平成17(行ウ)114 退去強制令書発付処分取消等請求事件等

裁判年月日・裁判所
平成19年2月2日 東京地方裁判所 その他
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判決文本文29,114 文字)

- 1 -平成19年2月2日判決言渡()()平成17年行ウ第114号退去強制令書発付処分取消等請求事件第1事件平成17年(行ウ)第115号難民不認定処分無効確認請求事件(第2事件)判決主文 被告法務大臣が平成17年1月24日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法49条1項の規定による異議の申出には理由がないとの裁決を取り消す。 被告主任審査官が同日付けで原告に対してした退去強制令書発付処分を取り消す。 被告法務大臣が平成15年11月14日付けで原告に対してした難民の認定をしない処分が無効であることを確認する。 訴訟費用は,全事件を通じ,被告らの負担とする。 事実 及び理由第1請求主文と同じ。 第2事案の概要本件は,本邦に不法残留していたとの理由で退去強制手続をとられ,被告法務大臣から出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という)49条1項。 の規定による異議の申出には理由がないとの裁決を受け,被告主任審査官から退去強制令書発付処分を受けた外国人である原告が,難民である自分に対しては在留特別許可が与えられるべきであったからこれらの処分は違法であると主張してその取消しを求めるとともに(第1事件,難民認定申請に対して被告)法務大臣がした難民の認定をしない処分が無効であることの確認を求める(第2事件)事案である。 - 2 - 難民に関する法令の定め法務大臣は,本邦にある外国人からの申請に基づき,その者が難民であるか否かの認定を行う(入管法61条の2第1項。 ),,(「」。)入管法上難民とは難民の地位に関する条約以下難民条約という1条の規定又は難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という)1。 条の規定により難民条約の適用を受ける難民のことであ 。)入管法上難民とは難民の地位に関する条約以下難民条約という1条の規定又は難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という)1。 条の規定により難民条約の適用を受ける難民のことである(同法2条3号の)。 ,,「, そして難民条約1条A(2)及び難民議定書1条1・2によれば人種宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であつて,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」は難民条約の適用を受ける難民であるから,この定義に当てはまる者が入管法にいう難民ということになる。 前提事実(後記(5)の事実は当裁判所に顕著であり,それ以外の事実は弁論の全趣旨により容易に認められる)。 (1)原告の国籍原告は,1972(昭和47)年7月15日,バングラデシュ人民共和国(以下「バングラデシュ」という)において出生した,同国国籍を有する。 男性である。 (2)入国・在留状況ア原告は,平成14年7月19日,マレーシアのクアラルンプールから航空機で成田国際空港に到着し「短期滞在」の在留資格で在留期間を90,日とする上陸許可を受けて本邦に上陸した。以後,東京入国管理局において,同年10月21日,平成15年1月20日,同年4月17日,同年7月17日,同年10月20日の5回にわたり,それぞれ在留期間を90日とする在留期間更新許可を受けた。 - 3 -イ原告は,平成14年7月22日,居住地を東京都江戸川区ab丁目c番d号として外国人登録法に基づく新規登録をした。 ウ原告は,在留期間の更新又は在留資格の変更を受けることなく,最終の在 3 -イ原告は,平成14年7月22日,居住地を東京都江戸川区ab丁目c番d号として外国人登録法に基づく新規登録をした。 ウ原告は,在留期間の更新又は在留資格の変更を受けることなく,最終の在留期限である平成16年1月10日を超え,不法残留となった。 (3)退去強制手続ア東京入国管理局入国警備官は,平成16年12月2日,違反調査を実施し,原告が入管法24条4号ロ(不法残留)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして同局主任審査官から発付を受けた収容令書を執行して原告を同局収容場に収容した上,同月3日,同法24条4号ロ該当容疑者として原告を同局入国審査官に引き渡した。 イ東京入国管理局入国審査官は,同年12月6日及び14日,違反審査を実施し,同月14日,原告が入管法24条4号ロに該当すると認定し,こ,。 れを原告に通知したところ原告は特別審理官に対し口頭審理を請求した,,,ウ東京入国管理局特別審理官は平成17年1月5日口頭審理を実施し入国審査官の上記認定が誤りがないと判定し,これを原告に通知したところ,原告は,入管法49条1項の規定により,被告法務大臣に対し異議を申し出た。 エ被告法務大臣は,同月24日,原告からの上記異議の申出に理由がないとの裁決をした(以下「本件裁決」という。この通知を受けた被告主。)任審査官は,同日,原告に本件裁決を通知するとともに,バングラデシュを送還先とする退去強制令書を発付した(以下「本件退令発付処分」という。同局入国警備官は,同日,この令書を執行して原告を同局収容場。)に収容した。 ,,,オ原告は平成17年6月1日入国者収容所東日本センターへ移収され平成18年2月22日,仮放免された。 (4)難民認定手続- 4 -ア原告は,平成14年9月12日,東京入国管理局 ,,,オ原告は平成17年6月1日入国者収容所東日本センターへ移収され平成18年2月22日,仮放免された。 (4)難民認定手続- 4 -ア原告は,平成14年9月12日,東京入国管理局において,被告法務大臣に対し難民の認定を申請し(以下「本件難民認定申請」という,同。)局難民調査官は,平成15年1月14日,17日及び21日の3回にわたり,原告から事情を聴取するなどの調査をした。 イ被告法務大臣は,同年11月14日,本件難民認定申請について,下記の理由により難民の認定をしない処分をし,同年12月4日,これを原告に通知した(以下「本件不認定処分」という。 。)記あなたは「政治的意見」を理由とした迫害を受けるおそれがある,と申し立てています。 しかしながら,①あなたの所持する旅券及びあなたの供述によれば、1993年10月,身柄を拘束されたとする時以降,バングラデシュ政府から正常に旅券の発給を受け,合法的に出国したと認められること②1997年12月,バングラデシュ政府とジュマ民族の政治組織PCJSS(JSS)との間に和平協定が締結され,既に難民の帰還や武装解除が進められていること③あなたに対する国家による保護が欠如しているとは認められないこと④あなたが提出した告訴状は,記載内容にその信用性を疑わせる点が少なくないこと等からすると,申立てを裏付けるに足りる十分な証拠があるとは認め難く,難民の地位に関する条約第1条A(2)及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する難民とは認められません。 ウ原告は,平成15年12月4日,本件不認定処分につき,被告法務大臣に対し異議の申出をし,東京入国管理局難民調査官は,平成16年3月8- 5 -日,原告から事情を聴取するなどの調査をした。 エ被告法務大臣は,平成1 12月4日,本件不認定処分につき,被告法務大臣に対し異議の申出をし,東京入国管理局難民調査官は,平成16年3月8- 5 -日,原告から事情を聴取するなどの調査をした。 エ被告法務大臣は,平成16年11月10日,下記の理由により原告からの上記異議の申出には理由がないとの決定をし,同年12月2日,これを原告に通知した。 記あなたは原処分に対する異議申出において,原処分において申し立てた内容とほぼ同旨を申し立てるもののほか,迫害による新たな事実を申し立てているところ,新たに提出のあった資料を含め全記録により検討しても原処分に誤りはなく平成15年11月14日付け通,,「知書の理由のとおりあなたが難民の地位に関する条約第1条A(2)」,及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する難民とは認められません。 (5)訴えの提起原告は,平成17年3月18日,本件第1事件(本件裁決及び本件退令発付処分の各取消請求事件)及び第2事件(本件不認定処分の無効確認請求事件)の各訴えを提起した。 争点 本件の主要な争点は次のとおりであり(争点(1)は第1事件及び第2事件の双方にかかわるもの,同(2)は第2事件のみにかかわるものである,これに。)関して摘示すべき当事者の主張は,後記第3「争点に対する判断」において掲げるとおりである。 (1)原告の難民該当性(2)本件不認定処分には,原告を難民と認定しなかったという実体面において,又は原告に対し十分な釈明の機会を与えずにされたという手続面において,無効原因があるか。 第3争点に対する判断- 6 - 争点(1)(原告の難民該当性)について(1)バングラデシュ情勢原告の難民該当性を検討するに先立ち,まず,背景事情となるバングラデシュ国内情勢にかかわる事実を認定する。 アチ - 6 - 争点(1)(原告の難民該当性)について(1)バングラデシュ情勢原告の難民該当性を検討するに先立ち,まず,背景事情となるバングラデシュ国内情勢にかかわる事実を認定する。 アチッタゴン丘陵地帯を巡る政治情勢(この項では元号ではなく西暦を用いることとする)。 証拠(甲2ないし6,20ないし22,25,26,27の1~3,28の1・2,29ないし36,39ないし42,44の2~12,48,49,乙27ないし32,35,36,42,43,証人村田由彦)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。 (ア)バングラデシュ南東部のインド及びミャンマーとの国境に接する地域はチッタゴン丘陵地帯と呼ばれ,平坦な国土の広がるバングラデシュの中では唯一の山岳地帯である。この地域には約12の先住民族(チャクマ族,マルマ族,トリプラ族等)が居住しており,これらの人々はジュマ民族とも総称される。その宗教も,同国の国教であるイスラム教ではなく,仏教徒が多い。 (イ)チッタゴン丘陵地帯においては,英領時代には,平地に住む多数派のベンガル人の入植が禁止され,東パキスタン時代もおおむねこれが踏襲されたため,先住民族の文化的独自性が維持されていた。ところが,1971年にバングラデシュが事実上独立して国として成立すると,政府は,先住民族からの自治の要求を否定し,逆に,ベンガル人をチッタゴン丘陵地帯へ入植させる政策を進めた。このため,1947年にこの地域の人口のわずか3パーセントほどであったベンガル人は,1997年には住民100万人のほぼ半分を占めるに至り,ベンガル人入植者と先住民族との対立は激化した。先住民族側は,1973年,チャクマ族を中心に,政治団体として「チッタゴン丘陵人民連帯連合協会(PC」- 7 -),「()」 占めるに至り,ベンガル人入植者と先住民族との対立は激化した。先住民族側は,1973年,チャクマ族を中心に,政治団体として「チッタゴン丘陵人民連帯連合協会(PC」- 7 -),「()」JSSをその下部組織としてシャンティ・バヒニ平和の戦士と称する軍事組織(ゲリラ組織)を結成し,政治活動を続けながら一方では武装ゲリラ活動を行うという二重路線を取った。シャンティ・バヒニが政府軍やベンガル人入植者に対する激しい攻撃を行ったため,政府は大規模な軍隊をチッタゴン丘陵地帯に展開して制圧を図った。このような対立状況の下,1980年代から90年代にかけて,数万人単位の先住民族が国境を接するインドに避難し,国際的な注目を浴びることになった。 1992年,約千人の先住民族が軍に殺害された事件とチャクマ族国会議員の訴えを契機に,政府は和平に向けてPCJSSとの協議を開始したが,PCJSSは憲法上の自治権の保障を要求し,政府は現行憲法の枠内における解決を主張したため,合意には至らなかった。 1996年にアワミ連盟政権が発足すると,政府は事態の解決に向けて動き出し,同年9月「国家チッタゴン丘陵委員会(NCCHT),」を設置した。同年12月21日,NCCHTとPCJSSとの間で第1回協議が行われ,合計7回に及ぶ協議の結果,1997年12月2日,,「」NCCHT側とPCJSS側が合意しチッタゴン丘陵地帯和平協定が調印された。 (ウ)チッタゴン丘陵地帯和平協定は,丘陵地帯3県における「丘陵県評議会」及びその上部組織としての「丘陵地帯地域評議会」の設置,これら評議会への一定の自治権の付与,抗争から逃れるためにインドへ避難した先住民族の帰還,土地問題解決のための土地委員会の設置,先住民族側の武装解除,軍施設の撤退,チッタゴン丘陵地帯問 会」の設置,これら評議会への一定の自治権の付与,抗争から逃れるためにインドへ避難した先住民族の帰還,土地問題解決のための土地委員会の設置,先住民族側の武装解除,軍施設の撤退,チッタゴン丘陵地帯問題省の設置な。 (),どを定めた当時野党であったバングラデシュ民族主義党BNPは和平協定は特定の地域に対し特別の権限を与えるため違憲であると主張したが,一般には,既に20万人以上の死者を生んだとされている長年- 8 -の懸案の解決の糸口となるものとして画期的なものと評価された。 1998年2月には,2000人程度のシャンティ・バヒニのメンバーが投降して武器を政府に引き渡し,インドに避難していた先住民族の多くもチッタゴン丘陵地帯へ帰還した。 しかし,アワミ連盟政権下においても,先住民族側の武装解除,避難民の帰還のほかには,チッタゴン丘陵地帯問題省の設置以外の措置はほ,,とんど実施されないままに終わり2001年に発足したBNP政権は和平協定の実施に熱意を示していない。丘陵県評議会,丘陵地帯地域評議会選挙はいまだに実施されず,土地問題を解決するために設置されたはずの土地委員会は機能しておらず,軍関係施設の撤退もほとんど進んでいないとされる。 もっとも,PCJSSの党首は,閣僚級の待遇を受ける丘陵地帯地域評議会議長を務めており,政府は,PCJSSの協力の下に和平協定を推進していくという方針は維持している。 (エ)和平協定の締結は,一方で,先住民族の側の政治運動の分裂をもたらした。和平協定は,先住民族の権利の憲法上の保障を認めたものではなく,また,ベンガル人入植者の撤退を定めたものでもなかったことなどから,先住民族の中には,完全自治を求め,和平協定の締結及び推進に対して反対する運動が生じた。そうした中で,従来からPCJSSとともに ,また,ベンガル人入植者の撤退を定めたものでもなかったことなどから,先住民族の中には,完全自治を求め,和平協定の締結及び推進に対して反対する運動が生じた。そうした中で,従来からPCJSSとともに活動を展開していた「丘陵人民評議会「丘陵学生評議会」及」,「」,,び丘陵女性連盟の3つの団体は和平協定賛成派と反対派に分裂し反対派は,1998年12月,和平協定に反対する政治団体として「統一人民民主戦線(UPDF)を結成した。 」和平協定に対して正反対の立場をとるPCJSSとUPDFは,その運動方針を巡って互いに非難,中傷を繰り返しただけでなく,相手方の。 ,運動を暴力によって妨害するようにもなったどちらの陣営においても- 9 -活動家が襲撃を受け,誘拐されたり,あるいは殺傷されるなどの事件が頻発し,そのたびに,PCJSSとUPDFは,相手方を非難する抗議文を発するといった状態となった。バングラデシュの新聞(英字紙ザ・デイリー・スター)は,2002年10月19日付けの記事で,警察によると,1997年12月の和平協定締結から2002年9月までにPCJSSとUPDFの間の暴力事件で少なくとも231人が死亡し,400人が負傷,380人の誘拐事件が起こったと報じている。 こうして,チッタゴン丘陵地帯においては,従来からのベンガル人入植者と先住民族との対立に,新たに先住民族内におけるPCJSS派とUPDF派との対立が加わり,状況は一層複雑化している。抗争を背景に,焼き討ちや爆破事件も起こっており,さらに,近年は,ビジネスマンや外国人の誘拐事件も起きるなど,この地域においては緊張状態が続き,事態が改善される気配は全くみられないとされている。 もっとも,UPDFはその後活動を弱めているようであり,バングラデシュの新聞(日刊ジュガント 拐事件も起きるなど,この地域においては緊張状態が続き,事態が改善される気配は全くみられないとされている。 もっとも,UPDFはその後活動を弱めているようであり,バングラデシュの新聞(日刊ジュガントル)は,2004年6月5日付けの記事で,UPDFは,理念の食い違いなどにより50人以上の指導的な活動家が辞任し,中心的な指導者が外国に移住するなど,組織の崩壊と勢力の衰退に直面していると報じている。 イバングラデシュの治安情勢一般在バングラデシュ日本大使館が平成17年10月31日付けで作成した「バングラデシュの概要と最近の政治情勢」と題する文書には,バングラデシュの治安について以下の記述がある(甲39の11頁以下。