査団は,本件に関しドミニカ政府が次の事項を同意したものと考えるとして,その確認を求めた。 (ア)日本人移住者の第1回送出は,平均6人をもって構成される約100家族を対象とし,ダハボン地区に定着させる。 (イ)ドミニカ政府は,1家族当たり300タレアの耕作地を供与する(adjudicar)。 (ウ)ドミニカ政府は,日本人移住者に対し,スペイン人移住者に賦与。 又は賦与しようとするものと同等の便宜及び待遇を供与する(otorgar)ウ調査団は,本件移民の定着が成果を挙げるためには次の(ア)ないし(オ)が有効であると考えられるとして,これらに対するドミニカ政府の- 25 -回答を求めた。 (ア)ドミニカ政府の負担により,100家族当たり1人の日本人医師及び50家族当たり1人の通訳を雇用することが望ましい。 (イ)予定耕作地は,できる限 ドミニカ政府の- 25 -回答を求めた。 (ア)ドミニカ政府の負担により,100家族当たり1人の日本人医師及び50家族当たり1人の通訳を雇用することが望ましい。 (イ)予定耕作地は,できる限り広範囲にわたって灌漑が可能なことが望ましい。耕作地の整地とその配耕方法については,現地公使館の意見が考慮されることが望ましい。また,ドミニカ国立農業研究所において栽培可能な新種植物の研究に従事し,日本人移住者の指導に当たるための日本人農業技師を,ドミニカ政府の負担で採用することが極めて望ましい。 (ウ)現地公使館が日本人移住者の住宅割当てに関して随時申し入れる意見を考慮してもらいたい。 (エ)耕作上の問題や家族増加に伴い必要のある場合で,ドミニカ政府が正当と認める場合には,移住者の農耕地面積をその必要度と能力に従って増加するものとする。 (オ)移住者の最初の送出は,スペイン人に対するのと同様の方式により行われるものではあるが,最初の送出結果を考慮した後,両国政府において移住協定調印の可能性を検討することが望ましい。 (3)Y調査団は,以上の調査・交渉に基づいて,次のように結論付けた。 上記(2)の受入条件が与えられるならば,ダハボン地区等3地区に対し可及的速やかに500家族の送出を決定し,その実施措置を講ずることが賢明であると判断する。ドミニカにおいて日本人移民がマイノリティとしての地位を確立するには最低1000家族の送出が絶対に必要と思われるが,第1期500家族の実績が良好であれば,その程度の導入は極めて容易であると判断できる。トルヒーヨ元帥の地位は確立しておりトルヒーヨ一家の権威は確固たるものと思われるが,移民送出の決定の際は,1000家族程度のものはなるべく短期間に送出を終え,日本人移民の一応の地位をドミニカに- 26 -お 帥の地位は確立しておりトルヒーヨ一家の権威は確固たるものと思われるが,移民送出の決定の際は,1000家族程度のものはなるべく短期間に送出を終え,日本人移民の一応の地位をドミニカに- 26 -おいて確立しておくことは極めて重要であると思われる。 (4)なお,技官は,昭和30年10月22日から,ダハボン地区等の再調査のためドミニカを訪れた。同月23日から27日にかけて調査準備を行った上,同月28日から30日までダハボン地区の調査を行い(地区調査,灌漑施設調査,近郊農業事情調査,その他,同月31日及び11月1日にパ)ドレ・ラス・カサス地区の調査を行い,11月2日に調査結果を取りまとめ,土壌検定を行った。 現地調査後のドミニカ政府との交渉(1)現地公使館は,外務大臣発の公電による訓令を受けて,昭和30年11月28日付けで,ドミニカの外務文化大臣に対し,次の内容の書簡(甲2 )を送付した。①日本政府は,昭和31年3月までに,第1次移の2民として農業者25から30家族を送ることとしたい。②定住地としてダハボン地区のロスアロヨスが最適と考えるが,同地区の降水量からすると定住の実現には既存の用水路の灌漑設備を拡大することが必要である。ドミニカ政府が移民実施に先立って用水路拡張工事等を実施することを要望するとともに,この点に関する農務省の見解を連絡してもらいたい。③同じくダハボンのラヴィヒア地区及びカニョンゴ地区については浸水予防措置を講じることが必要である。ドミニカ政府がその措置を実施することを要望する。 しかし,上記要望に対するドミニカ側の回答がないことから,外務大臣は,昭和31年1月5日付けで,公使に対し,ラヴィヒア地区及びカニョンゴ地区の浸水対策は後回しとし,ロスアロヨス地区に年度内に30家族の送出を実現させるためドミ ニカ側の回答がないことから,外務大臣は,昭和31年1月5日付けで,公使に対し,ラヴィヒア地区及びカニョンゴ地区の浸水対策は後回しとし,ロスアロヨス地区に年度内に30家族の送出を実現させるためドミニカ側と折衝するように訓令した。 これを受けて,公使は,同日及び同月31日に農務大臣と面談した。そして,同月31日,農務大臣は,公使に対し,過日現地を見てきたが,①ラヴィヒア地区及びカニョンゴ地区の堤防工事は多額の経費を要するので早急に実施することは至難である,②ロスアロヨス地区の灌漑用水路の拡張に- 27 -関しては,水利省及び現地側の意見は水量不十分のため所期の効果を挙げ得るか疑問があるというもので,同感である,③ダハボン地区を入植地として適当であると決定することに躊躇していると述べた。これに対し,公使は,①ダハボン地区以外でも適当な地区があれば喜んで承りたい,②1日も早く移民の端緒を作りたいので,差し当たりラヴィヒア地区及びカニョンゴ地区のマサクレ川と台地との中間地域に20家族くらいならば入植可能ではないかと提案したところ,同農務大臣は,調査した上で回答する旨述べた。 このような状況の下で,外務大臣発の公電により「本件至急促進方を強,く希望しおる」につき「1日も早く移住の既成事実を作ることに一層格段,の努力を尽され」たいとの訓令を受け,公使は,同年2月24日,M農務大臣と会談した。その際に,同公使は,ダハボン地区(カニョンゴ,ラヴィヒア及びロスアロヨスのうち複数の地区又は1地区)への日本人20家族の入植計画の開始に関するドミニカ政府の決定を早急に知らせてもらいたい旨求めた。同農務大臣は,同地区を灌漑することは用水路の水不足からすぐにはできないこと,また,上記浸水予防のための堤防をすぐに建設することもできないとの考えを述べ 府の決定を早急に知らせてもらいたい旨求めた。同農務大臣は,同地区を灌漑することは用水路の水不足からすぐにはできないこと,また,上記浸水予防のための堤防をすぐに建設することもできないとの考えを述べた。これに対し,公使は,①これらの点は計画の実施の障害とはならない,②選抜された日本の農民は半乾燥地帯での耕作経験があり,かなり低位の土地であっても容易に開墾することができるであろう(整地後すぐに落花生等複数の作物を栽培するには適している)と日本。 人の技術者たちは評価している,③ドミニカ政府が風車で水を揚げる井戸等を建設して欲しいと述べた。 (2)ドミニカ建国25周年記念祭に特派大使として出席した日本政府代表は,昭和31年2月29日,公使と共にトルヒーヨ元帥と面会し,日本人のドミニカ移民に関し,差し当たり第1回移民として同年7月ころに二,三十家族を送りたい旨述べたところ,同元帥は異存ない旨答えた。 これを受けて,公使は,同年3月1日,ドミニカの農務,水利,経済の3- 28 -大臣及び治安局長と懇談し,日本人移民に関し従来からの話合いの諸条件を再確認するとともに,ダハボン地区への入植者の第1陣の同年7月送出について了承を得た。また,代表,公使らは,同年3月5日,入植家族数及び入植地域決定のため,ダハボン地区を視察し,ドミニカ側との間で,ラヴィヒア及びカニョンゴ両地区に25家族を導入することで合意した。 そして,代表が同日トルヒーヨ元帥に離別の挨拶をした際に,同元帥は,日本人移住者を多数受け入れる用意がある旨述べる総理大臣あての書簡を手渡し,また,同席したドミニカの農務,水利両大臣に対し,入植予定地に必要な水利施設を設け,日本人移住者が完全な成功を収めるために全力を尽くすよう命じた。 公使は,同月12日,M農務大臣と協議した。その際,同 た,同席したドミニカの農務,水利両大臣に対し,入植予定地に必要な水利施設を設け,日本人移住者が完全な成功を収めるために全力を尽くすよう命じた。 公使は,同月12日,M農務大臣と協議した。その際,同大臣は,ダハボンのラヴィヒア地区の灌漑のための用水路の延長工事に着手し始めたこと,また,井戸を掘ってみたところ良い地下水が出たことを報告するとともに,整地すべき土地の面積について,一家族の耕作能力から見て300タレアの半分150タレアもあれば十分と思われるとして,残りの土地に第2次移民を入れることを提案した。これに対し,公使は,300タレアまではもらえるという可能性は残しておきたいと答え,同大臣は,本当に耕すなら300タレア与えることはやぶさかでないと応じた。そして,同大臣は,主要な点について日本側との協議が終わったら,何らかの形(例えば覚書)で,両国政府間で確認することとしたいが,スペイン人移民の場合のような移住者個人とドミニカ政府との間の個別契約はしないこととしたいと述べ,これに対し公使は,両国政府間で文書を交換することに同意した。 (3)以上の経緯を経て,M農務大臣は,公使あてに,昭和31年3月27日付けで,日本人移住者の受入れに関して次の内容の書簡(乙58。以下「M書簡」という)を発した。 。 ドミニカ政府は,トルヒーヨ元帥の勧告を受け,国内各地に創設される入- 29 -植地に日本人移住者を受け入れる用意があり,手始めとして国境のダハボン地区及びペピーリョ・サルセド地区(注・マンサニーニョ湾岸の土地)に農業者25家族及び経験のある漁業者5家族を入植させる用意があることを確認する。両国政府間の取決め及び日本人移住者定着のための基準は,この書簡に対する返簡との交換によって確定されるものとし,その内容とされる約定及び相互条件は次のよう 家族を入植させる用意があることを確認する。両国政府間の取決め及び日本人移住者定着のための基準は,この書簡に対する返簡との交換によって確定されるものとし,その内容とされる約定及び相互条件は次のように要約される。 aドミニカ政府は,日本人農業移住者を受け入れ,移住者に土地を提供する(suministrar)ことを約し,1家族当たり300タレアまでの土地を供与する(entregando 。この面積は,恩恵に浴した家族が自力で更に広)い面積を耕作できることを立証する場合には増加し得る。 bドミニカ政府は,日本政府の了解する設計図に基づき,かつ,各家族に対してその必要を満たすに足りる住宅用家屋を供与する(entregar)とともに,然るべく整地された播種可能な状態にある土地を供与し(entregar),さらに,耕作開始時には栽培に必要な作物種子及び土地で生産が始まるまでの間他の移住者に供与される(suministrar)のと同様の人頭割補助金を交付する。 c日本政府は,移住者の日本,ドミニカ間の輸送を行うか,又はその費用を負担する。日本政府は,いかなる理由にせよ契約が破棄された場合,又はその他の理由により移住者がその移住目的に順応できないか若しくは役に立たないことが判明した場合には,その者の日本への送還費用を負担する。 d移住者は,供与される(adjudicado)べき土地及び個人使用のために携行される営農器具,私物,食料品に対して課せられる,あるいは課せられ得る一切の税金を免除される。 e移住者は,農務省が土地性状に従って割り当てる作物を積極的に栽培し,その手入れをし,収穫のために良好なる状態に維持する義務を負う。 - 30 -f移住者は,ドミニカの法律及び規則の適用を受けるものとする。 (4)公使は,M農務大臣あてに,昭和31 極的に栽培し,その手入れをし,収穫のために良好なる状態に維持する義務を負う。 - 30 -f移住者は,ドミニカの法律及び規則の適用を受けるものとする。 (4)公使は,M農務大臣あてに,昭和31年4月24日付けで,上記M書簡に対する返簡(甲35,乙60)を発し,日本政府は,上記書簡の約定及び相互条件に原則として同意するが,日本人移住者の送還に関する前記(3)中のc項について,日本側は,相互の合意,すなわち,ドミニカと日本との間に合意がある場合に限り,適用されるものと解釈することを付言した。 これに対し,M農務大臣は,公使あてに,同年5月12日付けで,前記c項に関する日本側の解釈に対し,相互の合意とは,ドミニカが要求する場合で,①移住者がドミニカの法律に違反してドミニカ政府の利益に反する共産主義的,謀反的ないしは社会攪乱的な活動に携わる場合,②肉体的,精神的無能力の場合,あるいは農業労働やドミニカ移住の根拠となるその他の労働に対し適応できない場合,③財産に対する罪又は重罪により処罰された場合においてのみ成立すると指摘する旨の書簡(乙61)を送付した。 なお,公使が,M農務大臣と同月29日に会談した際に,同大臣から,日本人移住者に入植に際し土地の所有権を直ちに与えるという趣旨ではないから誤解のないようにとの指摘を受けた。そこで,公使は,同年6月1日付けで,外務省本省に対し,上記会談で問題となった点を伝え,その中で,ドミニカ側が交換公文で使用している文言は土地使用の権利を与える意味であり,これを我が国の法律上の所有権と同一視することはできない,ドミニカの土地所有関係は我が国の法制とは相異があるため目下研究させているが,従来の本省の公表文書(例えば募集要領)で使っている「無償譲与」は,至急訂正して欲しいなどと伝えた。 ドミニカ移 い,ドミニカの土地所有関係は我が国の法制とは相異があるため目下研究させているが,従来の本省の公表文書(例えば募集要領)で使っている「無償譲与」は,至急訂正して欲しいなどと伝えた。 ドミニカ移住の概要ドミニカの国営入植地への日本人の移住は,以上認定のとおり,昭和29年8月のトルヒーヨ元帥からの招致の申出により検討が始められ,昭和31年5- 31 -月に両国間で交換公文を取り交わすことにより実行されることになったが,その結果,同年7月のダハボン地区への入植から昭和34年9月までの間に十数回にわたり合計249家族,1319人が移住した。 これを入植地別にみると,①ダハボン地区に58家族338人,②コンスタンサ地区に35家族220人,③ネイバ地区に24家族97人,④ドゥベルへ地区に37家族155人,⑤ハラバコア地区に16家族87人,⑥アグアネグラ地区及びアルタグラシア地区に合計74家族390人(地区別の内訳を確定することができない)であり,このほかに,5家族32人が,。 漁業を営む目的で昭和31年10月にマンサニーニョ地区に移住しており,その合計は上記のとおりとなる(なお,入植した家族数及び人数については,証拠により多少異なっているが,本判決においては,その概数を示す趣旨で,家族数については甲226,人数については甲2,41に基づいて認定しの3た。 。)なお,上記移住者らは,その後,世帯の増加,出生等により,昭和36年7月時点では,約300家族,約1500人になっていた。 第3入植地別の移住者の募集に至る経緯証拠(甲4ないし9,甲29,甲25の6,10ないし12,22,72,2001,315,318,322,323,甲331,乙25,36,3の1,28,52,62ないし64,67,68,72ないし75,80 し9,甲29,甲25の6,10ないし12,22,72,2001,315,318,322,323,甲331,乙25,36,3の1,28,52,62ないし64,67,68,72ないし75,80,81,83,84,86ないし88,90ないし92,94,95,100,101,105ないし110,113ないし117,120,121,123,125,127,129ないし134,136,139,144ないし152,154,165,171)によれば,原告らが関係する入植地別の,移住者の募集に至った経緯の概要は,次のとおりと認めることができる。 ダハボン地区第1次(1)被告とドミニカ政府との交渉の経緯- 32 -前記第2の4記載のとおりである。 (2)ダハボン地区の調査前記第2の3のとおり,昭和30年9月にY調査団が調査を行い,更に同年10月に技官が再調査を行った。 また,昭和31年4月25日,日本公使館の書記官及び海協連ドミニカ支部の支部長は,M農務大臣に同行して,ダハボン地区農業移住者のための住宅予定地を視察した。 (3)募集農林省は「ドミニカ国ダハボン地区開拓移住者募集要領(乙63)を,」作成し,昭和31年3月29日付けで,同募集要領を海協連に送付し,至急募集,選定を開始するように指示した。これを受けて,海協連は,同募集要領に基づいて,それと同内容の「ドミニカ国ダハボン地区開拓移住者募集要項(甲4)を作成し,移住者の募集を開始した。 」これは,同年6月下旬にぶらじる丸で送出予定の開拓自営農を25世帯募集するというものであった。そして,移民の資格として純農業者であること,開拓意欲が旺盛であること,ドミニカに永住の目的で渡航することとされ,移民の義務として,ドミニカの法令を守ること,ドミニカ政府が指定する場所において農業 そして,移民の資格として純農業者であること,開拓意欲が旺盛であること,ドミニカに永住の目的で渡航することとされ,移民の義務として,ドミニカの法令を守ること,ドミニカ政府が指定する場所において農業に専従することとされた。 (4)なお,公使は,昭和31年7月27日,ドミニカに向かう船内で行われた座談会において,ダハボン地区第1次の移住者らに対し,募集要項の300タレアを無償譲渡することの意味について「説明不十分で誤解を起こ,しやすいので説明する」として「最高300タレアまでの土地を無償提供,する用意があるという意味で,今直ちに全部を与えるという意味ではない。 又提供ということは直ちに所有権がもらえるということではない。ドミニカの法律によれば,国境地帯で8年その他の地帯で10年そこに落ち着いて耕作又は使用して初めて所有権がもらえるという規定がある」旨説明した。 - 33 - コンスタンサ地区第1次(1)被告とドミニカ政府との交渉の経緯ア昭和31年3月4日,トルヒーヨ元帥は,代表と会見した際に,前記1のダハボン地区への30家族の導入と同時又は直後に,コンスタンサ地区へ花果樹栽培のため10ないし20家族の導入を希望する旨述べた。 イ昭和31年4月19日,公使が,M農務大臣と会談し,日本政府としては当年度の移住として,コンスタンサ地区及びダハボン地区に合計30家族くらいの送出を希望する旨述べたところ,同大臣は,コンスタンサ地区に20家族,残りはダハボン地区向けとして同年9月末ないし10月末ころドミニカ到着の予定で受入れ可能である旨内諾した。その際,同大臣は,①コンスタンサ地区向け移住者に対しては300タレアの土地は与えられない,1家族当たり90から100タレアを限度とする,②同地区向け移住者はドミニカ側の指定する耕作品種に従っ その際,同大臣は,①コンスタンサ地区向け移住者に対しては300タレアの土地は与えられない,1家族当たり90から100タレアを限度とする,②同地区向け移住者はドミニカ側の指定する耕作品種に従って適格者を選定されたい,③家族構成は1家族5,6人とし,少なくとも労働力ある家族の代表者(以下,原告らの用語に倣い「家長」と表記する)と成年男子2人を有。 することが条件であると述べた。 ウ公使は,昭和31年6月8日付けで,M農務大臣あてに,日本人移住者の第2陣として,コンスタンサ地区に入植する30家族の農業者及びペピーリョ・サルセド地区に入植する5家族の漁業者が,8月中旬に日本を出発して9月中旬にドミニカに到着する準備が整っていることを確認する旨の書簡(乙72)を送付した。同書簡には,コンスタンサ地区の入植者の受入条件について,土地に関する事項以外は「相互的合意事項及び条件は日本人移住第1陣のダハボン地区入植に当たって合意されたものと全く同じ」とされ,土地については,ドミニカ政府が,日本人農業移住者に対し「1家族当たり100タレアの土地を供与する。右恩恵に浴した家族がより広大な面積を要する耕作に従事するときには増加しうる」とされると。 - 34 -ともに,両政府間の合意は本書簡とその返簡によって成立するものとする旨が記載されていた。 これに対し,M農務大臣は,同年7月5日付けで,公使あてに,ドミニカ政府が前記書簡に記載された受入条件で日本人移住者を受け入れることを了承する旨の書簡(乙73)を送付した。 (2)コンスタンサ地区の調査公使,書記官及び支部長は,昭和31年4月21日,コンスタンサ地区に赴き,主としてスペイン人移住者入植地の状況を視察した。 また,公使らは,後記募集開始後(送出後)の同年9月28日,コンスタンサ地区の入植地 記官及び支部長は,昭和31年4月21日,コンスタンサ地区に赴き,主としてスペイン人移住者入植地の状況を視察した。 また,公使らは,後記募集開始後(送出後)の同年9月28日,コンスタンサ地区の入植地を視察した。 (3)募集外務省移住局長は,昭和31年5月25日付けで,農林省農地局長に対し,ドミニカ向け第2次農業移住者募集(ダハボン地区10家族,コンスタンサ地区20家族,同年8月30日送出予定)に関し,募集要領の作成を依頼した。 そして,農林省は「ドミニカ国コンスタンサ地区開拓移住者募集要領」,(乙75)を作成し,同年6月22日付けで,海協連に募集選定を開始するように指示した。これを受けて,海協連は,上記募集要領に基づいて,それと同内容の「ドミニカ国コンスタンサ地区開拓移住者募集要領(甲5)を」作成し,移住者の募集を開始した。 これは,同年8月30日にあふりか丸で送出予定の開拓自営農を20世帯募集するというものであった。そして,移住者の資格として,一般蔬菜,花卉,果樹栽培の経験を有する農業者であること,開拓意欲が旺盛であること,ドミニカに永住の目的で渡航することとされ,移住者の義務として,ドミニカの法令を守ること,ドミニカ政府が指定する場所において農業に専従することとされた。 - 35 -(4)ダハボン地区第2次(家長8及びその家族)についてなお,コンスタンサ地区第1次の募集に際し,ダハボン地区に向けた移住者10家族が同地区第1次と同様の条件で募集され,7家族選考されたが,後記第4の2(1)アの経緯から,これらの家族はコンスタンサ地区向けに振り替えるべく手配された。しかし,家長8及びその家族はダハボン地区への入植を強く希望したため,ダハボン地区第2次の移住者としてコンスタンサ地区第1次と同時に送出されることとなった。その募集条 けに振り替えるべく手配された。しかし,家長8及びその家族はダハボン地区への入植を強く希望したため,ダハボン地区第2次の移住者としてコンスタンサ地区第1次と同時に送出されることとなった。その募集条件はダハボン地区第1次と同内容であったから,以後,便宜上,8の家族についてはダハボン地区第1次に含めて検討することとする。 コンスタンサ地区第2次(1)被告とドミニカ政府との交渉の経緯後記第4の2(1)アの経緯から,30家族に不足する分の移住者がコンスタンサ地区第2次として更に送出されることとなった。そこで,公使は,昭和31年9月27日付けで,M農務大臣あてに,コンスタンサ地区向け第2次日本人農業移住者13家族が同年12月下旬にトルヒーヨ市に到着する予定であるので,ドミニカ政府において入植に必要な措置を講ずるように依頼する旨の書簡(乙80)を送付した。 M農務大臣は,同年10月29日付けの公使あての書簡(乙81)で,上記13家族について入植させる準備が整っている旨回答した。 (2)コンスタンサ地区第2次の入植については,入植地について別途調査が行われることはなかった。 (3)募集農林省は「ドミニカ国コンスタンサ地区開拓移住者第二次募集要領」,(乙83)を作成し,海協連に対し,昭和31年9月21日付けで募集要領を送付し,至急募集選定を開始するように指示した。これを受けて,海協連は,上記募集要領に基づいて,それと同内容の「ドミニカ国コンスタンサ地- 36 -区開拓移住者第二次募集要領(甲5)を作成し,移住者の募集を行った。 」これは,同年11月下旬にぶらじる丸で送出予定の13世帯を募集するというものであった。また,移住者の資格・義務は,コンスタンサ地区第1次募集要領と同じとされた。 ダハボン地区第4次(1)被告とドミニカ政 11月下旬にぶらじる丸で送出予定の13世帯を募集するというものであった。また,移住者の資格・義務は,コンスタンサ地区第1次募集要領と同じとされた。 ダハボン地区第4次(1)被告とドミニカ政府との交渉の経緯ア公使は,昭和31年9月26日,M農務大臣と会談した。同大臣は,ダハボン地区にあと70家族くらい受入れ可能であるが,ドミニカ側の予算の関係で,差し当たり第4次として翌年2月末以降の到着を条件に30家族の募集を開始して差し支えないと述べた。 そこで,公使は,翌27日付けのM農務大臣あての書簡(乙80)で,ダハボン地区内のラヴィヒア地区向け移住者30家族を第1次と同様の条件をもって,昭和32年2月末までにドミニカに到着するように送出することについて承認を求めた。これに対し,M農務大臣は,昭和31年10月29日付けの公使あての書簡(乙81)でこれを承認した。 イ公使は,昭和32年1月9日付けで,M農務大臣にあてて,次の内容の書簡を送付した。①同月1日から12月31日までの間に送出される日本人移住者の数は,既に両国政府の合意に基づきダハボン地区に入植する予定の30家族を含め,約200家族(約1200人から1300人)となる。日本政府は,これらの移住者を6,7回に分けて(すなわち,30から35家族ごとに)乗船させることを検討している。②日本政府は,上記移住者を受け入れるために,ドミニカ政府が新移住地(例えば,パドレ・ラス・カサス等)を選定,準備されることを要望する。③日本政府は,新移住者の受入条件について,昭和31年3月27日付けのM書簡と,同年4月24日付けの公使の書簡で取り決められた諸条件と同一のものを希望する。また,移住者には,ドミニカ国内の事情が許す限り,原則とし- 37 -て300タレアまでの土地を割り当てるよう 書簡と,同年4月24日付けの公使の書簡で取り決められた諸条件と同一のものを希望する。また,移住者には,ドミニカ国内の事情が許す限り,原則とし- 37 -て300タレアまでの土地を割り当てるように配慮されたい。 これに対し,M農務大臣は,昭和32年1月15日付けの書簡で,ドミニカ政府は上記事項について何ら異存がない,ただし,上記②の新移住地としてパドレ・ラス・カサスに入植させる可能性については検討されていない旨を通報した。 (2)ダハボン地区第4次の入植に際し,入植地の調査は別途行われなかった。 (3)募集ア公使は,昭和31年9月27日付け公電により,大臣に対し,ダハボン地区第4次の募集条件のうち,土地に関しては,能力に応じ最高300タレアまでの地役権を暫時無償提供すると改めること,労働力3人以上の条件にとらわれて,家族構成にあまり無理をしないことを要請し,また,同年10月18日付け公電により,上記の点だけを改めれば,今回の入植地は既入植地と区続きであるから,ダハボン地区第1次の募集要項をそのまま使用して差し支えない旨を通報した。 イ外務省移住局長は,昭和31年10月24日付けで,農林省振興局長に対し,ダハボン地区第4次の募集要領の作成につき,ダハボン地区第1次の募集要項をそのまま使用して差し支えないが,土地に関しては「各自の能力に応じ最高300タレア(18町歩)までの地役権を当初無償提供し,ドミニカ国法律の定める条件に従い一定期間耕作した場合所有を認められる」と改めて欲しい旨通知した(乙88。 )これを受けて,農林省は,募集要領を作成し,海協連に対し,募集を行うように指示し,海協連は,この指示に基づいて募集要項を作成し,移住者の募集を行った。 なお,上記募集要領及び募集要項が,証拠として提出されていない。しかし,募集要 を作成し,海協連に対し,募集を行うように指示し,海協連は,この指示に基づいて募集要項を作成し,移住者の募集を行った。 なお,上記募集要領及び募集要項が,証拠として提出されていない。しかし,募集要領の作成に関する上記外務省移住局長の農林省振興局長に対- 38 -する通知の内容にかんがみると,その募集要項等も「各自の能力に応じ最高300タレア(18町歩)までの地役権を当初無償提供し,ドミニカ国法律の定める条件に従い一定期間耕作した場合所有を認められる」との内容であったものと認められる。 ドゥベルヘ地区第1次及び第2次並びにネイバ地区第1次及び第2次(1)被告とドミニカ政府との交渉の経緯アM農務大臣は,公使に対し,昭和32年5月9日,次期日本人移住者の入植地として,ネイバ市(バオルコ県)の近傍を予定している,交通,灌漑の便もよく,地味も肥沃である,同地へは日本人30家族を入植させる予定である旨述べた。 イM農務大臣は,大使(現地公使館は,昭和32年5月15日に大使館に昇格した。以下,これを「現地大使館」という)あてに,同年6月10。 日付けで,次の内容の書簡(乙94)を送付した。ドミニカ政府は,既に確立された条件の下で,同年8月末に60家族の日本人農業移住者を受け入れる用意がある。うち40家族はインデペンデンシア県ドゥベルヘ混合移住地に,残りの20家族は現在準備中のロス・チョロス-プラサ・カシケ用水路により灌漑されるバオルコ県ネイバ地区プラサ・カシケに入植させることとする。ドゥベルヘ混合移住地に入植する移住者は,建設予定の排水装置により地質が完全に清浄されるまでの間,最初の3年間は稲,フリホール豆,小玉葱の耕作に従事すべきである。プラサ・カシケ移住地に入植する移住者は一般蔬菜類を栽培することが可能である。 大使は,同年6月1 より地質が完全に清浄されるまでの間,最初の3年間は稲,フリホール豆,小玉葱の耕作に従事すべきである。プラサ・カシケ移住地に入植する移住者は一般蔬菜類を栽培することが可能である。 大使は,同年6月18日付けで,M農務大臣あてに,上記書簡を受領したことを確認する書簡を送付した。 ウ大使は,M農務大臣あてに,昭和32年7月12日の会談結果に基づき,同月15日付けで,次の内容の書簡(乙100)を送付した。ドミニカ政府が,ドゥベルヘ混合移住地及びネイバ地区プラサ・カシケ移住地向けの- 39 -日本人農業移住者に対し,次の受入条件のもと,150タレアを限度として耕作地を提供する用意があることについて了解を求める。すなわち,①入植の際に1家族当たり50タレアの耕作地を割り当てる。②初年度末に日本,ドミニカ両国官憲による合同調査を行い,かつ,その期日までに50タレア全部の耕作を完了し,より広範な耕作を持続し得ると立証する家族に対しては,更に50タレアを追加供与する。③同様に第2次調査を定着後2年目に行い,前記期日までに100タレアの耕作を持続し,なおかつ,より広範囲の耕作能力を保有する家族に対しては更に50タレア供与する(この場合,ドミニカ政府は,第1次に認められずして第2次に認定される家族に対しても50タレアを追加供与するものとし,2年間に最初の50タレアの耕作を完了した家族がその能力を認められる場合は常に50タレアの追加を受けることを意味する。 。)これに対し,M農務大臣は,大使あての同月24日付けの書簡(乙101)で,ドミニカ政府は上記大使の書簡に示された諸条件の履行に異議はないが,灌漑耕地が,最初の50タレアを増加し150タレアまで追加するのに不十分な場合には,最初の50タレアの増加配分を超える面積は,未灌漑地をもってこれに充て の書簡に示された諸条件の履行に異議はないが,灌漑耕地が,最初の50タレアを増加し150タレアまで追加するのに不十分な場合には,最初の50タレアの増加配分を超える面積は,未灌漑地をもってこれに充てることとする旨回答した。 (2)入植地の調査ア大使は,外務大臣臨時代理に対し,昭和32年6月24日付け公信により,ドゥベルヘ地区及びネイバ地区向け移民の募集,選考に当たり参考となるべき事項や留意点について送付した。 イ外務大臣は,昭和32年8月1日付けで,大使に対し,募集要領を作成した際,ドゥベルヘ及びネイバ両地区の土壌の物理的,化学的性質,灌漑施設の状況等について不明であったため,今後の説明資料として必要であるから,これらの点を再調査して報告するよう訓令した。 これを受けて,大使及び支部長は,同月7日及び8日,ネイバ,ドゥベ- 40 -ルヘ方面の視察を行った。また,大使は,同年9月2日付けで,外務大臣に対し,ドゥベルヘ地区の土壌に関する資料を送付した。 ウA農林技官は,昭和32年9月8日にトルヒーヨ市に赴き,同月11日から14日にかけてネイバ地区を調査し(地区調査,水源地調査,近郊農業事情調査,14日から16日にかけてドゥベルヘ地区を調査した(地)区調査,塩山調査,バラオーナ市場調査。 )(3)募集農林省は「昭和32年度ドミニカ国ドゥベルヘ地区及びネイバ地区開拓,移住者募集要領(乙109)を作成し,昭和32年7月29日付けで同募」集要領を海協連に送付し,至急募集選定を開始するように指示した。これを受けて,海協連は,同募集要領に基づいて,それと同内容の「昭和32年度ドミニカ国ドゥベルヘ地区及びネイバ地区開拓移住者募集要領(甲6)を」作成し,移住者の募集を開始した。 これは,同年10月2日にあふりか丸で送出予定の自営開拓農と いて,それと同内容の「昭和32年度ドミニカ国ドゥベルヘ地区及びネイバ地区開拓移住者募集要領(甲6)を」作成し,移住者の募集を開始した。 これは,同年10月2日にあふりか丸で送出予定の自営開拓農として,ドゥベルヘ地区につき40世帯,ネイバ地区につき20世帯募集するというものであった。そして,移住者の資格として普通作及び蔬菜栽培の豊富な経験を有する農業者であること,開拓意欲が旺盛であること,ドミニカに永住の目的で渡航することとされ,移住者の義務としてドミニカの法令を守ること,ドミニカ政府が指定する場所において農業に専従することとされた。 ハラバコア地区第1次(1)被告とドミニカ政府との交渉の経緯大使は,昭和32年8月20日,M農務大臣から,次のような打診を受けた。ハンガリー難民のためのハラバコア地区の入植地からハンガリー難民を大量送還するため,そこに日本人移住者15家族を入植させたいと考えており,できれば同年10月の船で一括して送出して欲しいので,日本側の送出の可否を承知したい。同地区の耕作物は落花生,とうもろこし,豆類を主と- 41 -し,蔬菜を従とする。まだ灌漑施設がないため,入植と同時に100タレアを与えることとし,それ以外の条件は従前と同じである。 これを受けて,大使は,同年8月27日付けのM農務大臣あての書簡(乙114)で,日本政府は,同年12月上旬日本を出航し,同月下旬ないし翌年1月上旬にドミニカに到着する予定のさんとす丸で日本人農業者15家族をハラバコア地区に送出する用意がある旨を通知した。 M農務大臣は,昭和32年8月30日付けで,大使あてに,上記書簡を受領し,ドミニカ政府が日本政府の上記要望に異存ない旨を回答する書簡(乙115)を送付した。 その後,上記送出は,日本側の配船の都合から,昭和33年1月のぶらじる 0日付けで,大使あてに,上記書簡を受領し,ドミニカ政府が日本政府の上記要望に異存ない旨を回答する書簡(乙115)を送付した。 その後,上記送出は,日本側の配船の都合から,昭和33年1月のぶらじる丸での送出に変更され,ドミニカ側の了解を得た。 (2)入植地の調査A技官は,昭和32年9月19日から同月23日の日程で,ハラバコア地区の調査,近郊農業事情調査,コンスタンサ地区の視察,サンチアゴ市及びラベーガ市の市場調査を行った。 (3)募集外務省移住局長は,昭和32年10月5日付けで,農林省振興局長に対し,ハラバコア地区向けの移住者募集に関し,大使から報告があったA技官の調査報告の概要を伝え,早急に募集要領を作成するように依頼した。農林省は,「昭和32年度ドミニカ国ハラバコア地区開拓移住者募集要領(乙12」0)を作成し,同月21日付けで同募集要領を海協連に送付し,至急募集選定を開始するように指示した。これを受けて,海協連は,上記募集要領に基づいて,それと同内容の「昭和32年度ドミニカ国ハラバコア地区開拓移住者募集要項(甲7)を作成し,移住者の募集を開始した。 」これは,同年12月30日にぶらじる丸で送出予定の自営開拓農15世帯を募集するというものであった。そして,移住者の資格として,普通作及び- 42 -蔬菜栽培の豊富な経験を有する農業者であること,開拓意欲が旺盛であること,ドミニカに永住の目的で渡航することとされ,移住者の義務としてドミニカの法令を守ること,ドミニカ政府が指定する場所において農業に専従することとされた。 アグアネグラ地区第1次及び第2次並びにアルタグラシア地区第1次(1)被告とドミニカ政府との交渉の経緯ア大使は,昭和32年11月8日,農務大臣から,ロスアロヨス,アグアネグラ,フロルデオロの3地区(いずれ 地区第1次及び第2次並びにアルタグラシア地区第1次(1)被告とドミニカ政府との交渉の経緯ア大使は,昭和32年11月8日,農務大臣から,ロスアロヨス,アグアネグラ,フロルデオロの3地区(いずれもバラオナ県ペデルナレス市所在)に,コーヒー栽培移住者100家族を受け入れたいとの提案を受けた。 また,その後の会談で,日本側に用意があれば150家族でもよいとの意向を示された。 なお,上記3地区は,トルヒーヨ市から西方約360㎞のハイチ国境に所在し,アグアネグラ地区及びアルタグラシア地区はフロルデオロ地区に隣接する。そして,アグアネグラ及びアルタグラシアの両地区は近接しており,アグアネグラ地区から4㎞離れたところにアルタグラシア地区が位置する関係にある。 イ大使は,外務省の指示を受けて,昭和32年12月6日付けで,農務大臣あてに,次の内容の書簡(乙127)を送付した。日本政府が,上記アの3地区の国境地帯にあるコーヒー栽培地に日本人移住者150家族を送り出す用意があることを確認する。日本政府としては,これらの移住者を30家族ごとのグループに5回に分けて乗船させることとし,第1回目を昭和33年3月に送り出す予定である。これらの移住者の受入条件については,昭和31年4月24日付け及び同年5月12日付け書簡で確立した受入条件(ただし,a項を除く)と同じものとし,ただしa項について。 は「ドミニカ政府は,日本人農業移住者を受け入れ,彼らに対し土地を,提供することを約し,1家族当たり,コーヒー樹植付け済みの200タレ- 43 -アの土地を供与する。右面積は,恩恵に浴した家族が自力で更に広い面積を良い状態で耕作できることを立証する場合には増加しうるものとする。 同様に,ドミニカ政府は,必要とされる苗木を引き渡し,或いは新たな播種に必要であれば大木の は,恩恵に浴した家族が自力で更に広い面積を良い状態で耕作できることを立証する場合には増加しうるものとする。 同様に,ドミニカ政府は,必要とされる苗木を引き渡し,或いは新たな播種に必要であれば大木の伐採を行って,コーヒー園の拡張や再植樹に取り組むコーヒー移住者に対して可能な限りの支援を行うこと,及び,必要な乾燥場を建設して,果肉除去機と脱皮機を贈与することとする」と変更。 されるものと理解し,本件移住に関する両国政府の合意は本書簡及びその返簡の交換によって成立するものと考える。 ウ農務大臣は,昭和33年1月7日,大使に対し,受入態勢の万全を期すため,送出を4月に遅らせて欲しい旨申し入れた。そして,同日付けで,大使に対し,昭和32年12月6日付け書簡に記載された条件で日本人移住者150家族を受け入れることに同意する旨の書簡(乙130)を送付した。 (2)入植地の調査ア現地大使館は,嘱託農業技師に,ドミニカにおけるコーヒーの生産,買上げ,輸出状況及びコーヒー栽培を目的とする移住の見通し等につき調査させ,その結果を,昭和32年11月14日付けで外務大臣に報告した。 イ現地大使館の書記官及び横浜移住あっせん所の所長は,昭和32年12月,ドミニカ農務省技官及び入植地監督官の案内により,アグアネグラ地区周辺のコーヒー栽培を予定した入植地の視察を行った。 (3)募集外務省移住局長は,昭和32年12月26日付けで,農林省振興局長に対し,コーヒー栽培目的の移住について,大使からの報告を伝え,これに基づいて,至急募集要領案を作成し,協議するよう依頼した。農林省は,昭和33年1月ころ「ドミニカ国コーヒー栽培移住者募集要領(乙134)を,」作成し,これを海協連に通知した。海協連は,上記募集要領に基づいて,そ- 44 -」,れと同内容の「ド 農林省は,昭和33年1月ころ「ドミニカ国コーヒー栽培移住者募集要領(乙134)を,」作成し,これを海協連に通知した。海協連は,上記募集要領に基づいて,そ- 44 -」,れと同内容の「ドミニカ国コーヒー栽培移住者募集要項(甲8)を作成し移住者の募集を行った。 これは,上記ロスアロヨス,アグアネグラ,フロルデオロの3地区の自営開拓農として150世帯を募集するというものであり,30世帯ずつ5次に分けての送出を予定し,第1次は同年5月のぶらじる丸にて送出するというものであった。そして,移住者の資格として,農業者であること,開拓意欲が旺盛であること,ドミニカに永住の目的で渡航することとされ,移住者の義務としてドミニカの法令を守ること,ドミニカ政府が指定する場所において農業に専従することとされた。 アルタグラシア地区第3次及びコンスタンサ地区第4次(1)被告とドミニカ政府との交渉の経緯アドミニカ農務省は,昭和33年6月20日付けで,現地大使館に対し,上記7のコーヒー栽培移住3地区における連続的降雨のため,住宅用の資材の運搬が遅延し,深刻な問題を来しているとして,次回移住者の送出を3か月延期するように要請した。さらに,ドミニカ外務省は,同年7月1日付け口上書により,現地大使館あてに,農務省が提起した諸困難のために,当面,新たに日本人農業移住者を国内の入植地に受け入れることを無期限に停止せざるを得ない旨を通報した。 イ現地大使館は,外務省本省の指示を受けつつ,ドミニカ外務省と交渉の上,昭和33年11月6日付けで,ドミニカ外務省に対し,両国間に日本人農業移住者150家族をドミニカに受け入れるとの交換公文があるのにドミニカ政府が上記決定をしたことに遺憾の意を表明するとともに,可及的速やかに移住再開のための措置が採られることを強く要 国間に日本人農業移住者150家族をドミニカに受け入れるとの交換公文があるのにドミニカ政府が上記決定をしたことに遺憾の意を表明するとともに,可及的速やかに移住再開のための措置が採られることを強く要望し,差し当たり昭和34年3月ころに農業移住者30家族程度の受入れを検討することをドミニカ政府に強く要望する旨の口上書(甲323,乙144)を送付した。 - 45 -これを受けて,ドミニカ外務省は,昭和33年12月11日付けで,要請のとおり日本人農業者150家族の入国を許可したことのほか,入国後速やかに農業に従事し得ることを考慮して,各回30家族の単位で入国すること,最初のグループは昭和34年2月ないし3月に入国すること及び残余のグループの到着は今後定めると決定した旨を報告する口上書(甲315)を現地大使館に送付した。 ウこれを受けて,大使は,昭和33年12月26日及び昭和34年1月16日,ドミニカの農務大臣と,再開後の第1次日本人移住者の受入れについて打合せを行い,①アルタグラシア地区及びフロルデオロ地区に合計20家族,配分予定面積は差し当たり100タレア,②ネイバ地区に5家族,配分予定面積は80タレア,③コンスタンサ地区に5家族,配分予定面積は50タレアとし,①ではコーヒー栽培を,②及び③では,蔬菜,園芸作物,果樹の栽培を目的とすることとされた。 ドミニカ農務省は,同年1月17日付けで,現地大使館あてに,日本人30家族の宿舎としてアルタグラシア地区に20戸,プラサ・カシケ(ネイバ)地区に5戸及びコンスタンサ地区に5戸の家屋を用意する,ただし,アルタグラシア地区に入植する者のうち若干名は,フロルデオロ地区に属する配分地を供与されることとなる旨の書簡(乙148)を送付した。 これに対し,現地大使館は,同月29日付けで,ドミニカ農務省 だし,アルタグラシア地区に入植する者のうち若干名は,フロルデオロ地区に属する配分地を供与されることとなる旨の書簡(乙148)を送付した。 これに対し,現地大使館は,同月29日付けで,ドミニカ農務省あてに,上記書簡を受領した旨通報するとともに,その措置について異存ない旨表明し,さらに,上記同月16日の会談で,ドミニカ農務省が,アルタグラシア地区への日本人移住者には1家族100タレア,プラサ・カシケ(ネイバ)地区では80タレア及びコンスタンサ地区では50タレアの土地を供与することとし,その土地は移住者が更に広い面積を耕作し得ることを立証するときは増加し得ることを了解したことを確認する旨の書簡(乙149)を送付した。 - 46 -(2)入植地の調査現地大使館の書記官は,昭和33年10月に1日でコンスタンサ地区の,また,同年11月末,2日間にわたってアグアネグラ地区及びアルタグラシア地区の視察を行った。さらに,臨時代理大使は,同年11月末,プラサ・カシケ(ネイバ)地区の視察を行った。 (3)募集外務省移住局長は,昭和34年2月17日付けで,農林省振興局長に対し,ドミニカ向け移住が再開されたため募集開始について準備を進めて欲しいこと,その際,適格者を厳選するように配慮することを依頼した。また,同日,外務省移住局長は,農林省振興局長に対し,在ドミニカ大使から送られてきた再開第1回移住者の募集要領の写しを送付し,これにより至急募集要領案を作成の上,協議することを要請した。そして,農林省は「ドミニカ国ア,ルタグラシア・ネイバ及びコンスタンサ地区開拓移住者募集要領(乙15」4)を作成し,同年3月13日付けで募集要領を海協連に送付し,募集選定を開始するように指示した。これを受けて,海協連は,上記募集要領に基づいて,それと同内容の「ドミニカ 拓移住者募集要領(乙15」4)を作成し,同年3月13日付けで募集要領を海協連に送付し,募集選定を開始するように指示した。これを受けて,海協連は,上記募集要領に基づいて,それと同内容の「ドミニカ国アルタグラシア・ネイバ及びコンスタンサ地区開拓移住者募集要項(甲9)を作成し,移住者の募集を開始した。 」これは,同年6月上旬送出予定の自営開拓農として,アルタグラシア地区20世帯,ネイバ地区及びコンスタンサ地区各5世帯を募集するというものであった。そして,移住者の資格として,農業者であること,開拓意欲が旺盛であること,ドミニカに永住の目的で渡航することとされ,移住者の義務としてドミニカの法令を守ること,ドミニカ政府が指定する場所において農業に専従することとされた。 