平成18年(ワ)第1270号損害賠償請求事件口頭弁論終結日平成19年2月14日判決主文 原告らの請求をいずれも棄却する。 訴訟費用は原告らの負担とする。 事実 及び理由第1請求被告は,原告らに対し,それぞれ,2391万4928円及びこれに対する平成16年10月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2事案の概要本件は,Aが,肺結核症等の治療のため被告が開設するB病院(以下「被告病院」という)に入院中,病室の窓から転落し,死亡したことにつき,転落の直。 前に,被告病院の看護師が,Aが自殺を図ろうとしたことに気づきながら,自殺を防止する義務等を怠った過失があるなどと主張して,Aの子である原告らが,被告に対し,診療契約の債務不履行に基づく損害賠償及びAが死亡した日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。 前提事実以下の事実は,当事者間に争いがないか,文末摘示の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる。 (1) 当事者アC及びDは,いずれもAの子である(甲C1号証。 )イ被告は,名古屋市a区bi丁目番地において,被告病院を開設,運営しⅱている。 ウAは,1940年(昭和15年)○月○日生まれの大韓民国籍の男性で あり,平成16年10月16日,満64歳で死亡した(甲A1号証,C1号証。 )(,,。)(2) 事実経過なお以下特に断らない限り月日は平成16年のものであるア9月3日,Aは,それまで入院していたE病院から,肺結核症治療のため,専門病院である被告病院呼吸器科に転院し,被告と診療契約を締結して肺結核症の治療を受けていた(甲A2号証2,15頁,乙A1号証。 )イ10月15日午後4時ころ,Aは,同人の病室である被告病 ため,専門病院である被告病院呼吸器科に転院し,被告と診療契約を締結して肺結核症の治療を受けていた(甲A2号証2,15頁,乙A1号証。 )イ10月15日午後4時ころ,Aは,同人の病室である被告病院呼吸器科西6病棟6階613号室(以下「本件病室」という)において,被告病。 院の職員により,床に転倒している状態で発見された。その際のAは興奮状態にあり,看護師らがAをシーツごとベッドに移動させる際「動かさ,ないでくれ~」と叫んだり「もう終わりや。ゲームはおわりや」などと,言い,サーフロ(点滴針)や尿バルンを自己抜去しようとするなどした。 さらに,Aは,本件病室内及びレントゲン検査に赴く途中において「死,にたい。あの窓から飛び降りるぞ」などと言った。なお,レントゲン検査,(,,)。 の結果Aは腰椎圧迫骨折と診断された甲A2号証12 55頁ウ同日午後5時30分ころ,被告病院のF医師及びG看護師長は,たまたまAの見舞いのため来院した同人の妻Hらに対し,Aの現状について説明し,Aは精神的に不安定になっており,おかしな言動が見られるので,家族の方でもサポートしてあげてほしい旨伝えた(甲A2号証13頁,C1号証,乙A8号証。 )エ同月16日(以下「本件当日」という)午前0時30分ころ,I看護。 師は,準夜勤の看護師から,Aが前日夕方に腰椎を圧迫骨折したこと等の引継ぎを受けた(乙A6号証。 )オ同日午前2時15分ころ,点滴ポンプのアラームが鳴ったため,I看護師が本件病室を訪問したところ,Aはサーフロを自己抜去しており,I看,「。 ()護師に対し親は親らしいことをしておかんといかんだろう…中略 …最後ぐらいは親の役目を果たさんとなあ。D君を呼んでくれ」などと言った。I看護師が,自分で連絡を取るよう促したが,結 。 ()護師に対し親は親らしいことをしておかんといかんだろう…中略 …最後ぐらいは親の役目を果たさんとなあ。D君を呼んでくれ」などと言った。I看護師が,自分で連絡を取るよう促したが,結局のところ,AはDに電話をしなかった(甲A2号証56,57頁。 。 )カ同日午前6時25分ころ,I看護師が本件病室の隣室(612号室)の患者に対し検温していたところ,本件病室から,壁をたたくような音や窓ガラスの音がした(甲A2号証57頁,乙A4号証。 )I看護師が本件病室を訪問したところ,Aは,本件病室の窓とベッドの中間地点において,窓の方を向いて立っており,窓に取り付けられた固定式の網戸が破られていた。I看護師は,Aの着衣の胸元に血が付着し,その首にはゴムチューブ様のものが緩く巻き付いていたことから,Aは自殺を図ったものと判断した。I看護師は,他の看護師の応援を要請する等のため,本件病室を退室して,ナースステーションに向かい,ナースステーションの手前にある処置室にいたJ看護師に対し,本件病室へ向かうよう頼んだ(甲A2号証57,58頁,乙A3号証,A4号証,A6号証,証人Iの証言。 )キJ看護師が本件病室に駆け付けたが,室内にAの姿は見当たらず,本件病室の窓に設置された網戸の一部が破損していることに気づいたため,窓から下を見たところ,地面にAが倒れているのを発見した。 I看護師が本件病室を退室した後,J看護師が本件病室に駆け付けるまでの間は,10秒程度であり,この間に,Aは,本件病室の窓から飛び降りて自殺した(甲A1号証,A2号証14,58頁,乙A6号証,A7号証,証人I,争いのない事実。 ) 本件の争点(1) 自殺を防止すべき安全配慮義務の存否(2) 予見義務違反の存否(3) 結果回避義務違反の存否 (4) 損害 争 ,乙A6号証,A7号証,証人I,争いのない事実。 ) 本件の争点(1) 自殺を防止すべき安全配慮義務の存否(2) 予見義務違反の存否(3) 結果回避義務違反の存否 (4) 損害 争点に関する当事者の主張(1) 争点(1)(自殺を防止すべき安全配慮義務の存否)について(原告らの主張)ア被告は,診療契約に基づき,入院患者に対して,一般的な安全配慮義務を負っている。 イAは,被告病院に入院中に病室の窓から飛び降りていること,また,被告病院の看護師が,自殺未遂直後のAを発見したことからすれば,Aと被告との間の診療契約に付随する環境下で特別な社会的接触の関係に入ったところで事故が生じていると評価すべきである。 ウまた,Aを担当する被告病院の看護師が自殺未遂直後のAを発見したこと,発見された場所が本件病室であることから,被告には,少なくとも一定時間は,Aが再度の自殺をしないよう,Aの生命・身体の安全を保護する義務がある。 (被告の主張)アそもそも安全配慮義務は,ある法律関係に付随して発生するものであるから,当該法律関係における権利義務と関連する範囲でのみ,その義務を負うものと解すべきである。 イ本件のような診療契約の場合,病院は,医療の提供と関連する範囲でのみ安全配慮義務を負うものであって,医療の提供とは何ら関係なく突発的に発生した患者の自殺に対して,法律上,それを防止する義務を負うものではない。 ウ精神病患者の場合は,精神症状による自殺は病気の症状それ自体ともいえるから,病院は,診療契約に基づき,精神症状に起因する自殺防止義務を含む適切な看護をする義務を負担するといえるが,本件の場合,Aは精神病患者ではないし,被告病院は精神病院ではないから,自殺未 遂をしたAの再度の自殺を防止する義務を負わない。 (2) 争点 義務を含む適切な看護をする義務を負担するといえるが,本件の場合,Aは精神病患者ではないし,被告病院は精神病院ではないから,自殺未 遂をしたAの再度の自殺を防止する義務を負わない。 (2) 争点(2)(予見義務違反の存否)について(原告らの主張)ア自殺未遂直後の者が,精神的に混乱し,再度の自殺行為に及ぶことは容易に予見することができる。 イ本件当日午前6時25分ころ,I看護師がAに対し「どうしたの。何,をしているの」と話しかけたが,Aは応答しなかったことからすると,Aは当時コミュニケーションが取れない状況にあった。 ウAは,自殺未遂の際,ボディーソープや目薬を大量に摂取しており,精神的・肉体的圧迫から,かなり錯乱した状態にあったと想像される。 