なお,)記述中にある現政権(ジア政権)発足の時期は2001(平成13)年10月である。 (ア)「前政権末期から悪化した治安情勢の改善は現政権の課題であったが,ジア政権発足後も治安情勢が大きく改善されたとは言えない。現政- 10 -権成立後,アワミ連盟支持者が多いとされているヒンドゥー教徒への迫害事件が頻繁に報道された。その後,殺人,ゆすり,誘拐,強姦等の一般犯罪が増加し,1日当たり平均11件の殺人事件が発生している計算になるとされた。また2002年9月以降,爆破事件が相継ぎ,大量の武器密輸も発覚したがそのほとんどが解明されていない」。 「,『』(イ)2002年10月政府はオペレーション・クリーン・ハートと称して,治安の改善のために軍の導入に踏み切ったため,治安は一時的に改善された。しかしながら,50名以上の被疑者が尋問中に死亡しており,その多くに拷問と思われる傷跡があったため,死因に疑問がも。 ,,,たれた2003年2月政府は軍の導入中に発生した死亡事件拷問人権侵害に関係した者に対する司法措置を 問中に死亡しており,その多くに拷問と思われる傷跡があったため,死因に疑問がも。 ,,,たれた2003年2月政府は軍の導入中に発生した死亡事件拷問人権侵害に関係した者に対する司法措置を排除するために『合同作戦免責法』を可決した。このような措置は違憲かつ人権侵害であるとする非難が国内で高まったほか,アムネスティ・インターナショナル,欧州議会等も非難した。その後再び治安情勢が悪化したため,政府は警察・軍()・国境警備隊よりなる緊急行動隊RAB:RapidActionBattallionを組織し,2004年6月からRABによる犯罪組織取り締まりを本格化した。RABは治安改善に大きな成果を上げたものの,犯罪組織取り締まりの過程で発砲による死者が相継ぎ,西側諸国・人権団体等はRABの強引な取り締まりに懸念を示した」。 (ウ)「相継ぐ爆破事件に対し,各国は深刻な懸念を表明し,政府に対し全面的な捜査,犯人の逮捕・処罰を要求した。ダッカにおけるアワミ連盟集会爆破事件に対しては,インターポール,米国のFBIが捜査協力したが,真相は全く解明されておらず,首謀者も逮捕されていない。また武器密輸事件に関しても,末端のトラック運転手が逮捕されたのみで真相は不明である。治安の悪化の原因として警官の少なさ,警察の捜査能力の低さ,警官の低い志気・腐敗,犯罪組織と警察・政治家の結びつ- 11 -き,国境管理の困難性が原因とされている。爆破事件の首謀者に関しては多くの説があるが,政府にはこれまでに発生した爆破事件を解決しよ,,,うとする政治意志が必ずしもみられず犯罪を犯してもつかまらない罰せられないとの風潮が強まり,事件が益々エスカレートしていると指摘されている」。 (2)ア原告の個人的事情(この項では元号ではなく西暦を用いること 志が必ずしもみられず犯罪を犯してもつかまらない罰せられないとの風潮が強まり,事件が益々エスカレートしていると指摘されている」。 (2)ア原告の個人的事情(この項では元号ではなく西暦を用いることとする)。 次いで,証拠(甲1ないし7,15,19,20ないし26,27の1~3,28の1・2,29ないし34,37の1・2,38,44の1~14,45,46,48,49,乙4ないし6,9,11,15,17,37,38,41,44,45,証人D,原告本人)によれば,原告の個人的事情として,以下の事実を認めることができる。 (ア)原告は,チッタゴン丘陵地帯のランガマティ県で,チャクマ族の両親から生まれた。その後,同地帯の別の県であるカグラチョリ県に移住し,来日するまでここに住んでいた。姉が一人,妹が三人,弟が二人おり,いずれもバングラデシュで生活している。両親は,原告が来日した当時は健在であったが,その後亡くなった。家族の中で政治運動に携わっているのは原告のみである。 原告には,1998年に婚姻した妻と幼い娘がおり,カグラチョリ県の村で,農業に従事する原告の弟とともに暮らしている。原告も,バングラデシュにおいては,後述のような政治運動をするかたわら,農業を営んでいた。 (イ)幼いころからベンガル人入植者やその権益の擁護者である軍に対して反発心を抱いて育った原告は,チッタゴン県にあるラングニア・カレッジに在学中の1991年,丘陵学生評議会(前記(1)ア(エ)参照)に参加し,チッタゴン丘陵地帯に住む先住民族のための政治運動に携わることとなり,同年10月,同カレッジ内に丘陵学生評議会の支部を創設- 12 -してその初代代表となった。1993年5月には,丘陵学生評議会の中央委員会事務局次長となった。 (ウ)1993年10月,カグラチョリ県にお 月,同カレッジ内に丘陵学生評議会の支部を創設- 12 -してその初代代表となった。1993年5月には,丘陵学生評議会の中央委員会事務局次長となった。 (ウ)1993年10月,カグラチョリ県において,住民が仏教寺院の法事に参加するのを警察が禁止するなどしたことから,原告ら学生は,これに抗議するため県庁前で座り込みをしようとした。すると,警察は原告を含む学生9人を逮捕し,原告の身柄の拘束は11日間続いた。 (エ)原告は,1994年には丘陵学生評議会中央委員会の副書記長に,1996年6月には副代表に就任し,1997年6月から1年間は代表を務めた。 1997年12月にチッタゴン丘陵地帯和平協定が締結されると,原告は,和平協定反対の立場をとった。そして,1998年12月に,丘陵学生評議会の和平協定反対派が,丘陵人民評議会及び丘陵女性連盟の和平協定反対派とともにUPDF(前記(1)ア(エ)参照)を設立した際には,原告は,5人から成るその招集者委員会のメンバーとなった。 その後,原告は,UPDFの中心的なメンバーとして政治活動を続けた。2000年2月,PCJSSとUPDFとが和解の話合いをしたことがあり,その際,原告はUPDFの代表としてこれに参加した。 (オ)原告は,チッタゴン丘陵地帯和平協定に反対する政治的立場を変えることはなかったが,PCJSSとUPDFが暴力的な抗争を繰り返すことに嫌気がさし,また,UPDF執行部を構成する他のメンバーの党運営に対しても次第に不満を感じるようになった。さらに,2000年11月と2001年5月の2回にわたり,PCJSSのメンバーから襲撃を受けそうになったこともあり,原告はUPDFを脱退することを決意し,2002年4月,党の責任者に辞表を提出した。 その後,同年5月に,PCJSSの武装集団が原告の不在時に原 JSSのメンバーから襲撃を受けそうになったこともあり,原告はUPDFを脱退することを決意し,2002年4月,党の責任者に辞表を提出した。 その後,同年5月に,PCJSSの武装集団が原告の不在時に原告の住む村に来て原告の親戚を誘拐するという事件が起きるに至って,原告- 13 -は切迫した身の危険を感じ,村を出ることを決めた。5月11日,村を出てチッタゴンの友人の家に逃れ,更に原告のいとこであるEのいるダッカに向かった。 Eは,2001年に日本人のDと婚姻していた。Dは「ジュマ協力,基金」という,チッタゴン丘陵地帯の先住民族(ジュマ民族)の人権擁護を目的に活動する我が国のNGOの共同代表を務めており,当時,同基金ダッカ事務所に駐在していた。Eは,かつて丘陵女性連盟の事務局長をしていたことがあり,原告とは異なり和平協定推進派であったが,原告は,日本人と婚姻をしているEのつてによって日本へ逃亡することを考え,ダッカに着いた日の翌日である6月3日,Eに会って事情を説明し,助けを求めた。Dは,UPDFの活動家として以前から原告の名を知っていたが,妻を通じて事情を聞き,原告が妻のいとこであることはこのとき初めて知った。PCJSSとUPDFの抗争を承知していたDは,事情を聞いて,原告の身に危険が及んでいると判断した。Dは,妻のEとは政治的立場を異にするUPDFに対しては必ずしも好感情を抱いていなかったし,原告を手助けしたことが発覚すれば自分たち夫婦あるいはジュマ協力基金がPCJSSとUPDFの抗争に巻きこまれ,生命に危険が及ぶことも懸念した。しかし,ジュマ民族全体の利益を考慮すると原告のような運動のリーダーとなれる人物を見殺しにするわけにはいかないと考え,ジュマ協力基金の研修に参加するという名目で原告を急ぎ日本へ送り出すことにした。このよう ジュマ民族全体の利益を考慮すると原告のような運動のリーダーとなれる人物を見殺しにするわけにはいかないと考え,ジュマ協力基金の研修に参加するという名目で原告を急ぎ日本へ送り出すことにした。このような名目があれば,迅速に旅券と査証を取得することができると考えたからであった。 