主文 本件控訴を棄却する。 理由 本件控訴の趣意は,量刑不当の主張であって,被告人を死刑に処するとした原判決の量刑は,重きに失する,というのである。 1 本件各事案の内容本件は,オウム真理教(以下,単に「教団」という。)に所属する出家信者であった被告人が,(1)教団代表者であるB’ことB,及び当時教団に所属していたC,D,E,F,G,H,I,J,Kら多数の者と順次共謀の上,帝都高速度交通営団地下鉄霞ヶ関駅に停車する営団地下鉄日比谷線,同千代田線,同丸ノ内線の各電車内等にサリン(化学名イソプロピルメチルホスホン酸フルオリダート,あるいはメチルホスホノフルオリド酸イソプロピル)を発散させて不特定多数の乗客らを殺害しようと企て,山梨県西八代郡甲所在の教団施設第10サティアンの実験施設(通称ジーヴァカ棟)において生成されたサリンを含有する液体を,ナイロン・ポリエチレン袋に入れて準備した上,平成7年3月20日午前8時ころ,Iが営団地下鉄日比谷線秋葉原駅直前付近を走行中の北千住発中目黒行き電車内において,Jが同日比谷線恵比寿駅直前付近を走行中の中目黒発東武動物公園行き電車内において,Kが同丸ノ内線御茶ノ水駅直前付近を走行中の池袋発荻窪行き電車内において,Hが同千代田線新御茶ノ水駅直前付近を走行中の我孫子発代々木上原行き電車内において,被告人が同丸ノ内線四ッ谷駅直前付近を走行中の荻窪発池袋行き電車内において,それぞれサリン入りのナイロン・ポリエチレン袋合計11袋を床に置き,先端を尖らせた所携の傘で突き刺し,サリンを漏出気化させて発散させ,いずれもサリン中毒又はそれに起因する疾病により,乗客ら合計12名を死亡させて殺害したが,訴因変更にかかる乗客ら合計14名については傷害に止まり殺害の目 で突き刺し,サリンを漏出気化させて発散させ,いずれもサリン中毒又はそれに起因する疾病により,乗客ら合計12名を死亡させて殺害したが,訴因変更にかかる乗客ら合計14名については傷害に止まり殺害の目的を遂げなかったという殺人,殺人未遂の事案(原判示第一の事実,以下,単に「地下鉄サリン事件」という。)及び,(2)①アブトマット・カラシニコバ1974年式ロシア製自動小銃(以下,単に「AK74」という。)を模倣した自動小銃約1000丁を製造しようと企て,前記B及び教団所属の多数の者と順次共謀の上,平成6年6月下旬ころから平成7年3月21日ころまでの間,前記甲等に所在する複数の教団施設において,工作機械を使用して鋼材を切削するなどし,同自動小銃の部品多数を製作するなどして自動小銃約1000丁を製造しようとしたが未遂に終わり,②前同様,Bらと共謀の上,平成6年12月下旬ころから平成7年1月1日までの間,山梨県南巨摩郡乙所在の清流精舎と称する教団施設において,前記①の犯行により製作した小銃の部品を取り揃え,これらを組み立てて小銃1丁を製造した武器等製造法違反の事案(原判示第二の事実,以下,単に「自動小銃製造事件」という。)である。 2 地下鉄サリン事件について本件は,多数の乗客らで混雑した平日朝の通勤時間帯に,霞ヶ関駅に向かって走行中の地下鉄3路線,5方面の車両内において,極めて毒性の強いサリンを同時多発的に散布して,無差別の大量殺人を企図し,これを遂行したもので,その結果,営団地下鉄職員2名及び一般乗客ら10名の合計12名を死亡させ,訴因が変更された者に限っても,加療等期間不詳の特に重篤な傷害を負った2名を含む合計14名の乗客らに対して傷害を負わせたものである。その犯行は,我が国の犯罪史上に例を見ない極めて残虐,凶悪かつ非人道的なものというほ 者に限っても,加療等期間不詳の特に重篤な傷害を負った2名を含む合計14名の乗客らに対して傷害を負わせたものである。その犯行は,我が国の犯罪史上に例を見ない極めて残虐,凶悪かつ非人道的なものというほかない。 本件犯行の直接の動機及び目的についてみると,本件当時,目黒公証役場事務長に対する逮捕監禁致死事件が教団の犯行であるとの疑いが強まり,警察の教団に対する強制捜査実施が危惧される状況となったことから,Bを中心とした教団幹部らが,強制捜査を阻止するために,平成7年3月18日ころ,東京から山梨県甲に向かう原判示リムジンの中で,地下鉄にサリンを散布する計画が発案され(所論は,原判決が,原判示リムジンの中で概ねの謀議が成立したかのように認定しているが,この場面について唯一具体的な供述をしているDの判決においては,リムジン車内での共謀の成立は否定されているという。当審で取り調べたDの判決書(当審職1)によれば,Dに対する判示内容については,所論のとおりリムジン車内での話し合いの段階では,DとBらとの間では共謀は未だ成立していないとしているが,一方で,その話し合いの具体的内容として,C,Dらの発言を契機に地下鉄内でサリンを散布する計画が発案され,BはCをサリン散布の総指揮者として指名し,Cが実行犯候補者として被告人ら4名の氏名を挙げ,BがそれにHを加えたこと,Bが,リムジンに同乗していたEに対してサリンを造れるか質問し,Eは条件が整えば造れる旨供述したことなどの事実自体は認定しているのであって,これは,被告人の原審公判におけるDの証言にほぼ沿ったものであり,原判決が認定した事実と同様であって,Dに対する判決の内容が,この点に関する原判決の事実認定と矛盾しているとまではいえない。),警視庁のある霞ヶ関駅を通過する地下鉄車両内にサリンを散布して首都中 ,原判決が認定した事実と同様であって,Dに対する判決の内容が,この点に関する原判決の事実認定と矛盾しているとまではいえない。),警視庁のある霞ヶ関駅を通過する地下鉄車両内にサリンを散布して首都中心部を大混乱に陥れるべく具体的な実行案を企図して,敢行されたものである。その動機,目的自体,教団の保身のためには手段を選ばないという極めて身勝手で独善的な発想に基づくものである。その背景には,当時Bが,近い将来世界最終戦争(ハルマゲドン)が勃発する,教団が国家権力から弾圧を受けているなどと説いて教団の武装化を推し進める一方,武力による救済を実行し,悪行を積む現代人をより高い世界に転生させるためには殺人をも「ポア」と称して正当化するという,いわゆる「タントラ・ヴァジラヤーナ」の教義を説き,本件犯行をも正当化していたことが指摘され,反社会的性格の極めて高い教義に基づき,教団の持つ科学的知識,設備,人員を駆使して実行された,正に狂信的ともいうべき犯行であって,酌量すべき点は全くない。 本件犯行の態様についてみると,本件において使用されたサリンは,ナチス時代(1938年)のドイツで軍用兵器として開発された神経ガスの一種であり,極めて揮発性が強く,空気1立方メートル中に100ミリグラムのサリンが含有されている中に1分間暴露されると半数の者が死亡するという極めて毒性の高い物質である。本件においては,このサリンを含有する液体を合計5リットル程度準備して,11袋に分け,被告人を含む実行犯5名が,通勤で混雑する時間帯を選んで車両内に持ち込み,5方面の地下鉄車両内で一斉に散布したというのであって,本件が密閉された空間である地下鉄車両内で同時多発的に敢行されたものであることをも併せ考えると,多数の死傷者が出ることは必至であり,甚だ危険性が高く,悪質極まりない犯 斉に散布したというのであって,本件が密閉された空間である地下鉄車両内で同時多発的に敢行されたものであることをも併せ考えると,多数の死傷者が出ることは必至であり,甚だ危険性が高く,悪質極まりない犯行である。また,本件は,Bの命令によって,Cら教団幹部が犯行計画を策定し,具体的な指揮命令者,専門的知識と技術を活用してサリンを生成する役割の者,サリンを散布する実行役,実行役らを送迎する自動車の運転手役など役割を分担し,サリン散布の具体的な路線や実行方法,現場への送迎方法,実行犯がサリンに触れたり中毒の症状を呈した場合の対応などについて数度にわたる打ち合わせを行い,犯行現場の下見,サリンの袋を傘で突き刺す練習及び実行犯の変装用具の準備などの周到な事前準備を行った上で敢行された,組織的かつ計画的な犯行である。 その結果,前記のとおり本件犯行によって12名もの貴重な生命が奪われた上,加療期間が不詳で未だ回復の見込みも立たない重篤な病状の2名を含めた多数の者がサリン中毒に罹患するなどしたのであり,発生した結果は極めて深刻かつ重大なものである。12名の死亡被害者は,いずれも通勤客や営団地下鉄職員であって,当日偶然犯行現場に居合わせたにすぎず,もとより何らの落ち度もないにもかかわらず,理不尽な犯行に巻き込まれて,何ら事情も分からないまま意識を失い,あるいは苦悶のうちに非業の死を遂げたものであって,その苦痛や無念の情は察するに余りある。また,突然の凶行により夫や子供を奪われた遺族ら関係者の悲嘆,衝撃,憤りはいずれも深く,心身共に痛めつけられて体調を崩し,職を辞した者などもあり,同情に堪えない。重篤な傷害を負った2名の被害者については,激しく苦悶して瀕死の状態に陥っていたところを,適切な医療措置によって生命は取り留めたものの,意識障害,四肢機能障害,記 した者などもあり,同情に堪えない。重篤な傷害を負った2名の被害者については,激しく苦悶して瀕死の状態に陥っていたところを,適切な医療措置によって生命は取り留めたものの,意識障害,四肢機能障害,記銘力障害の程度が甚だしく,今後改善する見込みも薄いというのであって,被害者本人の苦悩や苦痛のみならず,今後被害者を支えていかなければならない家族らの負担や心労は,死亡した被害者のそれに劣らず深刻なものであるとうかがわれる。さらに,他の負傷者においても,相当な期間にわたって縮瞳,吐き気,頭痛等サリン中毒による症状に悩まされ,仕事や日常の行動に支障をきたすなどしており,心身の苦痛はもとより,社会的活動に対する影響も軽視し得ないものである。 このように,本件犯行が被害者や遺族らに与えた影響は甚大であり,被害感情が極めて厳しいものがあるのも当然といえる。特に,本件により死亡した被害者の遺族が,原審において,本件関係者については極刑を望む旨,心情を吐露しており,他の被害者や遺族ら関係者も,同様厳しい刑罰を望んでいるものであるが,その公判証言からうかがわれる心情は誠に切なるものがあるといえる。 加えて,本件犯行は,前記のとおり,大量殺人を目的とする神経ガスのサリンを通勤客が集中する地下鉄車両内で散布したという,我が国の犯罪史上においても例を見ない犯行であり,本件現場となった地下鉄の各路線においては,サリン中毒の症状を呈した乗客らがパニック状態になり,首都の中心部が大混乱に陥ったものであって,多数の国民に与えた恐怖の念には誠に大きいものがあり,我が国の治安に対する国際的な信頼をも揺るがせた点を含めて,本件犯行が引き起こした社会不安など,その社会的影響は深刻である。 