- 1 - 主文 本件控訴を棄却する。 当審における未決勾留日数中70日を原判決の刑に算入する。 理由 本件控訴の趣意は,弁護人杉森芳博作成の控訴趣意書記載のとおりであるから,これを引用する。 論旨は訴訟手続の法令違反及び事実誤認の主張である。 1 訴訟手続の法令違反の主張について論旨は,要するに,被告人の尿の鑑定書等は,被告人に対する違法な身柄拘束を利用して請求,発付された強制採尿令状の執行の結果として形成されたものであるから,将来の違法捜査抑制のためにも違法収集証拠として排除すべきであるのに,これらに証拠能力を認めて,事実認定の用に供した原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反があるというのである。 そこで,原審記録を調査して検討すると,被告人の尿の鑑定書及び鑑定を行った原審証人Aの証言のうち被告人の尿から検出された覚せい剤の濃度,検出状況に関する部分(以下,これらを「尿の鑑定書等」という。)は,違法収集証拠に当たらないとして,これらに証拠能力を認めた原判決の認定,説示は正当として是認することができる。所論にかんがみ,以下に説明を加える。 被告人に対する強制採尿に至る経緯は,原判決の「補足説明」1⑥の冒頭に「午後7時ころ,東京簡易裁判所裁判官に対し捜索差押許可状の請求がなされ,午後7時35分捜索差押許可状が発付された上,」と付加するほかは,原判決が「補足説明」の1で認定するとおりである。その経緯を見ると,被告人に対する職務質問が開始された平成22年2月5日午後3時50分ころ(以下,ことわりのない限り同日のできごとであり,年月日の記載は省略する。)から捜索差押許可状が被告人に提示された午後7時51分までの間,約4時間にわ が開始された平成22年2月5日午後3時50分ころ(以下,ことわりのない限り同日のできごとであり,年月日の記載は省略する。)から捜索差押許可状が被告人に提示された午後7時51分までの間,約4時間にわたり,B巡査部長やC巡査部 - 2 -長ら警察官が,被告人を職務質問の現場に留め置いているが,所論は,この留め置きが違法な身柄拘束に当たると主張するものである。 ところで,本件におけるこのような留め置きの適法性を判断するに当たっては,午後4時30分ころ,B巡査部長が,被告人から任意で尿の提出を受けることを断念し,捜索差押許可状(強制採尿令状。以下「強制採尿令状」ともいう。)請求の手続に取りかかっていることに留意しなければならない。 すなわち,強制採尿令状の請求に取りかかったということは,捜査機関において同令状の請求が可能であると判断し得る程度に犯罪の嫌疑が濃くなったことを物語るものであり,その判断に誤りがなければ,いずれ同令状が発付されることになるのであって,いわばその時点を分水嶺として,強制手続への移行段階に至ったと見るべきものである。 したがって,依然として任意捜査であることに変わりはないけれども,そこには,それ以前の純粋に任意捜査として行われている段階とは,性質的に異なるものがあるとしなければならない。 そこで,以上のような観点に立って,まず,純粋に任意捜査として行われている段階について検討すると,B巡査部長らが被告人に対して職務質問を開始した経緯や,被告人の挙動,腕の注射痕の存在等から尿の任意提出を求めたことには何ら違法な点はない。そして,注射痕の理由や尿の任意提出に応じられないとする理由が,いずれも虚偽を含む納得し得ないものであったことや,後に警察署に出頭して尿を任意提出するとの被告人の言辞も信用できないとして,午後4時30分 て,注射痕の理由や尿の任意提出に応じられないとする理由が,いずれも虚偽を含む納得し得ないものであったことや,後に警察署に出頭して尿を任意提出するとの被告人の言辞も信用できないとして,午後4時30分ころの時点で強制採尿令状の請求に取りかかったことも,前記の原判決が認定する事情の下では,当然の成り行きであって,妥当な判断というべきである。そして,この間の時間は約40分間であって,警察官から特に問題とされるような物理力の行使があったようなことも,被告人自身述べていない。これらに照らすと,この間の留め置きは,警察官らの求めに応じて被告人が任意に職務質問の現場に留まったものと見るべきであるから,そこには何ら違法,不当な点は認められない。 