平成18(ワ)1190 損害賠償請求

裁判年月日・裁判所
平成19年6月14日 名古屋地方裁判所
ファイル
hanrei-pdf-35563.txt

判決文本文19,300 文字)

平成18年(ワ)第1190号損害賠償請求事件主文 原告らの請求をいずれも棄却する。 訴訟費用は原告らの負担とする。 事実 及び理由第1請求被告は,原告らに対し,それぞれ330万円及びこれに対する平成13年9月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2事案の概要本件は,Aの相続人である原告らが,Aが死亡したのは,被告が①Aに対し前立腺癌の告知をしなかった,又は不十分な説明であった,②必要な検査を怠った,③不適切な薬剤を投与した,④薬剤の投与方法を遵守しなかった,⑤適時に治療法を変更しなかった(②ないし⑤は適切な癌告知及び十分な説明がなかったことが前提),⑥Aに適切な説明がされていたとしても原告らに対する告知義務を怠ったためであると主張して,不法行為又は債務不履行に基づく損害賠償を請求するとともに,Aの死亡した日から支払済みまで民法所定の年5分の割合の遅延損害金の支払を求めた事案である。 前提事実当事者間に争いのない事実,証拠(甲A9,10,B1,2,3,8,乙A1,2,3,10,原告B本人及び被告本人)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。 (1) 当事者アA(大正15年8月29日生まれ。)は,原告らの父である。 原告らは,Aの死亡により,同人を相続し,その権利義務をそれぞれ3分の1の割合で承継した。 イ被告は,Cクリニック(以下「被告クリニック」という。)を開設し,運営している医師である。 (2) 診療経過の概要アAは,平成10年9月11日,頻尿や腰痛を訴え,被告クリニックを受診した。被告は,同日,Aの血液検査をしたところ,前立腺特異抗原(PSA又はPA,以下「PSA」という。)の数値が386.0(単位ng/ml)であった。Aは,この時点で,進行性の前立腺癌に罹 クを受診した。被告は,同日,Aの血液検査をしたところ,前立腺特異抗原(PSA又はPA,以下「PSA」という。)の数値が386.0(単位ng/ml)であった。Aは,この時点で,進行性の前立腺癌に罹患していた。 被告は,前立腺肥大症に適応のあるハルナールやプロスタールL錠を投与した。 イその後のAのPSA値は,別紙診療経過一覧表のPSA値欄のとおりである。 また,被告は,同年12月16日,上記治療に加え,リュープリンを投与した。 ウAは,平成13年6月19日,被告クリニックに入院した。 エAは,同年7月6日,D病院泌尿器科へ転院した。同病院医師は,治療薬として,カソデックス及びリュープリンを併用した。AのPSA値は,同病院転院時には1420であったが,その後の検査では1050となった。 同病院医師は,Aを進行性の前立腺癌及び骨転移と診断し,前立腺癌に対する手術は行わなかった。 オAは,同年8月18日に再び被告クリニックに転院し,同クリニックにおいて入院治療を続けていたが,同年9月19日に死亡した。 (3) 前立腺癌に関する医学的知見ア臨床症状早期癌において臨床症状はなく,前立腺癌が尿道や膀胱に浸潤して初めて臨床症状が出現する。 局所浸潤による症状として,膀胱へ浸潤すると血尿,排尿後不快感,排尿時痛や頻尿がみられる。尿管へ浸潤すると水腎症を来し側腹部痛,浮腫,ときに腎不全となる。精嚢浸潤では血精液症,直腸浸潤では血便,頻便や排便困難がみられる。 転移による症状として,骨転移では脊椎,骨盤,肋骨が多く,症状は骨痛,腰痛や脊髄の圧迫による神経症状,特に下肢麻痺である。リンパ節転移では尿管閉塞により側腹部痛,下肢麻痺,腎不全が起こる。全身症状として,貧血,悪液質,体重減少,出血がある。 イ診断前立腺癌の診断は,直腸内指診,PSA 神経症状,特に下肢麻痺である。リンパ節転移では尿管閉塞により側腹部痛,下肢麻痺,腎不全が起こる。全身症状として,貧血,悪液質,体重減少,出血がある。 イ診断前立腺癌の診断は,直腸内指診,PSA測定後,確定診断としての病理診断,更に病理確定診断後の病期決定のための前立腺,リンパ節,遠隔転移巣の検索を行う。 (ア) 直腸診安価,簡便で重要な診断法である。早期癌では硬い結節や硬結を触知する。癌が腫大し,周辺へ浸潤すると辺縁は不明瞭となり左右対称性の消失,表面を凸凹状に触知する。 (ウ) PSA前立腺癌の診断や治療後の経過観察に有用な腫瘍マーカーである。PSAが4.0以下を正常,10.1以上を強く癌を疑う領域とする。 (エ) 画像診断経直腸的超音波断層法(TRUS),CT,MRI,尿道膀胱造影,排泄性腎盂造影,骨レントゲン・骨シンチグラフィー等を実施する。 (オ) 膀胱鏡膀胱への浸潤,特に膀胱頸部や三角部への浸潤を直接みる方法である。 (カ) 前立腺生検(確定診断)PSA,直腸診,TRUSの所見で前立腺癌が疑われたら,生検を行 い組織学的に確定診断が行われる。 (キ) 進行度判定病理診断で前立腺癌が確定したら,CT,MRI,骨シンチグラフィーで病期診断を行う。 ウ治療前立腺癌の治療法には,内分泌療法,放射線療法,手術療法,化学療法があり,進行した前立腺癌に対する治療法としては,内分泌療法が絶対的適応とされている。内分泌療法は,前立腺癌がアンドロゲン(男性ホルモン)依存性癌であるという性質を利用した療法であり,次のようなものがある。 (ア) 去勢術(両側精巣摘除)(イ) エストロゲン療法エストロゲンは間脳・下垂体を抑制しFSH(卵胞刺激ホルモン)やLH(黄体化ホルモン)の放出を低下させることにより精巣機能を低下させ,また,直接 ) 去勢術(両側精巣摘除)(イ) エストロゲン療法エストロゲンは間脳・下垂体を抑制しFSH(卵胞刺激ホルモン)やLH(黄体化ホルモン)の放出を低下させることにより精巣機能を低下させ,また,直接に精巣のテストステロン合成酵素を阻害する。これらの相互作用により,血中テストステロン濃度が去勢レベルにまで低下する。使用される薬剤として,ホンバン及びプロセキソール等がある。 (ウ) LH-RH療法LH-RHの高活性アゴニストを連日投与し続けると,LH及びFSHの分泌抑制が高度に生ずる。その結果,精巣からのテストステロン分泌が抑えられ,血中濃度は1ng/ml以下にまで抑えられる。この薬物的去勢効果によってホルモン感受性前立腺癌に有効性を発揮する。使用される薬剤として,リュープリン及びゾラデックスがある。 (エ) アンチアンドロゲン療法前立腺癌細胞内でのアンチアンドロゲンレセプター阻害作用によって制癌作用を発揮するもので,使用される薬剤として,プロスタール錠2 5,オダイン及びカソデックス等がある。 争点及び争点に対する当事者の主張(1) Aに対する癌の告知及び治療法等の説明義務違反の有無(原告らの主張)ア被告は,Aに対し,前立腺癌の告知及び治療法や転院等について説明を行っていない。Aは,被告から前立腺肥大であると聞かされていた。 (ア) Aは,転院先のD病院において,「医療に関する患者さんの考え」と題する書面に直筆で,自分の病気を「前立セン肥大」と記載し,また,どんな病気であろうと完治したいから本当の病名を知りたいかとの質問に対し「はい」の欄に丸を付けている。また,同病院の診療録中の,「日常生活状況」欄の痴呆及び意識障害については「無」の欄に丸が付され,「入院により心配になる事及び病識」欄には,Aが,被告から前立腺の症状だねと言わ 欄に丸を付けている。また,同病院の診療録中の,「日常生活状況」欄の痴呆及び意識障害については「無」の欄に丸が付され,「入院により心配になる事及び病識」欄には,Aが,被告から前立腺の症状だねと言われ,癌とは聞いていない旨述べたことが記載されている。 さらに,同病院の診療録には,「今まで,リュープリンを使っていないと・・・」との記載があり,これはAが同病院の主治医に述べたことを記録したと解されるところ,Aは被告クリニックにおいてリュープリンの投与を受けていたことを知らなかったと考えられる。 (イ) また,もしAが被告から癌の告知を受けていたのであれば,Aが転院や生検を拒否したというのは不自然である。実際に,Aは,腰痛治療のために他院の整形外科を受診していたのであり,また,胃カメラ検査は受けており,検査を拒む様子はうかがえない。 Aは,妻を癌で亡くし,娘であるBも癌の手術を受けたことがあるため,人一倍癌に対して神経質になっていたのであり,癌という言葉を告知されて転院や治療を拒むとは考えにくい。また,Aは,妻が胃癌で余命半年と告知された後,手術等の癌治療により6年間生きながらえて, その間,孫の誕生や娘の結婚など大きな幸せを得ることができたことから,手術等の治療の価値が大きいものであると認識していたといえる。 さらに,Aは,Bが癌となり,手術をするときもその手術には賛成し,その後Bが完治したこともあり,Aが癌治療に対して嫌悪感や不信感を抱いていたことはなく,逆に,同人の癌治療に対する理解は十分であった。 (ウ) 平成10年12月16日以降の被告クリニックの診療録には,Aが処方のみで帰宅したとか,転院を拒否したとか,不定期的な来院であったとか,勃起機能への執着があったなど,およそ癌を告知された患者とは思えない行動が記されており,不自然な行動 ニックの診療録には,Aが処方のみで帰宅したとか,転院を拒否したとか,不定期的な来院であったとか,勃起機能への執着があったなど,およそ癌を告知された患者とは思えない行動が記されており,不自然な行動と評価せざるを得ない。 イ仮に,被告がAに対する癌の告知自体はしていたとしても,その方法は不適切であったと考えられる。 (ア) 患者への説明で重要な点は,病状,その疾患の病態,標準的な診断法,治療法,各治療による治療実績,予後などを理解できるように説明することである。 本件では,被告がそもそも前立腺癌の標準的な治療に対する理解を有していないと考えられ,そのため前立腺癌の標準的な検査法,治療法,本例における病状について適切な説明が行われたとは考えられない。 被告は,Aがなぜ転院を拒否したのかについて,Aが,妻の生き方を見てきたので入院や手術をせず,自分のやりたいことをやって自然な形で暮らしていきたいという気持ちを持っていると述べたと主張するが,こうした重要な内容はカルテに記載がない。 (イ) また,リュープリンが無効となった時点で,可能性のある他の治療,例えば,オダイン,カソデックス,ホンバン,タキソテールなども存在していることを告げて,専門病院への転院を勧めるべきである。 しかし被告は,Aに対して他剤による治療の可能性を説明すらしてい ない。被告は,泌尿器科の専門医でもないのに,自らの判断で他剤による治療の可能性を否定してしまっており,Aが専門病院へ転院することを考えるための機会を失わせてしまっている。 (ウ) 以上から,被告の前立腺癌の告知及び説明は不適切であったといわざるを得ない。 (被告の主張)ア被告が癌の告知,治療法等の説明を行っていないという点について(ア) 被告は,Aに対し前立腺癌の告知を行っている。被告は,Aに対し,病状等を 不適切であったといわざるを得ない。 (被告の主張)ア被告が癌の告知,治療法等の説明を行っていないという点について(ア) 被告は,Aに対し前立腺癌の告知を行っている。