令和2(た)1 再審請求事件

裁判年月日・裁判所
令和4年6月22日 鹿児島地方裁判所
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判決文本文50,413 文字)

令和2年第1号決定 主文 本件各再審請求をいずれも棄却する。 理由 第1 再審請求の趣意等本件各再審請求の趣意は、主任弁護人森雅美作成の令和2年3月30日付け大崎事件第4次再審請求書、同年5月12日付け再審請求補充書、同年9月1日付け再審請求補充書、同年10月30日付け再審請求補充書、令和3年5月10日付け釈明兼求釈明申立書、同年9月6日付け再審請求補充書、同年12月3日付け最終意見書、令和4年1月7日付け最終意見書及び同年2月10日付け意見書各記載のとおりであり、検察官の意見は、検察官福林千博作成の令和2年10月9日付け及び令和4年1月28日付け各意見書記載のとおりであるから、これらを引用する。 論旨は、要するに、請求人の母親であるA(事件当時の氏名はA’)に対する殺人、死体遺棄被告事件について昭和55年3月31日鹿児島地方裁判所が言い渡した有罪判決(以下「Aに対する確定判決」ともいう。)及び請求人の父親であるB(平成5年10月2日死亡)に対する殺人、死体遺棄被告事件について昭和55年3月31日同裁判所が言い渡した有罪判決(以下「Bに対する確定判決」ともいう。)に関し、A及びBに対して無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したから、請求人は、刑訴法439条1項4号に該当する者として、同法435条6号により各再審開始の決定を求めるというものである。 第2 各確定判決が認定した事実 1 Aに対する確定判決 本件犯行に至る経緯 Aは、昭和25年3月夫Bと結婚し、鹿児島県曽於郡大崎町a、n番地において夫Bと共に農業に従事してきたものであるが、Bは、女6人、男4人の10人兄弟の長男にあたり、同人方に屋敷を接して同人の実弟で Aは、昭和25年3月夫Bと結婚し、鹿児島県曽於郡大崎町a、n番地において夫Bと共に農業に従事してきたものであるが、Bは、女6人、男4人の10人兄弟の長男にあたり、同人方に屋敷を接して同人の実弟である二男C、四男Dがそれぞれ居住し、同じく農業に従事していた。ところで、Dは日頃から酒癖が悪く、酔っては同人の妻Eに暴力を振るうため、Eは何度か子供を連れて実家に帰っていたところ、ついに昭和54年5月、A夫婦ら親族を交えて協議した結果、DとEは離婚し、Eは子供を引き取って実家に帰ってしまった。Dの酒癖は離婚後一層悪くなり、飲んだ先々で迷惑をかけたり、酔いつぶれて道端に寝込んだりする有様で、親族らが迎えに行ってDを連れ帰ったことも何度かあった。しかし、Dは、Eと離婚した後も人目を忍んで同女との逢瀬を続け、同年7月頃には何とか復籍にまでこぎ着けたが、傍目を恐れたEはD方に戻らず、別居の状態が続けられた。Aは、勝ち気な性格の上、口数も多く、人の悪口も平気で言いふらし、夫Bが以前交通事故に遭って仕事も十分できない上、知能もやや劣ることから、長男の嫁としてb(Bの姓)家一族に関する事柄を取り仕切っていたが、DはAによってEと離婚させられ、一緒になることを妨害されているとしてAに反感を抱き、酒に酔ってはAを「打殺す」などと言って暴れ、一度はA方に押しかけて入浴中のAを外まで追い回したこともあったりして、A夫婦、義弟Cは日頃からDの存在を快く思っていなかった。 同年10月12日、夫Bらの姉の子の結婚式がとり行われ、A夫婦をはじめBの兄弟はDを除き全員出席したが、出席する予定であったDは当日朝から酒びたりのため酔って荒れていたとしてBら兄弟はDを連れて行かず、午後7時過ぎには前記挙式を終えて、Aらはそれぞれ帰宅した。Dは同日酒を飲んで外を出歩き、午後8時頃 席する予定であったDは当日朝から酒びたりのため酔って荒れていたとしてBら兄弟はDを連れて行かず、午後7時過ぎには前記挙式を終えて、Aらはそれぞれ帰宅した。Dは同日酒を飲んで外を出歩き、午後8時頃酔いつぶれて溝に落ちているのを部落の者に発見され、Dの近隣に住むH、Iの両名がDを同人方まで届けたが、同人は前後不覚の状態であった上、着衣が濡れて下半身裸となっていたため、同人を土間に置いたまま帰った。AはHから泥酔して道端に倒れているDを迎えに行く旨連絡を受け、同日午後9時頃H方に行って同人からDの様子を聞き、Hらに迷惑をかけたことを謝ったりした後、午後10時3 0分頃Iと帰宅する途中、Dの様子を見るため一人でD方に立ち寄ったが、泥酔して土間に座り込んでいるDを認めるや同人に対する恨みがつのり、この機会に同人を殺害せんと決意し、義弟C、次いで夫Bに対し、Dを共同して殺害しようと話を持ちかけ、両名はいずれもこれを承諾した。 罪となるべき事実Aは、①夫B、義弟Cと共謀の上、D(当時42年)を殺害するため、同人絞殺に使う西洋タオルを携帯して、同日午後11時頃、鹿児島県曽於郡大崎町a、m番地所在の同人方に赴き、同所土間に座り込んで泥酔のため前後不覚となっている同人に対し、B及びCにおいてこもごもDの顔面を数回ずつ殴打し、その場に倒れた同人をAを加えた3名で足蹴りするなどし、更に前記3名でDを同人方中六畳間まで運び込んだ上、同所において、Aが「これで絞めんや」と言って前記西洋タオルをBに渡すとともに、仰向きに寝かせたDの両足を両手で押さえつけ、CもまたDの上に馬乗りになってその両手を押さえつけ、Bにおいて前記西洋タオルをDの頸部に1回巻いて交差させた上、Aの「もっと力を入れんないかんぞ」との言葉に、両手でその両端を力一杯引いて絞めつ 、CもまたDの上に馬乗りになってその両手を押さえつけ、Bにおいて前記西洋タオルをDの頸部に1回巻いて交差させた上、Aの「もっと力を入れんないかんぞ」との言葉に、両手でその両端を力一杯引いて絞めつけ、よってDを窒息死に至らしめて殺害し、②前記殺害行為の後、Cは一旦帰宅して同人の長男であるFにDの死体を遺棄するため加勢を求めたところ、Fはこれを承諾し、ここにAは、B、C及びFの3名と共謀の上、同月13日午前4時頃、Aが照らし出す懐中電灯の灯りのもとで、前記3名が、Dの死体を同人方牛小屋に運搬した上、Aの「まだ浅い、もっと掘らんか」との指図により、同所の堆肥内にそれぞれスコップ又はホークを用いて深さ約50センチメートルの穴を掘ってその中に前記死体を埋没し、もって死体遺棄をした。 2 Bに対する確定判決本件犯行に至る経緯Bは女6人、男4人の10人兄弟の長男、Cは二男、Dは四男として、いずれも鹿児島県曽於郡大崎町aにそれぞれ屋敷を接して居住し、農業に従事していたものであったが、Dは日頃から酒癖が悪く、酔っては同人の妻Eに暴力を振るうため、 Eは何度か子供を連れて実家に帰っていたが、ついに昭和54年5月、Bら親族を交えて協議した結果、DとEは離婚し、Eは子供を引き取って実家に帰ってしまった。Dの酒癖は離婚後一層悪くなり、飲んだ先々で迷惑をかけたり、酔いつぶれて道端に寝込んだりする有様で、親族らが迎えに行ってDを連れ帰ったことも何度かあった。しかし、DはEと離婚した後も人目を忍んで同女との逢瀬を続け、同年7月頃には何とか復籍にまでこぎ着けたが、傍目を恐れたEはD方に戻らず、別居の状態が続けられた。ところで、Bの妻Aは、勝ち気な性格の上、口数も多く、人の悪口も平気で言いふらし、Bが以前交通事故に遭って仕事も十分できない上、知能 着けたが、傍目を恐れたEはD方に戻らず、別居の状態が続けられた。ところで、Bの妻Aは、勝ち気な性格の上、口数も多く、人の悪口も平気で言いふらし、Bが以前交通事故に遭って仕事も十分できない上、知能もやや劣ることから、長男の嫁としてb(Bの姓)家一族に関する事柄を取り仕切っていたが、DはAによってEと離婚させられ、一緒になることを妨害されているとして、Aに反感を抱き、酒に酔ってはAを「打殺す」などと言って暴れ、一度はB方に押しかけて、入浴中のAを外まで追い回したこともあったりして、B夫婦、Cは日頃からDの存在を快く思っていなかった。 同年10月12日、Bらの姉の子の結婚式がとり行われ、Bら兄弟はDを除き全員出席したが、出席する予定であったDは当日朝から酔って荒れていたとしてBら兄弟はDを連れて行かず、午後7時過ぎには前記挙式を終えて、Bらはそれぞれ帰宅した。Dは、同日酒を飲んで外を出歩き、午後8時頃酔いつぶれて溝に落ちているのを部落の者に発見され、Dの近隣に住むH、Iの両名がDを同人方まで届けたが、同人は前後不覚の状態であった上、着衣が濡れて下半身裸となっていたため、同人を土間に置いたまま帰った。AはHから泥酔して道端に倒れているDを迎えに行く旨連絡を受け、同日午後9時頃H方に行って同人からDの様子を聞き、午後10時30分頃Iと帰宅する途中、一人でD方に立ち寄ったが、泥酔して土間に座り込んでいるDを認めるや、この機会に同人を殺害せんと決意し、C、次いでBにD殺害の加勢を求め、C及びBはこれを承諾した。 罪となるべき事実①B及びCは、Aと共謀の上、D(当時42年)を殺害するため、同日午後11 時頃、鹿児島県曽於郡大崎町a、m番地所在の同人方に赴き、同所土間に座り込んで泥酔のため前後不覚となっている同人に対し、B及びCにお 謀の上、D(当時42年)を殺害するため、同日午後11 時頃、鹿児島県曽於郡大崎町a、m番地所在の同人方に赴き、同所土間に座り込んで泥酔のため前後不覚となっている同人に対し、B及びCにおいてこもごもDの顔面を数回ずつ殴打し、その場に倒れた同人をAを加えた3名で足蹴りするなどし、更に前記3名でDを同人方中六畳間まで運び込んだ上、同所において、Aが自宅から携帯してきた西洋タオルをBに渡すとともに、仰向きに寝かせたDの両足を両手で押さえつけ、CもまたDの上に馬乗りになってその両手を押さえつけ、Bにおいて前記西洋タオルをDの頸部に1回巻いて交差させた上、両手でその両端を力一杯引いて絞めつけ、同人を窒息死に至らしめて殺害し、②前記殺害行為の後、Cの長男であるFは、CからDの死体を遺棄するため加勢するよう求められてこれを承諾し、ここにB、C及びFの3名は、Aと共謀の上、同月13日午前4時頃、Aが照らし出す懐中電灯の灯りのもとで、Dの死体を同人方牛小屋に運搬した上、同所の堆肥内にそれぞれスコップ又はホークを用いて深さ約50センチメートルの穴を掘ってその中に前記死体を埋没し、もって死体遺棄をした。 第3 本件各再審請求に至るまでの経緯 1 Bは、本件殺人及び死体遺棄の事実で起訴され、本件殺人及び死体遺棄の事実で起訴されたC並びに本件死体遺棄の事実で起訴されたFと併合審理された(鹿児島地方裁判所昭和54年第404号)。昭和55年3月31日、鹿児島地方裁判所は、前記の罪となるべき事実等を認定し、Bを懲役8年に、Cを懲役7年に、Fを懲役1年にそれぞれ処した(Bに対する確定判決)。 Bら3名はこれに対して控訴せず、Bら3名に対する第1審の有罪判決は確定した。 2 Aは、昭和54年11月20日、本件殺人及び死体遺棄の事実で起訴された(鹿児島地 処した(Bに対する確定判決)。 Bら3名はこれに対して控訴せず、Bら3名に対する第1審の有罪判決は確定した。 2 Aは、昭和54年11月20日、本件殺人及び死体遺棄の事実で起訴された(鹿児島地方裁判所昭和54年第420号)。Aは、捜査段階から一貫して本件への関与を否認していたが、公判では、弁護人がB、C及びFが本件に及んだことは争わなかったため、Aが本件各犯行に関与したか否かが争点となり、Dの死体を解剖したc大学医学部法医学教室J教授作成の鑑定書(以下「J旧鑑定」という。) を含む同意書証の取調べ、B、C及びFの各証人尋問、Cの妻であるGの証人尋問等が行われ、さらに、B及びCについては、刑訴法321条1項2号後段により検察官調書が採用されてこれらが取り調べられ、被告人質問が実施された。鹿児島地方裁判所は、昭和55年3月31日、前記の罪となるべき事実等を認定し、Aを懲役10年に処した(Aに対する確定判決)。 Aはこれに対して控訴した。控訴審においても、Aが本件に関与したか否かが争われたが、同年10月14日、福岡高等裁判所宮崎支部は控訴棄却の判決をした。 Aは上告したが、昭和56年1月30日、最高裁判所は上告棄却の決定をし、同年2月17日、これに対する異議申立ても棄却され、Aに対する第1審の有罪判決は確定した。 3 Aは、刑執行終了後の平成7年4月19日、鹿児島地方裁判所に対し、Aに対する確定判決について再審請求をした(鹿児島地方裁判所平成7年第1号。以下「A第1次再審請求」ともいう。)。同再審請求においては、弁護人から、新証拠として、J教授作成の鑑定補充書(以下「J新鑑定」という。)、d大学K教授が法医学的見地からDの死因等に関して作成した鑑定書等が提出され、J教授及びK教授の証人尋問が行われたほか、G及びFの証人 拠として、J教授作成の鑑定補充書(以下「J新鑑定」という。)、d大学K教授が法医学的見地からDの死因等に関して作成した鑑定書等が提出され、J教授及びK教授の証人尋問が行われたほか、G及びFの証人尋問、Dが発見されて同人方に送り届けられるまでの状況等についてH、I等の証人尋問が行われるなどした。 鹿児島地方裁判所は、平成14年3月26日、再審を開始する決定をしたが、これに対する即時抗告審で、福岡高等裁判所宮崎支部は、平成16年12月9日、同決定を取り消し、再審請求を棄却した。Aは、これに対して特別抗告したが、最高裁判所は、平成18年1月30日、抗告棄却の決定をした。 4 Aは、平成22年8月30日、鹿児島地方裁判所に対し、Aに対する確定判決について、2回目となる再審請求をした(鹿児島地方裁判所平成22年第1号。 以下「A第2次再審請求」ともいう。)。また、Bの長女である請求人は、平成23年8月30日、Bに対する確定判決について再審請求をし(鹿児島地方裁判所平成23年第1号。以下「B第1次再審請求」ともいう。)、同再審請求は先行するA 第2次再審請求と併せて審理された。A第2次再審請求及びB第1次再審請求では、弁護人は、新証拠として、元e院長であるL医師が法医学的見地からDの死因等に関して作成した鑑定書、j大学Q教授及びk大学R教授が供述心理学的手法を用いてB、C及びFの自白等を検討・分析した内容の鑑定書等を提出した。 鹿児島地方裁判所は、平成25年3月6日、各再審請求を棄却する決定をした。 A及び請求人はこれに対してそれぞれ即時抗告したが、福岡高等裁判所宮崎支部は、平成26年7月15日、各即時抗告を棄却し、これに対する各特別抗告は平成27年2月2日に棄却された。 5 A及び請求人は、平成27年7月8日、鹿児島地方裁判 時抗告したが、福岡高等裁判所宮崎支部は、平成26年7月15日、各即時抗告を棄却し、これに対する各特別抗告は平成27年2月2日に棄却された。 