令和4(お)2 殺人被告事件

裁判年月日・裁判所
令和7年7月18日 名古屋高等裁判所 金沢支部 棄却 福井地方裁判所 0
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判決文本文117,966 文字)

令和7年7月18日宣告令和4年第2号殺人被告事件 主文 本件控訴を棄却する。 理由 第1 本件控訴趣意等 1 本件公訴事実の要旨本件公訴事実の要旨は、被告人(当時20歳)が、昭和61年3月19日午後9時40分前後頃、福井市(以下住所省略)a団地6号館▲▲▲号室V1方(以下「被害者方」という。)において、同女の二女であるV2(当時15歳、以下「被害者」という。)に対し、灰皿でその頭部を数回殴打し、電気カーペットのコードでその首を締め、包丁でその顔面、頸部、胸部等をめった突きにし、よってその頃、同所において、被害者を脳挫傷、窒息、失血等により死亡させ、もって殺害した、というものである(以下、被害者が殺害された犯行、事件について、「本件犯行」、「本件殺人事件」という。)。 2 争点被告人は犯人性を争うところ、本件殺人事件については、被告人の自白や、明らかな物的証拠はなく、本件犯行を直接目撃した者はいない。 本件の犯人性に係る証拠構造は、いわゆる間接事実型である。 検察官は、主としてB(当時21歳)、H(旧姓はH´当時27歳)(掲載者注:Hの名字の読みは「****」である。)、J(当時21歳)、F(当時18歳)、D(当時27歳)及びC(旧姓はC´、当時20歳)ら、6名の関係者の供述(以下、上記6名を「主要関係者」といい、その供述を「主要関係者供述」ということがある。)を間接証拠として、 被告人が犯行推定時刻に近接した時間帯に被害者方付近にいて本件犯行が可能であったこと、被告人が本件犯行直後の時間帯に着衣等に血を付着させていたこと、被告人が主要関係者に本件犯行に及んだ旨の告白をしたことなどの間接事実により被告人が犯人であることを立証しようとした。 これ と、被告人が本件犯行直後の時間帯に着衣等に血を付着させていたこと、被告人が主要関係者に本件犯行に及んだ旨の告白をしたことなどの間接事実により被告人が犯人であることを立証しようとした。 これに対し、弁護人らは、Bが本件殺人事件の情報を提供することで自らの刑を軽くしようなどと考え、被告人犯行説をでっちあげ、捜査に行き詰まった警察も、犯人欲しさからBの供述にすがり付き、主要関係者らに対し、強引で誘導を伴う取調べを行い、これに屈して警察の意に沿う供述をした一部の者の供述につじつまを合わせて被告人犯行説を作り上げたものであるなどとして、主要関係者供述の信用性を争った。 本件の実質的争点は、間接証拠となる主要関係者供述が信用できるかどうかである。 3 確定審における審理経過及び再審公判に至る経緯一審である福井地方裁判所は、殺人の公訴事実について、主要関係者供述の信用性を否定して被告人を無罪とし、併合審理していた毒物及び劇物取締法違反(昭和61年5月22日にトルエンを含有する接着剤を吸入した事実)により被告人を罰金3万円に処した(原判決)。 検察官が無罪部分について控訴したところ、控訴審である名古屋高等裁判所金沢支部は、平成7年2月9日、主要関係者供述の信用性を肯定して被告人を本件殺人事件の犯人と認め、原判決の無罪部分を破棄した上、被告人が本件犯行当時心神耗弱の状態にあったとして法律上の減軽をして、被告人を懲役7年に処し、その後、同判決が確定した。 被告人が、令和4年10月14日、上記確定判決に対し、2度目となる再審請求を行ったところ、再審請求審である同支部は、令和6年10月23日、再審開始を決定した。 本件は、同再審開始決定が確定したことに基づく再審公判である(以下、 確定審控訴審については、 審請求を行ったところ、再審請求審である同支部は、令和6年10月23日、再審開始を決定した。 本件は、同再審開始決定が確定したことに基づく再審公判である(以下、 確定審控訴審については、単に「控訴審」といい、再審公判については「当審」という。)。 4 控訴趣意等本件控訴の趣意は、検察官X1作成、同X2提出の平成3年5月30日付け控訴趣意書(検察官X3作成の令和7年3月6日付け控訴趣意書に関する補充意見書による変更後のもの)に記載のとおりであるからこれを引用する。これに対する答弁は、弁護人Y1、同Y2、同W12、同Y3、同Y4作成の平成3年11月29日受付の答弁書(主任弁護人Y3作成の令和7年3月6日付け控訴答弁書訂正申立書による撤回後のもの)、平成5年2月19日付け及び同年3月18日付け各答弁書補充書に各記載のとおりであるからこれらを引用する。また、当審における事実取調べの結果に基づく弁論は、検察官X3、同X4作成の弁論、主任弁護人Y3作成の弁論要旨に各記載のとおりであるからこれらを引用する。 論旨は、殺人の公訴事実について被告人に無罪を言い渡した原判決には判決に影響を及ぼすべき事実の誤認があるというものである。 第2 当裁判所の判断概要等 1 原判決の概要原判決は、主要関係者供述の信用性を検討するに当たり、まず、総論的にその特徴を指摘し、➀主要関係者らが覚醒剤やシンナー事犯による犯罪歴等を有し、本件殺人事件の取調べ当時に別件の被疑者であったり、本件殺人事件発生前後の被告人の行動に関わりを持ったとされる頃にも覚醒剤やシンナー事犯に及んだりしており、捜査機関の意向に迎合しやすいか、抗し難い素地を有していること、➁各供述に重要な点で変遷があること、➂各供述が本件殺人事件発生の約7か月後以降にさ れる頃にも覚醒剤やシンナー事犯に及んだりしており、捜査機関の意向に迎合しやすいか、抗し難い素地を有していること、➁各供述に重要な点で変遷があること、➂各供述が本件殺人事件発生の約7か月後以降にされていること、➃各供述について客観的な裏付け証拠が一切発見されていないことを挙げた。これらに鑑みると、主要関係者供述の信用性については特に慎重な吟味が必 要であり、供述内容の一致等を理由に各供述が相互に裏付けられていると即断することは危険であるとした。これを前提に、原判決は、主要関係者供述を個別に検討し、供述の変遷、裏付けとなる客観的証拠の不存在、供述内容の不自然・不合理、他の主要関係者供述との不一致等を指摘して、その信用性をいずれも否定した上、他に被告人が本件殺人事件の犯人であることを認めるに足りる証拠はないと判断している。 加えて、原判決は、各主要関係者供述の信用性を否定するに際し、Bには取調官への迎合や不真面目な供述態度が看取でき、自己の刑事事件の量刑での配慮等を得るために、被告人が本件殺人事件の犯人であるかのような供述を始めたものと見る余地が多分にあることや、Bは殊更虚偽の供述又は無責任な供述をし、あるいは体験していない事実を真実のように供述する性癖を有しているとし、Hについては、B供述を前提とした取調べに迎合して供述をした疑いを否定できないとしたほか、その他の主要関係者についても、B供述や捜査官側の意向を受けて供述した可能性を指摘している。このような説示に照らし、原判決は、弁護人らが提示した反対仮説ないし立証命題が成り立ち得ると判断したとみられる。 なお、原判決は、被害者方に遺留された頭毛について、鑑定等を実施した上、同頭毛中に被告人の頭髪が含まれているとはいえず、また、遺留頭毛自体、本件犯行との結び付きが明ら と判断したとみられる。 なお、原判決は、被害者方に遺留された頭毛について、鑑定等を実施した上、同頭毛中に被告人の頭髪が含まれているとはいえず、また、遺留頭毛自体、本件犯行との結び付きが明らかではないとして、被告人の犯人性を裏付けるものではないとした。 2 検察官の主張概要これに対し、検察官は、主要関係者供述は、内容に変遷が認められるものの、大筋では一貫しているのみならず、客観的裏付けもあり、これらの供述は、相互に絡み合い補強し合うことによってさらに高度の信用性が認められる上、犯行現場から採取された毛髪中の2本が被告人の毛髪と同一のものと考えられる旨の鑑定結果は、被告人と犯行現場とを結び付ける極 めて有力な状況証拠となり得るものであって、これらの証拠を総合して判断すれば、本件殺人の公訴事実はこれを優に認定し得るのに、これを否定した原判断は、明らかに証拠の取捨選択及びその評価を誤り、事実を誤認したものであると主張する。ただし、検察官も、頭毛の同一性識別鑑定は、それ単体で被告人の犯人性を十分推認させるものではないことは認めている。 3 当裁判所の判断概要当審において、確定審における記録を調査するとともに、事実取調べを行った結果によれば、主要関係者供述の信用性を否定し、被告人を無罪とした原判決の証拠評価、認定・判断は、論理則・経験則等に適った正当なものであり、事実誤認はないと認められる。 すなわち、関係証拠によれば、主要関係者の一人であるBが、自らの刑事事件について有利な量刑を得るなどの自己の不当な利益を図るために、被告人が本件殺人事件の犯人であるとのうその供述を行い、捜査に行き詰まった捜査機関において、他の主要関係者に対してB供述に基づく誘導等の不当な働きかけを行い、他の主要関係者も迎合した供 図るために、被告人が本件殺人事件の犯人であるとのうその供述を行い、捜査に行き詰まった捜査機関において、他の主要関係者に対してB供述に基づく誘導等の不当な働きかけを行い、他の主要関係者も迎合した供述をした結果、Bのうその供述に沿う主要関係者供述が形成された合理的疑いが払拭できず、主要関係者供述はいずれも信用できない。 よって、被告人が犯行推定時刻頃に犯行現場付近にいたこと、血痕の付着、犯行告白といった有罪認定の根拠となるべき主要な事実は認定することができず、被告人が犯人であることについては合理的な疑いを超える程度の立証がされているとは認められない。 以下、このような判断に至った理由について説明する。 第3 B供述について 1 本件殺人事件の発生、捜査経過及びBの供述経過、内容等関係証拠によれば、本件殺人事件の発生、その捜査経過や、Bの供述経 過、内容等について次のとおり認められる。 ⑴ V1は、昭和61年3月20日午前1時30分頃、仕事を終えて自宅である被害者方に帰ると、同居する二女である被害者が血まみれで頸部に包丁の刺さった状態で死亡しているのを発見し、110番通報をした。 被害者の遺体や現場の各状況等から他殺であることは明らかであり、犯人は、被害者方にあったガラス製灰皿、電気カーペット、包丁2本を使い、被害者に対し、灰皿で頭部、顔面等を数回強打し、電気カーペットのコードで頸部を締め付け、2本の包丁で顔面、頸部及び胸部等を多数回にわたりめった突きにし、被害者を脳挫傷、窒息、失血等により死亡させて殺害したと認められる(本件犯行、本件殺人事件)。 被害者方階下の住人らが前日19日午後9時30分頃から同40分頃にかけて、被害者方で人が争い、格闘した際に発生したものとみられる大きな物音を聞いてお 認められる(本件犯行、本件殺人事件)。 被害者方階下の住人らが前日19日午後9時30分頃から同40分頃にかけて、被害者方で人が争い、格闘した際に発生したものとみられる大きな物音を聞いており、被害者の死亡推定時刻や被害者方への電話の応答状況等からも、上記時刻頃に本件犯行が行われたと認められる(以下、昭和61年3月19日から同月20日にかけての夜間を「事件当夜」といい、両日については昭和61年の表記を省略することがある。)。 ⑵ 犯行態様、遺体や現場の各状況等から、犯人像及び犯行直後の犯人の行動や状態については、計画的犯行である可能性は低く、偶発的、突発的犯行で、物取りやわいせつ目的の犯行ではないこと、単独犯か否かについては確定できないこと、被害者は夜間一人で留守番をする際には玄関ドアを施錠するのを常としており、事件当夜も玄関ドアを施錠していたと推認され、犯人は被害者と顔見知りで、被害者が夜間に一人でいることを知っていた可能性が否定できないこと、犯人は指先等の身体の露出部や着衣に相当量の返り血を付着させたまま現場から逃走したことなどが推認された。 警察は、福井警察署に捜査本部を設け、鑑識活動等の遺留物件の探索 や広範囲の聞き込み捜査を実施するとともに、被害者にシンナー吸引の経験のあることや、本件犯行の残虐性、執拗さから、精神異常者や、覚醒剤、シンナーなどの薬物乱用者による犯行を想定して捜査を行った。 昭和61年4月には、シンナー事犯の前歴を有する被告人も捜査対象となったが、嫌疑を抱かせる事情は判明せず、被告人は一旦容疑の対象から外された。 ⑶ 事件から半年が経過するも、犯人の特定には至らず、捜査が行き詰まりの様相を見せる中、暴力団b会の組員で別件について勾留されていたBが本件殺人事件に関する供述を始めた の対象から外された。 ⑶ 事件から半年が経過するも、犯人の特定には至らず、捜査が行き詰まりの様相を見せる中、暴力団b会の組員で別件について勾留されていたBが本件殺人事件に関する供述を始めた。 Bは、被告人の中学校の一年先輩であり、被告人とはシンナー仲間や暴走族仲間として付き合い、昭和61年2月前後頃には被告人をb会に出入りさせていた(1審検213)。Bは、同年8月19日、覚せい剤取締法違反により現行犯人逮捕され、同年9月3日には覚せい剤取締法違反、住居侵入、窃盗の事実により起訴されていた(再弁147、148)。 Bは、自らに対する覚醒剤事犯等についての取調べの際、取調官に対し、昭和61年9月初旬頃に、「中学生殺人事件の犯人はAでないやろか。以前の朝方の4時頃か5時頃、服等に血を付けていたAを俺の女が住んでいるマンションに連れて行き、風呂に入れてやり俺の服やズボンを貸してやった。」と述べ、同月中旬頃には、「何年行かなあかんのか。 減刑される方法はないか。」などと言い、取調官が冗談交じりで本件殺人事件の犯人の情報や心当たりがないかを聞くと、「犯人はAや。Aがwの女の子殺したんや。」と述べたが、取調官らは、Bが虚言を繰り返し、裏付け捜査を実施すると事実が違っていることが多いことから、話のすり替えと考えるなどして取り合わなかった(再弁38、39)。 一方、Bは、逮捕から約1か月後頃、警察官立会いの下、被告人の中 学校の後輩であるW8らと面会し、本件殺人事件の犯人を知らないか、犯人が分かると自分の刑が軽くなるかも分からないから、お前らやったら犯人が分かるやろ、探してくれ、とも述べていた(1審21回W814、32丁)。 ⑷ 捜査本部は、Bが暴走族の元リーダーであり、暴力団組員として暴走族の相談役をし 分からないから、お前らやったら犯人が分かるやろ、探してくれ、とも述べていた(1審21回W814、32丁)。 ⑷ 捜査本部は、Bが暴走族の元リーダーであり、暴力団組員として暴走族の相談役をしていたことから、本件殺人事件をめぐる不良少年等をよく知っており、また、Bにはシンナー吸引の前歴があり、シンナー絡みでも本件殺人事件に関する情報を知っている可能性があるとして、昭和61年10月27日頃からBの取調べを開始した(1審19回P616丁、同20回P628丁、再弁141)。 Bは、同月28日、被告人が同年3月中旬頃の早朝、当時住んでいた福井市内のアパートcに訪ねてきた際、ズボンの太もも付近や靴等に血が付いていた、その時の状況については、当時同居していたCが知っていると思うと供述した(1審19回P616丁、再弁40)。Bは、同年10月29日消印のC宛ての手紙において、「久しぶりにC´´(Cの源氏名を指す。)と話し出来て懐かしく思ったよ。」、「Aの事だけど、よく思い出してみてくれ。殺人事件の事が俺の情報で逮捕できれば、俺は減刑して貰えるから、頼むぞ。」と記載した(1審弁99、1審25回C)。 ⑸ Bは、昭和61年11月25日及び同月27日には、「3月19日夜、W4(通称はW4´)、Qと一緒に福井市内のゲーム喫茶dに行き、翌3月20日に帰宅した。その後、tタクシーで覚醒剤取引現場に行き、さらに、b会事務所まで行った。事務所当番のDと共に福井市内のアパートeのF方に立ち寄った後、アパートcに戻り、Dは帰った。午前6時頃、被告人がズボンの右太もも付近や靴等に血を付けて一人でアパートcに来たので、シャワーを浴びさせ、寝かせてやった。その後、被告 人は血の付いたズボンなどが入ったビニール袋を自宅に持ち帰った。被告人は白い車に乗 の右太もも付近や靴等に血を付けて一人でアパートcに来たので、シャワーを浴びさせ、寝かせてやった。その後、被告 人は血の付いたズボンなどが入ったビニール袋を自宅に持ち帰った。被告人は白い車に乗っていた。」などと供述した(1審検199、200)。 ⑹ 昭和61年11月28日、Bは福井警察署から福井刑務所に移監される予定であったが、留置係を通じて大事な話があると言い出した。 P10警察官らがBの取調べを始めたところ、Bの母が「寿司の差し入れは断られると判っていたが、できれば移監する前に食べさせてやって欲しい。」と寿司を持って来署し、同警察官らは、取調室でBを母親と面会させ、Bに寿司を食べさせた。取調べを再開すると、Bは、「実は被告人が着ていた血の付いた服のある場所を知っている。血の付いた服のある場所については大事な事なので今は言えない。移監をストップしてくれ。」と述べた。P8警察官らが自分たちでは移監を止めることはできないと告げると、Bは幹部を呼ぶよう言って口を閉ざした。 P8警察官らがP6警察官(本件の捜査本部副捜査主任であり、当時の刑事第一課長)を取調室に案内すると、その頃、W8がBへの面会を申し出ており、Bは、「W8ともこの取調室で面会させてくれ。W8も殺人事件で大事な事を知っている。それを俺が言わせてやる。」と述べたことから、P6警察官立会いの下、W8をBと取調室において面会させた。Bが移監の中止を頼むと、P6警察官は移監を中止できるかどうかは分からないが検事に一応話をしてみると言い聞かせた。Bは「判った。それじゃ話をする。Aの着ていた血の付いた衣類のある場所を言う。」と述べた。Bは、被告人の家に立ち寄る途中で、血の付いた白色トレーナーを含む衣類等をu川に捨てたと供述し、同日午後からは投棄場所への引 れじゃ話をする。Aの着ていた血の付いた衣類のある場所を言う。」と述べた。Bは、被告人の家に立ち寄る途中で、血の付いた白色トレーナーを含む衣類等をu川に捨てたと供述し、同日午後からは投棄場所への引き当たりが行われた。なお、P6警察官が検察官に対し、今から引き当たりに行きたいと連絡した結果、同日の移監は中止された。 捜査本部は、同年12月2日以降、衣類等の投棄実験も行いながら、 4回にわたりu川をさらったが、被告人の衣類等は発見されなかった。 (以上について、1審20回P68、55、68丁、同21回W8、1審検142、201、控訴審3回B47丁、再弁51、52、142ないし144)⑺ 昭和61年12月1日になると、Bは、「3月20日午前6時頃、アパートcに訪ねてきたのは被告人一人ではなく、Eが一緒に訪ねてきた。」として、E(掲載者注:Eの名字は、Hの名字と漢字表記を異にするものの、読みは同じ「****」である。)についての言及を始め(1審検202)、同年12月6日には、「俺は本件殺人事件の犯人に心当たりがある。それは被告人とEである。しかし、Eについては被告人と共犯かどうかは分からない。事件当夜、ゲーム喫茶dにいると、3月20日午前0時頃にポケットベルが鳴り、b会事務所で当番をしていたDから『****』を名乗る者から連絡があったと聞き、ゲーム喫茶dの電話番号を教えた。Eがゲーム喫茶dに電話をしてきて、被告人が人を殺したと言うので、Eを店まで呼び寄せた。Eが車で着衣に血を付けた被告人を連れてきたので、被告人を順次、アパートe、アパートcに匿った。」と供述した(1審検203)。 Bは、同年12月5日、同月6日及び同月7日の取調べにおいて、「女子中学生殺人事件の犯人を言ってやっているんだから減刑されんかなあ e、アパートcに匿った。」と供述した(1審検203)。 Bは、同年12月5日、同月6日及び同月7日の取調べにおいて、「女子中学生殺人事件の犯人を言ってやっているんだから減刑されんかなあ。」と述べ、同月8日に行われた自らの刑事事件の公判期日においても、本件殺人事件の犯人を知っていると述べた(1審20回P662丁、再弁52)。 ⑻ 捜査本部は、FやCからBの上記供述に沿う供述が得られたことから、被告人が事件当夜、着衣等に血を付けていた事実が十分認められ、被告人が本件殺人事件の犯人である蓋然性が高いと判断し、昭和61年12月14日には、Eを犯人蔵匿の嫌疑で逮捕したが(1審19回P620 丁)、Eは本件殺人事件への関与を否認した。 他方で、捜査本部は被告人やEが使用可能な車の捜査を進めていたところ、Bは、同月19日頃までには、被告人が事件当夜に使用した車両は白色スカイラインであり、HがGからよく借りて乗っていたと供述し(1審検205)、同日、G所有の白色スカイライン(以下「本件スカイライン」という。)が押収された(1審検82、83)。同月20日、Gから、本件スカイラインはHにしか貸しておらず、本件頃にもHに貸した旨の供述が得られたことから(再弁234)、捜査本部は本件スカイラインと本件殺人事件の関連や、Hの関与を疑った(1審19回P622丁)。取調官は、Bに対し、被告人と同行したのはEではなくHではないかと追及したが、Bは、被告人の同行者はEであると言い張った(1審検206、1審19回P622丁)。捜査本部は、翌21日からHに対する本格的な取調べを始め(再弁72)、同月23日には同車からABO式で被害者の型と同じ血液型の血痕が検出され(再弁204)、Eは同月26日に釈放された(1審19回P623丁)。 日からHに対する本格的な取調べを始め(再弁72)、同月23日には同車からABO式で被害者の型と同じ血液型の血痕が検出され(再弁204)、Eは同月26日に釈放された(1審19回P623丁)。 なお、Bに対する住居侵入、窃盗、覚せい剤取締法違反、建造物侵入被告事件については、同月25日頃に結審した(再弁149、150)。 ⑼ Bは、昭和62年1月3日以降、「ゲーム喫茶dへ血だらけになった被告人と一緒に来たのは、Eではなく、Hである。Dから『****』から電話があったと聞いて頭に残っていたところ、被告人が血だらけでゲーム喫茶dに来たために気が動転し、Hのことは忘れてしまった。本件スカイラインのことを思い出したのに伴い、Hについても思い出したが、Hの父親が暴力団関係者であり名前を出せなかった。しかし、Hの名前を言わない限りは事件が成り立たず、話のつじつまが合わなくなることがあり、正直に話すことにした。被告人をゲーム喫茶dへ連れて来るのにJをr高校付近まで行かせた。」として、HやJについての言及 を始めた(1審検207ないし209)。 Bは、同月14日には上申書(1審検282。以下「1月14日付けB上申書」という。)を作成した。同上申書は、自筆で記載され、一枚目には、上申書との表題に続き、「(被告人を)犯人と知りつつ、かくまってしまいましたが、私も、その殺人事件の事を聞かされ、被害者が、みじめで、可愛い想に思い、又自分のとった行動について、現在、深く反省しており、その様な事から、その際にとった行動などについて、話しする気持ちになり、今、別紙の通り、行動表を、作成しましたので相い添え、上申します。尚、作成した行動表の中で、時間とか、会話の順序などについて、少しの違いがあるかも、知れませんが、間違いのない事実です 気持ちになり、今、別紙の通り、行動表を、作成しましたので相い添え、上申します。尚、作成した行動表の中で、時間とか、会話の順序などについて、少しの違いがあるかも、知れませんが、間違いのない事実です。」などと記載され、別紙としてB4判罫紙15枚(B5判30頁)にわたり、昭和61年3月16日頃から同月21日までの行動状況等が記載されている。具体的には、3月19日午後9時から午後9時30分頃、被告人がHと一緒に本件スカイラインに乗ってアパートcに来て、女の所に行くのにシンナーが欲しいというので一斗缶を渡したこと、Kを呼んでJとゲーム喫茶dに行ったこと、被告人がゲーム喫茶dに電話をしてきて、人を殺した、運動公園付近にいるなどと言ってきたこと、ゲーム喫茶d前で被告人らと合流し、ゲーム喫茶dからアパートeに向かったことなど、大筋で公判証言に沿う内容が記載されている。 なお、1月14日付けB上申書では、Hはゲーム喫茶dでBらとは合流せずに帰宅したことになっていたが、Bは、その後の昭和62年1月29日付け警察官調書以降、Hもゲーム喫茶dに来て、被告人らと共にアパートeに向かったものの、F方に入室したかは思い出せないなどと供述した(1審検209)。 ⑽ 他方、捜査本部はHにも聴取を進めていたところ、Hは、当初は関与を否定したものの、結局、昭和62年2月頃には、事件当夜、本件スカ イラインに乗って被告人とa団地まで行ったことや、被告人の右手等に血が付いているのを目撃したことなどのB供述に沿う供述をするに至った(Hの供述経過については後述する。)。また、捜査本部は、被告人の知人に対する取調べの結果、被告人と被害者との接点の存在も裏付けられたと判断した。 捜査本部は、昭和62年3月29日、被告人を本件殺人事件の犯人として通常 。)。また、捜査本部は、被告人の知人に対する取調べの結果、被告人と被害者との接点の存在も裏付けられたと判断した。 捜査本部は、昭和62年3月29日、被告人を本件殺人事件の犯人として通常逮捕したが、被告人は一貫して被害者との接触や本件犯行を否認した。被告人は、同年4月18日に精神鑑定のため鑑定留置された。 同年6月25日頃には、本件スカイライン内で発見された血痕は、被害者とは別人のものであることが判明した(再弁206ないし210)。 他方で、警察庁科学警察研究所技官ら作成の同年7月6日付け鑑定書により、被害者方に遺留された頭毛2本と被告人の頭毛の同一性を認める鑑定結果が得られた。 被告人は、昭和62年7月13日、本件殺人事件について起訴された。 ⑾ 宣告日は明らかではないものの、Bは覚せい剤取締法違反等について懲役2年の実刑判決を受け、昭和62年2月2日時点では既に服役を開始しており(1審検210)、同年3月30日には姫路少年刑務所に入所した(1審検225・1丁)。 被告人の起訴後、Bは、同年9月21日付けで、同刑務所からP10警察官宛てに、当時被告人が着ていた洋服や、これを川に捨てた日にちについて今までと違ったことを思い出した、供述が変わるなどとして、近いうちに刑務所まで来るよう催促する手紙を送り、同年10月15日の原審第3回公判期日でBの証人尋問を神戸地方裁判所姫路支部(以下「姫路支部」という。)で行う決定がされると、同年11月25日の消印で、同刑務所から担当であるU検察官宛てに、受刑中には被告人の裁判に出廷したくないなどとして、被告人の裁判を自分が出所するまで延 ばしてほしいとの手紙を送った(再弁58、59)。 Bは、同年12月1日、同支部における期日外尋問において、「今までu川へ 廷したくないなどとして、被告人の裁判を自分が出所するまで延 ばしてほしいとの手紙を送った(再弁58、59)。 Bは、同年12月1日、同支部における期日外尋問において、「今までu川へ捨てたと言ってきた衣類のうち、白いトレーナーについては今でも福井市内に隠してある。ただし所在は言えない。トレーナーについては福井へ戻してもらわなければ指し示せない。」などと証言し、U検察官はBに、福井に戻りたいがためにそのようなことを話し始めたのではないかと質問した(1審姫路B67丁)。 Bは、同月15日の原審第6回公判期日になると、トレーナーは今もあると思うが場所を何回も移し変えているので覚えていない、現在ある場所は自分も忘れて言えず、連れて行ってもらわないと分からないので言えないと供述した。また、トレーナーについて捨てる機会を失ったので、それをある人間に話したら、それはいい話だから取っておこうということになった、などと証言した(1審6回B53丁)。 ⑿ Bは、昭和62年末頃から福井刑務所で取調べを受けていたが、昭和63年1月3日付け、同月27日付けのU検察官宛ての手紙で、警察にトレーナーについて話をしたが、警察はBの話を信用せず、正月前にはP10警察官とトレーナーの件でトラブルがあったなどとして、警察への不満を記載するとともに、それまでの供述にはなかったトレーナーの特徴を記載した上、ある人物にトレーナーを材料に金をとることを相談し、その人物からの助言で、トレーナーを埋めて隠した旨を記載した。その上で、Bは、トレーナーを埋めた場所だけは記憶が薄いとし、「警察に引き戻してもらって、その結果、物が出てくれば、その人達の名前も言わなくて済むし誰の手を借りなくても証明する事が出来るのです。俺はその自信があったからこそ警察へ引き戻し けは記憶が薄いとし、「警察に引き戻してもらって、その結果、物が出てくれば、その人達の名前も言わなくて済むし誰の手を借りなくても証明する事が出来るのです。俺はその自信があったからこそ警察へ引き戻してくれと言ったのです。良い思い…等の気持ちも多少ありましたが、そんな事は愛敬の一つで警察であれば、ここと違った環境で聞きたい事を聞けるし思い出す、話しもき っかけもあります。」、「確かに捜査段階から今までいい加減な事ばかり言ったり自分のやり易いように脚色もしましたがそれは捜査段階の事であって今更こんな嘘をついてもどうしようもないと思う。」、「『警察とBは一蓮托生だ』と言っておきながら思い出そうと頑張っている人間の言う事は聞いてくれず、『思い出せ』と言われてもそれは出来ない。」などと記載し、トレーナーについて思い出せるように自分の身柄を福井警察署に引き戻すよう求めた。Bは、同年2月25日に福井警察署に移監され、引き続きトレーナーの隠匿場所について取調べを受けた。 (以上について、再弁60ないし62)Bは、昭和63年3月6日になり、覚醒剤関係者からどうしても金を作るために必要なので拳銃を買ってほしいと頼まれ、担保のような形で実弾1発入りの回転式拳銃を買い取ったこと、その拳銃と被告人のトレーナーを一緒にして福井市内の国道8号線架橋土手に埋めたと供述した。 Bは、同月10日には、上記覚醒剤関係者はTであると供述し、同日、B立会いの下、土手の掘り返しが行われたが、トレーナーも拳銃も見つからなかった。 (以上について、1審19回P633丁、同20回P65丁、控訴審検27、29、30、控訴審2、3回B、再弁62ないし64)⒀ Bの最終的な供述である控訴審供述の要旨は次のとおりである。すなわち、「 3月19日夜、被告人が 20回P65丁、控訴審検27、29、30、控訴審2、3回B、再弁62ないし64)⒀ Bの最終的な供述である控訴審供述の要旨は次のとおりである。すなわち、「 3月19日夜、被告人がアパートcまでトルエン入りの一斗缶を取りに来て、女の子を誘えるから一緒に行こう、と誘ってきたが、覚醒剤取引の予定があったため断り、被告人に一斗缶を持っていくように言った。アパートcの前にはHが乗車する本件スカイラインが止まっており、被告人とHは一斗缶を同車に積んで去っていった。 その後、覚醒剤取引が遅れるとの連絡があり、K方にいたJとKを呼 び出して、車で一緒にゲーム喫茶dに行ったが、Kは帰った。店でゲームをしていると、ポケットベルが鳴ったのでb会事務所へ電話をすると、応対したDから、被告人かHが居場所を探していると言われ、居場所を教えた。 被告人からゲーム喫茶dに電話があり、『人を殺してしまった、どうしていいか分からん。』、『運動公園の方にいる。』と述べるので、r高校近くのj神社まで来るように言った。Jを迎えに行かせると、被告人とHが本件スカイラインでゲーム喫茶dまで来た。Jが入口越しに呼ぶので行くと、なんか血だらけやし、変だと言うので、表に向かい、降車したHに、何かあったのかと聴くと、Hは、『何もねえ。』と言って店内に入っていった。本件スカイライン内は強いシンナー臭がし、被告人の右太もも、口元周辺や洋服に血痕が一杯付いており、茶色っぽくなって乾いているような状態だった。被告人に何があったかなどを聞くと、『人を殺してもうた。』、『女の子を殺してもうた。』と言った。 被告人をアパートeに匿うことにし、ゲーム喫茶dにいたQから車(スプリンター)を借り、本件スカイラインと2台で、被告人、J及びHと共にアパート た。』、『女の子を殺してもうた。』と言った。 被告人をアパートeに匿うことにし、ゲーム喫茶dにいたQから車(スプリンター)を借り、本件スカイラインと2台で、被告人、J及びHと共にアパートeへ行った。少なくとも被告人及びJはF方に入室したが、Hが部屋に上がったかは記憶にない。部屋にいたFに、けんかして血だらけになっとるで、しばらく置いてやってくれ、シャワー浴びせてやってくれ、後で覚醒剤を持ってきてやるなどと言い、覚醒剤取引が気になっていたので、そのままHと共にスプリンターでゲーム喫茶dへ戻ったが、そこからはHとは行動を共にしていない。 その後、アパートcに戻り、tタクシーを呼んで覚醒剤取引に行き、同タクシーでb会事務所に立ち寄ってDを覚醒剤使用に誘い、b会本部長の車(キャデラック)でアパートeへ戻った。その車中でDに今日殺人事件があったのかを聞くとDは否定した。 アパートeには被告人とFがいたが、被告人はシンナーを吸っていたので制止し、隣の部屋でF、Dと覚醒剤を使用した。Fから被告人を連れて帰るように言われたので、30分くらいしたら被告人をアパートcへ来させるように指示し、Dと二人で出て、先にアパートcに帰宅した。 被告人が血の付いた服を着たままアパートcへ来たので、入浴、着替えをさせて寝かせたが、被告人はうなされて大声を上げていた。 その後、被告人に頼まれて、被告人の運転する本件スカイラインで被告人方へ向かう途中、ダッシュボードに血が付いているのに気付いたので、ティッシュペーパーに唾を付けて拭き取った。被告人が、『一人殺してしもうた。中に入ったときに、腹が立ってかっとなり、訳が分からんようになった。どれくらい刑務所に行かなあかんやろ。』などと言うので、15年くらいや、などと答え、途中で血の た。被告人が、『一人殺してしもうた。中に入ったときに、腹が立ってかっとなり、訳が分からんようになった。どれくらい刑務所に行かなあかんやろ。』などと言うので、15年くらいや、などと答え、途中で血の付いた被告人の衣類を川に捨てた。被告人が同人方から紙袋を持ってきて逃げると言うので、これを制止し、殺人があったのか半信半疑で興味もあり、a団地の現場付近へ行くと、覆面パトカーがいたことから、そこで初めて、ああ、これは本当や、こんなもんまずいぞ、と実感し、そのまま通り過ぎた。 