所論は,地下鉄サリン事件について,犯行の当初は社会的に熾烈な処罰感情があり,被告人と同様 る国際的な信頼をも揺るがせた点を含めて,本件犯行が引き起こした社会不安など,その社会的影響は深刻である。 所論は,地下鉄サリン事件について,犯行の当初は社会的に熾烈な処罰感情があり,被告人と同様に実行犯となったK,Jらに対する死刑判決は,社会の処罰感情への配慮という側面もなきにしもあらずであったが,社会の処罰感情は時の経過によって緩和するものであり,現在においては,社会の受け止め方が異なってきている点をも考慮すべきである,という。しかしながら,本件のような空前の凶悪犯罪について現時点で社会感情が既に風化しているなどとは到底いえない。特に直接死傷の被害を受けた者や遺族らの心の痛手が,時の経過と共に緩和したなどとは考えられない。 3 自動小銃製造事件について本件犯行は,Bが,前記のように教団武装化の一環として,教団内部で自動小銃を量産しようと企て,ロシアから教団幹部が持ち帰ったAK74の調査を行い,金属加工等に必要な多数の工作機械・設備を据え付けた大規模な工場を設置し,特殊鋼材を入手した上,多数の信者を配置して自動小銃の部品を現実に量産し,その間に,見本としてではあるが,現に相当の殺傷能力を備えた小銃1丁を製作したものであって,他に類を見ない大規模かつ組織的な武器製造事案として,その危険性や悪質性は極めて高いものであるし,社会に与えた不安は多大であるといえる。 4 本件の捜査状況と被告人の検察官調書の任意性,信用性について(1) ところで,被告人は,地下鉄サリン事件について,捜査段階当初においては黙秘していたが,平成7年5月30日付け検察官調書(謄本,乙19。以下,謄本との表示は省略する。)において同事件への関与を認める供述をしたのを境に,同事件に関する被告人の具体的な役割,行動,その際の心境等に言及した自白を内容とする検 け検察官調書(謄本,乙19。以下,謄本との表示は省略する。)において同事件への関与を認める供述をしたのを境に,同事件に関する被告人の具体的な役割,行動,その際の心境等に言及した自白を内容とする検察官調書(乙1ないし7,20,21)が作成されている。また,自動小銃製造事件についても,同様に自白を内容とする検察官調書(乙9ないし16)が作成されている。 (2) 原審においては,地下鉄サリン事件に関する検察官調書が作成される以前に,①被告人が取調警察官から暴行を受けて負傷した,②取調検察官の偽計があったとして,これらの検察官調書の任意性,信用性の存否が争われたが,原判決は,取調検察官及び警察官らの原審証言の信用性を認め,一方で被告人の原審公判供述は信用できないとして前記検察官調書の任意性,信用性がある旨認定しているものである。 所論は,被告人の原審公判供述が虚偽であるということを前提として,前記検察官調書の任意性,信用性を肯定した原判決の事実認定にはいささかの疑問があり,少なくとも被告人が原審公判で虚偽を述べたと断定して,これを被告人に不利に評価した上で,死刑の判断に寄与させることには納得できない,と主張する。加えて,後述するように,被告人は原審公判において前記検察官調書の任意性,信用性に関わる事実についてはるる供述していたものであるが,原審第46回公判の途中から公判廷ではほとんど口を閉ざすに至り,当審公判に至るまでその態度が変わることはなかったため,本件各事実に関する被告人自身の具体的な関与の態様については,他の被告人の公判における証人尋問調書に録取されているものの,被告人自身の心境について語られている証拠はごくわずかである。その意味で,被告人自身の本件各犯行への関与の態様及びその際の心境等を認定するに当たっては,被告人が原審公判で 書に録取されているものの,被告人自身の心境について語られている証拠はごくわずかである。その意味で,被告人自身の本件各犯行への関与の態様及びその際の心境等を認定するに当たっては,被告人が原審公判で虚偽供述をしたとの原判決の認定が正当であるかを吟味することのみならず,前記検察官調書の任意性,信用性の点を検討し,その証拠価値を判断することが不可欠であると考えられるので,これらの点について検討を加えることとする。 (3) 被告人が取調警察官から暴行を受けた点の存否に関する被告人の原審公判供述,被告人に暴行を加えたとされる原判示L巡査,同M警部補,同N警部補らの原審証言,及び被告人を取り調べたO検事の原審証言の概要については,概ね原判決が「本件の争点とこれに対する判断」第二の一の2において説示するとおりである。 そこで検討するに,L,M両警察官は,Lが被告人の肩附近に手を伸ばした際に,被告人の眼鏡が床に落ちた,Lが被告人の肩附近をつかんだことはあるが,被告人の顔面に手が当たったという記憶はない,眼鏡を拾って渡した後に,被告人が何かを噛んでいるような,口をもぐもぐするような動作を始め,10分か15分くらいで唇から血がにじんできたなどとほぼ一致して証言しているものであるが,両警察官の供述するような,偶然手が被告人の眼鏡附近に当たった程度のことで,眼鏡が床に落ちるというのはいささか不可解である。また,O検事の原審証言によれば,被告人の左下唇が腫れているのを現認した同検事が,L,M両警察官に事実を確認した際には,両警察官は,被告人の服をつかんで立ち上がらせようとした際に顎に手が当たったかもしれない旨説明し,O検事が被告人の唇の傷について更に追及した際には,被告人が下唇を噛んでいた際に顎に手が当たった可能性がある旨説明したというのである。O検事の せようとした際に顎に手が当たったかもしれない旨説明し,O検事が被告人の唇の傷について更に追及した際には,被告人が下唇を噛んでいた際に顎に手が当たった可能性がある旨説明したというのである。O検事のこの点に関する原審証言は,その経緯及び内容からも高い信用性が認められるところ,L,M両警察官の原審証言によれば,被告人が唇を噛むような動作を始めたのは,L警察官が被告人の顔面に手が当たる可能性のある動作を終了した後のことになるのであって,O検事に対する説明と食い違っている。原判決は,この点の食い違いを前提としても,L警察官が被告人を殴打したということにはならず,同証人らの証言の問題部分の信用性を致命的に損なうものではない旨判示するが,検察官が取調警察官の被告人に対する直前の暴行を疑って事実関係を確認している際に,L警察官らが,問題とされている被告人の唇の傷が,被告人の自傷によるものであると認識していたのであれば,取調警察官としては,端的にその旨検察官に説明するのが自然であって,被告人の顔面に手が当たったことによって傷害が発生した可能性を示唆するかのような説明をするとは考えられない。そうすると,この点に関するL,M両警察官の証言と,O検事の証言との食い違いは,相当に重大な点に関するものであって,L,M両警察官の原審証言の信用性について,多分に疑問を差し挟むべき点であるばかりでなく,L,M両警察官のO検事に対する説明自体の信用性にも,疑念を差し挟むべき点になるといわなければならない。 (4) 一方,原判決が被告人の原審公判供述について疑問を差し挟んでいる点について検討する。 ① 原判決は,被告人は,5月18日の受傷後約5か月を経過した10月17日,折れた歯の受診を申し出て,P歯科医院で治療を受けた旨供述するが,被告人を治療したQ歯科医の原審証 点について検討する。 ① 原判決は,被告人は,5月18日の受傷後約5か月を経過した10月17日,折れた歯の受診を申し出て,P歯科医院で治療を受けた旨供述するが,被告人を治療したQ歯科医の原審証言によれば,健全歯が外力によって破折した場合,痛みはその日のうちに発出し,鎮痛剤を飲んでも我慢できるような程度ではないし,問診に際し,被告人自身1日か2日前から痛みが出た旨答えたというのであること,また,O検事の証言によれば,被告人の5月18日当時の訴えは下唇の傷に関するものであって,歯の痛みに関するものではないことに照らして,被告人のQ歯科医やO検事に対する痛みの訴え方は,5月18日に歯を折られたという被告人の主張と相容れない旨判示している。 被告人の受診の日時及び経緯,Q歯科医及びO検事に対する症状の訴えについては,原判決が認定判示するとおりであるが,これらの事実を前提としても,必ずしも被告人の主張と相容れないものとはいえない。すなわち,O検事の原審証言によれば,被告人がO検事に対して下唇の傷に関する話をしたのは,「検事さんの紳士的な態度には感謝いたします。警察のあるいは刑事の初日の取調べは,対応はよかったのですが,今日下唇にけがをしました,やはり警察はこういうものだと思って安心した面もありますが,このような暴力に屈して話をするような私ではありません,ここにはだれも信用できる人はいません,もう今後は一切しゃべりたくありません。」という趣旨の言葉によるものであったというのである。前記のとおり,被告人はこの当時地下鉄サリン事件の事実関係については黙秘していたこと,教団内部では警察が教団を弾圧している旨の情報が広く行き渡っていて,被告人自身もそれを信じていた旨供述していることなどに照らせば,この発言の内容は,警察官から暴行を受けたことにより, していたこと,教団内部では警察が教団を弾圧している旨の情報が広く行き渡っていて,被告人自身もそれを信じていた旨供述していることなどに照らせば,この発言の内容は,警察官から暴行を受けたことにより,警察が教団を弾圧しているというのが真実であると確信が持てたが,暴力に屈して供述をすることはせず,黙秘を貫くという,当時の被告人の信条を述べたものと理解できるのであって,必ずしも警察官の暴行の事実を検察官に訴えて善処を求めたというものとは解されない。もっとも,O検事は,被告人の負傷状況を見て,若干の事実関係を被告人に確認し,前記のとおり取調警察官に事情を聴取するなどの措置を講じているが,これは検察官としての立場から捜査の適正を図るため必要と考えて行ったことである。そうすると,当時の被告人にとって,肉体的な苦痛を受けていること自体を問題として取り上げるつもりはなく,いわば法難ともいうべき事態と捉えて忍耐していたとも考えられるのであって,原判決が疑問視している点である,被告人が取調官の交替を特に希望しないと述べたことともつじつまが合うのである。また,Q歯科医の証言によれば,10月17日の時点で,被告人の右下第4,5歯については,歯幹部がなく根しか残っていない状態の虫歯になっており,炎症が広がりリンパ節の腫脹まで生じるなど相当悪化した状態になっていたものであるところ,これらの歯については,外力なく虫歯によってこのような状態になったのか,5か月前に外力によって破折しその後虫歯になったのか区別は付かず,その場合途中で痛みが治まるということもしばしば聞くというのであって,客観的な歯の所見や被告人の訴えと被告人の供述の間に矛盾する点は見当たらない。