主文 一本件抗告を棄却する。 二抗告費用は抗告人らの負担とする。 理由 一抗告の趣旨及び理由は別紙即時抗告状及び意見書に記載のとおりである。 二当裁判所の判断 1 一件記録によれば次の事実が認められる。 (一) 平成九年(行ウ)第二七号事件は、抗告人らが、平成九年一〇月一五日、aとともに原告として(原告総数三一四名、以下抗告人らとaを合わせて「原告ら」という。)、広島県知事bを被告として、被告が平成九年三月二七日付けで恋文字開発株式会社に対して行った林地開発行為に対する許可処分および開発行為の許可処分の取消しを求める訴えを提起した事件である。 (二) 同事件において原告らは請求の原因として、恋文字開発株式会社はゴルフ場建設のため本件の二件の許可申請をなしたものであり、被告がこれをいずれも許可したものであるところ、原告らは右ゴルフ場予定地の近隣住民であり、ゴルフ場の建設により、原告らの以下の権利が侵害されるとして右両処分の取消しを求めた。なお原告らは原命令添付の意見書記載のとおり、原告らの主張する権利ないし利益は、地域の公共の利益であり、原告らの多くは、共通の一つの水源の汚染、水量減少等の回避のため訴を提起したものであり、原告らの利益は実質的に重複すると主張した。 (1)、原告らのうち二四一名について水道水利用者としての水利権もしくは人格権に基づく安全な水を安定的に確保する権利(2) 同じく四五名について井戸水利用者としての水利権もしくは人格権に基づく安全な水を安定的に確保する権利(3) 同じく三名についてため池からの農業用水利用者としての水利権(4) 同じく四六名について河川水からの農業用水利用者としての水利権(5) 同じく八三名について住民用土地建物もしくは農地の所有権(6) 同じく一名につき開発許可区 の農業用水利用者としての水利権(4) 同じく四六名について河川水からの農業用水利用者としての水利権(5) 同じく八三名について住民用土地建物もしくは農地の所有権(6) 同じく一名につき開発許可区域内の入会権(7) 原告ら全員について環境権(三) これに対して原審裁判長は、原告らの請求は非財産権上の請求であり、一請求あたりの目的の価額は九五万円であるが、原告らの主張する権利は原告ら各人がそれぞれ亨有し、その行使によって得る利益も各人ごとに別個独立に帰属するものと判断し、三一四名の原告が各二個の請求を併合したものであるので、九五万円に六二八を乗じた五億九六六〇万円が訴額であり、訴提起の手数料は一九〇万八六〇〇円であるとして、納付済みの一万四九〇〇円との差額一八九万三七〇〇円の納付を命ずる補正命令を発した。しかし、原告らのうちaは自己の請求に対応する手数料を納付したが、抗告人らは納付しなかったため、抗告人らの訴状が却下されたものである。 2 本件は民事訴訟法(平成八年法律第一〇九号)施行前に、訴提起、訴状却下命令及び即時抗告がなされた事案であり、同法附則第四条、民事訴訟法の施行に伴う関係法規整備法(平成八年法律第一一〇号)第四一条により、民事訴訟法(平成八年法律第一〇九号)附則第二条による改正前の旧民事訴訟法の第一編第一章第一節「管轄」の各条項及び改正前の民事訴訟費用等に関する法律を適用して判断することになる。 3 原命令一枚目裏五行目から二枚目裏三行目までを引用する。ただし、右引用部分中に記載されている法律条項は前記のとおり、改正前のものであり、原命令二枚目表七行目の「別紙」の前に「原命令添付の」を加える。 4 抗告人らは、本件請求についての利益は、ゴルフ場の建設許可処分の取消しそのものであり、抗告人らの利益が共通する旨主張するが、本訴 、原命令二枚目表七行目の「別紙」の前に「原命令添付の」を加える。 4 抗告人らは、本件請求についての利益は、ゴルフ場の建設許可処分の取消しそのものであり、抗告人らの利益が共通する旨主張するが、本訴の請求が二つの許可処分の取消しであるとしても、訴額算定にあたり検討すべき「利益」は、その処分取消しによって当事者が得る利益であり、それは、当事者の主張する権利ないし利益により事件ごとに異なるのであるから、処分の取消しそのものを利益であると解するのは相当でない。 また、抗告人らは、本件請求の利益は地域の公共の利益であり、あるいは一つの共通した水源の汚染、水量減少の回避であって、実質的に請求する利益が重複する場合にあたると主張するが、水源の汚染の回避が地域に共通する利益であるとしてもそれは一つの重複する利益ではなく、住民である抗告人ら各人の利益の併合されたものと解するのが相当である。 よって本件抗告は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。 平成一〇年三月九日広島高等裁判所第四部裁判長裁判官東孝行裁判官菊地健治裁判官西垣昭利当事者目録広島市<以下略>右抗告人ら代理人弁護士山田延廣広島市<以下略>同山本一志広島市<以下略>同坂本宏一右同所同池上忍広島市<以下略>相手方広島県知事b訴状却下命令に対する即時抗告状当事者の表示別紙と当事者目録のとおり右抗告人と被抗告人間の広島地方裁判所平成九年(行ウ)第二七号開発行為許可処分取消請求事件につき、同裁判所は一九九七年一二月二日付をもって訴状却下命令を行ったが、抗告人らはこれに不服であるため、抗告を申し立てる。 