主文 被告大阪入国管理局長が平成14年8月21日付けで原告らに対してした出入国管理及び難民認定法(平成16年法律第73号による改正前のもの)49条1項に基づく原告らの異議申出は理由がない旨の各裁決をいずれも取り消す。 被告大阪入国管理局主任審査官が平成14年8月21日付けで原告らに対してした各退去強制令書発付処分をいずれも取り消す。 訴訟費用は,被告らの負担とする。 事実 及び理由第1請求主文と同旨第2事案の概要本件は,中国の国籍を有する外国人であるとされ,架空人名義を用いるなどして日本人P1の孫ないしその妻子に当たるなどと偽り,「定住者」の在留資格を取得して本邦に不法に上陸し,あるいは,本邦で出生し,上記架空人の子として「定住者」の在留資格を取得した原告らが,上記不法入国等の事実が発覚したとして,上陸許可ないし在留資格取得許可が取り消され,出入国管理及び難民認定法(平成16年法律第73号による改正前のもの。以下「法」という。)24条1号又は7号に該当する旨の大阪入国管理局(以下「大阪入管」という。)入国審査官の認定及び同認定に誤りがない旨の大阪入管特別審理官の判定を受け,法務大臣に対し異議の申出をしたのに対し,法務大臣から権限の委任を受けた被告大阪入国管理局長(以下「被告入管局長」という。)が原告らの異議の申出は理由がない旨の各裁決(以下「本件各裁決」という。)をし,これを受けて被告大阪入国管理局主任審査官(以下「被告主任審査官」という。)が原告らに対し退去強制令書を発付した(以下「本件各退令発付処分」という。)ため,原告P2の父は日本人であり,原告P3を除くその余の原告らはいずれも日本国籍を有しているから,退去強制に付すことは許されな い,また,原告P3についても,その妻子が日本国籍を有している う。)ため,原告P2の父は日本人であり,原告P3を除くその余の原告らはいずれも日本国籍を有しているから,退去強制に付すことは許されな い,また,原告P3についても,その妻子が日本国籍を有していることを看過して被告入管局長による裁決がされたものであり,裁量権の逸脱ないし濫用に当たり違法であるなどとして,被告入管局長のした本件各裁決及び被告主任審査官のした本件各退令発付処分の各取消しを求めた事案である。 前提となる事実(1)当事者原告P3(○年(昭和○年)○月○日生),原告P2(○年(昭和○年)○月○日生),原告P4(○年(昭和○年)○月○日生)及び原告P5(○年(昭和○年)○月○日生)は,いずれも中国福建省において出生した者であり,原告P6ことP7(○年(平成○年)○月○日生。以下「原告P7」という。)は,大阪府において出生した者である。 原告P3(夫)と原告P2(妻)は夫婦であり,原告P4(長女),原告P5(長男)及び原告P7(二女)は,原告P3及び原告P2の子である。 原告P2の父は,P8である。 (当事者間に争いのない事実)(2)原告らの入国及び在留経緯等ア原告P3について(ア)原告P3(申請書の氏名はP9)は,P10を代理人として,平成6年3月24日,広島入国管理局において,自らが日本人の子であるP1こと中国人P11(以下「P1」という。)の孫P9(○年(昭和○年)○月○日生)であり,法別表第2に掲げる在留資格「定住者」に係る告示である平成2年5月24日法務省告示第132号「出入国管理及び難民認定法第7条第1項第2号の規定に基づき同法別表第2の定住者の項の下欄に掲げる地位を定める件」(以下「本件告示」という。)第4号にいう「日本人の子として出生した者でかつて日本国民として本邦に本籍を有したことがあるものの実子 規定に基づき同法別表第2の定住者の項の下欄に掲げる地位を定める件」(以下「本件告示」という。)第4号にいう「日本人の子として出生した者でかつて日本国民として本邦に本籍を有したことがあるものの実子の実子(前3号に該当するものを除く。)に係るもの」に該当するとして在留資格認定証明書の交付申請 をした。法務大臣は,同申請に対し,平成6年7月14日,在留資格「定住者」の在留資格認定証明書を交付した。 (乙4号証,当事者間に争いのない事実)(イ)原告P3は,平成6年(1994年)8月19日,P1ほか総勢約15名ないし16名とともに名古屋空港に到着し,名古屋入国管理局(以下「名古屋入管」という。)名古屋空港出張所入国審査官にP9名義の中国旅券を提示した上で上陸申請を行い,同入国審査官から,在留資格「定住者」,在留期間「1年」とする上陸許可を受けて本邦に上陸した。 (当事者間に争いのない事実)(ウ)原告P3は,平成7年(1995年)7月25日,大阪入管において,法務大臣に対し,P9名で「日本で生活すること」との理由を付して在留期間更新許可申請を行い,同申請に対し,法務大臣は,同年11月13日,在留期間を「1年」とする在留期間の更新を許可した。 以後,原告P3は,同様に「日本の生活する」との理由を付して3回の在留期間更新申請を行い,法務大臣は,平成8年(1996年)8月15日及び平成9年(1997年)9月29日にそれぞれ在留期間を「1年」とする許可を,平成11年(1999年)4月13日に在留期間を「3年」とする許可を行った。 (乙5号証,7号証,当事者間に争いのない事実)(エ)名古屋入管名古屋空港出張所入国審査官は,平成13年1月24日,原告P3が日本人の実子の実子ではなく,法7条1項2号に規定された上陸の条件に適合していなかったことが 事者間に争いのない事実)(エ)名古屋入管名古屋空港出張所入国審査官は,平成13年1月24日,原告P3が日本人の実子の実子ではなく,法7条1項2号に規定された上陸の条件に適合していなかったことが判明したとして,平成6年(1994年)8月19日付けで行われた上陸許可を上陸の日にさかのぼって取り消すとともに,これを原告P3(上陸許可取消通知書上の氏名はP12)に通知した。なお,同手続は,同出張所入国審査官の依頼によ り大阪入管入国審査官が行った。 原告P3の上陸許可が取り消されたため,法務大臣は,平成13年1月24日,上記(ウ)記載の各在留期間更新許可を取り消し,これを原告P3(処分取消通知書上の氏名はP13)に通知した。 (乙6号証,7号証,当事者間に争いのない事実)イ原告P2について(ア)原告P2(申請書の生年月日は○年(昭和○年)○月○日)は,P9(原告P3)を代理人として,平成7年7月26日,大阪入管天王寺出張所において,P9の妻であり,本件告示第5号にいう「1年以上の在留期間を指定されている定住者の在留資格をもって在留するものの配偶者」に該当するとして在留資格認定証明書の交付申請をした。法務大臣は,同申請に対し,同年9月13日,在留資格「定住者」の在留資格認定証明書を交付した。 (乙9号証,当事者間に争いのない事実)(イ)原告P2は,平成7年(1995年)10月29日,P14,原告P4及び原告P5とともに関西国際空港に到着し,大阪入管関西空港支局入国審査官にP2(○年(昭和○年)○月○日生)名義の中国旅券を提示した上で上陸申請を行い,同入国審査官から,在留資格「定住者」,在留期間「1年」とする上陸許可を受けて本邦に上陸した。 (当事者間に争いのない事実)(ウ)原告P2は,「P2(昭和○年○月○日生)」の身分事項で 申請を行い,同入国審査官から,在留資格「定住者」,在留期間「1年」とする上陸許可を受けて本邦に上陸した。 (当事者間に争いのない事実)(ウ)原告P2は,「P2(昭和○年○月○日生)」の身分事項で,平成8年(1996年)10月2日,大阪入管において,「日本の生活する」との理由を付して在留期間更新許可申請を行い,同申請に対し,法務大臣は,平成9年(1997年)3月11日,在留期間を「1年」とする在留期間の更新を許可した。 以後,原告P2は,同様に「日本の生活する」との理由を付して2回 の在留期間更新申請を行い,法務大臣は,同年11月11日に在留期間を「1年」とする許可を,平成11年(1999年)4月13日に在留期間を「3年」とする許可を行った。 (乙10号証,12号証,当事者間に争いのない事実)(エ)大阪入管入国審査官は,平成13年2月16日,原告P2が法7条1項2号に規定された上陸の条件に適合していなかったことが判明したとして,平成7年(1995年)10月29日付けで行われた上陸許可を上陸の日にさかのぼって取り消すとともに,これを原告P2(上陸許可取消通知書上の氏名はP15,生年月日は○年(昭和○年)○月○日)に通知した。 原告P2の上陸許可が取り消されたため,法務大臣は,平成13年2月16日,上記(ウ)記載の各在留期間更新許可を取り消し,これを原告P2(処分取消通知書上の氏名はP15,生年月日は○年(昭和○年)○月○日)に通知した。 (乙11号証,12号証,当事者間に争いのない事実)ウ原告P4について(ア)原告P4(申請書の氏名はP16,生年月日は○年(昭和○年)○月○日)は,P9(原告P3)を代理人として,平成7年7月26日,大阪入管天王寺出張所において,P9の子であり,本件告示第6号にいう「1年以上の在留期間を指定 はP16,生年月日は○年(昭和○年)○月○日)は,P9(原告P3)を代理人として,平成7年7月26日,大阪入管天王寺出張所において,P9の子であり,本件告示第6号にいう「1年以上の在留期間を指定されている定住者の在留資格をもって在留するものの扶養を受けて生活するこれらの者の未成年で未婚の実子」に該当するとして在留資格認定証明書の交付申請をした。法務大臣は,同申請に対し,同年9月13日,在留資格「定住者」の在留資格認定証明書を交付した。 (乙13号証,当事者間に争いのない事実)(イ)原告P4は,平成7年(1995年)10月29日,原告P2,P 14及び原告P5とともに関西国際空港に到着し,大阪入管関西空港支局入国審査官にP16名義の中国旅券を提示した上で上陸申請を行い,同入国審査官から,在留資格「定住者」,在留期間「1年」とする上陸許可を受けて本邦に上陸した。 (当事者間に争いのない事実)(ウ)原告P4は,P16名で,平成8年(1996年)10月2日,大阪入管において,「日本の生活する」との理由を付して在留期間更新許可申請を行い,同申請に対し,法務大臣は,平成9年(1997年)3月11日,在留期間を「1年」とする在留期間の更新を許可した。 以後,原告P4は,同様に「日本の生活する」との理由を付して2回の在留期間更新申請を行い,法務大臣は,同年11月11日に在留期間を「1年」とする許可を,平成11年(1999年)4月13日に在留期間を「3年」とする許可を行った。 (乙14号証,16号証,当事者間に争いのない事実)(エ)大阪入管入国審査官は,平成13年2月16日,原告P4が法7条1項2号に規定された上陸の条件に適合していなかったことが判明したとして,平成7年(1995年)10月29日付けで行われた上陸許可を上陸の日にさかのぼっ 官は,平成13年2月16日,原告P4が法7条1項2号に規定された上陸の条件に適合していなかったことが判明したとして,平成7年(1995年)10月29日付けで行われた上陸許可を上陸の日にさかのぼって取り消すとともに,これを原告P4(上陸許可取消通知書上の氏名はP17)に代わり母である原告P2に通知した。 原告P4の上陸許可が取り消されたため,法務大臣は,平成13年2月16日,上記(ウ)記載の各在留期間更新許可を取り消し,これを原告P4(処分取消通知書上の氏名はP17)に代わり母である原告P2に通知した。 (乙15号証,16号証,当事者間に争いのない事実)エ原告P5について(ア)原告P5(申請書の氏名はP18,生年月日は○年(昭和○年)○ 月○日)は,P9(原告P3)を代理人として,平成7年7月26日,大阪入管天王寺出張所において,P9の子であり,本件告示第6号にいう「1年以上の在留期間を指定されている定住者の在留資格をもって在留するものの扶養を受けて生活するこれらの者の未成年で未婚の実子」に該当するとして在留資格認定証明書の交付申請をした。法務大臣は,同申請に対し,同年9月13日,在留資格「定住者」の在留資格認定証明書を交付した。 (乙17号証,当事者間に争いのない事実)(イ)原告P5は,平成7年(1995年)10月29日,原告P2,P14及び原告P4とともに関西国際空港に到着し,大阪入管関西空港支局入国審査官にP18名義の中国旅券を提示した上で上陸申請を行い,同入国審査官から,在留資格「定住者」,在留期間「1年」とする上陸許可を受けて本邦に上陸した。 (当事者間に争いのない事実)(ウ)原告P5は,P18名で,平成8年(1996年)10月2日,大阪入管において,「日本の生活する」との理由を付して在留期間更新許可申請を行 受けて本邦に上陸した。 (当事者間に争いのない事実)(ウ)原告P5は,P18名で,平成8年(1996年)10月2日,大阪入管において,「日本の生活する」との理由を付して在留期間更新許可申請を行い,同申請に対し,法務大臣は,平成9年(1997年)3月11日,在留期間を「1年」とする在留期間の更新を許可した。 以後,原告P5は,同様に「日本の生活する」との理由を付して2回の在留期間更新申請を行い,法務大臣は,同年11月11日に在留期間を「1年」とする許可を,平成11年(1999年)4月13日に在留期間を「3年」とする許可を行った。 (乙18号証,20号証,当事者間に争いのない事実)(エ)大阪入管入国審査官は,平成13年2月16日,原告P5が法7条1項2号に規定された上陸の条件に適合していなかったことが判明したとして,平成7年(1995年)10月29日付けで行われた上陸許可 を上陸の日にさかのぼって取り消すとともに,これを原告P5(上陸許可取消通知書上の氏名はP19)に代わり母である原告P2に通知した。 原告P5の上陸許可が取り消されたため,法務大臣は,平成13年2月16日,上記(ウ)記載の各在留期間更新許可を取り消し,これを原告P5(処分取消通知書上の氏名はP19)に代わり母である原告P2に通知した。 (乙19号証,20号証,当事者間に争いのない事実)オ原告P7について(ア)原告P7は,平成○年(○年)○月○日,大阪府において,父を原告P3,母を原告P2として出生した。 原告P7(申請書の氏名はP20)は,P9(原告P3)を代理人として,同月20日,大阪入管において,P9の子であり,本件告示第6号にいう「1年以上の在留期間を指定されている定住者の在留資格をもって在留するものの扶養を受けて生活するこれらの者の未成年で未婚の実子 て,同月20日,大阪入管において,P9の子であり,本件告示第6号にいう「1年以上の在留期間を指定されている定住者の在留資格をもって在留するものの扶養を受けて生活するこれらの者の未成年で未婚の実子」に該当するとして在留資格取得許可申請をした。法務大臣は,同申請に対し,平成11年4月13日,在留資格「定住者」及び在留期間「3年」とする在留資格の取得を許可した。 (乙22号証,当事者間に争いのない事実)(イ)法務大臣は,平成13年2月16日,処分に重大な瑕疵があることが判明したとして,原告P7に対する平成11年4月13日付け在留資格取得許可を取り消し,これを原告P7(処分取消通知書上の氏名はP20)に代わり母である原告P2に通知した。 (乙23号証,当事者間に争いのない事実)(3)原告らに対する退去強制令書発付に至る経緯ア原告P3について(ア)大阪入管入国警備官は,平成13年8月2日,原告P3について法 24条1号にいう「第3条の規定に違反して本邦に入った者」に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,被告主任審査官から収容令書の発付を受けた上で,同月7日,大阪入管茨木分室において同収容令書を執行し,同日,大阪入管入国審査官に引き渡した。 原告P3は,同日,仮放免許可された。 (当事者間に争いのない事実)(イ)大阪入管入国審査官は,平成13年12月14日,原告P3について法24条1号に該当する旨の認定を行い,原告P3にこれを通知したところ,原告P3は,同日,口頭審理を請求した。 (当事者間に争いのない事実)(ウ)大阪入管特別審理官は,平成14年2月18日,入国審査官の(イ)記載の認定には誤りがない旨判定し,原告P3にこれを通知したところ,原告P3は,同日,法務大臣に対し異議の申出をした。 (当事者間に争いのない事実) 理官は,平成14年2月18日,入国審査官の(イ)記載の認定には誤りがない旨判定し,原告P3にこれを通知したところ,原告P3は,同日,法務大臣に対し異議の申出をした。 (当事者間に争いのない事実)(エ)法務大臣から権限の委任を受けた被告入管局長は,平成14年7月17日付けで,原告P3の異議の申出は理由がない旨の裁決(本件各裁決中,原告P3に係るもの)をした。被告主任審査官は,同裁決を受けて,同年8月21日,原告P3に同裁決を通知すると共に,退去強制令書を発付(本件各退令発付処分中,原告P3に係るもの)し,大阪入管入国警備官は,同日,大阪入管茨木分室においてこれを執行し,原告P3を大阪入管収容場に収容した。 原告P3は,同日,仮放免許可された。 (当事者間に争いのない事実)イ原告P2について(ア)大阪入管入国警備官は,平成13年8月2日,原告P2について法24条1号にいう「第3条の規定に違反して本邦に入った者」に該当す ると疑うに足りる相当の理由があるとして,被告主任審査官から収容令書の発付を受けた上で,同月7日,大阪入管茨木分室において同収容令書を執行し,同日,大阪入管入国審査官に引き渡した。 原告P2は,同日,仮放免許可された。 (当事者間に争いのない事実)(イ)大阪入管入国審査官は,平成13年12月18日,原告P2について法24条1号に該当する旨の認定を行い,原告P2にこれを通知したところ,原告P2は,同日,口頭審理を請求した。 (当事者間に争いのない事実)(ウ)大阪入管特別審理官は,平成14年2月18日,入国審査官の(イ)記載の認定には誤りがない旨判定し,原告P2にこれを通知したところ,原告P2は,同日,法務大臣に対し異議の申出をした。 (当事者間に争いのない事実)(エ)法務大臣から権限の委任を受けた被告入管局 記載の認定には誤りがない旨判定し,原告P2にこれを通知したところ,原告P2は,同日,法務大臣に対し異議の申出をした。 (当事者間に争いのない事実)(エ)法務大臣から権限の委任を受けた被告入管局長は,平成14年7月17日付けで,原告P2の異議の申出は理由がない旨の裁決(本件各裁決中,原告P2に係るもの)をした。被告主任審査官は,同裁決を受けて,同年8月21日,原告P2に同裁決を通知すると共に,退去強制令書を発付(本件各退令発付処分中,原告P2に係るもの)し,大阪入管入国警備官は,同日,大阪入管茨木分室においてこれを執行し,原告P2を大阪入管収容場に収容した。 原告P2は,同日,仮放免許可された。 (当事者間に争いのない事実)ウ原告P4について(ア)大阪入管入国警備官は,平成13年8月2日,原告P4について法24条1号にいう「第3条の規定に違反して本邦に入った者」に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,被告主任審査官から収容令 書の発付を受けた上で,同月7日,大阪入管茨木分室において同収容令書を執行し,同日,大阪入管入国審査官に引き渡した。 原告P4は,同日,仮放免許可された。 (当事者間に争いのない事実)(イ)大阪入管入国審査官は,平成13年12月18日,原告P4について法24条1号に該当する旨の認定を行い,原告P4(代理人原告P2)にこれを通知したところ,原告P4(代理人原告P2)は,同日,口頭審理を請求した。 (当事者間に争いのない事実)(ウ)大阪入管特別審理官は,平成14年2月18日,入国審査官の(イ)記載の認定には誤りがない旨判定し,原告P4(代理人原告P2)にこれを通知したところ,原告P4(代理人原告P2)は,同日,法務大臣に対し異議の申出をした。 (当事者間に争いのない事実)(エ)法務大臣から 定には誤りがない旨判定し,原告P4(代理人原告P2)にこれを通知したところ,原告P4(代理人原告P2)は,同日,法務大臣に対し異議の申出をした。 (当事者間に争いのない事実)(エ)法務大臣から権限の委任を受けた被告入管局長は,平成14年7月17日付けで,原告P4の異議の申出は理由がない旨の裁決(本件各裁決中,原告P4に係るもの)をした。被告主任審査官は,同裁決を受けて,同年8月21日,原告P4(代理人原告P2)に同裁決を通知すると共に,退去強制令書を発付(本件各退令発付処分中,原告P4に係るもの)し,大阪入管入国警備官は,同日,大阪入管茨木分室においてこれを執行し,原告P4を大阪入管収容場に収容した。 