令和6年1月31日判決言渡同日原本領収裁判所書記官平成30年(ワ)第38165号即位の礼・大嘗祭等違憲差止等請求事件(第1事件)平成31年(ワ)第8155号即位の礼・大嘗祭等違憲差止請求事件(第2事件)令和3年(ワ)第17144号国家賠償請求事件(第3事件) 口頭弁論終結日令和5年10月11日判決当事者の表示別紙1当事者目録記載のとおり 主文 1 原告らの請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は原告らの負担とする。 事実及び理由 第1 請求 1 第1事件被告は、原告ら各自に対し、それぞれ1万円及びこれに対する平成31年1 月18日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 第2事件被告は、原告ら各自に対し、それぞれ1万円及びこれに対する令和元年5月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 3 第3事件 被告は、原告ら各自に対し、それぞれ50万円及びこれに対する令和3年7月10日から支払済みまで年3分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要第1事件及び第2事件は、日本国民である原告らが、被告が、別紙2の1記載の即位の礼及び大嘗祭関係諸儀式等(以下、単に「即位の礼及び大嘗祭関係 諸儀式等」という。)を挙行し、これに国費を支出したことは、政教分離原則(日 本国憲法(以下「憲法」という。)20条1項後段、3項、89条)に違反するのみならず、原告らの思想及び良心の自由(憲法19条)、信教の自由(憲法20条1項、2項)、主権者としての地位(憲法前文、1条)並びに納税者基本権(憲法30条)を侵害する違憲違法なものであると主張して、被告に対し、国家賠償法(以下「国賠法」という。)1条1項に基づき、そ 0条1項、2項)、主権者としての地位(憲法前文、1条)並びに納税者基本権(憲法30条)を侵害する違憲違法なものであると主張して、被告に対し、国家賠償法(以下「国賠法」という。)1条1項に基づき、それぞれ、損害賠償金 1万円及びこれに対する不法行為の後の日である訴状送達の日の翌日(第1事件原告らについては、平成31年1月18日。第2事件原告らについては、令和元年5月17日。)から支払済みまで民法(平成29年法律第44号による改正前のもの。)所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。 第3事件は、原告らが、①被告が、別紙3の1記載(ただし、同別紙名称欄中、行事名の右側に「※行わない」と記載された行事等を除く。)の立皇嗣の礼関係行事等(以下、単に「立皇嗣の礼関係行事等」といい、即位の礼及び大嘗祭関係諸儀式等と併せて「本件諸儀式等」という。)を挙行し、これに国費を支出したことは、政教分離原則(憲法20条1項後段、3項、89条)に違反す るのみならず、原告らの思想及び良心の自由(憲法19条)、信教の自由(憲法20条1項、2項)並びに主権者としての地位(憲法前文、1条)を侵害する違憲違法なものであると主張して、被告に対し、国賠法1条1項に基づき、それぞれ、損害賠償金25万円及びこれに対する不法行為の後の日であり訴状送達の日の翌日である令和3年7月10日から支払済みまで民法所定の年3分の 割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、②中央省庁が、別紙4記載の「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」(以下「本件国民祭典」という。)を後援するなどしたことは、政教分離原則に違反するとともに原告らの思想及び良心の自由を侵害する違憲違法なものであると主張して、被告に対し、国賠法1条1項に基づき、それぞれ、損害賠償金 典」という。)を後援するなどしたことは、政教分離原則に違反するとともに原告らの思想及び良心の自由を侵害する違憲違法なものであると主張して、被告に対し、国賠法1条1項に基づき、それぞれ、損害賠償金25万円及びこれに対する不法行為 の後の日であり訴状送達の日の翌日である令和3年7月10日から支払済みま で民法所定の年3分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。 1 前提事実(当事者間に争いがないか後掲の証拠(書証番号は、特に記載しない限り、枝番を含む。)及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)原告らは、日本国内に居住する日本国民である。(弁論の全趣旨)明仁天皇は、平成28年8月8日、「象徴としてのお務めについての天皇陛 下のおことば」として、象徴である天皇としてのこれまでの活動を自ら続けていくことが困難となる旨を国民に向けて発した。 その後、天皇の退位等に関する皇室典範特例法が、平成29年6月9日に成立し、同月16日に公布されたことにより、平成31年4月30日をもって明仁天皇が退位し、同年5月1日をもって徳仁皇太子(以下、天皇即位後 においては「新天皇」ということがある。)が新天皇に即位することとされた。 内閣は、平成30年1月9日、明仁天皇の退位及び徳仁皇太子の即位がつつがなく行われるよう、関連する式典の準備を総合的かつ計画的に進めるための基本方針を検討するため、内閣に、内閣官房長官を委員長とする「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会」を設置するこ とを閣議決定した。(甲2の0の1)「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会」は、同年3月30日の第3回委員会において、次の内容を含む「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典の挙行に係 2の0の1)「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会」は、同年3月30日の第3回委員会において、次の内容を含む「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典の挙行に係る基本方針(案)」を取りまとめ、これが同年4月3日に開催された閣議によって基本方針として決定さ れた。(甲2の0の2、2の0の3、2の3の2・4)ア各式典の挙行に係る基本的な考え方について(ア) 各式典は、憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものとすること(イ) 平成の御代替わりに伴い行われた式典は、現行憲法下において十分な 検討が行われた上で挙行されたものであることから、今回の各式典につ いても、基本的な考え方や内容は踏襲されるべきものであることイ各式典の挙行に係る体制について各式典の円滑な実施が図られるよう、平成30年秋を目途とし、各式典の大綱等を決定するため、内閣に、内閣総理大臣を委員長とする「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会」を設置するととも に、各府省の連絡を円滑に行うため、内閣府に、内閣官房長官を本部長とする「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典実施連絡本部」を設置し、各式典に係る事務は、これらの統括の下に行うものとする。 