主文 1 本件訴えのうち,被告が中労委平成2年(不再)第55号事件について平成11年3月3日付けで発した命令中,被告に対して次の部分の取消しを求める訴えを却下する。 (1) 同命令の主文第Ⅰ項のうち,P1に関する部分(2) 同命令の主文第Ⅱ項のうち,その初審である群地労委昭和62年(不)第9号,昭和63年(不)第1号事件についての命令主文第2項中,P1について原告ジェイアールバス関東株式会社への出向発令を命じた部分の再審査申立てを棄却した部分 2 前記1の命令のうち,次の部分を取り消す。 (1) 同命令の主文第Ⅰ項のうち,P2に関する部分(2) 同命令の主文第Ⅱ項のうち,その初審である群地労委昭和62年(不)第9号,昭和63年(不)第1号事件についての命令主文第2項中,P2について原告ジェイアールバス関東株式会社への出向発令を命じた部分の再審査申立てを棄却した部分 3 原告らのその余の請求を棄却する。 4 訴訟費用(参加によって生じた訴訟費用を除く。)は,これを3分し,その1を被告の,その余を原告らの負担とし,参加によって生じた費用はこれを3分し,その1を参加人らの,その余を原告らの負担とする。 事実及び理由 第1章請求被告が中労委平成2年(不再)第55号事件について平成11年3月3日付けで発した命令は,これを取り消す。 第2章事案の概要本件は,①原告東日本旅客鉄道株式会社(以下「原告JR東日本」という。)が経営していたα自動車営業所の営業所長が,参加人国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部α自動車営業所分会(以下「参加人α分会」という。)所属の組合員8名に対し,国鉄労働組合(以下「国労」という。)からの脱退を慫慂したこと,②原告JR東日本が,国労所属の組合員2名について,関連事業本部の兼務命令を伴う高 下「参加人α分会」という。)所属の組合員8名に対し,国鉄労働組合(以下「国労」という。)からの脱退を慫慂したこと,②原告JR東日本が,国労所属の組合員2名について,関連事業本部の兼務命令を伴う高崎運行部への転勤命令を行い,かつ,α自動車営業所の社員を原告ジェイアールバス関東株式会社(以下「原告バス会社」という。)に出向させながら,前記組合員2名については原告バス会社への出向発令をしなかったこと,以上の点が不当労働行為に当たるとして,参加人らが群馬県地方労働委員会(以下「群馬地労委」という。)に対し救済申立て(以下「初審申立て」という。)をし,同委員会が救済命令(以下「初審命令」という。)を発したため,原告らが被告に対し再審査申立てをしたが,被告が,初審命令を一部変更したほか再審査申立てを棄却する命令(以下「本件命令」という。)をしたため,原告らが本件命令の取消しを求めて提起した行政事件訴訟である。 第1 前提となる事実次の事実は,当事者間に争いがないか,後掲各証拠及び弁論の全趣旨により認められる。 1 当事者等(1) 原告JR東日本は,昭和62年4月1日,日本国有鉄道改革法(以下「改革法」という。)に基づき,日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)が経営していた旅客鉄道事業,旅客自動車運送事業(以下「自動車事業」という。)などのうち,東日本地域(青森県から静岡県の一部までの1都16県)の事業を承継して設立され,肩書住所地に本社を置く株式会社であり,再審査審問終結時である平成3年7月26日時点の社員数は約8万2000名である。 (2) 原告バス会社は,昭和63年3月4日,改革法10条及び日本国有鉄道改革法等施行法(以下「施行法」という。)21条に基づく運輸大臣の承認を受け,原告JR東日本が経営していた自動車事業のうち関東・上信地区を管轄 会社は,昭和63年3月4日,改革法10条及び日本国有鉄道改革法等施行法(以下「施行法」という。)21条に基づく運輸大臣の承認を受け,原告JR東日本が経営していた自動車事業のうち関東・上信地区を管轄する自動車事業部を分離して,原告JR東日本の100パーセント出資により設立され,肩書住所地に本社を置き,東京,福島,茨城,栃木,群馬,千葉及び長野の1都6県に13の自動車営業所を有する株式会社であり,同じく平成3年7月26日時点の社員数は約940名である。 なお,原告JR東日本のその余の自動車事業は,昭和63年3月5日,前記と同様の経緯により設立されたジェイアールバス東北株式会社に引き継がれた。 (3) 参加人国鉄労働組合東日本本部(以下「参加人東日本本部」という。)は,国労の下部の労働組合で,原告JR東日本の社員等で組織する労働組合であり,同じく平成3年7月26日時点の組合員数は約2万1000名である(乙7,弁論の全趣旨)。 (4) 参加人国鉄労働組合東京地方本部(以下「参加人東京地本」という。)は,参加人東日本本部の下部の労働組合で,原告JR東日本の事業地域のうち東京を中心とする地域に勤務する社員等で組織する労働組合であり,同じく平成3年7月26日時点の組合員数は約1万2000名である(乙7,弁論の全趣旨)。 (5) 参加人国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部(以下「参加人自動車支部」という。)は,参加人東京地本の下部の労働組合で,初審申立て当時においては原告JR東日本の自動車事業部に勤務し,原告バス会社発足後においては原告バス会社に勤務する社員等で組織する労働組合であり,同じく平成3年7月26日時点の組合員数は約170名である(乙7,弁論の全趣旨)。 (6) 参加人α分会は,参加人自動車支部の下部の労働組合で,初審申立て時においては 社員等で組織する労働組合であり,同じく平成3年7月26日時点の組合員数は約170名である(乙7,弁論の全趣旨)。 (6) 参加人α分会は,参加人自動車支部の下部の労働組合で,初審申立て時においては原告JR東日本の,原告バス会社発足後においては同原告の,それぞれα自動車営業所に勤務する社員で組織する労働組合であり,同じく平成3年7月26日時点の組合員数は33名である(乙7,弁論の全趣旨)。 (7) 再審査審問終結時である平成3年7月26日時点で,原告JR東日本には,参加人東日本本部以外の主な労働組合として,東日本旅客鉄道労働組合(以下「東鉄労」という。)及び東日本鉄道産業労働組合(以下「鉄産労」という。)などがあった。 2 国鉄改革の経過等(1) 昭和56年3月,第2次臨時行政調査会(以下「臨調」という。)が発足し,昭和57年7月30日,臨調は,国鉄の分割・民営化等を内容とする「行政改革に関する第3次答申―基本答申―」を政府に提出した。 (2) 昭和58年6月10日,日本国有鉄道再建監理委員会(以下「監理委員会」という。)が発足し,昭和60年7月26日,監理委員会は,「国鉄改革に関する意見―鉄道の未来を拓くために―」と題する最終答申(以下「監理委員会答申」という。)を政府に提出した。 (3) 政府は,監理委員会答申を最大限に尊重する旨の閣議決定を行い,昭和61年3月,国鉄改革関連9法案を国会に提出した。このうち1法案は同国会で成立し,残り8法案(改革法を含む。)は,衆議院の解散により廃案となった後,同年9月再度国会に提出され,同年11月28日に成立し,同年12月4日に公布・施行された。 (4) 改革法等によれば,①国鉄の旅客鉄道事業を,東日本をはじめ6つの旅客鉄道会社(以下「旅客会社」という。)に分割する,②承継法人に承継されない資産,累 し,同年12月4日に公布・施行された。 (4) 改革法等によれば,①国鉄の旅客鉄道事業を,東日本をはじめ6つの旅客鉄道会社(以下「旅客会社」という。)に分割する,②承継法人に承継されない資産,累積債務等の処理及び職員の再就職の促進を図るための業務は,日本国有鉄道清算事業団が行う,③新幹線は,新幹線鉄道保有機構が一括して保有し貸し付ける,④貨物鉄道事業を分離し,株式会社とする,などとされ,改革の実施時期は昭和62年4月1日とするとされた。 3 国鉄時代の労使関係(1) 昭和57年2月10日,総評,新産別,国労,国鉄動力車労働組合(以下「動労」という。),全国施設労働組合(以下「全施労」という。)等による国鉄改革共闘委員会が発足し,また,同年3月9日,国労,動労,全施労等による国鉄再建問題4組合共闘会議が結成され,国鉄の分割・民営化に反対する運動を展開した。 とりわけ,国労は,「国民の国鉄を守り組合員の雇用を確保する。」との立場から,ストライキやワッペン着用闘争等を行ったが,国鉄はこれらの運動に対し,組合員の処分等を行った(乙58,59,弁論の全趣旨)。 しかし,その後,動労や全施労等の組合が分割・民営化推進の立場へと方針を転換したため,国労は孤立していった。 (2) 監理委員会答申によれば,国鉄職員の新会社への採用は21万5000人とされており,約6万1000人が採用されないことになるため,組合内では雇用不安が増大した(乙16,62)。 (3) 国鉄は,①退職制度の見直し,②休職制度の改定・拡充,③派遣制度の拡充,の3項目を含む余剰人員調整策を発表したが,国労側のこれに対する協力度合が弱いことを理由に,昭和46年以来国労との間で締結していた雇用の安定等に関する協約(以下「雇用安定協約」という。)の継続を拒否したため,昭和60年11月 を発表したが,国労側のこれに対する協力度合が弱いことを理由に,昭和46年以来国労との間で締結していた雇用の安定等に関する協約(以下「雇用安定協約」という。)の継続を拒否したため,昭和60年11月30日,同協約は失効した。なお,国鉄は,動労,鉄道労働組合(以下「鉄労」という。),全施労とは同協約を再締結した。 (4) 昭和61年1月13日,国鉄は,各組合に対し,国鉄改革が成し遂げられるまでの間,労使は信頼関係を基礎に一致協力して,①諸法規を遵守して安全輸送の確保等を実現する,②リボン・ワッペンを着用せず,氏名札の着用等定められた服装を整える,③必要な合理化を積極的に推進する,④派遣制度,退職勧奨等を積極的に推進すること等を内容とする「第一次労使共同宣言」を提案した(乙16,144,弁論の全趣旨)。 動労,鉄労,全施労は,同宣言に調印したが,国鉄の分割・民営化に反対の立場をとっていた国労は,これを拒否した。 (5) 昭和61年3月,国鉄は,人事管理の徹底等を図るため,職員管理調書の作成に着手した。同調書の調査対象期間は昭和58年4月1日から昭和61年3月31日までであり,その調査項目としては,「一般処分」,「労働処分」,「勤務時間中の組合活動」,「職場の秩序維持」,「現状認識」などがあった。 (6) 昭和61年7月から昭和62年3月までの間,国鉄は,余剰人員を一括管理する人材活用センター(以下「人活センター」という。)を全国に設置し,職員を配置した。 昭和61年11月1日現在,約1500箇所の人活センターが設置され,1万8000名余りの職員が配置された。このうち,約80パーセントが国労組合員で,動労組合員は約7パーセント,鉄労組合員は約6パーセントであった(乙16)。 なお,人活センターに配置された国労組合員の多くは,草刈り,電車の床に付 された。このうち,約80パーセントが国労組合員で,動労組合員は約7パーセント,鉄労組合員は約6パーセントであった(乙16)。 なお,人活センターに配置された国労組合員の多くは,草刈り,電車の床に付いたガムはがし等に従事した(乙16)。 (7) 昭和61年7月18日,動労,鉄労,全施労及び国労脱退者などで新たに結成された真国鉄労働組合は,国鉄改革労働組合協議会(以下「改革労協」という。)を結成した。 同年8月27日,国鉄と改革労協は,第二次労使共同宣言を締結した。同宣言には,「組合は,今後争議権が付与された場合においても,鉄道事業の健全な経営が定着するまでは,争議権の行使を自粛する。」,「労使は,国鉄改革労使協議会における議論を更に充実させ,同協議会が今後の鉄道事業における労使関係の機軸として発展的に位置づけられるよう緊密な連携,協議を行う。」などとうたわれていたが,国鉄の分割・民営化に反対の立場をとっていた国労は,これを締結しなかった。 (8) 昭和61年4月1日現在で約16万5000名いた国労組合員は,原告JR東日本発足時の昭和62年4月1日時点では,約4万4000名に減少した(乙7,弁論の全趣旨)。 自動車事業部においても,国労は,昭和61年4月時点では,ほぼ100パーセントの組織率であったが,昭和62年4月には,50パーセントを割る状況となった(乙46,61)。 (9) 国鉄の分割・民営化に反対してきた国労は,「地域の足を守る。あるいは,労働者の労働条件なり,安全なりを守る。」という立場から,自動車事業の分離・独立についても反対し,地方公共団体への要請行動などを行った(乙7,弁論の全趣旨)。 (10) 昭和62年8月6日,原告JR東日本代表取締役P3(以下「P3社長」という。)は,東鉄労の第2回定期大会に来賓として出席し,あい 方公共団体への要請行動などを行った(乙7,弁論の全趣旨)。 (10) 昭和62年8月6日,原告JR東日本代表取締役P3(以下「P3社長」という。)は,東鉄労の第2回定期大会に来賓として出席し,あいさつの中で「残念なことは,今一企業一組合という姿でなく東鉄労以外にも二つの組合があり,その中には今なお民営分割反対を叫んでいる時代錯誤の組合もあります。」,「この人たちは,いわば迷える小羊だと思います,皆さんにお願いしたいのは,このような迷える小羊を救ってやって頂きたい,皆さんがこういう人たちに呼びかけ,話し合い,説得し皆さんの仲間に迎え入れて頂きたいということで,名実共に東鉄労が当社における一企業一組合になるように援助頂くことを期待し…」などと発言した旨が東鉄労の機関紙に掲載されている。 同月7日,原告JR東日本は,東鉄労と労使共同宣言を締結した。 (11) 原告JR東日本と国労の間で締結されていた三六協定は,協定の締結方式についての労使の意見の食い違いから締結されず,昭和62年10月1日から同月8日までの間失効したが,同月9日再締結された。 なお,同協定の締結権は各営業所段階にはなく,上部機関がその締結を行っていた。 (12) 参加人東日本本部,参加人東京地本,参加人自動車支部等は,原告JR東日本の自動車事業部総務課長P4(以下「P4課長」という。),同課長代理P5(以下「P5課長代理」という。),宇都宮自動車営業所長P6(以下「P6所長」という。),β自動車営業所長P7(以下「P7所長」という。)らが,昭和62年11月ころ,国労組合員に対して脱退勧奨の言動を行ったとして,東京都地方労働委員会(以下「東京地労委」という。)及び栃木県地方労働委員会(以下「栃木地労委」という。)にそれぞれ救済申立てを行い,①東京地労委は,平成元年6月20日 退勧奨の言動を行ったとして,東京都地方労働委員会(以下「東京地労委」という。)及び栃木県地方労働委員会(以下「栃木地労委」という。)にそれぞれ救済申立てを行い,①東京地労委は,平成元年6月20日,P4課長の言動は不当労働行為であるとして救済命令を発し,平成6年11月30日,被告もこれを維持する命令を発し,また,②栃木地労委は,平成元年6月16日,P5課長代理及びP6所長らの言動は不当労働行為であるとして救済命令を発し,平成8年6月19日,被告もこれを維持する命令を発し,③栃木地労委は,平成元年6月16日,P7所長の言動は不当労働行為であるとして救済命令を発し,平成9年3月19日,被告は,P7所長の分会書記長に対する言動を除く,分会長らに対する言動を不当労働行為に当たると判断して,初審命令を一部変更する命令を発した。 4 自動車事業の状況(1) 改革法10条によると,自動車事業については,事業地域に応じて引き継いだ各旅客会社の検討を経て,その事業を併せて経営することが適切である場合を除き,当該旅客会社からその事業の分離を図るための手続,その他の方策がとられるものとされていた。 また,施行法21条によると,旅客会社は,改革法10条の規定の趣旨に従い,国鉄から引き継いだ自動車事業の経営の分離の検討を行い,会社成立の日から6か月以内にその検討結果を運輸大臣に報告するものとされ,自動車事業を併せて経営することが適切である場合を除き,旅客会社から自動車事業が分離されることが予定されていた。 (2) 昭和61年6月4日,社団法人長野県バス協会は,国鉄自動車局長に対し,①長野県内における「貸切車両及び事業区域拡大計画」の見合わせ,②「中央高速道への国鉄バス乗入れ申請」の取下げ,③協議の上,同県所在の国鉄バスを,関連する同県民営バス事業者に対し,適 車局長に対し,①長野県内における「貸切車両及び事業区域拡大計画」の見合わせ,②「中央高速道への国鉄バス乗入れ申請」の取下げ,③協議の上,同県所在の国鉄バスを,関連する同県民営バス事業者に対し,適正な人員と施設を含め一括譲渡すること等を要望する旨の文書を提出した。 (3) 原告JR東日本は,旅客自動車運送業務を遂行する組織の一つとして,自動車事業部を置いていた。 初審命令申立て時である昭和62年12月当時,同部では,東京をはじめ1都6県に13の営業所(東京,γ,水戸,土浦,δ,β,宇都宮,α,八日市場,館山,小諸,ε,伊那)が置かれ,社員数923名,路線数31路線,乗合営業距離2701キロメートル,配置車両数485台,貸切免許数29台をもって一般乗合旅客自動車運送事業及び一般貸切旅客自動車運送事業を行っていた。 (4) 昭和62年9月,原告JR東日本は,施行法21条の規定に基づき,「一般自動車運送事業の経営の分離に関する検討報告書」を,運輸大臣に提出した。 同年12月,原告JR東日本は,この検討結果を踏まえ,一般自動車運送事業の経営の分離計画の承認申請を行った。なお,この承認申請においては,原告JR東日本の自動車事業を東北ブロック及び関東・上信ブロックに2分割し,関東・上信ブロックにおける新事業者の職員数を888名とすると予定されていた。 (5) 原告JR東日本自動車事業部では,月1回程度,本社会議室において,自動車事業部長,総務課長,輸送課長,課長代理及び各自動車営業所長が出席して営業所長会議が開催されていた。同会議においては,経営全般についての話合いがされていたが,一企業一組合,労使協調が望ましいなど,労働組合問題などが話題になったこともあった(乙64)。 (6) 東京,水戸,土浦,八日市場,館山の5つの自動車営業所では,週末の臨時 の話合いがされていたが,一企業一組合,労使協調が望ましいなど,労働組合問題などが話題になったこともあった(乙64)。 (6) 東京,水戸,土浦,八日市場,館山の5つの自動車営業所では,週末の臨時便の運行や,高速線の新規事業の拡大等により欠員を生じていたが,γ,β,宇都宮,δ,α,ε,小諸,伊那の各営業所では余力人員が生じていた。 原告JR東日本は,この要員問題を解消するため,昭和62年4月からは長期的な助勤という形で対応していたが,同年11月から本格的に転勤で対応することとなった。 なお,β,宇都宮,αなどの自動車営業所では,国労の組織率が高かった(乙64,150)。 (7) 自動車事業部における転勤候補者の人選は,営業所長が行い,転勤者の選定及び発令は,営業所長の具申に基づき,自動車事業部長が行っていた(乙78,113)。 5 α自動車営業所の状況(1) 昭和62年の原告JR東日本発足当時,α自動車営業所は,長野県小県郡ζ町及び群馬県渋川市に支所(以下,ζ町にある支所を「ζ支所」といい,渋川市にある支所を「渋川支所」という。)を置き,主にαからη温泉方面などへの一般乗合旅客自動車運送事業及び一般貸切旅客自動車運送事業を行っていた。当時,同営業所には,P8営業所長(以下「P8所長」という。)を筆頭に,首席助役,事務助役,連転助役など5名の助役と,各支所に支所長がいたほか,乗務員及び日勤勤務者など,112名の社員がいた。その内訳は,α町所在のα自動車営業所88名,ζ支所13名,渋川支所11名であった。乗務員は,主に定期バスや貸切バスの運転やガイドを行い,日勤勤務者は,事務,営業,運行管理及び車輌の検修等を担当していた。 なお,当時のα自動車営業所においては,P8所長,各支所長及び5名の助役を除くほぼ全員が国労の組合員であった。また ガイドを行い,日勤勤務者は,事務,営業,運行管理及び車輌の検修等を担当していた。 なお,当時のα自動車営業所においては,P8所長,各支所長及び5名の助役を除くほぼ全員が国労の組合員であった。また,α分会のほか,渋川支所には,国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部渋川支所分会(以下「渋川分会」という。)があり,ζ支所には同ζ支所分会(以下「ζ分会」という。)があった。 (2) 初審審問終結時である平成3年7月26日時点のα自動車営業所の経営状況は,路線数4路線,営業距離246.6キロメートル,配車車両数37台,貸切免許数5台,社員数60名であった。 なお,ζ支所は,平成元年5月1日,小諸自動車営業所へ業務移管された。 (3) 原告JR東日本が昭和62年6月に行った交通量調査によると,α自動車営業所では,管轄する路線の約65パーセントが第3種生活路線(バス路線として廃止の対象となり得るとされるもので,乗車密度5人未満のもののこと)であった(乙71,110)。 (4) 昭和62年9月ころ,P8所長は,社員から身上調書をとり転勤希望の有無を確認した。 (5) P8所長は,初審命令申立て時である昭和62年12月当時,α自動車営業所には約30名の過員がいると判断していた。 (6) P8所長は,常々α自動車営業所の所員に対し,α自動車営業所には余力人員があるから,当然その他の営業所へ転勤してもらうような状態にあることを話していた。 (7) 昭和62年11月,P8所長は,α自動車営業所における全体的な路線再編成についての営業所長としての考え方を,組合役員,乗務員会役員,その他出席できる社員を集めて説明した。なお,α自動車営業所には48畳ほどの和室があった。 (8) 同月28日,参加人α分会では,参加人自動車支部の執行委員長P9及び参加人α分会のP1 務員会役員,その他出席できる社員を集めて説明した。なお,α自動車営業所には48畳ほどの和室があった。 (8) 同月28日,参加人α分会では,参加人自動車支部の執行委員長P9及び参加人α分会のP10副委員長の2名が,国労を脱退した(乙57,弁論の全趣旨)。 その後,同月25日付けのP9の署名入りの国労脱退声明文が東鉄労の掲示板に貼り出されたが,この声明文には,「残念ながら,国労の組織では,自動車の展望について話し合うことすらできません。これまでの行きがかりにこだわらずに,これからのことについて進まなくてはなりません。こうした立場から支部委員長を辞任致したところであります。」などと書かれていた。 なお,参加人自動車支部では,同月30日付けで同支部東京自動車分会執行委員長を含む約70名の組合員が国労を脱退した。 (9) P9は,参加人自動車支部の執行委員長を辞任する際,P11に対し,「このまま国労にいると大変なことになる。配転されるとやめざるを得ないような人が強制配転されることは間違いない。または,分離され新会社へ連れていってもらえない人が出る。だから,国労を脱退して会社がパートナーとして認めている東鉄労へ行かなければだめだ。そこで,話合いで,出られる人を出すようにするんだ。」などと語った(乙97)。 (10) 昭和62年12月5日,P12は,P9の国労脱退に伴い,組織を混乱させたことなどの責任をとって,参加人α分会の分会長を辞任した(乙99,151)。 (11) 同月,ζ分会において,13名中7名の組合員が国労を脱退した(乙97)。 6 渋川支所における国労組合員の減少(1) 渋川支所では,昭和62年4月1日現在,支所長を除く11名全員が国労組合員であった。 (2) 同年11月5日,1名が東京自動車営業所へ転勤となった。 (3) 同年1 所における国労組合員の減少(1) 渋川支所では,昭和62年4月1日現在,支所長を除く11名全員が国労組合員であった。 (2) 同年11月5日,1名が東京自動車営業所へ転勤となった。 (3) 同年12月25日,5名が国労を脱退した。このため,この時点では,支所長を除く10名のうち国労組合員が5名,国労以外が5名となった(乙37,107)。 (4) 翌昭和63年1月25日,国労組合員P1(本件救済対象者。以下「P1」という。)が高崎運行部へ転勤となった。 (5) 同年2月,2名が国労を脱退した。その際,脱退者の1人は,国労にいては飛ばされるということでとても不安でいられないから脱退します,などとP1に電話で語った(乙37,107)。 (6) 同年3月,1名が東京自動車営業所へ,1名がα自動車営業所へ,それぞれ転勤となったため,渋川支所には国労組合員が1名もいない状況となった(乙37,107)。 (7) 国労を脱退した前記7名は,東鉄労に加入し,その後も渋川支所に勤務している(乙37,107,弁論の全趣旨)。 (8) 昭和63年1月時点の渋川支所在籍の社員と,その前後の時期における各社員の転勤,組合所属等に関する事実関係は,次表のとおりである(表中「本件転勤」とは後記7(2)のとおり)(所属組合の変動につき,乙37,弁論の全趣旨)。 氏名年齢職名特記事項A 51 支所長運行管理者東鉄労組合員B 52 運転主任補助運行管理者 62.12.25国労脱退→東鉄労C 50 運転主任指導運転士 62.12.25国労脱退→東鉄労D 48 運輸係補助運行管理者 62.12.25~63.3.10病欠63.3.原告バス会社のα自動車営業所へ転勤E 51 運転係 D 48 運輸係補助運行管理者 62.12.25~63.3.10病欠63.3.原告バス会社のα自動車営業所へ転勤E 51 運転係 62.12.25国労脱退→東鉄労F 46 運転係本件転勤候補者 63.2.国労脱退→東鉄労G 44 運転係本件転勤候補者 63.2.国労脱退→東鉄労P1 44 運転係本件転勤対象者 63.1.25高崎運行部へ転勤I 40 運転係 62.12.25国労脱退→東鉄労J 33 運転係 62.12.25国労脱退→東鉄労K 29 運転係 62.11.5原告バス会社の東京自動車営業所へ転勤L 30 運転係 63.3.12原告バス会社の東京自動車営業所へ転勤 7 P2及びP1の転勤(1) 昭和63年1月17日午前10時10分ころ,P8所長は,スキーバスの助勤のためα自動車営業所に出勤していたP1を所長室に呼び,同月25日付けで「高崎運行部勤務を命ずる。高崎駅営業指導係を命ずる。関連事業本部兼務を命ずる。」旨の,自動車事業部長名の事前通知書を手交した。 (2) 同月17日午後3時30分ころ,P8所長は,乗務を終え点呼を済ませたP2(本件救済対象者。以下「P2」という。)を所長室に呼び,同月25日付けで「高崎運行部勤務を命ずる。高崎駅営業指導係を命ずる。関連事業本部兼務を命ずる。」旨の,自動車事業部長名の事前通知書を手交した(P1及びP2の同日付けの転勤を,以下「本件転勤」といい,この転勤に係る命令を「本件転勤命令」という。)。 (3) P2及びP1に事前通知書を手交する際,P8所長は,転勤理由について,通勤が近くなること,P2については担当し 勤を,以下「本件転勤」といい,この転勤に係る命令を「本件転勤命令」という。)。 (3) P2及びP1に事前通知書を手交する際,P8所長は,転勤理由について,通勤が近くなること,P2については担当している一昼夜交代勤務による営業当直制度が廃止となること,P1については要員が余っていること,また,転勤後の業務内容については,直営店舗の販売員であることなどを説明した。 (4) P2及びP1は,昭和63年1月25日付けで自動車事業部長あてに異議留保書を提出した上で,命令に従った。 (5) 本件転勤により,P1の通勤時間は,それまで電車で25分くらいであったのが自転車で5分程度になり,P2の通勤時間も,α自動車営業所へは約1時間20分であったところが約30分短縮された(P1の従前の通勤時間につき,乙109)。 (6) 昭和63年2月1日からP2及びP1が従事した仕事は,高崎線沿線などの主要駅に出向き,駅の構内で「D51物語」(デゴイチ物語)という,いわゆる今川焼を実演販売するもので,ほぼ3日サイクルで,営業する駅を変えるというものであった。 P2及びP1が出向いた主な駅は,高崎線の本庄,深谷,上尾,北本,両毛線の前橋,上越線のθ,渋川などであった。 (7) 同年4月18日,P2及びP1は,高崎駅所属のまま,熊谷駅の中にある,いわゆるディスカウントショップ「ライフセルクル熊谷店」の店員に助勤となった(勤務形態につき乙106,107,弁論の全趣旨)。 (8) P2は,同年5月の連休明けに,前記(7)の助勤を解除された(勤務形態につき乙107,弁論の全趣旨)。 (9) この当時,熊谷から高崎のライフセルクルに配属されていた者がおり,P1と入れ違いになっていたが,同年10月16日,P1は助勤解除となり高崎のライフセルクル勤務となった(勤務形態につき,乙10 (9) この当時,熊谷から高崎のライフセルクルに配属されていた者がおり,P1と入れ違いになっていたが,同年10月16日,P1は助勤解除となり高崎のライフセルクル勤務となった(勤務形態につき,乙107,弁論の全趣旨)。 (10) P2は,同月20日,高崎駅常設の今川焼きの実演販売等の業務に配属された。 8 原告JR東日本の労働条件,就業規則の定め(1) 国鉄が,原告JR東日本の設立に先立って職員に配布した原告JR東日本の労働条件には,以下のとおり記されていた。 北海道旅客鉄道株式会社,東日本旅客鉄道株式会社,東海旅客鉄道株式会社,西日本旅客鉄道株式会社,四国旅客鉄道株式会社,九州旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社の労働条件(抜粋) 1 就業の場所各会社の営業範囲内の現業機関等において就業することとします。ただし,関連企業等へ出向を命ぜられることがあり,その場合には出向先の就業場所とします。 2 従事すべき業務(各旅客鉄道株式会社)旅客鉄道事業及びその附帯事業並びに自動車運送事業その他会社の行う事業に関する業務とします。なお,出向を命ぜられた場合は,出向先の業務とします。 (主な業務)(1) 鉄道事業に関する営業,運転,施設,電気又は車両関係の駅区所における業務(2) 自動車営業所における業務(中略)(7) 関連事業の業務(以下略)(2) 原告JR東日本の就業規則には,以下のとおり規定されている。 就業規則(抜粋)第28条会社は,業務上の必要がある場合は,社員に転勤,転職,昇職,降職,昇格,降格,出向,待命休職等を命ずる。 2 社員は,前項の場合,正当な理由がなければこれを拒むことはできない。 3 出向を命ぜられた社員の取扱いについては,出向規定(昭和62年4月人達第2号)の定めるところによる。 9 本件転勤後の状況( 社員は,前項の場合,正当な理由がなければこれを拒むことはできない。 3 出向を命ぜられた社員の取扱いについては,出向規定(昭和62年4月人達第2号)の定めるところによる。 9 本件転勤後の状況(1) 昭和63年1月18日,ζ分会において5名の組合員が国労を脱退したが,その後4名が国労に復帰した(乙97)。 (2) 昭和63年3月4日,原告バス会社は,原告JR東日本の100バーセント出資の子会社として設立され,原告JR東日本から自動車事業の営業を譲渡され,同年4月1日,営業を開始した。 原告バス会社の役員には,原告JR東日本の自動車事業部長であったP13が専務取締役に,同自動車事業部次長であったP14及び原告JR東日本副社長のP15が取締役にそれぞれ就任している。役員を除く社員は全員が原告JR東日本人材開発部からの出向で,営業部長,総務部長,営業一課長,営業二課長,整備課長,総務課長,企画課長,保険事業室長及び経理課長にはすべて原告JR東日本自動車事業部に勤務していた課長等が就き,また,各営業所長には,分離前の原告JR東日本における各営業所長がそのまま移行している。 なお,出向期間は5年とされ,これら出向社員の賃金は,原告JR東日本から支給されているが,原告バス会社は原告JR東日本に対し,出向社員の賃金相当額を支払っている(甲5)。また,業務運営に必要な施設,車両等はすべて,原告JR東日本から承継されている。 (3) 原告JR東日本のα自動車営業所にいた社員は全員原告バス会社への出向を命じられたが,P2及びP1は,高崎運行部へ転勤となったため,原告バス会社への出向とはならなかった。 10 命令の存在(1) 参加人らは,①P8所長が,参加人α分会所属の組合員8名に対し,国労からの脱退を慫慂したこと,②原告JR東日本が,P2及びP1につい 原告バス会社への出向とはならなかった。 10 命令の存在(1) 参加人らは,①P8所長が,参加人α分会所属の組合員8名に対し,国労からの脱退を慫慂したこと,②原告JR東日本が,P2及びP1について本件転勤命令を行い,かつ,α自動車営業所の社員を原告バス会社に出向させながら,前記組合員2名(P2及びP1)については出向発令をしなかったことが不当労働行為に当たるとして,昭和62年12月7日付け及び昭和63年1月22日付けで,群馬地労委に対し救済申立てをした(群地労委昭和62年(不)第9号,昭和63年(不)第1号各事件)(なお,この申立ての当初,渋川分会も申立人となっていたが,後に同分会は申立てを取り下げた。)。 その後,参加人らは,原告バス会社を被申立人として追加し,群馬地労委はこれを認めた。 群馬地労委は,平成2年7月12日付けで別紙1のとおりの命令(初審命令)を発した。 (乙1,2,5,8,105)(2) 原告会社は,被告に対し,初審命令に対して再審査の申立てをした(中労委平成2年(不再)第55号事件)。被告は,平成11年3月3日付けで別紙2のとおりの命令(本件命令)を発した。 11 P1の出向P1は,満57歳となり原告JR東日本から平成11年12月1日付けで,高鉄開発株式会社(以下「高鉄開発」という。)への出向命令を受け,同日以降同社に勤務している。 この出向は,満57歳以上の組合員は原則として定年退職日まで関連企業等に出向とする旨を定めた原告JR東日本と参加人東日本本部との間で締結した「定年延長等の実施に関する協定」(以下「本件協定」という。)及び原告JR東日本の就業規則に基づくものである。 なお,本件協定は平成13年4月1日付けで廃止されたが,本件協定及び原告JR東日本の就業規則に基づき出向していた者は,引き続き定年 協定」という。)及び原告JR東日本の就業規則に基づくものである。 なお,本件協定は平成13年4月1日付けで廃止されたが,本件協定及び原告JR東日本の就業規則に基づき出向していた者は,引き続き定年退職日まで出向する取扱いとされている(甲10,11の(1),(2),弁論の全趣旨,一部争いがない。)第2 争点 1 P8所長が参加人α分会の組合員に対してした次の言動(以下「P8所長の言動」という。)は,国労からの脱退を慫慂するもので,支配介入としての不当労働行為に当たるといえるか。 (1) 昭和62年12月4日午後4時ころ,所長室において,P16に対してした言動(2) 同日午後4時30分ころ,所長室において,P12に対してした言動(3) 同日午後5時から午後7時ころまでの間,所長室において,P17,P18及びP19の3名に対してした言動(4) 同月5日午前9時ころ,所長室において,P20及びP21に対してした言動 2 本件転勤命令は,P2及びP1を不利益に取り扱い,かつ,参加人α分会らの運営に支配介入する不当労働行為に当たるといえるか。 3 本件転勤命令発出後,P1が原告JR東日本から他の会社へ出向したことは,本件訴訟においていかなる法的効果を生じるか。 4 初審命令及び本件命令が命じた救済方法は適法か。 第3 争点に関する当事者の主張 1 争点1,2の前提となる事実関係に関する主張(原告ら)(1) 前記第1の2記載のとおり,経営の悪化した国鉄の改革のため,監理委員会答申が出されたが,その中で,国鉄の余剰人員が膨大であることにかんがみ,新しく発足する旅客鉄道会社にも適正要員規模の二割程度上乗せした数を移籍させ,この上乗せ要員については,各旅客鉄道会社において関連事業の積極的展開等で逐次その有効活用を図るとされた。 このような事情から,原 する旅客鉄道会社にも適正要員規模の二割程度上乗せした数を移籍させ,この上乗せ要員については,各旅客鉄道会社において関連事業の積極的展開等で逐次その有効活用を図るとされた。 このような事情から,原告JR東日本は,標準数(業務遂行の標準的要員数をいう。以下同じ。)を7万3000名としながらも,9500名の余力を含めた総勢8万2500名の社員をもって発足したが,この余力のうち,発足時において関連事業に従事していた者は1900名,出向していた者は1700名にすぎず,他の5900名は社内での勤務に就いていた。そして,原告JR東日本はその後も合理化に努め,適宜標準数を見直し,昭和63年4月には6万9100名,平成元年4月には6万7500名と逐次減少させるとともに,国の行政指導に応じ,国鉄清算事業団からの職員の受入れも行いつつ,関連事業を積極的に展開し,出向先の開拓に努め,平成元年4月1日現在の関連事業従事者を4900名,出向者を4700名へと拡大させていった。これらの関連事業従事者や出向者のほとんどは,それまで経験したことのない新規の業務に懸命に取り組んでいるのであり,従前の勤務経験等にしがみついている者はいない。 (2) 原告JR東日本のバス事業部門を管轄していた自動車事業部では,国鉄改革の趣旨に則り,バス事業部門の抜本的な経営改善に取り組んだ。具体的には,年々利用旅客が減少している第3種生活路線を中心とした不採算路線の休止,廃止及び運行便の削減をする一方,OA機器の導入による後方事務処理の簡素化等の業務執行体制の全般的な見直しを行うとともに,これによって生み出された要員については,高速路線バスの運行で活況を呈し,今後もその拡充のために要員補充が必要な東京自動車営業所等への転勤を推進した。 また,自動車事業部においては,国鉄時代各方面から職員 って生み出された要員については,高速路線バスの運行で活況を呈し,今後もその拡充のために要員補充が必要な東京自動車営業所等への転勤を推進した。 また,自動車事業部においては,国鉄時代各方面から職員の企業意識の欠如が強く指摘されていたことを踏まえ,社員の意識面の教育にも積極的に取り組み,その一環として,自動車営業所長や自動車事業部幹部社員等が,機会あるごとに,社員に対し,各種効率化施策の推進等に関する理解を求めたり,バス事業の経営分離に伴う社員としての取組方についての話をするなど,社員の企業意識の醸成に努めた。 特に,α自動車営業所は,国鉄時代から,30名を超える管内で最も多くの余力人員を抱えていた上,バス路線も第3種生活路線が全路線の約65パーセントを占めるなど,路線資質が悪く,経営環境は極めて厳しい状況にあり,バス事業を今後とも維持,存続していくためには,社員の意識改革を進め,経営効率を向上させるとともに,相当規模の路線削減を実施し,余力人員を解消するための転勤を更に推進することが不可避であった。 (3) 前記の東京自動車営業所とα自動車営業所との状況に象徴されるように,自動車事業部の要員配置は全体として多くの余力がありながら,非常にアンバランスな状況にあった。こうした状況を解消するため,原告JR東日本は,昭和63年4月からのバス事業のバス会社への経営分離に備え,昭和62年11月以降,管内の余力人員箇所から欠員箇所への転勤を実施するとともに,今後のバス事業の経営分離等の事業展開を踏まえた抜本的な要員対策を講ずることとした。 バス事業は典型的な労働集約型産業であり,人件費の高騰が経営収支の悪化に直結することから,原告JR東日本は,経営負担を招来する余力人員は基本的に1名たりとも存置しないという考え方に立って,昭和62年12月,バス会 的な労働集約型産業であり,人件費の高騰が経営収支の悪化に直結することから,原告JR東日本は,経営負担を招来する余力人員は基本的に1名たりとも存置しないという考え方に立って,昭和62年12月,バス会社の業務運営に必要な社員数を888名と算定したが,当時の自動車事業部の社員数は920名であり,同事業部の全社員をバス会社で抱えることは到底できない状況であった。 そこで,バス事業にとって絶対的な余力人員となる30数名については,バス事業以外で活用することとし,前記昭和63年4月の経営分離に向けて,逐次鉄道部門へ転勤させることとした。この結果,鉄道部門への転勤者は,昭和63年1月25日付けの本件転勤のほか,同年2月13日付けで小諸自動車営業所から2名,同年4月1日付けで18名,以上22名となった。 α自動車営業所においては,第3種生活路線等の休止,廃止等の効率化施策の進ちょくに伴い,仮に自動車事業部管内の欠員箇所の要員をすべてα自動車営業所の余力人員で補充したとしても,なお,同営業所には余力人員が残るという,極めて深刻な要員状況にあり,このことは,同営業所の転勤実績(昭和62年度中に東京自動車営業所へ15名,高崎運行部へ5名(本件転勤を含む。)。原告バス会社設立以降にも引き続き実施された。)の結果,同営業所の人員は,昭和62年4月当時の112名から,平成3年4月には53名へと半減していることからも明らかである。 (4) 本件命令は,以上のような厳しい経営環境と実態を無視して,社員の意識改革を求める発言を脱退勧奨であるとし,本件転勤命令を不当労働行為であるとするものであって,到底容認できない。 (参加人ら)原告らの主張は,本件不当労働行為の問題を,経営問題,要員問題にすり替えて本件命令を非難するものである。不当労働行為があれば,不当労働行為 あるとするものであって,到底容認できない。 (参加人ら)原告らの主張は,本件不当労働行為の問題を,経営問題,要員問題にすり替えて本件命令を非難するものである。不当労働行為があれば,不当労働行為と認定され,それに対する救済方法が命じられるのであり,本件命令に違法はない。 2 争点1(P8所長の言動の不当労働行為性)について(原告ら)(1)ア P8所長は,前記1(原告ら)(2)(3)のとおりの状況下で,他の営業所の所長等と同様に,α自動車営業所の各種効率化施策の推進等に対する社員の理解を得るために,社員に対し,バス事業の厳しい現状や同営業所をいかに存続させていくかなどについて,機会あるごとに話をしていた。 本件で問題となっている昭和62年12月4日及び同月5日のP8所長の言動は,同営業所のリーダー的存在ともいえる日勤勤務者にこれらの話をしたにすぎず,国労からの脱退を慫慂したものでは全くない。 イ本件命令は,P8所長の言動が国労からの脱退を慫慂したと判断した理由として,①全所員を集めず,日勤勤務者のみに話したこと,②日勤勤務者を1ないし3名づつ個別に所長室に呼び入れ,3時間もの長時間にわたって話をしたこと,③P11がP8所長に抗議した後,他の日勤勤務者に話をしていないこと,を挙げている。 しかし,①については,P8所長は,営業所のリーダー的存在ともいえる日勤勤務者にまず話をして,その理解を確かなものにした上で,日勤勤務者を通じて乗務員等にその考え方を伝えようとしたものであり,何ら不合理な点はない。 また,自動車営業所に勤務する社員の大半は乗務員であるところ,乗務員の出退勤時間等の勤務形態は一人一人異なっているため,乗務員や日勤勤務者を含めた自動車営業所の全所員を集めることは物理的に不可能である。さらに,P8所長は,日勤勤務者に限ら 務員であるところ,乗務員の出退勤時間等の勤務形態は一人一人異なっているため,乗務員や日勤勤務者を含めた自動車営業所の全所員を集めることは物理的に不可能である。さらに,P8所長は,日勤勤務者に限らず,他の社員に対しても,社員身上調書及び自己申告書の提出時,又は朝の点呼時等の機会をとらえて,α自動車営業所の厳しい現状や今後の経営改善に対する理解と協力について話をしていたのであり,日勤勤務者のみに話をしていたわけではない。 ②については,自動車営業所においてすべての日勤勤務者が同時に席をはずすことは,その業務遂行に支障を来すおそれがあった上,所長室の物理的なスペースも勘案して行ったことであり,極めて自然な方法である。かえって,一方的に国労からの脱退を強要するためであれば,一人ずつ個別に呼び入れて行う方が自然であるというべきである。 また,P8所長は,話し相手である日勤勤務者の意見も聞きながら話をしていたからこそ,話が長時間に及んだのであり,何ら不思議はない。 ③については,P8所長は,P11からの抗議に対し,不当労働行為的なことは言っていないことを2時間に及び再三にわたって説明したのに,それでも正当に理解しようとしないP11の態度を見て,これ以上他の日勤勤務者に話をしても混乱するだけであると考えて,残りの2名について話をすることをやめたにすぎない。 (2) 個別の言動についてア P16に対する言動(争点2(1))P16に対する言動に係る証拠は,P16の報告書(乙20)のみである。しかし,同報告書によると,脱退勧奨を受けたP16が,他の日勤勤務者が脱退勧奨を受けている最中に,再び所長室に入りP8所長の話を聞いていたことになり,このことは常識では考えられないというべきである。P8所長が,バス事業の経営分離に向けての社員としての取組等を話 者が脱退勧奨を受けている最中に,再び所長室に入りP8所長の話を聞いていたことになり,このことは常識では考えられないというべきである。P8所長が,バス事業の経営分離に向けての社員としての取組等を話していたからこそ,P16はその話に再度加わったと理解すべきであり,同報告書の記述は到底信用できない。 イ P12に対する言動(争点2(2))本件命令は,P8所長がP12に対し,「労使共同宣言なり,雇用安定協約がない組合では,いくら一生懸命働いても,まじめに働いても,会社は認めない。」などと述べた旨認定する。しかし,原告JR東日本は,昭和62年12月時点で,国鉄時代の雇用安定協約などどの組合とも一切締結していないから,P8所長が前記のような話をすることはあり得ない。また,P12自身,P8所長は,直接,組合を抜けてくれとかやめてくれといった話をしたわけではないと述べている(乙99)。本件命令は,明らかに事実を誤認している。 ウ P17,P18びP19に対する言動(争点2(3))P17,P18及びP19の証言内容等(乙21,22,100)を比較検討すると,P17は乙第21号証の報告書において,P8所長が「共協連合」という言葉を使ったとする一方で,P19はその証言(乙100)において,このような言葉は出なかったと明確に否定しているなど,3名の間には多くの矛盾があり,いずれも信用するに足りない。 エ P20及びP21に対する言動(争点2(4))本件命令の認定するP20及びP21に対する言動については,P8所長が,国労からの脱退を強要した事実は一切ないことを明確に述べており(乙110),本件命令の認定は到底是認できない。 (3) P11の証言について本件命令は,P11の証言(乙97,98,151)に多くを依拠しているが,同証言は,(ア)その内容の 明確に述べており(乙110),本件命令の認定は到底是認できない。 (3) P11の証言について本件命令は,P11の証言(乙97,98,151)に多くを依拠しているが,同証言は,(ア)その内容のほとんどが,参加人α分会の組合員からの報告などの伝聞であり,その伝聞相手や内容について曖昧な証言に終始していること,(イ)P12の報告を聞いたことをきっかけとして,P8所長に抗議を行ったとするが,P12自身は,P8所長の話には不当労働行為的な発言はなかった旨証言していること,(ウ)分会長であるP12に関する問題について,分会の書記長であるP11が翌日改めて抗議に行くというのは不自然であること,(エ)P8所長がバス事業の厳しい現状等について話をしたかに関し,初審段階においてはこれを認めていたところ,再審査段階においては全面否定してこれを翻していること,以上からして到底信憑性がない。 (4) 社長のあいさつ等について本件命令が引用するP3社長のあいさつは,その内容を記載した書証の作成者の関係上,正確性を保持し難いものである上,同あいさつは,同社長が東鉄労大会に来賓として招待された際に行った,社交辞令的なものであるから,本件命令が,その片言隻句をとらえて,同あいさつが国労嫌悪の意思の徴表であるかのように判断する点は到底是認できない。 また,本件命令が,営業所長会議において,一企業一組合が望ましいとの話題が出たと指摘する点については,複数の労働組合が併存するという経験がほとんどなかった自動車営業所において,国労,東鉄労,鉄産労という3つの労働組合の組合員同士が,組織拡大のためにいがみあったり対立するなど,職場の雰囲気がぴりぴりしている状態に直面したため,同会議の前に,何人かの営業所長がこれを話題にしたという程度のものにすぎない。 なお,本件命令 同士が,組織拡大のためにいがみあったり対立するなど,職場の雰囲気がぴりぴりしている状態に直面したため,同会議の前に,何人かの営業所長がこれを話題にしたという程度のものにすぎない。 なお,本件命令のように,他の地方労働委員会の救済命令があることをもって,その当否について判断することなくして,不当労働行為意思を推認することは,違法,不当である。 (被告)(1) P8所長の言動が不当労働行為に当たることは,別紙1(初審命令)及び同2(本件命令)記載のとおりであり,被告の事実認定及び判断に誤りはない。 (2) P8所長の言動は,国労と原告JR東日本とが対立し,しかも,参加人自動車支部の執行委員長P9及び参加人α分会副委員長が国労を脱退し,さらに,同時期に多数の組合員が国労を脱退し,参加人自動車支部及び参加人α分会を含む各営業所の分会が組織的に動揺していた状況下でされたもので,国労組合員であることの不利益を示唆し,国労からの脱退を慫慂したものというべきである。 原告らの主張するように,自動車事業の経営が厳しい状況にあり,自動車事業の経営分離に対する社員としての取組について話をする必要性があったとしても,同所長の言動は参加人α分会らの運営に支配介入した不当労働行為であると認められるものである。 (3) P12に対する言動について,P8所長が何故当時既に存在しなかった雇用安定協約に言及したのか,その真意は明らかではないが,この発言が国労組合員であることの不利益を示唆し,国労からの脱退を慫慂する趣旨のものであったことは,本件命令のとおりである。 (参加人ら)P8所長が参加人ら所属組合員に対し,不利益を示唆し,国労からの脱退を慫慂したことは,各証拠上から明らかである。 3 争点2(本件転勤命令の不当労働行為性)について(原告ら)(1) P2に対す P8所長が参加人ら所属組合員に対し,不利益を示唆し,国労からの脱退を慫慂したことは,各証拠上から明らかである。 3 争点2(本件転勤命令の不当労働行為性)について(原告ら)(1) P2に対する転勤命令についてア本件命令は,P2に対する転勤命令の不当労働行為性の根拠として,α自動車営業所の営業当直は,もともとローテーションにより担当者を決定していたことを挙げる。 イ営業当直とは,営業の総括責任者である営業助役の下で行う営業事務の中で,一昼夜交代勤務による勤務をいう。国鉄時代の営業業務は,運輸管理係から助役へという,管理職への登用や非現業への登用のステップの一つと考えられており,バスの営業制度全般の知識と業務遂行能力の高い者が担当する業務とされ,営業当直を経験した後,日勤デスク勤務となるのが通例であった。 ウ営業当直には営業係(車掌)から登用されていたが,ワンマン化が進むにつれて,事務係に配属となった車掌からも登用されるようになり,車掌の採用が行われなくなった昭和59年6月からは,運転係(運転士)の中からも登用されるようになった。しかし,その後も,運転係には乗務予備勤務者が置かれていたため,運転士であった者であっても営業当直者が営業便に乗務することは,運転係の職域を侵すことになるとして,認められていなかった。したがって,営業当直を命ぜられた運転係の職員が,運転を行ったり営業事務を行ったりするようなことはなく,いったん営業当直となった者がその後に運転業務に復帰することもなかったのであり,ローテーションによる営業当直などということはあり得ない。 営業当直は運転士がローテーションで上がっていった旨のP8所長の証言は,運転士の業務と営業当直の業務を交代で行うという意味ではなく,運転士の中から営業当直に上がったという意味にすぎず,同証言 い。 営業当直は運転士がローテーションで上がっていった旨のP8所長の証言は,運転士の業務と営業当直の業務を交代で行うという意味ではなく,運転士の中から営業当直に上がったという意味にすぎず,同証言を引用してする被告の主張は,営業当直となった者が運転士に戻ることは予定されていない旨の原告らの主張に対する反論となっていない。 エ営業当直の業務は,バスのワンマン化によって,他の自動車営業所においては昭和56年から昭和57年にかけて廃止されたが,α自動車営業所においては,完全にワンマン化されたのが昭和61年7月であったこと等から廃止が遅れ,原告JR東日本発足後も唯一存続していた。しかし,バス事業の厳しい経営環境の中で,同営業所においても,昭和63年1月末をもって営業当直制度を廃止し,日勤勤務者で対応することとされた。 しかし,この廃止に伴い,営業当直者はいったん運転係に戻されるべきであるという本件命令は,運転士の業務と営業の業務が明確に区分されており,相互交流ということがあり得ないという前記の実状を無視したものである。 オ参加人らは,営業当直となった後再度運転業務に就いたことがある旨主張するが,少なくともα自動車営業所においては,そのような例はない。後記参加人ら主張(2)に係るP22については,同人が昭和61年3月に渋川支所に異動した際,同支所において運転係の業務に就いたことは認めるが,あくまで転勤先で同業務に就いたにすぎない。また,同じくP22の後任として営業当直となったP23については,営業当直制度が廃止され,日勤デスク勤務となった後原告バス会社発足後に運転係の業務を行っていたことはあるが,これは同社が経営の合理化等のため弾力的な要員運用をすることにしたためであり,原告JR東日本がP23について運転係の業務に係る発令をした事実はない。 社発足後に運転係の業務を行っていたことはあるが,これは同社が経営の合理化等のため弾力的な要員運用をすることにしたためであり,原告JR東日本がP23について運転係の業務に係る発令をした事実はない。 