1令和6年6月19日宣告 東京高等裁判所第11刑事部判決令和3年(う)第2081号 殺人、殺人予備被告事件主文 本件各控訴を棄却する。 理由 第1 本件事案と控訴の趣意(略称は原判決に従う。)1 原判決が認定した罪となるべき事実の要旨は、次のとおりである。 被告人は、平成28年9月15日午前7時44分頃から同日午後5時29分頃までの間に、甲病院3病棟において、殺意をもって、同病棟の入院患者A(当時78歳)に投与予定の点滴バッグ内に、塩化ベンザルコニウムを成分とする消毒用液であるヂアミトールを混入し、その頃から同月16日午前10時頃までの間に、同病棟の看護師に、同点滴を上記Aに投与させ、よって、同日午後1時40分頃、同病院において、同人をベンザルコニウム中毒に基づく急性呼吸不全により死亡させて殺害し(原判示第1)、同月18日午後3時1分頃から同日午後4時55分頃までの間に、同病棟402号室において、殺意をもって、同病棟の入院患者B(当時88歳)に投与されていた点滴の三方活栓から混入して同人に上記ヂアミトールを投与し、よって、同日午後7時頃、同病院において、同人をベンザルコニウム中毒により死亡させて殺害し(原判示第2)、同日午後7時56分頃から同月19日午前7時30分頃までの間に、同病棟において、殺意をもって、同病棟の入院患者C(昭和3年9月20日生)に投与予定の点滴バッグ内に、上記ヂアミトールを混入し、上記日時頃から平成28年9月19日午後10時頃までの間に、同病棟の看護師に、同点滴を上記Cに投与させ、よって、同月20日午前4時552分頃、同病院において、同人をベンザルコニウム中毒により死亡させて殺害し(原判示第3)、同病棟の入院患者を殺害する目的 看護師に、同点滴を上記Cに投与させ、よって、同月20日午前4時552分頃、同病院において、同人をベンザルコニウム中毒により死亡させて殺害し(原判示第3)、同病棟の入院患者を殺害する目的で、同月18日午後7時56分頃から同月19日午前7時30分頃までの間に、同病棟において、ア 同病棟の入院患者D(当時75歳)に投与予定の点滴バッグ内に、上記ヂアミトールを混入し、イ 同病棟の入院患者E(当時76歳)に投与予定の点滴バッグ内に、上記ヂアミトールを混入し、ウ 同病棟の入院患者F(当時88歳)に投与予定の点滴バッグ内に、上記ヂアミトールを混入し、エ 同病棟の入院患者G(当時76歳)に投与予定の点滴バッグ内に、上記ヂアミトールを混入し、オ 同病棟の入院患者に投与するものとして同病棟ナースステーション内に保管されていた生理食塩水内に、上記ヂアミトールを混入し、もって殺人の予備をした(原判示第4)。 2 検察官の控訴の趣意は、検察官安藤浄人作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、論旨は訴訟手続の法令違反及び量刑不当の主張である(これに対する答弁は、弁護人趙誠峰(主任)、同村井宏彰及び同三宅千晶共同作成名義の答弁書に記載のとおりである。)。また、弁護人の控訴の趣意は、上記弁護人3名共同作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、論旨は事実誤認の主張である。 第2 検察官の控訴の合憲性について弁護人は、答弁書において、本件は裁判員裁判により審理されたところ、裁判員の死刑回避の判断に対する量刑不当を理由とする検察官控訴は憲法39条に違反すると主張するので、まず職権で判断するに、検察官の上訴は同一の犯罪について重ねて刑事上の責任を問うものではないから、3憲法39条に違反するものではなく、弁護人の主張を踏まえて検討して 9条に違反すると主張するので、まず職権で判断するに、検察官の上訴は同一の犯罪について重ねて刑事上の責任を問うものではないから、3憲法39条に違反するものではなく、弁護人の主張を踏まえて検討しても、本件についてこれと異なる解釈を採る理由はない。 第3 検察官の訴訟手続の法令違反の論旨について1 論旨は、要するに、原審検察官による「被告人の供述調書(原審乙6号証)中、供述が録取された部分のうち1項から3項までを除外した部分」の証拠調べ請求について、これを関連性がないとして却下し、その却下決定に対する原審検察官の異議申立ても棄却した原審の訴訟手続には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反がある、というのである。 2 所論と当裁判所の判断⑴ 原審記録によれば、原審乙6号証に係る証拠調べ手続等の経過は、次のとおりである。すなわち、公判前整理手続において、原審検察官は、犯行に至る経緯を立証趣旨として原審乙6号証の証拠調べを請求し、原審弁護人は、不同意の意見を述べ、任意性は争わないことを明らかにした。原審裁判所はその採否を留保して公判前整理手続を終結したところ、第5回公判期日(令和3年10月11日)及び第6回公判期日(同月12日)における被告人質問の終了後、原審検察官は、原審乙6号証中、供述が録取された部分のうち1項から3項までを除外した部分(以下、単に「原審乙6号証」という。)につき、刑訴法322条1項により証拠調べ請求をし(同月14日付け証拠調請求書)、原審弁護人は、却下されるべきである旨の意見を述べた(同月18日付け検察官証拠調請求に対する意見書)。原審裁判所は、提示命令により原審乙6号証を提示させた上、第9回公判期日(同月20日)において、「関連性なし」として上記証拠調べ請求を却下し、これに対する原審検察官の異議申立て 求に対する意見書)。原審裁判所は、提示命令により原審乙6号証を提示させた上、第9回公判期日(同月20日)において、「関連性なし」として上記証拠調べ請求を却下し、これに対する原審検察官の異議申立ても棄却した。 ⑵ 前記令和3年10月14日付け証拠調請求書において検察官が原審乙6号証の採用を求めた理由は、関連性に関する部分を要約すれば、次の4とおりである。 ア 原審検察官は、冒頭陳述において、「被告人は、(起訴済みの犯行より前である)平成28年7月中旬頃から、自己の勤務時間外に患者を死亡させるため、入院患者に投与予定の点滴バッグに注射器でヂアミトールを混入することを繰り返すようになった」との事実を立証予定である旨明らかとし、第6回公判期日における被告人質問において、同事実の立証のため、被告人に対し、「起訴された犯行より前に、患者の点滴バッグにヂアミトールを入れたことがあったか」と質問した。これに対し、被告人は、黙秘権を行使し、本件各犯行より前の同種行為について一切供述しなかった。 イ 原審乙6号証には、被告人が、平成28年7月中旬頃以降に、患者に投与予定の点滴バッグにヂアミトールを混入することを繰り返した事実、その方法や動機、対象の患者が意図どおりに死亡していたことの認識、そのため方法を変えずに同行為を繰り返していた事実等についての供述が録取されており、原審検察官が被告人質問で得ようとした内容の供述が含まれている。 ウ 原審乙6号証は、以下のとおり、関連性が認められる。 ① 本件各犯行時におけるヂアミトールの効果の認識(すなわち殺意)の程度に関して被告人が同種行為の経験に基づき、ヂアミトールに人を殺害する十分な効果があることを認識していたことは、本件各犯行時における殺意の程度の認定に関わるものであるから、原審乙6号 殺意)の程度に関して被告人が同種行為の経験に基づき、ヂアミトールに人を殺害する十分な効果があることを認識していたことは、本件各犯行時における殺意の程度の認定に関わるものであるから、原審乙6号証は、情状立証との関係で関連性を有する。 ② 本件各犯行までの動機形成の過程に関して本件では被告人の責任能力が争われており、その判断のために着眼すべき重要な要素として動機が了解可能であることが挙げられる。原審乙56号証の供述部分が立証されれば、動機形成のきっかけとなった出来事の後、その動機に基づく行為が実際に繰り返し行われ、これが習癖化した後に、その発展型の動機による犯行といえる公訴事実第1(原判示第1)の犯行が行われたことが明らかとなるから、原審乙6号証は、責任能力の立証との関係で関連性を有する。 ③ 常習性に関して入院患者を殺害することの常習性が認められることや、その程度は、本件各犯行に対する非難の程度を左右する事情であるから、原審乙6号証は、情状立証との関係で関連性を有する。 ⑶ これに対し、原審弁護人は、前記令和3年10月18日付け検察官証拠調請求に対する意見書において、上記①ないし③の立証のために余罪に関する原審乙6号証を用いることは許されない旨の意見を述べた。原審裁判所が原審乙6号証を却下したこと等は、前記のとおりである。 ⑷ 関連性に関する所論の要旨所論は、以下に指摘するところによれば、原審乙6号証を却下等した原審裁判所の措置には関連性の判断を誤った違法がある、という。 ① 殺意の強さの関係原審乙6号証は、確定的な強い殺意を立証する証拠として関連性を有する。すなわち、殺意の強さの程度は、殺人罪の犯情において極めて重要な事情である。また、原審裁判所は、第6回公判期日の被告人質問において、原審検察官の「起訴 な強い殺意を立証する証拠として関連性を有する。すなわち、殺意の強さの程度は、殺人罪の犯情において極めて重要な事情である。また、原審裁判所は、第6回公判期日の被告人質問において、原審検察官の「起訴されている事件よりも前に、患者さんの点滴バッグにヂアミトールを入れたということはありましたか」という質問に対して、原審弁護人が法的関連性を欠くとして異議を申し立てた際、原審検察官が「余罪を具体的に立証する意図は全くありません。本件犯行時点におけるヂアミトールの効果に関する認識のことを聞いてますけれども、そのほか、動機形成のプロセスや、あと、犯行時点における常6習性の程度などに関連しますので、本件犯行時点における被告人の精神状態、ないしは被告人の常習性などに関わりますので、本件に関する質問として、関連があると考えます」などと意見を述べた後に、その裁定として、「裁判所としては、被告人の従前の自らの体験がAさんの事件の当時の故意の程度に関わるという趣旨の検察官の質問だと思いますので、異議は棄却をして質問をすることは許します」と述べ、原審弁護人の異議を棄却している。このように、原審裁判所は、被告人が本件各犯行以前に同種行為を行い、その後に当該患者が死亡した事実の認識についての供述が、本件各犯行当時の殺意の強さとの関係で法的関連性がある旨の決定をしており、原審乙6号証を却下等した原審裁判所の措置は、原審弁護人の異議申立てを棄却した判断と矛盾する。 ② 動機形成過程の関係原審乙6号証は、動機形成過程を立証する証拠として関連性を有する。 すなわち、動機形成過程は、原審の争点であった責任能力の程度の判断に関連するばかりでなく、原判決が本件の情状において殊更重視した点でもあるから、関連性を有する。 ③ 常習性の関係原審乙6号証は、常習性を立証す 成過程は、原審の争点であった責任能力の程度の判断に関連するばかりでなく、原判決が本件の情状において殊更重視した点でもあるから、関連性を有する。 ③ 常習性の関係原審乙6号証は、常習性を立証する証拠として関連性を有する。すなわち、動機の非難可能性や犯行の計画性に関する犯情の評価は、本件が常習的犯行であることを踏まえて行われるべきであるから、常習性の認定は、本件の犯情を検討するに当たり、関連性を有する。 ⑸ 当裁判所の判断当裁判所は、原審乙6号証の証拠調べ請求を「関連性なし」として却下し、これに対する原審検察官の異議申立ても棄却した原審裁判所の措置は、原審記録に照らして相当であると判断する。以下、理由を説明する。 7原審乙6号証は、被告人が本件以前から殺意をもって入院患者らの点滴にヂアミトールの混入を繰り返していたことがその動機や方法を含めて具体的かつ詳細に記載されているものであることが、原審検察官の主張や控訴趣意書における所論等からうかがうことができる。これが起訴されていない複数の犯罪事実を内容としていることは明らかである。原審検察官は、このような余罪に係る証拠の取調べにより、本件の情状として殺意の強さや常習性を立証しようとするとともに、被告人の完全責任能力を基礎付ける事情として動機形成過程を立証しようとしたものである。そうすると、原審検察官の立証目的が余罪を実質的に処罰する趣旨であったとはいえず、また、原審乙6号証が原審検察官の主張する要証事実との関係で一定の証明力を有する蓋然性があることは否定できない。 しかしながら、起訴されていない余罪に係る証拠の取調べについては、それが余罪を実質的に処罰する趣旨でないとしても、裁判所に不当な偏見を与えたり、争点の混乱を引き起こしたりするおそれがあることも考慮されなけれ ら、起訴されていない余罪に係る証拠の取調べについては、それが余罪を実質的に処罰する趣旨でないとしても、裁判所に不当な偏見を与えたり、争点の混乱を引き起こしたりするおそれがあることも考慮されなければならない。このような弊害を避けるためには、当該証拠が要証事実との関係で一定の証明力を有する蓋然性があるとしても、事案の内容・性質、審理の状況、被告人の受ける不利益の程度等を踏まえて検討した結果として、これを取り調べることが許容できない場合があるというべきである。このことは、当該余罪に係る証拠の取調べの目的が、犯罪事実に関するものであるか情状事実に関するものであるかにかかわらず、妥当すると解される。証拠の採用の要件としての関連性の意義については種々の理解が考えられるが、原審裁判所において原審乙6号証を却下する理由として「関連性なし」としたのは、上記のような実質を意味するものと解される。 本件の原審乙6号証について更に具体的に検討するに、原審検察官の主張や控訴趣意書における所論等からうかがうことのできるその内容は、8余罪である複数の殺人の事実に関する動機や方法を含めた具体的かつ詳細な被告人の供述である。本件で起訴されたのは、3件の殺人と殺人予備であって、その内容に照らし、量刑においては極刑の検討も視野に入る重大事件といえるのであり、犯罪事実はもとより情状事実の認定・評価についても慎重な判断が求められるところ、原審検察官が取調べを求めた原審乙6号証に記載された余罪は複数の殺人の事実であるから、審理における不当な偏見や争点の混乱を回避する要請は格段に高いといえる。そして、原審の審理状況をみると、被告人は本件起訴に係る各犯行の事実をいずれも認めており、被告人の情状鑑定を行ったJ教授が、原審公判廷において、余罪にも言及しつつ被告人の動機形 格段に高いといえる。そして、原審の審理状況をみると、被告人は本件起訴に係る各犯行の事実をいずれも認めており、被告人の情状鑑定を行ったJ教授が、原審公判廷において、余罪にも言及しつつ被告人の動機形成過程を説明していたのであるから、犯罪事実の立証との関係では、原審乙6号証を取り調べるべき必要性が特に高い状況にあったとはいえない。このような状況において、原審検察官は、①(殺意の強さ)、②(動機形成過程)、③(常習性)に関して原審乙6号証を取り調べる必要があると主張したのであり、前記のとおり原審乙6号証がこれらとの関係で一定の証明力を有する蓋然性があることは否定できないが、その取調べを許容した場合には、余罪である複数の殺人という重大な犯罪事実の詳細が法廷で明らかとされ、原審裁判所において、過度にこの余罪を考慮し、あるいは不当な偏見を抱くなどして量刑判断を誤るおそれが生じる可能性は否定できず、また、この場合に被告人が被る不利益の程度が看過できないものであることも明らかである。さらに、原審弁護人は原審乙6号証につき不同意の意見を述べていたのであるから、その取調べを許容した場合には、余罪をめぐる事実関係や被告人供述の信用性が争われるなどして、争点の混乱を引き起こすおそれもあったといえる。 そうすると、原審乙6号証の取調べを許容することは、原審検察官の立証目的を考慮しても、非常に大きな弊害が生じることが想定されるもの9であって、「関連性なし」として証拠調べ請求を却下等した原審裁判所の措置は相当というべきである。 所論は、原審乙6号証の証拠調べ請求を却下等した原審裁判所の措置は、第6回公判期日の被告人質問において原審弁護人の異議を棄却した判断と矛盾するというが、上記第6回公判期日における原審裁判所の措置については、原審記録を検討しても 請求を却下等した原審裁判所の措置は、第6回公判期日の被告人質問において原審弁護人の異議を棄却した判断と矛盾するというが、上記第6回公判期日における原審裁判所の措置については、原審記録を検討しても、原審検察官による原審乙6号証にあるような余罪に係る具体的かつ詳細な質問を許容する趣旨までを含むものとは解されず、判断の矛盾をいう所論の批判は当たらない。 以上によれば、原審裁判所の原審乙6号証に係る措置に所論のいうような違法はなく、検察官の訴訟手続の法令違反をいう論旨は理由がない。 第4 弁護人の事実誤認の論旨について1 原判決の判断要旨原審では、被告人の責任能力が争われたが、原判決は、以下のとおり、被告人には完全責任能力が認められると判断した。 ⑴ 本件においては、いずれも豊富な臨床経験を有する精神科医である、H医師による起訴前の精神鑑定、I医師による起訴後の精神鑑定、さらに、原審弁護人が依頼した元家庭裁判所調査官で、犯罪心理学、家族心理学を専門とし、公認心理師、臨床心理士の資格を有するJ教授による情状鑑定が存するところ、原審裁判所は、当事者双方の主張を次のとおり整理した。