主文 本件申立てを却下する。 理由 1 本件申立て検察官は,対象者について,平成30年9月14日,対象者が別紙記載の対象行為を行ったこと及び心神耗弱者であることを認め,公訴を提起しない処分をし,同日,医療観察法42条1項の決定を求めて,本件申立てをした。 2 当裁判所の判断 当裁判所は,一件記録及び審判の結果に基づき,対象者が対象行為を行ったと認めたが,対象行為時,対象者は心神耗弱者ではなく,完全責任能力者であると認めたので,以下,その理由を補足して説明する(以下,特段の断りがない限り,日時は平成30年中のものである)。 一件記録によれば,以下の事実が認められる。 ア生活歴等対象者は,小中学校を普通学級で過ごした。養育環境は悪く,学業成績は不振で,孤立することも多かった。母と6才違いの兄と3人で暮らしていたが,兄が高校を卒業して家を出た後は,母と2人で暮らしている。定時制高校に進学したが,1年で中退すると,職を転々とし,18歳頃からは,風俗店で働くようになった。ただ,家計は苦しく,平成12年頃には,借金が嵩み,母と北海道外の兄宅に身を寄せたこともあったが,ほどなくしてX市内に転居し,再び風俗店で働きはじめた。平成19年頃,腰を痛めたことで,風俗店を辞め,職を転々としたが,長続きせず,平成24年頃から母とともに生活保護を受給し,その頃,借金の整理もしている。 イ病歴等対象者は,平成24年頃から,精神科(A)に通院をするようになった。 その頃,対象者は,母との依存関係等に悩みを抱え,抑うつ状態を訴える ことが多く,医療関係者から母子分離を助言されたこともあったが,独居は困難などと訴えた。また,「字が書けない」 うになった。 その頃,対象者は,母との依存関係等に悩みを抱え,抑うつ状態を訴える ことが多く,医療関係者から母子分離を助言されたこともあったが,独居は困難などと訴えた。また,「字が書けない」と訴えたこともあって,同年9月頃,Aにおいて,WAIS-Ⅲを受けているが,その検査結果は,全IQ:54,言語性IQ:64,動作性IQ:51で,軽度精神遅滞レベルとされている。 対象者は,同時期以降,Aのほか,腰椎椎間板ヘルニア等の治療のため,複数の病院に入通院することがあったが,その感情は不安定で,ささいな事で興奮して母と衝突していたほか,医療関係者にも理不尽な態度をとり,時には自殺をほのめかすなどして自己の要求を通そうとする問題行動が見られた。 そして,平成27年7月頃には,母とのやり取りの中で興奮状態となり,自宅の窓ガラスを割り,警察官が駆け付ける騒動になった。この件で,対象者は,大家と言い争いになって暴れたため,大家から退去を迫られる事態になったが,その際,Aの医療関係者に部屋探しの手伝いを執拗に要求し,それが拒否されると医療関係者の批判等を繰り返し,最終的には転院することになった。その後,対象者は,精神科を転々としたが,転院先でも,医療関係者のささいな言動に因縁を付け,興奮状態となり,「ドクターに土下座して謝ってほしい」などと大声で不満を訴え,看護師を蹴るといった問題行動に及ぶこともあった。なお,その頃,対象者は,精神遅滞,人格障害と診断されている。 平成28年9月頃,対象者は,Aへの再通院を希望し,病院側に強く働きかけ,その結果,通院再開となったが,その感情は変わらず不安定で,平成29年1月には,興奮状態となり,2階から飛び降りようとしたため,警察官が駆け付け,任意入院となった。 対象者は,平成29年10月頃から,「死神 院再開となったが,その感情は変わらず不安定で,平成29年1月には,興奮状態となり,2階から飛び降りようとしたため,警察官が駆け付け,任意入院となった。 対象者は,平成29年10月頃から,「死神派遣協会代表の甲」,「3才のBちゃん」,「乙」,「丙」といった人格の存在を訴え,その人格を 通じた要求をするようになった。母は,当初困惑していたものの,対象者が,「乙」や「丙」という人格を訴えながら,暴行を振ったり,命令したりすることで,その存在を信じるようになった。そして,平成30年2月21日には,「丙」という人格と揉めて耐えきれなかったなどという理由で,母が対象者の首を絞め,逮捕される事態になった。その際,対象者も激しく興奮したため,警察による強制保護の末,72時間の緊急措置入院となった。その後,対象者は,X市職員が手配した施設(C)に入所したが,喫煙を注意されたことで,興奮状態となり,退所となった。