5 A及び請求人は、平成27年7月8日、鹿児島地方裁判所に対し、それぞれAに対する確定判決及びBに対する確定判決について、再審請求をした(鹿児島地方裁判所平成27年第1号及び第2号。以下、それぞれ「A第3次再審請求」及び「B第2次再審請求」ともいう。)。各再審請求は併せて審理され、弁護人は、新証拠として、f医科大学M教授が法医学的見地からDの死因等に関して作成した意見書等、Q教授及びR教授が供述心理学的手法を用いてGの供述を検討・分析した内容の鑑定書等を提出し、M教授、Q教授及びR教授の証人尋問が行われるなどした。 鹿児島地方裁判所は、平成29年6月28日、各再審請求につき、いずれも再審を開始する決定をし、福岡高等裁判所宮崎支部は、平成30年3月12日、検察官からの各即時抗告を棄却した。これに対して検察官は特別抗告し、最高裁判所は、令和元年6月25日、それぞれ原決定及び原々決定を取り消し、各再審請求を棄却する決定をした。 第4 各確定判決の事実認定の根拠等について 1 Aに対する確定判決Aの確定審では、Dに対する殺人、死体遺棄の犯行にAが関与したか否かが争われたが、Aに対する確定判決には、いわゆる事実認定の補足説明が付されていない。 しかし、その証拠の標目の記載や審理の経過などに照らすと、Aに対する確定判決 においては、関係証拠から後記のような客観的状況が認定され、これらから推認できる事実と、後記のとおり、これらの事実によって支えられ、かつ大筋において相互に整合する内容のB、C及びFの各自白並びにGの供述とがあいまって、前記犯行に至る経緯及び罪となるべき事実が認定され できる事実と、後記のとおり、これらの事実によって支えられ、かつ大筋において相互に整合する内容のB、C及びFの各自白並びにGの供述とがあいまって、前記犯行に至る経緯及び罪となるべき事実が認定されているものと考えられる(以下、証拠に付した括弧内の「確定審検」の数字は、Aの確定審における検察官請求証拠の番号を、「第1次再弁」の数字は、A第1次再審請求における弁護人提出証拠の番号を、「弁」の数字は本件各再審請求における弁護人提出証拠の番号を、「検」の数字は本件各再審請求における検察官提出証拠の番号をそれぞれ示す。また、証拠が謄本等である場合もその旨の記載は省略する。)。 関係証拠から認定できる客観的状況ア Dの死体の状況等 昭和54年(以下、特段の記載がない限り、月日の記載は同年のそれを指す。)10月15日午後1時55分頃、D方牛小屋の堆肥置場において、堆肥に全身が埋没した状態で同人の死体が発見された。 J旧鑑定では、Dの両肺の気管支枝内腔に堆肥の粉末等が侵入したようには見受けられないとされており、同人は堆肥に埋没した状態で死亡したのではなく、死亡した後に前記堆肥置場に埋没させられたと推測される(なお、同鑑定は、Dの死体の腐敗が著しいため、損傷の有無、程度等が判然としないが、頸部、右側胸腹部、右上肢及び両下肢に外力の作用した痕跡があり、内部においても、頸部、右胸郭等に外力の作用した痕跡が認められ、他に著しい所見を認めないので、窒息死を推定するほかない、仮に窒息死したものとすれば、頸部内部の組織間出血は、頸部に外力の作用したことを推測させ、他殺を想像させるというものである。)。 イ事件直前のDの状況等 Dは、同月12日、朝から酒を飲んで外を出歩き、午後6時頃以降、その片側が溝となっている道路上に横たわってい とを推測させ、他殺を想像させるというものである。)。 イ事件直前のDの状況等 Dは、同月12日、朝から酒を飲んで外を出歩き、午後6時頃以降、その片側が溝となっている道路上に横たわっているのを複数の地域の住人に発見された。 Dの近隣に住むH及びIは、地域の住人からの知らせを受け、H方から車で 10分程度の距離にある前記道路上に横たわっていたDのもとに軽トラックに乗って向かい、同日午後9時頃、同人を軽トラックの荷台に乗せて同人方まで届け、同人を土間に置いたまま立ち去った。 ウ実況見分時のD方内部の状況等 同月15日から16日にかけて実施されたD方の実況見分の際、同人方土間に隣接している中六畳間において、畳に尿臭のする80センチ大の湿ったシミや脱糞臭のする黒褐色の付着物が、障子戸の桟に脱糞様の臭いのする黒褐色のシミがそれぞれ見られたほか、同中六畳間に隣接する奥六畳間の掛布団の表に脱糞が認められた。また、中六畳間に敷いてあったとされるビニールカーペットが牛小屋で発見され、同ビニールカーペットにも、脱糞様の臭いのする黒褐色の付着物がビニールカーペットの目に詰まりこんだような状態で付着していたほか、脱糞様のものが付着した素足先端部及びかかと部と認められる痕跡が印象されていた。 前記D方の実況見分の際、同人方が物色された形跡は見当たらなかった。 エ D方の周囲の状況等D方は、垣根等を境にB方及びC方に隣接しており、これらの敷地は、幅員約4メートルの町道から幅員約2.2メートルの小道を約100メートル進んだ奥まった場所にあって、周囲を崖や林に囲まれ、他に同じ敷地内に居住する世帯はない。 また、Dの死体が発見された同人方牛小屋は、同人方居宅のすぐ南西側に位置し、その南側は高さ約2メートルの高台となっ だ奥まった場所にあって、周囲を崖や林に囲まれ、他に同じ敷地内に居住する世帯はない。 また、Dの死体が発見された同人方牛小屋は、同人方居宅のすぐ南西側に位置し、その南側は高さ約2メートルの高台となっていて、同高台にC方が位置している。 オ Aの事件直前の行動等Aは、HからDが酔っ払って道路に寝ているから迎えに行く旨の連絡を受け、同月12日午後9時過ぎ頃にH方に行き、その後帰ってきた同人からDを同人方まで送り届けたことなどを聞いて、Hらに迷惑をかけたことを謝るなどした後、Iと帰宅する途中、Dの様子を見るため一人で同人方に立ち寄り、玄関から入って中を覗いた。 カ Dの事件前の行状等 Dは酒癖が悪く、酔っては暴れたり夜中に騒いだりするほか道端に寝込むなどして親族らにたびたび迷惑をかけており、酒に酔った際には、折合いの悪かったAに対して打ち殺すなどとB方に怒鳴り込むようなこともあった。A、B及びCは日頃からDの存在を快く思っていなかった。 B、C及びFの各自白並びにGの供述の内容Bの公判供述及び各検察官調書(確定審検107~109)並びにCの公判供述及び検察官調書(確定審検113)は、①Aは、10月12日の夜、Dを殺すという趣旨の話をC及びBに持ちかけ、その後、B、C及びAの3人でD方に行った、②D方で、土間にいた同人に対して殴るなどの暴行を加えた、③Dを中六畳間に引き上げた後、AがBにタオルを投げ渡し、同所において、同人がタオルをDの首に1回巻いてその両端を引っ張って首を絞め、この時、CはDに馬乗りになって同人の両手を手で押さえ、AはDの両足を手で押さえていた、④動かなくなったDを奥六畳間の布団に運んで寝かせた後、堆肥に埋めようという話になった、⑤その後、Cはいったん帰宅し、Fに加勢を頼み、同人を連れ の両手を手で押さえ、AはDの両足を手で押さえていた、④動かなくなったDを奥六畳間の布団に運んで寝かせた後、堆肥に埋めようという話になった、⑤その後、Cはいったん帰宅し、Fに加勢を頼み、同人を連れてD方に戻った、⑥B、C及びFの3人で、Dを同人方から同人方牛小屋の堆肥置場の前まで運び、それぞれスコップ又はホークを使って堆肥に穴を掘って同人をその穴に入れて埋め、これらの際、Aは懐中電灯で灯りを照らしていたなどという点で、大筋において相互に整合する内容のものとなっている。 また、Fの公判供述は、①10月13日の未明、Cから、Dを殺したので死体を堆肥の中に埋めることの加勢をするよう言われた、②CについてD方に行くと、BとAがおり、奥六畳間の布団にはDが横たわっていた、③B、C及びFの3人で、Dを同人方から同人方牛小屋の堆肥置場の前まで運び、それぞれスコップ又はホークを使って堆肥に穴を掘って同人をその穴に入れて埋め、これらの際、Aは懐中電灯で灯りを照らしていたなどという内容であり、Cから加勢を頼まれた後の経過等につきB及びCの前記各自白と良く整合しており、Gの公判供述も、AがCにDを殺すことの加勢をするように言ったのを目撃し、CとFが帰宅後にそれぞれ犯行を 自認する旨の発言をしたのを聞いたなどとする点において、B、C及びFの各自白と整合する内容のものとなっている。 2 Bに対する確定判決Bに対する確定判決にも、いわゆる事実認定の補足説明は付されていない。また、Bの確定審の事件記録は既に廃棄されている。しかし、同確定判決の認定事実及び証拠の標目の記載などに照らすと、Bの確定審で取り調べられた証拠はAの確定審で取り調べられた証拠と実質的に共通するものと推測されるから(なお、Bに対する確定判決の証拠の標目の記載に照らすと、Bの び証拠の標目の記載などに照らすと、Bの確定審で取り調べられた証拠はAの確定審で取り調べられた証拠と実質的に共通するものと推測されるから(なお、Bに対する確定判決の証拠の標目の記載に照らすと、Bの確定審では、F及びGの証人尋問は実施されていないが、Aの確定審では弁護人が不同意の意見を述べたことなどから取り調べられなかったFの供述調書(確定審検115ないし120、第1次再弁81、87、88はその一部)及びGの供述調書(確定審検98ないし102、第1次再弁82ないし86)が取り調べられたものと考えられる。)、同確定判決においても、Aに対する確定判決と同様、関係証拠によって前記1のような客観的状況が認定され、これらから推認できる事実と、これらの事実によって支えられ、かつ大筋において相互に整合する、B、C及びFの各自白並びにGの供述とがあいまって、前記犯行に至る経緯及び罪となるべき事実が認定されているものと考えられる。 第5 新証拠について 1 新証拠の概要等本件各再審請求において、弁護人が新証拠として提出した主な証拠は、①g医科大学総合医療センター・高度救命救急センター長N教授が作成した令和2年3月27日付け鑑定書(弁1。以下「N鑑定書」という。)、令和3年5月31日付け補充鑑定書(弁26。以下「N補充鑑定書」という。)及び同年8月20日付け補充説明書(弁28。以下「N補充説明書」という。)並びにN鑑定書等の内容の一部についての字幕での解説又はN教授による動画での解説をそれぞれ含む「現場再現動画(字幕版)」及び「現場再現動画(確定版)」と題する各記録媒体(弁11、2 3)、②l大学S教授が作成した令和2年3月16日付けテキストマイニングによるHおよびIの供述の特徴に関する鑑定書(弁2)、同年12月10日付けテキス と題する各記録媒体(弁11、2 3)、②l大学S教授が作成した令和2年3月16日付けテキストマイニングによるHおよびIの供述の特徴に関する鑑定書(弁2)、同年12月10日付けテキストマイニングによるAの供述の特徴に関する鑑定書(弁9)及び「テキストマイニングによる供述の特徴に関する鑑定の概要」と題する各書面(弁12、19)並びに③Q教授及びR教授が作成した同年3月19日付け鑑定書(弁3)、同年12月10日付け鑑定書(弁10)及び「供述心理学鑑定の概要」と題する各書面(弁13、20)である。 これに対し、検察官は、④h医科大学法医学教室O教授作成の同年9月25日付け鑑定書(検1。以下「O鑑定書」という。)、令和3年8月16日付け意見書(検6。以下「O意見書A」という。)及び同年9月22日付け意見書(検7)、⑤i医科大学法医学教室P教授作成の同年5月28日付け鑑定書(検3。以下「P鑑定」という。)並びに⑥科学警察研究所の研究員であるTほか2名作成の令和2年8月28日付け意見書(検2)などの証拠を提出した。 当裁判所では、Aの確定審の事件記録並びにA第1次再審請求、A第2次再審請求(B第1次再審請求)及びA第3次再審請求(B第2次再審請求)の事件記録が取り寄せられたほか(なお、前記のとおり、Bの確定審の事件記録については既に廃棄済みで存在しない。)、事実の取調べとして、S教授、Q教授、R教授、N教授及びO教授の各証人尋問を実施した(以下、N教授、S教授及びO教授の各証言とそれぞれの作成等に係る前掲の鑑定書、意見書等の内容を併せてそれぞれ「N鑑定」、「S鑑定」及び「O鑑定」といい、Q教授及びR教授の各証言と両教授の作成に係る鑑定書等の内容を併せて「Q・R鑑定」という。)。 なお、弁護人は、O鑑定につき、裁判所の事実認定を誤ら ぞれ「N鑑定」、「S鑑定」及び「O鑑定」といい、Q教授及びR教授の各証言と両教授の作成に係る鑑定書等の内容を併せて「Q・R鑑定」という。)。 なお、弁護人は、O鑑定につき、裁判所の事実認定を誤らせる危険性が高いものであり、本件における証拠として用いることはおよそ許されない旨主張する。しかし、O鑑定は、N鑑定の持つ証明力等の判断のための一資料として位置づけられるものであって、それによって新たな事実認定を行うものではないから、当裁判所としては、弁護人がO鑑定の問題点として指摘するところを踏まえつつ、 O鑑定の前記資料としての価値を適切に評価すれば足りるものと判断した。 2 証拠の新規性について刑訴法435条6号にいう「あらたな」証拠といえるか、すなわち証拠の新規性は、当該証拠が未だ裁判所の実質的な証拠価値の判断を経ていない場合には認められると解される。鑑定についても、鑑定内容が従前の鑑定と結論を異にするか、あるいは結論を同じくする場合であっても、鑑定の方法又は鑑定に用いた基礎資料が異なったり、新たな鑑定人の知見に基づき検討が加えられたりして、証拠資料としての意義、内容において従前の鑑定と異なると認められるときは、新規性が認められると解するのが相当であり、N鑑定、S鑑定及びQ・R鑑定は、いずれもその新規性を認めることができる。 3 N鑑定についてN鑑定の概要N鑑定は、N教授がその救急救命医としての知見、経験等に基づき、Dの死因、死亡時期等について意見を述べたものであり、その内容は、概略以下のとおりである。 ア Dは、顔面からの転落事故により、頭部が後方に反って頸椎の過伸展を生じたものと考えられる。この頸椎の過伸展により、Dは非骨傷性頸髄損傷(頸椎に外力が加わったものの骨折や脱臼がなく、頸椎の配列が正常である 、顔面からの転落事故により、頭部が後方に反って頸椎の過伸展を生じたものと考えられる。この頸椎の過伸展により、Dは非骨傷性頸髄損傷(頸椎に外力が加わったものの骨折や脱臼がなく、頸椎の配列が正常であるにもかかわらず、頸髄のみが損傷を受けること)を負い(この時点では低位頸髄損傷、すなわち第5頸髄以下の頸髄の損傷であったと考えられる。)、運動機能障害(なお、その程度は、中等度以上(N鑑定書(20頁)によれば、頸髄の損傷部より下位に対応する身体の部位の筋肉を重力に抗して可動域一杯に動かすことができない。)