平成28(う)894 傷害被告事件

裁判年月日・裁判所
平成29年3月28日 大阪高等裁判所
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判決文本文16,344 文字)

[傷害被告事件][平成29年3月28日宣告大阪高等裁判所第5刑事部判決] 主文 本件控訴を棄却する。 理由 第1 本件控訴の趣意は,京都地方検察庁検察官矢本忠嗣作成,大阪高等検察庁検察官竹中ゆかり提出の控訴趣意書に記載のとおりであり,これに対する答弁は,主任弁護人東岡由希子及び弁護人大久保享共同作成の答弁書に記載のとおりであるから,これらを引用するが,論旨は,被告人を無罪とした原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある,というものである。 そこで,記録を調査し,当審における事実取調べの結果を併せて検討する。 第2 本件公訴事実の要旨は,被告人が,平成26年11月下旬頃から平成27年1月2日までの間,当時の自宅において,長女(当時生後4か月ないし同6か月)に対し,多数回にわたり,その両脇に両手を差し入れて身体を持ち上げ,前後に激しく揺さぶるなどの暴行を加え,よって,同人に症候性てんかん及び精神運動発達遅滞の後遺症を伴う加療期間不明の急性硬膜下血腫,慢性硬膜下血腫等の傷害を負わせた,というものである。 原判決は,長女の負った傷害が,平成27年1月2日午後7時39分頃までの当日午後7時台に加えられた激しい揺さぶり行為や平成26年11月中旬から同年12月頃に何らかの暴行が加えられたことによって生じたものと考えられるものの,被告人が犯人であると断定するだけの証拠はないとして,被告人に無罪を言い渡したものである。 本件において,平成27年1月2日(以下「本件当日」という。)に病院 に搬送された時点で,長女が乳幼児揺さぶられ症候群(略称「SBS」)による傷害を負っていたことは明らかで,その当日に激しく揺さぶられたことやそれ以前にも慢 「本件当日」という。)に病院 に搬送された時点で,長女が乳幼児揺さぶられ症候群(略称「SBS」)による傷害を負っていたことは明らかで,その当日に激しく揺さぶられたことやそれ以前にも慢性硬膜下血腫を生じるような暴行を加えられていたことは認められるが,関係証拠をなお十分に検討してみても,それが被告人の所為であると断定するに足りる証拠はないとした原判決の判断は結論において相当というべきである。 論旨は,要するに,原判決は,被告人の犯人性については原審の証拠関係から明らかであるのに,当時の具体的状況を十分に考慮することなく,当時の被告人の妻(以下,単に「妻」という。)にも本件犯行の機会があった旨の誤った認定をするとともに,妻の証言の信用性を基礎付ける事実の認定やその評価を誤るなどした結果,被告人の犯人性は認められないという誤った判断をした,というものである。 しかしながら,原判決の証拠評価及び事実判断さらにはその説示内容はおおむね相当として是認することができ,原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認は認められない。 以下,所論に鑑み,当裁判所の判断を示すこととする。 第3 原審で取り調べられた関係証拠によれば,以下の事実が認められる。 1 被告人らの生活状況等 被告人は,平成25年12月24日,同僚であった妻と婚姻し,平成26年6月26日に妻が長女を出産した後の同年10月4日頃から,当時の被告人方で,妻及び長女と3人で生活を始めた。 長女の育児については,妻が日常的に一人で行っており,被告人は週末にしか長女と接する機会がなく,被告人が長女をあやすのは,妻が手を離せずに長女が泣き出したときに限られていたことなどから,長女は被告人になつかず,被告人があやしてもなかなか泣き止まなか 被告人は週末にしか長女と接する機会がなく,被告人が長女をあやすのは,妻が手を離せずに長女が泣き出したときに限られていたことなどから,長女は被告人になつかず,被告人があやしてもなかなか泣き止まなかった。な お,被告人は,長女の後頭部を左前腕で支え,股から右腕を入れて横抱きにし,ゆりかごのように左右に揺さぶったり,長女と向かい合う形で肩に長女の頭を乗せ,長女の背中と尻を支えて縦抱きにし,室内を小走りで走り回ったりするあやし方をしていたが,その様子を見た義父や妻から,「少し早いのでは。」とか「揺さぶられ症候群になる。頭がぐじゃぐじゃになる。」などと注意されたことがあった。また,被告人は,長女の身体を水平にし,両脇を両手でつかんで頭上に抱え上げて前後に揺さぶるというあやし方をすることもあった。 被告人は,同年11月終わり頃から,仕事が忙しくなって,遅いときには翌日の午前零時頃まで残業をするようになっていた上,帰宅すると,妻から育児に協力的でないことなどを非難されて口論となることがしばしばあった。