○ 主文 1 原告らの請求を棄却する。2 訴訟費用のうち、参加によつて生じた費用は補助参加人の負担とし、その余は原告らの負担とする。○ 事実第一当事者の求めた裁判一原告ら 1 被告が昭和四七年六月二六日付でした別紙物件目録記載の土地の表示登記の抹消登記処分を取り消す。2 訴訟費用は被告の負担とする。との判決二被告主文第1項同旨及び「訴訟費用は原告の負担とする。」との判決第二当事者の主張一原告らの請求原因 1 別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)は、Aが昭和二七年一二月一六日東京法務局大森出張所受付第八二二七号をもつて所有権保存登記をし、次いで昭和三八年六月一三日同出張所受付第一八九二七号をもつて同人から伴野通商株式会社に、更に昭和四〇年一月一二日同出張所受付第五八九号をもつて同会社からBにそれぞれ所有権移転登記がなされ、Bが登記簿上の所有名義人である。2 被告は、本件土地につき管轄登記所の登記官として登記事務を掌つているものであるが、昭和四七年六月二六日本件土地が不存在であるとの理由で本件土地の表示登記の抹消登記をし(以下「本件処分」という。)、同月二七日付でBに対し不動産登記法(以下「法」という。)第六二条に基づく通知をし、右通知は同月二九日同人に到達した。3 しかしながら、本件処分は次のとおり違法である。(一) 法第一四九条ないし第一五一条違反表示登記の抹消登記については、法第二五条ノ二の規定に先立つて、先ず法第四章第五節の規定が適用されるべきである。すなわち、法第二五条ノ二の規定は、同章第一節「通則」中に置かれ、第二節「不動産ノ表示二関スル登記手続」には、表示の登記の外、表示の変更登記、更正登記等の規定が置かれているものの、表示の抹消登記の規定はなく、同章第五節として別に「抹消二関スル登記 則」中に置かれ、第二節「不動産ノ表示二関スル登記手続」には、表示の登記の外、表示の変更登記、更正登記等の規定が置かれているものの、表示の抹消登記の規定はなく、同章第五節として別に「抹消二関スル登記手続」の規定が置かれていることからすると、この節の規定が表示に関する登記の抹消登記と権利に関する登記の抹消登記との両者に関する規定であると解すべきである。 定はなく、同章第五節として別に「抹消二関スル登記 則」中に置かれ、第二節「不動産ノ表示二関スル登記手続」には、表示の登記の外、表示の変更登記、更正登記等の規定が置かれているものの、表示の抹消登記の規定はなく、同章第五節として別に「抹消二関スル登記手続」の規定が置かれていることからすると、この節の規定が表示に関する登記の抹消登記と権利に関する登記の抹消登記との両者に関する規定であると解すべきである。このことは同節中の規定には「登記ノ抹消」(第一四六条第一項)、「登記ヲ完了シタル後其登記カ」(第一四九条第一項)、「登記ヲ抹消スル」(第一五一条)などと単に「登記」とのみ規定している条項が存するところ、法第一条によれば、「登記」とは表示の登記と権利に関する登記の両者を含むものとされていることからも明らかである。従つて、抹消登記については、表示登記の抹消登記をも含めて、先ず特則たる第五節中の規定が適用されるべきところ、本件処分は、いつたんなされた土地の表示登記について、登記官が該土地の不存在なることを発見したとして右表示登記の抹消登記をするものであるから、法第一四九条第一項の「登記カ第四九条第二号二該当スルモノナルコトヲ発見シタルトキ」に当たるというべく、かかる場合には当然法第一四九条ないし第一五一条所定の手続を履践すべきである。特に本件土地については、Bの所有権の登記がなされているのであるから、本件土地の表示登記を抹消することは、実質的には権利の登記の喪失又はそれに準ずる事態を意味し、これを職権でなすに当たつてはこのことが一層強調されなくてはならない。しかるに、被告は本件処分をするに当たつて右各法条所定の手続を全く履践することなく、もつぱら法第二五条ノ二の規定によつて本件処分をしたのであるから、この点において違法たるを免れない。(二) 法第五〇条違反法第五〇条によれば、登記官に、土地又は 所定の手続を全く履践することなく、もつぱら法第二五条ノ二の規定によつて本件処分をしたのであるから、この点において違法たるを免れない。(二) 法第五〇条違反法第五〇条によれば、登記官に、土地又は建物の表示に関する登記をなす場合において必要あるとぎは、土地又は建物の表示に関する事項を調査することができる旨規定されているが、右の「調査」をすると否とに関する裁量は登記官の恣意に委ねられているのではない。 所定の手続を全く履践することなく、もつぱら法第二五条ノ二の規定によつて本件処分をしたのであるから、この点において違法たるを免れない。(二) 法第五〇条違反法第五〇条によれば、登記官に、土地又は建物の表示に関する登記をなす場合において必要あるとぎは、土地又は建物の表示に関する事項を調査することができる旨規定されているが、右の「調査」をすると否とに関する裁量は登記官の恣意に委ねられているのではない。すなわち、不動産に関する登記事務の取扱いについては、不動産登記事務取扱手続準則(昭和四六年三月一五日民事甲第五五七号民事局長通達、以下「準則」という。)が定められており、登記官は登記事務の処理に当たり、法令に定めるものの外、右準則にも準拠してその裁量を行なうべき職責を有するところ、準則第八一条は「登記官は、事情の許す限り積極的に不動産の実地調査を励行し、その結果必要があるときは、不動産の表示に関する登記を職権でしなければならない。」と定めており、職権をもつて不動産の表示に関する登記をする場合には、その不動産の実地調査をすべきことが前提とされているのである。ところが本件の場合、被告は、特段の事由もないのに、何らの実地調査もしないで本件処分をしたものであり、右は法第五〇条の趣旨を誤解し、準則の規定に違背してその裁量権を濫用したものであり、結局本件処分には法第五〇条に違背した違法がある。(三) 抹消登記をするための要件の欠缺本件処分は、本件土地が不存在であるとの理由によつてなされたものであるが、本件土地が分筆され、一六〇八番六の地番が付された当時から土地として存在していた。すなわち、本件土地は東京都大田区<地名略>(以下、土地の表示について特に断らない限り「東京都大田区<地名略>」であるから、これを省略し、地番のみによる。)の土地から分筆され 地として存在していた。すなわち、本件土地は東京都大田区<地名略>(以下、土地の表示について特に断らない限り「東京都大田区<地名略>」であるから、これを省略し、地番のみによる。)の土地から分筆されたものであるが、右一六〇八番の土地は、明治三九年五月二二日東京府荏原郡<地名略>寄洲三三町三反二畝六歩として内務省名義で保存登記された土地に由来するものであつて、その後地目が寄洲から雑種地に変更されたものの、所有権の対象となつていたものであり、一六〇八番六として本件土地の地番が設定された当時、土地として存在していた。 都大田区<地名略>」であるから、これを省略し、地番のみによる。)の土地から分筆されたものであるが、右一六〇八番の土地は、明治三九年五月二二日東京府荏原郡<地名略>寄洲三三町三反二畝六歩として内務省名義で保存登記された土地に由来するものであつて、その後地目が寄洲から雑種地に変更されたものの、所有権の対象となつていたものであり、一六〇八番六として本件土地の地番が設定された当時、土地として存在していた。仮に、本件土地の部分が地番設定当時土地として不存在であつたとしても、少くとも本件処分当時には埋立てられて海面上の土地となつていたのであり、その現況上の位置は、運輸大臣の昭和四三年六月一日付東京都知事宛の「東京国際空港拡張に伴う公有水面埋立工事の竣工について」と題する書面添付の図面(以下「埋立竣工図」という。)に表示されている部分(別紙図面(一)のA1、A2、A3、A4、A5、A6、A1の各点を順次結んだ線内の部分。但し、その北辺側の地形はやや異なる。)の西半部分に当たる位置である。従つて、本件土地の登記は、少くとも本件処分当時は有効な登記となつていたことが明らかである。よつて、本件処分は、本件土地が不存在でないのにかかわらず不存在として行なわれた点において違法たるを免れない。(四) 権限の逸脱元来、法第二五条ノ二の規定は、不動産の現況に開して登記官の職権登記を認めたものであつて、右規定に基づいてすることのできる登記の範囲は、登記時点における不動産の客観的物理的性状に基づいてする場合に限られ、過去におけるその性状を職権によつて調査し、登記することまで認めたものではない。このことは、法第五〇条による調査が前記のとおり実地調査とされ ける不動産の客観的物理的性状に基づいてする場合に限られ、過去におけるその性状を職権によつて調査し、登記することまで認めたものではない。このことは、法第五〇条による調査が前記のとおり実地調査とされていることからも明らかである。しかるに本件処分は、右のとおり少くとも本件処分当時にはすでに海面上の土地となつていたのに、地番設定時に遡つてこれを不存在としたものであるから、法第二五条ノ二によつて登記官に付与された権限を逸脱した違法がある。