平成12(行ウ)181 難民の認定をしない処分取消請求

裁判年月日・裁判所
平成16年9月30日 東京地方裁判所 警察関係
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判決文本文31,636 文字)

平成16年9月30日判決言渡平成12年(行ウ)第181号難民の認定をしない処分取消請求事件口頭弁論終結日平成16年7月1日判決原告 A被告法務大臣 主文 1 被告が原告に対し平成11年5月24日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。 2 訴訟費用は被告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求主文同旨第2 事案の概要及び争点本件は,ミャンマー国籍を有する外国人である原告が,被告に対し,出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)による難民の認定の申請をしたところ,被告から,原告の申立てに係る難民性を立証する具体的な証拠がないとして,難民の認定をしない旨の処分を受けたことから,この処分には,原告の難民性の判断を誤るなどした違法があると主張し,その取消しを求めたものである。 1 前提となる事実次の事実は,当事者間に争いがない。 (1) 原告は,1953年(昭和28年)2月25日,現在のミャンマー連邦(以下「ミャンマー」という。)シャン州において出生した外国人で,同国の国籍を有している。 (2) 原告は,平成10年6月17日,当時の新東京国際空港に到着し,東京入国管理局成田空港支局入国審査官の許可を受けて本邦に上陸した。上陸許可に係る在留資格は短期滞在,在留期間は90日間であった。 (3) 原告は,平成10年8月11日,東京入国管理局において,被告に対する難民認定申請をしたところ,被告は,同年10月14日及び同月21日の2回にわたる東京入国管理局難民調査官の事情聴取などを経て,平成11年5月24日,原告について,難民の認定をしない旨の処分(前記第1記載のもの。以下「本件処分」という。)をした。本件処分の理由は,国民民主連盟の一員であることを理由に迫害を受けるおそれがあるという原告の申立てについては,これ ,難民の認定をしない旨の処分(前記第1記載のもの。以下「本件処分」という。)をした。本件処分の理由は,国民民主連盟の一員であることを理由に迫害を受けるおそれがあるという原告の申立てについては,これを立証する具体的な証拠がないので,原告が政治的意見又は特定の社会的集団の構成員であることを理由とする迫害のおそれは認められず,原告は難民とは認められないというものである。 (4) 原告は,平成11年6月23日,本件処分に対する異議の申出をしたところ,被告は,同年9月1日の東京入国管理局難民調査官による事情聴取などを経て,平成12年3月9日,この異議の申出は理由がない旨の裁決をし,同年4月13日にこれを原告に告知した。そこで,原告は,同年7月11日,本訴を提起した。 (5) なお,原告の本邦における滞在状況等は,次のとおりである。 ア原告は,平成10年6月23日,栃木県a郡b町長に対し,外国人登録をした。 登録に係る居住地は,同町cd番地eである。 イ原告は,前記(2)の上陸許可に係る在留期間について,平成10年9月8日,同年12月7日及び平成11年3月9日の3回にわたり,東京入国管理局において,在留期間更新許可申請をし,いずれの申請についても在留期間更新許可を受けたが,その後の同年6月8日に更なる在留期間更新許可申請をしたところ,同月22日に不許可処分を受けた。 2 争点(1) 原告は,本件処分には次の二つの違法があり,これらは本件処分の取消原因となると主張し,被告は,これらの主張をいずれも争っている。 ア原告の難民該当性についての判断を誤った違法本件処分には,原告がその当時において難民に当たっていたにもかかわらず,これを看過し,原告に難民性がないと判断した違法がある。 イ理由附記の不備の違法原告の難民性が立証されていないことを理由 本件処分には,原告がその当時において難民に当たっていたにもかかわらず,これを看過し,原告に難民性がないと判断した違法がある。 イ理由附記の不備の違法原告の難民性が立証されていないことを理由として難民の認定をしない処分においては,被告において難民性の立証がないと判断した具体的な理由を明示しなければならないというべきところ,本件処分に附記された理由は,結局のところ,原告の難民性を立証する具体的な証拠がないというものに尽きており,理由の附記として十分ではない。 (2) 本件の争点は,前記(1)のア及びイの各違法があるかどうかであるが,このうち,前者(原告の難民該当性)について,原告の主張は後述3のとおりであり,被告の主張は後述4のとおりである。 3 原告の難民性についての原告の主張(1) 難民性の判断の在り方ア難民条約の解釈基準(ア) 難民認定手続を正しく運用するためには,「難民」の定義,立証基準,立証責任,信憑性などの諸原理について正しい解釈を得なければならない。 しかし,我が国の難民認定手続を定める法には,これらの諸原理に関する明文の規定がなく,これらの諸原理を解明するためには法の解釈を要するところであるが,法の難民認定制度に関する諸規定は,我が国が難民条約及び難民議定書を批准したことによりこれらを国内法化するために制定されたものであり,その解釈は全面的に難民条約及び難民議定書の解釈に依拠するものである。 ことに,難民の意義については,法上の「難民」と難民条約及び難民議定書が定める「難民」とは全くの同義であり,かつ,難民の意義について締約国は何らの留保を付することも認められていない(難民条約42条1項)から,我が国は難民条約及び難民議定書の定める難民をそのまま「難民」として認定する義務を負っている。したがって,「難民」の意 て締約国は何らの留保を付することも認められていない(難民条約42条1項)から,我が国は難民条約及び難民議定書の定める難民をそのまま「難民」として認定する義務を負っている。したがって,「難民」の意義の解釈や,いかなるものを難民として認定すべきかの基準については,すべて難民条約及び難民議定書の解釈によって導かれなければならない。 以上の理由から,難民条約の解釈は不可欠な作業となる。 (イ) 難民条約解釈のルール条約を含む国際法規は,これを批准した締約国間に共通の法規であって,締約国間に客観的に存在し,締約国を等しく拘束する法秩序となる。したがって,国際法規は締約国ごとの区々の解釈がされるべきではなく,個々の締約国の政策や思惑を超えた国際的に統一された解釈がされる必要がある。 このような観点からすれば,難民認定手続における諸原理を難民条約の解釈によって導出するに際しても,その解釈が締約国ごとに独自なものであることは許されず,各締約国において共通に運用される,統一的かつ普遍的な解釈がされることが難民条約それ自体の要請であることは明らかである。 「条約法に関するウィーン条約」(以下「条約法条約」という。)31条及び32条は,条約その他の国際法の解釈基準を定めているが,同条約はそれまで国際慣習法として成立した解釈基準を確認したものであるから,難民条約もそれにより定められる解釈基準により解釈されるべきものである。そして,条約法条約31条は,文言解釈ないし文理解釈と称される原則に依拠し,条約の文言が明らかに不合理な結果や条約の他の部分との整合性を有しない結果を来したり,締約国の意図するところを明らかに逸脱する場合を除いては,用語の通常の意味に解釈しなければならないものとし,同32条では,31条の規定による解釈では意味があいまい又は不明瞭で 有しない結果を来したり,締約国の意図するところを明らかに逸脱する場合を除いては,用語の通常の意味に解釈しなければならないものとし,同32条では,31条の規定による解釈では意味があいまい又は不明瞭である場合,明らかに常識に反した不合理な結果がもたらされる場合には,条約の準備作業段階の事情や条約に基づく判例法,同種の他の条約又は類似の条項に関する裁判例を補足的手段として,解釈を行うべきであると定める。 以上によれば,難民条約は,その条約文や締約国間でされた難民条約の関係合意である「最終文書の規定」さらには,難民の人権の広範な保障という難民条約の趣旨・目的に照らし,国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の見解や難民条約を実施する各国の先例等をも解釈の準則として解釈を行うべきである。 イ難民認定の要件(ア) 難民の定義難民として認定され,保護されるための該当条項に係る要件は,①本国の外にあること,②十分に理由のある恐怖,③迫害,④理由であり,これらすべての要件を合わせ満たす必要があるが,以下,本件で問題となる「国外にいること」以外の3要件につき検討する。 (イ) 十分に理由のある恐怖この要件は,「恐怖」という主観的要素と,「十分に理由のある」という客観的要素の双方を明示的に求めており,当事者の内心及びこれを合理的に裏付ける客観的な事情の両方の要素が考慮されなければならないが,難民の認定が覊束的なものであることからすれば,客観的な要素を確定し,その内容をあらかじめ明確にすることが必要であり,その指標として,申請者の個別的状況,出身国の人権状況,過去の迫害,同様の状況におかれている者の事情などが考慮されるべきである。 (ウ) 迫害迫害とは「国家の保護の欠如を伴う基本的人権に対する持続的若しくは系統的危害」であり,迫害の認定をする 状況,過去の迫害,同様の状況におかれている者の事情などが考慮されるべきである。 (ウ) 迫害迫害とは「国家の保護の欠如を伴う基本的人権に対する持続的若しくは系統的危害」であり,迫害の認定をするに当たって,広く経済的・社会的・精神的自由に対する抑圧や侵害も検討されなければならず,そのように迫害を広く捉える解釈が,条約法条約の解釈手法,難民条約「前文」との間での整合性を有するものといえる。 (エ) 理由迫害の理由として列挙されている,人種,宗教,国籍,特定の社会的集団の構成員であること,政治的意見は,これらのうちいずれか一つ以上があれば足り,このうちの一つであるのかいくつの理由を組み合わせるのか,どの一つに該当するのかといったことは申請者において特定する必要はない。 ウ立証責任・立証基準(ア) 難民認定手続は,申請者の難民該当性に関する事実認定及びあてはめ作業を内容とする手続であるから,証明に関するルールが明らかにされる必要がある。そして,難民認定申請を行ったものが本国を捨て,保護の確証のない外国で手続を行うものであること,本来,対立当事者間の武器対等を前提とした対審構造が予定されたものではなく,非対審構造が予定されていること,訴訟が過去の事実を認定する手続であるのに対し,難民認定手続は将来予測的な事実の証明を行うものであること,難民認定機関は,認定者であると同時に申請者に対する協力者であることが求められていることによれば,訴訟手続における証明のルールをそのまま導入することは妥当なものではないというべきである。そして,その証明のルールを検討する際には,締約国各国の判例や先例が重要な参考資料となり,それらを重視して,検討を行うべきである。 (イ) 立証責任難民認定手続における立証責任の問題は,訴訟手続における立証手続とは異 を検討する際には,締約国各国の判例や先例が重要な参考資料となり,それらを重視して,検討を行うべきである。 (イ) 立証責任難民認定手続における立証責任の問題は,訴訟手続における立証手続とは異質のものであり,訴訟手続における立証責任の概念は妥当しない。 そして,我が国の難民認定制度立法過程での国会の審議における当時の法務省入国管理局長の答弁や法61条の2の3の規定によれば,同条は,難民認定申請者には身分事項,経歴,迫害の根拠とされる事由についての説明,活動歴,自己又は同じ集団に属する他人若しくは集団自体に対する過去の迫害の事実,出国から入国の経過,入国後申請に至るまでの経過,入国後の活動状況について事実を提供する義務を負わせているが,一方で,難民認定機関においても,出身国情報や,申請者が記憶する過去の事件の有無・内容,同種の理由による我が国への難民認定申請の有無,同種の理由による他国への難民認定申請事例の有無,申請者の活動を裏付ける資料の収集や申請者の知人・親族等からの事情聴取などを積極的に行うべきである。 (ウ) 立証基準我が国の難民認定制度は,条約上の難民をそのまま難民として認定することが義務付けられており,いかなるものが難民として認定されるべきかは,難民条約に従って,その規定及び解釈により決せられるべきものであり,難民認定の目的は,紛争の解決や法的安定性の確保ではないから,それらを目的とする訴訟制度のルールを導入する合理的基盤はないし,その証明対象は,主観的要素を含み,将来予測を含むものであり,訴訟手続と異なっており,また,判断の誤りにより侵される法益は重大であり,事後的な回復は不可能であるから,難民認定手続の立証基準は,訴訟手続との対比からではなく,難民条約の文言に基づき決せられるべきものであり,難民条約の内容や難民 の誤りにより侵される法益は重大であり,事後的な回復は不可能であるから,難民認定手続の立証基準は,訴訟手続との対比からではなく,難民条約の文言に基づき決せられるべきものであり,難民条約の内容や難民保護の目的,各締約国の運用実務からみれば,難民性の立証基準としての「十分に理由のある恐怖」とは,客観的な迫害の可能性ではなく,主観的な「恐怖」に十分な理由があることであり,その「十分な理由」とは,当該申請者がおかれた状況に,合理的な勇気を有するものが立ったときに,「帰国したら迫害を受けるかもしれない」と感じ,国籍国への帰国をためらうであろうと評価し得る場合に,その恐怖に「十分な理由」があるということができる。 エ信憑性判断(ア) 難民認定手続は,難民であることを有権的に確定する行為であるから,認定機関は,個々の外国人が難民に該当する事実を具備しているか否かを誤りなく判断することが要求される。そして,この事実の確定作業において,申請者の申請・供述の信憑性の判断は決定的な要素となるものである。そして,申請者が証言のすべてを裏付ける物証や書証を提出し得ることがむしろ例外的であるという難民認定手続の特殊性をかんがみれば,信憑性評価の重要性は一層増すこととなる。 (イ) このような難民認定手続が取り扱う保護法益の重要性,難民認定における信憑性判断のもつ重要性から,難民認定機関においては信憑性判断を誤りなく行うことが求められ,難民認定における信憑性判断の有する,①申請者及び難民認定機関の双方で証拠収集が制限されているという物理的要因の特殊性,②申請者が本国において現実に迫害を受けてきたか,あるいは潜在的に迫害の危険を有していることから,しばしば申請者の心的作用に障害が認められることがあり,また,官憲に対する不信感・警戒心,出身国に残る家族や知人に危 おいて現実に迫害を受けてきたか,あるいは潜在的に迫害の危険を有していることから,しばしば申請者の心的作用に障害が認められることがあり,また,官憲に対する不信感・警戒心,出身国に残る家族や知人に危害が及ぶことを避けようとする意識等が存するという心理的要因の特殊性,③申請者が言語的障害・文化的相違をもち,申請者の言語や概念について審査官の解釈が常に合致しているとは限らないという文化的要因の特殊性,④難民認定手続について対審構造が採られていないという構造的特殊性といった特殊性により,信憑性判断は困難で専門的な作業となっており,これらの特殊性を十分念頭におかねばならず,信憑性判断が無原則なものとなれば,難民認定行為の拘束性は無に帰することとなる。 (ウ) そして,各締約国の信憑性判断の経験上,注意すべき点の共通点をまとめると,次のとおりである。 ① 疑わしきは申請者の利益にという原則が働き(灰色の利益の原則),この原則は,主張の実質的本案審議と申請者の信憑性評価の両方に適用される。 ② 信憑性についての懸念を申請者や証人に提示し,釈明の機会を与えなければならない。 ③ 信憑性についての否定的な判定には,証拠中に適当な根拠がなければならず,申請者の供述は,単なる憶測や推測により排除されるべきではない。理由を説明せずに申請者の話を「あり得ない」とするだけでは不十分であり,なぜその証言が合理的にあり得ることと明らかに矛盾するか説明できなければならない。特に矛盾しない証言を排除する際には注意を払うべきである。 ④ 信憑性についての否定的な判定は,申請の重要な面に基づいて行われるべきである。ただし,主要でないことに関する矛盾でも,それが重なると申請者の信憑性に疑問を投げかけることになる。 ⑤ 証拠を全体として,また客観的で偏見のない目で考慮することが な面に基づいて行われるべきである。ただし,主要でないことに関する矛盾でも,それが重なると申請者の信憑性に疑問を投げかけることになる。 ⑤ 証拠を全体として,また客観的で偏見のない目で考慮することが重要である。 ⑥ 矛盾のない,信憑性のある説明については独立した裏付けは必要ではない。 ⑦ 信憑性の欠如が理由で認めらない証拠があっても,必ずしも申請の却下につながるとは限らない。 ⑧ 矛盾を見つけるのに過度の熱意を示してはならない。認定者は矛盾点や信憑性がない証拠などを探し,結果として申請者の信憑性を攻撃するために証拠を調べてはならない。 ⑨ 信憑性を評価する際には事情に通じていなければならない。証言の信憑性と価値は申請者の出身国の状況や法等について一般的に知られている事実に照らし合わせて評価されなければならない。 ⑩ 信憑性について明確な判定をし,それについて適切な理由が付されなければならない。認定者は供述の中で信憑性がないようにみえる部分を明確に指摘し,その結論に至った理由も明確に伝える義務を負う。 ⑪ 不真実表示・事実隠ぺいや証言内容の変遷は,信憑性評価に影響を及ぼすものであるが,人が嘘をつく背景には様々な動機があり得,それ自体は申請の却下を意味しないし,逆に,申請者の主張の信憑性を裏付ける証拠にもなり得る。 ⑫ 常識とは,歴史的に構築されたものであり,文化によって決定され,それゆえ普遍的でないから,その評価は重視されるべきではない。 ⑬ 手続の特徴を考慮に入れるべきである。難民認定手続はしばしば迅速で形式張らず,本質的に探求的であり,口頭の証拠のほとんどは通訳というフィルターを通している結果,認定過程は誤解の可能性に満ちている。申請者の緊張,トラウマや文化的相違も混乱や誤解を作り出すことがある。 ⑭ 信憑性判断の要素として証人の様子に のほとんどは通訳というフィルターを通している結果,認定過程は誤解の可能性に満ちている。申請者の緊張,トラウマや文化的相違も混乱や誤解を作り出すことがある。 ⑭ 信憑性判断の要素として証人の様子に頼るのは避けるべきである。 ⑮ 申請の遅延は,そのこと自体決定的な要素とはならず,申請が遅れた背景事情を追求しなければならない。 オ難民認定手続と適正手続行政手続においても憲法上,適正手続の保障があることが認められており,難民認定手続においても適正手続の保障が及ぶというべきであるところ,我が国の難民認定手続においては,事後手続としての異議申立ては認められるものの,難民不認定処分を出す前に申請者に釈明の機会が与えられていない点,処分書に要求されるべき理由が明記されていない点,判断の主体が直接手続に関与していない点(直接主義違背)において,適正手続を欠くものといわざるを得ない。 (2) 原告の難民該当性次のaからdまでのとおり,原告は難民としてのすべての要件を充足しており,その難民該当性は明らかである。 a 出身国の外にあること原告はビルマ出身であり,現在日本に駐留し,当該国の外にある。 b 迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖原告は1973年以来,本国で反政府活動に参加し,NLDにも参加したことによって取調べを受け,また,学習塾や貸しビデオ屋を閉鎖させられ,その際に,原告に関するデータが本国政府によって記録されていること,来日後,原告が,日本において反政府活動を率先し行ってきたこと,原告が参加した沖縄デモがビルマ国営新聞に掲載され批判されていることから本国政府当局に把握されている危険が高いこと。 以上の事実を,本国の政府が民主化勢力に対する徹底的な弾圧を加えている状況に照らせば,原告がおかれた状況に合理的な勇気 掲載され批判されていることから本国政府当局に把握されている危険が高いこと。 以上の事実を,本国の政府が民主化勢力に対する徹底的な弾圧を加えている状況に照らせば,原告がおかれた状況に合理的な勇気を有する者が立ち向かったときに,「帰国すれば迫害を受けるかもしれない」と感じ,国籍国への帰国をためらうであろう,と評価しうることは明白である。 c 迫害原告に及ぶ危害の内容について,生命及び身体の自由への脅威を含んでいることは,ビルマにおける民主化に対する弾圧の内容を見るとき明らかである。 d 理由原告には,その政治的意見を,迫害を受ける理由とする根拠がある。 4 原告の難民性についての被告の主張(1) 難民の認定の在り方ア難民・迫害の意義(ア) 法に定める「難民」とは,難民条約1条又は難民議定書1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうところ(法2条3号の2),同規定によれば,難民とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するために国籍国の保護を受けることを望まないもの及び(中略)常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」とされている。そして,その「迫害」とは,「通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧」を意味し,また,上記のように「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,「当該人が迫害を受け をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧」を意味し,また,上記のように「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,「当該人が迫害を受ける恐れがあるという恐怖を抱いていたという主観的な事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的な事情が存在していること」が必要である。 (イ) そして,ここにいう客観的な事情があるというためには,単に迫害を受ける恐れがあるという抽象的な可能性が存するにすぎないといった事情では足りず,当該申請者について迫害を受ける恐れがあるという恐怖を抱くような個別的かつ具体的な事情が存することが必要である。すなわち,ある国の政府によって民族浄化が図られていることが明らかな場合はともかく,そうでなければ,当該政府が特に当該難民認定申請者を迫害の対象としたことが明らかになる事情が存在しなければならないのである。そのことは,難民条約及び議定書が集団全体を一個の難民として認定する手法を採用していないこと,原告が頻繁に引用するUNHCR作成の難民認定ハンドブックにおいても「各個人の状況はそれぞれの事案ごとに評価されなければならない」(43項),「ある特定の人種的集団に属するという事実のみでは,通常,難民の地位の申請を裏付けるのに十分とはいえない」(70項),「ある特定の宗教的社会に属するという事実のみでは,通常,難民の地位の申請を裏付けるのに十分とはいえない」(73項),「特定の社会的集団に属するという事実のみでは,通常,難民の地位の申請を裏付けるのに十分とはいえない」(79項),「政治犯罪人が難民に該当するか否かを決定するに当たっては次のような要素が考慮に入れられなければならない。即ち,申請人の人格,政治的意見,犯罪の動機,犯され 付けるのに十分とはいえない」(79項),「政治犯罪人が難民に該当するか否かを決定するに当たっては次のような要素が考慮に入れられなければならない。即ち,申請人の人格,政治的意見,犯罪の動機,犯された行為の性質,訴追の性質及び動機,そして最後に訴追がなされる基礎となっている法律の性質がこれである」(86項)とされていることからも明らかである。 イ難民であることの立証責任は原告にあり,真偽不明な場合は難民とは認定されないこと(ア) いかなる手続を経て難民の認定手続がされるべきかについては,難民条約に規定がなく,難民条約を締結した各国の立法政策にゆだねられているところ,我が国において法61条の2第1項は,「法務大臣は,本邦にある外国人から法務省令で定める手続により申請があったときは,その提出した資料に基づき,その者が難民である旨の認定(以下「難民の認定」という。)を行うことができる。」と定め,申請者に対し申請資料として「難民に該当することを証する資料」の提出を求めている(法施行規則55条1項)。この法令の文理からすれば,難民であることの資料の提出義務と立証責任が申請者に課されていることは明らかである。 このように,難民不認定処分は,申請者が自ら難民であることを立証できなかったために行われる処分であることから,その提出した資料等からも難民ではないと確認される場合と,難民であるとも難民でないとも確定的には確認できない(真偽不明)場合との双方を含む概念である。 (イ) このことは,難民認定処分の性質からも明らかである。 すなわち,難民認定処分は,当該難民認定申請者(以下単に「申請者」という。)が難民条約所定の「難民」であるか否かを申請者から提出された資料に基づいて確認し,処分時において難民であることを認定する行為である。このように難民認定処 難民認定申請者(以下単に「申請者」という。)が難民条約所定の「難民」であるか否かを申請者から提出された資料に基づいて確認し,処分時において難民であることを認定する行為である。このように難民認定処分は本質的には事実の確認であるが,法務大臣により難民認定を受けていることが,他の利益的取扱いを受けるための法律上の要件となっており(法61条の2の5,61条の2の6,61条の2の8),この点からすると,難民認定処分は,その処分自体が申請者に対して直ちに何らかの権利を付与するものではないものの,授益処分とみるべきである。 授益処分については,一般に,申請者側に処分の基礎となる資料の提出義務と立証責任があると解されているのであって,このような難民認定処分の性質からみても,難民認定の資料は,授益者となるべき申請者が提出すべきものである。 (ウ) さらに,このことは,難民認定のための資料との距離という観点からみても,合理的である。 すなわち,難民であると認められるためには,前記のとおり,「人権,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」ことが立証される必要があり,このような難民該当性の判断の対象とされる諸事情は,事柄の性質上,外国でしかも秘密裏にされたものであることが多い。このような事実の有無及びその内容は,それを直接体験した申請者こそが最もよく知ることができる立場にあって,申請者においてこれを正確に申告することは容易である。しかも,これらの事実は難民認定を受けるための積極的な事実であって申請者に有利な事実である。 これに対し,法務大臣は,それらの事実につき資料を収集することがそもそも困難であり,ましてや,難民該当性を基礎付ける事実の不存在を立証する資 ための積極的な事実であって申請者に有利な事実である。 これに対し,法務大臣は,それらの事実につき資料を収集することがそもそも困難であり,ましてや,難民該当性を基礎付ける事実の不存在を立証する資料の収集は不可能に近い。 