平成15(行コ)36 難民不認定処分取消等請求控訴事件(原審・大阪地方裁判所平成12年(行ウ)第13号)

裁判年月日・裁判所
平成16年2月10日 大阪高等裁判所 警察関係
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判決文本文18,831 文字)

主文 1 原判決主文第1項を取り消す。 2 原判決主文第1項に係る被控訴人の請求を棄却する。 3 訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。 事実及び理由 第1 当事者の求めた裁判 1 控訴人主文と同旨 2 被控訴人(1) 本件控訴を棄却する。 (2) 控訴費用は控訴人の負担とする。 第2 事案の概要 1 事案の要旨(1) 本件は,アフガニスタン出身の被控訴人が,控訴人のした難民不認定処分及びこれに対する異議申出を理由がないとした裁決を不服として,上記処分及び裁決の取消しを求めた事案である。 (2) 原審は,難民不認定処分は違法であるとして取り消したが,裁決の取消請求は棄却した。 (3) これに対し,控訴人が,原審が難民不認定処分を取り消した部分につき,控訴したものである。 2 前提事実(争いのない事実,証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)(1) 被控訴人は,アフガニスタン出身の男性である。 (2) アフガニスタンの概況アアフガニスタンは,イラン系のパシュトゥーン族やタジク族,モンゴロイド系のウズベク族やハザラ族等の民族が混在する多民族国家である。 イ 1979年(昭和54年)12月,ソ連軍の軍事介入の下で,カルマル社会主義政権が誕生し,1986年(昭和61年)5月にはナジブラが書記長に就任して政権を引き継いだ。しかし,イスラム教徒民兵組織であるムジャヒディーンがゲリラ戦を展開し,ソ連軍は,1989年(平成元年)2月,ジュネーブ合意に基づきアフガニスタンから完全に撤退し,1992年(平成4年)4月,ムジャヒデイーンの軍事攻勢によりナジブラ政権が崩壊した。 ムジャヒディーンには,タジク族中心のイスラム協会(ラバニ派),パシュトゥーン族中心のイスラム党(ヘクマチヤル派),イスラム教シーア派のハザラ族中 デイーンの軍事攻勢によりナジブラ政権が崩壊した。 ムジャヒディーンには,タジク族中心のイスラム協会(ラバニ派),パシュトゥーン族中心のイスラム党(ヘクマチヤル派),イスラム教シーア派のハザラ族中心のイスラム統一党(ヘビス・ワハダットという。ハリリ派等),ウズベク族中心のイスラム国民運動党(ドストム派)が属していた。そして,1993年(平成5年)1月,イスラム協会の最高指導者ラバニが大統領に就任したが,各派間の主導権争いが激化し,全土が内戦状態に巻き込まれることとなった。 ウその混乱の中,1994年(平成6年)末,イスラム教スンニー派のパシュトゥーン族を中心としたタリバーンと呼ばれるイスラム原理主義勢力が台頭し,イスラム原理主義政権の樹立を目指して勢力を拡大した。首都カブールはラバニ派を中心とする政権が支配していたが,タリバーンは,1996年(平成8年)9月末にはカブールを制圧し,暫定政権の樹立を宣言した。 これに対し,ラバニ派,ハリリ派,ドストム派等の各派は,北部マザリ・シャリフを中心に反タリバーン同盟(通称北部同盟)を結成し,抵抗を続けた。イスラム統一党ハリリ派も反タリバーン盟に加わっていたが,タリバーンはこれらの勢力に対する攻勢を強めていった。 1998年(平成10年)8月,反タリバーン同盟の拠点であったマザリ・シャリフがタリバーンの攻勢により陥落した。 その後,同年9月にイスラム統一党の拠点バーミヤンも陥落し,ハザラ系市民2000人以上が大量虐殺された旨の報道がされた。 (3) 被控訴人と難民不認定処分等ア被控訴人は,P1名義の旅券(以下「本件旅券」という。乙10の1)を所持している。 本件旅券は,1994年(平成6年)8月29日,カブール中央旅券事務所で発行され,1996年(平成8年)12月12日,アフガニスタンのバ 旅券(以下「本件旅券」という。乙10の1)を所持している。 本件旅券は,1994年(平成6年)8月29日,カブール中央旅券事務所で発行され,1996年(平成8年)12月12日,アフガニスタンのバルフで有効期間が延長されたもので,旅券の対象者の生年として1968年(昭和43年)と記載されている。 被控訴人は,本件旅券を所持して,1995年(平成7年)1月から1997年(平成9年)9月まで合計5回,いずれも短期滞在の在留資格(在留期間90日)で日本に入国した(乙2)。 イ (難民認定申請及び本件処分)被控訴人は,さらに,1998年(平成10年)6月28日,短期滞在の在留資格(在留期間90日)で日本に入国し,同年8月24日,控訴人に対し出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)61条の2に基づく難民認定の申請をするとともに,在留期間更新許可申請を行い,その許可を受けた。 しかし,控訴人は,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件処分」という。)を行い,1999年(平成11年)6月10日付け通知書で被控訴人に通知し,上記通知書は,同月30日被控訴人に交付された。そして,被控訴人の平成11年6月21日付け在留期間更新許可申請も同年7月12日に不許可とされた(乙2)。 