平成30(ワ)27155 名称使用差止請求事件

裁判年月日・裁判所
令和2年3月25日 東京地方裁判所
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令和2年3月25日判決言渡同日原本領収裁判所書記官平成30年(ワ)第27155号名称使用差止請求事件口頭弁論終結日令和2年2月19日判決 十二代目望月太左衛門こと原告A同訴訟代理人弁護士栃木敏明村上嘉奈子同訴訟復代理人弁護士大畑駿介 被告B 被告C 被告D 被告E 被告F 被告G上記6名訴訟代理人弁護士田辺信彦植松祐二伊藤英之 主文 1 被告らは,長唄囃子における芸名として「望月」なる名称を称し,表札,看板,印刷物に表示する等して使用してはならない。 2 訴訟費用は被告らの負担とする。 事実及び理由 第1 請求主文同旨 第2 事案の概要本件は,長唄囃子の普及等の事業活動を行う原告が,「望月」の名称は望月流宗家家元であり「十二代目望月太左衛門」の芸名(以下,望月太左衛門の芸名を持つ者を単に「太左衛門」ということがある。)を有する原告の営業表 普及等の事業活動を行う原告が,「望月」の名称は望月流宗家家元であり「十二代目望月太左衛門」の芸名(以下,望月太左衛門の芸名を持つ者を単 に「太左衛門」ということがある。)を有する原告の営業表示として周知であり,被告らにおいて長唄囃子の事業活動に原告の上記営業表示と同一の「望月」の名称を使用する行為は他人の周知な営業表示と同一の営業表示を使用するものとして不正競争防止法(以下,単に「法」という。)2条1項1号の不正競争に該当する旨主張して,被告らに対し,法3条1項に基づき,長唄囃子における芸名として「望月」なる名称 を称し,同名称を表札,看板,印刷物に表示する等して使用することの差止めを求める事案である。 これに対し,被告らは,「望月」の名称について,営業表示であることを争うとともに,営業表示であるとしても,原告の所属する流派のほか,被告らの所属する流派など複数の流派で構成される望月流一門全体の営業表示であって,被告らとの関係にお いて他人の営業表示には当たらない旨主張して争っている。 1 前提事実(当事者間に争いのない事実並びに掲記の証拠(以下,書証番号は特記しない限り枝番を含む。)及び弁論の全趣旨により容易に認定できる事実)長唄についてア長唄は,我が国における三味線の発達によって発芽し,歌舞伎とともに発達し 独立大成した音楽であり,三味線の旋律に合わせて叙情的,叙事的な歌詞を唄う邦楽 である。平成29年7月21日には,文化庁から,国の重要無形文化財の指定を受けている。 長唄は,概要,三味線方,唄方及び鳴物とも呼ばれる囃子方に分かれ,それぞれについて,名家と呼ばれる流派が存在し,各伝統芸能を伝承している。 各流派の長は家元であり,自ら演奏し,門弟を指導する等の事業活動を行うほか, 門弟 及び鳴物とも呼ばれる囃子方に分かれ,それぞれについて,名家と呼ばれる流派が存在し,各伝統芸能を伝承している。 各流派の長は家元であり,自ら演奏し,門弟を指導する等の事業活動を行うほか, 門弟に対し,当該名家の姓を冠した芸名(以下「名取名」ともいうことがある。)を認許し,名取名を記した免状を発行する等の活動によって,流派の運営を統括する地位にある。 名取名の認許を受け,名取名を記した免状の発行を受けた門弟は「名取」と呼ばれる。 イ一般社団法人長唄協会(以下「長唄協会」という。)は,長唄を保存伝承するとともに長唄の向上及び普及を図り,もって我が国の芸術文化の発展に寄与することを目的として設立され,演奏会の開催等の事業を行っている。長唄協会の目的に賛同する個人は,理事会の承認を受けることにより,正会員として長唄協会に入会することができるが,現在の長唄協会の内規では,入会するためには各流派の代表者の承諾を 得ることが必要である(甲4,24)。 望月流について望月流は,長唄のうちの囃子方の伝統的な流派の一つであり,初代太左衛門が遅くとも安永2年(1773年)頃までに創流したとされ(乙1,2の3),我が国の長唄界において広く認識されている。 原告及び原告を含む太左衛門の活動内容等について原告は,平成5年に十二代目太左衛門の芸名を襲名し,それ以降望月流の家元を称する者であり,平成29年7月,長唄が重要無形文化財として指定された際に,その保持者である伝統長唄保存会の構成員の1名として総合認定を受けた(甲1)。 原告を含む太左衛門は,代々,自ら演奏会等に出演して長唄囃子を演奏する活動, その門弟等に技芸を伝授し,指導する活動,門弟に対して「望月」の姓を冠した名取 名を認許して免状を発行する活動, を含む太左衛門は,代々,自ら演奏会等に出演して長唄囃子を演奏する活動, その門弟等に技芸を伝授し,指導する活動,門弟に対して「望月」の姓を冠した名取 名を認許して免状を発行する活動,長唄囃子の保存,普及活動等を行い,出演料,授業料,名取料といった対価を得ている。 原告を含む太左衛門の活動において,名取名の認許は,一般に次のように行われている。すなわち,師匠と呼ばれる,習い手を教授できる立場にある名取が,その直属の門弟について,名取名の認許を申請する立場の師匠(以下「取立師匠」という。)と して,家元である太左衛門に対して名取名の認許及び希望する芸名による免状の発行を申請し,当該門弟から支払われる対価の一部を,名取料として太左衛門に支払い,太左衛門は当該門弟に名取名を認許するというものである。太左衛門が自らその直属の門弟に対して名取名を認許する場合には,当該門弟から直接名取料の支払を受ける。 門弟は,太左衛門から名取名の認許を受けて初めて「望月」の姓を冠した芸名で活動 をすることができる。 原告は,上記のとおり受領した名取料について,原告個人の収支とは区別して管理した上,自ら主催する演奏会の会場代や,門弟への祝儀,香典費といった流派のための支出に充てている。 被告ら及びその活動内容等について ア被告Bは,「望月武和珂」との芸名を用いて,自身の営業表示として「望月」の名称を使用し,遅くとも平成27年以降,演奏会に出演する等して囃子方として演奏し,もって,芸能活動を行う者である。 イ被告Cは,「望月武琉」の芸名を用いて,自身の営業表示として「望月」の名称を使用し,遅くとも平成29年8月20日以降,演奏会に出演する等して囃子方とし て演奏し,もって,芸能活動を行う者である。 ウ被告Dは,「望月 名を用いて,自身の営業表示として「望月」の名称を使用し,遅くとも平成29年8月20日以降,演奏会に出演する等して囃子方とし て演奏し,もって,芸能活動を行う者である。 