平成18(う)204 鉄道営業法違反被告事件

裁判年月日・裁判所
平成19年5月29日 広島高等裁判所 破棄自判 可部簡易裁判所 平成17(ろ)6
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判決文本文13,684 文字)

- 1 -主文原判決を破棄する。 被告人は無罪。 理由 本件控訴の趣意は弁護人冨村和光作成の控訴趣意書に記載されているとおりであるから,これを引用する。 本件公訴事実及び検察官の釈明について平成17年7月29日付け訴因変更請求書による訴因変更後の本件公訴事実は「被告人は,平成16年11月26日午後8時5分ころ,広島市a区b町大字cd番所在の西日本旅客鉄道株式会社芸備線e駅に向かい進行中であったAが運転する旅客快速通勤ライナー列車(同社広島駅発三次駅行,列車番号f,3両編成。以下「本列車」という)に車掌として乗務していたものであるが,同列車が停車駅であるe駅に接近していたのであるから,このような場合,車掌としては,ホーム上の客の異常の有無等ホームの状態や同列車が停車可能な速度であることなど列車状態の安全を確認し,万一,Aが同列車を同駅に停車させず通過させようとする気配が認められた場合には,同駅で停車するように電話で同人に連絡し,あるいは自ら非常スイッチを用いて非常停止させるなどして同列車を同駅に停車させるべき職務上の義務があるのにこれを怠り,漫然,冊子を読むことに気を取られ,ホームの状態や列車状態の安全を全く確認せず,Aが同駅を通過させるのを放置した過失により,同人をして,同列車を,時速約65キロメートルの高速度で同駅を通過させ,もって鉄道係員の職務上の義務を怠り,旅客又は公衆に対し危害を醸す虞ある行為をしたものである」というのである(以下,同社芸備線の駅は駅名のみで表示する)。 - 2 -そして検察官は原審第5回公判において上記訴因について(1)A,,,,「が同列車を同駅に停車させず通過させようとする気配が認められた場合」とは,本列車が,減速することなくe駅のホームに差し掛かったことを被告人が視認し 上記訴因について(1)A,,,,「が同列車を同駅に停車させず通過させようとする気配が認められた場合」とは,本列車が,減速することなくe駅のホームに差し掛かったことを被告人が視認した時点であり,被告人は,その時点で非常スイッチを作動させるべき注意義務があった,(2)具体的危険とは,同駅ホーム上の乗客の生命・身体に対する危害であり,現実にホーム上に乗客がいたか否か(は問題)ではなく,乗客がいた可能性があれば足りる旨釈明した(以下,これら訴因変更及び釈明後の訴因による公訴事実を「本件公訴事実」という)。 理由不備及び理由のくいちがいの主張について(1)論旨は,原判決が「罪となるべき事実」及び「被告人及び弁護人の,主張に対する判断」の項で,被告人は,本列車の車掌の乗務位置から,同列車がe駅のホーム始端に差し掛かったことを視認した時点で,同列車が同駅に停車可能な速度であるかどうかを確認し,万一,被告人において同駅に停車できないような速度であると判断した場合には,自ら非常スイッチを用いて同列車を同駅に停車させるべき職務上の義務がある旨認定しているところ「列車がホーム始端に差し掛かった」とは,列車の先端がホ,ーム始端に差し掛かったときか,列車の後端(車掌室)がホーム始端に差し掛かったときか,そのいずれであるのかは,被告人の結果回避可能性に消長を来す重要な注意義務の発生地点に関する事実であるのに,原判決は,そのいずれであるのかについて全く明らかにしていないので,理由不備の違法があるというのである。 しかし,刑事訴訟法378条4号にいう理由不備とは,判決の理由に同法335条1項所定の事項を欠いた場合をいうところ,原判決は,これらの事項に欠けるところはない。所論は,理由不備の主張に藉口して,原判- 3 -決中の事実認定の理 いう理由不備とは,判決の理由に同法335条1項所定の事項を欠いた場合をいうところ,原判決は,これらの事項に欠けるところはない。