なお,P24の後任として営業当直となったのはP19であり,P2はP16の後任として営業当直を命じられたものである。 カ原告JR東日本は,過員を解消するために転勤発令をせざるを得ない状況の下,転勤対象者として,当該廃止となる業務に従事していた者,すなわち,α自動車営業所で営業当直の業務に就いていた3名(P2と,別紙3「P8所長の推薦した6名の社員一覧」のM,N)をまず考慮した。このような考慮自体常識的なことである。 前記3名は同じような家庭環境にあったが,Mについては,50名以上の職場には衛生管理者を指定する必要があり,Mがこれに指定されていたため,転勤を見合わせた。また,Nについては,東京へ転勤させることが可能であり(P2を東京に転勤させることは,年齢面から不適当であった。),その将来の転勤可能性を考えて,本件転勤の対象者から外した。さらに,通勤事情(MとNの通勤最寄り駅はα駅である一方,P2のそれは渋川駅であり,高崎駅までの通勤を考えれば,P2が他の2名の半分の時間である30分で済むこと)も配慮して,原告JR東日本は,本件転勤の対象者としてP2を選択した。 以上のとおり,本件転勤は業務上の必要に基づく正当なものであって,P2の人選は何ら不合理と非難される筋合いはない。 (2) P1に対する転勤命令についてア原告JR東日本は,α自動車営業所の要員問題を解決するために,東京自動車営業所への転勤と併せて,高崎運行部への転勤を実施したが,P8所長は,これら転勤の実施に先立って,自動車事業部長に対し,転勤候補者の推薦を行った。 この推薦に当 要員問題を解決するために,東京自動車営業所への転勤と併せて,高崎運行部への転勤を実施したが,P8所長は,これら転勤の実施に先立って,自動車事業部長に対し,転勤候補者の推薦を行った。 この推薦に当たっては,東京自動車営業所への転勤については,転居が伴い,職種も高速バスの運転であること等を勘案し,転居の負担の比較的少ない独身者等若い者を中心に推薦する一方,高崎運行部への転勤については,転勤先への通勤が可能であることから,家庭事情で転居が困難であると申告していた比較的中年層の者を基本的に推薦していくという考え方を採った。 これに基づいてP8所長が渋川支所から推薦したのが,別紙「P8所長の推薦した6名の社員一覧」のとおり,P1,F及びGの3名の運転係であった。そして,自動車事業部としては,渋川支所の過員が1名であったこと,F,Gの最寄り駅は渋川駅である一方,P1の最寄り駅は高崎駅であり,高崎運行部の勤務地は高崎駅であるということを考慮して,P1を人選したのである。 イ前記第1の6(8)記載のBについては,当時52歳であり,原告JR東日本の当時の定年(55歳)までの期間を考慮して転勤候補者に選ばなかったのであり,国労を脱退したから選ばなかったのではない。 ウそもそも転勤命令の不当労働行為性については,その成立を主張する者において主張,立証しなければならない。被告は,本件転勤当時原告JR東日本のバス事業部門に合理化の必要性があったこと自体は認めていながら,人選の合理性に「疑問が残る」ことだけを理由に,不当労働行為の成立を認めており,これは,立証責任を理解しない独自の見解であるといわざるを得ない。 (3) 本件転勤による不利益についてア本件命令は,本件転勤により,P2及びP1に不利益が生じた旨指摘するが,これらの不利益は,いずれも原告JR東日 理解しない独自の見解であるといわざるを得ない。 (3) 本件転勤による不利益についてア本件命令は,本件転勤により,P2及びP1に不利益が生じた旨指摘するが,これらの不利益は,いずれも原告JR東日本の社員として当然甘受すべき許容の範囲内である。本件命令の判断は,原告JR東日本の社員の中には,余力解消のための発令によって,それまでに従事したことのない業務に就いている者が多数いるという現実に目をつむり,組合活動を神聖化して,原告JR東日本に対し,社員という立場より組合の活動家という立場を尊重するよう要求するものであり,到底容認できない(なお,P2は,本件転勤後,国労高崎地方本部において業務部長の役職に就き,中央委員会においても平成11年の大会で議長団を務めるなど,活発に組合活動を展開しており,本件転勤によってその組合活動に支障を来した形跡は全くない。)。 また,原告JR東日本においては,社員の採用に当たって勤務箇所,職種を限定しておらず,企業としても,雇用した労働者の能力を有効に活用していくために人事異動を行うことは当然であり,P2及びP1もこのことを知って原告JR東日本への入社を希望して採用されたのであるから,転勤命令が異系統へのものであったとしても,不当労働行為と非難されるいわれはない。 イなお,P2が国労全国自動車協議会副議長として東京に通うとしても,P2の転勤先は自宅から至近距離にある高崎駅であり,東京への往復が従来よりも便利になったとはいえても不便になったということはあり得ない。また,P1が転勤前参加人α分会の分会長代行を務めていたとはいえ,本件転勤当時同分会の組合員は5名であり,その全員が役員であったから,P1の転出によって組合活動に重大な支障が生ずることはあり得ない。 (被告)(1) 本件転勤が不当労働行為に当たることは はいえ,本件転勤当時同分会の組合員は5名であり,その全員が役員であったから,P1の転出によって組合活動に重大な支障が生ずることはあり得ない。 (被告)(1) 本件転勤が不当労働行為に当たることは,別紙1(初審命令)及び同2(本件命令)記載のとおりであり,被告の事実認定及び判断に誤りはない。 (2) P2への転勤発令について営業当直は原告らの主張(1)イのとおり業務遂行能力が高い者が担当し,営業当直経験後日勤デスク勤務となるのが通例であるから,その任に当たっていたP2について,営業当直制度の廃止に伴い直ちに転勤候補者としたことの合理性についてはにわかに首肯し難い。また,P2は,運転係として発令されていたところ,P8所長は,営業当直は運転士がローテーションで上がっていった旨証言している。 別紙3「P8所長の推薦した6名の社員一覧」のとおりP2以外にα自動車営業所において転勤候補者となった2名のうち,Mについては,原告らは,衛生管理者であることが本件転勤対象者からの除外理由となることの説明をしていないこと,Nについては,年齢が若く,後に東京自動車営業所へ転勤することが予定されていたとみられること,以上の点にかんがみると,これら2名を転勤候補者に人選したこと自体疑問なしとしない。そうすると,P2を人選したことについても,その合理性に疑問が残るといわざるを得ない。 (3) P1への転勤発令について渋川支所において,本件転勤の対象者となり得る8名の中から,国労を脱退した者を選ばず,国労を脱退しなかったP1を含む3名(別紙3「P8所長の推薦した6名の社員一覧」のとおり)を選んだ理由について,原告らは何らの説明をしておらず,したがって,P1を人選したことの合理性に疑問が残るといわざるを得ない。 (4) 本件転勤による不利益について自動車事業 社員一覧」のとおり)を選んだ理由について,原告らは何らの説明をしておらず,したがって,P1を人選したことの合理性に疑問が残るといわざるを得ない。 (4) 本件転勤による不利益について自動車事業部からの本件転勤により,P2及びP1は自動車事業分離の際に自動車事業部に在籍していないことになり,その結果,原告バス会社への出向対象者から除外されることは明らかであった。両名は,このような取扱いを受けることにより,自動車事業部において長年蓄積してきた経験と知識を生かすことができなくなり,また,これまでとは全く異質の関連事業の業務である,直営店舗での今川焼きの実演販売等の業務に従事しなければならなくなった。さらに,両名は自動車事業の分離に反対する国労に所属し,P2は国労全国自動車協議会副議長に,P1は渋川分会分会長代行に,それぞれ就いており,本件転勤により,その活動の基礎を失うなど組合活動の制約を受けている。 このように,本件転勤は,業務上の必要性に名を借りて,自動車事業の分離に反対する国労から脱退しないばかりかその役員に就いて活動を続けるP2及びP1を,自動車事業部から鉄道部門に転勤させることにより,自動車事業部から排除し,その結果,原告バス会社への出向対象者から除外し,さらに,本来の業務とは全く異質の職務を命じることにより,殊更不利益に取り扱ったものと評価せざるを得ない。 (5) 原告JR東日本のP3社長が国労を嫌悪する発言を行ったこと,P8所長が国労組合員に対し脱退慫慂の発言を繰り返していたことなど,原告JR東日本が国労を嫌悪し,その弱体化を企図していたことなどが認められ,また,渋川支所等の組合員が国労を脱退し,渋川支所では渋川分会が事実上消滅したが,同支所で国労を脱退した7名は東鉄労に加入し,その後も同支所で勤務していることなどが認め していたことなどが認められ,また,渋川支所等の組合員が国労を脱退し,渋川支所では渋川分会が事実上消滅したが,同支所で国労を脱退した7名は東鉄労に加入し,その後も同支所で勤務していることなどが認められるのであって,本件転勤に関する本件命令は,本件の不当労働行為によってもたらされた不公正な状態を,労働組合法の理念に則した公正,正常な状態に回復させるための正当なものである。 (参加人ら)(1) 本件転勤は,P2及びP1が参加人らの組合員であり,かつ,参加人らのために積極的に活動していることを理由としてされたものであり,不当労働行為である。 仮に,一般論として,社員に転勤命令を甘受すべき義務があったとしても,不当労働行為に該当する不利益処分として転勤命令が発せられた場合には,これを救済することは当然のことである。 (2) P2への転勤命令についてP2の配属されていた運転係から営業当直への異動は,上位の者から順に,いわゆる年功序列のローテーションにより行われていた。 すなわち,α自動車営業所においては,昭和59年6月1日,当時の上位者であるP24及びP22が営業当直に異動となったが,昭和61年3月1日,P22が運転係に戻った結果,その次の順位者であるP23が同日付けで営業当直となった。また,P24が昭和61年12月31日に退職となるため,その補充として,次の順位者であるP2が,同年12月1日付けで運転係から営業当直へ異動となった。なお,営業当直の廃止に伴い,昭和63年2月1日,P23は運転係に戻ったが,P2は,その直前に本件転勤となったのである。 また,営業当直であっても,元運転係の者は,実際の運転を担当することがあった。 4 争点3(P1の出向)について(原告ら)(1) 前記第1の11のとおり,P1は,本件協定及び原告JR東日本の就 また,営業当直であっても,元運転係の者は,実際の運転を担当することがあった。 4 争点3(P1の出向)について(原告ら)(1) 前記第1の11のとおり,P1は,本件協定及び原告JR東日本の就業規則に基づき,平成11年12月1日付けで高鉄開発へ出向した。この出向制度は,原告JR東日本における定年延長に伴って導入されたものであり,本件転勤の基礎となった事実と無関係であり,かつ,原告バス会社の分離・独立に伴う原告JR東日本から原告バス会社への出向とも無関係である。 (2) したがって,本件命令中P1に関する部分は,これを履行する余地がなく,これによって救済されるべき利益が存在しないから,取り消されるべきである。 (被告)仮に,原告ら主張のP1の出向が本件命令の履行を不能ならしめる事情に該当するものであれば,原告らには本件命令の当該部分の取消しを求める法律上の利益がなくなったというべきであり,本件命令発令後の原告ら主張の事由により本件命令が違法となるものではない。 労働委員会の救済命令について,使用者はその確定を待たずにこれを履行すべき義務を負うところ,原告らは,この義務を履行せず,自らが履行しないことによって救済命令が履行できなくなった,あるいは,その必要がなくなったと主張しているにほかならないのであって,このような主張が正当でないことは明らかである。 (参加人ら)前記原告らの主張のうち,(1)の事実は認め,(2)については争う。 仮に原告らが命令を履行することができなくなったとすれば,それは,労働委員会の命令を直ちに履行しなかった原告らの責任によるものである。 5 争点4(救済方法の適法性)について(原告ら)(1)ア本件命令は,原告JR東日本と原告バス会社とが一体性を有するとしている。 イしかし,原告バス会社が原告JR東 らの責任によるものである。 5 争点4(救済方法の適法性)について(原告ら)(1)ア本件命令は,原告JR東日本と原告バス会社とが一体性を有するとしている。 イしかし,原告バス会社が原告JR東日本から100パーセント出資を受けているからといって,そのことは一体性を肯定する根拠とはならない。 ウ業務運営に必要な施設,車両等が原告JR東日本から原告バス会社に承継されていることは,原告バス会社が原告JR東日本の一部門を分離して設立された法人である以上,当然のことであり,その故に両者が一体性を有することになるという理由はない。 エ一般の社員が原告JR東日本からの出向者であることについては,原告バス会社が原告JR東日本の一部門を分離・独立して設立されたものである以上,原告JR東日本において当該業務に従事していた者が原告バス会社にそのまま移行することに何ら不思議はないし,これら一般社員はそもそも経営責任を負うわけではないから,一般社員が原告JR東日本からの出向者であるからといって,原告JR東日本と原告バス会社の一体性が肯定されるものでもない。原告JR東日本は形式的には原告バス会社の社員の賃金を負担しているが,これは,極めて短期間のうちに,国鉄から原告JR東日本,原告JR東日本から原告バス会社へと雇用主が変化することによる不安を解消し,業務のスムースな移管を実現するための方策にすぎず,また,原告バス会社はその賃金相当額を原告JR東日本に支払っているのであるから,このことは,原告JR東日本が原告バス会社の経営責任を負うことを意味するものではない。 なお,原告バス会社の経営について責任を有する役員は確かに原告JR東日本出身者であるが,企業がその営業に属する一つの部門を分離・独立させる際に,従前の担当者等が新会社の常勤の役員に,役員の一部が新会社 お,原告バス会社の経営について責任を有する役員は確かに原告JR東日本出身者であるが,企業がその営業に属する一つの部門を分離・独立させる際に,従前の担当者等が新会社の常勤の役員に,役員の一部が新会社の非常勤役員に就任することは,極めて普通のことである。部門の分離・独立は新たに経営責任を負う者を置き,独自の立場で経営を行うということであるから,分離・独立後も従前の会社の支配を受けるというのでは,分離・独立の意味がない。これら役員は,原告JR東日本の指揮監督を受けるものではなく,原告バス会社において独立した経営者としての責任を負うものである。 (2) 以上のとおりであって,原告JR東日本と原告バス会社が一体であるとはいえず,原告バス会社が発足した時点において,参加人α分会の組合員である原告バス会社の社員と原告JR東日本との間の労使関係は消滅したのである。 したがって,本件命令中,原告JR東日本に対し,参加人α分会に所属する組合員に対し,組合からの脱退を慫慂するなどして支配介入してはならないことを命ずる部分は,労使関係にない者に対する命令であり,違法なものである。また,原告バス会社が独立した経営体である以上,原告バス会社が,原告JR東日本によるP2及びP1に係る出向発令の受入れ義務を課される理由はないから,本件命令中これを命ずる部分も違法である。 原告バス会社は本件転勤当時存在しなかったから,本件転勤について現実的かつ具体的に支配,決定することができる地位にはなく,その発足に際し原告JR東日本における使用者の地位又は雇用関係における債権債務を承継したわけでもないから,本件転勤についての原告JR東日本の責任を負担しなければならない理由もない。 被告は,自らの命令を可能にするためには,原告バス会社を名宛人とする必要があるというだけで同社を名宛 わけでもないから,本件転勤についての原告JR東日本の責任を負担しなければならない理由もない。 被告は,自らの命令を可能にするためには,原告バス会社を名宛人とする必要があるというだけで同社を名宛人としたものであり,そのような命令は違法である。 後記被告の主張(3)にいう,「正常な集団的労使関係秩序」とか,「将来の労使関係」というのが,何を意味するのか不明である。原告バス会社における労使関係と原告JR東日本におけるそれとは全く別個のものであるから,被告が回復,確保,正常化しようとしている労使関係が,原告JR東日本と参加人らとの間におけるものなのか,原告バス会社と参加人らとの間におけるものなのか,理解することができない。かえって,原告バス会社に対して出向の受入れを強制することが,同原告における労使関係にどのような影響を及ぼすのか,また,本件転勤について需給問題等を考慮することなく,無責任に同原告の人員を増やさせることができる理由がどこにあるのか,被告は明らかにすることができないのである。 (被告)(1) 本件命令(別紙2)記載のとおり,原告JR東日本と原告バス会社とは一体性を有し,したがって,労働委員会は,原告JR東日本に対し,参加人α分会に所属する組合員に対し,組合からの脱退を慫慂するなどして支配介入してはならないことを命じ,また,原告バス会社が,原告JR東日本によるP2及びP1に係る出向発令を受け入れるよう命ずることができるのであって,本件命令は正当である。 (2) 原告バス会社は,原告JR東日本の100パーセント出資の子会社として原告JR東日本から自動車事業の営業を譲渡されて設立され,その行う事業の種類,内容は全く同じで,事業の遂行に必要な土地,建物,動産等はそのまま移転され,運行するバスも分離の前後を通じて「JRバス」という名称 東日本から自動車事業の営業を譲渡されて設立され,その行う事業の種類,内容は全く同じで,事業の遂行に必要な土地,建物,動産等はそのまま移転され,運行するバスも分離の前後を通じて「JRバス」という名称で呼ばれており,自動車事業部の有していた債権債務はそのまま原告バス会社に引き継がれている。 また,前記第1の9(2)のとおり,その役員の大多数は原告JR東日本から派遣を受け,部課長等の管理職も原告JR東日本自動車事業部に勤務していた課長等が就き,社員も全員原告JR東日本からの出向者で,出向社員の賃金は,原告JR東日本から支払われている。 そして,P8所長の参加人α分会の組合員らに対する一連の言動は,原告JR東日本の意を体して,自動車事業部の原告JR東日本からの分離に反対する国労からの脱退を慫慂したものと認められ,また,国労から脱退せず,国労全国自動車協議会副議長に就いてその活動を続けるP2と,渋川分会分会長代行として,原告JR東日本のバス路線周辺の自治体から運輸省に提出されたバス部門の分離独立に反対する趣旨の要請書の取りまとめについて自治体の議員に働きかけるなどの活動を行っていたP1とに対し,本件転勤を行って,同人らを自動車事業部から排除し,その結果,原告バス会社への出向対象者から除外して,同人らの業務面,精神面及び組合活動の面において殊更不利益に取り扱ったと判断される本件にあっては,不当労働行為が行われなければ同人らは原告バス会社に出向になっていたものとみなすことができ,同人らの出向に関しては原告バス会社もまた使用者に該当する。 (3) 以上からすれば,原告JR東日本と原告バス会社とは法人格を異にするものではあるが,本件で行われた不当労働行為の救済として,原告JR東日本に対して,支配介入の禁止並びにP2及びP1両名に対する原告バス会社への出向 ば,原告JR東日本と原告バス会社とは法人格を異にするものではあるが,本件で行われた不当労働行為の救済として,原告JR東日本に対して,支配介入の禁止並びにP2及びP1両名に対する原告バス会社への出向発令を行うことを命じ,原告バス会社に対して,両名の出向受入れを命ずることは,使用者による不当労働行為によって生じた状態を,直接,事実上是正することにより,正常な集団的労使関係秩序を迅速に回復,確保,正常化し,将来の労使関係を労働組合法の理念に則した公正なものとするという不当労働行為救済制度の趣旨からすれば,当然のことである。 (4) 最高裁平成7年2月28日第三小法廷判決(以下「朝日放送事件最高裁判決」という。)によれば,労働組合法7条の使用者は,必ずしも労働契約上の使用者にとらわれず,不当労働行為救済制度の目的に即して決すべきであるとの基本命題を導くことができる。 労働組合法7条にいう使用者とは,団体交渉を中心とした集団的労使関係の一方当事者たる使用者のことである。したがって,労働者とある企業との間に近い過去において労働契約関係が生じた場合や近い将来において労働契約関係に入る可能性がある場合には,団体交渉が必要となり団体交渉関係が成立するから,当該企業は労働組合法7条の「使用者」に該当する。原告バス会社は,不当労働行為である本件転勤命令がなければ当然に出向対象となったP2及びP1との間に労働契約関係が成立していたから,両名の「使用者」である。本件は,労働契約関係に隣接する関係を基礎として成立する労使関係を基準として使用者性が問題となる事案であり,労働契約関係に近似する関係を基礎として成立する労使関係を基準として使用者性を判断した朝日放送事件最高裁判決とは事案に異にするものである。 本件再審査審問終結時点でみれば,原告バス会社は明らかに同社 労働契約関係に近似する関係を基礎として成立する労使関係を基準として使用者性を判断した朝日放送事件最高裁判決とは事案に異にするものである。 本件再審査審問終結時点でみれば,原告バス会社は明らかに同社への出向労働者の労働条件に対し具体的現実的支配力を有しており,不当労働行為に当たる本件転勤命令を受けたP2及びP1は,転勤がなかったらそのような出向労働者となっているものと認められるから,不当労働行為の救済方法としての原職復帰命令としては,そのような出向労働者としての取扱いを命ずべきであり,したがって,本件不当労働行為の救済については,原告JR東日本と並んで原告バス会社をも使用者と認めることは当然の事理というべきである。原告バス会社に使用者性が認められないことになれば,およそ出向がからむ不当労働行為事件に対しては,出向形態という適切な救済措置を命ずることができなくなって,救済の実効性が著しく損なわれる結果となり,ひいては使用者に同種の不当労働行為を誘発しかねなくなるのである。 (参加人ら)本件命令は,原告ら両社の設立の経緯,運営の実態,本件不当労働行為の実態等を十分検討した上で,本件不当労働行為に対する救済方法としては,本件命令主文に記載された内容の命令を発するのが相当であると判断しているものであり,何ら違法なものではない。 第3章当裁判所の判断第1 争点1(P8所長の言動の不当労働行為性)について 1 P8所長の言動に関する次の事実は,当事者間に争いがないか,後掲各証拠により認められ(当事者間に争いのないことの指摘及び書証番号は,当該事実の末尾のかっこ内に挙示する。),証拠(乙110,111,146)中これに反する部分は採用できない。 (1) P16に対する言動昭和62年12月4日午後4時ころ,P8所長は,日勤勤務者で参加人α分会のP のかっこ内に挙示する。),証拠(乙110,111,146)中これに反する部分は採用できない。 (1) P16に対する言動昭和62年12月4日午後4時ころ,P8所長は,日勤勤務者で参加人α分会のP16を所長室に呼び入れ,「今の組合にいたのでは,会社は相手にしてくれない。 考えた方がよい。」,「特にデスクの人はよく考えてほしい。」などという趣旨の話をした。 なお,P8所長は,P16に引き続き,日勤勤務者でα分会のP25を所長室に呼び入れ,話をした。 (乙20,110,一部争いがない。)(2) P12に対する言動同日午後4時30分ころ,P8所長は,P25に引き続き,日勤勤務者で参加人α分会のP12(当時同分会の分会長)を所長室に呼び入れ,「今の組合では,労使共同宣言なり雇用安定協約あるいは労働協約がない組合では,いくら一生懸命仕事をしても,まじめに働いても,会社は認めない。」,「ストライキをするような組合があっては困る。」などという趣旨の話をした。 (乙99,110,一部争いがない。)(3) P17,P18及びP19の3名に対する言動同日午後5時ころから午後7時ころまで,P8所長は,P12に引き続き,日勤勤務者で参加人α分会のP17,P18及びP19の3名を所長室に呼び入れ,「国労を抜けて向こうの組合(注・東鉄労のこと)に行ってほしい。向こうの組合がだめならシロ(注・組合無所属のこと)にでもなってくれないか。」,「αは人が余っているから配転があるかもしれない。」,「上信ブロックを欲しがってる会社があるので,そこに身売りをするかもしれない。その時にも国労にいたら不利ですよ。」などという趣旨の話をした。 また,午後6時ころ,P16が書類を届けるため所長室に入室し,しばらくP17らと同席したが,その際にもP8所長は,「国労にいたのではど の時にも国労にいたら不利ですよ。」などという趣旨の話をした。 また,午後6時ころ,P16が書類を届けるため所長室に入室し,しばらくP17らと同席したが,その際にもP8所長は,「国労にいたのではどんなに仕事をしても会社は認めない。」,「デスクの人たちで集まりをもって,国労脱退を決めてほしい。」などという趣旨の話をした。 (乙20ないし22,100,110,一部争いがない。)(4) P20及びP21に対する言動同月5日午前9時ころ,P8所長は,前日同様日勤勤務者で参加人α分会のP20及びP21を所長室に呼び入れ,「現場で皆さん一生懸命仕事しているのは,私の方はわかるんですが,本社はそれを認めてくれません。」,「一企業一組合でなければ会社は発展しない。」,「とりあえず日勤者だけでも抜けてくれないか。」などという趣旨の話をした。 (乙23,97,101,110,一部争いがない。)。 (5) その後の状況ア α自動車営業所の運転係であり,参加人α分会の書記長であったP11は,同分会の分会長であったP12ほかの関係者から,同月4日夕方にP8所長が日勤勤務者を所長室に呼び入れ,日勤勤務者らに対し,国労からの脱退を強要する発言をした旨聞き及び,P8所長に対し,参加人α分会の書記長の立場でこれに抗議を行うため,同月5日午前9時30分ころ,所長室に赴いた。所長室では,P8所長がP20及びP21に話をしていたため,P11は,国労からの脱退を強要していると判断し,事務所にいた首席助役に対し,「所長に,脱退強要をやめないと対抗手段を取ると伝えられたい。」と話したところ,首席助役から,「所長が呼んでいるよ。」と言われたため,所長室に入室した。P11は,「所長,そういうことはやめなさい。」と言って抗議した。 その際にも,P8所長は,P11に対し,「国労では, ころ,首席助役から,「所長が呼んでいるよ。」と言われたため,所長室に入室した。P11は,「所長,そういうことはやめなさい。」と言って抗議した。 その際にも,P8所長は,P11に対し,「国労では,いくら一生懸命仕事をしても会社は認めない。」,「新会社に移行するにあたって三六を破棄するような組合は困る。」などという趣旨の話をした。 (乙97,98,101,110,151,一部争いがない。)