昭和53(行コ)26 名古屋放送救済命令取消

裁判年月日・裁判所
昭和55年5月28日 名古屋高等裁判所
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【DRY-RUN】主   文 原判決中控訴人の敗訴部分を取消す。 補助参加人らを申立人、控訴人を被申立人とする愛労委昭和五〇年(不)第二号不 当労働行為救済申立事件につき、被控訴人が昭和五一年八月一四日付でなした原判

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主文 原判決中控訴人の敗訴部分を取消す。 補助参加人らを申立人、控訴人を被申立人とする愛労委昭和五〇年(不)第二号不当労働行為救済申立事件につき、被控訴人が昭和五一年八月一四日付でなした原判決の別紙命令書記載の救済命令第一、二項中Aに関する部分をのぞくその余の部分を取消す。 第一、二審の訴訟費用中参加によつて生じた分は、補助参加人らの負担とし、その余は被控訴人の負担とする。 事実 一当事者双方の申立控訴人は主文第一、二項同旨及び「訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人及び補助参加人らは、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。 二当事者双方の事実上法律上の主張及び証拠関係は、左に付加するほか原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する(但し原判決三枚目表七行目及び、一二枚目表九行目に「(ネ)」とあるのを「不」と訂正し、三枚目表九行目「同月一六日」の後に「頃」を加入し、一二枚目裏二、三行目の括弧の部分を削除し、(証拠関係につき中略)と訂正する。)。 (控訴人の主張)(一) 昭和四九年と五〇年との両年に控訴会社と補助参加人民放労連名古屋放送労働組合(以下単に参加組合という)との間に作成された議事録確認書に基づく合意によつては右各年四月分の賃上げが解決されなかつたものであるとしても直ちにそれが個別的労働契約によつて決せられるべき事項であるということにはならない。 すなわち参加組合が結成された昭和三九年以降各年度の賃上げは、労使間の賃金協定(労働協約)によつて決定実施されており、各年度の協定は何れも唯一回の例外もなく、賃上げの内容とともに実施の時期をも定めていた。更に右協定はいずれも期限とか協定の終期を定めたことがなく、各年度の賃上げについ 約)によつて決定実施されており、各年度の協定は何れも唯一回の例外もなく、賃上げの内容とともに実施の時期をも定めていた。更に右協定はいずれも期限とか協定の終期を定めたことがなく、各年度の賃上げについて新しい協定が成立しない場合には、その前年の協定が適用されていたのであつて、賃上げが五月から実施された昭和四一年度、同四二年度、同四四年度の各四月分がこれに当るのである。したがつて昭和四九年度においても同年度の賃上げ協定が成立するまでの間は、その前年である昭和四八年度の賃上げ協定が適用されるべきであつて、直ちに就業規則が適用されるわけではない。賃上げが各年毎に労働組合との団体交渉によつて決定される以上このことは当然のことであつて、就業規則の適用は、適用すべき労働協約がない場合にはじめて問題となるのである。 しかも、本件において個別的労働契約として考えられる控訴会社の給与規則六条の「昇給は原則として毎年四月に行う」との規定にいう「昇給」とはいわゆる定期昇給を意味し、賃上げについて右規定の適用はなく、これは組合との団体交渉によつて決定するのが労使の慣行であつて、団体交渉を離れて賃上げ及びその実施時期を定める基準はない。 そればかりでなく、右の規定だけによつては、四月分についての改定後の賃金支払請求権は生ぜず、賃金改定の内容、基準が定まつてはじめて具体的な請求権が発生するものであるところ、昭和四九年度同五〇年度においては、四月分についてはその内容基準は前年度の協約に定める内容基準以外には参加組合との合意はもちろん、個々の組合員との合意ないし控訴会社の決定もなされていない。したがつて、給与規則の前記規定だけでは賃金の改定を具体化するに由なく、右の規定は賃上げについて機能する余地はないといわざるをえない。 (二) 控訴会社のいう妥結月実施方式とは賃上 もなされていない。したがつて、給与規則の前記規定だけでは賃金の改定を具体化するに由なく、右の規定は賃上げについて機能する余地はないといわざるをえない。 (二) 控訴会社のいう妥結月実施方式とは賃上げを妥結した月の初日に遡つて実施するというものであつて、賃上げを団体交渉で妥結したときから実施し、契約の効力を契約成立時から生じさせるという一般的な場合に比べて、組合にとつて有利でこそあれ何ら不利益な要素を含むものではない。 およそ、団体交渉が早期に収拾されることは、労使何れの側にとつても望ましいことであつて、妥結月実施が労働組合に対し団体交渉の早期妥結を強要し、その団体交渉権に対する不当な抑圧的機能を営む面があるなどとは考えることができない。