- 1 -平成26年4月15日判決言渡平成25年(行ウ)第33号難民不認定処分取消等請求事件 主文 1 法務大臣が平成21年8月21日付けで原告に対してした難民の認定をしない旨の処分を取り消す。 2 東京入国管理局長が平成21年9月3日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない旨の処分は無効であることを確認する。 3 東京入国管理局成田空港支局主任審査官が平成21年9月3日付けで原告に対してした退去強制令書発付処分は無効であることを確認する。 4 訴訟費用は被告の負担とする。 事実 及び理由第1 請求主文1項から3項までと同旨第2 事案の概要本件は,アンゴラ共和国(以下「アンゴラ」という。)の国籍を有する外国人男性である原告が,出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)61条の2第1項に基づき難民認定の申請(以下「本件難民認定申請」という。)をしたところ,法務大臣から,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件不認定処分」という。)を受けるとともに,東京入国管理局長(以下「東京入管局長」という。)から,入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない旨の処分(以下「本件在特不許可処分」という。)を受け,さらに,東京入国管理局成田空港支局(以下「成田空港支局」という。)主任審査官から,退去強制令書(以下「本件退令書」という。)の発付処分(以下「本件退令処分」という。)を受けたことから,本件不認定処分は原告の難民該当性の判断を誤ってされた違法なものであるなどとして,本件不認定処分の取消し並びに本件在特不許可処分及び - 2 -本件退令処分の無効確認を求めている事案である。 1 関係法令の定め本件の関係法令の定めは,別 た違法なものであるなどとして,本件不認定処分の取消し並びに本件在特不許可処分及び - 2 -本件退令処分の無効確認を求めている事案である。 1 関係法令の定め本件の関係法令の定めは,別紙2関係法令の定め記載のとおりである(別紙2で定義した略語は,本文においても用いることとする。)。 2 前提事実(証拠等を掲げていない事実は,当事者間に争いのない事実である。)(1) 原告の身分関係原告は,1963年(昭和38年)11月4日,アンゴラにおいて出生したアンゴラ国籍を有する外国人男性である。 (2) 原告の入国及び在留状況ア原告は,平成21年7月12日,成田国際空港(以下「成田空港」という。)に到着し,成田空港支局において,渡航目的を「商用」として上陸許可申請をしたが,同申請に疑義を持った成田空港支局入国審査官が口頭審理を実施したところ,同入国審査官に対し,入管法18条の2第1項の規定に基づき,一時庇護のための上陸許可申請(以下「本件許可申請」という。)をした。(乙2,4ないし6)イ成田空港支局入国審査官は,本件許可申請を不許可とする処分をし,平成21年7月15日,原告に対し,これを通知するとともに,同日発の航空便で本邦から出国するように求めたが,原告は,同航空便に搭乗することなく本邦にとどまり,もって本邦に不法上陸するに至った。(乙7,弁論の全趣旨)ウ原告は,平成22年8月18日,居住地を「横浜市α×番地1○303」とする外国人登録法(平成21年法律第79号による廃止前のもの。以下「外登法」という。)3条1項に基づく新規登録の申請をし,平成22年10月19日,その旨の登録を受けた。また,原告は,同年11月5日,居住地を「東京都豊島区β×番9号○104号」とする外登法8条1項に基づく変更登録を受けた。(乙 づく新規登録の申請をし,平成22年10月19日,その旨の登録を受けた。また,原告は,同年11月5日,居住地を「東京都豊島区β×番9号○104号」とする外登法8条1項に基づく変更登録を受けた。(乙3) - 3 -(3) 原告の退去強制手続ア成田空港支局入国警備官は,平成21年7月15日,原告が入管法24条2号(不法上陸)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受け,同収容令書を執行して,原告を成田空港支局収容場に収容した上,原告に対し違反調査を実施し,その結果,同月16日,原告を同号該当容疑者として,成田空港支局入国審査官に引き渡した。(乙8ないし10)イ成田空港支局入国審査官は,平成21年7月16日及び同月17日,原告に対し違反審査を実施し,その結果,原告が入管法24条2号に該当する旨の認定をし,原告にその旨通知したところ,原告は,同日,特別審理官に対し口頭審理の請求をした。(乙11ないし13)ウ成田空港支局特別審理官は,平成21年7月23日,原告に対し口頭審理を実施し,その結果,入国審査官による上記イの認定に誤りはない旨判定し,原告にその旨通知したところ,原告は,同日,法務大臣に対し,入管法49条1項の規定に基づく異議の申出をした。(乙14ないし16)エ成田空港支局主任審査官は,平成21年7月31日,原告の収容場所を入国者収容所東日本入国管理センター(以下「東日本センター」という。)に変更し,成田空港支局入国警備官は,同日,収容令書を執行して,原告を東日本センターに収容した。(乙8〔2枚目〕)オ法務大臣から権限の委任を受けた東京入管局長は,平成21年9月2日,原告の前記ウの異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をし,成田空港 ターに収容した。(乙8〔2枚目〕)オ法務大臣から権限の委任を受けた東京入管局長は,平成21年9月2日,原告の前記ウの異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をし,成田空港支局主任審査官に対し,これを通知した。(乙17,18)カ成田空港支局主任審査官は,平成21年9月3日,原告に対し本件裁決を通知するとともに,アンゴラを送還先とする本件退令処分をし,成田空港支局入国警備官は,同日,東日本センターにおいて,原告に対し,本件 - 4 -退令書を示し,これを執行した。(乙19,20)キ原告は,平成22年7月13日,東日本センター所長から仮放免の許可を受けて,東日本センターを出所した。(乙20,21)(4) 原告の難民認定手続ア 1回目の難民認定申請(本件難民認定申請)(ア) 原告は,平成21年7月21日,法務大臣に対し本件難民認定申請をした。(乙22)(イ) 成田空港支局難民調査官は,平成21年7月30日,原告から事情の聴取(以下「本件事情聴取」という。)をした。(乙23)(ウ) 東京入管局長は,平成21年7月30日,入管法61条の2の4第1項9号に該当することを理由として,本件難民認定申請に係る原告の仮滞在を不許可とし,原告にその旨通知した。(乙24)(エ) 法務大臣は,平成21年8月21日,本件難民認定申請について,難民の認定をしない旨の本件不認定処分をし,東京入管局長は,同年9月3日,入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない旨の本件在特不許可処分をし,同日,原告にこれらの各処分を通知したところ,原告は,同月4日,法務大臣に対し,本件不認定処分について異議申立て(以下「本件異議申立て」という。)をした。(乙25ないし27)(オ) 東京入国管理局(以下「東京入管」 処分を通知したところ,原告は,同月4日,法務大臣に対し,本件不認定処分について異議申立て(以下「本件異議申立て」という。)をした。(乙25ないし27)(オ) 東京入国管理局(以下「東京入管」という。)難民調査官は,平成23年11月15日,原告に対し,原告の口頭意見陳述手続(以下「本件意見陳述」という。)及び難民審査参与員による審尋(以下「本件審尋」という。)を実施した。(乙30)(カ) 法務大臣は,平成24年6月29日,本件異議申立てを棄却する旨の決定をし,同年7月27日,原告にその旨通知した。(乙31)イ 2回目の難民認定申請(乙1) - 5 -(ア) 原告は,平成24年7月30日,法務大臣に対し,再度,難民認定申請をした。 (イ) 東京入管局長は,平成24年8月22日,上記(ア)の難民認定申請に係る原告の仮滞在を不許可とし,同日,原告にその旨を通知した。 (ウ) 東京入管難民調査官は,平成25年1月22日,原告から事情の聴取をした。 (エ) 法務大臣は,平成25年2月25日,前記(ア)の難民認定申請について,難民の認定をしない旨の処分をし,東京入管局長は,同月28日,入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない旨の処分をし,同年3月19日,原告にこれらの処分を通知した。 (5) 本件訴えの提起原告は,平成25年1月23日,本件訴えを提起した。(顕著な事実) 3 争点(1) 本件不認定処分の違法性(原告の難民該当性)(2) 本件在特不許可処分の無効事由の有無(3) 本件退令処分の無効事由の有無 4 争点に関する当事者の主張(1) 争点(1)(本件不認定処分の違法性)について(原告の主張)ア難民の意義等(ア) 難民の要件の解釈や難民該当性に関する判断に当たっては,国連難民 4 争点に関する当事者の主張(1) 争点(1)(本件不認定処分の違法性)について(原告の主張)ア難民の意義等(ア) 難民の要件の解釈や難民該当性に関する判断に当たっては,国連難民高等弁務官事務所(以下「UNHCR」という。)が公表している「難民認定基準ハンドブック」(以下「ハンドブック」という。)やガイドラインを解釈上の重要な指針として取り扱うべきである。 (イ) 難民条約1条にいう「迫害」については,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧と狭義にのみ解するのは相当でなく,その他の自由権や社会 - 6 -権が侵害され,出身国における生活が耐え難い状況をもたらす場合をも含むものというべきである。 また,同条にいう「十分に理由のある恐怖」の判断に当たっては,主観的事情と客観的事情の両方の要素を考慮しなければならないとされているところ,この客観的事情があるというためには,出身国の状況と個別事情を併せて考慮した結果,当該人が迫害を受ける合理的な可能性があることが必要であり,かつ,これをもって足りるものであり,当該政府が特に当該人を迫害の対象としていることが明らかである事情までは要しないというべきである。 (ウ) UNHCRにおいては,主に証拠の提出及び調査の在り方の場面において,原則として申請人に証拠を提出する責任があるとしながらも,申請に関する事実,特に出身国の人権状況に関する証拠については,認定機関も資料を収集すべきであるとする。また,上記「十分に理由のある恐怖」の要件における客観的事情は,それが通常人が迫害の恐怖を抱くかどうかという規範的要件であることからすれば,申請者がその評価を基礎付ける評価根拠事実について,行政庁がその評価を妨げる評価障害事実について,それぞれ立証責任を負うこととなるというべきである。 