ウ被告Dは,「望月武山」の芸名を用いて,自身の営業表示として「望月」の名称を使用し,遅くとも平成27年以降,演奏会に出演する等して囃子方として演奏し,もって,芸能活動を行う者である。 エ被告Eは,「望月武游」との芸名を用いて,自身の営業表示として「望月」の名 称を使用し,遅くとも平成27年以降,演奏会に出演する等して囃子方として演奏し, もって,芸能活動を行う者である。 オ被告Fは,「望月左太晃郎」の芸名を用いて,自身の営業表示として「望月」の名称を使用し,遅くとも平成29年2月21日以降,演奏会に出演する等して囃子方として演奏し,もって,芸能活動を行う者である。 カ被告Gは,「望月武哲」の芸名を用いて,自身の営業表示として「望月」の名称 を使用し,遅くとも平成27年以降,演奏会に出演する等して囃子方として演奏し,もって,芸能活動を行う者である。 キ被告らは,四世望月左吉ことH以下「四世左吉」という。また,望月左吉の芸名を持つ者を単に「左吉」ということがある。)から名取名の認許を受けており,原告から名取名を認許されたことはない。 2 争点「望月」の表示が被告らにとって他人の周知な営業表示に該当するか。 3 争点に対する当事者の主張原告の主張次のとおり,「望月」の表示は被告らにとって他人の周知な営業表示に該当する。 ア望月流の家元は,代々太左衛門を襲名し,望月流を統率する地位にある者として,前記1の活動を行い,望月流一門全体の運営を統括してきた。そして,望月流家元自身が「望月」太左衛門を称して ア望月流の家元は,代々太左衛門を襲名し,望月流を統率する地位にある者として,前記1の活動を行い,望月流一門全体の運営を統括してきた。そして,望月流家元自身が「望月」太左衛門を称しており,同人が望月流の門弟に対して認許する名取名には全て「望月」姓が冠され,名取名の認許を受けた者は,以後演奏活動を行うにつき,「望月」姓を冠した名取名を表示することが許されることになることから,望 月流の名取名における「望月」姓とは,名取に取り立てられた個人の芸名を示すのみならず,家元である太左衛門によって代表される望月流に属することを示すものといえる。 よって,「望月」の表示は,望月流一門全体を代表する望月流家元の事業活動の営業表示としての性質を有するものである。 イ望月流の創流は安永年間に遡り,望月流の名は長年に渡り世間一般に広く知れ渡っている。近年においても,原告の実父が,昭和21年に十代目太左衛門を襲名したこと,昭和23年に同人の襲名披露公演が帝国劇場で開催されたこと,同人が上記襲名以降,望月流家元として,数々の演奏会,舞踊会,歌舞伎などに出演し,多数の優秀な門弟を育成し,「望月」姓を冠した名取名を認許してきたことが,広く世間一般 に認識されている。 以上によれば,遅くとも昭和23年の十代目太左衛門襲名披露公演の開催の時点までには,「望月」の表示は,長唄及びこれに隣接する歌舞伎等の伝統芸能に携わる者並びに長唄を含む伝統芸能等の愛好者ら(以下,これらの者を併せて「本件需要者」という。)の間で,望月流家元の地位にある太左衛門の営業表示として広く認識され周 知となったといえる。 ウ十代目太左衛門が昭和62年に死去したことに伴い,原告の血縁者である十一代目太左衛門が,昭和63年,望月流家元の地位を にある太左衛門の営業表示として広く認識され周 知となったといえる。 ウ十代目太左衛門が昭和62年に死去したことに伴い,原告の血縁者である十一代目太左衛門が,昭和63年,望月流家元の地位を継承するとともに,望月流家元としての前記の各事業活動を承継し,広くこれに携わった。 そして,原告は,平成5年,十一代目太左衛門が四世望月朴清の芸名を襲名するこ ととなったことに伴い,同人の同意を得て,十二代目太左衛門を襲名し,望月流家元の地位を継承した。それ以降,今日まで,原告は,望月流家元としての上記各事業活動を行ってきたものであり,平成29年7月には重要無形文化財の保持者として認定を受けた。 したがって,「望月」の表示は,現在に至るまで望月流家元である原告の営業表示と して周知なものとして承継されている。 エ被告らの主張についての反論被告らは,望月流には複数の流派があると主張し,昭和41年9月25日発行長唄編」(乙1。以下「本件名鑑」という。)に「浪花町派」,「森下派」及び「田圃派」がある旨記載されていると指摘するが,本件名鑑における 記載については,その頃,望月流家元である太左衛門の直弟子らを中心とする一団, 左吉及びその直弟子らを中心とする一団並びに望月太左吉(以下,望月太左吉の芸名を持つ者を単に「太左吉」ということがある。)及びその直弟子らを中心とする一団の活動分野にそれぞれ一定の特色が存在したことから,上記各一団のまとまりを指して便宜上「浪花町派」等と呼称して活動の分類が行われたものにすぎない。これらの各一団が独立した活動を行っていたものではない。現在の望月流一門全体においては, かつて「浪花町派」,「森下派」又は「浅草たんぼ派」ないし「田圃派」と称された各一団の分類や活動の明確な相違な の各一団が独立した活動を行っていたものではない。現在の望月流一門全体においては, かつて「浪花町派」,「森下派」又は「浅草たんぼ派」ないし「田圃派」と称された各一団の分類や活動の明確な相違などは存在しない。被告らの主張に係る太左衛門以外の者による名取名の認許も,家元の統制権を潜脱してされたものにすぎない。 被告らが「森下派」の家元であると主張する四世左吉は,原告の認許により襲名に至り,十二代目家元の肩書を付した原告らと連名の挨拶状(甲15)を送付する などしている。被告らが「森下派」に属すると主張する望月左武郎(以下「左武郎」という。),望月左太郎(以下「左太郎」という。),望月左喜三郎(以下「左喜三郎」という。),望月左喜蔵(以下「左喜蔵」という。)及び望月左之助(以下「左之助」という。)は,いずれも十代目太左衛門から名取名の認許を受けた者である。 また,四世左吉は,襲名後の平成16年9月,自身の門弟らへの名取名の認許及び 免状の発行を原告に願い出ている。原告は,これを相当と認め,同年11月頃に四世左吉の門弟らについての名取式を実施して名取名を認許し,免状を発行した。この際に原告に差し入れられた名取免状申込書兼名取免状申込誓約書(甲18の1)の宛先はいずれも「十二代目宗家家元望月太左衛門殿」とされている。 さらに,四世左吉が,名取名の認許及び免状の発行を自ら実行する意思を原告に対 して初めて連絡した書簡(甲19)においては,「まずは先代左吉が名取を出して来た事の復活を現左吉を中心に実行する事。名取が出た折は必ず家元太左衛門様に全て報告致します。」との記載がある。 加えて,被告B作成に係るブログ上のプロフィールページ(甲16)には,「幼少の頃より父・望月左武郎(邦楽囃子方)/望月流家元・十一代目望月太左衛門( 左衛門様に全て報告致します。」