すなわち、①原審検察官は、主としてH鑑定に依拠し、被告人は、犯行当時、軽度の自閉スペクトラム症であり、鬱状態ではあったが、これらは、動機の形成過程にはある程度影響したものの、犯行への影響は遠因にすぎず、被害者殺害という犯行の意思決定及び実行の過程に精神障害が及ぼした影響は極めて小さいとして、被告人には完全責任能力があったと主張し、②原審弁護人は、主としてI鑑定に依拠し、被告人は、犯行当時、自閉スペクトラム症ではなく、統合失調症にり患してお10り、顕在発症はしていなかったが前駆期の症状が犯行に影響を与え、動機、目的を達成するための手段として、極めて重 依拠し、被告人は、犯行当時、自閉スペクトラム症ではなく、統合失調症にり患してお10り、顕在発症はしていなかったが前駆期の症状が犯行に影響を与え、動機、目的を達成するための手段として、極めて重大で、目的に不釣り合いな死という結果をもたらす、殺害という手段を選択した点に、統合失調症の症状が強く影響していたとして、被告人は心神耗弱であったと主張する。 ⑵ 原判決は、上記の当事者双方の主張を踏まえ、要旨、次のとおり説示した。 ア I医師は、発達障害の分野に造詣の深い精神科医であるところ、事件記録や各種検査結果、被告人の小中学校時代の通知表などを資料とし、被告人との面接のほか、父母との2回の面接を実施し、幼児期からのエピソードも十分に把握した上で、DSM-5の診断基準(以下、単に「診断基準」という。)に照らし、被告人は、自閉スペクトラム症には該当しないとの結論を導いている。これに対し、H医師は、幼児期からのエピソードについては、家族からの50分程度の電話による聞き取り調査を行った程度で、その把握が十分でないままに、断片的なエピソードから、自閉スペクトラム症の診断基準に該当するとの結論を導いている。 したがって、この点については、I鑑定に信用性が認められる。もっとも、J教授も述べるとおり、被告人に認められる、複数のことが同時に処理できない、対人関係等の対応力に難がある、問題解決の視野が狭く自己中心的であるといった点は、自閉スペクトラム症を疑わせるものであり、被告人に自閉スペクトラム症の特性は認められる。 イ I医師は、被告人について、①犯行当時、鬱病と診断できる症状を発症していたこと、②乙病院入院後、幻聴、被害妄想が出現し、病的な症状に基づく奇異な行動を示すなど、統合失調症が顕在的に発症したこと、③合理性、合目的性を欠いた本件各犯行 時、鬱病と診断できる症状を発症していたこと、②乙病院入院後、幻聴、被害妄想が出現し、病的な症状に基づく奇異な行動を示すなど、統合失調症が顕在的に発症したこと、③合理性、合目的性を欠いた本件各犯行を繰り返した点は、犯行当時、統合失調症が既に発症していたことを示唆していることを指摘し、上記11鬱病症状は統合失調症の前駆症状と考えられることから、本件各犯行は、統合失調症の前駆症状の影響で行われたものであるとする。 しかし、H医師も指摘するとおり、①については、被告人が鬱状態にあったとは認められるものの、看護師としての業務が行えていたことや、犯行を実行するために考えを巡らせることができていたことなどに照らせば、鬱病の診断基準を満たしていたとは認め難いし、②についても、被告人が示した症状は必ずしも統合失調症特有の症状とはいえず、その後の症状の経過に照らしても、統合失調症を発症していたとは認め難い。 ③についても、本件各犯行が合理性、合目的性を欠いたものとは認められないし、統合失調症の前駆症状としてのいかなる症状が本件各犯行にいかなる影響を与えたかも、説明されていない。I医師の上記見解は採用できない。 ウ そうすると、被告人は、犯行当時、自閉スペクトラム症の特性を有しており、鬱状態にあったとは認められるものの、それ以外の精神の障害は認められない。被告人は、以前勤めていた病院で、患者の急変時の処置や家族への説明がうまくできずに、家族から責められて辛い思いをしていたところ、甲病院でも、患者が急変して死亡し、家族が臨終に間に合わず、看護師が激しく責められる場面に遭遇し、強い恐怖を感じたことから、自身の勤務時間中に、自身が対応を迫られる事態を起こしたくないと考えて本件各犯行に及んでおり、このような犯行動機は、それが当面の不安を解消するもの 責められる場面に遭遇し、強い恐怖を感じたことから、自身の勤務時間中に、自身が対応を迫られる事態を起こしたくないと考えて本件各犯行に及んでおり、このような犯行動機は、それが当面の不安を解消するものにすぎず、根本的な解決にはならないことを考慮しても、十分に了解可能である。また、被告人は、自分が対応しなくてもよい時間帯に被害者を死亡させるという目的に沿って、犯行手段を選択し、自身の犯行が発覚しないように注意して、本件各犯行に及んでおり、自身の行為が違法なものであることを認識しつつ、合目的的に各犯行に及んでいる。そうすると、被告人に自閉スペクトラム症の特性が12あり鬱状態であったことを精神の障害とみるとしても、これによって被告人の弁識能力又は行動制御能力が著しく減退してはいなかったと認められる。被告人には完全責任能力が認められ、原審弁護人の主張は採用できない。 2 所論と当裁判所の判断⑴ 原判決の判断は、原審証拠と論理則、経験則等に照らして不合理なところはない。 ⑵ これに対し、弁護人の所論は、以下のアないしウの理由から、原判決の上記判断は誤りであり、被告人は、H鑑定が指摘するとおり自閉スペクトラム症の診断基準を満たしている上、自閉スペクトラム症の二次障害として鬱症状も発症しており、本件各犯行は、そのような精神障害の影響の下、事理弁識能力及び行動制御能力が著しく減退した状態で行われたものであるから、心神耗弱の疑いが残る、という。 ア 原判決は、I鑑定のうち、本件各犯行は統合失調症の前駆症状の影響で行われた旨の意見部分は採用せず、自閉スペクトラム症の診断基準を満たさない旨の意見部分に限って採用するが、I鑑定とH鑑定の間に鑑定資料の点で有意な差はなく、その一部が明らかに信用性に欠けるI鑑定については全体として信用性が低いとみるべ ペクトラム症の診断基準を満たさない旨の意見部分に限って採用するが、I鑑定とH鑑定の間に鑑定資料の点で有意な差はなく、その一部が明らかに信用性に欠けるI鑑定については全体として信用性が低いとみるべきであるから、I鑑定に依拠して自閉スペクトラム症の診断基準を満たさないとした原判決の判断は不当である。 イ 原判決は、被告人の鬱状態が自閉スペクトラム症の二次障害であるかどうかについて明確な判断を示していないが、被告人が鬱状態になった経緯に照らせば、自閉スペクトラム症を基底とした二次障害と評価できる。 ウ 原判決は、犯行動機が十分に了解可能であることや被告人が違法性を認識しつつ合目的的に各犯行に及んでいることを指摘して、弁識能力又は行動制御能力が著しく減退してはいなかったと判断するが、自閉スペク13トラム症及びその二次障害としての鬱症状が犯行経緯に与えた影響やその機序を踏まえると、上記の精神障害は被告人の動機形成過程に極めて大きな影響を及ぼしていたとみるべきであり、この点を適切に考慮していない原判決の上記判断は不当である。 検討するに、所論は、I鑑定に依拠して自閉スペクトラム症には該当しないと認定した原判決の判断が誤りであると主張するが、原判決は、発達障害の分野に造詣が深いというI医師の専門性を指摘した上で、I鑑定は自閉スペクトラム症の診断にとって重要となる幼児期からのエピソードを十分に把握したものであるのに対し、H鑑定はその点の把握が十分でないことを踏まえ、I鑑定のうち、自閉スペクトラム症には該当しないとした意見部分を採用したものであり、このような理由から被告人が自閉スペクトラム症に該当しないとした原判決の判断は、所論が指摘するI鑑定の問題点を踏まえても、不合理とはいえない。そうすると、被告人が自閉スペクトラム症に該当し、その 、このような理由から被告人が自閉スペクトラム症に該当しないとした原判決の判断は、所論が指摘するI鑑定の問題点を踏まえても、不合理とはいえない。そうすると、被告人が自閉スペクトラム症に該当し、その二次障害として鬱症状を発症していたとして心神耗弱の疑いを主張する所論についても、その前提を欠くものといわざるを得ず、採用できない。 被告人は、自閉スペクトラム症の特性を有し、鬱状態にあったと認められるものの、自閉スペクトラム症の診断基準を満たさないからこれに当たらず、それ以外の精神の障害は認められないとした上で、以上を前提に被告人に完全責任能力を認めた原判決の判断は、その判断過程を含め、不合理なものとはいえない。 弁護人の事実誤認の論旨は理由がない。 第5 検察官の量刑不当の論旨について1 論旨は、死刑を回避し、被告人を無期懲役に処した原判決の量刑は軽過ぎて不当である、というものである。そこで、原判決の量刑の理由の説示を詳しくみた上で、所論について判断をする。 142 原判決の判断要旨⑴ 前提事実ア 被告人の身上、経歴及び犯行に至る経緯被告人は、幼少期から内向的な性格であり、友人は少なかったが、家庭や学校で問題行動はみられなかった。