主文 1 原告の請求を棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求被告は,原告に対し,2000万円及びこれに対する平成10年7月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要本件は,原告が被告に対し,原告の長男の死亡につき,被告の開設する病院に勤務していた当直医が適切な診断や治療を怠ったことなどを理由として,債務不履行又は不法行為(民法709条,715条)に基づき,損害額4026万3814円の内2000万円の賠償を請求した事案である。 1 前提事実(争いのない事実と弁論の全趣旨により容易に認められる事実)(1) 原告は,妻・Aとの間に,長男・B(昭和63年4月13日生。)と長女・C(昭和60年12月30日生。)をもうけた。 (2) 被告は,肩書住所地にD病院を開設する医療法人であり,医師としてEを雇用していた。 (3) 原告は,平成10年7月25日午後6時過ぎころ,Bが地元の自治会が開催した夏祭りで提供されたカレーライスを食べた後,嘔吐を繰り返し,Cも嘔吐を始めたため,Aと共にBとCを連れてD病院に赴き,被告との間で診療契約を締結し,同日午後7時過ぎころ診察を受けた。 (4) Eは,当時,D病院で当直医として勤務しており,Bを診察し,カレーライスを食べた後に吐き気,嘔吐があると聞き,食中毒(急性胃腸炎)と診断し,輸液,制吐剤等を投与したが,Bの症状が軽快しないため,同日午後8時ころ入院させた。 (5) Bは,同月26日午前3時25分ころ容体が急変し,一般病室から集中治療室(ICU)に移され,同日午前4時10分ころ呼吸と心拍が停止し,心マッサージ等を施され,同日午前7時54分ころ死亡が確認されたが,その死亡原因は上記カレーライスに混入していた砒素による ら集中治療室(ICU)に移され,同日午前4時10分ころ呼吸と心拍が停止し,心マッサージ等を施され,同日午前7時54分ころ死亡が確認されたが,その死亡原因は上記カレーライスに混入していた砒素による中毒であった。 2 争点(1) 前提問題Eは,Bにつき,通常の食中毒ではなく,毒物等による中毒の疑いを持つか,少なくとも普通程度以上の食中毒であると認識することができたのに,安易に通常の食中毒であると診断したか。 (原告の主張)Eは,最初にBを診察したとき,Bがカレーライスを食べた後すぐ吐き気,嘔吐を起こしたとの訴えがあり,嘔吐や下痢が激しかったし,更に,遅くとも同様の症状の患者が多数発生してD病院その他の病院に搬送されたことを知ったときには,カレーライスを食べた点で共通することが分かったのであるから,毒物等による中毒の疑いを持つことができたし,少なくとも普通程度以上の食中毒であると認識できたにもかかわらず,通常の食中毒であるとの診断を変えず,カレーライスが調理された状況について問診や調査をすることなく,Bの発症原因を究明しなかった。 (被告の反論)EがBの症状が一般的な細菌性食中毒であると考えたことに医学上の問題はなかった。すなわち,Eは,Bの容体が急変してけいれんを起こし,続いて同じ症状の他の患者もけいれんを起こしたため,一般的な食中毒ではなく,毒物等による中毒の可能性が高いとの疑いを持ったが,それ以前の段階では,毒物以外でも食後比較的早く嘔吐する場合があるし,同様の症状の患者が多数で,発症原因がいずれもカレーライスであったとしても,毒物等による集団中毒の発症例はほとんどないので,毒物等による中毒の疑いを持つことができなかった。また,Eは,仮に毒物等の可能性を疑ったとしても,当時の医学水準では毒物が何であるかを究明し同定することは不 よる集団中毒の発症例はほとんどないので,毒物等による中毒の疑いを持つことができなかった。また,Eは,仮に毒物等の可能性を疑ったとしても,当時の医学水準では毒物が何であるかを究明し同定することは不可能であったから,有効な治療方法を考えることができなかった。 (2) 被告の過失1Eは,Bにつき,適切な診断をして症状を把握し,これに応じた治療を行うべきであったのに,これを怠り,血圧や心電図等の経過観察を十分に行わず,適切な昇圧剤の投与や適量の輸液を施さず,Bから救命の機会を奪ったか。 (原告の主張)Eは,Bにつき,遅くとも同様の症状の患者が多数来院したときには毒物等による中毒の疑いを持つべきであったし,これが認められないとしても,平成10年7月25日午後9時ころにはBの脈拍数が220回/分(これが間違いであるとしても,推定110回/分ないし144回/分で通常より著しく高い数値),血圧が78/48㎜Hg,体温が38.5度であり,ショック又はショック先駆状態であったので,脱水症状に対する輸液を施すだけでなく,血圧,脈拍数,呼吸数及び体温の測定や少なくとも7時間以上は尿量の検査をして治療効果の有無を確認しながら,Bの状態を改善するための適切な治療を行うべきであったのに,血圧及び心電図等の経過観察を十分に行わなかったため,適切な昇圧剤の投与や適量の輸液を施すこともなく,初期の心肺危機状態(著しい低血圧,頻脈等が継続している状態)を乗り切れず,Bに救命の機会を失わせた。 (被告の反論)Eは,Bにつき,十分な経過観察を行い,適切な治療を施した。すなわち,Eは,Bにつき,下痢や嘔吐による脱水症状のため血圧が低下していたものの,ショックとはいえず,通常の食中毒であると判断し,その場合には昇圧剤を使わないのが原則であるため,昇圧剤を投与せず輸液だけで症状 は,Bにつき,下痢や嘔吐による脱水症状のため血圧が低下していたものの,ショックとはいえず,通常の食中毒であると判断し,その場合には昇圧剤を使わないのが原則であるため,昇圧剤を投与せず輸液だけで症状の推移を観察することとし,Bにアクチット等を投与し,更にクーリングを行うなどの処置を施しながら,何回も病室を訪れてBの全身状態を観察し,血圧,脈拍数及び体温を測定したが,食中毒では通常は心電図の必要がないので,Bの容体が急変するまでは心電図による経過観察を行わなかった。なお,原告の指摘する脈拍数220回/分は,触診では測定できず,看護記録の明らかな誤記である。 (3) 被告の過失2Eは,Bの症状の重篤性や患者の多量発生等の緊急性にかんがみ,適切な経過観察と治療を行うためには,院長に連絡し,他の医師や看護婦(なお,平成14年3月以降は看護師。以下同じ。)を招集すべきであったのに,これを怠り,当直医1名と当直看護婦2名で対処したか。 (原告の主張)Eは,Bの症状が重篤であり,しかも同様の症状の患者多数が発生し,D病院にもBを含めて合計8名が搬送されたので,Bその他の患者に対する経過観察と適切な治療を行うためには,人手が不足する状態となったのであるから,速やかに院長に連絡し,他の医師や看護婦を招集すべきであったのに,これを怠り,当直医1名と当直看護婦2名で対処した。 (被告の反論)Eは,D病院において,当直医1名及び看護婦3名(当直看護婦2名と外来看護婦1名)でBその他の患者に対応したが,人手不足で必要な医療を行えないような状態ではなかったので,他の医師や看護婦の応援を求めなかった。なお,Eは,Bの容体が急変した後は,直ちに他の病棟から看護婦の応援を求めると共に,院長にも連絡して来院してもらった。 (4) 原告の損害被告が原告に賠償すべき損害額 や看護婦の応援を求めなかった。なお,Eは,Bの容体が急変した後は,直ちに他の病棟から看護婦の応援を求めると共に,院長にも連絡して来院してもらった。 (4) 原告の損害被告が原告に賠償すべき損害額はいくらか。 原告は,被告が原告に賠償すべき損害額は別紙損害計算書記載のとおりであると主張しているが,被告は,これを争っている。 第3 当裁判所の判断 1 争点(1)について(1) 証拠(甲6の1ないし3,9,12,乙1,3ないし5,10ないし12,14ないし17,19,21,23,29ないし33,42,46ないし48,証人F,同E,原告本人)及び弁論の全趣旨によると,大要,次の事実を認めることができる。 ア Eは,平成10年7月25日午後7時過ぎころ,Bを診察した際,Bが顔面蒼白で,嘔吐を繰り返しており,Bの両親からも,Bが夏祭りで提供されたカレーライスを食べた後,間もなく吐き気を訴え,嘔吐を繰り返し,腹部の痛みも訴えていると聞き,更に,同じカレーライスを食べて吐き気や嘔吐等の症状を訴える患者が何人も運ばれてきたので,発症が比較的早いし,煮込んでよく火を通したはずのカレーでも食中毒が起こるのかと疑問を感じながらも,細菌性食中毒以外の原因で特に思い付くものがなかった。 イ Eは,Bがカレーライスを食べた約1時間後から治療を開始したにもかかわらず,症状が改善する気配は全く見られず,逆に時間が経つに連れて全身状態が徐々に悪化し,同月26日午前3時40分ころには,意識状態が低下し,呼吸状態も悪化したため,Bの症状の原因が細菌性食中毒ではないかも知れないと思ったが,その他の原因について考え付くものがなく,同日午前6時ころになって,D病院の他の医師又は職員から,Bその他の患者が食べたカレーライスに毒物が混入された疑いがあるという話を聞いた。 