その様な面が多少なりともあるとすれば、例えば、企業内の少数派分子が他の多数者を無視して独善的で過激な行動をとる場合に、妥結月実施方式が右の少数派の行動を抑止する機能を営むことが考えられるだけであつて、これがあるからといつて右の方式が労働組合の団体交渉権に対する抑圧であるとすることはできない。 (三) 昭和四九年度において、参加組合は三月四日に控訴会社に提出した要求書により、基本給の一律五万円増の要求をはじめ、諸手当など直接給与に関する分だけでも八万円以上の増額要求を行つた。この要求は、大企業のそれが三万五〇〇〇円程度であつたのに対して全く世間相場とかけはなれた膨大なものであり、しかもこの他にも多項にわたる要求がなされていた。 これに対し、控訴会社は参加組合との数次にわたる団体交渉において、常に民放各社ないし全産業平均の回答額を上廻る回答を示し、誠意ある話合により早期の賃金改定の収拾に努力した。すなわち、控訴会社は同年四月一七日の第二次回答において、団体交渉における組合の要求(三万円以上の獲得)を十分に考 業平均の回答額を上廻る回答を示し、誠意ある話合により早期の賃金改定の収拾に努力した。すなわち、控訴会社は同年四月一七日の第二次回答において、団体交渉における組合の要求(三万円以上の獲得)を十分に考慮して金三万〇九三八円の賃上げの回答をした。この回答額は、控訴会社の業績からみた場合精一ぱいの誠意ある金額であつて、控訴会社はその旨を参加組合に事務折衝団体交渉を通じて十分説明した。若竹会も同年四月三〇日に至り、この金額を諒承して妥結したし、参加組合自身も最終的にはこの金額で合意したのである。 しかるに、この金額による妥結を四月中になし得なかつたのは、ひとえに参加組合が自己の力を過信し、控訴会社の業績などから、これ以上の積上げ修正は不可能であることについての控訴会社の説明を無視し、あくまで高額要求の獲得に固執して闘争を継続したからであつて、組合の判断の誤りに起因するものといわざるを得ない。 参加組合も昭和四九年度以前の交渉においては、四月三〇日の深夜に及ぶ交渉等によつて同月中に妥結するためのそれなりの努力をしていた。ところが、参加組合は四九年度には、四月三〇日の午後に予定された団体交渉に先立つて同日正午から組合大会を開いたが、この大会において「七四年国民春闘の中間総括と今後の闘い」を議題とし四月妥結に対する何らの配慮をもなさず、五月への闘争継続をきめたものであつて、そのための口実として新要求を用意した形跡さえうかがわれる。 このように、参加組合の組合員と若竹会員及び無所属従業員との間に賃金改定の実施時期に差異が生じたのは交渉の態度とその妥結時期との差異による結果であり、控訴会社が、故意に交渉ないし回答の提示について参加組合と若竹会とを差別した事実は全く存在せず、また差別しようとした意図など毫も存しない。これに比して参加組合の五月に入つてか 差異による結果であり、控訴会社が、故意に交渉ないし回答の提示について参加組合と若竹会とを差別した事実は全く存在せず、また差別しようとした意図など毫も存しない。これに比して参加組合の五月に入つてからの交渉態度は本来の団体交渉といえるようなものではなく、従業員家庭に手紙を出したり、控訴会社の副社長、専務、局長らへの面談を求めたり協力を要請するという類の行動に頼つた安易なものであつた。このような参加組合の姿勢は「会社にとつて一二〇万円は大した額ではない。」との主張にも顕著に表わされており、自己の交渉力の過信もしくは情勢の粗雑な検討による予測の誤りの結果、自ら招いた不利益を控訴会社に転嫁しようとする参加組合の主張は到底容認することができない。 (四) 昭和五〇年度における参加組合の要求額は平均九万円という膨大なものであり、オイルシヨツクに引続く不況、その中における春闘相場の見とおし等に鑑みた場合常軌を逸した要求であるといつて過言ではない。ちなみに同年度における全産業平均要求額は三万七七五七円であつた。 これに対し控訴会社は数次にわたる交渉の末同年四月二四日に平均二万三一九六円の第三次回答をなしたが、これは民放各社の回答額平均一万九七〇八円を相当上廻るものであつた。しかるに参加組合は、この回答が一五・一パーセント増であることをとらえ、日経連政府等の発言による一五パーセントガイドラインに沿つたものであり、不満であるとの態度を示した。これに対して控訴会社は、客観的世間相場は現実には一三パーセント台であるが、会社の回答はこれにこだわつたものではないこと、この回答額は会社の業績等に鑑みた場合精一ぱいの額であること等を説明して、参加組合の納得を求めたが、参加組合はこれを拒否した。このような参加組合の態度は春闘共闘委員会(参加組合もこれに属していた)の一 の回答額は会社の業績等に鑑みた場合精一ぱいの額であること等を説明して、参加組合の納得を求めたが、参加組合はこれを拒否した。