平成14(ワ)113 損害賠償請求

裁判年月日・裁判所
平成16年2月26日 青森地方裁判所 弘前支部
ファイル
hanrei-pdf-8514.txt

判決文本文14,473 文字)

主文 1 原告の請求を棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求被告は,原告に対し,金2907万5320円及びこれに対する平成13年5月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要本件は,被告が原告から建物を賃借し,同建物において消費者金融業を営んでいたところ,強盗犯人が同建物に放火し,建物が焼損して多数の死傷者が出た事件が発生し,その結果,建物の取り壊しを余儀なくされ,建物の敷地の交換価値が下落したのは,借主である被告が目的物保管の善管注意義務を怠ったためであるとして,貸主である原告が,債務不履行に基づく損害賠償請求として,建物の価格,建物取壊費用及び下落した土地の交換価値相当額並びにこれらに対する債務不履行の日から支払済みまで,民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める事案である。 1 争いのない事実等(1)原告は,レコードの販売等を目的とする株式会社であり,被告は,消費者金融業等を目的とする株式会社である。 (2)別紙物件目録(略)1記載の土地(本件土地)及び同目録2記載の建物(本件建物,以下,本件土地と本件建物を併せて「本件土地建物」という。)は,平成8年7月1日当時,いずれも原告代表者のAが個人で所有していた。 (3)原告と被告は,平成8年7月1日,原告を貸主,被告を借主として,本件建物の3階部分(本件賃借部分)について賃貸借契約を締結した(本件賃貸借契約)。 被告は,本件賃借部分においてb支店を開設し,消費者金融業を営んでいた。 (4)平成13年5月8日午前10時50分ころ,Kが被告b支店に押し入り,店内にガソリンとオイルの混合油(以下,単に「ガソリン」という。)を撒いて現金を要求し,放火後に逃走するという事件が発生した。この事件により,同支店の従 前10時50分ころ,Kが被告b支店に押し入り,店内にガソリンとオイルの混合油(以下,単に「ガソリン」という。)を撒いて現金を要求し,放火後に逃走するという事件が発生した。この事件により,同支店の従業員5名が死亡し,4人が重軽傷を負った(本件事件)。 本件事件当時の本件賃借部分の状況は,別紙図面(略)のとおりである。 (5)被告は,同月下旬,b支店を閉鎖した。本件建物の所有者は,平成13年12月28日,本件建物を取り壊した。 2 争点(1)争点1…被告の予見可能性の存否(原告の主張)ア賃借人は,賃借物を返還するまで,その保管につき善管注意義務を負っており,この注意義務に違反して賃借物を毀損するなどにより賃貸人に損害を与えた場合には,その損害を賠償すべき責任を負う。 イ本件賃借部分は消費者金融業の店舗として使用され,営業時間中は店舗内に一定額の現金が常備されていたのであるから,被告としては,この現金を狙って客を装った強盗が入り込み,従業員の抵抗を抑圧するために有形力を行使するであろうこと,その有形力の行使により本件賃借部分が毀損されるであろうことは,十分に予見可能であった。 ウ強盗が従業員の抵抗を抑圧するために有形力を行使し危害を加えることが予想される以上,危害の程度は予想される最悪のものを想定すべきであり,強盗が従業員の抵抗を抑圧するために引火性の油類を撒いてこれに点火し,これにより本件建物が焼損し,従業員が死傷することまで予見すべきであった。 使用者の従業員に対する安全配慮義務については,使用者において,盗賊の侵入が予見できる場合には,盗賊が宿直員に危害を加えることがあるかもしれないことも予見可能であり,この点が予見できる以上,危害の程度はその延長線上において予想される最悪の程度を想定すべく,状況如何によってはその盗賊が目 は,盗賊が宿直員に危害を加えることがあるかもしれないことも予見可能であり,この点が予見できる以上,危害の程度はその延長線上において予想される最悪の程度を想定すべく,状況如何によってはその盗賊が目的を達成するためにその宿直員を殺害することもあり得ると予想すべきであったとする最高裁判例があるが,予見可能性の有無という点については,使用者の安全配慮義務と賃借人の賃借物保管上の善管注意義務との間で異なるところはない。 