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主文 1 昭和三一年(ネ)第九一五号事件の控訴を棄却する。2 昭和三二年(ネ)第七五二号事件の付帯控訴を却下する。3 昭和三一年(ネ)第一四四九号事件の付帯控訴を棄却する。4 控訴費用は控訴人の、各付帯控訴費用はそれぞれ付帯控訴人等の、当審における補助参加によつて生じた訴訟費用は補助参加人等の各負担とする。事実 控訴人の補助参加人等は、昭和三一年(ネ)第九一五号事件について、原判決を次のとおり変更する。被控訴人A1は控訴人に対し二二五万円及びこれに対する昭和二九年一月一日から支払ずみまで年六分の割合による金額を支払え。被控訴人B1の被控訴人A1に対する請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の連帯負担とする。」との判決及び右金額支払部分について仮執行の宣言を求め、昭和三二年(ネ)第七五二号事件について、「本件付帯控訴を棄却する。付帯控訴費用は付帯控訴人の負担とする。」との判決を求め、昭和三一年(ネ)第一四四九号事件について、「本件付帯控訴を却下する。付帯控訴費用は付帯控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人A1(付帯控訴人・付帯被控訴人)は、昭和三一年(ネ)第九一五号事件について、「控訴人の補助参加人等の控訴申立を却下もしくは控訴人及び被控訴人B1の本件控訴を却下もしくは棄却する。」との判決を求め、昭和三二年(ネ)第七五二号事件について、「原判決のうち訴訟費用に関する部分を取り消す。第一審における訴訟費用のうち補助参加によつて生じたものは補助参加人等の負担とし、その余は付帯控訴人等の負担とする。」との判決を求め、昭和三一年(ネ)第一四四九号事件について、付帯控訴棄却の判決を求め、被控訴人B1(付帯控訴人・付帯被控訴人)は、昭和三一年(ネ)第九一 負担とし、その余は付帯控訴人等の負担とする。」との判決を求め、昭和三一年(ネ)第一四四九号事件について、付帯控訴棄却の判決を求め、被控訴人B1(付帯控訴人・付帯被控訴人)は、昭和三一年(ネ)第九一五号事件について、「本件控訴を棄却する。 担とする。」との判決を求め、昭和三一年(ネ)第一四四九号事件について、付帯控訴棄却の判決を求め、被控訴人B1(付帯控訴人・付帯被控訴人)は、昭和三一年(ネ)第九一 負担とし、その余は付帯控訴人等の負担とする。」との判決を求め、昭和三一年(ネ)第一四四九号事件について、付帯控訴棄却の判決を求め、被控訴人B1(付帯控訴人・付帯被控訴人)は、昭和三一年(ネ)第九一五号事件について、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求め、昭和三二年(ネ)第七五二号事件について、付帯控訴棄却の判決を求め、昭和三一年(ネ)第一四四九号事件について、「原判決を次のとおり変更する。付帯被控訴人A1は付帯控訴人に対し二一〇万円及びこれに対する昭和二八年一〇月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金額を支払え。控訴人の被控訴人A1に対する請求を棄却する。付帯控訴費用は付帯被控訴人等の負担とする。」との判決及び右金額支払部分について仮執行の宣言を求めた。当事者三名及び控訴人の補助参加人等の主張は、控訴人の補助参加人等の方で、補助参加人等が被参加人である控訴人、付帯被控訴人(以下第一審原告という。)を補助するためにした本件控訴の申立は、単に第一審原告がみずから控訴の申立をする意思がなかつたからといつて、民訴法六九条二項にいうところの「被参加人の訴訟行為と抵触する」ものということはできない。けだし、右控訴の申立に抵触する行為とは右控訴申立前の被参加人の控訴権の放棄のような積極的な行為をいうものであるからである(大審院昭和一一年三月一八日判決民集一五巻五二〇ぺージ参照)。原判決は、被控訴人・付帯控訴人・付帯被控訴人B1(以下当事者参加人という。)の第一審原告に対する請求について判決を脱ろうしているものであつて訴訟手続に違反するから全部取消を免れない。当事者参加人は原審において民訴法七一条の規定によつて第一審原告と被控訴人・付帯控訴人・付帯被控訴人A1(以下第一審被告という。)とを相手取つて当事 あつて訴訟手続に違反するから全部取消を免れない。当事者参加人は原審において民訴法七一条の規定によつて第一審原告と被控訴人・付帯控訴人・付帯被控訴人A1(以下第一審被告という。)とを相手取つて当事者参加の申立をしているものであつて、本件訴訟は三面訴訟である。したがつて当事者参加人は第一審原告に対しても自己の請求をなすべきであり、第一審原告の請求の棄却を求めるだけでは足りず、当事者参加人は第一審原告に対しては、第一審原告の第一審被告に対する本訴請求である二二五万円の損害賠償債権が自己に属することの積極的確認かあるいは第一審原告に属しないことの消極的確認かを求めなければならない。 相手取つて当事者参加の申立をしているものであつて、本件訴訟は三面訴訟である。したがつて当事者参加人は第一審原告に対しても自己の請求をなすべきであり、第一審原告の請求の棄却を求めるだけでは足りず、当事者参加人は第一審原告に対しては、第一審原告の第一審被告に対する本訴請求である二二五万円の損害賠償債権が自己に属することの積極的確認かあるいは第一審原告に属しないことの消極的確認かを求めなければならない。ところが、原判決事実中には、当事者参加人の第一審原告に対する請求が記載されておらず、原判決は、当事者参加人については単にその第一審被告に対する請求を棄却したにすぎず、その第一審原告に対する請求について判決を脱ろうしている。本件訴訟の各請求は三当事者間に矛盾なく一挙に解決されるべきものであつて、その一部判決は認められず、残余の部分に対する追加判決は許されない。それゆえ、原判決は違法である。当事者参加人は、当審において控訴人の地位を有するものであつて被控訴人の地位を有しない。けだし、前記のように本件訴訟は三面訴訟であつて、三当事者のうちの一方が勝訴すれば、他の二方は敗訴するのであり、他の二方の敗訴者は必要的共同訴訟の共同当事者に類似するものであるから、民訴法七一条六二条一項の規定によつて敗訴者の一方のした控訴は他の敗訴者の利益においてその効力を生じ、他の敗訴者は控訴人となるからである(大審院昭和一四年(オ)第三八〇号、第五一五号昭和一五年一二月二四日判決民集一九巻二四〇二ページ参照)。ところで、付帯控訴は被控訴人の地位においてのみなし得るのであるから、控訴人の地位を からである(大審院昭和一四年(オ)第三八〇号、第五一五号昭和一五年一二月二四日判決民集一九巻二四〇二ページ参照)。ところで、付帯控訴は被控訴人の地位においてのみなし得るのであるから、控訴人の地位を有する当事者参加人のした付帯控訴は不適法であつて却下を免れない。と述べ、第一審被告の方で、(一) 第一審原告は、原判決中で自己の請求を棄却されたが、みずから控訴の申立をせず、補助参加人等を相手取り原裁判所に後記甲山林の売買に関連する損害賠償請求の訴を提起しているのであつて、控訴申立をする意思を有しない。したがつて、補助参加人の本件控訴の申立は、被参加人である第一審原告の訴訟行為と抵触するものであつてその効力を有せず(民訴法六九条二項)、違法であるから却下されるべきである。 審被告の方で、(一) 第一審原告は、原判決中で自己の請求を棄却されたが、みずから控訴の申立をせず、補助参加人等を相手取り原裁判所に後記甲山林の売買に関連する損害賠償請求の訴を提起しているのであつて、控訴申立をする意思を有しない。したがつて、補助参加人の本件控訴の申立は、被参加人である第一審原告の訴訟行為と抵触するものであつてその効力を有せず(民訴法六九条二項)、違法であるから却下されるべきである。しかも、第一審原告は当審でなんらの主張もしていないから、審理を実施することができず第一審原告の控訴は違法であつて却下を免れない。(二) 当事者参加人は第一審原告、第一審被告と利害を共通にせず相対立するものであるから、たとえ補助参加人の提出した控訴状に当事者参加人を控訴人と記載しておるとしても、みずから控訴の申立をしない限り、第一審原告を補助する補助参加人の控訴申立によつて当然控訴人の地位を取得するものではない。のみならず、当事者参加人の分について控訴状に印紙がちよう用されていない。いずれの理由からしても、当事者参加人の控訴は不適法もしくは不適式であつて却下を免れないものである。ところが当事者参加人は、その後被控訴人として付帯控訴の申立をしているところ、敗訴者の第一審原告は同じく敗訴者である当事者参加人を相手取り控訴の申立をすることはできない。したがつて当事者参加人は被控訴人の地位を有するものではないから、付帯控訴の申立をすることはできない。仮にそうでないとしても 同じく敗訴者である当事者参加人を相手取り控訴の申立をすることはできない。