原告P4は,同日,仮放免許可された。 (当事者間に争いのない事実)エ原告P5について(ア)大阪入管入国警備官は,平成13年8月2日,原告P5について法24条1号にいう「第3条の規定に違反して本邦に入った者」に該当す ると疑うに足りる相当の理由があるとして,被告主任審査官から収容令書の発付を受けた上で,同月7日,大阪入管茨木分室において同収容令書を執行し,同日,大阪入管入国審査官に引き渡した。 原告P5は,同日,仮放免許可された。 (当事者間に争いのない事実)(イ)大阪入管入国審査官は,平成13年12月18日,原告P5について法24条1号に該当する旨の認定を行い,原告P5(代理人原告P2)にこれを通知したところ,原告P5(代理人原告P2)は,同日,口頭審理を請求した。 (当事者間に争いのない事実)(ウ)大阪入管特別審理官は,平成14年2月18日,入国審査官の(イ)記載の認定には誤りがない旨判定し,原告P5(代理人原告P2)にこれを通知したところ,原告P5(代理人原告P2)は,同日,法務大臣に対し異議の申出をした。 (当 14年2月18日,入国審査官の(イ)記載の認定には誤りがない旨判定し,原告P5(代理人原告P2)にこれを通知したところ,原告P5(代理人原告P2)は,同日,法務大臣に対し異議の申出をした。 (当事者間に争いのない事実)(エ)法務大臣から権限の委任を受けた被告入管局長は,平成14年7月17日付けで,原告P5の異議の申出は理由がない旨の裁決(本件各裁決中,原告P5に係るもの)をした。被告主任審査官は,同裁決を受けて,同年8月21日,原告P5(代理人原告P2)に同裁決を通知すると共に,退去強制令書を発付(本件各退令発付処分中,原告P5に係るもの)し,大阪入管入国警備官は,同日,大阪入管茨木分室においてこれを執行し,原告P5を大阪入管収容場に収容した。 原告P5は,同日,仮放免許可された。 (当事者間に争いのない事実)エ原告P7について(ア)大阪入管入国警備官は,平成13年8月2日,原告P5について法 24条7号にいう在留資格の取得の許可を受けないで,出生後60日を経過して本邦に不法に残留する者に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,被告主任審査官から収容令書の発付を受けた上で,同月7日,大阪入管茨木分室において同収容令書を執行し,同日,大阪入管入国審査官に引き渡した。 原告P7は,同日,仮放免許可された。 (当事者間に争いのない事実)(イ)大阪入管入国審査官は,平成13年12月18日,原告P7について法24条7号に該当する旨の認定を行い,原告P7(代理人原告P2)にこれを通知した(認定通知書上の氏名はP21)ところ,原告P7(代理人原告P2)は,同日,口頭審理を請求した。 (乙60号証,当事者間に争いのない事実)(ウ)大阪入管特別審理官は,平成14年2月18日,入国審査官の(イ)記載の認定には誤りがない旨判定し, 7(代理人原告P2)は,同日,口頭審理を請求した。 (乙60号証,当事者間に争いのない事実)(ウ)大阪入管特別審理官は,平成14年2月18日,入国審査官の(イ)記載の認定には誤りがない旨判定し,原告P7(代理人原告P2)にこれを通知した(判定通知書上の氏名はP21)ところ,原告P7(代理人原告P2)は,同日,法務大臣に対し異議の申出をした。 (乙61号証,当事者間に争いのない事実)(エ)法務大臣から権限の委任を受けた被告入管局長は,平成14年7月17日付けで,原告P7の異議の申出は理由がない旨の裁決(本件各裁決中,原告P7に係るもの)をした。被告主任審査官は,同裁決を受けて,同年8月21日,原告P7(代理人原告P2)に同裁決を通知する(裁決通知書上の氏名はP6)と共に,退去強制令書を発付(本件各退令発付処分中,原告P7に係るもの)し,大阪入管入国警備官は,同日,大阪入管茨木分室においてこれを執行し,原告P7を大阪入管収容場に収容した。 原告P7は,同日,仮放免許可された。 (乙63号証,当事者間に争いのない事実)(4)原告らの本邦での生活状況等ア原告P3について原告P3は,平成6年8月に本邦に入国した後,同月,大阪市西区役所に生活保護の申請手続をし,以後生活保護を受けている。原告P3は,平成7年ころに日雇い労働者として働いた時期があったが,働きはじめて約半年後に○○を患い,以後は仕事はせずに病院に通っている。 (乙26号証)イ原告P2について原告P2は,平成7年10月に本邦に入国した後,工員等として働き,1か月に5万円ないし12万円程度の収入を得ていた。 (乙35号証,66号証)ウ原告P4について原告P4は,平成7年10月に本邦に入国した後,大阪市立小学校に編入した。原告P4は,大阪市立中学校に進学した後,大 いし12万円程度の収入を得ていた。 (乙35号証,66号証)ウ原告P4について原告P4は,平成7年10月に本邦に入国した後,大阪市立小学校に編入した。原告P4は,大阪市立中学校に進学した後,大阪府立α1高等学校に進学し,本件各裁決及び本件各退令発付処分当時は,同高等学校3年生であった。なお,原告P4は,その後,平成15年4月にα2大学文学部英語英文学科に入学した。 (甲96号証,乙26号証,35号証,66号証)エ原告P5について原告P5は,平成7年10月に本邦に入国した後,大阪市立小学校に編入した。原告P5は,大阪市立中学校に進学した後,大阪府立α3高等学校に進学し,本件各裁決及び本件各退令発付処分当時は,同高等学校1年生であった。なお,原告P5は,その後,平成17年4月にα4大学仏教学部社会福祉学科に入学した。 (甲98号証,乙26号証,35号証,66号証,弁論の全趣旨) オ原告P7について原告P7は,平成○年○月に本邦で出生し,以後,本邦に居住している。 (当事者間に争いのない事実)(5)原告らによる本訴の提起原告らは,平成14年11月18日,本件各裁決及び本件各退令発付処分の取消しを求める本訴を当裁判所に提起した。 (当裁判所に顕著な事実) 争点 (1)原告P2,原告P4,原告P5及び原告P7の各国籍(2)本件各裁決の違法性(3)本件各退令発付処分の違法性 争点に対する当事者の主張(1)争点(1)(原告P2,原告P4,原告P5及び原告P7の各国籍)について(原告ら)ア原告P2の父P8の国籍原告P2の父P8には日本国籍が認められる。その理由は以下のとおりである。 (ア)P8は,昭和○年(○年)○月○日,日本人の母から福島県東白川郡で出生した。父は中国人であった可能性が高い。この両親の婚姻 2の父P8には日本国籍が認められる。その理由は以下のとおりである。 (ア)P8は,昭和○年(○年)○月○日,日本人の母から福島県東白川郡で出生した。父は中国人であった可能性が高い。この両親の婚姻を示す証拠は皆無である。 P8の母が日本人であり,福島県で出生したことは,原告P2が父から聞いているほか,中国残留邦人帰国者のP22もP8から聞いている。 原告P2の兄P23は,父P8から,P8が8歳のときに祖父(P8の父)に連れられて中国に来たこと,祖母(P8の母)はP8が十数歳のとき亡くなったことを聞かされている。祖母は日本で亡くなったものと 推測される。 (イ)P8は,中国名のほか,「P24(○○)」という日本名を亡くなるまで自分の名前であるとしていた。 原告P2は,P8から,P8の氏が「P24」で「○○」と発音することを教えてもらっている。P8は,原告P2に,下の名前も書いて教えたが,原告P2にはそれが読めなかったため,記憶することができていない。おそらくひらがなかカタカナで書いたものと思われる。P8の妻P25も,夫から同人の氏が「○○○○(P24)」であることを絶対覚えておくようにと言われたとのことである。長男P23も父P8から「P24」と書いて教えてもらっている。また,P22も,P8の日本名がP24であることをはっきりと記憶している。 中国では姓を改めることが固く禁じられており(姓不変の原則),仮にP8が中国人父の嫡出子であったら,このような日本風の「P24」という氏を名乗ることはあり得ない。「P24」という氏を名乗っていたのは,P8が日本人母の非嫡出子であり,母の内地戸籍に入っていることを示している。 したがって,P8は,旧国籍法(明治32年3月16日法律第66号。 以下「旧国籍法」という。)3条にいう「父カ知レサル場合…ニ 8が日本人母の非嫡出子であり,母の内地戸籍に入っていることを示している。 したがって,P8は,旧国籍法(明治32年3月16日法律第66号。 以下「旧国籍法」という。)3条にいう「父カ知レサル場合…ニ於テ母カ日本人ナルトキ」に該当し,日本国籍を取得していたことが認定されるべきである。 (ウ)P8が少年時代に日本で写した写真(甲1号証。以下「本件写真」という。)がある。本件写真中,背の小さい方の学生帽をかぶった少年がP8である。 本件写真については,多くの関係者がP8から説明を受けている。妻のP25は,P8から,本件写真が同人の勉強をしているときの写真である旨聞かされている。原告P2は,小さいときから何回も本件写真を 見たことがあり,父P8から「小さい方がお父さんだ」「日本ではこういう服を着るんだ」と教えてもらっている(なお,原告P2の大阪入管入国警備官に対する供述調書(乙66号証)中の本件写真に対する説明の誤りは,通訳の間違いによるものと考えられる。)。また,P22も,P8とは15,6歳のころに知り合ったが,知り合ったころに本件写真を見せてもらったことがあり,「小さい方」がP8であるとする。P22は,昭和63年(1988年)に本邦に帰国するまで,少年時代からP8と交流を続けてきた人物であり,しかも,共に貧困の苦労の中で本邦への帰国を思い続けた間柄であるから,このようなP22が本件写真の人物がP8かどうか見間違えることはあり得ない。 本件写真の服装は,明らかに本件写真が日本で写されたことを示しており,また,高齢となったP8の写真(甲88号証)と比較しても,耳が大きく,面長という共通性も見いだせる。 (エ)P8は,自分が日本人であることを証明するものを戦後も大事に保管してきた。 P8は,書類を箱(甲34号証,35号証のもの。以下「本 )と比較しても,耳が大きく,面長という共通性も見いだせる。 (エ)P8は,自分が日本人であることを証明するものを戦後も大事に保管してきた。 P8は,書類を箱(甲34号証,35号証のもの。以下「本件箱」という。)に大事に保管し,農場から帰ってくるとまずこれを見ていた。 P8の妻のP25が誤って一部の書類を廃品回収に出したときは,P8は何日も非常に怒った。P25は,P8から,「宝物みたいに大事にしているから絶対に無くすな。無くしたら絞め殺す。」とまで言われている。 本件箱の中には,本件写真のほか,日本から来た手紙や,戦時中に日本で作られた商品カタログ(甲18号証及び36号証の各カタログ。以下「本件各カタログ」という。)も入っていた。本件各カタログは,中国人にとっては何の意味もないものであり,このようなものを戦後何十年も大事に保管してきたのは,これが日本とのつながりを示すものだか らである。 中国においては,日本は侵略した国であり,戦後日本人は評判が良くなかった。とりわけ,文化大革命のときは,外国とつながりのあるものはスパイの疑いをかけられ,激しい批判の対象とされた。このようなときに日本とのつながりを示す文書を保管することは危険ですらあった。 しかし,P8は,これらの文書が自分と日本とを結びつける唯一の証拠であったことから,これを消却せずに保管を続けた。 P8が,これらを職場ではなく,月に1,2回帰る自宅で保管したのは,安全のためであったと思われる。 (オ)P8は,死ぬまで日本に帰国することを強く願っており,亡くなる直前にも,日本に帰りたいと言い,自分は帰ることはできなかったが,子ども達でも行って欲しいと願っていた。 P8は,文化大革命が終息し,中国残留邦人の日本帰国が始まってから,自身も日本へ帰るための努力を続けていた。 原告P2が 言い,自分は帰ることはできなかったが,子ども達でも行って欲しいと願っていた。 P8は,文化大革命が終息し,中国残留邦人の日本帰国が始まってから,自身も日本へ帰るための努力を続けていた。 原告P2が父P8とα5農場で一緒に暮らし始めてから,父P8が福清に住む知人に日本から送られてきた古い手紙を預け,手紙の差出人を探して欲しいと頼んだが,その知人はP8のために骨を折ることなく,手紙も返ってこなかった。また,P8は,1992年(平成4年)ころ,P26なる人物に戸籍調査の依頼をしている。さらに,P22が日本に帰国する前にP8に別れの挨拶をするためにα5農場を訪れた際,P8はP22に自分の戸籍を探して欲しいと頼んでいる。 また,P8の希望を叶えるべく,原告P2の兄P23が1992年(平成4年)に本邦に来て間もなく,福島県東白川郡を訪ねているし,原告P3も,従兄弟の夫P27に依頼して,義父P8の戸籍調査のために福島県東白川郡に行ってもらっている。 なお,原告P2は,本邦に入国して間もなく,P26の住所を探し当 て,夫の原告P3と訪ね,P26に預けてある父P8)の大事な書類の返還を求めたところ,P26は無くした旨答えたため,激しい口論となっている。 (カ)P8とP25とが夫婦喧嘩をしたとき,P25がP8のことを「ファンヤン」あるいは「ニッポンファンヤン」とよく罵っていた。これらは日本人あるいは外国人を蔑む言葉である。 また,原告P2の兄P23は,子どものころ,「ファンヤンズン(外国人の種)」とか「ファンヤンズー(外国の豚)」と近所の子ども達に罵られたことがある。 (キ)P8の親しい同僚あるいは友人であったP28及びP29は,P8から自分が日本人であることを打ち明けられている。 P28は,P8とは1970年(昭和45年)ころから近くで住むよう ことがある。 (キ)P8の親しい同僚あるいは友人であったP28及びP29は,P8から自分が日本人であることを打ち明けられている。 P28は,P8とは1970年(昭和45年)ころから近くで住むようになり,親しく行き来するようになった。文化大革命が始まってから農場の中でP8が日本人ではないかとの噂があったので,P28がP8に冗談で日本人なのかと聞くことがあったが,P8は当初は日本人であることを認めなかった。ところが,1970年に農場であった批判大会で外国とのつながりが問題とされた後,P28が再度P8に「P8さん,あなたはいつも日本人に似ていると言われているから,もしかして本当にピーダウ会来るかも知れない」(批判のやり玉に挙げられるかも知れないとの意味)と冗談で言ったところ,P8は顔色を変えて怖がった。 その2,3日後,P8はP28のところに来て日本人であることを認め,絶対に他の人に言わないでくれと頼んだ。 また,P28が,1990年(平成2年)ころ,多くの日本人が日本に帰国しているのを見て,P8に対し,どうして日本に帰らないのかを聞いたところ,P8は,「もう書類を預けて探してもらっている。」と答えている。 P29は,同人の息子が14歳のときに獣医であったP8にけがを治してもらったことから知り合いになり,その後,P29が養殖していた鶏,かもなどの面倒をP8がお金も取らずに面倒を見たことから,特に親しく付き合うようになった。中国残留日本人が日本に帰国するようになってから,P8はP29に対し,「自分も日本人。8歳ころ中国に来た。」と話し,「日本にいたら,生活がもっとよかったかも。」と話した。P8は,P29に対し,自分が日本人であることを2回くらい話している。 (ク)P30は,P8のことを「○○○○」(福清語で「○○」は「○」,「○○ にいたら,生活がもっとよかったかも。」と話した。P8は,P29に対し,自分が日本人であることを2回くらい話している。 (ク)P30は,P8のことを「○○○○」(福清語で「○○」は「○」,「○○」は「○」又は「○」)であるとはっきりと覚えている。P30は,P8(○○○○)と日本の大阪から大型船で一緒に中国に来たことや,中国で時々会っていたこと,自分よりもP8の方が中国に来たことを後悔していたことをよく記憶している。P30は,日本語もある程度覚えており,日本語の歌も2曲歌うなど,日本で生まれ,小さいとき日本で育ったことは間違いないと思われる。 なお,P30がP8と一緒に中国に来たとのP30の供述は間違いである可能性もあるが,P30がP8の日本名を覚え,同じ日本から中国に来て苦労した者同士のつながりがあったことは間違いがない。 (ケ)原告らは,上陸許可を取り消されて以来,一貫して原告P2の父P8が日本人であることを訴えてきた。P1家族の帰国者の中には相当数の偽装家族が含まれていたが,入管の調査以来,このような訴えを続けてきたのは当庁で退去強制令書発付処分が取り消されたP31家族と原告ら家族の2家族しかない。その他の者は速やかに中国に帰国している。 原告ら家族のこの訴えの一貫性は,P8についての真実の話が根底に存在するからに他ならない。 (コ)以上記載のように,P8は日本人母から生まれた日本人であると認 められる。確かに,戸籍は判明していないが,戸籍が判明しないでも,日本国籍の確認や就籍が認められた中国残留邦人は少なからず存在する。 要は,国籍法の要件を満たすかどうかの証拠判断の問題である。 P8については,中国に渡り,戦後帰国できずに呻吟した中国残留邦人の特徴が十分に見て取れる。そして,P8は日本人母の非嫡出子として母の内地戸籍に入 籍法の要件を満たすかどうかの証拠判断の問題である。 P8については,中国に渡り,戦後帰国できずに呻吟した中国残留邦人の特徴が十分に見て取れる。そして,P8は日本人母の非嫡出子として母の内地戸籍に入っていたからこそ,「P24」という氏を名乗っていたのであり,旧国籍法3条により日本国籍を取得し,そのまま保持していた。仮にP8の父母の特定並びにその国籍及び婚姻の成立が認定出来ないとしても,P8が日本で生まれたことは確実といえるから,旧国籍法4条にいう「日本ニ於テ生マレタル子ノ父母カ共ニ知レサルトキ」に該当するとして,日本国籍の取得を認定すべきである。 なお,P8は,中国の常住人口登記表に「漢族」として記載されているように,戦後は中国人のようにして生きてきたものと思われるところ,自己の志望による中国国籍の取得に伴う日本国籍の喪失(旧国籍法20条,昭和59年法律第45号による改正前の国籍法(以下「改正前国籍法」といい,同改正後の国籍法を「改正後国籍法」という。)8条)が問題となる。しかしながら,「自己の志望」による外国国籍の取得とは,表見的に外国国籍の志望取得の形式がとられただけでは足りないのであって,真に志望取得の意思をもってされたものであることが必要であり,この点については日本国籍の喪失を主張する側が立証責任を負う。P8は,戦後の混乱と,日本と中国との国交がない中で中国に残留せざるを得なかったものであり,死亡の時まで日本国籍を喪失していなかったと考えられる。 イ原告P3を除くその余の原告らの国籍(ア)原告P2についてa原告P2は,婚姻関係にある日本人父(P8)と中国人母(P2 5)から出生した者であり,日本国籍を有している。 この点,P8とP25との婚姻が法律上のものといえるか否かが問題となる。すなわち,両者の婚姻が法律上の婚 にある日本人父(P8)と中国人母(P2 5)から出生した者であり,日本国籍を有している。 この点,P8とP25との婚姻が法律上のものといえるか否かが問題となる。すなわち,両者の婚姻が法律上の婚姻と認められれば,日本人父の子は日本国籍を取得する(旧国籍法1条)。 そこで検討するに,P8とP25との婚姻は,長男であるP23が○年(昭和○年)○月○日生まれであることから,同月1日の中華人民共和国成立以前と考えられる。平成元年法律第27号による改正前の法例13条1項ただし書(同改正後の法例13条2項に相当)は,婚姻の方式について挙行地法主義を採用していたから,当時の挙行地である中華民国法が適用される。当時の中華民国法では,「結婚は,公開の儀式及び二人以上の証人があることを要する」(中華民国民法982条1項)とされていた。本件において,このような公開の儀式婚がされたかどうかは不明である。したがって,上記婚姻が中華民国法上有効な法律婚とはいえない可能性がある。しかし,上記のように1949年(昭和24年)中華人民共和国が成立し,挙行地法が中華人民共和国法に変わることとなった。