平成29年11月20日宣告平成28年(わ)第220号殺人被告事件 主文 被告人を懲役3年に処する。 未決勾留日数中300日を上記刑に算入する。 この裁判が確定した日から5年間上記刑の執行を猶予する。 理由 (罪となるべき事実)被告人は,平成6年以降,両下肢の機能が全廃した妻の介護をしてきたが,同21年10月に大阪の施設に入居した頃から同人の精神状態が不安定になっていき,同25年には同人が老年期精神病(妄想状態)と診断された。このような中で被告人は妻の病状や言動が原因で大阪の施設を転々とすることを余儀なくされた上,同人から叱責を受けるなどして,精神的に追い込まれていった。同28年8月29日,妻の希望を受け入れ,以前生活していた佐賀県鹿島市に戻り,自宅での介護を始めたが,その後,同人の言動が原因でショートステイの施設から受け入れに難色を示され,自分が怪我をしたことなどで,自らの前途を悲観すると共に,介護を続ける自信を急速に失くし,同人を介護できるのは自分しかいないのにこれが出来ないなどと思い悩み,同人と心中しようと考えた。 被告人は,同年9月8日午前2時頃,同市大字ab番地cの被告人方において,妻(当時71歳)に対し,殺意をもって,その頸部に延長コードを巻いて締め付け,よって,その頃,同所において,同人を絞頸による窒息により死亡させて殺害したものである。 (争点に対する判断) 1 本件の争点 被害者が殺害されることを承諾していたか。 本件犯行当時の被告人の責任能力の程度(心神耗弱の状態にあったか) 2 争点について関係各証拠によれば,犯行時や平成28年8月の転居から犯行までの間に,被害者が 被告人に殺害されることを承諾したような様子は一切ない。むしろ,被害者は 状態にあったか) 2 争点について関係各証拠によれば,犯行時や平成28年8月の転居から犯行までの間に,被害者が 被告人に殺害されることを承諾したような様子は一切ない。むしろ,被害者は,本件直前に介護用品を選んだり,散髪の予約をしたりしている。被告人も,公判廷において,被害者に心中することを話したことはないし,上記転居後に,被害者から死にたいとか,殺してほしいと言われたことはなかった旨供述する。これらによれば,被害者が被告人に殺害されることを承諾していたとは認められない。 弁護人は,本件では被害者が抵抗した痕跡がなく,被害者は抵抗できたのに抵抗していないから,被害者は死を受け入れていた可能性があると主張する。しかしながら,そもそも死を受け入れることと殺害されることを承諾することとは質的に異なっているというべきであり,被害者が死を受け入れていたからといって,殺害そのものを承諾したことにはならない。また,寝ているときに突然首を絞められるようなことをされれば,事態が呑み込めずに何らかの抵抗を試みるはずである。ただ,被害者が咄嗟に恐怖で体を委縮させてもおかしくないし,被害者は,高齢で,下肢の全廃だけでなく,手の機能も相当低下していたから,強く抵抗することが困難な状態にあったと考えられる。そうすると,本件では,被害者が,痕跡が残るほどの強さで抵抗しなかっただけとみるのが自然であり,抵抗した痕跡がないからといって,被害者が抵抗していないことにはならない。したがって,弁護人の主張は採用できない。 ついて弁護人は,本件犯行当時,被告人は限定責任能力(心神耗弱)の状態にあったと主張し,検察官は,被告人の責任能力は正常に保たれていたと主張する。 まず,鑑定人のA医師は,本件犯行当時,被告人は適応障害の状態にあり,不安,抑うつ等の情 限定責任能力(心神耗弱)の状態にあったと主張し,検察官は,被告人の責任能力は正常に保たれていたと主張する。 まず,鑑定人のA医師は,本件犯行当時,被告人は適応障害の状態にあり,不安,抑うつ等の情緒障害があったとした上で,被告人は,思考抑制(考えることができない状態)や希死念慮(死にたいという希望)を伴う抑うつ状態になり,認知判断能力や集中力に支障を来たし,被害者からの叱責も相まって追い詰められ,自分でなければ被害者を介護できないという観念が修正できない確信となって心中を決意しており,被告人の適応障害やその症状が本件犯行に与えた影響は大きかったとの所見を示している。この専門的判断が信用できることは,鑑定人の経歴や鑑定経過等を踏まえれば明らかである。 以上を前提に,本件犯行当時の被告人の責任能力の程度について検討する。 まず,被告人は,被害者の希望を受け入れ,新たに自宅を購入するなど準備を整えて鹿島市に戻り,自宅での介護を始めてから約10日で本件犯行に及んでいる。ショートステイの施設から被害者の受け入れに一時難色を示されたが,一応利用可能ということで落ち着いており,被告人自身背中を痛める怪我をしたが,姪ら親族の援助を受けられる状況であった。そのような中で,自らの前途を悲観すると共に,介護を続ける自信を急速に失くし,被害者を介護できるのは自分しかいないのにこれが出来ないなどと思い悩んだ末に心中することを決意するというのは,犯行動機としてはかなりの飛躍があると思われる。この動機の形成については,鑑定人が指摘するように,適応障害やその症状の影響が大きく,被告人の事理弁識能力(善悪を判断する能力)や行動制御能力(やってはだめとブレーキをかける能力)は相応に減退していたと認められる。 