ウ徳仁皇太子の即位に伴う式典について徳仁皇太子の即位に際しては、即位の礼及び大嘗祭関係諸儀式等のうち、 剣璽等承継の儀、即位後朝見の儀、即位礼正殿の儀、祝賀御列の儀及び饗宴の儀を国事行為である国の儀式として行うこと、並びに内閣総理大臣夫妻主催晩餐会を内閣が行う行事として行うこととするとともに、文仁親王(以下、皇嗣即位後は「新皇嗣」ということがある。)が皇嗣となることに伴い、立皇嗣の礼関係行事等のうち、立皇嗣の礼を国事 総理大臣夫妻主催晩餐会を内閣が行う行事として行うこととするとともに、文仁親王(以下、皇嗣即位後は「新皇嗣」ということがある。)が皇嗣となることに伴い、立皇嗣の礼関係行事等のうち、立皇嗣の礼を国事行為である国の儀 式として行う。 内閣は、同年4月3日、大嘗祭の挙行については、「「即位の礼」・大嘗祭の挙行等について」(平成元年12月21日閣議口頭了解)における次の内容を含む整理を踏襲し、今後、宮内庁において、遺漏のないよう準備を進めるものとすることを口頭了解した。(甲2の0の4、2の2の7) ア大嘗祭の意義大嘗祭は、稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根差したものであり、天皇が即位の後、初めて、大嘗宮において、新穀を皇祖及び天神地祇に供え、自らこれを食し、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝するとともに、国家・国民のために 安寧と五穀豊穣などを祈念する儀式である。それは、皇位の継承があった ときは、必ず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である。 イ大嘗祭の位置付け及びその費用大嘗祭は、上記アのような趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができず、また、その態様 においても、国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難であると考える。 次に、大嘗祭を皇室の行事として行う場合、大嘗祭は、上記アのとおり、皇位が世襲であることに伴う、一世に一度の極めて重要な性格の儀式であるから、皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式につ いて国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手立てを講ずるこ あることに伴う、一世に一度の極めて重要な性格の儀式であるから、皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式につ いて国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手立てを講ずることは当然と考えられる。その意味において、大嘗祭は、公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当であると考える。 宮内庁に設置された大礼委員会は、平成30年11月20日の第2回委員会において、即位の礼及び大嘗祭関係諸儀式等の内容を、別紙2の1「即位 の礼及び大嘗祭関係諸儀式等(予定)について(案)」のとおりとすることを了承した。(甲4の1の5、4の2の4、4の2の6)内閣は、天皇の退位等に関する皇室典範特例法を踏まえ、新天皇の即位に際し、国民こぞって祝意を表するため、新天皇の即位の日(平成31年5月1日)及び即位礼正殿の儀が行われる日(同年10月22日)を休日とする ことなどを内容とする「天皇の即位の日及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律案」を国会に提出した。同法案は、国会で可決され、平成30年12月14日に公布・施行された。また、内閣は、平成31年4月2日、新天皇の即位当日に祝意を表するため、各府省において、①国旗を掲揚すること、②地方公共団体に対しても、国旗を掲揚するよう協力方を要望するこ と、③地方公共団体以外の公署、学校、会社、その他一般においても、国旗 を掲揚するよう協力方を要望することを閣議決定した。(弁論の全趣旨)即位の礼及び大嘗祭関係諸儀式等は、令和元年5月から令和2年2月にかけて、別紙2の2のとおり執り行われた。なお、これらの諸儀式等は、基本的には、明治憲法下において制定され、昭和22年5月2日に廃止された皇室令である登極令及び同附式に則って執り行われた。 内 て、別紙2の2のとおり執り行われた。なお、これらの諸儀式等は、基本的には、明治憲法下において制定され、昭和22年5月2日に廃止された皇室令である登極令及び同附式に則って執り行われた。 内閣は、令和2年10月9日、立皇嗣宣明の儀及び朝見の儀を同年11月8日に行うことを閣議決定した。これを受け、大礼委員会は、同年10月21日の第11回委員会において、立皇嗣の礼関係行事等を別紙3の1のとおりとすることを了承した。 立皇嗣の礼関係行事等は、別紙3の1のとおり、同年11月5日に神宮神 武天皇山陵昭和天皇山陵に勅使派遣の儀が、同月8日にその余の行事が執り行われた(別紙3の1の期日欄中、「別途決定」と記載された行事等の期日は、未だ決定されていない。)。このうち国の儀式として行われた立皇嗣宣明の儀及び朝見の儀の概要は、別紙3の2のとおりである。なお、これらの諸行事等の一部は、明治憲法下において制定され、昭和22年5月2日に廃止され た皇室令である立儲令に則って執り行われた。 被告は、即位の礼及び大嘗祭関係諸儀式等のうち、国事行為(別紙2の1に◎が付されたもの)及び政府主催行事(同別紙に◇が付されたもの)については、宮廷費及び内閣本府共通費から、大礼関係の儀式(同別紙に○が付されたもの)及び大礼関係の行事(同別紙に△が付されたもの)については、 宮廷費から支出し、立皇嗣の礼関係行事等のうち、国の儀式として行われた立皇嗣宣明の儀及び朝見の儀(別紙3の1に◎が付されたもの)については、宮廷費及び内閣本府共通費から、皇室の行事(同別紙に○が付されたもの)については、宮廷費から支出した。 本件国民祭典は、新天皇の即位を祝う祝賀式典であり、「天皇陛下御即位奉 祝国会議員連盟」、「天皇陛下御即位奉祝委員会」及び「公益財 別紙に○が付されたもの)については、宮廷費から支出した。 本件国民祭典は、新天皇の即位を祝う祝賀式典であり、「天皇陛下御即位奉 祝国会議員連盟」、「天皇陛下御即位奉祝委員会」及び「公益財団法人日本文 化興隆財団天皇陛下御即位奉祝委員会」による主催の下、内閣府、総務省、法務省、外務省、財務省、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、国土交通省、環境省及び防衛省(以下「中央省庁」という。)