平成27年8月28日判決言渡平成25年(行ウ)第237号難民認定等請求事件(以下「第1事件」という。)平成25年(行ウ)第462号訴えの追加的併合申立事件(以下「第2事件」という。)平成26年(行ウ)第285号訴えの追加的併合申立事件(以下「第3事件」という。) 主文 1 本件訴えのうち,東京入国管理局長が原告に対して平成22年3月16日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項の規定による在留を特別に許可しない旨の処分の取消しを求める部分を却下する。 2 法務大臣が原告に対して平成22年3月2日付けでした難民の認定をしない旨の処分を取り消す。 3 法務大臣は,原告に対し,出入国管理及び難民認定法61条の2第1項の規定による難民の認定をせよ。 4 東京入国管理局長が原告に対して平成25年3月1日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項の規定による異議の申出には理由がない旨の裁決を取り消す。 5 東京入国管理局主任審査官が原告に対して平成25年3月4日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。 6 原告のその余の請求を棄却する。 7 訴訟費用は,全事件を通じてこれを5分し,その1を原告の負担とし,その余は被告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求 1 第1事件(1) 主文第2項に同じ(以下「難民不認定処分取消請求」という。)(2) 東京入国管理局長が原告に対して平成22年3月16日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項の規定による在留を特別に許可しない旨の処分を取り消す。(以下「在特不許可処分取消請求」という。)(3) 主文第3項に同じ(以下「難民認定処分義務付け請求」という。) 2 第2事件(1) 主文第4項に同じ(以 特別に許可しない旨の処分を取り消す。(以下「在特不許可処分取消請求」という。)(3) 主文第3項に同じ(以下「難民認定処分義務付け請求」という。) 2 第2事件(1) 主文第4項に同じ(以下「裁決取消請求」という。)(2) 主文第5項に同じ(以下「退令発付処分取消請求」という。) 3 第3事件被告は,原告に対し,100万円及びこれに対する平成22年3月2日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。(以下「国家賠償請求」という。)第2 事案の概要第1事件は,コンゴ民主共和国(旧ザイール共和国。以下,正式国名が問題とならない箇所では,国名変更の前後を問わず,「コンゴ」という。)の国籍を有する男性である原告が,自身は宗教的背景を有する同国の政党P1の党員として,特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の保護を受けることができない難民であるとして,法務大臣に対し,難民の認定を申請したところ,法務大臣は平成22年3月2日付けで原告が難民である旨の認定をしない旨の処分をし(以下「本件難民不認定処分」という。),法務大臣の権限の委任を受けた東京入国管理局長(以下「東京入管局長」といい,東京入国管理局を「東京入管」という。)は,同月16日付けで出入国管理及び難民認定法(以下,単に「法」という。)61条の2の2第2項の規定に基づいて原告の在留を特別に許可しない旨の処分をした(以下「本件在特不許可処分」という。)ため,原告が,法務大臣及び東京入管局長の所属する被告国に対し,上記各処分の取消し及び原告が難民である旨の認定の義務付けを求める事案である。 第2事件は,原告が法24条1号(不法入国)の退去強制対象者に該当するとの東京入管入国審査官の認定が る被告国に対し,上記各処分の取消し及び原告が難民である旨の認定の義務付けを求める事案である。 第2事件は,原告が法24条1号(不法入国)の退去強制対象者に該当するとの東京入管入国審査官の認定が誤りがないとの東京入管特別審理官の判定に対し,原告が法49条1項の規定による異議の申出をしたが,法務大臣の権限の委任を受けた東京入管局長が平成25年3月1日付けでその異議の申出が理由がないと裁決し(以下「本件裁決」という。),これを受けて東京入管主任審査官が原告に対し同月4日付け退去強制令書(以下「本件退令」という。)を発付したため,原告が,東京入管局長及び東京入管主任審査官の所属する被告国に対し,難民である原告に対してした本件裁決は違法であり,本件退令発付処分も違法であるとして,これらの取消しを求める事案である。 第3事件は,国の公権力の行使に当たる難民調査官が,原告の難民認定申請手続に係る審査に際し,難民審査における最低限度の注意義務を逸脱して,コンゴの情勢について容易に入手することのできる国際連合(以下「国連」という。)の特別調査報告書を参照するなどの調査を尽くさなかったのは国家賠償法上も違法であるとして,原告が,被告国に対し,同法1条1項に基づき,その精神的苦痛に対する100万円の損害賠償及びこれに対する本件難民不認定処分の日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。 1 前提事実(1) 原告の身上と本邦への入国原告は,1975年(昭和50年)▲月▲日にコンゴのバ・コンゴ州α(β)において出生したコンゴ国籍を有する男性である。 原告は,2008年(平成20年)9月30日にコンゴのキンシャサから出国し,エチオピアのアジスアベバ,タイのバンコクを経由して,同年10月2日に成田国際空港 生したコンゴ国籍を有する男性である。 原告は,2008年(平成20年)9月30日にコンゴのキンシャサから出国し,エチオピアのアジスアベバ,タイのバンコクを経由して,同年10月2日に成田国際空港に到着し,コンゴ国籍の別人名義の旅券を提示して,本邦に上陸した。((1)全体につき,乙1)(2) 原告の難民認定申請手続ア原告は,平成20年10月14日,法務大臣に対し,難民認定申請をした(乙2。以下「本件難民認定申請」という。)。 イ法69条の2,出入国管理及び難民認定法施行規則(以下,単に「規則」という。)61条の2第14号により法務大臣の権限の委任を受けた東京入管局長は,平成21年4月16日,法61条の2の4第1項に基づき,原告の仮滞在を許可した(乙7)。 ウ法務大臣は,原告に対し,平成22年3月2日付けで,難民の認定をしない処分をした(乙9の1。本件難民不認定処分)。また,法69条の2,規則61条の2第13号により法務大臣の権限の委任を受けた東京入管局長は,原告に対し,同月16日付けで,法61条の2の2第2項の規定による在留特別許可をしない処分をした(甲2,乙10の1。本件在特不許可処分)。これらの各処分は,同月25日に原告に通知された(乙9の1,10の1)。 原告は,同日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分に対する異議申立てをした(乙12)。 エ法務大臣は,難民審査参与員の意見を聴いた上で,平成24年12月21日付けで,上記異議申立てを棄却する旨の決定をし,これを平成25年2月7日に原告に通知した(甲1,乙16)。 これにより,原告に係る仮滞在期間は,同日,法61条の2の4第5項2号に基づき,その終期が到来した(乙18)。 (3) 原告に対する退去強制手続ア東京入管入国審査官は,平成25年2月 )。 これにより,原告に係る仮滞在期間は,同日,法61条の2の4第5項2号に基づき,その終期が到来した(乙18)。 (3) 原告に対する退去強制手続ア東京入管入国審査官は,平成25年2月15日,原告が,法24条1号(不法入国)の退去強制対象者に該当すると認定し,同日,原告にこれを通知したところ,原告は,即日,口頭審理の請求をした(乙25,弁論の全趣旨)。 イ東京入管特別審理官は,平成25年2月26日,上記東京入管入国審査官の認定が誤りがないと判定し,同日,原告にこれを通知したところ,原告は,即日,法務大臣に対して法49条1項の規定による異議の申出をした(乙27,28,弁論の全趣旨)。 ウ法69条の2,規則61条の2第10号により法務大臣の権限の委任を受けた東京入管局長は,平成25年3月1日付けで,上記原告の異議の申出には理由がない旨の裁決をし(乙29。本件裁決),同日にその旨の通知を受けた東京入管主任審査官は,同月4日,原告に対し,本件裁決を通知するとともに,退去強制令書(本件退令)を発付した(乙30ないし32,45)。 エ東京入管入国警備官は,平成25年3月4日,本件退令を執行して原告を東京入管収容場に収容したが,原告は,同年8月16日に仮放免を許可されて,同収容場を出所した(乙32,44,45)。 (4) 原告の訴えの提起及び請求の追加的併合ア原告は,平成25年4月28日,本件難民不認定処分及び本件在特不許可処分の各取消し並びに原告の難民の認定の義務付けを求める訴えを提起した(第1事件)。 イ原告は,平成25年7月25日,上記訴えに本件裁決及び本件退令発付処分の各取消しを求める請求を追加的に併合した(第2事件)。 ウ原告は,平成26年6月20日,上記訴えに更に本件難民認定申請に係る審 ,平成25年7月25日,上記訴えに本件裁決及び本件退令発付処分の各取消しを求める請求を追加的に併合した(第2事件)。 ウ原告は,平成26年6月20日,上記訴えに更に本件難民認定申請に係る審査(以下「本件難民審査」という。)の違法を原因とする国家賠償請求を追加的に併合した(第3事件)。 2 主な争点本件の主な争点は,(1)在特不許可処分取消請求に係る訴えの出訴期間徒過の有無(同訴えの適否,争点1),(2)原告が難民であるか否か(難民不認定処分取消請求,在特不許可処分取消請求,裁決取消請求及び退令発付処分取消請求の各成否並びに難民認定処分義務付け請求に係る訴えの適否,争点2)並びに(3)本件難民審査に係る国家賠償法上の違法性及び損害(国家賠償請求の成否,争点3)であり,これらについての当事者の主張は,以下のとおりである。 (1) 在特不許可処分取消請求に係る訴えの出訴期間徒過の有無(争点1)(被告の主張)行政事件訴訟法14条1項は,取消訴訟は,処分があったことを知った日から6箇月を経過したときは,提起することができず,ただし,正当な理由があるときは,この限りでない旨,行政処分に対する取消訴訟の出訴期間を定めているところ,原告が本件在特不許可処分の通知を受けたのは平成22年3月25日であり,在特不許可処分取消請求に係る本件訴え部分が同年9月25日までの出訴期間を徒過して提起されたものであることは明らかであり,出訴期間を徒過したことに正当な理由も認められないから,同訴え部分は,出訴期間を徒過した不適法なものとして,却下されるべきである。 (原告の主張)原告は,本件在特不許可処分の通知を受けた平成22年3月25日の後に,本件難民不認定処分に対する異議を申し立て,その審査が平成24年12月21日まで行われていた。本体 である。 (原告の主張)原告は,本件在特不許可処分の通知を受けた平成22年3月25日の後に,本件難民不認定処分に対する異議を申し立て,その審査が平成24年12月21日まで行われていた。本体的申請である本件難民認定申請についての審査が継続しているのに,本件在特不許可処分についてのみ取消訴訟を提起することはあり得ない話であるから,本件では,在特不許可処分取消請求に係る訴え部分について,行政事件訴訟法14条1項の正当な理由があるというべきである。 (2) 原告が難民であるか否か(争点2)(原告の主張)ア難民性の立証程度について被告は,難民性の立証の程度につき,厳格な証明を要求している。 しかし,国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)発行の難民の地位の認定の基準及び手続に関する手引き(以下「難民認定ハンドブック」という。)の記載を勘案すれば,国際基準において,難民性の立証は,厳密な意味での合理的な疑いを容れない程度の証明が常に必要とされているわけではなく,申請人の説明が信憑性を有すると思われるときは,反対の十分な理由がない限り,申請人は灰色の利益を与えられるとされている。 そして,国際法規の1つである難民条約を誠実に遵守する義務は憲法98条2項に明記されており,下位の法令に左右されてはならないから,条約の運用・適用も国際基準によってなされなければならない(条約の運用・適用が国内の下位の法令によってゆがめられるとすれば,これを誠実に遵守したとはいえない。)。難民性の立証の程度は,まさに条約の運用・適用の場面であり,国際基準に沿ってなされなければならない。 