との記載がある。 加えて,被告B作成に係るブログ上のプロフィールページ(甲16)には,「幼少の頃より父・望月左武郎(邦楽囃子方)/望月流家元・十一代目望月太左衛門(人間国 宝・望月流宗家四代目望月朴清/故人)から長唄囃子の手ほどきを受ける」との記載 がある。 以上によれば,四世左吉及び被告らは,望月流の家元は太左衛門である原告のみであり,四世左吉及び被告らがその門下にあるとの明確な認識を有していたといえる。 被告ら主張に係る平成28年8月付けの嘆願書(乙21)の作成者は望月流一門に所属する者のうちの一部の者より作成されたにすぎない。また,作成者のうち, 四世左吉ら「森下派」を名乗る者などは,自身の利害を踏まえ意図的に虚偽の内容を記載したものである。さらに,虚偽の説明を受けて記載内容につき誤信して作成した者もいる。したがって,上記嘆願書の記載内容は信用できない。 被告らの主張ア本件名鑑にも記載があるように,望月流には,代々太左衛門が家元を務め,現 在は原告が家元を務める「浪花町派」,代々左吉又は望月長九郎が家元を務め,被告らが所属する「森下派」,代々太左吉が家元を務める「浅草たんぼ派」ないし「田圃派」などがある。上記各流派は,それぞれ独立した活動を行っており,上記各流派が独自の判断で名取名を認許して免状を発行しており,家元も流派ごとに存在している。したがって,仮に「望月」が営業表示に当たるとしても,それは,上記3派も含めた望 月流一門全体の営業表示であり,原告の営業表示ではないし,原告の営業表示として周知であるともいえない。 上記の点は,次のの各点から裏付けられる,十一代目太左衛門は,望月流をまとめるために「望月会」を結成し,自ら会長に就任した。太左衛門が ないし,原告の営業表示として周知であるともいえない。 上記の点は,次のの各点から裏付けられる,十一代目太左衛門は,望月流をまとめるために「望月会」を結成し,自ら会長に就任した。太左衛門が望月流一門全体の家元であり,一門の運営を統括する存在な のであれば,十一代目太左衛門が望月流をまとめるために「望月会」を結成する必要はないはずである。 望月流は,太左衛門の芸名が,六代目太左衛門が死亡した明治7年からIが七代目太左衛門を襲名するに至った明治38年までの31年間空位であったことがあるにもかかわらず,途絶えることなく存続している。 次のとおり,太左衛門以外の者によって名取名が認許されている事例がある。 a内の明治33年から明治37年2月までの間に,後の望月長四郎が「望月左久蔵」の名取名を認許されている(乙2の2)。 bIは,三代目望月長九郎に弟子入りして名取免状を付与され,同人から「望月長左久」の名取名を認許されている。原告の出身家であるJ家は,この時から「望月」の姓を名乗っているにすぎない。 c 「森下派」においても,実際に,二世左吉は,大正3年3月,初代の望月左喜三郎の名取名を認許した。また,三世左吉は,昭和36年2月に望月長造の(乙6),平成10年8月に望月左喜佳の(乙7),平成13年3月に望月左喜乙の(乙8),それぞれの名取名を認許した。 d 「浅草たんぼ派」ないし「田圃派」において,二世太左吉の二男である望月壽 藏が,昭和38年4月に他者に名取名を認許した。 e 各流派が自らの判断で名取名を認許している結果,三世太左吉から名取名を認許された望月太意吉と十代目太左衛門から名取名を認許された望月太意吉が同時に存在するという事態が発生したことがある。 四世左吉は,当初「望月 断で名取名を認許している結果,三世太左吉から名取名を認許された望月太意吉と十代目太左衛門から名取名を認許された望月太意吉が同時に存在するという事態が発生したことがある。 四世左吉は,当初「望月慎一」の芸名を名乗った際も,四世左吉を襲名した際 も,原告を含む歴代の太左衛門からの名取名の認許を受けていないが,望月流に所属して活動しており,原告から異議を述べられたこともない。また,四世太左吉は,「田圃派家元」の肩書を付した名刺を使用していた。 望月流においては「浪花町派」,「森下派」及び「田圃派」等がそれぞれ門弟に芸名を付与して会派ごとに活動してきた旨の記載のある長唄協会宛ての平成28年 8月付けの嘆願書に,原告が家元を務める「浪花町派」に属する名取も署名している。 イ被告らは,望月流「森下派」の家元である四世左吉より名取名の認許を受けており,正当に望月流に所属する名取であるから,被告らにとって「望月」の表示は,他人の周知な営業表示に当たらない。 第3 争点に対する判断 1 事実認定 前記前提事実,掲記の各証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の事実を認定することができ,この認定を覆すに足りる証拠はない。 望月流に係る事実関係等ア太左衛門について初代太左衛門は,遅くとも安永2年(1773年)頃までに望月流を創流し,その 後順次歴代太左衛門の子や門弟によりその芸名が受け継がれ,また,歴代太左衛門の門弟らも「望月」の姓を冠した芸名を用いて演奏等の活動を行った。五代目太左衛門及び四代目太左衛門が相次いで死去した後,両名の門弟らの間で後継者争いが生じ,望月太喜蔵が六代目太左衛門を継いだものの,同人が明治7年5月7日に死去した後明治38年までの間,太左衛門の芸名を使用する者が存在しない 衛門が相次いで死去した後,両名の門弟らの間で後継者争いが生じ,望月太喜蔵が六代目太左衛門を継いだものの,同人が明治7年5月7日に死去した後明治38年までの間,太左衛門の芸名を使用する者が存在しない時期が存在した。 七代目太左衛門は,六代目太左衛門が病気であったことから六代目太左衛門の門弟である三世望月長九郎の預け弟子となり,六代目太左衛門が死亡したことから,三世望月長九郎の門弟となって四世望月長左久の芸名を名乗り,その後に四世望月長九郎の芸名を継ぎ,明治38年,太左衛門の芸名を譲り受けて七代目太左衛門を襲名したものである(乙1,乙2の4,5)。 七代目太左衛門以後は,その子孫により太左衛門の芸名が受け継がれている(甲2,乙1)。 太左衛門は,代々,家元を称し,古くは芝居囃子において活躍し,その後は自ら演奏会等に出演して長唄囃子を演奏する活動,その門弟等に技芸を伝授し,指導する活動,門弟に対して「望月」の姓を冠した名取名を認許して免状を発行する活動,長唄 囃子の保存,普及活動等を行い,これらに対する対価を得てきた(甲2,6,13~16,18,33~38,乙1,2)。 イ左吉について初世左吉は,四世望月長左久の門弟であり,四世望月長左久が七代目太左衛門の芸名を継いだ後,五世望月長九郎の芸名を名乗るようになった。