令和4(わ)1235 傷害、傷害致死被告事件

裁判年月日・裁判所
令和7年1月21日 横浜地方裁判所
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判決文本文20,446 文字)

主文 被告人は無罪。 理由 第1 公訴事実本件の公訴事実は、被告人が、⑴平成29年9月24日午後8時30分頃、横浜市a区bc番d号e当時の被告人方において、当時の内縁の妻の子であったA(当時4歳。 以下「A」という。)に対し、その右前額部を拳で殴る暴行を加え、よって、同人に全治約1週間を要する右前額部打撲の傷害を負わせ(以下「傷害事件」という。)、⑵平成30年1月23日午前9時40分頃から同日午前10時6分頃までの間に、同区fg丁目h番地ij当時の被告人方において、Aに対し、手段不明の方法によりその頭部、頸部に強度な前後方向を主とした回転性外力を加えるなどの暴行を加え、よって、同人に急性硬膜下血腫、外傷性くも膜下出血、脳浮腫、上位頸髄(第3~第5頸髄)腫脹、両側眼底出血などの傷害を負わせ、同月25日午後0時13分頃、東京都世田谷区kl丁目m番n号所在のB研究センター(以下「B研究センター」という。)において、同人を頸髄損傷に起因する脳浮腫の進行、頭蓋内圧の亢進による脳幹部圧迫に基づく呼吸停止、心停止により死亡させた(以下「傷害致死事件」という。)というものである。 当裁判所は、傷害事件について、平成29年9月24日に被告人がAの右前額部を殴った事実を認定することはできず、傷害致死事件についても、被告人がAに対して上記⑵の暴行を加えたと認めるには合理的な疑いを容れる余地があり、被告人は無罪であると判断したので、以下、その理由を補足して説明する。 第2 傷害事件について 1 争点争点は、被告人が、Aに対し、平成29年9月24日、その右前額部を拳で殴る暴行を加えたかどうかである。具体的には、Aの母であるC(以下「C」という。)は、公判廷において、同日、被告人がAの 争点 争点は、被告人が、Aに対し、平成29年9月24日、その右前額部を拳で殴る暴行を加えたかどうかである。具体的には、Aの母であるC(以下「C」という。)は、公判廷において、同日、被告人がAの前額部を拳で殴るのを目撃した旨供述し ており、被告人も、Aの前額部を拳で殴ったことは認めているものの、それは同月20日のことであり、同月24日のことではないと供述するので、Cの供述のうち、被告人の上記暴行を目撃した日に関する部分が信用できるかが問題となる。 2 前提事実⑴ 統合捜査報告書②(甲64号証)等によれば、以下の事実が認められる。 ア平成29年9月21日、Aが通っていた保育園において、同人の額の正面付近にたんこぶ(以下「たんこぶ①」という。)がある同人の写真(以下「写真①」という。)が撮影された。その際、保育士は、Cからの報告に基づき、Aが同月20日の夜、同居人から拳で額を殴られて腫れ及び内出血ができた旨のメモを作成するとともに、写真①に、たんこぶ①について「彼からのパンチ」との書き込みをした。 イ同月25日、同保育園において、たんこぶ①に加え、額の右側にたんこぶ(以下「たんこぶ②」という。)があるAの写真(以下「写真②」という。)が撮影された。その際、保育士は、Cからの報告に基づき、同日、Aがソファーにぶつかり、右の額に腫れ及び内出血ができた旨のメモを作成するとともに、写真②に、たんこぶ①について同じ書き込みを、またたんこぶ②について「ソファーにぶつける」との書き込みをした。 ⑵ D医師(以下「D医師」という。)の公判供述(同医師は小児科医として豊富な臨床経験と専門的知見を有しており、その供述は信用できる。)によれば、たんこぶ①とたんこぶ②は別の機会にできたものであり、たんこぶ②は、撮影された同月25日の 公判供述(同医師は小児科医として豊富な臨床経験と専門的知見を有しており、その供述は信用できる。)によれば、たんこぶ①とたんこぶ②は別の機会にできたものであり、たんこぶ②は、撮影された同月25日の一、二日前にできた全治約1週間の打撲傷であって、強い平面の外力が右前額部に加わってできたものであり、拳で殴ったものと考えて矛盾はなく、たんこぶ①は、同月25日の時点で治りかけていたと認められる。 3 Cの公判供述の要旨Cは、公判廷において、被告人の上記暴行を目撃した状況等について要旨以下のとおり供述した。 夜、寝ていた際、Aが異常な泣き方をしていたことで目を覚ました。Aを見ると、たんこぶ①ができていた。たんこぶ①について被告人に確認することはできず、Aに聞いても教えてもらえなかった。翌日である平成29年9月21日、保育園で、保育士に対し、ちゃんと見てはいないんですけど、寝ている間にたんこぶができていて、被告人がやったのかもしれない旨報告した。保育士から、親は1人しかいないんだから、あなたが守ってあげないと、と言われた。同月24日の午後8時から8時30分頃、台所で夕食の片づけをしていると、Aの泣き声が聞こえたので、ソファーのある部屋に行くと、ソファーの近くに座っていた被告人と向かい合ってAが立っており、被告人が、右の拳だったと思うが、拳で、Aのおでこの真ん中を1回グーパンチした。翌25日、保育園で、保育士に対し、たんこぶ②について、ソファーにぶつかってあざができたと嘘の説明をした。保育士に何回も怒られて嫌になっており、本当のことが言えなかった。 4 Cの公判供述の信用性Cの公判供述は、被告人がAの額を1回殴ったのを見たという部分では、殊更被告人に不利になるように誇大に被害を述べる様子は見られず、その内容自体に特段不自然な かった。 4 Cの公判供述の信用性Cの公判供述は、被告人がAの額を1回殴ったのを見たという部分では、殊更被告人に不利になるように誇大に被害を述べる様子は見られず、その内容自体に特段不自然な点もない。しかしながら、その供述のうち、被告人の暴行を見たのが平成29年9月24日であるという部分は、以下に述べるとおり、不自然さが残り、信用できない。 ⑴ まず、Cは、同月21日、保育士に対し、ちゃんと見てはいないが、寝ている間にAにたんこぶができていて、被告人がやったのかもしれない旨説明したなどと供述する。しかし、そうすると、保育士は、Cからその程度の説明しか受けなかったのに、たんこぶ①についてCの同居人がパンチをしたと理解し、写真①に「彼からのパンチ」との書き込みなどをしたことになるが、その供述は、保育士がCの説明以上に具体的かつ断定的に被告人の暴行を記載するなどしたという点で不自然であって考え難い。保育士のメモからすると、Cは、同日、保育士に対し、写真①に書き込まれているとおり、被告人がAに対してパンチをしたと説明したと考える 方が合理的である。そして、同月20日に、C自身が公判廷で「グーパンチ」と表現した被告人の暴力を目撃して、翌21日に、保育士に対し、たんこぶ①について、被告人がパンチをした旨を報告し、同月24日の夜Aにたんこぶ②ができていることに気付き、これが被告人の暴力によるものだと推測したものの、翌25日、被告人の暴力を報告して保育士から怒られるのを避けるために、たんこぶ②はソファーにぶつけてできたものであると報告したと考える方が、保育士の記録とCの供述を整合的に理解することができる。そうすると、Cには、同月20日と同月24日の出来事を混同しているおそれがある。 ⑵ また、Cは、捜査段階から一貫して、被告人がAの える方が、保育士の記録とCの供述を整合的に理解することができる。そうすると、Cには、同月20日と同月24日の出来事を混同しているおそれがある。 ⑵ また、Cは、捜査段階から一貫して、被告人がAのおでこの真ん中を殴ったのを見た旨供述している一方、前額部の中心付近にあったたんこぶは平成29年9月21日に確認されたたんこぶ①であって、その受傷状況とCの供述とは必ずしも符合しない。 ⑶ さらに、令和2年9月29日付けのCの警察官調書には、「平成29年9月20日の夜、原因はよく覚えていませんが、言うことを聞かなかったAちゃんに腹を立てた【被告人】が、Aちゃんのおでこを右の拳で殴った」旨の記載があり、令和2年10月30日付けのCの警察官調書には、「警察署に相談に行ったときは9月24日だと話してるそうですが、Aちゃんが通っていた保育園では、同月20日に彼氏がおでこにグーパンチをしたと記録されてるし、【被告人】に殴られてできたたんこぶの写真も残ってると刑事さんから教えてもらいました。Aちゃんが【被告人】にグーパンチされた次の日の朝、Aちゃんを保育園に連れていったときに、保育園の先生におでこのたんこぶの話をした覚えがあるので、保育園の記録のとおりで間違いありません。」との記載があるのであって、この点のCの供述には、捜査段階から公判廷にかけて変遷が認められる。 Cは、暴行を目撃した日に関する供述が変遷した理由について、捜査段階の当初、被告人がAを殴った日について曖昧な記憶しかなかったが、保育園の写真を確認するなどして、平成29年9月24日の出来事だと思い出した旨供述する。 しかし、Cは、被告人の暴行を目撃した後、Aのおでこのあざを確認したとは述べるものの、そのあざの特徴等について明確な供述はしておらず、保育園で撮影されたAの写真を確認 出した旨供述する。 しかし、Cは、被告人の暴行を目撃した後、Aのおでこのあざを確認したとは述べるものの、そのあざの特徴等について明確な供述はしておらず、保育園で撮影されたAの写真を確認するなどして、その右前額部にあったたんこぶ②が被告人の暴行によって生じたものだと考えた理由を具体的に述べているとも認められないので、その供述の変遷について合理的な理由も認められない。 ⑷ この点、検察官は、被告人の母が、公判廷において、平成29年の秋頃、自宅をAと被告人が訪れた際、Aの額にたんこぶがあるのを確認し、被告人からAのおでこを殴った旨聞いたなどと供述していることを指摘して、これがCの供述と整合していると主張する。 しかし、被告人の母は、前記の出来事の日やたんこぶの位置について明確に述べているわけではなく、被告人の母が見たたんこぶがたんこぶ②であると認定することもできないので、結局、被告人の母の供述は、Cの供述の信用性を支えるものとはいえない。 また、検察官は、Cが、平成29年9月27日頃、その母がAのおでこのたんこぶに気付き、母に対し、被告人が殴ったと説明したと供述していることを指摘し、D医師の供述によると、たんこぶ①は同月25日時点で治りかけだったことも考慮すれば、Cの母はたんこぶ②に気付いたと考えるのが合理的であるとも主張している。 しかし、Cに記憶の混同の疑いがある以上、Cの母がAのたんこぶに気付いた日に関するCの供述を当然の前提とすることはできないし、同月25日時点で治りかけのたんこぶであるからといって、同月27日頃にCの母が気付くことができなかったのかも定かではない。また、仮に、Cの母が気付いたのがたんこぶ②であったとしても、被告人が殴ったことを目撃したか否かにかかわらず被告人の暴力でたんこぶ①やたんこぶ②ができ が気付くことができなかったのかも定かではない。また、仮に、Cの母が気付いたのがたんこぶ②であったとしても、被告人が殴ったことを目撃したか否かにかかわらず被告人の暴力でたんこぶ①やたんこぶ②ができたと認識していたCが、被告人が殴った旨説明した可能性も否定できない。その他検察官の指摘を踏まえても、Cの供述に信用性が認められるとはいえない。 ⑸ なお、この点、被告人は、公判廷において、要旨以下のとおり供述する。 Cからの電話で、Aがガス栓にいたずらをしたことを把握し、帰宅後、同人を問い詰めたが、同人が謝らなかったことに腹を立て、そのおでこを拳で1回殴った。 Cから前記の電話を受けたのは仕事帰りだという記憶があり、平成29年9月20日は平日で、同月24日は仕事が休みであった日曜日なので、Aを殴ったのは同月20日だと思う。このように、被告人は、Aを殴った状況のみならず、その経緯や日について相応に具体的な根拠に基づいて供述しており、これを直ちに排斥することはできない。 ⑹ 傷害事件についての結論以上によると、被告人がAを殴ったのは平成29年9月24日であるというCの公判供述を信用することはできず、被告人が供述するとおり同月20日であった合理的な疑いが残るので、傷害の公訴事実を認定することはできない。 第3 傷害致死事件について 1 争点等争点は、事件性の存否、すなわち、被告人の暴行によりAが死亡したと認められるかである。検察官は、E医師(以下「E医師」という。)、F医師(以下「F医師」という。)及びG医師(以下「G医師」という。)の公判供述等に基づき、Aには第3~第5頸髄の損傷、急性硬膜下血腫及び両側眼底出血が生じており、これらの傷害は、事故によるものとは考え難く、回転性の強い外力によって生じたと認められ、Aに多数の 。)の公判供述等に基づき、Aには第3~第5頸髄の損傷、急性硬膜下血腫及び両側眼底出血が生じており、これらの傷害は、事故によるものとは考え難く、回転性の強い外力によって生じたと認められ、Aに多数の皮下出血等があることも外力を受けたことを強く推認させ、Aは、これらの頸髄損傷による呼吸障害及び急性硬膜下血種による脳浮腫の進行により心肺停止状態となって、その後蘇生するも、最終的には脳浮腫が進行し、脳幹部を圧迫して死亡したものであって、前記の外力を平成30年1月23日のCが不在になった後から容態急変までに加えられたことも明らかであり、それが可能であったのは被告人だけである旨主張する。これに対し、弁護人は、H医師(以下「H医師」という。)の公判供述等に基づき、Aの頸髄腫脹は虚血性変化であって頸髄損 傷ではなく、急性硬膜下血腫及び両側眼底出血は、虚血再灌流や頭蓋内圧亢進によって生じたと説明でき、これらの傷害は、外力ではない要因によってAが心肺停止状態になった結果として生じた可能性があるので、外力によって生じたものと認めるには合理的な疑いが残るなどと主張する。 当裁判所は、E医師、F医師及びG医師の供述について積極的に信用性を否定すべき事情は見当たらないものの、I医師(以下「I医師」という。)やJ医師(以下「J医師」という。)の供述も併せ考えると、H医師の供述を不合理なものとして排斥することは困難であり、結局、事件性を認定するには合理的な疑いを容れる余地があると判断したので、以下、補足して説明する。 2 前提事実統合捜査報告書⑤(甲67号証)、C、E医師、F医師、G医師及びJ医師の公判供述等の関係証拠によれば、以下の事実が認められる。 ⑴ Aは、平成30年1月23日、特段発育に問題のない身長102cm、体重16.2㎏の4歳6か月の 、C、E医師、F医師、G医師及びJ医師の公判供述等の関係証拠によれば、以下の事実が認められる。 ⑴ Aは、平成30年1月23日、特段発育に問題のない身長102cm、体重16.2㎏の4歳6か月の男児であり、被告人及びCと三人で暮らしていた。 ⑵ 被告人は、同日午前9時15分頃、Cをアルバイト先に送るため、Aを自宅に一人残してCと外出し、同日午前9時40分頃、帰宅した。 ⑶ 被告人は、同日午前10時6分頃、Cのアルバイト先に電話をかけ、同人に対し、Aの意識がない旨を伝えた。 ⑷ 被告人は、同日午前10時9分頃、119番通報をして、Aの意識がうつろであると告げ、消防職員の指示に従いながら心臓マッサージ等をした。 ⑸ 同日午前10時15分頃、消防隊員が、同日午前10時16分頃、救急隊員が被告人方にそれぞれ臨場した。その頃、Aは心肺停止状態であった。 ⑹ Aは、救急車で搬送され、同日午前10時33分頃、K病院(以下「K病院」という。)に到着し、蘇生措置の結果、同日午前10時40分頃、その心拍が再開した。 ⑺ 同日午前11時2分頃、K病院でAのCT画像が撮影された。この時点で、 その頭部には脳浮腫及び急性硬膜下血腫が生じていたが、画像上確認できるくも膜下出血は生じていなかった。 ⑻ 同日午前11時28分頃、K病院の眼科医の診察により、Aの眼底にしみ状出血が確認された。 ⑼ Aは、同日午後2時頃、B研究センターに搬送され、同日午後2時12分頃、そのCT画像が、同日午後4時22分頃、その眼底写真が撮影された。その際、Aの眼底には、点状出血、内境界膜下出血、しみ状出血、火炎状出血が眼底全体に多層にわたって生じており、軽度の鬱血乳頭も生じていた。 ⑽ Aは、同月25日午後0時13分頃、意識が戻らないまま死亡した。 には、点状出血、内境界膜下出血、しみ状出血、火炎状出血が眼底全体に多層にわたって生じており、軽度の鬱血乳頭も生じていた。 ⑽ Aは、同月25日午後0時13分頃、意識が戻らないまま死亡した。 ⑾ 同日午後2時3分頃、Aの死後のCT画像が撮影され、同日午後4時23分頃、Aの死後のMRI画像が撮影された。 ⑿ J医師は、同月26日午後4時30分頃、Aの解剖を開始し、右頭頂付近に骨膜出血を、頭部、顔面、右上腕等に複数の皮下出血を確認した。また、高度の脳浮腫のほか、急性硬膜下血腫やくも膜下出血も確認したが、びまん性軸索損傷は確認されなかった。 3 Aに外力を加えられたことの根拠とされる損傷の有無や機序について⑴ 頸髄損傷についてア脳神経外科医であるE医師は、AのCT画像及びMRI画像では、正常児に比して、第3~第5頸髄に限局した明らかな腫脹が確認でき、これを頸髄の生理的膨大の影響や虚血性の変化で説明することはできず、第3~第5頸髄に、頸椎が過度に伸展したことによる外傷性の損傷が生じたと判断できる旨供述する。また、放射線科医であるF医師も、AのCT画像及びMRI画像では、第3~第5頸髄に限局した腫脹が確認でき、これに腰髄脊柱管内の硬膜下血種や頭蓋内の急性硬膜下血腫も考え併せると、第3~第5頸髄に外力が加えられて損傷が生じたといえる旨供述する。 E医師及びF医師は、いずれも高い専門知識と数多くの臨床経験を有し、自身の 経験等を踏まえて各種検査結果又は解剖結果を検討の上、Aに生じた傷害の有無、程度、受傷機序等について供述しており、それぞれの供述内容はそれ自体として不合理とはいえない。 