から後援を受けて、令和元年11月9日に実施された。 本件国民祭典の概要は、別紙4記載のとおりである。 本件国民祭典の第1部は誰でも参加することができ、第2部は任意に応募したものの中から抽選された招待者のみが参加できることとされた。(甲54、弁論の全趣旨) 2 争点本件諸儀式等の挙行及びこれに対する国費の支出による原告らの権利又は 法律上の利益の侵害の有無及びその違法性中央省庁による本件国民祭典の後援及び内閣総理大臣が新天皇の即位に祝意を表したこと(以下「本件国民祭典の後援等」という。)による原告らの権利又は法律上の利益の侵害の有無及びその違法性(第3事件関係)原告らの損害額 3 争点に関する当事者の主張本件諸儀式等の挙行及びこれに対する国費の支出による原告らの権利又は法律上の利益の侵害の有無及びその違法性(原告らの主張)ア国賠法1条1項における権利又は法律上の利益の侵害の有無の判断枠 組み国賠法1条1項の「損害」とは、民法上の不法行為と同様に、法益侵害に基づく損害を意味するものであるところ、人が社会生活において他者から内心の静穏な感情を害され精神的苦痛を受けることがあっても、一定の限度では甘受すべきものというべきであるが、侵害の態様、程度等に鑑み て社会通念上そ であるところ、人が社会生活において他者から内心の静穏な感情を害され精神的苦痛を受けることがあっても、一定の限度では甘受すべきものというべきであるが、侵害の態様、程度等に鑑み て社会通念上その限度を超えるものについては、国賠法上の権利又は法律 上の利益として保護の対象とすべきであって(最高裁平成3年4月26日第二小法廷判決・民集45巻4号653頁参照)、これらの侵害があったものと解するべきである。 また、国賠法1条1項における違法性の有無の判断に際しては、行為不法(加害行為の悪質性)と結果不法(生じた結果の重大性・違法性)を相 関的に考慮して判断すべきである(相関関係説)。 イ政教分離原則違反(ア) 憲法の定める政教分離規定は、明治憲法下において、国家と神道が密接に結びついて国家神道を形成し、その結果、国民の信教の自由のみならず思想及び良心の自由が著しく侵害されるなどの深刻な弊害を生じた ことから、国家と宗教との厳格な分離を図るために設けられたものであって、その趣旨及び機能は、国家による宗教的行為による国民の信教の自由等の人権侵害を防止する点にある。このような政教分離規定の趣旨・機能からすれば、政教分離規定は、政教融合による国民に対する直接的な強制や弾圧だけでなく、間接的な圧迫も排除して、信教の自由の完全 な保障を図るものであり、国民の人権としてこれを保障した規定である。 また、上記のような趣旨・機能を有する政教分離規定は、国民の信教の自由や思想及び良心の自由の侵害を予防する、いわば「防火壁」としての性格を有することからすれば、個々の国民は、政教分離原則に違反する国の行為について、裁判所の憲法適合性判断によって、その是正を 求めうる抽象的な利益を有し、このような利益もまた法律上の利益として保 有することからすれば、個々の国民は、政教分離原則に違反する国の行為について、裁判所の憲法適合性判断によって、その是正を 求めうる抽象的な利益を有し、このような利益もまた法律上の利益として保障されるものというべきである。 仮に、政教分離規定が制度的保障を定めたものと解したとしても、政教分離原則に違反した国の行為は、国民の信教の自由を侵害したものと推定され、又は当該自由を侵害したものとみなされるべきである。 (イ) 即位の礼及び大嘗祭関係諸儀式等は、基本的には、憲法の制定に伴っ て廃止された登極令及び同附式に定められた神道式行事として挙行されたものであって、皇祖天照大神(あまてらすおおみかみ)の神勅が体現するところの神権天皇を再生産するところにその本質がある。特に、即位礼正殿の儀は、皇祖天照大神と天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が坐す「神座」であって、天孫降臨神話に基づく高御座を用いられたこと、 三種の神器である剣璽が用いられたことなどからして、宗教的儀式であることは明らかである。 また、大嘗宮の儀を中心とする大嘗祭関係諸儀式等は、新天皇が皇祖天照大神及び天神地祇に新穀を供え、自らこれを食する儀式であり、明治憲法下の皇室神道及び国家神道の流れを受け継ぐものであって、宗教 的儀式であることは明らかである。この点につき、政府見解(前提事実⑸)は、大嘗祭が皇位の世襲制に基づく伝統的皇位継承儀式であることをもって、公的性格があるとする。しかるに、憲法1条は、天皇を政治的権力をもたない象徴として規定することによって、神勅主義に基づく天皇主権を完全に否定して国民主権原理に基づく新たな象徴天皇制を創 設したものであるから、皇位が世襲のものであると憲法上規定されていること(憲法2条)をもって、国が政教分離原則に違反 に基づく天皇主権を完全に否定して国民主権原理に基づく新たな象徴天皇制を創 設したものであるから、皇位が世襲のものであると憲法上規定されていること(憲法2条)をもって、国が政教分離原則に違反して、神道儀式である宮中祭祀の大嘗祭関連の諸儀式に公費を支出することは何ら許容されるものではない。また、大嘗祭が伝統的な皇位継承儀式であるとしても、天皇の行為としては、国事行為のほかには私的な行為しかありえ ず、公的行為又は公的性格を有する行為を観念することはできないし、憲法の制定に伴い、明治憲法下の神勅主義に基づく「伝統」及びこれに依拠した神道儀式は、憲法の制定に伴い旧皇室典範や登極令等が廃止されたことによって、明確に否定されたものと解するべきであるから、大嘗祭が伝統的な皇位継承儀式であったとしても、被告が政教分離原則に 違反して、既に廃止された登極令及び同附式の定める形式に則りこれを 行うことは何ら許容されるものではない。 立皇嗣の礼関係行事等も、その多くの行事が憲法の制定に伴って廃止された立儲令に基づいて挙行されたこと、これらの内容は即位の礼及び大嘗祭関係諸儀式等と相当程度共通し、皇祖天照大神を頂点とする神道又は天孫降臨の日本神話に基づくものであることからすれば、宗教的儀 式であることは明らかである。 政教分離原則に違反した国の行為は、国賠法1条1項の解釈適用上も、行為不法の悪質性が認められるべきであって、原告らの権利利益を違法に侵害したものというべきである。 ウ信教の自由の侵害 (ア) 信教の自由(憲法20条1項、2項)は、信仰の自由、宗教的行為の自由及び宗教的結社の自由を内容とするところ、信仰の自由の侵害は、単に個人の信仰や宗教的行為等を直接妨害することによって行われるものに限定されず、国家 20条1項、2項)は、信仰の自由、宗教的行為の自由及び宗教的結社の自由を内容とするところ、信仰の自由の侵害は、単に個人の信仰や宗教的行為等を直接妨害することによって行われるものに限定されず、国家が他の宗教を喧伝することなどによって、個人の信仰や宗教的行為の自由が間接的に妨げられることによっても生じるも のである。 