イ どうかという規範的要件であることからすれば,申請者がその評価を基礎付ける評価根拠事実について,行政庁がその評価を妨げる評価障害事実について,それぞれ立証責任を負うこととなるというべきである。 イ原告の難民該当性(ア) アンゴラの一般情勢a アンゴラの政治情勢アンゴラは,1975年(昭和50年)11月にポルトガル共和国(以下「ポルトガル」という。)から独立した。アンゴラでは,P1が政権を奪取し,それ以降も,P1と反政府勢力であるP2との間で内戦状態が継続したが,2002年(平成14年)4月にP1とP2との間で停戦が合意されたことにより内戦が事実上終結し,2008年(平成20年)9月には内戦終了後初の国政選挙が実施され,与党 - 7 -であるP1が圧倒的な勝利を収めた。もっとも,この選挙においては,深刻な不正行為が行われており,特にアンゴラの首都ルアンダにおいて顕著であったとされている。 b カビンダの独立運動の情勢アンゴラのカビンダ州(以下「カビンダ」という。)は,コンゴ川の河口及びコンゴ民主共和国の国土の一部によりアンゴラ本土から切り離された,いわゆる飛び地である。 カビンダにおいては,1960年(昭和35年)にポルトガルからの独立を求める組織が結成されていたところ,1963年(昭和38年)にP3が結成された。 P3は,P1が1975年(昭和50年)11月に政権を奪取した後,カビンダのアンゴラからの独立を求めるようになったが,1970年代後半から1980年代前半にかけて分裂し,武装部門であるP4や,P5が率いるP6が結成された。1996年(平成8年)にはP1とP4との間で停戦が合意されたが,すぐに破棄され,その後も武力衝突が継続し,その後,P1が,P2との間で停戦合意を成立させた2002年(平成14年) 6が結成された。1996年(平成8年)にはP1とP4との間で停戦が合意されたが,すぐに破棄され,その後も武力衝突が継続し,その後,P1が,P2との間で停戦合意を成立させた2002年(平成14年)以降,カビンダにアンゴラ共和国軍(以下「FAA」という。)を増派して掃討作戦を強化したことから,P4は弱体化することになった。その後,2004年(平成16年)にP3とP4が合併するとともに,2006年(平成18年)には,P7の議長であるP5により,P1との間で停戦合意が締結されたが,この合意は,P5以外の他のP3各派が協議から除外され,カビンダの住民の支持も得られず,カビンダにおける信頼性を欠いたため,同年以降も,FAAとP3との武力衝突が散発的に継続している。 なお,被告は,P3の組織の勢力について約600人であると主張するが,その勢力については,数百人から数千人という情報があるの - 8 -であり,その人数を特定することは困難である。また,停戦合意後のP3の活動については,上記のとおり,アンゴラ政府に対する反政府活動又はFAAとの戦闘とみるのが相当であり,P3がテロ活動を展開している旨の被告の主張は,出身国情報に反する。 c アンゴラにおけるP3のメンバーの状況等アンゴラの治安当局である国家警察,国家情報局及びFAAは,2002年(平成14年)以降,P3のメンバーや市民に対する広範な人権侵害,すなわち,P3のメンバーや支援者と疑われた者に対する処刑,女性や少女に対する強姦や強制結婚,恣意的な拘禁,拷問やその他の虐待,強制労働,農地,河川又は狩猟地の利用の過剰な制限を行ってきたものであり,このような人権侵害は,2006年(平成18年)にP7とP1との間で停戦合意が締結されてからも継続している。アンゴラの収容施設の状況は過酷で 河川又は狩猟地の利用の過剰な制限を行ってきたものであり,このような人権侵害は,2006年(平成18年)にP7とP1との間で停戦合意が締結されてからも継続している。アンゴラの収容施設の状況は過酷であり,生命に危険が及ぶこともあり,収容施設の職員が日常的に被収容者を殴打したり拷問したりしているとされており,また,過剰収容や,医療体制,衛生,飲料水,食事等がないことにより,2008年(平成20年)には収容施設で相当数の被収容者が死亡したとされている。 (イ) 原告の個別事情a 原告は,アンゴラのウイジェ州マケラ・ゾンボで出生した後,2歳の時に,両親の出生地であるカビンダに移り,カビンダにおいて成育した。原告の両親は既に死亡し,現在,実弟2人,内妻及び実子2人がルアンダに居住している。 b 原告の父は,カビンダで出生し,食料雑貨販売の会社を営むカビンダの有力な実業家であったが,P3に多額の財政的支援をするなどの活動も行い,P3の有力な支援者としての立場にもあったところ,1990年(平成2年)頃,P3に協力していたことを理由にカビンダ - 9 -で逮捕されて刑務所に収監され,1994年(平成6年)に刑務所内で死亡した(遺体に外傷はないものの膨張していたため,毒殺されたのではないかと疑われている。)。 c 原告は,15歳の時からP3の活動に参加するようになり,1982年(昭和57年)に高等学校を卒業した後,父の経営する会社を手伝いながら,P3のγ地区の青年部で活動し,1995年(平成7年)には同青年部の責任者となり,1997年(平成9年)には同地区全体の責任者となり,スポーツイベントなどの形式で集会を開催してカビンダの独立の必要性を訴えるプロパガンダ活動を行ったり,同地区内の情報を中央委員会のカビンダのコーディネータに報告した )には同地区全体の責任者となり,スポーツイベントなどの形式で集会を開催してカビンダの独立の必要性を訴えるプロパガンダ活動を行ったり,同地区内の情報を中央委員会のカビンダのコーディネータに報告したり,コーディネータからの指示を同地区の他のメンバーに伝達したりしていた。 原告は,2003年(平成15年),カビンダからルアンダに移り,コンピュータ関係の会社を設立して経営するとともに,同年から2007年(平成19年)にかけて,P3の中央委員会のルアンダのコーディネータの指示を受けながら,集会を開催してカビンダの独立の必要性を訴えるプロパガンダ活動を行い,2008年(平成20年)には,コーディネータの指示を受けながら,同年9月の国政選挙において野党であるP2を支援するため,その選挙活動に協力していた。 d 原告は,2009年(平成21年)2月14日,自宅において,突然,逮捕状を示されることも逮捕の理由を告げられることもないまま,警察官に逮捕され,国家犯罪捜査庁に連行された。原告は,国家安全保障罪の容疑をかけられ,P3のメンバーであるかどうかなどについて取調べを受け,その際,数回にわたり殴られるなどの暴力を受け,引き続き,2日間,食料だけでなく水すら与えられないまま留置された。その後,原告は,ルアンダの刑務所に移され,独房に収監されたが,そこにはベッドもトイレもなく,あてがわれたバケツに用を足す - 10 -ように指示され,当初の5日間は食事を与えられず,5日目になって初めてトウモロコシの粉と豆の煮込みが少量与えられたが,その後も不定期にしか食事を与えられなかった。そのような環境の中で,原告は,腸チフスを発病したため,同年5月18日,P8病院に移され,その後,P3の支援を受けて同病院から逃走し,P3のメンバーの自宅に匿われながら看 か食事を与えられなかった。そのような環境の中で,原告は,腸チフスを発病したため,同年5月18日,P8病院に移され,その後,P3の支援を受けて同病院から逃走し,P3のメンバーの自宅に匿われながら看護師の治療を受けた。 e 原告は,P3のメンバーに,アンゴラから空路で出国するように勧められてこれを決意し,P3のメンバーが2009年(平成21年)6月3日に日本大使館から取得した原告の査証を用いて,同年7月10日,ルアンダ空港から出国し,南アフリカ共和国及びシンガポール共和国を経由し,同月12日,本邦に到着した。 f 上記各事情を裏付ける原告の供述については,その相当部分が出身国の状況などの客観的な事実と符合し,また,その根幹部分において,本件許可申請時点から本件意見陳述及び本件審尋の時点に至るまで一貫しており,具体的かつ詳細な内容であり,自然かつ合理的なものであるから,信用性が高いというべきである。 g これに対し,被告は,原告の供述が疑わしい旨主張するが,以下の⒜ないし⒞のとおり理由がないというべきである。 ⒜ 原告がP3のメンバーであることに関し,① 原告は,アンゴラ政府との間の停戦合意から除外されているP9が率いるP3に属していた旨供述しているのであるから,アンゴラ政府との間で停戦合意がされたことを前提とする回答がないことをもって,原告がP3の組織についての説明をしていないということはできない。② P9が率いるP3の内部においても,アンゴラ政府に対する武力闘争を継続する立場と政治的な解決を目指す立場とが存在していることなどからすれば,P3のメンバーである原告が武力闘争を拒否して - 11 -交渉を望む旨の主張を有すること自体は,何ら不自然なことではなく,P3の組織の本質と整合しないということはできない。③ 原告の父は ,P3のメンバーである原告が武力闘争を拒否して - 11 -交渉を望む旨の主張を有すること自体は,何ら不自然なことではなく,P3の組織の本質と整合しないということはできない。③ 原告の父は,P3の軍事活動などには従事していなかったものの,カビンダだけでなくルアンダにおいても雑貨店を営む有力な実業家としてP3を経済的に支援し,P3が結成された当初又は間もない頃からP3のメンバーとしての活動をしていたものであり,原告が,このようなP3における原告の父の地位に関する供述を変遷させたことはない。④ P3は,近時は,独立ということを強調するため,国家を意味する「○」を含める名称を使用するなどしており,原告がP3の正式な名称と異なる名称を供述しているということもできない。⑤ P3の発行した信任状(乙30別紙2。以下「本件信任状」という。)は,本件異議申立て手続における代理人弁護士がP3のメンバーから電子メールで送付を受けたものであり,その入手経過に不自然なところもない。 ⒝ 原告の逮捕に関し,① 原告は,身柄を拘束されるに至った理由として,当初から,P3の内部における立場の違いが発端となって誰かに密告されたのではないかと考えている旨述べていたものであるし,また,一般に,治安当局が,非合法組織のメンバーとして逮捕した者に対し,逮捕に至った端緒を明らかにすることは考え難いことからすれば,原告が逮捕された具体的な根拠を述べていないことをもって,その供述に疑義があるということはできない。② アンゴラの治安当局は,2009年(平成21年)以前には,原告がP3に係る活動を公然と行っていたわけではないため,原告がP3のメンバーであり,P3の活動を行っていたことを認識していなかったものと考えられる。③ 官憲からの取調べの状況についても,原告は, 告がP3に係る活動を公然と行っていたわけではないため,原告がP3のメンバーであり,P3の活動を行っていたことを認識していなかったものと考えられる。③ 官憲からの取調べの状況についても,原告は,国家犯罪捜査庁に身柄を拘束された後,殴られるなどの暴行 - 12 -を受けながらP3のメンバーであるかどうかなどについて尋ねられたが,刑務所に移送されてからは取調べが行われていなかった旨,一貫した供述をしていたものである。 ⒞ その余の事情に関し,原告は,本邦に上陸しようとした経緯について,P3のメンバーから,UNHCRの人を探して連絡をとるように指示されていた旨一貫して供述していることに加え,上陸時に直ちに難民認定申請等をしなかったからといって,そのことによりその者が迫害の恐怖を抱いているという事情が存在しないことが事実上推認される旨の経験則は,一般的なものではない。 また,上記⒝のとおり,アンゴラの治安当局が,2009年(平成21年)以前には,原告がP3のメンバーであることを認識していなかったと考えられることからすれば,原告が同年以前に正規の旅券の発行を受けてコンゴ民主共和国に出入国していたからといって,そのことを理由に本国からの迫害のおそれを否定すべきことにはならない。 そして,原告は,P3のメンバーであることを理由として身体の自由を奪われていたものであるから,本国からの迫害のおそれがあることは明らかである。 (ウ) まとめ以上のアンゴラの一般情勢及び原告の個別事情のとおり,アンゴラの治安当局は,P3のメンバー若しくは支援者又はこれらに当たると疑われた者を弾圧し,恣意的に長期間にわたり拘禁したり,虐待,拷問,非人道的な取扱いをしたりするなど,上記の者らを取り締まる強固な意志を有しており,原告は,P3のメンバーとして, はこれらに当たると疑われた者を弾圧し,恣意的に長期間にわたり拘禁したり,虐待,拷問,非人道的な取扱いをしたりするなど,上記の者らを取り締まる強固な意志を有しており,原告は,P3のメンバーとして,カビンダの独立を訴えるプロパガンダ活動などの反政府活動をしていたところ,国家安全保障罪の容疑により国家犯罪捜査庁に逮捕されたものである。そうすると, - 13 -原告は,P3のメンバーであることを理由に,これを弾圧する目的で逮捕されたものであるということができる。 このような状況において,原告がアンゴラに帰国した場合,不当に拘禁されたり,虐待,拷問,非人道的な取扱いを受けたりするなどの迫害を受けるおそれがあることから,原告は,P3のメンバーとして反政府活動をしていたことを理由として,アンゴラ政府から迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有しているということができる。 ウよって,原告は,難民に該当するものであるから,原告を難民と認定しなかった本件不認定処分は,違法である。 (被告の主張)ア難民の意義等難民条約1条にいう「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味するものというべきである。難民条約及び難民議定書の基本趣旨は,生命や身体の自由が,人間の生存にとって根源的なものであるが故に,これらが危険にさらされている者に対して超国家的な庇護を与えることにあるのであって,それ以外の法益等は,国籍国の経済政策又は社会政策によって保護されるべき範囲や程度が異なるものであるから,我が国が国籍国に代わってこれを保護することは想定されていないというべきである。 また,難民条約1条にいう「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」という 異なるものであるから,我が国が国籍国に代わってこれを保護することは想定されていないというべきである。 また,難民条約1条にいう「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解されるところ,客観的事情は,単に迫害を受けるおそれがあるという抽象的な可能性が存するにすぎないといった事情では足りず,当該申請者について迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱 - 14 -くような個別的かつ具体的な事情,すなわち,当該政府が特に当該人を迫害の対象としていることが明らかになるような個別的で具体的な事情があることを要するものというべきである。 さらに,いかなる手続を経て難民の認定手続がされるべきかについては,難民条約には規定がなく,難民条約を締結した各国の立法政策に委ねられているところ,入管法61条の2第1項等の文理や,難民認定処分が,本質的には事実の確認ではあるものの,法務大臣により難民認定を受けていることが他の利益的取扱いを受けるための法律上の要件となっており(入管法61条の2の3,61条の2の11,61条の2の12),授益処分とみるべきものであることなどからすれば,申請者が,自らが難民に該当することについて主張立証責任を負うものというべきである。また,その立証の程度については,申請者である原告において,自己が難民であることについて「合理的な疑いを容れない程度の証明」をしなければならないものと解される。 なお,UNHCRのハンドブックやガイドラインは,締約国が難民条約を解釈するための補足的手段には該当しないというべきである。 合理的な疑いを容れない程度の証明」をしなければならないものと解される。 なお,UNHCRのハンドブックやガイドラインは,締約国が難民条約を解釈するための補足的手段には該当しないというべきである。 イ原告の難民該当性以下の事情を総合すれば,原告が,アンゴラにおいて,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱くような客観的事情が存するとは認められないから,原告が難民に該当するとは認められない。 (ア) アンゴラの一般情勢a アンゴラにおいては,1975年(昭和50年)11月11日にポルトガルから独立した後,P1とP2が対立し,内戦が断続的に続いていたが,両者が2002年(平成14年)4月4日に停戦協定を締結し,これにより27年にわたる内戦が終結したことから,反政府勢 - 15 -力の武装解除等も進み,国民和解・国家再建のプロセスが進展し,2003年(平成15年)6月,約21万人のアンゴラ難民の帰還事業が始まり,2008年(平成20年)9月には,P1が議会の選挙で最大多数の議席を獲得した。 b アンゴラ北部の飛び地であるカビンダにおいては,1960年代,カビンダの分離独立を目的とするP3が設立され,様々な派閥分裂を経て,P4及びP6の主要2派が存在することとなったところ,2003年(平成15年)にP4の主要幹部8名が政府側に投降したほか,2006年(平成18年)にはP6が政府との和平合意に応じたことから,カビンダにおける反政府活動はおおむね終結し,これらの組織は次第に弱体化の方向にあるが,組織の勢力は約600人であり,同年以後も約200人とされる残存勢力がテロ活動を展開している。 (イ) 原告の個別事情a 原告は,原告の難民該当性を基礎付 らの組織は次第に弱体化の方向にあるが,組織の勢力は約600人であり,同年以後も約200人とされる残存勢力がテロ活動を展開している。 (イ) 原告の個別事情a 原告は,原告の難民該当性を基礎付ける個別事情として,原告がアンゴラ政府当局による取締りの対象となっているP3に所属しており,2009年(平成21年)2月,P3に所属して反政府活動を行っていたことを理由にアンゴラ政府の警察官に逮捕され,2日間留置された後,刑務所に収容された旨主張する。 b⒜ しかし,原告は,① P3の組織について十分な説明ができておらず,② 武力闘争を否定する立場に立ち,P3の本質と整合しないなど,P3の地区の責任者であった者の供述としては不自然といわざるを得ない。また,③ P3の地区の責任者となった経緯の前提となる原告の父についての供述も信用できず,④ P3の正式名称についても明確な供述ができなかった。さらに,⑤ 原告が提出したP3身分証明書の真正にも疑義があることなどからすると,原告が,P3に所属し,地区の責任者として積極的な活動をしていた - 16 -とは認め難い。 ⒝ 原告は,① 逮捕された具体的な理由を述べるに至っておらず,② 逮捕前の生活状況等に鑑みると,原告がP3において5000人ものメンバーを束ねる地区責任者の地位にある者であることを理由に突然身柄拘束を受けるのも不自然である。また,③ 原告が,官憲から受けた尋問の内容についても具体性に乏しい曖昧な供述に終始していることなどからすると,原告が逮捕された旨の供述は到底信用できず,これを前提とする刑務所に収容された旨の供述もまた信用できない。 ⒞ また,原告の行動には切迫感,緊張感が見受けられない上,上陸審査手続及びそれに引き続いて行われたセカンダリ審査では,一貫して,商用目的で とする刑務所に収容された旨の供述もまた信用できない。 ⒞ また,原告の行動には切迫感,緊張感が見受けられない上,上陸審査手続及びそれに引き続いて行われたセカンダリ審査では,一貫して,商用目的で本邦に入国した旨を述べており,本国政府から迫害を受けるおそれがあったことについては何ら供述していなかったことからすれば,原告が,本国での迫害を逃れるため本国から出国したものであるということはできない。 さらに,原告が,2006年(平成18年)に,ルアンダにおいて,自ら手続をして正規の旅券の発行を受け,2007年(平成19年)にはこの旅券を使用してコンゴ民主共和国に渡航したことからすれば,原告が迫害のおそれを感じていたとは認められず,また,本国政府から反政府活動家として注視されていたということもできない。 仮に,原告がP3のメンバーであり,逮捕されたことが事実であったとしても,原告の供述する取調べ状況,尋問内容,P8病院への移送状況,移送後の面会状況によれば,原告が本国政府から殊更注視される状況に置かれていたとは認められない。 ウまとめ - 17 -したがって,原告を難民と認めることはできない以上,原告の難民認定申請を不許可とした本件不認定処分は適法である。 (2) 争点(2)(本件在特不許可処分の無効事由の有無)について(原告の主張)原告は,前記(1)(原告の主張)のとおり難民に該当するから,原告が難民でないことを前提としてされた本件在特不許可処分は,重大かつ明白な瑕疵があり,無効である。 (被告の主張)原告は,前記(1)(被告の主張)のとおり難民に該当せず,かつ,本邦に上陸するまで我が国と何らの関わりもなかった者であり,稼働能力を有する成人であることに鑑みても,原告について在留を特別に認めるべき積極的な理由は )(被告の主張)のとおり難民に該当せず,かつ,本邦に上陸するまで我が国と何らの関わりもなかった者であり,稼働能力を有する成人であることに鑑みても,原告について在留を特別に認めるべき積極的な理由は存しないというべきである。 よって,原告に対し在留特別許可を付与しない旨の東京入管局長の判断に裁量権の範囲の逸脱又は濫用はなく,本件在特不許可処分は,適法である。 (3) 争点(3)(本件退令処分の無効事由の有無)について(原告の主張)原告は,前記(1)(原告の主張)のとおり難民に該当するから,原告が難民でないことを前提としてされた本件退令処分は,重大かつ明白な瑕疵があり,無効である。 (被告の主張)退去強制手続において,法務大臣又は法務大臣から権限の委任を受けた地方入国管理局長(以下,併せて「法務大臣等」という。)