所論は,理由不備の主張に藉口して,原判- 3 -決中の事実認定の理由の説示が不十分であるなどと論難しているに過ぎない。原判決に理由不備の違法はない。 (2)論旨は原判決が鉄道営業法25条(以下法25条という)の危,,「」「険を醸す虞」とは「抽象的危険あるいは危険発生の可能性という意味ではなく,職務上の義務違背又は職務懈怠時の事情に照らし,具体的に旅客又は公衆の生命・身体を侵害する可能性のある状態を生ぜしめたことを意味するもの,すなわち,具体的危険犯と解するのが相当である」と判示し,かつ「本列車通過時e駅ホーム上に乗客等がいたかどうかは全証拠による」,,,も不明であるというのであるから被告人の利益に従い本列車通過時e駅ホーム上には人がいなかったと認定すべきであって,本列車の通過により,同駅ホーム上で何らかの具体的危険が発生した事実はないから,本件は法25条の構成要件に該当せず,無罪を言い渡すべきであるのに,原判決が「本列車は同駅に停車が予定されていたことから同駅ホーム上に,は本列車に乗車しようとする乗客等がいた可能性」があり「停車が予定,されている列車がホームに近づいてきた場合には,乗客等(例えば子供)がそれに乗車等するため,まだ列車が完全に停止しないうちにホーム上の白線より外に出て来ることは考えられる」などと,証拠に基づかない想像の世界を前提に「成り行きによっては,同駅ホーム上の乗客等の生命・身体に対し危害をもたらす具体的危険の発生があった」と認定したことは,具体的危険犯についての解釈ひいては法25条の解釈や,e駅ホーム上の乗,。 客の有無の判断について理由のくいちが 乗客等の生命・身体に対し危害をもたらす具体的危険の発生があった」と認定したことは,具体的危険犯についての解釈ひいては法25条の解釈や,e駅ホーム上の乗,。 客の有無の判断について理由のくいちがいの違法があるというのであるしかし,原判決は,法25条の罪が具体的危険犯であると解するとともに,本列車がe駅を通過する時点において,同駅ホーム上に乗客等がいたかどうかが証拠上不明であるとしながらも,その際,同駅ホーム上に乗客- 4 -等がいた可能性があるとして,その認定事実に基づき,本列車が同駅を通過する際,同駅ホーム上の乗客等の生命・身体に危害をもたらす具体的危険の発生があった旨判断しているのであるから,原判決の理由にくいちがいはない。 (3)理由不備または理由のくいちがいを主張する論旨は理由がない。 事実誤認ないし法令適用の誤りの主張について論旨は,被告人が,平成16年11月26日,Aが運転する本列車に車掌として乗務していたところ,同日午後8時5分ころ,同列車が停車駅であるe駅に接近していたのであるから,このような場合,被告人は,同列車の車掌の乗務位置から同列車が同駅ホーム始端に差し掛かったことを視認した時点で,同列車が同駅に停車可能な速度であるかどうかを確認し,万一,被告人において同駅に停車できないような速度であると判断した場合には,自ら非常スイッチを用いて同列車を同駅に停車させるべき職務上の義務があるの,,,にこれを怠り同駅到着前の車内放送(案内放送)を始める時期を知るため「」被告人自身において決めていた車窓から見える目標物(以下放送ポイントという)を見落としたことから,同列車が同駅を通過したことに気付かず,同列車の速度や状態について全く確認しないまま,同列車が同駅を通過するのを放置した過失により,同列車をして,時 (以下放送ポイントという)を見落としたことから,同列車が同駅を通過したことに気付かず,同列車の速度や状態について全く確認しないまま,同列車が同駅を通過するのを放置した過失により,同列車をして,時速約65キロメートルの速度で同駅を通過させ,もって,鉄道係員の職務上の義務を怠り,同駅ホーム上の乗客等の生命・身体に対し危害を醸す虞ある行為をした旨認定した原判決について,①被告人は,放送ポイントを見失ったため,Aが本列車を同駅に停止させずに通過させようとする気配に全く気付いていなかったから,被告人には,同列車が同駅ホーム始端に差し掛かったことの認識がなく,同列車が同駅に停止可能な速度であるかどうかを確認し,同駅に停車できないような- 