【DRY-RUN】主 文 本件について再審を開始する。 理 由 目 次 第一、 本件再審請求の趣意 第二、 本件事案の概要と従前の再審請求との関
主文 本件について再審を開始する。 理由 目次第一、 本件再審請求の趣意第二、 本件事案の概要と従前の再審請求との関係第三、 本件事案の処理上考慮すべき基本的な問題点第四、 原判決の有罪認定の証拠上の構成第五、 請求人提出、援用の「あらたな証拠」のうち、A1意見書、同鑑定書、A2鑑定書、A3鑑定書、A4鑑定書、A1、A2各証人尋問調書について一、 本件兇器について(一) 原判決の認定する兇器(二) 原判決の認定する兇器「押切、藁切」の性状、形態(三) A1意見書、同鑑定書、A2鑑定書、A1、A2各証人尋問調書の検討(A) 本件被害者B1の創傷の部位、程度(B) A2鑑定(C) A1鑑定(D) A3、A4鑑定(E) 右A2、A1鑑定の評価と右A3、A4鑑定との関係二、 A5の血痕鑑定について(一) 本件筒袖衣服の押収の時期(二) A5鑑定の経緯、方法(三) A1意見書、同鑑定書、A2鑑定書、A3鑑定書、A4鑑定書、A1、A2各証人尋問調書の検討(A) 「人血」であるとするA5鑑定の当否(B) 「血痕」であるとするA5鑑定の当否第六、 原判決の有罪認定につき考慮すべきその他の関係一、 C1の供述の信用性(一) 原一、二審判決の記載に現われたC1の供述の疑念(二) D1夫婦逮捕の一件二、 請求人の本件事件当時から今日までの行動第七、 結論本文第一、 本件再審請求の趣意本件再審請求の趣意は、弁護人藤堂真二、同原田香留夫、元弁護人星野民雄、同鈴木惣三郎共同作成名義の再審請求書及ひ請求人、弁護人藤堂真二、同原田香留夫共同作成名義の意見要旨(昭和 本件再審請求の趣意本件再審請求の趣意は、弁護人藤堂真二、同原田香留夫、元弁護人星野民雄、同鈴木惣三郎共同作成名義の再審請求書及ひ請求人、弁護人藤堂真二、同原田香留夫共同作成名義の意見要旨(昭和五一年五月一九日付)記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。その要旨は次のとおりである。つまり、請求人は大正五年八月四日広島控訴院で、請求人がC1と共謀のうえ大正四年七月一一日午前一時ころ山口県豊浦郡a村B1方に所持金窃取の目的で侵入し、覚醒した同人を逮捕を免れるため殺害したという住居侵入、殺人、強盗致死の罪(以下単に強盗殺人という)を犯したとして、無期懲役に処せられ、請求人はこれに対し上告申立をしたが、これも大正五年一一月七日同棄却となり、右有罪判決は即日確定するに至つたものである。しかしながら、請求人は右犯行には毛一筋も関与しておらず、全くの冤罪であるから、これらを明らかにするため以下の理由で右再審開始の決定を求めるべく本件請求に及んだというのであり、そして同理由とするところは、種々主張しているが結局、いずれも旧刑事訴訟法(大正一一年法律第七五号、以下単に旧刑訴法という)四八五条六号所定の「無罪ヲ言渡スヘキ明確ナル証拠ヲ新ニ発見シタル」ことを主張するものと解される。その主張する要証事実と新証拠は以下のとおりである。 (一) (1)、被害者B1の受けた創傷は、原確定判決(以下単に原判決という)が兇器とする「押切」等相当重量のある刃器によるものでないこと、(2)、原判決挙示のA5の鑑定書中、当時請求人が着用していたとされている「証第九号筒袖衣服」の表面に附着する斑点は「血痕ニシテ」「人血ナリ」とする鑑定は誤りであること、(3)、原判決挙示のC1の豫審尋問調書中の供述記載には信憑性のないこと、を立証するあらたな証拠として、1、 A 衣服」の表面に附着する斑点は「血痕ニシテ」「人血ナリ」とする鑑定は誤りであること、(3)、原判決挙示のC1の豫審尋問調書中の供述記載には信憑性のないこと、を立証するあらたな証拠として、1、 A1作成の昭和五〇年五月三一日付意見書(以下単にA1意見書と略称)2、 同人作成の同年八月二六日付鑑定書(以下単にA1鑑定書と略称)3、 A2作成の同年一一月三日付鑑定書(以下単にA2鑑定書と略称)4、 当裁判所のA1証人尋問調書5、 同 A2証人尋問調書6、 A3作成の昭和五一年三月二三日付鑑定書(右(2)の関係のみ)(以下単にA3鑑定書と略称)7、 A4作成の同年四月二二日付鑑定書(右(2)の関係のみ)(以下単にA4鑑定書と略称)(二) 精神医学、心理学的側面からして、(1)請求人が終始犯行を否定し無実を主張するのは、事実に基づくもので単なる妄想ではないこと、(2)C1の述べるところは虚偽であること、を立証するあらたな証拠として、1、 D2作成の昭和五〇年八月三〇日付鑑定書2、 当裁判所のD2証人尋問調書3、 E1作成の昭和五一年二月一一日付意見書(ロールシヤツハテスト所見も含む)4、 当裁判所のD3証人尋問調書(右(2)の関係のみ)(三) 本件現場状況、地理的関係等からして原判示のC1の供述は信用できないいことを立証するあらたな証拠として、1、 弁護人藤堂真二作成の昭和五〇年一〇月一三日付検証調書2、 当裁判所の検証調書(現場)(四) その他、(1)本件につき、C1には動機があるが、請求人には動機がないこと、(2)請求人が捜査当初より今日まで一貫して無実を主張していること、を立証するあらたな証拠として、1、 当裁判所における請求人の供述(請求人尋問調書)2、 大正五年一月二六日付同年二 ないこと、(2)請求人が捜査当初より今日まで一貫して無実を主張していること、を立証するあらたな証拠として、1、 当裁判所における請求人の供述(請求人尋問調書)2、 大正五年一月二六日付同年二月九日付E2新聞紙(右(1)の関係のみ)3、 請求人の身分帳簿中巡閲官に情願し却下された告知書(右(2)の関係のみ、以下8まで同じ)4、 E3作成の昭和三九年二月二八日付供述書5、 第一次再審請求記録(当庁昭和三八年(お)第一号)中の請求人の供述速記録6、 請求人作成の昭和四五年九月三〇日付法務大臣宛嘆願書7、 請求人作成の再審事件特別日誌と記録昭和三八年三月と題するノートブツク8、 日弁連、F1、F2その他多数弁護士、医師等と請求人との往復文書第二、 本件事案の概要と従前の再審請求との関係本件再審請求事件記録及び従前の再審請求事件各記録によると、本件は、請求人が前記のとおり大正四年七月一一日午前一時ころC1とともに強盗殺人を犯したということで、当初大正五年二月一四日一審山口地方裁判所で右両名とも各無期懲役に処せられ、次いで請求人より無罪を主張し、また原審検事より右両名につき量刑軽きに失するとの主張で広島控訴院に各控訴したが、同控訴院は右両主張とも採用できないとし、ただ法令適用において右一審判決は住居侵入の所為を認、がらその擬律を遺脱した違法があるとして右一審判決を取消して改めて請求人、C1の両名につき各無期懲役に処する旨の判決言渡をし、その後請求人はさらに右無罪を主張して上告したが、大正五年一一月七日大審院で上告棄却の判決がなされ、同判決は即日確定するに至つたものであるところ、請求人は同日から服役することとなり、広島刑務所、三池刑務所、久留米少年刑務所等約一四年一ヶ月の間服役の後昭和五年一二月六日仮出所となつたもので され、同判決は即日確定するに至つたものであるところ、請求人は同日から服役することとなり、広島刑務所、三池刑務所、久留米少年刑務所等約一四年一ヶ月の間服役の後昭和五年一二月六日仮出所となつたものであり、請求人は本件事件当時二三才、現在は八四才ですでに当時から六〇年もの歳月を閲し、右事件関係記録も後述するとおり原一、二審と上告審の各判決書があるほかは全く残存しない現状であることが明らかである。 そして、右請求人の従前の各本件再審請求事件記録によると、請求人は今回の本件再審請求前すでに五回も当庁に再審請求をなしいずれも同請求棄却となつている事実が明らかであるところ、これをかりに日時に従い順次第一次から第五次として示すと、(一)昭和三八年三月第一次再審請求(当庁昭和三八年(お)第一号)、(二)昭和四〇年六月第二次再審請求(当庁昭和四〇年(お)第二号)、(三)昭和四二年二月第三次再審請求(当庁昭和四二年(お)第一号)、(四)昭和四五年五月第四次再審請求(当庁昭和四五年(お)第一号)、(五)昭和四九年六月第五次再審請求(当庁昭和四九年(お)第二号)となり、本件再審請求は右第六次再審請求という関係になるものであることが明らかである。ところで、右各記録によると、従前の各再審請求棄却の理由は、右第五次の分が、同申立は旧刑訴法四九七条所定の原判決の謄本、証拠書類、証拠物等の添付がないことを理由とするいわば手続的な瑕疵によるものであるのを除くと、その余は、第二次ないし第四次の分はいずれも第一次再審請求で申し立てられた再審請求理由と同一の理由によるものであるということで旧刑訴法五〇五条二項に従い棄却されているものであることがうかがわれるので、右第一次再審請求理由と本件再審請求理由との関係等につき以下若干の説明を加えておくこととする。 まず、本件再審請求 うことで旧刑訴法五〇五条二項に従い棄却されているものであることがうかがわれるので、右第一次再審請求理由と本件再審請求理由との関係等につき以下若干の説明を加えておくこととする。 まず、本件再審請求事件は、同記録によると、旧旧刑事訴訟法(明治二三年法律第九六号)の下で公訴を提起された強盗殺人事件に関するもので、刑事訴訟法施行法二条、旧刑訴法附則六一六条一項により旧刑訴法及び日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急的措置に関する法律に従い処理されるべきものであることはいうまでもないところ、次いで、従前の再審請求事件各記録により同各請求の理由につき検討してみるに、その請求の理由とするところは、右各請求棄却に至つた同各決定の理解するところに従うと、結局は次のようであつたと解される。つまり、右第一次再審請求においては、同請求の理由とするところは、(一)原判決の挙示するA5の鑑定書の鑑定資料(証第九号筒袖衣服の一部)は何人かにより偽造されたもので、したがつて同鑑定は信用できないものであること、(二)原一審判決挙示のA5の証言は原二審判決の心証形成にも影響したものとみられるが、替玉によるもので同証言は虚偽であること、(三)原判決挙示のC1の原二審公判および第一回豫審調書中の、本件犯行は請求人との共犯であるとする供述部分は虚偽であること、を主張し、その証拠資料として、右(一)、(二)につき、鈴木弁護士ら聴取のA5録音テープ(同速記反訳したものにつき、以下単にA5速記録という)、広島高等裁判所昭和三九年一月二四日施行A5証人尋問調書を、また右(三)につき、鈴木弁護士ら聴取の請求人、D1、D4、D5、D6、D7の各録音テープ(以上のうち、請求人、D1、D6の同各速記反訳したものにつき、以下単に各速記録という)、広島高等裁判所昭和三九年一月二五日施行D1、D 護士ら聴取の請求人、D1、D4、D5、D6、D7の各録音テープ(以上のうち、請求人、D1、D6の同各速記反訳したものにつき、以下単に各速記録という)、広島高等裁判所昭和三九年一月二五日施行D1、D6各証人尋問調書及び藁切(刃の部分のみ)(本件再審請求における当庁昭和五一年押第六号の九と同じもの)を提出したというものであり、これらを旧刑訴法所定の再審請求「原由」としてみる場合、結局、右は、右A5鑑定書の鑑定資料(証拠物)の偽造、A5証言及びC1供述の虚偽を主張し、しかも重要関係人死亡また所在不明のため確定判決による右証明ができないので、右各提出の証拠資料によりこれらを証明するものであるとし、かつまた、右各関係証拠資料は本件犯行につき請求人が無罪であることを明確にするあらたな証拠でもあるというもので、旧刑訴法四八五条一号二号六号、四八九条各所定の再審請求「原由」を理由とするものと解されるところ、その後の第二次から第四次までの各再審請求では、特に右のほか格別の証拠資料も提出されないまま(もつとも第三次再審請求では請求人から多数の証人、鑑定人―本件で提出されている前記新規明白な証拠と同一のものはない―の取調べを請求したが、いずれもその立証趣旨に徴し、旧刑訴法四八五条六号に該当するものとはいえないとして取調べられていない)、右再審請求の「理由」とするところは結局、(一)A5鑑定書、(二)A5証言、(三)C1供述の各虚偽を主張するか、同主張するに帰するものとして、所詮右第一次再審請求の「原由」と同一であるとして旧刑訴法五〇五条二項に従い各棄却に至つている事実をうかがうことができる。 <要旨>ところで、旧刑訴法五〇五条二項は、たしかに再審請求を理由なしとして棄却された場合は再び「同一ノ原</要旨>由ニ因り」再審の請求をすることはできないとしている 事実をうかがうことができる。 <要旨>ところで、旧刑訴法五〇五条二項は、たしかに再審請求を理由なしとして棄却された場合は再び「同一ノ原</要旨>由ニ因り」再審の請求をすることはできないとしている。この点は現行刑訴法も同法四四七条二項で「同一の理由によつては」再び再審請求はできないとして同様に規定している。この「同一ノ原由ニ因リ」再び再審請求できないとしていることの趣旨は、要するに、再審制度の性質上安易な再審請求を強く抑止するとともに、同じようなことで二度までも裁判所の判断をする無駄を省こうとすることにあるといえよう。しかし再審制度が本来真の冤罪者を救済するための制度であるとしたら、この救済の途が多少とも阻害されるような形での形式的な理解は相当でない。そこで、右「同一ノ原由ニ因リ」の意味を前記従前の各再審請求「原由」との関係で考えてみるに、旧刑訴法四八五条一号二号は、いずれも、原判決の証拠となつた証拠書類、証拠物、証言、鑑定等につきこれらが偽造、変造、また虚偽であることを確定判決もしくはその他(同法四八九条)により「証明セラレタルトキ」としているのに対し、同法四八五条六号は無罪等を言い渡すべき明確なる証拠を「新ニ発見シタルトキ」としているわけで、前者は、原判決の証拠となつた右証拠書類等につき、一度これが偽造等を主張して「証明」できなければ、その偽造等であることの理由、またその証明資料を異にしても、その後は再び、同じ対象につきその偽造等を「証明」することのみによつて再審開始を求めうる方途は許されないこととなると解すべきものといえようが、しかし、右後者については「明確ナル証拠」を「新ニ発見シタルトキ」ということに意味があり、かりに右「新ニ発見シタル」証拠で明確にしようとする要証「事実」が従前主張された事実と同一のものであつても、その証拠の 右後者については「明確ナル証拠」を「新ニ発見シタルトキ」ということに意味があり、かりに右「新ニ発見シタル」証拠で明確にしようとする要証「事実」が従前主張された事実と同一のものであつても、その証拠の種別が、単にその証拠方法を異にするというにとどまらず、実質的にも別異のものと評価されるようなものであり、右その他の再審請求「原由」の資料としてでも従前提出されたことのないようなものである限り、その「発見シタルトキ」の都度、別個の「原由」として再審請求しうるものと解さなければならない。そうでないと、右「六号」は、実際上再審請求「原由」としての大方の意義を失つてしまう結果となる。つまり、原確定判決の有罪認定を攻撃しようとする場合、多くその問題とすべき争点(要証事実)は限られていて、右「六号」の存在意義は、右要証事実を明確にすることにより有罪認定に合理的な疑を生ぜしめるに足る証拠を「新ニ発見シタルトキ」といえるかどうかにあると解されるからである。そうだとすると、本件の場合、たしかに本件再審請求「原由」として主張するあらたな証拠での要証事実のうちには、従前の再審請求で問題とされたA5鑑定及びC1供述の虚偽といつた点、きわめて類似もしくは同一であるとみられるもののあることは否定できないところではあるが、本件でその「新ニ発見シタル」証拠として提出もしくは援用するところのものは、少くとも後で右新証拠として判断対象に取り上げているものに関する限り、従前いかなる関係でも全く姿を現わさなかつた別個な証拠資料であることは明らかで、したがつて、これが右「六号」の「原由」としては、従前の再審請求「原由」とは別個な「原由」としてさらに判断の対象となしうべきものであることは明らかなものといえる。 なおこの場合、すでに従前提出された証拠資料は、本件あらたな再審請求「原由 ては、従前の再審請求「原由」とは別個な「原由」としてさらに判断の対象となしうべきものであることは明らかなものといえる。 なおこの場合、すでに従前提出された証拠資料は、本件あらたな再審請求「原由」の関係でその判断の資料に全く使えないものであろうかという点であるが、本件が別個の再審請求「原由」としてすでに判断の対象となしうべきこととなつた場合、その「原由」の判断の関係で、右従前提出された資料を特に除外して判断しなければならないとする合理的な理由は見い出しがたいのみならず、むしろ、右「六号」原由の「明確」性の判断は総合的なものであつて、原確定裁判時の全訴訟資料のほか、従前あらたな証拠などとして提出された資料もその証拠価値が肯認されるようなものである限り、あらたな証拠との関係で再度全体的心証形成の素材として右判断の資料となしうるものと解するのが相当であり、そうでないと、もし「新ニ発見サレタル」証拠が数度にわたるような場合とそうでない場合を対比した場合著しい不均衡を生ぜしめることとなろう。 