から「異議の申出には理由がない」との裁決をした旨の通知を受けた場合,主任審査官は,速やかに退去強制令書を発付しなければならないのであって(入管法49条6項),退去強制令書を発付することについて全く裁量の余地はないところ,原告は,入管法24条2号に該当するものであるから,法務大臣に対する異 - 18 -議の申出に理由がなく,本件裁決が適法であることは明らかであり,そうである以上,本件退令処分も当然に適法であるというべきである。 また,原告は,前記(1)(被告の主張)のとおり難民に該当しないのであるから,原告をアンゴラに送還したとしても,難民条約33条1項の定めるノン・ルフールマン原則に反する余地はなく,送還先をアンゴラと指定している点についても何ら瑕疵はない。 第3 当裁判所の判断 1 争点(1)(本件不認定処分の違法性)について(1) 難民の意義等ア入管法2条3号の2は,入管法における「難民」の意義に 定している点についても何ら瑕疵はない。 第3 当裁判所の判断 1 争点(1)(本件不認定処分の違法性)について(1) 難民の意義等ア入管法2条3号の2は,入管法における「難民」の意義について,難民条約1条の規定又は難民議定書1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうものと規定しているところ,難民条約及び難民議定書の上記規定によれば,入管法にいう「難民」とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」をいうこととなる。 そして,上記にいう「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味するものと解するのが相当である(これに加え,その他の自由権や社会権が侵害され,出身国における生活が耐え難い状況をもたらす場合をも含む旨の原告の主張は理由がなく,採用することができない。)。また,上記にいう「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情があるだけでは足りず,通常人が当該人の立 - 19 -場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解するのが相当である。 イ難民の認定における立証責任の帰属については,入管法61条の2第1項が,法務大臣は,難民認定申請者が提出した資料に基づき,その者が難民である旨の認定を行うことができる旨規定しており,難民認定について難民認 定における立証責任の帰属については,入管法61条の2第1項が,法務大臣は,難民認定申請者が提出した資料に基づき,その者が難民である旨の認定を行うことができる旨規定しており,難民認定について難民認定申請者が資料を提出することを前提としている。また,難民認定を受けた者は,入管法61条の2の2第1項に基づき定住者の在留資格を取得できるなど,有利な法的地位が与えられることになるから,難民認定は,いわゆる授益処分に当たるものであるところ,一般に,授益処分については,その処分を受ける者が,根拠法令の定める処分要件が充足されていることについて立証責任を負担するものと解される。以上によれば,難民該当性の立証責任は,難民認定申請者にあると解するのが相当である。 以上の説示に反する原告の主張は,理由がなく,採用することができないし,また,原告の主張を踏まえても,その立証の程度を通常の場合と比較して緩和すべき理由はないといわざるを得ない。 ウ以上の見地から,以下では,アンゴラの一般情勢及び原告の個別事情を踏まえ,原告の難民該当性について検討する。 (2) アンゴラの一般情勢ア証拠(甲1,2,乙33,34)及び弁論の全趣旨によれば,アンゴラの情勢について,次の事実が認められる。 (ア) アンゴラは,南部アフリカに位置し,ナミビアとコンゴ民主共和国に挟まれ,南太西洋に面している。アンゴラの公用語は,ポルトガル語である。 (イ) アンゴラは,1975年(昭和50年)11月にポルトガルから独立し,P1が政権を奪取したが,それ以降も,P2がゲリラ戦を継続するなど,P1政権と反政府勢力のP2との内戦が継続し,2002年(平 - 20 -成14年)4月4日,P1とP2との間で停戦合意に関する覚書が署名され,27年にわたる内戦が事実上終結した。アンゴラ ど,P1政権と反政府勢力のP2との内戦が継続し,2002年(平 - 20 -成14年)4月4日,P1とP2との間で停戦合意に関する覚書が署名され,27年にわたる内戦が事実上終結した。アンゴラでは,その後,反政府勢力の武装解除,動員解除も進み,国民和解,国家再建のプロセスが進展しており,2008年(平成20年)9月には,内戦終了後初の国政選挙として,史上2度目の国会議員選挙が実施され,与党のP1が圧倒的勝利を収め,1979年以来大統領に就任するジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントス大統領が再任された。 (ウ) アンゴラ国内の経済は,長期にわたる内戦により極度に疲弊したものの,石油,ダイヤモンド等の鉱物資源に恵まれているほか,農業,漁業等の潜在能力も高く,高い経済成長率を維持している。アンゴラ政府は,石油依存型経済からの脱却を図るため,農林水産業,製造業の振興等の産業多角化も図っている。 イまた,証拠(甲2,4ないし6,乙32,33,35)及び弁論の全趣旨によれば,カビンダの情勢及びアンゴラにおけるP3のメンバーに関わる状況について,次の事実が認められる。 (ア) アンゴラの州の一つであるカビンダは,コンゴ川の河口とコンゴ民主共和国の国土の一部によって本土から切り離されており,いわゆる飛び地となっている。カビンダ人が話す言語について,カビンダに関するグローバルセキュリティーレポートによれば,カビンダ語がカビンダの公用語であるが,少なくとも,読み書きのできるカビンダ人の90%がフランス語を話し,ポルトガル語を話すのはわずか10%であるとされている。 (イ) カビンダにおいては,1963年(昭和38年)にポルトガルからの独立を主張する3つの主要な運動が合併してP3が結成された。P3は,P1が1975年(昭和50年)11月に政権 されている。 (イ) カビンダにおいては,1963年(昭和38年)にポルトガルからの独立を主張する3つの主要な運動が合併してP3が結成された。P3は,P1が1975年(昭和50年)11月に政権を奪取した後,カビンダのアンゴラからの独立を求める活動をするようになったが,197 - 21 -0年代後半から1980年代前半にかけて分裂し,武装部門であるP4や,P5が率いるP6が結成された。P1は,P2との間で停戦合意が成立した2002年(平成14年)以降,カビンダでの掃討作戦を強化してP4を弱体化させ,2003年(平成15年)にはP4の幹部が複数名政府側に投降した。その後,2004年(平成16年)にP3とP4が合併するとともに,2006年(平成18年)には,P6の前指導者でありP7の議長でもあるP5により,P1との間で停戦合意が締結されたが,この合意は,P5以外の他のP3各派が協議から除外され,カビンダの住民の支持も得られず,カビンダにおける信頼性を欠いたため,同年以降も,FAAとP3との武力衝突が散発的に継続している。 P9率いるP3は,カビンダの分離,独立を目指して反政府活動を続けており,2010年1月,カビンダを通過中のトーゴ代表サッカーチームの車列を襲撃して死傷者を出し,アンゴラ治安当局を狙ったものである旨表明した。同年7月には,P3の一部の幹部がアンゴラ政府に和平交渉を申し入れたものの,P9がアンゴラ政府との和平交渉を拒否したとされている。 (ウ) 英国国境局が2009年(平成21年)6月1日に公表した「オペレーショナル・ガイダンス・ノート・アンゴラ」によれば,アンゴラ政府の治安当局である国家警察,国家情報局及びFAAは,2002年(平成14年)以降も,P3のメンバーや市民に対する広範な人権侵害,すなわち,P3の ガイダンス・ノート・アンゴラ」によれば,アンゴラ政府の治安当局である国家警察,国家情報局及びFAAは,2002年(平成14年)以降も,P3のメンバーや市民に対する広範な人権侵害,すなわち,P3のメンバーやその支援者と疑われた者に対する処刑,女性や少女に対する強姦や強制結婚,恣意的な拘禁,拷問やその他の虐待,強制労働,農地,河川又は狩猟地の利用の過剰な制限を行ってきたものとされている。このような人権侵害は,2006年(平成18年)にP7とP1との間で停戦合意が締結されてからも継続しており,米国国務省の2010年(平成22年)3月11日付け「人権状況報告2009・ - 22 -アンゴラ」によれば,治安部隊は,P3の活動をし,又はこれに協力していると疑われる者をカビンダやルアンダの軍や監獄に隔離して拘束したとされている。そして,人権団体であるヒューマン・ライツ・ウォッチが,2009年(平成21年)6月22日に発表した「カビンダにおける軍事拘禁,拷問及び適正手続の欠如」と題するレポート及び2010年(平成22年)1月に発表した「2010年ワールドレポート」によれば,カビンダにおいて,2007年(平成19年)9月から2009年(平成21年)3月までにかけて,アンゴラ軍部及び諜報員により逮捕された少なくとも38名の者が,軍部の留置所内で拷問及び残虐又は非人間的な扱いを受け,公正な裁判を受ける権利だけでなく,適正手続の基本的な権利さえも否定され,拘留者は,当局により,分離派反対運動と関係したカビンダの武装対立グループに関与した罪で告訴されたとされたり,2007年(平成19年)9月以降,軍部が40名を超える反政府運動の容疑者を恣意的に逮捕し,容疑者のほとんどが,長期間の隔離拘禁中に,自白の強要を目的とした拷問と虐待を受けたと主張し,容疑 れたり,2007年(平成19年)9月以降,軍部が40名を超える反政府運動の容疑者を恣意的に逮捕し,容疑者のほとんどが,長期間の隔離拘禁中に,自白の強要を目的とした拷問と虐待を受けたと主張し,容疑者は最終的に一般刑務所に移送され,「国家の安全に対する犯罪」と関連するその他の犯罪で起訴され,複数の訴訟で適正手続の権利が拒否されたものとされたりしている。 上記米国国務省の報告書によれば,アンゴラの収容施設の状況は過酷であり,生命に危険が及ぶこともあり,収容施設の職員が日常的に被収容者を殴打したり拷問したりしているとされており,また,過剰収容や,医療体制,衛生,飲料水,食事等がないことにより,収容施設で相当数の被収容者が死亡したとされている。 (エ) なお,アンゴラの経済は石油分野に大きく依存し,アンゴラ国内総生産のおよそ半分に当たり,輸出高の90%以上を占めるところ,カビンダは,アンゴラの石油の半分以上を生産し,外国為替収入の大半を占 - 23 -めている。 ウ以上の事実によれば,アンゴラは,独立以来27年間にわたり,P1政権と反政府勢力のP2との間で内戦が続き,国内経済も疲弊していたものの,2002年(平成14年)に内戦が事実上終結し,反政府勢力の武装解除等が進み,国民和解,国家・経済再建に向けた努力が続けられていたところ,本件不認定処分がされた2009年(平成21年)8月には,その前年に議会の選挙が実施されるなど,国家運営が安定しつつあったということができる。 