であった可能性が高い。)に陥ったことは確実であり、胸郭(肋間筋)の運動麻痺のため横隔膜運動に頼る腹式呼吸の状態となっていた。 イまた、前記転落事故に起因する頸椎の過伸展により、Dの頸椎前縦靭帯は破断あるいはそれに近い状態となり、H及びIに発見された時点で、Dの頸椎は、外 力により通常の限度を超えた後屈、回旋/側屈を容易に来す不安定な状態にあった。 その後、H及びIが頸椎保護(傷病者の頸部を用手的に又は器具を用いて固定し、頸髄損傷の発生や悪化を予防する処置)をしないまま救護したことにより、Dの不安定な状態の頸椎には何度も繰り返し通常の限度を超えた後屈、回旋/側屈を生じ、頸髄損傷を悪化させ、高位頸髄損傷(第4頸髄以上の頸髄の損傷)が生じた可能性は極めて高く、横隔神経の麻痺から横隔膜の運動麻痺が生じ、また、神経原性ショック(重度の脈拍数・血圧の低下)を来していた可能性は極めて高い。 ウさらに、前記イのとおり、頸椎前縦靭帯が破断あるいはそれに近い状態となり、不安定な状態にあったDの頸椎に通常の限度を超えた右回旋/側屈を生じた結果、左椎骨動脈中枢部の損傷を生じたと考えられる。 エ Dは、①飲酒に起因する尿量増加(脱水)により循環血 に近い状態となり、不安定な状態にあったDの頸椎に通常の限度を超えた右回旋/側屈を生じた結果、左椎骨動脈中枢部の損傷を生じたと考えられる。 エ Dは、①飲酒に起因する尿量増加(脱水)により循環血液量が減少していたこと、②気温が低下する中、濡れた衣服のまま2時間半いたことに起因する偶発性低体温により、血管収縮ホルモン(カテコールアミン)の分泌が増加したことなどがあいまって、腸管血流を低下させ、非閉塞性腸管虚血に陥っており、その結果、広範な小腸の急性腸管壊死に陥っていたことは確実である。 オ Dは、H及びIに発見された時点では、非閉塞性腸管虚血による広範な小腸の急性腸管壊死により、代謝性アシドーシス、敗血症性ショック及び出血性ショックを来し、具体的な死亡時期については確定できないものの、短時間のうちに死亡する状態であった上、「外傷死の三徴」である低体温・凝固障害・代謝性アシドーシスの悪循環にも陥っており、これらの悪循環は敗血症性ショックや出血性ショックの進行も加速したものと考えられる。 カ Dは、非骨傷性頸髄損傷(低位頸髄損傷)により胸郭(肋間筋)の運動麻痺(前記ア)に陥っていたところに、高位頸髄損傷による横隔膜の運動麻痺(前記イ)に陥り、呼吸停止を来した可能性は極めて高い。 キまた、Dは、左椎骨動脈中枢部の損傷(前記ウ)に加え、高位頸髄損傷による神経原性ショック(前記イ)並びに小腸の急性腸管壊死に起因する出血性ショッ ク、敗血症性ショック及び代謝性アシドーシス(前記オ)による血圧低下も相まって、延髄の血流低下による呼吸・循環中枢の機能不全に陥り、呼吸停止を来した可能性も極めて高い。 ク以上のとおり、Dは、非閉塞性腸管虚血による広範な小腸の急性腸管壊死等のため短時間で死亡するほどに全身状態が悪化していたとこ ・循環中枢の機能不全に陥り、呼吸停止を来した可能性も極めて高い。 ク以上のとおり、Dは、非閉塞性腸管虚血による広範な小腸の急性腸管壊死等のため短時間で死亡するほどに全身状態が悪化していたところ(前記オ)、H及びIに救護される過程で、高位頸髄損傷、左椎骨動脈中枢部の損傷のいずれか又は両方を受傷した結果、受傷から1分以内に呼吸停止を来し、呼吸停止から数分以内に死亡した可能性は極めて高く、Dは同人方に運ばれた時点では既に死亡していたことは確実である。 N鑑定の証明力についてア Dが、非閉塞性腸管虚血による広範な小腸の急性腸管壊死に陥ったとの点について N教授は、①Dの死体解剖時に撮影された写真に写った腸管の外見上の色調や性状を見ると、上腸間膜動脈以外の動脈からも血流が供給されるため血行障害を来しにくい空腸近位部や横行結腸はほぼ健全に保たれているのに対し、他の小腸の大部分が茶色又は黒色に変色し膨隆を来しており、このような所見は、腸管の広い範囲で腸管虚血により出血性梗塞や腸管の壁内血腫を生じたことによるものと考えられる、②解剖時の写真やJ旧鑑定には、腸管・腸間膜の絞扼や上腸間膜動脈等の腸間膜血管の閉塞をうかがわせる所見や記載はない上、Dの小腸は部位によって出血性梗塞や腸管の壁内血腫の進行度が異なっており、出血性梗塞を起こしている部分と健常な部分の境界が不明瞭であることにも照らせば、腸管虚血の原因は、器質的な閉塞ではなく、非閉塞性腸管虚血、すなわち循環血液量・心拍出量・血圧の低下や腸間膜動脈の収縮による腸管の血流低下によるものと考えられる、③前記写真に写ったDの腸管の色調や性状と、広範な急性腸管虚血の症例として医学教育関連のウェブサイトに掲載された写真とを比較すると、いずれも空腸近位部や横行結腸が健全に保たれている点や、出 られる、③前記写真に写ったDの腸管の色調や性状と、広範な急性腸管虚血の症例として医学教育関連のウェブサイトに掲載された写真とを比較すると、いずれも空腸近位部や横行結腸が健全に保たれている点や、出血性梗塞の進行度が部位によって区々である点など、 肉眼的な所見が驚くほど一致しており、この2枚の写真のみからでも同人が広範な急性腸管壊死を来していたことは明らかである、④加えて、前記のような腸管の色調や性状の変化は、外傷や腐敗等の死後の変化によるものではない、⑤したがって、Dは、非閉塞性腸管虚血による広範な小腸の急性腸管壊死に陥ったことは確実である、などとする(N鑑定書6、14~16頁、N教授の証人尋問調書10項(スライド23~37に係る供述)等)。 Dの死体は、牛小屋の堆肥の中で全身が埋まった状態で発見された(なお、死体発見後の実況見分の際、同堆肥内の温度は37℃であった。)ものであって、J旧鑑定によれば、その外表上腐敗が著しく、腹部は著しく膨隆し、陰嚢も新生児頭大に膨隆するなど、いわゆる巨人様外観を呈しており、腸管は著しく腐敗、膨隆し、肝臓は腐敗のため一部が消失し、心臓、肺、脾臓、膵臓及び腎臓は腐敗、融解していたことなどが指摘されている。したがって、N教授の指摘するDの腸管の外見上の色調や性状についても、その意味するところを検討するに当たっては、同人の死体の腐敗が前記のとおり進行していたことを念頭に置く必要がある。 また、J教授は、実際にDの死体に触れて解剖を執刀し、自らの視覚、触覚等を用いて写真には撮影されていない各部位も含めて見分し、鑑定書を作成したものである。他方で、N教授は、当然ながら死体を直接検分したものではなく、Dの腸管の一部のみが写った1枚の写真から見て取れるその色調や性状という限定的な情報から推論を 含めて見分し、鑑定書を作成したものである。他方で、N教授は、当然ながら死体を直接検分したものではなく、Dの腸管の一部のみが写った1枚の写真から見て取れるその色調や性状という限定的な情報から推論を重ねて、非閉塞性腸管虚血による急性腸管壊死との結論を導いているものであって、この点につき、そもそも判断の基礎とする情報に制約がある点は否定しがたい。 これらの観点からすると、N鑑定が、Dの腸管の変色や膨隆が腐敗の影響であることを否定した上で、腸管虚血による出血性梗塞や腸管の壁内血腫の存在を示すものであるとしている点は、前記のとおり同人の死体の腐敗が進行していたという客観的状況、殊に、腸管は著しく腐敗、膨隆していたとのJ旧鑑定の内容と整合しない上、1枚の写真から得た限定的な情報に基づく推論によって非閉塞性腸管虚 血による急性腸管壊死との断定的な結論を導いている点においても、その推論の妥当性に疑問がある。 また、N教授によれば、腸管壊死や出血性梗塞が進行した場合には、腸管が太くなって色も赤黒くなり、壁の厚みを増して緊満した状態になるとされ(N教授の証人尋問調書54~64項)、O鑑定及びP鑑定においても、小腸に壁内血腫が生じていた場合には、色調、硬さ、厚み等が健常部とは明らかに異なることになるから解剖において容易に確認でき、解剖医がそのことを所見として鑑定書に記載しないことも考え難い旨指摘されている(O鑑定書18頁、O教授の証人尋問調書84~90項、P鑑定5、6頁)。そうすると、J旧鑑定ではDの腸管の性状につき腐敗、膨隆という以上に特段の記載がないにもかかわらず、N鑑定が、その変色や膨隆が腐敗の影響であることを否定した上で、腸管虚血による出血性梗塞や腸管の壁内血腫の存在を示すものであるとしている点は、実際に解剖を執刀したJ教 特段の記載がないにもかかわらず、N鑑定が、その変色や膨隆が腐敗の影響であることを否定した上で、腸管虚血による出血性梗塞や腸管の壁内血腫の存在を示すものであるとしている点は、実際に解剖を執刀したJ教授の認識や判断と余りに隔たりが大きいという意味においても、無理のある推論といわざるを得ない(なお、N教授は、解剖当時、我が国の医学界では非閉塞性腸管虚血に係る知見は一般的ではなかったから、J教授は非閉塞性腸管虚血について知識を有しておらず、腸管壊死についても解剖所見や病理に関しての知見が余りなかったので、腸管の状態を腐敗と表現したと思われるなどと説明する(N教授の証人尋問調書52、53、270~277項)。しかし、非閉塞性腸管虚血等に関する知見の有無にかかわらず、実際に腸管を切り開くなどして見分したJ教授において、腸管について健常部とは明らかに異なる色調、硬さ、厚み等の所見があれば、それを腸管壊死や腸管の壁内血腫とまで明確に診断するかはともかくとして、当該異常所見等を鑑定書に記載することなく、腐敗、膨隆とだけ表現するというのは考え難い。)。 さらに、N鑑定が、写真に写ったDの腸管の色調や性状と、広範な急性腸管虚血の症例として医学教育関連のウェブサイトに掲載された写真とを比較して、同人が広範な急性腸管壊死を来していたとの結論を導いている点について見ても、写真から見て取れる腸管の色調や性状という限定的な情報に依拠して急性腸管壊死との結 論を導くことの問題点は既に指摘したとおりである上、そもそも腐敗の進行した死体の腸管の色調や性状と生体のそれとを比較することの相当性も明らかでないことなども踏まえると、前記写真の比較における相同や類似をもって、同人が広範な急性腸管壊死を来していたなどとはいえない。 以下に示すとおり、N鑑定が指 れとを比較することの相当性も明らかでないことなども踏まえると、前記写真の比較における相同や類似をもって、同人が広範な急性腸管壊死を来していたなどとはいえない。 以下に示すとおり、N鑑定が指摘する諸点も、Dの腸管に見られた色調や性状の変化が腐敗の影響によるものであることを否定する根拠とはいえない。 aN鑑定は、J旧鑑定では、胃については「粘膜に腐敗気泡を認める」との記載があるのに対し、小腸・大腸については「粘膜に異常なし」と記載されるのみであり、腐敗気泡に言及されていない点を指摘して、J旧鑑定は腸管の膨隆が腐敗に伴う気体の貯留であることを否定するものであるとする(N鑑定書14頁等)。しかし、この点に関し、腸粘膜への腐敗気泡の貯留と、腸管内腔への腐敗ガスの貯留は別の現象であり、腸の粘膜への腐敗気泡に関する記載がないことは、腸管内腔への腐敗ガスの貯留を否定するものとはいえないとのO鑑定及びP鑑定の指摘に対する的確な論拠は示されていない。 b また、N鑑定は、Dの死体よりも死後経過時間が長い死後1週間から2か月が経過したとされる他の複数の死体の写真においてDの腸管に顕著であったような色調変化が見られない点を指摘して、同人の腸管の色調変化等が腐敗によるものであることを否定する(N鑑定書15頁、N教授の証人尋問調書10項(スライド34に係る供述)、20、21項等)。しかし、死体の死後変化は、死体の置かれていた環境などによって大きく異なるものであるから、死後経過時間が長いというだけで死後変化がより進行しているということにはならず、Dの死体が前記の状態で牛小屋の堆肥の中に埋没しており、既に腐敗が前記のとおり進行していたことを踏まえると、N鑑定の挙げる他の死体の方がDの死体よりも死後変化が進行していたとはいえない。そうすると、これらの の状態で牛小屋の堆肥の中に埋没しており、既に腐敗が前記のとおり進行していたことを踏まえると、N鑑定の挙げる他の死体の方がDの死体よりも死後変化が進行していたとはいえない。そうすると、これらの死体の腸管に前記のような色調変化が見られないとしても、Dの腸管の色調変化等が腐敗によるものであることが否定されるわけではない。 c さらに、N鑑定は、写真に写ったDの腸管の色調や性状の変化の有無、程度は部位により一様ではないところ、これらの変化が腐敗等の死後の変化であるとすれば、全腸管にわたり一様に変色や膨隆を生じるはずであるとも指摘する(N教授の証人尋問調書10項(スライド31、32、37に係る供述)等)。しかし、P鑑定では、腸管の腐敗による変色の進行は、死体が置かれた姿勢による死後の腸管での血液の分布状況、腸内細菌の状態、腸管内容物の種類や状態などによっても影響される旨指摘されており(P鑑定8頁)、O鑑定では、腐敗ガスの貯留による腸管の膨隆も、必ずしも一律に生じるとは限らない旨指摘されている(O教授の証人尋問調書609~613項)。結局、Dの腸管の色調や性状の変化が部位により一様でないことも、これらの変化が腐敗によることを否定するものとはいえない。 以上によれば、N鑑定において、Dの腸管の外見上の色調や性状から、小腸の広い範囲における出血性梗塞や腸管の壁内血腫の存在を推論している点は採用できず、そうすると、これらの存在を前提に、その原因を非閉塞性腸管虚血による急性腸管壊死と判断している点についても、そもそも採り得ない前提に基づくこととなるから、これらの点に証明力を認めることはできない。このことは、循環血流量減少等の要因となり得る飲酒の影響や偶発性低体温といった事情があったとしても同様である。 イ Dが、顔面からの転 くこととなるから、これらの点に証明力を認めることはできない。このことは、循環血流量減少等の要因となり得る飲酒の影響や偶発性低体温といった事情があったとしても同様である。 イ Dが、顔面からの転落事故により頸椎の過伸展を生じ、これにより非骨傷性頸髄損傷(低位頸髄損傷)による運動機能障害に陥っていたとの点についてN教授は、①Dの頸部には頸椎椎体前血腫(頸椎椎体と咽頭後壁に挟まれた間隙の血腫)が認められるところ、この頸椎椎体前血腫は、頸椎の過伸展により頸椎の支持組織である頸椎前縦靭帯を含む頸椎前方の組織が損傷されて出血を来したことにより生じたものである、②N教授がセンター長を務めるg医科大学総合医療センター・高度救命救急センターにおいて臨床症状や受傷機転から外傷性頸髄損傷が疑われ入院した症例のうち、頸椎の骨折や脱臼が認められず非骨傷性頸髄損傷が疑われた症例のうちMRI検査を行ったものの約半数(104例)に頸椎椎体前血 腫が認められたところ、これらの頸椎椎体前血腫を認めた症例は、その全例が運動機能障害を伴う非骨傷性頸髄損傷に陥っていた上、J旧鑑定に口腔内及び両耳腔内に泥土の侵入を認める旨の記載があることに照らし、Dの受傷機転としては地面や溝に顔面から突っ込むように転落する態様以外は考え難いことからすると、同人は顔面からの転落事故により頸椎の過伸展を生じ、非骨傷性頸髄損傷による運動機能障害に陥っていたことは確実であるとする(N鑑定書5、10~12頁、N教授の証人尋問調書3~10項(スライド14~20に係る供述)等)。 