令和2(わ)1742 殺人

裁判年月日・裁判所
令和3年7月1日 名古屋地方裁判所
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判決文本文5,542 文字)

主文 被告人を懲役13年に処する。 未決勾留日数中230日をその刑に算入する。 名古屋地方検察庁で保管中のネクタイ1本(令和2年領第2660号符号1)を没収する。 理由 (罪となるべき事実)被告人は,訪問介護サービス提供会社でヘルパーとして勤務していた者であるが,自らの生活に嫌気がさしていたところ,適応障害に相当する状態の影響を受け,令和2年4月16日午前8時前頃,訪問介護の利用者であったAを殺すしかないと考え,名古屋市a区bc丁目d番地のef号前記A方に向かい,同人方において,自己のスマートフォンで絞殺の方法を調べ,滑り止めのついた手袋を着用した上,同日午前8時頃,同人(当時78歳)に対し,殺意をもって,その頚部に自身が身に付けていたネクタイ1本(令和2年領第2660号符号1)を巻いて絞め付け,よって,同日午前9時47分頃,同市g区hi丁目j番k号Bにおいて,同人を絞頚による窒息により死亡させて殺害した。 (弁護人の主張に対する判断)弁護人は,被告人が本件犯行当時心神耗弱の状態にあったと主張するが,当裁判所は,本件犯行当時被告人は心神耗弱の状態になく,完全責任能力があったと認められると判断した。以下,その理由を説明する。 1 本件犯行前の被告人の変化被告人は,本来優しく誠実で,口数も少ない性格であり,被告人の妻や上司であるCらが被告人から仕事への大きな不満を聞くことはなく,被告人の妻と被告人との夫婦関係に特に問題は見られなかった。 一方,被告人は,令和2年3月10日,Cに対し,保育園を開設したいので仕事をやめたいと突然言い出し,同月26日には,保育園についてはしばらく様子を見 てから決めた方がよいと言った被告人の妻に対して,突如「離婚して」と言い,翌 Cに対し,保育園を開設したいので仕事をやめたいと突然言い出し,同月26日には,保育園についてはしばらく様子を見 てから決めた方がよいと言った被告人の妻に対して,突如「離婚して」と言い,翌27日に自宅を出ている。被告人は,家を出た後も,本件犯行の前日に至るまで,大阪にある勤務先社長の家や富山にある親戚の家などに連絡なしに訪問する,生命保険を解約し,その解約金で総額約50万円もする靴やスーツ等を購入し,すぐにその靴はサイズが合わないとして購入価格と比較して相当安価となる数万円で売却する,本来動きやすい服装で行うべき介護の現場にスーツ姿で現れる,Cがスーツの着用を注意しても聞かない,などの行動に出ていることが認められる。 以上のとおり,被告人は,短期間のうちに,令和2年2月以前には見られなかった衝動的かつ奇異な行動に度々出ていた。 2 被告人の精神障害及びその程度について捜査段階において被告人の精神鑑定を行ったD医師は,前記1の本件犯行前の被告人の変化等も踏まえ,本件犯行当時,被告人は適応障害に相当する状態にあり,普段の被告人とは異なる心理状態にあったとした上で,その適応障害に相当する状態は,重篤な精神障害とは認められず,軽度の精神障害の範囲と考えられると判断している。 D医師は,豊富な精神鑑定の経験に基づき,精神鑑定において通常用いられている標準的な診断基準に則った上,被告人が職場での業務や転居及び銀行口座変更等の手続を適切に行っていたこと,令和2年5月頃には特段の治療を受けることもなく普段の被告人の心理状態に戻っていたことなど,具体的な理由を述べた上で,前記のような判断をしており,その信用性を疑うべき事情はない。 これに対し,弁護人は,D医師が被告人と面接をしたのは令和2年6月のみであることや,現在の被告人の状態を ど,具体的な理由を述べた上で,前記のような判断をしており,その信用性を疑うべき事情はない。 これに対し,弁護人は,D医師が被告人と面接をしたのは令和2年6月のみであることや,現在の被告人の状態を理由に,D医師の判断は信用できず,被告人には本件犯行当時適応障害に相当する状態以外の精神障害があった可能性や,適応障害に相当する状態が重篤であった可能性を指摘する。