ウ (異議申出及び本件裁決)被控訴人は,平成11年7月6日,控訴人に対し,入管法61条の2の4に基づき本件処分について異議の申出を行ったが,控訴人は,異議の申出に理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)を行い,1999年(平成11年)12月6日付け通知書で被控訴人に通知し,上記通知書は,同年12月7日,被控訴人に交付され,同日,被控訴人は収容された。 エ被控訴人は,2000年(平成12年)2月14日,郵送で第2次難民認定申請を行い,同年2月17日,仮放免され, し,上記通知書は,同年12月7日,被控訴人に交付され,同日,被控訴人は収容された。 エ被控訴人は,2000年(平成12年)2月14日,郵送で第2次難民認定申請を行い,同年2月17日,仮放免され,同年2月28日,本件処分及び本件裁決の取消しを求めて本訴を提起した。 なお,被控訴人は,その後の2002年(平成14年)5月20日,P2と婚姻の届出をした。 (4) 難民について入管法が定める難民とは,難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)1条の規定又は難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)1条の規定より難民条約の適用を受ける難民をいう(入管法2条3号の2)。 そして,上記各規定によれば,難民とは,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するために,その国籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないものをいうとされている。 3 争点及びこれに関する当事者の主張(争点)本件の争点は,次のとおりである。 (1) 本件処分の違法性の有無ア難民該当性の有無イ手続の違法性の有無(2) 本件裁決の違法性の有無(争点に関する主張)争点に関する当事者の主張は,控訴人及び被控訴人の当審における主張を次項以下のとおり加えるほかは,原判決の「事実及び理由」の「2 争点」(原判決4頁22行目から10頁5行目まで)のとおりであるから,これを引用する。 4 控訴人 控訴人及び被控訴人の当審における主張を次項以下のとおり加えるほかは,原判決の「事実及び理由」の「2 争点」(原判決4頁22行目から10頁5行目まで)のとおりであるから,これを引用する。 4 控訴人の当審における主張(要旨)(1) 被控訴人と「P1」との同一性被控訴人は,「P1」でないと推認するのが合理的である。 ア甲11の1は偽造されたものである。 イ生年月日に関する被控訴人の供述は一貫しておらず,信用性がない。 (2) 被控訴人の戦闘経歴被控訴人は,シーア派,ハザラ族で統一党の兵士として戦闘に参加した経歴は認められない。 ア甲6の写真には被控訴人が統一党の兵士であることを示す対象物等は何ら撮影されていないから,同写真をもって,被控訴人が統一党の兵士で,タリバーンと戦ったことの証拠にすることはできない。 イ甲17の写真の被写体が被控訴人とは認め難い。同写真を入手した経緯に関するP3の証言は,同人の陳述書(甲51中二3の甲17の説明文)の内容と異なっており,これらのP3の証言,陳述書等の記載は信用できない。 (3) 難民該当性の判断アシーア派,ハザラ族であれば迫害を受けるおそれがあるわけでない。 国際機関等からハザラ族であれば殺害される旨の報告はされてない。 甲12の1の翻訳文である甲12の2は,ハザラ族が迫害されているかのような印象を与えるべく原文にない記載が付加された信用性の低いものである。 イ被控訴人が「P1」又は統一党の兵士として戦闘に参加した者であることを理由に迫害されることはない。 a タリバーンは,平成6年末に台頭してきたものであり,被控訴人が戦闘から離脱したと主張する平成6年8月ころには,まだ台頭していなかったのであるから,タリバーンと戦闘行為をすることはあり得ない。 b 被控訴人が参加した戦闘の相手方とされる たものであり,被控訴人が戦闘から離脱したと主張する平成6年8月ころには,まだ台頭していなかったのであるから,タリバーンと戦闘行為をすることはあり得ない。 b 被控訴人が参加した戦闘の相手方とされるパシュトゥーン族を中心とするエテハテ・サヤフもタリバーンと敵対し,反タリバーンの北部同盟に合流しており(乙26ないし28),タリバーン政権崩壊後に発足したアフガニスタン・イスラム移行政権にパシュトゥーン族・タジク族からも閣僚が選出されている。 (4) 被控訴人がシーア派のハザラ族であり,統一党の兵士として戦闘に参加した経歴の持ち主であったとしても,それゆえに迫害を受けるおそれがあったとはいえない。 5 被控訴人の当審における主張(要旨)(1) 控訴人は,被控訴人が「P1」であることに疑義を持っている。確かに,親族との音信等は頻繁には行われてないけれども,アフガニスタンと我が国の社会状況,歴史・風俗の違い,通信手段の普及の度合いを考慮に入れると,親族との音信不通があるからといって被控訴人が「P1」でないことの根拠にすることはできない。 (2) 甲79によれば,株式会社ティーエスエルは,P3と被控訴人とのDNAを検査したところ,P3と被控訴人の間に血縁関係が存在しないとするよりも,全同胞関係が存在するとしたときの総合肯定確率は99.996%であるとして「P3とP1との間に生物学的な全同胞関係が存在するときわめて強く推定できる。」旨の所見を述べている。 このように,被控訴人がP3の弟であることが立証された以上,被控訴人が「P1」であることも立証されたというべきである。 