第三、 本件事案の処理上考慮すべき基本的な問題点本件再審請求事件は旧刑訴法によるべき場合で、かつ本件再審請求「原由」は、すでに前記のとおりいずれも同法四八五条六号所定の「無罪ヲ言渡スベキ明確ナル証拠ヲ新ニ発見シタルトキ」を主張しているものとみられるところ、右六号と同旨と解される現行刑訴法四三五条六号の関係で、最高裁判所昭和五〇年五月二〇日第一小法廷決定(最高裁判所判例集二九巻五号一七七頁参照)は、右「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」とは、「確定判決における事実認定につき合理的な疑いをいだかせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいうものと解すべきであるが、右の明らかな証拠であるかどうかは、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されてい 認定につき合理的な疑いをいだかせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいうものと解すべきであるが、右の明らかな証拠であるかどうかは、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、はたしてその確定判決においてなされたような事実認定に到達したであろうかどうかという観点から、当の証拠と他の全証拠と総合的に評価して判断すべきであり、この判断に際しても、再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において、『疑わしいときは被告人の利益に』という刑事裁判における鉄則が適用されるものと解すべきである。」としている。これは、右「明らかな証拠」であるかどうかの判断につき、それは、当のあらたな証拠と従前の他の全証拠との総合的評価によつてなされるべきこと、そしてまた、この場合も、右「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判における鉄則が適用されるものであることを示した点で注目すべきものといえよう。 しかしまず、問題は、本件のごとき原一ないし三審判決書のほか全く記録の存しない場合右をいかに解すべきかである。右最高裁決定での「他の全証拠」とは、おそらくは当該確定判決の裁判記録中のものを一応意味したものと解されようが、本件の場合、原確定記録は、わずかに一審の判決書原本と二審、上告審の各判決書謄本を残すのみで他はすべてすでに保存期間満了により昭和七年六月一六日廃棄ずみであり、本件再審請求の関係でも当裁判所は弁護人、検察官双方を介し、右残存記録の捜索方に鋭意努めたが、わずかに後述する本件豫審終結決定全文を掲載したとみられる新聞の記事を発見しえたのみで、右記録はもとより関係者らの控等も含め遂に一片の残存資料も見い出しえなかつた。ただ幸い、右原一ないし三審判決書、特に原一、二審判決書に 終結決定全文を掲載したとみられる新聞の記事を発見しえたのみで、右記録はもとより関係者らの控等も含め遂に一片の残存資料も見い出しえなかつた。ただ幸い、右原一ないし三審判決書、特に原一、二審判決書にはかなり詳細な理由(証拠)説示がなされているので、原判決が、はたしてどのような証拠に基づきどのような経過で有罪認定に至つたものかについては相当程度の推論が可能とはいえる。しかし元来、判決書の証拠説示といつても、すべての証拠を漏れなく網羅しうるものでないことはもとより、また心証形成の過程も完全に文面に表示しうる性質のものでもないから、訴訟記録に基づかないで右判決書の記載のみにより推論をなす場合は、同記載から余程明確に推知しうるような場合のほか、原判決の立場に立つて、合理的に考えられる請求人に利益、不利益なあらゆる面からの十分な検討を加え、あらたな証拠との関連での前記いわゆる「明白性」の判断に慎重を期さないと不当な結果となる。ただしかし、単に記録がないということのみで、常に請求人に不利益な結果になるというのも相当でなく、本件のごとき原判決書三通のほか、他に記録のないような場合右記録以外の資料により、本来記録により明らかにしうるようなことを補充立証できるかという点につき考えてみる必要がある(旧刑訴法六四条、現行刑訴法五二条)。本件では、弁護人、検察官双方から、本件あらたな証拠ということのほかにきわめて多種多様な資料が提出され、たしかにこれらの使用を安易に容認することは、原確定判決における裁判及び立証の構造に混乱を生ぜしめるおそれもあり問題である。しかし、原確定記録によらなければ常に原判決の認定に関連する諸事実その他原訴訟及び捜査手続等の関係事実につき、他の資料による立証を全く許さないということになると、もし偶々右記録の全部もしくは一部が焼失、盗難、 確定記録によらなければ常に原判決の認定に関連する諸事実その他原訴訟及び捜査手続等の関係事実につき、他の資料による立証を全く許さないということになると、もし偶々右記録の全部もしくは一部が焼失、盗難、紛失等の事情で無くなつたような場合、これら全く請求人に関係のない偶然的事情によつて記録のある場合に比し請求人に不当に不利益な結果を招来する事態の発生も考えられ、他面、右立証を認めたとしても、右資料の証拠価値に十分配意し、同証明にも本来の記録による証明に比する程度に厳格を期するということであれば、格別の弊害があるとも考えられないところで、特に記録のない場合に限り、かつ再審請求理由の判断に必要な限度では右立証を認めるべきものと解される(本件では、特に弁護人、検察官双方から同一内容の当時の各新聞―山口県立図書館保管のもの―が提出されているが、その性質に応じ立証事項を限定し、また他の資料の証明力を補充する程度では十分使用可能と考える)。 なお次に、右最高裁決定によると、「明らかな」証拠とは、他の全証拠との総合的評価の下で右証拠が確定判決の認定に合理的疑を生ぜしめる程度のものかどうかにより判断すべきものとされているが、この点はさらに具体的には、原確定判決の認定する事実及びその基礎となつた証拠の内容、その立証の程度、構造に応じ、これらとの関係であらたな証拠について要求される前記いわゆる「明白性」の程度も自ら異なつてくることとなることを意味するものとみられる。有罪認定のためのあらゆる合理的疑を解消する程度の立証といつても、実際には右疑を解消してなお余りある程度に多くの証拠資料の整つているような場合から、必ずしもそうでない場合に至るまで立証の程度、構造、態様は多様で、これらとの関係ではあらたな証拠の右有罪認定に及ぼす影響の程度も一様でないとみられるからであ 多くの証拠資料の整つているような場合から、必ずしもそうでない場合に至るまで立証の程度、構造、態様は多様で、これらとの関係ではあらたな証拠の右有罪認定に及ぼす影響の程度も一様でないとみられるからである。本件の場合、詳細は後述するとして、原判決が請求人につき有罪認定をなした証拠上の主要な柱は、共犯者C1の供述とA5鑑定である。しかし、右C1の供述は、原判決の記載自体に徴しても多くの疑をいだかせる余地のある類のものであるうえ、兇器に関する点、請求人の着衣に関する点がその供述のうちで信用性に関する重要な地位を占め、その他右有罪認定の立証の構造等からすると、本件再審請求理由としての後記各鑑定が及ぼしうる影響はきわめて大きいとみざるをえないところである。この点本件再審請求理由の判断につき閑却しえないところといえよう。 そして次に、旧刑訴法四八五条六号所定の「新ニ発見シタル」証拠とは、原訴訟手続に現われたすべての証拠資料以外の資料であつて、原訴訟手続当時請求人自身がその存在を知らなかつたものを意味するものであることはいうまでもないところである。ただこの場合、請求人自身右存在を知つていても、当時、これを容易に取調請求できない立場にあつたとか、あるいはその取調を請求したが、原裁判所で容れられなかつたような場合も、右「新ニ発見シタル」証拠に含まれると解しうるかには、右文言上異論がある。しかしこれはともかく、右知つていたとは、請求人においてその証拠資料の態様、内容をある程度具体的に確知していた場合を意味するものと解すべく、ごく一般的にそれらしいものの存在を予想していた程度にすぎないようなものは右知つていたもののうちには含まれないものというべきで、「新ニ発見シタル」ものと解しうるものといえる。本件の場合、原上告審判決書の記載によると、当時請求人は原訴訟手続 いた程度にすぎないようなものは右知つていたもののうちには含まれないものというべきで、「新ニ発見シタル」ものと解しうるものといえる。本件の場合、原上告審判決書の記載によると、当時請求人は原訴訟手続で、あるいは問題の衣類の血痕、また兇器藁切りの鑑定を申請し、これを容れられなかつたような事実もあるのではなかろうかという推測も可能であるが、請求人が当時本件再審請求でのあらたな証拠とされているA1、A2、その他の各鑑定のごとき資料の存在しうることを具体的に諒知していたなどとは、本件記録上、特に右鑑定人及び鑑定内容等に徴しとうてい考えられないところであり、したがつて本件再審請求の関係ではじめて作成、また供述されるに至つた本件各鑑定書及び同各鑑定人の証言等が、「新ニ発見シタル」証拠に含まれるものと解することになんら問題はないものといえる。なお右各鑑定につき、「鑑定」がその証拠方法として一般に新規明白な証拠の一つに含まれるかどうかにつき全く問題がないわけでもないが、しかし、鑑定も有罪認定の証拠方法の一つであり、しかも本件の場合、原判決にも現われているように、兇器の推断、衣類附着の血痕、人血の判定等の面で、右有罪認定の心証形成上大きな意味をもつたものであることは原判決の記載自体に徴してもたやすく推知しうるところで、右鑑定が新規明白な証拠の一つであることは、少くとも本件に関する限りこれを否定すべき理由はどこにもないといえる。 第四、 原判決の有罪認定の証拠上の構成原一、二審及び原上告審各判決書の記載に徴すると、原判決が、請求人を有罪と認定した証拠上の構成は次のとおりであつたと考えられる。つまり、まず本件では請求人が犯行を認める趣旨の供述は全く存しないわけで、請求人の犯行を直接肯定する証拠はC1の請求人との共犯であるとする供述(原判決挙示の分、原二審 次のとおりであつたと考えられる。つまり、まず本件では請求人が犯行を認める趣旨の供述は全く存しないわけで、請求人の犯行を直接肯定する証拠はC1の請求人との共犯であるとする供述(原判決挙示の分、原二審公判における供述と第一回豫審調書中の供述記載)のみであり、これを裏づけるものとしては右C1の供述により請求人の当夜の着衣とされる証第九号に筒袖衣服(請求人の父D8の仕事着)に「人血」が附着していたとするA5の鑑定書と、原判決が特に挙示した警察官のD8らからの聴取書等でうかがえる請求人が犯行直前ころ借金の督促を受けその支払に困つていたなどのいわば右犯行の動機ともみられる間接的事情等に関する点といつた程度である。右C1の供述は、その述べるところは要するに、本件犯行当夜E4宅前県道で請求人と会い両名意気投合して本件犯行を謀議し、ともに被害者B1方に赴いて金員物色中B1覚醒したため請求人の携行する押切(藁切刀)でB1を殺害したというものであるが、右供述中、特に請求人と本件犯行とを客観的に結びつける具体的事実としては、右E4宅前で請求人と会つて後請求人が一旦帰宅して着替えて来たとする当夜の着衣証第九号に関する点と、その際持ち来たつたとする本件兇器押切に関する点であるとみられ、その他の点は必ずしも請求人との犯行を必須的ならしめるようなものではない。 つまり、C1の供述中、右着衣に関する点と、兇器押切に関する点とは、いわばその供述の信用性の要ともみられるところで、本件犯行につき請求人を有罪とする最も重要な決め手であつたともいえる。そして、前記A5の鑑定書は、右C1の供述中右着衣に関する部分の信用性を裏づけるものともいうべく、これは、本来は単に人血であるとしているだけでB1との血液型の同一性までいつているわけではないから、かりに正しい内容のものとしても、さ の供述中右着衣に関する部分の信用性を裏づけるものともいうべく、これは、本来は単に人血であるとしているだけでB1との血液型の同一性までいつているわけではないから、かりに正しい内容のものとしても、さほど重視できるようなものともみられない筈のものではあるが、後述する本件兇器に関しては原判決自体もC1の供述に多少の疑を抱いたのではないかとみられること、また、右A5鑑定書は、一、二審判決書ともこれを掲記していて、特に一審判決書ではA5の原一審公廷証言中、証第九号筒袖の表面に附着せる斑点は「動脈ノ切断ニヨリ遊出セル血液ノ附着セルモノト思ウ」旨の供述まで掲記していることなどからすると、原判決も右A5鑑定を押収してある証第九号筒袖衣服とともに本件唯一の請求人に関する客観的証拠としてかなり重視したものではないかとみられなくもない。なお、右C1の供述中兇器押切に関する点は、原判決の挙示する医師A6の検案書中、兇器の種別に関する推論が、ある程度右供述の信用性に影響はもつたであろうことは否定しがたいが、この点は後に詳述する。 ところで、原判決が原一審判決と異なり特に証拠として挙示したものに前記動機等に関する警察官の各聴取書等がある。その挙示する証拠は警察官作成のD8、D9、D10、D11の各聴取書のほか請求人の原二審公廷における供述及び第二回豫審調書中の供述記載であるが、これら証拠によりうかがわれる事実の要旨は、被害者B1は当時かなり金を紙幣でもつていた様子であること、請求人は本件犯行前前日から前日にかけ借金支払の督促を受けていたのに所持金がないといつて延期を求め、その支払をせず、また、犯行当夜は賭博をして負けているのに、本件犯行後は一円紙幣で右支払等をしていること、また本件犯行後請求人が西市警察分署に連行されるとき七円一〇銭入りの薬箱を密かに父に預け、 め、その支払をせず、また、犯行当夜は賭博をして負けているのに、本件犯行後は一円紙幣で右支払等をしていること、また本件犯行後請求人が西市警察分署に連行されるとき七円一〇銭入りの薬箱を密かに父に預け、父は賭博で得た金と思い天井の籾入り吹の中等に隠していたことなどで、結局請求人に本件B1方からの金員強取の動機があり、現に本件後の金員費消、保管状況によつてもこれらが明らかにされるとするもののようで、請求人の本件犯行を間接的に裏づけようとしたものとみられる。しかし、まず、原判決書の記載によると、たしかに本件は当初B1の所持金窃取の目的での犯行だとはされているが、しかし請求人、C1両名とも本件犯行時現に金員を窃取したとの事実は、わずかに右検事実況検分書中に「柳行李ハ開カレ数点ノ衣類胴巻等ノ床上ニ乱雑ニ取拡ケラレアルヲ見ル」というこれをうかがわせるかの状況の記載がある程度で、C1の供述からも当初金員を物色したような事実が述べられているほか、請求人らが現に金員を取得したとする事実は遂にどこからも出て来ないものであるところ、さらに原判決書の記載によると、請求人は原二審公廷で、本件当夜「皿山ノE5方ニ寄リテ賭博ヲ為シタルカ当日十円許所有金アリシモ銅貨二十銭丈ケ持行キ全部負ケタリ」と述べているわけで、これらからすると、原判決書の記載中請求人の述べる本件犯行後の支払い、また父に七円一〇銭預けたという関係も金額的にはなんら異とするに足らない程度のものであり、また、本件犯行前の借金及び督促状況も(原一審判決書では原一審公廷で請求人が七月二〇日までの「延期ヲ頼ミ置キタリ」と述べた旨記載されている)その金額内容等に照らし右請求人の犯行を必須的ならしめる程のものともみられないことはもとよりで、結局これらからすると、たしかに右の点は原判決が請求人を本件犯行と結びつける と述べた旨記載されている)その金額内容等に照らし右請求人の犯行を必須的ならしめる程のものともみられないことはもとよりで、結局これらからすると、たしかに右の点は原判決が請求人を本件犯行と結びつける間接的情況証拠として他の証拠と相まちある程度重視した結果であろうことは原一審判決が挙示していないのを原二審判決でことさら挙示している緯等に徴しこれをたやすくうかがうことができるが、これが本件犯行を請求人と結びつける決定的なものでないのはもとより、右間接的情況証拠としても、特に本件のごとき、単に窃盗にとどまらない強盗殺人事件の性格、犯行の態様等に思いをいたすとき、さほど重視できるような性質のものともみられないところである。 かように、本件有罪認定の証拠上の決め手はC1の供述と、その信用性を支えるA5鑑定に尽き、内容的には、C1の述べる兇器押切に関する点と、請求人の当夜の着衣に関する点であるというべく、本件あらたな証拠のこれらに対する影響は最も重視されるべきものといえよう。 第五、 請求人提出、援用の「あらたな証拠」のうち、A1意見書、同鑑定書、A2鑑定書、A3鑑定書、A4鑑定書、A1、A2各証人尋問調書について一、 本件兇器について(一) 原判決の認定する兇器原一、二審判決書の記載中、本件兇器について述べる直接の証拠は、C1の供述のみである。そこでC1の供述を中心に検討してみるに、まず原二審判決挙示のC1の第一回豫審調書の記載では、C1はE4宅前で請求人と会い、「ヤツテヤローデハナイカ」と話し合つた後「C2ハ用意シ来ルトテ東方ニ行キタルカ自宅ニ行キシモノト思フ十分許リ後出来リ」B1方に向う途中本件犯行の手段につき話し合つた際B1が目を醒まし二人のうち一人でも捕えられるようなことがあつては困るので、「C2ハ左様ノ場合ニハヤツツケル外ハナ 行キシモノト思フ十分許リ後出来リ」B1方に向う途中本件犯行の手段につき話し合つた際B1が目を醒まし二人のうち一人でも捕えられるようなことがあつては困るので、「C2ハ左様ノ場合ニハヤツツケル外ハナイトテ」「手ニセル押切(藁切刀)ヲ示シタリ」と述べており、原一審判決挙示のC1の第一回豫審調書中の記載でも右同様「手ニセシ押切ヲ示シナガラ」現場に至つたとされており、さらに原一審判決挙示のC1の一審公廷の供述では、C1はE4宅前で請求人と邂逅し本件犯行を話し合つた後「C2ハ一応帰リ来リ若シB1方ニ到ツテモ金ハ取レズ逃ゲラレヌトキハ之デ遣ツデ遣ルト申シ藁切ヲ示シタリ」と述べている。