なお,難民認定ハンドブックは,難民問題の真の意味のプロフェッショナルであるUNHCRにおいてその経験的知識をもって締約国において難民の地位の認定に関与 国際基準に沿ってなされなければならない。 なお,難民認定ハンドブックは,難民問題の真の意味のプロフェッショナルであるUNHCRにおいてその経験的知識をもって締約国において難民の地位の認定に関与している政府の職員の参考に供するために作成されたものであり,難民認定は難民問題や国際情勢に対する深い理解と高度な知識を必要とする作業であることから,このような経験知を様々な締約国において難民の地位の認定に関与している政府の職員の参考に供することが必要とされているものである。その記載内容は,まさに専門家の判断指針であって,法的拘束力という次元ではなく,事実認定における大事な指針という次元で常に参照されなければならない。 イ原告の活動等とコンゴ政府による迫害のおそれ(ア) 原告がP1に所属していることa 原告は,2002年(平成14年),P1に所属し,その党員となった。原告は,同年9月15日付けの党員証明書(乙37。以下「本件党員証明書」という。)を有しており,また,P1国際委員会から原告が党員であることを証明する文書(甲5)も得ている。 この点に関し,被告は,本件党員証明書の成立の真正には疑義がある旨主張するが,現存するP1党員機関による証明文書(甲5)などからすると,党員証明書の発行が停止されたとされる同年7月の事件以降であっても中心的なメンバーには党員証が発行されていたことが認められる。 bP1は,コンゴにおける不正選挙と汚職,腐敗を批判して,政府と厳しく対立していた。 すなわち,P1は,植民地時代以前に存在した古代コンゴ王国の復活を最終目標とし,コンゴからのバ・コンゴ州の独立を求めて運動を展開し,コンゴ人という民族的アイデンティティ,伝統宗教という宗教的アイデンティティを掲げている。コンゴ国内ではスワヒリ語を 国の復活を最終目標とし,コンゴからのバ・コンゴ州の独立を求めて運動を展開し,コンゴ人という民族的アイデンティティ,伝統宗教という宗教的アイデンティティを掲げている。コンゴ国内ではスワヒリ語を母語とする民族集団が権力の中枢を握り,少数民族であるキ・コンゴ語を母語とするコンゴ人を差別していると感じられたことから,コンゴ人による民族的運動が起こるのは自然の流れであり,このような少数民族による民族的自立主義に基づく分離独立や自治権拡大の主張は,国家権力にとって迫害・弾圧を行うには十分すぎるほどの理由となる。 P1は,1965年(昭和40年)から1997年(平成9年)まで在任したモブツ大統領,同年から2001年(平成13年)まで在任したローラン=デジレ・カビラ大統領の時期から政府によって迫害され,死者を出しており,2004年(平成16年)以前から,その分離主義的な政治的目標を理由に,非合法化されていた。 コンゴ政府(警察及び軍)のP1に対する組織的かつ系統的な弾圧による政治的迫害の事実は,2008年(平成20年)5月国連コンゴ使節団(MONUC)作成の「2008年2月から3月にバ・コンゴ州で発生した出来事についての特別調査」(以下「本件国連報告書」という。)や国際人権団体P2のレポート等,多くの公的文書が証明していて明白であり,P1党員である原告に対する迫害のおそれも明白である。 (イ) 原告の本国における活動等a 2005年12月の身柄拘束コンゴで2005年(平成17年)12月18日に実施された憲法国民投票を迎えるに際し,P1は,コンゴ人民を第1主権者とするという点において不利な条項が含まれていたこと等を指摘して国民投票のボイコットを啓蒙したところ,原告は,γ村の教区で,同月12日に,なぜ憲法プロジェクトをボイコット は,コンゴ人民を第1主権者とするという点において不利な条項が含まれていたこと等を指摘して国民投票のボイコットを啓蒙したところ,原告は,γ村の教区で,同月12日に,なぜ憲法プロジェクトをボイコットするのかを説明等するキャンペーンを実施した。原告は,同月15日,これを理由として国家情報局の諜報員によって逮捕され,同月22日までソンゴロロ検察の牢獄で8日間を過ごした(以下「2005年12月の身柄拘束」という。)。 被告は,上記の逮捕は令状をもってなされたものであるから,迫害に当たらないと主張する。しかし,原告は,乱暴な扱いを受けながら連行されており,この逮捕が法の適正な執行ではなく,違法な迫害であることを物語っている。難民認定ハンドブックも,生命又は自由に対する脅威その他の人権の重大な侵害が法の手続を経ないものであることを要求しておらず,法の手続を経た刑罰だとしても迫害に当たり得る。 また,被告は,原告が釈放後も公立学校での勤務を続けていたことが不自然である旨主張する。しかし,原告が勤務していたP3学校は,カトリックの修道会であるP4が設立・運営するものであり,これが公立学校であるというのは,営利目的でない上位私立学校を意味する「パブリック・スクール」の語についての通訳人の誤解・誤訳である。 また,たとえコンゴの学校制度上公立学校に分類されるとしても,日本において意味する公立学校とは制度上の建て付けが全く異なり,いずれにしてもコンゴ政府がP3学校の人事権に介入し得る余地はなく,原告が上記身柄拘束から釈放された後に同校に教員として勤務し続けたのは,何ら不自然・不合理ではない。 b 2007年2月のデモ参加等2007年(平成19年)1月から2月にかけて,バ・コンゴ州において,コンゴ政府とP1との間で武力衝突が起きた(以下「 たのは,何ら不自然・不合理ではない。 b 2007年2月のデモ参加等2007年(平成19年)1月から2月にかけて,バ・コンゴ州において,コンゴ政府とP1との間で武力衝突が起きた(以下「2007年事件」という。)。原告は,この事件に関わり,同年2月,他のP1の仲間と共に,不正選挙に対する平和的デモと市民的不服従活動を行い(以下「2007年2月のデモ参加等」という。),その後半年間,潜伏した。 c 2008年2月の行動と令状等の発付2008年(平成20年)2月,コンゴ政府は,バ・コンゴ地域のP1組織に対して,再び大掛かりな弾圧を加えた(以下「2008年事件」という。)。原告は,同月20日,デモに参加し,建物の損壊などを呼びかけた(以下「2008年2月の行動」という。)。そして,原告について,出頭命令書(乙39),家宅捜索令状(乙40)及び職務命令書兼捜索通知(乙41)(以下,これらを「本件捜索令状等」と総称する。)が発行され,直接的な迫害が迫っていたことから,身の危険を感じた原告は,キンシャサへ逃れ,同年9月30日にコンゴを出国して,同年10月2日に本邦に上陸した。 この点に関し,被告は,原告が本件捜索令状等を入手したこと自体が不自然であり,その成立の真正にも疑義がある旨主張する。しかし,①コンゴ現地で発行された新聞(甲15,16)は,原告が消息不明である旨を報じていること,②出頭命令書については,本人又はその家族に手渡されることが予定されるものであり,原告の従兄弟が受領したものであること,③家宅捜索令状については,それが回収されなかった経緯について原告の従兄弟の供述(甲27)には信用性が認められること,④職務命令書兼捜索通知についても,それを入手した原告の友人である移民局局員の供述(甲7)には信用性が認め それが回収されなかった経緯について原告の従兄弟の供述(甲27)には信用性が認められること,④職務命令書兼捜索通知についても,それを入手した原告の友人である移民局局員の供述(甲7)には信用性が認められることからすると,被告の上記主張は失当である。 また,被告は,本件捜索令状等による原告の取調べがコンゴ政府による国内治安維持のための正当な警察権の行使であると主張する。しかし,原告の2008年2月の行動は,少なくとも普通犯罪には該当せず,刑事犯罪ではなく,原告が受けたのは「捜査」ではない。仮に原告の同行動に係る行為が「犯罪」に該当し,「捜査」があったとしても,それを口実に,実際には,原告の政治的意見を理由とした弾圧として訴追される可能性が高く,正当な刑事手続により裁かれない可能性があり,刑事訴追を受けた場合,過酷な刑罰が科されるおそれがある。原告は2008年事件に参加して実際に実弾を浴び,同じ現場で同じ行動をとった者が射殺され拷問される危険に,現実にさらされている。コンゴ警察・軍隊は,2008年事件において,過剰な武力行使,恣意的処刑,財産の略奪や破壊,拷問,強姦等の違法行為を行っており,その行動は,秩序維持のための正当な警察活動等といえるようなものではない。なお,難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)1条F(b)は,難民として避難国に入国することが許可される前に避難国の外で重大な犯罪(政治犯罪を除く。)を行ったことを難民としての適用除外事由と定めているが,政府の行動が「正当な警察権の行使」であるからといって,当然に難民性が否定されるわけではない。難民条約の適用除外事由は条約に則して検討されるべきである。しかるところ,仮にコンゴ政府の行為が正当な警察権の行使であり,原告の犯罪者としての面だけに向けられたとしても, が否定されるわけではない。難民条約の適用除外事由は条約に則して検討されるべきである。しかるところ,仮にコンゴ政府の行為が正当な警察権の行使であり,原告の犯罪者としての面だけに向けられたとしても,原告の行為は政治犯罪であり,少なくとも重大な犯罪には該当しないのであるから,原告の行為は難民条約1条F(b)の適用除外事由には該当せず,原告を難民と認定すべきである。 さらに,被告は,2008年事件後,原告は,叔父の従兄弟を通じて,原告の出生届出証明書及び身分証明書紛失証明書の発行を受け,それによりコンゴ政府が原告の潜伏先を把握できるようになったにもかかわらず,コンゴ政府が原告の叔父宅を捜索に来ていないことが不自然であると主張する。しかし,難民認定ハンドブックにおいても真正な国民旅券を所持すること自体は難民の地位に対する障害とはならないとされているように,出身国の政府から文書の発付を受けることが直ちに難民性を否定する理由にはならない。上記各証明書は他人名義の旅券で出国することを予定していた原告が,海外で自らの本名を証明するには欠かせないもので,出国にはどうしても必要なものであったゆえ危険を冒して入手したのであり,原告は当然リスクは承知していたが,それより出国して難を逃れることが大切だった。他方,これらの証明書を作成したのは地方行政組織の役人にすぎず,原告の居場所が地方行政組織の役人に分かったとしても,直ちに軍や警察に知れるわけではない。原告としては,証明書の必要性とその取得に係るリスクを勘案して証明書を取得する決断をしたのであり,そのことのみをもって難民性を否定するのは,旅券の所持のみをもって難民性を否定するのと同様,誤りである。難民認定ハンドブックの記載内容と異なる手法を用いて難民認定を独自の解釈で行おうとする日本政府の態度は, みをもって難民性を否定するのは,旅券の所持のみをもって難民性を否定するのと同様,誤りである。難民認定ハンドブックの記載内容と異なる手法を用いて難民認定を独自の解釈で行おうとする日本政府の態度は,難民認定の専門知を否定しようとするものである。 (ウ) 原告の父がP1党員として拷問を受けたこと原告の父もP1のメンバーであったが,2002年(平成14年)7月22日にコンゴ警察の要員に逮捕され,12日間収容された。釈放後の父の健康状態は不安定で,脳のレベルの衰弱を引き起こしており,それは,父が投獄されている間に受けた拷問によるもので,同人はそのために同年▲月▲日に死亡した。 (エ) 原告が逮捕された場合に拷問を受ける危険があること原告が参加した2008年事件においてP1を支持していると疑われる者として逮捕された150名以上の中には,拷問を受けたり虐待されたりした者もいた。P1の党員であり,警察に反抗する動きに参加した原告は,拷問を受けるおそれがあることが明白である。 (オ) 原告の日本における活動原告は,本邦において,平成22年5月14日,「P5」というグループに参加し,コンゴ政府を批判する活動に従事している。コンゴの政体は変わっておらず,原告に対する迫害のおそれはなくなっていない。 被告は,このことが本件難民不認定処分後の事情であり,その違法性を基礎付けるものではない旨主張するが,本件難民不認定処分に対する異議審では審査の対象になっているし,原告が本邦において本国政府を批判する活動を続けていれば,政府により迫害を受ける可能性は高まるのであるから,その難民性を基礎付ける事情の1つであることは明らかである。 ウまとめ(ア) 原告は,難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)により文言の一部が除かれた 高まるのであるから,その難民性を基礎付ける事情の1つであることは明らかである。 