したがつて当事者参加人は被控訴人の地位を有するものではないから、付帯控訴の申立をすることはできない。仮にそうでないとしても、その付帯控訴状には印紙のちよう用がなく不適式である。(三) (1) 補助参加人C1が所有していたものでD1がC1から買い受け、さらに第一審原告がD1から買い受けたと第一審原告が主張する奈良県吉野郡a村大字bc番地d山林五〇町歩のうち範囲東部一反四畝歩、順位第○△□番地上権の目的である山林(以下甲山林という。)は、原判決添付目録記載の山林(以下本件山林という。)に該当しない。bにおいては、立木所有を目的とする地上権を証明する基本的資料は地上権設定証書である。右証書記載の字、番地、地上権設定の目的物、その範囲、隣接山林、四囲の境界及びこれらを表示する当該山林の大体の地形を記載した図面なとによつて地上権の設定された山林が明確になるのである。 反四畝歩、順位第○△□番地上権の目的である山林(以下甲山林という。)は、原判決添付目録記載の山林(以下本件山林という。)に該当しない。bにおいては、立木所有を目的とする地上権を証明する基本的資料は地上権設定証書である。右証書記載の字、番地、地上権設定の目的物、その範囲、隣接山林、四囲の境界及びこれらを表示する当該山林の大体の地形を記載した図面なとによつて地上権の設定された山林が明確になるのである。山林の一筆ごとに監守人(山守)が置かれ、山林の立木の管理売買には監守人が関与し、立木売買が行われた際はその山林地盤の賃料、監守人手数料としてその売買価額のそれぞれ二分、八分が売主から徴収される慣習があつて、山林に対する地上権者、すなわち立木の所有者を明確にするには、その監守人と監守人の山林占有の状態が重要な資料となるのである。監守人は山林の地上権者と密接な関係を有するのであつて地上権者は遠隔の地に居住する者が多く、現地では監守人が地上権者を代理している。さらに地上権設定証書と記載事項が合致する地上権登録原簿やその管理者である地主総代の判断も重要な資料となるのである。大字bc番地d山林五〇町歩の地域は、e山から流出する、東より西に流れる川の南方にある広大な地域であつて、高く険阻な山岳地帯であり、その実測面積はお 者である地主総代の判断も重要な資料となるのである。大字bc番地d山林五〇町歩の地域は、e山から流出する、東より西に流れる川の南方にある広大な地域であつて、高く険阻な山岳地帯であり、その実測面積はおそらく五〇町歩の一〇数倍に及ぶものである。その頂上から一〇数条の小川が流れてそれぞれ谷をなしており、谷にはそれぞれ名称が付されているのであつて、その状況はほぼ丙第一号証等の図面のとおりである。そして個々の山林を「d小字f谷」、「d小字g」などの名称で表示してその区域を限定しており、小字の表示されている山林はほとんど一つの谷あるいはその付近にあるのである。ところで、いわゆる権利証に単に「d」とだけ表示してあるものは、「d」が広大な地域であるから、それのどの個所にあるか不明であつて、このような権利証が比較的多いのである。bの部落民は今から約五〇年前生業に困つて部落共有地である「d」の地域に日当を得る目的で植林し、その日当相当の価額で立木をb部落民またはその他の人に売り渡したのであるが、その立木所有のための地上権は立木一代限りのものであるから、部落民は所かまわず勝手に植林した結果その境界が不明確であつた。 ものは、「d」が広大な地域であるから、それのどの個所にあるか不明であつて、このような権利証が比較的多いのである。bの部落民は今から約五〇年前生業に困つて部落共有地である「d」の地域に日当を得る目的で植林し、その日当相当の価額で立木をb部落民またはその他の人に売り渡したのであるが、その立木所有のための地上権は立木一代限りのものであるから、部落民は所かまわず勝手に植林した結果その境界が不明確であつた。他地方の者は現地を見ないまま山林(立木)を買い受けており、補助参加人C1の家は医業に従事しており、同補助参加人は現地を見たこともなく権利証だけによつて山林を買い受けているのであり、本件山林を見たこともなくその山林の所在を知つていないのである。今から約五〇年前に植林されたb地区の山林(立木)は、昭和二〇年頃から伐採できる程度に成長したのであるが、山林の価額暴騰にともなつて、bまたは他地方の悪質ブローカーがbの監守人と結託して所在地不明の山林の権利証を買い入れ、これに該当するらしい、しかもその所在地を知らない他人所有の山林を権利証記載のものと称して売 騰にともなつて、bまたは他地方の悪質ブローカーがbの監守人と結託して所在地不明の山林の権利証を買い入れ、これに該当するらしい、しかもその所在地を知らない他人所有の山林を権利証記載のものと称して売り渡したり、そのような山林をみずから伐採したりして巨利を得る者か続出した。このような悪質ブローカーは、その山林を他に転売するにあたつて、所有者であると称する者の氏名の書付を山林に施していた。このためb地区ては、三六個所以上の山林の紛争が起つた。補助参加人等の所持していた甲第一号証の権利証記載の山林の所在地は単に「d」とのみ表示されており、前記のように広大なdの地域のどの場所であるか不明であるのに乗じ、何人かが勝手に本件山林に「C1山」の書付をし、たまたま小金を持つていたb在住の第三国人のD1にこれを買い取らせ、同人はこれを第一審原告に売り渡したものと推察されるのである。D1はその転売によつて巨利を得て東京に出たものであり、ブローカーは、五〇万円以上を利得している。(2) 甲山林の権利証である甲第一、第二号証、甲山林の立木所有のための地上権設定登録原簿である乙第七号証の一、二(丙第三五号証)に記載されている各事項と山林(地盤)の図面とは、それぞれ合致する同一のものであるが、それの所在地は「b第c番地字d」とだけ表示されており、小字の表示がないから、これをもつては、甲山林が前記のように五〇町歩の一〇数倍に及ぶ広大なd地域のどの場所にあるのか明確にすることができない。 甲山林の権利証である甲第一、第二号証、甲山林の立木所有のための地上権設定登録原簿である乙第七号証の一、二(丙第三五号証)に記載されている各事項と山林(地盤)の図面とは、それぞれ合致する同一のものであるが、それの所在地は「b第c番地字d」とだけ表示されており、小字の表示がないから、これをもつては、甲山林が前記のように五〇町歩の一〇数倍に及ぶ広大なd地域のどの場所にあるのか明確にすることができない。前記図面によると、甲山林の東側、西側及び北側はいずれも「谷限り」と表示されており、谷がそれぞれの境界であり、南側は「h山」と表示されており、かつ甲山林の中央部を南から北(上から下)に縦断する谷がある旨表示されている。甲山林(地盤)には、D2が植林をしてその地上権を取得したのであつて れぞれの境界であり、南側は「h山」と表示されており、かつ甲山林の中央部を南から北(上から下)に縦断する谷がある旨表示されている。甲山林(地盤)には、D2が植林をしてその地上権を取得したのであつて、同人はこれをD3に譲渡し、D3はこれを亡D4、その妻の補助参加人C1に譲渡し、D3がそり監守人となりD3は甲山林を十分知つていた。D3は大正五年七月二二日付葉書でD4に対し甲山林には檜一九年生三〇〇〇本、杉一〇年生一〇〇〇本が生立している旨通知している。したがつて甲山林と本件山林とは、それぞれの位置、谷、岩石の状況、地形、隣接山林、境界などの点で異つているばかりでなく、本件山林にはほとんど杉が生立していたのであるから立木の種類の点においても異つている。甲山林の監守人は、D3死亡後はD5であつたが、現在では甲山林の所在地を明らかにし得る者はいない。本件山林には、「C1山」の書付があつたが、それは補助参加人等が甲山林をD1に売り渡す直前に関係者の手で作為的に施されたものであるから、右書付をもつては、甲山林が本件山林にあたることを明らかにすることはできない。(四) b部落では、部落共有の山林(地盤)に植林した者が慣習法上その山林に立木所有のための地上権を取得するのであつてその者はその際地上権登録原簿にその旨登録し、かつ地上権設定登記を経由して権利証を所持するのであつて、右権利証を有しない者は地上権を主張することができない。ところが当事者参加人は本件山林についての権利証を所持していないし、地上権を取得した旨の登録あるいは登記を経由していない。 できない。(四) b部落では、部落共有の山林(地盤)に植林した者が慣習法上その山林に立木所有のための地上権を取得するのであつてその者はその際地上権登録原簿にその旨登録し、かつ地上権設定登記を経由して権利証を所持するのであつて、右権利証を有しない者は地上権を主張することができない。ところが当事者参加人は本件山林についての権利証を所持していないし、地上権を取得した旨の登録あるいは登記を経由していない。したがつて当事者参加人が譲り受けたと主張する山林がどこにあるのか明らかでないばかりでなく、これを取得したことを主張するを得ない。当事者参加人が本件山林について地上権を取得したと主張する唯一の資料は、丙第二 当事者参加人が譲り受けたと主張する山林がどこにあるのか明らかでないばかりでなく、これを取得したことを主張するを得ない。