主文 1 原告の請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求 1 A事件(1) 被告法務大臣が,原告に対し,平成11年12月24日付でなした,出入国管理及び難民認定法第61条の2の4に基づく異議申立を理由なしとした裁決を取り消す。 (2) 被告法務大臣が,原告に対し,平成11年12月6日付でなした原告を難民とは認定しない旨の処分を取り消す。 2 B事件被告大阪入国管理局主任審査官が,原告に対し,平成12年4月11日付でなした退去強制令書発付処分を取り消す。 第2 事案の概要A事件は,アフガニスタン国籍を有する原告が,被告法務大臣に対し,被告法務大臣が平成11年12月6日付でなした原告を難民とは認定しない旨の処分(以下「本件不認定処分」という。)及び原告の本件不認定処分に対する異議申立を理由なしとした被告法務大臣の裁決(以下「本件裁決1」という。)の取消しを求めた事案である。 B事件は,原告が,被告大阪入国管理局主任審査官(以下「被告主任審査官」という。)に対し,同人が平成12年4月11日付でなした原告をアフガニスタンに強制退去させる旨の退去強制令書発付処分(以下「本件退令処分」という。)の取消しを求めた事案である。 1 前提事実(争いのない事実及び証拠より容易に認定できる事実)(1) 原告の経歴、本邦入国、退去強制手続等の経緯についてア原告は,1953年2月15日,アフガニスタン国(以下「アフガニスタン」という。)において出生した,アフガニスタン国籍を有する外国人である。 イ原告は,平成3年7月14日,大阪国際空港に到着し,大阪入国管理局(以下「大阪入管」という。)大阪空港出張所入国審査官に対し,外国人入国記録(以下「入国カード」という。)を提出のうえ,上陸申請を行い 原告は,平成3年7月14日,大阪国際空港に到着し,大阪入国管理局(以下「大阪入管」という。)大阪空港出張所入国審査官に対し,外国人入国記録(以下「入国カード」という。)を提出のうえ,上陸申請を行い,同審査官から在留資格「短期滞在」及び在留期間90日とする上陸許可を受けて本邦に上陸し,その後,在留期間の更新許可を1回受け,同年12月23日,本邦から出国した。 ウ原告は,平成9年6月21日,アラブ首長国連邦(以下「UAE」という。)アブダビのアフガニスタン大使館においてアフガニスタン旅券の発給を受け,同月29日,UAEにおける滞在査証(有効期限2000年6月28日)を取得した。 エ原告は,平成9年10月9日,新東京国際空港に到着し,東京入国管理局(以下「東京入管」という。)成田空港支局入国審査官に対し,入国カードを提出のうえ,上陸申請を行い,同審査官から在留資格「短期滞在」及び在留期間90日とする上陸許可を受けて本邦に上陸し,同年12月16日,本邦から出国した。 オ原告は,平成10年6月26日,新東京国際空港に到着し,東京入管成田空港支局入国審査官に対し,入国カードを提出のうえ,上陸申請を行い,同審査官から在留資格「短期滞在」及び在留期間90日とする上陸許可を受けて本邦に上陸し,同年9月15日,本邦から出国した。 カ原告は,平成11年1月6日,新東京国際空港に到着し,東京入管成田空港支局入国審査官に対し,入国カードを提出のうえ,上陸申請を行い,同審査官から在留資格「短期滞在」及び在留期間90日とする上陸許可を受けて本邦に上陸し,同年4月3日,本邦から出国した。 キ原告は,平成11年7月7日,関西国際空港に到着し,大阪入管関西空港支局入国審査官に対し,日本滞在予定期間を85日,渡航目的を「Business」と記載した入国カードを提出して 邦から出国した。 キ原告は,平成11年7月7日,関西国際空港に到着し,大阪入管関西空港支局入国審査官に対し,日本滞在予定期間を85日,渡航目的を「Business」と記載した入国カードを提出して上陸申請をし,同入国審査官から「短期滞在」の在留資格及び在留期間を90日とする上陸許可を受けて本邦に上陸した。 ク原告は,平成11年10月1日,被告法務大臣に対し,出入国管理及び難民認定法(以下単に「法」という。)61条の2第1項の規定に基づき難民認定申請(以下「本件申請」という。)を行った。 また,原告は,同日,在留期間更新許可申請を行い,被告法務大臣は,同日,在留期間を90日とする更新を許可した。 ケ原告の本件申請に対し,大阪入管難民調査官が,平成11年10月15日,同月19日及び同月28日,原告から事情聴取を行ったうえ,被告法務大臣は,同年12月6日,本件申請は法61条の2第2項所定の期間(以下「申請期間」という。)を経過してなされたものであり,かつ,同項ただし書の規定を適用すべき事情も認められないとして,難民の認定をしない処分(本件不認定処分)をし,同年12月10日,申立人にその旨通知した。 コ原告は,平成11年12月13日,被告法務大臣に対し,本件不認定処分を不服として法61条の2の4の規定に基づき異議の申出(以下「本件異議申出1」という。)を行ったので,大阪入管難民調査官が,同年12月20日,原告から事情聴取を行うなどの調査を行った上,被告法務大臣は,同月24日,本件申請が申請期間を経過してなされたものであり,かつ,同項ただし書の規定を適用すべき事情も認められないので,原処分に誤りはないとして,本件異議申出1には理由がない旨の裁決(本件裁決1)をし,同月28日,原告にその旨通知した。 原告は,最終在留期限である平成12年1月3 適用すべき事情も認められないので,原処分に誤りはないとして,本件異議申出1には理由がない旨の裁決(本件裁決1)をし,同月28日,原告にその旨通知した。 原告は,最終在留期限である平成12年1月3日までに本邦から出国することなく,同日を超えて本邦に不法に残留している。 サ大阪入管入国警備官は,平成12年1月11日,原告について,法24条4号ロにいう「不法残留」に該当することになるとの容疑で違反調査に着手し,同年2月10日,法24条4号ロに該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,被告主任審査官から収容令書の発付を受けた上で,同月15日上記収容令書を執行し,同月16日,大阪入管入国審査官に引き渡した。 シ大阪入管入国審査官は,原告について違反審査を実施したうえ,平成12年3月1日,原告が法24条4号ロに該当する旨の認定を行い,原告にこれを通知したところ,原告は,同日,口頭審理の請求をした。 ス大阪入管特別審理官は,原告に対し口頭審理を実施した上,同月16日,入国審査官の前記認定には誤りがない旨判定し,原告にこれを通知したところ,原告は,同日,被告法務大臣に対し異議の申出をした(以下「本件異議申出2」という。)。 セ被告法務大臣は,平成12年4月10日付けで,原告の異議の申出は理由がない旨の裁決をし(以下「本件裁決2」という。),同裁決を受けて被告大阪入国管理局主任審査官は,同月11日,原告に上記裁決を告知するとともに,退去強制令書(以下「本件退去強制令書」という。)を発付し(以下「本件退令処分」という。),大阪入管入国警備官は,同日,これを執行し,原告を大阪入管に収容した。 ソ原告は,仮放免を申請し,平成12年7月5日,同申請は許可され,原告は同日以降収容されていない。 (2) アフガニスタン情勢(甲1の1ないし4)ア原告 れを執行し,原告を大阪入管に収容した。 ソ原告は,仮放免を申請し,平成12年7月5日,同申請は許可され,原告は同日以降収容されていない。 (2) アフガニスタン情勢(甲1の1ないし4)ア原告の国籍国であるアフガニスタンは,パキスタン,イラン,トルクメニスタン,ウズベキスタン,タジキスタン及び中国と国境を接し,中央アジアに位置する多民族国家である。 イ同国においては,1979年のソ連侵攻以来,政権とソ連軍に対するムジャヒディーンの抵抗運動が続いていたが,1989年のソ連軍撤退後,1992年にはナジブラ政権が倒れ,ムジャヒディーン各派による連立政権が成立した。しかし,その後,ムジャヒディーン各派の主導権争いが激化し,内戦状態に突入して,その政治状況は混乱状態となり,パキスタン,イラン等の周辺国に270万人弱の難民が滞留し,国内の避難民も判明しているだけで30万人を超えた。 ウ 1994年末,国内の政治的混乱に乗じてタリバーンが台頭して主流派となり,アフガニスタンにおける「イスラム原理主義」政権の樹立を目指した。タリバーンは,主として多数派民族であるパシュトゥーン人によって構成されており,宗派は,イスラム教スンニ派ムスリムである。シーア派でイスラム統一党に所属する者が多く,かつ民族的にもモンゴル系で容貌から他の民族と区別されやすいハザラ人は,その迫害の標的になりやすい立場にあった。 エ 1995年から1996年にかけて,タリバーンは首都カブールヘの侵攻を繰り返し,1996年9月には,カブールを制圧した。タリバーンの攻勢に脅威を感じた各勢力は反タリバーンで結束し,その後勢力関係に大きな変化はなかったものの,1998年7月からの軍事攻勢によって,タリバーンは,北部の要衝αや中央部のバーミヤンといった拠点を支配下に組み入れ,同年9月ころまでに リバーンで結束し,その後勢力関係に大きな変化はなかったものの,1998年7月からの軍事攻勢によって,タリバーンは,北部の要衝αや中央部のバーミヤンといった拠点を支配下に組み入れ,同年9月ころまでにアフガニスタン国内の9割以上を制圧した。1998年8月,タリバーンが北部主要都市αを陥落させた際には,民間人を含む多数の人間が殺害され,特に,ハザラ人男性は,1997年のタリバーンによるα攻略の失敗に対する報復や,その宗派がスンニ派ムスリムと対立するシーア派であることなどから標的になりやすく,少年を含む多数の者が処刑された。 オ 1999年7月下旬に入り,タリバーンが反タリバーンに対する大規模な攻撃を開始した結果,10万人を超える国内避難民が発生したとの国連情報もあり,日本の外務省においても,現地情勢にかんがみ,平成11年9月10日付けで危険度5(最高度)の避難勧告の継続を発表した。 2 争点(1) 本件不認定処分の違法性ア本件申請が,法61条の2第2項本文の要件を充たすかどうかイ申請期間を徒過したことにつき「やむを得ない事情」が認められるかウ法61条の2第2項の要件を充足しない場合にも難民該当性につき判断すべきかどうか(2) 本件不認定処分及び本件裁決1の違法性(手続違背)(3) 本件退令処分の違法性 3 争点に対する当事者の主張(1) 本件不認定処分の違法性(原告の主張)ア本件申請が,法61条の2第2項本文の要件を充たすこと(ア) 申請期間の起算日原告は,後述のとおり,国籍国を離れた後に「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」に至ったといういわゆる「後発的難民」に該当し,かかる場合には,難民認定の申請期間は,申請者が難民となる事由を知った日から起算されるべきである。 (イ) 原告に「難民となる事由 由のある恐怖を有する」に至ったといういわゆる「後発的難民」に該当し,かかる場合には,難民認定の申請期間は,申請者が難民となる事由を知った日から起算されるべきである。 (イ) 原告に「難民となる事由が生じた」こと原告は,過去3度にわたり,タリバーン関係者による迫害を受けている。すなわち,1回目は,1996年春ころ,カブール近郊でバスに乗っていた際,山賊行為によって私腹を肥やしていたタリバーン関係者から金員を強奪された。2回目は,同年夏ころ,カブール市内で,食料の買い出しに行った帰りにタリバーン関係者に捕まり,3日問拘束されたが,金銭を支払って釈放された。3回目は,1996年8月にタリバーンがカブールに侵攻してきた際,タリバーン兵士によって銃剣で胸を刺されるなどして負傷したが,現場を逃げ出して九死に一生を得ることができた。 しかしながら,以上の迫害は,いずれも原告を特定の人物として名指しして行われたものではなく,イスラム統一党員であるか否かさえも問わない,不特定のハザラ人やタジク人に対する無差別攻撃である。特に,3回目の迫害は,カブール陥落という内戦状態の中で,タリバーン兵士が,カブール市内にいたハザラ人やタジク人を無差別に殺戮しようとしたものであって,原告を名指しで迫害するものではないから,このような迫害経験があるからといって難民に該当するものではない。 また,1998年8月にαが陥落した際,原告の家族が行方不明となり,原告の弟や長男を含む多くのハザラ人が殺害されたが,原告は当時来日していて自らが何らかの迫害を受けたわけではないし,この虐殺も,ハザラ人らに対する無差別攻撃であって,原告を名指しして迫害を加えようとするものではなかった。 原告は,他の多くのハザラ人と同様,イスラム統一党に所属し,多額の寄付を行ってきたが,タリバーンは も,ハザラ人らに対する無差別攻撃であって,原告を名指しして迫害を加えようとするものではなかった。 原告は,他の多くのハザラ人と同様,イスラム統一党に所属し,多額の寄付を行ってきたが,タリバーンは,αを侵攻した際に原告の自宅を捜索し,イスラム統一党から原告に宛てた寄付金の領収書等を押収し,原告がイスラム統一党の重要人物であることを把握し,そのころ,原告の殺害を指示する殺害指示書を発行した。よって,この時に初めて原告につき難民となる事由が生じたのである。 (ウ) 原告が「難民となる事由が生じた」ことを認識した時期原告は,α陥落後しばらくして,日本からパキスタンのβに戻り,実弟及び長男が殺害されたこと,家族が行方不明となったことは聞き及んだが,タリバーンが原告をイスラム統一党の重要人物であると把握しており,名指しで迫害を受けるおそれがあることについては知らなかった。したがって,原告は,自らがタリバーンによって迫害を受けるおそれがあることを知らないまま,1999年7月7日,本邦に入国したのである。 そして,パキスタンのβにいたP1が,1999年8月ころ,βにおいて,タリバーンが原告を捜していることを知って調査したところ,タリバーンが,1998年8月に原告の自宅を捜索した際,領収書等を押収し,原告をイスラム統一党の重要人物として,その行方を捜していることが判明した。このため,P1は,1999年9月末,原告に対して電話でこれらの事実を説明し,アフガニスタンはおろかパキスタンに戻ることすら危険であることを伝えた。よって,原告は,この時点で初めて自らにつき難民となる事由が生じたことを認識するに至ったのである。 (エ) 殺害指示書入手の経緯なお,原告が殺害指示書等を入手した経緯は以下のとおりである。すなわち,平成11年12月6日に本件不認定処分が き難民となる事由が生じたことを認識するに至ったのである。 (エ) 殺害指示書入手の経緯なお,原告が殺害指示書等を入手した経緯は以下のとおりである。すなわち,平成11年12月6日に本件不認定処分がなされ,原告は同処分に対して異議申出をしたところ,原告は,同年12月20日,異議申出にかかる審査のため,難民調査官による事情聴取を受けることになった。その際,難民調査官が原告に対し証拠の提出を強く求めてきたため,原告とこの調査に立ち会っていた原告の支援者であるP2が,イランやパキスタンに電話連絡をして証拠書類を取り寄せるよう依頼したのである。その結果,イスラム統一党の在イラン事務所から原告の庇護要請書(甲9の1)を発行してもらい,イランからUAE経由で平成12年1月15日にP2の下に航空便で届けられた。 また,パキスタンから原告がイスラム統一党員であることの身分証明書(甲10の1),殺害指示書(同10の2),P1の手紙(同10の3),原告の妻の手紙(同10の4),イスラム統一党の原告宛感謝状(同10の5),感謝及び注意書(同10の6)の各書証がP2のところに送付されてきたのである。 (オ) 結論以上のとおり,本件申請に関し,原告が自らを難民であるとの事実を知った日は,P1から電話を受けた1999年9月末ころであり,原告はそれから60日以内である同年10月1日に本件申請を行っているから,本件申請は,法61条の2第2項の定める申請期間を徒過していない。 イ申請期間を徒過したことにつき「やむを得ない事情」が存すること前述のとおり,本件申請にかかる申請期間については,原告が難民となる事由が生じたことを知った時点から起算されるべきであるが,仮に客観的難民事由が生じた日を起算日とするとしても,原告はタリバーンが原告に対する殺害指示書を出したという 期間については,原告が難民となる事由が生じたことを知った時点から起算されるべきであるが,仮に客観的難民事由が生じた日を起算日とするとしても,原告はタリバーンが原告に対する殺害指示書を出したという事実を知らなかった以上,法61条の2第2項ただし書きにいう「やむを得ない事情」が存することは明らかである。 ウ実体判断を行わずに申請を却下することが難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)及び難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)に反すること(ア) 仮に,本件申請が法61条の2第2項の要件を充たさないとしても,原告が難民に該当するかどうかという実体判断をせずに原告の申請を却下した本件処分は違法である。以下詳述する。 (イ) 難民条約第1条A(2)及びこれを修正する難民議定書は,難民条約の適用を受ける難民について概ね「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」と定義する。そして,人は,上記定義に含まれている基準を満たせば同条約上の難民となるであり,締約国において難民と認定されて初めて難民となるのではない。 ところで,法61条の2第2項は,難民の認定申請は,「その者が本邦に上陸した日(本邦にある間に難民となる事由が生じた者にあっては,その事実を知った日)から60日以内に行わなければならない。ただし,やむを得ない事情があるときは,この限りでない。」としており,いわゆる60日ルールを定めている。そして,現在,60日ルールは,難民の認定を受けようとする者が難民条約及び難民議定書 ならない。ただし,やむを得ない事情があるときは,この限りでない。」としており,いわゆる60日ルールを定めている。そして,現在,60日ルールは,難民の認定を受けようとする者が難民条約及び難民議定書の定める難民に該当するか否かという実体判断に先だって満たされるべき形式的要件であるとして運用されているが,このような運用によれば,難民条約及び議定書の適用を受ける難民であっても,申請期間を徒過したために難民と認定されない者が制度的に生ずることとなり,難民について難民条約及び難民議定書上認められている保護措置が受けられなくなるのであるから,難民条約及び議定書における難民の定義に該当するものをそのまま正確に難民として認定することを要請する難民条約及び難民議定書の本来的性質に反し許されないというべきである。 (ウ) 60日ルールが,難民かどうかの実体審査に入る前提として充足すべき形式的要件であるとすると,難民条約によって定められた難民の定義に該当することに加えて,「60日ルール」をクリアするというもうひとつの事件を要求することになるのであるから,実質的に難民の概念に時間的制限を付加するに等しく,難民概念について留保及びその変更を一切禁止する難民条約42条1項に反する。 (エ) ノン・ルフールマン原則(難民条約33条1項違反)難民条約33条1項は,「締約国は,難民を,いかなる方法によっても,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない。」とし,いわゆるノン・ルフールマン原則を定めているところ,条約締約国が,国内法上の手続的要件の不遵守を理由に申請者の難民性についての実体判断を行わないとすれば,実体上難民である者を迫害のおそれがある国 し,いわゆるノン・ルフールマン原則を定めているところ,条約締約国が,国内法上の手続的要件の不遵守を理由に申請者の難民性についての実体判断を行わないとすれば,実体上難民である者を迫害のおそれがある国に送還することを容認することになるから,上記運用は難民条約33条1項に反するというべきである。 (オ) UNHCRの見解条約法に関するウィーン条約(以下「ウィーン条約」という。)31条1項は,「条約は,文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い,誠実に解釈するものとする。」とし,同32条は,文脈等によっては意味があいまい又は不明確である場合や同31条に従った方法による解釈により明らかに常識に反した又は不合理な結果がもたらされる場合などには,解釈の補足的手段に依拠することができることを認めている。 そして,国際連合難民高等弁務官(UNHCR)は,難民条約35条において「この条約の適用を監督する責務」を与えられており,難民条約の締約国は,UNHCRに協力し,条約の実施状況についての必要な情報を提供する義務を負っているところ,1963年からUNHCR執行委員会の審議の結果が「難民の国際的保護に関する結論」(以下,単に「結論」という。)という形でまとめられている。 