1950年(昭和25年)5月1日,中華人民共和国婚姻法が施行され,儀式婚は廃止されて,登記婚制度が採用された。しかし,その後も,①双方の婚姻関係の確信,②婚姻生活の事実の存在,③群衆の公認を要件として,事実婚によっても有効な婚姻が成立すると解されている。 したがって,P8とP25の婚姻は,中華民国の時代に事実婚として始まり,中華人民共和国の成立とともに法律上の婚姻が成立したと見ることができる。この点,P8とP25が法律上の婚姻関係にあることは中国政府も認めている。 以上から,原告P2は,○年(昭和○年)○月○日,法律上有効な婚姻関係にある父P8と母P25のもとに出 と見ることができる。この点,P8とP25が法律上の婚姻関係にあることは中国政府も認めている。 以上から,原告P2は,○年(昭和○年)○月○日,法律上有効な婚姻関係にある父P8と母P25のもとに出生したのであるから,出 生により日本国籍を取得している。 b次に,原告P2の出生後の日本国籍の喪失の有無が問題となる。 原告P2は,父P8と同じく出生後常住人口登記表に登録され,中華人民共和国のパスポートの発行も受けている。そこで,原告P2についても,P8と同様,「自己の志望」による外国国籍の取得に伴う日本国籍の喪失の問題が生じる。 しかしながら,P8についてと同様,原告P2については,真に志望の意思を持って中国国籍を取得したということはできず,日本国籍は喪失していない。 (イ)原告P7について原告P7は,平成○年○月○日,日本国籍を有する母原告P2と中国国籍を有する父原告P3の間に本邦で出生した者であるから,確定的に日本国籍を有している。 (ウ)原告P4及び原告P5について原告P4及び原告P5は,いずれも昭和60年1月1日の改正国籍法施行後に日本国籍を有する母原告P2と中国国籍を有する父原告P3の間に出生したから,国籍法2条1項により日本国籍を取得した。ただし,原告P4及び原告P5はいずれも中国で出生しているところ,国籍法12条及び戸籍法104条による国籍留保の意思表示を未だしていない。 本件において,原告P2の日本国籍が確認され,その戸籍が編成された後に,原告P4及び原告P5が国籍留保届を出した場合,戸籍法104条3項にいう出生届出人の「責めに帰することができない事由」が認められれば,両名は日本国籍を喪失していないこととなる。これに対し,上記事由が認められない場合には,出生の日から3か月を経過していることを理由として(戸籍法1 「責めに帰することができない事由」が認められれば,両名は日本国籍を喪失していないこととなる。これに対し,上記事由が認められない場合には,出生の日から3か月を経過していることを理由として(戸籍法104条1項),出生届及び国籍留保届は不受理となり,原告P4及び原告P5は,出生の時にさかのぼって日本国 籍を失うこととなる。 ウ被告らは,法24条が規定する退去強制の対象者は,日本国籍を有することを立証せずに本邦に入国した外国人であるから,被退去強制容疑者が「外国人」であるという前提条件については入国以降の推定が及ぶとし,また,日本国籍を有することの立証の程度は,法61条が日本国籍の立証方法として,日本国旅券あるいは日本の国籍を有することを証する文書の所持を要求していることに照らせば,日本国籍を有することを証する文書に基づくなど入国以降及んでいる上記推定を覆すに足りる程度の立証が必要と解すべきである旨主張し,さらに,有効な旅券等によって日本人であることを立証できない者は外国人であるという推定を受けるべきである旨主張する。 しかしながら,そもそもそのような日本国旅券等を所持する機会が長く与えられず,祖国との断絶が長くなって戸籍が判明しない中国残留邦人とその子孫にとっては,被告ら主張のような推定は不当であり,働かないというべきである。国籍の判断は,国籍法の要件該当性の判断の問題であって,退去強制手続とは別個に判断されるべきである。渉外私法の領域で積み重ねられてきた判例の認定の方法によるべきであると考えられる。 被告らの主張は,日本人を国外追放することさえも是認するものであり,失当というほかない。 (被告ら)ア法24条にいう「外国人」の立証責任について法24条は,外国人を退去強制することができる国家の権限,本邦から退去強制される外国人の とさえも是認するものであり,失当というほかない。 (被告ら)ア法24条にいう「外国人」の立証責任について法24条は,外国人を退去強制することができる国家の権限,本邦から退去強制される外国人の類型及び外国人が退去強制される場合の手続保障について規定したものである。同条が規定する退去強制の対象となるのは,本邦に滞在する「外国人」である。 そして,同条にいう「外国人」とは,「日本の国籍を有しない者」(法 2条2項)をいうが,日本国籍の有無の判断に際しては,我が国の戸籍制度においては,戸籍に記載されるものは日本国民に限られ,かつ,すべての日本国民は戸籍に記載されることになっていることからすると,当該対象者が日本の国籍を有するか否かは,通常の場合,その者が戸籍に記載されているか否かにより判断される。戸籍の記載が真実と合致しない可能性が否定できないことから,戸籍の不存在をもって直ちに日本国民ではないと断定することはできないものの,日本国籍の有無を判断するに当たって,戸籍の存否及びその記載内容を最も重要な資料とすべきことはいうまでもない。 このように,戸籍の存否が日本国籍の有無を判断するに際して,最も重要な資料となることを前提として,法60条及び61条は,日本人の出国及び帰国について旅券の所持を義務付けているのであり,戸籍に基づき発給される(旅券法3条1項)日本国旅券を所持する者は日本国籍を有する者であると推定されるのに対し,日本国旅券を所持しない者が日本国民であると主張する場合には,法61条が「日本の国籍を有することを証する文書」の所持が義務付けられていることからも明らかなように,その者が日本国籍を有することを立証しなければならない。 日本国旅券あるいは日本国籍を有することを証する文書を所持せずに日本国籍を有することを立証しない者は, 付けられていることからも明らかなように,その者が日本国籍を有することを立証しなければならない。 日本国旅券あるいは日本国籍を有することを証する文書を所持せずに日本国籍を有することを立証しない者は,法61条に基づき本邦に入国(帰国)することはできず,「外国人」として,法6条に基づく上陸を申請した上,入国審査(法7条)に服さなければならない。そして,入国審査の結果,在留資格及び在留期間が許可されれば,上陸申請をした外国人は,本邦に上陸した上その許可の範囲内で本邦に在留することができるが,許可された在留期間内であっても,法24条が定める退去強制事由に該当する場合には,退去強制されることとなる。 法24条が規定する退去強制の対象者は,日本国籍を有することを立証 せずに本邦に入国した外国人であることから,被退去強制容疑者が「外国人」であるという前提要件については入国以降の推定が及ぶ。よって,被退去強制容疑者が本邦入国時には主張していなかった根拠に基づき日本国籍を有すると主張する場合には,当然,当該容疑者が日本国籍を有するため,退去強制の前提要件を欠くことを立証しなければならない。 そして,日本国籍を有することの立証の程度は,法61条が日本国籍の立証方法として,「日本国旅券」あるいは「日本の国籍を有することを証する証書」の所持を要求していることに照らせば,日本国籍を有することを証する文書に基づくなど入国以降及んでいる上記推定を覆すに足りる程度の立証が必要と解すべきである。 よって,被退去強制容疑者が日本国籍を有すると主張する場合であっても,当該容疑者によって上記程度の立証がされない限り,当該容疑者が「外国人」であることの前提は覆されない。 被退去強制容疑者が戸籍等の客観的な根拠を示して日本国籍を有すると主張した場合,上記の推定が覆されるため, によって上記程度の立証がされない限り,当該容疑者が「外国人」であることの前提は覆されない。 被退去強制容疑者が戸籍等の客観的な根拠を示して日本国籍を有すると主張した場合,上記の推定が覆されるため,退去強制処分権者が当該容疑者が法24条所定の「外国人」に当たるとの反証をしなければ,当該容疑者が「外国人」であるとの前提要件を充たしているとは認められない。これに対し,当該容疑者が日本国籍を有すると主張していても,その主張が確実な証拠に基づくものではなく,当該容疑者がその主張の根拠として示す資料に基づく調査にもかかわらず,当該容疑者が日本国籍を有すると判断できない場合は,当該容疑者が日本国籍を有していないことの上記推定は覆されないので,当該容疑者が「外国人」であることの前提要件充足性は否定されないというべきである。 よって,被退去強制容疑者が,日本国籍を有することにつき確実な証拠に基づくことなく,日本国籍を有することを主張している場合には,処分権者は,当該容疑者が「外国人」であるという前提要件が充足されている ものとして,個別の退去強制事由該当性を判断すれば足り,当該容疑者が日本国籍を有する可能性を完全に否定するまでの調査が行われなかったとしても,そのことが当該退去強制処分の手続上の瑕疵を構成する余地はない。 また,被退去強制容疑者が法24条本文所定の「外国人」であることの前提要件を充たすためには,退去強制処分権者が当該容疑者が日本国籍を有する可能性を完全に否定するに足りる調査を行うことを要求することは,退去強制処分権者に不可能を強いるものである。仮に,退去強制手続において,退去強制処分権者に上記責務を負担させるのであれば,入管行政手続の遂行は著しく阻害されることとなり,入管実務に及ぼす悪影響は計り知れない。 イP8の国籍について る。仮に,退去強制手続において,退去強制処分権者に上記責務を負担させるのであれば,入管行政手続の遂行は著しく阻害されることとなり,入管実務に及ぼす悪影響は計り知れない。 イP8の国籍について原告らの主張は,原告P2の父P8が出生による日本国籍を取得していたことを前提とするものであるが,その可能性があるのは,①出生のとき,その父が日本人であるとき(旧国籍法1条),②「父カ知レサル場合又ハ国籍ヲ有セサル場合」に,その母が日本人であるとき(旧国籍法3条),③日本において生まれた子の「父母カ共ニ知レサルトキ又ハ国籍ヲ有セサルトキ」(旧国籍法4条)であるところ,P8については,以下記載のとおり,上記のいずれにも該当せず,出生による日本国籍を有しない。 (ア)P8の父が日本人であるとは認められないことP8の父については,氏名すら特定されず,人定さえされておらず,同人が日本人であったことを示す客観的証拠は存在しない。 かえって,P22は,P8は母が日本人で父は中国人との陳述ないし証言をしている。 (イ)P8が「父カ知レサル場合又ハ国籍ヲ有セサル場合」に該当しない こと原告らの主張によれば,P8は,父とともに中国に渡り,生活したというのであるから,原告らの主張によっても,P8の父がだれであるか分からないとはいえず,また,P8が無国籍であったとも認め難い。 「父カ知レサル場合」には非嫡子の場合も含まれるが,P8の父母が婚姻していたか否かについては,原告P2は,「自分も聞いていないし,向こうも説明してくれないし」分からない旨供述しており,これを明らかにできる他の証拠も存在しない。 この点,原告ら提出に係る平成16年12月16日付け意見書(甲86号証)は,P8が「P24」という日本姓を名乗っていたことを根拠として,P8が非嫡出子である を明らかにできる他の証拠も存在しない。 この点,原告ら提出に係る平成16年12月16日付け意見書(甲86号証)は,P8が「P24」という日本姓を名乗っていたことを根拠として,P8が非嫡出子であると結論づけているが,日常使用されていた姓が法律上有効な婚姻の有無を判断する決め手となるものではないというべきである。上記推論は,当時の在日中国人が,本邦で生活するに当たって,通称名として日本名を使用することがないことを前提とするものであるが,このことを裏付ける証拠は存在しない。また,そもそもP8が日本においてP24姓を称していたこと自体,認め難い。 (ウ)P8が日本で生まれたとは認められず,父母が共に知れないとき又は国籍を有しないときにも当たらないことP8が本邦において出生していた場合,「父母カ共ニ知レサルトキ又ハ国籍ヲ有セサルトキ」には,P8は出生により日本国籍を取得することとなるが,P8が日本で出生したと認めるに足りる証拠はない。 また,「父母カ共ニ知レサルトキ」とは,棄児である場合のほか,事実上の父及びその子を分娩した母がいずれも判明しない場合,並びに事実上の父は判明しているが,その子との法律上の父子関係が存在せず,かつ,生母が判明しない場合も含まれるところ,本件においては,P8が棄児でないこと,生母が判明しない場合でないことは,原告らの供述 によっても明らかである。 ただ,P8とその父との間に法律上の父子関係が存在するのか明らかでないといわざるを得ないが,そもそもP8が日本で出生したと認めるに足りる証拠も存在しない。 原告らは,現在,原告P2の父が日本人であることを証明するものは本件写真しかなく,本件写真に写っている小さい方の男の子(右側の学生帽をかぶった少年)がP8であり,まだ中国に渡る前に写されたものである旨主張する。し 原告P2の父が日本人であることを証明するものは本件写真しかなく,本件写真に写っている小さい方の男の子(右側の学生帽をかぶった少年)がP8であり,まだ中国に渡る前に写されたものである旨主張する。しかしながら,原告P2は,本件写真に関し,平成13年2月19日の違反調査の際には,祖父が日本人であったと証明できるものは文化大革命の際に燃やしてしまい,今あるのは古い写真(本件写真)1枚のみで,この左側に写っている人が祖父であるが,右側の学生帽をかぶっている人はわかりませんとの供述をしていたのであり,唯一の証拠であるという本件写真についての説明ですら一貫性がない。 原告らは,上記違反調査の際の供述について,通訳の間違いか,担当官の誤解によるものであると考えられるとするが,原告P2が本件写真に写った2人の少年のうち幼少の学生帽着用の少年を指で指したところ,これを入国警備官ないしは通訳人が他方のハンティング帽着用の少年を指したものと取り違えることはあり得ない。また,原告P2は,違反調査中,一切祖父の説明はしていない旨断言するが,上記違反調査において作成された供述調書には,原告P2の祖父と父の両者について記載されており,原告P2が父と供述したのに対し,入国警備官ないしは通訳人が祖父と取り間違えたとみる余地はない。 原告P2が本件写真に写った父を取り違え,かつ,その人物を父ではなく,祖父であると供述したのは,本件写真が原告P2の父の写真でもなく,ましてや,父が日本人であることを証明する唯一の証拠である写真でもないからにほかならない。 また,原告らは,P1,P30及びP22等本邦との接点がある年輩者との接触があり,これらの者を介して日本人の古い写真を入手することも容易であると思料されることからすると,原告らが本件写真を所持していたことだけでは,本 ,P30及びP22等本邦との接点がある年輩者との接触があり,これらの者を介して日本人の古い写真を入手することも容易であると思料されることからすると,原告らが本件写真を所持していたことだけでは,本件写真に写っている人物がP8であり,かつ,同人が日本で出生したことを認めることは不可能である。 (エ)P8は中国国籍を取得していることP8の常住人口登記表の民族欄には「漢」と記入されており,その籍貫には「福建福清」と記入されていることからすると,P8は,中国国内で出生した中国人として取り扱われており,同人が出生により中国国籍を取得したことが推認される。 仮に,P8が出生により日本国籍を取得していたとすれば,中国国籍への入籍の手続を経たはずであるが,その手続を経た事実も認められない。中華人民共和国国籍法は,昭和55年9月10日に公布,施行されており,その施行後は,中国国籍の取得,喪失及び回復については,すべて同法が適用される。同法施行前については,国籍の取得等に関する成文の法規が存在せず,その法制の内容は明らかではないものの,昭和26年の中央人民政府法制委員会の「外国籍の中国妻子の国籍取得問題に関する解答」によれば,「外国籍の中国人妻子で中国の国籍取得を希望するものは,居住地の人民政府に国籍取得の申請をし,当該人民政府はその調査結果と意見を添えて中国人民政府内政部に報告し,内政部においてこれを調査し,決定する。」とされており,中国国籍の取得が許可された者に対しては,入籍証書が交付されることとされていたが,P8の入籍証書は存在しない。 このように,P8は,出生により日本国籍を取得した可能性がない上,中国国籍を取得しており,同人が日本国籍を取得していることを前提とする原告らの主張に理由はない。 ウ原告らの各供述には信用性が認められないこ 8は,出生により日本国籍を取得した可能性がない上,中国国籍を取得しており,同人が日本国籍を取得していることを前提とする原告らの主張に理由はない。 ウ原告らの各供述には信用性が認められないこと原告P2らが日本人であることの根拠は,原告らの各供述のみであるところ,これらの供述には一貫性がなく,不自然であって,到底信用できない。 (ア)原告P2及び原告P3の供述についてa原告P2は,陳述書(甲64号証)においては,父P8がP24の下の名前を思い出すことができなかった旨供述していたところ,本人尋問においては,父は自分の名前を知っていたと思うとし,下の名前を含め,2,3回書いて見せてくれた旨供述している。これはいかにも場当たり的な供述というほかなく,そもそもP8から同人の日本名を聞いたとする原告P2の供述自体,信用できない。 b原告P2は,違反調査の際には,同人の祖父が日本人である旨供述し,訴状においても,祖父の親族が祖父宛に中国に送ってきた手紙や祖父の手帳が存在していた旨主張する一方,P8の母が日本人であるか否かについては一切ふれていなかったのに対し,その本人尋問においては,父P8の話から祖母(P8の母)が日本人であり,P8の父は中国人と思っていた旨供述し,上記主張や供述を翻している。 原告P2の父の戸籍調査のため来日したという原告ら主張の来日目的からは,原告P2の祖父が日本人であるのか,中国人であるのかは,極めて重要な事項のはずであり,そのような事項について記憶が変遷することなどあり得ない。上記のような不自然な変遷事実から,P8から同人の父ないし母が日本人であったと聞いたとの原告P2の供述そのものを信用することはできない。 c原告P2は,当初,本件写真や本件各カタログ等の保管場所について,金属製の箱ではなく,陶器製の枕の ら同人の父ないし母が日本人であったと聞いたとの原告P2の供述そのものを信用することはできない。 c原告P2は,当初,本件写真や本件各カタログ等の保管場所について,金属製の箱ではなく,陶器製の枕の内部の空洞部分であると説明していたところ,その本人尋問においては,金属製の箱の中であると 供述し,その箱の形状について具体的に説明し,しかも,同箱は物心がついたときから自宅にあり,P8が帰宅すると必ずその箱を出してみていた旨供述するが,そうであれば,原告P2が金属製の箱と陶器製の枕とを取り違えて記憶することなどあり得ない。上記供述の変遷事実に照らせば,P8が本件写真を自宅において保管していたこと自体疑わざるを得ない。 d原告P2は,P8が日本に帰るため大事なものをP26に預けたと聞いた旨陳述している(甲64号証)のに対し,原告P3は,原告P3自身がP26に原告P2の祖父の手帳を渡して調査を依頼した旨供述しており(乙84号証),原告P2と原告P3の供述は著しく食い違っている。また,原告らが本邦に入国した経緯について,原告P2は,違反調査中,本訴における原告P2の陳述書(甲64号証)記載内容とは全く異なる供述をしていた。 これらから,原告らの供述に信用性を認めることはできない。 e原告らは,生活上の理由から来日しなければならない理由はなかったが,妻の父の戸籍調査をするために来日することにしたものである旨主張するが,原告らの供述内容や本邦入国前後の原告らの行動に照らして,上記原告らの主張には合理性が認められない。 