平成17(わ)426 現住建造物等放火

裁判年月日・裁判所
平成20年5月15日 大分地方裁判所
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判決文本文21,526 文字)

主文 被告人は無罪。 理由 争点 本件公訴事実は,「被告人は,大分県由布市庄内町長野166番地1所在のA方居宅(木造瓦葺2階建,延べ床面積約202.16平方メートル)に,前記父Aほか4名と共に居住していたものであるが,前記居宅に放火して日頃のうっ憤を晴らそうと決意し,平成17年11月4日午後1時ころ,前記居宅1階6畳居間において,押入内の布団に点火したマッチを置いて火を放ち,その火を前記居宅に燃え移らせ,よって,前記Aらが現に住居に使用している前記居宅を全焼させて,これを焼損した」というものである。 これに対し,弁護人は,本件犯行当時,被告人は,統合失調症に罹患し,心神喪失状態であったもので,無罪であると主張するので,以下検討する。 前提事実等関係各証拠によれば,以下の事実が認められる。 (1)生育歴,生活状況等ア被告人は,出生時から口蓋裂の障害があり,発音・発語が不明瞭で,発達も他の子供たちに比べて遅れ気味であった。子どものころの被告人は,家族からは,「優しい」,「友達とよく遊ぶ」,「普通の子」という評価を受けていた。 イ被告人は,小学校時代,友人に恵まれ,学校関係者から,「明るく素直で誰とでも仲良く遊ぶ。漢字,日記等,宿題を1日も欠かさず提出し,がんばり続けた。与えられた課題にまじめに取り組む姿は大変好感がもたれる」,「素直で真面目な性格である」,「決まった事は真面目にする。何事も最後まで諦めない」,「協調的」,「言語的な障害に負けることなく,真面目な努力を続け,立派に成長してきた」などの評価を受けていた。成績は振るわ なかったが,6年間のうち欠席は1日のみであった。 ウ被告人は,中学校時代,熱心に部活動(バレーボール)に参加し,学校関係者から「頼まれた仕事など心よく引き受け,人のために働こうとする気持ち なかったが,6年間のうち欠席は1日のみであった。 ウ被告人は,中学校時代,熱心に部活動(バレーボール)に参加し,学校関係者から「頼まれた仕事など心よく引き受け,人のために働こうとする気持ちが感じられた。約束ごとはきちんと守る」,「きちんとした生活態度」,「クラスのみんなと協力して活動に取り組んでいた」,「バレー部員として熱心に練習に参加していた」,「部活動では,毎日休むことなく参加し,試合に出る場面も少ないのに頑張る姿には頭の下がる思いで一杯です」,他方で「もう少し進んで行う姿勢を見せて欲しいと思います」などという評価を受けていた。成績は最下位集団に属していたが,無欠席で過ごした。 エ被告人は,高校時代,学校関係者から「温和で優しい」,「清掃等非常に協力的で頼もしい」などという評価を受けていた。成績は下位集団に属していたが,真面目に生活し,欠席は1日のみであった。他方,バレーボール部に入部したものの,1年経たないうちに退部し,友人と遊ぶことは少なくなった。 オ被告人は,高校卒業後,自動車の運転免許を取得し,その後,自らの希望で県外へ出て,愛知県のF鉄工所(自動車部品製造会社)に就職し,約1年半ほど勤めた。同鉄工所に勤務する間,同鉄工所から,父親のところに,被告人が出勤しないとの連絡が入り,父親が様子を見にいくということがあった。父親は被告人に欠勤の理由を尋ねたが,被告人は答えなかった。被告人は,その後,腰痛が悪化したとの理由で退職し,地元大分に戻った。 被告人は,大分で自ら仕事を探し,職場を転々としたが,どれも長続きしなかった。まず,自動車整備工場に整備士見習いとして就職したが,1週間ほどで,仕事が向いていないという理由で断られ,辞めることとなった。クリーニング店では,勤め始めて2,3か月したころ,配達中に会社の車で交通事 ,自動車整備工場に整備士見習いとして就職したが,1週間ほどで,仕事が向いていないという理由で断られ,辞めることとなった。クリーニング店では,勤め始めて2,3か月したころ,配達中に会社の車で交通事故を起こしたことが原因で辞めた。不定期で引越センターのアルバイトも行ったが,定着しなかった。これらの仕事を辞めた明確な理由について家 族は聞かされなかった。 カ被告人は,平成14年,G屋という弁当屋にアルバイトとして就職し,約2年半勤めた。「一緒に仕事をしている仲のよい友達が辞める」ということを言っていたので,父親は,被告人も仕事を辞めてしまうのではないかと心配していたところ,平成16年7月,被告人はG屋を辞めた。被告人は,この退職理由について,友達が辞めたからではない(甲17,第2回公判),「仕事に飽きて」(乙1),「仕事がきつくて」(乙4,第2回公判)などと供述している。 キ被告人は,同年9月,人材派遣会社からHの工場に派遣された。被告人は,同年11月,大分と別府を結ぶ別大国道を運転中,ガソリンがなくなると,車を交通量の多い上記国道に乗り捨てて,数時間かけて歩いて会社の寮に帰宅し,寮に帰り着いてからも,どこにも連絡しなかった。 ク被告人は,そのころ,Hの工場を辞めているが,その理由については,「仕事に飽きて」(乙1),「会社の人から,段ボールの蓋をきちんとガムテープで貼っていないと注意を受け,別の仕事をした方がよいのではないかと言われた」(乙4,第2回公判)などと供述している。被告人は,これ以降,仕事をしていない。被告人は,仕事を辞めて以来,自分の部屋に閉じこもりがちになり,夜遅くまでテレビを見て,日中も寝ているという生活を送るようになった。自分から家族に話をすることも少なくなった。 ケまた,被告人には,この前後ころ,自分の衣類を ,自分の部屋に閉じこもりがちになり,夜遅くまでテレビを見て,日中も寝ているという生活を送るようになった。自分から家族に話をすることも少なくなった。 ケまた,被告人には,この前後ころ,自分の衣類を燃やすという行動がみられた。その理由について,被告人は,「汚いから」(甲16,第2回公判,当時母親が聴取),「着ていた服が古くなっていらなくなったから」(乙2),「汚れたり破けたりしたから」(第2回公判)などと供述している。 コ被告人は,同年12月31日,所持金もない状態で突然家出をし,小倉駅で寝泊まりし,平成17年1月3日,家族の捜索願を受けていた警察に保護された。