この「結論」は,難民条約の実施状況について監督する責務と権限を有する最も権威ある機関により採択されるものであるから,ウィーン条約32条にいうところの「解釈の補足的手段」に該当し,この解釈を覆すにたりる十分な根拠が示されない限り,「結論」は難民条約の正しい解釈として,そのまま妥当するものというべきである。 UNHCR執行委員会は,1979年,避難国なき難民に関する結論(UNHCR執行委員会結論第15号)を採択し,「庇護申請者に一定期間内に庇護申請をするよう そのまま妥当するものというべきである。 UNHCR執行委員会は,1979年,避難国なき難民に関する結論(UNHCR執行委員会結論第15号)を採択し,「庇護申請者に一定期間内に庇護申請をするように求める場合があっても,当該期間を守らなかったことまたはその他の形式的要件を遵守しなかったことを理由として庇護申請を審査の対象から除外すべきではない。」としており,かかる解釈に反する運用は難民条約及び議定書に反するというべきである。 (カ) 以上によれば,難民認定申請を一定期間内に行うよう求めることはできるが,その期間内に申請がない場合でも,その者の難民認定申請自体を検討の対象から除外すべきではなく,難民に該当するかどうかという実体判断を行わなければならないと解すべきであり,したがって,法61条の2第2項で定められた申請期間は単に努力目標を定めたものであって,法で定められた申請期間を徒過したことは,難民非該当性をうかがわせる一つの要素として考慮すれば足りるというべきである。そうであるとすると,被告法務大臣が,申請期間内に難民認定申請がなされなかったという形式的理由のみで原告の難民該当性の有無について実体判断をすることなくなした,原告を難民とは認定をしない旨の処分は,難民条約及び議定書に反し,違法であるというべきである。 (被告法務大臣の主張)ア本件申請が,法61条の2第2項本文の要件を充たさないこと(ア) 原告は,イスラム統一党員であり同党に対して多額の寄付を行っていたことから,タリバーンからイスラム統一党の重要人物であると認識されており,タリバーンは原告の殺害を指示する殺害指示書を発行したが,原告は,平成11年9月に知人から電話連絡を受けて初めてタリバーンが原告の殺害指示書を発行したことを知ったのであるから,原告は,この時に初めて自己が難 ンは原告の殺害を指示する殺害指示書を発行したが,原告は,平成11年9月に知人から電話連絡を受けて初めてタリバーンが原告の殺害指示書を発行したことを知ったのであるから,原告は,この時に初めて自己が難民であることを知ったと主張し,原告がイスラム統一党の党員であり同党に対して多額の寄付を行っていたこと,及びタリバーンが原告の殺害を指示したことを裏付ける証拠として,イスラム統一党の作成に係る庇護依頼書(甲9の1),原告のイスラム統一党の身分証明書(甲10の1),殺害指示書(甲10の2),P1の原告に対する手紙(甲10の3),原告の妻の原告に対する手紙(甲10の4),イスラム統一党からの感謝状(甲10の5),P3からの感謝状(甲10の6)を提出しているが,これらの文書のうち,少なくとも甲10の3を除く文書はいずれも偽造されたものであり,かつ,この点に関する原告の供述は客観的事実に反し,変遷をしているなど信用することができないから,タリバーンが原告の殺害を指示したことを裏付ける証拠はない。 (イ) 原告は,これまでタリバーンの関係者から迫害を受けており,1996年8月にタリバーンのカブール侵攻の際にはタリバーン兵士に銃剣で胸を刺されるなどして重傷を負い,1998年8月には,タリバーンがαを侵攻した際に,原告の自宅がタリバーン兵士によって捜索されたと主張しているところ,仮に,原告が主張するとおりの事実が存するのであれば,原告が本邦に入国した平成11年7月7日以前に既に,原告自身及び原告自身の家族が迫害を受けており,その迫害を受けた時,あるいはそのころ迫害を受けた事実を原告も認識していたことになる。 原告は,平成11年9月の知人からの電話連絡により難民であることを知ったと主張しているが,原告の主張するとおり電話連絡があったとしても,原告の供述,主張 受けた事実を原告も認識していたことになる。 原告は,平成11年9月の知人からの電話連絡により難民であることを知ったと主張しているが,原告の主張するとおり電話連絡があったとしても,原告の供述,主張を総合すれば,それは既に抱いていた迫害のおそれを再認識したものにすぎず,上記電話連絡により難民であることを知ったとはいえない。 (ウ) したがって,原告は,難民認定申請を本邦に上陸した平成11年7月7日から60日以内にしなければならなかったにもかかわらず,本件申請はこれを徒過してなされたものであるから,法61条の2第2項本文の要件を充たさないというべきである。 イ 「やむを得ない事情」が存しないこと本件申請につき,法61条の2第2項にいう,「やむを得ない事情」があったことを認める証拠はない。 ウ実体判断を行わずに申請を却下することが難民条約及び難民議定書に反するとの主張について(ア) 難民条約及び難民議定書は,難民の認定手続については何ら定めていないのであるから,どのような難民の認定手続を定めるかについて締約国に委ねていると解され,難民の認定手続につき,60日の期間内に行うように求める法61条の2第2項は,難民条約及び難民議定書には反しない。そして,難民の認定手続につき,60日の期間内に行うよう求める法61条の2第2項は,難民となる事実が生じてから長時間が経過すると事実の把握が困難となり,公正な難民の認定ができなくなるおそれがあるので,国籍国等における迫害のおそれから逃れて我が国に庇護を求める者は,速やかにその旨を申し立てなければならないこととしたものであり,我が国の地理的・社会的実情に照らせば,このような者が難民認定の申請をすべきか否かについての意思を決定し入国管理官署に出向いて手続を行うには,60日という申請期間は十分と考えられる。し ものであり,我が国の地理的・社会的実情に照らせば,このような者が難民認定の申請をすべきか否かについての意思を決定し入国管理官署に出向いて手続を行うには,60日という申請期間は十分と考えられる。したがって,難民認定申請を,60日の期間内に行うよう求める法61条の2第2項の規定は合理的なものである。 (イ) 原告は,法61条の2第2項で定められている60日の申請期間内に難民認定申請が行われなかったという形式的理由のみで,申請人の難民該当性の有無についての実体判断をすることなく,難民の認定をしない処分をすると,難民条約又は難民議定書1条にいう難民に該当する者であっても,我が国において難民として認定されない者が出てくることになるから,そのような法解釈は,難民条約,難民議定書に反する旨主張する。 しかしながら,難民条約は,「難民に対する庇護の付与が特定の国にとって不当に重い負担となる可能性のあること・・・を考慮し」て,庇護に関する規定を置かず,難民に庇護の権利を付与していない。難民条約は,締約国に対し,難民の入国在留を認めることを義務づけていないのであり,難民条約1条,難民議定書1条にいう難民に該当する者であっても,自分の希望する締約国に入国できず,難民申請もできないという事態を当然に認めているのであるから,難民として受け入れ,難民条約上の保護を与えるかどうかは,締約国が主権的判断に基づいて決定すべき事項としているのである。 したがって,難民条約1条又は難民議定書1条にいう難民に該当する者が,我が国において難民として認定されない事態が生じたとしても,そのこと自体は,難民条約又は難民議定書に違反するものではない。 (ウ) 原告は,UNHCR執行委員会結論15号は,ウィーン条約32条の解釈の補足的な手段に該当し,難民条約の正しい解釈として妥当する そのこと自体は,難民条約又は難民議定書に違反するものではない。 (ウ) 原告は,UNHCR執行委員会結論15号は,ウィーン条約32条の解釈の補足的な手段に該当し,難民条約の正しい解釈として妥当する旨主張する。 しかしながら,難民条約は,前述のとおり,難民条約1条,難民議定書1条にいう難民に該当する者であっても,自分の希望する締約国に入国できず,したがって難民申請もできないという事態を当然に認めていると解釈されるのであり,文言に曖昧なところはなく,そのように解釈しても明らかに常識に反したり,不合理な結果をもたらすものでもないから,ウィーン条約32条のいう,解釈の補足的手段に依拠すべき場合には該当せず,ウィーン条約32条が適用される余地がない。 しかも,UNHCR執行委員会結論15号は,難民条約,難民議定書を有権的に解釈したものではなく,法的拘束力のない指針であるにすぎない。 したがって,UNHCR執行委員会結論15号によって,難民条約,難民議定書を解釈することはできない。 (エ) 原告は,60日ルールを実体審理に入る前にクリアされるべき要件とする運用は,難民の概念に時間的制限を付加するに等しく,難民概念についての留保及びその変更を一切禁止する難民条約42条に反すると主張する。 しかしながら,難民条約42条,難民議定書7条にいう「留保」とは,「国が,条約の特定の規定の自国への適用上その法的効果を排除し又は変更することを意図して,条約への署名,条約の批准,受諾若しくは承認又は条約への加入の際に単独に行う声明(用いられる文言及び名称のいかんを問わない。)をいう。」(ウィーン条約2条1項(d))。わが国は,難民条約及び難民議定書を締結するに当たり,難民の概念について,このような留保を何ら付していないのであるから,原告の上記主張は理由がない。 。)をいう。」(ウィーン条約2条1項(d))。わが国は,難民条約及び難民議定書を締結するに当たり,難民の概念について,このような留保を何ら付していないのであるから,原告の上記主張は理由がない。 (オ) 原告は,60日ルールを,難民条約1条又は難民議定書1条にいう難民であるかどうかの実体審理に入る前にクリアされるべき要件とすることは,難民条約33条1項の定めるノン・ルフールマン原則に反する旨主張する。 しかしながら,ノン・ルフールマン原則は,法53条3項において保障されており,難民認定を受けていなくとも法53条3項が適用される。退去強制を行う場合,どの地域を送還先に指定するかは,退去強制手続きにおいて,法61条の2に定める難民認定手続とは別個に判断されるところ,退去強制手続において,法53条3項が適用される。 したがって,60日ルールが,ノン・ルフールマン原則に反するとの原告の主張は理由がない。 (カ) 以上の次第で,原告が主張するように,法61条の2第2項の申請期間を単に努力目標を定めたものと解釈したり,上記申請期間経過後における申請についても難民該当性の実体判断をすることが可能となるよう解釈する必要性も相当性もないのであって,本件不認定処分は適法というべきである。 (2) 本件不認定処分及び本件裁決の違法性(手続違背)(原告の主張)原告に対する大阪入国管理局の調査はペルシア語の通訳を介してなされており,原告の母国語であるハザラ語はおろか,アフガニスタンの公用語であるダリー語の通訳も付けられなかったことにより,原告は十分な説明や証拠提出の機会を与えられなかった。したがって,本件不認定処分及び本件裁決1には,重大な手続的瑕疵があり違法である。 確かに,ペルシア語とダリー語ないしハザラ語は,似通った言語であり,原告がペルシア語の通 機会を与えられなかった。したがって,本件不認定処分及び本件裁決1には,重大な手続的瑕疵があり違法である。 確かに,ペルシア語とダリー語ないしハザラ語は,似通った言語であり,原告がペルシア語の通訳によって,入管職員と一定の意思疎通が可能であったことは事実である。しかし,ペルシア語とダリー語ないしハザラ語との間には厳然たる違いが存することも明らかであって,ペルシア語の通訳では,意思疎通として不十分である。特に,原告は初等教育すら受けておらずハザラ語ですら文盲であって,そもそも表現力等に問題があると考えられること,他方で本件難民認定に当たって,入管当局は,原告の供述調書の些細な言葉尻の食い違いを捉えて,供述の変遷として原告に不利益に扱おうとしていることなどの事情からすれば,かかる意思疎通の不十分さは,極めて重大な問題である。 (被告らの主張)本件異議申出後に難民調査官が行った事情聴取は,ペルシア語の通訳人を介して行われており,ダリー語は,ペルシア語のアフガニスタン方言にすぎず,ペルシア語の通訳人とダリー語が話せる原告とは,十分に会話が可能であるし意思疎通も可能であった。また,原告は,1975年からドイツや日本に行き自動車のエンジンを購入しカブールで販売するなど,商用目的でドイツに2回,日本に5,6回訪問しているのであり,今回の入国までの間,厳格な手続と交渉能力が求められる国際的な商取引を行っていた原告の経歴を考えれば,仮に原告が文盲であったとしても,原告の表現力に問題があるとは到底考えられない。 したがって,本件不認定処分及び本件裁決1は適法である。 (3) 本件退令処分の違法性(原告の主張)ア本件不認定処分の違法の承継前述のとおり,原告は難民に該当するにもかかわらずなされた本件不認定処分は明らかに違法であり,かかる処分に対す である。 (3) 本件退令処分の違法性(原告の主張)ア本件不認定処分の違法の承継前述のとおり,原告は難民に該当するにもかかわらずなされた本件不認定処分は明らかに違法であり,かかる処分に対する異議の申出について理由がないとした本件裁決1も違法である。したがって,本件退令処分は取り消されるべき違法な難民不認定処分及びそれに対する異議を理由がないとした違法な裁決を前提とするものであり,その違法は退去強制令書発付処分に承継されるから,本件退令処分もまた取り消されるべきである。 イノン・ルフールマン原則違反難民条約33条1項は「締約国は,難民をいかなる方法によっても,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない」と定めている。これを受けて,法53条3項は「法務大臣が日本国の利益又は公安を著しく害すると認める場合を除き,前2項の国には難民条約第33条第1項に規定する領域の属する国を含まないものとする。」と規定している。 原告は,ハザラ人であってイスラム統一党に属することを理由にアフガニスタンにおいて生命が脅威にさらされるおそれがある以上,原告をアフガニスタンに強制送還することは,難民条約33条1項及び法53条3項に反し違法である。 ウ拷問等禁止条約違反拷問等禁止条約第3条1項は,「締約国は,いずれの者をも,その者に対する拷問が行われるおそれがあると信じるに足りる実質的な根拠がある他の国へ追放し,送還し又は引き渡してはならない」と定めている。また,同条2項は「権限のある当局は,1の根拠の有無を決定するに当たり,すべての関連する事情(該当する場合には,関係する国における一貫した形態の重大な明らかな又は大規模な人権侵 らない」と定めている。また,同条2項は「権限のある当局は,1の根拠の有無を決定するに当たり,すべての関連する事情(該当する場合には,関係する国における一貫した形態の重大な明らかな又は大規模な人権侵害の存在を含む。)を考慮する」と規定する。 原告は,すでにタリバーンから殺害指示書が出されており,またイスラム統一党に属することからすれば,アフガニスタンに強制送還された場合,タリバーンによって拷問を受けるおそれがあることは明らかである。一般的なアフガニスタンの情勢だけからしても,ハザラ人である原告をアフガニスタンに強制送還すべきでないことは明白であるというべきである。 したがって,原告をアフガニスタンに強制送還することは,「拷問を受けるおそれがあると信じるに足りる実質的な根拠がある国へ送還する」ことにあたり,本件退去強制令書発付処分は拷問等禁止条約に反する。 エ難民条約31条2項違反難民条約31条2項は,締約国に,「避難国に不法にいる難民」に対し,「難民の移動に対し,必要な制限以外の制限を課してはならず,・・・他の国への入国許可を得るために妥当と認められる期間の猶予及びこのために必要なすべての便宜を与える。」ことを義務づけている。本件退去令書発付処分は,かかる「移動の制限」「期間の猶予」「便宜供与」についての一切の留保なく,単に原告の強制退去を命じるものであって,明らかに同条項に違反する。 オ裁量権の逸脱被告法務大臣が,原告に在留特別許可を与えるか否かを判断するにあたって,難民条約上の締約国の義務として,原告の難民該当性について判断することは当然である。被告法務大臣は,原告の実質的な難民該当性について判断せずに,あるいは,原告の難民該当性について誤った判断を基礎として本件退令処分をおこなっており,本件裁決2における被告法務大臣の とは当然である。被告法務大臣は,原告の実質的な難民該当性について判断せずに,あるいは,原告の難民該当性について誤った判断を基礎として本件退令処分をおこなっており,本件裁決2における被告法務大臣の判断は,その裁量を逸脱した違法なものであるから,本件退令処分も違法であり取り消されなければならない。 (被告主任審査官の主張)ア違法性の承継について退去強制手続と難民認定手続についてみると,法は,24条に退去強制事由を列挙し,27条以下において退去強制手続を規定する一方,61条の2以下において難民認定の手続について規定するが,難民認定手続と退去強制手続の関係について何ら規定せず,むしろ法61条の2の8の規定は難民認定を受けている者についても法24条各号の1に該当するものと認定し,退去強制手続を進めうることを前提としていることからすれば,難民認定申請をしていること又は難民認定を受けていること自体は,退去強制手続を当然停止せしめるものではなく,単に法務大臣が在留特別許可を付与するか否かについて判断する際,考慮することとなる事情の一つにすぎないものである。外国人が難民であると認定されたとしても,当該外国人は永住許可を受けることにつき他の外国人より有利に扱われ(法61条の2の5),難民旅行証明書の交付を受けることができる(法61条の2の6)ことはあっても,難民と認定されたことのみをもって当然在留が認められるものではない。 また,難民の認定に関する不服申立手続と退去強制事由の認定に関する不服申立手続は全く別個の手続が設けられている(法45条ないし49条及び61条の2の4)。時間的にみても,退去強制手続中又は退去強制令書発付後に難民認定申請をすることも可能である。 したがって,難民の認定をしない旨の処分と退令発付処分との間に,違法性の承継があると 61条の2の4)。時間的にみても,退去強制手続中又は退去強制令書発付後に難民認定申請をすることも可能である。 したがって,難民の認定をしない旨の処分と退令発付処分との間に,違法性の承継があるとすべき理由は全くないから,本件不認定処分及び本件裁決2の違法性が本件退令処分に承継されるとの主張は採用することができない。 イノン・ルフールマン原則違反について(ア) 原告は,原告がアフガニスタンにおいてハザラ族であることを理由としてその生命が脅威にさらされるおそれがあると主張するが,およそハザラ族であれば,アフガニスタンにおいて生命が脅威にさらされるおそれがあるとの客観的事情を認める証拠はないし,国際機関等から,およそハザラ族であれば,アフガニスタンにおいて殺害されるという事実があるとの報告はなされていない。そして,アフガニスタンの人口は,平成12年7月現在で約2500万人であるが,ハザラ族はそのうち約19パーセントを占めており,これらすべてのハザラ族がすべて殺害される状況にないことは明らかである。 したがって,ハザラ族であれば,その生命が脅威にさらされるおそれがあるとの原告の主張は理由がない。 (イ) また,原告は,タリバーンからイスラム統一党の重要人物であると把握されており,殺害指示書が出ていると主張する。しかしながら,原告は,難民認定手続,退去強制手続等において,不自然あるいは矛盾した供述等をしており,しかもそれらの事実は記憶が不確かになるような事柄でないから,このように不自然あるいは矛盾した供述になるのは,原告が主張するようなタリバーンに迫害を受けた事実,イスラム統一党の党員である事実がないからであると推認できる。したがって,原告の,アフガニスタンに強制送還されれば,タリバーンにより,その生命が脅威にさらされるおそれがあるという主 害を受けた事実,イスラム統一党の党員である事実がないからであると推認できる。したがって,原告の,アフガニスタンに強制送還されれば,タリバーンにより,その生命が脅威にさらされるおそれがあるという主張は理由がない。 ウ拷問等禁止条約違反について前述のとおり,タリバーンから原告に対し,殺害指示書が出されている事実及び原告がイスラム統一党に属する事実は,いずれも認められないから,原告をアフガニスタンへ強制送還しても,拷問を受けるおそれがあると信じるに足りる実質的根拠はなく,原告の拷問等禁止条約違反の主張は理由がない。 なお,原告は,一般的なアフガニスタン情勢だけからしても,ハザラ族である原告をアフガニスタンに強制送還すべきではないことは明白であると主張するが,前述のとおり,およそハザラ族であれば,アフガニスタンにおいて拷問を受けるおそれがあるとの客観的事情を認める証拠はないから,原告の上記主張も失当である。 