Dの協力もあって,原告は,旅券と査証を速やかに取得することができ,2002(平成14)年7月19日,バングラデシュを出国して本邦に上陸した。ジュマ協力基金の研修というのはあくまでも名目であっ,,。 たから同基金は費用の負担をせず渡航費用は原告が自分で調達した- 14 -来日後は,Dから事情を聞いていた同基金の共同代表者のもとに身を寄せて我が国での生活を始め,前記前提事実(4)アのとおり,同年9月には本件難民認定申請をした。 イ原告の個人的事情に関する事実認定についての補足説明(ア)原告がバングラデシュ国内の少数派であるチッタゴン丘陵地帯先住民族の利益のための政治運動のリーダーであったことについてこの点は,チッタゴン丘陵地帯を巡る情勢について報道する新聞記事の中に原告の名前がしばしば登場することからも裏付けられる上(甲2ないし6,29,原告本人の供述及び自らの証言によって,現地の事)情に詳しいと認められる証人Dも,原告の上記中心的活動家としての状況に関する原告の供述を裏付ける証言をしているから,上記ア(イ)ないし(エ)のとおり認定することができる。 (イ)原告が,2000(平成12)年11月と2001(平成13)年5月の2回,PCJSSのメンバーから襲撃を受けそうになり,2002(平成14)年5月にはPCJSSの武装集団が原告の村に来て原告の親戚を誘拐していったことについてこの点については,原告の供述しか証拠がなく,被告らはその信用性に疑いがあると主 うになり,2002(平成14)年5月にはPCJSSの武装集団が原告の村に来て原告の親戚を誘拐していったことについてこの点については,原告の供述しか証拠がなく,被告らはその信用性に疑いがあると主張するが,事柄の性質上,客観的な裏付け証拠の提出を原告に求めるのは酷であるから,その供述内容自体によって信用性を判断するほかない。このような観点からすると,まず,原告の供述内容は,それ自体特に不自然なところや,殊更に誇張したとみられるようなところはない。1998(平成10)年にUPDFが結成された後,チッタゴン丘陵地帯においてPCJSSとUPDFの間で暴力的な対立が激化しているという背景事情(前記(1)ア(エ))及び2002(平成14)年初めころまではUPDFの中心的なメンバーであったという原告の経歴を前提にすれば,原告の供述するような襲撃事件が起こったとし- 15 -ても決して奇異なことではない。したがって,上記ア(オ)のとおり認定することができる。 (3)難民該当性の具体的検討アはじめに難民の意義は前記「事案の概要」の1「難民に関する法令の定め」において述べたとおりである。また,原告は,難民該当性の立証責任について色々と述べるが,入管法61条の2第1項の文理のほか,難民認定処分が授益処分であることなどにかんがみれば,難民該当性の立証責任は難民認定申請者にあると解すべきである。原告は,自らが難民であることの根拠として,人種,特定の社会的集団の構成員であること及び政治的意見を挙げるから,原告が難民と認められるためには,これらを理由に「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」ことが必要である。 ここで「迫害」とは,通常人が受忍することができない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命・身体の自由の侵害又は抑圧を 受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」ことが必要である。 ここで「迫害」とは,通常人が受忍することができない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命・身体の自由の侵害又は抑圧を意味するもののことをいい「十分に理由のある恐怖を有する」とは,その者が主観,的に迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているだけでなく,通常人がその者の立場に置かれた場合に迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることをいう。 難民該当性に関する原告の主張は,次のように要約することができる。 すなわち,原告はバングラデシュの先住民族であるジュマ民族に属し,ジュマ民族の完全自治を要求している組織であるUPDFの代表的な立場で行動していたが,2002(平成14)年7月に出国する直前にUPDFを脱退した。もっとも,UPDFを脱退したといっても,チッタゴン丘陵地帯和平協定に反対するという政治的立場は変えていないから,PCJSSは原告を依然として敵対者と位置付けている。PCJSSとUPDFの- 16 -抗争を前提にすると,原告がバングラデシュに帰国すれば,PCJSS関係者による殺傷や誘拐の対象となる蓋然性が高い。一方で,UPDF関係者の中にも,組織から脱退した原告を裏切り者と見なす者がいるであろうから,原告は,そのような者からも危害を加えられるおそれがある。さらに,チッタゴン丘陵地帯を巡ってPCJSSとUPDFが暴力的な抗争を激化させている事態に対してバングラデシュ政府が有効な措置を講じず,かえってこれを促しているともみられることからすると,バングラデシュ国内において原告の身の安全は保証されておらず,不当な告発などを契機として逮捕されたり投獄される危険があるから,原告は同国政府による迫。 ,「」害の対象となっているといえるまた難民 デシュ国内において原告の身の安全は保証されておらず,不当な告発などを契機として逮捕されたり投獄される危険があるから,原告は同国政府による迫。 ,「」害の対象となっているといえるまた難民の要件である迫害のおそれにつき,迫害は通常国家機関当局によって行われるが,それ以外の者が迫害を行う場合であっても,当局がこれを故意に容認し,又は効果的な保護を与えることを拒否し若しくはできないときは「迫害のおそれ」の要件,は満たされる。したがって,原告は「迫害を受けるおそれがあるという,十分に理由のある恐怖を有する」というものである。 そこで,前記(1)で認定したバングラデシュ情勢及び前記(2)で認定した原告の個人的事情を踏まえ,この原告の主張の当否について検討を加えることとする。 イPCJSS関係者からの襲撃のおそれについて(ア)原告は,学生時代から,バングラデシュ国内の少数派であるチッタゴン丘陵地帯先住民族の利益のための政治活動に携わり,当初は学生運動家の代表的な立場で,1997(平成9)年に政府とPCJSSとの間でチッタゴン丘陵地帯和平協定が締結されたころからは,和平協定反対派でPCJSSと対立するUPDFの代表的なメンバーとして,活動を継続してきたものであって,運動のリーダーであった。また,2000(平成12)年11月と2001(平成13)年5月の2回,PCJ- 17 -SSのメンバーから襲撃を受けそうになり,2002(平成14)年5月にはPCJSSの武装集団が原告の村に来て原告の親戚を誘拐していったということがあった。以上に加えて,原告がPCJSS関係者から襲撃を受けるおそれがあったという点については,その裏付けとなる証人Dの証言もある。すなわち,証人Dは,2002(平成14)年7月19日に原告を出国させた直後,妻の えて,原告がPCJSS関係者から襲撃を受けるおそれがあったという点については,その裏付けとなる証人Dの証言もある。すなわち,証人Dは,2002(平成14)年7月19日に原告を出国させた直後,妻のEとともに,従来から面識のあった,PCJSS党首で丘陵地帯地域評議会議長を務める者と面会し,原告を出国させたことを報告したところ,同議長は,原告の名前がPCJSSの暗殺対象者リストに載っているという趣旨の発言をしたと証言している。Dは,2004(平成16)年12月24日付けで法務大臣等(),にあてて作成した書面の中でもこの経緯を詳細に記述しており甲7証人尋問の内容及び態様を踏まえても,その信用性を疑うべき事情はない。 もっとも,Dは,原告が来日した当初は,その難民認定申請に対して協力をしておらず,上記証言内容にある事実を語り始めたのは,上記法務大臣等あての書面を作成した2004(平成16)年12月以降のことである。この点につき,村田は,証人尋問において,PCJSSとUPDFとの対立状況を前提にすると,D夫婦が原告の国外脱出を手助けしたことが広く知られれば,D夫婦がその抗争に巻き込まれて襲撃されるおそれがあると考えたため,本件難民認定申請にかかわるのを差し控えたのであると説明している。この説明は,前記認定のとおりのチッタゴン丘陵地帯を巡る情勢やその当時のDの心境を記した電子メール(甲38)の内容に照らし,十分信用することができる。