エI看護師が,Aがボディーソープを大量に摂取したこと(床にボディーソープの容器が落ちていることに気づけば確認できる)及びベッドの周りに血が付着していたことを確認していれば,Aが再度自殺を図ることを予見できたし,また,I看護師が冷静にAとコミュニケーションを取り,例えば自傷の方法を尋ねたりしていれば,Aが未だ自殺未遂のショックから抜け切れておらず,再度の自殺のおそれがあったことは容易に予見できたのに,これらを怠ったものであるから,被告には予見可能性及び予見義務違反がある。 オI看護師は,本件病室を退室する際,J看護師の居場所を把握しておらず,Aを1,2分の間一人にしておくかもしれないと思いながら退室しているが,1,2分あれば,Aが窓から飛び降りることは十分可能であり,予期できたはずである。J看護師がI看護師の退室後10秒程度で本件病室に入室できたのは,偶然の結果にすぎない。 (被告の主張)ア一般論として,自殺未遂の直後の人間が,その精神的な不安定さから,再度自殺を図ろうとする可能 看護師がI看護師の退室後10秒程度で本件病室に入室できたのは,偶然の結果にすぎない。 (被告の主張)ア一般論として,自殺未遂の直後の人間が,その精神的な不安定さから,再度自殺を図ろうとする可能性が存在すること自体は否定し得ない。 そこで,I看護師は,Aの自殺未遂発見後,まずはAを落ち着かせることが必要と思い,Aに対し「とりあえずベッドに戻りましょう」と声,をかけ,ベッドに誘導するとともに,Aの気持ちを落ち着かせるには家族との面会が一番であると考え「夜,息子さんを呼んでくれと言ってい,たでしょ。息子さんと話をしなければいけないんじゃないの」と言った。 Aは,自分が納得できないことについては徹底して拒否する性格であるが,この際は,I看護師の話に対してうなずきつつ「わかったわ。電話,して呼んでくれ」と言った。I看護師は「じゃあ今から息子さんに連絡,するから,待っていてね」と言ったところ,Aがうなずいたことから,。 Aをベッドに寝かせた上で,Aの息子と連絡を取るため,また,他の看護師らに応援を頼むために退室した。 このように,Aは,I看護師の問いかけを理解し,それに対する受け答えができているのであって,Aに錯乱した様子や意識がもうろうとした様子は全く見受けられず,また,その様子に不審な点はなかった。 以上のとおり,自殺を翻意する言動があったこと,自分が納得できないことについては徹底して拒否する性格であるAがI看護師の提案に同意したこと,Aがベッドに横たわり安静していること,Aに嘘を言っているような様子や錯乱しているような様子も全く見受けられなかったことからすれば,Aは自殺を翻意したものと考えるのが通常である。したがって,I看護師が,他の看護師に連絡をするために必要な程度の間Aを一人にしておいたとしても,その間に再度自殺を図るとは れなかったことからすれば,Aは自殺を翻意したものと考えるのが通常である。したがって,I看護師が,他の看護師に連絡をするために必要な程度の間Aを一人にしておいたとしても,その間に再度自殺を図るとは到底予見することができなかった。 ましてや,前日に腰椎を圧迫骨折し,足腰の動きが不自由なAが機敏に動いたり,床面から約1メートルの高さに設置されている窓から10秒以内に飛び降りて自殺を遂げるとは到底予見することができなかった。 イ自殺未遂をした者が,自ら自殺未遂をした事実やその理由を述べたく ないと考え,応答しないことも十分に考えられるから,AがI看護師の問いかけに応答しなかったことが,Aがコミュニケーションを取れない状況にあったことを示すことにはならない。 ウ合成洗剤は口腔粘膜に対する刺激と苦み等悪い味を有し,さらに吐き気を催す作用があるので,多量に飲み込むことはまれである上,多量に摂取した場合には,口腔や喉の痛み,下痢,腹痛,嘔吐がみられる。しかし,Aにはこれらの症状が見られず,また嘔吐物も存在しなかったことからすれば,Aがボディーソープを大量に摂取したとは考えられない。 