それ以降,左吉の芸名 は代々の左吉の子又は養子に受け継がれている(乙1,2の5)。 ウ太左吉について初世太左吉は,四代目太左衛門の門弟である。初世太左吉の養子であり,初世太左吉の門弟でもあった二世太左吉は,昭和4年の長唄新聞の記事において,過去に家元として届出をするように言われた人物として紹介されたこともあった。二世太左吉が昭和22年2月6日に死亡した後,太左吉が存在しない期間 もあった二世太左吉は,昭和4年の長唄新聞の記事において,過去に家元として届出をするように言われた人物として紹介されたこともあった。二世太左吉が昭和22年2月6日に死亡した後,太左吉が存在しない期間を経て,その後三世太左 吉及び四世太左吉が芸名を継いだが,同人が平成27年6月に死亡した後,現在まで太左吉は存在しない。四世太左吉は,「田圃派家元」の肩書を付した名刺を使用していた(乙1,乙2の1,2の5,3)。 エ書籍における記載昭和45年9月25日発行の本件名鑑には,長唄の流派の一つとして「望月家」の 項目が設けられ,「十世家元」として太左衛門の名が冒頭に挙げられている。本件名鑑には,前記イ及びウの初世左吉及び初世太左吉の出自についての記載があるほか,望月流には,七代目から十代目までの太左衛門及びその門弟らによる「浪花町派」,初世から三世までの左吉及びその門弟らによる「森下派」並びに初世から二世までの太左吉及びその門弟らによる「田圃派」の3大支流があり,これらは,明治,大正及び昭 和の初期まで長唄鳴物界を風靡して一大勢力となっていた旨の記載がある。他方で,「森下派」については,戦後凋落の一途をたどり,二世左吉の門弟も望月吉三郎の預かり養子となり同人が別動隊となった旨の記載があるほか,「田圃派」については,二世太左吉の死後はその芸名を継ぐ者がない旨の記載がそれぞれある。また,本件名鑑には,七代目,九代目及び十代目の太左衛門にそれぞれ8名,7名及び2名の門弟が いること,初世左吉に5名の門弟がおり,これら門弟の下にさらに門弟がいること,二世左吉に望月左喜三郎(本件名鑑の「佐喜三郎」の記載は乙第5号証の記載に照らし誤記と認める。),望月左之助及び望月左三郎の3名の門弟がいること,二世太左吉に1名の門弟がおり,その下に がいること,二世左吉に望月左喜三郎(本件名鑑の「佐喜三郎」の記載は乙第5号証の記載に照らし誤記と認める。),望月左之助及び望月左三郎の3名の門弟がいること,二世太左吉に1名の門弟がおり,その下に更に門弟がいることがそれぞれ記載されている。 オ太左衛門以外の者による名取名の認許 前記アのとおり,太左衛門の芸名を使用する者が存在しなかった明治33年に, 望月左久藏の名取名の認許を受けた者が存在した(乙1,2)。 二世左吉は,大正3年3月,望月左喜三郎の名取名を認許した(乙1,5)。 十代目太左衛門襲名以降の状況等八代目太左衛門の長男である十代目太左衛門が,昭和21年にその芸名を襲名した(甲2)後も,三世左吉は,昭和27年頃及び昭和36年2月に,その門弟に対して 名取名を認許した(甲27,28,乙6~8)ほか,昭和38年1月10日には読売新聞夕刊に三世左吉につき鳴物の家元と記載する記事が掲載された(乙17)。さらに,望月壽藏が,昭和38年4月に名取名を認許したこともあった(乙10)。ただし,三世左吉及び望月壽藏は,名取名の認許の際に交付した免状や表札に「家元」との記載はしていない。 他方,十代目太左衛門は,昭和48年及びそれ以降,左武郎,左太郎,左喜三郎,左之助及び左喜蔵に対し,それぞれ名取名を認許した(甲27,28)。上記芸名は,本件名鑑において「森下派」に属するとされたものか又は現在「森下派」に属すると主張している者らのものである(甲23,乙1)。 十一代目太左衛門の襲名後の状況等 九代目太左衛門の長男である十一代目太左衛門は,昭和63年6月にその芸名を襲名した。 十一代目太左衛門は,平成元年6月,望月流をまとめ「望月会」を結成して,その会長に就任した。「望月会」は,平成3年3月 太左衛門の長男である十一代目太左衛門は,昭和63年6月にその芸名を襲名した。 十一代目太左衛門は,平成元年6月,望月流をまとめ「望月会」を結成して,その会長に就任した。「望月会」は,平成3年3月には「望月会」の会報を発行し,同年4月13日には第1回邦楽囃子「望月会」を開催した(甲14,乙4,20)。 また,十一代目太左衛門は,平成5年6月27日,尾上梅幸や市村羽左衛門らの歌舞伎役者,芳村五郎治ら他流派の長唄演奏者らの出演の下,十一代目家元として九代目望月太左衛門追善囃子演奏会を歌舞伎座において2回にわたり開催したが,その際の松竹株式会社の会長の挨拶には,十一代目太左衛門につき「流祖このかた二百数十年の歴史と伝統をうけつぐ望月流の家元太左衛門」と,また,九代目太左衛門につき 「九世家元」との記載がある(甲14)。 原告による十二代目太左衛門襲名後の状況等十代目太左衛門の長男である原告は,平成5年,十二代目太左衛門を襲名したが,これを紹介する同年7月9日付けの東京新聞夕刊の記事には,「望月流は…,初代太左衛門以来,太左衛門の名で家元が引き継がれてきた。」との記載がある(甲2,5,6)。さらに,同年8月の歌舞伎座での歌舞伎公演の筋書における松竹株式会社会長 名の挨拶には「太左衛門の名跡は望月流の家元として二百数十年にわたり囃子方の世界で重きをなしてまいりました」などとの記載が,七代目尾上梅幸の挨拶には「望月流の家元太左衛門の名跡を,この度長左久さんが継承し,十二代目望月太左衛門を名乗ることとなりました。」との記載がそれぞれある(甲6)。 原告は,平成6年6月,尾上梅幸や市村羽左衛門らの歌舞伎役者,杵屋喜三郎ら他 流派の長唄演奏者らの出演の下,宗家家元十二代目望月太左衛門として十代目望月太左衛 記載がそれぞれある(甲6)。 原告は,平成6年6月,尾上梅幸や市村羽左衛門らの歌舞伎役者,杵屋喜三郎ら他 流派の長唄演奏者らの出演の下,宗家家元十二代目望月太左衛門として十代目望月太左衛門追善襲名披露演奏会を歌舞伎座で開催したが,そのプログラムに掲載された松竹株式会社会長,日本芸術文化振興会理事長及び仙台市長のお祝いには,太左衛門について望月流の家元である旨言及する記載がある。また,上記プログラムには,望月流一門として,三世左吉を含む70名以上の「望月」姓を冠した者の記載があるほか, 門弟として,50名以上の「望月」姓を冠した者の記載がある(甲2)。また,同月8日には,北國新聞が原告につき望月流の家元と記載した記事を掲載した(甲33)。 