エ本件退去強制令発付処分の適法性について原告は,在留期限である平成12年1月3日を経過して,本法に不法に残留しているものであるから,被告法務大臣の,同年4月10日付の原告に異議申出は理由がない旨の裁決につき,被告法務大臣の裁量権の濫用を認める余地はない。 法務大臣が,法50条1項所定の在留特別許可を与えるか否かということは,法務大臣の自由裁量に委ねられており,かつ,法務大臣の裁量権の行使がその範囲を超え,又はその濫用があったものとして違法であるとされるのは,法務大臣がその付与された権限の趣旨に明らかに背いて裁量権を行使したものと認めうるような特別の事情がある場合等極めて例外的な場合に限られるものといわなければならない。 一方で,難民条約は,難民に庇護の権利を付与しておらず,締約国に対し,難民の入国,在留を認めることを義務づけて うな特別の事情がある場合等極めて例外的な場合に限られるものといわなければならない。 一方で,難民条約は,難民に庇護の権利を付与しておらず,締約国に対し,難民の入国,在留を認めることを義務づけていないから,難民条約1条,難民議定書1条にいう難民に該当する者であっても,自分の希望する締約国に入国できず,難民認定申請もできないという事態を当然に認めているといえる。そうであるならば,難民条約といえども,入国及び在留は,各国の主権的権限に基づいて各国が決めるべきことであるという国際法上確立した考えに何ら変更を加えていないのであって,国際慣習法上,外国人の入国及び滞在の許否は,当該国家が自由に決し得るものであり,条約等の特別の取り決めがない限り,国家は外国人の入国,在留を許可する義務を負わないのである。したがって,難民性があれば,在留特別許可を付与すべきであるとする根拠はなく,法務大臣が在留特別許可を付与するか否かについて判断する際に考慮することとなる事情の一つであるにすぎない。 そして,前述のとおり,原告がタリバーンから迫害される危険性を認めるに足りる証拠はないし,原告に係る個人的事情についてみても,原告は,出生以来そのほとんど大部分をアフガニスタンにおいて居住し,本邦には商用目的で短期滞在により入国・在留歴を有するにすぎず,特に本邦との密接な結びつきがあるものとはいえない。 したがって,本件につき,法務大臣が,その付与された権限の趣旨に明らかに背いて裁量権を行使したものと認めうるような特別の事情はないから,被告法務大臣が在留特別許可をしなかったことは適法であり,本件退令処分も適法である。 第3 争点に対する判断 1 本件申請が,法61条の2第2項本文の要件を具備するかどうか(1) 法61条の2第2項本文は,難民認定申請は,その者が本邦に上 ことは適法であり,本件退令処分も適法である。 第3 争点に対する判断 1 本件申請が,法61条の2第2項本文の要件を具備するかどうか(1) 法61条の2第2項本文は,難民認定申請は,その者が本邦に上陸した日(本邦にある間に難民となる事由が生じた者にあっては,その事実を知った日)から60日以内に行わなければならないと定めており,本件申請は,原告が本邦に上陸した日から60日を経過した後になされていることについては争いがないが,原告が難民となった事実を知ったのは平成11年9月末であり,その後60日以内に本件申請がなされているから,本件申請は法61条の2第2項本文の要件を充足すると主張するので,かかる主張について検討する。 (2) 申請期間の起算日原告は,タリバーンが原告の殺害指示書(甲10の2)を発行したとの事実を知ったのが平成11年9月末であったことから,原告が難民となる事由を知ったのはその時点であると主張するが,仮に原告が主張するとおりタリバーンが発行した原告の殺害指示書が真正なものであるとしても,同殺害指示書には,タリバーン歴で1419年4月24日(西暦1998年8月17日)と記載されているから,原告が今回本邦に入国する以前に難民となる事由が生じていたことになる。ところで,法61条の2第2項本文は,そのかっこ書きで「本邦にある間に難民となる事由が生じた者」については難民となる事由が生じたことを知った時から申請期間を起算する旨定めており,文言上難民となる事由が生じたことを知った日から申請期間を起算するのは,本邦にある間に難民となる事由が生じた者に限定していると解する余地があるので,本邦に入国する以前に難民となる事由が生じた場合であっても,その事実を知ったのが本邦入国後であれば適法な申請といいうるのかが問題となる。法61条の2第2項本文 に限定していると解する余地があるので,本邦に入国する以前に難民となる事由が生じた場合であっても,その事実を知ったのが本邦入国後であれば適法な申請といいうるのかが問題となる。法61条の2第2項本文が本邦にある間に難民となる事由が生じた場合にその事実を知った日を申請期間の起算日としているのは,難民となる事由を知って初めて本邦において難民申請を行うかどうかを考慮することが可能となるからであると解され,このことは,申請者が本邦に入国する前に難民となる事由が生じ,そのことを本邦に入国した後に認識した場合も同様であること,法61条の2第2項は迫害を受けて国籍国を出国し,直接本邦に入国する典型的な場合を念頭において,入国前に難民となる事由が生じていれば,入国時にはそのことを認識していることを前提として定められた規定であると解されることからすると,本邦に入国する以前に難民となる事由が生じた場合でも,第3国に滞在していた等の事情により,その事実を知ったのが本邦入国後である場合には,法61条の2第2項本文かっこ書きに準じて,難民となる事由を知った日から申請期間を起算すべきであると解するのが相当である。 (3) 原告につき法61条の2第2項本文かっこ書きの適用があるかア原告は,原告がイスラム統一党員であり,かつ,同党に対して多額の寄付を行っていたことから,タリバーンは原告がイスラム統一党の重要人物であると認識しており,そのため,タリバーンは,原告を殺害を指示する殺害指示書(甲10の2)を発行し,原告は,同事実を平成11年9月末に知るに至ったと主張し,これらの事実を裏付ける証拠として平成11年12月以降に入手したとするイスラム統一党が作成した原告の庇護依頼書(甲9の1),イスラム統一党が発行した原告の身分証明書(甲10の1),タリバーンが原告に対して発行 実を裏付ける証拠として平成11年12月以降に入手したとするイスラム統一党が作成した原告の庇護依頼書(甲9の1),イスラム統一党が発行した原告の身分証明書(甲10の1),タリバーンが原告に対して発行した殺害指示書(甲10の2),タリバーンが原告を捜していることが記載されたP1及び原告の妻からの手紙(甲10の3,10の4)並びにP3が作成した感謝状(甲10の6),イスラム統一党が原告宛に作成した原告が同党に寄付をしたことに対する感謝状(甲10の5)を提出し,原告本人もこれに沿う供述をする。そこで,以下,これらの証拠の信用性について検討する。 イ庇護依頼書(甲9の1)についてP2は,同人がイランのイスラム統一党の事務所に電話で連絡して原告に関する書類がないか尋ねたところ,同事務所から,UAEを経由して,P2のもとに平成12年1月15日に上記庇護依頼書が送付されてきたと供述し,甲9号証の2の封筒はイランからUAEに上記庇護依頼書が送られてきた時に使用されたものであり,甲9号証の3の封筒がUAEからP2のもとに送られてきたときの封筒であると供述する。 上記供述を前提にすると,まず,イランのイスラム統一党事務所が上記庇護依頼書をP2に送付するには,イランから直接日本に郵送するのが簡便であるにもかかわらず,何故UAEを経由して郵送しなければならなかったのか大いに疑問であるところ,この点についてP2は,イランのイスラム統一党事務所には自己の住所を教えていなかったのでUAEに郵送した旨供述する。しかしながら,P2からイランのイスラム統一党の事務所に対して,原告に関する文書を探すように依頼しているにもかかわらず,P2自身の日本の住所あるいは電話番号を連絡先として教えないというのは不自然であって,にわかに信じ難い。また,イランのイスラム統一党の事務 ,原告に関する文書を探すように依頼しているにもかかわらず,P2自身の日本の住所あるいは電話番号を連絡先として教えないというのは不自然であって,にわかに信じ難い。また,イランのイスラム統一党の事務所が,UAEにP2の住所を知っている人物が存在するかどうか不明であるにもかかわらず,わざわざUAEに上記庇護依頼書を送付するというのはとうてい首肯し難く,逆にUAEにP2の住所を知っている人物が存在するのであれば,電話等で住所を尋ねれば足りるのであって,わざわざ書類を転送してもらう必要はない。したがって,上記庇護依頼書がイランからUAEを経由して送られてきたとの供述自体極めて疑わしい上,甲9号証の2の封筒は,送り先がUAEγ22706となっており,甲9号証の3の送り主はUAEJMP通りの近くγ村P4となっていて,送り先の人物と送り主の人物がはたして同一の人物かどうか疑念を払拭することができないから,上記庇護依頼書がイランからUAEに郵送されたものが日本に転送されたのかどうかはなはだ疑問といわざるを得ない。 また,P2は,イランのイスラム統一党の事務所に対して原告に関する資料があるかどうかを調査するよう依頼した際に,原告の身元確認のための情報を伝えたことはなく,自己の名前とその父親の名前がわかればアフガニスタンでは身元が確認ができると述べているが,アフガニスタンの人口が約2000万人であること(甲1の2)に照らすと,かかる供述もとうてい信用することができない。 以上の諸点に加え,P2は証人尋問においてイランのイスラム統一党の事務所の電話番号を書いたメモがあれば出すと述べていたにもかかわらず,結局当裁判所に提出されておらず,同事務所に真偽を確認する術もないことを併せ考慮すると,甲9の2及び甲9の3の封筒が,上記庇護依頼書が送付されてきた時に使用さ があれば出すと述べていたにもかかわらず,結局当裁判所に提出されておらず,同事務所に真偽を確認する術もないことを併せ考慮すると,甲9の2及び甲9の3の封筒が,上記庇護依頼書が送付されてきた時に使用された封筒であるとのP2の供述はにわかに信用することができず,結局,上記庇護依頼書が,イランのイスラム統一党事務所によって作成されたものと認定するのは困難といわざるを得ず,他にかかる事実を認め得る的確な証拠もない。 