ウまとめ(ア) 原告は,難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)により文言の一部が除かれた後の難民条約1条にいう難民,すなわち「特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの」に該当し,法61条の2の難民である。したがって,本件難民不認定処分は取り消されるべきである。 (イ) 原告が難民であるにもかかわらずされた本件在特不許可処分は,事実を誤認しているか,事実の評価を誤っているものとして行政庁が裁量判断を下す過程に誤りがあり,裁量権の逸脱として違法であるから,取り消されるべきである。 (ウ) 原告の難民性が明らかである以上,難民認定の義務付けを認容すべきであり,さらに,本件裁決及び本件退令発付処分の違法も明らかである。 なお,コンゴに帰還すれば拷問を受けるおそれがある原告を強制送還することは,拷問及び他の残虐な,非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約(以下「拷問等禁止条約」という。)3条1項に違反する点でも,本件退令発付処分は違法である。 (被告の主張)ア難民の意義及び立証責任(ア) 法に定める「難民」とは,難民条約1条又は難民議定書1条の規定により難民条約の適用を受ける難民,すなわち,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護 見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」等をいう。 ここにいう「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味し,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が,迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要である。また,単に迫害を受けるおそれがあるという抽象的な可能性が存するにすぎないといった事情では足りず,当該申請者について迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱くような個別かつ具体的な事情が存することが必要であり,すなわち,上記のような客観的事情が存在しているというためには,ある国の政府によって民族浄化が図られていることが明らかであるような場合はともかく,そうでなければ,当該政府が特に当該人を迫害の対象としていることが明らかになるような個別的で具体的な事情があることを要すると解すべきである。 (イ) いかなる手続を経て難民の認定手続がされるべきかについては,難民条約に規定がなく,難民条約を締結した各国の立法政策に委ねられているところ,我が国において法61条の2第1項を受けた規則55条1項が,難民認定申請者に対し難民に該当することを証する資料の提出を求めている法令の文理からすれば,難民であることの資料の提出義務と立証責任が申請者に課されていることは明らかである。難民不認定処分は,申請者の提出した資料等から難民ではない ことを証する資料の提出を求めている法令の文理からすれば,難民であることの資料の提出義務と立証責任が申請者に課されていることは明らかである。難民不認定処分は,申請者の提出した資料等から難民ではないと確認される場合と,難民であるとも難民でないとも確定的には確認することができない真偽不明の場合との双方を含むものであり,申請者において,自らが難民であることを証明した場合に初めて違法とされる。 このことは,授益処分とみるべき難民認定処分の性質からも明らかである。また,難民該当性を基礎付ける諸事情は,事柄の性質上,外国で,しかも秘密裡にされたものであることが多いことから,このような事情の有無及びその内容等は,それを直接体験した申請者こそが最もよく知ることのできる立場にあり,申請者においてこれを正確に申告することの容易な申請者に有利な事実であるのに対し,法務大臣は,それらの事実につき資料を収集することが困難で,まして難民該当性を基礎付ける事実の不存在を立証する資料の収集は不可能に近く,仮に法務大臣にこうした資料収集の義務を負わせるとすると,過重な負担を負わせ,適正な難民認定を遂行することができなくなるおそれが生ずることからも,上記のように解することは合理的である。 (ウ) そして,民事訴訟における証明は,合理的な疑いを容れることができないほど高度の蓋然性があるものでなければならず,この民事訴訟法の原則は,行政訴訟における実体上の要件に該当する事実の証明についても当然当てはまるところ,特別の定めがないにもかかわらず,特定の類型の事件又は特定の事件の特定の要件に該当する事実に限って,証明の程度を軽減することは許されない。難民認定に関し,いかなる制度及び手続を設けるかは締約国の立法政策に委ねられ,我が国の法には難民認定手続やその後の訴訟手続 の特定の要件に該当する事実に限って,証明の程度を軽減することは許されない。難民認定に関し,いかなる制度及び手続を設けるかは締約国の立法政策に委ねられ,我が国の法には難民認定手続やその後の訴訟手続について立証責任を緩和する規定は存しない以上,通常の民事訴訟における一般原則に従うべきであり,申請者は,自己が難民であることについて,合理的な疑いを容れない程度の証明をしなければならない。 なお,UNHCRは,UNHCR規程所定の責務(マンデート)を遂行するため,所定の基準に従い,家族との再会,自主帰還,第三国定住あるいは種々の物的支援等の各種保護を与える業務を担っており,その保護対象者を確定する趣旨で独自に難民(マンデート難民)の認定を行うことがあるが,このマンデート難民は難民条約上の難民と同一ではない上,マンデート難民の認定基準は,難民条約の締約国に対し,マンデート難民を難民条約上の難民であると認めるように求めるものではない。 イ原告の難民該当性を基礎付ける事情の不存在(ア) 原告がP1に所属していることについてa 英国内務省作成の出身国情報報告書(以下「英国報告書」という。)には2002年(平成14年)7月の事件以降,証明書は発行されていないなどと記載されているのに対して,本件党員証明書は,発行日が同年9月15日と記載されており,その成立の真正には疑義がある。 b この点をおくとしても,2007年事件と2008年事件の原因は,P1のデモが暴徒化し,警官,兵士らを殺害したり,州庁舎等を占拠するなどしたことにあると解されるのであって,コンゴの警察・軍によるP1に対する弾圧が組織的かつ系統的に行われている事実は認められない。本件難民不認定処分時において,コンゴ政府がP1の党員であることのみをもって,その生命又は身体の自由 って,コンゴの警察・軍によるP1に対する弾圧が組織的かつ系統的に行われている事実は認められない。本件難民不認定処分時において,コンゴ政府がP1の党員であることのみをもって,その生命又は身体の自由を侵害している事実もない。 (イ) 原告の本国における活動についてa 2005年12月の身柄拘束について(a) まず,原告が2005年(平成17年)12月にソンゴロロの検察庁に連行,収容されたと供述する点について,これを裏付ける客観証拠はないところ,単にδ地区の約65名の党員に国民投票のボイコットを呼び掛けたからといって,国民投票の有効性に影響を及ぼすとは考えられず,その呼び掛けをもってコンゴ政府が原告の身柄を拘束するとは考え難い。 (b) 仮に原告が身柄を拘束された事実があったとしても,令状が提示され,予審判事と面会していることに照らせば,コンゴの法律に則った手続というべきであり,政治的意見を理由とする迫害とみるのは相当ではない。 また,原告は,釈放後も,2002年(平成14年)以降教師をしていたP3公立学校での勤務を続けていたというのであるから,コンゴ政府が原告について積極的な反政府活動家として殊更関心を寄せていたものとは認め難い。 b 2008年2月の行動と本件捜索令状等の発付について(a) 原告は,原告を名宛人とする本件捜索令状等を提出しているが,英国報告書には,2003年(平成15年)に在キンシャサ英国大使館が助言したところによれば,逮捕令状等の主旨は見せられるが令状が手渡されることはなく,捜査令状の場合は対象者は令状に署名しなければならないと記載されているのに,原告が本件捜索令状等を入手したということ自体が不自然である。 また,本件捜索令状等のうち職務命令書兼捜索通知に記載された出動日時である2 者は令状に署名しなければならないと記載されているのに,原告が本件捜索令状等を入手したということ自体が不自然である。 また,本件捜索令状等のうち職務命令書兼捜索通知に記載された出動日時である2008年(平成20年)4月23日よりも後の同年8月5日及び同月7日に,コンゴ政府の行政機関から発行された原告の出生届出証明書及び身分証明書紛失証明書には,原告が当時潜伏していた叔父の住所が記載されているにもかかわらず,その後原告が本国を出国するまでの約2か月間,コンゴ政府の警察等が原告の叔父宅に捜索に来ていないのであるから,原告を逮捕・拘束しようとしていたものとは考え難いし,そもそも本件捜索令状等の成立の真正にも疑義がある。 なお,原告によると,これらの証明書を取得したのは原告の叔父の従兄弟であるとのことであるが,そうだとしても,原告の身に危険が迫っていたのであれば,叔父の従兄弟が原告の潜伏先である叔父の住所を区役所の役人に告げるのは不自然かつ不合理というほかなく,原告のこの行動からは,逮捕・拘束を逃れるために逃亡をしていたとする者の切迫感が何ら感じられず,原告にはむしろ難民該当性を否定する事情が存在するというべきである。 (b) 上記をおくとしても,原告の供述によれば,原告は,2008年事件時のコンゴ政府によるバ・コンゴ州人民の差別に対する抗議活動について,国道1号線上に廃車などでバリケードを築き,違法行為と分かった上で,権力を象徴するものとして警察署やほかの役所などの襲撃を指示したというのであり,このような原告の犯罪行為に対して,コンゴ政府当局が原告の取調べ,家宅捜索等の捜査を行うことは,国内の治安維持のための正当な警察権の行使であるから,政治的意見を理由とする迫害には当たらないというべきである。 この点,可罰的行為に対す ゴ政府当局が原告の取調べ,家宅捜索等の捜査を行うことは,国内の治安維持のための正当な警察権の行使であるから,政治的意見を理由とする迫害には当たらないというべきである。 この点,可罰的行為に対する制裁は,当該可罰的行為が政治的動機に基づくものであったとしても,行為自体の可罰性によって加えられるものであり,動機に対して制裁を加えるものではないのであるから,かかる制裁は,行為の可罰性を口実にして実質的には難民条約所定の事由を理由として格別に重い処罰がなされるような場合を除き,同事由に基づく迫害に該当しない。このことは,国連安全保障理事会が,2001年(平成13年)9月28日,政治目的のために暴力あるいはその脅威に訴える,いわゆるテロ行為を行ったものに難民としての庇護を与えないこと等を決議していることからも明らかである。 原告の容疑が国家保全侵害,国家反逆罪であることを裏付ける証拠はなく,原告に対して本件捜索令状等が発付されたのだとすれば,税務署と交番を破壊することを命じ,破壊活動を行った犯罪行為に対して発付されたとみるのが自然であるから,原告の容疑が刑事犯罪ではないということはできない。また,コンゴでは,P1を後継する政治団体P6の関係者5名が無許可政治活動を企画準備したとする刑事裁判において,治安裁判所がこれを無罪とし,検事局も控訴しなかったというのであるから,正当な刑事手続により裁かれない可能性があるとか,過酷な刑罰が科されるおそれがあるなどということはできない。なお,被告は,原告が指摘する過剰な反撃等を正当な警察活動と評価しているわけではない。 (ウ) 原告の父について原告の父がP1の党員であったこと及び2002年(平成14年)7月22日にコンゴ警察に逮捕されたことを裏付ける客観的な証拠はない上,「拷問による外傷 るわけではない。 (ウ) 原告の父について原告の父がP1の党員であったこと及び2002年(平成14年)7月22日にコンゴ警察に逮捕されたことを裏付ける客観的な証拠はない上,「拷問による外傷」等と記載されている原告の父の死亡診断書を作成した法医学者が,いかなる理由で拷問と判断したのかは不明である等,その信用性には疑義がある。仮に原告の父が拷問で受けた傷が原因で死亡した事実があったとしても,直ちに原告に対する迫害を基礎付ける事実となるものではなく,原告が拷問を受けるおそれがあることにも直ちにはつながらない。 (エ) 原告が拷問を受ける可能性についてまた,コンゴで身柄を拘束されたP1の党員がことごとく拷問を受けているとまではうかがわれず,実際,原告は,2005年(平成17年)に逮捕された際には,暴行や拷問を受けてはおらず,逮捕後7日間で釈放された旨供述していることからすれば,原告が逮捕された場合に,コンゴ政府当局から拷問を受ける具体的な危険があるとは認められない。 (オ) 原告の日本における活動について原告が平成22年5月14日,本邦において,P5という組織に参加したという事情は,本件難民不認定処分後の事情であり,その違法性を基礎付けるものではないし,その内容を見ても,同処分に対する異議申立手続における口頭意見陳述の時点で,関係各国大使館前で合計5回ほどコンゴ政府に関する抗議活動を行ったほか,集会にも参加したという程度であって,デモは単発的なもので,集会についても,デモ等の準備をするほかは特にテーマを決めず,雑談をしていたにすぎないから,このような活動状況をもって,コンゴ政府が殊更に原告を注視するとは考え難い。なお,原告が,本件難民不認定処分後に突如としてこのような活動を行うようになったことに照らすと,原告が,難民該 ぎないから,このような活動状況をもって,コンゴ政府が殊更に原告を注視するとは考え難い。なお,原告が,本件難民不認定処分後に突如としてこのような活動を行うようになったことに照らすと,原告が,難民該当性を基礎付ける事実を作出するために上記のような活動を始めたとの疑念も禁じ得ない。 ウまとめ(ア) 上記イのとおり,原告主張の事情は,いずれも原告の難民該当性を基礎付ける事情とはいえず,かえって原告には難民該当性を否定する事情があり,原告に,個別,具体的な迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱くような客観的な事情が存することが立証されているとはいえないから,本件難民不認定処分は適法である。 (イ) 原告は,難民とは認められず,今般入国するまでの間,本邦とは何ら関わり合いのなかったものであり,その他,原告について在留を特別に認めるべき極めて特別な事情は存在しないから,法61条の2の2第2項に基づき原告の在留を特別に許可しない旨の東京入管局長の判断に裁量権の逸脱・濫用は認められず,本件在特不許可処分は適法である。 (ウ) いわゆる申請型の義務付けの訴えは,法令に基づく申請を却下し又は棄却する処分がされた場合においては,これが取り消されるべきものであるとの要件に該当する場合に限り提起することができるとされているところ,本件難民不認定処分は適法であるから,難民認定処分義務付け請求に係る訴えは,適法要件を欠く不適法なものである。 (エ) 難民認定申請を行った在留資格未取得外国人については,法61条の2の2により,難民認定手続の中でその在留の判断も行うとされ,かかる場合に,退去強制手続の中で異議申出に対する裁決を行う際には,法50条1項を適用する余地はないから,原告が難民であるか否かは本件裁決の適法性に影響せず,原告は,その他本件裁 判断も行うとされ,かかる場合に,退去強制手続の中で異議申出に対する裁決を行う際には,法50条1項を適用する余地はないから,原告が難民であるか否かは本件裁決の適法性に影響せず,原告は,その他本件裁決の固有の瑕疵を主張するものでもないから,本件裁決に係る原告の主張は失当である。 (オ) 退去強制手続において,主任審査官は,法務大臣又は地方入国管理局長から異議の申出が理由がないとの裁決をした旨の通知を受けた場合,速やかに退去強制令書を発付しなければならず,そこに裁量の余地は全くないから,本件裁決が適法である以上,本件退令発付処分も当然に適法である。原告は難民と認められるものではないし,前記イ(エ)のとおり,原告に対して拷問が加えられる具体的な危険性があるとまではいえず,原告をコンゴに送還したとしても,拷問等禁止条約3条1項に違反するとはいえないから,いずれにしても原告の主張は理由がない。 (3) 本件難民審査に係る国家賠償法上の違法性及び損害(争点3)(原告の主張)原告は,本件難民認定申請手続において,2008年(平成20年)2月にバ・コンゴにおいてコンゴ軍隊により違法な発砲を受ける等の迫害を受けた旨供述していたのであるから,原告の難民審査を担当した被告のP35難民調査官(以下「本件難民調査官」という。)としては,その供述の信用性を確認する必要があった。ところが,本件難民調査官は,その審査の時点において,違法な発砲が本当にあったのか否かを知らなかったのであるから,原告の供述の信用性を判断することができず,一般的にみれば当該資料だけでは適切な判断が不可能であった。 裁判と異なり,難民審査においては,被告国が判断者の立場に立つのであるから,難民申請者にとって不利な資料のみならず有利な資料をも収集する義務があるというべきで,少 適切な判断が不可能であった。 裁判と異なり,難民審査においては,被告国が判断者の立場に立つのであるから,難民申請者にとって不利な資料のみならず有利な資料をも収集する義務があるというべきで,少なくとも既に入手していた資料を参照しないことは許されない。他方,被告の関係機関は,2008年(平成20年)2月にコンゴの軍隊がバ・コンゴ州において民衆に対し違法な発砲を行った旨を報告した本件国連報告書の存在を,遅くとも平成22年3月1日までに知り又は知ることができたのであり,本件難民調査官においても,関係機関に問い合わせるなり,インターネット検索をするなり,国連あるいは在コンゴ日本大使館に問い合わせるなりして,本件国連報告書を入手することは極めて容易であった。しかるに,本件難民調査官は,本件国連報告書を理解する語学力を有さず,インターネットに接続されたパーソナル・コンピュータを所持せず,関係機関等に問合せすらしなかったことから,本件国連報告書を参照することがなかった。 原告は,このような被告国の国家賠償法上違法な難民審査を受けたことにより精神的苦痛を受け,さらに,これに基づき本件難民不認定処分により重大な精神的苦痛を受けたのみならず,その結果として本件退令の発付を受け,平成25年3月4日から約6か月間身柄を拘束される不利益を受けた。これらの原告の精神的苦痛を金銭的に評価すれば100万円は下らない。 (被告の主張)国家賠償法1条にいう違法は,単に権利侵害の事実が認められるだけでは足りず,法律による行政の原理に基づき,公権力の行使には国民の権利ないし法益の侵害の危険を内包していることを前提として,個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背するか否かという視点から判断されるべきであり,職務上の法的義務違背が肯定されるのは,公務員が職 いし法益の侵害の危険を内包していることを前提として,個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背するか否かという視点から判断されるべきであり,職務上の法的義務違背が肯定されるのは,公務員が職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と公権力を行使したと認め得るような事情がある場合に限られる。 法61条の2第1項は,難民であることを裏付ける資料の提出義務と立証責任を申請者に課す一方,難民の認定等に際し,必要がある場合には,難民調査官に事実の調査をさせることができると規定している(法61条の2の14第1項)が,同条は,難民認定処分を適正に行うための事実の調査権限を法務大臣に付与しただけであって,難民の調査の義務を課したものではないし,個々の申請者の利益保護を目的として設けられているものではない。申請者に難民認定手続において難民該当性を実質的に調査し審査してもらう利益があるとしても,それは事実上の利益にすぎず,法律上保護された利益ではないというべきである。難民認定手続における資料収集の場面において特定の事項の調査をしなかったとしても,国家賠償法上の違法の問題が生じることはない。 なお,本件難民不認定処分をするに当たり,本件国連報告書の全文を参照しなかったことは認めるが,本件難民調査官は,同報告書の結論部分及び英国報告書を参照しており,2008年事件については把握していた。また,本件国連報告書が主に調査の対象としたのは,2008年(平成20年)2月28日から翌29日にかけて行われたコンゴ政府による「バ・コンゴ州全域で政府の統制回復を目的とした作戦」であり,同年3月以降の衝突も含まれるものの,原告が自身の難民該当性を基礎付ける事情として供述する同年2月20日の衝突については何ら記述がないし,本件国連報告書の全文を見ても,原告を 目的とした作戦」であり,同年3月以降の衝突も含まれるものの,原告が自身の難民該当性を基礎付ける事情として供述する同年2月20日の衝突については何ら記述がないし,本件国連報告書の全文を見ても,原告を特定するような記述は何ら認められないことに照らせば,同報告書の全文を参照しなければ,原告の供述の信用性を判断することが困難であったとはいえない。 第3 当裁判所の判断 1 争点1(在特不許可処分取消請求に係る訴えの出訴期間徒過の有無)について原告は,本件難民不認定処分に対する異議申立てを行い,本件難民認定申請ついての審査が継続しているのに,本件在特不許可処分についてのみ取消訴訟を提起することはあり得ないから,出訴期間徒過につき「正当な理由」がある旨主張する。 そこで検討するに,法61条の2の2第2項の在留特別許可は,難民認定の申請をした在留資格未取得外国人について,①法61条の2第1項の難民の認定をしない処分をするときか,②同項の難民の認定をする場合であって,その者に法61条の2の2第1項による定住者の在留資格の取得の許可をしないときに,当該在留資格未取得外国人の在留を特別に許可すべき事情があるか否かを審査して行われるものである。 そうすると,難民認定の申請をして難民不認定処分を受けた上記①の場合に当たる在留資格未取得外国人としては,難民不認定処分を異議申立手続で争いつつ,仮に自身が難民でないとしても在留特別許可がされないことが違法であると主張して,在留特別不許可処分の取消しを求める訴えを出訴期間内に提起することは何ら妨げられない(なお,この場合において,仮に難民不認定処分に対する異議申立てが認められれば,その時点で,上記①の場合としてされた在留特別不許可処分は判断の前提を欠くものとなり,改めて法61条の2の2第1項各号 い(なお,この場合において,仮に難民不認定処分に対する異議申立てが認められれば,その時点で,上記①の場合としてされた在留特別不許可処分は判断の前提を欠くものとなり,改めて法61条の2の2第1項各号の要件を満たすかが判断された上,同項の規定による在留資格の取得が不許可とされれば,別途上記②の場合として審査されることになる。したがって,そもそも難民不認定処分に対する不服申立てとは別に,自身が難民に該当することのみを理由として,①の場合における在留特別不許可処分の取消しを求める訴えを提起することは,実質的にみてその利益に乏しいと考えられる。)。 以上のとおりであるから,原告が本件難民不認定処分に対する異議申立てを行い,審査が継続していたことは,行政事件訴訟法14条1項本文所定の出訴期間を経過して本件在特不許可処分の取消しの訴えを提起する「正当な理由」には当たらないというべきである。 原告の在特不許可処分取消請求に係る訴え部分は,出訴期間を徒過して提起されたものとして不適法である。 2 争点2(原告が難民であるか否か)について(1) 認定事実前提事実及び後掲各証拠によれば,以下の各事実が認められ,これらに反する証拠は信用することができない。 アコンゴの国情(全体につき,乙33,35)(ア) 歴史・民族・経済アフリカ大陸中央部を略西方向に流れるコンゴ川流域に当たる現在のコンゴ民主共和国(DRC又はRDC),コンゴ共和国,ガボン共和国,アンゴラの一部にまたがる地域には,14世紀頃から,現在のコンゴのバ・コンゴ州及び隣接するバンドゥンドゥ(バンダダ)州に相当する地域に首邑を置いて,コンゴ王国が建っていた(甲23の21.06項)が,ヨーロッパ各国による植民地支配の時代を経て,宗主国がベルギー王国であったコンゴ川下流左岸及 ドゥンドゥ(バンダダ)州に相当する地域に首邑を置いて,コンゴ王国が建っていた(甲23の21.06項)が,ヨーロッパ各国による植民地支配の時代を経て,宗主国がベルギー王国であったコンゴ川下流左岸及び中上流域が,1960年(昭和35年)6月30日にコンゴ共和国(コンゴ川下流右岸に位置する前記の現在のコンゴ共和国とは異なる。)として独立した。現在のコンゴは,これが後に,コンゴ民主共和国,ザイール共和国,コンゴ民主共和国と順次改名したものである。 