平成11(ラ)1979 戸籍訂正許可申立却下審判に対する抗告事件

裁判年月日・裁判所
平成12年2月9日 東京高等裁判所 棄却
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判決文本文8,904 文字)

主文 本件抗告を棄却する。 理由 第1 抗告の趣旨及び理由本件抗告の趣旨は、「原審判を取り消す。本件を東京家庭裁判所に差し戻す。」との裁判を求めるというにあり、その理由は、別紙「申立の実情」に記載のとおりである。 第2 当裁判所の判断 1 当裁判所も、本籍○○○筆頭者抗告人の戸籍中抗告人の父母との続柄欄に「長男」とあるのを「二女」に訂正することの許可を求める本件申立ては理由がないと判断するものであり、その理由は、原審判1枚目裏9行目の「すぐに渡豪して、」の後に「A教授の診察を受け、男性化を抑え女性化を進める」を加え、同2枚目表1行目及び9行目の「主治医」をいずれも「A教授」に改め、同表11行目から裏1行目にかけての「現在抗告審に継続中である。」を「申立却下決定に対する抗告事件が当裁判所に係属していたが(平成10年(ラ)第2385号事件)、本決定と同日付けで抗告棄却の決定がなされた。」に、同裏2行目の「B医師及びC医師」を「抗告人の現在の主治医であるD医学部附属病院(分院)神経科のB医師及び同病院産婦人科のC医師」に改め、抗告人の抗告理由に対する判断として次項のとおり付加するほかは、原審判と同一であるから、これを引用する。 2 本件記録によると、次のような事実が認められる。 (1) 本来人間の性別は遺伝的に決定されるもので、染色体上のY染色体の有無によって決まり(性染色体がXX型であれば女性、XY型であれば男性)、通常はそれに従って性の分化が進み、生殖腺、内性器及び外性器の形態等が決定され、形成される。そして、子の出生届には「子の男女の別」の記載を要するものとされており(戸籍法第49条第2項第1号)、その記載は出生届に立ち会った医師等の作成する出生証明書に 外性器の形態等が決定され、形成される。そして、子の出生届には「子の男女の別」の記載を要するものとされており(戸籍法第49条第2項第1号)、その記載は出生届に立ち会った医師等の作成する出生証明書に基づいてされる(同条第3項)が、出生した子の性別に関する医師等の判断は、主として外性器の形態によって行われるのが通常である。 (2) このように、人間の性(生物学的性)は遺伝的に規定されるもので、その区別は明瞭であるが、ごく希に、性分化の過程で生じた過誤のため、遺伝的な性と異なる形態的な性を有することがある。「インターセックス(間性)」あるいは「半陰陽」と呼ばれるものがそれで、その多くは、遺伝的な原因や、染色体の異常あるいは特別な病気のため、発生の途中でホルモンの異常が生じ、性分化に障害が起こった結果、遺伝的な性と外性器の不一致が生じたものである。このような障害を持つ者の中には、外性器に対する外科的手術を経て、男から女へ、あるいは女から男への性別の変更について戸籍訂正の許可を求める事例があり、戸籍法第113条にいう「戸籍の記載に錯誤がある」場合に当たるとして、申立てが認容されるケースが散見される。 (3) ところで、近時、人間の性には、上述のような生物学的性ないし身体の性(sex)と心理的・社会的な性意識としての性ないし心の性(gender)とがあるとされ、その不一致に悩む者(性同一性障害者)の存在とそれに対する治療の問題が論じられるようになった。日本精神神経学会が「性同一性障害に関する特別委員会」答申に基づいて平成9年5月に公表した「性同一性障害に関する答申と提言」によると、性同一性障害とは、「生物学的には完全に正常であり、しかも自分の肉体がどちらの性に所属しているかをはっきり認知していながら、その反面で、人格的には自分が別の性に属していると る答申と提言」によると、性同一性障害とは、「生物学的には完全に正常であり、しかも自分の肉体がどちらの性に所属しているかをはっきり認知していながら、その反面で、人格的には自分が別の性に属していると確信している状態」と定義されており、「男(女)性の肉体を持ちながらも本来自分は女(男)であって、男(女)性に生まれてきたのはなにかの間違いであると考え、こうした確信に基づいて、日常生活においても女(男)性の装身具類を身につけたり、女(男)性の性別役割を実行する。 