これら原一、二審判決挙示のC1の各供述からすると、その述べるところは要するに、C1はE4宅前で請求人と出合い、本件犯行等を話し合つた後、請求人は一旦家に帰りおそらくは自宅から本件兇器「押切、藁切(刀)」を持ち来つて本件殺害に至つたものであると述べているものとみざるをえず、しかも右兇器につき暗夜とはいえ、その種別についてははつきり押切、藁切(刀)と述べ、押切、藁切様のもの、あるいはそれに類似するものなどと述べているわけではなく、また、この点必ずしも明確でないなどとの供述もなく、少くとも原一、二審判決に現われたところでは終始明確に押切、藁切(刀)といつていて、この点の供述にあいまいさがあるとはとうてい考えられない。ただ、この押切、藁切(刀)の区別は、右C1の述べるところでは単に名称の違いにすぎないのか、あるいは調書作成者の括孤書等による用語の説明にすぎないのか詳らかでない。しかしこの点は後記各鑑定結果の判断のうえでは余り意味をもたない。なお後述するA6医師の検案書中の兇器に関する意見は、本件創傷からする兇器に関する推論で、十分具体的でない。 ところで、原一、二審判決の認 この点は後記各鑑定結果の判断のうえでは余り意味をもたない。なお後述するA6医師の検案書中の兇器に関する意見は、本件創傷からする兇器に関する推論で、十分具体的でない。 ところで、原一、二審判決の認定する事実の記載によると、本件兇器を一審では「鋭利ナル刃物」、二審では「鋭利ナル刃器」とのみ表示していて、遂に右C1の述べる押切、また藁切(刀)なる具体的表示は全く姿を消すに至つている。これはいかなる理由によるものであろうか。この点原判決の本件心証形成過程の評価のうえでもかなり重要な意味をもつように考えられる。そこで、さらに他の関係資料にも照らし右の点を考えてみるに、まず原一、二審判決の認定する事実のうち兇器に関する前後の記載によると、原一審判決では、請求人D8は「一旦帰宅ノ後父D8ノ仕事着(証第九号)ヲ着シ且ツ鋭利ナル刃物ヲ携へ来リ」とし、そして犯行現場では「被告C2ハ前記兇器ヲ以テ数回B1ニ斬付ケ」としており、また原二審判決でも「被告C2ハ帰宅ノ上父D8ノ仕事着(証第九号)ヲ着シ且鋭利ナル刃器ヲ携ヘテ出来リ」とし、そして現場で「被告C2ハ前記刃器ヲ以テ数回B1ヲ斬リ」としていて、前記C1の述べるところと、「鋭利ナル刃物」「鋭利ナル刃器」としている点のほかは、特に兇器持ち出しの経緯は全く符合していることからすると、原一、二審判決の認める兇器は、本来C1のいう押切、藁切(刀)であるのを単にその表示のみをA6医師の検案書記載の兇器についての「鋭利ナル刃物」という表示に従つて抽象的に右「鋭利ナル刃物」また「鋭利ナル刃器」とのみ表示するに至つたのではないかとみられなくもない。しかしこの点にはさらに次のような疑問及び推知の余地を生ずる。つまりまず、原一、二審判決の右C1の供述からすると、同供述記載自体に徴しても、本件当時、請求人方から右C1の述べる兇 とみられなくもない。しかしこの点にはさらに次のような疑問及び推知の余地を生ずる。つまりまず、原一、二審判決の右C1の供述からすると、同供述記載自体に徴しても、本件当時、請求人方から右C1の述べる兇器押切、藁切(刀)の押収も当然なされたであろうことを容易に推測しうるところであり、また、同押収後も、原一、二審判決がA6医師の検案書中本件兇器の推論に関する記載を掲記している経緯等からすると、右押収にかかる押切をA6医師に示しその意見を求めたようなこともあるのではと、たやすく、推測しうるものであるところ、さらに、弁護人、検察官双方提出の本件当時の大正五年一月二五日付E6新聞夕刊(写真、以下新聞はすべて写真)、同年一月二六日付E2新聞によると、本件一審山口地方裁判所第五回公判でA6医師の証人調べが施行され、その際西原裁判長証拠物件として押収してある藁切り押切刀を右A6医師に示した旨の記載があり、また右同様の大正五年二月八日付E7新聞によると、右第六回最終公判での検事論告で担当検事は「兇器押切庖丁の血痕は兇行後之れを洗滌したることは用意周到なるC2の成し得べき筈なり」と述べた旨の記載があり、さらに請求人自身も第一次再審請求の際当庁に提出した多くの書面(趣意書)及び同請求人の速記録中では、一審裁判長が押収の藁切刀を示してA6医師に兇器についての意見を求めたこと、当時請求人は右藁切刀につき血痕付着の有無の鑑定を求めたこと、右藁切刀は自分の家にあつたのを押収して持つて行つたものであること、なとを述べていて、右推測に符合することからすると、少くとも、C1の述べる「押切、藁切(刀)」なるものは、当時同供述に従い請求人宅から押収されていたこと、そして原一審公廷ではA6医師にこれを示してその意見を求めたこともあるのではないかと容易に推知しうるものといえる。し 「押切、藁切(刀)」なるものは、当時同供述に従い請求人宅から押収されていたこと、そして原一審公廷ではA6医師にこれを示してその意見を求めたこともあるのではないかと容易に推知しうるものといえる。しかるに原一、二審判決書の記載によると、右押収にかかる押切、藁切は遂に証拠物としてどこにも挙示されるに至らずに終り、またA6医師の右押切に関する意見の供述も見当らない。このことは、原判決としても、少くとも本件兇器が、請求人宅から押収された押切、藁切そのものであるとすることには多くの疑をもつた結果ではないかとみざるをえないであろう。そしてさらにこの点は、請求人が第一次再審請求での昭和三八年三月二六日当庁受付「再審請求の申請について」と題する書面中で、A6医師は一審山口地方裁判所の証言で「全身一一ケ所の傷あるも致命傷は左肋骨間を肺に達する刺傷のため反射性心臓麻痺を起して死亡したものである」と証言して後、裁判長はA6医師に藁切刀を示しながら「この刃物であの傷が加えられるか」と質問したのに対し「A6医師はしばらく頭をかしげて居りましたが、藁切刀ではないと思います、日本刀の様な物で突いた創であります」と、はつきり証言しております、と述べていること、また、前同様弁護人、検察官双方提出の大正四年一一月二日付E6新聞夕刊の記載(請求人、C1両名に関する本件豫審終結決定の全文が掲載されているものと認められる)によると、同決定により公判に付するものとして認定されている事実のうち兇器に関する部分は、C2、C1の両名は当夜E4宅前で「偶然会遇」したる後本件犯行を相はかり「其れよりC2は同所より二丁余を隔つる自家に立帰り軒下に掛置きありたる父D8の仕事着腰切襦袢と着更へ」「且つ自家藁切り押切刀を携へ引返し来り」そして現場に至り「C2は用意の押切刀を以てB1を蚊屋外より斬 よりC2は同所より二丁余を隔つる自家に立帰り軒下に掛置きありたる父D8の仕事着腰切襦袢と着更へ」「且つ自家藁切り押切刀を携へ引返し来り」そして現場に至り「C2は用意の押切刀を以てB1を蚊屋外より斬付け茲に三名相格闘しつつ屋外に出たる後C1がB1を押へたる庭を」「C2は押切刀を以てB1の頭部腕部、胸部等に大小二五ケ所の創傷を加へたり」としており、明らかに本件兇器が請求人が自宅から持ち来たつた「藁切り押切刀」であることを明示している記載があつて、これと原一、二審判決の表示するところと対比すると、原一、二審判決の認定では本件兇器につきことさら意識して右「藁切り押切刀」の表示をさけたものとみざるをえないこと、などに徴すると、原判決が本件兇器につきこれをC1が述べる押切、藁切(刀)であるとすることについていだいた疑はかなりのものであつたと推測されなくもない。 しかし、そうかといつて原判決が右兇器の認定につき、前記C1の供述と離れて、右「鋭利ナル刃器」であれば押切、藁切(刀)と似ても似つかぬようなものも含め各種多様なものを想定して右認定に至つたものなどとはとうてい解せられないところである。このことはまずすでに前述のとおり、C1の兇器押切について供述するところは決してあいまいな表現によるものではないうえ、原一、二審判決の本件兇器につき認定するところも右C1の供述に強く依拠し「鋭利ナル刃物ヲ携へ来リ」とか「鋭利ナル刃器ヲ携ヘテ出来リ」などとしていること、そしてまた、C1の供述中兇器に関する点は請求人と本件犯行を客観的に結びつける重要な点の一つとみられるものであるところ、もし右兇器押切に関する供述に当時それと別異なものをも想定しなければならない程の疑念が生じていたものなら通常豫審、公判等でC1につきなんらかのこの点に関する追及がなされたであろうとみら であるところ、もし右兇器押切に関する供述に当時それと別異なものをも想定しなければならない程の疑念が生じていたものなら通常豫審、公判等でC1につきなんらかのこの点に関する追及がなされたであろうとみられるのに、原一、二審判決書の記載によるもこのような追及のなされた形跡は全くうかがえないこと、またもしこの点が、あるいは後記A5鑑定の衣類附着の斑点が人血とされたことから安易に右解明を必要としないこととなつたものなら、余りにもA5鑑定を重視しすぎた結果か、うでなければ、そのままC1の供述を他の面では分断して信用できるとしたこととなり、通常の心証形成過程としてはC1供述の信用性評価の面で余りに無謀の感を免れないこと、原一、二審判決ともA6医師検案書中の兇器の推論に関する「兇器ハ柄ヲ把握シテ強カヲ加へ得ル鋭利ナル種類ノモノニシテ可ナリ重キ重量ヲ有スルモノナルヘシ」(原二審判決)という記載を挙示していること、などからして明らかなものというべく、これらからすると結局、原一、二審判決の認定する兇器「鋭利ナル刃器」とは、まずA6医師のいう「可ナリ重キ重量ヲ有スル」ものであつて、しかもその長さ、幅、形状等においても押切、藁切と同様もしくはきわめて類似した刃物を意味したものとみるのが自然であり、かつそのように解さざるをえないものといえる。 (二) 原判決の認定する兇器「押切、藁切」の性状、形態ところでさらに、右押切、藁切またこれらと同様のものといつても、原判決が当時想定したであろう右押切等の性状、形態等ははたしてどのようなものであつたかについては、後記鑑定書の評価にあたりなお検討してみる必要がある。原一、二審判決書中のC1の供述記載では「押切」または「藁切(刀)」と表示されており、前掲豫審終結決定書では「藁切り押切刀」と表示されている。この押切、藁切につ にあたりなお検討してみる必要がある。原一、二審判決書中のC1の供述記載では「押切」または「藁切(刀)」と表示されており、前掲豫審終結決定書では「藁切り押切刀」と表示されている。この押切、藁切につき、その通常の用語の意味及び当裁判所に顕著な智識によると、これらが大方の農家で使用されている農機具の一つで、下に台がありその上に藁や草をのせて切る類の刃物を意味し、日本刀・短刀・匕首・小刀等の類のものでないことは勿論、斧・鉈類その他家庭用各種庖丁の類とも明確に区別されるようなものであることは容易に推知されるところであり、そしてまた右押切と藁切の区別につき、押切は刃部を上に向けて木の台に固定したものに藁等をのせ上から押え棒(または金)で押しつけて切る類のものであるのに対し、藁切は刃部を下に向け上から藁等を受け台に圧迫して切る類のものであることもたやすく理解しうるところである。請求人は、その第一次再審請求における請求人速記録及び当裁判所における請求人尋問等で述べるところでは、請求人が本件で逮捕されて後自分の家から藁切を押収され、一審公判で裁判長から示されたものは、同一ではないが、その形状等は、第一次再審請求の際以来、今次請求でも当裁判所に請求人から提出しているわら切り(当庁昭和五一年押第六号の九、以下符九号と略称、木製の柄のついた刃部のみ、全長約六〇センーチメートル、刃渡り約四〇センチメートル、刃幅九ないし一五センチメートル、全重量約一、五〇〇グラム、刃部はゆるやかな丸味を帯びた長方形型)に類似するものであるとしているが、現段階では、原裁判所の押収にかかる押切を確定し、また、原判決が押切等につき右のようなものに限定した理解をしたものとみることも困難である。この押切等につき、さらに他の関係資料等をも合わせ検討してみるに、当裁判所のD3証人尋問調書、 押切を確定し、また、原判決が押切等につき右のようなものに限定した理解をしたものとみることも困難である。この押切等につき、さらに他の関係資料等をも合わせ検討してみるに、当裁判所のD3証人尋問調書、D6証人尋問調書(昭和五一年一月二一日施行分)、D12証人尋問調書(同日施行分)、のほか、検察官提出のE8、E9(二回)、E10、E11(二回)、E12、D6(昭和五一年一月二二日付)の検察官に対する各供述調書、検察事務官作成の昭和五一年一月二六日付「藁切写真撮影報告書」、同「押切並びに藁切写真撮影報告書」、検察事務官作成の昭和五一年二月二〇日付「藁切写真撮影報告書」、検察官、請求人提出の各種わら切り、押し切り(当庁昭和五一年押第六号の一ないし三、六ないし一四、以下単に符何号と略称)の存在等によると、大正四年の本件当時の請求人方附近一帯で用いられていたとみられるものについて、押切、藁切はその作成の鍛治職によつて異なり、特にその刃部の形状はかなり多種多様であつたと推知されるが本件の兇器として考える場合には、まず、刃部に柄もなく下の木の台に固定してあつて取りはずしの容易でない形のいわゆる「押切」より木製の柄があつて取りはずしのきわめて容易な「藁切」の方がはるかに合理性に富み、右「押切」を右兇器と考える可能性はほぼ皆無とみていいように思える。しかしこれはともかく、右各関係資料によると右藁切、押切の形状等は、特に刃部につきその先端が直角、三角形状にとがつたもの、あるいはそうでなく丸くなつた形のものなど、その形状においてたしかに多様ではあるが、しかしまずその形状は、おおむね全長約六〇センチメートルて藁切については刃部に木製の長さ約二〇(一九ないし二七)センチメートル程度の柄がついており、刃部の形状はほぼ長方形をなし、その刃渡り約四〇(三六ないし四三)セ 状は、おおむね全長約六〇センチメートルて藁切については刃部に木製の長さ約二〇(一九ないし二七)センチメートル程度の柄がついており、刃部の形状はほぼ長方形をなし、その刃渡り約四〇(三六ないし四三)センチメートル、刃幅(最高部、ほぼ中央)約一〇センチメートル程度のものであつたと認められ、その長さ、幅、形状について多少の違いはあるが、後記鑑定の関係でその兇器としての性状を考えるうえでは、右刃部先端の形状に若干の問題があるほか、鋭利な刃物とみられる以上右違いは大同小異であるといえる。そして問題は右重量の関係であるが右関係資料によると、柄を含めた刃部の全重量は一番軽いので六〇〇グラム程度、重いので一、五〇〇グラム程度でその間かなりの軽重があるが(普通八〇〇から一、〇〇〇グラム程度)、少くとも右柄を含めた全重量は、まず六〇〇グラム程度を下ることはないとみられ、このことはその形状、大きさ等から想定される刃部金属片自体の重さを考えるとき、十分首肯しうるところといえよう。ちなみに、重量は普通の家庭用各種庖丁の類でおおむね二〇〇グラム前後のものである。その形状、重量において右大方の範疇を逸脱するようなものは最早通常の用語の意味に従つた藁切、押切の概念に包摂できないものであつて、原判決も藁切、押切、またこれに類似するものとしては、ほぼ右範囲内のものを念頭においたものとみざるをえない。 (三) A1意見書、同鑑定書、A2鑑定書、A1、A2各証人尋問調書の検討(A) 本件被害者B1の創傷の部位、程度原一、二審判決書中A6医師の検案書(大正四年七月一二日死体解剖)によると、本件被害者B1の受た創傷は全部で二三個所あり、その内容は、「(イ)、 頭部ニ九個ノ創傷アリ、内一個ハ皮下ニ、二個ハ骨膜ニ、六個ハ骨質ニ達スルノ深サアリ(ロ)、 顔面ニ深サ皮下ニ達 によると、本件被害者B1の受た創傷は全部で二三個所あり、その内容は、「(イ)、 頭部ニ九個ノ創傷アリ、内一個ハ皮下ニ、二個ハ骨膜ニ、六個ハ骨質ニ達スルノ深サアリ(ロ)、 顔面ニ深サ皮下ニ達スル創傷アリ(ハ)、 右(または左―原二審判決書)肩胛及上膊部前面ニ三個、後面ニ二個ノ創傷アリ深サ或ハ皮下ニ或ハ筋質中ニ或ハ骨質ニ達ス(ニ)、 左手部ニ三個ノ創傷アリ深サ骨質ニ達ス(ホ)、 右前膊及手部ニ二個ノ創傷アリ(ヘ)、 前胸部ニ一個ノ創傷アリ(ト)、 左胸部後面ニ大創傷一個アリ第五肋骨体ヲ長経ニ沿フテ切リ且ツ又肩胛骨下角ノ一部ヲ切除シ深ク肺臓ニ達ス(チ)、 右(または左―原二審判決書)臀部ニ一個ノ創傷アリテ深サ皮下ニ達ス」とされている。そして右検案書の記載(「都合二十三個所ノ創傷アリ」としている点)によると、右は一応被害者B1の死体に存したすべての創傷につきこれを摘記したものと認められ、かつ、右創傷の種別も「皆切創ニシテ」としている点特段の事情のない限りこれに従つた理解をなすべきものと考えられる。 そこでこれら創傷をもとにその成傷器がはたして原判決の考える前記のごとき兇器とみられるかどうかにつき、以下順次各鑑定意見につき検討してみることとする。 (B) A2鑑定本件再審請求人の弁護人らは藁切のごとき兇器では右成傷は不可とするあらたな証拠として、E13大学名誉教授、E14大学講師医学博士A2作成の鑑定書を提出し、かつ同証人尋問を求めた。