しかし、脳神経外科医であるH医師は、第3~第5頸髄の腫脹は虚血性変化による浮腫であって、外力によって生じた可能性は低い、第3頸髄 しており、それぞれの供述内容はそれ自体として不合理とはいえない。 しかし、脳神経外科医であるH医師は、第3~第5頸髄の腫脹は虚血性変化による浮腫であって、外力によって生じた可能性は低い、第3頸髄から第8胸髄にかけて広い範囲に高信号の領域が確認できるのは、頸髄に虚血性変化が生じたことを示しており、第4頸髄から第1胸髄のあたりには頸膨大があり、その範囲には個人差があるから、AのCT画像及びMRI画像から認められる頸髄の特徴は、頸膨大によって太く見えることが影響している、頸髄の位置によって高信号の範囲が違うのは、血管の分布の個人差によるものだと考えられ、頭蓋頸椎移行部や第1、第2頸髄の変化が少ないのは、血流が豊富な部分であるため、虚血性変化が生じにくいからである旨供述する。また、小児の頸椎、頸髄を専門とする整形外科医であるI医師は、CTやMRIの画像所見のみからは、Aの頸髄の状態が頸髄損傷であるのか、あるいは低酸素性の病変であるのかを診断するのは困難である旨供述し、解剖医であるJ医師は、Aの解剖所見として、脊椎周囲に出血や骨折はなく、頸髄損傷はないと判断をした旨供述する。 H医師、I医師及びJ医師も、いずれも高い専門知識と数多くの臨床経験又は解剖経験を有し、自身の経験等を踏まえて各種検査結果又は解剖結果を検討の上、Aに生じた傷害の有無、程度、受傷機序等について供述している。このように、専門家証人であるH医師、I医師及びJ医師が、同じくE医師及びF医師と異なる所見を明らかにしている以上、これらを踏まえて、なおE医師及びF医師の所見が間違いないといえるかどうかを判断する必要がある。そして、H医師の供述について部分的にではあるがこれに沿うI医師及びJ医師供述がある上、以下の理由によると、E医師及びF医師の反論や検察官の主張を踏まえても、H医師 えるかどうかを判断する必要がある。そして、H医師の供述について部分的にではあるがこれに沿うI医師及びJ医師供述がある上、以下の理由によると、E医師及びF医師の反論や検察官の主張を踏まえても、H医師の供述を不合理なものとして排斥できず、Aに頸髄損傷が存在したと認めるには合理的な疑いを容れる余地があると言わざるを得ない。以下、詳述する。 イ生理的膨大部であることが影響しているとの指摘について(ア) E医師は、一般に、頸髄については、第5、第6頸髄が最大径となるのであり、本件では、第3~第5頸髄に限局した腫れがあり、それらの部分が最大径となっているのであるから、生理的な膨大によって、本件の頸髄の画像所見を説明するのは適切でないと供述する。 (イ) この点、H医師は、頸膨大は一部分がいきなり太くなるのではなくなだらかに太くなるものであり、膨大部には一定の個人差がある旨供述している上、本件の頸髄の画像所見について虚血性変化による浮腫と考えられるものの、第3~第5頸髄が頸膨大であることが影響している旨説明するのであって、生理的膨大部であることのみを根拠として頸髄の腫脹を説明するものではない。また、E医師が示した文献には、頸膨大は第2頸椎に始まり、第5、第6頸椎で最大径になる旨記載されており、少なくとも、第3~第5頸髄が頸膨大であること自体に見解の相違はなく、H医師の見解が、前記文献の記載と明らかに食い違っているともいえない。 さらに、E医師は、異常な信号が第3~第6頸髄にだけ顕著に起こっている旨を、F医師も第3~第6頸髄ぐらいが一番腫れている旨を述べており、本件において、E医師指摘の文献で、一般に、第5頸髄と共に最大径となるとされている第6頸髄にもある程度強い腫れが生じていること、すなわち生理的膨大部に他より強い腫脹が 一番腫れている旨を述べており、本件において、E医師指摘の文献で、一般に、第5頸髄と共に最大径となるとされている第6頸髄にもある程度強い腫れが生じていること、すなわち生理的膨大部に他より強い腫脹がみられることは、医師らの共通の前提であるとみることもできる。 そうすると、H医師が、頸膨大には個人差が生じることなどを加味し、本件の頸髄の画像所見を説明する一つの根拠として生理的膨大の影響が考えられる旨説明している点が、直ちに不合理だと断ずることは困難である。 ウ血管の分布及び血流量と虚血性変化の関係について(ア) E医師は、H医師が、頭蓋頸椎移行部、第1、第2頸髄にほとんど変化が生じていない理由を、血流が豊富であり虚血になりにくいためだと説明している点について、第3、第4頸髄も椎骨動脈から、それより下の部分も鎖骨下動脈から直接血流をもらっており、H医師の述べる部分だけが虚血になりにくいと はいえない、指先の細かい動きを担当することでよく働いている第5、第6頸髄の辺りの血流が一番多いはずである、第3~第5頸髄に限局した腫れは、虚血性変化では説明できない旨反論する。 (イ) これに対し、H医師は、自らの血管撮影の経験を踏まえた上、頭蓋頸椎移行部、第1、第2頸髄の辺りは、脳に繋がる非常に太い血管である椎骨動脈から前脊髄動脈に直接分岐が生じる部分であるなどと、その他の部分の血管との性質の違いを踏まえて血流が豊富な状態である旨を具体的に説明している。また、E医師の供述によっても一番よく働いている頸髄の部位を決するための基準が明確にされているとはいえず、血流量との関係性も具体的に説明されていない。他方で、H医師は、血管の分布の個人差について自らの具体的な経験に基づいて供述している。 (ウ) この点、検察官は、血流量に関する されているとはいえず、血流量との関係性も具体的に説明されていない。他方で、H医師は、血管の分布の個人差について自らの具体的な経験に基づいて供述している。 (ウ) この点、検察官は、血流量に関するH医師の供述は、自ら引用した論文に、第3~第6分節動脈に上行頸動脈、深頸動脈が入り、左右や上下の吻合による豊富な側副路のため、1本の分節動脈がそのレベルのみで閉塞しても症状は出にくい旨の記載があることと齟齬している旨主張するが、H医師は、心肺停止によって全身が虚血になる場面について述べたのであり、1本の分節動脈が閉塞した場面について述べたものではないから、その主張は採用できない。 (エ) 加えて、本件においては、H医師が述べるとおり、第6頸髄から第8胸髄にかけても、正常児と比較して明らかに広範囲の高信号領域があることが明白であるが、E医師及びF医師は、第3~第5頸髄に限局して強い外力が生じたと考える場合に、第6頸髄から第8胸髄の高信号領域をどのように理解すべきなのかについて明確に述べているとはいい難い。 (オ) 以上を併せ考えると、血管の分布や血流量も踏まえて、本件の画像所見を虚血性変化だと説明するH医師の供述を不合理であるとして排斥することはできない。 エ頸髄の水平断のMRI画像の高信号領域の範囲について E医師は、H医師が頸髄の中心溝動脈が分布している範囲が虚血に陥りやすいと説明している点について、Aの頸髄の水平断のMRI画像のうち、第4頸髄を例に挙げながら、高信号の範囲が、中心溝動脈が分布している範囲を越えている旨反論する。この点、H医師は、中心溝動脈が分布している範囲は、血管が細いので虚血に陥りやすいが、虚血の程度が酷い場合には、頸髄の外側の血管がより太い部分にまで虚血が広がる旨供述しており 越えている旨反論する。この点、H医師は、中心溝動脈が分布している範囲は、血管が細いので虚血に陥りやすいが、虚血の程度が酷い場合には、頸髄の外側の血管がより太い部分にまで虚血が広がる旨供述しており、中心溝動脈が分布している範囲にのみ虚血が生じると説明しているものではない。H医師が、Aが心肺停止に陥っていた時間が少なくとも24分間以上に及んでおり、虚血の程度が強いと考えられることを踏まえ、前記の範囲を超えて高信号の領域が広がった旨も説明していることからすると、E医師の反論を踏まえても、H医師の供述が不合理であるということはできない。 オ前後方向の回転性外力によって強い力が加わる頸椎の部位について(ア) E医師が、頭部が前後方向に動く際には、最も可動域の大きい第5、第6頸椎の部分に最も大きい力が加わるはずであると述べるのに対し、H医師は、頸椎が前後屈する際に、頸椎全体の中で、頭蓋頸椎移行部と第1頸椎が約3分の1の運動を担い、それ以外の第2~第7頸椎で約3分の2の運動を分散して負担することから、前後方向の回転性外力が加わった際には、頭蓋頸椎移行部と第1頸椎に最も強い力が加わるが、本件では変化がみられないと述べる。 (イ) この点、両医師の供述を対比しても、頭部に前後方向の外力が加わった際、頸椎のどの部位に最も強い力が加わるかを考えるにあたって、頸椎の可動域の大きさと、前後屈の際に運動を担う割合のいずれがより重要なのかについては、明らかにされておらず、E医師の反論から直ちにH医師の供述が不合理であると認めることはできない。 カ脊柱管内の硬膜下血腫についてF医師は、Aの脊柱管内にも硬膜下血腫が確認できたと述べ、これもAの脊椎に外力が加わったと判断できる一つの根拠として挙げているが、その一方で、こ の硬 カ脊柱管内の硬膜下血腫についてF医師は、Aの脊柱管内にも硬膜下血腫が確認できたと述べ、これもAの脊椎に外力が加わったと判断できる一つの根拠として挙げているが、その一方で、こ の硬膜下血腫は、頭蓋内の出血が下方に流入して血腫を作った可能性と、脊椎に外力が加わって生じた可能性のいずれによるものか断定できないとも自ら述べており、E医師も脊柱管内の硬膜下血腫について何ら言及していないことも踏まえると、このF医師の供述をもってH医師の供述を排斥し、頸髄損傷の存在を認定することはできない。 キ検察官の主張について(ア) 検察官は、H医師は、Aの骨膜下出血についてJ医師の解剖結果と明らかに齟齬する供述をしていると指摘するが、この一事をもってこれと異なる部位の頸髄損傷の有無を含む、その供述全体の信用性が失われるとはいえない。 (イ) 次に、検察官は、H医師は頸髄に関する資格を有しておらず、加害者が行為を認めている外傷性硬膜下血腫の臨床取扱例の有無を即答できないなど、専門性に疑問があるとも主張する。しかし、H医師は、小児脳神経外科学会認定医である上、脊髄や頭部外傷に関する治療に携わった経験を具体的な件数も挙げながら説明しており、検察官の指摘から直ちにH医師の脊髄や頭部外傷に関する専門性が疑わしいとはいえない。 (ウ) また、検察官は、H医師が当初作成した意見書には、誤嚥による気道閉塞の可能性が考えられる旨の記載があったが、公判廷においては、痰が詰まったことによる気道閉塞の可能性が高い旨供述しており、合理的な理由もなく死因に関する重要部分の意見を変更していることなどから、H医師の供述は信用できない旨主張する。 しかし、専門家証人が公判廷での供述に向けて資料を再確認し、検討を深めていく中で、その意見に変化が生じ する重要部分の意見を変更していることなどから、H医師の供述は信用できない旨主張する。 しかし、専門家証人が公判廷での供述に向けて資料を再確認し、検討を深めていく中で、その意見に変化が生じること自体不合理とはいえず、そのことから直ちに供述の信用性が失われるとはいえない。少なくとも、気道閉塞に関する供述と、頸髄損傷の有無や急性硬膜下血腫及び眼底出血が生じた理由に関する供述は、その根拠が明確に区別でき、検察官の主張を踏まえても、後者の点に関するH医師の供述が直ちに不合理であるとはいえない。 (エ) 加えて、検察官は、生後21か月の男児についての、本件と全く異なる事案を取り扱う論文を指摘しなければ、H医師は虚血性神経変性の論拠を挙げられない旨主張する。しかし、H医師は、本件とは種々の点で異なると断った上で、低位落下によって頸髄損傷が生じた症例を紹介する趣旨で上記論文を引用したに過ぎず、Aの頸髄の虚血性変化の根拠として上記論文を挙げたわけではない。頸髄に虚血性の変化が生じ得ることは、E医師やI医師も前提にしており、この検察官の主張も採用できない。 