ウ Fは,食後 が,その他の原因について考え付くものがなく,同日午前6時ころになって,D病院の他の医師又は職員から,Bその他の患者が食べたカレーライスに毒物が混入された疑いがあるという話を聞いた。 ウ Fは,食後短時間で嘔吐していることや相次いで2名の患者が心肺停止を来したことに疑問を抱き,同日午前4時30分ころ,他の病院に問い合わせたが,J医療センターでは,細菌性食中毒を考え,抗生物質(ホスミシン)の点滴をして経過は良いとのことであり,K病院からは,リンを測定したが異常ではなく,ブドウ球菌による食中毒か何かの薬物中毒かは分からないと言われ,毒物混入の情報は得られず,同日午前6時ころになり,警察から電話でシアン化合物が吐物より検出されたと連絡を受けた。 エところで,いわゆる和歌山カレー事件は,夏祭りで提供されたカレーライスに砒素が混入され,67名が受診し,そのうちBを含めて4名が死亡した事件であり,短時間で激しい嘔吐が始まったことなどから,単なる食中毒ではなく何らかの毒物中毒を疑うべきであったとの指摘もあるが,同事件発生直後は,12施設の医療機関で15名以上の医師が患者を診察しても毒物の判断に至っておらず,しかも,毒物の種類は多い上,多彩な症状が出るため,患者の治療をしながら中毒物質が何であるかを確認する方法はなかった。 オまた,食中毒とは,食品の摂取によって生じる感染性・中毒性の急性胃腸炎又は神経障害の総称であり,その原因としては細菌だけでなく,自然毒,化学物質等も含まれるものであるが,我が国の食中毒は夏期に多発しており,平成9年食中毒統計では,食中毒の病因物質が判明した事件数の94.3%が細菌性食中毒であり,化学物質によるものは0.3%に過ぎず,その中で砒素については,1940年代から1960年代にかけて散発的に急性砒素中毒の集団発生が見られ 病因物質が判明した事件数の94.3%が細菌性食中毒であり,化学物質によるものは0.3%に過ぎず,その中で砒素については,1940年代から1960年代にかけて散発的に急性砒素中毒の集団発生が見られたが,その後は砒素による自殺例が時々報告される程度であった。 カ更に,細菌性食中毒には,大きく分けて感染型と毒素型があり,サルモネラ食中毒等の感染型食中毒では,摂食から嘔吐等の症状が出るまでの潜伏期間は十数時間程度であるが,これに比べて毒素型食中毒の潜伏期間は短く,その中で代表的な黄色ブドウ球菌による食中毒では,文献上「2~6時間であり,3時間前後のことが多い」「0.5~6時間,平均2.5~3時間」「2~3時間程度」「数時間」「3~6時間」「1~5時間,平均3時間」と記載されているが,同食中毒の集団発生の事例を見ると,食後30分以内の発症例や約10分で発症した例もあったことが報告されている。 キ Bは,カレーライスを食べた後,約5ないし10分で嘔吐を始めているし,また,いわゆる和歌山カレー事件の中毒患者の多くは,短時間で症状が出ており,「嘔吐の発現はほとんどが5分以内であったが,30分以降に発症した症例もあった。」との報告がある外,I保健所が同事件の被害者中59名についてカレーを食べてから嘔吐までの時間を調査した結果は,直後と訴える者が18名(30.5%),5分後が13名(22.0%),10分後が8名(13.6%)であったが,30分以上経過して嘔吐した者も8名存在した。 クまた,黄色ブドウ球菌による食中毒は,食品中に既に存在する耐熱性毒素(エンテロトキシン)を摂取することによって生じる食中毒で,夏から初秋にかけて多発し,急な吐き気,2,3回の嘔吐,強い上腹部の痛みで始まることが多く,やや遅れて水様性の下痢が2,3回あるのが普通で,ときには嘔 トキシン)を摂取することによって生じる食中毒で,夏から初秋にかけて多発し,急な吐き気,2,3回の嘔吐,強い上腹部の痛みで始まることが多く,やや遅れて水様性の下痢が2,3回あるのが普通で,ときには嘔吐と下痢が激しく,循環障害の症状も加わり,脱水症状で血圧が低下し,唇や手足が蒼白になることがあり,発熱はほとんどないものの,まれに38度を超える発熱があって他の食中毒との鑑別が難しくなることもあり,治療方法としては,輸液等の対症療法が主体となり,重症の場合も脱水等の改善を図れば数日で回復するとされている。 (2) 上記認定の事実をもとに判断すると,我が国の食中毒は夏期に多発し,その大部分が細菌性であり,化学物質によるものは極めて少なかったこと,いわゆる和歌山カレー事件が発生した時期は,黄色ブドウ球菌による食中毒が多発する時期と重なっていたこと,上記事件発生直後は,12施設の医療機関の15名以上の医師が毒物の判断に至っていなかったこと,後記2(1)で認定したBの症状は,容体が急変するまでは,黄色ブドウ球菌による食中毒の可能性を排斥するものではなかったことなどを指摘することができる。そこで,これらの諸点を勘案すると,上記事件の中毒患者が,黄色ブドウ球菌による食中毒にしては,摂食後嘔吐までの時間が比較的短かった点を考慮しても,上記事件発生当時の平均的な救急病院の医師が,Bにつき,毒物中毒の疑いを持って発症原因を究明すべきであったとまではいえない。 したがって,Bの容体が急変するまでの症状につき,Eが細菌性食中毒の可能性が高いと判断したのは相当であり,毒物中毒の疑いを持たなかったことや他の原因による食中毒の可能性を究明しなかったことを非難することはできない。 2 争点(2)について(1) 証拠(甲5,8の1,12,乙1,29,36,37,43ないし 毒の疑いを持たなかったことや他の原因による食中毒の可能性を究明しなかったことを非難することはできない。 2 争点(2)について(1) 証拠(甲5,8の1,12,乙1,29,36,37,43ないし47,50,52ないし62,証人F,原告本人)及び弁論の全趣旨によると,大要,次の事実を認めることができる。 ア Eは,平成10年7月25日午後7時過ぎころ,Bを診察した際,意識は清明で,体温が37.2度であったが,顔面蒼白で,嘔吐を繰り返しており,脱水症状を起こすおそれがあったため,水分補給のためアクチットと制吐剤のプリンペランを点滴注入し,更に,細菌性食中毒の可能性が高いと考え,殺菌のため,生理食塩水に抗生物質であるホスミシンを入れて投与した上,経過観察の必要があると判断し,同日午後8時ころBを入院させ,何度か病室を訪ねてBの状態を観察したが,入院後もしばらく吐き気が治まらず,嘔吐を繰り返した。 イ Bは,症状が軽快せず,逆に時間が経つに連れて徐々に全身状態が悪化し,同日午後9時ころには,体温が38.5度で,血圧が78/48mmHgと低く,かなりの頻脈で,上肢冷感,熱感があり,同日午後10時ころ,水様便の下痢症状が出現した外,全身倦怠感や口渇があり,同月26日午前零時ころには,体温が38.9度で,下痢が続き,熱感があり,顔色が良くなかったものの,嘔吐が治まり,比較的落ち着いた状態であり,同日午前3時ころは,体温が38. 0度で,眠っていた。 ウ Eは,Bを入院させた後,何回か病室に赴き,額に手を当てたり脈拍を確かめたりした外,B本人や付き添っていた原告に症状を尋ねるなどし,看護婦からも血圧等について報告を受け,血圧が少し低いと思って輸液の1時間当たりの投与量を増やしたが,Bの症状については,嘔吐や下痢で脱水が進んだことによって,熱が上がり 原告に症状を尋ねるなどし,看護婦からも血圧等について報告を受け,血圧が少し低いと思って輸液の1時間当たりの投与量を増やしたが,Bの症状については,嘔吐や下痢で脱水が進んだことによって,熱が上がり,循環血液量が減少して血圧が低下するなどしたのであり,一般的な食中毒の症状と矛盾せず,輸液によって回復するものと考えていたため,継続的に血圧や尿量をモニターする装置までは装着しなかった。 エところが,Eは,同日午前3時25分ころ,Bの血圧は100/62mmHgに回復していたが,右凝視(瞳が右端に寄ったまま動かない状態)が見られ,右脳に異変が起きたことが分かった上,呼吸が時々止まるようになり,同日午前3時30分ころ,突然けいれん発作が約15秒間続き,発熱が続いていたことなどから熱性けいれんの可能性があると考え,解熱剤のボルタレンを座薬で投与し,頭部,両腋下部及び両鼠径部を同時に冷やす五点クーリングを行い,同日午前3時40分ころ,再びけいれん発作が起こったので,けいれん止めのセルシンを投与した。 オ Eは,Bの意識状態が低下し,刺激を与えても手足を少し動かしたり顔をしかめたりする程度の反応しか示さなくなり,呼吸状態も悪化したので,Bを集中治療室(ICU)に移したが,同日午前4時10分ころ呼吸及び心拍が停止したため,口から管を挿入して人工呼吸を行い,心マッサージを始めると共に,昇圧剤のボスミンや循環改善剤のソルメドロールを投与するなど,蘇生術を続けたが,同日午前4時30分ころ昏睡状態となり,そのまま回復せず,同日午前7時54分ころ死亡を確認した。 