また,被告人は,居間にしていた6畳和室を長女の寝室にされたことから,テレビを見てくつろぐこともできなくなったり,妻から小遣いを制限され,上司や同僚との付合いも思うようにできなくなったり,さらに,妻から,玄関の鍵をかけて風呂に入って長女を寝かしつけるので,午後6時30分から午後8時の間は帰ってこないようにと言われたりしていた。 2 長女が本件当日に救急搬送された経緯等 平成27年の元日に,被告人らは,被告人の実家に行って過ごし,翌2日午後6時頃帰宅した。被告人は,夕食の買い出しに出掛け,弁当店やコンビニエンスストアを回った後,書店に立ち寄って,小一時間後に帰宅した。 帰宅後,被告人は,6畳和室において,テ し,翌2日午後6時頃帰宅した。被告人は,夕食の買い出しに出掛け,弁当店やコンビニエンスストアを回った後,書店に立ち寄って,小一時間後に帰宅した。 帰宅後,被告人は,6畳和室において,テレビを見たり,テレビゲームをしたりし,妻は,6畳和室の座椅子に座って,長女にほ乳瓶でミルクを飲ませ,ゲップをさせるなどして10分から15分くらい長女を抱 っこしていた。 その後,妻は,長女を4畳半和室に連れて行き,6畳和室とのふすまの敷居近くに敷かれた布団に寝かせ,被告人に対し,長女の様子を見ていてほしいと頼んで,同日午後7時30分頃から入浴した。妻は,普段から,自分の体を洗った後に,長女を入浴させることにしており,この日も,被告人に後で長女を風呂場まで連れて来てもらうつもりでいた。 同日午後7時37分頃,被告人は,長女がミルクを吐き出しているなどと言って,妻が入っている風呂場の脱衣場まで長女を抱えて連れて行ったが,長女は,顔一面にミルクかすが広がり,顔色が青く,脱力状態で,呼びかけても反応がない状態であった。被告人は,妻に指示され,同日午後7時39分に119番通報をしたところ,午後7時44分に救急隊員が到着し,長女は,人工呼吸,心臓マッサージを施されながら,A病院に救急搬送された。 搬送先のA病院において,搬送当日に頭部CT検査,同年1月5日にMRI検査,同月6日に全身のレントゲン撮影がなされ,医師は,長女の傷病について,硬膜下血腫,両眼底出血,脳挫傷,左前胸皮下出血等と診断した。 3 長女の負った傷害の内容とその原因本件当日にA病院に搬送された時点における長女の脳の所見は,①左右前頭部の円蓋部における慢性硬膜下血腫,②小脳テント上下,後頭部両側から大脳半球間裂までの部位,右側は頭頂部まで続く部位等に複 因本件当日にA病院に搬送された時点における長女の脳の所見は,①左右前頭部の円蓋部における慢性硬膜下血腫,②小脳テント上下,後頭部両側から大脳半球間裂までの部位,右側は頭頂部まで続く部位等に複数の急性硬膜下血腫,③左右頭頂葉と左右後頭葉に右側優位の脳実質損傷等というものである。さらに,平成27年1月6日には,長女に両側眼底出血等があったと診断されている。 長女の症状が乳幼児揺さぶられ症候群(略称「SBS」)といえるかに ついて,B医師の原審公判供述によれば,SBSは,硬膜下血腫,脳実質損傷に起因する脳浮腫,網膜出血の三徴をもって診断することが確立しており,長女のこれらの症状はSBSと診断することができるというのである。 そして,長女のSBSをもたらした揺さぶりの時期等について,B医師の原審公判供述によれば,SBSにおいては,激しく揺さぶられることで,頭部が回転性加速度減速度運動を受け,脳実質が損傷するというのであり,長女の受けた脳実質損傷は重い部類で,このような脳実質損傷を受けた場合,通常は数分以内,遅くても15分以内に嘔吐や痙攣などの症状が出てくるというのであるから,このように長女の容態がいつ急変したかについて,その時期を正確には特定することはできないものの,被告人や妻の原審公判供述からすると,119番通報がなされる午後7時39分からそれほど遠くない時点の午後7時台と合理的に推測することができる。 また,長女には発生時期を異にする可能性が高い2か所の慢性硬膜下血腫が認められるところ,B医師の原審公判供述その他関係証拠を総合すれば,これらの傷病の原因としては,平成26年11月中旬以降同年12月頃にかけて,1,2回程度,長女の頭部に硬膜下血腫が生じるような外力が加えられたと認められる。そして,原 述その他関係証拠を総合すれば,これらの傷病の原因としては,平成26年11月中旬以降同年12月頃にかけて,1,2回程度,長女の頭部に硬膜下血腫が生じるような外力が加えられたと認められる。そして,原判決が説示するとおり,その外力は,暴行としてなされたとみるのが合理的であるが,態様については,激しい揺さぶりである可能性が高いものの,それ以外の可能性も否定できない,と解される。 