5 -速度であるかどうかを判断することもできなかったところ,この判断ができなければ,被告人に所定の停止位置に停車させるべき職務上の義務を課することはできないのに,その義務があった旨認定したのは,事実を誤認したものであり,また,原判決は,西日本旅客鉄道株式会社の定める「列車乗務員作業標準(在来線)」を法25条の義務の根拠としているところ,それは罪刑法定主義に反するから,被告人に法25条を適用して処罰したことは,法令の解釈適用を誤ったものであって,この事実誤認及び法令の解釈適用の誤りが,判決に影響を及ぼすことは明らかである,②原判決は,被告人が,e駅のホーム始端を視認できた時点で,本列車が所定の停止位置に停止できないと判断して非常スイッチを押せば,所定の停止位置に停止できず,そこを通過してやっと停止できるに過ぎないとしても,本列車は確実に減速されるので,減速せずに同駅を通過する場合に比べれば,同駅ホーム上の乗客等に対する風圧や巻込みなどによる危険性は軽減されたものと考えられ,よって,結果回避可能性が認められる ても,本列車は確実に減速されるので,減速せずに同駅を通過する場合に比べれば,同駅ホーム上の乗客等に対する風圧や巻込みなどによる危険性は軽減されたものと考えられ,よって,結果回避可能性が認められる旨認定しているところ,列車が,時速約65キロメートルで同駅を通過した際の同駅中央部ホーム上における列車風(列車が駅を通過する際,ホームで列車を待つ乗客が受ける列車に誘起された風)は,ホームの線路側端(以下「ホーム端」という)から0.4メートルの位置(ホーム端と白線の間)及び0.8メートルの位置(白線の上)のいずれにおいても,日本国有鉄道時代から「列車風の安全に対する風速限界(目安値)」とされている風速9メートル毎秒以下であることなどからすると,同ホーム上の乗客等に対する風圧や巻込みなどによる危険はなかったから,本件について具体的危険があった旨認定した原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるなどというのである。 所論にかんがみ記録を調査し,当審における事実取調の結果をも併せ検討- 6 -する。 (1)原判決挙示の証拠及び当審で取り調べた関係証拠によれば,以下の事実が認められる。 ア被告人は,平成15年9月,西日本旅客鉄道株式会社広島支社広島車掌区所属車掌となり,同社山陽本線,呉線及び芸備線で列車に乗務し,本件事件発生当時,車掌経験がほぼ1年2か月間,同社芸備線の乗務経験が50ないし70往復くらいであった。この間,被告人は,乗務していた列車が所定の停止位置から2ないし3メートルくらい前後して停止したことは経験していたものの,停車すべき駅のホームを列車の後端が通り過ぎてしまったような経験はなかった。また,被告人は,非常スイッチを操作した経験もなかった。 イ被告人は,平成16年11月26日,本列車に車掌として乗務した。 被 すべき駅のホームを列車の後端が通り過ぎてしまったような経験はなかった。また,被告人は,非常スイッチを操作した経験もなかった。 イ被告人は,平成16年11月26日,本列車に車掌として乗務した。 被告人は,それ以前に本列車と同じダイヤの列車に乗務した覚えは1回しかなく,同列車の運転士であるAと一緒に乗務した記憶はなかった。 被告人は,同列車がe駅の1つ手前のg駅を,定刻である午後8時ころ発車してから約1分後に,翌朝,三次駅で列車の入替作業があることを思い出し「入替作業要領」という冊子を読み始め,e駅への到着予定,時刻である午後8時5分の約1分前である午後8時4分ころ,被告人が放送ポイントとしている赤い橋を確認するため,同列車の進行方向右側の窓を開けて,20ないし30秒間車外を見ていたものの,赤い橋を見付けることができなかった。被告人は,同列車が,同駅に近づけば減速するはずであるのに,減速しなかったことから,同列車がまだ同駅に近づいていないのかと思って時計を見た。