主文 1 原判決を取り消す。 2 被控訴人が控訴人に対して平成7年11月30日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。 3 訴訟費用は、第1、2審とも、被控訴人の負担とする。 事実 第一当事者の求めた裁判一控訴人主文と同旨の判決を求める。 二被控訴人 1 本件控訴を棄却する。 2 控訴費用は控訴人の負担とする。 との判決を求める第二当事者の主張一控訴人の請求原因 1 本件処分(一) 控訴人の夫であるA(昭和17年1月7日生まれ、以下「亡A」という。)は、訴外三井東圧化学株式会社(以下「訴外会社」という。)の機能性ポリマー事業部営業企画開発室幹部部員として勤務していたが、平成2年5月19日午後9時48分、急性心筋梗塞で死亡した。 (二) 控訴人は、亡Aの死亡が業務上の事由によるものであるとして、被控訴人に対し、遺族補償給付(遺族補償年金、遺族特別支給金、遺族特別年金)の支給を請求したが、被控訴人は、平成7年11月30日付けで控訴人に対し、亡Aの死亡は業務上の事由によるものであるとは認められないとして、控訴人の同請求に係る遺族補償給付を不支給とする旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。 (三) そこで、控訴人は、平成7年12月5日、本件処分を不服として、東京都労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、審査請求をした日から3か月を経過しても決定がされなかったため、控訴人は、平成8年5月16日、本訴を提起した。 2 本件処分の違法性(一) 日常業務の過重性(1) 亡Aは、訴外会社において高品質の特殊樹脂を用いた新製品の開発及び企画の業務に従事してきたが、その業務は、恒常的に多忙を極め、帰宅時間は、ほぼ毎日午後10時から午前0時ころと遅かったにもかかわら ) 亡Aは、訴外会社において高品質の特殊樹脂を用いた新製品の開発及び企画の業務に従事してきたが、その業務は、恒常的に多忙を極め、帰宅時間は、ほぼ毎日午後10時から午前0時ころと遅かったにもかかわらず、午前5時から6時ころには起床し、1、2時間程度、自宅で企画書や資料等の作成を行っていた。休日も、自宅で仕事をしたほか、出勤することも少なくなく、また、取引先との打合せのための出張は、週平均2回はあり、出張先にはアメリカ等の海外も含まれ、国内も北海道から九州までの広範囲に及び、出張日の朝は、いつもより早く起床し、2時間以上かけて資料作成等の作業を行うことが常態化していた。亡Aは、自分が開発に携わっていた製品の資料等を常時大きな鞄に詰めて持ち歩いており、その肉体的負担も相当なものがあった。 (2) 亡Aの業務は、高度に専門的な化学的知識や語学力が要求されるばかりか、取引先の営業内容、国内外の市場の動向、取引先の競争会社の動向等、あらゆる最新の情報を収集管理することが必要とされ、亡Aは、常に多大な精神的ストレスを受けていた。特に、昭和63年7月から死亡当時まで手がけていた新製品の開発は、それまでの前任者が失敗を繰り返してきたものであり、亡Aにとっては、この商品化の成否が昇進等に大きく影響するものであったところ、同製品の商品化の期限が平成2年7月までとされ、死亡当時は、その期限直前の最も重要な時期であった。 (二) 死亡直前の業務の過重性(1) 亡Aは、平成2年5月7日から死亡した同月19日までの13日間、自宅における労働時間(合計8時間)を除いても合計137時間50分も稼働しており、このうち同月7日から同月18日までの12日間は、同期間の所定労働時間である75時間の約1.7倍に相当する125時間50分も稼働した。さらに、亡Aは、同月8日、同月 137時間50分も稼働しており、このうち同月7日から同月18日までの12日間は、同期間の所定労働時間である75時間の約1.7倍に相当する125時間50分も稼働した。さらに、亡Aは、同月8日、同月10日、同月11日及び同月12日の4日間、早朝に自宅で資料作成などの業務を行っており、同月12日(土曜日)、同月13日(日曜日)及び同月19日(土曜日)は休日であったが、亡Aは、業務に従事しており、特に、死亡した同月19日の打合せは、前日の打合せで十分な解決方法が見出されなかった懸案事項に関するもので、同月21日に予定された取引先への出張に不可欠なものであった。 (2) 亡Aは、死亡直前の9日間、鹿児島、宇都宮、福山、大分、台湾と国内外への出張業務に従事し、出張先での宿泊も同月8日、同月12日ないし同月16日の合計6日に及び、同月12日以降は、広域移動をしながら5泊6日の強行日程をこなした。同出張は、会社の重要な取引先であるサウスウォールテクノロジーズ社(以下「サウスウォール社」という。)の米国人担当者の随行も兼ね、通訳業務を遂行するなどしており、亡Aは、全く気の抜けない状態にあったもので、精神的負荷も特段のものがあり、会社の他の従業員に代替してもらうことができない業務であった。 (三) 亡Aの健康状態と生活状況亡Aの身長は1.67メートル、体重はおおむね66ないし68キログラムであり、亡Aの昭和62年から死亡時までの血圧測定値の結果は、ほぼ安定した状態に保たれており、健康状態に異常はなく、酒や煙草の摂取量も控えていた。 平成2年5月5日の朝から38度5分の発熱があり、同月7日になっても37度2分程度にしか下がらず、この状態が同月11日まで続いたが、それでも、亡Aは、同月7日以降も通常どおり出社し、同月8日には鹿児島に出張し、同月9日午 38度5分の発熱があり、同月7日になっても37度2分程度にしか下がらず、この状態が同月11日まで続いたが、それでも、亡Aは、同月7日以降も通常どおり出社し、同月8日には鹿児島に出張し、同月9日午後8時ころ帰宅したが、疲れ切っていた。亡Aは、同月12日午前8時ころには、トイレ内で狭心症発作を起こして胸が苦しくなり、その旨を妻に訴えたものの、同日以降の業務に引き続き従事せざるを得なかったため、医師による治療を受けることも、休息をとることもなく、出張のため新幹線で福山市内に向かったもので、5泊6日の出張を終えて帰宅した同月17日には相当疲れていたが、翌18日も通常どおり出社した。同月21日(月曜日)にも出張が予定されており、亡Aは、健康状態の不安を理由に出張の交替を部下職員に頼んだが、結局、断られていた。 (四) 業務起因性以上のような死亡時までの亡Aの業務の過重性、健康状態に鑑みれば、亡Aの死亡が業務に起因するものであることは明らかであり、仮に平成2年5月12日の狭心症発作に業務起因性が認められないとしても、以後の業務のために治療の機会を奪われたというべきであるから、いずれにしても、亡Aの死亡は、業務に起因するというべきであり、業務起因性を否定した本件処分は違法である。 3 結論よって、控訴人は、被控訴人に対し、本件処分の取消しを求める。 二請求原因に対する被控訴人の認否及び主張 1 請求原因1の各事実は認める。 2 同2について(一) 同(一)について(1)のうち、亡Aが訴外会社において高品質の特殊樹脂を用いた新製品の開発及び企画の業務に従事してきたこと、亡Aの出張が国内外に及んだこと、出張が休日にかかることもあったこと、亡Aが出張時に大きな鞄を携行していたことは認めるが、亡Aの出張が週平均2回あったことは否認し、その余の事実は に従事してきたこと、亡Aの出張が国内外に及んだこと、出張が休日にかかることもあったこと、亡Aが出張時に大きな鞄を携行していたことは認めるが、亡Aの出張が週平均2回あったことは否認し、その余の事実は知らない。 (2)のうち、亡Aが手がけていた製品の商品化の期限が平成2年7月までと設定されていたことは認めるが、その余の事実は否認する。 (二) 同(二)について(1)のうち、亡Aが平成2年5月12日(土曜日)、同月13日(日曜日)及び同月19日(土曜日)に業務に従事したことは認めるが、その余の事実は否認する。 (2)のうち、亡Aが死亡直前の9日間、鹿児島、宇都宮、福山、大分、台湾と国内外の出張業務に従事したこと、出張先での宿泊も同月8日、同月12日ないし同月16日の合計6日に及んだこと、同月12日以降の出張が5泊6日であったこと、同出張がサウスウォール社の米国人担当者の随行を兼ねたものであったことは認めるが、その余の事実は否認する。 (三) 同(三)について亡Aの身長が1.67メートル、体重はおおむね66ないし68キログラムであったことは認めるが、亡Aの昭和62年から死亡時までの血圧測定値の結果がほぼ安定した状態に保たれていたこと、亡Aが煙草の摂取量を控えていたことは否認し、その余の事実は知らない。 (四) 同(四)について争う。 3 同3の主張は争う。 4 被控訴人の主張(一) 亡Aの日常業務について(1) 亡Aの死亡前1か月である平成2年4月20日から同年5月19日までの勤務状況をみると、出勤日は20日あり、休日は10日あった。特に、同年4月28日から同年5月6日にかけては、同年5月2日の社内勤務をはさんで連続4日間の休暇が2度とられており、全体として十分に休日が確保された。 (2) 亡Aは、通常、午後6時から午後7時には退社 同年4月28日から同年5月6日にかけては、同年5月2日の社内勤務をはさんで連続4日間の休暇が2度とられており、全体として十分に休日が確保された。 (2) 亡Aは、通常、午後6時から午後7時には退社しており、時間外労働は30分から1時間30分程度であって、特に残業が多かったわけではなく、休日勤務も平成元年4月から平成2年4月までの13か月で9日あったのみであり、休日のほとんどを自宅労働に費やした事実はない。亡Aの出張回数は月平均4回程度であって、営業職の労働者として殊更多いとはいえない。 (3) 亡Aの業務は、通常納期等に追われることはなく、亡Aは、10年以上開発業務に携わってきたベテランであるから、新製品の開発、商品化が特別なストレスを伴うものであったとはいえない。 (二) 死亡直前の業務について平成2年5月7日から同月19日までの死亡直前における社内勤務と接待を含む社外勤務を合わせた実労働時間は56時間5分、航空機及び新幹線等を利用した移動時間は35時間35分であり、この合計は91時間40分となるにとどまり、1日あたり7時間3分(実労働時間4時間19分、移動時問2時間44分)である。 これを死亡前1週間でみると、実労働時間は26時間45分、移動時間は24時間5分、合計50時間50分となり、1日あたり7時間16分(実労働時間3時間5分、移動時間3時間26分)にとどまる。死亡当日の平成2年5月19日は、打合せのため、2時間足らずの時間を業務に従事したにすぎず、死亡直前のこれらの出張や打ち合わせが肉体的・精神的に過重であったと評価することはできない。 (三) 亡Aの健康状態及び基礎疾患等亡Aは、昭和56年2月27日の健康診断時に高血圧(156/114)を指摘されて治療を受けているが、同人の高血圧症は、重症であったにもかかわらず受診状況 い。 (三) 亡Aの健康状態及び基礎疾患等亡Aは、昭和56年2月27日の健康診断時に高血圧(156/114)を指摘されて治療を受けているが、同人の高血圧症は、重症であったにもかかわらず受診状況及び服薬状況は不良であった。また、亡Aは、血清総コレステロール値が高値である高脂血症、高尿酸血症の症状があり、肥満傾向や左心室肥大等の所見が認められたほか、1日50本から70本の喫煙を死亡時まで約14年間にわたって継続しており、飲酒量も増加傾向にあった。 (四) 業務起因性の不存在死亡直前の亡Aの業務は、客観的にみて通常より特に過重であったともいえず、冠状動脈硬化症の増悪の主な原因が同人の従事した過重な業務であるということもできないところ、亡Aの心筋梗塞による死亡は、同人が有していた基礎疾患である冠状動脈硬化症が自然経過において高度に進行していたにもかかわらず、自らすべき必要な健康管理を怠り、喫煙等の生活習慣を改めず、病院での治療や服薬状況が不良であったために心筋梗塞の発症に至ったもので、他に格別の発症因子がなくても自然的経過により発症しうる状態にあったものがたまたま出勤後の私的用務中に発症したものというべきであって、亡Aに発症した心筋梗塞は基礎疾患である冠状動脈硬化症が自然経過を超えて進行・増悪し、発症したものであるともいえない。 亡Aが、5月12日に不安定狭心症発作を起こしていたとすれば、この発作を起こした者は、いつ急性心筋梗塞に移行してもおかしくない危険な状態にあるから、心筋梗塞発症の危険性が極めて大きな状態にあったといわざるを得ないところ、亡Aは、その後の同人の業務も高度の必要性、非代替性があったわけではないにもかかわらず、医師の診察及び医療を受けなかったもので、狭心症の治療機会が奪われ、又は直ちに安静を保つことが困難な状態にあった Aは、その後の同人の業務も高度の必要性、非代替性があったわけではないにもかかわらず、医師の診察及び医療を受けなかったもので、狭心症の治療機会が奪われ、又は直ちに安静を保つことが困難な状態にあったともいえない。 