もっとも,Q歯科医の証言によれば,健全歯が破折した場合,通常であれば我慢できない程度の痛みがあるというが,被告 あって,客観的な歯の所見や被告人の訴えと被告人の供述の間に矛盾する点は見当たらない。もっとも,Q歯科医の証言によれば,健全歯が破折した場合,通常であれば我慢できない程度の痛みがあるというが,被告人の当時の歯の状態は,他にも虫歯や欠損歯があり,汚れも相当ひどい状態であったことからすると,本件で問題となっている歯が破折する前に既に虫歯になっていた可能性も否定できない。また,被告人の留置人診療簿(甲12565添付書類)によれば,被告人が原判示荏原警察署で勾留中に病院で受診したのは,6月28日の下痢症及び前記一連の歯科治療以外は,9月3日以降腹痛を訴え,結局腎臓結石であることが判明し,治療を受ける間の一連の受診であるところ,腎臓結石については,原審公判時における被告人の病状照会の結果からも,絶えず横臥していなければ耐えられないほどの激しい痛みであることがうかがわれるものであって,所論のいうように,被告人が肉体的な苦痛を極限まで我慢する傾向があることは必ずしも否定できず,通常なら訴えるであろう相当の苦痛であっても,あえて訴えることをしなかったこともあり得ないことではない。 ② 原判決は,被告人が原審公判において,L警察官の殴打によって折れた歯の隣の歯に詰めていた金属が取れた旨供述していたにもかかわらず,客観的な証拠によれば,歯科医による初診時に被告人の供述する歯の金属は被さったままであることが認められ,被告人の供述は事実に反している旨判示して,この点も被告人が虚偽供述をしているとの認定に用いている。しかしながら,被告人が金属が取れた旨供述している歯(右下第6歯)及びその隣の歯(右下第7歯)は,いずれも被告人が前記のとおり供述した原審公判当時においては治療のため入れていた金属が取れた状態になっていたものであることからすると,被告人が隣接した2 (右下第6歯)及びその隣の歯(右下第7歯)は,いずれも被告人が前記のとおり供述した原審公判当時においては治療のため入れていた金属が取れた状態になっていたものであることからすると,被告人が隣接した2つの歯を取り違えて供述した可能性がないとはいえない。この点について原判決は,被告人が公判廷で口の中に指を入れるなどして確認し,2本の歯のへこみ具合が異なる旨自認しているにもかかわらず,第6歯であると明言していることからしても,取り違えとは考えにくいという。しかし,歯の位置等については,目で見るのと異なり,手探りではなかなか正確に認識することは難しいと思われる。被告人が第6歯と明言していたのは,原判示歯科医の証人尋問の以前であり,第6歯と第7歯の相違を確認したというのが,第6歯の金属が受診当時は付いた状態になっていたことを指摘された後であることは原判決指摘のとおりであるが,勾留中に被告人が供述するような事態が生じた場合であっても,被告人がそのこと自体をそう問題視するつもりがなかったとすれば,その当時正確な歯の位置を確認することまではせず,原審公判に至って歯の位置を確認した際に取り違え,歯科医の証言等,客観的な証拠に照らして第6歯というのが明らかな誤りであることを認識したため,公判供述を変えたとしても何ら不自然ではなく,この点について被告人があえて虚偽を述べたとまで断ずることは困難であると思われる。 (5) そうすると,5月18日の取調べにおいて,被告人がL警察官から殴打された疑いは払拭できず,反面,これに沿う被告人の原審供述については,歯が折れたという点をも含めて,その概要において,明らかに虚偽を述べている点は見いだし難い。この点に関する原判決の認定は,所論のいうように,必ずしも相当ではないものである。なお,N警察官の暴行に関する主張につい いう点をも含めて,その概要において,明らかに虚偽を述べている点は見いだし難い。この点に関する原判決の認定は,所論のいうように,必ずしも相当ではないものである。なお,N警察官の暴行に関する主張については,同人自身が原審証言において,被告人が取調中に硬直した状態になった際,首や肩を動かすよう言ったり,手を出させて指を曲げさせるなどしたこと自体は認めており,その意図やこれが被告人の意に反するものであるか否かは別としても,被告人の原審供述と外形的にはほぼ沿うものであって,この点についても,被告人が虚偽を供述しているものとは言い難い。 (6) その上で,被告人の前記検察官調書の任意性,信用性について吟味する。O検事の原審証言によれば,同検事は,前記のとおり被告人の負傷に気付いて被告人とL,M両警察官に対して説明を求めた上,厳重に注意を促し,両警察官を被告人の取調べから2日間外してO検事自ら取り調べるなどの措置を講じ,被告人からはその後警察官の取調べは非常に紳士的であるなどと聞いたというのであり,被告人自身も地下鉄サリン事件に関する取調中は,警察官らから暴行を受けることはなくなった旨原審公判で供述している。また,同検事は,当初被告人は雑談には応じるものの,事件自体については黙秘を続けていたが,同検事が折に触れて教団に関するマスコミ情報と教団内部での出版物を対比して教団の犯罪に関する情報を提供するなどした際,被告人も関心を示したこと,5月28日には被告人から「Kが認めているんですか」と尋ねられ,同検事がKが自供したなどと説明したところ,被告人は,同人が無間地獄に落ちてしまうなどとして大粒の涙を流したこと,その後「自分自身の心の中で決めました」と言い出し,実兄との接見を求めた上,同月30日に地下鉄サリン事件への関与について認める趣旨の概括的な供述 無間地獄に落ちてしまうなどとして大粒の涙を流したこと,その後「自分自身の心の中で決めました」と言い出し,実兄との接見を求めた上,同月30日に地下鉄サリン事件への関与について認める趣旨の概括的な供述を始め,前記各調書が作成されたこと,地下鉄サリン事件に関する警察官調書は,同月31日付けの概括的事実を認める調書1通しか作成されていないが,地下鉄サリン事件についての起訴があった後のO検事に対する取調べの際,被告人がM警察官らにもいつかちゃんと話さなければならないと思っていたが,申し訳ないことをした旨供述したことなどの証言をしている。これらの証言は具体的かつ合理的で,被告人の検察官調書が作成された時期や前後関係などの供述経過ともよく合致しており,前記N警察官の原審証言とも合致していることからしても,信用性は高い。そうすると,被告人が取調警察官から暴行を受けた可能性は否定できないとしても,検察官に対する供述は,その暴行による影響から遮断された状況で録取されたものであると認めることができる。 (7) O検事の偽計に関する所論,すなわち,O検事が被告人に対して,調書を作れば,Bの法廷には出廷することがない旨誓約したため,被告人がこれに応じて検察官調書の作成に応じたという点については,原判決が説示するように,O検事自身が原審において明確に否定しており,そのように誤解を招くような言い方をしたこともない旨証言している。O検事のこの点に関する証言についても,前記の暴行に関するものと同様,具体的で明確であり,同検事の証言は十分に信用することができる。そうすると,後述するように,被告人がそのように思いこむ事項があったかどうかは置くとしても,O検事の取調べの過程で,被告人の供述の任意性や信用性を左右するような偽計が用いられたとは考えられない(なお,被告人のこの 述するように,被告人がそのように思いこむ事項があったかどうかは置くとしても,O検事の取調べの過程で,被告人の供述の任意性や信用性を左右するような偽計が用いられたとは考えられない(なお,被告人のこの点に関する原審供述は所論に沿うものであって,前記認定とは食い違うが,これが虚偽の供述であるか,それとも被告人がそのように思い込む事情があったと認められるかの点については後述する。)。 (8) そうすると,被告人の前記検察官調書の任意性については,これを認めることができるというべきであり,この点に関する原判決の判示は結論において相当である。 (9) ところで,被告人の前記検察官調書の信用性について,その内容を更に検討すると,①自己の関与した犯行の客観的状況については,比較的詳細で具体的な経緯に至るまで話しており,これらの点については,他の共犯者の供述や,信用できる客観的証拠とも概ね符合しており,矛盾点は認められない。更に,例えば最初に実行犯候補者がCから呼び出されて本件に関する指示を与えられた際に,被告人が一番最初に回答を求められたが沈黙し,Iら他の実行犯候補者がいずれも「はい」と返答し,被告人が一番最後に「はい」と答えた点など,他の共犯者の調書に現れていない事実も散見される,②一方で,推測に及ぶ事項や確信の持てない事項に関する供述は「確かなことが分からないので供述したくない」などとして,検察官の追及にもかかわらず避ける傾向が顕著である。また,特に捜査段階の当初においては「B’尊師のことについては今は話せない」などとして,Bの関与についての供述を拒否していたが,その後はやや断片的ではあるものの,Bの関与について供述している点がある,③日時の点や他人の関与等については甚だ曖昧であり,被告人自身も,教団内部の生活では時間や場所を気にする必要が 拒否していたが,その後はやや断片的ではあるものの,Bの関与について供述している点がある,③日時の点や他人の関与等については甚だ曖昧であり,被告人自身も,教団内部の生活では時間や場所を気にする必要がないため,この点の感覚が乏しい旨自認している,などの点が認められる。 前記のようなO検事の取調べを受けた際の被告人の様子に加えて,これらの諸点を考え併せると,前記検察官調書の録取時において,何らかの理由で被告人が供述を避けた部分があり,その意味で,被告人がO検事に対して事実を全面的に語ったものであるとまでは評価できない。しかし,その反面,客観的な事実について被告人が供述した内容は,時間や場所などについての曖昧さはあるものの,被告人なりに決心してその記憶のままに供述したものと見るべきであり,他の共犯者が供述していない事実や,被告人のみが体験した事実について相当具体的に供述されていることからしても,O検事の誘導や作文などが入る余地は乏しいと評価できる。 一方で,被告人の検察官調書においては,④自己の心情等については,一応語り得ている個所もあるものの,例えば最初にCから地下鉄にサリンを撒くという計画について聞かされた際,「いろいろなことが頭を駆けめぐった。」