(五) 裁量権の濫用本件土地は国がAとの間で係争中の土地に含まれていた。すなわち、国はAに対し、(1)一五九二番一逓信省用地五三町三反三畝一〇歩(一六万坪)を所有することを確認する、(2)Aは国に対し一六〇八番六雑種地七町八反一畝一三歩(すなわち本件土地)について昭和二七年一二月一六日東京法務局大森出張所受付第八二二七号をもつてなされた所有権保存登記の抹消登記手続をすること、等を訴求し(東京地方裁判所昭和三四年(ワ)第一四七六号土地所有権確認並びに登記抹消請求事件)、その理由として右(2)の登記は右(1)の土地の上に存在する、いわゆる二重登記であるから、その抹消を求めると主張していたところ、右訴訟は昭和三八年三月三〇日判決言渡しがあり、(2)の請求部分については棄却され、国は右敗訴部分について控訴し、本件処分当時は東京高等裁判所に係属中だつたのである。 手続をすること、等を訴求し(東京地方裁判所昭和三四年(ワ)第一四七六号土地所有権確認並びに登記抹消請求事件)、その理由として右(2)の登記は右(1)の土地の上に存在する、いわゆる二重登記であるから、その抹消を求めると主張していたところ、右訴訟は昭和三八年三月三〇日判決言渡しがあり、(2)の請求部分については棄却され、国は右敗訴部分について控訴し、本件処分当時は東京高等裁判所に係属中だつたのである。しかも被告は、本件土地の状況及び本件処分をすることの可否について多大の疑問を抱いていたのであつて、このことは、被告が本件処分の約一か月前の昭和四七年五月二五日付で東京法務局長に「伺い」を提出し、その中において「土地表示登記の抹消処分の可否についていささか疑義があり」と述べていることからも窺うことができる。このように、国が一審において敗訴し、訴訟の結末が確 東京法務局長に「伺い」を提出し、その中において「土地表示登記の抹消処分の可否についていささか疑義があり」と述べていることからも窺うことができる。このように、国が一審において敗訴し、訴訟の結末が確定せず、土地の状況にも疑問があつたのに実地調査もせず、国の機関である被告が本件処分を敢行したのは、国の敗訴判決を行政処分によつて実質的に覆えそうと図つたもので、裁量権の著しい濫用である。4 Bは昭和五〇年四月一五日死亡し、原告両名が相続によりBの権利義務を承継した。よつて、原告らは被告に対し本件処分の取消しを求める。二請求原因に対する被告の認否請求原因1、2の事実は認める。同3(一)の主張は争う。同3(二)のうち、表示に関する登記に際しては原則として実地調査を行なう取扱いとなつていることは認めるが、被告が実地調査をしないで本件処分をしたとの点は否認し、その余は争う。同3(三)のうち、本件土地が一六〇八番の土地(正確には同番一の土地)から分筆されたこと、右一六〇八番の登記簿上の記載及びその変動が原告ら主張のとおりであること並びに一六〇八番六として表示される部分の一部が本件処分当時土地となつていたことは認めるが、その余は争う。同3(四)の主張は争う。同3(五)のうち、国とAとの間に原告ら主張のような訴訟が係属したこと及び被告が東京法務局長に「伺い」を提出したことは認めるが、その余の主張は争う。同4の主張は争う。三被告の主張 1 被告が本件処分をするに至つた経緯は次のとおりである。 その変動が原告ら主張のとおりであること並びに一六〇八番六として表示される部分の一部が本件処分当時土地となつていたことは認めるが、その余は争う。同3(四)の主張は争う。同3(五)のうち、国とAとの間に原告ら主張のような訴訟が係属したこと及び被告が東京法務局長に「伺い」を提出したことは認めるが、その余の主張は争う。同4の主張は争う。三被告の主張 1 被告が本件処分をするに至つた経緯は次のとおりである。(一) 昭和四七年五月九日付で運輸省航空局長から東京法務局大森出張所長宛に、一六〇八番六及び一六〇九番六の土地は海面であつたにもかかわらずあたかも陸地であるかのような登記がなされているので、右各土地の表示登記を抹消するよう申出があつた。(二) そこで、 森出張所長宛に、一六〇八番六及び一六〇九番六の土地は海面であつたにもかかわらずあたかも陸地であるかのような登記がなされているので、右各土地の表示登記を抹消するよう申出があつた。(二) そこで、被告において調査したところ、右一六〇八番六及び一六〇九番六の土地の表示登記については、次のような経緯が存することが認められた。(1) 昭和二五年四月二二日所有名義人Aの申告により、第一種地成(昭和三五年法律第一四号によつて廃止される前の土地台帳法第二条、第三条、第一八条参照)を理由として、一六〇八番は地積三三町三反二畝六歩として、また一六〇九番は地積三五町一反二五歩として土地台帳に登録された。(2) 昭和二八年三月二五日同じくAの申告により、一六〇八番については二五町五反二三歩に、一六〇九番については二七町八反二畝一七歩に地積訂正されたうえ、それぞれ一六〇八番一、二、三及び一六〇九番一、二、三に分筆された。なお、右申告には東京調達局不動産部不動産管理課長作成名義の実測図が添付されており、右図面によれば一六〇八番及び一六〇九番は、当時の羽田飛行場の滑走路の最北端の部分に当たり、ほぼ矩形で、東、北、西の三方を水に囲まれ、東側は東貫川、北側は東京湾、西側は海老取川に面する区域であつた。(3) 昭和二八年一二月七日Aの申告により、<地名略>、<地名略>、<地名略>及び<地名略>、<地名略>、<地名略>はそれぞれ合筆され、それぞれ<地名略>及び<地名略>とされたうえ、同年一二月一四日<地名略>は三三町三反二畝六歩に、<地名略>は三五町一反二五歩に地積訂正が行なわれた。 に当たり、ほぼ矩形で、東、北、西の三方を水に囲まれ、東側は東貫川、北側は東京湾、西側は海老取川に面する区域であつた。(3) 昭和二八年一二月七日Aの申告により、<地名略>、<地名略>、<地名略>及び<地名略>、<地名略>、<地名略>はそれぞれ合筆され、それぞれ<地名略>及び<地名略>とされたうえ、同年一二月一四日<地名略>は三三町三反二畝六歩に、<地名略>は三五町一反二五歩に地積訂正が行なわれた。ところで、右合筆及び地積訂正の申告書添付の実測図と前記(2)の実測図とを対比すると、(2)の実測図の東京湾に面する部位に新たに地積増量となつた合計一五町九畝二一歩(<地名略>については七 われた。ところで、右合筆及び地積訂正の申告書添付の実測図と前記(2)の実測図とを対比すると、(2)の実測図の東京湾に面する部位に新たに地積増量となつた合計一五町九畝二一歩(<地名略>については七町八反一畝一三歩、<地名略>については七町二反八畝八歩)相当の山形の土地(以下「山形部分」という。)が附加されており、これが新たに<地名略>及び<地名略>の土地に含まれるものとして申告されている。(4) 昭和二八年一二月一四日Aの申告により、<地名略>から<地名略>、<地名略>が、<地名略>から<地名略>、<地名略>がそれぞれ分筆され、さらに昭和二九年一二月二〇日<地名略>から<地名略>が地積七町八反一畝一三歩として、<地名略>から<地名略>が地積七町二反八畝八歩としてそれぞれ分筆された。そうして、右<地名略>及び<地名略>の分筆申告書に添付された実測図と前記(3)の地積訂正の申告書添付の実測図とを対比すると、<地名略>及び<地名略>として分筆された土地は、前記(3)記載の東京湾に面する区域に新たに附加された山形部分に該当するものであることが明らかとなつた。(三) ところが、右のようにして登録された山形部分は、東京都が昭和一四年一月三一日付で埋立免許を受けていた区域の一部であつて、昭和二八年一二月二〇日当時埋立工事未竣工の海面であつたことが明らかである。すなわち、前記(二)(3)記載の地積訂正の申告書には、東京都の埋立免許区域図が添付されており、この図面と同申告書に添付されている実測図とを対比すれば、新たに附加された山形部分の実測図は右埋立免許区域図に基づいて作成、求積されているのであり、また当時の航空写真と対比してみても山形部分は海面であることが明瞭に認められたからである。 和二八年一二月二〇日当時埋立工事未竣工の海面であつたことが明らかである。すなわち、前記(二)(3)記載の地積訂正の申告書には、東京都の埋立免許区域図が添付されており、この図面と同申告書に添付されている実測図とを対比すれば、新たに附加された山形部分の実測図は右埋立免許区域図に基づいて作成、求積されているのであり、また当時の航空写真と対比してみても山形部分は海面であることが明瞭に認められたからである。そうして、右東京都が受けていた埋立免許は昭和三五年一二月五日付 域図に基づいて作成、求積されているのであり、また当時の航空写真と対比してみても山形部分は海面であることが明瞭に認められたからである。そうして、右東京都が受けていた埋立免許は昭和三五年一二月五日付で取り消され、運輸大臣が昭和四三年五月一日付で東京都知事の埋立承認を得て、右区域を含む地域を羽田飛行場拡張用地として埋立て、同年六月一日付で東京都知事宛に埋立竣工の通知をしていることが証明された。(四) 従つて、<地名略>及び<地名略>の土地の部分は、本来その元番である<地名略>及び<地名略>の土地には含まれていなかつたのであり、かつ地番設定当時海面であつて、土地でなかつたことが明らかとなつたので、これらの土地(本件土地は右のうち<地名略>の土地である。)