したがって,当初原告の難民認定申請に対して協力をしなかったことは,PCJSSからの襲撃のおそれに関する証人Dの証言の信用性を減殺するものではない。 - 18 -以上の検討によれば,原告は,2002(平成14)年7月にバングラデシュを出国した当時,PCJSS関係者から襲撃を受ける現実的な危険に直面していたと の信用性を減殺するものではない。 - 18 -以上の検討によれば,原告は,2002(平成14)年7月にバングラデシュを出国した当時,PCJSS関係者から襲撃を受ける現実的な危険に直面していたと認定することができ,かつ,その後その事情に変化が生じたとは認められない。 (イ)上記認定に関する被告らの主張の検討被告らは,UPDFから脱退したことで,原告は和平協定反対派から推進派に転向したとみられるのだから,和平協定推進派のPCJSSにとっては歓迎すべき存在であって敵対視されるはずがなく,PCJSSが原告に危害を加えるとは考えられないと主張する。しかし,第1に,原告がUPDFを脱退したことがどれほどの範囲で知られていたのかは定かでなく,PCJSS関係者全員がこれを知っていたとする被告らの主張の前提自体採用し難い。第2に,原告は,UPDFを脱退したものの,和平協定反対という政治的立場自体は堅持していたのであるから,PCJSSが原告を敵対視するはずがないとする被告らの主張には根拠がないというほかない。 被告らはまた,Dの妻のEが,2002(平成14)年12月にDが帰国した際にこれに同行して来日した後,2回にわたってバングラデシュに帰国し,チッタゴン丘陵地帯にある実家を訪ねているが,無事に日,。 ,本へ戻っていることを指摘し原告にも危険はないと主張するしかし証人Dの証言によれば,Eはかつて丘陵女性連盟の事務局長をしていたというものの,原告とは異なり和平協定推進派であり,PCJSS党首でチッタゴン丘陵地帯地域評議会議長を務めていた者とも付き合いがあったというのであるから,UPDFの中心的メンバーであった原告とはその政治的立場を全く異にするものである。Eの立場と原告の立場を単純に同視する被告らの立論には根拠がない。また,Eがチッタゴン丘陵 あったというのであるから,UPDFの中心的メンバーであった原告とはその政治的立場を全く異にするものである。Eの立場と原告の立場を単純に同視する被告らの立論には根拠がない。また,Eがチッタゴン丘陵地帯にある実家を訪ねたといっても,それはあくまでも一時的な帰国の- 19 -際のことにすぎず,長期間滞在していたわけではないのであるから(乙37,証人D,Eが無事に日本に戻って来たことのみを理由にチッタ)ゴン丘陵地帯が安全であるということはできない。この点につき,被告らは,米国国務省作成の報告書(BangladeshCountryReportsonHumanRightsPractices-2002 (乙42)に「地域の大部分における治安)状況は,開発援助を再開するに足るほど良好である」との記述があることを指摘し,治安状況が悪いのはチッタゴン丘陵地帯の一部であり,他の地域は安全とまではいえないが危険が比較的少ない状況にあると主張するしかし上記報告書はその先住民族に関する記述の冒頭で部。 ,,,「族民は,その土地の利用に関する決定に対して,ごくわずかな影響力しか及ぼすことができない。1997年チッタゴン丘陵地帯(CHT)和平協定により,CHTにおける25年にわたる反乱に終止符が打たれたが,法と秩序の問題は続いた」とその総論的立場を述べるほか,被告。 「,らの指摘する部分の後にすぐ続けてしかし部族と非部族の立場の相違土地や選挙に関する未解決の諸問題,法と秩序の現状により,相変わらず緊張や紛争の種が生まれている」と述べた上,同地帯において最近起こった誘拐や殺人といった凶悪事件の数々の事例を列挙しているのであり,その全体を通して読めば,チッタゴン丘陵地帯が危険が比較的少ない状況にあるという事実を読み取ることは到底で ,同地帯において最近起こった誘拐や殺人といった凶悪事件の数々の事例を列挙しているのであり,その全体を通して読めば,チッタゴン丘陵地帯が危険が比較的少ない状況にあるという事実を読み取ることは到底できない。むしろ,上記報告書の記述は,同地帯の治安の悪さを浮き彫りにしているとみるべきである。被告らの上記主張もまた採用することができない。 ウUPDF関係者からの襲撃のおそれについて原告は,UPDFを脱退したことから,UPDF関係者から裏切り者とみなされ,襲撃されるおそれがあると主張する。 ,,,PCJSSの場合とは異なり原告もバングラデシュを出国する前に現実にUPDF関係者から襲撃を受けたことはないとしている。しかし,- 20 -前記(1)ア(エ)において認定したチッタゴン丘陵地帯を巡るPCJSSとUPDFとの対立状況を踏まえると,UPDFの関係者の中には,組織の設立時からその中心的なメンバーでありながらUPDFを脱退した原告に対して快く思わない者がいることは当然想定することができ,また,UPDFの関係者の中には何かあればすぐに暴力行為に訴える者がいることは明らかであるから,原告の上記主張は主観的なものにとどまらず,相応の客観的な根拠があるということができる。したがって,原告は,2002(平成14)年7月にバングラデシュを出国した当時,UPDF関係者からも襲撃を受ける危険があったと認定することができ,かつ,その後UPDFが勢力を弱めていると報じられていること(前記(1)ア(エ))を踏まえても,その事情に大きな変化が生じたとまでいうことはできない。 エバングラデシュ政府からの迫害のおそれについて原告は,バングラデシュに帰国すれば,恣意的な逮捕,抑留の対象になり,投獄されるおそれがあると主張する。その根拠として,原告は,1993( きない。 エバングラデシュ政府からの迫害のおそれについて原告は,バングラデシュに帰国すれば,恣意的な逮捕,抑留の対象になり,投獄されるおそれがあると主張する。その根拠として,原告は,1993(平成5)年に当局に逮捕されて11日間身柄の拘束を受けたことを挙げるほか,原告が被疑者として特定されている裁判所の出頭命令を掲載した新聞及び告発状・告発受理書があるとしてそのそれぞれの写しを証拠として提出するので,検討する。 (ア)原告が1993(平成5)年10月に警察に逮捕され11日間身柄を拘束されたことは,前記(2)ア(ウ)において認定したとおりである。 しかし,これは原告ら学生の活動家と警察との間で衝突があった際のことであり,しかも,原告を含め学生9人の身柄が拘束されていることからすると,警察が原告を学生政治活動家のリーダーと位置付けて逮捕したと認めるのは困難であり,むしろ,県庁前という公共の場の平穏を維持する治安活動の一環として,原告を含む学生集団を逮捕したにすぎないとみることができる。また,その際に原告が拷問を受けたとの事実も- 21 -ない。そうすると,この身柄の拘束のみをもって,原告がバングラデシュ政府の迫害の対象になっていると認めることは困難である。 (イ)原告の指摘する出頭命令というのは,2003(平成15)年12月7日付けのバングラデシュの新聞2紙に同国の「カグラチョリ丘陵県治安判事事務所」が掲載した「通達」と題するものであり,それによると「下記の被疑者は逮捕を逃れるために逃亡/身を隠していると当裁,判所が信じる理由があるので・・・・・・本命令/通達の公布から1,5日以内に,関係する訴訟の審理のためにカグラチョリ県所轄(行政)裁判所に出頭するよう,下記の被疑人に命ずる。出頭しない場合は,欠。」,,()席の ・・・・・・本命令/通達の公布から1,5日以内に,関係する訴訟の審理のためにカグラチョリ県所轄(行政)裁判所に出頭するよう,下記の被疑人に命ずる。出頭しない場合は,欠。」,,()席のまま審理を行うとされておりその上で2001平成13年11月10日に起きた事件の被疑者の名前の欄に原告の名が挙げられている(甲44の13・14。もっとも,原告がいかなる犯罪の被疑)者とされているのかは,この通達の文面からは明らかでない。 ,。 告発状・告発受理書としては次のものが証拠として提出されている第1は,告発状と告発受理書が組になったものであり,2002(平成14)年1月12日に,バス停留所で起きた犯罪事件(殺人および外「傷ならびに犯罪を意図する脅迫により認可受諾を試みた罪」とのことであり,その内容は,UPDFの複数のメンバーが武器に見せかけた物で通行人を脅迫して「許可証」を要求し,介入した警察官に発砲したというもののようであるが,翻訳に問題があるため,正確に理解することは困難である)につき,その場にいなかった原告の命令に基づくもので。 