被告は,Aに対し,病状等を説明の上で専門医のいる病院において治療することを勧めたが,Aがそれを拒否し,また,被告が,家人に説明をするため家人を連れて来院するよう求めても,Aが応じなかったのである。 (イ) この点,原告らは,D病院の診療録に,Aが前立腺肥大症と記載したり,あるいはリュープリンを使っていないと記載されていること等をもって,被告がAに対し前立腺癌の告知を行っていないかのごとく主張する。 しかし,Aは,D病院に入院した時点で,不穏状態で自己抜去等を行っており,正常な精神状態ではなかったものと思われる。また,Aは,被告に対し,平成10年から被告クリニックに外来通院していたにもかかわらず,平成13年6月19日に被告クリニックに入院するときまで,他院を受診したことがあることを言わなかったのである。さらに,Aは,他院(整形外科)での受診の際,被告クリニックの専門が消化器,内科,外科等であるにもかかわらず,他院での受診を整形外科とのみ回答し,被告クリニックに通院していることは述べていない。このことから,Aは,被告から前立腺癌である旨の告知を受けていたにもかかわらず,自らの病名等を他院等に秘していたと思われる。 (ウ) なお,被告がAに対し経尿道的前立腺切除術(TUR)を勧めたの は,専門病院への受診を勧めるためであり,Aが尿道の閉塞を訴えていたため尿路閉塞を除去するために手術を勧めたに過ぎず,前立腺癌の根治的治療との趣旨での説明は一切していない。 イ告知,説明の方法が不適切であるという点について(ア) 被告は,Aに対し,再三にわたり前立腺癌であることを告知し,ま 術を勧めたに過ぎず,前立腺癌の根治的治療との趣旨での説明は一切していない。 イ告知,説明の方法が不適切であるという点について(ア) 被告は,Aに対し,再三にわたり前立腺癌であることを告知し,また,前立腺癌の検査・治療のために専門病院へ転院するように促したにもかかわらず,A自身が頑なに拒否し,被告クリニックでの治療を希望したのであり,何ら被告の告知・説明方法に不適切なところはない。 (イ) Aが入院や手術をせずに自然な形で暮らしていきたいとの気持ちを述べたことについて,原告らは,被告がカルテにこれらの事実を記載していないのはおかしいと主張する。 しかし,カルテには,診療中の会話全てではなく,必要な事項を記載するのであり,Aが転院・手術を拒否した事実は必要な事項であるが,それを拒否した理由は必要な事項ではない。 (ウ) また,原告らは,被告がAに対し他剤の投与につき説明しなかったことを理由に,専門病院への転院の機会を失ったかのごとく主張する。 まず,被告は,他の治療方法がないかのような説明はしていない。 被告は,Aが転院を拒否し続け,被告クリニックでの治療を希望したため,リュープリンに加えてプロスタールL錠を使用し,前立腺に対する男性ホルモンを遮断する対物療法を行ったのである。なお,治療方法については,医師の合理的な裁量の範囲内であることから,他の抗癌剤を使用することを説明しなかったとしても何ら告知義務違反となるものではない。また,被告が前立腺癌であることを告知し,転院を再三にわたり促したにもかかわらず,それを拒否し続けたAに対し他剤の投与の説明をしなかったからといって,Aの転院の機会が失われたとは到底認められない。 A及びその家族は,被告クリニックの行った治療に関し,全く不平や不満などなかったのであり,むしろ,被告の行った治療を信頼 をしなかったからといって,Aの転院の機会が失われたとは到底認められない。 A及びその家族は,被告クリニックの行った治療に関し,全く不平や不満などなかったのであり,むしろ,被告の行った治療を信頼していたからこそ,AがD病院から被告クリニックに再度転院したのである。 (2) 癌告知がなされていなかった,又は不十分な説明であった場合の過失ア必要な検査の懈怠(原告らの主張)(ア) 前立腺癌の確定診断の方法前立腺癌の診断においては,PSA値の上昇あるいは直腸診(肛門からの前立腺指診)での硬結の触知により前立腺癌が疑われた場合,前立腺生検による前立腺癌の病理組織学的確定診断を行い,前立腺癌の診断が確定すれば,前立腺部MRI検査,腹部CT検査,胸部レントゲン写真,胸部CT検査,骨シンチグラフィーなどにより,局所における前立腺癌の進展度(前立腺被膜あるいは被膜外浸潤の有無,精嚢への浸潤の有無など),リンパ節や他臓器への転移病変の有無を評価して,前立腺癌の病気を診断する。その上で,前立腺癌の病気に応じて,治療法の選択を行うこととなる。 (イ) 前立腺生検の懈怠被告は,前立腺生検の実施を怠っている。確かに,被告クリニック初診時のPSA値は386.0と極めて高く,実質的には前立腺癌と臨床診断できる数値ではある。しかし,前立腺生検は,無麻酔,外来検査として施行できる低侵襲検査であり,前立腺癌としての治療を開始するためには前立腺癌の確定診断を行うために必須の検査であると考えられる。 また,前立腺生検による前立腺癌の組織学的悪性度の評価は,予後の推測においても有用な情報を与え,治療方針を決定する上で参考となる。 (ウ) PSA値測定の懈怠前立腺癌の治療中のPSA測定は最も重要な検査であるが,本例にお いては,平成10年11月28日から平成11年9 も有用な情報を与え,治療方針を決定する上で参考となる。 (ウ) PSA値測定の懈怠前立腺癌の治療中のPSA測定は最も重要な検査であるが,本例にお いては,平成10年11月28日から平成11年9月8日までの約9か月間及び平成13年2月27日から同年6月19日までの約4か月間,PSA測定を怠った。 (被告の主張)(ア) 原告らの上記主張(ア)については,おおむね認める。 確かに,前立腺生検を行うことにより確定診断しやすくなるが,必須の検査ではない。 