すると,既に午後8時6分過ぎになっていたので不思議に思い,Aに車内連絡電話(以下「電話」とい- 7 -う)で「eもう通りましたか」と尋ねた。しかし,Aから何の返事もなく,不安に思って再び上記窓から外の景色を見たところ,e駅の次のh駅に近付いていることが分かった。そして,間もなく本列車が同駅に到着したので,被告人は,同駅到着の車内放送をした上,同列車のドアを開けた。 ,,,ウ一方Aは被告人からの電話で初めてe駅を通過したことに気付き次の志和口駅に本列車を停止させた。同列車は,e駅付近を時速約65キロメートルで進行していたものであって,同駅のホームを通過した際も同様の速度で進行していた。なお,同駅ホームは,本列車の進行方向左側にある。 エ西日本旅客鉄道株式会社は,車掌 駅付近を時速約65キロメートルで進行していたものであって,同駅のホームを通過した際も同様の速度で進行していた。なお,同駅ホームは,本列車の進行方向左側にある。 エ西日本旅客鉄道株式会社は,車掌等列車乗務員が,その職務を遂行するに当たって遵守すべき基本的な執務態度,基本作業・基本動作,平常時及び異常時の取扱い等に関して「列車乗務員作業標準(在来線)」(以下「作業標準」という)を定めているところ,その基本編(当審弁護人請求証拠番号6)中には「列車運転中の基本作業・基本動作」として要旨以下のとおり定められている。すなわち,到着時の基本作業は,到着時の列車の状態注意(以下「列車状態注意」という)及び到着時のホームの。 ,状態注意の2つの基本動作をその順序で行う列車状態注意の動作とは列車がホーム始端に差し掛かった付近から停止するまで,非常スイッチに手を添えて,いつでも非常停止手配がとれる体勢を取り,正しい線路に入駅していること及び停車可能な速度であることを確認して「列車,状態よし」と喚呼することである。列車状態の確認喚呼は,列車がホーム始端に差し掛かった付近の時機に実施し,このとき,所定停止位置に停車できないと判断したときは,非常スイッチを扱う。 - 8 -オところで,平成18年10月16日,広島駅午後4時26分発三次駅行普通列車(列車番号1870D,3両編成,e駅発午後5時10分)車掌室左側窓の,通常車掌が顔を出すのと同様の位置にビデオカメラを設置して,e駅の約1キロメートル手前から同駅に至るまでの区間を撮影した結果によると,同列車が同駅ホーム始端から約800メートル手前付近を進行しているときから,上記窓には山林が迫り,樹木によって同窓から外の視界が遮られ,同駅ホーム始端約80メートル手前付近に至って初めて山林を抜けて,民家が 駅ホーム始端から約800メートル手前付近を進行しているときから,上記窓には山林が迫り,樹木によって同窓から外の視界が遮られ,同駅ホーム始端約80メートル手前付近に至って初めて山林を抜けて,民家が見え始めるものの,同駅手前の線路が右に湾曲しているため,同駅ホーム始端は,その手前約45メートル地点に至ってようやく視認できた。 カg駅からe駅に向かう線路脇には「e」と記載された「駅名標」及,び停車場(駅)進入前に停車,通過を確認すべき地点を示す「通停確認位置標」が1本のポールに取り付けられて設置され,その設置場所より同駅寄りの線路脇にも,同様の「停車場接近標」が設置されている。これらは「運転士用補助看板類」といわれる列車運転士のための看板であって,夜間でも,列車の前照灯の明かりにより,その運転室(前頭運転台)からは視認可能であり,それらの看板を見ることにより,列車がe駅に近づいたことが分かるようになっている。しかし,本列車(3両編成)の全体の長さが約63.9メートルあったことからすると,その最後部である車掌室から,これらの看板を確認することは困難であったと考えられるところ,被告人も,これらの看板を見ることはなかった旨述べている。 キ被告人は,本件以前,車掌として乗務した際,g駅からe駅方面に進行中,同駅手前の放送ポイントである赤い橋を確認するについては,回- 9 -数にして7ないし8割方確認することができるものの,見落とすこともあり,夜間は,たまたま付近を通行する自動車や自転車の明かりなどで赤い橋が見えた場合以外は見落とすことが多かった。