平成11(行コ)204等 中央労基署長遺族補償等不支給処分取消

裁判年月日・裁判所
平成12年8月9日 東京高等裁判所
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判決文本文13,940 文字)

主文 一本件控訴を棄却する。 二控訴費用は控訴人の負担とする。 事実及び理由 第一申立て一控訴人 1 原判決中控訴人に関する部分を取り消す。 2 被控訴人の請求を棄却する。 3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。 二被控訴人本件控訴を棄却する。 第二事案の概要事案の概要は、次のとおり付け加えるほか、原判決「事実及び理由」の「第二事案の概要」に記載のとおりであるから、これを引用する(ただし、不服申立てのない東京労働者災害補償保険審査官に関する部分(争点2の部分)を除く。)。なお、本判決における略語は原判決書の記載に従う。 一当審における控訴人の主張(補足主張) 1 くも膜下出血のような脳血管疾患は、業務と関わりなく発症するごく一般的な頻度の高い疾病であり、Aが従事していた業務に特有な疾患ではないから、Aのくも膜下出血が業務に起因するというためにはAの業務との間に相当因果関係があること、すなわち法的にみて業務に内在する危険の現実化として発生したものと認められることが必要であり、その条件関係としての事実的因果関係は医学的知見に基づいて判断されるべきである。 2 「過重負荷による脳血管疾患及び虚血性心疾患等の取扱いに関する報告書」(乙四三、以下「専門家会議報告書」という。)は、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の発症の基礎となる動脈硬化等による血管病変又は動脈瘤、心筋変性等の基礎的病態(以下「血管病変等」という。)は加齢や一般生活等における諸種の要因によって、増悪し発症に至るものがほとんどであるが、この自然経過中に「著しく血管病変等を増悪させる急激な血圧変動や血管収縮を引き起こす負荷」、すなわち「過重負荷」が加わると、その自然経過を超えて急激に発症することがあるとした上、業務による明らかな過重負荷とし 中に「著しく血管病変等を増悪させる急激な血圧変動や血管収縮を引き起こす負荷」、すなわち「過重負荷」が加わると、その自然経過を超えて急激に発症することがあるとした上、業務による明らかな過重負荷として、①業務に関連する異常な出来事への遭遇、②特に過重な業務に就労したことの二つを挙げている。更に専門家会議報告書は、通常の業務による精神的、身体的負荷の影響は血管病変等の自然経過の範囲に止まること、過重負荷を受けてから脳血管疾患及び虚血性心疾患等の症状出現までの時間的経過は、脳梗塞や脳出血ではまれに数日経過する場合があるものの、通常は二四時間以内であること、過重負荷の程度あるいはその影響の評価について医学的に具体的尺度をもって示すことは困難であること等を指摘している。 3 したがって、くも膜下出血の発症が業務に起因するというためには、業務上の過重負荷により既存疾病が自然経過を超えて著明に増悪し発症したと医学的に認められることが必要である。そしてAの既往歴に照らしてみると、Aの生前の様々な神経学的症候は高血圧性脳症やラクナ梗塞などの脳血管障害性疾患を発症していた可能性が高く、多量の飲酒が高血圧の危険因子として作用していたとみられる。 これに対し、Aの業務は特に過重なものではなく、高血圧や動脈硬化及びこれに基づく基礎病変なしに、ストレスのみによって病変形成や破裂が生じることは医学的に説明することができない。 4 したがって、Aのくも膜下出血が業務に起因するということはできないから、被控訴人の請求は理由がない。 二被控訴人の反論 1 傷病等が業務上のものというためには業務と当該傷病等との間に相当因果関係があることまでは必要なく、両者の間に合理的関連性があることをもって足りると解すべきである。また最高裁判所判決は業務に内在する危険の現実化という枠組み いうためには業務と当該傷病等との間に相当因果関係があることまでは必要なく、両者の間に合理的関連性があることをもって足りると解すべきである。