【DRY-RUN】主 文 原判決を取り消す。 被控訴人らの各請求を棄却する。 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。 事 実 控訴人は主文同旨の判
主文 原判決を取り消す。 被控訴人らの各請求を棄却する。 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。 事実 控訴人は主文同旨の判決を求め、被控訴人らは、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。 当事者の主張及び証拠関係は、次のとおり付加するほか、原判決中被控訴人らに関する部分と同一であるからこれを引用する。 一控訴人の補足的主張 1 地教行法三八条一項の合目的的解釈について(一) 県教委は、全県的視野に立つて県費負担教職員の人事(懲戒処分等を含む。)を適切に行うために地教委に対する一般的指示権を有し(四三条四項)、かつ教育に関する事務の適正な執行と管理を行うために地教委相互間の連絡調整を行う権限を有している。そして、これを前提として、県教委がその任命権を行使するについては地教委の「内申をまつて」行うものとする地教行法三八条一項の規定が設けられているのである。 そうすると、内申制度の意義は、市町村立学校に勤務する県費負担教職員の人事、とくに任免その他の進退については県教委が独断で行うものではなく、服務監督権者である地教委の意思を反映させて主体的な相互の協力によつて人事行政の適正かつ円滑な運営、あるいはまた教育水準の維持を図ろうとしたものであるが、もとよりこれにより地教委をして県教委の任命権の行使を抑制させようとするものではなく、任命権を有する県教委と任命権の行使について内申を行う地教委とは、県費負担職員の人事に関して協働関係に立つものであり、地教委は、県教委の一般的指示と連絡調整のもとにおいて、人事の一部を分担する責に任ずるものである。 本来、任命権と服務監督権は一体をなすものであり、それが二つの独立した行政機関に分属しているの り、地教委は、県教委の一般的指示と連絡調整のもとにおいて、人事の一部を分担する責に任ずるものである。 本来、任命権と服務監督権は一体をなすものであり、それが二つの独立した行政機関に分属しているのであるから、任命権を持つ県教委と服務監督権を持ち内申を行う地教委は、一体となつて人事にかかる事務を相協力して遂行すべき関係、即ち、協働関係にある。尤も、右のような協働関係にあるからといつて、県教委と地教委の関係が対等であるというわけではなく、教職員人事に関する限りは任命権を有する県教委が上位にあることは、任命権の本質―人事行政の最終的権限―から明らかである。 従つて、県下一斉に行われたストライキのように、重大な、かつ客観的にも違法性が明白な義務違反行為に対しては、県教委は、一般的指示権及び連絡調整権に基づいて、地教委に対して懲戒処分の内申を要請することができ、地教委はこれに応じて内申をすべき義務を負うものであり、特段の理由なくして内申をしないことは、地教行法の立法趣旨に違背するものである。そして、特定の地教委が独自の判断、裁量によつて右の要請を拒否するようなことは、地教行法の立法にあたつて予想すらされなかつたところであり、地教委が内申をしなかつた場合に任命権の行使が一切できないとするならば、県教委の任命権は、完全に地教委の意思によつて制約され、その行使が不可能となり、そのような異常な事態を地教行法が合理的なものとして容認しているとは解し難いから、同法三八条一項の合目的的解釈上、本件のように、客観的にみて全県的に統一した基準で懲戒処分を行う必要があると認められる場合に、県教委が内申を指示し、条理を尽して説得を重ねたにもかかわらず、なおかつ地教委が内申を行わない場合には、地教委の内申がなくても、県教委は懲戒権を行使できると解すべきである。 ( 認められる場合に、県教委が内申を指示し、条理を尽して説得を重ねたにもかかわらず、なおかつ地教委が内申を行わない場合には、地教委の内申がなくても、県教委は懲戒権を行使できると解すべきである。 (二) 被控訴人らは、義務教育は市町村の事務であり、従つて市町村の小・中学校の設置は、その教職員の人事行政を含めて市町村の事務に属し、地教委がその創意と責任において処理すべきものとされているのは地方自治の建前からする限り、きわめて当然のことであると主張し、内申制度については、法は教職員の任命権を機関委任事務とし、それが本来あくまでも当該市町村の事務であるという建前を維持するとともに本来的な任命権者というべき地教委の意思を反映させるため、あるいは委任者たる市町村の意思を貫徹する仕組みとして、右制度が設けられたものである旨主張している。 しかしながら、行政手続の責任を国、都道府県、市町村のいずれに負担させるかは、憲法九二条により法律によつて定められるものであり、義務教育は市町村の事務とされているが、これに伴う人事、給与、財源等は、地教行法等により、国、都道府県が分担しているのである。 また、被控訴人らは、県教委に対する任命権の委任が機関委任事務であるからにはせめて内申を任命権行使の必要的要件と解すべきであると主張する。しかしながらこの見解は、県教委が、任命権者として自らの判断と責任において誠実に任命権を行使すべき自主独立性を有しているのに対し、地教委が、県教委に対して指揮監督権を有せず、従つて国の機関委任事務における主務大臣のような上級機関としての地位にないのみか、かえつて地教行法によつて県教委の一般的指示権に従わなければならないとされていることから考えて、不当であることが明らかである。 2 福教組の処分内申阻止闘争と三市一町教委の内申書不提出百 ないのみか、かえつて地教行法によつて県教委の一般的指示権に従わなければならないとされていることから考えて、不当であることが明らかである。 2 福教組の処分内申阻止闘争と三市一町教委の内申書不提出百歩を譲つて、原判決の地教行法三八条一項の解釈に従うとしても、以下指摘するとおり本件事案においては、三市一町の地教委は内申の意思を有しながらも、福教組の内申阻止闘争による違法不当な圧力に屈し、報復をおそれて内申書提出に至らなかつたものである。 (一) 福教組の内申阻止闘争は、昭和四四年ころが一つのピークであつて、福教組は、その戦術として、校長、地教委等に対して処分の具申・内申をさせないという要求闘争を強化し、教育長・教育庁出張所長の学校訪問拒否、校長招集の諸会議への出席拒否、地教委に対する大衆動員を徹底して徹宵交渉を含む交渉を行い、その結果、昭和四三、四四年当時ほとんどの地教委はこれに屈して組合と話し合いをしなければ内申書を提出しない旨の確約をさせられていた。 その後、福教組は、昭和四五年にはストライキをせず、昭和四六年に行つた二回のストライキにつき昭和四六年七月七日付指令をもつて、全支部に対し内申阻止闘争を指示する指令を発したが、昭和四四年に比してその成果が挙がらず、結局内申書を提出しなかつたのは田川市一市にとどまつた。 そこで、福教組は、同年の内申阻止闘争が全県的に盛り上がりがなかつたことを反省して、本件の昭和四七年五・一九ストライキの直後昭和四七年五月二六日に開催された第三六回定期大会において同年度の運動方針として地教委の内申阻止を目的として徹底した闘争を行うことを決議し、右決議に基づき同年六月一五日付指示をもつて、地教委に対し内申をしないよう要求書を提出し、六月末までに回答をとることを指令し、更に翌四八年一月二五日付の指示をもつて地 徹底した闘争を行うことを決議し、右決議に基づき同年六月一五日付指示をもつて、地教委に対し内申をしないよう要求書を提出し、六月末までに回答をとることを指令し、更に翌四八年一月二五日付の指示をもつて地教委を含む職場長交渉を二月一日から一三日まで徹底的に行い、五・一九ストライキに対して県教委の内申要請の圧力に屈せず、絶対に内申書提出を阻止すべきことを指令した。 また、本件の昭和四八年四・二七、七・一九各ストライキに対する内申阻止闘争についても、同様の戦術をとり、県下ほとんどの支部において全員動員を背景に徹宵交渉を含む市町村単位の交渉、教育委員の自宅訪問を行い、内申をした地教委の各委員を追及して辞任に追い込むことまでをもその目的の一環として、精神的暴力ともいうべき集団圧力を加え、ことに本件の三市一町教委に対しては支部の闘いを全県闘争として組織した。 (二) 本件三市一町教委に対する内申阻止闘争は次のとおりであり、そのため、右各地教委は、いずれも本件のストライキが違法であつて、参加者に対する懲戒処分の内申をする必要であると認識し、内申意思を有しながら、福教組の脅迫ないしこれに類する違法不当な圧力に屈して内申書を提出することができなかつたものである。 (1) 大牟田市教委の場合同市教委A1委員長は、前記のような福教組の内申阻止闘争により、昭和四七年七月一一日に福教組大牟田支部長あてに内申書提出については組合と話し合いをする旨書面を提出していたが、昭和四八年四月一八日、右支部長は、同市教委A2教育長に対し、同月二七日に予定している半日ストについて、教員に対する業務命令を出さないこと及び処分内申をしないことを内容とする要求書を提出し、同月二三日及び二五日の二回にわたつて、右支部は、同市教委に右要求書の内容を受諾するよう交渉を行つた。