さらに,歌舞伎公演に常時携わる長唄等の演奏者の団体である歌舞伎音楽専従者協議会のウェブサイトにおいても,原告につき「望月流十二代目家元」と紹介されているほか,平成9年1月には伝統芸能紙及び関西芸能紙が,平成15年4月には北國新 聞が2回,それぞれ原告につき望月流の家元と記載した記事を掲載した(甲12,34,35,37,38)。 他方で,三世左吉は,平成10年8月及び平成13年3月に,その門弟に対して「望月」姓を冠した名取名を認許したが,その際に交付した免状に「家元」との記載はしていない(乙7,8)。 四世左吉襲名後の状況等 ア四世左吉襲名時の状況三世左吉が平成14年3月24日に死亡したことから,当時「望月慎一」の芸名を名乗っていた四世左吉が芸名を継ぐこととなった。 四世左吉は,平成14年10月,当時四代目望月朴清の芸名を名乗っていた十一代目太左衛門及び原告と連名の挨拶状を作成した。同挨拶状には,四世左吉の襲名が望 月流にとって非常に喜ばしい継 なった。 四世左吉は,平成14年10月,当時四代目望月朴清の芸名を名乗っていた十一代目太左衛門及び原告と連名の挨拶状を作成した。同挨拶状には,四世左吉の襲名が望 月流にとって非常に喜ばしい継承であること,左吉の名が望月流にとって大変重要な名籍であることなどの記載を含む「望月会会長四代目宗家望月朴清」名義での四代目望月朴清の挨拶,「十二代目家元望月太左衛門」名義での原告の挨拶並びに四代目望月朴清及び原告の継承への心強い賛同の言葉を受け止めることなどの記載を含む「望月慎一改め四代目望月左吉」名義での四世左吉の挨拶がそれぞれ記載されていた(甲 15)。 イ原告による四世左吉の門弟らへの名取名の認許四世左吉は,平成16年9月,原告に対し,原告の了承を得ることなく自ら名取名の認許を行いたい旨申し出たが,原告はこれを拒絶した(甲28,29)。 その後,原告は,平成16年11月17日,四世左吉や左之助の門弟らに対し,名 取名を認許した。上記門弟らから原告に対して差し入れられた名取免状申込書の宛先は「十二代目宗家家元望月太左衛門殿」とされていた(甲18)。 ウ四世左吉による名取名の認許等四世左吉らは,平成25年6月28日,原告に対し,左吉門下では名取を増やして望月流を盛り立てていくことを決意したこと,まずは三世左吉が名取を出してきたこ との復活を四世左吉中心に実行すること,名取が出た折には必ず家元である原告に全て報告すること,寛大な気持ちで見守ってもらいたいことなどを記載した「望月左吉一門」名義の書面を交付した(甲19,28)。 そして,四世左吉は,平成26年1月,原告の了承を得ることなく,被告B,被告D,被告E及び被告Gに対し,「森下派四世望月左吉」名義で名取名を認許した(乙1 1,13,14,16)。 )。 そして,四世左吉は,平成26年1月,原告の了承を得ることなく,被告B,被告D,被告E及び被告Gに対し,「森下派四世望月左吉」名義で名取名を認許した(乙1 1,13,14,16)。 さらに,四世左吉らは,平成26年7月又は8月頃,原告に対し,「12代目太左衛門氏への質問状」と題する書面を交付した。同書面には,望月流が隆盛を極めてきたのは,望月流が「浪花町派」,「森下派」及び「浅草たんぼ派」という3派の大きな流れでできており,それぞれが芝居等で頑張り,門弟などを育ててきた結果であること,四世左吉が名取名を認許することに反対するのは,従来「森下派」に属する歴代の望 月長九郎や左吉が多数の名取名を認許してきたといった望月流の歴史に反することなどが記載されていた(甲20)。これに対し,原告訴訟代理人らは,同月29日頃,四世左吉に対し,同人名義での名取名の認許を中止すること等を求める内容の警告書を送付した(甲21)。 しかしながら,四世左吉はこれに応じず,平成26年9月,被告Fに対し,「森下派 四世望月左吉」名義で名取名を認許した(乙15)。 エ四世左吉らによる嘆願書の提出等長唄協会は原告を望月流の代表者として取り扱っており,被告らを含む四世左吉かイの内規において必要とされる流派の代表者の承諾が得られていないとして,長唄協会に入会できなかった。そのため, 四世左吉,左武郎,左太郎,左喜三郎,左喜蔵及び左之助は,平成28年1月25日,長唄協会に対し,「望月流森下派」に属する者として,四世左吉が「望月流森下派」の家元であることは原告との間で事実上決着がついており,被告らを含む四世左吉から名取名の認許を受けた者らの入会を認めない理由はないなどと記載した嘆願書を提出した(甲23,24)。さらに,四世左吉ほ の家元であることは原告との間で事実上決着がついており,被告らを含む四世左吉から名取名の認許を受けた者らの入会を認めない理由はないなどと記載した嘆願書を提出した(甲23,24)。さらに,四世左吉ほか28名らは,各自,同年8月,長唄協 会理事宛てに,四世左吉を含む「森下派」を称する者及び歴代の太左衛門から名取名の認許を受けた者を含む「望月」の姓を冠した芸名を使用する者により作成された同月付けの嘆願書(乙21)を提出した。同書面中には,望月流においては,「浪花町派」,「森下派」,「田圃派」及び「彦派」等の会派がそれぞれ門弟に芸名を付与して会派ごとに活動していたこと,原告がこのような歴史的事実を無視し,太左衛門のみが 望月流唯一の家元であるとの主張を繰り返し,それぞれの会派で新たに芸名を取得し た者に対し,太左衛門以外から得た芸名は無効であると主張し,長唄協会への入会を阻止するなどしており,このような行為は次の時代を担う若い芽を摘むだけでなく,囃子界にとっても損失であること,原告と話合いを持ったが解決に至っていないこと,長唄協会が原告を望月流唯一の代表者として認めることは許されず,上記事情を考慮の上,特段の配慮と早期の解決をお願いすることなどが記載されていた。 上記の平成28年8月付けの嘆願書を作成した者の中には,同嘆願書記載の内容が自らの認識と異なる旨の陳述書を提出した者もいる(甲45,46)。 原告は,平成28年7月19日,四世左吉,左武郎,左太郎及び左喜三郎を相手方として,原告が「望月」姓を冠した名取名の認許をする権利等を専有することや,四世左吉の行った「望月」姓を冠した名取名の認許が無効であること等の確認を求める 調停の申立てを東京簡易裁判所に行った(甲27)。同調停は,平成30年2月20日,調停不 利等を専有することや,四世左吉の行った「望月」姓を冠した名取名の認許が無効であること等の確認を求める 調停の申立てを東京簡易裁判所に行った(甲27)。同調停は,平成30年2月20日,調停不成立により終了した(甲32)。 この間,四世左吉は,平成28年11月,被告Cに対し,「森下派家元四世望月左吉」名義で名取名を認許した(乙12)。 長唄協会の会員 平成29年7月31日時点で,長唄協会の会員となっている望月流の者は,東京の部だけでも100名以上存在していた(甲4)。 