また最高裁判所判決は業務に内在する危険の現実化という枠組みをもって業務上であるか否かの判断をしており、ほかの原因と比較して相対的に有力な原因となっていると認められることを要求する相対的有力原因説は採用していない。 また労働基準法七八条、労災保険法一二条の二第二項は労働者の疾病、障害、死亡等が労働者の重大な過失によって生じた場合に障害給付等を行わないことができる旨規定し、右疾病等について業務が相対的に有力な原因でないときであっても業務上の疾病等と認定して補償の対象とすることを明らかにしているから、労働基準法及び労災保険法は相対的有力原因説を採用していないことが明らかである。 2 Aの業務は、相当の重量のある平台を持ち上げて紙がずれないよう細心の注意を払いながら移動させ、印刷状況に合わせて断裁の手順を検討し間違いのないよう正確に断裁するというものであり、精神的、肉体的な負荷の高い作業であった。しかも、例年一一月は会社が繁忙を極める時期であることから、Aは連日午後八時過ぎまで残業を余儀なくされ睡眠時間も減少していたところ、本件発症直前の三日間に限って助手が不在になり、Aの精神的、肉体的な負荷はいっそう高まっていた。 3 こうした状況はAの業務中の血行力学的ストレスを増大させるとともに交感神経の緊張状態をもたらし、脳動脈瘤の増大を更に促進させる一方、その修復のための因子が機能する余地を著しく狭める結果となり、そのためAの身体的状況は悪化の一途を辿り、一一月一八日(死亡の一〇日前)ころ、死亡の二日前、そして死亡当日の朝の三回にわたり頭痛等の身体的変調(すなわちくも膜下出血の前駆症状)が発生している。そしてこの めAの身体的状況は悪化の一途を辿り、一一月一八日(死亡の一〇日前)ころ、死亡の二日前、そして死亡当日の朝の三回にわたり頭痛等の身体的変調(すなわちくも膜下出血の前駆症状)が発生している。そしてこのような身体状況に死亡当日の寒冷な作業環境や慣れない書籍断裁のストレスが加わって急激な血圧上昇を引き起こし、本件発症に至った。 4 Aには高血圧などくも膜下出血を引き起こすような既往歴や疾患はなく、高血圧、多量飲酒や高脂血症といった控訴人の指摘は根拠がない。控訴人はくも膜下出血の発症にストレスが関係することを否定するが、ロックスレイの調査結果によると、くも膜下出血発症例の約三〇パーセントは咳、排泄、感情的興奮等の精神的、肉体的な負荷時に発症していることが認められ、これら咳等の負荷が人に生じる時間は一日の三〇パーセントに到底及ばないと考えられるから、右結果はくも膜下出血の発症が外的なストレスと関係していることを根拠付けるものである。 5 Aは死亡当日の朝に身体的不調を覚えたが、それにもかかわらず執務しなければならない状況であったため、やむを得ず出勤して仕事に就き、最終的にくも膜下出血を発症して死亡した。したがって、本件発症は業務に内在していた危険が現実化したものと考えられるから、業務との間に相当因果関係が認められる。 第三証拠関係証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。 第四当裁判所の判断当裁判所は、Aのくも膜下出血は業務上の疾病に当たり、控訴人がした本件処分は違法であると判断する。 一 Aの業務内容、勤務状況、健康状態及び本件発症に関する医学的知見は、次のとおり付け加えるほか、原判決「事実及び理由」中の「第三当裁判所の判断」「一争点1(本件発症の業務起因性の有無)について」の1ないし4(原 勤務状況、健康状態及び本件発症に関する医学的知見は、次のとおり付け加えるほか、原判決「事実及び理由」中の「第三当裁判所の判断」「一争点1(本件発症の業務起因性の有無)について」の1ないし4(原判決書二三頁一一行目冒頭から同七四頁二行目末尾まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。 1 原判決書四〇頁六行目の「続き」から同七行目末尾までを「続いていた。」に改め、同四一頁八行目末尾の次に「Aが午後八時過ぎまで残業した日数(大多数は午後八時から午後八時一〇分の間である。)