令和4(お)2 再審請求事件

裁判年月日・裁判所
令和6年10月23日 名古屋高等裁判所 金沢支部
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判決文本文160,103 文字)

令和4年第2号再審請求事件決定請求人 A弁護人 (省略)請求人に対する殺人被告事件について、平成7年2月9日当裁判所が言い渡した有罪の確定判決に対し、請求人から再審の請求があったので、当裁判所は、検察官及び請求人の意見を聴いた上、次のとおり決定する。 主文 本件について再審を開始する。 理由 第1章本件請求の趣意及び本件請求に至る経緯等第1 本件請求の趣意等 1 本件事案の概要本件は、請求人が、平成7年2月9日、名古屋高等裁判所金沢支部で殺人罪により懲役7年に処せられた有罪判決(以下「確定判決」という。)について再審請求した事件である。 確定判決が認定した罪となるべき事実の要旨は、請求人(当時20歳)が、昭和61年3月19日午後9時30分頃から同40分頃にかけて、福井市(以下住所省略)のa団地6号館▲▲▲号室のV1方(以下「被害者方」という。)において、同女の二女であるV2(当時15歳、以下「被害者」という。)といさかいになって激昂の余り、殺意をもって、被害者に対し、同室にあったガラス製灰皿でその頭部を数回殴打し、同室にあった電気カーペットのコードでその首を絞め、同室にあった包丁でその顔面、頸部、胸部等をめった突きにし、よって、その頃、同所において、被害者を脳挫傷、窒息、失血等により死亡させ殺害したが、請求人は本件当時、シンナー乱用による幻覚、妄想状態で、心神耗弱の状態にあった、という ものである。 2 本件請求の趣意本件請求の趣意は、弁護人ら作成の再審請求書、再審請求理由補充書⑴ないし⑹、主任弁護人作成の最終意見書、令和6年5月13日付け、同月31日付け各意見書(枝番 である。 2 本件請求の趣意本件請求の趣意は、弁護人ら作成の再審請求書、再審請求理由補充書⑴ないし⑹、主任弁護人作成の最終意見書、令和6年5月13日付け、同月31日付け各意見書(枝番号の付されたものは枝番号を含み、訂正のあるものは訂正を含む。)に各記載のとおりであるから、これらを引用する。 論旨は、確定判決に対し、無罪を言い渡すべき明らかな証拠を新たに発見したから、刑訴法435条6号により再審開始の決定を求める、というものである。 これに対する検察官の意見は、検察官作成の令和5年2月28日付け意見書、意見書(その2)、同3及び同4(訂正のあるものは訂正を含む。)に各記載のとおりであるから、これらを引用する。要するに、当審において弁護人らが請求した証拠は、少なくとも証拠の明白性が認められないから、本件請求は棄却されるべきである、というものである。 第2 本件の捜査経緯とこれまでの審理経過等 1 事件発生から起訴に至るまでの経過(本件の捜査経緯)確定記録によれば、事件発生から請求人の起訴に至るまでの経過概要について、次のとおり認められる。 ⑴ V1は、昭和61年3月20日午前1時30分頃、仕事を終えて自宅である被害者方に帰ると、同居する二女である被害者が血まみれで頸部に包丁の刺さった状態で死亡しているのを発見し、110番通報をした。 被害者の遺体や現場の各状況等から他殺であることは明らかであり、犯人は、被害者方にあったガラス製灰皿、電気カーペット、包丁2本を使い、被害者に対し、灰皿で頭部、顔面等を数回強打し、電気カーペットのコードで頸部を絞め付け、2本の包丁で顔面、頸部及び胸部等を多数回にわたりめった突きにし、被害者を脳挫傷、窒息、失血等により死亡 させて殺害したと認められる(以下、この殺人の犯行 気カーペットのコードで頸部を絞め付け、2本の包丁で顔面、頸部及び胸部等を多数回にわたりめった突きにし、被害者を脳挫傷、窒息、失血等により死亡 させて殺害したと認められる(以下、この殺人の犯行を「本件犯行」という。)。被害者方階下の住人らが前日19日午後9時30分頃から同40分頃にかけて、被害者方で人が争い、格闘した際に発生したものとみられる大きな物音を聞いており、被害者の死亡推定時刻や被害者方への電話の応答状況等からも、上記時刻頃に本件犯行が行われたと認められる(以下、昭和61年3月19日から同月20日にかけての夜間を「事件当夜」といい、両日については昭和61年の表記を省略することがある。)。 犯行態様、遺体や現場の各状況等から、犯人像及び犯行直後の犯人の行動や状態については、計画的犯行である可能性は低く、偶発的、突発的犯行で、物取りやわいせつ目的の犯行ではないこと、単独犯か否かについては確定できないこと、被害者は夜間一人で留守番をする際には玄関ドアを施錠するのを常としており、事件当夜も玄関ドアを施錠していたと推認され、犯人は被害者と顔見知りで、被害者が夜間に一人でいることを知っていた可能性が否定できないこと、犯人は指先等の身体の露出部や着衣に相当量の返り血を付着させたまま現場から逃走したことなどが推認された。 ⑵ 福井警察署は、捜査本部を設け、鑑識活動等の遺留物件の探索や広範囲の聞き込み捜査を実施するとともに、被害者がシンナー吸引の経験のあることや、本件犯行の残虐性、執拗さから、精神異常者や、覚醒剤、シンナーなどの薬物乱用者による犯行を想定して捜査を行った。昭和61年4月には、シンナー事犯の前歴を有する請求人も捜査対象となったが、嫌疑を抱かせる事情は判明せず、請求人はいったん容疑の対象から外された。 薬物乱用者による犯行を想定して捜査を行った。昭和61年4月には、シンナー事犯の前歴を有する請求人も捜査対象となったが、嫌疑を抱かせる事情は判明せず、請求人はいったん容疑の対象から外された。 ⑶ これらの捜査にもかかわらず、犯人の特定には至らず、捜査が行き詰まる中、捜査本部は、昭和61年10月下旬頃、当時、別件の覚せい剤 取締法違反等について福井警察署に逮捕、勾留されていた暴力団b会組員のB(当時21歳)に対し事情聴取を試みた。 Bは、当初、請求人が、3月20日早朝、BとC(旧姓はC´。当時20歳)の同棲先であった福井市内のアパートcに一人で来たが、その際、ズボンの太もも付近や靴に血を付けていた、などと供述した。 その後、Bは、「3月19日夜、福井市内のゲーム喫茶dでゲームをしているとき、ポケットベルが鳴ったのでb会事務所に電話をすると、事務所当番のD(当時27歳)から、『****』という人物から電話があり、その人物がBを探している旨を聞き、Dにゲーム喫茶dの電話番号を教えた。その後、ゲーム喫茶dにE(当時17歳)(掲載者注:Eの名字の読みは「****」である。)から電話があり、『請求人が気が狂ったようになって、人を殺した、と言っている。どうしたらいいか。』と言ってきたので、ゲーム喫茶dに来るよう伝えたところ、Eが請求人を連れて白色の乗用車でやってきた。そこで、請求人をいったん福井市内のアパートeのF(当時18歳)方に匿った後、アパートcに来させて着替えをさせたりした。」と供述を発展させた。 FやCからBの上記供述に沿う供述が得られたことから、捜査本部は、請求人が事件当夜、着衣等に血を付けていた事実が十分認められ、請求人が本件殺人事件の犯人である蓋然性が高いと判断した。 捜査本部は、昭和 の上記供述に沿う供述が得られたことから、捜査本部は、請求人が事件当夜、着衣等に血を付けていた事実が十分認められ、請求人が本件殺人事件の犯人である蓋然性が高いと判断した。 捜査本部は、昭和61年12月14日、Eを犯人蔵匿の嫌疑で逮捕したが、Eは、事件当夜に請求人と行動を共にしたことはないとして、Bの供述内容を一貫して否定した。 ⑷ 捜査本部は、Eが請求人をゲーム喫茶dまで乗せてきたという白色普通乗用自動車の特定を進めた結果、Gが白色スカイライン(以下「本件スカイライン」という。)を所有しており、本件頃にH(旧姓はH´、当時27歳)(掲載者注:Hの名字は、Eの名字と漢字表記を異にするも のの、読みは同じ「****」である。)に貸した事実が判明した。捜査本部は、昭和61年12月19日、同車を押収したが、車内の検証により、助手席ダッシュボード下付近から、ABO式で被害者の血液型と一致する血痕が発見された。 捜査本部は、本件スカイラインと本件殺人事件との関連性が高いと判断し、Eを同月26日に釈放するとともに、Bを追及した。Bは、昭和62年1月には、「事件当夜、ゲーム喫茶dへ血だらけになった請求人と一緒に来た男はEであると言ってきたが、実はHである。EとHを記憶違いしていた。途中で記憶違いに気付いたが、Hは暴力団との関係があるので、本当のことを言いにくかった。」と供述を訂正した。 他方、捜査本部はHにも聴取を進めていたところ、Hは、当初は関与を否定したものの、結局、同年2月頃には、「3月19日夜、本件スカイラインに乗って請求人とa団地まで行き、請求人は、一人で車を降りてどこかへ行き、しばらくして帰ってくると興奮した様子で、右手に血が付いていた。」などと供述するに至った。また、捜査本部は、請求人の知人に対す 乗って請求人とa団地まで行き、請求人は、一人で車を降りてどこかへ行き、しばらくして帰ってくると興奮した様子で、右手に血が付いていた。」などと供述するに至った。また、捜査本部は、請求人の知人に対する取調べの結果、請求人と被害者との接点の存在も裏付けられたと判断した。 ⑸ 捜査本部は、昭和62年3月29日、請求人を本件殺人事件の犯人として通常逮捕したが、請求人は一貫して被害者との接触や本件犯行を否認した。請求人は、同年4月18日に精神鑑定のため鑑定留置された。 同年6月頃には、本件スカイライン内で発見された血痕は、被害者とは別人のものであることが判明した。他方で、警察庁科学警察研究所技官ら作成の同年7月6日付け鑑定書により、被害者方に遺留された頭毛2本と請求人の頭毛の同一性を認める鑑定結果が得られた。 ⑹ 請求人は、昭和62年7月13日、本件について殺人罪により起訴された。 2 従前の審理経過等⑴ 請求人は起訴後も一貫して犯人性を争った。 第一審(福井地方裁判所)は、平成2年9月26日、請求人が本件殺人事件の犯人であることを認めるに足りる証拠はなく、犯罪の証明がないとして、請求人に対し、本件殺人事件について無罪を言い渡した(以下「一審判決」という。なお、同裁判所は、請求人を、併合審理していた毒物及び劇物取締法違反[トルエンを含有する接着剤吸引の事実]により罰金3万円に処した。)。 これに対し、検察官が無罪部分について控訴をしたところ、控訴審(名古屋高等裁判所金沢支部)は、平成7年2月9日、一審判決の無罪部分を破棄し、請求人を本件殺人事件の犯人と認め、さらに、請求人が本件犯行当時心神耗弱の状態にあったとして法律上の減軽をした上で、請求人を懲役7年に処した(確定判決)。 請求 審判決の無罪部分を破棄し、請求人を本件殺人事件の犯人と認め、さらに、請求人が本件犯行当時心神耗弱の状態にあったとして法律上の減軽をした上で、請求人を懲役7年に処した(確定判決)。 請求人が上告したところ、最高裁判所第2小法廷は、平成9年11月12日、請求人の上告を棄却し、さらに、同月21日、上告棄却決定に対する異議申立てを棄却した(以下、有罪判決の確定に至るまでの審理手続を総称して「確定審」という。)。 ⑵ 請求人は、平成15年3月5日、確定判決による刑の執行を終えた。 ⑶ 請求人は平成16年7月15日に、請求人の父親であるW1は請求人の保佐人として平成18年5月16日に、それぞれ再審請求を行い(第一次再審請求)、請求審(名古屋高等裁判所金沢支部)は、両請求を併合審理の上、平成23年11月30日、再審開始決定をした。 これに対し、検察官が異議を申し立て、異議審(名古屋高等裁判所)は、平成25年3月6日、上記開始決定を取り消して各再審請求を棄却し、最高裁判所第2小法廷は、平成26年12月10日、請求人らの各特別抗告を棄却した。 ⑷ 請求人は、令和4年10月14日、請求人の保佐人W1と共に、確定判決に対し、第二次再審請求となる本件請求を行った。なお、令和5年10月12日、請求人について保佐開始の審判が取り消されたことから(当審記録中の同日付け福井家庭裁判所による審判書)、以後、当裁判所は本件を請求人本人のみによる請求として取り扱うこととした。 第3 確定審における争点、確定判決における有罪認定の根拠や証拠構造等 1 確定審における争点と本件の証拠構造等本件においては請求人の犯人性が争われたが、請求人の自白や、明らかな物的証拠はなく、本件犯行を直接目撃した者はいない(確定判決20丁)。 構造等 1 確定審における争点と本件の証拠構造等本件においては請求人の犯人性が争われたが、請求人の自白や、明らかな物的証拠はなく、本件犯行を直接目撃した者はいない(確定判決20丁)。 本件の犯人性に係る証拠構造は、いわゆる間接事実型である。 確定審検察官は、主としてB、H、J(当時21歳)、F、D及びCの供述(以下、この6名を「主要関係者」ということがあり、その供述を「主要関係者供述」ということがある。)により、請求人が犯行推定時刻に近接した時間帯に被害者方付近にいて本件犯行が可能であったこと、請求人が本件犯行直後の時間帯に着衣等に血を付着させていたこと、請求人が主要関係者に本件犯行に及んだ旨の告白をしたことなどの間接事実により請求人がその犯人であることを立証しようとした。 これに対し、弁護人らは、Bが本件殺人事件の情報を提供することで自らの刑を軽くしようなどと考え、請求人犯行説をでっちあげ、捜査に行き詰った警察も、犯人欲しさからBの供述にすがりつき、主要関係者らに対し、強引で誘導を伴う取調べを行い、これに屈して警察の意に沿う供述をした一部の者の供述につじつまを合わせて請求人犯行説を作り上げたものであるなどとして、主要関係者供述の信用性を争った。 本件の実質的争点は、間接証拠となる主要関係者供述が信用できるかどうかである。 2 一審判決の判断内容第一審は、主要関係者らの証人尋問を実施した上で、一審判決において、主要関係者供述の特徴として、総論的に、㋐主要関係者らが覚醒剤やシンナー事犯による犯罪歴等を有し、本件殺人事件の取調べ当時に別件の被疑者であったり、本件殺人事件発生前後の請求人の行動に関わりを持ったとされる頃にも覚醒剤やシンナー事犯に及んだりしており、捜査機関の意向に 犯による犯罪歴等を有し、本件殺人事件の取調べ当時に別件の被疑者であったり、本件殺人事件発生前後の請求人の行動に関わりを持ったとされる頃にも覚醒剤やシンナー事犯に及んだりしており、捜査機関の意向に迎合ないし抗し難い素地を有していること、㋑各供述に重要な点で変遷があること、㋒各供述が本件殺人事件発生の約7か月後以降にされていること、㋓各供述について客観的な裏付け証拠が一切発見されていないことを挙げた。次に、主要関係者供述の信用性については特に慎重な吟味が必要であり、供述内容の一致等を理由に各供述が相互に裏付けられていると即断することは危険であるとした。これを前提に一審判決は、主要関係者供述を個別に検討し、供述の変遷、裏付けとなる客観的証拠の不存在、供述内容の不自然・不合理、他の主要関係者供述との不一致等を指摘してその信用性をいずれも否定した上、他に請求人が本件殺人事件の犯人であることを認めるに足りる証拠はないと判断した。なお、一審判決は、被害者方に遺留された頭毛について、鑑定等を実施した上、同頭毛中に請求人の頭髪が含まれているとはいえず、また、遺留頭毛自体、本件犯行との結び付きが明らかではないとして、請求人の犯人性を裏付けるものではないとした。 3 確定判決の判断内容とその特徴⑴ これに対し、確定判決は、主要関係者の供述内容を慎重に検討吟味する必要があるとしつつも、結論として主要関係者供述の信用性を肯定した上で(確定判決20丁、103丁)、同供述により、請求人の事件当夜から翌朝にかけての行動を次のアからオのように認めることができるとした。すなわち、確定判決は、請求人が、本件犯行時刻に近接した時 間帯にa団地6号館付近で降車し、約20ないし30分経過後、着衣等に血を付着させて戻ってきたこと、その後、請求人が親戚知人を頼っ とした。すなわち、確定判決は、請求人が、本件犯行時刻に近接した時 間帯にa団地6号館付近で降車し、約20ないし30分経過後、着衣等に血を付着させて戻ってきたこと、その後、請求人が親戚知人を頼って福井市内を移動し、車内等で犯行を告白するなどしたため、翌20日午後にかけて主要関係者に匿われており、その間、主要関係者が、請求人が着衣等に血を付着させていたのを目撃したという事実を認定したものである(確定判決21丁)。 ア請求人は、3月19日午後9時頃、中学校の先輩であるBがCと同棲していたアパートcに行き、Bから純トロと呼ばれる一斗缶入りのシンナーを受け取った。請求人は、たまたま同所を訪れていたH運転の本件スカイラインに乗車してa団地に向かい、途中、f公園で、一斗缶から一リットル瓶にシンナーを移し替えると、同団地6号館前に停車させ、一人で6号館の方に向かった。 イ同日午後10時前後頃、請求人は衣服に血液を付着させて、本件スカイラインに戻ったが、Hから右手の血痕を見とがめられると、「けんかをした。」と答え、姉夫婦であるW2らの住む、福井市gにある集合住宅hへ行くよう指示し、間もなく同所に到着した。姉夫婦は不在であったことから、請求人の指示で再びアパートcに向かったが、その間、請求人は、終始うつむいてシンナーを吸っており、時折、「あの女馬鹿野郎。」などとつぶやいていた。 ウアパートcに到着したものの、Bも不在であったことから、請求人は、当時Bが所属していたb会事務所に電話連絡し、翌20日午前0時頃、事務所当番のDと応対した結果、ゲーム喫茶dにいたBと電話連絡が取れた。請求人は「人を殺してしもたんや。どうしていいか分からんのや。」と説明し、これを聞いたBは、ゲーム喫茶dに来るよう請求人に指示するとともに、一緒に した結果、ゲーム喫茶dにいたBと電話連絡が取れた。請求人は「人を殺してしもたんや。どうしていいか分からんのや。」と説明し、これを聞いたBは、ゲーム喫茶dに来るよう請求人に指示するとともに、一緒に遊んでいたJを近くまで迎えに行かせ、請求人はJの案内により、H運転の本件スカイラインで、ゲ ーム喫茶dに到着した。 エ Bは、ゲーム喫茶d前路上で請求人と会ったが、請求人が衣服等に血液を付着させているのを見て、「どうしたんや。」と尋ねたところ、請求人が「死んでしまったかもしれん。この前誘おうとした中学生の女や。」と答えた。Bは、請求人を匿うべく、Jらと共に、請求人を連れてゲーム喫茶dから友人であるFの住むアパートeへ行った。請求人は、シンナー吸引のため、ろれつが回らない状態であったが、Bは、予定されていた覚醒剤の取引が気になり、JとFに請求人の面倒を見させた。 オ Bは、アパートcに帰った後の同日午前3時頃、取引相手であるW3から電話連絡を受け、指定場所に覚醒剤を取りに行ってb会事務所に寄った後、Dと共に、組事務所のキャデラックでアパートeに戻って請求人に会い、なおもシンナーを吸引していた請求人に注意するとともに、30分ほどしたらアパートcまで来るよう指示した。 請求人は、同日午前6時頃、アパートcまで本件スカイラインを運転してきた。その後、請求人は、Bの指示で同所においてシャワーを浴びた後、衣服を借りて就寝したが、就寝中に「ギャー」、「ウワッー」と大声を出すなどし、うなされていた。同日午後、Bは、請求人を伴い、請求人方へ車で赴いた。請求人は車中で、Bに、改めて本件犯行に及んだことを告げ、服役期間はどのくらいになるかなどを尋ねた。 ⑵ 確定判決は、以上で認定した間接事実に加えて、請求人が本件殺人事件 求人方へ車で赴いた。請求人は車中で、Bに、改めて本件犯行に及んだことを告げ、服役期間はどのくらいになるかなどを尋ねた。 ⑵ 確定判決は、以上で認定した間接事実に加えて、請求人が本件殺人事件発生後に自己が犯人でなければ説明がつかないような言動(自己が犯人であることを認めるかのような言動)に出ていたこと、請求人と被害者は本件犯行前に少なくとも面識があったこと、請求人は本件殺人事件の犯人像と外れるものではないこと、請求人主張のアリバイは成立しな いことなどを挙げ、これらを総合判断すると、本件殺人事件が請求人の犯行であることに合理的な疑いを容れる余地はないとしている(確定判決21丁、103丁以下)。なお、確定判決も遺留頭毛については有罪認定の根拠としていない。 ⑶ ここで、確定判決による有罪認定の根拠、すなわち、間接証拠である主要関係者供述の信用性評価や、同供述により認定した間接事実に基づく総合認定等について検討する。 確定審検察官が、控訴審において、H、B、J、D及びFらの証人尋問を請求したところ(Cを除く。Cは、第一審では捜査段階供述を覆した。)、控訴審は、そのうち主要関係者については、H、B及びJについて採用して尋問を行った。 控訴審における上記審理の結果、確定判決は、主要関係者供述のうち、特に、H、B及びJの各供述の信用性について詳細に検討した上(確定判決22丁ないし82丁)、主要関係者供述には一審判決の指摘するような変遷、主要関係者供述間の食い違いないし矛盾点はあるものの、それらはささいな点において認められるにすぎず、事案の核心に関する供述内容の大要は一致していて、全体としては信用性が認められると指摘した(確定判決21丁)。そこで、確定判決は、主要関係者供述に依拠して、「本件殺人の犯行当夜犯 められるにすぎず、事案の核心に関する供述内容の大要は一致していて、全体としては信用性が認められると指摘した(確定判決21丁)。そこで、確定判決は、主要関係者供述に依拠して、「本件殺人の犯行当夜犯行現場であるa団地に被告人(請求人)を連れて行き、本件犯行直後に血を着衣等に付着させた被告人を目撃した、被告人から本件犯行の告白を聞いたなどとするH、B、J等の供述部分は十分に信用でき、犯人と被告人とを結び付ける決定的な証拠としての価値を有する」と評価した(確定判決103丁)。 このような控訴審の審理、確定判決の説示に加え、各間接事実の推認力の強弱等からすれば、確定判決は、大要部分に該当する前記⑴記載の間接事実を有罪認定の核心とし、前記⑵記載の間接事実はこれを補強す るものとして位置付けた上で(意見書3によれば当審検察官も同様の理解である。)、前記⑴記載の間接事実のうち、特に、H、B及びJの関与部分を有罪認定の柱としたものと考えられる。この3名は、事件当夜に請求人の着衣等に血が付着しているのを目撃したのみならず、Hについては、本件犯行時刻頃に請求人と犯行現場付近に同道したとして請求人に犯行の機会が存在したことを示すとともに、本件犯行直後とみられる時間帯に、犯行現場付近で請求人の手や着衣に血が付いているのを目撃し、請求人から犯行をほのめかす発言を聞いたとする点、Bについては、犯行前後の経過に関わり、Bが中心となって請求人を匿うなどしたほか、請求人から犯行告白を受けたとする点、Jについては、Bと行動を共にし、犯行から間もない請求人らをゲーム喫茶dに案内してBと合流させ、その後、本件スカイラインを運転して請求人をアパートeに連れて行く役割を果たすとともに、B、Hらの供述を裏付ける関係にもある点(Hはゲーム喫茶dで合流した以降の経 ーム喫茶dに案内してBと合流させ、その後、本件スカイラインを運転して請求人をアパートeに連れて行く役割を果たすとともに、B、Hらの供述を裏付ける関係にもある点(Hはゲーム喫茶dで合流した以降の経過は覚えていないとしている。)等において、それぞれ本件犯行と請求人を強く結び付ける核心部分に深く関与しているとみたものと考えられる。 続けて、確定判決が主要関係者供述の信用性を肯定した理由についてみると、上記の確定判決における主要関係者供述の評価に係る説示や、主要関係者供述の検討における説示等に照らせば、確定判決は、主要関係者供述の信用性を肯定するに当たり、各供述経過には変遷があるものの、大筋では一貫していることに加え、複数の主要関係者供述が大要において互いに一致し、供述を相互に裏付けていることを重視し、これを客観的証拠に代わる裏付けとして評価したものと解される(Hにつき確定判決26丁、Bにつき同52丁、Jにつき同71丁、Fにつき同83丁、Dにつき同86丁、Cにつき同94丁)。 このように、確定判決の示した証拠構造は、犯行可能性、血痕付着の 目撃、犯行告白といった犯人性を推認させる複数の間接事実から構成されてはいるものの、それらを立証するH、B及びJを中心とする主要関係者供述は、事件当夜の出来事について、共通する一つのストーリー(確定判決にいう大要ないし大要部分)を語ることにより、各供述の信用性を相互に支え合う補充関係にある。そのため、主要関係者のいずれか(特にH、B及びJ)の供述の信用性評価に変更があれば、必然的に他の主要関係者供述の信用性評価にも波及する関係にあり、この点に本件の証拠構造の特徴がある。 第2章当裁判所の判断第1 当事者の主張と当裁判所の判断概要 1 弁護人らの主張(要旨)弁護 要関係者供述の信用性評価にも波及する関係にあり、この点に本件の証拠構造の特徴がある。 第2章当裁判所の判断第1 当事者の主張と当裁判所の判断概要 1 弁護人らの主張(要旨)弁護人らの主張(本件再審請求の理由)は、要するに、弁護人らが当審に提出した証拠によれば、Bが自分の刑事事件の刑の軽減を図るなどの不純な動機・目的で虚言を行ったところ、捜査に行き詰った捜査機関もBの供述に依存して、Bの供述によって引き込まれた被誘導性の高い主要関係者らに対して、Bの供述する架空のエピソードを押し付け、Bの供述と大要で一致する供述をねつ造し、請求人を犯人に仕立て上げたことが明らかであり、主要関係者供述の信用性は弾劾されている、新旧証拠を合わせて検討すれば、確定判決の事実認定には合理的な疑いが生じるとして、弁護人ら提出の証拠は「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に該当するから、刑訴法435条6号により、請求人について再審を開始すべきであるというものである。別な言い方をすれば、弁護人らは、再審開始事由として、不純な動機・目的により虚偽の事実を述べるBの供述にしがみついた警察官らが、誘導に乗りやすい主要関係者に対し不当な誘導等を行うなどし、それに迎合した主要関係者が事実に反する誤った供述をして、請求人を無実の罪に陥れたのではないかという仮説ないし立証命題を打ち立て、それ に見合った主張・立証を組み立てているものとみられる。 弁護人らが本件請求に当たり提出し、当裁判所が取り調べた証拠は別紙証拠目録1(添付省略)に記載のとおりである。 2 検察官の意見(要旨)これに対し、当審検察官は、弁護人ら提出の証拠について証拠の明白性を否定するとともに、主要関係者はいずれもわずか10時間に満たない時間に、異なる場所で請求人の着衣等 2 検察官の意見(要旨)これに対し、当審検察官は、弁護人ら提出の証拠について証拠の明白性を否定するとともに、主要関係者はいずれもわずか10時間に満たない時間に、異なる場所で請求人の着衣等に血液が付着していたと供述しているところ、主要関係者がそろって勘違いをすることは考えられない、主要関係者が虚偽の事実を述べたとするならば、口裏を合わせたか、警察官がHらを誘導してBの供述と符合する供述をさせたということになるが、警察署等に勾留されていたBや、少年院に入所していたFを含めた6人が口裏を合わせるとか、警察がBを除く5人にそろって請求人の着衣等に血液が付着しているのを見たという供述をさせることは現実的に不可能であるなどと主張して、本件請求には理由がないとしている。 当審検察官が提出し、当裁判所が取り調べた証拠は別紙証拠目録2(添付省略)に記載のとおりである。なお、当審検察官は、保管する証拠のうち、弁護人ら提出の証拠について「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に該当するか否かを判断するための資料として、関連性、必要性及び相当性の認められる証拠を当裁判所に提出したところ(令和5年5月9日付け意見書)、弁護人らはその一部についても提出した。 3 当裁判所の判断概要刑訴法435条6号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」とは、確定判決における事実認定につき合理的な疑いを抱かせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいうものと解するのが相当であるところ、「明らかな証拠」であるかどうかは、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたならば、果たしてその確定判決においてな されたような事実認定に到達したであろうかどうかという観点から、当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべきであり、この判断に 理中に提出されていたならば、果たしてその確定判決においてな されたような事実認定に到達したであろうかどうかという観点から、当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべきであり、この判断に際しても、再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判における鉄則が適用されるものと解すべきであるとされている(最高裁判所昭和50年5月20日第1小法廷決定・刑集29巻5号177頁等参照)。殊に本件殺人事件の場合、物的証拠等の客観的証拠に乏しく、主要関係者供述の信用性の判断如何により有罪認定の可否が決せられる事案であり、確定判決も主要関係者供述に依拠する間接事実を重視していることから、弁護人らが提示する前記仮説ないし立証命題が確定判決による事実認定に合理的疑いを抱かせるに十分なものであるかどうかという視点をもって検討すべきである。再審請求審においても「疑わしきは被告人の利益に」という鉄則が適用されることに鑑み、弁護人らが打ち立てた前記仮説が成り立つかもしれないとの心証に至れば、弁護人らによる再審開始事由の立証が成功したものと評価することができる。 そこで、当裁判所においては、以上のような観点を踏まえ、弁護人らが提出した新証拠を調査し、確定判決の有罪認定のよりどころとなったJ、H及びBの各供述の信用性に疑義が生じるかどうかについて順次検討し、各供述の信用性に揺るぎがみられた場合には、確定判決等(第一次再審請求の際の異議審決定を含む。)の判断の基礎となった旧証拠に、新証拠を加えて総合評価することとして、請求人に無罪を言い渡すべき合理的な疑いがあるか、本件に即していえば、弁護人らが提示した仮説ないし立証命題が成り立ち得るかについて検討するこ となった旧証拠に、新証拠を加えて総合評価することとして、請求人に無罪を言い渡すべき合理的な疑いがあるか、本件に即していえば、弁護人らが提示した仮説ないし立証命題が成り立ち得るかについて検討することとした。 まず、弁護人らが提出した新証拠を検討したところ、そのうち、当審検察官が任意に開示した供述調書、捜査報告書等の書証(弁護人らが請求しないものの、関連する開示証拠を含む。)及び当審におけるJの証人尋問 における供述等によれば、確定判決が有罪認定の主要な根拠としたH、B及びJのいずれの供述についても多大な疑問が生じ、その信用性が揺らいでいるものと判断した。そのため、更に進んで、新旧証拠を総合して検討したところ、立場や性行等に鑑みて誘導等に乗りやすい主要関係者らが警察官らによる不当な誘導等を受けて体験していない事実を供述したのではないかという重大な疑問が生じ、主要関係者供述が有罪認定に供せられるほどに間違いなく信用できると判断することができなかった。このことからすると、弁護人らの提示した仮説ないし立証命題が十分に成り立ち得るものであり、主要関係者供述の信用性を認めて請求人を本件殺人事件の犯人とした確定判決の事実認定には合理的な疑いが生じたといわざるを得ないから、弁護人らが提出した新証拠等は無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠に該当するとの判断に至り、本件について再審を開始することとしたものである。 以下、このような判断に至った理由について詳述する。なお、その説明に際しては、新証拠の内容、確定審における供述内容、各証人の立場や性行等を踏まえ、J、H、B、その他の主要関係者(F、D及びC)の順に行うこととし、その際、当審検察官が任意開示した証拠についても、必要があれば適宜言及して説明することとする(以下、主要関係者を始 性行等を踏まえ、J、H、B、その他の主要関係者(F、D及びC)の順に行うこととし、その際、当審検察官が任意開示した証拠についても、必要があれば適宜言及して説明することとする(以下、主要関係者を始めとする関係者の供述について、捜査段階供述及び確定審における公判証言を併せて、「(関係者名)の供述」又は「(関係者名)供述」と表記することがある。)。 おって、証拠については次のとおり表記する。確定審において取り調べた証拠については、冒頭に、審級ごとに「1審」又は「控訴審」と記載した上、確定記録中の証拠等関係カードの記載に従って、請求者の別(検、弁)及び番号を付す。このうち、証人尋問調書、被告人質問調書については、「審級・公判回数・証人名(又は請求人)」により特定する。Bに対 する証人尋問のうち、神戸地方裁判所姫路支部(以下「姫路支部」という。)において実施されたものについては「1審姫路B」と表記する。また、第一次再審請求において提出された証拠については、冒頭に「第一次再審請求審」又は「異議審」と、本件請求により当審において提出された証拠については冒頭に「当審」と記載した上、提出者の別(検、弁)及び番号を付す。さらに、当審検察官が本件手続において任意に開示した証拠のうち、弁護人らが提出しないものについては、「開示日付・番号」により表記する。このほか、確定審、第一次再審請求審、異議審までに取り調べ、ないし、提出された証拠を「旧証拠」といい、弁護人らが当審において提出した証拠を「新証拠」ということがある。 第2 Jの供述について 1 Jの捜査段階及び確定審における供述経過、内容等⑴ Jの供述に関する新証拠を検討するに先立ち、まず、Jの捜査段階及び確定審における供述経過やその内容のほか、これと関連するK(当時19歳)及 Jの捜査段階及び確定審における供述経過、内容等⑴ Jの供述に関する新証拠を検討するに先立ち、まず、Jの捜査段階及び確定審における供述経過やその内容のほか、これと関連するK(当時19歳)及びL(当時19歳)の供述を併せて概観する。 Jは、確定審において複数回証言しており、検察側証人として、捜査段階供述と同様、確定判決の認定に沿う証言をした一方、弁護側証人として、事件当夜はうどん屋iに行くなど、Lと一緒に行動していたなどとして、請求人との関与を否定する証言をした。 ⑵ Jの捜査段階供述及び第一審第7回、第8回公判(昭和62年12月22日、昭和63年1月21日)に検察側証人として出廷した際の証言の要旨は次のとおりである(以下、同証言を「第一次証言」といい、捜査段階供述と合わせて「第一次供述」という。)。すなわち、「 3月19日夜は、L運転のマークⅡでK方まで送ってもらい、Lは交際相手であるM(当時19歳)方に行った。K方でテレビ番組「夜のヒットスタジオ」を見ていたら、y(女性歌手)が歌う後ろでz(男性歌 手)が腰を振るいやらしい動作をしている場面(以下「本件場面」という。)があり、Kと『いやらしいなあ。』と話した記憶がある(1審検290、295)。 BからK方に電話があったのは本件場面の頃であり、K運転の車でアパートcに行き、Bを乗せてゲーム喫茶dまで行った。Kは帰ったので、Bとゲームをするなどしていたら、Bから頼まれ、近くのj神社まで本件スカイラインに乗った請求人とHを迎えに行き、ゲーム喫茶dに案内してBと引き合わせた。 その後、Bが運転するスプリンターを先導に、請求人とHを乗せた本件スカイラインを運転し、アパートeのF方に行った。F方で請求人の胸辺りに血が付いているのを見たが、 してBと引き合わせた。 その後、Bが運転するスプリンターを先導に、請求人とHを乗せた本件スカイラインを運転し、アパートeのF方に行った。F方で請求人の胸辺りに血が付いているのを見たが、Bや請求人は暴走族上がりでけんかはしょっちゅうするし、請求人はシンナーを吸っていたから、けんかでもしたのかと思っていた(1審検291、295)。 しばらくしてM方にいるLに連絡を取り、マークⅡでk家具店前まで迎えに来てもらった。福井市内を走り回るうち、m橋で検問を受け、警察官から本件殺人事件があったことを聞いたが、そのときは請求人とは全然結び付かなかった。その後、n陸橋でガス欠により停車していたときにも職務質問を受けた。 本件殺人事件について取調べを受け、そういえば検問に遭った日にアパートeで請求人の服に血が付いていたのを思い出した(1審検291、295)。」というものである。 なお、以上の事実経過のうち、JとLが、3月20日午前1時57分頃に福井市内のm橋で本件殺人事件の発生に伴う検問を受け、同日午前3時30分頃に同市内のn陸橋上で警察官に声を掛けられたことは、動かし難い事実とみることができる(検問記録を含む警察官作成の報告書・1審検156ないし158)。 また、捜査段階において、Kは、JがK方に来た日に、「夜のヒットスタジオ」で、歌っているy(女性歌手)の後ろでz(男性歌手)が腰を振り、y(女性歌手)がマイクをz(男性歌手)の股に持っていった場面(本件場面)があり、その日にJとBをゲーム喫茶dまで送ったと供述し(検察官調書・1審検297)、LもJの第一次供述に沿う供述をしていた(検察官調書・1審検279)。 ⑶ Jは、昭和63年9月5日、請求人の弁護人である吉村弁護士と面会し、事件当夜 たと供述し(検察官調書・1審検297)、LもJの第一次供述に沿う供述をしていた(検察官調書・1審検279)。 ⑶ Jは、昭和63年9月5日、請求人の弁護人である吉村弁護士と面会し、事件当夜の出来事について、いったん概ね第一次供述に沿う説明をした。ところが、Jは、それに続けて、要旨、「本件について最初にマル暴の警察官の聴取を受けた際は、検問に遭った日にはLと二人でうどん屋iに行き、そこで知人女性と連れのNのけんか(以下「うどん屋iのけんか」という。)を見た記憶だった。うどん屋iのけんかを見た後にKから覚醒剤を譲り受けたが、その後に検問を受けたので、やばいと思ったように記憶していた。」などと言い出した(控訴審弁12)。 他方で、確定審検察官は、弁護人とJの接触を察知し、Jの第一次供述の信用性を確認するため(論告要旨78頁、控訴趣意書228頁)、平成元年1月24日、Jの取調べを行い、供述調書を作成した(1審検316)。同調書は、第一次供述に沿うものであり、うどん屋iのけんかについては、これを目撃した日にちは分からないが、請求人の服に血が付いているのを見た日とは別の日であるとの記載がある。 ⑷ Jは、第一審第35回、第36回公判(平成元年11月16日、同年12月7日)に弁護側証人として出廷し、要旨、次のとおり証言した(以下「第二次供述」という。)。すなわち、「 本件殺人事件があった日の夜は、Lと一緒にうどん屋iに行き、うどん屋iのけんかを見た。その後、Kが店に来て、Nから俺(J)を連れてくるよう頼まれたと言ってきたが、Nにはもう帰ったと伝えるよう に頼んだ。その際、Kに覚醒剤を注文し、翌20日午前0時頃、Kから待ち合わせ場所の商業施設oで覚醒剤を譲り受けた後、LとマークⅡで福井市内を走行するうちにm橋で Nにはもう帰ったと伝えるよう に頼んだ。その際、Kに覚醒剤を注文し、翌20日午前0時頃、Kから待ち合わせ場所の商業施設oで覚醒剤を譲り受けた後、LとマークⅡで福井市内を走行するうちにm橋で検問に遭った。 本件殺人事件については、最初は福井警察署暴力課の警察官に、それ以降はP1警察官らから聴取を受けたが、その際も覚醒剤取引の点を除いて同じように話した。ところが、P1警察官は、KとNはうどん屋iのけんかは別の日だと言っているとして受け付けてくれず、Kと一緒にKの家でテレビを見ていたのではないか、K方にBから電話がかかってきて迎えに行ったやろ、などと言われた。うどん屋iのけんかは違う日なのかなと思い、日にちの記憶こそないが警察官から言われた出来事の記憶もあったので、その後は第一次供述のとおり供述をした。Kとは本件場面を一緒に見ていないが、警察官が、Kがお前と一緒にテレビを見ていると言ったので、調書にはKと本件場面を見たなどと記載されたと思う。」というものである。 なお、確定審検察官は、3月19日夜の出来事であったと認めるに足りる証拠はないとしつつも、最終的には、JとLが本件殺人事件発生日とさほど遠くない日の夜にうどん屋iのけんかを目撃したとの限度では争わなかった(控訴審弁論要旨43頁)。 第一審公判では、Kも、JとBをゲーム喫茶dに送ったことはあるが、日にちの記憶はなく、警察官からJらが本件場面を見た日(3月19日)だと言っている、Lが検問に遭った日だから間違いないと聞かされたので、捜査段階ではこれに話を合わせた、本件場面を誰と見たかは思い出せず、本件場面を見たのがJらをゲーム喫茶dに送った日かは分からないと証言した。また、Lも、第一審公判において、3月19日はうどん屋iのけんかを見た後に検問に遭った た、本件場面を誰と見たかは思い出せず、本件場面を見たのがJらをゲーム喫茶dに送った日かは分からないと証言した。また、Lも、第一審公判において、3月19日はうどん屋iのけんかを見た後に検問に遭った、ところが、P1警察官らからJやNもうどん屋iのけんかのあった日は違う日だと言っていると言われ て記憶に自信がなくなり、Jの第一次供述に沿う供述調書の作成に応じたと証言した。 ⑸ 一審判決は、Jの第一次供述はもとより、アパートeにおいて血を付けた請求人を見たなどとする供述(第二次供述の該当部分を指すとみられる。)も信用性に問題があり、同供述によって、本件殺人事件発生後、その着衣等に血を付けた請求人がHと共にゲーム喫茶dに来て、その後アパートeに向かった事実を認めるに足りないと評価した。 ⑹ Jは、控訴審第6回、第7回公判期日(平成6年3月31日、同年4月28日)において、検察側証人として出廷し、事件当夜の出来事について再び供述を変更して、概ね第一次供述に沿う証言をした上、「うどん屋iのけんかの日とm橋等で検問に遭った日は別の日である。」と証言した。 ⑺ Jは、その供述の経緯や変遷の理由について、次のとおり証言している。すなわち、「 本件殺人事件については最初に福井警察署暴力係P2警察官の取調べを受けた。その際には3月19日夜の行動について、当時はp工業に勤めており、その頃にうどん屋iのけんかを目撃したこと、3月19日夜(正確には日が変わり20日となっている。)は本件殺人事件に伴う警察官の検問に遭ったことが記憶にあったので、これらが同じ夜の出来事であるとの確信まではなかったが、当時そのようなことがあったと述べた。 しばらく経過して、P1警察官から本格的な取調べを受けるようになり、当初P2警察官に対し ので、これらが同じ夜の出来事であるとの確信まではなかったが、当時そのようなことがあったと述べた。 しばらく経過して、P1警察官から本格的な取調べを受けるようになり、当初P2警察官に対してと同趣旨の供述をしたが、もともとうどん屋iのけんかが3月19日夜の出来事であったとの確信があったわけではなく、P1警察官からもそれは違うだろうと言われ、自分の記憶としてもF方で請求人の着衣の胸に血が付いているのを目撃し、引き続き本 件に伴う警察の検問に遭ったというのが正しいと思ったので、その旨の供述をした。 その後、うどん屋iのけんかのことが全く問題とならなかったため、1回目の証言後もひっかかりを感じるとともに、この出来事が一体いつのことだったか知りたいという気持ちを持っていた。そうしたところ、弁護人と複数回会うことになり、本件殺人事件があった頃、うどん屋iのけんかがあったことを話した。その際も、うどん屋iのけんかが事件当夜の出来事であるとの確かな記憶があって述べたのではなく、うどん屋iのけんかがいつの出来事だったのか知りたいという気持ちだった。 そのような中、弁護人から、Nはうどん屋iのけんかは3月19日夜の出来事だと言っている旨告げられ、けんかをした本人がそのように言っているのであれば、同日夜の出来事に違いないと思い、本件に伴う検問に遭った日にちははっきりしていたので、これらが同じ夜の出来事であったことに間違いないと思うようになった。それで第二次供述をした。 この当時は、本件に関して周囲から色々な話が入ってくるため頭の中が混乱していたが、その後冷静に思い起こしてみると、Kから譲り受けた覚醒剤はすぐにp工業の部屋へ持ち帰ってLと一緒に使っており、覚醒剤を使ったり、車内に隠し持ったりしたまま福井市内を車で走り回っ が混乱していたが、その後冷静に思い起こしてみると、Kから譲り受けた覚醒剤はすぐにp工業の部屋へ持ち帰ってLと一緒に使っており、覚醒剤を使ったり、車内に隠し持ったりしたまま福井市内を車で走り回っていて警察の検問に遭ったという記憶はなく、むしろ、初めてアパートeに行き、同所で請求人の着衣の血を目撃した一連の行動について順をたどると、請求人の血を見た後、Lにk家具店前まで迎えに来てもらい、m橋で本件殺人事件に伴う警察の検問に遭ったという記憶が正しいと思うようになった。」というものである。 さらに、Jは、「今日は記憶どおりのことを述べたもので、証言内容について警察官や検事からの働きかけはない。今回の出廷にはP1警察官が同行したが、その際、事件の中身等については一切話していない。」 とも証言している。 なお、Jは、裁判官の補充尋問で確認されると、3月19日に本件場面を見た記憶があり、その日はBと会って請求人らを迎えに行き、請求人の服に血が付いているのを見て検問に遭った日だという記憶である、テレビ番組の印象は間違いなく残っている旨を証言した。 2 確定判決によるJ供述の評価⑴ 確定判決は、要旨、次のような理由を示して、Jの第一次供述及び控訴審供述(以下「第一次供述等」という。)の信用性を肯定し、第二次供述の信用性を否定した。 ⑵ 第一次供述について、Jが3月19日の夜ゲーム喫茶dに行くまでの経緯については、B、K及びLの捜査段階供述により裏付けられている。 同日午後9時から放送されたテレビ番組「夜のヒットスタジオ」の放送内容にはy(女性歌手)とz(男性歌手)がいやらしい仕草をしていたもの(本件場面)が含まれていた。