仮に,法務大臣にこうした資料収集の義務を負わせるとすると,法務大臣に難民認定手続上の過重な負担を負わせ,適正な難民認定ができなくなる恐れが生じる。このような観点からも,法は,申請者に自らが難民であることを証明する資料を提出する義務を負わせ,真偽不明な場合には難民不認定処分を行うことができるとしたものと解される。 ウ難民認定されるための立証の程度(ア) 原告は,難民認定されるための立証の程度は,争訟手続と同様に解することができず,我が国の訴訟制度において採用されている「合理的疑いを容れない程度の証明」である必要はない旨を主張するところ,原告の同主張が,難民認定手続において,行政庁である法務大臣が難民認定申請者の難民該当性を判断する際に当該申請者が尽くすべき立証の程度を指すものか,不認定処分の取消しを求めた訴訟手続において,原告として尽くすべき立証の程度を指しているのかは必ずしも明らかではない。 しかしながら,本件においては,原告を難民と認定しなかった被告の判断の適否,すなわち,原告が本件処分当時において難民と認められるに必要な「十分に理由のある迫害の恐怖」を有していたかが訴訟の場において争われているのであるから,原告がこの点について「合理的な疑いを容れない程度の証明」をしなければならないのは当然である。 すなわち,民事訴訟における「証明」とは,裁判官が事実の存否について確信を得た状態をいい,合理的な疑いを容れることができないほど高度の蓋然性があるものでなければならないが,通常人なら誰でも疑いを差し挟まない程度 訴訟における「証明」とは,裁判官が事実の存否について確信を得た状態をいい,合理的な疑いを容れることができないほど高度の蓋然性があるものでなければならないが,通常人なら誰でも疑いを差し挟まない程度に真実らしいとの確信で足りる。行政事件について行政事件訴訟法に定めがない事項については民事訴訟の例によるから,上記の民事訴訟法の原則は,特段の定めがない限り,行政訴訟における実体上の要件に該当する事実の証明についても当然当てはまるものである。 以上のような民事訴訟における事実の証明は,実体法の定める全ての要件に共通するものであり,特別の定めがないにもかかわらず,特定の類型の事件若しくは特定の事件の特定の要件に該当する事実に限って証明の程度を軽減することは許されない。しかるところ,難民認定手続について,難民条約及び難民議定書には,難民認定に関する立証責任や立証の程度についての規定は設けられておらず,難民認定に関しいかなる制度及び手続を設けるか否かについては,締約国の立法政策にゆだねられているが,我が国の法には,難民認定手続やその後の訴訟手続について,立証責任を緩和する旨の規定は存しない。そうである以上,難民認定されるための立証の程度は,難民認定手続においても,その後の訴訟手続においても,通常の民事訴訟における原則に従うべきであり,難民認定申請者は,自己が難民であることについて,「合理的な疑いを容れない程度の証明」をしなければならない。 (イ) この点に関し,原告は,いわゆる灰色の利益論を主張するが,原告の主張が独自の法解釈に基づくもので到底現行法の解釈とし採り得ないことは明らかである。原告の主張する難民認定手続の特殊性については,いずれも各事案において自由心証の枠内で当該裁判所が考慮すべきかどうか検討すれば足りるものであり,法解釈として難民 釈とし採り得ないことは明らかである。原告の主張する難民認定手続の特殊性については,いずれも各事案において自由心証の枠内で当該裁判所が考慮すべきかどうか検討すれば足りるものであり,法解釈として難民認定の立証基準や立証責任を原告側に緩和すべき理由はない。現に裁判例をみても,一般の民事訴訟と同様の立証責任と立証の程度を求めている。 (2) 原告の難民性少なくとも本件処分がされた平成11年(1999年)5月24日当時,ミャンマー政府が原告を迫害の対象としていたなどとはおよそ考え難く,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」を原告が有していたとは到底認め難いというべきである。 そのことは,次の(ア)から(オ)までの諸点から明らかである。 (ア) ミャンマー政府が原告を迫害の対象としているとはおよそ考え難いこと原告は,弟がSSAのメンバーとして活動していたこと,原告も大学時代から民主化運動に参加し,NLDのメンバーであったことから,軍情報部に連行され尋問を受け,大学卒業後は塾の講師をしていたが,原告が反政府意見を述べたことから,塾は閉鎖されたこと,その後,レンタルビデオ店を経営していたものの,同店に係る営業許可を,原告が行ったNLDに関係した活動が違法であるとして取り消されたこと,その後,原告は貿易会社に勤務していたが,平成10年(1998年)5月27日にSSAの者が政府批判のビラを配布したために逮捕されたことから,政府に身柄を拘束される危険を感じ,出国したことをるる主張する。 しかしながら,原告が主張する出来事は,いずれもにわかに信じ難いものばかりである。のみならず,原告は,昭和53年(1978年)には,国立大学であるマンダレー大学を無事卒業している上,大学卒業後には軍の役所から許可を得て学習塾を開き,また,昭和 にわかに信じ難いものばかりである。のみならず,原告は,昭和53年(1978年)には,国立大学であるマンダレー大学を無事卒業している上,大学卒業後には軍の役所から許可を得て学習塾を開き,また,昭和60年(1985年)以降においては,すべてのビデオが政府の検閲下にある状況にもかかわらず,政府からレンタルビデオ店の営業許可を受け,その後10年以上にわたり営業していた。そればかりか,平成9年7月25日,原告名義の有効な旅券の発給を本国政府から受け,平成12年4月27日には旅券に渡航先国の追加を行い,同年5月20日には旅券に渡航目的の追加を行うといった旅券に係る各手続に関し,政府から問題なく許可を受け,さらに,平成10年6月16日には何の問題もなく正規に本国を出国するなど,少なくとも本件処分がされた平成11年(1999年)5月24日当時,ミャンマー政府が原告を迫害の対象としていたなどとはおよそ考え難い。したがって,軍の関係者が原告を逮捕しようとしているなどという原告の供述も信用することはできず,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」を原告が有していていたとは到底認め難いというべきである。 そもそも,旅券とは,外国への渡航を希望する自国民に対し当該政府が発給する文書であり,その所持人の国籍及び身分を公証し,かつ,渡航先の外国官憲にその所持人に対する保護を依頼し,その者の引取りを保証する文書であるところ,原告が本国において旅券を取得し,同旅券を行使して来日したことは,原告が自発的にミャンマー政府の保護を望み,かつ,これを享受したことにほかならない。また,原告が,反政府活動をしていて,ミャンマー政府が原告の身柄を拘束しようとしていたことが事実であるならば,旅券の取得も出国自体も容易でなかったと考えられる。しかし,実際は,上記のと ほかならない。また,原告が,反政府活動をしていて,ミャンマー政府が原告の身柄を拘束しようとしていたことが事実であるならば,旅券の取得も出国自体も容易でなかったと考えられる。しかし,実際は,上記のとおり問題なく旅券の取得に至る各手続及び出国手続を行うことができたもので,そうであるとすると,ミャンマー政府が原告を迫害の対象としていたとは到底考え難く,原告が反政府活動に参加したことから,ミャンマー政府が原告の身柄を拘束しようとしていたという原告の供述自体,信用し難いといわざるを得ない。 (イ) 原告の供述は信用することができないことa 原告は,学生時代には反政府運動に参加し,大学卒業後,fにて子ども相手の学習塾を開いたが,子どもたちに対し軍事政権を批判する話を行ったことから,軍情報部から呼び出されて学習塾を閉鎖するよう命令された旨主張し,原告本人も同旨の供述をする。 しかし,原告が学生時代に反政府活動に参加したことを証明する客観的資料の提出はない上,国立大学を無事に卒業するに至っていることから,学生時代に反政府活動を行った旨の原告の供述は信用し難い。また,原告の学習塾が閉鎖に追い込まれた旨主張するが,そもそも,反政府活動家が政府の許可を得て学習塾を経営することは不自然である上,原告は,自らの学習塾に軍の司令官の子供が通っているにもかかわらず,子供らに政府批判の話をしていた旨供述している。このような原告の行動は不自然であるばかりか,そもそも,元々反政府活動をしたことがあり,政府批判の話を子供らにするような学習塾に軍の司令官が自らの子供を通わせること自体通常考え難く,原告の供述は信用することができない。 b 原告は,昭和63年(1988年)ころ,学生などに民主化運動の参加を呼びかける等の活動をしていたことから,同年9月18日に軍が全権を掌握 と自体通常考え難く,原告の供述は信用することができない。 b 原告は,昭和63年(1988年)ころ,学生などに民主化運動の参加を呼びかける等の活動をしていたことから,同年9月18日に軍が全権を掌握した後,軍情報部に呼び出されて取調べを受け,今後は政治活動を行わない旨の誓約書に署名を強要されたこと,同月27日にNLDが結成されるとこれに加入し,シャン州北部支部の青年部長として活動し,平成2年(1990年)5月の選挙の際,積極的な活動を行った旨を主張し,原告本人も同旨の供述をする。 