エ現に,平成12年6月11日,c市において,客を装って宝石店に入った強盗が,女性従業員の手足を粘着テープで縛った上でガソリンを撒き,従業員を焼殺した上で1億4000万円相当の貴金属を強取するという事件が発生しており,本件事件当時,強盗犯人が犯行手段としてガソリン等引火物を利用して放火することは,具体的に予見可能であった。 (被告の主張)ア賃借人である被告が賃貸人である原告に対して賃借目的物保管についての善管注意義務を負っていること自体は認めるが,被告において,原告が主張するような予見義務があることは争う。 イ現金を常備している業種は枚挙に暇がなく,原告の主張を前提とするならば賃貸物件を店舗としている商人すべてに(原告の主張)欄イ記載のような予見義務が課されることになる。 ウそもそも予見義務は,当時の状況に鑑みて被告が具体的に予見が可能であったか否かを前提に判断されるべきであり,そのような事情のない本件では予見可能性がなく,それを前提とする予見義務も被告には存在しない。 すなわち,犯人であるKは,本件事件以前に被告b支店を訪れたことはなく,従業員に対して何らかの接触をした事実はない。また,Kが,本件事件以前に,被告に対して犯行を示唆する行動をとったことは全くない。 エ使用者の安全配慮義務と,賃借人の保管義務は全く性質の異 とはなく,従業員に対して何らかの接触をした事実はない。また,Kが,本件事件以前に,被告に対して犯行を示唆する行動をとったことは全くない。 エ使用者の安全配慮義務と,賃借人の保管義務は全く性質の異なる義務であり,それらにおける予見可能性を横並びに比較することはできない。 安全配慮義務は,使用者が従業員の生命・身体が危険にさらされないように安全措置を講じる義務であり,従業員の生命,身体に危険を及ぼす行為について予見可能であったかという問題である。他方,賃借人の保管義務は,その賃借物件を,善良なる管理者の注意義務を持って保管する義務であって,賃借物件が毀損された場合,その毀損行為に対して予見可能であったかという問題である。 オ原告が引用するc市の事件についても,業種を異にし,しかも,1年近く前に発生した事件であるので,本件事件発生の発端ないし兆候とはなりえないのは明白である。 (2)争点2…予見義務を前提とした被告の結果回避義務違反の存否①・物的設備(原告の主張)ア被告は,賃借物保管上の善管注意義務の内実として,このような強盗の有形力による賃借部分の損壊や,深刻な人的被害の発生を防ぐことができるような物的施設を備えておくべき義務がある。 イ具体的内容としては,以下のとおりである。 ① 強盗犯人が店舗に放火しても被害の発生ないし拡大を防ぐためにスプリンクラーを設置する必要があった。 ② 本件賃借部分には出入口が1箇所しか設けられていないので,強盗犯人による加害から従業員を守るために,出入口とは別に避難路を設ける必要があった。 強盗が脅迫する場所として考えられるのは入金カウンター前か受付カウンター前なので,ATMを設置してあった部分に避難路を設けていれば,従業員が脱出することは可能であった。 ウ原告は,被告に対して,本件賃借部分を自 場所として考えられるのは入金カウンター前か受付カウンター前なので,ATMを設置してあった部分に避難路を設けていれば,従業員が脱出することは可能であった。 ウ原告は,被告に対して,本件賃借部分を自由に改造,改装することを許可していたので,被告において前記のような物的施設の設置をすることは可能であった。 (被告の主張)ア原告は,被告において物的設備を整備する義務があると主張するが,単なる賃借人である被告が避難路,スプリンクラーを設置する義務はない。むしろ,業として賃貸用建物を建築し賃貸した建物所有者において設置すべきものであるし,賃貸人の賃借人等に対する安全配慮義務を考えれば,建物所有者又は賃貸人において設置すべきものである。 また,原告は,ATMが設置されている部分を避難通路として確保すべきであったと主張するが,カウンター付近に強盗がいる場合に,これと壁一枚を隔てた通路を通って,強盗犯人の背後から丸見えのガラスドア部分を抜けて階段へ避難することができるという想定自体に全く現実性がない。 