カ Bは,砒素が混入したカレーライスを食べたため,砒素により胃腸の粘膜が損傷して嘔吐や下痢を起こして脱水症状を来たし,消化管から吸収された砒素が血管を損傷し,血管の透過性亢進により大量の水分が血管外へ移 は,砒素が混入したカレーライスを食べたため,砒素により胃腸の粘膜が損傷して嘔吐や下痢を起こして脱水症状を来たし,消化管から吸収された砒素が血管を損傷し,血管の透過性亢進により大量の水分が血管外へ移行して循環血液量が減少し,砒素の血管拡張作用と相俟って,血圧の低下等を起こし,更に,消化管から吸収された砒素が血液を介して各組織に運ばれ,脳・中枢神経や心筋に作用して,けいれんや意識低下,心肺停止を来たしたものであり,遅くとも集中治療室に移されたころには不可逆的な循環不全の状態で,救命が不可能であった。 キ一般に,急性砒素中毒の場合,血圧が下降しショックを引き起こし,意識障害が出現して,早ければ24時間以内に死亡することがあり,その死因は通常不可逆的な循環不全であるが,Eとしては,Bの容体が急変するまで細菌性食中毒と考えていたし,仮に毒物中毒の疑いを持ったとしても,その毒物が砒素であることが判明したのは同年8月3日であり,これが判明しない限り,BAL(ジメルカプロール)等のキレート剤の投与その他の砒素に対する治療を行うことはできず,対症療法として,実際にBに行った治療方法と同様,輸液による循環管理を行うしかなかった。 ク Eは,B(体重35kg)に対し,外来診察時からアクチット(1本500ml)を点滴注入し始め,同年7月25日中に2本目を投与し,同月26日に容体が急変した時点では3本目を投与していたので,容体が急変するまでに合計1000ないし1500mlを投与したことになるが,細菌性食中毒の対症療法としての輸液の量は1日1000ないし1500mlとされているので,EがBに投与したアクチットの量は,10歳の小児に対する輸液の量として十分なものであった。 ケまた,Eは,砒素中毒では,心電図検査でQ-T間隔の延長,ST-T波の異常,時に不整脈が されているので,EがBに投与したアクチットの量は,10歳の小児に対する輸液の量として十分なものであった。 ケまた,Eは,砒素中毒では,心電図検査でQ-T間隔の延長,ST-T波の異常,時に不整脈が認められるので,心電図検査が不可欠であり,また,血圧が下降するため血管を確保し,十分な輸液を行い,昇圧剤を点滴に加えるものとされているが,一般的な食中毒では,心電図検査を行わないのが原則であり,尿量を測定する必要もなく,また,昇圧剤を投与するとかえって心臓に負担を掛けるため,Bの容体が急変するまでの間,心電図検査や尿量の測定をせず,昇圧剤も投与しなかった。 (2) 前記1の判断に加え,上記認定の事実をも勘案すると,Eは,Bにつき,細菌性食中毒の可能性が高いと判断したのであるが,その判断に特に問題があったわけではないし,Bが細菌性食中毒にしては重い症状を呈していたとしても,その脱水症状や血圧の低下に対処するため,外来診察時から血管を確保し,10歳の小児には十分な量のアクチットを点滴注入して水分補給するなど,具体的な症状に即した治療を行ったということができる。もっとも,Eは,Bの容体が急変するまで,心電図検査や尿量の測定を行わず,昇圧剤も投与しなかったのであるが,前記1のとおり,Bの容体が急変するまでは,Eに対し,砒素その他の毒物中毒の疑いを持つべきであったとまでは要求できないので,心電図検査や尿量の測定を行うべきであるのにこれを怠ったとはいえないし,EがBの容体急変前に昇圧剤を投与しなかったことについても,その判断に問題があったということはできない。また,Eは,仮にBについて毒物中毒の疑いを持ったとしても,毒物が砒素であることは知り得なかったのであるから,その治療方法は,輸液による対症療法が中心となると考えられ,実際にBに対して施された治療方法 た,Eは,仮にBについて毒物中毒の疑いを持ったとしても,毒物が砒素であることは知り得なかったのであるから,その治療方法は,輸液による対症療法が中心となると考えられ,実際にBに対して施された治療方法と特に違いが生じるということはできない。 