平成20(ワ)16178

裁判年月日・裁判所
平成23年12月7日 大阪地方裁判所
ファイル
hanrei-pdf-81936.txt

判決文本文32,615 文字)

主文 1 原告らの請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は原告らの負担とする。 事実 及び理由第1 請求 1 被告は,原告らに対して,別紙謝罪文を交付し,かつ,同謝罪文を官報に掲載せよ。 2 被告は,原告A,同B,同C,同D,同E,同F,同G,同H,同I,同J,同K,同L,同M,同N,同O及び同Pに対し,それぞれ1100万円及びこれに対する平成20年12月17日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 3 被告は,原告Q承継人Rに対し,550万円及びこれに対する平成20年12月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 4 被告は,原告Q承継人S及び同Tに対し,それぞれ275万円及びこれに対する平成20年12月17日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 5 被告は,原告U,同V,同W,同X,同Y及び同Zに対し,それぞれ1100万円及びこれに対する平成21年9月29日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要等本件は,昭和20年3月13日に大阪市内に対して行われたアメリカ軍用機B29等による空襲以降,日本各地の住宅密集地に対して行われた空襲によって被災した者あるいは被災した者の親族である原告らが,被告に対し,被告が原告ら空襲被害者を何ら救済せず放置したことは,憲法上又は条理上の作為義務を根拠として認められる立法義務に違反するものであり,これは国家賠償法(以下「国賠法」という。)上の違法な公権力の行使(立法不作為)に当たると 主張し,民法723条及び国賠法4条に基づき,別紙謝罪文を交付し,かつ,同謝罪文を官報に掲載することを求めるとともに,国賠法1条1項に基づき,損害賠償として,原告らそれぞれに対し1100万円(慰謝料1000万円及び弁 及び国賠法4条に基づき,別紙謝罪文を交付し,かつ,同謝罪文を官報に掲載することを求めるとともに,国賠法1条1項に基づき,損害賠償として,原告らそれぞれに対し1100万円(慰謝料1000万円及び弁護士費用100万円の合計額)並びにこれに対する訴状送達の日の翌日である,第一次事件の原告らについては平成20年12月17日から,第二次事件の原告らについては平成21年9月29日から,各支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。 第一次事件の原告であったQは,訴え提起後の平成22年3月22日に死亡し,妻であるR,子であるS及びTがそれぞれ法定相続分に従って承継した。 第二次事件の原告Uは,口頭弁論終結後の平成23年11月23日に死亡した。 1 前提事実(1) 昭和20年3月13日から同年8月6日にかけて,大阪市内を始めとして,日本各地の住宅密集地に対し,アメリカ軍機(B29爆撃機等)による焼夷弾等の集中投下爆撃や機銃攻撃(空襲)が行われた。 (顕著な事実)(2) 原告ら(Qを含む。以下同じ。)は,前記(1)の期間内に行われた空襲により被災した者あるいは被災した者の親族であり,原告Mを除く原告らは,それぞれ別紙「原告らの主張2(個別被害等)」第1ないし第22の各1記載の空襲による被害を受けた。 (甲D各号証,原告A,同O,同K,同G,同W,同I,同C,同U,同E,同X,同V,同F,同Z,弁論の全趣旨) 2 争点(1) 被告(被告の機関である国会を構成する国会議員)が,原告らを救済するための立法措置を執るべき義務を負うか否か,仮にこのような義務を負うとして,これを怠った立法不作為が国賠法上の違法な公権力の行使に当たるか 否か(2) 損害額及び謝罪広告の要否 3 争点に対する当事者の主張 べき義務を負うか否か,仮にこのような義務を負うとして,これを怠った立法不作為が国賠法上の違法な公権力の行使に当たるか 否か(2) 損害額及び謝罪広告の要否 3 争点に対する当事者の主張争点に対する原告らの主張は,別紙「原告らの主張1(立法不作為の違法性等)」及び同「原告らの主張2(個別被害等)」のとおりであり,被告の主張は,別紙「被告の主張」のとおりである。 第3 当裁判所の判断 1 立法不作為の主張の位置づけ国賠法1条1項の賠償責任は,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに,国又は公共団体がこれを賠償する責任を負うことを規定するものである。したがって,国会議員の立法行為又は立法不作為が同項の適用上違法となるかどうかは,国会議員の立法過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したかどうかの問題であって,当該立法不作為の違憲性の問題とは区別されるべきであり,仮に当該立法不作為が憲法の規定に違反するものであるとしても,国会議員の立法不作為が直ちに違法の評価を受けるものではない。しかしながら,国会議員の立法不作為が,国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合や,国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などには,例外的に,国会議員の立法不作為は,国賠法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けるものというべきである(最高裁平成13年(行ツ)第82号,第83号同年(行ヒ)第76号,第77号同17年9月14日大法廷判決・民集59巻7号2087頁参照)。 項の規定の適用上,違法の評価を受けるものというべきである(最高裁平成13年(行ツ)第82号,第83号同年(行ヒ)第76号,第77号同17年9月14日大法廷判決・民集59巻7号2087頁参照)。 すなわち,立法不作為が国賠法上違法の評価を受ける前提として,当該立法不作為の違憲性の問題が存在し,そこで憲法の規定に違反するとの評価を受け た場合に,さらに権利侵害の明白性や怠る期間の長短が問題とされるべきであるという判断過程を経ることとなる。原告らは,前提問題としての立法不作為の違憲性につき,まず,被告(具体的には被告の機関である国会を構成する国会議員)に,原告らを救済するための立法措置を執るべき憲法上の義務が生じており,被告はこの義務に違反していると主張し,次に,被告(戦前の日本国)が先行行為としてした開戦行為,防空法の改正行為並びに空襲に対する虚偽情報の提供行為及び対策を講じなかった行為等の先行行為により生じた原告らの被害に対して,被告は条理上の立法義務を負っているにもかかわらず,この義務に違反していると主張している。 そこで,まず,憲法上の立法義務の存否につき,判断の基礎となる事実を認定し,それらの事実から憲法上の立法義務が生じているかを検討し,さらに,条理上の立法義務というものが憲法上の立法義務とは別個の概念として観念し得るのか等について,さらに検討を加えることとする。 2 認定事実(1) 太平洋戦争の開始から終了までの経緯ア旧日本軍は,昭和16年12月8日,真珠湾を攻撃し,太平洋戦争が開始された。その後,旧日本軍は,一時期,太平洋方面や東南アジア諸方面に侵攻して戦線を拡大したが,昭和17年6月のミッドウェー海戦における敗戦を契機として劣勢となり,昭和19年6月のマリアナ沖海戦での敗北に続き,同年7月にはサイパン島 ,太平洋方面や東南アジア諸方面に侵攻して戦線を拡大したが,昭和17年6月のミッドウェー海戦における敗戦を契機として劣勢となり,昭和19年6月のマリアナ沖海戦での敗北に続き,同年7月にはサイパン島が陥落した。 (顕著な事実)イアメリカ軍は,昭和20年3月に,沖縄の慶良間諸島に上陸し,同年4月に,沖縄本島に上陸して侵攻を開始した。これ以降,沖縄本島を中心として,沖縄の各地で地上戦が重ねられた。 (顕著な事実)ウアメリカ軍は,昭和20年3月9日から10日にかけて,B29爆撃機 等を出動させ,東京都心部に焼夷弾等を投下するなどして空襲を敢行した(いわゆる東京大空襲)。 (顕著な事実)エ東京大空襲から4日後の昭和20年3月13日の深夜から同月14日の未明にかけて,アメリカ軍は,大阪市街地にB29爆撃機等を出動させ,焼夷弾等を投下するなどして空襲を敢行した。この空襲により,原告らのうち,Q,原告D,同E,同G,同H,同I,同K,同L,同M,同N,同O,同Vの12名が被災し,このうち同Mを除く者の被災の状況は次のとおりである。 (前記前提事実,甲A2,A15,A63の1,甲D9の3)(ア) Qは,当時14歳であり,大阪市内で,鉄工所を経営する父親と助産婦の母親と共に生活していた。上記空襲の際,空襲警報が発令されたため,家族と共に自宅の中に掘った防空壕に避難したところ,焼夷弾が建物を突き破って防空壕を直撃した。防空壕の中で高熱の猛火が家族を襲い,Qは,その猛火に襲われて,顔と両手に重度の火傷を負った。Qの受けた火傷は,顔面醜状痕及び左手の機能不全の後遺症として残存することとなった。Qの家族も火傷を負うなどの被害を受けた上,自宅兼工場は焼失した。 (イ) 原告Dは,当時14歳であり,大阪市内に居住していた。原告Dは, 状痕及び左手の機能不全の後遺症として残存することとなった。Qの家族も火傷を負うなどの被害を受けた上,自宅兼工場は焼失した。 (イ) 原告Dは,当時14歳であり,大阪市内に居住していた。原告Dは,自宅で読書をしていたところ,上記空襲の警報を聞いたため,自宅の庭の地下防空壕に避難したが,父親の勧めで防空壕を出て避難することとした。ところが,避難の最中に,跳ね返った焼夷弾の破片が当たり,右耳を損傷してしまった。また,服の背中部分に引火し,これを消し止めたものの,背中には大きな火傷を負った。また,自宅も失った。 (ウ) 原告Eは,当時7歳であり,既に父親は他界しており,大阪市内で母親らと共に生活していたが,上記空襲の際,警報によって起こされた。 母親は,原告Eと姉のみで避難するように告げ,自らは自宅に残ると告げた。原告Eは,その言葉に従い,姉と共に避難したが,その10日後,母親は遺体となって発見され,同時に,長兄も失った。また,自宅も失った。 (エ) 原告Gは,当時15歳であり,大阪市内に居住していたが,上記空襲の直前頃,母親に空襲があることを告げられて,自宅そばの防空壕に逃げ込もうとしたところ,間近に焼夷弾が落下してきた。原告Gは,辛うじて死亡を免れたが,落下してきた焼夷弾により体を焼かれ,右半身を中心として,顔,両手,両足と,服から露出していたところはほとんど全部火傷を負った。原告Gは,その後何度か植皮手術等を受けたものの,ケロイドが残存し,右手の指先は今でも曲がったままであり,懸命にリハビリしても,結局右手が元どおりに動くことはなかった。現在,原告Gは,3級の障害認定を受けており,障害者手帳には「右手指熱傷により右全指機能全廃」と記載されている。 (オ) 原告Hは,当時10歳であり,大阪市内で母親,兄弟らと共に生活して かった。現在,原告Gは,3級の障害認定を受けており,障害者手帳には「右手指熱傷により右全指機能全廃」と記載されている。 (オ) 原告Hは,当時10歳であり,大阪市内で母親,兄弟らと共に生活していた。空襲の際,家族らと共に教会の地下室に逃げ込んだが,原告Hのみがはじき出されるようにして外に出た。その後,警防団員から,国民学校に避難するよう言われたため,その指示に従って国民学校に避難した。空襲が終わり,自宅付近に戻ったところ,その付近一帯は焼夷弾により焼かれ,原告Hの家族は,みな死亡していた。原告Hは,いわゆる戦災孤児となった。 (カ) 原告Iは,上記空襲のあった昭和20年3月13日の夜に大阪市内で出生したが,出生からわずか2時間後,上記空襲に遭い,産着に着いた火が原因で,左足に火傷を負った。受傷後の診断では,左下腿火傷第3度,左膝関節変縮,左全趾消失とされ,左足の成長が遅れた。 (キ) 原告Kは,当時12歳であり,疎開先から大阪市内の自宅に戻って いた。原告Kは,上記空襲の際,空襲警報を聞いたため,防空壕に避難した。その後,父親から,別の場所に避難するよう告げられ,それに従って避難を開始したが,父親はその場にとどまった。空襲が終了し,自宅付近に戻ったところ,父親は,近くの防空壕の中で死亡しているのが発見され,原告Kは,父親を失った。また,自宅も失った。 (ク) 原告Lは,当時14歳であり,大阪市内の自宅で両親ら家族と生活していた。原告Lは,上記空襲に遭い,家族と共に避難して難を逃れたが,自宅を失った。 (ケ) 原告Nは,当時13歳であり,大阪市内の自宅で母親ら家族と生活していた。原告Nは,上記空襲に遭い,家族と共に避難して難を逃れたが,自宅を失った。 (コ) 原告Oは,当時10歳であり,昭和19年8月以降は大阪府a 町 歳であり,大阪市内の自宅で母親ら家族と生活していた。原告Nは,上記空襲に遭い,家族と共に避難して難を逃れたが,自宅を失った。 (コ) 原告Oは,当時10歳であり,昭和19年8月以降は大阪府a 町bに疎開していたが,その他の家族は大阪市で生活していた。原告Oは,上記空襲により,両親,姉,弟等の親族を失い,また,自宅も失った。 (サ) 原告Vは,当時5歳であり,大阪市内の自宅で両親ら家族と生活をしていた。原告Vは,上記空襲に遭い,父親と祖母と共に避難して難を逃れたが,自宅を失った。 オ昭和20年5月19日,静岡県浜松市及び磐田市に対する空襲が行われた。この空襲により,原告らのうち,原告Yが被災した。 原告Yは,当時13歳であり,幸運にも身体的な被害を受けることは免れたが,空襲による恐怖を強く感じた。 (前記前堤事実,甲A75の2)カ昭和20年6月1日午前,大阪市街地に対する空襲が行われた。この空襲により,原告らのうち,原告P,同Uの2名が,次のとおり被災した。 (前記前提事実,甲A2,A15,A63の1)(ア) 原告Pは,当時15歳であり,大阪市内の自宅で両親ら家族と生活 していた。原告Pは,大阪市内の工場で働いていたが,上記空襲によって,母親と弟を失い,また,自宅も失った。 (イ) 原告Uは,当時13歳であり,大阪市内に居住していたところ,空襲警報を聞いたが,同年3月13日の空襲について,「被害は僅少で,すぐに反撃に転ず」ということしか報じられていなかったため,遊び半分という気分で避難を開始した。しかし,防空壕に入ったところ,防空壕の中が炎上し,何とか防空壕からはい出たものの,背中,両足及び手に重度の火傷を負い,自宅も失った。 キ昭和20年6月7日午前,大阪市街地に対する空襲が行われた。この空襲により,原告 ころ,防空壕の中が炎上し,何とか防空壕からはい出たものの,背中,両足及び手に重度の火傷を負い,自宅も失った。 キ昭和20年6月7日午前,大阪市街地に対する空襲が行われた。この空襲により,原告らのうち,原告C,同F,同Jの3名が,次のとおり被災した。 (前記前提事実,甲A2,A15,A63の1,甲D3の2)(ア) 原告Cは,当時12歳であり,大阪市内で,母親及び兄弟と共に居住していたが,上記空襲の際,自宅近くに焼夷弾が落下した衝撃で家を一人で飛び出し,母親らとはぐれて一人で避難を開始した。原告Cは,避難の途中,焼夷弾の破片を右足に受けた。近隣の者に助けられて,その後家族と再会することはできたが,現在,原告Cは,そのときに右足に受けた傷により4級の障害認定を受けており,障害者手帳には「右膝関節強直」と記載されている。 (イ) 原告Fは,当時6歳であり,大阪市内で母親と長女の姉と母親の妹と4人で生活していたが,上記空襲に遭い,母親と2人で防空壕に避難した。しかし,防空壕の中が空襲によって熱くなってきたため,外に出て,布団をかぶりながら恐怖に震えていた。原告Fは,上記空襲により,自宅を失った。 (ウ) 原告Jは,当時13歳であり,大阪市内に居住していたところ,上記空襲に遭い,工場に避難した。しかしながら,この工場に焼夷弾が落 下し,焼夷弾の破片が原告Jの左足を直撃し,同時に,炎に包まれた。 原告Jは,直ちに川に入り消火したが,全身に大火傷を負った。現在でも,痛みは完全に消えることなく,傷跡も残ったままである。また,この空襲により,姉を失った。 ク昭和20年6月26日,大阪に対する空襲が行われ,この空襲により,原告らのうち,原告Bが被災した。 原告Bは,当時10歳であり,上記空襲により,父親が死亡した。 (前記前提事実 姉を失った。 ク昭和20年6月26日,大阪に対する空襲が行われ,この空襲により,原告らのうち,原告Bが被災した。 原告Bは,当時10歳であり,上記空襲により,父親が死亡した。 (前記前提事実,甲A2,A15,A63の1)ケ昭和20年7月10日深夜,大阪府堺市内に対する空襲が行われ,この空襲により,原告らのうち,原告Wが被災した。 原告Wは,当時3歳であり,両親,兄弟等と大阪府堺市内で生活していたが,上記空襲の際,母親と共に,防空壕に逃げ込んだ。しかし,防空壕からさらに逃げ出す際に,出口付近の炎により,左腕,左脇腹,左足など,体の左半身に大火傷を負った。母親も全身に大火傷を負い,それが原因となって死亡した。また,姉2名も,上記空襲によって死亡した。 (前記前提事実,甲A2,A15,A63の1)コ昭和20年7月16日,同月30日には,鹿児島県川内市(現在の薩摩川内市)に対する空襲が行われ,この空襲により,原告らのうち,原告Aが被災した。 原告Aは,当時6歳であり,同市内で,祖父母,母親等と生活していた。 原告Aは,上記空爆の際,米軍機が投下した爆弾の破片を左足に受け,左足のひざから下を奪われた。現在,原告Aは,4級の障害認定を受けており,障害者手帳には「左下腿切断(弾片創による)」と記載されている。 (前記前提事実,甲A72ないしA74,甲D1の2)サ昭和20年8月5日から6日にかけて,兵庫県西宮市に対する空襲が行われ,この空襲により,原告らのうち,原告Zが被災した。 原告Zは,当時13歳であり,その家族と共に防空壕に避難したが,防空壕に居ても助からないと思い,防空壕の外に逃げ出した。しかし,100メートルほど走ったところで,爆弾の破片が左足の大腿部に後方から突き刺さり,左大腿を斜めに貫通し,さらに足の肉 壕に避難したが,防空壕に居ても助からないと思い,防空壕の外に逃げ出した。しかし,100メートルほど走ったところで,爆弾の破片が左足の大腿部に後方から突き刺さり,左大腿を斜めに貫通し,さらに足の肉の一部を引きちぎって,左足の左側へ飛び出していった。そのときに受けた傷により,原告Zは4級の障害認定を受けており,障害者手帳には「左大腿部銃創による腓骨神経麻痺左大腿萎縮,左足関節趾関節運動麻痺左下肢の著しい機能障害」と記載されている。 (前記前提事実,甲A63の2,甲D23の2)シ昭和20年8月6日には,宮崎県都城市に対する空襲が行われ,原告Xが被災した。 原告Xは,当時12歳であり,宮崎県都城市内で,義父,母親ら家族と共に生活していたところ,同市内で空襲に遭った。原告Xは,自宅の押し入れの中に隠れていたが,銃弾が左足下腿分を貫通し,その後,病院において左足の状態を見た医師は,左足を切断した。