しかも,本件事件においては,Kがガソリンを撒いてから点火するまでの時間が短く,炎の燃え広がりの勢いがすさまじく,黒煙で全く視界が利かない状態になったのであるから,仮にATM部分を避難通路として確保していたとしても,実際に従業員が避難することは全く不可能な状況であった。 イ自由に改造することができるとの特約の存在は否認する。かえって,賃貸借契約においては,被告が施設した諸設備は撤去し,原状回復して原告に明け渡さなければならないとされており,事実上,被告が自由に改造できない契約となっている。 (3)争点3…予見義務を前提とした被告の結果回避義務違反の存否②・人的措置(原告の主張)ア被告は,賃借物保管上の善管注意義務の内実として,このような強盗の有 由に改造できない契約となっている。 (3)争点3…予見義務を前提とした被告の結果回避義務違反の存否②・人的措置(原告の主張)ア被告は,賃借物保管上の善管注意義務の内実として,このような強盗の有形力による賃借部分の損壊や,深刻な人的被害の発生を防ぐことができるような人的措置を講じる義務がある。 イ具体的内容としては,以下のとおりである。 ① 強盗犯人による被害の発生ないし拡大を防ぐには,強盗犯人の要求に応じることで犯人を店舗外に退出させるべきであり,そのような防犯マニュアルを作成する必要があった。 強盗による被害の発生ないし拡大を防止する最善の方策は,強盗の要求に応じることによって一定の満足を与え,強盗を店舗外に退出させることであるから,防犯マニュアルの内容も,従業員に対してそのような行動を指示するものでなければならない。 ところが,被告の防犯マニュアルは,強盗に金を渡さなければならない状況になったときには,金を小出しにして時間を稼ぐか,直ぐに札束を渡すのか,という判断を,強盗に対応して畏怖動揺し微妙かつ細心な判断を期待できない従業員に委ねており,全く役に立たない。 しかも,被告の防犯マニュアルは,「『犯人の顔を見たら殺される!』と思え,証拠を消す犯罪者の共通心理である」と記載されており,これを読んだ者に,顔を見たら殺される,それなら犯人の感情を刺激してでも,時間稼ぎをして警察等の救援を待つしかないという判断をさせる内容になっているが,これは科学的に何ら検証されている内容ではない。Kと応対した支店長が,直ぐに金を出さず,時間稼ぎをして110番通報したことで,Kは放火の犯意を抱くに至ったものであり,被告の前記マニュアルの記載は有害無益である。 ② 強盗犯人に対処するための防犯訓練や,火事が発生した場合の防火訓練を反復し,従業員 110番通報したことで,Kは放火の犯意を抱くに至ったものであり,被告の前記マニュアルの記載は有害無益である。 ② 強盗犯人に対処するための防犯訓練や,火事が発生した場合の防火訓練を反復し,従業員に被害の発生ないし拡大を防止するために要求される行動を習熟させる必要があったが,被告においてはこれをしていない。 ③ 本件賃借部分の南側には避難器具があり,いざというときにはこれを使えば相当数の従業員が脱出することが可能であるから,避難訓練を実施し避難器具の扱いに習熟させておく必要があったが,これもしていない。 仮に,被告において,実際に避難訓練を定期的に行っておれば,本件事件において人的被害の発生を防ぐことができたか,少なくとも発生の程度を減少させることができた。 ウまた,被告の担当者がKに対して取った行動は,不適切なものであった。 (被告の主張)ア原告は,被告が防火訓練ないし避難訓練を行っていれば,避難器具の使用と相まって,人的被害の発生を防ぐか減少できたと主張する。 しかし,本件事件の放火による火災は,一般に想定される火災とは全く性質の異なる爆発性の火災であり,しかも規模も大きく,そもそも,通常の避難訓練や避難マニュアルにおいて対応できる性質のものではない。 イ防犯マニュアルに関する原告の主張は,店員が直ぐに金を出してくれれば,火をつけることはしなかったという,犯人のKの供述を基調にしているが,この供述の信用性は極めて疑わしい。すなわち,このような供述は,放火の計画性がなかったことをことさらに強調し,被告の従業員に対する責任転嫁により少しでも自らの罪を軽減したいという犯人特有の心理からくる供述であり,このような供述に依拠すること自体,誤りである。 