なお,上記認定事実中,Bの容体が急変した時期につき,原告は,平成10年7月26日午前零時過ぎころ,Bが1回目のけいれんを起こし,その約1時間後に2回目のけいれんを起こした旨,上記認定と異なる供述をしているが,原告は,当時,腕時計をしておらず,病室にも時計はなかったと思うし,もしあったとしても気にしてなかった旨供述しているので,時間に関する原告の記憶は正確なものではなく,上記認定に影響はないというべきである。 また,Bの同月25日午後9時ころの脈拍数につき,看護記録には220回/分と記載されているが,証拠(甲10,証人E,同F,同G)によると,看護婦は,触診で患者の心拍数を数えるのが通常であるが,触診で220回/分の測定をすることは不可能であること,頻脈になると,収縮期血圧と拡張期血圧の間が狭くなって血圧の測定が難しくなるので,220回/分という頻脈のときに血圧を78/48mmHgと測定できるかどうかは疑問であること,もしBの脈拍数が220回/分であったとすれば,極めて危険な数値であるから,看護婦としては直ちに医師に告げなければならないが,Eが何らかの対応をした形跡はなく,Fも脈拍数について看護婦から報告を受けなかったことなどを指摘することができ,これらの諸点を勘案すると,看護記録中の上記記載の正確性には疑問があるといわざるを得ない。この点につき,Eは,検察官に対する供述調書(甲12)において,心拍数が1分間に220回と異常な頻脈症状が出ていたと説明しているが,Eは,証人尋問では,看護婦から脈拍数につい るといわざるを得ない。この点につき,Eは,検察官に対する供述調書(甲12)において,心拍数が1分間に220回と異常な頻脈症状が出ていたと説明しているが,Eは,証人尋問では,看護婦から脈拍数について報告を受けたものの,記憶に残るほどの異常値ではなかった旨証言しているので,上記供述調書の記載が正確であるとは断言し難いというべきである。 (3) 次に,原告の主張について補足して説明することとする。 原告は,Eが漫然とBに輸液を施すだけで,血圧,脈拍数,呼吸数及び体温の測定等により輸液の効果を確認しなかったため,適切な治療ができず,Bの救命の機会が奪われたと主張しており,確かに,EがBの血圧を継続的に測定しておらず,尿量の測定もしていないので,遺族である原告の心情としては,Eにもっと綿密な経過観察をして欲しかったと思うのも無理はないが,Bは,一時は血圧が78/48mmHgと低かったのに,その約6時間25分後には100/62mmHgに回復したこと,Bは,容体が急変する前は,特に呼吸状態に問題があったわけではないことなどにかんがみると,Eが行った経過観察や治療が適切でなかったとはいえないし,仮にEが継続的にBの血圧の変化や尿量を測定するなどして治療効果を確認したとしても,実際にBに施された治療と異なる治療をすべきであったか,具体的にどのような治療をすべきであったかがいずれも明らかでないというべきである。また,Eは,遅くともBの血圧が78/48mmHgに低下したころから輸液の1時間当たりの投与量を増やしたものと思われるが,その増加の程度は明らかでなく,仮に可能な限り大量の輸液を投与したとしても,これによって循環血液量を回復してショックに陥るのを防いでBを延命させることができたと断定することはできず,また延命されておれば当然砒素が体外に排出されて救 可能な限り大量の輸液を投与したとしても,これによって循環血液量を回復してショックに陥るのを防いでBを延命させることができたと断定することはできず,また延命されておれば当然砒素が体外に排出されて救命ができたといえるかどうかも明らかでないというべきである。 更に,原告は,平成10年7月25日午後9時ころにはBの脈拍数が通常より著しく高い数値を示し,血圧が78/48㎜Hgであり,ショック又はショック先駆状態であったので,その時点で昇圧剤を投与すべきであったと主張しており,証拠(甲9ないし11,証人G)を見ると,Eは,同日午後9時ころにはBについてショックの疑いを持つべきであり,全身管理,特に酸素吸入と大量輸液が必要であったというのであるが,この点につき,証拠(甲10,乙34,63,証人E,同F,同G)に基づいて検討すると,確かに,ショックとは,急性の全身性循環障害で,低血圧を主徴とする症候群であり,迅速で正しい治療が行われないと,不可逆性の臓器障害を起こし致死的となるものであり,ショックの一般的な症状として,顔面蒼白,虚脱,冷汗,脈拍触知不能及び呼吸不全が挙げられるが,9ないし10歳児の血圧の正常値は,平均収縮期圧が107±17㎜Hg,平均振動期圧が57±9㎜Hgであり,Bの上記血圧が低いことは確かであるとしても,異常に低いといえるかどうかは疑問である上,Bは,当時,激しい嘔吐と下痢により脱水症状を起こし,血圧が低下した状態にあったこと,Eは,Bの血圧が少し低いと思い,輸液の1時間当たりの投与量を増やしたこと,その後,Bの血圧が100/62mmHgまで回復したことなどをも考慮すると,Bが同日午後9時ころの時点でショック又はショック先駆状態であったかどうかは疑問であり,輸液に加えて昇圧剤を投与すべきであったとは断言できないし,急性砒素中毒の場 