しかし,放送ポイントを見落としても,運転士がブレーキを掛けることや到着予定時刻から放送すべき時機を知ることができるので,放送ポイントを見落とすおそれのない別の物に変えようと考えたことはなかった 。しかし,放送ポイントを見落としても,運転士がブレーキを掛けることや到着予定時刻から放送すべき時機を知ることができるので,放送ポイントを見落とすおそれのない別の物に変えようと考えたことはなかった。 (2)当審第2回公判において取り調べた証人B(以下「B」という)は,要旨以下のとおり供述した。 アBは,西日本旅客鉄道株式会社の広島車掌区の助役として,車掌の育成指導等に当たっている。同人は,これまで芸備線を含めた線区に6年3か月間車掌として乗務し,芸備線の乗務経験は1000回以上で,e駅周辺の状況も熟知している。 ,,イ3(1)エの作業標準に定められた到着時の基本作業のとおり車掌は乗務している列車の前頭部がホームに差し掛かった付近において,列車が所定停止位置に停止できないと判断したときは,非常スイッチを扱うことになる。しかし,夜間であるとか,気象条件が悪いとか,駅手前の線路が湾曲しているとかの条件次第で,列車の前頭部がホーム始端に差し掛かったことが確認できない場合があり,そのような場合は,車掌室,。 からホーム始端が確認できた地点において上記作業を行うことになるそして,列車が所定停止位置に停止できないという判断は,列車の入駅速度,ホームの長さ等を総合して行うべきところ,ブレーキを掛ける時機とか掛け方は,運転士によって個人差があり,手前から減速する運転士もあれば,速い速度でホームに入って強いブレーキを掛ける運転士も,,,ありまた列車が遅れている場合には回復運転に努めるなどするため- 10 -運転士の癖等が分かっていなければ,その列車が駅に止まるのか通過するのかの判断,すなわち,非常スイッチを扱うべきタイミングを把握することは難しい。なお,車掌室に速度計はあるものの,車掌は,常に乗客のいる進行方向を向いていなければい その列車が駅に止まるのか通過するのかの判断,すなわち,非常スイッチを扱うべきタイミングを把握することは難しい。なお,車掌室に速度計はあるものの,車掌は,常に乗客のいる進行方向を向いていなければいけないので,車掌の真後ろに位置する速度計を見ることはない。 ウg駅からe駅に向かって進行する列車の車掌室左側窓から外の景色を見た場合,同駅の手前約1キロメートル付近から山林が列車に迫っていて,現在地を把握できる状況ではなく,夜間の場合,同駅周辺が非常に暗いため,同駅ホーム手前で視界が開けたことすら視認できない。同駅ホーム始端にも照明がないため,いつどこで列車がホーム始端に差し掛かったかも全く分からない。その列車の車掌室右側窓から外を見た景色は,川が線路に並行して存することは分かるものの,非常に単調な景色であって,大きな目印になるようなものがほとんどない。なお,Bは,e駅手前の放送ポイントは決めていなかった。しかし,他の車掌は,それぞれ駅に接近していることを把握するため,それぞれの放送ポイントを決めていると思われるものの,どこを放送ポイントに決めるかは各車掌に任されているので,他の車掌が何を放送ポイントにしているかは分からない。 エBは,平成18年12月12日,本列車と同じ方向に進行してe駅を通過する夜間の急行列車に乗った。同列車の同駅通過時の速度は,時速約60キロメートルないし65キロメートルであった。Bは,同駅手前で同駅ホーム始端を確認するため,同列車の車掌室左側窓から顔を出していたが,結局,ホーム始端を見逃してしまった。そして,実際には,同駅ホーム上にある黄色の手すりが2ないし3秒間見えて,今が駅だっ- 11 -たなあと感じることができただけで,駅周辺の民家の明かりを確認する暇もなく,真っ暗な状態からいきなり駅に飛び込んでいくよ 同駅ホーム上にある黄色の手すりが2ないし3秒間見えて,今が駅だっ- 11 -たなあと感じることができただけで,駅周辺の民家の明かりを確認する暇もなく,真っ暗な状態からいきなり駅に飛び込んでいくような感じであった。