昭和62(行コ)74 国籍存在確認請求控訴事件(原審・東京地方裁判所昭和60年(行ウ)第29号

裁判年月日・裁判所
昭和63年9月29日 東京高等裁判所 その他
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【DRY-RUN】- 1 - ○ 主文 一 本件控訴を棄却する。 二 控訴費用は控訴人の負担とする。 ○ 事実 「 。 。 、 、 一 控訴代理人らは 原判決を取り消す 被控訴人の請求を棄却する 訴訟費用は 第一 二審

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- 1 -○ 主文 一本件控訴を棄却する。 二控訴費用は控訴人の負担とする。 ○ 事実 「。 。 、、一控訴代理人らは原判決を取り消す被控訴人の請求を棄却する訴訟費用は第一二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人らは主文同旨の判決を。 求めた。 二当事者双方の主張は、次のとおり補正するほかは、原判決事実摘示第二と同一であるから、これを引用する。 原判決三丁表五行目の次に行をかえて次の部分を加える。 「仮に本件宴席がAの関係者のみの出席であるとしても、民国民法上は「儀式の公開」(第三者が現認できる状態での挙式)が要求されているにすぎず、更にそれ以上に親族の同意、出席等は必要とされないのであるから「儀式の公開」という要件は充足されてい、る。 そして、右方式により婚姻が適法になされる限り、その婚姻意思は推認されなければならず、BもAも婚姻の当時社会観念上夫婦であると認められる関係を設定する婚姻意思を有していたものである。 同三丁裏一〇行目の「日本人である」の次に「大阪高等裁判所昭和六二年二月六日(決定(判例タイムズ六三〇号二六六頁)参照」を加える。 。) 同一一行目を削除して次のように改める。 「6被控訴人は、中国において日本人の子として迫害され、言うに言われぬ苦しい生活を続けてきたものであるところ、日本に永住したいとの気持ちを果たすべく、昭和五八年三月上海での中学教師の職を辞めて同年四月二日単身来日し、現在では日本国内で家族とともに生活しているが、外国人として扱われ、外国人登録をなし、在留期限におびえながら不安な日々を暮している」。 同四丁表九行目の次に行をかえて次の部分を加える。 「仮にBとAが婚姻の儀式を行つたとしても、秘密裡に行われたものであり、出席者の大部分はAに関係す におびえながら不安な日々を暮している」。 同四丁表九行目の次に行をかえて次の部分を加える。 「仮にBとAが婚姻の儀式を行つたとしても、秘密裡に行われたものであり、出席者の大部分はAに関係する中国人であつて、このような儀式はおよそ公開とはいえず「儀式、の公開」という要件が満たされているとは認められない。 婚姻意思とは、社会観念上、夫婦共同生活体を成立させる意思であるところ、民法は、婚姻の無効について、現行民法、旧民法とも同旨の定めをし、旧民法七七八条一号は「人、違其他ノ事由ニ因リ当事者間ニ婚姻ヲ為ス意思ナキトキ」は婚姻は無効であると規定する。 そして、右にいう「当事者間に婚姻する意思がないとき」とは、当事者間に、真に社会観念上夫婦であると認められる関係の設定を欲する効果意思を有しない場合を指すものと解すべきである(最高裁判所昭和四四年一〇月三一日第二小法廷判決、民集二三巻一〇号一八九四頁。 )- 2 -しかるに、本件については、当事者であるB及びAのいずれの側にも、夫婦共同生活体を成立させる意思がなく、両者は、いわゆる愛人関係であつたと認めるのが相当である」。 同末尾一一行目の次に行をかえて次の部分を加える。 「同条にいう「父」とは、法律上(親族法上)の父を意味するものであつて、自然的血縁関係があるだけの事実上の父を含むものでないことは裁判例及び学説においても異論のないところである。 