このような参加組合の態度は春闘共闘委員会(参加組合もこれに属していた)の一五パーセントガイドライン打破の方針のみに固執したものと考えざるを得ない。 同年度の交渉は、若竹会、参加組合ともに前記第三次回答額により妥結したが、若竹会との妥結は四月三〇日であつたのに参加組合との妥結をみたのは五月二三日であつた。 このように控訴会社が四月中に出せる限りの賃上げ額を提示し、四月中妥結のための十分な誠意を示したにもかかわらず、参加組合との交渉が同月中に妥結しなかつたのは、参加組合が「高額要求、高額獲得」の基本姿勢と一五パーセントガイドライン突破の春闘共闘委員会の方針とに固執し、控訴会社の業績など情勢判断を誤つて無用な闘争を継続したことに因るものであつて、参加組合の組合員と若竹会の会員との間に賃金改定の実施時期に差異が生じたのは、控訴会社が両者を差別して扱つたことによるものではなく、両者の交渉態度の差によりもたらされた結果であるにすぎない。 (被控訴人の主張)妥結月実施方式は、それについて労使の合意がない以上、特段の事情のないかぎり、労働組合の運営に対する支配介入ないし組合員に対する不利益取扱として労働組合法七条一、三号に該当するものである。けだし、労使の協定による賃上げを協定妥結の月から実施するという原則を認めるときは、協定遅延による不利益を労働組合におしつけることになり、その不利益を避けるために労働組合は早期妥結を強要される結果となつて、労働組合法が保障している団体交渉権の正当な行使も覚束なくなること多言を要しないからである。本件においては妥結月実施の正当性合理性を認めうるような特段の事情も全く存しない。 (参加人らの主 となつて、労働組合法が保障している団体交渉権の正当な行使も覚束なくなること多言を要しないからである。本件においては妥結月実施の正当性合理性を認めうるような特段の事情も全く存しない。 (参加人らの主張)(一) 控訴会社と参加組合との間の賃上げ協定に関する労働協約は、毎年度春、ほとんど例外なしに賃料改定の交渉が行われた結果結ばれているものであるから、本来各年度の賃上げという特定された問題を扱うものであつて、協定中に期限の明示がないからといつて、翌年度の協定が効力を生ずるまでの間は全面的に前年度の協定が当該年度を超えて適用されるものではない。したがつて、本件のように賃上げの実施時期について争いが残り、右範囲で労使間に合意が成立しないときは、前年度の協定が機能する余地はなく、基準となるものは個別的労働契約であるといわねばならない。 そして右の個別的労働契約にあたる控訴会社の給与規則の第六条にいう「昇給」とは、従来、控訴会社においては定期昇給と賃上げとが一体のものとして同時に実施されてきた実績に鑑みると、賃上げの意味をも含むものと解釈すべきである。右の規定による組合員の権利は、当該年度の改定分に関し金額その他が妥結に至るまでは、抽象的な請求権であるけれども、これが妥結したときは具体的な賃金支払請求権となり、その実施時期についての特段の合意がない限り、右の規定によつて、組合員は四月一日に遡及して右の具体的権利を取得することとなるのである。 (二) 控訴会社の主張する妥結月実施方式は、労使間でその方式による旨の合意が成立するか、もしくは両者の交渉の経過やその内容等からこれによることを相当とするような特段の事情のある例外的場合にかぎつて許されるものである。そのような特別の事情もないのに使用者側があえてこの方式に固執することは、「交渉が長びけば賃上げ の内容等からこれによることを相当とするような特段の事情のある例外的場合にかぎつて許されるものである。そのような特別の事情もないのに使用者側があえてこの方式に固執することは、「交渉が長びけば賃上げ分がカツトされ損をするぞ」という脅しによつて労働者側の賃上げ要求を制限しようとするものであつて、労使対等の原則を空文化し、労働組合に対する抑圧的機能を営む不当労働行為であるものに他ならない。とくに本件において控訴会社は妥結月実施に固執することにより、参加組合の組合員三七名だけに対して四月分の昇給をカツトするという異常な組織攻撃、不当介入、組合員差別を行つているのであるから、このような行為が不当労働行為であることは明らかであるといわねばならない。 (三) 昭和四九年三月四日参加組合は控訴会社に要求書を提出したが、その内容は賃上げ一律五万円をはじめ諸手当の増額などを含むもので、これを基準給増額として計算すれば本社勤務で妻と子一人を抱える労働者の場合に六万八〇〇〇円程度の増額を求めるものであつた。狂乱物価といわれる三〇パーセントを超す消費者物価の上昇が働く者の生活と将来に大きな不安をもたらしている状況の下では参加組合のこの要求は生活実態に根ざした切実なものであつた。 右の要求に対する控訴会社の態度は不誠実きわまりないものであつた。四月一七日の最終回答(第二次回答)の内容は賃上げ分二万二六一九円、諸手当七八四〇円であり、労働者全員に該当しない諸手当こみで三万〇四五九円というものであつた。