第4各入植地の実情以下においては,各入植地の実情を明らかにするために,証拠(甲2,甲2の89,226,227の1の1ないし5,2ないし4,5の1,2, ,甲41,甲47- 47 -6の1ないし3,7ないし11,12の1,13,14の2,15の1,2,16,17,18の1,2,19,20の1ないし3,21,23,24,26,27の1ないし4,28,29,30の1,31の2,32の1ないし4,33,35の1,2,36の1ないし5,37ないし39,41,42の1ないし3,43の1,2,44の1,2,45の1,,甲63,64,甲80,甲81,2,46ないし48,50,52,53の1の1甲120,123,124,130ないし135,187,202,203,225,甲226,甲260,261,271,272,甲332,の3の1甲352,354,365ないし369,乙67,68,70,72,154,159,173,174,178ないし180,183,187,188 甲260,261,271,272,甲332,の3の1甲352,354,365ないし369,乙67,68,70,72,154,159,173,174,178ないし180,183,187,188,193)及び次丁摘示の各証拠並びに弁論の全趣旨に基づいて,各入植地への入植の状況,入植地の実情のほか,入植後の入植者の動向のうち,集団帰国措置が講じられるまでの間に起きた特徴的な事項を認定することとする。 なお,本件においては,各入植地の実際の状況が,移民の募集の過程で示されていた入植条件と相違していたのか否かが大きな争点になっているが,移民の募集の手続は,前記第1の6認定のとおりである。すなわち,①移住先の受入れ態勢が整い入植条件等が確定すると,農林省は,それをもとに外務省と協議して募集要領を定め,海協連に対して募集を行うように指示をする,②海協連は,その指示に基づいて募集要項を作成し,これを各都道府県及び地方海外協会へ送付し,募集を依頼する,③各県の地方海外協会は,新聞,ラジオ等を通じて募集内容を一般県民に発表し,また,県庁を通じて町村役場へ,農協系統を通じて町村農協へ文書を送付し,協力を依頼することも行われていた。そして,本件ドミニカ移住においては,前記第3認定のとおり,海協連は,農林省が外務省と協議して定めた募集要領に基づいて,それと同内容の募集要項を作成し募集事務を行っていた。そこで,上記争点について検討するためには,各入植地への移民の募集の際に使用された募集要項において示されていた各種入植条件がどのようなものであり,また,実際の入植地の状況がどのよう- 48 -であったのか等を解明する必要があるが,証拠(甲4ないし9,11,甲29,の3,85,88,89,91,92,181,217,220,222,223,226, 地の状況がどのよう- 48 -であったのか等を解明する必要があるが,証拠(甲4ないし9,11,甲29,の3,85,88,89,91,92,181,217,220,222,223,226,227,275,280,293,294,296,298,304ないし306,308,311,312,317,320,323,340,346,351ないし353,371,甲41,甲47の1の1ないし4,2ないし4,5の1,6の1ないし3,7ないし1112の1,13,14の2,15の1,2,16,17,18の1,2,19,20の1,21,23,24,26,27の1ないし3,28,29,31の2,32の1ないし4,33,35の1,36の2,4,38,39,41,42の1ないし3,43の1,2,4,甲55,甲64の1,45の1,2,46ないし48,50,52,53の1ないし3,3,64,甲80,甲81,甲104,105,109ないし114の1の1116,120,123,124,129ないし135,142,155ないし177,187,202,203,225,甲226,甲260,26の31,271,272,甲307,甲312,352,354,365ないの3し369,乙38,88,111,150ないし152,159165,1,67,172,173,178,183ないし188,191,192,乙2 ,乙282,285ないし289,294,297,303,391,の3393,原告9,同10,同11,同12,同13,同14,同15,同16,同17,同18,同19,同20)によれば,この点については,別紙「入植条件と入植地の実情(認定事実(略)記載のとおり認めることができる)」(なお,入植地の実情は,後記認定の集団帰国措置が講じ 同17,同18,同19,同20)によれば,この点については,別紙「入植条件と入植地の実情(認定事実(略)記載のとおり認めることができる)」(なお,入植地の実情は,後記認定の集団帰国措置が講じられるまでの間のものである。 。)そこで,以下においては,各入植地への入植の状況,入植地の実情及び入植後の入植者の動向に関する認定事実のほかに,上記別紙に基づいて,募集要項において示されていた各種入植条件と実際の入植地の状況との主な相違点についても,摘示することとする。 ダハボン地区- 49 -(1)入植の状況前記第1の6認定の選考,講習等を経て,次のとおりダハボン地区に入植した。 ア第1次の移住者ら28家族185人は,昭和31年7月29日,同地区に入植した。なお,入植した家族数及び人数については,証拠により多少異なっているが,これは,家族関係の把握の仕方,その後の家族関係の変動,ドミニカ国内での移転等に伴う差異であると考えられる。そこで,本判決においては,その概数を示す趣旨で,以下摘示することとする。 この中には,本件訴訟の原告の関係で,次の者らが含まれていた。すなわち,家長原告21及びその家族,家長亡22及びその家族,家長原告23及びその家族,家長原告24及びその家族,家長亡25及びその家族,原告26,原告27,家長原告15及びその家族,家長亡B及びその家族,家長亡29及びその家族(原告30らを含む,家長亡31及びその家。)族,家長亡32及びその家族,家長亡33及びその家族,家長亡34及びその家族,家長亡35及びその家族(原告36らを含む,家長原告1。)6及びその家族,家長亡37及びその家族(原告38らを含む,家長。)原告39及びその家族,家長亡40及びその家族並びに家長亡41及びその家族が含まれていた。 イ 36らを含む,家長原告1。)6及びその家族,家長亡37及びその家族(原告38らを含む,家長。)原告39及びその家族,家長亡40及びその家族並びに家長亡41及びその家族が含まれていた。 イ第2次として1家族5人(家長亡8及びその家族(原告42を含む)が同年10月4日に,第3次として1家族4人が同年12月31。)日に,それぞれ同地区に入植した。なお,原告43は,第1次入植の家長亡41の同伴者として,第2次の移住者らと同時に同地区に入植した。 ウ第4次の移住者ら28家族144人は,昭和32年3月8日,同地区に入植した。この中には,本件訴訟の原告の関係で,家長原告44及びその家族,家長原告11及びその家族,家長亡45及びその家族,家長亡46及びその家族,原告47,原告48,原告49,原告50,家長亡51及- 50 -びその家族(同伴者として原告52を含む,家長原告12及びその家。)族(原告53を含む,家長原告54及びその家族,原告55,家長亡。)56及びその家族並びに原告57が含まれていた。 (2)入植地の実情ア第1次の移住者らは,入植後しばらくの間,共同で作業,耕作を行った。 そして,約5か月近く経過した昭和31年12月25日に至って,ようやく各戸に85タレア前後の土地が配分された。 第4次の移住者らに対しては,2回に分けて土地の配分がされ,合計して各戸に約80タレアの土地が配分された。 イ同地区は,水の絶対量が不足していた。同地区の移住者らは,次第に水稲作を行うようになったが,そのためには水量が不足していた。また,乾期は,降雨量が極端に少なく,例年水不足になった。このように,水が不足していたため,移住者同士や現地人との間で水争いが絶えなかった。第1次の移住者らが入植した時点で,コンクリート製の幹線水路が1本存 期は,降雨量が極端に少なく,例年水不足になった。このように,水が不足していたため,移住者同士や現地人との間で水争いが絶えなかった。第1次の移住者らが入植した時点で,コンクリート製の幹線水路が1本存在していたが,補助水路が完成していなかったため,移住者らが共同作業で開設した。そして,各自の農地に水を引くための水路が完成したのは,第1次の入植から数年経過した後であった。それでも,各農地に供給される水の量は不足していた。 (3)入植者の動向(集団帰国措置までの間に起きた特徴的な事項)昭和32年3月に入植した同地区第4次の移住者(28家族)の一部が,同年9月,現地大使館に対し,配分された土地が耕作に不適当であること,水不足で栽培が困難であること等を理由に他地区への転住のあっせんを陳情した。また,当時,同地区では,初期の移住者に課した稼働力確保のための家族構成の無理(前記第3の4(3)ア参照)から生じた独身青年の処遇の在り方も課題になっていた。こうした点について,現地大使館がドミニカ農務省と協議した結果,昭和33年8月29日,移住者7家族22人及び独身- 51 -青年18人がアルタグラシア地区に転住した。 コンスタンサ地区(1)入植の状況前記第1の6認定の選考,講習等を経て,次のとおりコンスタンサ地区に入植した。 ア第1次の移住者ら17家族120人は,昭和31年10月4日,同地区に入植した。この中には,本件訴訟の原告の関係で,家長亡58及びその家族,家長亡59及びその家族,原告60,亡61,家長亡62及びその家族,原告63並びに原告64が含まれていた。 なお,第1次の入植については,当初,コンスタンサ地区に20家族,ダハボン地区に10家族を入植させる予定であったが,交渉過程でコンスタンサ地区に30家族を入植させることに変更された が含まれていた。 なお,第1次の入植については,当初,コンスタンサ地区に20家族,ダハボン地区に10家族を入植させる予定であったが,交渉過程でコンスタンサ地区に30家族を入植させることに変更された。しかし,この点について現地公使館と外務省本省との間で行き違いがあり,ダハボン地区向けに7家族,コンスタンサ地区向けに14家族の選考が行われたため,ダハボン地区向け7家族について,コンスタンサ地区向けに振り替えるべく手配がされた結果,上記入植となった。 イ第2次の移住者ら12家族68人は,昭和31年12月31日,同地区に入植した。この中には,家長亡65及びその家族,家長亡66及びその家族並びに家長原告67及びその家族が含まれていた。 ウ第3次として1家族7人が,昭和32年8月8日,同地区に入植した。 エ第4次の移住者ら5家族25人(原告87を含む)は,昭和34年6。 月30日,同地区に入植した。 (2)入植地の実情ア第1次及び第2次の移住者らは,当初50タレア程度の土地しか配分されなかった。昭和33年2月上旬ころハラバコア地区に日本人移住者14家族93人が転住した後の増配により,配分面積はおおむね100タレア- 52 -になった。 第4次の移住者らは,入植後25タレア程度の土地しか配分されなかったため,数回にわたりドミニカ農務省,現地大使館及び海協連ドミニカ支部に増配を要請した。これを受けて,現地大使館は,ドミニカ政府に土地の増配を何度も要請したが,なかなか実現しなかった。 イドミニカの野菜の消費市場は狭小であった。しかも,野菜には公定価格がないため,市場での販売価格が安定せず,生産過剰となり市場価格が暴落することもあった。また,同地区から生産物の販売市場までの距離が遠く,運搬には時間と経費がかかるため,販売には困難を伴った。 さ がないため,市場での販売価格が安定せず,生産過剰となり市場価格が暴落することもあった。また,同地区から生産物の販売市場までの距離が遠く,運搬には時間と経費がかかるため,販売には困難を伴った。 さらに,同地区は,営農に必要となる水が十分には確保されておらず,入植する場所によっては水不足に悩まされることもあった。 (3)入植者の動向(集団帰国措置までの間に起きた特徴的な事項)同地区の移住者15人が,昭和32年9月18日,現地大使館に対しハラバコア地区への転住を陳情した。また,当時,残りの同地区の日本人移住者ら(同地区の30家族のうちの約半数)は,既に配分された50タレアの土地を一応全部耕作したとして,約束どおり100タレアまで土地を増配してもらいたい旨を強く求めるようになった。このように,当時,同地区では,土地の増配を求める者と,ハラバコア地区への転住を求める者との2派に分かれていた。 そこで,大使は,農務大臣に対し,同年10月22日,上記土地増配要求について善処するよう申し入れていたところ,同年末に,同農務大臣から,コンスタンサ地区の土地問題の解決策として,転住希望者をハラバコア地区に転住させ,その耕作地をコンスタンサ地区に残留する者に増配したいとの提案がされた。これを受けて,大使は,同農務大臣に対し,昭和33年1月15日,14家族のハラバコア地区への転住許可及び転住者の土地をコンスタンサ地区の残留者へ増配することを申し入れ,その承諾を得た。そして,- 53 -転住希望者14家族93人は,ハラバコア地区第1次の移住者の入植直後の同年2月上旬,ハラバコア地区に転住した。この中には,本件訴訟の原告の関係で,家長亡59及びその家族,家長亡62及びその家族,家長亡66及びその家族並びに家長原告67及びその家族が含まれていた。他方,コンス 旬,ハラバコア地区に転住した。この中には,本件訴訟の原告の関係で,家長亡59及びその家族,家長亡62及びその家族,家長亡66及びその家族並びに家長原告67及びその家族が含まれていた。他方,コンスタンサ地区に残留した者に対しては,同年3月下旬ころ,土地の増配がされ,各戸の土地はおおむね100タレアに達した。 ドゥベルヘ地区(1)入植の状況前記第1の6認定の選考,講習等を経て,次のとおりドゥベルヘ地区に入植した。 ア第1次の移住者ら32家族135人は,昭和32年12月2日,同地区に入植した。この中には,本件訴訟の原告の関係で,家長原告10及びその家族,家長原告9及びその家族,家長亡68及びその家族,家長亡69及びその家族並びに家長亡70及びその家族が含まれていた。 イ第2次の移住者ら5家族20人(本件訴訟の原告の関係で,家長亡71及びその家族を含む)は,昭和33年1月24日,同地区に入植した。 。 (2)入植地の実情同地区の土地は,多量の塩分を含んでおり,耕作のためには灌漑の水によって除塩する必要があった。しかも,気候は,雨量が少なく,暑さも厳しく,乾燥しており,半砂漠状の土地であったため,耕作は灌漑用水に頼る必要があった。 しかしながら,日本人移住者が入植した時点で灌漑用水路は完成していなかった。その上,昭和33年5月及び6月に相次いでドミニカを襲ったハリケーンのため,完成間近の用水路が大破し,水利の見通しがつかなくなった。 現地大使館は,用水路の修繕を度々要請したが,工事はなかなか進捗しなかった。その後,昭和34年1月ころにようやくサイホン式の新たなコンクリ- 54 -ート製の用水路が建造されたが,設計と施工に欠陥があったため,送水試験でサイホンが炸裂して送水の継続が不可能な状態となった。同年3月に用水路の改修工事が完 くサイホン式の新たなコンクリ- 54 -ート製の用水路が建造されたが,設計と施工に欠陥があったため,送水試験でサイホンが炸裂して送水の継続が不可能な状態となった。同年3月に用水路の改修工事が完成し送水が可能となってからも,水量が不足し,水路に水が流れないことがあった。 このように,同地区は,土壌に塩分が含まれ,気候が乾燥して水が不足し,灌漑設備も十分に整備されなかったため,作物を栽培することが難しく,営農は困難を極めた。 (3)入植者の動向(集団帰国措置までの間に起きた特徴的な事項)ア上記(2)の事情から,昭和32年12月及び昭和33年1月に入植した移住者ら(37家族)の大部分は,農務省が支給する補助金で生活を維持する状況にあったことから,同地区の入植者の間では,他の入植地への転住を求める空気が支配していた。 イそして,昭和33年12月ころには,個人的に農務省の了解を取り付けて,5家族がコンスタンサ地区に,2家族がハラバコア地区に転住した。 前者の中には,本件訴訟の原告の関係で,家長亡68及びその家族並びに家長亡71及びその家族が含まれていた。 ウまた,昭和34年2月11日には,大使は,移住者代表から転住の陳情を受け,同日,ドミニカの農務大臣に対し,ドゥベルヘ地区の日本人移住者の実情を詳しく説明し,善処するように要請した。これを受けて,同農務大臣は,同年4月29日,現地大使館に対し,転住希望者についてハラバコア地区の国営入植地に同年5月15日までに転住を完了させる,各戸当たりの配分面積を約50タレア,住宅,生活補助金等は転住後も従前どおり支給する旨の転住計画案を示した。その結果,同月中旬,27家族がハラバコア地区に転住し,4家族のみが残留した。転住者の中には,本件訴訟の原告の関係で,家長原告10及びその家族,家長原告9及びそ おり支給する旨の転住計画案を示した。その結果,同月中旬,27家族がハラバコア地区に転住し,4家族のみが残留した。転住者の中には,本件訴訟の原告の関係で,家長原告10及びその家族,家長原告9及びその家族,家長亡69及びその家族並びに家長亡70及びその家族が含まれてい- 55 -た。 ネイバ地区(1)入植の状況前記第1の6認定の選考,講習等を経て,次のとおりネイバ地区に入植した。 ア第1次の移住者ら15家族61人は,昭和32年11月2日,同地区に入植した。この中には,本件訴訟の原告の関係で,家長原告13及びその家族,家長亡72及びその家族並びに家長亡73及びその家族が含まれていた。 イ第2次の移住者ら4家族15人は,昭和32年12月2日,同地区に入植した。この中には,本件訴訟の原告の関係で,家長原告14及びその家族並びに家長亡74及びその家族が含まれていた。 ウ第3次の移住者ら5家族21人は,昭和34年6月29日,同地区に入植した。 (2)入植地の実情配分地の土壌には石灰岩の礫が多く含まれていた。 同地区の気候は,気温が高く(昭和27年及び昭和28年の平均最高気温は32度,平均最低気温は25度,雨量も少なく(昭和27年から昭和3)2年の平均降雨量は576㎜,乾燥しており,半砂漠状の土地であった。 )さらに,灌漑用水も不足しており,現地人との水争いも絶えなかった。また,同地区の灌漑による給水は,当初1日12時間であったが,給水量は次第に制限され,昭和36年3月からは,1か月のうち12日間,1日7時間に制限されたため,水不足は一層深刻化した。 このように,同地区は,多くの礫,乾燥した気候及び水不足によって営農が困難な状況にあった。 (3)入植者の動向(集団帰国措置までの間に起きた特徴的な事項)- 56 -同地区の移 一層深刻化した。 このように,同地区は,多くの礫,乾燥した気候及び水不足によって営農が困難な状況にあった。 (3)入植者の動向(集団帰国措置までの間に起きた特徴的な事項)- 56 -同地区の移住者らは,昭和36年3月20日以降現地大使館に対し集団帰国の陳情を行った。その詳細は,後記第5の2(1)記載のとおりである。 ハラバコア地区(1)入植の状況前記第1の6認定の選考,講習等を経て,次のとおりハラバコア地区に入植した。 ア第1次の移住者ら13家族68人は,昭和33年1月24日,同地区に入植した。この中には,本件訴訟の原告の関係で,家長亡75及びその家族,家長亡76及びその家族並びに原告77が含まれていた。 イ第2次の移住者ら3家族17人は,同年5月28日,同地区に入植した。 ウ原告18と78は,家長亡76及びその家族に呼び寄せられ,第3次の移住者として,昭和34年9月6日,同地区に入植した。 (2)入植地の実情ア募集要項では,1世帯当たり100タレアの土地(一部開墾済み)が無償で使用を許されるとされていたが,第1次の移住者らは,入植後しばらくしてから50タレア程度の土地しか配分されなかった。 イ同地区では,野菜を収穫することができたが,野菜の市場が狭く,その需要が少なかったため,販売に困難を伴った。その上,野菜には公定価格がないため,市場での販売価格は安定しなかった。さらに,下記(4)のとおり他の入植地から多くの移住者が転住してきたため入植過剰となり,野菜は供給過剰となり,値段が大幅に下落した。 同地区は,もともと水の絶対量が少なく,水利の便も悪く,干ばつの時には水不足になることがあった。そして,農業用水も元来畑地灌漑を目標としたものであったため,移住者らが水稲作を行うようになると,日本人移住者同士でも深刻な水争い が少なく,水利の便も悪く,干ばつの時には水不足になることがあった。そして,農業用水も元来畑地灌漑を目標としたものであったため,移住者らが水稲作を行うようになると,日本人移住者同士でも深刻な水争いが起こるようになり,現地の水利官が日本人に不利な水の配分をすることもあった。 - 57 -(3)入植者の動向(集団帰国措置までの間に起きた特徴的な事項)ハラバコア地元互助会(日本から直接入植した移住者16家族より組織された)は,昭和34年10月20日付けで,支部長に対し,各戸に配分さ。 れた50タレアは既に完全に耕作したとして,残り50タレアの土地の増配を要請した。 この問題について,外務大臣から同年12月7日付けで,実情を調査の上移住者の要請に応えるべき旨の訓令を受けた大使は,ドミニカの農商務大臣に対し,同月17日,なるべく早く土地の増配を行って欲しい旨を要請した。 これに対し,同大臣は,灌漑付きの土地の買上げには莫大な経費を要し,ドミニカ政府の財政的,経済的困難により早急に手当てすることは難しいが,なるべく速やかに要望に沿うように努力したい旨答えた。そして,昭和35年5月9日付け口上書により,ドミニカ農商務省は,現地大使館に対し,ドゥベルへ地区からの集団転住があったため予定どおりの土地配分ができなかったが,この度乾燥地を配分し牧草等の栽培を行わせることとした旨の報告をした。 (4)他地区からハラバコア地区への転入同地区には,他の入植地から多数の者が転入した。すなわち,昭和33年2月上旬,コンスタンサ地区から14家族93人が(上記2(3,また,))昭和34年5月,ドゥベルヘ地区から27家族が(上記3(3,それぞ))れ転住してきた。他の転入者も含めると,一時期は合計86家族にまで達し,過剰入植の状態になった。 アグアネグラ地 ,))昭和34年5月,ドゥベルヘ地区から27家族が(上記3(3,それぞ))れ転住してきた。他の転入者も含めると,一時期は合計86家族にまで達し,過剰入植の状態になった。 アグアネグラ地区及びアルタグラシア地区(1)入植の状況前記第1の6認定の選考,講習等を経て,次のとおりアグアネグラ地区及びアルタグラシア地区に入植した。 なお,両地区への入植時期別の人数等については,証拠上齟齬が見られる- 58 -ので確定することができないが,前記第2の5のとおり,両地区合計で74家族390人が入植したものと認めることができる。 アアグアネグラ地区第1次の移住者らは,昭和33年5月28日,同地区に入植した。この中には,本件訴訟の原告の関係で,家長亡79及びその家族,家長亡80及びその家族並びに家長原告81及びその家族が含まれていた。 イアグアネグラ地区第2次の移住者ら(本件訴訟の原告の関係で,家長亡82及びその家族を含む)は,昭和33年6月26日,同地区に入植し。 た。 ウアルタグラシア地区第1次の移住者らは,昭和33年6月28日ころ,同地区に入植した。この中には,本件訴訟の原告の関係で,原告19,家長亡83及びその家族並びに家長亡84及びその家族が含まれていた。 エアルタグラシア地区第2次の移住者らは,昭和34年6月30日ころ,同地区に入植した。 オアルタグラシア地区第3次の移住者らは,昭和34年9月6日,同地区に入植した。この中には,本件訴訟の原告の関係で,家長亡85及びその家族並びに原告86が含まれていた。 (2)入植地の実情アアグアネグラ地区第1次及び第2次並びにアルタグラシア地区第1次の移住者らは,昭和33年11月末の時点で,1家族当たり約200タレア(独身青年については約100タレア)の土地を配分されていた。 アアグアネグラ地区第1次及び第2次並びにアルタグラシア地区第1次の移住者らは,昭和33年11月末の時点で,1家族当たり約200タレア(独身青年については約100タレア)の土地を配分されていた。 アルタグラシア地区第2次及び第3次の移住者ら17家族は,配分予定地の整地が一部完了していなかったため,昭和35年2月の時点でも土地が予定どおり配分されなかった(全く土地の配分を受けていない者もいた。現地大使館は何度も農務省へ土地の配分を要請し,整地の促進を。)申し入れた。そして,同年5月中旬ころ,土地の整地が完了し,この時ま- 59 -で土地の配分を受けていなかった7家族(6家族は他の移住地へ転住し,4家族は既に土地の配分を受けていた)に対し土地が配分されたが,そ。 の面積は80タレア程度に過ぎなかった。 イ両地区は,多くが急斜面で,石灰岩の岩石が多く,表土も浅かった。配分地を完全に利用することは困難で,利用可能面積は,多くても70%程度であった。ただし,地味が良いところもあった。 入植地に生えているコーヒー樹は,植えられてから長年の間放置されたもので,雑木,雑草の除去や,樹の間引きが必要で,手入れすることは容易でなかった。また,配分地の中でもコーヒー樹の多い所と少ない所の差が激しかった。 両地区は,地形の関係からコーヒー栽培を機械化することは困難で,人力に頼る在来農法で行う必要があり,人手を必要とした。 さらに,住宅地から農地まで距離があり,入植地内の道路の状態は非常に悪く坂も急であった。 両地区は,首都から遠く離れたハイチとの国境地帯にあり,道路状況も悪いため,交通の便が悪く,収穫物の輸送に困難を伴った。 (3)入植者の動向(集団帰国措置までの間に起きた特徴的な事項)アルタグラシア地区では,昭和36年4月26日の時点で,転住を希望 ,道路状況も悪いため,交通の便が悪く,収穫物の輸送に困難を伴った。 (3)入植者の動向(集団帰国措置までの間に起きた特徴的な事項)アルタグラシア地区では,昭和36年4月26日の時点で,転住を希望した移住者らのうち3家族が,現地大使館のあっせんによってドミニカ農務省の許諾を得て,バラオナ県カノアに転住した。また,8家族(本件訴訟の原告の関係で,家長亡85及びその家族並びに家長原告86及びその家族を含む)が,現地大使館がドミニカ農務省と交渉した結果,同年4月22日ま。 でに,サンチェス・ラミレス国営入植地に転住した。さらに,1家族が,現地大使館のあっせんの下にドミニカ農務省の許諾を得て,バニーに転住した。 その結果,アルタグラシア地区の移住者は22家族となった。 第5集団帰国及び南米転住に至る経緯- 60 -証拠(甲29,甲58,甲6の303,306,327,328,331,332の13,64,甲81,甲80,甲202,203,225,甲226,の1の1の3甲271,272,352,354,365ないし369,乙21,159,194ないし205,207,208,210,211,216ないし221,317)及び弁論の全趣旨によれば,ドミニカからの集団帰国及び南米転住に至る経緯について,次の事実を認めることができる。 ドミニカ移民の中止に至る経緯(1)トルヒーヨ元帥の暗殺ア昭和34年6月14日,在キューバのドミニカ人亡命者を主体とする反トルヒーヨ勢力が船舶と航空機でコンスタンサ等に侵入する事件が発生した。そして,同年11月には,ベネズエラ及びキューバが,ドミニカに寄港した船舶の両国への寄港を禁止する措置をとった。 イ昭和35年6月,トルヒーヨ政権に反対するベネズエラのベタンクール大統領の暗殺未遂事件が発生し 11月には,ベネズエラ及びキューバが,ドミニカに寄港した船舶の両国への寄港を禁止する措置をとった。 イ昭和35年6月,トルヒーヨ政権に反対するベネズエラのベタンクール大統領の暗殺未遂事件が発生し,同年8月20日,米州機構加盟20か国が,ドミニカに対する外交断絶及び経済封鎖を決定したため,ドミニカは孤立し,経済状勢が悪化した。 ウその後,トルヒーヨ元帥は,昭和36年5月30日,ディアス将軍他数人のグループによる襲撃を受けて暗殺された。 当時大統領であったホアキン・バラゲールは,トルヒーヨ2世(トルヒーヨ元帥の長男で,同元帥の死後,国軍最高司令官となった)の協力を。 得て,国内諸制度の民主化に努力し,米州諸国による集団制裁措置の解除を目指したが,民主化の諸措置に比例して反政府勢力が漸次増大し,ドミニカ国内各地で流血騒ぎが続発し,同国内は動揺が絶えなかった。 (2)ドミニカ側からの移民中止の申出このような状況の下で,ドミニカ外務省は,現地大使館に対し,昭和35年3月21日付け口上書(乙194)により,日本人の移住を所管するドミ- 61 -ニカ政府担当当局が「政府が現在全ての予算と高い優先度で農業計画を実,行中であることに鑑み,当面新たな農業移住者の受入については,延期することが望ましい「新たに日本人農業移住者用の入植地を新計画の中に取」,り込むことは不可能である」としていることを通報した。 そして,これ以降,ドミニカへの日本人の新たな移住は実施されなくなった。 集団帰国等の要望に対する対応(1)ネイバ地区移住者らによる集団帰国の陳情とそれへの対応アネイバ地区の移住者ら(ただし,これに賛同しない1家族を除く)の。 家長21人は,昭和36年3月20日,現地大使館を訪れ,大使に対し,集団帰国を陳情し,嘆願書を提出した。これに 情とそれへの対応アネイバ地区の移住者ら(ただし,これに賛同しない1家族を除く)の。 家長21人は,昭和36年3月20日,現地大使館を訪れ,大使に対し,集団帰国を陳情し,嘆願書を提出した。これに対し,大使は,様々な理由を挙げて集団帰国は望ましくなく,集団帰国運動は断念すべきである,現入植地が適当でないなら,より良い条件の地区への転住をドミニカ農務省と交渉し,現在地にとどまる者又は転住する者に対しては,営農上必要な融資について日本政府,移住振興会社側等とも協議するなどと説得し,慎重に行動するよう求めた。しかし,家長らは,ドミニカでは営農の意欲も自信も喪失した,これ以上ドミニカ側に迷惑をかけたくない,餓死するよりは帰国を希望するとして,残留の意思がないことを繰り返し述べた。 イ大使は,昭和36年3月21日,ドミニカの農務大臣と会談し,対応策について協議したところ,同農務大臣は,ドミニカ国内で最も肥沃なバオバ・デル・ピニャル地区への転住の措置を採ることが適切であると考える,事前に入植者らに現地を見てもらいたい旨述べた。大使は,ネイバ地区移住者に対し,この話を伝えたが,拒絶された。 また,大使らは,同年5月4日,バオバ・デル・ピニャル地区を実地見分したが,ネイバ地区の移住者の換地候補地とされた約3000タレアは,沼沢地である上,予定地の大半がいまだ原始林であり,急場の用には間に- 62 -合わないため,転住候補地として断念すべきであると結論付けた。 ウこうした状況の下で,外務省移住局振興課は,ネイバ地区のみならずドミニカ全移住者に対する根本的対策のための措置として,①各地区ごとの営農実態を調査し,移住振興会社の融資又はその他の援護措置を講じて移住者を定着させる,②帰国又は転住希望者に対しては極力残留するように説得に努めるとともに, 策のための措置として,①各地区ごとの営農実態を調査し,移住振興会社の融資又はその他の援護措置を講じて移住者を定着させる,②帰国又は転住希望者に対しては極力残留するように説得に努めるとともに,その意思を変更しない者に対しては必要な措置を考究の上帰国又は転住を行わせる,③残留者のうち営農及び生活状態の悪いものに対してはドミニカ政府と交渉の上代替地,住宅,生活補給金を受けられるよう努力するとともに,移住振興会社の融資が受けられるよう指導及び援助するという方針を採れるよう準備に入るとともに,同課の事務官を長期出張させ実情調査及び現地大使館との対策協議に当たらせることにした。 エ現地大使館の書記官及び事務官は,昭和36年5月8日及び9日,ネイバ地区に出張し,移住者らに対し,集団帰国が困難であることを知らしめ,可能ならば移住者らのドミニカ国内定着を勧めるとの方針の下に,説得に当たった。具体的には,①現住地で営農を希望する者には,必要な融資をあっせんする,②他の国営入植地に転住を希望する者には,適地を探し,生活補助金の支給をドミニカ農務省に要請するとともに,日本政府も移転費用を貸し付ける,③国営入植地を出て自立営農を希望する者には,土地の借入れ又は購入について融資を考慮し,転出費用及び一定期間の生活資金を貸付けの形式により融通することを考える,④ドミニカ国内定着を希望しない者には,ブラジル等への転住の相談に応じ,渡航費についても考慮する旨の方針を伝え,説得に当たった。しかし,ネイバ地区の移住者らは,募集要項と実際が相違している,携行資金を使い果たして現在の窮状に陥っている,ドミニカ政府のやり方には信頼がおけない,入植以来公館において転住が真剣に取り上げられなかったなどと繰り返し述べ,- 63 -上記のこうした動きに賛同しない を使い果たして現在の窮状に陥っている,ドミニカ政府のやり方には信頼がおけない,入植以来公館において転住が真剣に取り上げられなかったなどと繰り返し述べ,- 63 -上記のこうした動きに賛同しない1家族(同家族は,同月9日,上記バオバ・デル・ピニャル地区へ転住した)と北米在住の親戚による呼び寄せ。 手続を進めている1家族を除き,集団帰国を強く希望し,上記説得に応じなかった。移住者の中には,帰国して訴訟を起こし,政府及び関係機関関係者の政治的,行政的,個人的責任を徹底的に追及して損害賠償を求めて闘うと発言する者もいた。 (2)集団帰国等の要望に対する日本政府の対応ア外務省移住局企画課長は,昭和36年6月15日付けで「ドミニカ移,住者対策に関する件」として,ネイバ地区においては移住者22家族全部が「国の援助等を必要とする帰国者に関する領事官の職務等に関する法律(以下「国援法」という)による帰国を希望しており,ハラバコア」。 地区でも同様に集団行動に出るおそれがあるため,現状をこのまま放置し得ないとして,ドミニカ移住者で国外転住を希望する者に関して,渡航費の追加貸付け,営農資金の貸付け等緊急特別の措置を関係機関と協議の上実施することによりとりあえず50家族程度を南米諸国へ転住させる方向で対応することについて外務大臣に諮った。 外務省は,ドミニカへ出張した者から得られた情報を総合検討した結果,現状においては全体として100ないし150家族は過剰と判断し,同年6月ころ,次の対策を講ずることとした。 ①ドミニカに定着を希望する者に対しては,代替地の提供,耕地面積の増配,生活補助金の復活支給等につき,大使にドミニカ側の特別援助を更に要請させるとともに,移住振興会社の融資をあっせんし,海協連による営農指導も積極的に行わせる。 ②中南米転 地の提供,耕地面積の増配,生活補助金の復活支給等につき,大使にドミニカ側の特別援助を更に要請させるとともに,移住振興会社の融資をあっせんし,海協連による営農指導も積極的に行わせる。 ②中南米転住を希望する者に対しては,渡航費の貸付け,移住振興会社による融資等により転住希望の達成を援助する。 ③生活困窮者で帰国を希望する者に対しては,国援法により帰国旅費を- 64 -貸し付ける。 イ現地大使館は,昭和36年6月21日付けの公文で,ドミニカ農務省に対し,一部の日本人移住者の南米諸国への転住,送出ないし日本への送還につき了承を求めたところ,ドミニカ農務省から同年7月19日付けの公文で異議がない旨の回答を得た。 ウ外務大臣は,昭和36年8月18日付けで,大使に対し,南米転住措置について移住振興会社融資の線で大蔵省等と折衝しているものの,同省は素質の無い移住者は南米転住よりもむしろ日本へ帰すべきであると主張するため話がまとまっておらず,緊急に救済を要するネイバ地区及びドゥベルヘ地区の入植者に限定して,生活に困窮している者を国援法の適用により送還させることとしたいとして意見を求め,送還に賛成する場合には送還を要する家族数等を調査の上回答するように求めた。 これに対し,同大使は,同月20日付けで,上記措置はやむを得ないが,国援法による帰国をネイバ地区及びドゥベルヘ地区に限定することは,他の入植地,特にハラバコア地区において問題を先鋭化させるおそれがあるので,広くドミニカ移住者で真に生活に困窮し,緊急救済を要する者を対象とすることが相当である,そのような緊急救済を要すると認められる家族数は,ネイバ地区については全20家族100人,ハラバコア地区については16家族93人である旨を報告した。 エ外務省の移住局長は,昭和36年9月,ドミニカに赴 ような緊急救済を要すると認められる家族数は,ネイバ地区については全20家族100人,ハラバコア地区については16家族93人である旨を報告した。 エ外務省の移住局長は,昭和36年9月,ドミニカに赴き,ハラバコア,コンスタンサ,ネイバ,ドゥベルヘ,カノアの各地区を視察し,その際,日本政府で検討しているドミニカ移住対策について次のとおり説明した。 日本政府の基本的な対策は,どこまでもドミニカにとどまり営農を続けることを助成する方針である。定着する決意のある者に対しては,移住振興会社の融資の便宜,海協連を通じての日本政府の補助金による機械器具の貸与等のできる限りの援護措置を講じるとともに営農指導等も考慮する。 - 65 -特殊な例外的措置として,①ドミニカでの営農継続の見通しが全く立たない者及びドミニカ側が送還を要請してきた者等で,生活困難で自費帰国が不可能な者に対しては,国援法を適用し帰国措置を講じることとし,②他国転住については,受入国の事情や予算的な措置が未了であり決定的なことは言明できないが,営農意欲が十分あり,受入側の条件に合う者については交渉したいこと等を説明した。 海協連ドミニカ支部は,同支部発行のカリビアンニュースに,上記局長の説明を掲載し,同局長の発表を聞くことができなかった移住者にも周知させようとし,その後は以上の方針に基づいて指導することとした。 また,局長は,同月14日,ドミニカの農務大臣と会談し,日本人は,営農意欲旺盛であるが配分地が狭く日本において相当高い水準の生活を送ってきているのでドミニカにおける生活に必ずしも満足していないことを説明した。これに対し,同大臣は,日本人をドミニカ人以上に特別待遇することは困難である点は了承願いたいと述べた。また,同局長が,日本人移住者が場所によっては過剰入植なので,日本側とし ていないことを説明した。これに対し,同大臣は,日本人をドミニカ人以上に特別待遇することは困難である点は了承願いたいと述べた。また,同局長が,日本人移住者が場所によっては過剰入植なので,日本側として営農状態不良者を帰国させることを決定したため,その土地を営農意欲があるが土地が狭すぎる者に対して配分することを要請すると,同大臣は,日本人は配分地を他のドミニカ人に無断で売却している事例も多く,これらは十分調査して適正な処置を執るように努力したい,定着する日本人に対しては許される限りの援助を惜しまないと述べた。 オ昭和36年12月当時,ドミニカにおける日本人移住者約300家族(約1400人)中,約120家族(約600人)が国援法により帰国させざるを得ない見込みとなり,既に一部は,後記3(1)のとおり帰国中であった。この他に,約50家族(約250人)は南米の他の諸国(ブラジル,ボリビア,パラグアイ等)に転住を強く希望している状況であった。 そこで,内閣は,同年12月19日,ドミニカ移住者対策として緊急に- 66 -次の措置を講ずるとする閣議決定(乙210)をした。 (ア)ドミニカ移住者で,最近における特殊事情のためドミニカから日本に帰国する者の上陸後の援護については,昭和27年3月18日付け閣議決定「海外邦人の引揚に関する件(乙211)に準じた取扱いを」するものとする。 (イ)ドミニカ移住者で,ドミニカ以外の南米諸国に移住を希望する者については,できる限りその線に沿って適当の措置を講ずる。 移住者らの集団帰国の状況(1)昭和36年8月以降の集団帰国者の状況ア国援法適用による漁業移住者3家族(20人)及び自費帰国者3家族(5人)が昭和36年8月21日横浜着のあふりか丸で,また,漁業移住者2家族を含む国援法帰国者5家族(30人) 降の集団帰国者の状況ア国援法適用による漁業移住者3家族(20人)及び自費帰国者3家族(5人)が昭和36年8月21日横浜着のあふりか丸で,また,漁業移住者2家族を含む国援法帰国者5家族(30人)及び自費帰国者1家族(4人)が同年11月8日神戸着のあるぜんちな丸で日本に帰国した。 イそして,ネイバ地区の20家族100人は,国援法適用の帰国者として,昭和36年12月21日横浜着のさんとす丸で帰国した。 ウその後も,昭和37年1月21日横浜着のあふりか丸(31家族146人。自費帰国者2家族7人を除き国援法帰国者,昭和37年3月5日横)浜着のあるぜんちな丸(21家族99人。全員国援法帰国者,昭和37)年4月21日ころ横浜着のあめりか丸(49家族207人。全員国援法帰国者)まで,集団帰国措置が実施された。 エ以上の集団帰国措置を実施した結果,ドミニカ移住者のうち計133家族611人(うち国援法による帰国者は漁業移住者を含む127家族595人,自費帰国者は6家族16人)が日本に帰国した。 (2)原告らの集団帰国の状況アネイバ地区の,家長原告13及びその家族,家長原告14及びその家族,家長亡74及びその家族,家長亡72及びその家族並びに家長亡73及び- 67 -その家族は,昭和36年12月21日横浜着のさんとす丸で帰国した。 イ家長原告67及びその家族並びに原告77は,昭和37年1月21日横浜着のあふりか丸で帰国した。 ウ家長亡85及びその家族並びに家長原告86及びその家族は,昭和37年3月5日横浜着のあるぜんちな丸で帰国した。 エ家長原告81及びその家族,家長亡83及びその家族,家長亡84及びその家族,原告87並びに原告53は,昭和37年4月21日ころ横浜着のあめりか丸で帰国した。 オ家長亡80及びその家族並びに家長亡82及び 告81及びその家族,家長亡83及びその家族,家長亡84及びその家族,原告87並びに原告53は,昭和37年4月21日ころ横浜着のあめりか丸で帰国した。 オ家長亡80及びその家族並びに家長亡82及びその家族は,昭和37年ころ帰国した。 (3)その他上記(1)の他に,ドミニカへの入植開始以降昭和36年8月までの間の帰国者が14家族36人(強制送還者1人,国援法帰国者5家族17人,自費帰国者8家族18人)いた。したがって,ドミニカへの入植開始以降昭和37年4月21日までの間の帰国者の数は,合計で147家族647人(強制送還者1人,国援法帰国者132家族612人,自費帰国者14家族34人)に及んだ。 移住者らの南米転住の状況(1)南米転住措置の実施までの状況ア外務省は,ボリビア,パラグアイ及びブラジルに対して,ドミニカ移住者の受入れを打診し,ボリビア及びパラグアイについては昭和36年8月ころまでの間に,ブラジルについては同年11月に,いずれも原則的には受入可能であるとの回答を得た。 イ大臣は,昭和36年12月28日付けの公電により,大使に対し,次の内容の指示をした。南米転住の融資方針及び条件等については大蔵省と交渉中である。外務省としては,転住は,転住希望者自身が転住先国につい- 68 -て研究し,慎重かつ自主的に入植地を定め,所要資金の不足額について政府又は移住振興会社の融資又は補助を求めるという形で行うべきものと考える。そこで,海協連ドミニカ支部から転住希望者に対し転住先の入植地ごとの事情を参考として説明させるとともに,各人の希望に応じ受入国側の支部に連絡したり,県人会等の尽力を求めるなど,入植等について個別具体的に話し合いを進めさせるように求める。 ウドミニカから南米への転住を希望する者に対しては,海協連による渡航 望に応じ受入国側の支部に連絡したり,県人会等の尽力を求めるなど,入植等について個別具体的に話し合いを進めさせるように求める。 ウドミニカから南米への転住を希望する者に対しては,海協連による渡航費の貸付け及び移住振興会社による営農資金の貸付け(雇用農に対する最低30万円から自営農に対する最高60万円まで)等の措置が実施された。 (2)南米転住措置の実施ア昭和37年3月7日,移住者5家族がさんとす丸でサントドミンゴを出港し,そのうち4家族がパラグアイに,1家族がブラジルに転住した。そして,昭和38年3月8日にサントドミンゴを出港するさんとす丸によるものまで,合計6回にわたり転住措置が行われた。 その結果,合計70家族376人が南米に転住した。その内訳は,ブラジル52家族268人,アルゼンチン14家族85人,パラグアイ4家族23人である。 なお,これらの者の中で本件訴訟の原告となっている者はいない。 イ海協連ドミニカ支部は,上記過程で,日本人移住者に対し,昭和37年11月28日付けで,南米転住のための海協連取扱いによる渡航費貸付け及び移住振興会社の営農資金の貸付け(転住前貸金)等の特別措置が昭和38年3月出港予定のさんとす丸の乗船者をもって終了するので,手続の関係上昭和37年12月21日以降は,転住を希望しても海協連,移住振興会社から特別の援助措置は受けられないので,南米に転住するか否かについて十分検討して,決定してもらいたいとのお知らせを配布し,回覧させた。 - 69 - 集団帰国した移住者らのその後の状況(1)被告が行った支援の内容被告は,ドミニカから集団帰国した移住者らに対し,次の援護措置を講じた。 ア昭和36年度一般会計予備費から約7400万円を緊急支出し,国援法適用者として帰国旅費を貸付けの上,127家族595人 容被告は,ドミニカから集団帰国した移住者らに対し,次の援護措置を講じた。 ア昭和36年度一般会計予備費から約7400万円を緊急支出し,国援法適用者として帰国旅費を貸付けの上,127家族595人を集団帰国させた。 イ上記アとは別に,昭和36年度一般会計予備費から881万円を支出し,うち611万円を帰国者援護費として海協連に交付し,上陸港から帰郷地までの諸経費(宿泊費,通関費,携行荷物運賃,汽車賃,食費)及び見舞金(1人当たり大人1万円,小人5000円)として支給した。また,残りの270万円を昭和37年度に繰越しの上,帰国者関係府県の援護経費として,海協連を通じて各府県の地方海外協会に交付した。 ウ帰国者の生活再建を援護するため,上記2(2)オの昭和36年12月19日の閣議決定に基づいて,海外からの一般引揚者に準じた援護措置を執ることとされ,関係各省の協力の下に,海協連及び地方海外協会を窓口として,以下の援護措置が講じられた。 (ア)農林省は,国内開(干)拓地入植希望者に対し,優先的な入植のあっせんを行い,これに伴う拓植基金による営農資金の融資保証を行った。 (イ)建設省は,住宅確保に困っている帰国者に対し,昭和37年度建設省所管の都道府県・市町村営住宅約100戸分につき,優先的入居割当てを実施することとした。 (ウ)労働省は,就職希望者に対し,係官を帰国船内に派遣して就職相談に応じたり,管下の全国の職業安定所に通達の上,上陸港及び帰郷先において就職のあっせんを促進したり,更に各種技術の習得希望者に対- 70 -しては,雇用促進事業団所管の各種技術訓練所への優先的入所を許可したりした。 (エ)厚生省は,全国市町村民生委員に対し,生活困窮者については,生活保護法(医療,教育等の保護を含む)を適用して生活の安定を図。 らせ 業団所管の各種技術訓練所への優先的入所を許可したりした。 (エ)厚生省は,全国市町村民生委員に対し,生活困窮者については,生活保護法(医療,教育等の保護を含む)を適用して生活の安定を図。 