すなわち,原告P2は,平成13年12月18日の調査時には,原告らは村役場に勤める夫(原告P3)の収入で一家4人暮らしていたが,夫の収入は十分ではなく,子らの教育費に事欠く状況であった,長女については学費を何とか工面して小学校2年 2月18日の調査時には,原告らは村役場に勤める夫(原告P3)の収入で一家4人暮らしていたが,夫の収入は十分ではなく,子らの教育費に事欠く状況であった,長女については学費を何とか工面して小学校2年生まで学校に通わせていたが,下の長男については経済的に学校に通わせることが無理であり,来日するまで学校には行っていなかった,また,自分自身,中国での生活よりもよりよい生活を送りたいと常日頃考えており,夫も同様の考えを持っていたと思う,そこで,原告P2や原告P3は,中 国以外の国,例えば日本やアメリカ等どこの国でもいいので,別の国で,もっといい生活をしたいと,日々考えていた旨,出国目的が経済的によりよい生活をするためであり,また,出国先も日本に限らず,どこの国でもよい旨の供述をしていた。 また,原告P3のみならず,原告P2が中国を出国した時点でも,P8は生存していたのであるから,仮にP8の戸籍調査をするために原告らが来日したというのであれば,原告らは来日に先立って,P8から同人の戸籍調査のために可能な限りの情報を得ておくはずである。 しかしながら,原告P2は,来日する際にP8から得た情報はP8がP24という姓であることと出生地が福島県東白川郡であることだけであり,P8の父が中国人であるか日本人であるかや,P8の母の日本名,さらにはP8の親族を探すに当たって極めて重要な手掛かりとなるはずの本件写真にP8と一緒に写っている少年がだれであるかといったことも聞いていない。また,原告P2は,P8が日本名を紙に書いてくれたことが2,3度あった旨供述しているにもかかわらず,来日する際にはP8に日本名を紙に書いてもらい,持参することをしなかったのは不可解というほかないし,仮に来日時には持参しなかったとしても,本邦入国後にP8の日本名を書いた紙の送付を依 もかかわらず,来日する際にはP8に日本名を紙に書いてもらい,持参することをしなかったのは不可解というほかないし,仮に来日時には持参しなかったとしても,本邦入国後にP8の日本名を書いた紙の送付を依頼すれば足りるのに,原告らがそのようなことをした形跡も認められない。 これらからしても,原告らが不法に本邦に入国した目的は,P8の戸籍調査のためではなく,たまたま知り得た他国への出国手段が本邦への入国であったことから,本邦に不法入国することになったにすぎないとみるのが合理的である。 (イ)P23の供述について原告P2の兄P23は,原告らと同様,P8の日本での姓が「P24」であること,P8の出生地が福島県北白川郡であること,本件写真 の幼少の学生帽着用方の少年がP8であること等を供述している(甲20号証,乙82号証,83号証)。 しかしながら,P23は,本邦に不法残留したことにより,本邦において有罪判決を受けているところ,その刑事手続を通じて,P8が日本人であることを一切供述しておらず,それどころか,検察官に対し,父も母も福建省を出たことがないと聞いている旨供述している。この点,P23は,上記刑事手続においてP8が日本人であることを話さなかったことについて,警察官からの暴行脅迫や,さらには裁判官からも「今後又日本に来れば終身刑務所行きだ」と警告されたため,P8が日本人であることを話す勇気が出なかった旨の説明をするが,警察官がP23に対し暴行脅迫を加える必要性はないし,また,裁判官が上記のような警告をすることなど到底考えられない。P23の上記説明は明らかに虚偽というほかない。 また,P23は,日本にいた留学生に頼んで福島県東白川郡に連れていってもらったことがある,しかし,P8の下の日本名が不明であるため,戸籍調査ができなかった旨供述する は明らかに虚偽というほかない。 また,P23は,日本にいた留学生に頼んで福島県東白川郡に連れていってもらったことがある,しかし,P8の下の日本名が不明であるため,戸籍調査ができなかった旨供述する。しかしながら,そうであれば,P8から下の日本名を教えてもらった上,再度調査をするはずであるにもかかわらず,P23はそのための行動には出ておらず,P23がP8の戸籍を調査するために福島県に行ったという供述自体信用できない。 さらに,P23は,上記刑事裁判の被告人質問において,父P8から「お前もお金を稼いでこい。」と言われていた旨供述しているところ,このようにP8がP23に対して本邦での戸籍調査を命ずることなく,不法就労を命じていたのであれば,そもそもP8が日本人であり,日本への帰国を切望していたというP23の供述自体信用することができない。 (ウ)P30の供述について aP30からの第1回目の事情聴取(甲53号証のビデオテープに係る事情聴取)の際の同人の問答内容からすれば,同人が質問者の問いを正確に理解した上,返答しているとは認め難く,そもそも同人が質問を理解する能力を有していたことも疑わしい。P30は,ほとんどの質問に対して明確な返答をせず,返答した場合にも,自発的に自分の言葉で返答しておらず,質問者あるいは同席した他の者が発した言葉をオウム返しに繰り返しているにすぎない。 しかも,質問者(通訳人)は,P30が返答した範囲を超えて日本語訳を付すなど通訳人としては不適切な対応をしている箇所が多々見受けられる。通訳人は,本件の事情聴取前にすでにP30以外の関係者から一定の事実関係を教授されていたとみるほかなく,通訳人としての客観的立場に立つものとは認め難い。この第1回目の事情聴取は,P30以外の関係者によって既に作られた事実関係に沿 にP30以外の関係者から一定の事実関係を教授されていたとみるほかなく,通訳人としての客観的立場に立つものとは認め難い。この第1回目の事情聴取は,P30以外の関係者によって既に作られた事実関係に沿う供述を導き出すべく,強い誘導の下に実施されたものであり,これによって得られたP30の供述をそのまま信用することはできない。 この事情聴取中,P30が周囲の人物の誘導を受けずに明確な発言をしているのは,同人が日本を発つ前,戦争のため町がすべて焼き払われたことであり,日本本土での戦争がなければ中国に帰国することもなかったことである。P30は,日本から中国へ渡航したことを「帰る」という言葉で表現していることからしても,P30一家は,日本へ渡航した中国人であり,日本本土が戦火に見舞われるに至り,中国本土に帰国したとみるのが合理的である。なぜなら,日本本土が太平洋戦争による戦火に見舞われるに至った時点では,日本人が中国に渡航する時期としては,遅きに失するからである。とすれば,P24なる人物がP30とともに中国に帰国したことが事実であったとしても,P24なる人物も,やはり日本に渡航していた中国人であった とみるのが合理的である。 b原告らは,P30と原告P2の父P8との関連性の根拠として,P30の第2回目の事情聴取(甲68号証のビデオテープに係る事情聴取)において,P30は,本件写真の人物が「○○○○」であると供述していることをあげる。 しかしながら,P30は,第1回目の事情聴取においては,本件写真を見せられた際,本件写真の人物について覚えていない旨返答しており,周囲の人物の代言にもかかわらず,P8について何らの記憶も喚起できず,原告P2に関する情報を何一つ供述できなかったのであり,P30とP8が,中国に来てからも同じ日本人なので時々会って 答しており,周囲の人物の代言にもかかわらず,P8について何らの記憶も喚起できず,原告P2に関する情報を何一つ供述できなかったのであり,P30とP8が,中国に来てからも同じ日本人なので時々会っていたものと認めることはできない。 これに対し,第2回目の事情聴取において同じ写真を見せられ,その人物の名前を聞かれた際,P30は,最初,「名前はさっきもう言ったでしょう。」と返答している。しかし,当該事情聴取の状況を撮影したとされるビデオテープ(甲68号証)では,それまでP30が本件写真の人物の名前を口にした場面は存在しない。このことは,P30に対して,再度,ほとんど前回と同じ内容の質問をするにも関わらず,P30と通訳人らとの間では,事前に何らかの打ち合わせがされていたことが推認される。また,第1回の事情聴取の際には,P30は本件写真の人物が誰であるか記憶を喚起できなかったにも関わらず,どうして,今回は記憶を喚起できたのか,その経緯が不明であり,不可解というほかない。 また,P30は,本件写真の人物の氏名について,「P8」でも,「○○」でもなく,「P24」の中国読みである「○○○○」と返答している。「○○○○」は,日本でも氏名として呼称されていたとは考え難く,ましてや,中国では,自ら日本人であることを秘匿してい たはずのP8が,日本名の呼称を許すことなどないはずである。また,原告らの主張によれば,同じ船で帰国したことを契機として,それ以降,中国でP8とP30は交際があったということであるが,それが真実であれば,P30は,P8と帰国途上の船で知り合った当時,日本語を日常的に使用していたはずであるから,P8の当時の日本名である「○○」をそのまま記憶するはずであり,それを中国読みに変換したものを記憶するようなことは考え難い。仮に,その後の中 合った当時,日本語を日常的に使用していたはずであるから,P8の当時の日本名である「○○」をそのまま記憶するはずであり,それを中国読みに変換したものを記憶するようなことは考え難い。仮に,その後の中国での生活が数十年に及んだことにより,「○○」の記憶が喪失されていたとしても,その長期にわたる中国におけるP8との交流においては,P8は日本人であることを秘匿していたのであるから,「P8」という氏名を用いていたはずであるところ,P30が「P8」という氏名を返答できないのは不自然というほかない。P8の妻P25が,P8から「P24」という日本名を覚えさせられた際,「それだったら忘れることはない」として,「○○○○」という中国読みを教えられた旨供述していることから推し量ると,P30も,事情聴取に先駆けて,それと同じ方法で「○○○○」という中国読みを覚えさせられたとみるのが自然である。 (エ)P29の供述についてP29は,その事情聴取の際,P8が日本から来たと言うことを聞いたことがある旨供述したにとどまるところ,通訳人が独自にP8が日本人であると聞いたと訳している。P8が中国本国においてα5農場で働いていたことからすれば,P8は日本人ではなく,かつて「華僑」すなわち中国本土から海外に移住した中国人及びその子孫であることが推測される。 よって,P29の供述は,P8が日本人であることを立証するものとはなり得ない。 (オ)P28の供述についてP28は,P8が自己が日本人であることをP28に話したことが2回ほどある,文化大革命の時,一回言っていた旨の供述をしている。 しかしながら,P8は,自分の息子であるP23に対しても,文化大革命時の社会情勢を理由として自己が日本人であることを秘匿していたはずであるが,その文化大革命時に,他人であるP28に 供述をしている。 しかしながら,P8は,自分の息子であるP23に対しても,文化大革命時の社会情勢を理由として自己が日本人であることを秘匿していたはずであるが,その文化大革命時に,他人であるP28に対し,自己が日本人であると告白しなければならない理由はなんら認められない。当時の社会情勢では,自己が日本人であることが他人に知られることによって「批判闘争」を受けるおそれがあり,そのために家人にもその事実を秘匿していたのであるから,P8が上記事実を知らなかった他人に対して,あえてその事実を知らしめるような行動に出るとは到底考え難いところである。しかも,この1970年当時,P28とP8とが特に親しい関係にあったものとは認め難く,P28に限ってP8が日本人であることを告白する危険を冒したことの合理性を担保する基礎事情は認められない。P28がP8に対して,「あなたは日本人に見える」と言ったことがあるとしても,これはP8の外見を指摘したものにすぎず,P8が日本人であることをP28が知っているとの誤解を招くようなものではない。しかも,その当時,P8の外見に関する冗談は,普段から,P28だけでなく,他の人も言っていたものである。したがって,P8がP28だけに限って,自分が日本人であることをあえて告白しなければならなかった理由は依然として不明である。 また,P28及びP8が稼働していたα5農場は,かつてベトナムに渡航していた多数の中国人が中国本土帰還後に稼働していた場であり,平成元年(1989年)ころ,本邦にベトナム難民を装った偽装難民が大量流入したところ,これらの者の中に上記農場にいた中国人も含まれていたと把握されているが,P28がいうところの日本等の外国に行っ た者とは,これら偽装難民を装った密航企図者を指す可能性が高く,P8が依頼した手続と れらの者の中に上記農場にいた中国人も含まれていたと把握されているが,P28がいうところの日本等の外国に行っ た者とは,これら偽装難民を装った密航企図者を指す可能性が高く,P8が依頼した手続というのも,同人が真に日本人であることを前提とした手続であったとは限定できず,同人の日本渡航歴を奇貨として日本残留孤児を偽装するための手続であった可能性も否定できない。 さらに,P28とP8及びその家族との関係を勘案すると,P28が原告P2らの求めに応じ,原告P2らに有利となる供述をする可能性は高い。すなわち,原告P2が農場でP8と同じ部屋に住んでいたころ,P8とP28とは同じ建物内に居住しており,P28と原告P2とも親交があったことが認められる。しかも,そのころ,P8はP28が個人的に飼っていた豚の面倒を見ていたとのことであり,P28はP8とその家族に恩義を受けていた関係にある。 また,P28に対する2回の事情聴取は,それぞれ異なる通訳人を介しているが,いずれの通訳人も,最も重要な事項に関してP28本人が言ってもいない内容の日本語訳を付している。一度ならず二度までもこのような奇異な事態が生じた理由は,2回の事情聴取とも,事情聴取を実施する前から,既に通訳人において,日本語を付すべき内容が定まっていたことによるものとしか考えられない。このような特異な状況からしても,P28に対する2回の事情聴取における同人の供述は,P28の記憶に基づくものとは認め難く,その供述を信用することはできない。 (カ)P22の供述について原告ら代理人により,平成15年11月7日から同月9日まで(第1回事情聴取)と,平成16年6月18日から同月21日まで(第2回事情聴取)の2回,中国での調査がされているが,原告らがP22の存在を主張するようになったのは,第2回事情聴取 日から同月9日まで(第1回事情聴取)と,平成16年6月18日から同月21日まで(第2回事情聴取)の2回,中国での調査がされているが,原告らがP22の存在を主張するようになったのは,第2回事情聴取の後である。これに対し,第1回事情聴取でも,P25に対するインタビューも行われているが,原告ら代理人作成に係る調査報告書(甲54号証)のP25からの聞き 取り内容中にP22に関する記載はなく,同インタビューではP25はP22については全く言及しなかったものと認められる。ところが,P25は,2回目のインタビューにおいては,通訳人の質問を無視して,P22の中国名である「P32」を何回も連呼し,同人とのやりとりについて極めて詳細に供述している。また,P25に対する第2回事情聴取後にP22の現住所を突き止めるに至った経緯も極めて不自然であるし,P22の現住所は原告ら居住地と番地が1番違うだけの近接地である。これらからすれば,P25の供述によるまでもなく,原告らは自宅の近所に住むP22をかねてから知っており,P22に特定の供述ないし証言をさせるために,P25をして,P22とP8は中国で交流があったと供述させたとみるのが合理的である。このような経緯に照らせば,P25の供述を信用できないことはもとより,P22の供述及び証言に信用性を認めることも不可能である。 このような経緯により証言するに至ったP22が,知りもしないP8とその父につき,具体的な証言ができるはずはなく,証人尋問において,陳述書に記載された事項以外の質問に対しては,ほとんど「忘れました。」との証言をしている。これに対し,P22が明確な証言をしたのは,他の供述者同様,やはり,P8の日本での姓が「P24」であるが,名前は分からないこと,P8)の出生地が福島県であること,本件写真の幼少の学 証言をしている。これに対し,P22が明確な証言をしたのは,他の供述者同様,やはり,P8の日本での姓が「P24」であるが,名前は分からないこと,P8)の出生地が福島県であること,本件写真の幼少の学生帽着用の方がP8であることであり,いずれもP22から事情を聞くまでもなく,原告らにおいて把握していた事項である。 原告P2は,当初,P8の父が日本人であったと供述していたにもかかわらず,P22が,P8は母が日本人で父は中国人と言っていた旨の証言をした後,P8の父は中国人と思っていたと供述を転じている。これは,1回目の中国での現地調査を経て,P8の父が日本人であり,原告P2の父と祖父は戦前に中国に渡ったというこれまでの原告らの主張 を維持するのが困難であると判断したためと推測される。この推測は,原告らがP8の父の氏名さえも明らかにしようともしていないことからも裏付けられる。そして,P8の父が日本人ではなく,中国人であったとすれば,P8の母が日本人であったことを立証する必要が生じるため,原告らがこの点をP22の供述ないし証言で補わせようと企図したものであると解しない限り,1回目の中国での現地調査後に至ってP25がP22についての供述を出したことの不自然性を説明することはできない。 エ原告らが所持していたものがP8が日本人であることの根拠となりえないこと(ア)本件各カタログについて原告らは本件各カタログを所持しているが,本件各カタログとP8ないしその父との関連性を裏付けるものは,原告P2及びP23の各供述のみである。そして,このいずれの供述によっても,本件各カタログに紹介された商品の販売元である名古屋市所在のα6商店と中国人であるP8の父との関係が判然としない。原告らには,本邦との接点を持つ年輩者との接触が認められることからすると, よっても,本件各カタログに紹介された商品の販売元である名古屋市所在のα6商店と中国人であるP8の父との関係が判然としない。原告らには,本邦との接点を持つ年輩者との接触が認められることからすると,これらの者を介して本件各カタログを入手することも可能である。これらのことからすると,原告らが本件各カタログを所持していたことが,P8が本邦で生まれたことや,同人が日本人であることを裏付けるものとはなり得ない。 (イ)P8方に篭及び木製桶様の物が存在することについて原告らは,P8の遺品として,篭及び木製桶様の物(甲29号証)が同人方に存在することを示している。しかしながら,これらの物が日本のものであり,中国のものではないという経験則は存在せず,これらの物がP8方に存在することは,同人が日本で生まれたことや,ましてや同人が日本人であることを裏付けるものとはなり得ない。 (2)争点(2)(本件各裁決の違法性)について(原告ら)ア争点(1)についての原告らの主張のとおり,原告P2及び原告P7は,確定的に日本国籍を有しており,これらの者を退去強制に付すことはできないから,原告P2及び原告P7に係る本件各裁決は違法である。 イ争点(1)についての原告らの主張のとおり,原告P4及び原告P5も日本国籍を保持している可能性があるところ,原告P4及び原告P5に係る本件各裁決は両名の国籍法17条1項に基づく日本国籍の再取得を不可能ならしめるものであり,著しく相当性を欠き,違法である。 ウ原告P4及び原告P5に日本国籍がないとされた場合,両名は,原告P3とともに中国国籍の外国人となり,退去強制手続の対象とはなる。 しかしながら,原告P3,原告P4及び原告P5に係る本件各裁決は,各原告が日本人の配偶者や実子ではないとの判断の下にされたものであり,判断の もに中国国籍の外国人となり,退去強制手続の対象とはなる。 しかしながら,原告P3,原告P4及び原告P5に係る本件各裁決は,各原告が日本人の配偶者や実子ではないとの判断の下にされたものであり,判断の基礎とされた重要な事実に誤認が存する。 入国目的についても,主要な入国の動機が原告P2の父P8の戸籍探しにあったことは明らかである。すなわち,原告らは,入管での調査以来一貫してこのことを訴えている。