主文 一平成七年(ネ)第九九九号事件について 1 一審被告の控訴に基づき、原判決中個人一審原告らと一審被告に関する部分を取り消す。 2 個人一審原告らの請求をいずれも棄却する。 3 一審被告のその余の控訴を棄却する。 二平成七年(ネ)第一〇五〇号事件及び平成一二年(ネ)第五〇〇四号事件について 1 一審原告組合の控訴に基づき、原判決主文第一項を次のとおり変更する。 一審被告は、一審原告組合に対し、金二五〇万円及び内金二〇〇万円に対する昭和四九年六月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。 2 一審原告組合のその余の請求を棄却する。 3 個人一審原告らの各控訴及び附帯控訴をいずれも棄却する。 三訴訟費用は、第一、二審を通じ、個人一審原告らと一審被告との間では、一審被告に生じた費用の一九八分の一ずつを一審原告P1訴訟承継人P2及び同P3の、一審被告に生じた費用の九九分の一ずつを一審原告P1訴訟承継人P2及び同P3を除くその余の個人一審原告らの、その余を各自の負担とし、一審原告組合と一審被告との間では、一審原告組合に生じた費用の二分の一を一審原告組合の、その余及び一審被告に生じた費用は一審被告の負担とする。 四この判決は、第二項1に限り、仮に執行することができる。但し、一審被告において金二五〇万円の担保を供するときは、仮執行を免れることができる。 事実及び理由 第一章控訴及び附帯控訴の趣旨第一平成七年(ネ)第九九九号事件一原判決中一審被告敗訴部分を取り消す。 二一審原告らの請求をいずれも棄却する。 第二平成七年(ネ)第一〇五〇号事件一原判決を次のとおり変更する。 二一審被告は、一審原告組合に対し、金五五〇万円及び内金五〇〇万円に対する昭和四九年六月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を、個 年(ネ)第一〇五〇号事件一原判決を次のとおり変更する。 二一審被告は、一審原告組合に対し、金五五〇万円及び内金五〇〇万円に対する昭和四九年六月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を、個人一審原告ら(一審原告P1訴訟承継人P2及び同P3を除く。)に対し、右各一審原告に対応する原判決書I添付別紙債権目録「合計」欄記載の各金員及び右各金員から同目録「弁護士費用」欄記載の各金員を控除した金員に対する前同日から支払済みまで前同割合による金員を、各支払え。 三仮執行宣言第三平成一二年(ネ)第五〇〇四号事件一原判決中、一審原告P1訴訟承継人P2及び同P3敗訴部分を取り消す。 二一審被告は、一審原告P1訴訟承継人P2及び同P3に対し、各金一〇四万七二八六円及び内金九五万一七八六円に対する昭和四九年六月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。 三仮執行宣言第二章事案の概要第一本件は、個人一審原告らが、東京税関の職員であった昭和四〇年四月一日から昭和四九年三月三一日までの間(本件係争期間)に、東京税関長から、一審原告組合員であることを理由として、昇任、昇格及び昇給等について不当な差別扱いを受け、これにより財産的、精神的損害を被ったとして、国家賠償法(国賠法)一条一項に基づき、本件係争期間中に生じた右損害の賠償を求め、また、一審原告組合が、その組合員(「一審原告組合員」。一審原告組合に所属しない職員を「非組合員」という。)が右のような不当な差別扱いを受けたほか、東京税関当局の違法な支配介入等により団結権を侵害され、これにより無形の(非財産的)損害を被ったとして、国賠法一条一項に基づき、右損害の賠償を求めた事案である。なお、個人一審原告らは、財産的損害(原判決書I添付債権目録「差額賃金相当金」欄記載の金員)が認めら り無形の(非財産的)損害を被ったとして、国賠法一条一項に基づき、右損害の賠償を求めた事案である。なお、個人一審原告らは、財産的損害(原判決書I添付債権目録「差額賃金相当金」欄記載の金員)が認められない場合の予備的請求として、右「差額賃金相当金」欄記載の金員と同目録「慰謝料」欄記載の金員とを合算した同目録「予備的慰謝料」欄記載の慰謝料の支払を求めた。 原審は、個人一審原告らの、(一)財産的損害の賠償請求については、これをいずれも棄却し、(二)慰謝料請求中一部の者について、金三〇万円、金二〇万円及び金一○万円と各一割相当額の弁護士費用並びに慰謝料に対する遅延損害金の支払請求を認容し、(三)予備的請求については、これをいずれも棄却し、(四)一審原告組合の慰謝料請求については、金一一〇万円及び弁護士費用を除いた金員に対する遅延損害金の支払請求を認容した。 原判決について、(一)一審被告は、一審原告組合及び請求を認容された個人一審原告に対し控訴し、(二)個人一審原告らは、一審被告に対し控訴又は附帯控訴した(原審で請求を棄却された原審相原告P4及び同P5は、控訴しなかった。)。 当裁判所は、個人一審原告らの請求(一審原告P1訴訟承継人P2及び同P3の請求を含む。)については、予備的請求を含め、いずれも棄却すべきであり、一審原告組合の慰謝料請求については、慰謝料金二〇〇万円と弁護士費用金五〇万円の合計金二五〇万円及び右弁護士費用を除いた金二〇○万円に対する遅延損害金の支払を求める限度でこれを認容すべきものと判断した。 第二争いのない事実等、争点は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決書I「第二章事案の概要」の「第二争いのない事実等」及び「第三争点」に記載のとおりであるから、これを引用する。 一原判決書I三七頁三行目から同末行まで( 次のとおり付加、訂正するほかは、原判決書I「第二章事案の概要」の「第二争いのない事実等」及び「第三争点」に記載のとおりであるから、これを引用する。 一原判決書I三七頁三行目から同末行まで(第三争点三以下)を次のとおり改める。 「三東京税関当局の差別意思及び差別行為 1 差別意思東京税関会議議事録、大蔵省関税局会議資料によって差別意思の存在が認められるか。 2 差別行為大蔵省関税局ないし東京税関長によって一審原告ら主張の全税関ないし一審原告組合又は一審原告組合員に対する種々の差別行為が実行されたか。 四非違行為五損害 1 一審被告が、個人一審原告らに対し、国賠法一条一項に基づく損害賠償義務を負うか。一審被告が右損害賠償義務を負う場合、賠償すべき損害額はいくらか。 2 一審被告が、一審原告組合に対し、国賠法一条一項に基づく損害賠償義務を負うか。一審被告が右損害賠償義務を負う場合、賠償すべき損害額はいくらか。 六時効一審原告らの損害賠償請求権は、時効により消滅したか。」二一審原告P1は、原判決言渡し前の平成六年一月一二日死亡し、一審原告P1訴訟承継人P2及び同P3が、一審原告P1の権利義務を二分の一ずつ相続により承継した(争いがない。)。 第三章争点に対する当事者の主張第一争点に対する当事者の主張は、次に付加し、当審における主張を後に追加するほかは、原判決書I「第三章争点に対する当事者の主張」に記載のとおりであるから、これを引用する。 一同二二八頁六行目末尾の次に改行して次のとおり加える。 「 当局が意図的に一審原告組合への新入職員の加入を防ぐことを行った事実など全くない。 指導官が税関労の説明会への参加を勧誘した事実はない。仮に指導官が何らかの勧誘をしたとしても、それは、単に、税関労の説明会に関するも 原告組合への新入職員の加入を防ぐことを行った事実など全くない。 指導官が税関労の説明会への参加を勧誘した事実はない。仮に指導官が何らかの勧誘をしたとしても、それは、単に、税関労の説明会に関するもので、一審原告組合に対する差別的な対応があったとするものでもない。更に、右勧誘の趣旨についてみても、その指導官が税関労の組合員としての個人的な立場から勧誘し、あるいは、研修生が公務員倫理や服務規律についての理解力がほとんどない点に鑑み、職場の先輩としての個人的な立場から、非違行為を繰り返していた一審原告組合の活動を憂慮して、助言的な意味合いで声をかけたという可能性もまた十分にある。 新規採用者を対象とする基礎科研修は、優れた公務員、社会人としての基礎教育として、公務員の服務規律、基礎知識及び実務の入門知識を養うことを目的とし長期間行われるものであって、東京税関当局が指導官の個々的な行動についていちいち関与していた事実はない。 (3) 新入職員の配置昭和四二年五月一日に開催された東京税関部長会議資料(甲三四三の二)の中の新入職員の配置に関する記載は、すべて「第二案」の中に記載されていて、その第二案が会議で決定されたとの証拠はなく、更にそのような決定事項に基づいていかなる施策が実施されたのかの証拠すらない。したがって、右書証に基づいて、東京税関当局が、新入職員を一審原告組合員から隔離する対策をとる必要があるとの考えを持っていたと認定すべきでない。 更に、右書証には新職員の配置に関し「公務員倫理、服務規律の修得と税関の基本業務で理解が容易であることの理由により警務関係の職場に優先配置を計画している。」との記載も見えるが、これは、税関において海(監視部警務課)と空(羽田税関支署警務関係)の第一線にまず新職員を配置することを意味しているにすぎず 理由により警務関係の職場に優先配置を計画している。」との記載も見えるが、これは、税関において海(監視部警務課)と空(羽田税関支署警務関係)の第一線にまず新職員を配置することを意味しているにすぎず、極めて当然の措置であって何ら問題はない。また、仮に、公務員倫理、服務規律等に違反する活動を繰り返している職員がいたとすれば、一般的に新入職員は、公務員の倫理や服務規律等についての理解が十分でなくしかも他からの影響を受けやすいことから、税関の基本業務のほか「公務員の倫理、服務規律」を修得させるという見地からその配置に一定の配慮をするということには合理的な理由があり何ら不当なものではない。」二同二三六頁三行目末尾の次に改行して次のとおり加える。 「 東京税関当局は、サークル活動への補助金につき、いずれのサークルに対してもその活動に介入したことはなく、当然のことながら一審原告組合員に対し、排除、隔離等の差別をしたこともない。 東京税関当局は、定められた条件を満たしたサークルに対して、活動状況等を調査の上、その必要度、緊急度に応じ、予算の範囲内において、補助金の交付を行っていた。 したがって、「麦の会」及び油絵サークルのように、外部の者も加わったサークルが庁舎等の使用及び会計報告等において定められた手続を行わなかったとして、レクリエーションサークル部門委員会において調査、審議した結果援助を受けられなくなるということは当然あり得る。右サークル等には一審原告組合員以外の職員も参加しており、組合所属による差別などはない。 また、昭和四二年九月開催の東京税関幹部会議の議事録(甲三三六の四)に記載のある、「新職員の希望調査結果」等右会議出席者の発言内容は、昭和四〇年頃以降、国家公務員の能率向上、元気回復のために、レクリエーションについて整備体制が進 関幹部会議の議事録(甲三三六の四)に記載のある、「新職員の希望調査結果」等右会議出席者の発言内容は、昭和四〇年頃以降、国家公務員の能率向上、元気回復のために、レクリエーションについて整備体制が進められていたことを考えれば、仮に、あるサークルに公務員倫理、服務規律等に違反する活動を繰り返している職員がいるとすれば、一般的に新入職員は公務員の倫理や服務規律等についての理解が十分でなくしかも他からの影響を受けやすいことから、新入職員等の希望を考慮した発言と解される。右発言をもって東京税関当局が、一審原告組合員をレクリエーション活動から排除し孤立化する政策をとる意思を有していたと認定すべきでない。」三同二三七頁末行末尾の次に改行して次のとおり加える。 「 音楽隊には、年代によって、活発に活動していた時期と、極めて停滞していた時期があり、解散若しくは休止の時期があったとしてもそれは隊員ら自身に起因するものであって、東京税関当局の関与によるものでないのは明らかである。東京税関幹部会議議事録とされている甲三三六の四に記載されている「音楽隊は旧労分子の活動の場となってしまったので解散した。」との右発言が直ちに東京税関当局の何らかの解散決定をしたとか、その決定に基づき何らかの行為をしようとしたとかの認定につながるものではなく、単に右現象を報告したにすぎないとも受け取れる。そして、その発言内容そのものは、右実態とは大きく相違しているのであるから、解散に至ったのは、東京税関当局が、原告組合員が多く参加している音楽隊を嫌悪し、従来の活動の停止を余儀なくさせたと認定すべきでない。」四同二三八頁末行末尾の次に改行して次のとおり加える。 「 レクリーダーの任命に際しては、レク行事を円滑に運営するために、個人の能力、適性を見極め選考したもので、右制度の趣旨に 定すべきでない。」四同二三八頁末行末尾の次に改行して次のとおり加える。 「 レクリーダーの任命に際しては、レク行事を円滑に運営するために、個人の能力、適性を見極め選考したもので、右制度の趣旨に合致しない職員を選考しないのは、その性質の事柄からして当然のことであり、また、昭和四七年当時の一審原告組合員数は東京税関の職員総数の一割にも満たなかったのであるから、一審原告組合員が任命されなかったとしても格別不自然なものではない。したがって、一審原告組合員らが任命されなかったという一事をもって差別扱いしたと認定すべきでない。 レクリーダー制度は、各職場の長の推薦により税関長が任命し、人事異動により、各職場におけるレクリーダーの数に不均衡が生じた場合に、これを是正するために任免替えするものとされているところ、P6についても、昭和四七年三月及び同年七月の人事異動の結果生じた不均衡を調整するために実施されたレクリーダーの任免替えにより解任されたものにすぎず、この時、特に同人のみが解任されたわけではない。すなわち、同年九月一一日の任免替えの際、総計五六名のレクリーダーのうち同人を含め三三名が、また、同人が所属する羽田税関支署に限ってみれば二四名のうち同人を含め一七名の者が解任されているのである。同人は昭和四五年七月三日にレクリーダーに任命されてから二年余りを経過していたのであるから、同人が解任されたことは何ら不自然ではないのであって、同人が一審原告組合に加入したことと何ら関係のないことである。 また、昭和四二年八月一六日及び同年九月二七日開催の東京税関幹部会議の議事録(甲三三三の二及び三三六の二)は、証明力の希薄な文書であり、その内容をとらえて差別扱いを認定すべきでない。そして、右のような討議の結果がP6の例のみを対象としたものであるとすれば、 部会議の議事録(甲三三三の二及び三三六の二)は、証明力の希薄な文書であり、その内容をとらえて差別扱いを認定すべきでない。そして、右のような討議の結果がP6の例のみを対象としたものであるとすれば、一審原告らの主張からしても全くもって不徹底というほかはなく、このことからしても、右討議と実際のレクリーダーの任免とが直結しているとは考えられない。 以上から、レクリーダーの任免が、当該対象者の所属組合により左右される性質のものでないのは明らかであり、東京税関当局が一審原告組合員を組合員であることを理由にレクリーダーに任命しない差別扱いをした事実など全く存在しない。」第二当審における一審原告らの主張一 P7文書について 1 控訴審進行中、元大蔵省幹部職員のP7は、その実体験に基づき、大蔵省当局が行った全税関潰しの事実を記載した記事を雑誌に掲載した。 2 本件係争期間中、P7は、昭和三九年本関業務部徴収課長、昭和四〇年羽田税関支署業務第一課長、昭和四二年監視部警務課長、昭和四三年α出張所総務課長、昭和四五年大蔵省関税局企画課課長補佐、昭和四七年東京外郵出張所所長を歴任した。この間、P7は、管理職会議に出席して、そこで示される大蔵省や東京税関の組合潰しに関する方針をじかに耳にするとともに、職制として組合潰しを遂行した。また、その過程で、P7は、多数の現認書を作成した。 3 P7は、本件裁判のことを全く知らないまま、P7文書を発表したものであるが、P7文書を公表するにあたって、国家公務員法上の守秘義務違反により刑事罰を課される恐れを念頭においたものの、守秘義務に関する秘密とは実質的にも秘密として保護するに値するものに限るとの考えのもとに、敢えて発表した。このような敢えて危険を冒してまで公表された文書の内容が虚偽、作り話であろうはずがない。P7は今 義務に関する秘密とは実質的にも秘密として保護するに値するものに限るとの考えのもとに、敢えて発表した。このような敢えて危険を冒してまで公表された文書の内容が虚偽、作り話であろうはずがない。P7は今日に至っても、税関当局からの告発は受けていない。また、本件訴訟においても、一審被告からは何らP7文書の内容に対する反論がなされていない。 P7文書の内容は、体験に基づくもので真実性が認められるとともに、関税局及び東京税関当局の謀議文書により既に本裁判で明らかになった、関税局等の一審原告組合及びその所属職員に対する差別対策と符合するものであり、極めて信用性が高い。 4 P7文書の記載内容は、次のとおりである。 (一) 「官僚独裁体制の破綻」(甲一一四九)には、「組合を撲滅するためにはいかなる違法な手段も許されることが強調された。」「これは管理職の最大の職責であり、人事評価はこれでなされる。会議の大半は組合対策に費やされ、職員への工作資金は不正経理で無制限に使える。旧労職員の勤務評定は、これまで適用されることのなかった最低のCをつけよと指示される。」「自分の保身のため、何の罪も無い何人もの部下職員の役所人生の破壊に自ら手を貸したのである。」「組合員は、生きているのができなくなるくらいあらゆる差別で痛め付けろ、という当局の指導に従ったのだ。」「この違法な勤務評定の罪だけはその後、在職中犯し続けた。」と記載されている。 (二) 「大蔵省における労組つぶしの思い出」(甲一一五〇)には、「私はかって大蔵省の末端の出先課長をやっていた頃、職員の労働組合弾圧の嵐が吹き荒れ、上から『管理職は他の仕事をしなくともよい。全精力を傾け組合を潰すのが仕事だ』と常に言われていたのを思い出す。」「しかし、ことは非現業の官庁の中の官庁の官庁、大蔵省傘下の労務管理の秘密を私以外に 、上から『管理職は他の仕事をしなくともよい。全精力を傾け組合を潰すのが仕事だ』と常に言われていたのを思い出す。」「しかし、ことは非現業の官庁の中の官庁の官庁、大蔵省傘下の労務管理の秘密を私以外に語る人が無いと言われれば、世間の知る権利のためにも記憶を呼び起こして語らねばならない。」「東京税関に転勤しやがて課長になった頃から大蔵の組合壊滅大作戦は始まった。当局の言い分は『諸君の職場を共産党に支配させてよいのか』だった。」「管理職会議が頻繁に開かれて本省で訓練された管理職を中心に全税関つぶしと第二組合結成の方法が練られ実行された。委員長も執行委員も当局が選定した。受け入れるか辞退するかは役所での将来に影響することは当然の理解である。第一組合員に対して組合の脱退と第二組合への加入への説得も職制が行う。必要な工作費は無制限に出るよしだ。もちろん不正経理によって稔出される。」「管理職のすべての会議では各部、各課別に旧労(第一組合)脱退人数と新労加入人数が管理職の成績として発表される。成績優秀者が成功の秘訣を報告する。『これは戦争である。管理職たる者、通常の業務は何もしなくても良い。旧労を潰すことが仕事の全部と心得て貰いたい』と言われた。」「旧労組合員には一切の利益、便宜を図ってはならない。彼の業務上の提案、意見はどんなに良いものでも採用してはならない。親しく会ってもならない。研修、出張、一切の特典を与えてはならない。旧労に残る限り人生は絶望であることを自ら悟らしめよ、家族の働きかけが可能なら家族にも子供の将来に不利益であることを悟らせよ、などなどの指導が常になされた。」として、一審原告組合及びその所属職員に対する差別攻撃の事実を明らかにしている。一審被告は、関税当局主導のもとに税関一体となってこのような違法な人権侵害行為を行なっていたのであ 導が常になされた。」として、一審原告組合及びその所属職員に対する差別攻撃の事実を明らかにしている。一審被告は、関税当局主導のもとに税関一体となってこのような違法な人権侵害行為を行なっていたのである。更に、勤務評定についても、「勤務評定のつけ方では本省からの伝達事項があるとして、各部毎に管理職が集められ人事課長から説明がある。 『旧労組合員はすべてcとせよ』である。部下職員の上位一〇%位をa、下位一〇%位をc、残りがbとするのが標準とされており慣習的にcをつけることは無かったのが、にわかに旧労職員にはcをつけよとの指示である。」「人事課長は『単にcではない。彼らはcの下なのだ。』と指導し、旧労の公平審理請求や訴訟に備えて『平生から自ら又は信頼できる者を使って旧労職員の全行動を、電話の内容、交友、来客等々監視し、職務怠慢と思われる材料は克明に記録して評定に活用せよ』と言う。裁判所もその程度のものがあれば大蔵省を勝たしてくれるから安心してc評価をつけよ、である。」と記載されている。 (三) 「大蔵官僚を骨抜きにした角栄と組合潰し」(甲一一一五一)には、「まず当局の采配で第二組合(新労)が設立される。役員も当局が選び、大会出席にも当局の動員が掛かる。管理職のあらゆる会議では、管理職は通常の仕事はせず全力を挙げて職員の組合転向に当たれ、工作費は無制限に出す、旧労職員には研修・出張等一切の優遇措置を禁止する、仕事場の彼らの意見はどんなに良くても採用するな、旧労に残る限り人生絶望であることを悟らせよ、などを求める。」「労務関連会議が度々開かれ、各部・課毎の転向人数と構成比率が成績として発表される。はじめは批判的な管理職も自らの人事に直接影響することが分かると雪崩を打って組合抹殺の忠実な戦士に変身していく。」と記載されている。 5 P7文書に記載され 向人数と構成比率が成績として発表される。はじめは批判的な管理職も自らの人事に直接影響することが分かると雪崩を打って組合抹殺の忠実な戦士に変身していく。」と記載されている。 5 P7文書に記載された右4のとおりの記載内容により、東京税関当局が第二組合設立を予め画策したうえ、職制をして一審原告組合からの脱退と第二組合への加入の説得をさせたことが明らかとなり、一審原告組合の分裂が東京税関当局の主導によるものであるとの一審原告らの主張が裏付けられた。 二格差と差別との因果関係及び本件係争期間当時の個人一審原告らの勤務態度等について 1 格差と差別との因果関係について(一) 賃金差別は、本件のように訴訟において損害賠償として争われるほかに、複数組合の組合員間あるいは組合員と非組合員との間の差別的査定が不当労働行為に該当するとして労働委員会や行政訴訟において争われ、ここでは、いわゆる大量観察方式と呼ばれる判断手法がとられてきた。 大量観察方式とは、労働者側が、差別の外形的事実(格差の存在)と使用者の差別意思の存在(組合嫌悪、敵視政策、非組合員優遇政策等)を立証すれば、その賃金格差が使用者の差別的査定によって生じたものと一応推定し、使用者側で格差が労働者の能力、勤務実績の差異に基づく合理的なものであることを証明しない限り、不当労働行為の成立を認めるというものである。この判断手法は、最高裁昭和六一年一月二四日第二小法廷判決(労働判例四六七号六頁)において肯認され、また学説においても概ね支持されている。 こうした判断手法の適法性が広く認められてきたのは、労働者側には自らのまたは他との比較における勤務実績を証明する資料が無く、これらの資料は全て使用者が持っているという事情があり、差別される側に、差別される理由がないこと、あるいは自らが他の労働者(平 働者側には自らのまたは他との比較における勤務実績を証明する資料が無く、これらの資料は全て使用者が持っているという事情があり、差別される側に、差別される理由がないこと、あるいは自らが他の労働者(平均的労働者あるいは標準的労働者)と同等とかこれより劣っていないとかの立証を課すのは、事実上、不可能を強いることになって合理的でないという理由があったからである。 (二) 近時、東京電力事件における甲府地方裁判所平成五年一二月二二日判決(判例時報一四九一号三頁)、千葉地方裁判所平成六年五月二三日判決(判例時報一五〇七号五三頁)、横浜地方裁判所平成六年一一月一五日判決(労働判例六六七号二五頁)、中部電力事件における名古屋地方裁判所平成八年三月一三日判決(判例時報一五七九号三頁)において、このような大量観察方式の手法が採用された。 したがって、賃金格差の存在と差別的賃金政策の存在が認められれば、年功序列的賃金の運用実態の下において、格差は差別によってもたらされたものと推認し、使用者の側で、その者が、標準的に処遇されている他の大多数の同期同学歴入社者に比して、かけ離れて低位に評定されてもやむを得ないと認められる劣悪な勤務実態、能力、適性等であったことを具体的に立証したときに、右の推認が覆るものというべきである。 (三) これを本件についてみると、前記のとおり、一審原告組合員らと非組合員との間には著しい格差が存在するところ、謀議文書及びP7文書からして、東京税関当局の顕著な差別意思が存在し、かつ、それに基づく組織的、系統的、徹底的な差別政策が一審原告組合員に対して行われてきたことが明らかであるから、右格差は、東京税関当局による差別によってもたらされたものと推認すべきである。個人一審原告らに非違行為が存在するとしても、これをもってしては、右推認が覆るに足り 行われてきたことが明らかであるから、右格差は、東京税関当局による差別によってもたらされたものと推認すべきである。個人一審原告らに非違行為が存在するとしても、これをもってしては、右推認が覆るに足りない。個人一審原告らの非違行為は、標準者との賃金額との差額が差別賃金額として認定されたうえで、過失相殺又は割合的認定の資料となるに過ぎないと解すべきである。 2 本件係争期間当時の個人一審原告らの勤務態度等について(一) 一審被告は、控訴審になって個人一審原告らの勤務成績不良の事実を主張、立証し始め、個人一審原告四七名の勤務成績不良の事実を記載した供述録取書を提出した。 しかしながら、右供述録取書の内容は、いずれも作成日時から二〇年から三〇年前の本件係争期間における個人一審原告らの勤務ぶりに関する事柄であり、これらの作成者が実に二〇年から三〇年以上も前のわずか一、二年程度の間、自分の部下として勤務した者の勤務の状況につき記載しているものであり、内容的にも抽象的な記載にとどまる。 また、供述録取書作成に協力した供述者二三名の多くは、「刷新有志会」のメンバーとして一審原告組合潰しの先頭に立ってきた者であり、かつて自らが敵視してきた一審原告らに対する嫌悪感が、このような恣意的な文書の作成に協力させたものである。供述者全員は、すべて税関退職後、当局の斡旋により関連会社に再就職した者である。これらの者は、再就職先の世話という形で、税関退職後も税関当局から恩恵を受けているのであり、この恩恵に報いるために、積極的に一審被告の意図に沿うような供述録取書の作成に協力したものである。以上によれば、右供述録取書の信用性は、皆無である。 (二) 個人一審原告らには、勤務成績不良の事実はない。個人一審原告らに対する昇任、昇格及び昇給差別の理由は、あくまでも個人一審原 したものである。以上によれば、右供述録取書の信用性は、皆無である。 (二) 個人一審原告らには、勤務成績不良の事実はない。個人一審原告らに対する昇任、昇格及び昇給差別の理由は、あくまでも個人一審原告らが一審原告組合に所属していたことを理由とするのであって、一審被告の主張する勤務成績の不良は、これらの格差を合理化するための後付の理由に過ぎず、一審被告の立証によって、一審原告組合員らと非組合員との間の前記格差が東京税関当局による差別によってもたらされたとの推認が覆るものではない。 三研修差別について 1 昭和四〇年から昭和四四年までの間に普通科研修を受講した一審原告組合員三名のうち、一審原告P8は、昭和四〇年の組合分裂当時に一審原告組合を脱退し、昭和四八年に一審原告組合に復帰した者であるから、右研修受講時には一審原告組合員ではなかった。また、昭和三九年以前においては、東京税関の職員は、採用年次順に普通科研修を受講し、昭和三七年から昭和三九年までの間に昭和二八年以前採用の職員のほとんどが普通科研修を受講し終わっていたところ、昭和四〇年に普通科研修を受講した昭和二八年入関の一審原告P9は、受講未了であったので、右時点で普通科研修を受講したに過ぎない。したがって、結局のところ、昭和四一年に一審原告P10が普通科研修を受講したに過ぎないのである。 2 問題は、昭和四〇年から昭和四四年までの普通科研修の受講対象者であった昭和二九年入関者から昭和三六年入関者までの中で、わずかに一名を除いて一審原告組合員が普通科研修を受講できなかったことをもって、一審原告組合に所属することを理由とする差別と認めるか否かである。 一審被告は、昭和二九年入関者から昭和三六年入関者までの中で一審原告組合員の殆どが普通科研修を受講していない事態について「普通科研修は、研修施設 所属することを理由とする差別と認めるか否かである。 一審被告は、昭和二九年入関者から昭和三六年入関者までの中で一審原告組合員の殆どが普通科研修を受講していない事態について「普通科研修は、研修施設や研修人員に制限があるから、研修の対象となり得る職員がすべて同一時期に受講できるとは限らないものである。」と主張する。そこで、一審被告が発表した研修大綱によって、一審被告の普通科研修の計画を検討してみると、次のとおりである。 (一) 普通科研修の対象は、行政職(一)七等級及び八等級の職員で採用後五年以上の職員であるところ、既に昭和二八年入関者は昭和三九年までにほとんどがその受講を終えていたから、昭和四〇年から昭和四四年までの間に受講の対象となるのは、昭和二九年から昭和三九年入関者ということになる。東京税関の行政職(一)七等級及び八等級の職員のうち、昭和二九年から昭和三九年入関者の総数は、二九二名である。 (二) 一審被告の研修大綱によると、一回四〇名の年二回で年間八〇名は受講可能であり、五年間で四〇〇名が受講できる。これに対し、研修対象者は、右(一)のとおり、二九二名であるから、研修施設上の制約はない。また、普通科研修の内容は、法学等の基礎講義及び関税定率法や関税率表論など実務一般であり、講義形式で行われるから、講師の問題もなく、他に研修人員上の制約が生じることはない。したがって、一審被告の前記主張では、普通科研修を受けられなかった一審原告組合員のいることを全く説明できない。 (三) また、実績ベースで考えても、五年間で合計一〇七二名が普通科研修を受講しており、研修大綱によれば東京税関は全体の約二割を占めるから、約二一〇名前後が受講していたことになる。約二一〇名が受講したにもかかわらず、そのうち一審原告組合員が一名しかいないということは、一審 講しており、研修大綱によれば東京税関は全体の約二割を占めるから、約二一〇名前後が受講していたことになる。約二一〇名が受講したにもかかわらず、そのうち一審原告組合員が一名しかいないということは、一審原告組合員と非組合員の構成比率に鑑みれば極めて低い異常な数字といわなければならない。しかも、昭和四二年から昭和四四年までの三年間においては、一審原告組合員は誰一人受講できなかったのである。右期間は、普通科研修からの組合員の全面的排除が実際に起こっている。 3 また、一審原告組合員が受講できないことについて、一審被告は、普通科研修(中等科研修)の対象者は七、八等級であり、高校卒業して一○年前後で六等級に昇格するので、六等級に昇格した時点で普通科研修(中等科研修)の受講資格がなくなるからであると説明をしていた。 