第3 当裁判所の判断 1 本件処分の違法性について(1) 難民該当性についてア立証責任等について(ア) 被控訴人は,UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)難民認定基準ハンドブッ べきである。 第3 当裁判所の判断 1 本件処分の違法性について(1) 難民該当性についてア立証責任等について(ア) 被控訴人は,UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)難民認定基準ハンドブックにいう灰色の利益が申請者に与えられるべきであるというのが国際原則である旨主張する。 しかし,難民条約及び難民議定書には,難民認定に関する立証責任や立証の程度に関する規定はなく,各締結国の立法政策に委ねられていると解される。そして,UNHCR難民認定基準ハンドブックは,各国政府に指針を与えることを目的とするものであって,それ自体に法的拘束力を認めることはできず,これを理由に,難民認定の立証責任や立証の程度に関して申請者に灰色の利益を与えるべきであると解することはできない。 (イ) また,被控訴人は,UNHCRが被控訴人を難民として認定したことから立証責任が転換される旨主張し,第2回調査嘱託の結果によれば,被控訴人がUNHCRからマンデート難民の認定を受けた事実が認められる。 しかしながら,UNHCRによるマンデート難民の認定は,UNHCR事務所規程所定の責務に基づいて独自に実施されるもので,難民条約所定の保護を与えることを目的とする締結国による難民認定とは目的及び対象を異にする。その認定資料も異なるものであって,マンデート難民の認定がなされたことが難民認定の一資料となることはともかくとして,これにより立証責任の転換等の効力を認めることはできない。 イ被控訴人の主張被控訴人が難民であるとして主張するところは,概要,次のとおりである。 (ア) 被控訴人は,甲61の1,62の1の在テヘラン・アフガニスタン暫定行政機構大使館発行の各証明書にあるP4とP5の子の「P1」である。 (イ) 被控訴人は,1991年(平成3年)17歳のころから,イスラム統一 人は,甲61の1,62の1の在テヘラン・アフガニスタン暫定行政機構大使館発行の各証明書にあるP4とP5の子の「P1」である。 (イ) 被控訴人は,1991年(平成3年)17歳のころから,イスラム統一党のマザーリ派のゲリラ兵士として内戦に参加し,主として,カブール市内のハザラ族の多いα地区及びβ地区で,パシュトゥーン族やタジク族系のエテハテ・サヤフというゲリラ組織との市街戦に加わった。 1992年(平成4年),α地区の被控訴人の実家がエテハテ・サヤフに破壊され,被控訴人の家族は,カブールを出てマザリ・シャリフに逃れたが,マザリ・シャリフ陥落後,パキスタン等に逃れて現在離散状態にある。 被控訴人は,イスラム統一党ゲリラとしてカブールに残ったが,1993年(平成5年),ラバニ派のマスード派ゲリラとの戦闘に敗北し,その際α地区,β地区のハザラ族500人近くが虐殺された。また,イスラム統一党は,1994年(平成6年),α地区,β地区でエテハテ・サヤフとの戦闘に敗れ,非戦闘員が虐殺され,被控訴人のおじで非戦闘員のP6とP7がエテハテ・サヤフに連行され,連絡がとれなくなり,殺害されたと伝えられた。 被控訴人は,戦闘が嫌になり,1994年(平成6年)8月,ラバニ派に本件旅券を発行してもらい,パキスタンのペシャワールに脱出した。 (ウ) エテハテ・サヤフは,その後タリバーンに合流しており,1995年(平成7年),タリバーンがカブールに侵攻し,同年3月,イスラム統一党指導者マザーリ師が虐殺され,また,ゲリラ基地にあったイスラム統一党ゲリラの写真付き軍部身分証明書(ワハダットカード)がタリバーンの手に渡り,以後,ハザラ族ゲリラ残党の捜査資料に使われている。 被控訴人は,タリバーンの支配が確立するにつれ,パキスタンも危険になったため,アラブ首長国連邦(UA (ワハダットカード)がタリバーンの手に渡り,以後,ハザラ族ゲリラ残党の捜査資料に使われている。 被控訴人は,タリバーンの支配が確立するにつれ,パキスタンも危険になったため,アラブ首長国連邦(UAE)のドバイでおじが経営する会社を手伝い,UAEの居住権も得た。 被控訴人は,1998年(平成10年)6月28日,仕事のため日本に入国したが,同年7月からタリバーンの大攻勢が始まり,パキスタンの知人から電話で,被控訴人の軍部身分証明書等がタリバーンに渡っており空港等でチェックされていて危険であると聞き,ドバイも危険で旅券の更新ができない旨聞いた。 同年8月,タリバーンによってマザリ・シャリフが陥落し,被控訴人は,生命,自由への強度の危険を感じ,このような状況下ではもやは本国には帰れないと考え,ドバイでの居住権も放棄して,同月24日,難民認定申請をして保護を求めたものである。 その後,ハザラ族の拠点であるバーミアンもタリバーンに制圧され,ハザラ系住民が大量に虐殺され,同年9月,またいとこのP8が軍部身分証明書を基にパキスタンで拉致・逮捕されてアフガニスタンに強制送還された。P8の生死は不明であるが,殺害されたものにほぼ間違いない。 (エ) タリバーンは,ハザラ族に対する迫害を継続しており,被控訴人が帰国すれば,外見から一目でハザラ族(モンゴロイド系)と判明する。また,本件旅券もラバニ派の発行したもので,軍部身分証明書によりイスラム統一党兵士として戦闘参加の確認もされているから,P8と同様に処刑されてしまう。 