これにより,原告Xは左足を失った。 (前記前提事実,甲A148)ス昭和20年8月6日に広島市内に,同月9日に長崎市内に,それぞれ原子爆弾が投下された。 (顕著な事実)セ昭和20年8月14日,日本国はポツダム宣言を受諾した。 (顕著な事実)(2) 戦時中の防空体制ア防空法の成立及び退去禁止等に関する改正(ア) 防空法は,昭和12年に成立し(昭和12年法律第47号),同年10月1日より施行された。 その後,防空法は,昭和16年に改正され(昭和16年法律第91号),同年12月20日より施行された。改正後の防空法には,「主務大臣ハ防空上必要アルトキハ勅令ノ定ムル所ニ依リ一定ノ区域内ニ居住スル者ニ対シ期間ヲ限リ其ノ区域ヨリノ退去ヲ禁止若ハ制限スルコトヲ得」との,いわゆる退去禁止規定(8条ノ3)が新設された。 「主務大臣ハ防空上必要アルトキハ勅令ノ定ムル所ニ依リ一定ノ区域内ニ居住スル者ニ対シ期間ヲ限リ其ノ区域ヨリノ退去ヲ禁止若ハ制限スルコトヲ得」との,いわゆる退去禁止規定(8条ノ3)が新設された。 防空法は,昭和18年に再度改正され(昭和18年法律第104号),昭和19年1月9日より施行されたが,同法8条ノ3は,「主務大臣ハ防空上必要アルトキハ勅令ノ定ムル所ニ依リ一定区域内ニ居住スル者ニ対シ期間ヲ限リ其ノ区域ヨリノ退去ヲ禁止若ハ制限シ又ハ退去ヲ命ズルコトヲ得」と改められ,退去禁止規定に加えて,退去命令規定が追加された。また,同条ノ3に違反した場合,「六月以下ノ懲役又ハ五百円以下ノ罰金ニ処ス」との罰則も追加された(防空法19条ノ2第2号)。 なお,防空法8条ノ3に基づき退去禁止等を命ずる命令が発令されていない場合の取扱いについては,政府委員が,昭和16年の改正時の帝国議会において,「第八條ノ三ハ,是ハ原則トシテ空襲ノ危險ヲ避ケル爲ニ一定ノ地域カラ退去スルコトヲ禁ジヨウト云フノガ趣旨デゴザイマス,併シ住居移轉ノ自由ニ關ハル大キナ制限デアリマスノデ,一定ノ時期ヲ限ツテ,此ノ時期カラハ,サウシテ此ノ區域カラハ退去スルナト云フ風ニ命令ガ出ル譯デアリマス,其ノ命令ガ出ル前ニ移轉ヲスルモノハ,是ハ禁ズル趣旨デハ勿論ナイノデアリマス」とし,命令の発令前の移転を禁止する趣旨ではないと説明していた。 (甲A23,乙6)(イ) 改正防空法に係る退去命令に関する「勅令」防空法8条ノ3にいう「勅令」については,勅令である防空法施行令7条ノ2で,以下のとおり規定された。 「内務大臣ハ防空上ノ必要アルトキハ其ノ定ムル所ニ依リ防空法第 八条ノ三ノ規定ニ基キ空襲ニ因ル危害ヲ避クル目的ヲ以テスル退去ヲ禁止又ハ制限スルコトヲ得但シ左ノ各号ノ一ニ該当ス された。 「内務大臣ハ防空上ノ必要アルトキハ其ノ定ムル所ニ依リ防空法第 八条ノ三ノ規定ニ基キ空襲ニ因ル危害ヲ避クル目的ヲ以テスル退去ヲ禁止又ハ制限スルコトヲ得但シ左ノ各号ノ一ニ該当スル者ニ付テハ此ノ限リニ在ラズ一国民学校初等科児童又ハ年齢七年未満ノ者二妊婦,産婦又ハ褥婦三年齢六十五年ヲ超ユル者,傷病者又ハ不具廃疾者ニシテ防空ノ実施ニ従事スルコト能ハザルモノ四前各号ニ掲グル者ノ保護ニ欠クベカラザル者」(甲A23)(ウ) 実際に防空法8条ノ3に基づく退去禁止等を命ずる命令が発令されたかは明らかではない。 もっとも,昭和16年12月7日に発せられた内務大臣通牒「空襲時ニ於ケル退去及事前避難ニ関スル件」では,以下のとおり,一般的には退去をさせないよう指導すべき方針とされていた。 「標記ノ件ニ関シテハ爾今左記ノ方針ニ依ルコトニ決定相成候條御領知ノ上之ガ指導ニ関シ遺憾ナキヲ期セラレ度依命此段通牒候也一,退去(一)退去ハ一般ニ之ヲ行ハシメザルコト(二)老幼病者等ノ退去ニ付テモ現下ノ空襲判断上全般的計画的退去ヲ行ハシメザルハ勿論,左ニ依リ努メテ之ヲ抑制スル様一般ヲ指導スルコト(イ) 老幼病者ニ対シテ絶対ニ退去ヲ慫慂セザルコト(ロ) 現在予想セラルル敵ノ空襲ハ老幼病者等ノ全部ガ都市ヲ退去スルヲ要スル程度ニ非ズ寧ロ退去ニ伴フ混乱,人心ノ不安等ニ因ル影響大ナルベキコトヲ一般ニ徹底セシムルコト(三)第二号ニ依ルモ尚退去セントスル者アル場合ハ適宜統制ヲ加 ヘ混乱ヲ未然ニ防止スル様努ムルコト(以下略)」(甲A100)イ応急防火に関する防空法の改正昭和16年改正により,防空法8条ノ5(昭和18年の改正により8条ノ7となった。)が以下のとおり規定され ムルコト(以下略)」(甲A100)イ応急防火に関する防空法の改正昭和16年改正により,防空法8条ノ5(昭和18年の改正により8条ノ7となった。)が以下のとおり規定され,命令により応急防火を行うことが義務づけられた。 「空襲ニ因リ建築物ニ火災ノ危険ヲ生ジタルトキハ其ノ管理者,所有者,居住者其ノ他命令ヲ以テ定ムル者ハ命令ノ定ムル所ニ依リ之ガ応急防火ヲ為スベシ(防空法8条ノ5第1項)前項ノ場合ニ於テハ現場附近ニ在ル者ハ同項ニ掲グル者ノ為ス応急防火ニ協力スベシ(同条ノ5第2項)」また,防空法19条ノ3第1号では,「第八条ノ五(昭和18年の改正後は8条ノ7)第一項ノ規定ニ違反シタル者」には五百円以下の罰金に処すとの罰則が定められた。もっとも,同法8条ノ5(昭和18年の改正後は8条ノ7)第2項の違反についての罰則は定められなかった。 (甲A23)ウ防空法以外の防空体制(ア) 時局防空必携の作成,配布等被告は,昭和16年12月,時局防空必携(初版)を発行し,一切の国民が防空精神を持たねばならないとして,全国民に対して防空活動を指示した。全国の隣組(後記(イ))や警防団等はこれに基づいて防空訓練や防空資材の準備をしていた。同書の内容は昭和18年に改訂され,そのはしがきには「何時どこの陸上基地や航空母艦から来襲するかもわからない。」,「国民はしばしば空襲を受けることを覚悟しなければならない。」との記載がされていた。 (甲A17,A18,A82,A87)(イ) 隣組の組織化また,被告は,隣組(5~10軒程度の家庭からなる防空の基本単位)の組織化を徹底した。その上で,前記(ア)の時局防空必携において,「家庭防空には隣組があり」とされるなど,隣組が第一次的に防空活動をすることとされた。 5~10軒程度の家庭からなる防空の基本単位)の組織化を徹底した。その上で,前記(ア)の時局防空必携において,「家庭防空には隣組があり」とされるなど,隣組が第一次的に防空活動をすることとされた。 (甲A18,A33,弁論の全趣旨)(ウ) 防空体制に関する意識付けの変化さらに,昭和16年12月に防空法が改正されると,防空壕については,簡易な一時待避所と位置付けられ,被告の発行物等では,防空壕ではなく,待避所という用語で表現されるようになった。設置場所も床下や軒下とすべきとされ,作りも簡易なもので足りるとされた。 また,昭和17年7月9日に内務省防空局が発した「待避所ノ設置ニ関スル件」という通牒には,「待避ノ必要性ヲ強調スル余リ逃避的観念ヲ生ゼシメザル様厳ニ留意シ,焼夷弾落下等ノ場合ハ直ニ出動シテ自衛防空ニ任ズルノ精神ヲ昂揚セシメ,且之ガ訓練ヲ行フコト」と記載されていた。 このような状況の下で,簡易で安全性の低い待避施設が全国で設置されるようになった。 (甲A16,A20,A102)(エ) 空襲に関する情報の統制被告は,前記のとおり防空体制を整備する一方で,昭和18年及び昭和19年に陸軍省・海軍省が策定した「緊急防空計画設定上ノ基準」の冒頭で,「本空襲判断ハ作戦上ニ及ス影響ヲモ考慮シ一般ニ対シ伝達ヲ行ハサルモノトス」と記載したように,予想される空襲における空襲目標,爆弾の種類や投下方法,空襲機数及び頻度などについての軍の判断 を一般国民に伝達しないものとされ,現実に空襲が開始された後も,新聞等ではその被害の実態は正確に報道されず,空襲被害者が,報道等によって他の空襲被害の実態を正確に知ることはできない状態にあった。 (甲A30ないしA32)(3) 戦中,戦後における戦争被害者に対する立法及びその改廃の経緯等 報道されず,空襲被害者が,報道等によって他の空襲被害の実態を正確に知ることはできない状態にあった。 (甲A30ないしA32)(3) 戦中,戦後における戦争被害者に対する立法及びその改廃の経緯等ア戦中における戦時災害保護法等の存在昭和17年2月25日,民間戦争犠牲者に対する救済立法である戦時災害保護法(昭和17年法律第71号)が制定され,同年4月30日から施行された。戦時災害保護法適用の対象者は,帝国臣民である者であって,かつ戦時災害によって危害を受けた者とその家族,遺族(同法1条)であり,援護方法としては,戦災者に対する応急一時的な措置である「救助」,戦災による傷害・死亡が原因で,本人とその家族が生活困難に陥った場合に与えられる「扶助」,戦災により死亡した者の遺族や,戦災による傷痍・疾病のため身体に著しい障害を有する者又は戦災により住宅・家財の被害を受けた者に対する「給与金の支給」の3種類が規定されていた。 他方,当時,軍人に対しては,軍事扶助法に基づく扶助制度が定められていたほか,恩給法に基づく各種給付制度が存在していた。 (甲B4,B5,B36)イ軍人恩給制度の停止,制限軍人恩給制度は,昭和21年2月1日に停止,制限の措置が執られたが,連合国総司令部渉外局は,その理由として,昭和20年11月25日に,次のように発表した。 「日本に於ける軍人恩給制度は他の諸国に類をみない程大まかなものであつたが,この制度こそは世襲軍人階級の永続を図る一手段であり,その世襲軍人階級は日本の侵略政策の大きな源となったものである。(中略)養老年金や各種の社会保障の必要は大いに認めるが,これらの利益や権利 は日本人全部に属すべきであり,一部少数の者のものであってはならない。 