被告人は、両親からも内向的で不器用なタイプとみられており、特に母親からは、目つきの悪さなどを指摘されたり、もっと友人を作るよう叱られることも多かった。幼少期から高校までの時期を通じて、被告人は、評価されることが少なく、対人関係の不得手さを意識することも多かったため、自己肯定感を得る機会に乏しかった。 被告人は、高校2年生の時、母親から看護師は人の役に立つ良い仕事であると勧められ、被告人自身、手に職をつけたいと思っていたこともあり、看護師になろうと考えた。被告人は、高校を卒業し、看護 った。 被告人は、高校2年生の時、母親から看護師は人の役に立つ良い仕事であると勧められ、被告人自身、手に職をつけたいと思っていたこともあり、看護師になろうと考えた。被告人は、高校を卒業し、看護専門学校に入学後、2年生時からは寮生活を始めたが、友人は全くできなかった。 看護専門学校での学科の成績は中位だった一方、実習では、患者とうまくコミュニケーションがとれない、患者の状況を観察して適切な看護記録を書けないなどの課題があり、実習の成績は下位で、再試験となることもあった。被告人は、自身が看護師に向いていないと感じていたが、学費を両親に出してもらっていたこと、病院から数年看護師として働けば支払が一部免除になる奨学金を受け取っていたことから、看護師として働くほかないと考えた。 被告人は、看護師試験に合格し、平成20年4月、奨学金を受給していた病院に就職してリハビリ病棟で勤務を開始した。複数の業務を同時にこなしたり、柔軟な対応をとることができず、ストレスを感じることはあったが、車椅子で入院してきた患者が歩いて退院する姿などを見て、仕事にやりがいも感じていたため、リハビリ病棟勤務中に奨学金の返済15を終えた後も、看護師として働こうと思った。 被告人は、平成23年4月から障害者病棟、平成26年1月からは老人保健施設で勤務したが、患者の家族から自身の手際の悪さを責められたり、夜勤中に患者が亡くなった際に患者の家族から同僚の看護師らが大声で責められるのを見たりして、強いショックを受けたり、自分のことをふがいなく思うこともあった。被告人は不眠、不安、気分の落ち込みを感じるようになり、平成26年4月に精神科クリニックを受診し、抑鬱状態で休職が必要であるとの診断を受け、同年7月頃まで休職した。 その後、被告人は、リハビリ勤務を経て、同 不安、気分の落ち込みを感じるようになり、平成26年4月に精神科クリニックを受診し、抑鬱状態で休職が必要であるとの診断を受け、同年7月頃まで休職した。 その後、被告人は、リハビリ勤務を経て、同年8月頃から、一般内科の診療所で復職したが、体調に不安を抱える患者に対応を助言する業務があり、臨機応変に適切な対応をとれずに、患者の急変を招いてしまうのではないかと不安を感じるようになって勤務を続けていく自信を無くし、平成27年4月に同診療所を退職した。 被告人は、同診療所を退職した後、生活のために働かなくてはならないが、自分の学歴や能力では一般の企業では雇ってもらえないと思い、臨機応変な対応が要求されない職場なら看護師として働くことはできると考え、同年5月、終末期医療を中心としていて、かつ、終末期患者やその家族から、急変時に無理な延命措置を行わない同意が取れているとされていた甲病院の面接を受けた。 被告人は、甲病院に採用されて勤務を開始したが、終末期にある患者が亡くなっていくことを割り切れず辛く感じていたこと、夜勤の割合が増えていって月8回から10回程度になり肉体的にも負担であったこと、職場の同僚とうまくなじめず、仕事ができない自分に引け目を感じていたことから、ストレスをため込むようになった。また、甲病院では、採用時の説明と異なり、患者の家族が看取りに間に合うようにするため、延命措置を講じなければならないことがままあったところ、平成28年164月頃、入院中の患者が急変した際に、被告人が対応したものの亡くなり、被告人を含む複数の看護師が、患者の家族から、ここの看護師は最低だ、ここの看護師に殺されたようなものだなどと怒鳴られることがあり、被告人は強い恐怖を感じた。 そうして、被告人は、特に夜勤明けに無気力になったり、気分が落 、患者の家族から、ここの看護師は最低だ、ここの看護師に殺されたようなものだなどと怒鳴られることがあり、被告人は強い恐怖を感じた。 そうして、被告人は、特に夜勤明けに無気力になったり、気分が落ち込むようになり、過食をした後で下剤を服用することもあった。このような体調不良のため、被告人は、日勤を時々休むことはあったが、夜勤は休まず続けていた。被告人は、夜勤の際に業務の能率が落ちていると感じることはあったが、その他に仕事上何かミスをすることはなく、同僚の看護師から体調不良や能率の低下を指摘されることもなかった。同年5月頃には、甲病院を辞めたいと思い詰めるようになったが、自分のほかにも同じような勤務をこなしている看護師がいる中で、自分だけそのようなことを頼むのはわがままなのではないかと感じ、また、相談しやすい職場環境でなかったこともあり、同僚や上司に相談することはできなかった。同年6月頃には、母親に仕事を辞めることを相談したものの、母親からボーナスが出るまでは勤務を続けた方がよいのではないかとアドバイスされたため、仕事を辞める決断はできなかった。 そのような状況の中、被告人は、特に上記の平成28年4月頃に亡くなった患者の家族から責められた出来事がきっかけとなり、自分が勤務でないときに患者が死ねば、患者の家族から責められるリスクは減るという発想が浮かぶようになった。そして、以前ニュースで、消毒薬が誤って投与された患者が死亡した事故が報じられていたことを思い出し、病棟内に保管されていた消毒薬の中で無色・無臭のものはヂアミトールしかなかったため、同年夏頃、夜勤時に、患者の未使用の点滴にヂアミトールを混入した。被告人はその後、ヂアミトールを混入した点滴が投与された患者が死亡したことを知った。 17イ 各犯行当日の行動Aは、転 め、同年夏頃、夜勤時に、患者の未使用の点滴にヂアミトールを混入した。被告人はその後、ヂアミトールを混入した点滴が投与された患者が死亡したことを知った。 17イ 各犯行当日の行動Aは、転倒して負った右膝及び右肘のけがの治療のため、平成28年9月13日、甲病院に入院した。被告人は、同月15日、日勤業務に就いていたが、同日昼過ぎ頃、自身が担当するAが無断で病院から外出しようとしたため、他の看護師から連絡を受けた被告人が迎えに行って病室まで連れ戻した。Aは、終末期患者ではなく、近いうちに退院することは明らかであったが、病室に連れ戻した際にも、被告人に対し早く退院したい旨述べていたため、被告人は、Aがこのまま入院を続ければ、次の被告人の勤務である同月18日から19日にかけての夜勤の際にAが無断外出しようとするかもしれず、その結果Aが行方不明になったり、けがをしたりすると、被告人が同僚の看護師やAの家族から責められるかもしれないと思った。そして、被告人は、次の被告人の勤務までにAが死亡していれば、Aが無断外出して自分が責められるリスクを減らすことができると考え、自身の勤務時間外にヂアミトールをAに投与するため、Aに今後投与される点滴にヂアミトールを混入しようと決意した。 被告人は、ナースステーションに保管されている注射器と針を取り出し、ヂアミトールの蓋を開けて、周りに人がいないことを確認しながら、注射器でヂアミトールを吸い上げると、ナースステーション内の段ボール箱に保管されている点滴バッグの中から、貼られたシールを見てAに投与される予定のものを選び出し、そのゴム栓部分に針を刺して、吸い上げていたヂアミトールを混入した上、点滴バッグを段ボール箱の中に戻した。被告人は、その後、予定されている日勤の業務を行い退勤した。 同点滴は、同月16 のを選び出し、そのゴム栓部分に針を刺して、吸い上げていたヂアミトールを混入した上、点滴バッグを段ボール箱の中に戻した。被告人は、その後、予定されている日勤の業務を行い退勤した。 同点滴は、同月16日午前10時頃までの間に、情を知らない他の看護師によってAに投与され、Aは同日午後1時40分頃、ベンザルコニウム中毒に基づく急性呼吸不全により死亡した。被告人は、同月18日午後3時頃、夜勤に就くために出勤し、Aが死亡したことを知った。 18Bは、同月13日、他の病院から甲病院に転院し、点滴栄養管理による終末期医療を受けるため入院した。Bは、医師により、反復性誤嚥性肺炎、肺気腫、低酸素血症、末期的な慢性腎不全、廃用症候群などと診断された。同月16日、Bは、個室に移されていたところ、同月18日、上記のとおり出勤してこのことを知った被告人は、個室に移されるのは、容態が悪く、亡くなる直前の患者がほとんどであったことから、Bの容態が悪化して死期が近づいていることを認識した。