被控訴人がBから撫育を受けたことにより事実上認知されて日本国籍を有するとの主張は、認知の成立要件の準拠法を定めた法例一八条一項(父子それぞれの本国法により認知の要件の具備が必要)によれば、父であるBの本国法である日本旧民法が撫育認知を許容していないから、結局、認知の要件を満たしておらず失当である(被控訴人の引用する大阪高裁決定は、事案を 国法により認知の要件の具備が必要)によれば、父であるBの本国法である日本旧民法が撫育認知を許容していないから、結局、認知の要件を満たしておらず失当である(被控訴人の引用する大阪高裁決定は、事案を異にする上、旧国籍法一条の「父」の概念を不当に拡大するものである」。)。 同四丁裏一行目を削除して次のように改める。 「6同6は、被控訴人が昭和五八年四月二日に来日したこと及び外国人として扱われ外国人登録をしていることは認めるが、その余は不知」。 三証拠関係(省略)○ 理由 一被控訴人の親子関係については、成立に争いのない甲第七、第八号証、乙第五号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第六号証、原審における証人Aの証言により真正に成立したものと認められる甲第一九号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二四号証、原審における証人Aの証言及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人は昭和一七年二月二五日、中華民国上海市においてBとAとの間に子として出生したことが認められ、右認定に反する証拠はない。 二そこで、被控訴人の右親子関係を前提として、被控訴人の日本国籍取得の有無について判断する。 被控訴人は、旧国籍法一条にいう「父」は自然的血縁関係のある事実上の父で足り、右Bが日本国籍を有するから、被控訴人は出生により日本国籍を取得した、と主張する。 しかしながら、同条にいう「父」とは、日本の法律により出生子と父子関係が存在する者を指し(法例一七条、自然的血縁関係)があるだけの事実上の父は含まないものと解するのが相当であるから、被控訴人の右主張は理由がない。 被控訴人は、BとAは昭和一五年一二月ころ当時中華民国上海市において婚姻した夫婦であるから、被控訴人はBの嫡出子として法律上の親子関係を有し、出生と同時に日本国籍を取得した 主張は理由がない。 被控訴人は、BとAは昭和一五年一二月ころ当時中華民国上海市において婚姻した夫婦であるから、被控訴人はBの嫡出子として法律上の親子関係を有し、出生と同時に日本国籍を取得した、と主張するので検討する。 (一)まず被控訴人の主張するBとAとの婚姻が日本の法律上有効に成立したかどうかについて考える。 被控訴人が右婚姻の成立を主張する当時Bが日本人であり、Aが中華民国人であることは当事者間に争いがないところ、日本人と外国人との婚姻の準拠法については、法例一三条- 3 -一項によれば、婚姻成立の実質的要件は各当事者の本国法に、その形式的要件は婚姻挙行地法とされているので、右婚姻の有効性については、実質的要件はBについては日本法、Aについては中華民国法により、形式的要件は、後記認定のとおり婚姻挙行地が当時中華民国上海市であるので中華民国法によりそれぞれ判断されることとなる。 (二)まず婚姻成立の形式的要件の具備について検討すると、民国民法九八二条によれば婚姻が中華民国法の方式上有効に成立したといえるためには公開の儀式及び二、、「」「人以上の証人」の存在が必要とされているところ、前掲甲第七号証、第一九号証、乙第六号証、成立に争いのない甲第二〇号証、原審における被控訴人本人尋問の結果及び弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二二号証、前掲証人Aの証言及び弁論の全趣旨を総合すると、本件宴席の状況等について次の事実が認められ、この認定に反する甲第二号証(一部)は、右各証拠に照らして採用できず、他に右認定を左右する証拠はない。 (1)昭和一五年一二月ころ、上海市の料理店「紅棉酒家」二階において、本件宴席が設けられた「紅棉酒家」は当時上海市大世界という繁華街にあり、日本人も利用する有。 名な料理店であ る証拠はない。 (1)昭和一五年一二月ころ、上海市の料理店「紅棉酒家」二階において、本件宴席が設けられた「紅棉酒家」は当時上海市大世界という繁華街にあり、日本人も利用する有。 名な料理店であつた。 (2)本件宴席の会場にあてられた広間には、中央に丸テーブルが約一〇卓、壁ぞいに四角のテーブルが約一〇卓あり、本件宴席はそのうち中央の丸テーブル二卓を利用して行われた。 、「」、右二卓のテーブルの上にはそれぞれ結婚式を表す●の文字を記した札のさしてある赤リボンのついた大きな花籠が置いてあつた。 (3)出席者は、BとAのほか、Aの母、Aの親族、B及びAの知人等であり、日本人数名も含めて約二〇名であつたが、Bの親族や勤務先の者は出席していなかつた。 、、婚姻の儀式に一般に用いられる特定の服装のきまりはなかつたので新郎の服装は背広で新婦は赤い中国服であり、新郎・新婦はともに胸に赤い花をつけており、出席者全員が非常に奇麗で立派な衣服を着用していた。 (4)本件宴席においては、Aの母が主婚人、Bの知人であるC及びDの両名が証婚人となり(右両名は妻帯者で成年者である、右両名が本件宴席の司会を行つた。そして、。)右両名が出席者にBとAを紹介し「今日はこの人達の結婚式のために集まつていただき、ありがとうございます」と述べて、新郎・新婦の結婚に至る経過を披露した。 。 その後、出席者の面前で「結婚証」に、主婚人であるAの母、証婚人である右C及びD、の両名、当事者であるB及びAがそれぞれ押印した。 さらに、全員が起立して乾杯をし「結婚を祝福します」と述べ、BとAは、二人で、、。 結婚式の際の習慣に従つて起立した全員に酒を注いでまわつた。 ()、、、 それから食事が開始されてにぎやかな酒宴となつたが約二時間経過したころ「 と述べ、BとAは、二人で、、。 結婚式の際の習慣に従つて起立した全員に酒を注いでまわつた。 ()、、、 それから食事が開始されてにぎやかな酒宴となつたが約二時間経過したころ「。」。 証婚人の両名がどうぞ彼らの家へ遊びに行つてあげて下さいと述べて宴を終了した(6)本件宴席の当時、宴席の設けられた二卓のテーブル以外には他の客がいてその食事中本件宴席の様子を容易に見ることができた。 - 4 -以上の事実によれば、本件宴席は当事者の婚姻の意思並びに婚姻の事実を確認するとともに公表し、これを祝福するために設けられたものであつて、これが婚姻の「儀式」に該当することは明らかである。 そして、民国民法九八二条の「公開」とは、不特定の者が婚儀をともに目にすることができる状態をいうものと解されるところ、本件宴席は、前記認定のとおり「●」と記され、た札をさしてある大きな花籠(前記(2、参列者の華美な服装(同(3、新郎と新婦))))とが二人で出席者に酒を注いでまわつたこと(同(4)等に照らし、一見して当時の中国)の習俗にしたがつた結婚式としての特徴を備えているうえ、前記(6)において認定したとおり、不特定の者がその進行状況を容易に認識することができる状態で開催されたのであるから、「公開の儀式」であるということができるものである。 ところが、本件宴席にBの親族や職場の者が出席していなかつたことは前記(3)認定のとおりであるが、この点につき、控訴人は、出席者の大部分はAに関係する中国人であつて、このような儀式はおよそ公開とはいえず同条の要件を満たしていない、と主張する。 しかしながら、Bが同人の親族や勤務先に自己の婚姻を秘匿したのは後記認定の事情によるものであると推測されるところ、同人が自己の関係者の一部に自己の婚姻を秘 えず同条の要件を満たしていない、と主張する。 しかしながら、Bが同人の親族や勤務先に自己の婚姻を秘匿したのは後記認定の事情によるものであると推測されるところ、同人が自己の関係者の一部に自己の婚姻を秘匿した事実があつたとしても、本件宴席が前記のように不特定の者に周知可能な状況の下に設営されていることからすれば、婚姻挙行地の法律上の方式は満たしているというのに妨げないものというべきである。 