なお、確定判決は、3月19日に本件場面が放送されたことをKの捜査段階供述の裏付けともしてい 」の放送内容にはy(女性歌手)とz(男性歌手)がいやらしい仕草をしていたもの(本件場面)が含まれていた。なお、確定判決は、3月19日に本件場面が放送されたことをKの捜査段階供述の裏付けともしている。その後、Jが請求人を迎えに行き、ゲーム喫茶dに戻った後、アパートeのF方に行き、F方を出て、合流したLと共に車で福井市内を走行中、警察の検問を受けたことは、B、H及びFの各供述、Lの誕生日(3月18日)の翌日であるというLの捜査段階供述によって裏付けられており、警察官がJ、L乗車の車を検問したことは、客観的に明らかである。さらに、第一次供述は、これに符合するH及びBの供述を裏付けるものである。これらに照らせばJの第一次供述は信用できる(確定判決71丁)。 控訴審供述についても、第一次供述の信用性を確認し、第二次供述の信用性を弾劾するもので、各供述の問題点及び供述が変遷した理由についても明確に供述しており、その信用性は高い(確定判決75丁)。 ⑶ これに対し、第二次供述について、確定判決は、弁護人による事前テストがJの証言内容に影響を及ぼしたとして、供述に至る経緯を問題視し、また、覚醒剤を所持しながらm橋で検問を受けた後にも福井市内を走行していたという供述内容の不自然・不合理さを指摘した。また、確定判決は、うどん屋iのけんかは3月19日であったとするNの供述は信用できないとした上で、Jは、第二次供述においても、Bに頼まれて請求人を迎えに行ってゲーム喫茶dまで案内し、その後アパートeで請求人の胸に血が付いているのを見たことは明確に証言しており、その内容は日時の点を除いて第一次供述の内容に沿っていて、このような体験は一度だけで昭和61年3月前後だったと供述していることを指摘し、弁護人による事前テストを受けながら同供述 明確に証言しており、その内容は日時の点を除いて第一次供述の内容に沿っていて、このような体験は一度だけで昭和61年3月前後だったと供述していることを指摘し、弁護人による事前テストを受けながら同供述を維持していることは、第一次供述の信用性を裏付けるとした(確定判決72丁)。 なお、確定判決は、第二次供述に沿うK及びLの公判証言の信用性を否定している。 3 新証拠とその明白性に関する当事者の主張⑴ J供述に関する新証拠群は、大別すると次のとおりである。 ➀ 「夜のヒットスタジオ」の放送内容に関する捜査報告書(当審弁91)、弁護士会に対する照会申出書(同92、130)及び照会回答書(同93、131。なお、別紙証拠目録と表記が異なるものがある[以下同じ]。)➁ J、Lらの供述経過、内容等に関する捜査報告書(当審弁55、88ないし90)➂ Jが控訴審供述に至った経過等に関するJの供述調書(当審弁125)、Jの当審における証言(以下「当審供述」という。)及び弁護人作成の供述調書(同122)、Jの改製原戸籍謄本(同126、127)、祝儀袋(同132・当裁判所令和6年押第1号符号1、以下 「本件祝儀袋」という。)⑵ 新証拠に関する弁護人らの主張は次のとおりである。 ア新証拠➀(「夜のヒットスタジオ」の放送内容に関する証拠)によれば、3月19日放送の同番組に本件場面は存在しないことが明らかになった。Jが事件当夜にKと共に同人方で本件場面を見たというエピソードは、第一次供述等の起点となり、その後に起こったとされる、Bを迎えに行ってゲーム喫茶dに行く、Bから請求人らを迎えに行くことを指示される、アパートeのF方に同行するなどの具体的エピソードを事件当夜の出来事として紐付ける要となるもので に起こったとされる、Bを迎えに行ってゲーム喫茶dに行く、Bから請求人らを迎えに行くことを指示される、アパートeのF方に同行するなどの具体的エピソードを事件当夜の出来事として紐付ける要となるものである。本件場面が事件当夜に放送されていなかったのであれば、第一次供述等は重要な裏付けを失い、確定判決の認定する一連のストーリーの中核部分が裏付けを失うことになる。また、Jの第一次供述等及びKの捜査段階供述では、一致して3月19日に本件場面を見たという架空の事実が実際にあったかのように語られており、このような一致は警察による誘導がなければ起こり得ない。このことは、警察が事件とは無関係の日にあった出来事を、無理矢理事件当日にあった出来事にして、Jを始めとする関係者の供述をねつ造していったという捜査経過を端的に示している点でも重要性を有する。 イ新証拠➁(Jらの供述経過、内容等に関する証拠)のとおり、Jは、当初、うどん屋iのけんかは3月19日のことだとの記憶を有しており、本件殺人事件への関与を否認していたのに、警察は、Jに「他の者は、そうは言っていない。」という虚偽の情報を与え、強引な誤導を繰り返して第一次供述を作出した。 ウさらに、新証拠➂(当審供述等)によれば、Jは、一審判決後、警察から、調書どおりに証言すれば覚醒剤事件を見逃すという闇取引を持ちかけられ、これに応じて控訴審で供述を変更した。 エ Jは、当初本件殺人事件への関与を否定していたのに、捜査機関による不当、強引な誘導により本件殺人事件への関与を認めた。Jは、警察の取調べで繰り返し教え込まれたとおりに、第一審でもいったんは第一次証言をしたものの、同供述は、警察によりねつ造され、控訴審においても闇取引を用いた圧力により無理矢理維持されてきたものである 警察の取調べで繰り返し教え込まれたとおりに、第一審でもいったんは第一次証言をしたものの、同供述は、警察によりねつ造され、控訴審においても闇取引を用いた圧力により無理矢理維持されてきたものであるため、多数の不合理性を露呈し、信用性に疑問が生じている。 Jの第一次供述等は、請求人らの犯行前から犯行後に至る一連の行動経過の重要な結節点を担っていること、Jが供述を変更したこと以外には一審判決と確定判決とで証拠構造に変化がないことからすれば、確定判決が認定の根拠とした、BやHらの行動経過全体を維持できなくなったというべきである。 ⑶ 新証拠に関する当審検察官の主張は次のとおりである。 ア新証拠➀(「夜のヒットスタジオ」の放送内容に関する証拠)について(当審検察官は3月19日放送の同番組に本件場面が存在しないことは争わない。)、Jは、3月19日に本件場面を見たことについて、番組の放送から9か月以上経過後に供述しているから、番組内容の記憶が詳細まで正確であるとは限らない。Jが3月19日にBからの電話を受けた際に「夜のヒットスタジオ」を見ており、その際にy(女性歌手)が歌っていて同番組にはz(男性歌手)も出演していたという記憶と、翌週に見た本件場面の記憶が混同しても何ら不自然ではなく、そのような勘違いがあったとしてJの第一次供述の信用性は損なわれない。また、確定判決は、Jの第一次供述の信用性を認めるに当たり、本件場面だけではなく、Bをゲーム喫茶dに送っていったことについては、B、K及びLの供述により、その後の経過については、B、Hらの供述に加え、本件殺人事件に関する検問に遭ったという客観的事実に裏付けられていることなども根拠としているから、新 証拠➀はJの第一次供述等の信用性判断においてさして重要性を有さない。 イ に加え、本件殺人事件に関する検問に遭ったという客観的事実に裏付けられていることなども根拠としているから、新 証拠➀はJの第一次供述等の信用性判断においてさして重要性を有さない。 イ新証拠➁(Jらの供述経過、内容等に関する証拠)によっても、Jは取調べの初期段階で本件殺人事件への関与を否定していたにすぎず、Lらの取調べに関する捜査報告書を含め、Jが取調べの初期段階でうどん屋iのけんかを目撃したという第二次供述同様の供述をしていたことはうかがわれない。確定判決は、Jが捜査段階の当初に第二次供述のような供述をしていたとは認められないとするところ、新証拠➁はこのような確定判決の認定の合理性を否定するものではない。 ウ新証拠➂(当審供述等)については、Jの当審供述は内容自体が不自然・不合理であるし、確定審における証言との間ではもとより、当審供述に先立って提出されたJの弁護人に対する供述調書(当審弁122)とも齟齬するなど到底信用できず、弁護人らがいうような闇取引の事実や、控訴審供述が同取引に基づく虚偽のものであるとの事実は認められない。 エ 「夜のヒットスタジオ」の放送内容に関する弁護人らの主張は、Jの第一次供述等の信用性を減殺するようなものとはいえず、当審供述及び弁護人に対する供述調書にも全く信用性がないから、新証拠➀ないし➂は、いずれも新証拠としての明白性は認められない。 4 新証拠➀・「夜のヒットスタジオ」の放送内容に関する証拠、同➁・Jらの供述経過、内容等に関する証拠の証拠価値について⑴ 確定記録中のP3警察官作成の捜査報告書(1審検139・以下「P3捜査報告書」という。)によれば、昭和61年3月27日、P4警察官がテレビ局で保管されていた同月19日放送分の「夜のヒットスタジオ」のビデオテープ 3警察官作成の捜査報告書(1審検139・以下「P3捜査報告書」という。)によれば、昭和61年3月27日、P4警察官がテレビ局で保管されていた同月19日放送分の「夜のヒットスタジオ」のビデオテープを視聴し、内容と放送時間を一覧表にまとめた。昭和62年1月14日になって、Kからの聴取をきっかけに、上記一覧表 によりy(女性歌手)が「あゝ無常」を歌唱した時刻(3月19日午後9時59分頃から午後10時3分頃まで)が確認されるとともに、P4警察官からy(女性歌手)が歌っている後ろでz(男性歌手)が踊っていた事実があると確認され、その旨のP3捜査報告書が作成されたことが認められる。これを受けて、確定判決も、P3捜査報告書を証拠の標目に掲げ(確定判決108丁)、P3捜査報告書を証拠として3月19日に本件場面が放送されたことを認定している。 ところが、新証拠➀によれば、福井警察署が平成元年1月26日にテレビ局に対し「夜のヒットスタジオ」の放送内容について照会したところ、同月27日に回答があったこと、同回答によれば、y(女性歌手)の歌っている後方で、z(男性歌手)が腰を振っていやらしい踊りをしている場面が放送された日は昭和61年3月26日であること、同月19日には、同番組にy(女性歌手)とz(男性歌手)が出演しているが、二人で共演したり、いやらしい踊りを踊ったりしたというシーンはなかったことが認められる(当審弁91)。 当審検察官が本件手続において上記照会や回答結果を開示したのを受け、弁護人がテレビ局に再度照会したところによれば、同月26日放送分のパフォーマンスは、y(女性歌手)が「六本木心中」を歌唱している途中からz(男性歌手)もパフォーマンスに参加して密着した状態で歌い、途中y(女性歌手)がz(男性歌手)の下半身に抱き 月26日放送分のパフォーマンスは、y(女性歌手)が「六本木心中」を歌唱している途中からz(男性歌手)もパフォーマンスに参加して密着した状態で歌い、途中y(女性歌手)がz(男性歌手)の下半身に抱き着いてしゃがみ込み、最後に抱き合ってキスをするという過去の放送分の一部再放送であったことが認められる(当審弁92、93)。 以上によると、パフォーマンスの内容からして、J及びKが供述した本件場面とは、昭和61年3月26日放送分の「夜のヒットスタジオ」の一場面と認めるのが相当である。しかるに、捜査機関において、同番組の3月19日放送分を実際に視聴するなどして確認することをしない まま、一警察官の記憶のみに頼った結果、P3捜査報告書において同日に本件場面があるとの間違った放送内容が記載されたものと認められる。 ⑵ 以上を前提に新証拠➀、同➁の証拠価値について、必要な限度で旧証拠にも触れながら検討する(なお、新証拠➀、同➁は、当審検察官が当審において新たに任意で開示したものであるか、弁護人が当審に至って弁護士会照会を行った結果作成されたものであるから、証拠の新規性が認められる。)。 アまず、新証拠➀により3月19日に本件場面は放送されていないことが立証された結果、第一次供述や、これに沿うKの捜査段階供述のうち、JがKに送ってもらってBとゲーム喫茶dに行った日にちが3月19日であることの客観的裏付けが失われた。また、KとJが3月19日に本件場面を一緒に見て、いやらしいなどと感想を言い合ったことや、同事実を根拠にしてBがK方に同日電話をした時刻を特定することはあり得ないのに、その旨を述べる第一次供述等及びKの捜査段階供述には、客観的事実に反する供述が含まれることになる。 これにとどまらず、次に説明するとおり、 日電話をした時刻を特定することはあり得ないのに、その旨を述べる第一次供述等及びKの捜査段階供述には、客観的事実に反する供述が含まれることになる。 これにとどまらず、次に説明するとおり、新証拠➀、同➁は、捜査機関による誘導等をきっかけに、客観的事実に反するJの第一次供述等が形成されたことを示唆して、第一次供述等の信用性を疑わせ、他方、事件当夜は請求人らと行動していないとする第二次供述の信用性を回復させることで、確定判決におけるJ供述の信用性評価、ひいては確定判決にいう大要部分の認定をも揺るがす力を持つものといえる。 イ Bは、当初、請求人と一緒にゲーム喫茶dに来た男はEであると供述していたが、昭和62年1月に入ると、実はHであると供述を変更し、それと同時に、請求人らをゲーム喫茶dまで案内した人物としてJを登場させた(同月3日付け警察官調書・1審検207)。また、Bがゲーム喫茶dに行った経緯についても、アパートcに来た友人の W4(通称はW4´)とQに誘われ、3人で行ったと述べていたのを(1審検200、203、第一次再審請求審検86)、覚醒剤仲間のKと、同人方にいたJとをアパートcまで呼び寄せ、Kの車でゲーム喫茶dまで送ってもらったと供述を変更した。 これを受けてKに対する裏付け捜査が行われた結果(昭和62年1月12日付け捜査報告書・当審弁55)、いずれも同月14日付けのKの警察官調書及びP3捜査報告書が作成されたとみられる。Kの警察官調書では、Jと本件場面を見て、二人で「なんていやらしい踊りや。」と言って話をしているところにBから電話がかかってきて、Bを迎えに行き、ゲーム喫茶dに車で送ったとされている(当審弁129。弁護人の不同意意見により撤回された1審検138であり、確定判決が証拠とするKの検 話をしているところにBから電話がかかってきて、Bを迎えに行き、ゲーム喫茶dに車で送ったとされている(当審弁129。弁護人の不同意意見により撤回された1審検138であり、確定判決が証拠とするKの検察官調書[1審検297、確定判決108丁]と同旨である。)。 ウ Kの第一審公判証言によれば、上記警察官調書を作成した経緯は次のとおりである。すなわち、Kは、「警察から聴取を受けた際、本件殺人事件があった時期に、JがLの送迎でK方に来て、その後にJとBをゲーム喫茶dに送迎した記憶はあったものの、その日にちは覚えていなかった。警察官から3月19日の新聞テレビ欄のコピーを示され、『夜のヒットスタジオ』の欄に、y(女性歌手)とz(男性歌手)の名前があったので、これは二人がいやらしい踊りをした場面かと聞くと、警察官がそうだと答えた(P3捜査報告書作成のきっかけとみられる。)。その場面を見て、『なんやいやらしいな。』と会話をしたのは覚えており、そういう会話をするのは親しい人だと思った。警察官からJと『夜のヒットスタジオ』を見なかったかと聞かれても、さして親しくはないJと感想を交わした記憶は余りなかったが、警察官から、J、LやBがその日は3月19日夜だと言っている、Lが検 問に遭った日だから間違いないと聞かされたので、1日猶予をもらい、自分と一緒に本件場面を見た友人を探した。ところが、その頃付き合いのあった友達は誰も一緒に見た覚えがないというので、Jらの記憶の方が正しいのだろうと思い、Jらに話を合わせて供述調書を作成した。」と証言した(1審30回K)。 確定判決は、K供述の信用性について、検察官に対する供述内容は、B供述、Jの第一次供述、Lの検察官調書により裏付けられており、「夜のヒットスタジオ」の内容(本件場面)とも符合し 回K)。 確定判決は、K供述の信用性について、検察官に対する供述内容は、B供述、Jの第一次供述、Lの検察官調書により裏付けられており、「夜のヒットスタジオ」の内容(本件場面)とも符合していて信用できるのに対し、公判証言については、捜査官がKを取り調べた昭和62年1月14日の時点では、J及びLのいずれからも供述が得られておらず、Kは番組の内容を友人に確認した上で警察官調書の作成に応じていること、公判証言に沿う供述調書は存在しないことに照らして信用できないと評価している(確定判決77丁)。 しかし、前述のとおり、Kの捜査段階供述は、新証拠➀により本件場面の放送という客観的裏付けを失っている。また、新証拠➁のJやLからの聴取内容をまとめた捜査報告書によれば、警察は、Jには昭和61年12月25日(当審弁88)、Lには昭和62年1月13日(同89)と、Kに先立って、あるいは同時期に事情聴取を行い、既にJとLが3月20日未明に検問に遭ったことを把握していた。このことからすると、警察において、先行するBの供述を前提として、Kの当初の供述(本件殺人事件のあった頃、JがLの車でK方まで来て、その後、KがJとBをゲーム喫茶dまで送った。)と、J及びLの当初の供述(3月20日未明に検問を受けたというもの。ただし、JとLは、当初、検問を受けた夜にLがJをK方に送った旨の供述はしていない。)を擦り合わせることは十分に可能な状況にあったといえる。 すなわち、Kは、JがLの車でK方まで来て、その後にKがJとBを ゲーム喫茶dに送った日付について明確な記憶がなかったのに、警察において、Kに対し、この出来事があったのはJとLが検問に遭った夜であること、つまり事件当夜の出来事であったとの誘導を加えることは可能であったことになる。 いて明確な記憶がなかったのに、警察において、Kに対し、この出来事があったのはJとLが検問に遭った夜であること、つまり事件当夜の出来事であったとの誘導を加えることは可能であったことになる。 以上に加え、3月19日にJがLの車でK方まで来て、その後、KがJ、Bをゲーム喫茶dまで送ったというJの第一次供述、Lの捜査段階供述についても、いわゆる切り違えのような尋問により得られた疑いがあり、これらの供述の信用性にも疑問が生じるから、Jの第一次供述等についてもKの捜査段階供述の裏付けと評価することはできない。 また、Kがわざわざ友人らに本件場面を一緒に見たか確認していることは、とりもなおさず、K自身は本件場面をJと見た記憶が定かではなかったことを示している。この点に関し、当審検察官が任意開示した捜査報告書によれば、Kは、警察官調書作成の翌日である昭和62年1月15日の成人式で、友人の一人に本件場面を一緒に見たかを確認し、同年2月に行われた警察からの再聴取の際に、本件場面は友人と見たような気がするとの供述をしたことがうかがえる(令和5年12月21日付け任意開示1)。同捜査報告書によれば、Kは、警察官調書を作成した後に友人に確認したことになり、その点で公判証言と順序が逆になってはいるものの(ただし、Kが警察官調書作成前に他の友人に確認した可能性も否定できない。)、3月19日夜にJと本件場面を見たことに関するKの記憶が不確かであったことに変わりはない。なお、JもK同様、二人の間にはそれほど親しい付き合いはなかったとしている(1審検289)。 このほか、Kの公判証言によれば、Kの聴取から警察官調書作成までにさして日にちを置いた様子がないから、公判証言に沿う供述調書 が作成されなかったとしても不思議ではない。 289)。 このほか、Kの公判証言によれば、Kの聴取から警察官調書作成までにさして日にちを置いた様子がないから、公判証言に沿う供述調書 が作成されなかったとしても不思議ではない。 そうすると、新証拠➀、同➁によれば、K供述に関する確定判決の信用性評価は前提の大部分を欠き、B、J及びLらが供述したという内容を教えられ、それに迎合して捜査段階供述をした旨のKの公判証言は、その信用性を否定できないというべきである。 エ次に、本件場面に関するJの供述状況をみると、Jが3月19日にKと本件場面を見たとの供述を始めたのは、Kの警察官調書(当審弁129)が作成された昭和62年1月14日より後の同月28日頃とみられるところ(1審検290。なお、Jは同月26日頃には第一次供述に沿う内容で関係箇所を案内している。1審検159)、Jも、K方でBから電話を受けてアパートcに向かった、その時間ははっきりしないが、3月19日にKの部屋で本件場面を見ていやらしい感じを受けたのをよく覚えており、その場面を見てから約五、六分後にアパートcに出発した、出発した際、Kとその場面の印象を話し合っているので間違いない、との供述をするに至っている(1審検290)。 このように、Jの第一次供述は先行するKの警察官調書と同じ内容である上、いずれの供述も、3月19日に本件場面を一緒に見ていやらしいなどの感想を述べ合ったとし、これを根拠にBからの電話があった時刻を特定するという客観的事実に反する供述をしていることからすれば、Jの上記供述は、当審検察官がいうような単なる勘違いでは片付けることができず、Kの捜査段階供述を前提に誘導されたとみるのが素直である。 この点に関し、当審検察官は、Jが3月19日にK方でBからの電話を受 審検察官がいうような単なる勘違いでは片付けることができず、Kの捜査段階供述を前提に誘導されたとみるのが素直である。 この点に関し、当審検察官は、Jが3月19日にK方でBからの電話を受けた際、「夜のヒットスタジオ」でy(女性歌手)が歌っていて同番組にはz(男性歌手)も出演していたことや、Jがこの放送内容を記憶している前提で、Jが翌週に見た本件場面の記憶と混同させ た可能性があると主張する。 しかし、Jからすれば、Bから電話を受けた約10か月後に、電話を受けた当時見ていたテレビ番組の内容(歌番組であることや、誰が歌唱していたかなど)を覚えているというのは、電話での会話内容と関連があるとか、その番組内容等がよほど記憶に残るようなものでもない限り考え難く、3月19日の「夜のヒットスタジオ」の放送内容に照らしても、そのような事情はうかがわれず、当審検察官の上記主張は的を射たものではない。 オそもそもJは、確定判決にいう大要部分について、証人尋問に際し、検察側、弁護側と立場を変え、供述を二転三転させているのであるから、このような供述経過自体からして、Jの供述属性として、容易に供述を変更させる危険性が強く、なかなかその供述に信を置くことは難しい。 それなのに、確定判決はJの第一次供述等の信用性は高いと評価している。しかし、Jの控訴審供述によれば、Jは、捜査段階における供述経緯について、うどん屋iのけんかが3月19日夜の出来事であったかについては、確信があったわけではなく、P1警察官からそれは違うだろうと言われたこともあって、第一次供述に至ったとしている。また、確定判決の認定によれば、Jが第二次供述に至ったのは、弁護人からの教示やNの供述内容を聞くなど、弁護人の事前テストの影響が大きいというの と言われたこともあって、第一次供述に至ったとしている。また、確定判決の認定によれば、Jが第二次供述に至ったのは、弁護人からの教示やNの供述内容を聞くなど、弁護人の事前テストの影響が大きいというのであるから(確定判決73丁)、確定判決を前提としてもJの被誘導性の強さは否めない。これに加えて、前記1・⑶で記載のとおり、Jは、第一次証言後、第二次供述に至るまでの間にも、弁護側、検察側双方から法廷外で接触を受けると、それぞれの立場に応じた供述を行っていた経過もあるから、Jについてはその時々の聴取者に応じて供述を変更させている疑いも拭えない。 このようなJの供述属性や被誘導性の強さにも照らすと、Jについても、P1警察官から、Kらが供述したという内容を知らされるなどの誘導を受け、これに迎合した結果、JとKが3月19日に本件場面を見て感想を言い合い、その頃にBからの電話を受けたというありもしない体験供述をした可能性が現実味を帯び、その旨をいう第二次供述の信用性はあながち否定できないことになる。 その上、Kの公判証言や、Jの第二次供述にも照らせば、警察官から本件場面について、KはJらが供述したとされる内容を、JはKらが供述したとされる内容を教えられてそれぞれ迎合した供述をしたことになるから、弁護人らが指摘するとおり、KやJらに対しては、いわゆる切り違えのような方法による取調べが行われた疑いすら否定できず、この点に関するKやJらの供述の信用性をたやすく認めることはできない。したがって、確定判決のように安易にJの第一次供述等の信用性を認めることはできないというべきである。 カ以上のような見方は当時の捜査状況からも裏付けられる。 捜査機関の側からみると、Bの当初の供述に基づき、請求人と同行した人物をE 信用性を認めることはできないというべきである。 カ以上のような見方は当時の捜査状況からも裏付けられる。 捜査機関の側からみると、Bの当初の供述に基づき、請求人と同行した人物をEと目して犯人蔵匿容疑で逮捕までしたのに、Bが、請求人の同行者は実はEではなくHであったと供述を大きく変更した上、新たな登場人物としてJを追加し、ゲーム喫茶dへの同行者もJやKに変更したことから、捜査機関としてはBの新たな供述の裏付けを求めていたと考えられる(なお、当初ゲーム喫茶dの同行者とされていたW4とQからは事実の裏付けが取れなかった。第一次再審請求審検83、86、87)。 もっとも、Jは、当初、本件殺人事件への関与を否認し(当審弁88)、他方、Kについては、Bの供述によっても本件殺人事件への関与はなく、JとBをゲーム喫茶dに送迎しただけであるから、事情聴 取までの時間経過からしても、このような特に印象的でもない出来事の日にちを覚えているとは考え難い。しかし、それが印象的な本件場面を見た日の出来事であれば、日にち特定の大きな根拠となり、B供述の強い裏付けとすることが可能となる(Kの公判証言、Jの第二次供述を前提とすると、両名がBとゲーム喫茶dに行った日には本件場面は放送されていないので、その日が3月19日であったとしても矛盾はしないものの、同日であるとも特定できない。)。 そのようなことから、捜査機関は、Bの供述変更を受けた裏付け捜査の過程で、Kの捜査段階供述をきっかけに3月19日に本件場面が放送されたとの誤った捜査結果を得たこともあいまって、Bの供述を前提として、Kに対し、3月19日にJと同場面を見て、その日にJとBをゲーム喫茶dに送ったとの誤った事実を基にした示唆ないし誘導を加え、Kがこれに沿う供述を 査結果を得たこともあいまって、Bの供述を前提として、Kに対し、3月19日にJと同場面を見て、その日にJとBをゲーム喫茶dに送ったとの誤った事実を基にした示唆ないし誘導を加え、Kがこれに沿う供述をしたことから、B供述の裏付けが取れたと判断し、今度は、Kの供述を前提にJに誘導等を加え、順次、警察官調書を作成していった経過が浮かび上がる。このことは、P3捜査報告書及びKの警察官調書が作成されたのと同じ昭和62年1月14日に、Jや、Kが登場するBの上申書(1審検282)が作成され、Bが捜査段階供述において、確定判決にいう大要を大筋で固めるに至ったことからも裏付けられている。 キさらに、Kの警察官調書(昭和62年1月14日付け。当審弁129)、Jの警察官調書の作成開始(同月27日。1審検288)に続いて、Jの第一次供述に沿うLの警察官調書も作成されている(同月29日付けのもの。当審弁128であり、撤回ないし却下された1審検154、306と同じ証拠である。確定判決が証拠とするLの検察官調書[1審検279、確定判決108丁]と同旨である。)。 Lは、第一審公判において、3月19日はうどん屋iのけんかを見 た後に検問に遭ったが、P1警察官らからJらはうどん屋iのけんかがあった日は違う日だと言っていると言われて記憶に自信がなくなり、警察官調書の作成に応じたと証言しており、その公判証言は、Kの第一審公判証言やJの第二次供述に沿う内容となっている。この点で、L供述の信用性は、JやKの供述の信用性評価に左右される側面があり、L供述の信用性を独立して評価することは困難であるところ、確定判決におけるJ供述、K供述の信用性評価に疑義が生じている以上、L供述についても同様である。 クなお、当審検察官は、新証拠➁(当審弁88、 用性を独立して評価することは困難であるところ、確定判決におけるJ供述、K供述の信用性評価に疑義が生じている以上、L供述についても同様である。 クなお、当審検察官は、新証拠➁(当審弁88、89)によれば、JやLが警察官から聴取を受けた当初、本件殺人事件への関与は否定しているものの、うどん屋iのけんかについて何ら言及していないことなどを指摘する。 しかし、後述するとおり、うどん屋iのけんかのエピソードには、Kとの間の覚醒剤譲渡というエピソードが含まれるため、Jらとしては覚醒剤事犯による検挙を恐れてうどん屋iのけんかのエピソードを伏せておく動機もあるから、当審検察官指摘の事実は、新証拠➀、同➁の証拠価値を直ちに失わせるようなものとはいえない。 ⑶ 以上を前提に、新証拠➀、同➁が確定判決の証拠構造にどのような影響を与えるのか、すなわち、旧証拠の証明力減殺の程度について、直接関連するJ供述との関係で検討する。 この点について、当審検察官は、確定判決は、Jの第一次供述の信用性を認めるに当たり、他の主要関係者供述や、検問という客観的な事実に裏付けられていることなども根拠にしており、3月19日に本件場面を見たことだけを根拠にしているわけではないなどとして、本件場面に関する事実はJの第一次供述等の信用性判断においてさして重要性を有するものではないと主張する。 確かに、当審検察官のいうとおり、Jが3月19日夜にK方を経由してゲーム喫茶dに行った点は事実の核心部分ではなく(確定判決53丁)、本件場面が3月19日に放送されたことは、第一次供述との関係では、本件犯行の前足部分についての裏付けの一つにはなるものの、本件犯行の後足部分については翌20日未明に検問に遭ったという客観的事実により裏付けられている 日に放送されたことは、第一次供述との関係では、本件犯行の前足部分についての裏付けの一つにはなるものの、本件犯行の後足部分については翌20日未明に検問に遭ったという客観的事実により裏付けられているということになるので、前足部分の裏付けが失われても第一次供述等の信用性、ひいては確定判決の大要部分への影響は限定的のようにみられなくもない。 しかし、Jの第一次供述は、㋐Kに送ってもらってBと共にゲーム喫茶dに行ったこと、㋑Jが請求人らを迎えに行き、ゲーム喫茶dに戻った後、アパートeに行き、同所で請求人の着衣に付いた血を見たこと、㋒JがLと合流した後に本件殺人事件に係る検問を受けたことは、同じ夜の一連の出来事である旨をいうものである。他方、J供述は、確定判決にいう大要部分において変遷し、第二次供述では、検問を受けた日はうどん屋iに行くなどしており請求人らと行動を共にしていなかったとして、大要部分に反する内容を述べているところ、㋒JやLが本件殺人事件に係る検問を受けた事実は、うどん屋iのけんかを目撃したというエピソードとも両立する関係にある。そのため、事件当夜にうどん屋iのけんかを目撃したとの第二次供述を弾劾するには、㋐KがJとBをゲーム喫茶dに送った出来事と、㋒Jらが検問を受けた出来事(3月20日)が同じ夜の出来事であることが立証される必要がある(なお、Jは、うどん屋iに行く前にK方に寄ったことはないと証言している。1審36回J75丁)。 この点に関し、確定判決は、P3捜査報告書を証拠として(確定判決108丁)、本件場面が3月19日夜に放送されたことを認定し、これをKの捜査段階供述の裏付けにするとともに、翌20日にJらが検問を 受けた事実と併せて、㋐から㋒のJの行動が事件当夜の一連のものであることの客観的裏付けと 9日夜に放送されたことを認定し、これをKの捜査段階供述の裏付けにするとともに、翌20日にJらが検問を 受けた事実と併せて、㋐から㋒のJの行動が事件当夜の一連のものであることの客観的裏付けとし、第一次供述の信用性の根拠としていた。 しかし、証拠関係を子細にみると、J供述は、公判中にも変遷している上、第一次供述について検問を受けた事実以外に裏付けとなる客観的証拠は乏しく、主な裏付け証拠は、信用性に争いのある主要関係者供述(B、H及びF)や、J同様、公判になって捜査段階の供述を覆しているKやLの捜査段階供述である。このような証拠関係にあって、KがJとBをゲーム喫茶dに送ったのが3月19日夜であり、その日にちが客観的証拠である本件場面の放送の事実により裏付けられていることは、裁判体が第二次供述の信用性を否定するとともに、第一次供述等の信用性を肯定して確定判決にいう大要部分を認定するに当たり、心証上、重要な意味合いがあるというべきである。このことは、Jの控訴審における証人尋問に際し、確定審検察官が本件場面について質問をしなかったのに対し(その経緯、理由については後述する。)、裁判官が補充尋問をし、Jに、「夜のヒットスタジオ」で、y(女性歌手)とz(男性歌手)の二人のセクシュアルな場面(本件場面)があったことを確認した上、「それを見た日は、今の記憶ではいつになるんですか。」(JはBと会った日だと思うと答えた。)、「(本件場面を見た日は、)Bと会って、被告人たちを迎えに行って、そして被告人の服に血が付いているのを見て、そして検問に遭った日だと、こういう記憶ですか。」、「テレビ番組の印象というのは、間違いなく残っているんですか。」(Jはいずれも肯定した。)と、わざわざ確認したこと(控訴審7回J49丁)にも裏付けられている。 日だと、こういう記憶ですか。」、「テレビ番組の印象というのは、間違いなく残っているんですか。」(Jはいずれも肯定した。)と、わざわざ確認したこと(控訴審7回J49丁)にも裏付けられている。 以上のような証拠関係の中、新証拠➀、同➁は、第一次供述のうち、KがJとBをゲーム喫茶dに送った日にちの客観的裏付けを失わせるともに、本件場面同様、その裏付けと評価されたK及びLの捜査段階供述 の信用性についても疑問を生じさせているのであり、上記の点についての裏付けは相当乏しくなっている。また、警察官の誘導等により、日にちの特定についてありもしない体験を述べる供述が作出され、これをきっかけに事件当夜の出来事に関する第一次供述が行われた経緯が明らかになることで、Jの第一次供述全体の信用性にも少なからず影響を与えている。反面、第二次供述によれば、Jは、当初3月19日はうどん屋iのけんかを見た後に検問を受けた記憶であったのに、警察官の誘導等に迎合して供述を変更した旨を述べるところ、新証拠➀により3月19日放送分に本件場面が含まれないことが明らかとなったことから、警察官の誘導等に迎合した旨を述べる第二次供述の信用性が相当程度回復されている。その結果、Jが第二次供述で述べる誘導前の記憶、すなわち、Jが事件当夜にうどん屋iのけんかを目撃し、その後検問を受けた事実が存在する可能性が浮上し、これにより、Jが事件当夜に請求人と行動を共にしていないのではないかという疑いが生じる。この点は、確定判決のいう大要と矛盾するから、確定判決の事実認定に与える影響は非常に大きい。 このように、新証拠➀、同➁は、旧証拠であるJ供述の信用性評価に重大な疑問を生じさせるものであり、確定判決が依拠するJの第一次供述等の証明力を相当強く減殺し、確定判決の有罪認 に大きい。 このように、新証拠➀、同➁は、旧証拠であるJ供述の信用性評価に重大な疑問を生じさせるものであり、確定判決が依拠するJの第一次供述等の証明力を相当強く減殺し、確定判決の有罪認定の根拠を揺るがすものと評価できるのであるから、当審検察官のいうような過小評価はできない。 ⑷ なお、新証拠➀の捜査報告書(当審弁91)が作成された経緯や、その後の確定審における確定審検察官の訴訟活動に照らすと、新証拠➀の捜査報告書は、本来であれば確定審において旧証拠と併せて検討されるべき証拠であったことが明らかである。 確定審検察官は、Kの警察官調書(1審検138)により、Kが3月 19日にBとJをゲーム喫茶dに車で送った状況等や、その裏付けとしてP3捜査報告書(1審検139)により3月19日に本件場面が放送されたという客観的事実があることを立証しようとした(第一審証拠等関係カード)。そのP3捜査報告書は、第一審第2回公判期日という早い段階で同意書証として採用されて取り調べられており、弁護人ら及び裁判所も、確定審検察官主張の上記客観的事実があることを動かし難い事実と扱っていたとみられる。 ところが、新証拠➀を検討したことにより、確定審において、3月19日に本件場面が放送されたことを客観的事実としていたのが、確定審が進むにつれて、少なくとも確定審検察官においてその事実が誤っていることに気付いたのに、それを確定審公判等で明らかにしなかったという看過しがたい事実が認められるに至った。その経過は次のとおりである。 すなわち、既にみたとおり(前記1・⑶)、確定審検察官は、Jが第一審で検察側証人として第一次証言をした後、弁護人がJに接触していることを察知し、Jの第一次供述の信用性を確認するために平成元年1月 すなわち、既にみたとおり(前記1・⑶)、確定審検察官は、Jが第一審で検察側証人として第一次証言をした後、弁護人がJに接触していることを察知し、Jの第一次供述の信用性を確認するために平成元年1月24日にJから事情聴取をしたほか、同月中に、Kからも事情聴取を行うとともに(同月31日付け検察官調書・1審検297)、警察にNからの事情聴取をさせて(同月19日付け警察官調書・1審検315)、うどん屋iのけんかの点を含めた取調べを行った(控訴趣意書228、242頁。ただし、これらの補充捜査よりも以前に、警察がうどん屋iの当時の店長に対する裏付け捜査を行っていることは後述する。)。新証拠➀によれば、捜査機関が行った本件場面についてのテレビ局への照会は、請求人を起訴した後の、しかも、上記Jに対する検察官聴取の2日後である同月26日に実施されており、照会を実施した理由についても、JとKの供述のうち、本件場面については検問等と異なり明確な裏 付け結果が得られていなかったためであるとされている(当審弁91)。 このような捜査の実施時期、内容等からして、上記照会は、確定審検察官がJの第一次供述の信用性を確認する一環として、警察に指示してなされたものとみるのが素直な流れである。その結果、同月27日には、3月19日に本件場面が放送されていないことが判明し、確定審検察官もこの事実を把握したとみられるにもかかわらず、同検察官は、確定審においてこの事実を明らかにしないまま、Kの証人尋問(平成元年7月11日実施)や、Jの弁護側証人としての証人尋問(同年11月16日及び同年12月7日実施・第二次供述)が行われた。これらの尋問の際、弁護人らは、JとKが3月19日に一緒に本件場面を見たことを争って、主要な尋問事項の一つとしている。さらに、確定審検察官は、論告、控 び同年12月7日実施・第二次供述)が行われた。これらの尋問の際、弁護人らは、JとKが3月19日に一緒に本件場面を見たことを争って、主要な尋問事項の一つとしている。さらに、確定審検察官は、論告、控訴趣意書において、なおも本件場面が3月19日に放送されたという事実に反することを、Jの第一次供述やKの捜査段階供述の裏付けとしてぬけぬけと主張し続けている(論告要旨71、105頁、控訴趣意書217、258頁)。確定審検察官は、控訴趣意書に記載しておきながら、Jの控訴審における証人尋問においては本件場面に関して一切尋問しなかったが、控訴審裁判官は補充尋問においてこの点を確認し、確定判決においても、その事実を知らされないまま、J供述の信用性評価に関する重要な根拠として挙げている。 このように、確定審検察官において、補充捜査の過程で検察官請求証拠(P3捜査報告書)に看過できない間違いが発覚したのに、なおも自らの主張の前提とし、審理においても動かし難い客観的事実として扱っている。事実関係に誤りを発見したのであれば、適正手続確保の観点からして、その誤りを明らかにするとともに、3月19日放送分に本件場面が存在しないことを前提に、弁護人らに対し、J、Kらの証人尋問を行わせるなど、主張・立証の機会を設けるべきであったのはいうまでも ない。無論、弁護人らにおいても、第一審来、警察がBの供述を前提に主要関係者供述を誘導した旨を主張していたのであるから、この主張との関係においても、Jらが客観的事実に反する供述をした経過等を検証する必要があったはずである。 ところが、確定審検察官は、上記誤りを明らかにすることなく、請求人から、正しい事実関係を前提とした主張・立証の機会を奪い、裁判所にも、動かし難い事実について真実とは異なる心証を抱かせたま ところが、確定審検察官は、上記誤りを明らかにすることなく、請求人から、正しい事実関係を前提とした主張・立証の機会を奪い、裁判所にも、動かし難い事実について真実とは異なる心証を抱かせたまま、控訴審裁判所に有罪判決をさせ、これを確定させるに至っている。新証拠➀に係る「夜のヒットスタジオ」の放送日時、内容は、そもそも確定審において検討の俎上に載せられるべき重要な事実関係であったのであったのに、その機会を奪った確定審検察官の訴訟活動は、知らなかったと言い逃れができるような話ではなく、少なくとも確定審検察官において不利益な事実を隠そうとする不公正な意図があったことを推認されても仕方がないところがある。確定審検察官の訴訟活動は、公益を代表する検察官としてあるまじき、不誠実で罪深い不正の所為といわざるを得ず、適正手続確保の観点からして、到底容認することはできない。 5 新証拠➂・Jが控訴審供述に至った経過等に関するJの供述調書、Jの当審供述及び本件祝儀袋等の証拠価値について⑴ 新証拠➂のうち、主要な証拠であるJの当審供述の要旨は、次のとおりである。 「(事件当夜の行動や第一次供述に至る経緯について)事件の起きた日は、うどん屋iでうどんを食べ、うどん屋iでけんかを見てm橋で検問に遭い、警察官から殺人事件があったと聞き、福井市内をぐるぐる回った。事件当夜を含め、アパートeで請求人の衣服に血が付いているのを見たことはない。警察官にも最初は記憶のとおりに話をしたが、福井警察署でBと二人きりで会ったとき、Bから『Aが事件 起こした日は、おまえ神社、A迎えに行ってるんやでな。』、『おまえが迎えに行ってみんな連れてきてんでな。』と言われ、それ以降、Bの言ったとおりに供述した。最初の検察側証人のときも、自分の記憶に 起こした日は、おまえ神社、A迎えに行ってるんやでな。』、『おまえが迎えに行ってみんな連れてきてんでな。』と言われ、それ以降、Bの言ったとおりに供述した。最初の検察側証人のときも、自分の記憶に反して、Bが言ったとおりにうその証言をした。 (控訴審供述に至る経過やP1警察官との関係、当審供述に至る経緯について)一審判決後、控訴審で証言するまでの間に、大野警察署に覚醒剤の件で自首をした。最寄りの勝山警察署でなく大野警察署に自首をしたのは、マル暴のP5警察官を頼ったからである。警察の対応は忘れたが、その日はそのまま帰された。しばらくして連絡を受けて大野警察署に行くと、P1警察官がいた。P1警察官から、『証言何でひっくり返したんや。』と言われたので、『記憶にあるとおりしゃべったんや。』と答えた。P1警察官から『今度また証言してくれや。調書どおり証言してくれや。』、『証言してくれたら覚醒剤見逃してやる。』などと言われ、見逃してもらえるのであればもう1回調書どおり証言しようかなと思って承諾した。調書(P1警察官作成の平成4年7月15日付け警察官調書・当審弁125)は、P1警察官に取引を持ちかけられた後に作ったものだと思う。P1警察官からは、その後の警察署での打ち合わせの際や控訴審裁判所に向かう車中で、『もう弁護士とは二度と会うなよ。』、『(捜査段階の)調書のほうは間違いないんやで調書どおり言うてくれや。』などと言われた。車中では自分がその頃に結婚したことも話したかもしれない。控訴審でも、自分の記憶とは違うが、捜査段階の調書のとおりにBが話した内容を証言した。証言後、P1警察官と居酒屋やスナックで酒を飲み、おごってもらったり、P1警察官が家に結婚祝いの祝儀を持ってきたりした。裁判所に提出したのがその祝儀袋(本件祝儀袋 とおりにBが話した内容を証言した。証言後、P1警察官と居酒屋やスナックで酒を飲み、おごってもらったり、P1警察官が家に結婚祝いの祝儀を持ってきたりした。裁判所に提出したのがその祝儀袋(本件祝儀袋)である。今回は弁護士から連絡をもらい、本当のことを言おうと思 って証言した。」というのである。 ⑵ 以上を前提に新証拠➂の証拠価値について、直接関連するJ供述との関係で検討する(なお、Jの当審供述及び弁護人に対する供述調書は、第一次供述に至った経緯、一審判決後のP1警察官とのやり取りや、控訴審で供述を変更した理由等について、J供述を始めとする旧証拠にはない新事実を証言等したもの、本件祝儀袋は確定判決後に発見された未発見の証拠で、その他の証拠は当審検察官が当審において新たに任意で開示したものであるから、証拠の新規性が認められる。)。 ア弁護人らは、Jの当審供述を挙げて、Jは、警察との間で、自己の記憶に反する捜査段階の供述調書どおりに証言する見返りに、自首した覚醒剤事犯を見逃してもらうとの闇取引に応じ、控訴審でうその証言をした旨主張する。 しかし、P5警察官は、Jが自分のもとに自首してきたことはないと明確に否定している(当審検2)。また、Jの当審供述を前提としても、自首に係る覚醒剤事犯について、使用か所持か(もしくはその双方)が曖昧であるし、Jは、当時福井県警察本部に勤務していたP1警察官(当審検1)の下に自首したのではなく、本件殺人事件とは直接関係ない大野警察署のP5警察官を頼って出頭したというのであるから、同警察官において、闇取引を前提としたもみ消しや工作という重大な犯罪行為をする理由は考え難い。Jの当審供述によれば、同警察官はJに尿や覚醒剤を提出させることも、自首調書を作成することもなかったというのであ において、闇取引を前提としたもみ消しや工作という重大な犯罪行為をする理由は考え難い。Jの当審供述によれば、同警察官はJに尿や覚醒剤を提出させることも、自首調書を作成することもなかったというのであるが、一般的な捜査実務等からかけ離れたものであり、同警察官の立場に照らしても、およそ信じ難い内容であり、闇取引の取引材料となるべき見逃す事件に関する証拠が何ら保全されていないというのも相当に不自然である。 