次に,午後4時30分ころ以降強制採尿令状の執行までの段階について検討すると,同令状を請求するためには,予め採尿を行う医師を確保することが前提となり, - 3 -かつ,同令状の発付を受けた後,所定の時間内に当該医師の許に被疑者を連行する必要もある。 したがって,令状執行の対象である被疑者の所在確保の必要性には非常に高いものがあるから,強制採尿令状請求が行われていること自体を被疑者に伝えることが条件となるが,純粋な任意捜査の場合に比し,相当程度強くその場に止まるよう被疑者に求めることも許されると解される。これを本件について見ると,午後4時30分ころに,被告人に対して,強制採尿令状の請求をする旨告げた上,B巡査部長は同令状請求準備のために警察署に戻り,午後7時ころ東京簡易裁判所裁判官に対し同令状の請求をして,午後7時35分同令状が発付され,午後7時51分,留め置き現場において,これを被告人に示して執行が開始されているが,上記準備行為から強制採尿令状が発付されるまでの留め置きは約3時間5分,同令状執行までは約3 5分同令状が発付され,午後7時51分,留め置き現場において,これを被告人に示して執行が開始されているが,上記準備行為から強制採尿令状が発付されるまでの留め置きは約3時間5分,同令状執行までは約3時間21分かかっているものの,手続の所要時間として,特に著しく長いとまでは認められない。また,この間の留め置きの態様を見ると,前記C巡査部長ら警察官が駐車している被告人車両のすぐそばにいる被告人と約四,五メートル距離を置いて被告人を取り巻いたり,被告人が同車両に乗り込んだ後は,一,二メートル離れて同車両の周囲に位置し,さらに同車両の約2.5メートル手前に警察車両を駐車させ,午後5時35分ころからは,被告人車両の約10メートル後方にも別の警察車両を停め,その間,被告人からの「まだか。」などとの問い掛けに対して,「待ってろよ。」と答えるなどして,被告人を留め置いたというものであるが,このような経緯の中で,警察官が被告人に対し,その立ち去りを防ごうと身体を押さえつけたり,引っ張ったりするなどの物理力を行使した形跡はなく,被告人の供述によっても,せいぜい被告人の腕に警察官が腕を回すようにして触れ,それを被告人が振り払うようにしたという程度であったというのである。そして,その間に,被告人は,被告人車両内で携帯電話で通話をしたり,たばこを吸ったりしながら待機していたというのであって,この段階において,被告人の意思を直接的に抑圧するような行為等はなされておらず,駐車車両や警察官が被告人及び被告人車両を一定の距離を置きつつ取り囲んだ状態を保っていたことも,上記のように, - 4 -強制採尿令状の請求手続が進行中であり,その対象者である被告人の所在確保の要請が非常に高まっている段階にあったことを考慮すると,そのために必要な最小限度のものにとどまっていると評 , - 4 -強制採尿令状の請求手続が進行中であり,その対象者である被告人の所在確保の要請が非常に高まっている段階にあったことを考慮すると,そのために必要な最小限度のものにとどまっていると評価できるものである。加えて,警察官らは,令状主義の要請を満たすべく,現に,強制採尿令状請求手続を進めていたのであるから,捜査機関に,令状主義の趣旨を潜脱しようとの意図があったとは認められない。 所論は,留め置きが違法であるとして,①B巡査部長は,被告人が被告人車両を運転中,B巡査部長を見て,顔を背けたことなどから不審を抱いたと証言するところ,被告人は顔を背けてはいない,②原判決は,被告人が強く立ち去る意向を示すことはなかったと判示しているけれども,被告人は立ち去る意向を示していたのであるから,原判決の認定は誤っている,③被告人に対する有形力の行使が「触る程度」であったと原判決が表現しているのは妥当でなく,より強いものであった,④被告人が被告人車両を発進させようとした際に,警察官が同車両のボンネットを叩き,被告人に対し何やっているんだなどと警告したのだから,警察官らが同車両の発進を明らかに妨害しているなどと主張する。 しかしながら,①については,B巡査部長の証言を虚偽とすべき根拠はない。また,②について,原判決は,被告人が立ち去る意向を示したことはあったものの,被告人車両に乗り込んだ後は,それ以上強くそのような意向を示すことがなかったと認定しているのであり,所論が指摘する被告人の供述及びC巡査部長の原審証言も,かえって原判決の認定に沿うものである(むしろ,これらにより,原判決は当該認定をしていると見るべきである。)