また、信教の自由は、特定の宗教を信じないという消極的自由も保障するものであるから、特定の宗教を信仰しない無宗教者が国家によって特定の宗教を喧伝又は強要されることのほか、宗教的な行事や儀式への参加を強制されることによっても侵害される。 (イ) 国が、皇祖天照大神を頂点とする神道又は天孫降臨の日本神話を具象化した本件諸儀式等を挙行し、これに国費を支出することは、国家神道の復活そのものであり、国家が事実上特定の宗教を殊更に優遇し、これを国内外に流布宣伝するものである。これによって、キリスト教、仏教等の神道以外の宗教を信仰する原告らは、単なる不快感にとどまらず、 神道が日本人の信じるべき宗教であるとの強い心理的圧迫を受け、自身 の信仰を放棄したり、その礼拝、祝祷、宗教上の祝典、儀式、行事、布教等の宗教的行為を行うことを躊躇し、その内容を変容させられるかもしれないという不安に苛まれたりした。また、特定の宗教を信仰しない原告らは、日本人であれば神道を信じるべきであるという強い精神的圧迫を受けた。したがって、本件諸儀式等が原告らの信教の自由を侵害し たことは明らかである。 エ思想及び良心の自由の侵害(ア) 思想及び良心の自由は、明治憲法下での天皇制ファシズムを前提とする治安維持法体制において、国体の変革や私有財産制度を否認する目的を有するとみなされた者が苛烈な弾圧を受けてきた歴史を踏まえ、規定 ) 思想及び良心の自由は、明治憲法下での天皇制ファシズムを前提とする治安維持法体制において、国体の変革や私有財産制度を否認する目的を有するとみなされた者が苛烈な弾圧を受けてきた歴史を踏まえ、規定 されたものであり、国民の内面的な精神活動の自由を保障するという意味において、精神的自由権の中でも最も根源的かつ重要な権利である。 思想及び良心の自由は、個人が、国家権力により内心の思想に基づく不利益を課されたり、特定の思想を抱くことを禁止されたりしないことや、内心においていかなる思想を抱いているかについての発露を強制さ れないことを保障するのみならず、その保障は思想及び良心の形成過程にも及ぶものである。そして、特定の思想を抱くことなどを強制するものでなくても、国家権力が特定の思想を勧奨し、又は庇護を与えることなどによって、「同調圧力」を形成し、個人に特定の思想を抱くことによる排除や孤立への恐怖などの心的作用である「心の葛藤」を生じさせる ことは、個人の思想及び良心の形成過程に不当な影響を及ぼすものとして、個人の思想及び良心の自由を侵害するものというべきである。 (イ) 登極令及び同附式は、旧皇室典範に基づき皇位継承(登極)に伴う代替わり儀式について規定した細則であり、明治42年2月11日、立儲令などの皇室令とともに公布された。登極令及び同附式並びに立儲令は、 明治憲法下における天皇国家体制の基本原理の一つとなった、天孫降臨 神話に基づく天皇の統治権の正当性を宣言した神勅を皇位継承儀式において具象化したものであって、憲法の制定に伴って廃止されたにもかかわらず、本件諸儀式等は、基本的にはこれらに基づいて挙行された。 本件諸儀式等は、戦前における祭政一致の絶対的神権的天皇国家体制のイデオロギーと密接不可分に結びつ 法の制定に伴って廃止されたにもかかわらず、本件諸儀式等は、基本的にはこれらに基づいて挙行された。 本件諸儀式等は、戦前における祭政一致の絶対的神権的天皇国家体制のイデオロギーと密接不可分に結びついたものであり、国が「国民こぞ って」新天皇即位とそれに伴う代替わり儀式に祝意を表することを要請した上で、本件諸儀式等を挙行し、これに国費を支出したことは、これに対する賛意を表明すべきであるという「同調圧力」を形成し、上記のような天皇国家体制に異を唱える原告らに、自己の有する思想や信条を理由として社会的に排除されたり孤立したりするのではないかなどの 「心の葛藤」を生じさせるものである。 (ウ) それゆえに、本件諸儀式等は、個人の思想及び良心の自由を侵害するものというべきである。 オ主権者としての地位(国民主権)の侵害上記イにおいて主張したように、即位の礼及び大嘗祭関係諸儀式等は、 皇祖天照大神の神勅が体現するところの神権天皇を再生産するところにその本質があるところ、これは天孫降臨神話に基づく天皇の統治権の正当性を宣言するという、憲法が採用する国民主権原理とは相容れない明治憲法における基本原理の復活を意味する。そして、即位礼正殿の儀において、新天皇が高御座の上から即位を宣言する「おことば」を述べ、その後内閣 総理大臣が新天皇に向けて「寿詞」を述べた上で万歳三唱をし、参列者が唱和したこと、さらには、大嘗祭において、天皇の代替わりごとに悠紀及び主基の国を定めて新穀を供出させるとともにこれに奉仕させることは、天皇の代替わりごとに日本の全国土を象徴して服従の誓いをさせることを象徴するものであること、立皇嗣の礼関係行事等の立皇嗣宣明の儀にお いては、新皇嗣が「おことば」を述べた後、内閣総理大臣が寿詞を述べた に日本の全国土を象徴して服従の誓いをさせることを象徴するものであること、立皇嗣の礼関係行事等の立皇嗣宣明の儀にお いては、新皇嗣が「おことば」を述べた後、内閣総理大臣が寿詞を述べた ことなどからすれば、本件諸儀式等は、天皇制国家体制のイデオロギーに基づく服属儀礼的な性格を有し、国民主権原理に反する。 そして、主権者としての地位の侵害は、国民主権という憲法前文及び憲法1条に規定する大原則を逸脱する態様でされていることから、行為不法の悪質性は顕著である。また、このような憲法上の基本原則に違反する態 様でされた公権力の行使に当たる国の公務員の行為は、原告らに社会通念上の受忍限度を超える程度の精神的苦痛を与えるものであるから、国賠法上の権利又は法律上の利益を侵害するものと評価すべきである。 カ納税者基本権の侵害(第3事件においては主張されていない。)財政民主主義(憲法83条)を採用した上で国民が納税の義務を負う(憲 法30条)ことを定める憲法の下においては、納税者は、自己の納付した租税が憲法上の原則に従って使用されることを前提に、その限度でのみ納税義務を負うという権利又は法律上の利益(納税者基本権)を有する。したがって、納税者は、憲法の規定に違反して国費が支出された場合には、被告に対し、納税者基本権の侵害によって発生した精神的損害の賠償を求 めることができる。 そして、上記イないしオで主張したように、即位の礼及び大嘗祭関係諸儀式等は、憲法によって保障された原告らの権利又は法的利益を侵害するものであるから、原告らの納税者基本権を侵害する。 (被告の主張) ア原告らは、国が本件諸儀式等を執り行い、これに国費を支出したことが、原告らの人権を侵害する違憲違法なものであると主張して、被告に対し、国賠 納税者基本権を侵害する。 (被告の主張) ア原告らは、国が本件諸儀式等を執り行い、これに国費を支出したことが、原告らの人権を侵害する違憲違法なものであると主張して、被告に対し、国賠法1条1項に基づく損害賠償請求をするものであるところ、国家賠償制度が個々の国民の権利又は法律上の利益の侵害を救済するものであることの当然の帰結として、国賠法1条1項の違法は、当該個別の国民 の権利又は法律上の利益の侵害があることを前提としており、個々の国 民の権利又は法律上の利益の侵害が認められない場合には、国賠法上の違法を認める余地はない。 