- 1 -主文原判決を破棄する。 本件を山口地方裁判所に差し戻す。 理由 ,,本件控訴の趣意は弁護人井上道作成の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用する。 論旨は,①被告人が,原判示第1の殺人未遂及び第2の殺人をしたという原,,判決の事実認定には誤りがあり本件殺人未遂については被告人に殺意がなく本件殺人については被告人がその実行行為をしていないという合理的な疑いが否定できないから,本件殺人未遂については傷害罪が成立するにとどまり,本件殺人については被告人は無罪である,②仮に,原判決の事実認定に誤りがないとしても,被告人を懲役18年に処した原判決の量刑は重過ぎて不当であるというのである。 所論にかんがみ記録を調査し,更に職権で調査して検討するに,以下に説示するとおり,原審には審理不尽の違法があり,これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから,原判決は破棄を免れない。 本件公訴事実は,以下のとおりである。 被告人は,平成19年7月20日午後11時20分ころ,山口県周南市大字ab番地のcA(当時65歳)方敷地内において,第1B(当時63歳)に対し,殺意をもって,その顔面等を所携の包丁(刃体の長さ約19.0センチメートル)で突き刺すなどしたが,同人が逃走したため,同人に加療約4週間を要する顔面刺切創,右手背切創及び伸筋腱断裂等の傷害を負わせたにとどまり,その目的を遂げなかった第2Aに対し,殺意をもって,その右前頸部,左側腹部及び背部等を上記- 2 -包丁で多数回突き刺すなどし,よって,同月21日午前零時55分ころ,同県防府市大字de番地C医療センターにおいて,同人を右頸静脈貫通刺創,右前頸部刺創に基づく出血性ショックにより死亡させて殺害した第3業務その他正当な理由による場合でないのに上記包丁1本を携帯したも 防府市大字de番地C医療センターにおいて,同人を右頸静脈貫通刺創,右前頸部刺創に基づく出血性ショックにより死亡させて殺害した第3業務その他正当な理由による場合でないのに上記包丁1本を携帯したものである。 原判決は,犯行時刻を「午後11時過ぎころ,第1の犯行態様を「所携」の包丁で切りつけるなどし,第2の死亡場所を「同県所在のC医療センタ」ー」と認定したほかは,上記公訴事実と同旨の事実を認定して,被告人を有罪とした。 原審で取り調べられた関係各証拠によると,B及びAが原判示第1及び第2の各被害にあった後,その現場に,同人らの多数の血痕が残されていたことなどのほか,以下の各事実が認められる(以下,上記両名は,名のみ表示する。証拠に付したかっこ内の甲乙の数字は,原審検察官請求証拠番号である)。 (1)被告人は,Bの実父が被告人の実姉と婚姻したことから,Bとは義理の叔父と姪の関係にある。被告人は,競艇予想紙を販売していたところ,本件の約15年前から,その仕事をBに手伝わせ,当初は日当として1万円以上を支払うほか小遣銭等も渡し,同人は,これを借金の返済や生活費等に充ててきた。しかし,本件の3年ないし4年前から競艇予想紙の売上げが落ち,被告人から受け取る日当の額も減ってきたことから,Bは,平成18年7月下旬ころ,被告人の下で働くのを辞めた。 (2)その後,被告人は,Bがその夫であるAと住む同人方を訪ねては「勝,手に仕事を辞めてから,もう次に仕事に行きよるんじゃろう「今まで散」々助けてやったのに口でものを言うな。態度で示せ。誠意を見せろ」など- 3 -と文句を言ったり,AやBの息子に対し,Bの悪口を書いた手紙を送ったり,電話をかけたりした。また,同年8月下旬ころ,被告人がA方に同人を訪ねた際,Bが,被告人を家の中に入れなかっ 」など- 3 -と文句を言ったり,AやBの息子に対し,Bの悪口を書いた手紙を送ったり,電話をかけたりした。また,同年8月下旬ころ,被告人がA方に同人を訪ねた際,Bが,被告人を家の中に入れなかった上,路上に立ち続けてAを待っていた被告人に対し「人間じゃない」という趣旨のことを言ったことがあった。 (3)被告人は,同年9月ころ以降,Bやその家族らに何の連絡もしなくなったことから,Bは,被告人のことをほとんど忘れているような状態であった。