平成11(ネ)1387 損害賠償請求控訴

裁判年月日・裁判所
平成13年9月12日 東京高等裁判所
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判決文本文14,546 文字)

(原審・前橋地方裁判所平成10年(ワ)第15号損害賠償請求事件(原審言渡日平成11年2月3日)) 主文 1 原判決を次のとおり変更する。 (1) 被控訴人は,控訴人Aに対し1310万3326円,控訴人B,同C及び同Dに対し各436万7775円,控訴人E及び同Fに対し各100万円及びこれらに対する平成8年1月20日から支払済みに至るまで年5%の割合による金員を支払え。 (2) 控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は,第1,2審を通じこれを10分し,その3を被控訴人の,その余を控訴人らの各負担とする。 3 この判決は,1項(1)に限り仮に執行することができる。 事実及び理由 第1 控訴の趣旨 1 原判決を取り消す。 2 被控訴人は,控訴人Aに対し3757万4911円,控訴人B,同C及び同Dに対し各1419万1637円,控訴人E及び同Fに対し各300万円及びこれらに対する平成8年1月20日から支払済みに至るまで年5%の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要 1 本件事案の概要は,次のとおり補正し,後記2及び3のとおり当事者の主張を追加するほかは,原判決の「事実及び理由」中「第二事案の概要」に記載のとおりであるから,これを引用する。 (1) 原判決4頁8行目の「(以下「被告病院」という。)」を「(以下「本件病院」という。)」に改める(なお,以下,いちいち指摘するのは省略するが,引用部分中「被告病院」とあるのは「本件病院」に改める。)。 (2) 原判決6頁3行目の「午前11時15分ころ」を「午後1時45分ころ無呼吸となり」に,4行目の「死亡した」を「午後2時20分ころ死亡が確認された」にそれぞれ改める。 (3) 原判決12頁9行目末尾に「Gは,精神分裂病に罹患して入退院を繰り返しており,同人の酒屋 ろ無呼吸となり」に,4行目の「死亡した」を「午後2時20分ころ死亡が確認された」にそれぞれ改める。 (3) 原判決12頁9行目末尾に「Gは,精神分裂病に罹患して入退院を繰り返しており,同人の酒屋経営は,収入の安定性,継続性にも問題があったから,同人の収入を男子労働者の平均賃金をもって推計することはできない。また,イソミタールを注射し,保護室に収容せざるを得なくなったのは,Gが廊下に水を撒くなどの異常行動をしたからであり,仮に被告に損害賠償義務があるとされるなら,過失相殺の法理により損害額の減額をすべきである。」を加える。 2 控訴人らの当審における新たな主張(1) 薬剤投与上の注意義務違反(イソミタールの過剰投与)Gの死因は,イソミタールの過剰投与と呼吸停止の前後で適切な処置が採られていないことにある。イソミタールを注射した場合には,呼吸抑制の副作用があるため,舌根が沈下して窒息死する可能性がある。Gのような肥満体は舌根が沈下したときの気道の確保が難しいため,事前の用意と経過観察が必要である。 Gは,本件病院に入院した日である平成8年1月19日(以下,平成8年1月中の日については日だけでいうことがある。)の午後7時20分に,イソミタール0・5gを静脈注射され,さらに,20日午前11時50分ころ,同1gを静脈注射された。 イソミタールは,バルビタール系薬剤で,副作用として心臓抑制,呼吸抑制,血圧下降等があり,偶発合併症として舌根沈下,呼吸停止,血圧下降等がある。しかも,イソミタールは,致死量の約2分の1まで増量すると麻酔状態となるが,これは睡眠と違い,刺激によって覚醒せず,血中濃度が低下するまで覚醒させることができない。 この状態では体温調節中枢,呼吸中枢,血管運動中枢を含むすべての中枢が抑制され,大量では呼吸抑制によって死に至るもの 眠と違い,刺激によって覚醒せず,血中濃度が低下するまで覚醒させることができない。 この状態では体温調節中枢,呼吸中枢,血管運動中枢を含むすべての中枢が抑制され,大量では呼吸抑制によって死に至るものである。