自宅に戻った対象者は,X市職員の世話を受けていたが,「母と一緒でないとダメなんです」などと訴え,階段から飛び降りるなどの自傷行為にも及んだ。 釈放された母は,X市職員が手配した介護施設に身を寄せたが,対象者は,何らかの方法でその場所を突き止めると,勝手に母と帰宅した。 ウ対象行為に至る経緯等X市やX警察署の職員らは,母が逮捕されるという事態にまでなったことを受け,母子分離に向けた対応を強化したが,その後も対象者と母とのトラブルは絶えず,救急隊や警察官が駆け付ける事態が常態化した。 3月16日には,対象者が,母を殴り,窓から飛び降りようとし,大量の薬も飲んだため,母が119番通報した。対象者と母は,母子分離を促されたが,頑なに拒否した。 3月17日には,対象者と外出しようとした母が揉め,対象者が「暴行を受けた」と110番通 うとし,大量の薬も飲んだため,母が119番通報した。対象者と母は,母子分離を促されたが,頑なに拒否した。 3月17日には,対象者と外出しようとした母が揉め,対象者が「暴行を受けた」と110番通報した。 4月1日には,対象者が外出した母を追い掛け,階段から転落し,左足を骨折した。 4月11日には,母が「面倒を見られない。家を出る」と言ったことで,対象者が興奮状態となり,警察官が駆け付けた。 4月16日には,対象者が,外出しようとした母を引き止めようとし,X 警察署に「母が逃げる,早く来やがれ」と通報をした。警察官が臨場すると,対象者と母は共に興奮しており,対象者は,「出て行けばいいさ。そしたら死んでやるから。」などと言い放ち,電気コードを自らの首に巻いて締め上げようとしたが,母は,対象者を無視して外出した。 エ対象行為当日の状況等4月17日午前9時頃,X警察署の警察官等が対象者宅を訪問し,前日の件で母と話していたところ,対象者が急に興奮状態となり,「何でババアは出て行ったりするのよ。」,「警察なんて来るんじゃねえよ」などと言い放ち,杖で自らの前頭部を叩くなどした。その後,一旦は落ち着いたものの,同日午後1時頃,再び興奮状態となり,X警察署等の対応に対し,謝罪を要求するようになった。そして,要求に沿わせようとして電気コードで首を絞めようとしたため,母が110番通報した。母は,駆け付けた警察官から退避を促され,その日はホテルに泊まることにして,家を出た。 同日午後3時41分頃,対象者は,110番通報し,「すいません。あの,母がというか出てってしまって。」,「何も,ちょっとできなくて困ってるんですね。」,「探して欲しいんです。」,「母を」などと訴え,その後も数分おきに110番通報を5回繰り返したが,110番 。あの,母がというか出てってしまって。」,「何も,ちょっとできなくて困ってるんですね。」,「探して欲しいんです。」,「母を」などと訴え,その後も数分おきに110番通報を5回繰り返したが,110番通信指令は,「X警察署に電話するように」と促した。 同日午後4時17分頃,対象者は,「すいませーん。しゅぐきてくだしゃーい。」,「家出でしゅ。」,「Bちゃんもう歩けなくて。」,「困ってます。」,「ホントは大人だけど,知的障害で。」,「しゃんしゃいの知能って言われまちた。」,「ママが家出しちゃった。」などと訴え,その後,同日午後5時頃まで,110番通報を5回繰り返した。 同日午後5時45分頃,対象者は,X警察署に電話し,「ママを呼んでください,苦しいです,今,自分で首をしめています。」,「今首をしめていますよ,ママを呼ばなくていいんですか。」などと訴えた。警察官か ら「そのようなことは止めて下さい,そんなことするから,ママを呼べないんですよ。」などと説明されると,「お前じゃ話しにならないから偉いやつに変わってください。」などと要求し,拒否されると,態度を豹変させ,「いーいから変われぇ。」,「首を絞めて死ぬかもしれないけどいーいのかぁ。」,「さっさとママを呼べぇー。」などと言い残し,電話を断った。 同日午後7時49分頃,対象者は,上記2C)に電話し,「母親とケンカして,母親が出て行ってしまい,行くところがないので,一晩泊めてほしい,以前は申し訳なかった,私は多重人格で,今は別人格で話をしている」などと願い出たが,断られた。 同日午後8時23分頃から午後9時9分頃まで,対象者は,再び110番通報を8回繰り返し,「死のうと思っているんです。母親が出てって。 解離性多重人格の。丁です。警察官の方来て貰えませんか。助け た。 