同室の担当であった被告人は、自身の夜勤中にBが死亡した場合、自分一人で患者死亡時の家族対応をしなければならなくなるかもしれないことを不安に感じ、日勤の看護師が勤務している間にBが死亡すれば、日勤の看護師が家族対応を担当するか、少なくとも家族対応を手伝ってくれて負担が軽くなると考えた。そして、被告人は、Bを日勤の看護師がいる間に殺害しようと考え、ヂアミトールの効き目が早く出るように、Bの静脈内に直接ヂアミトールを注入して殺害しようと決意した。被告人は、ヂアミトールを注射器に吸い上げると、Bの入院している病室に向かい、投与されていた点滴の三方活栓から混入する方法で、Bの静脈内に直接ヂアミトールを投与した。被告人は、その後、看護師としての通常の業務を行っていたが、同日午後4時5 と、Bの入院している病室に向かい、投与されていた点滴の三方活栓から混入する方法で、Bの静脈内に直接ヂアミトールを投与した。被告人は、その後、看護師としての通常の業務を行っていたが、同日午後4時55分頃、Bの容態が急変し、午後7時頃、死亡した。被告人は、Bの家族に対し、Bが急変したことを電話で連絡したが、病院に到着した家族への対応は日勤の看護師が行った。 Cは、同月14日、他の病院から甲病院に転院し、点滴栄養管理と療養的な終末期医療を受けるため入院した。Cは、医師により、胆石胆のう炎、反復性肺炎などと診断された。同月18日、上記のとおり出勤した被告人は、自身の次の勤務日である同月21日から22日にかけての夜勤までに入院中の患者が死亡すれば、自身が患者の家族への対応をしなくて済むと考え、当時ナースステーション内にあった同月19日又は2190日投与分の点滴にヂアミトールを混入し、また、生理食塩水にヂアミトールを混入して、自身が勤務していない間に入院患者を殺害しようと決意した。そして、被告人は、ナースステーションにおいて、あるいは、ほとんどの患者が意識のない状態で入院している病室を選んで点滴バッグを持ち込み、上記のとおり投与予定の点滴や生理食塩水に注射器を用いてヂアミトールを混入し、これらをナースステーションの段ボール箱などに戻した。なお、このとき被告人は、各点滴がどの患者に投与予定のものであるか確認することはなかった。その後、被告人は、夜勤の業務を行い、退勤した。上記点滴のうち一つが、同月19日午後10時頃までの間に、情を知らない他の看護師によってCに投与され、同月20日午前4時55分頃、Cはベンザルコニウム中毒により死亡した。その後、Cに投与された点滴が泡立っていたことや、点滴のゴム栓のフィルムに穴があいていたことなどから、 護師によってCに投与され、同月20日午前4時55分頃、Cはベンザルコニウム中毒により死亡した。その後、Cに投与された点滴が泡立っていたことや、点滴のゴム栓のフィルムに穴があいていたことなどから、何らかの薬物が点滴に混入されていることが発覚したため、Cに投与された以外の点滴及び生理食塩水が患者に投与されることはなかった。 量刑判断以上の事実を前提に、被告人に対する量刑について判断する。 ア 本件は、看護師であった被告人が、勤務先の病院において、患者3名に、消毒薬であるヂアミトールを自ら投与し、あるいは情を知らない看護師に投与させて殺害したという殺人事件及び患者に投与予定の点滴等にヂアミトールを混入したという殺人予備事件である。 イ 本件の量刑を決するに当たっては、何よりも、3名の生命が失われたという殺人事件の結果が重要である。被害者のうち、Bは余命数日程度、Cは余命1週間ないし3週間程度であったとは認められるが、いずれも終末期病棟で穏やかな最期を迎えるはずであったのに、不条理にも、被告人の犯行により突然に生命が断たれてしまった。Aは終末期患者では20なく、治療が終われば退院して、健康に今までどおりの暮らしを送っていくはずであったのに、被告人の犯行により、苦痛の中でその生命が奪われている。このような被害結果は極めて重大である。被害者の遺族は、生前の被害者の様子やその最期に思いを致し、悲痛な心情と厳しい処罰感情を述べているが、当然のこととして理解することができる。 ウ 犯行態様についてみると、被告人は、いずれの犯行においても、その目的に沿って被害者を死亡させようと考え、看護師としての知見と立場を利用し、犯行が発覚しないように工夫しつつ、犯行手段をそれぞれ選択して犯行に及んでいる。また、原判示第1及び第3の事件では、情を の目的に沿って被害者を死亡させようと考え、看護師としての知見と立場を利用し、犯行が発覚しないように工夫しつつ、犯行手段をそれぞれ選択して犯行に及んでいる。また、原判示第1及び第3の事件では、情を知らない同僚の看護師を利用して、ヂアミトールを混入した点滴を被害者に投与させており、他者を自身の犯行に巻き込んでいる。被告人の犯行は、計画性が認められ、生命侵害の危険性が高く、生命軽視の度合いも強い、悪質なものと評価するほかない。 エ さらに、動機についてみると、被告人は、原判示第1の事件では、Aが無断外出した結果自分が責められるリスクを減らすため、原判示第2の事件では、日勤の看護師が勤務している間にBを死亡させて、日勤の看護師に家族対応を担当してもらうか、あるいは、少なくとも家族対応を手伝ってもらい負担を減らすため、原判示第3の事件では、次の夜勤までに入院中の患者を死亡させて、自身が患者の家族への対応をしなくて済むようにするために犯行に及んでいる。いずれの動機も身勝手極まりないものであり、酌むべき点は認められない。加えて、被告人は、同様の動機で、原判示第4の殺人予備の犯行にも及んでいる。 オ 以上の事情によれば、被告人の刑事責任は誠に重大というほかなく、被告人に対して有期懲役刑を選択することは考えられず、被告人に科すべき刑は死刑又は無期懲役刑である。もっとも、死刑は人間の生命を断絶させる究極の刑罰であり、その適用は慎重に行わなければならず、また、21公平性の確保にも十分意を払わなければならない。そこで、本件が死刑を選択することがやむを得ない事案といえるかどうかを判断するために、量刑検索システムに登録されている事案のほか、3名が殺害されたそれ以外の事案も参照して、更に検討を加えることとする。 カ 被告人が上記のような犯行動機を形成 い事案といえるかどうかを判断するために、量刑検索システムに登録されている事案のほか、3名が殺害されたそれ以外の事案も参照して、更に検討を加えることとする。 カ 被告人が上記のような犯行動機を形成するに至った過程についてみると、被告人は、もともと、複数のことが同時に処理できない、対人関係等の対応力に難がある、問題解決の視野が狭いといった自閉スペクトラム症の特性を有しており、患者の様子を観察して臨機応変な対応を行わなければならないという看護師に求められる資質にも恵まれていなかった。 被告人自身、看護師としての適性がないことは自覚していたが、聞かされていた甲病院の業務内容であれば、自分でも務まると考えて勤務を開始したところ、上記のアので述べたような事情から、鬱状態となり、退職を考えたものの、決断がつかないまま、仕事を続けた。そのような状況の中で、被告人は、ストレスをため込み、視野狭窄的心境に陥って、一時的な不安軽減を求めて担当する患者を消し去るほかないという短絡的な発想に至り、犯行を繰り返したことが認められる。このような動機形成過程には、被告人の努力ではいかんともし難い事情が色濃く影響しており、被告人のために酌むべき事情といえる。 この点、原審検察官は、H鑑定に依拠して、被告人が犯行動機を形成するに至ったのには、むしろ被告人の生来の自己中心的、反社会的性格傾向が強く影響している旨主張する。しかし、J教授も指摘するとおり、本件各犯行は反社会的な行為であるが、被告人は、およそ反社会的な行為とは無縁の生活を送ってきたものであり、もともと反社会的な価値観や性格傾向を有していたとは認められない。その個人歴の中で、本件各犯行に至るまでの間、腹を立てて物に当たったというエピソードはあるものの、攻撃を他者に向けたというエピソードはなく、心理検 的な価値観や性格傾向を有していたとは認められない。その個人歴の中で、本件各犯行に至るまでの間、腹を立てて物に当たったというエピソードはあるものの、攻撃を他者に向けたというエピソードはなく、心理検査の結果22に照らしても、被告人には、他者に対する攻撃的傾向も認められないのであって、原審検察官の主張は採用できない。 キ 被告人は、逮捕後、犯罪事実を全て認め、原審公判においても、犯行当時は罪悪感や後悔の気持ちはなかったことなど、自己に不利益な事情を含め、記憶をたどりながら素直に供述している。そして、現在は、自己の犯した犯罪の重大性を痛感し、被害者やその遺族らに対し謝罪の言葉を述べ、被告人質問では償いの仕方が分からないと述べていた被告人が、最終陳述では死んで償いたいと述べるに至っている。被告人には前科前歴がなく、上記のとおり反社会的傾向も認められないことからすると、更生可能性も認められる。 