令和3(う)1 殺人、死体遺棄

裁判年月日・裁判所
令和7年3月13日 福岡高等裁判所 宮崎支部
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判決文本文21,568 文字)

1 令和7年3月13日宣告 福岡高等裁判所宮崎支部判決令和3年(う)第1号 殺人、死体遺棄被告事件 主 文本件控訴を棄却する。 理 由第1 事案の概要等1 事案の概要原判決が認めた(罪となるべき事実)の要旨は、次のとおりである。すなわち、被告人が、①平成30年3月31日から同年4月1日までの間に鹿児島県日置市内の祖母方において、当時68歳の父親、当時89歳の祖母に対し、いずれも殺意をもって、その頸部(記録中には「頚部」の表記もあるが「頸部」で統一する。)を素手で絞めるなどして頸部圧迫により窒息死させて殺害し(原判示第1、第2)、②その後、両名の死体を日置市内の空き地に埋めて遺棄し(同第3)、③同月6日、上記祖母方において、当時72歳、当時69歳の伯母姉妹(以下「伯母姉」、「伯母妹」ともいう。)と当時47歳の男性(以下「被害男性」という。)に対し、いずれも殺意をもって、その頸部を素手で絞めるなどして頸部圧迫により窒息死させて殺害した(同第4ないし第6)、というものである。 2 本件控訴の趣意等本件控訴の趣意は、弁護人川谷慎一郎、同佐々木美智共同作成の控訴趣意書1及び2(差出期間経過後に提出された被告人作成の控訴趣意書に関する第2の3を除く。)各記載のとおりであり、これらに対する答弁は検察官有水基幸作成の答弁書記載のとおりである(いずれについても、原・当審で採用されていない証拠に言及した部分及び当審における鑑定の採否に関する部分を除く。)。論旨は、事実誤認及び訴訟手続の法令違反であり、要するに、原判決には、①原判示第1の殺人について殺意を認め、原判示第2の殺人について殺意と実行行為を認めた点、②原判示 2 第1の殺人について正当防衛を否定した点、③全事実について被告人の完 するに、原判決には、①原判示第1の殺人について殺意を認め、原判示第2の殺人について殺意と実行行為を認めた点、②原判示 2 第1の殺人について正当防衛を否定した点、③全事実について被告人の完全責任能力を認めた点にそれぞれ判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があり、④死刑を選択して適用した点で原審の訴訟手続は憲法13条、31条、36条に違反する、というのである。 第2 事実誤認の主張について1 原判示第1の殺意、同第2の殺意及び実行行為について(1)原判決の概要原判決が原判示第1、第2の各事実を認定した理由は次のとおりである。すなわち、被告人は、父親を絞め落として気を失わせようとしたが、いろいろ考えているうちに気が付いたら父親が死んでいたとして殺意を否認し、祖母については、短時間頸部を圧迫したが、その前に顔を数十回殴ったことにより既に死亡していたと思う旨供述する。しかし、父親と祖母の各遺体を解剖した法医学者A教授は、いずれの遺体についても、頸部内側の筋肉が損傷、出血し、頭部や顔面に鬱血や溢血点が見られ、第7頸椎と第1胸椎との間の椎間板が離開しているなどの所見から、頸部を後方に強く引っ張られるように強く絞め続けられ、少なくとも約4分頸部を圧迫されて窒息死したといえる旨供述するが、法医学者としての知識、経験を踏まえた合理的な説明であり、十分信用できる。そうすると、被告人は、少なくとも約4分父親の頸部を圧迫するという人を死亡させる危険性の高い行為に及んだと認められるところ、被告人には人を絞め落として気絶させる技術はないから、父親を絞め落として気を失わせようとしたという上記の被告人供述を踏まえても、原判示第1のとおり父親に対する殺意を認定できる。また、被告人は、祖母が死亡した後にその頸部を絞めたと供述するが、法医学者 父親を絞め落として気を失わせようとしたという上記の被告人供述を踏まえても、原判示第1のとおり父親に対する殺意を認定できる。また、被告人は、祖母が死亡した後にその頸部を絞めたと供述するが、法医学者が、死体の頸部を圧迫しても内側の筋肉の出血や鬱血や溢血点等が認められることはないと合理的に説明しているから信用できない。むしろ、父親を殺害した後、祖母の口から液のようなものが出ていたため、まだ生きているかもしれないと思い、念のため殺害しようとその頸部に左腕を巻いて絞めたという被告人の捜査段階の供述こそ、祖母の遺体に認められた所見や上記 3 法医学者の供述に沿い、信用できる。したがって、被告人は、祖母に対し、殺意をもって原判示第2の実行行為に及んだと認められる、というのである。 (2)検討論旨は、被告人には、父親と祖母に対する殺意がなく、また、祖母の頸部を絞めた時点では既に祖母は死亡していたから殺人の実行行為を認めることができないのに、原判示第1のとおり父親に対する殺意を認め、同第2のとおり祖母に対する殺意と殺人の実行行為を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。 そこで、記録を調査して検討すると、原判示第1、第2の各事実に関する原判決の認定に論理則、経験則に反する点はなく、その補足説明も正当である。 ア 父親に対する殺意(原判示第1)について所論は、①法医学者は、一応教科書的には4分以上絞めた場合は助からないと書かれていると述べたにすぎず、あくまで推測であり、頸部を圧迫した時間が4分よりも短かった可能性を排斥できない、②被告人は、父親を唯一の理解者と思っていたと一貫して述べ、殺害する理由がない、という。 しかし、①所論指摘のとおり、法医学者は、原審弁護人から、「最低4分以上絞 りも短かった可能性を排斥できない、②被告人は、父親を唯一の理解者と思っていたと一貫して述べ、殺害する理由がない、という。 しかし、①所論指摘のとおり、法医学者は、原審弁護人から、「最低4分以上絞めているというのは、それぐらい絞めてないと死なないという、その医学的知見からむしろ推測してということなんですか。」と質問され、「そのとおりです。」と答えているが、法医学者の原審証言全体からすれば、その説明が法医学の文献等の科学的知見に基づくものであることは明らかである。このやり取りだけから所論のように主張するのは、法医学者の原審証言を正しく理解しないものである。