同日午後8時23分頃から午後9時9分頃まで,対象者は,再び110番通報を8回繰り返し,「死のうと思っているんです。母親が出てって。 解離性多重人格の。丁です。警察官の方来て貰えませんか。助けて下さい。」などと訴えた。 同日午後9時51分頃,対象者は,X警察署に電話し,「今から,家に火ぃつけるから。」と訴え,警察官から「そんなことは止めて下さい,落ち着いてください。」,「そんなことしたら,ママ帰ってくる家がなくなるでしょいいの。」,「自分の家に火をつける意味はないですよね,やめて下さい。」などと諭されたが,「落ち着けるわけねぇーだろ,ママを呼ぶなら火ぃつけない。」,「いや,火ーつけるからなあ,今火ーつけたぞぉ。」などと要求を続けた。警察官は,対象者が火をつけたと述べたことから,対象者宅を確認したが,異状は確認されなかった。 同日午後11時12分頃,対象者は,再び110番通報し,「何回も電話切られてるんです。」,「bの多重人格。」などと訴えたが,110番通信指令は取り合わなかった。対象者は,その後すぐ,X警察署に電話し,「ママに電話しないと家に火をつけるよぉ,いいーのぉ。」,「落ち着け るか,ママに電話しろ。」,「ママに電話するなら火はつけない,ママに電話しないなら火をつける。」,「どっちなんだぁ,答えろぉ。」などと繰り返し,対象者を落ち着かせようと声掛けしていた警察官との間で,10分以上に亘り,押し問答を続けた末,「それじゃあ火をつけるぞ。」,「ママの服に灯油をかけたぞー。床が灯油まみれだ。いいのかー。」,「火をつけたぞー,いーのかー。」,「あーあ,燃えているぞー。」などと述べた。その後,警察官の電話口から,プシューという音のほか,火災報知器の作動音が聞こえ,対象者の応答もなくなったことから,同警察官は,同 たぞー,いーのかー。」,「あーあ,燃えているぞー。」などと述べた。その後,警察官の電話口から,プシューという音のほか,火災報知器の作動音が聞こえ,対象者の応答もなくなったことから,同警察官は,同日午後11時30分頃,対象者との電話を切断した。 その後,対象者は,隣の家へ行き,住人に「火事だ」,「火事だ」と告げた後,階段から転落しながらも,避難し,同日午後11時32分頃,119番通報した。そして,「d町e丁目。」,「fのgH火事。」,「猫と,もう,近所の人が出てくれない。」,「大変なことになってます。」,「人助けてえ。」,「みんな死んじゃうう,助けてえ,お願いだから助けて,早く。」などと訴えた。 対象行為について付添人は,失火であるとの意見を述べているので,以下,その点を検討する。 一件記録及び上記2によれば,対象者と警察官の電話中に火災警報器が作動したと認められ,火災発生時点はその直前頃と認められるが,その頃,対象者は,警察官に,「それじゃあ火をつけるぞ。」,「火をつけたぞー,いーのかー。」,「あーあ,燃えているぞー。」などと述べ,自己の意思で火を放ったこと,すなわち放火であることを認める発言をしている。また,一件記録によれば,火災後,居間床面,寝室床面,洋室床面の残焼物から灯油が検出されており,室内には火災前に灯油が散布されたと認められるが,対象者以外に灯油を散布した人間は見当たらず,また,上記2対象者自身が,電話中の警察官に,「ママの服に灯油をかけたぞー。床が灯油まみれだ。 いいのかー。」と述べていることからすると,対象者が灯油を散布したと認められる。 そして,放火するつもりがないのに,室内に灯油を散布したり,失火であるのに,放火であることを自認するというのは通常考え難いから,上記事実は, ることからすると,対象者が灯油を散布したと認められる。 そして,放火するつもりがないのに,室内に灯油を散布したり,失火であるのに,放火であることを自認するというのは通常考え難いから,上記事実は,放火であることを極めて強く推認させるといえる。 他方,対象者は,灯油について,「飼い猫に灯油が付着し,動き回ったので灯油が散布されたのではないか」などと供述する。しかし,一件記録によれば,灯油は,無作為に抽出された残焼物から検出されたもので,その結果からすると,相当量の灯油が広範囲に散布されたと認められ,飼い猫に灯油が付着した程度でそのような結果となるというのは考え難い。 また,対象者は,「(丙から聞いた話とした上で)ライターの火を付けたら9センチくらいの炎が上がって驚き,バランスを崩したところ,テーブルの上にあった布巾に一瞬ライターの火が当たり布巾に火が付いた。