被告人はこの理由について「親と一緒にいるのが苦痛にな」った (乙2)などと供述している。 母親は,被告人の精神病を疑い,同月,I病院という精神病院で被告人に診察を受けさせたが,精神に異常はないと診断された。なお,被告人は,本件犯行に至るまで,このほかに精神科で診断ないし治療を受けていない。その後も,被告人は,昼は寝てばかりで,たまにハローワークや犬の散歩に行くという生活を送っていた。 サ被告人は,同年5月か6月ころ,毛布をライターで燃やした。この理由について,被告人は,「毛布が古かったから」(乙2)などと供述している。 被告人は,同年6月ころ,母親から注意されて,母親に暴力を振るい,これを止めに入った姉にも暴力を振るった。その際,姉が被告人の頭に噛みついたので被告人も負傷し,頭から血が出た。このときのことについて,被告人は,あまりに頭がガンガンし頭痛がするので,自分の使っていた眼鏡を床に叩きつけて壊した,姉に頭を噛み付かれて血が出てきて,そのまま布団で寝たら,掛布団や敷布団,毛布に血がついてしまった,血の付いた布団に寝るのは嫌だなあ,もう要らないと思い,布団等を燃やした(乙2 に叩きつけて壊した,姉に頭を噛み付かれて血が出てきて,そのまま布団で寝たら,掛布団や敷布団,毛布に血がついてしまった,血の付いた布団に寝るのは嫌だなあ,もう要らないと思い,布団等を燃やした(乙2,第2回公判)などと供述している。 シそのほか,被告人の部屋からベッドやテレビがなくなっていたので,母親が尋ねたところ,被告人は「焼いた」と言っていた。被告人は,テレビを焼いた理由については,「どういう理由かは思いだせない」(乙2),ベッドを焼いた理由については,子どものころ使っていた木製のベッドがあったが,古くて使い物にならなかったので,こんな使えないベッドは燃やしてしまおうと考え,ベッドを燃やした(乙2)などと供述している。 ス被告人は,同年5月ころ,姉に叱責され,家から追い出されたところ,そのまま家出し,3日後に警察に保護された。 セ被告人は,同年5月下旬ないし6月ころ,家族の田植えを手伝い,祖父と苗箱を軽トラックで運んだり,苗箱を洗ったりした。田植えが終わったころ から,だんだんと部屋から出てくることも減り,犬の散歩などは頼めば行ってくれるが,食事も入浴も,両親が寝てからするようになった。 ソ被告人は,同年9月ころ,家にあったテレビの画面を叩き壊した。被告人は,この理由について「このときも頭の中がガンガンと痛くなり,それで居ても立っても居られなくなり,テレビの液晶画面を拳で叩き割って壊しました」(乙2),「(テレビが)ちょうどたまたまあったんで」,「イライラが少しありますけど」(第2回公判)などと供述している。 被告人は,このころから,家族が話しかけても全く話をしなくなり,家族が1階にいるときは,部屋から全く出てこなくなった。また,シャツとトランクスだけで過ごすようになり,頭髪も伸び放題となっていた。 タ被告人は,同年9月ころ 家族が話しかけても全く話をしなくなり,家族が1階にいるときは,部屋から全く出てこなくなった。また,シャツとトランクスだけで過ごすようになり,頭髪も伸び放題となっていた。 タ被告人は,同年9月ころまでは,履歴書を送ったりハローワークに行くこともあったが,同年10月ころ以降は,仕事を探すことも全くしなくなった。 母親は,仕事を探すのを止めた被告人に対して,何度か被告人の部屋に入り「早く,仕事を探しなさい」などと注意したが,被告人は,その度に,「来るな」と言って母親を蹴り,部屋の外に追い出した。 チ被告人は,父親によれば,同年6月ころから,母親によれば,事件の1,2か月前ころから,母親が作った料理を食べないようになり,夜間に自身で冷凍食品やカップ麺を調理して食べるようになった。 被告人は,本件犯行の1週間前ころ,家の襖を蹴破って穴を開けた。父親が,何にそんなに苛立っているのかを聞こうと,部屋から出てくるように声をかけ,手を引っ張ってリビングに連れて行こうとしたが,被告人は応じなかった。この理由について「このときも,私の頭の中がガンガンして,どうしようもなくなり,家の襖を足で蹴って穴を開けました」(乙2),「まあイライラしてて」,「(イライラの原因は)全くない」(第2回公判)などと供述している。 (2)本件犯行状況等 被告人は,本件犯行当日,寝ているときに電話が鳴ったが誰も出ないので,家には自分以外に誰もいないと思った。昼ころ目覚め,家に火を点けることを決意してから,シャワーを浴び,顔を洗ったり歯を磨いたりし,台所にあったパンを食べ,ベーコンをフライパンで焼いて食べ,フライパンを洗った。その後,ほうきなどを使って部屋の掃除をした。被告人は,仏壇の前にあるテーブルのマッチを取り,自分の部屋に戻った。押入の前に立ち,押入の中の毛布にマッチ フライパンで焼いて食べ,フライパンを洗った。その後,ほうきなどを使って部屋の掃除をした。被告人は,仏壇の前にあるテーブルのマッチを取り,自分の部屋に戻った。押入の前に立ち,押入の中の毛布にマッチで火を点けた。 本件で全焼したAの居宅は,木造瓦葺き2階建て建物であり,農村地帯で一般住宅が散在する中の一角にある。同居宅の南側は,ブロック塀を隔てて隣家に接している。そのほか,同居宅の周囲には,道路を隔てて建物が存在する。 (3)犯行後の状況等毛布が燃え始めたので,被告人は,マッチを元あった仏間に戻し,自分の部屋に戻ってきて,火の点いた毛布の入っている押入を背にして,あぐらをかいて座った。その後,その場から離れて隣のリビングに行き,窓を開けてリビングの先の濡縁に腰掛けた。近所に住むBが,火に気付き,被告人方の1階を見たところ,被告人が,リビングの前にある濡縁に腰掛けて頭を下げた状態でじっとしていた。被告人に対し,「早く逃げんかえ」と大声で言ったが,被告人は,全く話を聞こうとしなかった。上記Bは,被告人の近くまで行き,再び「早く逃げんかえ。車も移動させた方がよい」と言った。被告人は,「燃えてもよい」と言いながら濡縁から離れ,庭の方へ移動し,家が燃える様子を見ていた。2階の窓からも黒い煙がモクモクと外へ出ていた。同じく近所に住むKが,「何しよんのかえ。家の中に誰かおるんかえ」と言ったが,被告人は,ボンッ,ボンッという爆発音が聞こえているのに,ぼーっとした感じで取り合おうとしなかった。