そこで,その減退の程度について検討するに,本件犯行やそ 響が大きく,被告人の事理弁識能力(善悪を判断する能力)や行動制御能力(やってはだめとブレーキをかける能力)は相応に減退していたと認められる。 そこで,その減退の程度について検討するに,本件犯行やその前後の被告人の言動等を踏まえれば,被告人の事理弁識能力や行動制御能力は,被告人の適応障害やその症状の影響に大きく障害されていたとまではいえず,普通の人に比べて判断や制御がとても難しい状態に至っていたとまでは認められない。すなわち,弁護人は,動機が理解不能だと主張するが,長年の介護による精神的負担や大阪での介護生活の中で積み重なった疲弊,自宅介護に希望や期待を寄せたものの,これがうまくいかないことや将来への不安など,本件の経緯や被告人の心情を考えれば,理解(共感)できる部分が相当程度残されている。また,犯行時の被告人の言動からは,被告人に罪の意識があったことも明らかである。さらに,被告人は,犯行状況をICレコーダーで録音し,犯行後には被害者の鼓動を確認したり,犯行の1日,2日前には親族への手紙を書き,犯行後には親戚に本件の謝罪の電話をしたりするなど,冷静で合理的な行動をとってもいる。弁護人は,A医師が,適応障害自体は一般生活に支障を来すような判断能力を失う性質のものではなく,ある程度合理的な行動は可能である旨供述していることを指摘するが,むしろ,その供述を踏まえると,適応障害は,妄想等によって行動が支配されるような精神障害とは質的に異なっており,そのため,本件犯行当時,被告人に合理的な行動をとる思考力 や判断力が残されていたと考えられる。これらによれば,被告人が心中をしない選択をすることが普通の人に比べてとても難しい状態に至っていたとはいえない。 したがって,本件犯行当時,被告人が限定責任能力(心神耗弱)の状態にあったとは認められない によれば,被告人が心中をしない選択をすることが普通の人に比べてとても難しい状態に至っていたとはいえない。 したがって,本件犯行当時,被告人が限定責任能力(心神耗弱)の状態にあったとは認められない。 (適条) 1 罰条刑法199条 2 刑種の選択所定刑中有期懲役刑を選択 3 酌量減軽同法66条,71条,68条3号 4 宣告刑の決定懲役3年 5 未決勾留日数の本刑算入同法21条(未決勾留日数中300日を上記刑に算入) 6 刑の執行猶予同法25条1項(この裁判が確定した日から5年間上記刑の執行を猶予) 7 訴訟費用の不負担刑事訴訟法181条1項ただし書(量刑の理由)本件と同種の殺人の量刑傾向(殺人,単独犯,動機が介護疲れ,被告人から見た被害者の立場が配偶者(内縁を含む)を検索条件としたもの)を確認し,そのうち半数以上が執行猶予となっていることを踏まえて量刑について検討した。 まず,犯罪行為の内容についてみると,殺人という行為が許されないことや,被害者の尊い命が奪われた結果が重大であることはいうまでもない。被告人には援助をしてくれる姪ら親族がおり,これから施設の利用や公的支援等を受けられる状況にもあった。しかし ながら,これらは,被告人の介護負担や不安を解消するには至らず,被告人は孤立し,自らの前途を悲観すると共に,自分以外に被害者を介護できる人はいないと思い詰め,心中を決意したものである。その経緯や動機は,一面では独りよがりで非難されるべきだが,孤立しながら介護負担に苦しむ被告人のような介護者に対し,適切な支援が行きわたるような医療や公的支援,地域社会のより良いしくみがあれば,本件犯行は避けられたと考えられる。また,前記のとおり,動機の形成に被告人の精神障害や 苦しむ被告人のような介護者に対し,適切な支援が行きわたるような医療や公的支援,地域社会のより良いしくみがあれば,本件犯行は避けられたと考えられる。また,前記のとおり,動機の形成に被告人の精神障害やその症状が少なからず影響していることも考えると,被告人を強く非難することはできない。被告人は,20年以上の長きにわたって献身的に被害者の介護を続けてきものであり,被害者も感謝の気持ちを持っていたものと考えられる。以上の点や前記の量刑傾向を踏まえると,本件は被告人を直ちに実刑に処すことを相当とする事案とは認め難く,この種事犯の中では執行猶予を付すことを含む標準的な量刑傾向の範疇に属する事案と考えられる。 更に,その他の事情についても検討した。被害者の遺族は被告人を許せないとする一方で被告人の介護自体には感謝の気持ちがあると述べている。被告人は,本件を素直に認め,生涯をかけて被害者を供養したいと述べるなど,真摯に反省している。また,被告人は,これまで社会人として真面目に暮らしてきており,親族が被告人の社会復帰後の支援を約してもいる。 これらの事情を踏まえ,被告人に対しては,酌量減軽した上で,主文掲記の刑を定め,5年間刑の執行を猶予するのが相当と判断した。 (求刑懲役5年,弁護人の科刑意見執行猶予付き判決)平成29年11月21日佐賀地方裁判所刑事部 裁判長裁判官井広幸 裁判官杉原崇夫 裁判官石黒瑠璃 瑠璃
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