ク 以上の事情を総合考慮すると、被告人に対し死刑を選択することには躊躇を感じざるを得ず、本件において死刑を科することがやむを得ないとまではいえない。そこで、被告人に対しては、無期懲役刑を科し、生涯をかけて自身の犯した罪の重さと向き合わせることにより、償いをさせるとともに、更生の道を歩ませるのが相当であると判断した。 3 所論と当裁判所の判断所論所論は、原判決は、結果の重大性、遺族の被害感情、犯行態様、計画性及び動機を被告人に不利な事情として指摘し、本件における刑の大枠は死刑又は無期懲役刑のいずれかであるとの判断を示した上で、動機形成過程、更生可能性等を被告人に有利な事情として指摘し、無期懲役刑を宣告したところ、以下の①ないし③に指摘するところによれば、このような量刑判断は誤りであり、死刑を回避し、被告人を無期懲役に処した原判決 、更生可能性等を被告人に有利な事情として指摘し、無期懲役刑を宣告したところ、以下の①ないし③に指摘するところによれば、このような量刑判断は誤りであり、死刑を回避し、被告人を無期懲役に処した原判決の量刑は、量刑判断に関する過去の多数の最高裁判例から逸脱し、著しく軽きに失して不当である、という。 ① 原判決は、本件における刑の大枠を「死刑又は無期懲役刑である」と判23断するが、原判決が認定した犯行に至る経緯や動機、犯行状況等からすれば、本件各殺人は、殺人罪の中でも量刑傾向が重い「無差別殺人型」の犯罪類型に該当する上、これらは短期間にその都度犯意を形成した「連続殺人」でもあり、さらに、原判示第3の殺人は「大量殺人を企図したもの」であるから、本件各殺人は、殺人罪の中でも量刑傾向の最も重い部類に属するものとして位置付けられること、死刑選択の基準を示した最高裁昭和56年(あ)第1505号同58年7月8日第二小法廷判決・刑集37巻6号609頁(以下「永山判決」という。)等の判例を踏まえ、過去に集積された死亡被害者3名の殺人事件の裁判例の量刑傾向を分析すると、死刑とされずに無期懲役又は有期懲役とされた事案は、ⓐ心神耗弱が認定された事案、ⓑ共犯事件で、被告人の地位・役割、共犯者間の刑の権衡等の共犯事件特有の事情が考慮された事案、ⓒ男女の痴情のもつれ又は婚姻関係の破綻が犯行の背景にあり、かつ、同一機会に3名を殺害した犯行で、前記背景事情の原因を当該被告人のみに帰責できないとの事情又は殺意が未必的なものを含むとの事情のいずれかがある事案、ⓓ自殺を企図して同居の家族を同一機会に3名殺害した無理心中又はこれに準ずる事案のいずれかに当てはまり、それ以外は全て死刑が選択されていることからすれば、本件における刑の大枠は死刑以外にあり得ない。これに反し して同居の家族を同一機会に3名殺害した無理心中又はこれに準ずる事案のいずれかに当てはまり、それ以外は全て死刑が選択されていることからすれば、本件における刑の大枠は死刑以外にあり得ない。これに反して、刑の大枠を「死刑又は無期懲役刑である」とした原判決の判断は、これまでの量刑傾向を無視し、永山判決等の判例に従った量刑判断の手順を取っていないこと、これまでの量刑傾向を踏み出すものであるのに、その具体的、説得的な根拠を示していないこと、不適切な量刑資料を用いたために量刑傾向を正しく把握しなかった疑いがあることから、原判決の量刑判断には誤りがある。 ② 永山判決等の判例を踏まえ、本件における個別の犯情要素を検討しても、刑の大枠が死刑であるとの判断を揺るがす事情はない。すなわち、本件24は、職業看護師である被告人が、職場環境等からストレスをため込み、視野狭窄的心境に陥って、一時的な不安軽減を求めて担当する患者を消し去るほかないという短絡的な発想に至り、原判示第1の事件では、患者が無断外出した結果自分が責められるリスクを減らすため、原判示第2の事件では、日勤の看護師に家族対応を担当してもらうか、少なくとも家族対応を手伝ってもらい負担を減らすため、原判示第3の事件では、自身が患者の家族への対応をしなくて済むようにするため、業務の機会に、何ら落ち度がなく特段の人間関係もない入院患者である被害者3名を、連続的に殺害した事案である。本件の罪質をみると、被告人と死亡被害者との関係に照らし、本件各殺人は無差別殺人型の犯罪類型に当てはまること、同一機会の犯行ではなく、連続的な殺人であること、原判示第3の殺人は大量殺人を企図したものであること、職業看護師がその業務の機会に行った犯行であることが指摘でき、これらは類型的に非難可能性を高め、刑の大枠が死刑で はなく、連続的な殺人であること、原判示第3の殺人は大量殺人を企図したものであること、職業看護師がその業務の機会に行った犯行であることが指摘でき、これらは類型的に非難可能性を高め、刑の大枠が死刑であるとの判断を強固にする事情である。 また、原判決は、結果の重大性、犯行態様、計画性、動機について、「本件の量刑を決するに当たっては、何よりも、3名の生命が失われたという殺人事件の結果が重要である」「被告人の犯行は、計画性が認められ、生命侵害の危険性が高く、生命軽視の度合いも強い、悪質なものと評価するほかない」「いずれの動機も身勝手極まりないものであり、酌むべき点は認められない」と説示するところ、これらの事情に加え、原判決の考慮が不十分な点、すなわち、殺害行為の態様は、医療行為である点滴を利用し、被害者らに激烈な苦痛を与え続けながら徐々に死に至らしめるものであるなど、残虐かつ執ようであること、本件各殺人はいずれも確定的な殺意に基づく犯行であることを考慮すれば、刑の大枠が死刑であるとの判断を揺るがすものはなく、むしろ、その判断を更に強固にする事情しかない。 25永山判決等の判例を踏まえ、遺族の処罰感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状などの一般情状要素を検討しても、本件における刑の大枠を超えて死刑を回避すべき事情はない。 ③ 原判決は、死刑を回避する根拠として、(ⅰ)動機形成過程には、被告人の努力ではいかんともし難い事情が影響していること、(ⅱ)被告人が反省の態度を示し、更生可能性が認められることを指摘するが、(ⅰ)については、動機形成過程において自閉スペクトラム症の特性や職場のストレス、鬱状態が影響していたとしても、さらには被告人に自己中心的、反社会的性格傾向はないとの原判決の判断を前提にしても、自閉スペクトラム症の特 機形成過程において自閉スペクトラム症の特性や職場のストレス、鬱状態が影響していたとしても、さらには被告人に自己中心的、反社会的性格傾向はないとの原判決の判断を前提にしても、自閉スペクトラム症の特性は重いものではないこと、職場のストレスはさして有利な事情とはいえないこと、被告人には完全責任能力が認められることからすると、死刑の回避を相当とするほどのものとはいえない。(ⅱ)については、反省や更生可能性は、それらの正確な判断は困難で、従前の判例においても過度に考慮すべきでないとされていることから、死刑を回避する根拠になり得ない。(ⅰ)(ⅱ)はいずれも一般情状であり、一般情状は刑の大枠の範囲内で刑を調整する要素にすぎないのであるから、原判決が指摘した事情に、刑の大枠を超えて死刑を回避すべき根拠はない。 当裁判所の判断ア 本件は、原審検察官の死刑の求刑に対して、原判決が被告人を無期懲役に処したところ、検察官が控訴理由としてその量刑は軽きに失して不当であると主張している事案である。死刑は、被告人の生命そのものを永遠に奪い去るという、他の刑罰とはいわば質的な隔たりがある究極の峻厳な刑罰であって、死刑を選択することが許されるのは、犯行の罪質、動機、計画性、態様殊に殺害の手段方法の執よう性・残虐性、結果の重大性殊に殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の26年齢、前科、犯行後の情状等の各般の情状を併せ考慮したとき、その罪責が誠に重大であって、死刑の選択が真にやむを得ないと認められる場合であり、裁判所は、このような観点から慎重に議論をしなければならないものであり、そして、死刑の科刑が是認されるためには、死刑の選択をやむを得ないと認めた裁判体の判断の具体的、説得的な根拠が示される必要がある(最高裁平成25年(あ)第1127 論をしなければならないものであり、そして、死刑の科刑が是認されるためには、死刑の選択をやむを得ないと認めた裁判体の判断の具体的、説得的な根拠が示される必要がある(最高裁平成25年(あ)第1127号同27年2月3日第二小法廷決定・刑集69巻1号1頁、最高裁平成25年(あ)第1729号同27年2月3日第二小法廷決定・刑集69巻1号99頁参照)。このような基本的な考え方に立ち、原判決の量刑について、検察官の所論及び弁護人の答弁書の各指摘を踏まえながら検討する。 