また,Aが目薬を摂取したと思われる事実はない。 (3) 争点(3)(結果回避義務違反の存否)について(原告らの主張)ア他の看護師の応援を求めるためには,ナースコールをすれば足りるし,本件病室とナースステーションとの距離を考えれば,声を出して呼べば足りるから,I看護師は,Aを一人にすることなく,自殺未遂への対応ができたのであって,Aの再度の自殺の回避は可能であった。少なくとも1回はナースコールをすべきであった。 イ看護師が不在であった時間が10秒以内であったとすれば,そのわずかな間にAは自殺したことになること,AはI看護師とまともなコミュニケーションが取れていな も1回はナースコールをすべきであった。 イ看護師が不在であった時間が10秒以内であったとすれば,そのわずかな間にAは自殺したことになること,AはI看護師とまともなコミュニケーションが取れていなかったこと,I看護師自身,本件病室の状況を把握できておらず,パニック状態にあったと推測できることからすれば,I看護師がAをベッドに横臥させた際,Aを落ち着かせることができたとは考えられない。 ウI看護師は,Aに付き添ったまま,他の看護師の応援を要請することが可能であったし,また,本件病室からDに電話をして,Aの会話の状況を見てから退室することも可能であったのに,これを怠ったものであるから,被告には結果回避可能性及び結果回避義務違反がある。 エ声を出して呼ぶ場合でも,言葉に気をつければ,Aの名誉感情を害したり,錯乱状態を引き起こすことなく応援を呼ぶことは可能である。 (被告の主張)ア被告病院のナースコールは,当該病室を含む病棟を受け持つ看護師の携帯するPHSに転送され,受信した看護師は,ナースコールを発した病室の部屋番号を確認し,その病室を受け持つ看護師が対応することとなっている。本件の場合,仮にI看護師がナースコールをしたとすると,I看護師及びJ看護師の所持するPHSに転送されるが,本件病室はI看護師の受け持ちであるから,J看護師はPHSを取らず,したがって他の看護師に連絡が取れない可能性が極めて高い。 被告病院の看護師が携帯するPHSは,架電のために用いられることはなく,また,ナースコールは看護師から看護師への連絡のために用いられることはなかったから,I看護師がとっさの判断として,当該PHSを用いて被告病院に電話をかけるという手法やナースコールという手法を考えつかなかったとしても無理はない。 イ自殺未遂を起こした者の眼前で,大声 なかったから,I看護師がとっさの判断として,当該PHSを用いて被告病院に電話をかけるという手法やナースコールという手法を考えつかなかったとしても無理はない。 イ自殺未遂を起こした者の眼前で,大声で人を呼べば,かえって同人の感情を刺激し,錯乱状態を引き起こす可能性がある。また,大声を出すことにより,事件が起こったことが他の患者に分かることになって,自殺未遂者の名誉感情を傷つけることにもなる。Aは当時,錯乱した様子はなく,自殺を翻意する旨の言動をしていたのであるから,大声で人を呼ぶ方法を採ることが適切・妥当とはいえない。 ウAの自殺未遂を発見した後,I看護師がパニック状態にあったとの点は否認する。I看護師は,Aの着衣に付着していた血液が少量であり,一見して処置の必要性を感じなかったから傷害部位を確認しなかったにすぎないし,また,ボディーソープの落下位置は衝立裏の床頭台の前であったから,その付近を通過しなかったI看護師がボディーソープの存 在に気付かなかったとしても不思議はない。 (4) 争点(4)(損害)について(原告らの主張)ア慰謝料3000万円イ逸失利益1億761万7176円(ア) Aの年収は1560万円であったこと,死亡当時64歳であり,平均余命は18.19年であったことから,年収に平均余命の2分の1である9年間のライプニッツ係数を乗じ,生活費を30パーセント控除して計算すると,逸失利益は上記金額になる。 (イ) Aは,Kの具体的経営を行っており,その所得全額が労働対価部分である。 