コンゴは,フランス語が公用語とされているが,他にリンガラ語,スワヒリ語,キ・コンゴ語等も用いられる,200民族以上を擁する多民族国家であり,主要な産業は鉱物等の資源の輸出である。 バ・コンゴ州(ザイール共和国当時の名称はバ・ザイール州)は,コンゴ川最下流に位置して「低地コンゴ州」を意味し(乙61の1通目の訳文),大西洋に唯一面し,首都のキンシャサ特別市とも隣接する州であり,首都圏に供給される電気,農産物,ガソリンその他の商品の大半の供給元又は経由地となっている。大西洋沖のコンゴの領海又は経済水域には油田が存在するとして,その開発計画もある。(甲3の1,3の2の2頁)(イ) 建国から内戦までの政情コンゴ独立時のカサブブ大統領の派閥を承継したモブツ大佐は,1965年(昭和40年)にクー・デタにより政権を掌握し大統領に就任した後,国名を1967年(昭和42年)にはコンゴ民主共和国と,1971年(昭和46年)にはザイール共和国と変更し,P7なる政党による一党独裁体制を敷いていたものの,1990年(平成2年)にこれを放棄して複数政党制を容認する憲法修正案が可決されるところとなった。 しかし,翌1991年(平成3年)12月に任期2期を満了してもモブツが大統領辞任を拒否したことなどから,国政が (平成2年)にこれを放棄して複数政党制を容認する憲法修正案が可決されるところとなった。 しかし,翌1991年(平成3年)12月に任期2期を満了してもモブツが大統領辞任を拒否したことなどから,国政が混乱し,コンゴ東部で,ツチ族系の反政府勢力として,P8が台頭したため,議会は1996年(平成8年),P8の追放を決議した。 これに対し,P8の武装組織であるP9が,ツチ族系政権を擁する隣国ルワンダの支援を受けて対抗して,1997年(平成9年)5月に首都キンシャサを制圧し,モブツは失脚して,P9の議長であったローラン=デジレ・カビラが大統領に就任し,国名もかつてのコンゴ民主共和国に改めた。ところが,間もなく同大統領は,ルワンダの影響力が増すのを嫌忌してフツ族系の武装勢力を保護するようになったため,P9と対立するに至り,周辺国のルワンダ及びウガンダがP9を,ジンバブエ,ナミビア及びアンゴラが大統領政府を,それぞれ支援し介入して,翌年には内戦状態となった。 1999年(平成11年)にコンゴと介入5か国との間で隣国ザンビアのルサカで成立した停戦合意は,ローラン=デジレ・カビラ大統領が国連部隊の自由な展開を拒否したことから有名無実化し,コンゴではその後も内戦状態が継続した。しかし,2001年(平成13年)1月に同大統領が暗殺され,その息子であるジョゼフ・カビラが大統領に就任すると,同年10月から対話が再開され,最終的に2002年(平成14年)12月17日に,南アフリカ共和国のプレトリアで,反政府勢力でルワンダの支持するP10,ウガンダの支持するP11,P10から分派したP12らも調印して和平協定が成立した(以下「プレトリア協定」という。)。(乙34の1)(ウ) 内戦の収束とその後の政情プレトリア協定は,2年間の暫定期間中に国民議会選 ,P10から分派したP12らも調印して和平協定が成立した(以下「プレトリア協定」という。)。(乙34の1)(ウ) 内戦の収束とその後の政情プレトリア協定は,2年間の暫定期間中に国民議会選挙及び大統領選挙を実施するとの内容を含むものであり,翌2003年(平成15年)7月に暫定政府が発足して,ジョゼフ・カビラはその大統領に就任した。 これに伴い,国連平和維持活動(PKO)部隊として,国連コンゴ安定化派遣団(MONUSCO)もコンゴに駐留することになった。 上記の暫定期間は,その後準備の遅れにより延期されたが,2005年(平成17年)12月18日に憲法草案国民投票が実施されて(乙34の2),翌2006年(平成18年)2月18日に新憲法が公布され(甲24の宗教編本文1頁~2頁,乙66の7.12項),同年7月30日に大統領選挙及び国民議会選挙が実施された(乙34の3)。大統領選挙では総投票数の過半数を獲得する立候補者がおらず,同年10月29日にジョゼフ・カビラ暫定大統領とベンバ暫定副大統領との間で行われた決選投票で,前者が過半数を獲得して勝利し(甲24の人権編本文1頁),同年12月6日に正式の大統領に就任した。(乙36の6. 29項)ジョゼフ・カビラの大統領当選直後,大西洋沖油田とバ・コンゴ州のインガダムの開発計画が発表された(甲3の1,3の2の2頁)。 5年の任期を満了する2011年(平成23年)11月28日には,再度大統領選挙及び国民議会選挙が実施され,大統領にはジョゼフ・カビラが再選されて,同年12月20日に再任し,現在まで同国の大統領を務めている。 なお,新憲法では,従前特別市(キンシャサ)のほか10州であった行政単位を3年以内に新しい地方政府を創設して25州にし,地方分権を進めることが予定されていたが,現在ま 国の大統領を務めている。 なお,新憲法では,従前特別市(キンシャサ)のほか10州であった行政単位を3年以内に新しい地方政府を創設して25州にし,地方分権を進めることが予定されていたが,現在までその実施には移されていない。 イ P1とコンゴ政府との対立(全体につき,甲3の1,3の2)(ア) P1の概要と活動P1は,P13師がコンゴ独立後間もない1969年(昭和44年)頃に創始した宗教運動である。P1は,白人支配以前のバコンゴ(Bakongo)族によるかつてのコンゴ王国の復活を目指し,バ・コンゴ(BasKongo)州の独立ないし自治権拡大を唱導した。その信者(支持者)は,同州を中心に次第に拡大し,政党化してモブツ大統領に抗議活動を行うなどした。P1は,続くローラン=デジレ・カビラ大統領に対しても抗議活動をした。(甲23の21.05項以降,甲24,乙36の21.05項以降)2000年(平成12年)以降,P1と政府当局との間で死者を出す事件が複数発生した。原因の多くは,P1の挑発的で,しばしば暴力を伴う行動に対し,政府が適切に対応しなかったことであった。P1の不法行為は,殺人から政府の権限の奪取に至るまで,さまざまである(甲19の1,19の2の3.1の25項)。 ジョゼフ・カビラ政権に移行後の2002年(平成14年)7月には,バ・コンゴ州の自治を求めて抗議するP1支持者14名を国軍兵士が殺害し,同州所在の学校やP1の宗教施設の多くが国軍により略奪されるなどした(甲3の1,3の2の1頁,甲23の21.10項,乙36の21.10項。以下「2002年事件」という。)。 (イ) 2007年事件に至る経緯P13師は2006年(平成18年)7月30日の国民議会選挙に立候補し史上最多の得票数で当選した。続く大統領選挙 1.10項。以下「2002年事件」という。)。 (イ) 2007年事件に至る経緯P13師は2006年(平成18年)7月30日の国民議会選挙に立候補し史上最多の得票数で当選した。続く大統領選挙の決選投票で,P1は,P11と同盟を組んでベンバ暫定副大統領を支持した。 この決選投票と同時期に各州の州議会議員も選挙され,州知事及び副知事等は当選した州議会議員により選出されることとなっていたところ,P13師は,翌2007年(平成19年)1月に行われたバ・コンゴ州知事選に,P11のP14を知事候補として推戴し,自身は副知事候補として出馬した。しかし,同州の州議会議員は29議席中16議席をP11同盟側が獲得していたにもかかわらず,知事及び副知事当選者は,14票対15票の1票差で対立候補者であった大統領派のP15知事候補とP16副知事候補であると発表された。(乙36の8.60項)これに対し,P13師は,抗議行動として,同年2月1日に一斉ストライキをするようP1支持者や一般市民に呼び掛けた。これを受けて,州都のマタディ市では,大統領派で現職のP17知事が,主要な雇用主らに対し,2月1日には通常の業務を行うよう促し,同州の他の町では,法執行機関の当局者らが「治安会議」を開いた末,抗議行動をあらかじめ違法と宣言するなどした。 警察は,同年1月31日,P1党員が集まっていた州都マタディ市のP13師宅に,武器隠匿の疑いで家宅捜索を行ったが,武器は発見されず,これを契機としてP1支持者とコンゴ政府の間で死傷者を出す衝突が発生した(乙36の21.13項。2007年事件)。 (ウ) 2008年事件とその後の状況2007年(平成19年)10月以来,バ・コンゴ州では,P1と地元当局との間で緊張状態にあった。多くの地域で国家警察の勢力はかなり弱 。2007年事件)。 (ウ) 2008年事件とその後の状況2007年(平成19年)10月以来,バ・コンゴ州では,P1と地元当局との間で緊張状態にあった。多くの地域で国家警察の勢力はかなり弱く,複数の村ではP1が国家の果たす機能を実質的に担い,民衆司法が実施されていた。こうした状況において,コンゴ政府は,2008年(平成20年)2月28日,バ・コンゴ州での政府の統制回復を目的とした作戦を開始した。警察部隊は,同日から29日にかけてεに到着し,その翌週,西に展開した。2月28日の作戦ではP1の党員を中心に少なくとも100人が死亡し,一連の作戦でP1の党員150人以上が拘束され,そのうちの多くが拷問や残虐で非人道的な取扱いを受けた。 また,多数の村落で200以上の建物が破壊された。警察は作戦行動中に過剰あるいは不必要な実力を行使した(甲3の1,3の2,19の1,19の2,乙36の8.69項以下,乙63の1,63の2。2008年事件)。 P1は,同年3月21日,社会文化的団体として活動することの承認を取り消されて,その運動は事実上非合法化され,その後,P6に名称を変更したともいわれている(甲3の1,3の2の8頁,乙36の8.74項・21. 14項,乙66の144頁~145頁のP1/P6の項の冒頭段・20.07項・20.08項)。 ウ原告の経歴等(全体につき,甲35,乙5,14の1)(ア) 原告の父P18(1935年(昭和10年)生まれ。)は,P19に勤務し,バ・コンゴ州カタラクト県ソンゴロロ郡ζ区γ村に住んでいたが,1970年(昭和45年)頃,同県ムバンザ・ングング郡αに転勤になり,1975年(昭和50年)▲月▲日,同所で専業主婦の妻P20との間に原告が出生した。(甲4の4頁・8頁,乙4,乙8の4頁・8頁,乙19の2頁,乙62 年)頃,同県ムバンザ・ングング郡αに転勤になり,1975年(昭和50年)▲月▲日,同所で専業主婦の妻P20との間に原告が出生した。(甲4の4頁・8頁,乙4,乙8の4頁・8頁,乙19の2頁,乙62の3頁)P18は,1985年(昭和60年)にαでの勤務を解かれると,原告の母ともどもγ村に戻って,引き続きP19に勤務した。原告は,既にαの小学校に入学していたことから,同地の叔父宅に居候して通学を続け,病気等による留年の末,1990年(平成2年)に小学校を卒業した。そして,原告は,同年,キンシャサ市在住の別の叔父P21宅に居候して,同市のP22学院に進学し,1996年(平成8年)に同院を修了し,そのまま同院に残って教職を得た。(甲4の6頁~8頁,乙4,乙8の6頁~8頁,乙20の6頁)原告は,1995年(平成7年)▲月▲日には,キンシャサ在住の女性との間に長女をもうけた(甲4,乙8の各5頁~6頁)。((ア)全体につき,乙56)(イ) 原告は,2002年(平成14年)頃,γ村に戻り,ソンゴロロ郡内でγ村から約150キロメートル離れたP3学院に職を得た(甲21,29ないし31,乙38)。原告は,平日はP3学院内で寝起きし,時々の週末にγ村に帰る生活をするようになった。(甲4,乙8の各22頁~23頁,乙20の6頁)(ウ) 原告は,長期休暇時に前記のキンシャサ在住の女性のもとに通い,同女との間に,2003年(平成15年)▲月▲日に長男を,2004年(平成16年)▲月▲日に二女をもうけた。 原告は,2005年(平成17年)▲月,現在の妻と結婚し,キンシャサにいた3人の子をγ村に呼び寄せた。((ウ)全体につき,甲4,乙8の各5頁~6頁)エ原告の本国における活動(全体につき,甲35,乙5,14の1。なお,以下の事実認定に 妻と結婚し,キンシャサにいた3人の子をγ村に呼び寄せた。((ウ)全体につき,甲4,乙8の各5頁~6頁)エ原告の本国における活動(全体につき,甲35,乙5,14の1。なお,以下の事実認定に関する補足説明は後記(2)のとおりである。)(ア) P1への入党原告は,2002年(平成14年)9月15日,P1の党員となり,同日付けの本件党員証明書(乙37)を取得した。原告は,δ地区において宣伝と動員を担当していた。(乙2の2欄,乙3の5欄,乙8の9頁~10頁,乙56の6欄,原告本人3頁)(イ) 2005年12月の身柄拘束(乙2の3欄,乙8の10頁~13頁,乙15の1の2頁,乙56の4欄)プレトリア協定による延期後の暫定期間が満了となる2006年(平成18年)の大統領選挙及び国民議会選挙を控え,制定憲法草案についての国民投票が2005年(平成17年)12月18日に実施されることになった(上記ア(ウ))が,草案が発表されると,P1は,いくつかの条項において内戦前の憲法と比較しても不十分な内容が含まれているとして,国民投票をボイコットする方針を採った。