そこで右鑑定書及び当裁判所が取調べた右証言結果に従い右成傷の可否等について右鑑定意見の内容を以下検討してみる。右鑑定資料としては、右兇器の関係では原一、二審判決書(写)と前記請求人提出のわら切り(符九号)一丁のみである。右鑑定書の記載によると、まずその結論としては、「被害者B1 の内容を以下検討してみる。右鑑定資料としては、右兇器の関係では原一、二審判決書(写)と前記請求人提出のわら切り(符九号)一丁のみである。右鑑定書の記載によると、まずその結論としては、「被害者B1の死体に存する創傷は匕首、小刀の類によつて作成されたものと考えられ」「本件兇器は、一、二審判決に証拠として引用されている押切の如き刃器ではないと考えられる」とされ、そして、その理由の骨子としては、「本件では頭部に九創もの打撃が加えられてあるのに、そのうちの一つとして頭部を深く割截し骨の間から脳漿を流出させているというものを見ない、いやしくも本件が自傷の事件ではなく、他人による加害行為によつたものとすれば、これはそれだけでその成傷器が押切でないことを示すものである。本件の如き押切でなくても普通家庭にある小形の斧や銘の類であつてもこれが打ちおろすように使用される兇器であるところからこれらも亦本件の兇器としてはふさわしくないものである。押切の如き重量ある刃器による頭部割截による作用で、見逃がすことのできないもう一つの事象は、その重量から来る脳への波及力である。これはその殆んどの場合その当然の結果として脳振とう作用による意識消失が即座に発来する。従つてその打撃を受けた直後から対抗行動をとる能力が失われ、本件の場合にみる如く加撃を加えても尚加害者の足をつかみつづけ」(原判決中C1の供述参照)、「これによつて被害者が加害者ともども屋外にひきずり出されるということは起り得ないものである。従つて本件兇器は頭部に打撃を加えても脳振とうを発来せしめぬだけの軽量さであり、しかも短時間に身体に二三創も加え得るほどにハンデイなものであると考えられ、これに適当なのは匕首、小刀の類で、簡単に懐に収め得る種類のものである。如何に鋭利な刃器でも日本刀の如きものではこれにより割 かも短時間に身体に二三創も加え得るほどにハンデイなものであると考えられ、これに適当なのは匕首、小刀の類で、簡単に懐に収め得る種類のものである。如何に鋭利な刃器でも日本刀の如きものではこれにより割截は上に述べた押切の場合と同じ効果を発するし、また本件押切よりやゝ小形の斧、銘の類であつても、これによる頭部打撃は押切や日本刀の場合に準じた効率を示すものである。」というにあり、そして問題の本件創傷のうち左胸部後面の大創傷についても、この傷は「ただこの第五肋骨一本に限られ、しかも『長径に沿て』とある記載は匕首、小刀の類が肋骨の経過に沿うて刺入されていることを思わしめるもので、押切の類は勿論、斧や鉈などによる打ち下ろし的加撃ではまず出来難いものである。この同じ動作が『肩甲骨の一部を切除』していることもいよいよ上記の推定の確からしさを裏付けるものである。その際の加害者、被害者相互の体勢について考えてみれば、これはおそらくは加害者が被害者の体左側から、あるいは後方から中心に向つて刺入する動作によつて形成されたものとみられる。」というのであり、かくして結局、本件多数の創傷は「匕首、小刀類の比較的小型の刃器により生成された刺創、切創、刺切創の類」とみるべきで、本件鑑定資料としてのわら切りのごときもののみならず、前記各種の刃物ごときものも含め、かかる重量大なる刃器により生じたものではないと考えられる、と結論されるに至つている。この点は当裁判所のA2証人尋問調書で(検察官から右鑑定資料以外の数種の藁切を示されるなどして)一層明確にされている。右A2鑑定の主眼と特色は次の点にある。つまり(一)前記のとおりA6医師の検案書によると被害者B1の頭部には九個もの創傷があつてしかも内二個は骨膜、六個は骨質に達する深さのものであつたとされながらも、その内一つとして頭 は次の点にある。つまり(一)前記のとおりA6医師の検案書によると被害者B1の頭部には九個もの創傷があつてしかも内二個は骨膜、六個は骨質に達する深さのものであつたとされながらも、その内一つとして頭部を割截し、脳内損傷にまで至つているというものがないのみか、原判決書中C1の供述によると被害者は加害者の足をつかみつづけるなどしていてその受傷の過程で脳振とうを惹起したとみる形跡もうかがえない。これは、前記藁切、押切のごとき重量のものでの成傷と考えるにははなはだ不合理である。そして(二)前記A6医師検案書中の被害者左胸部後面の大創傷も、肋骨体の傷は第五肋骨一本に限られて隣接肋骨への損傷を伴つておらず、しかも、「長経ニ沿フテ」切りとあり、さらに肩脾骨下角の一部を「切除シ」て「深ク肺臓」にまで達しているとされている点、兇器としては、むしろ匕首、小刀類でその刺入による創傷とみるのが合理的であるというにある。 (C) A1鑑定弁護人らは、右A2鑑定同様本件兇器に関し押切、藁切とみるのは合理的でないとする鑑定意見としてE15大学医学部教授医学博士A1作成の意見書、鑑定書を本件あらたな証拠として提出し、かつ同鑑定人の証人尋問を求めた。そこで右意見書、鑑定書のほか当裁判所の取調べた同証人尋問調書等に従いA1鑑定意見につき以下検討してみるに、まず同鑑定資料としては、前記A2鑑定同様のもののみが示されたものである。右鑑定書等(但し以下括弧書は同鑑定書記載)によると、その意見の骨子は次のとおりである。つまり、右鑑定資料として示された請求人提出のわら切り(符九号)は鋭利な刃器ではあるが、かなり大きく重量もあり、「柄部を片手に持つて振り廻すことは不可能ではないが、両手で柄部を握る方が、振り廻したり、打ち下ろしたりすることが容易である。」「押切刀を兇器として傷害を 利な刃器ではあるが、かなり大きく重量もあり、「柄部を片手に持つて振り廻すことは不可能ではないが、両手で柄部を握る方が、振り廻したり、打ち下ろしたりすることが容易である。」「押切刀を兇器として傷害を加えるとすれば、可及的に少数回の加害により致命的な重大損傷を加える場合の方が、多数回生前に加害する場合よりも、実際的で合理的であると考えられる。」しかるに「本件では被害者に合計二三個という多数の創傷があり、しかもその中に皮下に止まる比較的に浅い切創が頭部に一個所、顔面に一個所、右臀部に一個所あり、右肩胛部から右上腕前面に三個所、及び同後面に二個所の切創のうち皮下に止まるものがあり、また右前膊及び手部の切創二個及び前胸部の切創一個も創の深さは特に記してないところから浅いのではないかと推測されることなどからみて、被害者の創傷二三個のうち、少くとも四個(多いと五ないし七個)の切創は皮下に止まる浅い切創と考えられる。このように浅い切創が身体(被害者)の諸所に見られることは、押切刀の如く特異な形状をして、しかも先端が尖鋭でなく、刃部は鋭利で丸味を帯びて長く、しかも重量がある刃器で成傷したとしては、合理的でないように思われる。」特に原判決中のC1の供述によると、被害者は蚊帳をまとうなどで身体、手足の自由を制限され防禦も思うに任せなかつたことも想察されるところからすると「重量のある押切刀の如き刃器で多数回にわたつて加害せずとも致命的創傷を加え得たと思われる。」本件のごとき創傷が斗争ということを考えない単に刃物としての一般的用法に従うものとしてなら右押切での成傷も不可ともいえないものであろうが、そうでなく兇器としてなら、その重量等からして押切刀による受傷とは容易に首肯し難いように思われる、というにある。ただしかし、右鑑定書では、A6医師の検案書中で本件兇器 可ともいえないものであろうが、そうでなく兇器としてなら、その重量等からして押切刀による受傷とは容易に首肯し難いように思われる、というにある。ただしかし、右鑑定書では、A6医師の検案書中で本件兇器につき「鋭利ナル種類ノモノニシテ可ナリ重キ重量ヲ有スルモノ」なりとしている点は異論のないものとされ、かつ右検案書中被害者B1の左胸部後面の大創傷に関連し、「その成傷器は鋭利な刃器で、しかも重量のあるものと推定される」とされている。もつともこの点、当裁判所の証人尋問ではさらに具体的な説明がなされ、右「重量のある」とは「軽くない」という意味だとされ、小刀類では軽すぎ右鑑定資料としての押切(わら切り)では重すぎることは明らかであるとされたが、具体的にどの程度の重さのものを意味するかは明確にされない。ただ、右鑑定資料としての押切のみならず前記各種の藁切による成傷も難しい、とされ、また、その先端が尖つているかどうかは必ずしも必要でないことだとされている。以上、右鑑定意見には幾分明確でない点もあるが、右鑑定書のほか証言等も合わせると、その述べるところの主意は、結局本件には二三個もの多くの創傷があり、しかもうち四個、多いと五ないし七個もの切創は皮下に止どまる浅いものであること、また頭部に九個もの傷があるというのに大きな致命傷が一つもない、ということからすると本件兇器としては前記のごとき藁切といつたものを考えるのは難しい、というにあり、この点の骨子は、前記A2鑑定とほぼ同旨とみられ、ただ、被害者の左胸部後面の大創傷からすると、右藁切のごときものでは重すぎるが、兇器としてはある程度重量のあるものではないかと推定される、とされ、この点はA2鑑定と多少異なるように思える。 (D) A3、A4鑑定検察官は本件再審請求で、弁護人らの右A2、A1両鑑定の当否を判断す してはある程度重量のあるものではないかと推定される、とされ、この点はA2鑑定と多少異なるように思える。 (D) A3、A4鑑定検察官は本件再審請求で、弁護人らの右A2、A1両鑑定の当否を判断する資料としてE16大学医学部名誉教授、E17大学教授、医学博士A3作成の鑑定書及びE18大学教授A4作成の鑑定書を提出している。そこで、右両鑑定書及び右A3鑑定については当裁判所の同人の証人尋問の結果をも合わせ、これらにより、右内容を検討してみることとする。本件兇器につき、まず、右A3鑑定では、その鑑定結論として「第一、二審判決に引用されている医師A6作成の検案書におけるB1の死体に存する切創のうち、左胸部後面の切創は割創と認めるのが妥当であり、兇器は重量があり、かつ大にして刃部の先端をふくめて鋭利な兇器に由来するものと思考され、」「其の他の多数の切創も該兇器の刃部の触接等によつて生じ得るものと思考する」とされ、右鑑定人に鑑定資料として提示された藁切三丁(当庁昭和五一年押第六号の六、七、八、重量七五五、九四〇、一、〇三五グラム)につき、これらは「いずれも刃部が尖鋭にし非薄、大かつ重量がある。同刃物によりB1の死体における『左胸後面の深さ肺臓に達する割創』の形成は勿論、その他の切創ならびに現場の刀痕も同刃物の刃部の触接等によつても形成は可能と思考する」されており、そして、右鑑定理由の骨子は結局、被害者の左胸部後面の切創を「割創」とみることにより、これを中心に兇器は重量ある鋭利な刃器とされるに至り、その他の創傷も右重量ある兇器にあたる右藁切等でも成傷可能であるとされるに至つているようにみられる。そして次に、A4鑑定では、同鑑定書の記載によると、同鑑定の結論として、「本件被害者B1の死体にみられた創傷中、その左胸部後面の大創傷は、かなりの重量のあ であるとされるに至つているようにみられる。そして次に、A4鑑定では、同鑑定書の記載によると、同鑑定の結論として、「本件被害者B1の死体にみられた創傷中、その左胸部後面の大創傷は、かなりの重量のある、かつ刃部の鋭薄なる大型の刃物を用器とし、これを強力を以て打ちおろすような方法で同部に作用させることにより生じたとするのが妥当であり、その他の身体各部の創傷も同様な刃物によつてこれを生ぜしめることができると認められる。」そして「一、二審判決に記載する犯行の状況は、」本件鑑定資料として提示された藁切三丁(前回号の一一、一二、一三、重量五五二、六五二、九六五グラム)き「刃物によるものとして可能である。」特に右のうち六五二グラム「程度のものが適切であると認められる。」(もつとも、前記A2、A1鑑定の資料とされた藁切では不適当で、これで短時間内に二三個の創傷を生ずるのはいささか無理であろう、とされている)とされ、右もその理由の骨子は前記A3鑑定と説明の仕方は異なるが、ほぼ同様に、被害者の左胸部後面の創傷を「割創」とみることを中心に、その他理由を加え本件兇器を右のごときものと推論しているようにみられる。 (E) 右A2、A1鑑定の評価と右A3、A4鑑定との関係A2、A1鑑定で示される本件兇器の推論に関する注目すべき点は次の諸点であるといえる。つまり、A6医師の検案書の記載によると、被害者B1の死体には全部で二三個もの創傷があるとされながら、左胸部後面の大創傷一個を除くと、他は一部骨膜、また骨質に達するというのはあるも、必ずしも大きく骨折、骨砕、裂断等を伴い、深く体内損傷にまで至つているとみられるような深甚な損傷は一つもなく、むしろ、皮に止どまる浅い傷が四あるいは七個も存し、また特に、頭部には九個もの創傷があるとされながら一個は皮下、二個は骨膜、六 い、深く体内損傷にまで至つているとみられるような深甚な損傷は一つもなく、むしろ、皮に止どまる浅い傷が四あるいは七個も存し、また特に、頭部には九個もの創傷があるとされながら一個は皮下、二個は骨膜、六個は骨質に達するというにとどまり、一つとして頭部を割截し脳漿を流出させるなど脳損傷を伴うにまで至つたものがなく、かつ脳振とうを惹起したとみられるような形跡もうかがえない、とう点である。右A6医師検案書の記載によると、右二三個の創傷は「皆切創ニシテ」とされている。この「切創」と「割創」の区別については後述するとしても、前記「藁切」の形状、大きさ、重量等からすると、これを兇器として考える場合、刃先端部の尖鋭の有無にかかわらず、通常は打ち下ろし、振り廻しの方法で用いられるものとみるのが自然であり、もし右藁切を兇器として考えるとした場合、右二三個の創傷はおおむね右藁切を打ち下ろし、あるいは振り廻しの方法で用いた際生じたものとみざるをえないこととなり、この点かりに右藁切を突き刺す方法で用い誤つて身体を擦過して生じたなどの創傷を考えるとしても、ごく一部で右大勢に影響せず、そうだとすると、本件創傷二三個ものうち左胸部後面の大創傷一個を除くそのがいずれも前記程度のいわゆる「切創」にとどまつているというのはいかにも不合理である。この点、たとえ、原一、二審判決書掲記の各証拠から想定される被害者、加害者のあらゆる体位、状勢等を考慮に入れ、また本件のごとき暗夜の格闘ではかなりの当り損ね、防禦創の生ずることも考えられ、現にA6医師検案書からも左手部の創傷等防禦創とみられるものも少くなく、さらには一回の打撃により数個の創傷が同時に生ずる可能性もあり、その他被害者が当夜まとつていた蚊帳、あるいはまとつていたかも知れない衣服等多くの諸事情を十分考慮に入れるとしても、なお右 も少くなく、さらには一回の打撃により数個の創傷が同時に生ずる可能性もあり、その他被害者が当夜まとつていた蚊帳、あるいはまとつていたかも知れない衣服等多くの諸事情を十分考慮に入れるとしても、なお右不合理性は払拭しがたく、右成傷が全く不可能とまではいえないとしても、その生じうる蓋然性はきわめてとぼしいものといわざるをえない。特に、頭部に存する九個の創傷については、ともかく九回は兇器(刃部)が頭部になんらかの形で当つていることは動かせない事実であり、しかるに、うち一個も脳損傷を伴うような致命傷がないということは、本件創傷が前記「藁切」のごとき重量のある兇器によるものでないことを明らかにするかなり決定的な要素であるといえよう。 右の点、まず検察官提出のA3鑑定によると、被害者B1の死体検案書のうち「頭部における切創、右肩胛および上膊前面、後面、手部の切創には骨質に達す、または達するものの記載があるから割創または割創にちかいものの存在も考えられる」とされ、また左胸部後面の大創傷を除くその他の切創については右のごとく「割創」に類するものが存在したとも考えられるが、その「切創の大さ等の精細な記載なきをもつてこれに考察をくわえることは不可能である」とされ、ただしかし、被害者、加害者の暗夜の格闘の場合藁切のごとき「重量があり、かつ大、鋭利な刃器の刃部の触接等によつては」右「各部の多数の切創も生じ得る可能性はあるものと思考される」とされている。しかしまず、右創傷の程度に関し単に「骨質ニ達ス」という記載があることから、死体検案をしたA6医師が「切創」と明記しているのを「割創」と考えるには多くの問があり、なるほど右「切創」と「割創」の区別につき、A4鑑定書によると、現代の臨床医師でも法医学専門家がこの両者を区別して呼称する程には区別して記載しないのがしば いるのを「割創」と考えるには多くの問があり、なるほど右「切創」と「割創」の区別につき、A4鑑定書によると、現代の臨床医師でも法医学専門家がこの両者を区別して呼称する程には区別して記載しないのがしばしばであるとされているが、他面、「切創」「割創」という言葉はすでに明治時代の数種の法医学書のいずれにもこの名称が用いられていたとされているわけで、現に明治四四年一二月刊行医学士E19著「E20」によると、切創、割創の区別につき「割創」は「重キ鋭刃ヲ以テ鉛直ニ裁割スルニ由テ生ズルヲ以テ骨ヲ穿徹スルコト多シ、其形状ハ創縁少シク圧平セラレ挫創状ヲ呈シ」「若シ骨ニ達スルトキハ骨裂傷ヲ兼ヌ、頭部ノ割創ハ骨縁ヲ離開シ、多クハ骨ノ裂傷ヲ兼ヌ」「後害モ亦著シ、間々震盪症ヲ生ズルコトアリ」との記載がみられ、E21の検察官に対する供述調書、右A4鑑定書によると医師経験も少くなく、警察医をしていて死体解剖の経験もあるとされるA6医師が、右両者の区別を全く知らず、単に骨質に達するというにとどまる各創傷につき、これを漫然「皆切創ニシテ」と記載したものとは容易に首肯できないところであり、したがつて納得のいく格段の事情もなく、右骨質に達するとのみある創傷を割傷とみることにより兇器の推断をなすことは相当でないといわざるをえない。