第4妻には犯人矛盾事実が多数存在すること被告人には児童虐待の犯人性と整合する事実が多数あることなどの情況事実を指摘した上,本件当日に長女の容態が急変する直前の暴行は,被告人によって妻が入 浴中に行われたと主張し,その根拠として,㋐長女に直前の暴行を加えることができた人物は,被告人あるいは妻以外には考えられないという証拠関係の下で,①のとおり妻には犯人矛盾事実が多数あり,②のとおり被告人には犯人性と整合する事実が多数あるという事情は,被告人が犯人であることを強く推認させること,㋑脳実質損傷を伴うような重篤なSBSが発症した乳幼児は,受傷原因から通常は数分後に嘔吐等の神経学的症状が出ると認められるところ,その頃,長女と一緒にいた人物は被告人のみであること,㋒妻は,6畳和室及び4畳半和室において,長女に暴行を加えた様子がなかったこと慢性硬膜下血腫を生じさせた暴行も被告人により行われたものであると主張する。 その上で,所論は,本件当日に妻が長女に激しい揺さぶりを加えた可能性を示唆した点,12月20日の長女の体調異変は,被告人が暴行を加えた犯人であると推認させる事情とは評価し得ない旨判示した点,妻の証言の信用性を否定した点,の捜査段階の供述についての評価の点において,原判決は判断を誤っている,というのである。 第5 本件当日に長女の容態が急 認させる事情とは評価し得ない旨判示した点,妻の証言の信用性を否定した点,の捜査段階の供述についての評価の点において,原判決は判断を誤っている,というのである。 第5 本件当日に長女の容態が急変する直前の暴行は妻が入浴中に行われたと主張する所論について 1 SBSについて,豊富な鑑定等の経験を有するB医師は,警察官調書(原審甲11号証,12号証)及び原審公判廷において,本件当日における長女の容態急変について,前記頭部CT検査,MRI検査の各画像等に基づき,以下のような意見を述べているところ,その内容は専門的知見に裏付けられたものであり,十分信用することができる。 SBSが生じるためには,1秒間に2ないし4往復する程度の速さの揺さぶりが必要である。 119番通報がなされた約1時間23分後に撮影された長女のCT画 像の中には,大脳に広範囲の低吸収が見られ,これは,脳実質が損傷したことに伴い,これを治癒するために血管の中から血漿成分が漏出し,その部分が水っぽくなっているため,CTの吸収値が減少して生じるものと考えられる。血腫が脳を圧迫して生じる浮腫であれば,受傷後24時間以上経たないと低吸収の所見は発現しないことが知られており,本件のような短時間で低吸収の所見が発現することはないので,長女の脳実質損傷は,浮腫を介さず,揺さぶられたこと自体により生じたものと認められる。 SBSを発症するような揺さぶりが行われると,首を支点として,頭部に回転性の運動が与えられ,遠心力により加速しながら回転運動をしていき,方向転換の瞬間に急激な減速運動により慣性力が生じ,複数回の揺さぶりによって,このような回転性加速度減速度運動が繰り返されるうち,次第に慣性力が累積されて,頭部が受ける剪断力や脳が受けるひずみの力が非常に大きなもの 激な減速運動により慣性力が生じ,複数回の揺さぶりによって,このような回転性加速度減速度運動が繰り返されるうち,次第に慣性力が累積されて,頭部が受ける剪断力や脳が受けるひずみの力が非常に大きなものとなり,脳が頭蓋骨の内側に衝突したりして脳実質損傷が生じる。このような脳実質損傷があると,脳内の神経がダメージを受け,意識障害,呼吸障害や,嘔吐,痙攣といった神経学的症状が出てくる。 本件当日の長女の脳実質損傷は,重篤な部類に入る。重い脳実質損傷が起きた場合,受傷してから嘔吐等の神経学的症状が発現するまでの時間的間隔は,通常は数分以内であるが,最長15分まで間隔が空く可能性は否定できない。また,乳児がミルクをちゃんと飲み,しばらく吐かないでいるのであれば,ミルクを飲んだときまでは受傷していないといえる。 2 そこで検討すると,被告人ら3名が6畳和室にいたとき,長女は座椅子に座っていた妻に抱かれ,ミルクを飲まされるなどしていたのであり,被 告人は長女に近づいていない。長女は,普段どおりにミルクを200ないし240CC ほど飲んだが,その後もしばらく6畳和室で妻に抱かれ,その間,ミルクを吐くことはなかった。また,狭い6畳和室内で被告人が近くにいる際に,妻が長女に対して激しい揺さぶりを加えたならば,被告人は当然それに気付くはずであるが,被告人は妻が長女を揺さぶる場面を見ていないし,そのような気配も感じていない。そして,被告人と妻はいずれも6畳和室で長女の異変に気付いていない。 以上によれば,長女の容態急変をもたらした直前の暴行は,授乳時以前を含めて,被告人ら3名が6畳和室にいたときに行われたものではないということができる。 