らせるとともに,世帯厚生資金の融資についても十分考慮することとした。 (オ)大蔵省は,国民金融公庫からの生業資金の融資について,実情に即し担保条件の緩和,償還期限の延長等について好意的配慮を加えるよう国民金融公庫総裁に対し通達するとともに,融資の一層の円滑化を図るため,信用保証協会の保証引受けに関し,全国信用保証協会連合会長に対し好意的取扱いをするように通達した。 (2)集団帰国した移住者らの状況集団帰国した移住者らの昭和38年5月時点における状況は次のとおりであった。 ア住宅事情集団帰国した127家族の住宅の状況は,自宅入居29,公営住宅入居38,就職先の社宅・工場寮等への入居24,親戚同居・借家等入居33,南米再移住者となり住宅不要3であった。社宅や借家等入居者の中には,公営住宅入居申請手続中の者がいたが,公営住宅完成次第逐次入居可能の見通しであった。 イ就職状況集団帰国した127家族の就職の状況は,就職済み87,自家営業21,岡山県児島湾干拓地入植3,南米再移住3,職業訓練所入所7であり,未就職の家族は6であった。未就職の内訳は,高齢者2,長期病気療養者2,自己の意思により就職しない者2であった。病人,訓練所入所者,就職者中低所得者等に対しては生活保護を適用した。 - 71 -ウ生活保護等帰国直後は,集団帰国した127家族中,生活保護基準不該当又は適用辞退の46を除き,81が生活保護法(医療保護,教育保護)の適用を受けていた。その後の就職等により一定の所得に達した者に対する支給の打切り又は削減がされた結果,昭和38年5月時 護基準不該当又は適用辞退の46を除き,81が生活保護法(医療保護,教育保護)の適用を受けていた。その後の就職等により一定の所得に達した者に対する支給の打切り又は削減がされた結果,昭和38年5月時点でなお生活保護法の適用を受けていた家族は,病弱のため就労不能,職業訓練所入所,就労中低所得等を理由とする37であった。 エその他上記(1)ウ(ア)により3家族が岡山県児島湾干拓地へ入植した。また,上記(1)ウ(オ)により1家族が国民金融公庫から事業資金50万円の融資を受けた。さらに,3家族が渡航費の貸付けを受けて,南米へ再移住した。 第6ドミニカに残留した原告らの状況の1ないし3の3,の53,94,97ないし証拠(甲1,甲2,3,甲12甲2999,104,124,125,165ないし169,285,311,349,351,35,甲41,甲47,甲3,354,357,361,374,377の20の1,32の1180,甲192,甲195,甲216,217,224,34の1ないし5の19,355,356,甲357,甲358,甲359,甲360,の1の1の1の1甲361,甲362,甲375,乙21,176,223の1の1の1ないし20のないし242,244ないし250,254ないし259,263,乙264,乙265ないし268,270ないし274,276,277,3171,2ないし319,351,353,389,391,原告12,同17,同18,同20)によれば,ドミニカに残留した原告らの状況について,次の事実を認めることができる。 集団帰国措置開始後から南米転住措置が終了するまでの状況(1)現地大使館は,ドミニカ農務省に対し,昭和37年2月24日付けで,- 72 -次の内容の口 いて,次の事実を認めることができる。 集団帰国措置開始後から南米転住措置が終了するまでの状況(1)現地大使館は,ドミニカ農務省に対し,昭和37年2月24日付けで,- 72 -次の内容の口上書(甲29)を送付した。①日本政府が行う移住者の94の帰国措置の目的は,生活困窮を来しつつある日本人を保護すること,ドミニカに定住する日本人移住者の経済的基礎を確立し,日本人の移住当初においてドミニカ政府によって約束された土地を増配することの2つである。②ハラバコア地区については,限られた場所における日本人移住者の過剰入植によって異常な状態となっていた。移住者らは,以前からその経済生活を確立するために100タレアの土地の所有を要望していたが,実際にはその半ばを所有するに過ぎなかった。同地区には87家族が住んでいたが,そのうち58家族が帰国により土地を放棄することとなったため,引き続き定住する29家族が土地の増配を要望している。③日本人移住者の経済生活の基礎を確保するなどのために応急施策を講ぜられるよう要望する。 その結果,農務省は,同年4月ころ,ハラバコア地区に定着する20家族全員に対し25タレアの土地を増配した。 (2)また,現地大使館は,コンスタンサ地区のうちサビーナ地区(旧ハンガリー人入植地区)定着者9家族(うち1家族はハポネサ地区(日本人の入植地区)に関して,ドミニカ農務省に対し,昭和37年5月16日付け口)上書により,今後の営農基盤の確立のためにも,最小限20タレア程度の土地の増配は必要であるとして,同年6月に南米に転住する者の土地を同移住者に増配するように申し入れ,同年6月11日付け口上書により応諾を得た。 この措置が講じられた経緯は,次のとおりである。すなわち,もともとサビーナ地区の移住者に対する土地の配分面積が,2 土地を同移住者に増配するように申し入れ,同年6月11日付け口上書により応諾を得た。 この措置が講じられた経緯は,次のとおりである。すなわち,もともとサビーナ地区の移住者に対する土地の配分面積が,25タレア内外と著しく狭小であったため,現地大使館は,従来から何度もドミニカ農務省に対し増配するよう折衝していたが,これら移住者の入植当時の経緯(ドゥベルへ地区その他からの転入)及び余剰土地がないことから,土地の増配を実現することが非常に困難な状況にあった。しかも,ドミニカ側においても,旧地主に対する土地返還又は補償問題があり,かつまた,ドミニカ国民からも土地配- 73 -分について強い要請があった。こうした状況の下で,南米に転住する移住者の土地が空くこととなったため,ようやく実現したものである。 (3)ところで,農業入植地化に関する法律第1783号(甲12,乙の3318。以下「1948年法」という)9条及び16条は,土地の割当て。 から起算して国境地帯以外では10年後,国境地帯では8年後(なお,同法の訳文では「8年目」となっているが「8年後」の趣旨と理解される),。 に,入植者が契約条項,上記法及びその施行規則の規定を履行したときは,土地の所有権を取得する旨規定している。しかし,昭和37年12月に行われた総選挙でドミニカ革命党のボッシュが次期大統領に選出され,同党の発表した新憲法草案28条では外国人による土地所有を禁止していた。 そこで,現地大使館は,ドミニカ農務省に対し,昭和38年2月,同月27日に新政権に移行後も,日本人移住者の将来の地権取得に支障を来さないように事務引継ぎを十分行うように要望した。そして,日本政府とドミニカ政府との間の交換公文には将来の土地の取得に関する明文規定がないことから,将来に問題を残さないようにするため 取得に支障を来さないように事務引継ぎを十分行うように要望した。そして,日本政府とドミニカ政府との間の交換公文には将来の土地の取得に関する明文規定がないことから,将来に問題を残さないようにするために,農務大臣と公文を交換しておく必要があるとの判断の下に,大使は,農務大臣に対し,同月11日付けの公文をもって,国営入植地で営農を継続する日本人移住者に対し1948年法,特にその9条及び16条が適用されるものであることを再確認するよう求めた。これに対し,同大臣から,昭和38年2月21日付け公文をもって,①国営入植地に定着している日本人移住者は,1948年法の適用を受け,これが規定する利益を受けるものである,②したがって,同法9条及び16条により日本人移住者は法律規則の定める諸条項を遵守すれば規定の10年後,国境地帯においては8年後に,土地を所有する権利を取得する,③以上はドミニカに定住し営農を行うことに対する最大の保証である旨の回答を得た。 このようにして,国営入植地に定着している日本人移住者は,1948年- 74 -法の適用を受け,同法9条及び16条により法律規則の定める諸条項を遵守すれば10年後(国境地帯においては8年後)に土地を所有する権利を取得することが確認された。 南米転住措置が終了した当時の概況南米転住措置が終了した当時のドミニカに残留していた日本人移住者の概況をみると,昭和38年11月5日時点では,112家族533人に及んでいた。 その入植地別の数は,ダハボン地区に27家族146人,コンスタンサ地区に20家族87人,ハラバコア地区に15家族86人,ドゥベルヘ地区に2家族9人,アグアネグラ地区に7家族37人,アルタグラシア地区に1家族4人であり,残りの40家族164人は,国営入植地から転出し,バニー地区その他のドミニカ 地区に15家族86人,ドゥベルヘ地区に2家族9人,アグアネグラ地区に7家族37人,アルタグラシア地区に1家族4人であり,残りの40家族164人は,国営入植地から転出し,バニー地区その他のドミニカ国内17か所に転住するに至っていた。 なお,上記国営入植地のうち,原告らが当時残留していたのは,ダハボン,コンスタンサ及びハラバコアの3地区であったが,これらの入植地の概況は,次のとおりであった。 (1)ダハボン地区同地区では,水稲作中心の営農が行われていた。米価が安定している関係から,全般的には経済的に漸次安定に向かっていたが,水不足に悩まされることがあった。 同地区では,第1次の移住者には約85タレア,第4次の移住者には約80タレアの土地が配分されたのみで(前記第4の1(2)ア,それ以上の)配分は行われなかった。主要作物が水稲である関係から,まず水利問題を解決する必要があったが,ドミニカ政府の予算の事情からその実現が困難な状況にあった。現地大使館は,長年ドミニカ政府と土地の増配の交渉を続けてきたものの,新規に国有地を造成しての増配を実現させることについては,ほとんど絶望視していた。そして,同地区の移住者の大半の者も,土地の増配を受けることは困難であると判断し,ドミニカ人の耕地又は民有地を借地- 75 -して営農を拡張していた。 なお,同地区の移住者は,3つの派に分かれていた。 (2)コンスタンサ地区同地区では,野菜栽培を中心とする営農が行われており,生産実績も良好で,野菜の需要も年々増加し,価格も上昇してきていた。ただし,野菜の連作により年々地力が低下するという問題も生じていた。 同地区では,第1次及び第2次の移住者には約100タレアの土地が,また,第4次の移住者には約50タレアの土地が配分されていた。 (3)ハラバコア地区同地 年々地力が低下するという問題も生じていた。 同地区では,第1次及び第2次の移住者には約100タレアの土地が,また,第4次の移住者には約50タレアの土地が配分されていた。 (3)ハラバコア地区同地区では,蔬菜の栽培と水稲作が行われており,一連の措置によって過剰入植が解消され,営農も安定に向かっていた。 日本人移住者の減少によって同地区の水利問題はある程度解決されたが,もともと水の絶対量が少ない地区であるため,渇水期には水不足のおそれがあった。また,地力低下も問題になっていた。 同地区では,各移住者に約75タレアの土地が配分されていた。 なお,同地区の移住者らは,2つの派に分かれていた。 地権取得期間経過後の経緯(1)大使は,昭和39年7月8日,ドミニカの農務大臣を訪問し,ダハボン地区第1次の移住者の入植から同月29日で満8年を迎え,1948年法により移住者らが土地所有権を獲得することになっているので,日本人移住者らに同日地権を交付するように要請し,さらに,ダハボン地区第4次の移住者らに対しても,入植が半年遅れているが,第1次の者と一体となって営農してきたことから,同日に地権を交付するよう要請した。 これを受けて,同日,ダハボン地区の第1次の移住者ら23家族,第4次の移住者ら7家族に対し,仮地権証(CertificadodePropiedad 。TitulodePropiedad , CertificadodeDerechodePropiedad などとも呼ばれて- 76 -いた)が交付された。これは,ドミニカの政府機関である農務省又は農地。 庁(昭和37年4月27日公布の1962年法律第5879号により農地庁が創設された)が,入植者が入植した土地の所有者になるための法律上の。 条件を満たしたことを認め,交付する証書であ 省又は農地。 庁(昭和37年4月27日公布の1962年法律第5879号により農地庁が創設された)が,入植者が入植した土地の所有者になるための法律上の。 条件を満たしたことを認め,交付する証書であった。 しかし,この仮地権証は,売買について法律上制限されていた(1943年法律第473号により,ドミニカ政府による買上げ又は同政府による許可を得て第三者へ譲渡する場合のほかは譲渡できない)ため,移住者らはそ。 のことに不満を持ち,当初の移住条件である300タレアの配分が実現されていないとして不満を漏らす者もいた。これに対し,現地大使館は,交換公文では300タレアまでとの記載になっており,必ずしも300タレア配分するとはされておらず,また,実際に配分に適した国有地も余っていないので,300タレアの配分は到底困難であると考え,残留者に対しては,土地問題が要望に添えないからこそ,帰国・転住措置を講じ,南米とは比べものにならない恩典的な緊急融資,機械器具類貸与等を特別に取り計らった旨及び土地の増配については何ら方法もない旨を強調して説明した。 (2)現地大使館は,昭和41年10月2日をもって入植後満10年を迎えるコンスタンサ地区の入植者に対する地権の交付について,ドミニカ農地庁に対し,同年9月以降しばしば要請していたが,なかなか実現されなかった。 農地庁からその原因として説明されていたのは,主として,①入植地の一部に,トルヒーヨ元帥時代に半ば強制的に買い上げた民有地が含まれており,その元地主に対する補償問題が解決していないものがあったり,国有地として確定していない土地がある,②入植後10年を経過したとして申請している13件中,直接コンスタンサ地区に入植した者は4件のみであり,その余は他の地域からの転入者であったり,同伴家族からの分離独立者であっ していない土地がある,②入植後10年を経過したとして申請している13件中,直接コンスタンサ地区に入植した者は4件のみであり,その余は他の地域からの転入者であったり,同伴家族からの分離独立者であったりしているというものであった。 また,現地大使館は,昭和43年1月24日をもって入植後満10年を迎- 77 -えるハラバコア地区の入植者に対する地権の交付についても,上記と同じく,農地庁に対し,しばしば要請を重ねていたが,なかなか実現されなかった。 農地庁からその原因として説明されていたのは,主として,これより前に申請されているコンスタンサ地区関係の実施が優先するというものであった。 このような過程で,昭和45年4月12日,コンスタンサ地区のドミニカ人を主体とする入植者138人に対し地権が交付され,その際,原告17に対し7.51タレア,亡68に対し7.47タレアの区画確定前本地権証書(CartaConstanciaAnotadaenelCertificadodeTitulo)が交付されるということもあったが,現地大使館は,この件について,同年5月16日の大統領選挙を目的にした政治的配慮がうかがわれる旨分析していた。ここで交付された区画確定前本地権証書とは,同じ区画の土地に複数の所有者がおり,境界の画定がされていない場合に,登記官によりそれぞれの所有者に交付される権利証である。境界の確定がされると,区画確定後本地権証書(CertificadodeTitulo。TitulodePropiedadconDeslindeも同義)が交付される。 そして,その後も,他の日本人移住者に対しての地権交付が進まなかったため,大使は,同年8月19日,ドミニカの外務大臣に地権問題の早期解決を要請したところ,同大臣は好意的協力を約束した。ま される。 そして,その後も,他の日本人移住者に対しての地権交付が進まなかったため,大使は,同年8月19日,ドミニカの外務大臣に地権問題の早期解決を要請したところ,同大臣は好意的協力を約束した。また,大使は,同年11月30日,大統領府官房長官に地権の早期交付を申し入れたところ,同長官は懸案の地権交付について速やかに解決するよう努力したいと述べた。 昭和46年に入り,日本人移住者らは,コンスタンサ地区及びハラバコア地区の地権問題の早期解決について現地大使館に陳情を行い,大使が,同年4月22日,移住者代表と大統領府官房長官との地権問題に関する会談をあっせんしたこともあった。そして,ドミニカ日本人会連合会会長,コンスタンサ地区日本人会会長及びハラバコア地区日本人会会長は,同年5月12日付けで,大統領に対し,コンスタンサ地区及びハラバコア地区の移住者に対- 78 -しいまだ地権が交付されていないとして,地権証書の交付を要請する旨のコンスタンサ地区及びハラバコア地区の移住者全員の署名のある陳情書を提出した。 こうした動きの中で,同年7月,大使は,大統領と面会し,日本からドミニカへの農機具の贈与を申し出るとともに,地権問題の解決につきなお一層の努力を要請した。これに対し,同大統領は,ドミニカの法律に基づき農地改革の一環として,日本及びスペインの移住者の分も含め小農地の地権譲渡を進めている,それが極めて遅延している状況にあるが善処したい旨述べた。 農地庁は,同年10月1日,現地大使館に対し,コンスタンサ地区の日本人移住者のうちの8人が占有する土地の一部について,地権に係る契約書を送付してきた。この契約書は,農地庁と日本人移住者との契約として,農地庁から日本人移住者に対し占有する土地を無償かつ免税で譲渡し,その土地の本地権証書(Certificad いて,地権に係る契約書を送付してきた。この契約書は,農地庁と日本人移住者との契約として,農地庁から日本人移住者に対し占有する土地を無償かつ免税で譲渡し,その土地の本地権証書(CertificadodeTitulo)が登記官から発行されるという内容であった。そこで,現地大使館員が,同月2日及び3日のコンスタンサ入植満15周年記念祭の際に,上記契約書について移住者らに説明したところ,移住者らは,今回のものは国有地のみの一部交付であり,残る民有地についてあと何年経ったら交付されるか疑問であるとして,あくまでも一括交付でなければ受け入れないと主張した。これに対し,大使館員が拒否した場合の民有地の解決,ハラバコア地区の地権問題等への悪影響のおそれ等を挙げて種々説得し,最終的には,該当者全員が上記契約書に署名した。その結果,該当する土地の区画確定前本地権証書が交付された移住者もいた。 (3)ダハボン地区では上記(1)のとおり移住者らに仮地権証が交付されたが,その後本地権証書は交付されなかった。また,コンスタンサ地区及びハラバコア地区でも,上記(2)のとおり一部の移住者に区画確定前本地権証書が交付されたのみで,他は仮地権証あるいは政府の耕作承認を受けているだけという状態で,地権の交付がなかなか進展しなかった。そして,現地- 79 -大使館及び国際協力事業団の現地支部は,ドミニカ政府に対し本地権証書の交付を要請し続けたが,これらの3地区の地権発給問題は,昭和56年1月の段階に至っても,何ら進展せず,本地権証書が発給されていない状態であった。現地大使館は,その最大の原因は,国営入植地を設定した当初に接収した民有地の旧地主に対する補償がいまだ行われていないこと,そして,その補償には多額の予算が必要となるがドミニカ政府自身が財政難にあるため実施 館は,その最大の原因は,国営入植地を設定した当初に接収した民有地の旧地主に対する補償がいまだ行われていないこと,そして,その補償には多額の予算が必要となるがドミニカ政府自身が財政難にあるため実施できていないことにあると分析していた。 大使及び国際協力事業団の現地支部長は,昭和55年12月7日,上記3地区の地権交付の対象者全員に対し,面積,現状の問題点,地権交付申請の意思確認などの調査を行った。同大使は,この調査を基礎にして作成した資料やそのほかの関係資料を整えた上で,ドミニカ政府に対し,日本人移住者に対する本地権の交付を要請した。 これを受けて,ドミニカ農地庁は,本地権を交付することを目的として,ダハボン地区の日本人移住者が占有する耕作地について実態調査を行い,昭和57年3月29日付けで実態調査報告書を作成した。同報告書では,ダハボン地区の日本人移住者のほぼ全員が,入植時に提供された土地以外に,第三者(主に入植地を離れた日本人移住者)から農地庁の許可を受けないで仮地権証を譲り受けて耕作している不法な土地を保有している旨指摘された。 農地庁は,現地大使館に対し,これらの不法な土地を一方的に取り上げることはしたくないとして,直接当事者から話を聞き,正当な土地として一括して穏便に解決したいと考えいているが,ドミニカが土地なし農民を定着させる農業改革を行っている現状においては日本人移住者のみに早急に地権を交付することは難しいため,ダハボン地区の農民全員を対象に地権交付を進める予定である旨説明した。 このような状況の下で,同年10月28日,大使が新任の農地庁長官と会談した際に,同長官から,地権が問題となっている入植地が,外国人が入植- 80 -している所を含めて約40か所に及んでおり,それぞれに難しい問題を含んでいる,日本人のみを切り離して優 地庁長官と会談した際に,同長官から,地権が問題となっている入植地が,外国人が入植- 80 -している所を含めて約40か所に及んでおり,それぞれに難しい問題を含んでいる,日本人のみを切り離して優先的に解決することは難しいが,体制を整えて事務の進捗を図ることにした旨の説明がされた。そして,農地庁内にそのための委員会が設置され,同委員会の委員長らは,同年11月にはダハボン地区,12月にはコンスタンサ地区及びハラバコア地区に出張し,日本人移住地の耕作現場を視察し,日本人移住者と懇談した。 現地大使館員が,昭和58年4月14日,ドミニカの地権委員長とダハボン地区移住者の地権問題について協議したところ,同委員長が各移住者について問題のある土地(農地庁の許可を受けないで第三者より譲り受けた土地)と問題のない土地を明らかにした。そこで,現地大使館員は,移住者は両国の取決めによる最大限300タレアの土地譲渡が念頭にあり,少なくとも現在耕作している土地の地権取得を希望しているため,問題のある土地についても本地権を与えて欲しい旨要望し,同委員長から再度検討する旨の回答を得た。そして,同委員会が,同年5月ダハボン地区の現地調査を再度行ったところ,従前把握されていなかった日本人移住者関係の土地が判明したため,更に各移住者の土地を調査,測量することとなり,地権交付まで更に時間を要することとなった。そして,農地庁職員は,同年12月22日,国際協力事業団の現地支部長に対し,農地庁内部で決定したダハボン地区の日本人移住者に対する地権交付面積とドミニカ政府に返還する土地面積に関する一覧表を交付し,今後この表に記載した面積を基本として農地庁担当者が個々の移住者と交渉する旨伝えた。その後の交渉で,移住者の中には土地の一部をドミニカ政府に返還させられた者もいた。 他方, に関する一覧表を交付し,今後この表に記載した面積を基本として農地庁担当者が個々の移住者と交渉する旨伝えた。その後の交渉で,移住者の中には土地の一部をドミニカ政府に返還させられた者もいた。 他方,ハラバコア地区及びコンスタンサ地区に関しては,同年6月ころ,旧地主であると主張する者が5人現れており,農地庁はこの点について調査していた。このことについて,大使は,農地庁に対し,解決が著しく遅れる場合には,問題のない土地のみ切り離して地権を先に与えて欲しいという移- 81 -住者側の強い希望を伝えた。 昭和59年2月14日,農地庁において,農地庁長官から代表者に対しハラバコア地区及びコンスタンサ地区の日本人移住者に関する本地権証書(区画確定前本地権証書)が交付された。現地大使館は,これによって,ハラバコア地区については地権問題のほとんどが,また,コンスタンサ地区についてはその一部が解決されたものと考えた。そして,同年5月には,コンスタンサ地区の一部の移住者らの地権未取得の土地についても,農地庁から本地権証書(区画確定前本地権証書)が交付された。 大使は,同年10月30日,ドミニカの外務大臣,大統領府技術大臣,大統領府大臣,農務大臣及び農地庁長官に対し,日本人移住者の地権問題,特にダハボン地区について早急な解決を要請する旨の書簡(乙234)を送付した。この書簡に添付した報告書では,①ダハボン地区は現在1人も本地権を取得しておらず,旧地主に対する賠償金が一部未払いの土地もあることを,また,②コンスタンサ地区及びハラバコア地区については,本地権を取得できていない者とその面積を掲げ,旧地主に対する補償が終了していないこと等を指摘した。 そうしたところ,同年11月9日,農地庁において,農地庁次官からダハボン地区の8人の日本人移住者に対し,本地権証 できていない者とその面積を掲げ,旧地主に対する補償が終了していないこと等を指摘した。 そうしたところ,同年11月9日,農地庁において,農地庁次官からダハボン地区の8人の日本人移住者に対し,本地権証書(区画確定前本地権証書)が交付された。また,昭和60年6月26日には,大統領からダハボン地区の移住者12人に対し本地権証書(区画確定前本地権証書)が交付された。 さらに,大使は,同年12月23日,大統領に対し日本人移住者の本地権証書が未発給の土地についての早急な解決を求め,同月27日には技術大臣に対し同様の要請をした。これに対し,同大臣は,旧地主への補償金支払の財源を確保することが問題点となっており,窮余の策として,日本政府からドミニカに供与する食糧増産のための無償援助に基づく現地通貨積立ての一- 82 -部を補償財源として捻出することができれば旧地主との話し合いをまとめることが可能である旨述べ,大使はその方針を支持し,その方向で解決を進めることにした。その結果,日本人移住者の地権問題解決のため,ドミニカ政府から旧地主に対して補償金が支給されることが決定され,ハラバコア地区の日本人移住者3人に対し,昭和62年2月17日,本地権証書(区画確定前本地権証書)が交付された。現地大使館は,これでハラバコア地区の日本人移住者に対する地権問題はすべて解決したと考えた。 本件訴訟の提起に至る経緯(1)日本人移住者らが入った各地の入植地においては,入植者の親睦,互助等を目的として自治組織が設けられていたが,ドミニカにおける移住者全体のための組織の必要性が認識されるに至り,昭和43年ころ,ドミニカ日本人会連合会が結成された。同連合会は,昭和46年ころから土地問題に取り組み始め,ドミニカ政府との間で「300タレアの土地の無償譲渡」に,ついて交渉を 認識されるに至り,昭和43年ころ,ドミニカ日本人会連合会が結成された。同連合会は,昭和46年ころから土地問題に取り組み始め,ドミニカ政府との間で「300タレアの土地の無償譲渡」に,ついて交渉を重ねた。その過程で,昭和31年5月12日付けでM農務大臣が公使にあてた書簡には「300タレアまで」と記載されていたに過ぎないことが明らかとなったことから,同連合会は,遅くとも昭和49年4月ころまでの間に,日本政府が,こうした事実を隠して次々と移民を募集し,ドミニカへ送り込んだのであり,これは明らかに日本政府の責任であって,ドミニカ政府に解決を求めるべき問題ではないとの見解に達し,同月,海外移住事業団に対し,配分不足分の土地の購入資金の特別融資を要求したり,その後,現地大使館等の日本の関係機関に対し,土地問題の解決を要請したが,芳しい結果を得ることができなかった。 そこでは,地権問題の解決が大きな課題になっていたが,それにとどまらず,当初示されていた移住条件を実現することこそが移住者の置かれている状況を解決する途であるとして,次第に,その問題(基本問題」と称し「た)の解決を求めるべきであるとの考え方が強くなった。そして,ドミニ。 - 83 -カ日本人会連合会会長に昭和57年4月に就任したBは,日本政府が募集要項で約束した100ないし300タレアの土地が取得できないのは日本政府の責任であり,補償を要求すべきであるとの問題意識の下に,同連合会内に移住基本問題解決対策特別委員会を設置することを同連合会の役員会に諮ったが,役員多数の反対により否決された。Bは,自ら移住基本問題解決促進同盟を結成して委員長に就任し,Bらは,同同盟を同連合会の一部門にすることを提案したが,同連合会の臨時総会で否決された。 そこで,Bとその同調者41人は,同連合会を脱退し は,自ら移住基本問題解決促進同盟を結成して委員長に就任し,Bらは,同同盟を同連合会の一部門にすることを提案したが,同連合会の臨時総会で否決された。 そこで,Bとその同調者41人は,同連合会を脱退し,同年10月,基本問題の追及及び地権問題に取り組むことを標榜して,サントドミンゴ日本人会連合会(会長はB)を結成した。その結果,ドミニカ日本人会連合会は,ドミニカ日系人協会とサントドミンゴ日本人会連合会(昭和62年に「ドミニカ日本人会連合会」に名称を変更)とに分裂した。 そして,前者のドミニカ日系人協会は「地権委員会」を設置して,地権,獲得のための陳情等を行った。他方,後者のサントドミンゴ日本人会連合会は,組織内に「ドミニカ移住基本問題解決促進委員会」を設置して「基本,問題」の解決に向けて,国会や外務省等に請願,陳情するなどの運動を展開し,同年5月,東京弁護士会に人権救済の申立てをした(後に,日本弁護士連合会が取り扱うこととされた。 。)そして,昭和63年6月,上記両者は,大同団結して基本問題の解決のために運動を展開していくことを合意して合併し,名称を「ドミニカ日本人会連合会」とした(なお,平成3年9月に「ドミニカ日系人協会」と改称した。 。)(2)外務省のT領事移住政策課企画官を団長とする調査団(外務省から3人,農林省から1人,国際協力事業団から2人の全6人で構成)は,平成5年4月1日から16日までドミニカに滞在し調査を行った。その目的は,日本人移住者の援助の要望とその背景等を総合的に調査し,移住者の経済的,- 84 -社会生活的な実態に即した効果的かつ適正・体系的な援助業務を実施するために,従来の業務の見直しを図ることにあり,同様の調査が,南米4か国について毎年1国ずつ実施されていたものである。 同調査団は,ダハボン,コン 実態に即した効果的かつ適正・体系的な援助業務を実施するために,従来の業務の見直しを図ることにあり,同様の調査が,南米4か国について毎年1国ずつ実施されていたものである。 同調査団は,ダハボン,コンスタンサ及びハラバコア地区を調査し,ドミニカ各地に散在する161戸のうち131戸を戸別訪問し,生活状況,要望事項等に関し調査を実施した。さらに,ドミニカ日系人協会と2度にわたって意見交換を行い,また,ドミニカ政府の関係機関とも,農地をめぐる諸問題や経済協力の具体的施策等につき協議を行った。 同調査団とドミニカ日系人協会との第1回目の協議においては,同協会の複数の理事が基本問題の解決が先決であり,これなくしては国際協力事業団の移住援護に関し何ら要望はないと強硬な態度を示した。戸別調査でも,ほとんどの移住者が基本問題の解決を要望し,募集要項記載どおりの土地の配分及び所有権の取得を求めた。また,第2回目の協議において,同協会会長から「基本問題解決に対する要望書」が提出された。その内容は,日本政府及び国際協力事業団の責任の下,募集要項どおりの完全な土地所有権を与えること(アグアネグラ地区,アルタグラシア地区及びドゥベルヘ地区の入植者については営農可能な農地を代わりに配分すること,ダハボン地区,。)ハラバコア地区及びコンスタンサ地区について灌漑設備を充実させ,傾斜地は農耕可能な土地として配分すること,分野を問わず新規事業を行う者に対する融資及び困窮家族に対する融資を行うことなどを要望するものであった。 同調査団は,その調査報告書(乙391)において,ドミニカの状況からみてドミニカ政府から新たに国有地の配分を受ける可能性はほとんどなく,日本政府も移住融資を現在に至るまで実施してきているため新たに農地を購入して配分することは困難である,また,移住者らの の状況からみてドミニカ政府から新たに国有地の配分を受ける可能性はほとんどなく,日本政府も移住融資を現在に至るまで実施してきているため新たに農地を購入して配分することは困難である,また,移住者らの「基本問題」の解決に関する要望には受入れ困難なものが多いが,移住者ら及び日系社会の発展向上に資する案件があれば,移住事業のみならず,経済協力事業等の他の事業- 85 -をも活用した幅広い援護を前向きに検討していくことが必要であると結論付けた。 (3)日本弁護士連合会は,上記(1)の人権救済申立ての調査の結果,平成6年3月24日付けで,日本政府及び国際協力事業団に対し,①日本政府の移民募集要項に示された土地に関する条件と,現実にドミニカで与えられた条件の差異について,それを解消すべく外交努力をすること,②上記差異のために現在までに生じた申立人らの財産的損害及び長期にわたる精神的苦痛を塡補する賠償処置を執ること,③新たな資金を融資するなど,申立人らがドミニカにおいて自立するに必要な施策を執ることを求める要望書(甲1)を提出した。 の1ないし3(4)ドミニカ日系人協会は,平成8年3月,現地大使館に対し,同協会の方針として,基本問題解決に関する最重要問題は国際協力事業団移住融資の特別措置であるとして,融資枠の拡大,金利の引下げ等を請願した。さらに,同協会は,同年9月,重ねて上記請願に対する回答を求め,同年12月にも,「基本問題”を早期に解決するために,本協会及び会員は日本政府との対“話交渉による和解を強く望んでおり,この解決策として最重要で且つ最優先はJICAの融資である」とし「移住者及びその子弟の生活安定化,並び,に自立化を図り,さらに日系社会の発展を目指すためには,今,JICAの移住融資を必要として」いるとして,融資貸付枠の 且つ最優先はJICAの融資である」とし「移住者及びその子弟の生活安定化,並び,に自立化を図り,さらに日系社会の発展を目指すためには,今,JICAの移住融資を必要として」いるとして,融資貸付枠の拡大,金利の低減,貸付審査の緩和等を嘆願した。 このような移住者らの要望を受け,被告は,平成9年6月,移住融資の一時的利率引下げ措置を決定し,国際協力事業団は,農林水産業及び小工業分野を対象とする移住融資について,同年7月1日から3年間,従来の4%から2%への利下げ措置を実施することとした。ドミニカ日系人協会及びドミニカ日本人会(平成8年10月に法人格を取得した団体)は,現地大使館に対し,この利下げ措置に感謝する旨の書簡を送付した。 - 86 -(5)平成9年10月,ドミニカに残留した日本人移住者14人が来日し,外務政務次官に対し,募集要項に記載された土地の供与等を実現してほしい旨を要望した。 (6)現地大使館の大使は,平成9年11月18日,ドミニカ農地庁の長官と会談して,日本政府としてはドミニカ移住の問題について翌年の大統領訪日の機会に最終的に決着を付けたいと考えているとして,以下の考えを伝えた。すなわち,日本人移住者の日本政府への訴えの中で最も重要なものは入植時において約束どおり土地の配分がなかった点である。日本政府としてはドミニカ政府と協議して無償譲渡を実現したい。移住者は耕作可能な中流程度の土地でかつ現在の居住地に近い土地の給付を希望しているが,そのような土地があればドミニカ政府が購入して移住者に譲渡して欲しい。日本政府は,その土地の購入経費をドミニカ政府に直接支払うことはできないが,無償資金協力を活用することなども考えている旨を伝えた。これに対し,同長官は「ドミニカ政府としては日本人移住者に対し一定の土地を無償で譲渡,する 入経費をドミニカ政府に直接支払うことはできないが,無償資金協力を活用することなども考えている旨を伝えた。これに対し,同長官は「ドミニカ政府としては日本人移住者に対し一定の土地を無償で譲渡,する用意がある「我々は移住者に対して入植当時の約束を完全に履行す」,べき立場にあり,その意味でドミニカ政府は移住者に対して『債務(DEUD』A)がある。今後は守れなかった約束を40数年経たとはいえ履行に向け鋭意努めていきたい「農地庁所有の土地の譲渡あるいは民有地の買上げに。」,よる方法によってしたい」との意向を示した。 。 そして,平成10年7月5日,農地庁長官は,日本人移住者に対する説明会において,以下の発表をした。すなわち,入植時における日本人移住者への未給付分の土地と同じ面積の土地を砂糖公社が農地庁に譲り,農地庁がその土地を日本人移住者へ無償譲渡することを決定した。これにより40年余りにわたる問題が解決されることになる。土地は,サントドミンゴ首都圏のラ・ルイサ所在の土地で,大きな経済的価値がある。当初,移住者に渡されるのは仮の地権証であるが,6か月以内に必ず区画確定後本地権証書を渡す- 87 -ことを約束する。また測量等の必要経費はすべて農地庁が負担する。 これを受けて,現地大使館は,移住者代表に対し,同月7日,ドミニカ政府が行うことにした土地の無償譲渡の措置の概要について,次の内容の文書を配布して,説明した。譲渡の対象者は,ドミニカに移住し昭和36年以降も残留した移住者のうち,入植当初家長であった者又はその後継者72世帯である。譲渡の対象となる土地は,サントドミンゴから約35㎞(車で約40分)の距離にあるラ・ルイサ地域にあり,砂糖公社の所有地を農地庁に移管の上,移住者に対し配布されるものである。配布される土地の面積は,各移住地 象となる土地は,サントドミンゴから約35㎞(車で約40分)の距離にあるラ・ルイサ地域にあり,砂糖公社の所有地を農地庁に移管の上,移住者に対し配布されるものである。配布される土地の面積は,各移住地ごとに,入植当初期待し得た最大面積と,実際に移住者に給付された面積の平均値との差の予定である。このほか,地権の取得手続等についても説明がされ,区画確定後本地権証書を取得後は当該土地を売却しても差し支えない旨も説明された。 そして,ドミニカ外務省は,平成11年4月30日付けで,現地大使館に対し,ドミニカ政府は,昭和36年当時からドミニカに居住している日本人移住者72世帯(漁業入植者2世帯を含む)に対し,募集要項から期待さ。 れた土地が供与されなかったことを踏まえ,サントドミンゴ首都圏ラ・ルイサ地区に所在する総面積1万2618タレアの土地を無償で供与する措置を採る用意があるとして,その具体的な手順等を示した口上書(乙270)を送付した。これに対し,現地大使館は,同外務省に対し,上記口上書を受領したことを確認する旨の同日付け口上書(乙271)を送付した。 しかしながら,原告らを含む相当数の移住者らは,ラ・ルイサの土地の受取を拒否する方針を固めた。これに対し,現地大使館からラ・ルイサの土地を受け取るようにとの再三の要請があったため,原告らが所属するドミニカ日系人協会及びドミニカ日本人会は,ラ・ルイサの土地を受け取るための和解案として,同年11月17日付けで,外務政務次官に対し,日本人移住者の緊急要請事項として,①高齢者問題に関し,日本で出生し移住した者で- 88 -55歳に達したもの全員に対し「保護謝金」として月額5万円を原則とし,て終身支給すること,②医療費の補助,③ラ・ルイサの土地に関し,インフラの整備,地域との共存のための実効的な施策 88 -55歳に達したもの全員に対し「保護謝金」として月額5万円を原則とし,て終身支給すること,②医療費の補助,③ラ・ルイサの土地に関し,インフラの整備,地域との共存のための実効的な施策,事業団融資の拡大等を要望したが,これに対して現地大使館からの回答はなかった。 その後,農地庁は,平成12年2月10日,ラ・ルイサの土地の仮の地権証を,受領の意思を表明した22家族に対し交付した。もっとも,その後,確定測量実施後,配分土地の位置・面積に変更が生じたため,改めて仮の地権証が再交付されることとなり,同年2月以降に受領を表明した4家族と合わせて26家族に対し,同年8月8日,仮の地権証が交付された。 平成13年2月12日には,上記26家族に対し,本地権証書(区画確定前本地権証書)が交付された。その際,農地庁事務次官から,これまで日本政府が農地庁へ農業機材の供与等ドミニカの農地改革に多大な貢献を行ってきた旨が述べられ,今後ラ・ルイサ地区における農道整備,上水施設工事,地域住民のための学校校舎・コミュニティセンター・野球場建設等が日本との協力により推進されることなどが紹介された。そして,平成15年10月の時点では,上記26家族のうち,18家族については配分地全体の区画確定後本地権証書の作成が完了し,残り8家族については,計測の手違いのため一部境界画定作業が終了していないところがあるがそれ以外の部分は区画確定後本地権証書の作成が完了していた。 他方,ラ・ルイサの土地の受取を拒否した者らのうち第1事件の原告らは,平成12年7月18日,また,第2事件の原告らは,平成13年7月4日,本件訴訟をそれぞれ提起した。さらに,集団帰国措置によって帰国した第3事件の原告らも,同年8月6日,本件訴訟を提起した。 外務省,移住振興会社,海外移住事業団及び国際 告らは,平成13年7月4日,本件訴訟をそれぞれ提起した。さらに,集団帰国措置によって帰国した第3事件の原告らも,同年8月6日,本件訴訟を提起した。 外務省,移住振興会社,海外移住事業団及び国際協力事業団による支援内容(1)移住振興会社,海外移住事業団及び国際協力事業団による融資移住振興会社,海外移住事業団及び国際協力事業団による昭和31年から- 89 -平成11年までの間のドミニカ向けの融資額は合計22億2166万9233円で,平成11年度末における貸付金残高は11億7836万9876円であった。 これを具体的にみると,次のとおりである。 ドミニカの日本人移住者に対する貸付額は,昭和36年度は合計で約3100万円となり,その後も各年度500万円以上の貸付けがされた。 昭和40年には約1900万円の貸付けがされた。これは,同年4月25日,サントドミンゴで勃発した内戦により,コンスタンサ地区及びハラバコア地区がほとんど全滅に近い被害を受けた(被害額は,それぞれ3万ドル,10万ドル以上に及ぶといわれた)ため,外務省が,海外移住事業団及び。 大蔵省と折衝し,取り付けた緊急融資によるものである。 そして,その後も貸付額は漸次増加し,昭和54年には1億円を超えた。 その後しばらくの間は貸付額が減少したものの,再び増加し,昭和63年には1億円を超えた。平成5,6,8年には1億円前後の貸付けがされ,平成9年から平成11年には2億円前後の貸付けがされた。 (2)国際協力事業団による支援(海外移住事業団によるものも含む)。 国際協力事業団は,ダハボン地区に関し,昭和48年に深井戸の建設の全額を,また,平成4年に公民館建設費用の3分の2を助成した。コンスタンサ地区に関しては,昭和56年に公民館建設費用の3分の2を助成した。ハラバコア地区に関しては,昭 し,昭和48年に深井戸の建設の全額を,また,平成4年に公民館建設費用の3分の2を助成した。コンスタンサ地区に関しては,昭和56年に公民館建設費用の3分の2を助成した。ハラバコア地区に関しては,昭和50年に籾共同乾燥場の建設費用の2分の1を助成した。 また,国際協力事業団は,上記3地区において,移住者子弟及び中堅移住者の日本での技術研修等の人材育成事業,営農普及・指導等の農業分野の支援事業,生活改善普及・指導等の生活環境整備事業,移住者子弟の育英・日本語教師育成等の教育環境整備事業等の支援を行った。 (3)外務省による困窮移住者等の支援- 90 -外務省は,ドミニカにおいて,平成7年から,在外邦人保護謝金の支給を開始し,これによって困窮移住者等の支援を実施しており,平成7年から平成12年度末までの支給実績は,延べ人数265人に対し総額約1623万円であった。 第2章国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求について原告らは,債務不履行又は国家賠償法1条1項に基づいて本件損害賠償請求をしているが,この両者は選択的併合の関係にある。そこで,当裁判所は,まず,後者の請求権の存否について判断する。 第1被告によるドミニカ移住政策遂行の概要原告らは,本件で問題となる違法行為は,ある特定の公務員の行為や処分ではなく,外務省を中心とし農林省との共同によって「国策として行われたドミニカ移住事業」に関する企画,立案及び実施という一連の過程の中に登場した多数の公務員の行為ないし処分の総体そのものであり,本件における国家賠償法1条1項の「公権力の行使に当る公務員」とは外務大臣及び農林大臣を指すものと解すべきである旨主張する。 そこで,まず,被告によるドミニカ移住政策遂行の概要について検討する。 被告の移住政策(1)被告の移住政策第1章で認定した 員」とは外務大臣及び農林大臣を指すものと解すべきである旨主張する。 そこで,まず,被告によるドミニカ移住政策遂行の概要について検討する。 被告の移住政策(1)被告の移住政策第1章で認定した基礎的事実関係によれば,次のことが明らかである。 ア外務省は,昭和28年9月,欧米局に移民課を設置するとともに,外務大臣の諮問機関である海外移住懇談会を設置し,同年10月には,同懇談会に対する諮問の結果,海協連を設立し,これに移住事務を一元的に行わせるべき旨の答申を得た。海協連は,昭和29年1月5日,外務大臣により財団法人として設立が許可された。 そして,内閣は,同年7月20日「海外移住に関する事務調整につい,ての閣議決定」をし,外務省を海外移住に関する主務官庁とし,農業移民- 91 -の募集,選考,訓練及び現地技術調査は外務,農林両省の所管とし,海外移住に関する事務の実施は海協連及び地方海外協会に行わせることとした。 また,同日「海外移住に関する閣議決定に伴う外務,大蔵,農林三次官,申合せ事項」も定められ,海協連の経費,農業移民の募集・選考等の事業費及び現地調査の経費等について,外務省及び農林省の分担が定められた。 このような状況の下で,外務省欧米局移民課が作成した同年10月18日付けの「海外移民に関する当面の諸施策(案」は,移民の我が国に及)ぼす経済的影響を強調し,できる限り優秀な移民を1人でも多く海外に送り出すことが必要であるとした。また,昭和30年3月21日付けで,外務省移住参事官名で発表された「移民国策の確立と当面の重要施策」でも,「移民を国策として確立しなければならない」として,国策としての移民政策の根拠を挙げ,政策実現の基礎的施策として移住局の設置,移住会社の設立,海協連の強化及び移民船腹の拡充の4点を提唱した。このように 移民を国策として確立しなければならない」として,国策としての移民政策の根拠を挙げ,政策実現の基礎的施策として移住局の設置,移住会社の設立,海協連の強化及び移民船腹の拡充の4点を提唱した。このように,当時外務省が作成した文書でも,海外移住の重要性が指摘されていた。 そして,内閣は,昭和30年4月,海外移住の振興に関し「最近の日,本移民に対する国際情勢の有利なる進展に即応するため,この際速かに移民の大量送出を可能ならしめる諸施策を実施するものとする」旨の閣議了解を行い,海外移住を政策として実施することを確認した。