のみならず、右A3鑑定書中「触接等」とある部分は藁切のごとき重量のある鋭利な刃器を兇器として本件のごとき両者の争闘の場面で利用するとした場合、その「触接等」といつても、振り下ろし、振り廻し(切りつけ)、突き刺す等の用法で、普通は前記のとおり振り下ろし、振り廻す式であり、加害者の体位、状勢によつてその作用する力がかなり減弱されることはあつても、右のごとき重量のある鋭利な刃器では、特に意識的に作用力を抑制するなど通常考えられない事態でも予想しない限り、 す式であり、加害者の体位、状勢によつてその作用する力がかなり減弱されることはあつても、右のごとき重量のある鋭利な刃器では、特に意識的に作用力を抑制するなど通常考えられない事態でも予想しない限り、その重さだけでも相手方にかなりの打撃、創傷を与えることが考えられ、かりにはずれることがあつても全体としてみれば前記のごとく計二三個、うち頭部に九個もの右兇器の「触接」があるわけで、これだけの「触接」があればうち数回は相当の打撃を伴うかなりの創傷を惹起しているのではないかとみるのが自然なものといえよう。この点は当裁判所のA3証人尋問でも十分明らかにされたものともみられない。 次にA4鑑定であるが、同鑑定では右の点につき、まず「1」、右臀部の創傷につき、A6医師の検案書では「深サ皮下ニ達ス」とあり「切創」とあるのにD13(当時一〇才、供述時七〇才)の検察官に対する供述調書中の「尻に大きな深い傷があり縦に切れて割れておつた、長さは六、七寸はあつたと思う」という供述を参酌し右につき「多分に割創的な創傷であつたかも知れないと考察せられる」とされているが、右D13の供述は当時の年令等に照らしとうてい信用できるような類のものではなく、右A6医師検案書の記載に従い可能な理解にとどめるものといえよう。また「2」、本件創傷のうち肩胛及び上膊部前面、後面の創傷についても「割創」と呼ぶべきものがあるのではという「一応の疑問が残る」、とされて、さらに「3」、その他の左胸部後面の創傷を除くその余の創傷については、「その他の創傷中にもなお、頭部において深さ骨膜に達するもの二個、骨質に達するもの六個、左手部において骨質に達するもの三個があつた旨が一審判決書に記載せられているが、頭部のものではそれらが頭腔内ないし脳に達したものと思われる証跡は無く(脳に達している程度のものが 質に達するもの六個、左手部において骨質に達するもの三個があつた旨が一審判決書に記載せられているが、頭部のものではそれらが頭腔内ないし脳に達したものと思われる証跡は無く(脳に達している程度のものが検案医師の記載においてそのことが脱漏するとは思われず、また後述する本人の受傷当時の行動からもそのような重大な脳機能障害が起るような受傷があつたとは考え難い)、また手部の骨質に達する創傷も手指切断の程度に達したかどうかは不明であり、いずれにしてもこれらの程度の〃骨質に達する創傷〃は匕首短刀、刺身包丁、時には大型ナイフ程度の刃物でも、それらが多少強く接触すれば、殊に鋭刃であれば必らずしも発起不可能とも思われないので、これらの創傷が一様に『切創』と記載されている点について、ここでは特に多くを述べる必要はないものと考へられる」とされている。右「3」の点は、右創傷の関係のみを部分的に切り離して考えれば、説明の抑揚、観点こそ違え、前記A2、A1鑑定で指摘される点と同旨にわたるとみられるような点も少くないように思える。のみならずこの点は、むしろ本件で最も問題とされるべき右頭部の創傷につき、これらが単に「匕首」等の類の刃物でも「発起不可能」とも思えないとされるにとどまらず、さらに肝腎の前記藁切のことき重量のある兇器での成傷としてみた場合、はたして合理的であるとみられるのかどうかにつき十分な解明がなさるべきであつたと思われるのに、この点鑑定結論としてただ可能とされているのみで、鑑定書中遂にどこにも十分な説明を見い出すことができなかつた点、右鑑定結論にもこれを首肯するに躊躇せざるをえないところである。 ところで、右A3鑑定でも、A4鑑定でもその説明されているところを熟読玩味するに、要するに根本は、A6医師検案書記載の左胸部後面の大創傷が「切創」というよりむしろ 躊躇せざるをえないところである。 ところで、右A3鑑定でも、A4鑑定でもその説明されているところを熟読玩味するに、要するに根本は、A6医師検案書記載の左胸部後面の大創傷が「切創」というよりむしろ「割創」とみるべきものだということに端を発し、まずこれはかなり重量のある刃物(A4鑑定書では「五〇〇グラム以上あれば一応〃割創〃を生じ得る程度の大型刃物ということができる」とされている)によるものとみるのが妥当であるとしたうえ、これからさらに他の創傷についても右同一刃物での成傷の可能性を検討肯定して行くという形がとられたかのように思える。問題は、この左胸部後面の大創傷である。A6医師もおそらくは右大創傷に災いされて、本件兇器につき結局「兇器ハ柄ヲ把握シテ強カヲ加へ得ル鋭利ナル種類ノモノニシテ可ナリ重キ重量ヲ有スルモノナルヘシ」としたもののようにもみられる。たしかにA4鑑定で詳しく説明されているとおり、その創傷の部位、態様、程度等からすると、特に「肩胛骨下角ノ一部ヲ切除シ」ていることなどに照らし、かなり重量のある鋭利な刃物で成傷したのではないかとみる余地は少くない(もつとも右の点でD14―当時一五才、供述時七五才―の昭和五一年一月七日付検察官調書を参酌するのは相当でない)。しかし右は他面、前記A2鑑定で指摘されているように、「第五肋骨体ヲ長経ニ沿フテ切り」「深ク肺臓ニ達ス」とされているわけで、第五肋骨体自身を粉砕し、また他の肋骨体に及ぶなどの事態もないまま、深く肺臓に達しているというものであつて、その創傷の態様等からすると、むしろ前記藁切のような大型の重量のものとみるよりもつと小型軽量の鋭利な刃物の刺切創とみる方がふさわしいようにもみられるし、A6医師の「皆切創ニシテ」という用語の意味にもより適合するものとみられる。 しかしこれはともかくとし 量のものとみるよりもつと小型軽量の鋭利な刃物の刺切創とみる方がふさわしいようにもみられるし、A6医師の「皆切創ニシテ」という用語の意味にもより適合するものとみられる。 しかしこれはともかくとして、本件創傷の成傷器につき勘考する場合、原一、二審判決の記載中C1の供述による限り、本件兇器は一つとみるほかなく、原判決もそのような判断の上に立つて犯行事実を認めているものとみざるをえないところ、もしこの前提で考えるとしたら、右二三個の創傷すべてにつき、これを全体的に一個の兇器による成傷の過程としてみてはたしてどのような刃物を兇器としてみるのがもつとも合理的であるかという全体的観点で判断しなければ兇器の推論として妥当でないということになる。もつとも、原判決中右C1の供述を離れて考えると本件創傷からしてその兇器につきこれを一個とみなければならない必然性はない。しかしもし、これを一個でないとみるとしたら、右C1の供述の信用性はその大方を失い原判決認定の構造もそのこと自体で根底から覆えざるをえないこととなろう。 これはともかく今右兇器を一個とみるとした場合、たしかに前記左胸部後面の大創傷は、これをなんらかの兇器による振り廻し、振り下ろし等いわば切りつける方式で成傷したとみると、ある程度重量のある刃器でないと成傷しないのではないかという疑念は一応うなづける。しかし右創傷も前記A2鑑定でいう「刺切創」(実際の起り得る行為の態様としても、創傷の部位からして蓋然性はとぼしくない)という見方をすると、必ずしも重量のあるものでなくても比較的軽量な刃物で大きく作用力を及ぼすことができて成傷可能であるとみられるのみならず、前記のとおり右創傷も他の肋骨体をなんら損傷することもなく単に「第五肋骨体ヲ長経ニ沿フテ切り深ク肺臓ニ達」している点等、むしろ藁切のごとき大型で重量 すことができて成傷可能であるとみられるのみならず、前記のとおり右創傷も他の肋骨体をなんら損傷することもなく単に「第五肋骨体ヲ長経ニ沿フテ切り深ク肺臓ニ達」している点等、むしろ藁切のごとき大型で重量のある刃物によるものとみるより、もつと鋭薄小型で軽量な刃物による刺切創とみるのがふさわしいのではないかという推論も十分首肯しうるものとしたら、前記その余の特に頭部の創傷等からする全体的な考察からして、結局、本件兇器は、前記藁切のごとき大型で重量のものではなく、もつと小型で軽量の鋭利な刃物、つまり通常打ち下ろし、振り廻しても前記頭部割裁等を生じない程度の重さ(おおむね二〇〇ないし重くても三〇〇グラム前後をこえないくらいと考えられる)のもので右刺入も可能な形態の刃物であるとみるべく、この趣意に出たA2、A1鑑定、特にA2鑑定がはるかに合理的であるといわざるをえないこととなる。 いずれにしても、本件創傷のうち特に頭部に存する九個の創傷は、本件成傷器につきそれが前記藁切のごときものでないことを推論するかなり決定的な因子であるというべく、この点を中心に、本件二三個の創傷からしてその成傷器の蓋然性につき、本件兇器は原判決の認定する前記藁切、押切のごときものではないとするA2、A1両鑑定の指摘はきわめて重要で、かつ高度の合理性を有するものというべく、兇器を一個とみるにせよ、二個とみるにせよ、原判決の認定する前記立証構造等からすると、右A2、A1両鑑定の本件兇器につき提起した重大な疑念は、原判決認定の基礎となつたC1の供述の信用性、ひいては原判決の有罪認定に多大の影響を有するものであることは否定しがたいものといえる。検察官提出のA3、A4両鑑定も右疑念を十分解消するものではない。 二、 A5の血痕鑑定についてA5の血痕鑑定が原判決中かなり重要な意味をも 響を有するものであることは否定しがたいものといえる。検察官提出のA3、A4両鑑定も右疑念を十分解消するものではない。 二、 A5の血痕鑑定についてA5の血痕鑑定が原判決中かなり重要な意味をもつたであろうことはすでに前述のとおりであるが、この鑑定結果につき請求人からあらたな証拠として提出援用された各鑑定書等につき以下検討するにあたり、まずその前提事実として、右A5鑑定の鑑定資料となつた原判決挙示の「証第九号筒袖衣服」の押収された日時及びA5鑑定の経緯、方法について以下検討することとする。 (一) 本件筒袖衣服の押収の時期原一、二審判決は、その記載によると、C1の供述するところに従い、請求人は本件犯行の当夜右A5鑑定の資料となつた「証第九号筒袖衣服」を着用していたものと認めている。請求人はもとより当初からこの事実を否定しているが、このことは原一、二審判決の記載自体に徴しても明らかなところであり、ただ請求人の原一、二審公廷における供述記載によると、右「証第九号筒袖衣服」(襦袢)は請求人の父D8の仕事着であることが明らかにされている。 そこで、右筒袖衣服がはたしていつ押収されたかという点であるが、まず原判決の記載によると、請求人の第二回豫審調書中「自分ハ」「七月十四日鯛二尾ヲ弐拾銭ニテ買ヒタルコトハ相違ナキモ壱円札ヲ出シタル覚ナキ旨」の供述記載、D9の聴取書中「大正四年七月十四日ニ十四五才ノ男ニ小鯛二尾ヲ弐拾銭ニ売リ壱円紙幣ヲ受取リ」云々の供述記載、また、請求人の原二審公廷における供述として「私ハ同年七月十八日西市警察署ニ引渡サルゝ時金七円拾銭在中ノ箱ヲ父D8ニ預ケタルコトアル旨」の供述記載、さらにはまた、D8の第一回聴取書中「七月十七八日頃C2カ西市警察分署ニ連行セラルゝ時金七円拾銭入ノ薬箱ヲ密ニ私ニ預ケタリ」の供述記載等があり 拾銭在中ノ箱ヲ父D8ニ預ケタルコトアル旨」の供述記載、さらにはまた、D8の第一回聴取書中「七月十七八日頃C2カ西市警察分署ニ連行セラルゝ時金七円拾銭入ノ薬箱ヲ密ニ私ニ預ケタリ」の供述記載等があり、これらによると、まず、右七月一四日までは請求人には捕はもとより捜査上強く嫌疑をかけられるようなこともなかつたものとみられること、また、逮捕されるに至つたのは少くとも右七月一七、八日以降ではないかとみられることなどが推知される。そしてさらに、請求人自身が本件第一次再審請求以後述べるところによると、請求人各作成の昭和三八年三月三〇日当庁受付「再審請求の申立の追加申立」書、同年四月九日同受付「申立書の追加事項」書、同年五月二二日同受付「再審請求申立書の第六次趣意書」、同年七月一日同受付「再審請求に関する第七次趣意書」、請求人速記録、当裁判所の請求人尋問調書等では、請求人は一貫して、逮捕されたのは七月二五日であり、かつ請求人の父D8が当時着用していた「証第九号筒袖衣服」を押収されたのはその後で、右押収された経緯を知つたのは請求人が本件服役仮出所後母から聞いてである、と述べている。しかし右のことだけではなお請求人の逮捕及び右押収の日時を十分明確にすることはできない。そこでさらに、他の関係資料をも合わせ参酌しながら検討してみるに、まず、原一、二審判決書の記載及び第一次再審請求におけるD1証人尋問調書、同速記録によると、請求人が逮捕されるに至つたのは共犯とされるC1の供述によるもので、したがつて右請求人の逮捕及び押収の時期は、少くとも右C1の逮捕後で、しかも後述するD1夫婦逮捕の一件後であろうとたやすく推知されるものであるところ、さらに他の関係資料中特に弁護人、検察官双方提出の当時の各新聞記事(内容につき全面的に信用することはできないが、その性質上、日時 するD1夫婦逮捕の一件後であろうとたやすく推知されるものであるところ、さらに他の関係資料中特に弁護人、検察官双方提出の当時の各新聞記事(内容につき全面的に信用することはできないが、その性質上、日時関係、また簡明、単純な記事についてはある程度措信できるものと考えられる)によると、大正四年七月二七日付同月二八日付E6新聞各夕刊の記載によると、C1は本件犯行後下関方面に逃亡中であつたところ、七月一八日帰宅し、同人が逮捕されたのは七月二二日であり、そして請求人は右C1の自白により共犯者とされて七月二六日逮捕されるに至つたものである旨の記事のあることがうかがわれるところ、同記事については、その余の大正四年七月二七日付E2新聞中にも、七月二二日嫌疑者としてC1、請求人「両人を検挙し西市分署に留置する」旨の、また、同年七月二八日付E7新聞中にも、右「両人の所為なることを検挙し二二日西市警察分署に引致の上引続き取調中にて」の記事があり、これは右E6の記事に少くともC1の関係では符合し、さらにまた、大正五年二月九日付E7新聞中には、原一審の最終公判での検事論告後の被告人としての供述で、請求人は、「証拠の衣類は父の所有物にして其の血痕のごときも数年来着衣せるより如何なる場合に附着したるものなるや自己の知らざる庭なり初めより証拠品として押収されたるに非ずしてC1の自白により而して後家宅捜索の結果押収されたるものなれば何等有力なる証拠とならず」と述べた旨の記事があることなどからすると、結局、C1が逮捕されたのは七月二二日であり、その後に同C1の供述によるD1夫婦逮捕の一件があつて、さらにその後に、ほぼ前記請求人が述べる七月二五日ころ請求人逮捕に至つたものではないかと推知され、「証第九号筒袖衣服」の押収も右請求人逮捕と同時ころか、その後であろうと推知され、同 の一件があつて、さらにその後に、ほぼ前記請求人が述べる七月二五日ころ請求人逮捕に至つたものではないかと推知され、「証第九号筒袖衣服」の押収も右請求人逮捕と同時ころか、その後であろうと推知され、同押収がいかに早くみても少くとも右C1逮捕の七月二二日以前でないことが明らかなものといえる。ただ、前記原判決書の記載、また請求人の述べるところ、さらには右各新聞記事によると、請求人は、請求人、また右C1逮捕前に二、三度本件で任意警察の取調べを受けているような事実がうかがえるが、しかしその間に、請求人のものでなく父D8の本件衣服まで押収され、さらに少くとも、同衣服の「表面ニ附着セル斑点」につきすでにA5鑑定の依嘱までなされていたなどとは、右逮捕の経緯、また後述するA5鑑定の経緯などに徴し、まず考えられないところである。 (二) A5鑑定の経緯、方法第一次再審請求の際のA5証人尋問調書によると、検事局の嘱託医A7が横一五センチ縦一九センチ程度の血痕の附着した木綿の布片一つをもつて来て「これは人血か動物の血液かをみてその結果を鑑定書として出してくれ」と頼まれたので、それで「血痕のついている所を鋏で切り取り生理的食塩水にひたしておいて血痕の食塩水にして顕微鏡で血球を見た訳です。血球が人間のと動物のと違うので、その結果を鑑定書に書いた訳です」と述べ、さらに右方法につき具体的には、布切の血痕附着部分の一部小指の先くらいの大きさを切りとつて直径一〇センチくらいの食塩水を入れたシヤーレにつけて溶かし、それを顕微鏡で検査して人血であることを判定したものである旨述べており、さらにA5速記録(鈴木弁護士聴取録音テープ)によると、嘱託医A7から何かから切りとつた小さなきれ地をもつて来て「これは動物の血液か人間の血液か鑑定してくれと頼まれ」「顕微鏡で鑑定したのです。 おり、さらにA5速記録(鈴木弁護士聴取録音テープ)によると、嘱託医A7から何かから切りとつた小さなきれ地をもつて来て「これは動物の血液か人間の血液か鑑定してくれと頼まれ」「顕微鏡で鑑定したのです。それで顕微鏡鑑定の結果、動物の血液じやなく、これは人間の血液だということに鑑定書を書いたと思います」、それは「食塩水にとかしてそれで血球を見たんです。 