しかし,そのようなアンゴラの一般情勢の下でも,カビンダにおいては,P1が,2002年(平成14年)の内戦終結後,掃討作戦を強化し,2006年(平成18年)にP5とP1との間で停戦合意が締結された後も,同合意がカビンダにおける信頼性を欠いていたため,FAAとP3と P1が,2002年(平成14年)の内戦終結後,掃討作戦を強化し,2006年(平成18年)にP5とP1との間で停戦合意が締結された後も,同合意がカビンダにおける信頼性を欠いていたため,FAAとP3との武力衝突が散発的に継続しているところ,アンゴラ政府の治安当局が,2002年(平成14年)以降も,P3のメンバーやその支援者と疑われた者に対する恣意的な拘禁,拷問等の人権侵害をし,2009年(平成21年)の人権状況としては,治安部隊が,P3の活動をし,又はこれに協力していると疑われる者をカビンダやルアンダの軍や監獄に隔離して拘束したとされ,2007年(平成19年)から2009年(平成21年)3月までにおいても,数十名の者が,軍部等に恣意的に逮捕され,留置所内で,拷問及び残虐又は非人道的な扱いを受け,最終的に一般刑務所に移送され,「国家の安全に対する犯罪」と関連するその他の犯罪で起訴され,適正手続の基本的な権利さえ否定される状況にあったなど,いまだP3に対するアンゴラ政府の人権侵害を伴う弾圧が継続しているということができる。 そうすると,アンゴラにおいては,少なくとも本件不認定処分がされた平成21年8月当時,P3に所属して活動している者について,アンゴラ政府の治安当局から迫害を受けるおそれがあったというべきである。 - 24 -(3) 原告の個別事情前提事実並びに証拠(甲15,乙1,5,6,9,12,14,22,23,27ないし30,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,原告の個別事情について,次の事実が認められる。 アアンゴラでの生活状況(P3との関係及びP3のメンバーとしての活動状況を含む。)(ア) 原告は,1963年(昭和38年)11月4日,アンゴラのウイジェ州マケラ・ゾンボで出生し,2歳の時に,両親の出身地であるカビ 状況(P3との関係及びP3のメンバーとしての活動状況を含む。)(ア) 原告は,1963年(昭和38年)11月4日,アンゴラのウイジェ州マケラ・ゾンボで出生し,2歳の時に,両親の出身地であるカビンダに移った。原告は,アンゴラの公用語であるポルトガル語のほか,初等学校及び中等学校において教育を受けたフランス語も,読み書きや会話を不自由なくすることができる。 (イ) 原告の父は,カビンダ,ルアンダなどに店を構える食料雑貨販売会社を経営する実業家であったが,それと同時に,P3に多額の経済的な支援をするなどしており,カビンダの地域社会において影響力を有する者であった。原告の父は,1990年(平成2年)に身柄を拘束され,正式な訴追や裁判を受けることもなく刑務所に収監され続け,1994年(平成6年)に獄死した。また,原告の母親は,1992年(平成4年)に死亡した。 (ウ) 原告は,原告の父から,カビンダの歴史や現実,カビンダの独立に対する思いを聞かされながら成長し,1982年(昭和57年)に中等学校を卒業してからは,父の経営する会社の仕事を手伝いながら,カビンダのγ地区において,P3の活動の目的を理解してもらい,P3の支援者を拡大するための若者向けの活動に参加していた。そして,原告は,1992年(平成4年)から通っていたコンピュータ専門学校を1995年(平成7年)に卒業した後,原告の父が経営していた会社の仕事をしながら,P3のγ地区における若者向けの活動の責任者として活動す - 25 -るようになり,1997年(平成9年)には,P3の正式なメンバーになるとともに,P3の同地区における責任者となり,情報の収集,伝達活動や,カビンダの独立の必要性を訴えながら,P3の活動目的を人々に伝えたり,P3への支援や協力を求めたりするなどの政治的 メンバーになるとともに,P3の同地区における責任者となり,情報の収集,伝達活動や,カビンダの独立の必要性を訴えながら,P3の活動目的を人々に伝えたり,P3への支援や協力を求めたりするなどの政治的な活動をしていた。原告は,P9が率いるP3に所属していたところ,そのP3が武装集団を配置するカビンダ東部の密林において開かれた集会にも参加していた(なお,原告は,この密林のことを「森の中」と呼んでいた。)。 (エ) 原告は,父方の叔父との間で原告の父の会社の経営権などの遺産の承継をめぐって争いになり,同社の仕事を続けられなくなったため,2003年(平成15年)にカビンダからルアンダに移った。原告は,同年以降,ルアンダのζ地区において,コンピュータ会社を経営して生活するとともに,P3の中央委員会のルアンダのコーディネータの指示を受けながら,アンゴラの各地にあるカビンダ人のコミュニティを訪ね,密かに集会を開催してカビンダの独立の必要性を訴える活動をしたり,2008年(平成20年)9月にアンゴラで実施された国会議員選挙では,ルアンダにおいて,与党であるP1に対抗する野党であるP2の選挙活動に協力する活動を行ったりしていた。また,原告は,同選挙においてP1が勝利を収めた後には,P3の集会に参加し,武装活動ではなく政治活動によってカビンダの独立を勝ち取るべきである旨の自らの意見を述べたこともあった。 イアンゴラにおいて身柄拘束を受けた状況(ア) 原告は,2009年(平成21年)2月14日の明け方,自宅を訪れた3名の警察官により身柄を拘束され,δ地区にある国家警察の新庁舎の中に一時的に置かれていた国家犯罪捜査庁に連行された。警察官らは,その際,原告の自宅及び経営する会社の事務所を捜索し,事務所にコンピュータなどの電子機器があるのを確認すると, ある国家警察の新庁舎の中に一時的に置かれていた国家犯罪捜査庁に連行された。警察官らは,その際,原告の自宅及び経営する会社の事務所を捜索し,事務所にコンピュータなどの電子機器があるのを確認すると,原告に対して事務 - 26 -所の鍵を渡すように指示してこれを受け取るなどした。なお,原告は,当時,自宅において,事実婚の状態にあった内妻及び2人の子と一緒に生活していた。 (イ) 原告は,国家犯罪捜査庁の取調室において,複数の警察官から,原告がP3のメンバーであるという密告があったことを告げた上で,P3のメンバーであるかどうかを問われ,当初は否定していたものの,警棒やタオルを水で濡らしたもので殴られるなどしながら追及を受けたことから,P3のメンバーであることを認めた。そうすると,原告は,警察官から,P3が国家の安全を脅かす分離主義者である旨責め立てられた。 また,原告は,他のP3の戦闘員がどこにいるのかを聞かれたのに対し,「森の中」にいるとのみ答え,それ以上の質問に対しては何も答えなかった。 (ウ) 原告は,国家犯罪捜査庁の独房に2日間収容され,水も食事も与えられないまま放置された。原告は,その後,コマルカ・デ・ペトランゴール刑務所の独房に収監され,5日目になって初めてトウモロコシの粉と豆の煮込みが少量与えられ,それ以降も週に3日程度の食事が不定期に与えられるのみであり,また,ベッドもトイレもなく,バケツをあてがわれて用を足すという不衛生で劣悪な環境の下で収容されていたため,健康状態を悪化させた。そうしたところ,原告は,2009年(平成21年)5月18日,ルアンダのP8病院に入院することになり,検査の結果,腸チフスと急性期のマラリアにかかっていることが判明し,その後,原告の弟やP3のメンバー数人が,P8病院の医師からの連絡を受 1年)5月18日,ルアンダのP8病院に入院することになり,検査の結果,腸チフスと急性期のマラリアにかかっていることが判明し,その後,原告の弟やP3のメンバー数人が,P8病院の医師からの連絡を受けて,原告の見舞いに訪れた。 (エ) 原告は,2009年(平成21年)5月24日,原告の見舞いに訪れたふりをしたカビンダ人の知人2人と共に,正門の裏側出口から病院を出て,近くに止められていた車に乗って逃走し,そのままP3のメン - 27 -バーであるP10の家に連れて行かれ,その後,その家で看護師の治療を受けながら匿われていた。 ウ本邦に入国するに至った経緯等(ア) 原告は,他のP3のメンバーから,アンゴラにいると身の危険があるためアンゴラから空路で出国することを勧められたことを受けて,アンゴラから出国することを決意した。そこで,原告は,弟に頼んで,2006年(平成18年)9月にルアンダの旅券事務所で取得し,自宅に置いていた原告の旅券をP10の家まで持ってきてもらい,P3のメンバーであるP11に出国の手配を依頼し,2009年(平成21年)6月5日頃,P11から,同月3日に発行された本邦の査証が貼付された旅券を受け取り,その後,ヨハネスブルク及びシンガポールを経由する本邦行きの航空券を受け取った。 (イ) 原告は,2009年(平成21年)7月10日,P11と共に車でルアンダ空港に向かい,空港到着後,P11が原告の代わりに空港で出国手続を行っている間,車の中で待機しており,その後,P11と共に車にやって来た空港の職員に出国待合室に連れて行かれ,ヨハネスブルク行きの飛行機に搭乗した。 (ウ) 原告は,ヨハネスブルク及びシンガポールを経由して,平成21年7月12日,成田空港に到着し,成田空港支局において,渡航目的を「商用」として上 かれ,ヨハネスブルク行きの飛行機に搭乗した。 (ウ) 原告は,ヨハネスブルク及びシンガポールを経由して,平成21年7月12日,成田空港に到着し,成田空港支局において,渡航目的を「商用」として上陸許可の申請をした。しかし,成田空港支局入国審査官は,原告について,訪問予定会社の連絡先が不明であり,活動内容に疑義が認められる上,挙動も不審であったことから,セカンダリ審査に引き渡し,セカンダリ審査においても,ホテルの予約が確認できず,訪問先の会社についても依然として不明であったことから,口頭審理を実施した。 そうしたところ,原告は,渡航目的は仕事とは全く関係がないとして,一時庇護のための上陸許可申請(本件許可申請)をした。本件許可申請 - 28 -に係る申告書には,① 原告は,3か月間,ペトランゴールの牢獄に入っており,逮捕された後体調不良になったため,警察により病院に連れて行かれ,P3のメンバーに病院から逃がしてもらい,P3のメンバーから,とにかく本国を出る必要があり,出国するように指示されたため出国し,そのための手続は全てP3が行ったこと,② 原告は,特定の社会的集団の構成員であり,政治的意見を有するため,本国に戻れば迫害を受ける理由があること,③ 原告は,P3という本国政府に敵対する組織に属し,アンゴラ政府にカビンダの完全な独立を要求していること,④ 原告の父は,P3のメンバーであったため4年間投獄され,1994年(平成6年)に獄中で死亡したことなどが記載されている。 (エ) 成田空港支局入国審査官は,本件許可申請を不許可とする処分をし,平成21年7月15日,原告に対し,これを通知するとともに,同日発の航空便で本邦から出国するように求めたが,原告は,同航空便に搭乗することなく本邦にとどまり,もって本邦に不法上陸するに至った。 し,平成21年7月15日,原告に対し,これを通知するとともに,同日発の航空便で本邦から出国するように求めたが,原告は,同航空便に搭乗することなく本邦にとどまり,もって本邦に不法上陸するに至った。 