一九九七年一二月九日抗告人ら代理人弁護士山田延廣同池上忍同山本一志広島高等裁判所御中記原命令の主文一、 別 命令を行ったが、抗告人らはこれに不服であるため、抗告を申し立てる。 一九九七年一二月九日抗告人ら代理人弁護士山田延廣同池上忍同山本一志広島高等裁判所御中記原命令の主文一、 別紙当事者目録記載の当事者間の頭書事件について、原告らの訴状を却下する。 抗告の趣旨一、 原決定を取り消す。 との裁判を求める。 抗告の理由一、はじめに1、原告ら住民の意見(一)原告らは原決定を受け、一様に驚きと落胆の意思を表明している。 「企業も行政も当てにならず、裁判所だけはと思っていたのに、窓口だけではねつけようとするとは、行政よりももっとひどい役所なんだ。」「我々住民に何百万円もの印紙を貼れというのは、『裁判を起こすな』と言うに等しいのではないのか。裁判所というところは私たちの駆け込み寺ではなかったのか」と改めて落胆と失望を表明する者。 「いや、裁判官なんて言うものも所詮お役人で、庶民の訴えなんか面倒くさくて一々聞きたくないのよ。」と物知り顔で冷めたことを言う者。議論百出である。 それを聞きながら我々代理人は、改めてこれら原告(一般市民)の司法に対する期待が高い(厳密に言うと高かった)ことに驚く。市民は憲法原理である司法の役割、すなわち三権分立の原理である「行政に対する監視機能」や裁判を受ける権利である「紛争の防止・解決機能」を教科書的に几帳面に学んでおり、これに対する過剰ともいえる期待を持っている。あの江戸時代の名奉行が活躍する時代劇の影響もあるのであろうか。 (二)その過剰なる期待を前にして原告代理人らとしてもその答えに窮してしまう。「いや、裁判官も所詮は人間だから、、、、」と現実論を唱えるべきか、はたまた「いや、そうではなく裁判所というところは庶民の味方であって、、、、、」と理想論を述べて原告らを納得させるべきかである。 「いや、裁判官も所詮は人間だから、、、、」と現実論を唱えるべきか、はたまた「いや、そうではなく裁判所というところは庶民の味方であって、、、、、」と理想論を述べて原告らを納得させるべきかである。 しかし、庶民の物の見方を軽視してはならないと言われるように、この原告らの意見の中にも正鵠を得ている面があると思う。それは本件訴訟に不可能な印紙を貼れと命じた原審裁判官らの本音の部分である。原審が貼用命令を行った形式的な理由は、「請求の原因となる権利が個人個人だから」と言うが、本音はそこにあるのではない。原審が命じた印紙代を原告らが貼れるかどうかを考えてみれば明らかなとおり、原審裁判官らもこれが困難であることを承知でこの決定を下していることが分かるはずである(仮に、それに気付かないとするとそれは世間知らずと言うほか無い)2、原審裁判官らの本音逆に言えば、原審裁判官たちは「原告らはこの印紙は貼れないであろう、とすれば訴えは却下されるか、あるいは一部の者たちしか原告として訴訟遂行なしえないであろう」ことを考えての決定であることは明らかである。 つまり、原審裁判官らの本音は、この種の住民訴訟を審理したくないし、する必要もないというところにあるのである。とすれば「裁判官たちは私たちの訴えなんか面倒くさくて一々聞きたくないのよ」と言う住民らの批判が核心をついていることとなる。 二、裁判を受ける権利と裁判所の役割1、裁判を受ける権利(一)よく法解釈はきわめて理論的だともいう。しかし、法の解釈には確かに理屈が必要であるが、よく言われるように理屈はどうにでも後から付いてくるものなのである。重要なのはその結論が「その時の社会常識に適うのか、そして今後の歴史の進歩に適うものなのか」ということだと思う。裁判がいくら理論的に精緻でも、その結論が常識に反してい から付いてくるものなのである。重要なのはその結論が「その時の社会常識に適うのか、そして今後の歴史の進歩に適うものなのか」ということだと思う。裁判がいくら理論的に精緻でも、その結論が常識に反していたり、社会のあるべき方向に反していると、紙屑というより害悪でさえある。 現在、裁判官たちは多くの事件を抱えてその処理に追われているという。出来だけその事件を能率的に処理しようとし、できればやっかいな裁判は門前払いしたくなる気持ちは分からないではない。 (二)しかし、国民の裁判を受ける権利は、憲法三二条において保障されていることから、国家機関しかも裁判を直接担当する裁判所としては、この理念に即応するよう、簡便な方法で、かつ、低廉な費用で国民が裁判を受けやすい方法を積極的に講じる憲法上の義務があるはずである(憲法の規定は国家機関には直接適用がある)。従って、今回の原審の解釈がこの憲法の趣旨に合致しているかが問われることとなる。 