当事者参加人が本件山林について地上権を取得したと主張する唯一の資料は、丙第二号証の山葵畑譲渡書であるが、この譲渡書記載の物件のうち第四項の「同所(d)ノgノ上同所d谷ニ有ル分」が一応本件山林にあたるように思われるかも知れないが、「g」、「d谷」はいずれも広大な地域であつて、しかも右譲渡書は「山葵畑譲渡書」と題するものであり、右の趣旨は「g」、「d谷」周辺にある山葵の植えてある谷間の畑である。それは、杉桧の立木を意味するものではなく、本件山林に該当するものではない。甲山林にはD3が植林しその地上権を取得して補助参加人C1に譲渡しその監守人となつたものであり、当事者参加人はその子であつて甲山林の権利証が補助参加人等の手中にあつたことを十分知つていた。E1やD6が本件山林を甲山林にあたるものとしてその売買あつせんをするべく策動していたところ、当事者参加人はこれに乗じて甲山林の権利証を入手してこれを転売しようとしていたものであつて、本件山林と無関係の丙第二号証の山葵畑譲渡書等を、証拠方法に利用して第一審原告と第一審被告との間の紛争に介入して来たものである。(五) 乙第一号証の権利証、乙第一〇号証の一(甲第七号証の二)の登録原簿に表示されているbc番地d小字f谷山林五〇町歩の内登記第○×号順位第□△△番の地上権、西部五畝一六歩(以下乙山林の一という。)と乙第二号証の権利証、乙第一〇号証の二(丙第一〇号証の二)の登録原簿に表示されているbc番地字d山林五十町歩の内登記第○×号順位第□△×番の地上権、東部二畝一〇歩(以下乙山林の二という。 来たものである。(五) 乙第一号証の権利証、乙第一〇号証の一(甲第七号証の二)の登録原簿に表示されているbc番地d小字f谷山林五〇町歩の内登記第○×号順位第□△△番の地上権、西部五畝一六歩(以下乙山林の一という。)と乙第二号証の権利証、乙第一〇号証の二(丙第一〇号証の二)の登録原簿に表示されているbc番地字d山林五十町歩の内登記第○×号順位第□△×番の地上権、東部二畝一〇歩(以下乙山林の二という。)とを併せたものが、本件山林にあたるのである。乙山林の一は、当初D7が植林してこれを取得し るbc番地字d山林五十町歩の内登記第○×号順位第□△×番の地上権、東部二畝一〇歩(以下乙山林の二という。)とを併せたものが、本件山林にあたるのである。乙山林の一は、当初D7が植林してこれを取得し明治三六年八月中D8に、同人はD9に、同人はD10(同人はこれに抵当権を設定した。)に、同人はD11及びD12に、同人等はE2に、同人はD13に、同人は第一審被告に順次これを譲渡した。乙山林の二は、当初D9が植林してこれを取得し、同人はD8に、同人はD9に、同人はD10(同人はこれに抵当権を設定した。)に、同人はD11及びD12に、同人等はE2に、同人はD13に、同人は第一審被告に順次これを譲渡した。D9は、明治四三年一月三日乙山林の一と乙山林の二とを同時に譲受取得しておりD10、D11及びD12、E2、D13もこれを順次譲受取得したものである。明治四五年三月以後D11、D12がこれを共有していた期間中はD9が乙山林の一と乙山林の二との監守人であり、大正七年一二月以後E2がこれを所有していた期間中の監守人はE3であり、昭和一五年一一月D13が乙山林を取得した後はD14がその死亡した昭和二七年頃までその監守人となつていた。D14死亡後はその子E4が乙山林の一と乙山林の二との監守人であつた。E2は乙山林の一と乙山林の二とを所有していた当時前記のようにE3にこれを監守させていたが、みずからもこれを実地検分しその見取図(乙第九号証の一、二)を作成した。この見取図記載の山林の地形、周囲、隣接山林等は、ほぼ、乙山林の一と乙山林の二との前記登録原簿、権利証記載のそれと一致している。そして乙山林の一と乙山林の二との地形、周囲、隣接山林等は本件山林のそれと同一である。乙第九号証の一、二の見取図には、上下併せて杉二万本余と記載されているが、本件山林の伐採され 3にこれを監守させていたが、みずからもこれを実地検分しその見取図(乙第九号証の一、二)を作成した。この見取図記載の山林の地形、周囲、隣接山林等は、ほぼ、乙山林の一と乙山林の二との前記登録原簿、権利証記載のそれと一致している。そして乙山林の一と乙山林の二との地形、周囲、隣接山林等は本件山林のそれと同一である。乙第九号証の一、二の見取図には、上下併せて杉二万本余と記載されているが、本件山林の伐採され それと一致している。そして乙山林の一と乙山林の二との地形、周囲、隣接山林等は本件山林のそれと同一である。乙第九号証の一、二の見取図には、上下併せて杉二万本余と記載されているが、本件山林の伐採された立木が全部杉材であるところと一致している。本件山林の立木は従前間伐されているから右伐採木の本数が右記載の本数に一致しないのは当然である。仮に第一審被告が本件山林(立木)を有効に譲受取得していないとしても、第一審被告は昭和一七年一〇月頃本件山林(立木)の占有を取得しその時以後一〇年間所有の意思をもつて平穏かつ公然にこれを占有しており、その占有の始め善意かつ無過失であつたから、民法一六二条二項の時効によつて昭和二七年一〇月頃本件山林を取得したものである。(六) b部落では、すでに述べたように従来立木所有のための地上権が設定せられ、その地上権設定登録が行われているが、登録の際その正確な測量がされておらず、山林の形態、位置、隣接山林との関係、周囲の記載や図面は、もつぱら当事者の申請に任されているので、方角や面積の点で必ずしも実際と正確に合致しないことがあるけれども、その決定的に重要な点で、その山林の実際と登録原簿、権利証の記載、図面とが合致すれば、後者は前者に該当するものといつて差支ないのである。本件についてこれをみると、前記のように乙山林の一は、乙第一号証の権利証に「登記第○×号順位第□△△番」(地上権)と記載せられ、乙山林の二は、乙第二号証の権利証に「登記第○×号順位第□△×番」(地上権)と記載されており、両者の山林は地続きのものであることが明らかであつて、なるほど前者の権利証に「df谷」とあり後者のそれには「d」とのみ記載されているけれども、この「d」の下に「f谷」が省略されているにすぎないものであることは、それぞれの登記番号が同一であり あつて、なるほど前者の権利証に「df谷」とあり後者のそれには「d」とのみ記載されているけれども、この「d」の下に「f谷」が省略されているにすぎないものであることは、それぞれの登記番号が同一であり、かつそれぞれの順位番号が連続していることによつても明白である。 れには「d」とのみ記載されているけれども、この「d」の下に「f谷」が省略されているにすぎないものであることは、それぞれの登記番号が同一であり あつて、なるほど前者の権利証に「df谷」とあり後者のそれには「d」とのみ記載されているけれども、この「d」の下に「f谷」が省略されているにすぎないものであることは、それぞれの登記番号が同一であり、かつそれぞれの順位番号が連続していることによつても明白である。さらに、乙山林の一の権利証(乙第一号証)によると、乙山林の一の北、すなわち下方に接する山林は、もとD15山、後にi山であり、乙山林の一の南、すなわち上方に接する山林は、D9山(D9の有したもの)であつてD9の有していた乙山林の二の山林である。乙山林の二の権利証(乙第二号証)によると、乙山林の二の北、すなわち下方はD8山(D8の有していたもの)であつて、D8が有していた乙山林の一であることが明白である。つまり両者は南北、すなわち上下に相接しているものであつて、いずれもf谷に面しているのである。また乙第一号証の権利証によると、乙山林の一の西方に隣接する山林はj山(現D16山)であり、乙山林の一の東方は谷限りであることが明らかである。乙第二号証の権利証によると、乙山林の二の四方に隣接する山林はk山、東方に隣接する山林はD17山で、南方すなわち上方にはh山が隣接していることが明らかであつて、いずれも本件山林の周囲の状態に合致しているのである。乙山林の一については明治三二年五月一〇日、乙山林の二については明治三九年一二月二〇日それぞれ地上権が設定された旨の登録がなされているけれども、その設定登録は、必ずしも植林完了と同時になされるものではなく、植林に着手する際、その途中あるいは植林完了から数年後になされることもあるのであつて、本件山林のような険阻でその下部より上部まで一〇数丁もあつて、二町歩をこえる地域では数年にわたつて植林されるのが通常であることからみて、乙山林の一と乙山林の二との地上権 なされることもあるのであつて、本件山林のような険阻でその下部より上部まで一〇数丁もあつて、二町歩をこえる地域では数年にわたつて植林されるのが通常であることからみて、乙山林の一と乙山林の二との地上権設定登録の各日時をもつてその植林がそれぞれ完了した時とすることはできない。