そもそも、頸部を圧迫する行為は、人を死亡させる危険性の高い行為にほかならず、被告人は手加減せず、父親の様子に配慮せずに舌骨や甲状軟骨が骨折するほどの強い力で一定時間頸部を圧迫し続けている。したがって、被告人は、正に人が死亡する危険性の高い行為をそれと認識しながら犯行に及んだといえ、首を絞め続けた時間の長短によって殺意の有無が左右されることはない。また、②所論指摘の被告人の父 4 親に対する気持ちを踏まえても、頸部圧迫という犯行の客観的態様から殺意が推認されることに変わりはない。 なお、所論は、後記のとおり、当審で採用した精神鑑定を行ったD准教授が、被告人は、父親の首を絞める最中に解離状態に陥り、首を絞める強さや長さを認識できなくなって想定よりも長い時間頸部を圧迫し続けたと思うと証言したことを捉えて、被告人は、自分の行為の危険性を認識できるような状況ではなかったから殺意は認められない、という。しかし、当審鑑定人の上記証言の根拠となった被告人の説明が信用できるかはともかく、被告人が自分の意思で殺害行為に着手し、その後中止しようとした事情もうかがえない以上、仮にその途中で解離状態に陥 いう。しかし、当審鑑定人の上記証言の根拠となった被告人の説明が信用できるかはともかく、被告人が自分の意思で殺害行為に着手し、その後中止しようとした事情もうかがえない以上、仮にその途中で解離状態に陥ったとしても殺意の認定は妨げられない。 イ 祖母に対する殺意及び殺害行為(原判示第2)について所論は、①原判決が認定の根拠の1つとする溢血点については、法医学者が、それがあれば必ず頸部圧迫があったといえるわけではないと述べるところ、被告人は、祖母の顔を殴り、その後遺棄しているから、そのいずれかの時期にそのような出血が生じた可能性がある、②原判決が認定の根拠とする被告人の捜査段階の自白については、祖母の首を絞めたとき、死後硬直していなかった記憶を基に後から考え直した話であり、被告人の供述は少なくとも2回変遷しているから、上記自白のみが信用できるとはいえず、取調べ等を通じて被告人の記憶が変遷した可能性もあり、最初の暴行終了時点で祖母が死亡したと認識したという供述こそが信用できる、という。 しかし、①遺体に認められた出血については、原判決が指摘するとおり、法医学者は、溢血点以外の遺体の所見も総合して死因を頸部圧迫による窒息死であると説明する。すなわち、遺体の頸部諸筋や甲状腺等の出血から生前に頸部を強く圧迫されたと認められ、頸部の被圧迫部の上方に位置する舌根部、喉頭蓋声門に血が溜まって鬱血し、上下口唇粘膜に多数の溢血点が認められ、溢血点については、必ずしも頸部圧迫による窒息死のみに見られるものではないが、窒息の場合には特に多く見 5 られるものである。さらに、大脳にはくも膜下出血が認められたものの、右後頭葉の一部にくも膜下出血が生じておらず、くも膜下出血によって死亡する場合に生じる脳のヘルニアをきたしていないことから、くも膜下出血による である。さらに、大脳にはくも膜下出血が認められたものの、右後頭葉の一部にくも膜下出血が生じておらず、くも膜下出血によって死亡する場合に生じる脳のヘルニアをきたしていないことから、くも膜下出血による死亡でないと判断され、以上の所見を踏まえて、法医学者は、頸部圧迫による窒息死と判断している。 このような法医学的知見を総合して判断した見解は、十分説得的であって信用できる。また、②被告人の捜査段階の自白は、死後硬直していなかった記憶からの推測によるものというより、原判決が指摘するとおり、法医学者の見解や祖母の遺体の所見と合致するものとして十分信用できる。 (3)小括その他所論が主張する点を検討しても、原判示第1、第2のとおり、被告人の父親と祖母に対する各殺意、祖母の殺害行為を認めた原判決の認定に所論のいうような事実の誤認はない。 論旨は理由がない。 2 原判示第1の犯行についての正当防衛の成否について(1)原判決の概要原判決が正当防衛の成立を否定した理由は次のとおりである。すなわち、原審弁護人は、被告人の行為は、父親が包丁を持ち出し、被告人に向かってきたことから、自身の生命身体を防衛するため、やむを得ずにした行為として正当防衛が成立すると主張する。しかし、被告人の原審供述を前提にすると、被告人は、まず祖母に激しい暴行を繰り返し加えて重篤な状態に陥らせ、父親が救急車を呼ぼうとするとともに被告人に自宅に帰るよう何度か促すのに応じず、第三者(伯父)に対する更なる加害行為(復讐)を示唆した上、祖母に対する暴行を口外しないよう求めながら祖母方に滞在し続けている。そうすると、父親は、祖母を救命するため、あるいは息子である被告人が身内で重大事件を起こしたことに自暴自棄になるなどして包丁を持ち出したと考えられ、このような経緯は自然なものである 滞在し続けている。そうすると、父親は、祖母を救命するため、あるいは息子である被告人が身内で重大事件を起こしたことに自暴自棄になるなどして包丁を持ち出したと考えられ、このような経緯は自然なものであるから、その間に30分から1時間程度が経過したとしても、父親が包丁を持ち出した行為は、被告人の 6 祖母に対する強度の暴行に触発された、その直後における同じ場所での一連一体の事態といえ、被告人は、自らの不正の行為により父親の侵害を招いたといえる。また、父親は、被告人に対し「お前を殺して、俺も死ぬ。」などと述べたが具体的な攻撃には出ず、被告人との年齢差、体格差、体力差も踏まえると、父親の上記行為は、被告人が祖母に加えた暴行の程度を大きく超えるものではなく、被告人は、父親が包丁を構えた時点で祖母方を退去して危険を回避することが十分可能であった。 したがって、被告人の原判示第1の行為は、反撃行為に出ることが正当とされる状況における行為とはいえず、正当防衛は成立しない、というのである。 (2)検討論旨は、被告人の行為は、父親が両手に包丁を持って向かってくるという急迫不正の侵害に対する正当防衛行為であるのに、それを否定した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。 そこで、記録を調査して検討すると、正当防衛を否定した原判決の認定、評価に論理則、経験則に反する点はなく、その補足説明も正当である。 