また、話は変わるが、裁判所の高官たちは各種会同における挨拶で一様に「社会は複雑多様化し、かつ権利意識も高揚した今日において、公正なルールに基づき解決しようという国民意識の高まりと共に、裁判所に対して各種の裁判が提起されるにいたり、、、、裁判所や弁護士会は協力してこのニーズに合うよう対処しなければならない」と述べる(最高裁は司法修習生の増員論においてもこれを強調している)。 この言葉からして、各種紛争が裁判所に提起され、裁判所はそれを面倒がらずに、裁判手続きにおいて積極的に解決していくことが、裁判所に対する現在の世の中のニーズなのであるとともに、憲法三二条の規定に基づく裁判所の国民に対する義務であることが分かる。 (三)つまり、裁判所は、市民が提起した訴訟を「裁判してやる役所」ではなく、法的な救済を求めてきた国民に対して のであるとともに、憲法三二条の規定に基づく裁判所の国民に対する義務であることが分かる。 (三)つまり、裁判所は、市民が提起した訴訟を「裁判してやる役所」ではなく、法的な救済を求めてきた国民に対して裁判という方法により解決する「サービス機関」なのである。 このような考え方こそが現代の裁判所に対する市民の意識であり、かつ、あるべき姿なのである。とすると、裁判所は幅広く市民からの訴えを受け入れる体制にあることが必要であり、費用は出来る限り安くして市民が訴訟に参加しやすい方法を講じる必要があることとなる。 2、訴訟的救済の必要性(一)これまで裁判、ことに民事裁判は、公正かつ実効的な力を有する紛争解決手段として国民から強い信頼を勝ち得てきた。 そして、現代のように行政や企業は組織化され、巨大な経済力と情報力を有しているのに対し、個人である市民は、これらの力はなく、かつ、本来は市民の権利を率先して守ってくれるべき行政も、厚生省・大蔵省汚職にみられるように企業に対する許認可事務や天下りにより、企業と癒着し、その中立性に信頼性が失われている実情がある以上、個々の市民たちは、いきおい「法の履行を最終的に担保してくれる」裁判所に対して協同してその救済を求めざるを得ない状況にある。 現代においては、市民にとって裁判所に対する期待とその重要性は高まりこそすれ、減少することはない。むしろ、市民の権利意識の向上は、住民運動や消費者運動を通じて、自らの自由と権利を擁護してくれる機関として裁判所に対する期待をよりいっそう大きくかつ切実なものとさせていることは冒頭で述べたとおりである。 (二)現在、京都市で開催されている温暖化防止京都環境会議に象徴されるとおり、環境問題は世界的に重要な問題になっているところ、本件訴訟は、自分たちの飲料水の貯水池のダムの真上にゴルフ おりである。 (二)現在、京都市で開催されている温暖化防止京都環境会議に象徴されるとおり、環境問題は世界的に重要な問題になっているところ、本件訴訟は、自分たちの飲料水の貯水池のダムの真上にゴルフ場を造成するという前代未聞の開発行為であるうえ、水質汚染を防止するため(実際には防止できないのに)にさらに長大な排水路の設置を計画しているもので、地域住民の環境が侵されることは必至の状況である。 にも拘わらず、開発業者らは、このこの不況のおり、ゴルフ場を開発しても経営できる目処もないのに意地とメンツだけで着工しようとし、これを監視すべき被告行政庁も実質的な調査もしないで、単に手続き問題だけで開発の許可を下したため、地域住民らは、この開発行為を許可した行政処分の取消を求めようとするものである。 このため、この訴訟は、地域住民がゴルフ場開発によって損なわれるであろう自分たちの地域環境を守ろうとする環境訴訟であって、開発か環境保護かを巡る極めて今日的な訴訟なのである。 (三)とすれば、本件訴訟は、前記の裁判所の上層部が今後裁判所に救済を求めてくるであろうものと理解している「国民が新たなニーズに基づいて提起した今日型の訴訟」の一つであり、裁判所としてはこれを幅広く受け入れる必要があることとなる。 (四)また、環境破壊や公害事件においてはその差し止め等の訴訟に多数の原告が参加して提訴されるのが通常である。これは、多数の原告が裁判提起することによって初めて、「公害」や「環境破壊」という問題の実態が裁判所に対して明らかになるからに他ならない(仮に、印紙代等を支払える者だけの少数の原告がが提訴すると、裁判所は「これだけの侵害にすぎにのか」と言うはずである)。したがって、公害訴訟や、環境訴訟においては不可避的に多数の原告による訴訟の提起が要求されるという特 える者だけの少数の原告がが提訴すると、裁判所は「これだけの侵害にすぎにのか」と言うはずである)。したがって、公害訴訟や、環境訴訟においては不可避的に多数の原告による訴訟の提起が要求されるという特殊性を有する。 このような訴訟おいて原決定のような論理を貫くと、この種訴訟による救済の道をふさぐこととなつてしまうのである。 三、手数料の根拠と原決定の問題点1、手数料制度の意義(一)そして、この点で特に問題になるのは本事件のような集団訴訟の場合の手数料(印紙代)問題である。集団訴訟の場合、受ける利益は共通なのに、個人ごとの算定であれば手数料が高額化して事実上訴訟提起を困難にしてしまうからである。 