乙山林の一と乙山林の二との境界は不明瞭であるが前記のように明治三六年あるいは明治四三年から引き続き同一人が両者を順次所有していたし、監守人もそれぞれ同一人であつたのであつて、両者が事実上一体をなしていたのは当然であり、それは本件山林の状態に合致するものである。 されるのが通常であることからみて、乙山林の一と乙山林の二との地上権設定登録の各日時をもつてその植林がそれぞれ完了した時とすることはできない。乙山林の一と乙山林の二との境界は不明瞭であるが前記のように明治三六年あるいは明治四三年から引き続き同一人が両者を順次所有していたし、監守人もそれぞれ同一人であつたのであつて、両者が事実上一体をなしていたのは当然であり、それは本件山林の状態に合致するものである。乙山林の二の北方、すなわち下方の乙山林の一で伐採された立木の年輪が一様に四八年から五一年までであつたとしても、乙山林の二の伐採された立木の年輪は本件訴訟中実地について明白にされていないばかりでなく、乙山林の一では、大体二年か三年にわたつて植林されているのであるから、前記伐採立木の年輪だけで、両者の山林に生立していた立木の樹齢が異るものと断定することはできない。以上の次第であるから、第一審被告は第一審原告及び当事者参加人の本訴請求に応ずることはできない。(七) 第一審被告は、本案について全部勝訴の第一審判決を受けているのであつて、第一審被告の権利の防禦に必要でない行為によつて生じた訴訟費用は全然存在しないから、敗訴者である第一審原告及び当事者参加人の支出した第一審の訴訟費用の一部を第一審被告が負担すべき理由はない。そこで、第一審被告は、原判決のうち訴訟費用に関する部分の取消を求めるため付帯控訴の申立をした次第である。と述べたほか、いずれも、原判決事実記載と同一(ただし、原判決三枚目表八行目に「D18」とあるのを「D18」と訂正し、同裏末行、四枚目表一行目に「を表示」とあるのを「と表示」と訂正する。)である と述べたほか、いずれも、原判決事実記載と同一(ただし、原判決三枚目表八行目に「D18」とあるのを「D18」と訂正し、同裏末行、四枚目表一行目に「を表示」とあるのを「と表示」と訂正する。)であるから、これを引用する。当事者三名及び控訴人の補助参加人等の証拠の提出援用認否は控訴人の補助参加人等の方で、当審証人F1、F2、F3の証書を援用し、丙第五〇号証の成立を認め、当事者参加人の方で丙第五〇号証を提出し、当審証人F1、F4の証言、当審における当事者参加人本人尋問の結果を援用し、第一審被告の方で、丙第五〇号証の成立を認めたほか、いずれも原判決事実記載と同一(ただし、原判決五枚目表八行目の「八号証、」の次に「第十号証」を加え、同九枚目表三行目に「D19」とあるのを「D19」と、同四行目に「E5」とあるのを「E5」とそれぞれ訂正する。 し、丙第五〇号証の成立を認め、当事者参加人の方で丙第五〇号証を提出し、当審証人F1、F4の証言、当審における当事者参加人本人尋問の結果を援用し、第一審被告の方で、丙第五〇号証の成立を認めたほか、いずれも原判決事実記載と同一(ただし、原判決五枚目表八行目の「八号証、」の次に「第十号証」を加え、同九枚目表三行目に「D19」とあるのを「D19」と、同四行目に「E5」とあるのを「E5」とそれぞれ訂正する。)であるから、これを引用する。理由 本案前の主張について。第一審被告は、補助参加人等の控訴の申立は、その被参加人の第一審原告の意思に反しその訴訟行為に抵触する無効のものであると主張するけれども、民訴法六九条二項にいうところの「参加人の訴訟行為が被参加人の訴訟行為に抵触する」とは、補助参加人と被参加人との訴訟行為が明白にかつ積極的に抵触することをいうのであつて、単に補助参加人の訴訟行為が被参加人の意思に反するというだけでは、被参加人の訴訟行為に抵触するということはできない(大審院昭和一〇年(オ)第二二五九号、昭和一一年三月一八日判決民集一五巻六号五二〇ぺージ参照)。第一審原告がみずから控訴の申立をしていないことは記録上明白であるが、たとえ補助参加人等の本件控訴の申立が第一審原告の意思に反するとしても、その無効でないことは右に説明したところによつて明らかである。第一審被 がみずから控訴の申立をしていないことは記録上明白であるが、たとえ補助参加人等の本件控訴の申立が第一審原告の意思に反するとしても、その無効でないことは右に説明したところによつて明らかである。第一審被告の右主張は採用できない。第一審被告は、補助参加人等のした控訴の結果、当事者参加人は控訴人となるものでなく、また被控訴人と<要旨第一>なるものでもないと主張するので考えてみる。およそ、民訴法七一条の規定による訴訟は、少くとも当事者参</要旨第一>加人と他の各当事者との間に紛争が存在する限り、いわゆる三面訴訟であつて、三当事者中の二当事者が共同訴訟人となるものではなく、三当事者は相互に対立する関係にあるものというべきであるから、同法七一条六二条二項の規定によつて、その一人に対する相手方の訴訟行為は全員に対してその効力を生ずるのであり、当事者の一方の上訴によつて他の二方は被上訴人となるものと解するのが相当である。同法七一条六二条一項の規定によつてその一人の訴訟行為が全員の利益においてのみその効力を生ずるものとして、当事者の一方の上訴によつて他の二方のうちの一方が上訴人となり一方が被上訴人となるものと解すべきではない。 から、同法七一条六二条二項の規定によつて、その一人に対する相手方の訴訟行為は全員に対してその効力を生ずるのであり、当事者の一方の上訴によつて他の二方は被上訴人となるものと解するのが相当である。同法七一条六二条一項の規定によつてその一人の訴訟行為が全員の利益においてのみその効力を生ずるものとして、当事者の一方の上訴によつて他の二方のうちの一方が上訴人となり一方が被上訴人となるものと解すべきではない。思うに、三面訴訟において一方の上訴により全訴訟が上級審に移審しなければならないとするのは、原審で敗訴した一方が上訴審で勝訴の判決を得るためには、原審で勝訴した一方ばかりでなく、原審で敗訴した他の一方をも相手方としなければならないためであつて、上訴した原審の敗訴者は他の敗訴者の自己に対する請求が敗訴したことに不服があるものではない。当事者の一方の上訴によつて他の二方は被上訴人となるべきものとすることについては、人訴法二三条の規定を参考とすることができる。もしこの場合民訴法六二条一項の規定によるべきものとすると、上訴は自ら上訴しなか 一方の上訴によつて他の二方は被上訴人となるべきものとすることについては、人訴法二三条の規定を参考とすることができる。もしこの場合民訴法六二条一項の規定によるべきものとすると、上訴は自ら上訴しなかつた敗訴の他の一方のためにも効力を生ずることとなり、上訴人は単独で上訴を取り下げることができなくなり、原判決よりも不利益な判決を受けることを甘受しなければならない場<要旨第二>合も生ずることとなる。独立して上訴しなかつた原審の敗訴者は付帯上訴をしない限り自己に有利な判決を求</要旨第二>めることはできないが、付帯上訴をすることによつて自己に対する勝訴判決を得ることができる。以上説明のとおりであるから、当事者の一方の上訴によつて他の二方は被上訴人となるものと解するのである(最高裁判所昭和二九年(オ)第九六号・昭和三〇年(オ)第三五五号昭和三二年一一月一日判決民集一一巻一二号一八四二ぺージ参照)。記録によると、第一審原告は昭和二八年七月二八日第一審被告を相手方として訴を提起し、本件山林は甲山林にあたるものとしてその上の立木が第一審原告の所有であることの確認と伐木の引渡とを求め、第一審被告は本件山林は乙山林の一、乙山林の二にあたりその上の立木は第一審被告の所有であるとして応訴しているうち、当事者参加人は同年一〇月一三日当事者参加の申出をし、本件山林は丙山林にあたりその上の立木は当事者参加人の所有であると主張し、三者間の係争となつた。 八日第一審被告を相手方として訴を提起し、本件山林は甲山林にあたるものとしてその上の立木が第一審原告の所有であることの確認と伐木の引渡とを求め、第一審被告は本件山林は乙山林の一、乙山林の二にあたりその上の立木は第一審被告の所有であるとして応訴しているうち、当事者参加人は同年一〇月一三日当事者参加の申出をし、本件山林は丙山林にあたりその上の立木は当事者参加人の所有であると主張し、三者間の係争となつた。ところが第一審被告が昭和二九年五月四日特別事情に基く仮処分取消判決を得て右立木全部の搬出を終つたことに基いて、第一審原告及び当事者参加人は昭和三一年二月三日の原審口頭弁論期日で陳述された訂正申立書により請求の趣旨を変更し、第一審被告に対しそれぞれ本件山林の立木を不法に伐採したことによる損害の賠償を求めるに至つたことが明白 者参加人は昭和三一年二月三日の原審口頭弁論期日で陳述された訂正申立書により請求の趣旨を変更し、第一審被告に対しそれぞれ本件山林の立木を不法に伐採したことによる損害の賠償を求めるに至つたことが明白である。このような場合には、第一審原告の当初の本件山林の立木の所有権確認及びその伐木の引渡を求ある請求が右損害賠償請求に変更された後でも当事者参加人の右損害賠償の請求が民訴法七一条後段の規定によるものであることに変りはないというべきである。