の表示登記を存置することは全く無意味であるから、被告は法第二五条ノ二に基づき、その表示登記の抹消をしたのである。2 原告らは本件処分が違法であると主張するが、何ら理由がない。(一) 法第一四九条ないし第一五一条違反の主張について法第一四九条ないし第一五一条は権利に関する登記についての職権抹消の手続規定であつて、表示に関する登記についての規定ではない。表示に関する登記は、昭和三五年法律第一四号による法改正の際、土地台帳法、家屋台帳法が廃止されたことに伴い、これに代るものとして、登記簿に土地台帳又は家屋台帳の機能を与え、これによつて不動産自体の形状、位置を明確にするため、権利に関する登記とは別個に新設された登記制度である(法第一条)。そうして、不動産の現況を正確に把握し、これを公示することは、法の目的である取引の安全を維持する上においても欠くべからざるものであり、かつ物の客観的存在は権利変動の有無と異なり、登記官の職権調査により十分明らかにすることが可能であるので、表示に関する登記について 家屋台帳の機能を与え、これによつて不動産自体の形状、位置を明確にするため、権利に関する登記とは別個に新設された登記制度である(法第一条)。そうして、不動産の現況を正確に把握し、これを公示することは、法の目的である取引の安全を維持する上においても欠くべからざるものであり、かつ物の客観的存在は権利変動の有無と異なり、登記官の職権調査により十分明らかにすることが可能であるので、表示に関する登記について 的である取引の安全を維持する上においても欠くべからざるものであり、かつ物の客観的存在は権利変動の有無と異なり、登記官の職権調査により十分明らかにすることが可能であるので、表示に関する登記については、当事者の申請による外、職権で登記することとし(法第二五条ノ二)、登記官は土地又は建物の表示に関する事項を職権で調査することができ(法第五〇条)、登記官が表示に関する登記をした場合は、法第六二条に従い、遅滞なくその旨を申請人以外の表題部に記載したる所有者、更正前の表題部に所有者として記載された者もしくは所有権の登記名義人又はその一人に通知することを要し、かつこれをもつて足りるとしたのである。一方、権利に関する登記については、仮にその登記が違法で本来却下されるべき場合であつても、いつたん登記がなされた以上、その抹消は当事者の申請によらしめることとし、ただ法第四九条第一、二号の場合には登記の無効が明らかであるので、法は例外的に当事者の申請をまたず、登記官の職権によつて抹消する途を開いたのであつて、その手続規定が法第一四九条ないし第一五一条である。このように法第一四九条ないし第一五一条の職権による抹消登記手続の規定は、権利の登記に関する特別規定であつて、表示の登記に関するものではない。このことは抹消に関する登記手続の特則を規定している第四章第五節のその他の規定がいずれも権利に関する登記に関するものであることからも明らかである。(二) 法第五〇条違反の主張について原告らは、被告が本件処分をするに当たり実地調査をしなかつたから法第五〇条に違反する旨主張するが被告は実地調査をしているのであつて、原告らの主張はその前提を欠き失当である。また表示に関する登記に際し、原則として実地調査を行なう取扱いとなつていることは原告ら主張のとおりであるが、法第五〇条 が被告は実地調査をしているのであつて、原告らの主張はその前提を欠き失当である。 二) 法第五〇条違反の主張について原告らは、被告が本件処分をするに当たり実地調査をしなかつたから法第五〇条に違反する旨主張するが被告は実地調査をしているのであつて、原告らの主張はその前提を欠き失当である。また表示に関する登記に際し、原則として実地調査を行なう取扱いとなつていることは原告ら主張のとおりであるが、法第五〇条 が被告は実地調査をしているのであつて、原告らの主張はその前提を欠き失当である。また表示に関する登記に際し、原則として実地調査を行なう取扱いとなつていることは原告ら主張のとおりであるが、法第五〇条によれば、登記の要件として実地調査を義務づけているわけではなく、登記官は必要があると認めるとき実地調査をすれば足りるのであり、実地調査をしなかつたからといつて直ちに法第五〇条違反となるものではない。本件の場合、本件土地が不存在であつたことは実地調査を行なうまでもなく資料によつて十分認められたのであつて、実地調査は必要でなかつたが、被告は念のため実地調査をして本件処分を行なつたのであり、何ら違法はない。(三) 抹消登記をするための要件欠缺の主張について原告らは、本件土地の元番である<地名略>の土地は当初から寄洲として存在しており、本件土地が分筆された際すでに土地として存在していたと主張する。しかしながら、<地名略>は前記のとおり昭和二八年一二月七日の合筆及び同月一四日の地積訂正の際に<地名略>の土地に附加され、昭和二九年一二月二〇日その附加された部分のみを分筆することによつて地番が設定されたものであるところ、その元番である<地名略>が明治三九年五月二二日内務省名義で保存登記された際、その位置、範囲は客観的に確定されており、本件土地の部分はその範囲に含まれておらず、しかも本件土地が分筆された当時、いまだ海面下に没していて私権の対象となり得なかつたのであるから、本件土地の表示登記は土地不存在の登記として無効であつた。そうしてその後たまたま当該区域が公有水面埋立法の定めるところにより埋立権を取得した国によつて埋立てられ、陸地となり、私権の対象となり得るに至り、当該埋立部分がその存在位置関係からして一見あたかも本件地番の付された土地に該当する部分で 面埋立法の定めるところにより埋立権を取得した国によつて埋立てられ、陸地となり、私権の対象となり得るに至り、当該埋立部分がその存在位置関係からして一見あたかも本件地番の付された土地に該当する部分であるかのような現象を呈したとしても、右埋立てによつて造成された土地は本件土地の表示登記によつて把握されている架空の土地とは全く同一性がない別個の土地である。 見あたかも本件地番の付された土地に該当する部分で 面埋立法の定めるところにより埋立権を取得した国によつて埋立てられ、陸地となり、私権の対象となり得るに至り、当該埋立部分がその存在位置関係からして一見あたかも本件地番の付された土地に該当する部分であるかのような現象を呈したとしても、右埋立てによつて造成された土地は本件土地の表示登記によつて把握されている架空の土地とは全く同一性がない別個の土地である。右埋立てによつて造成された土地は、昭和四七年六月二七日「東京都大田区<地名略>、雑種地一九九八八五平方メートル、所有者運輸省として表示登記がなされたが、その位置、形状は請求原因3(三)掲記の埋立竣工図に示されているとおりであり(別紙図面(一)のA1、A2、A3、A4、A5、A6、A1の各点を順次結ぶ線内の部分)、本件土地の位置、形状とは大幅な違いがある。従つて、本件土地の表示登記を、右埋立地を表示し、把握するものとして流用することは到底許されない。よつて、本件土地の表示登記は無効であり、登記官がこのような無効な登記を職権で抹消したことは、何ら違法ではない。(四) 権限逸脱の主張について登記官が表示登記を抹消する際、表示登記の地番に相当する部分が土地となつている場合でも、表示登記がなされた当時その地番に該当する部分が海面下にあつたような場合には、登記官は土地の不存在を理由として右表示登記の抹消登記をすることができるものというべきであつて、登記官の調査権限が限定され、過去の事実に及ばないとする原告らの主張は理由がない。(五) 裁量権濫用の主張について国とAとの間に原告ら主張のような争訟が係属した(但し、国の敗訴理由は、一審当時<地名略>及び<地名略>の各区域が訴訟上特定できないことを理由とするものであつた。)のは事実であるが、右のとおり本件土地は不存在であることが職権調査により明らかとな 但し、国の敗訴理由は、一審当時<地名略>及び<地名略>の各区域が訴訟上特定できないことを理由とするものであつた。)のは事実であるが、右のとおり本件土地は不存在であることが職権調査により明らかとなつた以上、不動産取引上の無用の混乱を防止するため、その表示登記を抹消したのは当然であつて、何ら裁量権濫用のそしりを受けることはない。なお、被告が東京法務局長に伺いをたてたのは、本件土地を含む隣接地について争訟中であり、その処分に慎重を期するため、特に上司である東京法務局長の指示を仰いだのであつて、「処分の可否につきいささか疑義があり」との文言は、法務当局において伺いをたてる場合の常用文言であり、本件処分をすること自体について疑問があつたとの趣旨ではない。 登記を抹消したのは当然であつて、何ら裁量権濫用のそしりを受けることはない。なお、被告が東京法務局長に伺いをたてたのは、本件土地を含む隣接地について争訟中であり、その処分に慎重を期するため、特に上司である東京法務局長の指示を仰いだのであつて、「処分の可否につきいささか疑義があり」との文言は、法務当局において伺いをたてる場合の常用文言であり、本件処分をすること自体について疑問があつたとの趣旨ではない。