エ退去強制手続及び難民認定手続における原告の供述内容等(ア) 原告は,平成21年7月21日,法務大臣に対し本件難民認定申請をした。本件難民認定申請に係る申請書には,① 原告は,特定の社会的集団の構成員であること(具体的には,P3のメンバーであり,アンゴラによる軍事占拠のカビンダの独立の要求をすること)という迫害を受ける理由を有すること,② 原告は,2009年(平成21年)2月14日に国家犯罪捜査庁により身柄を拘束されたこと,③ 原告の父は,1990年(平成2年)から1994年(平成6年)までの間,上記①の迫害を受ける理由により身柄を拘束されたこと,④ 原告は,1997年(平成9年)から,本国政府に敵対する組織であるP3のγ地区の組織長として情報活動をしていること,⑤ 原告は,カビンダがアンゴラの一部ではなく,カビンダ国の自由と独立を望む旨の本国政府に敵対 - 29 -する政治的意見を表明したり,行動をとったりしたことがあること,⑥原告は,上記①の迫害を受ける理由により,政府への反抗の罪で国家犯罪捜査庁及び政府に逮捕,勾留され,牢から脱走したことなどが記載されている。 (イ) 原告は,前提事実(3)記載の退去強制手続における違反調査,違反審査及び口頭審理並びに前提事実(4)ア記載の難民認定手続における本件事情聴取,本件異議申立て手続中の本件意見陳述及び本件審尋において,アンゴラにおける生活状況,P3との関係及びP3のメンバーとしての活動状況,2009年(平成21年)2月に身柄拘束を受けた状況,本邦に入国するに至った経緯等に 中の本件意見陳述及び本件審尋において,アンゴラにおける生活状況,P3との関係及びP3のメンバーとしての活動状況,2009年(平成21年)2月に身柄拘束を受けた状況,本邦に入国するに至った経緯等について,おおむね一貫して,前記アないしウのとおりの内容を供述した。 (4) 事実認定の補足説明ア原告がP3のメンバーであったかどうかについて被告は,上記(3)の認定に反し,原告がP3に所属し,地区の責任者として積極的な活動をしていたとは認め難い旨主張するので,以下では,被告の指摘する事情について順に検討する。 (ア) 被告は,原告がP3の組織について十分な説明ができていない旨主張し,これを裏付ける事情として,① 原告がP3とアンゴラ政府との間の一時和平プロセスに関する合意について承知していなかったこと,② P3に政治部門と軍事部門がある旨の原告の本人尋問における供述内容が,本件審尋における供述内容と整合していないことを指摘する。 しかし,上記①について,被告が指摘する本件事情聴取に係る供述調書(乙23〔6,7頁〕)には,原告が,「一般の資料によると,P3とアンゴラ政府の間には一時和平プロセスに関する合意がなされたようですが,説明できますか。」との質問に対し,「アンゴラ政府は常にP3を買収しようとしています。最近の大きな動きは2002年でしたが - 30 -失敗しました。」と供述した旨記載されているものの,その質問内容が必ずしも明確なものであったとはいえない上,それが2006年(平成18年)のP5とP1との間の停戦合意(前記(2)イ(イ))を念頭に置いた質問であったとしても,原告が属するP9が率いるP3は同合意に係る協議から除外されていたものであるから,同合意について言及しなかったことが必ずしも不自然であるということはできな イ))を念頭に置いた質問であったとしても,原告が属するP9が率いるP3は同合意に係る協議から除外されていたものであるから,同合意について言及しなかったことが必ずしも不自然であるということはできない。また,上記②について,証拠(乙30〔9頁〕)によれば,原告は,本件審尋において,原告の所属するP3が武力行動をとっている旨供述するとともに,政治P3と武装P3があり,自分の選択が戦争ではなく話合いで解決するという考えである旨供述していることが認められるのであり,本人尋問と本件審尋において,P3の組織に関する供述内容に齟齬があるとは認められない。 (イ) 被告は,原告が,武力闘争を否定する立場に立ち,P3のメンバーの本質と整合しないなど,P3の地区の責任者であった旨の供述としては不自然である旨主張する。 しかし,上記(ア)で認定,説示したとおり,原告は,自らが所属するP3には政治部門と軍事部門があり,原告自身は武力闘争を否定する立場を採っていた旨一貫して供述し,証拠(乙35,36)によれば,P3の中にも交渉により解決をしようとした者がいたことが客観的資料の記載中にもうかがわれるのであるから,原告が武力闘争を否定する立場をとっているからといって,P3のメンバーの本質と整合せず,P3の一地区における責任者であったことが不自然であると直ちにいうことはできない。 (ウ) 被告は,原告が,① P3の地区の責任者となった経緯の前提となる原告の父に関する供述について,当初は「一般メンバーの一人」であると述べていたのに,後に「幹部」と述べたり「重要な地位にあり,影 - 31 -響力があった」と述べたりするなど変遷させており,また,② 弟2人についても,当初はP3のメンバーであった旨述べていたのに後にこれを否定するなど,供述を変遷させている旨 あり,影 - 31 -響力があった」と述べたりするなど変遷させており,また,② 弟2人についても,当初はP3のメンバーであった旨述べていたのに後にこれを否定するなど,供述を変遷させている旨主張する。 しかし,上記①について,証拠(乙23〔3,7頁〕,30〔12頁〕)によれば,原告は,原告の父について,本件事情聴取においては,食料雑貨店を経営していたこと,P3の一般メンバーの一人であったことを述べているのに対し,本件審尋においては,自分の住んでいた地区において影響力があった旨を述べていることが認められるが,これらの供述内容は,P3の役職に就いた立場の者ではなかったという内容として共通しており,齟齬があるということはできない。また,証拠(乙30〔12頁〕)によれば,原告は,本件審尋において,原告の父がP3の幹部であったと述べる一方,その直後の質問に対し,原告の父が自分の住んでいた地区で影響力があった旨述べていることが認められ,P3の幹部であった旨の供述は,本件審尋における供述経過を考え合わせると,実質的には原告の父が影響力のある人物であった旨の意味でされたものということができ,その供述内容に矛盾はないということができる。 また,上記②について,原告の弟がP3のメンバーであるかどうかに関し,証拠(乙12〔5頁〕,30〔12頁〕,原告本人〔31頁〕)によれば,原告は,2人の弟について,退去強制手続における違反調査において,P3のメンバーであると述べたが,本件審尋及び本人尋問においてはP3のメンバーではない旨供述していることが認められるところ,原告の弟がP3のメンバーであるかどうかという事実自体が原告の難民認定該当性に影響する度合いはごく小さいものであるし,少なくとも本件審尋及び本人尋問における供述内容に齟齬がない以上,原告が弟 ろ,原告の弟がP3のメンバーであるかどうかという事実自体が原告の難民認定該当性に影響する度合いはごく小さいものであるし,少なくとも本件審尋及び本人尋問における供述内容に齟齬がない以上,原告が弟について当初P3のメンバーであると述べていたことが,原告の供述の信用性を失わせるものであるとまでいうことはできない。 - 32 -(エ) 被告は,原告がP3の正式名称についても明確な供述ができなかった旨主張し,具体的には,原告が,P3の正式名称について,ポルトガル語により,本件難民認定申請の申請書には「○」と記載し,本件事情聴取においても同じように述べたが,他方で,P3のウェブサイトなどに表示されている正式名称は,「○」ではなく「○」という用語が用いられ,「○」とされている旨指摘する。 しかし,証拠(甲14,乙30,36,37)及び弁論の全趣旨によれば,P3は,その名称について,ポルトガル語による表記において,飛び地を意味する用語(「○」)を用いて,「○」と記載されることがある一方,フランス語による表記において,国家を意味する用語(「○」)を用いて「○」と記載される例もあることが認められ,上記のいずれを意味する用語も用いられていること(このことは,飛び地という人もいるが,国という人もいる旨の原告の本件審尋における供述内容〔乙30・16頁〕にも沿うものである。)からすれば,原告がポルトガル語で記載又は供述したP3の正式名称に国家を意味する「○」という用語が用いられていたとしても,その名称がP3の客観的な正式名称と異なるものであるということはできない。 (オ) 被告は,① 本件信任状について,その入手経過に不自然さが残る上,表題部に記載された組織名が「○」と綴られているが,このうち「○」の部分が,原告の供述ともP3のウェブサイトに表 できない。 (オ) 被告は,① 本件信任状について,その入手経過に不自然さが残る上,表題部に記載された組織名が「○」と綴られているが,このうち「○」の部分が,原告の供述ともP3のウェブサイトに表示された名称とも異なることからすれば,その真正に疑義があるといえ,その他,原告がP3に所属することを裏付ける客観的な証拠はないし,また,② 原告が,P3の身分証の所在について,難民認定手続においては自宅に置いてきた旨を述べていたのに対し,本人尋問においてはある人物に預けてきた旨を述べ,その供述を変遷させている旨主張する。 しかし,まず,上記①について,証拠(乙28〔訳文2頁〕,30〔1 - 33 -6頁,別紙2〕,原告本人〔19ないし21頁〕)によれば,㋐本件信任状は,P3の発行した2008年信任状16号との表題の下に,名前及び生年月日欄には原告の氏名及び生年月日,カテゴリーと担当欄には情報,宣伝及び組織化,職業欄には情報技術士とそれぞれ記載されるとともに,本件信任状を所有するP3の闘士に対し,必要な際には保護を与えるように要請する旨記載されたものであること,㋑原告は,平成21年9月4日の本件異議申立ての際に提出した異議申立てに係る申述書において,アンゴラを出る際に,原告の任務を証明する信用状(本件信任状と同種の書類を指すものと推認される。)及びP3のメンバーカードを持ち出すことができず,それらの書類がP3のメンバーから送られてくるのを待っている旨記載していたこと,㋒本件信任状は,ルアンダのεにあったものであるが,本件異議申立てにおける原告(異議申立人)の代理人弁護士が,原告から聞いたルアンダにいるP3のメンバーのメールアドレス宛てに,原告の身分を証する書類を送るように依頼したところ,その相手方から送付を受け,同弁護士におい る原告(異議申立人)の代理人弁護士が,原告から聞いたルアンダにいるP3のメンバーのメールアドレス宛てに,原告の身分を証する書類を送るように依頼したところ,その相手方から送付を受け,同弁護士において同年10月15日に翻訳書を作成し,同年11月2日に東京入管に提出したものであること,㋓本件信任状の表題にある「2008年信任状16号」というのは,P3においてその年に与えられた16番目の役割,仕事を意味するものであることが認められる。以上の認定事実によれば,本件信任状に記載された原告の身分事項は客観的事実及び原告の供述内容に沿うものである上,原告が本件信任状を入手し,これを東京入管に提出するに至った経過にも特段不自然なところはないということができる。 