そもそも前立腺生検は,通常2泊3日の入院をして行うものであり,簡単にできる検査ではない。また,前立腺生検は,腰椎麻酔等を行った上でエコー下に針で組織を採取するのもので,低侵襲な検査でもない。 被告クリニックでは,これまで前立腺生検が必要な場合には他院において行ってもらっていた。そのため,被告は,Aに対し他院への転院を勧めたが,Aはそれに同意しなかった。 (イ) PSA値測定が重要な検査であることは認めるが,実施しなければならないとする根拠はなく,また,義務づけられているものでもない。 あくまでも必要な場合に測定すれば足りるのである。 平成10年11月27日のPSA値は120と大幅に減少しており,しかも平成11年9月9日のときは26.6とかなり減少しており,その間にPSAの測定を行わなければならない理由はない。 イ投与すべき薬剤の選定(原告らの主張)被告は,Aに対しプロスタールL錠を投与しているところ,プロスタールL錠は前立腺癌に対する適応承認はなく,有効性に関する科学的根拠も示されていない。 確かに,プロスタールL錠は,プロスタール錠25と同成分の徐放製剤ではあるが,前立腺癌の治療薬として抗男性ホルモン剤を投与するのであ れば,プロスタール錠25,あるいはオダインやカソデックスを投与す に,プロスタールL錠は,プロスタール錠25と同成分の徐放製剤ではあるが,前立腺癌の治療薬として抗男性ホルモン剤を投与するのであ れば,プロスタール錠25,あるいはオダインやカソデックスを投与すべきである。また,ハルナールも同様に前立腺肥大症の治療薬であり,前立腺癌の治療薬ではない。そのため,被告には前立腺癌の治療薬を使用すべきであるにもかかわらず,前立腺肥大症の治療薬を使用した過失がある。 (被告の主張)被告は,Aが尿の出が悪いとのことで受診をしたので,まずは尿の出をよくして楽にするため,前立腺肥大症の治療薬であるハルナールやプロスタールL錠での治療を開始したのである。 また,被告は,Aがその後も尿の通りを気にしていたため,上記薬剤を継続投与していた。 プロスタールL錠とプロスタール錠25とは同じ成分である。しかも,被告は,Aに対し,プロスタール錠25の投与を勧めたところ,プロスタール錠25ではプロスタールL錠に比べて投与量が2倍になることから,同薬剤の副作用である勃起障害を気にしてプロスタール錠25の投与を拒否したため,効用の少ないプロスタールL錠を投与したのである。 ウ投薬の方法について(原告らの主張)被告は,Aに対し,平成10年12月16日からリュープリンを投与しているところ,リュープリンは皮下注射により投与するものであるにもかかわらず,本件では誤って筋肉注射により投与されている。 また,平成12年10月30日から平成13年1月までの3か月間,リュープリン注射の記載が診療録に見られず,投与が行われなかったと考えられるところ,リュープリンは4週間に1回,皮下に投与する必要があり,被告はこれを怠っている。 (被告の主張)皮下注射は,その効果の持続性が伸びるが,注射の際,痛みを伴うこと から,できる限り痛みを和らげるため ープリンは4週間に1回,皮下に投与する必要があり,被告はこれを怠っている。 (被告の主張)皮下注射は,その効果の持続性が伸びるが,注射の際,痛みを伴うこと から,できる限り痛みを和らげるために,皮下に近い部分の筋肉注射を行ったのであり,被告は,何ら用法を誤って認識していたわけではない。 また,被告は,平成12年11月15日,同年12月15日,平成13年1月25日とリュープリン注射を行っており,そのことはカルテにも記載されている。 エ治療方法の不変更について(原告らの主張)被告は,PSAが再上昇を示した平成11年12月8日以降,無効となった薬物の投与を漫然と続け,それまでと同様の治療方法を漫然と継続した。 確かに,抗男性ホルモン薬とLH-RHアナログによる内分泌治療後の再燃癌,つまり内分泌治療抵抗性の前立腺癌に対しては,生命予後を確実に改善するほどの治療法は確立されていないのが現状である。 しかしながら,泌尿器科領域では,内分泌治療抵抗性の前立腺癌に対する多くの治療が検討されており,ある程度の効果が得られている。 また,本件では,転院先のD病院において,カソデックスの使用が試みられたところ,PSA値の改善が見られた。このように,抗男性ホルモン剤の種類の変更によりPSA値の改善が見られることがあり,また,女性ホルモン(ホンバンなど)の投与により改善が見られることもある。また,抗癌剤(タキソテールなど)による化学療法も一定の成績が得られている。 そうであるならば,本件においても,有効である可能性のある方法がある限りは,いたずらに無効となった薬剤の投与による治療を漫然と続けるのではなく,患者にその可能性を説明して,可能性のある治療法を行うことは癌を抱える患者の治療においては当然のことと考えられるが,被告はこれを怠った。 (被告の主張) 剤の投与による治療を漫然と続けるのではなく,患者にその可能性を説明して,可能性のある治療法を行うことは癌を抱える患者の治療においては当然のことと考えられるが,被告はこれを怠った。 (被告の主張) (ア) 被告は,Aに対し,再三にわたり専門医による治療を受けるよう促しており,また,尿路閉塞の改善の処置を受けるために転院することを勧めたが,Aは,被告の治療方針に同意せず,リュープリンによる投薬治療の継続を希望したのである。被告が治療方針を変更しなかったのではなく,Aが治療方針の変更を望まなかったのである。 (イ) 厚生労働省の緊急安全情報において,肝機能障害を発生させる危険性があることからオダインの使用を避けるよう注意を促されている以上,医師としてオダインの使用を避けるのはむしろ当然のことであり,オダインを使用しなかったとしても何ら過失はない。 (ウ) また,カソデックスは,平成11年5月に販売開始された新薬であり,Aが通院していた平成10年には販売されていなかった。加えて,カソデックスは,原則として併用療法を避けるべきとされており,リュープリンと併用して使用することは避けるべきであった。 なお,カソデックスは新薬であり,その薬能が未だ認められていない状態では,新薬投与については慎重になることは当然である。 (エ) さらに,タキソテールは,前立腺癌の適応承認のない薬剤である以上,タキソテールを使用しなかったとしても何ら過失はない。 オ転院義務違反の有無(原告らの主張)Aは,被告クリニック受診当初から専門病院に転院すべきであったが,結局,平成13年7月6日に至るまで,D病院への転院がなされていない。 (被告の主張)被告は,Aに対し,治療の都度,診断及び検査結果等につき説明を行い,専門医での受診を勧めてきた。当然,PSA値を含む血液生 成13年7月6日に至るまで,D病院への転院がなされていない。 (被告の主張)被告は,Aに対し,治療の都度,診断及び検査結果等につき説明を行い,専門医での受診を勧めてきた。当然,PSA値を含む血液生化学検査のデータもAに交付した上,その検査データの結果につき報告し,今後の治療等につき説明してきた。しかし,Aは,専門医のいる総合病院への転院を 拒否し続け,被告クリニックでの内分泌療法であるリュープリン注射による治療継続を希望していたのである。 したがって,被告は何ら転院義務に違反するものではない。 (3) 近親者に対する告知義務違反の有無(Aに対する癌告知及び治療法等の説明が不適切とはいえない場合)(原告らの主張)ア仮に,Aに対して前立腺癌の告知があったとしても,Aが専門医への転院や癌治療に非協力的態度を示したのであれば,被告は,Aの近親者(原告ら)に対して前立腺癌の告知を行い,Aが適時に適切な治療を受けられることが可能となるように協力を求める診療契約上の義務がある。 医師に対する有益な情報の提供という観点や,患者本人に適切な決断を促すという観点からも,このような義務が認められるべきである。 イまた,D病院におけるAの発言からすれば,Aは,自らの病状について十分に理解できている状態ではなかったのであるから,被告はAの近親者である原告らに対し,前立腺癌の告知を行うべきであった。 ウ被告は,Aに対し,家人と来院するよう説明し,被告自身もAの自宅へ電話をするなどしたが連絡がつかなかったと主張するが,被告が連絡するに当たり日時や時間帯の配慮をしていれば,Aの近親者は原告ら3名であるから,決して連絡が取れないような状況ではなかったはずである。 エ本件で被告から原告らに説明がなされたのは,Aが死亡する約2か月前の平成13年7月5日である。そ いれば,Aの近親者は原告ら3名であるから,決して連絡が取れないような状況ではなかったはずである。 エ本件で被告から原告らに説明がなされたのは,Aが死亡する約2か月前の平成13年7月5日である。その際も,B及びEが被告クリニック診察室において,はっきりしない被告に対して,「もしかして癌ですか。」と聞いたところ,被告は,肯定も否定もせず,「とにかく悪いから転院させましょう。」,「当院ではとても手に負えない。」とのことだった。このときですら,被告は近親者たる原告らに対して癌の告知をしなかったのである。 オ原告らが,Aが前立腺癌であることを初めて知ったのは,転院先のD病院でのことであった。同病院医師からはどうしてこんなになるまで放っておいたのかとしかられたほどであった。 本件が,初診時から進行性前立腺癌が疑われたものであることを考えれば,初診時から2年半以上にわたり家族への説明が行われなかったことは,説明義務に違反するといわざるを得ない。 (被告の主張)ア被告は,A自身に適切に説明を行っている以上,家人に説明する義務はない。あくまでも,A自身が家人に説明することに同意しなければ,被告が勝手に説明することは許されないのであって,家人に対して説明しなかったとしても,説明義務に違反しない。 また,被告は,Aに対し,家人を呼ぶように説明していたにもかかわらず,A自身が家人を呼ぶことはなかった。なお,被告は,平成13年6月5日,Aと一緒に被告クリニックに来ていた60代くらいの女性に対し,病状につき話をしようとしたが,その女性は,「家人ではないので。」と述べ,被告からの説明を拒否した。 イ被告は,Aに対し前立腺癌である旨告知している以上,近親者である原告らに対し癌の告知をしなくとも,何ら診療契約上の義務に反しない。 なお,被告は,原告らに対 」と述べ,被告からの説明を拒否した。 イ被告は,Aに対し前立腺癌である旨告知している以上,近親者である原告らに対し癌の告知をしなくとも,何ら診療契約上の義務に反しない。 なお,被告は,原告らに対しても,Aの被告クリニック入院後,Aが前立腺癌である旨告知している。 ウまた,原告らは,D病院の診療録の記載から,Aが自らの病状について十分理解できる状態になかったと主張する。確かに,AがD病院へ転院した平成13年7月6日ころ,Aには不穏状態があり,また,自己抜去を繰り返しており,その意味では自ら病状を十分に理解できる状態にはなかったといえる。なお,被告病院に入院した段階においても同様で,自己抜去や不穏状態は発現していた。 しかし,Aは,平成10年11月ころから被告クリニックに入院する平成13年6月19日ころまでは,十分自らの病状を理解しうる状態であり,また判断能力にも問題のない状態であった。 したがって,被告は,診療契約上の義務に何ら反しない。 (4) 因果関係(原告らの主張)ア最高裁平成16年1月15日第一小法廷判決(裁判集民事213号229頁)は,医師に適時に適切な検査を行うべき診療契約上の義務を怠った過失があり,その結果患者が早期に適切な医療行為を受けることができなかった場合において,上記検査義務を怠った医師の過失と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されなくとも,適時に適切な検査を行うことによって病変が発見され,当該病変に対して早期に適切な治療等の医療行為が行われていたならば,患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときには,医師は,患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき診療契約上の債務不履行責任を負う旨判示する。 イ本件では,被告が前立腺生検を怠ったこと 度の可能性の存在が証明されるときには,医師は,患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき診療契約上の債務不履行責任を負う旨判示する。 イ本件では,被告が前立腺生検を怠ったことから,前立腺癌であることの確定診断が遅れてしまい,そのため前立腺肥大症の治療薬であるハルナールやプロスタールL錠を使用してしまっており,前立腺癌治療薬であるリュープリンの投与を開始したのは平成10年12月16日以降になってからである。 確かに,適時に適切な治療等の医療行為が行われていたとしても,初診時のPSA値の高さや,内分泌療法開始後1年3か月でPSA値の再上昇を来していることからしても,予後不良な前立腺癌であったと推認できることから,これを完全に治癒することは困難であったと考えられる。 しかし,前立腺癌の治療薬を適切に投与していれば,より高い効果が得 られたと考えられ,また,再燃癌が発生した場合,治療薬を替えたりすることに一定の有効性が認められる以上,そうした治療が奏功する可能性があったというべきであるから,Aはその死亡の時点においてもなお生存していた相当程度の可能性があった。 ウまた,仮に被告がAに癌の告知をしていたとしても,Aが治療に非協力的態度を示した段階で,被告が原告らに癌を告知し,Aが治療に適時に適切な治療を受けられるように協力を求めていれば,Aの妻やBがかつて癌を患い闘病してきたこと,Aもそれに協力してきた経験を有することからすれば,家族の協力の下で癌に立ち向かう意志を持つことができた可能性が大きく,専門病院への転院や本来行うべき治療が可能であったと考えられ,その死亡時においてもなお生存していた相当程度の可能性(延命の可能性)もあったと考えられる。 (被告の主張)Aは,予後不良な前立腺癌であって,投薬による治療を継続す き治療が可能であったと考えられ,その死亡時においてもなお生存していた相当程度の可能性(延命の可能性)もあったと考えられる。 (被告の主張)Aは,予後不良な前立腺癌であって,投薬による治療を継続する以外に方法はない。手術を行ったとしても,根治的な治療は困難であり,生命予後に影響を与えるものではない。そうであるならば,被告がAに対し,他の方法を行ったとしても,生命予後に影響を及ぼすものではない。 したがって,Aが死亡時点でなお生存していた相当程度の可能性すら認められない。 (5) 損害額(原告らの主張)上記のような事情を鑑みると,これらを慰謝する金額としては900万円を下らない。弁護士費用としては90万円が相当である。 原告らは,相続により,Aの権利義務をそれぞれ3分の1ずつ承継した。 (被告の主張)原告らの主張は争う。 第3当裁判所の判断 癌告知及び治療法等の説明の有無及び適否(1) 前記前提事実(第2の1)に加え,証拠(乙A1,2,3,10,13,B本人,被告本人。ただし,認定に反する部分を除く。)及び弁論の全趣旨によれば,被告クリニックにおける診療経過について,別紙診療経過一覧表記載の事実が認められる。 この点原告らは,被告クリニック診療録が改ざんされた旨主張するが,乙A1ないし3の記載からは,改ざんされたような痕跡は認められない。なお,甲A11の1ないし6によれば,被告クリニック診療録中に,同じ日付の中で文字の色やインクの濃さの異なる部分があるといった事情は認められるが,そのことから直ちに診療録が改ざんされたとまで認めることはできない。そして,他にこれを認めるに足りる証拠はないから,原告らの主張は採用できない。 (2)アそして,Aが,被告クリニック初診時,既に進行性の前立腺癌に罹患していたことは当事者間に争いのな はできない。そして,他にこれを認めるに足りる証拠はないから,原告らの主張は採用できない。 (2)アそして,Aが,被告クリニック初診時,既に進行性の前立腺癌に罹患していたことは当事者間に争いのないところ,別紙診療経過一覧表によれば,被告は,平成10年10月2日,同年11月27日,同月30日及び同年12月16日に,Aに対し,PSA値や直腸診等からAの前立腺癌が進行性のものであり,予後が良くないこと,生検等の更なる検査及び専門医による検査及び治療を受けるべきであること等を説明したのをはじめ,Aが被告クリニックを受診し,PSA値が判明した後速やかに,Aに対し,前立腺癌であること,治療方法として内分泌療法があること,その際に使用されるプロスタール錠25などの薬剤については勃起障害などの副作用がみられること,本来であれば更なる検査及び治療のために泌尿器科専門医のいる総合病院に転院すべきであることを説明しており,その後も複数回にわたり,適宜の時期に病状を説明し,検査及び治療のために泌尿器科専門医のいる総合病院への転院を勧めていたことが認められる。 