主文 被告人は無罪。 理由 1 公訴事実等本件公訴事実は,被告人が,Bと共謀の上,法定の除外事由がないのに,平成30年7月26日頃,名古屋市(以下住所省略)ホテルC(以下「ホテルC」という。)において,覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパン塩酸塩若干量を含有する水溶液をBから被告人の身体に注射してもらい,もって覚せい剤を使用した,というものである。 本件では,前記日時場所において,Bが,覚せい剤水溶液を被告人の身体に注射したこと(以下「本件注射」という。),被告人の尿から覚せい剤成分が検出されたことは,関係各証拠により認められ,当事者間にも争いがない。しかしながら,被告人は,公判廷において,本件注射を打ちたいという思いはなかったが,Bに繰り返し暴力を受けていたため,Bが怖くて断れなかった旨供述し,弁護人も,Bは,被告人への暴行,傷害,家族にも危害を加える旨の脅迫により被告人に対する心理的拘束を強めていたものであり,本件注射は,被告人が拒絶できない状態においてなされたものであるから,被告人にBとの共謀及びBに本件注射をしてもらった事実はなく,無罪であると主張する。 当裁判所は,被告人につき,本件注射を打ちたいという思いはなかったが,Bの暴力によりBに恐怖心を抱いていたために,本件注射を拒絶できなかった可能性を否定することはできず,被告人が,自らの意思でBに本件注射をしてもらったこと(すなわち,被告人に覚せい剤使用の故意及びBとの共謀があったこと)については合理的疑いが残ると判断したので,その理由について,以下補足して説明する。 2 証拠により認定できる事実 関係各証拠によれば,以下の各事実が認められる(日付はいずれも平成30年のものである。)。 (1) 被 で,その理由について,以下補足して説明する。 2 証拠により認定できる事実 関係各証拠によれば,以下の各事実が認められる(日付はいずれも平成30年のものである。)。 (1) 被告人とBの関係などア被告人(本件当時,50歳)は,本件当時,夫が経営する会社の役員として,同社が経営する飲食店(以下「本件飲食店」という。)で勤務し,自宅で夫,二男らと居住していた。 被告人の夫は,約20年来,補導委託先として非行少年の更生に協力しており,約6年前からは,協力雇用主として受刑者の就労支援も始め,被告人もこれらに協力していた。被告人の夫は,1月に三重刑務所を満期出所するB(本件当時,27歳)の就労支援を引き受け,同人を本件飲食店の従業員として雇用した。Bは,同月から,同社の従業員寮に住み,同店で働き始めた。 イ 3月1日頃,被告人とBは車の中で性交渉を持ち,以後,定期的に性交渉を持つ関係になった。Bは,4月19日,前記従業員寮から出奔して本件飲食店を事実上退職し,5月末頃からはホテルを転々とする生活を始めたが,被告人は,Bの退職後も,Bと連絡をとり,同関係を続けていた。 (2) Bによる被告人への薬物使用Bは,4月頃から,被告人との性交渉の際に,度々,何らかの薬物(以下,単に「薬物」という。)を被告人の膣に入れて使用するようになった。 (3) Bによる被告人への暴力,金銭の要求ア Bは,6月頃から,被告人に対し,頻繁に,殴る,蹴る等の暴力を振るうようになった。7月22日までの間に,Bが被告人に加えた主な暴力としては,次のものがあった。 (ア) 6月頃,被告人の胸部を手拳で強く殴ったもの。同暴行を受けた箇所は,9月頃まで痛みが継続した。 (イ) 7月初旬頃,半田市内のスーパーの駐車場に駐車中 しては,次のものがあった。 (ア) 6月頃,被告人の胸部を手拳で強く殴ったもの。同暴行を受けた箇所は,9月頃まで痛みが継続した。 (イ) 7月初旬頃,半田市内のスーパーの駐車場に駐車中の自動車内で,被告人にライターを投げつけて鼻部に当て,全治約3週間の傷害を負わせたもの(Bは同事実につき起訴された。以下「起訴された暴力①」という。)。 (ウ) 同月上旬頃,被告人の頭部を殴り,被告人の両目の下に青黒い内出血が生じたもの。 (エ) 同月中旬頃,半田市内のコンビニエンスストアの駐車場に駐車中の自動車内及びホテルの駐車場に駐車中の自動車内で,被告人の右上腕部を手拳で複数回殴ったもの(Bは同事実につき起訴された。以下「起訴された暴力②」という。)。 イまた,Bは,6月頃から,被告人に金銭を要求するようになり,被告人は,7月27日の逮捕までの間に,Bに対し,消費者金融からの借入れ(合計約650万円),夫の口座からの無断引出し(合計約50万円),母親からの借入れ(合計約360万円)により,合計1000万円以上の金銭を交付した。 (4) 7月22日から同月27日の逮捕までの間の出来事(以下,本項の日付はいずれも7月のものである。)