- 1 -平成20年(ワ)第6331号損害賠償請求事件判決主文 1 被告は,原告に対し,5335万4556円及びこれに対する平成17年5月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 原告のその余の請求を棄却する。 3 訴訟費用は,これを3分し,その2を被告の負担とし,その1を原告の負担とする。 4 この判決は,主文第1項に限り,仮に執行することができる。 事実 及び理由第1 請求被告は,原告に対し,9312万4616円及びこれに対する平成17年5月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要等 1 事案の概要本件は,被告が開設するY病院(以下「被告病院」という。)において,平成17年5月23日,未破裂脳動脈瘤に対する開頭脳動脈瘤クリッピング術(以下「本件手術」という。)を受けた原告が,本件手術後,内頸動脈の狭窄(閉塞)を原因とする右中大動脈領域の広範な脳梗塞を発症し,原告に左上下肢麻痺・高次脳機能障害が残ったことについて,被告病院医師には,①内頸動脈の血流確認義務違反,②麻痺判明後の検査義務違反,③説明義務違反の過失があったと主張し,不法行為又は債務不履行に基づき,9312万4616円の損害賠償金及びこれに対する同日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。 2 前提事実以下の事実は当事者間に争いがないか,かっこ内摘示の証拠及び弁論の全趣旨 - 2 -により,容易に認めることができる。 (1) 当事者ア原告は,昭和7年○月○日生まれ(本件手術当時72歳)の女性であり,パーキンソン病を患う夫と二人で暮らし,家事全般を行っていた。(原告本人)イ被告は,名古屋市○区において,被告病院を開設,経営 告は,昭和7年○月○日生まれ(本件手術当時72歳)の女性であり,パーキンソン病を患う夫と二人で暮らし,家事全般を行っていた。(原告本人)イ被告は,名古屋市○区において,被告病院を開設,経営管理する法人である。(争いなし)(2) 事実経過(なお,平成17年の出来事については,年の記載を省略する。)ア手術前の経緯(ア) 原告は,4月11日,頭痛を訴えて受診した近医から紹介された被告病院放射線科を受診し,頭部MRI検査,MRA検査の結果,右内頸動脈に動脈瘤の存在が疑われるとの所見が得られた。(甲A3,争いなし)(イ) 原告は,同月12日,被告病院脳神経外科を受診し,同科A医師(以下「A医師」という。)の診察を受け,同月18日,同科で,3D-CTA検査を受けた。また,原告は,同月27日,脳血管造影検査を受けたところ,右内頸動脈の前壁に未破裂脳動脈瘤が認められた。(争いなし)なお,原告の脳動脈瘤は,右内頸動脈のC2-C3部にあり,前床突起近傍にあることが判明していた。(甲B1p5及び乙B3)(ウ) 原告は,5月10日,被告病院を受診して脳動脈瘤クリッピング術を受ける旨伝え,同月19日,本件手術を受けるため被告病院に入院した。 (甲A1及び乙A1)イ本件手術について(ア) 同月23日,A医師の執刀により,本件手術が実施された。本件手術は,午前9時55分に開始され,午後1時24分ころから午後1時35分ころにかけて,原告の脳動脈瘤にクリッピングされ,午後2時48分に手術が終了した。(甲A1,争いなし) - 3 -(イ) 本件手術の概要は以下のとおりである。(甲A1,乙A5及び乙B3p4)A医師は,頸部で内頸動脈を確保した後,開頭して血流を確保するために浅側頭動脈-中大脳動脈 - 3 -(イ) 本件手術の概要は以下のとおりである。(甲A1,乙A5及び乙B3p4)A医師は,頸部で内頸動脈を確保した後,開頭して血流を確保するために浅側頭動脈-中大脳動脈の吻合術を行い,ドップラー血流計で浅側頭動脈-中大脳動脈の機能を確認した。その後,クモ膜を切開し,シルヴィウス裂を剥離していくと,右内頸動脈に動脈瘤が認められた。動脈瘤は視神経に癒着しており,壁が非常に薄く血流が渦を巻いているのが見られた。 動脈瘤の両側を剥離してクリップのブレードが入るスペースを確保し,動脈瘤を杉田クリップ№84でクリッピングした。動脈瘤から透けて見えた血流は止まったが,ドップラー血流計を動脈瘤及び内頸動脈に当てたところ,動脈瘤から拍動が検出されたため,リムーバーを用いてクリップを進めた。再度,ドップラー血流計を動脈瘤に当てたところ脈拍の振動は検出されたが,流れの音は検出されなかった。この際,A医師は,ドップラー血流計を内頸動脈に当てなかった。A医師は,止血を確認後,縫合するなどして手術を終了した。 (ウ) なお,本件手術において,動脈瘤をクリップする前に,原告の前床突起は切除されていない。 ウ本件手術後の状況(ア) 同日午後3時42分に麻酔が終了し,午後4時に原告は手術室から帰室したが,この時点でも麻酔から覚醒しておらず,右上肢を挙上しわずかに指を折ることができ,右下肢に自動運動が認められたが,左上肢は痛み刺激に反応がなく,左下肢も痛み刺激に指先がわずかに動くのみであった。 (乙A3p2,3)(イ) 同日午後5時の時点においても,原告は麻酔からの覚醒が不良であり,午後6時になっても,痛み刺激にも開眼することはなかった。(乙A3p2,3) - 4 -(ウ) そこで,同日午後6時20分,被告 後5時の時点においても,原告は麻酔からの覚醒が不良であり,午後6時になっても,痛み刺激にも開眼することはなかった。(乙A3p2,3) - 4 -(ウ) そこで,同日午後6時20分,被告病院医師らは,原告に対し,CT検査及びMRA検査等を実施したところ,MRA検査にて,右内頸動脈のC3付近より閉塞し,右中大脳動脈を中心とした脳梗塞を発症していることが判明した。(甲A2,甲A3及び乙A3p3,4)(エ) 同日午後7時20分ころから,被告病院医師らは,原告に対し,ラジカット及びグリセオールを投与するなどして,脳梗塞に対する治療を行い,同月26日からリハビリテーションを開始した。(甲A2,甲A3及び乙A3p3,4)(3) 原告の後遺障害原告は,その後,被告病院,B病院及びC病院において,リハビリテーションを行ったが,現在も,左上下肢ともにほぼ完全麻痺であり,平成17年10月に身体障害1級(肢体不自由)と判定されており,常時介護が必要な状態である。