そうであるならば、前記のとおり、施設や人員に余裕があったというべきところ、昭和四五年時点で、六等級に昇格していない者が、三三年入関者で二名、三四年入関者で五名中五名、三五年入関者で八名中七名、三六年入関者で一一名中一一名いたのであるから、昭和四五年以降にどうして受講させなかったのか疑問である。 普通科研修が税関職員としての義務教育的内容の研修である以上、一審原告組合員だけを受講させない理由は全くない。受講できなかった者が同期入関者のうち一審原告組合員に集中していることは、組合所属による差別という以外にない。 神戸税関で、普通科研修の研修生の件について、「なお思想穏健な者を推せんされたく活動家はなるべく御遠慮下さるよう併せて申し添えます」と記載された文書が発見されているとおり、一審原告組合敵視、嫌悪意思の発現なのである。 4 普通科研修を受講すると、研修特昇という制度があり、その受講者のうち一割が特昇していた。したがって、普通科研修を受講 れた文書が発見されているとおり、一審原告組合敵視、嫌悪意思の発現なのである。 4 普通科研修を受講すると、研修特昇という制度があり、その受講者のうち一割が特昇していた。したがって、普通科研修を受講できないこととなると、研修特昇も得られない結果となる。また、制度上、普通科研修、中等科研修を受講しない者は高等科研修を受ける資格がないとされており、一審被告は、普通科研修、中等科研修を受講させないことによって、高等科研修を受ける道を断つ運用を行って、一審原告組合員に対し、不利益扱いをしたのである。 四大臣表彰について 1 一審原告P11は、東京税関羽田税関支署監視官付として勤務していた昭和四三年一月三〇日午後八時二五分、旅具検査場において、ベルギー人女性が特製下着に縫い込んでいた金の延板二四枚二四キログラム(時価一六八〇万円相当)を密輸入しようとした事件を摘発した。通常副監視官と組んで二人でパトロールを行っているところ、右摘発時は、副監視官が夕食をとるためパトロールを外れていて、一審原告P11が一人で判断して行動しなければならない状況にあり、本件事件の摘発は偏に一審原告P11によるものであった。一審原告P11は、当該女性がミニスカートでバックスキンのコート姿に似合わないカッターシューズを履き、若い女性の一人旅であったこと、ベイルートからマニラ経由の便であり、ここ数年男性の運び屋の摘発が相次いだことから女性の運び屋が登場する可能性があったこと等から不審を抱き、当該女性に近づくと避ける仕草をしたことから、確信をもって、申告物品の確認をし、申告するものはないとの確認をとって任意同行を求めたものである。事前情報等は一切なかった事案であった。当時、金塊密輸が再開されたところで、東京税関としてはその摘発は重点目標であり、最大組織のレバノンルートを摘発し いとの確認をとって任意同行を求めたものである。事前情報等は一切なかった事案であった。当時、金塊密輸が再開されたところで、東京税関としてはその摘発は重点目標であり、最大組織のレバノンルートを摘発したものであった。 右事件は、翌日の夕刊紙上で報道され、その後、別の新聞の特集記事として氏名入りで報じられた。 2 一審被告は、「密輸検挙者表彰については事件の難易性、危険性、処理の適切性、犯則の規模等を総合的に判断して行われるべきもので、事件の検挙をもって必ず表彰されなければならないものではない」と主張するが、東京税関の表彰準則を検討すれば明らかに大臣表彰に値するものであるといわなければならず、そうであるにもかかわらず、一審原告P11を表彰しなかったのは、組合所属を理由とする差別的運用のためである。 東京税関表彰内規(乙二二一五)一〇条によると、関税法違反事件の調査、検挙又は取締りについて顕著な功績のあったもの(略称、密輸検挙者表彰)については、その表彰の基準及び取扱いは、「監視取締業務に従事する税関職員等表彰準則の定めるところによる」とされ、右準則によれば、「卓越した注意力・推理力・着想又は科学的調査により困難な密輸等を検挙したもの」、「密輸等の検挙の際適切な措置により証このしゅう集・保全・犯人の逮捕又は、犯罪貨物若しくは船舶等の確保に顕著な功績のあったもの」等が表彰理由となっている。そして、「監視取締業務に従事する税関職員等表彰準則の運用内規」が細則を定め、「功績得点が四〇点以上であって、特に功績顕著と認めたものについては大臣表彰を上申するものとする。」と定める。 一審原告P11が摘発した事案を、右運用内規別表第一の「犯則検挙の功績得点基準表」によって判断すれば、特製下着に縫い込んでいた金の延べ板を発見したのであるから、「犯則事件の とする。」と定める。 一審原告P11が摘発した事案を、右運用内規別表第一の「犯則検挙の功績得点基準表」によって判断すれば、特製下着に縫い込んでいた金の延べ板を発見したのであるから、「犯則事件の難易性」の項目の例示区分にあげられている事例イの「巧妙に隠匿した場所等から犯則物件を摘発した場合」に該当し、その発見の経緯は、事前情報もなく当該女性の挙動に不振を抱いた注意力、機敏な対応等の行動力、コートと靴の不適合等の推理力、今度は女性が運び屋として登場するのではないかと直感が働いた判断力等いずれも非常に優れており、一五点を与えられてしかるべき事案である。また、措置の適切性についても、当該女性に声をかけた後、騒がれることも逃げられることもなく、速やかに事務室に同行したのであって、「事件の処理を円滑に行なった場合」に該当し、これもまた一〇点を与えられてしかるべきである。更に検挙成績は一件であるから一点が得点され、犯則の規模は金二四キログラム時価一六八〇万円相当の事案であったから、一〇点が得点される。また、調整点の事例としてあげられているハの特殊物件の金塊を発見した場合であるから一〇点までの点数が加算される。 したがって、右摘発事案は優に四〇点が得点されてしかるべき事案であり、事件の難易性、処理の適切性、犯則の規模等、総合的に判断して大臣表彰に値するものであった。 ところが、一審原告P11は、東京税関表彰内規四条が表彰日として定める昭和四三年一一月二八日の税関記念日に、大臣表彰を受けなかった。 3 税関会議議事録によると、昭和四三年四月二日に開催された幹部会議議事録(甲三五一の一、二)において、「本件は二月上旬に本省に上申していたのに今日まで伸ばしていたため勤勉手当の受領拒否の問題がからんできたのだが、表彰せざるを得ないのではないか。」との た幹部会議議事録(甲三五一の一、二)において、「本件は二月上旬に本省に上申していたのに今日まで伸ばしていたため勤勉手当の受領拒否の問題がからんできたのだが、表彰せざるを得ないのではないか。」との発言がなされていることから認められるように、実際、同年二月上旬に本省に上申されていた。 右同日の議題「大臣表彰について」の対象にされたのが一審原告P11であることは、右議事録に「当人は勤勉手当の受領を拒否しているそうだが」の発言があることから明らかである。即ち、同年三月一五日の勤勉手当について、一審原告組合員一七名が減額支給されたことに対し、一審原告組合は、理由をはっきりして欲しいということと、減額された分を元に戻して支給をして欲しいということで、減額された本人一七名と執行委員らが勤勉手当の受給の保留行動を行った。当時、一審原告P11は執行委員であったので、右受給保留に参加した。当時、受給に関係した人で、密輸の摘発事件で大臣表彰に値するような事件で、羽田の旅具に在籍した職員は一審原告P11だけであった。 また、前年にP12が大臣表彰を受けているが、P12が摘発した延べ板は、男性の運び屋によるもので、二七枚、二七キログラムであり、犯則の規模等はほぼ同じであったことからも、一審原告P11の事案は、大臣表彰に値するというべきである。 右幹部会議議事録には、「表彰の対象が事実行為のみかそれとも行為者の人格まで入るのか(表彰規程に定めるものの意義が者と解釈するか広義のものと解釈するか)この点問題になっている。」(総務部長)との発言があり、また、「永年勤続者の表彰においても実際上は成績の優劣で表彰の該否を決めていない。今後この点、大蔵省職員の模範となっているかどうかを基準にするのであれば本件も表彰の対象から除外しても筋が通るが、この点問題だと思う。」 の表彰においても実際上は成績の優劣で表彰の該否を決めていない。今後この点、大蔵省職員の模範となっているかどうかを基準にするのであれば本件も表彰の対象から除外しても筋が通るが、この点問題だと思う。」との総務部次長発言、「規定条文の解釈では行為者が模範となるものであるより行為そのものが、存在すればよいと読める。」との監視部長発言、「本省の表彰が、行為者の日常の行為が模範に足るものであることを基準にして該当者を選定していない限り当関だけが基準を異にすることは問題を残すだろう」との税関長発言、更に、「腹では旧労職員を表彰したくないが、永年勤続者表彰の場合は永年勤続の事実が充足すれば表彰しているから、本件だけを除外することは筋が通らぬだろう。」との税関長発言があり、これら前後の文脈を通じて、勤勉手当の受領拒杏をしている一審原告P11に対し、表彰の対象を事実行為だけとするならば表彰せざるを得ないが、どうするかを議論している。 また、既に主張したとおり(原判決一五八頁一行目から同一五九頁一〇行目まで)、昭和四三年七月一七日に開催された東京税関幹部会議(甲三五二、三五三の一)において、運用内規を改正してまで、一審原告組合員の表彰を阻止しようとした。 したがって、こうした会議を経て、一審原告P11が前記摘発事件について大臣表彰を受けなかったという結果が生じたのは、東京税関の一審原告組合員に対する差別意思が発現したというしかない。 4 一審原告P11は、右税関記念日に団体表彰を受けたが、そのことは、一審原告P11が前記事件において大臣表彰を受けられなかったことの理由にならない。 同日、一審原告P11と一緒に大臣表彰を受けたP13が、別件で税関長表彰を受けていることから明らかである。 東京税関では、大臣表彰でも個人と団体では処遇に差を設け、個人の大臣表彰 の理由にならない。 同日、一審原告P11と一緒に大臣表彰を受けたP13が、別件で税関長表彰を受けていることから明らかである。 東京税関では、大臣表彰でも個人と団体では処遇に差を設け、個人の大臣表彰を受けた者は、当時必ず特別昇給していたが、団体表彰ではそのような扱いはなかった。個人の大臣表彰が特昇となるのは、昭和四二年に個人の大臣表彰を受けたP14、P15、P12の三名が、それぞれ翌年七月に特昇していることから明らかである。 東京税関当局が一審原告P11を個人の大臣表彰から排除したのは、個人の大臣表彰につき特別昇給させることを要するので、これを避けたものである。 五職場配置について 1 昭和四五年以降、一審原告組合員も役付き職員に昇任することになるが、昭和四五年から昭和四九年までの五年間について、昭和二四年高卒入関者から昭和三二年初級職入関者までの各同期入関者毎に、その役職者、部下職員数を調査した。これによると、非組合員の部下ありポスト比率は、年度合計でみると、最低でも六一パーセント、最高は七三・八パーセントであり、三人に二人は部下がいることになる。これに対し、一審原告組合員の部下ありポスト比率はゼロ・パーセントで、一人も部下のいるものはいなかった。 右数字から判断すれば、一審原告組合と税関労との間には、部下の有無について著しい不均衡があり、この不均衡は適材適所によるとするには限度を越えた数字といわざるを得ず、東京税関当局により一審原告組合員を一般の職員と隔離するために差別的取扱いが行われたのである。 2 一審被告は、既に導入されていた専門官制を悪用して、一審原告組合員には部下をつけない方針を実行し、職場での役割の増大を阻止するだけでなく、勤務評定の第一次評定者にはしないという確固とした方針を持っていた。一審原告組合員は部下をつけら 制を悪用して、一審原告組合員には部下をつけない方針を実行し、職場での役割の増大を阻止するだけでなく、勤務評定の第一次評定者にはしないという確固とした方針を持っていた。一審原告組合員は部下をつけられないことにより、後輩への知識、経験の伝授、指導の機会を奪われ、非組合員と自由に接触する機会を阻まれ続け、自由な人間関係を形成する自由を奪われた。勤務時間後に非組合員と接触する機会を設けることも阻まれ、一審原告組合の組織拡大の道も閉ざされるという状況が続いた。 六特別派出所勤務について 1 全税関の弱体化を企図した東京税関当局は、一審原告組合員を一般職員から隔離するために、意図的に派出所勤務に配置し、とりわけ、分会・支部役員や全税関労組への加入を決意した組合員への報復として人事権を濫用し、集中的、長期的に特別派出所勤務に配置した。 一審原告組合員が税関官署から地理的に離れ、他の税関職員との日常的な接触が稀薄となる派出所勤務になることは一審原告組合にとっては大きな痛手である反面、一審原告組合の弱体化を狙う当局にとっては有効な手段であった。 一審被告は、「東京税関本関及び本関出張所の管轄する派出先は、ほとんどが、港区、品川区、中央区、江東区等都区内に集中しており、都区外等の遠隔地は少なかった。」と主張する。しかし、都区内にあるから遠隔地ではないとはいえないし、税関官署、出張所等から場所的に離れているため、他の税関職員との日常的な接触は図りにくいとの趣旨である。 2 一審原告P16が昭和四二年頃β出張所で、同P17が同年頃γ出張所で、同P18が同年頃β出張所でそれぞれ他の職員と一緒に勤務したことは認める。しかしながら、これは、当局の合理化方針により、いずれも特派制を止めて出張所内に派出職員を集めてパトロール制に変更されたことによるものであり、右一審 所でそれぞれ他の職員と一緒に勤務したことは認める。しかしながら、これは、当局の合理化方針により、いずれも特派制を止めて出張所内に派出職員を集めてパトロール制に変更されたことによるものであり、右一審原告らが他の職員と一緒に勤務したのも、いずれも約一年間に過ぎなかった。 七昭和三八年度高卒入関者及び昭和三九年度高卒入関者について 1 本件差別は、大蔵省関税局及び東京税関が一審原告組合員に対する嫌悪、差別の意思に基づき、昇任、昇格についての差別基準を設定し、もっぱらこの差別基準を維持するための労務政策をとってきた結果である。本件係争期間の前後を通じて歴史的かつ総体的にこれを見れば、本件係争期間中における右各年度の一審原告らの処遇が明らかな差別であることは明白である。 三八年入関の一審原告らは一九名であるが、昇任等実態表によれば、本件係争期間終了時において、一審原告は大部分が七等級六号棒であるが、非組合員で七等級六号俸にいた者は四名(全体は三六名)にしかすぎず、しかもそのうち二名は入関時期が約半年遅い。他の圧倒的多数の者と差が生じており、しかもこれは差別基準の実施の結果生じたのであるから、明らかな格差が存在するといわねばならない。 現に、本件係争期間後、格差が拡大していき、同期同資格入関者の最も号棒の低い者との比較でも格差が生じている。 三九年入関の一審原告らについても同様である。同年入関の一審原告らは一六名であるが、原判決は、右一六名のうち、一審原告P19(昭和四九年一月に特昇を受けた。)と同P20(昭和四一年に中級号棒の決定を受けた。)を除くその余の一四名につき、同期同資格入関者のうち号棒の低い職員と同等の査定を受けたが、その査定は非組合員についてはその約三割にすぎないと認定する。このような査定は、差別基準を適用した結果生じものであり、そ の一四名につき、同期同資格入関者のうち号棒の低い職員と同等の査定を受けたが、その査定は非組合員についてはその約三割にすぎないと認定する。このような査定は、差別基準を適用した結果生じものであり、その後継続した差別の一部をなすものであるから、格差が存在するといわなければならない。 2 昭和三八年度高卒入関の一審原告らに対する差別の実情(一) 概況昇任等実態表によると、同期同資格入関者は五七名、うち一審原告組合員は二〇名(但し、P21は、入関資格が異なり、脱退の後加盟し、再び脱退した。P22は、脱退した。)であり、一審原告は一九名(うち女性三名)である。同期同資格の入関者のうち約三割が全税関組合員であり、グループ間の比較が容易に出来る。 ただ本件係争期間の終わりまでに入関後一一年しか経過していないため、入関年次の古い者と比べて差別が顕著ではない。しかし本件係争期間中においても既に差別が顕在化していた。また、本件係争期間後は、昇任、昇格及び昇給の全てにわたって差別が著しくなって行った。したがって、その後の状況をみることが重要である。 (二) 昇格の差別昭和四九年一月までに六等級に昇格したのは非組合員だけで、その数は二八名、七等級にとどまった者は一審原告組合員二〇名全員と非組合員七名である(前記五七名から入関資格が異なるP21を除き、更に本省へ転勤になったP23を除く五五名で比較する)。六等級に昇格しなかった非組合員七名のうち三名(P24、P25、P26)は、入関時期が六か月以上遅れている。 その後の六等級昇格の推移をみると、昭和四九年一二月までに六等級に昇格した者は、非組合員が一名(P27)であり、その後、非組合員が順次昇格し、一審原告らは、その後これらに遅れて昇格した。 更に旧四等級(現六級)の昇格状況をみると、非組合員については昭 に六等級に昇格した者は、非組合員が一名(P27)であり、その後、非組合員が順次昇格し、一審原告らは、その後これらに遅れて昇格した。 更に旧四等級(現六級)の昇格状況をみると、非組合員については昭和五八年から昇格し五九年までに過半数が昇格を終わる。一審原告組合員は、昭和六一年に非組合員の第四選抜に重ねて二名が昇格し、翌年に八名が昇格、以後順次昇格している。このように本件係争期間中に顕在化した昇格差別は、その後拡大し顕著になって行った。 (三) 昇任の差別同期同資格入関者には、本件係争期間中には初級管理者に昇任する者はいなかった。 しかし、昭和五〇年から昭和五二年までに、非組合員は、全員が初級管理者に昇任した。他方一審原告組合員は、昭和五三年に六名、同五四年に九名、同五五年に二名(うち女性一名)、同五六年に二名(女性)が昇任した。このように明らかに二つのグループを差別した昇任がなされている。一審原告が最終準備書面に添付した「昭和三八年高卒入関者昇任・昇格状況」一覧表では、P28(一審原告番号五一。その後取下)を同期入関として扱っている。同人は中学卒業、行政職(二)として採用され、その後行政職(一)と切換った。同人は、昭和五二年二月に本件訴えを取り下げ、その頃全税関を脱退し、昭和五三年には、第二組合員より遅れ、一審原告らとともに初級管理者に昇任したが、その後は、一審原告組合員らに大きな差をつけて順調に昇任、昇格し、平成三年には統括官(課長)に昇任した。三八年高卒入関の一審原告組合員で統括官に昇任した者は現在まで一人もいない。右の平成三年には、一審原告のうち昭和二八年入関の一審原告P29が統括官に昇任している。同一審原告からすれば実に一〇年後輩と一緒に統括官に昇任したわけである。 次に、初級管理者の主任から係長への昇任に要した在籍年 、一審原告のうち昭和二八年入関の一審原告P29が統括官に昇任している。同一審原告からすれば実に一〇年後輩と一緒に統括官に昇任したわけである。 次に、初級管理者の主任から係長への昇任に要した在籍年数をみると、非組合員の場合、在籍一年で係長に昇任する例が主流であるが、一審原告組合員の場合、在籍二年が最も多い。上席官昇任についてみると、非組合員は昭和五八年に二名、昭和五九年に一名、昭和六一年に一五名が昇任し、平成二年までにP30を除き全員が昇任した。これに対し、一審原告組合員の場合は、平成四年に八名、平成五年に六名(うち二名は女性)、平成六年に一名である。いかにひどい昇任差別かは一目瞭然である。 統括官の昇任をみると差別は更に歴然たるものがある。一審原告組合員で昇任した者がゼロであるのに対し、非組合員で未昇任者は、二名のみであり、他は平成三年と平成四年で過半が昇任を終えている。 (四) 特昇の差別本件係争期間中に限ってみても、特昇差別は著しく、一審原告組合員二〇名のうち特昇した者は皆無である。非組合員三六名のうち特昇しなかった者が六名いるが、他は一回以上の特昇をしている。但し右六名のうち二名は昭和四九年七月に特昇している。これは全税関に対する極端な特昇差別の一環である。 (五) その他以上のほかに、P31は、一審原告組合青年部事務局長等を歴任し、組合分裂後も活動し、現認報告書にも再三スミを塗られて登場する人物であるが、全税関を昭和四三年頃脱退するや、昭和四五年に特昇二回、昭和四七年に特昇一回、昭和四八年に六等級昇格、昭和五一年に初級管理者昇任(第二組合で第二選抜)、昭和五八年にはトップグループで六級(旧四等級)昇格を果たし、上席官昇任、統括官昇任もトップグループであった。 また、第二組合の役員を経験した者は厚遇され、一審原告組合役 任(第二組合で第二選抜)、昭和五八年にはトップグループで六級(旧四等級)昇格を果たし、上席官昇任、統括官昇任もトップグループであった。 また、第二組合の役員を経験した者は厚遇され、一審原告組合役員経験者は冷遇されている。P32は、昭和六三年と平成元年に第二組合の役員専従となったが、平成二年に復帰するやいなや平成三年には統括官に昇任し、平成七年現在、事務管理室長で次長待遇となっている。他方、一審原告組合の場合、専従経験者の一審原告P33、同P34、同P35、同P36は、昇任、昇格において組合員中でも最も遅くなっている。 3 昭和三九年高卒入関の一審原告らに対する差別の実情(一) 概況昇任等実態表によると、同期同資格入関者は五七名、うち一審原告組合員は一八名である。なお、一審原告のうちP20は、昭和四一年に中級職試験合格による号俸調整を受けている。また、非組合員P37も同様である。 (二) 昇格の差別昭和四九年一月までに六等級に昇格した者はいない。しかしその後の六等級昇格は一審原告組合と第二組合とで明らかな差別がつけられている。また、現六級(旧四等級)昇格では、第二組合員は、昭和五九年から昭和六二年の四年間で全員が昇格したが、一審原告組合員は、昭和六二年に第二組合の最終選抜組に重ねて二名が昇格し、以後、平成三年まで五年に分けられて昇格した。二つのグループ間の差別は顕著である。 (三) 昇任の差別本件係争期間中に初級管理者に昇任した者はいなかった。しかしその後の初級管理者の昇任をみると、第二組合員は、昭和五二年、昭和五三年で約八五パーセントが昇任し、昭和五四年に残った六名が昇任した。一審原告組合員は、昭和五四年に右の第二組合の六名と重ねられて二名が初めて昇任し、昭和五五年に一五名が、昭和五六年に一名が昇任した。明白な組合間差別 ントが昇任し、昭和五四年に残った六名が昇任した。一審原告組合員は、昭和五四年に右の第二組合の六名と重ねられて二名が初めて昇任し、昭和五五年に一五名が、昭和五六年に一名が昇任した。明白な組合間差別が見て取れる。 上席官昇任についてみると、第二組合員は昭和六二年から平成二年までに、一名(P38)を除く全員が昇任を終えた。P38は、勤務時間内のマージャン賭博をした件が発覚し、処分された人物の一人であるが、同人は同期の最後として平成三年に上席官に昇任した。一審原告組合員は、このP38と同じ年に同期のトップとして三名が上席官に昇任し、以後、平成四年、平成五年でほぼ全員が昇任した。勤務時間中のマージャン賭博の当事者と同等かそれより一年ないし二年も遅らされての昇任である。 更に、統括官昇任については、第二組合員は平成元年から平成七年にかけて一名(P39)を除く他の全員が昇任した(右のP38も平成七年に昇任)が、一審原告組合員で昇任したものはいない。 (四) 特昇の差別本件係争期間中、第二組合員は二八名が特昇を受けた。他方、一審原告組合員は二名である。一審原告組合員P40は、昭和四七年に特昇したが、当時は非組合員であり、同人はその後に全税関に加入した。なお、本件係争期間中に特昇しなかった第二組合員は一一名いる(うち女性一名)が、そのうち六名が本訴提起直後の昭和四九年七月に特昇している。 右の特昇差別の結果、昭和四九年一月時点で、一審原告組合員は三名を除き七等級五号俸であった。右三名のうちP20は、前述のように中級号俸調整になったもの、P40は非組合員当時に特昇したものである。他方、第二組合員は、一二名(うち一名は半年遅れの入関、一名は女性、一名(P154)は一審原告組合員当時、組合活動を理由に訓告処分を受け、昇給を延伸されている。)が七等級 員当時に特昇したものである。他方、第二組合員は、一二名(うち一名は半年遅れの入関、一名は女性、一名(P154)は一審原告組合員当時、組合活動を理由に訓告処分を受け、昇給を延伸されている。)が七等級五号俸で、その余の二七名が同級六号俸以上であった。そして以後、特昇差別、昇任、昇格差別が拡大して行くに伴い号俸の格差は拡大して行ったのである。 第三当審における一審被告の主張一 P7文書について 1 P7文書の記述内容をみると、具体的事実に基づかない伝聞、憶測あるいは独自の感想、意見が混在している。 例えば、「私が挙げた当局の不当労働行為の責任者は何の咎めもなく昇進したが、労働側は些細な行為で何十万人が処分され、甚しい差別を受けたままである。」などの記述に見られるように、殊更に誇張した記述もなされている。特に、「何十万人が処分され」との部分については、全国の税関職員数が現在でも約八〇〇〇名しかいないことからみて到底あり得ないことであり、誇張も甚だしい。 P7文書全体の記述は、P7独特の価値観ないし立脚点に基づくものであって、その真実性、信用性に乏しい。 2 また、P7文書中には、種々の事柄について当局の指示がなされたなどとの記述があるが、これらはいずれも日時や場所、当事者、内容等の具体的事実が明らかにされておらず、客観的裏付けも欠けており、そのような事実が真実存在したか極めて疑わしい。 却って、右文書中には、以下のとおり、一審原告らの主張からしても明らかに実態に反するものがある。 例えば、右文書には、「旧労組合員には一切の利益、便宜を図ってはならない、彼の業務上の提案、意見はどんな良いものでも採用してはならない、研修、出張、一切の特典を与えてはならない、などなどの指導が常になされた。」との記述がある。 しかし、例えば、研修については、 ない、彼の業務上の提案、意見はどんな良いものでも採用してはならない、研修、出張、一切の特典を与えてはならない、などなどの指導が常になされた。」との記述がある。 しかし、例えば、研修については、甲二〇五によっても、一審原告組合員らも各種の研修を現に受講していることが明らかである。 また、個人一審原告らの中には、密輸検挙による表彰を受彰したり、業務上の提案を提出し当局により採用された者がいる。 したがって、右記述は、P7の実体験に基づいたものではなく、伝聞ないしは偏見や悪意による憶測とみるべきものである。 以上のような記述は文書中に随所に見られるのであり、このような論調あるいは内容からすれば、そもそもP7文書は、記述内容全体の真実性が疑わしく、証拠としての信用性に疑問がある。 3 一審原告らは、組合分裂や脱退勧奨の根拠として、P7文書中の記述を挙げる。しかし、右各記述は、客観的裏付けのない伝聞、偏見や悪意による憶測であったり、明らかに実態に反したりするものであり、一審原告らの主張の根拠とはなり得ないものである。 4 一審原告らは、職制らが脱退勧奨に用いた言葉を、「全税関にいると損をする。特昇もできないし、役付きにもなれない。宿舎の入居もできないし、異動の希望も実現しにくい。超勤も少ない。早くしないとバスに乗り遅れる。今のうちならまだ間に合う。君の将来を思って言うのだ。すぐ全税関を脱退して、第二組合に入ったほうがよい。合言葉はバスに乗り遅れるなであった」と集約した上で、この文言がP7文書中の「旧労に残る限り人生絶望であることを悟らせよ」との下りに一致すると主張する。 しかしながら、P7文書中の右記述は、前述のとおり、そもそも真実性が疑わしく、また、右脱退勧奨に用いた言葉なるものにしても、以下のとおり、実態に反するものであって、これら に一致すると主張する。 しかしながら、P7文書中の右記述は、前述のとおり、そもそも真実性が疑わしく、また、右脱退勧奨に用いた言葉なるものにしても、以下のとおり、実態に反するものであって、これらの言葉が脱退勧奨に用いられたとは到底考えられない。 すなわち、特別昇給や役付き昇任については、一審原告組合員らも係争期間中に現に特別昇給をし、役付きに昇任しているのであって、実態に反する。また、宿舎の入居についても、時期が多少遅れたことがあったとしても、結局一審原告組合員らも現に宿舎に入居しているのであるから、この点も実態に反する。 5 一審原告らは、P7文書により、原告組合の分裂が東京税関当局の主導によるものであるとの一審原告らの主張が裏付けられた旨主張する。しかしながら、一審原告組合の分裂や右第二組合の設立に当局が関与したことはない。委員長や執行委員の選定についても、当局が関与できるものではなく、職制の組合費未納や職制による脱退等の説得についても当局が関与した事実はない。 二本件係争期間当時の個人一審原告らの勤務態度等について 1 出勤状況(一) 遅刻個人一審原告らの当時の上司から録取した供述録取書、陳述書及び当時の上司の当審における証言によれば、個人一審原告らの中には、事前連絡をすることなくたびたび遅刻したり、出勤当日の朝に突発的に休暇の申請を行った者がおり、また、それらによって税関業務に具体的に支障が生じたものもあった。 なお、遅刻とは、定められた就労時刻に遅れて出勤することであり、労働法上は労働契約上の債務の不履行に当たる。そして、遅刻は、一般に、職場の規律を弛緩させ、職場秩序を乱すとともに、遅刻者の業務を代替するための業務の割り替えなどによって少なからず業務が阻害されることにもなる。したがって、遅刻を多数回繰り返す者の勤務成 は、一般に、職場の規律を弛緩させ、職場秩序を乱すとともに、遅刻者の業務を代替するための業務の割り替えなどによって少なからず業務が阻害されることにもなる。したがって、遅刻を多数回繰り返す者の勤務成績は、これがない者の場合と比較して相対的に低下するばかりか、責任感、勤勉さ等に欠けると評価されるのは当然といえる。 ところで、東京税関においては、係争期間中、職員が遅刻した場合であっても、直前にあるいは事後にでも電話等で連絡があったものについては年次休暇として処理していた。このような場合、仮に使用者が時季変更権を行使したとしても、連絡が直前であったり、事後である場合には、当該職員が出勤するまでの間は就労を求めることは不可能となり、業務の遂行に支障が生ずるおそれがあるので、このような直前の連絡は、年次休暇の申請として相当ではない(人規一五-六参照)。それにもかかわらず、このような処理をしたのは、遅刻によって給与が一部カットされて職員の生活に支障が生じたり、経歴に傷がつくことをできるだけ避けたいとの配慮によるものである。 しかしながら、このように年次休暇として処理されたとしても、前述のとおり、遅刻による職場秩序の混乱や業務の阻害という職場への悪影響が存在する以上、遅刻を多数回繰り返す者の勤務態度の評価がこれがない者の場合と比較して相対的に低下するのは明らかであって、右休暇処理とは次元が異なるものである。 (二) 欠勤一審原告P41は、所属長の休暇の承認を予め得ることなく一日出勤せず、所属長から厳重注意を受けた。また、一審原告P42も所属長の休暇の承認を予め得ることなく、計三回、延べ一一日間にわたり出勤せず勤務を欠き、そのため税関長からの訓告及び所属長からの厳重注意を受けた。 (三) 病気休暇個人一審原告らにおいては、本件係争期間中、一か月以 予め得ることなく、計三回、延べ一一日間にわたり出勤せず勤務を欠き、そのため税関長からの訓告及び所属長からの厳重注意を受けた。 (三) 病気休暇個人一審原告らにおいては、本件係争期間中、一か月以上継続した長期の病気休暇を取得した者が多数存在する(一審原告番号二、五、一七、二二、三一、三二、三八、四三、五〇、五六、七〇、八四、九四、九七)。その中には、当該病気休暇により勤務しなかった日数が一定期間以上であったことから、法令により普通昇給が延伸となった者もいる(一審原告番号一七、二二、五〇、五六、七〇、九四)。なお、当該個人一審原告らにおいては、その理由となった負傷又は疾病の治療のため日単位又は時間単位の病気休暇を多数取得していることが一般的な傾向として認められる。 なお、病気休暇とは、職員が負傷又は疾病のため療養する必要があり、その勤務しないことがやむを得ないと認められる場合における休暇であり、労働法上は労働契約上の債務の履行不能ということができる。 昇給についての勤務成績の判定の基礎となる期間中に、一定期間以上病気休暇等で勤務を欠く職員については、勤務成績に関する他の要素がいかに優秀であると評価されたとしても、特別昇給を受けることができないばかりでなく、普通昇給が延伸となる(人規九-八第三四条及び三八条)。 また、負傷又は疾病自体は責められるものではないが、普通昇給の延伸にまでは至らなかった場合でも、任命権者が一定の定数枠の中で昇任、昇格、特別昇給させるべき職員を選考するに当たって、病気休暇がない者の場合と比較して、病気休暇で長期間にわたり、あるいは、しばしば勤務を欠いたということから勤務成績、能力、適性等を相対的に低く評価することもあり得る。更に、重要な地位にある者が病気がちで病気休暇を繰り返すようでは、業務に著しい支障が生じ たり、あるいは、しばしば勤務を欠いたということから勤務成績、能力、適性等を相対的に低く評価することもあり得る。更に、重要な地位にある者が病気がちで病気休暇を繰り返すようでは、業務に著しい支障が生じることから、より重要な職務への昇任の適性(適格性)に疑問があると評価するのもやむを得ない。したがって、長期間にわたり病気休暇をとり、あるいは、多数回病気休暇を繰り返して取得する職員について、そのことが評価の一要素として考慮され、重要な地位への昇任は健康の回復を待ってから行うなどの配慮も十分にあり得るところであり、その結果、昇任が遅れることもやむを得ないというべきである。 (四) 以上のように、係争期間中における個人一審原告らの中には、出勤状況という観点からも到底良好といえる状況ではなかった者が多かったのである。 2 執務態度個人一審原告らには、勤務時間中に組合の要求事項を記載したリボン等を着用して職務専念義務に違反し、また、これに対する上司の取外し注意や命令を無視し、あるいは、組合活動が職務に優先するかのような発言をして反抗し、継続してリボン等を着用して執務した事実が多数存在した。 また、勤務時間中であるにもかかわらず、職場を離脱して上司等への抗議行為を行い、それにより勤務を欠いた事実もまた多数存在した。 更に、個人一審原告らは、総じて職務に対する責任感、積極性、研究心等に欠け、上司や同僚に対して協調的でなく、自己中心的な事務処理を行い、職務に関する上司の命令に反抗し、執務中に、上司に無断で離席したり、他の職員との雑談や私用電話をすることが数多くあり、税関制服の着用がだらしなかった。そして、当時の上司は、それらの事実から、当該個人一審原告らに対して低い評価をせざるを得なかった。 以上のように、係争期間中における個人一審原告らの中には、右の あり、税関制服の着用がだらしなかった。そして、当時の上司は、それらの事実から、当該個人一審原告らに対して低い評価をせざるを得なかった。 以上のように、係争期間中における個人一審原告らの中には、右のような執務態度という観点からも国家公務員として全くふさわしくない者が多かった。 3 一審被告の反証について一審被告は、個人一審原告らの勤務態度等について、供述録取書や証人で反証してきた。一審被告がした反証の評価に当たっては、次の点が留意されるべきである。 (一) 一審被告が反証した個人一審原告らの勤務態度等は、これに係る個人一審原告らにつき右反証に係る期間に関してはいずれも他の職員と比較して劣っていたことを明らかにするものであり、昇任、昇格及び昇給について劣位におかれたとしても不合理でないことを証明している。このことは、すべての個人一審原告らの昇任、昇格及び昇給について、一審原告組合所属を唯一の理由として劣位におかれたものではないことを推認する根拠となる。 (二) 右個人一審原告らの勤務態度等は、当該個人一審原告らの遵法意識又は勤務に対する意識の低さ等を反映したものである。これらの意識は個人一審原告らの基本的な考え方に基づくものであるから、その時期のみに見られる勤務態度等ではなく、当該個人一審原告の係争期間全期間の勤務態度等に現れるものであると推認できる。 (三) 右個人一審原告らの勤務態度等には、税関運営の基本方針及びこれに基づく具体的施策の実行に対する意見、それに対する異の唱え方等に関する一定の傾向が認められ、しかも、その傾向は、一審原告組合の活動方針と符合し、このことは、供述録取書及び証人によってその勤務態度等について立証できなかった個人一審原告らの勤務態度等についても、同様の傾向があったであろうことを推認する根拠ともなる。 (四) 動方針と符合し、このことは、供述録取書及び証人によってその勤務態度等について立証できなかった個人一審原告らの勤務態度等についても、同様の傾向があったであろうことを推認する根拠ともなる。 (四) 右個人一審原告らの勤務態度等について、一審原告組合がこれを助長し、あるいは擁護した例も認められる。 そして、原審において提出した現認書等に記載された個人一審原告らの言動は、右の各推認を裏付けるものであり、個人一審原告らの一般的傾向として、全係争期間にわたる勤務態度等が他の職員と比較して劣っていたことも推認できる。 三研修差別について 1 個々の職員を研修に参加させるか否かの判断が広範な裁量に基づくものであることは昇任等と同様であり、研修に参加できることが職員の権利であるというようなものではない。 普通科研修は、実質的な税関の担い手を育成し、中堅幹部の候補を養成する研修と位置づけられることから、東京税関においては、研修を命ずるに当たって、勤務成績、職員の能力、資質、勤務意欲、自己研讃意欲、将来性等をも考慮した人事管理上の要請等を総合的に勘案している。 そして、右の選考の際に考慮しているのは、あくまでも個人一審原告らを含め個々の職員の勤務成績、能力、資質、将来性等をうかがわせる資料としての職務遂行の状況、幹部としての適性等という個々人の事情であって、組合所属のいかんによるものでない。 2 一審原告組合は、税関運営の基本方針及びこれに基づく具体的施策の実行にことごとく異を唱え、東京税関当局の労務指揮権を排除しようとして違法な実力行使を伴う組合活動を展開し、また、その構成員である組合員個々人も、程度の差こそあれ、税関運営の基本方針及びこれに基づく具体的施策の実行に異を唱え、東京税関当局の労務指揮権を排除するため実力行使を伴う過激な違法行為を推進な し、また、その構成員である組合員個々人も、程度の差こそあれ、税関運営の基本方針及びこれに基づく具体的施策の実行に異を唱え、東京税関当局の労務指揮権を排除するため実力行使を伴う過激な違法行為を推進ないし容認していたのである。このような違法行為を推進又は容認する職員は、そうでない職員に比較して、遵法精神に富んだ公務員として部下の手本となるべき点、関税局及び東京税関当局が法令に基づいて策定した税関運営に関する基本方針及びこれに基づく具体的施策について、その実現を図るため自らの職務を遂行すべき点、及び部下の職員を指揮監督する幹部としての適性の点において、いずれもその資質が高くないと評価せざるを得ない場合が多いこともこれまた当然である。 個人一審原告らについては、右に述べた職務の遂行における事情も一要素となって、研修という場に参加させることが適切か否かを判定した結果、選考の要件に該当しなかったという側面も有することは否定できない。もちろん、そうした要素も、あくまで個人一審原告らを含めた個々の職員の能力、適格、将来性を窺わせる資料の一つになるものであって、所属組合が一審原告組合であることをもって決せられているものではなく、また、単純に、全税関と税関労との両組合員数の割合といった数値で判断されるものでない。 3 一審原告らは、普通科研修については、同期入関者に遅れてしか受講できなかった事実をもって東京税関当局による差別行為のごとく主張するが、研修については、適切に職員を選考の上、履修させているものであるから、この選考が裁量を逸脱したものであることを個別具体的に主張しなければならないところ、一審原告らの主張はそうした個別事情を何ら明らかにするものではなく、主張自体失当といわざるを得ない。 また、仮に一審原告らが主張するように、一審原告組合員が普通科 的に主張しなければならないところ、一審原告らの主張はそうした個別事情を何ら明らかにするものではなく、主張自体失当といわざるを得ない。 また、仮に一審原告らが主張するように、一審原告組合員が普通科研修を同期同資格入関者より遅れて受講していたとしても、各種研修には定員の定めがあり、同期入関者がすべて同一年度に同一の研修を受講できるものではない。 4 また、一審原告らは、東京税関当局は普通科研修から一審原告組合員を恣意的に排除し受講させなかったという差別行為を行ってきたとも主張するが、一審原告らは各種の研修を現に受講しているのであって、結局はその遅速を問題にしているにすぎず、その一事をもって東京税関当局による差別があったという主張は失当である。 四大臣表彰について 1 密輸検挙者表彰は、事件の難易性、危険性、処理の適切性、犯則の規模等、諸々の要素を総合的に判断して権限者の広範な裁量の下、恩恵的に行われるものであり、法令違反事件の検挙をもって必ず表彰されなければならないというものではないことは明らかであり、表彰を受ける権利ないし請求権なるものも観念できない。 2 密輸検挙者表彰は、「大蔵省表彰規程」、「東京税関表彰内規」、「監視取締業務に従事する税関職員等表彰準則」及び「監視取締業務に従事する税関職員等表彰準則の運用内規」に基づき実施している。 右によれば、密輸検挙者表彰は、監視取締業務に従事する税関職員又はその事務をつかさどる部局に対し、関税法違反事件の調査、検査又は取締りに関して顕著な功績があったもの、即ち、①卓越した注意力、推理力、着想又は科学的調査により困難な事件を検挙したもの、②暴行、脅迫等の非常な危険を克服して事件を検挙したもの、③検挙の際に適切な措置により証拠の収集、保全、犯人の逮捕又は犯罪貨物等の確保に顕著な功績のあったもの 的調査により困難な事件を検挙したもの、②暴行、脅迫等の非常な危険を克服して事件を検挙したもの、③検挙の際に適切な措置により証拠の収集、保全、犯人の逮捕又は犯罪貨物等の確保に顕著な功績のあったもの等を対象として(表彰準則一条、二条、東京税関表彰内規二条、三条)実施するものである。 また、具体的な表彰の基準として、事件の難易性、危険性、措置の適切性、犯則の規模等諸々の要素が定められ、それらを総合的に判断して実施することとされている(準則運用内規二条)。 そして、表彰の区分として、大蔵大臣が実施する「大臣表彰」と、税関長が実施する「税関長表彰」とがあるほか(表彰準則三条)、職員個人に対する個人表彰と部局又は複数の共同職員に対する団体表彰が定められ、また、大臣表彰については、税関長が、特に功績が顕著と認められるものについて大蔵大臣へ上申し、大蔵大臣が大蔵省全体の模範となるものについて表彰を実施するものとされている(表彰準則五条、大蔵省表彰規程四条)。 密輸検挙者表彰については、以上の規定に基づき、事件の功績の度合いを考慮し、更に、個人表彰にあっては、対象職員の勤務成績等(東京税関表彰内規八条、表彰準則別紙様式(1))をも総合的に考慮して適正に実施している。 以上のような運用上からも、法令違反事件の検挙をもって必ず表彰されなければならないというものではない。 3 この点について、一審原告らは、一審原告P11が昭和四三年一月三〇日に摘発した金の延板二四キログラムの密輸事件について、大臣表彰されるべきであった旨主張するが、以下のとおり失当である。 (一) 一審原告らは、当該事件が新聞等によって報道されたこと及び摘発に至るまでの経緯を述べて、当核事件が重要、異例なものであり、また、摘発の難易性等を総合的に判断して、当該事件が大臣表彰に値すると主張 ) 一審原告らは、当該事件が新聞等によって報道されたこと及び摘発に至るまでの経緯を述べて、当核事件が重要、異例なものであり、また、摘発の難易性等を総合的に判断して、当該事件が大臣表彰に値すると主張する。 しかしながら、密輸検挙者表彰の審査に当たって行う密輸事件の重要性、あるいは、難易性等の判断は、東京税関当局が、事件の背景や摘発に係る様々な事情について、他の摘発事件との比較も行いつつ総合的に考慮して広範な裁量の下に行うべきものであり、一審原告らの右主張は、単に個人として認識しているところを独善的に述べ、あるいは、表彰を受ける権利を有するがごとき見解を示しているにすぎないのである。 (二) 却って、密輪事件の報道の例は重要、異例なものに限らず日々の職務の中で種々見られるところ、本件に関する報道についても、事件の内容そのもの以外の記事が多く、密輸取締りの現場を紹介するという趣旨も含むものであり、また、犯則嫌疑者が女性であるという事案の特徴等をも念頭において報道されている節も見られるのであって、右報道された事件が極めて重要、異例と速断することはできない。 (三) また、当該事件については、前述の表彰の基準である摘発の難易性が高くない点が窺われる。即ち、①当該摘発の約三か月前に同様の手口による密輸事件が摘発されており、言わば前例のある事件であったものであること、②当該事件の密輸ルートは、当時、税関内において要注意とされていたルートであり、新規のものではなかったこと、③犯則嫌疑者はいわゆるプロの運び屋ではなく、運搬のみを依頼されただけの不慣れな女性であったことから、不審点の発見が格別困難ではなかったこと等が挙げられるのであり、これらの点からみると、摘発の難易性が高いともいえない。 4 一審原告らは、P12職員が摘発し大臣表彰を受けた案件と、右事 ったことから、不審点の発見が格別困難ではなかったこと等が挙げられるのであり、これらの点からみると、摘発の難易性が高いともいえない。 4 一審原告らは、P12職員が摘発し大臣表彰を受けた案件と、右事件とは犯則規模等が同様であるとも主張する。 しかしながら、右案件は、東京税関時報七五号(乙二一九四)の「運び屋再び羽田に現わる」において掲載された事件であるところ、確かに、摘発数量は一審原告P11が摘発したものとほぼ同様であるものの、右事案は、摘発後の捜査によって更に金塊一四キログラム及び多数の高級腕時計を摘発するに至ったものであり、また、一年半以上途絶えていた羽田空港からの金の密輸入が再開された当初の事件であった。したがって、一審原告P11が摘発した事件とは、功績の度合いについて、摘発量とは異なる側面で著しく異なるのであり、一審原告らの主張は失当である。 5 更に、一審原告らは、一審原告P11が他の案件で団体で大臣表彰を受けているのだから、個人表彰を受けないのは差別であるとも主張する。 しかしながら、右団体表彰の案件は、東京税関時報第七五号(乙二一九四)の「プロフェッサーもかり出す」において掲載された事案をいうものであるところ、当該事案は、摘発後の捜査によって更に金塊二九キログラムを摘発するに至ったもので、一審原告P11が摘発した事件とは功績の度合いが著しく異なる。また、団体表彰を受けたからといって個人表彰も当然に受けられることにはならないことも、事案が異なる以上当然である。 6 以上のとおり、一審原告P11が摘発した前記事件は、それ自体、大臣表彰を受けるに相当する功績であったか大いに問題が見られるのであり、また、他の大臣表彰を受けた事件とは功績の度合いが全く異なっていたのである。これらの点も考慮されて大臣表彰には至らなかったものであって を受けるに相当する功績であったか大いに問題が見られるのであり、また、他の大臣表彰を受けた事件とは功績の度合いが全く異なっていたのである。これらの点も考慮されて大臣表彰には至らなかったものであって、一審原告P11が一審原告組合員であることの一事をもって表彰からはずされたというものではない。現に、一審原告P11は、一審原告組合員であったにもかかわらず、昭和四三年一一月二八日には大蔵大臣表彰(団体)を受彰しており、表彰において一審原告組合員を差別しているということはない。 7 また、一審原告らは、大臣表彰を受けた者は一年以内に特別昇給するのが通例であった旨を主張し、更に、大臣表彰受彰者(個人)が特別昇給をした事例を主張する。 しかしながら、密輸検挙者表彰を受けたとの事実は、勤務成績の評価の一要素になることは否定できないが、それのみによって特別昇給するということはないのであって、既に主張した特別昇給の要件を充たすことが必要であり、大臣表彰を受けたからといって特別昇給するというものではない。守秘義務の点から氏名等は明らかにできないものの、現に大臣表彰受彰後一年以内に特別昇給をしていない職員が多数存在する。 五職場配置について 1 職員の配置換等は、組合所属のいかんとは無関係に、公務の必要性に基づき適材適所の方針の下に適正に行われている。したがって、仮に一審原告組合員が部下職員のいない職場に配置され、あるいは一審原告組合員に部下職員の配置がなされなかったとしても、それは、当人の能力、適性等や公務の必要性によるものであって、組合所属を理由にするものではない。 特に部下職員については、上司による適正な指導監督が必要であり、その指導監督するにふさわしい職員に部下職員がつけられるべきであるところ、上司の注意、命令に従わずに非違行為を繰り返していた一 ない。 特に部下職員については、上司による適正な指導監督が必要であり、その指導監督するにふさわしい職員に部下職員がつけられるべきであるところ、上司の注意、命令に従わずに非違行為を繰り返していた一審原告組合員らに部下職員がつけられなかったとしても、それは、一審原告組合員らの勤務態度等から窺える管理職としての資質に由来する当然の結果である。 そして、甲一一〇五の一ないし一二によれば、一審原告組合員のみに部下がつけられなかったのではなく、一審原告組合員以外の多数の職員においても部下職員がつけられていないのであるから、一審原告組合員らに対する差別的取扱いが存在した旨の主張には理由がない。 2 一審原告らは、昭和四五年から昭和四九年までの五年間における一審原告組合員と一審原告組合員以外の職員との部下ありポスト比率を提示し、両者において著しい不均衡があり、この不均衡は適材適所によるとするには限度を超えたものであり、一審原告組合員を一般の職員から隔離するためになされた当局による差別的取扱いである旨主張するが、失当である。 (一) 人事配置は、組合所属のいかんとは無関係に、適材適所の方針の下に適正に実施しているものであるから、適正に実施された人事配置の結果について、これを何らかの数値を比較することによってその当否が論じられるものではない。したがって、人事配置の結果としての意味しか有しない右配置比率を比較して、これが不均衡か否かを判断するとの考え方自体失当である。 (二) 更に、一審原告組合員が非違行為を繰り返すことによってその能力、適性等、更には部下指導等の適格性の面で低く評価されていれば、それをも考慮して右配置が決せられるものであるから、理論上正しく対比されるべきは、「一審原告組合員とその能力、適性等が等しい一審原告組合員以外の職員」となるはすであ 適格性の面で低く評価されていれば、それをも考慮して右配置が決せられるものであるから、理論上正しく対比されるべきは、「一審原告組合員とその能力、適性等が等しい一審原告組合員以外の職員」となるはすである。 しかし、一審原告らの提示する部下ありポスト比率の算定過程においてはこのような選定もなされておらず、この点からも正当な比較とはいえない。 (三) 以上のとおり、単に配置割合を比較すること自体無意味であるが、仮に比較するとしても、役付き職員である一審原告組合員数が役付き職員である一審原告組合員以外の職員数と比較して極端に少ないのであるから、役付き職員ポストに占める部下ありポスト比率を算定してこれを比較する方法は妥当でなく、役付き職員ポストにおける一審原告組合員及び一審原告組合員以外の職員の各部下なし職員のそれぞれの実数と比較すべきである。その上で、甲一一〇六をみると、一審原告組合員以外の職員で部下職員をつけられていない者が一審原告組合員よりもはるかに多数存在するのであり、この点からして、一審原告組合員が差別的に部下職員をつけられなかったなどとは到底いえない。 六特別派出所勤務について1(一) 人事配置は、公務の能率的な運営を確保する観点から、配置の必要性に応じて、諸事情を総合的に考慮し、適材適所の方針の下に各職場にふさわしい職員を十分に考慮の上実施するのであるが、本件特別派出所勤務への配置は、以下のとおり合理的なものであって、組合所属を理由として隔離するために意図的に配置したものではないことは明らかである。 (二) 係争期間中の特別派出所勤務は、保税地域に蔵置されている外国貨物の取締り、所要の許可、承認等の業務を所掌していたが、業務内容は定型的なものが多く、外部からの来客は特定の保税地域被許可者の従業員等に限定されており、配置職員数は小人数 地域に蔵置されている外国貨物の取締り、所要の許可、承認等の業務を所掌していたが、業務内容は定型的なものが多く、外部からの来客は特定の保税地域被許可者の従業員等に限定されており、配置職員数は小人数の小規模な組織であるといった特質を有していた。このような点から、当該勤務は、税関業務としてはもとより重要な業務ではあるが、他の数多くある税関の業務の中では、例えば、総務管理部門あるいは監視部門と比較して、職務の複雑、困難性あるいは規律の維持等の必要性が相対的に高度ではない職務であったという実態も否めない。 そして、当該勤務に配置された個人一審原告は、係争期間中、多くの非違行為を累行し、勤務時間の内外を問わず、法令、規則等を無視し、その都度行われた上司の命令や注意にも従わず、職場秩序を混乱させ、効率的な税関行政の運営をも阻害し、また、日常の勤務態度等も良好でなく、その能力、適性等が低く評価されていた。 (三) 東京税関当局は、右の特別派出勤務の特質及び当該個人一審原告の能力、適性等その他人事配置全体の諸般の事情を総合的に考慮し、公務全体の能率的な運営を確保する観点から、同個人一審原告を当該勤務に配置したもので、十分に合理牲があるものであり、同個人一審原告が一審原告組合に所属していたことの一事をもって、一審原告組合員を一審原告組合員以外の職員から隔離するため、意図的にそのような配置をしたとはいえない。また、逆に、一審原告組合員全員が特別派出勤務をしていたわけでもない。 2 一審原告らは、あたかも特別派出勤務が苛酷な勤務であったかのような印象を与えようとしつつ、一審原告組合員数の割合が多いことを述べ、更に、組合活動に支障が生じたこと、勤務年数が長期間に及んだこと等から、組合差別による配置である旨主張するが、以下のとおり、失当である。 (一) 配置 しつつ、一審原告組合員数の割合が多いことを述べ、更に、組合活動に支障が生じたこと、勤務年数が長期間に及んだこと等から、組合差別による配置である旨主張するが、以下のとおり、失当である。 (一) 配置人員、執務環境、配置希望等特別派出勤務について、執務環境が劣るため、希望する職員がいなかったとか、派出先に遠隔地が多かったということはない。 (1) 一審原告らの原審における平成五年八月九日付け最終準備書面記載の「特派職員の全税関集中配置の実態」表(以下「特派職員実態表」という。)によれば明らかなように、派出所の配置人員は、「一人か二人の少人数」であった派出所は少なく、逆に三人以上の派出所がはるかに多かった。例えば、右特派職員実態表によれば、昭和四〇年から昭和四九年までの間、派出所の数は延べ一一二か所であったところ、「一人か二人の少人数」の派出所は四一か所であるのに対し、三人以上の派出所は七一か所である。 (2) また、特別派出所の場所によっては却って通勤事情が良くなる場合もあり、また、執務環境についても、もともと恵まれた派出先も存在していたし、東京税関当局においても、徐々にその改善を図っていたのであって、希望者が皆無であったわけでもない。 (3) 東京税関においては、管轄区域内に多くの支署、出張所、派出事務室等を配置しているところ、東京税関本関及び本関出張所の管轄する派出先は、ほとんどが、港区、品川区、中央区、江東区等の都区内に集中しており、都区外等の遠隔地は少なかった。例えば、右実態表によれば、主な特別派出所として三五か所が数えられるが、そのうち、二九か所は都区内に存在している。 (二) 一審原告組合員の配置割合一審原告組合員の在職状況及び配置状況についての単なる係数の比較をもって、配置の不当性を判断すべきでない。 (1) 「特別派出勤 、二九か所は都区内に存在している。 (二) 一審原告組合員の配置割合一審原告組合員の在職状況及び配置状況についての単なる係数の比較をもって、配置の不当性を判断すべきでない。 (1) 「特別派出勤務者中の一審原告組合員の割合」と「東京税関職員中の一審原告組合員が占める割合」とを比較するのは、不合理である。 イ人事配置は、特別派出勤務への配置も含めて、組合所属に関係なく、適材適所の方針の下に適正に実施しているものであるから、その結果としての意味しか有しない「特定の職場への配置職員中に占める一審原告組合員数の割合」を「職員総数に占める一審原告組合員数の割合」と比較するなどということは、無意味である。 即ち、一審原告組合員が非違行為を繰り返すことによってその能力、適性等が低く評価されていれば、それをも考慮して人事配置が決せられるのであるから、理論上正しく対比されるべきは、「一審原告組合員とその能力、適性等が等しい職員総数に占める一審原告組合員数の割合」となるはずである。しかし、かかる割合が実際問題算定することができないのであるから、そもそも右のような対比によって論じることは不可能である。 ロまた、「特別派出勤務への一審原告組合員の配置割合」が「職員総数に占める一審原告組合員の割合」よりも大きくなることは、以下のとおり当然なのであり、その事情を無視して単純に割合の不均衡を論ずるのも不合理である。 即ち、個人一審原告らは、適正な人事配置の結果、例えば、とりわけ規律の維持及び公務秩序の確保が要請される総務管理部門あるいは監視部門にはほとんど配置されていない。その措置には合理性があるというべきところ、このように、個人一審原告らの能力、適性等に由来して配置されなかった部門が存在するのであるから、相対的に右以外の部門に配置される割合が大きくなるのは当 ない。その措置には合理性があるというべきところ、このように、個人一審原告らの能力、適性等に由来して配置されなかった部門が存在するのであるから、相対的に右以外の部門に配置される割合が大きくなるのは当然である。 ハ更に、仮に両者を単純に比較するとしても、両者は母数の量が大きく異なり、したがって、割合に与える一人当たりの寄与度が大きく異なるので、もともと比較することが不適切である。 即ち、昭和四四年から昭和四八年までの間の年平均東京税関職員数は約一二七八名であり、一方、特別派出勤務者数は、一一年間の年平均が三二名であって、両者間には約四〇倍もの開きがある。そして、前者の職員数に占める一審原告組合員が一人増加しても約〇・〇八パーセント増加するにすぎないが、後者の特別派出勤務者数に占める一審原告組合員が一人増加すれば約三パーセントも増加することになる。かかる比較は一つの参考数値としての意味以上に重要視されるべきものではない。 (2) 仮に比較をするとしても、一審原告らが主張する割合自体にも誤りないし矛盾点が存する。 イ一審原告らは、一審原告らの原審における昭和五二年四月一九日付け準備書面(一二)において、昭和四〇年から昭和五〇年までの一一年間における配置人員に基づいて主張する一方、一審原告らの原審における前記最終準備書面においても、特派職員の実態をもって前述の特派職員実態表により配置の実態を再度主張するところ、両主張を比較すると、以下のとおり、その間には整合性がない。 ① 即ち、特派職員実態表は、昭和五〇年の配置状況を欠いており、一審原告らの原審における準備書面(一二)における配置人員を証明するものにはなっていない。 ② また、年毎の配置人員についてみると、両者が一致していない。 ③ 更に、特派職員実態表中には、昭和四七年の「α特派」の欄に記 おける準備書面(一二)における配置人員を証明するものにはなっていない。 ② また、年毎の配置人員についてみると、両者が一致していない。 ③ 更に、特派職員実態表中には、昭和四七年の「α特派」の欄に記載されている「P43」について一審原告組合員の表示がされているが、同人は、その後の昭和四九年八月になって初めて一審原告組合に加入しており(乙二二二六)、当時は一審原告組合員ではなかった。 ロなお、以上の点を補正した特派職員実態表に基づき、昭和四〇年から昭和四九年までの一〇年間における特別派出勤務者中に占める一審原告組合員の割合を算定すると、延べ三三八名中一四四名で、配置割合は四二・六パーセントとなり、一審原告らの主張より小さな割合となる。 (三) 一審原告組合員の配置が長期に及ぶことについて(1) 一審原告らが、特別派出所勤務が長期に及んだと主張する一審原告P16ら八名のうち、一審原告P16は昭和四二年頃β出張所で、同P17は同年頃γ出張所で、同P18は同年頃β出張所で、同P44は昭和四四年一一月から昭和五一年二月までγ出張所でそれぞれ他の職員と一緒に勤務していたもので、隔離されていたなどという状況ではなかった。また、右一審原告ら八名の非違行為の状況からして組合活動が不自由であるなどの状況にあったとは到底いえない。 (2) 特別派出勤務への配置は、組合所属に関係なく、適材適所の方針の下に適正に実施したものであるから、結果として、配置職員の勤務年数が長期である場合も、また、逆に短期である場合もともに生じ得ることである。したがって、単に、勤務年数の傾向を見て配置の不当性を検討するなどというのはそもそも全く無意味なのものであり、不当である。 (3) 仮に、勤務年数の傾向をみる場合でも、以下の点に留意すべきである。 イ本件係争期間外の勤務期間を含め を見て配置の不当性を検討するなどというのはそもそも全く無意味なのものであり、不当である。 (3) 仮に、勤務年数の傾向をみる場合でも、以下の点に留意すべきである。 イ本件係争期間外の勤務期間を含めるべきでない。 ロ特別派出勤務の当該個人一審原告においては、係争期間とともにその余の期間も東京税関に勤務しているのであるから、特定の期間のみにおける、特定の職場のみの勤務期間をとらえて、長期間に及ぶと認定することは、合理性がない。 また、一審原告らは、三年間以上をもって長期間であるとの主張をしているが、東京税関においては、特定の職場へ三年間以上勤務する例は多々見られるのであり、当該主張は何らの根拠を有しない。 ハ一審原告P16ら八名の勤務年数について、一審原告らは、一審原告らの原審における前記最終準備書面により主張し、特派職員実態表において配置職員名を示しているが、相互の間には矛盾がある。 (4) 一審原告組合員の配置が長期に及んだか否かを判断するに際しては、以下の点を考慮すべきである。 イ一審原告組合員全員について検討すべきであるところ、特派職員実態表によって一審原告組合員の全員につき勤務年数をみると、四年以下の者が二二名存在し、五年以上勤務した者よりはるかに多い。 ロまた、特別派出勤務の勤務年数の長短をいうのであれば、一審原告組合員のみならず、一審原告組合員以外の職員の勤務年数についてもみるべきである。 この点について、特派職員実態表によって一審原告組合員以外の職員の勤務年数をみると、五年以上勤務した者としてP45、P46がいる。 第四章争点に対する判断第一争点一(格差)について一本件係争期間中の個人一審原告らとそれ以外の同期同資格入関者との間の給与格差の有無(争点一)に関する事実認定は、原判決書I「第四章争点に対する判断」 に対する判断第一争点一(格差)について一本件係争期間中の個人一審原告らとそれ以外の同期同資格入関者との間の給与格差の有無(争点一)に関する事実認定は、原判決書I「第四章争点に対する判断」の第一の一及び二(原判決書I三〇六頁六行目から同三三七頁七行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。但し、次の1ないし8及び別紙補正表のとおり補正する。 1 原判決書I三〇八頁二行目の「また、」の次に「二五年度旧専又は五級職入関者の○○○○につき○○○○に改め、二六年度高卒入関者のP47につき資格欄に「三九年巡察」を加え、」を加える。 2 同三一〇頁末行から同三一一頁一行目にかけての「昇格し、本件係争期間中に同期同資格入関者の全体の六割が四等級に」を削る。 3 同三一一頁一〇行目の「原告P48、同P49が五等級一二号俸、同P50が同級一一号俸であり、」を「右一審原告ら三名全員が五等級一一号俸であり、」に改める。 4 同三一二頁六行目から同八行目にかけての「昇格し、本件係争期間中に同期同資格入関者のうち第二組合員一名を除く全員が四等級に昇格した。」を「昇格した。本件係争期間中に同期同資格入関者のうち、一審原告組合員全員及び非組合員三名を除く全員が四等級に昇格した。」に改める。 5 同三一三頁六行目の「最終号俸は、」から同九行目末尾までを「最終号俸は、一審原告P41が六等級一五号俸、その余の一審原告らが五等級一二号俸であり、同原告らを除き最も最終号俸の低い同期同資格入関者が五等級一二号俸であった。」に改める。 6 同三三〇頁七行目から同八行目にかけての「原告P98と同資格であるが、入関は一年近く遅いP155は、」を「原告P98と同資格のP155は、」に改める。 7 同三三四頁四行目の「最終号俸は、」から同七行目の「六等級五号俸であった。」ま の「原告P98と同資格であるが、入関は一年近く遅いP155は、」を「原告P98と同資格のP155は、」に改める。 7 同三三四頁四行目の「最終号俸は、」から同七行目の「六等級五号俸であった。」までを「最終号俸は、一審原告P51が七等級五号俸であり、元一審原告P52、元一審原告組合員P53が同級六号俸であり、同P42、同P54、P55、同P56、同P57、元一審原告組合員P58が同級七号俸であり、原告P115が六等級六号俸であった。一審原告組合員及び入関時期、入関資格が異なる三名(P59、P60、P61)を除き、最も最終号俸の低い同期同資格入関者は六等級五号俸であった。」に改める。 8 同三三五頁二行目の「全員」の次に「(但し、非組合員の三名〔P62、P30、P63〕を除く。)」を加える。 二前項のとおり補正した上で引用した原判決書I第四章の第一の一及び二において認定した個人一審原告らを含む一審原告組合員の処遇状況に鑑みると、一審原告組合員は、集団的、全体的に見て、本件係争期間中、昇任、昇格、特別昇給において非組合員と比較して低位に処遇されており、本件係争期間最終の号俸で比較すると、概ね、非組合員の最も劣位に処遇された者と同程度又はそれ以下に処遇されたと認めることができる。したがって、一審原告組合員と非組合員とを集団として対比する限り、本件係争期間において、格差があるといわざるを得ない。 しかしながら、一審原告組合員と非組合員との間に、集団として格差を認めうることから、直ちに個々の個人一審原告についての格差を認めることはできないことはもとより、東京税関長が、個人一審原告について、その昇任、昇格及び昇給において一審原告組合員であることを理由に差別し、それが不法行為に当たるかどうかについては、個別的な検討を要する(後記参照)。 第二争 り、東京税関長が、個人一審原告について、その昇任、昇格及び昇給において一審原告組合員であることを理由に差別し、それが不法行為に当たるかどうかについては、個別的な検討を要する(後記参照)。 第二争点二(違法性)について争点二(違法性)についての当裁判所の判断は、原判決書I「第四章争点に対する判断」の第二(原判決書I三五三頁一行目から同三六一頁三行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。 第三争点三の1(差別意思)について一税関会議議事録、本省会議資料の成立及び内容に関する事実認定は、原判決書I「第四章争点に対する判断」の第三の一及び二(原判決書I三六一頁五行目から同三八七頁九行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。但し、次の1ないし11及び別紙補正表のとおり補正する。 1 原判決書I三六四頁二行目から同三行目にかけての「総務部長会議の結果として、関税局のP153総務課長が」を「右会議に先立って開かれた関税局主催の全国税関総務部長会議の結果として、右会議に出席した東京税関の総務部長が」に改める。 2 同三六六頁九行目の「東京税関の総務部長が」から同一〇行目の「右のとおりの意見を表明したこと」までを「前記全国総務部長会議において、矯正措置を受けた職員を昇給昇格においてどう扱うかについての各税関の意見交換がされた際、横浜税関が厳しい意見を表明したのに対し、東京税関の総務部長は、むしろ慎重な意見を表明したこと」に改める。 3 同三六七頁二行目の「いうことができる。」を「いうことができるものの、東京税関が八等級から七等級への昇格時期について全税関組合員を同組合に所属していることを根拠に差別しようとする趣旨の発言をしたとは認められない。」に改め、同三行目の「昭和四二年八月一六日」から同一〇行目末尾までを次のとおり改 への昇格時期について全税関組合員を同組合に所属していることを根拠に差別しようとする趣旨の発言をしたとは認められない。」に改め、同三行目の「昭和四二年八月一六日」から同一〇行目末尾までを次のとおり改める。 「 昭和四二年八月一六日に開催された東京税関の幹部会議の議事録の下書きないしメモと認められる書面には、水泳大会について、次長が「本省の考え方では旧労選手でも名選手がいる場合二~三名入れるのはやむを得ないと思うとの回答だ。」と発言したとの記載があり、これに対応した右欄には、「最終的に旧労四、五名でもよかろう」との記載がある。次いで、右書面には、次長が「本省の質問は旧労参加の実害についてであった。レクレーション問題について、時間をかけて検討する必要がある。」と、また、総務課長が「差別してもよいのではないか」とそれぞれ発言したとの記載があり、これに対応した右欄には、「今回は四名の旧労を入れたまま締め切ることとする」との記載がある。更に、右書面には、総務部長が「できるだけ排除方法をとるが、二、三名まぎれこんできた場合はやむを得ないだろう。」と発言したとの記載がある(甲三三三の二)。」 4 同三六八頁六行目から同七行目にかけての「有していたものといわざるを得ない。」を「有していたものであり、東京税関幹部も関税局の意向に沿って水泳大会の人選について全税関の影響力を排除するため一審原告組合員の参加を制限していたものといわざるを得ない。」に改め、同七行目末尾の次に改行して次のとおり加える。 「(四)(1) 昭和四三年四月二日に開催された東京税関の幹部会議の議事録には、税関長が「当人は、勤勉手当の受領を拒否しているそうだが、大臣表彰まで受領を拒否した場合上申した当関の面目がなくなる」と発言したとの記載、総務部長が「給与法に定める勤勉手当の受領を拒否し 事録には、税関長が「当人は、勤勉手当の受領を拒否しているそうだが、大臣表彰まで受領を拒否した場合上申した当関の面目がなくなる」と発言したとの記載、総務部長が「給与法に定める勤勉手当の受領を拒否している者は大臣表彰を受けるに値しない」と発言したとの記載、税関長が「腹では旧労職員を表彰したくないが、永年勤続者表彰の場合は永年勤続の事実が充足すれば表彰しているから、本件だけを除外することは筋が通らぬだろう。」と発言したとの記載がある(甲三五一の一、二)。 5 同三七〇頁末行から同三七一行目五行目までを次のとおり改める。 「 右記載によれば、東京税関の幹部会議において、表彰について昭和四三年四月二日と同年七月一七日の二回にわたり協議がなされたところ、その際、東京税関幹部は、全税関に対する嫌悪感を明らかにしていたことが認められる。しかしながら、表彰自体については、むしろ、税関長を中心として、全税関所属の組合員に対しても従前の基準に基づいて表彰を実施せざるを得ないとの意見を表明していたことが認められる。」 6 同三七二頁四行目の「ようにする。」」の次に「「なるべく多くの新労職員がレクリーダーの経験をもちうるように措置すること。」」を加える。 7 同三七四頁五行目から同三七五頁四行目までを次のとおり改める。 「(七) 昭和四二年五月一日に開催された東京税関の部長会議において、新入職員の配置について議論された際、配布されたものと認められる資料には、案の一つとして「当関は、先の総務部長会議において示した方針のとおり、公務員倫理、服務規律の修得と税関の基本業務で理解が容易であることの理由により、警務関係の職場に優先配置を計画している。しかしながら、三五名の新職員を全員警務関係に配置することは、警務関係の定員及び職員構成等から考えて難しい。したがって、一 理解が容易であることの理由により、警務関係の職場に優先配置を計画している。しかしながら、三五名の新職員を全員警務関係に配置することは、警務関係の定員及び職員構成等から考えて難しい。したがって、一部新職員については、旧労職員の影響等を考慮して配置する方針である。」との記載がある(甲三四三の一、二)。 右記載自体からは、右の案が採用されたか否か不明であるものの、東京税関当局が、新入職員の配置について全税関組合員から隔離する必要があるとの考えに基づく案を検討していたことが認められる。」 8 同三七五頁一〇行目の「右のうち、」から同一一行目の「記載内容に照らし、」までを「証拠(原審における一審原告P64本人)によれば、右各文書は、いずれも当時のP65衆議院議員が衆議院予算委員会における資料として使用する予定の文書であり、原本をP65議員が保管していたものと認められるところ、その文書の形式、「人事極秘」「人事秘」等の取扱基準印及び記載内容に照らし、」に改める。 9 同三七六頁五行目から同三八〇頁四行目までを次のとおり改める。 「(三) 甲三三二の一ないし四について検討する。 (1) 甲三三二の一は、「人事課長会議の開催及び議題について」と題する一体の四葉の文書(草案)であり、同文書には、「1 開催予定等 (1) 開催日六一・四・一〇(木)全体会議(於本館第一会議室) 四・一一(金)個別協議(於本館第二会議室) (2) 出席者各税関人事課長及び担当官東京、横浜、神戸、大阪税関人事専門官」「2 議題(案)〔全体会議〕」(以下略)と記載されていることが認められる。 (2) 甲三三二の二は、「議題3 特定職員の上席官昇任及び七級格付等について」と題する一体の二葉の文書であり、「先般の総務部長会議における討議を踏まえ、六一年度の上席官昇任及び七級 が認められる。 (2) 甲三三二の二は、「議題3 特定職員の上席官昇任及び七級格付等について」と題する一体の二葉の文書であり、「先般の総務部長会議における討議を踏まえ、六一年度の上席官昇任及び七級昇格基準等について討議する。」との書き出しで、「(1) 上席官昇任」「(2) 七級格付」「(3) 四、五、六級格付」の各見出しのもとに、各討議事項の記載があることが認められる。 甲三三二の二は、二葉からなり、二葉目の「(3) 四、五、六級格付」欄記載部分以下とそれ以外の部分とで、筆跡が明らかに異なるうえ、一葉目の冒頭に記載された表題には、四、五、六級格付の件が直接記載されておらず、また、直前部分との間に用紙の罫線に連続性を欠き、しかも、二葉目の欄外の下には「大蔵省」と印刷されているのに対して、一葉目の該当部分にはその印刷がないことが認められる。しかしながら、文書の表題には、右のとおり「等」との記載があり、複数の担当者が互いに起案を持ち寄って、継ぎ貼りしたうえコピーをとって文書を完成させることも十分考えられ、一葉目及び二葉目の「(2) 七級格付」記載部分と二葉目の「(3) 四、五、六級格付」記載部分とは、一体の文書と解して差し支えない。 (3) 甲三三二の三は、「(参考)総務部長会議(六一・三・一九)の討議概要」と題する一葉の文書であり、「議題特定職員の上席官昇任及び七級格付について」との書き出しで始まるものであることが認められる。 右文書の記載内容を甲三三二の二の記載内容に照らすと、昭和六一年四月一〇日及び同月一一日に開催予定の人事課長会議の討議資料として、既に同年三月一九日に開催された総務部長会議の討議概要を添付したものと認められる。 (4) 甲三三二の四は、「昭和六〇年度(第二回)総務部長会議討議概要」と題する一体の三葉の文書であり、同 料として、既に同年三月一九日に開催された総務部長会議の討議概要を添付したものと認められる。 (4) 甲三三二の四は、「昭和六〇年度(第二回)総務部長会議討議概要」と題する一体の三葉の文書であり、同文書には、「1 退職勧奨実施状況について」「2 新俸給表への切替え結果について」「3 六一年度人事異動の留意事項について」「4 人事異動実施上の問題点について」の各見出しのもとに、説明・意見が記載されていることが認められる。 右文書の記載内容を甲三三二の二及び三の記載内容に照らすと、甲三三二の三と同様、右人事課長会議の討議資料として添付したものと認められる。」 同三八四頁二行目の「ことにしてはどうか。」を「ことについてはどうか。 (3)四、五、六級格付四、五、六級における一般職員と特定職員の昇格時期については、勤務成績が一般職員と比べて遜色のない特定職員は超一選抜として一般の最終選抜に重ね、更に優れている者は一般の第三選抜に重ねることを確認事項としてよいか。なお、杓子定規に運用するものでないことに留意する。」に改める。 11 同三八七頁一行目の「合理的な説明が」から同五行目の「認められる。」までを「対内外に対する合理的な説明が困難になったため、一般職員で昇任が遅れている者との均衡を配慮しつつ、一般職員との格差を縮小する方向でその資格基準について討議したこと、また、七級昇格についても、全税関組合員については一般職員とは別の昇格基準を設ける必要があるとの方針のもとに、その内容を討議したことが認められ(なお、昭和六一年四月一〇日及び同月一一日に開催された人事課長会議において、甲三三二の一及び二と同一の資料が配布されたか、また、右会議においてどのような内容の討議がなされ、その結論がどのようになったかは不明である。)、しかも、「特定職員に対する上 た人事課長会議において、甲三三二の一及び二と同一の資料が配布されたか、また、右会議においてどのような内容の討議がなされ、その結論がどのようになったかは不明である。)、しかも、「特定職員に対する上席官運用の継続性」等の表現からして、昭和六一年三月より相当以前から関税局内部にそのような資格基準、人事方針があったことが認められる。」に改める。 二右一に認定の税関会議議事録、本省会議資料の記載内容からすると、一審原告組合との間において全体的、一般的には、関税局及び東京税関当局は、本件係争期間中、一審原告組合を嫌悪し、差別する意思を有していたものといわざるを得ない。 第四争点三の2(差別行為)について一差別行為の有無に関する事実認定は、原判決書I「第四章争点に対する判断」の第四(原判決書I三八九頁三行目から同五一八頁六行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。但し、次の1ないし20及び別紙補正表のとおり補正する。 1 原判決書I四〇〇頁一〇行目の「総務課に」の次に「東京税関の渉外事務及び職員団体との交渉準備事務等を掌理する」を加える。 2 同四〇四頁一〇行目の「開催し、」の次に「現執行部の下では改善運動の効果は期待できないとして、」を加える。 3 同四〇七頁五行目の「羽田支署における三直交代勤務から五直交代勤務への変更」を「羽田税関支署における三直制交代勤務(各検査職員が三日に一日当直勤務を行うという勤務体制)から五直制交代勤務(各検査職員が五日に二日当直勤務を行うという勤務体制)への変更(羽田空港における夜間業務が増加したことに伴い、同空港において旅具通関事務を行う職員を旅客の集中する夕方以降増員する措置を採ったもの)」に改め、同六行目の「新警務体制の発足」の次に「(密輸出入等を監視する体制について、従来の埠頭入口に設けられ 、同空港において旅具通関事務を行う職員を旅客の集中する夕方以降増員する措置を採ったもの)」に改め、同六行目の「新警務体制の発足」の次に「(密輸出入等を監視する体制について、従来の埠頭入口に設けられた監所に職員を固定配置した体制から、機動班によるパトロールを中心とした能動的な体制に移行したもの)」を加える。 4 同四二〇頁七行目の「配置換えすること」の次に「及びその後一審原告組合員を総務部に配置しないこと」を加える。 5 同四二一頁末行の「配置換えすること」の次に「及びその後一審原告組合員を監視部門に配置しないこと」を加える。 6 同四二二頁末行末尾の次に改行して次のとおり加える。 「(2) 証拠(甲一一〇五の一ないし一三、一一〇六)によると、一審原告組合は、平成八年四月に、昭和四五年から昭和四九年までの間における役付職員ポスト(係長相当職以上)に占める部下有ポスト比率を一審原告組合員と非組合員毎に調査したうえ、双方を比較した一覧表(甲一一〇六)を作成したこと、右一覧表によると、非組合員である役付職員ポストに占める部下有ポスト比率は、六〇ないし七〇パーセント台であったこと、これに対し、一審原告組合員である役付職員ポストに占める部下有ポスト比率は、○パーセントであったことが認められる。 しかしながら、右一覧表によると、昭和四七年から昭和四九年までの間における役付職員ポストの総数は、昭和四七年二二二、昭和四八年二二四、昭和四九年二二四であったところ、そのうち、一審原告組合員は、昭和四七年二名、昭和四八年一六名、昭和四九年二五名と少なかったこと(昭和四五年及び昭和四六年には、一審原告組合員に右役付職員がいなかった。)、一方、非組合員について、部下を有しないポストに就いた者が昭和四七年五八名、昭和四八年六八名、昭和四九年七四名いたことが認められ 五年及び昭和四六年には、一審原告組合員に右役付職員がいなかった。)、一方、非組合員について、部下を有しないポストに就いた者が昭和四七年五八名、昭和四八年六八名、昭和四九年七四名いたことが認められる。 右認定事実によると、昭和四七年から昭和四九年までの間において一審原告組合員役付職員ポストに就いた者自体が少ないうえ、非組合員のうち部下を有しないポストに就いた者が多数いたことに照らすと、昭和四五年から昭和四九年までの間における非組合員である役付職員ポストに占める部下有ポスト比率が、六〇ないし七〇パーセント台であったのに対し、一審原告組合員である役付職員ポストに占める部下有ポスト比率が○パーセントであったことのみから、東京税関当局が、一審原告らには役付になっても部下をつけない差別的配置をしているということはできない。」 7 同四二四頁五行目の「保税地域の派出所は」から同七行目末尾までを「保税地域の派出所は主に一人ないし三人という小人数で勤務することとされ、勤務場所が工場、倉庫であったり、福利厚生施設が乏しいなど、執務環境も劣るほか、職場内の行事に参加する機会も減少し、したがって、これを希望する職員は少なかった。」に、同九行目の「特別派出職員についてみると、」を「特別派出職員について一審原告組合が行った実態調査によると、」にそれぞれ改める。 8 同四二五頁四行目の「約四六パーセントであり、」から同五行目末尾までを「約四六パーセントであった(役付職員を除くと、約七割と高率になる。)。特別派出勤務者の勤務先は、東京都内から埼玉県、山梨県等に及んでいたが、勤務先が東京都区内のものであっても、税関官署、出張所から場所的に離れているものが多かった。」に改める。 9 同四二六頁四行目の「傾向があった」の次に「(弁論の全趣旨によると、いずれも昭和四二年頃 勤務先が東京都区内のものであっても、税関官署、出張所から場所的に離れているものが多かった。」に改める。 9 同四二六頁四行目の「傾向があった」の次に「(弁論の全趣旨によると、いずれも昭和四二年頃において約一年間、一審原告P16はβ出張所で、一審原告P17はγ出張所で、一審原告P18はβ出張所で、それぞれ他の職員と一緒に勤務したことが認められるが、その期間を控除しても、右一審原告らの特別派出勤務は長期に及んだといわざるを得ない。なお、一審原告P44については、昭和四二年一二月から昭和五一年二月まで特別派出勤務であったことが認められるものの、そのうち、昭和四四年一一月から昭和五一年二月までのγ出張所勤務当時、甲一〇七八〔同一審原告の陳述書〕によっても、他の職員と隔離されていた状態にあったとは未だ認められず、他に一審原告P44がγ出張所勤務当時他の職員と隔離されていた状態にあったことを認めるに足りる証拠はない。)」を加える。 10 同四二九頁八行目の「勧められた。」を「勧められ、右説明会において、税関労の組合員から同組合への加入を勧誘された。」に改める。 11 同四三九頁一行目の「あった」の次に「(甲一〇八一〔一審原告P66の陳述書〕には、右P67から、「君は、第一組合に入っているから、品川寮は無理だよ。」と言われたとの陳述記載部分があるが、原審証人P67の証言に照らすと、右陳述記載部分のみをもってしては、一審原告P66が右P67から真実そのように言われたとは認め難い。)」を加える。 12 同四六〇頁三行目の「しなかったこと」の次に「、そのため、同一審原告は、民間アパートに住むこととなったこと」を加え、同五行目の「宿舎希望者は四〇名から五〇名はおり、」を「宿舎希望者が四〇名から五〇名いる一方、空室はごく少なく、」に改める。 13 同四六三頁 審原告は、民間アパートに住むこととなったこと」を加え、同五行目の「宿舎希望者は四〇名から五〇名はおり、」を「宿舎希望者が四〇名から五〇名いる一方、空室はごく少なく、」に改める。 13 同四六三頁八行目の「認めなかったこと、」を「認めず、一審原告組合の追求により四か月後に入寮が実現したこと、」に改める。 14 同四六七頁九行目から同四七四頁五行目までを次のとおり改める。 「(二) 高等科研修は、税関の幹部職員として必要な一般教養と、税関行政全般に関する実務知識を習得させることを主な目的として、大学教養課程程度の学力を前提として税関研修所本所において実施され、六等級相当の役付直前の職員を対象とし、期間一〇五日(昭和四一年からは四か月間)、毎年全国で五〇名(東京税関は内八名)程度が予定された。普通科研修を受講した者の中の成績優良者も高等科研修の受講対象とされた。 (三) 普通科研修は、一般職員に対する税関業務に必要な知識と能力の習得を図り、広く一般職員のレベル向上のため法学等の基礎講義及び実務一般を教授することを目的として各税関支所において実施され、行政職・七等級及び八等級の職員で採用後五年以上の職員を対象とし、期間七二日(昭和四一年からは七五日間)、毎年二期に分けて全国で合計四一〇名(東京税関は内各期四〇名ずつ)程度が予定された(但し、予定人員は、年度により異なり、昭和四一年は三〇〇名、昭和四二年は一四〇名、昭和四三年は二三〇名、昭和四四年は二〇〇名程度であった。)。また、昭和四五年からは名称が「中等科研修」と変更された。 (四) 基礎科研修の概要は、前記第四の三の2の(一)(原判決書I四二七頁六行目から四三〇頁一行目まで)に認定したとおりである。 (五) 東京税関においては、各研修の受講者の選定にあたっては、国公法七三条一項一号、人事院規 は、前記第四の三の2の(一)(原判決書I四二七頁六行目から四三〇頁一行目まで)に認定したとおりである。 (五) 東京税関においては、各研修の受講者の選定にあたっては、国公法七三条一項一号、人事院規則一〇-五、税関研修所研修規則の趣旨に従い、個々の職員について研修を必要とする度合、本人の資質、将来性を考慮した人事管理上の要請等を総合的に勘案し、研修の効果が最も期待される職員を選考することとしていた。 2 普通科研修の受講状況について、原告別非違行為等一覧表及び証拠(甲一二、一三、二六、二〇五、三八六ないし三八九、四一九、乙二〇九四ないし二一〇〇、原審における一審原告P68、同P69各本人)によると、次の事実が認められる。 (一) 昭和三九年以前に普通科研修を受講した一審原告をみると、昭和三二年に一審原告P70、同P71が、昭和三五年に同P72が、昭和三六年に同P49、同P73が、昭和三七年に同P41、同P74、同P75、同P76、同P77、同P78が、昭和三八年に同P48、同P79が、昭和三九年に一審原告P50、同P29、同P80、同P81がそれぞれ普通科研修を受講した。昭和二九年以前入関の一審原告組合員についてみても、普通科研修を受講していない者が約三分の一程度いる。普通科研修を受講した者についても、普通科研修を受講した順序は、入関年次と一致していない。採用後五年目から一四年目に普通科研修を受講しているが、採用後一一年目に普通科研修を受講した者が最も多い。 (二) 次に、昭和四〇年以後に普通科研修を受講した一審原告をみると、昭和四〇年に一審原告P9が、昭和四一年に同P10がそれぞれ普通科研修を受講した。 名称が中等科研修となった昭和四五年以降の受講者をみると、昭和四五年に同P82が、昭和四六年に同P83、同P54が、昭和四七年に同P84が、 9が、昭和四一年に同P10がそれぞれ普通科研修を受講した。 名称が中等科研修となった昭和四五年以降の受講者をみると、昭和四五年に同P82が、昭和四六年に同P83、同P54が、昭和四七年に同P84が、昭和四八年に同P85、同P86、同P87、同P34、同P44、同P88、同P66、同P56、同P55、同P89、同P42が、昭和四九年に同P90、同P91、同P92、同P93、同P94が、昭和五〇年に同P95、同P96、同P33、同P35、同P97がそれぞれ中等科研修を受講した。 (三) 昭和三三年ないし昭和三五年入関の一審原告らに、普通科研修ないし中等科研修を受講した者はいない(但し、これらの一審原告らのうち、昭和三三年入関者では一審原告P69、昭和三五年入関者では同P98、同P99、同P100、同P101、同P11が、昭和三九年までに各種の研修を受講していた。)。 3 高等科研修の受講状況については、弁論の全趣旨によると、一審原告組合員で高等科研修を受けた者はいないことが認められる。 4 その他の研修についてみると、原告別非違行為等一覧表及び証拠(甲二〇五、乙二一〇三ないし二一一一、二一八七、二一八八)によると、昭和四〇年の統計実務研修を一審原告組合員P102が、昭和四一年の鑑査実務研修を一審原告P103、同P104、同P105が、昭和四一年の通関実務研修を一審原告組合員P40が、昭和四二年の通関実務研修を一審原告P85が、昭和四四年の統計実務研修を一審原告P106、当時一審原告組合員であったP107が、昭和四四年の通関実務研修を一審原告P68がそれぞれ受講していること、昭和四五年以降も昭和四九年までの間に、一審原告組合員らは、中等科研修及び新任管理者研修のほか、商品学(一審原告P74、同P75、同P79、同P76、同P78、同P68、同P れぞれ受講していること、昭和四五年以降も昭和四九年までの間に、一審原告組合員らは、中等科研修及び新任管理者研修のほか、商品学(一審原告P74、同P75、同P79、同P76、同P78、同P68、同P103、同P108、同P98、同P10、同P109、同P55、同P56、同P57、同P34、同P36、同P91)、事後調(一審原告P1、同P48、同P79)、評価(同P48、同P71、同P75、同P73、同P103、同P108)、保税実務(同P80、同P110、同P90、同P93、同P105、同P66、同P111)、経営分析(同P9)、通関実務(同P50、同P9、同P80、同P112、同P68、同P81、同P113、同P100、同P101、同P114、同P54、同P56、同P97、同P84、同P20、同P92、同P85)、審理(同P81、同P115、同P19)、分析(同P55、同P83、同P95、同P86)、貿易取引価格(同P70、同P73、同P76、同P77)、接遇(同P29)、英会話(同P116、同P19)、初級英会話(同P95)、中級英会話(同P78、同P68、同P116)等の各研修を受講していること(その詳細は、原告別非違行為等一覧表記載のとおりである。)が認められる。 5 以上認定の事実に基づいて、一審原告らの主張について、以下判断する。 (一) 確かに、原告別非違行為等一覧表及び証拠(甲二〇五)によると、昭和四二年の研修についてみると、東京税関において合計二六八名の職員が各種研修を受講しているにもかかわらず、一審原告組合員は一審原告P85のみが通関実務研修を受講したにすぎなかったこと、昭和三三年ないし昭和三六年入関の一審原告らのうち、普通科研修ないし中等科研修を受講した者は、一審原告P10を除いていないことが認められる。 しかし みが通関実務研修を受講したにすぎなかったこと、昭和三三年ないし昭和三六年入関の一審原告らのうち、普通科研修ないし中等科研修を受講した者は、一審原告P10を除いていないことが認められる。 しかしながら、右4に認定したとおり、昭和四〇年以降普通科研修ないし中等科研修を受講した一審原告組合員が多数おり、昭和四○年から昭和四四年までの間に普通科研修を受講した一審原告組合員が少ないとしても、右期間に普通科研修を受講した一審原告組合員が現に二名いたのであるから、一審原告組合員が普通科研修から排除されたということはできない(前記2に認定の受講状況からすると、昭和三三年ないし昭和三六年入関の一審原告らのうち、普通科研修ないし中等科研修を受講した者が一審原告P10を除いていないことの背景には、右の一審原告らも、昭和四〇年以降普通科研修ないし中等科研修の受講対象者となるべきところ、原告別非違行為等一覧表によると、右の者らは、昭和四五年から昭和四八年頃までに六等級に昇格して受講の機会を失ったことが窺われる。)。 また、一審原告らは、「昭和四五年の中等科研修受講時における一審原告組合員と非組合員との入関年次の差は、二年から三年であったが、その後格差は拡大し、昭和四八年には、入関年次で四年から六年の差が生じた。」と主張するが、右1に認定したように、中等科研修を始めとして各種研修には定員の定めがあり、中等科研修の受講は入関年次とは一致しないものであるから、一審原告らの主張は、失当である。 また、一審原告らは、希望した研修を受講できなかったことをもって組合差別であると主張するが、右各種の研修は、職員の希望に従って受講を認めるものではなく、この点をもって差別ということもできない。 (二) 一審原告らは、「当局は、高等科研修の受講から原告組合員を排除している。」 と主張するが、右各種の研修は、職員の希望に従って受講を認めるものではなく、この点をもって差別ということもできない。 (二) 一審原告らは、「当局は、高等科研修の受講から原告組合員を排除している。」と主張するが、前記一の1に認定のとおり、高等科研修は、税関の将来の幹部候補となる特に優秀な職員を選定し、より高度な研修を行うものであり、その人員自体も、毎年全国で五〇名(東京税関は内八名)程度に限定されていたのであるから、一審原告組合員で高等科研修を受けた者がいないとしても、それだけで、一審原告組合に所属することを理由とする差別があったとは、認められない。 (三) 一審原告らは、「初級管理者研修については、一審原告組合員の非組合員に対する入関年次の差は昭和四五年で七年、同四八年で五年あり、五年から一〇年の遅れとなっている。」と主張する。証拠(甲四一九、一一六〇)によると、初級管理者研修は、新任の役付職員に初級管理者として必要な基礎的管理知識を修得させることを目的として各税関支所において実施され、その年度において新たに役付に任用された職員全員を対象とし、期間五日とされていたこと、本件係争期間中に初級管理者に昇任した一審原告組合員についてみると、ほとんどの例外なしに、その全員が昇任した年に初級管理者研修(但し、昭和四七年までに昇任した者については、監督者初任研修)を受講したことが認められる。そうすると、初級管理者研修について、一審原告組合に所属することを理由とする差別があったとは、認められない。 (四) その余の研修についても、前記4に認定のとおり、一審原告らは、各種の研修を受講しているのであって、本件全証拠によっても、一審原告組合に所属することを理由とする差別があったとは、認められない。」 15 同四七八頁一〇行目の「イーゼル」から同四七九頁一行目 らは、各種の研修を受講しているのであって、本件全証拠によっても、一審原告組合に所属することを理由とする差別があったとは、認められない。」 15 同四七八頁一〇行目の「イーゼル」から同四七九頁一行目から同二行目にかけての「認めなくなった。」までを「会議室の使用許可を申請した際に、当局から部外者の参加について報告を求められるなどしたため、手続が煩瑣となったほか、サークル費についても会計報告を求められた。」に改める。 16 同四七九頁六行目の「配転した。」を「配転した(当時、同年一一月八日に、一五周年記念公演が予定され、P36は、二役を受け持っていた。P36は、新潟から稽古に通い、記念公演に出演した。)。一方、油絵サークルは、昭和四三年にサークル費の配分がなくなったことなどから、東京税関の施設を使用することを止めて、外部でサークル活動を継続するようになった。」に改める。 17 同四八八頁二行目の「ない」の次に「(右P117の証言によれば、P117が当時勤務していたα出張所には、右予備選考会を知らせる庁内放送が通じていなかったことが認められる。)」を加える。 18 同四八九頁六行目から同四九二頁一〇行目までを次のとおり改める。 「 一審原告らは、東京税関当局が表彰について一審原告組合員を差別したと主張するので、以下判断する。 1 証拠(乙二二一四ないし二二一七)によると、大蔵省表彰規程(昭和二六年四月一日訓令特二)は、大蔵省の職員又は部局で顕著な功績又は模範として推奨するに値する業績のあったものに対し表彰すると定め、表彰事由として「大蔵省の業務運営上顕著な功績のあったもの」「大蔵省に永年勤務し、その勤務成績良好なもの」等四つの表彰事由を定めていること、表彰のうち、大臣が表彰権者として行う大臣表彰については、大蔵省表彰規程は、右表彰事由に該当するもの 功績のあったもの」「大蔵省に永年勤務し、その勤務成績良好なもの」等四つの表彰事由を定めていること、表彰のうち、大臣が表彰権者として行う大臣表彰については、大蔵省表彰規程は、右表彰事由に該当するもののうち、「大蔵省全体の模範となるものに対して行う。」こととし、表彰に値すると認められるものがあるときは、所属の長は、その旨を表彰権者に内申しなければならないと定めていること、東京税関は、昭和四二年二月二二日大蔵省表彰規程に基づく東京税関の職員に対する表彰について東京税関表彰内規を定め、同内規は、関税法違反事件の調査、検挙又は取締について顕著な功績のあったものにかかる表彰(密輸検挙者表彰)の基準及び取扱いは、監視取締業務に従事する税関職員等表彰準則(昭和三一年大蔵省訓令特第七号)の定めるところによると規定していること、監視取締業務に従事する税関職員等表彰準則については、更にその運用内規が定められており、「犯則検挙の功績得点基準表」により計算された得点が四〇点以上で、特に功績顕著と認めたものについて大臣表彰を上申すると定めていること、大臣表彰のうち、個人表彰を内申する際に添付することと定められている調書には、勤務成績の欄があることが認められる。 2 証拠(甲一〇五〇、一一〇七の一ないし三、乙二〇七一ないし二〇七三、当審における一審原告P11本人)によると、羽田税関支署監視官付であった一審原告P11は、昭和四三年一月三○日午後八時二五分頃、旅具検査場において、不審な外人女性を見付け、検査室への任意同行を求めたうえ、同所において、上司の副監視官に引き継いだところ、右女性が二四キログラムの金塊を隠したコルセットを衣服の下に着込んでいたことが発覚しその場で逮捕されたこと、一審原告P11が密輸犯人を検挙したことが、その頃、夕刊各紙等に掲載されたこと、一審原 ころ、右女性が二四キログラムの金塊を隠したコルセットを衣服の下に着込んでいたことが発覚しその場で逮捕されたこと、一審原告P11が密輸犯人を検挙したことが、その頃、夕刊各紙等に掲載されたこと、一審原告P11は、それ以外にも、他の職員と共同して密輸犯人を検挙したことがあったこと、毎年一一月二八日税関記念日には密輪検挙者等に対して表彰が行われ、昭和四三年一一月二八日の表彰式において、一審原告P11は、羽田税関支署所属の三名とともに大蔵大臣表彰(団体)を受けたものの、大蔵大臣表彰(個人)及び税関長表彰(団体及び個人)を受けなかったことが認められる。 3 また、原告別非違行為等一覧表と証拠(甲一〇五〇、当審における一審原告P11本人)によれば、一審原告P11は、昭和四二年度及び昭和四三年度の一審原告組合執行委員であったところ、同一審原告には、原告別非違行為等一覧表の同一審原告の「非違行為」欄記載のとおり、昭和四二年に六件(無許可集会参加二件、リボン闘争三件、抗議行動一件)の、昭和四三年に二件(後記勤勉手当受領拒否一件、リボン闘争一件)の各非違行為があったこと、昭和四三年の右二件のうち一件は、同年三月一五日に一審原告組合員一七名が勤勉手当を減額されたことに抗議して、一審原告P11が、他の組合員とともに勤勉手当の受領を拒否したものであったこと、一審原告組合は、当時、当局が行う表彰についても職員間に過当競争を招きかねないなどとして問題化していたことが認められる。 4(一) ところで、証拠(甲三五一の一、二)によると、前記のとおり、昭和四三年四月二日に開催された東京税関の幹部会議において、大蔵大臣表彰について検討された席上、税関長が「当人は、勤勉手当の受領を拒否しているそうだが、大臣表彰まで受領を拒否した場合上申した当関の面目がなくなる」と発言し、総務 た東京税関の幹部会議において、大蔵大臣表彰について検討された席上、税関長が「当人は、勤勉手当の受領を拒否しているそうだが、大臣表彰まで受領を拒否した場合上申した当関の面目がなくなる」と発言し、総務部長が「給与法に定める勤勉手当の受領を拒否している者は大臣表彰を受けるに値しない」と発言し、羽田税関支署長が「本件は二月上旬に上申していたのに今日まで延ばしていたため勤勉手当受領拒否の問題が絡んできたのだから表彰せざるをえないのではないか」と発言したこと、その際、大蔵省表彰規程が、前記のとおり、大臣表彰について「大蔵省全体の模範となるものに対して行う。」と定めていることの解釈について議論されたこと、税関長は、「腹では旧労職員を表彰したくないが、永年勤続者表彰の場合は永年勤続の事実が充足すれば表彰しているから、本件だけを除外することは筋が通らぬだろう。」と発言したことが認められ、右事実と、右3に認定の事実とを合わせ考えると、税関長が「当人」というのは、一審原告P11のことであると認められる。 (二) 次に、証拠(甲三五二、三五三の一)によると、前記のとおり、昭和四三年七月一七日に開催された東京税関の幹部会議において、「表彰基準について対象者が、(1)特定の組合に所属していること、(2)その者のそこにおける程度の如何を問題として」との議題について、税関長が「永年勤続表彰は永年勤続プラス特別功労になってはいても、永年勤続だけで表彰しているのだから、密輸の方もそのこと単独でやってよいと思う。大臣表彰であろうと税関長表彰であろうと、表彰に対する思想、基準は統一しておくべきだ。」と、総務部長が「所属組合によって扱いを異にするのは奇異だ。検討中ということで保留し、十分調査し意見を固めたほうがよい。」と、羽田支署長が「表彰基準を変えることはよくないし、恣意 しておくべきだ。」と、総務部長が「所属組合によって扱いを異にするのは奇異だ。検討中ということで保留し、十分調査し意見を固めたほうがよい。」と、羽田支署長が「表彰基準を変えることはよくないし、恣意に流れて決めるのもおかしい。保留するという点については、むしろ表彰のあるべき姿を本省に上げ説得し、先制攻撃をかけるべきだ。」と、更に総務部長が「表彰についての他関、他省庁の客観的資料を準備、検討し、理論武装してあたるのがよいので、当関の意見をいきなりぶつけるよりも、勝てそうになるまで準備して待つということだ。」とそれぞれ発言したこと、その席上、予備審査の評定について、表彰から「好ましくない職員を排除するため、」一般の基準より厳しい運用によることの当否、「他の職員の模範とするにふさわしくない行為のあった職員」に対する表彰について運用内規を改正することの当否等が検討されたものの、結局、見送りとなったことが認められる。 (三) 右(一)及び(二)によると、東京税関の幹部会議において、表彰について昭和四三年四月二日と同年七月一七日の二回にわたり協議がなされ、その際、東京税関幹部は、全税関に対する嫌悪感を明らかにしながらも、表彰自体については、むしろ、税関長を中心として、全税関所属の組合員に対しても従前の基準に基づいて表彰を実施せざるを得ないとの意見を当時表明していたものであることは、前記第三の一に説示のとおりである。 5 以上認定の事実を総合して判断すると、一審原告P11が昭和四三年一月三〇日にした密輸犯人検挙について、大蔵大臣表彰(個人)が授与されなかった理由は、本件全証拠によっても明らかでないというほかない。 この点に関し、一審原告P11は、当審における本人尋問において、「前年に金塊二七キログラムの密輸犯人を検挙したP12は、昭和四二年に大蔵大臣表 は、本件全証拠によっても明らかでないというほかない。 この点に関し、一審原告P11は、当審における本人尋問において、「前年に金塊二七キログラムの密輸犯人を検挙したP12は、昭和四二年に大蔵大臣表彰(個人)を受け、また、同年に大蔵大臣表彰(個人)を受けた右P12を含む三名は、翌年に例外なく特昇を受けており、したがって、同一審原告の事案は、大蔵大臣表彰(個人)に値するところ、同一審原告は、右事案について大蔵大臣表彰(個人)のみならず、税関長表彰(個人)も受けられず、したがって、また、大蔵大臣表彰(個人)に伴う特昇も受けられず、同一審原告が一審原告組合に所属していたことを理由に差別された。」旨供述する。 しかしながら、証拠(乙二一九四、二一九五)によると、昭和四〇年以降、多くの金塊密輸事犯が東京税関において摘発されていたことが認められるところ、そのような密輸事犯を摘発した税関職員の多くが大蔵大臣表彰(個人)を受けていたとしても、一審原告P11の右密輸犯人検挙事件と犯則の規模、功績において同程度と認められる事例において、例外なく全員が大蔵大臣表彰(個人)を受けていたことを認めるに足る的確な証拠はない(P12の検挙事件について、その詳細は不明といわざるを得ない。)。また、東京税関当局が一審原告P11の右密輸犯人検挙事件について大蔵大臣表彰(個人)を内申しなかったとの証拠もない(むしろ、右4の(一)によれば、東京税関は、右内申をしていたのではないかと窺われる。)。却って、右2及び4のとおり、一審原告P11は、昭和四三年一一月二八日羽田税関支署所属の三名とともに大蔵大臣表彰(団体)を受けたこと、当時、東京税関当局は、表彰について一審原告組合員を一審原告組合員であるというだけの理由で差別する意思を有していなかったことに照らすと、一審原告P11に 名とともに大蔵大臣表彰(団体)を受けたこと、当時、東京税関当局は、表彰について一審原告組合員を一審原告組合員であるというだけの理由で差別する意思を有していなかったことに照らすと、一審原告P11に大蔵大臣表彰(個人)が授与されなかったのが、東京税関当局の差別によるとは認め難い。 一審原告P11は、大蔵大臣表彰(個人)に伴う特昇も受けられなかったと供述するが、本件全証拠によっても、大臣表彰(個人)を受彰した者が例外なく特別昇給を受けたことを認めるに足りる的確な証拠もない。 したがって、一審原告P11が一審原告組合に所属していたことを理由に、表彰において差別されたとは認められない。 6 他に、大臣表彰において、一審原告組合員が一審原告組合に所属していたことを理由に差別されたことを認めるに足りる証拠はない。」 19 同五〇三頁一行目の「証拠(原告P99)中には、」を「証拠(原審における一審原告P69、同P79、同P99各本人)中には、」に、同二行目の「回答があったし、」を「回答があったとの部分があり、また、証拠(原審における一審原告P99本人)中には、」に、同四行目から同五行目にかけての「同原告の供述はいずれも伝聞であり、」を「右一審原告らの供述は、いずれも伝聞に基づくものが多く、」に改める。 20 同五一二頁四行目の「昭和四一年九月」から同五行目の「翌四二年三月に」までを「昭和四二年八月に一審原告P112を訓告処分に処し、同年一〇月同人の昇給を延伸し、昭和四三年三月に」に改める。 二 P7文書について一審原告らは、P7文書により、東京税関当局が第二組合設立を予め画策したうえ、職制をして一審原告組合からの脱退と第二組合への加入の説得をさせたことが明らかであると主張するので、以下判断する。 1 証拠(甲一一四九ないし一一五一、一一八五ないし一 二組合設立を予め画策したうえ、職制をして一審原告組合からの脱退と第二組合への加入の説得をさせたことが明らかであると主張するので、以下判断する。 1 証拠(甲一一四九ないし一一五一、一一八五ないし一一九二、乙五七の一、七一の五、八三の五、一七一)及び弁論の全趣旨によると、P7は、本件係争期間中、昭和四〇年羽田税関支署業務第一課長、昭和四二年監視部警務課長、昭和四三年α出張所総務課長、昭和四五年大蔵省関税局企画課課長補佐、昭和四七年東京外郵出張所長の職にあったこと、P7は、昭和四九年に退官し、同年から昭和六三年まで日本航空株式会社に勤務していたこと、P7は、東京税関在職中、本件に提出されている多数の現認書の原本を作成していたことが認められる。 2 証拠(甲一一四九ないし一一五一)によると、P7は、「コンテナエージ」平成一〇年一月号に「官僚独裁体制の破綻」と題する記事を掲載し、右記事には、一審原告ら主張のとおりの記述があること、P7は、次いで「労働運動研究」同年三月号に「大蔵省における労組つぶしの思い出」と題する別記事を掲載し、右記事にも、一審原告ら主張のとおりの記述があること、P7は、「週間エコノミスト」同年六月二日号に「大蔵官僚を骨抜きにした角栄と組合潰し」と題する記事を掲載し、右記事にも、前記両記事の要約を記載した部分があることが認められる。 3 しかしながら、証拠(甲一一四九ないし一一五一)によると、P7が右各雑誌等に掲載した記事の内容は、いずれも抽象的かつ概括的なもので、具体的事実の記載がほとんどなく(上司の指示があったとの記事についてみても、指示をした当該上司の氏名、官職、指示のあった時期等の記載が全くない。)、これを裏付けるに足りる何らかの資料等の摘示もない。前記認定のP7の経歴からすると、東京税関在職中、P7は、東京税関当局が 、指示をした当該上司の氏名、官職、指示のあった時期等の記載が全くない。)、これを裏付けるに足りる何らかの資料等の摘示もない。前記認定のP7の経歴からすると、東京税関在職中、P7は、東京税関当局が一審原告らに対してとった労務政策や個々の措置等について当然その詳細を知り得る立場にあったものと認められるものの、右各記事に記載した内容自体からは、右2に認定の記述の信憑性を確認することはできないといわざるを得ない。したがって、P7文書をもって、東京税関当局が第二組合設立を予め画策し、職制をして一審原告組合からの脱退と第二組合への加入の説得をさせたことの裁判上の裏付けとなる証拠とすることはできない。一審原告らの前記主張は、採用することができない。 三前記第三の二に説示のとおり、関税局及び東京税関当局は、本件係争期間中、一審原告組合を嫌悪し、差別する意思を有していたものというべきところ、右一に認定の事実によれば、昭和三九年から昭和四〇年二月にかけて職制を中心として一審原告組合分裂の動きが生じ、同年二月二七日税関労が結成された際、東京税関当局は、職制を中心とする一審原告組合分裂の動きを助長し、支援したほか、本件係争期間中、(一)まず、職員の配置について、一審原告組合員を他の職員から隔離するため、一審原告組合員七名を意図的に特別派出所勤務にし、(二)次に、新入職員について、昭和四二年四月一日に行われた東京税関の入関式当日、一審原告組合員が門前でビラを配布した際、東京税関当局は、新入職員が一審原告組合に加入するのを制限する目的で、総務課職員をして新入職員から右ビラを回収させ、また、新入職員の配置についても、一審原告組合の影響を受けないような配置を考慮し、(三)更に、職員が勤務時間外に行うリクリエーション、サークル活動について、東京税関当局は、全税関 右ビラを回収させ、また、新入職員の配置についても、一審原告組合の影響を受けないような配置を考慮し、(三)更に、職員が勤務時間外に行うリクリエーション、サークル活動について、東京税関当局は、全税関の影響を弱める目的で、一審原告組合員が活動しているサークルに補助金を交付しないこととし、一審原告組合員が多数参加していた音楽隊を嫌悪し、その解散を余儀なくさせ、昭和四一年一〇月東京税関にレクリーダー制度が発足した際、一審原告組合員であることを理由に一審原告組合員をレクリーダーに任命しない差別をしたことが認められる。しかしながら、一審原告らが主張するその余の差別行為については、右一に引用に係る原判決理由説示(原判決書I「第四章争点に対する判断」の第四〔原判決書I三八九頁三行目から同五一八頁六行目まで〕)のとおり、これを認めることはできないというほかない。 第五争点四(非違行為)について非違行為の存在(現認書の成立、証拠能力を含む。)、非違行為の違法性、勤務成績の評定において非違行為を考慮することの可否に関する当裁判所の判断は、原判決書I「第四章争点に対する判断」の第五(但し、原判決書I五一八頁八行目から同五四六頁五行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。 第六争点五1(一審被告の個人一審原告らに対する国賠法一条一項に基づく損害賠償義務の存否及び賠償すべき損害額)について昇任、昇格及び昇給について一審原告組合員と非組合員とを集団的、全体的にみると、一審原告組合員と非組合員との間に本件係争期間中格差があったことは、前記第一の二に認定のとおりである。そこで、東京税関所属の職員の昇任、昇格及び昇給の選考について裁量権を有する東京税関長が、右裁量権を行使するに際し、個々の個人一審原告らに対し、一審原告組合員であることを理由とする差 とおりである。そこで、東京税関所属の職員の昇任、昇格及び昇給の選考について裁量権を有する東京税関長が、右裁量権を行使するに際し、個々の個人一審原告らに対し、一審原告組合員であることを理由とする差別扱いをしたか否かについて、以下判断する。 一個人一審原告らの勤務成績について 1 個人一審原告らの勤務成績の資料について(一) 個人一審原告らの本件係争期間中の勤務成績、能力を明らかにするものとして、前記第五に認定の非違行為、矯正措置及び後記二に認定の病気休暇がある。 このうち、個人一審原告らの勤務成績を評定するについて個人一審原告らの非違行為を考慮することができることは、前記第五に説示のとおりである。 次に、個人一審原告らの病気休暇の取得については、本来病気となること自体は、やむを得ないことであるといい得るものの、病気休暇を取得したことは、当該本人をより上位の官職に昇任させるか否か、より高い等級に昇格させるか否かを判断するについて、能力、適性の一事情としてこれを斟酌し得るのであって、長期間にわたり病気休暇を取得したことをもって、勤務成績の評定上不利に扱われてもやむを得ないというべきである。 (二) 個人一審原告らの勤務成績に関し、一審原告らの陳述書には、「仕事を真面目にやった。」(甲五九七、六五七、六六〇、六八三、一二一六、一二一八、一二一九、一二二六、一二二九)、「仕事を頑張ってやった。」(甲五九九、六六〇、六六七、六七七、一一四八、一二二〇、一二二三、一二三六)、「仕事を積極的にやった。」(甲六三六、一二〇八、一二〇九、一二一三、一二一七、一二四一)、「勤務に精励した。」(甲六三四)、「上司から勤務成績が悪いといわれたり、仕事ぶりについて注意されたことはなかった。」(甲六六九、一一八一、一二一三、一二一四、一二二三、一二二八、一二三 二四一)、「勤務に精励した。」(甲六三四)、「上司から勤務成績が悪いといわれたり、仕事ぶりについて注意されたことはなかった。」(甲六六九、一一八一、一二一三、一二一四、一二二三、一二二八、一二三七)、「上司から仕事ぶりについて誉められた。」(甲一二二六、一二三〇)、「親切な接遇を心がけた。」(甲六六九、一一七九)、「平素、勉強や商品知識の取得に心がけた。」(甲一一七九、一一八〇、一一八二、一一八三、一二二二、一二二四、一二二五、一二二七、一二三一、一二三二、一二三三)との記載部分がある。 しかしながら、右各陳述書の記載部分は、その作成者において、自己の勤務態度、勤務成績等に関する主観的な認識を記載したものであって、客観的な裏付けを欠き、これをもって、個人一審原告らの本件係争期間中の勤務成績、能力が非組合員のそれらと同等であったと認めることはできない。 (三) 一方、一審被告は、個人一審原告らの本件係争期間中の勤務成績が非組合員に比較し劣ることを立証するため、当審において、陳述書(乙二一六九、二一七五、二一七八、二一八〇、二一八三、)及び供述録取書(乙三〇〇一の一、三〇〇二の一、三〇〇三の一、三〇〇六の一、三〇〇七の一、三〇一一の一、三〇一三の一、三〇一六の一、三〇一七の一、三〇一八の一、三〇二〇の一、三〇二二の一、三〇二三の一、三〇二四の一、三〇二五の一、三〇二八の一、三〇三〇の一、三〇三三の一及び二、三〇三四の一、三〇四四の一、三〇四五の一、三〇五二の一、三〇五三の一、三〇五四の一、三〇五五の一、三〇五七の一、三〇五九の一、三〇六〇の一、三〇六一の一、三〇六二の一、三〇六三の一、三〇六六の一、三〇六七の一、三〇六九の一、三〇七五の一、三〇七八の一、三〇八〇の一、三〇八一の一、三〇八二の一、三〇八五の一、三〇八七の一及び二、三〇八 、三〇六一の一、三〇六二の一、三〇六三の一、三〇六六の一、三〇六七の一、三〇六九の一、三〇七五の一、三〇七八の一、三〇八〇の一、三〇八一の一、三〇八二の一、三〇八五の一、三〇八七の一及び二、三〇八八の一、三〇九一の一、三〇九五の一、三〇九七の一、三一〇三の一、三一〇四の一)を提出し、当審証人P118、同P119、同P120、同P121、同P122を尋問した。 右各陳述書及び各供述録取書は、関係する個人一審原告の上司であった者により、同じ勤務場所で勤務した当時の事について記載されているものであるが、右各陳述書及び各供述録取書には、その全部に、当該個人一審原告がリボン・プレート着用等の組合行動を行った際の活動状況が記載されているほか、平素の勤務ぶりについて、「積極的に仕事に取り組む姿勢に乏しかった。」「積極的に協力しなかった。」「処理が遅かった。」「ミスが多かった。」「指示に対し、反抗的であった。」などの陳述記載及び供述記載があり、当審証人P118、同P119、同P120、同P121、同P122の各証言中にも、同旨の証言がある。しかしながら、右各陳述書及び各供述録取書は、個人一審原告らの約半数に関するものであるに過ぎないし、また、その記載内容も、作成時から二〇年以上前に生起した事柄に関し、しかも、本件係争期間のうち概ね一、二年(稀に三、四年)の比較的短期間について供述したところを記載したものに過ぎず、これをもって直ちに当該個人一審原告らの勤務成績が非組合員に比較し不良であったと認めることはできない。当審証人P118、同P119、同P120、同P121、同P122の各証言についても、同様である。 また、右各陳述書及び各供述録取書には、「勤務時間中の離席が多かった。」(乙二一六九、三〇〇二の一、三〇〇七の一、三〇二〇の一、三〇二五の一、三〇 21、同P122の各証言についても、同様である。 また、右各陳述書及び各供述録取書には、「勤務時間中の離席が多かった。」(乙二一六九、三〇〇二の一、三〇〇七の一、三〇二〇の一、三〇二五の一、三〇三三の二、三〇四五の一、三〇六二の一、三〇六九の一、三〇八五の一、三〇八七の二)、「当日の電話で休暇を取ることが多かった。」(乙二一七五、三〇〇二の一、三〇一六の一、三〇一七の一、三〇一八の一、三〇七八の一)、「遅刻が多かった。」(乙二一六九、二一七八、二一八〇、三〇一一の一、三〇六〇の一)、「勤務時間中の私語、電話が多かった。」(乙二一八〇、三〇一七の一、三〇二〇の一、三〇三三の二、三〇五三の一、三〇六〇の一、三〇六一の一、三〇六二の一、三〇六九の一、三〇七八の一、三〇八五の一、三〇八七の二)などの陳述記載及び供述記載がある。しかしながら、右陳述記載及び供述記載も、比較的短期間について供述したところを記載したものに過ぎず、出勤簿等客観的資料による裏付けを欠き、本件証拠上非組合員らについて同一の事由がなかったのかも明確ではないから、これをもって当該一審原告らの勤務成績が非組合員に比較し不良であったと認めることはできない。これと同旨の当審証人P118、同P119、同P120、同P121、同P122の各証言についても、同様である。 (四) 他に、個人一審原告らの本件係争期間中の勤務成績、能力を明らかにするに足りる証拠はない。 2 これに対し、本件記録中には、非組合員の本件係争期間中の勤務成績、能力を明らかにするに足りる証拠はない。 二個人一審原告ら毎の給与格差について昇任等実態表及び原告別非違行為等一覧表と、甲二五二の一ないし二〇によると、同期同資格の非組合員との間で個人一審原告らに生じた格差の程度及び病気休暇に関し、以下の事実が認められる( 与格差について昇任等実態表及び原告別非違行為等一覧表と、甲二五二の一ないし二〇によると、同期同資格の非組合員との間で個人一審原告らに生じた格差の程度及び病気休暇に関し、以下の事実が認められる(右掲記の各書証等のうち昇任等実態表については、比較の対象として記載された非組合員を個々の個人一審原告と比較するについて、前記〔原判決書I「第四章争点に対する判断」の第一の一〕に説示のとおりの制約があることに留意する限り、個人一審原告ら毎の給与格差の存否を判断するについても昇任等実態表を使用することができるというべきである。)。 なお、右各資料及び証拠中には、本件係争期間開始時の個人一審原告ら及び同期同資格入関者の等級号俸が必ずしも明確でなかったり、格差を比較するのに適切な同期同資格入関者がいないか、いたとしてもごく少数に過ぎないなどの事情があるので、個人一審原告ら毎の給与格差について以下認定するところは、一応のものであるに過ぎない。 (一審原告P1)昭和二四年度入関者は、採用時期、採用資格がまちまちであり、一審原告P1と比較するのを相当とする同年三月ないし四月高卒入関者男性三名と比較すると、本件係争期間初期の昭和四一年四月においては、右比較対象者のうち一名が六等級八号俸で二名が同級九号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級八号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち一名が五等級一五号俸、一名が同級一六号俸、一名が四等級一〇号俸であったのに対し、同一審原告は、五等級一二号俸であった(甲二五二の五によると、昇任等実態表中、「P150」が四等級一二号俸に昇格したのは、昭和四九年七月と認められる。)。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右三名のうち最も昇任が遅れた者二名から更に五年九か月遅れた。本件係争期間中、右比較対象者 0」が四等級一二号俸に昇格したのは、昭和四九年七月と認められる。)。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右三名のうち最も昇任が遅れた者二名から更に五年九か月遅れた。本件係争期間中、右比較対象者全員が特昇を受けたのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より相当低かったと認められる。 (一審原告P50)昭和二五年度入関者は、採用時期、採用資格がまちまちであり、同年一月旧中卒入関の一審原告P50と比較するのを相当とする同年二月旧中卒入関者男性一名と比較すると、本件係争期間初期の昭和四〇年一〇月においては、右比較対象者が六等級八号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級五号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者が五等級一五号俸であったのに対し、同一審原告は、五等級一一号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者から八年三か月遅れた。本件係争期間中、右比較対象者が特昇を二回受けたのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者の処遇より低かったが、本件係争期間終期においては、右比較対象者の処遇より相当低かったと認められる(但し、同一審原告は、昭和三七年二月二四日から同年九月一六日まで病気休暇を取得しており、同一審原告に対する右処遇には、同一審原告が右病気休暇を取得したことが影響していると推認される。)。 (一審原告P48)昭和二五年度入関者は、採用時期、採用資格がまちまちであり、同年三月高卒三級入関の一審原告P48と比較するのを相当とする同年五月高卒三級入関者男 が影響していると推認される。)。 (一審原告P48)昭和二五年度入関者は、採用時期、採用資格がまちまちであり、同年三月高卒三級入関の一審原告P48と比較するのを相当とする同年五月高卒三級入関者男性一名と比較すると、本件係争期間初期の昭和四〇年一〇月においては、右比較対象者が六等級七号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級六号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者が五等級一四号俸であったのに対し、同一審原告は、五等級一一号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者から四年一一か月遅れた。本件係争期間中、右比較対象者が特昇を二回受けたのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者の処遇よりわずかに低かったが、本件係争期間終期においては、右比較対象者の処遇より相当低かったと認められる。 (一審原告P49)昭和二五年度入関者は、採用時期、採用資格がまちまちであり、同年七月旧中卒入関の一審原告P49と比較するのを相当とする同年七月旧中卒入関者男性一名と比較すると、本件係争期間初期の昭和四〇年一〇月においては、右比較対象者が六等級八号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級六号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者が四等級一一号俸であったのに対し、同一審原告は、五等級一一号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者から八年遅れた。本件係争期間中、右比較対象者が特昇を二回受けたのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者の処遇より低かったが、本件係争期間終期においては、右比較対象者の処遇より相当低かったと認められる。 (一審原告P70) った。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者の処遇より低かったが、本件係争期間終期においては、右比較対象者の処遇より相当低かったと認められる。 (一審原告P70)昭和二五年度旧専・五級職入関者は、採用時期、採用資格がまちまちであり、同年一〇月旧専卒入関の一審原告P70と比較するのを相当とする同年七月旧専卒入関者男性一名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者が六等級八号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級八号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者が四等級一三号俸であったのに対し、同一審原告は、五等級一二号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者から九年三か月遅れた。本件係争期間中、右比較対象者が特昇を三回受けたのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者の処遇より相当低かったと認められる(但し、同一審原告は、昭和三三年二月一八日から同年六月一六日までと昭和四六年九月二七日から同年一一月二日まで病気休暇を取得しており、同一審原告に対する右処遇には、同一審原告が右各病気休暇を取得したことが影響していると推認される。)。 (一審原告P41)昭和二六年度旧専・五級職入関者は、採用時期、採用資格がまちまちであり、同年二月旧専入関の一審原告P41と比較するのを相当とする同年一月ないし四月旧専・五級職入関者男性一三名(途中転勤したP151及び一時退職したP152を除く。)と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち五名のみが六等級八号俸でその余は四名が五等級五号俸、四名が同級六号俸であったのに対し、同一審原 51及び一時退職したP152を除く。)と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち五名のみが六等級八号俸でその余は四名が五等級五号俸、四名が同級六号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級六号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち一名が五等級一四号俸、一名が同級一五号俸でその余は七名が四等級一二号俸、四名が同級一三号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級一五号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者のうち初級管理者に昇任したのが最も遅れた二名から七年四か月遅れた。本件係争期間中、右比較対象者のうち一名が三回、七名が二回、四名が一回それぞれ特昇を受け、特昇を受けなかったのは一名しかいなかったのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低かったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より相当低かったと認められる。 (一審原告P123)昭和二六年度旧専・五級職入関者は、採用時期、採用資格がまちまちであり、同年三月旧専入関の一審原告P123と比較するのを相当とする右一審原告P41の欄に認定の比較対象者一三名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち五名のみが六等級八号俸でその余は四名が五等級五号俸、四名が同級六号俸であったのに対し、一審原告P123は、六等級八号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち一名が五等級一四号俸、一名が同級一五号俸でその余は七名が四等級一二号俸、四名が同級一三号俸であったのに対し、同一審原告は、五等級一二号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者のうち初級管理者に昇任した が同級一五号俸でその余は七名が四等級一二号俸、四名が同級一三号俸であったのに対し、同一審原告は、五等級一二号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者のうち初級管理者に昇任したのが最も遅れた二名から六年一か月遅れた。本件係争期間中、特昇を受けなかったのは、一審原告P41と同一である。したがって、一審原告P123の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より相当低かったと認められる。 (一審原告P124)昭和二六年四月高卒入関の一審原告P124と比較するのを相当とする同年四月高卒入関者女性四名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち一名が七等級八号俸、二名が六等級五号俸、一名が同級六号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級五号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち二名が六等級一四号俸、一名が五等級一二号俸、一名が同級一三号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級一四号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのは、右比較対象者のうち初級管理者に昇任したのが最も遅れた一名と同時期の本件係争期間終了後の昭和四九年七月であった。本件係争期間中、右比較対象者のうち一名が二回、二名が一回それぞれ特昇を受け、特昇を受けなかった者は一名であったのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち中位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇とほぼ同等であったと認められる。 (一審原告P74)昭和二六年度高卒入関者は、採用時期、採用資格がまちまちであり、同年四月 あったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇とほぼ同等であったと認められる。 (一審原告P74)昭和二六年度高卒入関者は、採用時期、採用資格がまちまちであり、同年四月高卒入関の一審原告P74と比較するのを相当とする同年四月高卒入関者男性一九名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち一名が七等級八号俸、一三名が六等級六号俸、五名が同級七号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級五号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち二名が五等級一二号俸、八名が同級一三号俸、五名が同級一四号俸、一名が四等級九号俸、三名が同級一〇号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級一四号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者のうち初級管理者に昇任したのが最も遅れた一名から五年九か月遅れた。本件係争期間中、右比較対象者のうち三名が三回、一〇名が二回、六名が一回それぞれ特昇を受け、特昇を受けなかった者はいなかったのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち劣位の者の処遇とほぼ同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より相当低かったと認められる。 (一審原告P125)昭和二六年度旧専・五級職入関者は、採用時期、採用資格がまちまちであり、同年四月旧専入関の一審原告P125と比較するのを相当とする右一審原告P41の欄に認定の比較対象者一三名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち五名のみが六等級八号俸でその余は四名が五等級五号俸、四名が同級六号俸であったのに対し、一審原告P125は、六等級七号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象 おいては、右比較対象者のうち五名のみが六等級八号俸でその余は四名が五等級五号俸、四名が同級六号俸であったのに対し、一審原告P125は、六等級七号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち一名が五等級一四号俸、一名が同級一五号俸でその余は七名が四等級一二号俸、四名が同級一三号俸であったのに対し、同一審原告は、五等級一二号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者のうち初級管理者に昇任したのが最も遅れた二名から六年一か月遅れた。本件係争期間中、特昇を受けなかったのは、一審原告P41と同一である。したがって、一審原告P125の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇よりわずかに低かったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より相当低かったと認められる。 (一審原告P71)昭和二六年度旧専・五級職入関者は、採用時期、採用資格がまちまちであり、同年四月旧専入関の一審原告P71と比較するのを相当とする右一審原告P41の欄に認定の比較対象者一三名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち五名のみが六等級八号俸でその余は四名が五等級五号俸、四名が同級六号俸であったのに対し、一審原告P71は、六等級八号俸であった。 本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち一名が五等級一四号俸、一名が同級一五号俸でその余は七名が四等級一二号俸、四名が同級一三号俸であったのに対し、同一審原告は、五等級一二号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者のうち初級管理者に昇任したのが最も遅れた二名から五年九か月遅れた。本件係争期間中、特昇を受けなかったのは、一審原告P41と同一である。したがって、一審原告P71の処遇は、本件係争期間初期に 較対象者のうち初級管理者に昇任したのが最も遅れた二名から五年九か月遅れた。本件係争期間中、特昇を受けなかったのは、一審原告P41と同一である。したがって、一審原告P71の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち劣位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より相当低かったと認められる。 (一審原告P126)昭和二六年高卒入関で昭和三二年に行政職(二)になった一審原告P126と比較するのを相当とする同期女性入関者はいない(昭和二五年入関者及び昭和二七年入関者にも行政職(二)の女性はいない。)。 (一審原告P75)昭和二六年度旧専・五級職入関者は、採用時期、採用資格がまちまちであり、同年一一月旧専入関の一審原告P75と比較するのを相当とする同年一一月旧専・五級職入関者男性二名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者全員が六等級八号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級七号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち一名が四等級一二号俸、一名が同級一三号俸であったのに対し、同一審原告は、五等級一二号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者のうち初級管理者に昇任したのが最も遅れた一名から五年七か月遅れた。本件係争期間中、右比較対象者全員が二回特昇を受け、特昇を受けなかった者はいなかったのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者よりわずかに低かったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち劣位の者の処遇より相当低かったと認められる。 (一審原告P29)昭和二八年度高卒入関者は、採用時期がまちまちであり、同年三月高卒入関の一審原告P29と比較するのを 期においては右比較対象者のうち劣位の者の処遇より相当低かったと認められる。 (一審原告P29)昭和二八年度高卒入関者は、採用時期がまちまちであり、同年三月高卒入関の一審原告P29と比較するのを相当とする同年三月及び四月高卒入関者男性三八名と比較すると、本件係争期間初期の昭和四一年一月においては、右比較対象者のうち六名が七等級八号俸、九名が六等級五号俸、二三名が同級六号俸であったのに対し、同一審原告は、七等級七号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち五名が五等級一一号俸、二〇名が同級一二号俸、一三名が同級一三号俸であったのに対し、同一審原告は、五等級一〇号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者のうち初級管理者に昇任したのが最も遅れた一三名から二年遅れた。本件係争期間中、右比較対象者のうち三名が三回、二三名が二回、一二名が一回それぞれ特昇を受け、特昇を受けなかった者はいなかったのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇よりわずかに低かったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P16)昭和二八年度高卒入関者は、採用時期がまちまちであり、同年三月高卒入関の一審原告P16と比較するのを相当とする右一審原告P29の欄に認定の比較対象者三八名と比較すると、本件係争期間初期の昭和四一年一月においては、右比較対象者のうち六名が七等級八号俸、九名が六等級五号俸、二三名が同級六号俸であったのに対し、一審原告P16は、七等級七号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち五名が五等級一一号俸、二〇名が同級一二号俸、一三名が同級一三号 級五号俸、二三名が同級六号俸であったのに対し、一審原告P16は、七等級七号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち五名が五等級一一号俸、二〇名が同級一二号俸、一三名が同級一三号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級一三号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者のうち初級管理者に昇任したのが最も遅れた一三名から三年遅れた。本件係争期間中、特昇を受けなかったのは、一審原告P29と同一である。したがって、一審原告P16の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇よりわずかに低かったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P9)昭和二八年度高卒入関者は、採用時期がまちまちであり、同年三月高卒入関の一審原告P9と比較するのを相当とする右一審原告P29の欄に認定の比較対象者三八名と比較すると、本件係争期間初期の昭和四一年一月においては、右比較対象者のうち六名が七等級八号俸、九名が六等級五号俸、二三名が同級六号俸であったのに対し、一審原告P9は、七等級八号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち五名が五等級一一号俸、二〇名が同級一二号俸、一三名が同級一三号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級一二号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者のうち初級管理者に昇任したのが最も遅れた一三名から三年遅れた。本件係争期間中、特昇を受けなかったのは、一審原告P29と同一である。 したがって、一審原告P9の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる。 (一 一審原告P9の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P80)昭和二八年度高卒入関者は、採用時期がまちまちであり、同年三月高卒入関の一審原告P80と比較するのを相当とする右一審原告P29の欄に認定の比較対象者三八名と比較すると、本件係争期間初期の昭和四一年一月においては、右比較対象者のうち六名が七等級八号俸、九名が六等級五号俸、二三名が同級六号俸であったのに対し、一審原告P80は、六等級六号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち五名が五等級一一号俸、二〇名が同級一二号俸、一三名が同級一三号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級一三号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者のうち初級管理者に昇任したのが最も遅れた一三名から三年遅れた。本件係争期間中、特昇を受けなかったのは、一審原告P29と同一である。したがって、一審原告P80の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち最も上位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる(但し、同一審原告は、昭和四三年一〇月二四日から同年一二月一〇日まで病気休暇を取得しており、同一審原告に対する右処遇には、同一審原告が右病気休暇を取得したことが影響していると推認される。)。 (一審原告P112)昭和二八年度高卒入関者は、採用時期がまちまちであり、同年三月高卒入関の一審原告P112と比較するのを相当とする右一審原告P29の欄に認定の比較対象者三八名と比較すると、本件係争期間初期の昭和四一年一月においては、右比較対象者のうち六名が七等 あり、同年三月高卒入関の一審原告P112と比較するのを相当とする右一審原告P29の欄に認定の比較対象者三八名と比較すると、本件係争期間初期の昭和四一年一月においては、右比較対象者のうち六名が七等級八号俸、九名が六等級五号俸、二三名が同級六号俸であったのに対し、一審原告P112は、七等級七号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち五名が五等級一一号俸、二〇名が同級一二号俸、一三名が同級一三号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級一二号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者のうち初級管理者に昇任したのが最も遅れた一三名から三年遅れた。本件係争期間中、特昇を受けなかったのは、一審原告P29と同一である。したがって、一審原告P112の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇よりわずかに低かったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P79)昭和二八年度高卒入関者は、採用時期がまちまちであり、同年三月高卒入関の一審原告P79と比較するのを相当とする右一審原告P29の欄に認定の比較対象者三八名と比較すると、本件係争期間初期の昭和四一年一月においては、右比較対象者のうち六名が七等級八号俸、九名が六等級五号俸、二三名が同級六号俸であったのに対し、一審原告P79は、六等級六号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち五名が五等級一一号俸、二〇名が同級一二号俸、一三名が同級一三号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級一四号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者のうち初級管理者に昇任したのが最も遅れた一三名から三年遅れた。本件係争期間中、特昇を受けなかったのは、一審原告P 原告は、六等級一四号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者のうち初級管理者に昇任したのが最も遅れた一三名から三年遅れた。本件係争期間中、特昇を受けなかったのは、一審原告P29と同一である。したがって、一審原告P79の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち最も上位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P127)昭和二九年四月高卒入関の一審原告P127と比較するのを相当とする同年四月及び六月高卒女性入関者二名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち一名が七等級五号俸、一名が七等級六号俸であったのに対し、同一審原告は、七等級五号俸であった(甲二五二の一〇によると、同一審原告の本件係争期間開始時の号俸は、七等級五号俸であり、昇任等実態表の記載は誤記と認める。)。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち一名が六等級一〇号俸、一名が同級一三号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級一一号俸であった。本件係争期間中、右比較対象者全員及び同一審原告は、初級管理者に昇任しなかった。本件係争期間中、右比較対象者のうち一名が一回特昇を受け、特昇を受けなかった者は一名であったのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち劣位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者二名のうち上位の者の処遇よりわずかに低い程度であったと認められる。 (一審原告P73)昭和二九年度旧専・五級職入関者は、採用時期、採用資格がまちまちであり、同年四月旧専入関の一審原告P73と比較するのを相当とする同年四月旧専入関者男性一名 あったと認められる。 (一審原告P73)昭和二九年度旧専・五級職入関者は、採用時期、採用資格がまちまちであり、同年四月旧専入関の一審原告P73と比較するのを相当とする同年四月旧専入関者男性一名(P128には前歴があり適当でない。)と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者が六等級六号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級七号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者が五等級一四号俸であったのに対し、同一審原告は、五等級一一号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者から六年一か月遅れた。本件係争期間中、右比較対象者が特昇を二回受けたのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者の処遇を上回ったが、本件係争期間終期においては右比較対象者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P76)昭和二九年度旧専・五級職入関者は、採用時期、採用資格がまちまちであり、同年四月旧専入関の一審原告P76と比較するのを相当とする右一審原告P73の欄に認定の比較対象者一名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者が六等級六号俸であったのに対し、一審原告P76は、六等級七号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者が五等級一四号俸であったのに対し、同一審原告は、五等級一一号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者から六年一か月遅れた。本件係争期間中、特昇を受けなかったのは、一審原告P73と同一である。したがって、一審原告P76の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者の処遇を上回ったが、本件係争期間終期においては右比較対象者の処遇より低かったと認められる(但し、同一審原告は、昭和四四年三 たがって、一審原告P76の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者の処遇を上回ったが、本件係争期間終期においては右比較対象者の処遇より低かったと認められる(但し、同一審原告は、昭和四四年三月二六日から同年九月二五日まで病気休暇(肺結核)を取得しており、同一審原告に対する右処遇には、同一審原告が右病気休暇を取得し、昭和四五年四月に昇給延伸三か月となったことが影響していると推認される。)。 (一審原告P77)昭和二九年度旧専・五級職入関者は、採用時期、採用資格がまちまちであり、同年四月高卒五級職入関の一審原告P77と比較するのを相当とする右一審原告P73の欄に認定の比較対象者一名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者が六等級六号俸であったのに対し、一審原告P77は、六等級五号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者が五等級一四号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級一四号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者から七年一か月遅れた。本件係争期間中、特昇を受けなかったのは、一審原告P73と同一である。したがって、一審原告P77の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者の処遇よりわずかに低かったが、本件係争期間終期においては右比較対象者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P129)昭和二九年度高卒入関者は、採用時期がまちまちであり、同年四月高卒入関の一審原告P129と比較するのを相当とする同年四月高卒入関者男性七名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち四名が七等級六号俸、三名が七等級七号俸であったのに対し、同一審原告は、七等級七号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち二名が五等級一〇号俸、四名が同級一一号俸、一名が同級一 ち四名が七等級六号俸、三名が七等級七号俸であったのに対し、同一審原告は、七等級七号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち二名が五等級一〇号俸、四名が同級一一号俸、一名が同級一二号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級一二号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者七名から四年一か月遅れた。本件係争期間中、右比較対象者のうち三名が三回、二名が二回、二名が一回それぞれ特昇を受け、特昇を受けなかった者はいなかったのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち上位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者七名のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P130)一審原告P127とほぼ同一である。 (一審原告P78)昭和二九年度旧専・五級職入関者は、採用時期、採用資格がまちまちであり、同年四月旧専入関の一審原告P78と比較するのを相当とする右一審原告P73の欄に認定の比較対象者一名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者が六等級六号俸であったのに対し、一審原告P78は、六等級七号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者が五等級一四号俸であったのに対し、同一審原告は、五等級一二号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者から六年一か月遅れた。本件係争期間中、特昇を受けなかったのは、一審原告P73と同一である。したがって、一審原告P78の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者の処遇を上回ったが、本件係争期間終期においては右比較対象者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P106)昭和三〇年四月高卒入関の一審原告P106と比 本件係争期間初期においては右比較対象者の処遇を上回ったが、本件係争期間終期においては右比較対象者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P106)昭和三〇年四月高卒入関の一審原告P106と比較するのを相当とする同年四月ないし八月高卒入関者女性三名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち二名が七等級四号俸、一名が同級五号俸であったのに対し、同一審原告は、七等級四号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち二名が六等級一一号俸(うち一名は、途中退職)、一名が同級一二号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級一〇号俸であった。本件係争期間中、右比較対象者全員及び同一審原告は、初級管理者に昇任しなかった。本件係争期間中、右比較対象者全員が一回特昇を受けたのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。 したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち劣位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇よりわずかに低い程度であったと認められる。 (一審原告P68)昭和三〇年度高卒入関者は、採用時期がまちまちであり、同年四月高卒入関の一審原告P68と比較するのを相当とする同年四月高卒入関者男性八名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち二名が七等級五号俸、四名が同級六号俸、一名が同級七号俸(一名は不明)であったのに対し、同一審原告は、七等級五号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち一名が五等級九号俸、三名が同級一〇号俸、四名が同級一一号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級一一号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者比較対象者のうち初級管理者に昇任したのが最も遅れた三名 が同級一〇号俸、四名が同級一一号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級一一号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者比較対象者のうち初級管理者に昇任したのが最も遅れた三名から三年一か月遅れた。本件係争期間中、右比較対象者のうち一名が三回、五名が二回、二名が一回それぞれ特昇を受け、特昇を受けなかった者はいなかったのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P131)昭和三〇年度高卒入関者は、採用時期がまちまちであり、同年四月高卒入関の一審原告P131と比較するのを相当とする右一審原告P68の欄に認定の比較対象者八名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち二名が七等級五号俸、四名が同級六号俸、一名が同級七号俸(一名は不明)であったのに対し、一審原告P131は、七等級五号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち一名が五等級九号俸、三名が同級一〇号俸、四名が同級一一号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級一〇号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者比較対象者のうち初級管理者に昇任したのが最も遅れた三名から二年一〇か月遅れた。本件係争期間中、特昇を受けなかったのは、一審原告P68と同一である。したがって、一審原告P131の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P72)昭和三〇年度高卒入関者は、 ては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P72)昭和三〇年度高卒入関者は、採用時期がまちまちであり、同年六月高卒入関の一審原告P72と比較するのを相当とする同年六月及び七月高卒入関者男性九名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち二名が七等級四号俸、二名が同級五号俸、五名が同級六号俸であったのに対し(甲二五二の一一によると、昇任等実態表中、「P132」は本件係争期間開始時に七等級六号俸であったと認められる。)、同一審原告は、七等級四号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち二名が五等級九号俸、三名が同級一〇号俸、四名が同級一一号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級一〇号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者比較対象者のうち初級管理者に昇任したのが最も遅れた三名から三年遅れた。本件係争期間中、右比較対象者のうち三名が三回、六名が二回それぞれ特昇を受け、特昇を受けなかった者はいなかったのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる(同一審原告は、昭和四四年四月二一日から同年六月一六日まで病気休暇(公務災害)を取得した。)。 (一審原告P17)昭和三〇年度高卒入関者は、採用時期がまちまちであり、同年七月高卒入関の一審原告P17と比較するのを相当とする右一審原告P72の欄に認定の比較対象者九名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち二名が七 、採用時期がまちまちであり、同年七月高卒入関の一審原告P17と比較するのを相当とする右一審原告P72の欄に認定の比較対象者九名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち二名が七等級四号俸、二名が同級五号俸、五名が同級六号俸であったのに対し、一審原告P17は、七等級五号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち二名が五等級九号俸、三名が同級一〇号俸、四名が同級一一号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級一一号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者比較対象者のうち初級管理者に昇任したのが最も遅れた三名から三年遅れた。本件係争期間中、特昇を受けなかったのは、一審原告P72と同一である。したがって、一審原告P17の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち中位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる(但し、同一審原告は、昭和四四年三月一一月から同年四月一二日まで病気休暇を取得しており、同一審原告に対する右処遇には、同一審原告が右病気休暇を取得したことが影響していると推認される。)。 (一審原告P133)一審原告P106とほぼ同一である。 (一審原告P81)昭和三二年度大卒入関者は、採用時期が同一でないが、同年一月大卒入関の一審原告P81と比較するのを相当とする同年四月大卒入関者二名(中級合格のP134は、適当でない。)と比較すると、本件係争期間初期の昭和四〇年七月においては、右比較対象者全員が七等級九号であったのに対し、同一審原告は、七等級七号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者全員が五等級一二号俸であったのに対し、同一審原告は、五等級九号俸であった。同一審原告が初級管理者に 号であったのに対し、同一審原告は、七等級七号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者全員が五等級一二号俸であったのに対し、同一審原告は、五等級九号俸であった。同一審原告が初級管理者に昇任したのも、右比較対象者比較対象者のうち初級管理者に昇任したのが遅れた一名から五年遅れた。本件係争期間中、右比較対象者全員が二回特昇を受けたのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期及び本件係争期間終期において右比較対象者全員の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P135)昭和三二年度高卒入関者は、採用時期、採用資格がまちまちであり、同年四月高卒入関の一審原告P135と比較するのを相当とする同年四月高卒入関者男性三名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち二名が七等級三号俸、一名が同級四号俸であったのに対し、同一審原告は、七等級三号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち二名が五等級八号俸、一名が同級一〇号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級九号俸であった。右比較対象者は、本件係争期間中初級管理者に全員昇任したが、同一審原告は、本件係争期間中初級管理者に昇任しなかった。本件係争期間中、右比較対象者のうち一名が四回、一名が二回、一名が一回それぞれ特昇を受け、特昇を受けなかった者はいなかったのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち劣位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P103)昭和三三年度高卒入関者のうち、同年四月高卒入関の一審原告P103と比較するのを相当とする同年四 終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P103)昭和三三年度高卒入関者のうち、同年四月高卒入関の一審原告P103と比較するのを相当とする同年四月高卒入関者男性六名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち五名が七等級二号俸、一名が同級三号俸であったのに対し、同一審原告は、七等級三号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち二名が五等級六号俸、三名が同級七号俸、一名が同級八号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級八号俸であった。右比較対象者は、本件係争期間中初級管理者に全員昇任したが、同一審原告は、本件係争期間中初級管理者に昇任しなかった。本件係争期間中、右比較対象者のうち一名が四回、一名が三回、四名が二回それぞれ特昇を受け、特昇を受けなかった者はいなかったのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち上位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P69)昭和三三年度高卒入関者のうち、同年四月高卒入関の一審原告P69と比較するのを相当とする右一審原告P103の欄に認定の比較対象者六名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち五名が七等級二号俸、一名が同級三号俸であったのに対し、一審原告P69は、七等級二号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち二名が五等級六号俸、三名が同級七号俸、一名が同級八号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級八号俸であった。 右比較対象者は、本件係争期間中初級管理者に全員昇任したが、同一審原告は、本件係争期間中初級管理者に昇 号俸、三名が同級七号俸、一名が同級八号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級八号俸であった。 右比較対象者は、本件係争期間中初級管理者に全員昇任したが、同一審原告は、本件係争期間中初級管理者に昇任しなかった。本件係争期間中、特昇を受けなかったのは、一審原告P103と同一である。したがって、一審原告P69の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち劣位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる(但し、同一審原告は、昭和四二年九月一四日から同年一〇月二二日まで病気休暇を取得しており、同一審原告に対する右処遇には、同一審原告が右病気休暇を取得し、昭和四三年一〇月に昇給延伸三か月となったことが影響していると推認される。)。 (一審原告P113)昭和三三年一二月高卒行政職(二)入関の一審原告P113と比較するのを相当とする同年一二月高卒行政職(二)女性入関者一名と比較すると、本件係争期間初期の昭和四〇年一〇月においては、右比較対象者が七等級四号俸であったのに対し、同一審原告は、七等級二号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者が六等級九号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級七号俸であった。 本件係争期間中、右比較対象者及び同一審原告は、初級管理者に昇任しなかった。 本件係争期間中、右比較対象者及び同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期及び本件係争期間終期において右比較対象者の処遇よりわずかに低かったと認められる(同一審原告は、昭和四八年一二月一三日から昭和四九年一月三一日まで病気休暇を取得した。)。 (一審原告P108)昭和三四年度高卒入関者は、採用時期がまちまちであり、同年四月高卒入関の一審原告P1 同一審原告は、昭和四八年一二月一三日から昭和四九年一月三一日まで病気休暇を取得した。)。 (一審原告P108)昭和三四年度高卒入関者は、採用時期がまちまちであり、同年四月高卒入関の一審原告P108と比較するのを相当とする同年四月高卒入関者男性九名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち七名が七等級一号俸、二名が同級二号俸であったのに対し、同一審原告は、七等級一号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち一名が六等級七号俸、二名が同級八号俸、三名が同級九号俸、一名が五等級六号俸、二名が同級七号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級七号俸であった。右比較対象者は、本件係争期間中初級管理者に一名を除く全員が昇任したが、同一審原告は、本件係争期間中初級管理者に昇任しなかった。本件係争期間中、右比較対象者のうち一名が四回、一名が三回、三名が二回、三名が一回それぞれ特昇を受け、特昇を受けなかった者が一名(元一審原告組合員)しかいなかったのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち劣位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P98)昭和三五年度高卒入関者のうち、同年三月高卒入関の一審原告P98と比較するのを相当とする同年三月高卒入関で昭和三六年に中級試験に合格した男性一名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者が七等級二号俸であったのに対し、同一審原告は、七等級三号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者が五等級七号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級九号俸であった。右比較対象者は、本件係争期間中初級管理者に昇 に対し、同一審原告は、七等級三号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者が五等級七号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級九号俸であった。右比較対象者は、本件係争期間中初級管理者に昇任したが、同一審原告は、本件係争期間中初級管理者に昇任しなかった。本件係争期間中、右比較対象者は、二回特昇を受けたのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者の処遇を上回ったが、本件係争期間終期においては右比較対象者の処遇より低かったと認められる(但し、同一審原告は、昭和四七年一〇月一八日から同年一二月一〇日まで病気休暇を取得しており、同一審原告に対する右処遇には、同一審原告が右病気休暇を取得したことが影響していると推認される。)。 (一審原告P64)昭和三五年度高卒入関者のうち、同年四月高卒入関の一審原告P64と比較するのを相当とする同年四月高卒入関者男性七名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者全員が八等級七号俸であったのに対し、同一審原告は、八等級七号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち二名が六等級七号俸、四名が同級八号俸、一名が同級九号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級六号俸であった。右比較対象者は、本件係争期間中初級管理者に四名が昇任したが、同一審原告は、本件係争期間中初級管理者に昇任しなかった。本件係争期間中、右比較対象者のうち一名が三回、四名が二回、二名が一回それぞれ特昇を受け、特昇を受けなかった者がいなかったのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低か 、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P99・同P100・同P136)一審原告P64とほぼ同一である。 (一審原告P101)昭和三五年度高卒入関者のうち、同年四月高卒入関の一審原告P101と比較するのを相当とする右一審原告P64の欄に認定の比較対象者七名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者全員が八等級七号俸であったのに対し、一審原告P101は、七等級一号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち二名が六等級七号俸、四名が同級八号俸、一名が同級九号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級六号俸であった。右比較対象者のうち四名が、本件係争期間中初級管理者に昇任したが、同一審原告は、本件係争期間中初級管理者に昇任しなかった。本件係争期間中、特昇を受けなかったのは、一審原告P64と同一である。したがって、一審原告P101の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者を上回ったが、本件係争期間終期においては右比較対象者七名のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P137)昭和三五年四月高卒入関の一審原告P137と比較するのを相当とする同期女性入関者はいない。昭和三四年度高卒入関の女性一名と便宜比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者が七等級一号俸であったのに対し、同一審原告は、八等級七号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者が六等級八号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級六号俸であった。本件係争期間中、右比較対象者及び同一審原告は、初級管理者に昇任しなかった。本 であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者が六等級八号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級六号俸であった。本件係争期間中、右比較対象者及び同一審原告は、初級管理者に昇任しなかった。本件係争期間中、右比較対象者は、一回特昇を受けたのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期及び本件係争期間終期において右比較対象者の処遇よりわずかに低かったと認められる。 (一審原告P11)昭和三五年度高卒入関者のうち、同年七月高卒入関の一審原告P11と比較するのを相当とする右一審原告P64の欄に認定の比較対象者七名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者全員が八等級七号俸であったのに対し、一審原告P11は、八等級六号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち二名が六等級七号俸、四名が同級八号俸、一名が同級九号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級五号俸であった。右比較対象者のうち四名が、本件係争期間中初級管理者に昇任したが、同一審原告は、本件係争期間中初級管理者に昇任しなかった。本件係争期間中、特昇を受けなかったのは、一審原告P64と同一である。したがって、一審原告P11の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者の処遇よりわずかに低かったが、本件係争期間終期においては右比較対象者の処遇より低かったと認められる(但し、同一審原告は、昭和四四年一月三〇日から同年六月七日まで病気休暇を取得しており、同一審原告に対する右処遇には、同一審原告が右病気休暇を取得し、昭和四五年一月に昇給延伸三か月となったことが影響していると推認される。)。 (一審原告P138)昭和三六年度高卒入関者は、採用時期がまちまちであり、同年四月高卒入関の一審原告P138と比較するのを相 五年一月に昇給延伸三か月となったことが影響していると推認される。)。 (一審原告P138)昭和三六年度高卒入関者は、採用時期がまちまちであり、同年四月高卒入関の一審原告P138と比較するのを相当とする同年四月高卒入関者男性一五名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち一名が八等級五号俸、一四名が同級六号俸であったのに対し、同一審原告は、八等級六号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち一名が六等級五号俸、六名が同級六号俸、七名が同級七号俸、一名が同級八号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級五号俸であった。右比較対象者のうち一名が、本件係争期間中初級管理者に昇任したが、同一審原告は、本件係争期間中初級管理者に昇任しなかった。本件係争期間中、右比較対象者のうち五名が二回、一〇名が一回それぞれ特昇を受け、特昇を受けなかった者がいなかったのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち上位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P139・同P18・同P114)一審原告P138とほぼ同一である。 (一審原告P104)本件係争期間終期の号俸が六等級四号俸であったほかは、一審原告P138とほぼ同一である(但し、一審原告P104は、昭和四六年五月一五日から昭和四七年一一月一四日まで病気休暇を取得しており、右処遇には、同一審原告が右病気休暇を取得し、昭和四七年七月に昇給延伸三か月となったことが影響していると推認される。)。 (一審原告P110・同P10)一審原告P138とほぼ同一である。 (一審原告P140)昭和三六年五月高卒行政職(二) 和四七年七月に昇給延伸三か月となったことが影響していると推認される。)。 (一審原告P110・同P10)一審原告P138とほぼ同一である。 (一審原告P140)昭和三六年五月高卒行政職(二)入関の一審原告P140と比較するのを相当とする同年四月高卒行政職(二)入関者女性一名と比較すると、本件係争期間初期の昭和四〇年七月においては、右比較対象者が八等級五号俸であったのに対し、同一審原告は、八等級五号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者が六等級五号俸であったのに対し、同一審原告は、七等級七号俸であった。本件係争期間中、右比較対象者及び同一審原告は、初級管理者に昇任しなかった。本件係争期間中、右比較対象者は、一回特昇を受けたのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P109)昭和三六年度高卒入関者のうち、同年六月高卒入関の一審原告P109と比較するのを相当とする右一審原告P138の欄に認定の比較対象者一五名と比較すると、本件係争期間開始時の一審原告P109の号俸が八等級五号俸であったほかは、一審原告P138とほぼ同一である。 (一審原告P141)昭和三六年六月高卒入関の一審原告P141と比較するのを相当とする同期女性入関者はいない。同年四月高卒入関の女性一名(途中退職)と便宜比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者が八等級六号俸であったのに対し、同一審原告は、八等級五号俸であった。右比較対象者が途中退職する直前の昭和四六年一月においては、右比較対象者が七等級六号俸であったのに対し、同一審原告は、七等級五号俸であった。本件係 ったのに対し、同一審原告は、八等級五号俸であった。右比較対象者が途中退職する直前の昭和四六年一月においては、右比較対象者が七等級六号俸であったのに対し、同一審原告は、七等級五号俸であった。本件係争期間中、右比較対象者及び同一審原告は、初級管理者に昇任しなかった。本件係争期間中、右比較対象者は、退職前に一回特昇を受けたのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期及び本件係争期間終期において右比較対象者の処遇よりわずかに低かったと認められる。 (一審原告P42)昭和三七年度高卒入関者は、採用時期がまちまちであり、同年二月高卒入関の一審原告P42と比較するのを相当とする同年三月及び四月高卒入関者男性一九名(中級職合格者を除く。)と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち一八名が八等級五号俸、一名が同級七号俸であったのに対し、同一審原告は、八等級五号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち一二名が六等級五号俸、六名が同級六号俸、一名が同級七号俸であったのに対し、同一審原告は、七等級七号俸であった。本件係争期間中、右比較対象者全員及び同一審原告は、初級管理者に昇任しなかった。本件係争期間中、右比較対象者のうち六名が二回、一三名が一回それぞれ特昇を受け、特昇を受けなかった者がいなかったのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のほぼ全員の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P115)昭和三七年度高卒入関者のうち、同年四月高卒入関の一審原告P115と比較するのを相当とする同年四月高卒入関者でその後中級 者のうち最も劣位の者の処遇より低かったと認められる。 (一審原告P115)昭和三七年度高卒入関者のうち、同年四月高卒入関の一審原告P115と比較するのを相当とする同年四月高卒入関者でその後中級試験に合格した男性二名(「P142」は、前記のとおり、中級試験合格者である。)と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち一名が八等級五号俸、一名が同級六号俸であったのに対し、同一審原告は、八等級五号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者全員が六等級七号俸であったのに対し、同一審原告は、六等級六号俸であった。本件係争期間中、右比較対象者及び同一審原告は、初級管理者に昇任しなかった。本件係争期間中、右比較対象者のうち一名が三回、一名が二回それぞれ特昇を受け、特昇を受けなかった者がいなかったのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のうち劣位の者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者二名の処遇よりやや低かったと認められる。 (一審原告P54・同P55・同P56・同P57)一審原告P42とほぼ同一である。 (一審原告P51)昭和三七年一一月高卒入関の一審原告P51と比較するのを相当とする同期入関者女性はいない。 (一審原告P116)昭和三八年度高卒入関者は、採用時期がまちまちであるが、同年四月高卒入関の一審原告P116と比較するのを相当とする同年四月高卒入関者男性二九名(選考で入関した者、中級職合格者、途中転勤した者を除く。)