これは会社側の第一次回答である二万〇六〇七円に対し参加組合が四月一五日に提出した一万円の積み上げという大幅に譲歩した要求を全く考慮しない一方的な低額回答であつた。この回答の対基本給上昇率は二二・六パーセントで、民間主要企業の平均二万八九八一円、上昇率三二・九パーセント 提出した一万円の積み上げという大幅に譲歩した要求を全く考慮しない一方的な低額回答であつた。この回答の対基本給上昇率は二二・六パーセントで、民間主要企業の平均二万八九八一円、上昇率三二・九パーセントと比べると大幅に低いものであるのに、控訴会社は賃上げ額に諸手当を含ませた金額と民間平均の賃上げ額とを比較し、民放は高い回答であるような見せかけの作為をしたのである。 その後四月二六日の団体交渉においても参加組合の切実な積み上げ要求にもかかわらず控訴会社は第二次回答が最終回答であるとして譲らず、妥結月実施も撤回しなかつた。そこで、参加組合は四月三〇日に臨時大会を開き、控訴会社が最終回答を固執し、参加組合の大幅に譲歩した要求に対して誠意をもつて検討しないことや、物価上昇に伴う生活不安などさまざまな状況を討議した。そして更に譲歩した五〇〇〇円の積み上げ及びこれを含む五項目を要求として提出することを確認した。 参加組合は右の臨時大会後控訴会社と右の要求事項について団体交渉を行つたが全く前進が見られなかつたので五月に入つてからも要求をしつづけることを通告した。参加組合の右要求は、当初の要求から大幅に譲歩したものであり、控訴会社が誠意をもつて検討すれば充分解決できるものであつた。控訴会社の最終回答である賃上げ分二万二六一九円に五〇〇〇円の積み上げを行つても民間平均を下廻るものであつたし、また社会保険料の会社負担の要求にしても、会社としては一挙に全額負担することを避けてその負担割合を変更するなど現実的な対応方法であつた筈である。しかし控訴会社には頭から検討しようという姿勢がなく、交渉らしい交渉はできない状態であつた。 参加組合は五月に入つてから単に団体交渉開催要求だけでなく、さまざまなとりくみを行い控訴会社の態度変更に努力した。すなわち従業員の家庭に協 という姿勢がなく、交渉らしい交渉はできない状態であつた。 参加組合は五月に入つてから単に団体交渉開催要求だけでなく、さまざまなとりくみを行い控訴会社の態度変更に努力した。すなわち従業員の家庭に協力を訴える手紙を出したり、わかりやすい資料を作成して全従業員に配布したり、それをもとにして会社役員に参加組合の正当な要求や控訴会社のずばぬけた好業績を説明したりして、要求解決に一歩でも努力してもらえるようにつとめた。しかし、控訴会社はこのような参加組合の努力を全く顧みることなく妥結月実施を強行し、参加組合に対して徹底した差別弾圧の労務政策を遂行した。参加組合の組合員に対する四月分の昇給カツト分は総額で一二〇万円に過ぎず、この金額は、四億円の資本金で出発し一五年間に七〇億円近くの資産を蓄積した控訴会社にとつては大した額ではないはずであり、控訴会社が参加組合の要求に対しかたくなな態度をとらず、常識的に対処しさえすれば、本件のような紛争は発生しなかつたのである。 (四) 昭和五〇年度においては参加組合は三月五日に控訴会社に要求書を提出した。右の要求において、参加組合は基本給の大幅アツプを求めるとともに、それと並行して年齢別ポイント賃金という賃金体系も要求した。これは民放の人件費の特徴として基本給を非常に低く押さえ、変動要素の強い諸手当や夏冬の一時金で補つているという実体をカバーする是正要求をこめたものであつた。 これに対して控訴会社は、参加組合が回答日として指定した三月二四日(例年の三月中旬を大幅に譲歩したものであつた)を無視し、同月二八日に第一次回答を出したが、それは一二~一三パーセントの賃上げという非常に低いものであつた。参加組合は右第一次回答を拒否して第二次回答を要求し、賃上げ三五パーセントの要求をしている若竹会もただちにこれを拒否し、第二次 したが、それは一二~一三パーセントの賃上げという非常に低いものであつた。参加組合は右第一次回答を拒否して第二次回答を要求し、賃上げ三五パーセントの要求をしている若竹会もただちにこれを拒否し、第二次回答を要求した。参加組合は第二次回答を有利にするため、ストや館内デモの実施、腕章やワツペンの着用などの団体行動を行い、団結を強める努力をした。 控訴会社の四月一八日の第二次回答は第一次回答に二四〇〇円を上積みするというものであり、四月二四日の第三次回答では右に一三〇一円を上積みした金額が示された。右の第三次回答の内容は、参加組合の要求や控訴会社の好業績にもかかわらず、この年度に政府日経連の掲げていたいわゆる一五パーセントガイドラインにぴつたり沿つたもので全く誠意のあるものではなく、物価上昇等の状況の中にあつて到底組合員の生活向上を期待できるようなものではなかつた。そこで、参加組合は五月に入つてからも賃上げの積み上げ、妥結月実施反対の要求をかかげ、スト、宣伝活動、アピール等を行つて積極的に控訴会社に譲歩を迫つたが、控訴会社の姿勢を変えさせるまでにいかなかつた。 (五) 右両年度の賃金改定の経過を通じて、控訴会社は、参加組合の要求に対して「賃上げ要求が高すぎる。」「要求項目が膨大すぎる。」などと非難し、また「控訴会社の賃金水準は高位に属する。」と宣伝し、民放における基本給の全体的な水準の低さが問題になつていることを考慮せず、参加組合の要求に誠意をもつて答えようとしていない。 また控訴会社は、参加組合のさまざまなとりくみについて民放労連、春闘共闘委員会のスケジュール闘争に従つたものだと批判し、中傷を加えている。しかし、春闘に際し政府日経連などがガイドラインを設けて相場づくりに大きな役割を果し、介入している情勢の中では、労働者が節目を設けて、そこに スケジュール闘争に従つたものだと批判し、中傷を加えている。しかし、春闘に際し政府日経連などがガイドラインを設けて相場づくりに大きな役割を果し、介入している情勢の中では、労働者が節目を設けて、そこに力を結集して政府日経連の壁を少しでも打ち破り、賃上げを獲得しようとするとりくみを行うことは労働運動として当然のことである。特に春闘共闘委員会に結集する何百万人という労働者の団結を固めるためには、早くから計画を立てこれに従つて行動することが不可欠であるといわねばならない。 参加組合は、分裂させられ少数人員となつたが、日本全体の労働運動を強化発展させる立場で民放労連に結集してきた。参加組合は、決して自己の力を過信しているものではなく、己の弱さを知りながら、それを大きな連帯で克服してゆくことが要求解決につながる道筋だと考えているのである。しかるに、控訴会社は参加組合の行動をスケジユール闘争と批判し、団結破壊の思想攻撃を行い、参加組合の要求解決について全く努力をしないものであつて、その姿勢は当然非難さるべきである。 (証拠関係)(省略) 理由 一控訴人の請求原因一の事実二の(一)(二)の事実に関する当裁判所の認定判断は原判決の理由中、原判決一六枚目裏三行目から二一枚目裏二行目までに記載されたところと同一であるからここにこれを引用する。(但し、原判決一六枚目裏四行目から六行目にかけての括弧の部分を削り、同一七枚目表九行目の「二五、二六、四九、」を「一、二五、二六、四九、」と、同一〇行目の「一、二四、」を「二四、」と各訂正する。)二右に認定判断したところによれば、控訴会社と参加組合との間には右両年度において五月に妥結を見た賃金改定に関し、妥結月実施の労働協約は成立しなかつたし、妥結月実施の労使慣行も存しないものと認めるべきである 認定判断したところによれば、控訴会社と参加組合との間には右両年度において五月に妥結を見た賃金改定に関し、妥結月実施の労働協約は成立しなかつたし、妥結月実施の労使慣行も存しないものと認めるべきであるが、同時にまた、これを四月に遡つて実施する旨の合意も労使慣行もなかつたものと認めるべきである。 参加組合はこのような場合賃金改定の実施時期については個別的労働契約によるべきであつて、控訴会社の社員就業規則(成立について争いのない乙第三号証の三一)五〇条の「社員の給与については、別に定める給与規則による。」旨の規定及びこれを受けた給与規則(同第三号証の三二)六条の「昇給は原則として毎年四月に行う。」旨の規定の適用により、賃金改訂は四月一日から実施されるべきであると主張する。 しかし、まず右の給与規則六条にいう「昇給」とは定期昇給のみを意味するものと解するのが相当であつて、右の文言が賃上げをも含むと解釈するのは文理上困難であるといわざるをえない。のみならず成立について争いのない乙第一号証の八、第三号証の六ないし一六、二一及び原審証人Bの証言を総合すると、控訴会社は、参加組合結成前の昭和三七、三八両年度においては一方的に四月から賃上げを実施したが、参加組合が結成された昭和三九年以降同四八年までの間は、参加組合との間の労働協約で合意された額によつて、合意された時期(四月一日ないし六月一日)から賃上げを実施して来たこと、及び右のすべての年度を通じて、定期昇給と賃上げは同時に行われており、各年度共に年齢給については、一律に基準額を増額(賃上げ分)した上、各従業員につき一律に一歳分を加算し(定昇分)、職能給については各職級毎に一律増額(賃上げ分)と査定分(定昇分)とを定めるという方式によつていたこと、が認められる。右の事実によれば、控訴会社においては、 業員につき一律に一歳分を加算し(定昇分)、職能給については各職級毎に一律増額(賃上げ分)と査定分(定昇分)とを定めるという方式によつていたこと、が認められる。右の事実によれば、控訴会社においては、定期昇給と賃金改定とはその実施時期を含めて参加組合との間に成立した労働協約によつて定められてきたものであるから、この場合には協約が前記給与規則の規定に優先して適用されるというべきであり、他方、未だ何らの協約の成立していない本件両年度の四月分の賃金について直ちに右の規定が適用される余地もないというべきである。改定されるべき賃金の額が未定である以上、右の規定が働く余地はなく、この場合には、新しい協約が成立するまでの間は、前年度の協約を適用する他はないといわねばならない。