四被告の主張に対する原告らの認否 1 被告の主張1について(一) の事実は、<地名略>及び<地名略>の各土地が海面であつたのにあたかも陸地であるかのような登記がなされているとの点は否認し、その余は認める。(二) の(1)ないし(4)の事実は認める。(三) 及び(四)の主張は争う。2 被告の主張2について(一) 及び(二)の主張は争う。(三) のうち、<地名略>の土地が明治三九年五月二二日内務省名義で保存登記されたものであることは認め、運輸大臣による埋立地の表示登記がなされたとの点は不知。その余の主張は争う。(四) 及び(五)の主張は争う。第三証拠(省略)○ 理由一請求原因1、2の事実は当事者間に争いがない。二そこで先ず、被告が本件処分をするに至つた経緯について検討する。1 昭和四七年五月九日付で運輸省航空局長から東京法務局大森出張所長宛に<地名略>及び<地名略>各土地の表示登記を抹消するよう申出があつたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第一号証によると、右申出 七年五月九日付で運輸省航空局長から東京法務局大森出張所長宛に<地名略>及び<地名略>各土地の表示登記を抹消するよう申出があつたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第一号証によると、右申出の理由は、右の各土地は従前から海面であつたにもかかわらず、Aにより東京都港湾局長の証明書及び埋立免許付属図を利用し、あたかも<地名略>及び<地名略>の地続きの一部であるかのようにして登記されたものであるから、職権によりその表示登記を抹消されたいというにあつたことが明らかである。2 そこで被告が右申出に基づき調査したところ、<地名略>(すなわち本件土地)及び<地名略>の土地の表示登記については、被告の主張1(二)の(1)ないし(4)のような事実の存することが明らかになつたことは当事者間に争いがなく、これを要するに、<地名略>及び<地名略>の土地は、昭和二五年四月二二日土地台帳に第一種地成として登録され、昭和二八年三月二五日Aによつて地積訂正及び分筆がなされたが、右申告書に添付された図面によると、右の各土地は当時の羽田飛行場の滑走路の最北端の部分に当たり、ほぼ矩形で、東側は東貫川、北側は東京湾、西側は海老取川に面した土地として記載されていたところ、同番の各六の土地は、その後同人の申告による同年一二月七日付合筆及び同年一二月一四日付地積訂正(地積増量)の際に添付された図面によると、同番の各一の土地の東京湾に面する部位に附加された山形部分に相当し、昭和二九年一二月二〇日同番の各一の土地から同番の各六として分筆されたものであることが判明したのである。 り、ほぼ矩形で、東側は東貫川、北側は東京湾、西側は海老取川に面した土地として記載されていたところ、同番の各六の土地は、その後同人の申告による同年一二月七日付合筆及び同年一二月一四日付地積訂正(地積増量)の際に添付された図面によると、同番の各一の土地の東京湾に面する部位に附加された山形部分に相当し、昭和二九年一二月二〇日同番の各一の土地から同番の各六として分筆されたものであることが判明したのである。そうして、前掲乙第一号証、成立に争いのない乙第二、三号証、第四、五号証の各一、二、第六号証、第七号証の一、二、第八号証の一ないし四、第九、一〇号証の各一、二、第一二ないし第一五号証、第一七号証の一ないし四 、前掲乙第一号証、成立に争いのない乙第二、三号証、第四、五号証の各一、二、第六号証、第七号証の一、二、第八号証の一ないし四、第九、一〇号証の各一、二、第一二ないし第一五号証、第一七号証の一ないし四、第三二号証(以上のうち第二、三号証、第六号証及び第一七号証の一ないし四以外は原本の存在についても争いがない。)証人C(第二回)の証言により真正に成立したものと認められる乙第二九号証、国際航業株式会社が撮影した羽田空港及びその周辺の航空写真であることに争いがなく、証人富永了一(第一回)の証言により昭和二七年七月一日の直前ころ撮影されたものと認められる乙第一一号証の一及び同じく昭和三五年五月八目撮影されたものと認められる乙第一一号証の二並びに証人C(第一、二回)の証言によれば、次の事実が認められる。すなわち、東京法務局大森出張所の登記官D及び同Cは、昭和四七年五月一五日及び同年六月二一日の二回にわたり、うち一回は同出張所長登記官Eとともに羽田空港のA滑走路の北端附近及びその周辺の土地を実地に見分したが、現地においては一六〇八番六及び一六〇九番六の区域を特定するに足りる程の標識を認めることはできなかつたものの、前記運輸省航空局長の申出書に添付された関係書類等に基づいて検討した結果、(1)右山形部分は昭和一四年一月三一日付で国の機関である東京府知事が地方公共団体たる東京府に対し公有水面埋立免許を附与した区域の一部であつて、昭和二八年一二月当時埋立工事は未竣工であり、右山形部分が海面であつたことは当時の航空写真によつても判別できること、(2)他方、右埋立免許のうち空港地先に関する部分については、その後免許が取り消され、別途運輸大臣による埋立工事が施工され(昭和四三年五月一日付東京都知事承認)、同大臣から昭和四三年六月一日付で同知事に提出された埋立工 共団体たる東京府に対し公有水面埋立免許を附与した区域の一部であつて、昭和二八年一二月当時埋立工事は未竣工であり、右山形部分が海面であつたことは当時の航空写真によつても判別できること、(2)他方、右埋立免許のうち空港地先に関する部分については、その後免許が取り消され、別途運輸大臣による埋立工事が施工され(昭和四三年五月一日付東京都知事承認)、同大臣から昭和四三年六月一日付で同知事に提出された埋立工 許のうち空港地先に関する部分については、その後免許が取り消され、別途運輸大臣による埋立工事が施工され(昭和四三年五月一日付東京都知事承認)、同大臣から昭和四三年六月一日付で同知事に提出された埋立工事竣工通知書添付の図面(埋立竣工図)によると右埋立てによつて造成された部分は右山形部分と一部重複していること、等の事実が判明したとし、これによると右山形部分は埋立てによつて造成された土地とは同一性がなく、これが分筆された当時海面であつて、不存在の土地であつたから、山形部分の表示登記は無効であるとの見解の下に、被告(当時同出張所長E)は法第二五条ノ二に基づき本件処分をしたものである。右のとおり認められ、被告のした認定・判断の当否はさて措き(この点は以下において詳述するとおりである。)、本件処分がなされた経緯については、右の認定を左右する証拠はない。なお、証人C(第一回)の証言によると、本件土地を管轄する東京法務局大森出張所においては、昭和三五年法律第一四号による改正前の登記用紙の表題部を改正後の登記用紙の表題部に改製する作業が完了した日が昭和四〇年四月一日であつたことが認められ、従つて右改正後の法のうち、不動産の表示に関する登記の規定が本件土地について現実に適用されるに至つたのは同日からである(右法律第一四号附則第二条及び第三条)。三そこで以下、原告ら主張の違法事由に則して、本件処分の適否を判断する。1 法第一四九条ないし第一五一条違反の主張について原告らは、表示登記の抹消登記については、先ず法第一四九条ないし第一五一条が適用され、同条所定の手続によるべきであると主張する。そこで考えるに、法は不動産の表示に関する登記手続として第四章第二節に第七八条以下の規定を置いており、この中には土地が当初から不存在であつたのに誤つてその表示登記がな 続によるべきであると主張する。そこで考えるに、法は不動産の表示に関する登記手続として第四章第二節に第七八条以下の規定を置いており、この中には土地が当初から不存在であつたのに誤つてその表示登記がなされてしまつた場合の措置については何ら規定を置いていないが、かかる原始的に無効な登記をそのまま存置しておくことは、不動産の客観的現況を公示し、取引の安全に資するとの登記制度の目的に照らし、無意味かつ有害であるから、土地の滅失の登記手続(第八八条)に準じ、土地の表示を抹消し、登記用紙を閉鎖すべく、その手続は表示に関する登記手続の総則規定である法第二五条ノ二、第五〇条、第六二条等に則つて行なうべきものと解するのが相当である。 については何ら規定を置いていないが、かかる原始的に無効な登記をそのまま存置しておくことは、不動産の客観的現況を公示し、取引の安全に資するとの登記制度の目的に照らし、無意味かつ有害であるから、土地の滅失の登記手続(第八八条)に準じ、土地の表示を抹消し、登記用紙を閉鎖すべく、その手続は表示に関する登記手続の総則規定である法第二五条ノ二、第五〇条、第六二条等に則つて行なうべきものと解するのが相当である。