しかも,イソミタールに抗精神病薬を併用する場合は,相互に作用が増強されることがあるため,減量するなど,慎重に投与することが注意されている。 したがって,H医師は,イソミタールを投与する場合,特に抗精神病薬であるレボメプロマジンを併用する場合は,上記の副作用を十分に注意し減量して投与すべきであるのにこれを怠り,上記のとおり前夜の午後7時20分に,Gに対し,イソミタール0・5gを注射した影響が残っているにもかかわらず,さらに,イソミタール1gを10ミリリットルに溶解した上,1分に1ミリリットルの最大速度で静脈注射したものである。 (2) 救命措置義務違反による死亡救急蘇生法は,気道確保(気管内挿管,気管切開),気道開放,人工呼吸(高濃度酸素投与),循環維持(心臓マッサージ,静脈確保)などが基本的な対処法である。 Gの身体の状況には,既に20日午前11時50分に二段呼吸が観察されているのであるから,この時点で酸素吸入や適切な補助呼吸をすべきであったのに,これを怠ったものである。なお,全身チアノーゼが出てから心臓マッサージと人工呼吸をしたというが,第1に必要とされる気道確保がされておらず,このことは,救命の措置を採っていないに等しい。アンビューバックによるマスク呼吸をしても自発呼吸がなければ意味がなく,器官内挿管や気管切開をして人工呼吸をしなければ救命できないのである。 3 被控訴人の主張(1) 控訴人らの当審における新たな主張は,原審における争点の確定,すなわち,鎮静睡眠剤の注射によるショック死又は副作用による死亡を主張するものではな ば救命できないのである。 3 被控訴人の主張(1) 控訴人らの当審における新たな主張は,原審における争点の確定,すなわち,鎮静睡眠剤の注射によるショック死又は副作用による死亡を主張するものではない,舌根沈下は有形力の行使により生じたものであるとの控訴人らの主張を前提に被控訴人も主張立証をしてきた経過に照らし,訴訟手続上の信義に反するばかりか,イソミタールによる舌根沈下及びイソミタールの過剰投与を控訴人らが原審において主張しなかったことについてはその代理人に故意又は重大な過失があることが明らかであるから,民訴法157条1項により却下されるべきである。 (2) Gに舌根沈下は生じていなかったし,窒息死の所見はない。また,救急蘇生術を施行した際,Gの気道はエアーウェイによって確保されており,心肺蘇生術は適切に実施されていた。Gがイソミタールによる呼吸停止により死に至ったということはあり得ず,同人に対するイソミタールの投与は適切である。 第3 当裁判所の判断 1 控訴人らの当審における新たな主張を許したことについて本件訴訟記録によれば,控訴人らは,原審段階で,Gが舌根沈下による窒息状態となった事実を主張していたが,他方,控訴人らは,Gの死因が本件病院内における有形力の行使によるものと主張し,舌根沈下による窒息状態が鎮静睡眠剤の投与によって生じたとの主張はしなかったことを認めることができる。被控訴人は,そのような訴訟遂行は,控訴人ら代理人の調査怠慢によるものであり,訴訟手続上の信義則に反する上,時機に後れたことにつき故意又は重大な過失があると主張する。しかし,控訴人らの原審における最終準備書面には「イソミタールの注射により,保護室で窒息死したものと推認できる」との主張があり,原審最終口頭弁論期日において同代理人が,これを経過観察義務違反の関 。しかし,控訴人らの原審における最終準備書面には「イソミタールの注射により,保護室で窒息死したものと推認できる」との主張があり,原審最終口頭弁論期日において同代理人が,これを経過観察義務違反の関係の主張であると釈明した経緯があっても,控訴人らが更にGの死因について真実の追求をしないことまで表明したものとは解せられないから,当審において控訴人らがGの死因について前記のように主張することが訴訟手続上の信義則に反するものとはいえない。また,乙12の群馬大学医学部法医学教室医師作成の鑑定書(以下「法医鑑定書」という。)に「本屍が・・・アモバルビタールの副作用を生じていたとも考えられない」と記載されていることもあり,「遺族側には死因の直接解明自体が困難である」との主張にも一理あることにかんがみれば,当審において上記主張をすることについて控訴人ら又はその代理人に故意又は重大な過失があるとはいえない。