このころから,国会における外務大臣の外交演説でも,しばしば移住問題が強調されるようになり,以上のことから移住推進,移住者の大量送出が政府の方針であり,国策であるといわれるようになった。 イ昭和30年5月20日「外務省に移住局を設置することに伴う閣議了,解」がされ,海協連の主務官庁は外務省とされ,農林省その他の関係各省はそれぞれの所掌事務に応じ海協連を指揮監督して共管することとされた。 また,この閣議了解を受けて「外務省に移住局を設置することに伴う,『閣議了解事項』に伴う農林漁業移民に関する外務,農林両省事務次官覚- 92 -書」が取り交わされ,移住関係事務について外務省及び農林省の役割分担が定められた。 以上の過程を経て,同年7月,外務省の内部部局として新たに「移住局」が設置され,海外移住に関する事務を所掌することとされた。 また,農林省でも,同年10月,農地局管理部入植課が「拓植課」に改められ,農業移民の募集,選考及び移住地の調査等を担当することとなった。さらに,昭和31年6月「農業改良局」が「振興局」に改められ,,農業者の海外移住の募集,選考及び移住地の調査等が同局の事務とされ,その事務を同局の拓植課が担当することと 等を担当することとなった。さらに,昭和31年6月「農業改良局」が「振興局」に改められ,,農業者の海外移住の募集,選考及び移住地の調査等が同局の事務とされ,その事務を同局の拓植課が担当することとなった。 このように,海外移住に関する政策を実現すべく,その事務を遂行するために,外務省及び農林省の組織(局,課等)が整備された。 ウさらに,その後も,被告は,海外移住を政策として積極的に推進した。 例えば,農林省は,昭和32年9月2日付けで決定発表した農林水産政策要綱の中で,農業経営基盤の強化の一方策として「海外移住の促進」を掲げ,積極的に海外移住を促進し,必要な援護措置を講じることとした。 また,農林省の発議で,昭和33年8月,外務,農林,大蔵三省了解「農業移住振興対策」が策定され,知識技能の優れた日本農民を送出することにより受入国の経済発展に寄与するとともに,我が国の増大する農村次男三男及び経営規模狭小な農家に海外移住の機会を与えて農業経営の安定を期するため,総合的な農業移住振興対策を実施し,農民の海外移住の飛躍的拡大振興を図るものとした。 ,,他方,外務省移住局は,同年9月「移住に関する長期計画」を発表しこの中で海外移住の意義について「新規労働力をできる限り吸収するほ,か,年々増大する農村次三男に移住の機会を与え,同時に農家の経営規模を適性化するためには海外移住を国策として強力に遂行する必要がある」とした。 - 93 -以上のとおり,海外移住については,昭和29年7月の閣議決定で,外務省,農林省及び海協連の担当事務の調整が行われ,翌昭和30年4月の閣議了解で,被告は,海外移住を政策として実施することを明らかにした。その上,同年5月の閣議了解で更に海外移住に関する各省の事務の調整を行い,これを受けて海外移住の政策を実施するための部 0年4月の閣議了解で,被告は,海外移住を政策として実施することを明らかにした。その上,同年5月の閣議了解で更に海外移住に関する各省の事務の調整を行い,これを受けて海外移住の政策を実施するための部署を外務省,農林省に設置した。その後も,被告は,海外移住政策を積極的に推進した。このように,本件ドミニカ移住の企画,立案が進められ,実施された昭和29年以降昭和30年代前半ころにおいては,被告は,日本国民の海外移住を重要な政策として位置付け,積極的に推進していたことが明らかである。 (2)海外移住政策における被告の役割第1章で認定した基礎的事実関係によれば,次のことが明らかである。 ア外務省の所掌事務昭和26年の外務省設置法において,移住のあっせんが外務省の任務とされ,移住に関しあっせん,保護その他必要な措置をとることが外務省の権限とされた。そして,昭和30年の同法の改正により外務省に移住局が設置され,海外移住に関する事務処理のための企画立案に関すること,海外移住に関しあっせん,保護,促進その他必要な措置をとること等がその所掌事務とされた。また,同年の外務省組織令の改正により,移住局内の各課の事務が定められ,外国による移民の受入れ及び国外への移民送出に関する企画立案及び実施に関すること,そのために必要な現地の諸条件の調査に関すること等が同局第二課の所掌事務とされた。 このように,昭和30年前後ころには,海外移住の企画立案,現地諸条件の調査が外務省の所掌事務とされていた。 イ農林省の所掌事務昭和30年の農林省組織令の改正により,農林省農地局管理部拓植課が農業移民の募集,選考及び教育並びに移住地の調査に関することを所掌す- 94 -ることとされた。また,昭和31年の農林省設置法の改正により,農林省振興局が,農業者の海外移住に関し,募集, 拓植課が農業移民の募集,選考及び教育並びに移住地の調査に関することを所掌す- 94 -ることとされた。また,昭和31年の農林省設置法の改正により,農林省振興局が,農業者の海外移住に関し,募集,選考及び教育並びに移住地の調査を行うこととされ,その事務を拓植課が担当することとされた。 このように,昭和30年当時には,農業者の海外移住についての募集,選考及び教育並びに移住地の調査に関することが農林省の所掌事務とされていた。 ウ海外移住政策の実施に関する外務省及び農林省の役割海外移住政策の実施に当たっては,外務省及び農林省が次のような手順の下に,上記所掌事務を遂行していた。 外務省は,相手国政府との間で,日本人移住者の受入れ,その入植地,入植条件等について外交交渉を行う。また,その過程で,外務省及び農林省は,相手国の入植地等の調査を行い,相手国との交渉から得られた情報,現地調査から得られた情報等をもとに,相手国への移住を実施するに当たっての企画立案を行う。そして,最終的に,外務省は,相手国政府との間で,日本人移住者の送出及びその受入れ,入植地及び入植条件等を取り決める。そして,このように移住先の受入態勢が整い入植条件等が確定すると,農林省が,外務省と協議して募集要領を定め,海協連に対して募集を行うように指示する。そして,移民の募集,選考,講習,送出等の事務は,海協連が国の補助を受けて行う。 被告によるドミニカ移住政策の企画,立案(1)第1章で認定した基礎的事実関係によれば,次のことが明らかである日本人のドミニカへの移住政策の検討は,昭和29年8月27日,臨時代理公使がトルヒーヨ元帥から約2万家族の日本人移民の招致の申出を受けたことから始まった。その際のトルヒーヨ元帥の申出は,①ドミニカ政府は国内に散在する農耕適地に合計2万家族 9年8月27日,臨時代理公使がトルヒーヨ元帥から約2万家族の日本人移民の招致の申出を受けたことから始まった。その際のトルヒーヨ元帥の申出は,①ドミニカ政府は国内に散在する農耕適地に合計2万家族くらいの日本人移民を招致したい,②土地及び住居提供等の援助をする用意がある,③移民送出について日- 95 -本政府の意向を承知したいというものであった。これに対し,外務省は,現地一般及び入植地の特殊事情,入植条件,入植後の移民の生活条件,経営の見通し,受入れの取扱方針等を明らかに承知したいが,事情が許せば年度末までに若干名の試験送出を行い,少なくとも昭和30年度には相当程度の送出計画を立てたい考えである旨の対応をした。 その後,ドミニカを訪問した衆議院外務委員長Kとトルヒーヨ元帥との昭和29年11月1日の会見,同月下旬にドミニカを訪問した外務省欧米局の参事官のドミニカの農務大臣,移民局長との会談等を経て,昭和30年1月4日,臨時代理公使は,農務大臣と日本人移民について会談した。その際,同大臣から,次の説明がされた。①日本人移民の入植予定地は北方のダハボンから南方のロスアロヨスに至る国境地帯にある国有地である。②入植可能数は,数年を通じ約1000家族である。最初の入植は,慎重を期して100家族ぐらいに限る。③土地は,30ないし500タレアを基準として与える。④ドミニカ政府は,日本人移民に対し,営農に十分な面積の土地,適当な住宅,最初の耕作に必要な種子,耕作開始に必要な農具,教育・衛生のための施設といった便宜を供与する。⑤日本人移民の入植地の視察に関し希望があれば,いつでも係官による案内を取り計らう用意がある。そして,同農務大臣は,臨時代理公使あて同月19日付け覚書において,上記会談で日本人移民の入植に対するドミニカ政府側の便宜 地の視察に関し希望があれば,いつでも係官による案内を取り計らう用意がある。そして,同農務大臣は,臨時代理公使あて同月19日付け覚書において,上記会談で日本人移民の入植に対するドミニカ政府側の便宜供与として口頭で説明した上記内容を重ねて確認するとともに,この計画開始に当たっては,少なくとも100家族を25家族ずつ4グループに分けて4地域に入植させることが望ましいとの考えを示した。 その後,同年2月15日から18日までの間の臨時代理公使による日本人の入植予定地の一部視察を経て,外務省は,同年9月1日から同月28日までの間,Y調査団を派遣して現地調査を実施し,移住条件についてドミニカ政府と更に交渉した。その結果,Y調査団は,ダハボン地区等3地区に可及- 96 -的速やかに500家族を送り出すことが賢明であり,日本人移民の地位を確立するために最低1000家族の送出が必要であると判断した。そして,外務省は,日本人移住者の第1回目の入植地としてダハボン地区が最も適当であると判断し,その後,更により具体的な移住条件(入植地,送出時期,送出人数,灌漑設備の整備等)についてドミニカ政府と交渉を重ね,積極的にドミニカ政府に対し日本人移住者の早期の受入れ実現を求めた。その結果,ダハボン地区第1次の移住が決定され,外務省とドミニカ政府との間で交換公文を取り交わすことにより,昭和31年5月,移住の基本的条件が取り決められた。 その後の各地区への入植についても,外務省がドミニカ政府との間で入植地,入植移住条件等について交渉,協議をし,最終的にはドミニカ政府との間で交換公文を取り交わした。この過程で,入植予定地について,農林技官の調査や,現地公館や海協連の職員による視察が行われた。そして,ドミニカ政府との間で取り決めた具体的な移住条件や,入手した入植予定地に 交換公文を取り交わした。この過程で,入植予定地について,農林技官の調査や,現地公館や海協連の職員による視察が行われた。そして,ドミニカ政府との間で取り決めた具体的な移住条件や,入手した入植予定地に関する情報に基づいて,農林省は,外務省と協議して募集要領を定め,海協連に対して移住者の募集を行うように指示し,これを受けて,海協連が募集要領と同一の内容の募集要項を作成し,移住者の募集を行った。 このようにして,昭和31年7月29日のダハボン地区への入植から昭和34年9月6日のアルタグラシア地区への入植までの間に十数回にわたり合計249家族,1319人がドミニカへ移住した。 (2)以上の事実によれば,日本人のドミニカへの移住は,被告が重要な政策として位置付けていた日本国民の海外移住政策の一環として,外務省及び農林省が企画立案し,海協連に指示して実施したものであり,他方,上記移住者らは,そのような国の政策の下に,ドミニカへの移住を決意して,実際に移住するに至ったものであることが明らかである。 第2ドミニカ移住政策遂行過程における問題点- 97 -原告らは,外務大臣及び農林大臣は,海外移住が移住者の人生に莫大な影響を与えるものであることに照らすと,条理上,調査義務及び説明義務を負っていたが,それを尽くさなかった旨主張する。具体的には,①本件移住事業を推進するに当たって,現地調査を十分にする必要があったが,入植地の面積,農業適性及びドミニカの制度等について調査を尽くさなかった,また,②移住に関する情報については真実かつ正確なものを提供すべきであったが,被告とドミニカ政府との間で取り決めた移住条件とは異なる内容の説明が行われており,現地の実情などに関し移住者にとって不利益な事情は説明されなかった旨主張している。 そこで,以下,このような原告ら が,被告とドミニカ政府との間で取り決めた移住条件とは異なる内容の説明が行われており,現地の実情などに関し移住者にとって不利益な事情は説明されなかった旨主張している。 そこで,以下,このような原告らの主張を踏まえ,ドミニカ各地への移住政策の遂行上の問題点について,第1章認定の基礎的事実関係に基づいて検討する。 本件訴訟においては,半世紀前に政府が行った政策の遂行の在り方が問題にされているのであるが,審理の過程で提出されたこの点に関する証拠は,主として,外務省が平成12年12月20日に行った戦後外交記録の公開により原告らが入手し,提出したもの及び被告がその主張との関係で提出したものに限られており,その全体像を把握することには困難が伴った(特に,外務省本省,農林省本省等における政策遂行過程に関する証拠は限られていた。しかしながら,本件訴。)訟において提出された外交関係文書等を中心とする証拠等の検討によっても,その政策の遂行について,以下の問題点を指摘することができる。 ドミニカへの第1陣の送出に至るまでの過程(1)第1陣の送出までの経緯第1章で認定した基礎的事実関係によれば,次のことが明らかであるア日本人のドミニカへの移住政策の検討は,昭和29年8月27日,臨時代理公使がトルヒーヨ元帥から約2万家族の日本人移民の招致の申出を受けたことから始まった。 イその過程で,臨時代理公使は,昭和30年2月15日から18日まで,農務次官の案内で,農務省が予定していた日本人の入植予定地の一部を視- 98 -察した。その結果は,基礎的事実関係第2の2認定のとおりであった。 臨時代理公使は,外務大臣に対し,この視察について,①北方のダハボン付近を除きほとんど山岳地帯で,地味水利の状況などが所により異なるが,おおむね1万ないし3万タレアくらいのコ 定のとおりであった。 臨時代理公使は,外務大臣に対し,この視察について,①北方のダハボン付近を除きほとんど山岳地帯で,地味水利の状況などが所により異なるが,おおむね1万ないし3万タレアくらいのコーヒーその他の適地が散在している,②二,三十家族ずつの集団入植が可能であり,③1つの調査団が全地域を調査する場合には,1月ぐらいを見込む必要がある旨報告した。さらに,同公使は,視察の印象として「山岳を縫って所々に肥,沃な可耕地が散在するのが実際である。従って大規模な集団入植の希望は持てないが,数十家族ずつの分散入植は充分可能性があらう「山岳に」,挟まれた可耕地であるから比較的近距離にあっても夫々の状況に相当の差異のある場合もあり,かたがた個々の入植候補地の状況は夫々について充分の調査を遂げる必要があると思われる」旨を報告した。 。 ウY調査団(Y外務省移住局第二課長のほか,技官及び在メキシコ大使館官補により構成)は,昭和30年9月1日から同月28日までの間,基礎的事実関係第2の3認定のとおり,ドミニカにおいて現地調査を実施するとともに,日本人の移住条件についてドミニカ政府と交渉を行った。 同調査団は,ドミニカ政府との交渉において,日本人移民がスペイン人移民並みの待遇を受け得るのかという点に重点を置いたが,トルヒーヨ元帥との会談において,日本人移民がスペイン人移民と均等な条件を与えられること,また,スペイン人移民に対しては1世帯につき最高200タレアの土地が支給されているのに対し,日本人移民に対しては1世帯につき300タレアの土地の支給の要求が受け入れられることとなった。そこで,Y団長は,同月27日付けで,農業鉱山大臣あてに,ドミニカ政府との受入条件に関する交渉の結果を確認する趣旨で,基礎的事実関係第2の3(2)認定の内容の書簡を 求が受け入れられることとなった。そこで,Y団長は,同月27日付けで,農業鉱山大臣あてに,ドミニカ政府との受入条件に関する交渉の結果を確認する趣旨で,基礎的事実関係第2の3(2)認定の内容の書簡を送ったが,これに対する返信は得られなかった。 Y調査団は,以上の調査・交渉に基づいて,次のように結論付けた。基- 99 -礎的事実関係第2の3(2)認定の受入条件が与えられるならば,ダハボン地区等3地区に対し可及的速やかに500家族の送出を決定し,その実施措置を講ずることが賢明であると判断する。ドミニカにおいて日本人移民がマイノリティとしての地位を確立するには最低1000家族の送出が絶対に必要と思われるが,第1期500家族の実績が良好であれば,その程度の導入は極めて容易であると判断できる。移民送出の決定の際は,1000家族程度のものはなるべく短期間に送出を終え,日本人移民の一応の地位をドミニカにおいて確立しておくことは極めて重要であると思われる。 なお,Y調査団の一員であった技官は,同年10月下旬にダハボン地区等の再調査のためドミニカを訪れ,同月28日から30日までダハボン地区を,同月31日及び11月1日にパドレ・ラス・カサス地区を調査するなどした。 エ現地公使館は,外務大臣発の公電による訓令を受けて,ドミニカの外務文化大臣に対し,昭和30年11月28日付けで次の内容の書簡を送付した。①日本政府は,昭和31年3月までに,第1次移民として農業者25から30家族を送ることとしたい。②定住地としてダハボン地区のロスアロヨスが最適と考えるが,同地区の降水量からすると定住の実現には既存の用水路の灌漑設備を拡大することが必要である。ドミニカ政府が移民実施に先立って用水路拡張工事等を実施することを要望するとともに,この点に関する農務省の見解を連絡 降水量からすると定住の実現には既存の用水路の灌漑設備を拡大することが必要である。ドミニカ政府が移民実施に先立って用水路拡張工事等を実施することを要望するとともに,この点に関する農務省の見解を連絡してもらいたい。③同じくダハボンのラヴィヒア地区及びカニョンゴ地区については浸水予防措置を講じることが必要である。ドミニカ政府がその措置を実施することを要望する。 しかし,上記要望に対するドミニカ側の回答がないことから,外務大臣は,昭和31年1月5日付けで,公使に対し,ラヴィヒア地区及びカニョンゴ地区の浸水対策は後回しとし,ロスアロヨス地区に年度内に30家族- 100 -の送出を実現させるためドミニカ側と折衝するように訓令した。 これを受けて,公使は,同日及び同月31日に農務大臣と面談した。そして,同月31日,農務大臣は,公使に対し,過日現地を見てきたが,①ラヴィヒア地区及びカニョンゴ地区の堤防工事は多額の経費を要するので早急に実施することは至難である,②ロスアロヨス地区の灌漑用水路の拡張に関しては,水利省及び現地側の意見は水量不十分のため所期の効果を挙げ得るか疑問があるというもので,同感である,③ダハボン地区を入植地として適当であると決定することに躊躇していると述べた。これに対し,公使は,①ダハボン地区以外でも適当な地区があれば喜んで承りたい,②1日も早く移民の端緒を作りたいので,差し当たりラヴィヒア地区及びカニョンゴ地区のマサクレ川と台地との中間地域に20家族くらいならば入植可能ではないかと提案し,同農務大臣が,調査の上回答することとなった。 このような状況の下で,外務大臣発の公電により「本件至急促進方を,強く希望しおる」につき「1日も早く移住の既成事実を作ることに一層,格段の努力を尽され」たいとの訓令を受け,公使は,同年 なった。 このような状況の下で,外務大臣発の公電により「本件至急促進方を,強く希望しおる」につき「1日も早く移住の既成事実を作ることに一層,格段の努力を尽され」たいとの訓令を受け,公使は,同年2月24日,M農務大臣と会談した。その際に,同公使は,ダハボン地区(カニョンゴ,ラヴィヒア及びロスアロヨスのうち複数の地区又は1地区)への日本人20家族の入植計画の開始に関するドミニカ政府の決定を早急に知らせてもらいたい旨求めた。同農務大臣は,同地区を灌漑することは用水路の水不足からすぐにはできない,また,上記浸水予防のための堤防をすぐに建設することもできないとの見解を示した。これに対し,公使は,①これらの点は計画の実施の障害とはならない,②選抜された日本の農民は半乾燥地帯での耕作経験があり,かなり低位の土地であっても容易に開墾することができるであろうと日本人の技術者たちは評価している,③ドミニカ政府が風車で水を揚げる井戸等を建設して欲しいと述べた。 - 101 -オドミニカ建国25周年記念祭に特派大使として出席した代表は,昭和31年2月29日,公使と共にトルヒーヨ元帥と面会し,日本人のドミニカ移民に関し,差し当たり第1回移民として同年7月ころに二,三十家族を送りたい旨述べたところ,同元帥は異存ない旨答えた。これを受けて,公使は,同年3月1日,ドミニカの農務,水利,経済の3大臣及び治安局長と懇談し,日本人移民に関し従来からの話合いの諸条件を再確認するとともに,ダハボン地区への入植者の第1陣の同年7月送出について了承を得た。また,代表,公使らは,同年3月5日,入植家族数及び入植地域決定のため,ダハボン地区を視察し,ドミニカ側との間で,ラヴィヒア及びカニョンゴ両地区に25家族を導入することで合意した。 そして,公使は,同月12日,M農 らは,同年3月5日,入植家族数及び入植地域決定のため,ダハボン地区を視察し,ドミニカ側との間で,ラヴィヒア及びカニョンゴ両地区に25家族を導入することで合意した。 そして,公使は,同月12日,M農務大臣と協議した。その際,同大臣は,ダハボンのラヴィヒア地区の灌漑のための用水路の延長工事に着手し始めたこと,また,井戸を掘ってみたところ良い地下水が出たことを報告するとともに,整地すべき土地の面積について,一家族の耕作能力から見て300タレアの半分150タレアもあれば十分と思われるとして,残りの土地に第2次移民を入れることを提案した。これに対し,公使は,300タレアまではもらえるという可能性は残しておきたいと答え,同大臣は,本当に耕すなら300タレア与えることはやぶさかでないと応じた。そして,同大臣は,主要な点について日本側との協議が終わったら,何らかの形(例えば覚書)で,両国政府間で確認することとしたいが,スペイン人移民の場合のような移住者個人とドミニカ政府との間の個別契約はしないこととしたいと述べ,これに対し公使は,両国政府間で文書を交換することに同意した。 カ以上の経緯を経て,M農務大臣は,公使あてに,昭和31年3月27日付けで,日本人移住者の受入れに関して,基礎的事実関係第2の4(3)認定の内容のM書簡を発した。 - 102 -そして,公使は,M農務大臣あてに,同年4月24日付けでM書簡に対する返簡を発し,日本政府は,一部分について日本側の解釈を付言した上で,M書簡の約定及び相互条件に原則として同意した。これに対し,同大臣は,公使あてに,同年5月12日付けで,上記日本側の解釈に対し,相互の合意について一定の指摘をする趣旨の書簡を送付した。 なお,公使は,同月29日M農務大臣と会談した際に,同大臣から,日本人移住者に入植に際し土 に,同年5月12日付けで,上記日本側の解釈に対し,相互の合意について一定の指摘をする趣旨の書簡を送付した。 なお,公使は,同月29日M農務大臣と会談した際に,同大臣から,日本人移住者に入植に際し土地の所有権を直ちに与えるという趣旨ではないから誤解のないようにとの指摘を受けた。そこで,公使は,同年6月1日付けで,外務省本省に対し,上記会談で問題となった点を伝え,その中で,ドミニカ側が交換公文で使用している文言は土地使用の権利を与えるという意味であり,これを我が国の法律上の所有権と同一視することはできない,ドミニカの土地所有関係は我が国の法制とは相異があるため目下研究させているが,従来の本省の公表文書(例えば募集要領)で使っている「無償譲与」は,至急訂正して欲しいなどと伝えた。 キドミニカの国営入植地への日本人の移住は,以上のとおり,昭和29年8月のトルヒーヨ元帥からの招致の申出により検討が始められ,昭和31年5月に両国間で交換公文を取り交わすことにより実行されることになったが,その結果,同年7月のダハボン地区への入植から昭和34年9月までの間に十数回にわたり合計249家族,1319人が移住した。 (2)第1陣送出に至る経緯の問題点上記(1)の経緯を通観すると,ドミニカへ日本人移住者を送出する政策の遂行過程において,少なくとも,次の点について問題があったといわざるを得ない。 ア現地調査についてY調査団は,昭和30年9月1日から同月28日までの間,ドミニカにおいて現地調査を実施した。同月2日から13日にかけて,調査の準備と- 103 -して,現地公使館との打合せのほか,スペイン人既入植地や市場の視察を行った。14日にラ・ゴラ地区,15日にダハボン地区(ラヴィヒア,カニョンゴ,ロスアロヨスの3地区,16日にラス・ラグナス地区,18 て,現地公使館との打合せのほか,スペイン人既入植地や市場の視察を行った。14日にラ・ゴラ地区,15日にダハボン地区(ラヴィヒア,カニョンゴ,ロスアロヨスの3地区,16日にラス・ラグナス地区,18)日にロス・ボロス地区,19日にパドレ・ラス・カサス地区をそれぞれ調査した。また,20日から27日にかけて,調査結果を取りまとめるとともに,ドミニカ農務省と事務打合せ,気象調査等を行った。そして,ドミニカ政府との交渉結果をも踏まえ,上記(1)ウ(具体的には,基礎的事実関係第2の3(2)記載の受入条件が与えられるならば,ダハボン地)区等3地区に対し可及的速やかに500家族の送出を決定し,その実施措置を講ずることが賢明であると結論付けた。 しかしながら,この調査に先立って,臨時代理公使が,同年2月15日から18日までの間に行った日本人の入植予定地の一部の視察では,その印象として「山岳を縫って所々に肥沃な可耕地が散在するのが実際で,ある。従って大規模な集団入植の希望は持てないが,数十家族ずつの分散入植は充分可能性があらう「山岳に挟まれた可耕地であるから比較的」,近距離にあっても夫々の状況に相当の差異のある場合もあり,かたがた個々の入植候補地の状況は夫々について充分の調査を遂げる必要があると思われる」旨を報告していたことも併せてY調査団の調査を検討してみる。 と,日本人の入植予定地の調査に費やされた日数は各地域について1日ずつの合計5日間にすぎず,その内容においても,後記2ないし8の説示にかんがみれば,日本人の入植予定地に関する農業適性等の調査において,調査が尽くされていない面があったといわざるを得ない。 イドミニカ政府との間の受入条件に関する交渉について(ア)Y調査団は,ドミニカ政府と交渉の上,昭和30年9月27日付けで,農業鉱山大 いて,調査が尽くされていない面があったといわざるを得ない。 イドミニカ政府との間の受入条件に関する交渉について(ア)Y調査団は,ドミニカ政府と交渉の上,昭和30年9月27日付けで,農業鉱山大臣あてに,受入条件に関する交渉の結果を確認する趣旨で書簡を送った。その中には,調査団として第1回定着実施計画- 104 -にとって最も適当な地域はダハボン地区であると考えていること,配分される土地について,ドミニカ政府は1家族当たり300タレアの耕作地を供与すること,日本人移住者に対し,スペイン人移住者に賦与又は賦与しようとするものと同等の便宜及び待遇を供与すること,予定耕作地はできる限り広範囲にわたって灌漑が可能なことが望ましいことなどが含まれていた。 いずれの事項も,ドミニカ移住政策を企画立案する上で重要なものといえるが,これに対する返信が得られなかったにもかかわらず,それらについて更に確認するなどの詰めをすることなく,それらの受入条件が与えられるならば,ダハボン地区等3地区に対し可及的速やかに500家族の送出を決定し,その実施措置を講ずることが賢明であると判断した。 (イ)また,現地公使館は,外務大臣発の公電による訓令を受けて,ドミニカの外務文化大臣に対し,上記(1)エのとおり,同年11月28日付け書簡により,日本政府は,昭和31年3月までに,第1次移民として農業者25から30家族を送ることとしたいとして,入植地の灌漑設備等に関しドミニカ政府が措置を講ずることを要望する旨を伝えたが,これに対するドミニカ側の対応は芳しいものではなかった。 そして,同年1月31日には,農務大臣から,公使に対し,過日現地を見てきたとして,上記灌漑設備等を整備することが困難であること,また,ダハボン地区を入植地として適当であると決定することに躊躇してい そして,同年1月31日には,農務大臣から,公使に対し,過日現地を見てきたとして,上記灌漑設備等を整備することが困難であること,また,ダハボン地区を入植地として適当であると決定することに躊躇していることが伝えられた。 それにもかかわらず,外務大臣発の公電により「本件至急促進方を,強く希望しおる」につき「1日も早く移住の既成事実を作ることに一,層格段の努力を尽され」たいとの訓令を受けて,公使は,同年2月24日,M農務大臣と会談し,ダハボン地区への日本人20家族の入植- 105 -計画の開始に関するドミニカ政府の決定を早急に知らせてもらいたい旨を求め,同農務大臣から,同地区を灌漑することは用水路の水不足からすぐにはできないこと,また,浸水予防のための堤防をすぐに建設することもできないとの考えを示されたが,①これらの点は計画の実施の障害とはならない,②選抜された日本の農民は半乾燥地帯での耕作経験があり,かなり低位の土地であっても容易に開墾することができるであろうと日本人の技術者たちは評価している,③ドミニカ政府が風車で水を揚げる井戸等を建設して欲しいと対応した。 このような状況の下で,ドミニカ建国25周年記念祭に特派大使として同年2月下旬から3月上旬にかけて代表が同国を訪問した機会に,トルヒーヨ元帥との面会等をすることにより,同年7月に第1陣として,ダハボンのラヴィヒア及びカニョンゴ両地区に25家族を送り出すことの了解に達した。そして,同年3月12日に公使がM農務大臣と協議した際に,同大臣から,ダハボンのラヴィヒア地区の灌漑のための用水路の延長工事に着手し始めたこと,また,井戸を掘ってみたところ良い地下水が出たことの報告がされるとともに,整地すべき土地の面積について,一家族の耕作能力から見て300タレアの半分150タレアもあ 水路の延長工事に着手し始めたこと,また,井戸を掘ってみたところ良い地下水が出たことの報告がされるとともに,整地すべき土地の面積について,一家族の耕作能力から見て300タレアの半分150タレアもあれば十分と思われるとして,残りの土地に第2次移民を入れることの提案を受けた。これに対し,公使は,300タレアまではもらえるという可能性は残しておきたいと答え,同大臣は,本当に耕すなら300タレア与えることはやぶさかでないと応じた。 (ウ)このように,ドミニカ政府との間の受入条件に関する交渉においては,移民の実現を急ぐ余り,受入条件に関する細部の詰めが十分にされないまま,検討が進められた面がある。特に,Y調査団が書簡で確認を求めた事項は,いずれも重要なものであったが,その点に関する返答が得られない状況の下で,検討が進められた。また,ドミニカ- 106 -側からは,ダハボン地区への受入れについて,灌漑用水の確保等の関係で難色が示されているにもかかわらず,その状況について十分な調査をすることなく,日本人入植者であれば対処できるとして,早期の実現を強く働きかけた。そして,ダハボン地区に入植した移住者らは,後記2(1)イ認定説示のとおり,現実に灌漑用水の確保の面で困難を来すことになった。 ダハボン地区第1次の移住(1)農業適性の有無に関する調査ア第1章で認定した基礎的事実関係及び証拠(乙38,54,62)によれば,次の事実が認められる。 臨時代理公使は,昭和30年2月,農務次官の案内でダハボン方面を含む日本人の入植予定地の一部を視察したが,その際,大規模な集団入植の希望は持てないが,数十家族ずつの分散入植は十分に可能であろう,しかし,山岳に挟まれた可耕地であるから比較的近距離にあってもそれぞれの状況に相当の差異のある場合もあり,個々の入 ,大規模な集団入植の希望は持てないが,数十家族ずつの分散入植は十分に可能であろう,しかし,山岳に挟まれた可耕地であるから比較的近距離にあってもそれぞれの状況に相当の差異のある場合もあり,個々の入植候補地の状況は十分に調査する必要がある旨外務大臣に報告していた。 しかし,その後,Y調査団がダハボン地区(ラヴィヒア,カニョンゴ,ロスアロヨスの3地区)の現地調査をしたのは同年9月15日の1日だけであり,技官による同地区の再調査も同年10月28日から30日にかけての3日間だけであった。 上記調査結果をまとめた技官の報告(乙38)では,ダハボン地区について,①災害事情として,台風の季節にマサクレ川の氾濫により浸水を受ける地帯があること,干害のおそれがあるので灌漑施設が必要であることが指摘され,②意見中において,マサクレ川の氾濫による浸水地帯については将来その対策を検討することが望ましく,入植可能地については灌漑施設を必要としその整備を図ること及び水道施設もあわせて整備する- 107 -ことが必要であるとされ,また,公称10万タレアで約200戸程度の入植が可能であるとされているが,地区内には不適切な土地や既耕地等があるので,入植可能な面積は1万タレア程度であり,30ないし40戸の入植が適当であるとされた。 そこで,現地公使館は,ドミニカ政府に対し,ダハボン地区への入植の実現を積極的に求めた。その過程で,ドミニカ側から,ダハボン地区を入植地として適当であると決定することに躊躇しているとの考え方も示されたが,外務省本省からの「本件至急促進方を強く希望しおる」につき,,「1日も早く移住の既成事実を作ることに一層格段の努力を尽され」たいとの訓令を受けた公使が,ドミニカ政府に対し日本人の入植を早急に決定することを求めたりしたことは,前記1(1) しおる」につき,,「1日も早く移住の既成事実を作ることに一層格段の努力を尽され」たいとの訓令を受けた公使が,ドミニカ政府に対し日本人の入植を早急に決定することを求めたりしたことは,前記1(1)エ説示のとおりである。 その結果,ダハボン地区への日本人移住者の7月送出が了承され,同年3月5日に同地区の視察が行われ,ラヴィヒア及びカニョンゴ両地区に25家族を導入することとされた。そして,公使は「水利,治水の点では,水利相が全責任を負っているのであるから,この際我が方からごたごた意見を云はず先方に任せる方向で進みたい」と考え,同年4月25日,入植予定地を視察した際にも,現地の事情に疎い日本側としては水害,干害等について念を押す以外はドミニカ側の良識に委ねておいて然るべしとしていた。 イ上記ア認定事実によれば,ダハボン地区については,一応の調査がされたものの,その過程で把握された水不足,浸水の問題点について,ドミニカ側が,早急に対策を講じることが困難であるとして,同地区へ日本人移住者を入植させることについて躊躇する姿勢を示していたにもかかわらず,外務省本省及び現地公使館は,それらの問題点は日本人移住者にとって大した問題とはならないであろうとの態度を示して,移住の実現を急ぎ,ドミニカ政府による灌漑設備の整備や,治水対策の予定等について十分に吟- 108 -味することなく,移住の実施に踏み切ったことが明らかである。そして,実際に,同地区への移住者らは,基礎的事実関係第4の1(2)認定のとおり,灌漑用水の確保に苦しむことになった。 (2)入植地で配分される土地の面積等の3,の145,ア第1章で認定した基礎的事実関係及び証拠(甲12甲29,甲330,乙318)によれば,次の事実が認められる。 ダハボン地区第1次の入植の基本的 配分される土地の面積等の3,の145,ア第1章で認定した基礎的事実関係及び証拠(甲12甲29,甲330,乙318)によれば,次の事実が認められる。 ダハボン地区第1次の入植の基本的条件は,昭和31年4月24日付けの公使の返簡によって事実上確定し,配分される土地の面積については,「1家族当たり300タレアまでの土地を供与する」とされた。ところが,農林省は,入植条件が交換公文で確定する前に,同年3月29日付けで海協連に対し,配分される土地の面積について「1世帯当たり300タレアの土地が無償譲渡される」旨記載された募集要領を送付して募集開始を指示した。そして,これと同一内容の募集要項が海協連によって作成され,募集が開始された。 さらに,原告らが入植した土地は,ドミニカの国営入植地であったため,日本人移住者にも後記9(1)ア認定のとおり1948年法が適用され,国境地帯の国営入植地については供与の日から起算して8年後に所有権を取得することとされており,移住者らは,入植後直ちに土地の所有権を取得することができないこととされていた。しかし,ダハボン地区第1次の募集要領及び募集要項には,単に「300タレアの土地が無償譲渡される」と記載されているだけで,1948年法による土地取得の制限については何ら記載がなかった。 公使は,この点について,募集が開始された後の昭和31年5月29日,M農務大臣から,交換公文の文言は日本人移住者に入植に際し土地の所有権を直ちに与える趣旨ではない旨の指摘を受けて初めてそのことを知り,その後調査を進めた結果,同年7月に至り,ようやく1948年法による- 109 -制限の存在を知った。 そして,第1次の移住者らは,同年7月29日に入植した後,しばらくの間共同で作業,耕作を行うことになり,同年12月25日に至っ に至り,ようやく1948年法による- 109 -制限の存在を知った。 そして,第1次の移住者らは,同年7月29日に入植した後,しばらくの間共同で作業,耕作を行うことになり,同年12月25日に至ってようやく各戸に85タレア前後の土地が配分された。 イ上記ア認定事実によれば,次のことが明らかである。 ダハボン地区第1次の配分される土地の面積については,最終的には交換公文で「300タレアまでの土地を供与する」としか取り決められていなかった。しかも,移住者らは,1948年法の適用により,入植後直ちに土地の所有権を取得することができないこととされていた。しかし,交換公文で入植条件が確定する前に募集要領が作成され募集が開始されたため,募集要領及び募集要項は,制約事項のない「300タレアの土地が無償譲渡される」との記載になり,移住者らに誤解を与える内容になった。 この点に関する実際の情報が移住者らにもたらされたのは,基礎的事実関係第3の1(4)のとおり,昭和31年7月27日,ドミニカに向かう船の中であった。そして,移住者らは,入植後5か月近く経過した後になって,1戸当たり85タレア前後の土地が配分されただけであった。 コンスタンサ地区第1次及び第2次の移住(1)第1章で認定した基礎的事実関係及び証拠(乙36,38,68,70,74)によれば,次の事実が認められる。 アY調査団は,昭和30年9月の調査の際にコンスタンサ地区のスペイン人入植地も視察した。同入植地の状況について報告書にまとめた技官は,その中で,スペイン人移住者に対しては単身者1人当たりの配分予定面積50タレア中,実際に配分されているのは20タレアのみであることを指摘した。また,公使らは,昭和31年4月にコンスタンサ地区に赴き,主としてスペイン人入植地の状況を視察したが,その時, 配分予定面積50タレア中,実際に配分されているのは20タレアのみであることを指摘した。また,公使らは,昭和31年4月にコンスタンサ地区に赴き,主としてスペイン人入植地の状況を視察したが,その時,入植者らから,上記のとおり1人当たり20タレアしか配分されていないが,近く増加して- 110 -もらえる見込みであることのほか,生産物は首都やサンチアゴに出荷しているがトラック代が高くつくことを聴取し,同地区については生産物の輸送に問題があることを認識した。このとき,日本人移住者の入植予定地も視察したが,農林技官等による本格的な調査は行われなかった。 同地区では,蔬菜等を栽培することが予定されたが,コンスタンサ地区第1次の入植が決定する同年7月までの間に,以上のほかには調査が行われなかった。また,第2次の入植に当たっても,別途調査は行われなかった。 イ日本人移住者らがコンスタンサ地区に入植したところ(第1次は昭和31年10月4日,第2次は同年12月31日,ドミニカの野菜の消費市)場は狭小で,野菜の販売には困難が伴った。また,同地区から生産物の販売市場であるトルヒーヨ市まではトラックで4時間半,サンチアゴ市までは2時間半かかり,運搬のために時間,経費がかかった。さらに,同地区は,営農に必要となる水が十分には確保されておらず,入植した場所によっては水不足に悩まされることもあった。 これらの問題点に関しては,農林省が作成し,同年6月22日付けで海協連に通知した募集要領,そして,それに基づいて作成された募集要項には,①首都,サンチアゴ等の都市に対して新鮮な生産物を供給する必要があるので協同組合を結成しトラックを整備する,②乾期における降雨量の不足を補うため,灌漑施設(天然の渓流利用又は掘抜井戸)の整備を要する旨の記載がされただけであった。 新鮮な生産物を供給する必要があるので協同組合を結成しトラックを整備する,②乾期における降雨量の不足を補うため,灌漑施設(天然の渓流利用又は掘抜井戸)の整備を要する旨の記載がされただけであった。 ウまた,コンスタンサ地区第1次及び第2次の移住者らは,募集要項上,1世帯当たり100タレアの土地が無償で使用を許され,将来ドミニカの法律の諸要件を充足の上は無償譲渡される見込みであるとされていたにもかかわらず,当初50タレア程度の土地しか配分されなかった。そのため,同地区では,入植した翌年の昭和32年9月ころから,土地の増配を求め- 111 -る者とハラバコア地区への転住を求める者との2派に分かれ現地大使館等に対し陳情がされるようになった。そして,昭和33年2月に14家族がハラバコア地区に転住し,また,その結果,残留した各戸に対しては,土地の増配がされ,ようやくおおむね100タレアに達した。 (2)上記(1)認定事実によれば,コンスタンサ地区への第1次の移住を決定する過程において,同地区の入植地に関する調査について問題点があったといわざるを得ない。特に,スペイン人移住者から土地の配分が十分に実現されていないこと及び生産物の輸送に関する問題点について情報を得たにもかかわらず,そうした点について十分に吟味されたとは言い難い。すなわち,そのような情報を得た以上,日本人移住者に対する1世帯当たり100タレアという土地配分の実現可能性についてはもとより,同地区では蔬菜等の栽培が予定されていたのであるから,その需要の有無,市場の大きさ,流通の手段・方法等についても調査・検討がされるべきであった。また,同地区の灌漑設備,供給される水量等についても同様であったが,これらの点について十分な調査・検討がされなかった。また,第2次の入植に当たっても,別途 についても調査・検討がされるべきであった。また,同地区の灌漑設備,供給される水量等についても同様であったが,これらの点について十分な調査・検討がされなかった。また,第2次の入植に当たっても,別途調査は行われなかった。 そして,実際にも,同地区においては,当初配分された土地の面積が,募集要領及び募集要項に記載されていた100タレアと比べその半分程度にとどまり,入植の翌年には他所への転住を求める動きが生じ,14家族が昭和33年2月にハラバコア地区に転住する事態に至った。また,予定していた作物である野菜の消費市場が狭小で,都市までの距離も遠く,その販売には困難が伴い,しかも,営農に必要となる水が十分に確保されていなかった。 ダハボン地区第4次の移住(1)第1章で認定した基礎的事実関係及び証拠(甲330,乙38,165)によれば,次の事実が認められる。 ア公使らは,昭和31年9月29日,ダハボン地区第1次の移住者(同年- 112 -7月29日入植)の状況を視察した。その結果,移住者らは共同作業を行っており,各家族に対する土地の配分は,作物の第1回の収穫後に行われる予定になっていること,同地区の水量が豊富とは言い難い状況にあること(同年8月にはほとんど降雨がなかった,なお,マサクレ川から直。)接水を引く新たな用水路が建設中でその完成により水利が改善されることが期待されていることなどが判明した。 また,ダハボン地区については,昭和30年の技官の報告(乙38)では,入植可能な面積は1万タレア程度であるとして,30ないし40戸の入植が適当であるとされていた。さらに,現地公使館は,第1次が入植する前の昭和31年7月5日の時点で,M農務大臣から,ダハボン地区については9000タレアの土地を整地するから1家族当たり300タレア配分することに とされていた。さらに,現地公使館は,第1次が入植する前の昭和31年7月5日の時点で,M農務大臣から,ダハボン地区については9000タレアの土地を整地するから1家族当たり300タレア配分することに拘泥しなければ,この土地に90家族は収容できるだろうと告げられていた。このような土地の状況であったにもかかわらず,第1次及び第2次の入植で既に29家族が入植していた上に,第4次で更に30家族を入植させることが予定された。 イダハボン地区第4次の入植に際しては,新たな用水路による水利条件の改善可能性,新たな入植に対する配分可能な土地面積等について,具体的な調査,検討がされなかった。そして,募集要領及び募集要項についても,土地の配分について,最高300タレアまでの地役権を当初無償提供し,ドミニカの法律の定める条件に従い一定期間耕作した場合に所有を認められる旨の記載がされたが,その他の条件はダハボン地区第1次の募集要項がそのまま使用された。 ウその結果,昭和32年3月8日に入植したダハボン地区第4次の移住者には,80タレア程度の土地しか配分されなかった。また,彼らの一部は,同年9月,現地大使館に対し,配分された土地が耕作に不適当であること,水不足で栽培が困難であること等を理由に他地区への転住のあっせんを陳- 113 -情するに至り,翌年8月にアルタグラシア地区に転住する事態が生じた。 (2)上記(1)認定事実によれば,ダハボン地区への第4次の移住を決定する過程において,同地区の入植地に関する調査について問題点があったといわざるを得ない。特に,同地区の水量不足の問題点については,公使らによる昭和31年9月29日の現地視察等(上記(1)ア)に照らすと認識可能であったというべきであるが,その問題点について調査が尽くされることはなかった。また,入植 水量不足の問題点については,公使らによる昭和31年9月29日の現地視察等(上記(1)ア)に照らすと認識可能であったというべきであるが,その問題点について調査が尽くされることはなかった。また,入植家族数からすれば,配分される土地の面積に不足が生ずるおそれがあり,しかも,上記(1)アの事実に照らすとそのことについて認識可能であったにもかかわらず,その点について吟味が尽くされることはなかった。 そして実際にも,第4次で入植した移住者らには80タレア程度の土地しか配分されなかった。また,移住者らの一部は,入植後半年ほどで,現地大使館に対し,配分された土地が耕作に不適当であること,水不足で栽培が困難であること等を理由に他地区への転住のあっせんを陳情するに至り,昭和33年8月にアルタグラシア地区に転住する事態に至ったのである。 ドゥベルへ地区第1次及び第2次並びにネイバ地区第1次及び第2次の移住(1)第1章で認定した基礎的事実関係及び証拠(乙38,105,107)によれば,次の事実が認められる。 