上記Kは,更に「あんた車動かさんかえ。車を動かさないと燃えてしまう。犬も焼ける」と言ったが,被告人は,「車の鍵は家の中じゃ,動かせん。犬も死んでもいい」と無気力な感じで答えた。 その後,消火活動が行われたが,被告人が消火活動に加わることはなかった。 被告人は,警 犬も焼ける」と言ったが,被告人は,「車の鍵は家の中じゃ,動かせん。犬も死んでもいい」と無気力な感じで答えた。 その後,消火活動が行われたが,被告人が消火活動に加わることはなかった。 被告人は,警察官から事情を聞かれ,「マッチで火を点けた」などと説明した。 (4)その後の事実経過等ア平成17年11月15日,C医師は,約70分間,被告人の診察を行った。 同医師作成の精神衛生診断書(甲20)によれば,「事理弁別能力に影響を与えるほどの知的障害はないと思われる」,「平成16年7月ころより次第に人格変化が起こり,家族を含め他人との交流を避け,ほとんど会話をせず引きこもり,母親に気に入らないことを言われると暴力を振るうなど,以前では考えられない行動をとるようになり,全く違う性格になった」,「統合失調症の陰性症状である感情鈍麻,意欲障害,思考の浅薄化,人格の崩壊などがあると思われる」,「問診の限りでは,明らかな幻覚や妄想はない。独語や空笑も認めない。しかしながら,以上のような明らかな人格崩壊が平成16年7月以降起きていることから,診断としては統合失調症の単純型を疑わざるを得ない」,「犯行時の意識は清明であったと推察される」,「放火は悪いことであり,放火すると逮捕されることは理解していた上で行ったことであり,犯行当時,ある程度の事理弁識能力は保たれていたと思われる」,「思考の浅薄さや行動の安直さは統合失調症の症状であり,その影響下で犯行が行われたと思われる。幻覚や妄想に左右された結果の犯行ではないが,統合失調症と本件犯行は無関係ではない」,「単純型のほか,破瓜型である可能性もあり,鑑別を要す。また,幻覚妄想は診察場面でははっきりしなかったが,火に執着していることや,窓の障子を閉め切った生活をしていることなどから,何らかの体験症状がある疑いもある ,破瓜型である可能性もあり,鑑別を要す。また,幻覚妄想は診察場面でははっきりしなかったが,火に執着していることや,窓の障子を閉め切った生活をしていることなどから,何らかの体験症状がある疑いもある」とされる。 イ被告人は,平成17年11月25日,起訴された。 ウ被告人は,平成18年5月23日から同年7月7日まで,D鑑定人による精神鑑定に付された。D鑑定人は,同年8月28日,鑑定書(弁5)を提出した。同鑑定では,被告人は,平成11年にF鉄工所を退職したころから平 成16年11月にHを退職したころまでの間のいずれかの時点で,単純型統合失調症を発症していた。感情鈍麻,無為・無気力で目的欠如,思考障害,自己や周囲への関心欠如,引きこもり等が著名となり,著しい人格変化を来した。被告人は,本件犯行当時,是非善悪の判断能力が著しい程度に障害されており,是非善悪の判断能力に従って行動する能力を喪失していたと推測されると結論付けられている。D鑑定人は,第3回公判において,鑑定書と同趣旨の証言をした(以下「D鑑定」という。)。 エ被告人は,E鑑定人による再度の精神鑑定に付され,平成19年7月12日から同年8月10日まで,J病院という精神病院に入院した。被告人は,この入院中,E鑑定人との面接において,平成16年10月ころから,後頭部から何か声が聞こえるようになった。そのため作業に集中できなくなり,仕事を辞めた方がいいと思って,同年11月に退職した。平成17年9月中旬から,頭の中がガンガンする頻度が増し,テレビの画面や壁や襖から人の声が聞こえてイライラが増すようになった。本件犯行当日,仕事や家族のことを考えると庭木からも声が聞こえて来るようになってイライラ感が高まった。本件犯行後,ぼーっとしたまま樹木の方から聞こえてくる声を聞きながら消火活動を見てい うになった。本件犯行当日,仕事や家族のことを考えると庭木からも声が聞こえて来るようになってイライラ感が高まった。本件犯行後,ぼーっとしたまま樹木の方から聞こえてくる声を聞きながら消火活動を見ていたなどという話をし,初めて,幻聴の存在をうかがわせる供述をした。 E鑑定人は,平成19年9月4日,鑑定書(弁12)を提出した。同鑑定書においては,平成16年10月ころから,幻聴が出現していたことを前提として,被告人は,本件犯行当時,軽度精神遅滞であって,かつ,破瓜型統合失調症に罹患していたため,是非弁別能力及び行動制御能力を喪失していたと結論付けた。E鑑定人は,第6回公判において,鑑定書と同趣旨の証言をした(以下「E鑑定」という。)。 責任能力の判断(1)生物学的要素について アD鑑定人は,鑑定に際し,一件記録や在学時代の通知表等を検討した上で,心理学的検査や被告人との面接,両親からの聴き取りを実施して鑑定を行い,E鑑定人は,D鑑定を吟味した上で,被告人との面接を実施して鑑定を行っているところ,両鑑定ともに,十分に鑑定資料を収集した上で鑑定を行っている。両鑑定人ともに,鑑定の経験は豊富であって,鑑定人としての能力に問題もない。被告人の病状を診断するに当たって用いている基準についても,D鑑定では,ICD-10を,E鑑定ではICD-10に加えてDSM-Ⅳを採用しているところ,いずれの診断基準も,広く使われている信頼性のある基準である。 イところで,D鑑定は,被告人には,思考障害や,感情鈍麻,無為・無気力で目的欠如,奇異な行動,自己や周囲への関心欠如,引きこもり等の陰性症状が顕著であり,真面目で温和という本来の性格からはあたかも別人になったような著しい人格変化を起こしていたことから,ICD-10の(h)(i)の要件を充足するとして,単 心欠如,引きこもり等の陰性症状が顕著であり,真面目で温和という本来の性格からはあたかも別人になったような著しい人格変化を起こしていたことから,ICD-10の(h)(i)の要件を充足するとして,単純型統合失調症であったと判断している。これに対し,E鑑定は,著しい人格変化を起こしていたという点に加え,幻聴が存在したことを認定した上で,ICD-10については(b)(c)(h)(i)の各要件を充足し,DSM-Ⅳの各要件も充足するとして,破瓜型統合失調症であったと判断している。