3 所論は,直前の暴行は,妻が長女を4畳半和室に連れて行った後,風呂に入るまでの間に行われたも ,授乳時以前を含めて,被告人ら3名が6畳和室にいたときに行われたものではないということができる。 3 所論は,直前の暴行は,妻が長女を4畳半和室に連れて行った後,風呂に入るまでの間に行われたものではないことの根拠として,この間に妻が長女に暴力を振るう理由がないこと,この間に妻が長女に暴力を振るった形跡がないことを指摘した上,直前の暴行は,妻の入浴時に行われたと認められる根拠として,③前記のとおりの神経学的症状の出現機序からすると,同症状は脳実質損傷に伴って直ちに発現するものと考えられるから,本件における長女の嘔吐は,激しい揺さぶりが加えられた直後に発症したものと認められ,また,被告人が長女の異常に気付いたとする午後7時37分頃には,長女は既に嘔吐していたというのであるし,長女が飲んだミルクが200CCほどであり,被告人が妻の下に長女を連れて行く直前,長女はミルクを噴水状に吐き続けていたのであるから,脳実質損傷と神経学的症状の発現等に関するC医師の見解(当審検1号証)とも併せ考えると,長女はその直前に嘔吐を始めたとみるのが自然である,というのである。さらに,所論は,④妻が入浴中に長女の泣き声などその異常に気付いていないが,そのことは,直前の暴行が妻の入浴中になされたことを 否定する事情となるものではなく,他方,⑤被告人は,長女を風呂場に連れて行くために4畳半和室に行ったところ,既に長女がミルクを吐くなどしていた旨,偶然長女の異常に気付いたと供述しているが,そのような被告人の供述は信用できない,というのである。 そして,所論は,⑥原判決が,脳実質損傷を伴うような事例では,揺さぶられて受傷してから,嘔吐等の神経学的症状が出るまでの時間は,「15分以内」であるとのB医師の証言の一部分を基に,被告人が長女の異常に気付い 論は,⑥原判決が,脳実質損傷を伴うような事例では,揺さぶられて受傷してから,嘔吐等の神経学的症状が出るまでの時間は,「15分以内」であるとのB医師の証言の一部分を基に,被告人が長女の異常に気付いた午後7時37分頃から遡った15分ほどの間においては,妻も長女に接する時間帯があったことをもって,その犯行可能性を排斥し得ない旨認定したものと思われるが,これはB医師の証言を表面的に解するものであって不当である,などというのである。 4 しかしながら,以下に述べるとおり,所論を踏まえて検討しても,関係証拠上,直前の暴行については,妻が長女を4畳半和室に連れて行った後,風呂に入るまでに行われた可能性を否定することはできず,したがって,妻が入浴中に被告人によって行われたと断定することもできない。 すなわち,まず,所論③,⑥についてみると,B医師の原審公判供述によれば,前述のとおり,重い脳実質損傷が起きてから嘔吐等の神経学的症状が発現するまでの時間的間隔は,通常は数分以内であるが,最長15分まで間隔が空く可能性は否定できないというのであるから,仮に長女に嘔吐等の神経学的症状が現れ始めた時刻が,被告人が長女の異変に気付いたとして長女を風呂場の脱衣場に連れて行った午後7時37分頃であったとしても,妻が入浴を始めた時点で既に長女が受傷していた可能性は残ることになる。さらに,妻が長女を4畳半和室に寝かせて風呂場に向かった後,被告人が長女の異変に気付いたとする午後7時37分頃までのどの時点で,長女に嘔吐等の症状が発現し始めたかは,関係証拠によっても明らかでは なく,妻が風呂場に向かった直後に,長女の嘔吐等の異変が生じ始めた可能性も否定できない。この場合,医学的見地に照らして想定可能な長女の受傷時期としては,午後7時37分頃よりもある程 なく,妻が風呂場に向かった直後に,長女の嘔吐等の異変が生じ始めた可能性も否定できない。この場合,医学的見地に照らして想定可能な長女の受傷時期としては,午後7時37分頃よりもある程度前の時点から更に15分遡った時点までということになる。 この点,所論③が指摘するC医師の見解は,「揺さぶりを受けてから発症までの期間について,アメリカで発表された論文によると,揺さぶった直後(揺さぶったすぐ後という意味)に,嘔吐等の症状が出たことが認められることからすれば,本件でも,長女の嘔吐は,揺さぶった直後に発症したと認められる。」などというものである。しかしながら,この見解によっても,B医師の前記意見の信用性に疑いが生じるものではなく,神経学的症状は受傷から遅くとも15分以内に発現する,逆に言えば,神経学的症状の発現に数分以上15分未満要する症例も医学的にあり得ることは否定できず,これを単なる抽象的可能性として無視することはできないというべきである。原判決は,このようなB医師の意見を正しく理解した上で判断しているものと認められ,所論⑥の批判は当たらない。