したがつて、前記両年度の賃金が右の給与規則の適用により四月分に遡つて改訂された旨の参加組合の主張はこれを採用することができない。 三しかしながら、本件紛争の当時、控訴会社には参加組合(組合員三八名)と昭和四四年七月に控訴会社の従業員で組織された親睦団体である若竹会(会員約一〇〇名)とがあり、その他に右のいずれの団体にも加入していない従業員が六〇名いたこと、及び昭和四九・五〇年度において控訴会社は、四月に賃上げ交渉が妥結した若竹会所属の従業員及び無所属の従業員に対しては四月分からの賃上げを実施したが、右と同一内容の控訴会社の提案を四月中には受諾しなかつた参加組合の組合員に対しては妥結月実施方式を適用して四月分の賃上げを実施していないことは当事者間に争いがなく、そのため、控訴会社の従業員の内、参加組合の組合員とその他の従業員との間に右両年度の四月分の賃金について差異が生ずる結果となつたことは明らかである。 そして右のような結果を生じたのが単に参加組合の見透しや判断の誤りに基づくも 、参加組合の組合員とその他の従業員との間に右両年度の四月分の賃金について差異が生ずる結果となつたことは明らかである。 そして右のような結果を生じたのが単に参加組合の見透しや判断の誤りに基づくものではなく、むしろ控訴会社において妥結月実施方式を固執することによつて参加組合に対し交渉の早期妥結を強要し、参加組合の団体交渉権の抑圧やその運営に対する支配介入を企図したことを窺わせるような特段の事情が認められるときは、参加組合の組合員が右両年度の四月分の改訂賃金支払請求権を私法上有すると否とにかかわりなく、控訴会社の行為が不当労働行為を構成することもありうるといわねばならない。 四これを本件について見るに、成立について争いのない乙第一号証の一ないし一一、第二号証の四、九、一〇、一二、一五ないし一七、二五、二六、四〇、四五、四七ないし四九、五七、五八、第三号証の五、六、二四、二六弁論の全趣旨により成立を認める乙第二号証の五、一一、一四、一八ないし二三、三六ないし三八、四一ないし四四、五〇、五一、五六原審並びに当審証人C、同Bの各証言並びに弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。 (一) 昭和四九年度賃金改定交渉の経緯 1 参加組合は、昭和四九年三月四日付の要求書をもつて同年度の賃金改定について、一律五万円の賃上げ、その他諸手当の増額等、概算で約八万円の増額の要求をなし、同月一五日までに回答することを求めた。なお同年度における民間の平均要求額は三万五一七七円であつた。これに対して、控訴会社は同月一八日の団体交渉において、会社の業績の見通しが難しく、経済の動向が流動的であるから、回答は三月下旬か四月上旬になるであろうこと、及び要求が非常に高額かつ多岐にわたつているので、参加組合が満足するような回答を出すことは困難であろうことを説明した。 経済の動向が流動的であるから、回答は三月下旬か四月上旬になるであろうこと、及び要求が非常に高額かつ多岐にわたつているので、参加組合が満足するような回答を出すことは困難であろうことを説明した。 2 控訴会社は四月一日参加組合に対し、賃上げ分二万〇六〇七円、諸手当分四二九八円合計二万四九〇五円を増額し従前どおり妥結月実施とするとの第一次回答をなした。控訴会社の右回答は民放各社の第一次回答の平均二万二九二九円を若干上廻つていた。これに対し参加組合は「平均三万円を下廻る回答は物価上昇に見合わず、生活破壊を示す狂乱回答である」として更に一万円以上の上積みをすることを要求し、同月五日にその旨の要求書を控訴会社に提出した。 3 控訴会社と参加組合はその後数次にわたる事務折衝を重ねていた。しかるところ四月八日には鉄鋼大手五社の二万五五〇〇円、造船重機八社の二万七五〇〇円の賃上げ回答があり、四月一三日に私鉄が中労委斡旋により二万八五〇〇円の賃上げで妥結し、同日公共企業体も二万七六九一円の賃上げをする旨の公労委仲裁裁定で妥結したことから、控訴会社としても賃上交渉の早期解決のためには、賃上げの上積み修正を行う必要があると判断し、四月一七日賃上げ分二万二六〇九円、諸手当分七八四〇円合計三万〇四四九円を増額し妥結月実施とする旨の第二次回答をした。これは同年の民放各社の最終的な平均妥結額三万〇〇六〇円を若干上廻るものであつた。 4 しかし参加組合は、春闘相場は三〇パーセントをこえていると新聞報道されていることなどを理由に、第二次回答を不満とし、四月二二日文書をもつて物価上昇は二五パーセントをこえており手当こみで二五パーセントに満たない第二次回答は不当であるから、最低一律五〇〇〇円の再上積みを要求した。これに対して控訴会社は四月二六日に開かれた団体交渉において、第 昇は二五パーセントをこえており手当こみで二五パーセントに満たない第二次回答は不当であるから、最低一律五〇〇〇円の再上積みを要求した。これに対して控訴会社は四月二六日に開かれた団体交渉において、第二次回答はあらゆる点を考慮した最終回答であつてこれ以上の修正は不可能である旨を回答して右要求を拒否した。 