しかし,D医師は令和2年6月2日から同月29日までの間少なくとも7回被告人と面接をした上で判断していること,うつ病や妄想性障害を否定する根拠について詳細かつ合理的に述べて いること,被告人の身柄拘束後月1回のペースで被告人と面会していた被告人の姉や被告人の妻が,面会において,それまで異常は感じなかったものの令和2年12月末から被告人の体調が悪化している様子であったと述べていることから,弁護人の主張は,D医師の判断の信用性を疑うべき事情とはならない。 以上のとおり,D医師の供述から,本件犯行当時,被告人は適応障害に相当する状態にあったが,当該適応障害に相当する状態は,重篤な精神障害とは認められず,軽度の精神障害の範囲のものであったことが認められる。 3 被害者殺害の決意に対する適応障害に相当する状態の影響ア被害者殺害を決意した時期被告人は,本件犯行当日の午前7時台に,コンビニエンスストアを出て被害者方に向かう際,被害者を殺すしかないと考えて被害者殺害を決意した旨述べており,これを疑うべき事情もないので,このとおり認められる。 イ被害者殺害の動機被告人は,公判廷において,被害者殺害を決意した理由は今となっては分からないと供述した上で,捜査段階で述べた動機として,仕事や家庭がうまくいっていなかった,自分が存在している感覚を持つことができた,被害者に家族がい において,被害者殺害を決意した理由は今となっては分からないと供述した上で,捜査段階で述べた動機として,仕事や家庭がうまくいっていなかった,自分が存在している感覚を持つことができた,被害者に家族がいて羨ましかった,遺族に憎まれて,自分に関心をもってもらいたかった,被害者の横柄な態度に腹が立った,人間関係をリセットしたいと思ったことなどを挙げている。また,弁護人作成の報告書(弁18)によると,捜査段階において,被害者を楽にしてあげたい,自殺はできないので,殺人をすることで死刑になりたいなどの理由も挙げていたことが認められる。 被告人は,被害者を楽にしてあげたいと述べていた一方,被害者の横柄な態度に腹が立ったとも述べるなど,矛盾する動機も述べており,被告人の述べる動機を全て統一的,合理的に説明することは困難である。また,被告人が述べている動機のうち,いずれかを排斥したり,いずれかに特定できるような証拠も見当たらない。したがって,被告人が多数挙げる被害者殺害の動機を統一的,合理的に 説明するのは難しい。 ウ適応障害に相当する状態の影響D医師は,被告人が被害者殺害を決意した動機を統一的,合理的に説明しにくいことを前提とした上で,被告人の適応障害に相当する状態が本件犯行を後押しした,促進的な影響を与えたと供述している。 被告人は,前記1のとおり,主観的には仕事や家庭がうまくいかない自らの生活に嫌気がさしていて,その生活から逃避しようとしていたことはうかがわれる。しかし,自らの生活に嫌気がさしていて,その生活から逃避しようとしていたということが,被害者を殺すしかないということに直結するものではなく,その間には飛躍があるので,適応障害に相当する状態が被害者殺害を決意する際に促進的な影響を与えたと考えられる。 したがって,被告人 いうことが,被害者を殺すしかないということに直結するものではなく,その間には飛躍があるので,適応障害に相当する状態が被害者殺害を決意する際に促進的な影響を与えたと考えられる。 したがって,被告人は,主観的に自らの生活に嫌気がさしている強いストレスを感じている状況下で,適応障害に相当する状態が本件犯行に促進的な影響を与えた,すなわち,衝動性が亢進したことにより,被害者を殺すしかないと考え,本件犯行を決意したことが認められる。 4 犯行当日の行動被告人は,本件犯行直前に,血を見ずに被害者を殺したいと考えてスマートフォンで絞殺の方法を調べ,自身が身に付けていたネクタイを本件犯行に使用することとし,さらに,両手を滑りにくくするために,滑り止めのついた手袋をも着用した。その後,両手に巻いたネクタイを隠すよう意識し,両手を下げて被害者の側に行き,同人に「寝てていいですよ」と声をかけ,目を閉じた被害者に対し,被害者が動かなくなるまでネクタイで同人の首を5分程度絞め,その後,被害者の脈がなく,心臓が停止していることを確かめて,死亡確認をした。以上のとおり,被告人の一連の行為は,被害者を殺害するという目的に沿った一貫性のある合目的的なものであるといえる。 また,被告人が,被害者方に向かう際,被害者殺害を迷って数メートル引き返そ うとしたことや,本件犯行時に,被害者が苦しんでいたのを見て顔を背け,「ごめんなさい」と言いながら同人の首を絞め続けたこと,相当の時間が経過している公判廷においても犯行当時の状況について詳細に記憶していることからすると,被告人自身が状況を的確に認識した上でその状況に沿った行動をしていたことが認められる。