イ P11がP8所長に抗議をした以後は,参加人α分会の国労組合員がP8所長から前記のような話をされるということはなかった。結果として,日勤勤務者でP8所長から話をされなかった国労組合員は,P2外1名であった。 (乙97,111,146,151,一部争いがない。)。 2 以上認定に係る事実によれば,P8所長が,参加人α分会所属の前記各組合員に対してした言動は,いずれも,国労を脱退しないと不利益を被ることを示唆し,国労から脱退することを勧める趣旨のものであること,同所長は,このような言動を,わずか2日の間に,参加人α分会に所属する国労組合員のうちの日勤勤務者都合7名に対し相次いで行ったこと,いずれの言動も,相当程度時間を費やして行われたものであり,殊に,P17,P18及びP19に対するものは,約2時間という長時間を費やしていることが認められる。 このことと,前記第2章第1の3(9)のとおり,国労は,自動車事業の分離・独立について反対し,地方公共団体への要請行動などを行っていたこと,同(10)によれば,昭和62年8月6日,原告JR東日本のP3社長が,東鉄労の大会において,国労の活動方針を批判し,企業内の組合が東鉄労に一本化されること(一企業一組合となること)を期待する発言をしたものと認められること,同4(5)記載のとおり,原告JR東日本自動車事業部で行われてい て,国労の活動方針を批判し,企業内の組合が東鉄労に一本化されること(一企業一組合となること)を期待する発言をしたものと認められること,同4(5)記載のとおり,原告JR東日本自動車事業部で行われていた営業所長会議において,一企業一組合,労使協調が望ましいなどといった話題が出たことがあること,同5(8)及び(9)記載のとおり,昭和62年11月28日,参加人α分会において,参加人自動車支部の執行委員長P9及び参加人α分会副委員長が国労から脱退する事態となっていて,P8所長の言動があった当時,同分会所属の組合員間には,国労に所属していることについて一定の動揺があったものと推認されることをも併せ考えれば,P8所長の言動は,原告JR東日本の意を体して,参加人α分会所属の前記各組合員に対し,参加人らからの脱退を慫慂する趣旨のものであったと認めるのが相当である。 3 原告らの主張について(1) 前記第2章第1の4及び5記載の事実と,証拠(乙71,110,146)とを併せ考えれば,昭和62年12月当時,原告JR東日本の自動車事業は,東京等の営業所では欠員を生じていた一方,α自動車営業所においては余力人員が生じていたこと,昭和62年6月時点において,α自動車営業所は,その管轄するバス路線の約65パーセントが第3種生活路線であるため,路線資質が悪く,経営環境が厳しい状況にあったこと,したがって,経営分離後のα自動車営業所におけるバス事業を維持,存続させていくためには,社員の意識改革を進め,経営を効率化させる必要があったこと,以上の事実が認められる。 この事実からすれば,原告らの主張のとおり,当時,P8所長は,その立場上,α自動車営業所所属の社員に対し,自動車事業の経営分離に対する社員としての取組方について理解を求める必要があったものと推認することができる すれば,原告らの主張のとおり,当時,P8所長は,その立場上,α自動車営業所所属の社員に対し,自動車事業の経営分離に対する社員としての取組方について理解を求める必要があったものと推認することができる。そして,証拠(乙99,100,110,111,146,151)によれば,P8所長は,前記1(1)ないし(4)の機会において,そのような理解を求める発言をしたことが認められる。 しかし,社員としての取組方について理解を求めることと,特定の労働組合に所属していることによる不利益を示唆することとは,おのずからその性質を異にするものであるし,前者の点を話すためには後者のような示唆をしなければならないとはいえない。そうすると,前記認定のとおり,P8所長の言動中に,国労に所属していることによる不利益を示唆し,国労からの脱退を勧める部分がある以上,P8所長が同時に社員としての取組方について理解を求める発言をしたからといって,前記不利益を示唆するなどの発言が,参加人らからの脱退を慫慂する趣旨を失うと解することはできない。原告らのこの点に関する主張は採用できない。 (2)ア被告(本件命令)は,①全社員を集めず,日勤勤務者を通じて乗務員等にP8所長の意思を伝えようとしたとの原告JR東日本の主張には疑問がある,②日勤勤務者を1名ないし3名の少人数に分けて話をしたことの合理性は疑問である,③P11から抗議を受けたからといって話のすんでいない日勤勤務者に対する訴えを中止したことは不自然である,とする。 しかし,①については,P8所長は,自動車事業の経営分離に対する社員としての取組方について理解を求めようとしていたのであるから,そのためにまず日勤勤務者に話をすることが不自然とはいえないし,②についても,同様に,そのために少人数に分けて話をすることが直ちに合理性に疑 ての取組方について理解を求めようとしていたのであるから,そのためにまず日勤勤務者に話をすることが不自然とはいえないし,②についても,同様に,そのために少人数に分けて話をすることが直ちに合理性に疑問があるとすることはできない。 さらに③については,P8所長が日勤勤務者に対し社員としての取組方について理解を求める言動をしたことと,抗議をきっかけにしてこのような言動をするのを中止したこととが,その行動として矛盾,抵触するとまではいうことができない。 イ前記(1)のとおり,P8所長は昭和62年12月4日及び5日,日勤勤務者に対し,自動車事業の経営分離に対する社員としての取組方について話をしたと認められ,そのこと自体は格別不自然であるとか不合理であるとはいえないものの,P8所長は,前記2のとおり,その過程において,参加人α分会の組合員に対し,国労からの脱退を勧める趣旨の話も併せてしているのであり,そのことは不当労働行為に当たると認められるから,これを認めた被告(本件命令)の判断には結論において違法はない。 (3) 個別の言動に関する証拠の信用性をいう原告らの主張についてア原告らは,P16の報告書(乙20)において,同人が昭和62年12月4日に再び所長室に入室したことは不自然である旨主張するが,同人が所長室に入室した理由は所長室に書類を届けるためであったのであるから(1(3)),必ずしも不自然とはいえず,原告らの主張は採用できない。 イ原告らは,前記認定に係るP12に対するP8所長の言動中,「労使共同宣言なり雇用安定協約がない組合では」とするくだりは,この当時原告JR東日本との間で労使共同宣言及び雇用安定協約を締結している労働組合はなかった以上,不自然である旨主張する。しかし,証拠(乙16)及び弁論の全趣旨によれば,国鉄当時,国鉄と労使共同宣 この当時原告JR東日本との間で労使共同宣言及び雇用安定協約を締結している労働組合はなかった以上,不自然である旨主張する。しかし,証拠(乙16)及び弁論の全趣旨によれば,国鉄当時,国鉄と労使共同宣言及び雇用安定協約を締結しなかったのは国労及び全動労であったこと,この事実を,国鉄の職員あるいは承継法人発足後の社員は十分認識していたことが認められ,P8所長のこの言動が国鉄の分割・民営化から約8か月しか経過していないことを併せ考えれば,同言動のあった時期には原告JR東日本と労使共同宣言及び雇用安定協約を締結している労働組合はなかったとしても,「労使共同宣言なり雇用安定協約がない組合」とは国労(あるいは全動労)を指すことは明らかであり,そうすると,「労使共同宣言なり雇用安定協約がない組合では」とするくだりがあることで,P8所長のP12に対する言動が不自然なものとなるということはできない。原告らの主張は採用できない。 ウ原告らは,P17の報告書(乙21),P18の報告書(乙22)及びP19の初審での証言(乙100)には矛盾点が多くあり,いずれも信用できない旨主張する。しかし,この3名がP8所長の言動のすべてを完全に一致した形で証言等をするのはかえって不自然であるともいえるのであり,その証言等に相互に少なくとも矛盾がない以上,それぞれの証言等の信用性が減殺されるということはできない。原告らは,P17は乙第21号証の陳述書において,P8所長が「共協連合」という言葉を使ったとする一方で,P19はその証言においてこのような言葉は出なかったと明確に否定している点を挙げるが,P19は,P8所長が,国労と共産党との関係を示唆する言動をしたとの点では,P17の陳述記載と一致しているのであって,このことからすれば,両者の証言等に矛盾,齟齬があるとまではいえない を挙げるが,P19は,P8所長が,国労と共産党との関係を示唆する言動をしたとの点では,P17の陳述記載と一致しているのであって,このことからすれば,両者の証言等に矛盾,齟齬があるとまではいえない。原告らの主張は採用できない。 (4) P11の証言の信憑性について原告らは,P11の初審及び再審査での証言(97,98,151)には信憑性がない旨主張する。 しかし,参加人α分会の組合員からの報告などの伝聞にすぎないこと等(第2章第3の2(原告ら)(3)(ア))については,前記1で認定した事実中,P11が実際に体験していない事実については,実際に体験した者の証言等によって十分認定が可能であるというべきである。 P11の証言とP12の証言との関係(同(イ))については,P12は,P8所長がP12に対し具体的に国労という言葉を使って発言したことはなかった旨証言しているにとどまり,同所長の発言が全体として,国労に所属していることによる不利益を示唆するものであったことについては,これを肯定しているのであって,このことからして,P12の報告を聞いてP8所長に対する抗議に赴いた(なお,P11が,P12からだけではなく,他の関係者からも報告を受け,これをきっかけにして抗議に赴いたことは,前記1(5)アのとおりである。)旨のP11の証言は,P12の証言と何ら齟齬するものではない。 分会の書記長が分会長に関する問題について抗議を行ったこと(第2章第3の2(原告ら)(3)(ウ))については,分会長自身に関わる問題を書記長が自ら乗り出して解決を図る活動をすることが,参加人α分会における当時の分会長と書記長との関係として不自然であると認めるに足りる証拠はないこと,しかも,P12は,昭和62年12月5日当日に分会長を辞任し(第2章第1の5(10)),同日付けを 参加人α分会における当時の分会長と書記長との関係として不自然であると認めるに足りる証拠はないこと,しかも,P12は,昭和62年12月5日当日に分会長を辞任し(第2章第1の5(10)),同日付けをもってP11が同分会分会長代行に就任していること(乙151),P8所長の一連の発言は日勤勤務者に向けられているところ,P11はα自動車営業所においてバス乗務を担当していており(乙97),同人は第三者的な立場にあるともいえることからして,この点に不自然があるとまではいえない。 P11の証言に変遷があること(第2章第3の2(原告ら)(3)(エ))については,初審段階での証言(乙98)は昭和63年6月の時点のものである一方,再審査段階での証言(乙151)は平成3年7月の時点のものであり(乙149),後者の時点でP11の記憶が薄れていてもやむを得ないということもできるから,これをもって同人の証言の信用性が減殺されるということはできない。 以上のとおりであって,P11の証言の信用性を弾劾する原告らの前記主張は採用できない。 (5) 社長のあいさつ等について原告らは,P3社長のあいさつは東鉄労大会での社交辞令的な発言である旨主張するが,前記第2章第1の3(10)の発言内容からして,これを単なる社交辞令であって国労批判等ではないとみることはできない(東鉄労の機関紙に掲載されたP3社長の発言が不正確であるとする証拠もない。)。営業所長会議において一企業一組合が望ましいなど労働組合問題の話題が出たことは,同4(5)で認定したとおりであり,また,前記2のとおり他の地方労働委員会の救済命令があるか否かにかかわらず,P8所長の言動は原告JR東日本の意を体した脱退慫慂と認められるものである。原告らの主張はいずれも採用できない。 4 以上の次第であって,P8所長の言動 労働委員会の救済命令があるか否かにかかわらず,P8所長の言動は原告JR東日本の意を体した脱退慫慂と認められるものである。原告らの主張はいずれも採用できない。 4 以上の次第であって,P8所長の言動は,参加人α分会らの運営に対する支配介入であって,労働組合法7条3号の不当労働行為に当たるとした本件命令は正当である。 第2 争点2(本件転勤命令の不当労働行為性)について 1 本件転勤に関する次の事実は,当事者間に争いがないか,前記第2章第1の5及び7記載の事実及び後掲各証拠により認められ(当事者間に争いのないこと及び証拠番号は,当該事実の末尾のかっこ内に挙示する。),証拠(乙110ないし113,146,147)中これに反する部分は採用できない。 (1) 本件転勤命令に至る経過ア自動車事業部全体の要員状況等自動車事業部において,α自動車営業所等の山間路線,生活路線を管轄する営業所では,第3種生活路線を多く受け持っていたため,運行本数の見直しや路線の廃止が進められ,その結果,昭和62年4月の原告JR東日本発足当時,過員が生じていた。一方,東京,水戸等の営業所では,高速線路線を受け持ち,週末の臨時便の運行,新規路線の拡大等が進められ,その結果,この当時欠員が生じていた。また,同月の原告JR東日本発足を前にして,多くの職員が退職したことも,自動車事業部全体において要員バランスを欠くことになる原因となっていた。 このため,原告JR東日本は,自動車事業部において,同年4月以降,過員となっている営業所から欠員となっている営業所に対し,助勤(1か月など短い期間で交代するという応急的な措置)の形で人員を充てた。さらに,原告JR東日本は,自動車事業部における要員のアンバランスを抜本的に解消するため,同年11月から,自動車事業部内での本格的な転勤を実施した で交代するという応急的な措置)の形で人員を充てた。さらに,原告JR東日本は,自動車事業部における要員のアンバランスを抜本的に解消するため,同年11月から,自動車事業部内での本格的な転勤を実施した。 一方,同年9月,原告JR東日本は,施行法21条の規定に基づき,「一般自動車運送事業の経営の分離に関する検討報告書」を運輸大臣に提出し,また,同年12月,この検討結果を踏まえ,一般自動車運送事業の経営の分離計画の承認申請を行ったが,この承認申請においては,新しいバス会社(原告バス会社)は昭和63年4月1日からその営業を開始すること,関東・上信ブロックにおける新事業者の職員数を888名とすることとされていた。原告JR東日本発足当時の自動車事業部の社員数は920名であり,前記のようなバス業務に係る厳しい経営環境の下において,原告バス会社において過員を抱えて経営を開始することは困難であることから,原告バス会社の発足に向けて,自動車事業部内での転勤により要員の営業所間アンバランスを解消するだけでなく,自動車事業部所属の社員を鉄道部門へ転勤させる必要も生じることとなった。 (乙110,112,146,147)イ α自動車営業所における要員状況等昭和62年6月時点において,α自動車営業所の管轄内では第3種生活路線が約65パーセントとなっていて,自動車事業部全体におけるその割合(約25パーセント)に比べても,特にその路線資質が悪く,経営環境が厳しい状況にあった。そこで,原告JR東日本は,その発足当時α自動車営業所に所属した112名の社員のうち,約半分程度の要員で同営業所を運営するべきであるとの基本的な考えの下,同年10月以降要員調整の本格的な実施に入った。 すなわち,原告JR東日本は,前記のとおりの自動車事業部内での要員調整の一環として,α自動車営 員で同営業所を運営するべきであるとの基本的な考えの下,同年10月以降要員調整の本格的な実施に入った。 すなわち,原告JR東日本は,前記のとおりの自動車事業部内での要員調整の一環として,α自動車営業所についても,その要員のうち平均4,5人を,東京,水戸等の営業所に助勤とさせていたが,さらに,同年11月までに,後記(3)のとおりの本格的な転勤を実施した。しかし,同営業所においては,この転勤によってもなお解消できない過員があり,この過員を解消するためには鉄道部門への転勤が必要な状況にあった。 (乙71,110,112,146,147)ウ本件転勤命令に至る手続P8所長は,昭和62年10月,自動車事業部長から,α自動車営業所の要員見直しについて検討するよう指示を受けた。同所長は,これに応じ,同年11月中旬,α自動車営業所の営業当直担当者3名及び渋川支所の3名を自動車事業部長に推薦した。なお,後記エのとおり、営業当直制度は昭和63年2月1日に廃止されたが,この推薦当時同制度の廃止は既に予定されていた。 P8所長による推薦に係る詳細は,別紙3「P8所長の推薦した6名の社員一覧」記載のとおりである。 原告JR東日本は,この推薦に基づき,転勤対象者としてP2及びP1を選定し,本件転勤命令を発した。 (乙136,146,147,一部争いがない。)エ営業当直制度α自動車営業所では,運賃収入金の精算,両替金の授受業務,鉄道とバスの通し乗車券等の精算事務及び貸切バスに係る営業関係の業務等を遂行するため一昼夜交代勤務による営業当直制度を採っていた。原告JR東日本は,経営合理化のため,同制度を昭和63年2月1日をもって廃止し,以後同制度に関する業務は日勤勤務者で対応することとした。 この営業当直には運転係の上位の者から順次ローテーションにより異動し 東日本は,経営合理化のため,同制度を昭和63年2月1日をもって廃止し,以後同制度に関する業務は日勤勤務者で対応することとした。 この営業当直には運転係の上位の者から順次ローテーションにより異動していたが,昭和62年11月中旬ないし同年12月当時,α自動車営業所には3名(P2,P23,P19)の営業当直担当者がいた。 (甲6ないし8,乙110,111,146,丙1)(2) P2及びP1の本件転勤前後の状況ア P2は,昭和39年に国鉄に採用になり,営業係としてα自動車営業所に勤務していたが,昭和44年大型第二種免許を取得し,昭和51年運転係となり,昭和61年1月からはローテーションにより営業当直の業務に就いた。昭和62年4月,P2は,国鉄の分割・民営化により,原告JR東日本に採用になった。 また,P2は,国鉄採用と同時に国労に加入し,以後,昭和46年に参加人α分会青年部長,昭和49年から昭和50年まで参加人自動車支部青年部長,昭和52年から昭和54年まで参加人α分会書記長,昭和55年参加人α分会副分会長,昭和58年に参加人東京地本群馬県協議会議長,昭和62年12月から国労全国自動車協議会副議長の役職を歴任した。国労全国自動車協議会は,全国の自動車部門で働く国労組合員で組織する協議会で,P2は,その副議長として全国オルグや事務処理などを行っていた。このため,P2は,週2回程度,勤務明けの日に東京の本部へ行っていた。 なお,P2は,初審命令申立て時,群馬県勢多郡<以下略>に居住していた。 (乙26,57,106,一部争いがない。)イ(ア) P1は,昭和44年国鉄両国自動車営業所に運転係として採用になり,昭和54年にα自動車営業所に,さらに昭和55年に渋川支所に転勤になり,一貫して定期バス,貸切バス等の運転業務に従事し,昭和62年4月,国鉄 ,昭和44年国鉄両国自動車営業所に運転係として採用になり,昭和54年にα自動車営業所に,さらに昭和55年に渋川支所に転勤になり,一貫して定期バス,貸切バス等の運転業務に従事し,昭和62年4月,国鉄の分割・民営化により原告JR東日本に採用になった。 P1は,国鉄に採用となってすぐ国労に加入し,昭和56年から昭和58年まで渋川分会執行委員,昭和60年に渋川分会書記次長,昭和61年に渋川分会副分会長の役職を歴任した。また,分会長の退職に伴い,昭和62年4月から渋川分会分会長代行を務めていた。P8所長は,本件転勤命令当時,P1が渋川分会分会長代行を務めていることを認識していた。 なお,P1は,初審命令申立て時,群馬県高崎市ι町に居住していた。 (イ) P1は,κ村,η町など原告バス会社のバス路線周辺の自治体から運輸省に提出されたバス部門の分離独立に反対する趣旨の要請書の取りまとめについて,自治体の議員に働きかけるなどの活動を行った。 (ウ) P1は,乗務員の休憩室に置いてあった労働組合の本箱の撤去命令に従わなかったことや勤務成績不良などを理由に,昭和62年期末手当カットの処分を受けた。 (乙34,107,111,113,一部争いがない。)(3) α自動車営業所における転勤実績昭和62年度におけるα自動車営業所の転勤実績は,次表記載のとおりである。 年月日人数転勤先昭和62年9月1日 1名東京自動車営業所昭和62年11月5日 7名東京自動車営業所昭和63年1月25日(本件転勤) 2名高崎運行部昭和63年2月1日 1名東京自動車営業所昭和63年3月12日 6名東京自動車営業所このうち,昭和62年11月5日付けで東京自動車営業所に転勤した7名について 行部昭和63年2月1日 1名東京自動車営業所昭和63年3月12日 6名東京自動車営業所このうち,昭和62年11月5日付けで東京自動車営業所に転勤した7名については,身上調書により転勤に応じる意思が確認されていた。 (争いがない。) 2 前記1(1)エの認定に関し,証拠(甲6ないし8)によれば,α自動車営業所においては,昭和59年6月1日,当時の運転係の上位者であるP24及びP22が営業当直に異動となったが,昭和61年3月1日,P22が渋川支所へ異動となった結果,その次の順位者であるP23が同日付けで営業当直となったこと,P24が同年12月31日に退職となるため,その補充として,運輸管理係のP19が昭和62年1月に営業当直へ異動となったこと,事務係から営業当直になってたP16が昭和61年1月に日勤勤務となったため,同月その後任に運転係のP2が営業当直へ異動となったことからすれば,運転係の上位の者から順次営業当直へ異動となるとの意味でローテーション異動があったということができる。 なお,証拠(乙106)によれば,P2は営業当直に異動となった後も運転業務を行っていたことが認められるが,証拠(甲7)によれば,運転業務を行う者には運転手予備勤務者が置かれていたことが認められるから,P2が行った運転業務は,一時的臨時的なものと推認され,乙106から,営業当直に異動となった運転手が本来的恒常的に運転業務を行っていたと認めることはできない。 また,証拠(甲7,8,丙1)によれば,営業当直であったP22は,その後渋川支所に異動した際,運転係の業務に就いたこと,同じく営業当直であったP23は,営業日勤担当となった後,原告バス会社に出向後運転係の業務に就いたことが認められるが(丙1のうち,これに反する部分は採用できない。) した際,運転係の業務に就いたこと,同じく営業当直であったP23は,営業日勤担当となった後,原告バス会社に出向後運転係の業務に就いたことが認められるが(丙1のうち,これに反する部分は採用できない。),これらは,転勤先又は原告バス会社に出向後のことであるから,運転係から営業当直へのローテーション異動が前記の意味のものであることの認定を左右するものではない。これに反する参加人らの主張は採用できない。 3 前記1(1)で認定した事実によれば,原告JR東日本においては,本件転勤命令当時,α自動車営業所における過員を解消するために,同営業所所属の社員を鉄道部門へ転勤させる業務上の必要性があったことが認められる。 次に,α自動車営業所から何名転勤させる必要があったかについて検討するに,P5課長代理(乙73,112)は,再審査段階において,自動車事業部は,P8所長に対して転勤候補者を推薦するよう指示するに際し,鉄道部門である高崎運行部へ実際に転勤させる人員数を2名とするとの考えの下,6名を推薦するよう指示した旨証言する(乙147・141頁)が,その一方で,自動車事業部として,推薦された6名のうち渋川支所からの3名については,同支所には1名しか過員がいなかったことから1名を選定し,また,P2及びP1がいずれも転居を伴わないで高崎運行部に転勤できることを考慮して,両名を選定したなどと証言するのであって(同124頁),本件転勤に係る転勤候補者推薦に関するP5課長代理の証言は,前記両証言部分の対比において必ずしも合理的なものとなっているとはいえない。また,P8所長は,再審査段階において,自動車事業部からの推薦指示においては,東京営業所へ3名,高崎運行部へ3名との内容であった旨証言する(乙146・41頁)のであって,この証言内容自体前記P5課長代理の証言と符合 ,再審査段階において,自動車事業部からの推薦指示においては,東京営業所へ3名,高崎運行部へ3名との内容であった旨証言する(乙146・41頁)のであって,この証言内容自体前記P5課長代理の証言と符合しない上,P8所長は,東京営業所へ3名,高崎運行部へ3名との指示内容であったことについて,「結果としてそういうことになるかと思います。」などとあいまいな証言をして(同105頁),同一機会の証言においてその証言内容を変遷させているところである。 したがって,P5課長代理及びP8所長の各証言によって,本件転勤に係る鉄道部門への転勤人数が決められていたことを認めることはできず,他にこれを認めるに足りる証拠はない。かえって,P5課長代理及びP8所長の前記各証言内容に照らせば,自動車事業部は,α自動車営業所への推薦指示に当たり,α自動車営業所から鉄道部門への転勤人数を明確に決めていなかったのではないかとの疑いさえ生ずるものといわざるを得ない。 4 自動車事業部が,本件転勤に係る鉄道部門への転勤人数を決めていたことは認められず,かえってこれを明確に決めていなかったとの疑いがあることは,本件転勤に当たってされた人選についても,その合理性に疑問を生じさせるものであるというほかはない。 この点,原告らは,(1)P2に関し,α自動車営業所において当時廃止となる予定の営業当直の業務に就いていた3名から人選することとした上で,P2以外の2名についてはそれぞれ転勤を見合わせるべき事情があった一方,P2については高崎への通勤事情も配慮できるため,P2を選定した旨主張し,また,(2)P1に関し,渋川支所勤務の社員で,家庭事情で転居が困難である中年層3名の中で,P1の最寄り駅が高崎駅であることを考慮して,P1を選定した旨それぞれ主張し,以上の各主張に沿う証拠(P5課長代 (2)P1に関し,渋川支所勤務の社員で,家庭事情で転居が困難である中年層3名の中で,P1の最寄り駅が高崎駅であることを考慮して,P1を選定した旨それぞれ主張し,以上の各主張に沿う証拠(P5課長代理及びP8所長の各証言。乙146,147)もある。 しかし,前記のとおり,P5課長代理及びP8所長のこの点に関する証言に合理性がなく,あるいは変遷がみられることにかんがみれば,同各証言は容易には信用し難い。 また,(1)については,前記認定のとおり,営業当直には,運転係の上位の者から順次異動させるというローテーションにより担当者が決定されていたからといって,同じく運転係でありながらたまたま廃止となる予定の営業当直の業務に就いていた3名のみを人選の対象者とするというのは,その人選の公正さに疑問が生ずるというべきである。