被告b支店に原告が主張するような防犯マニュアルが備え付けられており,かつ,Kの要求ど も自らの罪を軽減したいという犯人特有の心理からくる供述であり,このような供述に依拠すること自体,誤りである。 被告b支店に原告が主張するような防犯マニュアルが備え付けられており,かつ,Kの要求どおり金を渡していたら本件事件は発生しなかったという原告の主張は,「一般的抽象的可能性」のレベルにとどまる主張であって,被告の具体的な結果回避義務を基礎づける主張にはならない。 (4)争点4…損害(原告の主張)ア本件賃貸借契約のように他人物について賃貸借契約がなされた場合,賃貸人も賃借物の所有者に対し同様の保管義務を負っており,その不履行については損害賠償の責に任じなければならないのであるから,所有者が被った損害は,即,賃貸人たる原告が被った損害になる。 イ本件建物の交換価値相当額 3760万円本件事件は大々的に報道され,本件建物が悲惨な事件の現場であることが広く知られたため,本件建物は,本件賃借部分のみならず,建物全体について使用価値が全く失われ,その交換価値は零となった。 本件建物の本件事件当時の時価は3760万円を下らない。 ウ本件建物の取壊費用 625万3800円前記のとおり,本件建物の交換価値は零となったので,原告は,本件建物を取り壊さざるを得なかった。 エ本件土地の減価相当額 796万1520円本件建物の敷地である本件土地も,事件現場であることにより交換価値が減少した。不動産競売事件における鑑定評価では,自殺現場が対象物件である場合,建物のみならず敷地についても,30%程度の減価がなされるのが通常であり,まして,本件事件のような悲惨な事件の現場である場合,減価率は50%を下らない。 本件土地の本件事件(平成13年)当時の路線価は,1㎡あたり8万4000円である。 8万4000円×189.56㎡×0. ,本件事件のような悲惨な事件の現場である場合,減価率は50%を下らない。 本件土地の本件事件(平成13年)当時の路線価は,1㎡あたり8万4000円である。 8万4000円×189.56㎡×0.5=796万1520円(被告の主張)アいずれも否認する。 本件土地及び建物の価格については,本件事件があった平成13年度の固定資産評価証明書の金額(本件土地・986万2863円,本件建物・1873万2575円)によるべきである。 イ原告が主張する本件建物の価額は,単に火災保険契約時における保険契約者である原告の申し入れ価額であって,本件事件時の客観的な交換価値ではない。 (5)争点5…損益相殺(被告の主張)以下の金員は,損益相殺の対象とされるべきである。 ① 被告が原告に対し支払った見舞金330万円② 原告が火災保険から受領した損害保険金1944万円③ 原告が火災保険から受領した臨時費用500万円と取片付費用43万0500円④ 被告が本件賃貸借契約締結の際に差し入れて未だ返還を受けていない敷金28万円(原告の主張)①及び②が損益相殺の対象となることは認める。 第3 争点に対する判断 1 争点1(被告の予見可能性の存否)について(1)原告は,①本件賃借部分は消費者金融業の店舗として使用され,営業時間中は店舗内に一定額の現金が常備されていたこと,②一般的に,強盗が従業員の抵抗を抑圧するために有形力を行使し危害を加えること,③平成12年6月11日,c市において,客を装って宝石店に入った強盗が,女性従業員の手足を粘着テープで縛った上でガソリンを撒き,従業員を焼殺した上で1億4000万円相当の貴金属を強取するという事件が発生していたこと,という具体的事実及び経験則を根拠に,被告は,賃借物保管上の善管注意義務の一内容として,本件事件の ンを撒き,従業員を焼殺した上で1億4000万円相当の貴金属を強取するという事件が発生していたこと,という具体的事実及び経験則を根拠に,被告は,賃借物保管上の善管注意義務の一内容として,本件事件のような,強盗犯人が犯行手段としてガソリン等引火物を利用して放火し,よって,本件賃借部分が毀損し,従業員に死傷の結果が生じることを予見し,このような結果を回避すべき義務を負うものと主張する。 (2)アしかしながら,従業員の死傷という結果についていうと,従業員の生命,身体の安全を守るべき義務は,賃貸借契約に基づく賃借人の賃貸人に対する義務として当然に導かれるものではない。 原告は,賃借人がかかる義務を負うことの根拠として,賃貸借契約の目的物件の交換価値が,悲惨な事件の現場になることによって下落することがあることを理由とするようであるが,このような理由による交換価値の下落は常に生じるものではなく,仮に交換価値の下落が生じるとしても,直接的な建物の毀損による場合と比較すると間接的な損害に過ぎない。また,賃借人又は賃借人と同視すべき者(家族や被用者など)が賃借物件で犯罪を起こしたり,第三者による犯罪をことさらに誘発させるなどした場合であれば格別,第三者に対しては賃借人の直接の支配が及ばないのであるから,第三者の犯罪行為によって生じた,人的被害による間接的な交換価値下落についてまで賃借人にその発生を予見させ,かかる結果を回避すべき義務を負わせるのは,賃借人に過大な義務を負わせることになり,相当でない。 イしたがって,賃借人は,賃貸人に対する関係においては,賃貸借契約の目的物件の交換価値の下落をもたらすほどの悲惨な事件が発生することが相当程度予見できる状況にあるというようなごく例外的な事情でもない限り,第三者の犯罪行為によって従業員に死傷の結果を生じる 借契約の目的物件の交換価値の下落をもたらすほどの悲惨な事件が発生することが相当程度予見できる状況にあるというようなごく例外的な事情でもない限り,第三者の犯罪行為によって従業員に死傷の結果を生じることを予見し,そのような結果を回避する義務はないものといわざるを得ない。 そして,後記(3)で検討するとおり,本件において例外的な事情があると認めることはできない。 ウ以上によれば,被告には,原告に対する関係で,避難路を設置したり,避難訓練を行ったり,人の死傷を回避するための防犯マニュアルを作成したりする義務があったと認めることはできない。 (3)アこれに対して,賃借物件の毀損という結果についていうと,賃借人が,一般的に,賃借物保管上の善管注意義務に基づいて,賃貸人に対し,賃借物件の毀損という結果を防止する義務を負うのは当然であるが,本件事件のような態様による犯行により,本件賃借部分の焼損という結果が発生することが,本件事件当時,被告において,具体的に予見可能であったかどうかについては検討が必要である。 イ確かに,一般論としては,被告のような金融機関に金目当ての強盗が押し入る危険性は,他の業種と比較して多いものではあり,強盗事件が発生することについて具体的な予見可能性を認めることは不当ではない。また,一般的抽象的にいえば,本件事件のように,ガソリン等の引火物を撒いて,それに点火したり,点火すべきことを示して脅迫する犯行がなされるという事態を想定することも可能である。 ウしかしながら,本件事件当時,わが国において本件事件と同様の犯行がしばしば行われ,金融機関等の,一般的に強盗が押し入る可能性の多い企業において,このような態様の犯行の被害に遭う危険性が現実化していたと認めるに足りる証拠はない。原告は,平成12年にc市内で発生した強盗事件に われ,金融機関等の,一般的に強盗が押し入る可能性の多い企業において,このような態様の犯行の被害に遭う危険性が現実化していたと認めるに足りる証拠はない。原告は,平成12年にc市内で発生した強盗事件について指摘するが,被告と異なる業種における1年近く前に発生した事件であり,しかも,同事件から本件事件に至るまで,わが国において,c市における事件を模倣したような犯行が頻発していたわけでもない。 また,被告b支店や被告の他支店又は周辺の金融機関の店舗において,本件事件と同種の事件の発生が見込まれるような状況が存在したことを認めるに足りる証拠もない。 原告においても,本件事件のような態様の犯行が発生することを想像すらしていなかったことを認めている。 そうすると,少なくとも,Kが本件事件の実行に着手する前の時点では,被告において,本件事件のような犯行が発生することを具体的に予見すべき状況にはなかったといわざるを得ない。 したがって,このような犯行により本件賃借部分の焼損という結果が生じることを事前に防止するための措置をとる義務を被告に認めることはできない。 