被告人と一緒にいるとまずいと思い、近くに住んでいたS方へ行ったが、不在であったため、アパートcへ戻り、Cを勤務先のスナックに送り、b会事務所を経て、アパートeでDを同乗させ、実家からクレスタを持ち出して本件スカイラインと2台で行き、本件スカイラインをG方付近に止めておいた。その後、S方へ行って被告人を匿うよう頼んだが拒否され、知人方で被告人を降ろして、アパートcに帰宅した。」というものである。 ⒁ Bは、被告人と同行していた人物をEからHに変更した経緯について、捜査段階、原審段階では、EとHを記憶違いしていたが、本件スカイラインについて思い出すのに伴ってHであったと思い出したなどと供述し ていた(1審検207、219、1審姫路B62丁、1審6回B39丁)。ところが、控訴審になると、被告人が事件当夜使用した車両が本件スカイラインであることや、Hが同行していたことは最初から分かっていたが、b会会長の兄弟分の実子であるHの名前をどうしても出すことができなかった、取調べのときに、Hを念頭にぽろっと「****」と言ってしまい、取調官から「****」とは誰かと追及されたので、苦し紛れにEの名前を出し、事実に反する説明をしていたと供述した。 また、Bは 取調べのときに、Hを念頭にぽろっと「****」と言ってしまい、取調官から「****」とは誰かと追及されたので、苦し紛れにEの名前を出し、事実に反する説明をしていたと供述した。 また、Bは、控訴審において、被告人が事件当夜着用していた衣服について、「本件スカイラインをG方付近に停車して返却するときに、車の中の物をクレスタに移したが、その際に、本件スカイライン内のトレーナーがクレスタにあった自分の洋服と一緒になったと思う。その後は指名手配され居場所を転々としていたこともあり、トレーナーをどこで保管していたかは分からない。」、「昭和61年8月に覚醒剤の仕入れ先であるTから連絡があり、兄貴分の保釈金が必要であり、拳銃を抵当に入れるので30万円を融通してほしいと言ってきた。そこで福井に来たTに盗んだ金から30万円を渡してやり、代わりに拳銃を受け取った。 このときに、Tに事情を説明し、血の付いたトレーナーを使って被告人の家族から金を恐喝できないか相談したが、Tは乗り気ではなく、実行することのないまま、逮捕される数日前に、T、W10と共に、拳銃とトレーナーをバッグに入れ、国道8号線のところに埋めた。一審でトレーナーを隠していると証言した後、警察と一緒に埋めた現場に行ったが、拳銃もトレーナーもなかった。覚醒剤事犯等の取調べの段階では拳銃の話は一切伏せて、拳銃と覚醒剤をすり替えて説明し、覚醒剤を譲り受けるのと引き換えに、Tに30万円を渡したと話した。」と証言した。 2 B供述の信用性についての検察官の主張検察官の主張の要旨は次のとおりである。 B供述にはかなりの変遷等があるものの、事件当夜、被告人の着衣等に血が付着しているのを目撃したことなどの核心部分については終始一貫し、供述変遷には相当な理由があるから、変遷等は る。 B供述にはかなりの変遷等があるものの、事件当夜、被告人の着衣等に血が付着しているのを目撃したことなどの核心部分については終始一貫し、供述変遷には相当な理由があるから、変遷等はB供述全体の信用性に影響するものとはいえない。Bが捜査官に迎合して虚偽の供述をしたとする事情は何らうかがわれず、捜査段階における取調べについても虚偽供述を生み出すような事情は認められない。B供述は、その全般にわたって多くの客観的事実ないしは事件関係者の供述・証言によって十分裏付けられていることなどを併せ考えると、B供述は十分に信用でき、原判決が指摘するような理由をもってその信用性を否定するのは明らかに誤りである。 以下、検討する。 3 B供述の危険性―虚偽供述のおそれの高いことまず、B供述は、次に説明するとおり虚偽供述のおそれが高い。 ⑴ 供述動機・目的Bは、捜査機関に対して本件殺人事件に関する情報提供をすることにより自己の利益を図ろうとする動機・目的を有していたことが認められる。 ア量刑軽減や保釈獲得の動機・目的Bは、自己に対する覚醒剤事犯等の取調べの段階から、取調官に対し、どうすれば刑が軽くなるのかを尋ねるとともに、被告人が本件殺人事件の犯人であると述べており、C宛ての手紙でも、Bの情報提供で犯人が判明すれば、刑を軽くしてもらえるとして協力を求めていた。 また、Bは、その頃、面会したW8に対して、自分の刑が軽くなるかもしれないとして、本件殺人事件の犯人について心当たりがないかを尋ねてもいる。この点について、検察官は、B供述(1審6回B58、67丁、控訴審2回B42丁)を前提に、この頃にはBとしては被告人のことを話す気持ちにはなっておらず、W8との面会時には警 察官が てもいる。この点について、検察官は、B供述(1審6回B58、67丁、控訴審2回B42丁)を前提に、この頃にはBとしては被告人のことを話す気持ちにはなっておらず、W8との面会時には警 察官が立ち会っていたことから、自己が何も知らないようにカモフラージュするための発言であったと主張する。しかし、当審において取り調べた証拠によれば、Bは、同時期頃には既に、取調官に被告人が犯人であるとの供述を始めていたことが認められるから、上記主張は採用できない。 さらに、Bは、被告人やEに関する供述を行うと、取調官に対し、真犯人に関する供述をしているとして、減刑を期待する発言をし、自らの公判期日においても、わざわざ本件殺人事件の真犯人を知っていると言及して、捜査機関のみならず、公判裁判所にもアピールしていた。 このようなBの言動や、本件殺人事件に関する供述状況に照らせば、Bには、被告人が同事件の犯人であるとの供述を行うことで、自己の刑事事件の量刑を軽減しようとする動機・目的があったことが認められる。また、Bは、被告人が犯人であるとの供述を始めた頃は、短期間でもいいから保釈されて外に出たいという強い気持ちがあり、取調官に対し、被告人が犯人であることを知っている者が他にも三人はいる、保釈してくれるなら全部話すと言ったとして、供述を取引材料に保釈を得ようとしたことを自認していた(1審検222、225・50丁)。さらに、W8に対する発言状況からすれば、Bが本件殺人事件の犯人を知らないのに、被告人を犯人と名指しした可能性もうかがえる。 イ福井刑務所への移監回避の動機・目的、捜査機関による不当な利益供与Bは、昭和61年11月28日の福井刑務所への移監予定日当日になって、今までの取調べでは話していない事実があるこ イ福井刑務所への移監回避の動機・目的、捜査機関による不当な利益供与Bは、昭和61年11月28日の福井刑務所への移監予定日当日になって、今までの取調べでは話していない事実があることをほのめかし、取調官から、母やW8と取調室で面会することや、母が差し入れ た寿司の飲食を許された。 Bは被告人が着ていた血の付いたトレーナーの在りかを知っているとして移監の中止を求め、P6警察官から検察官に移監の中止を掛け合ってみるとの言質を取ると、これに応じて血の付いたトレーナーを川に投棄したとの供述を始めているから、Bがトレーナーに関する供述を始めた目的は移監の回避にあったとみるのが素直である(被告人に対応したP10警察官も、Bが暗に移監をストップしてほしいがために供述したように思えたとしている。再弁52)。 また、留置人との接見は原則として接見室において行わせ、糧食の差入れ及び自弁購入は特別の事情のある場合を除き、警察署長が指定する業者が調製又は取り扱うものとされていたから(被疑者留置規則[昭和32・8・22国家公安委員会規則第4号、改正同46・10・28国家公安委員会規則第10号]31条3項、32条、35条)、Bは通常とは異なる待遇を受けたことになる。当時は本件殺人事件発生から半年以上が経過して捜査が行き詰まり、Bは有力な情報源であったこと、Bに例外的な取扱いを行う留置上の理由が見当たらないことからすれば、警察は、Bから本件殺人事件に関する供述を引き出すために、面会や飲食について通常とは異なる取扱いを行ったとみるほかない。検察官は、Bの移監を見送ったのは捜査の必要性があってのもので他意はないと主張するところ、確かに、移監が中止された直接の理由は衣類の投棄場所への引き当たりの必要性が生じたためではあ みるほかない。検察官は、Bの移監を見送ったのは捜査の必要性があってのもので他意はないと主張するところ、確かに、移監が中止された直接の理由は衣類の投棄場所への引き当たりの必要性が生じたためではあるとはいえ、Bからすれば新たな供述をほのめかした結果として移監が中止されたのであるから、本件殺人事件に関する供述と引き換えに自己の要求を通したのと変わりがない。 Bには、警察署における留置の継続や、これに伴う優遇の点でも本件殺人事件に関する供述を行う誘引があったことになる。 ウ服役開始後における収容先変更の動機・目的その後、Bに対しては、懲役2年の刑が宣告され、Bは遅くとも昭和62年2月2日までには同判決が確定して受刑の身となった。 Bは、自らに対する判決確定後も、わざわざ姫路支部での証人尋問の際に、被告人のトレーナーを隠し持っているとして重要な証拠物件の存在をほのめかし、同証人尋問期日前後にも捜査機関に自ら接触を図り、担当検察官宛ての手紙においては、福井警察署に戻ればトレーナーについての供述ができるなどとして、露骨に同署への移監を求めている。Bは、トレーナーは河川に投棄したとの供述変更をした際に、福井刑務所への移監を回避できた経験をしており、同じように衣服の話を持ち出せば、収容中の姫路少年刑務所から、福井警察署に収容してもらえるのではないかと考えたことがうかがわれる(P6警察官も、Bは、姫路少年刑務所に収容されたため、面会もほとんどなく、寂しかったため、トレーナーについて供述すれば、現場引き当たりなどのために福井に戻る機会があるかもしれないと考えて嘘を話したと感じている旨を証言していた。1審20回P668丁)。 最終的にBの供述した場所からトレーナーが発見されなかったことからす どのために福井に戻る機会があるかもしれないと考えて嘘を話したと感じている旨を証言していた。1審20回P668丁)。 最終的にBの供述した場所からトレーナーが発見されなかったことからすれば、Bは刑務所での収容を回避し、警察署での収容という利益を得るために、トレーナーの隠匿場所について虚偽の供述を繰り返した疑いが強いというべきである。Bは、自己の利益のために、被告人と犯人とを結び付ける衣服に関して虚偽供述をし、控訴審においてこれを維持しているのであり、このことはB供述全体の信用性を疑わせる事情といえる。 エ小括(虚偽供述の動機・目的)以上でみたとおり、Bは、本件殺人事件に関する当時の捜査状況を踏まえつつ、自分の供述が捜査機関にとって有力な情報源であること をよく認識した上で、自らの供述を取引材料に、自己の刑事事件の量刑の軽減、保釈の獲得や、留置における優遇等、自己の利益を図ろうとする態度が顕著である。 他方、警察も、Bを警察署に留置しているのを奇貨として、面会、飲食について、通常では考えられないような優遇を認めているところ、これらは一種の不当な利益供与とみるほかはないし、移監についても実質的にBの要望を認める結果となっている(なお、Bは、警察官は誰でもたばこを吸わせてくれたとも証言している。控訴審3回B48丁)。そもそもBは、法律家ではないから、捜査機関が本件殺人事件に関する情報提供の見返りとして、Bの刑事事件の求刑における配慮等、何らかの手心を加えてくれるのではないかと期待してもおかしくはないし、また、実際に自分の供述と引き換えに留置上の優遇等を受ける経験をしたことで、量刑の軽減や保釈の便宜に対する期待を膨らませた可能性もある。自分の刑事事件についての量刑の軽減や保釈の可否は、B ないし、また、実際に自分の供述と引き換えに留置上の優遇等を受ける経験をしたことで、量刑の軽減や保釈の便宜に対する期待を膨らませた可能性もある。自分の刑事事件についての量刑の軽減や保釈の可否は、B自身の利益に直結するものであるところ、Bは、逮捕当初は懲役4年から5年程度の量刑になると考えており(1審姫路B80丁)、昭和61年9月頃には3年から4年程度の量刑となることを想定していた様子があるから(1審21回W815丁、1審弁98)、減刑等に対する期待は相応に大きかったものとみられる。その反面、Bが被告人に関する供述を行う不利益として想定されるのは犯人蔵匿に問われることであり、Bが供述により得られる自己の利益を優先し、虚偽供述を行うおそれのあったことは否定できない。 検察官は、Bは、そもそも母親との面会自体は許されているのであるから、その際の面会場所、飲食の便宜のほか、留置場所の変更といった目先の利益のために、実際にはそのようなことはしていないのに、犯人蔵匿という犯罪の嫌疑をかけられるにとどまらず、累犯前科のあ るBにとっては、公判請求されて実刑判決となって受刑する現実的危険性があるのに、あえてそのような危険を冒すとは考え難いと主張する。しかし、Bは、もともと、検察官のいう目先の利益だけではなく、量刑の軽減により服役期間の短縮を図ることを画策していたことが認められるのであり、また、後記のとおり、Bは、Eを説得するよう警察官から求められた際、被告人を匿っただけならば大した罪にならない旨告げられたと供述しているところ、現にBが犯人蔵匿罪等で起訴されていないことからしても、Bは、犯人蔵匿に問われるおそれについてはさほど心配していなかったとみることができるから、上記検察官の主張は採用できない。 オ控訴審供述の信用性に 蔵匿罪等で起訴されていないことからしても、Bは、犯人蔵匿に問われるおそれについてはさほど心配していなかったとみることができるから、上記検察官の主張は採用できない。 オ控訴審供述の信用性に関する補足説明 なお、Bは、控訴審において、被告人の衣服の処分状況について新たな供述をしているところ、検察官は、Tは一部B供述を裏付ける証言をしているなどとして、Bの秘密暴露的、自発的な証言の信用性は直ちに否定できないと主張する。 そこで検討すると、上記の点に関するBの控訴審供述は、Tから貸金に対する担保として拳銃を受け取り、トレーナーと一緒に埋めたというものであるところ、拳銃については、暴力団組員であったBもそうそう取り扱ったことがなく(控訴審3回B4丁)、禁制品であり、所持していれば罪に問われかねないし、貸金の返済があればTに返却しなければならない可能性もあるから、当然のことながら厳重に管理してしかるべきものである。 ところが、Bは、何度も場所を移し変えたとして隠匿場所を正確に把握していない旨を述べていた上、最終的にはトレーナーを拳銃と一緒に土手に埋めたとしながら、埋めた場所についての目印としてスコップを立てて軍手を被せておいたとしており(控訴審検2 7)、拳銃の管理としては余りに杜撰かつ粗雑であって、合理性を欠いている。 また、拳銃を紛失すればTとの間で問題になりかねないのに、Bの控訴審供述によれば、Tは、受刑を終えたBから紛失(埋めたとされる場所から拳銃等が見付からなかったこと)を前提に、拳銃を移動させたか聞かれたときも、全然そんなもの知らないなどと述べるのみで、さして関心を示した様子がみられない(控訴審2回B40丁、同3回B8丁)。 さらに、Bは、当初は拳 前提に、拳銃を移動させたか聞かれたときも、全然そんなもの知らないなどと述べるのみで、さして関心を示した様子がみられない(控訴審2回B40丁、同3回B8丁)。 さらに、Bは、当初は拳銃とトレーナーをTと二人で埋めに行ったと供述していたのに(控訴審検27)、控訴審では、三人で埋めに行ったと言い出してW10を登場させた上、拳銃やトレーナーが発見されなかったのはW10が処分したためではないかと供述した(控訴審2回B40丁、同3回B7丁)。ところが、Bは、W10にも拳銃やトレーナーの帰すうについて確認していないというのであるから(控訴審3回B8丁)、紛失後の対応も不自然というべきである。 しかも、Bは、姫路支部での証言後に検察官に宛てた手紙では、恐喝を相談した人物(T)から、トレーナーを埋めておき、金を喝取したら場所を教えるのがよいと言われ、その人物と一緒に昭和61年8月14日午前2時から午前4時までの間にトレーナーを埋め、その日の午後には被告人方に電話をしたと記載していたのに(再弁60。この供述を前提にすれば、恐喝の相手方がトレーナーと一緒に拳銃を発見することになるから、拳銃をトレーナーと一緒に埋めることはあり得ない。)、控訴審供述では、Tは恐喝に乗り気ではなく、恐喝は実行しないまま、拳銃を持ち歩くわけにもいかないのでトレーナーと拳銃を一緒に埋めたとしており(控訴審2回B36丁)、トレーナーを埋めた経緯や、Tの対応等についても見逃せな い変遷がある。 このように、Bの控訴審供述は、内容が不自然で、看過し難い変遷があり、いきなり拳銃を持ち出したあたり、いかにも唐突な印象を否めない。Bは、覚醒剤事犯等の取調べの際、Tに対し覚醒剤を担保に金を貸したと供述していた(控訴審弁7ないし10)のを利用 過し難い変遷があり、いきなり拳銃を持ち出したあたり、いかにも唐突な印象を否めない。Bは、覚醒剤事犯等の取調べの際、Tに対し覚醒剤を担保に金を貸したと供述していた(控訴審弁7ないし10)のを利用し、実は担保として受け取ったのは覚醒剤ではなく拳銃であったと供述を変更し、トレーナーを隠し持っている事実を伏せていた理由を拳銃所持に問われるのが嫌だったなどと都合よく説明しようとしている疑いが払拭できない。B供述のうち、被告人の衣類等の処分に関する部分は二転三転しており、投棄したという河川からも、Bの指示した場所からも、被告人の衣類等は発見されていない。Bが衣類等に関する供述を変遷させるたびに移監についての要求をしていた経過にも照らすと、この点の供述は、虚偽の疑いが強い。 次に、検察官がB供述の裏付けと主張するT証言は、要旨、「昭和61年8月頃、Bから、名前は聞いていないが、殺人事件を犯した後輩の親が金持ちであり、Bは血の付いたトレーナーを持っているので、警察へ申告すると脅して金を取れないだろうかとの相談を受けた。」というものである(控訴審6回T)。 確かに、T証言はB供述を一部裏付けるような内容にはなっている。しかし、Tが本件殺人事件について最初に聴取を受けたのは、Bの話を聞いたとされる時から4年余りが経過した平成2年10月になってからであるところ、Tは、当初、Bから本件殺人事件を材料とする恐喝話を持ちかけられたことは認めつつ、Bがその証拠品を持っていると聞いたとは述べていなかった(控訴審検26)。Tは、平成5年7月の検察官聴取になると、Bから犯人の証拠品を持っているとは聞いたが、それが何であるかはそれ以上聞いておらず、 見てもいないと供述していたのに(控訴審検28)、平成6年3月31日の控訴審公判期日 検察官聴取になると、Bから犯人の証拠品を持っているとは聞いたが、それが何であるかはそれ以上聞いておらず、 見てもいないと供述していたのに(控訴審検28)、平成6年3月31日の控訴審公判期日では、証拠品は血の付いたトレーナーであると述べるに至っている(控訴審6回T13丁)。Tの供述経緯、特に公判証言において証拠品についての証言が不自然に具体化していることからすれば、T証言のうち、Bから証拠品を持っている旨聞いたとの部分は直ちに信用できるものとは言い難い。 T証言を前提としても、Bが本件殺人事件の犯人であるとした人物は明らかではないところ、同事件については、被告人も昭和61年4月には聴取を受けていたし(再弁67、96)、他にも複数の容疑者が浮かび(1審19回P69丁)、地元の少年らの間でも被告人以外の人物が犯人として疑われていた様子もあるから(1審15回R26丁)、Bがこれらを材料に被告人やそれ以外の人物に対して恐喝を企んだ可能性は否定できない。 もともと、Tは、拳銃を担保とした保釈金の借用話や、拳銃等をBと埋めたことについて否定しており、被告人の衣服の処分状況に関するB供述を裏付ける関係にないことにも照らし、T証言をもってこの点のB供述の信用性を肯定することはできない。 上記検察官の主張は採用できない。 ⑵ BがEを巻き込み虚偽供述をしたことBは、被告人と事件当夜同行したのはEであるとして、本件殺人事件に関する重要部分について明らかに虚偽の供述をした経過がある。 ア BがEの迎合を見越して虚偽の供述をしたことBは、Eに関する供述はうそであることを認め、虚偽供述をした理由について、EはBの使い走りで、覚醒剤を打ってやったり、Eが無免許運転を警察に現認されたと 合を見越して虚偽の供述をしたことBは、Eに関する供述はうそであることを認め、虚偽供述をした理由について、EはBの使い走りで、覚醒剤を打ってやったり、Eが無免許運転を警察に現認されたときにもEを匿ってやったりと面倒をみており、さらに、Bの若い衆としてb会にも出入りをさせていたこと から、BがEの名前を出しても、EがBに恩義を感じ、また、被告人を匿っただけでは大した罪にはならないとして、Bの供述に話を合わせるだろうと考えたと説明した(1審検215)。 イ BがEに口裏合わせを働きかけたことそれだけでなく、BはEに対して口裏合わせを働きかけている。 この点について、Eは、原審公判に弁護側証人として出廷し、要旨、「昭和61年12月14日に本件殺人事件について事情聴取を受けた際、アリバイを主張したが認められず、警察官からは、Bが、Eが事件当夜に被告人と一緒にいたと供述していると聞かされた。そのため、Bに会わせるよう警察官に頼むと、同日夕方頃、P10警察官、P8警察官ら同席の下でBと面会することができた。その際、自分が関与を否定すると、Bから、『正直に言えばいい。』、『警察に協力しろ。』、『この前、おまえ、そういうふうに言っていたやろ。』、『それはうそだから、本当のことを言え。』、『わしの顔をつぶす気か。』などと大声で怒られ、うその供述を迫られた。同日夜になって犯人蔵匿で逮捕された。」と証言した(1審23回E2丁)。これに対し、Bも、Eの逮捕に際して警察官立会いの下、取調室でEと面会した事実を認めるとともに、警察官から、Eが関与を認めないので、大した罪にはならないから正直に供述するようにEを説得するよう求められたため、いかにもEがその場にいたような口調で、「ちゃんと話せい。」、「いたやないか。 もに、警察官から、Eが関与を認めないので、大した罪にはならないから正直に供述するようにEを説得するよう求められたため、いかにもEがその場にいたような口調で、「ちゃんと話せい。」、「いたやないか。ちゃんと正直に言うてくれや。」と述べてEの説得を試みた旨供述している(1審姫路B77丁、控訴審3回B42丁)。 このように、利害の対立するEとBの供述が一致していることや、供述内容も具体的であることなどに照らせば、Bは、警察官立会いの下でEと面会し、Eに対し、Bが供述するとおり事件当夜に被告人と 行動を共にしたとのうその供述をするよう説得を試みたことが認められる。 これに対し、P6警察官は、EとBを面会させたことを否定しているが(1審19回P693丁)、Eは勾留中にBのみならずDとも面会したと供述し(1審23回E15丁)、Dもまた、警察官からEと一度会うように言われて取調室でEと会い、Eに「おまえ、あのときいたんでないか。」と述べたと供述していることにも照らすと(1審9回D69、81丁)、警察官が、BやDをEに面会、説得させるなどして、本件殺人事件への関与を認めさせようとしたものと認められるのであり、これに反する上記P6供述は信用できない。 ウ Bの虚偽供述は一見すると体験供述のように見えること被告人の同行者をEとしたBの虚偽供述は、供述ぶりのみではうそとは看破できないものである。 すなわち、Bの虚偽供述は、Eと被告人の会話、EとBの会話や、Eの口調や表情、様子等を盛り込んだ詳細かつ具体的な内容になっている。検察官は、BがEの関与事実について具体的に臨場感を持って供述できたのは、それが、Eの言動ではなかったものの、HやJの言動として実際にBが体験した事実であったからであると主張する 内容になっている。検察官は、BがEの関与事実について具体的に臨場感を持って供述できたのは、それが、Eの言動ではなかったものの、HやJの言動として実際にBが体験した事実であったからであると主張するところ、確かに、その一部については、後の供述で被告人、HやJに関する出来事として述べていた事情を、Eにすり替えて供述していたとの説明が可能な部分もある。しかし、ゲーム喫茶dまでの道のりについて共通の知人の住所を交えて説明したとか、Eがアパートcに住む別のシンナー仲間の所に行ったなどの、必ずしも被告人らの行動を下敷きにしたとは思われない供述もある。加えて、Bが、本件殺人事件とは直接関係のないような事情を多数織り込みながら、いかにも実体験であるかのようにうそを述べていることにも照らすと、Bは、実際に 体験していない出来事であっても、それなりの具体性や臨場感等を持たせながら、体験供述のように仕立てることができるものというべきである。このことは、捜査本部もB供述を疎明資料としてEを逮捕、勾留までしていることからも明らかである。 ⑶ まとめ(B供述は虚偽の可能性が高いこと)以上によると、Bには自己の利益のために本件殺人事件に関する虚偽供述をする動機・目的がある上、Bは、Eに関して本件殺人事件に関与したとのうそをでっちあげて関係者として巻き込んだ上、Eと面会をした際には自分の供述に合わせて虚偽の供述をするように仕向けたのであって、Bの虚偽供述の意欲は強かったというべきである。さらに、Bの虚偽供述の内容は一見すると体験供述であるかのような外観を有しており、その真偽を見破るのは容易なこととは思われない。なお、Bは、関係者の名前を出して虚偽の供述をしても、自らとの関係性によっては、これに同調して相手も虚偽供述をするだろうとの思惑を有し 観を有しており、その真偽を見破るのは容易なこととは思われない。なお、Bは、関係者の名前を出して虚偽の供述をしても、自らとの関係性によっては、これに同調して相手も虚偽供述をするだろうとの思惑を有していたとみてもあながち不合理とはいえず、後記のとおり、現にBの周囲にはその供述に迎合する者がいたとみる余地が十分にある。 このように、B供述は、虚偽供述の可能性が高い危険なものとみるべきであり、客観的証拠による裏付けのない限り、安易に有罪判決に供すべきものではない。 4 Bの供述変遷⑴ Bが最終的には真実を述べたとの主張についてこれに対し、Bは、要旨、「(原審での証言時)嘘をついたこともあるし、いいかげんなことを言ったこともあるし、浅はかに考えもせんと言ったこともある」、「最初の頃は思い出しもしないのに簡単に軽い気持ちで供述し、うそや、でたらめを言ったので、いい加減な調書ばかりがある。しかし、うそやでたらめはすぐにばれて追及され、真剣になっ て考え、最終的には当時経験した事実を記憶どおりに説明した。」、「刑事部長の取調べぐらいから事の重大さや責任感を感じ、Hの話を始める頃には一生懸命供述するようになった。」と供述するとともに、控訴審供述に間違いはないと供述している(1審6回B25、29丁、控訴審2回B46、50丁、同3回B17、35丁)。 検察官は、上記供述を前提に、暴力団関係者であるHとBの関係性に照らすと、BがHの名前を伏せたかったという心情は十分理解ができ、この点についての変遷はB供述の信用性を左右するものではなく、また、Bは、Hをかばいつつ、本件殺人事件に関する情報を小出しにして自己の利益や便宜を図ろうと試みたが、最終的にはHが同行者であることを含めて真相を語ったと主張する。 ⑵ 検 するものではなく、また、Bは、Hをかばいつつ、本件殺人事件に関する情報を小出しにして自己の利益や便宜を図ろうと試みたが、最終的にはHが同行者であることを含めて真相を語ったと主張する。 ⑵ 検討確かに、Bの上記供述は、被告人の同行者をEからHに変更した理由をそれなりに説明する内容ではあるが、既にみたとおり、B供述の危険性に照らすと、虚偽供述の可能性を払拭できるだけの確かな裏付けがない限りは、B供述に依拠することは避けるべきであり、変遷の理由につき一応の説明が可能であるからといってB供述の信用性が大きく回復されるものではない。 これに加え、Eの名前を出した理由についてのB供述を子細にみると、その合理性についていささか疑問を感じるところもある。 すなわち、まず、Hは、両親の離婚により、母方の****姓に戻ったものの、仲間内では姓が変わったことを知らない者も多く(1審検186、1審9回D94丁)、Bも、自分たち仲間内ではHではなく、H´等と呼称しており、Hと呼んでも分からない者の方が多いと思うと供述していた(1審検213)。そのため、BがHを念頭にぽろっと「****」と述べて、Hの名前を漏らしてしまった(控訴審供述)という のはやや不自然の感が否めず、これをごまかすためにEの名前を出したというのはたやすく信用し難い。 また、BがEについての供述を始めたのは昭和61年12月に入った頃であるところ、同月8日にはBの公判期日が控えていたことや、BがEについての供述をした後に、取調官に対し犯人を言ってやっているとして減刑を期待する発言をしたり、上記公判期日においても本件殺人事件の犯人を知っている旨を述べたりして、同事件に関する情報提供をアピールしていることからすれば、BがEを登場させたのはHをかば いるとして減刑を期待する発言をしたり、上記公判期日においても本件殺人事件の犯人を知っている旨を述べたりして、同事件に関する情報提供をアピールしていることからすれば、BがEを登場させたのはHをかばうためではなく、Eの迎合を見越した上で同行者の存在をでっちあげ、同事件について追加の情報を提供することにより減刑等の不当な利益を得ようと画策したとの見方もできなくもない。 さらに、捜査本部がHの関与を疑ったのは、Gの供述や、本件スカイラインに被害者の血液型とABO式で同じ型の血痕が付着していたことにより、同車が事件当夜の使用車両と疑われたためであるところ、Bは、Gの取調べからHの名前が出たため、これ以上隠すことはできないとして、Hの名前を供述したように説明している(再弁145)。しかし、本件スカイラインが浮上したのは、Bが、被告人が事件当夜に先立つ3月17日にHから借りた本件スカイラインでアパートcまで来た、本件スカイラインはGのものでHがよく借りて乗っていたと言及したためであり(再弁53、54)、自らHの名前を挙げたようなものであるから、BがどれだけHをかばうつもりがあったのか疑わしく、Eの名前を出した手前、すぐにはHの関与を供述しなかったにすぎないとも考えられるし、また、Hとの関係性から、関係者としてHの名前に言及することができなかったというのも疑問がないではない。 5 B供述は重要部分につき客観的裏付けに乏しいこと検察官は、B供述は客観的証拠や他の事件関係者の供述・証言により裏 付けられているのであって、十分信用するに足りるとも主張するから、B供述の裏付け状況を検討する。 ⑴ タクシーの利用履歴や、警察官の出勤状況等まず、B供述のうち、➀事件当夜、tタクシーを利用して覚醒剤取引に出かけた後、 るに足りるとも主張するから、B供述の裏付け状況を検討する。 ⑴ タクシーの利用履歴や、警察官の出勤状況等まず、B供述のうち、➀事件当夜、tタクシーを利用して覚醒剤取引に出かけた後、b会事務所に立ち寄ったとの供述部分については、営業日報や運転手の供述により(1審検143)、➁3月20日、a団地付近まで様子を見に行き、警察車両のナンバーや、顔見知りの警察官を見たとする部分については、当該警察官らの出動状況等により(1審検144、145)、それぞれ裏付けられている。 しかし、➀タクシーの利用は、Bの事件当夜の行動のうち、本件犯行とは直接関係せず、➁Bが3月20日、現場付近まで様子を見に行ったことについての裏付けも、Bが本件殺人事件とは無関係に、現場付近を通りかかるなどして記憶することもあり得るから、いずれも本件犯行との関連性はさほど高くはなく、裏付けとしての意味合いは限定的である。 既にみたとおり、Bの虚偽供述には、実際にあった出来事等が盛り込まれているが、Bとしては、自己の供述を材料に捜査機関と取引を行うため、自らの供述がそれなりに信用できるものであることを示す必要もあったとみられるから、Bが裏付けのある事実を盛り込みながら作話した可能性はなおも拭えない。 ⑵ Sの原審公判証言による裏付けについて検察官は、B供述のうち、Bが被告人を連れてS方を訪れ、Sに対し、被告人が警察に追われているので匿ってくれと頼んだものの、Sから断られたとの供述部分については、S証言により裏付けられているのに、原判決がこれを否定したのは誤りである旨を主張する。 ア S証言の概要S(当時18歳)の原審第14回公判期日(昭和63年6月30日) における証言は、要旨、「3月20日のテレビニュースで本件殺人事 のは誤りである旨を主張する。 ア S証言の概要S(当時18歳)の原審第14回公判期日(昭和63年6月30日) における証言は、要旨、「3月20日のテレビニュースで本件殺人事件を知った後、Bと被告人が自宅に来て、Bが被告人を匿うように頼んできたが、断ったことがあったが、被告人から嫌なこと(輪姦)をされてからどれくらい後の出来事かは分からず、上記ニュースを見た夜とも言い切れない。」というものである。 イ原判決の相当性関係証拠によれば、SはBのシンナー仲間であり、被告人もBを通じてSと知り合い、S方に出入りをしてシンナーを吸引することがあったところ、Sは、昭和61年3月17日明け方頃に自宅で被告人や他の男性らとシンナーを吸引中に輪姦被害に遭ったと訴え(被告人は和姦を主張)、同日以降、被告人は、Sが相談した暴力団関係者から、金を出さなければ警察に申告するなどとして金銭を要求されたことから、Sに許してもらおうとシンナーを持参して謝罪するなどしており、Bも事件当夜までには被告人から対応方を相談されて事情を知っていたことが認められる(1審検216、同姫路B58、92、129丁、同19回P686、90丁、同22回W95丁、同33、34回被告人)。 