右二三日の 員に対する業務命令を出さないこと及び処分内申をしないことを内容とする要求書を提出し、同月二三日及び二五日の二回にわたつて、右支部は、同市教委に右要求書の内容を受諾するよう交渉を行つた。右二三日の交渉の終末の段階において、A2教育長は、右支部長の要求により、「労働基本権の回復に向けて教育長として努力する。」という確認書を書いたが、更に組合員約五〇名を動員して午後九時から翌朝午前二時に及んで行われた右二五日の交渉は、A2教育長において、「組合の要求の正当性を認め、前向きに対処する。職務命令は出さない。」という内容の回答書を出すこととなつて打ち切られた。 そのため、昭和四七年までは、ストライキの前には同市教委から教職員に対してストライキに参加するなという業務命令を出していたのに、昭和四八年から右業務命令を出さなくなつたが、右確認書、回答書は、A2教育長が組合の集団圧力に屈しその意に反して書いたものであり、このことはA2教育長から同市教委に報告され、委員長以下の委員全員が知つていたものである。 控訴人は、同市教委に対し、二六回にわたり本件ストライキに対する処分内申を要請したにも拘らず、ついに内申書は提出されなかつたが、控訴人側職員が説得に赴いた最後の日である昭和五〇年一月二八日の午前中には、福教組は、有明新報の同市教委内申決定という記事をみて、市職組との統一交渉により同市教委A3教育長に対して右記事に対する激しい抗議を行い、これに対しA3教育長は、その記事が誤りであることは今後の事実をもつて明らかにすると答えて、同市教委が内申書を提出しないことを間接的に表明すると共に、同日説得に赴いていたA4人事管理主事に対しては、弁解のため右確認書を同人に示し、前任者時代にこのような確約がされているから、同市教委としては内申することができない旨を述べた 間接的に表明すると共に、同日説得に赴いていたA4人事管理主事に対しては、弁解のため右確認書を同人に示し、前任者時代にこのような確約がされているから、同市教委としては内申することができない旨を述べた。 以上の事実は、同市教委が昭和四七、八年当時福教組の違法不当な圧力に屈して、ストライキに参加した教職員に対する処分内申はしないという確約をしていたために、控訴人の二六回にもわたる要請を受けながら本件各ストライキの処分内申をすることができなかつたこと及び右確約に違反して内申をした場合の抗議行動をおそれて内申をする意思を喪失していたことを示すものである。 なお、右支部は、内申阻止につき同市職組と共闘しており、同市教委が本件各ストライキにかかる処分内申をすれば、市長と市職組との間の退職協定を破棄するという戦術をとつていたのであるから、同市教委がこれをおそれて内申をしなかつたことは、とりもなおさず市教委が同支部の不当な圧迫に屈したものというべきである。 (2) 行橋市教委の場合同市教委は、昭和四八年八月二八日の懲戒処分発令日を知りながら、組合に対して本件三回のストライキについて話し合いを申し入れたのは同月二六日一回のみであり、それが二八日の処分発令の結果、同市教委から組合に延期を申し出たので、結局昭和四八年八月から昭和五〇年二月五日の本件処分発令までの間に内申書提出について一回も組合と話し合いをしていないのである。 しかもその間、控訴人は、同市教委に対して五七回も内申書提出を要請したが、ついに内申書の提出はなかつた。その間の同市教委の控訴人に対する言い分は、原判決添付別紙六の内申書提出要請の経緯一覧表の「地教委側の応答」欄記載のとおりであつて、同市教委が内申書を提出する旨の意思を表明しながら、昭和四八年八月から昭和五〇年一月二五日までの間は い分は、原判決添付別紙六の内申書提出要請の経緯一覧表の「地教委側の応答」欄記載のとおりであつて、同市教委が内申書を提出する旨の意思を表明しながら、昭和四八年八月から昭和五〇年一月二五日までの間は言を左右にして内申の議決をせず、同月二九日に至つて採決の結果否決した理由については、次の各事実によつて明らかなとおり、結局同市教委が組合の圧力に屈し、報復をおそれた以外に見当らない。 (イ) 行橋市教委は、豊前市教委と内申について連絡をとつていたため同市教委が組合と話し合いをすることなく控訴人に内申書を提出したことにより組合の激しい抗議を受け、A5教育長が昭和四八年九月三日辞任に追い込まれたことを知つていた。 (ロ) 同年九月六日、七日の両日にわたつて福教組行橋京都支部の組合員が行橋市教委の委員長以下委員の自宅を訪問して内申書を提出しないよう申し入れを行つている。 (ハ) 同年九月一三日開催の行橋市教育委員会の席上、A6教育長は、内申の議決を求めたが、組合の激しい抗議を予測してA7委員長に辞表を提出した。 (ニ) 同年一二月六日、行橋京都支部の支部長、執行委員ら組合幹部十数名は、行橋市教委のA6教育長の後任者であるI教育長に対して、福教組が予定した実損回復を目的とする同年一二月四日のストライキについて、同教育長が各小中学校の分会長に対してストライキに参加しないようにとの業務命令を出したことに抗議して激しい集団交渉を行つたが、同市教委のA7委員長は、自動車の出迎えを受けて右交渉現場に赴き、結局同年一二月末日まで本件各ストライキの処分内申をしないという妥協案を提出して組合を納得させた。この事実は、当日の交渉が業務命令を出したことに対する抗議と併せて内申阻止を目的として行われたことを示している。 (ホ) 行橋市教委に対して内申阻止のための徹夜 う妥協案を提出して組合を納得させた。この事実は、当日の交渉が業務命令を出したことに対する抗議と併せて内申阻止を目的として行われたことを示している。 (ホ) 行橋市教委に対して内申阻止のための徹夜交渉が何回も行われた。 (3) 田川市教委の場合昭和四八年八月二四日、県教委B次長室において、控訴人側からB次長、C教職員課長、D人事管理主事及びE県教委田川出張所長、田川市教委側からA8教育長、A9学校教育課長が出席して協議した結果、同市教委は既に本件三件のストライキ参加者全員に対する処分内申の決議をしており、内申書提出の時期はA8教育長に一任されているので、翌日内申書を田川出張所長に提出すること、しかしながら行橋市、大牟田市、a町、行橋市b町立長峡中学校組合の二市一町一組合の各教委が内申書を提出していないにもかかわらず、田川市教委のみが控訴人に内申書を提出したことが分かると他市町村に見られたような組合の抗議行動、それに伴う授業放棄など教育現場の混乱が予想されるので、内申書提出のことは公表しないでもらいたいこと、控訴人はこれを了承すること等を内容とする話し合いがまとまつた。 翌二五日、E所長は、田川市教委の要請に応じて、A9学校教育課長の自宅に赴いて、A8教育長の印を押して封印された封筒に収められた内申書を受領した。 県下の地教委から控訴人に対する内申書は、直接県教委に提出されるものではなくて、その所轄する出張所に持参提出されるものであり、田川市教委が内申書を控訴人の出先機関である田川出張所長に提出したときをもつて、内申があつたと解すべきことは疑問の余地がない。また同市教委の右申出は法律的な意味における条件ではないし、そもそも内申には条件を付することはできないのである。 それはそれとして、同市教委が右のような奇怪な申し出をしたのは、組 は疑問の余地がない。また同市教委の右申出は法律的な意味における条件ではないし、そもそも内申には条件を付することはできないのである。 それはそれとして、同市教委が右のような奇怪な申し出をしたのは、組合の激しい抗議行動によつて、他市町村に見られたように委員、教育長が総辞職に追い込まれ、学校現場が混乱することをおそれたことによるものであり、あたかも昭和四八年八月、田川出張所管内において、g町教育委員会が内申書を同出張所長に提出した後、組合から集団抗議交渉を受けた結果、教育長及び教育委員長が辞任に追い込まれるという事件もあつて、同市教委は、右のような態度に出たものである。 (4) a町教委の場合同町教委は、昭和四三年一〇・八ストライキから昭和四九年一一・一九ストライキまでの一三回にのぼるストライキにつき、昭和四六年五・二〇、七・一五の二回分に対する処分内申を提出しただけで、他のストライキについては、控訴人の再三にわたる要請にもかかわらず内申書を提出しなかつた。 同町教委F教育長は、昭和四六年の右二つのストライキについて同町教委が処分内申書を提出した理由として、県のG教育長から一一・一三ストライキにつき内申書を提出しないと昭和四五、四六年度の継続事業であつたH小学校の老朽校舎の改築二期工事の補助金をつけるわけにいかないといわれて危倶したこと及び教員人事について内申書を提出しないと人事が不利になるという嘉穂郡地方教育委員会連絡協議会の幹部から圧力がかけられたことを挙げている。 