血球は動物の血球と人間の血球と違いますからね」と述べていることがうかがわれる。そして原一審判決書掲記のA5の本件衣服等に「附着セル斑点ハ動脈ノ切断ニヨリ迸出セル血液ノ附着セルモノト思ウ」旨の供述記載については、右A5証言等では、かようなことは血液そのものでなく少くとも布片等に附着した血痕に関する限り解る筈がなく、自分はかような証言をしたことはない、と述べ、もつともこの点は、もともと自分は右血痕鑑定につき山口地方裁判所に証人として出廷したことさえない旨、かなり明確に右事実を否定していて、この点まことに奇奇怪怪の感を免れない。これはともかく、右証言、速記録によると、A5医師の鑑定方法は、ほぼ、血痕と思われる斑点の附着した布片の一部をはさみで切りとつてこれをシヤーレに入れた生理的食塩水につけ、血球様のものを溶かし出し、これを載物ガラス板上にとり顕微鏡で検査する方法によつたものとみられ、A5医師は右溶出した液の中に血球の存在を認め、かつ同血球はその形状、大きさ等から人間以外の他の動物のと異なるものとして、「人血」と鑑定するに至つたものと考えられ、右A5証言等はその証言等の時期、内容などからにわかに措信しがたい点も少なくないが、右鑑定の当否は別論、少くとも本件鑑定につき後述する血球観察法によつたものとみられることは明らかなものといえよう。右A5証言等によると、本件A5鑑定につき、右以外の方法を別に、ある も少なくないが、右鑑定の当否は別論、少くとも本件鑑定につき後述する血球観察法によつたものとみられることは明らかなものといえよう。右A5証言等によると、本件A5鑑定につき、右以外の方法を別に、あるいは合わせて試みたことをうかがわせるような供述はその片鱗すら存しないが、A5が、右以外の方法をとつたかどうかについては、本件あらたな証拠としての各鑑定書等の関係でさらに後に詳述する。 (三) A1意見書、同鑑定書、A2鑑定書、A3鑑定書、A4鑑定書、A1、A2各証人尋問調書の検討(A) 「人血」であるとするA5鑑定の当否右A1、A2、A3、A4各鑑定書及び当裁判所のA1、A2各証人尋問調書のほか同A3証人尋問調書をも参酌し、これらを総合すると、「1」、大正四年のA5の本件鑑定当時、衣類等に附着した人血を疑わせる問題の斑痕につき、これがはたして「血痕」かどうか、「血痕」としたら「人血」か否かの判別法としては、血球観察法(赤血球証明法)というのがあつて、その方法は具体的には、右問題の斑痕を一部切りとりあるいは削りとつてこれを載物ガラスの上にのせ、これに生理的食塩水を加えて若干の時間をおき、もしこれがなんらかの血痕であるということなら右血痕中の赤血球が溶出、分離するので、これを顕微鏡下で観察して、まず、右斑痕は人を含むなんらかの動物の血液に由来する「血痕」であることを明らかにし、そしてさらに、右動物の赤血球は、人を含む哺乳動物のそれは円形で無核であり、その他の鳥類、魚類、爬虫類等のそれは楕円形で有核であることから、まずこれを区別し、さらに右赤血球の大きさ(直径)は同じ哺乳動物であつても、人、犬、猫、牛、馬等それぞれ種別によつて異なり、人間の血球は最も大きいとされていることからこれを顕微鏡下で計測して「人血」か否かを鑑別するという方法であると きさ(直径)は同じ哺乳動物であつても、人、犬、猫、牛、馬等それぞれ種別によつて異なり、人間の血球は最も大きいとされていることからこれを顕微鏡下で計測して「人血」か否かを鑑別するという方法であるとされていること、「2」、そして、この方法は明治時代のわが国法医学の開祖とされるE22の明治二三年の法医学提綱上巻の記載をはじめ、すでに明治末期から大正のはじめにかけての各種の法医学の主要文献にはほとんど掲載されていて、単に法医学専門家のみならず、多少とも法医学に興味をもち鑑定等に従事しようとするものなら広く地方在住の医師程度でも少くとも右血球観察法の存在方法についてはかなり周知されていたものであるとみられること、「3」、しかし、右のごとき血球観察法はすでに右E22の当初の文献でさえも、問題の斑痕が「血痕」かどうかの判定の方法としてならいざしらず、衣類等に附着して乾固した「血痕」につきこれが「人血」かどうかの判別法としては「人血ト他ノ哺乳動物ノ血トノ区別ハ難シト雖モ必ズ為シ能ハサルニ非ス」とされている程度で、その他の各文献でも大方右判別は甚だ、あるいは頗る難事、またほとんど不可能などとされているくらいで、元来血液は衣類等に附着するとすみやかに乾固して血痕となり血球は萎縮、変形して原形をとどめなくなるのでいくら右血球を膨化させるための各種膨脹液を使つても右原形に復帰せしめることはまず不可能であり、右哺乳動物間の大きさの相違もごく微小不同なものであることなどからすると、右「人血」判別もきわめて不確実あるいは不可能ともみられるところで(これらの関係はA2鑑定書では「採血直後の新鮮血球についてさえ、それに大小不同あり、統計的な種属差はともかく、個々の血球について、その大小により種属を決定することは至難の業である。ましてや血痕とあれば乾固した後の血液であ では「採血直後の新鮮血球についてさえ、それに大小不同あり、統計的な種属差はともかく、個々の血球について、その大小により種属を決定することは至難の業である。ましてや血痕とあれば乾固した後の血液であり、これから正常の形の赤血球を復活させることは絶対に不可能であるとしてよい。これはそのために考案された種々の膨脹液を用いても同じことである。」とされている)、大正四年の本件当時右血球観察法が「血痕」かどうかの実性検査の一方法としてなら格別「人血」かどうかの判別法としては、少くとも法医学専門家の間ではほとんど信用できない方法として考えられていたこと、そして当時の「人血」かどうかの判別法としては別にウーレンフート氏法(生物学的検査法)というのがあり、これが当時の「人血」鑑別のための唯一の方法であつたとされ、ただしかし、これは「血痕中に含有される蛋白の種属を生物学的方法(血清学的方法)によつて決定、血痕の種属を推定する方法」(前記A2鑑定書)であつて、そのためには家兎を利用して作成される沈降素血清(人血清に対する抗体)を必要とし、その作成にはかなりの時間と技術を要することなどからE13大学法医学教室等きわめて専門的なところでのみ、しかも右抗血清製造に多大の日時を要して右「人血」鑑定に用いられることはあつても、後述する経歴及び状況にあるA5医師程度のものとしては当時右ウーレンフート氏法を用いることはまず絶対に不可能であつたとみられること、などの事実が認められる。以上の関係は、右四名の鑑定人の各鑑定書及びうち三名の前記各証人尋問調書に照らすとき、その表現等において特にA4鑑定書においてはかなり違う点もあるが、右主意はほとんど異論をみないところといえよう。 そこでこれらからしてさらに、前記第一次再審請求におけるA5の証人尋問調書等を今一度参酌しながらそ いて特にA4鑑定書においてはかなり違う点もあるが、右主意はほとんど異論をみないところといえよう。 そこでこれらからしてさらに、前記第一次再審請求におけるA5の証人尋問調書等を今一度参酌しながらその本件当時における鑑定方法及びその鑑定結論の当否につき勘考してみるに、まず、右証人尋問調書及び本件記録中のA5の履歴書謄本、山口地方検察庁下関支部長作成の医師A5の経歴等調査結果について(報告)、E23雑誌E24号(一部、写)、E13大学医学部長の照会回答書、A8の検察官に対する各供述調書(二通)、A4鑑定書(昭和五一年七月一五日付A4鑑定書を含む)、同年六月一九日付A2鑑定書、等によると、A5は明治二九年四月医師試験に合格、明治三三年四月より一ケ年間E25大学医科大学衛生学撰科生として在籍(その前約ニケ月間は同産科学婦人科学撰科生としても在籍)、明治三四年四月より約一〇ケ月間右衛生学教室介補嘱託として在職、その後、東京市技手、同市衛生試験所技手、E26院長代理、神戸市技師等を経て、明治四一年七月より下関市立E27病院長兼下関市技師兼同市医に、明治四三年四月下関市E28所長兼技師兼任等の経歴を有するもので、大正四年一〇月から右公職を辞して下関市内で医師を開業し、本件第一次再審請求の証人尋問当時も引続き下関市内で開業医(内科、小児科)として医業に従事していたものであり、そしてまた本件鑑定当時は、A5の右証言では大正四年八月右下関市立E27病院長をやめる直前ころであつたとされていて、当時年令三九才であつたことが明らかであり、そしてさらに、A5医師が東大国家医学講習科(同講習科目に法医学を含む)に入学していたかどうかは必ずしも明確でないが、本件鑑定当時E23雑誌を閲読していた様子はうかがわれ、特に本件同年の大正四年二月二〇日発行のE23雑誌第E24 家医学講習科(同講習科目に法医学を含む)に入学していたかどうかは必ずしも明確でないが、本件鑑定当時E23雑誌を閲読していた様子はうかがわれ、特に本件同年の大正四年二月二〇日発行のE23雑誌第E24号にはA5医師が婦人膣内内容物等から精虫、淋菌の顕微鏡的検査を行つたとする「細菌学的検査ニヨル殺人事件ノ鑑定例」と題する鑑定例報告をしている事実があり、しかも、右E23雑誌は、A2鑑定書によると、明治年間から大正の本件当時ころにかけ血痕鑑定等「当時この種の論文の唯一の発表機関誌であつた」とされていることなどがうかがわれ、これらからすると、A5医師は特に細菌関係については相当の知識を修得していたとみられるとともに、法医学(物体検査等)についてもある程度の興味をもつて、特に右E28等に関連して顕微鏡を操作する知識、技術についてはかなり専門的なものを体得していたのではなかろうかと推知する余地も大きい。 そしてさらにこれらからして、前記A5証人尋問調書等を検討してみると、前記のとおり問題の斑痕につきそれが「血痕」で「人血」であることの鑑別法としては赤血球を顕微鏡下で観察して識別するという方法があつて、当時の多くの法医学の文献にもこれが紹介され広く一般に周知されている状況で、たしかに「人血」の識別についてはかなり困難、ほとんど不可能とまで記載はされているものの、当初の前記E22の法医学提綱の記載によるとこれも「難シト雖モ必ズ為シ能ハサルニ非ス」とされているわけで、その他の文献でも全く不可能だとされているわけでもなく、現にA2鑑定書によると大正三年のE22の鑑定書でさえ、なおウーレンフート氏法のほか赤血球証明法を用いている状況でもあることなどから、A5医師としては、他にとりうる方法もないまま、顕微鏡の操作にはかなり習熟していたとみられることもあつて、本 書でさえ、なおウーレンフート氏法のほか赤血球証明法を用いている状況でもあることなどから、A5医師としては、他にとりうる方法もないまま、顕微鏡の操作にはかなり習熟していたとみられることもあつて、本件鑑定にあたり、前記のごとき血球観察法によれば、「血痕」であることのみならず「人血」の判別も不可能ではないのみか、むしろ比較的容易に可能であるとさえ考え、前記認定のごとき顕微鏡下で血球を観察する方法により「人血」の判定にまで至つたものであろうと推知され、もとよりA5医師が右鑑定にあたり、ウーレンフート氏法を用いていないであろうことは、同医師の前記経歴をいかに考慮に入れても、同証言、速記録のほか、前記本件A2その他各鑑定書等により明らかにされた事実に徴しきわめて明白なところといえる。 そうだとすると、原判決挙示のA5鑑定書中、まず「人血」であるとする点は、右鑑定書のうち「第九号筒袖衣服ノ表面ニ附着セル斑点ハ」との記載自体からも右鑑定が衣服附着のいわゆる「血痕」につきなされたものであることは明らかで、同「人血」鑑定が右問題の「血痕」につき血球観察法のみによつてなされ、ウーレンフート氏法を用いていない点で同鑑定結論の信用性はまず皆無に等しいものと断ぜざるをえない。 (B) 「血痕」であるとするA5鑑定の当否次にA5鑑定の問題の斑点が「血痕」であるとしている点であるが、前記のとおりA5の証人尋問調書、速記録によると同A5医師は本件鑑定につき血球観察法のみによつたもののように述べ、その他の方法によつたことをうかがわせる供述はその片鱗だに存せず、少くとも「人血」鑑定については右方法のみによつたものと認むべきことは前述のとおりであるところ、今かりにA5医師が「血痕」であることの鑑定についても右方法のみによつたものとしてその鑑定結論の当否について検討し 血」鑑定については右方法のみによつたものと認むべきことは前述のとおりであるところ、今かりにA5医師が「血痕」であることの鑑定についても右方法のみによつたものとしてその鑑定結論の当否について検討してみるに、まず前記のとおり、本件問題の「証第九号筒袖衣服」が押収されたとみられるのは各関係証拠によると請求人逮捕の七月二五日以降、少くともC1逮捕の七月二二日より後であろうとみられるところ、これらからすると、鑑定依頼、鑑定所要日数等もあり、これらを一応すべて除外するとしても、右鑑定は本件犯行日後少くとも一一日以上は経過した後であるとみざるをえないこととなり、この点は当時の記録がないため手続上の関係書類で明確にすることができないが、前記他の関係資料により十分肯認しうるところと考えられる。このような前提で以下検討してみるに、A2鑑定書によると、A5医師の用いた生理的食塩水で血球を溶出する方法では、「その血痕付着が極めて微量」な場合「付着後数日以上を経過したものにあつては」「絶対に血球らしきものの証明は不可能な筈」であり、「いかに大量の血液が付着したものであろうと衣服に付着の血痕は一週日も経過すれば生理食塩水でそのなかの赤血球を浸出遊離させることは絶対に不可能であり、これを顕微鏡に捉え得る筈」はない、とされ、同鑑定人のがーゼ片に血液を相当量に付着させ、付着後日を逐つて検査した成績による実験結果によると「経過二十四時間にして完全な血球の遊出は不可能となり、これについて病理組織学的検査法に則り、エオジン液で血球部分を染色してみるも、一日経過したものでは、エオジン液に紅染する血球を認めるがそれらは著しく変形し、しかも二、三個あるいは多数個が集団をつくつており、四日以上経過のものについてはA5医師の述べる方法を施行しても一個の赤血球の証明も不可能であつた」 液に紅染する血球を認めるがそれらは著しく変形し、しかも二、三個あるいは多数個が集団をつくつており、四日以上経過のものについてはA5医師の述べる方法を施行しても一個の赤血球の証明も不可能であつた」とされ、結局A5医師の鑑定結論につき「このような場合しばしば遭遇する血球様の形態物を捉えて安易な断定を下した」ことによるものであろうとされ、さらに右の点、当裁判所のA2証人尋問調書によると、右血球様の形態物については、空気中に飛んでいるゴミ、繊維の小さな粒、その他仕事着ならホコリや何やら沢山ある、とされており、さらにまた、右の点は、検察官提出のA4鑑定書でも、血球観察につき「これは血痕が付着後極く間もない時でないとその血球としての識別は甚だ困難であり、時日を経過すると、血球の萎縮、変形あるいは分離不能等の事情のため、さらには該斑痕の付着せる衣類、刃物その他の器物自身の付加物、異物、塵片等との紛れのため、結局は血球として識別することが不可能となるものである。」とされ、この参考のため、同鑑定人が目のつまつた日本手拭上と清拭したガラス板上に人血液を一、二滴づつ滴下したものを室温約二〇度前後で遮光した箱の中に静置して保存し逐日的にその一部を採つて生理的食塩水を加えたものを観察するという実験結果によると、「付着後一日の間では一応、血球の特徴(その球形、中凹み、赤血球での無核、白血球での有核等)を認め血球と判定し得るが、付着後三日となればすでに萎縮、変形するものが多く、その特徴を失い、辛うじて血球と判断し得るに過ぎず、第五日以降では、予めそれが血痕であると判つておればどうにかそのようにみえるという程度で、厳密には識別ないし判定不能」であるとされていて、右A2鑑定とほぼ同旨の結論が述べられている。このようなことからすると、本件の場合、問題の筒袖衣服付着の斑 おればどうにかそのようにみえるという程度で、厳密には識別ないし判定不能」であるとされていて、右A2鑑定とほぼ同旨の結論が述べられている。このようなことからすると、本件の場合、問題の筒袖衣服付着の斑点(斑点とあるから微量であつたとも考えられる)は、もし犯行時のものとすると、鑑定時まですでに少くとも一一日以上は経過しているわけで、A5医師がその述べるような方法では顕微鏡下に血球の存在を確認しうる筈がなく、したがつてA5医師は、もし右血球を見い出したとすると、それは前記A2鑑定で指摘されるようにあるいは血球様の形態物をとらえて血球と誤認し「血痕」であるとの鑑定にまで至つたものか、そうでなければ、右付着の斑点は犯行当日のものでなく、それ以後の鑑定時にもつと接着したころのものではなかつたかとみるべき蓋然性がきわめて強いこととなり、いずれにせよ、A5鑑定のうち右「血痕」であるとする点の信用性も有罪認定上ほとんど皆無に近いものとならざるをえない。 もつとも、A5医師については、その前記経歴等からして、本件鑑定時の血球観察にあたり、生理的食塩水のほか当時使用可能なホフマン・パチニ氏液、ウイルヒヨー氏液等各種膨脹液のいずれかを用いたのではなかろうかという疑を生ずる。