さらに、本件宴席は、成人で能力を有する証婚人二名が証人としての役割を果たしたことは前記認定事実により明らかであるから「二人以上の証人」という同条のいま一つの要、件も満たしているものである。 したがつて、BとAとの婚姻は、婚姻挙行地である中華民国法の方式上有効に成立したものということができる。 (三)次に婚姻成立の実質的要件の具備について検討すると、婚姻意思の存否を除くその余の、各当事者の本国法上の実質的成立要件の具備については、控訴人は明らかに争わないので自白したものとみなすべきところ、控訴人は、B及びAのいずれの側にも夫婦共同生活体を成立させる意思がなく、両名はいわゆる愛人関係であつた、と主張するので判断する。 、、ところでBとAとの婚姻が中華民国法の方式上有効に成立したものと認められることは前記(二)のとおりであるが、一般的にその国の手続を履践して適法な婚姻がなされた以上は、その婚姻の当時に婚姻意思が存在したものと推認するのが相当である。 もつとも、適法に成立した婚姻であつても、有効な婚姻を仮装するなどそれが単に他の目的を達するための便法とされているような場合には、真に夫婦関係を設定する効果意思を欠きその効力を生じないというべきであるから、本件において、当事者にそのような意図があつたかどうかを検討する。 - 5 -、、、、(。)、と な場合には、真に夫婦関係を設定する効果意思を欠きその効力を生じないというべきであるから、本件において、当事者にそのような意図があつたかどうかを検討する。 - 5 -、、、、(。)、ところで前掲甲第一九第二四号証乙第五第六号証後記採用しない部分を除く書込み部分は弁論の全趣旨から真正に成立したものと認められその余の部分は原本の存在及び成立に争いのない甲第二八、第三〇号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二九、第三一号証、前掲証人Aの証言、原審における証人Eの証言に弁論の全趣旨を総合すると、BとAとの婚姻の前後の事情について次の事実が認められ、右認定に反する前掲乙第六号証(一部、原本の存)在及び成立に争いのない乙第七号証(一部)は採用できないし、他に右認定を左右する証拠はない。 (1)Bは、江商株式会社の社員であり、中支綿花協会(日本軍の指令により日本軍の綿を調達するために結成された組織)に出向して、昭和一五年ころ上海市から南京市に移り居住していた。 Aは、母とともに故郷の上海を離れて、同年春から南京市内の社交ダンスホール「東方」にダンサーとして稼働していたところ、同年夏ころBが同ホールの客として訪れたことから両名は知り合うようになり個人的に交際するようになつた。 (2)Bは、同年秋ころ、Aの母を通じて当時一六歳であつたAに対し結婚したい旨の申込みをした。Bは優しい性格の男であり、Aには兄弟がなく母子の生活も困窮していたので、Aと母はBの右申込みを承諾した。そして、Bから、仕事を辞めて母親と一緒に上海にもどるように言われたため、Aと母は郷里の上海市にもどり、B自身も協会から江商に復帰し上海市に帰つてきた。 結婚までは、Bは会社の寄宿舎である青葉寮に、Aは上海市内にアパートを借りて居住していた。 にもどるように言われたため、Aと母は郷里の上海市にもどり、B自身も協会から江商に復帰し上海市に帰つてきた。 結婚までは、Bは会社の寄宿舎である青葉寮に、Aは上海市内にアパートを借りて居住していた。 (3)BとAは、昭和一五年一二月上海の「紅棉酒家」において挙式した後は、その挙式の日から、上海市<地名略>のD宅の三階でAの母と三名で同居生活を始めた(もつとも、Bは青葉寮は引き払わずにいた。 。)Bは、仕事の関係で出張が多く不在がちであつたが、夫婦仲は円満で、昭和一七年二月二五日には長男のFが生まれた。Bは、Fを抱いてあやしたり一緒に遊んだりして大変かわいがつており、Aに対しても、当時は珍しかつた洋服を買い与えるなど優しい心づかいを示した。