この点,P5課長代理の初審段階における証言(乙112)中には,営業当直担当者をいったん運転係に戻して,運転係総体の中で人選をすることは,ただでさえ過員となっている運転係に更に過員を増やすことになり,社員管理上好ましくないとする部分があるが,仮にそうであったとしても,営業当直の業務に就いていた者の立場からすれば,前記のとおりローテーションによりたまたま営業当直になったからといって当然に異動対象者とされるいわれはないし,異動対象者は異動先である鉄道部門においては営業当直となることはなく,より上位の職になる保証はないことはもとよりバスの運転手になることはないのであるから,直近に営業当直制度の廃止が控えている状況下における配転に係る人選方法の判断として,営業当直からこれを人選することが合理的なものと考えるのは困難であり,同証言部分は前記判断を左右するものではない。 さらに,α自動車営業所において,P2以外に転勤候補者となった2名のうち 断として,営業当直からこれを人選することが合理的なものと考えるのは困難であり,同証言部分は前記判断を左右するものではない。 さらに,α自動車営業所において,P2以外に転勤候補者となった2名のうち,Mについてはともかくとして,Nについては,年齢が若いところ,原告らの主張(第2章第3の3(原告ら)(2)ア)によっても,P8所長は高崎運行部への転勤については比較的中年層の者を推薦するという方針をとったとするのであるから(乙146においてP8所長も同旨の証言をする。),このように年齢が若いNを高崎運行部への転勤候補者とすること自体その人選に疑問が残るというべきである。 (2)についても,第2章第1の6(8)及び前記1(1)ウ記載の事実によれば,当時渋川支所には,原告ら主張に係る3名以外にも中年層の社員がいたこと,当該3名は国労を脱退して東鉄労組合員となった同支所勤務の他の中年層の社員とは異なり,本件転勤命令当時いずれも国労組合員であったことが認められるところ,国労を脱退して東鉄労組合員となった他の中年層の社員全員について高崎運行部への転勤が困難であるとする家庭事情を認めるに足りる証拠はないことからすれば,当該3名の人選が,家庭事情で転居が困難である中年層であることのみを基準としたものと認めることは困難であるというほかはない。 他に,原告らの主張を認めるに足りる証拠はなく,同主張は採用できない。 5 次に,P8所長が本件転勤命令当時,P2及びP1の組合活動等に関して認識していたかについて検討するに,P8所長が,本件転勤命令当時,P1が渋川分会分会長代行という,国労の下部組織の役職を務めていたことを認識していたことは,前記1(2)イ(ア)のとおりである。P8所長は,P2が組合の役職を務めていたことについて認識がなかった旨証言するが(乙111) 代行という,国労の下部組織の役職を務めていたことを認識していたことは,前記1(2)イ(ア)のとおりである。P8所長は,P2が組合の役職を務めていたことについて認識がなかった旨証言するが(乙111),前記第1の認定,判断によれば,P8所長はこの当時国労の動向について注目していたものと認められ,このような同所長が,自ら所長を務めるα自動車営業所勤務の社員の組合所属及びその務める役職について認識がないというのは容易に信用し難いし,同所長はP1の役職を認識していたことからすれば,より上位の国労の役職(国労全国自動車協議会副議長)を務めるP2についてその役職を知らないとは考え難く,かえって,P2が国労の前記役職を務めていたことについて認識していたと推認することができるというべきである。 また,前記第2章第1の9記載の事実に,証拠(乙106,107,112)及び弁論の全趣旨を併せ考えれば,本件転勤当時,自動車事業部から鉄道部門に転勤すれば,原告バス会社発足の際に自動車事業部に在籍していないことになり,原告バス会社への出向対象者から除外されることになることは,原告JR東日本がこれを認識していたことはもとより,同原告の社内でも十分認識されていたことが認められる。このことは,本件転勤命令当時,本件転勤命令が,自動車事業部において長年経験と知識を蓄積してきたP2及びP1にとって,業務面及び精神面に打撃を与える不利益なものであることは十分予想されたものであったというべきである。 また,国労全国自動車協議会副議長を務めるP2及び渋川分会分会長代行を務めるP1にとって,本件転勤命令により同人らが自動車事業部門から高崎運行部の関連事業部門へ転勤となれば,同人らは組合活動の場としている自動車事業部門から離脱せざるを得なくなるから,本件転勤命令が同人らの労働組合活動 ,本件転勤命令により同人らが自動車事業部門から高崎運行部の関連事業部門へ転勤となれば,同人らは組合活動の場としている自動車事業部門から離脱せざるを得なくなるから,本件転勤命令が同人らの労働組合活動の基礎を失わせるなどの不利益をもたらすものであることについても,原告JR東日本及び同原告の社内において十分予想されたものであったというべきである。 以上のことに,前記第1の1,2のとおり,昭和62年8月6日,原告JR東日本のP3社長が,東鉄労の大会において,国労の活動方針を批判し,一企業一組合となることを期待する発言をしたこと,P8所長が,本件転勤と時期を接して,原告JR東日本の意を体して,参加人α分会所属の組合員に対し,参加人らからの脱退を慫慂する言動を行ったこと等をも併せ考えれば,本件転勤命令は,原告JR東日本が,P8所長を通じて,組合差別的意図の下に行ったものであると認めるのが相当である。 6 以上に照らし判断するに,本件転勤命令は,業務上の必要性は認められるものの,その転勤対象者の人選には合理性に疑問が残ること,また,原告JR東日本が,P8所長を通じて,組合差別的意図の下に本件転勤命令を行ったと認められること,これらを併せ考えれば,本件転勤命令は,この組合差別的意図が業務上の必要性ないし人選の合理性よりも優越し,その決定的動機であったと認めるのが相当である。 業務上の必要に基づく転勤命令が発令された場合,それが異系統のものであったとしても,一般には通常甘受すべき範囲のものであるとはいえるが,前記のように転勤命令が組合差別的意図の下に行われた場合には,異系統への転勤命令が当該対象者についてどのような不利益をもたらすかを判断するにあたり,従来の業務と転勤後の業務とを比較することも許されると解すべきであるから,その比較の結果,本件転勤命 場合には,異系統への転勤命令が当該対象者についてどのような不利益をもたらすかを判断するにあたり,従来の業務と転勤後の業務とを比較することも許されると解すべきであるから,その比較の結果,本件転勤命令は,P2及びP1に対し不利益を与えるものと判断し得るものである。また,原告ら主張のように(第2章第3の3(原告ら)(3)ア,イ)P2が本件転勤後も活発な組合活動を展開し,またP1が所属していた参加人α分会の組合員全員が役員であったからといって,本件転勤によりP2及びP1がその組合活動の場としている自動車事業部門から離脱せざるを得ない以上,同人らの組合活動に支障が生じたというべきである。これらに反する原告らの主張は採用できない。 原告らは,転勤命令の不当労働行為性については,その成立を主張する者において主張,立証されなければならず,人選の合理性に疑問が残ることだけを理由にその不当労働行為の成立を認めることはできないとも主張する。しかし,前記のとおり,当該転勤命令が組合差別的な意図をもってされたものであることと,その転勤の業務上の必要性ないし人選の合理性とを対比し,当該転勤命令がいずれを決定的動機としてされたものかを判断するに当たり,業務上の必要性に関する人選の合理性について疑問が残る以上,組合差別的な意図が当該転勤命令の決定的動機であると判断することは,何ら主張立証責任の建前に反するものではない。原告らの前記主張は採用することができない。 以上によれば,本件転勤命令は,原告JR東日本が,国労の役員に就いて活動を続けるP2及びP1を嫌悪し,同人らを業務面,精神面及び組合活動面で殊更不利益に取り扱い,かつ,同人らを原告バス会社への出向対象者から排除することによって参加人α分会らの運営に支配介入したものであって,労働組合法7条1号及び3号の不当労 面,精神面及び組合活動面で殊更不利益に取り扱い,かつ,同人らを原告バス会社への出向対象者から排除することによって参加人α分会らの運営に支配介入したものであって,労働組合法7条1号及び3号の不当労働行為に当たるとした本件命令は正当である。 第3 争点3(P1の出向)についてP1は,満57歳となった後平成11年12月1日付けで高鉄開発へ出向となり,同日以降同社に勤務しているところ,この出向は,原告JR東日本において満57歳到達者は原則として出向となり,これ以降定年退職日まで原告JR東日本での勤務に戻ることはないという制度に基づくものであり,そのことは本件協定の廃止によって変わることはない(第2章第1の11)。そうすると,この出向は,本件転勤の基礎となった事実とは無関係であり,原告バス会社の分離独立に伴う原告JR東日本から原告バス会社への出向とも無関係であるから,仮に,本件命令の認定,判断したように,P1に対する原告JR東日本による原告バス会社への出向命令発令と原告バス会社による出向受入れ義務が肯定されるとしても,原告JR東日本が同人に関し出向発令をすること,及び,原告バス会社が出向を受け入れることは客観的に不可能となり,もはや履行する余地はなくなったものというべきである。したがって,本件命令で維持された原告JR東日本にP1について出向発令の措置をとることを命じた初審命令主文第2項後段及びそれを前提とした本件命令主文第Ⅰ項はその基礎を失い,原告らは同命令に従う義務を負わなくなったものというべきである(原告らがP1に関する同命令を履行しない間にP1が前記の出向をしたからといって,同命令の履行が客観的に不可能である以上,原告らが同命令に従う義務を負わなくなったことには変わりがない。被告及び参加人らの主張は採用できない。)。 以上によれば, が前記の出向をしたからといって,同命令の履行が客観的に不可能である以上,原告らが同命令に従う義務を負わなくなったことには変わりがない。被告及び参加人らの主張は採用できない。)。 以上によれば,本件訴え中,本件命令主文第Ⅰ項及び主文第Ⅱ項中P1について原告バス会社への出向発令を命じた部分の再審査申立てを棄却した部分の取消しを求める訴えは訴えの利益を欠くことになるから,却下を免れない。 第4 争点4(救済方法の適法性)について 1 原告JR東日本と原告JRバスの一体性について前記第2章第1の9(1)(2)のとおり,原告バス会社は,原告JR東日本の100パーセント出資の子会社として原告JR東日本から自動車事業の営業を譲渡されて設立されたもので,その行う事業の種類,内容は両者で同一であり,事業運営に必要な施設等は原告JR東日本から原告バス会社にそのまま承継されている。 また,原告JRバス会社の役員には原告JR東日本の者がなっており,管理職を含む社員も全員原告JR東日本からの出向者であり,出向社員の賃金は賃金相当額を原告バス会社が後に原告JR東日本に支払うとはいえ,原告JR東日本から支払われている。 このように原告JR東日本と原告バス会社は親子企業の関係にあり,両者が一体であるといえるかはともかくとして,その設立経緯,役員や社員構成からして原告バス会社は原告JR東日本の一事業部門と評価し得るもので,原告JR東日本は原告バス会社の業務運営につき強い支配力を有するものということができる(原告バス会社が原告JR東日本とは別個の法人格を有し,かつその経営について原告バス会社の役員が責任を負うものであるからといって,そのことは原告JR東日本が原告バス会社の業務運営につき支配力を有することと矛盾するものではない。これに反する原告らの主張は採用できない ついて原告バス会社の役員が責任を負うものであるからといって,そのことは原告JR東日本が原告バス会社の業務運営につき支配力を有することと矛盾するものではない。これに反する原告らの主張は採用できない。)。 また,証拠(乙67)によれば,原告JR東日本から原告バス会社へ出向する社員の賃金は原告JR東日本の基準とするとされ,その労働時間,休憩時間,休日,休暇等についても自動車事業分離の経緯や原告バス会社が原告JR東日本の全額出資であることを踏まえ,原告JR東日本の現行水準が維持できるよう親会社である同原告において最大限努力していくものとされていることが認められ,このことや前記のように原告JR東日本から原告バス会社への出向社員への賃金は原告JR東日本から支払われていることからすれば,原告JR東日本は原告バス会社の社員の労働条件についても現実かつ具体的な支配力を有しているということができる。 原告らは,この賃金支払方法は,原告バス会社への事業のスムースな移管を実現するための方策であると主張するが,たとえそうであっても原告JR東日本が出向社員への賃金を支払っている事実に変わりはないから,そのことはこの判断を左右するに足りない。 2 初審命令主文第1項の適法性について(1) 本件命令で維持された初審命令主文第1項は,原告JR東日本に対し,原告JR東日本が参加人α分会に所属する組合員に対し,参加人らからの脱退を慫慂するなどして参加人らの組織運営に支配介入することを禁じている(以下「初審命令主文第1項」という。)。 原告らは,参加人α分会は,原告バス会社発足後には,同原告のα自動車営業所に勤務する社員で組織されていること(第2章第1の1(6))をとらえ,原告JR東日本と参加人α分会に所属する組合員との間の労使関係は消滅した旨主張するが,前記第2章第 後には,同原告のα自動車営業所に勤務する社員で組織されていること(第2章第1の1(6))をとらえ,原告JR東日本と参加人α分会に所属する組合員との間の労使関係は消滅した旨主張するが,前記第2章第1の9(2)記載のとおり,原告バス会社の社員は,その全員が,原告JR東日本人材開発部から5年の期間をもって出向となった者であるから,原告らのいう「労使関係」が「労働契約関係」ないし「雇用契約関係」を意味するのであれば,原告JR東日本と参加人α分会に所属する組合員との間の労使関係は存続しているものと認められ,これに反する証拠はない。 確かに,参加人α分会所属の組合員が直接労務の提供を行っている相手が原告バス会社であること,労働組合法7条が,団結権の侵害に当たる一定の行為を不当労働行為として排除,是正して正常な労使関係を回復することを目的としていることにかんがみると,本件において,原告バス会社は労働組合法7条の「使用者」に当たり,かつ,参加人α分会にとって,原告バス会社α自動車営業所における労働者の労働条件その他労働関係上の諸利益について交渉するに際し,その交渉の相手方として実効性のある者は,原告JR東日本ではなく原告バス会社であるということになると考えられる。しかし,前記のとおり,原告JR東日本は,参加人α分会所属の組合員との関係で,あくまで労働契約上の雇用主であること,したがって,参加人α分会所属の組合員が,原告JR東日本を相手方として,労働関係上の諸利益について交渉する事態が生ずることも考えられることからすれば,原告JR東日本は,参加人α分会所属の組合員に対する関係でなお労働組合法7条の「使用者」としての地位にあると認めるのが相当である。 原告らの主張は,本件命令発出時において,原告JR東日本が,参加人α分会所属の組合員に対し,国労からの 組合員に対する関係でなお労働組合法7条の「使用者」としての地位にあると認めるのが相当である。 原告らの主張は,本件命令発出時において,原告JR東日本が,参加人α分会所属の組合員に対し,国労からの脱退を慫慂する行為を行う余地がないことをその趣旨としているとも解されるが,原告バス会社発足後は参加人α分会所属の組合員は全員原告バス会社の経営するα自動車営業所に勤務しているからといって,同組合員と原告JR東日本との間に雇用関係がある以上,原告JR東日本がそのような行為を行う余地がないとまではいうことはできないから,原告らの主張は採用できない。 (2) 以上のほか,原告JR東日本が,参加人α分会所属の組合員との関係で,労働組合法7条の「使用者」であることを覆すに足りる主張,立証のない本件においては,原告バス会社が発足したこと等を理由に,初審命令主文第1項が違法であるということはできないと解するのが相当である。 3 初審命令主文第2項及び本件命令主文第Ⅰ項の適法性について(1) 本件命令で維持された初審命令主文第2項は,原告JR東日本に対し,P2及びP1に対して発令した本件転勤命令を撤回し(以下「初審命令主文第2項前段」という。),直ちに原告バス会社への出向を発令すること(以下「初審命令主文第2項後段」という。)を命じている。また,本件命令主文第Ⅰ項(初審命令主文第3項を変更したもの)は,原告バス会社に対し,本件命令によって維持された初審命令主文第2項(以下「初審命令主文第2項」という。)によって原告JR東日本が発令するP2及びP1の出向を受け入れること及び同人らの業務について,原告JR東日本自動車事業部α自動車営業所の社員であった者と差別することなく取り扱うべきことを命じている。 P2及びP1は,原告JR東日本の社員であるから,同原告が同人ら 及び同人らの業務について,原告JR東日本自動車事業部α自動車営業所の社員であった者と差別することなく取り扱うべきことを命じている。 P2及びP1は,原告JR東日本の社員であるから,同原告が同人らにした本件転勤命令が不当労働行為と認定された以上,救済方法としてその撤回を命じることは可能であるから,初審命令主文第2項前段は適法である(原告バス会社の設立により原告JR東日本にはP2及びP1の所属していた自動車事業部α自動車営業所はなくなったため,両名が同営業所で業務に就くことは不可能であるが,原告JR東日本としては不当労働行為である本件転勤命令を撤回した上,両名について別の措置をとることが不可能とはいえない。)。 次に,本件命令中,P2及びP1について,原告JR東日本に対し,その出向発令を命じ,原告バス会社に対しその出向受入れと同人らの業務について原告JR東日本自動車事業部α営業所の社員であった者との差別のない取扱いを命じた部分(初審命令主文第2項後段及び本件命令主文第Ⅰ項)について検討するのに,このうち,本件訴え中,初審命令主文第2項(ただし,本件転勤命令の撤回を除く。)及び本件命令主文第Ⅰ項のP1に関する部分の取消しを求める部分が訴えの利益を欠くことは,前記第3のとおりであるから,以下P2について検討する。 原告JR東日本の社員であるP2は,原告バス会社発足前の昭和63年1月25日付けをもって,高崎運行部に転勤し(本件転勤),原告バス会社発足後同原告へ出向とはならなかった(第2章第1の7,同9)から,原告バス会社は,P2との関係で,労働契約上の雇用主であるということはできない。 ところで,労働組合法7条にいう「使用者」とは,同条が団結権の侵害に当たる一定の行為を不当労働行為として排除,是正して正常な労使関係を回復することを目的とし 上の雇用主であるということはできない。 ところで,労働組合法7条にいう「使用者」とは,同条が団結権の侵害に当たる一定の行為を不当労働行為として排除,是正して正常な労使関係を回復することを目的としていることにかんがみると,雇用主以外の事業主であっても,労働者を自己の業務に従事させ,当該労働者の基本的な労働条件等について,雇用主と部分的とはいえ同視できる程度に現実的かつ具体的に支配,決定することができる地位にある場合には,その限りにおいて,同事業主は同条の「使用者」に当たるものと解するのが相当である(最高裁平成7年2月28日第3小法廷判決・民集49巻2号559頁。朝日放送事件最高裁判決)。P2は,原告バス会社発足前に既にα自動車営業所から高崎運行部に転勤していたのであるから,原告バス会社は,P2に対し,その労働条件等に関し何らかの現実的かつ具体的な支配,決定をすることができる地位にあったということはできない。したがって,原告バス会社は,P2との関係で同条の「使用者」であるとはいえず,原告バス会社にP2の出向の受入れを命ずることはできないというべきである。 (2) 被告は,原告バス会社に対しP2の出向の受入れを命ずることは不当労働行為救済制度の趣旨に照らし,正当なものである,また,原告バス会社に使用者性が認められないことになれば,救済の実効性が著しく損なわれる結果となる旨主張する。 しかし,不当労働行為救済制度は,もとより使用者によって労働者又は労働組合に対し不当労働行為が行われた場合にその救済を図ろうとする制度であって,それ以上のものではないから,不当労働行為によってもたらされた違法状態を除去すること,あるいは,不当労働行為からの救済の実効性を優先するあまり,使用者に当たらない者を使用者と認定し,救済のための措置を命ずることはできないと ら,不当労働行為によってもたらされた違法状態を除去すること,あるいは,不当労働行為からの救済の実効性を優先するあまり,使用者に当たらない者を使用者と認定し,救済のための措置を命ずることはできないというべきであり,前記(1)のとおり,その発足時にP2の労働条件等に関し現実的かつ具体的な支配,決定をすることができる地位にあったとはいえない原告バス会社をP2の使用者とすることはできないというほかはない。 確かに,原告バス会社に使用者性が認められないことが理由となって,原告JR東日本に対し,出向命令を命じる命令主文も違法となり(後記のとおり),不当労働行為からの救済に限界を生じさせることは否定できないが,本件初審命令主文第4項のようなポストノーティス命令や,場合によっては原告JR東日本に対する金銭給付命令等の方法により,侵害状態の回復を図ることが可能であるから,原告バス会社に使用者性が認められないことにより,本件転勤命令に係る不当労働行為からの救済が図られないとまではいえないというべきである。前記1でみた原告JR東日本の原告バス会社に対する支配力を考慮しても,原告バス会社が原告JR東日本とは別個の法人であり,原告JR東日本がP2らの組合活動を嫌悪して同人らを自動車事業部門から排除するため自動車事業部門を分離独立させて原告バス会社を設立したなどの特段の事情のうかがえない本件においては,原告バス会社がP2の使用者であるとはいえない以上,原告バス会社に対し出向受入れ等を命じた本件命令は,労働委員会の裁量権を逸脱する違法なものであるといわざるを得ない。 また,原告バス会社に対して出向の受入れ等を命ずることが許されない以上,原告JR東日本がP2に対して原告バス会社への出向発令を命ずることも許されないというべきであり,初審命令主文第2項後段も労働委員会 た,原告バス会社に対して出向の受入れ等を命ずることが許されない以上,原告JR東日本がP2に対して原告バス会社への出向発令を命ずることも許されないというべきであり,初審命令主文第2項後段も労働委員会の裁量権を逸脱する違法なものといわざるを得ない。 (3) 以上によれば,本件命令の主文第Ⅰ項及び主文Ⅱ項中初審命令主文第2項後段を維持した部分は違法であるといわざるを得ない。 第5 結論以上の次第であって,本件訴え中,本件命令の主文第Ⅰ項のうちP1に関する部分,及び,同第Ⅱ項のうち,初審命令主文第2項中P1について原告バス会社への出向発令を命じた部分の再審査申立てを棄却した部分は,訴えの利益がないから却下することとし,本件命令の主文第Ⅰ項のうち,P2に関する部分,及び,同第Ⅱ項のうち,初審命令主文第2項中P2について原告バス会社への出向発令を命じた部分の再審査申立てを棄却した部分は,違法であるからこれらを取り消すこととし,その余の原告らの請求は理由がないからこれを棄却することとする。 よって,主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第19部裁判長裁判官山口幸雄裁判官伊藤由紀子裁判官吉崎佳弥は退官につき署名押印できない。 裁判長裁判官山口幸雄別紙1 命令書申立人東京都千代田区<以下略>国鉄労働組合東日本本部執行委員長 P26申立人東京都千代田区<以下略>国鉄労働組合東京地方本部執行委員長 P27申立人東京都港区<以下略>国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部執行委員長 P28申立人群馬県吾妻郡<以下略>国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部α自動車営業所分会執行委員長 P11被申立人東京都千代田区<以下略>東日本旅 申立人群馬県吾妻郡<以下略>国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部α自動車営業所分会執行委員長 P11被申立人東京都千代田区<以下略>東日本旅客鉄道株式会社代表取締役 P3被申立人東京都千代田区<以下略>ジェイアールバス関東株式会社代表取締役 P29上記当事者間の群地労委昭和62年(不)第9号、昭和63年(不)第1号不当労働行為救済申立事件について、当委員会は、会長公益委員P30、公益委員P31、同P32、同P33、同P34出席の公益委員会議において合議のうえ、次のとおり命令する。 主文 1 被申立人東日本旅客鉄道株式会社は、国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部α自動車営業所分会に所属する組合員に対し、申立人組合からの脱退を慫慂するなどして申立人組合の組織運営に支配介入してはならない。 2 被申立人東日本旅客鉄道株式会社は、申立人組合員P2及び同P1に対して発令した昭和63年1月25日付「高崎運行部勤務を命ずる。高崎駅営業指導係を命ずる。関連事業本部兼務を命ずる。」旨の転勤命令を撤回し、直ちに被申立人ジェイアールバス関東株式会社への出向を発令しなければならない。 3 被申立人ジェイアールバス関東株式会社は、被申立人東日本旅客鉄道株式会社が発令するP2及びP1の出向を受け入れ、P2についてはα自動車営業所の運転係、P1についてはα自動車営業所渋川支所の運転係の業務に就かせなければならない。 4 被申立人東日本旅客鉄道株式会社は、本命令書交付の日から7日以内に、下記文書を申立人組合に手交しなければならない。 記会社が、貴組合員に対し、昭和62年12月4日及び5日の両日にわたり、会社α自動車営業所長をして、貴組 令書交付の日から7日以内に、下記文書を申立人組合に手交しなければならない。 記会社が、貴組合員に対し、昭和62年12月4日及び5日の両日にわたり、会社α自動車営業所長をして、貴組合員であることの不利益などを示唆して、貴組合からの脱退を慫慂したこと、並びに貴組合員のP2及びP1に対し、昭和63年1月25日付で高崎運行部への転勤を命じたことは、労働組合法第7条第1号及び第3号に該当する不当労働行為であると群馬県地方労働委員会により認定されました。 今後、このような行為を行わないよう十分留意します。 