から,この点の所論も理由がない。③については,原審裁判官が,被告人質問において,被告人の仕草を見て,「触っている状態」に見えるが しろ,これらにより,原判決は当該認定をしていると見るべきである。)から,この点の所論も理由がない。③については,原審裁判官が,被告人質問において,被告人の仕草を見て,「触っている状態」に見えるがと質したのに対し,被告人がそれを否定せずに,「腕をかけてきて,それを振り払った」と答えているところからすると,「触った程度」という表現が適当であるかについてはともかく,有形力の行使の程度としてはごく軽度なものにとどまっていたというべきであるから,この点の所論も当を得たものとはいい難い。④の所論指摘の事実については,原審第5回公判期日に行われた被告人質問 - 5 -において,被告人が述べたところであるが,B,C及びDの3警察官ともそのような事実があったことを証言していない。加えて,被告人自身も平成22年4月26日実施の第2回公判期日における被告人質問においては,弁護人からの「車を発進させるということはできなかったのですか。」との質問に対し,そのような事実を全く述べていないし,同年6月3日付けの弁護人作成の「証拠排除の申立」においては,具体的かつ詳細に捜査の違法を主張しているのに,被告人車両の発進妨害については,「被告人の車を取り囲み発進を妨害した」としか記載されておらず,第5回公判期日において,所論に沿う供述をした後,検察官からその不自然さを指摘され,追及された被告人は,証拠排除申立ての時点では思い出していなかったなどと説得的な理由というにはほど遠い弁解しか述べることができていない。このような供述の経過等に照らすと,被告人の上記供述を信用することはできないから,この点の所論は前提を欠く。 以上によれば,被告人に対する強制採尿手続に先立ち,被告人を職務質問の現場に留め置いた措置に違法かつ不当な点はないから,尿の鑑定書等は違法収集証拠には当た きないから,この点の所論は前提を欠く。 以上によれば,被告人に対する強制採尿手続に先立ち,被告人を職務質問の現場に留め置いた措置に違法かつ不当な点はないから,尿の鑑定書等は違法収集証拠には当たらないとして,証拠能力を認め,これらを採用した原審の訴訟手続に法令違反はない。 論旨は理由がない。 2 事実誤認の主張について論旨は,要するに,被告人は,本件強制採尿の二,三日前に知人が覚せい剤を気化吸引する現場に居合わせ,その副流煙を吸引したに過ぎないのであるから,被告人には覚せい剤使用の故意がなかったというべきであり,にもかかわらず,被告人のこのような弁解を信用できないとして排斥し,原判示犯罪事実を認定した原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというのである。 そこで,原審記録を調査して検討すると,本件は,被告人が平成22年1月下旬ころから同年2月5日までの間に,東京都内,千葉県内又はその周辺において,覚せい剤を自己の身体に不正に摂取したとして,覚せい剤取締法違反罪に問擬された事案であるところ,原判決が「犯罪事実」及び「補足説明」の「2 被告人の覚せ - 6 -い剤使用の事実について」において認定,判示するところは,当裁判所もおおむね正当として是認することができる。そして,当審における事実取調べの結果によっても,前記認定は左右されない。 所論は,尿の鑑定書を作成したAが行った薄層クロマトグラフィー試験,シモン反応及びマルキス反応は,いずれも定性試験であるから,同人の原審証言中の被告人の尿の濃度が中位であったとする部分は,科学的根拠を欠き,信用し得ないと主張する。しかしながら,薄層クロマトグラフィー試験は基本的に定性試験ではあるけれども,弁護人作成の報告書(当審弁1)に添付された文献にも「覚醒剤を多量に使用し は,科学的根拠を欠き,信用し得ないと主張する。しかしながら,薄層クロマトグラフィー試験は基本的に定性試験ではあるけれども,弁護人作成の報告書(当審弁1)に添付された文献にも「覚醒剤を多量に使用していれば呈色反応は濃く出る」と記載されているとおり,同試験によって,全く量的なものを判定し得ないというものではない。