Jは、当審供述に先立ち、第一次再審請求の係属中である平成23 年8月頃には、新聞社に対して当審供述に沿う説明をしていることがうかがわれるが(異議審弁1)、Jが平成6年4月に控訴審で最後の証言をしてから、長期間経過した後になって再び供述を変遷させた理由も十分説明されているとはいい難い。 当審供述のうち、闇取引をして控訴審供述をした旨をいう部分については、信用性が乏しいというほかない。 イもっとも、既に検討したとおり、Jには被誘導性の強さや、聴取者に応じて供述を変更させる傾向があることを指摘できるところ、Jは、検察官の主張に沿う控訴審供述から、当審においては、再び弁護人らの主張に沿う供述に転じ、確定判決にいう大要部分について、またもや供述を変遷させている。控訴審供述から当審供述に至るまでの時間経過を割り引いても、Jについては寝返りを繰り返す異常な供述経過をたどっており、このような供述経過自体からして、Jの供述は不安定で、容易に供述を変更させる危険性が一層際立っている。 Jにはこのような不安定な供述をする傾向が顕著であるにもかかわらず、確定判決は、控訴審供述は供述の変遷理由についても明確に述べているとして、その信用性を肯定している(確定判決75丁)。この点、Jは、控訴審供述において、第二次供述か 傾向が顕著であるにもかかわらず、確定判決は、控訴審供述は供述の変遷理由についても明確に述べているとして、その信用性を肯定している(確定判決75丁)。この点、Jは、控訴審供述において、第二次供述から控訴審供述に変更した理由について、第二次供述の当時は頭の中が混乱していたが、冷静に思い起こして、第一次供述に沿う記憶が正しいと思うようになったとの説明をしている。 しかし、確定判決は言及をしていないものの、Jが控訴審に出廷して第二次供述を覆すまでには、普通に考えて、一審判決後、訴追側からJに対し、控訴審に向けた出廷の打診や事前テストなどの接触があったはずであり、その過程において、Jは、記憶の混乱を整理するとともに、記憶喚起を行って控訴審供述に至ったとみることができる。 確定判決は、第二次供述の信用性を否定するに当たり、弁護側の事前テストが第二次供述に与えた影響を問題視しているから、確定判決の立場に立っても、控訴審供述に先立つ事前テストの方法次第では、控訴審供述の信用性に影響することになるはずであり、確定判決の上記判断は一方的の感を拭えない。 以上の点を踏まえて、Jの供述経過を振り返ってみると、新証拠➂のうち、Jの警察官調書(当審弁125)及びこれに関連する証拠であるP1警察官作成の平成4年7月16日付け捜査報告書(令和5年8月22日付け任意開示62)によれば、Jは、控訴審に移審後である平成4年7月13日、同月15日にP1警察官の取調べを受け、同日には第一次供述に沿う警察官調書を作成したことが認められる。Jは、第一審段階で弁護側の主張に沿う第二次供述をし、控訴審供述でも記憶の混乱を自認していた上に、P1警察官がJに接触した際には事件当夜から6年以上経過しているから、JがP1警察官と接触した時点において、容易 段階で弁護側の主張に沿う第二次供述をし、控訴審供述でも記憶の混乱を自認していた上に、P1警察官がJに接触した際には事件当夜から6年以上経過しているから、JがP1警察官と接触した時点において、容易に当時の記憶を喚起できたとは考えにくい。しかも、新証拠➀の検討によれば、Jは、捜査段階でP1警察官から現に誘導等をされて、本件場面について客観的事実に反する第一次供述をするとともに、控訴審でも3月19日に本件場面を見た記憶が間違いなくあるとして同供述を維持した経過がある。 このような供述経過からすると、JがP1警察官の誘導等により、再び第一次供述に沿う内容を述べるに至った可能性は少なからずあったというべきである。 ウさらに、Jは、当審において、控訴審での証言後にP1警察官から結婚祝いをもらったと述べている。 Jは平成6年2月に結婚しており(当審弁126、127)、控訴審での証言(同年3月、同年4月)と時期的に矛盾しない。Jはその 際にもらったとして当審に本件祝儀袋を任意提出したが、同祝儀袋は、和紙が古ぼけて見え、染みや黄ばみが見られるなど、一見して新しいものではなく、表書き部分には印刷か判子を押したものとみられる「P1」との記載があるから、P1警察官から結婚祝いをもらったとの当審供述を裏付ける物証と評価することができる。Jは、遅れてもらった本件祝儀袋を、自宅のたんすで披露宴の際の芳名帳と共に保管していたと述べており、保管状況にも特段不自然な点はみられない。 今更、Jにおいてわざわざ本件祝儀袋をねつ造したり、P1警察官から結婚祝いをもらったとの虚偽供述をしたりする動機は想定し難く、JがP1警察官から控訴審供述に近接した時期に結婚祝いをもらった事実は否定できない。 そこで、この結婚祝い授受の意味 察官から結婚祝いをもらったとの虚偽供述をしたりする動機は想定し難く、JがP1警察官から控訴審供述に近接した時期に結婚祝いをもらった事実は否定できない。 そこで、この結婚祝い授受の意味合いについて検討する。Jは本件殺人事件についての重要証人で、P1警察官はその取調べを担当し、確定判決が証拠として採用した全ての警察官調書(1審検288ないし294、確定判決108丁)を作成した警察官である。P1警察官は、一審判決後にもJに接触して供述調書を作成し(当審弁125)、Jの控訴審出廷時には裁判所までの送迎に同行をするなど、本件に関する刑事手続に深く関与していたことが認められる。他方で、JはP1警察官とは本件殺人事件の取調べ以外に関わりはないと供述しており(当審弁122)、これを覆すに足りる証拠はない。 当審検察官は、本件祝儀袋について、JとP1警察官は、昭和62年の捜査段階から、平成6年の控訴審における証人尋問まで長期間にわたり関わり合いがあり、Jが結婚することになって御祝儀を渡したということで、JとP1警察官がその程度の間柄にあったことを示すにすぎず、JとP1警察官が闇取引をしたことの証拠にはならないし、また、実際に交付したとされる御祝儀も5000円と高額とはいえず、 虚偽の証言の謝礼とも評価できないと主張する(その前提として、当審検察官は、P1警察官がJに結婚祝いを渡すのも不相当な間柄ではない旨考えているようである。)。 しかし、前述したとおりJとP1警察官との間で前記のような闇取引があったとは認められず、その点で当審検察官の主張はそのとおりであるが、そもそも警察官が捜査対象者に対して結婚祝いを理由に金銭を交付することの是非が問題である。P1警察官とJとの間には、本件殺人事件に関する捜査上の関係 、その点で当審検察官の主張はそのとおりであるが、そもそも警察官が捜査対象者に対して結婚祝いを理由に金銭を交付することの是非が問題である。P1警察官とJとの間には、本件殺人事件に関する捜査上の関係があるだけで、私的交際関係がない以上、P1警察官において自分が担当した刑事事件の証人であるJに結婚祝いを渡すことは、警察官の職務の公正さの確保の観点からして社会的儀礼としても許されるべくもなく、警察官であれば当然そのことを弁えていたはずである。それにもかかわらず、P1警察官があえて結婚祝いを交付したからには、社会常識的にみて、Jの当審供述のとおり、P1警察官がJに対し捜査段階における供述調書どおりに供述するよう働きかけ、Jがこれに応じて控訴審供述をしたことへの謝礼的な意味合いが込められていたとみなされても仕方がない。現に、Jは、結婚祝いをもらった後、P1警察官とは会ってもいないというのであるから、控訴審供述をしたことに対する謝礼の趣旨以外に結婚祝いを渡す理由はなかったはずである。なるほど、本件祝儀袋の裏書によれば、P1警察官がJに渡したのは5000円であり、当審検察官のいうとおり、結婚の御祝儀としては必ずしも高額とはいえない。 しかし、前述したように、職務の公正を保つべき警察官が私的交際関係のない重要証人に対し、証人尋問に近い時期に金銭を交付すること自体が、犯罪行為とはいえないにしても、公正であるべき警察官の職務に対する国民の信頼を裏切る不当な所為である。P1警察官がそのような不当な所為に及んだ以上は、利益供与を伴う不当な誘導等をし たものとして、J供述の信用性を疑わせるに足りる事情となり得るというべきであり、金額の多寡は問題ではない。 警察としては、本件殺人事件という重大事件について無罪とする一審判決を受けたことで、J として、J供述の信用性を疑わせるに足りる事情となり得るというべきであり、金額の多寡は問題ではない。 警察としては、本件殺人事件という重大事件について無罪とする一審判決を受けたことで、Jに再び検察官の主張に沿う証言をさせる動機があるはずであり、特に、P1警察官は捜査段階においてJの取調べや、その警察官調書作成を担当した人物であるからなおさらである。 新証拠➀によれば、P1警察官は捜査段階でJに対する誘導等を行った張本人であり、少なくとも同警察官においてJが控訴審で証言するに際し、再び誘導等の不当な働きかけに及び、それを受けたJが、控訴審において、記憶にない事実をさもあったかのように供述をしたのではないかという疑いが生じたもので、関係証拠を精査してあれこれ検討してみても容易にこれを消し去ることはできない。 エ新証拠➂は、被誘導性が強く、変遷が顕著なJ供述は、多分に虚偽供述である危険性や脆弱性をはらむものであることを改めて示すとともに、JがP1警察官からの誘導等の不当な働きかけを受けたことにより、合理的な理由がないまま控訴審供述に転じた可能性を示しており、控訴審供述、ひいてはこれと同旨の第一次供述の信用性に重大な疑問を生じさせるばかりか、新証拠➀、同➁と併せて旧証拠であるJ供述、殊に第一次供述や控訴審供述の信用性に疑いを生じさせるに十分なものであるといえる。 6 新旧証拠を総合しての確定判決の検討⑴ そこで、以下、新証拠➀ないし➂と、旧証拠のうちひとまず直接関連を有するJ供述に関する部分を総合して検討し、新証拠が「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に該当するか否かについて検討する。 新証拠➀ないし➂による立証命題は、主として、P1警察官ひいては警察による供述誘導等により、Jが経験していない出来事を体験 罪を言い渡すべき明らかな証拠」に該当するか否かについて検討する。 新証拠➀ないし➂による立証命題は、主として、P1警察官ひいては警察による供述誘導等により、Jが経験していない出来事を体験したか のように供述した可能性のあることである。具体的には、第二次供述で述べるとおり、Jは、事件当夜はうどん屋iのけんかを目撃するなどしていたため、請求人らと行動を共にしていないのにもかかわらず、確定判決にいう大要をあたかも体験供述のように述べた疑いがあるかどうかについて検討することになる。 ⑵ そこで検討する。 ア旧証拠によれば、J、L、N及びKは、要旨、本件殺人事件と同時期頃の出来事として、JとLがうどん屋iで夕食を食べている最中、Nと交際女性が同店に入ってきたが、交際女性がJに挨拶をしたことから、Nが怒って交際女性に店内の椅子を投げ付けるなどのけんかをし(うどん屋iのけんか)、Nと女性が退店した、その後、KはNから頼まれてJを呼びに行ったが、Jは、トラブルになるのを嫌がって、Nには既に退店したと伝えるように依頼し、その際、Kに覚醒剤を注文したか、取引の時間を確認した、その後、Jは、Lと車でKとの待ち合わせ場所である商業施設oに向かって、午前0時か午前1時頃にKと覚醒剤の受渡しをしたという、ほぼ同内容の供述をしている。うどん屋iの当時の店長(以下「元店長」という。)もうどん屋iのけんかとみられる男女のいさかいがあったと認めているし(控訴審弁15)、確定審検察官も本件殺人事件発生日とさほど遠くない日の午後9時頃から午後11時頃までの間に、JとLがうどん屋iのけんかを目撃したとの限度では争わない(控訴審弁論要旨43頁)。このほか、Jらの上記供述を覆すに足りる証拠もないことからすれば、日にちは特定できないものの、本件 時頃までの間に、JとLがうどん屋iのけんかを目撃したとの限度では争わない(控訴審弁論要旨43頁)。このほか、Jらの上記供述を覆すに足りる証拠もないことからすれば、日にちは特定できないものの、本件殺人事件と同時期に、JとLがうどん屋iのけんかを目撃し、それに続いてKからJへと覚醒剤譲渡の事実があったことが認められる。 イ確定審においてうどん屋iのけんかが3月19日の出来事であるか どうかが争われたきっかけは、Jが第一審における検察側証人として証言した後である昭和63年9月5日、弁護人との面接で話したことにある(前記1・⑶)。 その際のJと弁護人のやり取り(供述録音テープ反訳書・控訴審弁12)によれば、Jは、弁護人から本件について確認されて第一次供述に沿う内容を説明した後、弁護人から特に問われもしていないのに、要旨、「本件について最初にマル暴の警察官から聴取を受けたときには、検問を受けた日は、うどん屋iのけんかを見た後にKと覚醒剤の受渡しをして検問に捕まり、やばかったので慌てて覚醒剤を隠したという記憶があった。マル暴の警察官には覚醒剤譲渡のことは抜いて話した。ところが、次の聴取で警察官から『お前うそついているだろ。』などと言われ、警察からKの話(3月19日はKの家にいてBから電話があった。)を聞き、覚醒剤は違う日なのかなと思った。」と、自ら吐露したものであることが認められる。 このような供述経緯や、弁護人はJから聞くまでうどん屋iのけんか話を知らなかったことからすれば、Jは、弁護人から誘導を受けることなく、自らの記憶として、警察による聴取の当初は3月19日にうどん屋iのけんかを見た後で検問を受けたと思っていた旨を述べたことが認められる。 また、Jの弁護人に対する説明内容をみると、うど く、自らの記憶として、警察による聴取の当初は3月19日にうどん屋iのけんかを見た後で検問を受けたと思っていた旨を述べたことが認められる。 また、Jの弁護人に対する説明内容をみると、うどん屋iで食事をしてから、Kとの覚醒剤の受渡しを挟み、m橋で本件殺人事件に係る検問を受けるまでの出来事について、覚醒剤を持っていたので検問を受けて動揺したという当時の心情を交えながら、つながりを持った一連のものであること、すなわち、同じ夜の出来事であることを無理なく説明するものであって、特段不自然なところはない。 Jは、既に検察側証人として証言を終えていたから、Jが弁護人に あえてうそをついて記憶にもない事柄を述べる理由は見当たらない。 Jには聴取者に迎合的姿勢がうかがえるものの、弁護人は当時うどん屋iのけんかについては全く知らず、Jの供述内容からしてもこの時点では弁護人に迎合したものでもない。 こうした供述経緯、内容等に照らせば、Jにおいて、取調べを受けた当初、3月19日はうどん屋iのけんかを見た後、その夜に本件殺人事件に係る検問を受けた記憶を有していたことは否定できない。 ウ本件の捜査本部副捜査主任であったP6警察官も、昭和63年11月17日実施の第一審における証人尋問において、印象が薄いとはしながらも、うどん屋iにおける口論等の有無や、その日にちを特定するために聞き込みをした結果、口論等の事実はあったが日にちは特定できなかった記憶がある、報告書くらいはあるのではないか、などと供述し、うどん屋iのけんかについて裏付け捜査を行ったことを認めていた(1審20回P6)。 また、うどん屋iの元店長は、同年9月の段階で、弁護人からうどん屋iのけんかについて聞かれると、要旨、「実はうどん屋iに勤めてい 裏付け捜査を行ったことを認めていた(1審20回P6)。 また、うどん屋iの元店長は、同年9月の段階で、弁護人からうどん屋iのけんかについて聞かれると、要旨、「実はうどん屋iに勤めていた頃に警察からも同じことを聞かれた。自分が店の2階事務所にいると、けんかをしているというので下に行ったが既に誰もいなくなっていた。アルバイトからの報告では男の人が女の人に椅子をぶつけて出て行ったと聞いており、けんかがあったことは間違いない。警察からもその日にちを聞かれ、日報やレシートを広げてみたが、3月19日なのか、日にちははっきり言えなかった。警察が来たのは多分昭和62年の夏くらいじゃないかと思う。」と述べて、警察による裏付け捜査の存在を認めていた(供述録音テープ反訳書・控訴審弁15)。 元店長には本件殺人事件や請求人、Jらとの利害関係は認められず、けんかの内容や、けんかの日にちの特定を試みたとする供述の具体性 に照らすと、警察からの聴取を受けた時期についてはともかくも、裏付け捜査の存在をいう元店長の供述の信用性に疑いはない。 このように、警察がうどん屋iのけんかについて裏付け捜査を行っているのは、Jが事件当夜にうどん屋iのけんかを見たと述べたために、その真偽を確かめる必要が生じたためであると説明することができる。 エ以上でみたJが当初の記憶を話すに至った経緯及び説明内容、うどん屋iのけんかに関する裏付け捜査の存在等に照らせば、Jにおいて、取調べの初期段階で、事件当夜はうどん屋iのけんかを見た後に、本件殺人事件に係る検問を受けた記憶があって、警察官に対しその旨の供述をしていた可能性があるといえる。新証拠は、Jにこのような記憶がありながら、P1警察官からの誘導等により第一次供述に至ったことを示すものであり、第二次 を受けた記憶があって、警察官に対しその旨の供述をしていた可能性があるといえる。新証拠は、Jにこのような記憶がありながら、P1警察官からの誘導等により第一次供述に至ったことを示すものであり、第二次供述と整合的なものである。第二次供述には相応の裏付けがあり、その信用性について軽々に否定することはできない。 ⑶ 以上の認定と対立する確定判決の説示及び当審検察官の主張について検討する。 アまず、確定判決は、第二次供述の信用性を否定する理由について、弁護人の事前テストが大きく影響しているとし、特に平成元年4月16日実施分については、Lが同席していることや、弁護人がJに対し、請求人の胸に血が付いているのを見たのは3月19日夜半過ぎ頃のことではなく、同日夜はうどん屋iのけんかを目撃しているはずであると教示し、あるいはうどん屋iのけんかがあったのは3月19日のことであるとのNの供述内容を持ち出すなどしてJの記憶を喚起させようとしたことを問題視している。また、第二次供述の内容の不合理性として、同供述によれば、Jは、Kから覚醒剤を譲り受けて所持して いたところ、m橋で検問や車の検索を受け、更に本件殺人事件の発生を聞かされたのであれば、他の場所での検問も当然予想できたのに、意味もなく走り回っていたのは不自然・不合理であり、むしろ、請求人の胸付近に大量の血が付いているのを見たことから、請求人が犯人ではないかと考えて現場の状況を見に行ったと考えるのが合理的であると評価している(確定判決72丁)。 まず、事前テストの影響をいう点については、既にみたように、Jは、昭和63年9月5日に弁護人と面接した際、自発的に取調べの初期段階の記憶について説明したものであり、この段階では弁護人の誘導や関係者の同席はないから、Jの上記記憶は弁 いては、既にみたように、Jは、昭和63年9月5日に弁護人と面接した際、自発的に取調べの初期段階の記憶について説明したものであり、この段階では弁護人の誘導や関係者の同席はないから、Jの上記記憶は弁護側により汚染されたものではない。確かに、Jは、同日の弁護人との面接の段階においては、警察の当初の聴取のときは、うどん屋iのけんかの後に本件殺人事件発生に伴う検問を受けた記憶であったとして、うどん屋iのけんかを見た日に検問を受けたとまでは述べていなかったのに、第二次供述においては、その旨述べるに至っているから、その点では、平成元年4月16日における弁護側事前テストが影響した可能性はあるかもしれない。しかし、少なくとも、Jにおいて、取調べの当初、事件当夜はうどん屋iのけんかを見た後に、本件殺人事件に係る検問を受けたという記憶を有していたことは否定できないところ、このような記憶があること自体が、同事実がJの事件当夜に実際に体験した出来事であった可能性を示すものであって、第二次供述の信用性のよりどころである。弁護側の事前テストは、第二次供述の信用性の根幹を揺るがすようなものとは評価できない。 また、供述内容の不自然・不合理性をいう点については、一審判決が指摘したとおり、m橋の検問では車内の覚醒剤が発見されなかったため、JとLが興味本位で殺人現場を探しに行こうとしたとの見方も 十分に成り立ち得るところであって、必ずしも不自然・不合理と断ぜられるものではない。しかも、Jは、控訴審供述において、第二次供述から供述を変更した根拠を問われると、Kから覚醒剤をもらったのに、うろちょろはしなかったと思うと繰り返し述べているが(控訴審6回J26、42丁、同7回J41丁)、これは、正しく確定審検察官が論告や控訴趣意書においてJの第二次供述の不 Kから覚醒剤をもらったのに、うろちょろはしなかったと思うと繰り返し述べているが(控訴審6回J26、42丁、同7回J41丁)、これは、正しく確定審検察官が論告や控訴趣意書においてJの第二次供述の不自然性・不合理性として主張していた内容であり、Jの控訴審供述は訴追側の主張を後追いするものともいえるから、Jが控訴審供述に先立ち、記憶喚起をする過程で訴追側から第二次供述の疑問点を示されて迎合したとみても矛盾はない。 なお、弁護人のJに対する事前テストのところで論じなかったが、確定判決において、弁護人のJに対する事前テストに際し、Lが同席したことや、Nの供述内容を持ち出すなどしたことを挙げ、記憶喚起の方法として不適切であることを指摘した点(確定判決72丁)についてみると、確定判決の上記説示からして、確定判決は、Jが弁護人の事前テストをきっかけに、第二次供述において記憶に反する意図的なうそを述べたとみたわけではなく、Jは同テストによりうどん屋iのけんかは3月19日夜の出来事だという誤った記憶喚起をしたと判断したものとみられる(確定審検察官も、JやLはうどん屋iの日にちの記憶が不確かであったのに、弁護人の事前テストの際、うどん屋iのけんかは3月19日であるというNの供述を聞いたため、これがうどん屋iのけんかは3月19日に間違いないとの誤った記憶を形成する契機となったと主張していた。控訴審弁論要旨52頁)。 そこで、確定判決が懸念したところに鑑み、Jの記憶形成や記憶喚起の過程をみておく必要がある。Jの事件当夜の記憶に関し、確定判決は、Jは、アパートeで請求人の胸に血が付いているのを目撃した ものの、Bから本件殺人事件については全く聞いていなかったので、シンナーに酔った請求人を見ても、せいぜいシンナーを吸い、けんか 決は、Jは、アパートeで請求人の胸に血が付いているのを目撃した ものの、Bから本件殺人事件については全く聞いていなかったので、シンナーに酔った請求人を見ても、せいぜいシンナーを吸い、けんかをした程度にしか思っていなかったが(確定判決78丁)、検問の際に本件殺人事件の発生を聞かされ、当日、請求人の胸付近に多量の血が付いているのを目撃したことから、請求人が犯人ではないかと考え、現場の状況を見に行ったと考えるのが合理的である(確定判決73丁)と説示している。 しかし、確定判決のいうように、Jが検問を受けて本件殺人事件の発生を知り、直前まで一緒にいた顔見知りの請求人が多量の血を付けていたことと関連付け、請求人を犯人と疑い、わざわざ現場を見に行ったのであれば、いかにJらの周辺でけんかなどが日常茶飯事だったとしても、殺人事件ともなれば、それこそ相当に衝撃的かつ印象的な出来事であったはずであり、本件殺人事件があった日の記憶としてより鮮明に残っていてしかるべきである(確定審検察官が主張するように、犯人と自分も関わりを持ったという意識があったため、犯人と同じような心理状態となり、「犯人は現場に立ち戻る」といわれるように、怖いもの見たさもあって、現場の状況を見に行ったというのであればなおさらである。控訴趣意書223頁)。Jが検問を受けた後、実際にこのような心理状態に置かれたのであれば、当審検察官が主張するように、時間の経過や、関わり合いになりたくないという意識から、細部についての記憶が減退した可能性はあり得ても、請求人に多量の血の付着を見たことと、その後に本件殺人事件による検問を受けたこと自体については、両者を関連付けて記憶に強く残っていてしかるべきである。そうであれば、Jが本件殺人事件による検問を受けた夜にうどん屋iのけんかを たことと、その後に本件殺人事件による検問を受けたこと自体については、両者を関連付けて記憶に強く残っていてしかるべきである。そうであれば、Jが本件殺人事件による検問を受けた夜にうどん屋iのけんかを目撃したとの記憶を有していたり、弁護人の事前テストの影響により簡単に別の日の出来事の記憶(うどん屋i のけんかの目撃)とたやすく置き換えられたりするとは考え難く、確定判決は、このような記憶の形成や喚起に関する経験則等に照らし、合理的な説明ができているのか疑問なしとしない。 イ次に、Jがうどん屋iのけんかについての供述をいつ始めたかについて、一審判決が、捜査機関もうどん屋iのけんかの裏付けを行ったことを挙げ、Jが捜査段階の当初において第二次供述に沿う内容の供述をしていた可能性を指摘したのに対し、確定判決は、Jがそのような内容の供述をした旨の供述調書は存在せず、Jは第一次証言の際にも、弁護人らの反対尋問にもかかわらず、そのような供述は全くしていないのであり、これらに照らせば、Jがそのような供述をしていたとは認められないとした(確定判決75丁)。 これに加え、確定判決は、KやLも捜査段階において最終的にはうどん屋iのけんかのあった日が3月19日とは違う日であることを前提に供述していること、J自身、第二次供述においても、3月19日ではないとしつつも、Kの部屋にBから電話があり、Kの車でアパートc及びゲーム喫茶dへ行った後、請求人を迎えに行くなどし、アパートeで請求人の胸の血を見たことを供述していることに照らせば、第一次供述の信用性を否定できないとし、さらに、うどん屋iのけんかの裏付けについても、その理由及び時期が問題であり、Jが捜査段階の当初において第二次供述に沿う内容の供述をしていたことから、捜査機関が、うどん屋iの 性を否定できないとし、さらに、うどん屋iのけんかの裏付けについても、その理由及び時期が問題であり、Jが捜査段階の当初において第二次供述に沿う内容の供述をしていたことから、捜査機関が、うどん屋iのけんかの裏付けを行ったとは認められないともしている(確定判決76丁)。 この点について、確定審検察官は、控訴審において、うどん屋iのけんかに関する裏付け捜査は平成元年1月に開始されたものであると主張し、その理由として、弁護人らがP6警察官に対する証人尋問でうどん屋iのけんかについて質問したことから、確定審検察官におい て弁護人からJへの働きかけを察知し、Jらに対する事情聴取に加えて(前記4・⑷参照)、警察にうどん屋iのけんかについての裏付け捜査を指揮したことにより実施されたものであると主張し、P6警察官の前記⑵ウの証言の趣旨を争った(控訴趣意書242頁)。 ところが、弁護人らにより、P6警察官の証人尋問(昭和63年10月20日及び同年11月17日実施)に先立つ同年9月の時点で、既にうどん屋iの元店長において警察による裏付け捜査の存在を認めていたことが立証され(控訴審弁15)、確定審検察官の主張は同証拠と完全に齟齬することが明らかとなった。 もっとも、元店長の供述によれば、裏付け捜査を受けたのは昭和62年夏頃とのことであるから、これを前提とすればJの聴取当初(確定判決によれば昭和62年1月)とは時期がずれるため、確定判決は、時期の点を指摘するとともに、裏付け捜査がJらの初期の供述を契機としたものであることについて疑問を示したものと思われる。 しかし、J、K及びLは昭和62年1月中には確定審検察官の主張に沿う内容で供述調書の作成に応じており、Nも含めて同年夏頃になって、警察にうどん屋iのけんか て疑問を示したものと思われる。 しかし、J、K及びLは昭和62年1月中には確定審検察官の主張に沿う内容で供述調書の作成に応じており、Nも含めて同年夏頃になって、警察にうどん屋iのけんか話をした形跡はない。また、新旧証拠及び開示証拠を確認しても、警察が同年夏頃になって元店長にうどん屋iのけんかの裏付けを行うきっかけは見当たらず、元店長が事情聴取を受けた時期の点を間違えた可能性も否定はできない。他方、Jが早い段階でうどん屋iのけんかについて述べてはいたものの、警察としては、Jが3月19日にK方からゲーム喫茶dに行ったことは、P3捜査報告書や、Kの警察官調書により十分裏付けられていると考えていたところ、その後、請求人の起訴(昭和62年7月13日)に当たり、本件スカイライン内の血痕が被害者のものではないと分かるなどして証拠の洗い直しを迫られた状況にあったことから、その頃に 再度、主要関係者供述についての補充捜査が行われたとみることも可能ではあり、元店長からの聴取の時期の問題はJの第二次供述と必ずしも矛盾するものではないともいえる。 いずれにせよ、本来、裏付け捜査の時期、理由等については、捜査状況を把握する立場にある検察官において説明すべき性質の事柄であるから、検察官が元店長に対する裏付け捜査がJやLの初期供述を契機とするものでない旨を主張するのであれば、検察官においてその点を主張、立証するのが筋合いである。ところが、弁護人らが元店長に対する裏付け捜査の存在について反証し、裏付け捜査は起訴後の平成元年になってのものであるとの検察官の主張が事実に反することが明らかとなると、検察官は、追加の主張、立証をせず、裁判所に対する説明を事実上放棄している。少なくとも弁護人らが認識する以前から、確定審検察官が把握していたか るとの検察官の主張が事実に反することが明らかとなると、検察官は、追加の主張、立証をせず、裁判所に対する説明を事実上放棄している。少なくとも弁護人らが認識する以前から、確定審検察官が把握していたかはともかくも、警察がうどん屋iのけんかの存在を認識し、裏付け捜査により日にちの特定を試みていることが認められる以上は、本件殺人事件に関する捜査のいずれかの段階で、うどん屋iのけんかに関与した者(J、L、K及びN)から、うどん屋iのけんかは3月19日の出来事である旨の供述があったとみるほかない。検察官はその裏付け捜査の時期、理由についての的確な主張、立証は行っておらず、新旧証拠上、それがJやLの初期段階の供述であったことを否定できるだけの証拠はない。 なお、P6警察官は、参考人からの事情聴取について、必要性があれば調書を作成するが、取らない場合もあるとしているし(1審20回P646丁)、Jは、第一次証言時には、P1警察官の誘導等により自分の当初の記憶が間違っていると考えていたとみられる。 したがって、第二次供述に沿う供述調書が存在しないとか、Jが第一次証言における反対尋問においてうどん屋iのけんかについて言及 しなかったからといって、Jが捜査段階で第二次供述に沿う供述をしていないことの理由にはならない。また、K及びLの捜査段階供述の信用性が揺らいでいることは既に述べたとおりであるし(Lについてはさらに後述する。)、Jが第一次供述、第二次供述で述べる請求人の胸の血の目撃供述については、後述するとおり、体験供述といえるかには疑問がある。 ウまた、当審検察官は、Jの初期段階の供述について、新証拠➁のうち、Jの取調べに関するP2警察官作成の捜査報告書(当審弁88・以下「P2捜査報告書」という。)によれば、Jは昭 疑問がある。 ウまた、当審検察官は、Jの初期段階の供述について、新証拠➁のうち、Jの取調べに関するP2警察官作成の捜査報告書(当審弁88・以下「P2捜査報告書」という。)によれば、Jは昭和61年12月25日時点で事件当夜の請求人との関与を否定する供述をしていたものの、その内容は、3月19日にうどん屋iのけんかを目撃したという第二次供述とは全く齟齬するから、Jが取調べの初期段階でうどん屋iのけんかを見たと供述していた事実は認められないとする確定判決の合理性は否定されない、そして、Jは、犯人蔵匿を疑われる可能性を恐れて請求人との関与を否定する虚偽供述をしたと考えられるのに対し、仮にうどん屋iのけんかを見たのであれば、これを警察に隠す理由は見当たらず、むしろ、自らのアリバイを裏付けるものとして最初から供述していてしかるべきであるのにうどん屋iのけんかについて供述していなかったことは、Jが3月19日にうどん屋iのけんかを目撃していないことをうかがわせる事実であると主張する。 確かに、P2捜査報告書によれば、Jは、昭和61年12月25日、P2警察官の事情聴取に対し、「3月19日はLと一緒に勤務先の寮にいて、Lは午後7時頃、彼女(M)の家に出かけて、Jは寮に一人でいた。Lが午後11時頃に帰ってきてしばらくした後、LとマークⅡで出かけた際、m橋で検問を受け、本件殺人事件のことを聞き、その後、n陸橋で2度職務質問を受けた。」と述べており、同報告書に は、うどん屋iのけんかについての記載はされていない。新旧証拠上、これが本件に関するJに対する最初の事情聴取とみられるが、なるほど、P2捜査報告書をみる限り、当審検察官が指摘するとおり、Jは、この時点で、うどん屋iのけんかについてP2警察官に説明をしたようにはうかがえない。 するJに対する最初の事情聴取とみられるが、なるほど、P2捜査報告書をみる限り、当審検察官が指摘するとおり、Jは、この時点で、うどん屋iのけんかについてP2警察官に説明をしたようにはうかがえない。 しかし、Jは、このP2警察官からの事情聴取について、暴力係の警察官(P2警察官)から、当時所属していた暴力団事務所に連絡があり、自分に事情聴取をしようとしていることを知ったが、何に関する聴取かは分からず、覚醒剤に関する聴取を想定し、上の者の指示で覚醒剤が切れるのを待って2週間くらい後に警察官と会った、警察官は殺人事件のことだとは言わず、自分の3月19日の行動を聞きたいとのことだったので、当時の覚醒剤事件のことかと思っていた、警察官は聴取が終わる頃に殺人事件のことを言ったので、軽く聞いており、それ以降にP1警察官の取調べを受けることになったと説明している(第二次供述、控訴審供述)。これに関するP2捜査報告書をみると、Jへの事情聴取は、アパートeへの出入り、Jの交友関係、本件事件当日のアリバイ、最後に被害者との面識の順で行われていることが認められる。Fは、Bの覚醒剤仲間であり、アパートeはJを含むBの覚醒剤仲間のたまり場となっていたから(1審検213、284、1審7回F)、交友関係の点を含め、Jが覚醒剤事犯に関する事情聴取と解しても無理はなく、被害者との面識等を聴かれた段階で本件殺人事件に関する聴取だと分かったとしても不思議ではない。Jは、覚醒剤事犯の検挙を警戒していた様子があるから(Jは、平成元年4月の弁護人の事前テストの段階に至っても、うどん屋iのけんかを目撃した日に行ったKからの覚醒剤譲受けについて検挙されないか心配していた。控訴審弁16)、P2警察官からの事情聴取の際、前述したと おり、3月19日にうどん屋iのけ も、うどん屋iのけんかを目撃した日に行ったKからの覚醒剤譲受けについて検挙されないか心配していた。控訴審弁16)、P2警察官からの事情聴取の際、前述したと おり、3月19日にうどん屋iのけんかを目撃した記憶を有していたため、Kとの覚醒剤取引が頭に浮かび、これが露見しないよう、Lと外出して検問に遭うまで一人でいたと答えて、覚醒剤事犯に関する捜査をやり過ごそうとしたとみても不合理ではない。そのような中、事情聴取の最後辺りになって、やっと自分に対する覚醒剤事犯ではなく、本件殺人事件に関する聴取であると分かったことから、その次に行われることとなったP1警察官からの事情聴取の段階からうどん屋iのけんかの話を始めたと解することもできる。P2警察官による聴取(昭和61年12月25日)から弁護人への説明(昭和63年9月5日)まで1年9か月程度経過しているし、JがP2警察官の聴取段階から3月19日の出来事としてうどん屋iのけんかの記憶があったことから、同警察官からの聴取段階から既にうどん屋iのけんかについて説明していたとの思い違いをしても無理はない。 これに加え、Jにおいて、P2警察官の聴取の後、昭和62年1月26日頃には第一次供述に沿う供述をしていたようであるとはいえ(1審検159)、この1か月間のJの供述経過や内容を明らかにする当時の捜査報告書等は見当たらないことや、既にみたとおりうどん屋iのけんかに関する裏付け捜査がされていることに照らせば、Jが取調べの当初にうどん屋iのけんかについて説明していた可能性はなおも残るというべきである。 エさらに、当審検察官は、新証拠➁のうち、L及びMの取調べに関する捜査報告書(当審弁89、90)によれば、P1警察官、P7警察官が両名を昭和62年1月13日に取り調べた際にもうどん屋i 。 エさらに、当審検察官は、新証拠➁のうち、L及びMの取調べに関する捜査報告書(当審弁89、90)によれば、P1警察官、P7警察官が両名を昭和62年1月13日に取り調べた際にもうどん屋iのけんかに関する話題は出ていないから、Jがこの頃に第二次供述同様又はこれに沿う供述をしていたことはうかがわれないばかりか、むしろ、この際のLの供述中には事件当夜にJがF方に行き、そこにBらがい たとの控訴審供述に整合する供述があると主張する。 まず、Lの供述をみると、その捜査段階供述は、事件当夜は仕事後にJを車でK方に送った後、M方で寝ていたところ、Jから電話で迎えを頼まれてk家具店近くで合流し、その後、m橋で検問に遭ったというものであり(検察官調書・1審検279、警察官調書・当審弁128)、対する第一審公判証言は、3月19日はうどん屋iのけんかを見た後に検問に遭ったが、P1警察官らからJやNもうどん屋iのけんかのあった日は違う日だと言っていると言われて記憶に自信がなくなり、Jの第一次供述に沿う供述調書の作成に応じた、というものである(1審28回L)。既にみたとおり、Lについても、捜査段階においてJらの供述を前提に供述を誘導された可能性が浮かんでおり、また、L供述はJ供述の信用性について補助事実の役割をも持つから、L供述についても新旧証拠を総合した評価を行う必要が生じている。 そこで、L供述の信用性について検討する。確定判決は、Lの公判証言は、Jを迎えに行った日はLの誕生日(3月18日)の翌日であり、その日の夜、m橋の近くで警察官の検問を受けた際、殺人事件があったことを聞かされたので、3月19日夜に間違いないと具体的、客観的な根拠を挙げて述べている捜査段階供述に反していること、Jの第二次供述が信用できないのと 近くで警察官の検問を受けた際、殺人事件があったことを聞かされたので、3月19日夜に間違いないと具体的、客観的な根拠を挙げて述べている捜査段階供述に反していること、Jの第二次供述が信用できないのと同様の理由が当てはまること、Lは、検察官及び警察官に対し、全くでたらめな供述をしてしまったと証言しているが、同証言自体、不自然・不合理であること、Lも弁護人の事前テストの際に、弁護人からNもうどん屋iのけんかは3月19日であったと供述していると教示されたことにより公判証言を行っていると推認できること、同証言に沿う調書が存在せず、同証言が当初の記憶と同一であったとは認められないことに照らし、信用できないとしている(確定判決76丁)。 この点について、Lの誕生日が仮に3月19日であり、事件当夜に交際相手であるMと過ごしていたのに、Jから呼び出されて水を注されたというのであれば、Lの誕生日を理由に事件当夜の記憶が確かであることの説明として納得ができる。しかし、Lの誕生日は3月18日なのであるから、その翌日である事件当夜の出来事について、なぜLが誕生日と関連付けて記憶をしていることになるのかいささか疑問である。J供述の信用性について述べたとおり、公判証言の内容の不自然性・不合理性(覚醒剤を所持していたのであれば、検問後に福井市内を走行しないこと)については、別の評価も可能であり、供述調書の不存在は、これに沿う供述がないことの理由にはならない。 確かに、当審検察官が指摘するとおり、Lは、本件に関する最初の事情聴取とみられる昭和62年1月13日には、事件当夜にJをK方に送った点は供述していないとはいえ、M方で過ごしていた際にJから呼び出されたとする点では捜査段階の供述調書と同旨の説明をしており、この時点でうどん屋iのけ 62年1月13日には、事件当夜にJをK方に送った点は供述していないとはいえ、M方で過ごしていた際にJから呼び出されたとする点では捜査段階の供述調書と同旨の説明をしており、この時点でうどん屋iのけんかについて説明をしておらず(当審弁89)、Mも、同日、Lの上記供述に沿う説明をしている(同90)。しかし、Jらが事件当夜にうどん屋iのけんかを目撃していれば、Lは、JとKの覚醒剤譲渡にも同席していることになるから、覚醒剤事犯が露見しないよう、うどん屋iのけんかについては述べずに、Mと一緒にいたとうその説明をし、捜査段階供述ではこれを維持したと説明することも可能である。 オこの点、Mについても、捜査段階ではLの捜査段階供述に沿う内容の警察官調書が作成されているが(控訴審検31)、Mは、控訴審において、本当はLが検問に遭った夜にはLと一緒にいなかったが、Lに口裏合わせを頼まれたため、警察には事件当夜にLと一緒にいたとのうその説明をして、真実に反する内容の警察官調書を作成したと証 言していた(控訴審9回M)。 確定判決は、同証言の信用性を否定したが、その理由は、Lによる口裏合わせの依頼はJをかばうためのものであると解釈した上で、Lが検問を受けたことは客観的な事実であるから、その時間帯にLがMと一緒にいなかったことは明らかであり、LがJと行動を共にする前にMと一緒にいたとの虚偽の事実を作り上げても、これによりなぜJが覚醒剤事犯に関する嫌疑を受けずに済むのか不明であるなどというものである(確定判決82丁)。 しかし、Mの証言要旨は、LにマークⅡを貸していたが、警察から、LがマークⅡに乗っていた際に検問に捕まった件について聴取を求められたので、Lに連絡すると、「警察に行くなら、自分(L)がやばいので、うそをつ Mの証言要旨は、LにマークⅡを貸していたが、警察から、LがマークⅡに乗っていた際に検問に捕まった件について聴取を求められたので、Lに連絡すると、「警察に行くなら、自分(L)がやばいので、うそをついてほしいって言われたんです。」、「検問に捕まったときに、J君が覚醒剤か何かを持ってたので、それがばれるとやばいんで、うそをついてくれと言われました。」、「私とL君が一緒にいたことにしてくれって言われた。」、「警察では、L君と私が一緒にいて、夜、J君から迎えに来てくれという電話があったということで、言っています。」というものである。 これを素直に解釈すると、Lは、Jが事件当夜の検問時に所持していた覚醒剤について、自分に累が及ぶことを恐れてMに口裏合わせを依頼したことになり、JとKの覚醒剤譲渡に同席した事実が露見しないように、Jに呼び出されるまではM方にいたことにして、Jとは一緒にいなかったことにしてほしいという趣旨の依頼であったと解しても矛盾はない。そうであれば、Lも、本件に関する最初の聴取の際は、事件当夜はうどん屋iのけんかを目撃していた記憶であったが、覚醒剤事犯が露見しないよう、P1警察官らにその旨を明かさず、Mと口裏合わせをし、M共々、事件当夜にJに呼び出される前は二人が一緒 にいたとのうそやでたらめの供述をしたとの説明が可能である。警察にうその説明をしたとの記憶違いは考えられないから、確定判決の認定によれば、Mはうその証言をしたことになるが、請求人、BやJら主要関係者が、暴走族、暴力団や、覚醒剤、シンナーなどの薬物を通じた交友関係にあったのに対し、Mにはこのような関係性は何ら見当たらず、請求人とは面識があったことすらうかがえない。Mは、Jと直接の交友はなく、親しくはないし(Jの警察官調書・1審検289)、また、 た交友関係にあったのに対し、Mにはこのような関係性は何ら見当たらず、請求人とは面識があったことすらうかがえない。Mは、Jと直接の交友はなく、親しくはないし(Jの警察官調書・1審検289)、また、Lとは遅くとも平成元年4月時点では既に交際しておらず(控訴審弁16。なお、Mは昭和61年か昭和62年頃には交際を解消したとしている。令和5年8月22日付け任意開示33)、平成2年には別の男性と結婚している(Mの控訴審証言)。M自身は、本件殺人事件はもちろん、うどん屋iのけんかやそれに付随する覚醒剤取引とも関係がないから、平成6年7月の控訴審証言時にもなって、わざわざ警察にうそを付いたとの自分に不利益ともなりかねない虚偽証言をする理由が見当たらない。MがLと口裏を合わせて警察にうそを言ったこと自体はよく覚えていても、口裏合わせ(昭和62年1月頃)から証言時まで実に7年以上が経過しているから、覚醒剤事犯の当事者でもないMが、誰をかばうものであるかなどの口裏合わせの詳細を説明できずともおかしくはない。 M証言のうち、Lとの口裏合わせをいう部分の信用性は否定できず、同証言によれば、LやMの捜査段階供述は、最初にP1警察官らに説明した部分も含めて、信用性を肯定し難いことになる。 なお、新証拠➀ないし➂はM供述を直接取り上げるものではないが、警察による誘導等の可能性を示すことで事件当夜の行動に関するLの捜査段階供述を弾劾するものであるところ、J、L、K及びMの各供述の信用性評価は相互に密接に関連しており、その一部について再評 価できないとすると適切な信用性評価は困難であるから、当審がM供述の信用性を再評価することに問題はない。 カ当審検察官のいうとおり、うどん屋iのけんかを目撃したというエピソードは、本件殺人事件 きないとすると適切な信用性評価は困難であるから、当審がM供述の信用性を再評価することに問題はない。 カ当審検察官のいうとおり、うどん屋iのけんかを目撃したというエピソードは、本件殺人事件との関係では、事件関与に対するアリバイを裏付けるものとなるが、その反面、Kとの覚醒剤取引が含まれるので、Jはもちろん、Lについても、覚醒剤事犯による検挙等を回避するため、警察にうその説明を行ったり、うどん屋iのけんかのエピソードを隠したりする動機もある。その分、JやLの供述の信用性評価は複雑なものとなっており、JやLが当初からうどん屋iのけんかについて説明をしていなくても、それがJの第二次供述やLの公判証言の信用性を必ずしも否定することにはならない。 なお、当審検察官が主張するとおり、LがP1警察官らから最初に聴取を受けた際の供述には、Lは事件当夜にJを迎えにいった後、Jから女の部屋でBら5人くらいが覚醒剤をしていたと聞いた旨の供述が含まれている(当審弁89)。 