- 1 -主文 本件申立てを却下する。 申立費用は申立人の負担とする。 理由 第1申立て処分行政庁は,申立人に対し,本案事件の第一審判決の言渡しまで,保険医の登録の取消処分をしてはならない。 第2事案の概要本件申立ては,保険医の登録を受けている申立人が,経営する医療法人の医院における診療に関し,処分行政庁から,健康保険法81条1号及び3号(保険医の登録取消しの事由)に該当するとして保険医の登録の取消処分をされる可能性が高いとして,同処分がされることにより「償うことのできない損害を避けるため緊急の必要」があり,かつ「本案について理由があるとみえる」旨(行政事件訴訟法37条の5第2項本文)主張し,上記処分の差止めを求める訴えを本案として,上記処分の仮の差止めを求めるものである。 第3当裁判所の判断 疎明資料(疎甲1,19,26ないし31,疎乙13,14,15ないし22,27(以上,いずれも枝番を含む。))及び審尋の全趣旨によれば,本件の前提となる事実関係として,以下の(1)ないし(3)の各事実が一応認められ,同(4)の事実は当裁判所に顕著である。 (1)申立人は,保険医の登録を受けている医師であり,医療法人社団A(以下「本件医療法人」という。)の理事長として,横浜市内おいて,同法人B(以下「本件医院」という。)を経営している。 (2)神奈川社会保険事務局及び神奈川県(保険福祉部医療課)は,共同して,平成17年7月8日及び平成18年3月17日,健康保険法73条,老人保- 2 -健法27条等の規定により,本件医院の開設者である申立人に出席を求めて,保険診療の質的向上及び適正化を図ることを目的とした個別指導を実施し,その結果,本件医院で診療を受けた者の診療内容及び診療報酬の請求に関して不正又は著しい不当の疑いが生じ ある申立人に出席を求めて,保険診療の質的向上及び適正化を図ることを目的とした個別指導を実施し,その結果,本件医院で診療を受けた者の診療内容及び診療報酬の請求に関して不正又は著しい不当の疑いが生じたとして,同年12月26日にかけて,合計十数回にわたり,健康保険法78条1項の規定により,本件医院及び本件医院の保険医に対する監査を実施した。 (3)申立人は,平成19年1月17日付けで,処分行政庁から,以下の内容により行政手続法の規定による聴聞を行う旨の通知書の送付を受け,同年2月6日に聴聞を受けた。 聴聞の件名健康保険法に基づく処分予定される不利益処分の内容保険医の登録の取消し根拠となる法令の条項健康保険法81条1号及び3号聴聞の期日平成19年2月6日上記聴聞の通知書別紙には,「不利益処分の原因となる事実」として,下記の事由が,保険医療機関及び保険医療養担当規則18条(特殊療法の禁止),19条の2(健康保険事業の健全な運営の確保),22条(診療録の記載)及び23条の2(適正な費用の請求の確保)に違反し,保険医又は保険薬剤師の責務を定めた健康保険法72条1項及び保険医療機関等の責務を定めた国民健康保険法40条1項に違反し,このことは,保険医及び保険薬剤師の登録の取消しを定めた健康保険法81条1号及び3号に該当する旨記載されている。 記【二重請求】・肛門変形に対する治療として,患者から自費で診療費を徴収していたにもかかわらず,痔核手術を行ったとして,診療録に不実記載をして,保険医療機関(本件医院を指す。以下同じ。)に診療報酬を不正に請求させた。 - 3 -・ピアスの穴あけとして,患者から自費を徴収していたにもかかわらず,実態のない傷病名をつけて保険診療を行ったものとして診療録に不実記載をして,保険医療機関に診療報酬を不正 請求させた。 - 3 -・ピアスの穴あけとして,患者から自費を徴収していたにもかかわらず,実態のない傷病名をつけて保険診療を行ったものとして診療録に不実記載をして,保険医療機関に診療報酬を不正に請求させた。 ・患者から自費を徴収して,自ら行ったピアスの穴あけに伴う感染であったにもかかわらず,保険診療を行ったものとして診療録に不実記載をして,保険医療機関に診療報酬を不正に請求させた。 【その他の請求】・血管腫に対してレーザー照射を行ったにもかかわらず,血管腫摘出術として,診療録(会計票を含む)に不実記載をして,保険医療機関に診療報酬を不正に請求させた。 ・単にレーザー照射のみの治療を瘢痕拘縮形成術として,診療録(会計票を含む)に不実記載をし,さらに請求時には,皮膚剥削術に術式を変更させ,保険医療機関に診療報酬を不正に請求させた。 ・薬事法による承認を受けていない医療機器(○○)による診療を行い,保険医療機関に診療報酬を不正に請求させた。 ・単にレーザー照射したものを皮膚・皮下腫瘍摘出術として,診療録(会計票を含む)に不実記載をして,保険医療機関に診療報酬を不正に請求させた。 ・レーザー照射のみの治療を瘢痕拘縮形成術として,診療録(会計票を含む)に不実記載をして,保険医療機関に診療報酬を不正に請求させた。 【特殊療法等】・特殊療法であるケミカルピーリングを施行して,実費を徴収しているにもかかわらず,同日に同一部位に赤外線照射,皮膚科軟膏処置の保険診療を行い,保険医療機関に診療報酬を不正に請求させた。 (4)申立人は,平成19年2月5日,相手方に対して,本件本案事件の訴えを提起するとともに,本件仮の差止めの申立てをした。 - 4 - 「償うことのできない損害を避けるための緊急の必要」の有無について(1)行政事件訴訟法3 5日,相手方に対して,本件本案事件の訴えを提起するとともに,本件仮の差止めの申立てをした。 - 4 - 「償うことのできない損害を避けるための緊急の必要」の有無について(1)行政事件訴訟法37条の5第2項は,処分の仮の差止めの要件として,本案事件における差止判決を待っていたのでは「償うことのできない損害」を生ずるおそれがあり,これを避けるために緊急の必要があることを要件とするものである。ここに「償うことのできない損害」とは,処分の差止めの訴えの要件である「一定の処分又は裁決がされることにより重大な損害を生ずるおそれがある場合」(同法37条の4第1項)及び処分の執行停止の要件である「処分,処分の執行又は手続の続行により生ずる重大な損害」(同法25条2項)よりも損害の回復の困難の程度が著しい場合をいうものと解すべきであり,このような見地から,金銭賠償が不可能な損害が発生する場合のほか,社会通念に照らして金銭賠償のみによることが著しく不相当と認められるような場合を指し,そのような損害の有無を判断するに当たっては,損害の性質,程度を考慮するとともに,処分の内容・性質をも勘案するのが相当というべきである。 (2)上記のような見地から,本件処分が行われることにより,申立人が被るであろう損害について検討する。 この点につき,申立人は,処分により生ずる「償うことのできない損害を避けるため緊急の必要」について,要旨次のとおり主張する。すなわち,上記医療法人が,申立人の保険医の登録の取消しを受けた場合,その処分の事実が厚生労働省のホームページにおいて公表されるのみならず,テレビ局により全国的に報道される結果,申立人の医師としての名誉及び信用が低下するほか,上記医療法人も保険医療機関としての指定を取り消され,経営悪化により数億円にも上る負債を抱え されるのみならず,テレビ局により全国的に報道される結果,申立人の医師としての名誉及び信用が低下するほか,上記医療法人も保険医療機関としての指定を取り消され,経営悪化により数億円にも上る負債を抱えて倒産するに至り,約200名の職員が職を失い,年間4万人余りに上る本件医院の患者の診療も困難となって多大な損害が生じるというものである。 アまず,保険医の登録の取消しがされた場合でも,直ちに申立人自身の医- 5 -師免許が取り消されるわけではなく(医師法3条,4条各号参照),申立人の医師としての知識及び技能や本件医院の理事長としての経営能力が低く評価されたわけでもないことから,差止めの訴えに係る処分によって,申立人が医療関係の仕事に就労する途が絶たれたとみることはできない。 しかも,疎乙8によれば,申立人は,平成19年1月17日付けで,同年2月18日をもって保険医を辞退(抹消)する旨の届出(健康保険法79条2項参照)をしていることが一応認められる。 イもっとも,審尋の全趣旨によれば,処分行政庁が保険医の登録医の登録取消処分をした場合に,当該処分の事実を厚生労働省のホームページ上で公表することが例となっていることが一応認められ,その結果,保険医の登録医の取消処分が行われた場合に,事実上,申立人の名誉及び信用が低下することは否めない。 しかしながら,処分行政庁が保険医の登録取消処分をした場合に,当該事実をマスメディアを通じて公表する旨の規定は存在せず,申立人の主張する名誉及び信用の低下は,上記ホームページ上での公表やマスメディアの報道によって生じるものであって,本件本案である差止めの訴えに係る処分がされることにより直接生じる損害とはいい難い。現に,差止めの訴えに係る処分がされる前の現状において,申立人の診療報酬の不正請求の疑いやこれに関する のであって,本件本案である差止めの訴えに係る処分がされることにより直接生じる損害とはいい難い。現に,差止めの訴えに係る処分がされる前の現状において,申立人の診療報酬の不正請求の疑いやこれに関する処分行政庁等の動向について,前記1(3)の聴聞実施前にC株式会社によって4回にわたり報道され,上記聴聞実施後にも,登録取消処分が近々される予定であることが日刊新聞に報道されていることが一応認められるところである(審尋の全趣旨及び顕著な事実)。 また,申立人は,処分行政庁が法令上登録取消処分をすべきでないとして,本案の訴えを提起して係争中であり,処分の適法性についていまだ裁判所の判断がされたわけでもない。しかも,申立人については,差止めの訴えに係る処分がされた後であっても,それが認容されるかどうかはとも- 6 -かく,同処分の取消し又は無効確認を求める訴えを提起するとともに,同処分について執行停止の申立てをする手続も保障されている(行政事件訴訟法25条,38条3項)。 