イ政教分離原則違反について憲法の定める政教分離規定(憲法20条1項後段、3項及び89条)は、国家と宗教の分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由 を保障しようとするいわゆる制度的保障の規定であって、個々の国民に対する権利を保障した規定ではないから(最高裁昭和52年7月13日大法廷判決・民集31巻4号533頁、最高裁昭和63年6月1日大法廷判決・民集42巻5号277頁)、原告らが主張するような権利又は法律上の利益を保障するものではない。 ウ信教の自由の侵害について信教の自由の保障は、国家から公権力によってその自由を制限されることなく、また、不利益を課されないとの意味を有するものであり、国家によって信教の自由が侵害されたといいうるためには、少なくとも、国家による個人の信教を理由とする不利益な取扱い又は強制・制止等が存在する ことが必要である。 しかしながら、本件諸儀式等は、個々の国民に向けた行為又は処分ではなく、他人の信仰生活等に対して圧迫、干渉等を加えるような性質のものでも、原告らに何らかの信仰、宗教的行為等を強要し、又は原告らの信教の自由につ 、本件諸儀式等は、個々の国民に向けた行為又は処分ではなく、他人の信仰生活等に対して圧迫、干渉等を加えるような性質のものでも、原告らに何らかの信仰、宗教的行為等を強要し、又は原告らの信教の自由につき不利益な取扱いや強制を伴うものでもない。 したがって、原告らが信仰の自由及び宗教的行為の自由の侵害として述べる内容は、特定の宗教を信仰することや宗教的行為への参加を強制されるのではないかという漠然とした不安感を抱いたことをいうものにすぎず、本件諸儀式等を挙行しそのために国費を支出することが、原告らの信教の自由を侵害するものではないことは明白である。 エ思想及び良心の自由の侵害について 本件諸儀式等の挙行及びそのための国費支出は、原告らに対し、特定の思想及び良心を有していること又は有していないことを理由として他の国民と明確に区別しうるだけの具体的な不利益を与えるものではないし、また、原告らが異論や反対の意思を表明することは何ら妨げられず、それぞれが有する思想及び良心に反する行動を強制したり、これに基づく行動 を禁止したりするものではない。 原告らは、独自の見解に基づき、本件諸儀式等の挙行及びそのための国費支出によって精神的苦痛を感じたことを主張するにすぎず、およそ思想及び良心が侵害されたものとは認められない。 オ主権者としての地位(国民主権)の侵害について 原告らは、国民主権主義を採る場合の主権者としての国民の地位が侵害されていると主張しているものと解されるところ、主権者としての国民とは、一般には年齢・行為能力などを問わず、およそ一切の自然人を含むところの全体としての国民(観念的統一体としての国民)と解されるのであって、その内容は極めて抽象的、観念的である。したがって、国民主権に ついて規 為能力などを問わず、およそ一切の自然人を含むところの全体としての国民(観念的統一体としての国民)と解されるのであって、その内容は極めて抽象的、観念的である。したがって、国民主権に ついて規定する憲法1条は、個々の国民に「国民主権」という具体的な権利又は法律上の利益を保障するものではない。 カ納税者基本権の侵害について原告らが主張する納税者基本権なるものは、現行法上これを認める明文規定はなく、その定義・内容は極めて抽象的であり、かつ、権利の主体・ 対象・内容・成立要件はいずれも不明確であるから、排他性のある権利としての外延を画することさえできない。 したがって、納税者基本権なるものは、原告らの権利又は法律上の利益を何ら基礎づけるものではない。 本件国民祭典の後援等による原告らの権利又は法律上の利益の侵害の有無 及びその違法性 (原告らの主張)ア政教分離原則違反本件国民祭典の第2部(祝賀式典)の奉祝演奏において、会場のスクリーンに「古事記」の国生み神話を用いた絵画が投影され、司会者が「天地創造、イザナギ、イザナミの一部を御紹介します。」と発言した後、万物の 根源となる造化三神の誕生及びこれに引き続いてイザナギ、イザナミの二柱の神が出現し、日本列島を形成させた旨の国生み神話の内容を朗読・解説するとともに、イザナギ、イザナミが引き上げた鉾に付着した水のしずくが落下したことで日本列島が形成された旨の解説をした。また、上記絵画の上映直後、司会者は、新天皇が人々の生活と水をテーマに研究を続け ていることなどを紹介した。これらの上映及び解説の内容は、「古事記」による国生み神話と「水」に関連した新天皇による活動内容を関連付けて紹介し、日本国の形成に関する神話と天皇制の成立過程を直接的に結び付け ることなどを紹介した。これらの上映及び解説の内容は、「古事記」による国生み神話と「水」に関連した新天皇による活動内容を関連付けて紹介し、日本国の形成に関する神話と天皇制の成立過程を直接的に結び付け、これらの一体性を示唆して天皇制の神話的解釈を肯定的に伝達するものである。したがって、本件国民祭典は、神道と密接に関連する日本史の神 話的解釈を基礎として、新天皇の即位をその中に位置づけて賛美するという、宗教的イデオロギーの流布としての性格を有するものであり、中央省庁が本件国民祭典を後援し、内閣総理大臣がこれに祝意を表したことは、政教分離原則に反する。 イ思想及び良心の自由の侵害 思想及び良心の自由(憲法19条)は、国家が個人の思想及び良心の形成過程に不当な影響を及ぼすことを防止する趣旨に出たものであることは、上記⑴「原告らの主張」のエにおいて主張したとおりである。 思想及び良心の自由に対する侵害は、個人の有する特定の思想及び良心を強制的に発露されることや、これを強制的に変更させるような行為のみ がこれに該当するものではない。国家が特定の思想を個人に支持させる目 的で、大規模かつ継続的に、公然と当該思想の宣伝行為を繰り返したような場合には、個人の思想及び良心の形成過程に不当な影響を及ぼしたものとして、思想及び良心が侵害されたものといえる。 前記アのとおり、本件国民祭典は、神道と密接に関連する日本史の神話的解釈を基礎として、新天皇の即位をその中に位置づけて賛美するという、 宗教的イデオロギーの流布としての性格を有するものである。そして、中央省庁が、新天皇の即位を「奉祝」するという本件国民祭典の目的やその内容を了知しつつ、これに後援するとともに、内閣総理大臣が新天皇の即位に祝意を表した行為は、個々の国民に対 るものである。そして、中央省庁が、新天皇の即位を「奉祝」するという本件国民祭典の目的やその内容を了知しつつ、これに後援するとともに、内閣総理大臣が新天皇の即位に祝意を表した行為は、個々の国民に対して、上記のような宗教的イデオロギーや新天皇即位についての肯定的思想を支持させることを目的と して、大規模かつ継続的に、公然とこのような思想を流布する行為であって、原告らの思想及び良心の形成過程に不当な影響を及ぼすものであるから、原告らの思想及び良心の自由を侵害する。 (被告の主張)ア政教分離原則違反について 前述のとおり、政教分離規定は、制度的保障の規定であって、個々の国民に対する権利を保障した規定ではないから、原告らが主張するような信教の自由その他の権利又は法律上の利益を保障するものではない。 