かえって,報告書(当審検1)によれば,警視庁科学捜査研究所においては,鑑定のためのサンプルを作成し,薄層クロマトグラフィーの発色の度合いとスポットの幅を検討した結果,尿中の覚せい剤が1000マイクログラム以上の「濃い」,1000ないし100マイクログラムの「中程度」,100マイクログラム未満の「薄い」の3段階に分類し,覚せい剤の鑑定を行う薬物鑑定員は,この分類方法とそれぞれの経験に基づき,当該尿の覚せい剤の濃度を判断していることが認められるから,同研究所の薬物鑑定員である前記Aの本件における鑑定もその手法によるものであり,原判決認定のとおり,同人には数多くの尿中覚せい剤の鑑定を行ってきた経験があることに照らすと,同人の原審証言の前記部分に科学的な合理性を優に肯認することができる。 所論は,また,前記知人は,4ないし5時間にわたり,二,三十回は覚せい剤の気化吸引を続け,同人が覚せい剤を吸入器に追加した回数も10回以上に及んでおり,室内に副流煙として漏れた覚せい剤の量もかなりの量に上ると考えられるから,それを意識しないで吸入した被告人の尿中から覚せい剤が検出されることがないとはいえず,このような特殊な状況を考慮せず,被告人が副流煙として覚せい剤を吸入しても,被告人の尿から覚せい剤が検出されることはないとする原判決は誤っていると主張する。しかしながら,原判決も指摘するとおり,アメリカでコカインを - 7 -用いて行われた実験では, 剤を吸入しても,被告人の尿から覚せい剤が検出されることはないとする原判決は誤っていると主張する。しかしながら,原判決も指摘するとおり,アメリカでコカインを - 7 -用いて行われた実験では,コカインを加熱吸引使用する者の同室者の尿からは,コカインは全く検出されないか,ごく微量しか検出されないとの結果が出ているところ,そこで使用されたコカインが覚せい剤よりも気化しやすいものであったことを考慮すると,覚せい剤の加熱吸引使用の場合,同室者による摂取の可能性はより低くなり,加熱気化しているすぐ近くでその煙を吸わない限り,体内に摂取されず,摂取されてもその量はごく少ないものにとどまると考えるのが合理的である。また,当該知人が被告人の述べるように多量の覚せい剤を吸引使用したとすれば,同人には覚せい剤の薬効が強く発現し,さらに,尿中から中程度の濃度の覚せい剤が検出された被告人についても覚せい剤の影響が出るはずであるのに,被告人は,知人には特に何も変わった様子がなく,自身も覚せい剤の薬効を特には感じなかったと述べているのであって,そのことだけをとらえても,被告人の供述内容は極めて不自然である。このほか,被告人が腕にある注射痕について,当該知人から血抜きをされたとする説明も,その内容自体通常考え難いものであるし,当初,エイズ検査受検などと虚偽の理由を述べていたことや副流煙を吸った際の状況について捜査段階半ばでは知人と被告人のほかにもう1人いたと供述していたこと等を併せ考えると,副流煙を吸ったとする弁解は全く措信できない(なお,被告人の述べるような覚せい剤の副流煙が充満しているような室内に,そのことを知りつつ留まっていた以上,それだけで覚せい剤使用の未必的故意があると言えるから,そもそも覚せい剤使用の故意を否認する弁解として成り立ち得ないものである の副流煙が充満しているような室内に,そのことを知りつつ留まっていた以上,それだけで覚せい剤使用の未必的故意があると言えるから,そもそも覚せい剤使用の故意を否認する弁解として成り立ち得ないものであることを付言しておく。)。 以上の次第で,所論はいずれも採用できず,してみると,被告人の尿中から覚せい剤が検出され,被告人が覚せい剤をそれと意識しないまま体内に摂取したことを窺わせる特別の事情もないことに帰するから,尿中から覚せい剤が検出される期間,その間の被告人の所在地を考慮して,原判示犯罪事実を認定した原判決に事実誤認はない。 論旨は理由がない。 3 よって,刑事訴訟法396条により本件控訴を棄却することとし,当審におけ - 8 -る未決勾留日数の算入について刑法21条を,当審における訴訟費用を被告人に負担させないことについて,刑事訴訟法181条1項ただし書を,それぞれ適用して,主文のとおり判決する。 (裁判長裁判官中山夫裁判官衣笠和彦裁判官瀧岡俊文)
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