また,長女が嘔吐を始めた時期に関する所論③の主張についても,長女がミルクを吐いているのに気付いた際,その口元はミルクでびしょびしょだったという被告人の原審公判供述や,長女が脱衣場に連れて行かれた際のミルクの付着状況等に照らせば,長女がその直前にミルクを吐き始めたと断定することはできない。 次いで,以上を前提にして,所論②について検討すると,確かに,妻が長女を4畳半和室に連れて行った後,風呂に入るまでの間に妻が長女に暴力を振るった形跡は見当たらない。しかしながら,この間,被告人は終始6畳和室におり,妻は,被告人がいる6畳和室の隣の4畳半和室に長女と2人でいたものである 行った後,風呂に入るまでの間に妻が長女に暴力を振るった形跡は見当たらない。しかしながら,この間,被告人は終始6畳和室におり,妻は,被告人がいる6畳和室の隣の4畳半和室に長女と2人でいたものであるが,二つの部屋の間には,半分に開けられたふすま があり,被告人はゲームに熱中していて,妻の行動にはほとんど注意を向けていなかったことが認められ,そばに被告人がいたという事情を踏まえても,この時間帯における妻の行動は明らかになっていない。 さらに,所論①についても,妻は前日から本件当日の夕方まで被告人の実家で過ごし,帰宅する途中は被告人に不機嫌な態度を見せていたことも見受けられ,また,夕食を買いに行くよう頼んだ被告人が小一時間も帰ってこず,帰宅した後も,テレビを見たりゲームに没頭したりしていたというのであるから,この時点で,妻は,被告人の態度に相当鬱憤を募らせていたとしてもおかしくない状況にあったといえる。 以上によれば,その余の所論を検討するまでもなく,妻が風呂場に向かう前に長女に揺さぶりを加えた可能性を排除し得る根拠は見当たらないとする原判決の判断は相当というべきであって,その説示内容に誤りはない。 本件当日の状況から,被告人を犯人と断定することはできない。 第6 被告人には児童虐待の犯人性と整合する事実が多数存在し,妻には犯人矛盾事実が多数存在するとの所論について 1 所論は,長女が被告人になつかず,仕事や家庭生活などの日常において慢性的なストレスを抱え,被告人は,そのはけ口を見出すことができない状態にあったもので,被告人には児童虐待に及ぶ多数のリスク要因があったなどと指摘する。確かに,被告人が,仕事が多忙を極め,長女がなつかないことや妻との夫婦関係がうまくいっていなかったというストレスを感じていたことはう 被告人には児童虐待に及ぶ多数のリスク要因があったなどと指摘する。確かに,被告人が,仕事が多忙を極め,長女がなつかないことや妻との夫婦関係がうまくいっていなかったというストレスを感じていたことはうかがわれ,被告人自身,原審公判廷では否定しているものの,捜査段階では,あやしてもなかなか泣き止まないときに,苛立ちから長女を激しく揺さぶることもあった旨述べている(原審乙2号証2頁,3頁)。しかしながら,そのような事情があるからといって,直ちに,本件当日長女にSBSの原因となる暴行を加えたのも被告人であると断じる ことまではできないというべきである。 なお,所論は,妻が育児等にストレスを感じるなどして,長女にそのはけ口を求める言動をしていた事情は証拠上一切認められないなどと指摘する。しかしながら,当時,被告人と妻はけんかが絶えない日常生活の中,夫婦関係が相当に悪化していたとみられるのであり,平成26年の年末に被告人とけんかになってナイフを持ち出した際の妻の言動(妻の原審証人尋問調書43頁,原審乙6号証)をみると,妻としても家庭内で相当強いストレスを感じていたことがうかがわれ,児童虐待に及ぶリスク要因があったことを否定できないという点では被告人とさほど変わりはないということもできる。 以上のとおり,被告人は,家庭内で相当のストレスを抱えていたとみられ,そのはけ口として被告人に児童虐待に及ぶリスク要因があったことは否定できないものの,それだけで本件当日に長女に暴行を加えたのが被告人であると断定できるものではなく,家庭内で相当のストレスを抱えていたとみられることは,妻も同様であるから,所論は採用することができない。 所論は,妻が,その様子を心配して事あるごとに長女を医療機関に連れて行って診察を受けさせている態度は,典型 抱えていたとみられることは,妻も同様であるから,所論は採用することができない。 所論は,妻が,その様子を心配して事あるごとに長女を医療機関に連れて行って診察を受けさせている態度は,典型的な犯人矛盾事実である,というのである。すなわち,所論は,仮に,妻が,皮下出血など放置しても程なく治癒する程度の軽微な外表変化に関わっているとすれば,原因を究明しようとする行為に出ることは考えられないし,医療機関に受診させることにより,自己の虐待行為を疑われるおそれがあったのであるから,妻が何度も医師に相談したり,所要の検査を受けさせたりしていたという事実は,妻にはその原因に心当たりがなかったことを示しており,明らかに児童虐待の犯人矛盾事実と評価できる,というのである。 