イ思想及び良心の自由の侵害について中央省庁が、本件国民祭典を後援する行為や内閣総理大臣が本件国民祭 典において新天皇の即位に対する祝辞を述べる行為は、原告らに対し、特定の思想及び良心を有していること又は有していないことを理由として他の国民と明確に区別しうるだけの具体的な不利益を与えるものではないし、原告らが異論や反対の意思を表明することは何ら妨げられず、それぞれが有する思想及び良心に反する行動を強制したり、これに基づく行動 を禁止したりするものではない。 したがって、原告らの思想良心の自由を侵害するものではない。 原告らの損害額(原告らの主張)ア第1及び第2事件関係即位の礼及び大嘗祭関係諸儀式等の挙行及びそのための国費の支出によ って、政教分離原則に違反する状態が生じ、原告らの信教の自由、思想及び良心の自由、主権者としての地位並びに納税者基本権が侵害され、原告らは著しい精神的苦痛 等の挙行及びそのための国費の支出によ って、政教分離原則に違反する状態が生じ、原告らの信教の自由、思想及び良心の自由、主権者としての地位並びに納税者基本権が侵害され、原告らは著しい精神的苦痛を受けた。このような違憲違法な行為によって原告らが受けた精神的苦痛に対する慰謝料は、1人当たり1万円を下らない。 イ第3事件関係 立皇嗣の礼関係行事等の挙行及びそのための国費の支出によって、政教分離原則に違反する状態が生じ、原告らの信教の自由、思想及び良心の自由並びに主権者としての地位が侵害され、原告らは著しい精神的苦痛を受けた。このような違憲違法な行為によって原告らが受けた精神的苦痛に対する慰謝料は、1人当たり25万円を下らない。 本件国民祭典の後援等は、政教分離原則に違反し、またこれによって、原告らの思想及び良心の自由が侵害され、原告らは著しい精神的苦痛を受けたところ、これに対する慰謝料は、1人当たり25万円を下らない。 (被告の主張)いずれも争う。 第3 当裁判所の判断 1 争点⑴(本件諸儀式等の挙行及びこれに対する国費の支出による原告らの権利又は法律上の利益の侵害の有無及びその違法性)について原告らは、被告が本件諸儀式等を挙行し、これに国費を支出したことは、政教分離原則に違反し違憲であり、原告らの思想及び良心の自由、信教の自 由、主権者としての地位(国民主権)並びに納税者基本権を侵害したため、 国賠法上違法であると主張し、被告は、原告らの主張する権利又は利益が、国賠法上保護されるべき具体的権利又は法律上の利益とはいえない、あるいは、本件諸儀式の挙行及びそのための国費の支出によって侵害されていないと主張している。 国賠法1条1項に基づく損害賠償請求が認められるためには、公権力の行 利又は法律上の利益とはいえない、あるいは、本件諸儀式の挙行及びそのための国費の支出によって侵害されていないと主張している。 国賠法1条1項に基づく損害賠償請求が認められるためには、公権力の行 使に当たる公務員の行為によって、原告らの権利又は法律上保護される利益が侵害されたことを要するものと解するのが相当である(最高裁昭和43年7月9日第三小法廷判決・集民91号639頁、最高裁平成2年2月20日第三小法廷判決・集民159号161頁、最高裁平成17年4月21日第一小法廷判決・集民216号579頁、最高裁平成18年6月23日第二小法 廷判決・集民220号573頁参照)。 そこでまず、本件諸儀式等の挙行及びそのための国費の支出によって、原告らの権利又は法律上の利益が侵害されたか否かについて検討する。 政教分離原則違反についてア原告らは、憲法20条1項後段、3項、89条が規定する政教分離原則 が原告らの人権又は法律上保護される利益を保障したものであると主張する。 しかしながら、政教分離原則を定める憲法の諸規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、私人に対して信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国及びその機関が行うことのできない行為の範囲を定めて国 家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものであり(前掲最高裁昭和52年7月13日大法廷判決参照)、これらの規定に違反する国又はその機関の宗教的活動も、それが憲法20条1項前段に違反して私人の信教の自由を制限し、あるいは同条2項に違反して私人に対し宗教上の行為等への参加を強制す るなど、憲法が保障している信教の自由を直接侵害するに至らない限り、 私人に対する関係で当然には違法と評価されるもので るいは同条2項に違反して私人に対し宗教上の行為等への参加を強制す るなど、憲法が保障している信教の自由を直接侵害するに至らない限り、 私人に対する関係で当然には違法と評価されるものではないと解するのが相当である(前掲最高裁昭和63年6月1日大法廷判決参照)。 そうすると、政教分離原則を定める憲法の諸規定が、原告らの具体的な権利又は法律上保護される利益を保障したものと解することはできないから、原告らの上記主張には理由がない。 イ原告らは、政教分離規定が制度的保障を定めたものと解したとしても、政教分離原則に違反した国の行為は、国民の信教の自由を侵害したものと憲法上推定され、又は当該自由を侵害したものとみなされるべきであるとも主張するが、政教分離原則に違反した国又はその機関の行為が直ちに私人の信教の自由を侵害するものということはできないことは、上記アにお いて説示したとおりであるから、上記主張も理由がない。 ウ原告らは、裁判所法3条1項にいう法律上の争訟とは、特定的かつ個別的な権利利益についての争訟に限定されるものではなく、より大きな一般的利益や公益をも考慮に入れて解釈すべきであるから、憲法秩序の維持を目的とし、国民の有する一般的利益に資する本件訴訟においては、裁判所 が違憲審査権を行使して政教分離原則違反の有無について憲法判断を行うべきであって、これを回避すべきではない旨主張する。 しかしながら、憲法76条により裁判所に与えられている司法権は、いわゆる法律上の争訟について裁判を行う作用をいい(裁判所法3条1項)、具体的な権利又は法律関係について紛争が存する場合に初めて発動する ことができるものであり、憲法81条により裁判所に与えられている違憲審査権も、このような司法権を発動することができる場 項)、具体的な権利又は法律関係について紛争が存する場合に初めて発動する ことができるものであり、憲法81条により裁判所に与えられている違憲審査権も、このような司法権を発動することができる場合に行使することができるものと解すべきであるから、裁判所は、具体的争訟事件を離れて抽象的に政府が行った行為等の違憲、違法について判断する権限を有しない(最高裁昭和27年10月8日大法廷判決・民集6巻9号783頁、最 高裁昭和28年4月15日大法廷判決・民集7巻4号305頁参照)。 このことからすると、裁判所は、具体的争訟事件について裁判を行う際も、当該事件の解決に必要な限度で憲法適合性についての審査を行うのが相当であり、これと異なる原告らの上記主張は採用することができない。 