しかし、前記のとおり、Lの捜査段階供述は、主要な部分で信用性を否定できないM証言に反していて、Lの上記供述部分もまた信用性に疑問を容れる余地がある。加えて、Lの捜査段階供述に関する捜査報告書に記載があるからといって、公判廷等においてその真偽が吟味されたわけではなく、直ちにその記載内容に信ぴょう性があることにはならず、証拠価値としては限度があることも指摘できる。しかも、この事情聴取の頃には、Bの捜査段階供述において確定判決にいう大要部分ができ上がり(1審検282の上申書)、Bは請求人やJらとF方に行ったことを供述しており、そのため、P1警察官らがこのB供述を前提に、LにJからそれらしき会話がなかったかを確認するなどし、覚醒剤事犯を隠したいLが安易に迎合した可 書)、Bは請求人やJらとF方に行ったことを供述しており、そのため、P1警察官らがこのB供述を前提に、LにJからそれらしき会話がなかったかを確認するなどし、覚醒剤事犯を隠したいLが安易に迎合した可能性も否定できな い。現に、捜査報告書(当審弁89)によれば、P1警察官らはLにJから血の付着云々についても聞いていないかを確認しており、B供述を前提に聴取を行ったことがうかがわれる。また、Bらの供述によると、事件当夜、BらがF方で覚醒剤を使用したのは、JがF方を退出した後、Bが覚醒剤取引を終えて再びF方に戻ってからとされているから、Lの上記供述はBらの供述や、Jの第一次供述等と必ずしも整合しない。アパートeは、B周辺の覚醒剤仲間のたまり場となり、Jも出入りをしていたから、Lが語るエピソードは他の日のものとしても矛盾はない。しかも、Lの警察官調書ではJから聞いた話の内容は曖昧となっているし(当審弁128)、前述したとおり、LにはMとの口裏合わせの問題もあるから、当審検察官指摘の記載があるからといって、Lの捜査段階供述について信用性を肯定することはできず、これによりJの第二次供述の信用性が否定されることにもならない。 キ以上でみたところによれば、第二次供述の信用性を否定する確定判決の説示は支持できず、また、当審検察官の主張も理由がなく、採用できない。Jの第二次供述にも少なからず問題があるとはいえ、さりとてその信用性を軽々に否定することはできない。 ⑷ 翻って、Jの第一次供述等の信用性についても検討する。 ア既に検討してきたとおり、Jは、当審供述を含めて、確定判決にいう大要部分について供述を転々とさせていて供述内容に混乱がある上、供述経過に照らしても、被誘導性の強さや、聴取者に応じて供述を変える傾向が現れているな たとおり、Jは、当審供述を含めて、確定判決にいう大要部分について供述を転々とさせていて供述内容に混乱がある上、供述経過に照らしても、被誘導性の強さや、聴取者に応じて供述を変える傾向が現れているなど、その供述は総じて不安定であり、J供述の信用性は特に慎重に検討する必要性がある。現に、既に検討したとおり、JはP1警察官からBやKの供述に沿うよう誘導を受けて、ありもしない体験供述を述べ、それ以降第一次供述を始めたという経過が認められる。 イまた、Jは、事件当夜に運転したとされる車を本件スカイラインと特定しているところ、この部分でも警察官の誘導等に従い、ありもしない供述を行っている。 Jは、事件当夜の出来事を説明する警察官調書(1審検290)において、運転した車は白色のスカイラインであるとし、年式は分からないものの、運転席に乗ってみて、オートマチック車であり、ギアの前にパイオニア製のカーステレオが付いているのが分かった、そのカーステレオは当時としては最新型で、友人のW5が乗っているマークⅡにも同じ型のカーステレオが取り付けてあるのですぐ分かり、「W5の車のコンポと同じやなあ。」と思ったのを記憶していると供述している。続いて、既に押収されていた本件スカイラインの現物を見せられると、白色のスカイラインで、自分が見たものと同じ型である、はっきりと言えるのはW5のマークⅡに取り付けてあるのと同じパイオニア製のカーステレオが付いているところである、カーステレオはU字型の明かりがぐるぐる回るが、本件スカイラインに乗った時、車のエンジンはかかった状態で、メロディまでは覚えていないが、カーステレオも回っている状態だったと述べていた。 この警察官調書では、Jが事件当夜、白色スカイラインに乗った際に、友人のものと同 エンジンはかかった状態で、メロディまでは覚えていないが、カーステレオも回っている状態だったと述べていた。 この警察官調書では、Jが事件当夜、白色スカイラインに乗った際に、友人のものと同じ最新型のカーステレオが搭載され、これが回っているのを目撃するという実体験をしていたために記憶に残っており、このカーステレオの存在を根拠に、本件スカイラインを事件当夜に運転したのと同一の車であると特定したことが具体的に供述されている。 ところが、その後の捜査で、事件当夜の段階では本件スカイラインにはまだパイオニア製のカーステレオが取り付けられていなかったことが明らかになると、Jは上記供述を変更し、W5ら友人のマークⅡやセドリックに同じカーステレオが取り付けられており、自分もこれ らの車に乗ったり運転したりしたことがあったので運転席付近のイメージとして見慣れていたことから、取調べの際に事件当夜に乗った白いスカイラインの特徴を思い出したところ、同じカーステレオが取り付けられていたように錯覚したと供述した(1審検292)。 確定判決は、この供述変遷について、Jが取調べを受けたのは本件殺人事件発生から10か月以上が経過してからであり、この種の機器に通常の興味、関心を有するにすぎないJが勘違いをしてもおかしくなく、当時友人らの車に装着されていた同種の最新型カーステレオの印象が残っていたため、本件スカイラインの現物を見せられた際、同車に装着されていたカーステレオが本件当時も装着されていたと勘違いしたなどとして、この点に関し取調官による誘導があったとは認められないとしている(確定判決78丁)。 しかし、Jの当初の供述は、自らの実体験として、事件当夜に白色スカイラインに乗った際、パイオニア製の最新型カーステレオが取り る誘導があったとは認められないとしている(確定判決78丁)。 しかし、Jの当初の供述は、自らの実体験として、事件当夜に白色スカイラインに乗った際、パイオニア製の最新型カーステレオが取り付けられ、これが回っていたのを見て、友人の車のカーステレオと同じだと思ったとの感想を抱いたというのであるから、事件当夜にそのような経験をしたり感想を抱いたりしたとの勘違いは考え難い。 かえって、Jは、第二次供述において、警察で本件スカイラインを見たときに、パイオニア製のカーステレオを見て、これ知っている、友達と一緒のカーステレオだと言ったことから、事件当夜、白色スカイラインの車内でパイオニア製のカーステレオを見たとする調書が作成されたのだと思うと説明していたのであり(1審36回J26丁)、それを否定するに十分な証拠はなく、確定判決の説示によっても、P1警察官らが、Jからカーステレオに関する供述を得る前に、Jに押収していた本件スカイラインを見せていたことは否定できない。また、Jは、検察側証人として証言した控訴審供述においても、事件当夜に 乗った車の特徴について、車種は分かるがカーステレオといった機械類のことは記憶になかったとした上で、警察官から本件スカイラインについて当時お前が無免許で運転していた車やと言われたし、白いスカイラインだったので間違いないなと思ったと述べ(控訴審7回J36丁)、警察官からの誘導をうかがわせる証言をしている。 本件スカイラインは、車体色や型式等に目立った特徴はなかったところ、パイオニア製の最新型のカーステレオが搭載されていたとなれば、事件当夜に使用された車との同一性を支える根拠となることから、P1警察官らにおいて、Jに対し、事件当夜運転していた車両であるとして本件スカイラインを見せ、J のカーステレオが搭載されていたとなれば、事件当夜に使用された車との同一性を支える根拠となることから、P1警察官らにおいて、Jに対し、事件当夜運転していた車両であるとして本件スカイラインを見せ、JがW5のカーステレオと同じであると述べたのを利用して、Jが事件当夜に白色スカイラインを運転した際の感想にすり替え、本件スカイラインにパイオニア製のカーステレオが搭載されていたのを見たとのあり得ない実体験を述べる供述調書を作出した可能性があるというべきである。 殊に本件スカイラインは、請求人らが事件当夜に使用した車両とされ、犯行用具に準ずるものとして確定判決のいう大要において不可欠な役割を果たすべきものであり、その本件スカイラインの特定についても、警察による供述誘導や、Jの被誘導性の強さを露呈しているとみざるを得ないのであるから、このことはとりもなおさずJの第一次供述のもろさを示すものである。 ウそこで、Jの第一次供述について、被誘導性の強さなどを考慮してもなお、その信用性を担保できるような客観的証拠や事情があるかどうかを検討する。 新証拠により、第一次供述のうち、前足となるゲーム喫茶dに行くまでの経過については本件場面の放送という客観的な裏付けが消え去っている。第一次供述に沿うKの捜査段階供述の信用性についても肯 定できず、残るB供述についても、少なくとも客観的な裏付けはない。 第一次供述の核心部分(JがBに頼まれて請求人を迎えに行き、本件スカイラインに乗った請求人とHをゲーム喫茶dまで案内し、その後、請求人、Bらと共にアパートeに行き、請求人の胸に血が付いているのを見たこと)は、Jがゲーム喫茶dに行くまでの経過(前足)と本件殺人事件に係る検問(後足)とが同じ夜のことであり、事件当夜の一連の出来事とし Bらと共にアパートeに行き、請求人の胸に血が付いているのを見たこと)は、Jがゲーム喫茶dに行くまでの経過(前足)と本件殺人事件に係る検問(後足)とが同じ夜のことであり、事件当夜の一連の出来事として立証されるべき関係にあるところ、本件場面の放送日の裏付けがなくなり、さらに、前足と後足が同じ夜であることを直接述べるLの捜査段階供述にも疑問が生じた結果、上記核心部分が事件当夜の出来事であることについては、確たる裏付けがないことになる。 エ次に、Jは、第二次供述においても、事件当夜であることは否定しつつも、昭和61年3月前後頃、Bに頼まれて請求人を迎えに行ってゲーム喫茶dまで案内し、請求人やBらとアパートeに行き、同所で請求人の胸に血が付いているのを見たことはある旨を供述しており、確定判決はこの点についても第一次供述の信用性の根拠としている(確定判決74丁)。 しかし、この点に関するJの第一次供述は、事件当夜の行動経過として、上記内容のとおりの概要を述べるものではあるが、確定審検察官の主尋問に対しても覚えていないとの供述が目立ち、確定判決も、請求人と行動を共にしたとされる時間帯にシンナーを吸入していたH(確定判決27丁)や、B(同52丁)の供述に関する指摘とは異なり、「当時の被告人の状況、特にシンナー吸入による影響を考慮するならば、被告人の行動は何ら臨場感等に欠けるものではなく、逆に、本件特有の特殊性、具体性が看取できる。」と説示する(確定判決79丁)にとどまり、少なくともJの供述自体については、具体性、迫 真性や臨場感といえるものを具体的に指摘しておらず、そのように判断した十分な理由を示してはいない。 J本人も、P2警察官による聴取から約1か月後になって第一次供述を始め、その際には約1年前の出来 場感といえるものを具体的に指摘しておらず、そのように判断した十分な理由を示してはいない。 J本人も、P2警察官による聴取から約1か月後になって第一次供述を始め、その際には約1年前の出来事なので、はっきり言えない部分もあるが、一生懸命思い出してみるとし(昭和62年1月27日付け警察官調書・1審検288)、第一次証言では警察でも大分考えて思い出したとして、警察や検察で言ったことを覚えていないと証言している上(1審8回J36丁)、控訴審でも記憶が混乱していたのを冷静に思い起こして控訴審供述に至った旨証言している(控訴審6回J42丁)。このようなJの供述状況や供述内容等からすれば、Jが事件当夜に実際に体験した出来事を思い出して説明したのか疑問を覚える。 このような見方に対しては、Jが本件殺人事件発生に伴う検問を受けて請求人を殺人犯と疑ったとする確定判決の認定を前提に、当審検察官が主張するとおり、Jが犯人蔵匿に問われる可能性を考えたとか、あるいはJ、請求人共にb会に出入りのある暴力団関係者であったため、Jが請求人を警察に売るような供述を渋ったためであるとか、更には供述までの時間経過や関わり合いになりたくないという意識から記憶の減退もあったとも解釈できそうである。 しかし、既に検討したとおり、Jが事件当夜に検問を受けて請求人を殺人犯だと疑ったという印象的な出来事を経験したのであれば、やはり事件当夜にうどん屋iのけんかを目撃したとの記憶があることを説明し難いし、既に検察側証人として証言しておきながら、弁護人からの接触があったにせよ、弁護側証人として出廷し再度証言するに至ったこと(第二次供述)についても不自然さが残る。Jは、控訴審供述における検察官の主尋問に対してすら、取調べを受けている過程に おいても があったにせよ、弁護側証人として出廷し再度証言するに至ったこと(第二次供述)についても不自然さが残る。Jは、控訴審供述における検察官の主尋問に対してすら、取調べを受けている過程に おいても3月19日にはうどん屋iのけんかを目撃したとの気持ちのあったことは否定せず(控訴審6回J32丁)、その後もうどん屋iのけんかがいつの日だったのか知りたいという気持ちを持っていたと供述しており、このような供述からは、J自身、3月19日にうどん屋iのけんかを目撃したのではないかとの疑問を拭えない様子がみて取れる。第一次供述の具体性の乏しさ、曖昧さや、Jにうどん屋iのけんかの目撃の記憶があることからすると、Jが事件当夜に第一次供述にいう出来事を本当に体験しているのか相当に疑わしい。 Jは、もともと面識のあったBと本件頃から親しく付き合い、その後、無職になったこともあって昭和61年5月初め頃まではBと行動を共にするようになり、ゲーム喫茶dや、F方にも複数回出入りをしていたほか、後輩であるLに自分の送迎をさせ(1審検288ないし290、293)、第一次供述と部分的に類似する経験をしていた。 これに加え、JがP1警察官の誘導等をきっかけに第一次供述を始めていることや、本件スカイラインに装備されたとされるカーステレオに関する供述経緯等も踏まえて考えると、Jは、事件当夜に経験していない出来事でも、容易に誘導等に迎合し、実際に体験したかのような供述をする姿勢が顕著であり、Jは、取調べを受ける過程で、先行するBの供述を前提とした追及を受けるうち、警察の誘導等に乗り、事件当夜とは別の日に経験した類似の出来事(請求人の当時の生活状況等に照らし、他人とけんかをするなどして血痕を付けた状態で現れることが異常な事態でもなかったようにうかがわれる。)を、事件当 に乗り、事件当夜とは別の日に経験した類似の出来事(請求人の当時の生活状況等に照らし、他人とけんかをするなどして血痕を付けた状態で現れることが異常な事態でもなかったようにうかがわれる。)を、事件当夜の出来事として説明した疑いを否定できないというべきである。 この点について、確定判決は、第一次供述について、Jが本件の取調べ当時、余罪についての捜査を受けていなかったから、捜査官に迎合した供述を行わなければならない必要はなかったとも指摘している (確定判決72丁)。しかし、Jとしては、Kからの覚醒剤譲受けという弱みがあるため、警察からの誘導等に抗してまでうどん屋iのけんか話を強く主張することができず、また、次に述べるとおり、BからJが事件当夜に覚醒剤を使用したとの供述もされていたことから、同事件の刑責を問われることを恐れて警察に迎合的な態度を取った可能性は十分に考えられる。 オさらに、旧証拠によれば、警察のJに対する取調べには、P1警察官による誘導等以外にも、次のような問題点がある。 Jは、第二次供述において、警察で取調べを受けているとき、JとBの各供述間に食い違いがあったため、P1警察官とBの担当警察官らの立会いの下、Bと取調室で同席し、Bと一緒に供述調書を作成したことがあると述べ、その食い違いはKとアパートcにBを迎えに行った際、JがBの部屋に入って覚醒剤を打ったか否かと、Hがアパートeに入ったか否かの点であったと述べていた(1審36回J51丁)。BとJの供述経過をみると、Bは、昭和62年1月14日付けの上申書(1審検282)では、事件当夜、JとKがアパートcに迎えに来た際、部屋に入ったJに覚醒剤を打ってやったとし、Hは請求人がBらとゲーム喫茶dに合流する前に帰宅したと述べていた。ところが、J の上申書(1審検282)では、事件当夜、JとKがアパートcに迎えに来た際、部屋に入ったJに覚醒剤を打ってやったとし、Hは請求人がBらとゲーム喫茶dに合流する前に帰宅したと述べていた。ところが、Jは、同月28日付けの警察官調書でB方への立入りや覚醒剤使用を強く否定すると(一審検290)、Bは、翌29日付けの警察官調書でJの自宅への立入りや覚醒剤使用は別の日のことであったと供述を訂正するとともに、同じ供述調書でHもアパートeまで行ったが、Hが部屋に入ったかは分からないとの供述をし(1審検209)、Jは同日付けの警察官調書でHがアパートeに入室したと供述している(1審検291)。 このような両者の供述経過や、後述するとおり、警察は、J以外に も、勾留中のBをEとも面会させ、本件殺人事件に関する供述を求めさせていることからすれば、Bと面会して一緒に供述調書を作成したとのJの供述は信用することができる。 犯罪捜査規範は、共犯者の取調べは、なるべく各別に行って、通謀を防ぎ、かつ、みだりに供述の符合を図ることのないように注意しなければならず、対質尋問を行う場合には、特に慎重を期し、一方が他方の威圧を受けることなどがないよう、時期、方法を誤らないように注意しなければならないと規定している(同規範170条)。この規定は、同じ部屋での取調べや、特に対質尋問といった手法は、有形無形の通謀等を可能とし、供述の信用性に影響を与えかねないため、なるべく避けるべきことを規定したものであり、その趣旨は参考人の取調べについても妥当する。 Jの前記供述によれば、警察は、本件の参考人となるJ及びBの供述が概ね共通することを前提に、食い違いのある部分について、両者を同席させて確認したようにみえる。 しかし、その際には Jの前記供述によれば、警察は、本件の参考人となるJ及びBの供述が概ね共通することを前提に、食い違いのある部分について、両者を同席させて確認したようにみえる。 しかし、その際には、食い違い部分のみならず、前後の時系列や、関係する事項等にも言及する必要があるはずであるところ、本件ではBの供述が先行しているから、食い違いを確認する過程で、Bの供述内容がJに直接伝わることにもなりかねない。BとJは同い年ではあるが、Jは、本件殺人事件頃、所属していた福井県大野市内の暴力団から逃げ出し、B所属のb会に入って預かりの身となり、Bの若衆としてその使い走りをする関係にあったから(1審検213、1審姫路B20丁、第一次再審請求審検79)、Jがこのような関係性のあったBに迎合するおそれは十分にある。上記食い違いの点について、Bは捜査段階ではJの主張に沿う形で供述を修正している部分はあるものの、Jは全体としてはBの供述に沿う内容の供述調書の作成に至っ ている。Bとの同席により、Jの供述が誘導されたり、Jとしては不確かな記憶であった事柄が確かな記憶であるかのように強化されたりするおそれがあるから、同席での取調べにより、Jの供述がBの供述に引き付けられるなどした可能性も否定できない。 カこのように、Jの第一次供述等については、確たる裏付けを欠く上、具体性の乏しい曖昧な内容であり、P1警察官からの誘導等に加えて、Bとの同席による取調べが影響した可能性も否定できないのであるから、対立する第二次供述の信用性を否定できないことも踏まえると、Jの第一次供述等は、有罪認定に供し得るほど間違いなく信用することができる証拠にはならないというべきである。 ⑸ 以上のとおり、新旧証拠を総合して検討したところによれば、確定判決の認定に沿う Jの第一次供述等は、有罪認定に供し得るほど間違いなく信用することができる証拠にはならないというべきである。 ⑸ 以上のとおり、新旧証拠を総合して検討したところによれば、確定判決の認定に沿うJの第一次供述等の信用性には限界があり、請求人の有罪認定に供し得るほどに間違いなく信用できるものとはいえず、他方で、事件当夜は請求人らと行動を共にしていないとする第二次供述の信用性を軽々に否定することができないという帰結となる。したがって、確定判決のしたJ供述の信用性評価には与することはできず、Jの第一次供述等を有罪認定に供することは相当ではない。 確定判決によれば、Jは、事件当夜、請求人の着衣に血が付いているのを目撃しているのみならず、請求人らをゲーム喫茶dに案内した上、本件スカイラインを運転し、請求人らをアパートeまで連れて行くといった(第1章・第3・3・⑴・ウ、エ)、確定判決にいう大要部分において重要な役割を果たし、欠くことのできない登場人物である。Jの第一次供述等の信用性に疑義が生じ、Jが事件当夜、請求人らと行動を共にしていなかった合理的な疑いが残る以上は、この大要部分が成り立たず、確定判決の有罪認定が根本的に揺らぐことにならざるを得ない(なお、本件証拠関係からして無理とは思うが、仮に万一、Jと別の人物を 置き換えることによってつじつまを合わせられるような認定が可能であるとして、他の主要関係者供述の信用性に影響を与えないとする見方ができるとしても、本件証拠構造やこれまでの訴訟経緯などに鑑み、著しく正義に反することとなり、そのような判断はするべきではない。)。 以上のように、新証拠の証明力は、旧証拠のうち、Jの第一次供述等の証明力を減殺するにとどまらない。主要関係者供述のうち、H、B及びFの供述は、事件当夜に ような判断はするべきではない。)。 以上のように、新証拠の証明力は、旧証拠のうち、Jの第一次供述等の証明力を減殺するにとどまらない。主要関係者供述のうち、H、B及びFの供述は、事件当夜にJと行動を共にしたというものであり、確定判決も、Jの第一次供述をこれに符合するH、B及びFの供述の裏付けとしている(確定判決72、83丁)。前述したとおり、確定判決の証拠構造の特徴は、主要関係者供述が共通する一つのストーリー(確定判決にいう大要)を共有し、各供述の信用性を相互に支え合う補充関係にあるところ、主要関係者供述のうちHやBと並ぶ重要証人であるJ供述の信用性評価に変更があれば、他の主要関係者供述の信用性にも当然に波及する。すなわち、J供述に関する新証拠の立証命題は、Jが本件殺人事件当日、請求人らと行動を共にしていない可能性をいうものであるが、新証拠は、旧証拠のうち、Jの第一次供述等のみならず、他の旧証拠のうち、事件当夜Jが同席した旨供述する主要関係者供述の信用性や証明力を左右する関係にもある(つまり、Jの第一次供述や控訴審供述による支えを失った他の主要関係者供述がいまだ信用できるものであり、請求人を本件殺人事件の犯人とするだけの証明力を失わせていないかについておのずから問題となる関係にある。)から、これらの他の主要関係者供述について再評価しなければならない。 そこで、以下、主要関係者供述について新旧証拠を総合してその信用性や証明力を再検討することとする。なお、H及びBについては、弁護人らから新証拠が提出されており、それらについても新規かつ明白な証拠に当たるかについて検討する必要があるので、H及びBの供述につい てもJ供述と同様の検討方法を採ることとする。 第3 Hの供述について 1 Hの捜査段階及び確定審におけ 新規かつ明白な証拠に当たるかについて検討する必要があるので、H及びBの供述につい てもJ供述と同様の検討方法を採ることとする。 第3 Hの供述について 1 Hの捜査段階及び確定審における供述経過、内容等⑴ Hについては、捜査段階における供述(刑訴法227条による証人尋問を含む。)、第一審及び控訴審における証言がある。 ⑵ 最終的な供述である、Hの控訴審における証言要旨は、次のとおりである。すなわち、「 3月19日夜、qタクシーを利用して自宅とW6方を往復した後、自宅近くで流しのタクシーを拾ってG方へ行き、Gから本件スカイラインを借り受けた。B方でシンナーを吸えたらいいなと考えて本件スカイラインを運転し、自転車店に立ち寄ってゴムのりを購入後、Bを訪ねてアパートc前へ行った。 同所で請求人と出会い、請求人から、『B君の部屋があかんのや。純トロがあるんや。』とか、『wの方にシンナーが吸える女の子の部屋があるから乗せてくれ。』と言われ、シンナーの入った一斗缶を本件スカイラインに積み、請求人を乗せて出発した。f公園の横で請求人と共に一斗缶から1リットル瓶にシンナーを移し替えた後、a団地6号館西側道路で本件スカイラインを止めた。請求人が、『見てくるわ。』などと言い残して降車したので、車内でゴムのりを吸って待っていた。 二、三十分後、請求人が運転席側に来て、『あかんかったわ。』と言って、息遣い荒く助手席に乗り込んだ。車内で請求人が持ったビニール袋にシンナーを注いでやるとき、請求人の右手の甲にまだ濡れている感じの血が付いているのを見た。どうしたのかと尋ねると、請求人が、『やってもうた。』と答えたので、けんかでもしたのかと思った。 請求人から義理のお兄さんの家の方へ行ってくれと頼まれたので、 感じの血が付いているのを見た。どうしたのかと尋ねると、請求人が、『やってもうた。』と答えたので、けんかでもしたのかと思った。 請求人から義理のお兄さんの家の方へ行ってくれと頼まれたので、義兄のW2に相談に行くのだろうと思い、請求人の案内でW2方(gにあ る集合住宅h)の前へ行った。W2のことは知っていたが、その当時どこに住んでいるかは知らず、W2方に行ったのは事件当夜の一度だけである。W2は不在であった様子で、請求人からB方へ行くように言われ、アパートcへ向かった。 請求人は、走行中の車内で、『あいつが悪いんや、馬鹿野郎。』などと独り言を言っていた。アパートc前で停車したが、Bは不在であり、請求人は降車を繰り返してBと連絡を取るために電話をかけていた。その間、車内で一緒にシンナーを吸いながら請求人の様子を見た際、上着の胸元にも血痕が付着していることに気付いた。請求人から、『逆らうと、腹立たんか。逆らうで、悪いんや。ほんで、やってもうたんや。女の子をやってもうたんや。』などと打ち明けられ、けんかをした話を大きくしているか、シンナーの影響で幻覚でも見たのかと思うとともに、あまり関わり合いになりたくないと思った。 請求人はBと連絡が取れたようで、r高校の方へ行くよう頼まれ、j神社のあたりで待っていた初対面のJを車に乗せ、その案内でゲーム喫茶dに行き、Bと会った。 その後、本件スカイラインの後部座席に移り、Jが運転席に座ったことは覚えている。本件スカイラインの前に車がもう1台あり、その2台で発車して以降のことは覚えていない。記憶がないのは、運転しなくてもいいことと、請求人をBに会わせて気分も楽になり、シンナーの酔いが回った感じになったからだと思う。 捜査の当初の段階では、自分が執行猶予 のことは覚えていない。記憶がないのは、運転しなくてもいいことと、請求人をBに会わせて気分も楽になり、シンナーの酔いが回った感じになったからだと思う。 捜査の当初の段階では、自分が執行猶予中の身であり、請求人と一緒に行動したことを話せば逮捕されるのではないかという気持ちから、知らぬ存ぜぬと言っていたが、上申書を書く頃には女の子(被害者)が浮かばれないと思い、また、警察官から現場へ行っていないなら大丈夫じゃないかとも言われ、正直に供述するようになった。」というものであ る。 ⑶ Hの供述経過は次のとおりである。 Hは、昭和61年12月21日頃から本件殺人事件についての本格的な取り調べを受けるようになり、昭和62年1月24日及び同月26日には、「3月19日はシンナー仲間のGから借りた本件スカイラインでアパートc前まで行き、たまたま居合わせた請求人を助手席に乗せf公園まで行った。請求人は同所で降車し、二、三十分後に戻ってきたが、右手の指から甲にかけて血が付いていた。どうしたのか尋ねると、『けんかしてもたんや。』と言っていた。請求人からBのところに行くよう頼まれたが、これを断って自宅に戻り、そこで請求人に車を貸した。」と供述していた(1審検186、187)。 ところが、Hは、昭和62年2月1日付けの上申書では、「f公園横で本件スカイラインを止め、シンナーを一斗缶から1リットル瓶に移し替えた後、団地内の道路に本件スカイラインを止めた。同所で降車した請求人が血を付けて戻ってきて、請求人が、『運動公園の方に行ってくれんか。』と言うので、その後、請求人の言うとおり、W2方、アパートc、ゲーム喫茶dの順に走行した。」とし(1審検280)、同月6日付けの上申書では、「今までの事情聴取で隠していたことがある。請求 れんか。』と言うので、その後、請求人の言うとおり、W2方、アパートc、ゲーム喫茶dの順に走行した。」とし(1審検280)、同月6日付けの上申書では、「今までの事情聴取で隠していたことがある。請求人は、W2方に立ち寄った後、アパートc前で、俺に、『逆らうと腹立たんか。刺し殺したんや。あいつが悪いんや。』と言った。それを警察に言うと、俺が犯人を隠したと思われ、逮捕されるのではないかと不安があった。俺は傷害罪で執行猶予中の身であり、妻が妊娠中であるため、また自分は殺人の現場に行っていないため、関わり合いたくなかったので真実を言えなかった。請求人はW2方前からアパートc前までの間にも、『あの女馬鹿野郎。』などとぶつぶつ言っていた。」と供述し(1審検281)、これらの上申書作成以降、事件当夜の経過について、 公判証言や、確定判決にいう大要に沿う供述をしている。 2 確定判決によるH供述の評価⑴ 確定判決は、要旨、次の理由からH供述の信用性を肯定した(確定判決26丁)。 ⑵ Hは、捜査の当初こそ事実の一部を隠して供述していたものの、その後の供述は、捜査、一審公判を通じ、大筋において一貫しており、その内容が客観的証拠ないし他の関係者の供述、証言によって裏付けられており、信用性が認められる。 すなわち、qタクシー有限会社の運転手の警察官調書や、これに添付された運転日報によれば、Hが3月19日夜、同社のタクシーを利用してW6方まで行き、同人が不在であったため、そのまま同タクシーで自宅まで戻った事実が、Gの一審公判証言及び作業日報等によれば、HがGから本件スカイラインを借りた事実が、R(当時16歳)の一審公判証言によれば、Hが、本件犯行が行われた日時頃、a団地6号館西側道路に本件スカイラインを停車させていた事実がそれぞ 報等によれば、HがGから本件スカイラインを借りた事実が、R(当時16歳)の一審公判証言によれば、Hが、本件犯行が行われた日時頃、a団地6号館西側道路に本件スカイラインを停車させていた事実がそれぞれ裏付けられている。なお、R証言は、本件犯行が行われた頃、Hが本件スカイラインを停車したと供述する場所に、丸型のテールランプを有する白色普通乗用自動車が停車していたのを目撃したというものであり(スカイラインのテールランプは丸型である。)、確定判決はその信用性を争う弁護人らの主張について、Rの証言内容に照らし採用できないとして排斥している。 また、H供述のとおり、W2が昭和60年5月20日から集合住宅hに居住しており、当時、Hは、請求人が「お兄ちゃん」と呼んでいるW2夫婦が集合住宅hに居住していることを全く知らなかったこと、請求人がBに連絡を取ろうとしたことは、供述に出てくる公衆電話の設置場所、当時b会事務所で事務所当番をしていたDの一審公判証言、Bの供 述、証言により裏付けられているとした。 ⑶ 次に、確定判決は、Hの供述、証言のうち、a団地から戻ってきた請求人の状況や、アパートc前路上における請求人とのやり取り及び請求人の当時の状況についての部分を引用した上、具体的で臨場感にあふれ、迫真性があることを指摘するとともに、控訴審における供述は第一審供述を維持していて異なるところはなく、捜査段階における供述とも符合しているとしている。 ⑷ その上で、確定判決は、一審判決や弁護人ら指摘の事実を検討し、次のとおり排斥した。 まず、供述の変遷について、Hは、当時、傷害罪により保護観察付き執行猶予に付されていたが、子供が生まれることもあって、請求人と行動を共にしていたことを認めると、自らも何らかの刑責を問われ、服役 まず、供述の変遷について、Hは、当時、傷害罪により保護観察付き執行猶予に付されていたが、子供が生まれることもあって、請求人と行動を共にしていたことを認めると、自らも何らかの刑責を問われ、服役を余儀なくされるのではないかと不安に思い、当初は本件殺人事件への関与を否定するなど捜査に非協力的な立場をとっていたのであり、このことは当時のHの心境として不自然ではなく、納得できるものであるなどとした。 次に、客観的証拠の不存在のうち、本件スカイライン内から被害者のものと考えられる血液反応が出なかったことについては、本件スカイラインに血痕が付着していなかった可能性や、仮に血痕が付着していたとしても、本件殺人事件発生から押収までの約9か月のうちにガソリンスタンドにおける清掃によって消失した可能性があるとした。また、HがG方まで行く際に利用したタクシーを発見できなかった点については、H供述に基づきタクシーについての裏付け捜査が開始されたのは本件殺人事件発生から約9か月後であり、H自身タクシーの社名等を一切記憶していないので、タクシーが判明しなかったことは何ら不自然・不合理ではないなどとし、本件スカイライン内の血液反応の点も含め、供述の 裏付けとなる客観的証拠の不存在は、H供述の信用性を損なうものではないと評価した。 さらに、確定審検察官が、H、捜査官共に、請求人の義兄のW2が集合住宅hに居住している事実を知らなかったから、この点は秘密の暴露に当たると主張したのに対し、一審判決は、当時捜査官側がW2の住所を探知していなかったとの的確な証拠はなく、秘密の暴露には当たらない旨判示していた。この点に関し、確定判決は、捜査官側の認識はともかくとして、請求人から義兄であるW2方へ行くよう依頼を受けたとするHの供述は実際に体験し の的確な証拠はなく、秘密の暴露には当たらない旨判示していた。この点に関し、確定判決は、捜査官側の認識はともかくとして、請求人から義兄であるW2方へ行くよう依頼を受けたとするHの供述は実際に体験した者でなければ供述できない具体的な事実で、殺人を犯した者が犯行後に信頼し得る人物をあてにして行動することは犯人の心理として十分に理解ができ、虚構の事実であるとは認められないとしている。 このようなことから、確定判決は、一審判決や弁護人ら指摘の諸点は、H供述の信用性を否定する論拠たり得ず、その供述に不自然・不合理な点はなく、Hは記憶にある事項とそうでない事項とを区別して供述しており、内容は大筋において一貫していて、関係証拠によって裏付けられ、関係者の供述とも符合するとして、Hの供述には信用性があると結論付けている。 3 新証拠とその明白性に関する当事者の主張⑴ H供述に関する主たる新証拠群は次のとおりである。 ➀ HがG方に本件スカイラインを借りに行くために利用したとされるタクシーの裏付け捜査に関する捜査報告書(当審弁76ないし78)➁ Rの車両目撃証言に関する捜査報告書(当審弁79ないし81)。 なお、これに関係する証拠として、当審検察官が弁護人らに開示した証拠書類のうち、Rの昭和62年2月12日付け警察官調書がある(令和5年8月22日付け任意開示45)。 ➂ Hの供述経過に関する捜査報告書等(当審弁54、72、73)➃ H供述中、請求人から義兄であるW2方へ行くよう依頼を受け、集合住宅hを訪ねたとする点に関する捜査報告書(当審弁74、75)(なお、新証拠➀ないし➃は、いずれも当審検察官が当審において新たに任意で開示したものであるから、証拠の新規性が認められる。) 合住宅hを訪ねたとする点に関する捜査報告書(当審弁74、75)(なお、新証拠➀ないし➃は、いずれも当審検察官が当審において新たに任意で開示したものであるから、証拠の新規性が認められる。)⑵ 弁護人らの主張は次のとおりである。 ア新証拠➀(G方へのタクシー利用に関する証拠)によれば、警察が本件殺人事件発生から間もない時期に、全てのタクシー会社等に網羅的に照会をかけたが、Hが3月19日にG方まで利用したとされるタクシーについては、これを裏付ける運転日報が存在しないことが明らかになった。このような網羅的な調査にもかかわらず、本件スカイラインの借用に直結するタクシーに限って裏付けがないのは、該当するタクシーがないからにほかならない。本件スカイラインを貸し借りしたとのHとGの供述は、本来あるはずの物的証拠を欠いている点で客観的証拠と矛盾し、信用性を欠くことが明らかになった。 イ新証拠➁(Rの車両目撃証言に関する証拠)によれば、Rは事件直後の取調べにおいては一貫して、本件犯行時間帯に現場付近で不審な人物や車両その他、不審、特異な事項は何もなかったと供述していた。 R証言によれば、Rは事件から1年近くが経過した昭和62年2月頃になって、本件殺人事件の犯行時間帯に現場付近で丸型テールランプの車両を目撃したとの供述を始めているが、上記初期供述に鑑みると、R証言は容易に信じ難いことは明らかであり、新証拠はR証言を大きく弾劾したといえる。 ウ新証拠➂(Hの供述経過に関する証拠)によれば、Hは、昭和61年12月2日の聴取以降、同月中は本件殺人事件への関与を否定し続けていたが、その間もいったんはHの供述に請求人の犯行を示唆する エピソードが現れながら、次の取調べではこれが消滅するという不可解な経過をたどってい 降、同月中は本件殺人事件への関与を否定し続けていたが、その間もいったんはHの供述に請求人の犯行を示唆する エピソードが現れながら、次の取調べではこれが消滅するという不可解な経過をたどっているところ、これは取調官がHの供述をBの供述に合わせようと誘導したものの、失敗したことを示している。昭和62年1月13日以降、Hは本件殺人事件への関与を認める供述を始めているが、供述調書等の作成までに複雑な変遷経過をたどっているし、また、Hの供述を得る前からHに行動経過を教える目的で現場引き当たり捜査(以下、単に「引き当たり」という。)が行われてもいた。 これらは、H供述が自然な記憶喚起によるものではなく、捜査機関のねつ造によるものであることを示している。 エ新証拠➃(Hが請求人からW2方へ行くよう頼まれたとする点に関する証拠)によれば、警察は遅くとも昭和62年1月17日にはW2夫婦が集合住宅hに住んでいる事実を把握していた。また、捜査報告書添付の警察官の備忘録によれば、警察は、同月29日、Hが請求人からW2方へ行くよう頼まれたと供述するのに先立ち、Hに集合住宅hなどへの引き当たりを実施し、f公園から集合住宅hを経てアパートcに至るまでの時間計測をするなどしている。警察は、Bの供述を前提に、本件犯行後、請求人がBらとゲーム喫茶dで合流したとされる午前0時頃までの空白を埋めるため、W2が集合住宅hに住んでいる事実を組み込んだ引き当たりを実施し、請求人の行動経過を調整、再現するとともに、HにBが供述する行動経過を教えたものである。 よって、請求人からW2方へ行くよう頼まれたとするH供述は、確定判決がいうようなHが実際に体験した事実に基づく供述ではない。 オ Hは、関与供述を始める前の1か月にわたり、具体的で裏付けもある不関与供述を からW2方へ行くよう頼まれたとするH供述は、確定判決がいうようなHが実際に体験した事実に基づく供述ではない。 オ Hは、関与供述を始める前の1か月にわたり、具体的で裏付けもある不関与供述を続けていた。ところが、警察は、Hが当時保護観察付き執行猶予中であったことを利用し、かつ、Eの誤認逮捕の轍を踏まないよう、取調べ期間に制限のない参考人調べにとどめながら、記憶 喚起名目の引き当たりも活用し、Bの供述に沿うようにHの供述を誘導していった。H供述は警察の強引な誘導によるものであるから、供述の変遷そのものに不合理性を抱え、裏付けも欠くなどしており、その信用性は大きく弾劾されている。 ⑶ 当審検察官の主張は次のとおりである。 ア新証拠➀(G方へのタクシー利用に関する証拠)について、本件殺人事件発生直後に行われたタクシー捜査は、捜査の初期に嫌疑をかけられていた者の足取りを対象として行われたものである。Hは本件犯行直後には捜査線上に現れていないから、その段階でH方からG方まで乗車したタクシーに関する裏付け捜査が行われていたとは考えられず、これを示す証拠も見当たらない。G方へのタクシーの利用については、Hがこれを供述した昭和62年1月以降に開始されたと認められるのであって、この点に関する確定判決の説示は正当である。 イ新証拠➁(Rの車両目撃証言に関する証拠)についての主張はない。 ウ新証拠➂(Hの供述経過に関する証拠)について、確定判決は、H供述に変遷があることを前提に、変遷内容や理由を子細に検討し、H供述の基本ないし核心部分の信用性に疑問を生じさせるものではない旨判示している。新証拠は、確定判決が前提とする変遷に加え、Hが請求人に血液が付着しているのを見た旨を最初に供述したのが昭和62年1月13日で 本ないし核心部分の信用性に疑問を生じさせるものではない旨判示している。新証拠は、確定判決が前提とする変遷に加え、Hが請求人に血液が付着しているのを見た旨を最初に供述したのが昭和62年1月13日で、その前後の行動についての具体的な供述を進めていった状況が記載されているにすぎず、確定判決の認定に反するような供述の変遷は認められない。 Hは、犯人蔵匿等の嫌疑をかけられても仕方がない状況にあったから、警察に当初、虚偽の供述をしたことは無理もないところ、虚偽供述は記憶に反するものであるから、客観的事情に反し、つじつまが合わなくなるなどし、それを取り繕うために供述が複数回変遷したとし てもやむを得ない。そのことをもってHが正直に関与を認めるに至った後の供述にまで信用性がないという主張には理由がない。また、真実を供述するに至った後も、事件からの時間経過により記憶に曖昧、不正確な部分があってもやむを得ず、他の証拠から認められる客観的事実や、他の者の供述を示唆されて正確な記憶がよみがえり、供述を追加、変更したとして、供述の信用性を疑わせることにはならない。 エ新証拠➃(Hが請求人からW2方へ行くよう頼まれたとする点に関する証拠)について、W2方の住所等は昭和62年1月17日にBの供述の裏付け捜査の一環により判明しているところ、W2方の住所を調べた警察官と、Hの取調官とは別の警察官であり、また、Hがgに行った旨供述したとされる同月29日まで10日程度あるから、W2の住所がHの上記供述までに、Hの取調官に伝達されたとは限らない。 また、弁護人ら指摘の警察官作成の備忘録からは、Hの取調べと引き当たりとの前後関係は必ずしも明確とはいえない。仮に、引き当たりの行われた同日の段階で、警察が請求人とW2の関係及びW2の住所 また、弁護人ら指摘の警察官作成の備忘録からは、Hの取調べと引き当たりとの前後関係は必ずしも明確とはいえない。仮に、引き当たりの行われた同日の段階で、警察が請求人とW2の関係及びW2の住所を把握していたとしても、事件当夜、請求人が訪問した際にW2が不在であったことを把握していたとは認められず(W2は事件当夜に勤務先関係者らと焼き肉店に行っていたが、警察が勤務先関係者を取り調べてその事実を確認できたのは同年6月30日頃である。)、W2の不在について警察がHを誘導することはできなかったことに変わりないから、この事実についてはHが自ら供述したと認めることができる。確定判決も、警察がW2の住所を認識していた可能性が否定しきれないとの前提のもとで、それでもH供述について、実際に体験した者でなければ供述できない具体的事実であるとして信用性を認めたものであるから、弁護人らの主張は失当である。 オ Hが本件犯行で登場する核心シーンは、請求人を同乗させた本件ス カイラインで被害者方近くに行き、請求人が帰って来るのを待って、請求人を再び同乗させてBに合流させるべく、W2方、アパートc、ゲーム喫茶dに赴く場面で、請求人の言動や着衣等の血痕付着を目撃したというものである。Hは本件殺人事件につき最も重要な供述をしているところ、Hの話す核心場面はBも関与していないところであるから、警察もHを誘導しようにも誘導しようがない。H供述については、警察官がHを粘り強く取り調べた結果、Hが核心部分を供述するに至ったものである。 4 新証拠➀・HのG方へのタクシー利用に関する証拠の証拠価値について⑴ 捜査報告書(当審弁76ないし78)によれば、警察は本件殺人事件発生当時に事件現場付近で稼働していたタクシーの有無の捜査のため、昭和61年6月 のタクシー利用に関する証拠の証拠価値について⑴ 捜査報告書(当審弁76ないし78)によれば、警察は本件殺人事件発生当時に事件現場付近で稼働していたタクシーの有無の捜査のため、昭和61年6月末頃、sタクシーや個人タクシー協同組合から、3月19日の運転日報の複写を入手し、保管していたこと(同76、77)、sタクシー以外のタクシー会社からも同日の運転日報の提出を受けていることが認められる(同78。なお、同証拠によれば、sタクシー以外のタクシー会社については運転日報の提出を受けた時期が明らかではないが、その捜査目的に照らし、sタクシーや個人タクシーの営業日報複写の入手時期である同年6月頃から大きくずれることは考え難い。)。 ⑵ 上記証拠によれば、警察は、本件殺人事件発生から3か月後頃には事件当夜に稼働していたタクシーの営業日報等を入手、保管しており、営業日報についてはこの段階で証拠として保全されていたことが認められる。 BやHはいずれも事件当夜タクシーを利用した旨供述するところ、そのうち、Bが覚醒剤取引のため利用したtタクシーや、Hが事件当夜に自宅とW6方を往復したqタクシーについては裏付けが取れている。これは、B、H共に、利用したタクシー会社を供述するとともに、自宅等 にまでタクシーを呼び寄せているため、営業日報に借家名、アパート名が記載されるなどしており、さらに、Bについてはつけ払いにしていたこともあり(1審検143、147、181)、利用したタクシーを特定できる材料が比較的そろっていたためであると考えられる。 これに対し、Hが3月19日にG方まで利用したタクシーについては、タクシー会社を特定できず、Hは当初から流しのタクシーを拾った可能性を述べていた(1審検186)。