したがって,この点に関する被控訴人の主張は理由がない(なお,被控訴人は,当裁判所の訴訟指揮に従って主張立証を尽くしてきた。)。 2 Gの死因について(1) 本件の事実経過及び法医鑑定書の内容次のとおり補正するほかは,原判決の「事実及び理由」中「第三判断」の一(原判決12頁末行から25頁10行目まで)に記載のとおりである(ただし,「被告病院」とあるのは「本件病院」に改める。)から,これを引用する。 ア原判決13頁2行目の「原告本人」を「控訴人A本人」に改め,5行目の「罹患しており」の次に「,厩橋病院に入院したことがあるほか」を加える。 イ原判決15頁3行目の「入眠させた」の次に「が,Gは,午後10時50分ころには覚醒して煙草を吸っており,午後11時40分ころユーロジン2錠を内服して入眠した」を加える。 ウ原判決16頁9行目の「指定医」を「 頁3行目の「入眠させた」の次に「が,Gは,午後10時50分ころには覚醒して煙草を吸っており,午後11時40分ころユーロジン2錠を内服して入眠した」を加える。 ウ原判決16頁9行目の「指定医」を「精神保健指定医」に改める。 エ原判決17頁末行の「医師を殴打したりした」を「暴れ出した」に改める。 オ原判決18頁7行目の「胸と左腕,正確には」を削る。 カ原判決20頁9行目の「脈は」を「橈骨動脈は」に改め,10行目の「手助けを借りて」の次に「Gの背中に枕を置いて」を加える。 キ原判決22頁1行目の「鑑定」を「法医鑑定書」に改める。 ク 25頁4行目末尾に「しかし,レボメプロマジンを証明できなかった。」を加える。 (2) 有形力の行使及び電気ショック療法の有無この点に関する当裁判所の判断は,原判決の「事実及び理由」中「第三判断」の二1及び2(原判決26頁1行目から28頁10行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。 (3) イソミタールについての医学上の知見ア我が国の医療機関で使用されている催眠鎮静薬には,ベンゾジアゼピン系薬剤とバルビタール系薬剤とがあり,イソミタールは,バルビタール系薬剤の一種である。 イソミタールの臨床適応としては,①不眠症(経口又は筋肉注射),②外科手術前の抗不安・鎮静薬(経口又は筋肉注射),③痙攣発作時の抗痙攣薬(静脈注射),④精神科急性期における鎮静薬(静脈注射)があり,このうち③及び④の静脈注射による使用においては,1回の投与量は成人の場合65ないし500mgとされ,許容される最大使用量は1gである。また,静脈注射による投与は,入院患者に限られ,十分な監視下で行うべきであり,投与速度も,1分間に100mgを超えないよう極めて緩徐に投与されるべきである。 イソミタールの副作用は,呼吸器,心血管系の ,静脈注射による投与は,入院患者に限られ,十分な監視下で行うべきであり,投与速度も,1分間に100mgを超えないよう極めて緩徐に投与されるべきである。 イソミタールの副作用は,呼吸器,心血管系の抑制作用が強く,特に静脈注射による投与の場合は,徐脈,低血圧等の循環抑制や呼吸抑制の生じる可能性がある。 また,イソミタールの体内薬物残存期間については,日本人のデータではないが,健常成人に静脈注射した場合に,48時間以上にわたり減衰し,第一指数半減期は0・6時間(36分),第二指数半減期は21時間とされ,投与量の34%は48時間以内にヒドロキシ体に代謝され,尿中に排泄されると説明されている。 イイソミタールの添付文書(薬効処方)には,アモバルビタールはバルビツール酸誘導体のうち中間型に属する催眠鎮静剤であること,用法・用量は通常成人1回0・25ないし0・5gを静脈内注射又は筋肉内注射すること,その投与速度については,通常5ないし10%注射用アモバルビタールナトリウム溶液を1分間に1ミリリットル以下の速度で静脈内注射すること,使用上の注意として,心障害のある患者には血圧が低下することがあり,呼吸機能の低下している患者には呼吸抑制を起こすことがあるため,原則として投与しないこととするが,特に必要とする場合には観察を十分行い慎重に投与すること,抗不安薬,抗精神病薬,催眠鎮静薬等との併用は,相互に作用が増強されることがあるので,減量するなど慎重に投与すること,適用上の注意として,呼吸抑制,血圧降下が現われることがあるので,注射方法については十分注意し,注射速度はできるだけ遅くすることなどの記載がある。 (4) 急性心筋梗塞発症の蓋然性ところで,本件病院のH医師作成の死亡診断書は,Gの直接死因を急性心筋梗塞と診断し,同人に高脂血症の所見が 速度はできるだけ遅くすることなどの記載がある。 (4) 急性心筋梗塞発症の蓋然性ところで,本件病院のH医師作成の死亡診断書は,Gの直接死因を急性心筋梗塞と診断し,同人に高脂血症の所見があったことを記載しており,これに沿う証拠(乙3ないし5,7,8,27,28,38の1ないし3,39の1ないし4,証人H,同I)もある。すなわち,Gの血中コレステロール及び中性脂肪の検査データは次のとおりであって,同人は高脂血症と診断され,また,平成8年1月19日の入院(以下「本件入院」という。)時の同人の体重は96㎏,身長は175cmで,BMI31.7(肥満度指数,体重を身長の2乗で除した数値。正常範囲25以下,通常22~23)という中等度以上の肥満(乙59の2,証人J,K鑑定)であった。 ① 昭和49年6月11日(第1回入院時)・・・総コレステロール(T-CHO)203mg/デシリットル② 昭和61年8月20日(第2回入院時)・・・総コレステロール218,トリグリセリド(TG,中性脂肪)214mg/デシリットル③ 昭和61年9月24日(第3回入院時)・・・総コレステロール302,トリグリセリド18 ④ 平成2年4月23日(外来)・・・総コレステロール351,トリグリセリド694⑤ 同年12月7日(外来)・・・総コレステロール387,トリグリセリド249⑥ 平成3年4月8日(外来)・・・総コレステロール332,トリグリセリド431⑦ 同年8月26日(外来)・・・総コレステロール261l,トリグリセリド215⑧ 平成4年9月21日(外来)・・・総コレステロール187,トリグリセリド116⑨ 平成7年3月25日(第5回入院時)・・・総コレステロール308,トリグリセリド530l⑩ 平成8年1月20日(第6回入院時)・・・総コレステロール276,ト テロール187,トリグリセリド116⑨ 平成7年3月25日(第5回入院時)・・・総コレステロール308,トリグリセリド530l⑩ 平成8年1月20日(第6回入院時)・・・総コレステロール276,トリグリセリド390しかし,他方,Gの本件入院時(1月19日午後1時40分ころ)の血圧は128/70㎜Hg,同日午後8時ころの血圧は122/72,1月20日午後1時50分ころの保護室収容時の血圧は123/72で,安定した状態にあったし,同人が胸痛や息切れ等を訴えていた形跡もなく,法医鑑定書の「第二内部検査,乙胸腹腔開検,其の一胸腔臓器」の心嚢及び心臓の所見に照らしても,急性心筋梗塞によって死亡したことの蓋然性が高いと認めることはできない。 (5) K鑑定及びL鑑定についてK鑑定は,「本事例の死亡原因が,Jが指摘するイソミタールとレボメプロマジンの併用による遷延する呼吸抑制作用,特に上気道閉塞にあるとすることは,医学的に合理的な判断であり,「注射と死亡との因果関係」は明らかである」とし,L鑑定も,「本件Gの死は,イソミタールおよび同時に投与されたレボメプロマジンの相互作用による呼吸抑制が原因と考えることが医学的に見て合理的である」としている。しかし,これらの鑑定意見は,Gの血液中にレボメプロマジンの存在を証明できなかったとする法医鑑定書及び証拠(乙59の2,証人J)と対比して,いずれも採用することができない。ただし,J証人は,「イソミタールの投与によって,そのこと自身が原因となって,Gさんは死亡したんじゃないというふうに理解してもいいわけですか」との問いに対し「直接的な原因とは考えなくてよいと考えます」と答え,その答えを補足して「生理学的に,人体というのは,気道を広げよう,広げようという方向に筋肉が付いているわけなんで もいいわけですか」との問いに対し「直接的な原因とは考えなくてよいと考えます」と答え,その答えを補足して「生理学的に,人体というのは,気道を広げよう,広げようという方向に筋肉が付いているわけなんです。睡眠の状況では,どちらかというと筋肉は弛緩しますので,若干それが閉じる方向に作用するんです。