また,Bは,同列車の本務車掌に対して,車掌室右側窓から赤い橋を確認するよう指示していたものの,同人は赤い橋を発見することができなかった。誰が乗務したとしても,e駅に近づいたことを知るためには,運転士のブレーキによる減速であるとか音などに頼らざるを得ないというのが実態であると思う。 オ夜間,列車が,時速約65キロメートルでe駅を通過してしまうと,車掌には,通常そのような経験はないので,一瞬の出来事という感じに,,,なってしまい結局どのようなベテラン車掌が乗務していたとしても本件のように,運転士が停車を失念してブレーキを掛けずに同駅を通過した場合には,車掌において非常スイッチを扱えず,本件と同様の通過事案になったと思う。なお,仮に,同駅ホーム中ほどで,列車が同駅を通過したことに気付いた場合には,作業標準に従って非常スイッチを扱い,列車がホームから外れて駅間で停止することになっても列車を止めることになっている。 ,,(3)平成18年9月21日財団法人鉄道総合技術研究所人間科学研究部環境工学研究部,構造物技術研究部合同により,e駅で列車が通過したときのホーム上の風速及び人間の重心動揺を測定し,その結果(以下「本件実験結果」という)を記載した鑑定書(当審弁護人請求証拠番号5)によると,e駅を時速65キロメートル程度で列車が通過した際の,ホーム上の列車風の風速を測定し,かつ,ホーム白線上に立った年齢47歳,身長163センチメートル,体重55キログラム,靴サイズ25センチメートルの成人男性を被験者として,その静止立位の 過した際の,ホーム上の列車風の風速を測定し,かつ,ホーム白線上に立った年齢47歳,身長163センチメートル,体重55キログラム,靴サイズ25センチメートルの成人男性を被験者として,その静止立位の平均重心位置を原点とした場- 12 -合の,列車風によって動揺する重心位置(以下「重心動揺」という)を測定した結果は,以下のとおりである。すなわち,ホーム端から0.8メート. ,ル離れたホーム上の位置(白線位置)の風速の最大値は81メートル毎秒ホーム端から0.4メートル離れた位置の風速の最大値は8.9メートル毎秒であった。また,ホーム白線上に立った被験者の重心動揺は,最大でも列車から離れる方向に45ミリメートル,近づく方向に19ミリメートルであって,列車風が,白線位置の人を列車側に引き込む危険はないと考えられる。 ,。 (4)以上の認定事実及び証拠関係を前提にまず所論①について検討する原判決は,本列車が減速することなく,e駅ホームに差し掛かったことを被告人が視認することにより,Aが,本列車を同駅に停止させずに通過,,させようとする気配を認めることができたということを前提に被告人がAに対し同列車を停止させるよう電話連絡し,あるいは自ら非常スイッチを用いて同列車を同駅に停止させるべき職務上の義務があったとする本件公訴事実について,被告人が「同列車の車掌の乗務位置から同列車が同,駅のホーム始端に差し掛かったことを視認した時点で同列車が同駅に停車可能な速度であるかどうかを確認し,万一,被告人において同駅に停車できないような速度であると判断した場合には,自ら非常スイッチを用いて同列車を同駅に停車させるべき職務上の義務があるのに,これを怠り,同駅手前の自分が決めている車内放送を始めるポイントの目標物を見落としたことから,同列車が同駅を た場合には,自ら非常スイッチを用いて同列車を同駅に停車させるべき職務上の義務があるのに,これを怠り,同駅手前の自分が決めている車内放送を始めるポイントの目標物を見落としたことから,同列車が同駅を通過したことに気づかず,同列車の速度状態,」について全く確認しないまま同列車が同駅を通過するのを放置した過失を認定して,被告人の注意義務違反を肯認している。 ところで,原判決は,被告人において,放送ポイントを見落としたこと- 13 -自体を注意義務違反の内容としてとらえていると解される。