布巾の上から水をかけたら布巾がテーブルから落ち,落ちた布巾に水をかけたら火が大きくなって床に引火した」などと供述する。しかし,対象者の供述内容のとおりであれば,警察官との電話中に,対象者の驚いた声や狼狽している状況など,その状況に見合った対象者の言動があると考えられるが,そのような言動はない。 また,そもそも対象者の供述内容はいかにも技巧的で不自然であるし,対象者の供述を踏まえて捜査機関が行った再現実験等の結果にも反している。 したがって,対象者の供述は信用できず,上記推認は覆らない。 以上によれば,対象者が,室内に灯油を散布した上で何らの方法で放火したこと,すなわち対象者が対象行為を行ったと認められる。 責任能力についてア I鑑定の要旨等捜査段階の鑑定人であるI作成の鑑定書(以下「I鑑定」という。)の要旨は,次のとおりである。 対象者は,中等度精 たと認められる。 責任能力についてア I鑑定の要旨等捜査段階の鑑定人であるI作成の鑑定書(以下「I鑑定」という。)の要旨は,次のとおりである。 対象者は,中等度精神遅滞,情緒不安定性人格障害である。 解離性同一性障害については,他人から指摘される前に他の人格の存在を認識し,隠すことなく自発的に積極的に話すことや,人格の交代が対象者にとって利得がある状況であることが多いことなど,典型的な臨床症状と異なっており,懐疑的である。 対象者は,小学校頃から,計算,書字,読字が困難で,勉強についていけないなど,言語の理解と使用の領域の発達が遅く,最終的な達成にも限界がある。また,身の回りのことや運動能力の達成にも遅れがあり,一人で暮らすことはできず,生涯を通じて,母といった監督者を要する。そして,WAIS-Ⅲの検査結果が全IQ:41,言語性IQ:46,動作性IQ:46であり,グッドイナフ人物画知能検査の検査結果がIQ:40であり,中等度精神遅滞相当であった。以上によると,対象者は,ICD-10における中等度精神遅滞の診断基準を満たしている。 対象行為には,中等度精神遅滞と情緒不安定性人格障害が直接的な影響を及ぼしており,対象行為時,対象者の善悪の判断能力及びその判断に従って行動する能力は著しく障害されていた。 イ J鑑定の要旨等本件申立ての鑑定人であるJ作成の鑑定書(以下「J鑑定」という。)の要旨は,次のとおりである。 対象者は,情緒不安定性人格障害の典型的特徴を有している。また,解離性同一性障害は詐病性が強く疑われる。 そして,学業成績が不振であったことや周囲から孤立していたこと等からすると,生来性の精神遅滞が存していた可能性は高い。しかし,中等度精神遅滞とは判断されず,軽度精神遅滞から境 性が強く疑われる。 そして,学業成績が不振であったことや周囲から孤立していたこと等からすると,生来性の精神遅滞が存していた可能性は高い。しかし,中等度精神遅滞とは判断されず,軽度精神遅滞から境界レベルであると判断する。 すなわち,対象者の生活歴に加え,自己の要求に沿わせようとして問題行動等を繰り返し,周囲を操作してきたことやその内容,また,鑑定入院 中は,身の回りについて全般的に自立しており,対象行為前に母の介助を要したのは,共依存関係から対象者が退行状態にあったためと考えられることからすると,生活レベルは,中等度精神遅滞のレベルではなく,軽度から境界レベルである。また,WAIS-Ⅲの検査結果は全IQ:41,言語性IQ:45,動作性IQ:46であったが,対象者は,免責を強く意識していると見られ,検査の過程でも知的能力を低く見せようとする様子が度々見られており,検査結果は信ぴょう性に乏しい。この点,平成24年頃にAで行われたWAIS-Ⅲの検査結果は,免責を意識せず,疾病利得が小さい時期に行われたものであり,妥当な内容と判断され,以上から,対象者の精神遅滞の程度は,軽度精神遅滞か境界レベルと考えられる。 対象行為当時,精神遅滞や情緒不安定性人格障害により,行動制御能力は常時一定の障害があったが,刑事責任能力に影響を与えるレベルではない。 すなわち,対象行為は,平成29年秋頃から常態化していた問題行動と同質で連続性のある内容であり,その問題行動は,主として情緒不安定性人格障害に起因するもので,精神遅滞によるものではない。対象者は,母との共依存関係を深め,母なしでは生活に不自由を生じていたが,母との関係は不安定で,見捨てられ不安があり,自ら母が出て行く状況を作りながらも,連れ戻そうとし,警察を巻き込んだ問題行動となった。