捜査機関としては、保全してあっ これに対し、Hが3月19日にG方まで利用したタクシーについては、タクシー会社を特定できず、Hは当初から流しのタクシーを拾った可能性を述べていた(1審検186)。捜査機関としては、保全してあった運転日報からH供述に沿うものを洗い出すことになるが、タクシー会社を絞ることはできない上、乗車場所として自宅等が記載されているとも限らず、乗車、下車場所を地域で特定することになるから、調査の候補は絞り込みにくくなる。また、Hのタクシー利用に関する供述は、早くとも昭和61年12月と、事件から約9か月後以降に行われているから(当審弁72)、それ以降に営業日報から洗い出した利用について、該当する運転手に聴取を行ったとしても、運転手が3月19日のタクシー営業について、乗客や利用状況等について十分に記憶しているとは考え難い。 なお、Cについても、同年11月頃には、事件当夜にスナック勤めを終えると流しのタクシーを利用してアパートcに帰宅した旨を供述しているが(当審弁43)、同タクシーについても特定された様子はうかがわれない。 ⑶ このように、Hのタクシー利用に関する供述内容、捜査時期や方法等に照らせば、新証拠➀により認められる営業日報の提出、保管状況を前提としても、確定判決が指摘するとおり、本件殺人事件発生からH供述開始までの時間経過等のため、HがG方に行った際のタクシー利用の裏付けが得られなかった可能性は否定できない。したがって、この裏付けが得られなかったことは必ずしも不自然・不合理とまではいえず、同タ クシー利用をいうH供述の信用性に疑いを生じさせる事情であるとは評価できない。 新証拠➀は確定判決の認定を揺るがすものとは評価できない。 5 新証拠➁・Rの車両目撃証言に関する証拠及び任意開示されたRの警察官調書の に疑いを生じさせる事情であるとは評価できない。 新証拠➀は確定判決の認定を揺るがすものとは評価できない。 5 新証拠➁・Rの車両目撃証言に関する証拠及び任意開示されたRの警察官調書の証拠価値について⑴ 旧証拠であるRの第一審第15回公判(昭和63年7月19日)における証言要旨は次のとおりである。すなわち、「 僕は小さい頃に被害者と遊んだことがあり、被害者を知っている。 3月19日夜、家を出て原付バイクでa団地の公民館横にある電話ボックスに行った。その公衆電話で、友人らに電話をかけてはバイクで周囲を走行して再び電話ボックスに戻り、別の友人らに電話をかけることを繰り返し、二、三回に分けて10人くらいに電話をかけた。バイクでa団地6号館西側道路を南から北に走行中、進路前方に白い車が北向きに止まっていたのを見た。その車のテールランプが丸かったことを覚えており、ランプは点灯していたと思う。普通、方向指示器とかストップランプは細長いのに、このときに初めて丸いテールランプを見たので、『ああ、こんな車があったんやな。』と、たまたまその車を覚えていた。 a団地付近にいたのは午後8時過ぎ頃から午後10時頃までだと思うが、その車を見たのが何時頃かは覚えていない。 本件殺人事件後に派出所で被害者が殺されたのを聞いて、電話をしていたことを言ったら聴取され、それから何日か後にまた警察の人が来て聴取をされた。そのときには先ほど証言した車が止まっていたことは覚えていたが、警察官からはただ時間帯とかを聞かれただけだったので、その車のことは話していない。停車していた車について、初めて警察で話をしたのは昭和62年2月に実家から下宿に移る前頃だったと思う。 車を見ていないかと聴かれ、走行中に白い車を見たことがある、車種は 車のことは話していない。停車していた車について、初めて警察で話をしたのは昭和62年2月に実家から下宿に移る前頃だったと思う。 車を見ていないかと聴かれ、走行中に白い車を見たことがある、車種は わからないが車の後ろに丸いランプが付いていたと言ったら、テールランプが丸型の車の写真を見せられ、その後、福井警察署に呼ばれて車を見せられ、こんな車やったんじゃないかと聞かれたので、確かこんな丸いランプでしたね、と言った。」というものである。 なお、Rは、目撃した車両の位置について図示したが、これはHが本件スカイラインを停車したとする位置と整合している(1審15回R及び1審3回Hの各尋問調書に添付の見取り図)⑵ 新証拠➁及び関係する開示証拠(令和5年8月22日付け任意開示45)等によれば、Rの供述経過は次のとおりと認められる。 ア Rは、昭和61年3月30日、警察官に対し道案内を求めた際、3月19日夜、現場付近の電話ボックスから友人らに電話をかけ、原付バイクでa団地付近を走り回っていたと述べた(これがR証言にいう派出所の警察官に対する供述とみられる。)。この際、Rは当時不審な人物を見かけなかったかとの質問に対し、全く知らないと回答した。 翌日以降、Rに対する聞き込みが行われたが、Rは、「電話をしている最中はほとんど電話に熱中し、人が通る様子や車の通行には全く頓着がなく記憶がない。」、「(バイクで)走っている時の記憶であるが、自分の知っている人間又は車その他被害者方6号館付近で記憶の残っている車両等は何もない。」、「事件当日の団地周辺の状況については、本当に何も特異な記憶がない。」と供述した。 同年4月1日には聞き込み時間をRが3月19日にa団地付近にいたのと同じ時刻頃にして再度聴取が実施されたが、Rは、事件当 周辺の状況については、本当に何も特異な記憶がない。」と供述した。 同年4月1日には聞き込み時間をRが3月19日にa団地付近にいたのと同じ時刻頃にして再度聴取が実施されたが、Rは、事件当夜の行動状況等を説明し、電話中やバイクを乗り回している時も不審及び特異事項には全く気が付かなかったと述べた(以上について、当審弁79ないし81)。 イ当審検察官が任意開示したRの昭和62年2月12日付け警察官調 書(令和5年8月22日付け任意開示45)の要旨は、「3月19日夜、団地内の公衆電話ボックスから女の子へ電話をかけに通った際に、この公衆電話ボックス近くの道路に、テールランプが丸型で、エンジンがかかっているような白色の乗用自動車が1台止まっているのを目撃した。他の車はいつも見ているように団地に住む人の車と思えて、人がいるような車は1台もなかった覚えがある。今言った車だけが、車の中の人影は見ていないがテールランプが点いており、車の中に人がいるような感じがあったので印象に残っており、他の駐車中の車と区別して覚えている。事件後に警察官から電話の相手の名前や、何か見てなかったかなどと聞かれていて、何でも言うと、またしつこく警察の人が来て聞いていくのが嫌なので、今までこの車のことを黙って喋らずにいた。しかし、犯人はまだ捕まっておらず、刑事さんの態度を見て一生懸命に犯人を捕まえる捜査をしていることが分かったので、少しでも手掛かりになればと思い、この車のことを話すことにした。」というものである。 この際、Rは、既に押収済みの本件スカイラインを見せられ、目撃した車も、今見ている車もテールランプが丸型で、白色の車体、大きさも同じである旨述べ、僕が記憶にあるのも、とにかくテールランプが丸かったことははっきりと覚えていると述 件スカイラインを見せられ、目撃した車も、今見ている車もテールランプが丸型で、白色の車体、大きさも同じである旨述べ、僕が記憶にあるのも、とにかくテールランプが丸かったことははっきりと覚えていると述べた。 ウさらに、Rの昭和62年4月3日付け検察官調書(1審検58。不同意意見を受け撤回された証拠である。)では、3月19日夜、a団地6号館西側路上で車種の分からない白色、テールランプは丸型の乗用車に気付いたと述べた上、供述に至る経緯については次のとおり説明した。 すなわち、「事件後に交番の警察官に説明した時から白い車が図面に書いたあたりに止まっていたことは知っていた。しかし、その時は 車のことは聞かれなかったので、何も話さなかった。その後だいぶ経ってから、警察官に車を見なかったかと聞かれ、白い車が止まっていたことを話した。そして、その車のことについて何でもいいから思い出してくれと言われてよく思い出してみたところ、その白い乗用車の後ろのランプが点いており、それが丸型だったことを思い出した。」というのである。 ⑶ そこで検討する。 ア R証言は、事件当夜に丸型テールランプの白い車を目撃し、そのようなテールランプが丸型の車を見たのはこの時が初めてであり、こういう車もあるのだという感想を交えて記憶に残ったことを語るものであり、一見すると、Rが目撃した車を特徴と共に記憶していた理由をよく説明しているかのようである。 もっとも、Rがそのような記憶に残る車両を目撃した事実があるのであれば、Rは被害者と面識もあるのだから、本件殺人事件発生直後に聴取を求められ、記憶に残る人物や車両がないかなどを確認された段階から、捜査に協力して目撃車両について供述していてもよさそうなものなのに、Rはこの段階では記憶に残 るのだから、本件殺人事件発生直後に聴取を求められ、記憶に残る人物や車両がないかなどを確認された段階から、捜査に協力して目撃車両について供述していてもよさそうなものなのに、Rはこの段階では記憶に残るような車はないと述べていた。 この点について、Rは、警察官調書では、警察からの聴取を嫌がってあえて説明しなかったとしており、本件殺人事件発生直後に目撃車両について供述しなかった理由を一応説明してはいる。ところが、検察官調書になると、今度は、警察官から車のことは聴取されなかったからという理由に変遷し、これを第一審公判でも維持している。 しかし、新証拠➁によれば、警察官は本件殺人事件発生直後の聴取時から、不審な人物のみならず、記憶に残るような車両がなかったかについて何度も質問していることが認められるから、車については聞かれなかったため目撃車両について説明しなかったとの公判証言は捜査状況に 反した説明であり、本件殺人事件発生直後の聴取に際して目撃車両について説明しなかったことに疑問が残る。 イまた、Rは、テールランプの形状について、警察官調書においては、丸型テールランプの白色乗用自動車が止まっていたことは当時から記憶にあったと供述しておきながら、検察官調書においては、テールランプの形状については、よく記憶を喚起して思い出したとの供述に変わり、第一審公判においては、再び目撃当時から記憶にあったとの証言に変遷している。 検察官調書の内容は、Rが目撃した車両の特徴について、最初から覚えていた特徴(白色)と、後から思い出した特徴(丸型テールランプ)を区別し、また、警察官から何でもいいから思い出してくれと言われたとして、記憶喚起を求められた様子を具体的に述べるものである。テールランプの形状は警察官の聴取を ら思い出した特徴(丸型テールランプ)を区別し、また、警察官から何でもいいから思い出してくれと言われたとして、記憶喚起を求められた様子を具体的に述べるものである。テールランプの形状は警察官の聴取をきっかけに思い出したとする点では、うなずけるところがある。 しかし、そもそもR証言によれば、Rはバイクで道路を通り抜けるときに停車していた車両をちらっと見たにすぎないから、目撃時間は短く、かつ、目撃車両をよく観察していた様子まではみられない。しかも、検察官調書によれば、Rは、車両を目撃してからおよそ11か月後の警察官調書作成頃になって、そのテールランプの形状を思い出したということになるが、上記のような目撃状況に照らしてそのような事態になるとは考え難く、後から考えてみて、そのとき初めて丸型のテールランプを目撃したのだったと思い出すというのも想定しにくい。 Rが警察官調書を作成するまでには、本件スカイラインが押収されており(1審検82、83)、Hからはa団地6号館西側路上に本件スカイラインを停車させた旨の供述が得られていた(昭和62年2月 1日付け上申書・1審検280)。警察官がこれらの捜査情報を前提にRから聴取する過程で、Rにおいて、スカイラインや丸型テールランプの車両が本件犯行に関係しているものと誤った記憶が形成されていき、その記憶を手掛かりにそれを供述するに至ったのではないかとの疑いが湧いてくる。なお、Rの聴取を担当したのは、Jの聴取を担当したP1警察官、P7警察官であるところ(令和5年7月24日付け任意開示33)、Rの検察官調書の内容に加え、P1警察官がJから事件当夜使用した車についての供述を得る際に、Jにまず本件スカイラインを見せていることからすれば、同警察官らがRの供述を得る前から、Rに本件スカイラ 、Rの検察官調書の内容に加え、P1警察官がJから事件当夜使用した車についての供述を得る際に、Jにまず本件スカイラインを見せていることからすれば、同警察官らがRの供述を得る前から、Rに本件スカイラインを見せた可能性も否定できない。 この点を措くとしても、テールランプの形状は印象的だったので最初から記憶していたというのと、後からよく記憶喚起して思い出したというのでは記憶状況にかなりの違いがあり、Rがこの点について供述を転々とさせる合理的な理由は見出せない。また、警察の聴取段階では、初めて丸型のテールランプを見たのが事件当夜であったために目撃車両の特徴としてよく記憶していたとの説明は述べられておらず、公判段階になって初めて現れている点にも不自然さが残る。Rの記憶状況に関する供述の変遷は、3月19日に目撃した車両について、丸型のテールランプを初めて見たために印象的でよく覚えているというR証言の中核を揺るがすものがある。これに加え、Rが本件殺人事件発生直後の聴取において、不審車両の有無等について聴取されながら目撃車両についての供述をしていないことにも照らすと、Rが本当に公判証言にいう車両を目撃しているのか、仮に目撃していたとしても、テールランプの形状に関する記憶が確かなものなのかについては、相当に疑わしいというべきである。 ウこのように、新証拠➁及び開示証拠であるRの警察官調書は、目撃 車両についての供述を開始した理由や、目撃車両のテールランプの形状の記憶状況について、旧証拠中にはない供述経過等を明らかにし、その信用性を相当強く弾劾するものと評価することができる(なお、Rの検察官調書は、確定審において証拠調べ請求後に撤回されたものであり、厳密な意味で新規証拠には当たらないと解されるが、当審において初めて裁判所に 相当強く弾劾するものと評価することができる(なお、Rの検察官調書は、確定審において証拠調べ請求後に撤回されたものであり、厳密な意味で新規証拠には当たらないと解されるが、当審において初めて裁判所に提出されたものである上、供述の変遷過程を示すものとして新証拠➁に関連するRの前記警察官調書の信用性判断に密接に関係しており、新証拠➁に付随する性質を有するものとして、本件においては証拠の新規性を認める余地も十分にある。)。 ⑷ これを前提に、新証拠➁及び開示証拠であるRの警察官調書による減殺力の程度について検討する。 確定判決は、H供述の信用性を肯定する理由の一つとして、供述内容が客観的証拠ないし他の関係者の供述、証言により裏付けられていることを挙げ、そのうち事件当夜に使用されたとされる本件スカイラインに関しては、HがGから本件スカイラインを借りた事実や、R証言によりHが本件犯行日時頃、a団地6号館西側道路に本件スカイラインを停車させていた事実が裏付けられていることを挙げている(確定判決26丁)。 ところで、請求人らが事件当夜に本件スカイラインを使用したことについては、初めにBが供述して以降(1審検205)、Jの第一次供述、H供述でも述べられてはいる。しかし、本件スカイラインから被害者のものとみられる血液や血痕は全く検出されておらず、他に本件殺人事件と本件スカイラインとを結び付ける客観的証拠は存在していないのであって、この点を到底軽くみることはできない(第一次再審請求及び本件再審請求に当たっても、弁護人らは、本件スカイラインから被害者の血痕や血液が検出されないことの不自然さについて主張立証をしていると ころ、これに関する弁護人ら提出の各鑑定書[当審弁1、2等]について、実験方法の限界などから、本件スカイライン から被害者の血痕や血液が検出されないことの不自然さについて主張立証をしていると ころ、これに関する弁護人ら提出の各鑑定書[当審弁1、2等]について、実験方法の限界などから、本件スカイラインが本件犯行に際して使用されていないことを明確に立証できたかはさておき、その実験結果のほか経験則等にも照らしてみると、少なくとも被害者の血液等が検出されないことへの素朴な疑問が増してきていることは否定できず、客観的証拠による裏付けがないだけの問題にとどまらないものがある。)。それだけでなく、既に述べたとおり、Jの第一次供述や、本件スカイラインの特定に係る供述の危うさもある。 そのような証拠関係において、本件殺人事件と直接の利害関係のないRの車両目撃証言は、動かし難い客観的証拠に準ずるものであって、本件殺人事件と本件スカイラインとを結び付けるとともに、Hらが本件犯行時刻頃に被害者方付近にいたことの客観的裏付けとしても重要な意味合いを持つものというべきである。 そもそも、H供述についても、確定判決の指摘する客観的証拠や、これに準ずる第三者供述による裏付けは少なく、そのうち自宅からW6方を往復したとのqタクシーの利用については、Hの事件当夜の行動を一部裏付けはするものの、Hがqタクシーを利用した後に請求人らと行動を共にした事実を直接裏付けるわけではないから、確定判決にいう大要との関連性は薄く、H供述の信用性を補強する力はかなり限定的である。 Gの公判証言から、HがGから本件スカイラインを借りたことが裏付けられているとしても、肝心の本件殺人事件と本件スカイラインとの関連性に関するR証言が崩れてしまえば、H供述に関する客観的な裏付けはかなり浅薄なものになる。 以上のように、Rの車両目撃証言が信用できず、これにより重要な裏付 事件と本件スカイラインとの関連性に関するR証言が崩れてしまえば、H供述に関する客観的な裏付けはかなり浅薄なものになる。 以上のように、Rの車両目撃証言が信用できず、これにより重要な裏付けの一つが欠けてもなお、H供述の信用性を肯定できるかについては、新旧証拠を総合して検討する必要が生じているというべきである。 6 新証拠➂・Hの供述経過に関する証拠、新証拠➃・Hが請求人からW2方へ行くよう頼まれたとする点に関する証拠の証拠価値について⑴ まず、新証拠(当審弁74)によれば、遅くとも昭和62年1月17日までには、Bの供述(Bが請求人にシンナー入り一斗缶の盗み先を提案したところ、請求人が親戚の所だと言って拒んだというもの)の裏付け捜査の過程で、請求人の実姉がW2と結婚し、W2夫婦の住所がgにある集合住宅hであることが判明していた事実が認められる。 ⑵ 次に、Hが捜査段階において事件当夜に請求人からW2方へ行くよう頼まれたとの供述をした経過等について、次のとおり認めることができる。 ア前記1・⑶で概観したとおり、Hは、昭和62年1月頃から本件殺人事件への関与を認める供述を始めたものの、同月26日頃までは、請求人が右手に血を付けてf公園横に止めた本件スカイラインに戻ってきた後、Bのところに行くよう頼んできたが、Hは断り、自宅に戻って請求人に本件スカイラインを貸した旨を供述していた(1審検186、187)。Hは、同月27日、28日には、f公園から自宅に帰ったのではなく、請求人と一緒にアパートcまで行き、請求人がどこかに電話をかけに行き、r高校前まで行くように言われ、近くのj神社付近まで行くと、Jがいたなどと供述した(当審弁72)。その後、Hは、同年2月1日付けの上申書(1審検280・以下「2月1日 がどこかに電話をかけに行き、r高校前まで行くように言われ、近くのj神社付近まで行くと、Jがいたなどと供述した(当審弁72)。その後、Hは、同年2月1日付けの上申書(1審検280・以下「2月1日上申書」という。)になって、請求人のことを待っていたのはf公園ではなくa団地内であり、その後、請求人に言われてW2方に行ったとし、これ以降、公判証言や、確定判決にいう大要に沿う供述に転じている。 Hが2月1日上申書を作成した経過について、Hの取調べを担当したP8警察官とP9警察官が、一審判決後である平成2年10月5日 に作成した捜査報告書(当審弁75・以下「P8・P9捜査報告書」という。)には次のとおり記載されている。すなわち、「Hは、昭和62年1月29日の取調べにおいて、しきりに犯人をかくまうと罪になるのかなど不安になっており、理由について問うと、妻は出産間近で、母は病弱で通院していると述べたことから、Hが真実について供述していないように受け取られ、警察官が情理を尽くして取り調べた。 するとHは、本件スカイラインを止めて請求人を待ったのは、f公園横ではなくa団地内であり、請求人が戻ってきてW2のところへ行ってと言ってきたので運動公園の方へ行ったと供述を覆し、2月1日上申書に記載の内容を詳細に供述し始めた。そこで、警察官らが引き当たりを実施したところ、W2方は集合住宅hであると判明した。その後、Hは同年2月1日に、2月1日上申書を作成し、警察官は、集合住宅hにW2なる人物が居住するかについて、同月2日、管轄の派出所に照会し、W2家族の居住を初めて確認した。」というのである。 一審判決は、捜査機関がW2の住所を探知していなかったことを認めるに足りる的確な証拠はないとして、この点を秘密の暴露に当たるとした確定審検 家族の居住を初めて確認した。」というのである。 一審判決は、捜査機関がW2の住所を探知していなかったことを認めるに足りる的確な証拠はないとして、この点を秘密の暴露に当たるとした確定審検察官の主張を排斥したところ、P8・P9捜査報告書は、その記載内容や作成時期からみて、請求人に無罪を言い渡した一審判決を受けて、警察官がW2方を認識するに至った経緯を明らかにするために作成されたものと考えられる。 なお、位置関係を確認すると、a団地から見て南西方向にx運動公園があり、同公園よりさらに南進するとgが所在し、同所にW2方の集合住宅hがある(1審検153)。 イ P8・P9捜査報告書によれば、Hの取調官はP9警察官、取調補助官はP8警察官であり、同報告書には、当時の取調べ、引き当たり、裏付け捜査を明確にするため、P8警察官が記載した備忘録の写し (別添㈠㈡㈢を添付するとしていたものである。)が添付され、別紙㈠として、「62.1.23~62.4.26(62.3.9付け丸岡署)」、「P8」、「NO.10」と記載されたキャンパスノート表紙の写し、別紙㈡として、日付欄に「Date 62.1.29」と記載のあるページの写し、別紙㈢として、「Date 62.2.1」と記載のあるページの写しが添付されている(なお、P8・P9捜査報告書の体裁や作成目的等に照らし、同報告書の本文と添付書類は一体のものであることは明らかである。)。 このP8・P9捜査報告書別紙㈡は、同報告書本文の記載や、別紙㈡の日付欄からして、P8警察官が昭和62年1月29日の捜査状況等を備忘のために記録したものと認められるところ、その表題部分の罫線には「H取調(14回目)10:00~18:00」と記載され、本文記載欄の1行目に「午前中引き当り が昭和62年1月29日の捜査状況等を備忘のために記録したものと認められるところ、その表題部分の罫線には「H取調(14回目)10:00~18:00」と記載され、本文記載欄の1行目に「午前中引き当り」、2行目に「g(以下の記載省略) 集合住宅h」、3行目に「W2」と記載されている。これに続けて、概ね上から順に、f公園、アパートc、集合住宅hといった関係場所間の移動時間とみられる、「公園 →8分アパートc」「ここでAが部屋を見に行くが留守」(Bが不在であったとの趣旨とみられる。)、「アパートc →7分公園」、「公園→14、5分g集合住宅h」、「前で待って2~3分でもどってくるもっと早いと思う」、「どうやったんやと言っても無口返事がなかった ▲▲(Bを指す。)のところへ行って」、「g→17分(20分)アパートc」、「犯人をかくまうと罪になるか」、「嫁出産まじか」(間近の誤記とみられる。)、「母病弱」との記載がある。 ウ備忘録が手控えのために当時の捜査状況等を記録したものであること、別紙㈠ないし㈢の体裁や記載内容に照らし、P8警察官作成の備忘録の信用性は基本的に肯定できる。 前記認定のとおり、先行する捜査で請求人とW2の関係等が明らかになっているところ、信用できる備忘録によれば、別紙㈡本文の冒頭部分にW2の氏名、住居が記載されていること、これに続いて分刻みの移動時間や、Hの供述とみられるものが記載されていることからすれば、P8警察官らは、昭和62年1月29日午前に、Hに対して引き当たりを実施したこと、同警察官らが引き当たりの実施前から集合住宅hの存在、その住居やW2の居住を把握していたことが認められる。さらに、引き当たり状況に関する記載の前に、Hが新たに始めたとする供述につ りを実施したこと、同警察官らが引き当たりの実施前から集合住宅hの存在、その住居やW2の居住を把握していたことが認められる。さらに、引き当たり状況に関する記載の前に、Hが新たに始めたとする供述についての記載がないことを併せて考えると、Hが、請求人からW2方へ行くよう依頼されたとの新たな供述をする前に、Hに対し集合住宅hなどへの引き当たりを実施し、これにより本件犯行時刻頃から請求人がゲーム喫茶dに行くまでの時間経過や、Bの供述との整合性を確認しながら別紙㈡記載のHの供述を得た可能性が高いとみるべきである。さらに、P8・P9捜査報告書によれば、Hは同日になり、本件スカイラインから降車した請求人を待っていた場所は、f公園ではなく、a団地内であると供述を変更したのであるから、同供述を前提に引き当たりを行うのであれば、引き当たり場所はf公園ではなく、a団地内道路になるはずである。ところが、備忘録に記載された引き当たり場所はf公園のままであるから、このこともHが新たな供述をする前にW2方を含む引き当たりを受けたことを示している。 エ以上の認定に対し、当審検察官は、W2方の所在を調べた警察官から、昭和62年1月29日までの間に、P8警察官らにW2の住所等が伝達されたとは限らないとか、引き当たりに先立って、Hから各移動経路についての供述がされ、それを相取調官であるP9警察官がメモしていた可能性もあるなどとして、別紙㈡の記載からは取調べと引 き当たりとの前後関係は必ずしも明確とはいえないと主張する。 確かに、W2の住所等は、P8警察官ら以外の警察官がB供述の裏付け捜査を行う過程で発覚したものと認められる。しかし、請求人は当時有力な被疑者であったから、捜査の過程で請求人の家族関係が判明すれば、これを捜査本部の捜査員に周知 警察官ら以外の警察官がB供述の裏付け捜査を行う過程で発覚したものと認められる。しかし、請求人は当時有力な被疑者であったから、捜査の過程で請求人の家族関係が判明すれば、これを捜査本部の捜査員に周知していると考えられる。次に、Hの取調べと引き当たりとの前後関係についてみると、仮にHの供述が先行しているのであれば、Hが供述を覆した重要な局面であるにもかかわらず、補助官であるP8警察官が備忘録にHの供述内容を全く記載していないというのは釈然としない。また仮に、Hが供述した後に引き当たりをしたとのP8・P9捜査報告書本文の記載を前提とするならば、取調官が犯人蔵匿に問われないか不安を訴えるHを説得するなりして取り調べた結果、Hが新たな供述を始めたことになり、Hが2月1日上申書に沿う供述を始めるにはそれなりの時間が必要になると思われる。そうであるなら、同日の捜査が午前10時に開始されていることや(別紙㈡)、引き当たりの内容からしても、Hの新たな供述を得た上で、午前中に引き当たりを行うことが物理的に可能であるかも疑問である。 当審検察官の主張は採用できない。 ⑶ また、Hが2月1日上申書記載の供述を始めた経過については、P8・P9捜査報告書に先立つ報告書がある。 ア両警察官作成の昭和62年2月2日付け捜査報告書(当審弁73)によれば、同年1月13日以降、Hが2月1日上申書の内容を申し立てるまでに行った引き当たりは3回であるとの記載がある。また、P8警察官作成の同年5月15日付け捜査報告書(当審弁72・以下「P8捜査報告書」という。)は、昭和61年12月21日から昭和62年2月12日までに行われたHに対する取調べ経過を詳細に報告 するものである。同報告書には、P8警察官が作成した取調表が添付され、取調日、取調時 う。)は、昭和61年12月21日から昭和62年2月12日までに行われたHに対する取調べ経過を詳細に報告 するものである。同報告書には、P8警察官が作成した取調表が添付され、取調日、取調時間のほか、備考欄には、引き当たりをした場合にはその旨と実施時間、調書が作成されればその旨と作成者の記載がされている。P8捜査報告書は、記載内容の詳細さからして、P8警察官が自らの備忘録を参考に作成したものと推認できる。 P8捜査報告書添付の取調表によれば、同年1月13日以降、2月1日上申書の作成までに行われた3回の引き当たりは、同年1月14日、同月28日及び同月31日に行われた3回であり、同月29日の欄には引き当たりを実施した旨の記載はない。また、P8捜査報告書の本文には、同月29日の捜査でHが供述した経過について、P8・P9捜査報告書と同じ記載がされているものの、同日に行われたはずの引き当たりについては、やはり記載されていない。かえって、続く同月31日午前9時30分から午後9時まで実施された取調べにおいて、Hは前回の同月29日の取調べに引き続いて詳細に供述を始めたとされ、Hがa団地内の駐車場所やW2の住んでいる運動公園の方に行ったとする場所について、「口ではこことは言えず場所を一度案内します。」と申し立てたため、引き当たりを実施したとされている。 これを受けて、同月31日午前10時30分に福井警察署を出発し、Hの案内により、a団地6号館西側道路を経由し、午前11時45分に集合住宅h前に来て、午後0時30分に引き当たりを終了した、午後からの取調べにおける供述は、2月1日上申書と同内容であった旨の記載がされている。 イこのように、P8警察官作成の備忘録(P8・P9捜査報告書別紙㈡)では昭和62年1月29日にHの引き当たり らの取調べにおける供述は、2月1日上申書と同内容であった旨の記載がされている。 イこのように、P8警察官作成の備忘録(P8・P9捜査報告書別紙㈡)では昭和62年1月29日にHの引き当たりを実施したことが認められるにもかかわらず、同備忘録を参考に作成しているはずのP8捜査報告書には、同日に行われたはずの引き当たりが記載されていな い。また、同年2月2日付けの捜査報告書も、この引き当たりを計上していないとみられる。 Hが2月1日上申書の内容を供述し始めて、その供述内容が概ね固まったのは、同年1月29日の供述を契機とするから、同日は、P8捜査報告書において、Hの取調べ経過における重要な節目として記載されるはずであり、同日にHの供述を得て引き当たりを実施しているのであれば、失念により書き漏らすことは考え難い。また、P8捜査報告書本文に記載された同月31日の引き当たりについては、P8・P9捜査報告書別紙㈡には記載のない開始時間、終了時間等が明記されるとともに、同別紙㈡に記載されたf公園とアパートcとの往復や、gからアパートcに向かう経路が含まれておらず、引き当たり内容が異なっていることからすれば、P8警察官が同月29日の引き当たりと、同月31日の引き当たりを混同して記載したものとも考えられない。もし、同月29日にHから新たな供述が得られ、それを前提に同日中に引き当たりを実施したのであれば、その2日後の同月31日になって、重ねて供述内容を確認する目的で集合住宅hへの引き当たりを行う必要性も見出し難い。 そうすると、P8捜査報告書では、同月29日の引き当たりについてあえて記載をしなかった可能性が高いというべきである。 ウ以上を総合して検討すると、昭和62年1月29日の引き当たりは、Hから得られ ると、P8捜査報告書では、同月29日の引き当たりについてあえて記載をしなかった可能性が高いというべきである。 ウ以上を総合して検討すると、昭和62年1月29日の引き当たりは、Hから得られた新たな供述内容を確認するために行われたものではなく、引き当たりを実施した結果、Hの供述を得たことから、P8捜査報告書等では、同日の引き当たりについてはあえて記載せず、同月31日の引き当たりを供述確認のために行ったものとして、同日の引き当たりのみを捜査報告書に記載した疑いが現実的なものとして浮上する。 このように、Hが自ら供述をする前に、集合住宅hへの引き当たりを受けており、警察官らがこの点を伏せてHの供述経過に関する捜査報告書を作成していることからすれば、HのW2方に関する供述は自発的なものではなく、警察官の引き当たりを利用した誘導や示唆に迎合したものであった合理的疑いがある。 この点について、Hは、請求人から聞いて初めてW2が集合住宅hに住んでいることを知ったとし、捜査官の方から、集合住宅hに行っているだろうという追及を受けて話したという経過はない、警察官は当時W2が集合住宅hに住んでいることは知らなかったのではないかと供述しているが(控訴審4回H13丁)、これまでの検討からすれば、このH供述も疑わしい。 ⑷ これに対し、当審検察官は、H供述の核心部分は、請求人と被害者方付近に赴いてからゲーム喫茶dに赴くまでであるところ、Bはこの部分に関与しておらず、警察もBの供述に基づいてHを誘導しようにも誘導しようがないので、Hを粘り強く取り調べた結果、Hが核心部分を供述するに至ったと主張する。 しかし、HがW2方への立ち寄りについて供述するに先立ち、Bは、昭和62年1月14日付けの上申書の中で、請 ないので、Hを粘り強く取り調べた結果、Hが核心部分を供述するに至ったと主張する。 しかし、HがW2方への立ち寄りについて供述するに先立ち、Bは、昭和62年1月14日付けの上申書の中で、請求人がゲーム喫茶dにいたBに電話し、運動公園の方にいると答えたと供述していた(1審検282。請求人がアパートc付近からBに連絡を取ろうとしたとするH供述と矛盾するように思われるが、Bは公判でも同供述を維持している。 1審姫路B20、143丁、控訴審2回B7丁)。警察は、Bの上記上申書を前提に、ゲーム喫茶dで合流するまでの時間経過も踏まえ、請求人が運動公園付近を経由した上でゲーム喫茶dに向かった可能性を想定したとみられるところ、同月17日までには、W2が請求人の義兄であり、gの集合住宅hに住んでいることを把握するに至っている。このよ うに、警察がW2と請求人の関係性等を把握したことをきっかけに、運動公園とW2方の位置関係も踏まえ、請求人がBを頼ってゲーム喫茶dに行く前に、W2方を経由した可能性を想定することも十分に考えられ、警察は、この点についてHに確認をするため、関係先と目した集合住宅hなどに引き当てたとみることができる。 一方、Hからすれば、関係先としてW2方への引き当たりをされれば、警察が同所を関係先とみていることは容易に認識できるところ、W2はHがかつて所属していた暴走族の後輩であり、HはW2が請求人の義兄にあたることも認識していたから(1審検188、192)、Hが警察の引き当たりをきっかけに、事件当夜の行動経過として、請求人が義兄のW2を頼り、集合住宅h方に立ち寄った旨の作り話をすることもできなくもない。引き当たりにより得られたHの供述内容をみても、請求人がW2方に向かってすぐに戻ってきて、どうだったのかと聞いても が義兄のW2を頼り、集合住宅h方に立ち寄った旨の作り話をすることもできなくもない。引き当たりにより得られたHの供述内容をみても、請求人がW2方に向かってすぐに戻ってきて、どうだったのかと聞いても、請求人から返事はなく、Bのところに向かうよう求められたというものであるところ(P8・P9捜査報告書別紙㈡、2月1日上申書)、このような簡単な内容になったのは、参考にするBの供述がない部分であり、Hとしては、W2の対応等について、具体的に供述しようがなかったことから、前後の話の流れを読んで、W2が不在であったかのようにしつつも、W2が不在であったのかも含めて請求人からは何も聞いていないとして、その部分は当たり障りのない内容にとどめて供述したとみることもできる(これに加え、警察においてW2が事件当夜勤務先関係者のW7らと焼肉店に行っていたことを確認できたとするのが昭和62年6月30日頃であったことがうかがわれるが[1審31回W738丁]、これを裏付ける物的証拠が提出されていないし、また、同居していたW2の家族も不在であったことを示す証拠も見当たらないから、W2方において事件当夜に全く誰もいなかったと認めるにはいまだ疑問が残ると ころもあり、第一次異議審決定[51丁]のいうように、HがW2方が留守であったことを体験した事実として自発的に供述したと認めるには躊躇を感じる。)。 このように、Bの関与のない行動経過についても、警察が供述内容をねつ造してHに押し付けなくても、警察が先行するBの供述を前提に、その後、捜査の過程で把握したW2についての情報も加味して、H供述の核心部分を誘導ないし示唆することも十分可能であり、Hも誘導等に応じてBの供述等に合わせて供述できたとみることもできる。 ⑸ 以上を前提にして、新証拠➂及び同➃ ついての情報も加味して、H供述の核心部分を誘導ないし示唆することも十分可能であり、Hも誘導等に応じてBの供述等に合わせて供述できたとみることもできる。 ⑸ 以上を前提にして、新証拠➂及び同➃による減殺力の程度について検討する。 確定判決は、H供述が客観的証拠等によって裏付けられていることを説示するに際し、H供述のとおり、W2が昭和60年5月20日からgにある集合住宅hに居住していたこととともに、当時、Hは、請求人が「お兄ちゃん」と呼んでいるW2夫婦が集合住宅hに居住していることを全く知らなかったことを指摘している(確定判決27丁。ただし、この説示のうち、W2の集合住宅h居住の事実に関しては、電話聴取書[1審検148]による裏付けがあることを指摘しているとみられるが、Hの認識については、どの証拠により裏付けられているとした趣旨か定かでなく、確定記録中もそれらしき証拠は見当たらない。)。また、確定判決は、W2方へ赴いたとするH供述は秘密の暴露には当たらないとした一審判決の説示に関し、秘密の暴露に該当するかどうかの判断は行わず、問題はHの同供述が信用できるかであるとした上で、請求人からW2方へ行くよう依頼されたとするH供述が実際に体験した者でなければ供述できない具体的な事実であることなどを指摘して、その信用性を肯定する説示をしている(確定判決40丁)。確定判決においてHが体験供述として述べているとする当該部分は、確定判決における大要の一 部であるから、このようなH供述の核心部分について信用性が疑わしいことになれば、H供述そのものの信用性にも影響が生じかねないことになる。 弁護人らは、H供述は、確定判決のいうような実体験に基づくものではなく、ねつ造である旨を主張するところ、新証拠➂、同➃によれば、警察が そのものの信用性にも影響が生じかねないことになる。 弁護人らは、H供述は、確定判決のいうような実体験に基づくものではなく、ねつ造である旨を主張するところ、新証拠➂、同➃によれば、警察が先行するB供述を参考に、Hに対し引き当たりを実施し、これに迎合したHにおいて、請求人がHにW2方に行くよう依頼したとの作り話をしたのではないかという合理的な疑いのあることが示されている。 弁護人らの仮説を排斥し、Hは実体験を語っているとしてH供述の信用性を肯定するためには、客観的証拠による裏付け状況等、その信用性が十分に担保できているかがまず重要になるはずである。ところが、H供述についても、もともと客観的裏付けは少ない上に、新証拠➁によれば、R証言の信用性が減殺され、本件スカイラインや請求人らと本件犯行との結び付きという重要な裏付けが失われているのであるから、それでもなお弁護人らが主張する仮説を合理的な疑いなく排斥できるのかについて、新旧証拠を総合して再度検討する必要性が生じているというべきである。 もとより、第2で検討したとおり、J供述についての信用性が揺らいでおり、他の主要関係者供述の信用性にも影響を及ぼすことが認められたことからしても、H供述についても新旧証拠を総合して再検討しなければならないことはいうまでもない。 7 新旧証拠を総合しての確定判決の検討⑴ そこで、新旧証拠を総合して検討すると、当時の捜査状況や、B、Hらの捜査段階における供述経過等に照らせば、H供述については、既にみたW2方への立ち寄りに関する供述のみならず、H供述全体について、先行するBの供述に迎合して行われたのではないかという合理的疑いが ある。 アまず、当時の捜査状況をみると、Bは、昭和61年12月6日頃には請求人 のみならず、H供述全体について、先行するBの供述に迎合して行われたのではないかという合理的疑いが ある。 アまず、当時の捜査状況をみると、Bは、昭和61年12月6日頃には請求人が血だらけになってEと一緒にゲーム喫茶dまで来たと供述し(1審検203)、警察は、同月14日、Eを犯人蔵匿の嫌疑で逮捕した(1審19回P620丁)。他方で、捜査本部は請求人やEが使用可能な車の捜査を進めていたところ、Bは、同月19日頃までには、請求人が事件当夜に使用した車両は本件スカイラインであり、HがGからよく借りて乗っていたと供述し(1審検205)、同日、本件スカイラインが押収された(1審検82、83)。同月20日、Gからは本件スカイラインはHにしか貸しておらず、本件頃にもHに貸した旨の供述が得られた(第一次再審請求審検119)。捜査本部は、本件スカイラインと本件殺人事件の関連や、Hの関与を疑い、翌21日からHに対する本格的な取調べを始めた(1審19回P622丁、当審弁72)。同月23日には同車からABO式で被害者の型と同じ血液型の血痕が検出され(第一次再審請求審検34)、Eは同月26日に釈放された(1審19回P623丁)。 そのため、Bは、昭和62年1月3日、請求人がゲーム喫茶dまで来た際に同行していたのはEではなく、Hであったと供述を変更し(1審検207)、同月14日付け上申書で、確定判決にいう大要に沿う内容を固めるに至った(1審検282)。これと並行して、KやJらの事情聴取が行われたところ、J供述の検討でみたとおり、KからはBの供述に沿う供述が得られ、Jも現場引き当たりを行った同月26日頃にはBの供述に沿う内容を供述し(1審検159)、同月28日には、Jは、カーステレオを根拠に、事件当夜に使用した車を本件スカイライ Bの供述に沿う供述が得られ、Jも現場引き当たりを行った同月26日頃にはBの供述に沿う内容を供述し(1審検159)、同月28日には、Jは、カーステレオを根拠に、事件当夜に使用した車を本件スカイラインと特定するとともに、警察署で実際にHと会って確認をし、ゲーム喫茶dで合流した人物はHである旨供述するに至ってい る(1審検289、290)。 このように、先行するB供述の裏付け捜査が進められ、請求人が事件当夜に使用した車両として本件スカイラインが浮上したのをきっかけに、警察はHが請求人の同行者である疑いを深めていった。 イそのような状況の下、Hに対する取調べは、昭和61年12月21日から本格的に開始されたが、同月中は6日間、昭和62年1月に入ってからは、Hが同月29日に2月1日上申書記載の内容を供述するまで、同年1月29日を含めて8日間の取調べが行われ、取調べも概ね午前9時30分ないし10時頃から午後9時頃までと長時間かけて行われていた(P8捜査報告書添付の取調表)。警察官らが、否認を続けるHに対し、Bの供述を中心として、それまでに得られた証拠等を基に追及を行ったことは想像に難くなく、現に、警察官は、Bや請求人と一緒にいたのではないか、どこにいたのか、ゲーム喫茶dやアパートeを知っているか、Bがあそこで会い、あそこで乗せてきたのがHだと言った、などとBの供述を引き合いに出して、Hを取り調べている(控訴審5回H37、43丁)。 他方、Bは、同月3日にHの関与を認めて以降、同月14日に上申書を作成するまでの間、上申書の内容に沿う供述を展開したとみられるが、同上申書は、Bが自筆で、A10サイズの紙15枚にわたり、昭和61年3月16日頃から同月21日までの行動状況等を相当詳細に整然とまとめたものであるから 上申書の内容に沿う供述を展開したとみられるが、同上申書は、Bが自筆で、A10サイズの紙15枚にわたり、昭和61年3月16日頃から同月21日までの行動状況等を相当詳細に整然とまとめたものであるから(1審検282)、作成日である昭和62年1月14日より前に既に記載内容が固まっており、警察は同日より前にその内容を把握していたとみてよい。 Bの同月3日付け警察官調書や、上記上申書には、請求人がHと一緒にアパートc方に来て、女の所に行くとしてシンナーをもらいに来たこと、請求人からゲーム喫茶dに電話があった後、Jを近くのj神 社に向かわせ、請求人やHとゲーム喫茶dで合流したことや、途中、請求人が運動公園付近にいると述べたと説明がされるなど、H供述の基礎となるような内容が既に現れていた。その一方で、Hが本件への関与を認め始めたのは、Bの上申書作成前日となる同月13日のことであり(当審弁72)、最終的にHが確定判決の大要に沿う内容の供述に至ったのは同月29日と、時期的にはBの供述がH供述に先行している。 ウ BとHの供述変遷の経過をみると、Bは、昭和62年1月3日の段階では、請求人とHが一緒にゲーム喫茶dに来たと供述したが(1審検207)、同月14日付けの上申書では、事件後、Hは請求人に自宅まで送らせた上、「Bに相談せい。」と言ったため、請求人はBを探して本件スカイラインでゲーム喫茶dに来たとされており、Hはゲーム喫茶dまで同行していないとしていた(1審検282)。これに対し、Hも、同月13日には、いったん、請求人がけんかをして本件スカイラインに戻ってきた後、車を貸すのでBのところに行くように言い、自宅に戻って請求人に車を貸したと、B同様の供述をしている(当審弁72)。ところが、同月29日までには、BとHは、共に、 て本件スカイラインに戻ってきた後、車を貸すのでBのところに行くように言い、自宅に戻って請求人に車を貸したと、B同様の供述をしている(当審弁72)。ところが、同月29日までには、BとHは、共に、Hも請求人とゲーム喫茶dないし付近のj神社までに一緒に来た旨に供述を変更しており(1審検209、当審弁52)、その後、二人ともHが自宅に帰って請求人に本件スカイラインを貸したとのエピソードは述べていない。前記のとおり、Bの同月14日付け上申書の内容は、同日より前に供述されているとみられるから、この点に関する供述は、HがBの上記上申書の内容に従っていったんは供述したものの、その後に撤回したとみることもできる。 