また,本邦上陸後も,原告P3が従姉の夫P27に依頼して福島県東白川郡に調査に行ってもらったり,原告P2が重要な手がかりである日記帳等を父が預けたP26を探し出して返還を求め,口論となったり,原告P2が夫の村の人が結婚しているP33にも戸籍調査の相談をしたりするなどしているが,これらの行動は,日本においてP8の戸籍や親族を探し出すという強い動機に基づくものであり,入国目的がこの点にあったことを示すものであって,単に就労目的で日本に来たというだけでは説明のつかない行動である。本件各裁決は,P8の戸籍や親族を探し出すためという原告らの行動やその動機を考慮せず,軽々に就労目的であると判断した点で失当というほかない。 以上のように,本件各裁決は,日本人との身分関係という重要な考慮要素を考慮しないでしたものであり,社会通念に照らし著しく妥当性を欠くものであって,裁量権の逸脱ないし濫用に当たり,違法である。 エ被告らは,福島県東白川郡のP24姓の戸籍調査や,P26に関する調査,P24の系譜で新たに中国から帰国した家族がいないかどうかなどの原告ら家族についてなすべき調査を尽くしていない。 この点,平成6年に施行された中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律3条は,本邦への帰国を希望する中国残留邦人等の円滑な帰国を促進するため,必 調査を尽くしていない。 この点,平成6年に施行された中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律3条は,本邦への帰国を希望する中国残留邦人等の円滑な帰国を促進するため,必要な施策を講じることを国の責務とし,また,同法6条2項においては,国は,中国残留邦人等が永住帰国する場合には,当該中国残留邦人等及びその親族等が法その他出入国に関する法令の規定に基づき円滑に帰国し又は入国することができるよう特別の配慮をするものとすると規定している。 このような同法の趣旨からすれば,上記調査を経ずにした本件各裁決は,手続的に重大な瑕疵がある。 オ本件各裁決時点での原告らの本邦在留期間は,原告P3が約8年,原告P2,原告P4及び原告P5がそれぞれ約7年の長期に及んでおり,原告らの生活基盤は本邦内にあり中国には全くない。原告P4及び原告P5は,それぞれ本邦入国後,大阪市立小学校の5年生ないし3年生に編入し,その後,本邦で中学,高校,大学へと進んでいる。このように,原告P4及び原告P5は,ほとんど本邦の学校で高等教育を受けており,中国に帰っても教育に適応できない。 このような状態で原告ら家族を中国に強制送還することはあまりに非人道的であり,憲法13条及び25条並びに市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「B規約」という。)17条,23条1項,24条1項及び児童の権利に関する条約(以下「児童の権利条約」という。)3条等に 違反する。 (被告ら)ア争点(1)についての被告らの主張記載のとおり,原告らはいずれも法24条本文の「外国人」に該当し,かつ,それぞれ退去強制事由該当性が認められるから,本件各裁決が違法と評価される余地はなく,また,以下のとおり,原告らに在留特別許可を付与しなければならない理由も存しない。 イ国際慣習 」に該当し,かつ,それぞれ退去強制事由該当性が認められるから,本件各裁決が違法と評価される余地はなく,また,以下のとおり,原告らに在留特別許可を付与しなければならない理由も存しない。 イ国際慣習法上,国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく,特別の条約がない限り,外国人を自国内に受け入れるかどうか,また,これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかは,当該国家が自由に決定することができるものとされている。したがって,憲法上,外国人は,本邦に入国する自由を保障されているものでないことはもちろん,在留の権利ないし引き続き在留することを要求する権利を保障されているものでもない(最高裁昭和50年(行ツ)第120号同53年10月4日大法廷判決。 以下「53年最判」という。)。 このような基本的な考え方からすれば,法50条1項所定の在留特別許可を与えるか否かは,法務大臣の自由裁量にゆだねられているものと解すべきであり,このことは,法50条1項の規定の仕方からも明らかである。 さらに,在留特別許可は,外国人の出入国に関する処分であり,その判断をするに当たっては,当該外国人の個人的事情のみならず,その時々の国内の政治,経済,社会等の諸事情,外交政策,当該外国人の本国との外交関係等の諸般の事情を総合的に考慮すべきものであることから,同許可に係る裁量の範囲は極めて広範なものというべきである。 しかも,在留特別許可は,退去強制事由に該当することが明らかで,当然に本邦からの退去を強制されるべき者に対し,特に在留を認める処分であるから,他の一般の行政処分と異なり,その性質は,恩恵的なものである。 以上からすれば,裁判所が法務大臣の裁量権の行使としてされた在留特別許可を付与するか否かの判断の適否を審査するに当たっては,法務大臣と同一の立場に立って,在 その性質は,恩恵的なものである。 以上からすれば,裁判所が法務大臣の裁量権の行使としてされた在留特別許可を付与するか否かの判断の適否を審査するに当たっては,法務大臣と同一の立場に立って,在留特別許可をすべきであったかどうか又はいかなる処分を選択すべきであったかについて判断するのではなく,法務大臣の第一次的な裁量判断が既に存在することを前提として,その判断が,社会通念上著しく妥当性を欠き,裁量権を付与した目的を逸脱し,これを濫用したと認められるかどうかを判断すべきであり,そのような逸脱,濫用が認められて初めて,違法との評価がされ得るのであって,このような逸脱,濫用が認められない以上は,その裁量権の範囲内にあるものとして,法務大臣の判断が違法となることはないというべきである。 そして,法務大臣の在留特別許可の付与についての裁量権の範囲は,在留期間の更新の場合の法務大臣の裁量権よりも更に格段に広範なものであり,その結果,裁判所の審査の及ぶ範囲は,極めて狭いものとなるのであって,同裁量権の行使がその範囲を超え又はその濫用があったものとして違法であるとの評価が下されるのは,在留期間の更新に関する53年最判の示した基準より更に厳格な基準によるべきであり,結局,法務大臣がその付与された権限の趣旨に明らかに背いて裁量権を行使したと認め得るような特別の事情がある場合等,極めて例外的な場合に限られるといわなければならない。 以上の理は,法務大臣から権限の委任を受けた被告入管局長にも当然に妥当する。 ウこれを本件各裁決についてみるに,原告らには以下の各点が認められるから,被告入管局長が,本件各裁決に当たり,その付与された権限に背いてこれを行使したと認め得る特別の事情がないことは明らかであり,重要な事実についての誤認も,社会通念に照らして著しく妥 が認められるから,被告入管局長が,本件各裁決に当たり,その付与された権限に背いてこれを行使したと認め得る特別の事情がないことは明らかであり,重要な事実についての誤認も,社会通念に照らして著しく妥当性を欠く点もなく,裁量権を逸脱,濫用した違法はない。 (ア)原告らは,本邦で出生した原告P7を除き,家族全員が偽変造旅券を行使して本邦に入国している。 原告P3と原告P2は,中国での生活よりも,もっといい生活を送りたいと常日頃考えており,中国以外の国,例えば日本やアメリカ等どこの国でもいいので,別の国でもっといい生活をしたいと日々考えていたところ,原告P3が,元日本人P1の孫であると偽って日本に入国する方法を聞きつけてその方法で不法入国することを考えた。ところが,家族全員で日本に行くには手数料が足りなかったため,原告P3がまず一人で日本へ行き,稼働して手数料を稼ぎ,後で家族が日本へ行くことを計画し,原告P3は,ブローカーに150万円を支払ってP9名義の旅券を入手し,不実のものであることを承知しながら,来日したものである。来日に成功した原告P3は,次に原告P2ら家族を呼び寄せるため,本国より送付されてきた原告P2らの旅券が不実のものであることを知りながら,自らが大阪入管天王寺出張所に赴き,在留資格認定証明書交付申請に及び,同証明書を交付された。そして,原告P2,原告P4及び原告P5は,原告P3から送られてきた在留資格認定証明書と偽変造旅券を携えて関西空港に到着し,同偽変造旅券を行使し,本邦に不法に上陸したものである。 このように,原告らは,元日本人の親族を偽装したうえで偽変造旅券を行使して入国し,さらには在留期間更新許可を受けて不法に在留していたものであり,出入国管理秩序をびん乱する,計画的かつ極めて悪質な行為というべきである。 元日本人の親族を偽装したうえで偽変造旅券を行使して入国し,さらには在留期間更新許可を受けて不法に在留していたものであり,出入国管理秩序をびん乱する,計画的かつ極めて悪質な行為というべきである。 (イ)原告らは,不法入国した目的を原告P2の父の親族探しであると称しているが,争点(1)についての被告らの主張でも記載したとおり,原告らが親族探しのために本邦に入国したものとは考えられない。 (ウ)原告P3及び原告P2が退去強制されるべき者である以上,これら の実子で両親の扶養を受けるべき原告P4,原告P5及び原告P7についても,両親とともに本国へ退去強制されるべきものであることは当然である。 (エ)原告P3は,本邦入国前は,本籍地の村役場において会計の職についており,本国に帰国しても,同等とまではいかないまでも,再就職し,本邦入国前同様の生活をすることは可能であると考えられる。 また,原告P2も健康な成人女性であり,本件各裁決時も電子会社の工員として稼働しており,月収5万円ないし12万円を得ていることから,本国に帰国しても原告P3とともに稼働することは可能であると考えられる。 さらに,本国において,原告P3には両親と親族らが,また,原告P2には母と親族らが居住していることから,これら親族の助けを得て生活することも考えられる。 エイ記載のとおり,法50条1項は在留特別許可の付与に関する法務大臣等の判断を覊束する規定を設けておらず,在留特別許可を付与するか否かの判断は,法務大臣の自由裁量に委ねられており,被退去強制容疑者が日本国籍を有することを主張している場合であっても,法24条本文所定の「外国人」であることの前提要件が否定されるに至らない限り,当該容疑者が上記主張をしている事実自体が在留特別許可付与に関する法務大臣の判断を覊束する を主張している場合であっても,法24条本文所定の「外国人」であることの前提要件が否定されるに至らない限り,当該容疑者が上記主張をしている事実自体が在留特別許可付与に関する法務大臣の判断を覊束する事由とならないことはいうまでもない。 被退去強制容疑者が日本国籍を有することを主張している場合にも,その余の事情を総合考慮した上で在留特別許可を付与しないと判断したことが,法務大臣等がその付与された権限の趣旨に明らかに背いて裁量権を行使したものと認め得るような特別の事情が認められない限り,違法と評価されることはないというべきである。 オ原告らは,本件各裁決には手続上の瑕疵が存する旨主張する。 しかしながら,入国警備官等は,容疑者が法24条各号の一に該当するか否かの調査若しくは審査を行う上で必要なときには,容疑者から事情聴取をすることはもちろん,証人からの事情聴取,公務所等に対する資料提出の依頼等をするものであって,原告らが福島県東白川郡に親族がいることやP26という人物にその親族について調査を依頼したこと等を供述したとしても,これらは,入国警備官等において,原告らが法24条各号の一に該当するか否かの調査若しくは審査等を行う上で必要なければ,特に公務所等に対する資料提出の依頼等をする必要はないのであって,原告らの上記主張は失当である。 また,原告らは,中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律の趣旨に照らしても,原告らの主張に係る調査義務が存する旨主張する。 しかしながら,同法は,2条において,「中国残留邦人等」の定義を定め,3条において,これに該当する者が本邦への帰国を希望する場合に,円滑な帰国を推進するため,一般抽象的に必要な施策を講ずべき旨を規定しているにすぎず,同法2条に定める「中国残留邦人等」に該当す 定め,3条において,これに該当する者が本邦への帰国を希望する場合に,円滑な帰国を推進するため,一般抽象的に必要な施策を講ずべき旨を規定しているにすぎず,同法2条に定める「中国残留邦人等」に該当すると主張する者が日本国に対し,同法3条を直接の根拠として,自己の身分関係を調査するよう請求できると解することは不可能である。また,原告らがその根拠として挙げる同法6条2項を含め,同法の具体的規定においても,上記調査を義務付ける規定は存在しない。なお,同法は,既存の法令の範囲内において,中国残留邦人等の帰国又は入国につき,配慮を図るべきことを定めたにすぎないと解すべきであり,同法6条2項の規定をもって,日本国が既存の法令を超えた配慮をすべき責務を負うと解することはできない。 カ原告らは,原告らに対する退去強制は憲法やB規約,児童の権利条約に反する旨主張する。 しかしながら,外国人に対する憲法の基本的人権の保障は,外国人在留制度の枠内で与えられているにすぎない(53年最判参照)ところ,憲法13条に定める幸福追求権及び憲法25上に定める生存権についても同様であり,これらは外国人の在留制度の枠内で与えられているにすぎないというべきである。 また,B規約においてもイ記載の国際慣習法を否定するような規定は置いておらず,当然にこの国際慣習法を前提としていると解されるところ,かえって,B規約13条は不法在留者の国外追放を規定していることなどからすれば,B規約も退去強制による制約に服することを当然の前提としていると解される。 さらに,児童の権利条約も,その文言上,外国人の在留の権利について特に言及しておらず,それどころか,同9条4においては,父母の一方若しくは双方又は児童の退去強制の措置に基づき,父母と児童とが分離されることがあることを予定している 言上,外国人の在留の権利について特に言及しておらず,それどころか,同9条4においては,父母の一方若しくは双方又は児童の退去強制の措置に基づき,父母と児童とが分離されることがあることを予定していることからすれば,児童の権利条約も,上記国際慣習法を前提とするものと解され,外国人に在留の権利を認めたものではないというべきである。 (3)争点(3)(本件各退令発付処分の違法性)について(原告ら)争点(2)の原告らの主張のとおり,本件各裁決は違法であるから,本件各退令発付処分も本件各裁決の違法性を承継するものであり,取り消されなければならない。 (被告ら)退去強制手続において,容疑者が法24条各号の一に該当するとの入国審査官の認定若しくは特別審理官の判定に容疑者が服したとき又は法務大臣から異議の申出は理由がない旨の裁決の通知を受けたときには,主任審査官は,当該容疑者に対する退去強制令書を発付しなければならないのであり(法4 7条4項,48条8項,49条5項),主任審査官には,同手続において退去強制令書を発付するか否かについては全く裁量の余地はない。 したがって,争点(2)の被告らの主張のとおり,本件各裁決が違法であるとはいえない以上,本件各退令発付処分も適法である。 第3当裁判所の判断 争点(1)(原告P2,原告P4,原告P5及び原告P7の各国籍)について(1)原告P2の父P8の国籍について原告らは,原告P2,原告P4,原告P5及び原告P7がそれぞれ日本国籍を有するとする根拠として,原告P2の父P8には日本国籍が認められると主張するので,まず,原告P2の父P8の国籍について検討する。 ア旧国籍法の規定によれば,原告P2の父P8)が出生により日本国籍を取得するのは,①出生の時その父が日本人であるとき(旧国籍法1条),②父が で,まず,原告P2の父P8の国籍について検討する。 ア旧国籍法の規定によれば,原告P2の父P8)が出生により日本国籍を取得するのは,①出生の時その父が日本人であるとき(旧国籍法1条),②父が知れない場合又は国籍を有しない場合において,その母が日本人であるとき(旧国籍法3条),③日本において生まれた子の父母が共に知れないとき又は国籍を有しないとき(旧国籍法4条)のいずれかの場合となる。 イまず,P8の父が日本人であったか否かについてみるに,原告ら自身,訴状においては,P8の父(原告P2の祖父)が日本人であったことを前提とすると解される主張をしていたが,その後,P8の父は中国人であった可能性が高い旨主張している(第2の3(1)の原告らの主張ア(ア))。 また,P8の父が日本人であったと認めるに足る証拠もない。 したがって,P8の父が日本人であったとして,P8が出生により日本国籍を取得したものとは認められない。 ウ次に,P8について,旧国籍法3条が定める,父が知れない場合又は国籍を有しない場合において,その母が日本人であるときとの要件に該当するか否かについて検討する。 (ア)証拠(甲21号証,63号証,64号証,67号証,90号証,乙66号証,78号証,原告P2本人)によれば,P8は,○年(昭和○年)○月○日に出生し,1948年(昭和23年)10月19日,中国福建省において中国国籍を有するP25と結婚し,同女との間にP23,P34,原告P2,P35及びP36の5人の子をもうけ,中国福建省福清市α7で生活していたこと,また,P8は,福建省福清市α8にあるα5農場で獣医として働いており,普段は同農場に住み,1か月に1回か2回α7の自宅に戻っていたこと,P8は○年(平成○年)○月○日中国において死亡したことがそれぞれ認められる。 建省福清市α8にあるα5農場で獣医として働いており,普段は同農場に住み,1か月に1回か2回α7の自宅に戻っていたこと,P8は○年(平成○年)○月○日中国において死亡したことがそれぞれ認められる。 (イ)また,P8の中国における戸口簿中の常住人口登記簿や常住人口登記表には,P8の民族は漢族であり,出生地は福建省福清市である旨の記載がされている(甲21号証,48号証,49号証)。 (ウ)これに対し,原告らは,P8は日本において日本人母から生まれた非嫡出子である旨主張するところ,(イ)記載の常住人口登記簿等の記載のほかは,P8の父母がだれであるかや,P8の生い立ちについて直接これらを明らかにする資料は存しない。 そして,これらの点については,P8の妻P25や子の原告P2やP23,あるいはP8が勤務していたα5農場における知人らにより,以下のような供述等がされている。 a原告P2による供述等についてP8の子である原告P2は,本訴において,以下のような陳述ないし供述をしている(甲64号証,原告P2本人)。 (a)父P8と母P25が口げんかをしたとき,P25はP8に対し,「番仔(ファンヤン)」(福清語で外国人を意味する。)とか,「日本番仔(ニッポンファンヤン)」と口に出していた。 (b)原告P2が中学生になってから,テレビで日本と中国の戦争の ことが出てくるとき,原告P2らが日本人のことを悪くいうと,父P8は,「自分も日本人だ,そんなに日本人のことを悪くいうな」と話すようになった。 (c)父P8は,自分が日本人であることを証明する日本から来た手紙などの大事なものを本件箱の中に入れて大事に保管していた。 (d)原告P2は,本件箱の中に入れられていた本件写真を見たことがあるが,P8は,本件写真中の小さい方の人物が自分であるとし,日本 た手紙などの大事なものを本件箱の中に入れて大事に保管していた。 (d)原告P2は,本件箱の中に入れられていた本件写真を見たことがあるが,P8は,本件写真中の小さい方の人物が自分であるとし,日本では本件写真に写っているような服を着る旨話した。 (e)原告P2が中学卒業後に獣医の勉強をするためにα5農場の父P8のところで一緒に暮らすようになった後,P8は日本に帰りたいとよく言うようになった。 P8は,日本から送られてきた古い手紙を出して,福清に住む知人に,その手紙の差出人を探して欲しいと頼んでいたこともあった。 (f)原告P2が父P8に対し,日本でどこに住んでいたのかを聞くと,P8は,福島県東白川(フーダオシエントンバイチュワン)と答えた。 (g)原告P2が父P8に対し,日本の名前を聞くと,「○○」と発音し,「P24」という字を書くことを教えてくれた(なお,原告P2は,陳述書(甲64号証)においては,P8はP24の下の名前を思い出すことはできなかった旨陳述しているのに対し,その本人尋問においては,父P8は自分の日本の名前(フルネーム)を書き,また,言っていたが,下の名前は漢字ではなく平仮名みたいであり,分からなかった,P8が言った言葉も分からなかった旨供述し,上記陳述書中,P8がP24の下の名前を思い出すことができなかったとする部分は訂正する旨供述している。)。 (h)P8は,原告P2に対し,7歳か8歳のころに中国に来たと思 う旨話した。 (i)原告P2は長女(原告P4)が3歳のとき,α5農場の父のところを出て,原告P3と一緒に暮らすようになったが,その後,父P8が日本に帰るための大事なものをP26に預けたと聞いた。 (j)原告P2が日本に来てから1,2か月の内にP26が大阪市α9所在の大阪市営α10住宅に住んでいるこ 暮らすようになったが,その後,父P8が日本に帰るための大事なものをP26に預けたと聞いた。 (j)原告P2が日本に来てから1,2か月の内にP26が大阪市α9所在の大阪市営α10住宅に住んでいることが分かったことから,原告P2は原告P3と共にP26を訪ね,同人に会い,父P8が預けた書類のことを聞いたが,P26は書類をなくした旨答えたため,P26との間で激しい口げんかになった。 bP25に対する聞き取り調査の結果についてP8の妻であり,原告P2の母であるP25は,本訴提起後の平成16年6月19日に原告ら代理人が中国福建省福清市において行った聞き取り調査(甲65号証)に際し,以下の供述をしている(甲67号証,乙78号証)。 (a)本件写真中の学生帽をかぶった小さい方の人物を拡大した写真の人物は,夫のP8が学校に行っていたときの写真であり,同人物が写った小さい写真を何回も見たことがある。 (b)P8と結婚するときには,P8が日本人であるということは知らなかったが,子が生まれて何年も経ってから,P8は自分が日本人であると話をした。 (c)生活が苦しく,P8とはよくけんかになったが,そのときに,P8に対し,「番仔(ファンヤン)」とか,「日本番仔(ニッポンファンヤン)」と罵ったことがある。 (d)原告P2らが子どものころ,テレビで日本人のことを見て,日本人が悪いとか言うと,P8が怒って,「自分も日本人だ」と言って,子らを殴ることがあった。 (e)P8は,本件箱に大事なものを入れ,α5農場ではなく,家の方で鍵をかけて保管していた。P8はP25に対し,絶対になくしてはならない,なくしたら殺すと言っていた。そして,P8は,給料をもらって月に1回程度家に帰ってきたときには,いつも本件箱を開けて見ており,機会があれば日本に帰る,P25も 25に対し,絶対になくしてはならない,なくしたら殺すと言っていた。そして,P8は,給料をもらって月に1回程度家に帰ってきたときには,いつも本件箱を開けて見ており,機会があれば日本に帰る,P25も連れていくと言っていた。 (f)P8は,日本に親戚がいれば,その後自分も日本に帰れると思い,親戚がいるかどうか調べてもらおうとして,一枚の書類をある人に預け,日本に持っていってもらったことがある。しかしその後,その人は行方不明になり,その書類も行方不明になった。 (g)P8は,亡くなる前,P25に対し,本件箱を大事に保管し,長男のP23が帰ってきたらP23に渡してくれと言った。P8は,自分自身は日本に帰りたかったものの,帰ることができなかったが,子らが日本に帰ることができることを願っていた。 (h)P8は,日本にいたときの名前をP25に話したことがある。 P8は,「○○○○(○○○○)」と教え,必ず覚えなさいと言った。P8は,P25が忘れるのではないかと心配して,海の船,小さい船と覚えると覚えやすいから,それで覚えなさいと言った(なお,同聞き取り調査の通訳人(P37)の説明によれば,福清語では,「○○○○(○○)」は「○○○」で,「○○(○○)」は「○」や「○」という意味である。)。 (i)P8は,自分が日本のどこで生まれたかをP25に教えたことがあったが,どこだったが覚えていない。大阪のどこか,東京のどこか,全然覚えられなかった。 cP23に対する聞き取り調査の結果等についてP8の長男であり,原告P2の兄であるP23(○年(昭和○年) ○月○日生)は,本訴において,以下の陳述をし(甲20号証),また,本訴提起後の平成16年6月21日に原告ら代理人が中国福建省福清市において行った聞き取り調査(甲65号証)に際し,以下の供述をし ○月○日生)は,本訴において,以下の陳述をし(甲20号証),また,本訴提起後の平成16年6月21日に原告ら代理人が中国福建省福清市において行った聞き取り調査(甲65号証)に際し,以下の供述をしている(甲71号証,72号証,乙82号証,83号証)。 (a)P23は,25歳のときに結婚をするときになって,初めて父P8からP8が日本人であるということを聞かされた。P8がこのことを打ち明けた後は,日本に帰りたいと何度も言っていた。 (b)父P8は,1980年代になってから,P23に何回か日本のことを話した。P8は,日本の福島県東白川郡で生まれ,8歳のとき祖父(P8の父)に連れられて中国に来たということであった。 祖父は,商人で,東アジア,インドネシア,日本などへ行って商売をしていた。 父P8は,祖母(P8の母)は,父P8が15歳のころに亡くなったと言っていた。 (c)P8は,名前については,「P24」という字を書いてくれた。 (d)P8が日本で撮った小さいころの写真(本件写真)も見せてもらったことがある。写っている小さい方の少年がP8とのことであった。 (e)母P25は,父P8とけんかをした際,P8に対し,「番仔(ファンヤン)」とか,「日本仔(ニッポンヤン)」,「日本鬼子(ニッポングイギャン)」などと罵っていた。 また,P8は,近所の人達から,密かに,「番仔」とか「番仔種」とか言われていた。 P23も,けんかをしたりしたとき,「番仔種(ファンヤンジュン)」「番仔豚(ファンヤンズウ)」などと言われたことがあった。 (f)P8は,自分が日本人であることを証明する大事なものを鉄の 箱(本件箱)に入れて大事に保存することを母P25にも頼んでいた。P25は,大事な資料の一部を無くし,P8に叱られたことがあった。P8は,1990年(平成2年 ることを証明する大事なものを鉄の 箱(本件箱)に入れて大事に保存することを母P25にも頼んでいた。P25は,大事な資料の一部を無くし,P8に叱られたことがあった。P8は,1990年(平成2年)ころ,残りの資料をP26に預けたようであるが,その資料を無くされたとのことであった。 (g)P23は,日本にきて3か月ほど経過したとき,日本にいた中国の留学生に頼んで,福島県東白川郡に連れて行ってもらったことがあり,「α11」「α12」「α13」という地名を覚えている。 このとき,中国の留学生から,父の名前は「○○」と呼ぶことを教えてもらった。 dP28に対する聞き取り調査の結果についてP28(○年(昭和○年)○月○日生)は,福建省福清市α14出身で,P8がα5農場で働いていた際の同僚であり,1962年(昭和37年)ころにお互いがα5農場に来て知り合い,文化大革命が始まった後の1970年(昭和45年)ころからはα5農場における住居も近くになったものである(甲53号証,56号証,60号証,69号証,乙73号証,80号証)ところ,本訴提起後の平成15年11月8日と平成16年6月20日の2度にわたり原告ら代理人が中国福建省福清市において行った聞き取り調査(甲54号証,65号証)に際し,以下の供述をしている(甲53号証,69号証,乙73号証,80号証)。 (a)文化大革命が始まった1966年(昭和41年)以降,α5農場内で,P8は日本人ではないか,あるいは,外国人(番仔(ファンヤン))ではないかという冗談がいろいろな人から言われていた。 ただ,そのときは,冗談で言って,それで終わりという感じで,誰も真に受けることはなかった。 (b)P8とP28とは同じ福清人で,福清語を話すことができるの で,よく一緒に話をしていた。1970年(昭和45 きは,冗談で言って,それで終わりという感じで,誰も真に受けることはなかった。 (b)P8とP28とは同じ福清人で,福清語を話すことができるの で,よく一緒に話をしていた。1970年(昭和45年)ころ,外国人と密通している人を批判する批判大会が開かれたときに,P28がP8に対し,冗談のつもりで,「あなた,日本人に見えるから,いつかあなたも批判されるかもしれないよ。いつか,あなたを批判する批判大会が開かれるかもしれないよ。」といった話をしたところ,P8は顔色を変えたように見えた。 P8は,その2,3日後,P28の家を訪れ,P28に対し,自分は日本人であり,子供のころは日本で生活をしていた,このことはまだ誰にも話していない,先日,上記のような話をされて,本当に怖くなった,今日は本当のことを話したが,絶対に他の人に言わないでくださいとの話をした。 (c)文化大革命が終わった後の1990年(平成2年)ころ,P28はP8に対し,今は改革開放の時代で,たくさんの人が日本に渡っていったのに,正真正銘の日本人であるP8がどうして日本に帰らないのかと聞いた。これに対しP8は,すでに関連の文書や書類などをある人に預けて,日本における親族などを探してもらっており,その結果を待っているところであると答えた。 eP29に対する聞き取り調査の結果についてP29(○年(大正○年)○月○日生)は,α5農場の近くに住んでいるが,40年ほど前(平成15年当時54歳の息子が14歳のころ),息子が手にけがをした際,P8が薬を付けるなどの治療をしてくれたことからP8と知り合いになり,以後,獣医であったP8が料金も取らずにP29が飼っていたニワトリやアヒルの面倒を見てくれたことから,親しくなったものである(甲53号証,61号証,69号証,乙73号証,80号証)とこ 合いになり,以後,獣医であったP8が料金も取らずにP29が飼っていたニワトリやアヒルの面倒を見てくれたことから,親しくなったものである(甲53号証,61号証,69号証,乙73号証,80号証)ところ,本訴提起後の平成15年11月8日と平成16年6月20日の2度にわたり原告ら代理人が中国福 建省において行った聞き取り調査(甲54号証,65号証)に際し,以下の供述をしている(甲53号証,57号証,61号証,69号証,乙73号証,80号証)。 (a)1980年代ころ(聞き取り調査時から20年ほど前ころ),日本に行くことがはやっていた時期に,P8の顔色が黒くて,外国人(番仔(ファンヤン))のようであったことから,P8にそのような話をすると,P8は,「私は,本当は番仔(ファンヤン)です。 私の父は,私が子供の時,7,8歳の時に,私を日本から連れてきました。」と話したことから,P8が日本人であるということを初めて知った。 (b)P8が,自分が日本人であるということをP29に話したのは,2回ほどあった。2回目のときは,P8は,P29に対し,もし今日本にいたらきっといい生活をしていただろうけど,中国に来たので生活が大変であった旨の話をした。 fP30に対する聞き取り調査の結果についてP30(○年(大正○年)○月○日生)は,中国福建省福清市α15に居住する者である(甲55号証,59号証)ところ,本訴提起後の平成15年11月8日と平成16年6月19日の2度にわたり原告ら代理人が中国福建省において行った聞き取り調査(甲54号証,65号証)に際し,以下の供述をしている(甲53号証,68号証,乙73号証,79号証)。 (a)自分(P30)は,日本の大阪で生まれた。日本の名前は「P38ちゃん」という。父は中国人であり,母は日本人である。13歳のこ 供述をしている(甲53号証,68号証,乙73号証,79号証)。 (a)自分(P30)は,日本の大阪で生まれた。日本の名前は「P38ちゃん」という。父は中国人であり,母は日本人である。13歳のころ,戦争で,父及び妹とともに帰ってきた。母と兄は日本に残った。帰って来たとき,上海は焼き払われていた。 (b)日本からは,P24(○○○○(○○○○))と一緒に船で帰 ってきた。P24とは,一緒に帰ってきたときに知り合った。中国に来てからも,P24とはたまに会っていた。P24の息子と一緒に会ったこともある。結婚とか,子供が生まれたときとか,お祝いのお金を出していた。P24は,中国に来たことを大変後悔していた。 (c)成人後のP8の写真(甲2号証)や本件写真の右側に写っている人は,あまり覚えていない。昔一緒に帰ってきた人かも知れない(平成15年11月8日の聞き取り調査)。 成人後のP8の写真(甲2号証)や本件写真中の学生帽をかぶった小さい方の人物を拡大した写真に写っている人は,P24(○○○○(○○○○))である(平成16年6月19日の聞き取り調査)。 gP22の供述等についてP22は,大正○年に大阪市α16において中国人の父と日本人の母の子として出生後,13歳のころに中国福建省福清市に渡り,中国において中国人と結婚したが,昭和63年(1988年)に日本に帰国した者である(甲79号証,82号証ないし85号証)ところ,本訴において,以下のような陳述ないし証言をしている(甲85号証,証人P22)。 (a)P22の父P39(中国人)とP8の父とが友人同士であったことから,中国に渡ったのちの15歳ないし16歳ころP8と知り合った。 その後もP8とは年に1回か2回くらい会っていた。最初のころは日本語で話していたが,だんだん日本語ができない が友人同士であったことから,中国に渡ったのちの15歳ないし16歳ころP8と知り合った。 その後もP8とは年に1回か2回くらい会っていた。最初のころは日本語で話していたが,だんだん日本語ができないようになった。 P8がα5農場で働くようになってからは,α5農場で会うことが多かった。P8は豚の医者で農場で豚の注射をしていた。中国の生 活はすごく苦しいから,できるだけ早く日本に帰りたいといった話をしていた。 (b)本件写真中,小さい方の少年がP8である。知り合った最初のころ,P8から見せてもらった。 (c)P8から名前を教えてもらったことがある。福清語でも教えてもらったし,日本語でも「○○」と教えてもらった。 (d)P8から,母が日本人で,父が中国人と聞いたことがある。 (e)P8は,日本の福島で生まれたと言っていた。 (f)1988年(昭和63年)にP22が日本に帰国する前,P8に会いに行き,日本に帰るとの話をしたところ,P8から,自分の戸籍を探して欲しいと頼まれた。しかし,P22は,字が読めないから難しいと思うと答えた。 hP27に対する聞き取り調査の結果についてP27(○年(昭和○年)○月生)は,昭和63年(1988年)から平成8年(1996年)まで日本の大学等に留学していたものであって,P27の妻と原告P3とはいとこ同士である(甲70号証,73号証,乙81号証)ところ,本訴提起後の平成16年6月20日に原告ら代理人が中国福建省において行った聞き取り調査(甲65号証)に際し,以下の供述をしている(甲70号証,乙81号証)。 (a)P27は,原告P3から,平成7年(1995年)の春,福島県に一緒に調査に行って欲しいという依頼を受けた。 原告P3の依頼は,原告P3の妻の父が小さいころにどこで生活していたか,妻の父の戸籍を探 )P27は,原告P3から,平成7年(1995年)の春,福島県に一緒に調査に行って欲しいという依頼を受けた。 原告P3の依頼は,原告P3の妻の父が小さいころにどこで生活していたか,妻の父の戸籍を探して欲しいというものだった。 (b)原告P3は,妻の父の名について,P24と言っていた。 (c)P27は,中国残留孤児の家族である「P40」(中国名はP41)にも相談し,同人の運転する車で福島県に赴き,東白川郡の α11やα17の各役場を訪ねたが,各役場では,時間も経っているし,名前だけでは分からないとのことで,結局,判明しなかった。 (エ)原告らは,P8が日本において生まれた日本人であることを示す証としてP8が持っていたものとして,本件写真(甲1号証)と本件各カタログ(甲18号証,36号証)を提出している。 このうち,本件写真は,着物(羽織,袴)姿に学生帽をかぶった少年(本件写真向かって右側の少年)と,同じく着物姿にハンティング帽様の帽子をかぶった男性(本件写真向かって左側の男性)が写されたものである。 また,本件各カタログは,名古屋市所在のα6商会による注文販売のための衣類や靴,鞄,傘等の商品が掲載されたカタログであり,いずれも戦前に作成されたカタログである(なお,甲18号証のカタログ中には「1934年型幼年用ロンパス」との商品が掲載されている。)。 (オ)a被告らは,原告らや関係者の各供述等には一貫性がなく,不自然であり,到底信用できない旨主張する(争点(1)についての被告らの主張ウ)。 (a)まず,原告P2の供述等についてみるに,原告P2は,平成13年2月19日に大阪入管入国警備官が同原告に対して行った取調べに対し,原告P2が日本に行こうと思った理由は,同原告の祖父と父が日本人であることを聞き,親戚を探すためであった,祖父は P2は,平成13年2月19日に大阪入管入国警備官が同原告に対して行った取調べに対し,原告P2が日本に行こうと思った理由は,同原告の祖父と父が日本人であることを聞き,親戚を探すためであった,祖父は福島県α18というところで生まれ,第2次世界大戦中に福建省に移り住んだそうだが,いつ生まれたとか,どのような方法で中国に移り住んだのかとかの詳しいことは分からない,祖父の中国名も分からないが,P24姓であったと聞いている,当然父もP24姓であったと本人から聞いているが,祖父が日本人であったと証明できるものは,文化大革命の際に燃やしてしまい,今あるのは古い写真 1枚のみ(本件写真)で,この左側に写っている人が祖父であるが,右側の学生帽をかぶっている人は分からない旨の供述をしている(乙66号証)。 もっとも,原告らは,本件写真についての上記説明については,通訳の間違いによるものと考えられる旨主張し,原告P2も,入管において祖父の説明をしたことはない,本件写真の説明についても,小さい方の人を指さして父である旨説明したが,通訳人が間違って,大きい方の人を指さして祖父かなと質問をした,これに対し,原告P2において,違います,父に聞いていないので分かりませんと答えた旨の供述をしている(原告P2本人)。しかしながら,上記取調べに係る供述調書(乙66号証)に記載された原告P2の供述の内容は,原告P2の祖父がP24姓の日本人であり,当然父もP24姓の日本人であるというものであって,原告P2の祖父と父の両名を念頭において上記の供述がされたものとみるのが素直であること,大阪入管入国警備官が同月20日に原告P3に対して行った取調べにおいても,原告P3は,原告P2の祖父が日本の福島県で生まれ,戦時中に中国に渡った者であると原告P2から聞いた旨の供述をして ること,大阪入管入国警備官が同月20日に原告P3に対して行った取調べにおいても,原告P3は,原告P2の祖父が日本の福島県で生まれ,戦時中に中国に渡った者であると原告P2から聞いた旨の供述をしていること(乙84号証)に照らすと,原告P2が入管において祖父の説明をしたことはないとの原告P2の本人尋問における上記供述は採用し難い。本件写真の説明についても,祖父の説明をしたことはないことを前提とする原告P2の本人尋問における上記供述内容を直ちに採用することはできない。 以上のとおり,原告P2の入国警備官に対する上記供述内容と,(ウ)a記載の本訴提起後の陳述ないし供述内容とでは,同原告の父であるP8の父母のいずれが日本人であったのか,本件写真の被写体がだれであるのかといった重要な点について食い違いが存するも のであって,原告P2の本訴における陳述ないし供述内容の信用性を検討するに当たり,この点を軽視することはできない。 また,原告P2は,陳述書(甲64号証)においては,P8はP24の下の名前を思い出すことはできなかった旨陳述しているのに対し,その本人尋問においては,父P8は自分の日本の名前(フルネーム)を書き,また,言っていたが,下の名前は漢字ではなく平仮名みたいであり,分からなかった,P8が言った言葉も分からなかった旨供述し,上記陳述書中,P8がP24の下の名前を思い出すことができなかったとする部分は訂正する旨供述している(原告P2本人)((ウ)a(g))。