(甲A2,甲A5,甲C51及び原告本人)(4) 本件に関する医学的知見ア未破裂脳動脈瘤未破裂脳動脈瘤を経過観察した場合の破裂率は,年1ないし2%と言われており,破裂した場合はクモ膜下出血をきたす。そこで,未破裂脳動脈瘤の破裂を防止するため,開頭して脳動脈瘤をクリップするクリッピング術及びトラッピング術,血管内治療(コイル塞栓術)などの治療方法が行われている。未破裂脳動脈瘤の治療方法は予防的なものであるから,合併症や後遺症を起こさないことが重要である。(甲B2及び甲B11,弁論の全趣旨)イ前床突起前床突起は,蝶形骨の小翼の内後側に存在する円錐形をした骨の突起である。前床突起やその近傍の骨の構造にはヴァリエーションが多く,周囲は視神経,内頸 B11,弁論の全趣旨)イ前床突起前床突起は,蝶形骨の小翼の内後側に存在する円錐形をした骨の突起である。前床突起やその近傍の骨の構造にはヴァリエーションが多く,周囲は視神経,内頸動脈,上眼窩裂,海綿静脈洞などに囲まれて複雑な - 5 -構造となっている。C2-C3部付近の脳動脈瘤クリッピング術では,脳動脈瘤柄部の形状,内頸動脈の走行をよりよく観察するため,前床突起の切除が有用とされている。(甲B3,甲B5及び甲B6) 3 本件の争点(1) 原告の脳梗塞発症の機序について(2) 血流確認の懈怠について(3) 麻痺判明後の過失について(4) 説明義務違反について(5) 損害 4 争点に対する当事者の主張(1) 原告の脳梗塞発症の機序について(原告の主張)手術直後に術前にはみられなかった左側の片麻痺や麻酔覚醒遅延という意識障害がみられており,クリップによる内頸動脈の閉塞・狭窄と症状経過が合致すること,術後,意識障害,左半身麻痺が出現した後,緊急で実施されたMRI・MRAによると,クリップ近傍(C3の部位)で内頸動脈が閉塞している所見が認められること,本件手術に立ち会った医師も,術後,家族に対し,「オーバークリップしてしまった」と説明し,被告病院のカルテ上も「クリッピングの部分で右内頸動脈の流れが悪くなった事が原因と考えられる」と記載されており,被告病院医師らも,脳梗塞発症はクリッピングによる内頸動脈の閉塞・狭窄によるものと認識していたことに照らせば,原告の脳梗塞発症は,脳動脈瘤にかけたクリップが同時に内頸動脈にもかかり,内頸動脈が閉塞・狭窄したことに起因する。 (被告の主張)ア原告に生じた後遺症は,予防的にバイパス手術によって血流は補われていたが,完全には血流低下を補うことがで 同時に内頸動脈にもかかり,内頸動脈が閉塞・狭窄したことに起因する。 (被告の主張)ア原告に生じた後遺症は,予防的にバイパス手術によって血流は補われていたが,完全には血流低下を補うことができず,血流低下による内頸動脈の閉 - 6 -塞,脳梗塞によって生じたものである。 イそして,内頸動脈の閉塞が生じた原因は,以下に挙げる事由(単独で可能性の高い順に記載)の複合である可能性が考えられるが,手術手技の過誤とは結びつかない。 (ア) 新たな血管の解離が生じた(イ) クリップ操作(ウ) 頸部内頸動脈の処置を行った部分からの塞栓(エ) 原告の血液が一時的に固まりやすくなったことにより生じた閉塞(オ) 原告の血圧低下などの全身状態の変化ウ A医師は,クリッピングによって内頸動脈を閉塞したとは自認していない。 ただ原告の脳動脈瘤は,血豆状の脳動脈瘤だったため,通常のネッククリッピングよりも親動脈に近いところでクリップをかける必要があり,そのため親血管の血流が減った可能性はあるものの,バイパス手術を行い,かつまた,前交通動脈を介した左からの血流があるのだから,可能性としては決して高くないとの意味でカルテ(乙A4)記載のとおりの説明をしたものである。 エ脳梗塞の原因を確定することは困難であり,クリップ近傍で内頸動脈が閉塞しているという結果のみから,その原因がクリップによる閉塞と断定することは妥当とはいえない。 (2) 血流確認の懈怠について(原告の主張)ア結論脳動脈瘤クリッピング術においては,親血管血流確認が重要であり,親血管血流確保のため,具体的に本件では①前床突起の切除又はクリッピング後脳動脈瘤を剥離した上でのクリップ位置の確認,②クリッピング後,ドップラー血 ピング術においては,親血管血流確認が重要であり,親血管血流確保のため,具体的に本件では①前床突起の切除又はクリッピング後脳動脈瘤を剥離した上でのクリップ位置の確認,②クリッピング後,ドップラー血流計による血流確認が必要であるにもかかわらず,A医師は,前床突起の削除,クリッピングの状態の確認,クリッピング後のドップラー血流計 - 7 -による確認のいずれも行っておらず,血流確認に対する配慮に欠けていた。 イ前床突起の切除について本件脳動脈瘤は,前床突起近傍である内頸動脈のC2-C3部に存在し,このような部位に位置する脳動脈瘤のクリッピング術を行う際には,前床突起削除は必須の手技である。 本件脳梗塞の原因である内頸動脈の閉塞は,脳動脈瘤より中枢側の内頸動脈の走行,脳動脈瘤柄部の形状をよりよく観察していれば回避可能であるが,本件手術ビデオによれば,これらの点は術者から観察できておらず,本件では前床突起の切除を行う必要があった。 被告は,本件脳動脈瘤の壁が薄いことから,前床突起の切除による術中破裂の発生を懸念した旨主張するが,本件脳動脈瘤は未破裂脳動脈瘤であるので前床突起の切除で脳動脈瘤が破裂する可能性は高くなく,ビオボンドで補強しておくことも可能である。また,万が一,前床突起の切除が危険と判断された場合は,クリッピング後に脳動脈瘤より中枢部の内頸動脈の走行,脳動脈瘤柄部の形状を観察するべきであった。 以上のとおり,本件においては前床突起の切除は十分に可能であり,仮に前床突起切除が困難である場合にも,直視下の血流確認のためには他にも手段が存したものであるにもかかわらず,A医師は血流確認のためのいずれの方法も行っておらず,直視下の血流確認が不十分であった。 ウドップラー血流計による血流確認について脳神経外科 には他にも手段が存したものであるにもかかわらず,A医師は血流確認のためのいずれの方法も行っておらず,直視下の血流確認が不十分であった。 ウドップラー血流計による血流確認について脳神経外科医は術野から動脈外壁を観察するにとどまり,動脈の内側は全く見ることができないのであって,血流の有無を明確に判断することができるのは,血管が真っ白になって血流がない場合に限られ,それ以外の状況での判断は難しい。 そして,血流確認のためのドップラー血流計によるモニタリングは,平成17年当時,医療現場においては普及定着していたもので,その有用性は明 - 8 -らかである。 