- 1 - 主文 被告人を懲役4年に処する。 未決勾留日数中30日をその刑に算入する。 札幌地方検察庁で保管中のセラミックペティナイフ1本(令和6年領第332号符号1-1)及びセラミックペティナイフの刃2個(同号符号2、3)を没収する。 理由 (罪となるべき事実)被告人は、令和5年12月6日午後4時23分頃、マンション内において、約6年間交際していたA(当時25歳)から別れ話を告げられたと思い激しい怒りや絶望感を募らせ、手に取ったセラミックペティナイフ(刃体の長さ約7.5センチメートル。以下「本件ナイフ」という。令和6年領第332号符号1-1、2、3は本件犯行により折れたもの。)でAに痛い思いをさせてやろうと考えるに至り、本件ナイフでAの背部を強く刺せば人が死ぬ危険性が高いことを認識しながら、被告人に背を向けて横たわっているAに対し、あえて右の逆手で握った本件ナイフを力一杯の速さで振り下ろしてAの背部を1回突き刺したが、Aに加療約1か月間を要する左背部刺創、左肺損傷、左血気胸等の傷害を負わせたにとどまり、殺害するに至らなかった。 (証拠の標目)省略(事実認定の補足説明)本件の争点は、殺意の有無である。 1 まず、被告人にAを殺そうという意思があったかについて検討する。 (1) この点、たしかに被告人は本件ナイフを右の逆手に握り、Aの背中に向けて力一杯の速さで本件ナイフを振り下ろしており、このような行動からは、Aに痛い思いをさせてやろうとの強い攻撃意思が認められる。 しかし、被告人が手にした本件ナイフは、100円ショップで売られているセ - 2 -ラミック製のもので、刃体の長さも約7.5センチメートルと小さく、人を殺す凶器としては迫力に欠くものであった しかし、被告人が手にした本件ナイフは、100円ショップで売られているセ - 2 -ラミック製のもので、刃体の長さも約7.5センチメートルと小さく、人を殺す凶器としては迫力に欠くものであった。また、被告人は、Aが背中を向けて横になっているところを本件ナイフで刺したのであるが、殺害を企図していたのであれば首筋等確実に殺害できる部位を刺すことができたにもかかわらず、そのような部位は刺していない。被告人にとってAはなくてはならない大切な存在であったことも考慮すると、被告人の攻撃意思が、Aに痛い思いをさせることを超えて殺害まで企図したものであったとみるには疑いが残る。 (2) また、そもそも被告人は、これまでにもAから別れ話をされたと思うと、Aの気を惹くためAに対して「死ぬ」「殺す」といった言葉を用いることがあり、自殺未遂を図ったりAに包丁を突きつけたりしたこともあることからして、生命を害することに対するハードルが相当低いと認められる。そうすると、今回、本件ナイフでAの背部を刺したのも、被告人にとってみれば別れようとしているAを翻意させるためにとってきた行動の延長とみることができ、これを超えて何か特別な事情でAを殺そうとしたとみることには疑問が残る。また、被告人は、本件直後にAに対して「別れるくらいなら殺すって言ったよね」と発言しているが、この発言も生命を害することに対するハードルの低さから咄嗟に出たもので、殺す意思の表れとまで断言するには疑いが残る。これらの点からみても、被告人にAを殺そうという意思があったとは認められない。 (3) 検察官は、被告人が、本件で現行犯逮捕された後の弁解録取において、Aと別れるくらいならAを殺して自分も死のうと思っていた旨供述したことを指摘して、被告人にはAを殺そうという意思があったと主張する。たしかに は、被告人が、本件で現行犯逮捕された後の弁解録取において、Aと別れるくらいならAを殺して自分も死のうと思っていた旨供述したことを指摘して、被告人にはAを殺そうという意思があったと主張する。たしかに弁解録取時の供述は、本件と近接した時期になされたものなので真実を述べている可能性はあるが、他方で、どのようなやり取りからこのような供述がなされたかは必ずしも明らかではないし、当時の被告人はパニック状態にあったことからして、その心境を正確に供述できたか疑問がある。したがって、弁解録取時の被告人の供述を直ちに信用することはできない。 - 3 -(4) 以上より、被告人にAを殺そうという意思があったとは認定できない。 2 次に、被告人において、自己の行為が人を死亡させる危険性の高い行為であると認識していたかについて検討する。 (1) この点、たしかに被告人が手にした本件ナイフは、人を殺す凶器としては迫力に欠く小さなものではあったが、それでも物を切ることはできるのであって、殺傷能力はある。被告人は、このような本件ナイフを右の逆手に握って力一杯の速さでAの背部に振り下ろしたのであって、その結果、本件ナイフの刃は根元まで深くAの体内に刺さり、Aの肺や肋間動脈等を損傷し、Aは搬送先での迅速な救命措置がなければ死亡しかねないほどの重傷を負った。 このように、被告人の行為は人を死亡させる危険性の高いものであった。 (2) 被告人の認識についてみると、被告人がAの背中を刺した際、Aは被告人に背中を向けて横たわっていたのであるから、被告人としては、腕も見えたであろうにもかかわらず、腕のような肢体部分ではなく、胴体部分である背中を認識して刺したといえる。そして、その刺し方も、リストカットのように肌の表面付近を切り付けるのとは異なり、右の逆手で握った本件ナイフ うにもかかわらず、腕のような肢体部分ではなく、胴体部分である背中を認識して刺したといえる。そして、その刺し方も、リストカットのように肌の表面付近を切り付けるのとは異なり、右の逆手で握った本件ナイフを手加減することなく力一杯の速さで振り下ろしたのであるから、いかに本件ナイフの刃体が約7.5センチメートルと短めであったとはいえ、Aの体内にある程度深く刺さることは被告人も認識していたといえる。したがって、被告人は、自己の行為が人を死亡させる危険性の高い行為であることを認識していたと認められる。 (3) ところで、被告人は、本件前から仕事がうまくいかずに退職して悲観的になったり、デザインの技術を学ぶために始めたパソコンの操作がうまくできずにイライラしたりしていたもので、本件当日は、Aの母の自動車を借りて運転中に交通事故を起こして更にストレスを感じていたところ、心の拠り所にしていた交際相手のAから別れたい旨を告げられたと思い、激しい怒りと絶望感を募らせて本件に至ったのであって、そこには自身の境界性パーソナリティ障害 - 4 -に起因する見捨てられることへの不安や怒りの制御困難も影響していると認められる。 このような状況でパニックに陥っていた被告人が、通常人と同程度に冷静に自己の行動を認識できていたとは考えられないが、次に述べる事情を考慮すると、被告人にはなお冷静に考えて行動できる部分は残っていたと認められる。 すなわち、被告人は、Aから別れたい旨を告げられたと思いすぐさま突発的にAを刺す行動に出たのではなく、被告人の感覚では5分程度の間、まずは本件ナイフで自分自身を傷つけることを考えたものの、リストカット程度ではAの気を惹くことはできないと考え、さりとて自己の急所を刺すのは怖いと思い、攻撃の矛先をAに向けて本件に及んだというのである は本件ナイフで自分自身を傷つけることを考えたものの、リストカット程度ではAの気を惹くことはできないと考え、さりとて自己の急所を刺すのは怖いと思い、攻撃の矛先をAに向けて本件に及んだというのである。このように考えを巡らせた上で、Aの背中を認識して本件ナイフを突き刺したのであるから、被告人には冷静に考えて行動できる部分が十分残っていたと認められる。 したがって、被告人がパニックに陥っていたことを考慮しても、上記で認定したとおり、被告人は、自己の行為が人を死亡させる危険性の高い行為であると認識していたと認められる。 (4) なお、被告人は、当公判廷において、本件当時は何も考えられず、Aを殺そうとか死んでも構わないといった気持ちはなく、自己の行為によってAが死ぬかもしれないという認識もなかったなどと供述する。 しかし、Aが肺を刺されて大量に出血する中で死を観念しながら被告人に話しかけているにもかかわらず、被告人が「Aの怪我は深めのリストカットと同じくらいであり、肉や静脈を傷付ける程度であって、救急車を呼ばずとも自力で治せると思っていた」と述べるのは不自然であり、真実なのか疑問を抱かざるを得ないし、このように大した怪我ではないと思っていたにもかかわらず、「Aに別れないよ、好きだよと言われてからは助かってほしい一心だった」と述べたり「1回刺した際、Aがとても痛がっていたので、これで十分だと思った」と述べたりして、Aが負った怪我の重さを分かっていたか - 5 -のような供述もしている。