このように被控訴人には,ハザラ族という人種,イスラム教シーア派という宗教及びイスラム統一党という特定の社会的集団の構成員であることを理由に迫害を受けるおそれがあり,難民に該当する。 以上が被控訴人の主張である。そこで,以下,被控訴人の難 ,イスラム教シーア派という宗教及びイスラム統一党という特定の社会的集団の構成員であることを理由に迫害を受けるおそれがあり,難民に該当する。 以上が被控訴人の主張である。そこで,以下,被控訴人の難民該当性について,検討する。 ウ 「P1」について在テヘラン・アフガニスタン暫定行政機構大使館発行の証明書(甲62の1)によれば,「P1」なる人物は,アフガニスタン国籍のP4とP5の子として1974年(昭和49年)○月○日,アフガニスタンのカブールで出生し,次の兄弟姉妹があるとされている。 姉 P9(1964年〔昭和39年〕○月○日生)兄 P3  (1968年〔昭和43年〕○月○日生)姉 P10 (1970年〔昭和45年〕○月○日生)姉 P11 (1972年〔昭和47年〕○月○日生)弟 P12  (1976年〔昭和51年〕○月○日生)妹 P13 (1978年〔昭和53年〕○月○日生)また,本件証明書(イスラム統一党軍部身分証明書。甲11の1),イスラム統一党作成の他の証明書等(甲12の1,31の1,32の1,44の1の1,44の1の2,45の1,47の1,48の1。以下「他の証明書等」ともいう。)によれば,「P1」がイスラム教シーア派,ハザラ族で,イスラム統一党兵士であったものとされている。 エ被控訴人と「P1」との同一性について被控訴人は,前記のとおり「P1」名の本件旅券を所持しており,自分が「P1」であって,イスラム統一党兵士として,パシュトゥーン族等との戦闘に加わった旨を主張し,供述する。 これに対し,控訴人は,被控訴人と「P1」の同一性には疑義があり,被控訴人及びP3の供述は信用できないと主張する。 (ア) 被控訴人が「P1」であるとする点については,これを積極に解すべき証拠ないし事実として,次の点がある。 人と「P1」の同一性には疑義があり,被控訴人及びP3の供述は信用できないと主張する。 (ア) 被控訴人が「P1」であるとする点については,これを積極に解すべき証拠ないし事実として,次の点がある。 ① 本件証明書(甲11の1)や他の証明書等の記載② 被控訴人が「P1」として本件旅券の取得,期間延長を行い,本件旅券によりパキスタン,UAE,日本の各国に入国していること。 ③ 本件難民認定申請手続等において,前記の「P1」の生年月日や家族関係を供述していること。 ④ 証人P3も,被控訴人を自らの弟の「P1」である旨供述していること。 ⑤ 被控訴人が当審で提出した鑑定書(甲79)そこで,これらについて検討する。 (イ) ①の本件証明書(甲11の1)及びその他の証明書等についてa 本件証明書(イスラム統一党軍部身分証明書。発行日は1994年7月23日と記載されている。甲11の1)には,被控訴人の写真がはられている。 しかし,鑑定嘱託の結果(大阪府警察本部刑事部科学捜査研究所によるもの)によれば,本件証明書の台紙と写真上の割印は,同一のインクによるものではなく,円画線が連続せず,同一の押印行為によるものではないことが認められる。 そうすると,本件証明書の被控訴人の写真ははり替えられたものであって,本件証明書が当初被控訴人とは別の人物に対し発行されたものである疑いを否定できない。 b また,被控訴人の提出したイスラム統一党作成の他の証明書等(甲12の1,31の1,32の1,44の1の1,44の1の2,45の1,47の1,48の1)は,甲11の1を再度証明するもの等であるが,証人P3の証言及び弁論の全趣旨にかんがみると,上記各証明書等は,写真に撮影された被控訴人が「P1」であることを確認して作成されたとは認め難い。 したがって,これらの証明書によって もの等であるが,証人P3の証言及び弁論の全趣旨にかんがみると,上記各証明書等は,写真に撮影された被控訴人が「P1」であることを確認して作成されたとは認め難い。 したがって,これらの証明書によって,甲11の1についての上記疑いを払拭することはできない。 c この点に関し,被控訴人は,本件証明書は被控訴人の姉が再発行を受けたものである旨供述する。証人P3も,甲11の1,12の1(イスラム統一党軍部監督署1994年8月1日発行とされる「P1」に対する感謝状。被控訴人の写真がはられている。)は,被控訴人の難民認定に必要であったことから難民認定の申請後P11から送ってもらったものである,甲11の1は,P11がかつて発行を受けたが紛失していたものを再発行してもらったものであると証言する。 そうすると,再発行前の元の証明書も本件証明書も,被証明者である本人に対して発行されたものではないことになるが,これは身分証明書の発行の仕方としては極めて不自然であり,被控訴人の身分証明書として真実発行されたものとは認め難いというべきである。 d 甲49の1(在ケルマーン〔イラン〕イスラム統一党代表事務局の登録名簿)には,「P1」に関し軍役証を1994年7月23日に再発行した旨の記載があるが,それ自体は党員ないし兵士の名簿とは認め難いし,写真が添付されているわけでもない。そして,同事務局の統一党の担当者は,被控訴人の顔を知らず,同事務局には「P1」の写真は存在しないというのであるから(証人P3の証言),同書証によっても被控訴人が「P1」であることを立証することは困難である。 そして,前記のとおり,証人P3は,被控訴人の難民認定申請の必要上,申請後にP11から甲11の1,12の1を送ってもらったと証言するが,甲49の1には,「P1」の軍役証明書について,2001年 。 