【DRY-RUN】主 文 本件控訴は、いずれもこれを棄却する。 理 由 本件各控訴の趣意は、末尾に添えた東京地方検察庁検事正代理検事岡崎格作成名 義の控訴趣意書と題する書面記載
主文 本件控訴は、いずれもこれを棄却する。 理由 本件各控訴の趣意は、末尾に添えた東京地方検察庁検事正代理検事岡崎格作成名義の控訴趣意書と題する書面記載のとおりであり、これに対する各答弁は、末尾に添えた被告人A、同B、同Cの弁護人中村信敏、同北村彌之助共同作成にかかる答弁書と題する書面、被告人Dの弁護人大竹武七郎作成名義の答弁書と題する書面、同被告人の弁護人大川光三作成名義の答弁書と題する書面並びに同被告人の弁護人向江璋悦、同安田義明共同作成にかかる答弁書及び答弁補充書と各題する書面記載のとおりであつて、当裁判所は、検事の請求により、事実の取調として、検事に対する(一) Eの昭和三十三年八月十五日付供述調書(二) Fの同年七月二十六日付供述調書中第七項及び第八項、(三) Gの同月二十八日付供述調書中第七項乃至第十項、(四) Hの同月二十六日付供述調書中第三項乃至第六項(五) Iの同月二十二日付、同月二十三日付及び同月二十九日付各供述調書(いずれも刑事訴訟法第三百二十八条所定の証拠として提出)を、各取り調べ、F、G、H及びIを、それぞれ証人として尋問した上、右各控訴の趣意に対し、次のとおり判断する。 第一点 (法令適用の誤)について所論の要旨は、原判示J新聞号外と題する文書(以下単に本件号外と略称する)は、公職選挙法(以下単に法と略称する)第百四十八条第一項所定の選挙に関する報道及び評論を掲載した新聞紙ではなく、法第百四十二条の法定外文書と認むべきであるから、被告人A、同B、同Cら三名の右号外頒布の所為については、当然法第百四十二条、第二百四十三条第三号、第百二十九条、第二百三十九条第一号を各適用すべきにかかわらず、これらの各規定を適用せず、法第百四十八条第二項、第二百四 三名の右号外頒布の所為については、当然法第百四十二条、第二百四十三条第三号、第百二十九条、第二百三十九条第一号を各適用すべきにかかわらず、これらの各規定を適用せず、法第百四十八条第二項、第二百四十三条第六号により処断し、もつて右被告人ら三名の行為が法定外文書の頒布禁止及び事前運動禁止の各制限に違反するという主位的訴因を排斥した原判決には、前記各規定とくに法第百四十八条の解釈適用を誤つた違法があり、その誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。 そこで、原判決を見ると、原判決は、その主位的訴因を排斥した理由中において、所論(一)乃至(五)に掲げられているように、法第百四十八条第一項にいう新聞紙とは、特定の人又は団体により一定の題号を付して比較的短かい間隔、たとえば日刊、週刊、旬刊等の形で反覆して発行され、不特定又は多数の人に有償で頒布され、あらゆる社会的問題について事実を知らせる「報道」及びこれらの事実についてその背景、解釈、意見等を伝える「評論」をその主要な内容とするのを通常とする文書であると解した上、客観的に「報道」及び「評論」を掲載した「新聞紙」の形式を備えていると見られる文書については、たといそれが実質的に当選目当の宣伝文書であると推測される場合でも、法第百四十八条第一項本文の適用を否定することは妥当でないとし、ある文書又はその記載内容が法第百四十八条第一項にいう「新聞紙」又は「報道」及び「評論」にあたるかどうかは、あくまで問題の文書自体を客観的に観察して判断すべきであつてその文書がどういう意図あるいは目的で作成、発行、頒布されたかを右の判断の基準とすることは許されない、作成、発行、頒布にあたつた者の主観が異なることによつて同様の内容の文書が「新聞紙」あるいは「報道」及び「評論」にあたつたり、あたらなかつたりする 頒布されたかを右の判断の基準とすることは許されない、作成、発行、頒布にあたつた者の主観が異なることによつて同様の内容の文書が「新聞紙」あるいは「報道」及び「評論」にあたつたり、あたらなかつたりすることは、不合理であるばかりでなく、憲法の保障する「表現の自由」を危うくするおそれがある、いわゆる「号外」名義の文書については、その文書が「新聞紙」の定義に合致する「新聞紙」の発行者によつてその新聞紙と同一の題号を用いて発行され、かつ社会通念上新聞紙と認められる体裁を備えたものであれば、法第百四十八条第一項の保護を受ける「新聞紙」に該当するのであつて、これ以上の実質的要件を要求することは、新聞納の概念をあいまいにし法の趣旨に反するに至るのである。