また、Bは、同上申書で、3月20日にHと電話をした際、Hが事件当夜は事件現場近くに住むS(当時18歳)のところに行ったと述 べていたと供述し(1審検282)、その後に作成された供述調書等でも、アパートcに来た請求人からSのところに行くので一緒に行こうと誘われたと述べている(1審検217、1審姫路B120丁)。 これに対し、Hも、昭和62年1月13日には、3月19日にアパートc前にいた請求人を車に乗せ、Sのところに行ったが来客があり断られたとの供述をしていた(当審弁72)。しかし、後述するとおり、当時、請求人は、Sとの間で輪姦事件に関し暴力団関係者を巻き込んだいざこざを抱えており、BやHをS方に誘うことは考え難いところ、その後、HとBは、いずれも請求人やHが事件当夜にSを訪ねたとの供述を維持していないから(Bは公判廷で間違いであったと述べるに至った。1審6回B1丁)、この点もHがBの供述を受けて一時期供述していたものとみることができる。 さらに、Bは、昭和62年1月29日付けの警察官調書において、Hがアパー ったと述べるに至った。1審6回B1丁)、この点もHがBの供述を受けて一時期供述していたものとみることができる。 さらに、Bは、昭和62年1月29日付けの警察官調書において、Hがアパートeまで一緒に来たとはしながらも、HがF方に入ったか否か、Hの帰宅方法についてははっきり供述せず(1審検209)、この点は、Jの同日付けの警察官調書とも整合していない(1審検291)。Hも、2月1日上申書において、Bらとゲーム喫茶dで合流した以降は、シンナーの影響で記憶がないとし、Hは、以後、同供述を維持している。後述するとおり、幾らシンナーの影響があったとはいえ、ゲーム喫茶dで合流する以前の記憶が明確にあり、具体的に供述しているのに比して、それ以降の記憶がないというのは、常識的に考えてなかなか納得のいくものではなく、ゲーム喫茶dで合流した以降の部分については先行するB供述が曖昧であったことから、警察も具体的には示唆することができず、Hも記憶がないとの供述でやり過ごしたのではないかとみたほうが合理的なように思われる。この点も、H供述はBの供述を下敷きとしたものであることをうかがわせる。 このように、HやBの供述経過等を子細にみていくと、調書等の作成時期にかかわらず、H供述は、供述時期、内容共にBの供述を後追いする経過がみて取れるところであって、警察が、Hに対する取調べにおいて、Bの供述等を示唆する過程で、Hがそれに対応する記憶がないのに迎合する供述をしていったとみても矛盾はなく、H供述の不自然さがそうした事実があったことを示しているとみることができる。 エ Hは、確定判決にいう大要部分について、アパートc前で、請求人から女子中学生を刺し殺したと聞いたとか(1審検281、1審3回H23丁)、請求人の血痕を見て、素 ているとみることができる。 エ Hは、確定判決にいう大要部分について、アパートc前で、請求人から女子中学生を刺し殺したと聞いたとか(1審検281、1審3回H23丁)、請求人の血痕を見て、素手での殴り合いではなく、灰皿や刃物を使ったけんかだと思ったと供述していた(1審検197・24丁)。 これらの点はBの供述がない部分ではあるものの、捜査官は、Hに対する取調べにおいて、請求人は血だらけになっていたことがなかったかと尋ねて(当審弁72)、請求人が血痕を付着させていた可能性を示唆しているし、Hは、控訴審になると、請求人から具体的な殺害方法を聞いておらず、凶器については取調べの過程で分かった、新聞報道を通じて想像した面もあると供述している(控訴審5回H11、49丁)。Hが本件について知ったという昭和61年3月21日発行の福井新聞の記事や、同月中の新聞報道には、犯行場所や被害者が中学生であることのほか、被害者が電気カーペットのコードで首を締められ、ガラス製の灰皿で頭を強く殴られたこと、包丁で首や顔をめった突きにされ、出血多量により死亡し、周囲にはおびただしい血が飛び散っていたこと、交友関係のもつれといった怨恨の線が強いとみられていることなどが記載されていた(1審検189、第一次再審請求審弁53ないし71)。Hは、実際に体験していなくとも、警察官から示唆されるBの供述、集合住宅hなどへの引き当たりを含む取調べ の過程で知った情報や、報道で知り得た事実等を基に、本件殺人事件と整合し、Bの供述に沿う供述を行うことは十分に可能な状況にあったといえる。 オさらに、捜査状況や、Hの前科関係等からすれば、HがBの供述に迎合した動機があることについても相応に納得できるような説明が可能である。 Bは、請求人 状況にあったといえる。 オさらに、捜査状況や、Hの前科関係等からすれば、HがBの供述に迎合した動機があることについても相応に納得できるような説明が可能である。 Bは、請求人と同行したのはEであるとしていた段階では、Eから聞いた話として、まず、Eが被害者方に行き、被害者を誘い出そうとしたが断られたので車まで戻り、次に請求人が被害者方に行くと血だらけになって戻ってきたと述べ(1審検202)、同行者をHと訂正して以降は、今度は請求人から聞いた話として、請求人に先立ち、まずはHが被害者方に行ったと供述していたことから(1審検208、282)、警察はHに対し被害者方に行っていないかを追及したものとみられる(ただし、Hは被害者方に行ったことを否定した。1審検193)。 上記でみたBの供述の進展や捜査状況のとおり、当時は本件スカイラインに関する証拠やJらの供述など、Bの供述に沿う内容の証拠が収集されていたから、警察はBの供述を前提に、Hが本件の共犯者であることも視野に入れてHに対する取調べを行ったと考えられる。実際、警察官は、Hに、共犯者の可能性があるとして追及するとともに、再三にわたり事件の重大性を説明して説得していた(当審弁72、73)。Hからすれば、このまま本件殺人事件への関与を否定し続けると、Eのように犯人蔵匿罪に問われることや、下手をすればBが供述するままに、殺人事件の共犯にされかねないとも考えたとしても不思議ではない。また、Hは、昭和61年3月2日に傷害事件を起こし、本件に関して事情聴取をされたときには、懲役1年、3年間保護観察 付き執行猶予の判決を宣告されていたことから(1審検281、1審5回H47丁)、執行猶予の取消しも懸念したとも考えられる。現に、Hは取調べの過程において、複数回に 懲役1年、3年間保護観察 付き執行猶予の判決を宣告されていたことから(1審検281、1審5回H47丁)、執行猶予の取消しも懸念したとも考えられる。現に、Hは取調べの過程において、複数回にわたり、不安げに犯人を匿うと罪になるのか、俺は事件に何も関係ないのか、罪にひっかかるのかと自らの刑責を心配する発言を複数回行っている(当審弁72)。 このようなHの立場からすれば、仮にHが本件殺人事件に関与していなくても、Eのように犯人蔵匿を疑われたり、重罪である殺人事件の共犯に問われたりすることを恐れていたところ、警察官に、このようなことがあったら罪になるのかどうかを尋ねて、警察官から現場に入っていたら罪になるが、それでなかったら大丈夫じゃないのかと言われたことをきっかけに(1審4回H2丁)、殺人事件の共犯者等に仕立て上げられるくらいなら、Bの供述に迎合した供述をした上で、本件殺人事件の現場に行ったことは否定するのが得策であると判断したと考えてもあながち不合理なことではない。 確定判決は、Hが刑責を恐れて当初は虚偽供述をし、その後、真実を語り始めたとみているが(確定判決29丁)、それとは別に、Hが本件殺人事件について刑責を負わされるのを恐れたことについては、自己保身のため警察に迎合する動機として働いたとも評価する余地も多分にある。 カ以上の認定に対し、当審検察官は、供述者の間で供述に食い違いがある場合に、いずれかの供述は真実と異なる可能性が高いのであるから、取調官が真実を明らかにするため、そのような記憶違いの有無等を確認していく過程で他の者の供述を示唆することに問題はなく、その結果、記憶が呼び戻されたり、曖昧な記憶が正されたりすることも珍しいことではないと主張し、これを誘導により虚偽の供述をさせたと非難 を確認していく過程で他の者の供述を示唆することに問題はなく、その結果、記憶が呼び戻されたり、曖昧な記憶が正されたりすることも珍しいことではないと主張し、これを誘導により虚偽の供述をさせたと非難するのは、捜査において事実が明らかになっていく過程に対す る理解を欠くと論難する。この点は、確定判決も、F供述の信用性を論じるに当たり、捜査が進展するに従い、関係証拠が増大し、それに基づき、更に関係者の取調べを重ね、関係者の記憶喚起を求め、その記憶を整理して具体的な供述を求めること自体は、捜査の方法として不当なことではないと指摘している(確定判決84丁)。 確かに、聴取の相手方に対し、客観的証拠や他の者の供述を示唆したり、確認(いわゆる「当てる」)したりするなどして、聴取の相手方が、記憶違いのみならず、虚偽の供述をするのを改めて真実を供述するに至ることは往々にみられるところであり、供述の信用性を吟味するために、このような取調べが必要な場合もあることを否定するものではない。Hについても、実際に本件殺人事件に関与をしていたことを前提にすれば、確定判決がいうように、当初は刑責を恐れて関与を否認していたものの、捜査の進捗状況を認識するとともに、Bの供述等を基にした追及を受ける中で、虚偽供述を続けられなくなり、真実を供述するに至ったと評価することも十分に可能である。 しかし、これはあくまでもHが本件殺人事件に関与したことを疑わせる相当な証拠がある場合を前提とすべきものであって、脆弱な証拠関係にあるなど、そうでない場合にまで想定に入れるべきではない。 特に他の者の供述を示唆したり、確認したりする手法については、ともすれば捜査機関による誘導、時に誤導の意味合いを持ち、供述者の立場、属性や利害の状況等によっては、供述者が迎合し 入れるべきではない。 特に他の者の供述を示唆したり、確認したりする手法については、ともすれば捜査機関による誘導、時に誤導の意味合いを持ち、供述者の立場、属性や利害の状況等によっては、供述者が迎合して虚偽の供述をする危険を多分にはらむものであり、当該供述の信用性は、供述者の特性はもとより、その供述状況、経過や、客観的裏付けの有無等により、別途検証されるべきものだからである。このことは、J供述の検討でみたとおり、警察官らがKやJに相互の供述を示唆し、両者が順次事件当夜に本件場面を見たとの一致した体験供述をしたものの、 同供述が真実に反していたとみるのが合理的であることからも明らかといえる。 Hについても同様であり、Hが請求人の同行者であるとの嫌疑が深まったきっかけである本件スカイラインに関する証拠関係(本件スカイラインに被害者のものと疑われる血痕が付着していたこと)が、後に大きく変動し、証明力が大きく減退していること、Hにはその立場等に鑑み虚偽供述を行う動機があることや、B供述を受けた変遷もみられることなどからすれば、H供述の信用性については慎重の上にも慎重に吟味しなければならなかったはずである。 ⑵ そこで、新旧証拠を検討し、確定判決の有罪認定の根拠のうち、客観的証拠ないし他の関係者の供述、証言による裏付け状況について概観する。 既に述べたとおり、qタクシーの利用履歴は、本件との関連性が薄く、もともとH供述の核心部分を裏付ける力は相当に限定的である。また、新証拠によれば、R証言の信用性を肯定することができなくなった結果、Hが本件犯行時刻頃、本件スカイラインをa団地6号館西側路上に停車したことの裏付けを欠くことにもなっている。もともと起訴直前になって、本件スカイラインに付着していた血痕は被害者のもの くなった結果、Hが本件犯行時刻頃、本件スカイラインをa団地6号館西側路上に停車したことの裏付けを欠くことにもなっている。もともと起訴直前になって、本件スカイラインに付着していた血痕は被害者のものではないことが明らかになっていたところ、R証言の信用性も減殺されてしまうと、本件スカイラインと本件殺人事件との結び付きに関する客観的証拠を失うことになる。このように両者の結び付きが薄れていくに伴い、通常は裁判体の心証上も本件スカイラインから被害者のものと思われる血液反応が認められないといった、あるべき証拠が見当たらないことの不自然さが増大していくはずである(現に、前述したとおり、十分な証明力があるかどうかはさておき、これまでに弁護人らがした本件スカイラインに関する様々な実験結果等をも踏まえると、客観的裏付けがない以上に、 本件スカイラインが本件で使用されたことへの疑念を増幅させたことは否めない。)。また、確定判決が指摘するW2の集合住宅h居住についても、新証拠によれば、捜査機関がもともと把握していた事実であるから、秘密の暴露といえないことはもちろんのこと、供述経過に照らして、確定判決がいうような体験供述といえるかについて合理的疑いが生じている。 確定判決が指摘する残る裏付けは、請求人がBに連絡を取ろうとしたことについて、アパートc近くに実際に公衆電話が設置されていることや(1審検149、確定判決108丁)、DとBの供述があるのみである。しかし、Hは事件当夜以前からアパートcのB方に出入りをしていたから、B方付近の公衆電話の設置状況を知っていても何ら不思議ではなく、前述したとおり、H供述についてBの供述による誘導等の可能性が示されている以上、Bの供述は裏付けとしての意味合いは乏しい。 また、確定判決は、Bの供述の 況を知っていても何ら不思議ではなく、前述したとおり、H供述についてBの供述による誘導等の可能性が示されている以上、Bの供述は裏付けとしての意味合いは乏しい。 また、確定判決は、Bの供述の信用性については他の関係者(Hを含むであろう。)の供述と大筋で一致していることを挙げ(確定判決52丁)、Dの供述の信用性についてもH、B、F、Cらの供述と一致していることを(同86丁)、信用性を肯定する主要な根拠としている。なお、確定判決は、Fの供述については、B、J及びDの供述に沿うものであることを(確定判決83丁)、Cの供述についてはB及びDの供述に沿うものであることを(同94丁)、それぞれ信用性を認める主要な根拠として挙げている。このような説示からすると、BやDの供述(特にD)は、他の供述と独立して信用性が肯定できる性質のものではなく、Hの供述と相互に信用性を補完し合う関係にあるところ、後述するとおり、BやDの供述の信用性にも問題があるから、BやDの供述は、Hの供述の信用性評価に当たり、確かな裏付けとは評価できないことになる。 以上のとおり、確定判決が指摘する有力な裏付けについては新証拠に より弾劾され、その他の裏付け事実も、もともと裏付けの力が限定的であることから、H供述の裏付けは徐々に崩れ、不確かなものとなっていると評価するほかない。 ⑶ 次に、H供述の内容について検討する。 本件犯行態様はかなり執拗なものであり、精神鑑定においても、請求人がシンナーを吸引して幻覚妄想状態にあり、記憶行動能力、判断能力は著しく障害され、極度の興奮状態で本件犯行を行ったとされており(1審検310)、確定判決は心神耗弱まで認めている。 しかし、H供述によれば、請求人は、Hが待つ本件スカイラインまで無事に戻ってく く障害され、極度の興奮状態で本件犯行を行ったとされており(1審検310)、確定判決は心神耗弱まで認めている。 しかし、H供述によれば、請求人は、Hが待つ本件スカイラインまで無事に戻ってくることができており、その際に、興奮していたとはいうものの、極度の興奮状態や、請求人が幻覚妄想下にあった様子まではうかがわれない。その後にとったとされる請求人の言動をみると、H供述によれば、請求人は、ゲーム喫茶dでBらと合流するまでの間、車内で断続的にシンナーを吸引したにもかかわらず、W2を頼ってW2方まで行き、W2が不在と分かると、今度はBに連絡を取ろうとしたというのである。請求人は、その間、Hに行先の指示、道案内をするほか、アパートcでは不在であったBを探すためにb会事務所に連絡をするなど、その時々の状況に応じた冷静な対応をしており、また、本件犯行について簡単ながらHに説明するなど、Hとの意思疎通にも特段問題はみられないのである。心神耗弱認定を前提とすれば、シンナー吸引の強い影響下で本件犯行を犯したとみざるを得ないところ、その後のシンナー吸引もあったというのに、請求人は移動中の車内でぶつぶつ独り言を言っていたとされるぐらいで目立った精神症状がうかがわれないことや、請求人がBらを頼ろうと合理的な行動がとれたというのはかなり不自然であるとの印象は否めない。 また、請求人に同道したときのHの行動をみると、H供述によれば、 H自身も車内でシンナーを吸引している様子があるのに、精神症状は特にうかがわれず、むしろ、ゲーム喫茶dでBらと合流するまでの行動状況や、請求人とのやり取りなどについては、かなり具体的かつ明確な供述となっており、自動車の運転など合理的な行動もできているようである。確定判決がいうとおり、Hがシンナーの酩酊等により るまでの行動状況や、請求人とのやり取りなどについては、かなり具体的かつ明確な供述となっており、自動車の運転など合理的な行動もできているようである。確定判決がいうとおり、Hがシンナーの酩酊等により記憶が薄れた可能性は否定できないにしても、H供述からうかがえるH自身の行動状況に鑑み、シンナー吸引の影響による酩酊度はさして高くないとみられる上、前述したとおり、H以外に請求人の行動状況等を説明する者がいない場面の供述状況と比較して、Hはゲーム喫茶dでBらと合流して以降については覚えていないとして一切供述していないことについては、やはり不自然で、容易には納得し難いところがある。後述するとおり、この点に関する主要関係者の供述がばらばらで符合していないことも踏まえると、Hがアパートeに行った事実自体があったのかも疑わしい。 このように、H供述を子細にみると、内容においても看過し難い不自然さや不合理さが残るというべきであり、少なくとも、確定判決が評価したような全幅の信頼を置けるようなものではない。 ⑷ さらに、確定判決は、H供述の一貫性や、客観的証拠等により裏付けられていることに続けて、Hの供述が具体的で臨場感にあふれ、迫真性があることを指摘しているので(確定判決27丁)、この点についても検討する。 ア確定判決は、具体性、臨場感や迫真性が認められる部分として、a団地から戻ってきた請求人の状況について、「運転席側の窓のところに来て、自分がシンナーをしてたもんで袋を下げてはっと見たら、A君でしたのでウインドーを開け、どうやったと聞くと、あかんかったと言っていました。」、「息遣いが荒く、強い口調で言ってました。」、「100メートルほど走った後、急に走り終わったら、肩で 息をするように、はあ、はあとなるような感じだった。 、あかんかったと言っていました。」、「息遣いが荒く、強い口調で言ってました。」、「100メートルほど走った後、急に走り終わったら、肩で 息をするように、はあ、はあとなるような感じだった。」、「(請求人は)車の前を回り、助手席に入ってきました。」、「まず自分のゴムのりを入れたビニール袋が効かなくなり、ゴムのりを加え入れようと思い、ルームランプを付け、自分はゴムのりを入れてたらA君がビニール袋を手にしたので、注いでやろうと思い、自分がリッター瓶を持った。」、「(請求人の)右手の甲から指にかけて(血が)付いていました。手のひらは握ってビニール袋の端をつかんでるもんで、運転席から見えなかったのです。(血の状態は)まだ乾いていませんでした。まだ濡れていました。」、「どうしたんやって尋ねたんです。 A君が、けんかしてもたんやって言ったんですけど。それで、けんかしたんやって言って、血が見えてましたもんで、自分は何ともないんけって言ったら、何ともないと言った。」と、続いて、アパートc前路上における請求人とのやり取りや請求人の状況については、「(請求人は)何度か降り、電話してくるわと言って降り、前方斜め前に電話があるんです。その方向に歩いて行ったので、ああ、Bのところへつなぎをとるために電話をするんだなあ、と自分は思いました。(そんな乗り降りをしたのは)自分が思うのは四、五回だったと思う。」、「何度目でしたか、乗り降りする際に胸元にも血が付いていたので、ひどいけんかだなと思い、ひどいけんかだったんやなとAに言いました。逆らうと腹立たんかと尋ねてきたので、おう腹立つと自分は答えました。そしたら、逆らうで悪いんやって言っていました。」、「それから、あの女刺したとか、なんや、中学生の女を刺したとか、何か訳の分からんことを言っていたので、幻覚の たので、おう腹立つと自分は答えました。そしたら、逆らうで悪いんやって言っていました。」、「それから、あの女刺したとか、なんや、中学生の女を刺したとか、何か訳の分からんことを言っていたので、幻覚の世界に入っているか、まあ、一つのことを十くらいに言うているんだなあと思いました。」、「(血の付いているのを見たのは)シャツです。(胸の辺りに)何か、雪玉をぱっと投げるとぱしゃっとはじくでしょう。ああいう感じだっ たと思います。自分はここ(胸元)一面に(血が付いている)としか記憶にありません。」と、第一審第3回公判におけるH供述を引用している。 イ確かに、確定判決が引用するHの供述部分は、当時の請求人、Hの行動や両者の会話、特に、請求人が本件犯行時刻頃に息を荒げて本件スカイラインまで戻り、その右手や胸元に血痕が付着していた様子といった、請求人の犯人性を基礎付ける部分について、具体的かつ生々しく描写しており、その場の状況が目に浮かぶようではある。このような、臨場感や迫真性にあふれる供述が可能となったのは、Hが実際に供述内容に沿う体験をしたからではないかと感じられるところもあり、確定判決も、その説示に照らして、臨場感や迫真性等に相当程度重きを置いているように思われる。 他方で、Hは、暴走族上がりの暴力団関係者で、当時は、シンナーの吸引や酒を飲みに行くことを繰り返しており、事件当夜以前に請求人とも一緒にシンナーを吸引した経験があった上(1審検186、187)、Hは、シンナー仲間とシンナーを吸引するときには車の中や仲間の部屋で吸引していたが、友人方で吸引しようと交渉するも断られ、時にはけんかを仕掛けることもあったとしている(1審検197・13丁、1審3回H15丁)。また、Hは、傷害罪による前科を有し、H自身、けんかに 吸引していたが、友人方で吸引しようと交渉するも断られ、時にはけんかを仕掛けることもあったとしている(1審検197・13丁、1審3回H15丁)。また、Hは、傷害罪による前科を有し、H自身、けんかにより何針も縫うけがをしたことがあり(1審検187)、素手で殴った場合や凶器を用いた場合の出血の違いについて供述するなど(1審検197・24丁、1審4回H68丁)、けんかや流血沙汰は見慣れており、Hにとって特異な体験ではなかったようでもある。このように、Hは、殺人についてはともかく、シンナーの吸引はもちろんのこと、吸引場所の確保にまつわるトラブルや血痕の描写といった、確定判決が引用する供述部分について、過去にも似 たような経験をしていたとみても不合理ではない。この点については、確定判決も、Hはけんかや血を見ることに慣れており、Hの当時の生活態度に照らせば、当日の請求人とのやりとりは特異、非日常的なものとまではいえないとしている(確定判決36、39丁)。 さらに、確定判決は、請求人がa団地から本件スカイラインに戻って以降の出来事は、犯行直後における請求人の行動を裏付ける重要な事柄であり、警察官からの追及も入念になされ、それにより供述内容が詳細かつ具体的になるのも当然であると説示する(確定判決31丁)。しかし、そのような供述の詳細化、具体化が、事件当夜の実体験に基づくものなのか、それとも、Hが過去の類似の実体験のほか、取調べや、新聞報道等を通じて知った本件に関する情報等を参考として、供述に肉付けや修飾を加えた結果なのかについては、供述の表現ぶりそのものからはおよそ判別することは容易ではない。 ウそもそも、表現力や説明力の類は人によって差があり、場合によっては、聴取を担当する警察官の表現力等が取調べの過程を通じて供述 の表現ぶりそのものからはおよそ判別することは容易ではない。 ウそもそも、表現力や説明力の類は人によって差があり、場合によっては、聴取を担当する警察官の表現力等が取調べの過程を通じて供述者の供述内容に反映される可能性も多分にある。 また、供述内容が体験に基づくものであるかどうかを客観的、科学的に明らかにすることはなかなか困難なことであり、迫真性や臨場感などは当該供述を見聞きする者の印象に左右される部分があって、どうしても主観的な判断にならざるを得ない(特に裁判官を始め法律家や警察官の判断がそうなる傾向にあるのも否めない。)。このような主観的判断を重視しすぎると事実を見誤る危険があるから、その判断は慎重に行うべきであって、迫真性や臨場感などの要素は供述の信用性を判断するに当たり補助的な指標に位置付けられるべきである。幾らH供述に具体性、迫真性や臨場感があるとの印象を抱いたとしても、経験上説得力の乏しい主観的な(場合によっては恣意的な)評価にと どまってしまうことが多いことに変わりはなく、客観的証拠等による裏付けがある場合と同等に、H供述の信用性を担保する事情にはなり難いというべきである。確定判決が指摘するH供述の具体性や迫真性、臨場感といった事情は、少なくとも客観的裏付けの乏しい本件の証拠関係の下では、H供述の信用性を肯定する決め手にはならないし、そのようにすべきでもない。 そうすると、特に本件の場合、客観的裏付けが乏しい事案であり、仮に、H供述について具体性、迫真性や臨場感があるとの印象を得たとしても、それだけで体験に基づく供述であると速断するのは相当ではない。確定判決は、H供述に迫真性や臨場感などを認めるに当たり、供述者の心理や行動傾向等の科学的知見を利用したり、判断の客観化を担保するよ も、それだけで体験に基づく供述であると速断するのは相当ではない。確定判決は、H供述に迫真性や臨場感などを認めるに当たり、供述者の心理や行動傾向等の科学的知見を利用したり、判断の客観化を担保するような基準を示したりして合理的に説明することを指向した形跡はなく、単に主観的な印象を述べるにとどまるものといわざるを得ないものであって、確定判決のした迫真性や臨場感などに関する評価は、納得のいく合理的な理由を十分に示せているとはいえず、これを支持することはできない。 エなお、確定判決は、具体性、臨場感や迫真性があるとして引用するHの一審での証言のうち、請求人がアパートc前で、「あの女刺した。」、「中学生の女を刺した。」との犯行告白と取れる発言をしたことについては、間接事実としては認定しておらず(大要部分に含まれていない。第1章・第3・3・⑴・ウ。確定判決104丁)、Hの控訴審供述に基づき、請求人から「やってもうたんや。」と殺人をほのめかされたとの限度で認定しているようである(控訴審4回H16丁、確定判決36丁)。 これは、Hが控訴審になって、請求人から具体的な殺害方法を聞いていないなどと供述を変遷させたため、刺殺について言及した上記犯 行告白は認定できないと判断したものと思われる。そうであるならば、上記Hの一審での証言を、具体性、迫真性や臨場感を感じさせる供述として引用するのは相当ではない。 ⑸ 小括すると、H供述は、J供述や、後述するB供述に比べて変遷の度合いは比較的小さく、変遷の理由も一応の説明ができ、一見すると請求人を陥れるまでの虚偽供述の動機もなかなか想定できない上、Bの関与のない行動経過において、請求人が被害者方付近にいて犯行機会のあったこと、請求人の衣服への血痕付着の目撃や請求人から犯行をほのめ 請求人を陥れるまでの虚偽供述の動機もなかなか想定できない上、Bの関与のない行動経過において、請求人が被害者方付近にいて犯行機会のあったこと、請求人の衣服への血痕付着の目撃や請求人から犯行をほのめかされたといった重要な間接事実について、具体的かつ詳細に、臨場感や迫真性を持って供述しているかのようにもみえるところがあり、信用してもよいとの見方もできるかもしれない。確定判決は、まずはH供述から検討を始めていることからしても、H供述を有罪認定の最大の柱としていることがうかがわれる。 しかしながら、以上で検討したところによれば、Hは本件殺人事件への関与を否定していたのに、自己の保身のために、Bの関与がないとされる部分を含め、警察による誘導等を受け、先行するBの供述に迎合して供述を変遷させた疑いが払拭できない上に、確定判決にいう大要に係る供述部分について客観的裏付けをほとんど欠いていて、供述内容に不自然さや不合理さが残り、具体性、迫真性や臨場感があるような表現ぶりにはなっているものの、その程度は作り出すことも可能な程度であり、体験供述であるとまでは評価できず、その信用性を認める根拠は不確かなものとなっている。 H供述についても、やはり有罪認定に供し得るほど間違いなく信用できるとはいえず、確定判決のようにその信用性を肯定することはできない。 ⑹ さらに、Hは、r高校近くのj神社でJと合流し、J運転の本件スカ イラインでゲーム喫茶dを出発したと述べているから、H供述はJの存在なくしては成り立たない。J供述については、前記第2で検討したとおり、Jは、事件当夜に請求人らと行動を共にしていない可能性が明らかになっており、J供述に関する新証拠を加味すると、H供述はますます信用し難いものになっている。 他方で、 第2で検討したとおり、Jは、事件当夜に請求人らと行動を共にしていない可能性が明らかになっており、J供述に関する新証拠を加味すると、H供述はますます信用し難いものになっている。 他方で、H供述に関する新証拠についても、同様にHの存在について言及する主要関係者供述と有機的に関連することになるから、これらの主要関係者供述の信用性にも少なからず影響する。確定判決によれば、J供述は、H供述により裏付けられてもいるから(確定判決72丁)、H供述の信用性が肯定できないとなれば、J供述についての信用性も同様に信用し難いものになるというべきである。 第4 Bの供述について 1 Bの確定審における供述経過、内容等⑴ Bについては、捜査段階における供述(刑訴法227条による証人尋問を含む。)、第一審及び控訴審における証言がある。 確定記録に加え、新証拠及び任意開示された証拠によれば、Bの供述経過、内容等について、次のとおり認められる。 ⑵ Bは、昭和61年8月19日、覚せい剤取締法違反により現行犯逮捕され、同年9月3日には覚せい剤取締法違反、住居侵入、窃盗の事実により起訴された(第一次再審請求審弁40、41)。その後、同年10月31日までにはBに対する最終起訴が終了したとみられる(確定判決65丁。控訴趣意書53頁の記載による認定と思われる。)。 Bは、自らに対する覚醒剤事犯等についての取調べの際、取調官に対し、同年9月初旬頃には、「中学生殺人事件の犯人はAでないやろか。 以前の朝方の4時頃か5時頃、服等に血を付けていたAを俺の女が住んでいるマンションに連れて行き、風呂に入れてやり俺の服やズボンを貸 してやった。」と述べ、同月中旬頃には、「何年行かなあかんのか。減刑される方法はないか。」などと言い、取調官 を俺の女が住んでいるマンションに連れて行き、風呂に入れてやり俺の服やズボンを貸 してやった。」と述べ、同月中旬頃には、「何年行かなあかんのか。減刑される方法はないか。」などと言い、取調官が冗談交じりで本件殺人事件の犯人の情報や犯人の心当たりがないかを聞くと、「犯人はAや。 Aがwの女の子殺したんや。」と述べたが、取調官らは、Bが虚言を繰り返し、裏付け捜査を実施すると事実が違っていることが多いことから、話のすり替えと考えるなどして取り合わなかった(以下「新事実1」という。当審弁38、39)。 なお、Bは、同年9月18日から同年10月28日までの間に行われた覚醒剤事犯等の取調べの際、当時の行動状況や、窃盗の動機を説明する一環として、Bの覚醒剤仲間で、奈良市内に住むTが、同年8月中旬頃に福井まで来て、兄貴分の保釈金が必要であり、覚醒剤を持っていくので30万円を用立ててほしいと頼んできたことがあったと供述していた(控訴審弁7ないし10)。 ⑶ 捜査本部は、Bが暴走族の元リーダーであり、暴力団組員として暴走族の相談役をしていたことから、本件殺人事件をめぐる不良少年等をよく知っており、また、Bにはシンナー吸引の前歴があり、シンナー絡みでも本件殺人事件に関する情報を知っている可能性があるとして、昭和61年10月27日頃からBの取調べを開始した(1審19回P616丁、同20回P628丁、令和5年7月24日付け任意開示2)。 Bは、昭和61年10月28日、請求人が同年3月中旬頃の早朝、当時住んでいたアパートcに訪ねてきた際、ズボンの太もも付近や靴等に血が付いていた、その時の状況については、当時同居していたCが知っていると思うと供述した(1審19回P616丁、当審弁40)。また、Bは、同年10月29日消印のC宛の手紙に ボンの太もも付近や靴等に血が付いていた、その時の状況については、当時同居していたCが知っていると思うと供述した(1審19回P616丁、当審弁40)。また、Bは、同年10月29日消印のC宛の手紙において、「久しぶりにC´′(Cの源氏名を指す。)と話し出来て懐かしく思ったよ。」、「Aの事だけど、よく思い出してみてくれ。殺人事件の事が俺の情報で逮捕で きれば、俺は減刑して貰えるから、頼むぞ。」と記載した(1審弁99、1審25回C)。 ⑷ Bは、昭和61年11月25日及び同月27日には、「3月19日夜、W4、Qと一緒にゲーム喫茶dに行き、翌3月20日に帰宅した。その後、tタクシーでW3との覚醒剤取引現場に行き、その後、b会事務所まで行った。事務所当番のDと共にアパートeのF方に立ち寄った後、アパートcに戻り、Dは帰った。午前6時頃、請求人がズボンの右太もも付近や靴等に血を付けて一人でアパートcに来たので、シャワーを浴びさせ、寝かせてやった。その後、請求人は血の付いたズボンなどが入ったビニール袋を自宅に持ち帰った。請求人は白い車に乗っていた。」などと供述した(1審検199、200)。 このうち、tタクシーの利用については、営業日報や運転手の供述による裏付けがあり、Bがアパートcから覚醒剤の取引場所付近を経由し、3月20日午前3時58分頃、b会事務所付近で下車していることが認められる(1審検143)。 ⑸ 昭和61年11月28日、Bは福井警察署から福井刑務所に移監される予定であったが、留置係を通じて大事な話があると言い出した。P10警察官らがBの取調べを始めたところ、Bの母が「寿司の差し入れは断られると判っていたが、できれば移監する前に食べさせてやって欲しい。」と寿司を持って来署し、同警察官らは、取調室でBを母親 た。P10警察官らがBの取調べを始めたところ、Bの母が「寿司の差し入れは断られると判っていたが、できれば移監する前に食べさせてやって欲しい。」と寿司を持って来署し、同警察官らは、取調室でBを母親と面会させ、Bに寿司を食べさせた。取調べを再開すると、Bは、「実はAが着ていた血の付いた服のある場所を知っている。血の付いた服のある場所については大事な事なので今は言えない。移監をストップしてくれ。」と述べた。P8警察官らが自分たちでは移監を止めることはできないと告げると、Bは幹部を呼ぶよう言って口を閉ざした。P8警察官らがP6警察官(当時刑事第一課長)を取調室に案内すると、その頃、W8が Bへの面会を申し出ており、Bは、「W8ともこの取調室で面会させてくれ。W8も殺人事件で大事な事を知っている。それを俺が言わせてやる。」と述べたことから、P6警察官立会いの下、W8をBと取調室において面会させた。Bが移監の中止を頼むと、P6警察官は移監を中止できるかどうかは分からないが検事に一応話をしてみると言い聞かせた。 Bは「判った。それじゃ話をする。Aの着ていた血の付いた衣類のある場所を言う。」と述べた。Bは、請求人の家に立ち寄る途中で、血の付いた白色トレーナーを含む衣類等をu川に捨てたと供述し、同日午後からは投棄場所への引き当たりが行われた。なお、P6警察官が検察官に対し、今から引き当たりに行きたいと連絡した結果、同日の移監は中止された。その後、捜査本部は同年12月2日以降、衣類等の投棄実験も行いながら、4回にわたりu川をさらったが、請求人の衣類等は発見されなかった。(以上について、1審20回P68、55、68丁、同21回W8、1審検142、201、控訴審3回B47丁、当審弁51、52、令和5年7月24日付け任意開示54ないし56) は発見されなかった。(以上について、1審20回P68、55、68丁、同21回W8、1審検142、201、控訴審3回B47丁、当審弁51、52、令和5年7月24日付け任意開示54ないし56)⑹ 昭和61年12月1日になると、Bは、「3月20日午前6時頃、アパートcに訪ねてきたのは請求人一人ではなく、Eが一緒に訪ねてきた。」として、Eについての言及を始め(1審検202)、同年12月6日には、「俺は本件殺人事件の犯人に心当たりがある。それは請求人とEである。しかし、Eについては請求人と共犯かどうかは分からない。 事件当夜ゲーム喫茶dにいると、3月20日午前0時頃にポケットベルが鳴り、b会事務所で当番をしていたDから『****』を名乗る者から連絡があったと聞き、ゲーム喫茶dの電話番号を教えた。Eがゲーム喫茶dに電話をしてきて、請求人が人を殺したと言うので、Eを店まで呼び寄せた。Eが車で着衣に血を付けた請求人を連れてきたので、請求人を順次、アパートe、アパートcに匿った。」と供述した(1審検2 03)。 また、Bは、同年12月5日、同月6日及び同月7日の取調べにおいて、「女子中学生殺人事件の犯人を言ってやっているんだから減刑されんかなあ。」と述べ(以下「新事実2」という。当審弁52)、同月8日に行われたBの刑事事件の公判期日においても、本件殺人事件の犯人を知っていると述べた(1審20回P662丁、当審弁52)。 ⑺ 捜査本部は、昭和61年12月14日、Eを犯人蔵匿の嫌疑で逮捕したが(1審19回P620丁)、Eは本件殺人事件への関与を否認した。 他方で、捜査本部は請求人やEが使用可能な車の捜査を進めていたところ、Bは、同月19日頃までには、請求人が事件当夜に使用した車両は本件スカイラインであり、HがGから 件への関与を否認した。 他方で、捜査本部は請求人やEが使用可能な車の捜査を進めていたところ、Bは、同月19日頃までには、請求人が事件当夜に使用した車両は本件スカイラインであり、HがGからよく借りて乗っていたと供述し(1審検205)、同日、本件スカイラインが押収された(1審検82、83)。同月20日、Gから、本件スカイラインはHにしか貸しておらず、本件頃にもHに貸した旨の供述が得られたことから(第一次再審請求審検119)、捜査本部は本件スカイラインと本件殺人事件の関連や、Hの関与を疑った(1審19回P622丁)。取調官は、Bに対し、請求人と同行したのはEではなくHではないかと追及したが、Bは、請求人の同行者はEであると言い張った(1審検206、1審19回P622丁)。捜査本部は、翌21日からHに対する本格的な取調べを始め(当審弁72)、同月23日には同車からABO式で被害者の型と同じ血液型の血痕が検出され(第一次再審請求審検34)、Eは同月26日に釈放された(1審19回P623丁)。 なお、Bに対する住居侵入、窃盗、覚せい剤取締法違反、建造物侵入被告事件については、同月25日頃に結審した(第一次再審請求審弁45、46)。 ⑻ Bは、昭和62年1月3日以降、「ゲーム喫茶dへ血だらけになった 請求人と一緒に来たのは、Eではなく、Hである。Dから『****』から電話があったと聞いて頭に残っていたところ、請求人が血だらけでゲーム喫茶dに来たために気が動転し、Hのことは忘れてしまった。本件スカイラインのことを思い出したのに伴い、Hについても思い出したが、Hの父親が暴力団関係者であり名前を出せなかった。しかし、Hの名前を言わない限りは事件が成り立たず、話のつじつまが合わなくなることがあり、正直に話すことにした。 のに伴い、Hについても思い出したが、Hの父親が暴力団関係者であり名前を出せなかった。しかし、Hの名前を言わない限りは事件が成り立たず、話のつじつまが合わなくなることがあり、正直に話すことにした。請求人をゲーム喫茶dへ連れて来るのにJをr高校付近まで行かせた。」として、HやJについての言及を始めた(1審検207ないし209)。 Bは、同月14日には上申書を作成し、3月19日午後9時から午後9時30分頃、請求人がHと一緒に本件スカイラインに乗ってアパートcに来て、女の所に行くのにシンナーが欲しいというので一斗缶を渡したこと、Kを呼んでJとゲーム喫茶dに行ったこと、請求人がゲーム喫茶dに電話をしてきて、人を殺した、運動公園付近にいるなどと言ってきたこと、ゲーム喫茶d前で請求人と合流し、ゲーム喫茶dからアパートeに向かったことなど、確定判決にいう大要を述べるに至った(1審検282)。なお、上記上申書では、Hは、帰宅し、ゲーム喫茶dでBらとは合流していないことになっていたが、Bは、その後の昭和62年1月29日付け警察官調書以降、Hもゲーム喫茶dに来て、請求人らと共にアパートeに向かったものの、F方に入室したかは思い出せないなどと供述した(1審検209)。 ⑼ 宣告日は明らかではないものの、Bは覚せい剤取締法違反等について懲役2年の実刑判決を受け、昭和62年2月2日時点では既に服役を開始しており(1審検210)、同年3月30日には姫路少年刑務所に入所した(1審検225・1丁)。 請求人の起訴(同年7月13日)後、Bは、同年9月21日付けで、 同刑務所からP10警察官宛てに、当時請求人が着ていた洋服や、これを川に捨てた日にちについて今までと違ったことを思い出した、供述が変わるなどとして、近いうちに刑務所まで来る 21日付けで、 同刑務所からP10警察官宛てに、当時請求人が着ていた洋服や、これを川に捨てた日にちについて今までと違ったことを思い出した、供述が変わるなどとして、近いうちに刑務所まで来るよう催促する手紙を送り、同年10月15日の第一審第3回公判期日でBの証人尋問を姫路支部で行う決定がされると、同年11月25日の消印で、同刑務所から担当であるU検察官宛てに、受刑中には請求人の裁判に出廷したくないなどとして、請求人の裁判を自分が出所するまで延ばしてほしいとの手紙を送った(以下「新事実3」という。当審弁58、59)。 Bは、同年12月1日、同支部における期日外尋問において、「今までu川へ捨てたと言ってきた衣類のうち、白いトレーナーについては今でも福井市内に隠してある。ただし所在は言えない。トレーナーについては福井へ戻してもらわなければ指し示せない。」などと証言し、U検察官はBに、福井に戻りたいがためにそのようなことを話し始めたのではないかと質問した(1審姫路B67丁)。 Bは、同月15日の第一審第6回公判期日になると、トレーナーは今もあると思うが場所を何回も移し変えているので覚えていない、現在ある場所は自分も忘れて言えず、連れて行ってもらわないと分からないので言えないと供述した。また、トレーナーについて捨てる機会を失ったので、それをある人間に話したら、それはいい話だから取っておこうということになった、などと証言した(1審6回B53丁)。 ⑽ Bは、昭和62年末頃から福井刑務所で取調べを受けていたが、昭和63年1月3日付け、同月27日付けのU検察官宛ての手紙で、警察にトレーナーについて話をしたが、警察はBの話を信用せず、正月前にはP10警察官とトレーナーの件でトラブルがあったなどとして、警察への不満を記載 3日付け、同月27日付けのU検察官宛ての手紙で、警察にトレーナーについて話をしたが、警察はBの話を信用せず、正月前にはP10警察官とトレーナーの件でトラブルがあったなどとして、警察への不満を記載するとともに、それまでの供述にはなかったトレーナーの特徴を記載した上、ある人物にトレーナーを材料に金をとることを相談し、 その人物からの助言で、トレーナーを埋めて隠した旨を記載した。その上、Bは、トレーナーを埋めた場所だけは記憶が薄いとし、「警察に引き戻してもらって、その結果、物が出てくれば、その人達の名前も言わなくて済むし誰の手を借りなくても証明する事が出来るのです。俺はその自信があったからこそ警察へ引き戻してくれと言ったのです。良い思い…等の気持ちも多少ありましたが、そんな事は愛敬の一つで警察であれば、ここと違った環境で聞きたい事を聞けるし思い出す、話しもきっかけもあります。」、「確かに捜査段階から今までいい加減な事ばかり言ったり自分のやり易いように脚色もしましたがそれは捜査段階の事であって今更こんな嘘をついてもどうしようもないと思う。」、「『警察とBは一蓮托生だ』と言っておきながら思い出そうと頑張っている人間の言う事は聞いてくれず、『思い出せ』と言われてもそれは出来ない。」などと記載し、トレーナーについて思い出せるように自分の身柄を福井警察署に引き戻すよう求めた。Bは、同年2月25日に福井警察署に移監され、引き続きトレーナーの隠匿場所について取調べを受けた。(以上について、当審弁60ないし62。以下、このBによる手紙の送付等について、「新事実4」という。)。 Bは、同年3月6日になり、覚醒剤関係者からどうしても金を作るために必要なので拳銃を買ってほしいと頼まれ、担保のような形で実弾1発入りの回転式拳銃を買い取ったこ 、「新事実4」という。)。 Bは、同年3月6日になり、覚醒剤関係者からどうしても金を作るために必要なので拳銃を買ってほしいと頼まれ、担保のような形で実弾1発入りの回転式拳銃を買い取ったこと、その拳銃と請求人のトレーナーを一緒にして福井市内の国道8号線架橋土手に埋めたと供述した。Bは、同月10日には、覚醒剤関係者をTであると供述し、同日、B立会いの下、土手の掘り返しが行われたが、トレーナーも拳銃も見つからなかった。(以上について、1審19回P633丁、同20回P65丁、控訴審検27、29、30、控訴審2、3回B、当審弁62ないし64)。 ⑾ Bの最終的な供述である控訴審供述の要旨は次のとおりである。すな わち、「 3月19日夜、請求人がアパートcまでトルエン入りの一斗缶を取りに来て、女の子を誘えるから一緒に行こう、と誘ってきたが、覚醒剤取引の予定があったため断り、請求人に一斗缶を持っていくように言った。アパートcの前にはHが乗車する白色スカイラインが止まっていたが、Hには声をかけず、請求人とHは一斗缶を同車に積んで去っていった。 