そし との共依存関係を深め,母なしでは生活に不自由を生じていたが,母との関係は不安定で,見捨てられ不安があり,自ら母が出て行く状況を作りながらも,連れ戻そうとし,警察を巻き込んだ問題行動となった。そして,要求が通らないので,段階的に脅迫の程度をエスカレートさせた面があり,単純に衝動的に行われたものではない。母を連れ戻そうという明確な目的に沿っており,合目的性・一貫性がある。また,放火が違法であるからこそ警察への脅迫になるという認識があったと考えられ,事理弁識能力にも問題はない。 ウ検討 I鑑定について I鑑定とJ鑑定は,対象者の精神遅滞の程度の判断に違いがあるので,以下,その点を中心に検討する。 I鑑定は,上記2のとおり,WAIS-Ⅲといった心理検査の結果を中等度精神遅滞と判断した重要な根拠の一つとする。 しかし,I鑑定の心理検査所見によれば,検査の核心に迫る質問の場面になると幼児言葉の人格が出現して質問を拒否されることが多く,詐病の可能性も認められ,多くの場合まともに答える気がない非協力的な様子であったことが指摘されている。特に,WAIS-Ⅲにおいては,検査中,「片目が潰れているから」,「眼鏡がないから」などと述べ,検査を拒否する一方,細かい字を読むことができる場面もあり,目が見えないという訴えが虚偽であることも垣間見られている。 また,I鑑定は,対象者には解離性同一性障害を理由に免責を求める様子が見られ,対象者が精神障害による免責の可能性を認識しているとの指摘もある。 そうすると,対象者は,精神障害によって免責されることを求め,心理検査において知的能力を殊更低く見せようとしている可能性が相当程度あるのであるから,心理検査の結果は,それが対象者の本来の知的水準を示 うすると,対象者は,精神障害によって免責されることを求め,心理検査において知的能力を殊更低く見せようとしている可能性が相当程度あるのであるから,心理検査の結果は,それが対象者の本来の知的水準を示すものかについて,相当慎重に見極める必要があると考えられる。 この点,I鑑定でも,対象者が検査に拒否的な姿勢であったことが結果に影響した可能性があるとの指摘がある。しかし,その影響の程度については,「検査の終盤に差し掛かってややモチベーションが上がり,前半よりも多少は積極的に取り組まれているが,結果としては平均を著しく下回るものとなっていたため,終始モチベーション高く取り組んだとしても平均を著しく下回る結果になると考えられる」などと説明するのみで,説得力がある説明とはいい難い。 また,検査時期から考えて,AにおけるWAIS-Ⅲの検査結果は,一 定の信用性を有するものと認められるから,今回の検査結果を採用するにしても,その比較考察は必須と考えられるが,I鑑定にはこの点に関する説明もない。 さらに,I鑑定は,言語の理解と使用の領域の発達が遅く,最終的な達成にも限界がある上,身の回りのことや運動能力の達成にも遅れがあり,生涯にわたって,母といった監督者を要するとし,これらの事実も,中等度精神遅滞と判断した重要な根拠の一つとする。 しかし,上記2からすると,対象者は,小学校頃から学業成績は不振と認められるが,一件記録中にある自筆と見られる小学校の卒業文集によれば,一部誤字があるものの,その時点で,基本的な読み書きを習得していたと認められるし,その後の生活状況等において他者との会話等が困難であった形跡はない。また,対象行為直前(4月9日頃から同月17日頃)に対象者がKというアカウント名の相手とやり取りしたLINEメッ いたと認められるし,その後の生活状況等において他者との会話等が困難であった形跡はない。また,対象行為直前(4月9日頃から同月17日頃)に対象者がKというアカウント名の相手とやり取りしたLINEメッセージを見ると,対象者は,巧みな言葉使いで,自身を東京などで活躍するモデルと装うなどしている事実も認められ,以上の事情からすると,対象者について,言語の理解と使用の領域の発達が遅れ,最終的な達成に限界があるというには疑問がある。 さらに,対象者は,対象行為当時,肥満や足の骨折などの影響もあって,身の回りについて母の介助を必要とする状況にあったが,一件記録中にある母の供述によれば,元々は自立していたと認められるのであり,J鑑定が指摘するとおり,対象者の対象行為当時の状況は,母との依存関係による退行とみる余地が十分にある。 