そして、N教授は、頸椎椎体前血腫を認めた前記104症例のうち、アメリカ頸髄損傷協会(ASIA)による尺度によれば運動機能障害の程度がA又はB(重度)と診断される症例が32例、C(中等度)と診断される症例が33 授は、頸椎椎体前血腫を認めた前記104症例のうち、アメリカ頸髄損傷協会(ASIA)による尺度によれば運動機能障害の程度がA又はB(重度)と診断される症例が32例、C(中等度)と診断される症例が33例、D(軽度)と診断される症例が39例であることに基づき、Dの負った非骨傷性頸髄損傷による運動機能障害は中等度以上であった可能性が高い旨指摘するほか(N鑑定書20頁等)、HとIに発見された時点では、Dは胸郭(肋間筋)の運動麻痺のため横隔膜運動に頼る腹式呼吸の状態となっていたとも指摘する(N補充鑑定書6、26頁等)。 J旧鑑定にはDの頸椎前面の組織間出血が著しかった旨の記載があり、同鑑定書に添付された写真においても、前頸部の器官を摘出して露出された頸椎前面に血腫が認められるから、N鑑定のうち、Dの頸部に頸椎椎体前血腫が認められるとする部分はJ旧鑑定の内容に沿うものであり、このような頸椎椎体前血腫が頸椎の過伸展により生じ得ることは、N鑑定のほかO鑑定、P鑑定の内容にも照らし、それ自体は十分に根拠のある機序といえる。 また、Aの確定審で取り調べられた証拠によれば、Dは、本件当日、酒を飲んで外を出歩いた後、その片側が溝となっている道路上に横たわっているのを地域の住人らに発見されており、H及びIがその場に到着した際には、濡れたシャツを着ており下半身は裸で、傍らにずぶ濡れのズボン等が放置されていたことなどが認められ、前記住人らに発見される前に前記溝に転落していたことが考えられるから、D の頸椎の過伸展はこの溝への転落の際に生じた可能性があるといえる。そして、非骨傷性頸髄損傷は、頸椎の過伸展により頸髄が前後からの圧迫を受けることにより生じるとされているから(N鑑定書9頁、同添付文献2等)、Dが溝に転落し、その際に頸椎椎体前血腫を伴う程度 える。そして、非骨傷性頸髄損傷は、頸椎の過伸展により頸髄が前後からの圧迫を受けることにより生じるとされているから(N鑑定書9頁、同添付文献2等)、Dが溝に転落し、その際に頸椎椎体前血腫を伴う程度の頸椎の過伸展を生じ、非骨傷性頸髄損傷を負った可能性自体は否定されない。 仮に転落時に頸椎の過伸展を生じたのだとすれば、地面や溝に顔面から突っ込むような態様での転落というのも、あり得る一つの可能性として排除されるものではない。もっとも、J旧鑑定においては、Dの頭部、顔面を含む体表に表皮剥奪、挫創、挫裂創等の開放性損傷を認めた旨の記載や頭部に皮下出血を認めた旨の記載はなく、死体の外表上、同人が地面等に顔面から突っ込むような態様で転落したことの的確な痕跡は見出しがたい。口腔内等に泥土の侵入が認められたとの点についても、どの程度の量の泥土が口腔内等のどの程度の深さまで侵入していたかにつきJ旧鑑定に記載はなく、Dが溝に転落したとして、それから道路上に横臥するに至るまでの間、溝の中でどのような体勢だったかなども明らかではないから、必ずしも地面等に顔面から突っ込むような態様の転落を想定しなくとも説明できる事情といえる。 加えて、J旧鑑定においては、Dの死体の右側胸部から同側腹部にかけてところどころに皮下出血斑が、右上肢の前腕伸側の中央に皮内及び皮下の出血が、両下肢の大腿伸側から屈側にかけて全面的に皮下出血斑(左右ともに特に下腿において著しい。)が認められるとの記載があるのに、N鑑定は、あり得るDの転落の態様等を検討するに当たり、これらの出血等の意味するところを適切に考慮しているとはいい難い。 そうすると、Dの受傷機転としては、地面等に顔面から突っ込むような態様での転落という要因が一つの可能性として排除されるものではないが、他の要因による受傷の可能 を適切に考慮しているとはいい難い。 そうすると、Dの受傷機転としては、地面等に顔面から突っ込むような態様での転落という要因が一つの可能性として排除されるものではないが、他の要因による受傷の可能性を否定することもまた困難といえる。 また、J旧鑑定には頸椎骨に骨折なしとの記載があるものの、J教授は、頸 椎前面の血腫を取り除くなどして頸椎、頸髄の損傷の有無等を確認することはしておらず、Dの死体の状況等について、N鑑定がその資料としたJ旧鑑定、J新鑑定及びA第1次再審請求におけるJ教授の証言で言及されている情報や解剖時の写真からは、頸髄損傷の存否や程度について直接的に判断を行うことは困難である(なお、J新鑑定及びA第1次再審請求におけるJ教授の証言においても、頸髄損傷が存在したと断定されてはいない。)。 N教授の援用する、前記センターにおいて頸椎椎体前血腫を認めた104の症例も、その母集団が臨床症状や受傷機転から外傷性頸髄損傷が疑われ入院した症例であり、その104例に非骨傷性頸髄損傷による運動機能障害が認められたからといって、頸椎椎体前血腫を生じている事例一般について必ず非骨傷性頸髄損傷による運動機能障害を伴うとはいえない(そもそも、前記センターは、重症外傷等の患者を多く受け入れる診療施設であり、N教授によれば頸椎・頸髄損傷の手術症例数も全国一であるというのであり(N教授の証人尋問調書1項(スライド3に係る供述)、127項)、頸髄損傷を認める症例が特に多くなるのは当然ともいえるから、同センターの症例を根拠としてDにも非骨傷性頸髄損傷が生じていたと推論するのは、その相当性に疑問がある。なお、N教授は、Dが「高エネルギー外傷」により頸椎の過伸展を来したことを前提に、同様に「高エネルギー外傷」を負った患者が大部分である前記 髄損傷が生じていたと推論するのは、その相当性に疑問がある。なお、N教授は、Dが「高エネルギー外傷」により頸椎の過伸展を来したことを前提に、同様に「高エネルギー外傷」を負った患者が大部分である前記センターの症例を全面的に援用できるものとして、Dの症状の有無、程度を推論するものと解されるが、同人の頸椎の過伸展については、前記のとおり溝への転落により生じた可能性があるとはいえても、他の原因の可能性も否定できないというべきだから、同人が「高エネルギー外傷」により頸椎の過伸展を来したことを所与の前提とした上で前記センターの症例を援用する点も、飛躍のある推論といわざるを得ない。)。また、N教授は、Dが道路上で同じ姿勢のまま横たわっていたことや、H及びIに救護される際、Dがうまく腕を伸ばせなかったり言葉を出せなかったりした状況があったことも、非骨傷性頸髄損傷による運動機能障害に陥っていたことの根拠として指摘するが(N鑑定書21頁、N補充説明書10、 11頁等)、Aの確定審で取り調べられた証拠によれば、Dはその時点までに相当量の飲酒をしていたものと考えて不自然ではなく、同人の前記のような状況は酩酊の影響によるものとしても十分説明できるから、必ずしも非骨傷性頸髄損傷による運動機能障害に陥っていたことの根拠とはいえない。 さらに、N鑑定では、前記センターにおいて頸椎椎体前血腫を認めた症例のうち、運動機能障害の程度が重度及び中等度のものが104例中65例(62.5パーセント)を占めていることが指摘されているが、他方で軽度(N鑑定書(10頁)によれば、半分以上の筋肉が重力に抗して可動域一杯まで動かせる。)の症例は39例(37.5パーセント)となるのであるから、前記センターの症例を前提としても、Dが運動機能障害に陥っておりその程度が中等度以 れば、半分以上の筋肉が重力に抗して可動域一杯まで動かせる。)の症例は39例(37.5パーセント)となるのであるから、前記センターの症例を前提としても、Dが運動機能障害に陥っておりその程度が中等度以上であった可能性が高いなどと推論することはできない。N教授も、Dが前記ASIAの尺度(A、B、C、D)のうちどれに当たるかは正直言って分からない、中等度以上が60パーセントくらいなので、軽度というよりは中等度以上の方が可能性は高いかなという程度、と証言しており(N教授の証人尋問調書253、254項)、中等度以上であることの根拠として十分なものではない。N鑑定のうち、Dが負った可能性のある非骨傷性頸髄損傷の程度について述べる部分は採用できない。 以上によれば、N鑑定のうち前記の点に関しては、Dが溝に転落し、その際に頸椎椎体前血腫を伴う程度の頸椎の過伸展を生じ、これにより非骨傷性頸髄損傷を負った可能性があることを指摘する限度では証明力を認めることができるが、あり得る転落の態様として、地面等に顔面から突っ込むような態様であった可能性があるとの限度を超えてそれ以外は考え難いとする点や、頸髄損傷の症状の程度について推論し運動機能障害に陥ったことが確実であるとする点、ひいてはDが胸郭(肋間筋)の運動麻痺のため横隔膜運動に頼る腹式呼吸の状態となっていたなどと指摘する点については、的確な根拠を有さないものといわざるを得ない。 ウ転落事故に起因する頸椎の過伸展により、Dの頸椎前縦靭帯は破断あるいはそれに近い状態となり、H及びIに発見された時点で、Dの頸椎は、外力により通 常の限度を超えた後屈、回旋/側屈を容易に来す不安定な状態にあったとの点について N教授は、①解剖時の写真によれば、Dに生じていた頸椎椎体前血腫は、少なくとも第3 力により通 常の限度を超えた後屈、回旋/側屈を容易に来す不安定な状態にあったとの点について N教授は、①解剖時の写真によれば、Dに生じていた頸椎椎体前血腫は、少なくとも第3頸椎から第7頸椎まで広がり、上端は第2頸椎まで及んでいた可能性も十分に考えられる最大級のものといえるところ、信頼できる医学論文によれば、「大きな頸椎椎体前血腫は、比較的太い血管の破綻を伴う著しい前縦靭帯の損傷の結果であると説明される」とされており、同人の頸椎前縦靭帯が破断あるいはそれに近い状態にあったことは確実である、②Dの死体が発見され、堆肥上でうつ伏せの状態にあった時の写真と3DCG人体モデル(N教授が3DCG作成ソフトウェアと人体モデルデータを使用し作成したもの)を重ね合わせるなどして分析すると、Dの頸椎は75度右旋回していると考えられ(障害認定基準によると回旋に係る参考可動域角度は60度)、Dの死体が解剖台で側臥位となっている写真を検討しても、回旋を伴わずに50度の側屈を生じており(前記基準によると側屈に係る参考可動域角度は50度)、これらの写真からは、頸椎前縦靭帯が破断あるいはそれに近い状態にあった結果、Dの頸椎は外力により通常の限度を超えた後屈、回旋/側屈を容易に来す不安定な状態にあったといえる、などとする(N補充鑑定書7~12項、N教授の証人尋問調書10、11項(スライド57~70に係る供述)等)。 この点、前記イのとおり、Dが溝に転落し、その際に頸椎椎体前血腫を伴う程度の頸椎の過伸展を生じた可能性が否定されない以上、頸椎前方の組織である頸椎前縦靭帯にも何らかの損傷が生じていた可能性がある。また、Dに生じていた頸椎椎体前血腫については、その厚みこそ解剖時の写真からは判然としないものの上下に長い範囲に及んでおり、J旧鑑定に 織である頸椎前縦靭帯にも何らかの損傷が生じていた可能性がある。また、Dに生じていた頸椎椎体前血腫については、その厚みこそ解剖時の写真からは判然としないものの上下に長い範囲に及んでおり、J旧鑑定にもDの頸椎前面の組織間出血が著しかった旨の記載があることからすれば、最大級のものといえるかはともかくとしても、相応の大きさと評価することができ、頸椎前縦靭帯の損傷の程度も、前記血腫の大きさに対応する程度の重さであったと見ることは可能である。 もっとも、前記イでも指摘したとおり、J旧鑑定では、血腫を取り除いた 上での頸椎前面の精査は行われておらず、頸椎前縦靭帯の損傷の有無、程度についても何ら言及はない。 また、N教授は、前記医学論文における「著しい前縦靭帯の損傷(原語ではextensiveanteriorligamentousdamage)」との表現は、前縦靭帯の破断又はそれに近い状態を表している旨説明するが(N教授の証人尋問調書10項(スライド62に係る供述)、250~252項)、原語をそのように解釈した根拠については首肯し得る説明がされているとはいえず、前記医学論文の記載を根拠として、Dの頸椎椎体前血腫の大きさからその頸椎前縦靭帯が破断あるいはそれに近い状態にあったことは確実であるとまで推論することには疑問がある。 Dの死体の発見時の写真と3DCG人体モデルを重ね合わせるなどして行われた前記の分析・検討について見ても、頭部等の一部が堆肥中に埋まった状態の同人の死体の写真等から頸椎の旋回や側屈の角度をN鑑定が前提とする所定の基準に従って正確に計測することはそもそも困難と考えられること、腐敗が進んだ死体では組織の軟化により生前の可動域を超えて関節が動くことも考えられること(O意見書A22~24頁等)などに照らし 所定の基準に従って正確に計測することはそもそも困難と考えられること、腐敗が進んだ死体では組織の軟化により生前の可動域を超えて関節が動くことも考えられること(O意見書A22~24頁等)などに照らし、Dの頸椎は外力により通常の限度を超えた後屈、回旋/側屈を容易に来す不安定な状態にあったとの結論を導けるとはいえない。 加えて、Dの受傷機転として、地面等に顔面から突っ込むような態様での転落が一つの可能性としては否定されないとしても、他の要因による可能性も考えられることは、前記イのとおりである。N鑑定は、頸椎を支持する非常に強く丈夫な組織である頸椎前縦靭帯が破断あるいはそれに近い状態に至るほどの外力が加わった要因として、地面等に顔面から突っ込むような態様での転落を想定しているが、この点も確実な前提に基づく推論とはいい難い。 以上によれば、頸椎の過伸展により、Dの頸椎前縦靭帯に血腫の大きさに対応する程度の損傷が生じた可能性があるとしても、頸椎前縦靭帯が破断あるいはそれに近い状態となっていたということはできず、そうである以上、同人の頸椎が外 力により通常の限度を超えた後屈、回旋/側屈を容易に来す不安定な状態にあったということも困難である。 