イこの点,医師は,患者との診療契約に基づき患者の疾患を治療するに当たり,特別の事情のない限り,患者に対し,当該疾患の診断(病名と病状),実施予定の治療の内容,治療に付随する危険性,他に選択可能な治療法があれば,その内容と利害得失,予後などについて説明すべき義務があると解される。なお,癌の告知においては,告知を受けた患者に対する肉体的・精神的影響を考慮し,告知しなかったからといって説明義務違反とはならない場合もあり得るが,告知する以上は,治療に対する患者の自己決定権の見地から,治療法等上記の点について十分説明すべきである。 そして,本件においては,上記アのとおり,被告がAに対し,前立腺癌である ない場合もあり得るが,告知する以上は,治療に対する患者の自己決定権の見地から,治療法等上記の点について十分説明すべきである。 そして,本件においては,上記アのとおり,被告がAに対し,前立腺癌であることを告知しており,検査結果,治療法,予後等の説明についても前記第2の1前提事実(3)の医学的知見に照らせば,不適切であったと認めることはできないのであって,この点について被告に過失があったということはできない。なお,被告がAに対し経尿道的前立腺切除術(TUR)を勧めていた点については,被告は尿路閉塞に対する姑息的な手術として勧めたものであり(乙A13,被告本人),進行性の前立腺癌に対しても姑息的に同手術が行われることがあることからすれば(乙B1),医学的知見に反するものではない。 (3)アこれに対し原告らは,AがD病院医師に対し,被告から癌の告知を受けていない,治療法についての説明も受けていないなどと述べていたことから,被告がAに癌の告知等をしていない旨主張する。 (ア) 確かにD病院のカルテには,Aが被告から前立腺癌であることを聞いてないと述べた旨の記載がある(乙A10の20頁)。 しかし,乙A1には,被告がAに対して検査結果等を説明した上で前立腺癌であることを告知し,更なる検査及び転院を勧めたもののAが検査や治療を拒否したという記載が,1箇所ではなく複数箇所に見られるとともに,当該説明の前提となる血液検査等は実際に実施されていると 認められることからすれば,これらの記載が全て虚偽であるとは考え難い。 また,Aが被告クリニック及びD病院に入院していたころには,Aの病状がかなり悪化しており,点滴を自己抜去するなど不穏状態にあったと認められること(乙A2の5頁,A10),認知症と考えられる症状が現れていたと認められること(乙A10の10 していたころには,Aの病状がかなり悪化しており,点滴を自己抜去するなど不穏状態にあったと認められること(乙A2の5頁,A10),認知症と考えられる症状が現れていたと認められること(乙A10の10及び14頁)からすれば,Aは,D病院入院時には認知症又は前立腺癌の進行による不穏などにより記憶力・理解力が減退していた可能性も否定できない。 (イ) また,原告らは,癌に罹患した患者が自己の勃起障害を気にするなどという対応は不自然であり,Aは癌の告知を受けていないはずであると主張するが,癌に罹患した患者がどのような行動をとるのが自然であるかについて一定の態様があると認めるに足りる証拠はなく,予後が良くないと説明を受けた患者が,残された人生について,充実したものとしたいと考えることがあっても不自然なことではない。 (ウ) したがって,原告らの上記主張は採用できない。 イ加えて,原告らは,AのPSA値が再上昇してきた時点で,他の抗癌剤による治療法を説明した上で転院や治療法について判断させるべきであり,被告の説明は不十分であったとも主張する。 (ア) この点,リュープリン以外にもカソデックス,ホンバンなど前立腺癌に適応のある薬剤があること(甲B5,6,乙B7の2),再燃癌に対して上記薬剤を投与することにより一定の効果が見られた症例があること(甲B13,14),被告は,AのPSA値が再び上昇を始めた際に,リュープリン以外の治療薬についてAに対し説明していないこと(被告本人),以上の事実が認められる。 (イ) しかし,Aが転院及び本来の治療法を拒否していた理由として,治療薬の副作用である勃起障害を避けたいということがあり,実際にもA に勃起障害があったと認められるところ,他に選択しうる治療薬についても同様の副作用があることが認められ(甲B5,6,乙 して,治療薬の副作用である勃起障害を避けたいということがあり,実際にもA に勃起障害があったと認められるところ,他に選択しうる治療薬についても同様の副作用があることが認められ(甲B5,6,乙B7の2),他剤による治療についても,Aが拒否する可能性が十分考えられる。また,被告はAのPSA値再上昇後も検査結果を説明するなどした上で泌尿器科専門医による治療を勧めていたのである。 また,甲B11によれば,再燃前立腺癌に対する内分泌療法に際して,過半数の医師が副作用や外来治療の可否といったQOL(生活の質)を重視しているというアンケート結果があることが認められるところ,副作用を懸念して本来の治療を拒否していた患者に対して,同様の副作用を有する他剤について説明しなければならないとすることには疑問が残る。 さらに,再燃癌に対する内分泌療法は常に効果があるとまではいえず,効果がある場合でも多少の延命効果が考えられる程度である(乙B7の4)。かえって,本件当時に発行された甲B1によれば,再燃癌に対する標準的な治療法は確立していないとされている。 このような事情の下では,被告が,Aの前立腺癌の再燃が疑われた時点で他の抗癌剤による治療法について説明をしなかったことが,直ちに説明義務に反するとまではいえない。 