ウさらに,申立人と本件医院,その職員及び患者とを同一視することはできない上,仮に本件医院が保険診療機関としての指定を取り消されることになった場合であっても,真実必要であれば,本件医院において入院加療中の多数の患者をしかるべく転院させるなどの措置をとることが考えられるところ,このような措置をとることがも困難であるという疎明がされているとはいえない。特に,前記1(2)及び(3)のとおり,申立人を対象者として,平成17年7月8日から平成18年12月26日にかけて,神奈川社会保険事務局及び神奈川県(保険福祉部医療課)から指導や監査が多数回実施され,平成19年1月17日付けで処分行政庁から申立人に対して聴聞の期日(同年2月6日)も通知されていたのであるから,申立人において,処分行政庁 奈川県(保険福祉部医療課)から指導や監査が多数回実施され,平成19年1月17日付けで処分行政庁から申立人に対して聴聞の期日(同年2月6日)も通知されていたのであるから,申立人において,処分行政庁から一定の不利益処分がされる可能性があることを相当期間前からある程度予期できる状況にあったとみることができる。 しかも,審尋の全趣旨によれば,本件医院には,他にも複数の医師が勤務していることが一応認められるから,申立人の保険医の登録取消しにより直ちに本件医院の経営が困難になるとまではいい難い。 エそして,保険医の登録制度の目的やその取消処分の性質という点からみると,健康保険法は,健康保険事業の公益性にかんがみ,健康保険診療に従事する医師の資格を,単に医師国家試験に合格して医師の免許を有するにとどめず,保険医の登録を受けた医師に限定した(同法64条)上,保険医に対し,診療の内容や方針,診療録の記載等について,健康保険法及び同法を受けた政令(保険医療機関及び保険医療養担当規則)に具体的に定めてその遵守を求めるとともに,行政庁の指導や監査に服させることとし(同法73条1項,78条),一定の法令の違反については登録の取消- 7 -事由として(同法81条),法令が要求する保険医としての適性を欠く医師が健康保険診療に関与しないようにし,登録を取り消された場合の再登録の申請を制限する(同法71条2項1号,3項)などして,健康保険事業の健全な運営の確保を図ろうとしているものということができる。 健康保険法は,健康保険の保険医療機関は,保険診療による報酬として,保険者(保険者から委託を受けた審査支払機関)に対し,療養の給付に関する費用から被保険者が同機関に支払うことを要する一部負担金に相当する額を控除した額の支払を請求してその支払を受けるものとし(同法74 者(保険者から委託を受けた審査支払機関)に対し,療養の給付に関する費用から被保険者が同機関に支払うことを要する一部負担金に相当する額を控除した額の支払を請求してその支払を受けるものとし(同法74条1項,76条1項,4項),保険医療機関及び保険医療養担当規則は,保険医は,その行った診療に関する情報の提供等について,保険医療機関が行う療養の給付に関する費用の請求が適正なものとなるよう努めなければならないとしている(同規則23条の2)。 このような健康保険法に基づく健康保険制度の趣旨及び目的からすれば,保険診療報酬の不正請求は,公益的性質を有する健康保険事業の中で,保険診療の担い手として法令遵守の責務を課された保険医が,社会保険制度を運営する保険者を欺き,自己の利潤を不正に追求する行為として,厳正な処分の対象とされなければならないものというべきである。 本件において,申立人は,処分行政庁から受けた聴聞の通知書に記載された保険医の登録取消しの事由について,保険医の登録取消事由に該当するとの評価を争っているところ,このような場合に,仮の差止め制度を利用しさえすれば,医師及び当該医師の経営する医院の通常想定される範囲の損害が生ずるおそれだけで,保険医の登録取消処分を受けることなく,従前通り保険医としての診療を継続することができるとなれば,処分行政庁が不正な行為に当たると評価しているのと同種の診療報酬の請求や診療が容易に継続されることにもなりかねず,健康保険診療制度の適正な運用が広く阻害されるおそれがある。 - 8 -オ以上の諸事情を総合考慮すると,申立人について,差止めの訴えに係る処分がされることにより,金銭賠償が不可能な損害が発生する場合のほか,社会通念に照らして金銭賠償のみによることが著しく不相当と認められるような,回復の困難の程度が著 立人について,差止めの訴えに係る処分がされることにより,金銭賠償が不可能な損害が発生する場合のほか,社会通念に照らして金銭賠償のみによることが著しく不相当と認められるような,回復の困難の程度が著しい損害が生じるとまではいうことができない。 したがって,申立人について,本件差止めの訴えに係る処分がされることにより「償うことのできない損害を避けるための緊急の必要」があるということはできない。 結論 よって,その余の点について判断するまでもなく,本件申立ては,理由がないから,主文のとおり決定する。 平成19年2月13日東京地方裁判所民事第2部大門匡裁判長裁判官関口剛弘裁判官倉地康弘裁判官
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