まず、検察官は、輪姦事件は立件できずに終結しており、厳密には輪姦に至らない程度のものであったとした上、被告人やBは犯罪歴、非行歴を有し、シンナーや覚醒剤を常用して常識に欠けるところがあるとして、Bが緊急に被告人を匿う必要に迫られたことから、シンナーを通じて交友関係にあったSに対し、被告人を匿うよう相談を持ちかけたとしてもそれほど不自然ではないとして、原判断を論難する。 しかし、被告人が暴力団関係者から被害申告をほのめかされるなどしたた て交友関係にあったSに対し、被告人を匿うよう相談を持ちかけたとしてもそれほど不自然ではないとして、原判断を論難する。 しかし、被告人が暴力団関係者から被害申告をほのめかされるなどしたため、Sに許してもらおうとしていたという経緯に照らせば、原判決同様に、事情を知っていたBがSに被告人を匿うように頼むこと は不自然であるとの評価も十分に成り立ち得る。 また、供述録音テープなどの関係証拠(1審弁104、同32回W12、再弁195)によれば、Sは、証人尋問の約1週間前である昭和63年6月23日に弁護人と電話で会話した際、S証言と同様に述べる一方で、被告人を匿うよう頼まれたこと自体覚えていないと述べて、この点に関する供述を転々とさせていることが認められるから、原判決がこのような弁護人との会話状況をS証言の信用性を否定する根拠として挙げたことも不合理ではない。 S証言は、輪姦に関する供述を避けたがってのものと思われるが、証言内容は概括的なものにとどまり、弁護人らの反対尋問に対しては覚えていないなどとして、拒否的な応答が目立つなど、総じて証言に消極的であり、容易には信じ難いところがある。 ウ S証言には重要な部分に合理的な理由のない変遷のあること加えて、当審における事実取調べの結果によれば、S証言には重要な部分に合理的な理由のない変遷のあることが明らかとなった。 Sは、昭和61年11月19日から同年12月中にかけて行われた警察官の聴取に対して、➀当初は輪姦被害後に被告人一人がS方に来たと供述し、その後に同行者の存在を述べ始めたものの、誰かははっきりせず、Hや他の男性の名前も出して同行者をBとは確定できずにおり、また、➁被告人本人が自分を匿うよう言ったと供述していたことが認めら と供述し、その後に同行者の存在を述べ始めたものの、誰かははっきりせず、Hや他の男性の名前も出して同行者をBとは確定できずにおり、また、➁被告人本人が自分を匿うよう言ったと供述していたことが認められる(再弁68ないし71)。 ところが、昭和62年4月12日付け検察官調書(再弁197)になると、Sは、➀Bが被告人と来て、また、➁Bから被告人を匿うよう頼まれたと供述を変更するとともに、被告人は一言も話していないとの供述に変遷し、公判でも同様の証言をしている。 警察段階の供述内容からすれば、Sの記憶に強く残っていたのは、 輪姦の件で嫌悪感を有する被告人から直接匿うよう求められたという点にあり、同行者についての印象は薄く、記憶はあやふやであったことがうかがわれるのに、検察官の聴取では同行者をBと特定し、Bから被告人を匿うよう求められたとして供述が変遷している。Sが対応した相手については記憶の残りやすさからしても重要な供述部分であるから、上記変遷に合理的理由があるか、すなわち、Sが証言までの時間経過もある中で、どのように記憶喚起をして同行者をBに特定し、また、被告人ではなく、Bから依頼を受けた旨を供述するに至ったのかを検討する必要がある。ところが、S証言は、概括的なものにとどまっており、変遷の理由は説明されていない。 考えられるのは、捜査機関がB供述を基にSの記憶喚起をした可能性である。 そこで、Bの供述経過をみると、もともとBは、昭和61年11月27日頃からSについて言及してはいたものの、その供述内容は、3月20日にS方を訪れたがSは不在であったというものであった(1審検200、203)。その後、Bは、1月14日付けB上申書において、3月20日は2度S方に行っており、1度目は不在であったが、2 3月20日にS方を訪れたがSは不在であったというものであった(1審検200、203)。その後、Bは、1月14日付けB上申書において、3月20日は2度S方に行っており、1度目は不在であったが、2度目となる午後8時頃にS方に行くと、Sは在宅しており、被告人を匿うよう頼んだが断られたと供述し始めた。もっとも、Bは、2度目の訪問については、はっきり断言はできないとして確かな記憶ではない旨を述べており(1審検212、218)、供述内容も、S方に行ったのがBと被告人だったのか(1審検218)、Bだけであったのかについてもはっきりせず、この点についてはSの供述の方が正しいのではないかと述べている(1審検225・56丁、同姫路B57丁、同6回B36丁)。 両者の供述時期をみるとSの供述が先行していることから、Sの 供述を基にBに記憶喚起をした結果、Bは、はっきりしないとしながらも上記供述に至ったものとみられる。そうすると、Bの供述自体が不確かなものであるから、SがそのようなB供述を基に正確に記憶を喚起できたとは考え難いし、他にSの供述変遷について、合理的な理由は見当たらない。 S証言には重要部分について合理的理由のない変遷もあることになるから、やはり信用性を肯定することができない。 なお、検察官は、S証言は、被告人が訪ねてきて、被告人を匿うよう頼まれたが拒絶したという根幹部分においては一貫しており、その部分の証言については十分に信用することができる旨主張する。 しかし、検察官は、S証言を、Bが被告人を匿うよう求めたとするB供述の裏付けにしようとしているのであるから、Bが被告人と同行し、Bが被告人を匿うよう求めたという部分の信用性が認められない以上、S証言をB供述の裏付けと評価することはできない。 求めたとするB供述の裏付けにしようとしているのであるから、Bが被告人と同行し、Bが被告人を匿うよう求めたという部分の信用性が認められない以上、S証言をB供述の裏付けと評価することはできない。 エ小括(S証言による裏付けのないこと)よって、Bが被告人を匿うように求めてきたとするS証言については信用性を肯定することができず、同証言はB供述の裏付けとはならない。 ⑶ まとめ(客観的裏付けに乏しいこと)以上で検討したところによれば、B供述については、重要部分において虚偽供述の可能性を払拭できるような確かな客観的な裏付けに乏しいというべきである。 6 他の主要関係者供述による裏付けについて次に、検察官は、B供述を発端として多数の目撃者が順次判明し、B供述は、それらの関係者の供述とも大筋で合致している上、当時Bは身柄拘束中で、他の関係者との通謀も物理的に不可能な状況にあったのであるか ら、その動機に不純があるからといって、その供述も虚偽であるとするのは無理があるとして、原判断には到底承服できないと主張している。 ⑴ Bが警察官関与の下、他の主要関係者と接触するなどしたことしかし、既にみたとおり、Bは、警察官の立会いの下、Eと面会して口裏合わせを図ったほか、後述するとおり、主要関係者であるJとも面会し、本件殺人事件について対質での取調べを受け、Jと直接話をする機会を持っている。 また、Dも、警察官の立会いの下、Eと面会しただけでなく、被告人の起訴前である昭和62年4月6日、弁護人と接触した際には、警察官からBの供述調書を見せてもらったと述べている(供述録音テープ・1審弁105、再弁194)。Dは公判では他の者の供述調書を見せられたことを否定したが(1審9回D53丁)、上 と接触した際には、警察官からBの供述調書を見せてもらったと述べている(供述録音テープ・1審弁105、再弁194)。Dは公判では他の者の供述調書を見せられたことを否定したが(1審9回D53丁)、上記録音テープによれば、弁護人が、Fがアパートeで被告人にシャワーを使わせてやったことがあるかを聞いたのに対し、Dの方から、Bの調書を見て初めて分かったことだが、シャワーはアパートcで使わせたことになっているとわざわざ訂正をしている(1審検199など、Bの供述調書も同旨である。)。 これに加えて、上記録音テープによると、Dは、Bが、3月20日に、被告人、B及びDと三人で、もう1台車(クレスタ)を持って行って、本件スカイラインをどこかに置き、その持ってきた車で帰ってきたとする点について(1月14日付けB上申書や、Bの警察官調書に同様の記載がある。1審検212、282)、Bの調書を見せてもらったが、車のところは絶対に違うと否定もしている。そのほかにも、Dは当時のBの供述内容を詳細に述べているから、警察官がDの取調べに際し、Bの供述調書を見せるなどした疑いが相当に強い。 さらに、Eは、犯人蔵匿で身柄拘束されている間、事件当夜に被告人と一緒に行動していたはずであるとして本件殺人事件への関与を追及さ れたが、その際、警察官からは、Eが被告人と落ち合い、Eが車を運転してa団地まで行き、Eが車の中で被告人を待ち、被告人が戻ってきてからb会事務所に電話を入れてBに連絡を取ってもらい、Bがゲーム喫茶dにいることが分かると、そこへEが被告人を乗せて行き、それからアパートeに行った、Eは、アパートeでは怖くなり、シンナーを吸っていたから、そのあたりは覚えていないという筋書きを聞かされたと証言している(1審23回E9丁)。この筋書きは、先行するB供述 れからアパートeに行った、Eは、アパートeでは怖くなり、シンナーを吸っていたから、そのあたりは覚えていないという筋書きを聞かされたと証言している(1審23回E9丁)。この筋書きは、先行するB供述(1審検203)に基づくものであるから、Eの証言は警察官が関係者にBの具体的な供述を示唆して追及をしていたことを示すものといえる。 ⑵ 捜査機関による誘導及び供述獲得の意図このように、Bは、覚せい剤取締法違反等について勾留をされていながら、警察官の関与の下、公然とJやEらと面会し、本件殺人事件について直接話をしていた。また、警察は、Bの供述調書を使うなどして、Bの供述内容をDに伝えているし、関与を否認したEに対しては、先行するB供述の内容を詳細に示して、追及を行っていたことが認められる(なお、Hに対する取調べについては後述する。)。 警察官がEにBやDを引き会わせ、本件殺人事件への関与を認めるよう説得させるなどしていることからも明らかなとおり、警察は、捜査の行き詰まりもあって、当時唯一の情報源であったB供述に頼り、主要関係者らに対し、B供述を示唆するなどして誘導等を行い、なりふりかまわず供述を得ようとしていた疑いが濃厚である。したがって、取調べ当時、少年院に収容されていたFも含めて、警察官から具体的に示唆されるB供述に迎合し、主要関係者らがB供述に沿う供述を行うことは十分に可能であったといえる。 ⑶ 検察官の主張の検討これに対し、検察官は、Bが自己の便宜を図ってもらうために、被告 人が犯人であるとの虚偽のストーリーをでっち上げたと考えたとすれば、Bが作り話の発覚を免れ、ストーリーの信ぴょう性を維持するためには、登場人物は自らの虚偽に同調してくれるはずの者で、かつ、その人数は極力少ない方が良いとい ストーリーをでっち上げたと考えたとすれば、Bが作り話の発覚を免れ、ストーリーの信ぴょう性を維持するためには、登場人物は自らの虚偽に同調してくれるはずの者で、かつ、その人数は極力少ない方が良いということになる、ところが、Bが供述したストーリーには、他の主要関係者5人が登場するほか、SやQまで登場させており、Bの目的とはおよそそぐわない内容であると主張する。 しかし、Bは、主要関係者以外にも、事件当夜に関係した人物を複数挙げており、裏付けが取れなかった事実も少なくないから、Bとしては、名前を挙げた人物から、Bの供述に沿う、それらしき情報が得られればよいと考えていた可能性がある。Bは、被告人が犯人であることを知っている者が他にも三人はいる、保釈してくれるなら全部話すと述べていた経過があるところ、このように複数人の関与を挙げたのは、保釈の取引材料だったとの見方もできる。また、Bとしては、全くの架空のストーリーではなく、同人の周囲の者が登場する実際に存在したエピソードを織り込んで虚偽のストーリーを構築する方が、その登場人物から同ストーリーに沿う裏付け供述が得られやすいと考えたが、その反面において多数の者が登場したとみることもでき、登場人物の数は、B供述の信用性を支える関係にはない。例えば、Qは、Bと複数回ゲーム喫茶dを訪れていたから(再弁223)、Bの述べるストーリーと整合した話をする見込みはあったといい得る。 検察官は、Sは、Bの供述したストーリーの中で被告人が犯人であることを示すような役割を果たしておらず、登場させる意味はなく、その供述中の行動もBらに非協力的なもので、むしろBの虚偽に口裏を合わせてくれることはおよそ期待できない者として登場させているのであるから、被告人を犯人に仕立て上げる虚偽のストーリーをでっち上げるに際 供述中の行動もBらに非協力的なもので、むしろBの虚偽に口裏を合わせてくれることはおよそ期待できない者として登場させているのであるから、被告人を犯人に仕立て上げる虚偽のストーリーをでっち上げるに際し、有害なだけであるとも主張する。しかし、既にみたとおり、もと もとBは、Sに関して、3月20日にS方を訪れたがSは不在であったと述べていたのであり、Sの口裏合わせは想定していなかった可能性がある。 なお、検察官は、被告人の犯人性を最も強く推認させるのはHの供述であるところ、仮にBが被告人の犯行をでっち上げようと考えたのであれば、一連の事実関係の中で最も重要な事実について他人任せにすることは考え難いとも指摘するが、以上で検討したことを総合すると、検察官の指摘する点は、いずれも、B供述に基づく他の主要関係者に対する供述誘導等や迎合供述を否定するに足りるものではない。検察官が指摘するとおり、被告人の犯人性の立証において、Hの関与部分が重要であることは否定できない。しかし、それは裁判段階で事実認定をするに際し、全体の証拠構造を見てそのように評価しているだけともいえる。これに対し、Bは捜査段階で場当たり的に供述している様子があり、被告人犯人説を周到にでっち上げた様子まではなく、Hが関与したとする部分についても、その重要性を意識して供述したとは限らない。BはHについて供述を始めた経緯についても供述を転々とさせているのだから、なおさらである。 ⑷ まとめ(主要関係者供述は裏付けにならないこと)以上のとおり、Bが身柄拘束中であることにより他の主要関係者に働きかけることが物理的に不可能な状態にあったわけでなく、現に、警察は、主要関係者同士を面会させたり、Bの供述調書を示したりするなどして、先行するB供述を基に、他の主要関係者に対し誘 の主要関係者に働きかけることが物理的に不可能な状態にあったわけでなく、現に、警察は、主要関係者同士を面会させたり、Bの供述調書を示したりするなどして、先行するB供述を基に、他の主要関係者に対し誘導等をすることが十分に可能であった。また、以下、それぞれの項目で検討するとおり、他の主要関係者についても警察の誘導等に対して迎合するだけの動機があり、実際に迎合した形跡もある。Bを始めとする主要関係者のグループにおいては、殺人はともかく、被告人を含め、けんかや、シンナー吸 引等に伴ういざこざは珍しくなかった様子がうかがえるから、その限度で、B供述の筋書きに類似した出来事があったとしても不思議ではなく、それを下敷きに話を組み立てることも検察官が考えるほど難しいことでもないと思われる。 したがって、上記検察官の主張については、主要関係者が警察の誘導等に応じてB供述に迎合した結果としてそのような供述状況になったとみる余地が十分にあるといわざるを得ないから、身柄拘束中のB供述と、他の主要関係者供述が大筋で一致しているからといって、B供述の信用性を認める根拠とはならないというべきである。 7 結論(B供述は信用できない)以上のとおり、Bについては、もともと真実に反して虚偽供述をするおそれが強く、実際に本件殺人事件の重要部分についてEの関与という虚偽供述をし、Eにうその供述をするよう働きかけた経過がある上、B供述については客観的裏付けに乏しく、他の主要関係者供述についても、B供述に迎合してなされた具体的かつ合理的な疑いが拭えないのであるから、これをB供述の裏付けとみることはできない。 被告人が本件殺人事件の犯人であるとするB供述は信用することができず、これと同旨の原判断に誤りはない。 第4 J供述について 1 Jの供述経過 ら、これをB供述の裏付けとみることはできない。 被告人が本件殺人事件の犯人であるとするB供述は信用することができず、これと同旨の原判断に誤りはない。 第4 J供述について 1 Jの供述経過、内容等⑴ まず、Jの供述経過やその内容のほか、これと関連するK(当時19歳)及びL(当時19歳)の供述状況を併せて概観する。 Jは、確定審において複数回証言しており、検察側証人として、捜査段階供述と同様、検察官の主張に沿う証言をした一方、弁護側証人として、事件当夜は福井市内にあるうどん屋iに行くなど、Lと一緒に行動していたなどとして、被告人との関与を否定する証言をした。 ⑵ Jの捜査段階供述及び原審第7回、第8回公判(昭和62年12月22日、昭和63年1月21日)に検察側証人として出廷した際の証言の要旨は次のとおりである(以下、同証言を「第一次証言」といい、捜査段階供述と合わせて「第一次供述」という。)。すなわち、「 3月19日夜は、L運転のマークⅡでK方まで送ってもらい、Lは交際相手であるM(当時19歳)方に行った。K方でテレビ番組「夜のヒットスタジオ」を見ていたら、y(女性歌手)が歌う後ろでz(男性歌手)が腰を振るいやらしい動作をしている場面(以下「本件場面」という。)があり、Kと『いやらしいなあ。』と話した記憶がある(1審検290、295)。 BからK方に電話があったのは本件場面の頃であり、K運転の車でアパートcに行き、Bを乗せてゲーム喫茶dまで行った。Kは帰ったので、Bとゲームをするなどしていたら、Bから頼まれ、近くのj神社まで本件スカイラインに乗った被告人とHを迎えに行き、ゲーム喫茶dに案内してBと引き合わせた。 その後、Bが運転するスプリンターを先導に、被告人とHを乗せた たら、Bから頼まれ、近くのj神社まで本件スカイラインに乗った被告人とHを迎えに行き、ゲーム喫茶dに案内してBと引き合わせた。 その後、Bが運転するスプリンターを先導に、被告人とHを乗せた本件スカイラインを運転し、アパートeのF方に行った。F方で被告人の胸辺りに血が付いているのを見たが、Bや被告人は暴走族上がりでけんかはしょっちゅうするし、被告人はシンナーを吸っていたから、けんかでもしたのかと思っていた(1審検291、295)。 しばらくしてM方にいるLに連絡を取り、マークⅡでk家具店前まで迎えに来てもらった。福井市内を走り回るうち、m橋で検問を受け、警察官から本件殺人事件があったことを聞いたが、そのときは被告人とは全然結び付かなかった。その後、n陸橋でガス欠により停車していたときにも職務質問を受けた。 本件殺人事件について取調べを受け、そういえば検問に遭った日にア パートeで被告人の服に血が付いていたのを思い出した(1審検291、295)。」というものである。 なお、以上の事実経過のうち、JとLが、3月20日午前1時57分頃に福井市内のm橋で本件殺人事件の発生に伴う検問を受け、同日午前3時30分頃に同市内のn陸橋上で警察官に声を掛けられたことは、動かし難い事実とみることができる(検問記録を含む警察官作成の報告書、1審検156ないし158)。 また、捜査段階では、Kは、Jは3月19日に後輩と一緒にK方に来て後輩はそのまま去った、「夜のヒットスタジオ」でy(女性歌手)が歌っている後ろでz(男性歌手)が腰を振っていやらしい踊りをしている場面が入り、Jと二人で「なんていやらしい踊りや」と言って話しているところにBから電話があり、JとBをゲーム喫茶dまで送ったと供述し(昭和62年1月14 性歌手)が腰を振っていやらしい踊りをしている場面が入り、Jと二人で「なんていやらしい踊りや」と言って話しているところにBから電話があり、JとBをゲーム喫茶dまで送ったと供述し(昭和62年1月14日付け警察官調書・再弁129)、LもJの第一次供述に沿う供述をしていた(同月29日付け警察官調書・再弁128)。 ⑶ Jは、昭和63年9月5日、被告人の弁護人であるY3弁護士と面会し、事件当夜の出来事について、一旦は概ね第一次供述に沿う内容を説明した。ところが、Jは、それに続けて、弁護人から特に問われもしていないのに、「最初にマル暴の警察官から聴取を受けたときには、検問に遭った日は、Lと二人でうどん屋iに行き、そこで知人女性と連れのNのけんか(以下「うどん屋iのけんか」という。)を見た記憶だった。 そして、Kから覚醒剤を受け取った後に検問に捕まり、やばかったので慌てて覚醒剤を隠したという記憶があった。マル暴の警察官には覚醒剤譲渡のことは抜いて話したが、次の聴取で警察官から『お前うそついているだろ。』などと言われ、Kの話(3月19日はKの家にいてBから電話があった。)を聞き、覚醒剤は違う日なのかなと思った。」などと 言い出した(供述録音テープ反訳書・控訴審弁12)。 他方で、検察官は、弁護人がJに接触していることを察知し、Jの第一次供述の信用性を確認するため、J、L及びKの取調べを行った(論告要旨78頁、控訴趣意書228、242頁)。Jの検察官調書(平成元年1月24日付け・1審検316)は、第一次供述に沿うものであり、うどん屋iのけんかは、被告人の服に血が付いているのを見た日とは別の日であるとされている。また、Kの検察官調書(同月31日付け・1審検297)では、JとBをゲーム喫茶dに送った日とうどん屋iのけんかがあったの けんかは、被告人の服に血が付いているのを見た日とは別の日であるとされている。また、Kの検察官調書(同月31日付け・1審検297)では、JとBをゲーム喫茶dに送った日とうどん屋iのけんかがあったのは別の日であるとされ、Lの検察官調書(同年3月4日付け・1審検279)においては、うどん屋iのけんかは3月19日とは別の日であるとされている。 ⑷ L及びKは、原審において、捜査段階の供述を覆し、Jも第一次供述とは異なる証言をした。 Lは、原審第28回公判(平成元年6月6日)において、3月19日はうどん屋iのけんかを見た後に検問に遭った、ところが、P1警察官らから、JやNもうどん屋iのけんかのあった日は違う日だと言っていると言われて記憶に自信がなくなり、Jの第一次供述に沿う供述調書の作成に応じたと証言した。 Kも、原審第30回公判(平成元年7月11日)において、JとBをゲーム喫茶dに送ったことはあるが日にちの記憶はなかった、警察官から、Jらが本件場面を見た日(3月19日)だと言っている、Lが検問に遭った日だから間違いないと聞かされたので、捜査段階ではこれに話を合わせた、本件場面を誰と見たかは思い出せず、本件場面を見たのがJらをゲーム喫茶dに送った日かどうかは分からないと証言した。 Jは、原審第35回、第36回公判(平成元年11月16日、同年12月7日)に弁護側証人として出廷し、要旨、次のとおり証言した(以 下「第二次供述」という。)。すなわち、「 本件殺人事件があった日の夜は、Lと一緒にうどん屋iに行き、うどん屋iのけんかを見た。その後、Kが店に来て、Nから俺(J)を連れてくるよう頼まれたと言ってきたが、Nにはもう帰ったと伝えるように頼んだ。その際、Kに覚醒剤を注文し、翌20日午前0時頃、Kか 、うどん屋iのけんかを見た。その後、Kが店に来て、Nから俺(J)を連れてくるよう頼まれたと言ってきたが、Nにはもう帰ったと伝えるように頼んだ。その際、Kに覚醒剤を注文し、翌20日午前0時頃、Kから待ち合わせ場所で覚醒剤を譲り受けた後、LとマークⅡで福井市内を走行するうちにm橋で検問に遭った。 本件殺人事件については、最初は福井警察署暴力課の警察官に、それ以降はP1警察官らから聴取を受けたが、その際も覚醒剤取引の点を除いて同じように話した。ところが、P1警察官は、KとNはうどん屋iのけんかは別の日だと言っているとして受け付けてくれず、Kと一緒にKの家でテレビを見ていたのではないか、K方にBから電話がかかってきて迎えに行ったやろ、などと言われた。うどん屋iのけんかは違う日なのかなと思い、日にちの記憶こそないが警察官から言われた出来事の記憶もあったので、その後は第一次供述のとおり供述をした。Kとは本件場面を一緒に見ていないが、警察官が、Kがお前と一緒にテレビを見ていると言ったので、調書にはKと本件場面を見たなどと記載されたと思う。」というのである。 ⑸ 原判決は、Jの第一次供述はもとより、アパートeにおいて血を付けた被告人を見たなどとする供述(第二次供述の該当部分を指すとみられる。)も信用性に問題があり、同供述によって、本件殺人事件発生後、その着衣等に血を付けた被告人がHと共にゲーム喫茶dに来て、その後アパートeに向かった事実を認めるに足りないと評価した。 ⑹ Jは、控訴審第6回、第7回公判期日(平成6年3月31日、同年4月28日)において、検察側証人として出廷し、事件当夜の出来事について再び供述を変更して、概ね第一次供述に沿う証言をした上、「うど ん屋iのけんかの日とm橋等で検問に遭った日は別の日である。」 月28日)において、検察側証人として出廷し、事件当夜の出来事について再び供述を変更して、概ね第一次供述に沿う証言をした上、「うど ん屋iのけんかの日とm橋等で検問に遭った日は別の日である。」と証言した。 ⑺ また、Jは、控訴審供述に至る経緯や供述変遷の理由について、次のとおり証言している。すなわち、「 本件殺人事件については最初に福井警察署暴力係P2警察官の取調べを受けた。その際には3月19日夜の行動について、当時はp工業に勤めており、その頃にうどん屋iのけんかを目撃したこと、3月19日夜(正確には日が変わり20日となっている。)は検問に遭ったことが記憶にあったので、これらが同じ夜の出来事であるとの確信まではなかったが、当時そのようなことがあったと述べた。 しばらく経過して、P1警察官から本格的な取調べを受けるようになり、当初P2警察官に対してしたのと同趣旨の供述をしたが、もともとうどん屋iのけんかが3月19日夜の出来事であったとの確信があったわけではなく、P1警察官からもそれは違うだろうと言われ、自分の記憶としてもF方で被告人の着衣の胸に血が付いているのを目撃し、引き続き検問に遭ったというのが正しいと思ったので、その旨の供述をした。 その後、うどん屋iのけんかのことが全く問題とならなかったため、1回目の証言後もひっかかりを感じるとともに、この出来事が一体いつのことだったか知りたいという気持ちを持っていた。そうしたところ、弁護人と複数回会うことになり、本件殺人事件があった頃、うどん屋iのけんかがあったことを話した。その際も、うどん屋iのけんかが事件当夜の出来事であるとの確かな記憶があって述べたのではなく、うどん屋iのけんかがいつの出来事だったのか知りたいという気持ちだった。 そのような中、弁護 ことを話した。その際も、うどん屋iのけんかが事件当夜の出来事であるとの確かな記憶があって述べたのではなく、うどん屋iのけんかがいつの出来事だったのか知りたいという気持ちだった。 そのような中、弁護人から、Nはうどん屋iのけんかは3月19日夜の出来事だと言っている旨告げられ、けんかをした本人がそのように言っているのであれば、同日夜の出来事に違いないと思い、検問に遭った日 にちははっきりしていたので、これらが同じ夜の出来事であったことに間違いないと思うようになった。それで第二次供述をした。 この当時は周囲から色々な話が入ってくるため頭の中が混乱していたが、その後冷静に思い起こしてみると、Kから譲り受けた覚醒剤はすぐにp工業の部屋へ持ち帰ってLと一緒に使っており、覚醒剤を使ったり、車内に隠し持ったりしたまま福井市内を車で走り回っていて検問に遭ったという記憶はなく、むしろ、初めてアパートeに行き、同所で被告人の着衣の血を目撃した一連の行動について順をたどると、被告人の血を見た後、Lにk家具店前まで迎えに来てもらい、m橋で検問に遭ったという記憶が正しいと思うようになった。本件場面を見た日はBと会って被告人らを迎えに行き、被告人の服に血が付いているのを見て検問に遭った日だという記憶であり、テレビ番組の印象は間違いなく残っている。 今日は記憶どおりのことを述べたもので、証言内容について警察官や検事からの働きかけはない。今回の出廷にはP1警察官が同行したが、その際、事件の中身等については一切話していない。」というものである。 2 J供述の信用性についての検察官の主張検察官の主張の要旨は次のとおりである。 Jの第一次供述は、捜査段階から控訴審の証言まで、途中に弁護人の働きかけを受けて一時的に変遷した時期を除 J供述の信用性についての検察官の主張検察官の主張の要旨は次のとおりである。 Jの第一次供述は、捜査段階から控訴審の証言まで、途中に弁護人の働きかけを受けて一時的に変遷した時期を除いて基本的に一貫している。その内容は、他の関係者供述や、犯行の数時間後に本件殺人事件による検問をしていた警察官に職務質問を受けたことにより裏付けられており、控訴審供述も含めて高度の信用性を有する。これに対し、第二次供述は不自然、不合理な内容で、供述に矛盾があり、弁護人による事前テストの影響を受けたもので信用することができず、Jの第二次再審請求審証人尋問期日における供述(以下「第三次供述」という。)についても、第二次供述とも 重要な部分で異なっており、信用できない。 以下、検討する。 3 J供述の危険性―迎合性の強さなどの供述属性まず、Jの供述属性について指摘すると、Jは、事件当夜に被告人と行動を共にしたかという供述の核心部分について、検察側と弁護側との間で寝返りを繰り返し、供述を二転三転させた経過があり、第一次証言後、第二次供述に至るまでの間にも、双方から法廷外で接触を受けると、それぞれの立場に応じた供述をしていることが認められる。後述するとおり、Jが再審請求審において、またもや弁護側証人として証言した経過も踏まえると、Jの供述は不安定で、迎合性の強さや、容易に供述を変更させる危険性が際立っている。 よって、J供述については、その供述属性を踏まえ、特に慎重に検討する必要がある。 4 警察官がJらの第一次供述(捜査段階供述)を誘導した可能性のあること(Jが事件当夜に被告人らと行動を共にしていなかった可能性のあること)Jの第一次供述、K及びLの捜査段階供述が検察官の主張に沿うものであるのに対し、J 段階供述)を誘導した可能性のあること(Jが事件当夜に被告人らと行動を共にしていなかった可能性のあること)Jの第一次供述、K及びLの捜査段階供述が検察官の主張に沿うものであるのに対し、Jの第二次供述、K及びLの原審証言は、上記供述は取調官の誘導に従い記憶にない事実を述べたというものである。 当審において取り調べた証拠によれば、Jらは捜査段階において、警察官の誘導等により事実に反する供述をした疑いがあり、これによりJが事件当夜に被告人らと行動を共にしていなかった可能性が浮上している。 ⑴ 「夜のヒットスタジオ」の放送日時、内容について誤った捜査報告書が作成されたこと確定記録中のP3警察官作成の捜査報告書(1審検139・以下「P3捜査報告書」という。)によれば、昭和61年3月27日、P4警察 官がテレビ局に保管されていた同月19日放送分のテレビ番組「夜のヒットスタジオ」のビデオテープを視聴し、内容と放送時間を一覧表にまとめた。本件犯行時刻については、被害者方階下の住民らが大きな物音を聞いたこと(1審検46、47)などにより絞り込まれているところ、物音を聞いた時刻は当時視聴していたテレビ番組の内容から特定されており、上記一覧表はこれらの捜査のために作成されたとみられる。 昭和62年1月14日になって、Kからの聴取をきっかけに、上記一覧表によりy(女性歌手)が「あゝ無情」を歌唱した時刻(3月19日午後9時59分頃から午後10時3分頃まで)が確認されるとともに、P3警察官がP4警察官に確認したところ、y(女性歌手)が歌っている後ろでz(男性歌手)が踊っていた事実があるとのことで、その旨のP3捜査報告書が作成されたことが認められる。 ところが、当審における事実取調べの結果によれば、「夜のヒッ 性歌手)が歌っている後ろでz(男性歌手)が踊っていた事実があるとのことで、その旨のP3捜査報告書が作成されたことが認められる。 ところが、当審における事実取調べの結果によれば、「夜のヒットスタジオ」の昭和61年3月19日放送分には、y(女性歌手)とz(男性歌手)が出演しているものの、二人で共演したり、いやらしい踊りを踊ったりしたというシーンはなく、同月26日放送分において、y(女性歌手)が「六本木心中」を歌唱している途中からz(男性歌手)もパフォーマンスに参加して密着した状態で歌い、途中y(女性歌手)がz(男性歌手)の下半身に抱き着いてしゃがみ込み、最後に抱き合ってキスをするという過去の放送分のVTR映像の一部が再放送されたことが認められる(再弁91ないし93)。 以上によれば、パフォーマンスの内容からして、J及びKが供述した本件場面とは、昭和61年3月19日放送分の「夜のヒットスタジオ」の一場面ではないこと、捜査機関において、同番組の同日放送分を実際に視聴するなどして確認せず、一警察官の記憶のみに頼った結果、P3捜査報告書において同日放送分に本件場面があるとの間違った放送内容 が記載されたことが認められる。 ⑵ 警察官がP3捜査報告書を基にJらに誘導等を加えたことア J、Kらの聴取経緯Bは、当初、被告人と一緒にゲーム喫茶dに来た男はEであると供述していたが、昭和62年1月に入ると、実はHであると供述を変更し、それと同時に、被告人らをゲーム喫茶dまで案内した人物としてJを登場させた(同月3日付け警察官調書・1審検207)。また、Bがゲーム喫茶dに行った経緯についても、アパートcに来たW4とQに誘われ、3人で行ったと述べていたのを、覚醒剤仲間のKと、同人方にいたJとをアパートcまで呼 付け警察官調書・1審検207)。また、Bがゲーム喫茶dに行った経緯についても、アパートcに来たW4とQに誘われ、3人で行ったと述べていたのを、覚醒剤仲間のKと、同人方にいたJとをアパートcまで呼び寄せ、Kの車でゲーム喫茶dまで送ってもらったと供述を変更した。 これを受けてKに対する裏付け捜査が行われた結果(昭和62年1月12日付け捜査報告書・再弁55)、同月14日にKの警察官調書(再弁129、3月19日に自宅でJと本件場面を見て二人で「なんていやらしい踊りや。」