しかしながら、補助金の件については、昭和四六年の右二回のストライキに対する処分内申書が提出されなかつたけれども、昭和四五年一〇月九日に校舎改築工事に対する昭和四五年度分補助金一〇、九四一、〇〇〇円が同町に交付されることが決定、通知されており、昭和四六年度分二三、五八〇 る処分内申書が提出されなかつたけれども、昭和四五年一〇月九日に校舎改築工事に対する昭和四五年度分補助金一〇、九四一、〇〇〇円が同町に交付されることが決定、通知されており、昭和四六年度分二三、五八〇、〇〇〇円も交付されているのである。 実は、昭和四六年には福教組の内申阻止闘争が下火となつて、内申をしなかつたのは田川市のみであつた。同町教委が内申書を提出したのは、組合の闘争がなかつたか、もしくは弱かつたからであり、強い闘争が行われた昭和四七年以降は再び福教組の闘争に屈したため内申書を提出することができなかつたものである。 F教育長は、嘉穂郡内の他町においてみられた組合の激しい内申阻止闘争の実態及び教育長等の辞任という結果を熟知していたことに加えて、本件各ストライキに対する処分内申不提出については、組合が内申書の提出があれば一日のストラキイを行う旨の戦術を決定公表したことを知つており、学校の混乱と併せて自らが教育長辞任に追い込まれることをおそれて、内申書不提出を決意したものである。 二被控訴人らの反論 1 地教行法三八条一項の解釈について(一) 憲法に基づく教育の地方自治の原則によつて、地方自治法は小中学校の設置管理を市町村の事務としたので、小中学校は市町村立であり、その教職員は市町村の職員であるのに、地教行法は、教職員の人事の統一的処理のため、いわゆる県費負担教職員の任命権を地教委から県教委に移したが、身分と服務監督権をそのまま市町村に残したのは、当然のことながら教育の地方自治の原則を尊重するためであり、従つて、地方自治法は県教委に任命権を属せしめた関係を市町村から県への機関委任事務とする一方、地教行法三八条一項は服務監督権者の意思を任命権行使に反映させる仕組みとして内申制度を設けたのである。 それ故に、地教行法三八条一項の趣旨 を属せしめた関係を市町村から県への機関委任事務とする一方、地教行法三八条一項は服務監督権者の意思を任命権行使に反映させる仕組みとして内申制度を設けたのである。 それ故に、地教行法三八条一項の趣旨は、県教委が県費負担教職員の任免を行うには、地教委の内申がなければ行いえないが、内申があればその内容を尊重しなければならないけれども必ずしもそれに拘束されるものではないと解すべきものである。 地教委が県教委の任命権行使の方針を不適切と考えて内申を拒否し、その結果県教委が任命権を行使しえなくなつても、それは同法がもともと予定したことであり、この意味では、地教委の内申制度は、県教委の不適切な任命権行使の抑止的機能を期待されたものともいえるのであつて、教職員人事をめぐる県教委と地教委の関係は、決して県教委の立場を絶対的なものとし、これに対して地教委が一方的に協力すべき立場、すなわち、控訴人のいう協働関係にあるものではない。 地教行法三八条一項についての右解釈は、文理及び立法当局者の立法趣旨に即した解釈であり、文部省の行政解釈も同趣旨であつたのであり、一〇・四通達のような解釈は到底採りえないものである。 (二) 控訴人は、常に地教委の内申がなければ県教委において任命権を行使しえないとすると種々の不都合を生じ、地教行法の他の関連諸規定に照らしてみても妥当ではないとして、合目的的解釈の名のもとに内申ぬき処分を適法だとする。 しかしながら、地教行法三八条一項は、前記のとおり、地方自治の原則という憲法的要請に基づき、県教委の任命権行使の必要的要件として地教委の内申制度を設けたものであるから、合目的的解釈に名を籍りて、みだりに必要的要件の免脱を許すような解釈を行うことは許されるべきではない。しかも、合目的的解釈の論拠として控訴人があげていることは、以下述べ 制度を設けたものであるから、合目的的解釈に名を籍りて、みだりに必要的要件の免脱を許すような解釈を行うことは許されるべきではない。しかも、合目的的解釈の論拠として控訴人があげていることは、以下述べるとおり、結局地教委の立場を無視し、専ら県教委の立場のみを考慮した行政上の便宜にすぎないのであつて、このような行政の便宜のために法の解釈をゆがめるべきでないことは多言を要しない。 まず、控訴人が県費負担教職員を県職員とほぼ同様に取り扱う趣旨としてあげる地教行法の諸規定中、わずかに関連があるとみられるものは、同法四三条四項の定める県教委の一般的指示権であるところ、県教委が一般的指示を行いうるのは、地教委の行う服務監督や県が制定する勤務条件や任免・分限・懲戒に関する条例の実施についてその一般的な注意事項や昇任、昇給についての一般的な運用基準のような範囲に限られるのであつて、個別具体的な懲戒事案の内申提出を指示することは、一般的指示の範囲をこえるものと解しなければならないから、全県下の教職員ストの懲戒事案において、県教委が、同法四八条の指導助言作用あるいは同法五一条の連絡調整作用として、統一的な処分基準を示すこと自体は許されるであろうが、右基準基準に従つた内申の提出を求めることは、一般的指示の範囲をこえるものであつて許されないのである。また、仮に右のような場合に一般的指示が許されるとしても、だからといつて内申がなくとも任命権を行使してよいことにはならない。そのような場合にも、同法は、あくまでも地教委が自発的に一般的指示に従つた権限行使をするよう期待するという態度をとっているのである。 ところで、控訴人は、例外として内申のない任命権行使が許される場合として、第一に全県的に統一した基準で懲戒処分を行う必要がある場合、第二に県教委が地教委に対して内申を う態度をとっているのである。 ところで、控訴人は、例外として内申のない任命権行使が許される場合として、第一に全県的に統一した基準で懲戒処分を行う必要がある場合、第二に県教委が地教委に対して内申を指示したこと、第三に県教委が地教委に対し最大限の努力を払つて内申をするよう求めたこと、第四それにもかかわらず地教委が内申しないことの四要件を充たすときをあげる。 右四要件のうち、一応実質的に意味を持ちうると考えられるのは、第一及び第二の二要件であるが、第二の要件を加えることの誤りは前記のとおりであり、残る第一の要件についても以下述べるとおり「例外」を認めるに足るだけの合理性は到底認められないのである。 控訴人のいう第一の要件は、本件事案のような全県的規模の統一ストの如き場合を指すのであろうが、なるほどこのような場合に一部の地教委が内申を行わないときには、統一的な基準により処分は行いえないことになり、あるいは市町村間で処分のアンバランスを生ずることとなる。しかし、そのような事態は、地教委の側に県教委の処分方針、処分基準に対する強い批判や不満があるにもかかわらず、県教委がそれを無視して、一方的に県教委のみの判断による処分方針、処分基準を強行しようとするから生ずるのである。県教委が、地教委の意見を尊重する立場に立ち、事前の連絡調整によつて、地教委の納得がえられる線で処分方針、処分基準を立案し、あるいは任命権を行使するか否かを決定していくならば、このような事態は十分に回避することが可能であつて、現に人事異動の場合には、そのような方法で全県的に統一的な基準による人事異動が支障なく進められているのである。 尤も、県教委がどのように意見調整に努めてみても、両者の意見が一致しないという場合もありうるであろうが、その場合、地教行法は、任命権者である県教委の よる人事異動が支障なく進められているのである。 尤も、県教委がどのように意見調整に努めてみても、両者の意見が一致しないという場合もありうるであろうが、その場合、地教行法は、任命権者である県教委の判断のみを一方的に是とし、県教委の独断専行を求めているのではなく、地方自治の原則への配慮から地教委の意思を尊重する立場に立つて、内申がされない結果として任命権が不行使に終つても、やむをえないとする態度をとつているのである。 以上のようにみてくると、全県的に統一した基準による任命権行使が必要である場合にも、地教行法三八条一項の立法趣旨からみて例外を認める必要はなく、むしろ例外を認めるべきでないことが明らかである。のみならず、「全県的に統一した基準で懲戒処分を行う必要があると認められる場合」という要件は、極めてあいまいであつて、地方公務員のストライキのように明白な服務紀律違反の違法行為が存在する場合といつてみたところで、その場合、常に任命権の行使がストライキ参加者全員について客観的に不可欠であるとはいいえないし、右要件を客観的に限定することは不可能であつて、つまるところ、控訴人の主張する右要件は、「県教委が任命権の行使を必要と認めた場合」と同義だということに帰着するのであり、任命権者が任命権の行使を必要と認めたときは常に内申なしに任命権を行使しうるという結果に到達するのである。そうなれば、地教行法三八条一項の規定の存在意義は完全に抹殺されることになつて、その不合理は明白である。 