しかし,他方,原告は,ミャンマーにおいて,すべてのビデオが政府の検閲下にある状況にもかかわらず,学習塾が閉鎖された昭和60年(1985年)から平成9年(1997年)までの10年以上の長期間にわたりレンタルビデオ店を営業していたと供述しているのであり,このような政府の厳しい統制下におかれた職業に,反政府活動を積極的に行っていた者が就くこと及び長期間営業することは到底考えられず,原告が反政府活動家として軍部から取調べを受けた旨の供述は信用することができない。また,仮に原告の主張が事実であったとしても,原告が政府から迫害の対象とするような重要な反政府活動家として認識されていないことは明らかである。 また,原告は,政治に関わるビデオの複製や貸出しをしたことから,平成9年(1997年),政府によりビデオ店の営業許可を取り消され,ビデオカセットやレコーダー等を没収されたことから,店を閉めることとなった旨主張し,原告本人も同旨の供述をする。 しかし,当時のミャンマーにおいては,すべての輸入され,又は国内で制作されたビデオはビデオ検閲委員会の承認を受けなければならず,これに違反した場合,禁固刑又は罰金の適用を受けることとされていた。にもかかわらず,原告は,難民認 いては,すべての輸入され,又は国内で制作されたビデオはビデオ検閲委員会の承認を受けなければならず,これに違反した場合,禁固刑又は罰金の適用を受けることとされていた。にもかかわらず,原告は,難民認定申請手続及び裁判手続において,ビデオ店の閉鎖に伴い身柄を拘束されたこと,あるいは罰金を払ったことについて全く供述していない。したがって,原告のビデオ店を政府により閉鎖に追い込まれた旨の供述は信用することができない。 c 原告は,平成10年(1998年)5月27日,政府批判のビラを配布したSSAの者が逮捕されており,同月28日か29日には,妹から軍情報部が原告を探している旨の連絡を受けたため,本国からの出国を決意した旨主張し,原告本人も同旨の供述をする。 しかし,原告は,本邦入国後,間もなく行われた同年10月21日の難民調査官の調査の際には,SSAの者が逮捕されたことを知り身の危険を感じ,出国のために同月20日に商用目的に旅券を変更した旨述べていた。上記の事柄は,近時の事柄であってその記憶も鮮明であるはずであり,また,身の危険を感じ出国したとする原告にとって極めて重要な事柄と考えられるにもかかわらず,その供述に齟齬をきたすことは考え難いばかりか,その後,問題なく本国を出国していることは,政府が原告を拘束すべき反政府活動家として認識しているとすれば不自然であることから,この点に係る原告の供述は信用することができない。 d 以上のとおり,原告が本国において反政府活動をしていたことから,政府から何らかの危害等を受けたこと及び危害を受けるおそれがある旨の原告の供述は,信用することができない。 そればかりか,原告のその余の供述から,原告は,本国において,問題なく大学等に通い卒業し,その後,学習塾,ビデオ店,輸出業に就き,一般の会社員よりも高い収 告の供述は,信用することができない。 そればかりか,原告のその余の供述から,原告は,本国において,問題なく大学等に通い卒業し,その後,学習塾,ビデオ店,輸出業に就き,一般の会社員よりも高い収入を得て生活していたことが認められる。 (ウ) 原告の本邦における活動について原告は,本邦入国後において,民主化運動に参加し,ミャンマー大使館前や都内の公園などでデモや集会を行っていたことから,本国政府から迫害を受けるおそれがある旨供述する。 しかしながら,在日ビルマ人協会(BAIJ),NLD-LA日本支部に所属し,デモに参加するなどして反政府活動を行い,帰国すれば迫害を受ける旨申し立てていた某ミャンマー人男性は,不法残留中の妻の体調不良等を理由に自らも早期帰国を希望し,その際,帰国した際の自身の危険について,何ら心配はない旨明言し,このことは在東京ミャンマー大使館においても確認した旨供述している。このことからすると,大使館への抗議行動,民主化組織への所属など本邦における民主化運動の事実などをもって,直ちに迫害のおそれがあるともいい難いことは明らかである。 (エ) 原告の家族も本国で平穏に生活していること原告の妻子,弟及び妹も本国で特に問題なく生活しており,原告によれば,現在も弟や妹はタクシーの運転手,化粧品店を経営し,妻も塾の講師として働いているのであるから,この点も,ミャンマー政府が原告を迫害の対象としていないことを裏付ける一事情であるというべきである。 (オ) 原告の本邦への入国の目的が本邦における不法就労であること原告は,本邦入国後,南武線武蔵新城駅付近所在の「びっくり寿司」に勤務し,1日13時間,週休1日の稼働により,月額約15万円の収入を得ていた。 その後,建設現場等において稼働した後,ハタ紙業株式会社に勤務し,1日9 国後,南武線武蔵新城駅付近所在の「びっくり寿司」に勤務し,1日13時間,週休1日の稼働により,月額約15万円の収入を得ていた。 その後,建設現場等において稼働した後,ハタ紙業株式会社に勤務し,1日9時間,週休2日の稼働により,月額約16万円の収入を得る等の不法就労を行い,2,3か月に1回,本国の家族に5万円程度の送金を行った。被告も,難民認定の申請人が就労活動をしたからといって直ちに難民性を失うとまで主張するものではないが,ミャンマーにおける会社の一般職の給与が25米ドルであり,企業管理職でさえ250米ドルであることなどからすると,原告の送金額は数か月分の給与に当たる高額なものである。このような原告の行動からすると,原告の本邦への真の入国目的は,不法就労にあったものと推認せざるを得ない。 第3 争点に対する判断 1 本件の争点は,前記第2の2のとおり,①原告の難民該当性の有無,②本件処分に附記された理由の不備の有無の2点であるところ,まず,①の点について判断する。 2 原告の出身国情報(1) 歴史的沿革証拠(甲13~20。枝番を含む。),弁論の全趣旨及び顕著な事実(外務省ホームページ各国・地域情勢,ミャンマー政府/在日ミャンマー大使館公式ホームページビジネス情報・ミャンマーの歴史参照)によれば,原告の出身国であるミャンマー(ビルマ)の状況等については,以下の事実が認められる。 アミャンマーにおいては,ネウィン将軍が1962年(昭和37年)のクーデターで民主的に選出された政権を覆し,ビルマ社会主義計画党を設立し,社会主義政権を維持してきた。その後,1988年(昭和63年)3月上旬に学生の先導によって大衆民主化運動が起こったが,この運動は当時の政権により激しい弾圧が加えられ,政治囚への拷問や虐待はエスカレートし,治安部隊によって約3 。その後,1988年(昭和63年)3月上旬に学生の先導によって大衆民主化運動が起こったが,この運動は当時の政権により激しい弾圧が加えられ,政治囚への拷問や虐待はエスカレートし,治安部隊によって約3000人が殺害されたと推定されている。この民主化運動によって26年間続いた社会主義政権が崩壊したが,国軍は,同年9月にデモを鎮圧するとともに国家秩序回復評議会(SLORC)を組織し政権を掌握し,民主化運動を暴力的に弾圧した。 これにより,何百人もの学生が反政府的な行動に加わったとして逮捕され,少なくとも43人の政治囚(実際の数はこれよりかなり多いと考えられている。)が,拷問や虐待,刑務所内の厳しい状態,不十分な医療,衛生,栄養状態により身柄拘束中に命を落としている。また,多数の若い活動家が近隣国に逃れた一方で,国内で闘争を続けようとした者もいたが,その多くが逮捕されることとなった。政権は国軍司令官タン・シェ将軍を頂点とし,国軍高官により編成され,同政権による支配は現在も続いている。 イ SLORCは,政権樹立と同時に,1990年(平成2年)に選挙を行うことを表明したものの,選挙の準備段階として政党の活動が活発化するにつれ,取締りを強化し,1989年(平成元年)7月には大規模な取締りに至り,国民民主連盟(NLD)の指導者であるスー・チー女史をはじめ,何百人もの逮捕者が出た。学生たちも逮捕・投獄の標的とされた。 ウ 1990年(平成2年)5月に選挙が実施され,スー・チー女史率いるNLDが圧勝したものの,SLORCは,民政移管のためには堅固な憲法が必要であるなどとして,国会を召集せず,政権委譲も行わないまま,1995年(平成7年)に至るまでスー・チー女史に対し国家防御法違反により自宅軟禁措置を課した。 1996年(平成8年)末には,5年ぶりに学生デ どとして,国会を召集せず,政権委譲も行わないまま,1995年(平成7年)に至るまでスー・チー女史に対し国家防御法違反により自宅軟禁措置を課した。 1996年(平成8年)末には,5年ぶりに学生デモがヤンゴン,マンダレー及びその他の主要な都市で連続して発生した。デモは,ヤンゴン工科大学の3人の学生に対する警察による暴行への抗議として10月に始まり,12月はじめまでにはヤンゴン大学の本キャンパスにまで広がって,2000人の学生及び少なくともそれと同じくらいの数の一般市民にまで膨れ上がった。最終的には武装した警察と兵士が群衆を襲撃し,何百人も逮捕した。