因みに,ICD-10によれば,(h)は,著しい無気力,会話の貧困及び情動的反応の鈍麻あるいは状況へのそぐわなさなど,通常社会的ひきこもりや社会的能力低下をもたらす,(i)は,関心喪失,目的欠如,無為,自己没頭及び社会的ひきこもりとしてあらわれる,個人的行動のいくつかの側面の質が全般的に,著明で一貫して変化する,(b)は,支配される,影響されるあるいは抵抗できないという妄想で,身体や四肢の運動や特定の思考,行動あるいは感覚に関するもの,それに加えて妄想知覚,(c)は,患者の行動にたえず注釈を加えたり,患者のことを話し合う幻声あるいは身体のある部分から聞こえる他のタイプの幻声という各症状を指し,統合失調症の診断のために通常必要とされるのは,(a)から(d)のいずれかに属する症状のうち少なくとも1つ の明らかな症状(十分に明らかでなければ,普通2つ以上),あるいは(e)から(h)の少なくとも2つの症状が,1か月以上,ほとんどいつも明らかに存在していなければならないとされ,また,(i)は単純型統合失調症の診断にだけ用い,少なくとも1年間の持続が必要であるとされる。 被告人の陰性症状が著明であって,著しい人格変化を起こしており,ICD-10の基準に当てはめると(h)及び(i) i)は単純型統合失調症の診断にだけ用い,少なくとも1年間の持続が必要であるとされる。 被告人の陰性症状が著明であって,著しい人格変化を起こしており,ICD-10の基準に当てはめると(h)及び(i)の各要件を充たし,(i)の症状が犯行時において約1年間持続していたことについては,D鑑定及びE鑑定で共通している。両鑑定とも,被告人がHの工場を辞めてからの引きこもりの状況,国道に自動車を放置する,衣類や家具などを燃やすなどの行動,2回の家出を行っていることなど,犯行前の被告人の生活状況や,本件犯行の際の言動,面接の際の被告人の応答,ロールシャッハテスト等の心理学的検査の結果を踏まえた上で,上記各要件を充たすことを検討しており,その判断は,合理的であって基本的に信用することができる。 なお,ICD-10によっても,単純型統合失調症については,確信をもって診断することが困難であるとされているところではあるが,以上にかんがみれば,本件犯行当時,被告人が単純型統合失調症に罹患していたとするD鑑定の信用性を排斥することはできないというべきである。また,D鑑定においては,被告人がHの工場を辞めた理由,テレビを壊した理由,家出をした理由等を検討するにあたって,自己との面接における被告人の供述を重視し,被告人が別の機会に異なる説明をしていることを軽視している部分もあるが,後述のとおり,被告人のその余の言動等からも被告人の人格変化は十分うかがわれるところであるし,D鑑定も上記被告人の供述のみをもって人格変化を根拠付けているものでもない。加えて,E鑑定においても,ICD-10の(h)及び(i)の要件を充たすことは問題ないとされているところであって,上記供述の取捨選択が結論を左右するものとは考え難い。 ウ他方,E鑑定は,D鑑定と異なり,被告人に幻聴が存在したと D-10の(h)及び(i)の要件を充たすことは問題ないとされているところであって,上記供述の取捨選択が結論を左右するものとは考え難い。 ウ他方,E鑑定は,D鑑定と異なり,被告人に幻聴が存在したと認めている ところ,被告人は,E鑑定人との面接以前には,幻聴の存在について話をしていない。被告人は,幻聴について話をしなかった理由について「聞かれなかったから」などと述べているが,統合失調症を疑うD鑑定人らが幻聴に関し全く質問しなかったとは考え難い。 しかしながら,被告人の知能の程度や供述態度に照らし,被告人が自己に有利になるよう嘘をついているものとは認め難く,両鑑定人とも被告人が作為的に虚偽の供述を述べている可能性を否定している。被告人が述べる幻聴の内容は不明瞭なものであること,被告人の知能の程度及び言語障害があることなどからすると,E鑑定以前にも幻聴について一応聞かれてはいたものの,明確に供述しなかった可能性を否定できない上,病院に入院させて行動観察を行ったE鑑定人が,空笑を認めて幻聴の存在を疑い,同じ趣旨の質問を形を変えて繰り返したため,被告人がはじめて幻聴について供述したとしても不自然ではない。また,幻聴があったことは,被告人が,捜査段階から「頭がガンガンする」,「イライラする」から物を壊したり燃やしたりしたと繰り返し供述していたことと符合する面があり,被告人が,E鑑定人との面接において,頭がガンガンすると刑事さんに話したことと声がすることとは似ているかと聞かれ,「似ているかもしれません」と答えていることにも整合する。 以上からすれば,本件犯行時,被告人に幻聴があった可能性を否定できないというべきである。 もっとも,幻聴が存在することを前提としても,ICD-10の(b)の基準を満たすかどうかについては,E鑑定人自身微妙であると述 本件犯行時,被告人に幻聴があった可能性を否定できないというべきである。 もっとも,幻聴が存在することを前提としても,ICD-10の(b)の基準を満たすかどうかについては,E鑑定人自身微妙であると述べている。しかしながら,被告人が,D鑑定人との面接において,布団等を燃やした理由について「なぜ燃やしたのかよくわからないです。操られているような感じがしました」と述べていることからすると,同基準を満たす可能性は否定できず,また,E鑑定人は,DSM-Ⅳの要件を充たしているかをも検討の上,破瓜型統 合失調症に罹患していると判断しているのであるから,その鑑定結果の信用性をただちに排斥することはできないというべきである。 エなお,被告人は,平成17年1月に,精神病院において異常はないとの診断を受け,家族もそれ以上精神障害を疑わなかったようであるが,被告人の幻聴が明確なものではなく,外部から認識し難い陰性症状が中心であったためと考えられ,そのような事実から被告人が統合失調症に罹患していたとするD鑑定及びE鑑定の信用性を否定することはできない。 オ以上によれば,本件犯行当時,被告人は,単純型ないしは破瓜型の統合失調症に罹患していたものと認めることができる。 (2)心理学的要素についてア精神の障害の状況(ア)被告人は,平成16年11月ころ,国道を運転中にガソリンがなくなったので,交通量の多い上記国道に車を乗り捨て,数時間かけて会社の寮まで歩いて帰り,その後どこにも連絡しないというような行動をとっていたのであるから,その時点で,適切な状況判断と自己のなすべき行動を十分には理解することができない状態であった可能性がある。その後,自分の衣類,テレビ,ベッドなどを燃やすという行動が出現しているが,燃やした理由について,被告人は,汚いから,古くていら すべき行動を十分には理解することができない状態であった可能性がある。その後,自分の衣類,テレビ,ベッドなどを燃やすという行動が出現しているが,燃やした理由について,被告人は,汚いから,古くていらなくなったから,古くて使い物にならなかったからなどと説明している。こうした説明は,一見,物を廃棄する理由として合理的とも思えるが,本当に廃棄する必要があったのか疑問である上,わざわざ燃やす理由も明らかではなく,正常な判断に基づく行動であるとはにわかに考え難い。以上によれば,被告人の知能の程度を考慮しても,正常な思考過程をとっていたとは認め難く,現実的・合理的な判断ができない思考障害が存在していた可能性を否定できない。 (イ)被告人は,平成16年11月ころから,自分の部屋に引きこもって,昼夜逆転した生活を送るようになり,家族に対して話しかけることも少なく なり,平成17年6月ころからは,部屋から出てくることも減り,食事や入浴も両親が寝てからするようになっている。平成17年9月ころからは,家族が話しかけても全く話をしなくなり,家族が1階にいるときは,部屋から全く出ず,ほぼ完全な引きこもりとなり,トランクスとシャツだけで過ごし,頭髪も伸び放題で,自己の身体的保清にも気を遣わなくなっていた。以上の生活状況に照らすと,自閉,意欲低下,無気力状態が顕著となっていたものと認められる。 確かに,平成17年6月には,田植えの手伝いをしているが,単発的な出来事である上,作業の内容も苗箱を洗ったり,軽トラックで運ぶなどしたという単純な作業であって,他人との意思疎通がそれほど必要な作業でもないから,被告人がその当時から引きこもりがちであったことを否定する事実とは言い難い。また,被告人は,平成17年9月ころまでは就職したいという希望を持っており,実際にそのころ それほど必要な作業でもないから,被告人がその当時から引きこもりがちであったことを否定する事実とは言い難い。また,被告人は,平成17年9月ころまでは就職したいという希望を持っており,実際にそのころまでは就職活動を行っているが,ほとんど自分の部屋から出ることなく,家族とも会話をしていなかったという状況であり,就職活動といってもたまにハローワークに行くという程度であって,勤労意欲のうかがえる態様ではない。しかも,犯行の1か月前である10月以降は,就職活動すらしなくなったというのであるから,犯行時における被告人の自閉,意欲低下,無気力状態は明らかである。 (ウ)被告人は,平成16年12月31日と平成17年5月ころに家出をしているところ,いずれも,所持金のない状態で家出をして,野宿するなどして過ごし,3日後に捜索されて発見されているが,家を出てからどのようにして生活するかということについて,具体的な考えを持っていたとはうかがわれず,さらには,家出中の苦労や不安についても具体的なことは何ら語っていないことからすると,被告人が自己の現在の状況や将来について無関心であったことがうかがわれる。また,父親の悪性腫瘍や姉の仕事 等も全く知らないと述べ,本件犯行時には,焼け死にそうな飼い犬を助けるように言われてもそのまま放置していることなどからすると,他者に対する無関心及び共感性の欠如もうかがわれる。加えて,犯行の数週間前に,母親が被告人の部屋に入って「仕事を探しなさい」と注意したところ,被告人は「来るな」と言って,母親を蹴り,部屋の外に追い出したり,自室の襖を蹴破るなどしており,攻撃性が出現している。 (エ)もっとも,被告人は,一貫して家族に対する嫌悪の情を述べているのであるから,被告人が他者に対する関心を失っていたというのは妥当でなく,引き の襖を蹴破るなどしており,攻撃性が出現している。 (エ)もっとも,被告人は,一貫して家族に対する嫌悪の情を述べているのであるから,被告人が他者に対する関心を失っていたというのは妥当でなく,引きこもりや家出についても家族に対する嫌悪感の表出であって,病状の表象ではないとも考えられないではない。この点,捜査段階では,両親が嫌いな理由について,「一人にしてほしいにもかかわらず,いろいろと口出しをしてきたりして,とにかくうるさいから嫌いである」(乙7),「いつだったか良く覚えていませんが,私が部屋で寝ているにも関わらず,父親や母親が私の部屋に入ってきて,起こされたことで,とても頭にきました。この出来事が,私の中で一番親を嫌いになった理由で,今でも根に持っています」(乙2)などと供述している。確かに,仕事に就くことができないストレスを抱えているときに,親からうるさく注意されれば,これを疎ましく感じ,嫌悪感を抱くということもあり得ないではない。しかしながら,従前は,特段の諍いもなく良好な関係であったのに,親と顔を合わせないように親が寝てから食事や入浴をしたり,最終的には,親が作った料理に一切手をつけないようになったというのは,極端に過ぎ,しかも,そうした奇異な生活を相当長期間送っているというのであるから,これを単に親からうるさく言われることに対する嫌悪感や仕事に就くことができないことによるストレスのみで説明することは困難である。寝ていたところを起こされたからというのも,これほどまでに家族を嫌悪する理由としては納得のいくものではない。捜査官から,家族のどういうところが 嫌いなのか,もっと詳しく話をして欲しいとも質問されているが,「今私が話をしたくらいです。私は,今まで,家族からひどいことを言われたり暴力を振るわれ続けたりしたことはありま のどういうところが 嫌いなのか,もっと詳しく話をして欲しいとも質問されているが,「今私が話をしたくらいです。私は,今まで,家族からひどいことを言われたり暴力を振るわれ続けたりしたことはありません」(乙4)と述べているところであって,他に被告人が両親を嫌悪する理由もうかがわれない。さらには,両親以外の姉や祖父母をも嫌悪する明確な理由もうかがわれない。 