2 福教組の処分内申阻止闘争と本件三市一町教委の内申不提出について(一) 本件各ストライキの処分内申に際し、本件三市一町教委が何故内申を提出しなかつたかについて、控訴人は、昭和四六年を境として、昭和四七年五・一九ストライキ以降福教組の処分阻止闘争の戦術が格段に強化された 本件各ストライキの処分内申に際し、本件三市一町教委が何故内申を提出しなかつたかについて、控訴人は、昭和四六年を境として、昭和四七年五・一九ストライキ以降福教組の処分阻止闘争の戦術が格段に強化された結果、本件三市一町教委に対しても教育委員等を辞任に追い込むような執拗にして激しい闘争が加えられ、それに屈したためである旨主張する。 しかし、右主張が妥当であるためには、本件三市一町教委に対して現実具体的に執拗にして激烈な処分内申阻止闘争が展開され、その結果として内申不提出が惹起されたという事実関係が論証されなければならないところ、控訴人が原審以来内申阻止闘争の実態として主張・立証したのは、本件三市一町教委以外の地教委でみられた、本件内申不提出が問題とされた以前の出来事で、しかも福教組の内申不提出要請行動のみに混乱の原因を求めることが困難かつ不適当な、いわゆる地教委の辞任といつた例外的混乱についてであつて、右混乱と本件三市一町教委の内申不提出とが直接的にどのようにかかわつているのかについては何一つ説得力ある論証はされていないばかりか、却つて、右の点については原審及び当審で証人となつた本件三市一町教委の委員長及び教育長の証言によつて明確に否定されているほどである。 本件三市一町教委が本件各ストライキについて内申不提出の態度を採るに至つたのは、右各地教委独自の判断によるものであつて、控訴人が主張するように昭和四七年五・一九ストライキ以降の「一層激烈となつた処分内申阻止闘争」によるものでないことは、右各地教委が本件各ストライキの処分内申に際して突如控訴人の処分内申提出要請に反して内申不提出に踏み切つたのではなく、しかも右各地教委の内申不提出に至つた経過も決して一様でないことからも明らかである。 本来、内申阻止闘争は、地教行法三八条に定められた地教 処分内申提出要請に反して内申不提出に踏み切つたのではなく、しかも右各地教委の内申不提出に至つた経過も決して一様でないことからも明らかである。 本来、内申阻止闘争は、地教行法三八条に定められた地教委固有の内申権を地教委が主体的・自覚的に行使することを求めた運動であるが、それは、地教委の内申権こそ憲法の地方自治の原則に立脚し、教育の中央集権化に歯止めをかける有効適切な手段であり、今日地方教育行政の根幹をなす重要な権限であるとの認識に支えられて、福教組が、地教委に対し、昭和三三年から粘り強い説得交渉により、やむをえず争議行為という行動をとつた理由について理解を求めると共に、処分内申権の不行使を求めたものであり、その結果、昭和四二年ころにはほぼ全県的に処分内申する場合には事前に組合側と交渉するという確認が定着していつたのである。 しかし、右の事前交渉の確認は、県教委の処分政策の破綻を意味するところがら、県教委は、右確認を一方的に破棄するよう指導した。その結果、昭和四三年一〇・八ストライキ、翌四四年一一・一三ストライキの場合には、県教委の右の圧力に屈して、事前交渉の確約を一方的に破棄したり、事前交渉を形式的に済ませる地教委があらわれ、その背信行為のため、いくつかの地教委で、教育委員が責任を感じて辞任するといつた混乱を惹起したのである。 組合側の処分内申阻止に向けての行動は、ひとえに地教委に対し内申権を主体的、自覚的に行使するよう求めたものであつて、委員の辞任―教育行政担当者の不在という教育現場への混乱はもとより組合側の意図したものではなく、そのような混乱を招いたのは、一つには昭和四三年における山田市教委、昭和四六年における鞍手郡内のc町、d町、e町各教委でみられるように、地教委が県教委より校舎建築費用の補助金申請手続の面で種々の圧力を加えら 混乱を招いたのは、一つには昭和四三年における山田市教委、昭和四六年における鞍手郡内のc町、d町、e町各教委でみられるように、地教委が県教委より校舎建築費用の補助金申請手続の面で種々の圧力を加えられた結果、組合との約束に違背して内申を提出するに至つたことに起因するものである。同じような県教委の不当な圧力は昭和四六年におけるa町教委にも見られるのであつて、同町教委は、昭和四三年一〇・八ストライキ処分内申以来一貫して内申しなかつたが、H小学校の改築について補助金が交付されないことを危倶して昭和四六年五・二〇、七・一五各ストライキの場合、内申を提出するに至つた。 その後、福教組の内申阻止闘争は、現実に地教委が処分内申をするという事実に対応して、昭和四六年を境に、その重点を内申提出、未提出をめぐる闘いから、発令された苛酷な処分が具体的にどのような弊害をもたらしているかを地教委に理解させ、そこから地教委をして県教委の苛酷異常な処分政策へ批判的眼(まなこ)を向けさせることに移行した。やがて地教委の方も、処分基準の変更、実損回復を内容とする意見書提出に積極的に取り組むことになり、それは昭和四八年に至つてピークとなり、九八地教委のうち九三地教委が右意見書を提出するに至り、しかも、右意見書提出の過程で、実損回復や処分基準の変更を求める地教委の意向を無視する県教委に対して不信感が高まり、一〇地教委が組合との間で今後処分内申しない旨確約したり、あるいは、昭和四八年一〇月の昇給期において七〇以上の地教委が定期昇給調書の作成において延伸者を出さないとの観点から調書を県教委に提出せず、結果的に延伸棚上げという事態が生まれたのである。 (二) 本件三市一町教委が本件各ストライキにつき処分内申不提出に至つたのは、まさしく前記経過の中で正しく把えるべきであり、以下個 教委に提出せず、結果的に延伸棚上げという事態が生まれたのである。 (二) 本件三市一町教委が本件各ストライキにつき処分内申不提出に至つたのは、まさしく前記経過の中で正しく把えるべきであり、以下個別的にみるとおり、控訴人の主張するように福教組の処分内申闘争に屈したからではなく、右各地教委の自由な意思に基づく独自の判断によるものである。 (1) 大牟田市教委の場合同市教委が内申不提出に至つたのは、昭和四八年四・二七、七・一九各ストライキ以降であるが、その背景として、第一に市長部局と大牟田市職労との間で昭和四三年一〇・八ストライキ以来の処分反対闘争を通じて市当局側に労働基本権についての認識が深まり、更に労働基本権回復に向かつての内外の動向を反映して昭和四五年以降数次にもたつて労働基本権回復に向けて労使が積極的に取り組む旨の確認が交わされ、同市教委も市長部局と同様の立場に立つたことが挙げられる。 なかでも、昭和四八年三月三日市長部局と市職労との間で退職協定が締結されたが、右協定中には、これまでの労働基本権回復に関する団体交渉の経緯を受け、更に労働基本権回復への国内外の動向を考慮して、「労働基本権回復に向けて任命権者として努力する。」「教育長は、市教育委員会所管にかかわる労使関係(含市教組)についても同様とする。」との条項が折り込まれ、この条項は、同年四月二三日市教組と教育長との交渉において「労働基本権回復に向けて教育長として努力する。」との確認書にもうたわれるに至つた。更に同年四月二五日に行われた同市教委と市教組との交渉において「組合の要求の正当性を認め、前向きに対処する。職務命令は出さない。」との回答がされ、実際に業務命令は出さなかつた。 ところで、同市教委が市教組との間で右のような確認や回答をしたのは、財政再建の上から退職協定の維 当性を認め、前向きに対処する。職務命令は出さない。」との回答がされ、実際に業務命令は出さなかつた。 ところで、同市教委が市教組との間で右のような確認や回答をしたのは、財政再建の上から退職協定の維持に利益を見出している市長部局の意向を同市教委としても尊重したと同時に、同市教委自らも労働基本権回復に向けて機会を通じて努力するという方向を肯認していたからであつて、組合の圧力を云々するまでもなく同市教委自らの判断に立つて下したものである。 なお、同市教委と市教組との間では処分内申する場合に事前に交渉を持つという確認が交わされていたが、その後も同市教委は、昭和四八年四・二七、七・一九各ストライキについて委員会として処分内申の議決をした事実もなく、また組合側に事前交渉の申入れをしたこともない。これも同市教委が退職協定を破棄してまで混乱をもたらすことは好ましくないと考えたからであつて、これをもつて、組合の圧力をおそれたとか、屈したとか論難することはできない。 (2) 田川市教委の場合同市教委は、昭和四三年一〇・八ストライキの場合支部幹部についてのみ処分内申を行つたところ、県教委は支部三役のみ減給処分を発令した。 次いで、昭和四四年七・一〇、一一・一三各ストライキの場合の県教委の処分方針は、累犯加重方式を採用して一般参加者まで減給処分にするという苛酷なものであつた。同市教委としては、にわかに右県教委の処分方針に追随することができず、前年の一〇・八ストライキで一般参加者に何らの処分もされなかつた以上、戒告が相当であるとの結論に達し、その旨の意見を付して内申をしたが、右七・一〇、一一・一三客ストライキについては何らの処分も発令されなかつた。 昭和四七年五・一九ストライキについては、同市教委も一応内申するという議決をしたが、提出時期については教育長 申をしたが、右七・一〇、一一・一三客ストライキについては何らの処分も発令されなかつた。 