Fが生後一〇か月のころ、Aは懐胎していた第二児を流産したが、このときもBはAの身体を気づかいAを日本人の経営する福民病院にタクシーで連れて行つたりした。 (4)Fが生まれて手狭になつたため、昭和一八年一月に家族四人は、上海市<地名略>の三階建住居に転居した。 BとAは、休日などには、租界内にある映画館に映画を見に行つたり、デパートで買い物をしたり、公園を散歩したりし、Bの好きな競馬場にも数回行つたりした。Bは外出時に知人と会つても特にAのことを隠そうとするようなそぶりは示さなかつた。 以上の事実関係のもとでは、BはAを自己の配偶者とする意思で婚姻の申込みをし、Aもこれを承諾したものであつて、当事者間では当初から真に夫婦共同生活を営むことが企図されていたことが明らかである。 なるほど、成立に争いのない甲第一号証、乙第一一号証、第一七号証の一ないし三、前掲- 6 -甲第二四号証、第三一号証、同乙第五号証、原審における証人Eの証言によれば、Bは、Aとの婚姻に当たり自己の親族になんら相談せず、また、自己の勤務 乙第一一号証、第一七号証の一ないし三、前掲- 6 -甲第二四号証、第三一号証、同乙第五号証、原審における証人Eの証言によれば、Bは、Aとの婚姻に当たり自己の親族になんら相談せず、また、自己の勤務先である江商株式会社にも報告することなく、婚姻の事実を秘匿していたこと、同人の職場の同僚のうち後になつてその事実をうちあけられたのはごく親しい友人に限られていたこと、上海の日本領事に対してもAとの婚姻の戸籍上の届出をしていないことが認められ、右認定を左右する。 、、、、証拠はないしかしながら前掲甲第二四号証第三一号証乙第一七号証の一ないし三前掲Eの証言によれば、Bが婚姻した当時は動乱期であり、日本と中国とが戦争状態にあつたこと、日本人は上海市においてはいわば特別の階級を構成していたこと、当時の状況では、中国人女性と婚姻することは親族から反対されてとうてい同意が得られそうもなかつたこと、日本軍のための綿の収集に従事していたBにとつて、中国人と個人的に親密になることは、綿の収集という職権を濫用し会社を個人的に利用しているのではないかという勤務先の上司の憶測を生みかねず、仕事上不利益となるおそれのあつたこと、また、綿の収集は軍関係の仕事であり、敵国の女性と婚姻することは非国民としての扱いを受け会社自体が軍の嫌疑を受けかねないおそれもあつたことが認められ、右認定を左右する証拠はないところ、このような事情のもとでは、BがAとの婚姻を勤務先の上司や同僚に対しては公表しないで秘匿すること(上海の日本領事に婚姻の届出をしていないのもこのような事情が考えられ、法的事情を考慮したものかは確認できない)もまたその意味でやむ。 を得なかつたといわざるをえず、他の日本人の同様の婚姻についても同じ状況にあつたことがうかがわれるのであつて前記事実をもつて られ、法的事情を考慮したものかは確認できない)もまたその意味でやむ。 を得なかつたといわざるをえず、他の日本人の同様の婚姻についても同じ状況にあつたことがうかがわれるのであつて前記事実をもつてBとAとの関係が控訴人主張のような公表された婚姻の実体を伴わない全く個人的関係に過ぎないことが周囲からも明らかであつたと認めることはできないものである。 また、前掲甲第一号証、乙第一一号証、成立に争いのない乙第一三号証によれば、Bは、Aと婚姻していながら、これを解消しないまま、帰国して日本人G(H・Iの六女、大正七年一一月三〇日生。以下「G」という「J」は四女、大正三年三月一三日生で「G」。 の誤りと認められる)と見合いをし、Aと婚姻した一年八か月後の昭和一七年九月一日同。 人と婚姻し、いわゆる重婚状態となつたことが認められ、右認定を左右する証拠はない。しかしながら、仮に前婚の後比較的短期間の時期に重婚となつた場合であつても、後婚の婚姻意思の存在が当然に前婚の婚姻意思の不存在を推認させるものではないし、前掲甲第二四号証、乙第五号証によれば、BとGとの結婚の話はAとの前婚後にBの親族からもちだされ、このためBが苦悩していたことが認められるのであるから、Bが前婚に当たり後の重婚状態の作出を予想し、前婚はこれを愛人関係として婚姻を偽装する意図があつたということもできない。 