イ 前提となる事実関係について被告人の身上、経歴及び犯行に至る経緯並びに各犯行当日の行動は原判決が認定するとおりであり、所論もこれらについて異なる事実関係を主張するものではない。また、所論は、本件各殺人が「無差別殺人型」の犯罪類型に該当する「連続殺人」であり、原判示第3の犯行は「大量殺人を企図したもの」である旨主張するところ、本件各殺人が「無差別殺人型」の犯罪類型に該当するかどうかは「無差別殺人」の定義によるというほかないが、所論がその根拠として指摘する「何ら落ち度がなく特段の人間関係もない入院患者である被害者3名を殺害した」という事情については、原判決はこれを前提に量刑判断をしていると解されるし、本件各犯行が短期間にその都度犯意を形成した連続殺人であることや、原判示第3の犯行は大量殺人を企図したものであるという点も、原判決はこれらの事実関係を前提としていると解される。さらに、所論は、本件各殺人の犯行態様の悪質性に係る原判決の評価は不十分であると主張し、その理由として、犯行態様の残虐性・執よう性や確定的な殺意の点が十分考慮されていないというが、原判決が「(Aについて)苦痛の中27でその生命を奪われている」「(各被害者について)殺害しようと決意した」と説示していることな 虐性・執よう性や確定的な殺意の点が十分考慮されていないというが、原判決が「(Aについて)苦痛の中27でその生命を奪われている」「(各被害者について)殺害しようと決意した」と説示していることなどからすると、所論が指摘する残虐性・執よう性の根拠や確定的な殺意という点についても、原判決はそれらの事実関係を前提としていると解される。 以上によれば、原判決が量刑判断の基礎とした事実関係については、所論を踏まえても誤認や欠落があるとはいえず、問題は、このような事実関係を前提とした上での原判決の量刑判断の在り方や量刑事情の評価が不合理かどうかであり、検察官の主張の主眼もこの点にあるものと解される。 ウ 所論①について所論は、本件犯行が位置付けられる犯罪類型からすれば、本件における刑の大枠は死刑以外にあり得ず、「被告人に科すべき刑は死刑又は無期懲役刑である」とした原判決の判断は誤りであるという。すなわち、死亡被害者3名の殺人事件については死刑を選択した裁判例が多数であり、他方、死刑が回避された事案も一定数存在はするが、それは前記ⓐないしⓓの事案に限られるのであり、本件は、「無差別殺人型」の「連続殺人」であって、原判示第3の犯行は「大量殺人を企図したもの」であることなどからすれば、本件は死刑回避が可能な事案に当たらないというのである。 検討するに、究極の刑罰である死刑の適用に当たっては、慎重さのみならず、公平性の確保にも十分に意を払う必要があり、これまでの裁判例の集積から見いだされる各考慮要素に与えられた重みの程度・根拠を踏まえた検討が求められる。そして、本件は死亡被害者3名の殺人事件であり、かつ、そのような事案であっても死刑が選択されなかったのは、上記裁判例の集積からみる限りは、前記ⓐないしⓓの事案であり、本件はこれらの事案に められる。そして、本件は死亡被害者3名の殺人事件であり、かつ、そのような事案であっても死刑が選択されなかったのは、上記裁判例の集積からみる限りは、前記ⓐないしⓓの事案であり、本件はこれらの事案にみられる要素を有しない旨の検察官の指摘は、誤りは28ないものと認められる。もっとも、死刑の選択の可否を検討する際の総合評価の前提とされる、裁判例の集積から見いだされる各考慮要素に与えられた重みの程度・根拠については、個々の事案における具体的な事情によって異なり得るものであることなども踏まえて考えると、前記ⓐないしⓓの事案に該当しない限りは死刑以外の刑を科す余地がないと断ずることまではできないというべきである。したがって、原判決が、「被告人に対して有期懲役刑を選択することは考えられず、被告人に科すべき刑は死刑又は無期懲役刑である」としたことに誤りがあるとはいえない。 なお、所論は、原判決は永山判決等の判例に従った手順を取っていない、量刑傾向を踏み出す具体的、説得的な根拠を示していない、不適切な量刑資料を用いた疑いがあるなどともいうが、これらは本件における刑の大枠が死刑であるとする所論の立場を前提にして原判決の判断を論難するものであり、この点では前提において採用できない上、後に検討するとおり、原判決の判断は、死刑の選択・非選択に関して適切な方法を採っていると認められるから、所論の批判は当たらない。 エ 所論②、③について所論は、要するに、本件における個別の犯情要素及び一般情状要素を検討しても死刑を回避すべき事情はなく、原判決が指摘する動機形成過程や更生可能性などは死刑回避の根拠とはなり得ない、というのである。 そこで、本件の量刑事情について、まずいわゆる犯情要素を中心にみるに、原判決が説示するとおり、本件事案は、看護師であった 形成過程や更生可能性などは死刑回避の根拠とはなり得ない、というのである。 そこで、本件の量刑事情について、まずいわゆる犯情要素を中心にみるに、原判決が説示するとおり、本件事案は、看護師であった被告人が、勤務先において、患者3名に、消毒薬であるヂアミトールを自ら又は情を知らない看護師を介して投与して殺害したという殺人3件及び患者に投与予定の点滴等にヂアミトールを混入したという殺人予備の事案であって、何よりも、3名の生命が失われたという結果は重大であり、遺族29の処罰感情が厳しいこと、犯行の態様は、計画性及び確定的な殺意が認められ、生命侵害の危険性が高く、生命軽視の度合いも強く、点滴を利用した殺害行為はAのみならずBやCにも激烈な苦痛を与えたものと推認できる悪質なものであること、動機についても、身勝手極まりないことが指摘できる。そして、本件の罪質に関しては、何ら落ち度がなく特段の人間関係もない入院患者に対する殺人であること、同一機会の犯行ではなく連続的な殺人であること、原判示第3の犯行は大量殺人を企図したものであること、職業看護師がその業務の機会に行った犯行であることなどが指摘できる。 これらの事情は死刑の選択における考慮要素として重要なものといえるから、これらの事情を前提とすれば、被告人の罪責は誠に重大であり、本件は死刑の選択が十分に考えられる事案であるといえる。原判決も、上記に沿う各事情を指摘した上で、被告人の罪責は誠に重大である旨説示していることに照らすと、原判決の上記の各事情に関する評価は、基本的に同様のものであると解される。 他方、原判決は、(ⅰ)動機形成過程に被告人の努力ではいかんともし難い事情が色濃く反映していること、(ⅱ)被告人の反省等や、前科がなく反社会的傾向も認められないことから、更生可能性も認め れる。 他方、原判決は、(ⅰ)動機形成過程に被告人の努力ではいかんともし難い事情が色濃く反映していること、(ⅱ)被告人の反省等や、前科がなく反社会的傾向も認められないことから、更生可能性も認められることをも総合考慮すると、死刑を科することがやむを得ないとまではいえない旨説示しているので、これらの要素について検討する。 まず、動機形成過程として挙げられている点についてみるに、原判決の認定する被告人の身上、経歴及び犯行に至る経緯は前記のとおりであるが、原判決は、これを前提に、要旨、被告人は、もともと自閉スペクトラム症の特性を有しており、患者の様子を観察して臨機応変な対応を行わなければならないという看護師に求められる資質にも恵まれていなかった、被告人自身、看護師としての適性がないことは自覚していたが、30聞かされていた甲病院の業務内容であれば、自分でも務まると考えて勤務を開始したところ、患者が亡くなっていくことを辛く感じていたこと、夜勤の割合が増えて肉体的にも負担であったこと、職場の同僚とうまくなじめず、自分に引け目を感じていたことから、ストレスをため込むようになり、さらに、平成28年4月頃、入院患者が急変・死亡した際に、患者の家族から怒鳴られ、強い恐怖を感じたことなどから、鬱状態となり、退職を考えたものの、決断がつかないまま、仕事を続けた、そのような状況の中で、被告人は、ストレスをため込み、視野狭窄的心境に陥って、一時的な不安軽減を求めて担当する患者を消し去るほかないという短絡的な発想に至り、犯行を繰り返した、このような動機形成過程には、被告人の努力ではいかんともし難い事情が色濃く影響しており、被告人のために酌むべき事情といえる、と説示している。 本件各殺人の動機自体についてみる限りは、原判示第1の事件では、Aが無 程には、被告人の努力ではいかんともし難い事情が色濃く影響しており、被告人のために酌むべき事情といえる、と説示している。 本件各殺人の動機自体についてみる限りは、原判示第1の事件では、Aが無断外出した結果自分が責められるリスクを減らすため、原判示第2の事件では、日勤の看護師が勤務している間にBを死亡させて、日勤の看護師に家族対応を担当してもらうか、あるいは、少なくとも家族対応を手伝ってもらい負担を減らすため、原判示第3の事件では、次の夜勤までに入院中のCを死亡させて、自身が同人の家族への対応をしなくて済むようにするためというものであり、それらは被害者らやその家族とは全く無関係な事情であるから、かかる事情をもっても、動機自体は身勝手極まりないとの評価はいささかも揺らぐものではない。