けだし、法は表示に関する登記については職権主義を採用し、登記官が実質的審査を行なつて事実を確認したうえ登記すべきものとしており(法第二五条ノニ)、かかる無効の表示登記を抹消することも「表示に関する登記」であることに変りがなく、かつ海没による土地の滅失のように後発的に無効の登記が生じた場合の登記と比較し、特に区別して取扱わなければならない理由も見出し難く、他方法第四章第五節の抹消に関する登記手続の規定は昭和三五年法律第一四号によつて表示に関する登記の制度が新設される前から存在していたもので(但し、改正前は第四節)、原告らが指摘する第一四九条ないし第一五一条の規定は右法律による改正前の第一四九条ノニ、三及び五として規定されていたところ、これらの規定は権利に関する登記の抹消登記を例外的に職権で行なう場合の特則を定めたものであつたのであり、右法改正は条文の内容自体を変更したものではなく、この改正によつて右規定の趣旨にも変更が加えられ、もともと職権で行なうべき表示に関する登記の抹消登記をも含むこととなつたものとは解されないからである。法改正は条文の内容自体を変更したものではなく、この改正によつて右規定の趣旨にも変更が加えられ、もともと職権で行なうべき表示に関する登記の抹消登記をも含むこととなつたものとは解されないからである。前記二の事実及び弁論の全趣旨によれば、被告が本件処分をするに際して法第一四九条ないし第一五一条所定の手続によらなかつたことは明らかであるが、右に示したところによれば、その点は何ら違法とはいえず、原告らの主張は理由がない。2 法第五〇条違反の主張について原告らは、被告が法第五〇条及び準則の規定に違反し、実地調査をしないで本件処分をしたのは違法であると主張する。しかしながら、被告が本件処分をするについて実地調査を行なつたことは前記二の2において認定したとおりであるから、本件において実地調査をしないことが本件処分の違法事由となるかどうかを論ずるまでもなく、原告らの主張は前提を欠き理由がない。 、原告らの主張は理由がない。2 法第五〇条違反の主張について原告らは、被告が法第五〇条及び準則の規定に違反し、実地調査をしないで本件処分をしたのは違法であると主張する。しかしながら、被告が本件処分をするについて実地調査を行なつたことは前記二の2において認定したとおりであるから、本件において実地調査をしないことが本件処分の違法事由となるかどうかを論ずるまでもなく、原告らの主張は前提を欠き理由がない。3 抹消登記をすべき要件欠缺の主張について(一) 本件土地の元番である<地名略>の土地が明治三九年五月二二日寄洲三三町三反二畝六歩として内務省名義で保存登記され(但し、当時の表示は東京府荏原郡<地名略>)、その後地目が雑種地に変更された土地に由来していることは当事者間に争いがない。そこで先ず、右<地名略>の土地の範囲について検討するに、成立に争いのない甲第一〇ないし第一二号証、乙第二五、二六号証、第二八号証の一、第三一号証(甲第一〇ないし第一二号証及び乙第三一号証については原本の存在についても争いがない。)並びに証人C(第一回)の証言によれば、(1)右<地名略>の土地及びこの土地とともに明治三九年五月二二日内務省名義で保存登記された<地名略>寄洲三五町一反二五歩の二筆の土地の所有権を有すると主張するF外三名が原告となり、右二筆の土地について、Gが明治三三年 地及びこの土地とともに明治三九年五月二二日内務省名義で保存登記された<地名略>寄洲三五町一反二五歩の二筆の土地の所有権を有すると主張するF外三名が原告となり、右二筆の土地について、Gが明治三三年一〇月一八日ほしいままにこれを東京府荏原郡<地名略>寄洲七〇町五反八畝一〇歩として保存登記し、明治三四年四月二六日これを<地名略>雑種地七〇町六反四畝二二歩と変更登記したとして、<地名略>から分筆された<地名略>、<地名略>、<地名略>の所有名義人G及び<地名略>の所有名義人京浜電気鉄道株式会社外一名を被告として、<地名略>及び<地名略>の土地の所有権確認並びに一五九二番一ないし四の保存登記抹消等を求めて、明治四二年東京地方裁判所に訴えを提起したが(明治四二年(ワ)第六一〇号事件、以下「第一次訴訟」という。)、同裁判所は大正二年一二月二六日Fらの請求を棄却する旨の判決を言渡したこと、(2)ところがその後、第一次訴訟の被告Gから数次の権利移転を経た後<地名略>、<地名略>、<地名略>が合筆された<地名略>の土地五三町三反三畝一〇歩(一六万坪)の所有権を昭和四年一二月二八日取得したと主張する国が原告となり、右一六〇八番及び一六〇九番の土地につき第一次訴訟原告Fらから数次の所有名義の移転を経て、一六〇八番につき昭和一七年四月一八日付で、一六〇九番につき同年二月四日付で登記簿上の所有名義人となつたA(但し、この登記簿は戦災により焼失したため、同人はあらためて昭和二七年一二月一六日付で両土地について所有権保存登記をし、その後両土地はけつきよく同番の各一、四、五、六に分筆された。 たと主張する国が原告となり、右一六〇八番及び一六〇九番の土地につき第一次訴訟原告Fらから数次の所有名義の移転を経て、一六〇八番につき昭和一七年四月一八日付で、一六〇九番につき同年二月四日付で登記簿上の所有名義人となつたA(但し、この登記簿は戦災により焼失したため、同人はあらためて昭和二七年一二月一六日付で両土地について所有権保存登記をし、その後両土地はけつきよく同番の各一、四、五、六に分筆された。)外五名を被告として、一五九二番一の土地の所有権確認及び一六〇八番、一六〇九番の各一、四、五、六の土地についてなされているAの所有権保存登記の抹消等を求める訴えを同裁判所に提起し 、六に分筆された。)外五名を被告として、一五九二番一の土地の所有権確認及び一六〇八番、一六〇九番の各一、四、五、六の土地についてなされているAの所有権保存登記の抹消等を求める訴えを同裁判所に提起し、A外一名は国に対し、右<地名略>、<地名略>の各一、<地名略>、<地名略>、<地名略>の土地の所有権確認と<地名略>についてなされている国のための所有権保存登記の抹消を求める反訴を提起したところ(昭和三二年(ワ)第二一四七号、昭和三四年(ワ)第一四七六号及び同年(ワ)第五二二四号事件、以下「第二次訴訟」という。)、同裁判所は昭和三八年三月三〇日、<地名略>、<地名略>の各六の土地に関しては国の本訴請求、Aの反訴請求をいずれも棄却し、その余は遅延損害金の一部を除き国の本訴請求を認容し、Aらの反訴請求を棄却する旨の判決の言渡しをしたことが認められ、この認定を左右する証拠はない。そうして、(1) 第一次訴訟、第二次訴訟の一審判決(前掲乙第二五号証、第三一号証)を検討すると、<地名略>及び<地名略>の二筆の土地の登記と<地名略>の土地の登記とは、いわゆる二重登記となつていたものであるが、そのようになつたそもそもの由来は、明治五年八月H及びIの両名が東京府から「東京府荏原郡<地名略>地先海岸寄洲一五〇町歩」につき鍬下年季(地租免除期間)一五年とし、代金二二五円をもつて払下げを受け、明治二一年ころには右Hの相続人J及び右Iの権利承継人Kが右権利を取得し、その後右Jの相続人L及び右Kの両名が東京府に対し引渡方を求めたところ、東京府は実測のうえ、明治三九年五月二二日これを内務省名義で保存登記したうえ、同月二八日右両名に対し所有権移転登記を了したものであつて、<地名略>及び<地名略>はこのようにして右両名が所有権移転登記を受けた土地のうちの二筆であること、 円をもつて払下げを受け、明治二一年ころには右Hの相続人J及び右Iの権利承継人Kが右権利を取得し、その後右Jの相続人L及び右Kの両名が東京府に対し引渡方を求めたところ、東京府は実測のうえ、明治三九年五月二二日これを内務省名義で保存登記したうえ、同月二八日右両名に対し所有権移転登記を了したものであつて、<地名略>及び<地名略>はこのようにして右両名が所有権移転登記を受けた土地のうちの二筆であること、 日これを内務省名義で保存登記したうえ、同月二八日右両名に対し所有権移転登記を了したものであつて、<地名略>及び<地名略>はこのようにして右両名が所有権移転登記を受けた土地のうちの二筆であること、ところがこれより先、右J及びKは払下げを受けた一五〇町歩の権利を他に処分し、数人の者を経て明治二五年一二月一八日Gがこれを買受け、その完全な所有権を取得したとして、係争土地の部分については明治三三年一〇月一八日これを前記のとおり東京府荏原郡<地名略>寄洲七〇町五反八畝一〇歩(後に変更されて同所<地名略>雑種地七〇町六反四畝二二歩)として保存登記していたのであつて、係争土地の二重登記は以上のような事情に起因していることが窺われる。(2) 文書の記載及び趣旨から第一次訴訟における甲第四号証として提出された文書であることが認められ、この事実と前掲乙第二五号証並びに弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第二〇号証(第一次訴訟の原告Fら代理人弁護士岡崎正也外一名作成にかかる「払下地重複概況輯合図」)によると、当時の一六〇八番及び一六〇九番の土地と一五九二番の土地とはおおむね重なり合つた土地として表示されており、ことに両者はいずれも北側は海面、東側は東貫澪、西側は海老取川に囲まれた区域であり、その北端の海面との境界線はほぼ東西に走る直線であつて、ほぼ合致し、かつその東端部分においてやや南方に折れ曲がつた形状を呈していることが認められる。