そういった場合に,睡眠薬などの影響によって,それよりも更に弛緩する方向に働くことは考えられますから,そういった間接的な影響があったかもしれないということは,推測ですけれども,考えられます」と供述し,さらに,「イソミタールを打って約2時間後に遷延的に呼吸抑制が生じてきたんだと,それで死亡したんだというふうになるわけですか」との問いに対し「一つの可能性としては考えられるかもしれませんが,確定的にそうだろうというところまで言えることではないと思います」とも供述し,イソミタールの呼吸抑制作用と舌根沈下との間に関係があり得ることを認めている。 さらに,K鑑定によれば,肥満のほか,Gの写真(甲3ないし8)により,同人がいわゆる短頚であったことが身体的特徴として挙げられるとし,短頚を呈する患者では,麻酔の導入・覚醒時等に気道確保に困難を来すことも良く経験されるところであるとの知見を述べており,J証人も,肥満者は頸部が太いから舌根沈下気味になりやすいことは考えられると供述している。また,K鑑定は,本件入院前の本件病院におけるGの治療歴を検証し,同人は,「①向精神薬に抵抗性のある難治性の精神分裂病に罹患し,②治療経過の中でさらに薬剤耐性が生じていたこと,③中等度以上の肥満のため麻酔薬等の効きが悪く過剰投与となり易いこと」を指摘している。 (6) Gの死因以上のような事実及び証拠関係を総合して検討すると,前記引用の原判決に認定のとおり,Gは,イソミタール1gを静脈注 ため麻酔薬等の効きが悪く過剰投与となり易いこと」を指摘している。 (6) Gの死因以上のような事実及び証拠関係を総合して検討すると,前記引用の原判決に認定のとおり,Gは,イソミタール1gを静脈注射された後保護室に運ばれ,保護室担当のM看護婦が午前11時50分ころにバイタルチェックをした際には,血圧123/72,脈拍55,呼吸数21で,鼻翼で二段呼吸をしていたこと,午後1時ころには,血圧110/54,脈拍84,呼吸数30で,やや舌根沈下気味であったこと,午後1時30分ころには,口角に泡沫状の唾液を出し,呼吸は規則的だがやや浅く速い状態であった(ただし,この時,M看護婦は,同僚のNと他の患者のおむつの交換に行く途中の観察であったので,血圧計や聴診器は携行していなかった[証人M]。)こと,Gに対する処置として,M看護婦は,午後1時ころの観察時にGを左側臥位にし,午後1時30分ころの観察時には同僚の手助けを借りてGの背中に枕を置いてその左側臥位を更に深くしたものの,次に同看護婦がGの状態を見に行った午後1時45分ころには,Gは,全身チアノーゼ,瞳孔散大,呼吸・心音共になく,頸動脈で拍動が触れない状態になっていたことからすると,Gは,イソミタールの呼吸抑制作用とともに,睡眠が深くなったことに伴って舌根沈下を生じ,窒息死した蓋然性が極めて高いと認めるのが相当である。なお,M看護婦が,2度にわたって,Gを左側臥位にしたり,その臥位を深くしたとしても,それだけで舌根沈下が解消されたとは認めることができず(O医師は,カルテ[乙4,8]の午後1時45分の欄に「舌根沈下による窒息が疑わしい」と記載している。),他に以上の認定を覆すに足りる証拠はない。 3 そこで,被控訴人に注意義務違反があったか否かについて検討する。 (1) 薬剤投与上の注意義務についてア 根沈下による窒息が疑わしい」と記載している。),他に以上の認定を覆すに足りる証拠はない。 3 そこで,被控訴人に注意義務違反があったか否かについて検討する。 (1) 薬剤投与上の注意義務についてア控訴人らは,イソミタールは,副作用として心臓抑制,呼吸抑制,血圧下降等があり,偶発合併症として舌根沈下,呼吸停止,血圧下降等がある上,致死量の約2分の1まで増量すると麻酔状態となり,この状態では体温調節中枢,呼吸中枢,血管運動中枢を含むすべての中枢が抑制され,大量では呼吸抑制によって死に至るものであるから,H医師は,上記の副作用を十分に注意し減量して投与すべきであるのにこれを怠り,前夜の午後7時20分にイソミタール0・5gをGに注射した影響が残っているにもかかわらず,イソミタール1gを10ミリリットルに溶解した上,1分に1ミリリットルの最大速度で静脈注射したものである旨主張する。 