ア被告人とBの行動22日,被告人はBから暴力を受けた後に自宅に戻ったが,自宅において,夫が被告人の体に多数のあざがあることを見とがめ,被告人のかばんを調べて,夫に無断で50万円が引き出されている夫の通帳,消費者金融の申込書,Bへの振込み用紙等を発見した。夫は,Bが被告人に暴力を振るっていることを知り,Bを「ぶち殺したる。」などと発言したが,その後,本件飲食店から連絡を受け,自宅を出た。 被告人は,夫が自宅を出た後,Bに逃げるように連絡し,Bのもとに向かった。その後,被告人は,同日から27 ,Bを「ぶち殺したる。」などと発言したが,その後,本件飲食店から連絡を受け,自宅を出た。 被告人は,夫が自宅を出た後,Bに逃げるように連絡し,Bのもとに向かった。その後,被告人は,同日から27日までの間,Bとともにホテルを転々としながら,Bと行動を共にした。 なお,被告人は,その間に2回(23日及び26日午前3時頃),Bが運転する車で自宅に行き,短時間滞在した。 イ Bによる被告人への暴力前記ア記載の暴力に加えて,22日から27日までの間にBが被告人に加えた主な暴力としては,次のものがあった(薬物の注射については後記ウに記載する。)。 (ア) 26日(本件注射の後),ホテルCで,被告人に対し,殴る,蹴る,ホテルの備品を投げつけるなどの暴行を加えたもの(このうち,被告人の右腕を手拳で殴る暴行を加えた事実につき,Bは起訴された。以下「起訴された暴力③」という。)。 (イ) 同日午後7時50分頃,名古屋市内のホテルのエレベーターホールで,被告人の左額部等を手拳で複数回殴り,全治約5日間の傷害を負わせたもの(Bは同事実につき起訴された。以下「起訴された暴力④」という。)。 (ウ) (イ)の後,自動車内で,被告人の右上腕部を手拳で複数回殴ったもの。 ウ Bによる被告人への薬物の注射22日,Bは,注射器を用意して被告人に薬物の使用を持ちかけた(なお,Bが被告人に注射器を見せたのは,この時が初めてである。)。この時,Bが被告人の左腕に注射器の針を刺そうとしたが,うまくいかなかったため,被告人が自ら左腕に注射器の針を刺し,Bが押し棒を押して被告人に薬物を注射した(以下「22日の注射」という。)。24日も,Bが同様の方法で被告人に薬物を注射した。さらに,26日午前4時頃,ホテルCにおいて,Bが注射器を用意して被 し,Bが押し棒を押して被告人に薬物を注射した(以下「22日の注射」という。)。24日も,Bが同様の方法で被告人に薬物を注射した。さらに,26日午前4時頃,ホテルCにおいて,Bが注射器を用意して被告人に薬物の使用を持ちかけ,同様の方法で被告人に薬物(覚せい剤)を注射した(本件注射。以下,上記24日の注射及び本件注射を併せて「2回目以降の注射」という。)。 エ逮捕に至る経緯27日,Bが注射器を用意して被告人に薬物の使用を持ちかけた際,被告人は,Bに「やばいものじゃないの。」と聞いた。Bが「うん。」と言ったので,被告人が「ああいうものは寂しい人がやるんじゃないの。」と言うと,Bは「1人にしないで。」などと言い,結局,そのときは薬物を注射せず,Bは就寝した。 その後,被告人は,Bが寝ている間に,夫に対し,「帰りたいけど帰れない。殴られ蹴られ,暴行されている。」旨のショートメールを送信し,また,二男に対し,「いろいろあって帰れません。薬を打たれているので警察は駄目。お父さんにもこのことを伝えてほしい。殴られ蹴られて,もう逃げられない。スピーカーで話も聞かれている。」旨のLINEのメッセージを送信した。二男は同メッセージを警察官に見せ,同日午後3時頃,警察官が名古屋市内のホテルから出てきた被告人とBを発見した。その後,被告人の尿から覚せい剤の陽性反応が認められ,被告人は逮捕された。 (5) 逮捕後の状況等ア逮捕当時,被告人には,顔面,両側上肢,胸部,腹部,両側下肢等に,多数の皮下出血ないし打撲痕が存在した。 翌7月28日,被告人は,F病院の救急外来を受診し,同月26日に受けた傷害につき,全治約2週間の右上腕部挫傷と診断された。同受診時の診療記録には,被告人の主訴等として,「全身の痛み,腫脹」,「5月くらいか 8日,被告人は,F病院の救急外来を受診し,同月26日に受けた傷害につき,全治約2週間の右上腕部挫傷と診断された。同受診時の診療記録には,被告人の主訴等として,「全身の痛み,腫脹」,「5月くらいから殴られたり蹴られたりして腫脹を繰り返す。7月26日に重ねて殴られた。右上腕が痛みと腫れがひどく,胸も殴られた。」旨の記載がある。医師の所見としては,「全身に新旧の打撲痕だらけ。」,「右上腕腫脹,発赤あり。圧痛あり,ここが一番フレッシュ。」との記載があるほか,顔面,両側上肢,胸部,腹部,腰・骨盤,下肢のいずれについても,「打撲,皮下出血,青黒く時間がたっている。」旨の記載がある。 イ被告人に前科前歴はなく,Bによるものを除いては,違法薬物使用の経験もない。 ウ Bは,覚せい剤の使用及び所持,本件注射にかかる覚せい剤の共同使用,起訴された暴力①,同②,同③及び同④(以下「起訴された4件の暴力」という。)