しかし,本件で,A医師は,最初のクリッピング後に内頸動脈にドップラー血流計を当てているが,クリップのかけ直し後は,脳動脈瘤の血流を確認したのみで,ドップラー血流計を内頸動脈に当てての血流確認は行っておらず,血流温存確認のための術中モニタリングにおいても適切な対応がとられていない。 被告は,かけ直しによるクリップの移動がごく僅かであるなど述べるが,クリップかけ直し後は,動脈瘤の血流音が検出されておらず,クリップの移動がごく僅かとはいい得ないし,原告は当時既に72歳であり,血管の動脈硬化が進行している可能性も高かったのであり,血管の狭窄を生じることは十分に考えられ,動脈瘤の拍動が消失するほどクリップは移動されたのであるから,クリッピングを最終的に終えた段階で血流確認を行わなければならない。 (被告の主張)ア前床突起の削除について前床突起が原告の血豆状動脈瘤の一部を覆っていたが,原告の動脈瘤の壁は非常に薄く壁を透かして血管が渦を巻いているのが肉眼で分かるほどであり(甲A1),前床突起を削ることは,その操作中に動脈瘤が破裂する危険が高い行為であると判断 一部を覆っていたが,原告の動脈瘤の壁は非常に薄く壁を透かして血管が渦を巻いているのが肉眼で分かるほどであり(甲A1),前床突起を削ることは,その操作中に動脈瘤が破裂する危険が高い行為であると判断されたことから,これを行わなかった。 術前に脳動脈瘤と前床突起の位置関係がよく抽出されており,画像からは切除が不要と予想された。 イ血流確認についてドップラー血流計によってかけ直し以前の内頸動脈の血流の状況が良好であることが確認されていることを前提に,かけ直しに伴うクリップの移動程度(親動脈の方向である深部にごくわずか,1から2㎜程度)や方向(内頸動脈の走行に平行に近く,内頸動脈上壁に沿うような方向で,動脈瘤のネ - 9 -ック(2~3㎜)を超えたクリップのブレード(5㎜)の先端部分を斜め方向に挿入),その後の内頸動脈の形状変化の有無等から,内頸動脈の狭窄が生じることは考えられない状況において,それをドップラー血流計で確認しなかったことは問題にならない。つまり,ドップラー血流計で既に血流状態が良好であることが確認されたにもかかわらず,再度ドップラー血流計によって血流確認することが必要であるとはいえない。 A医師には,再度ドップラー血流計によって血流を確認するまでの法的注意義務はなく,再度血流確認をしなかったとしても,過失はない。また,仮に再度ドップラー血流計によって血流を確認したとしても,閉塞の可能性がないのであるから,その後の脳梗塞の発症,それによる後遺症の発症を防ぐことはできなかった。 (3) 麻痺判明後の過失について(原告の主張)ア本件過失について術後麻痺などの脳虚血症状を呈する場合,グリセオールなどの脳保護薬を投与するとともに,頭部CT検査・頭部MRI検査・脳血 後の過失について(原告の主張)ア本件過失について術後麻痺などの脳虚血症状を呈する場合,グリセオールなどの脳保護薬を投与するとともに,頭部CT検査・頭部MRI検査・脳血管撮影等で血管閉塞の有無・クリップと脳血管の関係を評価し,脳血管がクリップにより閉塞されているならば,直ちに再手術により血流の再開を図ることが重要である。 本件においては,麻酔終了後も原告は覚醒せず,術中看護記録の午後3時46分の時点に「麻酔終了覚醒不良」との記録がある。また,覚醒の遅れが麻酔によるものであれば,左右差は認められず,局所症状の出現は手術操作又は術後合併症によるものと考えられるところ,術後,原告の右上肢は挙上し,右下肢は自動運動があったのに対し,左上肢及び左下肢は,痛み刺激にほとんど反応がなかったのであるから,A医師は,原告の左上下肢の麻痺を確認した5月23日午後4時の時点で,速やかに頭部CT・MRA検査等を行うべき注意義務があった。 - 10 -イ被告は,原告は麻痺と判断できる状態ではなかった旨主張するが,覚醒不良は脳血流不全から生じるものであるから,覚醒が遅れるということは異常で深刻な事象ととらえるべきであり,未破裂脳動脈瘤の手術の場合,手術が何ら問題なく終了していれば,患者は手術室で覚醒するはずである。覚醒の遅れが麻酔によるものであれば,左右差は認められず,局所症状の出現は手術操作又は術後合併症によるものと考えられ,本件では,左上下肢の麻痺という左右差が認められており,手術操作による覚醒不良が疑われる状態であった。また,午後4時の看護記録(乙A3p2)を見れば,運動麻痺の評価は容易である。 また,薬の副作用による覚醒不良に起因するものか麻痺であるかの判断ができないのであれば,鑑別のためにもMR 。また,午後4時の看護記録(乙A3p2)を見れば,運動麻痺の評価は容易である。 また,薬の副作用による覚醒不良に起因するものか麻痺であるかの判断ができないのであれば,鑑別のためにもMRI検査等といった非侵襲的な検査を行うべきだった。 ウ虚血発生から3~4時間以内に狭窄・閉塞が解除されれば,後遺障害の発症を免れることができる。 本件でも,麻痺の発症が疑われた午後4時の時点で頭部CT等の検査が行われていたならば,クリップによる内頸動脈の閉塞が明らかとなり,手術準備のための時間を考慮しても,虚血発生から4時間以内での再手術は十分可能だったものであり,再手術により原告の内頸動脈の血流は再開し,原告に後遺障害が残ることはなかった。 なお,クリップにより血管が完全閉塞することなく血管を屈曲させるなどした場合,その部位に血液成分が付着して血栓を形成し,初めは動脈狭窄が生じ,それが徐々に進行して最終的には完全閉塞に至るものであって,一定の時間的経過が必要となる。特に本件は内頸動脈という太い血管であるから,クリッピング終了後から完全閉塞に至るまで相当の時間が経過しなくては虚血は発生しない。 また,被告が主張するような再手術の危険性があるのは,血管閉塞後4時 - 11 -間以上が経過した場合であって,午後4時の時点で直ちに画像検査を行えば,再手術によるリスクは減少し,回復の可能性も高まったものである。 (被告の主張)ア臨床上,本件のような脳動脈瘤の手術直後には,何らかの麻痺が見られることがあるから,まずは,麻痺が改善するかを観察することも直ちに過誤であるとはいえない。特に,本件では以下の点に照らせば,午後4時の時点で術後にMRIを行う診療上の義務は認められない。 イ午後4時の時点では,原告は未だ覚醒 するかを観察することも直ちに過誤であるとはいえない。