したがって、亡Aの急性心筋梗塞による死亡については、これを業務に起因するものということはできない。 第三証拠関係本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。 理由 一請求原因1の各事実、同2(一)(1)のうち、亡Aが訴外会社において高品質の特殊樹脂を用いた新製品の開発及び企画の業務に従事してきたこと、亡Aの出張が国内外に及んだこと、出張が休日にかかることもあったこと、亡Aが出張時に大きな鞄を携行していたこと、同(一)(2)のうち、亡Aが手がけていた製品の商品化の期限が平成2年7月までとされていたこと、同(二)(1)のうち、亡Aが平成2年5月12日(土曜日)、同月13日(日曜日)及び同月19日(土曜日)に業務に従事したこと、同(二)(2)のうち、亡Aが死亡直前の9日間、鹿児島、宇都宮、福山、大分、台湾と国内外への出張業務に従事したこと、出張先での宿泊も同月8日、同月12日ないし同月16日の合計6日に及んだこと、同月12日以降の出張が5泊6日であったこと、同出張がサウスウォール社の米国人担当者の随行を兼ねたものであったこと、同(三)のうち、亡Aの身長が1.67メートル、体重はおおむね66ないし68キログラムであったことは、当事者間に争いがなく、証拠(甲第1ないし第13号証、第16ないし第35号証、第37ないし54号証、乙第2号証の5、第3号証、第4号証の2、第5号証の各1ないし13、第8号証の1ないし18、第9号証の1、2、第10号証の1、第11ないし第13号証、第14の いし第35号証、第37ないし54号証、乙第2号証の5、第3号証、第4号証の2、第5号証の各1ないし13、第8号証の1ないし18、第9号証の1、2、第10号証の1、第11ないし第13号証、第14の1ないし11、第15号証の3、第16号証の3、第17号証、第19号証、第20号証の3ないし16、第21号証の2、第24及び第25号証、第33号証の1ないし18、第35ないし第47号証、第52、第61及び第63号証、第64号証の1、2、第65ないし第71号証、第72号証の1、2、第73ないし第77号証、第86号証、証人B、同C、同D、同E及び同Fの各証言並びに原告本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。 1 亡Aの業務内容等(一) 亡Aの担当業務は、熱線反射フィルム(ヒートミラー)等スパッタ製品と呼ばれる製品の開発、商品化であり、自らの企画やユーザーの注文をもとに研究所や下請会社で試作品を作り、その商品化に当たっていた。スパッタ製品は、米国のサウスウォール社の技術であり、訴外会社は、同社からスパッタ製品を輸入、販売するとともに、これを応用した製品による市場開発を行っていた。 (二) 亡Aの昭和61年4月以降の勤務日数と出張日数は、昭和61年4月から昭和62年3月までが268日と95日、同年4月から昭和63年3月までが272日と102日、同年4月から平成元年3月まで(ただし、記録上明らかではない平成元年2月を除く。)が239日と82日、同年4月から平成2年3月までが258日と96日、同年4月1日から同年5月19日までが33日と13日であった。 (三) 亡Aは、早朝に起床し自宅で企画書等の作成などの仕事をすることが多く、平日は遅くとも午前6時ころには起床して一仕事した上、午前7時40分ころに自宅を出て、会社の始業時 日と13日であった。 (三) 亡Aは、早朝に起床し自宅で企画書等の作成などの仕事をすることが多く、平日は遅くとも午前6時ころには起床して一仕事した上、午前7時40分ころに自宅を出て、会社の始業時刻である午前9時ころまでには出社していた。出張以外のときは、おおむね午後6時から午後7時に退社していたが、帰宅が午後10時から午前0時ころになることもあった。亡Aは、自宅のある千葉県市川市から会社のある東京都千代田区〈以下略〉まで電車で通勤していたが、所要時間は1時間10分であった。 