でみると、昭和六一年一二月度は二〇日、一月度は三日、二月度は一四日、三月度は八日、四月度は一六日、五月度は一三日、六月度は四日、七月度は一日、八月度は六日、九月度は八日、一〇月度は四日、一一月度は一五日、一二月度は二日となっている。もっとも、Aが定時に退勤することも相当日数あり、一〇月には一三日から一九日までの七日間(公休一日、有給休暇六日)の休暇をとっている。年間の休日出勤は一六日間あり、有給休暇は合計一八日間を取得している。」を加え、同四三頁一〇行目の「繁忙」から同一一行目末尾までを「最も忙しく、会社の処理能力を超える断裁作業は適宜外注に出して対応していた」に改め、同四五頁五行目冒頭から同四六頁九行目末尾までを次のとおり改める。 「 もっとも、Aは同月一〇日から同月二四日までの間、日曜日と祝日の二三日を除いて毎日午後八時過ぎまで残業しているので、右三日間のAの勤務時間はそれ以前と比較して特に増加したといえないし、また前記のとおりEの行っていた①及び③の作業はAの行っていた②の作業と比べて精神的、肉体的な負担が少ない作業であったから、右三日間についてみると、Aは同じ勤務時間の中で断裁作業だけでなくより軽微な①、③の作業にも従事したことになり、この間のAの作業は、 いた②の作業と比べて精神的、肉体的な負担が少ない作業であったから、右三日間についてみると、Aは同じ勤務時間の中で断裁作業だけでなくより軽微な①、③の作業にも従事したことになり、この間のAの作業は、これを全体としてみるとそれ以前より軽減されていたとみることができる。」 2 同五三頁一〇行目から同一一行目にかけての「なることも、よく知られている」を「なり得るかは見解が分かれており、明らかではない」に改め、同五六頁六行目末尾の次に行を改めて次のとおり加える。 「(4) くも膜下出血を含む脳血管疾患の発症経過は、発症の基礎となる動脈瘤又は血管病変(以下「血管病変等」という。)が加齢や高血圧等の生活上の諸種の要因によって増悪し発症に至るものがほとんどである。しかしながら、この自然経過中に著しく血管病変等を増悪させる急激な血圧変動や血管収縮を引き起こす負荷、すなわち過重負荷が加わると、その自然経過を超えて急激に発症することがある。ここに過重負荷とは、脳血管疾患の発症の基礎となる血管病変等をその自然経過を超えて急激に著しく増悪させ得ることが医学経験則上認められる負荷をいい、自然経過とは、加齢、一般生活等において生体が受ける通常の要因による血管病変等の経過をいう。 専門家会議報告書(脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する認定基準等の見直しに当たり昭和五七年八月三〇日に設置された脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する専門家会議が昭和六二年九月八日付けで作成した報告書、乙四三)は、医学経験則上業務による明らかな過重負荷としては、①業務に関連する異常な出来事への遭遇、②特に過重な業務に就労したことの二つを挙げている。」 3 同八行目の「六〇」の次に「、七四」を加え、同五八頁一行目の「乙三五、三六、四四、四五」を「甲九の11、乙二四、三五、三六」に改め、同五九頁八 ②特に過重な業務に就労したことの二つを挙げている。」 3 同八行目の「六〇」の次に「、七四」を加え、同五八頁一行目の「乙三五、三六、四四、四五」を「甲九の11、乙二四、三五、三六」に改め、同五九頁八行目の「については、」の次に「右血圧値を見る限り」を加え、同六一頁八行目から九行目にかけての「正常値の範囲内であるが」を「高い水準にあるものの正常値の範囲内にあり」に改め、同六二頁一行目の「しかし」から同九行目末尾まで、同六六頁一〇行目の「しかし」から同六七頁一行目末尾までをいずれも削る。 4 同六八頁七行目の「血圧値は」から同一一行目末尾までを「血圧値がより高いものであったとの可能性を否定することができない。」に、同六九頁四行目の「二三」を「二二」にそれぞれ改め、同七〇頁五行目冒頭から同七二頁三行目末尾までを次のとおり改める。 