12月4日,政府は609人が拘留され,そのうちの487名は学生で122人は「煽動者」であるとする声明を発表した(1997年(平成9年)末の時点で,そのうちほぼ100人は拘留されていると考えられている。)。デモの間,SLORCは,ヤンゴン,マンダレーなどの主要都市において大学から小学校までの全ての学校を閉鎖し,学生を強制的に帰省させた。初等学校及び一部の中等学校は翌年7月ないし8月に再開されたが,ほとんどの高等学校,単科大学及び総合大学は,1998年(平成10年)1月時点ではまだ閉鎖されたままであった。SLORCは,その際の抗議集会等に関係した34名に対し,翌11年(1997年)1月に判決を下し,最短で7年の禁固刑が科された。 エ SLORCは,NLDが1990年(平成2年)選挙の7周年記念を迎えるために平成11年(1999年)5月27日に党大会を開催しようとしたのに対し,同党の300名を超える選出議員及びヤンゴン以外から参加した党員を拘束し,又は出席を阻止するために脅迫した。そして,1998年(平成10年)後半から自宅へ続く道路に軍事バリケードが設置されるなど,自宅外に出る自由や訪問を受ける 員及びヤンゴン以外から参加した党員を拘束し,又は出席を阻止するために脅迫した。そして,1998年(平成10年)後半から自宅へ続く道路に軍事バリケードが設置されるなど,自宅外に出る自由や訪問を受ける自由を制限されていたスー・チー女史に対する自由の制限をさらに強化した。 (2) 1998年(平成10年)9月10日付けの国連総会における「ミャンマーに関する特別報告官」による報告(甲18)には,ミャンマーにおけるNLD選出議員やNLD党員の状況について,次のような記述がある。 ア多くの報告書が指し示す通り,ミャンマーの反政府派は,政府により,集中的かつ継続的に監視されている。政府の目的は,政治活動の制限及び議員の移動の禁止である。SLORCは,1961年(昭和36年)の常習犯取締法をはじめとし,政党議員が,当局からの事前承認なしに地元地域及び自宅から移動することを不可能にしている。許可を受けずに移動すると,警察又は国軍情報局によって逮捕又は尋問されるおそれがある。 イ特別報告官などに寄せられた報告の中には,NLD選出議員は,1年間地元自治体内に留まらなけらばならないという制限命令を発せられ,少なくとも日に2回は地元警察への報告に赴くように言われ,これらを拒否した議員は逮捕すると脅迫されるというものや,地元警察のNLD選出議員に対する連行,留置の方法はいままでと同じパターンであり,留置は1晩(場合によっては2晩)行われるというもの,制限命令に従わない者は1年の懲役に処せられるというものなどがあり,NLDの指導者は,同党選出議員がその制限命令を拒否し,結果として,当局による多くの逮捕者を出したと主張している。ミャンマー国内全域で,事実上拘束を受けたNLD選出議員の合計は,現在のところ50人を超えているものの,正確な値は不明である。 ウ特別報道 結果として,当局による多くの逮捕者を出したと主張している。ミャンマー国内全域で,事実上拘束を受けたNLD選出議員の合計は,現在のところ50人を超えているものの,正確な値は不明である。 ウ特別報道官は,殴打などの拷問及び虐待が刑務所及び尋問センター内で慣例となっていることを指摘する報告を受け続けている。さらに,それら施設の衛生状況は酷く,医療の不足が起こっている。その上,当局は,赤十字国際委員会(ICRC)による刑務所及び拘留場所への立入りの拒否を続けている。このような状況の下,特別報告官が,NLDの党員又は支持者を含む数人の受刑者が,刑務所内で死亡したという情報を受け取り続けていることは意外なことでない。 エ 1996年(平成8年)6月以来,拷問及び虐待が原因で,数人のNLD党員又は支持者が,獄中で死亡している。 同年6月22日に獄中で死亡したジェームス・リーンダー・ニコルスについて,ミャンマー当局は,拷問の事実を否定し,心臓発作による自然死であったと述べていたが,特別報道官が近くの監房に収容されていた元拘留者から得た情報によれば,ニコルスは,係官に6日間連続の尋問を受けていたという。同人は,刑務所に着くやすぐに,ポンサン・ポジション(膝の上に手を置き床の上で足を交差させ,背中を伸ばし,頭をうつむかせた格好)で座らせられ,拷問の間は何時間も立たされており,毎回,頭にフードをかぶせられ,係官に連れていかれたのであって,一度,4日間連続の拷問を受けた後,足を腫れ上がらせ,顔をむくませ,インセイン刑務所の自分の監房へ帰ってきたという。また,重い赤痢と糖尿病を患っているにもかかわらず,しっかりとした食事や薬は与えられておらず,足を腫れ上がらせ,しっかりとも歩くことができず,また,赤痢,嘔吐,めまいに苦しんでいたそうである。 1998 い赤痢と糖尿病を患っているにもかかわらず,しっかりとした食事や薬は与えられておらず,足を腫れ上がらせ,しっかりとも歩くことができず,また,赤痢,嘔吐,めまいに苦しんでいたそうである。 1998年(平成10年)2月18日に死亡したウ・テインティンについて,国家平和開発評議会(SPDC)は,同人は白血病で死亡したと主張しているが,他の情報によると,拷問を受けており,病院への移送許可が下りた時には,健康状態はかなり悪化し,病院に着いた時には,危篤状態であったという。 このほか,学生運動の指導者が,1990年9月からインセイン刑務所に収容された際,常時,強い明かりがつけられている小さな監獄に入れられ,質問に答えないと明かりを強く,一度に60から70時間にわたって睡眠を奪われ,殴打され,蹴られ,一度に何時間もつま先立ち(足首の周りに錠をし脚の間に鉄の棒を挟まれ,足かせをはめられ,背伸びをするような格好)をさせられたりした例なども報告されている。 3 原告の供述等の内容及びその信憑性評価(1) 原告の供述等の内容原告の本人尋問及び録取書(甲2)における供述の要旨は,次のとおりである。 ア原告は,1953年(昭和28年)2月25日に当時のビルマのシャン州で生まれた。原告の実家は,同州のfにある。 イ原告は,ビルマ(現在のミャンマー連邦)の国籍を有していたものの,父や母方祖父がパキスタン出身で,いわゆるインド系に属し,肌の色が褐色であったことから,ビルマ人(ミャンマー人)を優先するビルマ社会の中にあって,嫌がらせを受けて育ち,大学進学に際しても,希望する医科への進学を許されず,動物学を専攻することとなった。このような事情から,原告は,大学進学の前から,反政府的な気持ちを抱いていた。 なお,原告の弟は,シャン州軍(SSA)に参加した。 希望する医科への進学を許されず,動物学を専攻することとなった。このような事情から,原告は,大学進学の前から,反政府的な気持ちを抱いていた。 なお,原告の弟は,シャン州軍(SSA)に参加した。 ウ原告は,1973年(昭和48年)にタウンジー大学に進学し,同大学に在学中の同年6月,ヤンゴンにおいて労働者による反政府運動を発端とする運動に参加し,デモに参加したり,翌1974年(昭和49年)12月のウ・タントの葬儀をめぐる抗議行動に参加したりした。 エ原告は,1976年(昭和51年)にマンダレー大学に進学し,同大学に在学中,大学の寮ごとに置かれた反政府運動組織のリーダー(大学全体に7人のリーダーが置かれた中の1人)となり,学生に呼びかけて大学内のデモ活動をした。デモ活動の後,大学は閉鎖となり,学生は寮に住むことができなくなって,警察官から帰郷を命ぜられるなどしたが,原告はマンダレーにとどまったことから,警察官に呼び止められて質問を受けた。また,翌1977年(昭和52年)にも,大学のストライキに参加した。 オ原告は,1978年(昭和53年)に大学を卒業した後,実家のあるシャン州fに帰郷し,自宅において学習塾を開業した。その当時は,大学卒業者は軍又は官庁に就職するのが通例であったが,原告は人種的な差別の故に,これらの職場ではなく,自営の学習塾を開くこととなったものである。 開業に際しては,軍の役所において教育関係を担当する部署の免許を得ている。 この学習塾は,子供たちに英語と数学を教えていたが,原告は,1985年(昭和60年)に軍情報部に呼び出され,この学習塾を閉鎖するように命ぜられた。塾の閉鎖を命ぜられたのは原告だけであったが,原告が塾の閉鎖を命ぜられたのは,原告が,学習塾の生徒・学生を前にして,政府を批判する発言をしていたから び出され,この学習塾を閉鎖するように命ぜられた。塾の閉鎖を命ぜられたのは原告だけであったが,原告が塾の閉鎖を命ぜられたのは,原告が,学習塾の生徒・学生を前にして,政府を批判する発言をしていたからであると考えている。この学習塾には,シャン州北部軍管区司令官の息子も通ってきていた。 なお,このような場合には,原告のようなインド系の者は身柄を拘束され,投獄されるのが普通であるが,原告の場合は身柄の拘束等には至らなかった。 これは,学習塾の生徒の父である軍司令官が情けをかけてくれたおかげであると思っている。 カ原告は,学習塾の廃業後,fにおいて貸しビデオ屋を開業した。開業に際しては,f地区の役所の許可を得たが,その際には,担当の役人にわいろを渡した。 原告は,この貸しビデオ屋の開業当時は,この店において欧米,インド,ビルマの映画などを扱っており,反政府活動は差し控え,親しい顧客に対して反政府言動を言うくらいにとどめていた。 