昭和四七年五・一九ストライキについては、同市教委も一応内申するという議決をしたが、提出時期については教育長に一任するという議決を併せて行つた。 更に昭和四八年四・二七、七・一九各ストライキについては、県教委から前年の五・一九ストライキと併せて一本の内申提出を求められたので、同市教委は、同年八月二〇日「県下全市町村地教委が内申提出した時点で田川市教委も内申を提出する。それまで内申書は封印して教育庁田川出張所に預ける。」という決定を行つた。 そして、同年八月二四日、県教委B次長との間で田川市教委の右決定は確約され、その結果翌二五日田川出張所に封印された内申書は預けられたものの、結局他の二市一町地教委より内申は提出されなかつたので、同市教委の出張所に対する内申書預託は内申提出とみなされなかつた。 なお、控訴人は、右内申書預託をもつて、民法九七条の意思表示の到達主義及び行政行為の条件は成立しないことなどを理由に内申があつたとまで強弁するが、右内申書は教育庁に到達させないために、封をして田川出張所に預けられたものであつて、このような取り扱いは、「相手方が了知しうべき状態におかれた」とは到底いえないから、右内申が教育庁に到達したとは絶対にいえない。 同市教委が右のような封印をした条件付内申書を提出したのは、県教委の苛酷な処分、しかも実損回復もされないままのあらたな処分が教職員に及ぶことを何とか避けようとした配慮によるものであつて、控訴人が主張するように内申提出が判明した場合の報復や圧力をおそれたものではさらさらない。 (3) 行橋市教委の場合同市教委は、昭和四四年七・一〇、一一・一三各ストライキについては、福教組京都・行橋支部と交渉のうえ、処分軽減の 明した場合の報復や圧力をおそれたものではさらさらない。 (3) 行橋市教委の場合同市教委は、昭和四四年七・一〇、一一・一三各ストライキについては、福教組京都・行橋支部と交渉のうえ、処分軽減の意見を具申して処分内申を行つた。次いで、昭和四六年五・二〇、七・一五各ストライキは闘争規模がわずか二九分であつたため、支部役員は別として一般参加者に処分はないだろうとの想定で組合側と交渉し、処分内申を行つたところ、実際の処分内容は、参加者全員減給処分という極めて重いものであつた。そこで、昭和四七年五・一九ストライキの場合、同市教委は、県教委に対して処分軽減を要請したが、県教委からそれに対する何らの回答もなかつた。 その後本件各ストライキについては、同市教委のA7委員長から県教委の上森管理主事に対し、処分内申提出の方向で努力する旨の意向が伝えられていたが、同市教委は、従前からの慣行で内申提出する場合には事前に右京都・行橋支部と交渉をすることになつていたので、本件処分内申については昭和四八年八月二九日に交渉を設定し、その経過については同月二五日上森管理主事に伝えていたが、県教委が同月二八日に他の地教委の関係で本件各ストライキについての処分を発令したため、同市教委としては県教委から背信行為をされた結果となり、所定の事前交渉は組合と協議のうえ延期された。 その後、A6教育長より組合との事前交渉抜きで内申を議決して貰いたい等の要請が委員会に出されたが、事前交渉は同市教委と右京都・行橋支部との慣行であり、それを破棄することはできないとの結論に達し、A6教育長が任期満了で離職する昭和四八年九月三〇日まで内申は提出されなかつた。 昭和四八年一〇月二四日I教育長が新たに任命されたが、昭和四九年三月J委員の死去、更には同年一二月I教育長の辞任により、同市教委 任期満了で離職する昭和四八年九月三〇日まで内申は提出されなかつた。 昭和四八年一〇月二四日I教育長が新たに任命されたが、昭和四九年三月J委員の死去、更には同年一二月I教育長の辞任により、同市教委は欠員二名の状態となつた。 しかし、議会の関係や後任人選の難航等で補充が遅れ、本件処分発令時までに委員会の構成はされなかつた。県教委は、教育長代行を任命してでも内申を提出されたい旨強く要請してきたが、委員会としては管下教員に多大な不利益をもたらす処分内申という問題の性質上その重要性を鑑みて、教育長不在で議決することは不適当と判断し、欠員補充をまつて委員会を開催し、内申問題を解決するとの結論に達し、県教委の昭和五〇年一月一三日までの提出要請には応じなかつたものである。 (4) a町教委の場合同町教委は、昭和四三年一〇・八ストライキ以来、昭和四六年五・二〇、七・一五各ストライキの場合を除いて、一貫して処分内申は行つていない。 それは、同町教委が、人勧完全実施要求の争議行為について理解を示したり、あるいは懲戒処分取消の判例の積み重ねといつた動向を配慮し、更には旧産炭地での教育実情を踏まえ、県教委の苛酷な処分行政に追随できないところから、その都度処分内申をしない旨委員会決定をしたからである。 本件各ストライキの処分内申についても、昭和五〇年一月一三日開催の委員会において、処分内容が苛酷であるとの理由から内申はしないとの決定をし、更に、この結論は、県教委の内申要請を受けて開催された同年一月二四日の委員会においても変更の必要はないとされたのである。 昭和四六年五・二〇、七・一五各ストライキに関してのみ処分内申をしたのは、次の事情からであつた。すなわち、処分内申当時、同町教委管下のH小学校が老朽校舎になり、その改築工事を四五年度・四六年度の二か年に 四六年五・二〇、七・一五各ストライキに関してのみ処分内申をしたのは、次の事情からであつた。すなわち、処分内申当時、同町教委管下のH小学校が老朽校舎になり、その改築工事を四五年度・四六年度の二か年にわたつて施行することになつていた。ところが、改築工事の国庫補助に関して町議会あるいは町執行部が文部省に陳情した際、昭和四四年一一・一三ストライキについて処分内申をしなかつたことが問題とされ、また、県教委G教育長からも処分内申をしなければ第二期工事について補助金をつけない旨、あるいは人事面について不利益等を示唆された結果、脆弱なa町財政として県教委の右圧力に如何ともし難く、やむなく管下教員全員に処分内申せざるをえない窮情を訴え、処分内申に及んだものである。 三新たな証拠(省略) 理由 一被控訴人らが、福岡県下において原判決別紙四記載のとおりの各公立学校に勤務する教諭であり、福教組の組合員であるところ、昭和五〇年二月五日、被控訴人らの任命権者である控訴人において、被控訴人らが、昭和四七年五月一九日の一時間、昭和四八年四月二七日の半日、同年七月一九日の三〇分の本件各ストライキにつき、原判決別紙五記載のとおりこれを指導しかつ参加したとして、このことを理由に被控訴人ら主張のとおりの懲戒処分(減給)を行つたことは当事者間に争いがない。 二本案前の抗弁について 1 懲戒処分無効確認の訴えの当事者適格について行政処分無効確認の訴えは、外観上有効に存在するが実体上は無効である行政処分の効力を否定することを目的として認められた抗告訴訟であり、当該処分の無効を前提とする現在の法律関係に関する訴えによつて救済の目的を達することができない者に限り、訴えの利益が認められるのである。 本件についてこれをみるに、被控訴人らいわゆる県費 訟であり、当該処分の無効を前提とする現在の法律関係に関する訴えによつて救済の目的を達することができない者に限り、訴えの利益が認められるのである。 本件についてこれをみるに、被控訴人らいわゆる県費負担教職員の給与は、福岡県公立学校職員の給与に関する条例が適用され(一条)、その八条(初任給、昇格、昇給等の基準)四項によると、昇給は「職員が現に受けている号給を受けるに至つた時から、十二月を下らない期間を良好な成績で勤務したときは、一号給上位の号給に昇給させることができる。」旨の規定があるところ、原審証人K、原審及び当審証人Lの各証言によれば、右給与条例八条四項の運用として、被控訴人らのように右の期間内に減給を含む懲戒処分を受けた教職員については、「良好な成績で勤務した」と認められず、三か月間昇給を延伸され、将来にわたつて特別の回復がされない限り右延伸の効果が持続し、退職手当や退職年金にもその不利益が及ぶほか、被控訴人らの受けた減給処分は、昇任その他将来の処遇にも影響を及ぼすことが認められるところ、被控訴人らは、右減給処分の無効を前提とする現在の法律関係に関する訴えによつては、右のような不利益な取り扱いによつて被むる損害を回復することはほとんどできないというべきである。 従つて、被控訴人らは懲戒処分無効確認の訴えについて行訴法三六条にいう適格を有するものといわなければならない。 2 本件懲戒処分取消の訴えと審査請求弁論の全趣旨及び本件記録によれば、被控訴人らは、請求原因記載のように、昭和五〇年二月七日本件懲戒処分について行政不服審査法による不服申立をし、同日本件懲戒処分取消の訴えを提起したが、右審査請求の日から三か月以上を経過した現在においても裁決がないことが窺われるから、本件懲戒処分取消の訴えは、行訴法八条二項一号により出訴の要件を 申立をし、同日本件懲戒処分取消の訴えを提起したが、右審査請求の日から三か月以上を経過した現在においても裁決がないことが窺われるから、本件懲戒処分取消の訴えは、行訴法八条二項一号により出訴の要件を充足しているというべきである。 