所論は、①いわゆる自招侵害を認めた判例(最高裁平成18年(あ)第2618号同20年5月20日第二小法廷決定・刑集62巻6号1786頁)は、被害者からの攻撃に先立って被告人が被害者に攻撃を加えた事案を前提にし、三者間の状況を想定していないから本件に当てはまらない、②原判決の認定を前提としても、祖母への暴行が終了してから3 86頁)は、被害者からの攻撃に先立って被告人が被害者に攻撃を加えた事案を前提にし、三者間の状況を想定していないから本件に当てはまらない、②原判決の認定を前提としても、祖母への暴行が終了してから30分から1時間程度経過した後の出来事であり、一連一体の出来事とは到底いえず、自招侵害とはいえない、③被告人の祖母に対する暴行終了から上記のとおり一定の時間が経過したのに祖母の救命行動を取らずに被告人に対し「殺す」と発言し、両手に包丁を持って向かってきた父親の行為は、祖母を防衛するための行為とはいえず、被告人には、逃げられる距離もなく、危険を回避できる状況ではないから、逃げる経路があるだけで急迫性が失われるともいえず、急迫不正の侵害を受けたと認められる、などという。 しかし、①確かに所論指摘のとおり、まず被告人は父親ではなく祖母を攻撃して 7 いるが、父親と祖母が同居の親子であるなど密接な関係にある中、被告人が祖母に強い暴行を加えた後、父親が祖母のために救急車を呼ぼうとするなどし、被告人に帰宅を促したが応じてもらえず、被告人が祖母に対する暴行を口外しないよう求めながら滞在し続けたという経緯に照らすと、父親の行為は被告人の祖母に対する攻撃に触発されたものといえる。原判決が判例の趣旨に沿って正当防衛の成否を判断した点に誤りはない。また、②上記の経緯からすれば、30分から1時間程度経過したとしても、父親が包丁を持ち出したのは、被告人の祖母に対する強い暴行に触発され、その直後の同じ場所での一連一体の事態であるといえ、原判決の評価に誤りはない。さらに、③父親が包丁を持ち出した行為は、前記の評価を前提とすれば、専ら祖母を防衛するための行為であり、被告人が祖母方にとどまる合理的理由はなく、退去を阻止しようとする者もいなかったから、被告人が退去して危険 父親が包丁を持ち出した行為は、前記の評価を前提とすれば、専ら祖母を防衛するための行為であり、被告人が祖母方にとどまる合理的理由はなく、退去を阻止しようとする者もいなかったから、被告人が退去して危険を回避することは容易であった。そうすると、父親の行為は被告人に対する急迫不正の侵害ではないと認められる。被告人は、原審公判で、父親が、祖母への救命行動に出ずに「殺すぞ」と言いながら包丁を持って向かってきたと述べるが、その前に父親は祖母のために救急車を呼ぼうとして被告人に退去を求めていたのであり、父親には被告人に対する強い攻撃意思はうかがえず、むしろ祖母を救助したい意思が強かったと認められる。父親の上記発言を急迫不正の侵害を認める根拠にはできない。 なお、所論は、当審鑑定人が、被告人は、祖母を殴打した後、伯父への復讐を強く決意し、その場から離れるという行動を選択できない精神状態にあったと証言したことから、父親が包丁を持ち出した時点で祖母方を退去して危険を回避することは不可能であり、その時点で被告人が退去可能であったとする原判決の認定は誤りである、という。しかし、所論指摘の伯父に対する復讐心については、当審鑑定人も、父親と祖母を殺害した後に祖母方から退去しなかった理由に挙げるにすぎず、被告人も、包丁を持った父親と対峙した際に退去しなかった理由として述べてもいない。前記のとおり、そもそも被告人は、父親を伯父の仲間であるという妄想を抱いていないから、当審鑑定人の上記説明から被告人が危険を回避するのが不可能な 8 状態にあったとはいえない。 (3)小括その他所論が主張する点を検討しても、正当防衛を否定した原判決の認定に所論のいうような事実の誤認はない。 論旨は理由がない。 3 原判示の全事実に関する被告人の責任能力について(1)原 括その他所論が主張する点を検討しても、正当防衛を否定した原判決の認定に所論のいうような事実の誤認はない。 論旨は理由がない。 3 原判示の全事実に関する被告人の責任能力について(1)原審の経過と原判決の概要原審弁護人は、被告人が、妄想性障害の圧倒的な影響の下、原判示第2ないし第6の各犯行に及び、また、原判示第1の犯行に及んだ際、自閉スペクトラム症に基づく解離反応によって事理弁識能力や行動制御能力に著しい減退が生じ、各犯行当時、心神耗弱状態にあったと主張した。そこで、精神医学の専門家による鑑定として、起訴前に検察官が依頼して行われたB医師による鑑定に加え、起訴後に検察官の請求に基づき原審が依頼して行われたC教授による鑑定について、両名の証人尋問が行われ、それぞれの鑑定結果が報告された。すなわち、まず、起訴前鑑定人は、被告人は、伯父と祖母が被告人を迫害し、抹殺、毒殺しようとしているという妄想を内容とする妄想性障害に罹患し、この妄想の著しい影響によって原判示第2ないし第6の各犯行に及び、原判示第1の犯行を行っている最中に自閉スペクトラム症特性を基盤とした軽度の解離反応状態に陥り、自分の行為を認識することができなかったと説明した。次に、原審鑑定人は、被告人は、伯父から悪口や嫌がらせを受けているという妄想を内容とする妄想性障害に罹患していたが、その程度は軽微であり、原判示第2及び第4ないし第6の各犯行にその影響があったことは否定できないが、被告人のもともとの衝動的、攻撃的、自己本位的かつ他罰的な性格が大きく影響し、原判示第3の犯行には妄想性障害の影響はなく、原判示第1の犯行時は興奮状態にあっただけで、ごく自然な心理状態にあったと説明した。 そして、原判決は、次のとおり述べ、原審鑑定人の見解が基本的に信用できると判断した。すな 想性障害の影響はなく、原判示第1の犯行時は興奮状態にあっただけで、ごく自然な心理状態にあったと説明した。 そして、原判決は、次のとおり述べ、原審鑑定人の見解が基本的に信用できると判断した。すなわち、起訴前鑑定人は、具体的事実関係との関連を合理的に説明で 9 きておらず、中立性や鑑定手法にも疑問があり、原判示第1の犯行時に解離状態にあったという点は単なる興奮状態として説明できるなど各犯行時の被告人の精神状態を正しく評価していない。