このように,原告P2の供述等には,P8の日本における氏名が何であり,また,P8がどこまで記憶していたかという重要な点に関して変遷がみられるのであり,いかなる経緯で陳述書に上記のような記載がされたかも明らかではない。 以上によれば,原告P2の前記(ウ)aの供述等を直ちに採用するこ まで記憶していたかという重要な点に関して変遷がみられるのであり,いかなる経緯で陳述書に上記のような記載がされたかも明らかではない。 以上によれば,原告P2の前記(ウ)aの供述等を直ちに採用することは相当でなく,その証拠価値については他の関係証拠等に照らして慎重な検討を要するものというべきである。 (b)次に,P23の供述等についてみると,原告P2の兄であるP23は,平成4年(1992年)5月26日,入国審査官から旅券に同月29日午前7時20分までを許可期間とする寄港地上陸許可の証印を受けて千葉県成田市所在の新東京国際空港に上陸して本邦に入ったが,同許可期間内に同空港から出国せず,平成14年(2002年)11月19日まで東京都内に居住し,もって旅券に記載された期間を経過して本邦に不法に残留したとの公訴事実で東京地方裁判所に公訴提起された(同裁判所平成14年特(わ)第6133号)ものであるところ,P23は,同刑事事件の捜査ないし裁判の手続においては,日本で働くために不法残留し,逮捕されるまで 日本で働き,中国にいる家族に約1000万円送金した旨の供述をしており,父P8が日本人であるとか,P8の戸籍を探すために日本に来た等の主張は全くしていない(乙76号証,77号証の1及び2)。 この点,P23は,原告ら代理人からの聞き取り調査の際や,P23が原告P2に宛てた2004年(平成16年)2月18日付けの手紙において,警察は信用できない,自分を殴ったり,罵ったりし,10年の刑に処すると言うなどしたため,自分の父が日本人だということを警察に話す勇気がなかった,また,刑事裁判においても,裁判官から今後また日本にくれば終身刑務所行きだと警告されたから,自分の父が日本人であることを話すことができなかった旨弁解する(甲58号証の1及び2,乙8 勇気がなかった,また,刑事裁判においても,裁判官から今後また日本にくれば終身刑務所行きだと警告されたから,自分の父が日本人であることを話すことができなかった旨弁解する(甲58号証の1及び2,乙82号証)が,上記刑事事件におけるP23の供述内容(乙77号証の1及び2)に照らしても,P23の上記弁解を採用することはできない。 (c)このほか,P8が本件写真や本件各カタログを保管していた場所についても,原告らは,2003年(平成15年)9月24日付けの準備書面3においては,原告P2の母が陶器製の枕の内部の空洞部分に大事に隠して保管していた旨主張していたのに対し,その後に出されたP23(原告P2の兄)の陳述書(甲20号証)では,原告P2の上記説明は間違いであり,P8は本件写真や本件各カタログを本件箱の中に保管していた旨陳述し,原告P2も,その後提出した陳述書(甲64号証)では,日本から来た手紙など日本人であることを証明する大事なものを原告ら代理人が写してきた箱(同陳述書には甲4号証とあるが,これは甲34号証の誤記と解される。)の中に入れて大事に保管していた旨陳述し,本人尋問においても,本件写真や本件各カタログを本件箱に入れていた旨供述する とともに,本件箱の素材や大きさ等についても具体的に供述する(原告P2本人)など,大きな変遷がみられる。 また,P8の大事な書類をだれがP26に預けたかについても,原告P3は,大阪入管入国警備官が平成13年2月20日に原告P3に対して行った取調べにおいては,原告P2の祖父が書いた日本語の日記帳を原告P3がP26に渡した旨供述していた(乙84号証)のに対し,本訴提起後に提出された原告P3の陳述書(甲97号証)においては,最初に頼んだのは原告P3ではなく,妻である原告P2の父P8である,そのとき,原 P26に渡した旨供述していた(乙84号証)のに対し,本訴提起後に提出された原告P3の陳述書(甲97号証)においては,最初に頼んだのは原告P3ではなく,妻である原告P2の父P8である,そのとき,原告P3は立ち会っておらず,P26にP8が書類を預けたことは後からP8から聞いて知った旨陳述するに至っているなど,変遷がみられる。 (d)以上のとおり,P8が日本で出生した日本人である事実を推測させる重要な徴憑となるべき事項について同人の子である原告P2及びP23や原告P2の夫である原告P3の供述等に変遷がみられることに加えて,そもそも,本邦で出生した原告P7を除く原告らは,原告P3が日本人の子であるP1の孫である旨その身分関係を偽り,偽造ないし変造した旅券を行使して不法に本邦に入国したものであり,入国の動機についても,中国を出国した時点においてはP8は健在であったにもかかわらず,出国に当たり同人の日本名(同人が真実日本において出生し7,8歳ころまで日本に居住していたとすればその日本における姓名を正確に記憶していなかったとは考え難い。)を始め同人の出自を探索する手掛かりとなる情報を聞き出そうとした形跡もうかがわれないことからすれば,P8の戸籍探しが主要な動機であったとは直ちに認め難いのであって,これらを併せ考えると,P8の子である原告P2やP23,あるいは原告P2の夫である原告P3の本訴提起後の供述等の信用性について は,慎重な検討を要するものといわざるを得ない。 しかしながら,原告ら代理人が中国福建省福清市で2度にわたって行った聞き取り調査におけるP28やP29の供述((ウ)d及びe)は,原告らと血縁関係のない者による供述であり,かつ,P8が日本人であることについてP8から聞いた内容を自ら具体的に供述するものであって,乙73号証, におけるP28やP29の供述((ウ)d及びe)は,原告らと血縁関係のない者による供述であり,かつ,P8が日本人であることについてP8から聞いた内容を自ら具体的に供述するものであって,乙73号証,80号証の反訳内容を子細に検討しても,通訳人等による意図的な誘導の影響等は看取されず,その供述内容のすべてが作為によるものであるとはおよそ考え難い。 被告らは,P28とP8及びその家族との関係を勘案すると,P28が原告P2らの求めに応じ,原告P2らに有利となる供述をする可能性は高い旨主張するが,原告P2らからP28に対する被告ら主張のような働きかけの存在を疑わせるに足る的確な証拠は存しない。 また,本訴におけるP22の陳述や証言((ウ)g)についても,日本において中国人の父と日本人の母の子として出生後,戦前中国福建省福清市に渡り,同地において中国人と結婚し,長年にわたり中国で生活をした後,本邦に帰国した者であるP22が,福清市居住時におけるP8との交流の内容や,その中でP8から聞いた同人の生い立ちや名前,あるいは両親のことについて,現在記憶する範囲で陳述ないし証言したものとして,別段不自然,不合理な点は見受けられない。この点,被告らは,P22は陳述書に記載された事項以外の質問に対してはほとんど「忘れました。」との証言をしており,これは,P22が知りもしないP8とその父について具体的な証言ができないことの証左にほかならない旨主張するが,P22の年齢(大正○年生で証言時79歳)や,その内容が半世紀以上前の戦前の時代から十数年前までに生じた事柄に関するものであるこ となどに照らせば,P22の証言中に被告ら指摘のように「忘れました。」との証言部分が多かったとしても,やむを得ない面が存するといえるのであり,このことから直ちに,P22が,P8と ものであるこ となどに照らせば,P22の証言中に被告ら指摘のように「忘れました。」との証言部分が多かったとしても,やむを得ない面が存するといえるのであり,このことから直ちに,P22が,P8と面識が全くないにもかかわらず,原告P2らからの働きかけ等により自己が体験していない全く虚偽の内容の証言をした事実を推認することはできない。また,被告らは,原告らがP22の存在を主張するに至った経緯が不自然である旨主張するが,P8の妻P25が原告ら代理人による2回目の事情聴取の際に初めてP22(中国名はP42)の存在及び名前を語り,そのため原告ら代理人が北京語の通訳として日本から同道した京都大学教育学部大学院生のP43がP25の供述で出てきた「α19」との地名を手掛かりにP22の存在を探し出したという経緯(甲65号証,67号証,75号証,99号証,乙78号証)をもって一概に不自然ということはできない。 かえって,原告らが,P8の母が日本人であったことを立証する必要が生じたため,たまたま原告らの居住地(大阪市α20-6-25-105)の近辺(α20-7-17-106)に居住しておりかねてから日本において面識のあった中国福建省福清市からの帰国邦人のP22に依頼して原告らの主張事実に沿った供述ないし証言を意図的に作出するとともに,原告P2の母のP25や通訳に当たったP43をも巻き込んでP22の存在の発見に至る上記のような経緯を作出したというのは,いかにも不自然というほかなく,上記のような居住地の位置関係や被告らの指摘するP22の証言態様から直ちに上記のような経緯を推認することもできず(甲100号証参照),他にそのような経緯をうかがわせるに足りる的確な証拠も見当たらない。 また,P27の供述内容((ウ)h)にも格別不自然な点は見当た らない ような経緯を推認することもできず(甲100号証参照),他にそのような経緯をうかがわせるに足りる的確な証拠も見当たらない。 また,P27の供述内容((ウ)h)にも格別不自然な点は見当た らない。 さらに,原告ら代理人が2回にわたって行ったP30からの聞き取り調査におけるP30の供述内容((ウ)f)も,確かにあいまいな点も多い上,P24(○○○○)と一緒に船で帰ってきたとの供述については,他の供述部分から推測されるP30の渡航時期と符合しないなど,これを直ちにそのまま採用することはできないが,同調査時において,P30が,体の部位や生活道具等について日本語の単語を覚えているとして披露し,また,日本語の歌を歌っている(甲53号証,68号証,乙73号証,79号証)様子等からは,P30は,同人が供述するように,戦前上海事変(第一次)の直後ころ日本から中国に渡ってきた者とみられるのであって,P30が福清市において同様の境遇にあったとされるP8と何らかの交流を持っていた可能性もあながち否定することはできないから,P8との交流に関するP30の供述を直ちに排斥することもできない。 なお,被告らは,原告ら代理人によるこれら聞き取り調査時における通訳人が,被調査者の回答の範囲を超えて日本語訳を付すなど,不適切な対応をしており,客観的立場に立つものとは認め難い旨主張するところ,確かに,同調査における通訳人の日本語訳に被告ら主張の点が存するものと認められるところであり,通訳人において,被調査者とP8等との関係について事前に一定の情報を有していたものと推測されるところであるから,同通訳人の日本語訳をもって直ちに被調査者の供述内容とみることはできない。しかしながら,(ウ)で認定したところは,いずれも被告らによる反訳(乙73号証,78号証ないし83号証)に ところであるから,同通訳人の日本語訳をもって直ちに被調査者の供述内容とみることはできない。しかしながら,(ウ)で認定したところは,いずれも被告らによる反訳(乙73号証,78号証ないし83号証)に照らし,各被調査者が自ら回答した内容に基づくものであり,これらの反訳によっても,通訳人等が被調査者の回答を引き出すに当たり意図的な誘導をした様子まではうか がわれないから,上記のような通訳人の問題点が認められるからといって,これら被調査者の回答内容の信用性自体を直ちに否定することはできないものというべきである。 以上のようなP28やP29,P22,P27らの供述内容をも勘案すると,原告P2やP25,P23の各供述((ウ)aないしc)中,少なくとも,P25とP8とがけんかをした際,P25がP8に対し,「番仔(ファンヤン)」とか,「日本番仔(ニッポンファンヤン)」と罵っていたことや,P8の子であるP23も,けんかをしたりしたときに,「番仔種(ファンヤンジュン)」とか「番仔豚(ファンヤンズウ)」などと言われたことがあったとの供述部分,また,P8が原告P2に対しては自らの日本名を「P24(○○)」と教え,P25に対しては,P24を福清語で発音した「○○○○」と教えるなどしたとの供述部分,さらに,P8が原告P2やP23に対し,福島県東白川で出生し,あるいは居住していたと話したとの供述部分については,その信用性を一概に否定することはできないものというべきである。 以上に加えて,原告らがP8が日本人であることの証として所持していたものとして提出する本件写真及び本件各カタログが存在している。このうち,本件写真については,その右側に写っている学生帽をかぶった少年がP8であることについて,原告P2の大阪入管における取調べの際の供述(乙66号証)を除いて 及び本件各カタログが存在している。このうち,本件写真については,その右側に写っている学生帽をかぶった少年がP8であることについて,原告P2の大阪入管における取調べの際の供述(乙66号証)を除いて本訴に現われた関係者の供述が一致しており,本件写真の成立の真正に疑念を生じさせるような証拠は全くないところ,P8本人の写真であることに疑いのない甲2号証の写真と対比しても,本件写真のうち右側に写っている人物と甲2号証の写真に写っている人物とが別人であるとの疑念を生じさせるに足りる具体的な指摘は存在せず,本件写真 に写っている2人の人物の服装及び本件写真からうかがわれる右側の人物の年齢等にかんがみると,本件写真はP8が本邦で出生し7,8歳のころまで本邦で生活していたという事実と矛盾するものではない。また,本件各カタログについても,それらが真正に作成されたものであることについて疑念を生じさせるような証拠は全くなく,本件各カタログの作成者と思料されるα6商会とP8の父等とのつながりを示す証拠は存在しないものの,原告P2の兄であるP23は,P8は商人で東アジア,インドネシア,日本などへ行って商売をしていた旨供述しているところでもあり,本件各カタログの記載内容から推測される本件各カタログの製作年代からしても,本件各カタログはP8が7,8歳のころ本邦から中国に渡航してきたという事実と矛盾するものではない。この点,被告らは,原告らが本邦との接点を持つ年輩者を介して本件各カタログ等を入手した可能性等を指摘するが,そのような可能性を裏付けるに足りる的確な証拠は全くない。のみならず,乙72号証及び弁論の全趣旨によれば,原告らと同様にP1を祖とする日系人を偽装して不法に本邦に入国した者は58名にも上ったところ,真実日本人の子孫である旨を主張して退去強 は全くない。のみならず,乙72号証及び弁論の全趣旨によれば,原告らと同様にP1を祖とする日系人を偽装して不法に本邦に入国した者は58名にも上ったところ,真実日本人の子孫である旨を主張して退去強制令書発付処分等を争ったP31一家を別にすれば,原告ら以外に本件写真や本件各カタログといった日本人の子孫であることの証となるような物品を所持していた者が存在したことを認めるに足りる証拠はないのである。これらを総合考慮すれば,原告P2,P23及びP25らが供述するとおり,本件各写真及び本件各カタログはP8が生前から所持していたものである可能性が高いというべきであり,そうであるとすれば,本件写真に写っている右側の人物がP8本人である可能性も高いものというべきである。 b以上検討したところによれば,原告P2の父であるP8が,その生 前,本邦において中国人である父と日本人である母の間に出生し,7,8歳のころ父とともに中国に渡航してきた者で,その日本名はP24であるといった趣旨の話をその家族や複数の知人らにしていたことを裏付けるに足りる複数の供述が存在しており,いずれもその信用性を直ちに否定し難いことに加えて,P8が本件写真及び本件各カタログを所持していた可能性が高く,本件写真に着物に学生帽を着用した少年の姿で写っている人物がP8本人である可能性が高いと認められるのであるから,これらを併せ考えれば,原告P2の父であるP8は,日本において中国人である父と日本人母との間に出生し,日本においてP24姓の氏名を使用し,7,8歳のころ父とともに本邦を出国して中国福建省福清市に渡航し,そのまま同市に居住し生活してきたものと認めるのが相当である。前記のとおり,本邦で出生した原告P7を除く原告らは,原告P3が日本人の子であるP1の孫である旨その身分関係を偽 国福建省福清市に渡航し,そのまま同市に居住し生活してきたものと認めるのが相当である。前記のとおり,本邦で出生した原告P7を除く原告らは,原告P3が日本人の子であるP1の孫である旨その身分関係を偽り,偽造ないし変造した旅券を行使して不法に本邦に入国したものであり,入国の動機についても,P8の戸籍探しが主要な動機であったとは直ちに認め難い上,P8が日本で出生した日本人であることを推測させる重要な徴憑となるべき事項について同人の子である原告P2及びP23や原告P2の夫である原告P3の供述等に変遷がみられるなどの諸事情をしんしゃくしてもなお,以上検討した証拠関係に照らすと,P8が日本において中国人である父と日本人である母との間に出生した者であるとの上記認定を左右するに足りないものというべきである(なお,甲91号証の記述内容やP8の渡航時期に係る時代背景に照らしても,上記認定が不自然,不合理ということはできない。)。 (カ)そこで,P8について,旧国籍法3条が定める,父が知れない場合又は国籍を有しない場合に,その母が日本人であるときとの要件に該当 するか否かについてみるに,上記認定のとおり,P8が日本において中国人父と日本人母との間に生まれたものであり,日本において「P24」姓の氏名を使用していたことに加えて,P8の父と母が法律上の婚姻をしていた事実をうかがわせる的確な証拠は存しないこと,P8が渡航前本邦において就学していた様子がうかがわれること(甲1号証),P8の母がP8や同人の父とともに中国へ渡航した形跡は証拠上うかがわれないことに照らせば,「P24」はP8の母の姓であって,P8の父と母とは法律上の婚姻をしていなかったものと認めるのが相当であり,この認定を左右するに足りる証拠はない。そうであるとすれば,P8は,日本人母と中国人 せば,「P24」はP8の母の姓であって,P8の父と母とは法律上の婚姻をしていなかったものと認めるのが相当であり,この認定を左右するに足りる証拠はない。そうであるとすれば,P8は,日本人母と中国人父との間の非嫡出子であって,旧国籍法3条が定める,父が知れない場合に母が日本人であるときとの要件に該当するものとして,出生により日本国籍を取得したものと認められる。 この点,(イ)記載のように,P8の中国における戸口簿中の常住人口登記簿や常住人口登記表には,P8の民族は漢族であり,出生地は福建省福清市である旨の記載がされているところ,被告らは,仮に,P8が出生により日本国籍を取得していたとすれば,中国国籍への入籍の手続を経たはずであるが,その手続を経た事実も認められない旨主張する。 しかしながら,戸口簿の常住人口登記簿や常住人口登記表に上記のような記載がされている事実はかえってP8が被告らが主張するような入籍の手続を経ていない事実を裏付けるものとも解される上,上記認定のとおり,P8(○年生)は,7,8歳のころ中国人の父に連れられて中国福建省福建市に渡航し,そのまま同市に居住し生活してきたものであり,渡航後の中国国内の政治,社会情勢や中国と日本との関係等にかんがみると,中国において暮らしていく上で,P8やその父においてP8が日本人であることをできるだけ周りに知られないようにしてきたであろうことは容易に推測できるところである(このことは,(ウ)記載のP 25やP28の供述内容からも読み取ることができる。)から,P8について中国国籍への入籍の手続を経た事実が確認できず,中国で出生した漢族である旨の記録が残されているとしても,P8が日本において日本人母の被嫡出子として出生した日本国籍を有する者である旨の上記認定を左右するに足りるものということは 事実が確認できず,中国で出生した漢族である旨の記録が残されているとしても,P8が日本において日本人母の被嫡出子として出生した日本国籍を有する者である旨の上記認定を左右するに足りるものということはできない。 エまた,ウ(イ)記載のように,P8の中国における戸口簿中の常住人口登記簿や常住人口登記表には,P8の民族は漢族であり,出生地は福建省福清市である旨の記載がされていることから,P8について,「自己の志望」により中国国籍を取得したものとして,日本国籍を喪失した(旧国籍法20条,改正前国籍法8条)のではないかが問題となる。