その後、覚醒剤取引が遅れるとの連絡があり、K方にいたJとKを呼び出して、車で一緒にゲーム喫茶dに行ったが、Kは帰った。店でゲームをしていると、ポケットベルが鳴ったのでb会事務所へ電話をすると、応対したDから、請求人かHが居場所を探していると言われ、居場所を教えた。第一審まではHだと供述してきたが、今となってはどちらか分からない。 請求人からゲーム喫茶dに電話があり、『人を殺してしまった、どうしていいか分からん。』、『運動公園の方にいる。』と述べるので、r高校近くのj神社まで来るように言った。Jを迎えに行かせると、請求人とHが白色スカイラインでゲーム喫茶dま 『人を殺してしまった、どうしていいか分からん。』、『運動公園の方にいる。』と述べるので、r高校近くのj神社まで来るように言った。Jを迎えに行かせると、請求人とHが白色スカイラインでゲーム喫茶dまで来た。Jが入口越しに呼ぶので行くと、なんか血だらけやし、変だと言うので表に向かい、降車したHに、何かあったのかと聴くと、Hは、『何もねえ。』と言って店内に入っていった。白色スカイライン内は強いシンナー臭がし、請求人の右太もも、口元周辺や洋服に血痕が一杯付いており、茶色っぽくなって乾いているような状態だった。請求人に何があったかなどを聞くと、『人を殺してもうた。』、『女の子を殺してもうた。』と言った。 請求人をアパートeに匿うことにし、ゲーム喫茶dにいたQから車を借り、白色スカイラインと2台で、請求人、J及びHと共にアパートeへ行った。少なくとも請求人及びJはF方に入室したが、Hが部屋に上 がったかは記憶にない。部屋にいたFに、けんかして血だらけになっとるで、しばらく置いてやってくれ、シャワー浴びせてやってくれ、後で覚醒剤を持ってきてやるなどと言い、覚醒剤取引が気になっていたので、そのままHと共にQから借りた車でゲーム喫茶dへ戻ったが、そこからはHと行動は共にしていない。 その後、アパートcに戻り、tタクシーを呼んで覚醒剤取引に行き、同タクシーでb会事務所に立ち寄ってDを覚醒剤使用に誘い、キャデラックでアパートeへ戻った。その車中でDに今日殺人事件があったのかを聞くとDは否定した。『請求人が人殺してもうたって血だらけになってきたんやけど、今、Fの所へ置いてあるんやけど。』などと言うと、Dは、『そんなもん、おめえ、関係ねえ。』と言った。 アパートeには請求人とFがいたが、請求人はシンナーを吸っていたので制 てきたんやけど、今、Fの所へ置いてあるんやけど。』などと言うと、Dは、『そんなもん、おめえ、関係ねえ。』と言った。 アパートeには請求人とFがいたが、請求人はシンナーを吸っていたので制止し、隣の部屋でF、Dと覚醒剤を使用した。Fから請求人を連れて帰るように言われたので、30分くらいしたら請求人をアパートcへ来させるように指示し、Dと二人で出て、先にアパートcに帰宅した。 請求人が血の付いた服を着たままアパートcへ来たので、入浴、着替えをさせて寝かせたが、請求人はうなされて大声を上げていた。 その後、請求人に頼まれて、請求人の運転する白色スカイラインで請求人方へ向かう途中、ダッシュボードに血が付いているのに気付いたので、ティッシュペーパーに唾を付けて拭き取った。車中で請求人に尋ねると、請求人は、『一人殺してしもうた。中に入ったときに、腹が立ってかっとなり、訳が分からんようになった。どれくらい刑務所に行かなあかんやろ。』などと言うので、15年くらいや、などと答え、途中で血の付いた請求人の衣類を川に捨てた。請求人が同人方から紙袋を持ってきて逃げると言うので、これを制止し、殺人があったのか半信半疑で興味もあり、a団地の現場付近へ行くと、覆面パトカーがいたことから、 そこで初めて、ああ、これは本当や、こんなもんまずいぞ、と実感し、そのまま通り過ぎた。 請求人と一緒にいるとまずいと思い、近くに住んでいたS方へ行ったが、不在であったため、アパートcへ戻り、Cを勤務先のスナックに送り、b会事務所を経て、アパートeでDを同乗させ、実家からクレスタを持ち出して、スカイラインをG方付近に止めておいた。その後、S方へ行って請求人を匿うよう頼んだが拒否され、W9方で請求人を降ろして、アパートcに帰宅した。」というものであ 乗させ、実家からクレスタを持ち出して、スカイラインをG方付近に止めておいた。その後、S方へ行って請求人を匿うよう頼んだが拒否され、W9方で請求人を降ろして、アパートcに帰宅した。」というものである。 なお、B供述のうち、3月20日、a団地付近まで様子を見に行った際に目撃したという警察車両のナンバーや、顔見知りの警察官の名前を述べる部分については、当該警察官らの出動状況等により裏付けられている(1審検144、145)。 ⑿ Bは、請求人と同行していた人物をEからHに変更した経緯について、捜査段階、一審段階では、EとHを記憶違いしていたが、本件スカイラインについて思い出すのに伴ってHであったと思い出したなどと供述していた(1審検207、219、1審姫路B62丁、1審6回B39丁)。ところが、控訴審になると、請求人が事件当夜使用した車両が本件スカイラインであることや、Hが同行していたことは最初から分かっていたが、b会会長の兄弟分の実子であるHの名前をどうしても出すことができなかった、取調べのときに、Hを念頭にぽろっと「****」と言ってしまい、取調官から「****」とは誰かと追及されたので、苦し紛れにEの名前を出し、事実に反する説明をしていたと供述した。 また、Bは、控訴審において、請求人が事件当夜着用していた衣服について、「スカイラインをG方付近に停車して返却するときに、車の中の物をクレスタに移したが、その際に、スカイライン内のトレーナーがクレスタにあった自分の洋服と一緒になったと思う。その後は指名手配 され居場所を転々としていたこともあり、トレーナーをどこで保管していたかは分からない。」、「昭和61年8月に覚醒剤の仕入れ先であるTから連絡があり、兄貴分の保釈金が必要であり、拳銃を抵当に入れるので30 場所を転々としていたこともあり、トレーナーをどこで保管していたかは分からない。」、「昭和61年8月に覚醒剤の仕入れ先であるTから連絡があり、兄貴分の保釈金が必要であり、拳銃を抵当に入れるので30万円を融通してほしいと言ってきた。そこで福井に来たTに盗んだ金から30万円を渡してやり、代わりに拳銃を受け取った。このときに、Tに事情を説明し、血の付いたトレーナーを使って請求人の家族から金を恐喝できないか相談したが、Tは乗り気ではなく、実行することのないまま、逮捕される数日前に、T、W10と共に、拳銃とトレーナーをバッグに入れ、国道8号線のところに埋めた。一審でトレーナーを隠していると証言した後、警察と一緒に埋めた現場に行ったが、拳銃もトレーナーもなかった。覚醒剤事犯等の取調べの段階では拳銃の話は一切伏せて、拳銃と覚醒剤をすり替えて説明し、覚醒剤を譲り受けるのと引き換えに、Tに30万円を渡したと話した。」と証言した。 2 確定判決によるB供述の評価⑴ 確定判決は、要旨、次の理由からB供述の信用性を肯定した(確定判決52丁)。 ⑵ B供述は、具体的かつ詳細で、核心部分については一貫しており、tタクシーを利用した日時及び赴いた場所、本件後、本件犯行現場付近まで様子を見に行った時の状況等一部について裏付けがあるほか、他の関係者の供述と大筋において一致している。さらに、請求人を連れてS方を訪れ、請求人を匿うよう依頼したが断られたという供述については、Sの第一審公判証言により裏付けられている。また、請求人から殺人罪の服役期間を尋ねられ、それに答えたくだりは具体的で、かつ、臨場感が認められる。Bと請求人は、中学校の先輩、後輩の間柄で、シンナーを吸うなど親しく付き合い、元同じ暴走族に所属していたこともある上、Bは当時暴力団b会に所属し に答えたくだりは具体的で、かつ、臨場感が認められる。Bと請求人は、中学校の先輩、後輩の間柄で、シンナーを吸うなど親しく付き合い、元同じ暴走族に所属していたこともある上、Bは当時暴力団b会に所属していたが、請求人とは昭和61年2月頃の 県外の暴力団抗争に際し、一緒に加勢しに出かけた仲である。このようなBと請求人の関係に加えて、請求人は本件犯行前にもB方を訪れていたこと及び犯行後W2を頼ってW2方へ赴いたものの不在であったことからBを頼りにしてBに連絡を取ったことは自然の成り行きといえ、これらに照らせばB供述は十分に信用できる。 ⑶ その上で、確定判決は、一審判決の示した疑問点に対する判断として、供述の変遷状況、裏付けとなるべき客観的証拠の不存在、供述内容の不自然・不合理、他の関係者供述との不一致について検討し、いずれもB供述の信用性を否定するものではないと排斥している(確定判決52丁)。 確定判決は、B供述の変遷のうち、請求人を最初に見た日時、場所についての変遷は、Bが当初は親しい人物である関係者の名前を出したくなかったことによるものであり、また、請求人と犯行場所付近まで同行した人物についてEからHに変遷させたことについては、Hの父親は、Bが当時所属していた暴力団と同系列の組織の相談役の地位にあって知り合いであった上、H自身シンナー仲間で、暴走族の先輩にも当たる関係にあったため、Hの名前を明らかにしたくなく、同じ呼称(****)のEの名前を出したとの弁解はそれなりに首肯できるから、各変遷は不自然ではないとした。 また、確定判決は、請求人の衣服の処分状況に関する供述の変遷については、当初Bが衣類等を請求人方に持って行ったと供述したのは、Bが重要証拠物を処分するなどの罪証隠滅行為を図ったために、真相を秘 また、確定判決は、請求人の衣服の処分状況に関する供述の変遷については、当初Bが衣類等を請求人方に持って行ったと供述したのは、Bが重要証拠物を処分するなどの罪証隠滅行為を図ったために、真相を秘匿していたものと推認できるなどとし、また、姫路支部での証拠調べ以降、福井市内のある場所に隠してあるとして従前の供述を覆した点についても、当時姫路少年刑務所に服役していたBが捜査のために福井刑務所へ移監されるかもしれないと期待したことによるうその内容である可 能性も全く否定できないとしつつ、控訴審供述に照らすと虚偽であると断ずることもできないとして、この点についての変遷は請求人の犯人性に関するBの供述の信用性を損なうものとはいえないとし、結局、衣類等の処分についてのB供述の変遷は、請求人の犯人性に関するB供述の信用性を損なうものではないとしている。 ⑷ さらに、確定判決は、Bが、請求人が犯人である旨供述した経緯、Bの立場、本件の他の参考人に対する働きかけについて説示している(確定判決64丁)。 この点について、一審判決は、Bが自己の刑事事件の量刑や代用監獄における待遇面での配慮を得るために請求人が犯人であるとの供述を始めたとみる余地が多分にあった旨説示していた。 これに対し、確定判決は、Bの本件についての本格的、詳細な供述調書が作成されたのは昭和61年11月25日以降で、Bに対する窃盗、覚せい剤取締法違反事件の取調べは同年10月31日までにすべて終了し、同日最後の起訴も終了しており、上記事件の逮捕、勾留が直接影響したとは考えられず、そのためにBが捜査官に迎合した供述をなしたとは認められないと判断した。また、確定判決は、Bが警察官に対し、請求人の件を話すようになった動機の中には、量刑上の便宜や、保釈を得ようと とは考えられず、そのためにBが捜査官に迎合した供述をなしたとは認められないと判断した。また、確定判決は、Bが警察官に対し、請求人の件を話すようになった動機の中には、量刑上の便宜や、保釈を得ようとする気持ちもあったことを認めつつ、取調べ警察官が立場上、Bに保釈の約束をなし得るはずはなく、現にその約束をしておらず、Bからの3回にわたる保釈請求はいずれも却下されており、Bの福井刑務所への移監が見送られたのも、衣類の投棄場所についての新たな供述をするとともに、投棄場所を案内するとB自らが供述したことによる捜査の必要上によるものであるとして、捜査官による不当な働きかけを否定した。 さらに、確定判決は、最終的にBの供述を発端として、本件について 多数の目撃者が順次判明し、それらの関係者の取調べが開始されたが、当時、Bは身柄拘束中で、他の関係者との通謀は物理的に不可能な状況であったにもかかわらず、関係者の供述が大筋で合致していることを指摘し、Bの他の参考人に対する働きかけについても否定したものである。 3 新証拠とその明白性に関する当事者の主張⑴ B供述に関する新証拠群は、大別すると次のとおりである。 ➀ B供述が不純な動機・目的に基づき不合理な形成経過をたどっていることに関する証拠(当審弁38ないし64)➁ Bから請求人を匿うよう求められたとするS証言の信用性に関する証拠(当審弁68ないし71)⑵ 弁護人らの主張は次のとおりである。 ア新証拠➀(B供述が不純な動機・目的に基づき不合理な形成経過をたどっていること)について、新証拠である取調べ経過に関する捜査報告書や捜査報告メモによって、B供述は自分が犯した覚醒剤事犯等について、捜査側から減刑を得たいという不純な動機・目的に基づく虚言に たどっていること)について、新証拠である取調べ経過に関する捜査報告書や捜査報告メモによって、B供述は自分が犯した覚醒剤事犯等について、捜査側から減刑を得たいという不純な動機・目的に基づく虚言によってされた断片的な情報の寄せ集めにすぎず、重要部分に矛盾があり、あるべき裏付けも欠いていて、取調べを担当した警察官らも虚言として相手にしなかった代物であることが明らかとなった。新証拠➀により、Bが刑務所未決房への移監中止を得たい、受刑中の姫路少年刑務所から福井警察署に戻るなどの有利な処遇を得たいなどの不純な動機・目的のために、捜査機関の関心をつなぎとめるべく、従前の供述が破綻する都度取り繕い、新たな架空の供述をねつ造して、変遷、拡大させてきたという生々しい経過が明らかになったことは重要である。 イ新証拠➁(S証言の信用性)について、捜査報告書やSの供述調書によれば、Sは、ほぼ一貫して、請求人が訪ねてきたのは深夜午前1 時から2時の出来事であったと供述している。これに対し、BはSに請求人を匿うよう頼みに行ったのは午後8時頃であるとしており、Sの供述はB供述と矛盾する。また、Sは訪ねてきた人物についての供述を大きく変遷させており、請求人に同行者がいたか否かも定かではなく、ましてBが同行したかも曖昧である。新証拠➁によれば、確定判決の認定を支えるとされたS証言は大きく弾劾され、これによりB供述も大きく弾劾された。 ⑶ 当審検察官の主張は次のとおりである。 ア新証拠➀(不純な動機・目的に基づき不合理な形成経過をたどっていること)について、弁護人らは、Bが刑務所から警察官又は検察官に送った4通の手紙を新証拠として、血痕の付着したトレーナーの処分に関するB供述が信用できないと主張している。しかし、請求人の衣類等の処 ること)について、弁護人らは、Bが刑務所から警察官又は検察官に送った4通の手紙を新証拠として、血痕の付着したトレーナーの処分に関するB供述が信用できないと主張している。しかし、請求人の衣類等の処分に関するB供述が複数回変遷していることは確定審においても現れており、確定判決は、それを前提としてB供述についてはその核心部分について信用性が認められるとしているのであり、トレーナーの処分についての供述に他にも変遷があったとしても確定判決におけるB供述の信用性判断に影響するものではなく、上記各証拠に新証拠としての明白性は認められない。 イ新証拠➁(S証言の信用性)についての主張はない。 4 新証拠➀・B供述が不純な動機・目的に基づき不合理な形成経過をたどっていることに関する証拠の証拠価値について新証拠➀によれば、Bが自分の覚醒剤事犯等の取調べ以降、取調官に対し、本件殺人事件の犯人は請求人であると申し出るとともに、本件に関する情報提供により自分に対する量刑が軽減されることを期待する発言をしていたこと(新事実1、同2)、姫路支部での尋問に前後して、捜査機関に手紙を送り、請求人の衣類に関して新たな情報のあることをほのめかす とともに、福井警察署への移監を求めていたこと(新事実3、同4)が認められ、これらは旧証拠には現れていない事実である。 しかし、確定判決も、Bが警察官に対して請求人の件を話すようになった動機には、自己に有利な量刑等を得ようとする気持ちがあったことは認めた上で、Bの福井刑務所への移監が見送られた事実ともども捜査官のBに対する不当な働きかけを否定し、B供述の信用性に影響しないと判断したとみられる(確定判決65丁)。また、Bが姫路支部において血の付いたトレーナーを隠している旨の証言をして以降の経過に も捜査官のBに対する不当な働きかけを否定し、B供述の信用性に影響しないと判断したとみられる(確定判決65丁)。また、Bが姫路支部において血の付いたトレーナーを隠している旨の証言をして以降の経過については、概ねP6警察官の証言、B供述等により明らかになっていたところ、確定判決は、上記証言についてBが姫路少年刑務所から福井刑務所への移監を期待したうその内容である可能性も認めつつ、Bの控訴審供述の内容や、Tの控訴審における証言による裏付け状況を考慮し、結論としてBの上記証言は虚偽とは認められないと判断し、この点を含む衣類等の処分状況についての変遷は、請求人の犯人性に関するB供述の信用性を損なうものではないと評価している(確定判決55丁)。 新証拠➀は、Bには自己に有利な量刑等を得ようとする気持ちのあったことや、Bが姫路少年刑務所から福井警察署への移監を期待していたことを示すものではある。しかし、確定判決はこれらについても考慮に入れた上でB供述の信用性について既に判断を示したものであるから(確定判決は福井刑務所への移監を想定しているが、Bが地元である福井県内での収容を求めた可能性を想定して判断を示したことに変わりはない。)、新証拠➀は、Bには自己に有利な量刑等を得ようとする不純な動機・目的があったことを明確にする証拠であるとはいえても、確定判決の事実認定を左右するものとはいえず、ひとまず証拠の明白性を欠くものといわざるを得ない。 もっとも、前述したとおり、J供述及びH供述について、いずれも信用 性が大きく揺らいでおり、それがB供述の信用性判断にも大きく影響してくることから、B供述についても新旧証拠を踏まえた信用性の総合評価をする際に、当然のことながら、新証拠➀についても重要な判断資料の一つになってくることに変わり がB供述の信用性判断にも大きく影響してくることから、B供述についても新旧証拠を踏まえた信用性の総合評価をする際に、当然のことながら、新証拠➀についても重要な判断資料の一つになってくることに変わりはない。 5 新証拠➁・S証言の信用性に関する証拠の証拠価値について⑴ 旧証拠中の関係証拠によれば、SはBのシンナー仲間で、請求人もBを通じてSと知り合い、S方に出入りをしてシンナーを吸引することがあったところ、Sは、昭和61年3月17日明け方頃に自宅で請求人、W11及びもう1名の男性の計4人でシンナーを吸引中に輪姦被害に遭ったと訴え(請求人は性交の事実は認めた上、和姦であると主張していた。)、同日以降、請求人は、Sが相談した暴力団v組関係者から金を出さなければ警察に申告するなどとして金銭を要求されたことから、Sに許してもらおうとシンナーを持参して謝罪するなどしており、Bも事件当夜までには請求人から対応方を相談されて事情を知っていたことが認められる(1審検216、同姫路B58、92、129丁、同19回P686、90丁、同22回W95丁、同33、34回請求人)。 Sは、第一審第14回公判期日(昭和63年6月30日)において、要旨、「本件については3月20日のテレビニュースで知った。そのニュースを見た後、日にちは分からないが、Bと請求人が自宅に来て、Bが請求人を匿うように頼んできたが断ったことがあった。請求人はシンナーをとってきたか、私が請求人から嫌な思いをさせられたこと(輪姦のことを指す。)について警察に申告したと誤解して来たのかと思っていた。Bが請求人を匿うよう頼んできたのは、請求人から嫌なことをされた後だが、どれくらい後かは分からず、本件に関するニュースを見た夜とも言い切れない。Bらが来た時間や、二人が立っていた位置関 思っていた。Bが請求人を匿うよう頼んできたのは、請求人から嫌なことをされた後だが、どれくらい後かは分からず、本件に関するニュースを見た夜とも言い切れない。Bらが来た時間や、二人が立っていた位置関係は覚えていない。」と証言している。 また、旧証拠中のSの昭和62年4月12日付け検察官調書(1審検146。不同意意見を受け撤回された証拠であり、弁護人らが参考資料として当裁判所に提出したCDに収録されているものである。)には、「3月21日の午前1時か2時頃、請求人がBと一緒に私の部屋を訪ねてきた。呼び鈴が鳴り、Bの声がしてドアチェーンを掛けたままドアを開けると、外にBと請求人がいるのが分かった。輪姦の件があり、請求人を家の中に入れるのは怖くて嫌だったので、ドアチェーンを掛けたまま対応すると、Bは私に、『こいつをかくまってくれ。』と言った。こいつとは請求人のことで、私は、請求人がシンナーを吸ったことから警察に追われているのか、請求人が、私が輪姦の件で警察に被害届を出したと誤解したのかと思った。私に嫌な思いをさせた請求人を匿ってやる気にはならず、嫌やと言って断り、請求人が輪姦の件について誤解しているのかもしれないと思ったので、『あのことはまだ警察に言ってないよ。これから警察に言うところ。』と言うと、二人は帰っていった。ドアの近くにいたのはBで、請求人はその後ろにいた。二人が立っていたところは廊下の蛍光灯で比較的明るいところだったから、請求人の顔は分かった。請求人は一言もしゃべらず、下を向いていた。」という記載がある。 ⑵ 新証拠➁(当審弁68ないし71)によれば、Sの供述経過は次のとおりと認められる(なお、新証拠➁は、当審検察官が当審において新たに任意で開示したものであるから、証拠の新規性が認められる。)。 新証拠➁(当審弁68ないし71)によれば、Sの供述経過は次のとおりと認められる(なお、新証拠➁は、当審検察官が当審において新たに任意で開示したものであるから、証拠の新規性が認められる。)。 ア Sは、昭和61年11月19日に行われた警察の事情聴取において、同年3月17日に請求人らから輪姦被害を受けたこと、その一、二日後の午前1時30分頃、請求人一人がS方に来て、「警察に追われている。入れてくれ。」と頼んできたが、請求人を嫌っていたことから部屋には上げなかったこと、始めは請求人が何を言っているのか分か らなかったが、私を輪姦したことを言っているのかと思い、「警察には何も言っていない、これから警察に言ってやる。」と言って請求人を追い帰した旨供述した(当審弁68)。 イ Sは、同年12月9日付けの警察官調書(当審弁69)では、3月20日夜中に知った声で私を起こすので玄関ドアを開けたところ、玄関先に請求人と、はっきりとは言えないが、Bの二人が立っていた。 請求人が、「警察に追われている、かくまってくれ。」と普通の声で頼んできたので、「あのことはまだ警察へ言っていない。帰って。」と言うと、二人は何も言わずに帰っていった、請求人と来ていたもう一人の男はBだと思うが、はっきり覚えておらず、W11だったかもしれない、と供述した。 また、Sは、同年12月14日付けの警察官調書(当審弁70)では、3月20日の午前1時か2時頃、請求人とBと思う二人が部屋へ訪ねてきたと思うと供述したが、同年12月23日付けの警察官調書(同71)になると、3月21日午前2時頃、請求人が来て、「警察に追われている。かくまってくれ。」などと言ってきた、私が「あのことはまだ警察に言っていないよ。今から警察に届けるよ。」と言うと、請求人は何も言わ なると、3月21日午前2時頃、請求人が来て、「警察に追われている。かくまってくれ。」などと言ってきた、私が「あのことはまだ警察に言っていないよ。今から警察に届けるよ。」と言うと、請求人は何も言わずに帰っていった、このとき請求人は一人で来ておらず、請求人の後ろにもう一人の男が立っていた、私の知っている人には間違いないが、今となっては誰であったかは思い出せず、Bのようにも言えるし、W11かHだったようにも思える、と供述していた。 ⑶ そこで検討する。 ア新証拠➁を含めた供述経過に照らせば、Sは、請求人がS方にやって来て、警察に追われているので匿うよう求めてきたが、輪姦の件で請求人に対する嫌悪感があったのでこれを断り、また、請求人が輪姦 について被害申告したと誤解しているのではないかと考えて、警察にはまだ輪姦の件を申告しておらず、これから申告する旨を言って追い帰したと、一貫して述べており、また、請求人が匿うように求めてきたのが輪姦のあった昭和61年3月17日より後の出来事であることについても説明ができている。 そうすると、S証言は、請求人に対する悪感情の点をおけば、請求人が同日以降にS方に来て、警察に追われているから匿うよう求めたものの、Sはこれを断って請求人を追い帰したという限度では、ひとまず信用性を認めることができる。 イ他方で、Sは、警察官から同年12月頃まで聴取されていた段階では、㋐当初は請求人一人がS方に来たと供述し、その後にBが同行した可能性も述べながら、請求人の後ろにいたという同行者についての記憶ははっきりせず、W11かHの可能性もあるとして、同行者をBとは確定できずにおり、また、㋑請求人本人が自分を匿うよう言ったと述べていた。Sの警察段階での供述内容に照らせば、Sの記憶に強く いての記憶ははっきりせず、W11かHの可能性もあるとして、同行者をBとは確定できずにおり、また、㋑請求人本人が自分を匿うよう言ったと述べていた。Sの警察段階での供述内容に照らせば、Sの記憶に強く残っていたのは、嫌悪感を有する請求人から直接匿うよう求められたという点にあり、Sの関心は請求人に向けられていたから、同行者についての印象は薄く、記憶はあやふやであったことがうかがわれる。 ところが、昭和62年4月に行われた検察官聴取になると、Sは、㋐請求人と一緒に来たのはBであると断定し、また、㋑Bから請求人を匿うよう頼まれたと供述を変更するとともに、Bの後ろにいた請求人は一言も話していないとの供述に変遷し、第一審公判でも概ね同旨の証言を行っている。 Sの供述は、嫌悪感の対象である請求人と対応したとの体験事実から、Bと対応したとの体験事実に変遷があるところ、Sの記憶の残りやすさを考慮しても、Sが対応した相手については重要な供述部分で ある。このように、S証言は、それに至るまでに重要な点で供述に変遷があることになるから、その信用性を肯定するためには、変遷について合理的理由があるか、すなわち、Sが証言までの時間経過もある中で、どのように記憶喚起をして同行者をBに特定し、また、請求人ではなく、Bから依頼を受けた旨を供述するに至ったのかを検討する必要がある。ところが、S証言は、概括的なものにとどまっており、この点についての説明はされていない。考えられるのは、捜査機関がBの供述を基にSの記憶喚起をした可能性である。 ウそこで、Bの供述経過をみると、もともとBは、供述調書上、昭和61年11月27日頃から本件に関してSについて言及してはいたものの、その供述内容は、3月20日にS方を訪れたがSは不在であったというものであった の供述経過をみると、もともとBは、供述調書上、昭和61年11月27日頃から本件に関してSについて言及してはいたものの、その供述内容は、3月20日にS方を訪れたがSは不在であったというものであった(1審検200、203)。Bは、その後、昭和62年1月14日付け上申書において、3月20日は2度S方に行っており、1度目は不在であったが、2度目となる午後8時頃にS方に行くと、Sは在宅しており、請求人を匿うよう頼んだが断られたと供述し始めた(1審検282)。もっとも、Bは、2度目の訪問については、そのような記憶があるものの、はっきり断言はできないとして確かな記憶ではない旨を述べており(1審検212、218)、供述内容も、S方に行ったのがBと請求人だったのか(1審検218)、Bだけであったのかについてもはっきりせず、この点についてはSの供述の方が正しいのではないかと述べている(1審検225・56丁、同姫路B57丁、同6回B36丁)。また、Bは、請求人を匿うよう頼んだ際のSの対応について、「(請求人が)変なことばっかしするし、嫌や。」などと述べており、警察への申告に関する言及はない(1審検225・56丁、同姫路B58丁)。 両者の供述時期をみるとSの供述が先行していることから、Sの供 述を基にBに記憶喚起をした結果、Bは、はっきりしないとしながらも上記供述に至ったものとみられる。そうすると、Bの供述自体が不確かなものであるから、SがそのようなB供述を基に正確に記憶を喚起できたとは考え難いし、他にSの供述変遷について、合理的な理由は見当たらない。仮に、捜査本部がHやW11にも事実を確認しており、同人らが請求人の同行者であることを否定していたとしても、Sが請求人ではなく、Bから請求人を匿うよう求められたとの供述に転じたことに 見当たらない。仮に、捜査本部がHやW11にも事実を確認しており、同人らが請求人の同行者であることを否定していたとしても、Sが請求人ではなく、Bから請求人を匿うよう求められたとの供述に転じたことについては、納得のできる理由が見出し難い。 ⑷ このように、新証拠➁によれば、Sは、警察の聴取段階では、請求人から匿うよう頼まれたとしていた上、同行者の有無や、同行者がいたとして誰なのかについては曖昧な供述をしていたのに、検察での聴取以降は、Bが同行しており、Bから請求人を匿うよう頼まれたとしていて変遷があるところ、同変遷に合理的な理由は見当たらない。 そもそもS証言は、輪姦に関する供述を避けたがってのものと思われるが、証言内容は概括的なものにとどまっており、総じて証言に消極的な態度が目立ち、弁護人らの反対尋問に対しては覚えていないなどとして、拒否的な応答が目立っており、容易には信じ難いところがある。 確定判決は、Bが請求人を匿うよう求めたとするS証言と同様の供述が弁護人ら提出の録音テープ中にもあると指摘しており(確定判決61丁)、これがS証言を裏付けていると考えているようである。この録音テープは、弁護人がSの証人尋問の約1週間前である昭和63年6月23日にSと電話で会話した際のものである(1審弁104、同32回W12弁護士、異議審弁37)ところ、同テープによれば、弁護人が輪姦事件の後、請求人がBと一緒に来て、Bが匿ってくれと言ったことはあるかと聞いたのに対し、Sは覚えがない、忘れたなどと答え、弁護人がSの調書には3月20日頃に会ったと書いてあるのはなぜか、警察の人か ら言われたからかと尋ねると、Sは、「A君とかB君が言ったことをほやって私も言われて、そういう覚えがあったでそん時は言ったんでないかー。(Bから言 会ったと書いてあるのはなぜか、警察の人か ら言われたからかと尋ねると、Sは、「A君とかB君が言ったことをほやって私も言われて、そういう覚えがあったでそん時は言ったんでないかー。(Bから言われたことについて)覚えがあったのその時は。」と答えたものである(確定判決が指摘するのはこの部分と思われる。なお、この部分はSが取調官からBの供述を示唆されたことをうかがわせる。)。しかし、Sは、上記発言の後にも請求人を匿うよう求められたことを否定するような発言をしている。Sが本件殺人事件に関わりたくないと考え、公判での証言や弁護人の接触に際し非協力的な態度を取るのも無理からぬところがあるものの、この点を踏まえても、S証言や、録音テープの信用性は、供述内容等に照らしてそれほど高いとはいい難い。 なお、確定判決は、輪姦事件は立件されておらず、厳密に輪姦と評価できるものであったかは疑問であるとした上、請求人やBは常識に欠けるところがあるとして、Bが緊急に請求人を匿う必要に迫られたことから、シンナーを通じて交友関係にあったSに対し、請求人を匿うよう相談を持ちかけたとしてもそれほど不自然ではないとしているものの(確定判決61丁)、この点については、請求人が暴力団関係者から輪姦事件の被害申告をほのめかされたため、Sに謝罪をするなどしていたという経緯に照らせば、一審判決同様に、事情を知っていたBがSに請求人を匿うように頼むことは不自然であるとの評価も十分に成り立ち得る。 したがって、S証言のうち、Bが請求人を匿うように求めてきたとの部分については信用性を肯定することができない。 ⑸ これを前提に、新証拠➁による減殺力の程度について検討する。 確定判決は、B供述の信用性を論じる一環として、請求人を連れてS方を訪れ、同人に いては信用性を肯定することができない。 ⑸ これを前提に、新証拠➁による減殺力の程度について検討する。 確定判決は、B供述の信用性を論じる一環として、請求人を連れてS方を訪れ、同人に対し請求人を匿うよう依頼したが断られたという供述は、Sの第一審公判証言により裏付けられているとしていたが(確定判 決52丁)、新証拠➁によれば、S証言の信用性が否定されることになり、B供述はこの点について裏付けを欠くことになった。 確定判決のそのほかの説示についてみると、tタクシーの利用は、Bの事件当夜の行動のうち、本件殺人事件とは直接関係しない部分の裏付けである。また、Bが3月20日、本件犯行現場付近まで様子を見に行ったことについての裏付けは、Bが本件殺人事件に関与していなくても、事件以後に現場付近を通りかかるなどして記憶することが可能であるから、tタクシーの点も含めて、いずれも確定判決の大要部分との関連性はさほど高くはなく、裏付けとしての意味合いは限定的である。 さらに、確定判決が指摘した、他の関係者の供述と大筋で一致しているという点についても、J及びHに関する新証拠を検討した結果、両者の供述がB供述に迎合した具体的かつ合理的な可能性があることが明らかとなっており、裏付けとしての意味合いを失っている。この点において、J及びHの供述に関する新証拠は、B供述に関する新証拠にもなるものである。 このように、確定判決が指摘する主要関係者の一部(J及びH)だけでなく、本件とは直接の利害関係のないS証言による支えもなくなった以上、B供述についても、なお信用性が認められるか洗い直す必要があるというべきである。 6 新旧証拠を総合しての確定判決の検討⑴ そこで、新旧証拠を総合して検討すると、まず、Bは、警察 た以上、B供述についても、なお信用性が認められるか洗い直す必要があるというべきである。 6 新旧証拠を総合しての確定判決の検討⑴ そこで、新旧証拠を総合して検討すると、まず、Bは、警察に対し本件に関する情報提供をすることにより自己の利益を図ろうとする動機・目的を有していたことが優に認められる。 ア Bは、自己に対する覚醒剤事犯等の取調べの段階から、取調官に対し、どうすれば刑が軽くなるのかを尋ねるとともに、請求人が本件殺人事件の犯人であると述べた上(新事実1)、CにもBの情報提供で 犯人が判明すれば、刑を軽くしてもらえるとして協力を求めている。 その後、Bは、請求人やEに関する供述を行うと、取調官に対し、真犯人に関する供述をしているとして、減刑を期待する発言をし(新事実2)、自らの公判期日においても、わざわざ本件殺人事件の真犯人を知っていると言及して、捜査機関のみならず、公判裁判所にもアピールしている。 このようなBの言動や、本件に関する供述状況に照らせば、Bには、請求人が本件殺人事件の犯人であるとの供述を行うことで、自己の刑事事件の量刑を軽減しようとする動機・目的があったことが認められる。また、Bは、保釈を得ようとする気持ちもあったことを自認していた(1審検222、225・50丁)。 イその上、Bは、昭和61年11月28日の移監予定日の当日になって、今までに話していない事実があることをほのめかし、取調官から、母やW8と取調室で面会することや、母が差し入れた寿司の飲食を許された。 その後、Bは血の付いたトレーナーの在りかを知っているとして移監の中止を求め、P6警察官から検察官に移監の中止を掛け合ってみるとの言質を取ると、これに応じて血の付いたトレーナーを川に投棄 その後、Bは血の付いたトレーナーの在りかを知っているとして移監の中止を求め、P6警察官から検察官に移監の中止を掛け合ってみるとの言質を取ると、これに応じて血の付いたトレーナーを川に投棄したとの供述を始めているから、Bがトレーナーに関する供述を始めた目的は移監の回避にあったとみるのが素直である。 また、留置人との接見は原則として接見室において行わせ、糧食の差入れおよび自弁購入は特別の事情のある場合を除き、警察署長が指定する業者が調製または取り扱うものとされていたから(被疑者留置規則[昭和32・8・22国家公安委員会規則第4号、改正同46・10・28国家公安委員会規則第10号]31条3項、32条、35条)、Bは通常とは異なる待遇を受けたことになる。当時は本件殺人 事件発生から半年以上が経過して捜査が行き詰まり、Bは有力な情報源であったこと、Bに例外的な取扱いを行う留置上の理由が見当たらないことからすれば、警察は、Bから本件に関する供述を引き出すために、面会や飲食について通常とは異なる取扱いを行ったとみるほかない。なるほど、福井刑務所への移監が中止された直接の理由は、衣類の投棄場所への引き当たりの必要性が生じたためではあるとはいえ、Bからすれば新たな供述をほのめかした結果として移監が中止されたのであるから、本件殺人事件に関する供述と引き換えに自己の要求を通したのと変わりがない。 Bとしては、本件殺人事件に関する供述により、警察署における留置の継続や、これに伴う優遇を受けられたということになるから、この点でもBには本件に関する情報提供を行う誘引があったことになる。 ウその後、Bに対しては、懲役2年の刑が宣告され、Bは遅くとも昭和62年2月2日までは同判決が確定して受刑の身となった(1審検 でもBには本件に関する情報提供を行う誘引があったことになる。 ウその後、Bに対しては、懲役2年の刑が宣告され、Bは遅くとも昭和62年2月2日までは同判決が確定して受刑の身となった(1審検210)。Bは、自らに対する判決確定後も、わざわざ姫路支部での証人尋問の際に、請求人のトレーナーを隠し持っているとして重要な証拠物件の存在をほのめかし、同証人尋問期日前後にも警察官や検察官に自ら接触を図り、担当検察官宛ての手紙においては、福井警察署に戻ればトレーナーについての供述ができるなどとして、露骨に福井警察署への移監を求めている(新事実3、同4)。Bは、トレーナーを河川に投棄したとの供述変更をした際に、福井刑務所への移監を回避できた経験をしており、同じように衣服の話を持ち出せば、収容中の姫路少年刑務所から、福井警察署に収容してもらえるのではないかと考えたことがうかがわれる。 最終的にBの供述した場所からトレーナーが発見されなかったことからすれば、Bは刑務所での収容を回避し、警察署での収容という利 益を得るために、トレーナーの隠匿場所について虚偽の供述を繰り返した疑いが強いというべきである。 エ以上でみたとおり、Bは、自分の供述が捜査機関にとって有力な情報源であることをよく認識した上で、自らの供述を取引材料に、自己の刑事事件の量刑の軽減、保釈の獲得や、留置における優遇等、自己の利益を図ろうとする態度が顕著である。 これに対し、確定判決は、Bに量刑上の便宜や保釈を得ようとする気持ちのあったことは認めつつ、捜査機関にこれらに関する権限のないことや、Bの移監が捜査の必要上によるものであるなどとして、捜査官による不当な働きかけを否定し(確定判決65丁)、B供述の信用性への影響を認めなかったものとみられる 査機関にこれらに関する権限のないことや、Bの移監が捜査の必要上によるものであるなどとして、捜査官による不当な働きかけを否定し(確定判決65丁)、B供述の信用性への影響を認めなかったものとみられる。 しかしながら、警察は、Bを警察署に留置しているのを奇貨として、面会、飲食や、移監について、通常では考えられないような優遇を認めたり、実質的にBの要望を認めたりしており、これらは一種の不当な利益供与とみるほかはない(なお、Bは、警察官は誰でもたばこを吸わせてくれたとも証言している。控訴審3回B48丁)。そもそもBは、法律家ではないから、捜査機関が本件に関する情報提供の見返りとして、求刑における配慮等、何らかの手心を加えてくれるのではないかと期待してもおかしくはないし、また、実際に自分の供述と引き換えに留置上の優遇等を受ける経験を経たことで、量刑の軽減や保釈の便宜に対する期待を膨らませた可能性もある。自分の刑事事件についての量刑の軽減や保釈の可否は、B自身の利益に直結するものであり、Bは昭和61年9月頃には3年から4年程度の量刑となることを想定していた様子があるから(1審21回W815丁、1審弁98)、減刑等に対する期待は相応に大きかったものとみられる。その反面、Bが請求人に関する供述を行う不利益として想定されるのは犯 人蔵匿に問われることであり、Bが供述により得られる自己の利益を優先し、虚偽供述を行うおそれのあったことは否定できない。この点に関する確定判決の評価は一面的であるとみられてもやむを得ないものがある。 オまた、確定判決は、請求人の衣服の処分状況に関する変遷は、Bが衣類の投棄等、罪証隠滅工作を図ったことから真相を秘匿していたものと推認し得るとし、その後、衣類等を福井市内に隠しているとして供述を翻し また、確定判決は、請求人の衣服の処分状況に関する変遷は、Bが衣類の投棄等、罪証隠滅工作を図ったことから真相を秘匿していたものと推認し得るとし、その後、衣類等を福井市内に隠しているとして供述を翻したことについては、Bが捜査のために姫路少年刑務所から福井刑務所への移監を期待したうその可能性を認めつつ、結論的には、Bの控訴審供述の一部はT証言に裏付けられているとして、Bの供述が虚偽であると断ずることもできないとした上、請求人の犯人性に関するB供述の信用性に影響しないとの判断を示している(確定判決55丁)。 まず、衣類等を河川に投棄したとの供述の変遷について、Bが福井刑務所への移監回避を目的としていた可能性については既に述べたとおりである。 また、請求人の衣服等に関するBの控訴審供述は、Tから貸金に対する担保として拳銃を受け取り、トレーナーと一緒に埋めたというものであるところ、拳銃については、暴力団組員であったBもそうそう取り扱ったことがなく(控訴審3回B4丁)、禁制品であり、所持していれば罪に問われかねないし、貸金の返済があればTに返却しなければならない可能性もあるから、当然のことながら厳重に管理してしかるべきものである。ところが、Bは、何度も場所を移し変えたとして隠匿場所を正確に把握してない旨を述べていた上、最終的にはトレーナーを拳銃と一緒に土手に埋めたとしながら、埋めた場所についての目印としてスコップを立てて軍手を被せて置いたとしており(控訴 審検27)、拳銃の管理としては余りに杜撰かつ粗雑であって、合理性を欠いている。 しかも、拳銃が紛失すればTとの間で問題になりかねないのに、Bの控訴審供述によれば、Tは、受刑を終えたBから紛失(埋めたとされる場所から拳銃等がみつからなかったこと)を前 を欠いている。 しかも、拳銃が紛失すればTとの間で問題になりかねないのに、Bの控訴審供述によれば、Tは、受刑を終えたBから紛失(埋めたとされる場所から拳銃等がみつからなかったこと)を前提に、拳銃を移動させたか聞かれたときも、全然そんなもの知らないなどと述べるのみで、さして関心を示した様子がみられない(控訴審2回B40丁、同3回B8丁)。 加えて、Bは、当初は拳銃とトレーナーをTと二人で埋めに行ったと供述していたのに(控訴審検27)、控訴審では、三人で埋めに行ったと言い出してW10を登場させた上、拳銃やトレーナーが発見されなかったのはW10が処分したためではないかと供述した(控訴審2回B40丁、同3回B7丁)。ところが、Bは、W10にも拳銃やトレーナーの帰すうについて確認していないというのであるから(同3回B8丁)、紛失後の対応も不自然というべきである。 さらに、Bは、姫路支部での証言後に検察官に宛てた手紙では、恐喝を相談した人物(T)から、トレーナーを埋めておき、金を喝取したら場所を教えるのがよいと言われ、その人物と一緒に昭和61年8月14日午前2時から午前4時の間にトレーナーを埋め、その日の午後には請求人の家に電話をしたと記載していたのに(当審弁60。この供述を前提にすれば、恐喝の相手方がトレーナーと一緒に拳銃を発見することになるから、拳銃をトレーナーと一緒に埋めることはあり得ない。)、控訴審供述では、Tは恐喝に乗り気ではなく、恐喝は実行しないまま、拳銃を持ち歩くわけにもいかないのでトレーナーと拳銃を一緒に埋めたとしており(控訴審2回B36丁)、トレーナーを埋めた経緯や、Tの対応等についても見逃せない変遷がある。Bの控 訴審供述は、いきなり拳銃を持ち出したあたり、いかにも唐突であり、 一緒に埋めたとしており(控訴審2回B36丁)、トレーナーを埋めた経緯や、Tの対応等についても見逃せない変遷がある。Bの控 訴審供述は、いきなり拳銃を持ち出したあたり、いかにも唐突であり、それまで供述を伏せていた理由を拳銃所持に問われるのが嫌だったとして都合よく説明しようとしている疑いが払拭できないし、供述内容も不自然で、看過し難い変遷もある。 B供述のうち、請求人の衣類等の処分に関する部分は二転三転しており、投棄したという河川からも、Bの指示した埋設場所からも、請求人の衣類等は発見されていない。Bが衣類等に関する供述を変遷させるたびに移監についての要求をしていた経過にも照らすと、Bは、覚醒剤事犯等の取調べの際、Tに対し覚醒剤を担保に金を貸したと述べていたのを利用して、このような供述を始めたことがうかがわれ、この点の供述は、口から出まかせでした虚偽の疑いが強いものといわざるを得ない。 これに対し、確定判決は、T証言をB供述の裏付けとなるとみたところ、Tは、控訴審において、要旨、「昭和61年8月頃、Bを訪ねて福井に来た際、Bから、名前は聞いていないが、殺人事件を犯した後輩の親が金持ちであり、Bは血の付いたトレーナーを持っているので、警察へ申告すると脅して金を取れないだろうかとの相談を受けた。」と証言した(控訴審6回T)。 確かに、確定判決がみるように、T証言はB供述を一部裏付けるような内容にはなっている。しかし、Tが本件殺人事件について最初に聴取を受けたのは、Bの話を聞いてから4年余りが経過した平成2年10月になってであるところ、当初、Tは、Bから恐喝話を持ちかけられたことは認めつつ、本件殺人事件の証拠物件を持っていると聞いたとは述べていなかった(控訴審検26)。