これに対し、原審鑑定人は、各犯行時の被告人の思考や行動につき、司法精神医学の専門家としての十分な知識、経験を踏まえつつ、客観的事実関係に即して合理的に説明し、とりわけ妄想性障害の程度が軽微としている点は説得的である、というのである。 その上で原判決は、原審鑑定を前提に妄想性障害が各犯行に与えた影響について検討し、被告人には完全責任能力が認められる理由を次のとおり説明する。すなわち、被告人は、各犯行時、伯父から悪口を言われ、嫌がらせを受けているという妄想を抱いていたが、あくまでその限度にとどまり、父親以外の被害者らについては、妄想性障害の影響により伯父の仲間であるとの妄想様の観念を抱いていたにすぎず、全体を通じて妄想に指示、支配されるような状況にはなく、抱いていた妄想も切迫した内容のものではなかったと認められる。また、各犯行を個別に見ても、原判示第2の祖母を殺害した犯行は、被告人の他罰的な性格の現れとして合理的に理解でき、妄想性障害の影響はあったとしても極めて軽微であり、原判示第4ないし第6の伯母姉妹と被害男性をそれぞれ殺害した犯行に及んだ直接の動機は、単純な怒りや犯行発覚を免れたいという点にあり、妄想性障害の程度に照らしても、これらの犯行には、被告人がもともと有していた衝動的、攻撃的、自己本位的かつ 性をそれぞれ殺害した犯行に及んだ直接の動機は、単純な怒りや犯行発覚を免れたいという点にあり、妄想性障害の程度に照らしても、これらの犯行には、被告人がもともと有していた衝動的、攻撃的、自己本位的かつ他罰的な性格が大きく影響したとみるのが合理的であり、妄想性障害の影響があったとしても、極めて軽微もしくは軽微なものである。なお、原判示第3の死体遺棄の犯行は、死体を見たくないという自然な動機に基づくものであり、原判示第1の父親を殺害した犯行については、興奮状態にあったにすぎず、いずれも妄想性障害を含む精神障害の影響がないことは明らかである、というのである。 (2)検討論旨は、被告人は、各犯行時、妄想性障害及び自閉スペクトラム症(あるいは統合失調症)の圧倒的な影響下にあり、判断能力及び行動制御能力が著しく障害され、 10 心神耗弱状態にあったのに、完全責任能力を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。 そこで、記録を調査して検討すると、原判決が、関係証拠から、原審鑑定が信用できるとして、それに基づき被告人が原判示の各犯行当時完全責任能力を有していたと認定したことに論理則、経験則に反するところはなく、この点に関する原判決の補足説明も正当である。 ア 起訴前鑑定について所論は、原判決が起訴前鑑定の手法を批判する点について、①一般病棟への移転によって被告人の精神障害の状況をより鮮明に把握できたといえ、②被告人の主治医を務めたことが直ちに鑑定人の中立性を犯すことにはならず、治療はしていないし、主治医というより「管理医」としての側面が大きかったことからすると、その点が鑑定に影響を与えたとはいえず、一般病棟への移転や主治医を務めたという事情によって鑑定の信用性を判断するのは誤りである、と 、主治医というより「管理医」としての側面が大きかったことからすると、その点が鑑定に影響を与えたとはいえず、一般病棟への移転や主治医を務めたという事情によって鑑定の信用性を判断するのは誤りである、という。 しかし、起訴前鑑定人も認めるとおり、被告人には、一般病棟への移転後に対人関係の様々なストレスが出て新しい被害関係妄想が再燃し、幻聴等に影響されて他の患者の首を絞める等の暴力行為が出現したため隔離室に戻した、というのであり、症状に大きな変化があったことは確かである。この点、所論は、一般病棟での処遇の方が、刺激の少ない隔離処遇や拘置所での個室処遇より各犯行当時の環境や状況に近く、事件時の精神状態が再現されたと考えられるというが、被告人がストレスを受ける状況が全く異なるから失当である。被告人の精神状態が一般病棟での処遇によって増悪したことは明らかであって、その結果、各犯行時の精神障害の程度を重く判断する誤りを犯した可能性が否定できない。そうすると、起訴前鑑定人が主治医を務めることの当否をおいても、鑑定手法に疑問があることは否定できないから、原判決の説明が誤っているとはいえない。 イ 原審鑑定について所論は、原審鑑定人が被告人の妄想性障害が重くないとみた点は誤りであるとし 11 て、①被告人には平成15年6月頃から幻聴、妄想が出現したが、幻聴、妄想により引きこもり生活を始め、ほとんど働かず、監視や盗聴をされていると家族に訴え、不眠で深夜に家の外に出て大声で奇声をあげるなど、幻覚、妄想に影響された行動が出現した平成17年10月以降は重度の妄想性障害が発症していたと考えられる、②被告人が被害者らを伯父の仲間と思い込み殺害行為に出たことや、祖母や被害男性に激しい暴行を加えていることからも妄想が強かったといえる、③妄想性障害の妄想が存 妄想性障害が発症していたと考えられる、②被告人が被害者らを伯父の仲間と思い込み殺害行為に出たことや、祖母や被害男性に激しい暴行を加えていることからも妄想が強かったといえる、③妄想性障害の妄想が存在した場合に直ちにその妄想に基づく阻止行動や回避行動が現れるのかは精神医学上明確ではなく、父親の存在が阻止行動への歯止めになっていたと考えられるから、被告人が阻止行動に出ず、祖母所有のアパートから積極的に転居しなかったからといって、妄想性障害の程度が軽微だったとはいえない、④被告人の被害妄想には、見聞きした言動や状況等の知覚刺激が引き金となって妄想的に解釈するという特徴があるから、妄想性障害が軽いとはいえない、などという。 しかし、①仮に所論指摘の時期に幻聴が出現したとしても、原審鑑定人が妄想性障害の発症時期として指摘する平成27年5月まで約10年が経過し、その間、被告人は就労や単身生活を経験している。したがって、少なくともその間の幻聴は被告人の生活に大きく影響を与えるものではなかったと考えられ、仮にそのような幻聴が従前から出現していたからといって、直ちに、10年以上経過した本件各犯行時の妄想性障害が重症であるとはいえない。②被告人は、そもそも父親が伯父の仲間であるという妄想を抱いておらず、祖母に対しては、自分の母方祖母らの悪口を言われた怒り、伯母姉妹及び被害男性に対しては、それまでの犯行発覚を免れるためという動機があった。