ア日本人移住者のドゥベルヘ地区及びネイバ地区への入植については,M農務大臣から大使にあてた昭和32年7月24日付けの書簡で確定した。 大使は,その前の同年6月24日付けで,外務大臣臨時代理に対し,両地区向け移民の募集,選考に当たり参考となるべき事項や留意点について報告し,その中で,ドゥベルヘ地区は土地に多少の塩分を含むため,入植後3年間は米,隠元豆及び葱を栽培する義務があることを指摘していた。しかも,上記書簡では,土地の配分について,最初の50タレアを増加し150タレアまで追加するのに灌漑耕地が不十分な場合には,最初の50タ- 114 -レアの増加配分を超える面積は,未灌漑地をもってこれに充てることとされていた。それにもかかわらず,両地区の耕地 し150タレアまで追加するのに灌漑耕地が不十分な場合には,最初の50タ- 114 -レアの増加配分を超える面積は,未灌漑地をもってこれに充てることとされていた。それにもかかわらず,両地区の耕地,特に灌漑耕地の状況等について調査を行うことなく,農林省は「昭和32年度ドミニカ国ドゥベ,ルヘ地区及びネイバ地区開拓移住者募集要領」を作成し,同年7月29日付けで同募集要領を海協連に送付し,至急募集選定を開始するように指示をした。 イもっとも,その後,外務大臣は,昭和32年8月1日付けで,大使に対し,両地区の土壌の物理的,化学的性質,灌漑施設の状況等について不明なので,将来の説明資料として必要であるとして,これらの点について再調査して報告するよう訓令した。これを受けて,大使らは,同月7日及び8日,両地区の視察を行った。その際,ドゥベルヘ地区のハンガリー人移住者から水量が不十分であることも聴取したが,外務省本省に対する報告(乙107)では,両地区とも概して良好であるとし,結局移住者が数か年定着してみなければ実際のところは分からないから,募集に際しては余り細かい点(例えば,ドゥベルヘ地区の土地に塩分があるとの点)を強調することは移住者に不安を抱かせるおそれがあるから,これらの点は要領よく説明するようにと要請した。 また,A技官は,同年9月11日から14日にネイバ地区を,同月14日から16日にドゥベルヘ地区を調査した。この調査の報告書(乙38)では,調査者の意見として,両地区とも結論として将来的に極めて有望であると結論付けたが,次の記載もされていた。すなわち,ドゥベルヘ地区については,暑さからスペイン人,ハンガリー人の移住者が定着していないこと,日中の炎暑と降水が少ないため半砂漠状の地帯となっていること,土地に相当の塩分を含んでおりこれが流 すなわち,ドゥベルヘ地区については,暑さからスペイン人,ハンガリー人の移住者が定着していないこと,日中の炎暑と降水が少ないため半砂漠状の地帯となっていること,土地に相当の塩分を含んでおりこれが流亡するまで作物も十分できないこと,土中の塩分については1,2年は苦労するであろうことが記載されていた。また,ネイバ地区については,雨の少ない暑いところであり,表土- 115 -中に指頭大から拳大の石灰岩の破片よりなる丸みを帯びた転石をやや多く含み,半砂漠状で,現在ある水路では水が不足するおそれがあることが記載されていた。 ウ日本人移住者らがドゥベルヘ地区に入植したところ(第1次は昭和32年12月2日,第2次は昭和33年1月24日,同地区の入植地の土地)は,多量の塩分を含んでおり,耕作のためには灌漑の水によって除塩する必要があった。しかも,同地区の気候は,雨量が少なく,暑さも厳しく,乾燥しており,半砂漠状の土地であったため,耕作は灌漑用水に頼る必要があったが,日本人移住者が入植した時点では,灌漑用水路は完成していなかった。灌漑用水路はなかなか完成せず,昭和34年3月に至ってようやく完成したが,その後も,水量が不足し,水路に水が流れないこともあった。このように,同地区は,土壌に塩分が含まれ,気候が乾燥して水が不足し,灌漑設備も十分に整備されなかったため,作物を栽培することが難しく,営農は困難を極めた。 そのため,移住者の大部分は,農務省が支給する補助金で生活を維持する状況にあり,昭和33年12月ころには,5家族がコンスタンサ地区に,2家族がハラバコア地区に転住し,また,昭和34年5月中旬にも,27家族がハラバコア地区に転住する事態になった。 エ日本人移住者らがネイバ地区に入植したところ(第1次は昭和32年11月2日,第2次は同年12月2 コア地区に転住し,また,昭和34年5月中旬にも,27家族がハラバコア地区に転住する事態になった。 エ日本人移住者らがネイバ地区に入植したところ(第1次は昭和32年11月2日,第2次は同年12月2日,配分地の土壌には石灰岩の礫が多)く含まれていた。同地区の気候は,気温が高く,雨量も少なく乾燥しており,半砂漠状の土地であった。さらに,灌漑用水も不足しており,現地人との水争いも絶えず,その上,次第に給水時間の制限を受けることになり,水不足は一層深刻化した。このように,同地区は,多くの礫,乾燥した気候及び水不足によって営農が困難な状況にあった。 このような状況にあったため,同地区の移住者らは,昭和36年3月,- 116 -大使に対し集団帰国を陳情し,その後も陳情を続けた結果,20家族100人が,同年12月横浜到着のさんとす丸で帰国することとなった。 (2)上記(1)認定事実によれば,両地区への移住を決定し,それを実施する過程において,入植地に関する調査について問題点があったといわざるを得ない。特に,大使は,昭和32年6月24日付けの報告の時点でドゥベルヘ地区の土地に塩分が含まれていることを把握していたのであり,さらに,同年7月24日付けのM農務大臣からの書簡で両地区の灌漑耕地が十分でないことを把握できたにもかかわらず,両地区の入植地の農業適性の有無及び配分可能な土地の面積等について現地調査等が十分には行われなかったというべきである。 また,両地区の募集が開始された後ではあるが,大使らは,両地区の土壌の性質や灌漑施設の状況等を調査するよう訓令を受けて,同年8月両地区の視察を行い,その際ドゥベルヘ地区の水量が不十分であることをハンガリー人移住者から聴取したにもかかわらず,水利の実情についてさらに調査を尽くすことなく,両地区とも概して良好で けて,同年8月両地区の視察を行い,その際ドゥベルヘ地区の水量が不十分であることをハンガリー人移住者から聴取したにもかかわらず,水利の実情についてさらに調査を尽くすことなく,両地区とも概して良好であるとし,募集の際には余り細かい点を強調することなく要領よく説明するようにと外務省本省に要請する有様であった。さらに,A技官が,同年9月に両地区を調査したが,この調査の報告書では,上記(1)イ記載のとおり両地区の営農に関して様々な問題点が指摘されていた。このように,募集開始の後とはいえ,以上のような問題点が把握されたにもかかわらず,両地区への入植の適否が再検討されることはなく,移住が予定どおり進められた。 そして,実際にも,ドゥベルヘ地区及びネイバ地区に入植した移住者らは,上記(1)ウ及びエのとおり営農が困難な状況に置かれ,その結果,他の移住地への転住や集団帰国することを余儀なくされた者も相当数現れたのである。 ハラバコア地区第1次の移住- 117 -(1)第1章で認定した基礎的事実関係及び証拠(乙38)によれば,次の事実が認められる。 ア大使は,昭和32年8月20日,M農務大臣からハラバコア地区への日本人移住者15家族の入植について打診を受け,その際,同地区にまだ灌漑施設がないこと,入植と同時に100タレアを与えることとの情報を得た。これを受けて,大使は,同月27日付けで同農務大臣あてに同地区へ日本人移住者を送出する用意がある旨を通知し,同月30日付けの同農務大臣からの返簡によって,同地区への入植について被告とドミニカ政府との間に合意が成立した。 この間,被告は,同地区の現地調査を行わなかった。 その後,A技官は,同年9月19日から同月23日の日程で,ハラバコア地区の調査,近郊農業事情調査,コンスタンサ地区の視察,サンチアゴ市及 成立した。 この間,被告は,同地区の現地調査を行わなかった。 その後,A技官は,同年9月19日から同月23日の日程で,ハラバコア地区の調査,近郊農業事情調査,コンスタンサ地区の視察,サンチアゴ市及びラベーガ市の市場調査を行った。この調査結果をまとめたA技官の報告(乙38)では,入植地には60戸の家が建ち,3000タレアの耕作用地が開墾され,同地区は混合入植地とされる予定で,この中の一部が日本人入植地として予定されていること,同地区付近の気象の観測結果を得ることはできなかったが,降雨量は土地の人の話によると農耕に必要なだけの雨は降り,農務省の話によると将来灌漑施設を整備すべく目下予算申請中とのことであるが緊急を要しないと思われること,適作物は特に馬鈴薯,落花生,隠元豆,かんらん等の野菜類が有望で,最寄りの市場としてはサンチアゴがあること,価格に高低があってもできたものが売れないということはないこと,現在開墾されている面積によれば配分面積は差し当たり1戸当たり3町(50タレア)であり,他の地区と同様に能力に応じて増やされることとされていた。 イ日本人移住者らがハラバコア地区に入植したところ(第1次は昭和33年1月24日,同地区では,野菜を収穫することができたが,野菜の市)- 118 -場が狭く,その需要が少なかったため,販売に困難を伴った。その上,野菜には公定価格がないため市場での販売価格は安定しなかった。さらに,他の入植地から多くの移住者が転住してきたため入植過剰となり,野菜は供給過剰となり,値段が大幅に下落した。また,同地区は,もともと水の絶対量が少なく,水利の便も悪く,干ばつの時には水不足になることがあった。そして,農業用水も元来畑地灌漑を目標としたものであったため,移住者らが水稲作を行うようになると,日本人移住者同士でも深 水の絶対量が少なく,水利の便も悪く,干ばつの時には水不足になることがあった。そして,農業用水も元来畑地灌漑を目標としたものであったため,移住者らが水稲作を行うようになると,日本人移住者同士でも深刻な水争いが起こるようになり,現地の水利官が日本人に不利な水の配分をすることもあった。 これらの問題点に関しては,農林省が作成し,昭和32年10月21日付けで海協連に通知した募集要領,そして,それに基づいて作成された募集要項には,①最寄市場として,比較的大市場としてはサンチアゴがあり,ここへは野菜の特産物等が向き,価格に高低はあってもできたものが売れないということはない,②雨量は農耕に必要な量は十分ある旨の記載があるだけで,灌漑設備については特に記載がなかった。 ウハラバコア地区第1次の移住者らは,募集要項上,1世帯当たり100タレアの土地が無償で使用を許され,将来ドミニカの法律の諸条件を充足の上は無償で譲渡される見込みであるとされていたにもかかわらず,入植後しばらくしてから50タレア程度の土地が配分されただけであった。その後それ以上の配分がなかったため,ハラバコア地元互助会は,昭和34年10月20日付けで,支部長に対し,残り50タレアの土地の増配を要請した。しかし,その後も土地の増配はなかなか実現しなかった。そして,集団帰国措置が実施された昭和37年に入り,ようやくハラバコアに定着する20家族全員に対し25タレアの土地のみが増配された。 (2)上記(1)認定事実によれば,ハラバコア地区への第1次の移住を決定し,実施する過程において,同地区の入植地に関する調査について問題点- 119 -があったものといわざるを得ない。特に,基礎的事実関係から明らかなとおり,昭和32年8月にM農務大臣からハラバコア地区への入植について打診を受けるま 入植地に関する調査について問題点- 119 -があったものといわざるを得ない。特に,基礎的事実関係から明らかなとおり,昭和32年8月にM農務大臣からハラバコア地区への入植について打診を受けるまでの間に,ダハボン地区第1次(昭和31年7月29日入植)及び第4次(昭和32年3月8日入植)やコンスタンサ地区第1次(昭和31年10月4日入植)及び第2次(同年12月31日入植)の入植において交換公文で合意されたとおりの面積の土地がドミニカ政府から配分されていなかったにもかかわらず,ハラバコア地区における,1世帯当たり100タレアの土地配分の実現可能性の有無について,十分な調査がされていない。入植を決定してからではあるが,昭和32年9月下旬のA技官の調査によって,差し当たりの配分面積は1戸当たり50タレアにとどまることが判明したにもかかわらず,残りの50タレアの配分可能性について調査された形跡がない。また,それまでの各入植地の実情に照らすと,いずれの入植地においても営農に必要な水量の確保が問題となっていたが,M農務大臣から同地区にまだ灌漑施設がないことを知らされたにもかかわらず,この点について十分な調査がされていない。さらに,A技官は,最寄りの市場としてはサンチアゴがあり,できたものが売れないということはないと報告していたが,実際にどれほど野菜類の需要があるのかについて十分な検討はしなかった。 そして,実際にも,同地区においては,入植後しばらくしてから50タレア程度の土地が配分されただけで,その後土地の増配が実現したのは昭和37年に入ってからのことであり,しかも25タレアのみであった。そして,同地区は,水の絶対量が少なく,水利の便も悪く,干ばつの時には水不足になることがあり,また,野菜の販売には困難を伴ったのである。 アグアネグラ地区第1 あり,しかも25タレアのみであった。そして,同地区は,水の絶対量が少なく,水利の便も悪く,干ばつの時には水不足になることがあり,また,野菜の販売には困難を伴ったのである。 アグアネグラ地区第1次及び第2次並びにアルタグラシア地区第1次の移住(1)第1章で認定した基礎的事実関係及び証拠(乙124ないし126,132,133)によれば,次の事実が認められる。 ア大使は,昭和32年11月8日,農務大臣から,ロスアロヨス,アグア- 120 -ネグラ,フロルデオロの3地区に,コーヒー栽培移住者100家族を受け入れたいとの提案を受けた。その報告を受けた外務大臣は,同月16日,大使に対し,同大使からの報告だけではドミニカ側の構想,その他の実情把握が困難であるとして,ドミニカ側から提案されたコーヒー栽培移住地は,かつてドミニカ人を移住させてコーヒー栽培を試みその後放棄された場所と推定されるので,①当該地区開設の経緯及び放棄の理由,②既存のコーヒーの栽培の主体,植付けの時期,面積及び現在の管理並びに生産状況,③コーヒーの売却は誰がどのような条件で保証するのかなどにつき,至急調査の上報告するよう訓令した。これに対し,現地大使館は,同月27日,外務大臣に対し,上記調査事項につき,農務大臣との会談や同農務大臣からの公文に基づき,次の回答をした(乙125。①同地)区は,当該地域の農民の栽培により形成されたもので,その後,道路,水利の不備,住宅難のため発展しなかったが,目下急速に道路,家屋を建設中である。②現在は農務省が運営し,植付面積は測量中であるが約3万タレアと推定され,ほかに25万タレアの優良適地がある。コーヒーの樹齢は2年ないし15年で,労力不足のため大部分が立ち腐れとなり,タレア当たり30ポンドの生産しかないが,栽培管理により大 るが約3万タレアと推定され,ほかに25万タレアの優良適地がある。コーヒーの樹齢は2年ないし15年で,労力不足のため大部分が立ち腐れとなり,タレア当たり30ポンドの生産しかないが,栽培管理により大いに増収し得る(農務大臣は,200タレアで年三,四千ペソの収益があるだろうと述べている。③内需と輸出により収穫物の販路は確保されている。 。)これを受けて,外務大臣は,同年12月3日,大使に対し,150家族を送出することが可能か見込みを立てるため具体的交渉を開始するとともに,募集要領を作成するため同地区のコーヒー栽培管理事情,自然的及び社会的条件並びにその他諸般の入植条件につき詳細を至急回報するように求めた。 そこで,大使は,同年12月6日付けで,農務大臣あてに,日本政府が,上記の国境地帯にあるコーヒー栽培地3地区に日本人移住者150家族を- 121 -送り出す用意があることを確認する旨の書簡を送付した。これに対する農務大臣からの返簡は,昭和33年1月7日付けであった。 イ現地大使館の書記官及び横浜移住あっせん所の所長は,昭和32年12月に,ドミニカ農務省技官等の案内により,アグアネグラ地区等の現地調査を行った。 」,所長がまとめた「ドミニカ国コーヒー事情調査報告(乙133)では日本人移住者の入植が予定されているコーヒー栽培地区について,次のような様々な問題点が指摘された。すなわち,当地区は石灰層の岩石が多く,表土が浅くコーヒー樹が大きく成長しかねる状態にあり,樹が長年の間手入れされずに放棄されていたことが致命的である。地形は急角度の斜面が多いので作業と運搬に骨が折れる。果実の成熟が一定せずその採取は籠摘みとなるため余分の人手が必要となる。しかし,付近は人的資源に乏しく人手を求めることは困難である。居住地から作業地まで高度にして が多いので作業と運搬に骨が折れる。果実の成熟が一定せずその採取は籠摘みとなるため余分の人手が必要となる。しかし,付近は人的資源に乏しく人手を求めることは困難である。居住地から作業地まで高度にして約300メートル上昇し,その往復に2時間ほどかかる。岩石があるところと平坦地の雑草の中での作業となり労力が倍加するため,1人当たりのコーヒー取扱数,生産高も制約される。また,山間の土地であり余作地がない。 そして,同報告は,ドミニカ側が提示した200タレアで年4000ペソの収益の見込みについて再検討の必要があること,また,移住者の資格としては,山間農民で山坂に慣れた者又は企業的野心を持たない零細農民であることが絶対条件であることを指摘した。この報告が外務省本省に到着したのは,昭和33年1月13日であった。 ところで,大使は,昭和32年12月24日付けの公電で,外務大臣に対し,上記調査の書記官の報告として,同地区について,入植地は相当の山間であるが,ドミニカのコーヒー地帯はいずれも大同小異であること,繁茂する樹木が,土壌の良好と適度の雨量があることを物語っており,気候は快適であること,コーヒー樹の生育状況は,遮蔽樹の手入れ,除草の- 122 -不備等で良好とはいえないが,管理が良くなれば有望と認められること等を伝えただけで,現地調査によって所長が把握した上記問題点については報告しなかった。そして,この公電を受けて,外務省移住局長は,同月26日付けで,農林省振興局長に対し,コーヒー栽培目的の移住について,募集要領案の作成を依頼し,農林省は,昭和33年1月ころ「ドミニカ,国コーヒー栽培移住者募集要領」を作成し,これを海協連に通知した。 ウ日本人移住者らがアグアネグラ地区(第1次は昭和33年5月28日,第2次は同年6月26日)及びアルタグラシア 月ころ「ドミニカ,国コーヒー栽培移住者募集要領」を作成し,これを海協連に通知した。 ウ日本人移住者らがアグアネグラ地区(第1次は昭和33年5月28日,第2次は同年6月26日)及びアルタグラシア地区(第1次は同月28日ころ)に入植したところ,両地区は,多くが急斜面で,石灰岩の岩石が多く表土も浅かった。配分地を完全に利用することは困難で,利用可能面積は,多くても70%程度であった。入植地に生えているコーヒー樹は,植えられてから長年放置されたもので,雑木,雑草の除去や,樹の間引きが必要で,手入れすることは容易でなかった。また,配分地の中でもコーヒー樹の多い所と少ない所の差が激しかった。両地区では,地形の関係からコーヒー栽培を機械化することは困難で,人力に頼る在来農法で行う必要があり,人手を必要とした。さらに,住宅地から農地まで距離があり,入植地内の道路の状態は非常に悪く坂も急であった。また,両地区は,首都から遠く離れたハイチとの国境地帯にあり,道路状況も悪いため,交通の便が悪く,収穫物の輸送に困難を伴った。 これらの問題点に関しては,農林省が作成し,昭和33年1月ころ海協連に通知した募集要領,そして,それに基づいて作成された募集要項には,①地形,地質について,入植地一帯は傾斜地が多く土質は優良であるとだけしか記載されておらず,また,②コーヒー樹については,既存耕地は余り良好といえないが,補植,間引き,遮蔽樹の手入等を行えば素晴らしい状態にすることができるとされ,さらに,農務大臣の言によれば日本人移住者が入植し適切に管理すれば収穫は現在の3倍となり,200タレ- 123 -アで3000ペソないし4000ペソ(邦貨換算108万円ないし144万円)の年収になるだろうとの記載があった。 (2)上記(1)認定事実によれば,アグアネグラ地 倍となり,200タレ- 123 -アで3000ペソないし4000ペソ(邦貨換算108万円ないし144万円)の年収になるだろうとの記載があった。 (2)上記(1)認定事実によれば,アグアネグラ地区第1次及び第2次並びにアルタグラシア地区第1次の移住を決定する過程において,これらの入植地に関する調査について問題点があったといわざるを得ない。 外務大臣は,昭和32年11月16日,ドミニカ側から提案されたコーヒー栽培移住地について,かつてドミニカ人を移住させてコーヒー栽培を試みその後放棄された場所と推定し,現地大使館に必要な事項の調査を訓令した。 これに対し,現地大使館は十分な調査をすることなく,同月27日,外務大臣に対し,ドミニカ側から得られた情報をそのまま伝えただけであった。もっとも,その報告の中にも,①当該地域が道路,水利の不備,住宅難のため発展しなかったこと,②コーヒーの樹齢は2年ないし15年で,労力不足のため大部分が立ち腐れとなり,タレア当たり30ポンドの生産しかないことといった,移住地として選定するについては慎重に吟味すべき事項が含まれていた。それにもかかわらず,外務大臣は,わずか6日後の同年12月3日,大使に対し,移住者の送出についてドミニカ政府と具体的に交渉を開始するように指示し,これを受けて,大使は,同月6日付けで農務大臣あてに日本政府がコーヒー栽培地に日本人移住者150家族を送り出す用意があることを確認する旨の書簡を送付した。 このように,外務省は,ドミニカから提案されたコーヒー栽培移住地について調査の必要性を認識し,現地大使館から報告された情報にも検討を要すべきものが含まれていたにもかかわらず,更なる調査を行うことなく,ドミニカ側から得られた情報のみをもって移住者を送出する方針を固め,現地大使館にドミニカ側との交 使館から報告された情報にも検討を要すべきものが含まれていたにもかかわらず,更なる調査を行うことなく,ドミニカ側から得られた情報のみをもって移住者を送出する方針を固め,現地大使館にドミニカ側との交渉を進めるように指示をした。その結果,現地調査によって同移住地の詳細が判明する以前に,ドミニカ側に日本人移住者を送出することを申し出ることになった。 - 124 -さらに,その後,書記官及び所長が現地調査を行ったところ,上記(1)イのとおり,入植に当たって移住者が直面することになる様々な問題点が把握されたにもかかわらず,大使は,同月24日,外務大臣に対し,書記官の調査の報告として,同地区について,相当の山間だがドミニカのコーヒー地帯はいずれも大同小異である,気候は快適で,コーヒー樹は管理が良くなれば有望と認められること等を伝えただけで,現地調査によって把握されたその他の様々な問題点については報告しなかった。その結果,上記所長の調査内容が何ら考慮されることなく,同月26日付けで外務省から農林省に募集要領の作成が依頼され,募集が開始された。 そして,実際に,アグアネグラ地区及びアルタグラシア地区に入植した移住者らは,上記(1)ウのとおり様々な営農上の困難に直面することになったのである。 アルタグラシア地区第3次及びコンスタンサ地区第4次の移住(1)第1章で認定した基礎的事実関係及び証拠(甲29,甲24の2211,乙146,150,151)によれば,次の事実が認められる。 アドミニカへの移住が昭和33年7月に中断してから,現地大使館は,移住再開に向けてその後の施策を検討し,同年11月10日付けで外務省本省に報告した(甲241。その中で,ドミニカ移住については,有利な)条件がある反面,栽培する作物の種類が指定され,入植地から外部への出 に向けてその後の施策を検討し,同年11月10日付けで外務省本省に報告した(甲241。その中で,ドミニカ移住については,有利な)条件がある反面,栽培する作物の種類が指定され,入植地から外部への出入りについて現地管理官の許可を要し,耕作物の販売が自由でない等の制約があること,また,日本人移住者の不安定性の最大の原因は耕作地の面積にあり,第1次の移住であるダハボン地区第1次では1家族当たり300タレア配分されるとの了解で渡航したものの入植してから約100タレアぐらいしか割り当てられていないこと等が指摘されていた。 イ現地大使館の書記官は,昭和33年10月,コンスタンサ地区を視察した。その報告書(乙150)では,同地区は,山脈中の盆地で土地の拡大- 125 -に制約を受けていること,日本人移住者は,入植当時50タレアのみ配分され,13家族(基礎的事実関係第4の2(3)のとおり,転住したのは14家族と認められ,この記載は誤記と解される)がハラバコア地区に。 転住した結果ようやく1戸当たり100タレアが配分されたことが指摘された。また,この視察で同地区における同年1月から9月にかけての日本人移住者の生産高がスペイン人移住者のそれと比較して著しく低かったことが判明したが,同書記官は,現地管理官の説明や移住者の説明を聞いて検討しただけで,それ以上の調査,検討はしなかった。 ウ書記官は,昭和33年11月末に,アグアネグラ地区及びアルタグラシア地区の視察を行った。その報告書(乙151)では,両地区について,山岳地帯で急斜面が多く,石灰層の岩石が多数あり,表土が浅いこと,コーヒー樹が長年手入れされずに放棄されてきたことが致命的であり,その手入れが容易でないこと,コーヒー樹が多い配分地と少ない配分地の差が激しく,1本もない配分地も2つあったこと,ド 表土が浅いこと,コーヒー樹が長年手入れされずに放棄されてきたことが致命的であり,その手入れが容易でないこと,コーヒー樹が多い配分地と少ない配分地の差が激しく,1本もない配分地も2つあったこと,ドミニカ農務省によるコーヒー栽培の技術指導が,専門技師による指導回数が極めて少なく,不十分であること,入植者はコーヒー園の除草手入れ等に忙殺され,若干の蔬菜栽培及び生活補給金等で生活し,営農は楽とはいえないこと等が指摘された。 エ大使は,昭和33年12月26日,ドミニカの農務大臣と,再開後の第1次日本人移住者の受入れについて打合せを行った際,同大臣から,コンスタンサ地区は土地が狭小なので8家族を入植させ配分地を35タレアとし,入植後の成績によって拡大することを考えており,入植後しばらくしてから新しい土地を購入して与える用意であるとの説明を受けた。 大使は,昭和34年1月ころ,外務大臣に対し,移住再開後の日本人移住者の選考について留意すべき点を具申した(甲29。その中で,の221)従前の入植者についても土地配分面積について様々な問題があること,そ- 126 -れは,ドミニカに農耕に適した国有地が十分ないことも大きな阻害要因となっていること,ドミニカへの移住は,企業的野心を持つ者には失望を与えるおそれがあるため,堅実に小規模に農業経営を行って生活を充実させる目的を持った家族を選択することが絶対に必要であることなどを指摘した。 その後,現地大使館が,ドミニカ農務省に対し,同年1月29日付けの書簡を送付したことによって,移住再開後のアルタグラシア地区及びコンスタンサ地区への入植が決定された。 オ日本人移住者らがアルタグラシア地区に入植したところ(第3次は昭和34年9月6日,前記7(1)ウ記載のとおり営農が困難な状況に直面)した。 また,日 びコンスタンサ地区への入植が決定された。 オ日本人移住者らがアルタグラシア地区に入植したところ(第3次は昭和34年9月6日,前記7(1)ウ記載のとおり営農が困難な状況に直面)した。 また,日本人移住者らがコンスタンサ地区に入植したところ(第4次は同年6月30日,前記3(1)イ記載のとおりの営農上の困難に直面し)た。 カアルタグラシア地区第3次の移住者らは,募集要項上,1世帯当たり100タレアの土地が無償で使用を許され,将来ドミニカの法律の諸要件を充足の上は無償で譲渡される見込みであるとされていたが,配分予定地の整地が一部完了していなかったため,入植後予定どおり土地が配分されなかった(全く土地の配分を受けていない者もいた。また,昭和35年。)5月中旬ころ,土地の整地が完了し,この時まで土地の配分を受けていなかった家族に対し土地が配分されたが,その面積は80タレア程度に過ぎなかったコンスタンサ地区第4次の移住者らは,募集要項上,1世帯当たり50タレアの土地が無償で使用を許され,将来ドミニカの法律の諸要件を充足の上は無償で譲渡される見込みであるとされていたが,入植後25タレア程度の土地しか配分されなかった。 - 127 -(2)上記(1)認定事実によれば,アルタグラシア地区第3次及びコンスタンサ地区第4次の移住を決定する過程において,これらの入植地に関する調査について,次の問題点があったといわざるを得ない。 ア上記(1)アのとおり,ドミニカ移住が中断している間,現地大使館は,移住再開に向けての施策を検討し,その中で,日本人移住者の不安定性の最大の原因は耕作地の面積にあり,募集要項どおりの面積の土地が配分されていないことを問題視していた。特に,コンスタンサ地区については,上記(1)イのとおり,現地調査で,同地区は山脈中の の不安定性の最大の原因は耕作地の面積にあり,募集要項どおりの面積の土地が配分されていないことを問題視していた。特に,コンスタンサ地区については,上記(1)イのとおり,現地調査で,同地区は山脈中の盆地で土地の拡大に制約を受けていることを把握していた。さらに,上記(1)エのとおり,昭和33年12月26日のドミニカの農務大臣との打合せの際にも,同大臣から同地区は土地が狭小なので8家族を入植させ配分地を35タレアとする旨伝えられていた。大使も,昭和34年1月ころ,外務大臣に対し,ドミニカに農耕に適した国有地が十分にないことを具申していた。 このように,ドミニカ移住が中断していた間の被告内部の検討や,入植地の視察,ドミニカ政府との交渉を通して,それまでの入植で募集要項どおりの面積の土地の配分が実現されていなかったこと,そして,ドミニカに農耕に適した国有地が十分にないこと等が把握されていた。それにもかかわらず,移住を再開するに当たって,アルタグラシア地区及びコンスタンサ地区の土地配分の実現可能性について,十分な調査,検討が行われることはなかった。 そして,実際にも,移住再開後のアルタグラシア地区第3次の移住者ら及びコンスタンサ地区第4次の移住者らは,上記(1)カ認定のとおり,入植後予定どおりの土地の配分を受け得なかった。 イまた,ドミニカ移住が中断している間の現地大使館における移住再開に向けた施策の検討の中で,日本人移住者が直面している様々な問題が把握された。 - 128 -具体的には,コンスタンサ地区については,上記(1)イのとおり,現地視察で日本人移住者の生産高がスペイン人移住者のそれと比較して著しく低かったことが判明したにもかかわらず,書記官は,現地管理官の説明や移住者の説明を聞いてこれを検討したのみであった。また,前記3(1)認定 本人移住者の生産高がスペイン人移住者のそれと比較して著しく低かったことが判明したにもかかわらず,書記官は,現地管理官の説明や移住者の説明を聞いてこれを検討したのみであった。また,前記3(1)認定のとおり同地区でかねてから問題になっていた野菜の需要の有無や販売市場の大きさ,営農に必要である同地区の灌漑設備,供給される水量等についても,十分な調査,検討がされることはなかった。 また,アルタグラシア地区については,上記(1)ウのとおり,現地視察によって,同地区の地形や地質が入植し農業を営むのに適したものではないことが把握されていた。また,コーヒー栽培を予定した入植地であるにもかかわらず,その手入れが容易でなく,技術指導も不十分であり,場所によってはコーヒー樹が1本もないところがあり,既に入植している者たちがコーヒー栽培ではなく,若干の蔬菜栽培と生活補給金で生活するほど苦労していることが把握されていた。それにもかかわらず,同地区でコーヒー栽培により生活を成り立たせることが果たして可能であるか否かについて,十分な調査,検討がされることはなかった。 そして,実際にも,コンスタンサ地区の移住者らも,アルタグラシア地区の移住者らも,入植後,上記(1)オのとおり営農が困難な状況に直面することになったのである。 移住者の営農に対する制約の(1)第1章で認定した基礎的事実関係及び証拠(甲4ないし9,甲12,甲29,甲330,乙63,75,83,109,12 の145,1460,134,154,318)によれば,次の事実が認められる。 ア日本人移住者らは,ドミニカ各地の国営入植地に入植したため,1948年法(甲12,乙318)が適用されることになっており,この法の3律によれば,移住者らには次の制約等が課されていた。①農牧開拓省は,- らは,ドミニカ各地の国営入植地に入植したため,1948年法(甲12,乙318)が適用されることになっており,この法の3律によれば,移住者らには次の制約等が課されていた。①農牧開拓省は,- 129 -各入植地で耕作すべき作物その他の農業生産活動を指定でき,この指定が行われた場合は,入植者はこれに従わなければならない。ただし,入植者は,供与された土地の10分の1以内については,常に自己の裁量により他の作物又は生産活動のために使用することができる(以上6条)②。 入植者は,供与された土地の全部を最初の2年間に開拓しなければならない。不可抗力によらずして,土地の開拓について時の経過及び土地の面積に見合った進捗がみられないときは,入植者に対して契約の解消を通告することができる。入植者,その相続人又は承継人が自己の区画の土地の管理と農作業を3か月間放棄した場合,農牧開拓省はその者に対しその義務の履行の再開を通告し,催告から1か月以内に義務を履行しないときは,入植者としての権利を失う(以上8条)③土地の供与から起算して1。 0年後,入植者が契約条項,同法の規定及び施行規則を履行していたときは,入植者らは供与された土地の所有権を取得する(9条。④国境地)帯の国営入植地については,入植者が同法の規定,施行規則及び契約条項を履行した場合に限り,供与の日から起算して8年後に供与された土地の所有権を取得する(16条。 )公使は,昭和31年5月29日,M農務大臣と会談した際に,同大臣から,ダハボン地区第1次についての交換公文の文言は,日本人移住者に入植に際し土地の所有権を直ちに与えるという趣旨ではないとの指摘を受け,初めてそのことを知り,その後調査を進めた結果,同年7月に至ってようやく上記1948年法の内容を把握した。 イまた,M書簡及び 植に際し土地の所有権を直ちに与えるという趣旨ではないとの指摘を受け,初めてそのことを知り,その後調査を進めた結果,同年7月に至ってようやく上記1948年法の内容を把握した。 イまた,M書簡及びこれに対する行使の返簡により基本的に確定したドミニカ移住の基本的条件では,そのe項で,移住者は,農務省が土地性状に従って割り当てる作物を積極的に栽培し,その手入れをし,収穫のために良好なる状態に維持する義務を負う,とされていた。 ウ各地区への入植についての募集要領,それと同内容の募集要項には上記- 130 -ア及びイの制約について正確かつ十分な記載がなかった。 ダハボン地区第1次の募集要項では,1世帯当たり300タレアの土地が無償譲渡されると記載され,上記ア及びイの制約についての具体的な記載は一切なかった。 また,コンスタンサ地区第1次以降実施された移住の募集要項(後記ドゥベルヘ地区第1次及び第2次並びにネイバ地区第1次及び第2次の募集要項を除く)には,土地が無償で使用を許され,将来ドミニカの法律の。 諸要件を充足の上は無償譲渡される見込みである旨の記載はされていたが,それ以上には,上記ア及びイの制約に関する記載はなかった。 そして,ドゥベルヘ地区第1次及び第2次並びにネイバ地区第1次及び第2次の募集要項には,土地に関して8年後ドミニカの法律の諸要件を充足の上は無償で譲渡される見込みであるとの記載があり,また,ドゥベルヘ地区については,上記のほか,入植後3年間は土壌に多少の塩分を含むため,稲,隠元豆,葱等を栽培する義務があるとの記載がされていたが,それ以上には,上記ア及びイの制約に関する記載はなかった。 なお,いずれの募集要項にも,移住者の義務として,ドミニカの法令を守ること,ドミニカ政府が指定する場所において農業に専従することとの記載はさ それ以上には,上記ア及びイの制約に関する記載はなかった。 なお,いずれの募集要項にも,移住者の義務として,ドミニカの法令を守ること,ドミニカ政府が指定する場所において農業に専従することとの記載はされていた。 (2)上記(1)のとおり,移住者らは,入植後,1948年法や交換公文で取り決められた移住の基本的条件に基づいて営農や土地の所有権の取得に関し制約を課される立場にあった。これは,移住者の農業経営基盤の根幹にかかわる重要な事項であるというべきである。しかし,上記(1)のとおり,募集要領及び募集要項にはこれらの制約について具体的な記載が一切されていなかったり,不十分な記載しかされていなかった。 すなわち,ダハボン地区第1次の募集要項では,そもそも移住者に対する上記(1)ア及びイの制約について具体的な記載が一切されていなかった。 - 131 -また,コンスタンサ地区第1次以降実施された移住の募集要項には,上記(1)ウ認定の記載はされていたが,それ以上には,上記(1)ア及びイの制約に関する記載はされていなかった。この様な抽象的な記載では,移住者らがこれらの制約が課されることを的確に把握することは困難であったといわざるを得ない。 なお,いずれの募集要項にも,移住者の義務として,ドミニカの法令を守ること,ドミニカ政府が指定する場所において農業に専従することとの記載があったものの,これだけでは抽象的に過ぎ,移住者らがいかなる制約を負うことになるのか不明であり,情報提供として不十分であったというべきである。 第3移住政策遂行過程における職務上の法的義務違反の有無そこで,進んで,前記第1及び第2の認定説示に基づいて,ドミニカへの移住政策の遂行過程における調査及び説明義務違反をいう原告らの国家賠償法上の損害賠償請求について検討するに,当裁判所は,本 反の有無そこで,進んで,前記第1及び第2の認定説示に基づいて,ドミニカへの移住政策の遂行過程における調査及び説明義務違反をいう原告らの国家賠償法上の損害賠償請求について検討するに,当裁判所は,本件ドミニカ移住政策の遂行に関し外務大臣及び農林大臣には職務上の法的義務違反があったものと判断する。 その理由は,次のとおりである。 本件ドミニカ移住の性格前記第1の認定説示によれば,本件のドミニカ移住は,被告が当時重要な政策として位置付けていた日本国民の海外移住政策の一環として実施されたものであり,移住者らは,そのような国の政策の下に,ドミニカへの移住を決意して,実際に移住するに至ったものと認められる。 すなわち,日本人の海外移住については,昭和29年7月の閣議決定で,外務省,農林省及び海協連の担当事務の調整が行われ,翌昭和30年4月の閣議了解で,被告は,海外移住を政策として実施することを明らかにした。その上,同年5月の閣議了解で更に海外移住に関する各省の事務の調整を行い,これを受けて,海外移住の政策を実施するための部署を外務省,農林省に設置した。 - 132 -その後も,被告は,海外移住政策を積極的に推進した。このように,被告は,本件ドミニカ移住の企画立案が進められ,実施された当時,日本国民の海外移住を,重要な政策として位置付け,積極的に推進していたのである。 この海外移住政策の実施に当たっては,各省が次のような手順の下にその所掌事務を遂行していた。すなわち,外務省は,相手国政府との間で,日本人移住者の受入れ,その入植地,入植条件等について外交交渉を行う。また,その過程で,外務省及び農林省は,相手国の入植地等の調査を行い,相手国との交渉から得られた情報,現地調査から得られた情報等をもとに,相手国への移住を実施するに当たっての企画立案を行う を行う。また,その過程で,外務省及び農林省は,相手国の入植地等の調査を行い,相手国との交渉から得られた情報,現地調査から得られた情報等をもとに,相手国への移住を実施するに当たっての企画立案を行う。最終的に,外務省は,相手国政府との間で,日本人移住者の送出及びその受入れ,入植地及び入植条件等について取決めをする。そして,このように移住先の受入態勢が整い入植条件等が確定すると,農林省が,外務省と協議して募集要領を定め,海協連に対して募集を行うように指示する。そして,移民の募集,選考,講習,送出等の事務は,海協連が国の補助を受けて行う。 ところで,本件ドミニカへの移住政策の検討は,昭和29年8月27日,臨時代理公使がトルヒーヨ元帥から約2万家族の日本人移民の招致の申出を受けたことから始まった。この申出を受け,外務省は,ドミニカ政府と移住条件等について交渉した。また,昭和30年9月1日から同月28日までの間,Y調査団をドミニカへ派遣して現地調査を実施し,移住条件についてドミニカ政府と更に交渉した。その結果,Y調査団は,ダハボン地区等3地区に可及的速やかに500家族を送り出すことが賢明であり,日本人移民の地位を確立するためには最低1000家族の送出が必要であると判断した。そして,外務省は,日本人移住者の第1回目の入植地としてダハボン地区が最も適当であると判断し,その後更により具体的な移住条件(入植地,送出時期,送出人数,灌漑設備の整備等)についてドミニカ政府と交渉を重ね,積極的にドミニカ政府に対し日本人移住者の早期の受入れ実現を求めた。その結果,ダハボン地区第1次- 133 -の移住が決定され,外務省とドミニカ政府との間で交換公文を交わすことにより,昭和31年5月,移住の基本的条件が取り決められた。 その後の各地区への入植についても,外務省 ボン地区第1次- 133 -の移住が決定され,外務省とドミニカ政府との間で交換公文を交わすことにより,昭和31年5月,移住の基本的条件が取り決められた。 その後の各地区への入植についても,外務省がドミニカ政府との間で入植地,入植条件等について交渉を行い,協議をし,最終的にはドミニカ政府との間で交換公文を取り交わした。この過程で,入植予定地について,農林技官の調査や,現地公館や海協連の職員による視察を行ったりした。そして,ドミニカ政府との間で取り決めた具体的な移住条件や,入手した入植予定地に関する情報に基づいて,農林省は,外務省と協議して募集要領を定め,海協連に対して移住者の募集を行うように指示し,これを受けて,海協連が募集要領と同内容の募集要項を作成し,移住者の募集を行った。 その結果,昭和31年7月29日のダハボン地区への入植から昭和34年9月6日のアルタグラシア地区への入植までの間に十数回にわたり合計249家族,1319人がドミニカへ移住した。 外務省及び農林省の担当職員の職務上の法的義務違反このように,本件のドミニカ移住は,当時,被告が重要な政策として位置付けていた日本国民の海外移住政策の一環として実施されたものであり,移住者らは,そのような国の政策の下に,ドミニカへの移住を決意して,実際に移住するに至ったものといえるが,前記第2の認定説示を総合的に考察すると,本件ドミニカ移住政策の遂行の事務を分掌していた外務省及び農林省の担当部署所属の職員には,その職務の遂行に当たり,以下のとおり,条理に基づいて課せられた職務上の法的義務の違反があったものというべきである。 なお,被告は,本件移住は,ドミニカ政府が主体として行った事業であり,被告により国策として行われたものではないとして,条理を根拠として国の公務員に職務上の法的義務が発 があったものというべきである。 なお,被告は,本件移住は,ドミニカ政府が主体として行った事業であり,被告により国策として行われたものではないとして,条理を根拠として国の公務員に職務上の法的義務が発生することはない旨主張する。しかしながら,上記1説示のとおり,本件のドミニカ移住は,被告が当時重要な政策として位置付けていた日本国民の海外移住政策の一環として,外務省及び農林省において- 134 -企画立案し,海協連に指示して実施したものであることが明らかである。したがって,上記被告の主張は,その前提において理由がないというべきである。 (1)ドミニカへの第1陣の送出に至るまでの過程ア海外移住は,生活の本拠を我が国から移住先の国に移して,そこに新たな生活の基盤を構築しようとするものであり,通常は,移住先に永住する目的で,我が国にある資産等もすべて処分の上渡航することになる(本件ドミニカ移住の募集要領,募集要項でも,永住の目的での渡航が移民の資格とされていた。 。)このように,海外移住は,移住者及びその家族の人生に多大な影響を及ぼすものであるから,それを上記のとおり国の政策として企画,立案し,推進しようとする以上,被告は,受入国との外交交渉等により,その目的を達するにふさわしい移住先を確保するように配慮することが求められるというべきである。そして,本件のように農業移民の場合には,何よりも入植地の農業適性が問題になるので,被告は,受入国であるドミニカ政府との外交交渉等により,農業に適した,しかも,農業移民に求められる努力を積めば所期の目的を達し得る農地を備えた移住先を確保するように配慮することが求められるというべきである。 イこのような観点に立って検討すると,前記第2の認定説示によれば,臨時代理公使が,昭和30年2月15日から18日ま 得る農地を備えた移住先を確保するように配慮することが求められるというべきである。 イこのような観点に立って検討すると,前記第2の認定説示によれば,臨時代理公使が,昭和30年2月15日から18日までの間に行った日本人の入植予定地の一部の視察で,その印象として「山岳を縫って所々に肥,沃な可耕地が散在するのが実際である。従って大規模な集団入植の希望は持てないが,数十家族ずつの分散入植は充分可能性があらう「山岳に」,挟まれた可耕地であるから比較的近距離にあっても夫々の状況に相当の差異のある場合もあり,かたがた個々の入植候補地の状況は夫々について充分の調査を遂げる必要があると思われる」旨を指摘していたことなどに。 かんがみると,その後同年9月に実施されたY調査団の現地調査において- 135 -は,日本人移住者に予定されている入植予定地の農業適性について,上記観点から十分に調査する必要があったというべきである。しかるに,同調査団は,上記第2の1及び2(1)認定説示の調査をするにとどまったのであるから,入植予定地に関する農業適性の調査を十分に尽くさなかったものといわざるを得ない。 また,同調査団は,ドミニカ政府との間の受入条件に関する交渉においても,受入条件に関する細部の詰めを十分にしないまま,検討を進めた面がある。