ウ相続原告らは,大韓民国法により,上記アイを9分の2ずつ相続したので,原告らは被告に対し,それぞれ2391万4928円の損害賠償請求権を有する。 エ過失相殺(ア) 過失相殺の規定を類推適用することは争わない。 (イ) 被告の主張 記アイを9分の2ずつ相続したので,原告らは被告に対し,それぞれ2391万4928円の損害賠償請求権を有する。 エ過失相殺(ア) 過失相殺の規定を類推適用することは争わない。 (イ) 被告の主張ウ(イ)のHの発言内容は否認する。Hは「あの人は気,の短い人ですから,病院の方に迷惑を掛けて申し訳ありません。ただ,周りに怒鳴り散らすのはいつものことですけれど,そんな弱気なことを言う人ではないので心配です。病院でもよく注意して見ておいてください」と述べたのである。 また,Hが付添をしなかったことにより空白時間が生じたものではないから,Hの過失に基づく過失相殺規定の類推適用については争う。H,,,はF医師から落ち着くまで側にいてくださいと言われたものであり実際に,被告病院側との面談後3時間ほど付き添っている。 (被告の主張)ア慰謝料Aは自殺したのであるから,死亡による精神的苦痛は存在しない。 イ逸失利益(ア) Aは自殺したのであるから,逸失利益は自ら放棄したものである。 (イ) また,Aは,Kの取締役であったこと,同社はAの相続人が役員に就任していること,Aには肺結核症のほかに陳旧性心筋梗塞等の既往症があったことからすれば,Aは実際には稼働しておらず,その所得全額が利益配当的なものであり,かつ,それら全額が原告らを含むAの相続人に承継されているものと推測されるから,逸失利益はない。 ウ過失相殺(ア) Aの死亡は自ら招来したものであり,かつ,同人はI看護師を欺罔して自殺を遂げているから,過失相殺の規定を類推適用すべきである。 (イ) 被告病院は,10月15日(本件当日の前日,HらにAの現状に)ついて説明した際,万が一のことを考えてHに付添いを依頼したにもかかわらず,Hは「ああいう言動はいつものことだからほうっておいて欲し 被告病院は,10月15日(本件当日の前日,HらにAの現状に)ついて説明した際,万が一のことを考えてHに付添いを依頼したにもかかわらず,Hは「ああいう言動はいつものことだからほうっておいて欲しい」などと述べ,これに応じなかった。このことから空白時間が生じ,Aの自殺の結果を招来したのであるから,過失相殺の規定を類推適用すべきである。 第3当裁判所の判断 争点(1)(自殺を防止すべき安全配慮義務の存否)について(1) 患者と医療機関の間で診療契約が締結されて患者が入院している場合,当該医療機関は,少なくとも,疾病に対する医療の提供と関連する範囲では当該患者に対し安全配慮義務を負うことになるが,当該範囲には入院中に発生した精神症状も含まれうると解するのが相当である。もっとも,このような精神症状は,診療契約の対象たる疾病そのものとはいい難いから, あらゆる精神症状への対応が安全配慮義務の内容として求められると解するのは相当でなく,具体的な精神症状がこれに含まれるかどうかは,当該精神症状発生の蓋然性,患者の状況に関する医療機関側の認識等の事情を総合的に斟酌し判断する必要があるものと解する。 (2) 被告病院の医師らは,10月15日に転倒したAを発見した後,骨折を疑ってレントゲン撮影を実施し,腰椎圧迫骨折と診断して鎮痛剤(ボルタレン座薬)を処方するなどの診療行為に及んでいること(甲A2号証13,55,56頁)に照らせば,Aが入院中に受傷した腰椎圧迫骨折についても,Aと被告との間で,少なくとも黙示的に診療契約が締結されたと認めるのが相当である。 (3) そして,被告病院では,Aは体調が優れないと精神的に不安定になることを把握していたこと(甲A2号証44,45,47,48頁)に加え,Aは,腰椎を圧迫骨折したことを契機として精神的に不安定 。 (3) そして,被告病院では,Aは体調が優れないと精神的に不安定になることを把握していたこと(甲A2号証44,45,47,48頁)に加え,Aは,腰椎を圧迫骨折したことを契機として精神的に不安定になり,飛び降り自殺をほのめかすような発言をし,これを被告病院の医師・看護師らが聞いていること,本件自殺直前に,ゴムチューブを首に巻き,胸元に血が付着しているAを,I看護師が発見していることといった事情を総合的に斟酌すれば,本件事情の下では,被告には,診療契約に基づく安全配慮義務の一内容として,本件Aの自殺を防止すべき義務があったというべきである。 争点(2)(予見義務違反の存否)について(1)ア証拠(甲A2号証57,58頁,乙A6号証,証人I)によれば,次の事実が認められる。 I看護師は,Aが自殺を図ったものと判断したので,Aに対し「どう,したの。何をしているの」と話しかけたが,Aは応答しなかった。I看護師は,Aに対し,とりあえず,ベッドに戻るよう声をかけ,Aをベッドへ誘導した。その際,I看護師が,Aが先刻息子を呼んでくれと言っ ていたことを指摘し,息子と話をするように言ったところ,Aは「わか,ったわ。電話して呼んでくれ」と言った。I看護師が,今から息子に連絡するから待っているよう伝えると,Aはうなずいた。I看護師は,Aをベッドに横臥させて,他の看護師の応援を要請する等のため,本件病室を退室した。 イなお,経過記録の「精神的混乱がみられる」との記載(甲A2号証58頁)は,前後の記載からみて,I看護師が,本件病室を訪問した直後のAの様子につき記載したものであり,I看護師と会話を交わした後のAの様子につき記載したものとは認められない。また,経過記録の「息子さんと話をしてからにしてください」との記載(甲A2号証58頁)につい の様子につき記載したものであり,I看護師と会話を交わした後のAの様子につき記載したものとは認められない。また,経過記録の「息子さんと話をしてからにしてください」との記載(甲A2号証58頁)についても,息子と話をするよう説得する趣旨の話し言葉の記載として何ら不自然不合理な点は認められない。 (2)ア原告らは,自殺未遂直後の者が,精神的に混乱し,再度の自殺行為に及ぶことは容易に予見できると主張する。 確かに,自殺を図ったもののこれを遂げなかった者が,その目的を遂げるため,再度自殺に及ぼうとする可能性があることは,一般論として認められるが,本件で検討すべきは,Aが,I看護師の退室後10秒程度の間に自殺を敢行することが予見し得たか否かである。この点に関し,原告らは,看護師不在の時間が10秒程度であったのは結果論であり,I看護師は1,2分Aから目を離しても問題はないと考えていたところ,1,2分あればAが窓から飛び降りることは十分予見し得たと主張する。 原告らの主張は,予見義務違反は行為者の主観に基準を据えるべき趣旨と思われるが,そもそも,予見義務の前提となる予見可能性とは,現実に発生した結果を予見し得たか否かをいうのであるから,本件の場合も,10秒程度の間にAが自殺することを予見し得たかどうかが問題となるのであって,上記原告らの主張は失当である。 イこれを本件について検討するに,もともといわゆる精神疾患を患っていたわけではないAが,入院中の腰椎圧迫骨折によって生じた精神的不安から,自殺未遂ではなく,完全に自殺を遂げるにまで至る蓋然性は相当に低いといえるうえ,Aは,I看護師に誘導されて一旦ベッドに横臥していること,息子と話をすることについてI看護師と会話をし,I看護師に息子を呼んでくれるよう頼み(Aが「息子を」呼んでくれとの趣旨でI看 いといえるうえ,Aは,I看護師に誘導されて一旦ベッドに横臥していること,息子と話をすることについてI看護師と会話をし,I看護師に息子を呼んでくれるよう頼み(Aが「息子を」呼んでくれとの趣旨でI看護師に「電話して呼んでくれ」と頼んだことは,会話の流れから明らかである,待っていてねと言ったI看護師に対しうなずいたこ。)