ところが,本件当日である平成19年7月20日,Bが,アルバイト先までAに迎えに来てもらい,同人運転の軽四乗用車に同乗して帰宅する途中,被告人運転の普通乗用自動車(以下「被告人車」という)が,A運転の軽四乗用車の後を付けてきた。そして,Aが,同車を同人方北西側の上り坂に止め,Bが,同車から降りてA方西側の車庫部分を同人方玄関のある東方に向けて歩いているとき,Bは,A方南側の市道に止まった被告人車から,被告人が右手に包丁を持って降りてくるのを見た。Bは,危険を感じて警察に電話連絡しようと考え,A方玄関の方に向かって走り出したところ,その瞬間に,被告人は,何も言葉を発しないまま,持っていた包丁でBの右頬や右手を切りつけた。 (4)同月23日,Bは,山口県防府市内のC医療センターにおいて「顔面刺切創,右手背切創,伸筋腱断裂,両膝擦過傷」により「約4週間の固定安静通院加療を要す見込み」との診断を受けた。Bは,同年10月11日においても,右手が自由に動かず,包丁も持てず,皿洗いすらできない状況である。 原判決は,その補足説明の項の第2の2で,被告人が,包丁でBの顔面を切りつけ,顔面刺切創の傷害を負わせたこと,被告人は,本件現場に包丁を- 4 -持って行き,Bに切りつけたことを認めており,その包丁を本件後 その補足説明の項の第2の2で,被告人が,包丁でBの顔面を切りつけ,顔面刺切創の傷害を負わせたこと,被告人は,本件現場に包丁を- 4 -持って行き,Bに切りつけたことを認めており,その包丁を本件後に第三者が持ち去ったような状況は窺えないところ,本件で証拠物として取り調べられた包丁(以下「本件包丁」という)以外に,本件犯行現場付近から包丁は発見されていないから,本件包丁が,被告人が携帯し本件殺人未遂に用いた凶器であると認められること,本件包丁の刃体の長さは約19センチメートルもあり,これで顔面を切りつけること自体,生命に対する危険性の高い行為であること,被告人は,執拗にBらと話をつけようとして包丁を持ち出しているから,被告人のBに対する怒りは非常に強かったと認めざるを得ないとして,被告人には殺意があったものと認められる旨説示している。 しかし,原審裁判所が取り調べた証拠によって認められる上記3の各事実からだけでは,被告人が,本件包丁で,Bの顔面のどの部位を,どの程度の力で切りつけたのかは全く不明といわざるを得ないのであって,その切りつけた部位や,その際の力加減次第では,同人の生命に対する危険が生じていたとはいえない可能性も十分に考えられる。したがって,原判決が説示するように,本件包丁で顔面を切りつけること自体,生命に対する危険性の高い行為であるとは断定し難い。 ところで,原審記録,特に検察官細谷和大作成の平成19年12月17日付け意見書及び平成20年1月18日付け意見書によると,検察官が取調べを請求し,弁護人が同意意見を述べたにもかかわらず,原審裁判所が証拠調請求を却下した書証の中には,Bの負傷の部位・程度等を明らかにし,殺意の存在等を立証するために取調べを請求された,Bの負傷状況を立証趣旨とする写真撮影報告書(甲2),Bの負傷状 ,原審裁判所が証拠調請求を却下した書証の中には,Bの負傷の部位・程度等を明らかにし,殺意の存在等を立証するために取調べを請求された,Bの負傷状況を立証趣旨とする写真撮影報告書(甲2),Bの負傷状況及び成傷状況等を立証趣旨とし,同人の創傷の深さ等について担当医師が詳細に述べた内容を録取した警察官調書(甲3),Bに対する犯行態様,殺意の存在等を明らかにするため,同人- 5 -の本件被害当時の着衣の状況等を立証趣旨とする捜査報告書(甲15)が存することが明らかである。そして,これらの証拠を取り調べれば,上記4で指摘した原判決の説示についての疑問点は,氷解する可能性がある。 なお,原判示第2の本件殺人について付言するに,原判決は,その補足説明の項の第2の3で,本件包丁にはAの血液が付着しており,これがAに対する攻撃の凶器であることは明白であるところ,本件現場には,被告人,A及びB以外の者はいなかったから,被告人以外にAに対する攻撃ができる者はいないとして,被告人が犯人であることは疑いを入れる余地がない旨説示している。 