令和5年9月28日宣告東京高等裁判所第12刑事部判決令和5年(う)第75号道路交通法違反被告事件 主文 原判決を破棄する。 被告人は無罪。 理由 第1 本件公訴事実及び原判決の概要 1 本件公訴事実は、被告人は、平成27年3月23日午後10時7分頃、長野県佐久市(以下省略)先の交通整理の行われていない交差点において、普通乗用自動車(以下「被告人車両」という。)を運転中、同交差点に設けられた横断歩道上 を歩行中のA(当時15歳。以下「被害者」という。)に自車を衝突させて、同人を右前方約44.6m地点の歩道上にはね飛ばして同所に転倒させ、同人に多発外傷等の傷害を負わせる交通事故(以下「本件事故」という。)を起こし、もって自己の運転に起因して人に傷害を負わせたのに、直ちに車両の運転を停止して、同人を救護する等必要な措置を講じず、かつ、その事故発生の日時及び場所等法律の定 める事項を、直ちに最寄りの警察署の警察官に報告しなかったというものである。 2 原判決は、罪となるべき事実として、「直ちに車両の運転を停止して、同人を救護する等必要な措置を講じず」とされている部分を「その後すぐに車両の運転を停止したものの、直ちに救護の措置を講じず」としたほかは、本件公訴事実と同旨の事実を認定し、被告人を懲役6月の実刑に処した。 第2 本件控訴の趣意本件控訴の趣意は、主任弁護人廣瀬健太郎及び弁護人大西啓文作成の控訴趣意書記載のとおり、①不法に公訴を受理したこと(刑訴法378条2号)(なお、主任弁護人は、公訴権の濫用に関する主張は、控訴理由としては不法に公訴を受理したことをいうものである旨釈明した。)、②法令適用の誤り及び③量刑不当の主張で ある。 ①の なお、主任弁護人は、公訴権の濫用に関する主張は、控訴理由としては不法に公訴を受理したことをいうものである旨釈明した。)、②法令適用の誤り及び③量刑不当の主張で ある。 ①の論旨は、本件起訴は、本件事故に係る過失運転致死罪と同時に起訴することが可能であったのに、本件事故から7年も経過した段階で新たな証拠が得られないままなされたものである上、本件事故に関しては、既に過失運転致死罪と道路交通法違反(速度超過)の罪が時期を異にして起訴され、それらの刑事事件が終了していたのに、更に本件事故に関する道路交通法違反(救護義務違反、報告義務違反) の罪を起訴したものであって、公訴提起に至る経緯が極めて異常であるから、公訴権を濫用してなされたものであり、受理されるべきでなかった、というものであり、②の論旨は、道路交通法の構成要件に関する解釈、適用を誤り、被告人に救護義務違反と報告義務違反の各罪が成立すると判断した点、及び、本件起訴は一事不再理原則に違反してなされたものであって免訴判決をすべきであるのに、それをしなか った点で、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがある、というものであり、③の論旨は、被告人を懲役6月の実刑に処した原判決の量刑は重過ぎて不当であり、刑の全部の執行を猶予すべきである、というものである。 第3 不法に公訴を受理したとの控訴趣意について原判決も説示するとおり、検察官は、現行法上、公訴の提起をするかどうかにつ いて広範な裁量権を認められており、検察官の裁量権の逸脱が公訴の提起を無効ならしめる場合のあり得ることを否定することはできないが、それは例えば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られると解される。 公訴提起に至る経緯に異常性があるなどの原審弁護 無効ならしめる場合のあり得ることを否定することはできないが、それは例えば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られると解される。 公訴提起に至る経緯に異常性があるなどの原審弁護人の主張と同旨の所論を踏まえて検討しても、本件起訴について、検察官の裁量権の逸脱により公訴の提起が無 効となるような極限的な場合に当たる事情は見いだされないから、原審裁判所に不法に公訴を受理した違法はない。 論旨は理由がない。 第4 法令適用の誤りの控訴趣意について当裁判所は、所論に鑑み検討した結果、被告人に救護義務違反の罪が成立すると 判断した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあり、 原判決は破棄を免れないと判断した。以下、そのように判断した理由を述べる。 1 本件事故後の被告人の行動等原審関係証拠によれば、原判決が適切に認定しているように、本件事故後の被告人の行動等に関し、次の事実が認められる。 ⑴ 被告人は、平成27年3月23日午後10時7分頃、被告人車両を運転中に 本件事故を起こし、衝突地点から約95.5m先で被告人車両を停止させて降車した。被告人は、車を人に衝突させたと思い、衝突現場付近に向かい、同日午後10時8分頃、衝突現場である横断歩道付近で靴や靴下を発見し、その後約3分間、付近を捜すなどしたが、被害者を発見することができなかった。 ⑵ 被告人は、被告人車両を停止した場所まで戻り、同日午後10時11分52 秒頃、被告人車両のハザードランプを点灯させた後、警察に飲酒運転がばれないように酒の臭いを消すものを買おうなどと考え、被告人車両の停止地点から約50. 1m移動し、同日午後10時12分17秒頃、コンビニエンスストア(以下「本件コンビニ」という。)に入店し、 運転がばれないように酒の臭いを消すものを買おうなどと考え、被告人車両の停止地点から約50. 1m移動し、同日午後10時12分17秒頃、コンビニエンスストア(以下「本件コンビニ」という。)に入店し、口臭防止用品「ブレスケア」を購入し、退店後の同日午後10時13分0秒頃、これを服用した。 ⑶ 被告人は、本件コンビニを退店後、衝突現場方向に向かい、衝突地点から約44.6m離れた地点に倒れていた被害者が発見されるとその下に駆け寄り、被害者に対して人工呼吸をするなどした。その後、その場に到着した被告人の友人のうちの一人が、同日午後10時17分頃、消防に119番通報した。 2 検討 前記1の本件事故後における被告人の行動等について検討すると、まず、被告人は、本件事故後、直ちに被告人車両を停止して被害者の捜索を開始しており、被告人車両を停止した場所に戻ってハザードランプを点灯させたことについても、交通事故を起こした運転者に課せられた危険防止義務を履行したものと評価できる。その後、本件コンビニに行ってブレスケアを購入し、退店後にこれを服用したことに ついては、被害者の捜索や救護のための行為ではないものの、これらの行為に要し た時間は1分余りであり、被告人車両を停止した場所から本件コンビニまで移動した距離も50m程度にとどまっており、その後直ちに衝突現場方向に向かい、被害者が発見されると駆け寄って人工呼吸をするなどしていることに照らすと、被告人の救護義務を履行する意思は失われておらず、一貫してこれを保持し続けていたと認められる。このように、救護義務を履行する意思の下に直ちに被告人車両を停止 して被害者の捜索を開始し、その後も救護義務の履行を放棄して現場から立ち去ることはなく、被害者が発見された後は実際に救護措置 れる。このように、救護義務を履行する意思の下に直ちに被告人車両を停止 して被害者の捜索を開始し、その後も救護義務の履行を放棄して現場から立ち去ることはなく、被害者が発見された後は実際に救護措置を講じたという、本件事故後の被告人の行動を全体的に考察すると、被害者に対して直ちに救護措置を講じなかったと評価することはできないから、被告人に救護義務違反の罪は成立しない。 3 原判決の判断について 原判決は、被告人は、ブレスケアを購入するために本件コンビニに赴いた時点で、交通事故を発生させた当事者として救護義務を「直ちに」尽くすことよりも、飲酒事実の発覚を回避するための行動を優先させており、そのような発覚回避行動に要した時間が二、三分間にとどまり、場所的にも数十メートル程度の離隔しかなかったとしても、交通事故を発生させた当事者が救護義務を尽くすことと、飲酒事実の 発覚回避行動をとることは、内容や性質からみて対極の行動であり、前者より後者を優先させる意思決定を行動に移した時点で、前者の救護義務の履行と相容れない状態に至ったとみるべきであり、被告人は、上記発覚回避行動に及んだことにより救護の措置を遅延させたというべきであるから、「直ちに」救護の措置に及ばなかったという救護義務違反の罪が成立すると判断している。 しかし、飲酒事実の発覚を回避する意思は、道義的には非難されるべきものであるとしても(もっとも、被告人が身体に保有していたアルコール量は、酒気帯び運転の罪を構成する程度に達していなかった。)、救護義務を履行する意思とは両立するものであって背反するものではなく、上記発覚回避行動に出たからといって救護義務を履行する意思が否定されるものではないから、被告人が同意思を失ったと は認められない。前記2のとおり、被告人は、 るものであって背反するものではなく、上記発覚回避行動に出たからといって救護義務を履行する意思が否定されるものではないから、被告人が同意思を失ったと は認められない。前記2のとおり、被告人は、救護義務を履行する意思の下に直ち に被告人車両を停止して被害者の捜索を開始し、被害者が発見された後は実際に救護措置を講じており、その間に捜索や救護のためではない上記発覚回避行動に出ているものの、本件事故後の被告人の行動を総合的に考慮すれば、人の生命、身体の一般的な保護という救護義務の目的の達成と相容れない状態に至ったとみることはできない。原判決は、救護義務違反の罪が成立するかどうかは、当該事案全体を見 渡し、様々な事情を総合的に考慮して判断すべきであると説示するものの、本件事故後における救護義務を履行する一貫した意思の下での被告人の行動の全体的な考察を十分に行わず、飲酒事実の発覚回避という行為の目的を過度に重視した結果、救護義務違反の罪の構成要件への当てはめを誤ったものといわざるを得ず、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがある。 