につき,順次起訴され,令和元年6月6日,名古屋地方裁判所において,いずれも有罪とする判決の言渡しを受けた。 (6) 上記認定の補足説明上記の各事実は,前記各書証のほか,主に夫の供述及び被告人の公判供述により認定したものである。夫の供述については,特に疑いを差し挟む点は見当たらず,信用性に疑問はない。上記認定にかかる被告人の公判供述についても,被告人の供述する一連の経過は,特に不自然,不合理な点はなく,関係各証拠ともよく整合しており,信用性を否定することはできない。 なお,上記認定にかかるBの公判供述については,Bは,被告人に対する暴力及び金銭の要求(前記(3)及び同(4)イ)を除いては,細部の食い違いはあるものの,概ね被告人の公判供述に沿う供述をしている。被告人に対する暴力及び金銭の要求については,起訴された4件の暴力を る暴力及び金銭の要求(前記(3)及び同(4)イ)を除いては,細部の食い違いはあるものの,概ね被告人の公判供述に沿う供述をしている。被告人に対する暴力及び金銭の要求については,起訴された4件の暴力を除き,いずれも証言拒絶権を行使するか,「覚えていません。」,「分かりません。」,「言いたくありません。」などと述べて供述を回避しており,上記認定を左右しない。 3 被告人が,自らの意思でBに本件注射をしてもらったかどうかそこで,前記の各事実に基づき,被告人が,自らの意思でBに本件注射をしてもらったかどうか(すなわち,被告人に覚せい剤使用の故意及びBとの共謀があったかどうか)について検討する。 (1) 被告人の公判供述被告人は,Bとの関係や,Bに薬物(本件注射を含む。)を使用されたと きの状況について,概ね次のとおり供述している。 ア Bとの関係6月頃から暴力が始まり,会うたびに大体いつも暴力を受けた。7月中旬頃,コンビニの駐車場で殴られた際は(前記2(3)ア(エ)),本当に鬼のような形相で,もう殺されるかと思った。暴力が始まるまでは,Bに対し,かわいそうだという気持ちとともに,好きだという気持ちもあったが,暴力が始まってからは,怖さの方が強くなった。また,「うそをついたから50万円払え,100万円払え。」などと言って,暴力とともに金銭も要求されるようになった。金銭を渡さないと,暴力・暴言がひどくて,怖くて,渡さざるを得なかった。とにかくBの要望に応えないと暴力がひどいので,大変な思いをしていた。 イ Bに薬物(本件注射を含む。)を使用されたときの状況(ア) 4月頃から,性交渉の際に,度々,薬物を膣に入れられるようになったが,薬物について,Bは,性的に興奮する薬だとしか説明しなかった。 Bに言われて,ホテルに忘れ物 む。)を使用されたときの状況(ア) 4月頃から,性交渉の際に,度々,薬物を膣に入れられるようになったが,薬物について,Bは,性的に興奮する薬だとしか説明しなかった。 Bに言われて,ホテルに忘れ物がないか問い合わせた際も,中身は教えてもらっていない。22日の注射の際,注射器を見て覚せい剤の可能性も少しは考えたが,Bが「いつもの興奮する薬だから。」と言うので,それを信じた。 (イ) 同注射の際,Bに「断ったらどうなるの。」と聞いたら,Bは「高いしもったいない。」,「捨てるしかないよね。」などと言い,怒り出すような雰囲気の顔をしたので,断ったらまた殴ったりされて,殺されるかもしれないという恐怖で,仕方ないのかなと思った。本件注射の際も,Bに注射器を出されて,「これがAさんのだよ。」と言われたが,Bが怖くて断れなかった。暴力がひどくて,もしかしたら殺されるかもしれないという恐怖心があった。本件注射を打ちたいという思いは全くなかった。 (ウ) 22日の注射の後,打った瞬間に,雲の上を歩いているような,ふ わふわとした感じがして,初めて経験したようなびっくりした感覚があり,やはり覚せい剤ではないかと思った。覚せい剤だと確信したのは,7月27日に「やばいものじゃないの。」と聞き,Bが「うん。」と言ったときである。Bの返答により覚せい剤だと確信したので,家族に助けを求めた。 (2) 被告人の公判供述の信用性アまず,前記供述のうち,薬物に対する認識にかかる部分(前記(1)イ(ア)及び(ウ))については,Bが注射器を見せたのは7月22日が初めてであること(前記2(4)ウ),7月27日の「やばいものじゃないの。」に始まる被告人とBとのやり取り,同やり取り後に被告人が夫及び二男に助けを求めるメール等を送信していること(前記2(4)エ)等の であること(前記2(4)ウ),7月27日の「やばいものじゃないの。」に始まる被告人とBとのやり取り,同やり取り後に被告人が夫及び二男に助けを求めるメール等を送信していること(前記2(4)エ)等の事実と整合しており,特に不自然,不合理な点はなく,排斥することはできない(同供述に反するBの供述が採用できないことは,後記(4)で述べる。)。 