などと曖昧な供述を行い,この供述に納得しないO検事との間で,「いろいろなこと」とはどういうことかなどという点について,問答式の調書が作成され,結局被告人は「実際にその場にいた者でなければ説明できないこともある。」旨返答しているなど,必ずしも明快な表現にはなっていないこと,⑤その他,本件当時の自己の心情に関する部分は,通り一遍の表現に止まっている点が多々あることが認められる。 前記O検事の証言に照らすと,これらの心情に関する部分についても,被告人の口から出た供述をまとめたという点に疑いはなく, に関する部分は,通り一遍の表現に止まっている点が多々あることが認められる。 前記O検事の証言に照らすと,これらの心情に関する部分についても,被告人の口から出た供述をまとめたという点に疑いはなく,全く根拠のないものであるとか,作文であるなどとは考えにくい。そうであれば,検察官調書については,客観的事実及び被告人の内心双方について,信用性を認めることができるというべきであり,この点に関する原判決の説示も相当であるということができる。 (10) そうすると,被告人が原審において供述している点,すなわち,被告人において,O検事が被告人に対して,Bの法廷には出廷することがない旨誓約したため,被告人がこれに応じて検察官調書の作成に応じたということや,自分の心情とは異なる調書録取をされたなどという点には,客観的な事実と異なる点があると言わざるを得ないが,以下の点にかんがみると,これが被告人の虚偽供述であるとは,必ずしも言い切れないものである。 すなわち,O検事の証言によれば,被告人は自分の記憶のままに供述したと思われ,嘘を言っているなどとは思えなかったが,被告人は心境を語るのに表現力が極めて乏しく,調書作成の際には相当に困難であったというのである。これは,前記検察官調書の内容,体裁からもうかがわれるところである。そうすると,捜査官としては,被告人の訥々とした供述を何とか理解可能な形にして録取しようと苦心したことは想像に難くなく,その過程で検察官なりに理解した言葉の形で反問するなどしたことは容易に推測できる。一方で被告人としては,何がきっかけであったかは不明であるが,ある段階から事実については供述しなければならないと考えを固めたものと思われ,黙秘を破って供述を始め,途中までは強く抵抗を示していたBの関与に関する供述も始めるに至った。この点について 不明であるが,ある段階から事実については供述しなければならないと考えを固めたものと思われ,黙秘を破って供述を始め,途中までは強く抵抗を示していたBの関与に関する供述も始めるに至った。この点については,O検事が警察官の暴行に対する適切な対応や,教団に関する情報提供などをしてくれたことから,一種の信頼感を抱いて供述を始めたものと推測することもできるし,自分なりに事実を語ることに対する義務感を抱いたと推測することもできる。しかし,曖昧なことや自分で分からないことを推測で述べるということは被告人にとって甚だ困難なことであり,具体的客観的事実を語ることについてはまだしも,自分の当時の心境について語ることは至難であったと思われる。それが時には「いろいろなことが頭を駆けめぐった」などという言葉になり,その内容を説明することを求める検察官との間で問答式調書が作成される結果となっているが,検察官が納得できないままに録取したと思われるこれらの曖昧な言葉は,被告人が自ら語った言葉を率直に録取したと解することができる。一方,検察官は,時には具体的に言葉を挙げたり,具体的な質問を重ねるなどしてようやく形になった言葉を,調書に録取するなどしたこともあったと認められる。所論がサリンを散布する直前の電車に女性の乗客がおり,辛い思いがしたなどという被告人の供述が,Hのそれと酷似していると指摘している点などは,おそらく具体的な質問を積み重ね,その返答をまとめる形で録取されたため,類似する結果になったのであろうと推測される。そうであれば,このような調書作成の過程で,被告人が,自己の心境について作成された調書部分について,検察官の言葉によってまとめられた供述が,必ずしも自分の心情を的確に表現したものではないと感じられる個所があったとしても不思議ではない。そうすると,検察官 の心境について作成された調書部分について,検察官の言葉によってまとめられた供述が,必ずしも自分の心情を的確に表現したものではないと感じられる個所があったとしても不思議ではない。そうすると,検察官調書において,被告人が自らの心情を語っている部分については,虚偽であるとか作文であるとか言う性質のものではなく,被告人の表現力の限界と調書録取に内在する限界はあるものの,一応信用することができるものと理解するのが相当であるが,被告人が完全に納得するものでもないことは,これもまたやむを得ないことである。 また,Bの公判で証言したくないという点については,これに関して被告人が拒否しているのに,O検事が調書を作成したことによって,被告人が拒否を受け入れてもらえたものと思った可能性が否定できない。このことは,原審公判において被告人を尋問したR検事についても,被告人は同様に,同検事がBの公判で証言することはない旨約束してくれたように思いこんでいたとしか解されない発言を公判廷で行い,R検事がそのような約束をしたことがない旨反問すると,R検事の態度や片言から,約束してくれたと受け取ったのに,それが裏切られたかのようなニュアンスの供述をしていることからもわずかに推測することができる。すなわち,被告人にとって,Bの公判で証言するということは最も抵抗のあることで,何とかしてそのような事態は避けたいと強く考えていたことが認められる。そのような情況下では,いかに検察官が慎重に言葉を選んで話したとしても,わずかなりとも自分の拒否を受け入れてもらえたと受け取れる言葉や態度があれば,それにしがみつき,検察官もそう約束してくれたと思い込みたい心情が働くことは否定できない。このように解すれば,O検事がBの公判証言について約束したなどという客観的事実がないにもかかわらず,被 れば,それにしがみつき,検察官もそう約束してくれたと思い込みたい心情が働くことは否定できない。このように解すれば,O検事がBの公判証言について約束したなどという客観的事実がないにもかかわらず,被告人がそのように解し,裏切られたとの心情に至って,前記のような原審公判供述に及んだことが矛盾なく説明できるものである。 (11) 以上検討したとおり,前記検察官調書の任意性,信用性の点については,結論としてこれを認めた原判決の認定は相当であって,以下の検討においても,これを被告人の行った客観的行動やその際の心情を認定する上で,一応信用すべき証拠として扱うことが相当であるといえる。しかし,その反面,被告人が原審公判においてあえて虚偽の供述をしているという原判決の説示は必ずしも当を得たものではない。すなわち,警察官の暴行や被告人の負傷については,前記のとおりその疑いが相当濃厚であるし,検察官の約束や心情録取の点についても,被告人なりの考えからそのように感じ,考えた結果であるとする余地もあるのであって,あえて虚偽を述べていると断ずることはできない。したがって,この点を量刑上不利益な事情としている原判決の判断については,必ずしも首肯することはできない。 なお,仮に,警察官による暴行があり,被告人がそれにより苦痛を受けたとしても,そのこと自体は量刑上考慮する余地があるが,死刑の選択を回避するに足りる事情とまでは到底いえない。違法捜査により被告人が苦痛を受けた場合に,そのことを全く量刑上の考慮の対象から外すことは,量刑事情の全般性や大きな意味での公正さという点からして,相当でないが,その考慮の程度は,それ相応のものであって,量刑自体を大きく左右するような事情には一般的にならないというべきである。本件では,前記のように,警察官による暴行自体を認定するこ 点からして,相当でないが,その考慮の程度は,それ相応のものであって,量刑自体を大きく左右するような事情には一般的にならないというべきである。本件では,前記のように,警察官による暴行自体を認定することまではできないが,被告人がこの点についてあえて虚偽を述べているとは断ずることができないという限度でこれを考慮すれば足りるのであって,被告人が犯した重大な犯罪からして,この点が被告人が本来負うべき責任を減軽させるに足りるものとはいえないというべきである。 5 被告人の本件各犯行に対する関与の程度,態様について以上を前提とした上で,被告人の本件各犯行に対する具体的な関与等について,さらに検討する。 (1) まず,地下鉄サリン事件については,被告人は,Cに呼ばれて,前記H,I,J及びKと一緒にサリン散布の実行役を行うように指示されて,これを承諾し,犯行の準備に寄与したほか,自ら丸ノ内線を走行する電車内でサリンを散布したものであって,前記のような重大凶悪な犯行の実行犯として,その責任は本件関係者中でも格段に重いものであるといわなければならない。すなわち,被告人は,Cに指示を受けて,逡巡しながらもこれを承諾し,その直後から,サリンを散布する具体的な方法を検討するにあたり,Cに,サリンを入れるのに適当な容器を探してくるように指示されて,Kと共に,適当と思われる容器に入った食品や,容器を加工する道具を購入したり,Cが準備した容器に水を入れ,逆さにしてこぼす実験を行うなど(被告人の検察官調書(乙1),証人尋問調書(乙22),K及びJの原審証言等),犯行の準備段階から相当程度関与をしている。また,本件犯行の直前には,最終的に被告人の送迎役となったSと同行して新宿駅及び四ッ谷駅の下見をし,当日の行動計画を細かく立ててSに送迎時の指示をしたり,実際に新宿駅 段階から相当程度関与をしている。また,本件犯行の直前には,最終的に被告人の送迎役となったSと同行して新宿駅及び四ッ谷駅の下見をし,当日の行動計画を細かく立ててSに送迎時の指示をしたり,実際に新宿駅から四ッ谷駅まで丸ノ内線に乗車してみるなど,被告人自ら周到な下調べをしているものである。この時点までに,被告人は,本件が5人の実行犯によって通勤時間帯の地下鉄車内に実行犯1人当たり約1リットルものサリンを散布するという計画であることや,本件以前に,Bの説法を録音したカセットテープ,教団の出版物の記載及びいわゆる松本サリン事件に関して教団内部で作成されたビラを見るなどして,サリンが兵器として使用され,人を死傷させる毒ガスの一種であると認識していたこと(乙21),後述のとおり,被告人自身のサリンの吸入ができるだけ少なくなるように,傘や靴を洗う場所を下見したり,洗浄用の水を用意したこと,その上でSに対し,自分が戻って来なかった場合のことを予測した指示を行うなどしていることからすると,所論にもかかわらず,被告人は本件犯行によって多数の通勤客が死傷する結果となることを優に予測していたものと認められる。