と話していると、Bから電話があり、BとJをゲーム喫茶dに車で送ったというもの)及びP3捜査報告書が作成された。その後の同月28日にはJの警察官調書(1審検290)が作成され、K方でBから電話を受けてアパートcに向かった、その時間ははっきりしないが、3月19日にKの部屋で本件場面を見ていやらしい感じを受けたのをよく覚えており、その場面を見てから約五、六分後にアパートcに出発した、出発した際、Kとその場面の印象を話し合っているので間違いないと記載されている。 イ J、Kの警察官調書はあり得ない体験を供述するものであることKの原審証言によれば、警察官調書を作成した経緯は次のとおりである。すなわち、Kは、「警察から聴取を受けた際、本件殺人事件があった時期に、JがLの送迎でK方に来て、その後にJとBをゲーム 喫茶dに送迎した記憶はあったものの、その日にちは覚えていなかった。警察官から3月19日の新聞テレビ欄のコピーを示され、『夜のヒットスタジオ』の欄に、y(女性歌手)とz(男性歌手)の名前があったので、これは二人がいやらしい踊りをした場面かと聞くと、警察官がそうだと答えた(P3捜査報告書作成のきっかけとみられる。)。その場面を見て、『なんやいやら (女性歌手)とz(男性歌手)の名前があったので、これは二人がいやらしい踊りをした場面かと聞くと、警察官がそうだと答えた(P3捜査報告書作成のきっかけとみられる。)。その場面を見て、『なんやいやらしいな。』と会話をしたのは覚えており、そういう会話をするのは親しい人だと思った。警察官からJと『夜のヒットスタジオ』を見なかったかと聞かれても、さして親しくはないJと感想を交わした記憶は余りなかったが、警察官から、J、LやBがその日は3月19日夜だと言っている、Lが検問に遭った日だから間違いないと聞かされたので、1日猶予をもらい、自分と一緒に本件場面を見た友人を探した。ところが、その頃付き合いのあった友達は誰も一緒に見た覚えがないというので、Jらの記憶の方が正しいのだろうと思い、Jらに話を合わせて供述調書を作成した。」と証言した(1審30回K)。 Jの第二次供述及びKの原審証言は、いずれも、JがLの送迎でK方に来て、その後にKがJとBをゲーム喫茶dに送迎した日の記憶は明確ではなかったし(Jは3月19日であることを否定している。)、二人で本件場面を見た記憶はなかったが、取調官の誘導等に迎合した上、上記出来事は3月19日であるとして警察官調書を作成したというものである。実際、J及びKの警察官調書には、3月19日に本件場面を一緒に見ていやらしいなどの感想を述べ合い、これを根拠にBからの電話があった時刻を特定するという客観的事実に反する一致した記載があるから、Jの第二次供述及びKの原審証言はこれに裏付けられており、3月19日の「夜のヒットスタジオ」の放映内容として本件場面に初めて言及したのはKであるとしても、その後は、取調官 がP3捜査報告書を前提にJ及びKを誘導し、上記供述を得たことが認められる。 この点、検察官 ジオ」の放映内容として本件場面に初めて言及したのはKであるとしても、その後は、取調官 がP3捜査報告書を前提にJ及びKを誘導し、上記供述を得たことが認められる。 この点、検察官は、Kの警察官調書(昭和62年1月14日付け)は、J(昭和62年1月27日以降の日付け)、L(同月29日付け)の各警察官調書よりも前に作成されており、Kを取り調べる時点では、J及びLのいずれからもいまだ供述が得られていない時期にあったことは明らかであるから、警察官からJやKの供述内容を聞かされたとするKの原審証言には矛盾があると主張する。しかし、当審において取り調べた証拠によれば、警察は、Jには昭和61年12月25日(再弁88)、Lには昭和62年1月13日(同89)と、Kに先立って、あるいは同時期に事情聴取を行い、既にJとLが3月20日未明に検問に遭ったことを把握していたことが認められる。このことからすると、警察において、先行するBの供述を前提として、Kの当初の供述(本件殺人事件のあった頃、JがLの車でK方まで来て、その後、KがJとBをゲーム喫茶dまで送った。)と、J及びLの当初の供述(3月20日未明に検問を受けたというもの。ただし、JとLは、当初、検問を受けた夜にLがJをK方に送った旨の供述はしていない。)を擦り合わせ、JがLの車でK方まで来てその後にKがJとBをゲーム喫茶dに送ったのは、JとLが検問に遭った夜であること、つまり事件当夜の出来事であったとの誘導を加えることは可能であったことになる。Jの第二次供述や、Kの原審証言に照らせば、Jらは互いが供述したとされる内容を教えられてそれぞれ迎合した供述をしたことになるから、いわゆる切り違えのような方法による取調べが行われた疑いすら否定できない。 また、検察官はJが3月19日 互いが供述したとされる内容を教えられてそれぞれ迎合した供述をしたことになるから、いわゆる切り違えのような方法による取調べが行われた疑いすら否定できない。 また、検察官はJが3月19日にK方でBからの電話を受けた際、「夜のヒットスタジオ」でy(女性歌手)が歌っていて同番組にはz (男性歌手)も出演していたことや、Jがこの放送内容を記憶している前提で、Jが翌週に見た本件場面の記憶と混同させた可能性があり、Jがy(女性歌手)から本件場面を思い浮かべて前記電話の際にこれが流れていたと考えたとしても、自然な記憶喚起として理解できるなどと、なおも主張している。しかし、Jからすれば、Bから電話を受けた約10か月後に、電話を受けた当時見ていたテレビ番組の内容(歌番組であることや、誰が歌唱していたかなど)を覚えているというのは、電話での会話内容と関連があるとか、その番組内容等がよほど記憶に残るようなものでもない限り考え難く、3月19日の「夜のヒットスタジオ」の放送内容に照らしても、そのような事情はうかがわれない。そして、検察官の主張は、JがKと本件場面についての感想を述べ合ったとする点までも供述が一致する理由を何ら説明するものではなく、およそ採用できない。 ウ捜査機関による誘導の意図以上のような見方は当時の捜査状況からも裏付けられる。 捜査機関の側からみると、Bの当初の供述に基づき、被告人と同行した人物をEと目して犯人蔵匿容疑で逮捕までしたのに、Bが、被告人の同行者は実はEではなくHであったと供述を大きく変更した上、新たな登場人物としてJを追加し、ゲーム喫茶dへの同行者もJやKに変更したことから、捜査機関としてはBの新たな供述の裏付けを求めていたと考えられる(なお、当初ゲーム喫茶dへの同行者とされ 更した上、新たな登場人物としてJを追加し、ゲーム喫茶dへの同行者もJやKに変更したことから、捜査機関としてはBの新たな供述の裏付けを求めていたと考えられる(なお、当初ゲーム喫茶dへの同行者とされていたW4とQからは事実の裏付けが取れなかった。再弁223、226、227)。 もっとも、Jは、当初、本件殺人事件への関与を否認し(再弁88)、他方、Kについては、Bの供述によっても本件殺人事件への関与はなく、JとBをゲーム喫茶dに送迎しただけであるから、事情聴 取までの時間経過からしても、このような特に印象的でもない出来事の日にちを覚えているとは考え難い。しかし、それが印象的な本件場面を見た日の出来事であれば、日にち特定の大きな根拠となり、B供述の強い裏付けとすることが可能となる。 そのようなことから、捜査機関は、Bの供述変更を受けた裏付け捜査の過程で、Kの捜査段階供述をきっかけに3月19日に本件場面が放送されたとの誤った捜査結果を得たこともあいまって、JやKに対し、3月19日に二人で本件場面を見て、その日にKがJとBをゲーム喫茶dに送ったとの示唆ないし誘導を加え、順次警察官調書を作成していった経過が浮かび上がる。このことは、P3捜査報告書及びKの警察官調書が作成されたのと同じ昭和62年1月14日に、JやKが登場する1月14日付けB上申書が作成され、Bが捜査段階において、本件殺人事件に関する筋書きを固めるに至ったことからも裏付けられている。 ⑶ 誘導等の存在がJ供述の信用性に与える影響(Jが事件当夜に被告人らと行動を共にしていなかった可能性のあること)ところで、Jの第二次供述、Kの原審証言を前提としても、両名がBとゲーム喫茶dに行った日には本件場面を一緒に見ていないとみられるため、その日が3 行動を共にしていなかった可能性のあること)ところで、Jの第二次供述、Kの原審証言を前提としても、両名がBとゲーム喫茶dに行った日には本件場面を一緒に見ていないとみられるため、その日が3月19日であったとしても矛盾はしない。 検察官も、K証言は、もともとB供述や、Jの第一次供述を裏付けるためのものであるから、Jと一緒にアパートcまで行き、Bを乗車させてゲーム喫茶dに送った事実があったことさえ裏付けられれば、仮にそれが3月19日であったことまでKが記憶していないとしても、検察官立証の目的はほぼ達せられているといってよいとか、第一次供述は検問の事実により裏付けられているから、「夜のヒットスタジオ」の放送内容という裏付けを欠くとしても、その信用性についての影響は限定的な ものにすぎないなどと主張する。 しかし、Jの第一次供述は、➀Kに送ってもらってBと共にゲーム喫茶dに行ったこと、➁JがBの指示で被告人らを迎えに行き、ゲーム喫茶dに連れて来た後、アパートeに行き、同所で被告人の着衣に付いた血を見たこと、➂Jが同所を出てLと合流した後に本件殺人事件に係る検問を受けたことは、同じ夜の一連の出来事である旨をいうものである。 他方、Jの第二次供述は、検問を受けた日はうどん屋iに行くなどしており被告人らと行動を共にしていなかったとして、供述を大きく変更するものであるところ、➂JやLが本件殺人事件に係る検問を受けた事実は、うどん屋iのけんかを目撃したというエピソードとも両立する関係にある。後記のとおり、事件当夜にうどん屋iのけんかを目撃したとの第二次供述にはそれなりの裏付けがあるから、第二次供述を弾劾するには、➀KがJとBをゲーム喫茶dに送った出来事と、➂Jらが検問を受けた出来事(3月20日)が同じ夜の出来事であるこ んかを目撃したとの第二次供述にはそれなりの裏付けがあるから、第二次供述を弾劾するには、➀KがJとBをゲーム喫茶dに送った出来事と、➂Jらが検問を受けた出来事(3月20日)が同じ夜の出来事であることが立証される必要がある(なお、Jは、うどん屋iに行く前にK方に寄ったことはないと証言している。1審36回J75丁)。 この点、第一次供述については検問を受けた事実以外に裏付けとなる客観的証拠は乏しく、主な裏付け証拠は、信用性に争いのある主要関係者供述(B、H及びF)や、J同様、公判になって捜査段階の供述を覆しているKやLの捜査段階供述である。このような証拠関係にあって、KがJとBをゲーム喫茶dに送ったのが3月19日夜であり、その日にちが客観的証拠である本件場面の放送の事実により裏付けられているとすれば、第二次供述の信用性を否定するとともに、第一次供述の信用性を肯定するに当たって重要な意味合いがあるはずである。 ところが、警察官の誘導等により、日にちの特定についてありもしない体験を述べる供述が作出され、これをきっかけに事件当夜の出来事に 関する第一次供述が行われた経緯が明らかになった結果、第一次供述についてはその信用性に疑いが生じ、反面、警察官の誘導等に迎合した旨を述べる第二次供述の信用性は相当程度回復されることになる。その結果、Jが第二次供述で述べる誘導前の記憶、すなわち、Jが事件当夜にうどん屋iのけんかを目撃し、その後検問を受けた事実が存在する可能性が浮上し、これにより、Jが事件当夜に被告人と行動を共にしていないのではないかという疑いが生じる。 このように、警察官がJやKに誘導、示唆を加え、「夜のヒットスタジオ」に関する供述を得たことは、検察官の立証の一つの柱であるJの第一次供述の信用性を大きく揺るが ないかという疑いが生じる。 このように、警察官がJやKに誘導、示唆を加え、「夜のヒットスタジオ」に関する供述を得たことは、検察官の立証の一つの柱であるJの第一次供述の信用性を大きく揺るがすことになるのであり、同番組の放送日時、内容に関する証拠を検察官のいうように過小評価することはできない。 なお、検察官は、J及びKは、捜査段階において、Bからの電話の前に見ていた番組として、「夜のヒットスタジオ」に加え、その直前に放送されていたテレビドラマ「ヤヌスの鏡」を挙げており、さらに、Kについては、3月19日に実際に放送されたドラマの内容と符合する内容を具体的に供述しているとして(Jについて1審検288、Kについて同297、再弁129)、この点を第一次供述の裏付けである旨主張する。この点、Kの警察官調書によれば、Kが、新聞テレビ欄に掲載された「ヤヌスの鏡」の番組予告に合致するとともに、これよりも詳細なドラマのあらすじを述べていることが認められるから(再弁129)、Kが3月19日に同ドラマを視聴していた可能性は否定できない。しかし、そもそもJやKの供述内容においても、「ヤヌスの鏡」の視聴とBからの電話等を始めとする検察官が主張する事実関係との間に特段の関連性はない。また、本件場面に関する供述状況に照らすと、Kが、取調べの際、「夜のヒットスタジオ」について、Jと一緒に見た旨の誘導を受け たため、その直前に放送された「ヤヌスの鏡」についてもJと一緒に見ていた旨の供述が形成され、Jもこれに追随した可能性がある。よって、「ヤヌスの鏡」に関する供述は、第一次供述の裏付けとは評価できず、検察官の主張は採用できない。 ⑷ 本件場面の放送日に関する確定審検察官の訴訟活動について再審開始決定においても指摘のあるとおり、確定 に関する供述は、第一次供述の裏付けとは評価できず、検察官の主張は採用できない。 ⑷ 本件場面の放送日に関する確定審検察官の訴訟活動について再審開始決定においても指摘のあるとおり、確定審検察官(原審及び確定審控訴審の検察官をいう。以下同じ。)は、原審での審理中に、本件場面が3月19日に放送されていなかった事実を把握しながら、確定審公判において明らかにしなかったことが認められる。その経緯は次のとおりである。 確定審検察官は、Kの警察官調書(1審検138)により、Kが3月19日にBとJをゲーム喫茶dに車で送った状況等や、その裏付けとして、P3捜査報告書(1審検139)により、3月19日に本件場面が放送されたという客観的事実があることを立証しようとした(原審証拠等関係カード)。そのP3捜査報告書は、原審第2回公判期日という早い段階で同意書証として採用されて取り調べられており、弁護人ら及び原審裁判所も、確定審検察官主張の上記客観的事実があることを動かし難い事実と扱っていたとみられる。 その後、確定審検察官は、Jが原審において検察側証人として第一次証言をした後、弁護人がJに接触していることを察知し、Jの第一次供述の信用性を確認するため、平成元年1月24日にJから事情聴取をしたほか、同月中に、Kからも事情聴取を行うとともに(同月31日付け検察官調書・1審検297)、警察にNからの事情聴取をさせて(同月19日付け警察官調書・1審検315)、うどん屋iのけんかの点を含めた取調べを行った(控訴趣意書228、242頁。ただし、これらの補充捜査よりも以前に、警察がうどん屋iの当時の店長に対する裏付け 捜査を行っていることは後述する。)。当審において取り調べた証拠によれば、捜査機関が行った本件場面についてのテレビ局へ れらの補充捜査よりも以前に、警察がうどん屋iの当時の店長に対する裏付け 捜査を行っていることは後述する。)。当審において取り調べた証拠によれば、捜査機関が行った本件場面についてのテレビ局への照会は、被告人の起訴後、しかも、上記Jに対する検察官聴取の2日後である同月26日に実施されており、照会を実施した理由についても、JとKの供述のうち、本件場面については検問等と異なり明確な裏付け結果が得られていなかったためであるとされている(再弁91)。このような捜査の実施時期、内容等からして、上記照会は、確定審検察官がJの第一次供述の信用性を確認する一環として、警察に指示してなされたものとみるのが素直な流れである。その結果、同月27日には、3月19日に本件場面が放送されていないことが判明し、確定審検察官もこの事実を把握したとみられるにもかかわらず、同検察官は、確定審においてこの事実を明らかにしないまま、Kの証人尋問(平成元年7月11日実施)や、Jの弁護側証人としての証人尋問(同年11月16日及び同年12月7日実施・第二次供述)が行われた。これらの尋問の際、弁護人らは、JとKが3月19日に一緒に本件場面を見たことを争って、主要な尋問事項の一つとしている。さらに、確定審検察官は、論告、控訴趣意書において、なおも本件場面が3月19日に放送されたという事実に反することを、Jの第一次供述やKの捜査段階供述の裏付けとしてぬけぬけと主張し続けている(論告要旨71、105頁、控訴趣意書217、258頁)。確定審検察官は、控訴趣意書に記載しておきながら、Jの控訴審における証人尋問においては本件場面に関して一切尋問しなかったが、裁判官が補充尋問においてこの点を確認しているにもかかわらず、本件場面についての主張の誤りをなおも明らかにしなかった。なお、検察官 審における証人尋問においては本件場面に関して一切尋問しなかったが、裁判官が補充尋問においてこの点を確認しているにもかかわらず、本件場面についての主張の誤りをなおも明らかにしなかった。なお、検察官は、第二次再審請求に至ってようやく、本件場面の正しい放送日時に関する証拠を提出し、当審において、誤った事実関係に基づく主張(第一次供述等は、3月19日に本件場面が放送された事実により裏付けられ ているというもの)を撤回した。 このように、確定審検察官は、補充捜査の過程で検察官請求証拠(P3捜査報告書)に看過できない間違いが発覚したのに、なおも自らの主張の前提とし、審理においても動かし難い客観的事実として扱っていた。 事実関係に誤りを発見したのであれば、公益を代表する検察官としては、適正手続確保の観点からして、その誤りを明らかにするとともに、3月19日放送分に本件場面が存在しないことを前提に、弁護人らに対し、J、Kらの証人尋問を行わせるなど、主張・立証の機会を設けるべきであったのはいうまでもない。無論、弁護人らにおいても、原審以来、警察がBの供述を前提に主要関係者供述を誘導した旨を主張していたのであるから、この主張との関係においても、Jらが客観的事実に反する供述をした経過等を検証する必要があったはずである(なお、P3捜査報告書による立証事項の客観性に照らすと、弁護人が信用性を争わずに取調べに同意し、その内容が動かし難い事実として審理が進められたことには、無理からぬものがある。)。そして、確定審検察官が上記誤りを明らかにしていれば、そもそも再審請求等に及ばずとも、確定審において被告人の無罪判決が確定していた可能性も十分にあったと考えられる。 ところが、確定審検察官は、上記誤りを明らかにすることなく、被告人から、正しい事 そも再審請求等に及ばずとも、確定審において被告人の無罪判決が確定していた可能性も十分にあったと考えられる。 ところが、確定審検察官は、上記誤りを明らかにすることなく、被告人から、正しい事実関係を前提とした主張・立証の機会を奪い、裁判所にも、動かし難い事実について真実とは異なる心証を抱かせたまま、控訴審裁判所に有罪判決をさせ、これを確定させるに至っている。「夜のヒットスタジオ」の放送日時、内容は、上記のとおり確定審において検討の俎上に載せられるべき重要な事実関係であったのに、その機会を奪った確定審検察官の訴訟活動は、当審に至ってもこの点について何ら納得のできる主張がされていないことも併せると、知らなかったと言い逃れができるような話ではなく、少なくとも確定審検察官において不利益 な事実を隠そうとする不公正な意図があったことを推認されても仕方がないところがある。再審開始決定でも指摘されているとおり、確定審検察官の訴訟活動は、裁判所に法の正当な適用を請求し、公益を代表する検察官としてあるまじき、不誠実で罪深い不正の所為といわざるを得ず、適正手続確保の観点からして、到底容認することはできない。 5 第二次供述の信用性を否定できないこと反面、第二次供述についてみると、その供述には第一次供述に関する警察官による誘導等をいう部分以外にも相応の裏付けがあり、その信用性をあながち否定することができない。 ⑴ うどん屋iのけんかは実際にあった出来事であることJ、L、K及びNは、要旨、本件殺人事件と同時期頃の出来事として、JとLがうどん屋iで夕食を食べている最中、Nと交際女性が同店に入ってきたが、交際女性がJに挨拶をしたことから、Nが怒って交際女性に店内の椅子を投げ付けるなどのけんかをし(うどん屋iのけんか)、Nと とLがうどん屋iで夕食を食べている最中、Nと交際女性が同店に入ってきたが、交際女性がJに挨拶をしたことから、Nが怒って交際女性に店内の椅子を投げ付けるなどのけんかをし(うどん屋iのけんか)、Nと女性が退店した、その後、KはNから頼まれてJを呼びに行ったが、Jは、トラブルになるのを嫌がって、Nには既に退店したと伝えるように依頼し、その際、Kに覚醒剤を注文したか、取引の時間を確認した、その後、Jは、Lと車でKとの待ち合わせ場所に向かって、午前0時か午前1時頃にKと覚醒剤の受渡しをしたという、ほぼ同内容の供述をしている。うどん屋iの当時の店長(以下「元店長」という。)もうどん屋iのけんかとみられる男女のいさかいがあったと認めており(控訴審弁15)、検察官も、本件殺人事件発生日とさほど遠くない日の午後9時頃から午後11時頃までの間に、JとLがうどん屋iのけんかを目撃したとの限度では争わない(控訴審弁論要旨43頁)。 このほか、Jらの上記供述を覆すに足りる証拠もないことからすれば、日にちは特定できないものの、本件殺人事件と同時期に、JとLがうど ん屋iのけんかを目撃し、それに続いてKからJへと覚醒剤譲渡の事実があったことが認められる。 ⑵ Jがうどん屋iのけんかについて供述を始めた経緯確定審においてうどん屋iのけんかが3月19日の出来事であるかどうかが争われたきっかけは、上記で認定したとおり、Jが原審における検察側証人として証言した後である昭和63年9月5日、弁護人と面接した際、Jの側から自ら話したことにある。このような供述経緯や、弁護人はJから聞くまでうどん屋iのけんか話を知らなかったことからすれば、Jは、弁護人から誘導を受けることなく、自らの記憶として、警察による聴取の当初は3月19日にうどん屋iのけんかを 供述経緯や、弁護人はJから聞くまでうどん屋iのけんか話を知らなかったことからすれば、Jは、弁護人から誘導を受けることなく、自らの記憶として、警察による聴取の当初は3月19日にうどん屋iのけんかを見た後で検問を受けたと思っていた旨を述べたことが認められる。 Jの弁護人に対する説明内容をみると、うどん屋iで食事をしてから、Kとの覚醒剤の受渡しを挟み、m橋で本件殺人事件に係る検問を受けるまでの出来事について、覚醒剤を持っていたので検問を受けて動揺したという当時の心情を交えながら、つながりを持った一連のものであること、すなわち、同じ夜の出来事であることを無理なく説明するものであって、特段不自然なところはない。 Jは、既に検察側証人として証言を終えていたから、Jが弁護人にあえてうそをついて記憶にもない事柄を述べる理由は見当たらない。Jには聴取者に迎合的姿勢がうかがえるものの、弁護人は当時うどん屋iのけんかについては全く知らず、Jの供述内容からしてもこの時点では弁護人に迎合したものでもない。 こうした供述経緯、内容等に照らせば、Jにおいて、取調べを受けた当初、3月19日はうどん屋iのけんかを見た後、その夜に本件殺人事件に係る検問を受けた記憶を有していたことは否定できない。 ⑶ 警察がうどん屋iのけんかについて裏付け捜査を実施したこと P6警察官は、昭和63年11月17日実施の原審における証人尋問において、印象が薄いとはしながらも、うどん屋iにおける口論等の有無や、その日にちを特定するために聞き込みをした結果、口論等の事実はあったが日にちは特定できなかった記憶がある、報告書くらいはあるのではないか、などと供述し、うどん屋iのけんかについて裏付け捜査を行ったことを認めていた(1審20回P6)。 果、口論等の事実はあったが日にちは特定できなかった記憶がある、報告書くらいはあるのではないか、などと供述し、うどん屋iのけんかについて裏付け捜査を行ったことを認めていた(1審20回P6)。 また、うどん屋iの元店長は、同年9月の段階で、弁護人からの聴取に対し、要旨、「実はうどん屋iに勤めていた頃に警察からも同じことを聞かれた。自分が店の2階事務所にいると、けんかをしているというので下に行ったが既に誰もいなくなっていた。アルバイトからの報告では男の人が女の人に椅子をぶつけて出て行ったと聞いており、けんかがあったことは間違いない。警察からもその日にちを聞かれ、日報やレシートを広げてみたが、3月19日なのか、日にちははっきり言えなかった。警察が来たのは多分昭和62年の夏くらいじゃないかと思う。」と述べて、警察による裏付け捜査の存在を認めていた(供述録音テープ反訳書・控訴審弁15)。元店長には本件殺人事件、被告人やJらとの利害関係は認められず、けんかの内容や、けんかの日にちの特定を試みたとする供述の具体性に照らすと、警察からの聴取を受けた時期についてはともかくも、裏付け捜査の存在をいう元店長の供述の信用性に疑いはない。 このように、警察がうどん屋iのけんかについて裏付け捜査を行っているのは、Jが事件当夜にうどん屋iのけんかを見たと述べたために、その真偽を確かめる必要が生じたためであると説明することができる。 ⑷ まとめ(第二次供述の信用性は否定できないこと)以上でみたJが当初の記憶を話すに至った経緯及び説明内容、うどん屋iのけんかに関する裏付け捜査の存在等に照らせば、Jにおいて、取 調べの初期段階で、事件当夜はうどん屋iのけんかを見た後に、本件殺人事件に係る検問を受けた記憶があって、警察官に対しその どん屋iのけんかに関する裏付け捜査の存在等に照らせば、Jにおいて、取 調べの初期段階で、事件当夜はうどん屋iのけんかを見た後に、本件殺人事件に係る検問を受けた記憶があって、警察官に対しその旨の供述をしていた可能性があるといえる。 ⑸ 検察官の主張の検討これに対し、検察官は、➀第二次供述は内容が不自然、不合理で矛盾がある、➁そのような内容になったのは弁護人の不当な事前テストが影響している、➂警察官は捜査段階ではうどん屋iのけんかについて裏付け捜査はしておらず、➃J、➄Lは取調べの初期段階ではうどん屋iのけんかについて供述はしていない、➅Lから口裏合わせを求められ、警察には事件当夜に一緒にいたとの虚偽の供述をしたとのMの控訴審証言は信用できないと主張する。 ア ➀供述内容の不自然、不合理をいう主張について検察官は、第二次供述の内容について、同供述によれば、Jは、Kから覚醒剤を譲り受けて所持していたところ、そもそも覚醒剤を所持した状態で、さしたる理由もなく市内を徘徊していたということ自体が不自然であるとか、m橋で検問や車の検索を受け、更に本件殺人事件の発生を聞かされたのであれば、他の場所での検問も当然予想できたのに、意味もなく走り回っていたのは不自然・不合理であり、むしろ、被告人の胸付近に大量の血が付いているのを見たことから、被告人が犯人ではないかと考えて現場の状況を見に行ったと考えるのが合理的であると主張している。 しかし、覚醒剤等の薬物を所持しつつ、市中を出歩く場合があることも往々にしてみられるのであり、しかも、Jは、知人女性方を訪れるつもりでm橋方面に向かっていたとも供述しているのであって(1審8回J42丁、同36回J65丁)、m橋で検問に遭う前から、覚醒剤を所持した状態で市内 られるのであり、しかも、Jは、知人女性方を訪れるつもりでm橋方面に向かっていたとも供述しているのであって(1審8回J42丁、同36回J65丁)、m橋で検問に遭う前から、覚醒剤を所持した状態で市内を徘徊していたことについての不自然性を いう主張は失当である。また、Jは、第二次供述において、Kから譲り受けた覚醒剤は、一辺が1センチメートルより大きいくらいの正方形のビニール様の袋に入っており、これをマークⅡの後部シート下に隠していたと説明している(1審35回J9丁、同36回J17丁)。 このような覚醒剤の隠匿状況にも照らすと、原判決が指摘するとおり、m橋の検問では車内の覚醒剤が発見されなかったため、JとLが覚醒剤を発見されるかもしれないことについてさほど危惧感を抱かずに、興味本位で殺人現場を探しに行こうとしたとの見方も十分に成り立ち得るところであって、必ずしも不自然・不合理と断ぜられるものではない。Jは、控訴審供述において、第二次供述から供述を変更した根拠を問われると、Kから覚醒剤をもらったのに、うろちょろはしなかったと思うと繰り返し述べているが(控訴審6回J26、42丁、同7回J41丁)、これは、正しく確定審検察官が論告や控訴趣意書においてJの第二次供述の不自然性・不合理性として主張していた内容であり、Jの控訴審供述は訴追側の主張を後追いするものともいえるから、かえってJが控訴審供述に先立ち、記憶喚起をする過程で訴追側から第二次供述の疑問点を示されて迎合したとみても矛盾はない(Jの控訴審供述について、P1警察官からの誘導等があった可能性については後述する。)。 イ ➁弁護人による事前テストの影響をいう主張について検察官は、Jが第二次供述に転じたのは弁護人の事前テストが大きく影響しているとし、特に平成元年4月1 については後述する。)。 イ ➁弁護人による事前テストの影響をいう主張について検察官は、Jが第二次供述に転じたのは弁護人の事前テストが大きく影響しているとし、特に平成元年4月16日実施分については、Lが同席していることや、弁護人がJに対し、被告人の胸に血が付いているのを見たのは3月19日夜半過ぎ頃のことではなく、同日夜はうどん屋iのけんかを目撃しているはずであると教示し、あるいはうどん屋iのけんかがあったのは3月19日のことであるとのNの供述内 容を持ち出すなどしてJの記憶を喚起させようとしたことを問題視している。 しかし、Jは、昭和63年9月5日に弁護人と面接した際、自発的に取調べの初期段階の記憶について説明したものであり、この段階では弁護人の誘導や関係者の同席はないから、Jの上記記憶は弁護側により汚染されたものではない。確かに、Jは、同日の弁護人との面接の段階においては、警察の当初の聴取のときは、うどん屋iのけんかの後に本件殺人事件発生に伴う検問を受けた記憶であったとして、うどん屋iのけんかを見た日に検問を受けたとまでは述べていなかったのに、第二次供述においては、その旨述べるに至っているから、その点では、平成元年4月16日における弁護側事前テストが影響した可能性はあるかもしれない。しかし、少なくとも、Jにおいて、取調べの当初、事件当夜はうどん屋iのけんかを見た後に、本件殺人事件に係る検問を受けたという記憶を有していたことは否定できないところ、このような記憶があること自体が、同事実がJの事件当夜に実際に体験した出来事であった可能性を示すものであって、第二次供述の信用性のよりどころである。弁護側の事前テストは、第二次供述の信用性の根幹を揺るがすようなものとは評価できない。 さらに 際に体験した出来事であった可能性を示すものであって、第二次供述の信用性のよりどころである。弁護側の事前テストは、第二次供述の信用性の根幹を揺るがすようなものとは評価できない。 さらに、事前テストの影響をいう主張は、次の理由からも採用できない。検察官は、Jは、被告人の胸の付近に多量の血が付いているのを目撃し、本件殺人事件の犯人は被告人ではないかと考えるなどしたところ、検問を受けた後、犯人と自分も関わりを持ったという意識があったため、犯人と同じような心理状態となり、「犯人は現場に立ち戻る」といわれるように、怖いもの見たさもあって、現場の状況を見に行ったと主張する一方で、Jが第二次供述に至った理由について、JやLは、うどん屋iのけんかの日にちの記憶が不確かであったのに、 弁護人の事前テストの際、うどん屋iのけんかは3月19日であるというNの供述を聞いたため、これがうどん屋iのけんかは3月19日に間違いないとの誤った記憶を形成する契機となったと主張する。 しかし、検察官が主張するとおり、Jが検問を受けて本件殺人事件の発生を知り、直前まで一緒にいた顔見知りの被告人が多量の血を付けていたことと関連付け、被告人を犯人と疑い、わざわざ現場を見に行ったのであれば、いかにJらの周辺でけんかなどが日常茶飯事だったとしても、殺人事件ともなれば、それこそ相当に衝撃的かつ印象的な出来事であったはずであり、本件殺人事件があった日の記憶としてより鮮明に残っていてしかるべきである。そうであれば、Jにおいて、時間の経過や、関わり合いになりたくないという意識から、細部についての記憶が減退した可能性はあり得ても、被告人に多量の血の付着を見たことと、その後に本件殺人事件による検問を受けたこと自体については、両者を関連付けて記憶に強く残ってい いという意識から、細部についての記憶が減退した可能性はあり得ても、被告人に多量の血の付着を見たことと、その後に本件殺人事件による検問を受けたこと自体については、両者を関連付けて記憶に強く残っていてしかるべきである。 それにもかかわらず、Jが本件殺人事件による検問を受けた夜にうどん屋iのけんかを目撃したとの記憶を有していたり、弁護人の事前テストの影響により簡単に別の日の出来事の記憶(うどん屋iのけんかの目撃)とたやすく置き換えられたりするとはおよそ考え難く、検察官の主張は、記憶の形成や喚起に関する経験則等に照らし、合理的な説明とは言い難い。 ウ ➂うどん屋iのけんかの裏付け捜査に関する主張について検察官は、警察の捜査段階において、うどん屋iのけんかについて裏付け捜査を実施したことはなく、公判に至って、弁護人らがP6警察官の証人尋問でうどん屋iのけんかについて質問したことから、弁護人からJへの働きかけを察知し、Jらに対する事情聴取に加えて、警察にうどん屋iのけんかについての裏付け捜査を指揮して実施した 旨主張する。 