Tは、平成5年7月の検察官 年10月になってであるところ、当初、Tは、Bから恐喝話を持ちかけられたことは認めつつ、本件殺人事件の証拠物件を持っていると聞いたとは述べていなかった(控訴審検26)。Tは、平成5年7月の検察官聴取になると、Bから犯人の証拠品を持っているとは聞いたが、それが何であるかはそれ以上聞いておらず、その証拠品を見てもいな いと供述していたのに(控訴審検28)、平成6年3月31日の控訴審公判期日では、証拠品は血の付いたトレーナーであると述べるに至り(控訴審6回T13丁)、特に公判証言において証拠品についての証言が不自然に具体化している。T証言を前提としても、Bが本件殺人事件の犯人であるとした人物は明らかではないところ、請求人は、昭和61年4月には本件殺人事件について聴取を受けて嫌疑をかけられた様子があり(1審19回P685丁、当審弁67、96)、本件殺人事件については他にも複数の容疑者が浮かび(1審19回P69丁)、Rら地元の少年らの間でも請求人以外の人物が犯人として疑われていた様子もあるから(1審15回R26丁)、Bがこれらを材料に請求人やそれ以外の人物に対して恐喝を企んだ可能性も否定できない。もともと、Tは、拳銃を担保とした保釈金の借用話や、拳銃等をBと埋めたことについて否定している上に、肝心の拳銃やトレーナーが発見されていないにもかかわらず、この点のB供述の信用性を肯定するのは困難であると考えられる。 なお、B供述のうちトレーナーを埋めたとの供述変遷は、Bに対する判決が確定した後の変遷で、確定判決にいう大要部分ではないものの、Bにおいて自己の利益のために虚偽供述を行う傾向があることや、請求人と犯人を結び付ける重要な物証となり得る衣類の処分という大要部分に付随する事情にうそがあることを示すことで、大要部分に関する の、Bにおいて自己の利益のために虚偽供述を行う傾向があることや、請求人と犯人を結び付ける重要な物証となり得る衣類の処分という大要部分に付随する事情にうそがあることを示すことで、大要部分に関する供述が虚偽ではないかということを示すものというべきである。 このように、本件においては、Bが説明するところから衣類が出てこなかった事実は、B供述の信用性を判断する上で、確定判決のようには軽視し得ない事情であり、その判断に疑念を生じさせるに十分なものといえる。 ⑵ その上、Bは、請求人と事件当夜同行したのはEであるとして、確定 判決の大要部分について明らかに虚偽の供述をした経過がある。 ア Bは、Eに関する供述はうそであることを認め、虚偽供述をした理由について、EはBの使い走りで、覚醒剤を打ってやったり、Eが無免許運転を警察に現認されたときにもEを匿ってやったりと面倒をみており、さらに、Bの若い衆としてb会にも出入りをさせていたことから、BがEの名前を出しても、EがBに恩義を感じ、また、請求人を匿っただけでは大した罪にはならないとして、Bの供述に話を合わせるだろうと考えたと説明した(1審検215)。 イそれだけでなく、BはEに対して口裏合わせを働きかけている。 この点について、Eは、第一審公判において、要旨、「昭和61年12月14日に本件について事情聴取を受けた際、アリバイを主張したが認められず、警察官からは、Bが、Eが事件当夜に請求人と一緒にいたと供述していると聞かされた。そのため、Bに会わせるよう警察官に頼むと、同日夕方頃、P10警察官、P8警察官ら同席の下でBと面会することができた。その際、自分が関与を否定すると、Bから、『正直に言えばいい。』、『警察に協力しろ。』、『この前、おまえ、そういうふう と、同日夕方頃、P10警察官、P8警察官ら同席の下でBと面会することができた。その際、自分が関与を否定すると、Bから、『正直に言えばいい。』、『警察に協力しろ。』、『この前、おまえ、そういうふうに言っていたやろ。』、『それはうそだから、本当のことを言え。』、『わしの顔をつぶす気か。』などと大声で怒られ、うその供述を迫られた。同日夜になって犯人蔵匿で逮捕された。」と証言した(1審23回E2丁)。これに対し、Bも、Eの逮捕に際して警察官立会いの下、取調室でEと面会した事実を認めるとともに、警察官から、Eが関与を認めないのでEに大した罪にはならないから正直に供述するようBの口から説得するように求められたことから、いかにもEがその場にいたような口調で、「ちゃんと話せい。」、「いたやないか。ちゃんと正直に言うてくれや。」と述べて説得した旨供述している(1審姫路B77丁、控訴審3回B42丁)。 このように、EとBの供述が一致していることや、供述内容も具体的であることなどに照らせば、Bは、警察官立会いの下、Eと面会し、Eに対し、Bが供述するとおり、事件当夜に請求人と行動を共にしたとのうその供述をするよう説得したことが認められる。これに対し、P6警察官は、EとBを面会させたことを否定しているが(1審19回P693丁)、Eは勾留中にBのみならずDとも面会したと供述し(1審23回E15丁)、Dもまた、警察官からEと一度会うように言われて取調室でEと会い、Eに「おまえ、あのときいたんでないか。」と述べたと供述していることにも照らすと(1審9回D69、81丁)、警察官が、BやDをEに面会させて、Eを説得させるなどして、Eに本件への関与を認めさせようとしたものと認定できるのであり、これに反する上記P6供述は信用できない。 ウ 9回D69、81丁)、警察官が、BやDをEに面会させて、Eを説得させるなどして、Eに本件への関与を認めさせようとしたものと認定できるのであり、これに反する上記P6供述は信用できない。 ウ請求人の同行者をEとした点についてのB供述は、供述ぶりのみではうそとは看破できない。Bの虚偽供述は、「Eからゲーム喫茶dに電話があり、『Bさんですか。Eですけど、今、Aちゃんが気狂って人殺してもたんや。』と慌てた口調で何度も言うのでゲーム喫茶dに来るよう言うと、Eが場所を尋ねてきたので、Eも知っているW8の彼女の家を中心に場所を説明すると、『すぐに行きます。』と述べた。 午前1時頃、入り口のドアが開く音がしたので振り向くと、青白い顔をしたEが立っていた。」(1審検203)、「請求人がアパートcを訪ねてきた時、請求人の後ろにはEもおり、Eに入れやと言ったが、Eは『W13の所へ行くわ。』として、同じアパートcに住むシンナー仲間のW13の所に行った。そこで請求人を部屋に入れたが、Eはいつになっても俺のところに戻って来なかった。その後の休日、(CやW8等と遊んだことについて相当詳しく述べた上で)アパートcでEと二人になって覚醒剤を打ったとき、Eに『なんでこの前戻ってこんか ったんや。Aが女殺した時見てたんか。』と聞くと、Eが『見てはいませんけど帰って来たら血だらけやったんや。』、『Aちゃんと俺が女の所へ行き俺が最初女を誘いだそうとしたが断られたので待っていた。Aちゃんに断られたことを言うと、今度は俺が行ってくると言って女の所へいったんや。俺はAちゃんが帰ってくるのを車の中で待っていたらAちゃんが血だらけになって戻ってきたんや。ほやでAちゃんが恐ろしくなって逃げたんや。』と言うので、俺は、やっぱりAが殺したんやと思った。」(1審検202) ゃんが帰ってくるのを車の中で待っていたらAちゃんが血だらけになって戻ってきたんや。ほやでAちゃんが恐ろしくなって逃げたんや。』と言うので、俺は、やっぱりAが殺したんやと思った。」(1審検202)というものである。 Bの上記供述は、Eと請求人の会話や、Eの様子等を盛り込んだ詳細かつ具体的な内容になっている。その一部については、後の供述で請求人、HやJに関する出来事として述べていた事情を、Eにすり替えて供述していたとの説明が可能な部分もあるものの、ゲーム喫茶dまでの道のりについて共通の知人の住所を交えて説明したとか、Eがアパートcに住む別のシンナー仲間の所に行ったなどの、必ずしも請求人らの行動を下敷きにしたとは思われない供述もある。加えて、Bは、本件とは直接関係のないような事情を多数織り込みながら、いかにも実体験であるかのようにうそを述べていることからすれば、実際に体験していない出来事であっても、それなりの具体性や臨場感等を持たせながら、体験供述のように仕立てることができることを物語っている。このことは、捜査本部もB供述を疎明資料としてEを逮捕、勾留までしていることからも明らかである。 ⑶ 以上によると、Bには自己の利益のために本件に関する虚偽供述をする動機・目的がある上、本件について関係者の名前を出して虚偽の供述をしても、Bとの関係性によっては、これに同調して相手も虚偽供述をするだろうとの思惑を有していたとみてもあながち不合理とはいえず、このことはBの周囲にはBの供述に迎合する者がいる可能性を示すもの でもある。また、前述したように、Bは、Eに関して本件に関与したとのうそをでっちあげてEを関係者として巻き込んだ上、Eと面会をした際には自分の供述に合わせて虚偽の供述をするように仕向けたものであって、Bの虚偽 た、前述したように、Bは、Eに関して本件に関与したとのうそをでっちあげてEを関係者として巻き込んだ上、Eと面会をした際には自分の供述に合わせて虚偽の供述をするように仕向けたものであって、Bの虚偽供述の意欲は強かったというべきである。さらに、Bの虚偽供述の内容は一見すると体験供述であるかのような外観を有しており、その真偽を見破るのは容易なこととは思われない。 このように、B供述は、無実の者を罪に陥れるような虚偽供述に当たるおそれがある危険なものとみるべきであり、冤罪の防止の観点から、客観的証拠による裏付けのない限り、安易にそのような供述に乗りかかるべきではない。確定判決は、B供述にはらむ危険性を等閑視していたとの批判を受けてもやむを得ないところがある。 ⑷ これに対し、Bは、要旨、「最初の頃は思い出しもしないのに簡単に軽い気持ちで供述し、うそや、でたらめを言ったので、いい加減な調書ばかりがある。しかし、うそやでたらめはすぐにばれて追及され、真剣になって考え、最終的には当時経験した事実を記憶どおりに説明した。」、「刑事部長の取調べぐらいから事の重大さや責任感を感じ、Hの話を始める頃には一生懸命供述するようになった。」と供述するとともに、控訴審供述には間違いはないと供述している(1審6回B25、29丁、控訴審2回B46、50丁、同3回B17丁)。 その供述を受けてか、確定判決は、暴力団関係者であるHとBの関係性に照らすと、BがHの名前を明らかにしたくなく、同じ呼称(****)のEの名前を出してHをかばったとの弁解はそれなりに首肯できるとしていたし(確定判決53丁)、また、BがHをかばいつつ、本件に関する情報を小出しにして自己の利益や便宜を図ろうと試みたが、最終的にはHが同行者であることを含めて真相を語っていったと に首肯できるとしていたし(確定判決53丁)、また、BがHをかばいつつ、本件に関する情報を小出しにして自己の利益や便宜を図ろうと試みたが、最終的にはHが同行者であることを含めて真相を語っていったとの見方もできなくもない。 しかしながら、そのような見方が可能であるにしても、既にみたとおり、Bには虚偽供述を行う動機が十分にあり、Bのいう場所から重要な物証となり得る衣類が発見されないなど、みるべき裏付け証拠がなかったばかりか、実際に本件殺人事件に関わり合いのなかったEを巻き込んでまでうその供述をした経過に照らせば、B供述には冤罪を生む危険性が相当にあることを忘れてはなるまい。それ故、B供述の信用性判断は取り立てて慎重に行い、虚偽供述の可能性を払拭できるだけの相応に確かな裏付けがない限りは、B供述に依拠することは避けるべきである。 その上、本件殺人事件についての供述の核心部分について、客観的証拠による裏付けに欠けるだけでなく、B供述の支えとなるはずのJやHの各供述についても、B供述への迎合の可能性や、客観的裏付けの乏しさという脆弱さを露呈していて、その信用性が大きく揺らいでいるのであるから、JやHの各供述も確かな裏付けにはならず、B供述の信用性や証明力は相当低まっているといわざるを得ない。 確かに、Eの名前を出した理由についてHをかばうためであるなどとする説明は一応理解可能なものではあっても、依然として虚偽供述の危険は残っており、慎重な判断を求められるB供述の信用性を大きく回復するものとはいい難い。このような証拠関係の下では、Bが最終的に真相を供述したと考えて間違いないという水準に達しているとは到底思えない。 これに加え、BがEの名前を出した理由についてのB供述を子細にみると、その合理性につ 拠関係の下では、Bが最終的に真相を供述したと考えて間違いないという水準に達しているとは到底思えない。 これに加え、BがEの名前を出した理由についてのB供述を子細にみると、その合理性についていささか疑問を感じるところもある。 すなわち、まず、Hは、両親の離婚により、母方の****姓に戻ったものの、仲間内では姓が変わったことを知らない者も多く(1審検186、1審9回D94丁)、Bも、自分たち仲間内ではHではなく、H´等と呼称しており、Hと呼んでも分からない者の方が多いと思うと供 述していた(1審検213)。そのため、Bが本件について供述する際、Hを念頭にぽろっと「****」と述べて、Hの名前を漏らしてしまった(控訴審供述)というのはやや不自然の感が否めず、これをごまかすためにEの名前を出したというのもたやすく信用し難い。 また、BがEについての供述を始めたのは昭和61年12月に入った頃であるところ、同月8日にはBの公判期日が控えていたことや、BがEについての供述をした後に、取調官に対し犯人を言ってやっているとして減刑を期待する発言をしたり、公判期日においても本件殺人事件の犯人を知っている旨を述べたりして、本件殺人事件に関する情報提供をアピールしていることからすれば、BがEを登場させたのはHをかばうためではなく、Eの迎合を見越した上で同行者の存在をでっちあげ、本件殺人事件について追加の情報を提供することにより減刑等の不当な利益を得ようと画策したとの見方もできなくもない。 さらに、捜査本部がHの関与を疑ったのは、Gの供述や、被害者の血液型と同じ型の血痕の付着により、本件スカイラインが事件当夜の使用車両と疑われたためであるところ、Bは、Gの取調べからHの名前が出たため、これ以上隠すことはできない ったのは、Gの供述や、被害者の血液型と同じ型の血痕の付着により、本件スカイラインが事件当夜の使用車両と疑われたためであるところ、Bは、Gの取調べからHの名前が出たため、これ以上隠すことはできないとして、Hの名前を供述したように説明している(令和5年7月24日付け任意開示68)。しかし、本件スカイラインが浮上したのは、Bが事件当夜に先立つ3月17日に、請求人がHから借りた本件スカイラインでアパートcまで来た、本件スカイラインはGのものでHがよく借りて乗っていたと言及したためであり(当審弁53、54)、自らHの名前を挙げたようなものであるから、Eの名前を出した手前、すぐにはHの関与を供述しなかったものの、BがどれだけHをかばうつもりがあったのか疑わしく、また、Hとの関係性から、関係者としてHの名前に言及することができなかったというのも疑問がないではない。 ⑸ 当審検察官は、当時Bは勾留されていたから、少年院に入所していたFを含め、他の主要関係者と口裏合わせをすることはできず、それにもかかわらず主要関係者がそろって血痕等の目撃を供述しているのは、実際にそのような出来事があったからである、警察がいくら巧みに誘導したとしても、Bを除く5人の人間に経験していない血痕の目撃についての供述をさせることは現実的に不可能であると主張する。この点は、確定判決も、Bが当時身柄拘束中で、他の関係者との通謀が物理的に不可能な状況であったにもかかわらず、関係者の供述は大筋において合致していると指摘している(確定判決65丁)。 しかしながら、Bは、警察官の立会いの下、Eと面会して口裏合わせを図ったほか、主要関係者であるJと面会し、対質での取調べを受け、本件についてJと直接話をする機会を持っている。 また、Dも、警察官の立会いの は、警察官の立会いの下、Eと面会して口裏合わせを図ったほか、主要関係者であるJと面会し、対質での取調べを受け、本件についてJと直接話をする機会を持っている。 また、Dも、警察官の立会いの下、Eと面会しただけでなく、請求人の起訴前である昭和62年4月6日、弁護人と接触した際には、警察官からBの供述調書を見せてもらったと述べている(供述録音テープ・1審弁105、異議審弁36)。Dは公判では他の者の供述調書を見せられたことを否定したが(1審9回D53丁)、上記録音テープによれば、弁護人が、Fがアパートeで請求人にシャワーを使わせてやったことがあるかを聞いたのに対し、Dの方から、Bの調書を見て初めて分かったことだが、シャワーはアパートcで使わせたことになっているとわざわざ訂正をしている(1審検199など、Bの供述調書も同旨である。)。 これに加えて、上記録音テープによると、Dは、Bが、3月20日に、請求人、B及びDと三人で、もう1台車(クレスタ)を持って行って、本件スカイラインをどこかに置き、その持ってきた車で帰ってきたとする点について(Bの上申書や警察官調書に同様の記載がある。1審検212、282)、Bの調書を見せてもらったが、車のところは絶対に違 うと否定もしている。そのほかにも、Dは当時のBの供述内容を詳細に述べているから、警察官がDの取調べに際し、Bの供述調書を見せるなどした疑いが相当に強い。 さらに、Eは、犯人蔵匿で身柄拘束されている間、事件当夜に請求人と一緒に行動していたはずであるとして本件殺人事件への関与を追及されたが、その際、警察官からは、Eが請求人と落ち合い、Eが車を運転してa団地まで行き、Eが車の中で請求人を待ち、請求人が戻ってきてからb会事務所に電話を入れてBに連絡を取ってもらい、Bがゲーム 及されたが、その際、警察官からは、Eが請求人と落ち合い、Eが車を運転してa団地まで行き、Eが車の中で請求人を待ち、請求人が戻ってきてからb会事務所に電話を入れてBに連絡を取ってもらい、Bがゲーム喫茶dにいることが分かると、そこへEが請求人を乗せて行き、それからアパートeに行った、Eは、アパートeでは怖くなり、シンナーを吸っていたから、そのあたりは覚えていないという筋書きを聞かされたと証言している(1審23回E9丁)。この筋書きは、先行するB供述(1審検203)に基づくものであるところ、それまでの捜査の進捗状況も踏まえると、Hも、E同様、関与を否認すれば、取調官からBの具体的な供述を示唆されて、追及を受けたとみても不合理ではない。 以上のとおり、Bは、覚せい剤取締法違反等について勾留をされていながら、警察官の関与の下、公然とJやEらと面会し、本件について直接話をしていた。また、警察は、Bの供述調書を使って、Bの供述内容をDに伝えているし、関与を否認したEや、Hに対しては、先行するB供述の内容を詳細に示して、追及を行っていたことが認められる。 警察官がEにBやDを引き会わせ、本件殺人事件への関与を認めるよう説得させるなどしていることからも明らかなとおり、警察は、捜査の行き詰まりもあって、当時唯一の情報源であったB供述に頼り、主要関係者らに対し、B供述を示唆するなどして誘導等を行い、なりふりかまわず供述を得ようとしていた疑いが濃厚である。したがって、取調べ当時、少年院に収容されていたFも含めて、警察官から具体的に示唆され るB供述に迎合し、主要関係者らがB供述に沿う供述を行うことは十分に可能であったといえる。 これに対して、主要関係者が警察の誘導等に対して迎合するだけの動機があるかどうかについてみる るB供述に迎合し、主要関係者らがB供述に沿う供述を行うことは十分に可能であったといえる。 これに対して、主要関係者が警察の誘導等に対して迎合するだけの動機があるかどうかについてみると、Hについては前述したとおり自己保身の動機を挙げることができる。Fは、年長のBから仕事を世話してもらい、覚醒剤を融通してもらうなどしているから、Bに恩義を感じていた可能性があるし、それだけでなく、Fは、Bにアパートeの合鍵を使用させ、Bの関係者の出入りを容認して、Bの自由に使わせるなどしていて(1審6回B7丁、1審検283、287)、Bに逆らえなかった様子もあるから、Bに迎合する可能性は十分にある。また、Dは、昭和61年5月頃、幹部組員との意見が合わず、無断でb会を飛び出し、神奈川県内で別の暴力団組織に所属して生活していたところ、警察官から任意の取調べに応じなければ、別件での身柄拘束や指名手配をすると匂わされたために、福井に戻って取調べを受けている(1審9回D7丁、第一次再審請求審検73、75、1審弁105、異議審弁36)。 この点について、確定判決は、Dが本件殺人事件の取調べを受けていた際、別件の被疑者として捜査中ではあったものの、単純な無銭飲食という軽微な犯罪であって(控訴趣意書305頁参照)、これをもって捜査官に迎合しやすい素地を生じさせるものではないなどとしている(確定判決87丁)。しかし、Dは、当時現役の暴力団組員であり、「どんなことでも拾い出される」と述べていたとおり(1審弁105、異議審弁36)、本件殺人事件の捜査に協力しなければ、種々理由を付けて別件による身柄拘束をされる可能性があると懸念していたことは否定できない。よって、Dについても警察に迎合する動機はないわけではないし、Bと交際関係にあったCについても同様 なければ、種々理由を付けて別件による身柄拘束をされる可能性があると懸念していたことは否定できない。よって、Dについても警察に迎合する動機はないわけではないし、Bと交際関係にあったCについても同様である。 以上のとおり、Bが身柄拘束中であることにより他の主要関係者に働 きかけることが物理的に不可能な状態にあったわけでなく、現に、警察は、主要関係者同士を面会させたり、Bの供述調書を示したりするなどして、先行するB供述を基に、他の主要関係者に対し誘導等をすることが十分に可能であったし、現にそのようにした形跡もある。Bを始めとする主要関係者のグループにおいては、殺人はともかく、請求人を含め、けんかや、シンナー吸引等に伴ういざこざは珍しくなかった様子がうかがえるから、その限度で上記大要に類似した出来事があったとしても不思議ではなく、それを下敷きに話を組み立てることも当審検察官が考えるほど難しいことでもないと思われる。 したがって、当審検察官の主張については、主要関係者が警察の誘導等に応じてB供述に迎合した結果としてそのような供述状況になったとみる余地が十分にあるといわざるを得ないから、身柄拘束中のB供述と、他の主要関係者供述が大筋で一致しているからといって、B供述の信用性を認める根拠とはならないというべきである。 ⑹ そうすると、Bについては、もともと真実に反して虚偽供述をするおそれが強く、実際に確定判決にいう大要部分についてEの関与という虚偽供述をし、Eにうその供述をするよう働きかけた経過がある上、B供述については客観的裏付けに乏しく、他の主要関係者供述についても、関係証拠に照らし、B供述に迎合してなされた具体的かつ合理的な疑いが拭えないのであるから、これをB供述の裏付けとみることはできない。 B供述につい 客観的裏付けに乏しく、他の主要関係者供述についても、関係証拠に照らし、B供述に迎合してなされた具体的かつ合理的な疑いが拭えないのであるから、これをB供述の裏付けとみることはできない。 B供述についても間違いなく信用することはできず、確定判決のようにこれを請求人の有罪認定に供するには無理があるといわざるを得ない。 第5 その他の主要関係者供述について以上のとおり、確定判決による有罪認定の根拠となったJ、H及びBの各供述が間違いなく信用できる証拠ではなく、確定判決のいう大要部分の事実認定をするにはもはや十分な合理的な疑いが生じているといえる。 ただ、主要関係者供述としては、J、H及びBの各供述のほか、F、D及びCの各供述があるから、念のため、同人らの各供述の信用性についても一応検討を加えることとする。なお、同人らの供述の信用性を直接減殺する明白性の明らかな新証拠は認められず、新旧証拠の総合評価を行うこととする。もっとも、同人らの各供述は、J、H及びBの各供述が十分に信用することができて初めて、同人らの各供述の信用性を高めるという関係性を持つ証拠であるというべきであり、仮に、F、D及びCの供述だけが信用性を認められたとしても、これまで検討したとおり、J、H及びBの各供述の信用性が認められない以上、本件証拠構造上、請求人を本件殺人事件の犯人と認定をするのに十分な証明力を有するものではないことを付言しておく。 1 F及びDの供述について⑴ Fの第一審公判証言の要旨は、「ラウンジ勤めを終えて帰宅後となる3月20日午前1時過ぎ頃、着衣に血を付けた請求人に似た男が、B、Jと一緒に、当時の自宅であるアパートeに来た。Hは来ていない。その後、BとJが、その男を残したまま出て行き、明け方頃、今度はBがDを連れてやって 1時過ぎ頃、着衣に血を付けた請求人に似た男が、B、Jと一緒に、当時の自宅であるアパートeに来た。Hは来ていない。その後、BとJが、その男を残したまま出て行き、明け方頃、今度はBがDを連れてやってきた。三人で覚醒剤を使用した後、BとDはアパートcへ行き、Bから請求人に似た男を後からアパートcまで来させてくれと頼まれ、そのようにした。」というものである(1審7回F)。なお、Fは、昭和61年9月26日に覚せい剤取締法違反で逮捕され、同年11月6日から昭和62年7月16日まで少年院に入院しており(1審検244、248)、Fの供述調書は全て在院中に作成されている(1審検283ないし287、第一次再審請求審検71、72)。 確定判決は、Fの供述は、アパートeを訪れたとのB、J及びDの供述に沿うもので基本的事項についても一貫していること、FはBらが着衣に血を付けた男を連れて自宅を訪れた日がごみ収集日にあたる3月2 0日木曜日であると供述しているが、これは清掃事務所長作成の関係証拠により裏付けられていること、齟齬する点については、事件発生後、約8か月余りを経過した時点で取調べを受けるなどしたことに照らせば不自然ではなく、むしろ、こうした齟齬が生じたのは自己の記憶どおり供述した結果であるとした(確定判決83丁)。 ⑵ また、Dの第一審公判証言の要旨は、「事件当夜、b会事務所で当番をしていると、Bの関係者と思われる男からBの居場所を問い合わせる電話があったので、Bのポケットベルを鳴らし、事務所に電話してきた男のことを伝え、当時Bがいたゲーム喫茶dの電話番号を聞き、再び電話をかけてきたその男に同電話番号を教えた記憶がある。朝方前にb会事務所へ来たBから、車がどうにかならないか言われるとともに、覚醒剤が手に入ったと誘われたので、b ーム喫茶dの電話番号を聞き、再び電話をかけてきたその男に同電話番号を教えた記憶がある。朝方前にb会事務所へ来たBから、車がどうにかならないか言われるとともに、覚醒剤が手に入ったと誘われたので、b会本部長のキャデラックでアパートeに行った。事務所を出ると、Bから、Fの部屋で請求人らがシンナーをしていてFが困っており、追い出してくれとか、車中では請求人がやばいことをしたと言われた。3月20日午前4時頃、アパートeに着くと、同室にはFと請求人がいた。そのほかに、もう一人いたと思うが、それがHかは分からない。請求人は、同室でシンナーを吸っており、胸元と首筋に血が付いていたので、首筋の血を洗いに行かせた。同室でB、Fと共に覚醒剤を使用した後、請求人に後から来るように言ってBとアパートcへ行った。」というものである(1審8、9回D)。 確定判決は、Dの供述の信用性について、DはBの暴力団における兄貴分に当たるほか、請求人ともかねてから親しく、一緒に食事をするなどの関係があったところ、Dの供述は、具体的かつ詳細であるとともに、H、B、F、Cらの供述とほぼ一致しており、これらの供述が信用できることにも照らし信用性が認められるとしている(確定判決86丁)。 ⑶ まず、FやDは、事件当夜に請求人と同行した人物について、B同様、 いったんはEであると供述した後、供述を変遷させた経過がある。 Bは、昭和61年12月1日以降、Eが関与したとの虚偽供述をしており(1審検202)、同月6日には、事件当夜にゲーム喫茶dにいた際、事務所当番をしていたDから、「****」から連絡があったと伝えられたこと、Dを伴って請求人やEのいるアパートeに行ったなどと供述していた(1審検203)。 これに対し、Fは、同年12月中は、血を付け していたDから、「****」から連絡があったと伝えられたこと、Dを伴って請求人やEのいるアパートeに行ったなどと供述していた(1審検203)。 これに対し、Fは、同年12月中は、血を付けた人物や同行者についての記憶が薄いとしながらも、最終的には同行者はEではないかと供述し(1審検285)、Dも、同月15日以降、事件当夜に事務所当番をしている際に、W14かEから電話があり、Bに取り次いだことがあること、Bと一緒にアパートeに行くと、請求人のほか、W14かEがいたと供述した(第一次再審請求審検73ないし75)。 ところが、Bは、昭和62年に入ると、請求人の同行者はEではなくHであると供述を変更した。すると、Fは、同年1月26日、請求人と一緒にいたのはEではなくJであったと供述を変更し(1審検286)、Dもまた、同年2月の取調べの際、アパートeにはEではなくHがいたと供述を変更した(第一次再審請求審検78。ただし、その後、請求人以外にもう一人いたと思うがはっきりしない、それはHではないと供述している。第一次再審請求審検80、1審8、9回D)。 なお、アパートeにHが来たかについては、F、Dのみならず、J、Bもそれぞれ異なる供述をし、H供述も曖昧であるから、この点はこれら主要関係者の供述の信用性を疑わせる事情というべきである。 ⑷ 次に、FやDの供述は、請求人が血痕を付けていたことを目撃した点でも変遷がみられる。 ア確定判決は、Fの供述の核心部分は、Bが請求人によく似た男を3月20日午前1時頃に自宅に連れてきたこと、その男の胸等に血が付 いているのを目撃したことにあるとし、また、Fにとって、Bが血を付けた男を自室に連れて来たことはかなり特異なことであり、記憶に残りやすいと指摘するとともに( きたこと、その男の胸等に血が付 いているのを目撃したことにあるとし、また、Fにとって、Bが血を付けた男を自室に連れて来たことはかなり特異なことであり、記憶に残りやすいと指摘するとともに(確定判決85丁)、D供述の核心部分として、アパートeで血を付けた請求人の姿を目撃したことを挙げている(同88丁)。 イそこで、血痕目撃に関する供述経過をみてみる。 まず、Bは、昭和61年10月28日、アパートcで請求人の右太もも付近や靴に血が付いていたことを思い出したなどと供述した(当審弁40)のを皮切りに、同年11月27日に、請求人が着ていたズボンの右足、太ももに直径20センチメートルくらいの半乾きの血が付いていて、ジャンパーや手のところどころに血が付いていたなどと供述し(1審検200)、同月29日には、血痕の付着状況につき図示したが、その際、同月27日に供述した付着状況に加え、右胸付近に飛び散った血をも記載した(1審検201)。同年12月6日になると、請求人の顔や洋服には点々と血が飛び散るように付いており、手や手首にも血が付いて黒くなっていたなどと供述し、アパートeで目撃した請求人の状況については、上着の下のシャツに点々と飛び散るように血が付着し、両手付近にも血が付着している様子を図示するなど(1審検203)、付着した血痕の大きさや量、付着箇所を拡大させている。 他方、Fは、同月7日以降、同月中の取調べにおいては、男の胸から腹にかけて細かく点々と飛び散ったように血が付いていたと述べるとともに、同月19日付けの警察官調書では、Bの作成した図同様、人体図の上半身に細かく点々とした血痕が付着するとともに、指先付近にも血が付着している様子を図示していた(1審検283、285、第一次再審請求審検71、72)。 察官調書では、Bの作成した図同様、人体図の上半身に細かく点々とした血痕が付着するとともに、指先付近にも血が付着している様子を図示していた(1審検283、285、第一次再審請求審検71、72)。 その後、Bは、最終的に、昭和62年3月25日付けの検察官調書において、右胸や右太ももにやや大きな範囲で血が付いており、そのほかは血が飛んで付いたようになっていたと供述し、その旨図示すると(1審検220)、Fも、同年4月14日付けの検察官調書において、血は大小色々あり、大きいものはカブト虫大で、楕円形に近く、円の長い方の一方がカブト虫の角のように細長くなっている感じであったとして、上半身に血が点々と付く中に、一つ大きな雫型の血痕が付着している様子を図示するとともに、手の甲に血が付いていたと述べ(1審検287)、第一審公判においては、血は手の甲と胸の辺りについており、胸には大小ばらばらと、大きいものは4センチメートル角の崩れた血が付いていたなどと証言している(1審7回F)。 また、Dについても、昭和61年12月中は、請求人のトレーナー様シャツの左袖辺りに、肘を中心にして幅30センチメートルくらいの大きさに赤黒く一見して血と分かる染みがあり、胸から首あたりには点々とした血が水しぶきを浴びたように付いていたと述べていたにもかかわらず(第一次再審請求審検73、74)、昭和62年3月になると、請求人は首筋や服の胸元に血を付けており、以前供述した左腕辺りの血の染みについては自信がなくなったと述べ(同80、81)、第一審公判においても、胸の辺りと首筋、特に胸の辺りの印象が強いとしながらも曖昧な証言をしている(1審8、9回D)。 ウこのようなFとDの血痕に関する供述についてみると、目撃した血痕の付着状況を正確に把握 ても、胸の辺りと首筋、特に胸の辺りの印象が強いとしながらも曖昧な証言をしている(1審8、9回D)。 ウこのようなFとDの血痕に関する供述についてみると、目撃した血痕の付着状況を正確に把握してこれを記憶にとどめ人に説明することは容易ではないとはいえ、実際にかなりの大きさや量があるなど一見して目立つような血痕を目撃していたのであれば、ある程度印象に残るはずであるのに(確定判決が主要関係者の血痕目撃供述を有罪認定の柱の一つとしていることから、かなり印象的な付着状況であったと みるのが合理的なように思われる。)、B、F及びDの血痕目撃供述をみると、上記のような容易に理解できない変遷がみられる。 しかも、B供述に加え、手の甲や胸元に血が付いていたとのH供述(昭和62年1月26日付け警察官調書・1審検187、2月1日上申書)や、胸元、首に近い辺りに直径約5センチメートルで、楕円形に血が付いており、その周りに飛び散ったような血が付いていたとのJ供述(昭和62年3月24日付け検察官調書・1審検295)と整合させようとしたとみられる経過もうかがわれる。 このようなことからすると、もともとは主要関係者の血痕目撃供述が符合しておらず、これを捜査機関が矛盾しないように調整しようとしたことをみて取ることも可能である。そうすると、FとDが実際に血痕付着を目撃するという体験をしたというには疑問が残り、この点のF及びDの供述を信用するには躊躇を覚えるところである。 ⑸ アパートeに同行した人物が誰であるかや、請求人が事件当夜に血痕を付着させていたことは、確定判決にいう大要を構成する部分で、重要な間接事実の一つであり、また、当審検察官も血痕を目撃していないにもかかわらず、複数の人間の血痕目撃供述を誘導することは困難である 痕を付着させていたことは、確定判決にいう大要を構成する部分で、重要な間接事実の一つであり、また、当審検察官も血痕を目撃していないにもかかわらず、複数の人間の血痕目撃供述を誘導することは困難であると主張する。 しかし、FやDの供述経過をみると、他の主要関係者供述を受けた変遷がみられるから、FやDが実際に目撃した体験供述を述べているのかに疑問を生じさせるに十分である。殊に、この二人は、B供述からの誘導や示唆を受けて、本件に関与のないEの名前まで出して巻き込もうとしていることからも首肯できる。 この点について、Dは、Eの名前を出した理由について、捜査段階では、Hが暴走族仲間で昔からの友達であったからなかなか名前を言えず、Eなら年下だから言ってしまったなどと説明をしていたことがうかがえ るが(第一次再審請求審検78)、Dは、第一審公判においては、Eの名前を出したことすら覚えていないなどと曖昧な供述をしたことなども踏まえると、その説明はさして納得のいくものではない。Fも、Jとの関係性から、Jの名前を出さずに、Eの名前を出していたと述べていたが、同様である。 むしろ、B供述の変遷に応じて供述を変えていくなどしたFやDの供述経過からすれば、同人らは、その立場などにも鑑み、簡単に誘導に乗りやすい人物であると認められ、同人らの供述に信用性を認めるのは困難であって、少なくとも同人らの供述が有罪認定に供せられるほどの信用性を有するとみることはできない。 2 Cの供述についてCの捜査段階供述(検察官調書・1審検273)の要旨は、「3月20日早朝頃、請求人が左右どちらかの太ももに点々と血を付けてアパートcまで来た。請求人を同室で寝かせてやったが、寝ている間にも請求人がうなされて大声を出していたので気味が悪 73)の要旨は、「3月20日早朝頃、請求人が左右どちらかの太ももに点々と血を付けてアパートcまで来た。請求人を同室で寝かせてやったが、寝ている間にも請求人がうなされて大声を出していたので気味が悪いと思った。」というものであり、確定判決は、同供述はBやDの供述に沿うものであり、Cは事件当夜にBがタクシーで出かけたと供述しているところ、この点についてはBが利用したtタクシーについての裏付けがあるから信用できるとしている(確定判決94丁)。 しかし、Cは、第一審公判で、「事件当夜に請求人はアパートcに来ていない。請求人が夜中にアパートcに来て泊めてやり、寝ていた請求人が大きなうなり声を上げたことがあったが、事件当夜とは別の日の出来事である。ズボンに米粒くらいの血痕が何滴か付いていたのは何となく見た記憶があるが、請求人かといわれても分からないし、Bがよく付けていた血と勘違いしているかもしれない。捜査段階の供述調書については、捜査官から、Bがこういう感じで言っているけれどもと聞かれ、大分経ってから 聞かれたのでよく覚えておらず、そう言われるとそうなのかなと思った。」と証言している(1審25回C)。 Cは、当初の聞き込みの際には、昭和61年3月頃の深夜に請求人がアパートcに来たことがあったなどと述べていたが、請求人とは面接しておらず、どの部分に血が付いていたかは全く分からないと述べており(当審弁42)、その後、事件当夜にアパートcに来た請求人の太ももに血痕が付着していたなどと述べはしたものの、結局、公判廷では曖昧な証言に至っている。Cは、Bが逮捕されて以降、Bと面会をしている様子がうかがわれ、Bから本件について情報提供ができれば減刑してもらえるとし、協力を求められていた経過があるから(1審弁99)、CとBの関係性に照 いる。Cは、Bが逮捕されて以降、Bと面会をしている様子がうかがわれ、Bから本件について情報提供ができれば減刑してもらえるとし、協力を求められていた経過があるから(1審弁99)、CとBの関係性に照らしても、CがB供述に迎合して血痕目撃供述をした可能性は否定できない。 血痕目撃をいうCの捜査段階供述も信用することができない。 第6 総括(まとめ)本件殺人事件については、もともと請求人の自白はもちろん、犯人性を直接基礎付ける物証や犯行目撃供述は存在しないところ、確定判決によって、慎重な信用性判断を要する主要関係者供述に依拠して立証された間接事実により請求人が犯人と認定された事案である。その主要関係者供述についても、本件殺人事件との関連性が強い客観的裏付けに乏しいものの、最終的に主要関係者が概ね一致して確定判決にいう大要を供述していることを理由に、相互に各供述を補強し、その信用性が肯定されたといえる。 もっとも、確定判決は、本件殺人事件につき請求人に無罪を言い渡した一審判決を破棄して有罪の判決を自判したものであるところ、新旧証拠を踏まえての判断ではあるが、客観的な裏付け証拠に乏しいなどぜい弱な証拠構造を有する中で、確定判決とは別の見方ができるところが多々あったことなどに照らすと、確定判決が本件殺人事件において請求人を犯人と認 定した最大の根拠にしたと解される、事案の核心に関する主要関係者の供述内容の大要が一致していて全体としては信用性を認めることができるとしたこと(確定判決21丁)について、実質的にみて合理的で説得力のある(心底腑に落ちるような)理由が示されているとは思えない。確定判決が、明らかに誤った認定判断をしたとまでは断じられないにしても、一審判決に事実誤認があることについて、論理則、経験則等に照らし のある(心底腑に落ちるような)理由が示されているとは思えない。確定判決が、明らかに誤った認定判断をしたとまでは断じられないにしても、一審判決に事実誤認があることについて、論理則、経験則等に照らして不合理であることを十分に示しているかどうかという観点(最高裁判所平成24年2月13日第1小法廷判決・刑集66巻4号482頁等参照)でみた場合、いささか心許ないところがあるのも事実であって、確定判決が基礎とした証拠関係からだけでも、請求人に対し本件について無罪を言い渡した一審判決を破棄してまで有罪の自判をすべきであったか疑問を禁じ得ないところを感じたのも否めない。 それはさておき、実際に、再審請求審にも適用される「疑わしきは被告人の利益に」の鉄則を意識しつつ新証拠を検討すると、主要関係者供述の信用性を補強する関係にあった客観的裏付け事実とされた事実に誤りがあることが明らかになったこと(J供述関係)にとどまらず、同様の関係にあったKら(J供述関係)、R(H供述関係)及びS(B供述関係)の各供述の信用性に見過ごせない疑問が生じて、数少ない裏付け証拠のうち本件殺人事件との関連性の比較的強いものがなくなり、客観的裏付けの乏しい状態にある供述自体の信用性が問題となって難しい信用性判断が求められる中、本件殺人事件の犯人の検挙や立件に執着する警察官らがB供述にすがりつくようにしてJやHに対しB供述を基に誘導するなどし、JやHがこれに迎合して虚偽の供述をしたのではないかという具体的かつ合理的な可能性があるとの心証に至り、確定判決が依拠したJやHの各供述の信用性に揺らぎが生じた。そのため、新旧証拠を総合して検討したところ、前同様、Bにおいて自己の利益を図るために請求人が犯人であるとのうそ の供述を行い、捜査に行き詰った捜査機関において他の主 用性に揺らぎが生じた。そのため、新旧証拠を総合して検討したところ、前同様、Bにおいて自己の利益を図るために請求人が犯人であるとのうそ の供述を行い、捜査に行き詰った捜査機関において他の主要関係者に対してB供述に基づく誘導等の不当な働きかけを行い、その結果、B供述に沿う主要関係者供述が形成されていったのではないかという具体的かつ合理的な疑いが更に強まり、新旧証拠を精査してもそのような疑いを払拭することができなかったものである。このような意味で、弁護人らが提示した仮説ないし立証命題の立証に成功したといえる。これに対し、当審検察官において、上記仮説ないし立証命題の成立を完全に否定しなければならなくなったが、その主張・反証は奏効していない(比喩的に言えば、弁護人らが上げることに成功した合理的疑いの炎を当審検察官は消せていない。)。 更に言えば、なるほど、複数の供述者がある場合に、供述者らに利害関係がない場合等には、複数の供述内容が一致することで、相互に信用性を支え合う関係にあると評価できる場合もあり、確定判決のいう大要が認定できるという見方も可能であることを完全に否定するつもりはない。しかし、前述したとおり、本件においては主要関係者においてB供述に迎合するだけの動機がある上、その立場や性行等に鑑み、被誘導性も強いものがあり、その一方で、捜査機関等(起訴後は検察官も含む。)においては、捜査や公判での立証に行き詰まりを感じ、請求人を立件して有罪に持ち込みたいという思惑を強く有していたことから、捜査機関等による供述誘導等の意図も相当強かったものと推認できるところもある。しかも、主要関係者の各供述に客観的な裏付けとなるような証拠に乏しいため、主要関係者に対し、捜査機関等が見立てた筋立て(ストーリー)に見合った供述ないし証言を求 かったものと推認できるところもある。しかも、主要関係者の各供述に客観的な裏付けとなるような証拠に乏しいため、主要関係者に対し、捜査機関等が見立てた筋立て(ストーリー)に見合った供述ないし証言を求めていたことは容易にみて取れ、主要関係者においてもそれに迎合した具体的な供述をすることは決して不可能ではなかったと考えられる。 そうすると、主要関係者供述が大筋で一致しているからといって、同供 述が実際に体験した事実を供述するものとは評価することができないから、確定判決のように主要関係者供述の信用性を認めることは、「疑わしきは被告人の利益に」の鉄則にもとることになり、正義にも反し許されないというべきである。したがって、主要関係者供述を間接証拠として、犯行可能性、血痕目撃や犯行告白といった間接事実は認定することができない。 このほか、確定判決は、請求人が少なからぬ機会に自己が犯人であることを認めるかのような言動に出ており、これを請求人が本件犯行を犯したことを推測させる重要な根拠となり得るとしているが(確定判決101丁)、この間接事実単体で請求人が本件殺人事件の犯人であることを間違いなく推認させるほどの推認力はなく、その他の間接事実についても同様である。 以上の検討によれば、弁護人らが提出した心理学者作成の鑑定書や、ルミノール反応の陰性化に関する実験結果(本件スカイラインから被害者の血痕が発見されなかったことに関するもの)を始めとする他の新証拠を更に検討するまでもなく、請求人が本件殺人事件の犯人であることについては合理的な疑いを超える程度の立証がされているとは認められず、請求人を犯人であると認めることはできない。 弁護人らの主張には理由がある。 第7 結論よって、刑訴法448条1項により、本件につ 疑いを超える程度の立証がされているとは認められず、請求人を犯人であると認めることはできない。弁護人らの主張には理由がある。 主文 第7 結論 よって、刑訴法448条1項により、本件について再審を開始することとして、主文のとおり決定する。 令和6年10月23日 名古屋高等裁判所金沢支部第2部 裁判長裁判官 山田耕司 裁判官 山田兼司 裁判官 南うらら

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