また、祖母や被害男性への暴行が激しかったことは、衝動性、他罰的傾向を有する被告人本来の人格によっても説明できるから、妄想が強かったことの根拠にはできない。③原判決が指摘するとおり、妄想性障害の妄想が切迫していれば阻止行動や回避行動に出ると考えるのが合理的であり、被告人が祖母所有のアパートから積極的に転居しなかったことからす たことの根拠にはできない。③原判決が指摘するとおり、妄想性障害の妄想が切迫していれば阻止行動や回避行動に出ると考えるのが合理的であり、被告人が祖母所有のアパートから積極的に転居しなかったことからすれば、父親の存在が阻止行動への歯止めになっていたとも考え難く、逆に積極的に被告人を止めていた訳でもな 12 い父親の存在が被告人の阻止行動の歯止めになっていたとすれば、妄想性障害の程度は軽かったとみるのが相当である。④知覚刺激を妄想的に解釈する特徴があるという指摘については、被告人には衝動的、自己中心的、猜疑的な特性があり、身体的な特徴や欠点に過剰に反応するという性質があることからも説明できるから、仮に所論指摘の特徴があったとしても、妄想性障害の程度が軽いことと矛盾しない。 また、所論は、原審鑑定人が各犯行に対する被告人の妄想性障害と自閉スペクトラム症の影響を過小評価しているとして、①父親の殺害(原判示第1)について、原審鑑定人は、衝動的な犯行であり、妄想性障害とは関係がないと説明するが、精神障害の影響が全くない状態で原審鑑定人がいうような「考えに夢中になり、首を絞める力加減を誤る」という状態になるのは著しく不合理であって、精神障害の影響を受けていたと考えなければ説明できない、②祖母の殺害(同第2)について、被告人が人を死亡させるほど激しく執ような暴行を加えたことは正常心理に基づく行動とは到底評価できず、単に被告人の性格ゆえに生じたと考えるのは著しく不合理であり、それまでの被害妄想の深化及びその背景としての自閉スペクトラム症あるいは統合失調症の人格変化に伴う衝動性の調節障害があったと考えるのが合理的である、③死体遺棄の犯行(同第3)は、あくまでも復讐の手段であり、遺体を埋めながらも祖母に対して煮えくり返るような思いが募り、我慢できず 症の人格変化に伴う衝動性の調節障害があったと考えるのが合理的である、③死体遺棄の犯行(同第3)は、あくまでも復讐の手段であり、遺体を埋めながらも祖母に対して煮えくり返るような思いが募り、我慢できずに遺体を蹴ったという被告人の説明からすれば、迫害妄想、追想妄想に対する確信は深く、現実的判断能力が著しく障害されていたことを示すのに、原審鑑定人は、被告人の妄想性障害及び死体遺棄に至る前の被告人の状態を軽視するあまり、遺棄行為を行った実質的目的や事件全体の下での位置付け等の検討、評価が不十分である、④伯母姉妹の殺害(同第4、第5)について、原審鑑定人は、被告人が別の来訪者のときのように嘘をつき通せず、追い返せないと思って殺意を抱き、犯行発覚を恐れて殺害したと考えられると説明するが、被告人が、伯母妹の言動から、伯母姉妹も伯父と共に自分を迫害する仲間であると確信し、殺害行為に出たのは妄想性障害あるいは統合失調症に強く支配されていたからとみるのが自然であり、精神障害の強い影響 13 がないとすれば説明できない、⑤被害男性の殺害(同第6)について、原審鑑定人は、警察に通報された怒りや犯行発覚防止という考えから殺害したと説明するが、被告人は、被害男性も伯父の仲間と考え、伯母姉妹を殺害直後に被害男性が現れたことから伯父にはめられたと妄信して犯行に至ったと考えるのが自然であり、被告人が、このままでは伯父を殺すのを邪魔されると思ったと述べたことを軽視している、などという。 しかし、①原判示第1の犯行については、被告人が、包丁を持って向かってきた父親から包丁を取り上げようとしている最中に行われたものである上、被告人も、その際、なぜ自分と父親がこんなことになっているのかと思ったなどと供述する。 犯行の客観的状況や、犯行時の心理状態に関する被告人の説明に妄 を取り上げようとしている最中に行われたものである上、被告人も、その際、なぜ自分と父親がこんなことになっているのかと思ったなどと供述する。 犯行の客観的状況や、犯行時の心理状態に関する被告人の説明に妄想の影響をうかがわせるものは見当たらない。②原判示第2の犯行については、被告人は、祖母から母親の悪口を言われたと思い、小学生の頃から悪感情を抱いていたと述べる。そして、被告人は、小・中学時代から手を付けられないほど怒ることがあり、高校中退後は妹への暴力もあったことなどにも照らすと、原審鑑定人が説明するとおり、犯行の背景には、精神障害とは関係のない祖母への悪感情や被告人の人格特性である衝動性があったと考えられる。また、被告人は、祖母への暴行をいったんやめた後、祖母の口から舌が出て、耳から出血しているのを見て、ぞっとして我に返り、やり過ぎた、もう助からないと思ったと述べるから、確信を持った妄想に基づく犯行というより、衝動的に行われた犯行とみるのが自然である。③原判示第3の犯行については、被告人も、原審弁護人から遺体を埋めた理由を問われ、腐敗する姿を見たくなかったからと端的に答えていることからすると、原審鑑定人の検討、評価が不十分であるとの指摘は当たらない。④原判示第5、第6の各犯行状況について、被告人は、次のとおり述べる。すなわち、伯母妹から祖母の所在を聞かれ、「今出ています。」と嘘をついて追い返そうとしたが、伯母妹からまくし立てられるように「何であんたここにおるのね。」と言われ、「何でそんなこと言われんとならんのだ。」と思い、怒りの感情から首を絞めて殺そうと思い、抵抗する伯母姉 14 妹に暴行を加え、仰向けに倒れた両名の間に座り、両名の首を右手と左手でそれぞれつかんで絞めた。すると、伯母妹から、「ごめん、もうしないから。」と言われたの そうと思い、抵抗する伯母姉 14 妹に暴行を加え、仰向けに倒れた両名の間に座り、両名の首を右手と左手でそれぞれつかんで絞めた。すると、伯母妹から、「ごめん、もうしないから。」と言われたので伯母妹が伯父の仲間であることを確信した、というのである。このように、被告人が伯母妹が伯父の仲間であることを確信したのは、伯母姉妹に怒りを覚えて殺意を抱き、2人の首を絞めるなど殺害行為に着手した後であるから、犯行を決意して実行に着手するまでの過程に対する妄想の影響は軽微であったと認められる。 ⑤原判示第6の犯行については、被告人は、居留守を使ってやり過ごそうとしたが、被害男性が警察に通報している様子を見て、もうすぐ警察が来る、時間がないと思い、捕まる前に引き込んで殺そうと決意したと述べる。したがって、直接の動機が、被害男性から警察に通報されたことに対する怒りや、犯行発覚防止にあることは否定できない。また、原審鑑定人も、被害男性が伯父の仲間であるとの妄想様の観念が影響したことは否定しないが、被告人の説明からすれば、直接的な動機は被害男性が警察に通報したことに対する怒りであり、その根底には以前から被害男性に対して抱いていた嫌悪感もあると考えられ、仮に伯父の仲間であるという妄想が強く影響したのであれば、居留守を使うことなく、もっと早い段階で犯行を決意したはずであるから、妄想が直接的な動機ではないと判断したと合理的に説明する。 (3)当審における事実取調べの経緯当審弁護人は、原審の2人の鑑定人がいずれも被告人を妄想性障害と認定しながら、その程度について意見が分かれたことについては、あらためて専門家による鑑定が必要であるとして、被告人の精神鑑定を請求した。これに対し、検察官は、答弁書において、その必要はないと反対したが、当審は、本件の重大性に鑑みて 見が分かれたことについては、あらためて専門家による鑑定が必要であるとして、被告人の精神鑑定を請求した。これに対し、検察官は、答弁書において、その必要はないと反対したが、当審は、本件の重大性に鑑みて被告人の責任能力を慎重に検討する必要があると判断し、鑑定人としてD准教授を選定して鑑定を採用し、その鑑定結果の報告を受けるための証人尋問を実施し、あらためて原審鑑定人の証人尋問も実施した。 当審鑑定人も、原審鑑定人と同様に司法精神医学の専門家としての十分な知識、 15 経験を有し、鑑定人の公正さや能力に疑いはなく、十分な鑑定資料に基づき鑑定しているから、鑑定の前提条件に問題があったりするなど採用し得ない合理的な事情が認められない限り、その意見を十分に尊重すべきである。そして、当審鑑定人は、原審鑑定人と異なり、被告人が重度の統合失調症に罹患していると診断し、次のとおり説明する。すなわち、被告人が統合失調症を発症したと考えられる時点から治療を受けていないのに社会生活を保っていた点や、統合失調症に多く見られる現実からかけ離れた奇異な妄想が確認されていない点を考慮しても、統合失調症の診断と矛盾しない。また、妄想への思い込みの強さ、幻覚の頻度、陰性症状、それらを含めた罹病期間の長さ、思考傷害の深刻さなどを考えると被告人の統合失調症の症状は重く、原審鑑定人がいう阻止行動に出ていない現象を捉えて統合失調症の重い軽いは判断できない、などというのである。 ただ、当審鑑定人も、少なくとも被告人が常に統合失調症による妄想に支配されて行動が強制されている状態にあったとまでは述べていないから、当審鑑定人の証言から、原判決が各犯行を通じて被告人が妄想に指示、支配されておらず、抱いていた妄想も被告人にとって切迫した内容のものではなかったと認定したことに直ちに ったとまでは述べていないから、当審鑑定人の証言から、原判決が各犯行を通じて被告人が妄想に指示、支配されておらず、抱いていた妄想も被告人にとって切迫した内容のものではなかったと認定したことに直ちに合理的疑いが生じるとはいえない。 なお、所論は、被告人について、原審鑑定人は統合失調症ではなく妄想性障害であると診断するが、起訴前鑑定人は統合失調症に罹患している可能性を指摘し、当審鑑定人は統合失調症に罹患していると診断しているのであって、原審鑑定人は、診断の根拠となった事実の認定を誤り、精神障害の診断を誤った結果、被告人に見られる幻聴や陰性症状を捉えきれずに精神障害の影響がある行為を被告人の特性、正常な心理に基づくものと断定した危険性が高い、という。 しかし、起訴前鑑定は、前述のとおり、原判決が指摘するとおりの問題点があり、採用できない。そして、面接の技法という点では、原審鑑定人、当審鑑定人とも経験や知見等に照らして問題があったとは考えられず、鑑定人との面接における被告人の回答が変わったことが診断名等の違いにつながったとみるのが合理的である。 16 そもそも責任能力判断のための精神鑑定においては、被告人にどのような精神障害が存在し、それがどのように犯行(被告人の意思決定や行動)に影響したかについて、精神医学の専門家である各鑑定人の知見を提供してもらうことが重要であり、診断名の当否は、責任能力の判断においては特に重要ではなく、それによって直ちに責任能力の有無や程度が導かれるわけでもない。そして、原審鑑定人による被告人の特性や妄想の内容についての説明には説得力があり、信用できることは原判決が説明するとおりであり、当審鑑定人の説明についても、後記のとおり一部採用できないところはあるが基本的には専門家の知見として十分信用できるものである。 ての説明には説得力があり、信用できることは原判決が説明するとおりであり、当審鑑定人の説明についても、後記のとおり一部採用できないところはあるが基本的には専門家の知見として十分信用できるものである。 ただ、当審鑑定人は、被告人は統合失調症に罹患し、各犯行時もその影響下にあったものの、犯行ごとに影響の程度や機序が異なると説明するので、更に犯行ごとに検討する。 ア 父親殺害(原判示第1)の犯行について当審鑑定人は、この犯行について、一過性の解離状態に陥った最中の犯行であり、統合失調症による影響は認められないが、通常とは異なる心理状態の中で軽度の意識変容が生じていた可能性があると説明する。すなわち、被告人は、それに先立つ祖母に対する暴行によって生じた興奮や動揺が持続する中、平素より慕っていた父親から包丁を向けられたショックや目の前の状況を瞬時に理解できず混乱して心理的に激しく動揺し、包丁を取り上げるために父親の背後から左腕を回して強い力で絞めて失神させようとする中で一過性の解離状態に陥り、想定よりも長い時間にわたって頸部を圧迫し続けたと考えられる、というのである。 そうすると、当審鑑定人の説明を踏まえても、完全責任能力を認めた原判決に誤りはないといえる。 所論は、起訴前鑑定や当審鑑定によれば、被告人は、犯行時、自閉スペクトラム症の影響により心理的葛藤や混乱状態の中で自分の行動が危険なものであると認識することも、開始した行動を止めることも困難になり、事理弁識能力や行動制御能力を著しく障害され、心神耗弱状態にあったといえる、という。