現在の惨但たる窮境をもたらした最大の責任たる軍国主 養老年金や各種の社会保障の必要は大いに認めるが,これらの利益や権利 は日本人全部に属すべきであり,一部少数の者のものであってはならない。 現在の惨但たる窮境をもたらした最大の責任たる軍国主義者が他の犠牲において極めて特権的な取扱いを受けるが如き制度は廃止されなければならない(後略)。」(甲B11)ウ戦時災害保護法及び軍事扶助法の廃止また,戦時災害保護法及び軍事扶助法は,昭和21年9月,旧生活保護法の施行に伴って廃止されることになった。これも,連合国総司令部の「無差別平等」原則に基づき,生活困窮者に対しては,その理由に関係なく,「無差別」かつ一律に生活保護法に基づく保護を与えるという方針が採用された結果であった。 (甲B43)エ戦傷病者戦没者遺族等援護法案の審議昭和27年4月に戦傷病者戦没者遺族等援護法が制定されたが,これに先立つ同法案の審議過程では,同年3月25日に開催された厚生委員会において,末高信早稲田大学教授は,公述人として戦傷病者戦没者遺族等援護法案に関する意見を次のとおり述べた。 「(前略)戦時補償の打切りにつきましては,考え方が二つあると思います。(中略)戦争の犠牲というものは,全国民が負担しておる,従いまして,その負担の程度はともあれ,これは全部打切ってしまうという考え方と,すべて戦時補償を公平に徹底的に洗い出して解決をするという,二つの考え方があると思います。どちらでも私けっこうだと思いますが,戦時補償をやるならやるで,あらゆる戦争によるところの犠牲,あらゆる戦争によるところの災害というものを,まことに平等に処理することができれば,戦時補償はなすべきであるというふうに考えております。しかし,中途半端な戦時補償は,むしろ打切った方が公平ではなかろうか,その点 につきましては,か ,まことに平等に処理することができれば,戦時補償はなすべきであるというふうに考えております。しかし,中途半端な戦時補償は,むしろ打切った方が公平ではなかろうか,その点 につきましては,かように考えております。」「(前略)国民の納得するような公平な補償ができるならば,私は補償をやることも一つの手であると思います。しかし,それができなければ,国民の最低生活を国の費用において保障すると申しますか,援護いたしておりますところの生活保護法,その他の公的扶助の方法において解決すべきである,それが一番公平な方法であろう,かよう考えております。」(甲B12の1)オ戦傷病者戦没者遺族等援護法の制定等前記エの審議を経て,昭和27年4月に,戦傷病者戦没者遺族等援護法が制定され,昭和28年には恩給法が改正された。 これらにより,公務上負傷し障害を負った軍人,軍属には,恩給法あるいは戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づき,一定の要件の下に,恩給あるいは障害年金が支給されることになった。また,軍人,軍属の遺族についても,恩給法あるいは戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づき,一定の要件の下に,扶助料あるいは遺族年金等の遺族給付が行われることとなった。 (甲B22,B40,B41)カ改正による戦傷病者戦没者遺族等援護法の援護対象の拡大戦傷病者戦没者遺族等援護法は,以下のように,改正により援護対象が拡大された。 (ア) 昭和28年,船舶運営会の運行する民間船舶の乗組船員が「軍属」に加えられる。 (イ) 昭和30年,終戦時に戦争の指導責任を感じて自殺をした者の遺族も遺族年金の支給対象とされる。 (ウ) 昭和33年,対象者として新たに「準軍属」を規定し,民間の被徴用者・動員学徒,民間の国民義勇隊員,民間の戦闘参加者が「準軍属」に当たるとされ をした者の遺族も遺族年金の支給対象とされる。 (ウ) 昭和33年,対象者として新たに「準軍属」を規定し,民間の被徴用者・動員学徒,民間の国民義勇隊員,民間の戦闘参加者が「準軍属」に当たるとされる。 (エ) 昭和36年,国内の非戦地勤務の有給軍属のうち,被徴用者が「準軍属」に加えられる。 (オ) 昭和38年,南満州鉄道株式会社の従業員のうち,軍部の要請を受けた業務に従事していた者が「軍属」に加えられる。 (カ) 昭和39年,従軍文官も「軍人」とされる。 (キ) 昭和41年,満州で国家総動員法の協力者と同様な事情にあった者も「準軍属」に加えられる。 (ク) 昭和44年,防空法の規定による防空監視隊員が「準軍属」に加えられる。 (ケ) 昭和49年,防空法6条1項又は2項の規定により地方長官の命令を受けて防空の実施に従事した者(医療従事者,警防団員,学校報国隊の防空補助員)が「準軍属」とされる。 (甲B40,B41)キ通達による戦傷病者戦没者遺族等援護法の援護対象の拡大また,戦傷病者戦没者遺族等援護法は,以下のように,通達により援護対象が拡大された。 (ア) 昭和28年,赤十字社の救護員で,軍部から給与支給を受けていた者のうち,昭和16年12月8日以後援護法施行令第1条に規定する戦地において,もとの陸軍又は海軍の戦時衛生勤務に服した者が「軍属」に加えられる。 (イ) 昭和32年,赤十字社の救護員であるが軍部から給与支給を受けていなかった者も,軍の要請を受けて赤十字社の救護員として軍の救護業務に従事していたなどの要件を満たした場合には「軍属」に含まれることとなる。 (ウ) 昭和38年,もとの陸軍又は海軍の要請により,戦地(援護法施行令1条2項に規定する戦地)において,従軍報道班員等として,軍事行 動 満たした場合には「軍属」に含まれることとなる。 (ウ) 昭和38年,もとの陸軍又は海軍の要請により,戦地(援護法施行令1条2項に規定する戦地)において,従軍報道班員等として,軍事行 動に参加し,又は任務遂行のため負傷し若しくは疾病にかかり又はこれにより死亡した者も「準軍属」に加えられる。 (エ) 昭和49年,旧軍需会社法第6条の規定に基づく軍需会社徴用規則第2条の規定による指定軍需会社において,当該指定軍需会社の営む軍需事業に従事していた者等(旧国家総動員法により徴用されている者を除く。)は,指定軍需会社となった日以後,軍需会社徴用規則第3条及び第4条の規定により旧国家総動員法により徴用されたものとみなされ,「準軍属」に含まれることとなる。 (甲B40,41)ク戦傷病者戦没者遺族等援護法における「戦闘参加者」の解釈と沖縄戦との関連(ア) 「戦闘参加者」の解釈戦傷病者戦没者遺族等援護法では,「もとの陸軍又は海軍の要請に基づく戦闘参加者」も「準軍属」として援護の対象となるところ(同法2条3項2号),「戦闘参加者」については,地上戦が行われた沖縄等の地域において軍の要請等によって直接戦闘行為を行った者の他,軍の要請等によって,弾薬,食料及び患者等の輸送,炊事及び救護等の雑役などに従事したり,壕の提供や道案内等を行った等の要件を満たせば,「戦闘参加者」として戦傷病者戦没者遺族等援護法の適用を受けることができるとされた。また,年少者であっても,保護者が上記の「戦闘参加者」で,保護者と共に行動していた場合には「戦闘参加者」となり得るとされた。 (甲B1,B40)(イ) 前記(ア)の解釈についての答弁ⅰ 前記(ア)の解釈について,昭和55年3月6日の第91回国会衆議院社会労働委員会において,松田正厚生省援護局長 り得るとされた。 (甲B1,B40)(イ) 前記(ア)の解釈についての答弁ⅰ 前記(ア)の解釈について,昭和55年3月6日の第91回国会衆議院社会労働委員会において,松田正厚生省援護局長は,次のように答 弁した。 「援護法の第2条第3項第2号に書いてあります戦闘参加者の定義を申し上げますと,戦時下における特殊な社会事情を踏まえまして,事実上権力的に軍事行動に参加させられた者を一応対象と考えております。つまり,もとの陸海軍の現地部隊長等から戦闘に参加することの要請または指示を受けまして直接戦闘に参加した者,あるいはもとの陸軍または海軍より作戦任務を課せられまして,その任務遂行中,敵または敵対行為を行う者と交戦をし,あるいは軍事行動をとっていた者,こういった者を戦闘参加者というふうに考えておるわけでございます。 たとえば具体的には,沖縄等におきまして,軍の要請に基づきまして戦争に従事した場合の住民,こういった者がこれらの定義の範疇に入ろうかと思います。」(乙3)ⅱ その後,6歳未満の年少者が戦闘参加者として戦傷病者戦没者遺族等援護法の対象となったことについて,平成19年4月12日の第166回国会参議院厚生労働委員会において,中村秀一厚生労働省社会・援護局長は,次のように答弁した。 「今申し上げた方々は,援護法においては軍の要請に基づく戦闘参加者と位置付けられるのではないかと思います。援護法におきましては,準軍属の定義の中に軍の要請に基づく戦闘参加者が入ってあります。 具体的には,地上戦が行われた沖縄等の地域において軍の要請などによって弾薬や食料の運搬,炊事,道案内など戦闘を幇助する軍事行動に参加した者も戦闘参加者として処遇されております。年少者につきましては,このような戦闘参加者としての実態がある場合 いて軍の要請などによって弾薬や食料の運搬,炊事,道案内など戦闘を幇助する軍事行動に参加した者も戦闘参加者として処遇されております。年少者につきましては,このような戦闘参加者としての実態がある場合には準軍 属として処遇されているということでございます。」「沖縄の場合などについては,保護者に抱かれて戦闘に巻き込まれた6歳未満もあるということで,昭和56年から,沖縄県とも協議の上,6歳未満の者もそういう実態がある場合については戦闘参加者とするという運用をすることとしたという経過がございます。」(乙4)ケ戦争被害者に対するその他の救済立法戦争被害者の救済立法として,前記のほかに,主に軍人を対象として次のような各種の法律が制定された。 (ア) 昭和28年未帰還者留守家族等援護法(イ) 昭和31年旧軍人等の遺族に対する恩給等の特例に関する法律(ウ) 昭和34年未帰還者に関する特別措置法(エ) 昭和38年戦没者等の妻に対する特別給付金支給法,戦傷病者特別援護法(オ) 昭和40年戦没者等の遺族に対する特別弔慰金支給法(カ) 昭和41年戦傷病者等の妻に対する特別給付金支給法(キ) 昭和42年戦没者の父母等に対する特別給付金支給法(ク) 昭和62年台湾住民である戦没者の遺族等に対する弔慰金に関する法律(ケ) 平成12年平和条約国籍離脱者等である戦没者遺族等に対する弔慰金等の支給に関する法律(甲B1)コ原子爆弾被爆者に対する救済の法整備さらに,原子爆弾被爆者に対しては,次のとおり法整備がされた。なお,平成6年に制定された原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の前文には,「原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が 他の戦争被害とは異なる特殊の被害であるこ された。なお,平成6年に制定された原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の前文には,「原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が 他の戦争被害とは異なる特殊の被害であること」が規定され,この点に着目して同法が制定された。 (ア) 昭和32年原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(イ) 昭和43年原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(ウ) 平成6年原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(甲B1)サいわゆる在外財産問題に対する立法措置また,敗戦の結果,被告が連合国に対して損害賠償義務を負担し,その義務履行のために日本国民が所有していた在外財産が喪失され,さらに連合国との平和条約の締結により被告が日本国民の個人請求権を放棄したことによって生じた,民間人を含む引揚者の資産に関するいわゆる在外財産問題については,次のとおり法整備が進められた。 (ア) 昭和32年,引揚者給付金等支給法が成立し,同法により,引揚者とその遺族及び引揚前に死亡した者の遺族に対して,年齢に応じて給付金が支給されることとなった。 (イ) 昭和42年,引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律が成立し,同法により,引揚者に対し,特別交付金が給付されることとなった。 (甲B1,B43,弁論の全趣旨)(4) 空襲被害者を含む民間人戦争被害者の救済に関する立法の審議等ア国会における審議の概要空襲被害者を含む民間人戦争犠牲者の救済を目的とした立法については,昭和48年の第71回国会において,社会党など野党議員の提案で,民間人戦争犠牲者を対象とした戦時災害援護法案が参議院に上程されたのを始めとして,その後昭和63年の第112回国会まで,14回にわたって上程されたが,いずれも廃案となった。 (甲B1) 民間人戦争犠牲者を対象とした戦時災害援護法案が参議院に上程されたのを始めとして,その後昭和63年の第112回国会まで,14回にわたって上程されたが,いずれも廃案となった。 (甲B1)イ審議における答弁内容等法案の審議経過及び空襲被害者に対する補償に関しては,厚生大臣,政府委員等が,次のように答弁している。 (ア) 昭和48年6月26日の第71回国会参議院社会労働委員会において,高木玄厚生省援護局長は,戦傷病者戦没者遺族等援護法が空襲被害者を対象としていないのは,同法が,旧陸海軍と使用関係にあった者に対し,被告が使用者として補償する制度であるためであると説明した。 また,昭和48年7月3日の同委員会において,齋藤邦吉厚生大臣は,次のように述べ,戦傷病者戦没者遺族等援護法の救済対象は,国との使用関係や,特別な身分関係のある者とされており,空襲被害者については社会保障の拡充により対処することとされ,防空法上何らかの特別な関係に立つと解釈し得る者については,その都度具体的に検討し,戦傷病者戦没者遺族等援護法の対象としていくとの認識を示した。 「大東亜戦争は,私が申し上げるまでもなく,総力戦というようなことで,いろいろな義務を国民が負わされて戦争に臨んだということは,仰せのとおりでございます。(中略)援護のやり方については,国と特別な身分関係のある者は援護法の中でめんどうを見るようにいたしましょう,そうでない一般の方々については社会保障の拡充の中でめんどうを見ることにいたしましょう。こういう法体系の中で今日まで進んでおるわけでございます。」「防空法その他についてやはりこれは何か特別な関係があるのではないかと,こう思われる者につきましては,そのつど具体的な例を拾いながら援護法の中でめんどうを見るようにしようじゃないか ございます。」「防空法その他についてやはりこれは何か特別な関係があるのではないかと,こう思われる者につきましては,そのつど具体的な例を拾いながら援護法の中でめんどうを見るようにしようじゃないか。こういう範囲を拡大して今日まで努力をしておるわけでございます。ただ,問題は一般の社会保障の体系において面倒みると言いましても,その中身が 充分でない。これは私もそうだと思います。」(甲B12の3,4)(イ) 昭和49年3月28日の衆議院社会労働委員会において,戦傷病者戦没者遺族等援護法の対象として警防団員や医療従事者を救済対象とするのに際し,一部委員が,戦災当時は一般民間人にも防空法によって消火の義務が課せられており,それを怠った者については懲罰が科せられていた以上,一般の空襲犠牲者・遺族についても救済の対象とすべきではないかと主張したが,厚生省援護局長は,防空法6条に規定する者については,かなり国の強制力が及んでおり,罰則も厳しかったという側面から,一般の国民とは異なるのではないか,また,警防団の関係者は公共防空という立場であったのに対し,防空法に基づく応急防火従事者については,たまたま焼夷弾が落ちた場合に応急防火を行うということで,国民一般に課せられた義務であったこと,さらに,具体的な命令はなかったものであって,罰則も非常に軽いものであったことに照らせば,相当な強制力,身分関係があったとは擬せられるまではないから,戦傷病者戦没者遺族等援護法の対象とすることは困難であり,むしろ,一般の社会福祉,社会保障政策の充実でカバーすべき問題と考えている旨答弁した。 (甲A68)(ウ) 昭和53年4月18日の参議院社会労働員会において,小沢辰男厚生大臣は,次のように述べ,戦争被害の救済を受ける者は,国との特別権力関係があった 題と考えている旨答弁した。 (甲A68)(ウ) 昭和53年4月18日の参議院社会労働員会において,小沢辰男厚生大臣は,次のように述べ,戦争被害の救済を受ける者は,国との特別権力関係があった者や,原爆被害という非常に特殊な後遺症による被害を受けた者とされており,空襲被害者に対しては,そのどちらにも当たらず,社会保障の充実によってできるだけ対処していくこととなるとの見解を示した。 「私は,戦争犠牲者の中で今日の考え方からいたしますと,大体3つ に分類しているんじゃないかと思うのです。 1つは,国家との特別権力関係がございまして,したがって戦闘行為並びにこれに準ずるような結果で死亡されましたり障害を受けたりした方々,これが恩給法並びに援護法の対象として援護をいたしておる,これがまさに国家補償の考え方でやっておる。 第2番目のランクは,一般的に国家の権力関係には,特別権力関係にはないけれども,戦争犠牲者の中で特に原爆という非常に特殊な後遺症をもたらすようなことによって戦争の被害を受けられた方々を,これはやはり国家補償そのものではないけれども,特別な援護措置を必要とするという観点に立って,これらの方々に対して手厚い一般社会保障的な考え方よりも一歩も二歩も進んだ考えで援護措置をとっておる。 そこで,その他の一般の戦争の犠牲者,すなわち物心両面にわたりまして戦争の被害を受けた方がたくさんおられるわけでございますが,これはそこまで国がなかなか手が回らぬので,結局一般社会保障の充実によってできるだけ対処していこうと,こういうことできたわけでございます(後略)」(甲B12の8)(エ) 昭和56年4月14日の第94回国会参議院労働委員会において,園田直厚生大臣は,次のように述べ,空襲被害者を始めとした戦争災害者に対する救済の でございます(後略)」(甲B12の8)(エ) 昭和56年4月14日の第94回国会参議院労働委員会において,園田直厚生大臣は,次のように述べ,空襲被害者を始めとした戦争災害者に対する救済の必要性については言及したものの,戦傷病者戦没者遺族等援護法の適用対象にはならず,また,戦争災害者に対する救済については,現実の政治環境からなかなか実行することが困難であるとの認識を示した。 「今後,なかなかこれは現実の施策としては困難ではありますけれども,やはり日本の戦前処理じゃなくて戦後処理でありますから,戦前処理なら別でありますが,戦後の処理でありまして,もう二度とこういう ことをやっちゃならぬということが一貫して政治になきゃならぬ。そういう理論から言うと,国家から召されていったから,あるいはそうじゃなかったからということで本当は区別するのは理論的には間違いであって,やはりひどい目に遭われた程度によって区分するのが本当の私は理屈だと思います。