特に,前記第2の1(2)イ(ア)説示のとおり,ドミニカ移住政策を企画立案する上で重要な事項について,交渉結果の確認を求める趣旨で発した書簡に対する返信が得られなかったにもかかわらず,それらについて更に確認するなどの詰めをすることなく,それらの受入条件が与えられるならば,ダハボン地区等3地区に対し可及的速やかに500家族の送出を決定し,その実施措置を講ずることが賢明であると速断した。この点においても,上記観点に照らすと,調査 ,それらの受入条件が与えられるならば,ダハボン地区等3地区に対し可及的速やかに500家族の送出を決定し,その実施措置を講ずることが賢明であると速断した。この点においても,上記観点に照らすと,調査団の使命を十分に尽くさなかったものといわざるを得ない。 さらに,前記第2の1(2)イ(イ)説示のとおり,現地公使館は,外務大臣からの訓令を受けて,ドミニカ側から,ダハボン地区への受入れについて,灌漑用水の確保等の関係で難色が示されているにもかかわらず,そうした状況について十分に調査することなく,日本人移住者であれば対処できるとして,早期の実現を強く働きかけた。この点については,後日,公使とM農務大臣との協議の際に,同大臣から,ダハボンのラヴィヒア地区の灌漑のための用水路の延長工事に着手し始めたこと,また,井戸を掘ってみたところ良い地下水が出たことの報告がされてはいるが,それまでの間の同大臣らの対応振りとの対比,更には上記観点に照らして検討してみると,灌漑用水の確保の面について,より慎重に調査,検討をすべきであったというべきである(現に,ダハボン地区に入植した移住者らは,基- 136 -礎的事実関係第4の1(2)認定のとおり,灌漑用水の確保の面で困難を来すことになったのである。 。)ウ以上の認定説示を総合して考察すると,少なくとも,本件ドミニカ移住政策に関し第1陣の送出に至るまでの過程において上記イ摘示の各事務を担当していた外務省及び農林省の担当部署所属の職員は,農業に適した,しかも,農業移民に求められる努力を積めば所期の目的を達し得る農地を備えた移住先を確保するように配慮すべき職務上の法的義務を条理上負っていたにもかかわらず,その職務の遂行に当たり,上記イ摘示のとおり,それを尽くさなかったものというべきである。 (2)各入植予定地 備えた移住先を確保するように配慮すべき職務上の法的義務を条理上負っていたにもかかわらず,その職務の遂行に当たり,上記イ摘示のとおり,それを尽くさなかったものというべきである。 (2)各入植予定地の農業適性の有無に関する調査等上記(1)ア説示のとおり,被告は,受入国であるドミニカ政府との外交交渉等により,日本人移住者の入植予定地について,農業に適した,しかも,農業移民に求められる努力を積めば所期の目的を達し得る農地を備えた移住先を確保するように配慮することが求められたというべきである。そこで,以下,各入植予定地の農業適性の有無に関する調査,検討等に関する担当職員の職務上の法的義務違反の有無を,原告らに関係する入植地について,前記第2の2ないし8の認定説示に基づいて検討すると,少なくとも,次の点において,法的義務違反があったものというべきである。 アダハボン地区第1次の移住について前記第2の2(1)認定説示のとおり,ダハボン地区については,一応の調査がされたものの,その過程で把握された水不足,浸水の問題点について,ドミニカ側が,早急に対策を講じることが困難であるとして,同地区へ日本人移住者を入植させることについて躊躇する姿勢を示していたにもかかわらず,外務省本省及び現地公使館は,それらの問題点は日本人移住者にとって大した問題とはならないであろうとの態度を示して,移住の実現を急ぎ,ドミニカ政府による灌漑設備の整備や,治水対策の予定等に- 137 -ついて十分に吟味することなく,移住の実施に踏み切ったことが明らかである。 そして,実際に,同地区への移住者らは,灌漑用水の確保に悩まされたのである。 イコンスタンサ地区第1次及び第2次の移住について前記第2の3認定説示のとおり,コンスタンサ地区では蔬菜等の栽培が予定されていたが,その需 区への移住者らは,灌漑用水の確保に悩まされたのである。 イコンスタンサ地区第1次及び第2次の移住について前記第2の3認定説示のとおり,コンスタンサ地区では蔬菜等の栽培が予定されていたが,その需要の有無,市場の大きさ,流通の手段・方法等について十分な調査,検討がされることはなかった。また,同地区の灌漑設備,供給される水量等についても,同様であった。 実際に,同地区においては,野菜の消費市場が狭小で,都市までの距離も遠く,その販売には困難が伴い,しかも,営農に必要な水が十分に確保されていなかった。 ウダハボン地区第4次の移住について前記第2の4認定説示のとおり,ダハボン地区における水量不足の問題点については,公使らによる昭和31年9月29日の現地視察等に照らすと認識可能であったが,その問題について調査が尽くされることはなかった。 そして,実際にも,第4次の移住者らの一部は,入植後半年ほどで,現地大使館に対し,配分された土地が耕作に不適当であること,水不足で栽培が困難であること等を理由に他地区への転住のあっせんを陳情するに至り,入植の翌年の昭和33年8月にアルタグラシア地区に転住する事態に至ったのである。 エドゥベルへ地区第1次及び第2次並びにネイバ地区第1次及び第2次の移住について前記第2の5認定説示のとおり,大使は,両地区の移住者の募集が開始される前に,ドゥベルヘ地区の土地に塩分が含まれていることや両地区の- 138 -灌漑耕地が十分でないことを把握していたが,両地区の農業適性の有無について十分に調査が行われることはなかった。また,両地区の募集が開始された後にも,大使らは,両地区の視察を行い,ドゥベルヘ地区の水量が不十分であることを聴取しており,さらに,A技官の調査でも両地区の営農に関して様々な問題点が指摘されていた。以上 両地区の募集が開始された後にも,大使らは,両地区の視察を行い,ドゥベルヘ地区の水量が不十分であることを聴取しており,さらに,A技官の調査でも両地区の営農に関して様々な問題点が指摘されていた。以上のような問題点が把握されたにもかかわらず,両地区への入植の適否について調査が尽くされることはなく,移住の実施についても,再検討されることなく予定どおり進められた。 そして,実際に,ドゥベルヘ地区及びネイバ地区に入植した移住者らは,営農が困難な状況に置かれ,その結果,他の移住地への転住や集団帰国することを余儀なくされた者が相当数現れたのである。 オハラバコア地区第1次の移住について前記第2の6認定説示のとおり,大使は,ハラバコア地区にまだ灌漑施設がないことを知らされていた以上,それまでの各入植地の実情に照らすと,同地区の営農に必要な水量が確保されるのか否かといった点について具体的に検討すべきであったが,この点につき入植決定前には何ら調査がされておらず,決定後のA技官の調査でも十分な調査が尽くされなかった。 さらに,A技官は,実際に野菜類の需要がどれほどあるのかについても十分な検討をしなかった。 そして,実際に,同地区は,水の絶対量が少なく,水利の便も悪く,干ばつの時には水不足になることがあり,また,野菜の販売には困難を伴った。 カアグアネグラ地区第1次及び第2次並びにアルタグラシア地区第1次の移住について前記第2の7認定説示のとおり,外務省は,ドミニカから提案されたコーヒー栽培移住地について調査の必要性を認識し,現地大使館から報告さ- 139 -れた情報にも検討を要すべきものが含まれていたが,更なる調査を行うことなく,ドミニカ側から得られた情報のみをもって移住者を送出する方針を固め,ドミニカ側に日本人移住者の送出を申し出ることにした。さ れた情報にも検討を要すべきものが含まれていたが,更なる調査を行うことなく,ドミニカ側から得られた情報のみをもって移住者を送出する方針を固め,ドミニカ側に日本人移住者の送出を申し出ることにした。さらに,その後,書記官及び所長が現地調査を行ったところ,入植に当たって移住者が直面することになる様々な問題点が把握されたため,このような移住地へ移住者を送出することの適否について,再度慎重な検討を行うべきであった。しかし,これらの問題点について早急には報告されなかったため,上記調査内容について何ら考慮されることなく,外務省から農林省に募集要領の作成が依頼され,募集が開始された。 そして,実際に,アグアネグラ地区及びアルタグラシア地区に入植した移住者らは,様々な営農上の困難に直面することになった。 キアルタグラシア地区第3次及びコンスタンサ地区第4次の移住について前記第2の8認定説示のとおり,ドミニカ移住が中断している間の現地大使館における移住再開に向けた施策の検討の中で,日本人移住者が直面している様々な問題が把握された。しかも,コンスタンサ地区については,現地を視察した書記官が日本人移住者の生産高がスペイン人移住者に比し著しく低かったことを把握したにもかかわらず,その点について十分な検討を行わなかった。また,かねてから問題になっていた野菜の需要の有無や販売市場の大きさ,営農に必要である同地区の灌漑設備,供給される水量等についても,十分な調査,検討がされなかった。また,アルタグラシア地区については,現地視察によって,営農に適さない同地区の地形や地質,コーヒー栽培に伴う困難が把握されていたにもかかわらず,同地区でコーヒー栽培により生活を成り立たせることが果たして可能であるか否かについて,十分な調査,検討がされることはなかった。 そして,実際に, コーヒー栽培に伴う困難が把握されていたにもかかわらず,同地区でコーヒー栽培により生活を成り立たせることが果たして可能であるか否かについて,十分な調査,検討がされることはなかった。 そして,実際に,コンスタンサ地区の移住者らも,アルタグラシア地区の移住者らも,入植後,営農が困難な状況に直面することになったのであ- 140 -る。 ク小括以上(前記第2の2ないし8を含む)の認定説示を総合して考察する。 と,少なくとも,本件ドミニカ移住政策に関し,各入植予定地を決定し入植を実施する過程において上記アないしキ摘示の各事務を担当していた外務省及び農林省の担当部署所属の職員は,農業に適した,しかも,農業移民に求められる努力を積めば所期の目的を達し得る農地を備えた移住先を確保するように配慮すべき職務上の法的義務を条理上負っていたにもかかわらず,その職務の遂行に当たり,上記アないしキ摘示のとおり,入植予定地の農業適性の有無に関する調査,検討等において,上記法的義務を尽くさなかったものというべきである。 (3)入植地で配分される土地の面積等上記(1)ア説示の観点からすると,被告は,上記(2)で取り上げた入植予定地の農業適性について調査等を尽くすことのほかに,配分される予定の土地の面積等についても配慮することが求められていたというべきである。 そこで,以下,この点に関する担当職員の職務上の法的義務違反の有無を,原告らに関係する入植地について,前記第2の2ないし8の認定説示に基づいて検討すると,少なくとも,次の点において,法的義務違反があったものというべきである。 アダハボン地区第1次の移住について前記第2の2(2)認定説示のとおり,ダハボン地区第1次の配分される土地の面積については,最終的に交換公文で「300タレアまでの土地を供与する」と取り である。 アダハボン地区第1次の移住について前記第2の2(2)認定説示のとおり,ダハボン地区第1次の配分される土地の面積については,最終的に交換公文で「300タレアまでの土地を供与する」と取り決められ,しかも,移住者らは,1948年法の適用により,入植後直ちに土地の所有権を取得できないこととされていた。しかし,交換公文で入植条件が確定する前に募集要領が作成され募集が開始されたこともあり,募集要領及び募集要項には,制約事項のない「300- 141 -タレアの土地が無償譲渡される」との記載がされた。 配分される土地の面積がどれほどかということや,土地所有権の取得に関しどのような制約があるかということは,移住者の農業経営基盤の確保にかかわる重要な問題であり,被告はドミニカへの移住政策を推進する以上,これらの点につき的確に情報を収集し,把握する必要があった。しかし,これらの点について十分な調査を行わないまま,交換公文で入植条件が確定される前に,それとは異なる移住条件を示して募集を開始した。そして実際に,移住者らに対しては,入植後5か月近く経過した後に,ようやく1戸当たり85タレア前後の土地が配分されただけであった。 このように,ダハボン地区第1次の移住を実施する過程においては,移住の実現を急ぐ余り,配分される土地の面積が正確に把握されないまま募集が開始され,土地所有権の取得に対する制約についても十分な調査が行われなかったものといわざるを得ない。 イコンスタンサ地区第1次及び第2次の移住について前記第2の3認定説示によれば,募集要項上,1世帯当たり100タレアの土地が無償で使用を許され,将来ドミニカの法律の諸要件を充足の上は無償譲渡される見込みであるとされていたが,技官らが同地区のスペイン人移住者から土地の配分が十分に実現されていないと り100タレアの土地が無償で使用を許され,将来ドミニカの法律の諸要件を充足の上は無償譲渡される見込みであるとされていたが,技官らが同地区のスペイン人移住者から土地の配分が十分に実現されていないとの情報(具体的には,予定面積50タレア中20タレアのみ配分されたというもの)を得ていたにもかかわらず,1世帯当たり100タレアという土地配分の実現可能性について十分に調査が尽くされなかった。 現に,同地区においては,当初配分された土地の面積が,募集要領及び募集要項に記載されていた100タレアと比べその半分程度にとどまり,入植の翌年には他所への転住を求める動きが生じ,14家族が昭和33年2月にハラバコア地区に転住する事態に至った。 ウダハボン地区第4次の移住について- 142 -同移住については,募集要項上,最高300タレアまでの地役権を当初無償提供し,ドミニカの法律の定める条件に従い一定期間耕作した場合に所有を認められるとされていた。しかるに,前記第2の4認定説示のとおり,昭和30年の技官の報告及び昭和31年7月時点で現地公使館が得ていた情報によれば,配分される土地の面積に不足が生ずるおそれがあり,しかも,そのことについて十分に認識可能であったにもかかわらず,その点について吟味が尽くされることはなかった。 そして,実際に,第4次で入植した移住者らには80タレア程度の土地しか配分されなかった。 エハラバコア地区第1次の移住について同移住については,募集要項上,1世帯当たり100タレアの土地が無償で使用を許され,将来ドミニカの法律の諸条件を充足の上は無償で譲渡される見込みであるとされていた。しかるに,前記第2の6認定説示のとおり,昭和32年8月にM農務大臣からハラバコア地区への入植について打診を受けるまでの間に実施されたドミニカへの移住に は無償で譲渡される見込みであるとされていた。しかるに,前記第2の6認定説示のとおり,昭和32年8月にM農務大臣からハラバコア地区への入植について打診を受けるまでの間に実施されたドミニカへの移住において,交換公文で合意されたとおりの面積の土地がドミニカ政府から配分されておらず,また,入植決定後ではあるが,同年9月下旬のA技官の調査によって,差し当たりの配分面積は1戸当たり50タレアにとどまることが判明していたにもかかわらず,1世帯当たり100タレアの土地配分の実現可能性について十分に吟味が尽くされることはなかった。 現に,同地区においては,入植後しばらくしてから50タレア程度の土地が配分されただけであった。その後,土地の増配が実現したのは,昭和37年に入ってからのことであり,しかも25タレアのみであった。 オアルタグラシア地区第3次及びコンスタンサ地区第4次の移住について同移住については,募集要項上,土地は無償で使用を許され将来ドミニカの法律の諸要件を充足の上は無償で譲渡される見込みであり,1世帯当- 143 -たりの配分面積は,アルタグラシア地区第3次については100タレア,コンスタンサ地区第4次については50タレアとされていた。 ところで,前記第2の8認定説示のとおり,ドミニカ移住が中断している間,現地大使館は,移住再開に向けての施策を検討し,その中で,日本人移住者の不安定性の最大の原因は耕作地の面積にあり,募集要項どおりの土地面積が配分されていないことを問題視していた。それにもかかわらず,移住を再開して,アルタグラシア地区及びコンスタンサ地区への移住を決定する過程において,予定された面積の土地配分の実現可能性について,十分な調査,検討が行われなかった。 現に,アルタグラシア地区第3次の移住者らは,入植後予定どおりには土地が配 ンサ地区への移住を決定する過程において,予定された面積の土地配分の実現可能性について,十分な調査,検討が行われなかった。 現に,アルタグラシア地区第3次の移住者らは,入植後予定どおりには土地が配分されず,昭和35年5月中旬ころ,この時まで土地の配分を受けていなかった家族に対し土地が配分されたが,その面積は80タレア程度に過ぎなかった。また,コンスタンサ地区第4次の移住者らは,入植後25タレア程度の土地しか配分されなかった。 カ小括以上の認定説示を総合して考察すると,少なくとも,本件ドミニカ移住政策に関し各入植予定地を決定し送出を実施する過程において上記アないしオ摘示の各事務を担当していた外務省及び農林省の担当部署所属の職員は,その職務の遂行に当たり,農業に適した,しかも,農業移民に求められる努力を積めば所期の目的を達し得る農地を備えた移住先を確保するように配慮すべき職務上の法的義務を条理上負っていたにもかかわらず,その職務の遂行に当たり,上記アないしオ摘示のとおり,入植地で配分される予定の土地の面積等に関する調査,検討等において,上記法的義務を尽くさなかったものというべきである。 (4)移住条件に関する情報提供義務ア海外移住は,上記(1)ア説示のとおり,移住者及びその家族の人生に- 144 -多大な影響を及ぼすものである。また,本件当時の状況からすれば,国民は,遠く離れたドミニカの移住地の状況について自ら調査することには困難を伴う実情にあったというべきであるから,被告においてドミニカへの移住政策を推進する以上は,その事務を担当していた部署の職員は,国民においてドミニカへ移住するか否かを判断する際に必要となる重要な事項に関する情報については,それを的確に収集し,移住希望者に対し提供すべき職務上の法的義務を条理上負っていたと いた部署の職員は,国民においてドミニカへ移住するか否かを判断する際に必要となる重要な事項に関する情報については,それを的確に収集し,移住希望者に対し提供すべき職務上の法的義務を条理上負っていたというべきである。 そして,前記第2の9の認定説示によれば,次のことが明らかである。 日本人移住者らは,入植後,1948年法や交換公文で取り決められた移住の基本的条件に基づいて営農や土地の所有権の取得に関し制約を課される立場にあったが,これは,移住者の農業経営基盤の根幹にかかわる重要な事項であるというべきである。 しかるに,募集要領及び募集要項にはこれらの制約について具体的な記載が一切されなかったり,不十分な記載しかされなかった。すなわち,ダハボン地区第1次の募集要項では,そもそも移住者に対する上記各制約(具体的には,前記第2の9(1)ア及びイの制約)について具体的な記載が一切されなかった。また,コンスタンサ地区第1次以降実施された移住の募集要項(後記ドゥベルヘ地区第1次及び第2次並びにネイバ地区第1次及び第2次の募集要項を除く)には,土地が無償で使用を許され,。 将来ドミニカの法律の諸要件を充足の上は無償譲渡される見込みである旨の記載はされていたが,それ以上には,上記各制約に関する記載はなかった。ドゥベルヘ地区第1次及び第2次並びにネイバ地区第1次及び第2次の募集要項には,土地に関して8年後ドミニカの法律の諸要件を充足の上は無償で譲渡される見込みであるとの記載があり,また,ドゥベルヘ地区については,上記のほか,入植後3年間は土壌に多少の塩分を含むため,稲,隠元豆,葱等を栽培する義務があるとの記載がされたが,それ以上に- 145 -は,上記各制約に関する記載はなかった。この様な抽象的な記載では,移住者らがこれらの制約があることを的確に把握する 稲,隠元豆,葱等を栽培する義務があるとの記載がされたが,それ以上に- 145 -は,上記各制約に関する記載はなかった。この様な抽象的な記載では,移住者らがこれらの制約があることを的確に把握することは困難であったといわざるを得ない。 ところで,1948年法による制約については,公使が昭和31年5月29日にM農務大臣から土地の所有権に関する指摘を受けたのであるが,当時,既にダハボン地区第1次の募集を開始していたのであるから,迅速に調査をすべきであったというべきところ,同年7月に至るまで同法の内容が把握されず,また,把握された後も,募集要項等には,上記のとおりの記載がされるにとどまり,上記各制約について十分には記載されなかった。 したがって,少なくとも,これらの事務を担当していた外務省及び農林省の担当部署所属の職員には,その職務の遂行に当たり,職務上の法的義務違反があったというべきである。 イなお,原告らは,以上のほかに,入植地の実情について,説明義務違反があった旨主張する。しかしながら,原告ら主張に係る各入植地の情報提供に関する問題は,基本的には,本件ドミニカ移住政策の企画立案の過程において調査義務が尽くされなかったことに基因する事柄というべきものである。本件においては,結果的に,移住希望者に対して的確に情報が提供されなかった面が多々あるが,それは,その前提となる調査義務が尽くされていなかったために生じた事態であるといわざるを得ない(その調査に関する事務の担当部署所属の職員に法的義務違反が認められることは,前記(1)ないし(3)説示のとおりである。そして,他に,この点。)に関与した公務員の情報提供上の注意義務違反を基礎づけるに足りる証拠もない。 また,原告らは,入植が行われた当時,ドミニカがトルヒーヨ元帥の独裁国家であったこ りである。そして,他に,この点。)に関与した公務員の情報提供上の注意義務違反を基礎づけるに足りる証拠もない。 また,原告らは,入植が行われた当時,ドミニカがトルヒーヨ元帥の独裁国家であったことを説明しなかったことについて被告に説明義務違反が- 146 -あった旨主張する。しかしながら,被告は,ドミニカ移住の実施を検討していた昭和30,31年の時点において,ドミニカが立憲共和制で,三権分立主義を採用し,立法府は二院制で制度上は大統領が元首となっていること,実権はトルヒーヨ元帥が事実上握っていること,同元帥は,長年にわたる政治を通じて,ドミニカの政権の混乱を安定させ,同国の財政を再建し,産業開発を行い,諸施設の整備を実施するなどしており,その地位は確立したもので,引き続きその体制が存続するであろうと認識していた(甲29,乙22,23。被告がドミニカの政治体制についてこの270)のように認識していたことについては,基礎的事実関係第5の1(1)認定のその後の経緯等に照らすと,調査が十分に尽くされていたのか疑問の余地もあり得ようが,上記認定事実に加え,ドミニカが国際連合や米州機構の一員であったこと等,当時国際社会において主権国として認知されていたことにかんがみると,被告が,上記認識の下に,本件移住を推進する過程でドミニカの政治体制について特に情報提供を行わなかったとしても,情報提供義務違反があったとまで断定することはできない。 ウ他方,被告は,本件における情報提供行為は,都道府県及び海協連に対するものであり,原告らに対するものではなく,また,法的義務を前提としない行政サービスにすぎないものであるから,仮に誤った情報が含まれていたとしても,直ちに違法となるものではない旨主張する。 しかし,上記1説示のとおり,本件のドミニカ移住は, また,法的義務を前提としない行政サービスにすぎないものであるから,仮に誤った情報が含まれていたとしても,直ちに違法となるものではない旨主張する。 しかし,上記1説示のとおり,本件のドミニカ移住は,被告が当時重要な政策として位置付けていた日本国民の海外移住政策の一環をなすものであり,しかも,入植地の所有権の取得や営農に関して一定の制約が課されることは,農業移民の根幹にかかわる重要な事項というべきものである以上,その事務を担当していた部署の職員は,条理上,国民において移住するか否かを判断する際に必要となるそのような重要な情報については,的確に収集し,移住希望者に対し提供すべき職務上の法的義務を負っていた- 147 -ものというべきであり,これを,単に,法的義務を前提としない行政サービスにすぎないものと解することはできない。したがって,上記被告の主張は,その前提において理由がない。 外務大臣及び農林大臣の職務上の法的義務違反本件ドミニカ移住政策遂行の事務を分掌していた外務省及び農林省の担当部署所属の職員には,その職務の遂行に当たり,以上摘示の諸点について,職務上の法的義務違反があったものというべきである。 そして,本件のドミニカへの移住は,被告が重要な政策として位置付けていた日本国民の海外移住政策の一環として,外務省及び農林省において企画立案し,海協連に指示して実施したものであるから,そうした行政事務を統括していた外務大臣及び農林大臣にも,同じく職務上の法的義務違反があったというべきであり,国家賠償法1条1項の規定の適用上違法の評価を免れないものというべきである。 なお,被告は,外務省設置法及び農林省設置法の各規定は行政組織法に分類されるものであるから,これらを根拠として,原告らが主張する外務大臣及び農林大臣の職務上の法的義務(調査 ものというべきである。 なお,被告は,外務省設置法及び農林省設置法の各規定は行政組織法に分類されるものであるから,これらを根拠として,原告らが主張する外務大臣及び農林大臣の職務上の法的義務(調査義務,説明義務等)が生ずることはない旨主張する。確かに,被告が主張するとおり,外務省設置法,農林省設置法等の各省庁の設置法は,直接,行政主体と国民との間の権利義務に関する定めをするものではない。しかしながら,以上認定説示したところによれば,本件においては,ドミニカ移住政策遂行の事務を分掌していた外務省及び農林省の担当部署所属の職員には,その職務の遂行に当たり,条理上,上記認定説示のとおりの職務上の法的義務が課せられていたものと判断される。それにもかかわらず,当該職員がそれを尽くさなかった以上,本件ドミニカ移住政策の性格等にかんがみると,そうした行政事務を統括していた外務大臣及び農林大臣にも,同じく条理上発生した職務上の法的義務違反があったものと判断される。被告の上記主張は,採用できない。 - 148 -そして,上記職務上の法的義務違反により,原告らは,後記第5の4(2)認定のとおり,ドミニカ移住により物心両面にわたって幾多の辛苦を重ねることを余儀なくされてきたことからすれば,その結果,多大な損害を被ったものと認めることができるので,被告には,以上の諸点に関し,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求義務が発生したものといわなければならない。 第4保護義務違反を理由とする国家賠償請求について原告らは,国家賠償請求の原因として,以上において判断したドミニカへの移住政策の遂行過程における職務上の法的義務違反のほかに,保護義務に関する違反も主張しているので検討するに,当裁判所は,この主張を採用することはできないものと判断する。 その理由は,次のとお カへの移住政策の遂行過程における職務上の法的義務違反のほかに,保護義務に関する違反も主張しているので検討するに,当裁判所は,この主張を採用することはできないものと判断する。 その理由は,次のとおりである。 原告ら主張に係る保護義務違反の内容原告らは,その主張に係る保護義務の発生根拠について,次のように主張している。すなわち,原告らが移住を決意し移民に応募するか否かを決定する前提には外務大臣及び農林大臣による外交交渉,調査,説明という先行行為があり,これらが不十分であったり,虚偽を含んでいたりすれば必然的に原告らに損害をもたらすことになる,また,本件移民は国策移民であり,移住しない日本国民の利益にもなるよう行われたものである,したがって,外務大臣及び農林大臣は,移住の前後において,仮に募集要項から一般に看取される移住条件が実現されない場合には,その内容が実現され,原告らに損害が発生しないように,原告らを保護するために積極的に施策を行うべき義務(原告らはこれを「保護義務」と称している)があったというのである。 。 そして,原告らは,その作為義務(保護義務)の内容として,募集要項の内容を実現し,それが不可能であるなら,別途生活を保全する措置を講ずるなどして,原告らに損害を被らせないようにすることであるとして,具体的には,次の4点を主張している。 - 149 -第1は,外務大臣は,移住開始前に十分な外交交渉を行わなかったり,ドミニカ側から慎重な検討を要請されていたにもかかわらずそれを怠るなど,移民らの生活を保障するための努力を怠ったというものである。しかしながら,この主張は,結局のところ,外交上,十分な交渉を行わず,また,慎重な検討をすることなくドミニカ移住政策を遂行したことを問題とするものであり,こうした点に関する判断は,既に前記第 ある。しかしながら,この主張は,結局のところ,外交上,十分な交渉を行わず,また,慎重な検討をすることなくドミニカ移住政策を遂行したことを問題とするものであり,こうした点に関する判断は,既に前記第1ないし第3において説示したとおりである。 第2は,外務大臣及び農林大臣は,移住実施後,募集要項から一般に看取される移住条件が実現されない場合には,その内容を実現するように努力すべき義務を負う,具体的には,①外務大臣は,ドミニカ政府に対し,土地の配分や所有権の取得を要求し,代替地の交付を求めるなどの外交交渉をする義務を負い,それでも土地が取得できない場合は,外務大臣及び農林大臣は,自ら農業適地の土地を取得して移住者に交付すべき義務を,また,②外務大臣及び農林大臣は,募集要項に表示された生活基盤を確保するための諸条件を実現するための措置を講ずべき義務を負うにもかかわらず,これらの義務(以下「移住実施後の募集要項の内容の実現義務」と略称することがある)を怠ったと。 いうものである。 第3は,残留原告らに対する義務違反の主張である。すなわち,外務大臣は,残留原告らに対し「日本に帰国せずにドミニカに残留すれば,営農資金を融,資し,当初に約束したとおりの面積の土地を配分すること」を約束したにもかかわらず,約束どおりの土地の配分を行わなかったというものである。 第4は,帰国原告らに対する義務違反の主張である。すなわち,外務大臣及び農林大臣は,先行行為に基づいて,帰国原告らに対し,積極的にその生活を保全するための施策を講ずべき義務を負うにもかかわらず,これを怠ったというものである。 ところで,国家賠償法1条1項は,国の公権力の行使に当たる公務員が,個- 150 -別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違反して当該国民に損害を加えたときに,国がこ ったというものである。 ところで,国家賠償法1条1項は,国の公権力の行使に当たる公務員が,個- 150 -別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違反して当該国民に損害を加えたときに,国がこれを賠償すべきことを規定するものと解される(最高裁昭和60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512頁参照)が,原告らの上記主張は,この職務上の法的義務について,その主張に係る先行行為に基づき,その主張に係る作為義務(保護義務)が条理上発生することを主張するものと解される。そして,先行行為に基づいて,上記職務上の作為義務(保護義務)が条理上発生するための要件について,不作為による不法行為一般について論じられているところを参考にして検討すると,少なくとも,①その先行行為により,当該国民の生命,身体及び財産に重大な危険を惹起させる高度の蓋然性が存在すること,②当該公務員に,その結果の発生について予見可能性が存在すること,③当該公務員に,その結果の発生について回避可能性が存在することを要するものというべきである(最高裁昭和62年1月22日第1小法廷判決・民集41巻1号17頁参照。 )そこで,以下では,上記第2ないし第4の主張について,上記の観点に立って順次検討する。 移住実施後の募集要項の内容の実現義務違反の有無(1)集団帰国措置が講じられるまでの間第1章で認定した基礎的事実関係及び証拠(甲29,乙159,1の8972,173)によれば,次の事実が認められる。 アダハボン地区昭和32年3月に入植したダハボン地区第4次の移住者(28家族)の一部は,同年9月,現地大使館に対し,配分された土地が耕作に不適当であること,水不足で栽培が困難であること等を理由に他地区への転住のあっせんを陳情した。また,当時,ダハボン地区では,初期 8家族)の一部は,同年9月,現地大使館に対し,配分された土地が耕作に不適当であること,水不足で栽培が困難であること等を理由に他地区への転住のあっせんを陳情した。また,当時,ダハボン地区では,初期の移住者に課した稼働力確保のための家族構成の無理から生じた独身青年の処遇の在り方も課題になっていた。こうした点について,現地大使館がドミニカ農務省- 151 -と協議した結果,昭和33年8月29日,移住者7家族22人及び独身青年18人がアルタグラシア地区に転住した。 その後も,ダハボン地区では,移住者から土地の増配の要求が続いたため,現地大使館は,その旨を何度もドミニカ政府に要請したところ,ドミニカ農務省から,昭和35年5月9日付けの口上書で,同地区について,土地を完全に耕作した者に対しては水利の許す範囲内で最大限の土地を増配すべく関係当局に指令済みである旨の回答を得た。 イコンスタンサ地区コンスタンサ地区の移住者15人は,昭和32年9月18日,現地大使館に対しハラバコア地区への転住を陳情した。また,当時,同地区の残りの日本人移住者ら(同地区の30家族のうちの約半数)は,既に配分された50タレアの土地を一応全部耕作したとして,約束どおり100タレアまで土地を増配してもらいたい旨を強く求めるようになった。 そこで,大使は,農務大臣に対し,同年10月22日,上記土地増配要求について善処するよう申し入れていたところ,同年末に,同農務大臣から,コンスタンサ地区の土地問題の解決策として,転住希望者をハラバコア地区に転住させ,その耕作地をコンスタンサ地区に残留する者に増配したいとの提案がされた。これを受けて,大使は,同大臣に対し,昭和33年1月15日,14家族のハラバコア地区への転住許可及び転住者の土地をコンスタンサ地区の残留者へ増配することを申し 留する者に増配したいとの提案がされた。これを受けて,大使は,同大臣に対し,昭和33年1月15日,14家族のハラバコア地区への転住許可及び転住者の土地をコンスタンサ地区の残留者へ増配することを申し入れ,その承諾を得た。 そして,転住希望者14家族93人は,ハラバコア地区第1次の移住者の入植直後の同年2月上旬,ハラバコア地区に転住した。他方,コンスタンサ地区に残留した者に対しては,同年3月下旬ころ,土地の増配がされ,各戸の土地はおおむね100タレアに達した。 また,コンスタンサ地区第4次の移住者らは,入植後25タレア程度の土地しか配分されなかったため,数回にわたりドミニカ農務省,現地大使- 152 -館及び海協連ドミニカ支部に増配を要請した。これを受けて現地大使館は,ドミニカ政府に土地の増配を何度も要請した。 ウドゥベルへ地区ドゥベルヘ地区では,日本人移住者が入植した時点で灌漑用水路は完成しておらず,その上,昭和33年5月及び6月に相次いでドミニカを襲ったハリケーンのため,完成間近の用水路が大破し,水利の見通しがつかなくなった。現地大使館は,用水路の修繕を度々要請したが,工事はなかなか進捗しなかった。そのため,昭和32年12月及び昭和33年1月に入植した移住者らの大部分は,農務省が支給する補助金で生活を維持する状況にあったことから,同地区の入植者の間では,他の入植地への転住を求める空気が支配していた。 大使は,昭和34年2月11日,移住者代表から転住の陳情を受け,同日,ドミニカの農務大臣に対し,ドゥベルヘ地区の日本人移住者の実情を詳しく説明し,善処するように要請した。その結果,同年5月中旬,27家族がハラバコア地区に転住し,4家族のみが残留することになった。 エハラバコア地区ハラバコア地元互助会は,昭和34年10月20日付けで,支 し,善処するように要請した。その結果,同年5月中旬,27家族がハラバコア地区に転住し,4家族のみが残留することになった。 エハラバコア地区ハラバコア地元互助会は,昭和34年10月20日付けで,支部長に対し,各戸に配分された50タレアは既に完全に耕作したとして,残り50タレアの土地の増配を要請した。 この問題について,外務大臣から同年12月7日付けで,実情を調査の上移住者の要請に応えるべき旨の訓令を受けた大使は,ドミニカの農商務大臣に対し,同月17日,なるべく早く土地の増配を行って欲しい旨を要請した。その結果,昭和35年5月9日付け口上書により,ドミニカ農商務省は,現地大使館に対し,ドゥベルへ地区からの集団転住があったため予定どおりの土地配分ができなかったが,乾燥地を配分し牧草等の栽培を行わせることとした旨の報告をした。 - 153 -オアルタグラシア地区アルタグラシア地区第2次及び第3次の移住者ら17家族は,配分予定地の整地が一部完了していなかったため,昭和35年2月の時点でも土地が予定どおり配分されなかった。現地大使館は何度も農務省へ土地の配分を要請し,整地の促進を申し入れた。そして,同年5月中旬ころ,土地の整地が完了し,この時まで土地の配分を受けていなかった7家族に対し80タレア程度の土地が配分された。 同地区では,昭和36年4月26日の時点で,転住を希望した移住者らのうち3家族が,現地大使館のあっせんによってドミニカ農務省の許諾を得て,バラオナ県カノアに転住した。また,8家族が,現地大使館がドミニカ農務省と交渉した結果,同年4月22日までに,サンチェス・ラミレス国営入植地に転住した。さらに,1家族が,現地大使館のあっせんの下にドミニカ農務省の許諾を得て,バニーに転住した。 カネイバ地区ネイバ地区の移住者らは,昭和36 22日までに,サンチェス・ラミレス国営入植地に転住した。さらに,1家族が,現地大使館のあっせんの下にドミニカ農務省の許諾を得て,バニーに転住した。 カネイバ地区ネイバ地区の移住者らは,昭和36年3月20日,現地大使館に集団帰国を陳情した。これに対し,現地大使館や外務省の職員らは,説得に当たり,例えば,同年5月には,ネイバ地区に出張し,融資のあっせん,他の国営入植地への転住,自立営農の支援又はブラジル等への転住等様々な提案を行い説得を試みたりしたが,移住者らはこれらの提案には応じなかった。そこで,外務省は,同年6月ころ,生活困窮者で帰国を希望する者に対して国援法により帰国旅費を貸し付けることを決定し,ドミニカ政府に日本への送還について了承を求め,同年7月19日付けの公文で異議がない旨の回答を得た。その後,外務省は大蔵省と折衝し,ドミニカでの営農継続の見通しが全く立たない者等で,生活困難で自費帰国が不可能な者に対しては,国援法を適用して帰国措置を講じることとした。 キ生活補助金- 154 -移住者らは,入植してからしばらくの間は,ドミニカ政府から生活補助金の支給(具体的には,昭和34年5月の時点で,5人家族の場合は1日当たり2ドル)を受けており,昭和35年8月末の時点でも日本人移住者292家族のうち105家族がその支給を受けていた。同月末からその一部打切り及び支給金の一律20%削減が実施されたが,昭和37年1月の時点でも,当時在留していた日本人移住者299家族のうち95家族がその支給を受けていた。 (2)上記(1)アないしキの認定事実によれば,現地大使館は,移住者らの要望に対し,ドミニカ政府に要請し,一定の解決を導くなどして,それなりの対応を行っていたものといえる。 そして,基礎的事実関係の第5の1に見られるとおり,昭和35年 によれば,現地大使館は,移住者らの要望に対し,ドミニカ政府に要請し,一定の解決を導くなどして,それなりの対応を行っていたものといえる。 そして,基礎的事実関係の第5の1に見られるとおり,昭和35年8月に米州機構に加盟する20か国がドミニカに対する外交断絶及び経済封鎖を実施したこと,さらに,トルヒーヨ元帥が昭和36年5月30日に暗殺されてドミニカ国内が激しく混乱したことがドミニカの経済状態を悪化させ,そのことが移住後日が浅く生活基盤が未確立であった移住者らの生活に悪影響を及ぼす一因となったことが明らかである。 こうした事情を総合的に考察すると,確かに原告らが移住後多くの辛苦を重ねたことが本件記録上うかがわれるけれども,集団帰国措置が講じられるまでの間については,前記1説示の先行行為に基づいて職務上の法的義務として原告らが主張する保護義務が条理上発生するための要件が存在したものと認めることはできないというべきであり,他に,国の公務員の作為義務違反を基礎づける具体的事情が存在することについて具体的な主張,立証はない。 したがって,国の公権力の行使に当たる公務員に,先行行為に基づいて条理上個別の国民に対して原告ら主張に係る作為義務が生じたことを認めることはできない。 - 155 -そこで,以下,項を改めて,それ以降の期間に関して,残留原告らに対する保護義務違反の有無(前記1の第2及び第3関係)及び帰国原告らに対する保護義務違反の有無(前記1の第4関係)について,順次検討する。 残留原告らに対する保護義務違反の有無(1)原告らは,外務大臣は,残留原告らに対し「日本に帰国せずにドミ,ニカに残留すれば,営農資金を融資し,当初に約束したとおりの面積の土地を配分すること」を約束したにもかかわらず,約束どおりの土地の配分を行わなかった旨主張す 留原告らに対し「日本に帰国せずにドミ,ニカに残留すれば,営農資金を融資し,当初に約束したとおりの面積の土地を配分すること」を約束したにもかかわらず,約束どおりの土地の配分を行わなかった旨主張する(前記1の第3関係)ので,まず,この点について検討する。 ア基礎的事実関係第5の2によれば,次のことが明らかである。 昭和36年3月のネイバ地区移住者らによる集団帰国の陳情を契機として,外務省は,同年6月ころ,ドミニカに定着を希望する者に対しては,代替地の提供,耕地面積の増配,生活補助金の復活支給等について現地大使にドミニカ側の特別援助を更に要請させるとともに,移住振興会社の融資をあっせんし,海協連による営農指導を積極的に行わせる方向で対策を講ずることとした。 そして,同年9月に,移住局長は,ドミニカに赴いて各地の入植地を視察した際に,入植者らに対し,日本政府の基本的な方針は,どこまでもドミニカにとどまり営農を続けることを助成することであり,定着する決意のある者に対しては,移住振興会社の融資の便宜,海協連を通じての日本政府の補助金による機械器具の貸与等のできる限りの援護措置を講じるとともに営農指導等も考慮すること,そして,特殊な例外的措置として,帰国や他国への転住を検討していることを説明した。海協連ドミニカ支部は,同局長の説明を聞くことができなかった移住者にもその趣旨を周知させるために,同支部発行のカリビアンニュースに上記説明を掲載し,その後,以上の方針に基づいて指導することとした。 - 156 -なお,局長は,その機会に,ドミニカの農務大臣と会談し,日本人移住者が場所によっては過剰入植なので,一部の者が帰国した後に,その土地を営農意欲があるが土地が狭い者に対して配分することを要請したが,これに対し,同大臣は,日本人は配分地を他のドミニ 談し,日本人移住者が場所によっては過剰入植なので,一部の者が帰国した後に,その土地を営農意欲があるが土地が狭い者に対して配分することを要請したが,これに対し,同大臣は,日本人は配分地を他のドミニカ人に無断で売却している事例も多く,これらは十分調査して適正な処置を執るように努力したい,定着する日本人に対しては許される限りの援助を惜しまないと応じた。 イ以上の事実によれば,集団帰国の動きに対して被告が執った対応は,ドミニカに定着を希望する者に対しては,代替地の提供,耕地面積の増配,生活補助金の復活支給等についてドミニカ側に要請するとともに,移住振興会社による融資の便宜,海協連を通じての日本政府の補助金による機械器具の貸与等のできる限りの援護措置及び営農指導等をすることであったと認められる。 この点について,残留原告らの多くが,帰国転住措置の際に,現地大使館,外務省や海協連の職員らから,ドミニカに残るのであれば土地を配分すると伝えられた旨を供述等している(原告らが作成した陳述書として,の2,3,9,11,16,20の3,23,28,29,36の2,例えば,甲47,甲123,180。原告10,同11,同144の1,45の1,2,465,同18,同20の供述。しかし,上記認定の外務省の基本的方針及)び局長の移住者に対する説明内容のほか,上記カリビアンニュースには「本号で発表された移住局長談以外のことは何事も未決定であり」との記載がされていること(乙208)に照らすと,被告が,残留する移住者らに対し募集要項どおりの土地を増配することを確定的に約束したと認めることはできない。 そうすると,外務大臣が,残留原告らに対し「日本に帰国せずにドミ,ニカに残留すれば,営農資金を融資し,当初に約束したとおりの面積の土地を配分すること」を約束したこ 束したと認めることはできない。 そうすると,外務大臣が,残留原告らに対し「日本に帰国せずにドミ,ニカに残留すれば,営農資金を融資し,当初に約束したとおりの面積の土地を配分すること」を約束したことを前提とする上記1の第3の原告らの- 157 -主張は,その前提において理由がないことに帰する。 そこで,以下においては,残留原告らの前記1の第2の主張との関係で,被告がドミニカ政府に対して行った土地に関する交渉及びそれ以外の生活基盤の確保に関して被告が講じた措置ついて,国の公務員に職務上の義務違反が認められるか否かを,順次検討する。 (2)被告がドミニカ政府に対して行った土地に関する交渉関係ア基礎的事実関係第6の認定事実によれば,次のことが明らかである。 (ア)現地大使館は,ドミニカ農務省に対し,昭和37年2月,ハラバコア地区については,限られた場所における日本人移住者の過剰入植によって異常な状態となっているとして,同地区に入植していた87家族のうち58家族が帰国することとなったため,引き続き定住する家族に対し土地の増配を要望するとともに,日本人移住者の経済生活の基礎を確保するなどのために応急施策を講ぜられるように要望した。