そこで,原告は,同月12日,γ村のP1党員らを集め,憲法草案をボイコットするよう説明会を開いた。 同月15日朝,国家情報局の諜報員3名が一般市民を装って原告宅を訪れ,原告が玄関を開けると,公務手帳を見せて逮捕状が発付されている旨を告げ,ソンゴロロ検事局への同行を求めた。原告は,容疑を問い返しながらも検事局に赴くと,正式に逮捕状を提示された(原告本人3頁・19頁)。原告が,判事の前で,逮捕された理由を問われ,分からない旨を答えると,憲法草案ボイコットの運動を行っていたことを質されて,収容された。原告は,収容中,同様の活動を行っていた者に遭遇した。 原告は,憲法 判事の前で,逮捕された理由を問われ,分からない旨を答えると,憲法草案ボイコットの運動を行っていたことを質されて,収容された。原告は,収容中,同様の活動を行っていた者に遭遇した。 原告は,憲法草案国民投票終了後の同月22日に解放され,引き続きP3学院で勤務した。 (ウ) 2007年2月のデモ参加等(乙2の2欄,乙4,乙8の13頁~14頁,乙15の1の2頁)バ・コンゴ州で2007年(平成19年)1月27日に実施された知事及び副知事選で,P15,P23がそれぞれ知事及び副知事に当選したものとされた州議会の投票結果(上記イ(イ))について,P11から選挙のやり直しの訴えを提起されたバ・コンゴ州の控訴院は,同年2月8日,その請求を容れて選挙のやり直しを命じたが,キンシャサのコンゴ最高裁判所に上訴され,最高裁判所は,同月16日に判断を示す旨を発表した(甲3の1,3の2の4頁~5頁,乙36の6.23項・6. 24項)。 これを受けて,原告は,前日の同月15日にδ地区(γ村及び近隣村)のP1支持者約60人を引率してソンゴロロ市の教区に集まった。他の地区からも集まった者を合わせた200人以上で,翌16日朝,最高裁判所の判断を待っていたが,最高裁判所が,控訴院の判断を覆し,当初の選挙結果を支持する旨の判断をしたことが報じられると,原告らはソンゴロロ市内をその日1日中デモ行進した。翌17日午前にもデモを続け,政府を象徴する施設を壊すようにという原告の指示で,木造藁葺き屋根の税務署施設(甲26の1)や,粘土造藁葺き屋根の交番施設(甲26の2)が壊されたが,近くの警察署付近で銃声がしたことなどから,デモ行動を中断した(原告本人3頁~5頁,19頁~20頁)。 翌18日になると,キンシャサから警察部隊が増派されると聞き,原告を含むデモ隊 が壊されたが,近くの警察署付近で銃声がしたことなどから,デモ行動を中断した(原告本人3頁~5頁,19頁~20頁)。 翌18日になると,キンシャサから警察部隊が増派されると聞き,原告を含むデモ隊は,キンシャサとマタディを結ぶ国道1号線にバリケード線を張ろうとしていた。そこに増派されてきた警察部隊は,催涙ガスを散布するなどしたが,原告たちデモ隊が投石等で対抗したため,警察は発砲してデモ隊を散会させた。原告は,ジャングル等を経由して,ηの知人宅に身を寄せたが,ηでも殺害,逮捕された同志がいると聞き及んで,同月20日,キンシャサ市θ区のP21宅に逃れ,そこに潜伏した。 その後,原告は,キンシャサで就職しようとしたが,職が見付からなかったこともあり,γ村にいた妻に連絡を取って自宅に諜報員が来ていないことを確認した上で,同年8月10日に同村に帰宅し,教員数の足りていなかったP3学院の教職に再び迎えられた。 (エ) 2008年2月の行動(乙2の2欄・6欄・7欄,乙4,乙8の14頁~18頁,乙15の1の2頁・10頁)a 2008年(平成20年)になると,ジョゼフ・カビラ大統領は,バ・コンゴ州所在の海上油田開発に関わる国営企業や,軍・警察の重要ポストに,州出身者ではなく,コンゴ東部のスワヒリ語系民族の者を就けるオルドナンス(行政命令)に次々と署名したことから,P1は,これをバコンゴ族の周縁化政策であるとして,2007年事件のクライマックスである2月18日から1周年に当たる2008年(平成20年)2月18日に抗議デモを実施することを計画した。 原告は,同月10日にδ地区で抗議デモの説明会を開いた後,翌11日には広報担当者のいなかったιでも説明会を開き,約130名を動員して,同月17日にソンゴロロ市で落ち合った。 翌18日朝, 。 原告は,同月10日にδ地区で抗議デモの説明会を開いた後,翌11日には広報担当者のいなかったιでも説明会を開き,約130名を動員して,同月17日にソンゴロロ市で落ち合った。 翌18日朝,他の地区から参加した者と合わせて300名以上に達したP1党員らは,前年同様に政府関連施設を破壊するグループと,国道1号線を機能麻痺させるグループの二手に分かれて,行動を開始し,原告は前者で指導的役割を果たし,施設を破壊する場面も見届けた(原告本人21頁)。 原告は,翌19日には,国道1号線を封鎖する活動に参加したが,その更に翌日にもデモ隊を結成して国道1号線に向かおうとすると,キンシャサから派遣された軍事武装した警察部隊と鉢合わせた。原告たちは,それでも構わず投石しながら進もうとすると,警察隊が発砲したため,原告はそのまま逃走し,λの知人宅に潜伏した。(原告本人5頁~6頁)b 数日後,検事局に勤めるバ・コンゴ州出身の原告の従姉の夫が,原告の潜伏先を探し当て,電話で原告に逮捕状が出されている事実を告げて,逃げるよう促したので,原告は,前年と同じくキンシャサ市θ区のP21を頼って,同月28日から再び同人宅に潜伏した(乙56の8欄,原告本人5頁~6頁・21頁~22頁)。間もなく,コンゴ警察とソンゴロロ検事局の職員が,γ村の原告宅に原告を逮捕しようと現れた。原告は,このことを,従兄弟P24から後に聞いた。 (オ) 本件捜索令状等(乙8の17頁~18頁)a 2008年(平成20年)4月3日,ソンゴロロ検事局職員は,原告を翌4日午前10時に検事局に呼び出す旨の出頭命令書をP24に交付した。同日,原告が出頭しなかったため,翌5日,原告を同月11日午前10時に再度呼び出す旨の出頭命令書をP24に交付した。 (甲27の1,27の2,乙39,原 局に呼び出す旨の出頭命令書をP24に交付した。同日,原告が出頭しなかったため,翌5日,原告を同月11日午前10時に再度呼び出す旨の出頭命令書をP24に交付した。 (甲27の1,27の2,乙39,原告本人6頁~7頁)P24は,原告にこれらの旨を連絡したが,原告は逮捕されると思い,検事局には出頭しなかった。 b 同月20日,コンゴ警察職員らが,武器等所持の容疑で原告宅を捜索する旨の捜索令状を携えてγ村の原告宅を訪れ,家宅捜索した。その際,警察官らは原告宅の金品を奪う一方,令状原本を置いていったので,捜索に立ち会ったP24は,これを後に原告に転送した。(甲28の1,28の2,乙40,原告本人6頁)この頃,P24は,原告がキンシャサにいることを,逮捕された原告の仲間が拷問で白状させられた可能性が高く,状況が悪化している旨を原告に知らせた。 c また,この頃,原告の中学校(P22学院)時代の友人で入国管理局に勤めるP25(乙15の1の7頁。)が,捜査対象者リストの中に原告の名を見付けたことから,何をした人たちなのかを上司に尋ねると,バ・コンゴ州の国道1号線で公衆秩序を乱したP1支持者であるとの回答であった。 P25は,自身,P1の行動に同情的な信条を有していたことから,むしろ原告に危険を知らせた方がよいと思い,また,証拠があった方が原告も真剣に受け止めるだろうと考えて,独り残業で残った同月26日夜,軍幹部から部下の士官に宛てて国家保安侵害及び国家反逆罪容疑で原告ほか3名の捜索のため同月23日に出動を命ずる内容の職務命令書兼捜索通知を複写し(乙41),これを携えて,原告が身を寄せていることを知っていたθ区のP21宅を訪れた。応接したP21は,原告はいないと言ったが,P25は,自分の電話番号を渡して原告から折り返し電話をす 知を複写し(乙41),これを携えて,原告が身を寄せていることを知っていたθ区のP21宅を訪れた。応接したP21は,原告はいないと言ったが,P25は,自分の電話番号を渡して原告から折り返し電話をするよう頼んだ。 同月28日,原告はP25に電話し,両名は即日会うこととなって,原告に上記職務命令書兼捜索通知が手渡された。(甲7の1,7の2,乙26の6頁,原告本人6頁)(カ) P26紙の記事コンゴの新聞であるP26紙は,2008年(平成20年)4月21日付けで発行した新聞の社会面において,同年2月20日のソンゴロロにおけるP1とコンゴ国家警察隊員との対立以降,P27(原告)ほか3名が消息不明となっており,この失踪について知っている人に家族への情報提供を呼び掛ける内容の記事を掲載している(甲15,16)。 オ原告の本国出国に至る経緯及び本邦入国後の行動(全体につき,甲35,乙5,14の1)(ア) 原告は,捜査の対象とされていることから,国外逃亡を考えるようになり,10歳違いの兄で,かつて政党幹部を務め,フィンランドに亡命しているP28(乙8の5頁,乙20の4頁~5頁)に資金等の相談をした(乙4,乙15の1の8頁・13頁~14頁)。もっとも,当時,コンゴにはフィンランド大使館はなかったことから,逃亡先の候補とはしなかった。 原告は,正規の旅券で出国することは困難であると考えて,外務省の儀典局に勤める従兄弟のP29に偽名の旅券の発給を相談したところ,同人はこれに協力し,しばらくして,原告の写真を貼付して自身の住所を記した前年の2007年(平成19年)4月発行のP30名義の公用旅券(以下「本件偽造旅券」という。)を準備してきた。同旅券には,発行年にマリやモロッコに渡航したかのような査証や出入国印も押されていた。P2 年の2007年(平成19年)4月発行のP30名義の公用旅券(以下「本件偽造旅券」という。)を準備してきた。同旅券には,発行年にマリやモロッコに渡航したかのような査証や出入国印も押されていた。P29は,引き続き査証の取得について,各国大使館を当たったところ,各国の反応が芳しくない中で,日本大使館で査証を得られそうだとの情報を得て,2008年(平成20年)8月12日午前,自身も随行して,在キンシャサ日本大使館に原告を出頭させて面接を受けさせた結果,同日午後,本件偽造旅券上に同年11月12日まで有効の短期滞在90日の査証が発給された。(乙1の別添1,乙19の3頁~4頁,乙26の6頁。乙8の18頁~20頁,乙15の1の5頁~7頁)(イ) 一方,この間,原告は,偽造旅券だけしか手元にないのでは,出国先で自身の正規の身分を証明するものがないと考え,出生届出証明書もγ村の自宅に置き放してあったことから,改めて①出生届出証明書と,②1997年(平成9年)5月にザイールからコンゴ民主共和国に国名が変更され発給されなくなった後,同国で身分証明書に代わるものとして扱われていた身分証明書紛失証明書(乙57の5頁~6頁)の取得を,P21に依頼した(原告本人8頁~9頁)。 P21は,θ区役所に勤める親戚のP31に依頼して,2008年(平成20年)8月5日付けで,θ区長から非正規で出生届出証明書の発行を受け(乙42,乙57の3頁~5頁),また,同月7日付けで,θ区長からP21宅の住所が記載された身分証明書紛失証明書の発行を受けた(乙43)。(甲9の1,9の2,乙8の24頁~25頁)(ウ) 原告は,2008年(平成20年)9月30日キンシャサ発エチオピア・アジスアベバ経由タイ・バンコク着のP32航空便と,これに乗り継ぐバンコク発成田着のP33航空便 乙8の24頁~25頁)(ウ) 原告は,2008年(平成20年)9月30日キンシャサ発エチオピア・アジスアベバ経由タイ・バンコク着のP32航空便と,これに乗り継ぐバンコク発成田着のP33航空便とを,本件偽造旅券上の名義であるP30名で手配した。原告は,当日,P29に同行してもらって,3800米ドルを持って(乙24の7頁)キンシャサのンジリ空港に行った。同人は,原告を特別待機室に案内して,出国手続は全て原告に代わって行った後に,原告に本件偽造旅券を手渡し,原告は機上の人となった。原告は,足掛け3日間にわたり3つの航空便を乗り継ぎ,同年10月2日に成田空港に到着し,本件偽造旅券を提示して,本邦に上陸した(前提事実(1),乙1,乙19の4頁~5頁)。(乙2の12欄,乙56の13欄)原告は,アジスアベバ-バンコク間の便に乗り合わせた日本在住のカメルーン人男性から,日本のP34の連絡先を教えてもらっていた。そして,原告は,予約していたμのホテルに1泊した後,翌3日に同協会に赴いて本名を書き,必要書類の教示と,νのホテルの紹介を受けて,以後そこに投宿した(乙2の13欄,乙20の3頁~4頁,乙26の5頁,乙56の14欄)。