そうすると,被告人の家族に対する嫌悪は,病勢が強く影響していると考えるのが相当であって,感情の発露が適切に機能していないという感情障害の現れであるとするD鑑定は説得的である。 (オ)以上によれば,被告人の陰性症状は著明であるというべきであるが,この判断は,平成17年11月15日に診察したC医師が,面接において「いろいろな質問をしてみたが,返答は短く,会話内容が深まらない。かといって反抗や拒絶をしている様子はない。犯行時の心境に言及してみても,感情の起伏はほとんど伝わってこない。『それは全くありません』など,同じ簡単な返答を繰り返すことが多い。全体に浅薄な印象が強い」という状態であったと述べていることや,D鑑定が,鑑定の面接において「最も特徴的な所見は,感情の鈍麻,自己の状況に無関心な点にあった」,「面接の最中にしばしば欠伸をし,途中で休みにすると直ぐに机に突っ伏してしまい,放火で拘留中の人物とは思えないくらいに全く緊張感を感じさせず,自己の置かれた状況に関心がなかった」,「質問には拒否することなく返答するが,考える時間を置くことなく『分からない』と返答することが多く,感情が込められていない表面的・その場限りの返答に終始し,他人事のようにしゃべった」としていることにも符合する。 (カ)そして,以上のとおり,統合失調症の中核的要素である陰性症状が著明であるところ,被告人は,発症後,全 表面的・その場限りの返答に終始し,他人事のようにしゃべった」としていることにも符合する。 (カ)そして,以上のとおり,統合失調症の中核的要素である陰性症状が著明であるところ,被告人は,発症後,全く治療も受けていなかったのであるから,本件犯行当時,統合失調症の急性期にあったと認めるのが相当である。 イ本件犯行の動機について要するに,被告人は,一緒に暮らしている家族が嫌いであったことや仕事を探しても見つからず,親が小遣いをくれなくなったので仕事探しをすることもできず,何もすることがないことからイライラが募り,家に火をつければスッキリするし,火を点ければ,逮捕されて刑務所に入ることになり,家族と顔を合わせなくてすむことから,火を点けたと述べている。また,E鑑定人との面接や第7回公判においては,後頭部から声が聞こえてきてイライラしていたということも理由として挙げている。 家族に対する嫌悪感や就職できないことからくるストレスから火を点けたということや,刑務所に入ってしまえば家族と顔を合わせなくてすむということは,非常識ではあるが,それなりに筋が通っており,直ちに了解不可能とまでは言い難い。 しかしながら,前述のとおり,被告人の家族に対する嫌悪感自体が,統合失調症に起因する感情障害による強い影響を受けていたと認められる。仕事が見つからないことへのストレスという点についても,就職活動をしたが何度か断られたとの事実はうかがわれるところではあるが,被告人は,平成17年6月ころから引きこもるようになっており,同年10月ころからは仕事を探すこともなくなっていたのであって,熱心に就職活動をしていたとは認められない。就職したいとの気持ちは強かったが,何度か仕事を断られたので諦めていたとか,実際には就職活動をしなかったが,気持ちばかり焦っていたとい っていたのであって,熱心に就職活動をしていたとは認められない。就職したいとの気持ちは強かったが,何度か仕事を断られたので諦めていたとか,実際には就職活動をしなかったが,気持ちばかり焦っていたということも考えられないではないが,被告人はそのようには述べておらず,就職活動をしなくなったのは,親からお金をもらえなくなったので,就職活動をすることができなくなったからであると述べているところ,被告人は自分の車を持っていて,ガソリンも親が入れてくれていたのであるから,お金がもらえなかったことが職探しをすることができなかった理由とは考え難い。そうすると,被告人が現実を的確に把握していたのかどうか疑わしく, 仕事が見つからないことへのストレスという理由についても,思考障害の影響を受けていた可能性がある。 また,家族に対する嫌悪感や就職できないことからくるストレスという動機が了解可能であるとしても,そのために家に火を点けるということに飛躍があることは否定できないし,被告人が,「家に火を付けて燃やすのも,テレビ等を燃やすことと同じで,特別どうこういうものではありません。テレビもベッドも家も私にとっては,要らないものです」(乙3)と述べていることからすると,事の重大さをどれほど認識していたのかに疑問がある。犯行前には,汚くなったからなどという理由で衣類やベッドなどを燃やすという奇異な行動が繰り返しみられる上,親に対して暴力を振るったりするなどの攻撃的な性格に変化していたこと,警察に捕まることや刑務所に服役することへの不安のようなものが全く感じられないことからすると,情動的に犯行に至った可能性も否定することができない。加えて,E鑑定及び第7回公判においては,被告人は,幻聴によってイライラしていた旨供述しているところ,前述のとおり,幻聴が被告人にとって すると,情動的に犯行に至った可能性も否定することができない。加えて,E鑑定及び第7回公判においては,被告人は,幻聴によってイライラしていた旨供述しているところ,前述のとおり,幻聴が被告人にとって不快なものであり,「頭がガンガンする」,「イライラする」原因になっていることは否定できず,幻聴のせいで「イライラ」が耐え難いものとなり,本件犯行に及んでしまった可能性も否定できないというべきである。 以上によれば,本件犯行動機は,一見了解可能にみえるものの,統合失調症の強い影響のもとに形成されたものである疑いがあり,その影響を抜きにしても了解できるところがあるとはただちに言い難い。 ウ犯行の計画性(ア)被告人は,捜査段階において,イライラしてストレスがたまっているので,今年の10月中旬ころから,いつかは家に火を点けて,何もかも燃やしてしまおうと考えていたが,それを実行する勇気もなく,周りにあるものに八つ当たりしていた(乙8)などと供述している。また,犯行当日は, 被告人は,家に誰もいないことを認識した上で本件犯行に及んでおり,D鑑定においては,「(なぜ火を点けようと思ったのか聞かれ)いつでも良かったけど,誰もいないときに火を点けようと思った」と答え,E鑑定においては,「(火を点けたのは)家に誰もいなかったからです」と答えている。一方で,家に家族が残っていたら火を点けていたかと聞かれ「わかんないです」と答えている。 