キ 1988年(昭和63年)8月8日の全国的なデモに際し,fでもデモが行われ,原告も参加した。 原告は,その当時,fにおける青年グループのリーダーを努め,各地区を回って民主化運動への支持を訴えるなどし,ストライキ委員会にも加わっていたが,そのころ,軍情報部の尋問を受けた。その際には,原告は,呼出しを受けて,f郊外にある第41歩兵連隊の駐屯地に出頭し,大尉クラスの軍人から,ストライキ委員会の構成等について尋問され,今後政治活動はしない旨の誓約書を書かされた。 ク原告が駐屯地で尋問を受けた1988年(昭和63年)の9月27日にNLDが結成され,翌10月の第1週にはfにもその下部組織が結成された。原告はこれに参加し,青年部の組織部長(組織担当者)に就任した。その職務は,若者にNLDの方針を話し,加入を促すというもの 日にNLDが結成され,翌10月の第1週にはfにもその下部組織が結成された。原告はこれに参加し,青年部の組織部長(組織担当者)に就任した。その職務は,若者にNLDの方針を話し,加入を促すというもので,原告の活動によって100人か200人の若者を組織に加入させることができたと思っている。 原告は,NLDの活動を始めた後にも,軍の情報部の尋問を受けた。その時期は,アウンサンスーチーが自宅軟禁となった後の1989年(平成元年)のことであると思う。その際には,原告の自宅に兵士がやってきて同行を求め,原告はやはり第41歩兵連隊駐屯地において,アウンサンスーチーをNLDのリーダーとして認めているかどうかなどの点について尋問を受けた。同様の尋問を受けた者は,青年部の中に2,3人いたと思う。 ケ 1990年(平成2年)5月27日に投票が行われた総選挙に際し,原告は,特定の区の投票所におけるNLDの責任者に任命された。これは,投票所の周辺でNLDのための投票活動を支援するものであり,その人数は,4,5人から6人くらいであったと思う。 なお,この選挙でfの二つの選挙区から当選したNLDのB,Cは,いずれも,その後いわゆる自宅軟禁に近い状態に置かれたが,現在では原告と連絡を取っておらず,現状は分からない。このBの自宅は,1997年(平成9年)当時はNLD事務所としても使用されていたが,同年,原告を含むNLD関係者がBの自宅前で,NLDの看板を付け替える式典をしていたところ,政府の意向を受けた組織であるUSDAの妨害を受け,看板に石をぶつけられたり,殺すなどと脅迫されたこともある。 コところで,原告の経営する貸しビデオ店については,1997年(平成9年),店舗内の営業用機器やビデオテープ100本以上が押収されたことから,廃業に至った。このような押収を 脅迫されたこともある。 コところで,原告の経営する貸しビデオ店については,1997年(平成9年),店舗内の営業用機器やビデオテープ100本以上が押収されたことから,廃業に至った。このような押収を受けた理由は,公式には明らかにされていないが,原告としては,原告が,1988年(昭和63年)ころから,アウンサンスーチーの演説を収録したビデオを複製し,貸し出すなどしていたことが原因であると考えている。 サ原告は,貸しビデオ店を廃業した1997年(平成9年)の8月ころ,家族をfに残してヤンゴンに転居し,自動車部品会社に就職した。これに伴い,政治活動も休止した。 ところが,翌1998年(平成10年)年5月27日,シャン州軍(SSA)の関係者2名がアウンサンスーチーの自宅前でビラを配布していて逮捕される事件があり,これに関連して,翌28日か29日には,fにある原告の自宅を軍情報部の関係者が訪問し,原告の所在を調べたことがあって,そのころ,原告はこのことを妹から知らされた。このような事情から,原告は,原告が軍に逮捕されるかもしれないと思うようになった。 ちょうどそのころ,就職先の会社が,原告を日本に派遣したいと言ってきたため,原告も,このままミャンマーにいるよりも日本に行った方が安全であると考え,逃げる決心を固め,同年6月16日に本国を出国し,翌17日に来日した。 シ原告は,1998年(平成10年)6月17日に本邦に上陸した後,NLD-LAのメンバーとなり,同月28日の年次総会には新入会員として紹介され,翌年からほぼ毎年にわたってワーキングコミッティーのメンバー(ワーキング委員)に就任し,現在では副会計責任者を努めている。 本件処分後の2000年(平成12年)7月には,沖縄サミットに際して行われたデモに参加したが,その際に共に参加した同 ィーのメンバー(ワーキング委員)に就任し,現在では副会計責任者を努めている。 本件処分後の2000年(平成12年)7月には,沖縄サミットに際して行われたデモに参加したが,その際に共に参加した同胞には,被告から難民認定を受けている者が多数いる。 (2) 原告供述の信憑性ア客観的事実との符合の有無前記(1)の原告の供述内容と前記1で認定した出身国情報とは,ビルマにおいてはかねてから政府に不満を抱く学生を中心とする民主化運動が存在したこと,この運動が1988年(昭和63年)に大きくなったが,激しい弾圧を受けることとなり,同年9月の国軍による政権掌握後,多くの民主化運動家がその対象とされたこと,その後,選挙の準備のためにNLDその他の政党の活動が許容されたが,選挙の前に大きな取締りがあり,仲間が逮捕されたこと,選挙後にも民主化を望む活動家に弾圧が加えられ,NLD関係者を中心とする多くの者が逮捕されたことなどの諸点においておおむねね一致している。 原告が書証として提出した出身国情報は,ビルマ(ミャンマー)における民主化運動に関心を持つ者であれば容易に知り得る内容で,また,海外においても広く入手が可能であり,供述録取書の作成日や当裁判所における他の同種事件の書証の提出状況にかんがみれば,原告の供述録取書の作成や証人尋問の実施前に原告代理人において入手はされていたものと推認されるものであるから,原告の供述の信憑性評価において決定的な裏付け(例えば秘密の暴露が存在するといったようなもの)となるものということはできないが,客観的情報との不一致という消極的な評価を受けることはないという点において,原告の供述の信憑性を裏付ける上で有意な事項であるといえる。 イ客観的証拠との符合の有無原告の提出する書証の中には,NLDシャン州北部支部の いう消極的な評価を受けることはないという点において,原告の供述の信憑性を裏付ける上で有意な事項であるといえる。 イ客観的証拠との符合の有無原告の提出する書証の中には,NLDシャン州北部支部の内部文書として,原告を1990年(平成2年)7月の総選挙における投票所の責任者に任命するための手続に関するもの(甲3),総選挙後の同月15日にfにおいて開かれた幹部の会合(各地区・村の代表との協議)に原告を招く内容のもの(甲4),同月11日のシャン州北部支部青年活動部の会員党15名の名簿として,原告の名を掲げているもの(甲5)が存在する。 これらの資料の中には,例えば,原告とともに投票所の責任者に任命された者の数について,原告の前記供述においては,4,5人から6人くらいとされているのに対し,甲3においては,2名であることが予定されているというように,原告の供述と細目において整合しない点がないわけではない。しかしながら,少なくとも原告自身に関する基本的な部分においては,これらの資料は原告の前記供述とよく符合しており,特に,原告がその当時NLDシャン州支部青年部(青年活動部)において比較的重要な地位を占め,NLDのために活動していたという点においては,原告の供述を裏付けているということができる。 また,原告が,我が国への入国後まもなくNLD-LA日本支部に入会し,本件処分が行われた平成11年5月24日以前から,その中心的なメンバーとして,公然と各種会合への参加,ミャンマー政府への抗議活動等を行っていることについては,甲7,10,乙4の6等の証拠によって裏付けられるところである。 ウ内容の自然さ・合理性の有無原告の供述は,全体を通じ,その内容においておおむね自然で合理性を有しているということができる。例えば,原告が大学卒業後,故郷のf って裏付けられるところである。 ウ内容の自然さ・合理性の有無原告の供述は,全体を通じ,その内容においておおむね自然で合理性を有しているということができる。例えば,原告が大学卒業後,故郷のfにおける学習塾・貸しビデオ屋の経営を経て,ヤンゴンに出て就職するに至ったことに関する供述は,原告が人種・政治的理由による差別を受けつつも,生計を維持するために職場を転々とし,事情によっては政治的意見を鮮明にすることを避けるなどしてきた経過として自然であるということができる。 また,原告の供述の中には,SSA関係者の逮捕と,NLD関係者である原告の留守宅が軍情報部の訪問を受けたこととを結びつけて,原告が逮捕されかねないものと考えたと述べている点のように,こと原告の行動の動機・心情にかかわる部分においては,客観的な事実関係から合理的に説明することが困難な部分がないわけではない。しかしながら,これらの点も,原告の弟がSSAに参加していることを考え併せれば,不合理と断ずることができるものではなく,むしろ,SSA,NLDを問わず,各種の反政府運動に対する軍情報部の統制が厳しくなっていることを察し,これらの区別を冷静に考える余裕もないまま出国を決意したものと理解することもできるのであって,このような混乱を取りつくろうことなく率直に述べている供述態度は,真摯なものということができる。 