しかし、原判決が 17 述べるとおり起訴前鑑定を採用できないことは前記のとおりである。また、当審鑑定人は、上記のとおり、当時被告人には通常とは異なる心理状態の中で軽度の意識変容が生じていた可能 、原判決が 17 述べるとおり起訴前鑑定を採用できないことは前記のとおりである。また、当審鑑定人は、上記のとおり、当時被告人には通常とは異なる心理状態の中で軽度の意識変容が生じていた可能性があると述べるにとどまり、犯行時の完全責任能力に合理的疑いを生じさせる精神障害の存在を示唆していない。したがって、所論のような合理的疑いは生じない。 イ 祖母殺害(原判示第2)の犯行について当審鑑定人は、父親を殺害する前に祖母を殴打した際の被告人の精神症状について、もともとの精神障害により易刺激性の高まった状態にあり、祖母の表情を見たことが知覚刺激となり、過去の不快な恐怖体験をフラッシュバックし、その後は急速に意識野の狭窄を伴う著しい興奮状態に陥ったと説明する。そして、当審鑑定人は、被告人が原判示第2の犯行に及んだことについては、①祖母の言動が父親の死のきっかけとなったことへの怒り、②直前に被告人に向けて悪口を言ったことの怒り、③以前からの祖母に対する陰性感情、④祖母が伯父と一緒になって嫌がらせをしているという妄想に基づく怒りに加えて、⑤死んでいた祖母が生き返ったという得体の知れない恐怖が影響したと説明する。 そこで、所論は、被告人が、当審鑑定人が説明するような精神障害の影響により行動制御能力が著しく障害され、心神耗弱状態にあったと主張する。 しかし、被告人は、原判示第1の犯行に着手する前に我に返って祖母を殴るのをやめ、その後、父親との間で、祖母の救命の見込みや救急車の手配等について状況を認識した上で会話しているから、原判示第2の犯行時は、当審鑑定人がいうような興奮状態からは脱していたと認められる。また、被告人は、捜査段階では、父親を殺害した後、祖母の顔を殴ったときに祖母の首を絞めたことを思い出したが、祖母の首を絞めたとき、祖母 、当審鑑定人がいうような興奮状態からは脱していたと認められる。また、被告人は、捜査段階では、父親を殺害した後、祖母の顔を殴ったときに祖母の首を絞めたことを思い出したが、祖母の首を絞めたとき、祖母の口から液のようなものが出ていたので、まだ生きているかもしれないと思い、念のため殺そうと思ったと供述し、原審公判では、祖母からゴボッという音が聞こえ、父親が死んだのになぜお前が生きているのかと腹が立って祖母の顔を殴ったと述べる。そうすると、被告人が原判示第2の犯行に及ん 18 だ動機としては、怒りの感情が大きく、当審鑑定人が指摘する④の妄想や⑤の恐怖が影響したかについては疑問があり、仮に影響したとしても、その程度は大きくなく、行動制御能力は著しく障害されていなかったと認めるのが相当である。 ウ 死体遺棄(原判示第3)の犯行について当審鑑定人も、この犯行には精神障害は直接的には関与していないと説明する。 すなわち、被告人の行動の基底には、伯父らに対する被害妄想や迫害妄想があり、その妄想に基づく復讐を確実に実現するという目的を達成するために伯父が祖母宅を訪れた際に怪しまれないように遺体を隠蔽しなければならないと考えたという背景があるが、単なる遺体の隠蔽だけでなく、父親の遺体については埋葬したいという気持ちも大きかったと考えられる。死体遺棄は、あくまでも復讐という目的を完遂しやすくする一過程であり、特に病的体験の影響を受けた行動ではない、というのである。 これに対し、所論は、伯父に対する復讐という目的を完遂するための行為であるから、精神障害の影響がないことが明らかとまではいえない、というが、当審鑑定人が指摘するとおり、被告人は、遺棄の方法や場所を自分の知識や経験から生起した思考に基づき選択しているから、精神障害の直接的影響がないこと の影響がないことが明らかとまではいえない、というが、当審鑑定人が指摘するとおり、被告人は、遺棄の方法や場所を自分の知識や経験から生起した思考に基づき選択しているから、精神障害の直接的影響がないことは明らかである。 エ 伯母姉妹殺害(原判示第4、第5)の各犯行について当審鑑定人は、これらの犯行について、次のとおり説明する。すなわち、被告人は、祖母方にやって来た伯母妹が「なんであんたがここにおるんね。」などと言い、まくし立てながら勝手に家に上がり込んできたので、易刺激性を触発され、考える間もなく伯母姉妹を殺すしかないと思い、伯母姉の首を絞めようとして3人でもみ合いになったが、最終的には両名の首を右手と左手でそれぞれつかんで床に押さえ込んだ。そして、被告人は、伯母妹の「ごめんね、もうしないから。」という発言が決め手となり、伯母姉妹が伯父と一緒になって自分を迫害しているという妄想を確信し、怒りの感情を爆発させ、興奮した状態で一気に激烈な攻撃行為に至ったと 19 考えられる。また、伯母姉に対する攻撃行為は、伯母妹に対して噴出した怒りとそれに続く興奮の波紋に巻き込まれたものであり、被告人の意思は働かなかった、というのである。 そして、所論は、当審鑑定人の説明を前提に、被告人は、統合失調症に基づく妄想の影響により、伯母妹の上記発言を妄想的に解釈した結果、自分の意思では行動を制御できない状態となって伯母姉妹を殺害したから、精神障害の影響により行動制御能力を著しく障害され、心神耗弱状態にあった、という。 しかし、当審鑑定人の説明を前提としても、被告人は、伯母妹の上記発言を受けて怒りの感情を爆発させる前に伯母姉妹の殺害を決意しているのであり、そこには妄想の直接的影響はない。したがって、各犯行に着手した後に怒りの感情を爆発させたから ても、被告人は、伯母妹の上記発言を受けて怒りの感情を爆発させる前に伯母姉妹の殺害を決意しているのであり、そこには妄想の直接的影響はない。したがって、各犯行に着手した後に怒りの感情を爆発させたからといって心神耗弱状態にあった合理的疑いは生じない。なお、更に所論は、伯母妹の上記発言の前後で攻撃の強度や動機が大きく異なるから、一連の行為と捉えるべきではない、という。