(乙8の19頁~21頁)(エ) 原告は,平成20年10月14日に東京入国管理局に出頭し,本件難民認定申請をした(前提事実(2)ア)が,その際,P1の党員証明書,自身らの運動内容の証明書,出頭命令書2通,家宅捜索令状,捜索通知,バ・コンゴにおけるP1事件を伝える新聞記事(複数),MONUCの報告書(本件国連報告書)を30日以内に提出することができる旨を申告している。(乙2の11欄)なお,原告は,自分の身分が露見するおそれがあることから,これらの書類並びに同年8月に取得した出生届出証明書及び身分証明書紛失証 0日以内に提出することができる旨を申告している。(乙2の11欄)なお,原告は,自分の身分が露見するおそれがあることから,これらの書類並びに同年8月に取得した出生届出証明書及び身分証明書紛失証明書を出国時に携帯することは避け,後に郵送してもらった(乙26の5頁,原告本人23頁~24頁)。 (2) 関係証拠の信用性について(事実認定の補足説明)ア原告本人の供述全般について(ア) 上記(1)エ及びオで認定した原告の本国における活動等に係る各事実に沿う原告の供述(甲35,乙2,4,5,8,14の1,15の1,19,20,26,56,57,原告本人)は,本件難民認定申請時から当裁判所における原告本人尋問に至るまで,大筋においてその内容が一貫している上,具体的で迫真性を有し,自ら違法行為を主導したことを率直に認める等,自身に利益であるとばかりはいえない内容をも含むものである。 また,そこで供述する原告の本国における活動は,上記(1)アで認定したコンゴの国情や,同イで認定したP1とコンゴ政府との対立状況ともよく呼応していて矛盾がなく,コンゴ建国から内戦までの歴史的経緯に照らし,同国東部の勢力を懐柔する必要に迫られたと考えられるコンゴ政府の立場や,これが優遇されるあまり西部地域の民族が周縁化されていると捉え,抗議行動を起こさざるを得なかったと考えられるP1の立場,他方で,P1の目標とするバ・コンゴ州の自治権拡大や独立を容認したのでは,同州の地政学的重要性に照らし,同国の経済全体が更に立ちゆかなくなるおそれがあることにも配慮しなければならない国家的事情といった,同国の複雑な政局要因とも無理なく適合している。 もっとも,原告の供述内容には,一部変遷している点もあるが(後記イ参照),当初さして重要な事実ではないと捉えて詳 ばならない国家的事情といった,同国の複雑な政局要因とも無理なく適合している。 もっとも,原告の供述内容には,一部変遷している点もあるが(後記イ参照),当初さして重要な事実ではないと捉えて詳細を語っていなかった部分が後になって語られたものと考えて不自然でない箇所にとどまっていて,原告供述の全体としての信用性を揺るがすような重大な変遷を含んでいるとは認められない。 これらのことからすると,原告の供述は,全体として基本的に信用するに足りるものというべきである。 (イ) これに対し,被告は,原告が,2008年2月の行動の後,身に危険を感じているといいながら,同年8月になって,本国の公的機関から出生届出証明書及び身分証明書紛失証明書を取得しているところ,官署に対して潜伏先であるP21宅の住所を明らかにするような行為をすることは不自然,不合理であり,また,原告が出国するまでの間,警察等が同人宅を捜索に来ていないことからすると,コンゴ政府が原告を逮捕しようとしていたものとは考え難い旨主張し,原告の出国の動機を争う。 しかし,原告は,この点に関し,他人名義の旅券で出国することから,外国で真正の身分を証明するために,出国前に予め上記の各書面を取得しておく必要があると考え,自らではなく親族に依頼して取得すれば問題は生じないであろうと判断していた旨説明しているところ,このような弁明には相応の合理性があり,必ずしも不自然とまではいえない。外国で真正の身分を証明するための書面であればこそ,後に問合せ等をされる可能性にも備えて,原告について何らかの証明をしてもらえる関係者宅の実住所を記載した証明書として取得する必要性も認められるものである。他方,P21宅の住所が記載されている身分証明書紛失証明書の発行官署と警察等との連携がどの程度緊 らかの証明をしてもらえる関係者宅の実住所を記載した証明書として取得する必要性も認められるものである。他方,P21宅の住所が記載されている身分証明書紛失証明書の発行官署と警察等との連携がどの程度緊密なものであるのか明らかではないから,その後,警察等がP21宅に捜索に来なかったことは,必ずしもコンゴ政府が原告を逮捕・拘束しようとしていたことと矛盾する事情とまではいえない。 したがって,被告の上記主張は採用できない。 イ本件党員証明書について被告は,原告の2002年(平成14年)9月15日付けの本件党員証明書(乙37)について,同年7月に発生した事件(2002年事件。上記(1)イ(ア)参照)の後P1の党員証明書は発行されなくなった旨の英国報告書の記載(乙36の21.10項。甲23の21.10項も同旨)に依拠して,真正なものでない疑いがあると主張し,また,当時におけるP1の党員証明書の発行状況に関する原告の供述の変遷を指摘する。 この点,上記の報告書においてP1の党員証明書が発行されなくなったとされている時期は,「2002年7月の事件以降」というものであって,「2002年7月以降」とされているものではなく,党員証明書の悪用が問題化したのが2002年事件を契機としてのものであったとすれば,必ずしも,同事件の直後に,時間的な間隔を置くことなく,全ての党員証明書の発行が停止されたとまで断じることができないと考えられる。 また,確かに,当時におけるP1の党員証明書の発行状況に関する原告の供述には変遷が見られる(すなわち,原告は,①難民不認定処分に対する異議申立手続における審尋(乙15の1)において,上記の報告書の記載を前提とした質問に対し,「7月から証明書が出されていないのではとの質問については私は分かりません」と返答した 民不認定処分に対する異議申立手続における審尋(乙15の1)において,上記の報告書の記載を前提とした質問に対し,「7月から証明書が出されていないのではとの質問については私は分かりません」と返答したが,②本件難民認定申請に後行して別途平成25年2月25日にした2回目の難民認定申請における調査(乙57)においては,7月にεの事務所が壊され,このときに党首が党員証明書の発行をとりやめることにしたことは知っているが,ε以外の地域では活動を継続しており,7月以降に発行された党員証明書を持っている者がいる旨供述し,③さらに,本件訴訟で提出された陳述書(甲35)では,7月以降発行できなくなっていたのは一般会員のみであり,中心的メンバーには発行されており,原告はそのことを党員になってから知った旨供述している。)ところではあるが,上記のとおり,原告は,そもそも,δ地区における宣伝と動員の担当者にすぎなかったことからすると,当時における党全体の党員証明書の発行状況については単に推測を述べているだけであるとも考えられる。 そうすると,前記の英国報告書の記載や,上記のような原告の供述の変遷があるからといって,原告が所持する本件党員証明書の成立の真正が直ちに否定されるとまではいえないと解されるところである。 ウ本件捜索令状等について被告は,本件捜索令状等(ソンゴロロ検事局作成の2通の出頭命令書(乙39)及び家宅捜索令状(乙40)並びに軍作成の職務命令書兼捜索通知(乙41))について,被告は,コンゴにおいては令状が手渡されることはない旨の英国報告書の記載(乙36の33.26項)に依拠して,原告がこれらを入手していること自体が不自然であり,また,入手経緯も不自然である旨主張する。 しかしながら,上記の報告書によれば,起訴手続を行う治安裁判所か 載(乙36の33.26項)に依拠して,原告がこれらを入手していること自体が不自然であり,また,入手経緯も不自然である旨主張する。 しかしながら,上記の報告書によれば,起訴手続を行う治安裁判所から発行される逮捕令状と,保釈金請求が提示された裁判所の裁判官から発行される保釈保証書については,令状の主旨は見せられるが,手渡されることがないとされているのに対し,捜査令状の場合は,捜査の対象者は令状に署名しなければならないとされている。そうすると,本件捜索令状等のうち,書式の体裁上も署名欄のある出頭命令書については,手渡されることがあるとも考えられる。また,本件捜索令状等のうち,家宅捜索令状については,署名欄が設けられていないが,少なくとも提示されるべきものではあり,その場合,原告宅に家宅捜索に来た警察官が家宅捜索令状は置いていった旨のP24の陳述(甲28)は,コンゴの警察官が十分な訓練を施されているわけではないことがうかがわれること(甲19の1,19の2の4.5の70項・6.1の121項,乙67)に照らし,およそ想定し難い事象であるとまでは断じることができないところである。 さらに,職務命令書兼捜索通知については,軍の内部書類の体裁のものであり,これ自体,捜索に当たって提示されるべきものとはいい難いが,他方において,この体裁は,一般市民が容易に偽造を思い付くような種類の書類であるとも考えにくい。そして,この書面につき,友人のP25が複写して提供してくれた旨の原告の供述は当初から一貫しているところであり,このような提供行為がおよそあり得ない事象であるとまでもいえないところである。 他方,仮に,原告が難民であるとの認定を不正に取得するため,計画的に偽造書類等を準備したと想定すれば,最も端的で有力な証拠となると考えられる逮捕状等 象であるとまでもいえないところである。 他方,仮に,原告が難民であるとの認定を不正に取得するため,計画的に偽造書類等を準備したと想定すれば,最も端的で有力な証拠となると考えられる逮捕状等の原告の身柄拘束を直接容認する内容のものの偽造が選択されると考えられるが,本件においてはそのようなものが欠けていることからすると,上記のような想定をすることは必ずしも合理的ではないともいえる。 以上の諸点を勘案すると,上記の報告書の記載や,入手経路に関する不自然さがあるからといって,本件捜索令状等の成立の真正が直ちに否定されるとまではいえないと解されるところである。 エ P26紙の記事上記(1)エ(カ)で認定したP26紙の新聞記事(甲15)には,外形上,特に偽造の痕跡は見当たらず,その成立の真正について被告からも何らの反論,反証が出されていない。そして,被告提出の同紙の別の日の記事(乙63の1,63の2)の内容は,別の新聞社の新聞(甲14,16)の論調とは異なり,必ずしもP1側に偏ったものでなく,むしろ,コンゴ政府の立場に配慮した論調のものであると認められるところ,上記新聞記事に原告の名前が掲載されている理由は必ずしも明らかではないが,そのことが全く不自然であるとも断定し難い。 そうすると,2008年(平成20年)4月当時,上記新聞記事のとおりの内容(同年2月20日にP1の党員とコンゴ国家警察隊員との間で対立があり,原告と3人の友人が消息不明となっている旨のもの)が報道されたものと認めることができる。 オ上記イ及びウの各書面についての総合判断以上で判示したとおり,本件党員証明書と本件捜索令状等については,それ自体としてみると,それぞれ,その成立の真正には疑いがないわけではない。しかしながら,①これらの書面は,その体 いての総合判断以上で判示したとおり,本件党員証明書と本件捜索令状等については,それ自体としてみると,それぞれ,その成立の真正には疑いがないわけではない。しかしながら,①これらの書面は,その体裁において,特に不自然な点があるわけではないこと,②上記(1)オ(エ)で認定したとおり,これらの書面は,本件難民認定申請後に被告側から裏付けを求められるとか矛盾点を突かれるとかしたために後から用意されて提出されたというものではなく,その申請時において既に原告が提出可能であると申告していたものであること,③上記エで認定したとおり,P26紙の記事については,偽造であるとは認められず,原告がP1の党員として2008年2月の行動を行い,その後,消息不明となったという経緯が認められるところ,本件党員証明書と本件捜索令状等は,この経緯に大筋において沿うものであることを総合すると,これらの書面については,真正な成立が認められるというべきである。 カ小括以上のとおりであるから,原告本人の供述及び上記の各種証拠に基づいて,上記(1)のとおりの事実を認定した。 (3) 難民該当性についての検討ア上記(1)エ及び(2)で認定判断したところによれば,①原告は,2002年(平成14年)9月,P1に入党し,δ地区において宣伝と動員を担当していたこと,②原告は,2005年(平成17年)12月,同地区において,P1の党員に対し,国民投票をボイコットするように呼びかけたところ,その後,逮捕され,約1週間身柄を拘束されたことがあること,③原告は,2007年(平成19年)2月,知事選挙の結果を支持する裁判所の判断に抗議して,多数のP1の党員と共にソンゴロロ市内の国道を封鎖し,政府関連施設を破壊するなどしたところ,警察が発砲する事態となり,原告はキンシャサに逃れ )2月,知事選挙の結果を支持する裁判所の判断に抗議して,多数のP1の党員と共にソンゴロロ市内の国道を封鎖し,政府関連施設を破壊するなどしたところ,警察が発砲する事態となり,原告はキンシャサに逃れて約半年間潜伏していたこと,④原告は,2008年(平成20年)2月18日から同月20日にかけて,コンゴ政府のバ・コンゴ州に関する周縁化政策に抗議するためにソンゴロロ市内で行われたデモに参加し,国道を封鎖し,政府関連施設を破壊するように指示などしたところ,警察が発砲する事態となったことから,λを経て,キンシャサに逃れたこと,⑤原告に対しては,上記④の件に関し,出頭命令が出され,γ村の自宅につき家宅捜索令状が出されていることが認められ,また,逮捕状が発付されていることが推認される。 他方,上記(1)イで認定した事実によれば,P1とコンゴ政府との間では,2000年(平成12年)以降,死者を出す衝突事件が複数発生しており,とりわけ,2007年(平成19年)10月以来,バ・コンゴ州では,P1と地元当局との間では緊張状態にあったところ,コンゴ政府は,2008年(平成20年)2月28日から,同州での統制回復を目的とした作戦を開始し,この一連の作戦において,P1党員が少なくとも100人死亡し,150人以上が拘束され,そのうちの多くが拷問などの非人道的な取扱いを受け,さらに,コンゴ政府は,同年3月,P1を事実上非合法化する措置をとったことが認められる。 以上の事実関係を総合勘案とすると,2002年(平成14年)からP1の党員であり,2005年(平成17年)2月にはP1党員としての活動に関連した逮捕歴がある原告については,2008年(平成20年)2月当時において,バ・コンゴ州内でP1党員としての政治活動に関連した犯罪を犯したことを理由として身柄 年)2月にはP1党員としての活動に関連した逮捕歴がある原告については,2008年(平成20年)2月当時において,バ・コンゴ州内でP1党員としての政治活動に関連した犯罪を犯したことを理由として身柄を拘束された場合には,適切な刑事司法手続上の処遇を超えて,迫害を受けるおそれがある,すなわち,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫を受けるおそれがあるという恐怖を抱くような客観的な事情があったということができ,その状況は,平成22年3月2日の本件難民不認定処分時においても,現時点においても,継続していると認めることが相当である。 そうすると,原告の本邦入国後の政治活動など,その余の点について検討を加えるまでもなく,原告は,特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由として,迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国であるコンゴの外にいる者であって,コンゴの保護を受けることができないもの,すなわち難民議定書1条2項による読替え後の難民条約1条A(2)の難民に該当する者であると認められる。 イこれに対し,被告は,原告が,2005年12月の身柄拘束後,「公立」のP3学院に復職していることからすると,コンゴ政府が原告につき積極的な反政府活動家として殊更関心を寄せていたとは認め難い旨主張する。 この点,同院は,運営主体がカソリック教会であるところ(甲21,29),同院が,コンゴにおいて「パブリック・スクール」とされているとしても,我が国でいう公立学校とは相当性格を異にしていることがうかがわれ(甲33),コンゴ政府が同院に対していかなる影響力を行使し得るのかは必ずしも明らかではない。そうすると,原告が2005年12月の身柄拘束後も同学院の職務を継続することができたとしても,それが故に (甲33),コンゴ政府が同院に対していかなる影響力を行使し得るのかは必ずしも明らかではない。そうすると,原告が2005年12月の身柄拘束後も同学院の職務を継続することができたとしても,それが故に,コンゴ政府が原告を反政府活動家として関心を寄せていなかったと断じることはできない。 また,原告は,2005年12月の身柄拘束の後,さらに2008年2月の行動に及んでいるのであるから,仮に,2005年12月の身柄拘束の時点においては,コンゴ政府が原告を積極的な反政府活動家として殊更に関心を寄せていなかったとしても,そのことが直ちに原告の難民該当性を否定する要素となるものともいえない。 したがって,被告の上記主張は採用することができない。 ウまた,被告は,原告に対する本件捜索令状等を前提としても,それは政府施設の破壊に関わった原告の違法活動に対するコンゴ政府の正当な警察権の行使であって「迫害」ではない旨主張する。 しかし,上記のとおり,2008年(平成20年)2月当時,コンゴ政府の警察が,バ・コンゴ州内においてP1党員と衝突した際,正当な警察権の行使を超える過剰な実力行使を行い,拘禁施設内で非人道的な取扱いをしたことがあったことに照らせば,原告が同時期に逮捕された場合,同様の取扱いを受ける現実的な可能性があったといわざるを得ない。なお,難民条約1条F(b)が,政治犯罪を行った者についての難民条約の適用を明示的に認めていることからすると,難民条約は,政治犯罪に対する刑の執行は「迫害」に当たり得ることを当然の前提としているということができるところ,(1)エに認定したような,原告が2008年事件時に対政府抗議行動に参加した動機と,その後の国軍における原告等の職務命令書兼捜索通知(乙41)上も,その嫌疑が単純刑法犯ではなく国家保安侵害及び国 ,(1)エに認定したような,原告が2008年事件時に対政府抗議行動に参加した動機と,その後の国軍における原告等の職務命令書兼捜索通知(乙41)上も,その嫌疑が単純刑法犯ではなく国家保安侵害及び国家反逆罪とされていることに照らせば,原告の行った行為は,たとえこれと同時に本国の刑法に違反するとしても,難民条約上は,政治犯罪として評価されるべきものと考えられる。そうすると,これに基づいて原告の自由が脅かされることは,難民条約上の「迫害」に当たるというのが相当である。 被告の上記主張は採用することができない。 エ被告は,2008年事件以後の状況をみると,P1の関係者がコンゴ政府と武力衝突をしたり,虐殺されたりする報道はされておらず(乙66),かえって,刑事裁判においては無罪とされるとの報道がある(乙51)ことなどからすると,本件難民不認定処分時点においては,コンゴ政府がP1に対して組織的かつ系統的な弾圧を行っているとは認められない旨主張する。 しかし,他方において,2014年(平成26年)時点においても,英国から強制送還されたコンゴ人庇護希望者が恣意的な拷問に直面しているとの報道も存在すること(甲37の1,37の2)に照らすと,被告が指摘する上記の報道等の存在は,原告の「十分に理由のある恐怖」を払拭するまでのものとはいえず,その難民該当性に関する上記判断を覆すまでには至らないというべきである。 (4) 争点2に係る本件各請求の帰結ア難民不認定処分取消請求について上記判示したところにもかかわらず,原告を難民と認定しなかった本件難民不認定処分は違法というべきであり,原告の難民不認定処分取消請求は理由がある。 イ難民認定処分義務付け請求についてまた,上記のとおり難民不認定処分取消請求に理由があると認められる以上, 民不認定処分は違法というべきであり,原告の難民不認定処分取消請求は理由がある。 イ難民認定処分義務付け請求についてまた,上記のとおり難民不認定処分取消請求に理由があると認められる以上,行政事件訴訟法37条の3第1項2号に基づいて難民認定処分義務付け請求に係る訴えも適法であり,現在も原告が難民であると認められる以上,法務大臣が原告について難民認定処分をすべきであることは,法の規定から明らかであると認められる。 したがって,同条5項の規定により,法務大臣に対し,その旨を命ずべきであり,原告の難民認定処分義務付け請求は理由がある。 ウ裁決取消請求及び退令発付処分取消請求について原告については,法61条の2の4第1項の仮滞在の許可がされ,法61条の2の6第2項により,法第5章に規定する退去強制の手続が停止されていたが,本件難民不認定処分に対する異議申立てを棄却する決定がされたことから,仮滞在期間の終期が到来したものとして(法61条の2の4第5項2号),法第5章の規定による退去強制の手続が続行された結果,本件裁決がされ,本件退令が発付されるに至っている(前提事実(2)及び(3))。 しかるに,上記のとおり,本件において,本件難民不認定処分は取り消され,原告について難民の認定がされるべきであるから,仮滞在期間の終期が到来したものとして原告に対して法第5章の規定による退去強制の手続が続行されたことは,法61条の2の6第2項に反するものであり,この続行された退去強制の手続は瑕疵を帯びたものといえる。そして,処分及び裁決から成る手続の全体に瑕疵がある場合,これを構成する処分のみならず,裁決にも固有の瑕疵があると解すべきである。 したがって,本件裁決及び本件退令は,いずれも違法なものである。また,本件退令は,原告にとって難民 全体に瑕疵がある場合,これを構成する処分のみならず,裁決にも固有の瑕疵があると解すべきである。 したがって,本件裁決及び本件退令は,いずれも違法なものである。また,本件退令は,原告にとって難民条約33条1項に規定する領域の属する国であるコンゴに送還するものとして発付されており(乙32),本件において法53条3項1号括弧書きに掲げる事情は認め難いから,本件退令は同号に反するものとしても違法である。 以上のとおりであるから,原告の裁決取消請求及び退令発付処分取消請求は,いずれも理由がある。 3 争点3(本件難民審査に係る国家賠償法上の違法性及び損害)について(1) 2(3)で検討したとおり,原告を難民と認めるべきであるのは,原告が現に捜索対象とされていると推認すべき事実に負うところが大きい。 しかし,本件国連報告書(甲19の1,19の2,25,乙54)は,ただ2008年事件の存在を推知させるものにすぎず,この原告に個別の事由について,何ら触れるものではない。また,原告を難民と認定する上で最も障碍になったと考えられるのは,原告の供述の信用性のみならず,むしろ,2(2)イ以下で検討したような原告が提出した書類証拠群の真正性の確認の点においてであったと考えられるところ(乙9の1も参照),本件国連報告書が合わせ参照されることで,これらの真正性が推認されるという関係にもない。 そうすると,本件難民調査官が本件国連報告書の全文を参照しなかったことと,原告が本件難民不認定処分を受けたこととの間には相当因果関係がないものといわざるを得ず,原告の国家賠償請求のうち,本件難民不認定処分及びこれに後行して下された本件退令発付処分による損害の賠償を請求する部分は,その余の点について判断するまでもなく,理由がない。 (2) 原告は,本件難民 告の国家賠償請求のうち,本件難民不認定処分及びこれに後行して下された本件退令発付処分による損害の賠償を請求する部分は,その余の点について判断するまでもなく,理由がない。 (2) 原告は,本件難民審査において本件国連報告書の全文を参照されない調査をされたことそれ自体による損害があるとも主張して,国家賠償請求をするが,本件国連報告書の全文を参照された場合と全文を参照されなかった場合とで,本件難民審査手続中における原告の処遇にいかなる差が生じたのかは明らかではない。本件難民不認定処分がされたことを離れて,原告に慰謝料の発生を肯認し得る精神的苦痛が生じたものとは認めるに足りない。 原告の国家賠償請求のうち,本件難民調査官が本件国連報告書を参照しなかったことそれ自体による損害の賠償を請求する部分も,その余の点につき判断するまでもなく,理由がない。 (3) 以上のとおり,原告の国家賠償請求は全て理由がない。 4 結論よって,1のとおり原告の在特不許可処分取消請求に係る訴え部分は不適法であるからこれを却下し,2のとおり原告の難民不認定処分取消請求,難民認定処分義務付け請求,裁決取消請求及び退令発付処分取消請求は理由があるからこれらを認容し,3のとおり原告の国家賠償請求は理由がないから,これを棄却することとし,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法64条本文,61条を適用して,主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第38部 裁判長裁判官谷口豊 裁判官平山馨 裁判官馬場潤 裁判官平山馨 裁判官馬場潤
▼ クリックして全文を表示