三本件処分内申要請と各地教委の応答並びに教職員組合の行動について 1 福教組の処分内申阻止闘争いずれも成立に争いがない甲第一三号証の一ないし九、同第一四号証の一、二、同第一五号証の一ないし五、同第二〇号証の二、同第三四ないし第三八号証、同第三九号証の一、二、乙第一ないし第一五号証、同第一七ないし第二八号証、同第三〇、三一号証、同第六六ないし第七五号証、同第八四ないし第九六号証、いずれも原本の存在及び成立に争いがない同第一〇九号証、同第二五号証、原審証人Mの証言により真正に成立したものと認められる同第六一、六二号証、原審証人K、同A8、同F、同A7、同M、当審証人N、同A5、同O、同P、原審及び当審証人A2の各証言の一部、原審における被控訴人Qの本人尋問の結果の一部を総合すると、次の事実が認められる。 (一) 福教組は、昭和三三年五月七日のいわゆる勤評反対一斉休暇闘争以来本件各ストライキに至るまでの間、「四一・一〇・二一、午後半日」「四二・一〇・二六、一時間」「四三・一〇・八、一時間」各休暇闘争、「四四・七・一〇、三〇分」「四四・一一・一三、一時間半」「四六・五・二〇、三〇分」「四六・七・一五、三〇分」各ストライキを行い、おおむね八〇パーセントを超え、二〇・二一」の場合など九七・九パーセントに達する高率の参加もあつて、多数の懲戒処分を受けた組合員をかかえて来た。その処分対策の有力な手段の一つとして、県費負担教職員の処分が所轄地教委の内申をまつて行われる建前であつたところから、右「四三・一〇・八闘争」を行う て、多数の懲戒処分を受けた組合員をかかえて来た。その処分対策の有力な手段の一つとして、県費負担教職員の処分が所轄地教委の内申をまつて行われる建前であつたところから、右「四三・一〇・八闘争」を行う前段階で、校長、地教委、教育庁各出張所長に対する交渉を強化し、組合の要求と行動の正当性を認めさせるため、分会員を動員して集団交渉を行い、文書回答を求める戦術を採択し、これを指示して実施させた。そして闘争実施の後は、校長、地教委に対して報告や処分内申をさせない要求闘争を行い、報告や内申を行つたところに対しては、校長に対するいわゆる「無言闘争」、「校長招集会議拒否」、「教育長・教育庁出張所長学校訪問拒否」等、更に地教委に対しては「内申の無効宣言要求」等を行い、その結果福教組柳川支部は休暇闘争における休暇承認をえ、また築上、豊前、京都、行橋、田川市郡、鞍手、嘉穂、遠賀、宗像の各支部においては内申の年内提出を延期させる等の効果を収めた。その後の各闘争においてもおおむね同様の戦術を採用し、ときに地区労、解放同盟などの支援もえて、それぞれ一定の成功をみてきた。以上は、公務員のいわゆる労働基本権の主張ー争議全面一律禁止法制の否定に根拠を置く組合活動であつたが、服務監督権者として、地域的にも日常現場教員と接触することが多く、そのため福教組と決定的な対立関係に立つことを望まない地教委は、他方県費負担教職員の任命権者であり、地教委の行う右服務監督等につき一般的指示を持ち、校地校舎その他施設の整備等に関する事務や補助金に関する事務をも掌る控訴人の違法争議(特に教師の)は看過しえないとする処分内申要請との間に板ばさみとなり、県下の相当数の地教委で動揺と混乱が続いた。 (二) その具体的な例を二、三あげると、昭和四三年一〇・八闘争で、山田市教委は、組合に内申をしない 過しえないとする処分内申要請との間に板ばさみとなり、県下の相当数の地教委で動揺と混乱が続いた。 (二) その具体的な例を二、三あげると、昭和四三年一〇・八闘争で、山田市教委は、組合に内申をしない旨の確認を文書で行い、その責任をとるということで昭和四三年一二月二八日全委員が辞職した。その翌四四年新しい委員会は、文書による右確認が、一室に缶詰にされたうえ一方的に押しまくられた徹夜交渉で委員が疲労こんぱいしてなされた無効のものであるとして、その破棄を通告したところ、福教組嘉穂山田支部の強い抗議にあつた。同年二月一七日夜行われたその交渉では、同支部が約一四〇名の動員を行い、一部は教育長室に入つて教育委員長に抗議するなどの事態に至り、同市教委側は警察官を導入して組合員を退去させた。右交渉は翌一八日午前一時すぎ物別れに終つたが、その直後、同市教委は、処分内申を決定して全委員が辞表を提出した。 また、昭和四四年一一・一三ストライキでは、嘉穂郡下各町教委は、福教組嘉穂山田支部と処分内申を組合に無断ではしない旨の確認をしていた。ところが、控訴人の要請を受け、一部地教委に内申を行う動きが出てきたのを知つた福教組側は、同年一二月八日から各町ごとに内申を出さないことを要求して交渉に入つた。うち筑穂町では、同日午後八時ころ行われた交渉が一旦休憩となり、翌九日午前八時に再開された交渉で教委側が処分内申をする意向を表示したため、町内小中学校教師約一三〇人が交渉現場の中央公民館に集まり、そのため町内の七小中学校で二、三時間にわたつて授業に空白を生じ、定期考査を中止した中学校もあつた。同町教委は、教育現場の混乱を招いたこと等の責任をとるとして教育長を除く委員が辞表を提出し、教育長も辞意を表明した。そのほか、鞍手郡のf町、d町、e町でも、各町教委が、福教組との約束を 校もあつた。同町教委は、教育現場の混乱を招いたこと等の責任をとるとして教育長を除く委員が辞表を提出し、教育長も辞意を表明した。そのほか、鞍手郡のf町、d町、e町でも、各町教委が、福教組との約束を破つて右一一・一三ストライキの処分内申を議決したとして、福教組の抗議を受け、委員が辞表を提出した。更に、田川郡g町教委は、右一一・一三ストライキにつき、福教組田川支部との確認事項を破棄して処分内申書を提出したところ、態度を硬化した同支部は、同年一二月五日夕方から翌六日午前六時まで徹夜団交を同町教委と行い、結局同町教委は、処分内申が無効であることを控訴人に申し入れることとなつた。 類似の事態は、本件の昭和四七年五・一九ストライキでも生じ、同年八月一一日、京都郡苅田、h、i、j各町教委の教育長らは、福教組行橋京都支部長、行橋京都地区労議長、部落解放同盟京都行橋地区協議会に対し、一方的に処分内申をしない旨文書で確認したが、控訴人の要請により同月一八日内申書を提出した。そこで、組合側の激しい抗議を受け、委員の辞表提出や控訴人に対する内申書返却要請等の混乱があり、最終的に右各町教委は、控訴人に自らのした内申は無効である旨通知した。 以上のほか、本件昭和四八年四・二七ストライキでも同様の混乱が生じ、山田市教委は、同年八月二二日控訴人に内申書を提出したところ、福教組嘉穂山田支部は、組合員を動員して同月二七日夜から翌二八日午前一時ころまで同市教委と団交を行い、内申書提出についてその責任を追及し、その結果、同市教委の委員全員が団交の席上総辞職を打ち出したし、また、豊前市教委教育長は、右四・二七ストライキについて内申しない約束を一方的に破つて同月二八日処分内申をしたとして、同年九月三日午後三時半ころから翌四日午前二時ころまで、福教組筑上豊前支部の抗議団交によ 前市教委教育長は、右四・二七ストライキについて内申しない約束を一方的に破つて同月二八日処分内申をしたとして、同年九月三日午後三時半ころから翌四日午前二時ころまで、福教組筑上豊前支部の抗議団交による責任の追及を受け、その結果、同日辞表を提出した。 前掲各証人、本人の供述中、右(一)、(二)の認定に反する趣旨の部分は措信できず、ほかに右認定を左右するに足る証拠はない。 2 本件各地教委の内申書不提出いずれも成立に争いがない乙第三二号証の一ないし五、同第三三、三四号証の各一、二、同第三五ないし第三七号証、同第三八号証の一ないし五、同第三九号証の一ないし四、同第四〇号証の一ないし一一、同第四一号証の一ないし五、同第四二号証の一ないし三、同第四三号証の一ないし一三、同第四四号証の一、二、同第四五号証の一ないし七、同第四六ないし第六〇号証、同第六三、六四号証、同第七六号証の一ないし三、同第九七ないし第一〇一号証、甲第一七号証の一ないし三、同第一八号証の二、三、同第一九号証の一ないし一〇、前掲乙第三〇、三一号証、原審証人F、同A8、同R、同B、同D、同S、同T、同U、同V、当審証人W、原審及び当審証人X、同A2、同A4、同Eの各証言の一部を総合すると、次の事実が認められる。 (一) 大牟田市は、昭和四七年当時、市財政赤字解消対策として市職員の団体である市職労、現業評議会、水道労組を相手に高令者退職協定を締結する交渉を行つており、同年五・一九ストライキの場合は、控訴人の要請に応じて直ちに内申することなく、翌四八年一月三〇日に至つて、処分は慎重に行つてもらいたい旨の要請を付して内申した。 ところで、前記の協定は、昭和四八年三月三日成立したが、その内容に市側は労働基本権回復に向けて努力する旨の一項があり、更に、同年四月二三日、同市教育長は、福教 らいたい旨の要請を付して内申した。 ところで、前記の協定は、昭和四八年三月三日成立したが、その内容に市側は労働基本権回復に向けて努力する旨の一項があり、更に、同年四月二三日、同市教育長は、福教組大牟田支部との交渉で、要求に応じて同支部長あて「労働基本権回復に向けて教育長として努力する。」旨の確認書を差し入れた。 