あるとして,原告が被疑者として特定されているものである(甲15,45,46(以下「A事件」という))。 。 第2は,告発受理書とみられるもので,2001(平成13)年11月10日に起きた犯罪事件(現場にいて指示命令を出し,殺す目的で「,」,ピストルや小弾丸を使用し殺人致命傷をおわせた罪とのことであり- 22 -その内容は,UPDFの武装した複数のメンバーが,ピストルで一団の人々を襲撃したというもののようであるが,翻訳に問題があるため,正確に理解することは困難である)につき,現場にいて指示を出してい。 た被疑者のうちの一人として原告が特定されているものである(乙45。本人尋問に たというもののようであるが,翻訳に問題があるため,正確に理解することは困難である)につき,現場にいて指示を出してい。 た被疑者のうちの一人として原告が特定されているものである(乙45。本人尋問における原告の供述を踏まえると,裁判所から出頭命令)(),が発せられた2001平成13年11月10日発生の上記事件とはこの事件を指すものと解される(以下「B事件」という。 。)第3は,これも告発受理書とみられるもので,1999(平成11)年4月22日に起きた犯罪事件(一般人に矢,石を投げたり,発砲し「たり,パイプガン,ライフルのような危険物で傷つけたり,衝撃を与える行為」とのことであり,その内容は,和平協定推進派と反対派の抗争事件において,和平協定反対派が推進派に対し投石,鉄砲,矢,ライフル,パイプガン等で攻撃し,警察が介入したところ,警察官に対しても攻撃をしたというもののようであるが,翻訳に問題があるため,正確に理解することは困難である)につき,現場にいた被疑者のうちの一人。 として原告が特定されているものである(乙44。なお,この書面には原告の名を正確に示した記述は存在しないが,5頁の「⑭F」及び8頁の「(14)G」というのが原告を指すものと解される。また,この書面で「平和条約」と訳されているものは「和平協定」を意味するものと解される。この事件においては警察と和平協定反対派とが衝突している。)のであるが,ここにいう和平協定反対派とは,丘陵学生評議会のチッタゴン丘陵地帯和平協定反対派のことである(甲1,5,原告本人(以)。 下「C事件」という)。 原告は,本人尋問において,これらA・B・C各事件につき次のように説明している。まず,C事件につき,和平協定反対派としてデモ,集会等の活動を行っていたところ,警察が阻止しようと C事件」という)。 原告は,本人尋問において,これらA・B・C各事件につき次のように説明している。まず,C事件につき,和平協定反対派としてデモ,集会等の活動を行っていたところ,警察が阻止しようとしたために衝突が- 23 -生じたと説明している。次に,A・B各事件については,自分は現場にいなかったにもかかわらず,被疑者とされていると説明している。 原告は,これら出頭命令,告発受理書等の存在は,原告がバングラデシュ政府による迫害の対象となっていることを示すものであると主張する。他方,被告らは,原告が正規の手続で旅券を取得し,出国していることからすると,バングラデシュ政府が原告の逮捕を予定していたとは考え難いし,もし原告が被疑者として手配されていたのであれば,出国前に当局から何の接触もなかったのは不合理であるなどとして,これらの証拠の信用性に疑問を投げ掛けるほか,仮にこれらの出頭命令等が真に存在したとしても,それは法の定める手続に従って行われる訴追及び処罰の一環であって,正当な刑罰権の行使であり,迫害には当たらないと主張する。 被告らの指摘するこれら出頭命令等の信用性については,まず,新聞に上記「通達」が掲載されたことを疑う事情はないから,B事件に関する上記出頭命令は確かに存在したと認められる。そうすると,B事件の告発受理書とみられるものも,真に存在するものと考えられる。また,C事件は,上記のとおり,新聞でも報道された事件であり,原告本人の供述を併せ考えれば,実際に起こった事件と認めることができるから,これに関する告発受理書とみられるものも,真に存在するものと考えられる。その上で,A・B・C各事件の告発受理書とみられるものの書式を見てみると,互いに似通ったところがあると認められ,その外観からしても,公文書の体裁を備えているということ 真に存在するものと考えられる。その上で,A・B・C各事件の告発受理書とみられるものの書式を見てみると,互いに似通ったところがあると認められ,その外観からしても,公文書の体裁を備えているということができるから,A事件に関する告発受理書とみられるものもまた,真に存在するものと考えられる。これに対し被告らは,原告が正規の手続で出国できたことなどを問題とする。バングラデシュにおける被疑者の取締りがどの程度厳しいものであるのかについては的確な証拠がないが,前記(1)イにおいて認定- 24 -した同国内の治安情勢を前提にすると,取締りはかなり緩やかなものであることが推測され,裁判所の出頭命令あるいは告発があったからといって,その対象者の身柄が直ちに拘束されるような状況にあるとも,その出国が直ちに困難になるような状況にあるとも認めることはできない。したがって,被告らの指摘は当たらず,これら出頭命令等が真実のものであることは,認めてよいものと判断することができる。 被告らは次に,これらは正当な刑罰権の行使であると主張するが,バングラデシュにおける刑事手続がいかなるものであるのかを理解した上で,かつ,どのような事実が存在するのかを確定した上でなければ,正当であるか否かは判断することができないのであり,このいずれについても正確な情報は存在しないことをまず考慮すべきである。そして,A・B各事件につき,原告本人は,自分は現場にいなかったにもかかわら,,。 ず被疑者とされていると供述しておりこれを覆すだけの証拠はないC事件については,新聞報道(甲5)は,これを丘陵学生評議会と警察との衝突ととらえているのであり,原告本人の供述を併せ考えれば,政治的色彩の濃い事件とみるべきであるから,警察の側の行動を精査することなしに丘陵学生評議会側の暴力行為のみを取 を丘陵学生評議会と警察との衝突ととらえているのであり,原告本人の供述を併せ考えれば,政治的色彩の濃い事件とみるべきであるから,警察の側の行動を精査することなしに丘陵学生評議会側の暴力行為のみを取り上げるのでは,事件の全体像をつかむことはできない。警察の側の行動がいかなるものであったのかは不明である。そうすると,上記出頭命令等が正当な刑罰権の行使を意味するものであると直ちに断定することはできないというほかない。もっとも,現場にいなかったという原告本人の供述も裏付けを欠くから,冤罪であると断定するにも不十分である。 以上を総合して判断するに,原告は,これら出頭命令等の存在は,バングラデシュ政府が原告を迫害の対象としていることを示すものであると主張するが,結局のところ,出頭命令とはいかなる法的効果をもたらすものであるのかが明らかでないし,告発が受理されれば捜査が開始さ- 25 -れることは推測されるが,それだけで直ちに逮捕に至るのか否かは明らかでない。また,上で検討したところによれば,被告らの主張するように正当な刑罰権の行使である可能性も否定することができない。したがって,これら出頭命令等が存在することから,直ちに,原告がバングラデシュ政府による迫害の対象となっているとまで認めることは困難である。 (ウ)原告は,チッタゴン丘陵地帯和平協定に反対しており,その限りにおいて,和平協定を推進する立場にあるバングラデシュ政府とは政治的立場を異にする。しかし,以上の(ア)及び(イ)における検討に加え,2002(平成14)年7月に出国する直前,原告が自己名義の旅券を取得することができ,正規の手続で出国することができたことをも考慮すると,そのことのみを理由に,あるいは,UPDF関係者であるということのみを理由に,原告が同国政府から反政府活動家と 己名義の旅券を取得することができ,正規の手続で出国することができたことをも考慮すると,そのことのみを理由に,あるいは,UPDF関係者であるということのみを理由に,原告が同国政府から反政府活動家として把握されていたとまで認めるには足りないというべきである。 一方,上記出頭命令等があるからといって,原告がバングラデシュ国内において犯罪を犯したとまで認めることはできないから,これら出頭命令等が存在することは,原告を難民と認定することの障害とはならない(難民条約1条F(b)参照。 )オ難民の資格要件としての「迫害のおそれ」について以上によれば,本件不認定処分の当時においても,本件裁決の当時においても,原告がバングラデシュに帰国した場合,PCJSS関係者あるいはUPDF関係者から生命又は身体に対する攻撃を受けるおそれが客観的に存在していたということができるが,一方で,バングラデシュ政府から直接迫害を受けるおそれがあったとまではいうことができないということになる。 そうすると,まず第1に,政府との関係をどのように考えるべきかが問- 26 -題となる。すなわち,PCJSSやUPDFの関係者から襲撃されるおそれがあるとしても,これらはあくまでも政治団体にすぎず,バングラデシュの国家機関とは別の私的な組織であるから,それだけでは難民の資格要件としての「迫害のおそれ」としては不十分ではないかという点が問題となる。第2に,これと関連するが,バングラデシュ政府から直接迫害を受けるおそれがないとすると,たとえチッタゴン丘陵地帯においてPCJSS関係者等から原告に対する迫害のおそれの存在が認められるとしても,バングラデシュ国内の他の地域で原告が安全に暮らすことは可能であり,したがって,この観点からも難民の資格要件としての「迫害のおそれ」は否定されるの 告に対する迫害のおそれの存在が認められるとしても,バングラデシュ国内の他の地域で原告が安全に暮らすことは可能であり,したがって,この観点からも難民の資格要件としての「迫害のおそれ」は否定されるのではないかという問題が生じる。以下,特に前記(1)の認定事実を基にして順に検討する。 (ア)政府との関係について難民の資格要件としての「迫害のおそれ」が問題となる場合,迫害をする者としては,一般には国家機関が想定されている。しかし,難民条約の規定はその文言上迫害の主体を国家機関に限定していない迫,,。「害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であつて,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」という文言からすると,重要なのは国籍国による国家的な保護の欠如であると理解することができる。したがって,人種,宗教等の難民条約所定の理由により国家機関以外の者から迫害を受けるおそれがあり,かつ国籍国の政府がそれを知りながら黙認しあるいはそのような状況を放置するなど,迫害対象者を効果的に保護することが期待できない状況にある場合には,難民の資格要件としての「迫害のおそれ」は満たされると解すべきである(国際連合難民高等弁務官事務所作『()』())。 成の難民認定基準ハンドブック改訂版甲11第65項参照- 27 -バングラデシュに帰国した場合,原告に対して危害を加える可能性がある者は,PCJSS関係者及びUPDF関係者であり,いずれの団体も同国内において一定の影響力を持つ政治団体である。特に,PCJSSは,政府とのかかわりも強く,チッタゴン丘陵地帯において歴史的に果たしてきたその役割を踏まえると,かなり強固な基 あり,いずれの団体も同国内において一定の影響力を持つ政治団体である。特に,PCJSSは,政府とのかかわりも強く,チッタゴン丘陵地帯において歴史的に果たしてきたその役割を踏まえると,かなり強固な基盤を持った政治団体とみることができるし,かつては強大な勢力を誇った武装集団である。 ,,シャンティ・バヒニを下部組織として有しているしたがって原告はバングラデシュ国内において組織的な迫害の対象となる者ということができる。そして,前記(1)ア(エ)において認定したチッタゴン丘陵地帯における最近の政治情勢を踏まえると,バングラデシュ政府が同地帯の治安の維持に対して効果的な対策をとっているとはいい難い。同国政府は先住民族同士の争いをむしろ歓迎しており,PCJSSとUPDFの対立をあおっているとする原告の見方もあながち的外れなものとはいえず,少なくとも,同国政府はPCJSSとUPDFの暴力的対立を放置しているとみられてもやむを得ない状況にあるというべきである。そうすると,原告は,PCJSS関係者あるいはUPDF関係者から生命・身体に対する攻撃を受けるおそれがあるにもかかわらず,バングラデシュ政府はそのような状況を放置しており,原告が帰国した場合,同国政府からの効果的な保護は期待できないといわざるを得ないから,難民の資格要件としての「迫害のおそれ」は存在することになる。同国政府から直接迫害の対象とされているとまでいえないことは,原告について難民の資格としての「迫害のおそれ」の要件が満たされていると判断することの障害にはならないというべきである。 (イ)チッタゴン丘陵地帯以外の地域における迫害のおそれについてバングラデシュ国内のチッタゴン丘陵地帯以外の地域において原告が迫害のおそれなしに生活することができるか否かについて検討する。 - 28 - チッタゴン丘陵地帯以外の地域における迫害のおそれについてバングラデシュ国内のチッタゴン丘陵地帯以外の地域において原告が迫害のおそれなしに生活することができるか否かについて検討する。 - 28 -確かに,原告はチッタゴン丘陵地帯で生育し,政治活動をしてきたのであり,また,PCJSSとUPDFとが対立を繰り返しているのは同地帯であるから,原告が襲撃されるとすれば,同地帯が最も危険の大きな地域であることは間違いない。これと比較すれば,相対的に,他の地域ではそれほどまでの危険はないとみる余地もないではない。しかし,前記(1)イにおいて認定したとおり,バングラデシュの治安は,チッタゴン丘陵地帯に限らず,一般的にみてもよいものとはいえない。また,PCJSSは,その党首が丘陵地帯地域評議会議長を務め閣僚級の扱いを受けるなど,政府と近い立場にあるから,首都ダッカを始め,同国全体に勢力を及ぼし得る立場にあると認められる。そうすると,たとえ原告がチッタゴン丘陵地帯から離れた地域に居住したとしても,バングラデシュ国内である限り,PCJSS関係者やUPDF関係者からの襲撃を免れて安全に生活できるとはいえないというべきである。また,これまでの地縁血縁を一切断ち切ることはできないから,バングラデシュ国内で生活することとなれば,原告がチッタゴン丘陵地帯を訪れること,同地帯出身者と交流をすることは避けられない。そのような機会に原告が襲撃を受ける可能性も十分に考えられる。したがって,原告がバングラデシュに帰国した場合,チッタゴン丘陵地帯に居住すると否とを問わず,PCJSS関係者やUPDF関係者から襲撃を受けるおそれは存在するといわざるを得ず,かつ,同国政府からの効果的な保護を受けられ,「」ないことも変わりがないから難民の資格要件としての迫害のおそれはや SS関係者やUPDF関係者から襲撃を受けるおそれは存在するといわざるを得ず,かつ,同国政府からの効果的な保護を受けられ,「」ないことも変わりがないから難民の資格要件としての迫害のおそれはやはり存在することになる。 (ウ)原告の本邦入国後の言動をとらえた被告らの主張の検討被告らは,原告の本邦入国後の言動からすると原告は迫害の具体的危険を感じていないとみられる,原告の本邦入国目的が本邦での稼働にあると疑われるなどと主張し,迫害のおそれの存在を否定する。 - 29 -原告が,NGOであるジュマ協力基金の研修に参加するという名目で査証を取得し,来日したことは,前記(2)ア(オ)において認定したとおりである。被告らがこの研修をどのように位置付けているのかは明らかでないが,その主張からすると,原告がジュマ協力基金の研修のために来日したのは事実であるが,その後心変わりして不法就労を始めたとするか,あるいは,当初から本邦で不法就労する目的を持ち,ジュマ協力基金の研修という虚偽の名目で来日した後,目的どおりに不法就労を始めたとするかのいずれかを問題点として指摘するのであろう。 確かに,証拠(乙4ないし6,9,11,15,17,原告本人)によれば,原告は,来日後2か月ほど経った平成14年9月,本件難民認定申請をした直後に,工場で働き始め,月額約18万円の給料を得るようになったこと,今までに本国の家族へ合計約1万ドルを送金している。 ,,,,ことを認めることができるまた上記証拠によれば原告は来日後難民認定手続においても,退去強制手続においても,実際にジュマ協力基金の研修に参加する目的で来日したのであると説明し,これが単なる名目であるとは述べていなかったことが認められる。しかし,本人尋問において,原告は,この点につき,出国を助けて ても,実際にジュマ協力基金の研修に参加する目的で来日したのであると説明し,これが単なる名目であるとは述べていなかったことが認められる。しかし,本人尋問において,原告は,この点につき,出国を助けてくれたDやジュマ協力基金に迷惑を掛けたくなかったので,本当のことを述べることができなかったのであると供述しており,証人Dもこれを裏付ける証言をしている。