それにもかかわらず,被告人は,本件犯行当日,あらかじめサリン予防薬を服用し,かつらや眼鏡を使用して通勤客を装い,新聞紙に包んだサリン入りの袋2つと袋を突き刺すため先端を尖らせた傘を携行して,予定通り新宿駅から丸ノ内線に乗車し,混雑に紛れてサリンの袋入りの新聞包みを足元に落とし,四ッ谷駅に到着する直前に傘の先端で包みを突き刺し,袋が破れた手応えを感じながら傘の先端を抜き去らずそのままにおき,降車直前になってから更に複数回包みを突き刺して,そのまま同駅で降車し,すぐに同駅の便所で傘の先端等に付着したサリンを洗い流して,予定通り迎えに来たSの運転する自動車で逃 を抜き去らずそのままにおき,降車直前になってから更に複数回包みを突き刺して,そのまま同駅で降車し,すぐに同駅の便所で傘の先端等に付着したサリンを洗い流して,予定通り迎えに来たSの運転する自動車で逃走しており,自分やSがサリン中毒に罹患するのを極力防止しながらも,犯行の実現に向けた的確な行動を取っている。その結果,被告人の乗車した路線においては,訴因変更分に限っても,4名の乗客に対し,加療約60日ないし37日に及ぶサリン中毒の傷害を負わせているものである。このように,被告人が本件犯行において果たした役割は非常に重大なものであるといえる。 (2) 次に,自動小銃製造事件について検討するに,被告人は,小銃製造の責任者としてBから指名を受け,随時B,Cらの指示を仰ぎながら,自らの持つ機械製作の知識,経験を利用して,設計図の作成,材料の選定,外注すべき部品と内部で製作する部品の振り分け,製法の決定など,小銃製造の重要な部分を自ら担当し,後にBから指名されたK,Jらと共に,多数の信者を指揮して,文字通り寝食を忘れて小銃製造に没頭し,本件に及んだものであって,本件において被告人が果たした役割は甚だ重要なものである。また,被告人は,警察の強制捜査が入ることを恐れて,小銃部品の一部を隠匿するなどもしており,本件の犯情は悪質であるといわざるを得ない。 6 被告人が本件犯行に及んだ経緯,動機及び犯行への反対動機形成可能性について(いわゆるマインド・コントロールに関する所論を含む)(1) 被告人の身上,経歴,教団入信及び出家に至る経緯被告人は,本籍地において地方公務員である父と母の間に二男として出生し,両親,兄及び祖母のいる家庭で特段の問題もなく生育した。昭和61年3月に丙工学部応用物理学科を卒業した後は,群馬県佐波郡所在の丁株式会社群馬工場に就職し 地方公務員である父と母の間に二男として出生し,両親,兄及び祖母のいる家庭で特段の問題もなく生育した。昭和61年3月に丙工学部応用物理学科を卒業した後は,群馬県佐波郡所在の丁株式会社群馬工場に就職して,電話やファックス等の接続部品を製造する機械の製作を担当していた。被告人は,その当時,会社に何の不満もなかったものの,例えば自分の考案した機械を導入した会社ではコスト削減等ができる一方で,従来の機械を使用していた従業員の人員削減が行われることなどを考えて,漠然と生きることに対する虚しさを感じていたところ,昭和63年2月ころ,Bの著作「マハーヤーナ・スートラ」を読んで感銘を受け,真理を追究することこそが自分の生き甲斐であると感じるようになり,わずか1週間ほどで教団に入信する決意を固めた旨供述している。被告人は,間もなく教団に入信し,会社勤務のかたわら,毎週土曜日には群馬県から東京都世田谷区にあった教団の東京本部に通うようになり,入信から約1年足らずで出家修行者になる決意を固めて,平成元年2月には会社を退職して実家に戻り,同年5月には教団からの連絡を受けて出家した。被告人はそれ以後,静岡県所在の教団富士山総本部,熊本県戊所在の教団施設等でいわゆるワークに従事した後,前記清流精舎に移り,当時所属していた同教団「真理科学研究所」(後の科学技術省)長官であったCの下で,前記のとおり自動小銃製造に従事しており,その間にCから地下鉄サリン事件の実行犯となるよう指示を受けて,本件各犯行に至ったものである。また,被告人には前科はない。 所論のいうように,教団に入信する前の被告人は,犯罪と無関係な生活を送っていたことは明らかである。被告人は検察官調書及び原審公判等において,自らの性格や嗜好等について語るところがほとんどないが,父親の原審証言によれば,被告人 する前の被告人は,犯罪と無関係な生活を送っていたことは明らかである。被告人は検察官調書及び原審公判等において,自らの性格や嗜好等について語るところがほとんどないが,父親の原審証言によれば,被告人は消極的な性格であるが,好きなことには熱中し,友人とも深く長い付き合いをするタイプであった,幼少のころから絵を描くことを好み,小学校の頃は剣道に打ち込んでいたというのであって,大学を卒業してからも,大手企業に入社し,客観的には順調な社会生活を送っていたものであり,反社会的な傾向はうかがえない。 ところで被告人は,前記Bの著作を読む以前には宗教に対して興味関心を持つこともなかったというのであるが,Bの著作を読んでわずか1週間で教団への入信を決意し,入信してわずか1年余りで出家を志して職を捨て,それから3か月余りで出家を実行したものであり,このことからは,被告人が短期間のうちに,これまで積み上げてきた社会生活や人間関係を捨てる決意に至るほど,教団に急速に傾倒を深めたことが見て取れる。この間の心境について被告人が語るところはごくわずかであり,抽象的なものであるが,所論のいうように,きまじめな被告人が人生や社会に対する若者ならではの悩みや疑問を抱き,Bの著作を契機に,教団にその答えが見いだせると考えて入信し,教団における活動を通じて前記の考えが確信に高められ,出家を敢行したものであったと考えても,あながち見当外れであるなどとは思われない。 (2) 被告人が入信した平成元年当時の教団には,未だ反社会的な活動状況はうかがえず,被告人自身はもっぱら自己の解脱を目指して入信し,修業に打ち込んでいたことがうかがわれる。その一方で,教団自体は,平成2年の国政選挙に立候補したBらが落選した頃を境に,前記のとおり「タントラ・ヴァジラヤーナ」の教義に基づいて急速に武装 て入信し,修業に打ち込んでいたことがうかがわれる。その一方で,教団自体は,平成2年の国政選挙に立候補したBらが落選した頃を境に,前記のとおり「タントラ・ヴァジラヤーナ」の教義に基づいて急速に武装化の動きを強めていたものである。 所論は,被告人はこのような教団の武装化とは無関係に,解脱を目指して修業していたものであるという。所論のとおり,被告人がこのような教団内部の方向転換や意思決定に何らかの関与をしていたと認められる証拠はなく,基本的には,武装化以前と同様,与えられたワークや修行に黙々と打ち込む生活に大きな変化はなかったものであって,被告人が解脱を第一の目的としてこのような生活を続けていたことに特段疑問とすべき点はない。このことは,教団内部における被告人を知る者が,異口同音に,被告人について「自分に与えられた作業を黙々とやる,非常に誠実で実直な先輩」(Jの原審証言)「明るくて話しやすい,紳士的な穏やかな感じの人,ワークには黙々と努力するタイプ」(Kの原審証言)「真面目で責任感が強く,不平不満を言わない,頼れる存在」(Tの当審証言)などと供述しており,被告人は,出家して以来一貫して他人に対しては穏やかで寛容に接しながら,自分の修行については極めて厳しく打ち込み,それに対して何ら弱音を吐いたり,不平を漏らしたりすることがないという人物と受け取られており,これと異なる受け止め方や,教団の変容に伴う被告人の大きな変化を感じている者が見当たらず,むしろ本件直前ころには,一層ワークに打ち込む態度が強くなったと受け取られていることからも裏付けられている。 しかしながら,関係証拠によれば,平成4年頃には,自動小銃大量製造の構想が既にあり,Bの命を受けたC及びUらが準備を進め,被告人自身は平成5年3月上旬ころに,C及びUからAK74をモデルにした自 しかしながら,関係証拠によれば,平成4年頃には,自動小銃大量製造の構想が既にあり,Bの命を受けたC及びUらが準備を進め,被告人自身は平成5年3月上旬ころに,C及びUからAK74をモデルにした自動小銃1000丁を製造するように指示を受けてからは,シークレットワークとしてこれに打ち込み,心血を注いでいたものであって,被告人自身の与えられたワーク自体が正に教団武装化の一端を担うものであったことは明らかである。被告人自身,Bの説くハルマゲドンに備えたものであると理解していた旨供述していることからしても,被告人が教団武装化の流れと全く無縁であったかのような所論は当を得ない。 (3) 所論は,このように,元来犯罪的な傾向が認められず,自己の解脱を目指していたはずの被告人が,なぜかくも反社会的な本件各犯行に及ぶに至ったかについて,以下のとおり主張するので検討する。 すなわち,前記のように,出家後の被告人の生活は,与えられたワークの他,教団の修業システムに従った修業を黙々と行い,睡眠や食事についても辛うじて生存に必要な程度に抑えられた異常なものであったが,被告人は,修業による解脱と悟りを得るという目的のみでただ黙々と受け入れていたものである。被告人が逮捕,勾留後に大幅な体調の悪化を来したのは,このような生活が原因であると思われるところ,このような状況が長期にわたって続けば,精神状態にも大きく影響し,社会一般の通常の人間の思考過程は欠落し,正常な判断能力など失われていたであろうことは容易に認識される。さらに教団では,グルであるBへの帰依が解脱への道であると説き,グルとの1対1の関係にひたることを強調することによっても,信者の判断能力の喪失が容易に実現する仕組みになっていた。もともと解脱や悟りにしか関心のなかった被告人は,専ら入信時の神秘体験や衝撃 と説き,グルとの1対1の関係にひたることを強調することによっても,信者の判断能力の喪失が容易に実現する仕組みになっていた。もともと解脱や悟りにしか関心のなかった被告人は,専ら入信時の神秘体験や衝撃的な体験を信じ,解脱と悟りを目指してワークに明け暮れていたのであり,教団やBに対して疑問を差し挟むきっかけにすら出会うチャンスはなかった。このように被告人の正常な判断力が相当程度麻痺していた中で,Cを通じてBから名指しで自動小銃製造の指示を受けて以降は,このワークに文字通り没頭し,ほとんど自室に閉じこもり誰とも会わず,話もせず,睡眠もほとんど取らず,食事も気が向いた時にだけ取り,気絶するように無意識的に作業場に突っ伏して眠るという,客観的には極めて過酷な生活状況が続いていた。