ウ原告の妻から送られてきたと主張されている文書について(甲10の1ないし6)P2は,原告の妻に対し,平成12年2月15日以降に,原告の難民認定の助けとなるものを送るよう要請したところ,同年2月26日,P2宛てに,イスラム統一党の身分証明書(甲10の1),殺害指示書のコピー(甲10の2),P1の原告宛の手紙(甲10の3),原告の妻の手紙(甲10の4),イスラム統一党β事務所が発行した感謝状(甲10の5),P3による説明書(甲10の6)が送付されてきたと供述しており,原告は,これらの書類を原告がイスラム統一党の重要人物であったことあるいはタリバーンが原告の殺害指示書を発行した文書として提出している。 (ア) 身分証明書(甲10の1)P2は,原告が収容された平成12年2月よりも後に,原告の妻に電話で話をして原告の助けになるものであればなんでも送ってほしいと依頼した(P211丁ないし13丁)ところ,原告の妻から上記身分証明書が送られてきたこと,原告の妻は,パキスタンのβにあるイスラム統一党の事務所から上記身分証明書をもらった旨電話で述べていたことを供述している。ところで,P2は,原告の妻が「ワハダットが前にあったのを見て,これをつくってもらったという話を聞いたんです。」と述べた旨供述しており(証人P232丁),原告本人もイスラム統一 たことを供述している。ところで,P2は,原告の妻が「ワハダットが前にあったのを見て,これをつくってもらったという話を聞いたんです。」と述べた旨供述しており(証人P232丁),原告本人もイスラム統一党の身分証明書は今までに何枚発行されたかは覚えていますかとの質問に対して,「1枚はカブールの家に忘れてた。1つはαに置き忘れたんで。それくらいだと思います。」と述べている(原告本人69丁)ことからすると,P2からの電話を受けてイスラム統一党が作成したものとも思われるが,証拠(甲10の1,乙37の2,証人P2)によれば,上記身分証明書の発行日は西暦1999年3月2日であり,P2が原告の妻に対して原告についての証拠を集めて送るように電話をしたとする日よりも前となるし,原告本人が身分証明書は原告本人以外の人が頼んでも出してくれないと述べている(原告本人69丁)こととも矛盾する。逆に,原告が従前発行してもらっていた身分証明書を原告の妻がイスラム統一党の事務所から受け取ったとすると,当該身分証明書は原告自身が1999年3月2日にβで発行してもらったこととなるが,そうすると今までの身分証明書はカブールとαに忘れたとの上記原告の供述と矛盾することとなるし,原告は,βにイスラム統一党の事務所があるかどうかわからないと述べていること(原告本人45丁),イスラム統一党の身分証明書はアフガニスタンにいるときは持っていましたが,アフガニスタン以外でもっているのは意味がない(原告本人49丁及び50丁)と述べていることとも整合しない。 以上に述べたところを総合すれば,上記身分証明書が真正に作成されたものか疑わしいというべきである。 (イ) イスラム統一党の感謝状(甲10の5)原告は,原告がイスラム統一党に寄付をしたことに対して,パキスタンのイスラム統一党の事務所が 証明書が真正に作成されたものか疑わしいというべきである。 (イ) イスラム統一党の感謝状(甲10の5)原告は,原告がイスラム統一党に寄付をしたことに対して,パキスタンのイスラム統一党の事務所が発行した感謝状を原告が寄付行為を行ったことの裏付け証拠として提出しているが,前述のとおり,上記身分証明書がβのイスラム統一党の事務所によって真正に作成されたかどうか疑わしいところ,同感謝状は上記身分証明書と同時に送られてきたとされるものであって,かつ,同じ印章が使用されていること,原告はβにイスラム統一党の事務所があるかどうか知らないと述べており,かかる原告の供述を前提とする限り,原告がβのイスラム統一党の事務所と接触があったとは考えにくいことを総合考慮するならば,上記感謝状が真正に作成されたものとはにわかに信じがたいというべきである。 (ウ) 殺害指示書(甲10の2)P2は,原告の妻と電話で話をしたときに,同人は,当該殺害指示書はβのイスラム統一党事務所からもらったものであると述べていた旨供述するが,そもそもタリバーンが内部の者に対して発行した殺害を指示する文書をなぜイスラム統一党が持っているのか,その入手に至る経緯が不明であるし,同文書には「P5は,イスラム統一党員であり,イスラム首長国最大の敵の一人である。」と記載されているが,前記(ア)及び(イ)で認定したとおり,原告がイスラム統一党員であることを裏付けるために提出されている甲10の1及び5は,いずれも真正に作成されたものかどうか疑わしく,したがって,原告がイスラム統一党員であるかどうかも疑わしいこと,原告の供述によっても原告は主要幹部ではなく,寄付を行っただけで戦闘はおこなっていないというのであり,イスラムでは自己の属する宗派,民族を代表する組織に対して寄付を行う慣行があり,寄付を わしいこと,原告の供述によっても原告は主要幹部ではなく,寄付を行っただけで戦闘はおこなっていないというのであり,イスラムでは自己の属する宗派,民族を代表する組織に対して寄付を行う慣行があり,寄付をすること自体は珍しい行為ではないこと(甲11)をも併せ考えると,原告がなぜ「イスラム首長国最大の敵の一人」であるのか,なぜ原告に対して殺害指示書が出されたのか明確ではないし,この点の疑問を払拭させるに足りる事情の立証もない。以上によれば,上記殺害指示書の存在及び記載内容に重大な疑問があり,たやすく信用することができない。 (エ) タリバーンが原告を捜していることが記載されたP1及び原告の妻からの手紙(甲10の3,10の4)原告の妻の手紙には2000年1月9日若しくは2000年7月9日との日付が付けられているが,2000年7月9日であれば,P2が甲10号証の1ないし6の書面を受け取ったと供述する平成12年2月26日よりも作成日付が後になるし,2000年1月9日であるとすれば,P2が原告の妻と連絡をとった平成12年2月15日よりも前に作成されたことになり,いずれにしても原告の妻の手紙に記載された日付は,P2が述べたこれらの書類の入手経過と矛盾している。 原告は,タリバーンが原告を捜していることの裏付けとして,原告の友人であるP1及び原告の妻が原告に宛てて出した手紙(甲10の3及び4)を提出しているが,原告の妻及びP1の居所や電話番号は明らかにされておらず,確認する手段がないことをも考慮すると,真正に作成されたかどうか疑問である。 (オ) P3が作成した感謝状(甲10の6)証拠(甲10の6,26)によれば,P3が作成した原告に対する感謝状(甲10の6)には,「P5氏,P6の息子はアフガニスタン・ハザラの尊敬されている商売人である。そしてアフガニ 謝状(甲10の6)証拠(甲10の6,26)によれば,P3が作成した原告に対する感謝状(甲10の6)には,「P5氏,P6の息子はアフガニスタン・ハザラの尊敬されている商売人である。そしてアフガニスタン・P3に現金30万アフガニと1371年2月31日付でアフガニスタン・P3のカブール事務所に寄付した1台の車(パジェロ),などたくさんの援助をしてくれました。残念ながらタリバンのカブール侵攻の際に,その関係の書類も奪われました。氏にどこにいても,アフガン全土に勢力を持つタリバンに,くれぐれも注意して身を守るよう呼びかける。」と記載されている。 しかしながら,原告は,P3のメンバーだったことはあるものの,P3に対してお金を寄付したことはないと述べており(原告本人40丁),上記感謝状の内容は上記原告の供述と明らかに矛盾する。そして,原告は,被告代理人から,P3に寄付していないのにどうして感謝状があるのか追及されると,寄付をしたのは原告本人ではなく,原告の息子が寄付したのであり,アフガニスタンの習慣で息子がやっても父親の名前を出すことが一般的で当たり前ですと述べている(原告本人41丁,42丁)が,P2は,原告が上記感謝状は原告の息子が寄付したことによる感謝状であると供述していることについてどう思うかを尋ねられた際,「息子の名前が出ていないんで。」と否定的であり,アフガニスタンの習慣においても少なくとも息子が寄付を行っても父親の名前を出すことが一般的でないことは明らかであるから,上記原告の供述は信用することができない。 以上によれば,上記感謝状は,P3が原告に宛てて出した感謝状であるとは信じがたいというべきである。 (カ) 以上述べたところに加え,P2は,甲10号証の1ないし6の書類は,甲10号証の7の封筒に入れられて送られてきたと供述するが, が原告に宛てて出した感謝状であるとは信じがたいというべきである。 (カ) 以上述べたところに加え,P2は,甲10号証の1ないし6の書類は,甲10号証の7の封筒に入れられて送られてきたと供述するが,送り主が原告の妻ではなく「ムハンマド,アリフ・ラヒミ洋装店」となっていることからすると,甲10の7の封筒によって,甲10の1ないし6の書類がパキスタンから郵送されてきたかどうか疑わしいことをも併せ考えると,いずれの文書についてもこれらが真正に成立したものと認定するのは困難というほかない。 エ原告の供述の信用性(ア) 第1回目及び第2回目の迫害について原告は,2001年4月17日付準備書面(第6回弁論期日において陳述)においては,①1996年春ころ,カブール近郊でバスに乗っていた際,タリバーン関係者から,金員を強取された,②その約2か月後,カブール市内でタリバーン関係者に捕まり,3日間拘束されたと主張しており,原告の難民認定申請書(乙1の1,1の2)においても,「私はカブールで捕らわれた時タリバンにより2日間拘束されました。」と記載されている。 しかしながら,タリバーンがカブールを制圧したのは1996年9月であり,上記各主張との整合性が問題となるところ,原告は本件証人尋問においては①及び②はパシュトゥーン人によるものであるが,私からみるとタリバーンかどうかわからない旨述べている(原告本人5丁,6丁)。 (イ) 原告は,タリバーンがカブールにやってきたときに,広場に連れ出され,タリバーンがナイフで原告の首を刺そうとしたので手で防いだ,現在左手にある傷はそのときの傷である旨述べているが,難民申請書(乙1の1及び2)においては,カブールでタリバーンに拘束されたときにむち打たれたことによってできた傷であると述べており,整合しない。 (ウ) 原告は はそのときの傷である旨述べているが,難民申請書(乙1の1及び2)においては,カブールでタリバーンに拘束されたときにむち打たれたことによってできた傷であると述べており,整合しない。 (ウ) 原告は,その際,死んだ人の中で倒れ込んで自分も死んだふりをして,その後に逃げたと述べているが,難民認定申請書(乙1の1及び2)においては,原告はタリバーンにお金を払って逃げた,と記載されており,平成11年10月15日,難民調査官に対しては,原告は,建設中のビルの中に連行されたが,原告を見張っていたタリバンは1人だったので隙を見て低い壁を乗り越えて逃げた旨述べている(乙2。