(3) 文書の記載及び趣旨から第一次訴訟における乙第二号証の八の一として提出された文書であることが認められ、この事実と前掲乙第二五号証並びに弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第二一号証(東京府属M外一名作成にかかる「払下区域実測図」)には、Gが取得した七〇町五反八畝一〇歩の土地の範囲が明示さ 実と前掲乙第二五号証並びに弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第二一号証(東京府属M外一名作成にかかる「払下区域実測図」)には、Gが取得した七〇町五反八畝一〇歩の土地の範囲が明示され、その形状は右(2)の図面に示された<地名略>の土地の形状に合致していること及び右土地の北端境界線は、海老取川をはさんだ対岸の大森町と麹谷(後の糀谷と思われる。 た七〇町五反八畝一〇歩の土地の範囲が明示さ 実と前掲乙第二五号証並びに弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第二一号証(東京府属M外一名作成にかかる「払下区域実測図」)には、Gが取得した七〇町五反八畝一〇歩の土地の範囲が明示され、その形状は右(2)の図面に示された<地名略>の土地の形状に合致していること及び右土地の北端境界線は、海老取川をはさんだ対岸の大森町と麹谷(後の糀谷と思われる。)村との間の行政区界である水路を東方に延長した線にほぼ合致し、右北端線の北側は海面として表示されていることが認められる。(4) 成立に争いのない乙第四〇、四一号証は、証人N(第二回)の証言によると、同証人が昭和五二年六月二八日東京都公文書館において複写した図面であつて、その原図は、記載されている文言及びその趣旨からして東京府が前記のとおり荏原郡<地名略>地先一五〇町歩を実測した際に作成されたものであると推認されるところ(なお、これと乙第一九号証とを対比すると、乙第一九号証は右乙第四一号証の原図を基とした縮尺図であると考えられる。)、同図面に表示されている<地名略>及び<地名略>の土地の形状は右(2)の図面に表示されたところとほぼ合致していることが認められる。(5) 前掲乙第二五号証、第三一号証によると、H及びIは明治五年八月寄洲一五〇町歩の払下げを受けたが、右払下げを受けるために当局に提出した払下願書等の書類において、出願の場所を当初羽田村、鈴木新田及び糀谷村地先の外、大森村地先をも加えていたところ、後これを改め、大森村地先を除いて出願し、明治五年八月に東京府が同人らに払下げた場所の表示も前記のとおり「羽田村<地名略>地先」としているのであつて、大森村地先は払下げ対象区域から除かれていることが窺われるのであるが、この事実は右(3)の図面の記載と符合している。(二) 右に認定したとこ 記のとおり「羽田村<地名略>地先」としているのであつて、大森村地先は払下げ対象区域から除かれていることが窺われるのであるが、この事実は右(3)の図面の記載と符合している。(二) 右に認定したところによれば、<地名略>及び<地名略>として地番が付された土地は、明治五年に羽田村<地名略>地先海岸寄洲一五〇町歩として払下げられた土地に由来し、その一部であつて、<地名略>として地番が付された土地とほぼ重なり合い、大森及び糀谷両地区の行政区界である水路を東方に延長した直線(但し、東端においてやや南方に折れ曲がつている。 であるが、この事実は右(3)の図面の記載と符合している。(二) 右に認定したところによれば、<地名略>及び<地名略>として地番が付された土地は、明治五年に羽田村<地名略>地先海岸寄洲一五〇町歩として払下げられた土地に由来し、その一部であつて、<地名略>として地番が付された土地とほぼ重なり合い、大森及び糀谷両地区の行政区界である水路を東方に延長した直線(但し、東端においてやや南方に折れ曲がつている。以下同様の趣旨で用いる。)の南側に位置していたものと認めるのが相当であるところ、この事実は以下に認定するこの附近の地形にも符合している。(1) 成立に争いのない乙第三九号証は、陸地測量部が大正一一年に測図し、昭和三年及び同七年に修正を加えた二五〇〇〇分の一の地図であるが、これによると「羽田飛行場」と記載のある区域の北端附近の形状は前記(一)の(2)及び(4)の図面に表示されている<地名略>及び<地名略>の土地の北端附近の形状と符合し、かつ海老取川をはさんだ対岸との位置関係は前記(一)の(3)の図面の記載にほぼ合致しているのであつて、大森町とその南側の糀谷地区との間の行政区界である水路を東方に延長した直線が右「羽田飛行場」の用地の北端線にほぼ合致していることが明らかである。なお、この地図によると右北端線の北側には干潮時に水面上に洲となつてあらわれるものと思われる部分の記載があるが、その辺縁の形状は前記(一)の(2)及び(4)の図面に示されている<地名略>及び<地名略>の北端線の形状とは全く異なつている。((2)米軍が撮影した羽田空港及びその周辺の航空写真であることに争いがない乙第二二号証は、弁論の全趣旨により真正に成立したものと ている<地名略>及び<地名略>の北端線の形状とは全く異なつている。((2)米軍が撮影した羽田空港及びその周辺の航空写真であることに争いがない乙第二二号証は、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第三〇号証の一、二及び証人N(第一回)の証言によれば、昭和二〇年一一月ころ撮影されたものであることが認められるところ、この写真に写つている羽田空港用地の北端附近の地形及びこれと海老取川をはさんだ対岸との位置関係は右(1)の地図に記載されたところとほぼ一致し、右用地北端線の北側は海面であることが看取し得る。(3) 前掲乙第一一号証の一は、前記のとおり国際航業株式会社が昭和二七年七月一日の直前ころ撮影した羽田空港及びその周辺の航空写真であるが、この写真に写つている空港の全景は右(2)の写真とは大いに異なり、二本の滑走路(証人N(第一回)の証言によると南東から北西へ延びているのがA滑走路、南西から北東へ延びているのがB滑走路である。 れたところとほぼ一致し、右用地北端線の北側は海面であることが看取し得る。(3) 前掲乙第一一号証の一は、前記のとおり国際航業株式会社が昭和二七年七月一日の直前ころ撮影した羽田空港及びその周辺の航空写真であるが、この写真に写つている空港の全景は右(2)の写真とは大いに異なり、二本の滑走路(証人N(第一回)の証言によると南東から北西へ延びているのがA滑走路、南西から北東へ延びているのがB滑走路である。)が整備された状況が認められるのであるが、空港用地北端附近の地形及びこれと海老取川をはさんだ対岸との位置関係は右(2)の写真とほとんど変化はない。(4) アジア航空測量株式会社が撮影した羽田空港及びその周辺の航空写真であることに争いのない乙第一六号証の二は、証人Oの証言及び同証言により真正に成立したと認められる同号証の一、三、五(同号証の三については原本の存在もこれを認めることができる。)によると昭和三二年八月二三日午前一一時一五分ころ写真測量用のカメラで撮影したものであることが認められ、極めて鮮明な写真であるが、この写真に写つている空港北端附近の地形及び西側の海老取川とその対岸との位置関係は(3)の写真と同様であつて、空港用地北端線が対岸の大森、糀谷両地区の間の水路を東に延長した線にほぼ一致し、その北側 、この写真に写つている空港北端附近の地形及び西側の海老取川とその対岸との位置関係は(3)の写真と同様であつて、空港用地北端線が対岸の大森、糀谷両地区の間の水路を東に延長した線にほぼ一致し、その北側は海面であることが容易に看取し得る。(5) 前掲乙第一一号証の二は、前記のとおり国際航業株式会社が昭和三五年五月八日撮影した羽田空港及びその周辺の写真であるが、証人N(第一回)の証言によれば、この写真は当時の航空保安庁羽田航空保安事務所の注文により撮影されたものであることが認められるところ、この写真によると、空港用地自体の地形及びこれと海老取川をはさんだ対岸との位置関係は(4)の写真に写つているところと変化はないが、空港用地北側から南東側の海域にかけて突堤が設置されていることが認められる。そうして右N証人の証言に、よると、この突堤はA滑走路の北東側にこれと平行した新滑走路を建設するための埋立てを行なう目的で、昭和三四年ころからその工事を施工していたものであるが、空港用地北端線とその北側に設けられた突堤との間の海域は、突堤によつて完全に閉塞される前は漁船が通航していたことが認められ、前掲乙第一五号証添付の図面(昭和四三年五月二〇日付運輸大臣の埋立竣工図)の記載と対比するならば、埋立ては右突堤の内側の海域について行なわれたものであつて、埋立竣工後の空港用地の外縁線の形状は右突堤の形状に合致していることが明らかである。 ろからその工事を施工していたものであるが、空港用地北端線とその北側に設けられた突堤との間の海域は、突堤によつて完全に閉塞される前は漁船が通航していたことが認められ、前掲乙第一五号証添付の図面(昭和四三年五月二〇日付運輸大臣の埋立竣工図)の記載と対比するならば、埋立ては右突堤の内側の海域について行なわれたものであつて、埋立竣工後の空港用地の外縁線の形状は右突堤の形状に合致していることが明らかである。