そして,前記のとおり,証人P3は,被控訴人の難民認定申請の必要上,申請後にP11から甲11の1,12の1を送ってもらったと証言するが,甲49の1には,「P1」の軍役証明書について,2001年(平成13年)8月15日(イラン暦1380年5月24日)に再発行されたとの記載はあるものの,被控訴人が難民認定の申請を行った1998年(平成10年)8月24日から上記書証の申出をした2000年(平成12年)2月28日までの間に再発行されたという記載がない。したがって,証人P3の証言中,本件証明書の入手経緯に関する部分は,これらの客観的な書証の記載と食い違うのであるから,信用することができない。 e そうすると,本件証明書(甲11の1),甲12の1等の資料,甲49の1等をもって,被控訴人が「P1」であり,イスラム統一党の兵士であったことの証拠とすることには疑義が残る。 (ウ) 前記②の被控訴人が「P1」として旅券を取得した等の事実についてa 前記で認定のとおり,本件証明書等によると,「P1」は1974年(昭和49年)生まれである。 しかし,本件旅券(乙11の1)には,その対象者が1968年(昭和43年)生まれであると記載されており,平成10年8月24日付け難民認定申請書(乙1の1)にも,難民調査官による平成10年9月11日の調査(乙4),入国警備官による平成11年7月19日及び同年9月27日の各取調べ(乙12,13)における被控訴人の供述も,生年月日を1968年としていた。 ところが,被控訴人は,入国審査官による平成11年11月18日の審査の際,実兄とされるP3と生年が同一であると指摘されて,1974年(昭和49年)11月6日生まれであると供述するに至った(乙14)。そして,本人尋問では,本件旅券の誤りには気がついていたが,そのままにしていたか されるP3と生年が同一であると指摘されて,1974年(昭和49年)11月6日生まれであると供述するに至った(乙14)。そして,本人尋問では,本件旅券の誤りには気がついていたが,そのままにしていたかのように供述している。 このような事実にかんがみると,被控訴人が「P1」でないのに,「P1」名義で旅券の取得等をした可能性も否定し難いところである。したがって,被控訴人がP1名義の旅券を所持して出入国を繰り返していたからといって,被控訴人が「P1」であることの根拠にすることは困難である。 b そして,これらの事実に,被控訴人は「P1」の両親や兄弟姉妹は健在で,姉妹から資料等の送付を受けたと述べながら,両親や兄弟姉妹と音信等があることをうかがわせる客観的証拠が提出されていないことを併せ考慮すれば,本件旅券によるUAE等の往来の事実があっても,被控訴人と「P1」が同一人であることには疑義が残るといわざるを得ない。 (エ) 前記③の点(被控訴人の「P1」に関する供述)についてa 確かに,被控訴人は,「P1」の父母の状況や父母と自己の行動等について,何度も,相当詳しく述べている。 b しかし,平成10年8月24日の難民認定申請書等(乙1の1・2)には,家族として「P1」の姉の「P11」及び妹の「P13」を記載していないし,その後も平成11年7月19日の入国警備官による違反調査(乙12)に至るまで,上記2人の姉妹について言及していなかった。 被控訴人は,難民認定申請書(乙1の1)の家族構成欄に上記姉妹が記載されていない理由として,同申請書を記載した者が被控訴人の話をきちんと聞かなかったためであると供述するが,同申請書はP3がP14行政書士に頼んで作成してもらったと述べるだけで,難民認定申請書に姉妹の記載がないことについて納得のいく弁明をしていない。こ の話をきちんと聞かなかったためであると供述するが,同申請書はP3がP14行政書士に頼んで作成してもらったと述べるだけで,難民認定申請書に姉妹の記載がないことについて納得のいく弁明をしていない。このことにかんがみると,被控訴人は,難民認定申請手続において「P1」の家族関係を正確に供述したということはできない。 c そして,P14行政書士の陳述録取書には,被控訴人の家族構成について,P3が「他にもいるが,氏名が分からない。」などと答えるので,やむを得ず,難民認定申請書にはP3が氏名を述べた者のみを記載した旨記載されている。 しかし,被控訴人の兄であるはずのP3が家族の氏名を「分からない」と述べること自体,不自然であって,被控訴人の家族構成に関する供述や陳述書の記載の信用性を著しく減殺するというべきである。 (オ) 前記④のP3の供述について上記(イ)ないし(エ)で検討した際に指摘したとおり,P3の証言や陳述書の記載には不自然なところが多く,P3の証言部分は信用し難いというべきである。 (カ) 甲79の鑑定書についてさらに,被控訴人は,被控訴人が「P1」と同一人物であることの立証として,当審において甲79(鑑定書)を提出した。同書証によれば,株式会社ティーエスエルは,P3と被控訴人とのDNAを検査したところ,P3と被控訴人の間に血縁関係が存在しないとするよりも,全同胞関係(両親を共通とする兄弟姉妹関係)が存在するとしたときの総合肯定確率は99.996%であるとして「P3とP1との間に生物学的な全同胞関係が存在するときわめて強く推定できる。」旨の所見を述べている。 しかしながら,甲79の同書証によって立証されるのは,P3と被控訴人とが生物学的な全同胞関係が存在することであって,P3の父母兄弟関係についての客観的な資料がない(この点につい 見を述べている。 