そもそも被告人の供述は、本件後に落ち着いてから当時の心境を振り返って想像したものが散見されるのであって、検察官や裁判体から質問を受けて表現ぶりを改めていることからしても、当時の認識や心情を正確に記憶して述べたものとは考えられない。したがって、被告人 境を振り返って想像したものが散見されるのであって、検察官や裁判体から質問を受けて表現ぶりを改めていることからしても、当時の認識や心情を正確に記憶して述べたものとは考えられない。したがって、被告人の供述は信用できないので、上記殺意の認定を左右するものではない。 (5) 以上より、被告人は、自身の行為が人を死亡させる危険性の高い行為であると認識していたと認められ、そのような認識がありながらAを刺したのであるから、Aが死亡しても構わないとの殺意があったと認められる。 (法令の適用)罰条刑法203条、199条刑種の選択有期懲役刑を選択する。 法律上の減軽刑法43条本文、68条3号未決勾留日数算入刑法21条没収刑法19条1項2号、2項本文(いずれも判示殺人未遂の用に供した物で、被告人以外の者に属しない)訴訟費用(不負担) 刑事訴訟法181条1項ただし書(量刑の理由)前述のとおり、被告人の行為は人を死亡させる危険性が高い。被害者であるAは、搬送先での迅速な救命措置のおかげで一命をとりとめ、怪我の加療期間も約1か月間で済んだとはいえ、肺は損傷しており傷の痛みも続いている。Aは、約6年間にわたって被告人と交際し、精神的に不安定な被告人から暴力を受けたり包丁を突きつけられたり体当たりをされ川に落とされそうになったりしても、心の奥底は優しい人だと信じて被告人を許してきたのである。本件によってこのような信頼ないし愛情を裏切られたAの精神的衝撃は大きく、日常の些細なことでも本件を想起して苦しむほどの重大な精神的苦痛を受けており、志望していた医学部への進学もあきらめざるを得ない状況に置かれている。本件は強い殺意に基づく犯行ではないが、 - 6 -それでも犯 とでも本件を想起して苦しむほどの重大な精神的苦痛を受けており、志望していた医学部への進学もあきらめざるを得ない状況に置かれている。本件は強い殺意に基づく犯行ではないが、 - 6 -それでも犯行態様の危険性やAの被った肉体的・精神的苦痛を考慮すると、本件は相応に重い事案というべきである。 弁護人は、Aが被告人を許し処罰を望まない旨の嘆願書を作成していることを酌むべきであると主張する。しかし、Aが述べるところによると、この嘆願書の記載は今後の被告人の更生という観点に絞って考えた場合の意見であって、刑罰を決めるに当たってはそれ以外の視点もあるというのであるから、嘆願書の記載を考慮するにも限度がある。 そうすると、本件を、刃物を用いた殺人未遂罪の量刑傾向の中で軽い部類に位置付けることはできず、被告人に対して懲役刑の執行を猶予するのは相当ではない(なお、検察官の主張は心中を動機とする量刑傾向を前提としているが、本件では被告人にAを殺そうとの意思があったとは認められず、したがって、Aを殺して自分も死のうという心中動機は認められないので、量刑傾向を見る際に動機を心中に限定することはしなかった。)。 このほか、被告人が不遇な生い立ちから境界性パーソナリティ障害を有しており、この障害が本件犯行に影響していることは認められるが、性格傾向の域を出るものではなく、酌むべき事情とまではいえない。また、被告人が本件を悔いているとは認められるものの、今後の改善更生に向けた方策は現実味が乏しいといわざるを得ず、この点を正しく指導すべき父親の監督能力にも限界がある。被告人が若年でこれからがあることを考慮した結果、被告人に対しては、主文掲記の期間、自己の犯した罪を償わせるとともに更生に向けた指導を受けさせるのが相当であると判断した。 よって、主文のと る。被告人が若年でこれからがあることを考慮した結果、被告人に対しては、主文掲記の期間、自己の犯した罪を償わせるとともに更生に向けた指導を受けさせるのが相当であると判断した。 よって、主文のとおり判決する。 (求刑-懲役5年、主文同旨の没収)(弁護人の科刑意見-執行猶予付き判決)令和6年6月21日札幌地方裁判所刑事第2部 - 7 -裁判長裁判官井戸俊一 裁判官新宅孝昭 裁判官斎藤由里阿
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