エ H及びIが頸椎保護をしないまま救護したことにより、Dの不安定な状態の頸椎に何度も繰り返し通常の限度を超えた後屈、回旋/側屈が生じた結果、同人の頸髄損傷が悪化し、高位頸髄損傷が生じたとの点について N教授は、①H及びIは、Dを発見してから軽トラックの荷台に乗せるまでの過程で、頸椎保護を全く行っておらず、②このようなH及びIの不適切な救護により、外力により通常の限度を超えた後屈、回旋/側屈を容易に来す不安定な状態となっていたDの頸椎には、何度も繰り返し通常の限度を超えた後屈、回旋 全く行っておらず、②このようなH及びIの不適切な救護により、外力により通常の限度を超えた後屈、回旋/側屈を容易に来す不安定な状態となっていたDの頸椎には、何度も繰り返し通常の限度を超えた後屈、回旋/側屈が生じ、その結果、第4頸椎よりも上の頸椎間で限度を超えた「ずれ」が生じ、高位頸髄損傷が生じた可能性は極めて高いと説明する(N補充鑑定書13~19頁、N教授の証人尋問調書13~19項(スライド78~85に係る供述)等)。 この点、前記のとおり、Dが溝に転落し、その際に頸椎の過伸展を生じて非骨傷性頸髄損傷を負った可能性自体は否定されないところ、H及びIの各供述によっても、同人らがDを発見してから軽トラックの荷台に乗せるまでの過程で、同人の頸椎に何らかの保護を行っていたことはうかがえないから、仮に同人がこの際に非骨傷性頸髄損傷を負っていたとすれば、前記の過程でその症状が悪化したという可能性自体を一般論として否定することはできず、高位頸髄損傷にまで陥った可能性も排除されるものではない。 しかし、既に指摘したとおり、J旧鑑定では頸椎、頸髄の損傷の有無等は確認されておらず、Dの頸髄損傷の存否については、それが生じた部位も含めて、死体の状況等に基づいて直接的に判断を行うことは困難である。 また、前記イのとおり、DがH及びIに発見された時点で非骨傷性頸髄損傷に陥っていたというのは確実な前提とはいえず、その可能性を肯定できるにとどまるし、前記ウのとおり、Dの頸椎前縦靭帯が破断あるいはそれに近い状態になっていたとはいえず、その頸椎が外力により通常の限度を超えた後屈、回旋/側屈を容 易に来す不安定な状態となっていたともいい難いから、H及びIの行為により非骨傷性頸髄損傷が悪化したというのも、高い蓋然性をもって推論できることとはい の限度を超えた後屈、回旋/側屈を容 易に来す不安定な状態となっていたともいい難いから、H及びIの行為により非骨傷性頸髄損傷が悪化したというのも、高い蓋然性をもって推論できることとはいえず、あくまで可能性が否定されないというにとどまる。 なお、N教授は、Dの頸椎に何度も繰り返し外力が加わる要因となったとするH及びIの行動の具体的な態様については、同人らの供述に基づいて作成された再現動画(弁23)に主として依拠している。しかし、道路上に横たわっていたDを発見してから同人を軽トラックの荷台に運び上げるまでの状況に関するH及びIの各供述は、その内容が相当程度限定されたものであるところ、同再現動画は、そのように限られた内容の供述に基づいて当時の状況として考え得る一、二の可能性を再現したものに過ぎず、実際のH及びIの動作やDの様子などについて、H及びIの各供述に現れていない点に関してまでも正確に再現したものではないといえる。そうすると、同再現動画に依拠して、H及びIの救護活動によりDの頸椎に何度も繰り返し通常の限度を超えた後屈、回旋/側屈を生じさせる外力が加わったというのは、必ずしも正確に再現されているとは限らないH及びIの動作やDの様子などを前提にしている点においても、その推論の過程に疑問があるといわざるを得ない。 以上によれば、H及びIがDを発見してから軽トラックの荷台に乗せるまでの過程で、同人の頸髄損傷が悪化し、高位頸髄損傷に陥った可能性が極めて高いとはいえず、その可能性が完全には否定できないというにとどまる。 オ Dの不安定な状態の頸椎に通常の限度を超えた回旋/側屈が生じた結果、左椎骨動脈中枢部の損傷が生じたとの点について N教授は、①転落事故により、Dの頸椎前縦靭帯は破断あるいはそれに近い状態となっており 定な状態の頸椎に通常の限度を超えた回旋/側屈が生じた結果、左椎骨動脈中枢部の損傷が生じたとの点について N教授は、①転落事故により、Dの頸椎前縦靭帯は破断あるいはそれに近い状態となっており、その頸椎は不安定な状態となっていたところ、H及びIの不適切な救護により通常の限度を超えた右方向の回旋/側屈が生じ、その結果、回旋/側屈の方向の逆側の左椎骨動脈中枢部に強い引っ張りの力がかかり損傷したと考えられる、②Dの死体には左鎖骨上部に著明な内出血が認められるところ、N教授の経験したものとして、これと全く同様の部位、性状の内出血を認め、頸椎が通常の 限度を超えて右方向に回旋/側屈したものと考えられる1症例において、左椎骨動脈中枢部の損傷が認められたことからすると、Dの死体の左鎖骨上部の内出血も左椎骨動脈中枢部の損傷が出血源と考えられる、とする(N補充鑑定書19~25頁、N教授の証人尋問調書11~13項(スライド71~75に係る供述)等)。 しかし、前記のとおり、Dの頸椎前縦靭帯が破断あるいはそれに近い状態となっていたとはいえず、その頸椎が外力により通常の限度を超えた後屈、回旋/側屈を容易に来す不安定な状態にあったとはいい難い。前記再現動画に依拠してDの頸椎に通常の限度を超えた回旋/側屈を生じさせる外力が加わったものと推論することの問題点についても、既に指摘したとおりである。 また、Dの死体に認められる左鎖骨上部の内出血につき、J旧鑑定は「左鎖骨直上の皮膚内面に、かなり著しい皮下出血の痕跡を認める」としているところ、J旧鑑定においては「組織間出血」と「皮下出血」との表現が使い分けられていることからすれば、J旧鑑定において「皮下出血」として指摘された左鎖骨上部の内出血については皮下の血管が破綻して皮下組織内に出血した状態 おいては「組織間出血」と「皮下出血」との表現が使い分けられていることからすれば、J旧鑑定において「皮下出血」として指摘された左鎖骨上部の内出血については皮下の血管が破綻して皮下組織内に出血した状態と考えるのが自然であり、より深い組織が出血源であると考えるのは無理がある。さらに、仮に前記内出血が皮下組織よりも深い組織を出血源とするものであったとしても、Dのものと同様の内出血を認めた患者において左椎骨動脈中枢部の損傷が認められたというN教授の経験した1症例をもって、Dについても左椎骨動脈中枢部の損傷を生じていたと考えるのは、やはり飛躍のある推論といえる。 以上によれば、N鑑定のうち、Dの不安定な状態の頸椎に通常の限度を超えた回旋/側屈が生じた結果、左椎骨動脈中枢部の損傷が生じたとの点については、証明力を認めることはできない。 カ小括以上の検討によれば、N鑑定は、①Dが溝に転落し、その際に頸椎椎体前血腫を伴う程度の頸椎の過伸展を生じて非骨傷性頸髄損傷を負った可能性があること、②その際に頸椎前縦靭帯にも損傷を生じた可能性があり、仮にDが非骨傷性頸髄損傷 を負ったとすれば、H及びIがDを発見してから軽トラックの荷台に乗せるまでの過程で、その症状が悪化し、高位頸髄損傷にまで陥った可能性も全く否定することまではできないことを指摘する限度で証明力を認めることができるが、N鑑定によっても、Dが非骨傷性頸髄損傷により運動機能障害に陥っていたことが確実であるとはいえず、前記の過程でその症状を悪化させ高位頸髄損傷にまで陥ったことが高い蓋然性をもって推定されるとはいえない。 また、N鑑定のうち、Dが非閉塞性腸管虚血による広範な小腸の急性腸管壊死に陥っていたとする部分は採用できず、同人の頸椎前縦靭帯は破断あるいはそれに近い状態 蓋然性をもって推定されるとはいえない。 また、N鑑定のうち、Dが非閉塞性腸管虚血による広範な小腸の急性腸管壊死に陥っていたとする部分は採用できず、同人の頸椎前縦靭帯は破断あるいはそれに近い状態となり、その頸椎が通常の限度を超えた後屈、回旋/側屈を容易に来す不安定な状態にあった結果、H及びIの不適切な救護により左椎骨動脈中枢部の損傷が生じたとする部分も採用できない。N鑑定のうちこれらの部分を前提とする推論も、採用の限りではない。 以上によれば、N鑑定は、Dの死因や死亡時期を高い蓋然性をもって推論するような決定的なものとはいえず、仮に同人が転落により非骨傷性頸髄損傷を負っていたとすれば、H及びIがDを発見してから軽トラックの荷台に乗せるまでの過程でその症状が悪化し、高位頸髄損傷により横隔膜の運動麻痺や延髄の血流低下による呼吸・循環中枢の機能不全に陥って、呼吸停止を来した可能性があることを否定はできないという限度で、その証明力を認めるのが相当である。そこで、これが無罪を言い渡すべき明らかな証拠といえるか否かは、その立証命題に関連する他の証拠それぞれの証明力を踏まえ、これと対比しながら検討することになる。 N鑑定が旧証拠の証明力に及ぼす影響についてア J旧鑑定の証明力に及ぼす影響等についてJ旧鑑定は、既に示したとおり(前記第4の1ア)、腐敗の著しいDの死体を解剖して得られた限定的な所見を踏まえ、他に著しい所見が認められないとして窒息死を推定したものである。これに対して、N鑑定は、前記のとおり、Dの死因及び死亡時期につき高い蓋然性をもって推論するものとはいえないが、同人がH及 びIにより軽トラックの荷台に乗せられるまでの過程で高位頸髄損傷を負った可能性が完全には否定されないことを指摘し、結果として横隔膜の運動麻 もって推論するものとはいえないが、同人がH及 びIにより軽トラックの荷台に乗せられるまでの過程で高位頸髄損傷を負った可能性が完全には否定されないことを指摘し、結果として横隔膜の運動麻痺や呼吸・循環中枢の機能不全により呼吸停止を来した可能性も否定はできないという限度では証明力を有するから、仮に確定審に提出されていた場合には、Dの死因としてJ旧鑑定が推定した可能性とは別の可能性も否定できないことを指摘する証拠として位置付けられ、そうした意味においてJ旧鑑定の証明力を減殺することになる。もっとも、J旧鑑定は、前記のような内容のものであり、それ単独では死因を積極的に推認し得るような証明力を有しておらず、各確定判決は、客観的状況から推認できる事実や、Dの頸部をタオルで絞めて殺した旨のB及びCの各自白と併せて、Dの死因を頸部圧迫による窒息死と認定したものと考えられるから、N鑑定によってJ旧鑑定の信用性が減殺されたとしても、直ちに各確定判決における頸部圧迫による窒息死との認定に合理的疑いを生じさせるとはいえない。 イ B及びCの各自白の信用性に及ぼす影響等について前記のとおり、N鑑定は、Dの死因及び死亡時期につき高い蓋然性をもって推論するものではなく、各確定判決における頸部圧迫による窒息死との認定に直ちに合理的疑いを生じさせるものとはいえないから、同人の頸部をタオルで絞めて殺した旨のB及びCの各自白の信用性を直ちに減殺する証拠とはいえない。 なお、J旧鑑定は、それ単独でDの死因を推認し得るものではないが、同人の頸部をタオルで絞めて殺した旨のB及びCの各自白を裏付け、その信用性を高めるという位置付けにもあるから、J旧鑑定の信用性が減殺されれば、そのB及びCの前記各自白の信用性を高めるという位置付けも後退することになる。しかし、B た旨のB及びCの各自白を裏付け、その信用性を高めるという位置付けにもあるから、J旧鑑定の信用性が減殺されれば、そのB及びCの前記各自白の信用性を高めるという位置付けも後退することになる。しかし、B及びCの各自白の信用性は、J旧鑑定によってのみ裏付けられているのではなく、前記第4の1に掲げた客観的状況から推認できる事実によっても支えられているから、結局のところ、N鑑定によってB及びCの各自白の信用性が減殺され、更にはこれらと整合するFの自白及びGの供述の信用性が減殺されるといえるか否かを検討するに当たっては、これらの供述の信用性を支えている事実関係の基礎となる証拠の 信用性が減殺されるか否かについても検討することが必要になる。 ウ H及びIの各供述の信用性に及ぼす影響について各確定判決が有罪認定の前提の一つにしたと考えられる、H及びIが、道路上に横たわっていたDを軽トラックの荷台に乗せて同人方まで届け、同人を土間に置いたまま立ち去ったとの事実(前記第4の1イ)の基礎となるH及びIの各供述は、H及びIがDを生きている状態で同人方まで届けたことが前提となっている。この点、N鑑定は、前記のとおりDの死亡時期につき高い蓋然性をもって推論するものではないから、同人方到着時において同人が生きていたことを前提とするH及びIの前記各供述の信用性を直ちに減殺する証拠とはいえない。もっとも、これが確定審において仮に提出されていたとすれば、DがH及びIにより軽トラックの荷台に乗せられた後に呼吸停止を来していた可能性も否定はできないことを指摘する旨の証拠が存在することになるから、H及びIの各供述の信用性については、そのような証拠の存在をも踏まえて検討する必要が生じることになる。すなわち、N鑑定の指摘する、Dが荷台に乗せられた後に呼吸 する旨の証拠が存在することになるから、H及びIの各供述の信用性については、そのような証拠の存在をも踏まえて検討する必要が生じることになる。すなわち、N鑑定の指摘する、Dが荷台に乗せられた後に呼吸停止を来していた可能性が真実であるとすれば、同人方に到着した時点においては同人が死亡し又は瀕死の状態に陥っていたことが考えられ、H及びIの各供述のうち、荷台から降ろされたDが、H又はIの手助けを受けながらも、一人で立ち、D方の玄関まで歩いて入って行った旨をいう部分は、虚偽を述べている可能性が高いということになり、これらを前提として同人を土間に置いた旨説明する部分も直ちには信用し難いということになるから、こうした観点からの検討を行う必要がある。 この点、弁護人がその可能性を示唆するように、H及びIがD方に到着した時点で同人が死亡していることに気付いて動揺し、とっさに同人の死体を同人方牛小屋に運ぶことにして堆肥中に遺棄したのだとすれば、H及びIにおいて、自分たちがDの死体を遺棄した犯人であることを隠ぺいするために、Dを同人方まで届けた時点では同人は生きていた旨の虚偽の供述を一致してする動機があるといえる。 しかし、以下に示すとおり、H及びIがDの死体を牛小屋の堆肥中に遺棄したと いう可能性は、およそ考え難い。 a そもそもH及びIは、近隣に住むDが道路に寝かせられていると知らされ、同人が酔っ払って寝ていると思い、ともかくも同人の住居まで送り届けようという心情から、Aに電話であらかじめその旨連絡した上で行動したのであるから、仮に、D方に到着した際に荷台に乗せていた同人が死亡し又は瀕死の状態になっており、そのことに気付いたとしても、何ら責められるような立場にあるとはいえず、また、医学的知識があったとはうかがわれないH及びIにお 方に到着した際に荷台に乗せていた同人が死亡し又は瀕死の状態になっており、そのことに気付いたとしても、何ら責められるような立場にあるとはいえず、また、医学的知識があったとはうかがわれないH及びIにおいて、特に頸椎保護に意を払わずにDを軽トラックの荷台に乗せたからといって、それを責任を追及され得る負い目と捉えるということも考え難い。