その結果,農務省は,同年4月ころ,ハラバコア地区に定着する20家族全員に対し25タレアの土地を増配した。 (イ)また,現地大使館は,農務省に対し,同年5月,コンスタンサのサビーナ地区に定着する9家族(うち1家族はハポネサ地区)に関して,今後の営農基盤の確立のためにも,最小限20タレア程度の土地の増配が必要であるとして,同年6月に南米に転住する者の土地を増配するように申し入れ,その応諾を得た。 この措置が講じられるに至った経緯は,次のとおりである。もともとサビーナ地区の移住者に対する土地の配分面積が,25タレア内 同年6月に南米に転住する者の土地を増配するように申し入れ,その応諾を得た。 この措置が講じられるに至った経緯は,次のとおりである。もともとサビーナ地区の移住者に対する土地の配分面積が,25タレア内外と著しく狭小であったため,現地大使館は,従来から何度もドミニカ農務省と増配について折衝していた。しかし,これら移住者の入植当時の経緯(ドゥベルへ地区その他からの転入)及び余剰土地がないことから,土地の増配を実現することが非常に困難な状況にあった。しかも,ドミニ- 158 -カ側においても,旧地主に対する土地返還又は補償問題や,ドミニカ国民からの土地配分についての強い要請がある状況の下で,南米に転住する移住者の土地が空くこととなったため,ようやく実現したものである。 (ウ)現地大使館は,昭和38年2月,農務省との間で,1948年法9条及び16条の規定と外国人による土地所有の禁止政策との関係に関して交渉し,国営入植地に定着している日本人移住者については,同法が適用され,同法9条及び16条により法律規則の定める諸条項を遵守すれば10年後(国境地帯においては8年後)に土地を所有する権利を取得する旨の確認を得た。 (エ)そこで,大使は,昭和39年7月,ドミニカの農務大臣に対し,ダハボン地区第1次の移住者の入植から同月29日で満8年を迎え,1948年法により移住者らが土地所有権を獲得することになっているので,日本人移住者らに同日地権を交付するように要請し,さらに,同地区第4次の移住者らに対しても,入植が半年遅れているが,第1次の者と一体となって営農してきたことから,同日に地権を交付するよう要請した。その結果,同日,ダハボン地区の第1次の移住者ら23家族及び第4次の移住者ら7家族に対し仮地権証が交付された。 (オ)現地大使館は,昭和41年9月以 きたことから,同日に地権を交付するよう要請した。その結果,同日,ダハボン地区の第1次の移住者ら23家族及び第4次の移住者ら7家族に対し仮地権証が交付された。 (オ)現地大使館は,昭和41年9月以降,ドミニカ農地庁に対し,同年10月2日をもって入植後満10年を迎えるコンスタンサ地区の入植者に対する地権の交付についてしばしば要請していたが,なかなか実現されなかった。農地庁からその原因として説明されていたのは,主として,①入植地の一部にトルヒーヨ元帥時代に半ば強制的に買い上げた民有地が含まれており,その元地主に対する補償問題が解決していないものがあったり,国有地として確定していない土地がある,②入植後10年を経過したとして申請している13件中,直接コンスタンサ地区に入植した者は4件のみであり,その余は他の地域からの転入者であっ- 159 -たり,同伴家族からの分離独立者であったりしているというものであった。 また,昭和43年1月24日をもって入植後満10年を迎えるハラバコア地区の入植者に対する地権の交付についても,上記と同じく,しばしば要請を重ねていたが,なかなか実現されなかった。農地庁からその原因として説明されていたのは,主として,これより前に申請されているコンスタンサ地区関係の実施が優先するというものであった。 (カ)その後も,地権交付が進まなかったため,現地大使館を中心として,機会をとらえては,ドミニカ側と交渉をした。例えば,大使は,昭和45年8月ドミニカの外務大臣に,同年11月大統領府官房長官に,また,昭和46年7月大統領に対し,地権問題の早期解決方を要請した。 これに対し,同大統領は,ドミニカの法律に基づき農地改革の一環として,日本及びスペインの移住者の分も含め小農地の地権譲渡を進めている,それが極めて遅延している状況 ,地権問題の早期解決方を要請した。 これに対し,同大統領は,ドミニカの法律に基づき農地改革の一環として,日本及びスペインの移住者の分も含め小農地の地権譲渡を進めている,それが極めて遅延している状況にあるが善処したい旨述べた。 しかし,その後も,地権の問題については,ダハボン地区では,上記(エ)のとおり仮地権証が交付されたが,本地権証書が交付されず,また,コンスタンサ地区及びハラバコア地区では,一部の移住者に区画確定前本地権証書が交付されたのみで,他は仮地権証あるいは政府の耕作承認を受けているだけという状態であった。そして,現地大使館及び国際協力事業団の現地支部は,その後も,ドミニカ政府に対し本地権証書の交付を要請し続けたが,これら3国営入植地の地権発給問題は,昭和56年1月の段階に至っても,何ら進展しない状態であった。現地大使館は,その最大の原因は,国営入植地を設定した当初に接収した民有地の旧地主に対する補償が未だ行われていないこと,そして,その補償には多額の予算が必要となるがドミニカ政府自身が財政難にあるため実施できないことにあるものと分析していた。 - 160 -(キ)この問題に関する,その後の現地大使館等によるドミニカ側に対する外交交渉,働きかけ等の状況は,基礎的事実関係第6の3認定のとおりである。 要するに,ダハボン地区については,同地区の日本人移住者のほぼ全員が,入植時に提供された土地以外に,第三者(主に入植地を離れた日本人移住者)から農地庁の許可を受けないで仮地権証を譲り受けて耕作し,不法な土地を保有している点が問題になっていた。また,ハラバコア地区及びコンスタンサ地区に関しては,旧地主であると主張する者が現れており,ドミニカ側ではその点に対する対応に苦慮していた。そして,何よりも,ドミニカ側では,地権が問題となって た。また,ハラバコア地区及びコンスタンサ地区に関しては,旧地主であると主張する者が現れており,ドミニカ側ではその点に対する対応に苦慮していた。そして,何よりも,ドミニカ側では,地権が問題となっている国営入植地が,外国人が入植している所を含めて約40か所に及び,それぞれに難しい問題を含んでおり,日本人のみを切り離して優先的に解決することが難しいという事情があった。 こうした状況の下で,昭和59年2月14日,ハラバコア地区及びコンスタンサ地区の日本人移住者に関する本地権証書(区画確定前本地権証書)が交付され,同年5月には,コンスタンサ地区の一部の移住者らの地権未取得の土地についても,本地権証書(区画確定前本地権証書)が交付された。 また,大使は,同年10月30日,ドミニカの外務大臣,大統領府技術大臣,大統領府大臣,農務大臣及び農地庁長官に対し,日本人移住者の地権問題について早急な解決を要請する旨の書簡を送付したが,それに添付した報告書では,当時の問題状況について,①ダハボン地区は現在1人も本地権を取得しておらず,旧地主に対する賠償金が一部未払いの土地もあることを,また,②コンスタンサ地区及びハラバコア地区については,本地権を取得できていない者とその面積を掲げ,旧地主に対する補償が終了していないこと等をそれぞれ指摘した。 - 161 -そうしたところ,同年11月9日,ダハボン地区の8人の日本人移住者に対し,本地権証書(区画確定前本地権証書)が交付され,また,昭和60年6月26日には,大統領からダハボン地区の移住者12人に対し本地権証書(区画確定前本地権証書)が交付された。 さらに,大使は,同年12月23日,大統領に対し日本人移住者の本地権証書が未発給の土地についての早急な解決を求め,同月27日には技術大臣に対し同様の要請をした。こ 画確定前本地権証書)が交付された。 さらに,大使は,同年12月23日,大統領に対し日本人移住者の本地権証書が未発給の土地についての早急な解決を求め,同月27日には技術大臣に対し同様の要請をした。これに対し,同大臣から,旧地主への補償金支払の財源を確保することが問題点となっており,窮余の策として,日本政府からドミニカに供与する食糧増産のための無償援助に基づく現地通貨積立ての一部を補償財源として捻出することができれば旧地主との話し合いをまとめることが可能である旨述べられたので,大使はその方針を支持し,その方向で解決を進めることにした。その結果,日本人移住者の地権問題解決のため,ドミニカ政府から旧地主に対して補償金が支給されることが決定され,ハラバコア地区の日本人移住者3人に対し,昭和62年2月17日,本地権証書(区画確定前本地権証書)が交付された。 (ク)なお,南米転住措置が終了した当時のドミニカに残留していた日本人移住者の概況をみると,昭和38年11月5日時点では,112家族533人に及んでいた。そのうち,40家族164人は,国営入植地から転出し,バニー地区その他のドミニカ国内17か所に転住するに至っていた。そして,当時,原告らが残留していた国営入植地である,ダハボン,コンスタンサ及びハラバコアの3地区の概況は,次のとおりであった。 ダハボン地区では,水稲作中心の営農が行われていた。米価が安定している関係から,全般的には経済的に漸次安定に向かっていた。第1次の移住者には約85タレア,第4次の移住者には約80タレアの土地が- 162 -配分されていた。主要作物が水稲である関係から,まず水利問題を解決する必要があったが,ドミニカ政府の予算の事情からその実現が困難な状況にあった。現地大使館は,長年ドミニカ政府と土地の増配の交渉を続け 分されていた。主要作物が水稲である関係から,まず水利問題を解決する必要があったが,ドミニカ政府の予算の事情からその実現が困難な状況にあった。現地大使館は,長年ドミニカ政府と土地の増配の交渉を続けてきたものの,新規に国有地を造成しての増配を実現させることについては,ほとんど絶望視していた。同地区の移住者の大半の者は土地増配を断念し,ドミニカ人の耕地又は民有地を借地して営農を拡張していた。 コンスタンサ地区では,野菜栽培を中心とする営農が行われており,生産実績も良好で,野菜の需要も年々増加し,価格も上昇してきていた。 ただし,野菜の連作により年々地力が低下するという問題も生じていた。 第1次及び第2次の移住者には約100タレアの土地が,また,第4次の移住者には約50タレアの土地が配分されていた。 ハラバコア地区では,蔬菜の栽培と水田作が行われており,一連の措置によって過剰入植が解消され,営農も安定に向かっていた。日本人移住者の減少によって同地区の水利問題はある程度解決されたが,もともと水の絶対量が少ない地区であるため,渇水期には水不足のおそれがあった。また,地力低下も問題になっていた。各移住者には約75タレアの土地が配分されていた。 イ上記アの事実によれば,被告は,集団帰国措置実施後,ドミニカ政府に対し,残留した移住者への土地の増配及び地権証書の交付を実現するための要請を行うなどの外交交渉をして,ドミニカ政府から相応の解決を引き出したことが認められる。また,南米転住措置が終了した後の昭和38年11月当時原告らが残留していた国営入植地であるダハボン,コンスタンサ及びハラバコアの3地区の概況は,上記ア(ク)説示のとおりであった。 すなわち,コンスタンサ地区では,おおむね募集要項に記載された面積の土地が配分されていた。また,ハラバコア地区では, ,コンスタンサ及びハラバコアの3地区の概況は,上記ア(ク)説示のとおりであった。 すなわち,コンスタンサ地区では,おおむね募集要項に記載された面積の土地が配分されていた。また,ハラバコア地区では,昭和37年4月の措- 163 -置により25タレアの土地が増配された(その結果,移住者らは満足の意を示し,現地大使館も事実上この問題は解決したと判断していた(甲29。他方,ダハボン地区については,現地大使館は,長年ドミニの374)。)カ政府と土地の増配の交渉を続けてきたものの,新規に国有地を造成の上その増配を実現させることについては,ほとんど絶望視しており,同地区の移住者も,その大半は土地増配を断念し,ドミニカ人の耕地又は民有地を借地して営農を拡張する状況にあった。そして,地権証書の交付問題についても,時間がかかったとはいえ,上記認定のとおり一定の進展をみた。 こうしたことに加え,もともと残留原告らは,前記認定の経緯の下で被告により集団帰国措置が執られたが,その過程でドミニカに残留することを選択したものであること,さらに,国営入植地の増配及び地権証書の交付問題について,被告としては,事柄の性質上,自らがそれを履行することはできないので,ドミニカ政府にその実現方を働きかける以外に執りうる方策がなかったこと,他方,ドミニカ政府としては,国営入植地には余剰土地がなく,政府の予算の関係からも新規に国有地を造成して土地を増配することが困難であったこと,また,国営入植地の旧地主に対する土地の返還や補償の問題に加え,ドミニカ国民もドミニカ政府に対して土地の配分を要請していたという状況下に置かれていたことなどの事情をも総合的に考察すると,前記1説示の先行行為に基づく条理上の作為義務発生の要件のうち,その先行行為により,当該国民の生命,身体及び財産に重大 分を要請していたという状況下に置かれていたことなどの事情をも総合的に考察すると,前記1説示の先行行為に基づく条理上の作為義務発生の要件のうち,その先行行為により,当該国民の生命,身体及び財産に重大な危険を惹起させる高度の蓋然性が存在し,かつ,その結果の発生の回避可能性が存在したものと認めることはできないといわざるを得ない。 (3)土地以外の生活基盤の確保に関して被告が行った措置関係移住者らに対し行われた援護措置の内容は,基礎的事実関係第6の4(4)及び5の(1)ないし(3)記載のとおりである。これによれば,移住者らに対して移住振興会社,海外移住事業団及び国際協力事業団から融資- 164 -が実施されている。この融資に関し,外務省が海外移住事業団及び大蔵省と折衝し緊急融資を取り付けたり,被告が移住者らの要望を受けて移住融資の一時的利率引下げ措置を決定したこともあった。さらに,その他にも,移住者らに対しては,国際協力事業団による支援(基礎的事実関係第6の5(2)及び外務省による困窮移住者等の支援(同第6の5(3)等が実))施されている。 そうすると,上記(2)説示の土地に関する交渉経緯に加え,以上説示のそれ以外の生活基盤の確保に関し被告などが行った措置を総合すると,確かに残留原告らが移住後尋常でない辛苦を重ねたことが本件記録上うかがわれるけれども,前記1説示の先行行為に基づく条理上の作為義務発生の要件のうち,その先行行為により,当該国民の生命,身体及び財産に重大な危険を惹起させる高度の蓋然性が存在し,かつ,その結果の発生の回避可能性が存在したものと認めることはできないといわざるを得ない。 (4)まとめ以上のとおりであるから,残留原告らの前記1の第2及び第3の主張との関係で,被告がドミニカ政府に対して行った土地に関する交渉及びそ 在したものと認めることはできないといわざるを得ない。 (4)まとめ以上のとおりであるから,残留原告らの前記1の第2及び第3の主張との関係で,被告がドミニカ政府に対して行った土地に関する交渉及びその他の生活基盤の確保に関し被告が行った措置に関し,国の公権力の行使に当たる公務員に,先行行為に基づいて条理上残留原告らに対して同原告らが主張する保護義務が職務上の法的義務として生じたことを認めることはできないので,上記原告らの主張は,理由がないことに帰する。 帰国原告らに対する保護義務違反の有無(1)基礎的事実関係第5の2及び5認定事実によれば,集団帰国した移住者らのその後の状況について,次のことが明らかである。 ア被告は,ドミニカから集団帰国した移住者らに対し,次の援護措置を講じた。 (ア)内閣は,昭和36年12月19日,ドミニカ移住者対策として緊- 165 -急に「海外邦人の引揚に関する件(昭和27年3月18日閣議決,」定)に準じた援護措置を執る旨の閣議決定をした。そして,昭和36年度一般会計予備費から約7400万円を緊急支出し,国援法適用者として帰国旅費を貸付けの上,127家族595人を集団帰国させた。 また,上記とは別に,昭和36年度一般会計予備費から881万円を支出し,うち611万円を帰国者援護費として海協連に交付し,上陸港から帰郷地までの諸経費(宿泊費,通関費,携行荷物運賃,汽車賃,食費)及び見舞金(1人当たり大人1万円,小人5000円)として支給した。 (イ)また,上記閣議決定に基づいて「海外邦人の引揚に関する件」,に準じ,帰国者の生活再建を援護するために,関係各省の協力の下に,海協連及び地方海外協会を窓口として,次の援護措置が講じられた。 ①農林省は,国内開(干)拓地入植希望者に対し,優先的な入植のあっせ に準じ,帰国者の生活再建を援護するために,関係各省の協力の下に,海協連及び地方海外協会を窓口として,次の援護措置が講じられた。 ①農林省は,国内開(干)拓地入植希望者に対し,優先的な入植のあっせんを行い,これに伴う拓植基金による営農資金の融資保証を行った。②建設省は,住宅確保に困っている帰国者に対し,昭和37年度建設省所管の都道府県・市町村営住宅約100戸分につき,優先的入居割当てを実施することとした。③労働省は,就職希望者に対し,係官を帰国船内に派遣して就職相談に応じたり,管下の全国の職業安定所に通達の上,上陸港及び帰郷先において就職のあっせんを促進したり,更に各種技術の習得希望者に対しては,雇用促進事業団所管の各種技術訓練所への優先的入所を許可したりした。④厚生省は,全国市町村民生委員に対し,生活困窮者については,生活保護法(医療,教育等の保護を含む)を適用して生活の安定を図らせるとともに,。 世帯厚生資金の融資についても十分考慮することとした。⑤大蔵省は,国民金融公庫からの生業資金の融資について,実情に即し担保条件の緩和,償還期限の延長等について好意的配慮を加えるよう国民金- 166 -融公庫総裁に対し通達するとともに,融資の一層の円滑化を図るため,信用保証協会の保証引受けに関し,全国信用保証協会連合会長に対し好意的取扱いをするように通達した。 イその結果,集団帰国した移住者らの昭和38年5月時点における状況は次のとおりであった。 (ア)集団帰国した127家族の住宅の状況は,自宅入居29,公営住宅入居38,就職先の社宅・工場寮等への入居24,親戚同居・借家等入居33,南米再移住者となり住宅不要3であった。社宅や借家等入居者の中には,公営住宅入居申請手続中の者がいたが,公営住宅完成次第逐次入居可能の見通しであっ ・工場寮等への入居24,親戚同居・借家等入居33,南米再移住者となり住宅不要3であった。社宅や借家等入居者の中には,公営住宅入居申請手続中の者がいたが,公営住宅完成次第逐次入居可能の見通しであった。 (イ)集団帰国した127家族の就職の状況は,就職済み87,自家営業21,岡山県児島湾干拓地入植3,南米再移住3,職業訓練所入所7であり,未就職の家族は6であった。未就職の内訳は,高齢者2,長期病気療養者2,自己の意思により就職しない者2であった。病人,訓練所入所者,就職者中低所得者等に対しては生活保護を適用した。 (ウ)帰国直後は,集団帰国した127家族中,生活保護基準不該当又は適用辞退の46を除き,81が生活保護法(医療保護,教育保護)の適用を受けていた。その後の就職等により一定の所得に達した者に対する支給の打切り又は削減がされた結果,昭和38年5月時点でなお生活保護法の適用を受けていた家族は,病弱のため就労不能,職業訓練所入所,就労中低所得等を理由とする37であった。 (エ)その他に,上記ア(イ)①により3家族が岡山県児島湾干拓地へ入植した。また,上記ア(イ)⑤により1家族が国民金融公庫から事業資金50万円の融資を受けた。さらに,3家族が渡航費の貸付けを受けて,南米へ再移住した。 (2)ところで,この点に関する原告らの主張は,外務大臣及び農林大臣- 167 -は,貸付制度や住居の確保など帰国者の生活を確保するための施策を講じず,原告らの生活を確保する義務を怠ったというものである(別添1の原告らの主張の第2章の第2の2(3)ウ。 )しかしながら,原告らを含む集団帰国した移住者らは,ドミニカから国援法に基づき帰国し,帰国後は,上記(1)のとおり,ドミニカ移住者対策として「海外邦人の引揚に関する件(昭和27年3月18日閣議決」 しかしながら,原告らを含む集団帰国した移住者らは,ドミニカから国援法に基づき帰国し,帰国後は,上記(1)のとおり,ドミニカ移住者対策として「海外邦人の引揚に関する件(昭和27年3月18日閣議決」定)に準じた援護措置を執る旨の昭和36年12月19日の閣議決定に基づいて,上記のような生活再建を援護するための住宅,就労,貸付け等の措置を受け,そのような措置の結果,昭和38年5月時点においては,上記認定のとおり,住宅面でも,就職面でも,生活面でも,基本的には一応の生活基盤を形成することができる状況になっていたものと認められる。 こうしたことを総合的に検討すると,前記1説示の先行行為に基づく条理上の作為義務発生の要件のうち,先行行為により,当該国民の生命,身体及び財産に重大な危険を惹起させる高度の蓋然性が存在していたものと認めることはできない。 してみると,上記原告らの主張は,その前提において理由がないというべきである。 もとより,当時,集団帰国した者に対して講じられたこれらの措置が十分なものであったか否かについては,様々な評価があり得よう。しかしながら,国が講じた措置が国家賠償法に照らし違法であると評価されるか否かは,それが立法措置を要する事柄の場合には,次のとおり考えられる。 すなわち,国会議員の立法行為(不作為を含む)は,本質的に政治的な。 ものであって,その性質上法的規制の対象になじまず,特定個人に対する損害賠償責任の有無という観点から,あるべき立法行為を措定して具体的立法行為の適否を法的に評価するということは,原則的には許されないものといわざるを得ず,国会議員は,立法に関しては,原則として,国民全- 168 -体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり,個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではないので,例外的な場合 ざるを得ず,国会議員は,立法に関しては,原則として,国民全- 168 -体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり,個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではないので,例外的な場合でない限り,国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けないものと解される(最高裁昭和60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512頁参照。 )また,立法を要しない事柄であっても,それは,国家の政策の企画,立案の当否の問題であり,財政,経済,社会政策等の国政全般にわたった総合的政策判断によるところが大きく,基本的には行政府の裁量的判断にゆだねられるべき事項である。そして,被告が執った上記措置が「海外,邦人の引揚に関する件(昭和27年3月18日閣議決定)に準じた援護」措置として実施されたこと,また,後記第5の3(2)認定のとおり,集団帰国した移住者らに対する措置の在り方については,昭和37年2月から3月にかけて,国会で審議され,同年3月3日には,衆議院決算委員会において,ドミニカ移住の帰国者に対する援護,更生等に十分な措置を講じて早急に再起を図れるようにするとともに,今後このような事態が再び繰り返されないようその防止に努力すべきである旨の決議が採択されていたにもかかわらず,そうした状況の下で最終的に講じられた措置の内容が上記認定のごとくであったことなどにかんがみると,それが,行政府の裁量的判断を著しく逸脱したものとして,国の公務員の職務上の義務違反を構成するものとまで認めることはできないというべきである。 保護義務違反を理由とする請求についてのまとめ原告らは,国家賠償請求の原因として保護義務違反も主張しているが,国の公権力の行使に当たる公務員に先行行為に基づいて条理上原告らが主張するような保護義務が発生する原因事実 とする請求についてのまとめ原告らは,国家賠償請求の原因として保護義務違反も主張しているが,国の公権力の行使に当たる公務員に先行行為に基づいて条理上原告らが主張するような保護義務が発生する原因事実については,極めて抽象的な主張にとどまっている。すなわち,原告らは,平成13年7月19日付け準備書面において,「移住後においても,約束の土地を獲得させる義務のほか保健・医療設備の充- 169 -実や教育施設の充実など移住者が日本におけると同等以上の生活水準を享受できるよう移住者を保護すべき義務がある「さらには,全移住地の実状が募」,集条件を到底満たし得ないという現実が明らかになった後も,被告は約束の土。 ,地を取得させその他の生活基盤を得させる等の保護義務を怠った」と,また平成15年9月12日付け準備書面において,時効の抗弁に対する反論として,「被告の不法行為は,虚偽の説明をして在留原告を移住させたことに加え,虚偽の説明をして在留原告を移住させたという先行行為に基づく作為義務-在留原告において独立自営農としての生活水準を確保できるように措置すべき義務-の違反があり」と,極めて抽象的に主張した後,最終準備書面に至って,ようやく,別添1の原告らの主張の第2章の第2の2(3)摘示の主張をするに至ったものである。 しかし,本件記録によれば,原告らがドミニカ移住後物心両面にわたって辛苦を重ねたことが十分にうかがわれることから,当裁判所は,原告らの主張を忖度して,本件記録に基づいて,ドミニカ移住政策遂行後の事実経過について可能な限り検討してみたが,その結果は以上のとおりであり,これ以外には,原告らの主張に係る保護義務の発生を基礎づけ得る具体的な主張,立証はない。 以上の次第であるから,保護義務違反を理由とする原告らの請求は,その余の点について判断 果は以上のとおりであり,これ以外には,原告らの主張に係る保護義務の発生を基礎づけ得る具体的な主張,立証はない。 以上の次第であるから,保護義務違反を理由とする原告らの請求は,その余の点について判断するまでもなく,理由がないというほかない。 第5除斥期間の経過について被告には,第3説示のとおり,ドミニカ移住政策遂行過程における調査義務及び情報提供義務の違反による国家賠償法1条1項に基づく損害賠償義務が発生したものと認められるが,この点について,被告は,原告らの損害賠償請求権は,除斥期間の経過により消滅した旨主張する。そこで検討するに,当裁判所は,上記請求権は,民法724条後段の規定により消滅したものとして取り扱わざるを得ないものと判断する。 その理由は,次のとおりである。 - 170 - 民法724条後段の規定(1)国家賠償法4条によって適用される民法724条後段によれば,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求権は,不法行為の時から20年の経過によって消滅するものとされている。この民法724条後段の規定について,原告らは時効期間を定めたものであると主張するが,不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものと解するのが相当である。すなわち,同条がその前段で3年の短期の時効について規定し,更に同条後段で20年の長期の時効を規定していると解することは,不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図する同条の趣旨に沿わず,むしろ同条前段の3年の時効は損害及び加害者の認識という被害者側の主観的な事情によってその完成が左右されるが,同条後段の20年の期間は被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものと解するのが相当であるからである。そして,裁判所は,不法行為に 後段の20年の期間は被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものと解するのが相当であるからである。そして,裁判所は,不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間の経過後に提起された場合には,当事者からの主張がなくても,除斥期間の経過により上記請求権が消滅したものと判断すべきであるから,除斥期間の主張が信義則違反又は権利濫用であるとの主張は,主張自体失当であると解すべきである(以上につき,最高裁平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2209頁参照。以下「平成元年判決」という。 。)(2)ところで,除斥期間の起算点については,民法724条後段において不法行為の時と規定されており,損害発生の原因となる加害行為がされたときがその起算点になるものと解される。 本件では,前記第1ないし第3で検討したとおり,被告の公務員がドミニカへの移住政策の遂行過程において調査義務及び情報提供義務を尽くさなかったという不作為による加害行為が問題となっているが,この点に関する職務上の法的義務は,原告らがドミニカの国営入植地に現実に入植するに至る- 171 -まで観念することができるので,原告らが入植した時点でその不作為による加害行為が完結したものと解される。したがって,本件においては,原告らが各自の入植地に入植した時点をもって除斥期間の起算点と解するのが相当である。 そして,原告らは,最初の入植である昭和31年7月29日のダハボン地区第1次の入植から最後の入植である昭和34年9月6日のアルタグラシア地区第3次の入植に至るまでの間に,それぞれの入植地に入植しているので,これら入植の時点が,それぞれの除斥期間の起算点になる。 してみると,本件損害賠償請求訴訟が提起されたのはその時 のアルタグラシア地区第3次の入植に至るまでの間に,それぞれの入植地に入植しているので,これら入植の時点が,それぞれの除斥期間の起算点になる。 してみると,本件損害賠償請求訴訟が提起されたのはその時点から20年以上経過した後であることが明らかであるから,原告らの被告に対する上記損害賠償請求権は,除斥期間の経過によって既に消滅したことに帰する筋合いである。 除斥期間の規定の適用制限ところで,原告らは,最高裁平成10年6月12日第二小法廷判決・民集52巻4号1087頁(以下「平成10年判決」という)を援用しつつ,除斥。 期間制度の適用の結果が著しく正義,公平の理念に反し,その適用を制限することが条理にもかなうと認められる場合には,除斥期間の適用を制限することができると解すべきである旨主張するので,以下,この点について検討する。 平成10年判決は,平成元年判決が示した判断枠組み(民法724条後段の規定は除斥期間を定めたものであり,除斥期間の主張が信義則違反又は権利濫用であるという主張は,主張自体失当であるというもの)を維持した上で,「不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6箇月内において右不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合において,その後当該被害者が禁治産宣告を受け,後見人に就職した者がその時から6箇月内に右損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときは,民法158条の法意に照らし,同法724条後段の効果は生じないものと- 172 -解するのが相当である」と判示した。これは,不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6か月内において当該不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合には,除斥期間をそのまま適用すると,当該被害者がおよそ権利行使が 者が不法行為の時から20年を経過する前6か月内において当該不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合には,除斥期間をそのまま適用すると,当該被害者がおよそ権利行使が不可能であるのに,単に20年経過したということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる反面,心神喪失の原因を与えた加害者は,20年の経過によって損害賠償義務を免れる結果となり,著しく正義・公平の理念に反することになること,そして,民法158条は,時効の関係で,このような場合に被害者を保護するために,被害者が能力者となり又は法定代理人が就職したときから6か月内は時効は完成しない旨を規定しているが,除斥期間に関しても,当該被害者を保護する必要があることは民法158条の場合と同様であり,その限度で同法724条後段の効果を制限することは条理にもかなうことを判示したものと解される。 そうすると,平成10年判決は,上記のように極めて限定された事実関係の下で,民法158条の時効の停止規定の適用が時効の場合について可能であるのに,除斥期間については不可能となることによる不均衡等をも考慮の上,民法724条後段の適用を制限したものというべきである。こうしたことに加え,除斥期間の制度趣旨,その性格等にかんがみると,原告らが主張するような一般的な正義,公平の理念によって除斥期間の規定の適用を制限することはできないというべきである。 そこで,以下では,原告らが本件訴訟を提起するに至るまでの事実経過において,以上説示したような平成10年判決の事案と同視し得る特段の事情があるか否かについて検討する。 原告らが本件訴訟を提起するに至るまでの経緯第1章で認定した基礎的事実関係及び証拠(甲2,3,23,27,甲29,甲42,甲80,甲8の156,157,306 るか否かについて検討する。 原告らが本件訴訟を提起するに至るまでの経緯第1章で認定した基礎的事実関係及び証拠(甲2,3,23,27,甲29,甲42,甲80,甲8の156,157,306,332,336,337の1の1 ,甲84ないし89,92,180,259,369,385,乙39の1- 173 -4,原告13,同14,同20)によれば,原告らが本件訴訟の提起に至るまでの経緯に関し,次の事実が認められる。 (1)集団帰国措置が執られる前の状況現地大使館の書記官及び外務省の事務官が昭和36年5月8日ネイバ地区に出張し,移住者らと会談した際,同地区の移住者らの中には,自分たちは政府及び関係機関に騙されて移住したのであるから,帰国して訴訟を起こし,政府及び関係機関関係者の政治的,行政的,個人的責任を徹底的に追及して損害賠償を求めて闘うと発言する者もいた。また,同地区の移住者らは,そのころ,出身地の県知事らに対し,入植地の実態や外務省,大使館及び海協連との折衝の経緯を報告し,日本政府に対し移住行政の責任を追及するため帰国することについての支援を求めたり,日本の政治家,新聞社をはじめ,各方面に救済援助を求めるなどして,帰国後に政府の責任を追及する動きを見せていた。 (2)帰国原告らの集団帰国後の活動の状況ア帰国原告らは,昭和36年12月から昭和37年4月にかけて日本に帰国した。 帰国した移住者らの中には,帰国後すぐに,政府に対して責任を追及しようと行動した者もいた。例えば,ネイバ地区から昭和36年12月21日横浜着のさんとす丸で帰国した原告13,同14,88及び89は,帰国の翌日外務省を訪問し,陳情を行った。また,昭和37年1月21日横浜着のあふりか丸で帰国した移住者らは,帰国の航行中から電報で外務省に対し帰国後 す丸で帰国した原告13,同14,88及び89は,帰国の翌日外務省を訪問し,陳情を行った。また,昭和37年1月21日横浜着のあふりか丸で帰国した移住者らは,帰国の航行中から電報で外務省に対し帰国後の問題について交渉し,横浜港ではそれに対する外務省の対応に納得せず下船を拒んだりもした。 イ帰国した移住者らの中には,何度も,議員会館を訪れて国会議員らに陳情したり,政府に対し要請する者もいた。 例えば,ドミニカ国ネイバ地区引揚者連盟は,帰国後昭和36年から昭- 174 -和37年にかけて,国会議員らに対し,更生のための救済策を請願した。 同連盟は,日本政府当局の公募を信じたことを訴え,募集前に現地調査をしなかったこと等を問題とした。また,ネイバ地区の移住者である原告13及び同14は,昭和37年1月,農林技官として同地区の事前調査を行ったAを訪ね,事前調査の不備について追及し,同人から,同地区に調査に行く2か月前の時点で既に同地区への入植が決定していたので調査を十分したとはいえないとの言辞を得た。 このドミニカ移住の問題は,同年2月から3月にかけて,国会でも取り上げられるところとなり,帰国した移住者ら(原告14を含む)も参考。 人としてドミニカ移住の実情について発言した。衆議院決算委員会における審議は,同年3月3日「海外移住に関する要望(甲29)と,」の337題する決議を採択して終了した。同決議では,ドミニカ移住は,事前調査が不十分であった等の事情から引揚げ等に至ったものと考えられるから,帰国者に対する援護,更生等に十分な措置を講じて早急に再起を図れるようにするとともに,今後このような事態が再び繰り返されないようその防止に努力すべきである旨が指摘された。 こうした動きの中で,全国知事会議は,同月「ドミニカ国移住者対策,について要望 起を図れるようにするとともに,今後このような事態が再び繰り返されないようその防止に努力すべきである旨が指摘された。 こうした動きの中で,全国知事会議は,同月「ドミニカ国移住者対策,について要望(甲88)として,政府及び国会に対し,原因の詳細な調」査,移住対策に根本的な再検討を加えること,抜本的措置を講ずること,帰国者対策及び残留者に向けた対策を講ずること等を求めた。また,中央農業会議は,同年5月「ドミニカ国移住者対策に関する要望(甲8,」7)で,ドミニカ移住の問題はあくまで政府の責任であるとし,政府及び国会に対し,原因の詳細な調査,移住対策に根本的な再検討を加えること,抜本的措置を講ずること,帰国者対策及び残留者に向けた対策等を講ずることを求めた。 しかし,帰国した移住者らの政府等に対する以上のような運動は,次第- 175 -に弱まっていった。 ウその後,平成5年に至り,帰国した移住者らは,ドミニカに残留した移住者らから,後記(3)イのとおり弁護士会に対し人権救済の申立てをしたことに関し,全面的な協力要請を受けたため,全国の帰国移住者らに呼びかけて,同年10月,ドミニカ移民集団帰国者の会を発足させ,相互の連携を図った。 そして,帰国原告らは,平成13年8月6日,本件損害賠償請求訴訟を提起した。 (3)残留原告らの活動の状況ア日本人移住者らが入った各地の入植地においては,入植者の親睦,互助等を目的として自治組織が設けられていたが,ドミニカにおける移住者全体のための組織の必要性が認識されるに至り,昭和43年ころ,ドミニカ日本人会連合会が結成された。 そして,同連合会は,昭和46年ころから土地問題に取り組み始め,ドミニカ政府との間で「300タレアの土地の無償譲渡」について交渉,を重ねたが,その過程で,昭和31年5月12 会連合会が結成された。 そして,同連合会は,昭和46年ころから土地問題に取り組み始め,ドミニカ政府との間で「300タレアの土地の無償譲渡」について交渉,を重ねたが,その過程で,昭和31年5月12日付けでM農務大臣が公使にあてた書簡には,募集条件の「300タレアを無償譲渡する」との記載はされておらず「300タレアまで」と記載されていたことが明らかと,なった。そこで,同連合会は,日本政府が,こうした事実を隠して次々と移民を募集し,ドミニカへ送り込んだのであり,これは明らかに日本政府の責任であって,ドミニカ政府に解決を求めるべき問題ではないとの見解に達し,昭和49年4月,海外移住事業団に対し,配分不足分の土地の購入資金について特別融資を要求したが,拒否された。同連合会は,その後も,現地大使館等の日本の関係機関に対し,土地問題の解決を要請したが,芳しい結果を得ることができなかった。そして,同連合会は,ダハボン地区第1次の入植から20年を経過したころ,差し当たり現在耕作している- 176 -土地の地権だけでも取得して欲しいとの会員の一致した意見の下に,地権問題について,ドミニカ政府と交渉を開始したが,現地大使館から,そのようなことは大使館がすることであるとの抗議を受けたため,その交渉を現地大使館に委託した。 なお,原告らは,本件の真の法的義務者がドミニカ政府ではなく被告である可能性を知ったのは昭和57年ころになってからであった旨主張する(別添1の原告らの主張の第4章の第2の3。しかし,基礎的事実関)係第4認定のとおり,ダハボン,コンスタンサ,ドゥベルヘ,ネイバ,ハラバコア等の各地区に入植した移住者らは,集団帰国措置が講じられる前の段階から,現地大使館に対し,配分された土地や水利の問題の解決,他地区への転住,集団帰国等を求めて陳情を行 ドゥベルヘ,ネイバ,ハラバコア等の各地区に入植した移住者らは,集団帰国措置が講じられる前の段階から,現地大使館に対し,配分された土地や水利の問題の解決,他地区への転住,集団帰国等を求めて陳情を行っているのである。このような事実に加え,甲3(後記ドミニカ移民実態調査報告書,原告らの供述)等(例えば,甲47,原告16の尋問の結果等)によれば,上の44の1記のとおり認定され,上記原告らの主張は採用できない。 イこのように,ダハボン地区第1次の入植後20年を経過する前から,土地問題の解決は,直接日本政府と交渉すべき課題であると認識されており,地権問題の解決が大きな課題になっていたが,それにとどまらず,当初示されていた移住条件を実現することこそが移住者の置かれている状況を解決する途であるとして,次第に,その基本問題の解決を求めるべきであるとの考え方が強くなった。そして,ドミニカ日本人会連合会会長に昭和57年4月に就任したBは,日本政府が募集要項で約束した100ないし300タレアの土地が取得できないのは日本政府の責任であり,補償を要求すべきであるとの問題意識の下に,同連合会内に移住基本問題解決対策特別委員会を設置することを同連合会の役員会に諮ったが,役員多数の反対により否決された。 こうしたことを契機として,Bとその同調者41名は,同連合会を脱退- 177 -し,同年10月,基本問題の追及及び地権問題に取り組むことを標榜して,サントドミンゴ日本人会連合会を結成した。その結果,ドミニカ日本人会連合会は,ドミニカ日系人協会とサントドミンゴ日本人会連合会(昭和62年に「ドミニカ日本人会連合会」に名称を変更)とに分裂した。 そして,前者のドミニカ日系人協会は「地権委員会」を設置して,地,権獲得のための陳情等を行った。他方,後者のサントドミン 連合会(昭和62年に「ドミニカ日本人会連合会」に名称を変更)とに分裂した。 そして,前者のドミニカ日系人協会は「地権委員会」を設置して,地,権獲得のための陳情等を行った。他方,後者のサントドミンゴ日本人会連合会は,組織内に「ドミニカ移住基本問題解決促進委員会」を設置して,「基本問題」の解決に向けて,国会や外務省等に請願,陳情するなどの運動を展開し,同年5月,東京弁護士会に人権救済の申立てをした(後に,日本弁護士連合会が取り扱うこととされた。 。)ウ昭和63年6月に至り,上記両者は,大同団結して基本問題の解決のために運動を展開していくことを合意して合併し,名称を「ドミニカ日本人会連合会」とした(なお,平成3年9月に「ドミニカ日系人協会」と改称した。 。)平成2年6月,同連合会の会長であった原告20と原告18及び同24が日本に赴き,外務省,国際協力事業団,日本弁護士連合会等を訪れ,基本問題解決のための要請を行った。さらに,同年10月,原告20,同90及び91は日本に赴き,外務省の領事移住部長及び審議官と面会し,基本問題の早期解決を申し入れた。その後も,ドミニカ日系人協会は,外務省,国際協力事業団,日本弁護士連合会等に基本問題の解決を要請したり,上記イの人権救済申立事件に関する日本弁護士連合会による調査に協力したりしたが,その過程で,代表者が何度も訪日するなどした。 ところで,上記人権救済申立事件の調査のために結成されたドミニカ移民現地調査団(弁護士や学者らによって構成された)は,平成3年7月。 28日から同年8月10日にかけてドミニカにおいて調査するなどして,平成4年5月1日に発行した「ドミニカ移民実態調査報告書(甲3)の」- 178 -中で,日本政府は募集要項の不履行によってドミニカ移民の基本的人権が著しく侵害された事 において調査するなどして,平成4年5月1日に発行した「ドミニカ移民実態調査報告書(甲3)の」- 178 -中で,日本政府は募集要項の不履行によってドミニカ移民の基本的人権が著しく侵害された事実を認め,謝罪し,人権回復の措置を執るべきである旨を指摘した。さらに,日本弁護士連合会は,人権救済申立事件の調査の結果,平成6年3月24日付けで,日本政府及び国際協力事業団に対し,①日本政府の移民募集要項に示された土地に関する条件と,現実にドミニカで与えられた条件の差異について,それを解消すべく外交努力をすること,②上記差異のために現在までに生じた申立人らの財産的損害及び長期にわたる精神的苦痛を塡補する賠償処置を執ること,③新たな資金を融資するなど,申立人らがドミニカにおいて自立するに必要な施策を講じることを求める要望書(甲1)を提出した。 の1ないし3なお,この間の平成5年4月には,外務省のT領事移住政策課企画官を団長とする調査団が,移住者の経済的,社会生活的な実態に即した効果的かつ適正・体系的な援助業務を実施するために,従来の業務の見直しを図る目的で,ドミニカにおいて調査を行った。同調査団は,ダハボン,コンスタンサ及びハラバコアの各地区を調査し,ドミニカ各地に散在する161戸のうち131戸を戸別訪問し,生活状況,要望事項等に関し調査を実施し,ドミニカ日系人協会とも2度にわたって意見交換を行った。その際に,同協会の複数の理事は,基本問題の解決が先決である旨の強硬な態度を示し,また,同協会会長から,日本政府及び国際協力事業団の責任の下,募集要項どおりの完全な土地所有権を与えることなどを内容とする「基本問題解決に対する要望書」が提出された。戸別調査でも,ほとんどの移住者が基本問題の解決を要望し,募集要項記載どおりの土地の配分及び所有 集要項どおりの完全な土地所有権を与えることなどを内容とする「基本問題解決に対する要望書」が提出された。戸別調査でも,ほとんどの移住者が基本問題の解決を要望し,募集要項記載どおりの土地の配分及び所有権の取得を求めた。 エそして,残留原告らが本件損害賠償請求訴訟を提起したのは,最も早い第1事件でも平成12年7月18日に至ってからであった。 