捜査段階の供述によれば,被告人は,犯行日以前から,家に火を点けることを考えていたことがうかがえるが,その時期や方法を具体的に計画していたものではない。犯行当日の朝に電話が鳴って誰もいないことがわかったのにそのまま寝ているなど,家族がいなくなるときを待って計画を実行に移したというわけでもない。してみると,本件犯行当日,前日か ていたものではない。犯行当日の朝に電話が鳴って誰もいないことがわかったのにそのまま寝ているなど,家族がいなくなるときを待って計画を実行に移したというわけでもない。してみると,本件犯行当日,前日からのイライラがかなり高じていたところに,たまたま家族が誰もいないことに気付いたことから,イライラを解消するため家に火を点けようと考えたにすぎないと理解するのが適当であるように思われる。 さらに,D鑑定人は,当公判廷において,被告人が家に人がいないときに犯行に及んだのは,家族と顔を合わせるのが嫌だったからであると述べている。被告人が以前から家族がいなくなるときを待っていた事情もないこと,被告人が家族との一切の接触を拒絶していたことからすると,D鑑定人の当該見解には首肯できるものがある。そして,同見解を前提にすると,家族がいないから犯行に及んだという事実は,統合失調症の影響により家族との接触を避けるようになっていた被告人の行動傾向が端的に発現したものということもできる。 (イ)また,家に誰もいないことを知って火を点けようと考えてから,すぐに実行に移さず,シャワーを浴びたり歯磨きをしたり,パンを食べたりベーコンをフライパンで調理して食べたりしていることについて,被告人は,捜査段階において,「私は,いつもそうなんですけど,こうしようと決め てからも,すぐにはそれを実行しないで,しばらくして実行するんです。 それにこのときは腹も減っていましたし,しばらく家に家族が帰ってくることもないと思っていましたから,別に急いで火を点ける必要もなかったんです」などと述べており(乙8),この供述によれば,被告人には一定の行動制御能力が働いていたかにも思われるが,放火を決意しながら,上記のような行動を平然ととっているのは,むしろ奇異というべきであって,被告人は, べており(乙8),この供述によれば,被告人には一定の行動制御能力が働いていたかにも思われるが,放火を決意しながら,上記のような行動を平然ととっているのは,むしろ奇異というべきであって,被告人は,自己の欲求を押さえることができないままに,とりあえずしたいと思った行動をとっていたとも考えられる。 (ウ)以上によれば,責任能力を判断するにあたって,被告人が従前から火を点けることを考えていたことや,火を点けようと考えてからもただちに実行せず他のことを行っていたことを過大に評価すべきではない。 エ犯行態様,犯行後の行為等犯行方法そのものは,仏壇に置いてあったマッチで居間の押入の中の毛布に火を点けたというもので,特段異常性はない。そのような手段を選んだ理由についても,以前毛布を燃やしたからよく燃えることがわかっていた,マッチを使ったことがあったのでマッチで十分だと思ったと供述するなど(乙8),被告人には,ある程度の合理的な思考が残っていたことがうかがえる。 また,被告人は,犯行当時の記憶を保持しており,犯行時の意識が清明であったと認められる。 しかしながら,これらの事情は,統合失調症の急性期にあることと矛盾するものではない。しかも,一方で,被告人には,家に火を点けることを決意してから部屋の掃除をしたり,火を点けてからマッチをもともとあった仏間に返しに行くなど,奇異な行動が認められる。火を点けた押入を背にしてあぐらをかいて座っていることも,普通では考え難く,危険な行為である。この点,被告人は,「火の点いた場所に背を向けるのは危ないことだと思うかもしれませんが,これも特に理由はなく,ごく自然なことです」と述べてい る(乙3)が,不可解というほかない。その後,被告人は,まだ炎は見えていなかったが,煙が充満していて中が見えない状況であったリビング せんが,これも特に理由はなく,ごく自然なことです」と述べてい る(乙3)が,不可解というほかない。その後,被告人は,まだ炎は見えていなかったが,煙が充満していて中が見えない状況であったリビングの前にある濡縁に腰掛けて頭を下げた状態でじっとしており,また,家の中から煙がモクモクと上がり,ボンッ,ボンッという爆発音が聞こえている状況下であるにもかかわらず,家の近くでぼーっと立っていたと認められる。これら被告人の行動は非常に危険な行動であり,被告人は,まだ自分のところまで炎が迫ってきてなかったので逃げなかったと述べているが,状況判断や危険を回避するための合理的な行動を取り得ていなかった可能性があるといわざるを得ない。 オ違法性についての認識(ア)被告人は,捜査段階において,本件犯行の違法性につき,次のように供述している。 ⅰ悪いことをしたとは思っていますねぇ。しかし,家族に悪いことをしたとは思っていません。反省などしていません。家に火を点けたり悪いことをすれば,警察に通報されます。警察に捕まって刑務所でも入れば,親の顔も見なくて済むと思いました。当然のことをしただけですねぇ。 家に火を点けるというのは,悪いことだ。悪いことをすれば,警察に捕まってしまう。警察に捕まったら,牢屋に入れられる。刑務所に入れられるかもしれない。(以上,乙3)ⅱ燃えた家を見ても,家族に悪いことをしたなあという気持ちはこれっぽっちも思い浮かびませんでした。家が燃えてしまって良かったなあと思いました。(以上,乙4)ⅲ私は,家に火を点けるというのが,してはならないことであって,そんなことをすれば警察に捕まって刑務所に入ることになることは分かっていました。(以上,乙8)(イ)被告人は,第2回公判において,次のように供述している。 (洋服やテレビ等 いことであって,そんなことをすれば警察に捕まって刑務所に入ることになることは分かっていました。(以上,乙8)(イ)被告人は,第2回公判において,次のように供述している。 (洋服やテレビ等を燃やしたりするのと家を燃やすのは違いがあるかと聞かれ)まあ同じですね。(家に火を点けたら刑務所に行くということは考えたことがありますかと聞かれ)それは少しありますね。