しかし、第一次再審請求におけるA5証人尋問調書、同速記録では右使用をうかがわせる全くなんらの供述もないことはすでに前述のとおりであるうえ、さらに当裁判所のA3証人尋問調書では右パチニ氏液、ウイルヒヨー氏液等は専門家でないとA5医師では使えないであろうとされていること、また、昭和五一年六月一九日付A2鑑定書では、右膨脹液の使用は可能であつても、これを用いての他の類似形態物との鑑別能力を具えるには相応な経験、特殊な予備的習練を要するとされていること(E29著大正一五年の「E30」では、「コレ等 2鑑定書では、右膨脹液の使用は可能であつても、これを用いての他の類似形態物との鑑別能力を具えるには相応な経験、特殊な予備的習練を要するとされていること(E29著大正一五年の「E30」では、「コレ等ノ赤血球検査ニ際シテハ、種々ナル植物ノ胞子か屡々其ノ形(金米糖様)及ビ色彩(燈黄色)共ニ乾血球ノ膨大セルモノニ酷似シテ、判断ニ苦シマシムコトアルヲ忘ルベカラズ」とされている)、などからすると、A5医師が右各種膨脹液のいずれかを用いたとみることは難しいように思える。ただ、この点は、かりにA5鑑定で、右膨脹液のいずれかを用いたとしても、右昭和五一年六月一九日付A2鑑定書のほか同鑑定人作成の同年七月六日付回答書によると、付着後四日も経過したものについては、右膨脹液を用いた液中に赤血球を遊出せしめて血球の存在を証明することはきわめて困難もしくは不確実で、いわんや本件のごとく、すでに鑑定までに一一日以上も経過する単なる斑痕につき、少くともA5医師では、赤血球の存在を確実に立証して「血痕」であることを鑑別することはまず不可能であつたと認められ(なおこの点、後に検察官提出の昭和五一年七月一五日付A4鑑定書によるも右推認を左右するものではないといえるが、同鑑定書でも、A5の経歴等からする顕微鏡下での血球検査能力に関連し、「ここで特に考へるべきことは」、この検査能力が一応あるとしても、「単に検査し得る」ということでなく、「法医学的な考慮の下に」検査し得るかどうかという別な視点があるという点だとされ、この「法医学的考慮」の一つとしては、「検体中に混在するおそれのある塵埃、微細粒子、特に花粉、カビ胞子、気中浮遊のプランクトン類など、その他血球と紛らわしいものを充分識別すること」などで、これについては「経験もしくは練習が積まれていること」が必要であり、前記A2鑑定 、微細粒子、特に花粉、カビ胞子、気中浮遊のプランクトン類など、その他血球と紛らわしいものを充分識別すること」などで、これについては「経験もしくは練習が積まれていること」が必要であり、前記A2鑑定のこの点に関する指摘は正しいものとされたうえ、「そういう意味では、A5が厳格な意味で『血液、血痕の法医学的検査』に慣れていたといえるか、は疑問であると考える。」とされている)、したがつて、本件A5鑑定書中「血痕」であるとする点の信用性は、前記膨脹液を用いなかつた場合とほとんど差異を生じないこととなる。なお、本件A5鑑定にあたつては、原判決の記載に徴すると、問題の筒袖衣服は請求人の父D8の仕事着であつたことが明らかであり、また、本件当時は七月という気候的にもかなり高温のときであつたとみられることなどからして、右A5鑑定の血球判別も一層困難な状況下にあり、同判別を誤る可能性も強かつたとみざるをえない。 ところで次に、A5鑑定につきなお考えてみなければならない点は、その「血痕」であることの鑑定につき、はたして「血球観察法」のほか他になんらの方法もとつていないものであろうかという点である。A2、A3、A4各鑑定書等によると、大正四年の本件当時、単になんらかの「血痕」であることを鑑定する方法としては、血痕様の斑点につき、まず豫備試験としてグアヤツク法、ベンチヂン検査法等により右斑痕が血痕らしいという検査をして、そして次にこれにつき、本試験(実性検査)として、「1」本件血球観察法のほか、「2」血色素(ヘモグロビン)吸収線検査法、「3」へミソ結晶検査法、「4」ヘモクロモーゲン結晶検査法等のいずれかを行つて、これにより右斑痕が真に「血痕」であることの鑑定に至つていたものとみられ、これらのうち当時実際の鑑定で多く用いられていたのは右豫備試験としてグアヤツク法 クロモーゲン結晶検査法等のいずれかを行つて、これにより右斑痕が真に「血痕」であることの鑑定に至つていたものとみられ、これらのうち当時実際の鑑定で多く用いられていたのは右豫備試験としてグアヤツク法、実性検査としてヘミン結晶検査法であり、しかもこれらは右血球観察法を用いる場合「血痕」鑑別に併用されていたような事実がうかがわれる。そしてさらに、A4鑑定書(昭和五一年七月一五日付の分も合わせ参酌する)、当裁判所のA1証人尋問調書等によると、右検査法のうちグアヤツク法、ヘミン結晶法は他に比べるとその方法が幾分容易なことなどで、A5医師としてもその経歴、置かれた条件等から、もしやろうと思えば実施不可能でもなかつたのではなかろうかとみられること、A5自身、その前記証言、速記録では右のごとき方法を実施したことをうかがわせるような供述を微塵もしていないところではあるが、その鑑定時三九才、右証言時八七才ですでに五〇年近くも経過しているわけで、特に前記のごとく原一審山口地方裁判所に証人として出廷ことすらないと述べていることなども思い合わせるとかなりの記憶の喪失も考えられ、また右の点、格別の尋問がなかつたから、特に「人血」鑑別の点のみ留意して右述べなかつたにすぎないとも考えられること、さらには原判決中のA5鑑定書の丁数が一〇丁にも及んでいること(もつともこの点右A5医師の証言ではごく簡単で二枚くらいですんだもののように述べている)からすると、少くとも右グアヤツク法、ヘミン結晶法程度は現に施行したのではなかろうかとみる余地も少くない。しかしまず、グアヤツク法は単に豫備試験で「血痕」であることを確定するものではないからこれを一応問題から除くとして、右ヘミン結晶法については、これはその検査方法は右血球観察法とはかなり別異の内容を有するもので、A5医師として、もし 備試験で「血痕」であることを確定するものではないからこれを一応問題から除くとして、右ヘミン結晶法については、これはその検査方法は右血球観察法とはかなり別異の内容を有するもので、A5医師として、もしこれを施行していたものとしたら、「人血」の点が問題の主体であつたとはいえその鑑定結果が強く問題とされその鑑定方法につき数度にわたり尋問が繰り返されているという状況のもとで、その証言、速記録で、これに全く触れないというのもまことに不自然で、A5医師としてもとよりこれを述べないでおこうと配意する理由も見当らず、また、たとえ老令で五〇年近くの年月が経つているとしても、その証言等では血痕鑑定の経験は一回のみとされ、しかも右鑑定につき述べるところは、右方法自体に関する限りきわめて明確であいまいさがなく、むしろ自信に満ち、特にその用いた「血球観察法」なるものにつき昭和三九年の証言当時でさえなお「人血」鑑別法としてなんらの疑念をも抱いていない様子がうかがえること、またA5は右証言当時も現に医業に従事していて、右ヘミン結晶法実施の有無といつたこと自体は、その事柄性質上容易に失念するともみられないこと、などからすると、A5医師が本件鑑定にあたり、当時右「血球観察法」のほか右ヘミン結晶法(その他の各種実性検査法も含め)等をも用いたものとみるのはまず困難なものといわざるをえないであろう。 右鑑定書の丁数が多い点も、本件筒袖衣服が証第九号であつて他の証拠品の存在もうかがわれることからすると、A5鑑定に付されたのは本件衣服のみではなかつたのではないかと推測する余地もあり、たしかにこの点不審感は免れがたいが、いずれにしてもこの点で右A5証言の理解を左右すべきものではないと考えられる。そしてこれらのことはさらに当裁判所のA3証人尋問調書中、実性検査のうちへミン結晶法は比較 にこの点不審感は免れがたいが、いずれにしてもこの点で右A5証言の理解を左右すべきものではないと考えられる。そしてこれらのことはさらに当裁判所のA3証人尋問調書中、実性検査のうちへミン結晶法は比較的易しいが、それでもその試薬の調合、技術等の面で仲々難しく、自分がやつてもうまく結晶ができないくらいであり、A5医師では、その他の実性検査も含め、その実施はまず望めないであろうとされていることに徴し、右推認も一層裏づけられるものといえよう。 以上、右各説示したところからすると、結局、原判決挙示のA5鑑定書中「第九号筒袖衣服ノ表面ニ附着セル斑点ハ」「血痕ニシテ」「人血ナリ」とする鑑定結論は、A5の用いた方法では、まず右「人血」であるとする点は、その信用性は皆無に等しく、また右「血痕」にして、という点も、その信用性には多大の疑念のあることが明らかとなつたものというべく、これが前記原判決認定の証拠上の構成に照らし、原判決の有罪認定に重大な影響を有するものであることは否定しがたいところといえよう。 第六、 原判決の有罪認定につき考慮すべきその他の関係一、 C1の供述の信用性(一) 原一、二審判決の記載に現われたC1の供述の疑念(1)、 原一、二審判決書中本件犯行の状況について直接述べるのは唯一人C1のみである。その述べるところによると、C1は本件当夜一二時すぎE4宅前路上で請求人と出会つて後本件殺害に至るまでの間、全く請求人の意のままに、しかもほぼすべてにわたり請求人の主導的役割によりはたされたもののように述べている。つまり、C1は当夜一二時すぎE4宅前県道上で請求人と出会つて後、請求人において「ヤツテヤローデハナイカ」と発意懲通し、請求人において兇器「押切」を用意し、請求人において「左様ノ場合ニハヤツツケル外ハナイトテ手ニセル押切(藁切 4宅前県道上で請求人と出会つて後、請求人において「ヤツテヤローデハナイカ」と発意懲通し、請求人において兇器「押切」を用意し、請求人において「左様ノ場合ニハヤツツケル外ハナイトテ手ニセル押切(藁切刀)ヲ示シ」て犯行の手段を指示し、請求人が先に被害者方に入り、請求人が物色し、請求人がB1に「馬乗ニナリ」、といつた状況で、C1は全く請求人のいいなりに追従し、ただ現場で蚊帳の吊手を引き落したことと、鉢巻にしていた手拭でB1の口の辺を押えたという程度で、後は夢中で県道の方へ逃げたというのであり、しかも特に注目されるのは、当時深夜とはいえ、原判決の記載に徴すると、他の関係では現場での状況をかなりよく見分していて、また十分見分できる関係にあつたとみられるのに、肝腎の請求人がB1に数回も斬りつけたという原判示認定の事実については、「C2がB1ニ斬付ケタルヤ否ヤ知ラザル旨供述シタリ」(原一審公廷)とあつて、その他斬りつけたという供述は全く存しない。この点、被害者B1には大小二三個もの創傷があるとされているわけで一度も請求人の斬りつけた行為を見分していないなどというのはまことに不可解である。蚊帳の点は原判決挙示の検事実況見分書に現われた現場の状況からしてこれを否定しがたく、そのまま自己の行為として(もつとも請求人の指示によるものとして)供述するに至つたものか、またタオルの点も、あるいは現場で発見されて追及されたか、あるいはまた余り主要でない行為として不用意に述べるに至つたものかなどとみられなくもなく、さらに右斬りつけたことを見てないという点も、あるいはそれが自己の行為であるため、そしてまた兇器を詐つているために、事実を述べえなかつた結果ではなかろうか、などと多くの推測と疑念を禁じえない。そしてさらに、C1が当初の状況として述べるところによると、請求人に の行為であるため、そしてまた兇器を詐つているために、事実を述べえなかつた結果ではなかろうか、などと多くの推測と疑念を禁じえない。そしてさらに、C1が当初の状況として述べるところによると、請求人において蚊帳の外より金銭を物色していたが、被害者B1は目を醒ましたので土間にいたC1は直ちに床上に「飛上リ上リタル処ニ在ル」蚊帳の「吊手ヲ除ケテ左へ廻り三方ノ吊手ヲ引落シ」逃げようとしたところ請求人はB1に足を捕えられ、と述べているが、右状況ではむしろ足を捕えられたのはC1ではないかとみるのが自然のようにもある。 (2)、 C1の供述中、請求人と犯行を結びつける客観的な事実は兇器「押切」と請求人の当夜の「衣服」の関係である。まず兇器についてであるが、C1の供述によると、右兇器はC1が請求人と当夜一二時すぎころE4方表県道上で会つて後請求人においてC1に「一寸待テ」といつておそらくは自宅に帰り持ち来たつた押切(藁切刀)であるとされ、しかも同供述によると、両名現場に赴く道すがら犯行の方途を話し合つたとする際請求人は「手ニセル押切(藁切刀)ヲ示シタリ」と、また「手ニセル押切ヲ示シナガラE31ノ前ヨリ県道ヲ横ニ左ニ取リ田ノ中ノ道ヲ通リ抜ケテ川ヲ渡リ尚田ノ中ト畑ノ道ヲ通リテB1方ニ行キ」とあり、これに、押切、藁切の前記のごとき大きさ形状、原判決の記載から想察される請求人の当夜の衣服、当裁判所の検証調書等をも合わせ考量するとき、請求人は右E4宅附近からC1とともに県道をとおつて本件現場に赴いたこととなり、その間右押切をおおむね手にした状態で(特に隠しもつたという供述もない)行つたようにもみられることとなるが、右押切の大きさだけを考えても当時請求人が着用していたとされる腰切れ用の筒袖襦袢の中に隠しもつということは、たしかに不可能ともいえないであろうが、かな 述もない)行つたようにもみられることとなるが、右押切の大きさだけを考えても当時請求人が着用していたとされる腰切れ用の筒袖襦袢の中に隠しもつということは、たしかに不可能ともいえないであろうが、かなり困難で不自然なことともいえようし、当時右県道をとおる間原判決の記載自体に徴しても右途中の県道ぞいにE4宅、E31方のあつたことは明らかで、暑いときでもあり、深夜とはいえ、このような県道を、またその他の道でも誰に会わんとも保しがたく、右のような押切を本件兇器としてわざわざ用意携行して行くといつたことは甚だ不自然の感を免れない。 本件につき何故に押切(藁切刀)が兇器とされるに至つたかについては少しく考えてみる必要がある。請求人は、第一次再審請求における昭和三八年三月三〇日当庁受付の申立書ては、C1は七月二一、二日ころ警察に捕つて種々取調べられて後「兇器の出所に困つて」「評判の悪い私を引張込んだものと思います」「C1は警察でC2君は妻子もあることだから助けてやろうと思つたけれども兇器の出所がないからお前が持つて来た事を自白したと言つて、私を驚かせました」と述べており、当裁判所での尋問でも、請求人が逮捕された後その求めでC1と警察で会つた際、C1は、「お前は妻子があるから助けてやろうと思つたけれども、兇器の出場がないのでやむを得んお前を言うたと、お前と共謀でやつた」といつた、と述べてい。この供述は必ずしも請求人に利益な供述とも思えないが、それだけにその真実性をうかがわせ、本件兇器の解明に重要な手がかりを与えているようにも思える。 原判決の記載によると、本件兇器はC1の供述によつてはじめて具体的な「押切」として現われてきたものとみられ、C1逮捕後は警察としても当然C1について兇器の種別、出所につき相当の追及をなしたであろうと考えられるところ、原判決挙 器はC1の供述によつてはじめて具体的な「押切」として現われてきたものとみられ、C1逮捕後は警察としても当然C1について兇器の種別、出所につき相当の追及をなしたであろうと考えられるところ、原判決挙示のA6医師検案書によると、兇器は「柄ヲ把握シテ強カヲ加へ得ル鋭利ナル種類ノモノニシテ可ナリ重キ重量ヲ有スルモノナルヘシ」としていること、またさらに、第一次再審請求におけるD6証人尋問調書によると、犯行時の朝現場に行つた際の様子として、皆大きい傷だといつていた、これだけの傷では農家の藁切ぢやあるまいかという話で、自分もそう思つた、また当時藁切のなくなつている農家を探した、などと述べていることからすると、右供述はすべてを信用することはできないが、警察としても、押切、藁切というのも兇器の種類として強く考慮に入れ、C1につき右押切、藁切という線での強い誘導、追及をなしたのではということも十分考えられる。そしてこれらからしてさらに、もしC1の供述が少くとも同人の犯行に関する限りその骨子において信用できるものとしたら、何故に、特に兇器の点たけについて「その出所に困るほど」真実を偽りあるいは隠す必要があつたのであろうかという疑問について考えてみるに、これには種々の推測が可能であり、たしかに請求人をかばうために隠したというのも一応の理くつではあろう。しかし他面、もし本件兇器が押切藁切といつたものと異なり、特異な形状のものであつたり、あるいはまた、その形状の明らかに種々異別なものが予想される類のものであつたりしたとしたら、第三者を共犯に引き込もうとする場合、共犯者と結びつかないこともあつたりして効を奏しないおそれもあることから、右真実を秘し、やはりどこにでもあるという類のものでその形状にほぼ大差のないようなものを兇器に偽るという可能性も十分考えられる。右D6 びつかないこともあつたりして効を奏しないおそれもあることから、右真実を秘し、やはりどこにでもあるという類のものでその形状にほぼ大差のないようなものを兇器に偽るという可能性も十分考えられる。右D6証人尋問調書その他弁護人、検察官双方提出の多くの関係資料できわめて明らかな、当時本件殿居界隈の農家ではまず押切、藁切のない家はないとされていることをも思い合わせると、警察での前記兇器についての見込み誘導に応じ、C1が本件兇器につき、その形状はいずれも大同小異である押切、藁切と供述する可能性はきわめて容易に推知されるところであり、このことは請求人逮捕前、後述するD1夫婦逮捕の一件のあつたことに徴すると一層うなづけるところといえよう。 次に、請求人の当夜の衣服の点についてであるが、原一審判決掲記のC1の第二回豫審訊問調書の記載によると、C1は「C2が自宅ニ帰リテ着代へ来リタル腰切ハ自分ノ当夜ノ着衣ヨリ少シク白ク縞ノ無キモノゝ様ニ思ハレ縞ノ襦袢ガ仕事着ノ為メ古ク白ク剥ゲタルモノトモ見エ又夏襦袢ノ古ビタルモノトモ見エ袖が筒袖ナリシコトハ確カニ覚へ居ルガ証第九号ノ品ト思フ旨」述べている。