しかしながら,甲79の同書証によって立証されるのは,P3と被控訴人とが生物学的な全同胞関係が存在することであって,P3の父母兄弟関係についての客観的な資料がない(この点については,甲51,68〔いずれもP3の陳述書〕,証人P3の証言が存在するのみである。)以上,同書証によって,被控訴人が「P1」であることが立証されたとすることには疑問が残る。 (キ) 以上を総合するに,被控訴人が「P1」である可能性はあるけれども,これを肯定するには,本件証明書の写真のはり替えその他の点において疑問が多いというべきである。 オ被控訴人の宗派,種族,戦闘経歴について被控訴人がイスラム教シーア派に属し,モンゴロイド系のハザラ族であることは,本件証拠上,疑いのないところと考えられる。 被控訴人の所属社会集団及び戦闘経歴について,被控訴人は,自分は「P1」であって,イスラム統一党の兵士として17歳の1991年(平成3年)から20歳くらいの1994年(平成6年)まで,カブール市内でパシュトゥーン族やタジク系のエテハテ・サヤフと戦い,最終的に敗れた,エテハテ・サヤフは後にタリバーンに合流した,イスラム統一党の名簿はタリバーンに渡っている,したがって,本件処分当時,帰国すればタリバーンの迫害を受けたはずであるなどと主張する。 これに対し,控訴人は,被控訴人の上記経歴そのものを疑問とした上,被控訴人が戦闘した相手はタリバーンではなく,タリバーンが被控訴人を危険視するとは考えられないなどと主張する。 そこで,検討する。 (ア) 本件証明書について本件証明書(甲11の1)等の成立に疑問があることは先に検討したとおりであり,本件証明書等によって,被控訴人がイスラム統一党の兵士であったと認めることは困難である。 (イ) 写真についてa 被控訴人 件証明書(甲11の1)等の成立に疑問があることは先に検討したとおりであり,本件証明書等によって,被控訴人がイスラム統一党の兵士であったと認めることは困難である。 (イ) 写真についてa 被控訴人は,被控訴人の写真(甲6)を提出し,これらは,被控訴人がシーア派,ハザラ族の統一党兵士としてタリバーンと戦闘した際の写真であると主張している。 しかし,これらの写真には,被控訴人が統一党の兵士であることを示す何らかの対象物等が撮影されているわけではない。また,被控訴人は,本件各写真につき「これは思い出として,私が自分の誇りとして,自分の民族を守ったその記念として撮った写真なんです。」と供述している。したがって,これらの写真は,被控訴人が統一党の部隊の一員として軍事行動中の一こまを撮影したものとはいえない。 b また,被控訴人は,同趣旨の立証のために甲17の写真を提出している。 しかし,甲17の写真で,被控訴人が撮影されていると認定するのはやや困難である。また,甲17の入手経路につき,P3は,証人尋問では,P3自身がイランに行ってケルマン市在住の「P1」の姉P11から甲17をもらってきたと証言しているが,陳述書(甲51)では,パキスタンのペシャワールに在住している「P1」の姉P10が写真を保管していたので,証拠の写真として送ってもらった旨を陳述している。すなわち,甲17の入手経路について異なる証言,陳述をしているのである。 上記写真の内容及びP3の証言,陳述書の矛盾にかんがみると,甲17の写真をもって,被控訴人が統一党の兵士であることの証拠にするには疑問がある。 (ウ) P3の証言等についてところで,証人P3は,被控訴人が平成3年(1991年)から平成6年(1994年)までの間,統一党兵士として戦闘に参加した旨を証言するが,同期間中P3は我 問がある。 (ウ) P3の証言等についてところで,証人P3は,被控訴人が平成3年(1991年)から平成6年(1994年)までの間,統一党兵士として戦闘に参加した旨を証言するが,同期間中P3は我が国に在留しており,家族から連絡を受けてこの事実を知ったと証言するにとどまるものである。 したがって,証人P3の証言中,被控訴人が戦闘に参加したとの部分は伝聞にすぎず,同証言のみから,被控訴人の戦闘参加に関する供述の信用性を高める証拠とすることは困難である。 (エ) 被控訴人の供述についてa 被控訴人の戦闘経歴等に関する供述には,相当の具体性もあって,その信用性は一概に否定し難いが,他方,その裏付けとなる的確な証拠が乏しいともいわざるを得ないところである。 b 被控訴人の供述によっても,被控訴人は,1991年(平成3年)から1994年(平成6年)ころまでの約3年間,カブールにとどまり,ハザラ族の居住者の多い地区で防衛に当たっていた,パシュトゥーン族やタジク族のエテハテ・サヤフと抗争があったというものであるが,具体的な戦闘の状況は必ずしも語られていないし,たとえば,戦闘で負傷したというような事実も語られていない。 c なお,証拠(甲14,16,乙3,4)によれば,タリバーンは平成6年(1994年)末にアフガニスタン南部に台頭したもので,被控訴人が戦闘から離脱したと主張する同年8月ころには,いまだ台頭していなかったことが認められる。したがって,被控訴人がタリバーンと直接戦闘したことは時期的にあり得ないというべきである。 この点につき,被控訴人は,パシュトゥーン人が即タリバーンであるかのように供述するが,証拠(乙25ないし27)によれば,アフガニスタン国内ではタリバーンが台頭する以前には,イスラム統一党ほか3つの各派が相互に覇権をめぐって抗争を繰 ゥーン人が即タリバーンであるかのように供述するが,証拠(乙25ないし27)によれば,アフガニスタン国内ではタリバーンが台頭する以前には,イスラム統一党ほか3つの各派が相互に覇権をめぐって抗争を繰り返し,全土が内戦状態になっていたこと,タリバーン台頭後もタリバーンに対立する勢力,あるいは中道勢力にパシュトゥーン族を主体とするものがあったことが認められる。