(今まで毛布やテレビ等の物を壊していたのと今回の家に火を点けるのとは違うということが分かるか聞かれ)はい,分かります。(家が燃えると住む所がなくなるだとか,住む所がなくなったら家族が困るだろうということは考えなかったか聞かれ)そういうのは考えてないです。(家に火を点けたことについてはどう思っているのかと聞かれ)いや,悪いことは全くないですね。 はい,全くないです。(刑務所に行かないといけないことは分かるんでしょうと言われ)はい,分かりますね。(再度,悪いことをしたと思わないかと聞かれ)いや,悪いことは全くないですね。 (家に火をつけて燃やすということがいいことか悪いことかと聞かれ)まあ悪いことです。(先ほど全く悪いとは思っていないと答えた理由を聞かれ)嫌いな家なんで,別に燃やしたって,何しようが別に関係ない。 (自分の家だから燃やしていいんだということなのかと聞かれ)まあそうです。(なぜそういう考えを持つのかと聞かれ)そんなんして,普通にまあちょうど燃やしたかったんで,燃やしただけ。(何で燃やしたかったのかと聞かれ)何でって,ちょうど襖が破けた所があったんで,それで燃やしただけで。(家族に迷惑がかかることは分かっていたかと聞かれ)そういうのは全くないですね。(家族が住む所がなくなることは分かっていたかと聞かれ)まあ分かってたけど,別に関係ないんで,こっちは。 (ウ)D鑑定人との に迷惑がかかることは分かっていたかと聞かれ)そういうのは全くないですね。(家族が住む所がなくなることは分かっていたかと聞かれ)まあ分かってたけど,別に関係ないんで,こっちは。 (ウ)D鑑定人との面接においては,次のように供述している。 (家を燃やしたことをどう思っているかと聞かれ)家を燃やしたことは,関係ないです。(親の家だから悪いことだと思わないのかと聞かれ)親の家だから,燃やしても良いと思っている。(家に火を点けるのは)悪いことだと思わない。良いことでもないです。(火を点けたら警察に捕まると 思っていたかと聞かれ)そういうのは思っていました。 (エ)E鑑定人との面接においては,次のように供述している。 (火を点けたのは)悪いことをしたとは思いません。他の人の家に火を点けたわけではないから悪いことはしていません。火を点けるのが悪いことだとは知っています。他人の家に火を点けるのは悪いことです。(近所に燃え移ることは考えなかったかと聞かれ)人の家は離れているから燃え移ることはないと思いました。自分の家ならまた建てればいいと思いました。父親と母親のお金で建てたらいいです。大金がかかるかどうか分からないけど自分の知ったことではありません。 以上の供述内容からすると,被告人は,放火を,警察に捕まるような行為であるとは認識していたものの,他方で,他人の家ではないから悪いことではない,自分には関係ないと述べるなど,自己の行為が招いた結果や影響に対し極めて無関心であり,反省の情はみられない。被告人の知能の程度を考慮しても,放火という重大な犯罪を行うにあたり,自己の行為が家族にどれだけ迷惑をかけるか,周辺地域にどのような危険を招き,住民にどのような不安を与えるかというようなことについてはほとんど考えが及んでいないといわざるを得ない。また,犯行前 たり,自己の行為が家族にどれだけ迷惑をかけるか,周辺地域にどのような危険を招き,住民にどのような不安を与えるかというようなことについてはほとんど考えが及んでいないといわざるを得ない。また,犯行前に逡巡したり躊躇したりした形跡もなく,犯行後も現場をうろうろし,発生した重大な事態に対する実感が極めて乏しい様子がうかがわれる。そして,これらの事実に加え,被告人には思考障害があり,感情の鈍麻,自己及び他者への関心欠如が著しかったことを併せ考慮すれば,被告人が言う「悪いこと」,「警察に捕まる」というのは極めて表面的・観念的な認識に止まっており,家に放火するということの社会的・規範的な意味をほとんど理解できていなかったのではないかとの疑いを払拭できない。 (3)まとめ既に指摘したとおり,本件においては,被告人に犯行時の記憶の欠落や意識 障害がなく,犯行の態様も一見合目的的で,統制がとれているようにみえる。 また,犯行の動機も一見了解可能であり,違法性の認識もあったように思われる。 D鑑定及びE鑑定によれば,被告人は,単純型ないしは破瓜型の統合失調症に罹患し,行動制御能力ないしは是非弁別能力及び行動制御能力を喪失していて,責任能力がなかったとされるが,上記のような点にかんがみれば,少なくとも限定責任能力はあったとの検察官の主張にも首肯できるところがないわけではない。 しかしながら,被告人が単純型ないしは破瓜型の統合失調症に罹患していたとの両鑑定の精神医学的判断は信用することができるものであるところ,被告人は,思考障害のほか,感情の鈍麻,自己や他者への関心欠如といった陰性症状が著明であった上,発症後,全く治療を受けていなかったのであるから,その病状は急性期にあったものと認められる。そして,既に詳述したとおり,そのような陰性症状からすれば,家 の関心欠如といった陰性症状が著明であった上,発症後,全く治療を受けていなかったのであるから,その病状は急性期にあったものと認められる。そして,既に詳述したとおり,そのような陰性症状からすれば,家に放火するということの社会的・規範的な意味をほとんど理解できていなかった可能性があり,行為の違法性を認識していたとはにわかに認めがたい。したがって,被告人に是非弁別能力があったとするには合理的な疑いが残る。また,陰性症状の著しさにかんがみると,一見了解可能にみえる犯行の動機や合目的的にみえる犯行の態様も,陰性症状の影響を抜きにして理解することは困難であるともいえる。さらに,E鑑定によって指摘された幻聴の存在からすると,幻聴が犯行の動機の形成に大きな影響を与えた可能性もある。そして,そうであるとすると,是非弁別能力にとどまらず,行動制御能力があったとするのにも合理的な疑いが残るといわざるを得ない。 結論 以上より,本件犯行当時,被告人に責任能力があったと認めることはできない。 よって,刑事訴訟法336条により被告人に対し無罪の言渡しをする。 (求刑懲役5年) 平成20年5月15日大分地方裁判所刑事部裁判長裁判官宮本孝文裁判官中島崇裁判官大黒淳子

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