特に,本件では以下の点に照らせば,午後4時の時点で術後にMRIを行う診療上の義務は認められない。 イ午後4時の時点では,原告は未だ覚醒状態ではなく,麻痺と評価できる所見,あるいはその可能性が高いと判断できる所見は得られていなかった。その後,原告が覚醒してきたことで左上下肢の動きを麻痺と評価し,脳の異常の存在を疑って直ちにCT等の検査を施行した。動脈瘤を露出する操作のため,右脳への操作が加わっており,覚醒の悪い状態の時に,この操作が一時的に患者の神経学的な状態に影響することが考えられる。 本件で使用した麻酔薬ディプリバン(一般名プロポフォール)の添付文書の重大な副作用の項目に「覚醒遅延(0.1~5%未満):覚醒遅延があらわれることがある」(乙B1p2)とあるように,麻酔に対する反応には,当然,個人差がある。原告は,4月27日に実施した脳血管撮影の際,検査前に軽い鎮静を行ったところ,検査後約4時間経っても,その副作用でふらつきが見られ(乙A1),傾眠傾向にあった上記の点に加え,術中何のトラブルもなく,更には,浅側頭動脈中大脳動脈吻合術も加えて行っていたことから,午後4時の時点で合併症により運動麻痺を生じていると評価することは極めて困難である。 ウ脳梗塞の発症から6時間以内においては,CT撮影をしても所見が得られず,更にMRI・MRA撮影等の検査を実施する理由はない。 本件手術でクリップをかけたのは午後1時24分であり,午後4時までには既に長時間が経過している。仮に午後4時の時点で麻痺を認め,脳の異常 - 12 -を疑ったとしても,CT検査を実施し,その後,MRI・MRA検査を行うなどの手順を必要とし,更に時間を要する。到底脳梗塞を生ずる前に ている。仮に午後4時の時点で麻痺を認め,脳の異常 - 12 -を疑ったとしても,CT検査を実施し,その後,MRI・MRA検査を行うなどの手順を必要とし,更に時間を要する。到底脳梗塞を生ずる前に再度血流を再開できる状況ではない。 そもそも,再手術によって虚血で傷害されている脳に対して急激に血流を増加させることは出血性梗塞を来す可能性が高く,場合によっては,破滅的な脳の状態に陥る危険性があり,患者にとってより状態が悪化する危険性があり,本件で再手術を選択することは考えられない。 (4) 説明義務違反について(原告の主張)本件の未破裂脳動脈瘤に対するクリッピング術は,原告のように片麻痺や高次脳機能障害が後遺し,術前に比べてむしろ症状を悪化させるおそれがある。 また,未破裂脳動脈瘤の場合,血管内治療や経過観察をする余地があり,医師の裁量権に比べ患者の自己決定権がより尊重されるべき分野である。 したがって,A医師には,①内頸動脈に未破裂脳動脈瘤が存在すること,②実施予定であるクリッピング手術の内容,③クリッピング手術に伴う合併症及び合併症の発生率,④他に選択可能なコイル塞栓術の内容と利害得失,⑤いずれの術式も受けずに保存的に経過を見るという選択肢が存在すること,⑥保存的に経過を見た場合の予後について,熟慮の上で判断できるように分かりやすく説明することが求められていた。特に,原告が本件手術を受けるか否かを決定するに当たっては,⑥手術をしない場合の本件脳動脈瘤の破裂率,③手術を受けた場合の合併症の発症,後遺障害が発生する可能性や頻度が重要な事項となる。 ところが,A医師は,原告に対し,具体的な破裂率,本件手術により脳梗塞が発症する確率について具体的な数値を説明しておらず,保存的に経過を見るという選択可能な方法についても具体的 要な事項となる。 ところが,A医師は,原告に対し,具体的な破裂率,本件手術により脳梗塞が発症する確率について具体的な数値を説明しておらず,保存的に経過を見るという選択可能な方法についても具体的な説明をしていない。 なお,原告は「入院診療計画書および手術説明同意書」に署名しているが, - 13 -A医師が原告に署名を求めただけのもので,同書面には⑥破裂の危険性の程度等が具体的に説明されておらず,④コイル塞栓術との比較において利害得失が説明されていない,③合併症の発生率についての具体的記載がない,⑤保存的に経過を見るという選択可能な方法についての記載がないという問題点がある。 以上のとおり,A医師は説明義務を尽くさず,原告の適法な同意を得ることなく本件手術を実施したものであり,説明義務に違反する。 (被告の主張)A医師は,原告に対し,以下のとおり,経過観察とするか,手術を行うかを決定するために必要な現在の病状,経過観察を選択した場合に起こり得る危険性とその程度,手術の術式及び手術に伴う危険性とその程度について説明をしており,患者が手術を受けるか否かを決するための説明及び情報提供において欠けるところはない。 ア 4月27日,A医師は,原告の夫及び長女に対し,以下の説明を行った。 (ア) 未破裂脳動脈瘤に対する治療方針については,クリッピング手術を行わずに経過観察をする方法もあること,本件の脳動脈瘤は小さなものではあるが,内頸動脈前壁に存在し,破裂するとクモ膜下出血を起こす危険があること,ただし一般に脳動脈瘤破裂の確率は1-2%程度と高くない。 (イ) クモ膜下出血を予防する方法として,開頭術及び血管内治療が考えられるが,今回の脳動脈瘤は小さく動脈壁が脆弱であると考えられるた 脳動脈瘤破裂の確率は1-2%程度と高くない。 (イ) クモ膜下出血を予防する方法として,開頭術及び血管内治療が考えられるが,今回の脳動脈瘤は小さく動脈壁が脆弱であると考えられるため,治療を行うのであれば,開頭術が望ましい。 (ウ) ただし,手術には危険性があり脳動脈瘤の術中破裂,脳血管の損傷による出血や脳梗塞の発症によって死亡したり,麻痺,意識障害などの重大な後遺症が生じる可能性がある。 イ 4月28日,A医師は,原告及び原告の夫に対して,上記アと同様,病 - 14 -状及び今後の治療方針等について説明をし,再診時までに治療について本人・家族の意見を決めるよう説明した。 ウ 5月19日,原告が手術に対し,やや不安な様子であったため,看護師らが傾聴し,丁寧に説明しているが,その前提となる説明が行われていたからこそ,原告は質問できたものである。 エ 5月21日,A医師は,「入院診療計画書および手術説明同意書」の記載にしたがって,原告及び原告の夫に説明をした。 オさらに,本件手術直前まで原告から数多くの質問がされており,A医師から手術の危険性についても十分に説明があったからこそ,原告が不安を抱き,納得するまで質問したのであり,原告は,その不安に対する回答を医療従事者から得た上で,十分納得して手術を受けたことが分かる。 (5) 損害(原告の主張)原告らは,被告の不法行為又は債務不履行により,次のとおり,合計9312万4616円の損害を被った。 ア逸失利益 1837万6816円284万3300円(平成17年度賃金センサス第1巻第1表,産業計,企業規模計,学歴計の65歳以上の女子平均賃金の年間合計額)×1(労働能力喪失率100%)×6.4632(72歳時における平均余命の2分の 300円(平成17年度賃金センサス第1巻第1表,産業計,企業規模計,学歴計の65歳以上の女子平均賃金の年間合計額)×1(労働能力喪失率100%)×6.4632(72歳時における平均余命の2分の1である8年間のライプニッツ係数)イ慰謝料 3000万円原告は,現在も左上下肢機能全廃・高次脳機能障害の後遺障害が残存し,左上下肢に疼痛が残り,今後回復する可能性はなく,上記苦痛を慰謝するには3000万円が相当である。 ウ付添看護料 3774万7800円(ア) 被告病院・B病院・C病院での付添看護料 186万2000円 - 15 -266日(入院実日数・平成17年5月24日から平成18年2月13日まで)×7000円(近親者付添看護料,一日当たり)(イ) 平成18年2月14日から平成20年7月15日までの間(実日数883日)の付添看護料 708万0730円a 職業付添人による付添看護料 190万0730円(実日数143日)b 近親者による付添看護料 518万0000円740日(実日数)×7000円(近親者付添看護料,一日当たり)(ウ) 近親者による将来の付添看護料 2880万5070円7000円(1日の看護料)×365日×11.274(平成20年7月16日以降,当時の平均余命17年のライプニッツ係数)エ弁護士費用 700万円(被告の主張)ア原告の主張は争う。 イ損益相殺原告は,本件事故後,身体障害者1級・要介護状態4の認定を受けている。 この事故時及び現時点での介護保険制度によれば,65歳以上の場合,介護にかかる費用は自己負担1割である。不法行為と同一の原因によって被害者が第三者に対する債権を取得した場合に損益相殺的な調整を図 。 この事故時及び現時点での介護保険制度によれば,65歳以上の場合,介護にかかる費用は自己負担1割である。不法行為と同一の原因によって被害者が第三者に対する債権を取得した場合に損益相殺的な調整を図ることが許されるのは,(ア)当該債権が現実に履行されたか,又は,(イ)これと同視し得る程度にその存続及び履行が確実であるということができる場合である。これを過去及び将来の付添看護料に当てはめると,介護保険制度については,厚生労働省が把握する要介護者の増加見込みからも明らかなように,今後,特に在宅要介護者支援の存続及び履行が確実である。したがって,原告が将来の介護料として負担する割合は,職業付添人における費用の1割程度にとどまると判断されるべきである。 - 16 -なお,原告の配偶者は,本件事故当時パーキンソン病を発症しており,要介護5の認定を受けているのであるから,配偶者による介護が期待できないことは明らかであり,この点からも職業付添人による介護料の負担が軽減される措置が存続されることが否定されるとは到底考えられない。 したがって,将来の付添看護料は損益相殺の対象となると判断されるべきである。 第3 当裁判所の判断 1 争点(1)原告の脳梗塞発症の機序について(1) 前記前提事実のとおり,本件手術では右内頸動脈のC2-C3部にある脳動脈瘤に対し,クリッピングがされていること,クリップ操作に際して,一度クリップを進めてかけ直すなどしており,右内頸動脈が狭窄又は閉塞する可能性のある手術操作がされていること,術後のMRA検査において,クリップの近傍であるC3の部位で右内頸動脈が閉塞しているとの所見が得られていること,手術直後から術前には見られなかった左片麻痺や麻酔覚醒遅延という意識障害が生じたことが認められる。 また,証拠( リップの近傍であるC3の部位で右内頸動脈が閉塞しているとの所見が得られていること,手術直後から術前には見られなかった左片麻痺や麻酔覚醒遅延という意識障害が生じたことが認められる。 また,証拠(甲B1)によれば,脳神経外科医であるD医師は,閉塞血管は術後発生した梗塞の大きさから右内頸動脈と考えられ,その原因は,動脈瘤にかけたクリップが同時に内頸動脈にもかかり閉塞したものと推定されるとの意見を述べていることが認められる。A医師自身も,脳梗塞発症直後の5月25日の時点において,脳梗塞が生じたのは,バイパス手術を行い,前交通動脈を介した左からの血流があるにもかかわらず,クリッピングの部分で右内頸動脈の流れが悪くなったことが原因と考えていたこと(乙A4)が認められる。 以上に照らすと,原告の脳梗塞発症に至る機序は,クリップが右内頸動脈にかかったために,右内頸動脈が狭窄又は閉塞し,事前に実施したバイパス(右浅側頭動脈と中大脳動脈吻合術)では血流が足りずに血流が低下し,脳 - 17 -梗塞を発症したものと認めるのが相当である。 (2) 一方,証拠(乙B4)によれば,脳神経外科医であるE医師(以下「E医師」という。)は,内頸動脈の狭窄又は閉塞の原因について,(ア)新たな血管の解離が生じた,(イ)クリップ操作,(ウ)頸部内頸動脈の処置を行った部分からの塞栓,(エ)原告の血液が一時的に固まりやすくなったことにより生じた閉塞,(オ)原告の血圧低下などの全身状態の変化の複合である可能性が考えられる旨の意見を述べていることが認められる。 しかしながら,(ア)新たな血管の解離については,E医師自身,手術中には動脈の色調は変化しておらず,この時点で新たに血管の解離が起こっているとは思われにくいと述べており,(ウ)についても,可能性は完全に否定できない )新たな血管の解離については,E医師自身,手術中には動脈の色調は変化しておらず,この時点で新たに血管の解離が起こっているとは思われにくいと述べており,(ウ)についても,可能性は完全に否定できないと述べるにすぎない。また,(エ)血液の凝固能の一時的亢進又は(オ)全身状態の低下については,原告に本件手術当時にかかる症状があったと認める証拠はない。結局,E医師の上記意見は,クリップ操作が内頸動脈狭窄の原因となることを否定するものではないと解釈するのが相当である。 2 争点(2)血流確認の懈怠について(1) 前提事実記載のとおり,未破裂脳動脈瘤クリッピング術では,予防的手術のため,術中破裂や血管損傷の合併症を起こさないことが重要とされている。 