難民調査官の事情聴取はペルシャ語によって行われているが,原告がペルシャ語を理解することができるものと認められることは後述する。)ように,原告の供述は重要な部分について変遷をしている。 (エ) 原告は,本件原告本人尋問の主尋問においては,1996年12月にアフガニスタンを出てからはアフガニスタンへ戻ったことがないと述べていたが(原告本人13丁),原告のパスポートに1998年4月1日付αのイラン領事館が発給したイランの入国査証があることを指摘されると,この査証はαでもらったのではなくドバイでもらったビザであると供述し,ドバイで在αのイラン領事館が発給した入国査証がもらえるのはおかしい旨指摘されると,この時期にドバイからαに行ったときにもらっていると供述し,1996年12月以降にアフガニスタンを訪れていないと述べていたこととの関係を尋ねられると,入管にはこのときにアフガニスタンに行ったことを述べていた旨供述している(原告本人63丁)。このように原告の供述は自己に不利な事実を突きつけられるとその都度変遷している。 (オ) 原告は,P1に原告の電話番号をどのようにして教えたのかということについ いた旨供述している(原告本人63丁)。このように原告の供述は自己に不利な事実を突きつけられるとその都度変遷している。 (オ) 原告は,P1に原告の電話番号をどのようにして教えたのかということについて,日本に入国して2日後に携帯電話を購入し,そのころ,「大阪国際空港」に行って,その空港でパキスタンに行く便を探して,ハザラ系の人がいたら声をかけて電話番号をP1に渡すよう頼んだ旨供述している。 しかしながら,そもそも上記のような方法で電話番号を伝えるとは考えがたいし,原告が「大阪国際空港」と述べているのは関西国際空港のことであると思われるが,乙28号証によれば,関西国際空港からパキスタンへの直行便は出ていないことが認められ,客観的証拠とも食い違っている。また,電話番号を渡された相手がどうやってP1を見つけるのか疑問であるし,仮にP1の住所がわかっているのであれば手紙で送ればこと足りるはずである。 (カ) 以上述べたとおり,原告の供述は不合理かつ変遷を繰り返しており,その供述全体の信用性は極めて低いと評価せざるを得ず,にわかに信用することはできないというべきである。 オ以上によれば,申請者にとって自己が難民となったことを立証することが困難であることを考慮しても,「難民となった事由が生じた」事実,かつ,それを知ったのが本邦入国後であるとの事実を認めるに足りる証拠はないことに帰着する。 (4) 小括以上によれば,法61条の2第2項本文の要件を具備するとの原告の主張は採用することができない。 2 申請期間を徒過したことにつき「やむを得ない事情」が認められるか原告の主張は,法61条の2第2項本文にいう「難民となる事由」が本邦入国前に生じたが,申請者がその事由を知らない場合には,申請期間は当該申請人が難民となる事由を認識した時点から起算すべきである か原告の主張は,法61条の2第2項本文にいう「難民となる事由」が本邦入国前に生じたが,申請者がその事由を知らない場合には,申請期間は当該申請人が難民となる事由を認識した時点から起算すべきであるが,仮に上陸した日を起算日とするとしても(原告は客観的難民事由が生じた日とするが,本邦入国前の時点から起算することはあり得ないから,上陸の日を意味するものと解される。),原告はタリバーンが原告の殺害指示書を出したとの事実を知らなかったのであるから,法61条の2第2項但書にいう「やむを得ない事情」が存するとの主張と解されるが,前記1で認定したとおり,そもそもタリバーンが原告の殺害指示書を出したとの事実を認めるに足りる証拠はないから,原告の主張は採用することができず,その他本件において申請期間を徒過したことにつき「やむを得ない事情」を認めるに足りる証拠はない。 3 法61条の2第2項の要件を充足しない場合にも難民該当性につき判断すべきかどうか(1) 前記1で認定したとおり,原告が難民となる事由が生じ,これを本邦入国後に知ったということはできないから,本件申請の申請期間は,原告が本邦に上陸した日を起算日とすべきであり,かつ,申請期間を徒過したことにつき「やむを得ない事情」は認められないから,本件申請は,法61条の2第2項の要件を満たさない申請であると解するほかない。ところで,本件処分も,本件申請が法61条の2第2項所定の期間を徒過してなされたものであり,かつ同項但書の規定を適用すべき事情とは認められない,との理由により原告につき難民の認定をしないとの処分をしているところ,原告は,難民認定申請が法61条の2第2項の要件を充足していない場合であっても,難民該当性について判断せずに申請を却下することは難民条約及び難民議定書に反するから,これを行わずに申 をしているところ,原告は,難民認定申請が法61条の2第2項の要件を充足していない場合であっても,難民該当性について判断せずに申請を却下することは難民条約及び難民議定書に反するから,これを行わずに申請を却下した本件処分は違法であると主張するので,この点につき検討する。 (2) まず,原告は,法61条の2第2項の要件を充たさない場合に,難民該当性を判断せずに申請を却下すると,条約上の難民に該当するにもかかわらず,難民と認定されない者が生ずることとなり,難民条約上の難民に該当するものをそのまま難民として認定することを要請する難民条約及び難民議定書の本来的性質に反し,違法であると主張する。 しかしながら,難民条約及び難民議定書は,難民の認定手続について特段の規定をおいていないのであるから,いかなる認定手続を設けるかは,締約国の立法裁量に委ねられているものと解するのが相当である。そして,難民認定手続においては,申請者が難民かどうかを判断する必要があるところ,難民となる事由が生じてから長期間経過後に難民の認定が申請されると,その当時の事実関係を把握することが著しく困難となること,自己が難民であると主張する者が遅滞なく日本国政府の保護を求めないという事実はかかる者が真の難民であるかどうかを疑わせる一事実であることからすると,申請のための合理的期間を設けることは何ら不合理なことではない。そして,上陸後あるいは難民となる事由が生じた日から60日という期間が,入国管理事務所に申請するのに不十分な期間であるとはいえないこと,申請者につき入国後あるいは難民となる事由が生じたことを知った時から速やかに申請することが困難な事情がある場合もあり得るが,出入国管理法上も「やむを得ない事情」による申請の遅延を認めており,「やむを得ない事情」の存否について柔軟に判断す が生じたことを知った時から速やかに申請することが困難な事情がある場合もあり得るが,出入国管理法上も「やむを得ない事情」による申請の遅延を認めており,「やむを得ない事情」の存否について柔軟に判断することにより保護を図りうることをも併せ考慮すると,難民認定申請の手続要件を定める法61条の2第2項が,立法裁量の逸脱濫用であって難民条約又は難民議定書に反するということはできない。 よって,原告の難民該当性を判断することなく,法61条の2第2項の要件を具備しないことを理由に本件申請を却下した本件処分が難民条約及び難民議定書の本来的性質に反するとの原告の主張は採用することができない。 (3) 原告は,60日ルールが難民かどうかを判断する実体審査に入る前提として充足すべき形式的要件であるとすると,実質的に難民の概念に時間的制限を付加するに等しく,難民概念について留保及びその変更を禁止する難民条約42条に反すると主張する。 しかしながら,法61条の2第2項は,難民の認定手続について定めたものであり,難民の定義を実体的に変更する規定ではないから,60日ルールが実体審査に入る前提となる形式要件であるとして運用することが難民条約42条に反するとの上記原告の主張は採用することができない。 (4) 原告は,条約締約国が,国内法上の手続的要件の不遵守を理由に申請者の難民性についての実体判断を行わないとすれば,実体上難民である者を迫害のおそれがある国に送還することを容認することになるから,かかる運用は難民条約33条1項に反すると主張する。 しかしながら,難民条約33条1項は,「締約国は,難民をいかなる方法によっても,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又 項は,「締約国は,難民をいかなる方法によっても,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない。」と定めているところ,これを受けて法53条2項は,退去強制に基づく送還について,法務大臣が日本国の利益又は公安を著しく害すると認める場合を除き,難民条約第33条1項に規定する領域の国には送還されない旨定めている。したがって,難民認定手続とは別に,退去強制手続において難民条約33条1項が定めるノン・ルフールマンの原則に従って送還先が決められることが保障されているのであるから,難民該当性について判断することなく難民認定申請を却下することが難民条約33条1項に反するとの上記原告の主張は採用することができない。 (5) UNHCR執行委員会結論15号は,「庇護申請者に一定期間内に庇護申請をするように求める場合があっても,当該期間を守らなかったことまたはその他の形式的要件を遵守しなかったことを理由として庇護申請を審査の対象から除外すべきではない。」としているところ,原告は,UNHCR執行委員会の結論は,ウィーン条約32条の解釈の補足的な手段に該当し,難民条約の正しい解釈として妥当する旨主張する。 しかしながら,甲13号証によれば,上記結論は,難民条約の隙間もしくは限界を埋め,または新たに出現したりもしくは表面化した問題に対する難民条約規定の運用原則を設定することを目的として採択されるものであることが認められ,必ずしも難民条約及び難民議定書の解釈について述べるものではないし,現に,本件で問題となっているのは,どのような難民認定手続をとるべきかという問題であり,難民条約及び難民議定書は難民の認定手続について何ら定めを設けていないのであ の解釈について述べるものではないし,現に,本件で問題となっているのは,どのような難民認定手続をとるべきかという問題であり,難民条約及び難民議定書は難民の認定手続について何ら定めを設けていないのであって,各国の国内法に委ねる趣旨であることが明らかであるから,上記結論15号は,むしろ難民条約及び難民議定書において各国の裁量に委ねられている難民認定手続について一定の運用原則を提言するものにとどまると解するのが相当である。 