このような中では,Bの指示の目的などを疑問として持つすべもなく,違法状態に加担しているということを突き詰めて考えるという心理状態にはなかった。被告人は,マハームドラーという修業の存在は知っていたが,自動小銃の製造がそれであるという明確な理解に立っていたわけではない。また,被告人は,科学技術省次官という立場ではあったが,教団内部で武装化,組織化が進み,タントラ・ヴァジラヤーナが強調されて,教団自体が質的に変化して違法行為を重ねていたことについては知るよしもなく,むしろ教団が毒ガス攻撃を受けているという情報を真に受けていたものであって,その意味では被告人が教団の違法行為を知りながらこれに加担した教団幹部であるとか,Bの教義の誤りに気付く機会もありながらこれに目を背けたなどというのは,被告人には当てはまらないものである,というのである。 その上で所論は,原審で取り調べられた社会心理学者Vの意見書(弁10),東京地方裁判所における被告人Wの第30回公判における同Vの証人尋問調書 被告人には当てはまらないものである,というのである。 その上で所論は,原審で取り調べられた社会心理学者Vの意見書(弁10),東京地方裁判所における被告人Wの第30回公判における同Vの証人尋問調書(弁9),同人の原審証言及び著書(弁7,8)(以下,これらの見解を総称して「V意見」という。)によれば,被告人の前記のような状況はマインド・コントロールと呼ばれる心理拘束の理論に沿うものとして説明が可能であるという。 すなわち,マインド・コントロールとは,他者が自らの組織が抱く目的成就のために,本人が他者から影響を受けていることを知覚しない間に,一時的あるいは永続的に,個人の精神過程や行動に影響を及ぼし操作することである。これは,従来心理学的に確かめられてきた対人的心理拘束力のシステムを総称する概念として一般的に呼ばれているものであり,「破壊的カルト」と呼ばれる反社会的な活動を行う熱狂的な組織集団が,新メンバー獲得及び集団維持,強化のために応用する心理学的拘束のシステムと言い換えることもできる。この影響力は,個人の意志決定をある計画に沿った方向に誘導し,強力に作用した場合には,自己破壊的行動や社会的規範を著しく逸脱するような判断や行動さえも辞さなくなる。マインド・コントロール問題の本質は,知性もあり精神的にも異常でない個人が,明白な物理的強制を受けておらず,あたかも自由な状況で意思判断し自己決定しているように見える点にあり,個人要因よりも環境要因の操作に力点が置かれている,その手段としては①自由拘束(単調な生活と情報の統制),②異性感情の抑制など自然な欲求の否定,③肉体疲労,④罰と報酬,⑤切迫感の操作,⑥外敵回避等の心理的拘束が用いられる。 教団においては,何より解脱を求め,生きている間にできるだけ高い霊的なステージを獲得することが求め な欲求の否定,③肉体疲労,④罰と報酬,⑤切迫感の操作,⑥外敵回避等の心理的拘束が用いられる。 教団においては,何より解脱を求め,生きている間にできるだけ高い霊的なステージを獲得することが求められており,そのためには教団のカリキュラムに従った徹底的な修行を積むこと,Bからの放出エネルギーを受けることが必要であり,そうして初めて解脱の境地に達することが可能とされていた。また,解脱は個人の問題にとどまらず,人々を救済するためには煩悩から解放された人々を多くしなければならない,死後には転生があり,煩悩にまみれたまま死ぬと低い魂しか持たない存在として生まれ変わるなどという教義を前提として,信者は徹底した修行と教団への勧誘,維持の活動を行っており,それが功徳を積む行為とされる一方,神々の意思は最終解脱に至った者(B)だけが知ることができる存在と信じ込まされていた。そして,信者はこのような高邁な権威によって自我を膨張させる一方で,教団に理解を示さない者を愚かで哀れな対象とみなすようになる。Bの説いたハルマゲドンの予言は,きたるべき世界の破滅に対して,教団こそがそれを救済し得るというものであるが,時間が切迫しているという感覚をも信者に対して植え付けさせることにより,信者らは唯一救われる途であるとして示されている徹底した修行とワークに無意識的に誘導され,それを多面的に内省する機会すら奪われていた。また,修行の厳しさも想像を絶するものであったが,このような状態におかれると「認知的不協和理論に基づく不十分な正当化現象」によって,辛ければ辛いほどなおさら修行に打ち込むという心理システムに陥る。そしてこのような努力を重ねた者に与えられる「イニシエーション」によって,Bの権威が高められ,同時にその際の神秘的な体験や,Bがそれを言い当てるなどの経緯を経て,B 打ち込むという心理システムに陥る。そしてこのような努力を重ねた者に与えられる「イニシエーション」によって,Bの権威が高められ,同時にその際の神秘的な体験や,Bがそれを言い当てるなどの経緯を経て,Bに絶対的に服従していく。更に,教義を徹底してたたき込まれ,瞑想や記憶学習を繰り返し行うことで,特定の記憶や思考を呼び起こさせやすい状態になり,記憶の中で検索できる情報が限定され,意思方法が偏向する。そして最終的には意図せずに情報の内容を受容するようになる,そうなるといかなる思考も既に受容された情報との関連で自動的に処理されるようになり,Bの指示や教団の教義を反射的に用いて自己決定し,行動を規定するようになる一方で,それと無関係な個人的思考はきわめて困難になる。その上でBから課せられる「マハームドラー」の修行により,一見して理不尽かつ無理難題と思われる課題をも,最終解脱者の指示であるということから,たとえ疑念を抱いても直ちに思考停止の機能が働き,いかなる反社会的な指示であっても実行するという規制が働く。教団においては,前記の心理的拘束に用いられる様々の手段を駆使して,前記のようなマインド・コントロールの状態を作り出していたものである。 これを被告人に即して見ると,被告人は人一倍解脱への途を希求し,Bの説く教義に強く共鳴しており,前記のような厳しい修行や異常なまでに極限的な生活においても,充足感,幸福感すら抱いていたものであるが,これは激しく強い心理的拘束によるものにほかならない。被告人は元来のきまじめな性格からストレートに洗脳されたものと考えられ,違法行為に関する情報源も極めて限られていたことからすると,たとえ他の信者の中には教団の欺瞞性に気づいた者がいたとしても,被告人に限っては,違法行為に加担することを拒否する心理的規制は働かなかったもの 法行為に関する情報源も極めて限られていたことからすると,たとえ他の信者の中には教団の欺瞞性に気づいた者がいたとしても,被告人に限っては,違法行為に加担することを拒否する心理的規制は働かなかったものとみるのが相当であり,この点は死刑に処するのが相当か否かの判断にあたって最大限考慮されるべき点である,というのである。 (4) V意見が述べるところは,マインド・コントロールの一般的理解及び教団におけるその実態を解明する上で,心理学的見地から合理的かつ明快な分析がされており,関係証拠から認められる教団内部における信者の行動や心理状態について,このように理解すると納得のいく点が多々あり,よく符合しているものといえ,心理的規制を説明する概念としては正しい見方を含んでいると認められる。そして,甚だ乏しいものではあるが,前記のような出家前後に及ぶ被告人像及び教団内部における被告人の行動,生活振りを照らし合わせて見た場合,被告人が前記のような心理規制の影響下で本件各犯行に及んだものであるとする所論は,犯行前の被告人が犯罪と全く無縁な解脱のみを目指していたはずであったにもかかわらず,なぜ本件のような反社会性,悪質性の極めて高い犯行に及んでしまったのか,そのメカニズムについて無理なく説明しているものと一応評価することができる。 (5) しかしながら,V意見は,マインド・コントロールが強度になった際には,通常精神医学でいわれる心神喪失(耗弱)と現象的には類似の結果になるとは述べているものの,いわゆる精神病とは質的に異なるものであるとも指摘している上,完全に人を動かすことができるというものではなく,その程度や自己決定の範囲等について必ずしも明確にできるものではないというのである。この点について,当審で取り調べた証人Xは,カルト教団に入った者の人格を「ゆで卵の すことができるというものではなく,その程度や自己決定の範囲等について必ずしも明確にできるものではないというのである。この点について,当審で取り調べた証人Xは,カルト教団に入った者の人格を「ゆで卵の殻が本来の人格であるゆで卵の中身の上にかぶさった」と表現しており,本来の人格が失われたというものではなく,その上に殻がかぶった状態である旨表現している。すなわち,マインド・コントロールの理論とは,責任能力に即直結するものではなく,元来,常識的に考えれば精神的な障害があるわけでもない一般人が,一定の閉鎖的な集団において特定の心理的拘束状態におかれた際,権威者とされる者が指示したことには,一見して不合理と思われるものであっても,それを承知しつつ自らの判断を喪失したかのようにして唯々諾々と従うという現象が生じるが,このような現象を心理学の立場からどのように解釈すべきか,というものである。そうすると,例えば年齢的に幼い者が,抵抗できないような情況下において,他から強制的に強い心理的拘束を加えられ,その影響が大きいというような限界的な場合においては,行動制御能力に影響が及ぶ可能性を否定しきれないとしても,少なくとも本件のように,知的に何の問題も認められない成人が,自らの選択で教団に入信し,出家し,修行の途を選ぶ中で,次第に心理的拘束にはまっていくような事案においては,結果的にマインド・コントロール様の状態に立ち至り,その影響が相当に強く認められる事案といえども,結局のところは自己責任に帰するべき点が多分にあるといわざるを得ない。 (6) すなわち,本件において,教団に入信し,出家の途を選んだのは,あくまで被告人自身の判断によるものである。本件において被告人が教団に入信したのは,前記のように,年齢的には20代半ばにさしかかり,大学を卒業して就職し,社会 て,教団に入信し,出家の途を選んだのは,あくまで被告人自身の判断によるものである。本件において被告人が教団に入信したのは,前記のように,年齢的には20代半ばにさしかかり,大学を卒業して就職し,社会人としての経験もそれなりに積みつつあった時期であり,被告人にとってのきっかけが何であったかは必ずしもはっきりしないものの,急速に教団に傾倒して出家に至っている。このことは,被告人のように知的な能力においても,社会における地位においても,これまでの生育歴から当然身につけていると考えられる社会常識や規範意識の点においても,特段問題を認められないばかりか,むしろ通常よりも恵まれているかのように思われる者にしては,あまりにも無防備で短慮とすらいえるような行動である。