また,証拠(甲B1及び甲B4)によれば,クリッピングに際して,正常血管を巻き込まないようにするために,クリッピングの前にはブレードが挿入できるスペースを確保し,クリッピング後は必ず動脈瘤をクリッピングできているのか,正常血管をクリップして狭窄などしていないかを確かめる必要があることが認められる。したがって,医師は,脳動脈瘤クリッピング術において,クリッピングに際して親血管の狭窄・閉塞を避け,親血管の血流を確保すべき注意義務があると認められる。 原告は,本件のようなC2-C3部付近の脳動脈瘤クリッピング術では,親血管の血流を確保するため,具体的には,前床突起を削除し,又は,クリ - 18 -ップ後に脳動脈瘤を周囲から剥離するなどしてクリップの位置を観察し,ドップラー血流計による血流確認をすべきであったと主張するので,前床突起の削除及びドップラー血流計による血流確認を中心に以下検討する。 (2) 前床突起の削除ア証拠(甲B1,甲B3,甲B5,甲B6,甲B9及び乙B4)によれば, ったと主張するので,前床突起の削除及びドップラー血流計による血流確認を中心に以下検討する。 (2) 前床突起の削除ア証拠(甲B1,甲B3,甲B5,甲B6,甲B9及び乙B4)によれば,本件のような,C2-3部位における脳動脈瘤クリッピング術においては,血管の可動性が少ないため,その可動性を確保するために,前床突起の切除は多く行われており,前床突起をうまく削除できれば,脳動脈瘤の柄部がよく観察できたことが認められる。 また,証拠(甲B1及び甲B3)によれば,前床突起の切除を行わなかった場合,術野が狭く,脳動脈瘤の柄部や親血管である内頸動脈の中枢側の走行を十分に把握することができないので,少なくともクリッピング後に脳動脈瘤を完全に剥離し,クリッピングの状態を確認するという方法をとる必要があることが認められる。 イしたがって,本件においては,前床突起を切除するか,前床突起を切除することが危険と判断したのであれば,前床突起を切除していないために術野が狭く,動脈瘤の状況を把握することが困難であったのであるから,クリッピング後に脳動脈瘤を完全に剥離し,クリッピングの状態を確認するべきであったと認めるのが相当である。 ウこれに対し,被告は,本件の脳動脈瘤は,壁の薄い脳動脈瘤であるところ,前床突起は脳動脈瘤の近傍に存在することから,前床突起の切除に際して術中破裂の危険性も存在するので,前床突起の切除をしなかった旨主張する。 壁の薄い脳動脈瘤に対しては,ビオボンドで補強するという方法があったことが認められる(甲B10p1138)ものの,術中破裂の危険性が完全に解消できるとまでは認められないので,前床突起の切除をするか否 - 19 -かは医師の裁量というべきであって,切除しなかったこと自体に過失があるとはいえない。しか のの,術中破裂の危険性が完全に解消できるとまでは認められないので,前床突起の切除をするか否 - 19 -かは医師の裁量というべきであって,切除しなかったこと自体に過失があるとはいえない。しかし,切除をしないのであれば,クリッピング後に脳動脈瘤を完全に剥離し,クリッピングの状態を確認するべきであったのであり,この点では被告の主張は採用できない。 (3) ドップラー血流計による確認前述のとおり,脳動脈瘤クリッピング術においては,親血管の血流確保が重要であるところ,証拠(甲B3,甲B9,甲B10及び乙B4)によれば,親血管の血流有無の確認は,外部からは困難であることから,超音波ドップラー血流計などによって,血流の有無を確認すべきであることが認められる。 これに対し,被告は,本件のクリップの移動が短かったこと,血流状況が良好であったことから,かけ直し後に再度ドップラー血流計で確認すべきとはいえないと主張する。しかしながら,前提事実のとおり,かけ直しによって,動脈瘤の拍動がなくなる程度に移動したことに照らせば,かけ直し後に親動脈の血流が阻害される可能性は認められるのであるから,親血管の血流確保が重要な脳動脈瘤クリッピング術において,そして,前述のとおり,前床突起を削除しておらず,術野が狭い本件手術においては尚更,ドップラー血流計により内頸動脈の血流を確認する必要性は高かったと認められる。 なお,ドップラー血流計については,血流速度と血流方向が判明するのみで,血流量が十分か否かは分からないとする文献がある(乙B2及び甲B12p473)一方,狭窄の有無の確認に有用とする文献も散見される(甲B9,甲B10p1139及び甲B11p178,182)ところであり,血管が完全に閉塞していない状態であっても,血流狭窄の有無を確認 2p473)一方,狭窄の有無の確認に有用とする文献も散見される(甲B9,甲B10p1139及び甲B11p178,182)ところであり,血管が完全に閉塞していない状態であっても,血流狭窄の有無を確認することは可能であったと認められる。 そして,本件では,術後早期に脳梗塞の症状(左片麻痺)が現れていることや,前述のとおり動脈瘤自体の血流については違いが生じていることに照らせば,クリップ移動直後において,既に血流自体が相当程度低下していた - 20 -可能性が高く,ドップラー血流計で確認すれば,動脈狭窄の有無を確認することができた可能性は高いものと認められる。 (4) 以上のとおり,本件手術においては,クリッピング後に脳動脈瘤を完全に剥離して,クリッピングの状態を確認し,ドップラー血流計によって内頸動脈の状態を確認すべきであったにもかかわらず,A医師は,いずれも実施していないのであるから,内頸動脈の血流を確認すべき注意義務に違反している。 3 争点(3)麻痺判明後の過失について(1) 証拠(甲B8p133)によれば,Grade がよく,手術が問題なく終了した場合は,手術室で覚醒させ,抜管するとされており,術直後の神経学的診断は麻酔の影響で容易ではないものの,原則として麻酔の効果は中枢神経系全体を抑制しており,新たな局所症状の出現は,手術操作又は術後合併症によるものと考えられることが認められる。 前記前提事実のとおり,午後2時48分に本件手術が終了し,午後3時42分には麻酔も終了していたにもかかわらず,午後4時の帰室時点で麻酔から覚醒していなかったこと,看護師の痛み刺激等に対する反応によれば左上下肢に麻痺があったことが認められる。これらによれば,午後4時の時点で原告には左上下肢に運動麻痺が生じていたと認められる。 