さらに,本件信任状の表題にあるP3の表記についても,少なくとも「○」という用語は,被告の指摘するP3のウェブサイト(乙36)における表記と一致しているし,また,「○」の「○」が正しくは「○」であることや,「○」が正しくは「○」であることは,いずれも軽微な誤りに - 34 -すぎず,本件信任状が真正なものであることを否定するまでの事情には当たらないというべきである。 また,上記②について,証拠(乙23〔10頁〕,原告本人〔29,30頁〕)によれば,確かに,原告は,P3の身分証について,本件事情聴取においては自宅に置いてきたため見せることができない旨供述していたのに対し,本人尋問においてはある人物に預けていた旨供述していることは認められるものの,これらの供述内容は,いずれもP3の身分証については本国に置いてきたため提出することができない趣旨を述べるものとしては共通しているということができるのであるから,原告がP3のメンバーであることを否定するまでの供述の不一致には当たらないというべき は本国に置いてきたため提出することができない趣旨を述べるものとしては共通しているということができるのであるから,原告がP3のメンバーであることを否定するまでの供述の不一致には当たらないというべきである。 (カ) したがって,被告の上記各主張を検討しても,原告の供述の信用性に疑問を生じさせるような事情は見当たらず,原告が,1997年(平成9年)にはP3のメンバーとなり,2003年(平成15年)にカビンダからルアンダに移ってからも,アンゴラの各地にあるカビンダ人のコミュニティを訪ね,密かに集会を開催してカビンダの独立の必要性を訴える活動をしたり,2008年(平成20年)9月に実施された国会議員選挙において,野党であるP2の選挙活動に協力する活動を行ったりするとともに,P3の集会に参加して意見を述べるなどの活動をしていた旨の上記(3)の認定は左右されないというべきである。 イ原告が身柄拘束を受けたかどうかについて被告は,上記(3)の認定に反し,身柄拘束を受けた旨の原告の供述は信用ができない旨主張するので,以下では,その根拠として被告が指摘する事情について検討する。 (ア) 被告は,原告が逮捕された具体的な理由を述べるに至っていない旨主張する。 - 35 -しかし,原告は,身柄を拘束された後に,警察官らの追及を受けてP3のメンバーであることを認めたところ,P3が国家の安全を脅かすため取り締まっていると言われた旨を供述しており(甲15〔8頁〕,乙23〔10,11頁〕,30〔3頁〕,原告本人〔9頁〕),原告が逮捕された理由について,P3のメンバーであったためであることを明らかにしている。そして,前記(2)イ(ウ)の認定事実のとおり,アンゴラにおいては,P3の活動をしている者が治安当局により拘束され,「国家の安全に対する犯罪 P3のメンバーであったためであることを明らかにしている。そして,前記(2)イ(ウ)の認定事実のとおり,アンゴラにおいては,P3の活動をしている者が治安当局により拘束され,「国家の安全に対する犯罪」に問われている事例が見られるとされているところ,原告の上記供述は,このようなアンゴラの一般情勢に沿うものであることからすれば,原告が,逮捕された具体的な理由について述べていないなどと評価することはできない。 (イ) 被告は,原告の逮捕前の生活状況等に鑑みると,原告が突然身柄拘束を受けたのは不自然である旨主張する。 しかし,上記(3)及び(4)アで認定,説示したとおり,原告は,P3のメンバーとして活動していた者である以上,原告がアンゴラ政府により身柄拘束を受けたこと自体には何ら不自然なところはない。また,上記(3)ア(エ)で認定したとおり,原告は,カビンダからルアンダに移った2003年(平成15年)以降,コンピュータ会社を経営しながら,アンゴラの各地にあるカビンダ人のコミュニティを訪ね,密かに集会を開催してカビンダの独立の必要性を訴える活動をするなどしていたものであるが,P3の活動を公然と行っていたものではない以上,身柄を拘束される以前にはアンゴラ政府から監視されていなかったとも考えられる。 そして,原告が,身柄を拘束されたきっかけについて,他のP3のメンバーから,武装活動ではなく政治活動によってカビンダの独立を勝ち取るべきである旨の原告の意見に反発したことなどを理由として密告された可能性を指摘している(甲15〔9頁〕,乙23〔10頁〕,30〔9 - 36 -頁〕,原告本人〔9,10頁〕)ことを考え合わせると,原告が2009年(平成21年)2月に突然身柄拘束を受けたことが不自然であるということもできない。 (ウ) 被告は,身柄拘束 - 36 -頁〕,原告本人〔9,10頁〕)ことを考え合わせると,原告が2009年(平成21年)2月に突然身柄拘束を受けたことが不自然であるということもできない。 (ウ) 被告は,身柄拘束をされた際に自宅等を捜索された状況に関する原告の供述には変遷がある旨主張する。 しかし,原告が身柄拘束された際の警察の捜索の状況に関し,原告は,本件事情聴取において,警察官が,家宅捜索を始め,武器の有無を確認し,武器がないことがわかると,縄で後ろ手に縛って原告を連行した旨供述する(乙23〔10頁〕)一方で,本件意見陳述においては,警察官が,武器を持っていないかを調べるため家の中を探し,家の横にある事務室に入り,パソコンを見て,その後に手を後ろにつかんで原告を連行した旨を供述した(乙30〔3頁〕)ものと認められ,原告代理人作成の聴取書や本人尋問においてもこれと同様の供述をしている(甲15〔7,8頁〕,原告本人〔7,8,18頁〕)ことからすれば,原告は,警察官が,原告の自宅において武器の有無を確認するとともに,自宅に併設する事務室を捜索してパソコンを調べた旨の一貫した供述をしていることが認められるのであるから,供述内容に変遷があるということはできない。 (エ) 被告は,原告が,官憲から受けた尋問の内容についても具体性に乏しい旨主張する。 しかし,原告は,身柄を拘束された後の取調べの状況について,上記(3)イ(イ)のとおりの内容を一貫して供述しているのであり,その内容に具体性を欠くところがあるということはできない。 (オ) したがって,被告の上記各主張を検討しても,原告の供述の信用性に疑問を生じさせるような事情は見当たらず,原告が,P3のメンバーであることにより身柄を拘束され,暴行を伴う取調べを受けた上で,そ - 37 -の後国家犯 主張を検討しても,原告の供述の信用性に疑問を生じさせるような事情は見当たらず,原告が,P3のメンバーであることにより身柄を拘束され,暴行を伴う取調べを受けた上で,そ - 37 -の後国家犯罪捜査庁及び刑務所において,3か月以上にわたり,食事も満足に与えられず,不衛生で劣悪な環境の下で収容され続けたとの上記(3)の認定は左右されないというべきである。 (5) 原告の難民該当性ア以上の認定事実を踏まえて原告の難民該当性を検討するに,前記(2)ウのとおり,アンゴラにおいては,少なくとも本件不認定処分がされた平成21年8月当時,P3に所属して活動している者については,治安当局から迫害を受けるおそれがあったというべきである上,前記(3)の認定事実のとおり,原告は,1997年(平成9年)にはP3のメンバーとなり,2003年(平成15年)にカビンダからルアンダに移ってからも,アンゴラの各地にあるカビンダ人のコミュニティを訪ね,密かに集会を開催してカビンダの独立の必要性を訴える活動をしたり,2008年(平成20年)9月に実施された国会議員選挙において,野党であるP2の選挙活動に協力する活動を行ったりするとともに,P3の集会に参加して意見を述べるなどの活動をしていたところ,2009年(平成21年)2月に,突然警察官に身柄を拘束され,暴行を受けながら,P3のメンバーであるかどうかや,他のP3の戦闘員の所在などを問うための取調べを受け,P3が国家の安全を脅かす分離主義者である旨責め立てられ,その後,3か月以上にわたり,国家犯罪捜査庁及び刑務所において,何らの手続を受けないまま,食事も満足に与えられず,不衛生で劣悪な収容環境の中で収容され続けていたものである。以上によれば,原告は,アンゴラ政府当局から,反政府組織であるP3に所属して活動して て,何らの手続を受けないまま,食事も満足に与えられず,不衛生で劣悪な収容環境の中で収容され続けていたものである。以上によれば,原告は,アンゴラ政府当局から,反政府組織であるP3に所属して活動していると把握され,迫害を受けたものであると認められる。 そうすると,原告がアンゴラに強制送還された場合,政府当局から迫害を加えられるおそれがあり,通常人が原告の立場に置かれた場合に迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在しているということができる。 - 38 -したがって,原告は,入管法にいう難民に該当すると認められる。 イ(ア) これに対し,被告は,原告の行動には切迫感,緊張感が見受けられない上,上陸審査手続及びそれに引き続いて行われたセカンダリ審査では,一貫して,商用目的で本邦に入国した旨を述べており,本国政府から迫害を受けるおそれがあったことについては何ら供述していなかったことからすれば,原告が,本国での迫害を逃れるため本国から出国したものであるということはできない旨主張する。 しかし,証拠(乙5,原告本人〔21頁〕)によれば,原告は,本国を出国したいと思ったのではなく,自分の命を守りたいという気持ちを持っていたところ,他のP3のメンバーから身の危険を考えると本国を出国するしかないと勧められて出国を決意したことが認められ,家族もいる本国を離れることに対する率直な心情を踏まえた経過を述べる原告の供述内容に不自然なところがあるということはできない。また,前記(3)ウ(ウ)で認定したとおり,原告は,本邦に入国した日に本件許可申請をしている上,証拠(甲15〔12頁〕,乙6,原告本人〔23頁〕)によれば,入国審査の当初,商用目的で入国すると申請した理由について,P11から受けた助言に従い,本邦に一旦入国した上で,その後にUNHCRに連 ,証拠(甲15〔12頁〕,乙6,原告本人〔23頁〕)によれば,入国審査の当初,商用目的で入国すると申請した理由について,P11から受けた助言に従い,本邦に一旦入国した上で,その後にUNHCRに連絡して難民申請をする予定であったためであると認められ,実際にも,本邦に上陸してからわずか9日後には本件難民認定申請をしていることからすれば,本邦における上陸審査の経過からしても,原告が難民としての庇護を求めて本邦に上陸したものであることは明らかであるということができる。 (イ) 被告は,原告が,2006年(平成18年)に,ルアンダにおいて,自ら手続をして正規の旅券の発行を受け,2007年(平成19年)にはこの旅券を使用してコンゴ民主共和国に渡航したことからすれば,原告が迫害のおそれを感じていたとは認められず,また,本国政府から反 - 39 -政府活動家として注視されていたということもできない旨主張する。 