手数料については、わが国は原告が直接に受ける経済的利益を基準に逓増する仕組み(訴額スライド制)を採用している(欧米は定額制が多い)。この制度の根拠については濫訴の抑制的機能、広範な供給機能(個々の事案に必要十分な法的サービスを関わりなく配分する)があると言われている(ジュリスト九八五号八八頁和田論文)。 (二)しかし、濫訴の防止は弁護士費用、時間的コスト、心理的コストなどの複合的な要因の中で決まるもので、手数料は一定の手数料を要するという「極めて名目的な機能以上のことを果たしているものではない」との指摘がある(前記和田論文)。 したがって、この手数料スライド制には合理的根拠は見あたらないというより、逆に、現行手数料制度は、国民の訴訟提起を阻害する要因となるともいわれている(同まさに、本件はここに却下のに本質的理由があることは前述したとおりである)。前記の裁判を受け権利の重要性を考えると、この手数料がこの国民の裁判を受ける権利を阻害しているという現状は問題である。 しかも、この手数料の算定の基礎になる訴額の算定は、裁判所の運用に委ねられてい 前記の裁判を受け権利の重要性を考えると、この手数料がこの国民の裁判を受ける権利を阻害しているという現状は問題である。 しかも、この手数料の算定の基礎になる訴額の算定は、裁判所の運用に委ねられている部分が大きい(原審においても原審裁判所が一方的に訴額を算定したものである)。とすれば、裁判所は、前述したとおり、直接、裁判を司るべき国家機関として、簡便かつ低廉な費用にて国民に対して司法サービスを行う義務があることから、国民からの訴訟提起に対する訴額の算定に当たり、前記の訴訟の必要性、訴の手数料を支払いうる可能性等の現実を十分斟酌して、いやしくも国民の裁判を受ける権利を不当に侵害し、阻害することがないように解釈や運用をする義務がある。 2、新民事訴訟法による改正今回施行される新民事訴訟法の改正の際にもこれが論議され、これまで争いのあった原告各人の利益が共通する集団訴訟(例えば、本件のような処分取消訴訟)については、新民事訴訟法第九条一項但書により「訴訟物の価額を合算しない」と規定され、これに対する疑義を立法的にも解決したのである(ジュリスト一一一二号六一頁)。 にも拘わらず、原審は本訴が個人的権利の擁護訴訟であると認定してしまい、高額の印紙の貼用を要求してきたもので、憲法上の国民の裁判を受ける権利、現代の裁判所の役割、本件のごとき環境裁判の必要性、民事訴訟法が改正された経過については全く考慮していない時代錯誤的決定といわなければならない。この決定は、憲法の理念にも、現代の常識にも、社会の流れにも反するもので、このような決定が合議の裁判所においてなされたことに二度驚かざるを得ない。 四、本件の請求の根拠と利益について(一)原決定は「原告らの水利権もしくは安全な飲料水を安定的に確保する権利、入会権、環境権」等に基づき請求しており、原告らの主張 されたことに二度驚かざるを得ない。 四、本件の請求の根拠と利益について(一)原決定は「原告らの水利権もしくは安全な飲料水を安定的に確保する権利、入会権、環境権」等に基づき請求しており、原告らの主張するこの権利ないし利益は原告ら各自が享有するとして、各原告ごとに訴額を算定するべきであるとする。 (二)しかし、この原決定は、訴えの利益とそれを根拠付ける請求原因事実とを混同している点に問題がある。「訴えの利益」とは原告らの本件訴訟において得ようとする利益(それを経済的に算出するもの)であって、「その前提となる権利関係はその判定に当たったは関係ない」(有斐閣法律学全集民事訴訟法二五〇頁)とされている。例えば、損害賠償として金一〇〇万円請求する場合、不法行為で請求しようが、債務不履行で請求しようが、その原因となる権利関係ではなく、一〇〇万円という結果のみで判断すべきことなのである。 原審での意見書において述べたとおり、この処分取消による利益は行政処分がなされない状態に回復するだけである。この行政処分がなされない状態、すなわち訴外恋文字等がゴルフ場開設のための開発行為ができない状態に至ること(これは計算不能)で、原告らの請求権の違いによってその状態において異なるものではなく、原告ら全てに共通する利益である。 したがって、この原告らの利益を各原告ごとに別個独立して計算すべきではないことは当然である。 (三)訴状の「請求の原因」によると、なるほど原審が認定するとおり原告らは水利権、入会権等の個人的権利の主張を行っているが、これは本件ゴルフ場の工事許可処分の取消を求めるための権利関係の主張でしかなく、この訴訟によって得る利益はゴルフ場の建設の許可処分が無い状態(現在の環境を維持する)に戻すことであって、請求の法的根拠が、直ちにその訴訟の結果において の取消を求めるための権利関係の主張でしかなく、この訴訟によって得る利益はゴルフ場の建設の許可処分が無い状態(現在の環境を維持する)に戻すことであって、請求の法的根拠が、直ちにその訴訟の結果において得られる利益と直接的には結びつくものではないことは前述したとおりである。 (四)なお、付け加えれば、請求原因を原告ら全員が一律に地域環境を守る権利(環境権)と構成すれば原審裁判官らの論理によっても一個の利益として理解しやすかったのかもしれないいが(現に環境権の主張も選択的に行っている)、裁判所は未だ環境権なる権利を認めることにつき消極的であるため、原告らはこの環境権が認められないことを慮ってやむなく取消請求権を人格権等の個人的権利としても構成せざるを得なかったのである。そして、この個人の権利を基として請求すると、今度は個人個人の訴訟として印紙を貼れという。この事を踏んだり蹴ったりというのであろう。今回のこの事件は、訴訟の場においても原告らに共通の利益である環境権なる権利を認めるべき時期が到来していることを知らしめている。 (五)判例においても、大阪高裁が一九九三年一二月二一日付け判決により、本件と同様のゴルフ場の差し止め事件につき、前記(二)で述べたことを理由に、合算せずに一件分の訴額だけでの訴訟提起を認めている(裁判時報一五〇三号八五頁)。また、最高裁も地方自治法に基づく住民訴訟の訴額につき、原告の数に拘らず、一件分の印紙の貼用でよい旨判示している(最判一九七八・三・一〇)。 このように、住民全体が得る利益が共通している限り、合算すべきではないことにつき判例は確立しているといえる。 五、その他(一)最後に、いずれにしても、言いたいのはこれまで広島地裁及び広島高裁において海田湾埋訴訟、山陽自動車道建設差し止め訴訟、戸山ゴミ埋立禁止訴訟、吉田町 つき判例は確立しているといえる。 五、その他(一)最後に、いずれにしても、言いたいのはこれまで広島地裁及び広島高裁において海田湾埋訴訟、山陽自動車道建設差し止め訴訟、戸山ゴミ埋立禁止訴訟、吉田町処理場建設差止訴訟などの工事禁止を求める訴訟が幾多も提訴されたが、いずれも一件分の印紙額の貼用で訴訟は遂行され、却下などされてはいないことである。 これまでのいずれの裁判所も、この種訴訟の審理の必要性を認め、出来るだけ安い手数料にて訴訟を遂行させ、原告ら国民の裁判を受ける権利を保障しようという考慮が根底にあったからに他ならない。 ところが、前述したとおり、以前より増して、国民全体が環境の重要性認識するようになった今日、この種の環境訴訟の提起を不可能ならしめる決定を下した原審の決定を下した裁判所の意識が理解できない。 (二)湾岸戦費の裁判において東京地裁が一人一人のに訴えの利益があると判断し、膨大な額の印紙を貼用するよう命じ、世論の批判を受けたことは記憶に新しい。そして、それは裁判官の感覚と市民の感覚との間に大きなずれがあることを露呈させた。 そこで批判されたのは、印紙問題を口実に、暗に訴訟の遂行を断念させようとする裁判所の思惑なのである。このような姑息な手段により、取り下げを事実上強要するべきではなく、これは原告らが裁判を受ける権利のあからさまな侵害になるということを認識すべきである。 六、結論よって、原決定は、憲法三二条の原告らの裁判を受ける権利を侵害しているうえ、現行民事訴訟法二三条の解釈を誤っており、かつ前記判例にも違反するため、取り消されるべきである。 以上意見書抗告人 c 外三一二名被抗告人広島県知事一九九八年(平成一〇年)二月五日右抗告人ら代理人弁護士山田延廣同坂本宏一同山本一志同池上忍広 べきである。 以上意見書抗告人 c 外三一二名被抗告人広島県知事一九九八年(平成一〇年)二月五日右抗告人ら代理人弁護士山田延廣同坂本宏一同山本一志同池上忍広島高等裁判所第四部御中記一はじめに原決定は、本件訴訟の訴額の算定につき、いわゆる合算法則を適用する。しかし、以下のとおり、それは、誤った理解に立脚するものであり、その取消しは免れない。 二訴えの主観的併合と訴訟物の価額 1 訴訟物の価額の意義―訴訟物の価額の算定基礎は、訴えにより得られるべき「直接の経済的」利益(抗告人(以下原告という)が訴えによって得ようとする最終的・究極的な利益)であり、「法的な」利益ではない。 (一)提訴手数料は、民事訴訟費用等に関する法律によって、訴訟物の価額(訴額)をもとに算定される。 ところで、提訴手数料とは、裁判所が当事者の申立又は申出等に対して、裁判その他の一定の行為をなすべき場合に、その応答義務に対する「報酬」として徴収される料金のことである(注解民事訴訟法(3)九頁)。 このように訴額は、「報酬」額の算定基礎としてその意義をもつものである。とするなら、訴額は、請求が認容された場合に原告が受ける究極的・最終的な利益という意味での「直接の経済的」利益に結び付けられ、それを基準に決定されたものでなければならないと解するのが、報酬としての提訴手数料、その算定根拠である訴額の意義、性格にそった無理のない解釈ということになる。 (二)まさに、「訴額とは、原告が訴えをもって主張する権利または法律関係につき、原告が有する『直接の経済的』利益を貨幣単位をもって客観的に評価した金額」(注解民事訴訟法(1)三一五頁)であり、従って、訴額の決定は、請求が認められたときに原告が受ける「法的」利益そのものとは 、原告が有する『直接の経済的』利益を貨幣単位をもって客観的に評価した金額」(注解民事訴訟法(1)三一五頁)であり、従って、訴額の決定は、請求が認められたときに原告が受ける「法的」利益そのものとは無関係であり、それは、あくまでも「法的」利益とは別個の原告が訴えをもって得ようとする究極的最終的な利益という意味における「直接の経済的」利益(以下講学上の定義にならい「直接の経済的利益」という。)を基準としてなされなければならないというべきである。 2 訴えの主観的併合の場合の訴訟物の価額の算定(一)訴えの主観的併合の場合の訴額の算定方法このように、訴額が、報酬(提訴手数料)の算定根拠であり、訴額の決定基礎が原告の訴えにより受ける「直接の経済的」利益である以上、一つの訴えで請求が主観的に併合されている場合であっても、訴えの内容である「直接の経済的」利益が各原告らにとって同一もしくは重複するときには、訴額の確定につき、いわゆる合算法則を適用すべきではない。 なぜなら、合算法則でもって訴額を算定することは正当な報酬以上の料金を徴収するという不合理な結果となってしまうからである。 (二)改正民事訴訟法について以上の考えを明らかにしたのが、改正民事訴訟法九条一項である。 同項は、本文で「一つの訴えで数個の請求をする場合には、その価額を合算したものを訴訟の目的の価額とする。」と規定し、さらに但書を設け「ただし、その訴えで主張する利益が各請求について共通である場合におけるその各請求については、この限りでない。」と明定した。 いかなる権利であれ、「法的な」利益は原告各々に帰属する。従って、もし、訴額の算定基礎が「法的な」利益である、同項但書にいう「その訴えによって主張する利益」が「法的な」利益であると捉えるなら、同項本文と同項但書は互いに矛盾した規 益は原告各々に帰属する。従って、もし、訴額の算定基礎が「法的な」利益である、同項但書にいう「その訴えによって主張する利益」が「法的な」利益であると捉えるなら、同項本文と同項但書は互いに矛盾した規定となってしまうか、同項但書が殆ど無用な規定となってしまう。ここでいう利益は、「法的」利益ではなく、訴えによって主張する「直接の経済的利益」であると解することによって、初めて同項が矛盾のないものとなり、同項但書が十分な意味をもつ規定となるのである。 このような考えに基づく判断は、これまでも裁判例等でつとに明らかにされてきたところである。 例えば、「(数個の請求を併合して訴えを提起した場合でも)その経済的利益が同一ないし重複するときは合算法則を適用するのは、不合理であるので、このような場合には、各請求の価額は重複する程度で吸収し合い、その最も多額の請求の価額を基礎に算定される(裁判所書記官研修所刊・民事訴訟費用等の研究・二一一頁)」とされ、裁判例も数人が共同して除名決議無効確認請求を提起した事案で共同訴訟人の数に応じる請求が併合されているとしても、各請求の目的は一個の除名決議の無効確認を求めるものであるから、訴訟物の価額は合算により決すべきではない(東京高判昭和五年七月一九日)とし、あるいは、複数の原告がカンボジアPKO派遣差止請求を求めて提訴した事案で原告らが訴えをもって主張する利益は、自衛隊のカンボジア派遣が中止されることそれ自体であり、それら利益は全員を通じて共通であるとして、合算法則は適用すべきでない(大阪高決平成五年八月九日)。 さらに、多数の原告がゴルフ場の建設禁止を求めて提訴した事案において原告らの訴えにかかる利益はゴルフ場の建設が中止されることそれ自体であり、右利益は、全員を通じて共通するとして、訴額は合算により決定すべきで 多数の原告がゴルフ場の建設禁止を求めて提訴した事案において原告らの訴えにかかる利益はゴルフ場の建設が中止されることそれ自体であり、右利益は、全員を通じて共通するとして、訴額は合算により決定すべきではない(大阪高裁判平成五年一二月二一日)としている。 改正民事訴訟法九条一項により、訴えの主観的併合の場合に、訴えにかかる直接の経済的利益が同一のときには合算法則は適用しないとする考えが、立法的に確認されたというべきことになる。 3 処分取り消し訴訟の「直接的経済利益」処分取り消し訴訟の主観的併合のばあい、その経済的利益はその処分がなされなかった状態に戻すことを求めるものであり、その均一性、及び同一性は差し止め請求より、よい明白である。「各請求の目的は一個の」許可処分の取り消しを求めるものにすぎないからである(前記東京高裁の除名決議の裁判例を参照のこと)。 4 原決定の誤り以上を前提に本件を検討した場合、訴額の決定に合算法則は妥当しえず、原審の判断が誤っていることは、以下のとおり明らかである。 (一)原審意見書等において主張したように、原告らは、本件ゴルフ場の建設が、一定の広範な地域にわたって右地域の水質を汚染し、水量を減少させ、土砂災害を引き起こし、自然環境を破壊するなど、右地域内の住民の生命身体・動植物等に甚大な被害を与えるおそれがあるにも拘わらず、被告はこの点を十分に審査せず、この開発の許可処分を行ったため、この処分の取り消しを求めて訴えを提起したものである。 