したがって、H及びIとしては、例えば隣接するB方を訪ねてDの状態をBらに知らせるなどすれば足り、かつそれが自然なのであって、わざわざDの死体を遺棄するという犯罪行為に及んで責任を追及される立場に自ら陥るというのは、余りに不自然である。 b 仮にH及びIがDの死体を同人方牛小屋の堆肥中に遺棄したとすれば、その時間帯は、H及びIがD方に到着した10月12日の午後9時頃から、H及びIがD方を後にしてH方に到着した同日午後9時30分頃までの間ということになるが、わずか30分程度のうちに、Dの死体を同人方牛小屋の堆肥内に埋めることについて謀議を遂げ、同人と一緒に運んできた自転車や衣服などを同人方に置きに行くなどした上で、H及びIの2人で、身長約166.5センチメートルで体重も70キログラム程度はあったと思われるDの死体を牛小屋の堆肥置場まで運び、最も深い箇所で約40ないし50センチメートルの深さまで堆肥を掘り、その中に同人の死体の全身を埋没させて、その後H方に移動するというのは、それ自体非常に困難であったと考えられる上、夜間、死体を埋める作業のために照明を付けたり、牛が騒ぐなどすれば、D方に隣接するB方やC方の居住者らに気付かれる危険があり、仮にその夜に気付かれなかったとしても、早晩これらの者によりDの死体が発見される危険も高いと考えられるのに、あえてそのような危険を冒して同人方牛小屋を死体遺棄の場所として選択するの れる危険があり、仮にその夜に気付かれなかったとしても、早晩これらの者によりDの死体が発見される危険も高いと考えられるのに、あえてそのような危険を冒して同人方牛小屋を死体遺棄の場所として選択するのも、極めて不自然である。 cDの死体が発見された直後における同人方の中六畳間等の状況は既に示したとおりであり(前記第4の1ウ)、このような現場の状況からは、同人が、ビニールカーペットが敷かれていたとされる中六畳間において失禁をした後、何者かが同ビニールカーペットに付着した糞便等を拭き取った上、屋外に搬出した可能性をうかがわせるが、仮にH及びIがDを軽トラックの荷台から降ろしてそのまま牛小屋に運んだとすれば、同人が中六畳間で失禁する機会はないし、H及びIにおいてわざわざ前記ビニールカーペットの糞便等を拭き取り屋外に搬出する必要もないから、これらの行為をした者が誰であるかという点の説明が困難になる。このように、H及びIがDの死体を牛小屋の堆肥に遺棄したという可能性は、同人方の中六畳間等の前記のような状況と整合しない。 dHの11月29日付け警察官調書(確定審検81、第1次再弁92。なお、弁14の8はそのテキストデータとして提出されたもの)等の関係証拠によれば、同人が、Dの葬式の後である10月17日の夜、同人の親族が集まっていたB方に立ち寄り、Dの位牌の前で「D、わいも3日間苦しかったろう、おいも3日間風呂に入らずきばった。すまんかった、何とか言ってくれ。」という趣旨のことを涙を流しながら言ったことが認められるところ、弁護人は、このようなHの言動について、同人が死体発見前からDが堆肥に埋まっていたことを知っていたことをうかがわせる事情であると主張する。 しかし、そもそもHの前記言動はその前後のやり取りもなく、何らかの このようなHの言動について、同人が死体発見前からDが堆肥に埋まっていたことを知っていたことをうかがわせる事情であると主張する。 しかし、そもそもHの前記言動はその前後のやり取りもなく、何らかの具体的事実を述べているとはいえないものであって多義的に解し得るものであり、これから直ちに同人がDの死体の状況等について何らかの認識を有していたことを推認することが相当とはいえない。その点を措くとしても、Hとしては、生前のDに最後に接触した者として、Dが死体となって堆肥に埋まった状態で発見されたのを知り、そのような事態を避けるために他に採り得た行動があったのではないかなどと思い、そうした心情から「すまんかった」などと口にしたとしても不自然とはいえない。 また、「わい(Dの意)も3日間苦しかったろう」と言ったとの点は、Hが、Dの 死体が10月15日に堆肥から発見された事実から、同人を送り届けた10月12日の夜より後の約3日間にわたり同人が堆肥に埋められていたと考えたゆえの発言と理解するのが自然であるし、「おい(H自身の意)も3日間風呂に入らずきばった」と言ったとの点も、H自身、Dが行方不明であることを知った10月14日以降の約3日間にわたり、同人の捜索や警察の事情聴取などにより多忙であったことを受けた発言であると考える余地もある。結局、Hの前記言動も、同人が死体発見前からDが堆肥に埋まっていたことを知っていたことをうかがわせる事情とはいえない。 なお、弁護人は、A第1次再審請求におけるHの証言等に依拠して、同人の前記言動があったのは10月17日ではなく通夜の行われた同月16日であったことを前提とする主張をするに至っているが、前記言動から20年以上も後の平成13年になされた同証言が前記11月29日付け警察官調書における供述よりも信用 17日ではなく通夜の行われた同月16日であったことを前提とする主張をするに至っているが、前記言動から20年以上も後の平成13年になされた同証言が前記11月29日付け警察官調書における供述よりも信用できるといい得るような特段の事情は見当たらないし、HがB方に立ち寄ったのは深夜の時間帯と考えられるから、仮に前記言動があったのが10月16日のことであったとしても、Hが10月14日から同月16日までを指して3日間と言ったと考えても不自然とはいえず、同主張も採用の限りではない。 翻って、H及びIの各供述を見ると、要旨、地域の住人からの知らせを受け、道路上に横たわっていたDのもとに軽トラックに乗って向かい、同人を軽トラックの荷台に乗せて同人方まで届け、生きている状態の同人を土間に置いたまま立ち去ったというものであり、この限度では相互に合致しており、他の関係証拠から認められる客観的状況からの推認と矛盾する点も見当たらない。また、このようなH及びIの行動は、近隣に住むDを慮り、ともかくも同人の住居まで送り届けようという心情からなされたものとして、ごく自然な行動ということができる。H及びIの各供述は、前記の限度で十分に信用性が高いものということができ、以下に示すとおり、弁護人が指摘する諸点も、H及びIの各供述の信用性を揺るがす事情とはいえない。 aH及びIの各供述は、Dが荷台から降ろされ同人方に入る際の状況のほか、同人方に到着した後の軽トラックの向き、同人の牛に草や水をやるために牛小屋に行ったのが同人を荷台から降ろすより前か後か等につき、食い違いが見られる。 しかし、Dが荷台から降ろされ同人方に入る際の状況についてのH及びIの各供述は、手助けを受けた程度、態様はともかく、Dが荷台から降ろされた後に一人で立てたという点では つき、食い違いが見られる。 しかし、Dが荷台から降ろされ同人方に入る際の状況についてのH及びIの各供述は、手助けを受けた程度、態様はともかく、Dが荷台から降ろされた後に一人で立てたという点では合致している。また、Dが荷台から降ろされる際やその後にどの程度の手助けを受けたかについてのH及びIの各供述の相違は、各人とDとの位置関係の違いや、同人に対する手助けをより積極的に行ったHの認識、記憶が自身の行為やその際のDの様子の観察に関しより具体的となる一方、比較的消極的であったIの認識、記憶が粗略なものにとどまったことによっても説明し得るものであり、Dを生きていた状態で同人方に運び入れた旨をいうH及びIの各供述の核心部分の信用性に影響を与えるようなものとはいえない。また、軽トラックの向きや牛小屋に行ったタイミングについては、Dを軽トラックに乗せて同人方まで運んだというH及びIにとって最も記憶に残りやすい中心的な事実経過に比べれば周辺的な事情というべきであり、これらの点につき記憶違い等による食い違いがあったからといって、H及びIの前記各供述の核心部分の信用性が揺らぐものではない(なお、弁護人は、Gの10月16日付け警察官調書(確定審検97)の内容を根拠に、H及びIはD方に到着した後同人を荷台から降ろす前に牛小屋に行ったのが真実である旨指摘する。しかし、前記警察官調書では、GはDが家の中に入るのを確認していないというにとどまり、Hらが牛小屋に行ったこととDを荷台から降ろしたことの先後関係については何ら述べていないと理解するのが相当である。よって、弁護人の前記指摘は当を得たものとはいえず、これを前提とする弁護人の主張も採用の限りではない。)。 bHの供述に関し、弁護人は、①Hは10月15日には道路上での発見時もD方に到着した後も同人は一人 人の前記指摘は当を得たものとはいえず、これを前提とする弁護人の主張も採用の限りではない。)。 bHの供述に関し、弁護人は、①Hは10月15日には道路上での発見時もD方に到着した後も同人は一人で立つことも歩くこともできなかった旨供述していたのに、10月16日以後はかろうじてであれ一人で立って歩くことができた旨供述 しており、この点の供述に明らかな変遷がある、②Dを同人方のどこから運び入れたかにつき、Hは10月15日に玄関から入ったと供述したが、10月16日のみ玄関横の勝手口から入ったと供述し、その後はまた玄関から入った旨供述を訂正しているところ、実際に体験した者の供述であればこのようなことはあり得ない、などと指摘する。 ①について見ると、Hの10月16日付け警察官調書(確定審検78。なお、弁14の5はそのテキストデータとして提出されたもの)は、同人の10月15日付け警察官調書(確定審検76。なお、弁14の3はそのテキストデータとして提出されたもの)と比較して、そもそもDを道路上で発見した際及び同人方に到着した際の状況全般につき詳細で具体的な内容を録取したものとなっているから、弁護人が変遷として指摘する点は、前記10月16日付け警察官調書においてDの状況等について調書上より詳細で具体的な記載がされたことを反映したものに過ぎないと見ることができる。そうした点をも踏まえて検討するに、前記10月15日付け警察官調書では、Dを発見した時の状況として、同人は一人で立つこともできない泥酔状態だった旨の記載があるの対し、前記10月16日付け警察官調書では、同人は何とかHらの手を借りて立ち上がった旨の記載があるところ、これらの記載は、Dが一人では立てず手助けにより何とか立ち上がれた旨をいう点では特に相反しない整合的なものとして理解 け警察官調書では、同人は何とかHらの手を借りて立ち上がった旨の記載があるところ、これらの記載は、Dが一人では立てず手助けにより何とか立ち上がれた旨をいう点では特に相反しない整合的なものとして理解できる。また、両警察官調書においてHがD方に到着した時の状況を説明する部分を見ても、結局のところ、同人はHらの手助けを借りなければ軽トラックの荷台から降りることもD方に入ることもできなかったものとして同じ趣旨を述べるものと理解できる。結局、この点についての弁護人の指摘は当を得たものとはいえない。②に関しては、Hが10月16日の取調べを除いてはDを運び入れた場所につき玄関であるとの供述を維持していることなどに照らせば、前記10月16日付け警察官調書のみ玄関横の勝手口から入った旨の記載になっているのは、取調べにおけるHと警察官との間の単純な認識の齟齬が見過ごされたまま調書が作成されたことなどに由来するものと考えることも可能であり、実際に体 験した者の供述であることを否定するような不自然な事情とは到底いえない。 cIの供述に関し、弁護人は、①Iは、D方に到着した後の状況について、当初は牛小屋にはHのみが行ったように供述していたが、10月29日の検察官の取調べで初めて自分も牛小屋に行ったことを供述しており、警察官の取調べでは牛小屋に行ったことを故意に隠していた、②Iは、Aと共にH方を出た後、AがD方に立ち寄って同人の様子を見に行った際の状況について、当初はAに懐中電灯を渡したとの虚偽の供述をしており、その後も、同人と一緒にDの様子を見に行こうともせず、所持していた懐中電灯をAに渡さず同人の足元を照らすこともしなかった旨の供述をしているのは不可解である、などと指摘する。 しかし、①については、Iが当初は自分も牛小屋に行ったことを供述 ともせず、所持していた懐中電灯をAに渡さず同人の足元を照らすこともしなかった旨の供述をしているのは不可解である、などと指摘する。 しかし、①については、Iが当初は自分も牛小屋に行ったことを供述していなかったからといって、そのことを故意に隠していたと断定するのは無理がある。弁護人は、Hは10月20日の警察官による取調べで牛小屋にはIと一緒に行ったと供述しており、同人はそれを受けて供述を変更したと思われる旨主張するが、仮にそうだとしても、Hの供述内容を知ってIが自らの記憶違いを正すなどして供述を改めたということも考えられるのだから、同人が意図的に自分が牛小屋に行ったことを隠していたことを前提とする主張は当を得ない。②についても、懐中電灯を渡したか否かの点についての供述の変遷は、当初の記憶違いを後から訂正したものに過ぎないと理解できる上、Iとしては、自分たちでDを同人方に届けて間もない時点であったのだから、改めて同人の様子を確認するまでもないと考えたとしても何ら不自然ではないし、懐中電灯で照らすなどしなかったという点も、同人の酒を飲んだ際の行状等を知っていたIにおいて、Aに灯りを当てるとDが気付いて何か文句を言うのではないかと思ったなどという説明が不合理とはいえず、Iの供述の信用性を疑わせるような不可解なものとはいえない。 d 弁護人は、H及びIは、D方を出た後、隣接するB方に立ち寄るなどしてAらにDを運んできたことを知らせもせずにH方に向かい、同人方でAと話をした際にも、Dをどのような状況で置いてきたかなどを伝えておらず、この点も同人を救 助してきた者の行動として不自然である旨指摘する。 しかし、Hは、軽トラックでDの横たわっていた場所に向かうのに先立ち、B方に電話をかけ、Aに対し、Dが酔っ払って道路に寝ているので 助してきた者の行動として不自然である旨指摘する。 しかし、Hは、軽トラックでDの横たわっていた場所に向かうのに先立ち、B方に電話をかけ、Aに対し、Dが酔っ払って道路に寝ているので迎えに行く、すぐに連れて帰ってくるなどと説明しているのだから、H及びIが、その説明どおりDを同人方まで運んできた後、そのことを重ねてはAらに知らせなかったからといって、特に不自然とはいえない。