したがつて本件訴訟は三面訴訟であつて第一審原告は控訴人であるから、当事者参加人は被控訴人となるものといわねばならない。もつとも、補助参加人の提出した控訴状には当事者参加人を控訴人と表示しており、また補助参加人は当事者参加人は控訴人の地位を有すると主張するけれども、それは補助参加人との法律上の意見を表明するものにすぎず、前示の関係において補助参加人が第一審原告のためにした控訴は、第一審被告を被控訴人とするばかりでなく、当事者参加人も被控訴人となつているものと認めることを妨げるものではない。第一審被告の右主張は採用できない。第一審被告は当事者参加人の分について控訴状に印紙がちよう用されておらず不適式であると主張するけれども、第一審被告が被控訴人であることは右に説明したとおりであるから、控訴状をもつて控訴の申立をするを要しない。当事者参加人が控訴状をもつて控訴の申立をするべきことを前提とする第一審被告の主張は採用できない。第一審被告及び補助参加人等は、控訴人である当事者参加人がした昭和三一年(ネ)第一四四九号事件の付帯控訴は不適法であると主張するけれども、当事者参加人が被控訴人の地位を有するし、付帯控訴をすることができるものであることは前に説明したとおりであるから、右付帯控訴は適法のものといわねばならない。 るを要しない。当事者参加人が控訴状をもつて控訴の申立をするべきことを前提とする第一審被告の主張は採用できない。第一審被告及び補助参加人等は、控訴人である当事者参加人がした昭和三一年(ネ)第一四四九号事件の付帯控訴は不適法であると主張するけれども、当事者参加人が被控訴人の地位を有するし、付帯控訴をすることができるものであることは前に説明したとおりであるから、右付帯控訴は適法のものといわねばならない。付帯控訴は不適法であると主張するけれども、当事者参加人が被控訴人の地位を有するし、付帯控訴をすることができるものであることは前に説明したとおりであるから、右付帯控訴は適法のものといわねばならない。第一審被告及び補助参加人等の右主張は採用できない。第一審被告は、当事者参加人のした右付帯控訴状には、相当印紙のちよう用がないと主張するけれども、記録によると、右付帯控訴状が提出された後、相当印紙がちよう用されていることが認められる。第一審被告の右主張は採用するを得ない。第一審被告は、第一審原告は当審でなんらの陳述をもしないからその控訴は不適法であると主張するけれども、第一審原告の補助参加人等が第一審原告を除く他の当事者とともに原審口頭弁論の結果を陳述していることは記録上明白であつて、第一審原告が当審でなんらの主張をしないからといつてその控訴人としての地位を失うものではない。第一審被告の右主張は採用できない。第一審被告は、原判決中訴訟費用の三分の一を第一審被告に負担させた部分について付帯控訴をしているけれども、民訴法三六一条が訴訟費用の裁判について独立の控訴を許さないのは、附随的裁判である訴訟費用の裁判のみの当否を控訴審で判断させることを避けるためであるから、本案について付帯控訴がない以上、訴訟費用についてのみ付帯控訴をすることは許されないものといわなければならない。第一審被告の付帯控訴は不適法としてこれを却下すべきものである。補助参加人等は、原判決は当事者参加人の第一審原告に対する請求については判決を脱ろうしており訴訟手<要旨第三>続に違反するものであると主張するので考えてみる。本件訴訟は、前示のように第一審原告、第一審被告、当</要旨第三>事者参加人の三当事者間の訴訟であつて、三当事者はそれぞれ本件山林(立木)は自己の所有である するものであると主張するので考えてみる。本件訴訟は、前示のように第一審原告、第一審被告、当</要旨第三>事者参加人の三当事者間の訴訟であつて、三当事者はそれぞれ本件山林(立木)は自己の所有であると主張し、第一審原告と当事者参加人とは、いずれも第一審被告が不法に本件山林を伐採したものとして、第一審原告は第一審被告に対しその損害賠償を請求しているものであるから、当事者参加人の請求は民訴法七一条後段にあたるものであり、かつ当事者参加人と第一審原告及び第一審被告との間にそれぞれ紛争が存在するものというべく、本件訴訟は前示のようにいわゆる三面訴訟である。 はそれぞれ本件山林(立木)は自己の所有であると主張し、第一審原告と当事者参加人とは、いずれも第一審被告が不法に本件山林を伐採したものとして、第一審原告は第一審被告に対しその損害賠償を請求しているものであるから、当事者参加人の請求は民訴法七一条後段にあたるものであり、かつ当事者参加人と第一審原告及び第一審被告との間にそれぞれ紛争が存在するものというべく、本件訴訟は前示のようにいわゆる三面訴訟である。したがつて、当事者参加人は第一審原告に対する関係では、第一審原告の第一審被告に対する、第一審原告主張の損害賠償債権二二五万円及びこれに対する昭和二九年一月一日から支払ずみまで年六分の割合による遅延損害金債権が自己に属することの積極的確認を求めるべきである。原判決事実記載によると、当事者参加人は、第一審原告に対する関係において、「原告の請求を棄却する。」との判決を求めているけれども、これは当事者参加人が、第一審原告主張の第一審被告に対する前示損害賠償債権が自己に属することの確認を求めている趣旨であると解するのが相当である。そして、原判決が主文中で「当事者参加人の請求はいずれもこれを棄却する。」旨表示しているのは、当事者参加人の第一審被告に対する給付請求のほか、第一審原告に対する前示確認請求をも棄却した趣旨と解することができる。してみると、原判決には、補助参加人等主張のような判決の脱ろうはないというべきである。補助参加人等の右主張は採用できない。本案について。D1がC1から、第一審原告がD1から順次本件山林に該当するものとして買い受けた甲山林及び当事者参加人がF4から買い受けた丙山林が、いず る。補助参加人等の右主張は採用できない。本案について。D1がC1から、第一審原告がD1から順次本件山林に該当するものとして買い受けた甲山林及び当事者参加人がF4から買い受けた丙山林が、いずれも本件山林に該当するものと認められない理由は、次の(一)から(六)までのとおり付加、訂正するほか、原判決理由(原判決一三枚目裏末行から二四枚目表七行目の「とする」まで)記載と同一であるから、これを引用する。 (一)、 原判決一四枚目表終りから二行目の「乙第一二号証」の上に「それぞれ」を加え、同裏四行目に「土地の所有権」とあるのを「山林(地盤)」と改め、同末行に一を選任し」とあるのを「が選任され」と改め、同末行、同一五枚目表一行目に「備付けてこれを管理させ」とあるのを「区長、後に地主総代がこれを保管し」と改め、同五行目、六行目、一〇行目、一一行目に「地主総代」とあるのを「区長、後に地主総代」と改め、同六行目に「作成の上」とあるのを「作成し、a村村長より」と改め、同終りから二行目に「承認し」とあるのを「確認し」と改め、同一五枚目裏二行、三行目の「なし」の下に「、その際前示地上権設定証書、地上権売渡証書に登記所の登記済印がそれぞれ押され、」を加え、同八行、九行目の「何某山守何某」の上に『「何某山」または』を加え、同一〇行目の「又以上の」から同終りより二行目の「記載したこと」までを「登録原簿の図面は、最初の地上権者作成の図面(山林見取図)に基いてそのとおり記入されており、昭和二七年頃まで地主総代はみずから実地調査をしたうえでこれを記入したことはなかつた。 「、その際前示地上権設定証書、地上権売渡証書に登記所の登記済印がそれぞれ押され、」を加え、同八行、九行目の「何某山守何某」の上に『「何某山」または』を加え、同一〇行目の「又以上の」から同終りより二行目の「記載したこと」までを「登録原簿の図面は、最初の地上権者作成の図面(山林見取図)に基いてそのとおり記入されており、昭和二七年頃まで地主総代はみずから実地調査をしたうえでこれを記入したことはなかつた。登録原簿中の図面表示の山林の類地(隣接山林)地上権者に変動があつた場合、特にその旨書面による申出のない限り、原簿図面上その類地地上権者の書替はしない取扱であつて地上権売渡証書中の図面の類地地上権者 録原簿中の図面表示の山林の類地(隣接山林)地上権者に変動があつた場合、特にその旨書面による申出のない限り、原簿図面上その類地地上権者の書替はしない取扱であつて地上権売渡証書中の図面の類地地上権者の表示は登録原簿上の図面のそれと同一であるべきであるが、事実上その変動があつても原簿図面上書替が行われず、かつ地上権売渡証書上の図面ではその変動後の地上権者が表示されていて、原簿上の図面のそれと合致しないことがしばしばあつたばかりでなく、山林所在地の方位等の表示は時としてその地上権設定当時の各地主総代の見解によつて区々であつたこと」と改める。