クなお、I医師は、前記のとおり供述する一方、Aの右上腕の皮下出血等も併せて考慮すると、犯人がAの右腕をつかんで柔らかい鈍体に叩き付け、Aの前額部を衝突させ、頸椎が過伸展して頸髄に損傷が生じたという機序であれば、一回の暴行で頸髄損傷や頭蓋内損傷を生じ得る上、Aの全身の所見を統一的に説明できるとも述べる。 もっとも、右上腕を含む皮下出血は、J医師が、一週間前に生じたものということはあり得ない旨述べるものの、結局いつ生じたのかは不明である上、J医師も、成人が掴んだことによって生じたと断定できるとは述べていないのであって、Aの皮下出血を踏まえたI医師の供述は、あくまで一つ とはあり得ない旨述べるものの、結局いつ生じたのかは不明である上、J医師も、成人が掴んだことによって生じたと断定できるとは述べていないのであって、Aの皮下出血を踏まえたI医師の供述は、あくまで一つの可能性を述べるにとどまり、この供述から頸髄損傷の存在を認定することはできない。 ケまた、Aの頸髄の周囲に損傷が確認できないことについて、E医師、F医師及びI医師は、子どもの場合には、体が柔らかく、頭部が大きいため、頸髄の周辺の組織に損傷が生じずに、頸髄損傷のみが生じることはあり得ると述べ、H医師も、そのような可能性を完全に否定しているわけではない。 しかしながら、E医師の豊富な臨床経験の中でも、頸髄の周囲に損傷が確認できない頸髄損傷の取扱例は3例のみであり、その具体例も本事案とは異なる上、本件のように、心肺停止にまで至った事案でも、頸髄の周囲に損傷が確認できない頸髄損傷の具体例があるかについては、明らかにされていない。 加えて、H医師は、Aの頸髄の周辺に、骨折や、靭帯、筋肉等の軟部組織の損傷 が確認できないことからしても、頸髄損傷があったとは考えにくい旨供述しており、E医師が述べるように、首の保護機能を著しく凌駕し、首がぶらんぶらんとなるほどの回転性外力を加えて、頸髄損傷を生じさせながら、頸髄の周辺には何らの損傷も確認できないという事態がどれだけ現実的なのかについては、一定の疑問を差しはさむ余地がある。 コ頸髄損傷の有無についての結論以上によれば、E医師及びF医師の反論や検察官の主張を踏まえても、Aの頸髄の腫脹は虚血性変化である可能性が高い旨のH医師の供述は不合理なものとして排斥できず、Aには頸髄損傷が生じていなかった合理的な疑いが残るといわざるを得ない。 ⑵ 急性硬膜下血腫の機序( の頸髄の腫脹は虚血性変化である可能性が高い旨のH医師の供述は不合理なものとして排斥できず、Aには頸髄損傷が生じていなかった合理的な疑いが残るといわざるを得ない。 ⑵ 急性硬膜下血腫の機序(外傷性によるものか否か)ア E医師は、AのK病院搬送時のCT画像には、広範囲に、左右方向外側に向かって急性硬膜下血腫が認められ、その時点で固まっていない出血もあるので、出血から一、二時間後のものだといえる、出血の量からすると、意識障害が生じてもおかしくない程度の硬膜下血腫であり、血液分布からして、前後方向に強い回転性外力が加わったことで、架橋静脈が破綻したことが原因で生じたと判断できる旨供述し、F医師も、AのK病院搬送時のCT画像では、大脳の周りに硬膜下血腫が確認され、B研究センター搬送後のCT画像では、小脳テント付近にも硬膜下血腫が認められており、かなりの強さの回転性の外力が加えられ、架橋静脈が破綻した可能性が高いなどと供述する。 これに対し、H医師は、頭部に回転性の外力が加えられると、軸索が損傷するが、Aにはびまん性軸索損傷が確認されていない、心肺停止によって虚血状態が生じると、血液脳関門が壊れ、血流が再開した際に、脳の血管が破綻し、出血が起こることがある、虚血の時間が長いほど、出血の量は増える、CT画像のみからは、硬膜下血腫が外傷によるものか、虚血再灌流によるものかは判断できない、本件では、大脳鎌に沿った部分、脳表の左右、小脳テントの部分に硬膜下血腫が生じているが、 自らが過去に担当した症例でも、虚血再灌流によって、これらの部位に出血が生じたものを数例経験しており、本件も、虚血再灌流による出血と考えて問題はない旨供述する。 イ前述のとおり、E医師及びF医師はいずれも高度の専門的知識を有し、多数の臨床経験を有する脳 位に出血が生じたものを数例経験しており、本件も、虚血再灌流による出血と考えて問題はない旨供述する。 イ前述のとおり、E医師及びF医師はいずれも高度の専門的知識を有し、多数の臨床経験を有する脳神経外科、放射線科の医師である。加えて、E医師及びF医師は、いずれも外傷性硬膜下血種である旨述べており、両名の供述は内容的に相互に支え合っている上、心拍再開から硬膜下血腫が確認された時間が22分間程度にとどまるのに相応の出血量があることなどとも整合的であるともいえる。しかしながら、H医師も高度の専門知識や臨床経験を有する脳神経外科医であり、びまん性軸索損傷がないことから回転性の外力が加わったということはできないという点についてはJ医師も同趣旨を述べていることなども併せ考えると、E医師らの供述や反論を踏まえても、H医師の供述を不合理なものとして排斥するまでには至らず、Aの急性硬膜下血腫が虚血再灌流による出血である合理的な疑いが排斥できないと判断した。以下、詳述する。 ウ血腫の分布、出血量や態様、Aの年齢についてE医師は、虚血再灌流の場合は鬱血した血液が大脳鎌の中にたまって、それがにじむような形で出てくるものであり、本件の出血の範囲、出血量、態様とは異なる、H医師が根拠とする論文で示されている事例のほとんどは乳児であり、乳児の場合には、血管が未熟であることから再灌流によって出血するというのが根拠であるし、虚血再灌流で硬膜下血腫が生じた報告例は、自分が渉猟した限りでは、全て1歳以下の赤ちゃんに生じたものであって、約4歳6か月であったAに、虚血再灌流の理屈を当てはめるのは妥当ではない旨指摘する。 この点、H医師は、自ら取り扱った虚血再灌流の症例において、大脳鎌だけではなく、脳の表面や小脳テントの部分に出血が起こっていたものを数例経験している の理屈を当てはめるのは妥当ではない旨指摘する。 