と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち二八名が八等級四号俸、一名が同級五号俸であったのに対し、同一審原告は、八等級四号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対 。)と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者のうち二八名が八等級四号俸、一名が同級五号俸であったのに対し、同一審原告は、八等級四号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち二名が七等級六号俸、二名が同級七号俸、一六名が六等級四号俸、七名が同級五号俸、二名が同級六号俸であったのに対し、同一審原告は、七等級六号俸であった。本件係争期間中、右比較対象者全員及び同一審原告は、初級管理者に昇任しなかった。本件係争期間中、右比較対象者のうち一名が四回、二名が三回、七名が二回、一六名が一回それぞれ特昇を受け、特昇を受けなかった者が三名であったのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者のほぼ全員の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇と同等であったと認められる(但し、同一審原告は、昭和四三年一〇月一四日から同年一一月一六日までと昭和四五年二月二四日から同年六月一〇日まで病気休暇を取得しており、右処遇には、同一審原告が右病気休暇を取得し、昭和四五年七月に昇給延伸三か月となったことが影響していると推認される。)。 (一審原告P34・同P83・同P33・同P36・同P90・同P93・同P105・同P44・同P88・同P94・同P66・同P89・同P91)一審原告P116と同一である。 (一審原告P82)一審原告P82は、昭和三八年六月に選考で入関した者であるが、同一審原告と比較するのを相当とする右一審原告P116の欄に認定の比較対象者二九名と比較すると、本件係争期間開始時の号俸が八等級三号俸であったほかは、一審原告P116とほぼ同一である。したがって、一審原告P82の処遇は、本件係争期間初期においては 6の欄に認定の比較対象者二九名と比較すると、本件係争期間開始時の号俸が八等級三号俸であったほかは、一審原告P116とほぼ同一である。したがって、一審原告P82の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者の処遇よりわずかに低かったが、本件係争期間終期においては右比較対象者のうち最も劣位の者の処遇と同等であった(但し、同一審原告は、昭和四四年三月一八日から同年四月八日までと昭和四七年八月三〇日から同年一〇月一一日まで病気休暇を取得しており、右処遇には、同一審原告が、右二回の病気休暇を取得したことが影響していると推認される。)。 (一審原告P143)昭和三八年一〇月高卒入関の一審原告P143と比較するのを相当とする同期女性入関者はいない。 (一審原告P144)昭和三八年六月高卒入関の一審原告P144と比較するのを相当とする同期女性入関者はいない。 (一審原告P145)昭和三八年一〇月高卒入関の一審原告P145と比較するのを相当とする同期女性入関者はいない。 (一審原告P35)昭和三八年度高卒入関者のうち、同年一一月高卒入関の一審原告P35と比較するのを相当とする同年一〇月高卒入関者男性一名(選考で入関した者を除く。)と比較すると、本件係争期間初期の昭和四〇年一〇月においては、右比較対象者が八等級四号俸であったのに対し、同一審原告は、八等級三号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者が七等級六号俸であったのに対し、同一審原告は、七等級五号俸であった。本件係争期間中、右比較対象者及び同一審原告は、初級管理者に昇任せず、特昇も受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期及び本件係争期間終期において右比較対象者の処遇よりわずかに低かったと認められる。 (一審原告P97)昭和三九年四月高卒入関の一審原 受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期及び本件係争期間終期において右比較対象者の処遇よりわずかに低かったと認められる。 (一審原告P97)昭和三九年四月高卒入関の一審原告P97と比較するのを相当とする同年四月高卒入関者男性三六名(中級職合格者を除く。)と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者全員が八等級三号俸であったのに対し、同一審原告は、八等級三号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者のうち一〇名が七等級五号俸、二五名が同級六号俸、一名が同級七号俸であったのに対し、同一審原告は、七等級五号俸であった。本件係争期間中、右比較対象者全員及び同一審原告は、初級管理者に昇任しなかった。本件係争期間中、右比較対象者のうち一名が二回、二五名が一回それぞれ特昇を受け、特昇を受けなかった者が一〇名であったのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者三六名のうち最も劣位の者の処遇(三割弱)と同等であったと認められる。 (一審原告P96・同P84・同P146・同P111)一審原告P97と同一である。 (一審原告P147)一審原告P97と同一である(但し、一審原告P147は、昭和四三年八月三〇日から同年一一月二一日まで病気休暇を取得しており、右処遇には、同一審原告が右病気休暇を取得し、昭和四四年四月に昇給延伸三か月となったことが影響していると推認される。)。 (一審原告P20)昭和三九年度高卒入関者のうち、同年四月高卒入関の一審原告P20と比較するのを相当とする同年四月高卒入関者でその後中級試験に合格した男性一名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右 P20)昭和三九年度高卒入関者のうち、同年四月高卒入関の一審原告P20と比較するのを相当とする同年四月高卒入関者でその後中級試験に合格した男性一名と比較すると、本件係争期間開始時においては、右比較対象者が八等級三号俸であったのに対し、同一審原告は、八等級三号俸であった。本件係争期間終期においては、右比較対象者が七等級七号俸であったのに対し、同一審原告は、七等級六号俸であった。本件係争期間中、右比較対象者及び同一審原告は、初級管理者に昇任しなかった。本件係争期間中、右比較対象者は、一回特昇を受けたのに対し、同一審原告は、特昇を受けなかった。したがって、同一審原告の処遇は、本件係争期間初期においては右比較対象者の処遇と同等であったが、本件係争期間終期においては右比較対象者の処遇よりわずかに低かったと認められる。 (一審原告P95)一審原告P97と同一である。 (一審原告P92)一審原告P97と同一である(但し、一審原告P92は、昭和四三年二月一三日から同年三月一二日まで病気休暇を取得しており、右処遇には、同一審原告が右病気休暇を取得したことが影響していると推認される。)。 (一審原告P148・同P19・同P149・同P8・同P85・同P86・同P87)一審原告P97と同一である。 三右二に認定の事実に基づいて、個人一審原告らと非組合員との昇任、昇格及び昇給における処遇状況を比較すると、次のとおりである。 1 一審原告P126、同P51、同P143、同P144、同P145について個人一審原告らのうち、一審原告P126、同P51、同P143、同P144、同P145については、右各一審原告らの欄に記載したとおり、比較対象者がいない以上、給与格差は認められないというほかない(したがって、右給与格差の存在を前提とする右一審原告ら五名の 3、同P144、同P145については、右各一審原告らの欄に記載したとおり、比較対象者がいない以上、給与格差は認められないというほかない(したがって、右給与格差の存在を前提とする右一審原告ら五名の損害賠償請求は、後記四及び五について判断するまでもなく、理由がない。)。 2 その余の個人一審原告らについてその余の個人一審原告らについてみると、右二に認定の事実によれば、右個人一審原告らの処遇は、本件係争期間初期においては、大部分の者について、概ね非組合員と同程度であり、わずかながら非組合員より低位な者がいたに過ぎなかったものの、本件係争期間終期においては、概ね非組合員のうち最も劣位の者の処遇と同程度か、それ以下であったと認められる。 個人一審原告らは、一審被告が、一審原告組合員と非組合員との間において、昇任、昇格、特昇等について著しい差別的取扱いを行い、それによって給与格差を生じさせたとして、非組合員中一審原告組合員及び婦人を除いた同期同資格入関者の半数以上が到達した給与を標準として、その標準と個人一審原告らに支給された給与額との差額(原判決書I添付別紙債権目録の「差額賃金相当金」欄記載の金額)を損害と主張する。 しかしながら、個人一審原告らは、前記第五に認定のとおり、本件係争期間中、一審原告組合の活動としてではあるものの、庁舎内での無許可集会参加、抗議行動、リボン・プレート闘争、庁舎へのビラ貼付行為等の非違行為を繰り返し行い、全体の約八割に相当する者がそのため矯正措置を受けたにもかかわらず、なお右非違行為を継続しており、弁論の全趣旨によれば、非組合員には、このような行動がなかったことが認められる(一審原告らは、「昭和四二、三年においては、第二組合も戦術の一つとしてリボン闘争を行っていた。」と主張するが、本件全証拠によっても、税関労 、非組合員には、このような行動がなかったことが認められる(一審原告らは、「昭和四二、三年においては、第二組合も戦術の一つとしてリボン闘争を行っていた。」と主張するが、本件全証拠によっても、税関労が一審原告ら主張の時期にリボン闘争を行っていたことを認めるに足りないし、一審原告らの右主張自体からも、税関労が本件係争期間を通じて一審原告組合程の種々の非違行為を繰り返し、それを理由として矯正措置を受けたことはないことが明らかである。)。また、個人一審原告らの中には、一か月以上の病気休暇を取得した者が一五名(但し、一審原告P72は、公務災害)おり、これらの事情は、労務の提供を受ける側からは、昇給等の処遇の決定において有利な取扱いをするのを妨げる事由となり、昇任、昇格及び昇給について裁量権を有する東京税関長が、右裁量権を行使するに際し、本件係争期間中個人一審原告らを低位に扱ったとしても、右裁量権を濫用したとはいえない。 特に、右二に認定の事実によれば、昭和三八年度高卒入関者及び昭和三九年度高卒入関者について、個人一審原告と非組合員との間に生じた本件係争期間終期における格差は、非組合員が本件係争期間中特昇を受けたことにより生じたものと認められ、昭和三八年度及び昭和三九年度入関の個人一審原告ら全員(一審原告番号七〇ないし一〇四)が前記のとおり非違行為を繰り返したことに鑑みると、東京税関長が右個人一審原告らを特昇させなかったことをもって、その裁量権を濫用したといえないことは明らかである(昭和三七年度高卒入関者についても、非組合員のうち本件係争期間中に特昇を二回受けた者は、その終期において六等級六号俸になり、一回しか受けなかった者は、その終期において六等級五号俸にとどまったことが窺われる。したがって、特昇を一回も受けなかった個人一審原告らとの間に生じ 回受けた者は、その終期において六等級六号俸になり、一回しか受けなかった者は、その終期において六等級五号俸にとどまったことが窺われる。したがって、特昇を一回も受けなかった個人一審原告らとの間に生じた格差は、特昇を得たか否かに係わる点が大きい。昭和三七年度高卒入関の個人一審原告ら全員〔一審原告番号六二ないし六七、六九〕が前記のとおり非違行為を繰り返したことに鑑みると、東京税関長が右個人一審原告らを特昇させなかったことをもって、裁量権を濫用したといえないことも同様である。)。 前記第三の二に説示のとおり、関税局及び東京税関当局が、全税関ないし一審原告組合に対し一般的に差別意思を有しており、それが個人一審原告の処遇の決定にも何らかの影響を与えたであろうことは推認に難くないが、個人一審原告らにおいても、右認定のとおり、非違行為があったのであり、このことをも考慮に入れると、東京税関長による各個人一審原告の処遇の決定につき、裁量権の濫用を認めることはできない。 なお、前記第五に認定の事実によれば、個人一審原告らの中には、他の一審原告らに比較し、非違行為が比較的少ない者(一審原告P126)あるいは非違行為の時期が遅い者(一審原告P8)もいるが、裁量権の濫用の観点からは、他の個人一審原告らと判断を異にすべき理由はない。 四一審原告らは、賃金格差の存在と差別的賃金政策の存在が認められれば、格差は差別によってもたらされたものと推認し、一審被告の側で、その者が、標準的に処遇されている他の同期同資格入関者に比較して、低位に評定されてもやむを得ないと認められる劣悪な勤務実態、能力、適性等であったことを具体的に立証したときに、右の推認が覆るものというべきであると主張する。しかしながら、右三に説示のとおり、本件においては、個人一審原告らには、本件係争期間中に認 な勤務実態、能力、適性等であったことを具体的に立証したときに、右の推認が覆るものというべきであると主張する。しかしながら、右三に説示のとおり、本件においては、個人一審原告らには、本件係争期間中に認められた非違行為及び病気休暇の取得の事実があり、個人一審原告らの勤務成績、能力、適性が非組合員のそれらに劣ると評価されたであろうことも推認に難くなく、個人一審原告らの勤務成績、能力、適性に関する立証責任の所在について判断するまでもない。 五次に、一審原告らは、個人一審原告らの非違行為と個人一審原告らの昇任、昇格及び昇給の実態を比較すると、東京税関当局が職員の昇任、昇格及び昇給の選考をするについて、非違行為を考慮していないことが明らかであり、したがって、個人一審原告らに存在する昇任、昇格及び昇給における格差を個人一審原告らの非違行為で説明することはできず、両者間には因果関係がないと主張するので、以下検討する。 1 非違行為と格差との関連についての事実認定は、原判決書I「第四章争点に対する判断」の第五、四、2、(一)ないし(四)(原判決書I五五〇頁七行目から同五五六頁四行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。 2 右認定の事実によれば、一審原告らの非違行為と一審原告らの昇任、昇格、特別昇給との間に関連性がないかの如くにみられないでもない。しかしながら、もともと、税関長による昇任、昇格すべき職員の選考は、定数枠の範囲内で、必要経験年数、必要在級年数を考慮し、選考の対象となる職員の学歴、資格、経歴、勤務成績、執務能力、適性等を総合勘案してされ、非違行為は、それが、ごく例外的に軽微なものであるか、又は日常の勤務成績が抜群に良いために障害とならない場合を除き、通常、職員についての昇任、昇格及び昇給を阻害する事由となるのであり、右のような例 非違行為は、それが、ごく例外的に軽微なものであるか、又は日常の勤務成績が抜群に良いために障害とならない場合を除き、通常、職員についての昇任、昇格及び昇給を阻害する事由となるのであり、右のような例外的な場合でないにもかかわらず、非違行為のある職員を昇任、昇格又は昇給させる事実があるのであれば、そのような取扱いこそ是正されるべきであって、過去の取扱いが公務員制度の趣旨を没却するものであったからといって、後々も同様の取扱いを続けなければならないとはいえず、これについて裁量権の濫用の問題を生じることもない。一審原告らの主張は、採用することができない。 六昇任、昇格及び昇給以外の差別について昇任、昇格及び昇給以外の差別に関し、本件係争期間中、(一)職員の配置について、東京税関当局が、一審原告組合員を他の職員から隔離するため、一審原告組合員七名を意図的に特別派出所勤務にし、(二)新入職員について、昭和四二年四月一日に行われた東京税関の入関式当日、一審原告組合員が門前でビラを配布した際、東京税関当局が、新入職員が一審原告組合に加入するのを制限する目的で、総務課職員をして新入職員から右ビラを回収させ、また、新入職員の配置についても、一審原告組合の影響を受けないような配置を考慮し、(三)職員が勤務時間外に行うリクリエーション、サークル活動について、東京税関当局が、全税関の影響を弱める目的で、一審原告組合員が活動しているサークルに補助金を交付しないこととし、一審原告組合員が多数参加していた音楽隊を嫌悪し、その解散を余儀なくさせ、昭和四一年一〇月東京税関にレクリーダー制度が発足した際、一審原告組合員であることを理由に一審原告組合員をレクリーダーに任命しない差別をしたことは、前記第四に説示のとおりである。そこで、東京税関当局がした右認定の個々の差別扱 クリーダー制度が発足した際、一審原告組合員であることを理由に一審原告組合員をレクリーダーに任命しない差別をしたことは、前記第四に説示のとおりである。そこで、東京税関当局がした右認定の個々の差別扱いが個人一審原告らに対する不法行為を構成するか否かについて以下判断する。 1 まず、特別派出所勤務について検討すると、前記第四の一に説示のとおり、一審原告P16は昭和三四年六月から昭和三七年七月まで及び昭和三八年八月から昭和四八年七月までの約一三年間、同P17は昭和三四年四月から昭和四九年七月までの約一五年間、同P64は昭和四〇年一〇月から昭和五〇年二月までの約一〇年間、同P18は昭和四〇年七月から昭和四九年四月までの約九年間、同P100は昭和四一年八月から昭和四八年二月までの約六年半、同P68は昭和三九年六月から昭和四四年一一月までの約五年半、同P110は昭和四四年六月から昭和四九年四月までの約五年間それぞれ特別派出所勤務につき、特別派出所勤務の期間を本件係争期間に限り、かつ、前記のとおり、昭和四二年頃において約一年間、一審原告P16はβ出張所で、同P17はγ出張所で、同P18はβ出張所で、それぞれ他の職員と一緒に勤務しており、この期間も控除すると、結局、一審原告P16は約七年間、同P17は約八年間、同P64は約八年間、同P18は約八年間、同P100は約六年半、同P68は約五年半、同P110は約五年間それぞれ特別派出所勤務をしたこととなる。 このように、一審原告組合員の一部に、東京税関当局により、一般の職員から隔離するため意図的に特別派出所勤務にされた者がいたことについて、後記第七の一に説示のとおり、この事実が他の事実と相まって一審原告組合に対する不法行為として損害賠償の対象となるとしても、特別派出所勤務自体、東京税関における勤務場所の一 れた者がいたことについて、後記第七の一に説示のとおり、この事実が他の事実と相まって一審原告組合に対する不法行為として損害賠償の対象となるとしても、特別派出所勤務自体、東京税関における勤務場所の一つであり、それが長期に及んだとしても、そのことの故に特別派出所勤務をした個々の一審原告らが損害賠償を求め得る理由となることはない。 2 特別派出所勤務以外の差別扱いについては、東京税関当局がした特別派出所勤務以外の前記差別扱いにより、特定の個人一審原告について、一審被告に賠償を命ずるべき損害が具体的に生じたとの事実は、本件全証拠によっても認められない。 3 したがって、東京税関当局がした昇任、昇格及び昇給以外の差別扱いに基づいて、個人一審原告らが、一審被告に対し、国賠法一条一項に基づく損害賠償を求め得る余地はないというほかない。 七男女間差別について個人一審原告らのうち女性一審原告らは、昇任、昇格及び昇給において、一審原告組合員であることによる差別と女性であることによる差別の二重の差別を受けたと主張するので、以下判断する。 1 一般に、女性労働者が男性労働者と同一の内容の職務に従事し、勤務成績、能力、適性においても男性労働者と差がないにもかかわらず、昇任、昇格及び昇給において女性労働者と男性労働者との間に当該労働者が女性であることのみを理由とする格差を生じたときは、合理的期間内に右格差が是正されない限り、使用者に、少なくとも過失に基づく損害賠償義務が生じる余地がある。しかしながら、国家公務員については、前記第二(原判決書I「第四章争点に対する判断」の第二)に説示のとおり、その昇任、昇格及び昇給の選考は、任命権者の裁量に任されており、昇任、昇格及び昇給における男女間差別を理由として一審被告が国賠法一条一項に基づく損害賠償義務を負うのは、東京 第二)に説示のとおり、その昇任、昇格及び昇給の選考は、任命権者の裁量に任されており、昇任、昇格及び昇給における男女間差別を理由として一審被告が国賠法一条一項に基づく損害賠償義務を負うのは、東京税関長がその有する右裁量権を逸脱、濫用した場合に限られる。 2 女性一審原告らのうち、一審原告P126は、原告別非違行為等一覧表と証拠(甲一〇一二)によれば、昭和二六年一月に入関し、昭和三二年の俸給表改正により行政職(二)となり、入関以後東京税関の電話交換手として勤務した者であることが認められる。しかしながら、本件全証拠によっても、同一審原告と比較するのを相当とする同一審原告と同一職種の同期同資格男性入関者を認めることはできず(自動車運転手(男性)とは、職務の内容が異なるので、これと比較するのは相当でない。)、同一審原告について、男女間格差を認めることはできない。 3 前記第一(原判決書I「第四章争点に対する判断」の第一の一及び二〔原判決書I三〇六頁六行目から同三三七頁七行目まで〕)に認定の事実によれば、その余の女性一審原告らについては、同期同資格男性入関者と比較して、昇任、昇格及び昇給において本件係争期間中格差があると認められる。 原告別非違行為等一覧表と証拠(甲一〇〇八、一〇二〇、一〇二五、一〇二八、一〇三三、一〇三九、一〇四九、一〇五九、一〇六一、一〇六九、一〇八五ないし一〇八七、一二一四、一二一八、一二二〇、一二二九、一二三〇、一二三四、一二四〇、一二四一)によれば、①一審原告P124は、本件係争期間中、昭和四四年一一月まで東京税関鑑査部、輸入部に勤務した後、その後、γ出張所に勤務し、②同P127は、本件係争期間中、昭和四三年一〇月まで東京外郵出張所に勤務した後、その後、東京税関輸入部に勤務し、③同P130は、本件係争期間中、昭和四 入部に勤務した後、その後、γ出張所に勤務し、②同P127は、本件係争期間中、昭和四三年一〇月まで東京外郵出張所に勤務した後、その後、東京税関輸入部に勤務し、③同P130は、本件係争期間中、昭和四一年九月まで東京税関業務部に勤務した後、その後、α出張所に勤務し、昭和四六年二月以降は、羽田税関支署に勤務し、④同P106は、本件係争期間中、昭和四〇年七月まで羽田税関支署に勤務した後、その後、γ出張所に勤務し、昭和四四年一一月以降は、東京税関輸入部に勤務し、⑤同P133は、本件係争期間中、昭和四〇年七月まで東京税関総務部に勤務した後、その後、β出張所に勤務し、昭和四三年一〇月以降は、東京税関輸出部に勤務し、⑥同P113は、本件係争期間中、昭和四三年一〇月まで立川出張所に勤務した後、その後、東京税関輸出部に勤務し、昭和四六年二月以降は、α出張所に勤務し、⑦同P137は、本件係争期間中、昭和四二年七月まで東京税関業務部に勤務した後、その後、α出張所に勤務し、⑧同P140は、本件係争期間中、東京税関総務部に勤務し、⑨同P141は、本件係争期間中、昭和四二年一〇月まで羽田税関支署に勤務した後、その後、東京外郵出張所に勤務し、⑩同P51は、本件係争期間中、東京税関業務部、輸出部、輸入部に勤務し、⑪同P143は、本件係争期間中、昭和四二年七月まで東京税関総務部に勤務した後、その後、γ出張所に勤務し、昭和四八年二月以降は、東京外郵出張所に勤務し、⑫同P144は、本件係争期間中、昭和四二年七月まで羽田税関支署に勤務した後、その後、羽田外郵出張所に勤務し、⑬同P145は、本件係争期間中、東京税関総務部、輸出部に勤務したこと、その間、右女性一審原告らの全員が、男性職員も従事する仕事に携わったことがあったことが認められる。しかしながら、本件全証拠によっても、右 5は、本件係争期間中、東京税関総務部、輸出部に勤務したこと、その間、右女性一審原告らの全員が、男性職員も従事する仕事に携わったことがあったことが認められる。しかしながら、本件全証拠によっても、右女性一審原告らと比較すべき同期同資格(ないしこれに準ずる者)男性入関者で同一の職種に従事した者を具体的に特定することができず、したがって、また、右同期同資格(右同)男性入関者と比較し、右女性一審原告らが勤務成績、能力、適性において同一であったことも認めるに足りない。 4 右2及び3によれば、男女間格差を認めることができない一審原告P126については勿論、男女間格差を認めることができるその余の女性一審原告らについても、東京税関長が裁量権を逸脱、濫用したとは認められないというほかない。女性一審原告らの男女間差別の主張は、いずれも理由がない。 八個人一審原告らの予備的請求について前記三に説示のとおり、昇任、昇格及び昇給の選考について裁量権を有する東京税関長の裁量権の行使について、裁量権の濫用が認められず、東京税関長が一審原告組合員であることを理由とする差別扱いをしたと認められない以上、個人一審原告らの予備的請求もいずれも理由がないことが明らかである。 第七争点五2(一審被告の一審原告組合に対する国賠法一条一項に基づく損害賠償義務の存否及び賠償すべき損害額)について一前記第三に説示のとおり、東京税関長は、本件係争期間中、一審原告組合を嫌悪し、差別する意思を有し、前記第四の三に説示のとおり、昭和三九年から昭和四〇年二月にかけて職制を中心として一審原告組合分裂の動きが生じて同年二月二七日税関労が結成された際、職制を中心とする一審原告組合分裂の動きを助長し、支援したほか、本件係争期間中、(一)職員の配置において、一審原告組合員を他の職員から隔離するた 裂の動きが生じて同年二月二七日税関労が結成された際、職制を中心とする一審原告組合分裂の動きを助長し、支援したほか、本件係争期間中、(一)職員の配置において、一審原告組合員を他の職員から隔離するため、一審原告組合員七名を意図的に特別派出所勤務にし、(二)新入職員について、昭和四二年四月一日に行われた東京税関の入関式当日、一審原告組合員が門前でビラを配布した際、新入職員が一審原告組合に加入するのを制限する目的で、総務課職員をして新入職員から右ビラを回収させ、また、新入職員の配置についても、一審原告組合の影響を受けないような配置を考慮し、(三)職員が勤務時間外に行うリクリエーション、サークル活動について、全税関の影響を弱める目的で、一審原告組合員が活動しているサークルに補助金を交付しないこととし、一審原告組合員が多数参加していた音楽隊を嫌悪し、その解散を余儀なくさせ、昭和四一年一〇月東京税関にレクリーダー制度が発足した際、一審原告組合員であることを理由に一審原告組合員をレクリーダーに任命しない等の差別を行った。東京税関長による右行為は、いずれも一審原告組合に対する支配介入に当たり、その程度、内容からみて、一審原告組合の団結権に象徴される団体としての法律上認められた存在及び活動を違法に阻害するものであるから、不法行為を構成し、一審被告は、国賠法一条一項により、一審原告組合に対し、これにより被った無形の損害を賠償すべき義務を負う(なお、一審原告は、組合員が昇任、昇格及び昇給において不当な差別取扱いを受けたことをも損害賠償請求の原因の一つにするが、東京税関長が、個人一審原告らの昇任、昇格及び昇給の選考に関して裁量権を濫用したといえないことは前示のとおりであり、また、その余の一審原告組合員についても、本件全証拠によっても、その昇任、昇給及び昇給の 税関長が、個人一審原告らの昇任、昇格及び昇給の選考に関して裁量権を濫用したといえないことは前示のとおりであり、また、その余の一審原告組合員についても、本件全証拠によっても、その昇任、昇給及び昇給の選考について東京税関長の裁量権の濫用を認めるには足りない。)。 二そこで、賠償額について判断すると、東京税関長が本件係争期間中にした支配介入等の違法行為は、組織的かつ継続的なものであったこと、一審原告組合が本件係争期間中に行った組合活動は、国公法、庁舎管理規則等に抵触する違法行為で、その態様においても過激なものであり、東京税関長の右支配介入行為は、このような一審原告組合の違法行為に対する対抗手段として行われたものであるとの事情が窺えるものの、一審原告組合は、東京税関長の右行為を契機として組合員数が激減するなどして、その組合運営、組合活動のみならず、組合の存立自体にまで著しい支障を生じたことなど、本件に顕れた諸般の事情を考慮すると、金二〇〇万円と認めるのが相当である。 また、一審原告組合が本件訴訟の提起、追行を一審原告ら訴訟代理人に委任したことは当裁判所に顕著で、本件訴訟の難易度、認容額、審理の経過、その他本件において認められる諸般の事情に鑑みると、本件不法行為と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額は、金五〇万円と認めるのが相当である。 第八争点六(時効)について一一審被告は、「一審原告組合の主張に係る不法行為の成立時期並びに損害及び加害者を知った時期は、昭和四六年六月一〇日以前であるから、これに基づく損害賠償請求権は、仮にそれが存在するとしても、本訴提起前に消滅時効が完成している。」と主張するので、以下判断する。 前記第三及び第四に認定の事実によれば、右第七の一に認定の東京税関長がした不法行為は、いずれも東京税関長が一審原告組合に ても、本訴提起前に消滅時効が完成している。」と主張するので、以下判断する。 前記第三及び第四に認定の事実によれば、右第七の一に認定の東京税関長がした不法行為は、いずれも東京税関長が一審原告組合に対して有した嫌悪感情、差別意思に基づいて組織的、継続的に行った一連のもので、そのうち、いずれも東京税関長が採った一審原告組合員を意図的に特別派出所勤務にしたとの措置、新入職員の配置について一審原告組合の影響を受けないような配置を考慮したとの措置、一審原告組合員をレクリーダーに任命しなかったとの措置は、一審原告組合が本件訴訟を提起した昭和四九年六月一一日の三年前である昭和四六年六月一一日以降まで継続していたものと認められる。そうすると、右不法行為について消滅時効が完成したとは認められない。 二したがって、一審被告の時効の主張は、理由がない。 第五章結論以上によれば、一審原告組合の一審被告に対する本訴請求は、金二五〇万円及び内金二〇〇万円に対する昭和四九年六月二三日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余は失当として棄却すべきであり、個人一審原告らの本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却すべきところ、これと異なる原判決を本判決主文第一、二項のとおり変更し、個人一審原告らの各控訴及び本件附帯控訴をいずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。 東京高等裁判所第一民事部裁判長裁判官江見弘武裁判官岩田眞裁判官井口実
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