「(2) 高血圧高血圧は脳血管疾患への影響が大きいとされているが、測定された血圧値から見る限り昭和五七年四月から昭和六一年一〇月までの間Aが高血圧であったということはできない。しかし、前記のとおりAは飲酒を好み、体型的にやや肥満の傾向にあった上、昭和六〇年一〇月の検査で肝機能異常の、昭和六一年一〇月の検査で肝機能異常、高脂血症、アルコール注意、肥満傾向の各指摘を受けていることや、昭和五九年一一月から一二月にかけて高血圧治療剤ヘルベッサーの投与を受けた事実があったり、その後も投薬の影響により血圧検査の結果が低く現われた可能性を否定できないこと、更には前記測定された血圧値は正常値の範囲内ではあったが低いものではなかったことを総合すると、右各検査日ころから死亡時にかけてのAの血圧が高血圧若しくは境界域血圧というべき領域にあったことが相当の根拠をもって疑われ、また近年になって高血圧の脳血管障害に果たす意義がますます重要なも 合すると、右各検査日ころから死亡時にかけてのAの血圧が高血圧若しくは境界域血圧というべき領域にあったことが相当の根拠をもって疑われ、また近年になって高血圧の脳血管障害に果たす意義がますます重要なものとして認識され、たとえ軽症高血圧であっても臓器障害に及ぼす影響は看過できないとされ、現在では収縮期血圧一四〇以上、拡張期血圧九〇以上のいずれかを満たすものを高血圧と定義していること(乙七四)を考え合わせると、Aの血圧はくも膜下出血発症の危険因子として看過することができないものであったと認めるのが相当である。 (3) 飲酒前記Aの飲酒の程度及びAに飲酒が原因と考えられる肝機能異常ないし肝機能障害が認められることに照らすと、Aの飲酒は本件発症の危険因子として考えることができる。 4 肥満Aは本件発症以前からやや肥満の傾向にあったが、肥満は高血圧を助長する効果を有しているから、本件発症の危険因子として考えることができる。」 5 同七三頁六行目から七行目にかけての「あたかも高脂血症がくも膜下出血の危険因子であるかのごとき」を「高脂血症は動脈硬化の原因として看過できず、動脈硬化は高血圧とともに動脈瘤破裂の原因となる旨の」に改め、同九行目の「(同3(一)(2)イ)、」の次に「成人調査の結果によると、」を加える。 二本件発症の業務起因性について 1 労災保険法に基づく保険給付は、①労働者の業務上の負傷、疾病、障害又は死亡、②労働者の通勤による負傷、疾病、障害又は死亡のそれぞれについて行われるが(同法七条一項一号、二号)、労働者が業務上死亡したといえるためには業務と死亡との間に相当因果関係が認められる必要があり、単に業務と死亡との間に合理的関連性があるだけでは足りない。 2 前記のとおり、くも膜下出血は、その原因が脳動脈瘤破裂と脳内出血の脳室への穿破 業務と死亡との間に相当因果関係が認められる必要があり、単に業務と死亡との間に合理的関連性があるだけでは足りない。 2 前記のとおり、くも膜下出血は、その原因が脳動脈瘤破裂と脳内出血の脳室への穿破のいずれにあったとしても、その発症の基礎となる血管病変等が加齢や高血圧等の生活上の諸種の要因(危険因子)の集積により増悪し発症するものであり、業務に特有の疾病ではないから、業務とくも膜下出血との間に相当因果関係があるというためには、その業務にくも膜下出血の発症を自然経過を超えて著しく促進させる過重負荷が存在していたと認められることが不可欠であり、業務上の過重負荷とくも膜下出血の発症をもたらす他の要因とが競合している場合には、客観的にみて業務上の過重負荷が中心的若しくは有力な原因をなしていることが必要である。 なぜなら労災保険は労働基準法が定める使用者の災害補償責任を担保するための制度であり、労働者の加齢や高血圧等といった一般生活上の諸種の要因がたまたま労務提供の機会に増悪して発症したにすぎないような場合にまで保険給付をすることは右保険制度の趣旨及び目的を逸脱するものといわなければならず、客観的にみて業務上の過重負荷が中心的若しくは有力な原因をなしている場合に初めて業務に内在する危険が現実化したものとして一般生活上の要因によって発症した場合と区別することができるからである。したがって、業務と死亡との間に合理的関連性があることをもって業務上の死亡であるとする被控訴人の主張は採用することができない。 