しかしながら,前記認定のとおり,イソミタールは,静脈注射による使用においては,1回の投与量は成人の場合65ないし500mgとされ,許容される最大使用量は1gであること,静脈注射による投与は,入院患者に限られ,十分な監視下で行うべきであり,投与速度も1分間に100mgを超えないよう極めて緩徐に投与されるべきであること,イソミタールの副作用は,呼吸器,心血管系の抑制作用が強く,特に静脈注射による投与の場合は,徐脈,低血圧等の循環抑制や呼吸抑制の生じる可能性があることが認められるところ,H医師は,上記の使用量及び投与速度の限度を超えないでイソミタールを投与したものであり,前記引用の原判決に認定のとおり,Gを入眠させて保護室に収容する処置を採るに至るまでのGの行動を考慮すると,イソミタールを1g用意し,Gの身体の状況を観察しながら,入眠させるために,結果として約10分間か の原判決に認定のとおり,Gを入眠させて保護室に収容する処置を採るに至るまでのGの行動を考慮すると,イソミタールを1g用意し,Gの身体の状況を観察しながら,入眠させるために,結果として約10分間かけて用意した2アンプル(10ミリリットル)全部を注射したものであると認めることができる(証人H)から,H医師の薬剤投与上の注意義務に違反があったものとはいうことはできず,控訴人の主張は採用することができない。 イまた,控訴人らは,イソミタールとレボメプロマジンを併用する場合には,相互に作用が増強されることがあるため,減量するなど慎重に投与することが注意されているにもかかわらずこれを怠り,H医師は,イソミタールとレボメプロマジンを最大限度量を使用した旨主張する。 しかし,前記2(5)において判断したとおり,Gの死亡にレボメプロマジンの投与は何ら寄与していないものというべきであるから,控訴人らの主張は,既にこの点において前提を欠き,失当である。 (2) 経過観察義務違反についてア控訴人らは,イソミタールを注射した場合は,呼吸抑制の副作用があり,舌根が沈下して窒息死する可能性があるため,注射後,薬の作用が切れて完全に覚醒するまでの間は,バイタルサインのチェックと同時に,医師がGを直接診て呼吸状態を観察する義務があるところ,本件病院の職員は,Gが,血圧低下,脈拍増加,舌根沈下等の異常状態を示していたことを確認しながら,更に十分な経過観察をすべき義務を怠り,保護室に放置したものである上,Gのような肥満体は舌根が沈下したときの気道の確保が難しいのであるから,心肺蘇生の用意をするなど異常時に備えて経過観察をすべき義務があるのに,これを怠ったものである旨主張する。 前記引用の原判決認定の事実及び前掲証拠によれば,①イソミタールの副作用として,呼吸器,心 心肺蘇生の用意をするなど異常時に備えて経過観察をすべき義務があるのに,これを怠ったものである旨主張する。 前記引用の原判決認定の事実及び前掲証拠によれば,①イソミタールの副作用として,呼吸器,心血管系の抑制作用が強く,特に静脈注射による投与の場合は,徐脈,低血圧等の循環抑制や呼吸抑制の生じる可能性があることは精神科医療従事者の常識に属すること,②Gは,M看護婦が午前11時50分ころにバイタルチェックをした際には,鼻翼で二段呼吸をしていたこと,午後1時ころには,呼吸数が多くなり,やや舌根沈下気味であったこと,午後1時30分ころには,口角に泡沫状の唾液を出し,呼吸は規則的だがやや浅く速い状態であったこと,③Gは,中等度以上の肥満で短頚であるため,深い睡眠状態で舌根沈下を生ずる可能性があることは,同医療従事者において予見することができたものといえる上,午後1時ころ及び午後1時30分ころには,前示2(6)のような異常の徴候が観察されているのであるから,Gに対し強制入眠させて保護室収容の処遇を行った本件病院の保護室担当の職員としては,単にGを左側臥位にしたり,同臥位を深くするだけではなく,午後1時ころよりも呼吸状態が浅くて速い状態になっていることを確認した午後1時30分ころ以降は,上記の症状が完全に消失するまで,Gの全身状態,特に呼吸状態の改善を監視する義務があるものというべきである。 イ被控訴人は,Gに舌根沈下は生じておらず,空気は十分に肺に入っており,喘鳴等もなく,呼吸リズムも正常で規則的であり,気道の狭窄,閉塞もなく,脳性呼吸困難にも陥っていない旨主張する。 しかし,前示認定のとおり,M看護婦は,午後1時ころ,Gが,保護室収容時より呼吸数が多くなり,舌根沈下気味の症状を生じていることを認めたため,同人を左側臥位にしたものであるし,こ い旨主張する。 