酔から覚醒していなかったこと,看護師の痛み刺激等に対する反応によれば左上下肢に麻痺があったことが認められる。これらによれば,午後4時の時点で原告には左上下肢に運動麻痺が生じていたと認められる。 このように術前にはなかった左上下肢麻痺という局所症状が現れており,クリッピングに際して,内頸動脈の走行を十分に確認できていない以上,被告病院医師らは,午後4時の時点において,原告に生じていた麻痺について原因を精査する必要性もあり,十分に可能であったと認められる。 (2) この点,被告は,手術が動脈瘤を露出する操作であり,右脳への操作が加わっており,覚醒の悪い状態の時にこの操作が一時的に患者の神経学的な状態に影響することが考えられると主張し,E医師も,意見書(乙B4)において,午後4時の時点で麻痺があることは明らかであるが,動脈瘤手術の直 - 21 -後では様々な影響で麻痺が生じるから,これが内頸動脈閉塞によるものと判断するのは不可能と述べる。しかしながら,同医師は,意見書において,麻酔からの覚醒が悪い場合にはCT,必要ならMRIを撮影するとも述べており,本件はまさに麻酔からの覚醒が悪い場合に該当するものであるから,この意見書からも,本件運動麻痺が通常の動脈瘤手術直後における麻痺とは異なることが認められる。 また,被告は,ディプリバンの影響など麻酔に対する反応は個人差があり,原告は事前の検査でも副作用があったと主張するが,ディプリバンの投与を中止してから覚醒に要した時間は通常8分程度であることが認められ(乙B1),覚醒不良のみならず左上下肢に麻痺が生じていたことに照らせば,この時点において,内頸動脈閉塞による麻痺と評価せざるを得ない。 (3) 次に,原告は,この時点でCT撮影等を実施し,脳梗塞が判明すれば再手術を行って血流 下肢に麻痺が生じていたことに照らせば,この時点において,内頸動脈閉塞による麻痺と評価せざるを得ない。 (3) 次に,原告は,この時点でCT撮影等を実施し,脳梗塞が判明すれば再手術を行って血流再開ができたはずである旨主張する。 この点,証拠(乙B4)によれば,脳梗塞の鑑別については,CT検査では,発症から6時間以上経過しないと変化が生じないが,MRI検査又はMRA検査では,より早い段階で脳梗塞を確認することができることが認められる。実際,被告病院でも,異常の存在を疑ってから,CT,MRI及びMRA検査を次々と施行しており,午後4時の時点において,原因を精査しようとすれば,同様の検査が施行された可能性が高い。 しかしながら,前提事実のとおり,CT検査等を実施した後,脳梗塞の治療を開始するまで約1時間を要していることから,再手術を実施する場合は,再手術の判断,再手術の準備などのために更なる時間を要するものと推認される。クリッピング後,徐々に閉塞したとしても,手術開始までには相当程度の時間を要し,再手術の負担も考慮すると,再手術の適応があったものと認めることはできない。 (4) したがって,本件において,午後4時の時点で原告の左麻痺の原因を精査 - 22 -するため,CT検査等の実施を準備する必要は高かったものである。ただ,この点に過失があるとして,この時点ころにおいて脳梗塞が判明していたとしても,再手術の適応があったものとは認められないので,結果との間に因果関係があるとはいえない。 4 争点(4)説明義務違反について(1) 本件手術に関する説明について,前提事実及び証拠(甲A5,乙A1,乙A2及び乙A3)によれば,以下の事実が認められる。 ア 4月27日の検査入院後,A医師は,原告の夫及び娘に対し,原告の (1) 本件手術に関する説明について,前提事実及び証拠(甲A5,乙A1,乙A2及び乙A3)によれば,以下の事実が認められる。 ア 4月27日の検査入院後,A医師は,原告の夫及び娘に対し,原告の脳動脈瘤について,クリッピング手術の適応及び危険性,手術を行わずに経過を見た場合の危険性について説明した。 イ翌28日,A医師は,原告及び原告の夫に対し,病状,今後の治療方針について説明し,5月10日までに治療についての意見を決めてもらうよう伝えた。 ウ 5月10日,A医師は,原告,原告の夫及び長女に対し,同様の説明を行った。(争いなし)エ同月19日,原告は被告病院に入院したが,原告は,看護師に対し手術に対する不安を伝え,看護師が説明するなどした。 オ同月21日,A医師は,原告に対し,手術とその危険性について説明し,「入院診療計画書および手術説明同意書」を手渡した。同書面には,原告には右内頸動脈に未破裂脳動脈瘤があること,動脈瘤の破裂率は年1-2%前後であるが,原告の脳動脈瘤はその形,位置に照らすと,破裂率がそれより高い印象があること,脳動脈瘤が破裂した場合,クモ膜下出血を来たし,生命の危険性が生じたり,重篤な後遺症が生じる可能性があること,術中術後に脳動脈瘤が破裂した場合,重篤な後遺症(生命の危険が生じることもある)を残すことがあること,脳動脈瘤の処置に際し重要な血管を損傷すると,術後麻痺,意識障害を来すことがあること,動脈瘤の実際の性状によってはト - 23 -ラッピングなど別の方法をとることがあることが記載されており,同意書欄には,原告が自署で「同意する」に丸を付けてサインした。 カ原告は,上記書面のサイン時に,手術への不安から,看護師に質問をするなどしたため,看護師が原告の理解を得られるように ており,同意書欄には,原告が自署で「同意する」に丸を付けてサインした。 カ原告は,上記書面のサイン時に,手術への不安から,看護師に質問をするなどしたため,看護師が原告の理解を得られるように説明をした。 (2) 医師は,患者の疾患の治療のために手術その他一定の合併症が発生するおそれがある医療行為を実施するに当たっては,診療契約に基づき,特別の事情のない限り,患者に対し,当該疾患の診断,実施予定の手術の内容,手術に付随する危険性,他に選択可能な治療法があれば,その内容と利害得失,予後などについて説明すべき義務がある。その場合において,医療水準として確立した療法や術式が複数存在する場合には,医師は,患者がそのいずれを選択するかにつき熟慮の上判断することができるような仕方で,それぞれの療法や術式の違い,利害得失を分かりやすく説明することが求められる。 (3) これを本件についてみると,前記(1)のとおり,脳動脈瘤の具体的な破裂率については,年1-2%より高いという具体的な説明がされており,経過観察とした場合の予後についても説明したと認めるのが相当である。