もっとも、業務が労働者の疾病を自然経過を超えて著しく促進させるものと認められない場合であっても、労働者の疾病が客観的にみて安静を要するような状況にあるにもかかわらず労働者において休暇の取得その他安静を保つための方法を講じることができず引き続き業務に従事 せるものと認められない場合であっても、労働者の疾病が客観的にみて安静を要するような状況にあるにもかかわらず労働者において休暇の取得その他安静を保つための方法を講じることができず引き続き業務に従事しなければならないような事情が認められるときは、そのこと自体が業務に内在する危険であるということができるから、右事情の下に業務に従事した結果労働者の疾病が自然経過を超えて著しく増悪したときはこれを業務に起因するものというべきである。 なお、被控訴人は業務上の過重負荷が中心的若しくは有力な原因をなしている場合にのみ相当因果関係を認める考え方は労働基準法七八条、労災保険法一二条の二第二項に反すると主張する。しかし、労働基準法七八条は労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかった場合について、労災保険法一二条の二第二項は労働者の業務上又は通勤による負傷等について、それぞれ労働者の重大な過失があるときにいわば過失相殺的な思想に立って支給に制限を加えたものであって、いずれも労働者が業務上負傷等したことを前提とする規定であり、業務と私的領域とを区別して業務と疾病との因果関係の有無を論じることを否定するものではないから、被控訴人の主張は失当である。 3 甲一一、二二及び被控訴人本人の供述によると、Aは死亡一〇日前の一一月一八日ころ右目上部の頭痛を被控訴人に訴えているほか、死亡の二日前と当日にも同僚等に頭痛等の身体的変調を訴えていることが認められる。この症状をAの死因と合わせて回顧的にみた場合、汐田総合病院院長B(甲六二、以下「当審B意見書」という。)はこれらが脳動脈瘤の異常膨張による頭痛であった可能性を指摘し、獨協医科大学第一病理学教授C(乙七四、以下「当審C意見書」という。)はくも膜下出血の前徴候症状に合致するとして脳動脈瘤の存在を指摘しており、いずれの見解 異常膨張による頭痛であった可能性を指摘し、獨協医科大学第一病理学教授C(乙七四、以下「当審C意見書」という。)はくも膜下出血の前徴候症状に合致するとして脳動脈瘤の存在を指摘しており、いずれの見解からしても死亡一〇日前ころのAに本件発症の基礎的疾患としての脳動脈瘤が存在していたことが強く疑われる。そして前記認定にかかる脳動脈瘤形成の機序及び乙七〇(山梨医科大学学長Dの意見書、以下「D意見書」という。)によると、脳動脈瘤の形成には相当期間を要するものと認められるから、一一月一〇日以降の業務により脳動脈瘤が急速に形成されたというのではなく、右脳動脈瘤を形成させる要因は相当以前からAに存在していたと考えるのが相当であり、これに前記認定にかかるAの血圧の推移、諸検査の結果及び受診状況等を合わせてみると、Aの血圧が本件発症の危険因子として作用していた可能性はいっそう高いものとして理解される。 4 この点当審B意見書は、脳動脈瘤の破裂は脳動脈瘤壁の脆弱化を促進する因子と脆弱化から修復する因子とのバランスが崩れ、脆弱化を促進する因子が増大した状態が押し進められる結果として発生するとした上、Aは従来の業務環境の下でなんとか健康を維持し、日常的には血圧も高くなく、くも膜下出血の発症もなく過ごしてきたが、年末の繁忙期を迎えて作業が過大、過密となり、更に死亡前の三日間は一人で作業をしなければならずいっそう濃密な状況となり、精神的、肉体的なストレスが極度に高まっていたところ、脆弱化から修復する因子となるべき睡眠が確保できず、右のストレスによる血圧の上昇もあって脳動脈瘤の脆弱化を来す退行変性が急速に進行して脆弱化から修復する因子を上回る結果となり、脳動脈瘤の破裂に至ったものと判断している(証人Bの原審証言及び同人作成の陳述書(甲五二)も同趣旨である。)。 ま の脆弱化を来す退行変性が急速に進行して脆弱化から修復する因子を上回る結果となり、脳動脈瘤の破裂に至ったものと判断している(証人Bの原審証言及び同人作成の陳述書(甲五二)も同趣旨である。)