しかし、弁護人による反証の結果によれば、P6警察官の証人尋問(昭和63年10月20日及び同年11月17日実施)に先立つ同年9月の時点で、既にうどん屋iの元店長において警察による裏付け捜査の存在を認めていたことが認められるから(控訴審弁15)、検察官の主張は事実に反する。 もっとも、元店長の供述によれば、裏付け捜査を受けたのは昭和62年夏頃とのことであるから、これを前提とすればJの聴取当初(昭和61年12月。再弁88)とは時期が整合しないようにも思われる。 しかし、元店長が事情聴取を受けた時期の点を間違えて記憶していた可能性は否定できないし、被告人の起訴(昭和62年7月13日)に 初(昭和61年12月。再弁88)とは時期が整合しないようにも思われる。 しかし、元店長が事情聴取を受けた時期の点を間違えて記憶していた可能性は否定できないし、被告人の起訴(昭和62年7月13日)に当たり、本件スカイライン内の血痕が被害者のものではないと分かり、証拠の洗い直しを迫られるなどして、Jの当初の供述を含む主要関係者供述についての補充捜査が行われたとみることも可能ではあり、元店長からの聴取の時期の問題はJの第二次供述と必ずしも矛盾するものではないともいえる。 いずれにせよ、本来、裏付け捜査の時期、理由等については、捜査状況を把握する立場にある検察官において説明すべき性質の事柄であるところ、検察官は、当審に至っても、うどん屋iの元店長に対する事情聴取をするに至った契機はNやK等、J以外の者の供述であった可能性があるなどというのみであり、Jの供述を契機に警察がうどん屋iのけんかの裏付け捜査を行った可能性を否定する主張すらできていない。少なくとも弁護人らが認識する以前から、検察官が把握していたかはともかくも、警察がうどん屋iのけんかの存在を認識し、裏付け捜査により日にちの特定を試みていることが認められる以上は、本件殺人事件に関する捜査のいずれかの段階で、うどん屋iのけんか に関与した者(J、L、K及びN)から、うどん屋iのけんかは3月19日の出来事である旨の供述があったとみるほかなく、それがJやLの初期段階の供述であったことを否定することはできない。 エ ➃Jの初期供述に関する主張について検察官は、Jの初期段階の供述について、P2警察官作成の取調べに関する捜査報告書(再弁88・以下「P2捜査報告書」という。)の記載を根拠に、Jは昭和61年12月25日時点で事件当夜の被告人との関与を否定する供述 初期段階の供述について、P2警察官作成の取調べに関する捜査報告書(再弁88・以下「P2捜査報告書」という。)の記載を根拠に、Jは昭和61年12月25日時点で事件当夜の被告人との関与を否定する供述をしていたものの、3月19日にうどん屋iのけんかを目撃したとは述べていない、第一次供述は、社会の耳目を集めていた本件殺人事件について自分が関与し、犯人を逃がそうとしたという内容であるから、そのような犯罪となりかねない事実を隠したいと考えるのは当然であって、これを否定していたからといって、第一次供述の信用性は損なわれない、P2捜査報告書に記載されたJの供述は、第二次供述と全く異なる内容であるところ、Jが第二次供述で述べるとおり、捜査段階の聴取当初からうどん屋iのけんかについて供述していたのであれば、P2捜査報告書のような報告書が作成されるとはおよそ考えられないと主張する。 そこで検討すると、Jは、本件殺人事件については、最初にP2警察官の聴取を受けたと供述しており、P2捜査報告書は同聴取について記載したものと認められる。同報告書によれば、Jは、昭和61年12月25日、P2警察官の事情聴取に対し、「3月19日はLと一緒に勤務先の寮にいて、Lは午後7時頃、彼女(M)の家に出かけて、Jは寮に一人でいた。Lが午後11時頃に帰ってきてしばらくした後、LとマークⅡで出かけた際、m橋で検問を受け、本件殺人事件のことを聞き、その後、n陸橋で2度職務質問を受けた。」と述べたとされており、確かに、うどん屋iのけんかについては供述した様子がない。 しかし、Jは、P2警察官からの事情聴取について、暴力係の警察官(P2警察官)から、当時所属していた暴力団事務所に連絡があり、自分に事情聴取をしようとしていることを知ったが、何に関する聴取 しかし、Jは、P2警察官からの事情聴取について、暴力係の警察官(P2警察官)から、当時所属していた暴力団事務所に連絡があり、自分に事情聴取をしようとしていることを知ったが、何に関する聴取かは分からず、覚醒剤に関する聴取を想定し、上の者の指示で覚醒剤が切れるのを待って2週間くらい後に警察官と会った、警察官は殺人事件のことだとは言わず、自分の3月19日の行動を聞きたいとのことだったので、当時の覚醒剤事件のことかと思っていた、警察官は聴取が終わる頃に殺人事件のことを言ったので、軽く聞いており、それ以降にP1警察官の取調べを受けることになったと説明している(第二次供述、控訴審供述)。 P2捜査報告書によれば、Jへの事情聴取は、アパートeに出入りをしていた者らに対する捜査の一環として行われており、その聴取は、同所のF方への出入り、Jの交友関係、本件事件当日のアリバイ、最後に被害者との面識の順で行われていることが認められる。Fは、Bの覚醒剤仲間であり、アパートeはJを含むBの覚醒剤仲間のたまり場となっていたから(1審検213、284、1審7回F)、交友関係の点を含め、Jが覚醒剤事犯に関する事情聴取と解しても無理はなく、被害者との面識等を聴かれた段階で本件殺人事件に関する聴取だと分かったとしても不思議ではない。Jは、覚醒剤事犯の検挙を警戒していた様子があるから(Jは、平成元年4月の弁護人の事前テストの段階に至っても、うどん屋iのけんかを目撃した日に行ったKからの覚醒剤譲受けについて検挙されないか心配していた。控訴審弁16)、P2警察官からの事情聴取の際、前述したとおり、3月19日にうどん屋iのけんかを目撃した記憶を有していたため、Kとの覚醒剤取引が頭に浮かび、これが露見しないよう、Lと外出して検問に遭うまで一人でいたと答 察官からの事情聴取の際、前述したとおり、3月19日にうどん屋iのけんかを目撃した記憶を有していたため、Kとの覚醒剤取引が頭に浮かび、これが露見しないよう、Lと外出して検問に遭うまで一人でいたと答えて、覚醒剤事犯に関する捜査をやり過ごそう としたとみても不合理ではない。そのような中、事情聴取の最後辺りになって、やっと自分に対する覚醒剤事犯ではなく、本件殺人事件に関する聴取であると分かったことから、その次に行われることとなったP1警察官からの事情聴取の段階からうどん屋iのけんかの話を始めたと解することもできる。P2警察官による聴取(昭和61年12月25日)から弁護人への説明(昭和63年9月5日)まで1年8か月程度経過しているし、JがP2警察官の聴取段階から3月19日の出来事としてうどん屋iのけんかの記憶があったことから、同警察官からの聴取段階から既にうどん屋iのけんかについて説明していたとの思い違いをしても無理はない。これに加え、Jにおいて、P2警察官の聴取の後、昭和62年1月26日頃には第一次供述に沿う供述をしていたようであるとはいえ(1審検159)、この1か月間のJの供述経過や内容を明らかにする当時の捜査報告書等は見当たらないことや、少なくとも検察官主張の時期よりも早い段階からうどん屋iのけんかに関する裏付け捜査がされていることに照らせば、Jが取調べの当初にうどん屋iのけんかについて説明していた可能性はなおも残るというべきである。 オ ➄L供述に関する主張について検察官は、Lの取調べに関する捜査報告書(再弁89)によれば、P1警察官らが昭和62年1月13日にLを取り調べた際にもうどん屋iのけんかに関する話題は出ていないから、Jがこの頃に第二次供述同様又はこれに沿う供述をしていたことはうかがわれないと主張 によれば、P1警察官らが昭和62年1月13日にLを取り調べた際にもうどん屋iのけんかに関する話題は出ていないから、Jがこの頃に第二次供述同様又はこれに沿う供述をしていたことはうかがわれないと主張する。 まず、Lの供述をみると、その捜査段階供述は、事件当夜は仕事後にJを車でK方に送った後、M方で寝ていたところ、Jから電話で迎えを頼まれてk家具店近くで合流し、その後、m橋で検問に遭ったと いうものであり(検察官調書・1審検279、警察官調書・再弁128)、対する原審証言は、3月19日はうどん屋iのけんかを見た後に検問に遭ったが、P1警察官らからJやNもうどん屋iのけんかのあった日は違う日だと言っていると言われて記憶に自信がなくなり、Jの第一次供述に沿う供述調書の作成に応じた、というものである(1審28回L)。 Lの原審証言は、Kの原審証言やJの第二次供述に沿う内容であり、J供述の検討によれば、Lも捜査段階において、警察官から、JをK方に送った日と、Jと検問に遭った日(日付が変わった3月20日)の同一性について誘導、示唆を受けてこれに迎合した疑いがある。よって、Lの捜査段階供述についても、検問の事実により裏付けられているとは即断できない。 確かに、検察官指摘のとおり、Lは、最初の事情聴取とみられる昭和62年1月13日には、事件当夜にJをK方に送った点は供述していないとはいえ、M方で過ごしていた際にJから呼び出されたとする点では捜査段階の供述調書と同旨の説明をしており、この時点でうどん屋iのけんかについて説明をしておらず(再弁89)、Mも、同日、Lの上記供述に沿う説明をしている(同90)。しかし、Jらが事件当夜にうどん屋iのけんかを目撃していれば、Lは、JとKの覚醒剤譲渡にも同席していることに て説明をしておらず(再弁89)、Mも、同日、Lの上記供述に沿う説明をしている(同90)。しかし、Jらが事件当夜にうどん屋iのけんかを目撃していれば、Lは、JとKの覚醒剤譲渡にも同席していることになるから、覚醒剤事犯が露見しないよう、うどん屋iのけんかについては述べずに、Mと一緒にいたとうその説明をし、捜査段階供述ではこれを維持したと説明することも可能である。 カ ➅Mの控訴審供述の信用性についてMも、控訴審において、本当はLが検問に遭った夜にはLと一緒にいなかったが、Lに口裏合わせを頼まれたため、警察には事件当夜に Lと一緒にいたとのうその説明をして、真実に反する内容の警察官調書(控訴審検31)を作成したと証言する(控訴審9回M)。 その証言要旨は、LにマークⅡを貸していたが、警察から、LがマークⅡに乗っていた際に検問に捕まった件について聴取を求められたので、Lに連絡すると、「警察に行くなら、自分(L)がやばいので、うそをついてほしいって言われたんです。」、「検問に捕まったときに、J君が覚醒剤か何かを持ってたので、それがばれるとやばいんで、うそをついてくれと言われました。」、「私とL君が一緒にいたことにしてくれって言われた。」、「警察では、L君と私が一緒にいて、夜、J君から迎えに来てくれという電話があったということで、言っています。」というものである。 同証言によれば、Lは、Jが事件当夜の検問時に所持していた覚醒剤について、自分に累が及ぶことを恐れてMに口裏合わせを依頼したことになり、JとKの覚醒剤譲渡に同席した事実が露見しないように、Jに呼び出されるまではM方にいたことにして、Jとは一緒にいなかったことにしてほしいという趣旨の依頼であったと解しても矛盾はない。そうであれば、Lも、 の覚醒剤譲渡に同席した事実が露見しないように、Jに呼び出されるまではM方にいたことにして、Jとは一緒にいなかったことにしてほしいという趣旨の依頼であったと解しても矛盾はない。そうであれば、Lも、本件に関する最初の聴取の際は、事件当夜はうどん屋iのけんかを目撃していた記憶であったが、覚醒剤事犯が露見しないよう、P1警察官らにその旨を明かさず、Mと口裏合わせをし、M共々、事件当夜にJに呼び出される前は二人が一緒にいたとの虚偽の供述をしたとの説明が可能である。 被告人、BやJら主要関係者が、暴走族、暴力団や、覚醒剤、シンナーなどの薬物を通じた交友関係にあったのに対し、Mにはこのような関係性は何ら見当たらず、被告人とは面識があったことすらうかがえない。Mは、Jと直接の交友はなく、親しくはないし(Jの警察官調書・1審検289)、また、Lによれば、MとLは遅くとも平成元 年4月時点では既に交際しておらず(控訴審弁16。なお、Mは昭和61年か昭和62年頃には交際を解消したとしている。再弁138)、Mは、平成2年には、別の男性と結婚している。M自身は、本件殺人事件はもちろん、うどん屋iのけんかやそれに付随する覚醒剤取引とも関係がないから、平成6年7月の控訴審証言時にもなって、わざわざ警察にうそを付いたとの自分に不利益ともなりかねない虚偽証言をする理由が見当たらない。M証言は、口裏合わせは誰を守るためのものかという点について動揺する場面もみられるものの、MにおいてLと口裏を合わせて警察にうそを言ったこと自体はよく覚えていても、口裏合わせ(昭和62年1月頃)から証言時まで実に7年以上が経過しているから、覚醒剤事犯の当事者でもないMが、誰をかばうものであるかなどの口裏合わせの詳細を説明できずともおかしくはない。 M証言の (昭和62年1月頃)から証言時まで実に7年以上が経過しているから、覚醒剤事犯の当事者でもないMが、誰をかばうものであるかなどの口裏合わせの詳細を説明できずともおかしくはない。 M証言のうち、Lとの口裏合わせをいう部分の信用性は否定できず、同証言によれば、LやMの捜査段階供述は、最初にP1警察官らに説明した部分も含めて、信用性を肯定し難いことになる。 キ J、Lの供述についての補足うどん屋iのけんかを目撃したというエピソードには、Kとの覚醒剤取引の事実が含まれるので、Jはもちろん、Lについても、覚醒剤事犯による検挙等を回避するため、警察にうその説明を行ったり、うどん屋iのけんかのエピソードを隠したりする動機もあるため、JやLの供述の信用性評価は複雑なものとなっており、JやLが当初からうどん屋iのけんかについて説明をしていなくても、それがJの第二次供述やLの原審証言の信用性を必ずしも否定することにはならない。 なお、検察官が主張するとおり、LがP1警察官らから最初に聴取を受けた際の供述には、Lは事件当夜にJを迎えにいった後、Jから女の部屋でBら5人くらいが覚醒剤をしていたと聞いた旨のJの控訴 審供述に沿う供述が含まれている(再弁89)。 しかし、前記のとおり、Lの捜査段階供述は、主要な部分で信用性を否定できないM証言に反していて、Lの上記供述部分もまた信用性に疑問を容れる余地がある。加えて、Lの捜査段階供述に関する捜査報告書に記載があるからといって、公判廷等においてその真偽が吟味されたわけではなく、直ちにその記載内容に信ぴょう性があることにはならず、証拠価値としては限度がある。しかも、この事情聴取(昭和62年1月13日)の頃には、1月14日付けB上申書が作成され、Bの捜査段階供 けではなく、直ちにその記載内容に信ぴょう性があることにはならず、証拠価値としては限度がある。しかも、この事情聴取(昭和62年1月13日)の頃には、1月14日付けB上申書が作成され、Bの捜査段階供述が大筋で固まり、Bは被告人やJらとF方に行ったと供述していた。そのため、P1警察官らがこのB供述を前提に、LにJからそれらしき会話がなかったかを確認するなどし、覚醒剤事犯を隠したいLが安易に迎合した可能性も否定できない。現に、捜査報告書(再弁89)によれば、P1警察官らはLにJから血の付着云々についても聞いていないかを確認しており、B供述を前提に聴取を行ったことがうかがわれる。また、Bらの供述によると、事件当夜、BらがF方で覚醒剤を使用したのは、JがF方を退出した後、Bが覚醒剤取引を終えて再びF方に戻ってからとされているから、Lの上記供述はBらの供述や、Jの第一次供述と必ずしも整合しない。F方は、B周辺の覚醒剤仲間のたまり場となり、Jも出入りをしていたから、Lが語るエピソードは他の日のものとしても矛盾はない。Lの警察官調書ではJから聞いた話の内容は曖昧となっているし(再弁128)、前述したとおり、LにはMとの口裏合わせの問題もあるから、検察官指摘の記載があるからといって、Lの捜査段階供述について信用性を肯定することはできず、これによりJの第二次供述の信用性が否定されることにもならない。 ク小括(検察官の主張は採用できない) 以上でみたところによれば、検察官の主張は採用できず、Jの第二次供述の信用性を軽々に否定することはできない。 6 第一次供述のその他の問題点(第一次供述は信用できないこと)Jの第一次供述には、以上で指摘したもの以外にも次の問題がある。 ⑴ 事件当夜に使用した車両に関する供述について できない。 6 第一次供述のその他の問題点(第一次供述は信用できないこと)Jの第一次供述には、以上で指摘したもの以外にも次の問題がある。 ⑴ 事件当夜に使用した車両に関する供述についてア Jの供述内容及び原判決の内容事件当夜の出来事を説明するJの警察官調書(1審検290)には、白色スカイラインに乗った際、友人の車と同じ最新型のパイオニア製カーステレオが搭載されており、U字型の明かりがぐるぐる回っているのを目撃したとし、押収されていた本件スカイラインにも同じカーステレオが装着されているのを根拠に、同車を事件当夜に運転した車両であると特定したことが具体的に記載されている。 ところが、その後の捜査で、事件当夜の段階では本件スカイラインにはまだパイオニア製のカーステレオが取り付けられていなかったことが明らかになると、Jは供述を変更し、友人らの車に同じカーステレオが取り付けられており、自分もこれらの車に乗ったり運転したりしたことがあったので、運転席付近のイメージとして見慣れていたことから、取調べの際に事件当夜に乗った白いスカイラインの特徴を思い出したところ、同じカーステレオが取り付けられていたように錯覚したと供述した(1審検292)。 原判決は、Jの供述変更に合理性はなく、Jは具体的、明確な記憶がないのに、本件スカイラインを見せられ、取調官に迎合して安易に供述したものと考えるのが相当であるとし、これを供述内容の不自然、不合理な点の一つに挙げている。 イ原判決の相当性これに対し、検察官は、この種の機器に熟知ないし強い興味、関心 を抱いている者ならともかく、一般通常人からすればカーステレオについての記憶が明確でないのは当然であるし、当時友人らの車に装着されていた最 、検察官は、この種の機器に熟知ないし強い興味、関心 を抱いている者ならともかく、一般通常人からすればカーステレオについての記憶が明確でないのは当然であるし、当時友人らの車に装着されていた最新型カーステレオの印象が残っていたため、本件スカイラインの現物を見せられた際に、同車に装着されていたカーステレオが本件当時も装着されていたと勘違いしたのは何ら不自然、不合理ではないとして、原判断を論難する。 しかし、変更前の供述は、自らの実体験として、事件当夜に白色スカイラインに乗った際、パイオニア製の最新型カーステレオが取り付けられ、これが回っていたのを見て、友人の車のカーステレオと同じだと思ったとの感想を抱いたことを述べるものであり、事件当夜にそのような経験をしたり感想を抱いたりしたとの勘違いは考え難い。 Jは、第二次供述において、警察で本件スカイラインを見たときに、パイオニア製のカーステレオを見て、これ知っている、友達と一緒のカーステレオだと言ったことから、事件当夜、白色スカイラインの車内でパイオニア製のカーステレオを見たとする調書が作成されたのだと思うと供述していた(1審36回J26丁)。また、Jは、控訴審においても、事件当夜に乗った車について、カーステレオといった機械類のことは記憶になかったとした上で、警察官から本件スカイラインについて当時お前が無免許で運転していた車やと言われたし、白いスカイラインだったので間違いないなと思ったと述べ(控訴審7回J36丁)、警察官からの誘導をうかがわせる証言をしている。 本件スカイラインに目立った特徴はなかったところ、パイオニア製の最新型のカーステレオが搭載されていたとなれば、事件当夜に使用された車との同一性を支える根拠となる。そのため、P1警察官らにおいて、J 本件スカイラインに目立った特徴はなかったところ、パイオニア製の最新型のカーステレオが搭載されていたとなれば、事件当夜に使用された車との同一性を支える根拠となる。そのため、P1警察官らにおいて、Jに対し、事件当夜運転していた車両であるとして本件スカイラインを見せ、Jが友人のカーステレオと同じであると述べたのを 利用して、Jが事件当夜に白色スカイラインを運転した際の感想にすり替え、本件スカイラインにパイオニア製のカーステレオが搭載されていたのを見たとのあり得ない実体験を述べる供述調書を作出した可能性があり、同旨の原判断に誤りはない。 検察官の主張において、本件スカイラインは、被告人らが事件当夜に使用した車両として犯行用具に準ずる重要性を有するところ、その同一性についても、警察による供述誘導の存在や、Jの被誘導性の強さが示されており、この点にもJの第一次供述のもろさが表れている。 ⑵ Jの第一次供述は曖昧で、具体性に乏しく、警察の誘導等に迎合する動機もあることJの第一次供述は、事件当夜の行動経過について、検察官の主張に沿う概要を述べるものではあるが、検察官の主尋問に対しても覚えていないとの供述が目立ち、曖昧で具体性に乏しい。Jは、P2警察官による聴取から約1か月後になって第一次供述を始めているが、その際、約1年前の出来事なので、はっきり言えない部分もあるが、一生懸命思い出してみるとし(昭和62年1月27日付け警察官調書・1審検288)、第一次証言では警察でも大分考えて思い出したとして、警察や検察で言ったことを覚えていないと証言している上(1審8回J36丁)、控訴審でも記憶が混乱していたのを冷静に思い起こして控訴審供述に至った旨証言している(控訴審6回J42丁)。このようなJの供述状況や供述内容等からすれ ていないと証言している上(1審8回J36丁)、控訴審でも記憶が混乱していたのを冷静に思い起こして控訴審供述に至った旨証言している(控訴審6回J42丁)。このようなJの供述状況や供述内容等からすれば、Jは第一次供述において事件当夜に実際に体験した出来事を思い出して説明したのか疑問を覚える。 このような見方に対しては、Jが本件殺人事件発生に伴う検問を受けて被告人を殺人犯と疑ったことを前提に、Jが犯人蔵匿に問われる可能性を考えたとか、あるいは、J、被告人共にb会に出入りのある暴力団関係者であったため、Jが被告人を警察に売るような供述を渋ったため であるとか、更には供述までの時間経過や関わり合いになりたくないという意識から記憶の減退もあったとも解釈できそうである。 しかし、既に検討したとおり、Jが事件当夜に検問を受けて被告人を殺人犯だと疑ったという印象的な出来事を経験したのであれば、やはり事件当夜にうどん屋iのけんかを目撃したとの記憶があることを説明し難いし、既に検察側証人として証言しておきながら、弁護人からの接触があったにせよ、弁護側証人として出廷し再度証言するに至ったこと(第二次供述)についても不自然さが残る。Jは、控訴審供述における検察官の主尋問に対してすら、取調べを受けている過程においても3月19日にはうどん屋iのけんかを目撃したとの気持ちのあったことは否定せず(控訴審6回J32丁)、その後もうどん屋iのけんかがいつの日だったのか知りたいという気持ちを持っていたと供述しており、このような供述からは、J自身、3月19日にうどん屋iのけんかを目撃したのではないかとの疑問を拭えない様子がみて取れる。第一次供述の具体性の乏しさ、曖昧さや、Jにうどん屋iのけんかの目撃の記憶があることからすると、Jが事件当夜に第一次 日にうどん屋iのけんかを目撃したのではないかとの疑問を拭えない様子がみて取れる。第一次供述の具体性の乏しさ、曖昧さや、Jにうどん屋iのけんかの目撃の記憶があることからすると、Jが事件当夜に第一次供述にいう出来事を本当に体験しているのか相当に疑わしい。 Jは、もともと面識のあったBと本件頃から親しく付き合い、その後、無職になったこともあって昭和61年5月初め頃まではBと行動を共にするようになり、ゲーム喫茶dや、F方にも複数回出入りをしていたほか、後輩であるLに自分の送迎をさせ(1審検288ないし290、293)、第一次供述と部分的に類似する経験をしていた。これに加え、JがP1警察官の誘導等をきっかけに第一次供述を始めていることや、本件スカイラインに装備されたとされるカーステレオに関する供述経緯等も踏まえて考えると、Jは、事件当夜に経験していない出来事でも、容易に誘導等に迎合し、実際に体験したかのような供述をする姿勢が顕 著であり、Jは、取調べを受ける過程で、先行するBの供述を前提とした追及を受けるうち、警察の誘導等に乗り、事件当夜とは別の日に経験した類似の出来事(被告人の当時の生活状況等に照らし、他人とけんかをするなどして血痕を付けた状態で現れることが異常な事態でもなかったようにうかがわれる。)を、事件当夜の出来事として説明した疑いを否定できないというべきである。Jとしては、Kからの覚醒剤譲受けという弱みがあるため、警察からの誘導等に抗してまでうどん屋iのけんか話を強く主張することができず、また、次に述べるとおり、BからJが事件当夜に覚醒剤を使用したとの供述もされていたことから、同事件の刑責を問われることを恐れて警察に迎合的な態度を取った可能性は十分に考えられる。 検察官は、Jは第二次供述においても、事件 が事件当夜に覚醒剤を使用したとの供述もされていたことから、同事件の刑責を問われることを恐れて警察に迎合的な態度を取った可能性は十分に考えられる。 検察官は、Jは第二次供述においても、事件当夜ではないとしつつも、F方で被告人が衣服に血痕を付着させていた事実があると述べていたから、原判決のいうように第二次供述が信用できるのであれば、Jの血痕目撃供述自体の信用性は否定できないとも主張するが、上記検討に照らして採用することができない。 ⑶ JにはBに迎合する動機があり、Bとの対質の方法による取調べによる影響を受けた可能性のあることさらに、警察のJに対する取調べには、P1警察官による誘導等以外にも、次のような問題点がある。 Jは、第二次供述において、警察で取調べを受けているとき、JとBの各供述間に食い違いがあったため、P1警察官とBの担当警察官らの立会いの下、Bと取調室で同席し、Bと一緒に供述調書を作成したことがあると述べ、その食い違いはKとアパートcにBを迎えに行った際、JがBの部屋に入って覚醒剤を打ったか否かと、HがF方に入ったか否かの点であったと述べていた(1審36回J51丁)。BとJの供述経 過をみると、Bは、1月14日付けB上申書では、事件当夜、JとKがアパートcに迎えに来た際、部屋に入ったJに覚醒剤を打ってやったとし、Hは被告人がBらとゲーム喫茶dに合流する前に帰宅したと述べていた。ところが、Jが昭和62年1月28日付けの警察官調書(1審検290)でB方への立入りや覚醒剤使用を強く否定すると、Bは、翌29日付けの警察官調書(1審検209)でJの自宅への立入りや覚醒剤使用は別の日のことであったと供述を訂正するとともに、同じ供述調書でHもアパートeまで行ったが、HがF方に入ったかは分からないと 翌29日付けの警察官調書(1審検209)でJの自宅への立入りや覚醒剤使用は別の日のことであったと供述を訂正するとともに、同じ供述調書でHもアパートeまで行ったが、HがF方に入ったかは分からないとの供述をし、Jも同日付けの警察官調書(1審検291)でHがF方に入室したと供述している。 このような両者の供述経過や、警察が、J以外にも、勾留中のBをEとも面会させ、本件殺人事件に関する供述を求めさせていることからすれば、Bと面会して一緒に供述調書を作成したとのJの供述は信用することができる。 犯罪捜査規範は、共犯者の取調べは、なるべく各別に行って、通謀を防ぎ、かつ、みだりに供述の符合を図ることのないように注意しなければならず、対質尋問を行う場合には、特に慎重を期し、一方が他方の威圧を受けることなどがないよう、時期、方法を誤らないように注意しなければならないと規定している(同規範170条)。この規定は、同じ部屋での取調べや、特に対質尋問といった手法は、有形無形の通謀等を可能とし、供述の信用性に影響を与えかねないため、なるべく避けるべきことを規定したものであり、その趣旨は参考人の取調べについても妥当する。 Jの前記供述によれば、警察は、本件殺人事件の参考人となるJ及びBの供述が概ね共通することを前提に、食い違いのある部分について、両者を同席させて確認したようにみえる。 しかし、その際には、食い違い部分のみならず、前後の時系列や、関係する事項等にも言及する必要があるはずであるところ、本件ではBの供述が先行しているから、食い違いを確認する過程で、Bの供述内容がJに直接伝わることにもなりかねない。BとJは同い年ではあるが、Jは、本件殺人事件頃、所属していた福井県大野市内の暴力団から逃げ出し、B所属の しているから、食い違いを確認する過程で、Bの供述内容がJに直接伝わることにもなりかねない。BとJは同い年ではあるが、Jは、本件殺人事件頃、所属していた福井県大野市内の暴力団から逃げ出し、B所属のb会に入って預かりの身となり、Bの若衆としてその使い走りをする関係にあったから(1審検213、1審姫路B20丁、再弁219)、Jがこのような関係性のあったBに迎合するおそれは十分にある。上記食い違いの点について、Bは捜査段階ではJの主張に沿う形で供述を修正している部分はあるものの、Jは全体としてはB供述に沿う内容の供述調書の作成に至っている。Bとの同席により、Jの供述が誘導されたり、Jとしては不確かな記憶であった事柄が確かな記憶であるかのように強化されたりするおそれがあるから、同席での取調べにより、Jの供述がBの供述に引き付けられるなどした可能性も否定できない。 ⑷ Jの第一次供述は重要部分につき客観的裏付けに乏しいこと当審における事実取調べの結果によれば、第一次供述のうち、前足となるゲーム喫茶dに行くまでの経過については本件場面の放送という客観的な裏付けがなくなった。第一次供述に沿うB、H及びFの供述、K、Lの捜査段階供述はいずれも信用できない(H、F供述については後述する。)。関係証拠を再度検討しても、Jの第一次供述については、その供述属性や、誘導等の存在にかかわらず、なおその信用性を担保できるような客観的証拠や事情は認められない。 ⑸ まとめ(Jの第一次供述は信用できないこと)このように、Jの第一次供述については、具体性の乏しい曖昧な内容であり、P1警察官からの誘導等に加えて、Bとの同席による取調べが 影響した可能性も否定できず、確たる裏付けを欠く上、対立する第二次供述の信用性をあながち否定できない 具体性の乏しい曖昧な内容であり、P1警察官からの誘導等に加えて、Bとの同席による取調べが 影響した可能性も否定できず、確たる裏付けを欠く上、対立する第二次供述の信用性をあながち否定できないことも踏まえると、有罪認定に供し得るほど間違いなく信用することができる証拠とは評価できない。 7 Jが原判決後にP1警察官の働きかけを受け控訴審供述に転じた可能性のあること(控訴審供述も信用できないこと)なお、Jは、控訴審においておおむね第一次供述に沿う証言をしているが、当審における事実取調べの結果によれば、Jは原判決後にP1警察官から働きかけを受け、これに従い、控訴審供述に転じた可能性がある。 ⑴ 第三次供述の要旨Jは、第三次供述において、事件当夜の行動について、第二次供述同様の供述をした上で、第一次供述に至る経緯について、「事件当夜を含め、アパートeで被告人の衣服に血が付いているのを見たことはない。 警察官にも最初は記憶のとおりに話をしたが、福井警察署でBと二人きりで会ったとき、Bから『Aが事件起こした日は、おまえ神社、A迎えに行ってるんやでな。』、『おまえが迎えに行ってみんな連れてきてんでな。』と言われ、それ以降、Bの言ったとおりに供述した。最初の検察側証人のときも、自分の記憶に反して、Bが言ったとおりにうその証言をした。」と証言した。 続いて、控訴審供述に至る経過やP1警察官との関係、第三次供述に至る経緯について、「原判決後、控訴審で証言するまでの間に、大野警察署に覚醒剤の件で自首をした。最寄りの勝山警察署でなく大野警察署に自首をしたのは、マル暴のP5警察官を頼ったからである。警察の対応は忘れたが、その日はそのまま帰された。しばらくして連絡を受けて大野警察署に行くと、P1警察官がいた。P1警察官から なく大野警察署に自首をしたのは、マル暴のP5警察官を頼ったからである。警察の対応は忘れたが、その日はそのまま帰された。しばらくして連絡を受けて大野警察署に行くと、P1警察官がいた。P1警察官から、『証言何でひっくり返したんや。』と言われたので、『記憶にあるとおりしゃべったんや。』と答えた。P1警察官から『今度また証言してくれや。調書 どおり証言してくれや。』、『証言してくれたら覚醒剤見逃してやる。』などと言われ、見逃してもらえるのであればもう1回調書どおり証言しようかなと思って承諾した。調書(P1警察官作成の平成4年7月15日付け警察官調書・再弁125)は、P1警察官に取引を持ちかけられた後に作ったものだと思う。P1警察官からは、その後の警察署での打ち合わせの際や控訴審裁判所に向かう車中で、『もう弁護士とは二度と会うなよ。』、『(捜査段階の)調書のほうは間違いないんやで調書どおり言うてくれや。』などと言われた。車中では自分がその頃に結婚したことも話したかもしれない。控訴審でも、自分の記憶とは違うが、捜査段階の調書のとおりにBが話した内容を証言した。証言後、P1警察官と居酒屋やスナックで酒を飲み、おごってもらったり、P1警察官が家に結婚祝いの祝儀を持ってきたりした。裁判所に提出したのがその祝儀袋(再弁132、当裁判所令和6年押第1号符号1、以下「本件祝儀袋」という。)である。今回は弁護士から連絡をもらい、本当のことを言おうと思って証言した。」と証言している。 ⑵ 第三次供述の信用性ア警察官との闇取引をいう供述部分は信用できないこと弁護人らは、Jの第三次供述を挙げて、Jは、警察との間で、自己の記憶に反する捜査段階の供述調書どおりに証言する見返りに、自首した覚醒剤事犯を見逃してもらうとの闇取引に応じ、控 きないこと弁護人らは、Jの第三次供述を挙げて、Jは、警察との間で、自己の記憶に反する捜査段階の供述調書どおりに証言する見返りに、自首した覚醒剤事犯を見逃してもらうとの闇取引に応じ、控訴審でうその証言をした旨主張する。 