と,Aは以前,拒薬をしても,家族と面会すると落ち着いたことがあったこと(甲A2号証39頁,被告病院側は,Aにとって家族のフォロー)が精神的支えになっていると認識していたこと(同45頁,Aが腰椎圧)迫骨折以前には自殺をほのめかす言動をしていなかったことにかんがみれば,I看護師が,息子を呼んでくれるよう頼んで横臥したAの言動を見て,一旦落ち着いたものと判断したのはやむをえないというほかなく,上記事情の下では,前日に腰椎を圧迫骨折したAが,I看護師がJ看護師の応援を頼み,同人が本件病室に到着するまでのわずか10秒程度の間に飛び降り自殺に及ぶと予見するのは極めて困難と評価できる。 ウ原告らは,I看護師がAに対し「どうしたの。何をしているの」と話,しかけたものの,Aが応答しなかったことをもって,Aがコミュニケーションが取れない状況にあったから,再度の自殺を容易に予見できたと主張する。しかし,Aは,その直後に,息子を呼んで話をすることについてI看護師に対し応答しているのであるから,I看護師からの呼びかけに対し当初無言であったことをもって,Aのコミュニケーション能力が欠如していたとは認められず,他にこれを認めるに足る証拠はない。 (3) 一方,原告らは,I看護師がAの自殺を予見できなかったとしても,それは,①Aがボディーソープを大量に摂取したことを確認し,②ベッドの 周りに血が付着していたことやAの受傷状況・自傷方法を確 3) 一方,原告らは,I看護師がAの自殺を予見できなかったとしても,それは,①Aがボディーソープを大量に摂取したことを確認し,②ベッドの 周りに血が付着していたことやAの受傷状況・自傷方法を確認するなどしていれば,Aの再度の自殺のおそれを容易に予見できたのに,これを怠ったためであるとも主張するので,以下検討する。 アAの死亡後,本件病室の床には空のボディーソープの容器が落ちており,ベッド付近の床には若干の血痕が付着していたほか,Aの検視時に,Aの鼻腔及び口腔内から石けん様の臭気が認められている(甲A2号証14頁,乙A8号証,調査嘱託の結果)ことからすれば,少なくともAがボディーソープを摂取しようとしたことは認められる。しかし,Aがボディーソープを大量に摂取したことを窺わせる証拠としては,F医師による診療記録の想像記載(甲A2号証14頁)があるのみであり,一方,ボディーソープを経口摂取した場合には,口腔粘膜に対する刺激があり,悪い味を呈し,更に催吐性があるため,そもそも大量に摂取することが困難であるうえ(乙B1号証,本件病室内に嘔吐物が残存してい)たと認めるに足る証拠もないことからすると,Aがボディーソープを大量に摂取したことを認めるに足る証拠はない。 イI看護師は,Aの着衣の胸元に血が付着し,その首にはゴムチューブ様のものが緩く巻き付いていたことに気付き,Aが自殺を図ったと認識し,Aとの間で上記(1)認定のやりとりをしたうえ,直ちに応援の看護師を呼ぶ等のために本件病室を退室したのであり,I看護師がベッド床上の血液や,Aがボディーソープを摂取しようとしたことに気付いたとしても,上記の認識に大きな影響を及ぼすものではないから,退室後10秒程度の間にAが飛び降り自殺を敢行することを予見できたということにはならない。 (4) よ ープを摂取しようとしたことに気付いたとしても,上記の認識に大きな影響を及ぼすものではないから,退室後10秒程度の間にAが飛び降り自殺を敢行することを予見できたということにはならない。 (4) よって,I看護師には本件Aの自殺につき予見可能性ないし予見義務違反がない。 小括 したがって,結果回避義務違反の点について判断するまでもなく,被告に安全配慮義務違反は認められないことに帰着する。 結論 以上の次第で,原告らの本訴各請求は理由がないからこれらを棄却することとし,訴訟費用の負担について民事訴訟法61条,65条1項本文を適用して,主文のとおり判決する。 名古屋地方裁判所民事第4部裁判長裁判官永野圧彦裁判官寺本明広裁判官大寄悦加
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