しかし、被告人は、既に伯母姉妹を殺害することを決意し、両名の首を絞めるという死亡の危険性の高い行為に着手し、その後は上記発言の前後を通じて一貫して殺害という目的達成に向けて行動しているから、所論指摘の点を踏まえても、一連の行為とみるのが相当である。 オ 被害男性殺害(原判示第6)の犯行について当審鑑定人は、この犯行について、次のとおり説明する。すなわち、被告人は、伯父らを中心とした被害妄想、迫害妄想を背景としながらも比較的冷静な思考に基づいて殺害目的を遂行するため被害男性を室内に誘い込み計画的に犯行を実行しており、途中からは病的体験に基づく憤怒だけでなく、他の被害者と比較して体格や抵抗力に大きな差があったことから、容易に殺害できないことに対する焦りや不安があり、確実に死亡させるために犯行態様が執ようで過剰な攻撃行動となったと考えられる、というのである。 そうすると、当審鑑定を踏まえても、原判決がこの犯行について被告人の完全責任能力を認めた点に合理的疑いは生じない。 20 これに対し、所論は、被告人は、被害男性が伯父に電話しているのを見て、統合失調症に基づく妄想の影響により被害男性も伯父の仲間であると確信し、激高して被害男性への攻撃を決意したのであり、行動制御能力が著しく障害され、心神耗弱状態にあったといえるのに、当審鑑定人は、被害男性が警察に通報する前に伯父 により被害男性も伯父の仲間であると確信し、激高して被害男性への攻撃を決意したのであり、行動制御能力が著しく障害され、心神耗弱状態にあったといえるのに、当審鑑定人は、被害男性が警察に通報する前に伯父と電話で話したことを、被告人が認識したことを見落としているから、殺害の機序の考察に関する説明の信用性には疑問がある、という。 しかし、被告人は、被害男性が伯父に電話しているのを見たとは明確に供述しておらず、当審鑑定人の鑑定面接でもそのような事実関係は確認されていないから、所論の指摘は失当である。また、当審鑑定人は、被告人がこの犯行を決意し、実行した全ての段階において、比較的冷静な思考に基づいて合理的に行動していたとみることができ、殺人の実行の着手以降には病的な体験に基づく影響があるといえるが、全ての段階に被告人自身の意思が残存していたと考えられると説明する。そうすると、仮に被告人が被害男性と伯父が電話をしていると認識したとしても、妄想の影響により激高して行動を制御できない状態にまで至っていたとみる余地はない。 (4)小括結局、当審鑑定を踏まえ、その他所論が主張する点を検討しても、原判示の各犯行について被告人の完全責任能力を認めた原判決の認定に合理的疑いは生じず、所論のいうような事実の誤認はない。 論旨は理由がない。 第3 訴訟手続の法令違反の主張について論旨は、死刑制度は憲法に違反するとして、次のとおり主張する。すなわち、①公共の福祉により生命権を剥奪することは許されないから憲法13条に反し、②罪刑均衡に反する上に執行方法も規定されないまま執行されているから憲法31条に反し、③絞首刑は残虐な刑罰に当たり、かつ執行までの不定期の待機期間において著しく自由が制限されることから憲法36条に反する。したがって、原判決が死刑を選択して適用 ま執行されているから憲法31条に反し、③絞首刑は残虐な刑罰に当たり、かつ執行までの不定期の待機期間において著しく自由が制限されることから憲法36条に反する。したがって、原判決が死刑を選択して適用したことは、それ自体憲法に違反する刑事手続として違法である、 21 というのである。 しかし、執行方法を含めて死刑制度が憲法の上記各規定に違反しないことは最高裁判所の判例(最大判昭和23年3月12日刑集2巻3号191頁、最大判昭和26年4月18日刑集5巻5号923頁、最大判昭和30年4月6日刑集9巻4号663頁、最大判昭和36年7月19日刑集15巻7号1106頁)とするところである。論旨は理由がない。 なお、付言すると、被告人は、祖母から悪口を言われたことに立腹し、瀕死の状態になるまで激しく暴行を加え、祖母を助けようとした父親を殺害し、引き続き瀕死の祖母を殺害しただけでなく、両名の遺体を遺棄した後、数日後にそれらの犯行の発覚を免れるために様子を見に来た伯母姉妹と被害男性の3名を次々に殺害した。 いずれの殺人の犯行も、原判決が指摘するとおり、人を殺害することに対する抵抗感を感じさせない常軌を逸した凄惨な犯行であり、強い殺意に基づく人命軽視も甚だしい誠に悪質な犯行である。被告人の供述を踏まえても、祖母が悪口を言ったり、父親が「殺すぞ」と言って包丁を被告人に向けたりしたとはいえ、いずれも命を奪われるほどの落ち度とはいえず、更に他の3名にも特に落ち度はなく、身勝手な理由から5名もの命を奪った結果は極めて重大である。それなのに被告人は特に謝罪や反省の態度を示そうとしないから、更生の余地に乏しいといわざるを得ない。これらの事情に照らすと、本件は、量刑傾向に照らし、基本的に死刑を選択するしかない事案である。仮に被告人が妄想性障害又は統合失調症に罹患 度を示そうとしないから、更生の余地に乏しいといわざるを得ない。これらの事情に照らすと、本件は、量刑傾向に照らし、基本的に死刑を選択するしかない事案である。仮に被告人が妄想性障害又は統合失調症に罹患し、それに伴う精神障害が各犯行の背景にあったとしても、その影響は極めて軽微あるいは軽微なものにとどまるから、被告人に対する非難が揺らぐことはない。そうすると、いずれの犯行も計画性がないことのほか、妄想性障害等に罹患していることや前科がないこと等、記録から認められるいささかなりとも被告人のために酌むべき諸事情に加え、死刑が人間の生命を奪う極刑であり、窮極の刑罰であることにかんがみ、その適用は慎重に行われなければならないことを踏まえても、被告人の刑事責任は極めて重大であり、死刑を宣告した原判決は、やむを得ないものというほかなく、これ 22 が重過ぎて不当であるとはいえない。 第4 結論よって、刑訴法396条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用を被告人に負担させないことにつき刑訴法181条1項ただし書を適用して、主文のとおり判決する。 令和7年3月18日福岡高等裁判所宮崎支部 裁判長裁判官 平 島 正 道 裁判官 荒 木 精 一 裁判官 足 立 賢 明

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