それ故、いわゆる「号外」の頒布方法が「新聞紙」の通常の頒布方法と異なること、無償で頒布されたこと、発行者が特定の候補者に当選を得させる目的をもつていたこと、その発行部数の多いこと、「号外」の要求する速報性や必要性に欠けていること等「号外」発行に関する各事情は、「号外」の新聞紙性を否定する根拠にはならない旨判示した上、本件「号外」をもつて法第百四十八条第一項本文所定の「新聞紙」であり、その内容も「選挙に関する報道及び評論」にあたるものと認定していることは、所論のとおりである。 よつて、新聞紙並びに報道及び評論の意義について判断した上、本件号外が新聞紙にあたるかどうか、また、その記載内容が報道及び評論にあたるかどうかについて判断することとする。 新聞紙の意義については、公職選挙法にも、また、他の法令にもこれを規定したものはなく、ただ、旧新聞紙法(明治四十二年法律第四十一号)第一条第一項に、「本法ニ於テ新聞紙ト称スル一定ノ題号ヲ用ヰ時期ヲ定メ又ハ六箇月以内ノ期間ニ於テ時期ヲ定メスシテ発行スル著作物及定時期 したものはなく、ただ、旧新聞紙法(明治四十二年法律第四十一号)第一条第一項に、「本法ニ於テ新聞紙ト称スル一定ノ題号ヲ用ヰ時期ヲ定メ又ハ六箇月以内ノ期間ニ於テ時期ヲ定メスシテ発行スル著作物及定時期以外ニ本著作物ト同一題号ヲ用ヰテ臨時発行スル著作物ヲ謂フ」と規定しており、また、新聞紙のあるものについて、法第百四十八条第三項は、詳細な規定を設けているのであるから、同条第一項にいう新聞紙の意義は、旧新聞紙法及び法第百四十八条第三項に規定されている要件及び法第百四十八条第一項において新聞紙雑誌等に対し選挙に関する報道及び評論の自由を保障した理由等を参考としながら、社会通念に従つてこれを判断しなければならないものと考えるのである。 そもそも、法第百四十八条第一項において新聞紙、雑誌等に対し選挙に関する報道及び評論の自由を保障した所以のものは、憲法第二十一条の精神を尊重して法第百四十八条第一項にいわゆる新聞紙雑誌等の社会的な存在理由を認め、もつて選挙に関し、豊富な資料と公平な言論とを国民に提供させることによつて国民の民主的意識の向上に資せんとするにあるのであるから、それがために同条第三項は、選挙運動の期間中及び選挙の当日において新聞紙、雑誌等と認めるものについて厳格な要件を求め、また、右期間以外においても、同条第一項但書において、選挙の公正を害するが如き表現の自由の乱用を禁止し、かつ、同条第二項において頒布について正規の方法を逸脱することを禁じているのである。よつて、右旧新聞紙法及び法第百四十八条第三項の各規定や、同条第一項が新聞紙、雑誌等に対し、選挙に関する報道の自由を保障した右のごとき理由を参酌し、かつ、社会通念に従つて法第百四十八条第一項にいわゆる新聞紙の意義について考えてみると、法第百四十八条第一項にいわゆる新聞紙とは、次に述べる各要件 関する報道の自由を保障した右のごとき理由を参酌し、かつ、社会通念に従つて法第百四十八条第一項にいわゆる新聞紙の意義について考えてみると、法第百四十八条第一項にいわゆる新聞紙とは、次に述べる各要件を具えているものをいうものと解せられるので、以下これら各要件について説明することとする。 (一) 不特定又は多数の者に頒布されることを目的とすることおよそ、新聞紙が法第百四十八条第一項の適用を受けるのは、それが一部特定の者にのみ頒布されるようなものであつてはならず、広く不特定又は多数の者に頒布することを目的とするものであることを要するのであるが、必ずしも広く市販されるものであることを要するものではなく、ある程度頒布先の特定されているものであつても、その頒布先が相当広範囲にわたり、相当多数の人々に報道、評論(この意義については、のちに説明する)を提供しているものも新聞紙に包含されるものと解すべきである。 (二) 特定の人又は団体により、一定の題号を用い、比較的短かい間隔をおき、号を逐つて定期的に発行されるものであること法第百四十八条第一項にいわゆる新聞紙は、前記の目的及び使命から考えてみると、特定の人又は団体により、一定の題号を用い、比較的短かい間隔たとえば、日刊、週間、旬刊、月刊等の形で号を逐つて定期的に発行されるものであることを要すると解せられるのであるが、それが比較的短かい間隔をおいて号を逐つて定期的に発行されるものである限り、発行の時期から区別してそれが右のいずれにあたるかは、問うところでないと解すべきである。 (三) 報道及び評論を主たる内容とするものであること法第百四十八条第一項にいわゆる新聞紙の記事は、通常時事問題に関する報道、評論をその内容とするものと考えられるが、必ずしも右時事問題に限局する要はない。そして、同条同 たる内容とするものであること法第百四十八条第一項にいわゆる新聞紙の記事は、通常時事問題に関する報道、評論をその内容とするものと考えられるが、必ずしも右時事問題に限局する要はない。