しかし,前示認定のとおり,M看護婦は,午後1時ころ,Gが,保護室収容時より呼吸数が多くなり,舌根沈下気味の症状を生じていることを認めたため,同人を左側臥位にしたものであるし,この時のGの状態等についてはI医師に報告し,同医師から,念のためにGの血圧や全身状態をよく観察するようにとの指示が出されていた。そして,午後1時30分ころには,Gは,口角に泡沫状の唾液を出し,呼吸は規則的だがやや浅く速い状態であるなどの変化が生じていることが観察されているのである(なお,前記カルテ[乙4,8]の午後2時40分の欄には,O医師が,控訴人Aらに,午後1時30分の巡視時「呼吸苦しそうであったが体位交換による改善」との説明をした旨の記載がある。)から,前記I医師の指示もあり,保護室担当の看護婦としては,この段階で更にGのバイタルチェックをし,担当医師に報告するとともに,Gの全身状態,特に呼吸状態の改善を十分監視する義務があるというべきである。 ウところで,前示認定のとおり,午後1時30分ころM看護婦がGの身体状態を観察したのは,他の患者のおむつを交換に行く途中のことであり,「おむつ交換終わった時点のあとで全身状態を見れば間に合うと思っていた」(証人M・速記録19丁裏・20丁表)ことについては,考慮しておく点がある。すなわち,当時の医学的知見として,イソミタールを静脈注射し,それによる呼吸抑制が約2時間後に遷延的に発生する例があるとは知られていなかったと認めることができるからであり(証人J・速記録17丁表),それゆえ,午後1時ころのGの身体状態について報告を受けたI医師においても,「一応念のために血圧とか全身状態をよく見ておきなさい」という程度の指示(証人I・速記録8丁表)をしていたにすぎないものと考えられるからである。しかし,イソミター いて報告を受けたI医師においても,「一応念のために血圧とか全身状態をよく見ておきなさい」という程度の指示(証人I・速記録8丁表)をしていたにすぎないものと考えられるからである。しかし,イソミタールの呼吸抑制作用に関する医学的知見としてはそうではあっても,現に午後1時30分ころGに前記のような症状が見られ,約30分前とは呼吸状態に変化が生じている以上,可及的速やかに全身状態をチェックして,担当医にその症状の報告をするとともに,Gの呼吸状態の監視を継続すべきであったものであり,午後1時45分ころには,その後直ちに行われた心肺蘇生術によって既に救命できない状態になっていたことを考えると,そのころまで他の仕事に従事して,それで間に合うと思っていた保護室担当看護婦の判断には,客観的に見ればGの身体状態の観察に誤りがあったものというべく,呼吸不全等の重大な結果発生の予見可能性がなかったとはいえない以上,本件病院の措置に経過観察義務違反があったものといわざるを得ない。 エなお,被控訴人は過失相殺を主張するが,Gは精神分裂病で本件病院に入院していたものであるし,肥満や短頚が舌根沈下に関係しているとしても,Gの行動や上記身体的特徴をもって過失相殺の法理を適用すべき事由とすることは相当でない。 被控訴人の主張は採用することができない。 4 そこで,上記経過観察義務違反とGの死亡との間に相当因果関係を認めることができるか否か検討するに,前示のとおり,Gは,イソミタールの呼吸抑制作用とともに,睡眠が深くなったことに伴って舌根沈下を生じ,窒息死した蓋然性が高いところ,同人は,午後1時ころやや舌根沈下気味であり,午後1時30分ころには呼吸は規則的だがやや浅くて速い状態であったが,橈骨動脈の拍動に触れることができ,午後1時45分ころにはその直後の心肺蘇生術によって救 人は,午後1時ころやや舌根沈下気味であり,午後1時30分ころには呼吸は規則的だがやや浅くて速い状態であったが,橈骨動脈の拍動に触れることができ,午後1時45分ころにはその直後の心肺蘇生術によって救命できない状態になっていたことにかんがみれば,午後1時30分ころ又はそれに接近した時点でGのバイタルチェックを行い,その状態を医師に報告するとともに,同人の呼吸状態の監視を継続していたならば,Gの身体状態の変化に的確に対応することができ,Gが救命され得た蓋然性は極めて高かったものと推認することができる。したがって,上記経過観察義務違反とGの死亡の結果との間には相当因果関係があるものというべきである。 