しかし、P5警察官はJが自分のもとに自首してきたことはないと供述している(再検2)。Jの第三次供述を前提としても、自首に係る覚醒剤事犯について、使用か所持か(もしくはその双方)が曖昧であるし、Jは、当時福井県警察本部に勤務していたP1警察官(再検1)の下に自首したのではなく、本件殺人事件とは直接関係ない大野 警察署のP5警察官を頼って出頭したというのであるから、同警察官において、闇取引を前提としたもみ消しや工作という重大な犯罪行為をする理由は考え難い。Jの第三次供述によれば、同警察官はJに尿や覚醒剤を提出させることも、自首調書を作成することもなかったというのであるが、一般的な捜査実務等からかけ離れたものであり、同警察官の立場に照らしても、およそ信じ難い内容である。闇取引の取引材料となるべき見逃す事件に関する証拠が何ら保全されていないというのも相当に不自然である。以上の検討に照らし、P5警察官の上記供述の信用性は直ちに否定し難い。 Jは、第三次供述に先立ち、第一次再審請求の係属中である平成23年8月頃には、新聞社に対して第三次供述に沿う説明をしていることがうかがわれるが(再弁193)、Jが平成6年4月に控訴審で最後の証言をしてから、長期間経過した後になって再び供述を変遷させた理由も十分説明されているとはいい難い。 第三次供述のうち、闇取引をして控訴審供述をした旨をいう部分については、信用性が乏しいというほかない。 イ P1警察官からの働きかけにより控訴審供述に 分説明されているとはいい難い。 第三次供述のうち、闇取引をして控訴審供述をした旨をいう部分については、信用性が乏しいというほかない。 イ P1警察官からの働きかけにより控訴審供述に転じた可能性のあることもっとも、次に説明するとおり、第三次供述のうち、原判決後にP1警察官から捜査段階の供述調書どおりに証言するよう求められたという部分については、あながち信用性を否定できない。 Jは、控訴審において、第二次供述から再び供述変更した理由について、第二次供述の当時は頭の中が混乱していたが、冷静に思い起こして、第一次供述に沿う記憶が正しいと思うようになったと供述している。当審における事実取調べの結果によれば、Jは、控訴審に移審後である平成4年7月13日、同月15日にP1警察官の取調べを受 け、同日には第一次供述に沿う警察官調書を作成したことが認められるから(再弁125、137)、JはP1警察官による取調べにおいて記憶喚起を行ったことになる。 しかし、Jが供述するように記憶が混乱していたというのであれば、P1警察官がJに接触した際には事件当夜から6年以上経過しているから、JがP1警察官と接触した時点において、容易に当時の記憶を喚起できたとは考えにくい。Jは、捜査段階でP1警察官から現に誘導等をされて、本件場面について客観的事実に反する第一次供述をするとともに、控訴審でも3月19日に本件場面を見た記憶が間違いなくあるとして同供述を維持した経過があることからすると、JがP1警察官の誘導等により、再び第一次供述に沿う内容を述べるに至った可能性は否定できない。 ウ P1警察官がJに結婚祝いを贈ったことによる推認さらに、Jは、第三次供述において、控訴審での証言後にP1警察官から 第一次供述に沿う内容を述べるに至った可能性は否定できない。 ウ P1警察官がJに結婚祝いを贈ったことによる推認さらに、Jは、第三次供述において、控訴審での証言後にP1警察官から結婚祝いをもらったと述べている。 Jは平成6年2月に結婚しており(再弁126、127)、控訴審での証言(同年3月、同年4月)と時期的に矛盾しない。本件祝儀袋は、和紙が古ぼけて見え、染みや黄ばみが見られるなど、一見して新しいものではなく、表書き部分には印刷か判子を押したものとみられる「P1」との記載があるから、P1警察官が渡したものとみてよい。 Jは、遅れてもらった本件祝儀袋を、自宅のたんすで披露宴の際の芳名帳と共に保管していたと述べており、保管状況にも特段不自然な点はみられない。冠婚葬祭に伴う祝儀の記録は、その性質上、長く保管することも普通にあるから、Jが離婚後にも長期間保存していたからといって、検察官がいうような違和感は生じない。今更、Jにおいてわざわざ本件祝儀袋をねつ造したり、P1警察官から結婚祝いをもら ったとの虚偽供述をしたりする動機も想定し難い。よって、第三次供述のうち、JがP1警察官から控訴審供述に近接した時期に結婚祝いをもらったとする点は、本件祝儀袋の存在により裏付けられており、信用性を否定することができない。 検察官は、Jが、P1警察官が死亡し(平成20年2月12日死亡。 再検1)、反論できなくなった後で、それまでの供述を覆すだけでなく、同人が悪徳刑事であるかのような供述を始めたなどとして、Jの第三次供述の信用性を争うが、既にみたとおり、Jは、平成23年8月頃には、新聞社に対して、結婚祝いの点には言及しないものの、第三次供述に沿う説明をしていることがうかがわれるところ、関係証拠上、Jが同警察官の死 信用性を争うが、既にみたとおり、Jは、平成23年8月頃には、新聞社に対して、結婚祝いの点には言及しないものの、第三次供述に沿う説明をしていることがうかがわれるところ、関係証拠上、Jが同警察官の死亡を知っていたか否か、死亡を知った時期と第三次供述に相当する供述を始めた時期との先後関係は定かではなく、検察官の主張は採用できない。 そこで、この結婚祝い授受の意味合いについて検討する。Jは、本件殺人事件の重要証人で、P1警察官はその取調べを担当し、証拠採用された全ての警察官調書(1審検288ないし294)に加えて原判決後にも供述調書を作成し(再弁125)、Jの控訴審出廷時には裁判所までの送迎に同行するなど、本件殺人事件に係る刑事手続に深く関与していた。他方で、JはP1警察官とは本件殺人事件の取調べ以外に関わりはないと供述しており(再弁122)、これを覆すに足りる証拠はない。 P1警察官とJとの間に私的交際関係がない以上、P1警察官において自分が担当した刑事事件の証人であるJに結婚祝いを渡すことは、警察官の職務の公正さの確保の観点からして社会的儀礼としても許されるべくもなく、警察官であれば当然そのことを弁えていたはずである。それにもかかわらず、P1警察官があえて結婚祝いを交付したか らには、社会常識的にみて、Jの第三次供述のとおり、P1警察官がJに対し捜査段階における供述調書どおりに供述するよう働きかけ、Jがこれに応じて控訴審供述をしたことへの謝礼的な意味合いが込められていたとみなされても仕方がない。現に、Jは、結婚祝いをもらった後、P1警察官とは会ってもいないというのであるから、控訴審供述をしたことに対する謝礼の趣旨以外に結婚祝いを渡す理由はなかったはずである。本件祝儀袋の裏書によれば、P1警察官がJに渡し いをもらった後、P1警察官とは会ってもいないというのであるから、控訴審供述をしたことに対する謝礼の趣旨以外に結婚祝いを渡す理由はなかったはずである。本件祝儀袋の裏書によれば、P1警察官がJに渡したのは5000円であり、結婚の御祝儀としては必ずしも高額とはいえないものの、前述したように、職務の公正を保つべき警察官が私的交際関係のない重要証人に対し、証人尋問に近い時期に金銭を交付すること自体が、犯罪行為とはいえないにしても、公正であるべき警察官の職務に対する国民の信頼を裏切る不当な所為であって、金額の多寡は問題ではない。P1警察官がそのような不当な所為に及んだ以上は、利益供与を伴う不当な誘導等をしたものとして、Jの控訴審供述の信用性を疑わせるに足りる事情となり得るというべきである。 警察としては、本件殺人事件という重大事件について無罪とする原判決を受けたことで、Jに再び検察官の主張に沿う証言をさせる動機があるはずであり、特に、P1警察官は捜査段階においてJの取調べや、その警察官調書作成を担当した人物であるからなおさらである。 P1警察官は捜査段階でJに対する誘導等を行ったとみられる張本人であり、少なくとも同警察官においてJが控訴審で証言するに際し、再び誘導等の不当な働きかけに及び、それを受けたJが、控訴審において、記憶にない事実をさもあったかのように供述をしたのではないかという疑いが生じる。 P1警察官が、Jに結婚祝いを渡したことは、上記イで記載した事実と併せて、P1警察官が、Jに、捜査段階の供述調書どおりに証言 するよう働きかけた事実を推認させるものというべきである。 8 結論(Jの第一次供述、控訴審供述は信用できず、Jは、事件当夜、被告人らと行動を共にしていなかった可能性がある)以上のとお するよう働きかけた事実を推認させるものというべきである。 8 結論(Jの第一次供述、控訴審供述は信用できず、Jは、事件当夜、被告人らと行動を共にしていなかった可能性がある)以上のとおり、検察官の主張に沿うJの第一次供述の信用性には限界があり、被告人の有罪認定に供し得るほどに間違いなく信用できるものとはいえず、他方で、事件当夜は被告人らと行動を共にしていないとする第二次供述の信用性を軽々に否定することができない。 これにより、Jが事件当夜、被告人らと行動を共にしていなかった合理的な疑いが残るのみならず、事件当夜にJと行動を共にしたとするB、H及びF供述についても信用性に疑いが生じることになる。 第5 H供述について 1 Hの供述経過、内容等Hの最終供述となる控訴審における証言要旨は、次のとおりである。すなわち、「 3月19日夜、qタクシーを利用して自宅とシンナー仲間方を往復した後、自宅近くで流しのタクシーを拾って別のシンナー仲間であるG方へ行き、Gから本件スカイラインを借り受けた。B方でシンナーを吸えたらいいなと考えて本件スカイラインを運転し、自転車店に立ち寄ってゴムのりを購入後、アパートc前へ行った。 同所で被告人と出会い、被告人から、『B君の部屋があかんのや。純トロがあるんや。』とか、『wの方にシンナーが吸える女の子の部屋があるから乗せてくれ。』と言われ、シンナーの入った一斗缶を本件スカイラインに積み、被告人を乗せて出発した。f公園の横で被告人と共に一斗缶から1リットル瓶にシンナーを移し替えた後、a団地6号館西側道路で本件スカイラインを止めた。被告人が、『見てくるわ。』などと言い残して降車したので、車内でゴムのりを吸って待っていた。 二、三十分後、被告人が運転席側に来て、『あかん 団地6号館西側道路で本件スカイラインを止めた。被告人が、『見てくるわ。』などと言い残して降車したので、車内でゴムのりを吸って待っていた。 二、三十分後、被告人が運転席側に来て、『あかんかったわ。』と言って、息遣い荒く助手席に乗り込んだ。車内で被告人が持ったビニール袋にシンナーを注いでやるとき、被告人の右手の甲にまだ濡れている感じの血が付いているのを見た。どうしたのかと尋ねると、被告人が、『やってもうた。』と答えたので、けんかでもしたのかと思った。 被告人から義理のお兄さんの家の方へ行ってくれと頼まれたので、義兄のW2に相談に行くのだろうと思い、被告人の案内でW2方(福井市gにある集合住宅h)の前へ行った。W2のことは知っていたが、その当時どこに住んでいるかは知らず、W2方に行ったのは事件当夜の一度だけである。W2は不在であった様子で、被告人からB方へ行くように言われ、アパートcへ向かった。 被告人は、走行中の車内で、『あいつが悪いんや、馬鹿野郎。』などと独り言を言っていた。アパートc前で停車したが、Bは不在であり、被告人は降車を繰り返してBと連絡を取るために公衆電話で電話をかけていた。 その間、車内で一緒にシンナーを吸いながら被告人の様子を見た際、上着の胸元にも血痕が付着していることに気付いた。被告人から、『逆らうと、腹立たんか。逆らうで、悪いんや。ほんで、やってもうたんや。女の子をやってもうたんや。』などと打ち明けられ、けんかをした話を大きくしているか、シンナーの影響で幻覚でも見たのかと思うとともに、あまり関わり合いになりたくないと思った。 被告人はBと連絡が取れたようで、r高校の方へ行くよう頼まれ、j神社のあたりで待っていた初対面のJを車に乗せ、その案内でゲーム喫茶dに行き、Bと会った。 その後、本件ス りたくないと思った。 被告人はBと連絡が取れたようで、r高校の方へ行くよう頼まれ、j神社のあたりで待っていた初対面のJを車に乗せ、その案内でゲーム喫茶dに行き、Bと会った。 その後、本件スカイラインの後部座席に移り、Jが運転席に座ったことは覚えている。本件スカイラインの前に車がもう1台あり、その2台で発車して以降のことは覚えていない。記憶がないのは、運転しなくてもいい ことと、被告人をBに会わせて気分も楽になり、シンナーの酔いが回った感じになったからだと思う。 捜査の当初の段階では、自分が執行猶予中の身であり、被告人と一緒に行動したことを話せば逮捕されるのではないかという気持ちから、知らぬ存ぜぬと言っていたが、上申書を書く頃には女の子(被害者)が浮かばれないと思い、また、警察官から現場へ行っていないなら大丈夫じゃないかとも言われ、正直に供述するようになった。」というものである。 2 H供述の信用性についての検察官の主張検察官の主張の要旨は次のとおりである。 主要関係者のうち被告人の犯人性を裏付ける最も重要かつ有力な供述、証言をしているのはHであるから、H供述を中心に据えて検討を行うべきであるところ、Hには被告人を罪に陥れるような事情は存在せず、Hが捜査官に迎合して供述した疑いは全くない。Hは記憶にあることとないことを明確に区別して供述しているし、Hは取調べが開始された当初頃は、事実の一部を隠したこともあったものの、取調べ開始の約1か月後以降は、捜査・公判を通じ大筋で一貫した供述をしている。その内容は、H供述によって初めて明らかとなった経過内容を多々含み、実際に体験したものでなければ証言できないような具体的かつ詳細なもので、極めて迫真性に富む生々しい臨場感にあふれ、不自然、不合理な点もない。H供述は によって初めて明らかとなった経過内容を多々含み、実際に体験したものでなければ証言できないような具体的かつ詳細なもので、極めて迫真性に富む生々しい臨場感にあふれ、不自然、不合理な点もない。H供述は、qタクシーを利用した事実、a団地からW2夫婦の住む集合住宅h前まで行った事実等の客観的事実及びG、本件犯行の時間帯にa団地6号館西側道路にスカイラインが停車しているのを目撃したR等、多数の関係者の供述により裏付けられている。Hが被告人と会ってからゲーム喫茶dに行くまでの移動経路についての引き当たり捜査において警察官を案内したことにも照らすと、H供述は高度の信用性を有する。 以下、検討する。 3 警察官が現場引き当たり捜査を利用し、Hの供述を誘導等した疑いのあること検察官は、H供述のうち、被告人の依頼により、a団地からW2方へ立ち寄ったという事実は、捜査官が事前に知り得ない事実であって、Hの自発供述によって初めて知り得たことであり、正に秘密の暴露供述であってH供述の信用性を高めるものであると主張し、秘密の暴露には当たらないとの原判断を論難する。 しかし、当審における事実取調べの結果によれば、Hの上記供述は、秘密の暴露ではないことが認められるばかりか、警察官が現場引き当たり捜査(以下、単に「引き当たり」という。)を利用してHの供述を誘導し、Hがこれに迎合した疑いがある。 ⑴ 警察が捜査の過程で被告人の義兄の存在や、その住居を把握していたことまず、関係証拠(再弁74)によれば、遅くとも昭和62年1月17日までには、Bの供述(Bが被告人にシンナー入り一斗缶の盗み先を提案したところ、被告人が親戚の所だと言って拒んだというもの)の裏付け捜査の過程で、被告人の実姉がW2と結婚し、W2夫婦の住所がgにあ 日までには、Bの供述(Bが被告人にシンナー入り一斗缶の盗み先を提案したところ、被告人が親戚の所だと言って拒んだというもの)の裏付け捜査の過程で、被告人の実姉がW2と結婚し、W2夫婦の住所がgにある集合住宅hであることが判明していた事実が認められる。被告人は当時有力な被疑者であったから、捜査の過程でその家族関係が判明すれば、これを捜査本部の捜査員に周知していると考えられ、上記日時頃には、捜査機関において、被告人とW2の関係や、W2の住居等を認識していたことが認められる。 ⑵ 引き当たり捜査を利用してH供述を誘導等した疑いのあることア Hの供述経過次に、Hの供述経過について、次のとおり認めることができる。 Hは、昭和61年12月21日頃から本件殺人事件についての本格 的な取調べを受けるようになり、昭和62年1月24日及び同月26日には、「3月19日はGから借りた本件スカイラインでアパートc前まで行き、たまたま居合わせた被告人を助手席に乗せf公園まで行った。被告人は同所で降車し、二、三十分後に戻ってきたが、右手の指から甲にかけて血が付いており、『けんかしてもたんや。』と言っていた。被告人からBのところに行くよう頼まれたが、これを断って自宅に戻り、そこで被告人に車を貸した。」と供述していた(1審検186、187)。 ところが、Hは、昭和62年2月1日付けの上申書(1審検280・以下「2月1日付けH上申書」という。)では、「f公園横で本件スカイラインを止め、シンナーを一斗缶から1リットル瓶に移し替えた後、団地内の道路に本件スカイラインを止めた。被告人は、同所で降車したが、血を付けて戻ってきて、『運動公園の方に行ってくれんか。』と言うので、言うとおり、W2方、アパートc、ゲーム喫茶dの順に えた後、団地内の道路に本件スカイラインを止めた。被告人は、同所で降車したが、血を付けて戻ってきて、『運動公園の方に行ってくれんか。』と言うので、言うとおり、W2方、アパートc、ゲーム喫茶dの順に走行した。」と供述した(なお、位置関係について補足すると、a団地から見て南西方向にx運動公園があり、同公園よりさらに南進するとgが所在し、同所にW2方の集合住宅hがある。1審検153)。 そして、同月6日付けの上申書(1審検281)では、「今までの事情聴取で隠していたことがある。被告人は、W2方に立ち寄った後、アパートc前で、俺に、『逆らうと腹立たんか。刺し殺したんや。あいつが悪いんや。』と言った。それを警察に言うと、俺が犯人を隠したと思われ、逮捕されるのではないかと不安があった。俺は傷害罪で執行猶予中の身であり、妻が妊娠中であるため、また、自分は殺人の現場に行っていないため、関わり合いたくなかったので真実を言えなかった。被告人はW2方前からアパートc前までの間にも、『あの女 馬鹿野郎。』などとぶつぶつ言っていた。」と供述し、これらの上申書作成以降、事件当夜の経過について、公判証言に沿う供述をしている。 イ警察官作成の備忘録の存在2月1日付けH上申書の作成経過について、Hの取調べを担当したP8警察官とP9警察官が、原判決の宣告(平成2年9月26日)後である同年10月5日に作成した捜査報告書(再弁75・以下「P8・P9捜査報告書」という。)には次のとおり記載されている。 すなわち、「Hは、昭和62年1月29日の取調べにおいて、しきりに犯人をかくまうと罪になるのかなど不安になっており、理由について問うと、妻は出産間近で、母は病弱で通院していると述べたことから、Hが真実について供述していないよう 月29日の取調べにおいて、しきりに犯人をかくまうと罪になるのかなど不安になっており、理由について問うと、妻は出産間近で、母は病弱で通院していると述べたことから、Hが真実について供述していないように受け取られ、警察官が情理を尽くして取り調べた。するとHは、本件スカイラインを止めて被告人を待ったのは、f公園横ではなくa団地内であり、被告人が戻ってきてW2のところへ行ってと言ってきたので運動公園の方へ行ったと供述を覆し、2月1日付けH上申書に記載の内容を詳細に供述し始めた。そこで、警察官らが引き当たりを実施したところ、W2方は集合住宅hであると判明した。その後、Hは同年2月1日に、2月1日付けH上申書を作成し、警察官は、集合住宅hにW2なる人物が居住するかについて、同月2日、管轄の派出所に照会し、W2家族の居住を初めて確認した。」というのである。 原判決は、捜査機関がHの供述を得る以前にW2の住所を探知していなかったことを認めるに足りる的確な証拠はないとして、この点を秘密の暴露に当たるとした検察官の主張を排斥したところ、P8・P9捜査報告書は、その記載内容や作成時期からみて、被告人に無罪を言い渡した原判決を受けて、警察官がW2方を認識するに至った経緯 を明らかにするために作成されたものと考えられる。 ウ備忘録の記載内容P8・P9捜査報告書によれば、Hの取調官はP9警察官、取調補助官はP8警察官であり、同報告書には、当時の取調べ、引き当たり、裏付け捜査を明確にするため、P8警察官が記載した備忘録の写し(別添㈠㈡㈢を添付するとしていたものである。)が添付され、別紙㈠として、「62.1.23~62.4.26(62.3.9付け丸岡署)」、「P8」、「NO.10」と記載されたキャンパスノート表紙の写し、別 ㈠㈡㈢を添付するとしていたものである。)が添付され、別紙㈠として、「62.1.23~62.4.26(62.3.9付け丸岡署)」、「P8」、「NO.10」と記載されたキャンパスノート表紙の写し、別紙㈡として、日付欄に「Date 62.1.29」と記載のあるページの写し、別紙㈢として、「Date 62.2.1」と記載のあるページの写しが添付されている。 このP8・P9捜査報告書別紙㈡は、同報告書本文の記載や、別紙㈡の日付欄からして、P8警察官が昭和62年1月29日の捜査状況等を備忘のために記録したものと認められるところ、その表題部分の罫線には「H取調(14回目)10:00~18:00」と記載され、本文記載欄の1行目に「午前中引き当り」、2行目に「g(以下の記載省略) 集合住宅h」、3行目に「W2」と記載されている。これに続けて、概ね上から順に、f公園、アパートc、集合住宅hといった関係場所間の移動時間とみられる、「公園 →8分アパートc」「ここでAが部屋を見に行くが留守」(Bが不在であったとの趣旨とみられる。)、「アパートc →7分公園」、「公園→14、5分g集合住宅h」、「前で待って2~3分でもどってくるもっと早いと思う」、「どうやったんやと言っても無口返事がなかった ▲▲(Bを指す。)のところへ行って」、「g→17分(20分)アパートc」、「犯人をかくまうと罪になるか」、「嫁出産まじか」(間近の誤記とみられる。)、「母病弱」との記載がある。 エ備忘録の記載による検討備忘録が手控えのために当時の捜査状況等を記録したものであること、別紙㈠ないし㈢の体裁や記載内容に照らし、P8警察官作成の備忘録の信用性は基本的に肯定できる。 先に認定したとおり、昭和6 備忘録が手控えのために当時の捜査状況等を記録したものであること、別紙㈠ないし㈢の体裁や記載内容に照らし、P8警察官作成の備忘録の信用性は基本的に肯定できる。 先に認定したとおり、昭和62年1月17日頃には、捜査機関において、被告人とW2の関係等を把握しており、別紙㈡本文の冒頭部分にもW2の氏名、住居が記載されていること、これに続いて分刻みの移動時間や、Hの供述とみられるものが記載されていることからすれば、P8警察官らは、同月29日午前に、Hに対して引き当たりを実施したこと、同警察官らが引き当たりの実施前から集合住宅hの存在、その住居やW2の居住を把握していたことが認められる。また、引き当たり状況に関する記載の前に、Hが新たに始めたとする供述についての記載がないことを併せて考えると、P8警察官らは、Hが、被告人からW2方へ行くよう依頼されたとの新たな供述をする前に、Hに対し集合住宅hなどへの引き当たりを実施し、これにより本件犯行時刻頃から被告人がゲーム喫茶dに行くまでの時間経過や、B供述との整合性を確認しながら別紙㈡記載のHの供述を得た可能性が高いとみるべきである。 さらに、P8・P9捜査報告書によれば、Hは同日になり、本件スカイラインから降車した被告人を待っていた場所は、f公園ではなく、a団地内であると供述を変更したのであるから、同供述を前提に引き当たりを行うのであれば、引き当たり場所はf公園ではなく、a団地内道路になるはずである。ところが、備忘録に記載された引き当たり場所はf公園のままであるから、このこともHが新たな供述をする前にW2方を含む引き当たりを受けたことを示している。 オ検察官の主張の検討 以上の認定に対し、検察官は、引き当たりに先立って、Hから各移動経路についての供 たな供述をする前にW2方を含む引き当たりを受けたことを示している。 オ検察官の主張の検討 以上の認定に対し、検察官は、引き当たりに先立って、Hから各移動経路についての供述がされ、それを相取調官であるP9警察官がメモしていた可能性もあるなどとして、別紙㈡の記載からは取調べと引き当たりとの前後関係は必ずしも明確とはいえないと主張する。 しかし、仮にHの供述が先行しているのであれば、Hが供述を覆した重要な局面であるにもかかわらず、補助官であるP8警察官が備忘録にHの供述内容を全く記載していないというのは釈然としない。また、仮に、Hが供述した後に引き当たりをしたとのP8・P9捜査報告書本文の記載を前提とするならば、取調官が犯人蔵匿に問われないか不安を訴えるHを説得するなりして取り調べた結果、Hが新たな供述を始めたことになり、Hが2月1日付けH上申書に沿う供述を始めるにはそれなりの時間が必要になると思われる。そうであるなら、同日の捜査が午前10時に開始されていることや(別紙㈡)、引き当たりの内容からしても、Hの新たな供述を得た上で、午前中に引き当たりを行うことが物理的に可能であるかも疑問である。何より、検察官の主張は、警察官が、Hが新たに供述したとするa団地内道路ではなく、f公園に引き当たりしたことを合理的に説明するものではなく、採用することができない。 ⑶ P8警察官作成の昭和62年5月15日付け捜査報告書等による裏付け警察官が引き当たりを使ってHの供述を誘導した可能性については、P8・P9捜査報告書に先立つ捜査報告書の記載からも裏付けられる。 ア昭和62年1月29日実施の引き当たりが記載されていないことP8警察官・P9警察官作成の昭和62年2月2日付け捜査報告書 捜査報告書に先立つ捜査報告書の記載からも裏付けられる。 ア昭和62年1月29日実施の引き当たりが記載されていないことP8警察官・P9警察官作成の昭和62年2月2日付け捜査報告書(再弁73)によれば、同年1月13日以降、Hが2月1日付けH上申書の内容を申し立てるまでに行った引き当たりは3回であるとの記 載がある。 また、P8警察官作成の昭和62年5月15日付け捜査報告書(再弁72・以下「P8捜査報告書」という。)は、昭和61年12月21日から昭和62年2月12日までに行われたHに対する取調べ経過を詳細に報告するものであり、P8警察官作成の取調表が添付され、取調日、取調時間のほか、備考欄には、引き当たりをした場合にはその旨と実施時間、調書が作成されればその旨と作成者の記載がされている。P8捜査報告書は、記載内容の詳細さからして、P8警察官が自らの備忘録を参考に作成したものと認められる。 P8捜査報告書添付の取調表によれば、同年1月13日以降、2月1日付けH上申書の作成までに行われた3回の引き当たりは、同年1月14日、同月28日及び同月31日に行われた3回であり、同月29日の欄には引き当たりを実施した旨の記載はない。また、P8捜査報告書の本文には、同月29日の捜査でHが供述した経過について、P8・P9捜査報告書と同じ記載がされているものの、同日に行われたはずの引き当たりについては、やはり記載されていない。かえって、続く同月31日午前9時30分から午後9時まで実施された取調べにおいて、Hは前回の同月29日の取調べに引き続いて詳細に供述を始めたとされ、Hがa団地内の駐車場所やW2の住んでいる運動公園の方に行ったとする場所について、「口ではこことは言えず場所を一度案内します。」と申し立てたため 29日の取調べに引き続いて詳細に供述を始めたとされ、Hがa団地内の駐車場所やW2の住んでいる運動公園の方に行ったとする場所について、「口ではこことは言えず場所を一度案内します。」と申し立てたため、引き当たりを実施したとされている。これを受けて、同月31日午前10時30分に福井警察署を出発し、Hの案内により、a団地6号館西側道路を経由し、午前11時45分に集合住宅h前に来て、午後0時30分に引き当たりを終了した、午後からの取調べにおける供述は、2月1日付けH上申書と同内容であった旨の記載がされている。 イ P8捜査報告書の記載から推認できることこのように、P8警察官作成の備忘録(P8・P9捜査報告書別紙㈡)では昭和62年1月29日にHの引き当たりを実施したことが認められるにもかかわらず、同備忘録を参考に作成しているはずのP8捜査報告書には、同日に行われたはずの引き当たりが記載されていない。また、同年2月2日付けの捜査報告書も、この引き当たりを計上していないとみられる。 既にみたとおり、Bは、被告人と事件当夜に同行した人物について、EからHに供述を変更した経緯がある上、Hについても、当初は、本件殺人事件への関与を否認していたから、警察はHの供述経緯が重要であることは十分に認識していたとみられるし、P8警察官もこれを前提にP8捜査報告書を作成しているはずである。Hが2月1日付けH上申書の内容を供述し始めて、その供述内容が概ね固まったのは、同年1月29日の供述を契機とするから、同日は、P8捜査報告書において、Hの取調べ経過における重要な節目として記載されるはずであり、同日にHの供述を得て引き当たりを実施しているのであれば、失念により書き漏らすことは考え難い。また、P8捜査報告書本文に記載された同月 、Hの取調べ経過における重要な節目として記載されるはずであり、同日にHの供述を得て引き当たりを実施しているのであれば、失念により書き漏らすことは考え難い。また、P8捜査報告書本文に記載された同月31日の引き当たりについては、P8・P9捜査報告書別紙㈡には記載のない開始時間、終了時間等が明記されるとともに、同別紙㈡に記載されたf公園とアパートcとの往復や、gからアパートcに向かう経路が含まれておらず、引き当たり内容が異なっていることからすれば、P8警察官が同月29日の引き当たりと、同月31日の引き当たりを混同して記載したものとも考えられない。よって、P8捜査報告書では、同月29日の引き当たりについてあえて記載をしなかった可能性が高い。さらに、もし、同月29日にHから新たな供述が得られ、それを前提に同日中に引き当たりを実施したのであれ ば、その2日後の同月31日になって、重ねて供述内容を確認する目的で集合住宅hへの引き当たりを行う必要性も見出し難い。 ウ小括(警察官による引き当たりを利用した供述誘導の可能性)以上を総合して検討すると、昭和62年1月29日実施の引き当たりは、Hから得られた新たな供述内容を確認するために行われたものではなく、引き当たりを実施した結果、Hの供述を得たことから、P8捜査報告書等では、同日の引き当たりについてはあえて記載せず、同月31日の引き当たりを供述確認のために行ったものとして、同日の引き当たりのみを捜査報告書に記載した疑いが現実的なものとして浮上する。Hが自ら供述をする前に、集合住宅hなどへの引き当たりを受けており、警察官らがこの点を伏せてHの供述経過に関する捜査報告書を作成している可能性のあることからすれば、W2方への立ち寄りに関する供述は自発的なものではなく、警察が先行す などへの引き当たりを受けており、警察官らがこの点を伏せてHの供述経過に関する捜査報告書を作成している可能性のあることからすれば、W2方への立ち寄りに関する供述は自発的なものではなく、警察が先行するB供述を参考に、Hに対し引き当たりを実施して誘導や示唆を行い、これに迎合したHにおいて、被告人がHにW2方に行くよう依頼したとの作り話をしたのではないかという合理的疑いがある。 これに対し、検察官は、P8警察官作成の備忘録は、記載内容自体を疑う理由はないとしても、後から訂正した形跡があることや日付が記載されていながらその日の捜査状況についてほとんど記載しないで同じ頁に別の日の捜査状況を記載するなどしており、その記載ぶりからすると、毎日、その日に捜査をした内容について、逐一漏れなく記載したものとは認め難く、とりあえず日付とタイトルだけを記載し、その後の取調状況については記載しないこともあったと考えられる、そうであれば、昭和62年1月29日に行われた14回目の取調べについても、タイトルを記載したものの、何らかの事情で取調べ状況について記載せず、次の15回目の取調べ(同月31日)の早い段階で 行われた引き当たり状況を引き続き記載したとしても不自然ではないと主張する。 検察官が指摘するP8・P9捜査報告書別紙㈢は、日付欄に「Date62.2.1」とある一方、本文中には、昭和62年2月2日の捜査事項が記載されているものの、当該部分の前には、「62.2.2」との注意書きが記載されている。よって、P8警察官は、日付欄と異なる日にちの捜査事項については、きちんと日付を記載していることが認められる。そして、同別紙㈡の本文中には、日付欄に記載された昭和62年1月29日以外に、捜査日時についての注意書きはないから、当該ペー にちの捜査事項については、きちんと日付を記載していることが認められる。そして、同別紙㈡の本文中には、日付欄に記載された昭和62年1月29日以外に、捜査日時についての注意書きはないから、当該ページに記載された引き当たりが、別の日に行われたものであるとの疑いは生じない。なお、備忘録に記載の引き当たりと、同月31日に行われた引き当たりの内容が整合しないこと、検察官の主張では、f公園に引き当たりをした理由を説明できないことは既に述べたとおりである。 検察官は、さらに、警察官がHの取調状況等をまとめた捜査報告書にあえて事実を隠蔽して記載する理由は見当たらないし、仮に何らかの理由で同年1月29日に引き当たりを行ったことをどうしても隠蔽しなければならなかったのであれば、逆に、同日に引き当たりを行ったのではないかとあらぬ疑いを招きかねない不備のある備忘録を、P8・P9捜査報告書にわざわざ添付するとは考えられないとも主張する。 しかし、警察が引き当たりを行うことにより、Hから新たな供述を得たのであれば、その事実を隠そうという意図が生じることは十分に想定ができる。