さらに,本件犯行の約1時間後に交番に自首していることも併せ考えると,被告人は本件犯行当時に自身の行為の違法性を 被告人自身が状況を的確に認識した上でその状況に沿った行動をしていたことが認められる。さらに,本件犯行の約1時間後に交番に自首していることも併せ考えると,被告人は本件犯行当時に自身の行為の違法性を認識していたことも認められる。 5 まとめ以上のとおり,被告人が被害者を殺害した動機については統一的,合理的な説明は困難であり,適応障害に相当する状態が被害者殺害を決意する際に促進的な影響を与えたと認められるので,適応障害に相当する状態という精神障害により,本件犯行当時,被告人の善悪を判断する能力や,行動をコントロールする能力が一定程度弱まっていたことは否定できない。しかし,本件犯行当時の被告人の適応障害に相当する状態は軽度の精神障害と評価されるものであったこと,被告人は,被害者殺害を決意した後,その目的に沿った一貫性のある合目的的な行動をとっていたこと,状況についても的確に認識してそれに沿った行動をしていたこと,犯行当時に自身の行為の違法性を認識していたことからすると,本件犯行当時,被告人の善悪を判断する能力や,行動をコントロールする能力が著しく弱まっていたとはいえない。したがって,被告人には本件犯行当時完全責任能力があったと認められる。 (量刑の理由)本件において最も重視すべきは本件犯行に至る経緯である。すなわち,被告人が,ヘルパーとして被害者を保護する立場であったにもかかわらず,全く落ち度のない被害者を殺害したという点については酌量の余地がないことは明らかであるが,適応障害に相当する状態により,衝動性が亢進して本件犯行を決意し,善悪を判断する能力や,行動をコントロールする能力が一定程度弱まった状態で本件犯行を行った という点は被告人にとって有利に考慮すべき事情である。 次に,本件の犯行態様について検討する。被告人 悪を判断する能力や,行動をコントロールする能力が一定程度弱まった状態で本件犯行を行った という点は被告人にとって有利に考慮すべき事情である。 次に,本件の犯行態様について検討する。被告人は,本件犯行直前に,絞殺の方法を調べた上,滑り止めのついた手袋を着用した両手にネクタイを巻き,ネクタイを隠して被害者の側に行き,同人に「寝てていいですよ」と声をかけた。そして,筋萎縮性側索硬化症(ALS)により思うように体を動かせない状態であり,かつ,目を閉じていた被害者に対し,被害者が動かなくなるまでネクタイで同人の首を5分程度絞め,被害者の脈と心臓を確認した。被告人は,被害者を担当するヘルパーとして,被害者の状態を十分認識していたのであるから,被告人の本件犯行は,被害者を殺そうという強い意思に基づき,抵抗することができない弱者を対象として行われた,結果実現の危険性が高い態様のものであるといえ,悪質である。 結果についてみると,被害者の尊い命を奪ったという結果が重大であることはいうまでもなく,被害者の長男及び長女が厳罰を望んでいるのも当然である。 以上のような被告人が行った犯罪事実に関する事情,とりわけ適応障害に相当する状態が本件犯行に促進的な影響を与えた点に照らすと,本件は同種事案の中ではやや重くない方の部類に属する。 次に,犯罪事実以外の事情についてみると,被告人が,自首をし,逮捕後から一貫して事実を認め,体調の良い時期に謝罪文を作成するなど,十分とはいえないものの反省の態度が認められること,被告人の妻及び姉が出所後も被告人を監督する意思を有していること,被告人に前科前歴がないことなど,被告人の更生に資する事情も一定程度認められる。 そこで,犯罪事実に関する事情を基礎に,犯罪事実以外の事情も考慮して,主文のとおりの刑を量定した。 していること,被告人に前科前歴がないことなど,被告人の更生に資する事情も一定程度認められる。そこで,犯罪事実に関する事情を基礎に,犯罪事実以外の事情も考慮して,主文のとおりの刑を量定した。(求刑-懲役14年及び主文掲記の没収) 主文 令和3年7月1日名古屋地方裁判所刑事第3部 裁判長裁判官 宮本聡 裁判官 西前征志 裁判官 大井友貴

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