信教の自由の侵害についてア原告らは、被告が本件諸儀式等を挙行し、これに国費を支出したことに よって、原告らの信教の自由が侵害されたと主張する。 この点について、本件諸儀式等は、基本的には、明治憲法下において制定され、現憲法の制定に伴って廃止された皇室令である登極令及び同附式又は立儲令に則って執り行われたものであり(前提事実⑻、⑽)、また、「「即位の礼」・大嘗祭の挙行等について」(平成元年12月21日閣議口頭了解) においては、大嘗祭につき、その趣旨、性格等からして、宗教上の儀式としての性格を有することを否定することはできず、その態様においても、国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式であるとの整理がなされている(前提事実⑸)。 しかしながら、前記⑵アで説示したとおり、仮に政教分離規定に違反す る国又はその機関の宗教的活動があったとしても、それが憲法20条1項前段に違反して私人の信教の自由を制限し、あるいは同条2項に違反 しながら、前記⑵アで説示したとおり、仮に政教分離規定に違反す る国又はその機関の宗教的活動があったとしても、それが憲法20条1項前段に違反して私人の信教の自由を制限し、あるいは同条2項に違反して私人に対し宗教上の行為等への参加を強制するなど、憲法が保障している信教の自由を直接侵害するに至らない限り、私人に対する関係で当然には違法と評価されるものではないところ、本件諸儀式等は、新天皇の即位及 び皇位継承に伴う国事行為又は皇室の儀式若しくは行事として執り行われたものであって(前提事実⑻、⑽)、原告らに対して特定の宗教の信仰や宗教上の活動を禁止し又は強制するなどして、憲法20条1項前段に違反して原告らの信教の自由を制限するものとはいえないし、また、同条2項に違反して原告らの参加を強制するものともいえない。 したがって、被告が本件諸儀式等を挙行し、これに国費を支出したこと により、原告らの信教の自由が侵害されたということはできない。 イ原告らは、被告が皇祖天照大神を頂点とする神道又は天孫降臨の日本神話を具象化した本件諸儀式等を挙行し、これに国費を支出したことは、事実上特定の宗教を殊更に優遇し、これを国内外に流布宣伝するものであって、これによって、キリスト教、仏教等の神道以外の宗教を信仰する原告 らは、単なる不快感にとどまらず、神道が日本人の信じるべき宗教であるとの強い心理的圧迫を受け、自身の信仰を放棄したり、その礼拝、祝祷、宗教上の祝典、儀式、行事、布教等の宗教的行為を行うことを躊躇し、その内容を変容させられるかもしれないという不安に苛まれ、特定の宗教を信仰しない原告らは、日本人であれば神道を信じるべきであるという強い 精神的圧迫を受けたと主張する。 しかしながら、原告らが上記のように主張するところ しれないという不安に苛まれ、特定の宗教を信仰しない原告らは、日本人であれば神道を信じるべきであるという強い 精神的圧迫を受けたと主張する。 しかしながら、原告らが上記のように主張するところは、被告による本件諸儀式等の挙行及びそのための国費の支出によって、その宗教上の感情が害されたことによる主観的な不満や不快感等を抱いたという域を出ないものであって、このことをもって原告らの権利又は法律上の利益が侵害 されたと認めることは困難であるといわざるを得ない。したがって、原告らの上記主張は、上記アの結論を左右するものではない。 思想及び良心の自由の侵害についてア原告らは、被告が本件諸儀式等を挙行し、これに国費を支出したことによって、原告らの思想及び良心の自由が侵害されたと主張する。 しかしながら、上記⑶で説示したとおり、本件諸儀式等は、新天皇の即位及び皇位継承に伴う国事行為又は皇室の儀式若しくは行事として執り行われたものであって、その形式及び内容を見ても、個々の国民の参加を強制したり、新天皇の即位やそれに伴い新皇嗣が皇位継承順位第一位の皇族となったことについて祝意を表することを強制したりするものとはい えず、思想や信条を理由に本件諸儀式等の実施に反対する原告らに対して、 その意に反する行為を強いるものであるとは認められない。また、本件諸儀式等の挙行及びそのための国費の支出は、原告らが本件諸儀式等の実施に反対する意思を表明することを禁止したり、又は上記のような思想及び信条を有することを理由として原告らを不利益に取り扱ったりするものであるとも認められない。 したがって、被告が本件諸儀式等を挙行し、これに国費を支出したことにより、原告らの思想及び良心の自由が侵害されたとはいうことはできない。 イ り扱ったりするものであるとも認められない。 したがって、被告が本件諸儀式等を挙行し、これに国費を支出したことにより、原告らの思想及び良心の自由が侵害されたとはいうことはできない。 イ原告らは、本件諸儀式等は、戦前における祭政一致の絶対的神権的天皇国家体制のイデオロギーと密接不可分に結びついたものであるから、被告 が「国民こぞって」新天皇即位とそれに伴う代替わり儀式に祝意を表することを要請した上で、本件諸儀式等を挙行し、これに国費を支出したことは、これに対する賛意を表明すべきであるという「同調圧力」を形成し、天皇国家体制に異を唱える原告らに、自己の有する思想や信条を理由として社会的に排除されたり孤立したりするのではないかなどとの「心の葛藤」 を生じさせることから、原告らの思想及び良心の形成過程に不当な影響を及ぼすものとして、思想及び良心の自由を侵害すると主張する。 しかしながら、被告が新天皇の即位に際し、国民こぞって祝意を表する趣旨で「天皇の即位の日及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律」を公布・施行し、また、内閣は、行政機関において、国旗を掲揚する こと、地方公共団体に対しても、国旗を掲揚するよう協力方を要望すること及び地方公共団体以外の公署、学校、会社、その他一般においても、国旗を掲揚するよう協力方を要望することを内容とする閣議決定をしているが(前提事実⑺)、これらは、原告らが、本件諸儀式等を含む天皇の代替わりに伴う儀式や天皇制の在り方などに関して否定的な思想や信条を形 成することを何ら禁止するものではなく、原告らの思想及び良心の形成に 対して不当な圧迫や干渉等を加えるものということはできない。なお、弁論の全趣旨によれば、「天皇の即位の日及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とす るものではなく、原告らの思想及び良心の形成に 対して不当な圧迫や干渉等を加えるものということはできない。なお、弁論の全趣旨によれば、「天皇の即位の日及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律」案の国会審議において、「本法律案は、皇太子殿下の御即位に際しまして、国民こぞって祝意を表するため、即位の日及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とするものであります。」との説明がなされ たことが認められるが、これ以上に国民に対して具体的に何らかの行為をするように働きかけがあったことはうかがわれない。