。 また国立公衆衛生院疫学部成人病室医師Fは、Aの長時間労働による身体不調と血圧上昇傾向の持続によるくも膜下出血発症の前兆として頭痛発作が生じたことが疑われ、こうした状況に当時治療下にあった神経症うつ病が加わってAの精神的な不安感や圧迫感が助長され、しかも、前日の残業の疲れが回復しないまま勤務に就いたことから、症状が悪化して本件発症に至ったと判断している(甲一四)。 5 しかし、前記認定に照らすと、Aの行っていた断裁作業は精神的、肉体的に負担の大きな作業であったが、断裁作業は一連の工程をAの判断を交えながら主体的に行うもので、作業それ自体としてみても長時間の作業を不可能とするほどに負担の高いものではなく、本件発症前の三日間Aが一人で作業をしたことにより同人の精神的、肉体的負荷が特に高まったと認めることはできないことは前記のとおりである(この点BはAの負担を過大に評価しているきらいがある。)。また例年一一月から一二月にかけては会社が最も忙しい時期に当たり、Aが行う断裁の量が増加するだけでなく、この時期の断裁には難度の高いものも含まれており、そのためAは一一月一〇日から同月二七日までの間、連日午後八時過ぎ(二七日を除くと、最も遅い時刻は午後八時一一分である。)まで残業をしていたが、二三日の月曜日(祝日)は休日出勤のため午後五時〇九分に退勤しており、退勤時刻が午後九時を過ぎたのは同月二七日(午後九時〇七分)だけであった。もっとも、午後八時過ぎまでの残業はこの時期に限ったことではなく、ほかの時期についても午後八時を超える残業が月間一〇日間以上になることがあり 九時を過ぎたのは同月二七日(午後九時〇七分)だけであった。もっとも、午後八時過ぎまでの残業はこの時期に限ったことではなく、ほかの時期についても午後八時を超える残業が月間一〇日間以上になることがあり(昭和六二年では前記のとおり二月度の一四日、四月度の一六日、五月度の一三日の三回)、また一一月九日以前の時期はAが定時に退勤することも相当日数あり、一〇月には一三日から一九日までの七日間(公休一日、有給休暇六日)の休暇をとっている。午後八時まで残業をするとAの帰宅は午後一〇時ころになるが、その場合でもAは晩酌をしてから就寝し、朝はだいたい午前五時ころ起床していた(甲一一)。 会社におけるAの人間関係は前記のとおりであったが、本件発症の直前ころにはAがとりたてて負担を感じるほどの状況にはなかったと認められる。この点被控訴人は甲一一の陳述書の一一月二四日から同月二六日までの項において、Aが人間関係上の苦労が絶えないようでどんなに疲れていても深夜にじっと目を覚まして一人悩んだりしていた旨述べているが、その具体的原因について触れるところがなく(被控訴人本人の供述においても同様である。)、またそのころ特に会社内で対人関係上の対立等Aを悩ますような出来事が起きたことを認めるに足りる証拠はない(前記のとおり、Gの言動をめぐる人的あつれき等は主に昭和五四、五年頃から昭和五六年ころまでのことである。)から、右陳述書の記載はにわかに採用することができない。 本件発症当日の外気温(甲四五の2によると東京の午前一〇時の外気温は摂氏九・四度程度であったことが認められる。)の影響についても、一般論として寒冷な気候が血圧上昇をもたらし、脳動脈瘤破裂の要因となり得るといえる(当審B意見書)にしても、証人Eの証言によると、Aの作業場所はビニールシートで外部と遮断され、内部 影響についても、一般論として寒冷な気候が血圧上昇をもたらし、脳動脈瘤破裂の要因となり得るといえる(当審B意見書)にしても、証人Eの証言によると、Aの作業場所はビニールシートで外部と遮断され、内部は暖房設備により暖められていたことが認められるから、Aが寒冷な外気に直接さらされた状態で仕事をしていたわけではない。 