2 判断 原告の事業活動が営業に該当するか前記1アの認定事実によれば,原告を含む太左衛門が 行う事業活動は,長唄囃子の演奏や指導等の文化芸術活動としての性格を有するものではあるが,他方において,これらの活動から出演料,名取料等の一定の対価を収受するなどしていることからすれば,経済上の収支計算の上に立って経済秩序の一環として行われる事業活動としての性格をも有するものといえる。したがって,原告を含む太左衛門が行う事業活動は,法2条1項1号の「営業」に該当すると認められる。 「望月」の表示が被告らにとって他人の周知な営業表示に該当するか ア太左衛門は,代々,望月流の家元を称し,古くは芝居囃子において活躍し,その後は自ら演奏会等に出演して長唄囃子を演奏する活動,その門弟等に技芸を伝授し,指導する活動,門弟に対して「望月」の姓を冠した名取名を認許して免状を発行する活動,長唄囃子の保存,普及活動等を行い,出演料,授業料,名取料といったこれらに対する対価を得てきたものである。 そして,エのとおり,昭和41年9月25日発行の本件名鑑においては,長唄の流派の一つとして望月家の項目が設けられ,十世家元として太左衛門の名 といったこれらに対する対価を得てきたものである。 そして,エのとおり,昭和41年9月25日発行の本件名鑑においては,長唄の流派の一つとして望月家の項目が設けられ,十世家元として太左衛門の名が冒頭に挙げられ,望月流の説明内容として,初世左吉や初世太左吉が太左衛門の門弟ないしは門弟筋の人物であることや,「浪花町派」,「森下派」及び「田圃派」が望月流内の3大支流であることなどが記載されていることからすれば,本件名鑑においては, 太左衛門が望月流一門全体を代表する家元として紹介されているということができる。実際に,十代目太左衛門は,昭和48年及びそれ以降,左武郎,左太郎,左喜三郎,左之助及び左喜蔵ら,本件名鑑において「森下派」に属するとされたものか又は現在「森下派」に属すると主張している者らについても名取名の認許をするなど,望月流一門全体を代表することを示す行動をとっている。 さらに,前記1は,平成5年6月27日,尾上梅幸や市村羽左衛門らの歌舞伎役者,芳村五郎治ら他流派の長唄演奏者らの出演の下,十一代目家元として九代目望月太左衛門追善囃子演奏会を2回にわたり歌舞伎座で開催したが,その際の松竹株式会社の会長の挨拶に,十一代目太左衛門につき「流祖このかた二百数十年の歴史と伝統をうけつぐ望月流の家元太左衛門」と,九代目太左衛 門につき「九世家元」との記載があり,前記1襲名を紹介する平成5年7月9日付けの東京新聞夕刊の記事には,「望月流は…,初代太左衛門以来,太左衛門の名で家元が引き継がれてきた。」との記載があり,同年8月の歌舞伎座での歌舞伎公演の筋書における松竹株式会社会長の挨拶には「太左衛門の名跡は望月流の家元として二百数十年にわたり囃子方の世界で重きをなしてまい りました」などとの記載が,七代目尾上梅幸の 歌舞伎座での歌舞伎公演の筋書における松竹株式会社会長の挨拶には「太左衛門の名跡は望月流の家元として二百数十年にわたり囃子方の世界で重きをなしてまい りました」などとの記載が,七代目尾上梅幸の挨拶には「望月流の家元太左衛門の名 跡を,この度長左久さんが継承し,十二代目望月太左衛門を名乗ることとなりました。」との記載がそれぞれあり,原告が,平成6年6月に,宗家家元十二代目望月太左衛門として,尾上梅幸や市村羽左衛門らの歌舞伎役者,杵屋喜三郎ら他流派の長唄演奏者らの出演の下,十代目望月太左衛門追善襲名披露演奏会を歌舞伎座で開催した際には,そのプログラムに掲載された松竹株式会社会長,日本芸術文化振興会理事長及び仙台 市長のお祝いには,太左衛門について望月流の家元である旨言及する記載がそれぞれある。北國新聞も,同月8日,原告につき望月流の家元と記載した記事を掲載している。 継続しのとおり,平成9年1月には伝統芸能紙及び関西芸能紙が,平成15年4月には北國 新聞が2回,それぞれ,原告につき望月流の家元と記載した記事を掲載したり,歌舞伎音楽専従者協議会のウェブサイトにおいて,原告につき「望月流十二代目家元」と紹介しているほか,前記1ア及びイのとおり,平成16年には,四世左吉の襲名の際に,「十二代目家元望月太左衛門」名義での原告の挨拶を含む挨拶状が送付されたほか,原告が四世左吉や左之助の門弟らに対し,名取名を認許し,前記1エのとお り,長唄協会が,平成28年頃に,原告を望月流の代表者として取り扱っている。 以上によれば,太左衛門は,代々,望月流の家元を称し,演奏会等に出演して長唄囃子を演奏する活動等を行い,昭和41年頃には,本件名鑑において,望月流一門全体を代表する家元として紹介されるに至り,かつ,実際に昭和48年 左衛門は,代々,望月流の家元を称し,演奏会等に出演して長唄囃子を演奏する活動等を行い,昭和41年頃には,本件名鑑において,望月流一門全体を代表する家元として紹介されるに至り,かつ,実際に昭和48年及びそれ以降に太左衛門が望月流一門全体を代表する家元であることを示す行動をとってきたほか, 平成5年6月ないし8月及び平成6年6月には,太左衛門が望月流の家元である旨が新聞記事において紹介され,上記の各演奏会において,太左衛門が望月流の家元である旨を含む上記の各挨拶がプログラム等に掲載される状況にあったということができる。さらに,それ以降も,原告は,自らが望月流一門全体を代表する家元であることを示す行動をとり,新聞記事等においても同様の紹介がされたほか,長唄協会も同 様の認識を有しているということができる。 以上に加え流派の運営を統括する地位にある者を指すことに照らすと,遅くとも原告が十二代目太左衛門を襲名した後である平成6年6月までには,太左衛門が,望月流一門全体の家元として本件需要者の間で広く認識されるに至り,それ以降も現在に至るまで,本件需要者の間で広く同様に認識されていたと認めるのが相当である。 イおいては,家元が門弟に対して名取名を認許するところ,名取名は「望月」の姓を冠したものであり,名取に取り立てられた者は,以後自らの活動を行うにつきこの「望月」の姓を冠した名取名を表示し使用することが許されることに照らすと,望月流の名取名における「望月」姓は,名取に取り立てられた個人の芸名としての性格を有するだけではな く,同時に,家元による望月流の営業活動を示すものであるということができるから,「望月」の表示は,望月流の家元としての原告の営業表示に該当するというべきである。 ウ原告から「望月 はな く,同時に,家元による望月流の営業活動を示すものであるということができるから,「望月」の表示は,望月流の家元としての原告の営業表示に該当するというべきである。 