この点、H医師は、自ら取り扱った虚血再灌流の症例において、大脳鎌だけではなく、脳の表面や小脳テントの部分に出血が起こっていたものを数例経験している旨供述しており、自らの臨床経験を踏まえ、Aの年齢も当然の前提にした上で、本件の急性硬膜下血腫は虚血再灌流によって生じたと説明できる旨述べる。本件と同 程度の年齢の子どもの架橋静脈が破綻し、硬膜下血腫が生じた事例があることが論文や文献等を根拠に立証されているわけではなく、H医師の紹介した論文の症例が、本件よりも低年齢の子どもの事例であることを理由にH医師の見解のみを排斥することには、慎重にならざるを得ない。そうすると、H医師の供述を不合理なものとして排斥することはできない。 エ脳浮腫の進行速度についてF医師は、心肺停止から約4時間後に撮影されたCT画像でびまん性脳浮腫が確認されており、このような急激な脳浮腫の進行は、経験上、脳炎やてんかんの患者のほか、外傷に伴って硬膜下血腫と低酸素性虚血性脳症が同時に起こった病態の患者にみられることが多い旨供述するが、これは同医師が例示した場合以外ではこのような急激な脳浮腫の進行が生じることはないとまで述べる趣旨であると理解することはできず、単に、外傷性硬膜下血腫が生じていたとすれば自然だと述べるにとどまるものと解される。また、虚血再灌流によって硬膜下血腫が生じた場合に、急激な脳浮腫を生じさせるような悪循環が生じないのかについて何ら供述していない。 そうすると、F医師の供述は、H医師の供述を排斥する根拠とまではいえない。 オ現代のCTやMRIで虚血再灌流による硬膜下血腫が確認されるかについてF医師は、現代医学におけるCTやMRIの撮影で、虚血再灌流による硬膜下血腫が確認されたことはな 拠とまではいえない。 オ現代のCTやMRIで虚血再灌流による硬膜下血腫が確認されるかについてF医師は、現代医学におけるCTやMRIの撮影で、虚血再灌流による硬膜下血腫が確認されたことはない旨供述するが、その理由を具体的に説明してはおらず、E医師も、現代のCTやMRIでは虚血再灌流による硬膜下血腫が確認されないなどとは述べていないので、F医師の供述は、この点でもH医師の供述を排斥するに足るものとは言い難い。 カ骨膜出血について検察官は、外傷性の急性硬膜下血腫が生じた旨の主張を支える根拠として、Aに確認された骨膜出血は、柔らかいものが頭部にぶつかり、大きな外力が加えられたことによるものだと考えられ、受傷機序に大きく関与している可能性が高い旨をいうJ医師の供述を指摘する。しかし、同医師は、骨膜出血が生じた時期を、一週間 前ということはあり得ないという以上に厳密に特定していない上、くも膜下出血と骨膜出血がいずれも頭頂部付近に確認されたことから、骨膜出血がくも膜下出血の受傷機序に大きく関与している可能性が高い旨述べるものにすぎず、急性硬膜下血腫の受傷機序を語るものではない。E医師がK病院への搬送時のCT画像ではくも膜下出血は確認できない旨述べていることは、J医師の供述の前提と異なるといわざるを得ず、J医師の供述を根拠にしても急性硬膜下血腫が外傷性のものだと推認することはできない。 キ急性硬膜下血腫の原因についての結論以上のとおり、Aの急性硬膜下血腫が虚血再灌流によって生じた可能性があるなどとするH医師の供述を不合理なものとして排斥することはできず、急性硬膜下血腫は、外力によらずに生じた合理的な疑いが残るといわざるを得ない。 ⑶ 眼底出血の原因についてア眼科医であるG医師は、Aの両目の眼底全体 合理なものとして排斥することはできず、急性硬膜下血腫は、外力によらずに生じた合理的な疑いが残るといわざるを得ない。 ⑶ 眼底出血の原因についてア眼科医であるG医師は、Aの両目の眼底全体に、広範囲に、多層に及ぶ出血が、動脈・静脈の双方から確認されたほか、頭蓋内圧の亢進を示す軽度の鬱血乳頭や、点状出血、内境界膜下出血、しみ状出血、火炎状出血が認められており、とりわけ内境界膜下出血は、頭部が揺れて目に揺すられる力が加わって、内境界膜と網膜が強くずれたことを示す、AHTに特徴的な出血である旨供述した。 これに対し、H医師は、急激に脳浮腫が進行すると、急速に頭蓋内圧が亢進するが、これにより、網膜内の静脈の灌流が悪くなり、鬱血が起こって出血が生じることが考えられる、加えて、心肺停止後の虚血によって血液網膜関門の破壊も進み、虚血再灌流によって、動脈・静脈の双方から出血することが考えられる、Aの両側眼底出血は、これら二つの要素が相俟って生じたものと説明できる旨供述した。 イ G医師は、眼科医として専門的知見を有し、その臨床経験等に基づいてAの眼底出血の有無、程度、その受傷機序を供述するものである。また、H医師は、脳神経外科医であって眼科医ではないものの、脳腫瘍やくも膜下出血などで頭蓋内圧が上がると眼底に変化が生じるので、診察の際に必ず眼底の観察をすると供述して おり、本件の争点については、臨床経験に基づく専門性を有している。そして、H医師の見解は、平成30年1月23日午前11時28分頃、K病院において眼科医が行った眼底検査の記録には、しみ状出血の存在が記録されている一方で火炎状出血や内境界膜下出血は記録されていないことと符合するほか、G医師の供述を踏まえても、本件の両側眼底出血は、頭蓋内圧亢進による出血と虚血再灌流による出血 しみ状出血の存在が記録されている一方で火炎状出血や内境界膜下出血は記録されていないことと符合するほか、G医師の供述を踏まえても、本件の両側眼底出血は、頭蓋内圧亢進による出血と虚血再灌流による出血が相俟って生じた可能性がある旨のH医師の供述は、その内容自体が直ちに不合理であるとして排斥できるものではないと判断した。以下詳述する。 ウ頭蓋内圧亢進による眼底出血の可能性について(ア) G医師は、脳圧亢進による眼底出血の場合には、動脈からは出血は起こらない(この点にはH医師との間に争いはなく、H医師は、後述する虚血再灌流による出血では動脈・静脈双方から出血する旨供述している。)