右のような事実関係に基づいてみると、一一月一〇日から同月二七日までの間のAの勤務は平素より多忙で残業が連続していたものの、一五日と二二日の日曜日にはそれぞれ仕事をしておらず、二五日から二七日の勤務も二七日にそれまでより一時間ほど遅い午後九時〇七分まで残業した程度であって、これが特に過重過密で同人に過大な精神的、肉体的負荷を負わせるものであったとはいえず、通勤時間を考慮したとしてもAの睡眠時間が極端に不足する状況にはなかったと認められるから、本件発症日の直前ころのAの精神的、肉体的なストレスが業務が原因となって極度に高まっていたとみることは相当でない。 6 また、前記のとおり死亡一〇日前ころのAに本件発症の基礎的疾患としての脳動脈瘤が存在していたことが強く疑われるところ、前記のとおりAは連続して午後八時過ぎまで残業することがある反面、定時に帰宅することも相当日数あり、一〇月には一三日から一九日まで公休一日を挟み六日間の有給休暇を取得していることが認められる。このような勤務状況に前記断裁作業それ自体の精神的、肉体的な負荷の度合いを合わせて考えると、昭和六二年中のAの業務が脳動脈瘤を形成させるほどの負荷となっていたと認めることは困難であるから、Aの脳動脈瘤が業務上のストレスにより形成されたとまでみることはできず、弁論の全趣旨によるとそれ以前の勤務状況も基本的に同様であったと認められるから、昭和六一年以前の業務が脳動脈瘤形成の原因を ら、Aの脳動脈瘤が業務上のストレスにより形成されたとまでみることはできず、弁論の全趣旨によるとそれ以前の勤務状況も基本的に同様であったと認められるから、昭和六一年以前の業務が脳動脈瘤形成の原因をなしたと認めることもできない。 そうすると、本件発症直前のAは残業が続いていて負担が高まっていたといえるものの、業務が過重過密で同人に過大な精神的、肉体的負荷を負わせるものであったとまで認めることはできないから、Aの業務が過重過密で同人に過大な精神的、肉体的負荷を負わせたことを前提としてAの睡眠不足(あるいは長時間労働による身体不調)と右ストレスによる血圧の上昇により脳動脈瘤の脆弱化を来す退行変性が自然経過を超えて著しく進行して脳動脈瘤の破裂に至ったと考えることは、なお根拠が薄弱であるといわなければならない。 7 ところで、前記のとおりAの血圧は本件発症の危険因子として作用していた可能性が高いと考えられ、当審C意見書は、Aの血圧の推移、諸検査の結果及び受診状況等に照らすと、Aの高血圧が脳動脈瘤の形成・破裂に至る壁病変の変性・壊死を加速増加させる因子として作用した可能性が強く疑われるとし、D意見書は長期間にわたる日常生活の中で形成され破裂直前にまで至っていた嚢状脳動脈瘤が排便時の怒責による一過性の血圧上昇を誘因として発症したものと判断している(くも膜下出血は、行為に要する時間を考慮してみると排泄行為中に発症する率が高いといえる。乙六一、七六)。そして前記のとおり脳動脈瘤内圧の上昇が脳動脈瘤の破裂に大きく関係していることは医学的知見として是認されており、くも膜下出血の既往歴又は合併症として高血圧が最も多いことが認められる(調査結果により異なるが、概ね検査対象数の三〇ないし四〇パーセント程度である。乙六一、七六)。 しかし、くも膜下出血発症の機序 くも膜下出血の既往歴又は合併症として高血圧が最も多いことが認められる(調査結果により異なるが、概ね検査対象数の三〇ないし四〇パーセント程度である。乙六一、七六)。 しかし、くも膜下出血発症の機序にはなお未解明の部分があり、くも膜下出血の発症の危険因子を単に高血圧だけに求めることで説明しきれないことは、日常的に高血圧を示していない者についても脳動脈瘤が形成されることがあること(前記事実、甲一四)や前記認定の事実から明らかであり、生体が受ける諸種のストレスもまた危険因子として否定することができず、年末の繁忙期を迎えて残業が続いていたAの業務がストレスとなって同人の脳動脈瘤内圧の上昇をもたらした可能性は当審B意見書及びF意見書が指摘するところである。 8 以上を総合すると、一一月一〇日から同月二七日までの業務が多忙であってAの負担が高まっていたといえるにしても、これが過重負荷としてAに自然経過を超えて急激にくも膜下出血の発症をもたらしたとみることは合理的な根拠がなく相当でない。しかし、前記のとおり、Aは死亡一〇日前ころ右目上部の頭痛を被控訴人に訴えているほか、死亡の二日前と当日にも同僚等に頭痛等の身体的変調を訴えていることが認められるところ、これらは脳動脈瘤の異常膨張による頭痛である可能性が強く(当審B意見書)、くも膜下出血の前徴候症状と考えられる(当審C意見書)。