ところで,上記経過観察義務違反によるGの死亡の結果は,本件病院において,Gの自傷・他害の恐れのある行動について必要な制限を行う処遇として,強制的に薬剤を注射し,入眠させて保護室に収容する処置を執行した過程で生じたものであるから,その責任の性質は,第1次的に不法行為責任であると解するのが相当である。 5 損害について(1) Gの逸失利益証拠(甲1,26,27,乙1,2,控訴人A)によれば,Gは,死亡当時,42歳の男子であり,家業である酒類等販売業に従事し,主として配達等をしていたものであるが,昭和49年ころから精神分裂病に罹患し,本件病院に過去5回入院し,今回が6回目の入院であり,今後とも治療を要する状態であったこと,平成7年の同人の給与支払額(Gの収入金額)は252万円として納税申告されていたことを認めることができ,他にこれを上回る収入があったことを認めるに足りる証拠はないから,Gの逸失利益の計算の基礎としての年収は252万円(なお,この額は,平成7年賃金センサスの男子労働者学歴計の年収額559万円の45%である。)と認めるのが相当である。そ 認めるに足りる証拠はないから,Gの逸失利益の計算の基礎としての年収は252万円(なお,この額は,平成7年賃金センサスの男子労働者学歴計の年収額559万円の45%である。)と認めるのが相当である。そして,Gは,存命していれば67歳までの25年間は就労可能であったものというべきであるが,前記のように難治性の精神分裂病に罹患していたことにかんがみ,生活費として60%を控除し,中間利息の控除につきライプニッツ式計算法(ライプニッツ係数は14・0939)を用いて死亡時におけるGの逸失利益を算定すると,その合計額は,次のとおり,1420万6651円となる。 252万円×(1-0・6)×14・0939=1420万6651円(2) Gの損害賠償請求権の相続による承継Gの被控訴人に対する前記損害賠償請求権(1420万6651円)は,相続により,控訴人Aが2分の1(710万3326円),控訴人B,同C及び同Dが各6分の1(236万7775円)をそれぞれ承継した。 (3) 控訴人らの慰謝料前掲証拠及び乙4によれば,Gの死亡当時,控訴人Aは41歳,控訴人Bは17歳(高校3年),控訴人C及び同Dはいずれも14歳(中学3年)であり,Gの両親(控訴人E当時78歳及び同F当時75歳)は,昼はGの家族と一緒に生活し,夜間は独身であるGの妹宅で寝泊まりする生活をしており,G一家とその両親との生計は一つであったと認めることができること,また,Gが本件病院に入院した翌日に保護室で死亡したことは控訴人らにとって全く予期しない悲痛な出来事であったと認めることができること(両親は午後3時10分に本件病院に来院している。),その他諸般の事情を考慮すると,控訴人らの被った精神的苦痛を慰謝する金額としては,控訴人Aにつき600万円,控訴人B,同C及び同Dにつき各200万円, 親は午後3時10分に本件病院に来院している。),その他諸般の事情を考慮すると,控訴人らの被った精神的苦痛を慰謝する金額としては,控訴人Aにつき600万円,控訴人B,同C及び同Dにつき各200万円,控訴人E及び同Fにつき各100万円をもって相当と認める。 (4) したがって,被控訴人に対する控訴人らの損害賠償請求権の額は,控訴人Aが1310万3326円(710万3326円+600万円),控訴人B,同C及び同Dが各436万7775円(236万7775円+200万円),控訴人E及び同Fが各100万円となる。 6 以上によれば,控訴人らの被控訴人に対する本件各請求は,控訴人Aに対し1310万3326円,控訴人B,同C及び同Dに対し各436万7775円,控訴人E及び同Fに対し各100万円及びこれらに対するそれぞれ不法行為の日である平成8年1月20日から支払済みに至るまで年5%の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないから棄却すべきである。 よって,控訴人らの本件控訴は,一部理由があるので,原判決を本判決主文1項のとおり変更することとし,主文のとおり判決する。 東京高等裁判所第22民事部裁判長裁判官石川善則裁判官井上繁規裁判官酒井正史

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