平成年月日国鉄労働組合東日本本部執行委員長 P26 様国鉄労働組合東京地方本部執行委員長 P27 様国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部執行委員長 P28 様国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部α自動車営業所分会執行委員長 P11 様東日本旅客鉄道株式会社代表取締役 P3(注:年月日は手交の日とする。) 5 被申立人は、前第2項から第4項に命ずるところを履行したときは、遅滞なく当委員会に文書で報告しなければならない。 理由 第1 認定した事実 1 当事者等(1) 被申立人東日本旅客鉄道株式会社(以下「会社」という。)は、昭和62年4月1日、日本国有鉄道改革法(以下「改革法」という。)に基づき、日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)が経営していた旅客鉄道事業、旅客自動車運送事業(以下「自動車事業」という。)などのうち、東日本地域(青森県から静岡県の一部までの1都16県)の事業を承継して設立され、肩書地に本社を置き、審問終結時の社員数は、約82,000名である。 (2) 被申立人ジェイアールバス関東株式会社(以下「バス会社」という。)は、昭和63年3月4日、改革法第10条及び日本国 立され、肩書地に本社を置き、審問終結時の社員数は、約82,000名である。 (2) 被申立人ジェイアールバス関東株式会社(以下「バス会社」という。)は、昭和63年3月4日、改革法第10条及び日本国有鉄道改革法等施行法(以下「施行法」という。)第21条に基づく運輸大臣の承認を受け、会社が経営していた自動車事業のうち関東・上信地区を管轄する自動車事業部を分離して、会社の100パーセント出資により設立され、肩書地に本社を置き、東京、福島、茨城、栃木、群馬、千葉及び長野の1都6県に14の自動車営業所を有し、審問終結時の社員数は、約940名である。 なお、会社のその余の自動車事業は、同年3月5日、上記と同様の経緯によりジェイアールバス東北株式会社として設立された。 (3) 申立人国鉄労働組合東日本本部(以下「東日本本部」という。)は、申立外国鉄労働組合(以下「国労」という。)の下部の労働組合で、会社の社員等で組織する労働組合であり、審問終結時の組合員数は、約21,000名である。 (4) 申立人国鉄労働組合東京地方本部(以下「東京地本」という。)は、東日本本部の下部の労働組合で、会社の事業地域のうち東京を中心とする地域に勤務する社員等で組織する労働組合で、審問終結時の組合員数は、約12,000名である。 (5) 申立人国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部(以下「自動車支部」という。)は、東京地本の下部の労働組合で、本件申立時においては会社の自動車事業部に勤務し、バス会社発足後においてはバス会社に勤務する社員等で組織する労働組合で、審問終結時の組合員数は、約170名である。 (6) 申立人国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部α自動車営業所分会(以下「α分会」という。)は、自動車支部の下部の労働組合で、本件申立時においては会社の、バス会社 数は、約170名である。 (6) 申立人国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部α自動車営業所分会(以下「α分会」という。)は、自動車支部の下部の労働組合で、本件申立時においては会社の、バス会社発足後においてはバス会社のα自動車営業所に勤務する社員で組織する労働組合で、審問終結時の組合員数は、33名である。 (7) 審問終結時、会社には、東日本本部のほか主な労働組合として、東日本旅客鉄道労働組合(以下「東鉄労」という。)及び東日本鉄道産業労働組合などがある。 2 国鉄改革の経過等(1) 昭和56年3月、臨時行政調査会(第2次)(以下「臨調」という。)が発足し、臨調は、翌57年7月30日、国鉄の分割・民営化等を内容とする「行政改革に関する第3次答申」(基本答申)を政府に提出した。 (2) 昭和58年6月10日、日本国有鉄道再建監理委員会(以下「監理委員会」という。)が発足し、昭和60年7月26日、監理委員会は、「国鉄改革に関する意見――鉄道の未来を拓くために」(最終意見)を政府に提出した。 (3) 政府は、監理委員会の意見を最大限に尊重する旨の閣議決定を行い、昭和61年3月、国鉄改革関連9法案を国会に提出した。 このうち1法案は同国会で成立したが、残り8法案は衆議院の解散により廃案となったため、同年9月再度国会に提出され、同年11月28日成立し、同年12月4日公布施行された。 (4) 改革法によると、① 国鉄の経営していた旅客鉄道事業を、東日本をはじめ6つの旅客鉄道株式会社に分割する。 ② 承継法人に承継されない資産、累積債務等の処理及び職員の再就職の促進を図るための業務は、日本国有鉄道清算事業団が行う。 ③ 新幹線は、新幹線鉄道保有機構が一括して保有し貸付ける。 ④ 貨物鉄道事業を分離し、株式会社とする。 などとされ、改革の実施時期は、昭 就職の促進を図るための業務は、日本国有鉄道清算事業団が行う。 ③ 新幹線は、新幹線鉄道保有機構が一括して保有し貸付ける。 ④ 貨物鉄道事業を分離し、株式会社とする。 などとされ、改革の実施時期は、昭和62年4月1日となっていた。 3 国鉄改革をめぐる労使関係(1) 昭和57年2月10日、総評、新産別、国労、国鉄動力車労働組合(以下「動労」という。)、全国施設労働組合(以下「全施労」という。)等による「国鉄改革共闘委員会」が発足し、同年3月9日、国労、動労、全施労等による「国鉄再建問題四組合共闘会議」が結成され、国鉄の分割・民営化反対運動を展開した。 とりわけ、国労は、「国民の国鉄を守り組合員の雇用を確保する。」との立場から、ストライキやワッペン着用闘争などを行ったが、国鉄は、これらの運動に対し、組合員の処分などを行った。 しかし、その後、動労や全施労などの組合は、分割・民営化推進の立場へと方針を転換したため、国労は孤立化していった。 (2) 監理委員会の前記最終意見によると、国鉄職員の新会社への採用は、215,000名とされており、約61,000名が採用されないこととなるため、組合内では雇用不安が増大した。 (3) 国鉄は、余剰人員の調整策としての退職制度の見直し、休職制度の改定・拡充及び派遣制度の拡充の三項目に対する国労側の協力度合が弱いことを理由に、昭和46年以来国労との間で締結していた雇用の安定等に関する協約(以下「雇用安定協約」という。)の継続を拒否したため、昭和60年11月30日、同協約は失効した。 なお、国鉄は、動労、鉄道労働組合(以下「鉄労」という。)、全施労とは同協約を再締結した。 (4) 昭和61年1月13日、国鉄は、労使共同宣言(第1次)の締結を各労働組合に提案した。 この共同宣言の主な内容は、「諸法規を遵守し、国 以下「鉄労」という。)、全施労とは同協約を再締結した。 (4) 昭和61年1月13日、国鉄は、労使共同宣言(第1次)の締結を各労働組合に提案した。 この共同宣言の主な内容は、「諸法規を遵守し、国鉄改革を推進するため、労使が一致協力して取り組むことを宣言する。」というもので、動労、鉄労、全施労は、この共同宣言を締結したが、国鉄の分割・民営化に反対の立場をとっていた国労は、これを拒否した。 (5) 昭和61年3月、国鉄は、人事管理の徹底等を図るため、職員管理調書の作成に着手した。 同調書は、調査対象期間を昭和58年4月1日から昭和61年3月31日までとし、調査項目として、「一般処分」、「労働処分」、「勤務時間中の組合活動」、「職場の秩序維持」、「現状認識」などがあった。 (6) 昭和61年7月から翌62年3月までの間、国鉄は、余剰人員を一括管理する人材活用センター(以下「人活センター」という。)を全国に設置し、職員を配置した。 昭和61年11月1日現在では、約1、500箇所の人活センターが設置され、18,000名余りの職員が配置された。 このうち、約80パーセントが国労組合員で、動労組合員は約7パーセント、鉄労組合員は約6パーセントであった。 なお、人活センターに配置された国労組合員の多くは、草刈り、電車の床に付いたガムはがし等に従事した。 (7) 昭和61年7月18日、動労、鉄労、全施労及び国労脱退者などで新たに結成された真国鉄労働組合は、国鉄改革労働組合協議会(以下「改革労協」という。)を結成した。 同年8月27日、国鉄と改革労協は、第二次労使共同宣言を締結した。 同宣言には、「組合は、今後争議権が付与された場合においても、鉄道事業の健全な経営が定着するまでは、争議権の行使を自粛する。」「労使は、国鉄改革労使協議会における議論 二次労使共同宣言を締結した。 同宣言には、「組合は、今後争議権が付与された場合においても、鉄道事業の健全な経営が定着するまでは、争議権の行使を自粛する。」「労使は、国鉄改革労使協議会における議論を更に充実させ、同協議会が今後の鉄道事業における労使関係の機軸として発展的に位置づけられるよう緊密な連携、協議を行う。」などと謳われていたが、国鉄の分割・民営化に反対の立場をとっていた国労は、締結しなかった。 (8) 昭和61年4月1日現在で約165,000名いた国労組合員は、会社発足時の昭和62年4月1日現在では、約44,000名に減少した。 自動車事業部においても、国労は、昭和61年4月時点では、ほぼ100パーセントの組織率であったが、翌62年4月には、50パーセントを割る状況となった。 (9) 国鉄の分割・民営化に反対してきた国労は、「地域の足を守る。あるいは、労働者の労働条件なり、安全なりを守る。」という立場から、自動車事業の分離・独立についても反対し、地方公共団体への要請行動などを行った。 (10) 昭和62年8月6日、会社代表取締役P3(以下「P3社長」という。)は、東鉄労の第二回定期大会に来賓として出席し、挨拶の中で「残念なことは、今一企業一組合という姿でなく東鉄労以外にも二つの組合があり、その中には今なお民営分割反対を叫んでいる時代錯誤の組合もあります。」、「この人たちは、いわば迷える小羊だと思います、皆さんにお願いしたいのは、このような迷える小羊を救ってやって頂きたい、皆さんがこういう人たちに呼びかけ、話合い、説得し皆さんの仲間に迎え入れて頂きたいということで、名実共に東鉄労が当社における一企業一組合になるように援助頂くことを期待し……」などと発言した。 翌7日、会社は、東鉄労と労使共同宣言を締結した。 (11) 会社と国労の 入れて頂きたいということで、名実共に東鉄労が当社における一企業一組合になるように援助頂くことを期待し……」などと発言した。 翌7日、会社は、東鉄労と労使共同宣言を締結した。 (11) 会社と国労の間で締結されていた三六協定は、協定の締結方式についての労使の意見の食い違いから締結されず昭和62年10月1日から同月8日までの間失効したが、翌9日再締結された。 なお、同協定の締結権は各営業所段階にはなく、上部機関が行っていた。 (12) 東日本本部、東京地本、自動車支部、国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部宇都宮自動車営業所分会及び同β自動車営業所分会は、会社自動車事業部総務課長代理P5、宇都宮自動車営業所長P6、β自動車営業所長P7らが昭和62年11月頃行った言動は、国労脱退工作であり、労働組合法第7条第3号の支配介入にあたる不当労働行為であるとして、栃木県地方労働委員会に栃地労委昭和62年(不)第7号及び同第8号事件の不当労働行為救済申立を行い、同地労委は、平成元年6月26日、申立の全部を救済する命令を発した。 4 自動車事業の状況(1) 改革法第10条によると、自動車事業については、事業地域に応じて引き継いだ各旅客会社の検討を経て、その事業を併せて経営することが適切である場合を除き、当該旅客会社からその事業の分離を図るための手続き、その他の方策がとられるものとされていた。 (2) また、施行法第21条によると、自動車事業の分離の検討を行い6か月以内にその検討結果を運輸大臣に報告するものとされ、特別なことがない限り、会社から自動車事業が分離されることが予定されていた。 (3) 昭和61年6月4日、社団法人長野県バス協会は、国鉄自動車局長に対し、長野県内における貸切車両及び事業区域拡大計画の見合わせ、中央高速道への国鉄バス乗入れ申請の されることが予定されていた。 (3) 昭和61年6月4日、社団法人長野県バス協会は、国鉄自動車局長に対し、長野県内における貸切車両及び事業区域拡大計画の見合わせ、中央高速道への国鉄バス乗入れ申請の取下げ及び同県所在の国鉄バスを関連する同県民営バス事業者に協議のうえ、適正な人員と施設を含め一括譲渡すること等を要望する旨の文書を提出した。 (4) 会社は、旅客自動車運送業務を遂行する組織の一つとして、自動車事業部を置いていた。 本件申立時、同部では、東京をはじめ1都6県に13の営業所(東京、γ、水戸、土浦、δ、β、宇都宮、α、八日市場、館山、小諸、ε、伊那)が置かれ、社員数923名、路線数31路線、乗合営業距離2.701キロメートル、配置車両数485台、貸切免許数29台をもって一般乗合旅客自動車運送事業及び一般貸切旅客自動車運送事業を行っていた。 (5) 昭和62年9月、会社は、施行法第21条の規定に基づき、「一般自動車運送事業の経営の分離に関する検討報告書」を、運輸大臣に提出した。 同年12月、会社は、この検討結果を踏まえ、一般自動車運送事業の経営の分離計画の承認申請を行った。 なお、この承認申請によると、会社の自動車事業を東北ブロック及び関東・上信ブロックに2分割し、関東・上信ブロックにおける新事業者の職員数は、888名と予定されていた。 (6) 会社自動車事業部では、月1回程度、本社会議室において、自動車事業部長、総務課長、輸送課長、課長代理及び各自動車営業所長が出席して営業所長会議が開催されていた。 同会議においては、経営全般についての話し合いがされていたが、一企業一組合、労使協調が望ましいなど、労働組合問題などが話題になったこともあった。 (7) 東京、水戸、土浦、八日市場、館山、の5つの自動車営業所では、週末の臨時便の運行や 話し合いがされていたが、一企業一組合、労使協調が望ましいなど、労働組合問題などが話題になったこともあった。 (7) 東京、水戸、土浦、八日市場、館山、の5つの自動車営業所では、週末の臨時便の運行や、高速線の新規事業の拡大等により欠員を生じていたが、γ、β、宇都宮、δ、α、ε、小諸、伊那の各営業所では余力人員が生じていた。 会社は、この要員問題を解消するため、昭和62年4月からは長期的な助勤という形で対応していたが、同年11月から本格的に転勤で対応することとなった。 なお、β、宇都宮、αなどの自動車営業所では、国労の組織率が高かった。 (8) 自動車事業部における転勤者の人選は、営業所長が行い、発令は、営業所長の具申に基づき、自動車事業部長が行っていた。 5 α自動車営業所の状況(1) 昭和62年の会社発足当時、α自動車営業所は、長野県小県郡ζ町及び群馬県渋川市に支所(以下、ζ町にある支所を「ζ支所」といい、渋川市にある支所を「渋川支所」という。)を置き、主にαからη温泉方面などへの一般乗合旅客自動車運送事業及び一般貸切旅客自動車運送事業を行っていた。当時、同営業所には、P8営業所長(以下「P8所長」という。)を筆頭に、首席助役、事務助役、運転助役など5名の助役と、各支所に支所長がいたほか、乗務員及び日勤勤務者など、約112名の社員がいた。 なお、当時のα自動車営業所は、P8所長、各支所長及び5名の助役を除くほぼ全員が、国労の組合員であり、α分会のほか、渋川支所には、国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部渋川支所分会(以下「渋川分会」という。)があり、ζ支所には同ζ支所分会(以下「ζ分会」という。)があった。 (2) 審問終結時のα自動車営業所の経営状況は、路線数4路線、営業距離246.6キロメートル、配車車両数37台、貸切免許数5台 )があり、ζ支所には同ζ支所分会(以下「ζ分会」という。)があった。 (2) 審問終結時のα自動車営業所の経営状況は、路線数4路線、営業距離246.6キロメートル、配車車両数37台、貸切免許数5台、社員数60名である。 なお、ζ支所は、平成元年5月1日、小諸自動車営業所へ業務移管された。 (3) 会社が昭和62年6月に行った交通量調査によると、α自動車営業所では、管轄する路線の約65パーセントが、乗車密度5人未満で休止対象であるところの第三種生活路線であった。 (4) 昭和62年9月頃、P8所長は、社員から身上調書をとり転勤希望の有無を確認した。 (5) P8所長は、本件申立時、α自動車営業所には約30名の過員がいると判断していた。 (6) P8所長は、常々α自動車営業所の所員に対し、α自動車営業所には余力人員があるから、当然その他の営業所へ転勤してもらうような状態にあることを話していた。 (7) 昭和62年11月、P8所長は、α自動車営業所における全体的な路線再編成についての営業所長としての考え方を、組合役員、乗務員会役員、その他出席できる社員を集めて説明した。 (8) 同月28日、α分会では、自動車支部の執行委員長であったP9及びα分会副委員長の2名が、国労を脱退した。 その後、11月25日付の、P9の署名入りの国労脱退声明文が、東鉄労の掲示板に貼り出されたが、この声明文には、「残念ながら、国労の組織では、自動車の展望について話し合うことすらできません。これまでの行きがかりにこだわらずに、これからのことについて進まなくてはなりません。こうした立場から支部委員長を辞任致したところであります。」などと書かれていた。 (9) P9は、自動車支部の執行委員長を辞任する際、P11に対しし、「このまま国労にいると大変なことになる。配転されるとやめ 立場から支部委員長を辞任致したところであります。」などと書かれていた。 (9) P9は、自動車支部の執行委員長を辞任する際、P11に対しし、「このまま国労にいると大変なことになる。配転されるとやめざるを得ないような人が強制配転されることは間違いない。または、分離された新会社へ連れていってもらえない人が出る。だから、国労を脱退して会社がパートナーとして認めている東鉄労へ行かなければだめだ。そこで話し合いで出られる人を出すようにするんだ。」などと語った。 (10) 昭和62年12月5日、P12は、P9の国労脱退に伴い、組織を混乱させたことなどの責任をとって、α分会の分会長を辞任した。 (11) 同月、ζ分会において、13名中7名の組合員が国労を脱退した。 6 渋川支所における国労組合員の減少(1) 渋川支所では、昭和62年4月1日現在、支所長を除く11名全員が国労組合員であった。 (2) 同年11月5日、1名が東京自動車営業所へ転勤となった。 (3) 同年12月25日、5名が国労を脱退した。 このため、この時点では、支所長を除く10名のうち国労組合員が5名、国労以外が5名となった。 (4) 翌昭和63年1月25日、申立人組合員P1が高崎運行部へ転勤となった。 (5) 同年2月、2名が国労を脱退した。 その際、脱退者のひとりは、国労にいては飛ばされるということでとても不安でいられないから脱退します、などとP1に電話で語った。 (6) 同年3月12日、1名が東京自動車営業所へ転勤となった。 (7) 同月、1名がα自動車営業所へ転勤となったため、渋川支所には、国労組合員が1名もいない状況となった。 なお、国労を脱退した7名は、東鉄労に加入し、その後も渋川支所に勤務している。 7 P8所長の言動(1) 昭和62年12月4日午後4時頃、P8所長は、日勤 国労組合員が1名もいない状況となった。 なお、国労を脱退した7名は、東鉄労に加入し、その後も渋川支所に勤務している。 7 P8所長の言動(1) 昭和62年12月4日午後4時頃、P8所長は、日勤勤務者でα分会のP16を所長室に呼び入れ、「今の組合にいたのでは、会社は相手にしてくれない。 考えた方がよい。」、「特にデスクの人はよく考えてほしい。」などという趣旨の話をした。 (2) P8所長は、P16に引き続き、日勤勤務者でα分会のP25を所長室に呼び入れ話をした。 (3) 同日午後4時30分頃、P8所長は、P25に引き続き、日勤勤務者でα分会のP12を所長室に呼び入れ、「今の組合では、労使共同宣言なり雇用安定協約がない組合では、いくら一生懸命仕事をしても、まじめに働いても、会社は認めない。」、「ストライキをするような組合があっては困る。」などという趣旨の話をした。 (4) 同日午後5時頃から7時頃まで、P8所長は、P12に引き続き日勤勤務者でα分会のP17、P18及びP19の3名を所長室に呼び入れ、「国労を抜けて向こうの組合に行ってほしい。向こうの組合がだめならシロにでもなってくれないか。」、「αは人が余っているから配転があるかもしれない。」、「上信ブロックを欲しがってる会社があるので、そこに身売りをするかもしれない。その時にも国労にいたら不利ですよ。」などという趣旨の話しをした。 また、午後6時頃、P16が書類を届けるため所長室に入室し、しばらくP17らと同席したが、その際にもP8所長は、「国労にいたのではどんなに仕事をしても会社は認めない。」、「デスクの人たちで集まりをもって、国労脱退を決めてほしい。」などという趣旨の話をした。 (5) 翌5日午前9時頃、P8所長は、前日同様日勤勤務者でα分会のP20及びP21を所長室に呼び入れ、「 」、「デスクの人たちで集まりをもって、国労脱退を決めてほしい。」などという趣旨の話をした。 (5) 翌5日午前9時頃、P8所長は、前日同様日勤勤務者でα分会のP20及びP21を所長室に呼び入れ、「現場で皆さん一生懸命仕事しているのは、私の方はわかるんですが、本社はそれを認めてくれません。」、「一企業一組合でなければ会社は発展しない。」、「とりあえず日勤者だけでも抜けてくれないか。」などという趣旨の話をした。 (6) 同日午前9時30分頃、P8所長が所長室においてP20及びP21に話をしていたので、P11は、P8所長の言動は組合に対する介入であるとして、書記長としての立場で抗議を行った。 その際にも、P8所長は、P11に対し、「国労では、いくら一生懸命仕事をしても会社は認めない。」、「新会社に移行するにあたって三六を破棄するような組合は困る。」などという趣旨の話をした。 (7) P11がP8所長に抗議をした以後は、日勤勤務者でα分会のP2外1名は、他の日勤勤務者と同様にP8所長から話しをされるということはなかった。 8 P2及びP1の転勤にいたるまでの状況(1) P2は、昭和39年に国鉄に採用になり、営業係としてα自動車営業所に勤務していたが、昭和44年大型第二種免許を取得し、昭和51年、運転係となった。昭和61年1月からは、ローテーションにより営業当直の業務に就いたが乗務も行っていた。 翌62年4月、P2は、国鉄の分割民営化により会社に採用になった。 また、P2は、国鉄採用と同時に国労に加入し、以後、昭和46年にα分会青年部長、昭和49年から50年まで自動車支部青年部長、昭和52年から54年までα分会書記長、翌55年α分会副分会長、昭和58年に国労東京地本群馬県協議会議長、昭和62年12月から国労全国自動車協議会副議長の役職を歴任した 50年まで自動車支部青年部長、昭和52年から54年までα分会書記長、翌55年α分会副分会長、昭和58年に国労東京地本群馬県協議会議長、昭和62年12月から国労全国自動車協議会副議長の役職を歴任した。 国労全国自動車協議会は、全国の自動車部門で働く国労組合員で組織する協議会で、P2は、これの副議長として全国オルグや事務処理などを行っていた。このため、P2は、週2回程度、勤務明けの日に、東京の本部へ行っていた。 なお、P2は、本件申立時、勢多郡<以下略>に居住していた。 (2) P1は、昭和44年国鉄両国自動車営業所に運転係として採用になり、昭和54年にα自動車営業所に、さらに翌55年に渋川支所に転勤になり、一貫して定期バス、貸切バス等の運転業務に従事し、昭和62年4月、国鉄の分割・民営化により会社に採用になった。 P1は、国鉄に採用となってすぐ国労に加入し、昭和56年から58年まで、渋川分会の執行委員、昭和60年に渋川分会書記次長、翌61年に渋川分会副分会長の役職を歴任した。 また、分会長の退職に伴い、昭和62年4月から分会長代行を勤めていたが、P8所長はこのことを知っていた。 なお、P1は、本件申立時、高崎市ι町に居住していた。 (3) P1は、κ村、η町など会社のバス路線周辺の自治体から運輸省に提出されたバス部門の分離独立に反対する趣旨の要請書の取りまとめについて、自治体の議員に働きかけるなどの活動を行った。 (4) P1は、乗務員の休憩室に置いてあった組合の本棚の撤去命令に従わなかったことなどを理由に、昭和62年の期末手当カットの処分を受けた。 (5) P8所長は、昭和63年1月25日付転勤の人選にあたり、α自動車営業所の一昼夜交替勤務による営業当直担当者及び渋川支所から6名を自動車事業部長に推薦した。 (6) 昭和62年度におけ けた。 (5) P8所長は、昭和63年1月25日付転勤の人選にあたり、α自動車営業所の一昼夜交替勤務による営業当直担当者及び渋川支所から6名を自動車事業部長に推薦した。 (6) 昭和62年度におけるα自動車営業所の転勤実績は、次表のとおりであった。 年月日人数転勤先昭和62年 9月 1日 1名東京自動車営業所昭和62年11月 5日 7名 〃昭和63年 1月25日 2名高崎運行部昭和63年 2月 1日 1名東京自動車営業所昭和63年 3月12日 6名 〃(7) 昭和62年11月5日付で東京自動車営業所に転勤した7名については、身上調書により転勤に応じる意思が確認されていた。 (8) 国鉄が、会社の設立に先立って職員に配布した、会社の労働条件には、以下のとおり記されていた。 北海道旅客鉄道株式会社、東日本旅客鉄道株式会社、東海旅客鉄道株式会社、西日本旅客鉄道株式会社、四国旅客鉄道株式会社、九州旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社の労働条件(抜粋) 1 就業の場所各会社の営業範囲内の現業機関等において就業することとします。ただし、関連企業等へ出向を命ぜられることがあり、その場合には出向先の就業場所とします。 2 従事すべき業務(各旅客鉄道株式会社)旅客鉄道事業及びその附帯事業並びに自動車運送事業その他会社の行う事業に関する業務とします。なお、出向を命ぜられた場合は、出向先の業務とします。 (主な業務)(1) 鉄道事業に関する営業、運転、施設、電気又は車両関係の駅区所における業務。 (2) 自動車営業所における業務。 〈中略〉(7)関連事業の業務。 〈以下略〉(9) 会社の就業規則には、以下のとおり規定されている。 就業規則(抜粋)第28条会社は、業務上の必要がある場合は、社員に転勤、転職、昇職、降職 務。 〈中略〉(7)関連事業の業務。 〈以下略〉(9) 会社の就業規則には、以下のとおり規定されている。 就業規則(抜粋)第28条会社は、業務上の必要がある場合は、社員に転勤、転職、昇職、降職、昇格、降格、出向、待命休職等を命ずる。 