そして,所論は,この点に関する妻の証言の信用性を否定した原判決の判断について,妻が進んで長女を受診させていた事実の評価についての誤り,平成26年12月25日のD病院での受診状況の中に,妻月28日のE病院での受診状況の中に,妻の供述の信用性を疑わせる事情があるとした判断の誤り,などを指摘し,さらに,④医師からつねられた痕のようだと指摘されたのに,被告人に問いただした形跡がないことをもって,妻の供述の信用性を低下させる事情であると評価している点の誤りも指摘する。 所論についてみるに,「親による乳幼児への暴行などでは,一時的な感情に駆られて暴行に及んだ後,これを後悔して医療機関に受診させる例がままみられる」との原判決の指摘について,所論は,そのような一般的な例は,暴行の結果,子供の生命等に差し迫った危険が生じ,早期に病院を受診させて治療を受けさせる必要がある場合に起こるものであり,本件には当てはまらない,などという。しかしながら,親の対 うな一般的な例は,暴行の結果,子供の生命等に差し迫った危険が生じ,早期に病院を受診させて治療を受けさせる必要がある場合に起こるものであり,本件には当てはまらない,などという。しかしながら,親の対応が所論の指摘するような場合に限られ本件には当てはまらないというのは,必ずしも首肯し得るものではない。 また,所論は,妻が,原審公判廷において,平成26年11月26日予防接種のために初めてF医院を受診した際,医師に対し,二,三日前に見つけた長女の痣の相談をしたなどと供述していることに基づいて,妻が進んで長女を受診させていたと主張する。しかしながら,原審弁4号証及び当審弁1号証等の関係証拠によれば,妻が,F医院のG医師に対し,初診時に長女の痣について相談したことはなく,むしろ,同医師の方が,長女の頬や胸,太もも等につねられたような痣があることに気付き,これを気にして,妻の前でその痣に触れるという行動をとったも のであって,しかも,この際にも,妻とその痣について特にやり取りをしなかった,という事実経過であった可能性が高いといわざるを得ない。 そうだとすれば,妻が初めて痣を診せるために長女を受診させたのは,その翌日,別のD病院においてということになる(原審弁5号証)。そして,以後,妻は,長女には皮下出血など放置しても程なく治癒する程度の軽微な外表変化があったにすぎないのに,何度か医療機関に長女を受診させているのであるが,このように,妻が受診を重ねるようになったそもそもの契機は,妻が長女の皮下出血等を心配して自らそのことで医療機関の診察を受けさせたものではなかった可能性が高いということになる。このような事情からしても,妻が長女を医療機関に連れて行っているという事実を顕著な犯人矛盾事実と評価することはできない。 所論につい 診察を受けさせたものではなかった可能性が高いということになる。このような事情からしても,妻が長女を医療機関に連れて行っているという事実を顕著な犯人矛盾事実と評価することはできない。 所論については,原審弁5号証及び当審弁2号証によれば,平成26年12月25日のD病院での受診に先立ち,同年11月27日の同病院での受診に際しても,H医師は,長女の皮下出血が両頬など,皮下出血が生じる原因が想定できない部位にも分布していたことや,妻が既に黄色くなった治りかけの段階でこれを診せに来たこと等に違和感を抱き,さらに,同年12月25日の受診時においても,前回同様受傷から時間が経っていると思われるタイミングでの受診であったことや,色の変化に関する妻の説明に矛盾や不自然さを感じたというのである。原判決も,同日の受診状況に関し,「皮下出血の色から考えられる時間経過と,妻の説明する気付いた時期の間に矛盾があるとして,医師から虐待の可能性が疑われているが」と説示し,妻の原審公判供述中には納得できる説明はないと判断している。 この原判決の説示について,所論は,当審検2号証を基に,皮下出血については,最短18時間で黄色に消退するとの臨床結果が報告されて いるのであって,この皮下出血を前日に発見した(前日まで発見していない)という妻の供述が,医学的な見地からみて不自然とはいえない,という。しかしながら,当審弁1号証及び弁2号証には,これと異なる臨床医師の経験上の判断が示されている上,仮に所論が主張するように,皮下出血が18時間で黄色になるとしても,妻は,毎日,長女のおむつを換え,風呂にも入れていたはずであるから,同年12月25日の受診の際に認められた黄色い皮下出血は前胸部のものであったにせよ,当時長女が長袖のロンパースを着用していたという服装 ,毎日,長女のおむつを換え,風呂にも入れていたはずであるから,同年12月25日の受診の際に認められた黄色い皮下出血は前胸部のものであったにせよ,当時長女が長袖のロンパースを着用していたという服装の点だけで,妻の説明の矛盾や不自然さが払拭されるものではない。 