従って、原告らが本件訴えをなした目的は、本件ゴルフ場建設の許可処分を取消すことであり、それが本件訴えによって得ようとする直接の経済的利益である。 そして、右の直接の経済的利益は、それぞれの原告にとって同一であり、あるいは、全く共通し、重複する関係にあることは明白である。 ( であり、それが本件訴えによって得ようとする直接の経済的利益である。 そして、右の直接の経済的利益は、それぞれの原告にとって同一であり、あるいは、全く共通し、重複する関係にあることは明白である。 (二)原決定は、「原告らの主張する各権利ないし利益は、各原告らそれぞれが亨有し、その行使によって原告らの得ることのできる利益も、個々の原告ごとに別個独立に帰属する」からとして(二丁表)、訴訟物の価額の算定につき、合算法則を適用する。 確かに、原告らは法的な利益をそれぞれが受けうる地位に立っているかも知れない。 しかし、原告らの右の法的利益はあくまでも本件ゴルフ場の建設許可処分の取消しという一つの事象によってもたらされるものであり、ゴルフ場の建設許可処分の取消しそのものが、原告らが訴えをもって求めようとしているものであり、また、それが本件訴えの直接の経済的利益に外ならない。 そして、右の直接の経済的利益が原告らすべてに共通し、全く重複することはいうまでもない。 原決定は、提訴手数料が報酬であり訴額が報酬の決定要素であるということから、訴額決定の根拠が原告の受ける法的な利益ではなく、あくまでも「法的な」利益とは別個の「直接の経済的」利益であり、右にいう「直接の経済的」利益が訴額の決定基準となることに思いを致そうとしない誤った理解に基くものであることは既に論じたところから明らかというべきである。 (三)本件と同様(本件行政処分の取り消しより、より原告らが受ける利益に個人差が生じやすい面があるが)多数の原告によるゴルフ場の建設差止訴訟において貼用印紙額が問題となった事案で、左記の大阪高裁平成五年一二月二一日判決は、「……本件訴えは、要するに被控訴人らが……ゴルフ場の建設工事の差止めを求めるものであって、この訴えをもって主張する利益は、同ゴルフ場の建 題となった事案で、左記の大阪高裁平成五年一二月二一日判決は、「……本件訴えは、要するに被控訴人らが……ゴルフ場の建設工事の差止めを求めるものであって、この訴えをもって主張する利益は、同ゴルフ場の建設が中止されることそれ自体であるから、その利益は控訴人ら全員を通じて共通のものと認めるのが相当である。」として、訴額の算定基準は、訴えにかかる直接の経済的利益である旨を明らかにし、右利益は、原告ら全員に共通するものとし、さらに、「控訴人らは、差止めを求める法的根拠として、人格権、環境権、自然亨有権、歴史的景観等を主張しているけれども、個々の控訴人らに帰属すると主張するこれらの権利が侵害されることによって現に発生し、または発生するおそれのある各人固有の不利益のまたは予防を本件において求める法的根拠として、控訴人らが右のような権利を主張しているからといって、本件訴えをもって主張する利益が各控訴人ごとに別個独立に存在するものといわなければならないものではない。」と判示して、訴額算定にとって原告の受ける個々の法的利益(なお、本件においては、原告らの処分の取り消しを求める法的な利益は、抗告状において述べたとおり、一次的には地域住民としての地域環境を守る権利=環境権を主張しているもので個々の利益は同一かつ一体である。)は直接意味をもつものではないとする。 三国民の裁判を受ける権利との関係 1 以上、原決定の誤りは、訴訟費用制度そのものの無理解に起因するもので、原決定は、取消されるべきであるが、このことに加え、原告らの有する「国民の裁判を受ける権利」(憲法三二条)を考え合わせた場合、以下のとおり、本件に合算法則を適用することは右の権利の侵害をもたらすものであることが明らかとなり、原判決の不当性は、より一層明白なものとなる。 2 裁判を受ける権利―環境保護訴 を考え合わせた場合、以下のとおり、本件に合算法則を適用することは右の権利の侵害をもたらすものであることが明らかとなり、原判決の不当性は、より一層明白なものとなる。 2 裁判を受ける権利―環境保護訴訟の特殊性(一)裁判所は、公正かつ実効的な力を有する紛争解決機関であり、全ての国民はこのような裁判所による裁判を受ける権利を憲法上保障されていること、そして、現代において裁判所に対する国民の期待は一層高まり切実なものとなっていること、かかる状況の中で、かつ、国民から遊離した「司法の危機」が叫ばれる中で、国民の裁判へのアクセスを実質的に保障し、かつ、裁判所が期待された役割を果たすことは国民の裁判を受ける権利を保障する見地から最重要課題となっていること等は、抗告状で詳しく論じたとおりである。 とりわけ、本件のような環境保護訴訟は、ことの性質上、多数の住民が原告となって訴訟が提起され、多数の原告が主張し、立証し、審理が尽くされて初めてその環境破壊の実態の解明が十分なものとなるのである。