しかし,以下に説示するとおり,仮に被告人が十分に注意をしていたとしても,放送ポイントは発見できなかった可能性が高いといわざるを得ないから,被告人について,放送ポイントを見落とした結果,本列車がe駅を通過することに気付かず,それを放置した過失があった旨認定した原判決は,結局,被告人において,十分に注意をしたとしても遵守することができない注意義務を課して,それに違反する過失を認定したものといわざるを得ない。 すなわち,3(1)キのとおり,被告人は,本件以前にも,g駅からe駅に向かう列車に車掌として乗務していた際,同駅手前の放送ポイントを見落とすことがあり,特に夜間は,たまたま付近を通行する自動車等の明かりなどで放送ポイントである赤い橋が見えた場合以外は,放送ポイントを見落とすことが多かったところ,そのことは,3(2)エのとおり,本列車と同様に進行する列車に乗務していた他の車掌においても,上記赤い橋を発見することができなかったことから考えて,被告人の注意不足により赤い橋を発見できないというものではなく,その立場に他の者を置いたとしても同様であったと認められる。そして,3(2)ウエのとおり,芸備線を進行する列車に1000回以上も車掌として乗務した経験を有するBは 橋を発見できないというものではなく,その立場に他の者を置いたとしても同様であったと認められる。そして,3(2)ウエのとおり,芸備線を進行する列車に1000回以上も車掌として乗務した経験を有するBは,e駅手前の放送ポイントを決めておらず,同駅に近づいたことを知るためには,運転士のブレーキによる減速であるとか音に頼らざるを得ないとい,,うのが実態であると思う旨証言していることも併せ考慮すると本件の際被告人が放送ポイントを見落としたことは,やむを得なかったものというほかない。加えて,3(1)イのとおり,被告人は,本列車が同駅に停止しないまま,同駅到着予定時刻を過ぎてしまったことから,不思議に思い,電話で同列車の運転士であるAに対し「eもう通りましたか」と尋ねたも- 14 -のの,それに対して返事がないうちに,同列車がe駅の次のh駅に到着したという事実経過や,3(2)イないしオのB証言から認められるe駅手前を進行する列車の車掌室から見える景色,同駅及びその周囲の状況,一般に車掌の行うべき作業内容についてのベテラン車掌であるBの証言にかん,,,,がみると本件当時被告人において放送ポイントを見落とすことなく本列車が同駅に近づいたことを知ることができるような事情があったとはいえない。換言すれば,被告人が放送ポイントを見落としたことが,その不注意によるものであると認めることは困難である。 そうすると,被告人において放送ポイントを見落としたことを注意義務違反の内容として捕らえ,その結果,本列車がe駅を通過することに気付かず,それを放置した過失がある旨認定した原判決は,事実を誤認したものであり,この事実誤認は,判決に影響を及ぼすことが明らかであるといわざるを得ない。 (5)次に,所論②について検討する。 法25条は,具体的危険犯を定め がある旨認定した原判決は,事実を誤認したものであり,この事実誤認は,判決に影響を及ぼすことが明らかであるといわざるを得ない。 (5)次に,所論②について検討する。 法25条は,具体的危険犯を定めたものと解されるのであって,法25条の犯罪が成立するためには,具体的危険すなわち実際に危害が発生する可能性が認められることが必要である。そして,1で説示したとおり,検察官は,本件における具体的危険とは「e駅ホーム上の乗客の生命・身体に対する危害であ」る旨釈明している。 そこで,以下,本件について,検察官が釈明した具体的危険の発生が認められるかについて検討する。 一般に,普通列車しか停止しない駅を,急行列車等が高速度で通過する場合,もし,駅ホーム上にいる乗客等(子供を含む。以下同じ)が,ホーム端に佇立するなどして,駅を通過する列車に接触するなどすれば,その乗- 15 -客等の生命・身体に危害が及ぶことは明らかである。