所論のいうとおり,被告人がきまじめで純粋であることから,教団の描く世界観や真理の追究を至上命題とするかのような教義に接した際に,これこそが自分の求めていた世界であると全く疑うことなく信じ込んでしまったということであろうし,だからこそ教団に入信した後の被告人が,言われるままに人一倍修行やワークに打ち込み,没頭していったということでもあろう。 被告人には,教団内での地位,権力の向上という契機は薄く,むしろ解脱につながる修行そのものに生き甲斐を感じていたという所論の指摘はその限りで妥当である。しかし,被告人は多くを語らないが,教団に入信してから課せられたさまざまのワークや修行は一定の過程を踏んで行われるものであることからすると,被告人が所論のいう心理的拘束を強く受ける状態に少しずつ踏み込んでいく過程で,次第に他者に全く依存し,自分の判断や決定の場を奪われていくものであることに気づく機会が全くなかったものとは思われない。例えば,自動小銃製造のワークに入る以前にも,手伝い的に入ったワークの場や,銃の 第に他者に全く依存し,自分の判断や決定の場を奪われていくものであることに気づく機会が全くなかったものとは思われない。例えば,自動小銃製造のワークに入る以前にも,手伝い的に入ったワークの場や,銃の試射に参加した経験などから,教団が化学物質の生成や銃に関心を抱いていることを知る機会はあったと思われる。 それにもかかわらず被告人はこれらの事情に目をつぶるかのようにして,終始自らを目の前のワークや修行以外は何も見ないようにしてきたものと考えざるを得ず,その意味では「理想的な信者」であったのではあろうが,無防備に自ら教団において生きる道を選択し,教団の武装化を示す情報や兆候には目をつぶるようにして教団内部での活動に没頭し続けたことは,結局被告人の自己責任に帰するものであるといわざるを得ない。被告人が地下鉄サリン事件に関与した段階においては,マインド・コントロール様の影響が相当に強いものであったことは否定できないが,それでもなお無差別殺人という,人倫において究極の悪に加担することを求められた際には,被告人の必ずしも十分とはいえない表現によっても「いろいろなことが頭をかけめぐり」返答できなくなったり,「何ともいえない辛い気持ち」になったなど,良心の呵責,罪障感,躊躇などをうかがわせる思いがあったことは被告人も認めているものである。これら被告人の本来の人格から来ると思われる抑止力にいささかでも耳を傾けることができれば,地下鉄サリン事件に加担するような事態もあるいは回避できたのではないかと思われる。それにもかかわらず,被告人はあえてその心情を封殺し,自分の意識にも上らせないようにして実行行為を敢行したものである。被告人は,犯行後Bのところへ報告に行った際,マントラを唱えるように言われた旨供述しており,原判決はこれについて被害者を愚弄するものであると厳 にも上らせないようにして実行行為を敢行したものである。被告人は,犯行後Bのところへ報告に行った際,マントラを唱えるように言われた旨供述しており,原判決はこれについて被害者を愚弄するものであると厳しく指弾しているが,これも見方を変えると被告人らの動揺や罪の意識を感じ取ったBの巧妙な指示であると見る余地もあるのであって,自分自身でその心情に気づく機会がなかったものとは考え難い。 (7) このように考えてくると,被告人が本件犯行当時マインド・コントロールを受けた状態にあったとしても,前記のように,これを量刑上過大視することは正当でない。特に,この点が死刑を回避すべき量刑事情となるかは慎重に検討する必要がある。 まず,前記のように,マインド・コントロールを受けていたことは,「精神の障害」とはいえず,責任能力に関連する領域の問題ではないというべきであるから,心神耗弱に至らなくとも,責任能力がそれに近接して減弱している場合には,量刑判断として,死刑を回避する事情になり得るのとは,同列に考えることはできない。 次に,死刑を国民の規範意識の安定化を内容とするいわゆる積極的一般予防の観点からみた場合,マインド・コントロールの下に犯される社会に対する凶悪犯罪について,マインド・コントロールがあるからこそかかる組織的で大規模な凶悪犯罪の遂行がより一層可能になるという側面があるから,死刑に処すべきところを,それを理由に死刑を回避していたのでは,かかる凶悪犯罪を防圧することはできず,社会がその危険にさらされた状態を防ぐことはできない。そして,国民一般に対して法により自らの安全が保たれているという信頼を確保するためには,かかるマインド・コントロール集団による凶悪犯罪に対して,裁判所として明確な態度を示すことが肝要である。 かくして,被告人につい て法により自らの安全が保たれているという信頼を確保するためには,かかるマインド・コントロール集団による凶悪犯罪に対して,裁判所として明確な態度を示すことが肝要である。 かくして,被告人について,マインド・コントロールを理由に死刑を回避することは許されないという結論になる。 7 被告人の現在の心情について前記のとおり,被告人は,当審において被告人質問の機会を重ねたにもかかわらず,黙秘を貫き,本件各犯行に関する事項はもとより,現在の心情等についても,ついに供述しようとはしなかった。 所論は,被告人のこのような態度について,被告人は未だにBに対する敵愾心を持つまでに至っていないが,脱会の意思を表示するとか,発言するとかいう形では出てこない被告人の内心の悲しみ,悔悟の情に思いを致すべきであり,必ずしも改しゅんの情がないからというふうに判断すべきではないし,被告人が現段階でどのような謝罪の言葉を述べようとも,これだけの重大,悪質な犯行について多数の被害者に対する謝罪や供養にはならないのは自明のことであるから,むしろ,被告人の態度は無言のうちに被害者に対する供養を行っているものと解するべきである,という。 当審で取り調べた証人3名,すなわち,教団において被告人と共に過ごした経験のあるT,被告人の母親Y及び勾留中の被告人と2度にわたり接見した神学者Xは,それぞれの立場から被告人の現在の心情を推し量って証言しているが,異口同音に,被告人が当審で沈黙を続けていることについて,せめて法廷で現在の心情の一端でも語って欲しいと願い,それが現在被告人にできる被害者への償いであるとも共通して述べてはいるものの,その一方で被告人が内心では自らの犯した罪の重大さを強く自覚し,深い反省と悔悟,被害者に対する謝罪の心情を持ちながら,法廷でそれを口にすること る被害者への償いであるとも共通して述べてはいるものの,その一方で被告人が内心では自らの犯した罪の重大さを強く自覚し,深い反省と悔悟,被害者に対する謝罪の心情を持ちながら,法廷でそれを口にすることができない,むしろ口にすることは,もはや虚しいものであるとの諦念を抱きつつ,せめて原始仏教を学び直し,修業に打ち込むことが被告人なりに今できる償いなのであろうと解している。 今は何も語ることのない被告人の現在の心情を推し量ることは甚だ困難であるが,幼少時から被告人を慈しみ育て,本件各犯行に被告人が関与したことについて深く苦しみ悩みながらなお被告人を心配する母親,現在も教団に属しつつ,Bの教義の欺瞞性に悩みを深めながらも自らの道を探るT証人,いわゆるカルト教団からの脱会に長年取り組み,神学に関する造詣が深く,かつ,わずかな機会ではあるものの直接被告人に接してその心情に触れる会話を交わしたX証人ら,被告人の心情を酌める立場にある者が揃って上記のような証言をしていることは,それが被告人の真意に近いものであるからであるとも考えられなくはない。また,前に検討した被告人の捜査段階及び原審公判における供述態度を見ると,所論のいうように,被告人は,捜査段階において,O検事に真実を語らなければならないとの思いから訥々と事実関係を供述していたものの,自己の心情に関する調書作成の過程で違和感を抱いていたこともあり,原審公判において自己の供述が理解してもらえないことからの絶望から諦めに至り,ある時から口をつぐんでしまったものであるというのも,必ずしも首肯できないものでもない。そうすると,現段階における被告人の態度が,反省悔悟の情を欠如しているためであるとか,未だに教団やBに対する帰依が深い証であるなどと即断することにも躊躇を覚えるものである。 しかし,当審で取り調 。そうすると,現段階における被告人の態度が,反省悔悟の情を欠如しているためであるとか,未だに教団やBに対する帰依が深い証であるなどと即断することにも躊躇を覚えるものである。 しかし,当審で取り調べた証人3名が,何を根拠にして被告人の心中を前記のように察しているのかについては,必ずしも具体的ではない。X証人は,被告人の心中に悔悟の心情があることは,原審公判において被告人が「そのことは口では言いようがないくらいです」という意味のことを何度も述べていることからもうかがえるという。被告人のこれらの必ずしも十分でない言葉が,被告人なりの良心の呵責や葛藤,重大な結果に対する悔悟を表現しようとしていると解することはできるが,それ以上に,現在の被告人に深い反省悔悟の情が認められるとか,教団やBに対する帰依を脱したなど,通常であれば量刑上の重要な要因となるべき点について,本件における証拠上認めるのは困難である。所論が量刑について比較する,一審で無期懲役刑を宣告されたH(確定)及びD(控訴中)については,もとより基礎となる事実関係において大きく異なることから,単純に量刑のみを比較するのは妥当ではないが,少なくとも反省の念を表すばかりでなく,事件の解明に大きく寄与したことや,他の教団信者に対して脱会につながる影響力を見せたことなど,犯行後のものとはいえ,積極的に酌むべき情状が認められる点においては,被告人とは相違があるものといわざるを得ない。所論のような判断は下すことはできない。 X証人は,被告人は現在「死の準備」をしていると考えられる旨証言し,原審で峻厳な判決を受けた被告人が従容としてその事実をも受け入れているとの見解を述べる一方で,被告人を含めて人は生きている限り変わっていく可能性があるのだから,教団でまとった別の人格の殻を破り捨てて成長した際には 決を受けた被告人が従容としてその事実をも受け入れているとの見解を述べる一方で,被告人を含めて人は生きている限り変わっていく可能性があるのだから,教団でまとった別の人格の殻を破り捨てて成長した際には,自らを語る可能性も十分ある,という。