また、Hは、同人方でAに対し、Dが全身びしょ濡れになっていて下半身裸であったことなどは説明しており、特に同人の容態等につき繕っているような事情は見て取れず、前記の説明を超えて同人を置いてきた状況につき伝えていないからといって、やはり不自然とはいえない。 e その他、弁護人がH及びIの各供述が信用できないことの理由として指摘する点を検討しても、H及びIの各供述が信用できる旨の判断を左右するものは認められない。 以上のとおり、関係証拠から認められる事実関係等に照らすと、H及びIが、真実はD方に到着した時点において同人が死亡し又は瀕死の状態となっていたのにそれを隠ぺいして揃って虚偽の供述をしている可能性は想定し難く、H及びIの各供述につき弁護人が指摘する諸点も、その信用性を揺るがすようなものとはいえない。そうすると、DがH及びIにより荷台に乗せられた後に呼吸停止を来していた可能性が否定できない旨を指摘するN鑑定の存在を踏まえてもなお、H及びIの、道路上に横たわっていたDを軽トラックの荷台に乗せて同人方まで届け、生きている状態の同人を土間に置いて立ち去った旨の各供述は、十分に信用できるといえる。 結局、N鑑定は、H及びIの各供述の信用性を減殺するものとはいえない。 エまとめ以上によれば、N鑑定は、Dの死因としてJ旧鑑定が推定する可能性とは別の可 各供述は、十分に信用できるといえる。 結局、N鑑定は、H及びIの各供述の信用性を減殺するものとはいえない。 エまとめ以上によれば、N鑑定は、Dの死因としてJ旧鑑定が推定する可能性とは別の可能性も否定できないことを指摘するという意味において、J旧鑑定の証明力を減殺する証拠といえるものの、そもそもJ旧鑑定がDの死因の認定に関して有する証明力は限定的なものであり、N鑑定により各確定判決における頸部圧迫による窒息死 との認定に合理的疑いが生じるとはいえない。また、N鑑定は、H及びIの各供述の信用性を減殺するものとはいえず、これが確定審において提出されていたとしても、H及びIが、道路上に横たわっていたDを軽トラックの荷台に乗せて同人方まで届け、生きている状態の同人を土間に置いて立ち去ったとの事実認定は揺るがない。さらに、N鑑定は、各確定判決が有罪認定の前提にしたと考えられるその余の事実関係等の基礎となる証拠の証明力を減殺する性質のものとはいえない。そうすると、N鑑定は、結局、前記第4の1に掲げた客観的状況からの事実の推認に影響を及ぼすとはいえないから、これによって支えられているB、C及びFの各自白並びにGの供述の信用性を減殺するものとはいえない。 4 S鑑定についてS鑑定の内容ア S鑑定は、コンピュータを用いたテキストデータの解析技術であるテキストマイニングの手法を用いて、H及びIの各供述並びにAの供述の特徴をそれぞれ分析したものである。 S鑑定においては、テキストマイニングの手法の一つである計量テキスト分析の手法が用いられているとされ、その第1段階の分析では、コンピュータによる自動的な計算結果をもとに、テキストデータに含まれる語句の頻度や相関性の視覚化が行われ(「相関アプローチ」)、第2段階の分析では、 法が用いられているとされ、その第1段階の分析では、コンピュータによる自動的な計算結果をもとに、テキストデータに含まれる語句の頻度や相関性の視覚化が行われ(「相関アプローチ」)、第2段階の分析では、相関アプローチによる分析の結果を踏まえて、分析者において「コーディング・ルール」(個別の語句より抽象度の高い概念(「コード」)をコンピュータを使って自動的に見つけ出すための辞書)を作成し、これをテキストデータに適用して、特定の語句や概念の頻度や相関性の視覚化が行われ(「辞書ベース・アプローチ」)、この2段階のアプローチによって、テキストデータとしての各人の供述が分析されている。 イ S鑑定は、H及びIの各供述について、要旨、①両名の捜査段階の供述調書を分析すると、両名は、Dを車の荷台に乗せて連れて帰り、家の土間に置いたという共同の行為について述べているにもかかわらず、Dが自分一人で歩いたかどうか という点において、その供述に明確な齟齬がある、②A第1次再審請求におけるHの証人尋問調書を分析すると、同人は、Dを家に連れて帰った時の様々な出来事を記憶しながら、同人を家に運び入れる行為の記憶だけが特に不明瞭となっており、この点において、事件から一定の年月が経過していることを考慮しても、同人を抱え支えて玄関に入るという行為について一貫した供述をしたことが示されているHの供述調書との間には齟齬がある、③A第1次再審請求におけるIの証人尋問調書を分析すると、同人は、Dが家に入る前後の出来事についての記憶のみが特に不明瞭になっており、この点において、事件から一定の年月が経過していることを考慮しても、同人が自分で千鳥足で玄関に入ったという出来事について一貫した供述をしたことが示されているIの供述調書との間には齟齬がある、とした上で、④これら 、事件から一定の年月が経過していることを考慮しても、同人が自分で千鳥足で玄関に入ったという出来事について一貫した供述をしたことが示されているIの供述調書との間には齟齬がある、とした上で、④これらの3つの齟齬について、これを是正し得るに足る特別な事情が認められない限り、論理的に整合性を持った説明をすることはできない、などとする(以下、S鑑定のうちH及びIの各供述の分析に係る部分を指して「S第1鑑定」ともいう。)。 ウまた、S鑑定は、Aの供述について、同人の捜査段階の供述調書、確定審の公判調書及び被告人供述調書並びにA第1次再審請求の請求人尋問調書を分析した結果として、要旨、①Dに保険金を掛けたという行動につき、行動とその理由は矛盾・齟齬がない形で説明されている、②Iと共にH方から帰宅する途中、IがD方に入ろうとしなかったことに関する供述に、矛盾・齟齬はない、③Dがどのように軽トラックの荷台に乗ったかについてのHのAに対する説明に関しては、供述間で表現上の齟齬は見出されるものの、根源的な疑問をもたらす矛盾・齟齬はない、などとする(以下、S鑑定のうちAの供述の分析に係る部分を指して「S第2鑑定」ともいう。)。 S鑑定の証明力等についてア S鑑定の証明力を検討する前提として、その鑑定としての性質や分析の対象等について、以下のような点が指摘できる。 S鑑定で用いられたテキストマイニング、計量テキスト分析の手法等は前記 のとおりであるところ、S鑑定は、あくまで分析の対象とした各人の供述に現れる語句や概念の頻度や相関性などに着目して、その供述の特徴を分析する内容となっており、その検討の過程において、他の関係証拠の内容や、供述自体には現れない外在的事情等を考慮に入れてはいない。そうすると、S鑑定は、分析の対象とされた 着目して、その供述の特徴を分析する内容となっており、その検討の過程において、他の関係証拠の内容や、供述自体には現れない外在的事情等を考慮に入れてはいない。そうすると、S鑑定は、分析の対象とされた各人の供述のテキストデータとしての特徴を指摘し、裁判所がそうした特徴をも踏まえて供述の信用性を適切に判断するための視点を提供する役割を有するにとどまり、その証明力が肯定されたとしても、分析の対象とされた供述の信用性を直ちに減殺又は増強するものとはいえない。S教授自身、分析対象とした供述につき、テキスト上、齟齬がある、変遷がある又は矛盾があるということは判断できるが、それが実世界で何を意味するかというのはテキスト分析の範囲を超えている旨述べ、また、整合性があるかないか、変遷があるかないかということをコンピューターで分析することで、もしかしたら現実世界で調べるべき現象がそこにかいま見えている可能性を見付け出す方法と述べているのも(S教授の証人尋問調書129~131項)、前記と同じ趣旨をいうものと解することができる。そのような鑑定としての性質等に照らすと、S鑑定が有する証明力は、そもそも限定的なものといわざるを得ない。 Aに対する確定判決の証拠の標目には、Aの公判供述は挙示されておらず、本件犯行に至る経緯を認定した証拠として挙示されたAの検察官及び司法警察員に対する各供述調書についても、判示事実認定に反する部分を除く旨記載されている。 なお、Bに対する確定判決の証拠の標目中のAの各供述調書につき特段の留保は付されていないが、前記のとおり各確定判決の認定の根拠はほぼ共通していることから、同じく判示事実認定に反する部分を除く趣旨と解される。また、A第1次再審請求における請求人尋問調書は、当然ながら各確定審では取り調べられていない。 したがって、Aの前記 拠はほぼ共通していることから、同じく判示事実認定に反する部分を除く趣旨と解される。また、A第1次再審請求における請求人尋問調書は、当然ながら各確定審では取り調べられていない。 したがって、Aの前記各供述や前記請求人尋問調書を分析の対象とするS第2鑑定の分析、評価が各確定判決において有罪認定の基礎とされた旧証拠の証明力に及ぼす影響はそもそも想定し難い。弁護人は、S第2鑑定は、H及びIの各供述との関 係では、生きているDを同人方の玄関の土間に放置して退出したというH及びIの各供述の信用性を大幅に減殺している旨主張するが、S第2鑑定は、H及びIの各供述の特徴について、間接的にも分析、評価を加えるような内容とはなっておらず、H及びIの前記各供述の信用性を減殺するものとはいえない。 イさらに、S第1鑑定については、その鑑定の手法、内容等に関し、以下のような点が指摘できる。 S第1鑑定では、Hの証人尋問調書中の「・・・」又は「・・・・・。」となっている部分を「沈黙言いよどみ」というコードとして抽出するコーディング・ルールを定義し、「辞書ベース・アプローチ」による分析を行った上で、同調書ではDを「土間(に)置く」行為のみについて質問に対する沈黙や言いよどみが多数回発生している旨指摘し、そのことを一つの根拠として、前記イの②のとおり、HはDを家に運び入れる行為の記憶だけが特に不明瞭となっている旨結論付けている。 しかし、証人尋問において、証人が質問に対して言いよどみ、あるいは沈黙したとしても、その理由は必ずしも質問された事項に関する記憶が不明瞭であるからとはいえず、例えば質問が追及的だったり不明確だったりするために直ちに答えられないこともよくあることといえる(現に、Hの証人尋問調書において答えが「・・・」又は「・・・・・ る記憶が不明瞭であるからとはいえず、例えば質問が追及的だったり不明確だったりするために直ちに答えられないこともよくあることといえる(現に、Hの証人尋問調書において答えが「・・・」又は「・・・・・。」となっている部分に対応する弁護人の質問の中には前記のようなものも多く含まれている。)。証人尋問調書中の「・・・」又は「・・・・・。」となっている部分を沈黙や言いよどみと捉え、これを質問された事項に係る記憶の不明瞭さの表れとして評価するS第1鑑定は、この点において推論に飛躍があるといえる。 また、証人尋問においては、質問者が重要と考える特定の事項について集中的に質問がなされる場合があり、とりわけ弾劾的な尋問が行われる場合にはそうした傾向がよく見られるところ、このような場合には、証人尋問調書中でも、特定の事項への質問とそれに対する答えの組合せが、他の事項に関するそれと比較して高 い頻度で登場することは、いわば当然といえる。したがって、Hの証人尋問調書において「土間(に)置く」行為に関する沈黙や言いよどみが多く見られたとしても、その意味するところを評価するに当たっては、前記のような証人尋問及び証人尋問調書の特性を踏まえ、証人尋問において同行為に関してどの程度集中的に質問がなされたか等についても考慮する必要があるところ、S第1鑑定において、そのような考慮が十分になされたことはうかがえない。 同様に、S第1鑑定は、Iの証人尋問調書についても「辞書ベース・アプローチ」による分析を行い、同調書ではDを「土間(に)置く」行為及び「自転車(を)下ろす」行為のみについて質問に対して覚えていない旨の回答あるいは沈黙や言いよどみが多数回発生している旨指摘し、そのことを一つの根拠として、前記イの③のとおり、IはDが家に入る前後の出来事についての 下ろす」行為のみについて質問に対して覚えていない旨の回答あるいは沈黙や言いよどみが多数回発生している旨指摘し、そのことを一つの根拠として、前記イの③のとおり、IはDが家に入る前後の出来事についての記憶のみが特に不明瞭となっている旨結論付けている。しかし、証人尋問調書中の「・・・」又は「・・・・・。」となっている部分を質問された事項に係る記憶の不明瞭さの表れとして評価することの問題点や、特定の行為に関して沈黙や言いよどみが多く見られたことなどの意味合いを評価するに当たって証人尋問及び証人尋問調書の特性を踏まえた考慮がなされていないという問題点は、Hの証人尋問調書に係る分析について既に述べたところと同様である。 加えて、S第1鑑定は、Hの証人尋問調書についての「辞書ベース・アプローチ」による分析としてコーディング・ルールを作成するに当たって、原文には存在しない「堆肥済む」(「堆肥(やりが)済む」)というコードを用いるなどしており、分析者によるコーディング・ルールの作成、コードの選択等の適格性がどのように担保されているかも明確ではない。 ウまた、S第2鑑定は、前記ウのとおり、分析対象としたAの供述について、特に矛盾・齟齬を見出せないと結論付けるものである。しかし、その分析の具体的な過程を見ると、S第1鑑定のそれとは異なり、供述調書等に登場する特定の語句や概念の頻度や相関性についてコンピュータを用いて分析した結果に基づき結論を 導いたというよりも、分析の対象とされた一部の事項に係る供述につき、S教授が供述調書等の原文を参照し、自らその前後の文脈の内容等を勘案するなどして検討を加えたものであることが否定できず、こうした検討の方法については、コンピュータを用いてテキストデータを解析するというテキストマイニングの手法による供 らその前後の文脈の内容等を勘案するなどして検討を加えたものであることが否定できず、こうした検討の方法については、コンピュータを用いてテキストデータを解析するというテキストマイニングの手法による供述分析として客観性を保ち得ないものではないかとの疑問も拭えない。 エ以上によれば、S鑑定のうち、S第2鑑定については、およそ有罪認定の基礎とされた旧証拠の証明力を減殺するものとはいえない。S第1鑑定についても、そもそもH及びIの各供述の信用性を直ちに減殺するような性質のものとはいえない上、前記イで指摘した鑑定の手法、内容等に関する問題点も踏まえると、せいぜい、H及びIの捜査段階の各供述調書において、D方に到着した後に同人が自分一人で歩いたかどうかという点に食い違いがあることを指摘するという意味合いを有するにとどまると評価するのが相当である。