また,上述のとおり,難民条約及び難民議定書が難民認定手続について各国の国内法に委ねる趣旨で何らの規定も定めていないことは明らかであるから,難民条約あるいは難民議定書の条文の意味が不明確である等ウイーン条約32条が想定している場面とは異なるというほかない。 また,条約の当事国が条約の内容に拘束されるのは,当事国が条約を締結することに合意したことに基づくのであり,条約の解釈も当事国の合理的意思解釈を行う作業にほかならないところ,ウイーン条約31条は,条約の文脈及び当事国間でなされた合意によって条約を解釈するとし,当事国が用語に特別の意味を与えることを意図していたと認められる場合には,特別の意味を有すると定め,同条約32条が解釈の補足的手段の例示として,条約の準備作業及び条約の締結の際の事情を挙げているのも,これらの事情から当事国が条約の内容をどのようなもとする意思であったのかを推認することが可能であるからであると解される。 これに対し,UNHCR執行委員会の結論は,当事国が執行委員会を構成する場合はあるにしても,当事国の見解ではなくあくまで第三者機関の見解であり,当事国の合意を離れて当事国が拘束されるものではない。 したがって,UNHCR執行委員会結論15号が,ウィーン条約32条の解釈の補足的な手段に該当し,難民条約の正しい くまで第三者機関の見解であり,当事国の合意を離れて当事国が拘束されるものではない。 したがって,UNHCR執行委員会結論15号が,ウィーン条約32条の解釈の補足的な手段に該当し,難民条約の正しい解釈として妥当するとの上記原告の主張は採用することができない。 (6) 以上より,実体判断を行うことなく本件申請を却下した本件不認定処分が,難民条約及び難民議定書等に反するとの原告の主張は採用することができないから,本件不認定処分は適法である。 4 本件不認定処分及び本件裁決の違法性(手続違背)(1) 原告は,本件不認定処分及び本件裁決の際に行われた難民審査官の事情聴取は,原告の母国語であるダリー語あるいはハザラ語ではなく,原告が理解困難なペルシャ語で行われており,手続保障を欠き,違法である旨主張している。 (2) 証拠(乙21,B事件乙6,原告本人)によれば,以下の事実が認められる。 ア今日のアフガニスタンで用いられているダリー語とイランで使われているペルシャ語とは,会話表現及び発音の面で多少異なるところはあるが,文法上の構造や規則の点で二つの言葉はほとんど同じであって,非常に似た言葉である。 イ原告は,本人尋問において,入管でのインタビューで通訳の人が話していることはおおよそわかったと述べている(原告本人68丁)。 ウ平成12年3月1日に大阪入管において入国審査官の審査を受けた際,通訳人のペルシャ語は理解できましたかと尋ねられた際に,「はい。」と答えたことを認めている(B事件乙6,原告本人58丁)。 エ原告は,本人尋問において,タリバーンがカブールに侵攻したことをBBCのペルシャ語放送で聞いて知った旨供述した(原告本人7丁)後,被告代理人に「ペルシャ語でもおわかりになるんですね。」と指摘されると,「それはダリー語なんです。」と供述を変遷 ルに侵攻したことをBBCのペルシャ語放送で聞いて知った旨供述した(原告本人7丁)後,被告代理人に「ペルシャ語でもおわかりになるんですね。」と指摘されると,「それはダリー語なんです。」と供述を変遷させている(原告本人66丁)。 オ原告と原告代理人との打ち合わせは,P2や別のアフガニスタン人に通訳してもらう場合のほか,ペルシャ語の通訳によって行われている。 (3) 以上によれば,原告はペルシャ語を相当程度理解できたことが認められるから,本件不認定処分及び本件裁決が手続保障を欠くとの原告の主張は前提を欠き,採用することができない。 5 本件退令処分の違法性(1) 難民不認定処分の違法性の承継原告は,本件不認定処分及びこれに対する異議の申出は理由がない旨の裁決の違法性が,本件退令処分に承継されると主張する。 しかしながら,法61条の2の7は,「本邦に在留する外国人で難民の認定を受けているものが,・・・退去強制の手続において退去強制令書の発付を受けたときは,当該外国人は,速やかに法務大臣にその所持する難民認定証明書及び難民証明書を返納しなければならない。」と定めており,難民認定がなされた場合であっても,退去強制令書発付処分がなされうるのであるから,退去強制令書発付処分は申請者が難民と認定されていないことを前提とする処分でないことは明らかである。 したがって,難民不認定処分及びこれに対する異議の申出は理由がない旨の裁決の違法性が退去強制令書発付処分に承継されるとの原告の主張は採用することができない。 (2) ノン・ルフールマン原則違反の主張について法53条1項は,退去強制を受けるものは,その者の国籍又は市民権の属する国に送還されるものとすることを原則としているが,難民条約33条1項が「締約国は,難民を,いかなる方法によっても,人種,宗教,国 法53条1項は,退去強制を受けるものは,その者の国籍又は市民権の属する国に送還されるものとすることを原則としているが,難民条約33条1項が「締約国は,難民を,いかなる方法によっても,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない。」と定めていることを受けて,法53条3項は,法務大臣が日本国の利益又は公安を著しく害すると認める場合を除き,難民条約33条1項に規定する領域の属する国には送還されない旨定めているところ,原告は,原告をアフガニスタンに強制送還することを内容とする本件退令処分は,難民条約33条1項で定められたノン・ルフールマンの原則及び法53条3項に違反すると主張する。 しかしながら,前記1で認定したとおり,タリバーンが原告の殺害を指示する文書を出したものとは認められないこと,原告がイスラム統一党の党員であるとは認められないこと,原告は,殺害指示書が出される前にも,タリバーンから迫害を受けた旨主張するが,原告が受けたと主張する1回目及び2回目の迫害については,原告自身本人尋問において,原告を迫害したのはタリバーンかどうかわからないと述べていること,3回目の迫害については,原告がどこに連れ出されたか,原告がどうやって逃げたのか,いつどこで傷を受けたのかなどの点について供述の変遷が著しく,しかも最も重要な部分についての供述であって,単なる記憶違いであるとは考えがたいこと,単にハザラ人であるということのみをもって難民に該当するものでないことは原告も自認するところであることからすると,原告が実体上難民条約上の難民に該当することを認めるに足りる的確な証拠はないといわざるを得ないから,原告が難民条約上の難民に該当すること るものでないことは原告も自認するところであることからすると,原告が実体上難民条約上の難民に該当することを認めるに足りる的確な証拠はないといわざるを得ないから,原告が難民条約上の難民に該当することを前提とする上記ノン・ルフールマン原則違反の主張は,前提を欠き,採用することができない。 (3) 拷問等禁止条約違反の主張について拷問等禁止条約第3条1は,「締約国は,いずれの者をも,その者に対する拷問が行われるおそれがあると信じるに足りる実質的な根拠がある他の国へ追放し,送還し又は引き渡してはならない」と定めているところ,原告は,タリバーンから原告の殺害指示書が出されていることを前提に,原告をアフガニスタンに送還することを内容とする本件退令処分は,拷問等禁止条約に反すると主張する。 しかしながら,タリバーンが原告の殺害を指示した事実が認められないことは,前記1で認定したとおりであるから,原告の上記拷問等禁止条約違反の主張は前提を欠き,採用することができない。 (4) 難民条約31条2項違反原告は,本件退令処分が,「移動の制限」「期間の猶予」「便宜供与」について一切の留保なく,強制退去を命じるものであるから,難民条約31条2項に反する旨主張するが,かかる主張も原告が難民条約上の難民に該当することを前提とする主張であり,かつ,原告が難民条約上の難民に該当しないことは前述のとおりであるから,本件退令処分が難民条約31条2項に違反するとの上記原告の主張は採用することができない。 (5) 法務大臣の裁量権の逸脱濫用法50条1項3号は,その他法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があると認めるときにはその者の在留を特別に許可することができるとのみ定め,具体的な判断基準は特に明示されていないこと,在留の許可を与えるかどうかについては,申請者の申請事 別に在留を許可すべき事情があると認めるときにはその者の在留を特別に許可することができるとのみ定め,具体的な判断基準は特に明示されていないこと,在留の許可を与えるかどうかについては,申請者の申請事由の当否のみならず,当該外国人の在留中の一切の行状,国内事情,国際情勢,外交関係等の諸般の事情をしんしゃくし,時宜に応じた的確な判断をしなければならないことからすると,法は,当該外国人に在留特別許可を与えるかどうかは,法務大臣の広汎な裁量に委ねる趣旨であると解される。したがって,法務大臣が退去強制事由に該当する外国人に対し在留特別許可を与えなかったことが違法となるのは,その判断が全くの事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合であると解するのが相当である。 原告は,本件裁決2は,原告の難民該当性について誤った判断を前提としてなされたものであるから,裁量権の逸脱濫用にあたり違法であると主張しているが,前述のとおり,そもそも原告が難民条約上の難民に該当するとは認められないから,原告の上記主張は前提を欠き,その他,本件の全証拠によっても被告法務大臣の判断につき前提となる事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであることを認め得る事情はうかがわれないから,本件裁決2は適法である。 (6) 以上のとおり,本件退令処分は適法である。 6 結論以上の次第で,原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし,よって主文のとおり判決する。 大阪地方裁判所第二民事部裁判長裁判官三浦潤裁判官黒田豊裁判官中島崇 申し訳ありませんが、提供されたテキストが不完全であるため、整形を行うことができません。完全なテキストを提供していただければ、整形を行います。
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