同供述によれば,被告人は,本件注射の際,薬物が覚せい剤であることの明確な認識はなかったものの,覚せい剤であることを疑っていたことが認められる。そうすると,被告人は,本件注射の際,Bに覚せい剤と思われるものを注射されることを理解しながら,特に拒絶することなく,自ら左腕に注射器の針を刺したものと認められる(前記2(4)ウ)。 イもっとも,被告人は,本件注射の際の心理状態について,Bの暴力によりBに恐怖心を抱いていたことを前提に,Bの暴力が怖くて断れなかった旨供述しているところ(前記(1)ア及び同イ(イ)),同供述は,以下に述べるところによれば,信用性を否定することができない。 (ア) すなわち,被告人が,6月頃から本件注射に至るまでの2か月弱の間に,Bから,複数回にわたり暴力(7月22日に受けた暴力を含む。)を受けていたことは,前記2(3)ア及び同(4)ア記載のとおりである。かつ,同暴力が相当に激しいものであったことは,被告人の負傷状況を撮影した各写真,逮捕後に救急外来を受診した際の診療記録(前記2(5)ア),夫の 供述(7月22日に見たとき,被告人の右腕は左腕の倍くらいに腫れ,首から下はプリントされているようなすごいあざができていた。)などからも明らかである。 (イ) また,被告人が,Bから金銭を要求され,6月頃から逮捕に至るまでの2か月弱の間に,約1000万円もの金銭を交付したことは, れているようなすごいあざができていた。)などからも明らかである。 (イ) また,被告人が,Bから金銭を要求され,6月頃から逮捕に至るまでの2か月弱の間に,約1000万円もの金銭を交付したことは,前記2(3)イ記載のとおりであるところ,その金額や被告人の供述するBの使途(FX取引の原資とのことであり,同供述を排斥する証拠はない。),その調達方法(消費者金融からの借入れ,夫の口座からの無断引出し等),更には,前記(ア)記載の暴力や本件注射後の暴力(前記2(4)イ)からも明らかなとおり,Bが機嫌を損ねると被告人に暴力を振るってきたこと(なお,Bは嫉妬が原因だと供述するが,後記(4)記載のとおり,採用できない。)などに鑑みると,被告人がBに同金銭を交付した理由は,被告人が述べるとおり,Bの要求を断ると暴力等を受けるために渡さざるを得なかったものと認めるのが相当である。 (ウ) そして,前記(ア)記載の暴力の内容や,被告人がBの暴力を避けるために約1000万円もの金銭を渡さざるを得なかったことに鑑みると,Bの暴力によりBに恐怖心を抱いていたとの被告人の供述は相応の合理性を有するというべきである。そうすると,本件注射の際,Bの暴力が怖くて断れなかった旨の被告人の供述についても,信用性を否定することはできず,本件注射の際,被告人が,Bに暴力を振るわれることを恐れて,Bの意に反する行動を取ることが困難な心理状態にあった可能性を否定することができない。 かつ,以下に述べるとおり,被告人の前記供述に反する8月6日付け検察官調書(乙5号証。以下「乙5号証」という。)の記載及びBの供述は,いずれも採用できないものである。 (3) 乙5号証(刑訴法322条1項による採用部分。以下同じ。)の記載 についてア乙5号証には,要旨,次のよう 」という。)の記載及びBの供述は,いずれも採用できないものである。 (3) 乙5号証(刑訴法322条1項による採用部分。以下同じ。)の記載 についてア乙5号証には,要旨,次のような記載がある。 (22日の注射の後,体調に異変を生じ,)Bが私に注射したのは覚せい剤ではないかと思った。正直,これまで違法薬物なんてやったことがなく,どうしようという気持ちだった。でも,次にBから同じように注射を勧められ,それが覚せい剤ではないかと思ったが,Bを怒らせて殴られたくないという気持ちと,まだBのことが好きで,彼の望むことをしてあげたいという気持ちがあり,勧められるまま覚せい剤を注射した。7月25日(26日の誤りと思われる。)も,そんな気持ちで覚せい剤を注射した。 イしかしながら,上記記載のうち,「まだBのことが好きで,彼の望むことをしてあげたいという気持ちがあり,勧められるまま覚せい剤を注射した。」との部分は,任意性に疑いはないものの,取調べ状況を録音,録画したDVD-R(以下「本件DVD」という。なお,本件DVDを乙5号証の信用性判断にも用いることについては,第7回公判期日で当事者と確認済みである。)の内容も検討すると,信用性には疑問があるというべきである。 すなわち,本件DVDによれば,乙5号証作成時の取調べの際(8月6日14:05~16:04。以下,本件DVD上の時刻を[]内に示す。),被告人は,Bから臀部に黄色い液体を注射されたこと,殴る蹴る等の暴力を受けていたことを述べた上で[14:10頃],要旨,次のような供述をしていたことが認められる。 (ア) 取調検察官から,22日の注射で体がおかしくなったのに,なぜ2回目以降の注射を続けたのかを聞かれて[14:36頃及び15:01頃],被告人は,「Bに『打たないとどうな たことが認められる。 (ア) 取調検察官から,22日の注射で体がおかしくなったのに,なぜ2回目以降の注射を続けたのかを聞かれて[14:36頃及び15:01頃],被告人は,「Bに『打たないとどうなるの。』と聞いたら,Bが,『えー,捨てるかどうか,でももったいないよね,高いのに。』などと言い,それを聞いて,これで怒ったらまた殴られるのかなというふうに思ってしまった。」, 「とにかく暴力が恐かった。」,「一度,本当にこのままやられたら殺されるのではないかと思ったことがある。」などと,Bへの恐怖心を繰り返し述べている。 (イ) 取調検察官から,2回目以降の注射の際の内心について聞かれて[14:42頃],被告人は,「同じ注射器と針を使うので,嫌で,恐いし,できるなら打ちたくないという気持ちは十分あったが,機嫌を損ねると,というのに負けてしまった。怒らしたくなかったというのが一番です。」などと述べている。加えて,供述録取時[15:36頃]にも,被告人は,「怒らして殴られたくないというのが一番強い。」,「好きだという気持ちもあったが,2回目以降は,打ちたくない気持ちが本当に強かった。殴られたくないというのがほぼ九十何パーセントくらいはあった。」と述べており,Bへの好意については,取調検察官の「Bの望むことをしてあげたいという気持ちも少しはあったの。」といった質問に対して,「ないことはないので,あります。」と述べる程度にとどまっている。 ウ以上のとおり,本件DVDによれば,被告人は,2回目以降の注射の際の内心につき,Bの暴力によりBに恐怖心を抱いていたことを前提に,Bを怒らせて殴られたくないという気持ちが大部分を占めていた旨明確に述べていたことが認められる。しかしながら,乙5号証には,Bの暴力やこれに対する被告人の恐怖心につい 怖心を抱いていたことを前提に,Bを怒らせて殴られたくないという気持ちが大部分を占めていた旨明確に述べていたことが認められる。しかしながら,乙5号証には,Bの暴力やこれに対する被告人の恐怖心については何ら記載がない上,「Bを怒らせて殴られたくないという気持ち」と,「まだBのことが好きで,彼の望むことをしてあげたいという気持ち」が,等しく存在するかのように記載されている。 以上によれば,乙5号証の前記部分は,被告人の供述を正確に録取したものとは認められず,採用することはできない。 (4) Bの供述についてア Bは,被告人に使用した薬物がいずれも覚せい剤であることを前提 に,被告人の認識や被告人に覚せい剤を使用したときの状況について,要旨,次のとおり供述している。 覚せい剤をなくしたと思い,被告人からホテルに確認してもらった際に,被告人に,「いつも使っているあの薬なんだけど。覚せい剤で警察にばれたら捕まってしまうから,なくしたらまずい。」などと説明した。その際,被告人は,特に驚いているような反応はなく,変わった様子はなかった。 覚せい剤であることを伝える前は,被告人に,「興奮する薬があるんだけど使ってみない?」などと勧めていた。7月22日以降は,被告人に,覚せい剤を注射器で使うか確認し,被告人が「する。」,「使う。」などと言ったので,被告人に覚せい剤を注射した。被告人には,「自分の体だから,自分がやれるんだったらやりな。」などと言って,無理なら覚せい剤を使わなくてもいいと言っていた。 イしかしながら,以下のとおり,同供述は採用することができない。 すなわち,Bが,被告人に対し,覚せい剤だと知らせずに覚せい剤を注射したり,被告人が望まないのに覚せい剤を注射したりした場合には,被告人に対する暴行ないし傷害として刑事 は採用することができない。 すなわち,Bが,被告人に対し,覚せい剤だと知らせずに覚せい剤を注射したり,被告人が望まないのに覚せい剤を注射したりした場合には,被告人に対する暴行ないし傷害として刑事上,民事上の責任を問われうる(実際,被告人は,愛知県半田警察署に対して,Bを被告訴人とする9月18日付け告訴状を提出しており,同告訴事実の中には本件注射により覚せい剤中毒症状を惹起する傷害を負わせたとの内容も含まれている。)。そうすると,Bには,同責任を免れるために虚偽供述をする具体的な動機が存在するというべきである。 また,Bの公判供述全体をみると,Bは,前記2(6)記載のとおり,被告人に対する暴力及び金銭の要求につき,起訴された4件の暴力を除いては,いずれも証言拒絶権を行使するか,「覚えていません。」,「分かりません。」,「言いたくありません。」などと述べて,ことごとく供述を回避している。 更に,証言を拒否する理由を明らかにするよう弁護人に求められても,沈 黙して回答に応じないなど,供述態度はおよそ誠実とは言い難い。 ウ以上によれば,Bの前記供述は信用性に乏しいといわざるを得ず,採用することができない(かつ,以上の検討によれば,Bの供述は全体的に信用性が乏しいといわざるを得ず,被告人の公判供述等の他の証拠と整合する部分を除き,採用できないというべきである。)