しかし,現状としてはなかなか現在ではそれは困難であることは私も承知しております。」「日本の戦争災害者の方々に対する基本的な姿勢は,戦後の処理問題であって,その受けられた災害の度に応じて考えるべき問題であると考えておりますが,現実はいろいろ違っておりまして,縦割りというか何か,軍人軍属あるいは軍の命令というようなものが先に立っておりますが,これは私は理論としてはなかなか筋の通らぬところもある。やはり全般的に災害に,ひどい思いをされた,つらい思いをされた方々の度に応じてやるべきだと思いますものの,現実としては,ここまでやってきました問題を切りかえることは非常に困難である,せめてそういう網から漏れた方々を戦後の処理は終わったなどと言わずに,一つ一つ努力をして網の目から漏れた気の毒な人々に対 現実としては,ここまでやってきました問題を切りかえることは非常に困難である,せめてそういう網から漏れた方々を戦後の処理は終わったなどと言わずに,一つ一つ努力をして網の目から漏れた気の毒な人々に対する対応の策を講ずることが必要であると考えております。」「戦時災害援護法,この趣旨は戦争災害を受けた者は,身分,立場,その他にかかわらずひとしく戦争災害者としてこれに対する国の責任を果たす,こういう理論から言って私は理論はそうあるべきであると思います。しかしながら,実際に行政を担当する私といたしましては,これが現実の政治環境からなかなか実行することは困難である,こう思っております。」(甲B12の12)(オ) 昭和56年4月14日の第94回参議院労働委員会において,持永和見厚生省援護局長は,次のように述べ,戦後救済が受けられていない 者に対して,民間の戦争被害者については,社会保障施策の中で処遇がされているのが現状であるとの見解を示した。 「第二次世界大戦は未曾有の大きな戦争でございまして,国民の方々が何らかの意味でそれなりの被害を受けたというようなことに相なっているかと思います。そういう意味合いにおきまして,すべての国民の方々がそれぞれ,程度の差はございますけれども,何らかの形で戦争による犠牲を受けられておりまして,こういった犠牲を,現在の段階で完全に償うというようなことは,これは無理と申しますか,できない問題でございます。そういう意味合いにおきまして,こういった方々につきましてもいまの段階で,今日まで一般戦災の方々というようなとらえ方というような特別な援護措置は行われていないという実態であろうかと思います。」「民間の方々に償いがあるということを私は申し上げたつもりじゃございません。償いはいたしておりません。(中略 とらえ方というような特別な援護措置は行われていないという実態であろうかと思います。」「民間の方々に償いがあるということを私は申し上げたつもりじゃございません。償いはいたしておりません。(中略)民間の方々につきましては社会保障施策というような中で処遇がされておるという実態でございます。」(甲B12の12)(カ) 昭和60年6月4日の第102回国会参議院社会労働委員会で,入江慧厚生省援護局長は,次のように述べ,戦傷病者戦没者遺族等援護法は,国との特別権力関係を前提にするものであり,たとえば空襲被害者であっても国の命令によってある行為をしていたときに受傷した場合であれば戦闘参加者となるとの理解が示されたが,国との特別権力関係がない民間人の救済は,同法では行えないとの認識を示した。 「国内におきましては現実に戦闘行為が行われなかったということにかんがみまして,遺族援護法上では戦地として扱うことについては消極的な考え方に立っております。」 「要するに国の命令によってある行為を行っていたときに受傷しあるいは死亡した場合には,やはり戦闘参加者ということでとらえておりまして,そういう意味では沖縄と国内に差別はございません。」「特に軍人軍属等,国が強制的に国の特別権力関係のもとに置いた方々については,国が使用者の立場からその公務災害について国家補償の精神から補償するというのが援護法の精神でございまして(後略)。」(甲B12の14)(キ) 平成20年4月10日の第169回国会参議院厚生労働委員会において,舛添要一厚生労働大臣は,次のように述べ,戦傷病者戦没者遺族等援護法を含む戦病者や戦没者に対する援護年金その他の制度は,国との使用関係が前提になっているとの認識を前提としつつ,空襲被害者のような戦争被害者についても議論 ,次のように述べ,戦傷病者戦没者遺族等援護法を含む戦病者や戦没者に対する援護年金その他の制度は,国との使用関係が前提になっているとの認識を前提としつつ,空襲被害者のような戦争被害者についても議論をすべきであるとの認識を示した。 「基本的に,戦病者や戦没者に対する援護年金その他の制度というのは,国が使用者としてその軍隊の,軍人の方々を使ったということの関係でなっているので,我が国には民間の,例えば外国の軍隊による空爆の被害者についての特段の措置はございません。こういうものについてどうするのかと,これはやっぱり我々が,今日はたくさん戦後処理の問題が出てきましたけれども,これはきちんと議論をすべき課題であると思います。 それで,福島委員の今の一つの御提案も受け止めさせていただいて,これは厚生労働省としてというよりは,国会議員として,政治家として,こういう問題にきちんと議論を重ねていって,最終的に戦後処理をきちんとやりたいと,そういう思いであります。」(甲B34)ウ昭和57年6月に,総理府において,「戦後処理問題懇親会」(以下「処理懇」という。)が設置され,未済の戦後処理問題について再度検討をし た。しかし,恩給欠格者,戦後強制抑留者,在外財産の問題についての意見はまとめられたものの,空襲被害者の救済については取り上げられなかった。 (甲B109) 3 憲法上の立法義務の存否について(1) 憲法上の立法義務に関する原告らの主張は,前記1の冒頭において整理検討したとおり,被告(被告の機関である国会を構成する国会議員)が空襲被害者である原告らに対する救済措置となる立法を何ら執っていないことは,憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白であり,かつ,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく 害者である原告らに対する救済措置となる立法を何ら執っていないことは,憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白であり,かつ,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたって原告らを救済するための立法を怠ったといえるから,憲法上の立法義務違反が認められるというものである。 そこで,以下,国賠法上の違法が認められるかを検討するに当たり,その前提となる憲法上の立法義務が認められるかにつき検討する。 (2) 原告らは,立法義務を導く人権侵害の具体的内容として,憲法前文,9条,13条,14条,17条,29条1項,同条3項,40条,98条2項及び99条の規定を総合した複合的な権利の侵害があると主張する。 しかしながら,憲法前文の内容は,日本国が目指すべき理念等を定めた抽象的なものといわざるを得ず,同規定から直ちに国民の具体的な権利が発生すると考えることは到底困難であるから,憲法前文を原告らの主張の根拠とすることはできない。 もちろん,憲法前文自体に具体的権利性がないとしても,憲法上の他の規定を解釈する指針となり得ることまで否定されるものではない。そこで,憲法前文に謳われた国際協調主義,平和主義等の理念を,憲法上の他の規定を解釈する指針とし,具体的な権利性を導くことができるかについてさらに検討するに,憲法9条が,戦争を放棄する旨の宣言をしていること自体は明ら かといえるものの,同条及び前文の規定を併せて検討してみても,そこから観念し得る権利の外延や内容は明らかではない。 そして,上記規定に加えて,包括的人権規定とされる憲法13条や,国家賠償に関する規定である17条,財産権の補償に関する規定である29条1項,同条3項,刑事補償に関する規定である40条,条約及び国際法規の遵守義務を規定する98条2項 権規定とされる憲法13条や,国家賠償に関する規定である17条,財産権の補償に関する規定である29条1項,同条3項,刑事補償に関する規定である40条,条約及び国際法規の遵守義務を規定する98条2項,公務員の憲法尊重擁護義務を規定する99条の各条文を複合的に解釈したとしても,原告らが主張するような憲法上の権利を認めることはできないといわざるを得ない。本件における原告らが,空襲により,身体的,精神的,財産的に甚大な被害を受けたことは,前記認定したとおり明らかであるが,憲法の上記各規定から,それらの被害に対する補償を求めることができる憲法上の具体的な権利が認められると解することは,各規定の文言からは困難といわざるを得ないからである。 以上より,少なくとも,原告らが主張する憲法の上記各規定のうち,憲法14条以外の規定から,原告らが主張するような憲法上の立法義務を認めることはできない。 (3) 平等原則違反の存否ア判断基準平等原則違反に関する原告らの主張は,要約すれば,太平洋戦争の際に被害を受けた者のうち,終戦後,国家による補償を受けた者と,これを受けられないまま60年を超えて放置された者との間に合理的な区別は認め難いのであって,憲法14条の規定に照らし,原告らに対して補償を行うべき立法義務が生じている,というものである。 