従って、この種の訴訟は、できるだけ多くの住民に訴訟への途を開くことが裁判所の公正・的確な判断のために不可欠であることも、これまた、抗告状で述べたとおりである。 よって、裁判所が担うべき裁判を受ける権利の実質化・具体化の責務・本件のような環境保護訴訟の特殊性等を踏まえた場合、裁判所は、できるだけ容易にかつ低廉な費用で多くの住民が出訴しうる方法を講じなければならず、訴額の算定にあたっての裁判所の判断は、前記訴訟の特殊性及び必要性、提訴手数料を支払い得る可能性等の現実を直視し、いやしくも国民の裁判を受ける権利を侵害し、阻害しないものでなければならない(裁判所の憲法上の義務)。 だからこそ、このことを踏まえ、改正民事訴訟法九条一項但書は、原告各人の利益が共通する集団訴訟( やしくも国民の裁判を受ける権利を侵害し、阻害しないものでなければならない(裁判所の憲法上の義務)。 だからこそ、このことを踏まえ、改正民事訴訟法九条一項但書は、原告各人の利益が共通する集団訴訟(例えば、差止訴訟)についての訴額の算定に関し、合算法則は適用しないとする旨を立法的にも確認したのである(ジュリスト一一一二号六一頁)。 (二)この点、原判決は、理屈に合わない高額の金額を手数料とし、その納付を命ずるもので、多くの住民の訴訟参加を事実上断念させることにつながるものである。 住民の中には、資力が不十分なものも多数存在している。 また、本件の場合、合算法則を基準にした提訴手数料の一人当たりの負担金額は金三二三一円であるところ、この程度の負担はとりたてて問題とすべき負担ではないとする見解は、実態に目を背けた机上の空論というべきである。本件訴訟を提起するにあたり、原告らは実地調査等に要する費用、公文書公開制度の利用による資料収集費用、さらに全国を視野に入れた同種環境破壊事例についての資料収集費用等、実費だけでも通常の裁判以上のかなりの出費を費用として負担しなければならない。 当然のことながら、原告らが負担するのは提訴手数料だけではないのである。さらに、確かに、これまで同種の訴訟につき、合算された訴額を基準とした提訴手数料が納付され訴訟が遂行された事例も存在する。 しかし、右の訴訟のうちには、高額な手数料額の納付に耐え切れないために当初からあるいは中途からやむなく原告の数を絞り込み、その結果、不本意な訴訟遂行を余儀なくされた者が多数存在している。また、本件と同種の事案で提訴自体を断念したケースも多々見受けられることも周知の事実となっている。 右の事実は到底看過することはできず、右の事実そのものが、原決定が原告らに訴えの断念を事実上強 る。また、本件と同種の事案で提訴自体を断念したケースも多々見受けられることも周知の事実となっている。 右の事実は到底看過することはできず、右の事実そのものが、原決定が原告らに訴えの断念を事実上強制し、原告らの出訴の途を閉ざし、原告らの裁判を受ける権利の侵害につながることの証左というべきである。 (三)そして、重要なことは、本件のような訴訟の訴額の決定に合算法則を適用する考えが他方で存在するとしても、このことが、裁判所としては訴額を一括算定する旨の判断をなすべきであるとの原告らの主張にいささかも不合理性をもたらすものではないということである。 二つの解釈の可能性がある場合、当然のことながら、憲法を擁護する裁判所は、憲法に適合するように解釈して最終的な判断の選択をしなければならない。 合算法則の適用が原告らの訴訟遂行を阻むもので、取り下げの強要となることは、前記のとおりである。 とりわけ、本件の場合、原審は訴額の決定をなすにあたって、改正民事訴訟法九条一項の存在を無視することなどできないはずである。 本件の原審への訴え提起は、平成九年一〇月一五日であり、右時期は、改正民事訴訟法の施行前ではあったが、しかし、右法の公布は、平成八年六月二六日であり、本件訴えの提起は右公布から一年以上も経過した時点においてなされたものである。 従って、原審による本件提訴手数料の算定が審理された時期は、先にみたとおり、改正作業に向けた議論がし尽くされ、その結果、集団訴訟の場合その訴え提起を阻まないよう一括算定でもって訴額を決定すべき旨が、裁判を受ける権利の具体化として実質的に立法上の確認を見た後の時期にあたるものである。 とするなら、かかる改正民事訴訟法九条一項の存在、内容を前にした原審にとって、合算法則の適用を正当化し得る根拠はどこにもなく、一括算定しか して実質的に立法上の確認を見た後の時期にあたるものである。 とするなら、かかる改正民事訴訟法九条一項の存在、内容を前にした原審にとって、合算法則の適用を正当化し得る根拠はどこにもなく、一括算定しか判断の余地はなかったということになる。 四以上、原決定は、不合理に不合理を重ねたものであり、訴訟費用制度の理解を誤った原決定、原告らの裁判を受ける権利をあからさまに奪う結果となる原決定は、すみやかに取消されるべきである。 以上
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