。 (5) 小括以上のとおり,被告人の前記供述(本件注射の際,Bの暴力が怖くて断れなかった旨の供述)に反する乙5号証の記載及びBの供述は,いずれも採用できないものである。被告人の前記供述は信用性を否定することができず,本件注射の際,被告人が,Bに暴力を振るわれることを恐れて,Bの意に反する行動を取ることが困難な心理状態にあった可能性を否定することができない。 。被告人の前記供述は信用性を否定することができず,本件注射の際,被告人が,Bに暴力を振るわれることを恐れて,Bの意に反する行動を取ることが困難な心理状態にあった可能性を否定することができない。 そうすると,本件注射の際,Bに覚せい剤と思われるものを注射されることを理解しながら,特に拒絶することなく,自ら左腕に注射器の針を刺したという被告人の行為は,本件注射を打ちたいという思いはなかったが,Bに暴力を振るわれることを恐れて,Bの意に反する行動を取ることができず,Bが覚せい剤と思われるものを注射することに消極的に従ったにすぎない可能性を否定することができない。同心理状態について,被告人が,Bに本件注射をしてもらおうという主体的な意思(すなわち,本件注射により覚せい剤と思われるものの効果を得ようとする主体的な意思)を有していたと評価することは困難であり,したがって,被告人が,自らの意思でBに本件注射をしてもらったこと(すなわち,被告人に覚せい剤使用の故意及びBとの共謀があったこと)については,合理的疑いが残るというべきである。 4 検察官の主張について(1) これに対し,検察官は,被告人に覚せい剤の認識があったことを前提 に,本件注射の際,被告人には覚せい剤使用の認容もあったといえるから,被告人が自らの意思で覚せい剤を使用したこと(すなわち,被告人に覚せい剤使用の故意があったこと)は明らかであると主張する。 しかしながら,以下のとおり,同主張は採用することができない。 (2) 検察官は,被告人自ら覚せい剤水溶液の入った注射器の針を自己の血管に刺す行為は,実行行為の一部である上,本件注射の際のBと被告人のやり取り自体の中に,暴行や脅迫などのBが強制的に被告人に同注射器の針を刺させたといえる明らかな言動はないことに照 器の針を自己の血管に刺す行為は,実行行為の一部である上,本件注射の際のBと被告人のやり取り自体の中に,暴行や脅迫などのBが強制的に被告人に同注射器の針を刺させたといえる明らかな言動はないことに照らせば,本件注射の際,被告人が覚せい剤の使用を認容していたことが推認されると主張する。 アしかしながら,同主張のうち,自ら注射器の針を自己の血管に刺したとの点は,そもそも,被告人が自ら注射器の針を刺すこととなったのは,Bが被告人の左腕に注射器の針を刺そうとしたが,うまくいかなかったため,准看護師の資格を有する被告人においてこれを行ったものであって(前記2(4)ウ),それ自体,Bの意を受けての行為にすぎない。そして,前記3(2)イ及び同(5)記載のとおり,6月頃から本件注射に至るまでの間に被告人が受けた暴力の内容や,被告人がBの暴力を避けるために約1000万円もの金銭を渡さざるを得なかったことに鑑みると,Bの暴力によりBに恐怖心を抱いていたとの被告人の供述は相応の合理性を有するというべきであり,したがって,自ら注射器の針を自己の血管に刺したとの被告人の行為も,Bに暴力を振るわれることを恐れて,Bの意に反する行動を取ることができず,Bが覚せい剤と思われるものを注射することに消極的に従ったにすぎない可能性を否定することができない。同心理状態について,被告人が,Bに本件注射をしてもらおうという主体的な意思(すなわち,本件注射により覚せい剤と思われるものの効果を得ようとする主体的な意思)を有していたと評価することは困難であるから,被告人の同行為をもって,被告人が覚せい剤の使用を認容していたと推認することはできない。 被告人が,7月27日,薬物が覚せい剤であることを確信した後に家族に助けを求めていることも(前記2(4)エ及び同3(1)イ ,被告人が覚せい剤の使用を認容していたと推認することはできない。 被告人が,7月27日,薬物が覚せい剤であることを確信した後に家族に助けを求めていることも(前記2(4)エ及び同3(1)イ(ウ)),これを裏付けるものである。 イまた,前記主張のうち,本件注射の際,暴行や脅迫などのBが強制的に被告人に注射器の針を刺させたといえる明らかな言動はないとの点も,前記ア記載のとおり,被告人がBに恐怖心を抱いていた以上,本件注射の際,暴行や脅迫などのBの明示的な言動がなくても,被告人が,Bの意に反する行動を取ることにより,Bの機嫌を損ね,暴力を振るわれることを恐れたということは,決して不合理とはいえない(なお,前記3(2)イ(イ)記載のとおり,Bは機嫌を損ねると被告人に暴力を振るってきた。)。