しかし,証拠(乙2〔5,18枚目〕)及び弁論の全趣旨によれば,原告がアンゴラ政府から旅券の発給を受けたのは,原告が身柄を拘束される前の2006年(平成18年)9月21日であり,これを用いてコンゴ民主共和国に渡航したのは2007年(平成19年)7月のことであると認められ,上記(4)イ(イ)のとおり,原告が,P3の活動を公然と行っていたものではなく,その当時アンゴラ政府から監視されていたわけではないとも考えられることからすれば,原告が旅券の発給を受け,海外への渡航歴があるからといって,本件不認定処分がされた平成21年8月当時,迫害のおそれがないと感じていたわけではないとも,本国政府から反政府活動家として注視されていたわけではないともいうことはできない。なお,証拠(乙39)によれば,原告の旅券はアンゴラの財産であり,いつでも回収できるも と感じていたわけではないとも,本国政府から反政府活動家として注視されていたわけではないともいうことはできない。なお,証拠(乙39)によれば,原告の旅券はアンゴラの財産であり,いつでも回収できるものとされていることが認められるものの,原告がP8病院から脱走した後に原告の旅券を用いて本邦まで渡航できたからといって,そのことから直ちにアンゴラ政府が原告を監視していないことにはならないというべきである。 (ウ) 被告は,仮に,原告がP3のメンバーであり,逮捕されたことが事実であったとしても,原告の供述する取調べ状況,尋問内容,P8病院への移送状況,移送後の面会状況によれば,原告が本国政府から殊更注視される状況に置かれていたとは認められない旨主張する。 しかし,前記認定,説示したとおり,アンゴラにおいては,少なくとも本件不認定処分がされた平成21年8月当時,P3に所属して活動している者については,治安当局から迫害を受けるおそれがあったというべきである上,原告は,1997年(平成9年)にはP3のメンバーとなり,カビンダのアンゴラからの独立を目指してP3の支援者を拡大するための政治活動をしていたところ,2009年(平成21年)2月に, - 40 -突然警察官に身柄を拘束され,暴行を受けながら取調べを受け,その後,3か月以上にわたり,国家犯罪捜査庁及び刑務所において,食事も満足に与えられず,不衛生で劣悪な収容環境の中で収容され続けていたのである。このような事情の下では,原告はP3という特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する者であると優に認められるのであって,原告が本国政府から殊更注視される状況に置かれていたかどうかということは,原告の難民該当性を左右しないという 受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する者であると優に認められるのであって,原告が本国政府から殊更注視される状況に置かれていたかどうかということは,原告の難民該当性を左右しないというべきである。 (エ) したがって,被告の上記(ア)ないし(ウ)の各主張をいずれも採用することはできない。 ウ以上検討したとおり,原告は,入管法にいう難民に該当すると認められることから,原告を難民と認めなかった本件不認定処分は,違法であるというべきである。 2 争点(2)(本件在特不許可処分の無効事由の有無)について(1) 入管法61条の2の2第2項は,法務大臣は,難民認定申請をした在留資格未取得外国人について,難民の認定をしない旨の処分をするとき,又は難民の認定をする場合であって,定住者の在留資格の取得を許可しないときは,当該在留資格未取得外国人の在留を特別に許可すべき事情があるか否かを審査し,当該事情があると認めるときは,その在留を特別に許可することができる旨規定しているところ,前記1のとおり,原告は,入管法上の難民に当たるのであるから,これに当たらないことを前提としてされた本件在特不許可処分は,当然に違法であるというべきである。 (2) ところで,行政処分が法定の処分要件を欠き違法である場合に,当該処分の取消しを求める司法上の救済手続においては,法定の出訴期間の遵守が要求され,その所定の期間を経過した後は,原則としてもはや当該処分の瑕疵を理由としてその効力を争うことはできないものとされているが,その瑕疵 - 41 -が重大かつ明白で当該処分が無効と評価される場合には,このような出訴期間による制約は課されないものとされている。このような無効事由として瑕疵の明白性が要求される理由は,重大な瑕疵による処分によって侵害された国民 で当該処分が無効と評価される場合には,このような出訴期間による制約は課されないものとされている。このような無効事由として瑕疵の明白性が要求される理由は,重大な瑕疵による処分によって侵害された国民の権利保護の要請と,これに対するものとしての法的安定及び第三者の信頼保護の要請との調和を図る必要性にあるということができる。そうであるとすると,一般に,入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない旨の処分が当該外国人に対してのみ効力を有するものであり,当該処分の存在を信頼する第三者の保護を考慮する必要が乏しいことなどを考慮すれば,当該処分の瑕疵が入管法の根幹についてのものであり,かつ,出入国管理行政の安定とその円滑な運営が要請されることを考慮してもなお出訴期間の経過による不可争的効果の発生を理由として当該外国人に処分による重大な不利益を甘受させることが著しく不当と認められるような例外的な事情のある場合には,上記の過誤による瑕疵が必ずしも明白なものでなくても,当該処分は当然無効であると解するのが相当である(最高裁昭和42年(行ツ)第57号同48年4月26日第一小法廷判決・民集27巻3号629頁参照)。 (3) これを本件についてみると,本件在特不許可処分は,難民である原告について入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をしないというものであり,その結果,原告を,これを迫害するおそれのあるアンゴラに送還することとなるものである。しかし,我が国が難民条約及び「拷問及び他の残虐な,非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約」(以下「拷問等禁止条約」という。)を批准し,難民条約33条1項を前提に入管法53条3項が規定されていること,入管法上の難民の意義,性質等に照らせば,難民である外国人を,これを迫害するおそれのある国に向けて 問等禁止条約」という。)を批准し,難民条約33条1項を前提に入管法53条3項が規定されていること,入管法上の難民の意義,性質等に照らせば,難民である外国人を,これを迫害するおそれのある国に向けて送還してはならないことは,入管法上明らかである。そうすると,本件在特不許可処分は,難民である原告について入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をせず,その結果,原告を,これを迫害するおそれのある国に向けて送還しよ - 42 -うとする点において,入管法の根幹に関わる重大な瑕疵を有するものというべきである。 そうすると,本件在特不許可処分には,出入国管理行政の安定とその円滑な運営の要請を考慮してもなお,出訴期間の経過による不可争的効果の発生を理由として,難民である原告について入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をせず,その結果,原告に迫害を受けるおそれのある国に送還されるという不利益を甘受させることが,著しく不当と認められるような例外的な事情があるというべきである。 したがって,本件在特不許可処分は当然無効と解するのが相当である。 3 争点(3)(本件退令処分の無効事由の有無)について(1) 主任審査官は,法務大臣等から異議の申出には理由がないと裁決した旨の通知を受けたときは,速やかに当該外国人に対し,その旨を知らせるとともに,退去強制令書を発付しなければならないが(入管法49条6項),当該外国人が難民条約に定める難民であるときは,当該外国人を,これを迫害するおそれのある国に向けて送還することはできない(入管法53条3項,難民条約33条1項,拷問等禁止条約3条)。したがって,当該外国人が難民であるにもかかわらず,その者を,これを迫害するおそれのある国に向けて送還する退去強制令書発付処分は違法であるというべきである。 民条約33条1項,拷問等禁止条約3条)。したがって,当該外国人が難民であるにもかかわらず,その者を,これを迫害するおそれのある国に向けて送還する退去強制令書発付処分は違法であるというべきである。 (2) これを本件についてみると,前記1で判示したとおり,原告は難民に当たるということができるから,原告を,これを迫害するおそれのあるアンゴラへ向けて送還する本件退令処分は違法であるというべきである。 そして,本件退令処分は,原告を迫害のおそれのあるアンゴラに送還することになるものであり,前記2のとおり,入管法の根幹に関わる重大な瑕疵を有するものといわざるを得ない。したがって,本件退令処分は当然無効と解するのが相当である。 第4 結論 - 43 -よって,原告の請求は,いずれも理由があるからこれらを認容することとし,主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第2部 裁判長裁判官増田稔 裁判官村田一広 裁判官不破大輔 - 44 -(別紙2)関係法令の定め 1 入管法2条(定義)入管法及びこれに基づく命令において,次の各号に掲げる用語の意義は,それぞれ当該各号に定めるところによる。 (1) 1ないし3号 [略](2) 3号の2難民難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)1条の規定又は難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいう。 2 難民条約1条(「難民」の定義)(1) Aこの条約の適用上,「難民」とは,次の者をいう。 ア (1) [略] 難民議定書」という。)1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいう。 2 難民条約1条(「難民」の定義)(1) Aこの条約の適用上,「難民」とは,次の者をいう。 ア (1) [略]イ (2)1951年1月1日前に生じた事件の結果として,かつ,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの[以下略](2) BないしF [略] - 45 - 3 難民議定書1条(一般規定)(1) 1この議定書の締約国は,2に定義する難民に対し,難民条約2条から34条までの規定を適用することを約束する。 (2) 2この議定書の適用上,「難民」とは,3の規定の適用があることを条件として,難民条約1条を同条A(2)の「1951年1月1日前に生じた事件の結果として,かつ,」及び「これらの事件の結果として」という文言が除かれているものとみなした場合に同条の定義に該当するすべての者をいう。 (3) 3 [略]以上
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