以上によれば,I鑑定のうち,被告人の精神遅滞の程度を中等度精神遅滞とする部分には,これを採用し得ない合理的な事情があるといえる。 J鑑定について他方,J鑑定は,その判断の過程に不合理な点は認められない。 ただ,上記2当裁判所は放火と認定しているが,J鑑定には「警察の対応を引き出すためにライターの着火音を演出しようとした際に何らかの形で灯油に着火した可能性が高いと考えている」旨の記載があることから,これが鑑定の前提となる事実についての認識の誤りといえるかが問題となる。しかし,法的評価はともかく,J鑑定の記載内容は,当裁判所が認定した事実内容と大差ない内容で,少なくとも責任能力の判断の場面において,その結論に違いをもたらすような違いであるとは認められないし,そもそも対象行為の状況は,生物学的要素(精神遅滞の有無程度)の判断には影響しない事実である。 まとめ以上検討したところにより て,その結論に違いをもたらすような違いであるとは認められないし,そもそも対象行為の状況は,生物学的要素(精神遅滞の有無程度)の判断には影響しない事実である。 まとめ以上検討したところにより,I鑑定及びJ鑑定から,対象者は情緒不安定性人格障害であること,解離性同一性障害は否定されること,また,J鑑定から,対象者の精神遅滞の程度は軽度精神遅滞か境界レベルであることを前提にし,上記2対象者の対象行為時の責任能力について検討する。 対象行為は,母と共依存関係にあった対象者が,母が出て行ったことで,感情が不安定となり,警察を利用して母を連れ戻そうとし,警察に対し,自傷行為に及ぶなど訴えて,自己の要求に沿わせようとしたが,それまでと異なり,警察が要求に応じないことから,行動をエスカレートさせた結果であると認められる。そして,対象行為の結果,対象者は,住居を失い,飼い猫が焼け死ぬといった事態にもなっているが,その状況は,まさに,結果を考慮せず,衝動に基づいて行動する傾向が著しいという情緒不安定性人格障害そのものの行動で,被告人の性格や行動傾向に深く根ざしたものであり,その動機も十分に了解可能である。 また,対象者の言動の経緯(上エ)を見ると,J鑑定が指摘するとおり,対象者には放火が違法行為であるとの認識や理解があったからこ そ,対象者は警察官に対する働きかけの材料にしたと認められる上,対象者は,警察官の受け答えに応じ,段階的に違法行為の危険度を上げ,警察官への働きかけの程度を強めていったと認められるのであり,以上によれば,対象者は自己の置かれた状況等を冷静に理解判断していると認められ,そのほかに理解力や判断力の乏しさを窺わせる事情はない。また,その行動も,母がいなくなった不安から,母を取り戻すためになされた行動として首 は自己の置かれた状況等を冷静に理解判断していると認められ,そのほかに理解力や判断力の乏しさを窺わせる事情はない。また,その行動も,母がいなくなった不安から,母を取り戻すためになされた行動として首尾一貫している。そして,対象者は,対象行為後,火力によって人の死傷などの重大な被害が生じると予測し,すぐに,隣人宅に向かい,火事であると告げた後,自らも速やかに避難し,119番通報をし,火災場所や状況等を伝えているのであり,的確な状況理解と判断の下,その判断に従った的確な行動をしていると認められる。 結語以上によれば,対象行為時,対象者の事理弁識能力及び行動制御能力が著しく減退していたとはいえず,対象者は心神耗弱者ではなく,完全責任能力者であることに合理的疑いはない。 3 よって,医療観察法40条1項2号,11条2項により,主文のとおり,決定する。 平成30年11月20日札幌地方裁判所刑事第2部 裁判官向井志穂 別紙 対象行為対象者は,Lら3名が現に住居として使用し,かつ,Mら2名が現在する北海道X市d町e丁目・・・所在の共同住宅「H」(木造サイディング張り2階建,床面積合計170.1平方メートル)に放火しようと考え,平成30年4月17日午後11時25分頃,同建物2階奥の当時の対象者方において,その室内に灯油を散布した上,何らかの方法で火を放ち,床等に燃え移らせ,よって,同建物を焼損(焼損面積約66.952平方メートル)したものである。 対象行為の名称及び条文現住建造物等放火刑法第108条 称及び条文 現住建造物等放火 刑法第108条
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