さらにこのようなことだけで安心せず、本物の女(男)性になりたいという変性願望や性転換願望を持ち、ホルモン投与や性転換術までも行おうとする場合もある。」とされている。 (4) 性同一性障害の診断、治療についても、最近の医学界で論議が進められている。性同一性障害の治療方法としては、精神療法、ホルモン療法及び手術治療(いわゆる性転換手術)があるとされているが、埼玉医科大学倫理委員会は、平成8年7月、「性転換治療の臨床的研究」に関する審議経過と答申を公表し、外科的性転換術も性同一性障害の治療の一手段とみなされるが、日本の現状において、直ちに外科的性転換治療を行うにはいまだ環境が整っていないとして、性転換治療を行うに当たって必要とされる手続並びに環境の整備について、・関連する学会や専門家集団による診断基準の明確化と治療に関するガイドラインを策定すること、・形成外科、神経科、産婦人科、泌尿器科、小児科、内分泌学の医師など性同一性障害の診断、治療に関係する各領域の専門家からなる医療チームを結成し、適切な対象選定と治療選択、術前、術後のケアのための体制の整備、・性同一性障害に対する理解を深め、外科的性転換治療に伴って生じる諸問題を解決するための働きかけ、例えば、法律家を交えた有識者による現実問題の解決 選定と治療選択、術前、術後のケアのための体制の整備、・性同一性障害に対する理解を深め、外科的性転換治療に伴って生じる諸問題を解決するための働きかけ、例えば、法律家を交えた有識者による現実問題の解決への作業、当事者の参加のもとに、一般の人々の理解を得るための努力などが必要であるとしている。また、日本精神神経学会の前記「性同一性障害に関する答申と提言」では、性同一性障害の診断のガイドラインとして、・性同一性障害の診断、治療に十分な経験を有する精神科医2名以上(うち1名は主治医)により、養育歴、生活史、性行動の経歴や日常生活の状況(服装、言動、人間関係、職業歴等)などの詳細な事情聴取を行い、それをもとに性役割の状況を明らかにするとともに、本人のみならず、家族あるいは本人と親しい関係にある人たちから、症状の経過、生活態度、人格構造、家族関係等に関する詳細な情報を得た上で、性の自己意識(gender)について多面的な検討を行い、かつ、ICD-10又はDSM-Ⅳなどの性同一性障害に関する国際診断基準を満たしていることを確認すること、・染色体の検査、ホルモン検査、内・外性器の検査、生殖腺の検査などにより、生物学的性(sex)を決定するとともに、半陰陽、間性など生物学的性の異常がないことを確認すること、・精神分裂病、人格障害などの精神障害のために自己の性意識(gender)を否認したり、文化的、社会的理由による性役割の忌避、職業的利得などのために別の性を求めるものでないことを確認すること、・以上の点を総合し、生物学的性(sex)と性の自己意識(gender)が一致しないことが明らかであれば、これを性同一性障害と診断することとし、治療のガイドラインとしては、第1段階の治療は精神療法によることとし、・性同一性障害の臨床にかかわったことがあり、十分な経験を が一致しないことが明らかであれば、これを性同一性障害と診断することとし、治療のガイドラインとしては、第1段階の治療は精神療法によることとし、・性同一性障害の臨床にかかわったことがあり、十分な経験を有する精神科医もしくは心理士、カウンセラー、ソシアルワーカーなどが、いずれの性で生活するのが自分にとってふさわしいかの選択の援助をし、選択した性での生活を行わせる、・選択した性での生活の期間は原則として1年以上とし、選択した性で生活することがよりふさわしいと判断され、選択した性に対する適合感が持続的でかつ安定しており、選択した性で生活することに伴う身体的、心理的、宗教的、社会的困難に対応できるなどの条件を満たす場合に、第2段階のホルモン療法による治療に移行することとし、・ホルモン療法は、内分泌学、泌尿器科学、産婦人科学を専門とする医師によって、男性が女性性を望む場合はエストロゲンの投与を、女性が男性性を望む場合はテストステロンの投与を行い、常に副作用に注意し、定期