また、上記のとおり、P8・P9捜査報告書は、原判決後、控訴について検討していた検察官から、原判決において排斥された秘密の暴露の主張に関し、警察官がH供述により初めて集合住宅 hに義兄が住んでいることを知った事実の裏付けを求められたために、備忘録を提出せざるを得なくなったと説明することができる。 ⑷ 警察官による誘導、示唆やHの迎合供述が可能であったこと以上の認定に対し、検察官は、警察がW2方の住居を知らなかったかはともかくも、問題はHが被告人とともに不在であったW2方へ立ち寄った事実があるかどうかであるところ、W2方への立ち寄りは、捜査官が事 以上の認定に対し、検察官は、警察がW2方の住居を知らなかったかはともかくも、問題はHが被告人とともに不在であったW2方へ立ち寄った事実があるかどうかであるところ、W2方への立ち寄りは、捜査官が事前に知り得ない事実であり、Hの自発供述によって初めて知り得たことである旨主張する。 ア誘導、示唆の前提となるB供述の存在しかし、HがW2方への立ち寄りについて供述するに先立ち、Bは、1月14日付けB上申書の中で、被告人がゲーム喫茶dにいたBに電話し、運動公園の方にいると答えたと供述していた(なお、Bは公判でも同供述を維持しているが、これを前提とすると被告人がアパートc付近からBに連絡を取ろうとしたとするH供述と矛盾があることになる。1審姫路B20、143丁、控訴審2回B7丁)。 1月14日付けB上申書では、Bと被告人がゲーム喫茶dで合流したのは3月20日午前0時50分頃とされているから、警察は、本件犯行からの時間経過を踏まえ、被告人が運動公園付近を経由した上でゲーム喫茶dに向かった可能性を想定したと考えられるところ、昭和62年1月17日までには、W2が被告人の義兄であり、gの集合住宅hに住んでいることを把握するに至っている。 このように、警察がW2と被告人の関係性等を把握したことをきっかけに、運動公園とW2方の位置関係も踏まえ、被告人がBを頼ってゲーム喫茶dに行く前に、W2方を経由した可能性を想定することも十分に考えられ、警察は、この点についてHに確認をするため、関係先と目した集合住宅hなどに引き当てたとみることができる。 イ Hが誘導等に迎合した可能性のあること一方、Hからすれば、関係先としてW2方への引き当たりをされれば、警察が同所を関係先とみていることは容易に認識で ることができる。 イ Hが誘導等に迎合した可能性のあること一方、Hからすれば、関係先としてW2方への引き当たりをされれば、警察が同所を関係先とみていることは容易に認識できるところ、W2はHがかつて所属していた暴走族の後輩であり、HはW2が被告人の義兄にあたることも認識していたから(1審検188、192)、Hが警察の引き当たりをきっかけに、事件当夜の行動経過として、被告人が義兄のW2を頼り、集合住宅hに立ち寄った旨の作り話をすることもできなくはない。 また、引き当たりにより得られたHの供述内容は、被告人がW2方に向かってすぐに戻ってきて、どうだったのかと聞いても、被告人から返事はなく、Bのところに向かうよう求められたというものであるところ(P8・P9捜査報告書別紙㈡、2月1日付けH上申書)、このような簡単な内容になったのは、参考にするBの供述がない部分であり、Hとしては、W2の対応等について、具体的に供述しようがなかったことから、前後の話の流れを読んで、W2が不在であったかのようにしつつも、W2が不在であったのかも含めて被告人からは何も聞いていないとして、その部分は当たり障りのない内容にとどめて供述したとみることもできる。 これに対し、検察官は、警察が被告人とW2の関係やW2方の住居を知らなかったかはともかくも、問題はHが被告人とともに不在であったW2方へ立ち寄った事実があるかどうかであるところ、2月1日付けH上申書作成時点において、警察は、Hが被告人と共にW2方を訪問した時にW2が不在であったことを把握していたとは認められないとして、警察がHを誘導することはできなかったはずである旨主張する。 しかし、上記のとおり、Hは、上記時点において、同人の「どうや った。」と問いかけても被 を把握していたとは認められないとして、警察がHを誘導することはできなかったはずである旨主張する。 しかし、上記のとおり、Hは、上記時点において、同人の「どうや った。」と問いかけても被告人の返事はなかったと供述するにとどまり、W2が不在であることはHの理解として供述しているにすぎない。 したがって、そもそも、W2の不在という後に判明した客観的事実をHが自発的に供述していると認めることはできず、W2の不在の点は、警察による誘導等を否定できるだけの事情ではない。 ウ小括(警察による誘導等や、Hの迎合が可能であること)このように、Bの関与のない行動経過についても、警察が供述内容をねつ造してHに押し付けなくても、警察が先行するB供述を前提に、H供述の核心部分を誘導ないし示唆することも十分可能であり、Hも誘導等に応じてBの供述等に合わせて供述できたとみることもできる。 ⑸ まとめ(引き当たり捜査による誘導、示唆のH供述への影響)以上のとおり、H供述のうちW2方への立ち寄りに関する部分は、警察が引き当たり捜査を利用して誘導、示唆するなどして得られたものである可能性があり、その信用性には疑いがある。上記供述は本件犯行後の行動に関する重要部分であり、この点についての信用性が疑わしいことになれば、H供述全体の信用性にも影響が生じかねない。 4 H供述全体について、先行するB供述に迎合した疑いのあることさらに、当時の捜査状況や、B、Hらの供述経過等に照らせば、W2方への立ち寄りに関する供述のみならず、H供述全体について、先行するBの供述に迎合して行われたのではないかという合理的疑いがある。 ⑴ Hが関与したとされる疑いが強まった経過まず、Hが本件殺人事件への関与を疑われた経過についてみ 体について、先行するBの供述に迎合して行われたのではないかという合理的疑いがある。 ⑴ Hが関与したとされる疑いが強まった経過まず、Hが本件殺人事件への関与を疑われた経過についてみる。 B供述の検討でみたとおり、Bは、昭和61年12月6日頃、Eが事件当夜に着衣に血を付けた被告人を連れてゲーム喫茶dまで来たと供述し、警察は、同月14日、Eを犯人蔵匿の嫌疑で逮捕した。他方で、捜査本部は被告人やEが使用可能な車の捜査を進めていたところ、Bの供 述をきっかけにG所有の白色スカイラインが浮上し、同月19日に本件スカイラインが押収された。同月20日、Gからは本件スカイラインはHにしか貸しておらず、本件頃にもHに貸した旨の供述が得られた。捜査本部は、本件スカイラインと本件殺人事件の関連や、Hの関与を疑い、翌21日からHに対する本格的な取調べを始めた。同月23日には同車からABO式で被害者の型と同じ血液型の血痕が検出され、Eは同月26日に釈放された。Bも、昭和62年1月3日には、被告人がゲーム喫茶dまで来た際に同行していたのはEではなく、Hであったと供述を変更し、1月14日付けB上申書において、供述内容を大筋で固めるに至った。これと並行して、KやJらの事情聴取が行われたところ、KからはBの供述に沿う供述が得られ、Jも現場引き当たりを行った同月26日頃にはBの供述に沿う内容を供述し(1審検159)、同月28日には、Jは、事件当夜に使用した車を本件スカイラインと特定するとともに、警察署で実際にHと会って確認をし、事件当夜合流した人物はHである旨供述するに至っている(1審検289、290)。 このように、先行するB供述の裏付け捜査が進められ、被告人が事件当夜に使用した車両として本件スカイラインが浮上したのをきっ た人物はHである旨供述するに至っている(1審検289、290)。 このように、先行するB供述の裏付け捜査が進められ、被告人が事件当夜に使用した車両として本件スカイラインが浮上したのをきっかけに、警察はHが被告人の同行者である疑いを深めていった。 ⑵ B供述がH供述に先行していることそのような状況の下、Hに対する取調べは、昭和61年12月21日から本格的に開始されたが、同月中は6日間、昭和62年1月に入ってからは、Hが同月29日に2月1日付けH上申書記載の内容を供述するまで、同年1月29日を含めて8日間の取調べが行われ、取調べも概ね午前9時30分ないし10時頃から午後9時頃までと長時間かけて行われていた(P8捜査報告書添付の取調表)。B供述における検討でみたとおり、警察官はEに対し、先行するB供述の筋書きを聞かせて取調べ を行っていたことが認められるところ、Eに代わり関与を疑われたHに対しても、B供述や、それまでに得られた証拠等を基に追及を行ったとみるのが自然である。現に、警察官は、Hに対し、Bや被告人と一緒にいたのではないか、どこにいたのか、ゲーム喫茶dやアパートeを知っているか、Bがあそこで会い、あそこで乗せてきたのがHだと言った、などとBの供述を引き合いに出して、Hを取り調べている(控訴審5回H37、43丁)。 他方、Bは、昭和62年1月3日にHの関与を認めて以降、1月14日付けB上申書を作成するまでの間、その内容に沿う供述を展開したとみられるが、同上申書添付の別紙行動表は、Bが自筆で、B4判罫紙15枚(B5判30頁)にわたり、昭和61年3月16日頃から同月21日までの行動状況等を相当詳細に整然とまとめたものであるから、作成日である昭和62年1月14日より前に既に記載内容が固まってお 罫紙15枚(B5判30頁)にわたり、昭和61年3月16日頃から同月21日までの行動状況等を相当詳細に整然とまとめたものであるから、作成日である昭和62年1月14日より前に既に記載内容が固まっており、警察は同日より前にその内容を把握していたとみてよい。 Bの同月3日付け警察官調書や、上記上申書には、被告人がHと一緒にアパートc前に来て、女の所に行くのにシンナーが欲しいというので一斗缶を渡したこと、被告人からゲーム喫茶dに電話があった後、Jを近くのj神社に向かわせ、被告人やHとゲーム喫茶dで合流したことや、途中、被告人が運動公園付近にいると述べたと説明がされるなど、H供述の基礎となるような内容が既に現れていた。その一方で、Hが本件への関与を認め始めたのは、Bの上申書作成前日となる同月13日のことであり(再弁72)、最終的にHが公判供述に沿う内容の供述に至ったのは同月29日と、時期的にはBの供述がH供述に先行している。 ⑶ B供述とH供述の変遷経過の符合等BとHの供述変遷の経過をみると、Bは、昭和62年1月3日の段階では、被告人とHが一緒にゲーム喫茶dに来たと供述したが(1審検2 07)、1月14日付けB上申書では、事件後、Hは被告人に自宅まで送らせた上、「Bに相談せい。」と言ったため、被告人はBを探して本件スカイラインでゲーム喫茶dに来たとされており、Hはゲーム喫茶dまで同行していないとしていた(1審検282)。これに対し、Hも、同月13日には、一旦、被告人がけんかをして本件スカイラインに戻ってきた後、車を貸すのでBのところに行くように言い、自宅に戻って被告人に車を貸したと、B同様の供述をしている(再弁72)。ところが、同月29日までには、BとHは、共に、Hも被告人とゲーム喫茶dないし付近のj神社ま すのでBのところに行くように言い、自宅に戻って被告人に車を貸したと、B同様の供述をしている(再弁72)。ところが、同月29日までには、BとHは、共に、Hも被告人とゲーム喫茶dないし付近のj神社まで一緒に来た旨に供述を変更しており(1審検209、再弁52)、その後、二人ともHが自宅に帰って被告人に本件スカイラインを貸したとのエピソードは述べていない。前記のとおり、1月14日付けB上申書の内容は、同日より前に供述されているとみられるから、この点に関する供述は、HがBの上記上申書の内容に従って一旦は供述したものの、その後に撤回したとみることもできる。 また、Bは、1月14日付けB上申書において、3月20日にHと電話をした際、Hが事件当夜は事件現場近くに住むSのところに行ったと述べていたと供述し(1審検282)、その後も、アパートcに来た被告人からSのところに行くので一緒に行こうと誘われたと供述している(1審検217、1審姫路B120丁)。これに対し、Hも、昭和62年1月13日には、3月19日にアパートc前にいた被告人を車に乗せ、Sのところに行ったが来客があり断られたとの供述をしていた(再弁72)。しかし、当時、被告人は、Sとの間で輪姦事件に関し暴力団関係者を巻き込んだいざこざを抱えており、BやHをS方に誘うことは考え難いところ、その後、HとBは、いずれも被告人やHが事件当夜にSを訪ねたとの供述を維持していないから(Bは公判廷で間違いであったと述べるに至った。1審6回B1丁)、この点もHがB供述を受けて一時 期供述していたものとみることができる。 さらに、Bは、昭和62年1月29日付けの警察官調書(1審検209)において、Hがアパートeまで一緒に来たとはしながらも、HがF方に入ったか否か、Hの帰宅方法については みることができる。 さらに、Bは、昭和62年1月29日付けの警察官調書(1審検209)において、Hがアパートeまで一緒に来たとはしながらも、HがF方に入ったか否か、Hの帰宅方法についてははっきり供述せず、この点は、Jの同日付けの警察官調書(1審検291)とも整合していない。 Hも、2月1日付けH上申書において、Bらとゲーム喫茶dで合流した以降は、シンナーの影響で記憶がないとし、Hは、以後、同供述を維持している。幾らシンナーの影響があったとはいえ、ゲーム喫茶dで合流する以前の記憶が明確にあり、具体的に供述しているのに比して、それ以降の記憶がないというのは、常識的に考えてなかなか納得のいくものではなく、ゲーム喫茶dで合流した以降の部分については先行するBらの供述が曖昧であったことから、警察も具体的には示唆することができず、Hも記憶がないとの供述でやり過ごしたのではないかとみたほうが合理的なように思われる。この点も、H供述はB供述を下敷きとしたものであることをうかがわせる。 このように、HやBの供述経過等を子細にみていくと、調書等の作成時期にかかわらず、H供述は、供述時期、内容共にB供述を後追いする経過がみて取れるところであって、警察が、Hに対する取調べにおいて、B供述等を示唆する過程で、Hがそれに対応する記憶がないのに迎合する供述をしていったとみても矛盾はなく、H供述の不自然さがそうした事実があったことを示しているとみることができる。 Bは、1月14日付けB上申書を作成した経緯について、警察官から、Bが最初の段階で嘘を言っており、筋の通った話も一切していないために、Bの話は信用してもらえないかもしれない、警察官が調書を取るのではなく、B自身が、直筆で、思うように、行動も時間も全部書いてくれと言われて記載した を言っており、筋の通った話も一切していないために、Bの話は信用してもらえないかもしれない、警察官が調書を取るのではなく、B自身が、直筆で、思うように、行動も時間も全部書いてくれと言われて記載した旨を説明している(控訴審3回B26丁)。警察 は、Bの供述について、警察官調書を作成したものの、Bは取引の意図を隠さず、その供述は大きく変遷し、裏付けを欠くなどしていたから、警察としても、Bの捜査段階供述の信用性を担保する必要があると考えていたはずである。そこで、Bの供述内容について、K、J及びHの供述も含めて十分な裏付けがあることを確認した上で、Bが被害者に対する憐憫の情や反省の気持ちから、自発的に上申書の形で真実を述べるに至ったとの体裁を取ろうとした意図が透けてみえるのであり、このような上申書の作成状況、経緯に照らしても、B供述がH供述に先行したものとみるのが整合的である。 ⑷ Hにおいて具体性や迫真性等のある迎合供述が可能であったことHは、アパートc前で、被告人から女子中学生を刺し殺したと聞いたとか(1審検281、1審3回H23丁)、被告人の血痕を見て、素手での殴り合いではなく、灰皿や刃物を使ったけんかだと思ったと供述するなどしており(1審検197・24丁)、B供述のない部分についても、血痕付着の目撃や、犯行告白といった、被告人の犯人性に関する部分について、相応に具体的で、迫真性の類を感じさせる供述をしてはいる。 しかし、取調官は、Hに対する取調べにおいて、被告人は血だらけになっていたことがなかったかと尋ねて(再弁72)、被告人が血痕を付着させていた可能性を示唆しているし、Hは、控訴審になると、被告人からは具体的な殺害方法を聞いておらず、凶器については取調べの過程で分かった、新聞報道を通じて想像し て(再弁72)、被告人が血痕を付着させていた可能性を示唆しているし、Hは、控訴審になると、被告人からは具体的な殺害方法を聞いておらず、凶器については取調べの過程で分かった、新聞報道を通じて想像した面もあると供述している(控訴審5回H11、49丁)。Hが本件殺人事件について知ったという昭和61年3月21日発行の福井新聞の記事や、同月中の新聞報道には、犯行場所や被害者が中学生であることのほか、被害者が電気カーペットのコードで首を締められ、ガラス製の灰皿で頭を強く殴られたこと、包丁 で首や顔をめった突きにされ、出血多量により死亡し、周囲にはおびただしい血が飛び散っていたこと、交友関係のもつれといった怨恨の線が強いとみられていることなどが記載されていた(1審検189、再弁151ないし169)。 また、Hは、かつては暴走族にも属していた暴力団関係者で、当時は、シンナーの吸引や酒を飲みに行くことを繰り返しており、事件当夜以前に被告人とも一緒にシンナーを吸引した経験があった上(1審検186、187)、Hは、シンナー仲間とシンナーを吸引するときには車の中や仲間の部屋で吸引していたが、友人方で吸引しようと交渉するも断られ、時にはけんかを仕掛けることもあったとしている(1審検197・13丁、1審3回H15丁)。Hは、傷害前科を有し、H自身もけんかにより何針も縫うけがをしたことがあり(1審検187)、素手で殴った場合や凶器を用いた場合の出血の違いについて供述するなど(1審検197・24丁、1審4回H68丁)、けんかや流血沙汰は見慣れており、Hにとって特異な体験ではなかったようでもある。Hは、殺人についてはともかく、シンナーの吸引はもちろんのこと、吸引場所の確保にまつわるトラブルや血痕の描写について、過去にも似たような経験をしていた Hにとって特異な体験ではなかったようでもある。Hは、殺人についてはともかく、シンナーの吸引はもちろんのこと、吸引場所の確保にまつわるトラブルや血痕の描写について、過去にも似たような経験をしていたとみても不合理ではない。 Hは、実際に体験していなくとも、警察官から示唆されるB供述、集合住宅hなどへの引き当たりを含む取調べの過程で知った情報や、報道で知り得た事実等を基に、本件殺人事件と整合し、Bの供述に沿う具体的な供述を行うことは十分に可能な状況にあったといえ、また、過去の類似の実体験等を下敷きに、供述に肉付けや修飾を加え、具体性、迫真性や臨場感を持たせることもできたといえる。 ⑸ HにはB供述に迎合する動機のあることさらに、捜査状況や、Hの前科関係等からすれば、HがB供述に迎合 した動機があることについても相応に納得できるような説明が可能である。 Bは、被告人と同行したのはEであるとしていた段階では、Eから聞いた話として、まず、Eが被害者方に行き、被害者を誘い出そうとしたが断られたので車まで戻り、次に被告人が被害者方に行くと血だらけになって戻ってきたと述べ(1審検202)、同行者をHと訂正して以降は、今度は被告人から聞いた話として、被告人に先立ち、まずはHが被害者方に行ったと供述していたことから(1審検208、282)、警察はHに対し被害者方に行っていないかを追及したものとみられる(ただし、Hは被害者方に行ったことを否定した。1審検193)。 上記でみたBの供述の進展や捜査状況のとおり、当時は本件スカイラインに関する証拠や、K、Jらの供述等、B供述に沿う内容の証拠が収集されていたから、警察はB供述を前提に、Hが本件の共犯者であることも視野に入れてHに対する取調べを行ったと考えられる は本件スカイラインに関する証拠や、K、Jらの供述等、B供述に沿う内容の証拠が収集されていたから、警察はB供述を前提に、Hが本件の共犯者であることも視野に入れてHに対する取調べを行ったと考えられる。実際、警察官は、Hに、共犯者の可能性があるとして追及するとともに、再三にわたり事件の重大性を説明して説得していた(再弁72、73)。Hからすれば、このまま本件殺人事件への関与を否定し続けると、Eのように犯人蔵匿罪に問われることや、下手をすればBが供述するままに、殺人事件の共犯にされかねないとも考えたとしても不思議ではない。また、Hは、昭和61年3月2日に傷害事件を起こし、本件殺人事件に関して事情聴取をされたときには、懲役1年、3年間保護観察付き執行猶予の判決を宣告されていたことから(1審検281、1審5回H47丁)、執行猶予の取消しを懸念したとも考えられる。現に、Hは取調べの過程において、複数回にわたり、不安げに、犯人を匿うと罪になるのか、俺は事件に何も関係ないのか、罪にひっかかるのかと、自らの刑責を心配する発言を複数回行っている(再弁72)。 このようなHの立場からすれば、仮にHが本件殺人事件に関与していなくても、Eのように犯人蔵匿を疑われたり、重罪である殺人事件の共犯に問われたりすることを恐れていたところ、警察官に、このようなことがあったら罪になるのかどうかを尋ねて、警察官から現場に入っていたら罪になるが、それでなかったら大丈夫じゃないのかと言われたことをきっかけに(1審4回H2丁)、殺人事件の共犯者等に仕立て上げられるくらいなら、B供述に迎合した供述をした上で、本件殺人事件の現場に行ったことは否定するのが得策であると判断したと考えてもあながち不合理なことではない。 これに対し、検察官は、Hが被告人を匿 くらいなら、B供述に迎合した供述をした上で、本件殺人事件の現場に行ったことは否定するのが得策であると判断したと考えてもあながち不合理なことではない。 これに対し、検察官は、Hが被告人を匿ったとして逮捕されるのではないかとの強い不安と懸念から、当初、被告人と行動を共にしたことを否定し、その後、取調べ警察官の説得もあって、本件が重大であり、被害者が浮かばれないと感得したことを主たる理由として真実を語り始めたと主張している。しかし、このような見方とは別に、Hは本件殺人事件に無関係であるものの、同事件について刑責を負わされるのを恐れたため、自己保身の動機から警察に迎合したと評価する余地も多分にある。 ⑹ まとめ(H供述はB供述に迎合したものである疑いがあること)以上の検討によれば、H供述については、B供述が先行していて、同供述の変遷に符合する変遷経過等があるほか、Hは取調べなどを通じて知り得た情報を手掛かりに、具体性や迫真性等のある迎合供述をすることが可能であり、B供述に迎合する動機も説明できることなどからして、B供述に迎合して行われた虚偽のものである合理的疑いがあるというべきである。 なお、検察官は、一般的に、供述者の間で供述に食い違いがある場合にはいずれかの供述は真実と異なる可能性が高いのであるから、取調官が真実を明らかにするため、そのような記憶違いの有無等を確認してい く過程で他の者の供述を示唆し、それでも疑念が残る場合に明確に伝えるなどして記憶の喚起に努めることに問題があるとはいえず、その結果、記憶が呼び戻されたり、曖昧な記憶が正されたりすることもよく見られるところであるのに、これを誘導により虚偽の供述をさせたとして信用性を論難するのは、複数の関係者の供述のいずれが信用できるかを明らかに 憶が呼び戻されたり、曖昧な記憶が正されたりすることもよく見られるところであるのに、これを誘導により虚偽の供述をさせたとして信用性を論難するのは、複数の関係者の供述のいずれが信用できるかを明らかにしていく過程に対する理解を欠くものであると主張する。 確かに、聴取の相手方に対し、客観的証拠や他の者の供述を示唆したり、確認(いわゆる「当てる」)したりするなどして、聴取の相手方が、正しい記憶を喚起するとか、記憶違いのみならず、虚偽の供述をするのを改めて真実を供述するに至ることは往々にみられるところであり、供述の信用性を吟味するために、このような取調べが必要な場合もあることを否定するものではない。 しかし、取調べに際し、他の者の供述を示唆したり、確認したりする手法については、ともすれば捜査機関による誘導、時に誤導の意味合いを持ち、供述者の立場、属性や利害の状況等によっては、供述者が迎合して虚偽の供述をする危険を多分にはらむものであるから、当該供述の信用性は、当該事案に応じて、供述者の特性はもとより、その供述状況、経過や、客観的裏付けの有無等により検証されるべきである。Hについても同様に検証する必要があり、検察官指摘の一般論をもって、HがB供述に迎合した可能性を否定することはできない。 5 供述内容の不自然性、不合理性次に、供述内容についてみる。 本件犯行態様はかなり執拗なものであり、精神鑑定においては、一件記録の記載に基づく推察として、被告人がシンナーを吸引中に本件犯行を行ったのであれば、被告人は幻覚妄想状態にあり、記憶行動能力、判断能力は著しく障害され、極度の興奮状態で本件犯行を行った可能性が示されて いる(1審検310、同39回W15医師)。 しかし、H供述によれば、被告人は、Hが待つ り、記憶行動能力、判断能力は著しく障害され、極度の興奮状態で本件犯行を行った可能性が示されて いる(1審検310、同39回W15医師)。 しかし、H供述によれば、被告人は、Hが待つ本件スカイラインまで無事に戻ってくることができており、その際に、興奮していたとはいうものの、極度の興奮状態や、被告人が幻覚妄想下にあった様子まではうかがわれない。しかも、H供述によれば、被告人は、ゲーム喫茶dでBらと合流するまでの間、車内で断続的にシンナーを吸引したにもかかわらず、W2を頼ってW2方まで行き、W2が不在と分かると、今度はBに連絡を取ろうとしたというのである。被告人は、その間、Hに行先の指示、道案内をするほか、アパートcでは不在であったBを探すためにb会事務所に連絡をするなど、その時々の状況に応じた冷静な対応をしており、また、本件犯行について簡単ながらHに説明するなど、意思疎通にも特段問題はみられない。本件犯行態様に加え、精神鑑定の内容を前提とすれば、シンナー吸引の強い影響下で本件犯行を犯したとみざるを得ないところ、その後のシンナー吸引もあったというのに、被告人は移動中の車内でぶつぶつ独り言を言っていたとされるぐらいで目立った精神症状がうかがわれないことや、被告人がBらを頼ろうと合理的な行動がとれたというのはかなり不自然であるとの印象は否めない。 また、被告人に同道したときのHの行動をみると、H供述によれば、H自身も車内でシンナーを吸引している様子があるのに、精神症状は特にうかがわれず、むしろ、ゲーム喫茶dでBらと合流するまでの行動状況や、被告人とのやり取りなどについては、かなり具体的かつ明確な供述となっており、自動車の運転等の合理的な行動もできているようである。検察官が主張するとおり、シンナーによる酩酊等によりHの の行動状況や、被告人とのやり取りなどについては、かなり具体的かつ明確な供述となっており、自動車の運転等の合理的な行動もできているようである。検察官が主張するとおり、シンナーによる酩酊等によりHの記憶が薄れた可能性は否定できないにしても、H供述からうかがえるH自身の行動状況に鑑み、シンナー吸引の影響による酩酊度はさして高くないとみられる上、前述したとおり、H以外に被告人の行動状況等を説明する者がいない場面の供述 状況と比較して、Hはゲーム喫茶dでBらと合流して以降については覚えていないとして一切供述していないことについては、やはり不自然で、容易には納得し難いところがある。この点に関する主要関係者の供述がばらばらで符合していないことも踏まえると、Hがアパートeに行った事実自体があったのかも疑わしい。 このように、H供述を子細にみると、内容においても看過し難い不自然さや不合理さが残るというべきである。 6 H供述は重要部分につき客観的裏付けに乏しいことそこで、H供述についても、誘導、迎合等による虚偽供述の可能性を払拭できるだけの客観的証拠ないし他の関係者の供述等による裏付けがあるかを検討する。 ⑴ タクシーの利用履歴等検察官が客観的裏付けとして主張する事実を検討すると、Hがアパートcに向かう前にゴムのりを購入したとする点については、事件当夜の購入の事実の裏付けはない。Hがシンナー仲間方との往復に使ったqタクシーの利用については、運転手の供述や運転日報による裏付けがあるものの(1審検147)、本件犯行との関連性は薄く、H供述の核心部分を裏付ける力は相当に限定的である。被告人がBに連絡を取ろうとしたことについて、アパートc近くに実際に公衆電話が設置されていること(1審検149)については、Hは事 の関連性は薄く、H供述の核心部分を裏付ける力は相当に限定的である。被告人がBに連絡を取ろうとしたことについて、アパートc近くに実際に公衆電話が設置されていること(1審検149)については、Hは事件当夜以前からアパートcのB方に出入りをしていたから、B方付近の公衆電話の設置状況を知っていても何ら不思議ではなく、裏付けとしての意味合いはないに等しい。 ⑵ Rの原審公判証言による裏付けについてR(当時16歳)は、3月19日夜に被害者方付近路上において丸型テールランプの白色自動車を目撃したと証言するところ、検察官は、丸型のテールランプは本件当時スカイラインに特徴的なものであったから、 同証言により、本件犯行が行われた時間帯に、Hがスカイラインをa団地6号館西側道路に停車させていた事実が裏付けられていると主張する。 なお、原判決はR証言については言及していない。 ア R証言の概要Rは、原審第15回公判(昭和63年7月19日)において、事件当夜の目撃状況について、「3月19日夜、a団地の公民館横にある公衆電話ボックスで友人らに電話をかけ、バイクで周囲を走行しては、再び同所に戻って電話をかけることを繰り返していた。バイクでa団地6号館西側道路を南から北に走行中、進路前方に白い車が北向きに止まっているのを見たが、そのテールランプは丸型で、ランプは点灯していたと思う。普通、方向指示器とかストップランプは細長いのに、このときに初めて丸いテールランプを見たので、『ああ、こんな車があったんやな。』と、たまたまその車を覚えていた。a団地付近にいたのは午後8時過ぎ頃から午後10時頃までだと思うが、その車を見たのが何時頃かは覚えていない。」と証言した。 また、Rは、捜査機関に対し目撃車両について供述をした経緯 いた。a団地付近にいたのは午後8時過ぎ頃から午後10時頃までだと思うが、その車を見たのが何時頃かは覚えていない。」と証言した。 また、Rは、捜査機関に対し目撃車両について供述をした経緯について、「本件殺人事件後に派出所で事件当夜に電話をしていたことを言ったら聴取を受けるようになった。そのときには先ほど証言した車が止まっていたことは覚えていたが、警察官からはただ時間帯とかを聞かれただけだったので、その車のことは話していない。その車について、初めて警察で話をしたのは昭和62年2月に実家から下宿に移る前頃だったと思う。車を見ていないかと聴かれ、走行中に白い車を見たことがある、車種は分からないが車の後ろに丸いランプが付いていたと言ったら、テールランプが丸型の車の写真を見せられ、その後、福井警察署に呼ばれて車を見せられ、こんな車やったんじゃないかと聞かれたので、確かこんな丸いランプでしたね、と言った。」と証言 している。 なお、Rは、目撃した車両の位置について図示したが、これはHが本件スカイラインを停車したとする位置と整合している(1審15回R及び1審3回Hの各尋問調書に添付の見取り図)。 イ Rの供述経過当審における事実取調べの結果によれば、Rの供述経過について、次のとおり認められる。 Rは、昭和61年3月30日、警察官(派出所の警察官とみられる。)に対し、3月19日夜にバイクでa団地付近を走り回っていたなどと話したのをきっかけに、同年4月1日までの間、複数回にわたり聞き込みを受けたものの、3月19日夜にa団地6号館付近で記憶に残っている人や車両等は何もなく、不審及び特異事項には全く気が付かなかったと繰り返し述べていた(再弁79ないし81)。 ところが、Rは、 ものの、3月19日夜にa団地6号館付近で記憶に残っている人や車両等は何もなく、不審及び特異事項には全く気が付かなかったと繰り返し述べていた(再弁79ないし81)。 ところが、Rは、昭和62年2月12日付けの警察官調書(再弁139)になり、「3月19日夜、団地内の公衆電話ボックス近くの道路に、テールランプが丸型で、エンジンがかかっているような白色の乗用自動車が1台止まっているのを目撃した。この車は、車内の人影は見ていないがテールランプが点灯し、人がいるような感じがあったので印象に残っており、他の駐車中の車と区別して覚えている。何でも言うと警察官がしつこく来て聞いていくのが嫌なので、今までこの車のことを黙って喋らずにいたが、少しでも手掛かりになればと思い、この車のことを話すことにした。」というものである。この際、Rは、既に押収済みの本件スカイラインを見せられ、目撃車両も、今見ている車も、テールランプが丸型で、白色の車体、大きさも同じである旨述べ、僕が記憶にあるのも、とにかく テールランプが丸かったことははっきりと覚えていると述べた。 さらに、Rは、昭和62年4月3日付け検察官調書(再弁196)になると、「事件後に交番の警察官に説明した時から白い車が図面に書いたあたりに止まっていたことは知っていた。しかし、その時は車のことは聞かれなかったので、何も話さなかった。その後だいぶ経ってから、警察官に車を見なかったかと聞かれ、白い車が止まっていたことを話した。そして、その車のことについて何でもいいから思い出してくれと言われてよく思い出してみたところ、その白い乗用車の後ろのランプが点いており、それが丸型だったことを思い出した。」と供述している。 ウ R証言には重要な部分に合理的な理由のない変遷のあること と言われてよく思い出してみたところ、その白い乗用車の後ろのランプが点いており、それが丸型だったことを思い出した。」と供述している。 