ウ原告から「望月」姓を冠した名取名の認許を受けていないから,「望月」の表示は,被告らにとって他人の周知な営業表示に該 当するというべきである。 被告らの主張についてア被告らは,望月流には,原告が所属する「浪花町派」,被告らが所属する「森下派」,「浅草たんぼ派」ないし「田圃派」などがあり,これらの流派は,それぞれ独立した活動を行っており,各流派が独自の判断で名取名を認許して免状を発行しており, 家元も流派ごとに存在しているのであって,仮に「望月」が営業表示に当たるとしても,それは上記3派を含む望月流一門全体の営業表示であり,原告の営業表示ではないし,原告の営業表示として周知であるともいえない,このことは,①十一代目太左衛門が,望月流をまとめるために,「望月会」を結成し,自ら会長についているところ,望月太左衛門を襲名する者が望月流一門全体の家元であり,一門の運営を統括す る存在なのであれば,望月流をまとめるために,上記組織を結成する必要などないこ と,②望月流は,太左衛門の芸名が,六代目太左衛門が死亡した明治7年から明治38年まで31年間空位であったことがあるにもかかわらず,途絶えることなく存続していること,③太左衛門以外の者によって名取名が認許されている事例があること,④四世左吉は,当初「望月慎一」の芸名を名乗った際も,四世左吉を襲名した際も,原告を含む歴代の太左衛門からの名取名の認許を受けていないが,望月流に所属して 活動し,原告から異議を述べられたこともないし,四世太左吉は,「田圃派家元」の肩書を付した名刺を使用して した際も,原告を含む歴代の太左衛門からの名取名の認許を受けていないが,望月流に所属して 活動し,原告から異議を述べられたこともないし,四世太左吉は,「田圃派家元」の肩書を付した名刺を使用していたこと,⑤望月流においては,「浪花町派」,「森下派」及び「田圃派」等がそれぞれ門弟に芸名を付与して会派ごとに活動してきた旨の記載のある長唄協会宛ての平成28年8月付けの嘆願書に,原告が家元を務める「浪花町派」に属する名取も署名していることからも裏付けられるなどと主張する。 イ上記ア①について望月流においては,「望月」姓を冠した名取名を用いて活動する者らも相当数に及ぶことや,個々人の演奏の機会は様々であると考えられ,一堂に会する機会を持つなどの理由で下部組織などを設けることもあり得るといえること(弁論の全趣旨)にも照らすと,十一代目太左衛門が,望月流一門全体の家元の 立場とは別に,「望月」姓を冠した名取名を用いて活動する者らの間の情報共有やこれらの者らが合同で演奏活動を行う機会を持つために,前記1なる組織を結成した上で,その名の下に会報を発刊したり,邦楽囃子の会を開催することは不自然なことではない。したがって,このことが「望月」を太左衛門の営業表示であるとすることと矛盾する旨の被告らの主張は採用することができない。 上記ア②及び③についてa本件名鑑には,望月流に,七代目以降十代目までの太左衛門及びその門弟らによる「浪花町派」,初世から三世までの左吉及びその門弟らによる「森下派」並びに初世から二世までの太左吉及びその門弟らによる「田圃派」の3大支流があり,明治,大正及び昭和の初期まで長唄鳴物界を風靡して,一大勢力と なっていた旨の記載がある。また,ア,ウ及びオ並びに前記1のとおり, その門弟らによる「田圃派」の3大支流があり,明治,大正及び昭和の初期まで長唄鳴物界を風靡して,一大勢力と なっていた旨の記載がある。また,ア,ウ及びオ並びに前記1のとおり, 明治時代には31年間にわたり太左衛門の芸名を用いる者がいない時期があり,その期間中に太左衛門以外の者により「望月」姓を冠した名取名の認許がされたほか,二世太左吉が,昭和4年の長唄新聞の記事において,過去に家元としての届出をすることを拒んだことがあった人物として紹介され,二世左吉が七代目太左衛門の襲名後である大正3年3月に本件名鑑で二世左吉の門弟とされている望月左喜三郎の名取名 の認許を,三世左吉が,十代目太左衛門の襲名後である昭和27年頃及び昭和36年2月にその門弟に対して名取名の認許をそれぞれしており,昭和38年1月10日には読売新聞夕刊において三世左吉につき鳴物の家元と記載する記事が掲載され,望月壽藏が昭和38年に名取名を認許している。これらのことに照らすと,明治時代の太左衛門がいない時期以降,昭和30年代までは,太左吉及び左吉が「家元」として紹 介されたり,太左衛門以外の者が「望月」姓を冠した名取名の認許を行っていた時期があるのであり。このほかにも,前記1のとおり,三世左吉が,原告による十二代目太左衛門襲名後である平成10年8月及び平成13年3月に,門弟に対して,「望月」姓を冠した名取名を認許している。 b しかしながら,前記のとおり,本件名鑑は,あくまで望月流の冒頭に家元 として十代目太左衛門の名を挙げ,「浪花町派」,「森下派」及び「田圃派」を併せて3大支流などと呼称しているのであり,上記3派をそれぞれ独立した流派であるととらえるのでなく,かえって,太左衛門が望月流一門全体を代表しているととらえているとも考えられる 派」及び「田圃派」を併せて3大支流などと呼称しているのであり,上記3派をそれぞれ独立した流派であるととらえるのでなく,かえって,太左衛門が望月流一門全体を代表しているととらえているとも考えられる記載となっている。また,本件名鑑には,「森下派」については,戦後凋落の一途をたどり,二世左吉の門弟も望月吉三郎の預かり養 子となり同人が別動隊となったなどの記載があるほか,「田圃派」については,二世太左吉の死後はその芸名を継ぐ者がない旨の記載もあって,本件名鑑の記載からは,本件名鑑が発行された昭和41年当時,「森下派」及び「田圃派」が左吉又は太左吉を頂点として独立した事業活動を行う実態を備え,またそのように外部から認識されていたかどうかは明らかではない。 また,十代目太左衛門は,昭和48年及びそれ以降に,本件名 鑑において「森下派」に属するとされたものか又は現在「森下派」に属すると主張している者らのものである名取名を認許しているほか,前記1原告が,平成16年11月17日,四世左吉らの門弟に対し,「望月」姓を冠した名取名を認許している。さらに,四世左吉は,その襲名に当たり,原告及び十一代目太左衛門であった四世望月朴清と3名連名で襲名の挨拶状を発出している ところ,その際に四世左吉は自らを家元と称してはいないし,また,上記挨拶状で連名となっているのは,家元と称する原告及び四世望月朴清のみであり,被告らが「田圃派」の家元と主張する四世太左吉は含まれていない。これらの事情は,少なくとも昭和48年以降,「森下派」及び「田圃派」が太左衛門を家元とする流派とは別に独立して存在し活動していることとは整合しないものである。