そして請求人の第一次再審請求における昭和三八年三月三〇日当庁受付申立書によると、請求人は、C1と警察で対決した際C1に「それでは会つたどきC2はとんな着衣であつたかと」反問したら、C1は「白い浴衣であつた」と述べた、しかし自分は当夜久留米絣の単物にちりめんの帯であつたので警察でE5方を調べたらこのことが証明された、ところがC1はその後にC2は家に帰り衣服を着替へたと供述を変へた、父の作業衣に血痕に似た物がついているのを刑事が持ち帰りC1にこれであろうがよと、示し、C1そうでしたと、右当初の供述を変へた、と述べている。これらを合わせ考えるとき、たしかに、当夜は下関地方気 、父の作業衣に血痕に似た物がついているのを刑事が持ち帰りC1にこれであろうがよと、示し、C1そうでしたと、右当初の供述を変へた、と述べている。これらを合わせ考えるとき、たしかに、当夜は下関地方気象台の「天候、月令等についての回答」によると、快晴ではあるが月令二七・三であることからしてかなり暗く、C1が請求人の衣服につき十分明確でないとしても必ずしも不自然ともいえないようではあるが、しかしC1が請求人と行動をともにしたとされる全行程の間において、原一、二審判決の記載に徴すると、他の関係に比し特に右衣服の点は、いかにもあいまい、不確実の感を払拭しがたいものとみられ、C1はあるいは当初本件筒袖衣服と別異なものを述べていたが、請求人が当夜赴いた先E5らの供述で右C1の述べるところが虚偽であることが判明したため請求人は衣服を着替えたといわざるをえない羽目となり、そのころ押収された右筒袖衣服に供述を合わせていつたものではなかろうかと疑う余地も少くない。 (3)、 原一、二審判決の認定するところによると、請求人は当夜隣村b村E5方で賭博をしての帰宅途中、偶々当夜同じく酩酊してB1と提灯争いをし、又女との密会も断わられるなどし、多額の負債もあることから自殺を企て一旦帰宅途中のC1と夜一二時過ぎ頃E4宅表県道上で会合し、B1方からの金員窃取を謀議し、かつその後直ちに請求人は帰宅して衣服を着替え、自宅から鋭利なる刃器を携行してさらにC1と現場に赴く途中場合によつてはB1殺害をもなすべきことを謀議したというものである。右C1の請求人との「邂逅」および謀議の点は専らC1の供述に基づくものであるが、C1と請求人との間に本件事件以前にどのような関係、またいきさつがあつたのかは原一、二審判決の記載だけでは全く不明であり、むしろ、同判決に何の説示もないことからす らC1の供述に基づくものであるが、C1と請求人との間に本件事件以前にどのような関係、またいきさつがあつたのかは原一、二審判決の記載だけでは全く不明であり、むしろ、同判決に何の説示もないことからすると特に原判決認定上間題とすべき程のことはなかつたのではなかろうかとみる余地も多分にあるが、少くとも右「邂逅」が「偶々」であることは原一、二審判決の記載に徴し明らかなものといえる。 そしてまた、窃盗の謀議と、強盗殺人の謀議とは請求人の帰宅と前後しているようであるが、しかし請求人の立場からみると、C1の供述では、帰宅して押切を携行して来たというのであるから右E4方前路上から帰宅して再び赴いてくる際すでに本件強盗殺人をも考えていたとみなければならない。夜一二時すぎ「偶々」出会つた請求人とC1の両名が人家のある表県道上で今まで格別の伏線もないまま窃盗を話し合つたのみか、また、その後間もなく請求人は本件のごとき殺害まで決意して押切(藁切)を持ち出し、現場までの道すがらC1と右謀議をもなすといつたことは、いかにも唐突で不自然の感を免れない。 (二) D1夫婦逮捕の一件第一次再審請求におけるD1(録音)速記録及び同証人尋問調書によると、その述べるところは大略次のとおりである。つまり「本件B1殺害を知つたのは事件のあつた朝であり、自分は憶病なので死体現場には行かなかつた。しかしその後数日した早朝に五、六人の警察官がやつて来て、自分と夫平蔵の両名をB1殺害の容疑者として手をくくり附近c村のE32という民家に連行した。これはC1が自分らと回しんして(一緒になつて)やつたといつたためで、朝から午后三時ころまで、お前らがやつたのだろう、やつたという人がいる、やつたといえ、と五体をがんじがらめにくくり一尺程の棒でたたくなどして強く取調べられた。ところが、主人平蔵 つたといつたためで、朝から午后三時ころまで、お前らがやつたのだろう、やつたという人がいる、やつたといえ、と五体をがんじがらめにくくり一尺程の棒でたたくなどして強く取調べられた。ところが、主人平蔵は事件前日炭を売りに馬車で下関に行つていて当夜は下関に泊つていたことからそのことを言つたら、警察はすぐ電話で下関に問い合わせ、その事実が判明したため容疑が晴れ、翌日夫婦とも帰えされた。右E32での取調べの後西市警察に連行されたが、そこでC1に警察官のいる部屋で会わされた際、C1は、むごいようなことをおばさん言うたなあ、こらえておくれなあ、『C2と親族じやからC2を助け様と思うてあなた方に難を言うた、こらえてくれ』と、あやまつた。その後請求人は逮捕された。」右D1の供述は、同D1が当時三三才で五〇年も経た八三才の老令のときなされたものであり、しかも右供述中、原一審判決書の記載によると、豫審で同D1が取調べられ、B1とC1の提灯争の一件を詳しく述べている筈であるのに、右第一次再審請求の証人尋問、速記録では提灯争の一件は全く関知しないことで、右豫審の取調べを受けたことはあるも、右の件を聞かれたことはないなどと何度もこれを否定していること、その他右証人尋問と速記録でも異なつた供述をしている点もあること、などからすると、右D1の供述を全面的に信用することはできないであろうが、右供述からして、少くとも、本件事件後E31、D1夫婦がB1殺害容疑で逮捕されたこと、しかし同E31について当夜下関にいたというアリバイが判明したため右両名とも釈放されるに至つたこと、右D1夫婦逮捕に至つたのはC1逮捕後でC1がD1夫婦との共犯を自供した結果によるものであること、そして右の後に請求人が逮捕されたものであることは明らかに認めることができる。当裁判所のD6証人尋問調書 1夫婦逮捕に至つたのはC1逮捕後でC1がD1夫婦との共犯を自供した結果によるものであること、そして右の後に請求人が逮捕されたものであることは明らかに認めることができる。当裁判所のD6証人尋問調書(昭和五一年一月二一日施行分)によると、D6も当時(二一才)D1逮捕を聞いて知つていると述べている。ところでC1は何故右D1夫婦との共犯を自供したものであろうか。右D1の述べるところでは、C1は請求人と親戚になるので請求人を助けようと思つてD1夫婦を共犯に仕立てたといつた、という(もつともこの点は、右速記録ではC1がかように言つてることを警察から聞いたと述べているのに、右証人尋問調書ではこれを訂正し、C1から警察で直接聞いたと述べている)。しかし、右親戚という点も、弁護人、検察官双方提出の右各関係除籍謄本、戸籍謄本等によると、C1の兄E33の嫁E34が請求人の妻E35の母の妹にあたるという程度のことであつて、かなりの遠縁であることが明らかであり、両名、当時との程度の交際があつたのかは、原判決の記載によるとC1はb村、請求人はa村で同村でなく、かつC1は請求人より一四才も年上であつたことが明らかにされる程度で、請求人はほとんどC1とつき合いがなかつた旨述べているものの、現在その関係を十分明らかにしえない。しかしただ右親戚関係のみでは、C1が、右D1の供述でも明らかな、自己と当時、何の関係もないD1夫婦をかくも重大事犯の共犯に引き込んでなお請求人をかばう程の理由とも考えられない。右関係は、請求人は第一次再審請求の申立書以来ほぼ一貫して、前記のとおり、C1は請求人に妻子があるから助けてやろうと思つたが兇器の出所がないのでしようがなかつた旨言つたと述べており、右親戚だからとはいつてないと述べている。右兇器の関係はすでに前述したとおりであるが、右妻子が は請求人に妻子があるから助けてやろうと思つたが兇器の出所がないのでしようがなかつた旨言つたと述べており、右親戚だからとはいつてないと述べている。右兇器の関係はすでに前述したとおりであるが、右妻子があるからという点も、右D1の供述によるとD1夫婦にも子供二人があつたことが明らかであつて特に請求人をかばう理由ともいえない。このD1夫婦逮捕の一件はC1の供述によるものであることは明らかであるが、特にD1夫婦を共犯に引き込んだ理由につき付度するに、原判決の記載によるとC1の本件犯行の動機としてはD1方庭でのB1とC1の提灯争いの一件があつたことが明らかで、あるいはこれがC1逮捕の主要な端緒ともなつたのではとも推知され(大正四年七月二八日付E6新聞夕刊参照)、ひいてはこれとの関係で警察での取調べもD1夫婦関与にまで及び、C1もこれに乗じて右共犯自供にまで進んだものではと推測する余地もなくはない。いずれにしても、前記「親戚だから」また「妻子があるから」といつたことは警察の手前上その場かぎりのもつともらしい口実にすぎないようにも考えられる。 これはともかく、C1が単に請求人をかばつてこれとの共犯を秘したというのではなく、さらに積極的に、何の関係もないD1夫婦を本件のごとき重大事犯の共犯に引き入れたというものであつて、E31には明確なアリバイがあつて同夫婦とも釈放されるに至つたものの、もし右アリバイがなかつた場合をも考慮に入れるとき、少くともC1には、この種重大事犯につき無実の第三者をも容易に共犯に引き入れうる素性の一端のあることを窺知するに十分なものというべく、ひいては本件C1の供述にも多大の疑念を生じさせるものといわざるをえない。 二、 請求人の本件事件当時から今日までの行動請求人は、本件事件当時から今日まですでに六〇年もの長きにわたる間、捜 べく、ひいては本件C1の供述にも多大の疑念を生じさせるものといわざるをえない。 二、 請求人の本件事件当時から今日までの行動請求人は、本件事件当時から今日まですでに六〇年もの長きにわたる間、捜査当初から一貫して本件犯行を真に認める供述は微塵もしていない。この事実は、原一、二審判決書に請求人の本件犯行を認める供述が全く掲記されていないのみか、請求人は一審有罪判決に対し請求人のみ「無罪」を主張して控訴し、さらにまた「本件犯罪ヲ犯シタル者ニ非ザルコト」を主張して上告していること、そしてその後服役中も、その身分帳及びE3作成の供述書(第一次再審請求事件記録編綴)によると大正一四年ころ三池刑務所を訪れたE3巡閲官に対し請求人は「自分ノ犯罪ハ事実無根ナルニ依リ調査ノ上救済セラレ度」旨情願したが却下されている事実が明らかであること、また右出所後も、第一次再審請求事件記録中、昭和二六年八月一五日付山口地方法務局下関支局長作成の「特別公務員職権濫用容疑事件について(通知)」と題する書面写、弁護士民繁福寿のC2宛葉書写、当裁判所の請求人尋問調書等によると請求人は終戦後、市役所の法律相談所や法務局を訪れ、右無実を訴え、また人権擁護の陳情をなしてその救済を求めている事実もうかがえること、そしてさらにその後、本件従前の再審請求記録に徴し明らかなとおり昭和三八年以来昭和四九年に至るまでの間、実に五度までも再審請求をなして無実を主張し、また本件記録中昭和四五年一〇月一六日法務省刑事局受付請求人作成の嘆願書によると、右の間請求人は昭和四五年には法務大臣にまで嘆願書を提出して強く無実を主張していることがうかがえること、などからしてきわめて明らかである。検察官は請求人服役中の身分帳簿(現在法務省矯正局保管)添付の入所時感想録に、自筆の、犯行を認める旨の供述があるこ して強く無実を主張していることがうかがえること、などからしてきわめて明らかである。検察官は請求人服役中の身分帳簿(現在法務省矯正局保管)添付の入所時感想録に、自筆の、犯行を認める旨の供述があること、また、昭和五一年三月二四日付山口保護観察所長作成の「身上関係書の送付について(回答)」と題する書面添付の恩赦上申関係の昭和四四年一月二九日付身上関係書(謄本)には、請求人が犯罪を犯すにいたつたいきさつにつき「深い事情もなく悪友の為に」と自筆で記載している事実を指摘して、本件犯行を認めているかのように主張するが、右が全く顧慮に値しないものであることは、右前者については、その記載時が服役当初の入所感想という特殊状況下のものであること、また後者については、右記載がそれまですでに二度までも再審請求を棄却された後のことで、身内のことを考えての専ら恩赦の関係でのみのものであるとみられ、現に右は、他面第三次再審請求として右前後に本件犯行を強く否定する書面を裁判所に提出している間のことであることなどに徴し明らかなものというべく、この点はさらに、請求人自身当裁判所の請求人尋問の際、前者については検察官、弁護人双方より、後者については検察官から、右各書面を示されて、全くためろうこともなく自己の記載であることを認めて間然するところがない経緯に徴しても一層明らかなものといえよう。 そして、本件につきなお注目されるのは、請求人が本件捜査当初から今日までその主張するところの内容が、勿論若干の記憶違いと思われるようなものを除くと、その利益、不利益をとわず、全くといつていいくらい同旨で一貫していることであり、あらたな弁解らしいものの追加をみないという点である。この間の経緯は原一、二審及び上告審各判決書の記載のほか、第一次再審請求以来裁判所その他に提出された請求人作成の い同旨で一貫していることであり、あらたな弁解らしいものの追加をみないという点である。この間の経緯は原一、二審及び上告審各判決書の記載のほか、第一次再審請求以来裁判所その他に提出された請求人作成の各書面、また裁判所その他での請求人の各供述を仔細に検討するときわめて歴然とするところであり、この点はさらに、前記当時の各新聞に掲記されている当時の一審山口地方裁判所での各記事と照合すると、その主張が数一〇年もの才月を経てなお符合するのに一驚を禁じえない。請求人はその当裁判所での供述中、弁護人から請求人の当時の経済状態につき、窃盗の動機がないとする趣旨か、当時余り困つた状態でもなかつたのではないかと再度尋ねても、どうしてもそうではないといい張つて譲らない等、請求人の述べるところの真実性をうかがわせる一端ともいえよう。 これら諸関係は請求人の主張の真実性を判断するうえで考慮すべき重要な点であるといえる。 第七結論以上、請求人が本件あらたな証拠として提出、援用する各証拠のうち、特に、A1意見書、A1、A2、A3、A4各鑑定書、A1、A2各証人尋問調書を中心に原判決の問題点を検討するとともに、右あらたな証拠が原判決の有罪認定に及ぼす影響につき勘考した。前記のとおり原判決が請求人を有罪とした最も主要なその骨格ともいうべき証拠は、C1の供述とA5鑑定であり、しかも、右C1の供述中請求人と本件犯行を結びつける重要な客観的事実は、本件兇器押切・藁切(刀)に関する点と請求人の当夜の着衣に関する点であるとみられるところ、前記A1、A2各鑑定、特にA2鑑定では、被害者B1の創傷からして右押切・藁切(刀)が本件兇器でないきわめて高度の蓋然性のあることを明らかにし、また、A1、A2、A3、A4各鑑定は、右A5鑑定書中問題の請求人の当夜の着衣とされる衣服に附着 害者B1の創傷からして右押切・藁切(刀)が本件兇器でないきわめて高度の蓋然性のあることを明らかにし、また、A1、A2、A3、A4各鑑定は、右A5鑑定書中問題の請求人の当夜の着衣とされる衣服に附着する斑点が「血痕」にして「人血」なりとする点につき「人血」であるとする点は鑑定としてはほぼその信用性は皆無であり、また、右「血痕」であるとする点も鑑定としてはその信用性に多大の疑念のあることを明らかにしたものというべく、結局これらが、C1の供述の信用性、ひいては原判決の有罪認定に重大な影響を有するものであることは否定しがたいものというべきで、このうえさらに、前記原判決自体から生ずる多くの疑念、D1夫婦逮捕の一件より生ずるC1の供述の信用性に関する疑念、また請求人の今日まで六〇年の長きにわたり寸毫も犯行を認めていない一貫した行動等をも合わせ考慮するとき、右あらたな証拠により生ずる原判決の有罪認定についての合理的な疑は、一層大きく、かつ鮮明なものとならざるをえない。かくして、原判決をなした裁判当時、かりに右あらたな証拠としての各鑑定書等が提出されたとした場合、右D1夫婦逮捕の一件等その余の関係を加味するまでもなく、原判決の請求人に関する有罪認定には多大の合理的な疑を生じ、遂にこれを払拭しがたく、有罪の言い渡しにはとうてい到達しえなかつたものと断ぜざるをえない。 しからば、請求人があらたな証拠として提出援用する各証拠のうち、右A1意見書、A1、A2、A3、A4各鑑定書、A1、A2各証人尋問調書等は、所詮旧刑訴法四八五条六号所定の無罪を言い渡すべき「明確ナル」かつ「新ニ発見シタル」証拠にあたるものというべく、よつて請求人のその余の再審請求「原由」につき判断するまでもなく、本件再審請求は理由あるに帰し、同法五〇六条一項に則り再審開始の裁判をなすべきも 」かつ「新ニ発見シタル」証拠にあたるものというべく、よつて請求人のその余の再審請求「原由」につき判断するまでもなく、本件再審請求は理由あるに帰し、同法五〇六条一項に則り再審開始の裁判をなすべきものとして主文のとおり決定する。 (裁判長裁判官高橋文恵裁判官渡辺伸平裁判官横山武男)
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