所論③についてみるに,所論が事実誤認を主張する原判決の説示は,「同月28日にE病院を受診した際には,同じ皮下出血を診せているところ,前医での診療経過を後医に伝えた形跡がない」という部分である。 原審甲18号証等原審で取り調べた証拠をみるだけではその形跡を確認することはできないものの,当審検3号証によれば,同年12月28日のE病院での受診の際にそれまでの受診経過は伝えられていることが認められるから,確かに,この点,原判決には客観的事実の誤認があるといわざるを得ない。しかしながら,全体の受診経過に妻の供述の信用性を疑わせる事情があるとの原判決の判断を覆すような誤認とまではいえない。 なお,所論④についてみるに,所論は,妻の原審公判供述によれば,妻は,同年11月26日に,医師からつねられたような痕に見えると指摘された際,被告人に問いただしたところ,被告人が怒ったことから,同年12月25日に皮下出血を発見したことを告げると,被告人がまた怒るのではないかと考え黙っていたというのであり(妻の原審証人尋問調書9頁,10頁,12頁,13頁),その説明は極めて自然である,と いう。しかしながら,そもそも,同年11月26日にF医院を受診した際,つねられたような痕ないし痣があるという医師からの指摘がなかった可能性が高いことは前述のとおりである。また,この点は措くとしても,たびたび被告人と言い合いのけんかをしていたという状況をみれば,妻が,長女に対する虐待行為を疑いながら,被 医師からの指摘がなかった可能性が高いことは前述のとおりである。また,この点は措くとしても,たびたび被告人と言い合いのけんかをしていたという状況をみれば,妻が,長女に対する虐待行為を疑いながら,被告人が怒ることを恐れて黙っていたというのもやはり不自然であるといわざるを得ない。 その他,妻から被告人の母宛てに送信されたメールの内容(当審検4号証)など所論指摘の事実ないし事情を検討してみても,妻の原審公判供述には信用性を担保する十分な事情はなく,これを疑わせる事情も認められるとした原判決の判断に誤りがあるとはいえない。 3 所論は,①被告人が,泣き止まない長女の両脇に両手を差し入れて持ち上げ,前後に揺さぶるなど,その一部を目撃した妻や義父を心配させるほど,不適切なあやし方をしていたことが認められ,その揺さぶり方はSBSの発症原因行為と整合している,②被告人は,児童相談所からの聞き取りの際,同所職員に対し,「僕のあやし方がマズかったと思う。」と話し,その原因が自己の揺さぶりにあった可能性を肯定する態度を示しているという事実を指摘し,これらの事実も児童虐待の犯人性と整合する事実である,というのである。 しかしながら,所論①についてみるに,B医師の原審公判供述によれば,被告人が行っていたあやし方は,速度や勢いにおいて,SBSの原因となるような暴力的な揺さぶり行為とは性質を異にするものであることは明らかである。そうすると,被告人が不適切なあやし方に及ぶことがあったとしても,その事実から,直ちに,本件当日SBSの原因となるような暴力を加えたのも被告人であるとまで推認することは困難というべきである。 また,被告人がそのようなあやし方をしていたことだけで,これが直ちに 慢性硬膜下血腫の原因行為であると,証拠上断定することも困難 も被告人であるとまで推認することは困難というべきである。 また,被告人がそのようなあやし方をしていたことだけで,これが直ちに 慢性硬膜下血腫の原因行為であると,証拠上断定することも困難であるといわざるを得ない。所論指摘の事実が児童虐待の犯人性と整合する事実であるとの所論は採用することができない。 所論②についてみても,被告人のそのような発言は,本件当日の具体的な行動を明らかにするようなものではない上,医学的知識のない被告人が,長女が重篤な傷害を負うような事態になっていることについて,被告人なりにその原因について考えを巡らせ,思い当たるところを述べたにすぎないとみることもできるのであり,このような被告人の発言が,児童虐待の犯人性と整合する事実,あるいはこれを裏付けるような事実であるとまではいえない。 第7 慢性硬膜下血腫を生じさせた暴行も被告人により行われたと主張する所論について所論は,平成26年12月20日の長女の体調異変について,被告人が暴行をした犯人であると推認させる事情とは評価し得ないとの原判決の判断は誤っている,という。すなわち,緊急に受診させなければならない体調異変が妻の不在時に起こっており,その経緯や状況を知っているのは被告人だけであり,何ら支障がなかったのに被告人が殊更に病院に同行しなかったというのは不自然であって,このような事実は,被告人が,長女に対し,激しい揺さぶり等の暴行を振るっていたことと整合する一事情である,というのである。 