エ供述内容の一貫性原告は,例えば,原告の経営する貸しビデオ店の営業用機器,ビデオテープが押収された理由について,甲2においては,軍情報部から,違法なビデオを取り扱っていることが理由であると説明された旨の供述をし,原告本人尋問においては,公式には何の説明もなかったが,アウンサンスーチーのビデオの複製,貸出しをしたものと疑われたと受け取ってよい旨の供述をするなど,必 ことが理由であると説明された旨の供述をし,原告本人尋問においては,公式には何の説明もなかったが,アウンサンスーチーのビデオの複製,貸出しをしたものと疑われたと受け取ってよい旨の供述をするなど,必ずしもすべての点において一貫した供述をしているわけではない。しかしながら,原告が貸しビデオ店を経営し,少なくとも1988年(昭和63年)ころからはアウンサンスーチーの演説を内容とするビデオの複製・貸出しなどをするようになり,やがて営業用財産の押収を受けて廃業のやむなきに至ったことや,その理由について公式の説明があったかどうかはさておき,原告の主観的判断としても,当時の客観的情勢からの判断としても,この押収の目的が反政府活動のためのビデオの頒布の抑止にあったとしか考えられないという一点においては,原告の供述は一貫しており,その他の点においても,原告の供述について,その信用性を疑うべき自己矛盾があるということはできない。 これに対し,被告は,①国立大学を無事に卒業した者が学生時代に反政府活動をしていたという供述は信用し難い,②反政府活動家が政府の許可を受けて学習塾を経営することは不自然である,③軍の司令官が,反政府活動歴のある者が経営し,子供らに政府批判の話をするような学習塾に子供を通わせるのは不自然である,④学習塾において,軍の司令官の子供の面前で政府批判の話をすることは不自然である,⑤反政府活動を積極的に行う者が貸しビデオ店経営という職業に就き,これを長期間続けていたという供述は信用し難い,⑥ビデオ店を廃業に追い込まれるような違法行為をした者が,その行為について何らの身柄拘束も罰金その他の刑罰も受けたことを供述しないのは不自然である,⑦原告が有効な旅券の発給や,その書替えなどを受けた上,何の問題もなく出国していることも不自然である,⑧原告 の行為について何らの身柄拘束も罰金その他の刑罰も受けたことを供述しないのは不自然である,⑦原告が有効な旅券の発給や,その書替えなどを受けた上,何の問題もなく出国していることも不自然である,⑧原告は,我が国に入国後直ちに就労を始め,母国にいる家族に多額の送金をしているのであって,入国目的は,むしろ不法就労をすることにあったと推認すべきであるなどと主張する。 しかしながら,反政府活動の中心人物としてデモ等に参加し,逮捕された学生が,解放された後も学籍を失わなかった例や,反政府活動家が営業活動に従事していた例などがあることは,他の同種事件に現れた事情からも明らかであって,当裁判所に顕著な事実である上,原告が学習塾を開業したのは1978年(昭和58年)という比較的古い時期のことであり(前述のとおり,民主化運動が拡大し,これに対する弾圧が激しくなったのは,1988年(昭和63年)以降のことである。),その場所も地方都市であったことからすれば,原告が国立大学を卒業し,学習塾や貸しビデオ屋を開業していたことなどが不自然であるとはいえない。また,反政府思想を有する者が,教育活動や啓蒙活動を通じてその思想を広めようとすることや,その際,可能であれば有力者の子弟等の中に同調者を得ようとすることは十分にあり得ることであり,歴史上もそのような例はいくらでも存在するのであるから,学習塾で軍の司令官の子供に政府批判の話をしたということが不自然であるとはいえない(そして,原告は,結局,その事実が発覚し,学習塾廃業に追い込まれたというのであるから,公然の政府批判の話をしながら何の処分も受けなかったというような不自然な主張をしているものではない。)。更に,反政府活動家が,有効な旅券を取得し,それを利用して出国を果たした例が少なからず存在することも当裁判所に顕 をしながら何の処分も受けなかったというような不自然な主張をしているものではない。)。更に,反政府活動家が,有効な旅券を取得し,それを利用して出国を果たした例が少なからず存在することも当裁判所に顕著な事実であるから,この点のみを理由として,原告が反政府活動を行っていたとの主張や供述が不自然であると断定することもできないところである。そして,本国での迫害を逃れて我が国に入国した者が,生活の必要から就労することや,そうして得た収入の一部を母国に残した家族に送金することは何ら不自然な事柄ではなく,むしろ,原告の行動を見ると,我が国に入国した後,直ちにNLD-LAの関係者に連絡を取り,その援助を受けて間もなく難民認定申請を行っている(入国は平成10年6月,難民認定申請は同年8月である。)のであって,その行動は,難民としての庇護を目的とした行動であると評価する方が素直である。以上のような点を考慮すると,被告の主張をそのまま採用することは到底困難であるといわざるを得ない。 もっとも,原告が自ら行った行動として主張ないし供述する内容や,被告が指摘する上記諸点(特に,①,②,⑤,⑦)を併せ考えると,原告が,ミャンマー国内において,反政府運動の中心人物として特別に注目され,警戒されるほどの存在であったかは疑問というべきであるが,この点については原告の難民該当性の判断において,改めて検討することとする。 オ小括以上によれば,原告の前記供述には十分な信憑性があり,少なくともその基本的な部分については,その供述するとおりの事実を認めることできる。 4 原告の難民該当性前記3のとおり,原告には前記2記載の事情が認められるところ,それによれば,原告は,ミャンマー出身で,現在日本に在留し出身国の外にあるものであるところ,1974年(昭和49年)ころか 難民該当性前記3のとおり,原告には前記2記載の事情が認められるところ,それによれば,原告は,ミャンマー出身で,現在日本に在留し出身国の外にあるものであるところ,1974年(昭和49年)ころから政府に反対する学生運動グループのメンバーであり,1988(昭和63年)からは民主化グループのメンバーとして,故郷であるシャン州fにおけるNLDシャン州北部支部の構成員として活動をしていたものであって,同党設立の前後を通じて軍情報部の尋問を受けたことがあり,更に,1990年(平成2年)の総選挙に際しては,同党への投票を確保するための党務に当たったことがあるほか,職業として学習塾,貸しビデオ店を経営したものの,学習塾においては生徒の面前で政府批判発言をしたことから,貸しビデオ店においてはNLD関係者の演説を内容とするビデオを取り扱ったことから,いずれも廃業に追い込まれたことがあるものである。そして,先に指摘したとおり,これらの原告の活動は,ミャンマー政府当局から反政府運動の中心人物として特別に注目され,警戒されるほどのものであったといえるかどうかは疑問であるが,ミャンマー国内においては,NLDの活動家等に対する迫害が行われているという一般的状況に加え,原告自身も,反政府活動や反政府的言動を理由に,学習塾,貸しビデオ屋の廃業に追い込まれたり,軍情報部の尋問を受ける等の迫害に類する処遇を受け,ミャンマーを出国する直前の1998年5月末には,軍情報部が原告の所在を調べようとする動きもあったものであるから,原告が,反政府活動家として,政府当局の忌避の対象となり得る存在であったことは否定し難いところである。そして,原告は,我が国に入国後,我が国における反政府活動組織であるNLD-LAの中心メンバーの一人となり,公然とその集会や反政府デモ等に参加しているも 得る存在であったことは否定し難いところである。そして,原告は,我が国に入国後,我が国における反政府活動組織であるNLD-LAの中心メンバーの一人となり,公然とその集会や反政府デモ等に参加しているものであって,このような事情はミャンマー政府においても十分に知り,あるいは知り得るものであることをも併せ考えれば,仮に原告が帰国した場合には,我が国に入国する前の活動あるいは我が国における活動を理由に,身柄を拘束され,不当な処遇を受けたり,不当な処罰を受ける可能性があることは否定し難いものというべきである。したがって,原告が,その政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという恐怖を有することには,十分な理由があるものというべきである。 5 小括以上によれば,原告は,難民条約及び難民議定書所定の難民に該当するものと認められるところ,被告が,原告は難民に該当しないことを理由としてした本件処分は違法なものといわざるを得ない。そうすると,本件処分の取消しを求める原告の請求は,理由附記の不備の点について判断するまでもなく,理由があるというべきである。 第4 結論よって,原告の請求は理由があるからこれを認容することとし,訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第3部裁判長裁判官鶴岡稔彦裁判官金子直史裁判官潮海二郎

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