そして、同条同項にいわゆる報道とは、選挙に関する事実を客観的にありのままに知らせることであり、同条同項の評論とは、選挙に関する事実について批判、論議することをいうものと解せられるのである。 (四) 印刷に付せられているものであること法第百四十八条第一項の新聞紙は、その使命及び目的から考えると、ほとんど時を同じうして不特定又は多数の者に頒布されるものであつて、その対象たる読者が多数人であることは、当然の理であるから、その記載内容は、印刷に付せられていなければならないものと解すべきである。従つて、掲示等の方法によつてその内容を一般に報告することを目的とする手記によるいわゆる壁新聞のようなものは、法第百四十八条第一項の新聞紙ということはできないのである。 (五) 有償頒布が常態であること法第百四十八条第一項の新聞紙は、その報道及び評論によつて、広く社会的な問題についての誤りのない智識及び健全な判断を示す目的及び使命を有し、その目的及び使命を達成するためには、相当の資本及び人的、物的の設備を必要とする関係上、有償頒布が常態であると解せられるのである。もつとも、組合その他団体の構成員に無償で配布される機関紙のようなものは、その発行に要する経費が、組合員、団体員から徴収される会費等によつて賄われているような場合がないわけではないが、このような場合も有償頒布と考えるべきである。 <要旨第一>以上説明したところによれば、法第百四十八条第一項にいわゆる新聞紙とは、特定の人又は団体により、一</要旨第一>定の題号を用い、比較的短かい間隔をおき、号を逐つて定期的に印刷発 ある。 <要旨第一>以上説明したところによれば、法第百四十八条第一項にいわゆる新聞紙とは、特定の人又は団体により、一</要旨第一>定の題号を用い、比較的短かい間隔をおき、号を逐つて定期的に印刷発行される報道及び評論を主たる内容とする文書であつて、不特定又は多数人に広く頒布されるものと解するのが相当であり、原判決の掲げた新聞紙の意義も大体右と同趣旨であると考えられるのであつて、法第百四十八条第一項にいわゆる新聞紙の意義をこのように解すれば、新聞紙に選挙の公正が害されるおそれのない報道及び評論が掲載(但し、法第百三十八条の三所定の人気投票の公表の点を除く)されることによつて、特定の候補者に当選を得させることだけを目的とする主観的な宣伝記事を排除することができるのみならず、読者に選挙に関する必要な智識及び判断の資料を提供することができるのであるから、法は、かかる観点から選挙の公正を害しない範囲において、新聞等に<要旨第二>表現の自由を尊重しているものと考えられるのである。そして特定の文書が法第百四十八条第一項の新聞紙に</要旨第二>あたるかどうか、またその内容たる記事が同条同項にいう報道及び評論にあたるかどうかは、その文書自体を前記新聞紙の意義に照らして決定すべきものであり、かつ、それのみで足りるものといわなければならない。 従つて、発行者や頒布者の意図、頒布方法、従来の頒布状況等によつてその文書が法第百四十八条第一項にいわゆる新聞紙になつたり、ならなかつたりすることは、原判決の判示したとおり、いたずらに新聞紙及び報道、評論の意義を不明確にするものであるといわなければならない。 そこで、J新聞の「本紙」が同条第一項の新聞紙であるかどうかについて考えてみると、押収にかかる昭和三十三年四月三日付J新聞一通(昭和三五年押第四〇〇号の二)及び ものであるといわなければならない。 そこで、J新聞の「本紙」が同条第一項の新聞紙であるかどうかについて考えてみると、押収にかかる昭和三十三年四月三日付J新聞一通(昭和三五年押第四〇〇号の二)及び同月七日付同新聞一通(同押号の一二)を見ると、右各文書は、いずれも活版印刷に付されたものであり、その題号としてJ新聞と、発行所として、東京都千代田区ab丁目c番地株式会社J新聞社と、発行の日を日刊(土・日・祝日休刊)と、発行番号、発行の年月日及び第三種郵便物の許可のあつた年月日として、それぞれ所要の番号及び年月日が記載されている(同月七日付のものには定価月三百円一部十五円の記載があり、同月三日付のものには、その記載を欠いているが、その記載がないことの一事をもつて、同月三日付の右新聞紙が法第百四十八条第一項所定の新聞紙ではないということはできない)のであり、また、右各文書は、前記(一)乃至(五)の各要件を備えており、選挙その他政治問題に関する報道及び評論を主として取り扱つたものであるから、右各文書は、いずれも、法第百四十八条第一項にいわゆる新聞紙であると認めるのが相当である。