また,前記(1)のとおり,本件手術により,重篤な後遺症(生命の危険が生じることもある)や術後麻痺,意識障害を起こす可能性があることについての説明はされていることから,術後麻痺等を引き起こす可能性のある脳梗塞についても説明がされたと認めるのが相当である。 他方,未破裂脳動脈瘤に対しては,コイル塞栓術などの血管内治療もあるところ,本件全証拠をみても,A医師が,未破裂脳動脈瘤に対しては,コイル塞栓術などの血管内治療という方法があることを説明したと認めるに足りる証拠はないが,原告の脳動脈瘤に対して血管内治療の適応があったということも認めることはできない。 したがって,A医師が説明義務に 栓術などの血管内治療という方法があることを説明したと認めるに足りる証拠はないが,原告の脳動脈瘤に対して血管内治療の適応があったということも認めることはできない。 したがって,A医師が説明義務に違反したと認めることはできない。 5 争点(5)損害について - 24 -(1) 逸失利益原告は,前提事実のとおり,本件手術当時,72歳と高齢であったが,パーキンソン病を患う夫と2人で暮らし,家事労働に従事していたものである。原告の基礎収入については,原告の年齢,原告の脳動脈瘤の予後等に照らし,平成17年の65歳以上女性全労働者平均賃金284万3300円の3割に当たる85万2990円とするのが相当である。また,前提事実記載の後遺障害の程度に照らせば,原告の労働能力喪失率は100%であり,72歳の女性の平成17年における平均余命17.19年の約2分の1である8年のライプニッツ係数は6.4632であるから,原告の逸失利益は,下記計算式のとおり,551万3044円となる。 85万2990円×1×6.4632=551万3044円(2) 慰謝料原告の後遺障害の内容,程度,過失の程度等本件審理に現れた一切の事情を総合すると,慰謝料の額を1800万円とするのが相当である。 (3) 付添看護料ア平成17年5月24日から平成18年2月13日まで証拠(甲A3,甲A5及び原告本人)によれば,原告は,平成17年5月24日から平成18年2月13日まで(実入院日数266日),被告病院,B病院及びC病院に入院していたことが認められる。上記入院期間においては,病院による看護態勢があったものの,原告の症状の内容,程度,年齢等にかんがみると,家族が原告の付添看護をする必要があったと認められ,入院時における近親者の ことが認められる。上記入院期間においては,病院による看護態勢があったものの,原告の症状の内容,程度,年齢等にかんがみると,家族が原告の付添看護をする必要があったと認められ,入院時における近親者の付添看護費用は,1日当たり4000円とするのが相当である。したがって,上記期間における付添看護費用は,106万4000円となる。 イ平成18年2月14日以降証拠(甲A5,甲C1の1ないし17,甲C2の1ないし49の2及び原 - 25 -告本人)によれば,原告は,装具をつけないと一人で車椅子に乗れず,装具を一人で装着することができないため,一人でトイレに行く等の移動ができず,平成18年2月14日以降,当初は民間の介護施設において介護を受け,その後は自宅において,夜間は職業付添人の介護(実日数143日間)を受けて合計190万0730円を支払い,昼間は訪問介護を受けるが,常時の訪問介護は認められていないので,介護者がいない時間には,近親者である長女による介護を受けたこと,平成20年7月16日以降,長女の家の近所にあるバリアフリーの家に転居し,昼間は週1日通所介護を受け,その他の日は限定された時間ではあるが訪問介護を受け,訪問介護のない時間と夜間において,長女の介護を受けていることが認められる。 したがって,職業付添人による看護費用として実費全額である190万0730円が認められる。 また,原告の症状の内容,程度,年齢等にかんがみると,平成18年2月14日以後も,民間の介護施設に入所しなければ近親者による介護が必要であったといえるから(原告は民間介護施設に支払った費用は請求していない。),その看護費用は1日当たり6000円と認めるのが相当であり,平成18年2月14日時点において原告は73歳であるところ,平成18年簡易生命表 ら(原告は民間介護施設に支払った費用は請求していない。),その看護費用は1日当たり6000円と認めるのが相当であり,平成18年2月14日時点において原告は73歳であるところ,平成18年簡易生命表による73歳女性の平均余命16年のライプニッツ係数10.8378を掛けて同日時点での中間利息を控除し,また,職業付添人による介護を受けた日数(143日)に係る付添看護費用分を控除すると,次のとおりとなる。 6000円×365日×10.8378-6000円×143日=2287万6782円ウなお,被告は,将来の付添看護費用について,介護保険制度の利用により,原告自身の費用負担は1割程度にとどまるとして損益相殺を主張するが,原告は,近親者による付添介護費用を請求しているのであり,介護保険でまか - 26 -なうことのできない費用であるから,損益相殺の対象となるものとは認められず,被告の主張は採用できない。 (4) 以上の小計 4935万4556円(5) 弁護士費用弁論の全趣旨によれば,原告は,本件訴訟の提起,遂行を訴訟代理人弁護士に委任し,その費用として相当額の支払をしたことが認められる。本件訴訟の内容,審理経過等の事情から,前示の過失と相当因果関係のある費用として,弁護士費用を400万円とするのが相当である。 (6) 弁護士費用を加算した合計額は,5335万4556円となる。 6 以上のとおり,原告の本件請求は,主文掲記の限度において理由があるから認容し,その余の請求については理由がないから棄却し,訴訟費用の負担について民事訴訟法61条,64条本文を,仮執行の宣言について同法259条1項をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。 名古屋地方裁判所民事第4部 裁判長裁判官永野 主文 て民事訴訟法61条,64条本文を,仮執行の宣言について同法259条1項をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。 名古屋地方裁判所民事第4部 裁判長裁判官永野圧彦 裁判官宮永忠明 裁判官今井祐子
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