たしかに,原審記録中には,本件現場に被告人,A及びB以外の者がいたことを窺わせる証拠はない。 しかし,その事実を積極的に認定し得る証拠も,また存しないのであるから,原審弁護人が,本件殺人について,第三者による犯行を積極的に主張するものではない旨述べていること(第1回公判前整理手続調書参照)を考慮しても,なお,被告人の弁解状況に照らすと,少なくとも,Bが本件殺人未遂の被害を受けてからAが本件殺人の被害を受けるまでの時間を客観的に明らかにして,本件殺人について第三者の関与の可能性を検討するため,検察官が取調べを請求し弁護人が同意意見を述べた,Bの110番通報状況等を立証趣旨とする捜査報告書(甲34)や,同様に弁護人が同意意見 かにして,本件殺人について第三者の関与の可能性を検討するため,検察官が取調べを請求し弁護人が同意意見を述べた,Bの110番通報状況等を立証趣旨とする捜査報告書(甲34)や,同様に弁護人が同意意見を述べた,本件包丁の発見状況等を立証趣旨とする実況見分調書の抄本(甲11)等を取り調べるのが相当であったと考えられる。 そこで,上記各証拠が原審において取り調べられなかった経緯等を職権で調査検討するに,原審の審理経過は,以下のとおりである。 (1)原審裁判所は,本件を公判前整理手続に付し,平成19年11月19- 6 -日から平成20年1月11日まで公判前整理手続期日が4回開かれた。 検察官は,本件公訴事実を立証するため,第1回公判前整理手続期日前において書証としていわゆる甲号証58点乙号証10点のほか本,,,,「件犯行使用道具である包丁の形状」を立証趣旨とする証拠物として本件包丁を請求した。弁護人は,これらの書証のうち,甲号証は,Bら4名の各供述調書(甲35,48ないし52),捜査報告書(甲58)及び検証調書(甲59)について一部同意の意見を述べ,その余の甲号証については全部同意した。また,乙号証のうち被告人の供述調書は「被告人の身上経歴」を立証趣旨,とする警察官調書(乙1)及び「被告人と被害者らとの関係,犯行に至る経緯等」を立証趣旨とする検察官調書(乙6)の計2点について同意したものの,その余の5点については一部同意の意見を述べ,不同意部分についてはいずれも任意性を争ったほか,戸籍謄本(乙8),同附票(乙9)及び前科調書(乙10)についてはいずれも同意した。 ,,「」検察官は第4回公判前整理手続期日までに被告人の取調べ時間等を立証趣旨とする取調状況報告書等甲号証合計9点(甲60ないし67,71),「被告人の 10)についてはいずれも同意した。 ,,「」検察官は第4回公判前整理手続期日までに被告人の取調べ時間等を立証趣旨とする取調状況報告書等甲号証合計9点(甲60ないし67,71),「被告人の取調状況及び供述状況等」を立証趣旨とする証人3名の取調べを請求した。弁護人は,上記甲号証9点についてはいずれも同意の意見を述べた(ただし,そのうち捜査報告書(甲61)については併せて必要なしの意見を述べた)。そして,証人については,1名につきしかるべくの意見を述べ,その余の2名につき必要なしの意見を述べた。検察官は,同期日において,甲号証のうち17点(甲12,20,21,24,30,31,33,43ないし46,50,51,55ないし57,60)の証拠調請求を撤回し,弁護人が一部不同意の意見を述べた書証のうちの2点(甲52,58)については,その一部の証拠調請求を撤回した。 - 7 -(2)同年1月16日,原審裁判所は,検察官の証拠調請求が維持され(一部請求が撤回されたものを含む),かつ弁護人が同意(一部同意を含む)した甲号証のうち11点(甲1,5,8,13,29,37,38,48,49,58,71)を採用し,22点(甲2ないし4,11,14,15,18,19,25,28,32,34ないし36,39ないし42,47,52ないし54)を却下したほか,17点については3名の証人とともに採否を留保し同意部分が採用された甲号証2点(甲,48,49)の一部不同意部分の証拠調請求を却下した。また,乙号証のうち「被告人の身上経歴」を立証趣旨とする警察官調書(乙1)及び戸籍謄本等3点(乙8ないし10)を採用し,その余は採否を留保した。