次に、本件号外が右にいわゆる新聞紙にあたるかどうかについて考察すると、押収にかかる本件号外(前回押号の一)をみると、右文書は、本紙同様活版印刷に付されたものであつて、本紙と同一の題字を用い、発行所、発刊日として前記本紙と全く同一の記載を有し、かつ、第三種郵便物認可と表示し、その号数については、号外、昭和三十三年四月三日(木)と記載されており、その定価については、なんらの記載がないのであるが、前記本紙が有償で頒布されることが建前である以上、右号外も反証もない限り有償で頒布されるものであると認められ(同号外が無償で頒布される建前であるとの点については、これを認めるに足りる確証が であるが、前記本紙が有償で頒布されることが建前である以上、右号外も反証もない限り有償で頒布されるものであると認められ(同号外が無償で頒布される建前であるとの点については、これを認めるに足りる確証がない)、その内容は、原判決に罪となるべき事実として記載された事項と同一であつて、右記事及び写真によつて受ける印象は、同号外は、衆議院の解散及び選挙の投票日に関する報道を取り扱い、併せてKが右選挙に立候補することが内定したこと、同人は、その閲歴等からみて、都政のために十分な活躍をするものと期待される旨の記事を同人の写真とともに掲げているのであつて、右号外の記載内容中Kに関する部分は、一見同人の当選を目的とする宣伝記事と誤解されるおそれがないことはないのであるが、その記載内容は、未だ新聞の使命たる報道及び評論としての客観性を失つているものとは考えられないから、これをもつて、右号外が法第百四十八条第一項にいわゆる選挙に関する報道及び評論を掲げた新聞紙の範囲を逸脱し、もつぱら同人の当選を目的として発行された違法の文書であるとすることはできない。即ち、さきに説明したように法第百四十八条第一項が新聞紙、雑誌等に対し、報道、評論の自由を保障していること、同条第三項が選挙運動の期間中及び選挙の当日において新聞紙、雑誌等と認めるものに厳格な要件を規定していること、右期間以外においても、同条第一項但書において選挙の公正を害するが如き表現の自由の乱用を禁止し、かつ、同条第二項において、その頒布に<要旨第三>ついて正規の方法を逸脱することを禁じていること等に徴すれば、法第百四十八条第一項の要件を具備する新</要旨第三>聞紙等が、選挙に関し、特定の候補者の人格、識見、閲歴、手腕及び政見等を客観的に報告あるいは批判することは、選挙に関し、国民に正しい智識と判断の資料を提 四十八条第一項の要件を具備する新</要旨第三>聞紙等が、選挙に関し、特定の候補者の人格、識見、閲歴、手腕及び政見等を客観的に報告あるいは批判することは、選挙に関し、国民に正しい智識と判断の資料を提供するものであつて、なんら選挙の公正を害するおそれはなく、本件号外の記事も右の趣旨においてKの閲歴、手腕等に関する事項及びかかる閲歴、手腕を有する同人の国会議員としての活躍が期待される旨の選挙に関する報道及び評論を含むと認められるのであるから、右号外にKの写真を入れたことは、多少宣伝的であり、また、右報道は、前記昭和三十三年四月三日付の本紙の内容と大体において重複してはいるが、これをもつて、新聞としての特質を失つたものとはいえず、本件号外が報道又は評論の具有する客観性を逸脱したものであつて、もつぱらKの当選を目的とし、名を新聞の号外に藉りて発行された違法の文書であるとすることはできないのである。もつとも、原判示によれば、本件号外は、右選挙に東京第L区から立候補することに内定した右Kに当選を得させる目的をもつて頒布されたものであり、頒布の方法も号外屋を使用して通行人に無料で手渡したり、飛行機で上空から撒き散らす等通常の方法によらなかつたというのであつて、このことは、原判決挙示の各関係証拠によつて認められ、また、これらの各証拠によれば、その発行部数も本紙の発行部数五千部(但し、創刊号は一万部)に比し異常に多い十万部以上であつたことが認められるのであるが、これらの事実は、右号外が法第百四十八条第一項の新聞紙にあたるか否かを決定する基準とならないことは、さきに説示したとおりである。それ故、本件号外は、同条同項にいわゆる新聞紙であつて、検事所論のような法第百四十二条の法定外文書ではなく、従つて、被告人A、同B及び同Cら三名が共謀の上、右号外を、号外屋 に説示したとおりである。それ故、本件号外は、同条同項にいわゆる新聞紙であつて、検事所論のような法第百四十二条の法定外文書ではなく、従つて、被告人A、同B及び同Cら三名が共謀の上、右号外を、号外屋を使用して通行人に無料で手渡させたり、飛行機で上空からまき散らさせたりしたことは、法第百四十八条第二項の規定に違反するに止まり、Kのための選挙の事前運動であるということはできない。