沈黙を続ける現在の被告人が,教団で培われた人格の殻,又は長期間の勾留中に何らかの理由で自らまとった殻にまだ覆われた状態にあることは事実であろうが,現段階においても,被告人が他からの働きかけを全く拒んでいるわけでもなく,自分自身で新たに勉強したり思考したりしている様子もうかがわれることからすると,今後教団に入信する以前の自分を取り戻すか,又は教団で培われた別の人格を脱ぎ捨てて更に成長した人格を形成していく可能性があること自体は否定できない。そうすると,被告人がもはや改善矯正が不可能な状態に至っているとまでは,必ずしも断じ難いものがあると考えられる。 ところで,改善矯正の可能性自体は,死刑という改善矯正の余地を認めない冷厳な刑罰においても,その選択において考慮すべき一事情であることは,これまでの裁判例の示すとおりである。 しかし,その量刑全体において占める位置は,相対的なもので,量刑の基本をなす犯罪行為自体に関する狭義の情状により定まる量刑の大枠の中で考慮されるにすぎず,既に検討したように,高度に組織的に計画された同時多発的な無差別殺人の実行行為を被告人が担当し,その結果も合計12名の死亡者を出すなどの深刻かつ重大なものであるなどという,犯罪行為・結果の悪質性,重大性が本件の量刑を決するに当たって圧倒的な比重を占めることは明らかであって,そのような中で改善更生の可能性のような主観的事情を重視して死刑を回避することは相当でないというべきである。特別予防を拒否する死刑の選択において,この点だけを理由として 占めることは明らかであって,そのような中で改善更生の可能性のような主観的事情を重視して死刑を回避することは相当でないというべきである。特別予防を拒否する死刑の選択において,この点だけを理由として死刑を回避することはできないというべきである。 8 その他酌むべき事情として所論が論及している点について(1) 被告人は,教団において主に自動小銃製造のワークに取り組んでおり,それ以外の活動については化学物質製造の手伝いに多少関与した程度であるところ,Cから呼び出しを受けて地下鉄サリン事件の実行犯に突然指名されたことから,同事件の実行犯として関与するに至ったものである。X証人は,被告人は実行犯の中でも最も受け身の対応をしており,心のゆとりも用意もなく,あれよあれよという間に巻き込まれたものであろうとの推論を述べているが,Cに呼び出されてから地下鉄サリン事件の実行に至るまでは,比較的短期間のうちにあわただしく犯行の準備がされ,被告人はその都度命令されたことを忠実に行っていたことからすると,この推論は必ずしも的はずれなものとは思われない。そして,被告人は菩師長補の地位にあって,間もなく昇格することを見込まれていたのみならず,科学技術省次官の地位にあった者ではあるが,一連の教団が関与した事件について,教団内での高い地位を得ていた者らが,ほぼ例外なく人の殺傷を伴う複数の事件に関与していることと対比すると,他の信者らを巻き込んで多数の事件に関与したものでもなく,人の殺傷を伴う事案に関しては,単にCからの指示に従って地下鉄サリン事件にのみ関与したものであることが認められる。この点は,当審で取り調べたものを含む他の信者の判決結果との比較にすぎないものではあるが,被告人の量刑を判断する上では無視し得ない事情である。 (2) 更に,被告人が地下鉄サリン事 とが認められる。この点は,当審で取り調べたものを含む他の信者の判決結果との比較にすぎないものではあるが,被告人の量刑を判断する上では無視し得ない事情である。 (2) 更に,被告人が地下鉄サリン事件において直接実行に関与した路線においては,他の実行者が担当した路線とは異なり,公訴事実の範囲に限っても,サリン中毒者4名は出たものの死者は1名も出ていないことは,所論も指摘し,原判決も認定するとおり,量刑上しん酌すべき点である。所論は,この点については被告人が結局サリンの袋を1袋しか突かなかったことと因果関係があるといわざるを得ないところ,被告人が結局1袋しか突かなかったという客観的事実は,極限状態において被告人の本来の姿が本能的に現れたとしか説明できない,という。しかしながら,この点については原判決が説示するように,被告人は,検察官調書において,降車間際にサリン入りの袋を突き,もう少し穴を開けようと思って,あと2,3回傘を突き立て穴が開いたものと思ったと供述しているのである。前述した被告人の供述態度の分析に照らしてみても,被告人がこのような点についてあえて虚偽の供述をしたり,自己の考えたことを誇大に供述したりするとは思われず,この供述は被告人の当時の客観的な行動や考えをそのまま語っているものと考えざるを得ない。そうすると,被告人が結果的にサリンの袋を1つしか突かなかったことは,多分に偶然の結果であるとしか解しようがなく,所論の解釈は必ずしも当を得たものとは思われない。そして,地下鉄サリン事件のように,組織的に計画された犯行において,複数の者が実行行為に当たる場合,各実行担当者の行った行為自体から発生した結果がまちまちになることはまま生じ得ることではあるが,このような犯行においては,実行担当者がそれと意図して個別に結果を回避する行動に出た 行為に当たる場合,各実行担当者の行った行為自体から発生した結果がまちまちになることはまま生じ得ることではあるが,このような犯行においては,実行担当者がそれと意図して個別に結果を回避する行動に出たなどと認められる場合であればともかく,実行行為者の意図しない偶然の事情によって,たまたまその実行行為者の行為からは重大な結果が発生しなかったとしても,犯行計画全体から生じた結果の重大性を当該実行行為者に対しても負わせること自体は,やむを得ないことであって,被告人の担当した路線から死者が出なかったことを量刑上過大に評価することはできないといわざるを得ず,この点については原判決の判示のとおりである。 一般的にみて,単独犯による殺人未遂罪について死刑を選択することは,いわゆる責任主義に反する余地があるといえよう。いうまでもなく,死という結果が生じていないのに,死刑により犯人の生命を奪うのは,罪刑の均衡を欠くきらいがあるからである。 しかしながら,本件のような多数人を一挙に殺害する大規模な凶悪組織犯罪において,偶発的事情により,実行行為者の一人による犯行が殺害の目的を遂げなくとも,他の実行行為者らの行為により多数の殺害の結果を実現した場合には,その結果に対して共犯者として刑事責任を負うのはもちろんのこと,自分の行為によっては偶々殺害に成功しなかったからといって,そのことだけで死刑を回避することはできないというべきである。 そこで問われているのは,個々の実行行為者による犯罪結果の成否ではなく,実行行為者が構成する組織による犯罪結果の成否であり,かかる組織自体の高度の犯罪性に着目するときには,組織自体を処罰することはできないものの,死刑のもつ前述した積極的一般予防の目的からして,実行行為者に対して個々の実現した結果の如何を問わず,組織全体として 織自体の高度の犯罪性に着目するときには,組織自体を処罰することはできないものの,死刑のもつ前述した積極的一般予防の目的からして,実行行為者に対して個々の実現した結果の如何を問わず,組織全体として実現した結果に対する責任を死刑という形で負わせることは,何ら不当なことではない。むしろ,偶々結果が出せなかった者について,そのことだけで量刑を減軽し,死刑を回避するのは,実行の目的を遂げた者との関係で刑の不均衡を生じさせることにもなる。そして,かかる者を含めて実行行為者全員を狭義の情状面では同等として扱うことが,組織による凶悪犯罪を防圧するために必要であるというべきであり,かかる量刑態度は何ら責任主義に反するものではない。 9 結論以上の点について検討,説示してきたところからすれば,通勤時間帯の地下鉄車両に5名の実行犯がサリンを散布し,合計12名もの何ものにも替え難い,かけがえのない生命を奪うなどした上,変更された訴因に限っても14名に及ぶ重傷者を出したという,我が国の犯罪史上に例を見ない極めて残虐,凶悪かつ非人道的な地下鉄サリン事件の犯行に,実行犯として関わり,実際にサリンを散布する行為に出たという被告人の罪は余りに重く,その刑事責任の重大であることは否定しようがないものというべきである。 一方,前記に検討したように,被告人に反省の心情が認められるかという点,原審以来の公判廷における供述態度をいかに理解するかという点などについては,原審と判断を異にする点が認められ,これらはいずれも被告人にとって酌むべき事情であるといえる。 その他,自動小銃製造事件のうち,大量生産を企図したものは未遂に終わっていること,教団の犯罪被害者支援基金に300万円を寄付しているなど,被害者及び同弁護団への謝罪を行い,被害弁償の申し入れをしていることなど,被告 製造事件のうち,大量生産を企図したものは未遂に終わっていること,教団の犯罪被害者支援基金に300万円を寄付しているなど,被害者及び同弁護団への謝罪を行い,被害弁償の申し入れをしていることなど,被告人にとって酌むべき事情があることは,原判決が認定するとおりである。 しかしながら,慎重に検討を重ねて被告人のためにしん酌すべき事情を最大限考慮し,所論が主張する観点から被告人に対する量刑を再考し,本件に関与した他の被告人の量刑の実情と対比しても,地下鉄サリン事件における被告人の責任はあまりにも重大であり,前記の酌むべき事情によっても,その刑事責任の重さを覆して無期懲役刑を選択するには未だ至らないといわざるを得ない。被告人に対しては,死刑を選択するほかはないものと考える。 死刑は,人間存在の根源である生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な極刑であり,誠にやむを得ない場合における究極の刑罰であって,その適用には特に慎重を期すべきであることは,原審のみならず当裁判所においても,同様に考える。その上に立って,本件の記録及び証拠物を精査し,選択すべき刑について熟考を重ねても,被告人を死刑に処することとした原判決の量刑は,誠にやむを得ないものであって,これが重きに過ぎて不当であるとはいえず,当裁判所においても,是認すべきものといわざるを得ない。 論旨は理由がない。 よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却し,当審における訴訟費用については,刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととし,主文のとおり判決する。 平成15年6月10日東京高等裁判所第9刑事部裁判長裁判官原田國男裁判官大島隆明裁判官田邊三保子は填補のた 東京高等裁判所第9刑事部裁判長裁判官原田國男裁判官大島隆明裁判官田邊三保子は填補のため署名押印できない。 裁判長裁判官原田國男
▼ クリックして全文を表示