、本件では、眼底写真の撮影の際には鬱血乳頭は軽度であり、この時点では脳ヘルニアもないので、本件の眼底出血を脳圧亢進で説明することはできない旨反論する。 (イ) この点、H医師は、頭蓋内圧亢進が生じてから、鬱血乳頭が起こるまでは、約1日程度の時間差があるといわれており、B研究センターで眼底写真が撮影された平成30年1月23日午後4時22分の時点で、鬱血乳頭が軽度であったことは、その時点で頭蓋内圧亢進がなかった根拠には全くならない旨供述するなど具体的な時間差を示して反論しており、H医師の供述を排斥する根拠とはいえない。 また、B研究センターで、同日午後2時12分頃に撮影されたCT画像で脳ヘルニアが確認できないという点については、G医師自身、画像上でどの程度脳圧が上がっているかを判断できる立場にはないとも供述している上、E医師も、同日にK病院とB研究センターで撮影されたCT画像を比較して、この間に脳圧はかなり高くなっていると述べているのであって、この点のG医師の供述も、脳神経外科医であるH医師の供述を排斥するものではない。 エ虚血再灌流による眼底出血の可能性につい 像を比較して、この間に脳圧はかなり高くなっていると述べているのであって、この点のG医師の供述も、脳神経外科医であるH医師の供述を排斥するものではない。 エ虚血再灌流による眼底出血の可能性について(ア) G医師は、虚血再灌流による眼底出血については、子どもの網膜の専門 の教科書に載っていない、H医師が紹介している論文は、マウスの目に45分間血流がない状態を作り出したものであって、そもそも動物による実験の論文にすぎず、Aの心臓が全く動かない状態が45分間あった訳でもなく、溺水で蘇生した子どもの症例でも、本件のような出血を見たことはない、成人の網膜中心動脈閉塞でも、これほど強い出血が生じる例はほぼない、本件の眼底出血につき、これほどの出血を見る機会は虐待の症例以外でほとんどない旨供述している。 (イ) しかし、教科書に記載がないからといって、H医師が論文、虚血再灌流による眼底出血については人の臨床例の解析に基づく論文を紹介しながら述べるその内容が直ちに不合理であるということはできない。また、溺水の後に蘇生した子どもや、成人の網膜中心動脈閉塞の場合についてのG医師の供述も、H医師が最低24分間の心肺停止によって、相当強い虚血性変化が生じたと述べている本件と同程度の虚血状態にあった事例についての供述なのかは不明である。虐待事案以外で、本件の程度の眼底出血はほとんど見たことがないというG医師の供述についても、本件と同程度の眼底出血であるからといってただちに本件が虐待の症例であると断定することもできないのであって、論文の知見を援用して自らの見解を述べているH医師の供述を、排斥するに足るものではない。 オ検察官の指摘について(ア) 検察官は、H医師が自ら引用した論文に、虚血後の再開通現象が出血に関与している可能性は否定的 の見解を述べているH医師の供述を、排斥するに足るものではない。 オ検察官の指摘について(ア) 検察官は、H医師が自ら引用した論文に、虚血後の再開通現象が出血に関与している可能性は否定的である旨の記載があり、H医師の見解と、自ら引用した論文との間に齟齬がある旨主張している。 (イ) この点につき、H医師は、前記の論文は、頭蓋内圧亢進が網膜出血の原因だと説明している論文として紹介したものであるから、検察官が指摘する部分は引用しなかった旨説明する。確かに、H医師は、頭蓋内圧亢進と虚血再灌流による出血を共に問題としているのであるから、無用な疑義を抱かれることを避けるためには、検察官が指摘する部分も引用することが望ましかったとはいい得るが、少なくとも、検察官の指摘にかかる論文で紹介されている症例が、本件と、虚血の程度 等において共通した症例であるかは不明であり、H医師は、虚血再灌流による眼底出血については、別の論文を根拠として紹介しているのであるから、検察官の指摘によって、H医師の供述が不合理なものとして排斥できるとはいえない。 カ眼底出血の原因についての結論以上のとおり、Aの両側眼底出血は、頭蓋内圧亢進と虚血再灌流による出血が相俟って生じた可能性がある旨のH医師の供述を不合理なものとして排斥することはできず、Aの眼底出血は、外力によらずに生じた合理的な疑いが残るといわざるを得ない。 ⑷ 傷害致死事件についての結論以上の次第で、E医師、F医師及びG医師の供述等によれば、検察官が主張するとおり、平成30年1月23日、Aが外力によって、上位頸髄損傷、急性硬膜下血腫、両側眼底出血等の傷害を負い、その後、これによる脳浮腫等の影響により死亡した可能性が認められる。しかしながら、H医師の供述等も踏まえると、Aには、E医 が外力によって、上位頸髄損傷、急性硬膜下血腫、両側眼底出血等の傷害を負い、その後、これによる脳浮腫等の影響により死亡した可能性が認められる。しかしながら、H医師の供述等も踏まえると、Aには、E医師らが述べるような強度の回転性外力が加えられたことに疑いを差しはさませる事情があり、その頸髄の腫脹は虚血性変化の、急性硬膜下血腫及び両側眼底出血は頭蓋内圧亢進又は虚血再灌流による出血の可能性があるというのである。そうすると、Aは、気道閉塞その他の何らかの要因によって、心肺停止状態に陥り、その結果として、頸髄に虚血性変化が生じるとともに、頭蓋内圧亢進と虚血再灌流による出血の影響によって、急性硬膜下血腫及び両側眼底出血が生じた可能性が排斥できず、被告人の暴行によってこれらの傷害が生じたことが間違いないとまでは認められないので、傷害致死の公訴事実を認定することはできないと判断した。 第4 結論したがって、本件各公訴事実については犯罪の証明がないことになるので、刑事訴訟法336条により、被告人に対し無罪の言渡しをする。 (求刑懲役12年)令和7年2月4日 横浜地方裁判所第1刑事部 裁判長裁判官吉井隆平 裁判官内藤尚子 裁判官関口遼介

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