2 社員は、前項の場合、正当な理由がなければこれを拒むことはできない。 3 出向を命ぜられた社員の取扱いについては、出向規定(昭和62年4月人達第2号)の定めるところによる。 9 P2及びP1の転勤(1) 昭和63年1月17日午前10時10分頃、P8所長は、スキーバスの助勤のためα自動車営業所に出勤していたP1を所長室に呼び、昭和63年1月25日付で「高崎運行部勤務を命ずる。高崎駅営業指導係を命ずる。関連事業本部兼務を命ずる。」旨の、自動車事業部長名の事前通知書を手交した。 (2) 同日午後3時30分頃、P8所長は、乗務を終え点呼を済ませたP2を所長室に呼び、昭和63年1月25日付で「高崎運行部勤務を命ずる。高崎駅営業指導係を命ずる。関連事業本部兼務を命ずる。」旨の、自動車事業部長名の事前通知書を手交した。 (3) P2及びP1に事前通知書を手交する際、P8所長は、転勤理由について、通勤が近くなること、P2については担当している一昼夜交代勤務による営業当直制度が廃止となること、P1については要員が余っていること、また、転勤後の業務内容については、直営店舗の販売員であることなどを説明した。 (4) P2及びP1は、昭和63年1月25日付で自動車事業部長あてに異議留保書を提出したうえで、命令に従った。 (5) 本件転勤により、P1の通勤時間は、自転車で5分程度になった。 また、P2の通勤時間については、α自動車営業所へは約1時間20分であったが、本件転勤により約30分短縮された。 (6) 昭和63年2月1日から により、P1の通勤時間は、自転車で5分程度になった。 また、P2の通勤時間については、α自動車営業所へは約1時間20分であったが、本件転勤により約30分短縮された。 (6) 昭和63年2月1日からP2及びP1が従事した仕事は、高崎線沿線などの主要駅に出向き、駅の構内で「D51物語」(デゴイチ物語)という、いわゆる今川焼を実演販売するもので、ほぼ3日サイクルで、営業する駅を変えるというものであった。 P2らが出向いた主な駅は、高崎線の本庄、深谷、上尾、北本、両毛線の前橋、上越線のθ、渋川などであった。 (7) 同年4月18日、P2及びP1は、熊谷駅の中にある、いわゆるディスカウントショップ「ライフセルクル熊谷店」の店員として配属になった。 (8) P2は、同年5月の連休明けに、高崎駅に配属となった。 (9) 当時、熊谷から高崎のライフセルクルに配属されていた者がおり、P1と入れ違いになっていたが、同年10月16日、P1は高崎のライフセルクルに配属となった。 (10) P2は、同月20日、高崎駅常設の今川焼きの業務に配属された。 10 本件転勤後の状況(1) 昭和63年1月18日、ζ分会において5名の組合員が国労を脱退したが、その後4名が国労に復帰した。 (2) 昭和63年2月1日、α自動車営業所では、運賃収入金の精算、両替金の授受業務、鉄道とバスの通し乗車券等の精算事務及び貸切バスに係る営業関係の業務等を遂行するため採っていた一昼夜交代勤務による営業当直制度を廃止した。 なお、この営業当直は、運転係がローテーションにより担当していたが、本件申立時α自動車営業所には、3名の営業当直担当者がいた。 (3) 昭和63年3月4日、バス会社は、会社の100パーセント出資の子会社として設立され、同年4月1日、営業を開始した。 バス会社の役員には、自動車 自動車営業所には、3名の営業当直担当者がいた。 (3) 昭和63年3月4日、バス会社は、会社の100パーセント出資の子会社として設立され、同年4月1日、営業を開始した。 バス会社の役員には、自動車事業部長であったP13が専務取締役に、自動車事業部次長であったP14及び会社副社長のP15が取締役にそれぞれ就任している。役員を除く社員は全員が会社人材開発部からの出向で、営業部長、総務部長、営業一課長、営業二課長、整備課長、総務課長、企画課長、保険事業室長及び経理課長には全て会社自動車事業部に勤務していた課長等が就き、また、各営業所長には、分離前の会社における各営業所長がそのまま移行している。 なお、出向期間は5年とされ、これら出向社員の賃金は、会社から支給されている。 また、業務運営に必要な施設、車両等は全て、会社から承継されている。 (4) P2及びP1は、高崎運行部へ転勤となったためバス会社へは出向されなかった。 (5) 昭和63年10月11日、申立人は、バス会社は会社の一事業部門を分離するため設立されたものであり、会社とは形式上別法人とされているものの、分離前後を通じてその業務内容、管理職を含めた人事構成等、その実態に何ら変わるところがなく、両者は実質的に不可分一体の関係にあるとして、バス会社を被申立人として当事者追加するよう申立てた。 同年11月7日、当委員会は、公益委員会議の決定により、バス会社を当事者に追加した。 第2 判断及び法律上の根拠 1 当事者の主張の概要(1) 申立人組合の主張ア国労は、一貫して国鉄の分割民営化及びその延長上に設定されていた自動車事業の分離独立にも反対していた。このため、国鉄は、国労を嫌悪し、①雇用不安を煽り、②雇用安定協約の再締結拒否、③人材活用センターの設置とそこへの国労組合員の配属、④改革 長上に設定されていた自動車事業の分離独立にも反対していた。このため、国鉄は、国労を嫌悪し、①雇用不安を煽り、②雇用安定協約の再締結拒否、③人材活用センターの設置とそこへの国労組合員の配属、④改革労協と第二次労使共同宣言を締結し国労組合員を職場から排除する等の国労攻撃を行ったが、会社の発足時約44,000名の国労組合員が団結を守った。 国鉄の分割・民営化後も、会社は、継続して国労敵視策を取り続けた。 労働組合が併存している状況のもとで、会社の最高責任者であるP3社長が、東鉄労の定期大会に出席し、挨拶の中で国労を敵視し東鉄労を擁護する発言をしたことから見ても、会社の労務政策が特定の意味を持った一企業一組合政策であり、東鉄労擁護、国労壊滅を基本方針としていることは明らかである。 こうした中で、昭和62年12月4日及び5日にP8所長は、申立人組合員らに対し、国労組合員であることの不利益を述べ、申立人組合からの脱退を勧奨した。 これら、P8所長が申立組合員らに行った言動は、労働組合法第7条第3号に該当する不当労働行為である。 イ P2及びP1は、それぞれ国労の役員であり活動家として分会活動の中心であった。 P2は、運転士であり、運転係に配属されていたものである。営業当直制度の担当は、運転係の中で順番に担当してきたものであり、この時期にたまたまP2が担当していたのに過ぎず、営業当直制度が廃止になるのであれば、P2は本来の運転係に戻るだけであって、即配転に結びつくということではない。P2を本来の運転係に戻したうえで、運転係全体の中で配転を検討すべきである。 渋川分会においては、昭和62年12月のP8所長による国労脱退攻撃により5名が国労を脱退し、本件P1らに対する転勤命令のあった昭和63年1月時点においては、国労組合員5名、国労以外が5名とい る。 渋川分会においては、昭和62年12月のP8所長による国労脱退攻撃により5名が国労を脱退し、本件P1らに対する転勤命令のあった昭和63年1月時点においては、国労組合員5名、国労以外が5名という状況になった。当時P1は、分会長代行であり国労組合員の中心であったが、P1に対する転勤攻撃の結果、同年2月には更に2名が国労を脱退し、その後、残る2名も転勤となったため、渋川支所には国労組合員が1名もいない状況となり、組合活動ができない状況となった。 本件転勤後の業務は、本庄、深谷、上尾、北本、前橋、θ、渋川などの駅の構内で「D51物語」という今川焼の実演販売又は高崎線沿線の駅の構内などにある「ライフセルクル」というディスカウントショップの店員としての仕事であり、本来の運転業務とは全く関係のない仕事で、旅客用自動車の運転を生き甲斐にしていたP2、P1に重大な打撃を与え、精神的痛手を与えるものであった。 両名に対する転勤命令とこれによるバス会社への出向対象からの除外は、同人らが今日まで一貫して国労の役員として活動してきたことを嫌悪してなされた不利益取扱いであるとともに、両名を申立人分会から排除することにより、国労組織の弱体化を意図した支配介入である。 (2) 被申立人の主張ア自動車事業の経営分離は、改革法に基づき十分な検討を行った結果、会社の経営判断により実施したものであり、この経営分離に伴い会社の社員としての雇用契約を喪失することはなく、雇用不安などあり得ず、会社がバス部門を分離独立させるため、特段不当労働行為を行うべき必然性は存在しない。 P8所長は、α自動車営業所は余力人員が多く、路線資質も悪く、第三種生活路線が約6割を占める状況であったため、同営業所に働く一般社員をリードする立場にある日勤勤務者に対し、昭和63年4月に予定されてい 8所長は、α自動車営業所は余力人員が多く、路線資質も悪く、第三種生活路線が約6割を占める状況であったため、同営業所に働く一般社員をリードする立場にある日勤勤務者に対し、昭和63年4月に予定されているバス部門の経営分離に向けて、社員としてどのように取り組んでいくべきかを強く訴えたにすぎず、国労からの脱退を強要したような発言は、一切行っていない。 イ昭和62年当時、自動車事業部では、自動車営業所間の要員需給のアンバランスの解消と、自動車事業の分離計画書に明記されていたバス会社に必要な社員数888名と、自動車事業部に従事していた社員数との差30名余りについて、自動車事業以外での活用を検討する必要があった。 自動車事業部としては、可能な限り多くの社員をα自動車営業所から高崎運行部へ転勤させる予定であったが、当時高崎運行部でも余力人員を抱えていたため、昭和63年1月25日付の転勤者数は、最終的に2名で調整がついた。 これにより、自動車事業部長からP8所長に対し、具体的な転勤者の推薦を指示したところ、廃止となる一昼夜交代勤務の営業当直者と渋川支所から、合計6名の推薦があった。自動車事業部は、これらの推薦者をもとに、勤労意欲、執務態度、知識、技能、適格性等に基づき、転勤者の選考を行ったが、α自動車営業所の社員の地元指向は強く、転居を伴う転勤が種々の家庭事情から困難である旨を全社員が述べていたことから、高崎運行部への転勤者については、転勤先となる高崎駅への通勤事情を最大限配慮し選考したものである。 申立人らは、P2は、もともとが運転係であるので、営業当直の一昼夜交代勤務廃止に伴い、一旦運転係に戻し、運転係全体の中から転勤者を人選すべきであったと主張するが、当時のα自動車営業所の余力人員の大半は、本所の運転係に集中しており、P2を運転係に戻し徒に余 一昼夜交代勤務廃止に伴い、一旦運転係に戻し、運転係全体の中から転勤者を人選すべきであったと主張するが、当時のα自動車営業所の余力人員の大半は、本所の運転係に集中しており、P2を運転係に戻し徒に余力人員を増やすことは、社員管理上好ましくなく、また、運転係については鉄道部門と併せて、東京自動車営業所への転勤も推進しなければならないため、要員運用を総合的に見直す中で、営業当直勤務者のP2を人選したものである。 会社の設立に先立って全職員に提示した会社の労働条件には、社員は会社が経営する全ての営業範囲内の現業機関内において就業しなければならない旨規定されており、職種及び勤務箇所を限定して採用されるものではなく、また、会社の就業規則には、業務上の必要がある場合は社員に転勤を命ずることがあり、社員は正当な理由がなければこれを拒むことができないと明記されており、申立人らは当然これを知悉して入社したのであるから、申立人らの主張は理由がない。 P1は、昭和62年4月から渋川支所の分会長代行であると言うが、同月現在、渋川支所に勤務していた国労組合員11名のうち8名が分会の役員であり、渋川分会の役員比率は極めて高いうえ、P1が転勤発令された昭和63年1月25日時点の渋川支所の国労組合員5名全てが分会の役員であり、P1一人の転勤により渋川分会の組合活動に特段の支障あるとは認められないこと、また、高崎駅への転勤により受けた組合活動上の不利益について、具体的には何ら主張されていないこと等からみても、P1の高崎駅への転勤に伴う組合活動に、一切不利益はないものと言わざるを得ない。 申立人の主張する不当労働行為を構成する具体的事実は、いずれもこれを認めるに足りる証拠はなく、その他労働組合法第7条に該当する事実はなく、本件申立は速やかに棄却されるべきである。 2 を得ない。 申立人の主張する不当労働行為を構成する具体的事実は、いずれもこれを認めるに足りる証拠はなく、その他労働組合法第7条に該当する事実はなく、本件申立は速やかに棄却されるべきである。 2 判断(1) 昭和62年12月4日及び5日のP8所長の言動について、以下のとおり判断する。 認定した事実5の(3)のとおり、本件申立時、α自動車営業所は、第三種生活路線が全路線の65パーセントを占めるなど、路線資質が悪く、バス部門の経営分離に向けて厳しい状況にあったため、所員に対し、バス部門の経営分離に対する社員としての取り組み方を話す必要があったことは否定できない。 しかしながら、本件申立にいたるまでの労使関係をみると、認定した事実3の(10)のとおり、P3社長は、東鉄労の定期大会に来賓として出席し、挨拶の中で「名実共に東鉄労が当社における一企業一組合になるように……」などと発言しており、認定した事実4の(6)のとおり、会社自動車事業部では月1回程度営業所長会議が開かれていたが、この営業所長会議においても一企業一組合が望ましい旨の話題が出たこと、また、認定した事実3の(12)及び4の(7)のとおり、昭和62年11月頃、α自動車営業所と同様に国労の組織率が高かった宇都宮、βの各自動車営業所でも本件と同様の脱退慫慂について不当労働行為救済申立がなされ、それぞれ救済命令が発せられていること、並びに、認定した事実3の(1)乃至(9)から判断すると、会社は、東鉄労を前提とした一企業一組合が望ましいと考え、一貫して国鉄の分割・民営化に反対し自動車事業の分離独立にも反対の立場をとっていた国労を嫌悪していたことが推認される。 こうした労使関係の中で、認定した事実7の(1)乃至(6)のとおり、昭和62年12月4日及び5日の両日、P8所長の行った、日勤勤務者 にも反対の立場をとっていた国労を嫌悪していたことが推認される。 こうした労使関係の中で、認定した事実7の(1)乃至(6)のとおり、昭和62年12月4日及び5日の両日、P8所長の行った、日勤勤務者である申立人組合員らに対する話の内容が、被申立人が主張するとおり、バス部門の経営分離に対する社員の取り組み方を訴えただけであるとするならば、日勤勤務者に限らず全所員を一同に集めて話をする方が、所員が一丸となって一致協力するという意味においても、話の趣旨、目的にかない、かつ重複して話をすることもなく合理的であると思料される。然るに、P8所長は、日勤勤務者のみを対象として、1名乃至3名ずつ個別に所長室に呼び入れ、勤務時間中を含む都合約3時間もの長時間にわたって話をしており、また、認定した事実7の(7)のとおり、同月5日、P11がP8所長の言動に対し抗議を行った後は、P8所長は日勤勤務者を所長室に呼んで話をしておらず、P8所長のこうした行為は不自然であり、単にバス部門の経営分離に対する社員の取り組み方を訴えただけであるとは考えられず、被申立人の主張は是認できない。 また、被申立人は、単に三六協定の締結が望ましい旨を話したに過ぎないと主張する。しかしながら、この時点では、既に会社と国労との間で三六協定は再締結されており、また、営業所段階では協定の締結権がなく上部機関で行っていたことは、P8所長自ら証言しているとおりであって、営業所における、一社員に向けたバス部門の経営分離に対する社員の取り組み方についての話であるとするならば、こうした三六協定の締結問題などの組合問題について話をする必然性は乏しいと思料され、P8所長はむしろ「三六協定を破棄するような組合は困る。」などと、国労を嫌悪する趣旨の発言をしたものと推認せざるを得ず、被申立人の主張は首肯でき の組合問題について話をする必然性は乏しいと思料され、P8所長はむしろ「三六協定を破棄するような組合は困る。」などと、国労を嫌悪する趣旨の発言をしたものと推認せざるを得ず、被申立人の主張は首肯できない。 以上のとおり、被申立人の主張は是認しがたく、認定した事実7の(1)乃至(6)のとおり、P8所長は、申立人組合員らに対し「国労にいたのではどんなに一生懸命仕事をしても会社は認めません。」などという趣旨の申立人組合員であることの不利益を述べたうえで、「国労をやめて東鉄労へ行ってもらいたい。東鉄労がだめならば、どの組合にも所属しないシロにでもなってもらいたい。」という趣旨のことを述べ、申立人組合からの脱退を慫慂したことは明らかであり、こうした行為は会社に帰責されるもので、申立人組合に対する支配介入であり、労働組合法第7条第3号に該当する不当労働行為である。 (2) P2及びP1の転勤について以下のとおり判断する。 被申立人は、本件転勤の人選にあたり、P8所長が自動車事業部長に対し廃止となる一昼夜交代勤務の営業当直者と渋川支所から6名を推薦したと主張する。しかしながら、認定した事実10の(2)のとおり、営業当直はもともと運転係がローテーションにより担当していたのであり、認定した事実8の(1)のとおり、P2は、本来運転手で営業当直担当を行いながら乗務も行っていたことを考慮すれば、営業当直制度の廃止が予定されていることのみを理由に、単純に、たまたまその時に担当していたP2を人選すべきでなく、この営業当直制度の廃止に伴い、運転係に戻されるべきであったと認められる。 被申立人は、P2を運転係に戻すことは、徒に運転係の余力人員を増やすことになり社員管理上好ましくないと主張する。しかしながら、運転係全体の中から転勤者を選出すれば、余力人員を増やすことに られる。 被申立人は、P2を運転係に戻すことは、徒に運転係の余力人員を増やすことになり社員管理上好ましくないと主張する。しかしながら、運転係全体の中から転勤者を選出すれば、余力人員を増やすことにはならず、被申立人の主張は認め難い。 また、P1の推薦理由について、被申立人は、渋川支所に余力人員があったためであると主張するのみで、具体的には何ら疎明していない。 被申立人は、6名の推薦者の中からP2及びP1を人選した理由について、通勤事情を最大限配慮したと主張する。確かに、通勤事情については、転勤者の人選にあたり考慮されるべき事項の一つであることは認められ、認定した事実9の(5)のとおり、P2及びP1の通勤事情は好転しており、この限りにおいては被申立人の主張に一応の理由が認められる。しかしながら、単に通勤時間が短縮されることのみをもって転勤の主たる理由とすることは認め難く、P2及びP1を除く4名の推薦者については、その氏名すら明らかにせず、推薦理由、通勤状況等についても何ら疎明していないことから、両名の人選理由に合理性は認められない。 認定した事実8の(1)とおり、P2は国鉄採用後の昭和44年に大型第二種免許を取得し、昭和51年から運転業務に就いていた。認定した事実8の(2)とおり、P1は国鉄採用以来、一貫して運転業務に就いていた。この両名を本来的な運転業務から外し、それと甚だしく異なる余力人員対策的な、今川焼きの実演販売やディスカウントショップの店員としての業務に従事させることは、たとえ自動車事業部に大量の余力人員が発生しており、そのような措置をとる権限が労働契約上使用者に委ねられているとしても、それを望まない両名にとっては、自動車事業において長年培ってきた経験や技術を生かせなくなり、その精神的不利益は大きいといわざるを得ない。 本 をとる権限が労働契約上使用者に委ねられているとしても、それを望まない両名にとっては、自動車事業において長年培ってきた経験や技術を生かせなくなり、その精神的不利益は大きいといわざるを得ない。 本件転勤は、α自動車営業所の余力人員を自動車部門以外に転勤させることが目的であったことは、被申立人の主張からしても明らかであり、自動車事業の経営分離を直前に控えたこの時期に、両名が関連事業部に転勤させられるということは、自動車事業から排除され余力人員としての不安定な境遇に置かれることになり、この意味においても、両名にとっての精神的な不利益は大きいと認めざるを得ない。 認定した事実8の(1)及び(2)のとおり、P2及びP1は、組合の活動家であり、P2は、昭和62年12月から国労全国自動車協議会副議長の役職に就き、その事務処理のため週2回程度東京に通い、全国オルグなどの活動も行っており、また、P1は昭和62年4月から渋川分会の分会長代行を勤めており、実質的に分会の代表者であった。この両名が、自動車事業部門から高崎運行部の関連事業部門へ転勤となることは、各分会ばかりか、自動車支部からも抜けざるを得ず、その組合活動に影響が出ることは明らかである。 前記判断(1)のとおり、昭和62年12月4日及び5日の両日にわたり、P8所長による脱退慫慂が行われるというような労使関係のもとで、認定した事実6の(3)のとおり、同月25日、渋川支所において、組合員の半数にあたる5名が渋川分会から脱退した。こうした状況の中で、認定した事実9の(1)及び(2)のとおり、昭和63年1月17日、P2及びP1に対し転勤の事前通知が発令され、認定した事実10の(1)のとおり、翌18日、ζ支所において5名が国労を脱退し、渋川支所においても、認定した事実6の(5)のとおり、翌2月に2名が国 7日、P2及びP1に対し転勤の事前通知が発令され、認定した事実10の(1)のとおり、翌18日、ζ支所において5名が国労を脱退し、渋川支所においても、認定した事実6の(5)のとおり、翌2月に2名が国労を脱退するなど、本件事前通知の発令が申立人組合員らに多大の動揺を与えたことが推認できる。 また、認定した事実6の(6)及び(7)のとおり、その後渋川支所においては、残った国労組合員2名も東京自動車営業所及びα自動車営業所へ転勤となったため、渋川分会は事実上消滅したが、渋川分会を脱退した7名は東鉄労に加入し、その後も渋川支所に勤務していることをみると、会社が東鉄労を前提とした一企業一組合が望ましいと考えていることとの関連性を認めざるを得ない。 以上のとおり、被申立人の主張はいずれも認め難く、本件転勤が全くの異職種への転勤でありその不利益性に鑑みれば、より多くの候補者の中から勤労意欲、執務態度、知識、技能、適格性等について慎重に検討したうえで、公正な人選を行うべきであると思料されるが、本件転勤における人選は合理性に欠けるものと判断せざるを得ず、P2及びP1の受けた不利益、組合活動における影響等を併せ考えると、本件P2及びP1の転勤発令は、α自動車営業所の余力人員の活用を口実とし、申立人組合の弱体化を企図して、両名を分会から排除し、不利益に扱ったものと判断せざるを得ず、会社のこうした行為は申立人組合員に対する不利益取扱いであると同時に、申立人組合に対する支配介入であり、労働組合法第7条第1号及び第3号に該当する不当労働行為である。 (3) 救済方法等についてア P2及びP1の救済方法について認定した事実10の(3)のとおり、本件申立当時両名が勤務していた会社自動車事業部は、昭和63年3月4日、会社から経営分離され、会社の子会社である「バス ついてア P2及びP1の救済方法について認定した事実10の(3)のとおり、本件申立当時両名が勤務していた会社自動車事業部は、昭和63年3月4日、会社から経営分離され、会社の子会社である「バス会社」として新たに発足し、法人格を異にしたが、その事業内容、資産、施設、役職員等の承継状況からみて、会社(自動車事業部)とバス会社とは、経営分離の前後を通じ、実質的に同一であると認められる。因って、P2及びP1が原職相当職に復帰するため、主文第2項及び第3項のとおり命令することが適当と判断する。 イ申立人組合は、陳謝文の掲示及び社報への掲載を求めるが、主文第4項の救済をもって足りると判断する。 3 法律上の根拠以上の事実認定及び判断に基づき、当委員会は、労働組合法第27条及び労働委員会規則第43条を適用して主文のとおり命令する。 平成2年7月12日群馬県地方労働委員会会長 P30「印」別紙2 命令書(写)再審査申立人東京都渋谷区<以下略>東日本旅客鉄道株式会社代表者代表取締役 P35再審査申立人東京都渋谷区<以下略>ジェイアールバス関東株式会社代表者代表取締役 P29再審査被申立人東京都港区<以下略>国鉄労働組合東日本本部代表者執行委員長 P36再審査被申立人東京都荒川区<以下略>国鉄労働組合東京地方本部代表者執行委員長 P37再審査被申立人東京都台東区<以下略>国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部代表者執行委員長 P28再審査被申立人群馬県吾妻郡<以下略>国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部α自動車営業所分会 地方本部関東地方自動車支部代表者執行委員長 P28再審査被申立人群馬県吾妻郡<以下略>国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部α自動車営業所分会代表者執行委員長 P11上記当事者間の中労委平成2年(不再)第55号事件(初審群馬地労委昭和62年(不)第9号、同63年(不)第1号事件)について、当委員会は、平成11年3月3日第1281回公益委員会議において、会長公益委員P38、公益委員P39、同P40、同P41、同P42、同P43、同P44、同P45、同P46、同P47出席し、合議の上、次のとおり命令する。 主文 Ⅰ 初審命令主文第3項を次のとおり変更する。 3 再審査申立人ジェイアールバス関東株式会社は、P2及びP1に対する再審査申立人東日本旅客鉄道株式会社が発令する出向を受け入れ、同人らの業務については東日本旅客鉄道株式会社自動車事業部α自動車営業所の社員であった者と差別することなく取扱わなければならない。 Ⅱ その余の本件再審査申立てを棄却する。 理由 第1 事案の概要 1 本件は、①再審査申立人東日本旅客鉄道株式会社(以下「会社」という。)が経営していたα自動車営業所の営業所長であったP8(以下「P8所長」という。)が、昭和62年12月4日及び同月5日に再審査被申立人国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部α自動車営業所分会(以下「α分会」という。)所属の組合員8名を所長室に呼び入れ、申立外国鉄労働組合(以下「国労」という。)からの脱退を慫慂したこと、②会社が、国労所属の組合員P2及びP1を同63年1月17日付けで鉄道部門の高崎運行部へ転勤の事前通知を行ったことが不当労働行為であるとして、α分会、その上部団体である再審査被申立人国鉄 慂したこと、②会社が、国労所属の組合員P2及びP1を同63年1月17日付けで鉄道部門の高崎運行部へ転勤の事前通知を行ったことが不当労働行為であるとして、α分会、その上部団体である再審査被申立人国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部(以下「自動車支部」という。)