そうすると、原告らが上記のように主張するところは、被告による本件諸儀式等の挙行及びそのための国費の支出によって、原告らが不快感や焦燥感等の否定的な感情を抱いたことを主張するものにすぎず、このことをもって原告らの権利又 は法律上の利益が侵害されたと認めることは困難であるといわざるを得ない。 したがって、原告らの上記主張には理由がない。 主権者としての地位(国民主権)の侵害について原告らは、被告が本件諸儀式等を挙行し、これに国費を支出したことによ って、原告らの主権者としての地位(国民主権)の侵害を主張する。 しかしながら、憲法前文及び憲法1条は、国政の最高決定権としての主権が総体としての日本国民に存することを宣言したものにとどまり、個々の国民に対して、「主権者としての地位」として具体的な権利又は法律上保護される利益を保障したものとは解されず、その他憲法及び法律の規定に照らして も、原告らの主張する主権者としての地位(国民主権)と称する権利又は利益を、原告らの具体的権利又は法律上の利益として保障したと解すべき根拠は見当たらない。 したがって、原告らの上記主張は前提を欠き、理由がない。 納税者基本権の侵害について 権)と称する権利又は利益を、原告らの具体的権利又は法律上の利益として保障したと解すべき根拠は見当たらない。 したがって、原告らの上記主張は前提を欠き、理由がない。 納税者基本権の侵害について 原告らは、被告が憲法の諸規定に違反する即位の礼及び大嘗祭関係諸儀式 等を挙行し、これに国費を支出したことによって、納税者である原告らの納税者基本権が侵害されたと主張する。 しかしながら、憲法は、国民は法律の定めるところにより納税の義務を負い(憲法30条)、新たに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする(憲法84条)とした上 で、国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基づくことを必要とし(憲法85条)、内閣は、毎会計年度の予算を国会に提出して、その審議を受け、議決を経なければならない(憲法86条)、全ての皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない(憲法88条後段)などと規定していることからすれば、国費や皇室の費用の支出について は、全国民の代表機関である国会の審議及び議決を通じて決せられるべきであって、個々の国民は、選挙において選出された代表者を通じて、間接的にこれらの決定に関与していくべきことを憲法は予定しているものと解するのが相当である。また、憲法及び法律は、個々の国民が納税者としての地位に基づいて個々の国費や皇室の費用の支出の違法性を争い得る制度について何 ら規定しておらず、その他原告らの主張する納税者基本権が、原告らの具体的権利又は法律上の利益として保障されるものと解すべき根拠は見当たらない。 したがって、原告らの主張する納税者基本権が、原告らの具体的権利又は法律上保護される利益として保障されていると解することはできず、 は法律上の利益として保障されるものと解すべき根拠は見当たらない。 したがって、原告らの主張する納税者基本権が、原告らの具体的権利又は法律上保護される利益として保障されていると解することはできず、原告ら の上記主張は前提を欠き、理由がない。 原告らは、不法行為における権利侵害の有無の判断における、いわゆる相関関係説の立場から、国賠法1条1項における違法性の有無を判断すべき旨主張するものの、仮に相関関係説の立場に立ったとしても、被告の行為によって原告らの権利又は法律上保護される利益が侵害されたとは認められない ことは既に上記⑴ないし⑹で説示したとおりであるから、上記判断を左右す るものではない。 小括よって、被告が本件諸儀式等を挙行し、これに国費を支出したことにより、原告らの権利又は法律上の利益が侵害されたとは認められない。 2 争点⑵(本件国民祭典の後援等による原告らの権利又は法律上の利益の侵害 の有無及びその違法性)について原告らは、本件国民祭典の後援等が、政教分離原則に反すると主張するが、政教分離原則を定める憲法の諸規定が、直ちに原告らの具体的な権利又は法律上保護される利益を保障したものと解することはできないこと、政教分離原則に違反した国又はその機関の行為が直ちに私人の信教の自由を侵害する ものということはできないことは、前記1⑵で述べたとおりである。 原告らは、本件国民祭典の後援等によって、原告らの思想及び良心の自由が侵害されたと主張する。 しかしながら、本件国民祭典の第1部への参加は任意であり、第2部への参加も任意に応募したものの中から抽選された招待者に限られ(前提事実⑿)、 その他に原告らが、本件国民祭典において新たな義務や負担を課せられたものとは認められないこと(弁論 であり、第2部への参加も任意に応募したものの中から抽選された招待者に限られ(前提事実⑿)、 その他に原告らが、本件国民祭典において新たな義務や負担を課せられたものとは認められないこと(弁論の全趣旨)からすれば、原告らが、本件国民祭典への参加や新天皇の即位に対する祝意の表明を強制させられたとはいえず、その思想や信条に反する行為を強制されたとは認められない。また、原告らが、本件国民祭典の後援等によって、その思想や信条を理由として本件 国民祭典の開催に反対する見解を表明することを禁止され、又はそのことを理由として不利益を課されたものとも認められない。 したがって、本件国民祭典の後援等により、原告らの思想及び良心の自由が侵害されたとはいえないから、原告らの上記主張には理由がない。 原告らは、本件国民祭典の後援等は、原告らに対して、神道と密接に結び ついた日本史の神話的解釈を基礎とする宗教的イデオロギーや新天皇即位に ついての肯定的思想を支持させることを目的として、大規模かつ継続的に、公然とこのような思想を流布する行為であって、原告らの思想及び良心の形成過程に不当な影響を及ぼすものとして、原告らの思想及び良心の自由を侵害すると主張するものの、本件国民祭典の内容が「古事記」における日本神話を題材とした絵画の上映及びその解説を含むものであったこと(前提事実 ⑿)などの原告らが指摘する事情を踏まえたとしても、上記⑴の判断は左右されるものではなく、原告らの上記主張には理由がない。 よって、本件国民祭典の後援等によって、原告らの権利又は法律上の利益が侵害されたとは認められない。 第4 結論 以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとして主文 の権利又は法律上の利益が侵害されたとは認められない。 第4 結論 以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとして主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第6部 裁判長裁判官中島崇 裁判官綿引聡史 裁判官小川勝己
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