そして、原判示右被告人ら三名の犯罪事実は、原判決挙示の右各関係証拠を綜合すれば十分これを認めることができるのであるから、原審がこれに対し法第百四十八条第二項、第二百四十三条第六号を適用し、法第百四十二条、第二百四十三条号三号及び第百二十九条、第二百三十九条第一号を適用しなかつたことは、もとより当然であり、右の理由によつて、本件号外の頒布が法定外文書の頒布及び事前運動にあたるという主位的訴因を排斥した原判決には、なんら法令適用の誤はない。論旨は、理由がない。 第二点 (事実誤認について)所論の要旨は、本件各金員は、D被告人のA被告人ら三名に対する同被告人らが法定外文書たる本件号外を頒布したこと等の選挙運動に対する報酬として授受されるものであるにもかかわらず、これを、いずれもJ新聞に対する賛助金であると認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというのである。 よつて、これに対し次のとおり判断する。 原判決が認定した右各金員授受の趣旨に関する証拠説明のなかに、被告人とくにD被告人の原審公判廷における弁解を全面的に採用し、その弁解趣旨に反する証拠は、これを採用しないとしている観があることは、所論のとおりである。しかし、これは原審がD被告人に対し好意的な見方を採つて事実の認定をしているのではなく、原審が全証拠を比較検討した上、事案に対する心 は、これを採用しないとしている観があることは、所論のとおりである。しかし、これは原審がD被告人に対し好意的な見方を採つて事実の認定をしているのではなく、原審が全証拠を比較検討した上、事案に対する心証を得た結果、原判決挙示の各証拠あるいは認定事実に基いて原判示各金員授受の事実及びその趣旨について原判示のように認定したのであるから、右認定に反する各証拠を排斥したのは当然であつて、これを原審がD被告人の立場に同情する余り証拠の評価を誤つたものということはできない。また、原判決には、いわゆる政治家のローカル紙に対する賛助金に対する実体に関する理解の不足があるというのであるが、原判決は、その挙示する各証拠により、本件各賛助金の実体を把握した上で原判示各事実を認定していることは、原判決を一読すれば充分これを理解することができるから、原判決には、右理解の不足によつて、事実を誤認した点があるということはできないのである。 しかるに検察官は、原判決が事実を誤認した根拠として(一)乃至(八)の各事由を挙げているから、これら諸点について判断を加えることとする。 (一) (控訴趣意書38頁以下参照)について原判決が認定した本件金二十五万円授受の以前におけるD被告人からA被告人らに出捐した賛助金全部に対する判示及びその証拠並びに本件金二十五万円授受に関する各証拠によると、右授受が行われるに先立ち、A被告人らは、D被告人から相当の賛助金の出捐が得られそうであるとの見とおしを持つていたことは充分考えられるのみならず、A被告人らの原審における各供述や検察官に対する供述調書中には、同被告人らは、本件号外を発行しこれを頒布することについては同被告人らの行為が選挙違反に問われることがないかどうかを相当心配していたことが窺われるのであるから、賛助金の出捐を容易にするた 書中には、同被告人らは、本件号外を発行しこれを頒布することについては同被告人らの行為が選挙違反に問われることがないかどうかを相当心配していたことが窺われるのであるから、賛助金の出捐を容易にするため号外の話を持ち出して金員を要求することは、公職選挙法違反の嫌疑を受ける虞があることは充分考慮していたものと考えられるのである。それ故、原判決がこの点について、A被告人らが号外のことを持ち出してあからさまに金員を要求するとは思われない旨推断したことについては、その根拠が薄弱であるということはできない。 (二) (同41頁以下)について原判決は、その挙示する関係証拠を比較検討した上、昭和三十三年四月四日朝A被告人らがM知事を訪問した際、あからさまに本件号外頒布の報酬を要求し、突つ込んだ話をしたことや、その会談ののち、M知事とD被告人との間にこの点に関する連絡があつたとは考えられない旨認定し、各その根拠を挙げて詳細な説明を加えているのであるから、原判決の認定には所論のような数々の疑問があるということはできない。 (三) (同51頁以下)について原判決は、D被告人が本件金二十五万円を独自の判断で出捐する立場になかつたことの根拠として(イ)乃至(へ)の六つを挙げ、各その理由を詳細に説明しているのであつて、その説明は、いずれもこれを肯認し得るものというべく、この点に関する検察官の各主張によつても、この認定を左右することができない。 (四) (同56頁以下)について原判決が、A被告人らが昭和三十三年四月七日D被告人の自宅を訪ね、金二十五万円の供与を受ける前に同被告人の自宅を訪ねたかどうかきわめて疑わしいとし、その根拠として(イ)乃至(二)の各事由を挙げていること及び原判決が援用するD被告人の参議院手帳には、同日A被告人らがD方を訪問した記載が ける前に同被告人の自宅を訪ねたかどうかきわめて疑わしいとし、その根拠として(イ)乃至(二)の各事由を挙げていること及び原判決が援用するD被告人の参議院手帳には、同日A被告人らがD方を訪問した記載があるが、同月五日には、A被告人らがD方を訪問した記載がないことは、いずれも所論のとおりである。しかしながら、原判決は、右手帳に、四月五日にA被告人らがD方を訪問した記載がないことを重視して、D被告人は同日A被告人らの訪問を受けた事実がなかつたことを認定しているのではなく、右手帳の記載を含む各証拠を総合して、前記のような説明をしていることは、原判決の当該部分の判示を一読すれば明らかである。そして、原判決が右部分に挙示する各認定事実やその関係証拠を総合すると、A被告人らが金二十五万円のことでD被告人方を訪問したのは、同年四月七日の朝一回だけであるとの蓋然性が大きく、A被告人が右一回の訪問だけで右二十五万円を受領することができたのは、それ以前にD方に二回程電話した結果、同年四月七日の朝D被告人方で右金員を授受する打合せができたことによるものであることが認められるのであるから、原判決には、この点につき、所論のような一面的な観察によつて事実を認定した違法、不当の廉はない。 (五) (同58頁以下)原判決は、所論のような推論によつて本件金二十五万円授受の趣旨を認定しているのではなく、原判決挙示の各関係証拠を総合して右金員授受の趣旨を認定した上、本件の各証拠に現われている事実を基本として証拠に対する原審の考え方を卒直に説明したものであることは、原判決の当該部分を、一読すれぱ明らかであるから、原判決の右金二十五万円授受の趣旨に関する認定は具体的な証拠に基づく合理的な結論ではないということはできない。そして、所論は、右趣旨の点について原判決が述べていると を、一読すれぱ明らかであるから、原判決の右金二十五万円授受の趣旨に関する認定は具体的な証拠に基づく合理的な結論ではないということはできない。そして、所論は、右趣旨の点について原判決が述べているところを総合すれば、その部分の判示自体で号外の報酬性がおのずから浮び出ているようにさえ読めるというのであるが、原判決の右の部分を一読しても、これを所論のように号外の報酬性がおのずから浮び出ているものと解することは困難である。従つて、原判決の推論の過程に所論のような無理があるということはできない。 (六) (59頁以下)について所論は、被告人らの検察官に対する各供述調書には任意性や信憑性について欠けるところがない所以を各被告人別に説明しているのであるが、原判決は、その三三頁以下において、「しかし、DとAとの間の従来からの関係、各金員が授受されるに至つた経過、KとDとの当時の関係等の客観的事実を、捉われない立場で、し細に検討すると、右各金員は、J新聞等に対する賛助金として授受されたものと認められ、号外頒布等の報酬として授受されたものとは認めがたい。したがつて、この点に関する被告人等の自白は信用できない。以下項を分つてその理由を詳述する。」といつて、まず、本件金二十五万円の授受は、号外頒布等に対する報酬として行われたものとは認め難いことを詳述し、ついで、被告人らの自白を記載した検察官の供述調書がどういう点で何故に信用できないかを簡単に説明する旨を述べ、D被告人の供述調書については、同調書に記載されている供述内容を他の証拠と比較対照してみると、同被告人が記憶のはつきりしないままに漠然と述べたことが、はつきり述べたように書かれたり、断片的な問答の結果が筋道を立てて綴り合わされたり、J新聞の賛助金として交付したと述べたことが、検畜の理詰めの問によつて 憶のはつきりしないままに漠然と述べたことが、はつきり述べたように書かれたり、断片的な問答の結果が筋道を立てて綴り合わされたり、J新聞の賛助金として交付したと述べたことが、検畜の理詰めの問によつていつか号外頒布の趣旨も含まれるように述べたことにされたりした疑があるといい、A被告人らの各供述調書は、その内容がほとんど三人三様で、会談の内容等についての各供述のくいちがいには、単なる記憶違いや表現の差異とは認め難い節があり、右各供述内容には、本件金二十五万円がもつぱら号外頒布等の報酬として要求され、供与されたものであること、D被告人は、号外頒布の事実をよく知り、その報酬のこともよく心得ていて、進んで右金二十五万円を供与してくれたことを強調する傾向が見られること、この点が同被告人らの原審における各公判の供述とは根本的に異なり、しかも、D被告人の供述調書には、終始前記新聞に対する賛助金の趣旨もあつた旨の記載があることその他の事情に照らすと、右A被告人らの供述内容は検察官に対しことさら虚偽の、あるいは迎合的な供述であることの疑が強いことを判示し、各被告人の調書別に右の各点を、それぞれ根拠を挙げて説示し、これら各調書の内容には信用し難い点が多く、これをもつて本件金二十五万円が、J新聞に対する賛助金であつて、号外頒布の報酬ではないとの認定を左右することができない旨を述べているのであるから、原判決の右説明に所論のような偏見的な検討の態度が強く見られるということはできず、原判決の説明中に現われている個々の論点についても、所論のような種々の誤があるということはできない。