しかしながら,所論も指摘するように,そもそも,同日,長女の頭部のCT撮影等もなされておらず,この異変が硬膜下血腫によるものかは明らかではないのであり,診察時には,長女は機嫌良く笑顔でおり,異変は終わっていたとみられることなども併せ考えれば,このときの長女の異変 CT撮影等もなされておらず,この異変が硬膜下血腫によるものかは明らかではないのであり,診察時には,長女は機嫌良く笑顔でおり,異変は終わっていたとみられることなども併せ考えれば,このときの長女の異変は,医師が診断したとおり憤怒痙攣であった可能性が十分にあるというべきで ある。そして,原審甲18号証によれば,医師が,事情を確認するため,被告人が来院するのを待って診察を始めているという事実経過が認められるから,被告人が病院に同行しなかったという所論の指摘は前提事実を誤認しているというほかなく,その他,被告人に自己の不適切な行為に対する後ろめたさや自責の念が表れているというような不自然な行動などは何ら見受けられない。 平成26年12月20日の長女の体調異変をもって,被告人が故意に長女の体調に異変を生じさせるような暴行を加えていたことを推認させる事情とみることには無理があるとの原判決の判断は相当というべきであって,所論は採用の限りではない。 さらに,所論は,妻には犯人矛盾事実が多数存在すること,被告人には児童虐待の犯人性と整合する事実が多数あること,本件当日における直前の暴行は,妻の入浴中に行われたことの各事実により,慢性硬膜下血腫を生じさせた暴行も被告人によるものであると合理的に推認される,というのであるが,この主張が前提を欠くことについては,既に説示したとおりである。所論は採用することができない。 第8 原判決が被告人の捜査段階の供述についての評価を誤っているという所論について 1 所論は,被告人の捜査段階における供述及び再現状況をみれば,被告人が一貫して責任回避的な態度に終始している,などという。すなわち,被告人は,任意捜査の段階において,SBSの原因行為たり得る,長女の両脇に両手を差し入れてその身体を持ち 及び再現状況をみれば,被告人が一貫して責任回避的な態度に終始している,などという。すなわち,被告人は,任意捜査の段階において,SBSの原因行為たり得る,長女の両脇に両手を差し入れてその身体を持ち上げ,前後に揺さぶるという態様での再現をしていないことについて,「やるのを忘れていたからです。」と述べ,あえて責任回避ないし軽減しようとしていた,というのである。 2 確かに,任意捜査の段階における犯行再現について,被告人が忘れてい たと述べていることは所論指摘のとおりである。しかしながら,SBSについての知識が全くない被告人が,どのような行為がその原因となるのか分からず,自分がやっていたあやし方の主立ったものを説明していたとみることもできるし,実際,本件で逮捕された当日の取調べにおいては,被告人が,その速度や勢いによっては,SBSの原因行為たり得る態様でのあやし方も述べていることからすれば,被告人が責任回避的な態度に終始していたなどということはできない。また,本件当日の行動等についても,被告人は一貫してその際に揺さぶり行為に及んだことはないと供述しているのであり,原判決が説示するとおり,被告人が,本件当日の行動を隠していることを指し示す事情は認められない。結局,被告人の捜査段階における供述等からは,被告人が再現した程度の速度や勢いで長女を前後に揺さぶるなどの行為をしたことがあった事実が認定できるにとどまり,その程度は被告人自身が激しいと感じるものであったとはいえ,医学的にみれば,その程度ではSBSが発症することはないというのであるから,被告人の捜査段階における供述等が,被告人の犯人性を示す重要な間接事実であることを原判決は見落としているなどという所論は採用の限りではない。 第9 結論以上のとおり,所論の指摘を十分 から,被告人の捜査段階における供述等が,被告人の犯人性を示す重要な間接事実であることを原判決は見落としているなどという所論は採用の限りではない。 第9 結論以上のとおり,所論の指摘を十分に検討してみても,本件証拠関係において,被告人が犯人と断定するに足りる証拠はないといわざるを得ないのであって,被告人に対し無罪の言渡しをした原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認は認められない。 論旨は理由がない。 よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却することとして,主文のとおり判決する。 平成29年3月28日 大阪高等裁判所第5刑事部 裁判長裁判官西田眞基 裁判官森浩史 裁判官福島恵子

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