したがって,本件注射の際,暴行や脅迫などのBの明示的な言動がなかったことは,被告人が,自ら進んで本件注射に応じたことを意味するとはいえず,被告人が覚せい剤の使用を認容していたことを推認させるものではない。 (3) また,検察官は,被告人が,①6月頃からBに暴力を受けるようになったものの,7月22日までの間,Bと肉体関係を持ち続けていたこと,②同日,Bの元に行った上,本件注射までの間に2回,Bから離れて1人で自宅に戻ったにもかかわらず,再びBの元に戻ったことに照らせば,被告人は,本件注射に至るまでの間に,家族や警察等に助けを求めること等が十分選択できる状況にありながら,家族や警察等に助けを求めることなく,Bの元に戻って行動を共にする中で,覚せい剤を身体に摂取しつつ肉体関係を持ち続けていたのであるから,被告人が,本件注射の時まで,Bへの好意の感情をもって自らの意思でBとの不倫関係を続け,自らの意思で覚せい剤を自己の身体に摂取することを選択して 体に摂取しつつ肉体関係を持ち続けていたのであるから,被告人が,本件注射の時まで,Bへの好意の感情をもって自らの意思でBとの不倫関係を続け,自らの意思で覚せい剤を自己の身体に摂取することを選択していたと認められると主張する。 アしかしながら,前記3(1)イ及び同(2)ア記載のとおり,薬物が覚せい剤ではないかとの疑いを被告人が持つに至ったのは,Bが初めて注射器 を見せた22日の注射の際であり,それ以前において,被告人が,薬物が覚せい剤ではないかとの疑いを持っていたとは認められない。そうすると,前記主張のうち,22日の注射より前の被告人の行動を指摘する部分(前記①及び同②のうち7月22日にBの元に行ったとの点)は,被告人が自らの意思で覚せい剤を自己の身体に摂取することを選択していたことを何ら基礎づけないというべきである。 イまた,前記主張のうち,22日の注射以降の被告人の行動を指摘する部分(前記②のうち1人で自宅に戻った後も再びBの元に戻ったとの点,家族や警察等に助けを求めなかったとの点)についても,以下に述べるところによれば,被告人が自らの意思で覚せい剤を自己の身体に摂取することを選択していたことを基礎づけるものとはいえない。 すなわち,そもそも,Bの暴力によりBに恐怖心を抱いていた被告人が,Bの意に反して逃げ出したり,家族や警察等に助けを求めたりしなかったとしても,そのことから,直ちに,被告人が自らの意思で覚せい剤を自己の身体に摂取することを選択していたとまでは評価し得ない。 かつ,被告人は,7月22日から本件注射までの間の状況について,「22日の注射の後は,とても自分で車を運転して逃げることができる状態ではなかった。」と供述しており,更に,「Bと常に一緒にいたし,携帯電話も常にBが持っており,逃げる状態 までの間の状況について,「22日の注射の後は,とても自分で車を運転して逃げることができる状態ではなかった。」と供述しており,更に,「Bと常に一緒にいたし,携帯電話も常にBが持っており,逃げる状態ではなかった。」,「23日と26日に自宅に戻った際も,Bが怖く,また,夫がBを殺してしまうのではないかという不安もあり,家族に助けを求めることはできなかった。」,「Bから,(被告人が家族で海外旅行に行ったら)『家があると思うな。火をつけるぞ。』などと脅されており,この人は家族に何をするんだろうと考えて,怒らせないように,きちんと帰るようにした。」などと供述している。 同供述のうち,Bの言動にかかる部分は,Bによる被告人への暴力及び金銭の要求(前記2(3)及び同(4)イ)から認められるBと被告人との関係 性や,被告人の自宅の防犯カメラを見るアプリをBの携帯電話に入れさせたり,被告人と夫との電話を聞くためにスピーカーフォンにさせたりといったBの行動に照らして,不自然,不合理な点はなく,また,同供述を否定する証拠もなく(Bは「家に火をつけると言った覚えはない。」などと供述するが,前記3(4)記載のとおり,採用できない。),排斥することはできない。そして,被告人が,そもそもBの暴力によりBに恐怖心を抱いていたことに加えて,従前から「家に火をつける。」などと脅されていたこと,携帯電話を管理される等の束縛を受けていたこと,更には,初めて注射器で薬物を使用され,これまで感じたことがないような体調の異変を生じていたこと(前記3(1)イ(ウ)。なお,22日の注射のしばらく後には幻覚と思われる症状も出現している。)などに鑑みると,本件注射までの間に,逃げたり家族に助けを求めたりすることができなかったという被告人の供述は,直ちには排斥できないという 日の注射のしばらく後には幻覚と思われる症状も出現している。)などに鑑みると,本件注射までの間に,逃げたり家族に助けを求めたりすることができなかったという被告人の供述は,直ちには排斥できないというべきであり,検察官の前記主張は前提を欠くものである。 ウなお,被告人は,Bについて,「1人にしないでと言われていたので,かわいそうだと思って,放っておけなかった。」