なお、前掲甲第一九号証、第二四号証、第二九号証、第三〇、三一号証、乙第五号証、成立に争いのない甲第三四号証、前掲証人Aの証言、同証人Eの証言に弁論の全趣旨を総合すると、Bは、Gと婚姻した後は、Gを上海市に呼び寄せて所帯を構え、Aの家庭とGの家庭との間を交互に往来して双方の配偶者と同居しつつ二重の婚姻生活を継続してきたこ- 7 -と、Bは江商の駐在員として経済的にも裕福で二つの家 後は、Gを上海市に呼び寄せて所帯を構え、Aの家庭とGの家庭との間を交互に往来して双方の配偶者と同居しつつ二重の婚姻生活を継続してきたこ- 7 -と、Bは江商の駐在員として経済的にも裕福で二つの家庭の家計を維持することは可能であり、Gとの婚姻後も、もともと夫の不在がちであつたAとの婚姻生活に特段の変化は認められなかつたこと、Aの住居は上海市の英国租界内の派克路にあり、Gの住居は同市<地名略>の呉淞路にあり、二つの住居は蘇州川をはさんで租界の内と外とで生活圏を異にしていたので特に双方の家庭が交渉することもなく、いずれもKとして地域住民に認められていたこと、Bは、いずれの配偶者にも他方の配偶者のことは秘密にし婚姻の事実を秘匿していたが、やがてその事情が各の配偶者の知るところとなつたことが認められ、右認定を左右する証拠はなく、このような重婚状態にあるBの二重生活の不自然さと前記認定の、当時の上海における日本人の現地中国人に対する優越的な立場とが、右のような二重の婚姻生活の実態にもかかわらず、右のことを知り得たBの周辺の日本人関係者に、日本人を妻とし、日本法に基づき正式の婚姻届出がなされたGが正式の配偶者であつて、Aが正式の配偶者ではなく、あたかも愛人であるかのような憶測を生んでいたことが推認される。 そして、前掲甲第一号証、第一九号証、乙第七号証、前掲証人Aの証言によれば、Bは昭和二〇年五月二四日上海市で肺結核のため死亡したが、Bの葬儀は少数の日本人の間で行われ、妻であるAが参列していないことが認められ、右認定を左右する証拠はないが、このことも右のような事情によるものと考えられるのであつて、右事実によつてもBとAとが婚姻の当時婚姻意思を有していた事実を直ちに左右するものではない。 そうすると、本件婚姻の宴席のあつた当時において、BとAとの婚姻に うな事情によるものと考えられるのであつて、右事実によつてもBとAとが婚姻の当時婚姻意思を有していた事実を直ちに左右するものではない。 そうすると、本件婚姻の宴席のあつた当時において、BとAとの婚姻についてその実質的成立要件である婚姻意思が存在し一旦有効な婚姻として成立したものと認められる以上、たとえ事後に後婚の際これを正式のものとする主観的意思を生じ、外観的にもそのように見られる状況があつたとしても、これによつて直ちに先に有効に成立した前婚が単なる愛人関係に変わるものではないといわねばならず、他に右認定を覆すに足りる明確な証拠は存在しない。 ()、、四以上のとおりBとAとは昭和一五年一二月ころ婚姻した夫婦というべきであり前記一において認定したように、被控訴人は昭和一七年二月二五日中華民国上海市において右両名の間に子として出生したのであるから、被控訴人はBの嫡出子であるというべきである(法例一七条、旧民法八二〇条。 ) したがつて、その余の点について判断するまでもなく、被控訴人は、日本人の嫡出子であるから、旧国籍法一条によつて出生と同時に日本国籍を取得したものというべきである。 三以上の次第で、被控訴人の請求は理由があるから認容すべきところ、同旨の原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。 (裁判官渡邊卓哉大内俊身土屋文昭)

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