そこで検討するに,太平洋戦争当時の国民の大多数は戦争によって何らかの形で被害を受けている上,戦争の被害を受けた者といっても,軍人として戦地に赴き,戦地において戦闘の末に命が尽きた者,軍人ではないが,軍の関係者として戦争に関与し,その過程で死に至り,又は不利益を被っ た者,原告らのように,日本国内において空襲を受け,自らの肉体に傷を負い,肉親を失い,又は財産を失った者,戦争による荒廃の結果,十分な栄養を に関与し,その過程で死に至り,又は不利益を被っ た者,原告らのように,日本国内において空襲を受け,自らの肉体に傷を負い,肉親を失い,又は財産を失った者,戦争による荒廃の結果,十分な栄養を受けることができずに死に至った者,居住地が戦場となり,戦闘行為やその関連行為の果てに死亡し,又は受傷した者,原子爆弾の投下という未曾有の破壊行為により肉親を失い,又は重い後遺症に苦しむ者などを総称した概念であって,原告ら一人一人をみても正にそうであるように,被害を受けた時点やそのいきさつ,被害の内容,程度等は,各個人ごとに様々である。 しかしながら,現時点において戦争の被害に対する戦後補償の問題をみると,終戦から年月を経て,戦傷病者戦没者遺族等援護法の制定を始めとして,上記被害を受けた者のうち,一定の類型に該当する者に対し,戦後補償の措置が図られ,その範囲が拡大したことにより,戦争被害を受けた者のうち,戦後補償という形式で明確に補償を受けることができた者と,必ずしも戦後補償という形式での補償を受けることができない者が存在する状態が相当期間継続するに至っており,上記の差異が,憲法上の平等原則違反の問題を全く生じさせないと即断することはできない。 ところで,本件において原告らが主張する被告の違法行為は,国会議員による立法不作為(立法義務違反)であるところ,平等原則違反を根拠として,原告らに対する救済を内容とする立法義務の存否を検討するに当たっては,立法行為の性質を考慮せざるを得ない。そして,国会議員の立法行為は,本質的には政治的なものであって,その性質上法的規制の対象になじまない上,立法をするかどうかは,多数決原理を有する国会に向けられた国民の意思,立法する場合における立法の内容,立法化を実現するに至る過程で生じる問題の分析,実行するに当た 質上法的規制の対象になじまない上,立法をするかどうかは,多数決原理を有する国会に向けられた国民の意思,立法する場合における立法の内容,立法化を実現するに至る過程で生じる問題の分析,実行するに当たっての社会情勢,立法措置に伴う予算措置を含めた国家の財政状況等の政治的状況を総合的に考慮して,国会の広い裁量に基づいて判断されるべきものといえる。 そうすると,上記のとおり憲法上の平等原則違反の問題を生じ得るとしても,立法義務を導き出すための平等原則違反が認められるというためには,上記のとおり様々な状況を総合的に考慮する必要があることを踏まえなければならず,少なくとも,戦争被害について戦後補償という形式で明確に補償を受けている者と,原告らとの間に,上記の考慮を踏まえてもなお,国会の立法裁量に逸脱があるといわざるを得ないような,明らかに不合理な差異があるといえることが必要である。そこで,以下,平等原則違反を検討するに当たっては,上記の観点から判断することとする。 イ軍人,軍属との関係戦傷病者戦没者遺族等援護法の適用対象は,当初は純粋な軍人,軍属に限られていたところ,その後,救済の対象は拡大し,軍人又は軍属以外の者についても,同法の適用対象とされたことが認められるが,以下では,まず,軍人及び軍属について戦傷病者戦没者遺族等援護法を制定するなどして戦後補償の対象としたことで生じた,軍人,軍属と原告らとの間の差異の合理性につき検討する。 軍人及び軍属に対する補償の在り方としては,前記2(3)イに認定した連合国総司令部渉外局の見解のとおり,戦後の惨憺たる窮状をもたらした最大の責任者の集団が,他の犠牲において特権的な取扱いを受けるような制度は許されない,という見解もあり得るが,軍人,軍属を個々の人間として見た場合,軍人,軍属は,被告 戦後の惨憺たる窮状をもたらした最大の責任者の集団が,他の犠牲において特権的な取扱いを受けるような制度は許されない,という見解もあり得るが,軍人,軍属を個々の人間として見た場合,軍人,軍属は,被告との間で特別な関係に立ち,被告の意思を実現するために,その関係に基づいて戦地に赴くなど職務を行ったという側面も見て取れるのであるから,被告は,そのために被害を受けた者に対して補償をすべきであるという見解も成り立ち得る。そうすると,後者の考え方を基礎として,前記2(3)エ,オのとおりの審議過程を経て,軍人,軍属を恩給法や戦傷病者戦没者遺族等援護法による補償の対象とし,その他の者を生活保護法等の対象としたことが明らかに不合理であるとはい えないのであって,そのことによって生じた,軍人,軍属と原告らとの間の差異が,明らかに不合理であるとまではいえない。 なお,原告らは,生活保護法は戦後補償とは無関係である旨主張するようであるが,国会における公述人の発言要旨(前記2(3)エ)にも見られるように,生活保護法も,戦後の惨憺たる状況に対する方策の一つであったといえるのであるから,上記主張を採用することはできない。 ウ戦傷病者戦没者遺族等援護法による救済対象拡大との関係次に,戦傷病者戦没者遺族等援護法の補償対象が拡大されたにもかかわらず,原告らが補償の対象とされていない点について検討する(なお,沖縄における戦争被害者との関係については,別項において改めて検討する。)。 前記2(3)カ,キのとおり,戦傷病者戦没者遺族等援護法の補償の対象が拡大されたが,そこで補償の対象とされた者は,民間の者であるとはいえ,被徴用者,動員学徒,国民義勇隊員,戦闘参加者等である。そして,これらの者は,必ずしも被告と直接的な雇用関係に立つ者ではないが,戦時中という ,そこで補償の対象とされた者は,民間の者であるとはいえ,被徴用者,動員学徒,国民義勇隊員,戦闘参加者等である。そして,これらの者は,必ずしも被告と直接的な雇用関係に立つ者ではないが,戦時中という特殊な状況下で,民間人でありながら,被告の制定した法令に基づき,又は法令ではないものの軍部等の要請によって,個別具体的に,被告との間で特別な関係に立つこととなり,その関係によって被害を受けた者であると認められる。このように,上記の補償の対象とされた者は,いずれも,被告との間に一般的抽象的な関係以上の個別具体的な関係を持った者といえるから,そのような者に対して補償をすることが明らかに不合理であるとはいえないのであって,そのことによって生じた原告らとの間の差異が明らかに不合理であるとまではいえない。 原告らは,この点につき,空襲被害者である原告らも,被告から防空活動等について指導指示等を受けたのであり,原告らのみが補償を受けることができない合理的な理由はないと主張する。そして,前記2(2)で認定し たとおり,確かに,原告らは,防空法や時局防空必携,隣組の活動等を通じて,空襲による火災に対する消火活動をすること等の要請を受けたことが認められる。しかしながら,上記の要請は,ひとえに原告らのみについて行われていたのではなく,隣組などの組織系統を通じて,国民一般に広く及んでいたものである。この意味で,原告らが,被告との間に一般的抽象的な関係以上の個別具体的な関係を有する者とは直ちには言い難く,個別具体的な要請に基づき戦争に参加することとなった上記の補償対象者との間で差異があったとしても,直ちに,明らかに不合理であるとまではいえない。そして,空襲における防空体制という一般的抽象的な関係の中で,さらに範囲を限定してどのような者を補償の対象とするか 対象者との間で差異があったとしても,直ちに,明らかに不合理であるとまではいえない。そして,空襲における防空体制という一般的抽象的な関係の中で,さらに範囲を限定してどのような者を補償の対象とするかについては,これまでに見たように,戦争の被害については,捉え方によっては全国民が被害を受けたと見ることもできるという抽象性がある上,被害が多様であることに照らせば,多分に政治的な判断に委ねざるを得ない。したがって,原告らの主張は,上記の判断を左右しない。 エ沖縄戦被害者との関係原告らは,戦傷病者戦没者遺族等援護法上の「準軍属」に当たるとされる「戦闘参加者」の多くは沖縄戦被害者であるとし,沖縄戦被害者も原告ら空襲被害者も悲惨な戦争に単純に巻き込まれた者に過ぎないのであるから,沖縄戦被害者のみが救済されるのは平等原則違反に当たると主張する。 「戦闘参加者」に当たる場合とは,法令上は明示されていないものの,①陸海軍の要請又は指示があったこと,②直接戦闘に参加又は軍の戦闘行為を幇助したこと,③原則,戦時災害による傷病であることのいずれも満たす場合とする解釈運用が行われている(甲B40)。 そして,あくまでも,上記三要件を満たす場合に限り,「戦闘参加者」に当たるものと解されており,これらの要件を満たす者は,被告との間に 一般的抽象的な関係以上の個別具体的な関係があったと認められる。 沖縄戦被害者についても,上記三要件を満たす場合に「戦闘参加者」に当たると解されるところ,証拠(乙3,4,弁論の全趣旨)及び前記2(3)ク(イ)によれば,沖縄戦は,国内最大の地上戦であり,民間人の中には軍の要請又は指示等により,直接的又は間接的に戦闘参加する例がみられるなどの特殊性が認められ,かかる特殊性をも考慮すれば,沖縄戦被害者について,上記三要件を ,国内最大の地上戦であり,民間人の中には軍の要請又は指示等により,直接的又は間接的に戦闘参加する例がみられるなどの特殊性が認められ,かかる特殊性をも考慮すれば,沖縄戦被害者について,上記三要件を満たす場合があるとの解釈をすることが,明らかに不合理であるとまではいえない。 