、同国鉄労働組合東京地方本部(以下「東京地本」という。)及び同国鉄労働組合東日本本部(以下「東日本本部」という。)の四者(以下「α分会ら」という。)は、脱退慫慂については同62年12月7日、転勤の事前通知については同63年1月22日にそれぞれ申立てを行った。α分会らは、その後会社が、同月25日P2及びP1に転勤を発令し、また、α自動車営業所の社員を同年3月4日に設立された再審査申立人ジェイアールバス関東株式会社(以下「バス会社」という。)に出向させながら、P2及びP1に出向発令しなかったことについて申立てを追加した。 2 初審群馬県地方労働委員会(以下「群馬地労委」という。)は、平成2年7月12日付けで、会社の上記行為は不当労働行為であるとして、①会社は、国労からの脱退を慫慂するなどしてα分会らの運営に支配介入してはならないこと、②会社は、P2及びP1に発令した転勤命令を撤回し、バス会社へ出向発令すること、③バス会社は、P2及びP1の出向を受け入れ、P2をバス会社のα自動車営業所運転係、P1を同営業所渋川支所運転係の業務に就かせること及び④会社は、α分会らに文書を手交することを命じた。 会社及びバス会社は、これを不服として、同年8月7日再審査を申し立てた。 第2 当委員会の認定した事実当委員会の認定した事実は、初審命令理由第1の認定した事実のうち、その一部を次のように改めるほかは、当該認定した事実と同一であるので、これを引用する。この場合において、当該引用する部分中、「被申 当委員会の認定した事実は、初審命令理由第1の認定した事実のうち、その一部を次のように改めるほかは、当該認定した事実と同一であるので、これを引用する。この場合において、当該引用する部分中、「被申立人」を「再審査申立人」と、「申立人」を「再審査被申立人」と、「本件申立時」を「本件初審申立時」と、「審問終結時」を「初審審問終結時」と、「当委員会」を「群馬地労委」とそれぞれ読み替えるものとする。 1 3の(12)を次のとおり改める。 (12)東日本本部、東京地本、自動車支部等は、会社の自動車事業部総務課長P4(以下「P4課長」という。)、同課長代理P5(以下「P5課長代理」という。)、宇都宮自動車営業所長P6(以下「P6所長」という。)、β自動車営業所長P7(以下「P7所長」という。)らが、昭和62年11月頃、国労組合員に対して脱退勧奨の言動を行ったとして、東京都地方労働委員会(以下「東京地労委」という。)及び栃木県地方労働委員会(以下「栃木地労委」という。)にそれぞれ救済申立てを行い、東京地労委昭和62年(不)第98号事件、栃木地労委同年(不)第7号及び第8号事件として係属した。 東京地労委は、東京地労委昭和62年(不)第98号事件について、平成元年6月20日、P4課長の言動は不当労働行為であるとして救済命令を発し、同6年11月30日、当委員会もこれを維持する命令を発した。 栃木地労委は、栃木地労委昭和62年(不)第7号事件について、平成元年6月16日、P5課長代理及びP6所長らの言動は不当労働行為であるとして救済命令を発し、同8年6月19日、当委員会もこれを維持する命令を発した。 また、同地労委昭和62年(不)第8号事件について、平成元年6月16日、P7所長の言動は不当労働行為であるとして救済命令を発し、同9年3月19日、当委員会は 当委員会もこれを維持する命令を発した。 また、同地労委昭和62年(不)第8号事件について、平成元年6月16日、P7所長の言動は不当労働行為であるとして救済命令を発し、同9年3月19日、当委員会は、P7所長の分会書記長に対する言動を除く、分会長らに対する言動を不当労働行為に当たると判断して初審命令を一部変更する命令を発した。 2 5の(1)中「約112名の社員がいた。」の「約」を削除し、同文の次に、「その内訳は、α町所在のα自動車営業所88名、ζ支所13名、渋川支所11名であった。乗務員は、主に定期バスや貸切りバスの運転やガイドを行い、日勤勤務者は、事務、営業、運行管理及び車輌の検修等を担当していた。」を加える。 3 5の(7)の末尾に、次の段落を加える。 なお、α自動車営業所には48畳ほどの和室があった。 4 5の(8)の末尾に、次の段落を加える。 なお、自動車支部では、同月30日付けで国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部東京自動車分会執行委員長を含む約70名の組合員が国労を脱退した。 5 6の(7)の次に、(8)として次のように加える。 (8)渋川支所の状況等をまとめると次表のとおりである。 α自動車営業所渋川支所の社員一覧氏名年齢職名特記事項A 51 支所長運行管理者東鉄労組合員B 52 運転主任補助運行管理者 62.12.25国労脱退→東鉄労C 50 〃 指導運転士 〃D 48 運輸係補助運行管理者 62.12.25~63.3.10病欠63.3.α自動車営業所へ転勤E 51 運転係 62.12.25国労脱退→東鉄労F 46 〃 本件転勤候補者 63.2. 国労脱退→東鉄労G 44 〃 3.α自動車営業所へ転勤E 51 運転係 62.12.25国労脱退→東鉄労F 46 〃 本件転勤候補者 63.2. 国労脱退→東鉄労G 44 〃 〃P1 44 〃 本件転勤対象者 63.1.25 高崎運行部へ転勤I 40 〃 62.12.25 国労脱退→東鉄労J 33 〃 〃K 29 〃 62.11.5 東京自動車営業所へ転勤L 30 〃 63.3.12 東京自動車営業所へ転勤 6 8の(5)の末尾に次の表を加える。 P8所長の推薦した6名の社員一覧(図1) 7 10の(2)の「廃止した。」を「廃止し、同制度に関する業務は日勤勤務者で対応することとした。」に改める。 8 10の(3)中、「子会社として設立され、」の次に、「会社から自動車事業の営業を譲渡され、」を加える。 第3 当委員会の判断 1 P8所長の言動について(1)会社は、初審命令が、P8所長の国労組合員に対する言動は国労からの脱退を慫慂したものであり、不当労働行為に当たると判断したことを不服として、次のとおり主張する。 イ初審命令は、P8所長が、社員のリーダー的存在ともいえる日勤勤務者に話をした際に、国労からの脱退を慫慂したと認定している根拠として、①全所員を集めず、日勤勤務者のみに話をしたこと、②日勤勤務者を1名ないし3名ずつ個別に所長室に呼び入れて、3時間もの長時間にわたって話をしたこと、③P11が同所長に抗議した後、他の日勤勤務者に話をしていないこと等をあげている。 しかし、①α自動車営業所のリーダー的存在とも言える日勤勤務者にまず話をして、日勤勤務者を通じて乗務員等に同所長の意思を伝えよ 所長に抗議した後、他の日勤勤務者に話をしていないこと等をあげている。 しかし、①α自動車営業所のリーダー的存在とも言える日勤勤務者にまず話をして、日勤勤務者を通じて乗務員等に同所長の意思を伝えようとしたのであり、同営業所に勤務する社員の大半が乗務員であって、乗務員の出勤時間・退勤時間等の勤務形態は一人ひとり異なっているため、全所員を一堂に集めることは物理的に不可能なこと、②α自動車営業所の日勤勤務者は、旅客からの貸切バスの申し込み等を受け付ける等の業務をしていることから、すべての勤務者が同時に席を外すことは業務遂行に支障が生ずる恐れがあり、また所長室の物理的なスペースも勘案して、1名ないし3名ずつ呼んで話をしたに過ぎず、話が長時間に及んだのは、P8所長が同営業所の厳しい現状やバス部門の経営分離に向けて社員として如何に取り組むべきかについて、日勤勤務者の意見を聞きながら話をしていたからにほかならないこと、③P8所長は、α自動車営業所の厳しい現状等について2時間におよぶ話し合いにもかかわらず、同所長の話を正当に理解しようとしないP11の態度をみて、これ以上他の日勤勤務者に話をしても同人と同様に同所長の真意が理解されないと考えたから、残りの2名の日勤勤務者に話をしなかったに過ぎず、初審命令の判断は勤務実態等をみない空論と言わざるを得ない。 ロ α自動車営業所の業務運営の責任者であったP8所長が、自らの営業所の経営改善と円滑な業務運営を図るために三六協定の締結が望ましいと考えるのは至極当然であって、バス部門の経営分離に対する会社の取り組み方についての話の内容として三六協定の締結問題に触れたものであり、これを国労嫌悪の意思の表れであるとする初審命令の判断は誤りである。 (2)よって、以下判断する。 イ前記第2でその一部を改めて引用する本件初審 話の内容として三六協定の締結問題に触れたものであり、これを国労嫌悪の意思の表れであるとする初審命令の判断は誤りである。 (2)よって、以下判断する。 イ前記第2でその一部を改めて引用する本件初審命令理由第1(以下「前記初審命令理由第1」という。)の5の(3)認定のとおり、α自動車営業所は、第三種生活路線が全路線の65パーセントを占めるなど、路線資質が悪く、自動車事業の経営分離に向けて厳しい状況にあったと認められる。そこで、P8所長は、自動車事業の経営分離に対する社員としての取り組み方を話す必要があったことは否定できない。 ロ P8所長の国労組合員に対する発言が行われた当時は、同3の(7)、(9)及び(10)認定のとおり、P3社長が東鉄労の大会における挨拶で国労を批判し、一企業一組合をめざすことを標榜する等の発言をしており、他方、国労は、会社が東鉄労と締結した労使共同宣言の締結を拒否し、会社の自動車事業の分離に反対して、地方公共団体への要請行動等を行っていた。また、同(11)認定のとおり、会社と国労は、三六協定が失効する時期にありながら、これを再締結せず、その結果昭和62年10月1日から同月8日まで無協定の状態となる等労使が対立関係にあった。 さらに、同3の(12)及び5の(8)認定のとおり、自動車支部等は、この時期に本件以外にも自動車事業部総務課長ら及び宇都宮、β各自動車営業所所長らの言動に関し、相次いで救済申立てを行い、しかも、P9が国労から脱退し、同時期に多数の組合員が国労を脱退していることが認められる。 このような労使関係の中で、同7の(1)ないし(6)認定のとおり、P8所長は、日勤勤務者を1名ないし3名ずつ個別に所長室に呼び入れ、勤務時間を含む長時間にわたって、自動車事業部の経営分離に対する社員としての取り組み方を話し、 7の(1)ないし(6)認定のとおり、P8所長は、日勤勤務者を1名ないし3名ずつ個別に所長室に呼び入れ、勤務時間を含む長時間にわたって、自動車事業部の経営分離に対する社員としての取り組み方を話し、その際、国労組合員らに対し、「国労にいたのではどんなに仕事をしても会社は認めない。」等と国労組合員であることの不利益を述べた上で、「国労を抜けて向こうの組合に行ってほしい。向こうの組合がだめならシロにでもなってくれないか。」という趣旨を述べ、国労からの脱退を慫慂したことが認められる。 また、同所長は、「新会社に移行するにあたって三六協定を破棄するような組合は困る。」等と発言し、国労を嫌悪、差別する趣旨を述べるとともに、国労を脱退するよう慫慂したことが認められる。 ハ次に、会社の上記(1)のイの主張をみると、日勤勤務者全員が同時に席を外すことは業務遂行に支障が生ずるおそれがあったこと及び乗務員の勤務形態から営業所の全員を一堂に集めることは物理的にも不可能であることが推認できる。しかし、営業所の存続問題にかかる重要な内容の話をするのであるから、仮に時間がかかるとしても、待機中の時間や勤務終了後にP8所長が直接営業所の全員に話をすることによって、理解も深まると考えられるところ、日勤勤務者を通じて乗務員等に同所長の意思を伝えようとしたとの会社の主張には疑問がある。また、同5の(7)認定のとおり、α自動車営業所内に多数の社員が集まることのできる部屋も存在していたのであるから、所長室の物理的なスペースを理由に日勤勤務者を1名ないし3名の少人数に分けて話をしたことの合理性には疑問がある。さらに、自動車事業の経営分離に対する社員の取り組み方を訴えるのであれば、P11から抗議を受けたからといって、話のすんでいない日勤勤務者に対する同様の訴えを中止したことは不 の合理性には疑問がある。さらに、自動車事業の経営分離に対する社員の取り組み方を訴えるのであれば、P11から抗議を受けたからといって、話のすんでいない日勤勤務者に対する同様の訴えを中止したことは不自然である。 ニこれらを総合すると、P8所長の一連の言動は、国労と会社が対立し、しかもP9等の国労からの脱退により、自動車支部及び各自動車営業所の分会が組織的に動揺していた状況の下で、会社の意を体して組合員に不利益を示唆し、国労からの脱退を慫慂することにより、α分会らの運営に対して支配介入したものと判断されるのであって、これを労働組合法第7条第3号の不当労働行為に当たるとした初審判断は相当である。 2 P2及びP1の転勤について(1)会社は、初審命令が、P2及びP1に対し高崎運行部への転勤を命じたことは不当労働行為に当たると判断したことを不服として、次のとおり主張する。 イ昭和62年当時、自動車事業部は、自動車営業所間の要員需給のアンバランスの解消及び自動車運送事業の分離計画に明記されていた新バス会社に必要な社員数888名と、自動車事業部の社員数920名との差30数名について、自動車事業以外で活用することとし、逐次、鉄道部門へ転勤させることとした。 α自動車営業所は余力人員を抱えており、仮に、自動車事業部管内の欠員箇所の要員を全てα自動車営業所の余力人員で補充したとしても、なお、α自動車営業所には余力人員が残るという状況であった。 自動車事業部としては、可能な限り多くの社員をα自動車営業所から高崎運行部へ転勤させる予定であったが、当時の高崎運行部でも余力人員を抱えていたため、本件転勤者数は、最終的に2名で調整がついた。 ロ P8所長は、α自動車営業所の一昼夜交代勤務による営業当直制度を廃止する予定であったところから、営業当直係のP2ら3名を も余力人員を抱えていたため、本件転勤者数は、最終的に2名で調整がついた。 ロ P8所長は、α自動車営業所の一昼夜交代勤務による営業当直制度を廃止する予定であったところから、営業当直係のP2ら3名を高崎運行部に転勤させる候補者として推薦した。また、同年4月当時、渋川支所では5行路に対し9名の運転係がおり、5行路を運行するために必要な運転係は要員算定基準でも7名と余力人員が2名おり、同年11月5日付けで1名を東京自動車営業所に転勤させたが、なお1名が余力人員となっていた。そこでP8所長は、渋川支所からP1ら3名を転勤候補者に推薦した。 初審命令は、営業当直制度の廃止に伴い、営業当直係のP2をいったん運転係に戻して、運転係全体から転勤者を人選すれば、運転係の余力人員を増やすことにはならないと指摘する。しかし、α自動車営業所の余力人員の大半は運転係に集中しており、運転係が最も転勤の可能性が高いのであるから、初審命令のいうように営業当直係を運転係に戻すことは、運転係の余力人員を増やす結果となり、それまで運転係の業務に従事していた社員を玉つき的に転勤させることとなり、それでは運転係の不満が高まり、勤労意欲にも大きな弊害を生じ、社員管理上問題が生ずるものであって、α自動車営業所の余力人員の実態を理解しない判断である。 ハまた、組合らは、自動車部門から鉄道部門という異系統への転勤に伴いP2及びP1に精神的不利益があったと主張する。しかし、自動車事業部長は、同部の全員の転勤希望、家庭事情等の把握に努め、鉄道部門への転勤者については、職場環境や職種が変わること等に伴う精神的負担を少しでも軽減するために、転居を要せず、通勤が可能な者を人選する等最大限の配慮をしている。P8所長から転勤候補者に推薦された6名については、勤労意欲、執務態度、知識、技能、適格性 等に伴う精神的負担を少しでも軽減するために、転居を要せず、通勤が可能な者を人選する等最大限の配慮をしている。P8所長から転勤候補者に推薦された6名については、勤労意欲、執務態度、知識、技能、適格性、家庭環境等を相対的に比較し、特に転勤先への通勤事情に恵まれたP2及びP1を人選したものである。そして、P2及びP1は、本件転勤により業務上の不利益はもちろん組合活動上の特段の不利益もなかったのである。 また、α自動車営業所においては、余力人員を解消するために、平成3年4月までに同営業所の約半数にも及ぶ社員の転勤を行っているのであり、P2及びP1のみを転勤できないとすれば、同人らを他の社員より有利に取り扱うこととなって、いわゆる逆差別が生ずる。 (2)よって、以下判断する。 イ確かに、前記初審命令理由第1の8の(6)認定のとおり、当時の各自動車営業所には要員の過不足があり、α自動車営業所には余力人員が存在し、運転係を東京自動車営業所に転勤するなど、要員の適正配置を実施しなければならなかったことが認められる。 ところで、会社は、α自動車営業所では営業当直制度を廃止する予定であったため、営業当直係のP2ら3名を、また、渋川支所には1名の余力人員があったため、P1ら3名をそれぞれ転勤候補者に推薦したと主張する。 しかし、同10の(2)認定のとおり、α自動車営業所の営業当直は、もともとローテーションにより担当者を決定していたのであり、同8の(1)認定のとおり、本来運転係のP2は、営業当直を行いながら乗務も行っていたのである。したがって、営業当直制度を廃止するのであれば、ローテーションで営業当直の担当となっていた者を本来の業務に戻した上で、α自動車営業所の少なくとも運転係全体の中から転勤候補者を人選することが相当と考えられ、P2を運転係に戻して、候 するのであれば、ローテーションで営業当直の担当となっていた者を本来の業務に戻した上で、α自動車営業所の少なくとも運転係全体の中から転勤候補者を人選することが相当と考えられ、P2を運転係に戻して、候補者を人選することは玉つき的人事となって社員管理上問題を生ずるとの会社の主張は採用できない。 また、同6の(8)認定の渋川支所の社員一覧を見ると、同支所の社員12名のうち支所長A、病欠者D及び東京自動車営業所に転勤したKを除く9名中、B、C、E、I、Jの5名は昭和62年12月25日付けで国労を脱退しており、Lは年齢が若く、東京自動車営業所への転勤が予定されていたと推認され、残りのF、G及びP1は国労組合員であったことが認められる。本件転勤の対象者たり得る8名の中から、国労を脱退したBらを転勤候補者に人選せず、国労を脱退しなかったP1ら3名を人選した理由について、会社は何らの説明もしていない。 このように、α自動車営業所の社員112名の中から、P8所長がP2ら3名及びP1ら3名を本件転勤候補者に人選したことの合理性について、会社の疎明は不十分といわざるを得ない。 しかも、会社は、同8の(5)認定のとおり、P8所長から推薦された6名について、家庭の状況、本人の希望、通勤事情等の資料を提出し、その上で、同人らの勤労意欲、執務態度、知識、技能、適格性、家庭環境等を相対的に比較して、P2及びP1を本件転勤者に人選したと主張する。しかし、会社は、M及びNの特記事項欄記載の他にP2及びP1を人選した理由としては通勤事情を挙げるのみである。そして、Mの特記事項は指定された時期が不明の衛生管理者となっていることであるが、これをもって本件転勤対象者から除外する理由は説明していない。また、Nの特記事項は、上記渋川支所のLの場合と同様に年齢が若く、後に東京自動 指定された時期が不明の衛生管理者となっていることであるが、これをもって本件転勤対象者から除外する理由は説明していない。また、Nの特記事項は、上記渋川支所のLの場合と同様に年齢が若く、後に東京自動車営業所へ転勤することが予定されていたことにあると推認されるが、そうとすればNを本件の転勤候補者に人選したこと自体に疑問がある。したがって、本件転勤候補者6名からP2及びP1を転勤対象者に人選したことの合理性にも疑問が残る。 ロ当時のα自動車営業所には余力人員が存在し、要員の適正配置をしなければならなかったことは、上記判断のとおりである。そして、余力人員の転出先としては、東京自動車営業所のほかに高崎運行部等も対象として検討されたのであり、同運行部に転勤した場合、自動車事業とは異なる業務に従事しなければならなくなることはもとより、高崎運行部にも余力人員が存在していたのであるから、同部が余力人員対策として鉄道輸送業務以外に展開していた関連事業の業務に従事しなければならなくなる可能性もあったのである。したがって、α自動車営業所から高崎運行部に転勤することは、自動車事業における経験と技能を生かすことができなくなるとともに、関連事業の業務として今川焼きの実演販売やディスカウントショップの店員といった、それまで従事してきた業務と異質の業務に従事することとなる。 それは従来の経験や技能が生かせないことから、転勤に納得できない者にとっては精神的な面でも不利益性があるといわざるを得ない。 ところで、同8の(1)及び(2)認定のとおり、P2及びP1は、国鉄時代から一貫して自動車事業部に所属し、現業職場の自動車運転係及び営業担当として長年の経験と技能を有しており、一方、本件転勤当時は会社の自動車事業がバス会社に引き継がれること及び自動車事業分離の際に自動車事業部に て自動車事業部に所属し、現業職場の自動車運転係及び営業担当として長年の経験と技能を有しており、一方、本件転勤当時は会社の自動車事業がバス会社に引き継がれること及び自動車事業分離の際に自動車事業部に在籍していなければバス会社への出向対象者から除外され、以後、自動車事業の業務に就くことが極めて困難になるとみられていたことが推認される。これらよりすると、転勤の対象となった者は上記のような不利益を蒙ることが予想されていたところ、高崎運行部への本件転勤によりP2及びP1がその対象に選ばれたことになる。 しかも、P2及びP1は、国鉄に採用と同時か採用直後に国労に加入し、以後、国鉄の分割民営化に引き続いて自動車事業の分離に反対する国労に所属し、自動車事業の分離当時には、P2が国労全国自動車協議会副議長に、P1が渋川分会の分会長代行の役職に就いていたことが認められる。ところが本件転勤により、P2は、活動の基礎となる自動車事業部門から鉄道部門に転勤させられたため、それまで週2回程度東京で国労全国自動車協議会副議長として行っていた活動が困難になったものと推認され、同人の自動車職場における組合活動が制約されたものと見られる。また、渋川分会の実質的な代表者である分会長代行をしていたP1は、本件転勤により組合活動の基礎となる職場から離れたため、その活動が困難になったものと推認される。このように、本件転勤により両名の組合活動が制約を受け、そのことによる不利益も明らかである。 ハ他方、会社は、自動車事業部の分離を推進するとともに、上記1の(2)で判断したとおり、東鉄労の大会に出席したP3社長が会社の方針に反対している国労を批判し、「一企業一組合」が望ましい旨の国労を嫌悪する発言を行い、また、α自動車営業所においても、P8所長が国労組合員に対し脱退慫慂の発言を繰り 大会に出席したP3社長が会社の方針に反対している国労を批判し、「一企業一組合」が望ましい旨の国労を嫌悪する発言を行い、また、α自動車営業所においても、P8所長が国労組合員に対し脱退慫慂の発言を繰り返すなど、会社が国労を嫌悪し、その弱体化を企図していたものと推認される。そして、前記初審命令理由第1の6の(3)、(5)、10の(1)認定のとおり、昭和62年12月25日には渋川支所の組合員の半数にあたる5名が国労を脱退し、本件P2及びP1に対する転勤の事前通知がなされた翌日である同63年1月18日にはζ支所の組合員5名が国労を脱退し、翌2月には渋川支所の組合員2名が国労を脱退していることが認められる。 さらに、同6の(6)、(7)認定のとおり、渋川支所で国労を脱退しなかったD及びLの2名は、同年3月にα自動車営業所及び東京自動車営業所に転勤となり、国労の渋川分会は事実上消滅した。これに対し、国労を脱退した7名は東鉄労に加入し、その後も渋川支所で勤務している。 ニ以上を総合すると、会社が業務上の必要性に名を藉りてP2及びP1を自動車事業部から鉄道部門に転勤させて本来の業務とは異質の職務を命じたことは、国労から脱退しないばかりかその役員に就いて活動を続ける同人らを嫌悪し、同人らの通勤事情を奇貨として意に沿わない本件転勤を行うことにより、同人らを業務面、精神面及び組合活動の面において殊更不利益に取り扱い、かつ、バス会社から排除することによりα分会らの運営に支配介入したものと判断されるのであって、これを労働組合法第7条第1号及び第3号の不当労働行為に当たるとした初審判断は相当である。 (3)救済方法について会社は、本件は、会社がなした転勤が不当労働行為に当たるか否かが問題とされている事件であり、会社とは別の法人であるバス会社に対して救済を命ず るとした初審判断は相当である。 (3)救済方法について会社は、本件は、会社がなした転勤が不当労働行為に当たるか否かが問題とされている事件であり、会社とは別の法人であるバス会社に対して救済を命ずる初審命令は、明らかに違法であると主張する。 しかしながら、前記初審命令理由第1の10の(3)認定のとおり、バス会社は、会社の100パーセント出資の子会社として、会社から自動車事業の営業譲渡を受け、大多数の役員の派遣を受けて設立され、一方、バス会社の設立により会社の自動車事業部所管事業は消滅した。また、バス会社の部長らの幹部をはじめ各営業所の所長らの管理職には、いずれも会社の自動車事業部の管理職らが就任しており、また、会社の自動車事業部の社員はバス会社に出向を命じられ、バス会社においてそれまでと同じく自動車事業の業務に従事している。さらに、出向社員の賃金は、会社から払われていること等が認められる。 他方、P2及びP1は、会社の鉄道部門に転勤させられており、その転勤が不当労働行為に当たることは上記(2)判断のとおりである。そして、バス会社設立の経緯及び会社とバス会社の関係を併せ考えると、本件の救済としては、会社に対しP2及びP1を他のα自動車営業所の社員であった者と同様、バス会社に出向させることを命ずることのほか、バス会社に対し同人らを他の自動車事業部の社員であった者と同様に出向を受け入れて、他のα自動車営業所の社員であった者と差別することなくバス会社の業務に就かせることを命ずることが相当であると思料する。 なお、このように命ずることが労働委員会の裁量の範囲を逸脱するという会社の主張は失当であり、採用できない。 以上のとおり、P8所長の国労組合員に対する言動並びにP2及びP1を鉄道部門へ転勤させたことが不当労働行為に当たるとした初審命令の判 量の範囲を逸脱するという会社の主張は失当であり、採用できない。 以上のとおり、P8所長の国労組合員に対する言動並びにP2及びP1を鉄道部門へ転勤させたことが不当労働行為に当たるとした初審命令の判断は相当であり、また、その救済としては上記のとおりであるので主文のとおり命ずることが相当であるから、初審命令主文の一部を主文のとおり変更し、その余の本件再審査申立てには理由がないので棄却する。 よって、労働組合法第25条及び第27条並びに労働委員会規則第55条の規定に基づき、主文のとおり、命令する。 平成11年3月3日中央労働委員会会長 P38「印」
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