そして、前記3における検討で既に示したとおり、前記の点についてのものを含むH及びIの各供述の食い違いは、道路上に横たわっていたDのもとに軽トラックに乗って向かい、同人を軽トラックの荷台に乗せて同人方まで届け、生きている状態の同人を土間に置いたまま立ち去ったとのH及びIの各供述の核心部分の信用性に影響を与えるものではない。結局、S第1鑑定も、H及びIの各供述を含む旧証拠の証明力を減殺するものとはいえない。 5 Q・R鑑定についてQ・R鑑定の内容ア Q・R鑑定は、供述心理学に基づく供述評価の手法としてQ教授及びR教授らが開発を進めてきたスキーマ・アプローチの手法等を用いて、H及びIの各供述並びにAの供述の特徴をそれぞれ分析し、それが各供述の信用性評価に与える影響について意見を述べるものである。 Q・R鑑定においては、スキーマ・アプローチの手法による分析の手順として、まず分析の対象となる供述資料 特徴をそれぞれ分析し、それが各供述の信用性評価に与える影響について意見を述べるものである。 Q・R鑑定においては、スキーマ・アプローチの手法による分析の手順として、まず分析の対象となる供述資料を選択した後、体験性(供述者なりの体験の説明としての十全性)に特に疑義のない供述部分をベースライン供述、評価対象となる供 述部分をターゲット供述とし、それぞれの供述部分に表れるスキーマ、すなわち反復的に観察される供述者特有の体験語りの様式に着目して供述の特徴を明らかにした上で、ターゲット供述における非体験性兆候(体験記憶を適切に反映していない可能性を示唆する兆候)の存否等について検討するものとされている。 イ Q・R鑑定は、H及びIの各供述について、基本的には「HとIが救出現場に到着し、その場所を去ってD宅に到着するまで」の場面及び「HとIがD宅に到着し、その場所を去ってH宅に到着するまで」の場面に関する供述をターゲット供述とした上で、要旨、①A第1次再審請求におけるH及びIの各証人尋問調書を分析すると、供述の全体的傾向として、両名共にターゲット供述において供述への参加様式が消極的なものになる傾向があり、「情報付加あり供述」(尋問者の質問に含まれない新情報を含む供述)の内容を具体的に検討しても、両名のターゲット供述及びHのベースライン供述のうちDと自身との間の何らかの関係を説明する必要のある事項に係る供述については、同人との相互行為に関する説明の欠如が見られるなど供述が消極化している一方で、それ以外の事項については、ある程度具体的で複雑な供述がなされている、②H及びIの捜査段階の各供述調書を分析すると、ターゲット供述については、Dの行為に関する描写が受動的で希薄であり、特に、同人方に到着した後に同人が一人で立ったり玄関の中に入 雑な供述がなされている、②H及びIの捜査段階の各供述調書を分析すると、ターゲット供述については、Dの行為に関する描写が受動的で希薄であり、特に、同人方に到着した後に同人が一人で立ったり玄関の中に入っていったりしたという自発的な行為をした場面でも、同人との間の言語的なやり取り等は一切供述されておらず、同人との相互行為に関する供述が希薄である上、Iの供述には変遷があり、HとIの各供述の間には齟齬も見られる、③このようなH及びIの各供述の特徴は、Dと直接的な接触のあった出来事に関する非体験性兆候として捉えることができる、などとする(以下、従前の再審請求で提出された鑑定と区別するため、Q・R鑑定のうちH及びIの各供述に係る部分を指して「Q・R第3鑑定」ともいう。)。 ウまた、Q・R鑑定は、Aの供述について、A第1次再審請求の請求人尋問調書、捜査段階の供述調書等を分析した結果として、要旨、11月24日付け警察官調書(第1次再弁78。なお、弁16の2はそのテキストデータとして提出された もの)においてのみ、D方でのAとIの行為、10月12日夜にC方を訪問したエピソードにつき、他者の行為の不在と供述の変遷という非体験性兆候が認められるが、その余の供述には、注目すべき傾向は確認されず、非体験性兆候は認められなかった、とする(以下、Q・R鑑定のうちAの供述に係る部分を指して「Q・R第4鑑定」ともいう。)。 Q・R鑑定の証明力等についてア Q・R鑑定の証明力を検討する前提として、その鑑定としての性質や分析の対象等について、以下のような点が指摘できる。 Q・R鑑定が用いたスキーマ・アプローチの手法は、前記のとおり、分析の対象とした各人の供述に現れる、供述者に特有の体験語りの様式に着目して、その供述の特徴を分析するものとされ が指摘できる。 Q・R鑑定が用いたスキーマ・アプローチの手法は、前記のとおり、分析の対象とした各人の供述に現れる、供述者に特有の体験語りの様式に着目して、その供述の特徴を分析するものとされており、Q・R鑑定は、その検討の過程において、他の関係証拠の内容や、供述自体には現れない外在的事情等を考慮に入れてはいない。そのようなQ・R鑑定の鑑定としての性質に照らすと、同鑑定は、裁判所に対し、同鑑定の指摘する点も踏まえて供述の信用性判断を適切に行うよう促す役割を有するにとどまるものといえ、同鑑定自体も、スキーマ・アプローチによる分析は、供述の虚偽性等の最終的な判断をするものではなく、裁判所による供述の信用性についての総合的な判断をサポートする役目を果たすものである旨言及している。そうすると、Q・R鑑定は、その証明力が肯定されたとしても、分析の対象とされた供述の信用性を直ちに減殺又は増強するものとはいえず、その証明力はそもそも限定的なものといわざるを得ない。 Q・R鑑定では、スキーマ・アプローチの手法に適するとされる供述の逐語記録である証人尋問調書を対象とした分析を補充するものとして、捜査段階の供述調書についても分析の対象とされている。しかし、捜査段階の取調べにおいては、その目的等に応じ、供述者から聴取する事項が取捨選択され、聴取された事項がすべて供述調書に記載されるとは限らず、記載されたとしても適宜要約されることもあるところ、Q・R鑑定は、供述調書をも対象として分析を行うに際し、前記のよ うな供述調書の作成過程や特性を適切に考慮しているものとはいい難い。 また、そもそもQ・R第3鑑定が分析の対象としたH及びIの各供述のうち、A第1次再審請求における各証人尋問調書は、当然ながら各確定審では取り調べられていないか 考慮しているものとはいい難い。 また、そもそもQ・R第3鑑定が分析の対象としたH及びIの各供述のうち、A第1次再審請求における各証人尋問調書は、当然ながら各確定審では取り調べられていないから、仮にQ・R第3鑑定の証明力が肯定されたとしても、同鑑定のうち専ら前記各証人尋問調書に係る供述について論じる部分は、各確定判決の事実認定に影響を及ぼすものではない。 また、S第2鑑定に関して述べたのと同様の理由から(前記4ア)、A第1次再審請求における請求人尋問調書やAの捜査段階の供述調書等を分析の対象とするQ・R第4鑑定の分析、評価が各確定判決において有罪認定の基礎とされた旧証拠の証明力に及ぼす影響はそもそも想定し難い。弁護人は、Q・R第4鑑定は、生きているDを同人方の玄関の土間に放置して退出したというH及びIの各供述の信用性を大幅に減殺している旨主張するが、Q・R第4鑑定は、H及びIの各供述の特徴について、間接的にも分析、評価を加えるような内容とはなっておらず、H及びIの前記各供述の信用性を減殺するものとはいえない。 イ Q・R第3鑑定は、H及びIの各供述について、Dとの相互行為に関する供述が欠如していることや、同人の行為に関する描写が受動的で希薄であることなどを指摘し、これらの特徴は同人と直接的な接触のあった出来事に関する非体験性兆候として捉えられる旨指摘する。 しかし、Q・R第3鑑定は、例えばどの程度の詳細な供述がなされていれば非体験性兆候と認められないのか、何をもって相互作用に関する供述がなされたといえるのかといった点について具体的な基準や枠組みを示しているとはいえないし、個々の供述部分についての検討に係る記載を見てもそのような基準や枠組みを見出すことはできず、非体験性兆候と捉え得る供述の特徴を抽出する過程において、 て具体的な基準や枠組みを示しているとはいえないし、個々の供述部分についての検討に係る記載を見てもそのような基準や枠組みを見出すことはできず、非体験性兆候と捉え得る供述の特徴を抽出する過程において、分析者の主観、恣意等をどのように排除しているか明らかではない。 また、Dは、H及びIに発見された時点では、前後不覚の状態で道路上に横たわり、少なくとも同人らの手助けを借りなければ一人で立つことも軽トラックの荷台 に乗ることもできない状態であり、D方に到着した後も、H及びIの手助けにより荷台から降ろされ、どうにか一人で立ってD方に入って行く状態だったというのであるから、そもそも同人に見るべき能動的行為がなかったのは言わば当然のことであり、H及びIにおいて、そのような状態のDに対して一方的な手助けを行うにとどまり、相互作用が生じるような言語的、身体的な働きかけをしなかったというのも不自然とはいえない。 この点、Q・R第3鑑定は、①D方に到着した後、同人は一人で立って玄関の中に入って行くという自発的、自律的な行為をしているところ、そのような大きな変化があったにもかかわらず、HとIのリアクションが乏しく対応する相互行為につき供述されていない点は、非体験性兆候として捉えられる、②意識朦朧又は不明の状態に陥っているDを実際に救助した場合には、意識が明瞭な者を相手にした場合とは異なる込み入った身体的相互行為や言語的な働きかけが必要となる場合が多いから、Dが意識朦朧又は不明の状態にあったためにH及びIのDに関する供述の消極性につながったというのは考え難い、などと指摘する。しかし、①の点については、Dが同人方に到着した後にどうにか一人で立つなどしたからといって、H及びIがそれをDの容態の大きな変化として捉えることが当然とはいえず、時間の経過に 難い、などと指摘する。しかし、①の点については、Dが同人方に到着した後にどうにか一人で立つなどしたからといって、H及びIがそれをDの容態の大きな変化として捉えることが当然とはいえず、時間の経過に伴う酩酊状態の多少の変化という程度に捉えたことも十分に考えられるから、同人の身体を支えるなどの必要な手助け以外に同人との間の相互的なやり取りが供述されていないからといって、それを非体験性兆候というのは無理があるといわざるを得ない。②の点についても、飲酒酩酊した者の世話をする際にどのような身体的、言語的働きかけを行うかはその時々の状況や従前の相互の関係等により様々であるというほかなく、Q・R第3鑑定の指摘は必ずしも当を得たものとはいえない。 結局、Q・R第3鑑定がH及びIの各供述について非体験性兆候として指摘する点は、説得的な根拠に基づくものとはいい難い。 ウ以上によれば、Q・R鑑定のうち、Q・R第4鑑定については、およそ有罪認定の基礎とされた旧証拠の証明力を減殺するものとはいえない。Q・R第3鑑定 についても、そもそもH及びIの各供述の信用性を直ちに減殺するような性質のものとはいえない上、前記アで指摘した分析の対象に関する問題点や、前記イで指摘した鑑定の手法、内容等に関する問題点も踏まえると、H及びIの各供述を含む旧証拠の証明力を減殺するものとはいえない。 6 結論N鑑定、S鑑定及びQ・R鑑定について、それぞれ証明力及び旧証拠の証明力に及ぼす影響は前記3ないし5に示したとおりであり、これらの検討に照らせば、N鑑定、S鑑定及びQ・R鑑定の内容を総合して考慮したとしても、H及びIの各供述の信用性が減殺されるとはいえず、B、C及びFの各自白並びにGの供述の信用性を支えている前記第4の1に掲げた客観的状況からの事実の推認は左右さ 鑑定の内容を総合して考慮したとしても、H及びIの各供述の信用性が減殺されるとはいえず、B、C及びFの各自白並びにGの供述の信用性を支えている前記第4の1に掲げた客観的状況からの事実の推認は左右されない。そうすると、N鑑定がJ旧鑑定の証明力に及ぼす影響を踏まえても、これらの事実によって支えられ、かつ大筋において相互に整合するB、C及びFの各自白並びにGの供述の信用性が減殺されるともいえない。したがって、N鑑定、S鑑定及びQ・R鑑定は、その内容を総合して考慮しても、客観的状況から推認できる事実とB、C及びFの各自白並びにGの供述とがあいまって罪となるべき事実等が認定されている各確定判決の判断に動揺を生じさせるとはいえない(なお、弁護人の主張には、本件各再審請求で提出された新証拠の立証命題と離れたところでB、C及びFの各自白並びにGの供述が信用できない旨主張していると解される部分も含まれるが、前記のとおりその信用性を支えている事実の推認が左右されないことを踏まえると、これらの主張も、前記各自白及び供述の信用性は減殺されないとの前記判断を左右するものとはいえない。)。 以上を前提とすれば、本件各再審請求において弁護人が提出したN鑑定、S鑑定及びQ・R鑑定を含む新証拠は、他の全証拠と併せて総合的に評価しても、各確定判決の事実認定に合理的な疑いを抱かせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠とはいえず、刑訴法435条6号にいう、無罪を言い渡すべき明らかな証拠には当たらない。 第6 結語よって、本件各再審請求はいずれも理由がないから、同法447条1項により、これらを棄却することとして、主文のとおり決定する。 令和4年6月22日鹿児島地方裁判所刑事部 裁判長裁判官中田 ら、同法447条1項により、これらを棄却することとして、主文のとおり決定する。 令和4年6月22日鹿児島地方裁判所刑事部 裁判長裁判官中田幹人 裁判官冨田環志 裁判官此上恭平 (別紙)弁護人目録 森雅美(主任)小豆野貴昭井口貴博泉武臣井上順夫岩本研小山内友和亀田德一郎鴨志田祐美木村亮介藏前有代黒木健太下之薗優貴白鳥努末永睦男関塚明子竹山真美中田幸雄中山和貴永仮正弘永里桂太郎本田晴久本間大寿前田昌宏増山洋平増田博向和典村山耕次郎本木順也保澤享平畝原孝明金丸祥子川谷慎一郎久保山博充五嶋俊信後藤好成橘潤谷口渉年森俊宏中島多津雄成見幸子成見正毅西田隆二速水渉増田良文宮路真賢山田秀一山田卓山田文美河合郁北川貴史木谷明後藤愛佐藤博史須藤泰宏亀石倫子田上雅之南谷博子武藤糾明八尋光秀奥田律雄 木谷明後藤愛佐藤博史須藤泰宏亀石倫子田上雅之南谷博子武藤糾明八尋光秀奥田律雄樋口聡子國定勇斗中込竜司

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