三世左吉が平成10年及び 平成13年に「望月」姓を冠した名取名を認許している点についても,その経緯 」が太左衛門を家元とする流派とは別に独立して存在し活動していることとは整合しないものである。三世左吉が平成10年及び 平成13年に「望月」姓を冠した名取名を認許している点についても,その経緯は明らかではない上に,前記のとおり,家元と称してこれを行ったものではなく,上記のとおり,それ以降の時期に原告が四世左吉の門弟に名取名を認許していることにも照らすと,三世左吉による上記認許の事実をもって「森下派」が当時独立した流派として活動していたことが裏付けられるものでもない。 以上によれば,昭和48年以降現在に至るまでの間,太左衛門を家元とする望月流の活動とは別に,「森下派」及び「田圃派」が「望月流」としての独立した活動を行ってきたとはいい難いから,明治時代には31年間にわたり太左衛門の芸名を用いる者がいない時期があったことや,太左衛門以外の者による名取名の認許があったといった前記aの事実が直ちに被告らの主張を根拠付けるとはいえない。 上記ア④について四世左吉が「望月慎一」又は四世左吉を名乗る際,原告を含む歴代の太左衛門から名取名の認許を受けたことをうかがわせるような証拠はない。しかも,とおり,左吉の芸名は親から養子を含む子へ4代にわたり継承されているほか,前記エのとおり,本件名鑑において,初世左吉の出自等が紹介され,左吉が望月流内 の「森下派」の最上位に位置付けられ,その門弟まで記載されるなど,他の望月流の 名取とは異なる取扱いがされている。これらに加えて,前記1吉の襲名に当たっては,左吉の名籍が望月流にとって大変重要なものであることなどが記載された原告,四世朴清及び四世左吉連名の挨拶状が作成されている一方で,他の者が名取名の認許を受ける際に,このような挨拶状が作成されている形跡もうかがわれないこ って大変重要なものであることなどが記載された原告,四世朴清及び四世左吉連名の挨拶状が作成されている一方で,他の者が名取名の認許を受ける際に,このような挨拶状が作成されている形跡もうかがわれないことも併せ考えると,左吉の芸名及びその継承は,望月流において他の芸名 と異なる特別な取扱いをされていたという余地もある。しかしながら,前記において判示したところに照らすと,そのことのみから直ちに,「森下派」が,少なくとも昭和48年以降,左吉を頂点とした独立した流派として活動していたことが根拠付けられるものではない。 世太左吉が「田圃派家元」と肩書を付した名刺を作 成していたとしても,ウ及びエのとおりに認定され,又は書籍に記載された太左吉の活動状況や,同人が平成27年6月に死亡した後,現在に至るまで太左吉の芸名を使用する者が存しないような状況にあることに照らすと,上記の名刺の記載から直ちに,四世太左吉が「望月」の姓を冠した名取名を認許するなど,「田圃派」が独立した流派の主体として活動をしていたことが認められるものではない。「田圃派」 の存在エの本件名鑑の記載も,前記において判示したところに照らすと,同様に上記事実を根拠付けるものではない。 上記ア⑤について平成28年8月の嘆願書の内容に照らすと,同嘆願書作成の主たる目的は,長唄協会の理事に対し,原告が一部の者の長唄協会への入会等に承諾をしてい ないことの不当性を訴えることにあると解され,上記嘆願書の作成の依頼を受けた者らにおいて,上記の原告の行動に関する記載が真実であれば問題であると考え,その作成に応じるということもあり得ることであり,これらの者が上記嘆願書に記載された「浪花町派」,「森下派」及び「田圃派」等の関係に係る事実関係についての的確な認識を有していた ば問題であると考え,その作成に応じるということもあり得ることであり,これらの者が上記嘆願書に記載された「浪花町派」,「森下派」及び「田圃派」等の関係に係る事実関係についての的確な認識を有していたかは判然とせず,実際に,上記嘆願書を作成 した者の中には,同嘆願書記載の内容が自らの認識と異なる旨の陳述書を提出する者 もいることに照らすと,上記嘆願書の存在及び記載内容が直ちに被告らの主張を根拠付けるものとはいえない。 ウそして,他に,少なくとも昭和48年以降,「森下派」又は「田圃派」が太左衛門の活動から独立した流派としての活動をしていたことをうかがわせるような証拠もないから,被告らの前記アの主張を採用することはできない。 第4 原告の請求について 1 その余の法2条1項1号の要件該当性について被告らが用いる「望月」の営業表示は原告の営業表示と同一である。そして,被告らが,自らの芸名を長唄囃子に関する芸能活動に使用した場合,本件需要者らは,被告らが原告から「望月」姓を冠した名取名の認許を受け,原告の事業活動の一環とし て芸能活動を行っていると誤信すると認められ,被告らが「望月」の表示を使用する行為は,原告の営業と混同を生じさせる行為に該当する。 したがって,被告らが,自身の営業表示として「望月」の名称を使用して長唄囃子に関する芸能活動を行うことは,原告に対する法2条1項1号の不正競争に該当する。 2 差止請求について 前記のとおりの原告の事業活動の内容に照らすと,原告は,被告らによる上記1の不正競争により,得られるべき名取料を得られないなどといった営業上の利益を侵害されているというべきである。そして,被告らが,「望月」姓を冠した芸名を用いて芸能活動を行っているほか,名取名認許の際には名取名 争により,得られるべき名取料を得られないなどといった営業上の利益を侵害されているというべきである。そして,被告らが,「望月」姓を冠した芸名を用いて芸能活動を行っているほか,名取名認許の際には名取名を記載した表札が交付されること(甲13の3,乙5,6,10の2),演奏会の際のパンフレット等に芸 名が記されるほか(甲7~9),その際に看板が設置されこれに芸名が記される可能性もあることに照らすと,原告は,被告らに対し,法3条1項に基づき,長唄囃子における芸名として「望月」なる名称を称することのほかに,同名称を表札,看板,印刷物に表示する等して使用する行為の差止めを求めることができるというべきである。 第5 結論 よって,原告の請求はいずれも理由があるからこれを認容することとし,仮執行宣言は相当でないからこれを付さないこととして,主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第29部 裁判長裁判官 山田真紀 裁判官 神谷厚毅 裁判官 矢野紀夫

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