(二)、 原判決一六枚目表一行目に「別記」とあるのを「別紙」と訂正し、同二行目の「E6」の下に「(第二回)」を加え、同三行目の「E6」の下に「(第一、二回)」を加え、同四行目の「(第一、二回)」の下に、「原審(第一、二回)及び当審証人F1(一部)」を加え、同四行目の「被告A1本人の供述」の下に「(第一回)」を加え、同終りから二行目の「字d」の下に「(大字bc番地全域が字dといわれている。)」を加え、同終りから二行、末行の「五〇町歩」の下に「(当番証人F2の証言、当審における当事者参加人本人尋問の結果によると、その実際の面積は数百町歩であることが認められる。)」を加え、同異六行目の「検証当時」の上に「昭和二八年一〇月一七日」を加え、同七行目の「全部」の上に「地形上」を加える。(三)、 原判決一七枚目表終りから二行目の「そこで」の下に「前示」を加え、末行の「D1」を「D1」と訂正し、同裏末行の「証人F1」から同一八枚目表一〇行目の「である。」までを「原審(第一、二回)及び当審証人F1の証言中には、F1が明治三八年か三九年頃本件山林(その下部境界に岩崖があることは前示《引用にかかる原判決一六枚目表一〇行目 一〇月一七日」を加え、同七行目の「全部」の上に「地形上」を加える。(三)、 原判決一七枚目表終りから二行目の「そこで」の下に「前示」を加え、末行の「D1」を「D1」と訂正し、同裏末行の「証人F1」から同一八枚目表一〇行目の「である。」までを「原審(第一、二回)及び当審証人F1の証言中には、F1が明治三八年か三九年頃本件山林(その下部境界に岩崖があることは前示《引用にかかる原判決一六枚目表一〇行目 八枚目表一〇行目の「である。」までを「原審(第一、二回)及び当審証人F1の証言中には、F1が明治三八年か三九年頃本件山林(その下部境界に岩崖があることは前示《引用にかかる原判決一六枚目表一〇行目》のとおりである。)でD18の女婿D20の依頼によつて三日間下刈をし、その際大きな石が足もとから下方にいたD3の方へ落下し驚いた旨の部分があるけれども、成立に争のない丙第二一号証から第二三号証まで、第三四号証の一から三まで、原審証人F4の証言によつてその成立の認められる丙第一、第五号証、原審における当事者参加人本人尋問の結果によると、D3は本件山林付近のその他字dの地域の多数の山林で植林したりこれを監守したりしており、dの地域には諸所に岩崖があることが認められるばかりてなく、前示F1の証言はその証言当時から約五〇年前の経験に関するものであるから、その証言中のF1が下刈をした場所が本件山林である旨の部分は信用できない。原審及び当事者参加人本人尋問の結果中D3が本件山林で植林した旨の部分は伝聞にかかるものであり、これをもつてはD3が本件山林で植林した事実を確認するを得ない。前示丙第一、第五号証、前示F1の証言によつてその成立の認められる丙第四号証、前示F4の証言によつてその成立の認められる丙第三、第一五、第一六号証の各一、二(第一五、第一六号証の各一中郵便局作成の部分の成立は争がない。)、原審証人E5の証言によつてその成立の認められる丙第四一号証の一、二、右証言によつても、D3が本件山林で植林しあるいはこれを監守した事実を確認するを得ない。他に右事実を認め得る証拠はない。」と改め、同一八枚目裏八行目の「なかつたこと」の下に「を」を加え、同八号、九行目の「竝に」から同一一行目の「いずれも」までを削り、同一九枚目表一行目に「C2、」とあるのを削り、 め得る証拠はない。」と改め、同一八枚目裏八行目の「なかつたこと」の下に「を」を加え、同八号、九行目の「竝に」から同一一行目の「いずれも」までを削り、同一九枚目表一行目に「C2、」とあるのを削り、同二行目の「E1」の下に「(第一、二回)」を加え、同四行目に「E5」とあるのを削り、同四行目の「証人」の下に「D1、E1(第一、二回)」を加え、同五行目の「被告」の下に「(第一回)」を加え、同七行目の「覆し難い」の下に「。 。」と改め、同一八枚目裏八行目の「なかつたこと」の下に「を」を加え、同八号、九行目の「竝に」から同一一行目の「いずれも」までを削り、同一九枚目表一行目に「C2、」とあるのを削り、同二行目の「E1」の下に「(第一、二回)」を加え、同四行目に「E5」とあるのを削り、同四行目の「証人」の下に「D1、E1(第一、二回)」を加え、同五行目の「被告」の下に「(第一回)」を加え、同七行目の「覆し難い」の下に「。」を加え、同七行目の「し、」から同一九枚目裏一行目までを削る。(四)、 原判決一九枚目裏三行目の「先つ」の下に「前示丙第一号証、」を加え、同四行目に「、D21」とあるのを削り、同四行目に「丙第一、二号証」とあるのを「丙第二号証」と改め、同五行目の「証言」の下に「、原審及び当審における当事者参加人本人尋問の結果」を加え、同八行目の「山葵畑及び山林」の上に「丙第二号証記載の」を加え、同九行目の「そして」から二三枚目表二行目までを次のとおり改める。「前示丙第二号証の「山葵畑譲渡書」と題する、昭和一六年七月一五日F4作成の書面には、「一、吉野郡a村大字b小字(l)D22厳父書残シノ図面通リ周囲父D3所有ニ係ル一切ノ立木付ノ事。一、吉野郡a村大字b字d小名m山D23名義ニ係ル地上権付。一、同所f谷弐ケ所父ノ図面通リ。一、同所ノgノ上同所d谷ニ有ル分字d谷、n谷小名o谷p谷q谷下向イr谷s其他父ノ所有開拓セシケ所全部右山葵畑及立木頭書ノ金額正ニ受取リ譲渡申候事実正也(後略)」と記載されているところ、原審における当事者参加人本人尋問の結果中「本件山林は丙第二号証の第四項の『gノ上同所d谷ニ有ル分』に該当する。」旨の部分によると、少くとも丙第二号証の「山葵畑譲渡書」中の第一項から第三項までと第四項中「gノ上同所d谷ニ有ル分……父ノ所有開拓 件山林は丙第二号証の第四項の『gノ上同所d谷ニ有ル分』に該当する。」旨の部分によると、少くとも丙第二号証の「山葵畑譲渡書」中の第一項から第三項までと第四項中「gノ上同所d谷ニ有ル分……父ノ所有開拓セシケ所」を除くものとは、本件山林に該当しないものであるというべきである。そこで、右の「gノ上同所d谷ニ有ル分……父ノ所有開拓セシケ所」が果して本件山林に該当するかどうかについて検討しよう。丙第二号証の右書面は、前示のように「山葵畑譲渡書」と題するものであるところ、「gノ上同所d谷ニ有ル分……父ノ所有開拓セシケ(個)所」は、同書面第一、第二項のように「立木付」、「(立木)地上権付」、あるいは「図面通リ」の文言がこれに付せられていないから、山葵畑を表示するものであつて山林(立木)を表示しないものと解するのが相当である。 開拓セシケ所」が果して本件山林に該当するかどうかについて検討しよう。丙第二号証の右書面は、前示のように「山葵畑譲渡書」と題するものであるところ、「gノ上同所d谷ニ有ル分……父ノ所有開拓セシケ(個)所」は、同書面第一、第二項のように「立木付」、「(立木)地上権付」、あるいは「図面通リ」の文言がこれに付せられていないから、山葵畑を表示するものであつて山林(立木)を表示しないものと解するのが相当である。たとえ丙第二号証の山葵畑譲渡書作成当時山葵の市場価格が相当高かつたとしても、本件山林は、前示(引用にかかる原判決一六枚目裏二行目)のように約二町歩にわたるものであり、かつ後記認定事実から推認されるように当時樹齢約三五年から四〇年までの、主として杉の立木が生立していたものであるから、F4がその立木の価値を無視し、立木を含むにかかわらず単に山葵畑と記載するのは不合理であるというべきである。仮にこれをもつて、前示第一、第二項と同様に、立木地上権付のものであると解し得るとしても、原審証人F1(第一回)、E7、E8の証言によると、本件山林には山葵が植付されたことがないことが認められるし、前示のようにF4の父のD3が本件山林で植林したりこれを監守したりしたことを確認できない。もつとも、前示丙第一、第二号証、原審における当事者参加人本人尋問の結果によつてその成立の認められる丙第六号証の一、二(丙第六号証の一、二中郵便局作成部分の成立は争がない りしたことを確認できない。もつとも、前示丙第一、第二号証、原審における当事者参加人本人尋問の結果によつてその成立の認められる丙第六号証の一、二(丙第六号証の一、二中郵便局作成部分の成立は争がない。)、原審証人F4、E9、E10、E11の証言によると、D3はg谷にある大岩付近に山葵畑を有していたほかbの諸所に山葵畑を有し、その山葵を大阪中央卸売市場その他阪神方面に天狗わさびの名で出荷していたものであり、丙第一号証の図面には、D3が植付し、植林した山葵畑及び山林の所在個所を表示する△○の記号が記入されており、そのg谷の南方(上方)個所に△○が記入されていることが認められるけれども、この事実だけでは、また前示丙第二一号証によつて認められる、D17山(D17山がg谷の南方にあつて本件山林の東方類地であることは後記認定事実によつて明らかである。)の南方類地にD3の有した山林がある事実に照しても、本件山林がD3の植付、植林した山葵畑、山林に該当するものと認めることはできない。 示する△○の記号が記入されており、そのg谷の南方(上方)個所に△○が記入されていることが認められるけれども、この事実だけでは、また前示丙第二一号証によつて認められる、D17山(D17山がg谷の南方にあつて本件山林の東方類地であることは後記認定事実によつて明らかである。)