(6) 成立に争いのない乙第三五号証の一ないし六及び証人筧善夫の証言によると、昭和二八年二月ころ当時の東京調達局不動産部は羽田空港用地の調査図を作成したが、右作成の目的は同地区の公図が戦災で焼失し、存在していなかつたため、羽田空港が米軍から返還されたときにそなえて、その円滑な利用関係を期するにあつたこと、右調査図は米軍が撮影した航 査図を作成したが、右作成の目的は同地区の公図が戦災で焼失し、存在していなかつたため、羽田空港が米軍から返還されたときにそなえて、その円滑な利用関係を期するにあつたこと、右調査図は米軍が撮影した航空測量の写真を基にして、全域を六〇〇分の一の図面一五葉に表わし、関係権利者が所持していた図面等を参照しながらこれに地番と所有者名を記入したものであること(右調査図のうちの六葉が前掲乙第三五号証の一ないし六であり、これと甲第一号証の一とを対比するならば、甲第一号証の一のもととなつているのは右図面のうち関係部分六葉を一枚の用紙に複写したものであると認められる。)、当時の空港用地北端附近の現況は、石積みの護岸が設けられ、その上に数メートル幅で天端コンクリートが打つてあつて、道路となつており、右護岸の北側は常時海水によつて覆われている海面であつたことが認められる。ところで右調査図によると、右護岸の線の北方(図面上で測定してみると約一八〇メートル北方の位置)に、護岸線とほぼ平行な破線が描かれていて、右破線と護岸線とによつて囲まれた区域が<地名略>、<地名略>の土地であつてAの所有に属するものであるかのような記載がなされている。しかしながら、右筧証人の証言によると、右破線の位置は当時海面であつたのに、Aの代理と称する者がAの土地の境界線だと主張したため記入されたものであつて、その位置に何らかの標識等の物があつたわけではなく、また右破線と石積みの護岸線とに囲まれた区域が陸地となつていたわけでもないことが認められるのであつて、このことは右(2)ないし(5)の写真によつて認められる同所附近の状況に照らしても十分首肯し得るところである。 がら、右筧証人の証言によると、右破線の位置は当時海面であつたのに、Aの代理と称する者がAの土地の境界線だと主張したため記入されたものであつて、その位置に何らかの標識等の物があつたわけではなく、また右破線と石積みの護岸線とに囲まれた区域が陸地となつていたわけでもないことが認められるのであつて、このことは右(2)ないし(5)の写真によつて認められる同所附近の状況に照らしても十分首肯し得るところである。(三) 以上(一)及び(二)の事実によれば、<地名略>及び<地名略>と地番が付された土地の範囲は、大森及び糀谷両地区の行政区界 つて認められる同所附近の状況に照らしても十分首肯し得るところである。(三) 以上(一)及び(二)の事実によれば、<地名略>及び<地名略>と地番が付された土地の範囲は、大森及び糀谷両地区の行政区界である水路を東方に延長した直線のほぼ南側にあり、両土地の北端線の形状は昭和三五年ころまでの羽田空港用地北端の石積みの護岸の線にも符合し、その北側は、干潮時に洲となつて水面上にあらわれる部分があるにもせよ、海面であつたことが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。しかるところ、前掲乙第四、五号証の各一、二、第三五号証の一ないし六及び前記(二)(6)記載のとおり原本が存在しかつ真正に成立したものと認められる甲第一号証の一並びに証人Pの証言によれば、前記二2の冒頭記載のとおり昭和二八年三月二五日付でAによつてなされた地積訂正及び分筆の各申告書に添付された図面は右(二)(6)の東京調達局不動産部において作成した調査図を基にし、これを縮尺したものであり、従つて右添付図面の<地名略>及び<地名略>(但し、各一ないし三に分割してある。)の土地の北端線は右(二)(6)で認定した石積みの護岸線に一致しているものというべきであり、右の乙第四、五号証の各二と前掲乙第七ないし第一〇号証の各二とを対比するならば、<地名略>及び<地名略>に附加された山形部分は従前の同番の土地の北端線の北側にこれと接続して附加されたものであることが明らかである。そうして右の山形部分を右乙第一〇号証の二(昭和二九年一二月二〇日付分筆申告書添付の図面)によつて示すと別紙図面(二)記載のとおりである(但し、同図面中、各点間の距離を示す括弧内の数値は右添付図面に記載されているところをメートルに換算したものであり、B1、B10、B9、B8を結ぶ線が右護岸の線に相当する。 山形部分は従前の同番の土地の北端線の北側にこれと接続して附加されたものであることが明らかである。そうして右の山形部分を右乙第一〇号証の二(昭和二九年一二月二〇日付分筆申告書添付の図面)によつて示すと別紙図面(二)記載のとおりである(但し、同図面中、各点間の距離を示す括弧内の数値は右添付図面に記載されているところをメートルに換算したものであり、B1、B10、B9、B8を結ぶ線が右護岸の線に相当する。)。ところで、前 りである(但し、同図面中、各点間の距離を示す括弧内の数値は右添付図面に記載されているところをメートルに換算したものであり、B1、B10、B9、B8を結ぶ線が右護岸の線に相当する。)。ところで、前掲乙第六号証、第八号証の一ないし四によると、Aがした昭和二八年一二月一四日付地積訂正の際、その申告書に添付して山形部分を附加して地積を訂正することの証明書とされた図面は、東京府知事が昭和一四年一月三一日付で東京府に対し公有水面埋立の免許を与え、同一六年五月一九日付でその設計変更を許可した際の許可書に添付された図面の写であり、同図面には「羽田飛行場」とある区域の周辺に「第七区」として埋立免許区域が記載されていることが認められるところ、同図面の「羽田飛行場」の北端附近の地形は前記(二)(1)の地図、同(2)ないし(5)の写真に示されている羽田空港北端附近の地形と合致しており、「第七区」と表示された部分については、前掲乙第六号証に記載されている東京都港湾局長の証明によつても、また前記(二)で認定した事実に照らしても、昭和二八年一二月当時埋立工事はなされていなかつたことが認められるのである。もつとも、証人Qの証言及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第二ないし第六号証によれば、前記護岸線の北側にも<地名略>及び<地名略>の土地が一部存在するかのごとくであるが、これを前記認定に供した各証拠と対比するときは採用し難く、ことに右証言によれば、同証人は、甲第一号証の一の羽田空港土地調査図に表示されている<地名略>、<地名略>の土地と乙第一九号証の実測積算図に表示されている払下地とが同一の位置にあることを前提として甲第六号証を作図していることが認められるから、同号証はとうてい採用できない。(四) 以上のとおりであるから、Aが地積訂正によつて附加し、分筆 表示されている払下地とが同一の位置にあることを前提として甲第六号証を作図していることが認められるから、同号証はとうてい採用できない。 表示されている<地名略>、<地名略>の土地と乙第一九号証の実測積算図に表示されている払下地とが同一の位置にあることを前提として甲第六号証を作図していることが認められるから、同号証はとうてい採用できない。(四) 以上のとおりであるから、Aが地積訂正によつて附加し、分筆 表示されている払下地とが同一の位置にあることを前提として甲第六号証を作図していることが認められるから、同号証はとうてい採用できない。(四) 以上のとおりであるから、Aが地積訂正によつて附加し、分筆によつて<地名略>及び<地名略>との地番を付した山形部分は、右地積訂正及び分筆がなされた昭和二八年一二月一四日及び同二九年一二月二〇日当時海面であつたことが明らかであり、従つてこれを表示するものとしてなされた本件土地の表示登記は無効という外はない。なるほど、前掲乙第三一号証及び原本の存在、成立に争いのない乙第四二号証、第四三号証の一ないし四によると、明治初年の法制においては、海水が常時侵入する地所についても、これを払下げによつて私人の取得しうる権利の対象とすることができるものと考えられていたのであり、前記H及びIが明治五年に払下げを受けた海岸寄洲一五〇町歩に対する権利は国がそれまで有していた総括支配権であつて、この権利は民法施行により当然に土地所有権に移行したと解すべきであるというのであるから、かかる地所については、現に海水が常時侵入する状態にあるとしても、その区域が他の海面から区画され、かつ管理・支配が可能であるときは一概に所有権の客体となり得る適格性を否定されるべきものではなく、そうだとすれば、かかる地所については「土地」としての登記能力を備えたものといえなくもないが、本件土地を含む山形部分はもともと払下げの対象外の土地であつて、<地名略>及び<地名略>として地番が付された区域には含まれていなかつたのであり、かつ(三)及び(三)に掲げた各証拠によれば、同番の各六として地番が付された当時、その部分の海面に何らかの区画がなされ、管理・支配が可能な状態にあつたとは到底認められず、他にこれを肯定するに足りる証拠はない。従つて、本件土地の表示登 よれば、同番の各六として地番が付された当時、その部分の海面に何らかの区画がなされ、管理・支配が可能な状態にあつたとは到底認められず、他にこれを肯定するに足りる証拠はない。