そして,チッタゴン丘陵地帯を巡るPCJSSとUPDFとの対立状況を前提にすれば,この説明には十分な理由があると認めることができるから,上記原告本人の供述及び証人Dの証言の信用性を否定することはできない。来日後就労している点についても,難民であっても生活をしていかなければならないのであるから,これのみをとらえて問題視することはできないし,その結果として,ある程度の貯まった金銭を本国の家族にあてて送金すること自体は人情として理解ができないわけで- 30 -はないことであり,前記(2)ア(オ)の出国経過にも照らせば,被告らの上記主張事実をもって不法就労目的による入国を推認することは到底できない。入国後原告が本件難民認定申請をするまで2か月も掛かっていないこと,原告が就労を始めたのがその後であることにも留意すべきである。 カ難民該当性についての結論以上の検討によれば,原告については,難民の資格要件としての「迫害のおそれ」が存在することが認められ,これは,原告がバングラデシュにおいて先住民族(少数民族)のための政治活動を行っていたがためであるから,原告は,難民条約にいう「人種」及び「政治的意見」を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有すると認めることができる。他の要件にも欠けるところはないから,原告は,本件不認定処分時においても,本件裁決時においても,難民に該当していたと 迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有すると認めることができる。他の要件にも欠けるところはないから,原告は,本件不認定処分時においても,本件裁決時においても,難民に該当していたと認められる。 争点(2)(本件不認定処分の無効原因)について(1)争点(1)において判断したとおり,本件不認定処分の時点において原告は難民であったと認められるから,これを否定した本件不認定処分は瑕疵ある違法な処分である。 行政処分については,一般的には,その瑕疵が重大かつ明白である場合に限り無効となるものと解される。しかし,難民認定申請に対して法務大臣が行う処分は,申請をした外国人に対してのみ効力を有するもので,この処分の存在を信頼する第三者の保護を考慮する必要が乏しいから,その処分における前提となる事実の認定の過誤が入管法の定める難民認定をする上での根幹についてのそれであって,入管行政の安定とその円滑な運営の要請を斟酌してもなお,出訴期間の徒過による不可争的効果の発生を理由として当該外国人に処分による不利益を甘受させることが,著しく不当と認められるよう- 31 -な例外的な事情のある場合には,上記の過誤による瑕疵は,当該処分を当然無効にするものと解すべきである(最高裁昭和48年4月26日第一小法廷判決・民集27巻3号629頁参照。 )(2)そこで,上記(1)の考え方を前提として,以下,順に検討する。 前記前提事実(4)イのとおり,本件不認定処分は,原告が難民とは認められない理由として,①原告がバングラデシュ政府から正常に旅券の発給を受けて合法的に出国したこと②チッタゴン丘陵地帯和平協定が締結されこれが推進されていること③原告に対する国家による保護の欠如は認められないこと④原告が提出した告訴状は記載内容にその信用性を疑 けて合法的に出国したこと②チッタゴン丘陵地帯和平協定が締結されこれが推進されていること③原告に対する国家による保護の欠如は認められないこと④原告が提出した告訴状は記載内容にその信用性を疑わせる点が少なくないことを挙げている。 上記①は,旅券発給及び正規出国という事実が認められる以上,原告が反政府活動家としてバングラデシュ政府から直接迫害の対象とはされていないと考えられることを述べるものと解される。争点(1)において検討したとおり,これは表面的にみればそのとおりであるが,原告については,政府からの迫害ではなくPCJSS関係者及びUPDF関係者からの組織的迫害がまずもって問題とされるべきであるから,ここで指摘されている事実が原告の難民該当性を否定するものということはできない。その意味で,原告の難民該当性を否定する理由としては適切ではない。 上記②及び③は,和平協定が締結され,バングラデシュ政府がこれを推進する姿勢を示している以上,チッタゴン丘陵地帯は最早危険な地域ではないとの認識の下,原告の主張するような理由により原告の生命・身体に危険が生じるとは考え難いと指摘するものと解される。しかし,前記1(1)アにおいて認定したチッタゴン丘陵地帯を巡る政治情勢を前提にすれば,チッタゴ- 32 -ン丘陵地帯が危険な地域でないとは到底いえないのであり,被告法務大臣の事実認識には重大な誤りがあったといわざるを得ない。また,前記1(1)アにおいて認定したPCJSSとUPDFとの対立状況や,同イにおいて認定したバングラデシュの治安情勢を前提とし,かつ,原告の経歴を正確に認識すれば,原告に対する国家の保護は欠如しているといわざるを得ないのであり,これがないとの判断は誤りである。 上記④については,前記1(3)エのとおり,最終的には,原告に対する難 原告の経歴を正確に認識すれば,原告に対する国家の保護は欠如しているといわざるを得ないのであり,これがないとの判断は誤りである。 上記④については,前記1(3)エのとおり,最終的には,原告に対する難民認定の結論を左右するものではないので,判断の限りではない。 以上の検討によると,被告法務大臣は,本件難民認定申請における認定に当たっては,バングラデシュ情勢及び原告の個人的事情(特にPCJSS及びUPDF関係者からの襲撃のおそれ)についての情勢の把握と分析が重要であるにもかかわらず,表面的な事象にとらわれて,事実認識に重大な誤りがあるままこれに基づいて本件不認定処分をしたということができる。この認定の過誤は重大であり,入管法の定める難民認定をする上での根幹についての過誤といわなければならない。そうすると,本件においては,出訴期間の徒過による不可争的効果の発生を理由として,難民とは扱われないという不利益を原告に甘受させることが著しく不当と認められるような例外的な事情があるということができるから,本件不認定処分は当然に無効というべきである。 結論 以上によると,本件の結論は次のとおりとなる。 第1事件については,まず,本件裁決時において,原告は本邦に不法残留していた外国人であり,入管法24条4号ロに該当するから(前記前提事実(1)ないし(3) ,原告が同法49条1項の規定によってした被告法務大臣に対す)る異議の申出には理由がない。しかし,法務大臣は,異議の申出が理由がないと認める場合でも,入管法50条1項に基づきその外国人の在留を特別に許可- 33 -(),,することができるのであるから在留特別許可難民である原告については被告法務大臣は,同項3号(平成17年法律第66号による改正前のもの)に基づき在留特別許可を与えることを当然 3 -(),,することができるのであるから在留特別許可難民である原告については被告法務大臣は,同項3号(平成17年法律第66号による改正前のもの)に基づき在留特別許可を与えることを当然に考慮すべきであった(平成16年法律第73号による改正前の同法61条の2の8参照。ところが,被告法務大)臣は,原告が難民に該当しないことを前提として本件裁決をしたと認められるから,本件裁決は,原告が難民に該当するという当然に考慮すべき重要な要素を考慮しないで行われたものである。したがって,本件裁決は,在留特別許可をするか否かについて被告法務大臣に与えられた裁量権の範囲を逸脱又は濫用する違法なものであり,取消しを免れない。 次に,主任審査官は,法務大臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたときは,速やかに退去強制令書を発付しなければならないとされているから(入管法49条6項,前提となる裁決が取り消されるべき違法な)ものであるときは,退去強制令書の発付もその根拠を欠き違法なものとならざるを得ない。本件裁決は違法であるから,被告主任審査官による本件退令発付処分も違法なものとして取消しを免れない。 ,,,第2事件については本件不認定処分は争点(2)において判断したとおり,。 無効でありこれが無効であることの確認を求める原告の請求には理由があるよって,原告の請求はすべて理由があるからこれらを認容し,主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第2部裁判長裁判官大門匡裁判官関口剛弘- 34 -裁判官倉地康弘

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