原判決も「いずれの動機も身勝手極まりないものであり、酌むべき点は認められない。」と明言しているのであり、同様の評価をしているものと解される。 その上で、原判決は、被告人が、複数のことが同時に処理できない、対人関係等の対応力に難がある、問題解決の視野が狭いといった自閉ス31ペクトラム症の特性を有し、看護師に求められる資質に恵まれていなかったことから、ストレスをため込み、視野狭窄的心境に陥って、一時的な不安軽減を求めて担当する患者を消し去るほかないという短絡的な発想に至った経緯を指摘している。当裁判所において原審証拠を精査しても、被告人がその資質等を背景に看護業務の中で感じた不安や恐怖は、身体不調をきたすほどに大きいものであったことなどが認められるのであり、原判決の上記認定判断に誤りがあるとはいえず、このような動機形成過程には、被告人の努力ではいかんともし難い事情が色濃く影響しているとの原判決の評価も首肯できるものである。 そして、前記のとおり、 、原判決の上記認定判断に誤りがあるとはいえず、このような動機形成過程には、被告人の努力ではいかんともし難い事情が色濃く影響しているとの原判決の評価も首肯できるものである。 そして、前記のとおり、元来被告人は反社会的な価値観や性格傾向を有しておらず、他者に対する攻撃的傾向も認められないことは、原判決が指摘するとおりである。そのような被告人が本件各犯行に及んだのは、自己にとっての耐え難い不安や恐怖からただ逃れたいとの心情から、看護師としての業務の間に行うことが容易であり、かつ、残虐性を目の当たりにすることのない態様である本件各犯行を、短絡的に選択してしまったものと理解できる。かかる意味において、本件は、確定的な殺意がある残虐な事案と認められるものではあるが、そうした事案の中でも、例えば恨みや不満の発散等の動機から他人の生命を奪うこと自体を積極的に望んで行った犯行などとは、やや異なる側面があったということができ、看護師としての仕事を離れた場合に、被告人に再犯のおそれが高いとまでいうことはできない。これらに加え、前科がないこと、原審における反省の状況をも踏まえると、更生可能性は認められるとした原判決の認定判断に誤りがあるとはいえない。 以上を前提に、原判決の判断について検討する。 前記のとおり、究極の刑罰である死刑については、裁判例の集積から見いだされる各考慮要素に与えられた重みの程度・根拠を踏まえた上で、32当該事案に係る諸事情を総合的に評価し、死刑を選択することが真にやむを得ないと認められる場合にその選択が許容されるものである。原判決は、量刑検索システムに登録された裁判例のほか、3名が殺害されたそれ以外の事案も参照した上で、本件における殺害された被害者の数、本件が看護師としての知見と立場を利用した生命侵害の危険性が高い犯行 決は、量刑検索システムに登録された裁判例のほか、3名が殺害されたそれ以外の事案も参照した上で、本件における殺害された被害者の数、本件が看護師としての知見と立場を利用した生命侵害の危険性が高い犯行態様で、計画性も認められること、動機が身勝手極まりないことなどを指摘して、被告人の刑事責任は誠に重大というほかないとしているのであり、裁判例の集積から見いだされる考慮要素を裁判体の共通認識とした上で、本件の事案の評価においてこれを適切に考慮していると認められる。 その上で、原判決は、動機形成過程に関する事情や更生可能性に関する事情をも含めて総合考慮すると、被告人に対し死刑を選択することには躊躇を感じざるを得ず、本件において死刑を科することがやむを得ないとまではいえないとしたものであるが、所論は、これらの事情は、一般情状であり、刑の大枠の中での調整要素にすぎないから、過度に重視することはできないというのである。 検討するに、死刑の選択・非選択が問題となる事案の量刑も、量刑の問題の一つである以上は、量刑の在り方として一般に採用されている検討方法は、基本的に妥当するといえる。原判決が指摘する動機形成過程に関する事情は、犯情に準ずる事情というべき部分と一般情状というべき部分の双方を含むものといえ、また、更生可能性に関する事情は、一般情状というべきものである。一般情状である限りは、量刑においては基本的に調整要素として機能する旨の所論の指摘に誤りはない。犯情に準ずる事情についても、犯情そのものと比べれば、量刑事情における位置付けには、自ずと違いがあるともいい得る。しかしながら、そうであるとしても、死刑の選択・非選択を決断する場面にあっては、死刑が究33極の刑罰であって、その選択は他の刑罰の選択やその数量の確定という量刑判断とはいわば質的な隔た い得る。しかしながら、そうであるとしても、死刑の選択・非選択を決断する場面にあっては、死刑が究33極の刑罰であって、その選択は他の刑罰の選択やその数量の確定という量刑判断とはいわば質的な隔たりがある問題であることからして、一般の量刑判断とは異なる慎重な検討方法が求められるというべきである。 すなわち、死刑の選択は、先に検討したような多くの考慮要素を踏まえて総合的な評価を慎重に行った結果、死刑を選択することが真にやむを得ないと認められるのでなければ許されないものである。裁判員裁判によって審理された本件においても、裁判員を含む裁判体において慎重な評議がなされ、上記のような判断に至ったのでなければ、死刑を科すことは許されない。 先に検討したとおり、本件における動機形成過程に関する事情や更生可能性に関する事情についての原判決の認定判断については、誤りがないと認められる。そして、上記動機形成過程に関する事情や更生可能性に関する事情の具体的内容が先に検討したとおりのものであることに照らすならば、これらの事情は、所論の指摘を踏まえても、究極の刑罰である死刑の選択・非選択を検討する場面においては、相応の意味を持ち得るものであるといえる。 本件は死刑の選択が問われた事案であり、それが真にやむを得ないといえるかを検討したことを含め、原判決の死刑の選択・非選択における検討方法に誤りは認められないこと、その際に考慮された本件における動機形成過程に関する事情や更生可能性に関する事情は、死刑の選択・非選択という場面において相応の意味を持ち得るものであることからすると、死刑を科すことが真にやむを得ない事案であるとの判断に至らなかった原判決の量刑判断が不合理であるということはできないというべきである。 なお、所論は、死亡被害者3名の殺人事件のうち、本 すると、死刑を科すことが真にやむを得ない事案であるとの判断に至らなかった原判決の量刑判断が不合理であるということはできないというべきである。 なお、所論は、死亡被害者3名の殺人事件のうち、本件と同程度、あるいは本件より情状が軽いとみられる量刑事情を含む事案についても死刑34が宣告されている、あるいは、原判決が量刑判断に関する過去の多数の最高裁判例を逸脱しているという。しかし、そもそも死刑の選択が問題となる事案で裁判例の検討が必要なのは、前記のとおり裁判例の集積から死刑の選択上考慮されるべき要素及び各要素に与えられた重みの程度・根拠を検討し、死刑の適用に当たっての公平性を確保することにあるから、これに従った検討をし、死刑を科すことが真にやむを得ないとはいえないとの判断に至った原判決について、本件とは事案を異にする個別の裁判例との比較によって誤りがあると主張する所論は採用の限りでない。最高裁判例との関係をいう点についても、原判決が従前の最高裁判例の示す判断方法を逸脱するものでないことはこれまでの検討から明らかであり、所論は、実質は個々の量刑事情の評価を論難することに帰するものである。 オ 以上によれば、被告人に対して無期懲役刑を科し、生涯をかけて自身の犯した罪の重さと向き合わせることにより、償いをさせるとともに、更生を歩ませるのが相当であるとした原判決の量刑判断が不合理であるということはできない。 検察官の量刑不当の論旨は理由がない。 第6 結論よって、刑訴法396条により本件各控訴を棄却し、当審における訴訟費用の処理につき同法181条1項ただし書を適用して、主文のとおり判決する。 (検察官岡田馨之朗出席)令和6年6月19日東京高等裁判所第11刑事部 裁判長裁判官 三浦 透35 つき同法181条1項ただし書を適用して、主文のとおり判決する。 (検察官岡田馨之朗出席)令和6年6月19日東京高等裁判所第11刑事部 裁判長裁判官 三浦 透35 裁判官 結 城 剛 行 裁判官 河 畑 勇
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