次いで、組合員約五〇名を動員して同月二五日夜九時から翌朝二時まで行われた同支部との交渉で、同市教育長は、「組合の要求の正当性を認め、前向きに対処する。職務命令は出しません。」との回答書を書いた。その結果、同市教委は、昭和四八年四・二七、七・一九各ストライキについては業務命令も出さなかつた。なお、右退職協定は一年ごとに更新されることとなり、市側はこの協定が維持されることの財政上の利益のため、その破棄につながるおそれのある行為を避けるようになつた。昭和四八年四・二七、七・一九各ストライキについて控訴人主張のような度重なる督促を受けながら、しかもストライキが違法であることを全委員において終始考えておりながらも、同市教委は、右のような市長部局の意向を考慮し、また、組合との右確認書との関係から、内申したときに予想される熾烈な抗議行動、教育現場の混乱をおそれて、結局処分内申をしなかつた。 (二) 行橋市教委は、同市b町立長峡中学校組合教委とおおむね同一歩調をとつて控訴人主張のような度重なる督促を受けながら原判決別紙六地教委側の応答欄記載の如く控訴人に弁明しつつ最終的には処分内申をしなかつた。同市教委が内申をしなかつた理由もおおむね右弁明の線に副うものであつて、本件各ストライキを特に合法と評価した上のことではなかつたが、現場の組合員に直接接触している地教委としては、現場の教員に平常本務外のことにも協力して貰う必要があり、また、ストライ 副うものであつて、本件各ストライキを特に合法と評価した上のことではなかつたが、現場の組合員に直接接触している地教委としては、現場の教員に平常本務外のことにも協力して貰う必要があり、また、ストライキに対する控訴人の処分が苛酷であるとの考えもあつて、従前から控訴人の処分方針に必ずしも同調していなかつた。例えば、昭和四四年七・一〇、一一・一三各ストライキの処分内申をするについて控訴人に処分の軽減を陳情したこともあつた。 本件の昭和四七年五・一九、昭和四八年四・二七、七・一九の各ストライキについては、同市教委は、昭和四六年ころ福教組行橋京都支部と事前協議の約束をしていたが、右事前協議の日取りも円滑に決まらないような状況で推移し、結局昭和五〇年二月五日の本件処分発令までの間に内申提出について一度も組合との間に交渉を持たなかつた。同市教委としては、本件各ストライキについて基本的には処分内申をする意向を有しながら、しかも控訴人の文書もしくは口頭による度重なる督促にもかかわらず、予想される処分の重さに対する監督権者としての批判もあり、また、組合との事前協議の慣行を無視して内申すれば前記のような京都郡四町あるいはその他の隣接町村で起きているような教育現場の混乱をおそれる気持もあつて、結局控訴人督促の期限までには内申に踏み切れなかつた。 (三) 田川市教委は、従前控訴人が、ストライキ処分に関し、任命権者の立場から一方的な方針を定めて内申を求めるだけで、処分の範囲、程度等について服務監督権者である地教委側の意向を汲もうとする態度がみえないと批判的な態度をとつていたもので、本件前の昭和四六年五・二〇ストライキ以降控訴人の内申要請にもかかわらず処分内申をしていなかつた。また、その前の昭和四四年七・一〇、一一・一三各闘争については内申をしたが、戒告処分が適当 いたもので、本件前の昭和四六年五・二〇ストライキ以降控訴人の内申要請にもかかわらず処分内申をしていなかつた。また、その前の昭和四四年七・一〇、一一・一三各闘争については内申をしたが、戒告処分が適当である旨の意見を付していたところ、控訴人は、同市教委関係では何らの処分も発令しなかつた。同市教委としても教職員のストライキそのものの違法性を否定する意向は勿論なかつたが、控訴人の処分の選択については従前から批判をもつていた。本件の場合も、同市教委は控訴人主張の如き督促を受けたが、その際の話として「五・一九」「四・二七」「七・一九」をまとめて一度に処分し、軽い処分を行う方針であるという意向もあつたので、同市教委は、内申を行う意思を固め、昭和四八年八月二〇日、内申書を提出することにするが、ただし、県下全市町村が内申書を提出した段階で提出することとし、それまではその内申書を封印して教育庁田川出張所長に預けるとの内容の議決をし、同月二四日、同市教育長と同市学校教育課長が県教委教育次長に会い、既に内申の議決をしているので、一応内申書を封印して右田川出張所長に預け置くこととし、県下全地教委の内申が出そろつた段階でその封印を解くということにして貰いたい旨申し出て、その了承を受けたので、翌二五日封印された内申書が右田川出張所長に預けられたが、同市教委は、控訴人のその後の度重なる督促にもかかわらず、右の態度を変えず、また、本件で明らかな如く県下全地教委が内申書を提出しなかつたので、控訴人自身、同市教委の処分内申があつたものとして取り扱わなかつた。 同市教委がこのような方針を維持したのは、次の理由によるものであつた。すなわち、同市教委は、本件各違法なストライキに参加した教職員に対しては何らかの処分をしなければならないが、生活保護家庭問題、非行生徒の指導問題、同 な方針を維持したのは、次の理由によるものであつた。すなわち、同市教委は、本件各違法なストライキに参加した教職員に対しては何らかの処分をしなければならないが、生活保護家庭問題、非行生徒の指導問題、同和教育関係等教職員のかかえる課題も困難なものが多く、このような教職員の立場を無視することはできないし、また、そのような教職員がストライキに参加したからといつて、全地教委の内申書が提出されない段階で同市教委が処分内申をするという処理の仕方は、いたずらに組合の反撥を招き、教育現場の混乱を生じさせると判断したためである。 (四) なお、被控訴人らと直接のかかわりはないが、a町教委も、控訴人主張の如き督促を受けながら、原判決別紙六地教委側の応答欄記載のように控訴人に弁明しつつ、本件各ストライキについて、最終的には処分の内容が苛酷であり教育的配慮に欠けるとして処分内申をしなかつた。 (五) 控訴人は、本件昭和四七年五・一九、昭和四八年四・二七、七・一九の各ストライキについて行橋市教委及び田川市教委に対し、昭和四八年四・二七、七・一九の各ストライキについて大牟田市教委に対し、あらかじめ県下の各地教委の教育長に参集して貰つて協議した結果を踏まえて決定した統一的な処分の方針・基準を内示して、右各ストライキに参加した組合員及びこれを指導した組合幹部に関し、文書により処分内申の指示をし、口頭及び文書による度重なる督促をして内申をうるための最大限の努力をしたにもかかわらず、前記のとおり内申書が提出されなかつたが、年度末をひかえ、人事異動を円滑にするためにも、三市教委管下で本件各ストライキに参加した教職員に対し、あえて内申抜きで本件懲戒処分に及んだものである。 前掲各証人の供述中、右(一)ないし(五)の認定に反する趣旨の部分は措信できず、ほかに右認定を左右する で本件各ストライキに参加した教職員に対し、あえて内申抜きで本件懲戒処分に及んだものである。 前掲各証人の供述中、右(一)ないし(五)の認定に反する趣旨の部分は措信できず、ほかに右認定を左右するに足る証拠はない。 3 以上認定の事実関係からすると、従前から内申は内申書を控訴人に対して提出することによつて行われ、控訴人及び地教委ともそれがされてはじめて内申があつたものと認識していたものであるところ、大牟田市教委が本件昭和四八年四・二七、七・一九の各ストライキについて、行橋市教委が昭和四七年五一九、昭和四八年四・二七、七・一九の各ストライキについてそれぞれ内申書を控訴人に提出せず、また、田川市教委が右三つの本件各ストライキについて前記の条件付きで内申書を教育庁田川出張所長に預けたが、控訴人も同市教委も、それだけでは内申したことにはならないという認識を持ち、それを前提に行動してきたことが明らかであり、また、右各地教委が基本的には内申意思を有しながら右のように控訴人に内申しなかつたのは、前記のような様々の理由によるものであつて、福教組の圧力による影響を否定することはできないが、専らその圧力に屈したことによるものでもないということができる。 四本件懲戒処分の適法性進んで、本件三市教委の内申抜きで控訴人がした本件懲戒処分の適法性について、以下判断する。 1 地方自治法は、市町村を基礎的な地方公共団体とし(二条四項)、市町村を包括する広域の地方公共団体である都道府県において処理することと定められた高等学校、盲学校、ろう学校、養護学校を除いて、一般的に学校の施設の設置、管理、その他教育に関する事務を市町村が処理するものと定め(二条四項、六項、三項五号)、学校教育法は、これを受けて市町村に小・中学校の設置義務を課した(二九条、四〇条)。そし 的に学校の施設の設置、管理、その他教育に関する事務を市町村が処理するものと定め(二条四項、六項、三項五号)、学校教育法は、これを受けて市町村に小・中学校の設置義務を課した(二九条、四〇条)。そして、旧教育委員会法は、都道府県教育委員会と地方教育委員会(市町村の設置する教育委員会)とをそれぞれ独立した同種同等の行政機関としたうえ、都道府県が設置する学校その他の教育機関については都道府県教委が、市町村の設置する学校その他の教育機関については地教委がそれぞれ所管し(四八条一項)、各教育委員会は、その所管にかかる教職員の任命その他の人事に関する事務を行うものとした(四九条六号)。