的な検査を行うこととし、・第2段階までの継続的治療にもかかわらず、その治療では限界があり、手術治療が必要と判断されたときには、第3段階として手術療法を考慮することとするが、手術療法に当たっては、(a)十分な第1段階並びに第2段階の治療が行われたにもかかわらず、依然として生物学的性(sex)と性の自己意識(gender)の不一致に悩み、手術療法を強く望んでいること、(b)精神療法並びにホルモン療法を通して、選択した別の性に対し持続的で安定した適合感があること、(c)手術を望む者が、その性格や薬物依存の有無などの観点から、手術とその結果に対する事態に十分対処できる人格を有しており、手術によって生じる身体的変化、随伴症状、社会生活上の変化、家族や友人との関係、性的問題などを十分理解し、判 物依存の有無などの観点から、手術とその結果に対する事態に十分対処できる人格を有しており、手術によって生じる身体的変化、随伴症状、社会生活上の変化、家族や友人との関係、性的問題などを十分理解し、判断していること、(d)家族や親しい人が手術療法に理解を示していること(特に両親や配偶者、ときには子供の同意が得られていることが望ましい)、(e)年齢は満20歳以上であることなどの条件を満たしていることを要するものとし、手術療法を行うに当たっては、どの身体部位の手術が適切であるかを医療チームにおいて明確にし、手術の範囲、方法、起こり得る問題点、随伴症状などについて十分に説明を行い、文書で同意を得るとともに、医療チームは、個別例についてその都度、診断並びに治療経過に関する資料、同意書などの関係資料を添えて、当該施設の倫理委員会に手術を行うことの倫理性の判断を求め、倫理委員会は診断及び治療がガイドラインにそって的確に行われていたかどうかを確認し、手術以外にその障害を軽減する方法がないかどうかの判断を行い、医療倫理の立場から審議すること、としている。 以上の事実によると、抗告人は、染色体の構成や外性器の構造等生物学的には正常な男性として出生したが、自己の性別への違和感に悩み、25歳の時にオーストラリアでいわゆる性転換手術を行っていることを知ってそのころから何回にもわたって渡豪し、精神療法やホルモン療法を受けた上、平成9年(38歳時)にオーストラリアで性転換手術を受けた性同一性障害者であり、外性器は性転換手術により女性形となっており、現在外見的には女性として生活していることが認められる。 もっとも、本件記録によると、抗告人について、上記B医師は、物心がついた時から性別違和感を感じる完全なプライマリーの性同一性障害ではないと診断しているが、抗告人がいつこ 活していることが認められる。 もっとも、本件記録によると、抗告人について、上記B医師は、物心がついた時から性別違和感を感じる完全なプライマリーの性同一性障害ではないと診断しているが、抗告人がいつころから、どれほど深刻に悩んでいたかについては、幼少時から抗告人の成育状況や生活態度等を知っているはずの抗告人の母親や姉妹について調査が行われていないこともあって、明らかでない上、抗告人が性転換手術を受けたオーストラリアでの治療経過が必ずしも明らかではなく、日本精神神経学会の前記ガイドラインに添った診断、治療が行われたかどうかについても、それを確認できる資料がない。さらに、抗告人を性同一性障害と診断したA教授が、昭和63年の時点では、抗告人に対し男性として生きていくよう指導していたことや、上記B医師も、抗告人が平成9年の時点で性転換手術を受けることに必ずしも賛成ではなかった(同医師は、「抗告人が性転換手術を受けることを積極的に推薦できる状況ではなかったが、さりとて阻止しなければならないという状況でもなかったので、自己決定に任せた」旨述べている。)ことを考え合わせると、抗告人にとって性転換手術以外に他に執るべき手段がなかったかについては疑問を挾む余地がある。 