同月18日,検,,,,,,察官は同日付の意見書により甲号証9点(甲2ないし4 47,6 )及び戸籍謄本等3点(乙8ないし10)を採用し,その余は採否を留保した。同月18日,検,,,,,,察官は同日付の意見書により甲号証9点(甲2ないし4 47,61)についての証拠調請求却下決定に対する異議を申し立て,原審裁判所は,同日,その異議を却下した。 (3)同月21日,検察官は,採否が留保された甲号証のうち10点(甲6,7,9,10,16,17,22,23,26,27)の証拠調請求を撤回した。 (4)同年2月5日,原審裁判所は,検察官及び弁護人に対し,公判前整理手続を終了するにあたり,同裁判所においてまとめた事件の争点及び証拠整理の結果について,書面により意見を求めた。同書面には,争点整理の結果として,①被告人のBに対する殺意の有無,②被告人のAに対する殺人の実行行為及び殺意の有無,③被告人の供述調書の任意性,④情状,と記載されている。 (5)同月12日の原審第1回公判期日において,被告人は,いわゆる罪状認否において,本件殺人未遂について「刺したか切ったかは別として,Bを傷つけたことは間違いありません。ただ,殺すつもりはありませんでした,本件殺人について「Aに対しては,何もしていません,本件包丁」」- 8 -の携帯について「包丁を持っていたことは間違いありませんが,きちんとした理由があって持っていたものです」と述べ,弁護人は,本件殺人未遂について殺意を否認し,本件殺人については被告人の犯人性を争い,本件包丁の携帯については認める旨の意見を述べた。その後,検察官及び弁護,,人の各冒頭陳述裁判長による公判前整理手続の結果を明らかにする手続証拠調決定済みの証拠の取調べ等と被告人質問が行われた。その際,被告人は,検察官が証拠調請求した包丁について,自分の持っていた包丁とは異なる旨述べた 判長による公判前整理手続の結果を明らかにする手続証拠調決定済みの証拠の取調べ等と被告人質問が行われた。その際,被告人は,検察官が証拠調請求した包丁について,自分の持っていた包丁とは異なる旨述べたほか,Bを傷つけるつもりはなく,護身用に包丁をビニール袋に包んだ状態で左手に持っていたところ,Bが走り寄ってきて「何の話があるん。何」と言ってきた際,その包丁を落としてしまい,それを左手で拾ったと思うが,その後どうしたか覚えていないなどと供述した。 原審裁判所は,同期日において,採否を留保していた書証(上記7(3)で検察官が証拠調請求を撤回したものを除く)及び証人3名の証拠調請求をすべて却下し,その却下決定に対し検察官が申し立てた異議も却下した。 そして,同月27日の第2回公判期日において論告,弁論及び被告人の最終陳述がなされて結審し,同年3月4日の第3回公判期日において,原判決が言い渡された。 以上の原審の審理経過を検討しても,上記5,6で指摘した証拠を取り調べなかった理由は,全く不明である。原審裁判所は,弁護人が同意の意見を述べており,かつ,取り調べることが必要な証拠を取り調べていないというべきである。そして,これらの証拠能力があり,取り調べるべき証拠を取り,,調べなかったために原審は審理が不十分であったといわざるを得ないから原審には審理不尽の違法があり,この訴訟手続の法令違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである。 - 9 - 原判決は,本件殺人未遂の事実と,本件殺人及び本件包丁の携帯とを,刑法45条前段の併合罪の関係にあるとして1個の刑を言い渡しているから,その全部について破棄を免れない。 よって,その余の主張について判断するまでもなく,刑事訴訟法397条1項,379条により原判決を破棄し,同法400条本文により,本件を原裁判 刑を言い渡しているから,その全部について破棄を免れない。 よって,その余の主張について判断するまでもなく,刑事訴訟法397条1項,379条により原判決を破棄し,同法400条本文により,本件を原裁判所である山口地方裁判所に差し戻すこととして,主文のとおり判決する。 平成20年9月2日広島高等裁判所第1部裁判長裁判官楢崎康英裁判官森脇淳一裁判官友重雅裕
▼ クリックして全文を表示