この事実によれば,被控訴人の属したとみられるイスラム統一党が専らパシュトゥーン人と抗争したわけではなく,また,パシュトゥーン人がタリバーンにのみ所属していたわけでもないから,被控訴人がパシュトゥーン人と戦闘していたとしても,台頭後のタリバーンに生命身体を脅かされる状況にあったとは限らないと考えられる。 d また,タリバーン支配後,イスラム統一党指導者マザーリ師が殺害されるなどの事実はあったと認められるが,イスラム統一党の兵士の写真付軍部身分証明書(ワハダットカード)がタリバーンの手に渡ったことについては,明確な資料は提出されておらず,また,被控訴人の軍部身分証明書(本件証明書)は前記のように真正に作成されたかどうかも明らかでないのであるから,被控訴人の軍部身分証明書がタリバーンの手に渡り,被控訴人が直ちにタリバーンから追及される具体的な危険があったと認めるべき証拠があるとはいえない。 e さらに,被控訴人が戦ったというエテハテ・サヤフとは,イッティハティ・イスラミ(アフガニスタン解放イスラム同盟)を指すものと解されるところ,被控訴人は,このイッティハティ・イスラミもタリバーンに合流したと陳述するが,実際にはタリバーンと敵対し,反タリバーンの北部同盟に合流していることが認められる(乙25ないし30)。 そうすると,被控訴人がその供述するエテハテ・サヤフとの戦闘に加わったとしても,それによ ,実際にはタリバーンと敵対し,反タリバーンの北部同盟に合流していることが認められる(乙25ないし30)。 そうすると,被控訴人がその供述するエテハテ・サヤフとの戦闘に加わったとしても,それによってタリバーンから追及ないし迫害を受ける具体的なおそれがあったとは断定し難い。 カ迫害のおそれについて被控訴人は,シーア派に属するハザラ族はタリバーンから迫害されるおそれが強く,更に被控訴人の場合はイスラム統一党の兵士であったから,迫害を受けることは明らかであると主張するので,検討する。 (ア) 平成12年(2000年)の推定では,ハザラ族の数は,アフガニスタン全人口2583万8797人の15%に上り,タリバーン支配下においても,このような多数のハザラ族あるいはシーア派に属する者がおよそ殺害されるおそれがあったとはいえない。また,国際機関等からの報告でも,ハザラ族であれば殺されるとの内容のものはなかった(以上,乙9,弁論の全趣旨)。 また,アメリカ,イギリス,オランダ,カナダ,スイス,オーストラリアにおいても,およそハザラ族に属することのみをもって難民認定を行う取扱いはしておらず,申請者の迫害に係る個別の具体的事情等を考慮した上で難民認定の可否が判断されていることが認められる(乙46)。 したがって,被控訴人がシーア派のハザラ族であるからといって,タリバーンから迫害を受けるおそれがあったとはいえず,また,被控訴人がイスラム統一党の兵士として戦闘に参加した経歴を有していたとしても,前記認定のとおり,そのためにタリバーンから迫害を受ける具体的なおそれがあったと認めることは困難である。 (イ) また,被控訴人は,1996年(平成8年)12月12日,アフガニスタンのバルフで旅券の有効期間の延長手続を行い,その直後にγ峠にあるδのアフガニスタン出 があったと認めることは困難である。 (イ) また,被控訴人は,1996年(平成8年)12月12日,アフガニスタンのバルフで旅券の有効期間の延長手続を行い,その直後にγ峠にあるδのアフガニスタン出入国管理事務所から公式の出国許可を受けてパキスタンに入国した(乙10の1)。 当時,カブールはタリバーンの支配下にあり,かつパキスタンがタリバーンを支援していたことにかんがみると,被控訴人がタリバーンから追及されていたとすれば,パキスタンとの国境のγ峠を追及されずに出国することは困難であったと考えられる。 しかるに,被控訴人が無事にアフガニスタンを出国してパキスタンに入国したことから照らすと,被控訴人がタリバーンから敵対人物と認識されていなかったことが推認される。 (ウ) さらに,被控訴人が,パキスタン及びUAE滞在中に庇護を求めていないことからしても,迫害を受けるおそれを抱いていたとは認め難いところである。 キ UNHCRの要請について証拠(甲115,平成14年5月15日付け調査嘱託の結果)によれば,国際連合難民高等弁務官(UNHCR)日本・韓国地域事務所は,被控訴人がアフガニスタンにおいて迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有し,ゆえに難民の地位に値すると結論し,平成13年7月,法務省入国管理局難民認定室あてに,電話で通知したほか,何度かの機会に,日本国政府に対して本件に対する同事務所の見解を通知し,難民条約に基づき被控訴人を難民と認定するよう要請したことが認められる。 しかしながら,他方,同証拠によれば,同事務所の要請の趣旨は,被控訴人が難民の地位に関する1951年条約及び同1967年議定書規定の「難民」に該当することを国連の機関である同事務所が正式に認定するものではないことが認められる。このことに加えて,UNHC は,被控訴人が難民の地位に関する1951年条約及び同1967年議定書規定の「難民」に該当することを国連の機関である同事務所が正式に認定するものではないことが認められる。