ところが参加組合は四月三〇日に臨時大会を開催し、五〇〇〇円の上積み、健康保険料等の全額会社負担、嘱託従業員の住宅手当支給、インフレ昂進など事情変更による賃金再交渉に関する協定の締結、妥結月実施撤廃の諸要求をすることを決め、大会終了後、控訴会社と団体交渉を行つた。しかし、右要求は控訴会社において即時に応じられないものばかりであつたので、団体交渉は不調に終り、五月以降に継続されることになつた。 5 参加組合は五月に入つて後、従業員の家庭に協力を求める手紙を出したり、D専務やE、F、G三局長に面談して協力を要請したりしただけであつて、自己の要求を貫徹するために団体交渉を精力的に行つたこともなく、争議行為をしたこともなかつた。 6 五月一七日団体交渉が行われたが、控訴会社は、第二次回答以上に上積みをする意思はなく、妥結遅延による責任を参加組合がとる意味からも、妥結月実施は当然であつて妥結月実施の撤廃要求には応ぜられないと主張し、交渉は何らの進展もみられなかつた。そこで、参加組合としてはいつまでも妥結しないと、控訴会社から賃上げ分の支給が受けられないことから、五月二三、二四日の両日臨時大会を開催して討議した結果、控訴会社の第二次回答を受け入れるが、妥結月実施については引続き交渉することを決定し、その旨控訴会社に通告した。 7 五月二七、二八日の両日も団体交渉が行われたが、参加組合は四月一日実施を控訴会社は妥結月実施と主張して互に譲らず、かくて五月二八 については引続き交渉することを決定し、その旨控訴会社に通告した。 7 五月二七、二八日の両日も団体交渉が行われたが、参加組合は四月一日実施を控訴会社は妥結月実施と主張して互に譲らず、かくて五月二八日双方は、昭和四九年度の賃金改定につき前記のとおり「実施時期は別として、金額その他の内容は組合の了承があつたから、それを事実上の合意、妥結があつたと受けとつて、ベアは五月から実施する。」旨の議事録を作成してその旨を確認し、控訴会社は五月三〇日組合員に対して五月分の増額分を支給した。 8 若竹会は三月一〇日頃要求書をもつて賃金改定を要求した。控訴会社は参加組合に対すると同時期に同一内容の回答をなしたが、若竹会幹事会は四月一七日の第二次回答以来控訴会社と折衝を重ね、同月二六日右回答額で妥結することに決し、同月三〇日協定を締結した。 若竹会が妥結したのは、主としてこれ以上の積上げは期待できず、妥結月実施方式そのものには強い不満はあるが控訴会社がこの方式を撤回しない以上四月中に妥結した方が良いとの判断に基づくものであつた。 (二) 昭和五〇年度賃金改定交渉の経緯 1 昭和五〇年度においては参加組合は春闘共闘委員会に加入し、その指導のもとに春闘を行うことになつた。参加組合は三月五日要求書をもつて同年度の賃上げ平均九万円(七〇パーセント)等の要求をなし、同月六日団体交渉を行つた。なお同年度における民間の平均要求額は三万七七五七円であつた。 2 三月二八日控訴会社は、基本給諸手当合計平均一万七七二九円の増額(アップ率一三パーセント)、妥結月実施とする旨の第一次回答をした。これはこの日までに出た民放各社の回答一〇社の平均一万六五五一円を若干上廻つていたが、参加組合はこれを拒否し第二次回答を要求した。そこで、四月一八日控訴会社は、第二次回答として基本給を二四〇〇 た。これはこの日までに出た民放各社の回答一〇社の平均一万六五五一円を若干上廻つていたが、参加組合はこれを拒否し第二次回答を要求した。そこで、四月一八日控訴会社は、第二次回答として基本給を二四〇〇円増額して合計二万〇一二九円の増額をする旨の第二次回答をしたが、参加組合はこれを拒否した。 3 四月二四日控訴会社は、第三次回答として基本給と住宅手当の積上げをして合計二万三一九六円の増額をする旨を提示した。これは、民放各社の最終的な平均妥結額二万〇六三〇円を上廻るものであつた。参加組合は控訴会社に対し、この回答は日経連経営者側が提唱していた一五パーセントガイドラインに沿つた内容であり、金額アツプ率ともに低く、また妥結月実施を撤回していないなどの点を挙げて再考を求めたが、控訴会社はこれを拒否した。 なお昭和五〇年度における鉄鋼大手五社の四月九日における賃上げの回答は一万八〇〇〇円台、約一四・八パーセントの増額であり、また一部上場の資本金二〇億円以上従業員一〇〇〇人以上のいわゆる大企業の賃上げの平均妥結額は一万五二七九円、一三・一パーセントの増額であつた。 4 四月三〇日に参加組合は控訴会社に対して妥結できない旨通告し、五月に入つても闘争を継続することになつたが、この年の五月も前年と同じく参加組合は自己の要求を貫徹するための団体交渉を精力的に行つたこともなく、争議行為をしたこともなかつた。 5 民放各社の春闘は五月に入つてなお続いたが、五月八日現在控訴会社の回答は定昇込み平均の比較で全国順位二四位、二五歳二七位(前年二一位)、三〇歳二五位(同一八位)三五歳二二位(同一三位)であつた。