ウ R証言には重要な部分に合理的な理由のない変遷のあること Rは、本件殺人事件発生直後に複数回行われた聴取時には目撃車両についての供述をしていないところ、警察官調書では、上記聴取時から目撃車両についての記憶はあったものの、聴取が嫌で、あえて供述しなかったと説明している。ところが、検察官調書になると、今度は、警察官から車のことは聴取されなかったからという理由に変遷し、これを原審公判でも維持している。しかし、警察官は本件殺人事件発生直後の聴取時から、不審な人物のみならず、車両について何度も質問していることが認められるから、原審証言等は捜査状況に反した説明であり、Rが本件殺人事件発生直後に目撃車両について説明しなかったことに疑問が残る。 また、Rは、テールランプの形状について、警察官調書においては、丸型テールランプの白色乗用自動車が止まっていたことは当時から記憶にあったと供述しておきながら、検察官調書においては、テールランプの形状はよく記憶を喚起して思い出したとの供述に変わり、原審公判においては、再び目撃当時から記憶にあったとの証 言に変遷している。 検察官調書の内容は、Rが目撃した車両の特徴について、最初から覚えていた特徴(白色)と、後から思い出した特徴(丸型テールランプ)を区別し、また、警察官から何でもいいから思い出してくれと言われたとして、記憶喚起を求められた様子を具体的に述べるものである。テールランプの形状は警察官の聴取をきっかけに思い出したとする点では、うなずけるところがある。 しかし、そもそもR証言によれば、Rはバイクで道路を通 れた様子を具体的に述べるものである。テールランプの形状は警察官の聴取をきっかけに思い出したとする点では、うなずけるところがある。 しかし、そもそもR証言によれば、Rはバイクで道路を通り抜けるときに停車していた車両をちらっと見たにすぎないから、目撃時間は短く、かつ、車両をよく観察していた様子まではみられない。 しかも、検察官調書によれば、Rは、車両を目撃してからおよそ11か月後の警察官調書作成頃になって、そのテールランプの形状を思い出したということになるが、上記のような目撃状況に照らしてそのような事態になるとは考え難く、後から考えてみて、そのとき初めて丸型のテールランプを目撃したのだったと思い出すというのも想定しにくい。Rが警察官調書を作成するまでには、本件スカイラインが押収されており(1審検82、83)、Hからはa団地内の路上に本件スカイラインを停車させた旨の供述が得られていた(2月1日付けH上申書)。Rの供述経過に照らすと、警察官がこれらの捜査情報を前提にRから聴取する過程で、Rに対し、スカイラインや丸型テールランプの車両が本件犯行に関係しているものとの警察の見方が伝わり、その見方がRの記憶喚起や供述に影響したのではないかとの疑いが生ずる。 この点を措くとしても、テールランプの形状は印象的だったので最初から記憶していたというのと、後からよく記憶喚起して思い出したというのでは記憶状況にかなりの違いがあり、この供述変遷に 合理的な理由は見出せない。また、警察の聴取段階では、初めて丸型のテールランプを見たのが事件当夜であったために目撃車両の特徴としてよく記憶していたとの説明は述べられておらず、公判段階になって初めて現れている点にも不自然さが残る。記憶状況に関する供述変遷は、3月19日に目撃した車両 が事件当夜であったために目撃車両の特徴としてよく記憶していたとの説明は述べられておらず、公判段階になって初めて現れている点にも不自然さが残る。記憶状況に関する供述変遷は、3月19日に目撃した車両について、丸型のテールランプを初めて見たために印象的でよく覚えているというR証言の中核を揺るがすものがある。これに加え、Rが本件殺人事件発生直後の聴取では目撃車両について供述をしていないことにも照らすと、Rが本当に公判証言にいう車両を目撃しているのか、仮に目撃していたとしても、テールランプの形状に関する記憶が確かなものなのかについては、相当に疑わしいというべきである。 エ小括(R証言による裏付けのないこと)よって、R証言については信用性を肯定することができず、H供述の裏付けとすることはできない。 ⑶ まとめ(客観的裏付けに乏しいこと)そのほか、検察官は、H供述は、Hに本件スカイラインを貸したGの原審証言により裏付けられていると主張するが、本件スカイラインから被害者のものとみられる血痕は検出されておらず、他に本件殺人事件と本件スカイラインとを結び付ける客観的証拠は存在しないし、事件当夜に本件スカイラインを運転したとのJ供述の危うさは既にみたとおりである。 以上で検討したところによれば、H供述についても、重要部分において虚偽供述の可能性を払拭できるような確かな客観的な裏付けに乏しいというべきである。 7 結論(H供述は信用できない)検察官が立証の最大の柱とするH供述は、他の主要関係者供述に比べて 変遷の度合いは比較的小さく、変遷の理由も一応の説明ができ、一見すると被告人を陥れるまでの虚偽供述の動機もなかなか想定できない上、Bの関与のない行動経過において、被告人が被害者方付近にいて犯行機会のあ の度合いは比較的小さく、変遷の理由も一応の説明ができ、一見すると被告人を陥れるまでの虚偽供述の動機もなかなか想定できない上、Bの関与のない行動経過において、被告人が被害者方付近にいて犯行機会のあったこと、被告人の衣服への血痕付着の目撃や被告人から犯行をほのめかされたといった重要な間接事実について、具体的かつ詳細に、臨場感や迫真性を持って供述しているかのようにもみえるところがある。 しかしながら、以上で検討したところによれば、Hは本件殺人事件への関与を否定していたのに、Bの関与がないとされる部分を含め、警察による誘導等を受け、自己保身のために、先行するBの供述に迎合して相応に具体性、迫真性等のある体験供述を作出した疑いが払拭できない上に、核心部分について客観的裏付けをほとんど欠いていて、供述内容にも不自然さや不合理さが残る。何より、J供述の検討によれば、Jが事件当夜、被告人らと行動を共にしていなかった可能性を排斥できない以上、Jの存在を供述するH供述の信用性も肯定できない帰結となる。 H供述についても、やはり有罪認定に供し得るほど間違いなく信用できるとはいえない。 第6 その他の主要関係者供述について以上のとおり、主要関係者のうち、被告人の犯人性をより強く推認させるはずのB、J及びHの各供述の信用性は否定され、被告人の犯人性については十分な合理的な疑いが生じているが、念のため、F、D及びCの各供述の信用性についても検討を加える。 1 F、D及びCの供述の信用性についての検察官の主張検察官は、F及びDの原審供述、Cの捜査段階供述は、具体的、詳細であり、F及びDについては捜査、公判を通じて一貫しているなどとして信用できると主張する。 2 F及びDの供述について ⑴ F証言及びD証言の要 述、Cの捜査段階供述は、具体的、詳細であり、F及びDについては捜査、公判を通じて一貫しているなどとして信用できると主張する。 2 F及びDの供述について ⑴ F証言及びD証言の要旨F証言の要旨は、「ラウンジ勤めを終えて帰宅後となる3月20日午前1時過ぎ頃、着衣に血を付けた被告人に似た男が、B、Jと一緒に、当時の自宅であるアパートeに来た。Hは来ていない。その後、BとJが、その男を残したまま出て行き、明け方頃、今度はBがDを連れてやってきた。三人で覚醒剤を使用した後、BとDはアパートcへ行き、Bから被告人に似た男を後からアパートcまで来させてくれと頼まれ、そのようにした。」というものである(1審7回F)。なお、Fは、昭和61年9月26日に覚せい剤取締法違反で逮捕され、同年11月6日から昭和62年7月16日まで少年院に入院しており(1審検244、248)、Fの供述調書は全て在院中に作成されている(1審検283ないし287、再弁211、212)。 次に、D証言の要旨は、「事件当夜、b会事務所で当番をしていると、Bの関係者と思われる男からBの居場所を問い合わせる電話があったので、Bのポケットベルを鳴らし、事務所に電話してきた男のことを伝え、当時Bがいたゲーム喫茶dの電話番号を聞き、再び電話をかけてきたその男に同電話番号を教えた記憶がある。朝方前にb会事務所へ来たBから、車がどうにかならないか言われるとともに、覚醒剤が手に入ったと誘われたので、b会本部長のキャデラックでアパートeに行った。事務所を出ると、Bから、Fの部屋で被告人らがシンナーをしていてFが困っており、追い出してくれと言われ、車中では、被告人がやばいことをしたと言われた。3月20日午前4時頃、アパートeに着くと、同室にはFと被告人がいた。 、Fの部屋で被告人らがシンナーをしていてFが困っており、追い出してくれと言われ、車中では、被告人がやばいことをしたと言われた。3月20日午前4時頃、アパートeに着くと、同室にはFと被告人がいた。そのほかに、もう一人いたと思うが、それがHかは分からない。被告人は、同室でシンナーを吸っており、胸元と首筋に血が付いていたので、首筋の血を洗いに行かせた。同室でB、Fと共に覚醒剤を使用した後、被告人に後から来るように言ってBとアパートc へ行った。」というものである(1審8、9回D)。 ⑵ 被告人の同行者についての供述変遷まず、FやDは、事件当夜に被告人と同行した人物について、B同様、一旦はEであると供述した後、供述を変遷させた経過がある。 Bは、昭和61年12月1日以降、Eが本件殺人事件に関与したとの虚偽供述をしており、同月6日には、事件当夜にゲーム喫茶dにいた際、事務所当番をしていたDから、「****」から連絡があったと伝えられたこと、Dを伴って被告人やEのいるアパートeに行ったなどと供述していた。これに対して、Fは、同年12月中は、血を付けた人物や同行者についての記憶が薄いとしながらも、最終的には同行者はEではないかと供述し(1審検285)、Dも、同月15日以降、事件当夜に事務所当番をしている際に、W14かEから電話があり、Bに取り次いだことがあること、Bと一緒にアパートeに行くと、被告人のほか、W14かEがいたと供述した(再弁213ないし215)。 ところが、Bが、昭和62年に入り、被告人の同行者はEではなくHであると供述を変更すると、Fは、同年1月26日、被告人と一緒にいたのはEではなくJであったと供述を変更し(1審検286)、Dもまた、同年2月の取調べの際、アパートeにはEではなくHがいた はなくHであると供述を変更すると、Fは、同年1月26日、被告人と一緒にいたのはEではなくJであったと供述を変更し(1審検286)、Dもまた、同年2月の取調べの際、アパートeにはEではなくHがいたと供述を変更した(再弁218。ただし、その後、被告人以外にもう一人いたと思うがはっきりしない、それはHではないと供述している。再弁220、1審8、9回D)。 なお、HがF方に入室したかについては、F、Dのみならず、J、Bもそれぞれ異なる供述をし、H供述も曖昧であるから、この点はこれら主要関係者の供述の信用性を疑わせる事情というべきである。 ⑶ 血痕付着の目撃に関する供述変遷次に、FやDの供述は、被告人が血痕を付けていたことを目撃した点 でも変遷がみられる。 ア血痕付着の目撃に関する供述経過まず、Bは、昭和61年10月28日、アパートcで被告人の右太もも付近や靴に血が付いていたことを思い出したなどと供述した(再弁40)のを皮切りに、同年11月27日に、被告人が着ていたズボンの右足太ももに直径20センチメートルくらいの半乾きの血が付いていて、ジャンパーや手のところどころに血が付いていたなどと供述し(1審検200)、同月29日には、血痕の付着状況につき図示したが、その際、同月27日に供述した付着状況に加え、右胸付近に飛び散った血をも記載した(1審検201)。同年12月6日になると、被告人の顔や洋服には点々と血が飛び散るように付いており、手や手首にも血が付いて黒くなっていたなどと供述し、アパートeで目撃した被告人の状況については、上着の下のシャツに点々と飛び散るように血が付着し、両手付近にも血が付着している様子を図示するなど(1審検203)、付着した血痕の大きさや量、付着箇所を拡大させている。 た被告人の状況については、上着の下のシャツに点々と飛び散るように血が付着し、両手付近にも血が付着している様子を図示するなど(1審検203)、付着した血痕の大きさや量、付着箇所を拡大させている。 他方、Fは、同月7日以降、同月中の取調べにおいては、男の胸から腹にかけて細かく点々と飛び散ったように血が付いていたと述べ、同月19日付けの警察官調書では、Bの作成した図同様、人体図の上半身に細かく点々とした血痕が付着するとともに、指先付近にも血が付着している様子を図示していた(1審検283、285、再弁211、212)。 その後、Bは、最終的に、昭和62年3月25日付けの検察官調書において、右胸や右太ももにやや大きな範囲で血が付いており、そのほかは血が飛んで付いたようになっていたと供述し、その旨図示すると(1審検220)、Fも、同年4月14日付けの検察官調書におい て、血は大小色々あり、大きいものはカブト虫大で、楕円形に近く、円の長い方の一方がカブト虫の角のように細長くなっている感じであったとして、上半身に血が点々と付く中に、一つ大きな雫型の血痕が付着している様子を図示するとともに、手の甲に血が付いていたと述べ(1審検287)、原審公判においては、血は手の甲と胸の辺りに付いており、胸には大小ばらばらと、大きいものは4センチメートル角の崩れた血が付いていたなどと証言している(1審7回F)。 また、Dについても、昭和61年12月中は、被告人のトレーナー様シャツの左袖辺りに、肘を中心にして幅30センチメートルくらいの大きさに赤黒く一見して血と分かる染みがあり、胸から首あたりには点々とした血が水しぶきを浴びたように付いていたと述べていたにもかかわらず(再弁213、214)、昭和62年3月になると、被告 らいの大きさに赤黒く一見して血と分かる染みがあり、胸から首あたりには点々とした血が水しぶきを浴びたように付いていたと述べていたにもかかわらず(再弁213、214)、昭和62年3月になると、被告人は首筋や服の胸元に血を付けていたと述べ(再弁220)、原審公判においても、胸の辺りと首筋、特に胸の辺りの印象が強いとしながらも曖昧な証言をしている(1審8、9回D)。 イ供述変遷に合理的理由のないことこのようなFとDの血痕に関する供述についてみると、目撃した血痕の付着状況を正確に把握してこれを記憶にとどめ人に説明することは容易ではないとはいえ、実際にかなりの大きさや量があるなど一見して目立つような血痕を目撃していたのであれば、ある程度印象に残るはずであるのに、B、F及びDの血痕目撃供述をみると、上記のように、後になるにつれ供述が不自然に具体化したり、血痕の付着箇所が変遷し、曖昧になったりするなど、容易に理解できない変遷がみられる。 しかも、B供述に加え、手の甲や胸元に血が付いていたとのH供述(昭和62年1月26日付け警察官調書・1審検187、2月1日付 けH上申書)や、胸元、首に近い辺りに直径約5センチメートルで、楕円形に血が付いており、その周りに飛び散ったような血が付いていたとのJ供述(昭和62年3月24日付け検察官調書・1審検295)と整合させようとしたとみられる経過もうかがわれる。 このようなことからすると、もともとは主要関係者の血痕目撃供述が符合しておらず、これを捜査機関が矛盾しないように調整しようとしたことをみて取ることも可能である。そうすると、FとDが実際に血痕付着を目撃するという体験をしたというには疑問が残り、この点のF及びDの供述を信用するには躊躇を覚えるところである。 調整しようとしたことをみて取ることも可能である。そうすると、FとDが実際に血痕付着を目撃するという体験をしたというには疑問が残り、この点のF及びDの供述を信用するには躊躇を覚えるところである。 ウ血痕目撃に関するB供述、H供述についての補足説明なお、原判決は、BやHの供述によると、被告人は手や衣服に血痕を付着させており、本件スカイライン助手席付近に血が付着する可能性が高いのに、被害者のものと考えられる血液反応が一切認められなかったことを、各供述の裏付けとなるべき客観的証拠の不存在として指摘し、各供述の信用性を否定する事情と評価している。 この点について、検察官は、車に血が付着しなかった可能性や、本件スカイラインの所有者であるGがガソリンスタンドにおいて有料による洗車や車内の掃除をしていたために、血液反応が認められなかった可能性を挙げて原判断を論難する。 しかし、犯行態様、遺体や現場の各状況からすれば、犯人はかなりの返り血を浴びているはずであり、B、Hの血痕目撃に関する供述に照らしても、Bらの供述によれば、被告人が関係箇所を移動する際に使用した本件スカイラインに血痕が付着するはずであるとの原判決の見方もおかしくはない。領置された本件スカイラインは、窓ガラス部分が汚れ、内部もごみが落ちているなど乱雑な状態であったから(1審検183)、Gがいうような清掃がされていたのかは疑問が残る。 よって、原判決が、本件スカイライン内から被害者の血液反応が認められなかったことをBやHの供述の裏付けの不存在として評価したことは、誤りであるとはいえない。 ⑷ F及びDがB供述に迎合した疑いのあることアパートeに同行した人物が誰であるかや、被告人が事件当夜に血痕を付着させていたことは、FやD て評価したことは、誤りであるとはいえない。 ⑷ F及びDがB供述に迎合した疑いのあることアパートeに同行した人物が誰であるかや、被告人が事件当夜に血痕を付着させていたことは、FやDの供述の核心部分であるにもかかわらず、その供述経過には他の主要関係者供述を受けた変遷がみられるから、FやDが実際に目撃した体験を述べているのかに疑問を生じさせるに十分である。特に、この二人は、B供述からの誘導や示唆を受けて、本件に関与のないEの名前まで出して巻き込もうとしていることからなおさらである。 Dは、Eの名前を出した理由について、捜査段階では、Hが暴走族仲間で十年来の友達であったからなかなか名前を言えず、Eなら年下だから言ってしまったと述べ(再弁218)、Fも、JはFと同郷でかつてのシンナー仲間であり、年上であったことから、Jの名前を出さずに、Eの名前を出していたと述べている(1審検286)。これらの供述は、DやFが、HやJの名前を出したがらなかった理由としては一応の説明がつくものの、実際に事件当夜に被告人らと行動を共にしたが、HやJとの関係から、B供述に合わせて、一旦はEの名前を出し、その後真実を語り始めたのか、それとも、Bの虚偽供述に従ってEの名前を出した上、後にHやJらの名前を出さなかった理由をそれらしく説明しているのかは判別ができないというべきである。 迎合の動機等についてみると、Fは、年長のBから仕事を世話してもらい、覚醒剤を融通してもらうなどしているから、Bに恩義を感じていた可能性があるし、それだけでなく、Fは、Bにアパートeの合鍵を使用させ、Bの関係者の出入りを容認して、Bの自由に使わせるなどして いて(1審6回B7丁、1審検283、287)、Bに逆らえなかった様子もあるから、Bに迎合する は、Bにアパートeの合鍵を使用させ、Bの関係者の出入りを容認して、Bの自由に使わせるなどして いて(1審6回B7丁、1審検283、287)、Bに逆らえなかった様子もあるから、Bに迎合する可能性は十分にある。Dは、昭和61年5月頃、幹部組員との意見が合わず、無断でb会を飛び出し、神奈川県内で別の暴力団組織に所属して生活していたところ(1審9回D7丁、再弁213、215)、警察官から任意の取調べに応じなければ、別件での身柄拘束や指名手配をすると匂わされたために、福井に戻って取調べを受けている(供述録音テープ・1審弁105、再弁194)。 ⑸ 検察官の主張の検討検察官は、Dの迎合の動機について、Dが本件殺人事件の取調べを受けていた際、別件の被疑者として捜査中ではあったものの、単純な無銭飲食という軽微な犯罪であって、これをもって捜査官に迎合しやすい素地を生じさせるものではないと主張する。しかし、Dは、当時現役の暴力団組員であり、弁護人らに対し、「どんなことでも拾い出されるていうかんじで、別件でいくらでも指名手配できるでしょ。」と述べていたとおり(再弁194)、本件殺人事件の捜査に協力しなければ、種々理由を付けて別件による身柄拘束をされる可能性があると懸念していたことは否定できない。 次に、検察官は、仮に、警察がFを誘導して存在しない事実を供述させたのであれば、Bが連れてきた人物が被告人かどうかという警察にとって最も重要な点について、「被告人によく似た男」などと曖昧な供述にとどまっている理由が理解できないとも主張する。そこで検討すると、Fは、本件に関する警察からの最初の事情聴取とみられる昭和61年12月7日の取調べにおいて、同年3月中頃の午前1時過ぎ、Bがアパートeに血の付いた服を着た男を連れて来たことがあ 。そこで検討すると、Fは、本件に関する警察からの最初の事情聴取とみられる昭和61年12月7日の取調べにおいて、同年3月中頃の午前1時過ぎ、Bがアパートeに血の付いた服を着た男を連れて来たことがあるとは申し立てたものの、前後の状況については全く覚えておらず、その男の特徴等についても全く思い出すことはできず、警察官が被告人の写真を提示しても 「この人です」とは断言できなかった(1審検283)。Fは、同年12月14日の取調べにおいても、血の付いた男について、どうしてもその顔を思い出すことができず、むっつりとした無口で汚い感じの男と述べていたにすぎないのに(再弁212)、同月19日になると、その当時は覚醒剤に夢中で血を付けた男については関心がなかったために思い出せないが、その男は汚い感じの男であり、刑事から見せてもらった12枚くらいの写真の中から選ぶと被告人だと思うと供述している(1審検285)。Fは、血の付いた男と会ったのは、その日の1回だけであると述べ、男の特徴も曖昧なものにとどまっていたから、Fがその男が被告人に似ていたと正確に記憶喚起ができたかは甚だ疑問であり、この点は、警察官が当初被告人の写真のみを示したことによる影響も想定できる。Fの供述内容や経過に照らし、Fが目撃したという血の付いた男についてのごく曖昧な記憶を、被告人に似ている男とまで何とか供述を誘導した可能性は否定できないというべきである。 さらに、検察官は、Fは、BやJが供述する、Hが室内に入ったという点について明確に否定しているし、Dも、b会事務所に電話をかけてきた人物や、アパートeにいた人物について、EからHに変遷させた後も、なおも、電話を架けてきた人物はHではなかったと思うとか、アパートeにいた人物について、もう一人の男がいたということ自体はっ けてきた人物や、アパートeにいた人物について、EからHに変遷させた後も、なおも、電話を架けてきた人物はHではなかったと思うとか、アパートeにいた人物について、もう一人の男がいたということ自体はっきりしないと答えるなどし、警察に誘導されるまま記憶にないことまで供述するという態度ではなかったことは明らかであるなどとも主張する。 しかし、Fは、ラウンジ勤めをする際にHの世話になっており(1審検285)、DはHと長年の友人関係にあったから(再弁218)、Bの供述に迎合するにしろ、Hとの関係性から、Hの名前を出すことを避けようとしたとも説明ができ、検察官指摘の供述状況は、警察による誘導の可能性と矛盾するものではない(なお、H供述の重要部分は、Hと被 告人がゲーム喫茶dにおいてBと合流するまでの部分であるから、それ以降のHの関与については、それほど供述を誘導する必要性は高くなかったともいえる。)。 なお、これに関連して、検察官は、警察が、Bを除く5人の主要関係者に、被告人の着衣等に血が付着しているのを見たという虚偽の供述をさせたというのであれば、同人らに自由自在に虚偽の供述をさせることができたというに等しく、そのようなことができたのであれば、その供述は細部まで整合性のある明確なものとなるはずであるとした上で、実際には、HがF方に入ったかどうかや、被告人の着衣等の血痕の位置等に曖昧な部分や相互に整合しない部分が少なからず含まれており、これらはそのような供述ではないことの証左であるとも主張する。しかし、そもそも、警察がB供述に整合するよう上記主要関係者の供述を誘導できるのであれば自由自在に虚偽供述をさせることができるはずだという前提自体が極論というべきであって、既に検討したところにも照らし、検察官指摘の供述の不整合等は警察による供述誘 要関係者の供述を誘導できるのであれば自由自在に虚偽供述をさせることができるはずだという前提自体が極論というべきであって、既に検討したところにも照らし、検察官指摘の供述の不整合等は警察による供述誘導等を否定し去るだけの論拠とはなり得ない。 このほか、検察官は、3月20日は木曜日であるところ、Fは、血を付けた男がBと一緒に来た日はごみ収集の日(木曜日)であったと供述しているから、F供述はごみ収集日に関する客観証拠(1審検249、250)により裏付けられているとも主張するが、曜日が一致するだけで、秘密の暴露に類するような強い裏付けとは評価できない。 ⑹ 結論(F供述、D供述は信用できない)B供述の変遷に応じて供述を変えていくなどしたFやDの供述経過や、迎合の動機があることからすれば、同人らは、その立場などにも鑑み、簡単に誘導に乗りやすい人物であると認められ、供述の重要部分について客観的裏付けに乏しいことからしても、同人らの供述に信用性を認め るのは困難であって、同人らの供述に有罪認定に供せられるほどの信用性は認められない。 3 C供述についてCの捜査段階供述(検察官調書・1審検273)の要旨は、「3月20日早朝頃、被告人が左右どちらかの太ももに点々と血を付けてアパートcまで来た。被告人を同室で寝かせてやったが、寝ている間にも被告人がうなされて大声を出していたので気味が悪いと思った。」というものである。 しかし、Cは、原審公判で、「事件当夜に被告人はアパートcに来ていない。被告人が夜中にアパートcに来て泊めてやり、寝ていた被告人が大きなうなり声を上げたことがあったが、事件当夜とは別の日の出来事である。ズボンに米粒くらいの血痕が何滴か付いていたのは何となく見た記憶があるが、被告人かと言われ に来て泊めてやり、寝ていた被告人が大きなうなり声を上げたことがあったが、事件当夜とは別の日の出来事である。ズボンに米粒くらいの血痕が何滴か付いていたのは何となく見た記憶があるが、被告人かと言われても分からないし、Bがよく付けていた血と勘違いしているかもしれない。捜査段階の供述調書については、捜査官から、Bがこういう感じで言っているけれどもと聞かれ、大分経ってから聞かれたのでよく覚えておらず、そう言われるとそうなのかなと思った。」と証言している(1審25回C)。 Cは、当初の聞き込みの際には、昭和61年3月頃の深夜に被告人がアパートcに来たことがあったなどと述べていたが、被告人とは面接しておらず、どの部分に血が付いていたかは全く分からないと述べており(再弁42)、その後、事件当夜にアパートcに来た被告人の太ももに血痕が付着していたなどと述べはしたものの、結局、公判廷では曖昧な証言に至っている。Cは、Bと交際して同棲していた時期があり、Bが逮捕されて以降は、Bと面会をしている様子がうかがわれ、Bから本件殺人事件について情報提供ができれば減刑してもらえるとして協力を求められていた経過もあるから(1審弁99)、CがB供述に迎合して血痕目撃供述をした可能性は否定できない。検察官は、Cの捜査段階供述のうち、Bが事件当夜 にtタクシーを利用したとする点については裏付けがある旨をいうが、B供述の検討においてみたとおり、タクシーの利用は、Bの事件当夜の行動のうち、本件犯行とは直接関係しないから、裏付けとしての意味合いは小さい。 血痕目撃をいうCの捜査段階供述も信用することができない。 第7 まとめ以上のとおり、確定審の記録を調査するとともに当審において事実取調べを行った結果によれば、Bにおいて自己の利益を図るために 目撃をいうCの捜査段階供述も信用することができない。 第7 まとめ以上のとおり、確定審の記録を調査するとともに当審において事実取調べを行った結果によれば、Bにおいて自己の利益を図るために被告人が犯人であるとのうその供述を行い、捜査に行き詰った捜査機関において他の主要関係者に対してB供述に基づく誘導等の不当な働きかけを行い、その結果、B供述に沿う主要関係者供述が形成されていった具体的かつ合理的な疑いが残るのであって、同様に判断して、主要関係者供述の信用性を否定した原判決は正当なものであるということができる。 一般的には、利害関係のない複数の供述者の供述内容が一致することで相互に信用性を支え合う関係にあると評価できる場合もあるけれども、本件においてはB以外の主要関係者においてB供述に迎合するだけの動機がある上、その立場や性行等に鑑み、被誘導性も強いものがあり、その一方で、捜査機関(起訴後は検察官も含む。)においては、捜査や公判での立証に行き詰まりを感じ、被告人を立件して有罪に持ち込みたいという思惑を強く有していたことから、捜査機関による供述誘導等の意図も相当強かったと推認できるところもある。しかも、主要関係者の各供述に客観的な裏付けとなるような証拠に乏しいため、主要関係者に対し、捜査機関が見立てた筋立て(ストーリー)に見合った供述ないし証言を求めていたことは容易にみて取れ、主要関係者においてもそれに迎合した具体的な供述をすることは決して不可能ではなかったと考えられる。 そうすると、検察官が主張するように、主要関係者供述が大筋で一致し、 そのいずれもが被告人が犯人であることを指し示すものとなっているからといって、同供述が実際に体験した事実を供述するものとは評価することができず、主要関係者供述を間接証拠とし 大筋で一致し、 そのいずれもが被告人が犯人であることを指し示すものとなっているからといって、同供述が実際に体験した事実を供述するものとは評価することができず、主要関係者供述を間接証拠として、犯行可能性、血痕目撃や犯行告白といった間接事実を認定することはできない。 検察官は、警察が主要関係者の供述を誘導した可能性があるというのは、荒唐無稽であるとか、細部に目を取られて証拠全体を総合的に検討していない近視眼的な判断であるなどと主張する。しかし、これまで検討してきたとおり、そもそも、Bは、本件殺人事件に関する情報と引き換えに、量刑の軽減や、保釈獲得等の利益を図ろうとする態度を示し、供述の変遷も大きく、現に、警察官らもB供述がうそである可能性を感じていたのであるから、取調べを行う際には、Bに対して慎重に対応する必要があったはずであるし、他の主要関係者らについても、できる限りB供述の影響が及ばないよう配慮しながら取調べに当たる必要性があったはずである。ところが、警察は、かえって、Bに不当な利益を供与するなどして、Bの不正な意図を助長させたばかりか、他の主要関係者らについても、Bと直接面会させて本件殺人事件について話をさせたり、Bの供述調書の内容を示唆したりするなどして、その供述を汚染させる結果となった可能性が否定できない。いわゆる供述の出方等を含めた証拠関係全体を俯瞰すれば、まさに検察官が「荒唐無稽」と評価するような捜査が現実に行われた具体的な疑いが浮かび上がるのである。そして、公判段階においても、P1警察官がJに対してその控訴審証言に近い時期に現金を渡したことは、既に詳述したとおり、警察官の職務の公正さの観点からも、到底看過することはできない。 加えて、確定審検察官は、「夜のヒットスタジオ」の放送日時、内容に関するP3 言に近い時期に現金を渡したことは、既に詳述したとおり、警察官の職務の公正さの観点からも、到底看過することはできない。 加えて、確定審検察官は、「夜のヒットスタジオ」の放送日時、内容に関するP3捜査報告書の重大な誤りを明らかにすることなく、被告人から正しい事実関係を前提とした主張・立証の機会を奪い、裁判所にも動かし 難い事実について真実と異なる心証を抱かせたまま判決をさせるなど、不利益な事実を隠そうとする不公正な意図があったといわれても仕方がない訴訟活動に及んでいる。確定審検察官がこの誤りを適切に是正していれば、そもそも再審請求以前に確定審において原審の無罪判決が確定していた可能性も十分に考えられるのであって、上記のような確定審検察官の訴訟活動に対しては、その公益の代表者としての職責に照らし、率直に言って失望を禁じ得ない。 以上のような検察、警察の不正、不当な活動ないしその具体的な疑いは、単に検察、警察に対する信用を失わせるのみならず、刑事司法全体に対する信頼を揺るがせかねない深刻なものである。検察官の主張は、これらの検察、警察による不正な行為等から目を背けた主張というほかはなく、到底採用することができない。 なお、このほか、検察官は、被告人が少なからぬ機会に自己が犯人であることを認めるかのような言動に出ており、これを被告人が本件犯行を犯したことを推測させる重要な根拠となり得るとしているが、この間接事実単体で被告人が本件殺人事件の犯人であることを間違いなく推認させるほどの推認力はなく、頭毛鑑定等によるものなど、その他の間接事実についても同様である。そのほか、検察官は、被告人が本件殺人事件の犯人であるとして、るる主張するが、既に検討したところにも照らし、いずれも採用できない。 以上の検討によれば、被告人が本 事実についても同様である。そのほか、検察官は、被告人が本件殺人事件の犯人であるとして、るる主張するが、既に検討したところにも照らし、いずれも採用できない。 以上の検討によれば、被告人が本件殺人事件の犯人であることについては合理的な疑いを超える程度の立証がされているとは認められず、被告人を犯人であると認めることはできない。 同様に判断し、被告人を無罪とした原判決は正当であって誤りはなく、事実誤認をいう論旨には理由がない。 第8 結論 よって、刑訴法396条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。 令和7年7月18日名古屋高等裁判所金沢支部第2部 裁判長裁判官増田啓祐 裁判官山田兼司 裁判官南うらら

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