,「好意や愛情も完全にないことはなかった。」などと供述しているところ,同供述は,公判供述全体をみると,乙5号証作成時の取調べにおける供述(前記3(3)イ)と同様,Bに対する情もないではないが,本件注射の際は,暴力を恐れる気持ちが大部分を占めていたとの趣旨であると解される。暴力を恐れる気持ちが大部分を占めていた中で,Bに対する情が残っていることを捉えて,被告人が自らの意思で覚せい剤を自己の身体に摂取することを選択していたと評価することは困難であるから,同供述は前記イの検討を左右しない。 (4) 更に,検察官は,被告人は,7月27日,Bに対し,「ああいうものは寂しい人がやるんじゃないの。」と言って,覚せい剤の使用をやめることを提案したことにより,覚せい剤を摂取するには至らず,他方で,同提案 をしたことによりBから暴力を受けたことはなかったのであり,このことは,被告人が,本件注射の時まで,Bへの好意の感情をもって自らの意思でBとの不倫関係を続け,自らの意思で覚せい剤を身体に摂取することを選択していたことを一層明らかにすると主張する。 ア同主張のうち,被告人がBに「ああいうものは寂しい人がやるんじゃないの。」と言って覚せい剤の使用をやめることを提案したとの点は,被告人は,本件注射の際,同様の提案をしなかったのであるから,自らの意思で覚せい剤を身体に摂取することを選 ものは寂しい人がやるんじゃないの。」と言って覚せい剤の使用をやめることを提案したとの点は,被告人は,本件注射の際,同様の提案をしなかったのであるから,自らの意思で覚せい剤を身体に摂取することを選択していたと主張するものと解される。 しかしながら,被告人の同発言(正確には,「やばいものじゃないの。」,「ああいうものは寂しい人がやるんじゃないの。」である。前記2(4)エ)は,それ自体遠回しなもので,薬物の使用をやめようという意思を明確に示すものとはいえず,仮に本件注射の際に同様の発言をしたとして,Bが重ねて薬物の使用を持ちかけた場合に(Bが,7月26日,ホテルCにおいて,嫌がる被告人の臀部に黄色い液体を注射したことに鑑みると,そのような事態も当然想定される。),被告人が拒絶し切れたことを意味しない。 かつ,被告人は,7月27日に同発言をした理由について,「1度だけじゃなく,2度,3度と注射器を用意していたので,このまま一緒にいたらどうなってしまうのかという恐怖があって,このままじゃいけないと思って言った。」と供述している。この点,被告人が,22日の注射の後,これまで感じたことがないような体調の異変を生じていたことは,前記(3)イ記載のとおりである。そうすると,同発言は,被告人の供述するとおり,22日の注射により体調に異変を生じた被告人が,同様の注射を2回,3回と繰り返されたことで,これ以上注射を続けると自分の体がどうなるかわからないという恐怖が募り,同発言に至ったものと理解することが可能である。すなわち,同発言は,同時点において,これ以上注射を続けると自 分の体がどうなるかわからないという恐怖が,Bを怒らせ殴られる恐怖に勝ったことで発せられたものと理解することが可能であり,これに先立つ本件注射の時点で,被告人がBの意に 注射を続けると自 分の体がどうなるかわからないという恐怖が,Bを怒らせ殴られる恐怖に勝ったことで発せられたものと理解することが可能であり,これに先立つ本件注射の時点で,被告人がBの意に反する行動を取ることが可能な心理状態にあったことを必ずしも意味しない。したがって,被告人が,本件注射の際,同様の発言をしなかったことをもって,被告人が,自らの意思で覚せい剤を身体に摂取することを選択していたと推認することはできない。 イまた,前記主張のうち,被告人が同発言をしたことによりBから暴力を受けたことはなかったとの点は,結果論を述べるにすぎず,本件注射の際の被告人の心理状態を左右するものではない。 (5) 以上によれば,検察官の主張はいずれも採用することができず,同主張をもって,本件注射の際,被告人が覚せい剤の使用を認容しており,自らの意思で覚せい剤を使用した(すなわち,被告人に覚せい剤使用の故意があった)と認めることはできない。 5 結論以上の次第で,被告人については,本件注射を打ちたいという思いはなかったが,Bの暴力によりBに恐怖心を抱いていたために,本件注射を拒絶できなかった可能性を否定することはできず,被告人が,自らの意思でBに本件注射をしてもらったこと(すなわち,被告人に覚せい剤使用の故意及びBとの共謀があったこと)については,合理的疑いが残るというべきである。 よって,本件公訴事実は,犯罪の証明がないことになるから,刑訴法336条により,被告人に対して無罪の言渡しをする。 令和元年7月17日名古屋地方裁判所刑事第6部 裁判官岩田澄江 刑事第6部 裁判官岩田澄江
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