除斥期間の規定の適用制限に関する検討- 179 -(1)上記3の認定事実によれば,次のことが明らかである。 ア帰国原告らは,昭和37年4月までに日本に帰国した。 そして,ネイバ地区からの帰国者らの中には,集団帰国措置が執られる前から,帰国して政府に対する責任を追及する訴訟を提起することを言明していた者もいた。また,集団帰国措置により帰国した移住者らの中には,帰国の途中あるいは帰国直後に,政府の責任を追及する者もいた。そして,同年2月から3月にかけて,ドミニカ移住の問題が国会でも取り上げられる状況にまでなっていた。 このように,帰国原告らは,昭和37年の時点で,被告の責任を追及するために,積極的に行動していたことが認められる。 イ他方,集団帰国措置によって帰国することなくドミニカに残留した移住者らに関しては,昭和43年ころ結成されたドミニカ日本人会連合会が,昭和46年ころから土地問題に取り組み始め,ドミニカ政府との間で,「300タレアの土地の無償譲渡」について交渉を重ねた。その過程で,昭和31年5月12日付けでM農務大臣が公使にあてた書簡には「300タレアまで」と記載されていたに過ぎないことが明らかとなったことから,同連合会は,遅くとも昭和49年4月ころまでの間に,日本政府が,こうした事実を隠して次々と移民を募集し,ドミニカへ送り込んだのであり,これは明らかに日本政府の責任であって,ドミニカ政 ったことから,同連合会は,遅くとも昭和49年4月ころまでの間に,日本政府が,こうした事実を隠して次々と移民を募集し,ドミニカへ送り込んだのであり,これは明らかに日本政府の責任であって,ドミニカ政府に解決を求めるべき問題ではないとの見解に達し,同月,海外移住事業団に対し,配分不足分の土地の購入資金の特別融資を要求したり,その後,現地大使館等の日本の関係機関に対し,土地問題の解決を要請したが,芳しい結果を得ることができなかった。 このように,残留した移住者らは,遅くとも昭和49年4月ころまでの間に,土地問題の解決は,直接日本政府と交渉すべき課題であるとの前提に立って,その解決に向けて,様々な取り組みを開始していたことが認め- 180 -られる。 ウそして,除斥期間経過後においても,ドミニカに残留した移住者らに関しては,同人らが結成していたドミニカ日本人会連合会が,昭和57年4月に同連合会の会長に就任したBの問題提起などを契機として,一時,組織が分裂したこともあったものの,昭和63年以降,大同団結して,基本問題の解決のために運動を展開するようになった。その後,ドミニカ日系人協会は,外務省,国際協力事業団,日本弁護士連合会等へ基本問題の解決を要請し,その過程で,代表者が何度も訪日するなどした。 また,帰国した移住者らは,平成5年に至り,ドミニカに残留した移住者らから,弁護士会に対し人権救済の申立てをしたことに関し,全面的な協力要請を受けたため,全国の帰国移住者らに呼びかけて,同年10月,ドミニカ移民集団帰国者の会を発足させ,相互の連携を図った。 エそして,本件損害賠償請求訴訟を提起したのは,残留原告らについては最も早い第1事件でも平成12年7月18日,帰国原告らについては平成13年8月6日に至ってからであった。 (2)そこで,上記( エそして,本件損害賠償請求訴訟を提起したのは,残留原告らについては最も早い第1事件でも平成12年7月18日,帰国原告らについては平成13年8月6日に至ってからであった。 (2)そこで,上記(1)の事実に基づいて,前記2で説示した民法724条後段の規定の適用を制限すべき事情(すなわち,時効の場合には民法158条の時効の停止規定の適用が可能であるのに,除斥期間についてはそれが不可能となることによる不均衡等をも考慮の上,民法724条後段の規定の適用を制限した平成10年判決の事案と同視し得る特段の事情)が存在するか否かについて検討する。 確かに,本件記録,特に,原告らが作成した陳述書,原告らに対するインタビューの模様を撮影したビデオテープ,当法廷における原告本人尋問の結果等によれば,原告らが,ドミニカ移住により物心両面わたって幾多の辛苦を重ねてきたことが十分に認められる。 しかしながら,原告らの本件訴訟の提起に至る経緯を通観すると,除斥期- 181 -間が経過するまでの間の原告らの行動に関し上記(1)ア及びイの事実が認められる。すなわち,帰国原告らは,既に昭和37年の時点で,被告の責任を追及するために,積極的に行動していた。また,残留原告らは,遅くとも昭和49年4月ころまでの間に,土地問題の解決は直接日本政府と交渉すべき課題であるとの前提に立って,その解決に向けて,様々な取り組みを開始していたのである。それにもかかわらず,原告らが本件訴訟を提起したのは,除斥期間が経過した後であり,しかも,それから更に20年余り経過した後であったが,除斥期間経過後の原告らの行動に関しては,上記(1)ウの事実(より具体的には,残留原告らについては,前記3(3)イないしエ認定事実)が認められる。以上のほか,民法158条が時効の停止事由の消滅から6か月で時 過後の原告らの行動に関しては,上記(1)ウの事実(より具体的には,残留原告らについては,前記3(3)イないしエ認定事実)が認められる。以上のほか,民法158条が時効の停止事由の消滅から6か月で時効が完成する旨を規定していることなどをも考慮すると,本件全証拠によっても,民法724条後段の規定を適用することが,平成10年判決の事案と同程度に著しく正義・公平に反するものと認めることはできないといわざるを得ない。 この点について,原告らは,①被告が国策として行ったドミニカ移住に由来する注意義務違反によって国家賠償法上の損害賠償請求権が発生したこと,②除斥期間の適用によって義務の消滅という効果を受けるのが除斥期間制度を創設した国であること,③原告らの被った被害が極めて重大なものであること,④被告が不誠実で曖昧な対応をしたこと,⑤外交文書の公開を遅らせたことによって原告らの権利行使や時効中断措置を講ずることが妨げられたこと等の特殊事情がある旨主張する(別添1の原告らの主張の第4章の第2の4(2。 ))しかしながら,前記1(1)のとおり,民法724条後段の規定は,同条前段の3年の時効は損害及び加害者の認識という被害者側の主観的な事情によってその完成が左右されるが,同条後段の20年の期間は被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権- 182 -の存続期間を画一的に定めたものと解するのが相当であり,したがって,裁判所は,不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間の経過後に提起された場合には,当事者からの主張がなくても,除斥期間の経過により上記請求権が消滅したものと判断すべきであるから,除斥期間の主張が信義則違反又は権利濫用であるとの主張は,主張自体失当であるとして取り扱うべきこととなる。加え の主張がなくても,除斥期間の経過により上記請求権が消滅したものと判断すべきであるから,除斥期間の主張が信義則違反又は権利濫用であるとの主張は,主張自体失当であるとして取り扱うべきこととなる。加えて,同条後段の規定の適用を制限することについては前記2説示のとおり解され,原告らが主張するような一般的な正義,公平の理念によって除斥期間の適用を制限することはできないというべきである。以上の諸点のほかに,上記3認定の原告らが本件訴訟を提起するに至るまでの間の経緯をも総合的に考慮すると,原告らが主張するような上記事情があることをもって除斥期間の延長を認めることは,民法724条後段の法意と相容れないといわざるを得ず,その適用を制限すべき特段の事情とするには当たらないというべきである。 そして,他に,上記特段の事情に関し,具体的な主張,立証はない。 そうであるとすると,本件の国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求にについては,前記第3において認定説示したとおり,外務大臣及び農林大臣に職務上の法的義務違反が認められ,同法1条1項の規定の適用上違法の評価を免れないので,上記請求権が発生したものと認められるが,その違法行為があった時期から20年以上経過した後にその訴えが提起されたことが明らかである以上,当裁判所としては,法律的には,民法724条後段の規定により,その請求権が消滅したものとして取り扱わざるを得ない。 (3)よって,前記第3認定の国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求権は,除斥期間の経過により消滅したものといわざるを得ない。 第3章債務不履行責任に基づく損害賠償請求について原告らの国家賠償法1条1項に基づく請求に理由がないことは第2章説示のとおりである。そこで,以下,債務不履行に基づく損害賠償請求権の存否について判断- 183 -すること づく損害賠償請求について原告らの国家賠償法1条1項に基づく請求に理由がないことは第2章説示のとおりである。そこで,以下,債務不履行に基づく損害賠償請求権の存否について判断- 183 -することとする。 第1「移住者送出契約」について原告らは,原告らと被告との間には「移住者送出契約」が成立している旨主,張する。その主張によれば「移住者送出契約」とは,送出者である被告が,被,送出者である移住者に対し,あらかじめ移民受入国であるドミニカとの間で合意された移住地の選定等の移住条件を提示し,かつ,その移住条件の実現を保証して移住地まで移送することを約し,被送出者はその条件に従って移住することを約する無償の無名契約であり,その契約の成立過程は,①被告が,募集要項に表示した内容,条件を作成し,これを一般国民に提示して,移住希望者を募集し(申込みの誘因,②原告らを含む移住希望者は,提示された募集要項に基づ)き,被告の募集に応じて自ら移住者となるために応募行為をし(申込み,③)被告は,多数の移住希望者の中から選考の結果,原告らを合格者として認定し,合格通知書を交付することによって契約応諾の意思表示を行う(承諾)ことによって成立するに至ったというのである。 しかしながら,当裁判所は,原告ら主張に係る「移住者送出契約」が成立したものと認めることはできないものと判断する。 その理由は,次のとおりである。 ドミニカ移住の実施過程における被告の関与原告らは,被告が,原告ら主張に係る「移住者送出契約」の当事者である旨主張する。そこで,まず,本件ドミニカ移住の実施過程において,果たして,被告が,原告ら主張に係る契約の一方の当事者であると評価することができるか否かについて検討する。 (1)第1章で認定した基礎的事実関係によれば,本件ドミニカ移住の 移住の実施過程において,果たして,被告が,原告ら主張に係る契約の一方の当事者であると評価することができるか否かについて検討する。 (1)第1章で認定した基礎的事実関係によれば,本件ドミニカ移住の実施の過程に関し,次のことが明らかである。 ア本件ドミニカへの移住政策の検討は,昭和29年8月27日,臨時代理公使がトルヒーヨ元帥から約2万家族の日本人移民の招致の申出を受けた- 184 -ことから始まった。この申出を受け,外務省は,ドミニカ政府との間で,日本人移住者の受入れ,その入植地,入植条件等について外交交渉を行った。また,その過程で,外務省及び農林省は,入植予定地等の調査を行い,ドミニカ政府との交渉から得られた情報,現地調査から得られた情報等をもとに,ドミニカへの移住を実施するに当たっての企画,立案を行った。 そして,最終的に,外務省は,ドミニカ政府との間で,日本人移住者の送出及びその受入れ,入植地及び入植条件等について,交換公文を取り交わすことにより取決めをした。そして,ドミニカ政府との間の交渉により入植地,入植条件等が具体的に固まる都度,農林省が外務省と協議して募集要領を定め,海協連に対して募集を行うように指示した。 イ海協連は,これを受けて,移民の募集,選考,講習,送出等の事務を,国の補助を受けて行った。募集,選考の事務については地方海外協会も担当していたが,地方海外協会は市町村段階の末端組織を持たないため,地方における移住業務は,都道府県及びその出先機関並びに市町村が実施している実情にあった。 具体的には,次のとおりである。 (ア)海協連は,農林省から上記指示を受けると,募集要項(募集要領と同一の内容)を作成し,これを各都道府県及び地方海外協会へ送付し,募集を依頼する。各県の地方海外協会は,新聞,ラジオ等を通じて募集内 )海協連は,農林省から上記指示を受けると,募集要項(募集要領と同一の内容)を作成し,これを各都道府県及び地方海外協会へ送付し,募集を依頼する。各県の地方海外協会は,新聞,ラジオ等を通じて募集内容を一般県民に発表する。また,県庁を通じて町村役場へ,農協系統を通じて町村農協へ文書を送付し,協力を依頼することも行われていた。 移住希望者は,地方海外協会から移住申込書を受け取り,それに必要事項を記入するとともに,必要書類(戸籍謄本,農業従事証明書,健康診断書,市町村長の推薦書等)を所定の期日までに地方海外協会へ提出する。 (イ)地方海外協会は,上記申込書の提出を受けて,書類,面接による- 185 -選考を行い,募集要項に定める資格を満たすか否かを判定し,適格者と認めた者については,推薦書を添えて海協連に対しその書類を送付する。 海協連は,移住者選考会議を開催し,農林,外務両省の係官の立会いの下に書類選考を行い,仮合格者を決定する(この段階で,合格者として決定されることもあった。仮合格者に対しては,海協連から。)各県の地方海外協会を通じて通知される。 (ウ)海協連は,仮合格者に対して,移住者として必要な国際教養,農業の知識,技能等を付与する講習を実施し,この講習の実施後,不適格者と認められる者を除き合格者と決定する。 (エ)合格者は,県庁において旅券等の申請を行う。 そして,合格者は,原則として,家族の場合は乗船の1週間前,単身の場合は10日前に,外務省の施設である神戸又は横浜の移住あっせん所に入所し,渡航の手続をして乗船を待つことになる。 (オ)移住者の輸送については,海協連の職員が担当し,移住船には海協連の輸送引率員が乗船した。外務省の職員も,移民監督として乗船した(海協連の職員が助監督となっていた。 。)移住のための渡航 (オ)移住者の輸送については,海協連の職員が担当し,移住船には海協連の輸送引率員が乗船した。外務省の職員も,移民監督として乗船した(海協連の職員が助監督となっていた。 。)移住のための渡航費(船賃)は,海協連から移住者らに対し貸付けが行われた。 (カ)以上の過程を経て,移住者らは,ドミニカの国営入植地に入植した。 ウなお,海協連の設立の経緯,事業内容等は,次のとおりである。 外務省は,昭和28年10月,外務大臣の諮問機関である海外移住懇談会に対する諮問の結果,各都道府県の海外協会の中央機関として海協連を設立し,これに移住事務を一元的に行わせるべき旨の答申を得た。これを受けて,昭和27年6月に設立されていた社団法人海外移住中央協会が中- 186 -心となり,当時存在した地方の海外協会の団体の代表その他民間有志によって,昭和28年11月,海協連の創立総会が開かれ,昭和29年1月,外務大臣により財団法人として設立が許可された。 海協連は,海外移住のあっせん及び援助を行い,かつ,海外移住の推進を図ることを目的とし,海外移住に関する啓蒙宣伝,移住者の募集・選考,教養講習・訓練,送出・輸送,渡航費等の貸付け,入植地での定着指導及び調査研究等の事業を行った。 (2)上記(1)の事実に基づいて,被告が,原告ら主張に係る「移住者送出契約」の一方の当事者であると評価することができるか否かについて検討する。 ア確かに,本件ドミニカ移住を実施するに当たっての企画,立案は,外務省及び農林省が行った。すなわち,本件ドミニカ移住は,昭和29年8月のトルヒーヨ元帥からの招致の申出により検討が始められ,その政策の企画,立案,その具体化のためのドミニカ政府との交渉等は,外務省又は農林省が行った。最終的には,外務省が,ドミニカ政府との間で,日本人移住者の ヨ元帥からの招致の申出により検討が始められ,その政策の企画,立案,その具体化のためのドミニカ政府との交渉等は,外務省又は農林省が行った。最終的には,外務省が,ドミニカ政府との間で,日本人移住者の送出及びその受入れ,入植地及び入植条件等について,交換公文を取り交わして,取決めをし,また,そうした事項が具体的に固まる都度,農林省が外務省と協議して募集要領を定め,海協連に対して募集を行うように指示をしたのである。 しかしながら,本件ドミニカ移住について,外務省及び農林省がこのような企画,立案を行うことは,当時被告が日本国民の海外移住を重要な政策として位置付けており,しかも,それが両省の所掌事務に含まれるものであったことからすれば,当然のことといえる。そして,この企画,立案の過程では,その事務を担当していた両省所属の公務員と原告らを含むドミニカ移住(希望)者との間には具体的な接点が全くなかった。そうすると,この過程における担当公務員の事務処理をもって,被告が,原告ら主- 187 -張に係る「移住者送出契約」の一方当事者の立場にあったと評価すべきものと認めることはできない。 イ次に,ドミニカへの移住の募集,選考,講習,送出等の過程について検討する。 この事務は,海協連が,国の補助を受けて行った。すなわち,海協連は,農林省から募集を行うように指示を受けると,募集要項(募集要領と同一の内容)を作成し,これを各都道府県及び地方海外協会へ送付し,募集を依頼する。各県の地方海外協会は,広報活動を行って応募者を募り,応募者について書類,面接による選考を行い,適格者と認めた者については,推薦書を添えて海協連に対しその書類を送付する。これを受けて,海協連は,移住者選考会議を開催し,農林,外務両省の係官の立会いの下に書類選考を行い,仮合格者を決定し,その 適格者と認めた者については,推薦書を添えて海協連に対しその書類を送付する。これを受けて,海協連は,移住者選考会議を開催し,農林,外務両省の係官の立会いの下に書類選考を行い,仮合格者を決定し,その旨を,各県の地方海外協会を通じて通知する。そして,海協連は,仮合格者に対して,移住者として必要な国際教養,農業の知識,技能等を付与する講習を実施し,この講習の実施後,不適格者と認められる者を除き合格者と決定する。そして,移住者のドミニカへの輸送についても,海協連の職員が担当している。 しかも,海協連は,海外移住事務を一元的に行わせるべき旨の海外移住懇談会の答申を受けて,社団法人海外移住中央協会が中心となり,昭和28年11月,当時存在した地方の海外協会の団体の代表その他民間有志によって,創立総会が開かれ,昭和29年1月,外務大臣により設立が認可された財団法人であり,海外移住のあっせん及び援助を行い,かつ,海外移住の推進を図ることを目的とし,海外移住に関する啓蒙宣伝,移住者の募集・選考,教養講習・訓練,送出・輸送,渡航費等の貸付け,入植地での定着指導及び調査研究等の事業を行うものであった。この点については,内閣が,昭和29年7月20日「海外移住に関する事務調整につい,ての閣議決定」において「海外移住に関する事務の実施は民間団体たる,- 188 -日本海外協会連合会及びその組織団体たる地方海外協会をして国内国外を通じて一元的に行わしめるものとする」旨決定しているところでもある。 (基礎的事実関係第1の4(1。 ))以上の事実に徴すると,ドミニカ移住を具体的に実行するための移住の募集,選考,講習,送出等の事務は,こうした事務を一元的に行うことを目的として発足した独立の法人格を有する海協連が実施したものと判断される。上記閣議決定の趣旨に照ら 住を具体的に実行するための移住の募集,選考,講習,送出等の事務は,こうした事務を一元的に行うことを目的として発足した独立の法人格を有する海協連が実施したものと判断される。上記閣議決定の趣旨に照らせば,被告が,移住者送出契約の一方当事者に立つことは想定されていなかったと解されるし,以上の認定事実に照らせば,被告がそのように振る舞っていたものと評価することはできない。 (3)ところで,原告らは,移住者の募集は,外務省と農林省が協同して行ったとみるのが妥当であり,移住者の選考や,その後の講習等も被告が実施したことが明らかであり,都道府県や海協連の独自の意思が入り込む余地はなかったと主張する。そして,証人アもこれに沿った供述をする(甲199,甲227,証人ア。しかし,海協連が,現実に募集,選考行為を行の1)い,また,移住者らに対する講習を主催して実施していたことは,上記認定のとおりであり,その主張は採用できない。 また,原告らは「外務省に移住局を設置することに伴う閣議了解事,『項』に伴う農林漁業移民に関する外務,農林両省事務次官覚書」の5項に「農林漁業移民選考の最終決定については外務,農林両省が共同して担当すること」とあることから,移住者の選考は被告が行ったと主張する。しかし,同覚書は,昭和30年5月20日の「外務省に移住局を設置することに伴う閣議了解」を受けたものであり,同閣議了解では「海外移住に関する事務,の調整については,昭和29年7月20日閣議決定によるのほか,なお下記によるものとする」としている。そして,同閣議決定では,5項で「農業。 移民選考の最終決定は日本海外協会連合会が外務,農林両省の指示を受けて- 189 -これを決定する」としている。こうしたことに加え,上記(1)認定のと。 おり,海協連は,移住者選考会議を 農業。 移民選考の最終決定は日本海外協会連合会が外務,農林両省の指示を受けて- 189 -これを決定する」としている。こうしたことに加え,上記(1)認定のと。 おり,海協連は,移住者選考会議を開催して仮合格者を決定し,その通知も各県の地方海外協会を通じて行い,仮合格者に対して講習を実施の上,合格者として決定していたことに徴すると,移住者の選考の主体が海協連であることは明らかというべきである。 なお,上記認定事実によれば,移住者選考会議に農林,外務両省の係官が立ち会っていたこと,外務省の職員が移民監督として移住船に乗船していたこと等が認められるが,これらの事実から,被告が移住者送出契約の一方当事者として活動していたと評価することは困難というべきである。 原告ら主張に係る「移住者送出契約」の内容関係また,原告らは,その主張に係る「移住者送出契約」の内容として,送出者である被告が,被送出者である移住者に対し,あらかじめ移民受入国であるドミニカとの間で合意された移住地の選定等の移住条件を提示し,かつ,その移住条件の実現を保証して移住地まで移送することを約した旨主張する。そこで,以下,原告ら主張に係る契約の内容面に焦点を当てて,その成立の有無を検討する。 (1)第1章で認定した基礎的事実関係によれば,次のことが明らかである。 ア日本人のドミニカへの移住は,昭和29年8月27日,現地公使館の臨時代理公使が,トルヒーヨ元帥から約2万家族の日本人移民を招致の申出を受けたことから検討が開始された。 そして,昭和31年3月27日付けのM書簡では「ドミニカ政府は,,トルヒーヨ元帥の勧告を受け,国内各地に創設される植民地に日本人移住者を受け入れる用意があり,手始めとして国境のダハボン地区及びペピーリョ・サルセド地区に農業者25家族及び経験のある漁 政府は,,トルヒーヨ元帥の勧告を受け,国内各地に創設される植民地に日本人移住者を受け入れる用意があり,手始めとして国境のダハボン地区及びペピーリョ・サルセド地区に農業者25家族及び経験のある漁業者5家族を入植させる用意があることを確認する。両国政府間の取決め及び日本人移住者定着のための基準は,この書簡に対する返簡との交換によって確定される- 190 -ものとし,その内容とされる約定及び相互条件は次のように要約される」として「aドミニカ政府は,日本人農業移住者を受け入れ,移。 ,住者に土地を提供する(suministrar)ことを約し,1家族当たり300タレアまでの土地を供与する(entregando 。この面積は,恩恵に浴した)家族が自力で更に広い面積を耕作できることを立証する場合には増加し得る「bドミニカ政府は,日本政府の了解する設計図に基づき,かつ,。」,各家族に対してその必要を満たすに足りる住宅用家屋を供与する(entregar)とともに,然るべく整地された播種可能な状態にある土地を供与し,さらに,耕作開始時には栽培に必要な作物種子及び土地で生産が始まるまでの間他の移住者に供与される(suministrar)のと同様の人頭割補助金を交付する」などを挙げていた。そして,この内容は,その後の。 公使の返簡等を経て,両国間の取決めとされたのである。 イそして,被告は,ドミニカ政府との間で,その後,ドミニカ各地の国営入植地への入植に関する移住条件について,順次,交換公文を取り交わすことにより取決めをしたのであるが,その内容は,次のとおりである。 (ア)ダハボン地区第1次の移住条件は,上記アのM書簡とこれに対する公使の返簡等によって取り決められた。それによれば,ドミニカ政府において,上記ア記載の約定等に従った措置を執 ,次のとおりである。 (ア)ダハボン地区第1次の移住条件は,上記アのM書簡とこれに対する公使の返簡等によって取り決められた。それによれば,ドミニカ政府において,上記ア記載の約定等に従った措置を執ることなどが合意された。 同地区第4次の移住条件も,第1次の移住条件と同一とされた。 (イ)コンスタンサ地区第1次の移住条件は,土地に関する事項以外はダハボン地区第1次の場合と全く同じとされた。土地については,ドミニカ政府が日本人農業移住者に対し「1家族当たり100タレアの土地を供与する。右恩恵に浴した家族がより広大な面積を要する耕作に従事するときには増加しうる」とされた。 。 同地区第2次の移住条件も同内容であった。 - 191 -(ウ)ドゥベルヘ地区第1次及び第2次並びにネイバ地区第1次及び第2次の移住条件については,既に確立された条件でドミニカ政府が受け入れることとされ,土地の配分については,①入植の際に1家族当たり50タレアの耕作地を割り当てる,②初年度末に日本,ドミニカ両国官憲による合同調査を行い,かつ,その期日までに50タレア全部の耕作を完了し,より広範な耕作を持続し得ると立証する家族に対しては,更に50タレアを追加供与する,③同様に第2次調査を定着後2年目に行い,前記期日までに100タレアの耕作を持続し,なおかつ,より広範囲の耕作能力を保有する家族に対しては更に50タレア供与する,とされた。なお,ドゥベルヘ地区については,入植する移住者は,建設予定の排水装置により地質が完全に清浄されるまでの間,最初の3年間は稲,フリホール豆,小玉葱の耕作に従事すべきであるとされた。 (エ)ハラバコア地区第1次の移住条件は,土地が入植と同時に100タレア配分されること以外は従前と同じとされた。 (オ)アグアネグラ地区第1次及び第2次 ,小玉葱の耕作に従事すべきであるとされた。 (エ)ハラバコア地区第1次の移住条件は,土地が入植と同時に100タレア配分されること以外は従前と同じとされた。 (オ)アグアネグラ地区第1次及び第2次並びにアルタグラシア地区第1次の移住条件は,ダハボン地区第1次と同じ(ただし,a項を除く)とされた。a項については「ドミニカ政府は,日本人農業移住。 ,者を受け入れ,彼らに対し土地を提供することを約し,1家族当たり,コーヒー樹植付け済みの200タレアの土地を供与する。右面積は,恩恵に浴した家族が自力で更に広い面積を良い状態で耕作できることを立証する場合には増加しうるものとする。同様に,ドミニカ政府は,必要とされる苗木を引き渡し,或いは新たな播種に必要であれば大木の伐採を行って,コーヒー園の拡張や再植樹に取り組むコーヒー移住者に対して可能な限りの支援を行うこと,及び,必要な乾燥場を建設して,果肉除去機と脱皮機を贈与することとする」とされた。 。 (カ)アルタグラシア地区第3次及びコンスタンサ地区第4次の移住条- 192 -件は,配分される土地面積について,ドミニカ農務省が,アルタグラシア地区への日本人移住者には1家族100タレア及びコンスタンサ地区では50タレアの土地を供与するとされた。また,土地の配分等のそのほかの諸条件は,入国停止前の移住者に対するものと同一であるとされた(乙157。 )ウ上記イの被告とドミニカ政府との間でのドミニカ各地の国営入植地への移住条件に関する取決めに基づいて,農林省が外務省と協議して募集要領を定め,また,それを受けて,海協連がそれと同一の内容の募集要項を作成した。その募集要項には,ドミニカ政府が負担する事項として,別紙「入植条件と入植の実状(認定事実(略)の「募集要項で示された入)」植条件」中の「 受けて,海協連がそれと同一の内容の募集要項を作成した。その募集要項には,ドミニカ政府が負担する事項として,別紙「入植条件と入植の実状(認定事実(略)の「募集要項で示された入)」植条件」中の「配分される土地」及び「生活基盤」の各欄のとおり()()の記載がされた。また,アグアネグラ地区第1次及び第2次並びにアルタグラシア地区第1次の募集要項では,そのほかに,コーヒー補植についてドミニカ農務省はできる限りの援助を与える旨の記載がされた。 なお,ドミニカ移民に関する募集要領,募集要項(甲4ないし9,乙63,75,83,109,120,134,154)を精査しても,被告がそうした移住条件を実現する旨の記載や,被告がドミニカ政府にその移住条件を履行させることを保証する(請け合う)旨の記載はされていない。 (2)上記(1)の事実に基づいて,上記各移住条件について,被告が主体になってその実現を約束したものと評価することができるか否かについて検討する。 アそもそも,日本人のドミニカへの移住は,ドミニカのトルヒーヨ元帥からの約2万家族の日本人移民を招致したいとの申出を契機として,検討が開始されたものである。そして,昭和31年3月27日付けのM書簡の中では「ドミニカ政府は,日本人農業移住者を受け入れ,移住者に土地を,提供する(suministrar)ことを約し,1家族当たり300タレアまでの土- 193 -地を供与する(entregando「ドミニカ政府は,日本政府の了解する設)。」,計図に基づき,かつ,各家族に対してその必要を満たすに足りる住宅用家屋を供与する(entregar)とともに,然るべく整地された播種可能な状態にある土地を供与し,さらに,耕作開始時には栽培に必要な作物種子及び土地で生産が始まるまでの間他の移住者に供与され 住宅用家屋を供与する(entregar)とともに,然るべく整地された播種可能な状態にある土地を供与し,さらに,耕作開始時には栽培に必要な作物種子及び土地で生産が始まるまでの間他の移住者に供与される(suministrar)のと同様の人頭割補助金を交付する」ことなどが明記されており,この内容が,。 その後の公使の返簡等を経て,両国間の取決めとされたのである。 その後,被告は,ドミニカ政府との間で,ドミニカ各地の国営入植地への入植に関する移住条件について,順次,交換公文を取り交わすことにより取決めをしたのであるが,その際にも,一定の面積の土地の提供,その他の移住条件をドミニカ政府において実施するものとされていた。 そして,ドミニカ側もそのような認識でいたことは,基礎的事実関係第6認定のドミニカ側の対応からしても明らかである。例えば,ドミニカ農地庁の長官は,平成9年11月18日,大使との会談の中で,日本人移住者の日本政府への訴えの中で最も重要なものは入植時において約束通り土地の配分がなかった点であるとの大使の発言を受けて「ドミニカ政府と,しては日本人移住者に対し一定の土地を無償で譲渡する用意がある,」「我々は移住者に対して入植当時の約束を完全に履行すべき立場にあり,その意味でドミニカ政府は移住者に対して『債務』(DEUDA)がある。今後は守れなかった約束を40数年経たとはいえ履行に向け鋭意努めていきたい「農地庁所有の土地の譲渡あるいは民有地の買上げによる方法によ。」,ってしたい」との意向を示しているところである(基礎的事実関係第6。 の4(6。 ))このように,両国間の取決めにおいては,日本人移住者らを国営入植地に受け入れる主体はドミニカ政府であり,土地の提供その他の移住条件を実現すべき主体もドミニカ政府とされていたことが明ら (6。 ))このように,両国間の取決めにおいては,日本人移住者らを国営入植地に受け入れる主体はドミニカ政府であり,土地の提供その他の移住条件を実現すべき主体もドミニカ政府とされていたことが明らかである。 - 194 -イまた,各地区への移住に関する募集要領,募集要項上も,各種移住条件を実現すべき主体がドミニカ政府とされていることが明らかである。例えば,土地の配分については,ダハボン地区第1次においては,1世帯当たり300タレアの土地が無償譲渡される旨の記載がされた上,入植初年度においては150タレア(宅地を含む)の土地がドミニカ政府の負担に。 おいて開墾整地の上配分される旨記載されており,土地を無償譲渡する主体がドミニカ政府であることが明示されていた。また,それ以外の募集要項においても,土地が無償で使用を許され,将来ドミニカの法律の諸要件を充足の上は無償譲渡される見込みであるなどと記載されており,土地の無償使用許可ないし無償譲渡がドミニカの法律に基づいて行われることが明示されていた。 そして,どの募集要領,募集要項にも,被告がそうした移住条件を実現する旨の記載や,被告がドミニカ政府にその移住条件を履行させることを保証する(請け合う)旨の記載はされていない。 こうした事実によれば,募集要領,募集要項の記載上も,移住条件を実現する主体がドミニカ政府であるとされていたことが明らかである。 ウ以上のとおり,被告とドミニカ政府との間の取決めにおいては,土地の提供その他の移住条件を実現すべき主体がドミニカ政府とされていた。また,移住者を募集するために作成された募集要領,募集要項上も,各種移住条件を実現すべき主体がドミニカ政府とされていることが明らかであり,被告がそうした移住条件を実現する旨の記載や,被告がドミニカ政府にその移住条件を履行 めに作成された募集要領,募集要項上も,各種移住条件を実現すべき主体がドミニカ政府とされていることが明らかであり,被告がそうした移住条件を実現する旨の記載や,被告がドミニカ政府にその移住条件を履行させることを保証する(請け合う)旨の記載はされていないのである。 こうしたことからすると,移住条件の内容面からしても,被告が主体になってその実現を約束したものと評価することはできないといわざるを得ない。 - 195 - 結論 以上の次第であるから,被告が,原告ら主張に係る「移住者送出契約」の一方の当事者として活動していたと評価することは困難であり,また,移住条件の内容面からしても,被告が主体になってその実現を約束したものと評価することはできないといわざるを得ないので,原告らと被告との間に,原告ら主張に係る「移住者送出契約」が成立したものと認めることはできない。 そして,他に,その契約が成立したことを認めるに足りる証拠はない。 したがって,原告ら主張に係る「移住者送出契約」の成立を前提とする損害賠償請求は,その余の点について判断するまでもなく,理由がない。 第2安全配慮義務について原告らは,仮に「移住者送出契約」が成立していないとしても,被告とドミニカ政府との間の合意及びこれに基づく被告のあっせんという法律関係並びに被告の各原告に対する支配関係等に照せば,各原告と被告との間には「移住者送出,契約」に準じた法律関係が存在するというべきであり,この法律関係に基づいて,原告らは被告の情報だけを信じて日本国内の財産をすべて処分し,被告が定めた募集要項に従って携行資金等を用意し,全く見ず知らずのドミニカで営農に従事するという特別な社会的接触関係に入ったのであるから,被告は,原告らの生命,身体,精神,財産等について,信義則上の安全配慮義務(その具体的内 て携行資金等を用意し,全く見ず知らずのドミニカで営農に従事するという特別な社会的接触関係に入ったのであるから,被告は,原告らの生命,身体,精神,財産等について,信義則上の安全配慮義務(その具体的内容は,「移住者送出契約」が存在した場合と同様のもの)を負っていると解すべきである旨主張する。 しかしながら,当裁判所は,被告に原告ら主張に係る安全配慮義務が発生したことを認めることはできないものと判断する。 その理由は,次のとおりである。 安全配慮義務一般について安全配慮義務とは,ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が- 196 -相手方に対して信義則上負う義務である(最高裁昭和50年2月25日第三小法廷判決・民集29巻2号143頁参照。そして,この安全配慮義務違反に)よる損害賠償請求権は,債務不履行に基づく損害賠償請求権の性質を有するものと解されている(最高裁昭和55年12月18日第一小法廷判決・民集34巻7号888頁参照。 )この義務は,主として,雇用関係,労働契約関係において事故が発生した場合の責任を念頭に置いて論じられているものであり,上記最高裁昭和50年判決は,自衛隊員の職務上の事故に関する損害賠償請求事件について,次のとおり判示している「国と国家公務員との間における主要な義務として,法は公。 務員が職務に専念すべき義務並びに法令及び上司の命令に従うべき義務を負い,国がこれに対応して公務員に対し給与支払義務を負うことを定めているが,国の義務は右の給付義務にとどまらず,国は,公務員に対し,国が公務遂行のために設置すべき場所,施設もしくは器具等の設置管理又は公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたって,公務員の生命及び健康等 義務にとどまらず,国は,公務員に対し,国が公務遂行のために設置すべき場所,施設もしくは器具等の設置管理又は公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたって,公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という)を。 負っているものと解すべきである。もとより,右の安全配慮義務の具体的内容は,公務員の職種,地位及び安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によって異なるべきもの・・・であるが,国が,不法行為規範のもとにおいて私人に対しその生命,健康等を保護すべき義務を負っているほかは,いかなる場合においても,公務員に対し安全配慮義務を負うものではないと解することはできない。けだし,右のような安全配慮義務は,ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきものであって,国と公務員との間においても別異に解すべき論拠はなく,公務員が前記の義務を安んじて誠実に履行するためには,国が,公務員に対し安全配慮義務を負い,これを尽くすことが必要不可欠であ(る。 )」- 197 -このように,安全配慮義務は,私法上の直接の契約関係にある者に限らず,公法上の法律関係に基づき契約類似の関係に入った当事者間や,第三者を介して実質的に契約当事者類似の関係にある当事者間においても,信義則上「生,命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき」であるという契約上の債権債務と同様の規範を設定し,その違反を債務不履行として規律する効果を生じさせるものである。したがって,上記最高裁昭和50年判決が安全配慮義務が認められるべき当事者に関していう「ある法律関係に基づく特別な社会的接触の関係」とは の違反を債務不履行として規律する効果を生じさせるものである。したがって,上記最高裁昭和50年判決が安全配慮義務が認められるべき当事者に関していう「ある法律関係に基づく特別な社会的接触の関係」とは,信義則上「生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべ,き」であるという契約規範を生じさせるだけの実質を有するものであることを要するというべきであり,そのような関係が存在しない当事者間においては,安全配慮義務違反が問題になる余地はなく,不法行為規範によって規律されるべきものと解される。 本件における安全配慮義務の成否そこで,以下においては,上記観点に立って,原告らが主張する安全配慮義務が認められるか否かを検討することとする。 ところで,移住者らが,ドミニカに移住するに当たって,被告との間で,原告らが主張する「移住者送出契約」を締結したものと認めることができないことは,前記第1で説示したとおりである。そして,他に,被告との間で何らかの契約を締結したことを認めるに足りる証拠もない。 そこで,以下,原告らと被告との間に,契約関係にはないが,信義則上,「生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき」であるという契約規範を生じさせるだけの実質を有する「ある法律関係に基づく特別な社会的接触の関係」が存在したか否かについて,第1章で認定した基礎的事実関係及び前記第1の1(1)で摘示した事実に基づいて検討する。 (1)本件ドミニカ移住は,昭和29年8月のトルヒーヨ元帥からの招致の申出により検討が始められたが,その政策の企画立案,その具体化のための- 198 -ドミニカ政府との交渉等は,外務省又は農林省により行われた。最終的には,外務省が,ドミニカ政府との間で,日本人移住者の送出及びその受入れ,入植地及び入植条件等について,交換公文を取り交わして, -ドミニカ政府との交渉等は,外務省又は農林省により行われた。最終的には,外務省が,ドミニカ政府との間で,日本人移住者の送出及びその受入れ,入植地及び入植条件等について,交換公文を取り交わして,取決めをし,ドミニカ政府との間の交渉により入植地,入植条件等が具体的に固まる都度,農林省が外務省と協議して募集要領を定め,海協連に対して募集を行うように指示したものである。 ドミニカ移住に関する企画立案の過程は,以上のとおりであるから,国の公務員と原告らとの間には,その過程では具体的な接点は全くなく,信義則上「生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき」であるという契,約規範を生じさせるだけの実質を有する「ある法律関係に基づく特別な社会的接触の関係」が生じ得る余地はない。 (2)次に,ドミニカへの移住の募集,選考,講習,送出等の過程についてみると,その事務は,海協連が,国の補助を受けて行ったものである。そして,海協連は,海外移住事務を一元的に行わせるべき旨の海外移住懇談会の答申を受けて,社団法人海外移住中央協会が中心となり,昭和28年11月,当時存在した地方の海外協会の団体の代表その他民間有志によって,創立総会が開かれ,昭和29年1月,外務大臣により設立が認可された財団法人であり,海外移住のあっせん及び援助を行い,かつ,海外移住の推進を図ることを目的とし,海外移住に関する啓蒙宣伝,移住者の募集・選考,教養講習・訓練,送出・輸送,渡航費等の貸付け,入植地での定着指導及び調査研究等の事業を行うものであった。 このように,ドミニカ移住を具体的に実行するための移住者の募集・選考,講習,送出等の事務は,こうした事務を一元的に行うことを目的として発足した独立の法人格を有する海協連が実施したものである。 そして,その過程で,被告の公務員が移住(希望 するための移住者の募集・選考,講習,送出等の事務は,こうした事務を一元的に行うことを目的として発足した独立の法人格を有する海協連が実施したものである。 そして,その過程で,被告の公務員が移住(希望)者らと直接的な接触を持つことはほとんどなかった。もちろん,上記第1の1(1)イ認定のとお- 199 -り,被告の公務員が移住者らとの関係で,接触を持つこともあった。例えば,海協連が仮合格者の決定を行う際に農林,外務両省の係官が立ち会ったり,ドミニカへの輸送の際に外務省から任命された移民監督らが移住船に乗船していた。また,被告はドミニカへの旅券を発給した。 しかしながら,被告の公務員のこのような関与は,移住者らがドミニカに移住するに際し必要となる手続過程の一場面に過ぎない。その接触のゆえに,相手方の生命及び健康等へ悪影響を及ぼす危険性を増大させたものとは言い難いというべきであり,このような関与をもって,直ちに,信義則上「生,命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき」であるという契約規範を生じさせるだけの実質を有する「ある法律関係に基づく特別な社会的接触の関係」が存在したものということはできない。 (3)移住後の過程についてみても,確かに,基礎的事実関係第4ないし第6において認定したとおり,移住者らと現地公使館又は大使館との間で様々なやり取りがされているが,原告ら主張に係る保護義務違反という不法行為規範を基礎付けるに足りる法律関係が原告らと被告との間に存在したことを認めることができないことは,前記第2章第4において説示したとおりである。こうしたことに照らすと,移住後についても「生命及び健康等を危険,から保護するよう配慮すべき」であるという契約規範を信義則上生じさせるだけの実質を有する「ある法律関係に基づく特別な社会的接触の関係」が原 たことに照らすと,移住後についても「生命及び健康等を危険,から保護するよう配慮すべき」であるという契約規範を信義則上生じさせるだけの実質を有する「ある法律関係に基づく特別な社会的接触の関係」が原告らと被告との間に存在したということはできないというほかない。 (4)以上のところによれば,原告らと被告との間に,契約関係にはないが,信義則上「生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき」であると,いう契約規範を生じさせるだけの実質を有する「ある法律関係に基づく特別な社会的接触の関係」が存在したものと認めることはできないというべきである。 結論 - 200 -そうすると,安全配慮義務違反に基づく原告らの請求は,その余の点について判断するまでもなく,理由がないことに帰する。 第4章 結論 以上の次第であるから,原告らの請求中,本件ドミニカ移住政策の遂行過程における外務大臣及び農林大臣の職務上の法的義務違反を理由とする国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求については,その請求権が発生したことは認められるが,除斥期間の経過により消滅したものとして取り扱わざるを得ないので,棄却を免れない。そして,原告らのその余の請求は,いずれも理由がない。 よって,主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第35部裁判長裁判官金井康雄裁判官小川卓逸裁判官森脇江津子は,転補につき署名押印することができない。 裁判長裁判官金井康雄
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