また,6歳未満の年少者が「戦闘参加者」に当たる場合があることについても,沖縄戦に参加した上記の年少者は保護者と一体となって行動せざるを得ないという実情や,上記の沖縄戦における特殊性に照らせば,上記の年少者についても保護者と同様の地位にあるとして,上記三要件を満たす場合があると解釈することが,明らかに不合理であるとまではいえない。 以上からすれば,沖縄戦被害者に対して,「戦闘参加者」に当たると解釈し,補償をすることで生じた原告らとの差異が,明らかに不合理であるとまではいえない。 オ原爆被爆者との関係原告らは,原爆被爆者に対する救済との均衡も平等原則違反の問題として取り上げている。原爆被爆者に対して補償がされていることについては,前記2(3)コに認定したとおりであるところ,原爆被爆者の場合は,原子爆弾が極めて多数の死傷者を生じさせたことのほか,原子爆弾の投下爆発により,爆発の威力による甚大な被害の発生にとどまらず,放射線被害をも生じさせ,その影響が,終戦後も放射能による後遺症の発症という形で,被爆者に長く影響することとなった上,被爆者の子や孫にまで影響する可能性が残るなど,相当長期的な影響を残すこととなったものである。そうすると,このような事情等を踏まえつつ,原爆被爆者を,空襲被害者とは 異なる特殊性があるものとして,立法により補償することが明らかに不合理であるとはいえないのであって,このことで生じた原告らとの間の差異が明らかに不合理であるとまではい 者を,空襲被害者とは 異なる特殊性があるものとして,立法により補償することが明らかに不合理であるとはいえないのであって,このことで生じた原告らとの間の差異が明らかに不合理であるとまではいえない。 カ引揚者との関係前記2(3)サ及び証拠(甲B1,B75,B112,B113,弁論の全趣旨)によれば,引揚者に対する在外財産の補償の問題については,被告が連合国に対して損害賠償義務を負担し,その義務履行のために,日本国民が所有していた在外財産を喪失したという戦後処理の一環で生じた問題であるという点や,海外に生活の本拠があり,そこでの人的関係や生活利益等があったにもかかわらず,敗戦によってそれらを失わざるを得なかった点,在外財産の喪失の原因となった平和条約の締結に関しては,日本国が連合軍総司令部の支配下にあり,その主権回復が平和条約の締結にかかっていたという特殊異例な状態の下に締結されたといった点などの特殊性が認められる。また,空襲による被害が,直接には被告の行為によるものではなく,アメリカ軍の攻撃によるものであったのに対し,在外財産問題は,被告が連合国に対して負った損害賠償債務の履行義務に関連しており,被告の直接的な行為により生じたものと解し得る点も,原告らの空襲被害との差異を考えるに当たって無視することはできない。そして,戦争によって受けた被害の内容が生命身体に係るものである場合に,それに対する補償を財産損害よりも先行させるべきであるという考えも十分尊重するに値するものの,上記各事情に照らすと,被害内容が生命身体に係るものであるか,専ら財産侵害にとどまるものであるかという,損害の種類の観点のみから両者を比較することは,必ずしも相当ではないというべきである。そうすると,在外財産に対する補償が財産に対する補償であるという一事 ,専ら財産侵害にとどまるものであるかという,損害の種類の観点のみから両者を比較することは,必ずしも相当ではないというべきである。そうすると,在外財産に対する補償が財産に対する補償であるという一事をもって,引揚者に対する補償をすることが明らかに不合理であるとはいえず,他に平等原則違反を認めるに足りる証拠はない。 キ戦時災害保護法との関係なお,原告らは,平等原則違反を基礎づける事実として,戦時災害保護法が廃止された事実を主張する。そして,確かに,前記2(3)ア,ウのとおり,昭和17年に原告らのような空襲被害者も救済の対象とした戦時災害保護法が制定されたが,昭和21年9月に同法は廃止されている。 しかしながら,法律(特に財産給付を内容とするようなもの)の制定改廃の在り方としては,その時々の国民の意思や国家の考え方,社会情勢,国家の財政状況等の様々な事情により,救済対象が拡大縮小することも当然あり得ることであり,一度法律によって救済を受けられることになっても,直ちに憲法上救済を受ける権利が保障されるとはいえない。 本件でも,戦時災害保護法は,原告らも主張しているとおり,戦時中という緊迫した状況にあって,「援護措置があるのだから,被害を恐れずに防空義務を果たして国を守れ。」という必要性があって制定されたものであることや,国力増強のために国民が生活再建を果たすという目的をもって制定された法律であって,極めて特殊な状況下における立法措置であったということができる(甲B5)。そうすると,戦時中に救済立法がされたとしても,それによって,原告らに救済を受ける権利が憲法上保障されたということはできず,戦時災害保護法が廃止されたとしても,直ちに憲法違反の問題は生じない。加えて,前記2(3)ウのとおり,戦時災害保護法が廃止されたのは,終戦 らに救済を受ける権利が憲法上保障されたということはできず,戦時災害保護法が廃止されたとしても,直ちに憲法違反の問題は生じない。加えて,前記2(3)ウのとおり,戦時災害保護法が廃止されたのは,終戦後間もない時期であり,廃止の理由も,「無差別平等」を図るためという考え方に基づいたものであって,その理念に基づいて廃止されたものであり,その理由が不合理ともいえない。よって,この点に関する原告らの主張は理由がない。 クその他,本件全証拠によっても,原告らと戦後補償という形式で明確に補償を受けている者との間に明らかに不合理な差異があるとは認められず,平等原則違反に当たるとはいえない。 (4) 原告らは,それぞれ内容,程度に差異はあるものの,空襲により被災した者であり,それぞれが受けた被害内容の詳細は,原告らの陳述書及び本人尋問における供述において生々しく語られており,また,それらの被害により,原告らは,今日まで多大な苦痛や労苦等を受けてきたことも,前記の原告らの陳述書及び原告らの供述等から認められる。したがって,政策的観点において,他の戦後補償を受けた者と同様に,原告らに対する救済措置を講じるべきという意見もあり得るところではある。しかしながら,以上検討したとおり,平等原則違反その他憲法違反があるとはいえないのであるから,被告に,原告らが主張するような憲法上の立法義務は認められない。 4 条理上の立法義務が認められるかについて(1) 原告らは,当時の日本国が太平洋戦争の開戦に踏み切り,さらには防空法や防空体制の整備等を実施する中で,国民に対し,空襲から避難することを不可能とし,空襲に関して情報操作を行って原告らの適切な退避行動の機会を奪った結果として,原告らに空襲による被害を与えたのであり,これらの先行行為から,被告には,条 民に対し,空襲から避難することを不可能とし,空襲に関して情報操作を行って原告らの適切な退避行動の機会を奪った結果として,原告らに空襲による被害を与えたのであり,これらの先行行為から,被告には,条理上の作為義務が導かれ,空襲被害者に対する救済立法義務を負うものである旨主張する。 (2) 条理とは,成文法・慣習法・判例法などが欠けているときに裁判の基準となる事物の本性をいう。しかしながら,本件のように憲法上の立法義務を根拠づける明確な規定を欠く場合に,条理により直ちに立法義務を認めることができる場合を想定することは困難であって,憲法上の立法義務と並立的に,条理上の作為義務に基づく立法義務を検討することについては,疑問を持たざるを得ない。 また,被告が,太平洋戦争を開始し,原告ら空襲被害者を含む国民に対し,防空法を改正して退去を禁止できる場合を定め,原則として退去をさせないようにする趣旨の指示を直接的又は間接的に行い,隣組として防火活動をすることを求めるなどして,事前退去をすることが事実上困難といい得る状況 を作出したことなどは,前記認定事実から認められるが,開戦や防空体制そのものは,戦時体制として,原告らのみならず国民一般に対し及んでいたものである。そして,開戦や上記の防空体制と原告らの主張する被害との関連をみると,退避せずに被害を受けた者,退避をしたが直接の被害を受けた者,肉親が退避しなかった者など,その先行行為が与えた影響も様々なものがあるのであって,このような事情を考慮すると,これらの全体を含めて救済を図るべき立法措置を執る義務を認める条理があるともいえない。もちろん,そのうちの一定の範囲の者についてのみ立法義務を認めるべき条理というものも観念し難い。 したがって,条理上の作為義務として,被告に対し,原告ら空襲被害者 務を認める条理があるともいえない。もちろん,そのうちの一定の範囲の者についてのみ立法義務を認めるべき条理というものも観念し難い。 したがって,条理上の作為義務として,被告に対し,原告ら空襲被害者を救済するための立法義務を根拠づけることはできない。 (3) なお,原告らの先行行為に基づく条理上の作為義務違反の主張については,先行行為を原因とする,憲法上の立法義務違反の主張と解釈する余地もある。 しかしながら,原告らの先行行為に関する主張を,憲法上の立法義務と関連させて検討したとしても,憲法上の立法義務違反の存否において検討したところと同様の判断になるものといわざるを得ない。 (4) よって,条理上の立法義務に関する原告らの主張も理由がない。 5 以上によれば,原告らの請求は,その余の点について判断するまでもなく,理由がないものであるから,これらをいずれも棄却することとして,主文のとおり判決する。 大阪地方裁判所第17民事部 裁判長裁判官黒野功久 裁判官浦上薫史 裁判官山下真吾

▼ クリックして全文を表示

🔍 類似判例を検索𝕏 でシェア← 一覧に戻る