まで回復したことなどをも考慮すると,Bが同日午後9時ころの時点でショック又はショック先駆状態であったかどうかは疑問であり,輸液に加えて昇圧剤を投与すべきであったとは断言できないし,急性砒素中毒の場合,輸液や昇圧剤で循環動態を保っておれば救命が可能であったと断言できるものではないと考えられるので,結局,原告の上記主張を採用することはできない。 また,原告は,EがBに投与したアクチットは1本500mlに過ぎず,Bの脱水症状に対応した輸液の量として不十分であった旨主張しているので,これについて検討すると,Eは,Bを外来で診療したとき,アクチット(1本500ml)を点滴で1時間に60mlずつ継続して投与することとし,その旨を診療録に記載したが,その後,上記のとおりBの血圧が少し低いと思って輸液の1時間当たりの投与量を増やしたこと(乙1,証人E),看護記録中の注射欄には平成10年7月25日中にアクチット2本,同月26日にアクチット1本が投与された旨の記載があり,同年8月7日までに作成されたBの診療報酬明細書にもアクチット500mlが3本投与された旨の記載があること(乙1,64,68の1ないし9),また,看護記録中の同年7月25日20時欄と21時欄には,同年8月20日より後になって「エラスター挿入」「アクチット500」等と追加して記載されているが,その都度看護記録への記載がされるとは限らず,後で追加して記載されたとしても,そのことから直ちにその追加部分が虚偽であるとは断言できないこと(甲12,乙1,証人F),その他,原告は,EがBの入院前から点滴を始め,入院後も続けており,けいれんを起こしたときも左腕に点滴の針を刺していたと供述し,Fも,緊急呼出を受けてD病院に着いたとき,Bにはアクチット等が投与されていた旨証言していることなどを勘案すると,Eが 院後も続けており,けいれんを起こしたときも左腕に点滴の針を刺していたと供述し,Fも,緊急呼出を受けてD病院に着いたとき,Bにはアクチット等が投与されていた旨証言していることなどを勘案すると,EがBに投与したアクチットは1000ないし1500mlであり,500mlに過ぎなかったとはいえないので,原告の上記主張は採用することができない。 3 争点(3)について(1) 証拠(甲12,乙2,46,47,証人F,同E)及び弁論の全趣旨によると,大要,次の事実を認めることができる。 ア Eは,平成10年7月25日午後7時40分ころ,BやCと同様,夏祭りのカレーライスを食べて間もなく吐き気,嘔吐が始まったと訴える患者4名が救急車で搬送され,内1名を経過観察のみで治療をしないまま帰宅させ,内1名を外来での点滴のみで症状が軽快したため帰宅させた外,同日午後7時50分ころ,H(以下「H」という。)もまた,夏祭りのカレーライスを食べた後に吐き気,嘔吐が出現したと訴えて来院し,同日午後10時30分ころにも同様の患者1名が来院した。 イ Eは,一時的には患者が多くて忙しく,その症状も一様でなかったものの,特に重篤な患者がいなかったため,病院内が混乱するような状態にはなく,医師や看護婦が不足して患者の診療が不十分になることもなく,実際,上記とおりカレーライスを食べた患者8名の内6名を入院させながら,他に高血圧の患者1名をも受け入れて診察しており,同月26日午前4時ころ,Bの容体が急変したのに続いてHの容体も急変するまでは,他の医師や看護婦の応援を求めなくても対応できていた。 ウところが,Eは,上記のとおり,Bの容体が急変して集中治療室に移した後,一般病室が満室のため集中治療室に入院していたHの容体も急変し,硬直性けいれん発作が約20秒間続き,これが終了すると同 た。 