4 検察官の主張について検察官は、法令用語としての「直ちに」は、即時性が強く一切の遅滞を許さないとされていることなどからすれば、道路交通法72条1項前段の「直ちに」とは、事故発生の後、無為のうちに時間を空費したり、法が命じる救護の措置以外の一切の行為を行うことを許さない趣旨と解すべきであり、これと同様の解釈に基づき、 被告人に救護義務違反の罪が成立するとした原判決の判断は正当である旨主張する。 しかし、原判決は、前記3のとおり、救護義務違反の罪が成立するには、当該事案全体を見渡し、事案全体に表れた様々な事情を総合的に考慮して、救護義務の履行と相容れない状態に至ったといえる 旨主張する。 しかし、原判決は、前記3のとおり、救護義務違反の罪が成立するには、当該事案全体を見渡し、事案全体に表れた様々な事情を総合的に考慮して、救護義務の履行と相容れない状態に至ったといえる必要があることを前提に同罪の成否について判断しており、救護の措置以外の行為をしたら直ちに同罪が成立するとの解釈を採 っているものとは解されない。検察官の上記主張は採用できない。 また、検察官は、原判決は、被害者の捜索活動と並行して119番通報を行うことが可能であったのにそれをしなかったなどの不作為を問題視し、ブレスケアの購入、服用という逸脱行動に及んだ段階で、期待された措置を講じなかったという不作為が可罰的な程度に達したとして、救護義務違反の罪が成立すると認定したもの と解され、かかる原判決の判断は正当であるとも主張する。 しかし、被害者が発見されていないため、119番通報をすることよりも被害者を捜索、発見して救護措置を講じることを優先したからといって、人の生命、身体の保護という救護義務の目的に直ちに反することになるとはいえないし、被害者が発見されていない状況で119番通報をしたとしても、被害者の所在や負傷状況等を救急隊員に伝えることができず、被害者の救護に直ちにつながらないから、本件 において、被告人が119番通報をしなかったことを重視して救護義務違反の罪の成立を認めることはできないというべきである。検察官の上記主張も採用できない。 5 以上によれば、被告人に救護義務違反の罪が成立するとした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあり、その余の控訴趣意について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、原判決は、救護義務違 反の罪と報告義務違反の罪とが科刑上一罪の関係にあるもの すことが明らかな法令適用の誤りがあり、その余の控訴趣意について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、原判決は、救護義務違 反の罪と報告義務違反の罪とが科刑上一罪の関係にあるものとして1個の判決をしているから、結局、原判決は全部破棄を免れない。 第5 破棄自判 1 よって、刑訴法397条1項、380条により原判決を破棄し、同法400条ただし書を適用して被告事件について更に判決をする。 2 本件公訴事実のうち救護義務違反の点について本件公訴事実は、前記第1の1のとおりであるところ、既に説示したとおり、被告人の行動について、被害者に対して直ちに救護措置を講じなかったものと評価することはできず、被告人に救護義務違反の罪は成立しないから、救護義務違反の点について犯罪の証明がないことになる。したがって、刑訴法336条により、被告 人に対し無罪の言渡しをする。 3 本件公訴事実のうち報告義務違反の点について報告義務違反の罪の公訴時効期間は3年である(刑訴法250条2項6号)ところ、本件起訴は、上記期間を経過した後の令和4年1月26日になされたものであり、その間に公訴時効停止事由が存在したことは記録上うかがわれない。そうする と、本件報告義務違反の罪については、本件起訴の時点で既に公訴時効が完成して いたのであって、これと科刑上一罪の関係にあり、公訴時効が完成していない本件救護義務違反の罪が成立することを条件として、初めてその成立を非難できるにすぎないところ、本件救護義務違反の罪は、前記2のとおり無罪であるから、報告義務違反の点については免訴すべきこととなる。 もっとも、本件報告義務違反の罪は、科刑上一罪の一部として起訴されたもので あるから、主文において免訴の言渡しはしないこととす 無罪であるから、報告義務違反の点については免訴すべきこととなる。もっとも、本件報告義務違反の罪は、科刑上一罪の一部として起訴されたものであるから、主文において免訴の言渡しはしないこととする。 主文 令和5年9月28日東京高等裁判所第12刑事部 裁判長裁判官田村政喜 裁判官髙橋正幸 裁判官白石篤史
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