2 死亡直前期間の勤務及び生活等の状況(一) 平成2年4月28日から同年5月6日まで亡Aは、平成2年4月28日から同年5月6日にかけて、同年5月2日の出勤(社内勤務)をはさんで連続4日間の休みを2度とっている。この期間、前半の4日間は、午前中に2時間ほど自宅で仕事をしたほかは、午後は毎日碁会所に通っていた。後半の4日間のうち、5月3日及び同月4日は一日中ではないものの自宅で仕事をし、同月5日は38度5分の発熱があったため(平熱は36度4分)のため、予定していた部下の結婚式を欠席して一日安静にし、同月6日は歯科医院で歯肉の炎症について治療を受け、帰宅後安静にしていたが、夕方にかけて熱が下がったため、自宅で仕事をした。 (二) 平成2年5月7日(月曜日)亡Aは、発熱が37度2分あったが、通常どおり、始業時間である午前9時までに出社し、午後7時まで社内で勤務して退社したが、帰宅は午後9時すぎであった。 (三) 平成2年5月8日(火曜日)亡Aは、依然として発熱が37度2分あったものの、自宅で書類の整理等の仕事をした上、予定された鹿児島への出張に赴くため、自宅から直接羽田空港に向かい、午前11時ころ、羽田空港で同僚のBと合流した。そして、午後0時発鹿児島行きの航 分あったものの、自宅で書類の整理等の仕事をした上、予定された鹿児島への出張に赴くため、自宅から直接羽田空港に向かい、午前11時ころ、羽田空港で同僚のBと合流した。そして、午後0時発鹿児島行きの航空機に搭乗し、鹿児島空港到着後、午後3時から午後5時まで、京セラ株式会社δ工場において製品説明を行い、午後6時には宿泊先のワシントンホテルに戻った。 (四) 平成2年5月9日(水曜日)亡Aは、午前10時にBと共に宿泊先のワシントンホテルを発って鹿児島空港へ向かい、午後0時20分発羽田行きの航空機に搭乗し、午後2時に羽田空港に到着したもので、到着後、午後3時から午後5時までγの喫茶店でBと打合せを行い、その後帰宅した。 (五) 平成2年5月10日(木曜日)亡Aは、午前9時から終日社内勤務に就き、午後7時に退社し、帰宅前に市川東歯科医院を受診した。 (六) 平成2年5月11日(金曜日)亡Aは、午前9時までに出社し、月例の営業連絡会に出席して営業報告及び製品の開発報告を行った後、昼ころ、新幹線で宇都宮へ出張に出かけ、午後2時から午後4時30分まで、本田技研株式会社において共同開発契約の締結についての打合せを行い、打合せを終えると、再び新幹線で宇都宮を発ち、午後6時までにα駅に着き、その後帰宅した。亡Aの発熱は、この日までには平熱に下がっていた。 (七) 平成2年5月12日(土曜日)亡Aは、午前8時ころ、トイレに入っていて突然胸が苦しくなり、下半身裸のまま出てきて、「今、トイレで急に心臓が苦しくなって死ぬかと思った。」と妻である控訴人に話したため、控訴人は、仕事を休むよう勧めたが、5泊6日の出張が既に予定されていたため、亡Aは、そのまま支度をして自宅を出、午前8時30分に最寄り駅であるβ駅において、旅行会社の担当者から台湾出張のためのビザを受 訴人は、仕事を休むよう勧めたが、5泊6日の出張が既に予定されていたため、亡Aは、そのまま支度をして自宅を出、午前8時30分に最寄り駅であるβ駅において、旅行会社の担当者から台湾出張のためのビザを受領した後、一旦帰宅し、昼ころ新幹線に乗車して広島県福山市に出張に出かけた。この出張は、サウスウォール社米国人担当者であるGの自社製品ユーザーに対する巡視に通訳を兼ねて随行することが目的であり、広島県福山市、大分県佐伯市、台湾を順次巡るものであった。 亡Aは、福山市に到着後、予定時刻である午後7時に福山市内のアーバンホテルでG及び同行していた訴外会社の研究員であるHと合流し、同ホテルの近くで会食するなど午後9時までGを接待し、その後は、H、Gとは別のホテルで宿泊した。 (八) 平成2年5月13日(日曜日)亡Aは、航空券が取れなかったため、大阪から航空機を利用して大分に行く予定になっていたGと別れ、新幹線等を利用して、大分市に入り(福山駅から大分駅までの移動時間は、約3時間30分であった。)、宿泊先の大分市内のワシントンホテルでGと合流し、夕食を共にした。 (九) 平成2年5月14日(月曜日)亡Aは、午前8時、Gと共に宿泊先であるワシントンホテルを発って佐伯市内にある大和冷機株式会社に向かい、午前10時より午後5時まで製造工程の巡視に立ち会ってGの通訳をするなどし、午後7時には宿泊先のワシントンホテルに戻った。 (一〇) 平成2年5月15日(火曜日)亡Aは、午前8時、Gと共に宿泊先のワシントンホテルを発って大分空港へ向かい、午前10時15分発羽田行きの航空機に搭乗し、午前11時40分ころに羽田空港に到着した。その後、午後1時25分発台北行きの航空機に搭乗し、午後3時30分(台湾時間)ころに台北空港に到着し、リムジンバスに乗って午後5時(台 行きの航空機に搭乗し、午前11時40分ころに羽田空港に到着した。その後、午後1時25分発台北行きの航空機に搭乗し、午後3時30分(台湾時間)ころに台北空港に到着し、リムジンバスに乗って午後5時(台湾時間)までには台北市内の宿泊先であるユナイテッドホテルに到着した。 (一一) 平成2年5月16日(水曜日)亡Aは、午前9時30分、Gと共にユナイテッドホテルから車で30分ほどの距離にある連邦行有限公司へ向かい、午前10時より午後5時まで、同社でのGの巡視に随行し、その後同社における会議にも参加し、午後7時から午後9時まで、Gと共に、連邦行有限公司の社長らから日本料理店で接待を受け、午後9時30分ころホテルに戻った。 (一二) 平成2年5月17日(木曜日)亡Aは、午後2時30分(台湾時間)ころ、バスに乗って台北空港に行き、午後5時25分(台湾時間)発羽田行きの航空機に搭乗し、午後9時15分(日本時間)ころ羽田空港に到着した後、帰宅した。 (一三) 平成2年5月18日(金曜日)亡Aは、自宅から東京都江戸川区〈以下略〉にある中島硝子株式会社に直行し、午前10時から午前12時まで同社において打合せを行い、その後、会社に行って、午後2時から午後8時45分まで、Bと本田技研及び松下冷機への対応について打合せを行うなどの社内勤務をして、退社した。その際、亡Aは、Bに対し、翌週月曜日(同月21日)から出張が予定されていた広島県福山市に代わりに行ってもらえないかと話したが、結局、業務内容からして代替できないものであったことから、予定どおり亡Aが同出張に行くことになった。 (一四) 平成2年5月19日(土曜日)亡Aは、午後0時5分から午後1時55分まで、東京都千代田区〈以下略〉にあるパレスホテル内の喫茶店でBと会い、同月21日からの出張についての打合せ になった。 (一四) 平成2年5月19日(土曜日)亡Aは、午後0時5分から午後1時55分まで、東京都千代田区〈以下略〉にあるパレスホテル内の喫茶店でBと会い、同月21日からの出張についての打合せを行った。 亡Aは、午後5時30分ころから東京都港区〈以下略〉にある全日空ホテル内レストランでかねて予定していた知人と会食をしていたところ、大量の汗をかいて顔が青ざめる状態となった。 これに気づいた同知人が医師に診てもらうように勧めたが、亡Aは、以前にも高血圧症のために同じようなことがあり、少し休めば大丈夫であると話し、午後6時40分ころ、同ホテルの従業員に部屋を用意させ一人で休んでから帰宅することにした。同ホテルの従業員が午後7時20分ころ亡Aに電話をかけたところ、亡Aは、「様子を見るのでもう少し休ませていただきたい。医者も結構です。」と答えた。 亡Aの様子が気になっていた上記知人が午後7時40分ころ亡Aの部屋に電話をかけて様子を尋ねた際には、亡Aは、「食べたものを全部吐いた。もう少し休んでから帰る。」と答えていたが、同知人が午後8時40分ころに再度電話をかけたときには応答がなく、同知人の依頼で、同ホテルの従業員らが合鍵を使って亡Aの部屋に入ったところ、上半身が下着で下半身にズボンを履いたまま、バスルームの洗面台と便器の間に亡Aが倒れているのを発見した。 亡Aは、ホテル従業員や駆けつけた救急車の消防署員による心肺蘇生措置を受けたが、反応はなく、午後9時36分ころ、都立広尾病院に運ばれたが心拍の再開はみられず、同日午後9時48分死亡が確認された。 3 亡Aの健康状態等(-) 亡Aは、昭和56年2月の会社の定期健康診断時において、血圧値が156/114と高血圧の傾向があることを指摘されていたが、労作時に息切れを感じたため、昭和61年1月14日 亡Aの健康状態等(-) 亡Aは、昭和56年2月の会社の定期健康診断時において、血圧値が156/114と高血圧の傾向があることを指摘されていたが、労作時に息切れを感じたため、昭和61年1月14日、自宅近くの病院で診察を受けたところ、左心室肥大が認められ、血圧値が216/140であったことから、同病院の医師は、亡Aが高血圧症であると診断し、亡Aは、投薬による治療を受けるようになった。