ウところが,Eは,上記のとおり,Bの容体が急変して集中治療室に移した後,一般病室が満室のため集中治療室に入院していたHの容体も急変し,硬直性けいれん発作が約20秒間続き,これが終了すると同時に心肺停止状態に陥ったため,口から挿管して人工呼吸を行い,心マッサージを始めると共に,強心剤のボスミンとソルメドロールを投与したが,同時に2名の患者が重篤な状態に陥ったため,この状態が続くと一人では対応できないと判断し,看護婦を通じて院長のFに応援を要請した。 エ Eは,Hに続いてBも心肺停止状態となり,Bに気管内挿管をする際,小児用の挿管チューブがなかったため,手術室か他の病棟に取りに行ってもらったが,短時間で準備でき,その間はマスクで呼吸を維持できたため,特に問題はなく,心電図についても,ポータブルの心電図の調子は悪かったものの,別の心電図が利用できたので不都合はなく,また,同時に患者2名が心肺停止となったが,その時点で既に他の病棟の看護婦の応援を得ていた上,上記のとおり医師の応援をも要請していた。 オ Fは,緊急の呼出を受けてD病院に駆け付けたとき,BとHが心マッサージ等を施されていたので,後から駆け付けた副院長を始め約4名の医師と共に蘇生術を続けながら,上記のとおり他の病院に問い合わせたものの,毒物混入の情報は得られず,発症の原因が分からなかったため,回復のわずかな可能性と当時の混乱した家族の心情を考えて蘇生術を続けたが,警察からシアン化合物が検出されたと連絡があり,更に保健所から他の病院の患者が死亡したと連絡を受け,蘇生術を断念した。 (2) 上記認定の事実によると,Eは,一時的に患者が増加したときは忙しかったが,ほとんどの患者がすぐに安定し,混乱して人手が不足する状況にはなく,一人で十分対応できると判断し,BとHの容体が相次いで 2) 上記認定の事実によると,Eは,一時的に患者が増加したときは忙しかったが,ほとんどの患者がすぐに安定し,混乱して人手が不足する状況にはなく,一人で十分対応できると判断し,BとHの容体が相次いで急変した時点では,他の病棟の看護婦の応援を得ると共に,院長のFに連絡を取って応援を要請していたのであり,以上の経過に特に不自然な点はないというべきである。これに加え,証拠上,医師がE一人であったことにより,来院した患者の診察を十分できなかったとか,入院させた患者の治療に支障を生じたとかといった事情が窺われないことをも考慮すると,Eにおいて,Bを含めて合計8名の患者が搬送された時点で,院長に連絡したり他の医師や看護婦の応援を求めたりするべきであったということはできない。 なお,原告は,D病院につき,救急病院としての設備が不十分であったことをも問題とするようであるが,上記認定のとおり,気管内挿管のチューブや心電図その他の設備に特に問題があったということもできない。 4 結論以上のとおりであるから,その余の争点について判断するまでもなく,原告の請求は理由がないといわなければならない。 和歌山地方裁判所民事部裁判官河田充規損害計算書 (別紙) 1 Bの損害 6652万7629円(1) 葬儀費用 150万円(2) 逸失利益 3502万7629円平成10年賃金センサス男子全年齢平均年収569万6800円から生活費5割を控除し,ライプニッツ係数12.2973を乗じて算定した。 (3) 慰謝料 3000万円Bは,健康に恵まれ,学業成績も優秀で,両親の慈愛を受け,自己の希望と努力により志望する上級学校に進学し 5割を控除し,ライプニッツ係数12.2973を乗じて算定した。 (3) 慰謝料 3000万円Bは,健康に恵まれ,学業成績も優秀で,両親の慈愛を受け,自己の希望と努力により志望する上級学校に進学して将来も幸せな生活を送ることができる身分に恵まれながら,本件医療過誤により塗炭の苦しみの中に死亡し,春秋に富む生命を失ったので,その悲しみと苦痛に対する慰謝料は上記金額が相当である。 2 原告による相続 3326万3814円原告は,Bの死亡により,上記1の損害額の2分の1の損害賠償請求権を相続により取得した。 3 原告固有の損害 700万円(1) 慰謝料 500万円原告は,被告の債務不履行又は不法行為により最愛の子を失い,甚大な精神的損害を被ったので,これに対する慰謝料は上記金額を下らない。 (2) 弁護士費用 200万円被告は,原告の本件訴訟の弁護士費用として上記金額を支払うべきである。 4 被告が原告に賠償すべき損害額(上記2及び3の合計) 4026万3814円
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