の南方類地にD3の有した山林がある事実に照しても、本件山林がD3の植付、植林した山葵畑、山林に該当するものと認めることはできない。前示丙第一五、第一六号証の各一、二によつても、丙山林が本件山林に該当することを認めることはできない。他にこれを確認するに足りる証拠はない。原審証人E1(第一、二回)、E12の証言、前示当事者参加人本人尋問の結果によると、当事者参加人は、昭和二八年三月中旬頃本件山林中の立木に「亡D3から相続し、現在B1山」の旨書付をした事実が認められるが、前示E1の証言によると、本件山林の立木には、これより以前すでに「t山守D24昭和二七年九月二七日」の書付が行われており、昭和二八年三月中補助参加人C2は「B1山」の右書付を見た後、本件山林の立木に「C1山」の書付をしたことが認められるから、当事者参加人が前示書付をしたことだけでは本件山林が丙山林に該当するものということはできない。他に丙 人C2は「B1山」の右書付を見た後、本件山林の立木に「C1山」の書付をしたことが認められるから、当事者参加人が前示書付をしたことだけでは本件山林が丙山林に該当するものということはできない。他に丙山林が本件山林に該当する事実を確認するに足りる証拠はない。」以上のとおり改める。(五)、 原判決二三枚目表三行目の「成立の争のない」の前に「かえつて、」を加え、同三行目の「甲第七号証の二、」の下に「丙第一四号証、」を加え、同四行目の「第一、二号証」の下に「、丙第一三号証」を加え、同五行目に「、E2」、「各」とあるのを削り、同六行目の「第三号証の一、二」の上に「乙」を加え、同六行目の「第九号証の一、二」の上に「原審証人E2の証書によつてその成立の認められる」を加え、同裏四行、五行目の「されてきたこと」の下に「、乙山林の一と乙山林の二とを、D11及びD12が共有していた期間いずれもD9がその監守人であり、E2が所有していた期間いずれもE3ことE3がその監守人であり、D13が所有していた期間いずれもD14がその監守人であつたこと」を加え、二四枚目表二行目の「乙第一〇号証の二」の下に「(丙第一〇号証の二)」を加え、同六行、七行目に「相当とする」とあるのを「相当である。 四行、五行目の「されてきたこと」の下に「、乙山林の一と乙山林の二とを、D11及びD12が共有していた期間いずれもD9がその監守人であり、E2が所有していた期間いずれもE3ことE3がその監守人であり、D13が所有していた期間いずれもD14がその監守人であつたこと」を加え、二四枚目表二行目の「乙第一〇号証の二」の下に「(丙第一〇号証の二)」を加え、同六行、七行目に「相当とする」とあるのを「相当である。」と改め、その後に次のものを加える。乙山林の一(乙第一号証、甲第七号証の二、乙第一〇号証の一、丙第一四号証)は「df谷西部」と表示されているのに対し、乙山林の二(乙第二号証、第一〇号証の二、丙第一〇号証の二)は単に「d東部」と表示されておつて「f谷」と表示されていないことをみると、乙山林の一と乙山林の二とは、一応地続きではなく地形上一体をなしていないものとも考えられるようであるから、検討してみる。前示のように立木地上権設定の際当該山林所在地の方位の表示は、その当時の各地主総代の見 一と乙山林の二とは、一応地続きではなく地形上一体をなしていないものとも考えられるようであるから、検討してみる。前示のように立木地上権設定の際当該山林所在地の方位の表示は、その当時の各地主総代の見解によつて異ることもあること、乙山林の一の地上権設定証書下付願であると認められる丙第一三号証には乙山林の一がd「西部」にある旨の記載がないこと、前示E2の証言によつて乙山林の一と乙山林の二との地上権標準共有者の一人であつたD11がその譲受人であるE2に交付した乙山林の一と乙山林の二との図面であると認められる乙第九号証の一、二によると、乙山林の一と乙山林の二とは地続きであり地形上一体をなすものであつて、しかも乙山林の一は「西部」、乙山林の二は「東部」と表示されていること、前示のように乙山林の一と乙山林の二とがともに順次譲渡されており、その監守人が順次同一人であつたこと、それぞれの類地が後記認定のとおりであることを総合すると、乙山林の一と乙山林の二とは、いずれもf谷の東方にあるものであり、北から南(下から上)に地続きで地形上一体をなすものであるが、方位が少しずれて乙山林の一を北部、乙山林の二を南部と表示すべきものをそれぞれ西部、東部と表示したものであり、乙山林の一がf谷の西方にあることを示すものでないと認めるのが相当である。 り、その監守人が順次同一人であつたこと、それぞれの類地が後記認定のとおりであることを総合すると、乙山林の一と乙山林の二とは、いずれもf谷の東方にあるものであり、北から南(下から上)に地続きで地形上一体をなすものであるが、方位が少しずれて乙山林の一を北部、乙山林の二を南部と表示すべきものをそれぞれ西部、東部と表示したものであり、乙山林の一がf谷の西方にあることを示すものでないと認めるのが相当である。次に乙山林の一の地上権登録原簿(甲第七号証の一、二、乙第一〇号証の一、丙第一四号証)の図面には、乙山林の一の北方(下方)類地は「D15山」、西方類地は「j山守D25」、南方(上方)類地は「h山」、東方類地は「谷限り」とそれぞれ表示されており、乙山林の一の権利証(乙第一号証)の図面には、その類地はそれぞれ北方にi山西方の上部に「k山」、西方の下部に「元j山」、南方に「D9山」、東方に「谷限り」と表示されており、東方類地以外はそれ おり、乙山林の一の権利証(乙第一号証)の図面には、その類地はそれぞれ北方にi山西方の上部に「k山」、西方の下部に「元j山」、南方に「D9山」、東方に「谷限り」と表示されており、東方類地以外はそれぞれ表示が異つているので考えてみる。前示丙第一三号証、第二一号証から第二三号証まで、成立に争のない乙第八号証の一、二、丙第一一号証の一から三まで、第一二号証、第二〇号証、第二四号証の一、二、第二五号証、第二六号証の一、二、第二七号証から第三一号証まで、第三六号証の一から三まで、第三七号証から第三九号証まで、原審証人E13の証言によつてその成立の認められる丙第一八号証、原審証人F1(第一、二回)、E1(第一、二回の各一部)、E4、E14、E3(第一、二回)、E8、E6(第一、二回)、E15、E16、E17、E18、E19の証言を総合すると、大字bでD15の氏を称する者は亡D26(明治三年九月二日生)、その養子D27の二人だけであり、D26は亡D28の植林の人夫頭をしていたことがあり、乙山林の一の北方類地(丙第一一号証の二の山林と同号証の三の山林とが後に合筆されて乙第八号証の二の山林となつた。)をD28とD26とが植林をし各自の氏名の書付をした。そしてD28は自己名義で右類地のうち丙第一一号証の三の山林(この山林は、丙第二九号証の、D26が植林しD29が地上権を取得したd小字uの上にある山林と異るものである。 の二人だけであり、D26は亡D28の植林の人夫頭をしていたことがあり、乙山林の一の北方類地(丙第一一号証の二の山林と同号証の三の山林とが後に合筆されて乙第八号証の二の山林となつた。)をD28とD26とが植林をし各自の氏名の書付をした。そしてD28は自己名義で右類地のうち丙第一一号証の三の山林(この山林は、丙第二九号証の、D26が植林しD29が地上権を取得したd小字uの上にある山林と異るものである。)の立木地上権を取得し、堺市居住のD30は明治三六年五月二〇日これを譲り受け取得し同月二八日その旨の登録をし、丙第一一号証の二の山林はD30が明治三二年五月二四日直接自己名義をもつて地上権を取得し明治三四年三月二日地上権設定登記をした。これより先、明治三二年五月一〇日D7は、乙山林の一の地上権設定申請をし申請書記載図面にはその北方類地として 二年五月二四日直接自己名義をもつて地上権を取得し明治三四年三月二日地上権設定登記をした。これより先、明治三二年五月一〇日D7は、乙山林の一の地上権設定申請をし申請書記載図面にはその北方類地として「D15山」を記入した。そしてD7がその地上権設定登録をした当時D30はまだ右北方類地の立木地上権を取得しておらず、そのため乙山林の一の北方類地は「D15山」と表示され、「D30山」と表示されなかつた。乙山林の一の権利証(乙第一号証)の図面では、その西方類地はその上部(南部)がk山、その下部(北方)がj山と記載されており、かつ実際もそのとおりであつたのに対し、乙山林の一の登録原簿(甲第七号証の二)の図面では、西方類地は上部下部ともj山となつているが、前示のように乙山林の一と地続きの乙山林の二の西方類地は、乙山林の二の登録原簿上の図面ではk山と記載されており、結局乙山林の一の西方上部類地は登録原簿では訂正されなかつたものである。乙山林の一の北方類地は、登録原簿の図面では、h山(地上権者がいない。)