亡Aは、昭和61年9月から1年間、治療を中断したことがあったものの、それ以外には、概ね毎日薬を服用していたが、薬が切れて飲まないときもあり、平成2年4月28日に14日分の薬を受け取ってこれを服用したのが最後であった。同年2月3日に同病院において検査を受けた際の血圧値は、170/104であった。 また、亡Aは、同病院において、昭和61年3月に高尿酸血症、昭和63年3月に高脂血症、平成元年4月に低HDL血症とも診断されている。 (二) 亡Aには昭和51年ころから喫煙の習慣があり、1日50本から70本の煙草を吸っていた。 4 心筋梗塞等についての医学的知見(一) 心臓に酸素と栄養等を送る冠状動脈は、心臓の表面を包み込むように枝分かれして分布しているところ、その末端の終動脈が血栓によって閉塞すると、当該部分の組織が壊死するが、そのような病変を梗塞といい、心筋に壊死が生ずることを心筋梗塞と呼ぶ。冠状動脈内の上記血栓は、冠状動脈硬化病変であるプラーク(血管内膜の脂質に富む限局性肥厚)が突然に破裂することなどによって形成されるとされ、高血圧、高脂血症、喫煙は、急性心筋梗塞を含む虚血性心疾患の3大危険因子であるといわれている。 急性心筋梗塞の60ないし80パーセントは、梗塞前に狭心症(冠状動脈の異常により、心筋の需要に応じた酸素の供給不足が生じた一過性の心筋虚血による胸 虚血性心疾患の3大危険因子であるといわれている。 急性心筋梗塞の60ないし80パーセントは、梗塞前に狭心症(冠状動脈の異常により、心筋の需要に応じた酸素の供給不足が生じた一過性の心筋虚血による胸部症状)あるいはそれに類する胸痛等の前駆症状が見られる。典型的な心筋梗塞の胸痛は、激烈な疼痛であり、疼痛とともに、冷汗、顔面蒼白、悪心、嘔吐、全身脱力感などの症状が生じ、死の恐怖を伴う強い不安感が感じられる。 (二) 急性心筋梗塞を含む虚血性心疾患は、血管病変等の形成、進行及び増悪によって発症するものであり、このような血管病変等の形成等には、主に加齢、食生活、生活環境等の日常生活による諸要因や遺伝等の要因(基礎的要因)が密接に関連するとされ、虚血性心疾患は、長年の生活の営みの中で自然経過をたどり発症するものであるとされているが、そのような自然経過の中で、労働による過重な負荷や睡眠不足に由来する疲労の蓄積が血圧の上昇等を生じさせ、その結果、血管病変等が自然経過を超えて著しく増悪し、虚血性心疾患が発症することがあるとされ、過重負荷の態様によって、虚血性心疾患が発症する形態には、長時間労働等による負荷が長期間にわたって生体に加わることによって疲労の蓄積が生じ、それが血管病変等をその自然経過を超えて著しく増悪させて発症する場合、このような血管病変等の著しい増加に加え、発症に近接した時期の業務による急性の負荷を引き金として発症する場合、急性の過重負荷を原因として発症する場合があるとされている。 二前記事実関係によれば、亡Aには、急性心筋梗塞を含む虚血性心疾患の3大危険因子である高血圧及び高脂血症の各症状と喫煙習慣があり、昭和61年1月14日以降、高血圧症の投薬治療を受けていたものであるから、亡Aの死亡の原因となった急性心筋梗塞の基礎疾患というべき冠状 3大危険因子である高血圧及び高脂血症の各症状と喫煙習慣があり、昭和61年1月14日以降、高血圧症の投薬治療を受けていたものであるから、亡Aの死亡の原因となった急性心筋梗塞の基礎疾患というべき冠状動脈硬化症による血管病変等が自然経過において進行していたものと推認されるが、一方で、労働による過重な負荷や睡眠不足に由来する疲労の蓄積が血圧の上昇等を生じさせ、その結果、血管病変等が自然経過を超えて著しく増悪し、虚血性心疾患が発症することがあるとされているところ、前記のとおり、亡Aは、平成2年5月の連休中に38度5分の発熱があり、連休明けの同月7日(月曜日)になっても発熱は十分に下がらなかったが、休暇を取ることもなく出勤し、予定されていた鹿児島出張や宇都宮出張をこなしたもので、その直後の同月12日(土曜日)にトイレの中で胸が苦しくなる一過性の症状が発現したが、それにもかかわらず、同日から重要な取引先である米国会社の担当者の巡視に通訳を兼ねて随行するため、広島県福山市、大分県佐伯市、台湾を順次巡る5泊6日の出張に出かけ、帰国後も、休暇を取ることなく死亡した同月19日(土曜日)まで勤務を続け、連休明けに発熱を押して勤務を始めた同月7日から13日間、1日も休暇をとらなかったのものである。