なお,タキソテールについては勃起障害の副作用があるとの記載はないが,タキソテールはそもそも前立腺癌に対する適応承認があるわけではなく(乙B8),本件当時においては説明の対象となるとはいえない(甲B16,17によれば再燃前立腺癌に対しタキソテールを使用する医師がいることは認められるが,これらは本件以後の知見であり,本件当時の医療水準として前立腺癌にタキソテールを投与すべきとは認められない。)。 (ウ) したがって,原告らの上記主張は採用できない。 医師がいることは認められるが,これらは本件以後の知見であり,本件当時の医療水準として前立腺癌にタキソテールを投与すべきとは認められない。)。 (ウ) したがって,原告らの上記主張は採用できない。 ウさらに,原告らは,被告自身が前立腺癌に対する理解が乏しいため,Aに対して適切な説明を行っておらず,Aも前立腺癌に対する適切な理解に欠けていたと主張する。 (ア) 被告の前立腺癌に対する理解については,前述のとおり,説明内容として医学的知見に反するものではないことからしても,問題ないといえる。 (イ) また,Aは,前記のとおり勃起障害を避けたいということを理由の1つとして本来行われるべき治療を拒否していたと認められるところ,前立腺癌の治療薬には実際に勃起障害の副作用があることからすれば,上記のAの対応は,前立腺癌及びその治療法を理解した上でのものであると考えられる。 さらに,Aが,平成13年6月18日に被告クリニックを受診した際,同人の妻が胃癌で死亡したことを被告に話しているところ,Aがこのような話をしたのは,自分が癌であることを認識していたからと考えるのが自然であるといえる。 とすれば,Aは,自分の病状,治療等に対する理解を有していたと考えるのが相当である。その上で,Aは,被告の勧めに対し,転院及び抗癌剤の治療を拒否していたものと考えられる。 なお,被告クリニックにおける治療の開始時(平成10年ころ)において,Aに認知症の症状が見られたり,癌の進行による不穏状態にあったと認めるに足りる証拠はない。 (ウ) したがって,原告らの上記主張は採用できない。 (4) 以上のとおり,被告は,Aに対し,Aが理解できるように癌を告知し,必要な検査及び専門医による治療を受けるよう勧めていたのであって,他に原告らの主張を認めるに足りる証拠はないことか できない。 (4) 以上のとおり,被告は,Aに対し,Aが理解できるように癌を告知し,必要な検査及び専門医による治療を受けるよう勧めていたのであって,他に原告らの主張を認めるに足りる証拠はないことから,癌の告知を含め,被告に説明義務違反があったとはいえない。 癌告知等の説明がAになされなかった場合の過失について上記1のとおり,被告はAに対して前立腺癌であることを告知し,治療法及び転院を勧めるなどしていると認められることから,被告からAに対して癌の告知がない,あるいは被告の説明が不十分であったことを前提とする原告らの過失の主張については,その前提を欠き,主張自体失当である。 近親者への告知義務について(1) 患者の疾患について,どのような治療を受けるかを決定するのは,患者本人である。医師が患者に対し治療法等の説明をしなければならないとされているのも,治療法の選択をする前提として患者が自己の病状等を理解する必要があるからである。そして,医師が患者本人に対する説明義務を果たし,その結果,患者が自己に対する治療法を選択したのであれば,医師はその選択を尊重すべきであり,かつそれに従って治療を行えば医師としての法的義務を果たしたといえる。このことは,仮にその治療法が疾患に対する最適な方法ではないとしても,変わりはないのである。 そうだとすれば,医師は,患者本人に対し適切な説明をしたのであれば,更に近親者へ告知する必要はないと考えるのが相当である。 そして,本件についてみれば,被告は,Aに対し前立腺癌であることを告知し治療法等を説明していたのであるから,更に原告らに対し,Aが癌であることを告知する法的義務はないと考える。 (2) この点原告らは,患者が治療を拒否しているような場合には,患者に対して癌を告知している場合でも,更に患者の家族へ るから,更に原告らに対し,Aが癌であることを告知する法的義務はないと考える。 (2) この点原告らは,患者が治療を拒否しているような場合には,患者に対して癌を告知している場合でも,更に患者の家族への告知をすべきであると主張する。 しかし,上記のとおり,疾患についての治療法等の選択は,最終的には患者自身の判断に委ねるべきであり,患者の家族に対して癌を告知したことにより,家族らが患者を説得した結果,患者の気持ちが変わることがないとはいえないとしても,そのことから直ちに家族に対して癌を告知すべき法的な 義務が生じるとまではいえない。 (3) また,原告らは,AのD病院における発言等から,Aが病気に対する理解ができる状態ではなかったとして,原告らに対し告知すべきであったとも主張する。 しかし,前述のとおり,Aは,少なくとも被告クリニックに通院していた当時は自己の病気について理解していたと認められることから,原告らの主張は採用できない。 (4) したがって,被告が,Aの近親者である原告らに対し,被告クリニックへの外来通院をしている間に,前立腺癌の告知をしていなかったからといって,法的な義務に反しているとはいえない。 結論 以上のとおりであり,その余について検討するまでもなく,原告らの請求には理由がないからこれを棄却し,訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条,65条1項本文を適用して,主文のとおり判決する。 名古屋地方裁判所民事第4部裁判長裁判官永野圧彦裁判官田邊浩典裁判官奥田大助

▼ クリックして全文を表示

🔍 類似判例を検索𝕏 でシェア← 一覧に戻る