このような状況下で参加組合は五月七日の事務折衝及び同月一六日の団体交渉で再積上げ、及び妥結月実施の撤回を要求したが、控訴会社はこれを拒否したので、結局参加組合は、同月 歳二二位(同一三位)であつた。このような状況下で参加組合は五月七日の事務折衝及び同月一六日の団体交渉で再積上げ、及び妥結月実施の撤回を要求したが、控訴会社はこれを拒否したので、結局参加組合は、同月二六日実施時期について合意に達することのないまま、前年度と同様の事情から金額については第三次回答を受け入れることにした。ここに双方は前記のとおり「実施期日は別として、金額その他の内容は組合の了承があつたから、それを事実上の合意妥結があつたと受けとつて、ベアは五月から実施する。なお、五月分の差額は五月二八日に現金で支給する。」旨議事録確認書を作成し、控訴会社は組合員の賃金改定を五月から実施した。 6 若竹会は、三月四日要求書を提出し、控訴会社は参加組合に対してなしたと同様に、同月二八日総額平均一万五四四六円の第一次回答、四月一八日総額平均二万〇一九七円の第二次回答、四月二四日総額平均二万三一九六円の第三次回答をなした。これに対して若竹会は、低額回答であることに不満であつたが、四月二八日に第三次回答額で妥結することを決定し、賃金改定交渉を妥結させた。控訴会社は若竹会所属従業員の賃金改定を四月から実施した。 五右に認定した昭和四九、五〇年度の賃金改定交渉の経緯によれば、控訴会社としては、いずれの年度とも早期に回答を提出し、その後の交渉を経た上、民放各社の最終平均妥結額を若干上廻る額を最終回答として提示しており、四月中に妥結すべく団体交渉等に誠実に努力したことは明らかである。そして、控訴会社の妥結月実施の提案は右の両年度に突如として出されたものではなく、参加組合結成後、賃金改定交渉の都度一貫して提案されていたものであること、控訴会社と参加組合との間の賃上げ協定のうち昭和三九年度の分は六月に、同四一、四二年度の分は各五月に成立しているが、右の三回の協 組合結成後、賃金改定交渉の都度一貫して提案されていたものであること、控訴会社と参加組合との間の賃上げ協定のうち昭和三九年度の分は六月に、同四一、四二年度の分は各五月に成立しているが、右の三回の協定はいずれも当該妥結月に実施することで合意を見ていること、及び控訴会社が本件両年度において参加組合に対してなした回答は若竹会に対してした回答と全く同一内容のものであることは、いずれも前認定のとおりである。 他方、前記認定事実によれば、参加組合は右の両年度を通じて、四月中に控訴会社の最終回答を応諾できない事情がなんらないにもかかわらず五月に闘争を継続し、殊に昭和四九年度においては四月三〇日に至り、控訴会社が即時に承認するとは到底考えられないような賃上げの上積みを含む諸要求を提示して交渉の妥結を遅らせたが、両年度とも五月に入つてからは、自己との要求を貫徹するための争議行為らしい争議行為は何ら行わず、控訴会社の妥結月実施の提案を打破することを企図したけれども結局その目的を達成しえなかつたことが明らかである。 以上によれば、参加組合の組合員が昭和四九・五〇年の各四月分の賃上げ分に相当する賃金の支給を受けられなかつたのは、控訴会社が参加組合との団体交渉を拒んだり誠意を以て交渉にあたらなかつたことによるものではなく、参加組合が高額要求を掲げて徒に交渉を長びかせ、交渉の長期化防止のために控訴会社が従来から一貫して提案し、参加組合も嘗てはこれを承諾したこともある妥結月実施方式を拒み続けたことによるものであるといわざるをえない。そして、控訴会社の最終提案を五月に入つてから結局は応諾するにいたつた参加組合の組合員と同様の提案を四月中に応諾した若竹会所属の従業員との間に四月分の賃金について差異が生じたのは、ひとえに参加組合が情勢判断を誤り自己の力を過信して闘争を てから結局は応諾するにいたつた参加組合の組合員と同様の提案を四月中に応諾した若竹会所属の従業員との間に四月分の賃金について差異が生じたのは、ひとえに参加組合が情勢判断を誤り自己の力を過信して闘争を継続したことによるものであつて、右は参加組合の自由意思に基づく選択の結果であるというほかはない。 したがつて、控訴会社が参加組合の組合員に対してのみ、昭和四九、五〇年の各五月から賃金改定を実施し、その余の従業員に対しては右同年の各四月からこれを実施したのは、参加組合の弱体化をはかりその組合員に対して不利益な差別的取扱いをしたものとはいえず、これを不当労働行為であるとする本件命令における被控訴人の判断は失当であるというべきである。 六そうすると、本件命令の取消しを求める控訴人の本訴請求は正当であつて、これ(Aに関する部分を除く)を棄却した原判決は不当であるといわねばならない。 よつてこれを取消して控訴人の右請求を認容することとし、民事訴訟法八九条九六条九四条を適用して主文のとおり判決する。 (裁判官秦不二雄三浦伊佐雄高橋爽一郎)

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