しかし,そのような危険があるからといって,それをもって,法25条の具体的危険があり,駅ホーム上に乗客等がいる駅を高速度で進行する急行列車等を通過させる行為が,同条に該当するということはできない。もし,普通列車しか停止しない駅を急行列車等が高速度で通過することが許されないならば,高速度輸送機関である鉄道営業自体が成り立たなくなってしまうからである。 もちろん,新幹線の一部の駅等のように,ホーム上に安全柵等を設けることによって,上記の危険を避けることは可能であろうが,費用面等からして現実的ではない。そうすると,本件においても,本列車がe駅を通過する際,ホーム上に乗客等が存する可能性があることをもって,具体的危険があったということはできない。 もっとも,本列車は,同駅に停車することになっていたから,同駅ホーム上に同列車に乗車しようとする する際,ホーム上に乗客等が存する可能性があることをもって,具体的危険があったということはできない。 もっとも,本列車は,同駅に停車することになっていたから,同駅ホーム上に同列車に乗車しようとする乗客がいた場合,同列車が同駅に近づくのを見て,同列車が同駅に停車するものと考え,同列車が駅に近づく前から,ホーム端に近寄ろうとする乗客の存することも十分に考えられる。しかし,そのような乗客といえども,本来,列車がホームに完全に停止するまでは,白線の外側(ホーム端とは反対側)で待つことが予定されていることからすると,本列車が減速せずにe駅に向けて進行してきているにもかかわらず,同列車が停止するものとして,ホーム端に接近してくるような乗客の存することまでをも考慮して,本件において,具体的危険が発生したと認めることはできないというべきである。 なお,本件実験結果によると,e駅を時速65キロメートル程度で列車が通過した際の,ホーム端から0.8メートル離れた位置(白線位置)における列車風の風速最大値は8.1メートル毎秒であったというのであるか- 16 -ら,安全であるとされている白線位置における乗客等の受ける列車風の風速は,日本国有鉄道時代から列車風の安全に対する風速限界(目安値)とされている9メートル毎秒よりも低いことは明らかである。 しかも,本件当時,e駅のホームに乗客等がいたか否かは,全証拠を検討しても不明である。 そうすると,本件において具体的危険が発生したと認定するには,なお合理的な疑いが存するというほかない。 したがって,本件において,具体的危険が発生したと認定することはできないといわざるを得ないから,本件について,同駅ホーム上の乗客等の生命・身体に対し危害を加える具体的危険が発生したと認定した点において,原判決には判決に影響を及ぼすこと 発生したと認定することはできないといわざるを得ないから,本件について,同駅ホーム上の乗客等の生命・身体に対し危害を加える具体的危険が発生したと認定した点において,原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというべきである。 (6)以上説示したとおりであるから,弁護人が,事実の誤認があるとして主張するその他の点について検討するまでもなく,原判決には明らかに判決に影響を及ぼすべき事実の誤認がある。論旨は理由がある。 破棄自判よって,刑事訴訟法397条1項,382条により,原判決を破棄し,同法400条ただし書に従い当裁判所において更に判決する。 本件公訴事実は,1記載のとおりであるところ,3で検討したとおり,被告人に過失があること及び本列車を時速約65キロメートルの速度でe駅を通過させたことにより,同駅ホーム上の乗客等の生命・身体に対する危害を与える具体的危険が発生したことを認定するには,いずれも合理的疑いが残るといわざるを得ない。したがって,被告人については犯罪の証明がないことに帰するから,同法336条により,無罪の言渡しをすることとし,主文- 17 -のとおり判決する。 平成19年5月29日広島高等裁判所第1部裁判長裁判官楢崎康英裁判官森脇淳一裁判官友重雅裕

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