そもそも、出張業務は、列車、航空機等による長時間の移動や待ち時間を余儀なくされ、それ自体苦痛を伴うものである上に、日常生活を不規則なものにし、疲労を蓄積させるものというべきであるから、移動中等の労働密度が高くないことを理由に業務の過重性を否定することは相当ではなく、このような13日間連続の国内外の出張を含んだ一連の業務が極めて過重な精神的、身体的負荷を亡Aに及ぼし、その疲労を蓄積させたことは容易に推認されるところであり、このことは、亡Aが死亡した前日に翌週から予定 な13日間連続の国内外の出張を含んだ一連の業務が極めて過重な精神的、身体的負荷を亡Aに及ぼし、その疲労を蓄積させたことは容易に推認されるところであり、このことは、亡Aが死亡した前日に翌週から予定されていた出張の交替を同僚に申し出ていたことからも窺われるところであって、このような一連の業務内容の過重性と、同業務と亡Aの急性心筋梗塞発症との時間的近接性に鑑みると、同人の上記基礎疾患の自然の経過による進行のみよってたまたま同急性心筋梗塞が発症したにすぎないということは困難であり、むしろ、亡Aが急性心筋梗塞発症前に従事した上記業務が亡Aの上記基礎疾患をその自然の経過を著しく超えて増悪させた結果、上記発症に至ったものとみるのが相当であって、その間に相当因果関係を認めることができるというべきであり、発症時がたまたま業務終了後の私的用務中であったことは、その時間的な近接性からして上記判断を左右するものではない。 これに対し、被控訴人は、亡Aが、5月12日に不安定狭心症発作を起こしていたとすれば、この発作を起こした者は、いつ急性心筋梗塞に移行してもおかしくない危険な状態にあるから、心筋梗塞発症の危険性が極めて大きな状態にあったといわざるを得ないところ、亡Aは、その後の同人の業務も高度の必要性、非代替性があったわけではないにもかかわらず、医師の診察及び医療を受けなかったもので、狭心症の治療機会が奪われ、又は直ちに安静を保つことが困難な状態にあったともいえない旨を主張するが、上記のとおり、亡Aは、平成2年5月12日にトイレの中で胸が苦しくなる一過性の症状が発現したもので、この時点で狭心症が発症していたと推認されなくもないが、その後の死亡に至るまでの事実関係や亡Aのようにそれまで狭心症がなかった患者に初めて現れた狭心症は、初発狭心症といわれ、切迫型の狭 したもので、この時点で狭心症が発症していたと推認されなくもないが、その後の死亡に至るまでの事実関係や亡Aのようにそれまで狭心症がなかった患者に初めて現れた狭心症は、初発狭心症といわれ、切迫型の狭心症とは異なり、単発で終わることも稀ではないとされていること(乙第39号証によって認められる。)などに鑑みると、亡Aの血管病変がこの時点で既に致命的な心筋梗塞を発症させるまでに進展していたとまでは認められないというほかない。また、このような症状がありながらも、亡Aは、その時点で医師の診察を受けるなどの行為に及ばなかったので、この点は、自己の疾患の重大性に関する認識が亡Aに欠如していたというほかないが、亡Aは、それまでは、死に至るような重篤な発作を経験したことがなかったのであるから、同認識の欠如があったとしてもやむを得ないものであったというべきである上に、亡Aは、既に予定されていた出張業務の遂行を第一に考えてその職責を果たそうとしたものであるから、これらの点が業務起因性に関する上記判断を左右するものとはいえない。 三以上の次第で、亡Aの死亡が業務上の事由によるものであるとは認められないとして控訴人に対する遺族補償給付を不支給とした本件処分は、取り消されるべきであり、これと異なる原判決を取り消し、控訴人の請求を認容することとして、主文のとおり判決する。 東京高等裁判所第8民事部裁判長裁判官村上敬一裁判官澤田英雄裁判官永谷典雄
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