尤もD被告人の所論の検察官に対する供述調書(昭和三十三年八月二日付のもの)の記載中には、D被告人が、検察官に対し、本件金二十五万円授受の事実を否定したり、本件金三十万円は、約手を取つてAらに い。尤もD被告人の所論の検察官に対する供述調書(昭和三十三年八月二日付のもの)の記載中には、D被告人が、検察官に対し、本件金二十五万円授受の事実を否定したり、本件金三十万円は、約手を取つてAらに貸したものであり、その返金の催促を秘書にやらせていた等、真実に反した部分があることは、所論のとおりであるが、右D被告人の供述記載は、右各金員授受の趣旨が検察官所論のとおりであつたからそれを隠しておくためであつたと見るべきではなく、それら各金員授受のてんまつは、なるべくこれを伏せておき、捜査当局からあらぬ疑を受けないようにしたいとの意図に出たものであることは、同被告人の各供述調書を比較対照してみれば、自ら窺知できるのである。また、原審第二十一回公判調書中に同被告人の供述として、逮捕状の事実は知らなかつた等という趣旨の記載があり、同第二十三回公判調書中に同被告人の供述として、三十万円と聞かれたから言わなかつたという趣旨の記載があることは、所論のとおりであるが、右逮捕状の事実は知らなかつたというのは、D被告人としては、選挙に関し、A被告人らに金員を供与したなどということは身に覚えのないことであるから、そのような嫌疑で逮捕されることは思いもよらなかつたことであつたため、その当時の気持をそのまま述べたものと認められ、三十万円と聞かれたからいわなかつたというのも、当時検事からA被告人らに金二十五万円を供与した事実の有無を聞かれたことがなかつたので、その事実までも進んで供述しなかつた次第を卒直に述べたに過ぎないものと認めるのが相当である。従つて、この点について「J新聞への賛助金という考えのみで出した金であるなら誰に聞かれても堂々と供述できる筈である。」との検察官の所論は、これを採ることができない。また、所論は、「D程の社会的地位もあり智識も豊かな者が自白調 新聞への賛助金という考えのみで出した金であるなら誰に聞かれても堂々と供述できる筈である。」との検察官の所論は、これを採ることができない。また、所論は、「D程の社会的地位もあり智識も豊かな者が自白調書をとられることの意味を知らない筈はなく、自己の述べたことと全く違うことを書かれたり、曲げて録取されたりした調書に易々として署名指印するとは絶対に考えられない。」というのであるが、所論の各供述調書や原審公判廷におけるD被告人の供述を総合して考えてみると、右各供述調書の内容は、同被告人の述べたことと全く違うことを書かれたというのではなく、同被告人が現実に供述したことを多少歪曲して書かれたものであるとか、客観的にはそうも考えられるようなことを理詰めで推問された結果、強く反対することもできず、やむなくこれを承認した結果、録取されたものであるため、右各調書に署名指印するのやむなきに至つたことを窺知できるのであつて、原判決の説明も結局これと同趣旨に出でたものと考えられるから、D被告人が所論の供述調書に署名指印したことをもつて、あえて異とするには足りないのである。 (七) (77頁以下)について本件金二十五万円がJ新聞に対する賛助金であると同時に本件号外頒布等に対する報酬と見ることは矛盾した物の見方でないことは所論のとおりである、しかし、原判決は、その挙示する各関係証拠によつて本件金二十五万円は、もつぱら右賛助金として受授されたものであると認定し、右金員には、号外頒布の報酬としての意味は含まれていないことを説明しているのであつて、右判示には、なんら所論の違法はないのである。そして、D被告人とA被告人らとの従来の賛助金授受の経緯や、その実質に照らし、本件金二十五万円が右賛助金であると同時に運動報酬であるという性質を備えているという所論については、これ 法はないのである。そして、D被告人とA被告人らとの従来の賛助金授受の経緯や、その実質に照らし、本件金二十五万円が右賛助金であると同時に運動報酬であるという性質を備えているという所論については、これを確認するに足りる証拠がないのであるから、原審が本件金二十五万円が右のような二つの性質を兼ね備えていることを認定しなかつたからといつて、その認定に所論の違法があるということはできない。 (八) (80頁以下)について原判決は、本件金三十万円がJ新聞に対する賛助金として授受されたものであることを認定し、その証拠として、被告人らの原審公判廷における各供述や、被告人らの検察官に対する各供述調書中の各記載を挙げ、右三十万円授受の経緯について説明した上、右授受の経緯によると、A被告人らは、D被告人に対しあからさまに本件号外頒布の報酬を要求し又は右頒布の事実を強調するようなことを述べた事実はなく、右金員授受の実情は、金に困つたA被告人らがD被告人に泣きついて間もなくもらえる予定の盆の賛助金を引当にして出捐を頼み込み、D被告人も渋々これを承諾したと見るべきであり、かりに号外の頒布ということがなかつたとしても、右のようなことはありそうに思われるし、その根拠として、本件各金員授受以外のJ新聞に対するD被告人その他各方面からの賛助金授受の実情や、本件金三十万円授受の当時A被告人らが非常に困つていたことなどを挙げ、本件金三十万円は、右新聞に対する賛助金として授受されたもので、本件号外の頒布がなかつたならば、右金員の授受は行われなかつたとは認め難いこと、被告人らの検察官に対する各供述調書中右金三十万円が号外頒布に対する報酬である旨の記載は措信できないこと、昭和三十三年七月十日頃A、C両被告人がM知事を訪ね、同新聞に対する賛助金の出捐を懇請したことがあるが、この に対する各供述調書中右金三十万円が号外頒布に対する報酬である旨の記載は措信できないこと、昭和三十三年七月十日頃A、C両被告人がM知事を訪ね、同新聞に対する賛助金の出捐を懇請したことがあるが、この事実は必ずしも本件金三十万円が賛助金ではなかつたことを推測させるものではないこと、D被告人が本件金三十万円をA被告人らに交付した事実をM知事に連絡したかどうかは不明であるが、かりに右の連絡がなかつたからといつて、右三十万円が号外頒布等に対する報酬であるとすることはできないことを、それぞれその理由を挙げて説明しているのであつて、その説明は、いずれも相当であると認められ、また、D被告人が昭和三十二年十一月から七ヶ月の間に四回にわたり二、三十万円ずつをA被告人らに出捐したとの事実も、原判決がその三四頁以下に掲げたJ新聞に対する賛助金の出捐(本件各金員の授受以前のもの)に関する経緯、本件各賛助金授受についての実情及び出捐者側における出捐の理由に照らせば、あながち理由のないことではないと考えられるから、右各出捐のうちに包含される本件金三十万円の授受をもつて、所論のように本件号外の頒布とか、Kの当選に関係があるとすることはできない。以上に徴すると、本件各金員は、A被告人らのJ新聞に対する賛助金として授受されたものと認められるから、原判決が、右各金員は、本件号外頒布等によるKのための選挙運動の報酬として授受されたものとは認め難い旨認定したのは、まことに相当であつて、原判決には、なんら所論の事実の誤認はない。論旨は、いずれもその理由がない。 同第三点 (量刑不当)について所論に鑑み、記録を調査し、A被告人ら三名の経歴、職業、同被告人らと東京都庁側との関係、本件犯行の社会に及ぼした影響、C被告人には古い窃盗の前科があり、BC両被告人は、昭和三十三年中東京地 ついて所論に鑑み、記録を調査し、A被告人ら三名の経歴、職業、同被告人らと東京都庁側との関係、本件犯行の社会に及ぼした影響、C被告人には古い窃盗の前科があり、BC両被告人は、昭和三十三年中東京地方裁判所において入札妨害等の罪により、それぞれ有罪の判決(いずれも懲役刑の執行を猶予された)を受け、現に控訴中であることについて考えてみると、被告人ら三名の刑責は、決して軽微なものということはできないのである。しかし、本件犯行の態様は、さまで悪質のものとは考えられず、また、本件号外の作成頒布も所論のように、これによつて選挙運動に対する巨額の報酬を得ようとしたためではなく、D被告人らからのJ新聞に対する賛助金の出捐を円滑にしようとしてなされたものであつたこと、被告人ら三名には、本件のような方法で、今後再び罪を犯すような虞があるとは考えられないこと等の各情況について考えてみると、右被告人ら三名に対する原審の量刑は、いずれも相当であり、これを軽きに過ぎるものであるということはできない。論旨は、理由がない。 よつて、刑事訴訟法第三百九十六条、第三百八十条、第三百八十二条、第三百八十一条に則り、主文のとおり判決する。 (裁判長判事下村三郎判事高野重秋判事真野英一)
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