そこで、前記2後段説示の見地から、このような症状が発現しているにもかかわらずAが業務に従事したことをもって業務に内在する危険が現実化したものとして業務起因性を是認することができるか否かについて更に検討する必要がある。 前記のとおり、会社には以前二名の断裁工がいたが、そのうちの一名が昭和五六年一〇月に退職した結果A一人が残り、その後はAに差し支えがあるときに他の者が臨時に断裁作業 ついて更に検討する必要がある。 前記のとおり、会社には以前二名の断裁工がいたが、そのうちの一名が昭和五六年一〇月に退職した結果A一人が残り、その後はAに差し支えがあるときに他の者が臨時に断裁作業をすることはあっても、長年の経験を有するAが会社の断裁作業を一手に引き受けてきたものと認められる。そのためAは、断裁の仕事にゆとりがあるときに休暇を取るのはまだしも、繁忙期に休暇を取得するときは会社全体に無視できない影響を及ぼすことから、会社の繁忙期に休暇を取得することには相当の心理的抵抗があり容易に休暇を取得することができない状況にあったものと推察される。しかも、例年一一月半ばから一二月にかけては会社が最も繁忙な時期に当たり、会社の処理能力を超える断裁作業を外注に出して対処していたような状態であり、この時期はほかの会社も同様に繁忙であったことが窺われるから、そのような時期にAが突然休暇を取得したときは会社全体の作業の段取りに大きな支障を来すことが懸念される状況にあったことが認められ、またAがくも膜下出血を発症した昭和六二年一一月二八日は最も多量かつ負担の大きい婦人倶楽部新年号の断裁を目前に控えている時期であったから、ほかに断裁工がいないことを承知しているAとしては、たとえ身体の不調を理由とするものであってもこのような時期に休暇を取ることは容易にできるものではなく、同人が休暇を取得することは困難であったということができる。このような状況の下で、Aは本件発症日の朝に首筋がゴキュンゴキュンする身体の不調を覚えたが、仕事を休むよう勧める被控訴人の言葉を振り切り、「今休むわけにはいかない。休むと怒られる。」と言って出勤し、午前九時三〇分ころ作業を終えてトイレに立った後、トイレ内でくも膜下出血を起こして死亡するに至った。 右のような経過に照らすと、A 切り、「今休むわけにはいかない。休むと怒られる。」と言って出勤し、午前九時三〇分ころ作業を終えてトイレに立った後、トイレ内でくも膜下出血を起こして死亡するに至った。 右のような経過に照らすと、Aは、昭和六二年一一月二八日朝の時点で既に脳動脈瘤等の血管病変が形成されており、それ以前に脳動脈瘤の異常膨張による頭痛あるいはくも膜下出血の前徴候症状と考えられる二度の頭痛を経験していた上、同月二七日は午後九時過ぎまで残業しその翌朝右のような身体の不調を感じていたのであるから、その時点で直ちに安静を保ち医療機関の診療を受ける必要があったが、会社繁忙の折から休暇を取得することができず、会社に出勤して勤務せざるを得なかったものである。そして、そのような状態の下で業務に就いた結果、Aの血管病変が自然経過を超えて急激に増悪しくも膜下出血の発症をもたらしたと認めるのが相当である。したがって、Aのくも膜下出血発症は右業務に内在する危険が現実化したものというべきである。 三そうすると、Aの死亡原因となったくも膜下出血と業務との間には相当因果関係があり、Aは業務上くも膜下出血を発症して死亡したものというべきである。したがって、被控訴人の保険給付請求は理由があり、これを棄却した本件処分は違法であり取消しを免れない。 第五結論よって、本件処分を取り消した原判決は相当であるから、本件控訴を棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六七条一項、六一条を適用して、主文のとおり判決する。 東京高等裁判所第一七民事部裁判長裁判官新村正人裁判官宮岡章裁判官笠井勝彦 官笠井勝彦

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