従つて、本件土地の表示登記を有効であると解する余地はない。 地番が付された当時、その部分の海面に何らかの区画がなされ、管理・支配が可能な状態にあつたとは到底認められず、他にこれを肯定するに足りる証拠はない。従つて、本件土地の表示登 よれば、同番の各六として地番が付された当時、その部分の海面に何らかの区画がなされ、管理・支配が可能な状態にあつたとは到底認められず、他にこれを肯定するに足りる証拠はない。従つて、本件土地の表示登記を有効であると解する余地はない。(五) 原告らは、仮に本件土地の地番設定当時本件土地の部分が海面であつたとしても、本件処分当時は陸地となつていたのであるから、本件土地の登記は有効な登記となつていた旨主張し、本件処分当時本件土地として表示される部分に一部重複して埋立てがなされていたこと自体は当事者間に争いがない(もつとも原告らは、その正確な位置を特定していない。)。そこで考えるに、前掲乙第一号証、第一一号証の二、第一二ないし第一五号証及び原本の存在、成立につき争いのない乙第二三号証によると、前記(二)(5)の写真が撮影された時期より後に運輸大臣による羽田空港拡張のための公有水面埋立工事が施工され、昭和四三年六月一日にはこれが竣工したこと、右埋立工事によつて従前の羽田空港用地北端線(前記石積みによる護岸の線)の北側に附加造成された部分の面積は一九九八八五・二八平方メートルであつて、右北端線の西端と埋立てによつて附加された部分の南西端とは一致していること及び右のとおり従前の空港用地北側に附加造成された土地については昭和四七年五月一〇日付で「東京都大田区<地名略>、雑種地一九九八八五平方メートル」として表示登記がなされたことが認められる。そうして右乙第一五号証添付の図面(埋立竣工図)に基づいて右埋立地の形状を示すと別紙図面(一)記載のとおり、A1、A2、A3、A4、A5、A6、A1の各点を順次結んだ線内の部分であり、なお、この図面と別紙図面(二)の山形部分とを同一縮尺を本つて重ね合わせてみると概略別紙図面(三)記載のとおりとなる(但し、これは右認 3、A4、A5、A6、A1の各点を順次結んだ線内の部分であり、なお、この図面と別紙図面(二)の山形部分とを同一縮尺を本つて重ね合わせてみると概略別紙図面(三)記載のとおりとなる(但し、これは右認定したところに従つて別紙図面(一)のA1点と別紙図面(二)のB1点とが合致するものとして作図したものである。 部分とを同一縮尺を本つて重ね合わせてみると概略別紙図面(三)記載のとおりとなる(但し、これは右認 3、A4、A5、A6、A1の各点を順次結んだ線内の部分であり、なお、この図面と別紙図面(二)の山形部分とを同一縮尺を本つて重ね合わせてみると概略別紙図面(三)記載のとおりとなる(但し、これは右認定したところに従つて別紙図面(一)のA1点と別紙図面(二)のB1点とが合致するものとして作図したものである。)。右の事実及び図面(三)によれば、被告が本件処分をした当時、山形部分に一部重複するようにして埋立てによる土地が造成されていたことが明らかであり、また実体要件を欠くが故に無効な登記であつても、後に右登記が表示するところと同一性を有する実体が存在するに至つたときは、該登記の流用を認めて、有効な登記に転化したものと見て差支えない場合もないではない。しかしながら本件の場合、以上に説示した一六〇八番及び一六〇九番として地番が付された土地の沿革からして、その範囲が別紙図面(三)のB1、B10、B9、B8戊の各点を結ぶ線の北側には及んでおらず、かつ山形部分は海面であつたところ、後に運輸大臣によつて埋立て造成された土地は、右山形部分とはその形状、面積を全く異にしているのであつて、山形部分の表示登記によつて客観的に把握されるところと同一性があるとは認められず、従つて右登記を埋立てによつて造成された土地の表示登記に流用し、有効と解する余地は全くないものというべきである。(六) 以上のとおりであるから、本件土地の表示登記を抹消するための要件が欠缺していたとの原告らの主張は理由がない。4 権限逸脱の主張について原告らは、法第二五条ノ二によつて職権登記が許されるのは、登記時点における不動産の客観的物理的性状に基づいてする場合に限られ、登記官が過去における不動産の性状を調査して登記することは許されないと主張する。しかしながら、表示に関する登記については登記官 、登記時点における不動産の客観的物理的性状に基づいてする場合に限られ、登記官が過去における不動産の性状を調査して登記することは許されないと主張する。しかしながら、表示に関する登記については登記官に実質的審査権が与えられ、登記官は土地若しくは建物を実地に検査し、又は関係人に文書の呈示を求め、質問をすることができるとされている(法第五〇条第一、二項)のであつて、法が不動産の表示に関する事項の調査について、必要な限度において右呈示された文書及び質問の結果等から得られる過去の事実に及び得ることを予定していることは明らかであり、調査の範囲が不動産の現在の客観的物理的性状に限られるとする原告らの主張は理由がない。 が与えられ、登記官は土地若しくは建物を実地に検査し、又は関係人に文書の呈示を求め、質問をすることができるとされている(法第五〇条第一、二項)のであつて、法が不動産の表示に関する事項の調査について、必要な限度において右呈示された文書及び質問の結果等から得られる過去の事実に及び得ることを予定していることは明らかであり、調査の範囲が不動産の現在の客観的物理的性状に限られるとする原告らの主張は理由がない。本件の場合、前示のとおり被告は実地調査及び関係書類等に基づいて本件土地の表示登記が無効であると判断し、本件処分をしたのであるから、この点に何ら違法はない。5 裁量権濫用の主張について一六 〇八番及び一六〇九番の土地に関し、国とAらとの間に第二次訴訟が提起され、昭和三八年三月三〇日一審判決の言渡しがあつたことは前記のとおりであり、本件処分当時右事件は控訴審に係属中であつたことは当事者間に争いがない。しかしながら、右一審判決の内容は前記3(一)の冒頭(2)記載のとおりであり、前掲乙第三一号証、第四二号証、第四三号証の一ないし四によれば、右一審判決は、<地名略>及び<地名略>の各六の土地については、その所在地すら知るべき資料がないとの理由で、国のAに対する右の土地の保存登記抹消登記手続請求及びAの国に対する右の土地所有権確認を求める反訴請求をいずれも棄却したものであり、昭和五一年七月一二日に言渡された控訴審の判決は双方からの控訴を棄却したものであるが、右一六〇八番及び一六〇九番の各六の土地についての双方(但し、Aは昭和四五年九月二九日死亡 も棄却したものであり、昭和五一年七月一二日に言渡された控訴審の判決は双方からの控訴を棄却したものであるが、右一六〇八番及び一六〇九番の各六の土地についての双方(但し、Aは昭和四五年九月二九日死亡し、相続人Rが訴訟を承継した。)の請求は、最終的には控訴審の審理の対象から除外されていること、なお右事件については昭和五二年一二月一二日各上告人に対し上告棄却の判決言渡しがあつたことが認められる。そうして本件土地については、Aから伴野通商株式会社を経て、昭和四〇年一月一二日付で原告ら先代Bに対し所有権移転登記がなされたことは当事者間に争いがないところ、Bが右訴訟に参加した形跡も認められない。本件土地の表示登記が無効であることは前記のとおりであり、これを存置することは無意味であるばかりか、不動産取引上の無用な混乱を招くおそれもある以上、右のような訴訟が係属していたことは、その表示登記を抹消するについての妨げとなるものとはいえず、裁量権濫用の非難は当たらないものというべきである。 先代Bに対し所有権移転登記がなされたことは当事者間に争いがないところ、Bが右訴訟に参加した形跡も認められない。本件土地の表示登記が無効であることは前記のとおりであり、これを存置することは無意味であるばかりか、不動産取引上の無用な混乱を招くおそれもある以上、右のような訴訟が係属していたことは、その表示登記を抹消するについての妨げとなるものとはいえず、裁量権濫用の非難は当たらないものというべきである。また、被告が本件処分をするについて東京法務局長に「伺い」をたてたことは当事者間に争いがないが、このことは手続の慎重を期したとの評価を受けこそすれ、裁量権濫用を理由づける根拠となし得ないことは明らかである。四以上のとおりであつて、他に本件処分が違法であることを認めるに足りる事情も見出し難いから、原告らの請求は理由がないことに帰する。よつて、原告らの本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文、第九四条後段を適用して、主文のとおり判決する。(裁判官藤田耕三原健三郎揖斐潔)別紙物件目録所在東京都大田区<地名略>地番一六〇八番六地目雑種地地積七七四九七平方メートル 、主文のとおり判決する。(裁判官藤田耕三原健三郎揖斐潔)別紙物件目録所在東京都大田区<地名略>地番一六〇八番六地目雑種地地積七七四九七平方メートル
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