なお、都道府県教委と地教委は、教職員の任命等人事について共通する必要な事項については都道府県教委と地教委が連合して構成する協議会の全員一致の決議によつてのみ決定することができるものとしていた(五一条一、二項)。 しかし、旧教育委員会法のもとでは、右のような各教育委員会の権限及び構造から、都道府県下の教職員の人事について適正な運営が困難な事態が生ずるに至つたため、右弊害の除去を一つの理由として、昭和三一年に地教行法が制定され旧教育委員会法は廃止された。 2 右のような趣旨から制定された地教行法は、いわゆる県費負担教職員について、その身分を当該市町村の公務員とし(三七条一項、三五条)、地教委がその服務を監督する(四三条一項)こととしながら、その任命権を都道府県教委に属せしめ(三七条一項)、それに伴つて県費負担教職員の任免、分限または懲戒、給与、勤務時間その他の勤務条件については都道府県の条例で定めることとし(四二条、四三条三項)、更に都道府県教委は、県費負担教職員の任免その他の進退を適切に行うため、地教委の行うこれら職員の服務の監督または都道府県が制定する右条例の実 は都道府県の条例で定めることとし(四二条、四三条三項)、更に都道府県教委は、県費負担教職員の任免その他の進退を適切に行うため、地教委の行うこれら職員の服務の監督または都道府県が制定する右条例の実施について、地教委に一般的指示を行うことができることとし(四三条四項)、また地教委相互の連絡調整を行うものとし(五一条)、そのうえで、都道府県教委がその任命権を行使するについては、地教委の「内申をまつて」行うものと規定した(三八条一項)。 <要旨第一>右のような県費負担教職員に関する都道府県教委と地教委との関係からすると、地教行法は、市町村立</要旨第一>学校に勤務する県費負担教職員の人事、特に任免その他の進退については、都道府県教委が独断で行うものではなく、服務監督権者である地教委の意思を反映させて主体的な相互の協力により都道府県単位における人事行政の適正かつ円滑な運営、あるいはまた教育の統一的水準の維持を図ろうとしたものであるというべきであり、右の趣旨にそつて解釈すれば、同法三八条一項は、県費負担教職員について都道府県教委が任命権を行使するには、原則として地教委の内申を手続的に必要としたものと解される。 しかしながら、地教行法が、本来身分が市町村に属する県費負担教職員について、機関委任事務によりその任命権を地教委から都道府県教委に移行させ、かつ都道府県教委に地教委に対する指導助言、連絡調整を行うことができるとした(四八条、五一条)ほか、県費負担教職員の任免、懲戒等について制定された都道府県の条例の実施に関し、地教委に対する一般的指示権を与えている(四三条四項)ことからすると、同法は、かかる教職員の人事行政について最終責任を負う都道府県教委をして、服務上の監督権者として右人事行政について責任の一部を分担する地教委との密接な協働により、都道 (四三条四項)ことからすると、同法は、かかる教職員の人事行政について最終責任を負う都道府県教委をして、服務上の監督権者として右人事行政について責任の一部を分担する地教委との密接な協働により、都道府県単位における人事行政に関する統一的処理を行わしめるよう意図したものであることが明らかであるから、都道府県教委の任命権の行使に地教委の内申を必要とした趣旨について、地教委の内申を任命権行使の絶対要件とし、しかもあらゆる場合において内申するか否かにつき地教委の自由裁量を認めることにより、都道府県教委の任命権の行使を地教委の内申に絶対的に拘束させようとしたものであるとは到底解することはできず、右のような人事行政に関する都道府県単位における統一的処理を要する事項について、都道府県教委から一般的指示権の行使により内申を求められた地教委は、内申をする義務があり、従つて都道府県教委の最大限の努力にもかかわらず、なお地教委が右義務に違反して内申をしない場合には、都道府県教委は、例外として内申抜きで任命権の行使ができることを許容しているものと解するのが相当である。 なお、都道府県教委の行う一般的指示とは、地教行法四二条、四三条三項に基づいて都道府県が条例で定めるとされている懲戒等の事項について、都道府県教委が都道府県単位における統一的運用を行うため地教委に対してする指示をいい、これによつて都道府県教委は地教委との協働関係を維持することが保証されているものであるから、一般制度的な指示にとどまらず、本件におけるように、都道府県教委が地教委に対し、一定の統一的な懲戒処分の方針・基準を示して、一般的にその該当者に関して処分内申を指示することも、右一般的指示に含まれるものと解すべきである。 <要旨第二>3 ところで、前記認定の事実からすると、控訴人は、本件三市教委 の方針・基準を示して、一般的にその該当者に関して処分内申を指示することも、右一般的指示に含まれるものと解すべきである。 <要旨第二>3 ところで、前記認定の事実からすると、控訴人は、本件三市教委を含む地教委に対し、県下一斉に行わ</要旨第二>れた本件各ストライキについて一般的指示権を行使して内申を求めたものであるところ、本件三市教委のほか、a町教委、行橋市b町立長峡中学校組合教委のみが、控訴人に脆いて度重なる督促をして内申をうるための最大限の努力をしたにもかかわらず、最終的に内申をしなかつたものである(ただし、大牟田市教委については昭和四八年中のストライキについてのみ)ことが明らかであり、かつ、本件のように県下の教職員の大部分が地公法三七条一項に違反して一斉にストライキに参加した行為に関しては、その任命権者である控訴人としては、ストライキ参加者の処分について市町村間で不公平を生じさせないように県単位で統一的処理をする必要があると解されるから、控訴人が本件各ストライキに参加した本件三市教委管下の教職員に対し、本件三市教委の内申抜きでした本件懲戒処分は、少なくとも、例外的に内申抜きで任命権の行使が許される場合に該当するものとして、結局適法のものであつたというべきである。 五本件懲戒処分の妥当性地方公務員につき、地公法に定められた懲戒事由がある場合に、懲戒処分を行うかどうか、これを行うときにいかなる処分を選ぶかは、懲戒権者の裁量に任されており、その裁量が姿意にわたることをえないものであることは当然であるが、懲戒権者が右の裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして違法とならないものというべきである。 従つ た懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして違法とならないものというべきである。 従つて、裁判所において右処分の適否を審査するにあたつては、懲戒権者と同一の立場に立つて懲戒処分をすべきであつたかどうか、またはいかなる処分を選択すべきであつたかについて判断し、その結果と懲戒処分とを比較してその軽重を論ずべきものではなく、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法であると判断すべきものである(最高裁判所昭和五二年一二月二〇日第三小法廷判決・民集三一巻七号一一〇一頁参照)。 これを本件についてみるに、被控訴人らは、原判決別紙五記載のとおり、福教組の支部役員として本件各ストライキを指導しかつ参加したことは、被控訴人らにおいて明らかに争わないところ、被控訴人らは、地方公務員の争議行為及びそのあおり行為を禁止する地公法三七条一項に違反する違法行為を率先して重ねたものであつて、特に昭和四八年四・二七ストライキの場合は、ストライキの時間が半日に及び、その公務の停廃及びこれによる児童・生徒の教育上の悪影響は到底無視できるものではないから、ストライキに参加した教職員の懲戒処分が福岡県では他県に比して苛酷であるとの被控訴人ら主張の事情を考慮に入れても、本件懲戒処分が社会観念上著しく妥当を欠き、懲戒権者に任された裁量権の範囲を超え、これを濫用したものということはできない。 六結語そうすると、控訴人が被控訴人らに対してした本件懲戒処分は、いずれも適法有効のものというべきである。 よつて、被控訴人らの本件各請求は、本件懲戒処分無効確認請求とその取消請求とが順位的併合であるかそれとも と、控訴人が被控訴人らに対してした本件懲戒処分は、いずれも適法有効のものというべきである。 よつて、被控訴人らの本件各請求は、本件懲戒処分無効確認請求とその取消請求とが順位的併合であるかそれとも選択的併合であるかの判断を措き、いずれも理由がないからこれを棄却すべきところ、これと結論を異にする原判決は失当であるからこれを取り消し、被控訴人らの本件各請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。 (裁判長裁判官松村利智裁判官原政俊裁判官寒竹剛)
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