このことに加えて,UNHCRがどのような調査を行い,その結果どのような具体的事実を認定したのかは,上記調査嘱託の結果からは明らかでないから,同事務所が上記のような要請を行ったからといって,そのことから,被控訴人がアフガニスタンにおいて迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する旨の認定をすることはできない。 ク本件処分当時の難民該当性について被控訴人は,国籍国であるアフガニスタンに帰れば,人種,宗教,及び特定の社会的集団の構成員であること等を理由に,迫害を受けるおそれがあるという十分に理由がある恐怖を有すると主張するのであるが,以上に検討したところによれば,本件処分当時においても,被控訴人の主張する迫害のおそれがあるという十分に理由がある恐怖を有するとはいえず,被控訴人が難民であったことは,いまだ認め難いというべきである。 ケその後の情勢等について(ア) 証拠(乙24の1ないし3)及び弁論の全趣旨によれば,タリバーンは2001年(平成13年)11月カブールを放棄して事実上崩壊し,同年12月には本拠地であるカンダハルからも完全に撤退し,政権としても組織としても完全に崩壊するに至ったこと,その後,国際連合の主導により同年12月には暫定政権が発足し,ハザラ人も重要閣僚に加わる等の情勢に至っていることが認められる。 (イ) 被控訴人は,シーア派ハザラ族に属し,エテハテ・サヤフと戦ったことなどから,タリバーン政権下において迫害を受けるおそれがあると主張していたのであるから,少なくとも,2001年12月以降は,迫害を受けるおそれはなくなったということができる。 テ・サヤフと戦ったことなどから,タリバーン政権下において迫害を受けるおそれがあると主張していたのであるから,少なくとも,2001年12月以降は,迫害を受けるおそれはなくなったということができる。 被控訴人は,当審において,この点についても,暫定政権はぜい弱で,ハザラ族難民に対する迫害のおそれは消失していないなどと主張するが,採用することができない。 (ウ) ところで,処分の取消訴訟において,処分の違法性の有無は,原則として処分時を基準に判断すべきものと考えられるが,難民認定処分の性格,機能等にかんがみると,本件のように処分時においても被控訴人の難民該当性を肯定することができず,本件処分を違法ということができないところ,さらに,その後の事実関係から,迫害のおそれが消失したような場合には,難民不認定処分を取り消すことはできないと考えられる。 (2) 手続の違法性についてア被控訴人は,次のように主張する。 被控訴人の母国語はハザラ語である。被控訴人は,ダリ語(アフガニスタンの公用語)は理解できるが,英語や日本語はほとんど理解できない。ダリ語は,ペルシャ語系言語であるが,現在ではペルシャ語と発音,意味,語順等が異なるものが多々あり,被控訴人は,ペルシャ語では十分な意思疎通ができない。それなのに,本件処分は,ハザラ語やダリ語の通訳を付さずに,便宜ペルシャ語の通訳をつけるなどして行われ,被控訴人と十分な意思疎通ができずに行われたものである。本件処分及び本件裁決に当たって作成された調書には,通訳の誤りか,被控訴人の申請事実を把握しないまま難民調査官が不適切な質問をしてなされた記載が多々存在する。本件処分の通知書も,日本語と英語で記載したのみで被控訴人の母国語を使用しておらず,本件処分は違法な手続によってなされたものである。 イ被控訴人は,上 不適切な質問をしてなされた記載が多々存在する。本件処分の通知書も,日本語と英語で記載したのみで被控訴人の母国語を使用しておらず,本件処分は違法な手続によってなされたものである。 イ被控訴人は,上記のように主張するが,ダリ語は,ペルシャ語のアフガニスタン方言にすぎず,ペルシャ語の通訳人とダリ語が話せる被控訴人とは,十分に意思疎通が可能であったと認められる。また,1998年(平成10年)9月11日の難民調査官による調査は,ダリ語が使用されている(乙4)。被控訴人が十分な意思疎通なしに調査を受けたとは認め難い。 さらに,控訴人は,ペルシャ語の通訳人を介して通知書に記載された内容を口頭で告知して通知書を交付している。 したがって,本件処分の手続に違法な点があるとは認められない。 (3) 以上によれば,控訴人が,被控訴人に対し,平成11年6月10日付け通知書でした難民の認定をしない旨の処分は適法といわなければならない。 2 本件裁決の違法性について被控訴人は,上記1の(2)と同様,異議申出に対する調査の際,ペルシャ語の通訳を付しただけで被控訴人と十分な意思疎通ができなかった旨を主張するが,これを認めるに足りる証拠はない。被控訴人が指摘する調書の記載内容等は,前記のような被控訴人の供述の不自然さにも起因すると考えられるもので,部分的に通訳の誤りがあったとしても,直ちに通訳に関する手続的な違法を認めることはできない。本件裁決の告知も,被控訴人本人尋問の結果によれば,被控訴人において通訳により理解していることが認められ,違法な点は認められない。他に,本件裁決固有の違法な点を認めるに足りる証拠はない。 3 結論以上によれば,被控訴人の本件請求は,いずれも失当であるから棄却すべきところ,これと一部結論を異にする原判決主文第1項を取り消し,同部分につ 決固有の違法な点を認めるに足りる証拠はない。 3 結論以上によれば,被控訴人の本件請求は,いずれも失当であるから棄却すべきところ,これと一部結論を異にする原判決主文第1項を取り消し,同部分についての被控訴人の請求を棄却することとし,主文のとおり判決する。 大阪高等裁判所第9民事部裁判長裁判官岩井俊裁判官鎌田義勝裁判官竹田隆

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