しかし、これらの点をさて措き、【要旨】現行の法制においては、男女の性別は遺伝的に規定される生物学的性によって決定されるという建前を採っており、戸籍法とその下における取扱いも、その前提の下に成り立っているものというほかないから、生物学的にみて完全な男(又は女)として出生し、その旨の届出がされて、戸籍に男(又は女)として記載された者が、性同一性障害と診断され、医師の関与の下にいわゆる性転換手術を受けて、外形的にみる限り別の性(女又は男)の内・外性器の形状を備えるに至ったとしても、性別に関する戸 に男(又は女)として記載された者が、性同一性障害と診断され、医師の関与の下にいわゆる性転換手術を受けて、外形的にみる限り別の性(女又は男)の内・外性器の形状を備えるに至ったとしても、性別に関する戸籍の記載が、戸籍法第113条にいう「法律上許されないものであること又はその記載に錯誤若しくは遺漏があること」に当たるということはできないといわざるを得ないのであって、抗告人の本件申立ては理由がないというほかない。 なお、付言するに、性同一性障害に苦しみ、いわゆる性転換手術を受けてまでも生来の生物学的性とは別の性の下で生きることを真剣に望む者が相当数いることは否定できない事実であり、医学界においても、その治療及び診断のガイドラインを作成、公表するなどの動きのあることは、前記認定のとおりである。しかし、いわゆる性転換手術については、それが性同一性障害の治療方法として社会一般の承認を得るに至っているかといえば、現段階ではこれを肯定することを躊躇せざるを得ず、社会的なコンセンサスを得るためにはなお十分な議論を要する実情にあるといわざるを得ないし、性別の変更を肯定するとしても、単に戸籍法の分野のみならず、関連する法令の適用上種々の重大な問題を惹起し、社会生活全般に極めて大きい影響を及ぼすことが予想されるのであって、その解決のためには、幅広い視点に立って問題点を洗い出し、社会生活に及ぼす影響の程度や将来の社会のあり方等についても慎重な検討が加えられる必要があり、戸籍訂正の可否やその手続に関しても、これらの作業の一環として解決が図られるべきものというべきであって、結局のところ、立法に委ねられるべきものと考えられる。 第3 結論よって、本件戸籍訂正許可の申立てを却下した原審判は相当であって、本件抗告は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり決定 結局のところ、立法に委ねられるべきものと考えられる。 第3 結論よって、本件戸籍訂正許可の申立てを却下した原審判は相当であって、本件抗告は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。 (裁判長裁判官魚住庸夫裁判官小野田・宏裁判官貝阿彌誠)(別紙)(申立の実状)平穏無事な暮らしに恵まれている者にとっては思い浮かべることさえ難しいかも知れないが、世の中には、女性としての地位さえ得られないで苦しんでいる「性別」の人があちこちにいる。いわゆる「性同一性障害」に苦しむ当事者たちのことである。女性解放運動家たちが活発に発言する女性に対する性差別についての見解は、抗告人には眩しくて、贅沢な要求ですらある。この審判は、日本に於いて性同一性障害の患者に対する公的な医療監督下における「性別判定手術」が行われてから(昨年10月、埼玉医科大学)、初めての戸籍上の性別訂正許可を求めた極めて重要な裁判であった。人は、法的には男性または女性の何れかに属さなければならない。そして、本件では、抗告人がどちらの性別の属するべきかを司法に問うているのである。言うまでもなく、性同一性障害当事者の性別記載の訂正が、認められなければ、本当の意味で彼らが社会的に適応及び順応していくことは極めて困難である。男女雇用機会均等法が施行された現在でもなお、戸籍謄本は言うに及ばず、履歴書や住民票、入学願書、投票場入場券等には必ず性別記載欄が存在している。 そうした原状に於いて、抗告人は公的な意味で、社会的に極めて不利な地位に甘んじているのである。 特に、抗告人のように「プライマリー」に属する性同一性障害者の当事者の中には、思春期以降の第二次性徴の発動に伴って、性別違和感から、想像を絶する心理的葛藤を抱え、地獄のような抑鬱状態に苦しむ人々がいる に、抗告人のように「プライマリー」に属する性同一性障害者の当事者の中には、思春期以降の第二次性徴の発動に伴って、性別違和感から、想像を絶する心理的葛藤を抱え、地獄のような抑鬱状態に苦しむ人々がいる。その人たちの多くは自殺し、また多くの人たちは自殺企図に失敗しても精神障害者になって行く。