となつており、乙山林の一の権利証の図面では「D9山」となつているが、前示のように乙山林の一の地上権設定登録がなされた明治三二年五月一〇日当時、乙山林の二の地上権設定登録はなされておらず、したがつて乙山林の一の南方類地は「h山」と記入されたものであり、乙山林の二の地上権設定登録は明治三九年一二月二〇日になされ、D9が明治四三年一月三日これを譲渡取得したので、その後に作成された乙山林の一の権利証では南方類地は「D9山」と記載されたが、原簿上その訂正が行われていたかつなものである。 乙山林の一の地上権設定登録がなされた明治三二年五月一〇日当時、乙山林の二の地上権設定登録はなされておらず、したがつて乙山林の一の南方類地は「h山」と記入されたものであり、乙山林の二の地上権設定登録は明治三九年一二月二〇日になされ、D9が明治四三年一月三日これを譲渡取得したので、その後に作成された乙山林の一の権利証では南方類地は「D9山」と記載されたが、原簿上その訂正が行われていたかつなものである。乙山林の一の西方類地(丙第二六号証の一)は、D31が明治三四年八月一二日これを取得し(j山)D25がその監守をし、ついでD32が明治四〇年一二月二九日これを譲り受け取得し(D16山 なものである。乙山林の一の西方類地(丙第二六号証の一)は、D31が明治三四年八月一二日これを取得し(j山)D25がその監守をし、ついでD32が明治四〇年一二月二九日これを譲り受け取得し(D16山)、亡E13がこれを監守し、後に昭和二六年中立木全部が伐採されたものである。丙第二六号証の一の山林(D16山)の西方敷地は、最初D33がその地上権を取得し、大正七年一〇月二三日D16がこれを譲受取得しE13がその監守人となつたが昭和二年中立木全部が伐採された。乙山林の一と乙山林の二との西方の南部類地(丙第二四号証の一)は、下市町居住のD34が明治三四年六月二三日D35から譲受取得したものであり、昭和二六年中立木全部が伐採され、それの西方類地(丙第二五号証)は、最初D36がその地上権を取得したものであり、D37等を経て後にD38がこれを取得したものである。乙山林の二の山林の東方類地(丙第二一号証)は、D17がその地上権を有していたもの(D17山)であり、乙山林の一の東方境界はg谷であり、その東方類地(丙第二〇考証)は最初D39がその地上権を取得し(D39山)、D14等を経てD40が大正二年九月二一日これを取得し(D40山)たものであつて、それの北方類地(乙第八号証の二)はもとD30がその地上権を有していたものであり、それは乙山林の一の北方類地にもあたる。乙山林の二の南方類地(丙第二二号証)は、最初D9がその地上権を取得したものであり、D10等を経てD14がこれを取得し、ついでその孫D24がこれを取得し昭和二九年春頃その立木全部を伐採したものである(D14山切跡)ことが認められる。原審証人E1(第一、二回)、原審及び当審証人F2の証言中右認定に反する部分は前示証拠と比べて信用できない。 権を有していたものであり、それは乙山林の一の北方類地にもあたる。乙山林の二の南方類地(丙第二二号証)は、最初D9がその地上権を取得したものであり、D10等を経てD14がこれを取得し、ついでその孫D24がこれを取得し昭和二九年春頃その立木全部を伐採したものである(D14山切跡)ことが認められる。原審証人E1(第一、二回)、原審及び当審証人F2の証言中右認定に反する部分は前示証拠と比べて信用できない。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。してみると、乙山林の 4山切跡)ことが認められる。原審証人E1(第一、二回)、原審及び当審証人F2の証言中右認定に反する部分は前示証拠と比べて信用できない。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。してみると、乙山林の一は本件山林の西端の尾を越えたf谷との中腹にあるものではなく、乙山林の二は本件山林の東方g谷側の山頂近くにあるものではない。本件山林には前示(引用にかかる原判決一六枚目裏五行、六行目)のように昭和二八年当時全域にわたつて一様に樹齢約四八年から五一年までの立木(原審証人E2、当審証人F2の証言、原審における第一審原告・被告(第一回)各本人尋問の結果によると、その立木はほとんど杉であることが認められる。)が生立していたところ、前示のように乙山林の一は明治三二年五月一〇日、乙山林の二は明治三九年一二月二〇日それぞれその立木地上権設定登録が行われており、その間に七年余の日時のへだたりがあるけれども、原審証人E14の証言、原審における第一審被告本人尋問の結果(第二回)によると、立木地上権設定登録は必ずしも植林完了と同時に行われるものではなく、植林の数年前あるいは数年後に行われることもあることが認められるから、右登録各日時の間に七年余のへだたりがあるからといつて、乙山林の一と乙山林の二との植林の時期に七年余のへだたりがあるものと認めなければならないものではない。前示乙第九号証の一、二には、乙山林の一と乙山林の二とを通じて樹齢一五年から一七年までの杉およそ二万本余がこれに生立している旨の記載があるところ、前示甲第七号証の一、二(乙第一〇号証の一、丙第一四号証)、乙第一〇号証の二、前示E2の証言によると、E2が大正七年一二月二〇日乙山林の一と乙山林の二とを買い受けた際売主のD11が乙第九号証の一、二を持参したものであることが認められる。その後三〇数年の日時の 示乙第九号証の一、二には、乙山林の一と乙山林の二とを通じて樹齢一五年から一七年までの杉およそ二万本余がこれに生立している旨の記載があるところ、前示甲第七号証の一、二(乙第一〇号証の一、丙第一四号証)、乙第一〇号証の二、前示E2の証言によると、E2が大正七年一二月二〇日乙山林の一と乙山林の二とを買い受けた際売主のD11が乙第九号証の一、二を持参したものであることが認められる。その後三〇数年の日時の 一〇号証の二、前示E2の証言によると、E2が大正七年一二月二〇日乙山林の一と乙山林の二とを買い受けた際売主のD11が乙第九号証の一、二を持参したものであることが認められる。その後三〇数年の日時の経過した昭和二八年当時本件山林の杉立木の樹齢が約四八年から五一年までであることは前示のとおりであるから、乙第九号証の一、二に記載せられた乙山林の一と乙山林の二との立木の樹齢は本件山林の立木の樹齢と一致するものといわなければならない。乙山林の一の権利証(乙第一号証)、その登録原簿(甲第七号証の二、乙第一〇号証の一、丙第一四号証)の各図面では、北部境界に岩崖の表示がなく前示のように本件山林の北部は岩崖であるけれども乙山林の一の北方類地(乙第八号証の二)の合筆前の一筆の図面(丙第一一号証の二)の南部境界には「岩崖限り」の表示があるから、乙山林の一の権利証及び登録原簿の北部境界に岩崖の表示がないからといつて、乙山林の一と乙山林の二とが本件山林に該当しないものと認めなければならないものではない。前示甲第七号証の一、二(乙第一〇号証の一、丙第一四号証)、乙第一、第二号証、第一〇号証の二、第一二号証の一(丙第三七号証)、乙第一二号証の二(丙第三八号証)によると、乙山林の一、乙山林の二の面積はそれぞれ五畝一六歩、二畝一〇歩であつて、本件山林の面積約二町歩よりはるかに狭いけれども、当審証人F2の証言、当審における当事者参加人本人尋問の結果によると、立木地上権登録原簿上の山林の面積は一般に実際のそれよりもはるかに狭く記載されていることがうかがわれるから、乙山林の一、乙山林の二の面積が本件山林のそれより狭いからといつて前者が後者に該当しないものと認めなければならないものではない。以上のものを加える。(六)、 原判決添付別紙目録五行且に「東部」とあるのを「西部 林の二の面積が本件山林のそれより狭いからといつて前者が後者に該当しないものと認めなければならないものではない。 林の面積は一般に実際のそれよりもはるかに狭く記載されていることがうかがわれるから、乙山林の一、乙山林の二の面積が本件山林のそれより狭いからといつて前者が後者に該当しないものと認めなければならないものではない。以上のものを加える。(六)、 原判決添付別紙目録五行且に「東部」とあるのを「西部 林の二の面積が本件山林のそれより狭いからといつて前者が後者に該当しないものと認めなければならないものではない。以上のものを加える。(六)、 原判決添付別紙目録五行且に「東部」とあるのを「西部」と訂正し、同六行目に「東部」とあるのを「西部」と訂正する。してみると、甲山林、丙山林がそれぞれ本件山林に該当することを前提とする第一審原告の各請求、当事者参加人の各請求は、その余の点について判断するまでもなく失当として棄却すべきである。 そうすると、右と同趣旨の原判決は相当であつて、第一審原告の控訴、当事者参加人の付帯控訴はいずれも理由がない。そこで、民訴法三八四条八九条九二条を適用し主文のとおり判決する。(裁判長裁判官熊野啓五郎裁判官岡野幸之助裁判官山内敏彦)
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