エこの点,原告は,労働関係における安全配慮義務についての最高裁判例(最判昭和59年4月10日民集38巻6号557頁)を指摘し,被告において,本件事件を具体的に予見すべきであったと主張する。 しかしながら,原告が指摘する最高裁判例と本件とは具体的事案を異にしているだけでなく,同裁判例は,使用者と労働者との間に特別な人的関係が存在する雇用契約における安全配慮義務について述べたものであって,賃貸借契約上の義務が問題となっている本件とはそもそも場面を異にするものであるから,原告の主張は適切でない。 オ以上によれば,被告には,原告に対する関係で,本件事件のような態様の犯行を具体的に想定して,建物 上の義務が問題となっている本件とはそもそも場面を異にするものであるから,原告の主張は適切でない。 オ以上によれば,被告には,原告に対する関係で,本件事件のような態様の犯行を具体的に想定して,建物の焼損を防止するような防犯マニュアルを作成したり,建物の焼損を防止するための防犯訓練を行ったりする義務があったと認めることはできない。 (4)もっとも,賃借人には,一般的に,賃借物保管上の善管注意義務に基づいて,自己又は自己の家族,被用者などの放火又は失火により賃借物を焼損させることがないようにする義務があるし,また,Kが被告b支店に押し入り,店内にガソリンを撒いて金を要求するに至った時点では,被告(具体的には被告b支店の従業員)に,本件事件のような態様の犯行が発生することを具体的に予見することができたものと認めるのが相当である。 そこで,以下においては,原告が,被告による結果回避義務違反行為として主張する事実のうち,争点2(物的設備)としては,一般的に賃借物件の焼損被害の拡大を抑えると考えられるスプリンクラーについて,争点3(人的措置)としては,一般的に賃借物件の焼損を防止するために有効と考えられる防火訓練についてと,Kが実行に着手した後における被告b支店従業員のとった行動の適否についてのみ検討することとする。 2 争点2(予見義務を前提とした被告の結果回避義務違反の存否①・物的設備)のうち,スプリンクラー設置について(1)原告は,放火による賃借部分の焼損を防止するため,被告においてスプリンクラーを設置する義務があったと主張する。 (2)しかしながら,本件建物は,消防法施行令別表第1(15)項に規定する「前各項に該当しない事業場」に該当するところ,同項に規定する建物については11階以上の階についてのみスプリンクラーの設置義務が課せられる(消 ら,本件建物は,消防法施行令別表第1(15)項に規定する「前各項に該当しない事業場」に該当するところ,同項に規定する建物については11階以上の階についてのみスプリンクラーの設置義務が課せられる(消防法施行令12条1項9号)から,本件賃借部分は,消防法上も,スプリンクラーの設置が義務づけられているわけではない。 しかも,スプリンクラー設置といった大規模な工事は,通常,建物の所有者において行うべきものであって,賃借人が賃貸借契約に基づいて当然に設置義務を負うものとは考え難いし,本件賃貸借契約において,そのような特約がされたと認めるに足る証拠もない。 (3)なお,原告は,被告に対して,本件賃借部分を自由に改造,改装することを許可していたので,被告においてスプリンクラーを新規に設置することが可能であったと主張し,証拠(略)によれば,原告は,被告に対して,内装を自由に変更することを許可し,現に,被告は,本件賃借部分を賃借した後,これまで休憩室や倉庫として用いていた部分の壁などを撤去する工事を行ったことが認められるが,そのような事実があったからといって,原告が,被告に対する関係で,スプリンクラーを新規に設置することを義務づけたと見ることはできない。 (4)以上によれば,被告においてスプリンクラーを設置する義務があったと認めることはできない。 3 争点3(予見義務を前提とした被告の結果回避義務違反の存否②・人的措置)のうち,防火訓練について(1)原告は,被告において,火事が発生した場合の防火訓練を反復し,従業員に被害の発生ないし拡大を防止するために要求される行動を習熟させる必要があったが,被告においてはこれをしておらず,義務違反があったと主張する。 (2)証拠(略)によれば,確かに,被告b支店においては防火訓練を行っていなかったことが認められるが, る行動を習熟させる必要があったが,被告においてはこれをしておらず,義務違反があったと主張する。 (2)証拠(略)によれば,確かに,被告b支店においては防火訓練を行っていなかったことが認められるが,他方で,本件事件においては,Kがガソリンに点火したことにより,大量の火が爆発したような勢いで一瞬のうちに店内に広がって,真っ黒な煙が店内に充満し,その結果,店内にいた従業員はパニックに陥って,窓を探して逃げるのに精一杯の状態になってしまったことも認められる。 そうすると,本件事件によって生じた火災は,一般に想定される火災とは全く性質の異なるもので,通常の防火訓練において対応できる性質のものではなかったと考えられる。 (3)以上によれば,被告において,通常の火災を想定した防火訓練を反復して行っていたとしても,建物の焼損という結果を回避することは不可能であったといわざるを得ず,少なくとも,被告において防火訓練をしていなかったことと本件賃借部分の焼損との間の因果関係を認めることはできない。 4 争点3(予見義務を前提とした被告の結果回避義務違反の存否②・人的措置)のうち,Kが実行に着手した後における被告b支店従業員のとった行動の適否について(1)証拠(略)によれば,Kが被告b支店に入店してから,ガソリンに点火して逃走するまでの経緯(Kの主観面についてはひとまず措く。)として,以下の事実が認められる。 ア Kは,顔を隠すことなく被告b支店内に入って,受付カウンターの手前に立ち,無言のまま,同カウンター越しに,持参したオイル缶入りのガソリン(正確には,ガソリンとオイルの混合油)を,事務室内に振り撒き,辺りにガソリン特有の臭いが広がると,同支店従業員らに向かって,「ガソリンだ。」と叫んだ。 当時,同支店内には,支店長以下9名の従業員がおり,うち,支店長を含 とオイルの混合油)を,事務室内に振り撒き,辺りにガソリン特有の臭いが広がると,同支店従業員らに向かって,「ガソリンだ。」と叫んだ。 当時,同支店内には,支店長以下9名の従業員がおり,うち,支店長を含む6名が,カウンターに近い事務室で,3人が,奥の管理室で仕事をしていたが,事務室に居た支店長以外の従業員は悲鳴を上げるなどして,全員が奥の管理室に逃げ込んでしまい,支店長だけがKと受付カウンター越しに応対することになった。 イ Kは,ガソリンを撒いた直後,つなぎ服のポケットから,ライターとねじり紙を取り出し,従業員らに対し,「金を出せ。」と叫び,「出さねば火を付けるぞ。」と申し向けて脅した。これを見て,支店長は,Kが強盗であって,金を要求していることが分かり,また,Kが本当に火をつけるかもしれない,仮にKに金を出したとしても,顔を見られていることから,Kがガソリンに点火するのではないかと考え,警察と消防に来てもらい,それまで時間を稼ごうと考えた。そこで,支店長は,「ちょっとそれはできない,ちょっと待ってください。」などと言って,自席机下に設置してある警備会社への通報ボタンを押すと共に,立ち上がって110番通報を始め,管理室に居る他の従業員に向かって,「消防を呼んでくれ。」とか,「消火器出して。」などと叫んだ。また,管理室では,他の従業員も,「窓開けて。」とか「ボタンを押せ。」と叫んだ後,それぞれ,大声で通報を始めた。 ウさらに,Kは,手にしたねじり紙にライターで火を付けて,「おめだぢ,早ぐ。」などと叫んで現金を要求した。これを見て,支店長は,本気で火をつけるのだと感じ,金を出してしまいたいと思う反面,金を出したら火をつけられるかもしれず,それまで時間を稼いで警察官に早く来てもらった方がよいとも考え,どうしてよいかわからず,なおも110番通 火をつけるのだと感じ,金を出してしまいたいと思う反面,金を出したら火をつけられるかもしれず,それまで時間を稼いで警察官に早く来てもらった方がよいとも考え,どうしてよいかわからず,なおも110番通報をし続けた。 エついに,Kは,火の付いたねじり紙をカウンター内のガソリンを撒き散らした辺りに向けて投げ入れ,同ガソリンに点火し,店内から逃走した。 (2)ところで,被告においては,一般的な強盗に対処するためのマニュアルとして,①最大の防犯とは,「相手の感情を刺激しないこと」であること,②危険を感じたら,要求に応じることとして,できるだけ時間をかけて小額紙幣から小出しにするか,日常から札束を作っておいて,犯人の要求により手渡せるようにしておくこと,③強盗が侵入したときは,「お客様へウーロン茶を」という合い言葉で奥の部屋にいる者に伝達して,奥の部屋にいる者が直ちに警報ボタンを押すと同時に110番通報すること,以上のような内容のものを定めていたことが認められるが,このようなマニュアルの内容自体には,特段,不相当な点は見当たらない。 (3)そうすると,支店長は,マニュアルに定められた合い言葉を用いず,Kの要求に応じる素振りすら見せなかっただけでなく,その目の前で110番通報をするとともに,管理室にいる従業員に対しても消防署への通報を命じており,また,管理室にいた従業員も,Kに聞かれないように気を配ることもなく,大声で通報をしており,事後的,客観的にみれば,このような支店長らの行動は,いたずらに犯人であるKを刺激する不適切なものであったといわざるを得ない。 (4)しかしながら,Kは,顔を一切隠さずに店内に入った上で,ガソリンをカウンター越しに撒き,ライターとねじり紙を手に持って今にも火を付けるかのような態度を示して「火をつけるぞ。」と脅迫しているところ, )しかしながら,Kは,顔を一切隠さずに店内に入った上で,ガソリンをカウンター越しに撒き,ライターとねじり紙を手に持って今にも火を付けるかのような態度を示して「火をつけるぞ。」と脅迫しているところ,このような態様の犯行においては,金員強取の目的を達した後でも,犯人が罪証隠滅や追跡阻止の目的で放火するということもあり得ないことではなく,十分にこれを想定し得るというべきである。 しかも,前述したとおり,本件事件のような犯行が発生することを事前に予見すべき状況にはなく,したがって,この様な事態にいかに対処するかについての検討もしていなかったことからすれば,当時の極限的な状況下において,支店長が,冷静な判断力を失い,たとえKの要求に応じて金を出したとしても,ガソリンに点火するであろうから,金を出さずに警察官などが来るまでの時間を稼いだ方がよいと考えたことや,Kの目の前で110番通報をしたことも,やむを得ない面があったといわざるを得ないのであって,このような支店長の行動を義務違反行為であると非難することはできない。この点は,奥の管理室における従業員の行動についても同様である。 (5)これに関し,Kは,ガソリンを撒けば,店員は恐怖して金を出してくれると思った,金さえ出してくれれば火をつけるつもりはなかった,にもかかわらず,支店長が,自分を無視して110番通報をし始めたので,予定が狂ってしまい,逃げるためには火をつけるしかないと思った,と供述している。 そうすると,確かに,被告も指摘するように,このようなKの供述は,放火の計画性がなかったことをことさらに強調し,被告の従業員に責任を転嫁することにより少しでも自らの罪を軽減したいという心理からくる供述である可能性もあり,その信用性を慎重に吟味する必要はあるが,さりとて,Kがガソリンに点火するに至る経 調し,被告の従業員に責任を転嫁することにより少しでも自らの罪を軽減したいという心理からくる供述である可能性もあり,その信用性を慎重に吟味する必要はあるが,さりとて,Kがガソリンに点火するに至る経緯について,Kの供述に反するような証拠もないので,支店長がKの要求に応じて速やかに金を出していれば,Kが実際に火を付けることはなかった可能性は高いと認めざるを得ない。 しかしながら,これはあくまで,他人には知る由もないKの内心の問題にすぎないであって,このような事情を,支店長など従業員の行動を評価するにあたって重視するのは相当でない。 したがって,このような事情が認められるからといって,前記(4)の判断が左右されるものではない。 (6)以上によれば,Kが犯行に着手した後における,支店長をはじめとする被告b支店従業員がとった行動にも,結果回避義務違反と評価すべきものは認められない。 第4 結論よって,その余の点について判断するまでもなく,原告の請求は理由がない。 青森地方裁判所弘前支部裁判長裁判官土田昭彦裁判官佐藤哲治裁判官加藤靖(別紙)物件目録(略)

▼ クリックして全文を表示

🔍 類似判例を検索𝕏 でシェア← 一覧に戻る