因みに、北米でティーン・エイジャーの、自殺の三分の一が「セクシャリティ」に由来しているとも言われている。本邦に於いてこれまで公に、こうした問題が、精神・神経科領域の対象として真剣に議論されて来なかった現状を慮るとき、抗告人は日本の医療体制に対して、深い不信感を抱かざるを得ない。 抗告人はオーストラリアの専門医から、性同一性障害と診断され、1997年1月13日にオーストラリアで正規の医療として男性から女性への性別再判定手術を受けている。しかしながら、原審は抗告人の戸籍上の性別を男性のままとし、その訂正を認めなかった。もしもこの審判に従うならば、抗告人は以後社会的には、男性用の公衆便所を使用し、同じく男性用の公衆浴場を使用する等社会的に男性として処遇されるべきものであると考えられる。 一般に性同一性障害の患者は、生下時の反対性の生活に埋没して、周囲に元々の性別を隠しながら生活している。 抗告人は、現在女性としてのパートタイムの職業を持ちながら、「生物学的な男性」のパートナーと同居している。そのパートナーは抗告人を女性として認識・処遇しており、その戸籍上の性別を知らないが、そうした状況下においても抗告人は法的には男性として処遇されなければならないのであろうか。 この状態は憲法第11条の「基本的人権」を侵害し、同第13条の「幸福追求権」を否定し、同第14条の「法の下の平等」という原則に抵触する審判であり、言うまでもなく、原審は違憲であり到底許容されるべき審判 の状態は憲法第11条の「基本的人権」を侵害し、同第13条の「幸福追求権」を否定し、同第14条の「法の下の平等」という原則に抵触する審判であり、言うまでもなく、原審は違憲であり到底許容されるべき審判ではない。したがって、さらに主張するならば、原審は抗告人の社会的現状を全く考慮・斟酌することなく、もっぱら法理論的な解釈に終始している。これは大胆な法解釈を避け、家事審判官自身の保身に汲々とした姑息で時代遅れな審判であるとの批判を免れ得ないであろう。職務の本分であるべき、ジャスティスを貫くことを自ら放棄している。 この審判は今後多くの良識ある人々から厳しい批判に晒されるべきであろう。 「法には、性の定義はない。しかし、性は社会生活上の基本的概念であって、法は、人間の性の決定に無関心ではいられない。(中略)生物学的には、発生学的性あるいは生殖腺の性が重要であろうことは、言をまたないであろう。しかしながら、法的性は必ずしも、それに拘束されるべきものではない。戸籍制度、より広く言えば法制度は、人間の社会生活を規律するためのものである。したがって、法的性は、生物学的事実のみに依るべきはなく、究極的には、社会通念に依るべきであろう。そうだとすれば、人の法的性の判断に関しては、外部性器の生態による性、第二次性徴、心理学的性、社会学的性が重視されるべきであろう」。これは『判例タイムズ484号』103頁より抜粋したものである。女性として一般の社会生活を送っている申立人の性別という既成事実の前にあっては、戸籍謄(抄)本に記載されている性別などは一片の紙切れに過ぎないことを学ぶべきである。 最後に、もとより法もそれを司る裁判官も完全ではない。もしも法制度が完全ならば法務省の存在意義はなくなる。日本に於いてもいずれは、「性転換法」等の整備が必要になるであろう。しか を学ぶべきである。 最後に、もとより法もそれを司る裁判官も完全ではない。もしも法制度が完全ならば法務省の存在意義はなくなる。日本に於いてもいずれは、「性転換法」等の整備が必要になるであろう。しかし「まだまだ社会的素地が熟しておらず、事態に対する認識が不足しているように思われる。…(中略)…しかし医学が進歩し、また医学上の諸知識が情報として我々に伝えられる今日、その種類を問わず病気に苦しむ人々の現状を正しく認識できるようになり、また、それに対応した治療方法が施用されて救われる人が一人でも多くなることは、我々が生きる社会の共通の喜びである。要は現状を正しく認識し、その認識にしたがって適切な対策をたてた上で、その対策が濫用されないように十分配慮することである。」(石原明著『性転換に関する西ドイツの法律』より抜粋)

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