しかしながら,外国国籍の取得が「自己の志望」によるものといえるためには,その趣旨からして,外国国籍の取得が実質的に本人の自由意思に基づくものと認められることが必要と解されるところ,P8について上記のような記載がされるに至った経緯は何ら明らかでない上に,ウ(カ)等において検討したところに照らせば,P8に係る常住人口登記簿ないし常住人口登記表に上記のような記載がされていることをもって,P8がその自由意思に基づいて中国国籍を取得したものと認めることはできず,他にP8が日本国籍を喪失した事実を認めるに足りる的確な証拠はない。 オ以上から,P8はその死亡時まで日本国籍を有していたと認められる。 (2)原告P2,原告P4,原告P5及び原告P7の各国籍について(1)記載のとおり,原告P2の父であるP8は日本国籍を有していた者と認められるところ,原告P2,原告P4,原告P5及び原告P7が日本国籍を有する者といえるか否かについて検討する。 ア原告P2について(ア)原告P2は,P8と中国国籍を有するP25との間の子として,○年(昭和○年)○月○日に中国福建省において出生した者である((1) ウ(ア),前提となる事実(1))と ア原告P2について(ア)原告P2は,P8と中国国籍を有するP25との間の子として,○年(昭和○年)○月○日に中国福建省において出生した者である((1) ウ(ア),前提となる事実(1))ところ,(1)で説示したように,P8は日本国籍を有していたものであるから,原告P2は,中国において,中国人の母と日本人の父との間に出生した子となる。そうすると,改正前国籍法2条1号の規定により,P8とP25との結婚が法律上の婚姻と認められれば,原告P2は日本国籍を取得することとなる。 そこで,P8とP25との婚姻が法律上の婚姻と認められるか否か検討するに,婚姻の方式については婚姻挙行地の法律によることになる(平成元年法律第27号による改正前の法例13条1項)ところ,P8とP25は,1948年(昭和23年)10月19日に中国福建省において結婚したものである((1)ウ(ア))から,当時の挙行地である中華民国法が適用される。そして,中華民国民法982条1項は,結婚は公開の儀式及び2人以上の証人を有することを要する旨規定するところ(甲81号証),原告ら代理人によるP25に対する聞き取り調査の結果(甲67号証,乙78号証)によっても,P25が赤い嫁入りのかごに入れられ,担がれていた旨の供述はあるものの,それ以上に上記中華民国民法にいう公開の儀式により行われ,かつ,2人以上の証人がいたか否かは明らかではない。もっとも,P25の上記供述からはその結婚が公開の儀式により行われたものとうかがえなくはないし,また,P25とP8は1948年(昭和23年)10月19日に福建省福清市α21において「我が国の伝統的風俗習慣に従って結婚したこと」を証明するとの中国福建省福清市公証処の公証員による公証がされている(甲63号証。2004年(平成16年)5月24日発行の同公証 省福清市α21において「我が国の伝統的風俗習慣に従って結婚したこと」を証明するとの中国福建省福清市公証処の公証員による公証がされている(甲63号証。2004年(平成16年)5月24日発行の同公証員による結婚公証書)ことに照らせば,P8とP25との結婚は,上記中華民国民法の定める方式に従ったものであったものと推認される。 また,その後1950年(昭和25年)に成立した中華人民共和国婚姻法においては,婚姻登記が婚姻の方式要件とされているが,同法下に おいても,両名の婚姻の意思と婚姻生活の存在及びその公認を要件とする事実婚によっても有効な婚姻が成立すると解されていたものであるところ(甲86号証),(1)ウ(ア)で認定したP8とP25との結婚の事実に加え,証拠(甲64号証,67号証,71号証,乙78号証,82号証,原告P2本人)によれば,P8とP25は婚姻の意思を有して婚姻生活を営んでいたことが認められ,さらに,上記のように両者の結婚が公証され,また,P8の常住人口登記表等には既婚と記載されている(甲21号証,49号証)ことに照らせば,P8とP25の婚姻は公認されていたものと認められるから,少なくとも,P8とP25との結婚は,上記有効な婚姻の成立と認められる事実婚に当たるものというべきである。 以上から,P8とP25との結婚は法律上の婚姻と認められるから,原告P2は,その出生により日本国籍を取得したものと認められる。 (イ)次に,原告P2について,中国の戸口簿の常住人口登記表に民族を「漢族」,本籍を「福建」として記載されており(甲95号証,乙1号証),P8と同様,「自己の志望」による中国国籍の取得に伴う日本国籍の喪失の有無が問題となる。 しかしながら,P8が中国国籍を有する者として戸口簿に記載されていたことから,中国国籍を有するP8 1号証),P8と同様,「自己の志望」による中国国籍の取得に伴う日本国籍の喪失の有無が問題となる。 しかしながら,P8が中国国籍を有する者として戸口簿に記載されていたことから,中国国籍を有するP8とP25との間の子として出生したことに伴い,原告P2についても上記のような記載がされているものと推認されるところであり,原告P2について,「自己の志望」により中国国籍を取得したとして,日本国籍を喪失したものと解することはできない。 (ウ)以上から,原告P2は日本国籍を有するものと認められる。 イ原告P7について原告P7は,中国国籍を有する原告P3とア記載のとおり日本国籍を有 するものと認められる原告P2の子として,○年(平成○年)○月○日に大阪府において出生した者である(前提となる事実(1))から,原告P7も出生により日本国籍を取得したものと認められる(改正後国籍法2条1号)。 ウ原告P4及び原告P5について原告P4(○年(昭和○年)○月○日生)及び原告P5(○年(昭和○年)○月○日生)は,いずれも,中国国籍を有する原告P3とア記載のとおり日本国籍を有するものと認められる原告P2の子として,中国福建省において出生したものである(前提となる事実(1))。 したがって,原告P4及び原告P5は,改正後国籍法2条1号により出生による日本国籍を取得する一方で,父母の双方又は一方が中国の公民で,本人が中国で生まれた場合は,中国の国籍を有する旨規定する中華人民共和国国籍法(1980年(昭和55年)施行)4条(甲81号証)に基づき,出生により中国国籍を取得することになる。そして,改正後国籍法12条は,出生により外国の国籍を取得した日本国民で国外で生まれたものは,戸籍法の定めるところにより日本の国籍を留保する意思を表示しなければ,その出生の時にさ 得することになる。そして,改正後国籍法12条は,出生により外国の国籍を取得した日本国民で国外で生まれたものは,戸籍法の定めるところにより日本の国籍を留保する意思を表示しなければ,その出生の時にさかのぼって日本の国籍を失う旨規定するところ,戸籍法104条1項及び2項は,これを受けて,この国籍留保の意思の表示は,出生の届出をすることができる者が,出生の日から3か月以内に,出生の届出とともに日本の国籍を留保する旨を届け出ることによって,これをしなければならない旨規定している。原告P4及び原告P5について,その父母である原告P3や原告P2ら,出生の届出をすることができる者が日本国籍を留保する旨の意思表示をしたことを認めるに足る証拠は存しない(原告ら自身,このような届出をしていない旨の主張をしている。)。 しかしながら,戸籍法104条3項は,天災その他同条1項に規定する者の責めに帰することができない事由によって同項の期間内に届出をするこ とができないときは,その期間は,届出をすることができるに至った時から14日とする旨規定しているところ,(1)及びアで各検討したように,原告P2の父P8や原告P2は,中国において中国国籍を有する者として扱われてきたものであり,原告P4及び原告P5が中国で出生した当時,原告P3や原告P2らが上記日本国籍留保の届出をしなかったことについて,同原告らの責めに帰することができない事由が存したものと解される。 もっとも,原告P4及び原告P5については,現時点においても,上記日本国籍留保の届出はされていないところであるが,そもそもP8の戸籍の所在がいまだ明らかではなく,本訴に現れた証拠関係からはその所在を明らかにするには相当の困難を伴うものと考えられることからすれば,原告P4及び原告P5について戸籍法の規定に基づく日本 もP8の戸籍の所在がいまだ明らかではなく,本訴に現れた証拠関係からはその所在を明らかにするには相当の困難を伴うものと考えられることからすれば,原告P4及び原告P5について戸籍法の規定に基づく日本国籍留保の届出をするためには,本籍を有しない者として家庭裁判所の許可ないし確定判決を得て,就籍の届出をする必要があるところ(戸籍法110条,111条),本訴において被告らが原告P2やP8の日本国籍の取得,保有を否定し,争っている状況にもかんがみると,このような就籍自体容易に行い得る状況にあるとはいえないから,原告P4及び原告P5についていまだ戸籍法の規定に基づく日本国籍留保の届出がされていないとしても,これについて原告P3や原告P2らの責めに帰すべき事由があるということはできないものというべきである。そうであるとすれば,原告P4及び原告P5は,いまだ日本国籍を失っていないものというべきである。 (3)以上検討した結果によれば,原告P2,原告P4,原告P5及び原告P7は,いずれも,本件各裁決当時日本国籍を有していたものと認められる。 争点(2)(本件各裁決の違法性)について(1)原告P2,原告P4,原告P5及び原告P7について1で検討したように,原告P2,原告P4,原告P5及び原告P7については,いずれも本件各裁決当時日本国籍を有していたものと認められるから, 上記各原告らが日本国籍を有しない外国人であることを前提としてされた本件各裁決は,その要件を欠くのみならず,当該瑕疵は,法の定める退去強制制度の根幹にかかわるものというべきであり,本件各裁決中原告P2,原告P4,原告P5及び原告P7に係るものは,違法であるにとどまらず,無効というべきである。 (2)原告P3についてア原告P3が中国国籍を有する者であって,日本の国籍を有しな 各裁決中原告P2,原告P4,原告P5及び原告P7に係るものは,違法であるにとどまらず,無効というべきである。 (2)原告P3についてア原告P3が中国国籍を有する者であって,日本の国籍を有しない者であることは,当事者間に争いがない。 そこで,本件各裁決中原告P3に係るもの(以下「原告P3に係る本件裁決」という。)の適否について,以下検討する。 イ法務大臣は,外国人に退去強制事由があり,法49条1項に基づく異議の申出が理由がないと認める場合でも,当該外国人に特別に在留を許可すべき事情があると認めるときには,その在留を特別に許可することができるとされており(法50条1項3号),法49条1項に基づく異議の申出に理由がない旨の法務大臣の裁決には,当該外国人が法24条所定の退去強制事由に該当するとの判断と,当該外国人に対し在留特別許可を付与しないとの判断が含まれる。この理は,法務大臣から権限の委任を受けた入国管理局長が裁決する場合も同様である。 本件においても,前提となる事実(2)ア記載のとおり,原告P3は,自らが日本人の子であるP1の孫P9(○年(昭和○年)○月○日生)であり,本件告示第4号にいう「日本人の子として出生した者でかつて日本国民として本邦に本籍を有したことがあるものの実子の実子(前3号に該当するものを除く。)に係るもの」に該当するとして,在留資格「定住者」とする上陸許可を受けて本邦に上陸したが,その後,原告P3が日本人の実子の実子ではなく,法7条1項2号に規定された上陸の条件に適合していなかったことが判明したとして,上陸の日にさかのぼって上陸許可が取 り消されたものであって,法24条1号に該当するものと認められるから,原告P3に係る本件裁決が違法であるか否かは,被告入管局長が原告P3に対し在留特別許可を付与しなかったこ ぼって上陸許可が取 り消されたものであって,法24条1号に該当するものと認められるから,原告P3に係る本件裁決が違法であるか否かは,被告入管局長が原告P3に対し在留特別許可を付与しなかったことについての違法性の有無によることとなる。 ところで,国家は,国際慣習法上,外国人を受け入れる義務を負うものではなく,外国人を自国に受け入れ,その入国及び在留を許可するかどうか,許可する場合でもいかなる条件で許可するかは国家固有の権能に属し,特別の条約等の存しない限り,外国人の入国及び在留の許否は,国家がこれを自由に決定することができるものとされている。日本国憲法においても,22条1項は日本国内における居住・移転の自由を保障する旨を規定するにとどまり,外国人が我が国に入国することについてはなんら規定されていないのであり,このことは,外国人の入国及び在留の許否について国家に裁量権を認める上記国際慣習法とその考えを同じくするものと解される。 また,児童の権利条約やB規約には,いずれも上記国際慣習法上の原則を制限する旨の規定は存在せず,かえって,児童の権利条約は,9条4項において,国家が父母の一方若しくは双方又は児童に対し退去強制を行う結果として児童が父母の一方又は双方から分離される場合があり得ることを認めていること,B規約は,13条において,「合法的にこの規約の締約国の領域内にいる外国人は,法律に基づいて行われた決定によってのみ当該領域から追放することができる。」と規定し,合法的に当該国家に滞在する外国人に対しても退去強制の措置をとり得るとしていることにかんがみれば,上記各条約は,いずれも上記国際慣習法上の原則を当然の前提として,外国人の入国及び在留の制限の権限を各国に留保した上で制定されたものと解される。 したがって,外国人は,憲法上ないし にかんがみれば,上記各条約は,いずれも上記国際慣習法上の原則を当然の前提として,外国人の入国及び在留の制限の権限を各国に留保した上で制定されたものと解される。 したがって,外国人は,憲法上ないし条約上,我が国に在留する権利な いし引き続き在留することを要求することができる権利を保障されているものではないと解するのが相当である(最高裁昭和50年(行ツ)第120号同53年10月4日大法廷判決(53年最判)参照)。 法50条1項3号は,法務大臣は,法49条3項の裁決に当たって,異議の申出が理由がないと認める場合でも,法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があると認めるときは,その者の在留を特別に許可することができると規定している。この在留特別許可は,法24条各号所定の退去強制事由に該当すると認定された外国人に対してその在留を特別に許可するものであって,その性質上,在留特別許可を付与するか否かの判断は,当該外国人の個人的事情や外国人に対する人道的配慮のみならず,外国人に対する出入国の管理及び在留の規制の目的である国内の治安と善良の風俗の維持,保健・衛生の確保,労働市場の安定などの国益の保持の見地に立って,当該外国人の在留中の一切の行状,国内の政治,経済,社会等の諸事情,国際情勢,外交政策等諸般の事情を総合的にしんしゃくし,時宜に応じて的確に行われるべきものであり,出入国管理行政の責任を負う法務大臣の裁量に任せるのでなければ到底適切な結果を期待することができないものである。そうであるとすれば,在留特別許可を付与するか否かの判断における法務大臣の裁量権の範囲は広範なものであると解すべきである。 上記のような在留特別許可を付与するか否かの判断における法務大臣の裁量権の性質にかんがみると,在留特別許可を付与しないとの法務大臣の判断は,それが全く 量権の範囲は広範なものであると解すべきである。 上記のような在留特別許可を付与するか否かの判断における法務大臣の裁量権の性質にかんがみると,在留特別許可を付与しないとの法務大臣の判断は,それが全く事実の基礎を欠き,又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により,社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるような場合に限り,裁量権の範囲を超え,又はその濫用があったものとして違法となるものというべきである。 そして,この理は,法務大臣から権限の委任を受けた入国管理局長による場合も同様である。 ウ以上を前提に原告P3に係る本件裁決についてみるに,前提となる事実(2)ア記載のとおり,原告P3は,自らが日本人の子であるP1の孫P9(○年(昭和○年)○月○日生)であるとして,虚偽の氏名及び生年月日を用い,虚偽の身分関係を作出して上陸許可を受け,本邦に上陸し,また,上陸に際しては,名古屋入管名古屋空港出張所入国審査官にP9名義の偽造された中国旅券(乙5号証)を示すなどしたものであるところ,原告P3の上記行為は,P1の子や孫である旨偽装して行われた集団不法入国の一環をなすものであって,その規模は原告ら一家を含めて不法入国者58名に上るものであったこと(乙72号証,84号証)にもかんがみると,我が国の出入国管理秩序を著しく阻害させる極めて悪質な行為であるというほかない。 しかしながら,前記認定のとおり,原告P3の妻である原告P2は日本国籍を有すると認められるのであるから,原告P3は,法別表第2に掲げる在留資格「日本人の配偶者等」に該当するものである。のみならず,原告P3と原告P2との間の子である原告P4,原告P5及び原告P7もいずれも日本国籍を有すると認められるのであり,原告P3を除くその余の原告ら(原告P3の妻子)は,原告P7 ものである。のみならず,原告P3と原告P2との間の子である原告P4,原告P5及び原告P7もいずれも日本国籍を有すると認められるのであり,原告P3を除くその余の原告ら(原告P3の妻子)は,原告P7を除いて,原告P3と同様にその身分関係を偽装し偽造ないし変造された旅券を行使して本邦に入国した者ではあるものの,いずれも日本国籍を有する者として当然に本邦に居住する権利を有する者である。 しかるところ,原告P3に係る本件裁決は,その妻や子が日本国籍を有する者である事実を全く考慮せずにされたものである(被告らが,原告P3以外の各原告に対しても,外国人(日本の国籍を有しない者)として退去強制手続を進め,本件各裁決や本件各退令発付処分を行っていることからしても,被告らが上記考慮を全くしていないことは明らかである。)。 そうであるとすれば,原告P3に係る本件裁決は,同原告に対し在留特別 許可を付与するか否かを判断するに当たり重要な考慮要素となるべき事実の基礎を欠くものというほかないから,同原告に係る以上認定のその余の諸事情をも併せ考えると,上記説示の入国の経緯をしんしゃくしてもなお,社会通念に照らし,著しく妥当性を欠くことが明らかであり,裁量権の範囲を超え,又はその濫用に当たるものとして,違法であるといわなければならない。 したがって,原告P3に係る本件裁決も取消しを免れない。 争点(3)(本件各退令発付処分の違法性)について1で検討したように,原告P2,原告P4,原告P5及び原告P7については,いずれも本件各退令発付処分当時日本国籍を有していたものと認められるから,上記各原告らが日本国籍を有しない外国人であることを前提としてされた本件各退令発付処分は,その要件を欠くのみならず,当該瑕疵は,法の定める退去強制制度の根幹にかかわるものというべき 認められるから,上記各原告らが日本国籍を有しない外国人であることを前提としてされた本件各退令発付処分は,その要件を欠くのみならず,当該瑕疵は,法の定める退去強制制度の根幹にかかわるものというべきであり,本件各退令発付処分中原告P2,原告P4,原告P5及び原告P7に係るものは,違法であるにとどまらず,無効というべきである。 また,原告P3に係る本件裁決が取り消されるべきことは2で説示したとおりであるから,本件各退令発付処分中原告P3にかかるものについてもまた違法であり,取消しを免れない。 結論 よって,その余の点について判断するまでもなく,原告らの各請求はいずれも理由があるからこれを認容し,主文のとおり判決する。 大阪地方裁判所第2民事部裁判長裁判官西川知一郎 裁判官田中健治裁判官石田明彦
▼ クリックして全文を表示